思春期における自己否定という罠

精神科読本14:『思春期における自己否定という罠』
川谷医院、株式会社精神医療相談室ドンマイ:川谷大治
Ⅰ
今、精神科臨床の場で何が起きているか
不登校(小中高生 13 万人,高校生 12 万人),引きこもり青年,リストカット症候群,過
食・嘔吐症,境界性パーソナリティー障害,ネット・買物依存,ギャンブル依存、薬物依
存の対応に苦慮しています。社会に出て行けない患者さんの数も増えています。境界性パ
ーソナリティー障害の若者は,アメリカでは精神科外来通院患者の 10%,入院患者の 20%
を占める勢いです。しかも彼らの治療は長期戦になり,治療が成功したとしても,同世代
の仲間からはずっと引き離され,稼ぐ収入,社会的地位も低いのが現状です。
Ⅱ 思春期青年期の精神病理
以下に,思春期および青年期に増加し,社会問題化している病気を羅列してみました。
1.統合失調症:100 年前と同じ 120 人に 1 人発症。
2.思春期青年期のうつ病の増加。
3.アディクション(嗜癖)
:ある習慣への強迫的な執着と依存。
1)物質:アルコール依存症,薬物依存,摂食障害
2)行為過程:ギャンブル依存症,買い物依存症,家庭内暴力,ネット依存,
ドメスティックバイオレンス,性依存,リストカット症候群
3)関係:共依存(人に依存し世話を焼く)
=アルコール依存症の妻,家庭内暴力の母親,虐待夫の妻
4.境界性パーソナリティー障害
5.パニック障害,強迫障害,適応障害,心的外傷後ストレス障害など
二重下線が本論で扱っていく病態です。彼らの最大の問題点は,思春期における「自己否定」
の先に見えてくる社会化された理想的な対象を描き出せない,ことです。そのため,同世
代の若者に対して,恥と劣等感の意識が強く,社会に出て行くのに臆病になっています。
自分の存在の価値を他者とのあいだで確かめることができないために,自分を誇れること
も自慢する場所も見出せません。唯一,空想世界だけが自分を裏切らない世界なのです。
そしてテレビゲーム,買い物,食べ物に嵌っていくのです。なかには自分の身体に傷をつ
けるといった被虐的な行為に嵌ってしまう若い女性も多い。
彼らの内的世界の自己像は肥大し誇大化しています。人一倍プライドが高くなっている
のです。しかしそれは自分だけの世界に限定されているので,現実に触れると途端に,落
ち込み,空虚感,孤独感に苛まされ,さらには自己愛的怒りを抑えることができなくなり,
糸の切れた凧のように,どこへ流されていくのか自分でも分からない状態に陥るのです。
とても辛い心理的状態です。
どうしてこのような状態に陥ってしまったのか,そしてその状態から脱却するにはどの
ような方策があるのかを述べることが本論の目的です。家族はどのような援助ができるの
かを分かりやすく述べて行こうと思います。
Ⅲ 自己否定という罠
1.
「自我理想 Ich ideal」と「理想自我 Ideal ich」
精神分析では社会性を持った道徳的価値規範を取り入れた自己のあり方を「自我理想」と呼
びます。自分本位の願望や自己愛を克己した後に形成される,より高い,より社会性のある人間
像です。一方,自分の気に入った自己愛そのものの自己像を「理想自我」と呼びます。
「理想自
我」は,自分の中で主観的に作り上げられたもので,幼い頃の自己イメージと一致します。勉強
がよくできて,みんなに秀才だとちやほやされる自分,美しくみんなに美人だといって褒められ
る自分,権力をもつ自分,名声に輝く自分,尊敬され・賞賛される自分,誰もが心に思い描く,
心地よい,楽しい,素晴らしい自分が「理想自我」なのです。子どもの頃に鏡に映し出される自
分の姿がその原型です。要するに,
「自我理想」は社会的自分を「理想自我」はパーソナルな自
分を表しているとも言えます。
2.
「自我理想」は「理想自我」の否定の過程で形成される=子どもから大人へ
自己中心的なパーソナルな自己愛を一度否定した上に成り立つ「自我理想」は,自己中心的な
欲望を否定し,自分のアイデンティティーのため,国家社会のため,学問のため,自分を越えた
何かに身を捧げる人間としてのあるべき姿です。子どもから大人への移行期である思春期青年期
にこの過程が進みます。ところが,この過程がうまくいかない若者が増えているのです。いつま
でも「理想自我」にしがみついている若者たち,自己否定に嵌って「自我理想」が見えてこない
若者たちです。前者は引きこもり青年に代表され,後者はリストカット,過食・嘔吐症,境界性
パーソナリティー障害,買物依存症に代表されます。子どもから大人への過程が進行しないので,
大人になるのが恐ろしく子どものままでいたいのです。
最近の若者が,子どもっぽい自己を否定した上に成り立つ社会的な理想の姿が描けないのはど
うしてなのでしょうか。いろいろ原因が浮かんできます。もともと一個の独立した人間として生
まれてきたのに,母親が子どもを溺愛し「自分の子ども」として支配してきたために,子どもは
いつまでも母親の庇護のもとで子どもでありたいと願います。面倒な人間関係は避けて,自分の
思い通りになる母子関係を現実社会に求めるために打たれ弱い,傷つきやすいパーソナリティー
が形成されているのです。
母親からは分離できても理想とする姿が見つからないこともあります。その原因は社会の変化
にあります。例えば,少なくとも戦前までの長男は跡継ぎとして生まれ,将来の姿ははっきりし
1
ていました。しかし,現代では,親と同じ仕事をすることを「帰りが遅くてたいへんそう」
,
「責
任が重そう」と言って 80%の子どもたちは拒否しています。父親の背中が将来の自己像になら
ないのであれば子どもたちは何を指針に成長していくのでしょうか。私が小学生の頃,どこの学
校の校庭にも二宮金次郎の銅像が立っていました。薪を背負って本を読みながら歩いている姿は
今でも心に深く刻まれています。あの二宮金次郎の銅像が今はどこにもありません。あるのはス
マフォを操作しながら歩く若者たちです。
また,どこの家にも「家訓」がありました。
「正直であれ」
,
「贅沢はするな」
,
「他人様に迷惑
をかけるな」などと家庭で道徳教育がなされていました。今は廃れました。あるのは狡賢い処世
訓です。
「誰にも迷惑かけなければ何をしてもいい」
,
「ばれなければ何をしてもよい」と大人は
子どもに本気で教えているのです。このような社会で子どもに「理想自我」を求めても無理な話
です。今の子どもたちにはクラーク博士の「少年よ,大志を抱け」は嘘っぱちに聞こえるでしょ
う。あるいは,子どもの心を鼓舞するのではなく重くのしかかるかも知れません。臆病になって
いる引きこもり青年に将来を熱く語りかけても,彼らの心には響かないのと同じです。
また,自己否定する過程で「自己否定」という罠に嵌ってしまうために,
「自我理想」を描け
ない若者もいます。彼らの話しに耳を傾けていると,自己否定が未来の「自我理想」を求めたも
のでないことがよくわかります。彼らの自己否定は小学校高学年から芽生え始め,中高生で盛ん
になります。小学 5 年生の頃から,
「このままでは自分は駄目だ」とぼんやりとした不安感を抱
くようになり,次第にそれが男の子であれば,
「僕はみんなとどこか違う」
,
「僕は思っていたよ
うな万能的な存在ではない」と悩みだします。
「成績が上がらない」
,
「卓球で後輩に負けた」
,
「僕
の身長はもう伸びない」
,
「僕にはガールフレンドはできない」と不安になり,万能的な子どもっ
ぽい自己愛を圧迫する現実を避けるようになります。
「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」で理
解できる心理状態が出来上がるのです。自分を脅かす現実に反抗するか逃げるか,の二者択一の
道しか残されていません。
女の子であれば友達関係の領域で自己像の不安がはっきりしてきます。友達とのあいだで「誰
も私の方を振り向いてくれない」
,
「誰も私に関心がない」と感じ,友達とのあいだで無視される
と夜もよく寝付けなくなります。また,友達の何気ない「あなたなんか嫌い」
,
「足が太い」
,
「思
ったより重いのね」
,
「ぽっちゃりしているね」
,
「子どもっぽいね」
,という言葉が心にグサッと
来るのです。ここで「理想自我」を克己するのではなく,逆に友達から羨まれるような人間にな
ろうと挑戦する子どももいます。ダイエットを始めるのです。そしてアディクションの「罠」に
嵌ってしまうのです。なかには強迫的に「勉強」をやりだし睡眠時間は削れていきます。友達か
ら否定されたその夜に手首を切り,自己愛的な怒りを自分に向ける者もいます。そして何か傷つ
くことがある度にリストカットで憂さ晴らしをする罠に嵌ってしまうのです。
男女の差は,男性が自己否定を避けて万能的な「理想自我」を空想に追いかけるという「罠」
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に嵌ってしまう引きこもり青年になるのと違って,女性は万能的な「理想自我」を現実に追い求
めて「現実の自分」を否定するためにダイエットやリストカットという「罠」に嵌ってしまうと
いう違いがあります。男性であれ女性であれ,現実の自分に気づき,駄目な現実的な自分を否定
して「理想自我」を空想の中で膨らませていくために,現実のありのままの自分を受け入れきれ
ないでいるのです。
3.自己否定という罠
こうして自己否定がより社会的な自己愛を求める姿にならずに,強迫的に自己否定を求める姿
が習慣化されたものがアディクション(=依存)なのです。何故,将来の社会的な理想像となる
べき自己否定ではなくて,アディクションに嵌るような自己否定になるのでしょうか。それは現
代の若者のパーソナリティー構造を見るとその仕掛けが見えてきます。
現代の子どもたちは乖離された幾つもの世界で生活しています。代表的なものは現実と空想の
2つの世界です。現実のストレスを発散してくれるテレビゲームも空想を補強します。また学校
と家庭,家族と一緒にいるときと 1 人のとき,友達とのあいだでも自分を変えているのです。あ
ちこちで違う自分を育てて一所懸命社会に適応しようとあくせくしているのです。それが行過ぎ
るとパーソナリティーにスプリッティング(分裂)が生じ,スプリットしたままパーソナリティ
ーが形成されていきます。知らないうちに互いに連絡のないばらばらの自己像が形成されていく
のです。この状態では本当の自己愛的な満足は得られません。何をやっても嘘っぱちのような気
がするのです。心はいつも空虚です。本当に友達と一緒に笑いあうことができません。
それが,思春期になって,自己の矛盾に気づいたり,他者から指摘されたりしたときにアイデ
ンティティーの危機を迎えるのです。そのとき、自分のある部分の意識をなくす(解離と呼ばれ
る)
,現実を回避する(引きこもり)
,現実の姿を変える(ダイエット,リストカット)という防
衛を取ります。
「現実の自分」が心の中で膨らませていた自己愛的な理想自我の自己イメージ通
りではなかったことに気づいたときに,一度この「理想自我」を否定するのではなくて,
「理想
自我」を守るために「現実の自分」を否定するから将来の自己像に結びつかないのです。
「理想
自我」は子どもにとって甘い,心地よい,万能感に満ち足りた極上の世界です。否定するのはと
ても困難なのです。しかもそれに成功して立派になったお手本となる大人も偉人も今はいません。
いるのは利己を追い求めている自己愛的な現代の大人たちの姿だけです。
「理想自我」を否定するのではなくて,それからかけ離れた「現実の自己」を否定するために,
自己否定という罠に嵌ってしまうのです。典型的な病態には,以下のようなものがあります。
①リストカット症候群
若い女の子に多い,現実の自己愛の傷つきとその心の痛みを身体の痛みで癒す行為
嫌われた,無視されたことがきっかけになる,痛みを感じず名状しがたい恍惚感
それが強迫的に習慣化される
3
②摂食障害
やせ願望と肥満恐怖からダイエットや強迫的な身体運動
過食と嘔吐。一部境界性パーソナリティー障害を合併
③家庭内暴力
学校での自己愛的傷つきから登校拒否,それを親から無理に勧められて暴力を振るう
男の子に多く,暴力が自立への一歩になることもあるが,多くは家に引きこもり,親を奴
隷のように扱い,自分の思い通りにならないと暴力を振るい続ける
④境界性パーソナリティー障害
若い女性に多い,特殊なうつ感情(アンへドニア,虚しさ,淋しさ)
,見捨てられ不安,
不安定な対人関係(理想化と脱価値化)
,自己破壊的で衝動的な行動(リストカット,大
量服薬,過食)
,一過性の精神病エピソードなどの多彩な症状が特徴。治療は長期に及び
とても難しい
⑤引きこもり青年
裸の自己愛(理想自我)が傷つくのを怖れて引きこもる青年,生活はネットやゲームには
まり,
「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」という特殊な心理状態
Ⅳ 予防と援助
1.予防:自我の芽生え(小学校 4 年)までの詰め込み教育と競争が重要
小学校 4 年生までの教育と子育てが大切です。5 歳から小学 4 年までを潜伏期と呼びま
す。この時期は,心理的にもっとも安定した教育の基礎に適した時期です。この時期に「理
想自我」でない「現実の自分」に気づいてもへこたれないタフな心が形成されていたらよ
いのです。自我の芽生えの時期に自分本位の自分作りから世界を意識した自分作りが始ま
ります。タフでないと生きていけません。この時期に,両親の離婚,転校,いじめ,先生
の誤解による自己否定があると,将来に続く劣等感と慢性の抑うつに彩られたパーソナリ
ティーが形成されるのです。そうならないためには,自我の芽生えまでに,十分な詰め込
み教育とその中での競争が大切になります。江戸時代の子どもの教育は,武士の子であれ
ば藩校で,農民や町民は寺小屋で受けました。寺小屋の授業は朝の 8 時から昼の2,3 時
まで行われ,休みは今の小学生が年間 150 日であるのに対してわずか半分しかなく,子ど
もにみっちり勉強させていたようです。今の学校ではこの競争がおろそかにされているの
で,来る思春期に耐えるだけのタフさが備わっていないのです。
2.「理想自我」から「自我理想」へ
自己否定の罠に嵌らずに自我理想をもつことは可能なのか?私の臨床経験と生活体験か
ら以下のようなことで子どもから大人へと成長していくのではないかと考えています。
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1)思春期における奉仕活動
奉仕とは,ギリシャ語で「ディアコニア」と言い,汚濁を通してという意味があります。
当時はうんことおしっこの世話をすることが奉仕だったのです。神戸阪神大震災で日本中
の多くの若者がボランティアで神戸に駆けつけました。おそらく彼らにとって,他者にと
って自分の存在の価値を再発見する「機会」になったのではないかと想像されます。自己
中心的な世界とはまったく異なる利他主義の世界です。
「理想自我」を捨てるよい機会にな
るのではないかと思います。私にとっては医学部 3 年生の「解剖学」が同様の機会になり
ました。身を捨てて将来の医学の発展に献体するという意志に出会ったときでした。
「己の
欲を捨てて,患者のために働こう」と決心しました。そのときに私の「理想自我」のある
部分は否定されたのではないかと思っています。
2)New Object「バン」との出会い
思春期におけるアイデンティティー形成に必要な家庭外の理想的な対象 New Object を私
は「バン」と呼んでいます。私の育った土地では家庭外のしかもその土地で親しまれ尊敬
される青年を「バン」と呼んでいました。朝鮮語の「班(バン)」に由来し,「バン」の上
に「ヤンバン」といわれる賢いバンがいます。わたしたち子どもは「バン」と一緒に遊び,
知らず知らずのうちに「バン」をモデルに自己形成の道を歩んでいったのです。こうした
現象は今日でも生きています。例えば,
『ヤンキー母校に帰る』の著者の義家弘介は中学生
の頃はバリバリの悪たれのヤンキーでした。しかし彼は高校で哲学に触れ,彼に夢を抱き
ずっと信頼し続けてくれた女性教師に出会ったのです。金八先生が人気番組なのもそうし
た理由からです。この時期の嘘隠しのない真剣な一個のパーソナリティーのぶつかり合い
はその後の若者の人生によい影響を与えます。
「バン」の特徴は,その土地の者,特に両親
がバンを高く評価していること,バンは子どもたちに遊びを教え,祭りの運営を通してそ
の土地の文化を伝承していく,子どもたちを信頼し長所を指摘する,ということです。こ
うした「バン」との出会いは子どもたちに確かな羅針盤を与えると思います。しかも「バ
ン」自身が子どもだった頃に経験した悲しみを抱えていることが子どもたちに共鳴を与え
るのです。思春期にあるパーソナリティーに出会うことは子どもっぽい「理想自我」を捨
てて「現実の自分」を受け入れる機会になるのではないでしょうか。
3)「自己否定」の裏に子どもっぽい「理想自我」の存在があることを受け入れる
「現実の自分」の自己否定の裏には「理想自我」を守ろうとする心理機制があるといい
ましたが,それを「子どもっぽい」と言って唾棄しないことは大切な気がします。思春期
は失敗しながら成功を重ねて成長していくものだからです。余ほどどでかい人間に出会わ
ない限り,パーソナリティーは耐えられる幻滅を繰り返しながら成長していくものだと思
います。この「それほど自分は一角の人間ではなかった」という自己洞察は彼の強靭な精
5
神を形成するものになります。ただそれには時間がかかるのです。その自己形成の場と時
間を保証するのが親の仕事ではないかと思います。
Ⅴ
まとめ
以上,引きこもり青年,リストカット症候群,過食・嘔吐症,種々のアディクション,
境界性パーソナリティー障害の治療から得られたキーワード「自我理想」と「理想自我」
を駆使して,
「理想自我」を空想の中で膨らませて「現実の自分」を否定するというやり方
では一向に社会的な「自我理想」を描くことができないことを説明してきました。
「現実の
自分」を受け入れないで「理想自我」を肥大させていくためにアディクションという「罠」
に嵌ってしまのです。この社会から引き離されていく過程はとても恐ろしいことです。し
かし,彼らにも「理想自我」を克己するチャンスはあります。この「罠」から救い出すた
めには,彼らが「理想自我」を追求していることを理解し,かつそれを否定しないパーソ
ナリティーとの出会いが大切であること,さらには「理想自我」の幻滅に耐えられるタフ
な精神力は自我の芽生えの小学 4 年生までの競争のなかで形成されること,思春期には利
他的な奉仕体験が「自我理想」を描くチャンスになることを述べてきました。
(2014 年 4 月 30 日)
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