古都・京都における“温故知新イベント”の 可能性に関する一考察 平家良美(株式会社京都総合研究所) 大石祥子(株式会社京都総合研究所) キーワード:阿修羅展、秘仏公開、本尊開帳、環境イベント、温故知新イベント 1.はじめに 本研究は先行発表した「京都の催事・イベントにおける可能性に関する一考察」 (イベン ト学会 2009 年発表) 、 「古都・京都の文化財とイベントに関する一考察」 (イベント学会 2010 年発表)を踏まえ、 「古都・京都における“温故知新イベント”」に関する研究を行った。 「温故知新」とは「昔のことを研究して、新しい道理を見つけること」 (『広辞苑第6版』 ) である。イベントを「何らかの目的達成手段として行われる行・催事、媒体」(『イベント 用語辞典』平野繁臣)と捉えた場合、本稿でいうところの“温故知新イベント”とは、「日 本古来の伝統文化・芸術・芸能を範疇としたイベント、行・催事」、また「各地に伝わる伝 統文化・芸能及びその周辺にある文化・芸術・芸能コンテンツによる催事・イベント」と 広義に解する。 (筆者見解) ( “温故知新イベント”の定義については後述する) 研究の目的 “温故知新イベント”の代表的成功例として 「京都のライトアップ」が挙げられる。 1990 年以降行われている本イベントは、京都を代表する古寺名刹を舞台に、多くの観光客 を動員する京都の定番イベントである。また、このライトアップ現象が全国各地に波及し たことは「古都・京都の文化財とイベントに関する一考察」で詳述している。 本稿では 「京都のライトアップ」成功以降のイベント動向に注目し、その後の“温故知 新イベント” 、特に、伝統文化・芸術・芸能コンテンツを多く有する京都における日本美術 と社寺での行・催事の事例を抽出し、 考察をすすめる。また、その可能性を 探り、新たなイベント創出の手掛かり を模索する。 本稿における“温故知新イベント” とは前述のとおり、 「日本古来の伝統文 化・芸能を範疇としたイベント、行・ 催事」 、また「各地に伝わる伝統文化・ 芸能及びその周辺にある文化・芸術・ 1 芸能コンテンツによる催事・イベント」と広義に解し、社寺で開催される美術展(秘宝・ 秘仏公開) 、文化財公開、コンサートやパフォーマンス、遠忌関連イベント、映画祭、展示 会・バザール、ファッションショー、社寺における記念事業(典型的な宗教行事を除く)、 社寺以外の美術館・博物館等で開催される美術展・展覧会等も含むものとする。 中でも、2009 年に開催された「国宝 阿修羅展」 (東京国立博物館、興福寺国宝館〈奈良〉 、 九州国立博物館)は、観客動員数 190 万人を超える大記録となり、社会現象にもなった特 筆すべき“温故知新イベント”といえよう。 (グラフ 1 参照) そこで、本稿の研究対象として“温故知新イベント”の象徴的事例として「国宝 阿修 羅展」を抽出、さらに、 “温故知新イベント”が行われる代表的な場として、ユネスコ世界 文化遺産に登録された京都の社寺から、清水寺、東寺、上賀茂神社、3社寺を抽出した。 “温故知新イベント”の可能性 日本経済の現状を見ると、2008 年秋のリーマンショック以降景気は低迷し、さらに 2011 年3月 11 日に発生した未曾有の災害、東北大震災が景気低迷に追い打ちをかけている。イ ベント産業を取り巻く環境においても、2005 年の「愛・地球博」以降、厳しい状況にある。 その中にあって 2009 年「春の東京3つの顔に会いにいく」という衝撃的なコピーのもと、 「国宝 阿修羅展」が東京国立博物館で開催され、日本中を「阿修羅ブーム」の渦に巻き 込んだ。 (九州国立博物館 2009 年、興福寺国宝館 2010 年開催) 筆者はこの美術展を“温故知新イベント”の成功事例と捉え、 「国宝 阿修羅展」から読 み取れるイベントの成功要因を考察し、 “温故知新イベント”の可能性を探る。 先行研究「京都の催事・イベントにおける可能性に関する一考察」では、京都・洛西に 位置する松尾大社(創建 1300 余年)の事例を考察した。また「古都・京都の文化財とイベ ントに関する一考察」では、比叡山延暦寺、二条城、平安神宮の事例を考察した。 結果3つの結論を導いた。①地域文化の掘り起こし②専門性の高い人材育成③新たなイ ベントの創造である。また、 「イベント業界において、文化芸術資産や文化資産を生かした、 新たなイベントの創造が、日本経済や、イベント産業の活性化の一役を担う。今後、コン テンツを活かす取り組みが求められる」 (イベント学会 2010 年発表)と詳述した。 そこで本研究では先行研究との間に「共通性」、「類似性」があると仮定し、調査・考察 を試みた。特に「阿修羅ブーム」の成功要因から“温故知新イベント”の可能性を探り、 京都の3社寺の事例の調査・分析と合わせ、本稿4事例の共通性を考察する。これら考察 から、①“温故知新イベント”の定義へのアプローチ、②“温故知新イベント”の成功要 因の共通性の抽出、③“温故知新イベント”の成功から読み取れる新たな「イベントの類 型化」へのアプローチを試みる。 加えて、先行論文の事例との共通性、類似性を踏まえて考察を行う。 研究方法 聞き取り調査と収集資料分析により行った。 1)基本データによる分析(京都府、京都市、美術館・博物館資料、当該社寺資料等) 2 2)当該各所への聞き取り調査(2010 年 12 月~2011 年2月)事例1 興福寺国宝館、事 例2 清水寺、事例3 東寺、事例4 上賀茂神社、他) 2.“温故知新イベント”事例 1) 事例 1 「興福寺創建 1300 年記念 国宝 阿修羅展」の成功要因 興福寺国宝館聞き取りより 本稿では、 「国宝 阿修羅展」の概要と特徴、成功要因について、主催者に聞き取り調査 を中心に行った。 「国宝 阿修羅展」とは、興福寺創建 1300 年記念事業の一環として興福寺以外で 56 年 ぶりに阿修羅像(国宝)が展示された美術展である。2009 年3月 31 日~6月7日まで東京 国立博物館で開催(94.6 万人) 、その後九州国立博物館(70 万人)、興福寺国宝館(25 万人) で開催され、合計約 190 万人の観客を動員した。 (グラフ 1 参照)本美術展では阿修羅像を はじめ、八部衆像、十代弟子象他約 70 点が展示された。190 万人という観客動員数は、過 去の日本美術展の中でも突出している。この「国宝 阿修羅展」が社会現象となり、 「阿修 羅ブーム」が巻き起こった。その要因は以下9点と考察する。 ①秘仏公開 「国宝 阿修羅展」のメインとして展示された阿修羅像は門外不出の秘仏であり、興福 寺以外の地方で展示されたのは、三越デパートの展示(1952 年)以来 56 年ぶりである。こ のように秘仏の姿を間近に見られたことが、観客動員の大きな要因となった。 ②個性(キャラクター性)のあるコンテンツの登用 阿修羅像は、個性(キャラクター性)のあるコンテンツである。こういった魅力あるコ ンテンツに焦点を当て、魅力を明確に観客に提示することにより、多数の集客につながっ た。 ③ブームの下地となる美術展の開催 2003 年、東京国立博物館で「仏像一木に込められた祈り」が開催され、33.5 万人の観客 を動員した。結果、仏教ブームの下地となる日本美術・仏教美術展覧会が増加し、一般市 民の仏像・仏像美術への関心が大きく高まった。 ④企画の一貫性 「国宝 阿修羅展」では企画の一貫性に留意している。何を見せるかに焦点を絞り、多 くの出展作品の中から、最も象徴的な阿修羅像を ポスターのメインにおいた。キャッチコピーは 「春の東京3つの顔に会いにいく」とストレート に表現した。シンプル、分かり易さに主眼をおい た。 ⑤綿密な広報戦略 広報は共催の新聞社を中心に多角的かつ、綿密 3 な広報宣伝戦略を行った。ポスター、チラシ、新聞広告のみならず、阿修羅ファンクラブ の結成、ジュノンボーイ(月刊雑誌『JUNON』 )とのタイアップによる阿修羅ボーイの 発掘、フィギュア制作等、従来の美術展の枠にとどまらない、トータルメディア戦略が行 われた。それに伴いTVのワイドショー、女性誌等で取り上げられ、幅広い層に知られる こととなった。結果、バランスよく老若男女が訪れるといった従来の仏教美術展にはない 現象が生じた。 (グラフ2参照) ⑥インターネットやSNS等による「口こみ」の相乗効果 会場のアンケート調査によると(主催者発表 HP より。回答者数 8,804 人)、78%が美術 展について「とても良かった」、「よかった」と回答している。展示作品についても 90.9% が「とてもよかった」、「よかった」とした。主な感想としては「阿修羅に感動した」、「デ ィスプレーがよかった」等である。結果、美術展を見た人の感動が、個人のブログやツイ ッター、SNS等で自発的に情報発信され、広報は草の根的に、圧倒的な広がりを見せた。 このように、本美術展は、口コミが強い力を発揮した、従来の美術展にない展開であった。 ⑦「彫刻空間」 、新たな展示手法の演出。 「国宝 薬師寺展」をベースに 2008 年、東京国立博物館で「国宝 薬師寺展」を開催(79.6 万人)。 (グラフ 1 参照) この美術展では、 「彫刻空間」という、新たな展示方法がとられた。これまでの啓蒙的かつ 網羅的な展示にとどまらず、仏像彫刻本来の美を最大限に引き出す工夫がなされた。仏像 を 360 度から見ることができ、また低位置からも、高位置からも見ることができるという 展示方法を用いた。美術展では仏像彫刻の素晴らしさを最大限に引き出すためいかに「彫 刻空間」を作り出すかが、重要なポイントであった。「阿修羅は無言だけれども何かを語っ ている。見る側は見る側の言葉を持ち、何かを受け取る。そこに来場者と阿修羅像との感 性の対話が成立する」 (興福寺国宝館聞き取り)そして、そこに「場の空気」ができ、 「渦」 ができる。この「渦」が生まれることにより、口コミ効果が生まれ、ブームが起き広がっ た。 「国宝 阿修羅展」の成功要因は、この手法と経験が生かされたことが大きい。 ⑧歴史に裏付けされた本物が「人の心を打つ・救う」 日本には連綿と受け継がれた歴史や伝統文化がある。観客は、人々が受け継ぎ継承した 本物の歴史文化に触れることで「救われる」 。このように「人の心を打つ・救う」というこ とが、美術展企画において非常に重要な要素となる。「国宝 阿修羅展」の大きな成功要因 の一つである。 ⑨新たな著名人・知識人の登用 みうらじゅん氏(イラストレーター)、いとうせいこう氏(評論家)、はなさん(女優) らが、これまでの知識人とは異なる感性と言葉で仏像について形はじめたことで、仏像に 対する興味関心が一般の人々に高まった。こういった著名人・知識人による応援を機に、 若年層を中心にインターネットやSNS等を媒介とした口コミが広がった。 以上が「国宝 阿修羅展」の成功要因と考えられる。その結果、次の7点が読み取れた。 ①「秘仏公開」という希尐性。 4 ②歴史に裏打ちされた本物であり、美しく「人々の心を打つ・救う」展示物。 ③個性(キャラクター性)のあるコンテンツの登用。またその魅力を最大限に引き出す企 画力。 ④「彫刻空間」 、 「対話空間」等、照明、展示、におけるハイレベルな演出技術。 ⑤日本美術とマーケティングを熟知した、卓越したプロデューサー(※イベント業界とし ての捉え方であることをおことわりする)の存在。 ⑥「心の時代」という社会背景や社会のニーズによるイベントの要請。 ⑦著名人による応援、インターネットやSNS等による幅広い層への「口コミ」の伝播力。 この成功要因と先行研究を踏まえ、清水寺、東寺、上賀茂神社の個別の事例について考 察する。 2)事例2 清水寺~2000 年「清水寺本尊秘仏十一面観音開帳」を基軸に~ 清水寺聞き取りより 清水寺は 778 年開創、京都市東山区に位置する 古寺で、ユネスコ世界文化遺産に登録されている。 ディズニーランドと並び、全国の修学旅行生の多 表1 清水寺の本堂本尊・開帳記録・期間 出典: 「朝日新聞夕刊 2000/2/20」より筆者作成 1629 年(3 日間)~以降、 1738、1748、1753、1773、 くが訪れる寺である。また、京都市を訪れる観光 客、修学旅行生の市内訪問調査においても、いず れも最も来場者の多い寺院である。 1798、1806、1810、1840、1853 年 1872 年(明治 5 年・3 月 1 日~50 日間) 1902 年(明治 35 年・6 月 15 日~7 日間) 本稿では清水寺で行われた「記念事業」を“温 故知新イベント”と捉えて(本来、宗教的色彩の 濃い記念事業ではあるが、ほぼ連日イベントが行 1910 年(明治 48 年・4 月 10 日~1 ヵ月) 1929 年(昭和 4 年・3 月 1 日~4 月 30 日) 1967 年(昭和 42 年・5 月 13 日~5 日間) われたことから)イベントの側面に注目し考察を 2000 年(平成 12 年・3 月 3 日~12 月 3 日 276 日間) 試みた。 ①「本尊開帳」 清水寺は 2000 年に 「開創千二百年」 を迎え、 これを記念して 33 年振りに本堂本尊(十一面 観音像)の一般公開等の記念事業が行われた。 期間は3月3日~12 月3日の9ヵ月(276 日 間)の長期間にわたり、法要とイベントが行 われた。(表1参照) 前回の一般公開は5日間、法要のみであっ たが、2000 年は「参拝者の増加」という狙い のもと、大講堂建立その他の記念事業やイベ 表2 清水寺イベント 出典: 『清水』他より筆者作成 2000 年 (平成 12 年) 本尊開帳 2001 年(平成 13 年) 本尊開帳記念「京都・清水寺展」 2002 年(平成 14 年) 本尊開帳記念「京都・清水寺展」 2003 年(平成 15 年) 奥の院御本尊開帳 2004 年(平成 16 年)~ 以降、毎年継続実施 2008 年(平成 20 年) 本尊開帳 2009 年(平成 21 年) 本尊開帳 2010 年(平成 22 年) 本尊開帳 ントが行われた。 (表2参照)その結果、参拝者数 360 万人、本尊拝顔者数 140 万人が来場 した。 (主催者発表) 5 ②イベントの基本姿勢 清水寺でイベントが行われる場合、寺院から積極的にイベントを企画し情報発信すると いうよりも、外部から企画提案される場合が多い。 「清水寺は信仰の場である。宗教の場で あるということに配慮し、寺院にふさわしい内容の場合のみ協力する」という基本姿勢を 貫いている。これは先行研究「古都・京都の文化財とイベントに関する一考察」で考察し た社寺でも、同様の結果が見られた。「イベントは参拝者の皆様に足を運んでもらう機会と 捉えているが、内容や入場者数の兼ね合い等難しい点もある」と指摘している。この点も 先行研究に共通している。 ③イベント内容 「開創千二百年」のイベントでは、清水の舞台・成就院で、講演・コンサート・伝統芸 能等が行われた。本事業全体を一つの“温故知新イベント”と捉えた場合、33 年振りの「秘 仏尊十一面観音開帳」がメインにあった。 また、本事業以降、新たなイベントが生まれた。①西国三十三所観音霊場巡礼、②夜間 特別拝観、③寺の宵参りの復活、④夏の夜間特別拝観等である。 夜間特別拝観を行うことにより、昼夜の景観が全く異なるライトアップの「非日常的空 間」を求め、参拝者が増加した。この傾向は、先行研究においても同様の結果が見られる。 ④イベントの効果~「2000 年開帳」ならびに夜間特別拝観以降の観入場者数推移と傾向~ (1)入場者の増加 2000 年本尊開帳以前、 年間参拝者数は 300 万人に満たなかった。2000 年本尊開帳を行い、 参拝者数は 300 万人を突破。その後、400 万人を超え、さらに 500 万人を突破した。 (主催 者発表)その後、リーマンショック(2008 年秋)とインフルエンザの影響で 500 万人を下 回ったが、2010 年は 500 万人を超えると予想される。(2011 年 2 月現在) 年間 500 万人の参拝者と考えると一日平均約 1 万3千人が清水寺を訪れていることにな る。真夏・真冬の参拝者数は減尐するが、春・秋の観光シーズンの日中では、1日3万人 が訪れていることになる。また、夜間特別拝観の場合、多い日には1日の参拝者数が 1 万 数千人になり、昼夜の参拝者数をあわせると1日約5万人が訪れていることになる。 (主催 者発表) このように、本尊開帳や夜間特別拝観を行うことにより、参拝者数が増加し、老若男女、 あらゆる層が寺院を訪れるようになった。 (2)海外からの観光客増加 2000 年以降は、欧米、中国、韓国、台湾等、海外からの入場者数も増加している。 ⑤その他イベント 2000 年の本尊開帳に伴い、全国で本尊開帳記念「京都・清水寺展」が開催された。 (表2 参照)開催地は 2001 年、東京・名古屋・大阪、2002 年、熊本・鹿児島・盛岡である。また、 2010 年には、 「第 35 回京の夏の旅」 (文化財特別公開)が、京都市等が主催する「京の七夕」 の開催にあわせ、8月6日~8月 16 日の期間開催された。 6 3) 事例 3 東寺~市民に開かれた仏教美術~ 東寺聞き取りより 796 年に建立された京都に現存する最古の寺院。1994 年ユネスコ世界文化遺産に登録さ れている。開祖は空海で、平安京鎮護・国家鎮護の役割を担った真言宗の総本山寺 院である。東寺の五重の塔は、日本の木造塔で最も高く京都のランドマークになっている。 ①イベントの基本姿勢 「弘法大師は「言葉や文字は大切だが、それだけでは仏の教えを伝えられない。人にわ かりやすく説くためにあるのが仏像であり仏教美術である、という意の言葉を遺されてい る。講堂(講義・説経等行う建物)にある仏像、諸仏の偶像は仏の声である。それに相対 して仏の声を聞く。そこに「自分の心の在り方を探る空間」、「五感で感じられる空間」が 生まれる。このように仏の教えを説くという姿勢で寺宝展等を行っている」 (東寺聞き取り) 東寺では、この弘法大師の教えに基づき、仏の教えを通して人々を救う。そのために、 仏像が存在し、仏像を通して、広報伝達手段としてイベントが行われてきた。 寺院の場合も外部からイベントを企画提案される場合が多い。しかし、基本的には教義 に沿ったイベントを行うという基本姿勢を貫いている。これは先行研究「古都・京都にお けるイベントに関する一考察」事例とも共通している。 ②イベントの歴史と変遷 東寺では弘法大師の教義を守り伝えるための宗教行事、宗教儀礼、法要が行われてきた。 一方で、通称「弘法さん」 (弘法市)といわれる市民一般に開かれた「バザールイベント」 が 1239 年から今日まで行われている。(表3参照) 1239 年以前は年1回、祖師空海入定の3月 21 日を期して開催されていた。1239 年以降、 毎月 21 日に行われ、現在も続いている。江戸時代には茶店、植木屋、薬屋等が出店し始め、 これらがベースになり骨董類販売等が行われ、現在もその形が受け継がれている。今では 「世界三大骨董市、世界一の骨董」と称されている。 (京都新聞 2010 年5月 31 日) 「弘 法さん」 (弘法市)は約 800 年の歳月を経、現代に受け継がれた“温故知新イベント”であ るといえよう。 ③「秘仏公開」 東寺が本格的に仏教美術や仏像を公開したのは昭和 40 年代以降である。それ以前は、お 堂(講堂・本堂)は公開すべきではないという考え方であったが、昭和 40 年代の空前の観 光ブームにより京都の社寺が人気を博した。特に各寺院の仏像が紹介されるようになった。 これを受け、東寺にも仏像や仏教美術の公開を求める声が大きくなり、昭和 40 年秋、はじ めて東寺宝物館で「東寺宝物館特別展」が開催された。1968 年以降は、毎年切り口を変え、 春季と秋季、宝物館で特別展・東寺名宝展を開催している。こういった活動がベースとな り、寺院外での美術展開催、 「秘仏公開」につながっていった。(詳細は⑤で後述) ④音楽イベント~開かれた寺院へ・映画「空海」とツトムヤマシタ氏~ 7 1984 年 、 弘 法 大 師 入 定 表3 東寺イベントの歴史 出典: 「京都新聞 2010/5/3」 、東寺聞き取り調査、 1200 年を記念し、映画「空海」 が撮影された。映画音楽を担 当したのは京都出身の打楽器 東寺資料、東京国立博物館公式 HP より筆者作成 年 代 1239 年以前 奏者ツトムヤマシタ氏である。 当時、氏は海外を中心に活動 内 容 毎年 3 月 21 日、弘法大師の命日に供養がい 1239 年~2011 年 毎月 21 日、 「弘法市」 (骨董市)が開催され る。現在は世界三大骨董市、世界最大の骨 が持つ素晴らしさに注目し、 董市とも称されている。 昭和 40 年代 京都観光ブームにより、社寺、仏教美術に 別な空間」で空海の映画音楽 注目が集まる。雑誌等による取材・紹介も を創作したいと強く要望した。 増える。 東寺はツトムヤマシタ氏の要 1965 年~現代 1965 年、社会の要望により東寺の秘仏公開 望に応え、氏に食堂(じきど をはじめる 1968 年以降毎年テーマを変え、 う)を開放した。制作期間は 春季・秋季「東寺宝物館特別展」を開催 数ヵ月を要し、映画音楽に登 1984 年 映画「空海」の撮影(弘法大師入場 1100 年 用された。また音楽の完成記 記念)、ツトムヤマシタ氏東寺「食堂」にて 念のお披露目として食堂に関 「空海」の映画音楽を制作 係者を招き約 150 人のコンサ ツトムヤマシタ氏、 「空海」の音楽公開コン ートを開催した。 サートを東寺「食堂」内で開催。約 150 人。 この当時、京都の社寺でコ ンサートが開かれることは非 1984 年以降 社会一般・京都 宝物館 食堂 食堂 小規模のコンサート、フランスの劇団のパ 境内 ートは画期的なイベントであ 芸術の発表の場として東寺が利用される。 判を呼び、その後、食堂を用 境内 全国 フォーマンス、草月流のパフォーマンス等 的空間のイベント」として評 境内 映画「空海」公開 常に珍しく、食堂でのコンサ った。コンサートは「非日常 所 となまれる。 していたが、日本の伝統文化 日本人として社寺という「特 場 2004 年 「空海と高野山」開催。27 万人集客。 2007 年 「LIVE 2011 年 「空海と密教美術展」開催 EARTH」開催。出演 YMO 等 東京国立博物館 境内 東京国立博物館 いた小規模のコンサート、フ ランスの劇団パフォーマンス、草月流のパフォーマンス等多くの文化・芸術発表の場とし て東寺が利用されるようになった。また、2007 年には世界に環境問題を訴える大規模野外 コンサート「LIVE EARTH」が開催され、YMO等が出演し話題を呼んだ。 (表3参照) ツトムヤマシタ氏のコンサートをきっかけに、その後京都では社寺で開催する音楽イベ ントが各方面に波及し、定着していった。このような現象は、先行研究の京都のライトア ップの事例と共通している。 ⑤寺院以外でのイベント~美術展・展覧会~ 東寺では「昔は人が弘法大師の教えを伝えた。現在はそれ以上の力を持った「祈りの造 形」 、 「仏像」が自ら美術館、博物館に足を運んで人々との接点を作り、教えを伝えている」 8 という基本姿勢に基づき、東寺以外で行われる美術展や展覧会に協力している。2003 年に は東京国立博物館で「空海と高野山」が開催され、27 万人の観客を動員した。 「国宝 阿修 羅展」と同様、多くの観客を動員した成功例といえる。2011 年には、東京国立美術館で「空 海と密教美術展」が開催され、8体の仏像が出品される。(東寺聞き取り) 4)事例4 上賀茂神社(賀茂別雷神社) 上賀茂神社聞き取りより 678 年、天武天皇の御代に現在の社殿の基が造営。桓武天皇の平安建都御所建設にあたり、 御所から鬼門(北北東)の位置に 上賀茂神社を据えるように、御所 表4 上賀茂神社過去 10 年の主なコンサート・イベント 出典:上賀茂神社公式HP他より筆者作成 が建設された。これは平安京鎮 護・国家鎮護の意味を含んでいる。 年 代 タ イ ト ル また下賀茂神社とともに京都三 2001 年 ランディ・ウェストンコンサート(ジャズ) 大祭りの一つ「葵祭」で有名。1994 2003 年 アブドゥライブラヒムコンサート(ジャズ) 京都満月祭り 年にはユネスコ世界文化遺産に UA、喜多郎、梅若六郎(コンサート、能) 登録された。 2005 年 ランディ・ウェストンソロピアノコンサート(ジャズ) ①神社そのものが「特別な空間」 2006 年 上賀茂手作り市 上賀茂神社の広さは 23 万坪。 アブドゥライブラヒムコンサート(ジャズ) 東京ドームの 26.25 倍である。鳥 2007 年 葵(Afuhi)プロジェクト~シンポジウム&コンサート 居から本殿にかけては芝生があ 2008 年 世界遺産で舞うマイヤ・プリセツカヤ With 梅若六郎(舞踏、能) り開放感がある。鎮守の森があり、 市川団十郎プロデュース『源氏物語千年紀』京都・上賀茂神社に水の そこに鴨川からの支流が流れて 源流を求めて いる。その奥にご神体があり、神 ランディ・ウェストンアフリカン・リズムズ・デュオ・コンサート(ジ 聖で癒される「特別な空間」があ ャズ) る。上賀茂神社は 1300 年以上の 2009 年 歴史があり、京都第一の社、世界 文化遺産に登録された神社であ る。 しばし京都人プレミアムステージ「日本のこころをたずねて」 ~上賀茂神社(世界文化遺産)コンサート~ 2010 年 葵使い パンフ・マウンテン・フィルムフェスティバル(映画祭) 歴史に裏付けされた点や「特別 アブドゥライブラヒムピアノコンサート(ジャズ) な空間」としてベントに利用され サントリー「響 21」にっぽんで遊ぼう るという点において、「国宝 20th 京都観月の夕べコンサート 阿 修羅展」や先行研究と共通してい 葵縁日 る。 きもので集う園遊会 ②イベントの基本姿勢 京の農林秋祭り 上賀茂神社で行われた過去 10 年の代表的イベントは、表4の通 楽天世界遺産劇場第 15 回上賀茂神社 倉木麻衣、石井竜也(コンサー ト) 9 りである。 (御神事を除く)クラッシック、ジャズ、ポップス、ロック等多種多様なジャン ルのコンサートやパフォーマンスが行われている。近年、環境問題をテーマにした「葵 (Afuhi)プロジェクト」等も行われている。また、梅若六郎(玄祥)氏や市川団十郎氏に よる能や舞、山やアウトドアに特化した「パンフ・マウンテンフィルム・フェスティバル」 (上賀茂神社は山の神でもある)等、イベントの内容も多岐にわたっている。(表4参照) 上賀茂神社においても外部からイベントを企画提案される場合が多い。しかし、すべて の企画を受け入れるというわけではない。神社本来の仕事や神社の役割を理解したうえで、 「奉納していだたくものである」という基本姿勢を貫いている。また「人と人とをつなぐ、 意味ある内容であることも、イベント会場としてお貸しする場合の重要な条件である」と している。これらの基本姿勢は先行研究の比叡山延暦寺や平安神宮の事例、本稿事例と共 通している。 ③イベントは神と人、人と人をつなぐ媒体・メディア 「イベント参加者と通常の神社参拝者では来場者の層が異なる。初めて境内に入ってい ただく方に、神の「ご神気」に触れていただくため、神職は常に「明るく、清々しい」状 態で参拝者をお迎えするよう努めている。神職は神と人との仲を取り持ち、神様の存在を 知らしめ、多くの参拝者に神様の恵みを受けていただくことを大切にしている。その一つ の手段として、コンサートやパフォーマンスを受け入れている。また、これらイベントを 行うことが、文化財や世界遺産の保全保護につながると考えている」 (上賀茂神社聞き取り) このようにイベントが神と人、人と人をつなぐ媒体・メディアであり、イベント行うこ とが文化財や世界遺産の保全保護につながるといった姿勢は、先行研究や本稿事例に共通 している。 ④環境イベント「葵プロジェクト」の取り組み 上賀茂神社は自然とのつながりが深い神社である。環境イベント「葵プロジェクト」は その基本的要素を体現している活動といえよう。 「葵プロジェクト」とは、NPO法人葵プ ロジェクトが主体となり、フタバアオイが生息する「葵の森」(上賀茂神社内)を再生しよ うとするプロジェクトである。また、本プロジェクトの名称に用いられる「葵」は「あふ ひ(Afuhi)」とも読み、御心霊と人の魂が出会う、人と人とが出会うという意味を持つ。 環境啓発活動を通し、「あう」をキーワードに 「神と人、人と人との出会いを育てる」と いうことも目的の一つである。 フタバアオイは上賀茂神社、下賀茂神社が主催する「葵祭」に用いられているが、現在 フタバアオイは減尐傾向にある。現状では「葵祭」にフタバアオイを使用できなくなる可 能性があり、伝統文化の維持・継承が困難になると予想される。プロジェクトは、 「葵の森」 の維持・再生を通し、減尐要因の一つである地球温暖化への問題提起、ならびに地球環境 の重要性を発信することを目的としている。プロジェクト参加者は小学生を中心とした教 育機関、企業、個人である。また、大学学長、研究者、地元企業が協力している。本活動 の理解が進み、フタバアオイはユネスコの未来遺産(ユネスコ協会)に認定された。また、 10 新たな催事として、江戸時代に行われていたフタバアオイを徳川家に献上していた行事を 160 年ぶりに復活させた。このような活動をさまざまなイベントを通して行っている。 本来の神社のあるべき姿・基本姿勢に基づき社会にメッセージを発信するという取り組 みは、 “温故知新イベント”の一つの特徴といえる。これは先行研究「京都と催事・イベン トの可能性に関する一考察」の「松尾大社醸造文化顕彰会」の取り組みや「古都・京都の 文化財に関する一考察」の比叡山トーク等の事例と共通している。 ⑤「心の時代」における神社の役割とイベントについて 「現代社会は、さまざまな問題を抱え、 「心の時代」といわれる。人々の心が穏やかにな ることは、明るい住みよい社会につながる。これが神社の役割である。自然と調和した景 観、1300 年以上先人によって現在まで変わらず守り伝えられてきた神社を見て、人々は、 穏やかで清々しい気持ちになることができると考える」また「コンサートやパフォーマン スは、神社に訪れるための一つの手段であり、好きなアーティストを介して、上賀茂神社 を訪れるきっかけになる。この出会いにより「こういう心地よいところがある」 「日本には こんなにいいところがある」ということに気づくことが大切だと考える」 (上賀茂神社聞き 取り)このように、歴史に裏打ちされ、受け継がれた本物が、人の心を打ち、安心感をあ たえ、人々を救うのである。 上賀茂神社においても、前述の「国宝 阿修羅展」 、 「清水寺」、 「東寺」の事例と同様、 「特 別な空間」が人々に「心の安寧・救い」を与えている。このような現象がイベントの成功 要因の一つとして考えられ、イベントを成功させる重要な機能を果たしているといえる。 3.結論と考察 以上、 “温故知新イベント”の事例として、 「国宝 阿修羅展」 、また京都を代表する寺社 仏閣の事例、清水寺「秘仏尊十一面観音開帳」、 東寺「仏教美術展」 「弘法さん」 、上賀茂神社 「葵プロジェクト」等を聞き取り調査及び資 料から考察した。図1は本稿事例にあるイベ ントを「文化イベントのポジション」 (『イベ ント用語辞典』越川茂)に基づきあてはめた ものである。 (ここで行ったイベント分布は 一つの見解にすぎないことをおことわりす る)事例考察からさまざまな共通性、類似性が見てとれた。 然して、本稿結語として①“温故知新イベント”の定義へのアプローチ、②“温故知新 イベント”の成功要因の共通性の抽出、③“温故知新イベント”の成功から読み取れる新 たな「イベントの類型化」へのアプローチを試みる。 ①“温故知新イベント”の定義へのアプローチ 11 (1) “温故知新イベント”とは 「イベントの定義をすることは、極めて困難な作業であり、一定の基準に基づいて定義 をしても、いかなる場合にも適切な定義となり得るか否かは疑問である。現時点の一つの 考え方として紹介するにとどめる」(『イベント用語辞典』平野繁臣)という。本稿もこの 前提に立脚している。 (表5参照) (2)“温故知新イベント” 表5 イベントの定義 の定義へのアプローチ 出典:イベントの基本概念。『イベント用語辞典』平野繁臣に基づき筆者作成 「イベントとは、何らかの 目的達成手段として行われ ①何らかの目的達成する手段の為の行・催事②システム産 定 義 る行・催事、媒体である」。 (表 ュケーションメディア」④新技術の創出を生みだす 5参照)また「温故知新」と ①パブリック・イベント(コミニュティ・イベント)/無料 は、「昔のことを研究して、 新しい道理を見つけること」 行政型、有料経営型 基本分類 ②コーポレイト・イベント(プライベート・イベント)販 である。ゆえに“温故知新イ 促型/文化公共型 ベント”とは「日本古来の伝 統文化・芸術・芸能を範疇と ①展示会・博覧会系イベント②祭り系イベント③会議・集 イベントの形態別分類 したイベント、行・催事」 、 「各 地に伝わる伝統文化・芸術・ 業、新たなビジネスチャンスの可能性③「双方向のコミニ 会系イベント④文化芸能系イベント⑤スポーツ文化系イベ ント 参加の条件別分類 ①誰でも自由に参加できる②条件付きで参加できる 参加者のアクティビティ ①参加型(体験・体感するイベント)②非参加型(見る・ 別分類 鑑賞することに重点おくイベント) 参加者の期待内容別分類 ①利益享受型イベント②啓発学習型イベント③複合型イベ 芸能及びその周辺にある文 化・芸術・芸能コンテンツに よる催事・イベント」と広義 に解する。また、 「 “温故知新 イベント”≒伝統的コンテン ント ツをテーマとしたイベント」と仮定し、 (宗教行事、地域行事は含まない)具体的には、社 寺を舞台にした美術展(秘宝・秘仏公開)、文化財公開、非日常的空間で行われるコンサー トやパフォーマンス、遠忌関連イベント、映画祭、展示会・バザール、ファッションショ ー、社寺における記念事業(典型的宗教行事を除く)、社寺以外の美術館・博物館等で開催 される美術展・展覧会等も含むものとした。元より識者は「イベントの定義をすることは、 極めて困難な作業である」 (前掲)と述べている。また、近年着目される日本古来の伝統的 コンテンツをテーマとしたイベントを従来のカテゴリーにおいて類別することはなかなか 困難である。そこであえて“温故知新イベント”と類別した。本分類については今後の論 考に委ねることとする。 ② “温故知新イベント”の成功要因の共通性の抽出 ①「秘仏公開」という希尐性。 ②歴史に裏打ちされた本物に触れる感動の伝播と非日常性。 ③イベント会場が「ユネスコ世界文化遺産」に登録された「特別な空間」=非日常的空間。 12 「清水の舞台」 「上賀茂神社庭園」 「東寺五重の塔」等。 ④個性(キャラクター性)のあるコンテンツの登用、またその魅力を最大限に引き出す企 画力。阿修羅像、秘仏尊十一面観音像、日光・月光菩薩像、上賀茂神社全体。 ⑤「彫刻空間」 、 「対話空間」が取り入れられた展示・演出技術の斬新性。 ⑥歴史、文化資産、市場、人々の気持ち等を熟知した、卓越したプロデューサーの存在。 ⑦「心の時代」という社会背景や社会のニーズによるイベントの要請。 ⑧イベントは人と人、人と場、人と社会をつなぐ媒介機能(媒体・メディア)であり、人 の心を打つ・救う「救いの装置」である。 ⑨トータルメディアによる、口コミの広がりと展開。 ③“温故知新イベント”への類型化のアプローチ 先行研究ならびに本稿事例を鑑み、 “温故知新イベント”の類型化のアプローチを試みた。 “温故知新イベント”は以下大きく2つカテゴリーに類型されると考える。 ●秘仏公開系(日本美術、文化財公開等) : 「国宝 阿修羅展」 、 「秘仏尊十一面観音像開帳」 、 「京都・清水寺展」、 「弘法大師・空海展」、「日光・月光菩薩像展」、「長谷川等伯展」、 「若 冲展」 、 「国宝 薬師寺展」 、 「狩野永徳展」等。 ●地域文化創造系(地域文化伝統に基づく周年事業等) : 「清水寺開創 1200 年本尊開帳」、 「平 城遷都 1300 年記念祭」 、 「京都平安建都千二百年祭」 、「源氏物語千年紀」、 「国宝彦根城築城 400 年祭」 、 「遠忌」 、 「社寺ライトアップ」等。 4.結語 1) “温故知新イベント”がもたらしたもの ① 新たな社会現象、仏像ブームを牽引するサブカルチャー 「国宝 阿修羅展」を契機に、従来仏像鑑賞に関心が低いといわれていた 10 代、20 代の 若者から、 「仏像ガール」や仏像フェチ・コンシェルジェ等と言われる仏像ファンが登場し た。また、ウルトラマン等のキャラクターに魅せられた子供たちまでが、阿修羅像鑑賞の ために美術館を訪れた。さらに、仏像フィギュアをコレクションする人々も増加し、その ような動きが仏像ブームに拍車をかけ、空前の仏像ブームに展開した。 ②「市民のためのミュージアム」の姿勢 かつて「美・美術」は限られた富裕層のものであった。しかし、歴史的に「市民に開か れた美」が求められ、現代社会において「美・美術」を扱う博物館は「市民のためのミュ ージアム」という基本姿勢に基づいて運営されている。 「美はあらゆる人の気持ちを救うこ とができる要素を持っている」、 ゆえに作品のもつ価値を引き出すための「美の装置」を 作ることが必要であった。その時重要なのは「彫刻空間」と観客との「対話空間」である。 (前述「国宝 阿修羅展」 ) ③社会背景、美術展は心を打つ・救う「救いの装置」 「現代人はさまざまな社会背景の中で、大きなストレスと不安を抱えている。このよう 13 な時世において、仏像や日本美術は人々にある種のエネルギーを与える。これが人々の心 を打ち・救い「救いの装置」となる。「阿修羅像」の表情は清々しい。同時に憂いを持って いる。見る側は、吸い込まれ、包み込まれるような気持ちになり心が安定する。また、「阿 修羅像」は、不安や孤独を抱えた人々に、1300 年間人々によって受け継がれてきた「歴史 の信頼性」を感じさせる。それが人々の安心感につながった。同様に、日本には連綿と受 け継がれた、歴史や伝統文化がある。人々は、歴史が残した本物に触れることで「救われ る」 。このように「人の心を打つ・救う」ということが、美術展において非常に重要である」 (興福寺国宝館聞き取り) ③「秘仏公開・秘宝展」ブーム 現在、美術展では「秘仏公開・秘宝展」がブームになっている。東京国立博物館、京都 国立博物館で行われた「長谷川等伯展」 (2010 年)では、京都だけでも 33 万人を集客する ビッグイベントとなった。 「若冲展」 (2007 年京都 12 万人)、「狩野永徳展」 (京都 23 万人) しかりである。また、 「源氏物語千年紀」 (2006 年~2009 年)や「国宝 薬師寺展」(2008 年 79.6 万人) 、 「日光・月光菩薩像展」 (2008 年 33.5 万人)もしかりである。特に「国宝 阿 修羅展」 (2009 年)等も仏教美術展として、東京国立博物館単館のみで数十万人を集客する ビッグイベントとなった。このように、近年、日本古来の伝統的文化・芸術を取り上げた 美術展が活況を呈している。 (グラフ1参照) 2) “温故知新イベント”可能性 先行研究において、 「日本の伝統文化や宗教文化(また、それに関わる文化)をモチーフ にした新たに創出されたイベントが、ビジネスの潜在力を秘めている」と考察した。その ことは、今回の考察でも同様の可能性が見て取れた。 本稿のまとめとして、 “温故知新イベント”の可能性を模索し、結語とする。 近年、国内における博覧会クラスの大型イベントは減尐傾向にある。また、東日本震災 以降、イベント業界を取り巻く環境は一層厳しい状況となった。このような時世において、 なぜ、多くの人々が阿修羅展に共感を呼び、集うのか。また、秘仏公開という仏教美術に 魅せられるのか。なぜ「特別な空間」にパワーを求め、多くの人々が集まるのか。 これらの現象を注視すると、 「心の時代」といわれる現代の時世において、時空を超えて 受け継がれた「伝統文化・芸術・芸能コンテンツ」に光を当てる必要があるのではないか と考える。“温故知新イベント”は、まさにそれらを範疇としたイベントであると考える。 加えて、 “温故知新イベント”の可能性は大きいと考える。 前述のとおり、「地域文化創造系」事例では、 「京都平安建都千二百年記念祭」、「清水寺 開創 1200 年本尊開帳」 、 「平城京遷都千三百年祭」、 「源氏物語千年紀」、 「国宝彦根城築城 400 年祭」等がある。これらは、伝統的文化・芸術・芸能コンテンツを今日的に、新たな企画 にし、新たなイベントを創出したイベントである。その結果、新たなマーケットが開拓さ れ、ビジネスチャンスをもたらした事例と考察する。これらは、近年実施された 1990 年代 14 以降に見られる“温故知新イベント”といえよう。 また、2011 年には東本願寺「御遠忌」、知恩院「大遠忌」 、西本願寺「大遠忌」や他寺院 でも「遠忌」が予定されている。これらは 50 年に一度の宗教行事であるとともに、当該寺 院以外でも「法然 生涯と美術」 、 「親鸞展」 、秘仏公開、秘宝展が開催された。(宗祖法然 800 回忌、宗祖親鸞 750 回忌)また、今後、京都では「黄檗宗大本山 萬福寺開創 350 年」、「伏 見稲荷大社鎮座 1300 年」 、建仁寺八百年大遠諱、上賀茂神社第四十二回式年遷宮等が開催 される。これらの周辺では、多岐にわたるさまざまなイベントが行われる。 このように古い歴史の中から新たな「行・催事」イベントの可能性をもたらすのが“温 故知新イベント”であり、歴史の中心都市であった地の利を生かし、多くの“温故知新イ ベント”を創出し続けることが京都の町の力であるといえよう。さらに、伝統文化・芸術・ 芸能とイベントが見事にあいまって“温故知新イベント”を創出している。また、それら の中核に宗教文化・芸術・芸能があることも特筆すべきことである。人々の心を打つ本物 が求められる今だからこそ、今後も「古き物の中に新しいものを溶かし、進化したイベン トを創出し続ける」ことが重要である。 “温故知新イベント”は大いなる可能性を示すもの である。 また、今後、 “温故知新イベント”という可能性あるイベントを一つのビジネスチャンス を捉え深耕していく必要性があると考え、その為にも、ハイレベルなイベント業務従事者 の人材育成が一層求められる。 以上、拙稿につき今後の論考に委ねるものとする。 謝辞 本調査にご協力を頂きました関係各位に厚く御礼申し上げます。 (以下順不同) 慶応義塾大学教授・興福寺国宝館館長 金子啓明様、上賀茂神社広報 乾光孝様、東寺教学部長・文化部長 三 浦文良様、同総務部主事 清水雅之様、清水寺執事長 大西真興様、同学芸員 加藤眞吾様 資料提供、取材協力:興福寺国宝館、清水寺、東寺、上賀茂神社 参考資料 「京都の催事・イベントにおける可能性に関する一考察」平家良美・大石祥子 イベント学会(2009)、「古都・京都の 文化財とイベントに関する一考察」平家良美・大石祥子 イベント学会(2010) 『祝祭京都創生 1200 年公式記録』平安建都 1200 年記念協会 『清水寺史第二巻 通史(下)』 第三巻 資料 紫翠会出版(1995) 清水寺史編纂委員会遍 法蔵館(1994) 『清水』第 173 号、第 176 号、第 177 号、第 178 号、第 181 号、第 182 号 北法相宗 教学部 音羽山清水寺 (2008~2010) 『清水寺御本尊御開帳記録』御本尊御開帳実行委員会 音羽山清水寺 (2002) 『京都清水寺さんけいまんだら』 横山正幸 音羽山清水寺(2008) 『清水寺』清水寺(1994) 『清水寺御本尊御開帳記録』御本尊御開帳実行委員会 音羽山清水寺 (2002) 15 『古寺巡礼 京都 26 清水寺』森清範・田辺聖子 淡交社 (2008) 『東寺光の日々 第 51 集』真言宗総本山東寺教化部 (2011) 『東寺観智院の歴史と美術』東寺(教王護国寺)宝物館 (2003) 『東寺と弘法大師信仰 ―東寺御影堂 誓いと祈りの風景―』東寺(教王護国寺)宝物館 (2001) 『東寺と弘法大師信仰』東寺(教王護国寺) 『古寺巡礼 京都1東寺』梅原猛 砂原秀遍 宝物館(2001) 淡交社(2006) 『葵だより』第1号、第2号「葵だより」編集委員会 上賀茂神社 (2010) 『日本の古社賀茂社 上賀茂神社・下賀茂神社』三好和義・岡野弘彦ほか淡交社 淡交社 (2004) 『もっと知りたい興福寺の仏たち』金子啓明 東京美術 (2009) 『古寺巡礼 奈良 5 興福寺』森谷英俊・いとうせいこう 淡交社 (2010) 『京都古社寺辞典』吉川弘文館編集部 吉川弘文館 (2010) 『京都の歴史と文化3文化・行事』林屋辰三郎 京都市編 平凡社(1994) 『京都市観光調査年報』 京都市産業観光局 (2003/4、5、6、7、8、9) 『平成 16 年京都市観光消費経済効果』京都市 (2005) 『独立行政法人国立博物館概要 2003、2004、2006』国立博物館本部事務局 国立博物館(2004、2005、2007 ) 『京都国立博物館百年史』 京都国立博物館編 京都国立博物館 (1997) 『京都国立博物館概要 2001、2002、2003、2004、2005』京都国立博物館編 京都国立博物館(2002、2003、2004、2005、 2006) 『博物館研究 Vol.44 №8』日本博物館協会 日本博物館協会(2009) 『芸術新潮 2009 年 3 月号』 芸術新潮編 新潮社(2009) 『月刊美術 6月号』小川礼子 実業之日本 (2010) 『美術の窓』生活の友社編 生活の友社 (2007/2、2008/2、2009/2、2010/2、2011/2) 『イベント用語辞典』平野繁臣、越川茂 日本イベント産業振興協会・内山工房 (1999) 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