知っておきたい病理標本のアーチファクト

愛知県臨床検査標準化協議会病理検査部門
【はじめに】
病理組織検査において、適切かつ高度な病理診断をおこなうためには、まず良好な組織
標本を迅速かつ正確に作製することが必要である。しかしながら病理組織標本は作製過
程が複雑多岐にわたるため(組織採取、固定、切り出し、ブロック作製、薄切、染色、
封入など)、色々な人工的操作が加わることによって様々なアーチファクトが発生しやす
い。病理医が標本を観察するのに、組織病変の把握が困難な状況や、また診断の誤りを
招く事になるような組織標本では、医療過誤を招く原因ともなる。
これらのことを踏まえて、多くのアーチファクト症例から一部抜粋し、写真を交えな
がら解説する。
【アーチファクトの原因】
1. 材料採取時
電気メスやピンセットによる挫滅
縫合糸の混入
2. 固定
切り出し時のコンタミ
固定方法によるもの(虫ピンによる組織破壊)
脱脂不十分によるもの
過脱灰によるもの
3. 包埋
包埋方向間違い
4. 薄切
薄切時の切り屑混入
メス傷
角化扁平上皮の混入
チャタリング
気泡の混入
5. 染色
染色むら
脱水不良
封入剤不足
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愛知県臨床検査技師会病理検査研究班編
1. 材料採取時
電気メスやピンセットによる挫滅
検体採取時に熱変性を受けた標本である。電気メス(高
周波電流)で組織を採取するため、熱による急速な蛋白
凝固を受けた為に現れたものである。組織構造は破壊さ
れ、エオジン好性で網目状に観察される。不可逆的な変
化であるため病理では打つ手は無いが、出来るだけ見や
すい標本を作製することに努めるのみである。
縫合糸の混入
組織内部に HE 染色では染色されない、白色で同一形状を示し、束状になった無構造物が
見られる。手術時の縫合糸がそのまま残った状態である。差し支えなければ出来るだけ切
出し時に糸を取り除くほうが良い。
2. 固定
切り出し時のコンタミ
卵巣組織の漿膜面に卵巣組織とは明らかに異なる組織片の付着が観察される。これは子宮
体部類内膜腺癌の組織の一部であり、切り出し時や包埋時に混入した可能性が高い。コン
タミネーションよって、医療過誤が起きる可能性もあるので十分注意してほしい。腫瘍の
切出し後は、その都度ペーパータオルなどで拭き取ったり、器具の水洗、超音波洗浄など
により防ぐ事が出来る。
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虫ピンによる組織破壊
切片に円形の穴が開いており、中心部から外側に向かっ
て、圧排像を観察する。固定時の虫ピンの跡である。消
化管粘膜切除組織等は、直接組織にピンを打つことを避
け、コルク板等の上に組織片を伸展した後、ガーゼや濡
らした濾紙など被覆しこれをピンで固定するなど、組織
に穴を開けない工夫も必要である。
脱脂不十分によるもの
脱脂不十分により切片が破壊した標本である。乳腺組
織などの脂肪成分を多く含む組織は、脱脂不十分だと
パラフィンが十分に浸透出来ず、それによって薄切困
難なばかりでなく、伸展時に浴槽に浮かべると、切片
の膨化や、破壊がみられる。これを防ぐ為には、脂肪
の黄色調が抜けて白く透明感のある状態になるまで液
を交換しながら脱脂をおこなう必要がある。前提とし
て必要十分な固定がなされていることは言うまでもな
い。エタノール・キシレン等量混合液、またはメタノ
ール・クロロホルム量混合液を試して見ることをお勧
めしたい。
過脱灰によるもの
右写真は過脱灰によ
り核のヘマトキシリ
ン染色性が失われ、
一方エオジンは濃く
染まり、エオジン色
がいわゆる「かぶっ
た」状態である。HE染色における過脱灰は、ヘマトキシリンの核染色性の低下、エオジ
ン染色性の亢進を来たす。脱灰法として広く用いられる方法は酸による脱灰で、鉱酸(硝
酸、塩酸等)、有機酸(蟻酸、トリクロール酸等)、両方を合わせた混合酸(プランクリク
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ロ)がある。長時間脱灰の影響が問題となるのは、脱灰能力が高い鉱酸を用いた場合に発
生しやすい。
3. 包埋
包埋方向間違い
生検組織とHE標本写真の形が明らかに違い、包埋するときに方向を間違えて作製した標
本である。皮膚の場合、表皮、真皮、皮下組織が観察できるように標本を作製する必要が
あり、切り出し、包埋時に方向を考えながら標本作製するとともに、不明な場合は依頼伝
票の再確認、あるいは組織を採取した医師への問い合わせを躊躇してはいけない。このよ
うな標本が作成された場合、多くの場合組織診断として重要な部分(角質層、果粒層、胚
芽層など)は、荒削りの際に捨て去られてしまう。再包埋による再作成を行っても、組織
診断が可能となることは期待できない。
4. 薄切
薄切時の切り屑混入
標本上に組織片がしわ状になって付着している。薄切時
の切り屑が後から付着したと考えられる。ミクロトーム
の刃に切り屑が付着していたり、筆に付着したくずが切
片に乗ったことによりコンタミを起したと思われる。ま
た切り屑が伸展時の浴槽に混入して付着することもあ
る。薄切するときは、ミクロトームの周辺を常に奇麗に
し、こまめに切り屑を取り除き、それが混入しないよう
に心がける必要がある。
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メス傷(脱灰によるもの)
石(石灰化)が原因でメス傷が入った標本である。明らかな石灰化巣を含む場合は事前に
脱灰処理を行うが、薄切してはじめて気が付くような微小石灰化巣があると、メス傷の入
った標本が作製されることがある。このような場合は、表面だけ脱灰(シャーレなどに脱
灰液を入れ、ブロックを逆さにして30分程度漬けておく)をおこなえば数枚程度ならメ
ス傷のない切片を作製することができる。薄切に際しては極力ブロックの平面出しを行う
必要があり、技術を要する。
角化扁平上皮の混入
エオジン好性の角化扁平上皮が混入した標本である。エオジン好性、不正形で厚みは無く
元の組織構造とは全く関係が無く、混入物として認識できる。一般的に技師の指から剥離
した角化扁平上皮混入が最も考えられる。切片貼り付け前にスライドグラス面に指が接触
したことや、伸展時の温浴槽に指を入れたこと、エオジン染色液に指を漬けたことなどが
原因となる。温浴槽は、様々な切片を伸展するため、微細な破片を拾う可能性もあり、水
面が汚染された場合は水の入れ替えをお勧めしたい。エオジン染色液に微細な粒子や組織
片を確認したら、ろ過してから使用するようにしたい。
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チャタリング
すだれ状のひび割れが等間隔で平行に見られる。これは
ミクロトームやカセットホルダーの固定ネジ、替刃の固
定ネジなどの緩みが原因である。薄切時に刃全体が動い
たり、振動したりして発生する。また、組織中に硬い所
と柔らかい所が入り混じっている場合や、ブロックの冷
やしすぎによってブロックの硬度が高くなり刃先が振
動することによって起きることもある。
伸展時の気泡混入
切片下側に気泡が入った標本である。気泡の部分は、
組織切片がドーム状になり、スライドガラス面と接触
しないため剥離した状態になり、染色中剥がれ落ちた
り、亀裂を生じさせる。封入時、気泡は消失している
ことが殆どであるが、ドーム上の組織をカバーグラス
で圧迫されることにより、面積的に余った部がしわと
なって重なり、まさに提示した写真のごとくである。
気泡の上の組織は、気泡の存在した間隙に染色液が滞留するため、分別が比較的弱く周囲
組織よりも濃く染まったような像として現れる。
5. 染色
染色むら
HE標本上に、染色むらができている。標本全体はヘマトキシリ
ンで染色されているが、上部分がエオジンで染色されていないこ
とからエオジン染色液面が低下していたと考えられる。染色液の
みならず、アルコール、キシレン等どれか一つでも液量不足が生
じれば染色むらの原因となるため、染色前には液量の確認を忘れ
てはならない。
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脱水不良
①の矢印は気泡である。②は脱水不良による水滴混入で
ある。明らかに気泡とは異なる円形の封入物が観察され、
この封入物により屈折率が変化し、ぼやけた組織像とな
っている。脱水不良が発生しないように、脱水系列の管
理(定期的で間違いのない液交換)を行う。発見した場
合は、高濃度アルコールによる完全な脱キシレン後、ア
ルコール濃度下降系列を経て再度脱水系列を通せば無
くすことができる。
封入剤不足
写真の右上側が、暗褐色で、組織構築が観察困難となっ
ている。右側の組織構築が観察不可能になっている。
封入剤不足や、あるいは封入剤を薄めすぎた場合にこの
現象が見られる。つまり、封入後の溶剤の揮発によりス
ライドグラスとカバーグラスの間に空気が入り込んだ
状態である。カバーグラスとスライドグラスの間に封入
剤を流し込むことも可能だが、封入剤乾燥後に発見され
た場合、キシレンに浸漬し封入剤が溶けて自然にカバーグラスが外れた後、再封入をする
ことも必要かもしれない。
【まとめ】
病理組織標本作製過程において発生するアーチファクトは、その種類や原因、対策法を
理解することにより発生が防止でき、その結果、良好な標本を作製することができる。
上記症例は日常よく遭遇すると思われる基本的な症例ばかりを集めて提示した。我々が長
年病理検査に携わり経験する症例はまだまだ他にも数多く存在する。
病理初心者の方や、ベテラン技師が後輩を指導していく上でこの資料が活用され、結果
的に知識向上により適切な病理標本作成が行われれば幸いである。
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