藤沢ロータリークラブ週報 2015~2016 第 2996 回 2015.10.21 Vol.14 国際ロータリー第 2780 地区 第 3 グループ 会長:長津 ●事務局 豊 幹事:川上 彰久 創立 昭和29年6月3日 藤沢市朝日町 1-6NTT 藤沢ビル 2 階 TEL0466-25-4000 FAX0466-26-9292 ●毎週水曜日 12:30~13:30 ●例会場/湘南クリスタルホテル 藤沢市南藤沢 14-1 TEL0466-28-2111 -幹事報告-本日のプログラム- ・渡辺年度の新入会員の皆さんの同窓会を地区大会の ロータリーソング「それでこそロータリー」 日に開催するという通知が届きました。対象者には、 -ゲスト・スピーカーの紹介- 直接連絡が行っていると思います。お時間が許せば立 1964年東京五輪50km 競歩出場 江尻忠正 様 ち寄ってみてください。 -会長報告- ・国際大会の地区のプランに申込の各位は事前の内金 この度、11月18日に3000回例会を迎えること を 18000 円 10 月末までに収める必要がございます となりました。これもひとえに皆様のご支援の賜物と ので、事務局にお支払ください。 感謝しております。例会の卓話を今年度国際ロータリ -特別挨拶- ー第2780地区ガバナーの田中賢三様にお願いいた -出席報告- しました。 -委員会報告- 記念すべき例会にふさわしいロータリークラブの今後 社会奉仕委員長金子会員より、奉仕活動のお知らせ。 の活動やいかにロータリーを世の中に有用なクラブと インターアクトクラブや青少年交換などで、日頃より していくか等などお話いただける予定です。当日はお 私たち第3グループと関係の深い湘南学園から、PTA 昼の通常例会ではございますが、特別なメニューを片 主催、地域清掃活動の案内が届きました(別紙ご参照 桐さんにお願いしているので、多くの皆様に参加して 下さい) 。昨年度も、ロータリーデーの一環として多く いただきたいと思っておりますのでよろしくお願いし のロータリアンが参加し、清掃活動に協力いたしまし ます。また、今回は公開例会という形にしており、関 た。同学園との連携と信頼関係をさらに深めること 係の深い第3グループの8ロータリークラブおよび茅 は、私たち第3グループにとって大変有意義なことと ヶ崎ロータリークラブにお声がけしています。お食事 思われますので、今年度も積極的に参加していきたい の数を正確に把握するため、事務局に出欠を必ずお知 と考えております。なお、清掃活動に参加した方を対 らせ下さい。 象に、PTA 主催のランチ会へのお誘いもいただいて -幹事報告- おります。案内は別途事務局より発信予定ですのでご ・地区大会が今週末となりました。月末のお忙しい時 協力のほど、よろしくお願いします。 とは存じますが、大勢の参加で第3グループを盛り上 -お祝い- げましょう。クラブ紹介では大きな声で瀧澤ガバナー 会員誕生日 高橋祐司会員(10 月 26 日) 補佐の日々のご尽力にこたえましょう! 結婚記念日 なし 出席報告 例会月日 総員(名) 出席(名) 10月 7日 41(40) 29 10月21日 38(38) 23 ( )内は計算に用いた会員数 欠席(名) 11 15 出席率(%) メークアップ数 72.50 5 60.52 修正出席率 85.00 -スマイル- 競歩競技は、日本選手が国際競技会で「最もメタ 【長津 豊 会長】 江尻様、本日の卓話、楽しみにしております。 【川上 彰久 幹事】 ルに近い種目」として期待されている種目です。 江尻様、本日はよろしくお願い致します。背筋を伸 で 1 時間 16 分 36 秒の世界新記録を、8 月世界 ばして拝聴いたします! 陸上競技選手権(北京)で、男子 50kmW で谷井選 【椋梨 兼彰 会員】 江尻様、本日の卓話よろしくお願い致します。 サダクビア号、デビュー戦3着でした。本日ス マデラ号走ります。多分勝ちます。 【高橋 祐司 会員】 お誕生日のお祝い、ありがとうございます。 【金谷 浩史 会員】 遅刻して申し訳ございません。江尻様よろしく お願いします。 【牟田口 新一郎 会員】 先日は結婚記念のお祝いありがとうございま した。お陰さまでリカバリーが出来、家内平和 が保たれておりますこと、慎んでご報告申し上 げます。忙しさにかまけないよう、心掛けます。 手(自衛隊)が 3 位(3 時間 42 分 55 秒)、荒井選 2015 年 3 月全日本競歩能美大会(石川県)で、地 元出身の鈴木選手(富士通)が 20kmW(W=Walk) 手(自衛隊)4 位(3 時間 43 分 44 秒)の好成績で 入賞しました。 2016 年オリンピック・リオデジャネロ大会での 上位入賞が期待され楽しみです。 1. オリンピックの競歩競技 1906 年アテネ・オリンピック中間大会で、男子 競歩がトラック競技で行われたのが最初で、 1908 年第 4 回ロンドン大会で 3,500m・10 マイルの 2 種目が正式競技となり、1932 年ロ スアンゼルスン大会から、男子 50kmW が道路 競技に、1956 年メルボルン大会から道路競技 20kmWが追加され現在に引継がれたと聞いて います。 女子の競歩競技は、1992 年バルセロナ大会から -卓話-「オリンピック種目 陸上競技 「競歩競技」の昔・今」 道路競技 10kmW が、2000 年シドニー大会か 1964年東京五輪50km 競歩出場 います。 江尻忠正様 ら道路競技 20kmW に変更されて現在に至って 日本選手の競歩競技でのオリンピッ参加は、 1936 年第 11 回ベルリン大会の 50kmW に、 奈良岡良二選手(青森師範)が最初で、2 回目が 1964 年第 18 回東京大会に 20kmW,50kmW の 2 種目に、各 3 名(フルエントリー)が参加 しました。1968 年第 19 回メキシコ大会以降の オリンピックには毎大会に競歩選手が派遣され 現在まで継続されています。 現在、オリンピック・世界陸上選手権では、男子 20kmW,50kmW、女子 20kmW が競技種目と なっています。 2、 競歩競技の起源 則注意カードで「3 回の注意を受ける」とその時 競歩競技の起源に関する説が多く定かなものは 点で失格となる。 無いようですが、「ローマ時代の軍事訓練や遠征 4.競歩競技コース・判定規定の改定が、「歩形 地での軍隊間の娯楽競技が発展したもの」 重視・忍耐の競技」から「スピードを重視の競技」 「1750 年頃、英国の貴族の間で行われていた娯 に。 楽」 「遊牧民や羊飼いの娯楽」 「北欧のバイキング △ 道路競技(公認認定コース)として定着して の陸上での娯楽」などが起源だと聞いたことがあ いた競歩競技会が、生活環境・交通状態等の社会 ります。 環境変化で「長時間の道路使用」「競技中の安全 1960 年代までは、競歩先進国のヨーロッパ 確保」が困難となり、支障の少ない公認周回コー (イギリス・イタリア・ドイツ等)・ソビエット スでの競技会の実施に改定されたと考えられま や北欧諸国を中心に発展し、オリンピック勝者や す。 上位入賞者を占めていましたが、その後の競技方 競技会毎に選手の対応不可欠であったコース対 法や審判規準等の改定・明確化等で世界各国での 策(競技コースは、大会毎に道路状況は、起伏や 普及が進み、各種大会に多くの国からの選手派遣 傾斜、カーブ、舗装状況等が異なる。日々のトレ も増えるようになっています。 ーニングで大会毎の違いに対応出来る身体づく 「選手の発掘・育成」「観客や応援者に密着した りを行うこと必須であった)が、周回コースへの 競技会の開催」などが多くの課題を克服して、多 変更により競技者の「道路対応負荷が大幅に軽減 くの国から競技選手が参加して誰でも参加でき され」、日常のトレーニングが「スピ―ド重視の る競技として「競技会場の確保」「競技方法の変 内容」に大きく進化した。 更」「競技判定方法の変更」の改革が現在の状態 競技コースの改定が、競技会場の応援・観客動員 に進化したものと考えています。 の増加につながり、競歩競技の認識・理解を促し ている。 3、「競歩」とは『歩く速さ』を競う競技 △ 「競歩の折り返しコースや 5km~10km 程度 * の周回コースの競技会」が、 「1~2km の周回コー 競歩競技は、陸上競技の中で「最も過酷な競 技」と言われています。 スでの競技会」に変更される。 *「走」と「歩」の判定基準を明確にして、競 * 1960 年代までの競歩競技会は 10,000m 歩審判員が「競技者の歩行の良否」を判定して競 競歩を、400m グランド行われることもあった 技を行う。 が、10km を超える競歩競技は、一般道(主とし * 歩行判定は、複数の競歩審判員が「目で見 て」判定する。=現在も判定機器などでの判定は て国県市町村道で競技中の交通規制は、通行注意 程度の軽度の規制下)で行われていた。 ・ 20kmW=グランドや道路上のスタート 行っていない。 国際競技会では国籍の異なる国際審判員が、選手 から 10km 地点での折り返し又は 1 周 5km の の歩行状況を「目視で確認・判定」する。 周回コース。 「両脚が一瞬でも同時に地面から離れ身体が宙 ・ 50kmW=スタートから 25km 地点での折 に浮いた時」は歩行反則と認定され即失格、競技 り返し又は 1 周 10 km 以上の周回コース 。 規定に抵触が疑わしい場合は、競歩競技審判員が 開催地によって道路状況が異なり、起伏・舗装状 当該選手に反則の注意カードを提示して忠告、反 態のコンクリ―ト、アスファルト(未舗装や砂利 道 ) 道 が 道の場もあった)等、競技者は道路左側通行が原 例、競技中の姿勢(前傾、後傾、傾き等) ・腕の振 則であるが路肩が急傾斜となっていて選手の負 り(手が肩より上まで上がっていないか等)・足 担も大きい場合も多かった。 の運び・踵の着地・体重の掛る膝は伸びているか、 地方での競技会では、起伏の多い坂道・未舗装道 足の体重移動の様子・離地は爪先で行われている 路・歩行困難悪路や、帰路が強い急坂のコースの か、足は引き摺っていないか等、10 項目以上の 場合、完歩も難しく落伍者が多発することもあっ チェック項目で歩行を確認・判定されていた。 た。 〇 判定の例を何点か列記すると 通常は、自動車道との共用道路で、コース取りも ・ 足は踵で着地し爪先で必ず離地すること。 困難であり日頃のトレーニングでの対応習得が ・ 引き摺り足の禁止、 課題であった。 ・ 体重を支えている間の膝は伸びていること。 選手には、スピードより「どんな道路条 (開脚時で、体重が両脚に掛っている時は両脚膝 件であっても克服・完歩出来る」ことが求められ が伸び切っていること) どんな悪条件でも対応出来る「身体つくりと長距 ・ 離・長時間の耐える忍耐力とスピード」の習得が 歩く姿勢、足の運び歩幅、身体の前後傾、腕の振 求められていた。 り等、 * * 現在の競歩競技は、1 周=1km~2km の 周回コースで行われる。 身体は、常に歩く姿勢を保たれていること。 現行の競技規則は、下記の2項目で判定され ている。 ① ロス・オブ・コンタクト=両方の足が同 先日の北京の世界選手権では、グランドスター ト・ゴールで競技場近くの平坦な道路で 時に地面を離れてはならない。 ② ベント・ニー 20kmW=1km 周の =足の着地から コース、50kmW=2km の周回コースで競技が 身体の真下に来るまで膝を伸ばして置かなけれ 行われた。 ばならない。 選手は、周回毎に順位や周回タイムが把握出来る △ 状態にあり、トレーニング方法も変わってきてい 1960 年代と現在を比較すると る。 * マラソンのスピード △ 42.195km=2 時間 06 分 36 秒のゴールには、 競歩競技の判定改定 競歩競技のスピードをマラソンと競歩の 競歩競技会のコース変更が「耐久競技がスピード 平均 1000m=3 分(100m=18 秒)で走り続け 競技」へと大きく変わったと思っています。 ることが必要。 競技方法の改定・判定の変更が、従来の競歩競技 * 後進国の台頭を促し多くの選手の参加が進んで により大幅に記録が伸びた。 いる。 国際競技会での上位入賞レベルは下記のタイム * 1970 年代までは、競歩競技は道路競技で競 が予想され、競技者の達成目標としてトレーニン 歩審判員が、自動車等に乗り遠方から選手の前 グしている。 後・左右から「競 競歩のスピード(競技方法・歩行判定)の改定 ◎ 20km 競歩 技者の歩行姿勢や脚の動きを確認判定」する、 =1960 年代 1 時間 30 分( 90 分)でゴールす 時々、車から降り路上に立って、競技者の歩く姿 ると 10km=45 分(100m=27 秒)≒13,3km/ 勢に「走の要素が無いか」確認して競技が進行さ 時が競歩速度。 れていた。 近年 1 時間 20 分( 80 分)でゴールすると 10km=40 分(100m=24 秒) =15km/時が 験が競歩で生かす)筋力や柔軟な足関節、精神力 競歩速度 はそれなり自身の持ち主が主体で選手年齢もそ ◎ 50km 競歩 れなりに高かった。 =1960 年代 4 時間 10 分(250 分)でゴールす は競歩に向く身体づくりやケアは大変な労力が ると 10km=50 分(100m=30 秒) 必要であった。 =12km/ 身体の柔軟性の欠く場合 時が競歩速度 特に、膝が伸びないため無理に伸ばすのに苦労す 近年 3 時間 40 分(220 分)でゴールすると る人や、膝の異常を訴え挫折する者も多くいた。 10km=44 分(100m≒26.4 秒)≒14km/時が 日常のトレーニングや競歩フォームは選手自 競歩速度 身の裁量に任された状態であり、競歩に関する知 現在の 50km 競歩のスピードは、マラソン距離 識・指導力を有する指導者が皆無に近く、先輩経 の 42.195km を 3 時間程度で通過しているスピ 験者の指導や我流での積み上げで身体づくりを ードとなる。 行っていた。 * 現在のようにトレーニングジムやトレーニング 競歩競技のスピードは「広い歩幅」と「単位 時間当たりの歩数」がスピードを決る。 器具の無い時代で身体づくりは自分自身で工夫 〇 歩幅は、最低身長の 57%と(身長=170cm 必要があった。 で約 97cm)と言われるが、骨盤幅の活用と腰の * 競技規則の改定後の選手 動きのトレーニ 近年、インターハイに競歩種目が加わり、指導者 ングで、110cm 以上の歩幅が維持出来るように の充実・豊富な競歩情報・トレーニング環境の充 なる。 実等が、長身で強靭で柔軟性に富んだ素質の高い 単位時間当たりの歩数アップは容易でな 若い世代の選手が多くなり、指導者の充実・豊富 いが、毎秒 3~3.5 歩以上で歩くことが必要とな な競歩情報・トレーニング環境の整備・充実等と る。 なった環境でトレーニングを積んでおり、競歩選 5. 競歩競技選手を目指には、競技規則を厳守し 手としての現役時代の経験を踏まえ、適切な指導 ての『歩ける身体づくり』が必要 が将来の競歩競技の発展に寄与すると期待され * ます。 〇 日常的に「競技規則に適合する歩行姿勢の維 持持続」「目標タイム・スピードで距離を完歩す 6.競歩競技者の環境とトレーニング る体力」「競技中の過酷な条件やトラブル等を克 競歩競技は、長い日陰の時代を経て漸く脚光を浴 服する知恵と精神力」をトレーニングで習得する びるようになり大変うれしく思っています。 ことが不可欠で、 競技規則の歩形を厳守した長 競歩競技に対する多くの人達の関心・理解・支援 距離・長時間維持出来る「柔軟な関節・強靭な筋 が、日常のトレーニング環境を変え 肉、強い精神力」を持続出来る身体づくりが必要 「競歩競技のトレーニング環境の改善・充実」が で、日常的に厳しいトレーニングを課して克服す 「競歩選手を目指す年少者の増加、優秀な指導者 ること大切です。 の適切な指導」は、過去には考えられない目覚ま * しいものが有り、半世紀前の競技環境と比較する 競技規則改定前の選手 競歩志望者は、長時間・長距離の対応に自信のあ こと自体に、無理があると思っています。 る者、中長距離やマラソンからの変更(道路の経 * 1960 年代のスポーツ選手に対する世間・一 が 般の人達の『見方・考え』は、現在と大きな違い が摩耗して履きつぶしとなり調達が大変であっ があり多くの人達から忠告や注意を受けるのが た。 常でした。 私の場合、タイガー(現アシックス)の協力得て「自 アマチュア・スポーツは『趣味・娯楽の範疇』で 分の足に合う靴」の調達することが出来、常用し 行うもの、20 代後半になってもスポーツに熱中 ていた。 する者は異端児である。将来をどのように生きる * 現在は競歩競技に対する関心が高く、競技 つもりかと多くの人から忠告されるのが常であ 者に対する環境改善が進み競技に親しみやすい った。 環境となっている。競技規則の改定で競技会が周 競技者に対する支援・援助を期待する状態は皆無 回コースに変更となったことで、起伏の多い道路 で、トレーニング時間や費用等の優遇・援助は期 でのトレーニングが不要とな 待できない状態が一般的であった。 り、身体の柔軟性富んだ青少年の競技者が増え、 多少名の知れた選手であっても『仕事最優先』 優秀な指導者のトレーニング指導を受けて、スピ の考えが浸透しており、トレーニングは、就労時 ード競技と 間外の早朝(出勤前)通勤時間(トレーニングを しての対応に精進していると思っています。 兼ねて)就労後の夜間や休日に行うことが常で有 腰・膝・脚などの負荷が高い、競歩競技に り、自分の時間を最大限に活用して、全日本クラ は若い世代から時間を掛けて育てることが大切 スの選手を目指すこと必須で、心身共の自己管理 と考えています。 が重要であった。 50kmW のトレーニングには、天候の如何に拘 らず「起伏の多い道路・長距離・長時間・スピー ド・体力・ 「ランニング競技から膝が悪くなったから 競歩競技」に種目変更するように指導されたと聞 いたことが有り 安易に「膝に掛る負荷の多い競歩競技」を選 忍耐力等に心身共に耐えられる身体づくり」が必 ぶことは、長い一生を考えると危険性が高いと思 要でありの日常生活は「仕事とトレーニング」で っています。 の習得が必須であつた。 -江尻様プロフィール- 一部企業や自衛隊に転職や移籍して、トレーニ ングに励む選手もいたが「競技会での成績」での 評価され 実績の出せない場合の精神的負荷は大変だと聞 いたことがあった。 選手の中には、長距離走やマラソンから「長距 離走・長時間走の経験から安易に競歩競技に種目 変更した」選手も居り、「伸び切らない膝」を伸 ばすために、休憩や睡眠時に「膝に紐で重石を吊 って」苦労している選手も居た。 競歩用シューズは、靴屋を自分で探し、改造し ていたが 50km を履き続けると 2 週間程度で裏 が 1934 年富山県生まれ。64 年 30 歳で東京 五輪出場。99 年藤沢市歩け歩け協会(現・ 湘南ふじさわウオーキング協会)会長就任。 その後、神奈川県や全国 のウオーキング協会 でも要職を歴任。現在も月1回程度は大会に 参加。奥様と藤沢市に在住。愛犬ベス(ボス トン・テリア雌 8 歳)との散歩が日課。 「2020年東京五輪開催決定は大変うれし く思います。青少年の夢にもつながるでしょ うから」と感慨深げに語る江尻忠正さん。1 964年東京五輪で 50 ㎞競歩に出場し、日 本人最高順位の第 22 位(4時間 37 分 31 秒8)でゴールしました。
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