2016.3.11 NO.32 校長より 【東日本大震災から5年、再会の日を夢見て】 ~2011.3.31の読売新聞掲載の文から~ 2011年(平成23年)3月11日に起きた東日本大震災で多くの人々が亡くなり ました。死者は15000人を超え、行方不明者も5000人を超えるという想像を絶 する被害を受けました。あれから、5年が経ちます。 「ママ、待ってるからね」 母親へ手紙をかいた。岩手県宮古市の少女(当時4歳)が2011年の3月22日の 午後、「ママに手紙を書く」と言い出した。 <写真は読売新聞から> 親戚の家のこたつの上にノートを広げ、色鉛筆を持つ。 1文字1文字、1時間近くかけて書いた。 「ままへ。いきているといいね。おげんきですか」。 そこまで書いて疲れたのか、すやすやと寝入った。 両親と妹は11日の東日本巨大地震による津波にさらわ れ、今も見つかっていない。 この少女の手紙には、疲れて寝てしまった後に書いた続きがあります。 お母さんへ 「おりがみとあやとりと ほんをよんでくれてありがと」 お父さんへ 「ぱぱへ。あわびとか うにとか たことか こんぶとか いろんなのお とてね」 分かると思いますが、お父さんは漁師をされていたそうです。 保育園に迎えに来た母親と帰宅したこの少女は、両親、妹とともに30メートル以上 もある津波に流されました。この少女は背負っていた通園用のリュックサックが漁網に ひっかかって助かりましたが、両親と妹は行方不明になりました。 高台から、がれきと化した街と入り江を見下ろすこの少女の寂しそうな後ろ姿がかわ いそうでならなかったと言います。引き取られた祖母と笑顔でハイタッチする写真を見 て、この記者は再度涙を流したそうです。 その後の少女ですが、大変気になるところです。 『震災までは両親、妹、祖母との5人 家族。今は祖母との2人暮らしになったが、毎日友だちと遊んだり、自転車に乗ったり と元気いっぱいだ。「ランドセルと筆箱は私が好きなピンクだよ」。来月9日の入学式で 新しい友達に会うのを楽しみにしている』。 (2013 年 3 月 24 日読売新聞)
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