中国大学生「走近日企・感受日本」訪日団第7回訪日報告書

中国大学生「走近日企・感受日本」訪日団第7回訪日報告書
目次
報告書の刊行にあたって................................................................................................................................................................1
中国日本商会社会貢献事業「走近日企・感受日本」寄付金申込社(者)一覧.............................................................2
中国日本商会役員名簿.....................................................................................................................................................................3
2010年度社会貢献委員会委員名簿............................................................................................................................................5
2010年度社会貢献委員会ワーキンググループ委員名簿...................................................................................................6
関立彤団長挨拶..................................................................................................................................................................................7
主催、共催団体の概要.....................................................................................................................................................................8
第7回中国大学生「走近日企・感受日本」訪日団団員名簿.............................................................................................9
第7回訪日 ホームステイ受け入れリスト..........................................................................................................................10
第7回中国大学生「走近日企・感受日本」訪日団視察日程...........................................................................................11
第7回中国大学生「走近日企・感受日本」訪日団視察先出席者リスト....................................................................12
<訪日記録>
オムロン京都太陽工場(11/24)/担当:北京理工大学......................................................................................................16
トヨタ自動車元町工場&トヨタ会館(11/25)/担当:北京外国語大学......................................................................19
静岡県農林技術研究所(11/25)/担当:国際関係学院......................................................................................................21
アサヒビール神奈川工場(11/26)/担当:中国伝媒大学..................................................................................................23
住友商事本社(11/26)/担当:北京大学..................................................................................................................................25
日立製作所中央研究所(11/29)/担当:北京理工大学.......................................................................................................27
一橋大学(11/29)/担当:北京外国語大学..............................................................................................................................29
三菱東京UFJ銀行(11/30)/担当:国際関係学院.................................................................................................................31
日本航空羽田空港(12/1)/担当:中国伝媒大学...................................................................................................................33
ホテルニューオータニ(12/2)/担当:北京大学...................................................................................................................36
学生たちの感想文から..................................................................................................................................................................38
学生たちの撮った写真..................................................................................................................................................................63
第7回中国大学生「走近日企・感受日本」
訪日団報告書の刊行にあたって
本書は、「走近日企・感受日本」事業の第7回訪日団の報告書です。
「走近日企・感受日本」事業は、中国日本商会が2007年から始めた中国人大学生を日本視察に招待す
る社会貢献事業です。未来の中国を担う若い世代に日本及び日本企業を知ってもらうことを目的に、中
国日本商会の総意で実施が決議され、会員有志企業の寄付金によって費用を賄っています。過去6回の訪
日団で24大学175名の学生を日本に招待してまいりました。
第7回目となる今回は、北京大学、北京外国語大学、北京理工大学、国際関係学院、中国伝媒大学の5
大学から、日本に行ったことのない学生30名を選抜、一行は2010年11月23日から12月2日までの10日
間、日本に滞在しました。
視察先は企業では、オムロン京都太陽工場(京都)、トヨタ(愛知)、農林技術研究所(静岡)、ア
サヒビール神奈川工場(神奈川)、住友商事(東京)、日立製作所中央研究所(東京)、三菱東京UFJ銀
行(東京)、日本航空(東京)、ホテルニューオータニ(東京)の9社。その他、中国大使館訪問、日本
の大学生との交流、一泊二日のホームステイ体験など多岐にわたるプログラムが組み込まれています。
ホームステイ受け入れに協力した企業は、16(アサヒビール、アルプス電気、伊藤忠商事、JTB、新日
本製鐵、住友商事、全日空、トヨタ自動車、日中経済協会、日立オートモーティブシステムズ、日立キ
ャピタル、丸紅、三井物産、三菱商事、三菱電機、三菱東京UFJ銀行)にのぼっています。
このように「走近日企・感受日本」事業は、中国日本商会の会員企業の協力によって実施されていま
す。また、共催団体である中国日本友好協会はじめ中国側にも全面的な協力をいただいておりますし、
訪日団の日本受け入れ、本報告書の編集にあたっては、財団法人日中経済協会にご尽力をいただいてお
ります。加えて、寄付金の管理については、中国側では中国友好和平発展基金会に、日本側では財団法
人貿易研修センターにご協力をいただいております。改めて、本事業実施にご協力、ご尽力をいただい
た皆様に厚く御礼を申し上げます。
本報告書に寄せられた参加学生のレポートを拝見いたしますと、本事業が学生たちに深い印象を残し
ていることが分かります。本報告書をご一読いただき、日系企業の社会貢献活動の一端と中国の若者た
ちの生き生きとした姿に触れていただければ幸いです。
日本商会では、引き続き「走近日企・感受日本」事業を実施してまいります。本事業が日中の相互理
解促進の一助となり、将来さらに大きな実を結ぶことになれば、これに優る喜びはありません。
中国日本商会 会長 鹿間千尋
2011年1月
中国日本商会社会貢献事業「走近日企・感受日本」
寄付金申込社(者)一覧
〔寄付金額〕1,000万円
1 朝日ビール株式会社
34 日本たばこ産業株式会社
69 トヨタモーターファイナンスチャイナ
2 伊藤忠商事株式会社
35 日本農林中央金庫有限公司
70 株式会社日新
3 キヤノン(中国)有限公司
36 日本郵船株式会社
71 株式会社損害保険ジャパン
4 新日本製鐵株式会社
37 野村ホールディングス株式会社
72 マルチメディア振興センター
5 住友商事株式会社
38 松下電器産業株式会社
73 日本東京海上日動火災保険株式会社
6 全日本空輸株式会社
39 三菱化学株式会社
74 日立高科技貿易(上海)有限公司
7 トヨタ自動車株式会社
40 三菱電機株式会社
75 日立租賃(中国)有限公司
8 NEC(中国)有限公司
41 ワコール(中国)時装有限公司 76 阪和興業株式会社
9 株式会社日本航空インターナショナル
77 ブラザー(中国)商業有限公司
10 株式会社日立製作所
〔寄付金額〕10万円~100万円未満
78 北京HYFソフト有限公司
11 丸紅株式会社
42 株式会社IHI
79 北京キューピー食品有限公司
12 株式会社みずほコーポレート銀行
43 あいおい損害保険株式会社
80 北京KDDI 通信技術有限公司
13 三井物産株式会社
44 アルパイン(中国)有限公司
81 北京宏達日新電機有限公司
14 三菱商事株式会社
45 インテック国際科学技術有限公司
82 北京新世紀日航飯店
15 株式会社三菱東京UFJ銀行
46 川崎汽船株式会社
83 北京図新経緯導航系統有限公司
47 キッコーマン株式会社
84 北京日立華勝信息系統有限公司
〔寄付金額〕500万円~1,000万円未満
48 協和発酵工業株式会社
85 北京日立控制系統有限公司
16 株式会社イトーヨーカ堂
49 株式会社組合貿易
86 北京村田電子有限公司
17 ソニー(中国)有限公司
50 KDDI 株式会社
87 本田技研工業(中国)投資有限公司
18 豊田通商株式会社
51 五洲大氣社工程有限公司
88 前田建設工業株式会社
19 三井住友銀行
52 J-POWER電源開発株式会社
89 三井化学株式会社
53 JVC(中国)投資有限公司
90 三井住友海上火災保険株式会社
〔寄付金額〕100万円~500万円未満
54 住金物産株式会社
91 三菱自動車工業株式会社
20 旭化成株式会社
55 住友化学株式会社
92 三菱重工業株式会社
21 味の素株式会社
56 住友電気工業株式会社
93 三菱UFJ証券株式会社
22 アルプス(中国)有限公司
57 積水化学工業株式会社(京都研究所)
94 三菱UFJ信託銀行
23 岩谷産業株式会社
58 双日株式会社
95 明治安田生命保険相互会社
24 オムロン(中国)有限公司
59 太平洋セメント株式会社
96 明和産業株式会社
25 新日本石油株式会社
60 宝酒造株式会社
97 柳田 洋
26 JFE鋼鉄株式会社
61 株式会社竹中工務店
98 湯浅 弘
27 大和証券SMBC株式会社
62 大日本印刷株式会社
99 理光軟件研究所(北京)有限公司
28 株式会社電通
63 大福自動輸送機(天津)有限公司
100 ヤマハ発動機株式会社
29 東芝(中国)有限公司
64 長富宮中心有限責任公司
30 日産(中国)投資有限公司
65 帝人株式会社
〔寄付金額〕10万円未満
31 オークマ株式会社
66 株式会社東京機械製作所
101 北京エプソン電子有限公司
32 株式会社商船三井
67 東工コーセン株式会社
102 北京集佳知識産権代理有限公司
33 株式会社JTB
68 東レ株式会社
103 日本海事協会
2010年度 中国日本商会役員一覧
11月度現在
商会役職
会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
氏 名
鹿間 千尋
山﨑 史雄
佐々木 淳一
小澤 秀樹
林 岳志
梶原 謙治 稲田 健也
田中 孝明
加藤 雅大
堂ノ上 武夫
酒匂 崇示
大野 信行
大井 篤
木島 綱雄
末木 孝幸
柳岡 広和
里井 庚士 川﨑 一彦
横井 昭正
長岡 秀典
鶴島 敏章
加悦 文雄 山田 晶一
松元 裕之
武川 昌俊
尾本 榮治
橋本 泰昭
洪 嘉偉
湯浅 健二
白井 省三
稲葉 雅人
石本 孝典
二方 歩 久保田 陽
山田 正晴
木戸脇 雅生
箕田 好文
城阪 俊郎
森山 博之 中村 総明
会社名
丸紅
アサヒビール
伊藤忠 キヤノン
新日本製鐵
住友商事
全日本空輸 東芝(中国) トヨタ自動車(中国)投資
日中経済協会
日本貿易振興機構
日立(中国) 三井物産
三菱商事 三菱電機(中国)
三菱東京UFJ銀行
岩谷産業
双日(中国)
豊田通商
阪和興業
住金物産 東工物産貿易
NTTファシリティーズ
クボタ
JX日鉱日石エネルギー
日揮 日産(中国)投資有限公司
前田建設工業 三菱重工業
アルプス(中国)
NTT
NTTコミュニケーションズ
NTTドコモ ソニー(中国)
京セラ
NEC(中国)
富士通(中国)
パナソニックチャイナ
旭化成
伊藤喜商貿(上海)
役職
常務執行役員 中国総代表
常務執行役員 中国総代表
常務執行役員 中国総代表
常務取締役 中国総裁
中国総代表 北京事務所長
専務執行役員 中国総代表
執行役員 中国統括室長兼 北京・天津支店長
執行役常務 中国総代表
総経理
北京事務所長
北京代表処 所長
執行役常務 中国総代表
常務執行役員 中国総代表
常務執行役員 中国総代表
中国総代表
常務執行役員
中国総代表
執行役員 中国総代表
常務執行役員 中国総代表
理事 中国副総代表華北担当兼北京所長兼大連所長
北京事務所大連事務所 所長
北京分公司 副総経理
北京代表処 所長
北京事務所 所長
執行役員 中国総代表
北京事務所 首席代表
董事 総経理
北京駐在員事務所 首席代表所長
中国総代表
総経理
理事 中国総代表
中国総代表
北京事務所 所長
董事長 中国総代表
北京代表処 首席代表
総裁
董事長
董事長
北京事務所 所長
北京分公司 総経理
商会役職
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
監事
監事
氏 名
山岡 保夫
石舘 周三 寺師 啓
千葉 雅哉
山口 俊和
深谷 弦希
池本 一彦 篠崎 康雄 平山 勝英 劉 敏浩
新川 陸一
入沢 稔
今川 真一郎
仁村 裕 横田 恵三郎
伊藤 隆夫
吉村 久夫
麦倉 弘
松島 訓弘
三木 日出男
鈴木 浩
川畑 保
田淵 真次 田中 雅教
内藤 規夫
河内 洋輔 越智 博通
藤田 千栄子
中嶋 清治
片平 猛 河原 東
三浦 智志 越智 幹文 会社名
王子製紙
資生堂(中国)研究開発中心
東レ
凸版印刷
北京ヤクルト 邦博(北京)医薬技術開発
三菱化学
損害保険ジャパン
日本農林中央金庫
野村證券
日本銀行
みずほコーポレート銀行(中国)
三井住友銀行(中国)
日新
日本航空
日本郵船
JTB CHINA
イトーヨーカ堂
電通 日航国際旅行社 長富宮中心
北京発展大廈 日中経済貿易センター 日本国際貿易促進協会 北京ビール朝日
国誉商業(上海)
北京陸通印刷
ジェイエィシーコンサルティング
宝酒造食品 電源開発 オリンパス(中国)
監査法人トーマツ
国際協力銀行
役職
北京事務所 所長代理 代表
董事 総経理
北京事務所 所長
北京駐在員事務所 首席代表
副総経理
董事長 総経理
執行役員 中国総代表
中国総代表処 中国総代表
北京代表処 首席代表
北京駐在員事務所 副首席代表
北京事務所 首席代表
北京支店長
北京支店長
北京事務所 所長
中国総代表兼北京支店長
中国総代表
執行役員 中国総代表
常務執行役員 中国総代表
執行役員 中国総代表 北京事務所長
董事長 総経理
総支配人
董事 総経理
専務理事 北京事務所長
北京事務所 所長
董事 総経理
総経理
董事長 総経理
董事長 総経理
董事 総経理
執行役員 中国総代表
総経理 董事
パートナー
首席代表
2010年度社会貢献委員会委員名簿
氏 名 (会社名・役職)
社会貢献委員長
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
木島 綱雄 (三菱商事 常務執行役員 中国総代表)
鹿間 千尋 (丸紅 常務執行役員 中国総代表)
山﨑 史雄 (アサヒビール 常務執行役員 中国総代表)
佐々木 淳一 (伊藤忠 常務執行役員 中国総代表)
小澤 秀樹 (キヤノン 常務取締役 中国総裁)
林 岳志 (新日本製鐵 中国総代表 北京事務所長)
梶原 謙治 (住友商事 専務執行役員 中国総代表)
稲田 健也 (全日本空輸 執行役員 中国統括室長兼北京・天津支店長)
田中 孝明 (東芝 執行役常務 中国総代表)
加藤 雅大 (トヨタ自動車(中国)投資 総経理)
堂ノ上 武夫 (日中経済協会 北京事務所長)
酒匂 崇示 (日本貿易振興機構 北京代表処 所長)
大野 信行 (日立 執行役常務 中国総代表)
大井 篤 (三井物産 常務執行役員 中国総代表)
末木 孝幸 (三菱電機(中国) 中国総代表) 柳岡 広和 (三菱東京UFJ銀行 常務執行役員)
横田 恵三郎 (日本航空 中国総代表兼北京支店長)
高羽 人志 (JTB 北京事務所 事務所長)
2010年度社会貢献委員会ワーキンググループ委員名簿
会社名
氏名
役職
【社会貢献委員長】
木島 綱雄
三菱商事 常務執行役員 中国総代表
【WG座長】
堂ノ上 武夫
日中経済協会 北京事務所長
アサヒビール株式会社
飯塚 喜美子
行政局主任
伊藤忠(中国)集団有限公司
篠原 弘樹
中国人事・総務部長代行
キヤノン(中国)有限公司
二瓶 伸久
企画本部 DIRECTOR
新日本製鐵㈱ 北京事務所
長南 隆
代表
株式会社JTB北京事務所
高羽 人志
事務所長
能勢 敦司
華北管理部門 総括部 副部長
韓 建平
総括部 総務科長
全日本空輸株式会社 北京弁事処
柏木 寿州
銷售部 経理
東芝(中国)有限公司
馬場先 雄二
総裁室 副室長
トヨタ自動車(中国)投資有限公司
栗田 弘毅
渉外部主査
(財)日中経済協会
葛西 敦
所長代理
日本航空インターナショナル
柴田 晃伸
中国地区旅客営業部副総経理
日本貿易振興機構 北京センター
島田 英樹
進出企業支援センター 副センター長
日立(中国)有限公司
佐々木 良二
副総経理
丸紅㈱ 北京事務所
稲積 和典
総代表助理
三井物産㈱ 北京事務所
李 貝貝
副経理
三菱商事(中国)商業有限公司
李 征
企画発展部 経理
三菱電機(中国)有限公司
原 正英
副総経理
三菱東京UFJ銀行北京支店
渡辺 朋行
企画課 課長 みずほコーポレート銀行 北京支店
武沢 弘貴
総務課 課長
【オブザーバー】
柳澤 好治
日本大使館 広報文化センター 一等書記官
【オブザーバー】
平嶋 隆幸
日本大使館 経済部 三等書記官
【訪日中のアテンド等】
渡辺 光男
日中経済協会(東京) 総務部参与
住友商事(中国)有限公司
第7回「走近日企・感受日本」中国大学生訪日団報告書
団長挨拶
第7回「走近日企・感受日本」中国大学生代表団一行35名は、中国日本商会の招きを受け、2010年11
月23日から12月2日にかけて東京、京都、大阪、名古屋などを訪問しました。日中経済協会および各企
業、大学、一般家庭の行き届いた手配のもと、充実した楽しい10日間を過ごすことができました。ここ
に心より感謝申し上げます。
10日の滞在期間中はオムロン京都太陽工場、トヨタ自動車元町工場、静岡県農林技術研究所、アサヒ
ビール神奈川工場、住友商事本社、日立製作所中央研究所、三菱東京UFJ銀行、日本航空など多くの大手
企業の見学に加え、一橋大学の教員・学生との交流や一般家庭でのホームステイ、さらには著名な清水
寺や皇居の見学とディズニーランドなど、日本の歴史、社会、文化を全面的かつ多角的に体験すること
ができました。また、程永華駐日中国大使にお会いする機会もありました。
帰国前に行われた中国日本商会と日中経済協会主催の歓送会では、各企業、大学、ホストファミリー
からの参加者と訪日団団員が一堂に会するなか、学生たちが次々に舞台に上がり、会場に集まった日本
の皆さんに今回の訪日活動で学んだことや感動したことを流暢な日本語と英語で報告させていただきま
した。抱き合って別れを惜しむ感動的な光景を目の当りにし、中日両国の世世代代の友好は必ずや実現
できるものと確信いたしました。
今回の代表団は北京大学、北京外国語大学、北京理工大学、国際関係学院、中国伝媒大学の5校から選
抜された優秀な学生によって結成され、学生たちの出身地も中国全土に及んでいます。毎日、団員一人
ひとりが日本で見たことや感じたことをペンやカメラ、心で記録しました。学生たちの日本及び日本人
に対する友好の気持ちをこの報告書から感じていただければ幸いです。
最後になりましたが、今回の訪日に当たり多大なご尽力をいただきました関係者の皆さまに重ねて心
よりお礼申し上げます。学生たちが自分自身で聞き、見、感じた真実の日本の姿を周囲の人たちに伝
え、中日友好事業の後継者にならんことを期待いたします。
第7回中国大学生訪日団 団長 関立彤
主催、共催団体の概要
中国日本商会
在北京企業の円滑な事業活動を支援するとともに、日中間の経済交流の活発化を通じて、日中友好を
促進することを目的として、1980年10月に設立された北京日本商工クラブを前身とする。中華人民共
和国国務院令第36号「外国商会管理暫行規定」に基づき認可された外国人商工会議所の第1号として、
1991年4月22日に設立された。
会員数は、2010年12月末日現在、市内法人会員652社、市外法人会員55社、個人会員40名、賛助会
員8名の合計755社(名)を擁している。
中国日本友好協会
1963年に中華全国総工会、中国人民外交学会など19の民間団体によって発起設立された、中国におけ
る最も代表的な対日民間友好組織である。創立以来、周恩来総理の提唱の下で積極的に対日友好交流活
動を展開し、1972年の中日国交正常化と1978年の中日平和友好条約の締結においては大きな貢献を果
たした。政治、経済、文化、スポーツなどの各分野で対日友好交流事業を強力に展開し、健全で安定的
な両国関係の推進に重要な役割を果たしている。
中国友好和平発展基金会
中国人民対外友好協会の下部組織として、1996年に設立された。各国との友好増進、国際協力の推
進、世界平和、共同発展を主旨とし、世界平和と人類の進歩に貢献するため、中国と海外各国との友好
事業を始め、文化、教育、医療衛生、環境保護、スポーツ、経済、貧困支援などの数多くの分野で社会
的公益活動を行っている。
財団法人貿易研修センター
国際的な経済活動に携わる官民の人材の育成と我が国と外国との経済交流促進を目的に、「貿易研修
センター法」に基づく特別認可法人として1967年に設立された。
財団法人日中経済協会
経済産業省を始めとする日本政府及び日本経済団体連合会他経済界の支援の下に、日本と中国との経
済交流促進のため、1972年に設立された。
第7回中国大学生「走近日企・感受日本」訪日団団員名簿
姓 名
性別
所 属
1
団 長
関立彤
男
中国日本友好協会 副秘書長
2
団 員
劉冰妍
女
北京理工大学 設計・芸術学院
3
団 員
胡鵬飛
男
北京理工大学 宇宙飛行学院
4
団 員
熊珊珊
女
北京理工大学 機械・車両学院
5
団 員
馮 驥
男
北京理工大学 情報・電子学院
6
団 員
張華巍
男
北京理工大学 化学工業・環境学院
7
団 員
張学枢
男
北京理工大学 光電学院
8
団 員
張天曄
女
北京外国語大学 日本語学部
9
団 員
張萌玥
女
北京外国語大学 日本語学部
10
団 員
張一杪
男
北京外国語大学 日本語学部
11
団 員
郭雲蔚
女
北京外国語大学 日本語学部
12
団 員
鄭 穎
女
北京外国語大学 日本語学部
13
団 員
張瀚之
女
北京外国語大学 日本語学部
14
団 員
劉 暢
男
国際関係学院 国際政治学部
15
団 員
李 巧
男
国際関係学院 日本語フランス語学部
16
団 員
周也青
女
国際関係学院 文化普及学部
17
団 員
黄暁楚
女
国際関係学院 日本語フランス語学部
18
団 員
程雁婷
女
国際関係学院 国際経済学部
19
団 員
郝江浩
男
国際関係学院 英語学部
20
団 員
董超君
女
中国伝媒大学 文学院
21
団 員
傅 瀟
女
中国伝媒大学 テレビ・ニュース学院
22
団 員
潘 月
女
中国伝媒大学 媒体管理学院
23
団 員
呉文超
男
中国伝媒大学 外国語学院
24
団 員
郁瓊源
女
中国伝媒大学 外国語学院
25
団 員
孫亜飛
女
中国伝媒大学 外国語学院
26
団 員
黄智聡
男
北京大学 情報科学・技術学院
27
団 員
易 煦
男
北京大学 物理学院
28
団 員
王 驁
男
北京大学 数学科学学院
29
団 員
閆 晗
女
北京大学 生命科学学院
30
団 員
邱 天
女
北京大学 化学・分子エンジニアリング学院
31
団 員
郝宇清
女
北京大学 工学院
32
事務局
傅 博
男
中国日本友好協会 経済交流・都市交流部
33
団 員(引率教員)
潘勤学
男
北京理工大学 教員
34
団 員(引率教員)
張慧芬
女
北京外国語大学 教員
35
団 員(引率教員)
王 衛
女
北京大学 教務部
第7回中国大学生「走近日企・感受日本」訪日団視察日程
日次
月日
1
11月23日
(火)
2
3
4
11月24日
(水)
11月25日
(木)
11月26日
(金)
5
11月27日
(土)
6
11月28日
(日)
7
8
9
10
11月29日
(月)
11月30日
(火)
12月1日
(水)
12月2日
(木)
日程
:
08 25 北京首都国際空港発(JL860便)
12:55 成田空港着
16:30 羽田空港発(JL127便)
17:40 伊丹空港着
夕食: 大阪市内
20:30 頃 ホテル着
08:30 ホテル発
09:30~12:00 オムロン京都太陽工場視察 昼食:京都市内
14:30~17:00 京都観光:清水寺、京都駅
17:56 京都駅→18:32 名古屋駅
ホテル着
08:00 ホテル発 バスにて豊田市へ
09:00~12:00 トヨタ自動車工場&トヨタ会館視察
12:00発磐田市へ(約1時間30分 車中で弁当)
14:00~16:00 静岡県農林技術研究所視察
18:45 箱根温泉着(温泉体験と日本旅館体験)
08:30 ホテル発 アサヒビール神奈川工場へ(約1時間)
09:30~11:30 アサヒビール 神奈川工場
昼食:大雄山近辺
15:15~19:30 住友商事本社視察(夕食含む)
20:30 ホテル着 東京(泊)
09:00 徒歩で日中経済協会へ
09:30 日中経済協会着
※ホームステイ家族の中国大学生出迎え
終日 学生はホームステイ
午前~午後 ホームステイ
16:00 ホテルニューオータニロビーに集合
全員チェックイン後バスにてお台場へ(夕食自由行動)
20:00頃 ホテル着
09:15 ホテル出発
10:45~14:30 日立製作所中央研究所(昼食含む)
15:00~19:30 一橋大学にて交流及び懇親会
20:30頃 ホテル着
09:15 ホテル発
09:45~13:00 三菱東京UFJ銀行視察(昼食含む)
東京観光:皇居
午後:東京ディズニーランド観光(夕食含む) 21:45頃 ホテル着
朝 ホテル発
09:30~13:00 JAL羽田空港視察(昼食含)
14:30~16:00 中国大使館表敬訪問
東京観光:秋葉原ショッピング等
夕食:品川プリンス
21:00 ホテル着
09:30~11:00 ホテルニューオータニ視察
12:00~13:30 昼食:送別パーティー
ホテルニューオータニ シリウスの間
14:00 成田空港へ出発
18:15 成田国際空港発(JL869便)夕食は機内
21:15 北京首都国際空港着
宿泊地
大 阪
ホテルニューオータニ
名古屋
名古屋観光ホテル
箱根湯本温泉
ホテルおかだ
東 京
ホテルニューオータニ
東 京
ホテルニューオータニ
(学生はホームステイ)
東 京
ホテルニューオータニ
東 京
ホテルニューオータニ
東 京
ホテルニューオータニ
東 京
ホテルニューオータニ
第7回中国大学生「走近日企・感受日本」
訪日団視察先出席者リスト
1.オムロン京都太陽株式会社(11月24日)
梶原 誠一 代表取締役社長
吉岡 隆 社長付CSR推進PJリーダー
用田 竹司 CSR推進PJ
松木 多美子 〃
閔 軍 オムロン㈱ 取締役室 渉外グループ主事
2.トヨタ自動車株式会社(11月25日)
毛利 悟 常務役員
北田 真治 中国部 部長
佐野 太一 中国部 主幹
福田 麗子 中国部 課員
田中 均 社会貢献推進部 部長
三好 勝春 社会貢献推進部 課長
杉浦 俊介 企業PR部 グループ長
三宅 順子 企業PR部 課員
3.静岡県農林技術研究所(11月25日)
土井 誠 企画調整部 主査
4.アサヒビール株式会社 神奈川工場(11月26日)
若山 淳一 神奈川工場 工場長
安倍 雅之 神奈川工場 製造部 エグゼクティブプロデューサー
北川 亮一 国際本部 国際部長
清水 博 国際本部 国際部 副主任
大木 茉莉亜 ㈱アサヒビールコミュニケーションズ 神奈川支店
アサヒビール神奈川工場 見学案内担当
5.住友商事株式会社(11月26日)
加納 岳 代表取締役専務執行役員 コーポレート・コーディネーショングループ長
滝本 忠 ㈱住友商事総合研究所 代表取締役社長
武井 徹 環境・CSR部 部長
畑田 好朗 地域総括部 中国チームリーダー
森川 麟三 地域総括部 参事
川村 哲也 環境・CSR部 海外チームリーダー
宗行 一矢 環境・CSR部
荒木 彰一郎 広報部
(懇親会出席者)
川村 哲也 環境・CSR部 チームリーダー
岩田 淳 〃 チームリーダー
宗行 一矢 〃
畑田 好朗 地域総括部 チームリーダー
伊崎 正人 〃 部長付
森川 麟三 〃 参事
本村 恵三 人事部 チームリーダー
西川 健 〃
関 恵美 〃
上野 太郎 広報部
荒木 彰一郎 〃
後藤 瑠美 〃
林 麻衣子 〃
林 文華 自動車鋼板事業部
張 泓浩 ケーブルテレビ事業部
彭 代子 ソーラービジネス事業部
瀧本 忠 ㈱住友商事総合研究所 代表取締役社長
朴 龍権 〃
フォ・フィ 〃
舘 美公子 〃
田辺 史子 〃
告 旭平 住商グローバルロジスティクス㈱ リーダー
呉 芳 〃
崔 媛 〃
趙 天賜 〃
馬 殿生 住友情報システム㈱
司 雯 〃
巌 敏 〃
6.株式会社日立製作所 中央研究所(11月29日)
松島 英夫 国際事業戦略本部 渉外部 部長代理
鮫島 江美 〃 〃
入江 直彦 中央研究所 企画室 室長 秦 利男 〃 〃 室長代行
孫 慶華 〃 知能システム研究部 研究員
河口 孝彦 〃 総務部総務ユニット 主任
下瀧 美奈子 〃 企画室
7.一橋大学(11月29日)
前原 康宏 役員補佐
志波 幹雄 中国交流センター代表
佐藤 宏 経済学研究科長・経済学部長
島田 達之 学務部 国際課長
中俣 隆 〃 国際課 課長代理
高取 己喜男 〃 〃 〃
外田 恵子 〃 〃 主査
小池 千夏 〃 〃
岩口 敬子 〃 〃
佐藤ゼミ学生 17名
張 華威 法学研究科研究生(通訳)
中国人留学生 9名
8.株式会社三菱東京UFJ銀行(11月30日)
森崎 孝 常務執行役員 アジア本部長
田辺 智彦 アジア本部 中国部 副部長
梅原 直樹 〃 〃 調査役
武 進 〃 〃 〃
山口 恵美 〃 〃
海老沢 美穂 〃 〃
阿部 章 本店 総務部 次長
原田 和博 金融市場部 調査役
孫 麗栄 〃
杭 榮 〃
相宮 真由美 CSR推進部 調査役
木村 真理 〃
9.株式会社日本航空インターナショナル(12月1日)
阿部 泰典 地球環境部 部長
岩本 浩一 中国事業推進部 マネジャー
匡 雯筱 〃
金成 俊亮 〃
丹野 裕 広報部 工場見学総括
堀内 憲一 〃 工場見学案内担当
山本 美紀 〃 〃 種市 知晴 客室品質企画部 客室教育訓練室
山﨑 薫 〃 〃
町田 明子 〃 〃
米山 由起子 〃 〃 10.中国大使館(12月1日)
程 永華 特命全権大使
張 成慶 参事官
張 社平 大使秘書
李 清亮 友好交流部 一等書記官
呂 新鋒 〃 三等書記官
杜 暁曦 友好交流部 三等書記官
11.ホテルニューオータニ(12月2日)
三浦 光昌 社長室 ファシリティマネージメント部 ファシリティマネージメント課係長
長嶋 慶一 宿泊営業部 国際営業課 シニアセールスマネージャー
企業は社会の公器である
北京理工大学学生代表
見学日時:2010年11月24日(水)9:30~12:30
見学場所:オムロン京都太陽株式会社本社 京都市南区上鳥羽塔ノ森上河原87
見学概要:
ホテルニューオータニ大阪を出発したバスは9 : 10にオムロン京都太陽株式会社に到着し、従業員の
温かい歓迎ともてなしを受けた。まずは李巧さんからオムロンの概況についての説明があり、おおよそ
9:25から10:30までオムロンの具体的状況について詳細かつ体系的な説明(オムロン本社の概況、グロー
バルな技術開発センターの紹介、社名の由来、企業データ、企業理念、中国との関係など)が行われ
た。
10:30から11:30まで学生と教員が2組に分かれ、それぞれに案内役と通訳がつき順序を違えて工場を
見学した。工場では障害者の作業風景を見ながら説明を聞いた。工場は3階建てで、電源・ソケット・光電
センサー・血圧計などの製品が生産されていた。
11:30から12:30まで質疑応答。北京大学、国際関係学院、北京理工大学の3名の質問に京都太陽株式
会社の社長が答えてくれた。
オムロン京都太陽株式会社の概況:
京都太陽株式会社は、社員の説明によれば、オムロンの創業者である立石一真氏が外科医・中村医師
の要請を受け、障害者に働く場を提供するために設立した工場だという。1985年3月6日に設立され、
1986年4月1日に操業を開始している。「太陽の家」を含む従業員数は168名、うち障害者は111名。
「われわれの働きで われわれの生活を向上し よりよい社会をつくりましょう」を社憲とし、企業
理念は基本理念と経営理念に分かれる。基本理念は「企業は社会の公器である」、経営理念は「1.チャ
レンジ精神の発揮 2.ソーシャルニーズの創造 3.人間性の尊重」である。以下、実際の見学に基づきこ
の理念について説明したい。
(1)できる限り障害のある従業員の仕事や生活の便宜を図る
関係者の説明によれば、障害者の仕事や生活をできる限り便利にするため、工場は宿舎と作業棟が近
接して設計されている。また、地図を見ると、作業棟の近くに障害者用の運動場が設けられていること
が分かる。工場内のレイアウトや計器操作の設計にも障害者への配慮がうかがえる。太陽工場の社長に
よると、一人ひとりの従業員に合わせて左右の位置を変えるなど、障害者のために機械が改造されてい
るという。流れ作業では一人ひとり異なる機械を操作し、それぞれ自分の長所が発揮できるようになっ
ているほか、機械の多くは半自動化され、作業員にとって使いやすいものになっている。ソケットの生
産ラインでは、障害者が機械を操作しやすいように、全ての椅子に作業員を保護するための固定装置が
つけられている。また、重度の身体障害者には1階での仕事が割り振られているほか、車椅子を使ってい
る作業員の後ろがよく見えるように全てのエレベーターに鏡が取り付けられている。
(2)社員の創造性を引き出す
社員の多くが障害者であるため、健常者のようにできない作業が多々ある。各社員の特徴に合わせて
就業環境の整備や持ち場の割り振りが行われているが、全ての社員が健常者と同じように作業をするこ
とは無理である。したがって、職場の正常な稼働を維持するために設備に工夫をこらす必要がある。説
明によると、障害者用の設備の多くは、流れ作業のラインに立つ社員自身のインスピレーションによる
ものだという。例えば、血圧計の損壊を防ぐために、回転装置を設けて血圧計の箱を開けずにネジが
しっかり締まっているかどうかを検査する方法は、まさに同工場の社員によって考案されたものだとい
う。こうした仕事をやりながら問題の解決方法を考えるように奨励する制度は、社員の創造性を引き出
し、生産効率を最大限向上させているだけでなく、無味乾燥な日々の仕事を楽しいものにしている。こ
れは工場と社員の双方にとって有益なことだ。
(3)企業理念を普及させ、日本全国に障害者の就労を呼びかける
オムロン京都太陽株式会社は、自社をモデルにして、障害者という社会的弱者の生活を保障するべく
障害者に働く場を提供するように社会に呼びかけている。毎年平均2,000人以上が京都太陽工場の見学に
訪れるという。工場の門を入った時に「No one is so disabled as to be unable to work at all.」という言
葉があった。これはおそらく障害者への励ましというだけでなく、日本社会、特に企業に向けた障害者
にも価値があるのだというメッセージなのかもしれない。
質疑応答
(1) オムロン京都太陽の採用募集はどのようにしているか?募集対象をどのように分けているのか?健常
者の不満はないのか?
応募者を3つのグループに分けている。第1グループは定員制の研修生。第2グループと第3グループは
通常の直接募集による人たちで、必要や基準に基づき面接や試験を行っている。
障害者福祉を目的としているオムロン京都太陽の採用募集は、主に障害者を対象に行っている。健常
者の場合は通常1年契約のみだが、障害者には終身雇用制を適用している。
(2)障害者福祉という目的と生産効率の追求という現実との矛盾にどう対応しているのか?
オムロン京都太陽は生産効率向上のために最大限の努力をしている。通常、会社の経営状況は利益が
少々出るか、収支がほぼ均衡といったところである。オムロン本社からの援助や政府のサポートがあ
る。障害者福祉は道徳的価値観における会社の一種の無形資産とも言えるので、必ずしも効率の追求と
矛盾するものでなない。
(3)社員の勤務と休憩はどうなっているのか?通常の休暇は保証されているか?
社員の勤務は健常者と同様に8時間労働で、週休2日制を採用している。但し、障害者の場合はシフト
の交替に時間がかかるので、交替の周期を長めにとっている。余暇やスポーツを楽しむ時間も充分に確
保されている。余暇に会社を代表してスポーツの試合に出場する社員もいる。
(4)社員の創意工夫に会社はどう対応しているか?具体的な流れは?
会社は社員の創意工夫や提案を奨励している。毎年1月に現場の提案をまとめて上層部に報告し、経営
会議で総合評価が行われ最終決定されるが、その時期は生産状況に応じて調整が行われる場合もある。
感想
オムロン京都太陽から受けた最大の啓発は「企業は社会の公器である」という点だ。日本に学ぶべき
ことは、どのようなビジネスモデルや方法で最大の利益をあげるかという点だと思っていたが、最初の
見学先であるオムロン京都太陽が、企業は社会に報いるべき存在だということを教えてくれた。社会か
ら利益を得た企業がそれを社会に還元していくというのは一種の好循環とも言えるが、中国の企業はど
のように社会全体をこの好ましい軌道に乗せていったらよいかがまだ分かっていない。中国の企業はま
だ成熟しきっていないが、企業として成熟することではじめてこうした無形資産の重要性を強く意識で
きるようになるのかもしれない。
なお、オムロン京都太陽が細かい点に注意を払っている点も印象に残った。例えば、引き出しの中の
物には全て付箋がつけられていた。物を持ち去るときには必ず付箋にメモするようにして、物が勝手に
持っていかれないようにしていた。こうした小さな工夫により、目には見えないが、大幅な効率アップ
につながっているという。効率の追求と障害者の利便性の追求が、まさにこうした一つひとつの小さな
工夫に込められていた。オムロン京都太陽では、障害者の生活を便利にするというスローガンを単に叫
ぶだけでなく、さまざまな面で充分な配慮がなされていたが、こうした何事もおろそかにしない精神こ
そが、名声や利益ばかりを求める浮ついた風潮の現代中国社会に最も必要なものかもしれない。
クルマを通じて豊かな社会をつくる
——トヨタ自動車元町工場・トヨタ会館見学レポート 北京外国語大学学生代表
見学日時:2010年11月25日(木)9:00~12:00
見学場所:トヨタ自動車元町工場、トヨタ会館
見学概要:
トヨタ自動車という社名はほとんどの中国人が知っている。「車到山前必有路、有路必有豊田車(車
が山のふもとに到れば必ず道がある。道があれば必ずトヨタの車がある」。このキャッチコピーもまた
知らない人はいないと言っても過言ではないだろう。そして、今日私たちを迎えてくれたトヨタ自動車
推進部課長の三好さんこそが、この素晴らしいコピーの原案者だったのである。
トヨタ自動車( トヨタ自動車株式会社,Toyota Motor Corporation )はトヨタ(TOYOTA)と略称さ
れ、その創業者は豊田喜一郎氏である。トヨタは本社を愛知県豊田市と東京都文京区に構える自動車製
造会社であり、三井系の会社である。トヨタは1933年の創業で、世界の十大自動車会社のひとつに数え
られる日本最大の自動車会社である。
今回はトヨタ元町工場を見学したが、高度に機械化された生産ラインと人にやさしい管理方式が印象
的だった。工場内には体験エリアが設けられ、見学者は自動車組立てプロセスの一部が体験できるよう
になっていた。
続いて訪れたトヨタ会館の見学では、常務役員の毛利悟氏をはじめとする会社のトップがトヨタの沿
革、事業分野、中国との協力体制やCSR等について詳しく説明してくれた。
2008年以降、トヨタ自動車はゼネラルモーターズに代わって世界第一位の自動車メーカーの地位に上
り詰め、その主なブランドにはレクサス等の高級車から一般車までの車種がある。創業者である豊田喜
一郎氏は1895年の生まれで、東京帝国大学工学部機械科を卒業した後、1929年末に自動車工業の視察
のために渡欧し、1933年には「豊田自動織機製作所」内に自動車部を設けている。初期に名声を博した
トヨペット、クラウン、コロナ、カローラ以外に、近年はクレシダやレクサス等の高級車も非常に評判
が高い。3つの楕円形で構成されたトヨタエンブレムが1990年代の初期から使われ始めているが、エン
ブレムの大きな楕円は地球を表し、中央の2つの楕円が垂直に交わってトヨタの「T」の字を表している。
このエンブレムには常に未来を見据えるトヨタの自信と意気込みが象徴されている。
現在、トヨタは中国の第一汽車集団と広州汽車集団と協力関係を結んでおり、天津・広州・成都・長
春に共同出資の完成車組立工場6ヶ所と4つのエンジン工場があり、ハイブリッド車のプリウスをはじめ
とする13の車種を販売している。また、トヨペットブランドの4車種と3車種のハイブリッド車を含む14
のレクサスブランドの輸入販売も行われている。
トヨタは対中事業を推し進める一方で、各種社会公益活動にも積極的に取り組んでいる。特に環境保
全、交通安全、人材育成の面での貢献は大きい。トヨタは今、中国社会における認知と信頼を獲得し、
優良な企業公民になることを目指して邁進している。
感想
今回の見学では、トヨタの「節約精神」がとても印象に残った。例えば「フレキシブルライン」という
のは、機械の台車を固定したレール上で運行させることで大型機械を使わないようにして、経費の節約
と工程の短縮を可能にする生産方式である。また「カンバン」の考案と応用によって発注書を電子ス
キャンすることで計画生産が行われ、原材料サプライヤーとの直接連携が可能になった。この方式であ
れば、製造後に車両を直接販売ルートに送ることができるので、倉庫スペースの占有という意味でも資
金繰りという意味でも有利である。また、作業ミスの防止対策でも迅速な対応ができるようになってい
た。「不合格品は絶対に次の工程に送らない」という生産に対する厳しい姿勢も印象的だった。
トヨタをはじめ、日本の企業は各種活動を重視し、社会公益分野でも一定の取り組みがなされてい
る。トヨタが昨年北京で開催した「トヨタ中国安全体験キャンペーン」に同窓の張天曄君が通訳のアル
バイトとして参加したが、イベント会場はチャイルドシート体験ゾーン、飲酒運転体験ゾーン、シート
ベルト体験ゾーンに分かれ、交通安全についての知識が学べるようになっていた。一方、中国の企業は
社会活動をもっと強化する必要があるように思われる。中国では社会に開かれた企業は稀で、学生の見
学を受け入れてくれる企業も少ない。企業がその社会的影響力の強化を図るという意味で、中国は日本
企業に大いに学ぶところがあるように思う。
ハイテク環境保全型農業の発展に取組む
国際関係学院学生代表
見学日時:2010年11月25日(木)14:00~16:00
見学場所:静岡県農林技術研究所
見学概要:
11月25日午後、車で日本の中部地域にある静岡県を訪問した。まず研究所のスタッフから静岡県の農
業の現状について説明があった。今、日本が人口減少と高齢化の深刻化という問題に直面しており、生
産力不足を補うために、農業は規模化、商業化、企業化、環境保全型へと向かわざるを得ない状況であ
ることを知った。国、大学、地方自治体すべてに農業研究所が設けられ、相互間の協力も緊密に行われ
ている。
静岡県の農業生産額は日本の43都道府県中第13
位である。静岡の温暖な気候と職員の創造的精神
によってさまざまな農林水産品が栽培・生産され
ている。例を挙げると、静岡は「茶葉王国」であ
り、中でも荒茶の生産量は県全体の農産物の40%
以上を占めている。また、静岡県の「コシヒカ
リ」米の栽培面積は全国一であるほか、みかんの
生産では光センサーによる選果が行われ、全国に
高品質のみかんを提供している。なお、静岡県は
全国第4位の切花生産地でもあり、人々の生活に彩りを添えている。
次に、研究所のスタッフがメロンを栽培してい
るハウスに案内してくれた。食味が良く、果汁に
富んだメロンを育てるために、ハウス天井の南北
両面をそれぞれ異なる傾斜角度になるように設計
して、よく日光が当たるように工夫するなど、農
業技術者たちの苦心が見られた。また、メロンの
糖度を上げるために、メロンにわずかな土壌と適
量の水分しか与えなかったり、市場に連続的に供
給するために、複数のハウスでそれぞれ成長段階
の異なるメロンの苗を植えたりといった工夫がな
されていた。成長したメロンの株はそれほど大きくなく、中国のハウス栽培のトマトと同じくらいの大
きさだった。これら高品質のハウスメロンは日本では1個2万円で売られ、「メロンの王様」ともいうべき
存在だ。大事なお客様をもてなすときにだけこのメロンが出されるともいうが、金融危機の中、この種
のメロンの中国市場向けの輸出が増えているという。
静岡県農林技術研究所を見学して最も印象的だったものにイノベーション精神がある。研究所では多
くの花卉や果物の新品種が独自に研究開発されていた。さまざまに変化する市場の消費者ニーズに応え
るため、技術者たちは1品種につき10年に一度品種改良をするようにしているとのことだった。切花の
寿命を延ばすための研究や、果肉全体が赤くて潤いがあり、甘みと酸味のバランスのとれたケーキに
合ったイチゴの新品種として「紅ほっぺ」が開発されたりしている。また、静岡県が独自に開発した種
豚のフジヨークやフジロックから安全で美味しい「静岡型」銘柄豚の生産が行われているほか、切らず
にメロンの糖度を測ることのできる検査測定技術なども開発されている。これからの市場競争は科学技
術の競争であり、イノベーションの競争である。熾烈な市場競争に勝利したいのであれば、さまざまな
消費者ニーズに常に応えていくという姿勢が唯一最良の方法になるのだと思う。
もう一つ印象に残ったことがある。それは静岡県農機技術研究所のスタッフが生態環境を重視してい
るという点だ。案内してくれた研究所のスタッフが言った。「今、研究所が目指している目標は、どのよ
うに田畑の生物の生存環境を保護するかということと、どのように生態バランスを維持していくかです
」。展示室の見学を通して、研究所の技術者が開発した天敵や微生物を使って害虫を退治する方法や各地
の土壌に対する分析、必要のない農薬散布を減らすことなどについて理解することができた。これらの
対策は農産物の生産量を保証するだけでなく、生態環境の保持という面でも貢献をしている。
高齢化の加速、都市化の進展、農業従事者の減少、楽観を許さない環境問題等々、ある意味、中国と
日本は同じ課題に直面していると言える。今日の見学によって「農業の根本的な活路は科学技術にあ
る」ということが分かった。科学技術の進歩を拠り所に、農業技術のブレイクスルー的研究成果と新技
術の効果的な応用と普及があってはじめて中国農業の持続可能な発展が可能となり、農業及び農村の近
代化を早期に実現していくことができるのだと思う。当面、水土流失の激化、ますます深刻化する環境
汚染と生態破壊等、中国の農業と経済の発展を制約する要因は多々あるが、中国農業の発展に関わる基
本的問題をいかに抜本的に解決していくか、また農業の発展と人口、資源、環境、社会、経済とのバラ
ンスを図り、持続可能な発展の道を歩むうえでのキーポイントは、技術とイノベーションを拠り所にし
た持続可能な農業技術であり、農業の「持続可能的でない」局面から抜け出すにはこの方法しかないよ
うに思われる。新しい農業技術の応用によって土地や水などの自然資源の合理的な開発利用や資源の産
出効率のアップが可能となり、資源を増やし、資源の効果的な代替を実現して現有資源による制約を緩
和することができるのだと思う。また、新たな農業技術の応用は、生態破壊や環境汚染を科学的に抑制
し、科学技術による防災対策を行うための基本的手段ともなる。中国も静岡県のこうした農業分野の経
験を参考にし、技術イノベーションによって中国農業の発展の可能性を拡げていくことができるのでは
ないだろうか。
資源のリサイクル率を高める
中国伝媒大学学生代表
見学日時:2010年11月26日(金)9:30~11:00
見学場所:アサヒビール神奈川工場 神奈川県南足柄市怒田字天井1223
見学の概要:
工場のスタッフの案内でアサヒビールグループの紹介ビデオを見て、企業グループの発展の歴史、経
営理念及びアサヒビールの醸造工程について体系的に理解することができた。アサヒビール株式会社は
1880年に設立された日本で最も有名なビールメーカーの一つであり、この百年余りの間、ビールの醸造
技術と品質向上のために研究開発を続け、今や国際的にも認められている有数の有名ブランドになって
いる。アサヒビールは純生で爽やかな口当たりで消費者に支持されている。
アサヒビール株式会社は1994年に本格的な中国市場進出に乗り出した。杭州西湖啤酒朝日(股フェ
ン)有限公司、福建泉州清源啤酒朝日有限公司、烟台啤酒朝日有限公司、北京啤酒朝日有限公司に相次
いで出資し、中国人の味覚に合ったビールの生産を目指したアサヒビール株式会社の対中ビジネスがス
タートした。 アサヒビールは「ブランドの育成と強化」、「収益構造の改革」、「未来志向の飛躍的成
長」の3つをキーワードに、外部の環境に左右されることなく利益をあげることのできる収益構造を確立
しているという。
次に、工場の現場に行き、分厚いガラスによって隔てられたビールの生産ラインを見学した。大きな
糖化・発酵タンクやろ過タンクがなければ、ここがビール工場であることは分からなかっただろう。パッ
ケージング工程で出来上がったビールのびん詰、打栓、ラベル貼り、ケース詰めが行われ、最後にコン
テナに積まれる。倉庫も含め、2階から下を見ても、コンピュータによって自動コンベアがビールを搬送
しているのが見えるだけで、現場で働く人の姿がほとんどなかった。神奈川工場では、醸造からびん詰
め・缶詰めまでの全工程がほぼ完全自動化されていることがスタッフの説明で分かった。
次にPPTを使って神奈川工場の環境保全分野におけるさまざまな取り組みに関する紹介があった。全
ての生産工程を通じてほんのわずかな汚染物質の排出があるだけだった。酵母菌はリサイクルされて酵
母錠剤や肥料になり、二酸化炭素は炭酸飲料の生産などに用いられていた。アサヒビールは「世界で最
も美味しいビール、世界最高の生産効率、世界で最もエコな工場」を目標に、周到で入念な仕事によっ
て口当たりの良さ以上の感動を顧客に与えているのだ。
今回の見学のもう一つのハイライトは出来たての生ビールの試飲だった。20分間の無料試飲タイムが
あり、思う存分ビールを味わった。すべての見学スケジュールが和やかな盛り上がりの中で終了した。
知っていますか?
Q:アサヒビール神奈川工場の従業員はわずか80人だが、樹木は全部で何本あるのか?
A:全部で7万本植えられている。工場建設の初期に責任者が環境保全方針を立て、工場用地として購入
した土地に元々あった樹木や土地周辺の原生林をすべて工場内に移植した。なお、建設予定地にあった
樹木は周辺の緑地帯に移植し、残った雑木は粉砕して苗木育成のための養分基材とした。
Q:資源のリサイクル率を高める対策の一つとしてビール瓶もリサイクルされているが、1年間に1本の
ビール瓶が工場に戻って来る回数は?
A: 1年に3回工場に戻って来る。ビール瓶の使用寿命は8年である。
Q:日本ではゴミが非常に厳密に分別されているというが、アサヒビール神奈川工場はゴミを何種類に
分別しているのか?
A:全部で50種類に分別している。工場ではゴミを細かく分別しているほか、廃棄物を宝に変える資
源ゴミのリサイクルを徹底して行っている。工場作業員の制服や作業着もすべて回収処理をしたプラス
チック繊維で作られている。
感想
今や経済的利益だけが企業の追い求める唯一の目標という時代ではない。アサヒビールの社会福祉と
企業利益がうまく統合されている点が印象に残った。生態環境の好ましい発展は、人類が持続可能な発
展を実現するための不可欠の条件であり、この意味において、環境保全は社会と福祉にとって重要な分
野だと言える。自然生態系の物質循環とエネルギーの流動法則にのっとり経済システムを再構築してい
るアサヒビールの生産方式は、生産システムをバランスよく安定的に自然生態系の物質循環プロセスの
中に組み込み、良好で持続可能な循環型経済モデルの確立を可能にしている。本質的なことを言えば、
循環型経済とは一種の生態経済である。生態は自然システムの主役であり、経済は人々の生活における
重要な活動だと言えるが、そうした意味で、アサヒビールの循環型経済は本来的な人と自然の調和と統
一を実現している。
循環型経済については、持続可能な発展の実現を社会主義建設の目標に掲げている中国も、他者の長
所を取り入れて自身の短所を補うという精神とアウフヘーベンの原則により日本の循環型経済の成功モ
デルを参考にすべきだと思う。日本企業と比較すると、中国企業はまだまだ企業の社会的責任を模索し
ている段階にあるが、それでも中国企業には、積極的で前向きかつ主体的で効果的な行動によって、日
本企業との差を縮め、顧客サービスに心を配り、社会に貢献していくための自信も能力もあることを信
じている。
変化への健全な対応――住友商事を見学して
北京大学学生代表
見学日時:2010年11月26日(金)15:30~19:30
見学場所:住友商事本社
見学の概要:
住友商事は日本の三大商社の一つであり、その
事業の起源は 1600 年代まで遡ることができる。草
創期は銅精錬業を主業務とし、書籍や薬品の販売
も手掛けていた。1900 年代初めより貿易事業に参
入。1960 ~ 1970 年代、住友商事は総合商社への
転換を実現する。総合商社は日本独自の企業形態
であり、 これまでに多くの国で商社型企業の設立
が試みられたが、いずれも失敗に終わっている。
日本の総合商社は特有の背景のもとに生まれた
ものであり、その本質は変化に対応する適応力だ
と言える。時代の変化の中で、総合商社は常に事
業基盤を拡大し、さまざまな役割を担ってきた。戦後の復興期には軽工業を中心に業務を展開し、海外
業務を行うことで外貨を獲得しながら輸出代行 ・ 貿易 ・ 物流等の役割を果たした。その後の高度成長期
には、日本経済の海外事業部という位置づけで経済成長のエンジンとなった。その役割は技術企業の開拓・
紹介や市場開拓へと移り、業務範囲も鉄鋼 ・ 造船 ・ 重機 ・ 電機 ・ 化学等の分野に拡大された。ニクソン
ショック後は石油貿易が衰退して資金が日本に還流する中で、資源の安定供給が商社の新たな任務に加
えられ、国民の生活レベルの向上に伴い都市開発や住宅供給業が急速に発展していった。この時期の商
社は資源の買い付けや海外での大型プロジェクトに重点を置くと同時に、都市開発や住宅供給も手がけ
るようになった。1985 年のプラザ合意後、円高によって日本の輸出競争力が大幅に低下し、製造業の海
外移転が続く中で商社も企業の海外進出をサポートしていった。また、政府の「輸入促進政策」とも歩
調を合わせ、内需拡大に大きく貢献した。そして 90 年代以降の新たな競争環境の下、今日の商社は、グ
ローバル化と情報化への対応や物流効率の向上以外に、環境問題にも力を入れている。総合商社の歴史
を見てみると、長期的発展の成功の鍵は歴史の流れへの適応であることが分かる。それぞれの時代にお
ける社会のニーズを敏感に感じとり、それぞれの時代の特徴に合わせて中期目標を立て、事業分野の健
全化を図ってきている。現在の住友商事の事業内容は、金属 ・ 輸送機 ・ 建設機械 ・ インフラ ・ メディア
/ ライフスタイル ・ 資源・化学品 ・ 生活産業・建設不動産のほか、現在開発が進められている新産業にま
で及んでいる。
住友商事のもう一つの特徴はバリューチェーン(Value Chains)の創造である。商社は産業リンケー
ジにおける商品の原料調達、原材料加工、商品輸送から販売までの段階一つひとつをしっかりと把握し、
バリューチェーン全体をまとめて掌握することで市場ニーズにより見合った判断を下して商品付加価値
を高めると同時に、より効果的にリスクを回避する仕組みになっている。バリューチェーン全体の掌握
による総合力の強化もまた総合商社独自の強みであり、住友商事の長期発展の主な要因にもなっている。
知っていますか?
400 年を超える歴史をもつ住友商事の源流は中国とも深く関係して
いる。住友がその草創期に採用していた粗銅から銀を抽出する技術は
中国から伝えられたものである。
1949 年、住友商事は「大華貿易」と銘打って中国業務に参入して
いる。当時、中国政府の認可を受けた数少ない外国企業の一つであっ
た。
中日平和友好条約締結後の1979年、住友商事は天津・上海・大連・広
州に事務所を設立。
1995 年、北京に「住友商事(中国)控股公司」を設立。
2010 年 3 月 31 日現在、住友商事は合弁・独資・日本のメーカー
との共同出資を含め、中国に独立法人 9 社、事務所 5 ヶ所を設立して
いるほか、57 社に投資している。住友商事の出資額は 9 億米ドルに達する。
感想
住友商事の 400 年に及ぶ歴史は、時代の流れに適応し、チャンスをつかみ、危機に対処してきた能力
に充分表れている。企業が強大化するとき、高い柔軟性を持ち続けることは非常に難しいが、新たな変
化に絶えず適応していくことこそが真の持続可能な発展と言えるのだと思う。資本の原始的蓄積や市場
開拓という段階を経た中国企業の多くは、今こそ住友商事に学ぶべきである。原材料から製品までの縦
のバリューチェーンを構築する一方で、自身の事業領域を広げ、さまざまな経済変動に対処し、国家経
済の安定と成長に貢献することのできる持続可能な企業になっていかなければならない。
庭園のような日立中央研究所
北京理工大学 胡鵬飛
見学日時:2010年11月29日(月)10:45~14:30
見学場所:日立製作所中央研究所
見学概要:
11月29日午前、第7回中国大学生「走近日企・感受日本」訪問団は日立中央研究所を見学した。研究
所の幹部から今回の訪問に対する歓迎と日立研究所の概況についての説明があった。
中央研究所はさらに7つの分研究所に分かれ、海外にも研究所がある。900社を超えるグループの総資
産は9兆円弱、事業分野は多岐にわたる。なかでも情報・通信システム、コンピュータ記憶装置、社会・
産業システムの分野では世界最先端のレベルだという。中国に設けた研究所は中国の大学との連携に積
極的で、機械・情報通信・交通分野で多くの研究成果をあげている。同研究所では中国の博士号取得者も
開発チームのメンバーとして募集している。今日の説明の最後に中国人研究者から現在開発中の音声合
成技術についての解説があった。このシステムはほぼ完成し利用可能な状態にあるが、ナンバーワンを
目指して細部の改善が続けられているという。常に上を目指すその姿に訪日団の全員が称賛を惜しまな
かった。「特研」(一連の大型研究による開発)や「技術者制度」(技術者に対する研修)は日立独自
の研究手法であり、ほとんどの技術と製品がこの方法で開発されている。
構内の食堂で昼食をすませた後、日立の製品や構内を見学した。指静脈認証システムを見せてもらっ
たが、日立は世界で初めて指静脈認証を使ったセキュリティシステムを開発した企業であり、今もその
分野で最先端を走っている。赤外線を使って迅速かつ正確に本人確認を行う同システムの本人拒否率は
0.1%未満、他人受入れ率は0.0001%未満だという。自動ドア、自動車のハンドル、ATMに応用されてい
るが、特に日本の80%以上のATMにこのシステムが採用されている。
続いて「μ-Chip(ミューチップ)」についての説明があった。日立は0.4mmから0.15mmに、さらに
は0.05mmにサイズを小さくすることに成功し、同一性能のチップとしては世界最小を実現している。同
製品はすでに医薬品情報記憶、図書館、製品検査の分野で応用されている。今年開催された上海万博の
チケットにも同種のチップが埋め込まれ、偽造チケットでの入園防止に一役買ったという。
最後に大規模モニタリングシステムを見学した。100を超えるモニターが同時に作動し、動きのある
物体を認めたモニターがあると、その画面を見やすくするため自動的に最上部に拡大表示される。ま
た、過去の映像を調べる場合は、ある特定の顔をクリックすると、その人物に関する記録が全て表示さ
れるようになっている。
構内の庭園は本当に素晴らしかった。詩や絵を思わせる美しい景色に感激し、記念写真を何枚も撮っ
た。日立中央研究所には研究所特有の堅苦しい雰囲気が全くなく、冗談で「日立公園」と呼んだほど
だった。この美しい環境の中で働きたいという団員もいた。
今日の見学は昨日までの企業訪問に比べ楽しく、開放感があった。これほどに美しい研究所の景観は
予想外のものだった。ここで働く人たちは、疲れた時は外に出て息抜きができ、仕事と休息のバランス
が良いので、精力的な研究ができるだろうと思った。
また、環境保全を重視する日立の姿勢にも触れることができた。『日立在中国(訳注:「中国におけ
る日立」の意)』と題した報告書に、日立の「環境ビジョン2025」についての記述があった。2025年度
までに世界全体で1億トンの二酸化炭素排出削減を目指すという。生態環境を保護するためのさまざまな
対策も心に残った。中国ではまだ環境保全に心を砕く企業や個人は日本ほど多くはなく、その重要性が
軽視されているように思われるが、現代の若者としてはこの責任を担う義務があると思う。見学後、少
し休憩をして訪日団一行は一橋大学に向かった。
日立の概況説明
研究所の食堂
集合写真
一橋大学訪問交流報告
北京外国語大学学生代表
見学日時:2010年11月29日(月)14:00~19:00
見学場所:一橋大学
見学の概要:
一橋大学の見学は、今回の訪日で両国の青年が共通の関心事項について直接交流のできる絶好のチャ
ンスということで、団員は今日の訪問交流に格別な期待を寄せていた。初めて一橋大学を訪れたが、黄
葉したイチョウの木とアカデミックな雰囲気のキャンパスがとても印象的だった。
一橋大学は日本有数の大学である。社会科学・商科・法学を中心に、大平正芳をはじめとする日本の実
業界や政界で活躍する数多くのエリートを輩出した大学でもある。到着後に行われた歓迎説明会では、
中国交流センターの志波幹雄代表から一橋大学の具体的な情況についての説明があり、一橋大学の少人
数精鋭式教育のことがよく分かった。大学院は1クラス10~15人で指導教官との関係も緊密という中国
ではほとんど見られない教育手法が採られていた。また、一橋大学は中国の多くの大学とさまざまな交
流を行っている。例えば、人民大学との学生交流や共同シンポジウム、北京大学との学術フォーラム、
香港大学との学生交流などがあるが、中国経済が今後ますます発展し、国や地域間の協力が強化される
につれ、一橋大学と中国の大学との交流もいっそう頻繁かつ充実したものになっていくだろう。
歓迎説明会の後は、一橋大学経済学部の学生と中国人留学生のボランティアによるキャンパスツアー
が用意されていた。一橋大学のキャンパスは東と西の2ブロックに分かれ、質朴で重厚な雰囲気に包まれ
ていた。案内してくれた学生ボランティアによると、ノスタルチックな美意識の感じられる一橋大学の
キャンパスは、「ガリレオΦ」などの人気急上昇の撮影スポットがたくさんあるという。歴史のある兼松
講堂、130余年の長い歴史を有する図書館、著名人の肖像画の掛けられた自習室など、すべてが一橋大
学の校訓、つまり遠大な見識、みなぎる闘志、清廉潔白な道徳観を体現していた。
キャンパスツアーの後は交流会だった。中日両国の学生が6つのグループに分かれ、就職をテーマに
ディスカッションを行った。日本の学生代表の流暢な英語の挨拶の後、活発なグループディスカッショ
ンが始まった。英語、中国語、日本語が飛び交った。金融危機以降、両国の学生とも就職が難しくなっ
ているという同じような情況に直面しているが、日本の企業は文系と理系で区別し、文系では新卒とい
うことが重んじられること、面接のときにはリクルートファッションが求められるなど、細かいところ
でいろいろと違いがあることが分かった。また、中国の企業は学生の専攻を重視するが、日本の企業は
学生の専攻をあまり問題にしないといった違いもある。おそらくこの違いは両国の大学生が専攻を決め
るときの違いに原因があるのかもしれない。つまり、専攻を決めるときに、日本の学生は自分の興味や
関心を偏重するが、今の中国の学生は将来的にそれが仕事に活かせるかどうかを考えるということだ。
交流会の後は一橋大学の心づくしの懇親会が行われた。立食形式の懇親会は自由でリラックスした雰
囲気で話題もざまざまだった。一橋大学の中国人留学生も加わった。食事をしながら話をしていると、
お互いの距離がアッという間に縮まったような気がした。グローバル化の進む今日、どの国の青年も同
じような考え方をし、多くの共通点がある一方、それぞれ成長した環境や文化的背景の違いによって物
事に対する理解や見方に違いがある。だからこそ交流の中で相互理解と友情を深めるという点に青年交
流の意味があるのだと思う。 懇親会の後、中日の学生は互いの連絡先とプレゼントを交換しあった。今回の交流で両国の青年の間
にまた一つ友情の橋が架けられたように思う。今夜味わった楽しさは、一橋大学の美しい夜景とともに
カメラに収められた。
背景知識
一橋大学は森有礼が1875年開設した私塾「商法講習所」を起源とする大学であり、第二次世界大戦前
は商学を専門とする国立大学だった。 産業界のリーダーの育成を目指し、「官吏の養成を目的とする旧
帝国大学とは一線を画す」という自負を持ち、「キャプテンズ・オブ・インダストリー」を目標として
いる。なかでも経済学部と商学部は東京商科大学(旧称)以来の極めて質の高い教育の担い手であり、
日本有数の大学と評価されている。また、この2学部は経済学・商学・経営学の教授陣が充実しており、研
究分野においても国内随一である。法学部は半数以上の学生が大学院に進学するか、または公務員にな
ることを選択し、他大学の法学部と比べ裁判官や公務員を目指す学生の割合が高い。社会学部はマスメ
ディアや新聞業界に強い。
三菱東京UFJ銀行見学レポート
国際関係学院学生代表
見学日時:2010年11月30日(火) 9:45~13:00
見学場所:三菱東京UFJ銀行 (東京都千代田区丸の内2-7-3東京ビル)
見学概要:
世界最大の銀行として三菱東京UFJ銀行は、日本の銀行業界の中で模範的な存在であることは間違いな
いだろう。インターネット等のメディアを通じて、日本の東京三菱銀行とUFJ銀行が合併して世界最大の
銀行が誕生したということを知った。三菱東京UFJ銀行は、2006年1月4日の設立以来、日本最大の金融
グループであるMUFGの中核企業として、最高品質の金融商品とサービスを以って世界の金融市場にお
いて重要な地位を占めている。同行は設立以来一貫して「quality for you」という企業理念を貫き、「全て
は顧客のために、全てはサービスの質のために」をモットーに熾烈な市場競争の中でますますその競争力
を強めている。
11月30日午前、訪日団一行は三菱東京UFJ銀行を見学した。見
学は窓口ロビーと貸金庫の見学、銀行の概要紹介、ディーリング
ルームの説明、昼食会という流れで進行した。
最初に職員の案内で銀行内にある金庫を見学した。金庫の中に
は3,844個の貸金庫があり、そのうちの40%が使用中だった。一
番小さい貸金庫の料金は年間25,000円、一番大きなもので年間
120万円とのことだった。金庫の厚さは1.7メートルあった。先
進的なセキュリティシステムによって極めて高い安全性が確保さ
れている。また、金庫内の空調設備は博物館に使われているもの
に匹敵するほどの性能で、保管品が損傷を受ける心配はないとい
う。その後、店内の窓口ロビーへと案内され、順序に従って説明
を受けた。
見学を通じて三菱東京UFJ銀行が証券・信託・外国為替を一手に
扱う総合型の銀行として機能していることを知った。ロビーには
全部で27の窓口があり、高いカウンターと低いカウンターに分かれ、それぞれ異なる業務を担当してい
た。ロビーには無人で業務を取り扱う機械もあり、お客はディスプレイの画面を見ながら用事を済ませ
ることもできる。
ロビーを見学した後に会議室に移動した。まず三菱東京UFJ銀行の常務役員から歓迎の挨拶があった。
事業の概要についての簡単な説明に加え、私たちの前途が洋洋たるものでありますようにという励まし
の言葉をいただいた。続いて中国語による銀行概要の説明があった。説明は主に銀行の業務、法人及び
個人向けのリテール業務、三菱東京UFJ銀行と三菱東京UFJ銀行(中国)有限公司の関係の3つの内容に
分けて行われた。説明を聞いて、銀行には金融仲介・信用創造・資金決済という3つの基本機能があり、金
融規制緩和と社会構造の変化により銀行の事業範囲の拡大とレベルアップが求められていることを学ん
だ。三菱東京UFJ銀行は法人顧客の資金調達、リスク回避、従来業務の強化、合理化、海外進出等のニー
ズや個人顧客の決済サービス、ライフプラン、プライベート・バンキング等の分野の需要に応じてさま
ざまな業務を展開し、顧客の各種ニーズに対応していくことで、同行のメッセージである「Quality for
You」を体現していた。説明の最後に三菱UFJフィナンシャル・グループ内の主な企業や組織ネットワー
ク、三菱東京UFJ銀行(中国)有限公司の概要についての紹介を受けた。
続いてディーリングルームを見学した。ディーリングルームは2層に分かれていた。下層階には奥行き
115メートルのスペースに1,000台を超えるディスプレイが設置され、総勢800名のスタッフが忙しそう
に働いていた。ディーリングルームのほかに外国為替担当スタッフの仕事ぶりを紹介する映像も見せて
もらったが、スタッフの多忙さが実感できた。
ディーリングルームの見学後、再び会議室に戻り昼食会に参加した。食事をとりながらいろいろと細
かなところまで話をすることができた。銀行の仕
事の様子や三菱東京UFJ銀行に入るにはどんな能
力が求められるのかという質問や金融関連の質問
をしたり、時間にして1時間足らずの交流であった
が、とても勉強になった。
三菱東京UFJ銀行は常に「Quality for You」という
理念の実現を考えて来た。銀行がコストを惜しま
ずに金庫を設置しているのも、顧客の財産の安全
を守るという目的のためであり、店内に高・低2
種類の窓口カウンターを設けているのも、業務処
理の効率アップと顧客の待ち時間を短縮するための工夫である。微笑みを浮かべた創業者のレリーフを
飾っているのも、単に創業130周年の記念というだけではなく、スタッフに「もっとスマイルを」と訴え
る意味もあるのだろう。こうした努力によって銀行は人々にとって寒々とした所ではなく、快適で信頼
のできる場所になっている。
三菱東京UFJ銀行の社内コミュニケーションはとても活発だ。会社として社員同士が交流する機会を
設けているだけでなく、社員自身も他とのコミュニケーションを心がけている。そうすることで社内の
チームワークが強められることはもとより、社内の情報の流れがスムーズになり、結果として、それは
顧客のためにより多くの価値を創出することにもなる。また、社員同士のコミュニケーションを通じた
切磋琢磨や能力向上にも貢献している。
また、三菱東京UFJ銀行は中国との提携を非常に重要視している。説明によると、中国には既に10の
支店があり、中国業務が増えているという。支店従業員の90%がローカルスタッフであり、入社後の研
修制度もある。日本の本社での研修のチャンスもあるという。なお、三菱東京UFJ銀行は対中業務を拡大
させる一方、中国の福祉事業にも貢献している。
今回の三菱東京UFJ銀行の見学では、銀行やディーリングルームなどの重要業務について学ぶことが
できたばかりでなく、同行がサービスの質を高めるために努力を重ね、銀行内の細部に「quality for you」
という企業文化と精神が反映されているのが分かった。企業に品質というバックボーンがなければ、い
くら資金力があっても、それは根のない木、水源のない水のようなものだ。同様に、理念だけが先行し
て、企業にそれを支える実質的なものがなければ、どんなに美しい言葉をあげつらってみたところで、
それは一過性のものに過ぎず、すぐに消えてなくなることになる。三菱東京UFJ銀行はひとつの成功事例
だと言える。
心をこめたサービスで最高の空の旅を
中国伝媒大学学生代表
見学日時:2010年12月1日(水)10:00-13:00
見学場所:日本航空インターナショナル 羽田空港 (東京都大田区東南端 多摩川河口左岸)
見学概要:
今日の午前中は羽田空港に行き日本航空を見学した。日本航空に到着して会議室に入ると、さまざま
な航空機の模型が目に飛び込んできた。初めに地球環境部の部長さんからJALグループの概要と環境保全
や旅客機の整備面の取り組みについての説明を受けた。日本航空は、1951年の創業当時は半官半民の会
社であったが、1987年に完全民営化され、その後2002年には日本エアシステムと合併して会社規模の
拡大が図られた。目下、278機の航空機を保有し、その航路は38の国と地域の合計226の空港をカバー
している。年間の輸送旅客数は延べ5,600万人、主要事業における2008年の売上高は約1兆9,500万円に
上った。
日本航空では、二酸化炭素排出削減という目標を達成するために、機種の更新や新たな運航方式の普
及、機体の軽量化、バイオ燃料の実用化等の取り組みが行われている。具体的には食器・機内飲用水・
貨物コンテナの軽量化、雑誌・制服・空き缶のリサイクル、燃料効率の向上に努め、常に新たな成果を
目指して取り組みの範囲を広げている。
また、これらの努力に加え、日本航空は環境保全分野の社会活動にも積極的に取り組んでいる。例え
ば、航行ルート上からシベリアの森林火災の観測を行なったり、内モンゴルでのOISCA国際グリーンプ
ロジェクトの支援や北京・大連・香港で環境関連の講座を開催したりしているほか、バイオ燃料搭載の
飛行試験にも成功している。航空機の整備事業においては、安全性・定時性・快適性を備えた航空輸送
の提供をモットーにしている。整備の目的を航空機の安全を最優先した上で常に定時性と快適性を保証
し、航空機と部品の性能と信頼性の維持・向上を図ることに置き、全てのフライトに対し飛行前点検と
定期整備を実施している。
スライドを使った説明で日本航空についておおよそ理解した後、航空機の整備状況を見学するため
に、羽田第一、第二整備工場に向かった。整備場の各設備の用途について説明を受けたほか、航空機の
着陸の瞬間を間近に見ることができた。 昼食は、客室乗務員の訓練所で客室乗務員が実際のフライトで食べて
いる機内食を食べた。機内食は冷たく、量も少なかったが、客室乗務員
はそれを5分以内に食べ終えなければならないという。客室乗務員の案
内で訓練教室を見学した。入社するとすぐに、酒の注ぎ方、全ての飲み
物の名前を覚えること、歩き方、化粧の仕方、緊急時の乗客対応につい
ての厳しい訓練が行われる。次々に客室乗務員の皆さんと記念写真を
撮って日本航空と羽田空港の見学が終了した。
知っていますか?
Q:世界で最も運航時間の精度が高い航空会社は?
A:アメリカのConducive Technology社の調査によれば、2009年の日本航空の定時到着率は90.95%を
マークし、世界の46の著名航空会社の中でトップの座に輝いた。
JALグループでは、航空機が駐機場にある間は可能な限り地上電源を使用するようにしているが、離
陸の約10分前には補助動力装置の小型ジェットエンジン(APU)を始動させ、出発準備が完了するまで
エンジンをかけ続ける必要があるほか、定刻通りの運航を保証するために最善を尽くさなければならな
い。また、日本航空では航空機の更新を進めて燃料効率のより高い機種の導入に努める以外にも、環境
に配慮した運航方式の採用、機体の軽量化、エンジン洗浄、資源のリサイクル等のさまざまな取り組み
を通して地球環境の保全に尽力している。
Q:旅客機が予定時刻より1分遅れた場合、どのくらいの二酸化炭素を余分に排出することになるか?
A:仮に日本航空の全フライトの離陸が予定時刻より1分遅れた場合、グループ全体で1日約5.3トンの二
酸化炭素を余計に排出することになる。離陸時間が定時より遅れた場合は、できる限り定刻に目的地に
着くように飛行速度を上げる必要があるが、ボーイング777型機または767型機が3分間の遅延を取り戻
すために加速した場合は、1回のフライトで約430キログラムの二酸化炭素を余計に排出する計算になる
という。
JALグループでは、航空機が駐機場にある間は可能な限り地上電源を使用するようにしているが、離
陸の約10分前には補助動力装置の小型ジェットエンジン(APU)を始動させ、出発準備が完了するまで
エンジンをかけ続ける必要があるほか、定刻通りの運航を保証するために最善を尽くさなければならな
い。また、日本航空では航空機の更新を進めて燃料効率のより高い型式の導入に努める以外にも、環境
に配慮した運航方式の採用、機体の軽量化、エンジン洗浄、資源のリサイクル等のさまざまな取り組み
を通して地球環境の保全に尽力している。
Q:中日両国の関係において日本航空が果たした重要な役割とは?
A:日本航空と中国とのつきあいは長い。1972年、日中国交正常化前の9月に日本の田中角栄首相が日
本航空の専用機に乗って訪中し、二国間交渉が行なわれた。10月には両国の国交正常化の記念行事とし
て、日本航空のチャーター機によって1,000本の桜や落葉松の苗木、2頭のパンダ(カンカンとランラ
ン)が運ばれた。
Q:上戸彩主演の2006年のテレビドラマ「アテンション・プリーズ」(中国語名:甜心空姐)と日本航
空の関係は?
A:「甜心空姐」(アテンション・プリーズ)はまさに日本航空で撮影された!ドラマは、負けん気が
強く、さっぱりした性格の女の子――美咲洋子が欠点を克服しながらステップアップを重ね、仲間や教
官の励ましの中で一人前のキャビンアテンダントに成長するまでを描いた物語である。笑える場面満載
のコメディタッチなストーリー展開の中で、キャビンアテンダントの凛とした美しさを表現すると同時
に、その背後にある困難や苦労を描いている。このドラマは日本のキャビンアテンダントの訓練過程の
全てを忠実かつ興味深く再現しており、日本での放映時には16.4%の平均視聴率を獲得し、最高視聴率
は19.2%に上ったという。「男勝りな女の子」美咲洋子の泣くに泣けない、笑うに笑えない一連の「アクシ
デント」に加え、「スター」CAと「落ちこぼれ」CA同士の小競り合い等の見所もあり、軽快なストーリー展
開で見る者を笑いに誘う魅力溢れるテレビドラマだ。今回の見学では、日本のドラマファンを自負する
団員によってドラマのシーンに使われていたスポットがいろいろと確認できた。中国でこのドラマを見
て日本航空の飛行機に乗るようになった人が少なからずいることを思えば、やはりテレビの影響は侮れ
ないと思った。
感想
大多数の団員にとって航空会社を見学するのは初めての経験だった。今回の訪日の往復のフライトを
提供してくれた日本航空を見学できたことは本当にラッキーだった。日本航空は心の込もったサービス
で最高の空の旅を提供するという、ただそれだけのためにさまざまな方面で努力している。私たちの目
に映ったものは、安全な航行と行き届いたサービスだった。キャビンアテンダントたちの華やかな微笑
みは、ベストを目指して絶えず繰り返される厳しい訓練や整備士たちの細心の作業に裏打ちされたもの
であり、さらには研究員たちによる環境保全のための技術革新や、会社上層部の世界市場を拡大するた
めの絶え間ない努力がその背後にある。 今回の訪日は日本航空と縁があったように思う。機内ではプロフェッショナルな日本式サービスを初
めて体験することができた。日本航空には日本ならではの細やかさや温かさが充分に体現されていた。
Japan——Endless Discovery(尽きることのない感動に出会える国、日本)――これは飛行機を降りたと
きに見かけた日本の観光庁のキャッチフレーズだが、とても気に入っている。美しい桜の花はいつまで
も咲き続けることだろう。近い将来、日本航空は必ずや困難の中から立ち上がり、再び気持ちを奮い立
たせ、今まで以上の驚きと感動を私たちに届けてくれるに違いない。
生態系を利用した高性能循環型システム
北京大学学生代表
見学日時:2010年12月2日(木)9:30~11:15
見学場所:ホテルニューオータニ東京
見学概要:
日本訪問の最終日、職員の案内でホテルニューオータニの生態系を利用した環境システムを見学し、
すでに6日間宿泊しているホテルについていろいろと知ることになった。
1964年創建のホテルニューオータニの敷地面積は6,900平方メートル、4つの建物で構成されている。
そのうちホテル部分が50%、もう50%には日本庭園が広がる。46年という歴史の中でニューオータニが
守り続けている理念に「エコ」と「快適さ」がある。「快適さ」はエネルギー消費によって支えられ、「エコ」
には資源消費の節約が求められる。ニューオータニはこの「エコ」と「快適さ」の両者をどのようにバラン
スさせていくかを模索し続けている。
まずホテルの中水処理システムを見学した。ホ
テル内にある中水処理施設によって厨房からの廃
水が全量処理され、汚水は主に好気性微生物に
よってバイオ処理されている。空気を送って廃水
中の固形物を分解した後、汚泥を沈殿させて処理
後の水を分離することで汚水を中水に変える。こ
うして処理された中水はホテルのトイレの水や緑
化用水として使われ、水の再生利用率の大幅アッ
プを実現すると同時に、水資源の浪費にも一役
買っている。
次に生ごみ処理システムを見学した。生ごみは機械によって切砕・ふるい分け・混合・乾燥・発酵腐熟・不
純物除去が行われ、最終的にコンポストとして利用される。このシステムによってごみ処理のコストが
大幅に削減できるばかりでなく、本来は捨てられるべきものが宝にその姿を変える。ホテルがこれらの
コンポストを栽培農家向けに販売し、農家が生産した野菜などの食材をホテルが購入するという、資源
利用のサイクルが形成されている。
最後にローズガーデンを見学した。このローズ
ガーデンはホテルの屋上に造られ、真っ赤なバラ
が咲きほこっていた。もともとは屋上緑化のため
に造られたが、現在では結婚式の際のロマンチッ
クな舞台となっている。バラの海に身をゆだね
れば、ホテルを訪れる誰もがその美しさとロマン
チックな雰囲気に魅了されるだろう。訪れる人
たちに快適な空間を提供すること、それがニュー
オータニの目標だ。
知っていますか?
1.ニューオータニの消費電力
ホテルニューオータニの電力消費は約23,000戸の消費量に相当し、水道は2,900戸、ゴミは3,300戸の
消費量に相当する。
2.ニューオータニの中水処理システム
1993年から稼動し、厨房から出る排水を100%処理している。地下の水タンクには毎日1,000トンの
汚水が送られ、そのうち600トンの水が再利用されている。
3.ニューオータニの生ごみ処理システム
1999年から稼動開始、ホテル内の10ヶ所のレストランから出る5トンの生ごみを4日間かけてコンポ
ストにする。生産率は20%。現在の処理システムは1億1,000万円を投じて開発・設置されたもので、こ
の施設によって毎年2,500万円の生ごみ処分費を節約することができる。4年間でコストが回収できると
いう計算だ。
4.ニューオータニの稼働率
計1463室の客室、宴会場35ヶ所、レストラン38店舗があるほか、美術館も併設されている。通常の
稼働率は70%で、祝祭日には100%に達する。
5.ニューオータニのローズガーデン
約2,000株のバラが栽培されており、ホテルを訪れる人に心地よい空間を提供している。
見学の感想:
今まで見学してきた日本企業と同じように、ホテルニューオータニも細部にわたって企業の社会的責
任(CSR)が実践されていた。快適な居住空間を提供するということ以外に、どうすれば生態資源や環境
に貢献できるか、その方法を模索している。先進技術によってホテル内の廃水やごみを利用可能な中水
またはコンポストにし、資源の循環利用を実現することで資源の浪費を低減すると同時に、こうした環
境対策によって利益も得ている。
ホテル経営の中で環境へのマイナス作用を考えるホテルニューオータニの姿勢は、中国企業も大いに
学ぶべきだと思う。ホテルというサービス型の企業であっても、環境資源について考えることは大変重
要なことである。中国企業も資源節約や環境保護に目を向け始めたとはいえ、その対策は受身的なもの
が多く、生態環境に新しい価値を創造したり、大規模な環境資源の循環利用がまだできずにいる。
中国は日本と比べ資源総量が大きく、人々の環境資源に対する意識や危機感も低い。資源を濫用する
者が払う代償がそれによって得られる経済利益に比べると少なすぎるというのが現状だが、社会各分野
の発展に伴い、否応なしに環境資源の重要性を認識し、先進技術を使って環境にとってのプラスの効果
と利益を創造していかざるを得なくなるだろう。
学生たちの感想文から
学生たちは毎晩、一日のスケジュールを終えてから日記形式の感想文を書き、第 7 回訪日の記録とした。
以下ではその一部を紹介する。
日付:11月23日(火)1日目
大学名:北京理工大学
氏名:張華巍
早朝のフライトだったので午前3時過ぎに大学を出発した。空港に到着後、他大学の学生と挨拶を交わ
し、間もなく飛行機に搭乗した。早起きをしたせいで、青空も睡眠の妨げになることもなく、ぐっすり
眠ってしまった。成田空港を出るときには眠くてボッーとしていたが、湿り気のある清々しい空気を吸っ
て眠気が一度に覚めた。いよいよ日本企業についての理解を深め、日本を感じるための旅のスタートだ。
高速道路脇の紅葉と常緑樹がきれいなコントラストをなし、真っ青な空には白い雲が浮かんでいた。高
速道路をしばらく走ると、東京の羽田空港に到着した。スケジュール通りに少し休憩した後、また飛行機
に乗って日本のもう一つの大都会、商業の発達した大阪に向かった。大阪到着後はバスで夕食の場所に移
動した。長旅の疲れを感じながら、大阪の堂々とした街並みを見ているうちにレストランに到着し、靴を
脱いで座敷に座ったときはホッとした。
夕食は和やかな雰囲気の中でしゃぶしゃぶを食べた。初めての日本で見たこと、感じたことをお互いに
話し合った。夕食後はホテルニューオータニ大阪に向かった。訪日1日目から日本のすばらしいサービスを
体験することができた。ホテルの従業員もレストランのアルバイトの学生もみんな丁寧に挨拶し、お辞儀
する姿が印象的だった。
ホテルに荷物を置いて夜の散歩に出た。木の葉がそよ風に揺れていた。歩道にはジョギングする人がい
た。賑やかな都会もさすがに夜は静かだった。移動の疲れもあって早々に散歩を切り上げてホテルに戻っ
た。日本に来たことの興奮と明日の企業見学を楽しみに眠りについた。
日付:11月23日(火)1日目
大学名:国際関係学院
氏名:劉暢
午前4時半、北京の街はまだ眠りの中にあった。首都空港へ向かうタクシーの運転手はコーヒーを飲み飲
み運転していた。首都空港は明々とした照明に包まれていた。
東京時間午後1時、小雨の降る東京の空気は土の臭いがした。成田から羽田に向かうバスの中から見た成
田空港は多くの利用客で混雑していた。
午後6時、大阪の夜はすでに始まっていた。日本語がわからないのでコミュニケーションがますます難し
くなる。バスで道頓堀に向かう。道頓堀を堪能しよう。
夜10時、夜も更けて人通りが少なくなった。ホテルニューオータニの部屋から大阪城、大阪ホール、夜
空に浮かぶ白い天守閣を眺めた。この天守閣を建てるという偉業をなした豊臣秀吉のことや徳川家康がこ
の天守閣を砲撃したときの情景を想像してみた。
来日初日、中国の仲間との連絡が全く絶たれて寂しかったが、自分が今、映画や小説、ゲームでしか見
たことのない大阪城を目の前に座っていることに言葉にならない感動を覚えた。そしてこの感動を自分の
知っているすべての人に伝えたいと思った。
この天守閣は何度も災難に見舞われながらも、変わらぬ姿でこの場所に建っている。凛とした姿で昔を
しのぶ現代の人たちを迎えている。文化の継承と現代にそれを活かそうとする日本人の工夫が思われた。
北京の名所旧跡も高層ビルの間で何億、何万という観光客に感動を与えられたらと思った。
訪日の初日、効率的な空港を見た。親切なサービスを肌で感じた。こうして500年前の旧跡を眺めてい
るうちに日本に対する憧憬の念が湧いてきた。
日付:11月23日(火)1日目
大学名:国際関係学院
氏名:郝江浩
「やっと日本に着いた!」
JAL860便から降りると、思わずそんな言葉が口をついで出た。飛行機が小さくて少々不満だったこと、
離陸と着陸のときが辛かったこと、飛行機から降りたときの爽快感、初めての日本訪問はいろいろあっ
た。訪日初日はほとんどの時間を機内で過ごしたが、初めての日本を直観的に感じることができた。はっ
きり言うと、日本には見習うべきところがたくさんあると思った。
第一に、日本人の時間の観念は時計のように正確だということ。今回は日本航空を利用したが、日本人
の時間に対する驚くべき正確さを実感することができた。中国の飛行機や列車が遅れるのには慣れっこに
なっているが、今日のフライトは最初から最後まで定刻通りだった。現代社会では個人の自由が尊重され
る反面、仕事では絶対的な効率が要求される。それができてこそ成熟した社会と言えるのだろう。
第二に、日本人はすべての点で行き届き、やさしい配慮と周到で緻密な考えのできる人たちだというこ
と。潘勤学先生の「君たちが思いつくことは、日本人がすべて考えてくれている」という言葉には全く同
感だ。JTBが用意してくれたパスポートケース、トヨタのパンフレットの正誤表、空港の親切な案内、どれ
も日本人の綿密で周到な配慮が感じられた。
第三に、よく言われることだが、日本の緑化はすばらしい。大げさでもなんでもなく、日本には緑化ス
ペースのない建物は一つもない。
以上が日本訪問1日目のおおざっぱな感想だ。多少偏見があるかもしれないが、日本という国をこれから
の旅の中で、実際に手で触れ、目で見て、心で感じていきたいと思う。Good night Osaka!
日付:11月23日(火)1日目
大学名:中国伝媒大学
学生:郁瓊源
日本への道——第7回訪日団、行動開始!
昨日、大学から戻ると午後10時を回っていた。留守の間の学校の手配が済んだ後は旅行の準備だ。やっ
と日本に会える。旅行の荷物を用意しようと思ったが、何を持って行ったらいいものかさっぱりわからな
かった。日本の本州はここ数日、晴天続きで、北京よりもだいぶ暖かいようなので、衣類と日用品、ホス
トファミリーへのプレゼントをスーツケースに入れ終わったら午前1時を過ぎていた。ほんの数時間眠り、
車で北京大学に行って北京大学の学生と一緒に北京の冷たい空気の中を首都空港第3ターミナルに向かっ
た。
JTBや日中経済協会の関係者、先生たちが2番出口のところで待っていた。新しい真っ白な団員服が目
立っていた。海外旅行は初めてではないが、これから行く日本のことを考えるとワクワクしてきた。日航
の客室乗務員のサービスが良く、覚えたての日本語を使うこともできた。窓外の北京の風景がだんだんと
遠くなり、白い雲の下に隠れた。大学で訪日団の団員に選ばれたこと、長富宮での面接、中日友協和平宮
での壮行会、伝媒大学のリーダーとして他の訪日メンバーに連絡して資料を集めたことの一つひとつが昨
日の事のように思い出された。東京行きの飛行機に乗りながら、4大学29名の学生や引率の先生方と一緒
に思い出に残る10日間を過ごすのだと思うと、待ちきれない気持ちになり、飛行機が少しでも早く日本に
着けばいいと思った 。
飛行機は着陸するときが一番面白い。乱気流で機体が揺れるときは心臓がキュンとする。今日は乗客が
多かったが、機内の日本人乗客は本を読んだり眠ったりしてみんな静かだった。日本人の性格なのだろ
う。普段大きな声で話をしている自分がひどく場違いなような気がした。表情の乏しい、いつもせかせか
した感じのする日本人をテレビでよく見るが、飛行機に乗っていた日本人は隣の人を親切に助け、目が合
うと挨拶をしてくれた。
成田空港から羽田空港へと、今日は一日中、日本航空を体験する旅だった。東京から大阪までの機内
サービスにはとても満足した。映画や音楽のチャンネルが多く、リモコンも使いやすかった。さすがはエ
レクトロニクス大国日本の飛行機だと思った。空港は静かで整然としていた。北京から東京に来てみる
と、気候が違っていた。木がとても多かった。バスガイドの城田さんの説明を聞きながら見る初めての東
京の印象はとても良かった。わずか40分ほどのドライブだったが、東京の高速道路ではどの車も一定のス
ピードで走行していた。青い空の下にグレーを基調とした街が拡がっていた。
夕食は大阪に着いてから美味しい牛肉を食べた。ホテルニューオータニ大阪からは豊臣秀吉の建てた大
阪城が一望できた。今日は特別に緑色のライトアップがされていた。一日中飛行機に乗って疲れたが、と
ても楽しかった。夢中で写真を撮った。明日はもっと素晴らしい旅になるだろう。
日付:11月24日(水)2日目
大学名:北京外国語大学
氏名:張萌玥
今日はオムロン太陽の工場を見学して深い感銘を受けた。温かさと愛に溢れた場所だった。企業理念と
障害を持つ社員が働き易いように随所に配慮がなされていたのが一番印象に残った。
社長も案内係りの人も強調していたことは、「われわれの働きでわれわれの生活を向上し、よりよい社会
をつくりましょう」という社憲だった。太陽工場の「no charity but a chance」には、障害者も健常者と同
じように仕事をして自らの価値を発現することができるという意味が込められていた。初めて障害者を採
用することになった太陽工場は、オムロンにとっても大胆な試みだったが、イノベーションを繰り返すこ
とで大きな成功を収めている。その後、ソニーやホンダも「太陽」工場を設立しているが、オムロン太陽は
多くの企業のリーダー的存在として日本の障害者雇用問題の解決に貢献している。会社の創始者である立
石氏に「企業は社会の公器だ」という言葉があるが、こうした強い責任感があって初めて長期経営の基盤
が築けるのだと思う。
オムロンの太陽工場は精神的な支えとなることに加え、実際の運営面でも常にイノベーションとレベル
アップに努めている。例えば、工場1階に設けられた託児所と工場近くの独身寮、既婚者用社宅、洗面所、
低い位置に取り付けられている電灯のスイッチなど、従業員の知恵を十分に活かして社員の便宜を図ると
同時に、生産効率アップのための工夫がなされていた。これらはすべて障害を持つ社員の後顧の憂いを解
消し、仕事と生活の両立を助け、人生の価値を実現するためのものであり、社会の安定と団結の促進とい
う意味でも一役買っていた。「和諧社会」の叫ばれる中国もこの点を学ぶべきだと思った。
オムロンの工場の生産ラインの設計にも大いに見習うべきところがあった。各生産ラインに測定装置が
設置され、常に生産効率が示されるようになっていた。また、それぞれの持ち場の設計や機械の改良も生
産効率のアップに貢献していた。例えば、煩雑な反復作業については、順序を間違えないように警告装置
が取り付けられていたり、腰に力の入らない女性障害者のために昇降式の持ち上げ装置が設置されていた
り、移動するときに位置を間違えないように発明された色彩対応法はコスト削減にも繋がっている。これ
らはすべて社員のアイディアであり、職場の至る所に社員の知恵が活かされていた。こうした細かい所に
気を配った改良は見習うべきだと思った。
今日の午前中の見学は温かい感動に満ちたものだった。中国でもオムロンのように社会的責任を果たす
企業がどんどん増えていけばいいと思った。 午後は京都の有名な「清水寺」を見学した。山麓に着くや、みんな待ちきれない様子でシャッターを押
し、美しい紅葉をカメラに収めた。清水寺は北京の香山と似ていると思った。日本仏教の伝統文化に触
れ、両者を比較せずにはいられなかった。同じ紅葉の名所でも、香山は寺の設計や衛生面で失望させられ
た経験がある。空気が悪く、葉も埃だらけだった。良い習慣とはどういうものかを知ることができた。特
に、国民の習慣または民度を高めることがいかに大事かということが分かった。中国には「良いもの」が
たくさんある。ただ「良いもの」を「美しいもの」に変える能力が欠けているだけだ。それができるよう
になるためにはまだ時間が必要だ。大学で学ぶ人たちが増えれば状況も改善されるかもしれない。
夕方、一行は新幹線「ひかり号」で京都から名古屋に移動した。日本の新幹線は1960年代に誕生し、速
度は中国の「和諧号」に比べだいぶ遅いが、学ぶべき点がいくつかあると思った。第一は新幹線を待つと
きの秩序だ。ホームに列を作る位置を示すラインがあった。第二は、子どもなどの安全を確保するための
事故防止対策としてのホーム柵だ。また、車内では国内外のニュースを流していたが、天気予報や道路渋
滞情報しかない中国と比べ、国民のレベルアップに貢献していると思った。
充実した1日だった。明日はトヨタの見学だ。箱根もきっと楽しいだろう。
日付:11月24日(水) 2日目
大学名:国際関係学院
氏名:程雁婷
今日の日程もタイトだった。一日中団からはぐれないようにと緊張していたが、確かな収穫のあった1日
だった。
6時に起きて大阪城の近くを散歩した。本当に美しい光景だった。紅葉の敷きつめられた道、高く聳え立
つ大阪城、朝の散歩を楽しむお年寄り、書類バックを抱えて通勤する若者、大阪という都会の生活の息吹
を肌で感じることができた。
朝食の後、オムロン京都太陽工場に行った。そこが身体障害者を雇用している会社だということは知っ
ていたが、いざ自分の目で見てみると、やはり感動した。一人ひとりビスを取り付けたり、小さな部品を
袋詰めしたり、ボタンを押したりといった生産ラインの工程を担当していた。誰もが真剣に仕事に取り組
み、働くことが楽しくてしかたないという感じだった。最も印象に残ったことは、いろいろと細かい所に
施された配慮だった。例えば、共有引き出しの設置とその使い方、原材料取り出しの際にバーコードを
使ってスムーズに仕分けするなど、従業員の発想と創造力が体現されていた。細部について真剣に考えれ
ば、これほど多くのイノベーションが可能になるのだ。
また、従業員の仕事に真剣に取り組む姿に感動した。オムロンの提唱する「われわれの働きで われわ
れの生活を向上し よりよい社会をつくりましょう」という企業理念が伝わってきた。
午後は清水寺を見学した。一番印象的だったことは、なんと言っても音羽の滝で飲んだ清泉だ。幸せに
なれますように‥‥。紅葉が見事だった。北京の香山に2回ほど行ったことがあるが、紅葉の季節ではな
かったので紅葉を見ることができなかった。異国で見る紅葉は心底すばらしいと思った。山麓で食べた抹
茶アイスクリームの味も忘れられない。
新幹線に乗る前に京都駅を見学した。最上階から京都を一望すると、開放的な気分になり、京都の魅力
を感じることができた。新幹線に乗って窓の外の夜景を見ながら、残り数日間の旅程に思いを馳せた。
日付:11月24日(水) 2日目
大学名:中国伝媒大学
氏名:孫亜飛
今日のオムロンの見学では、日本人のやさしい配慮の行き届いた勤勉な民族性に触れることができた。
オムロンの太陽工場は積極的に障害者を雇用し、障害者の社会参加を支援している。「授人以魚 不如授人
以漁」(訳注:魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える。飢えている人 に魚を与えると喜ばれるが、
その場しのぎにしかならない。それよりも魚の釣り方を教えてあげることがその人のためにはなる)とい
う考え方は学ぶべきであり、その通りだと思った。ハイテクを駆使して障害を補い、誰もが積極的に仕事
に取り組み、自立した生活が送れ、自身の価値を高めることのできる環境を作ることこそが、本当の福祉
事業だと思う。
太陽工場では障害を持つ社員の目線で工場全体が管理されている点が印象的だった。2人1組の業務体
制、移動が不自由な障害者に配慮して建てられた社宅、知的障害のある社員に対しては、簡単な反復作業
ができるように長期訓練を根気よく行っていること、それぞれ自分の弱点を補うために考案された道具を
使っていること等々。こうしたオムロンの試みには、今、多くの人たちによって叫ばれている「人本主
義」の企業理念が反映されていた。企業が単なる営利目的だけでなく、それを手段として、社会貢献とい
う理念に根ざし、社員が幸せな生活が送れるように努め、研鑽を続けている点に感銘を受けた。
なお、オムロンの太陽工場では福祉と企業収益のバランスがきちんと保たれていた。前述のように、太
陽工場にとって利益の獲得は最終目的ではなく、手段に過ぎないが、福祉と収益のバランスをとるという
ことはとても重要なことであり、社員の幸せを実現するためには不可欠な要素でもある。
太陽工場では、作業効率のアップについても十分考慮されていた。社員の手で工具箱が斜めに設置でき
る自動昇降装置が開発され、作業時に道具箱内の状況が目で確認できるようになっていた。こうした社員
の提案を重視し、作業を1秒単位、さらには0.1秒単位で短縮する工夫がなされていた。
「磨刀不誤砍柴工(訳注:柴を刈る前に刀をよく磨いたほうが時間の無駄がなく、かえって後の作業に
役立つという意味)」という言葉は、中華民族が代々伝えて来た貴重な教訓だが、現代の日本人によって
効果的に実践されていた。日本が戦後わずか数十年の間に経済発展を遂げて先進国となったのも、国民の
強い意志と細部を重視する真摯な姿勢があったからであり、「笨鳥先飛」(訳注:誰よりも先に物事に真面
目に一生懸命取り組み努力することで鈍才をカバーするという意味)的とも言える我慢強さと瞬発力を抜
きに語ることはできない。
今日、普通の日本人の親切さと温かさを肌で感じた出来事があった。同行の友だちが京都から中国に絵
葉書を送ろうとしていたが、新幹線が出発する時間になっても切手を買えないでいた。駄目で元々という
思いで車を待っていた若いカップルに絵葉書の投函を頼んだところ、気軽に応じてくれた。その誠実で親
切な笑顔を見てすっかり安心した。少しの戸惑いも警戒心もない態度だった。中国の友だちもすぐに京都
の燃えるような紅葉を見ることができるだろうと思った。
日付:11月25日(木)3日目
大学名:国際関係学院
氏名:李巧
今日のスケジュールは盛りだくさんで充実した楽しい1日だった。午前はトヨタの元町工場で自動車の
生産ラインを見学した。巧みなハイテクの運用に感服した。生産ラインの各工程、工程間の連結も十分ス
ムーズで効率的だった。説明を聞いた後で見学し、トヨタのクルマ作りにおける厳しい要求について深く
知ることができた。不合格製品は次の工程に送らないという原則が生産ライン全体を通じて徹底されてい
た。機械を使ってミスを防止するだけでなく、万全な品質保証を目指して目視による検査が随時行われて
いた。こうした品質に対する厳しい態度によって、トヨタは消費者の信頼と人気を博しているのだと思っ
た。より良い商品とより良い思考、完璧を追求する姿勢がクルマ作りの全プロセスに反映されていた。
車中で美味しいお弁当を食べた後、一行は静岡県の農林技術研究所を見学した。研究所は静かな敷地の
一角にあり、主に茶葉や果物について環境面の研究を行っていた。また、研究所はさまざまな新品種を開
発し、人々に豊富で多彩な食品とそれらを食べる喜びを提供していた。環境面では、土壌の栄養と生態バ
ランスの維持に関する研究が印象的だった。例えば、土壌にどのように微生物を利用するか、量のコント
ロールや用法の研究はどれも環境にとってメリットのあるものだった。
日本の農業人口は年々減少傾向にあるため、農業の規模化経営を実現して安定的な農業生産を保証する
ための実践と研究も行われていた。中国農業の今後の発展は技術的サポートと生態環境、生態システムの
詳細な研究と保護にかかっていると思うが、中国農業の発展について考えさせられた。
1日の長いスケジュールをこなし、箱根に到着した。温泉に浸かり、和食を食べ、畳の上に布団を敷いて
眠るなど、日本の文化を体験して理解を深めることができた。この日本訪問の旅がみんなにとって実り多
いものでありますように‥‥。
日付:11月25日(木)3日目
大学名:中国伝媒大学
氏名:董超君
今日も忙しい一日だった。疲れていたが、温泉に浸かったおかげで、布団の上でこうして日記が書ける
までに回復した。
午前8時に名古屋を出発して愛知県の豊田市に向かった。トヨタの生産プロセスが見学できるというこ
とでワクワクしていた。トヨタ自動車の元町工場では、説明担当者と案内係りの女性に引率されて自動車
の生産プロセスの一部を見学した。三好さんが言っていたトヨタの「現地現物」主義についての理解が深
まった。
実践は経験の源。特に製造業においては、より良い製品を作ること、高品質の製品をいかにより迅速か
つより適切に作るかは、生産者が考えなければならない問題である。これらの問題を解決する最も直接的
な方法は、実際の生産で経験を蓄積していくことだと思うが、トヨタ自動車の生産ラインにはこうしたセ
オリーが的確に反映されていた。生産中にトラブルが発生したときにすぐに手が届くようになっている警
報装置、厳密なトラブル解消時間についての規定、生産の独立性と統一性の融合、どれもトヨタが高品質
の製品を効率良く生産するための基盤になっている。
次にトヨタ会館を見学した。魅力的なハイブリッドカー、トランペットの演奏ができるロボット、トヨ
タの未来型コンセプトカーを見学した。要するに、企業の生命力と活力の源はイノベーションにあると
思った。
午後は豊田市から磐田市に行き、静岡県の農林技術研究所を見学した。故郷の浙江省と静岡県が友好都
市関係にあるので親近感を覚えた。農林技術研究所では、土井研究員の説明を聞いて静岡県の農林産業の
概況について理解することができた。産業分布、農林技術の開発と応用、人気商品など、静岡県の農業は
日本の農林業の縮図だと思った。土井さんの説明によると、温室で見た真ん丸いメロンは東京では相当高
い値段で売られ、とても美味しいという。自分もいつか食べてみたい。
日付:11月25日(木)3日目
大学名:北京大学
氏名:郝宇清
日本に着いた日、日本はトヨタ車が多いことに気づいた。トヨタのエンブレムを付けた車を至る所で目
にした。自分が見た車の70%がトヨタ車のような気がした。少し不思議な気もするが、日本人は特別「国
産車」が好きなのだろう。中国ではVW、広州ホンダ、AUDIなどいろいろな車が走っているのに対し、日
本人がこうも国産車を評価しているのはなぜだろう‥‥。午前、トヨタの元町工場を見学した。工場では3
本の生産ラインを見学した。この3本の生産ラインはトヨタのオートメーション化のレベルを反映するもの
だった。その象徴的なものがロボット溶接だ。トヨタでは、危険な溶接作業はロボットを使って行ってい
る。どのロボットも首の長い恐竜のような形状で、その先端部分を使って溶接していた。「恐竜」の首が
クルクルと動き、作業のスピードは思ったよりもずっと速かった。2列に並んだ「恐竜」が同時に作業をす
るのだが、その効率の高さに目を見張った。日本のロボットはスゴイとは聞いていたが、まさに百聞は一
見に如かず。ロボットを使うことは、効率アップ以外にも、人間が作業するときの危険を回避することが
できるので、個人的には大賛成だ。やはり科学技術こそが第一の生産力だ。
次に、トヨタの最近の車を展示しているトヨタ会館を見学した。クラウン、カムリ、レイツなど、外観
をはじめ、あらゆる面で優れていた。だからこそトヨタは日本の自動車市場でトップシェアを維持してい
るのだろう。
トヨタ会館で興味深い光景を目にした。トヨタ会館を自由見学しているとき、日本の小学1年生ぐらいの
団体が社会見学に来ていた。私たちが写真を撮っている間、小学生は邪魔にならないように写真撮影が終
わるまで端の方で待っていてくれた。その様子を見て、私はハッとした。中国で同じような光景を目にす
るようになるのはいつのことだろうか。子どもはさておき、大人でもこうしたことができるようになるに
は10年以上かかるような気がする。こんな考えをしているうちに、気持ちがゲンナリしてきた。
トヨタ会館にはまだ面白いものがあった。ロボットのラッパ演奏が素晴らしかった。上海万博日本館の
飛び跳ねるロボットも思い出された。いよいよロボット時代の到来か。
昼は時間の都合により車中で弁当を食べた。おかずはたくさんあったが、肉中心で野菜が少なかった。
日本は野菜の値段が高いからだろう。おかずごとに仕切られ、きれいだった。日本人は何事に対しても本
当に細かい所まで気配りをする。日本人が北京大学の学生食堂で食事をすることになり、そのおかずを見
たらどう感じるだろうか‥‥。
午後は静岡県の農林技術研究所を見学した。先進的なビニールハウスは低コストのプラスチック素材
で、中に入ると温度と湿度のメーターがあった。1本のツルに1つのメロンしかなっていないのが不思議
だったが、責任者の説明によると、これはメロンの品質を保つためで、1本のツルに1つのメロンというふ
うに育てることで、栄養たっぷりのメロンができるという。なんとこのメロンは東京で1つ20,000円で売
られているということだった。
2時間半ほど山道を走り、車酔いで気分が悪くなった。やっとの思いで箱根温泉旅館に着いた。これま
でのホテルと違って日本の伝統的な旅館を体験することができる。温泉に入り、畳の上で寝る。気分は最
高。夜は懐石料理を食べ、幸せな気分になった。夕食は親睦会となり、学生たちが得意な芸を披露して楽
しい時間を過ごした。夕食後は温泉で1日の疲れを癒した。なんという気持ちの良さ、たまらない。眠く
なってきた‥‥。畳の上で寝る感覚を体験することにしよう。
日付:11月26日(金)4日目
大学名:北京理工大学
氏名:馮驥
おととい潘先生から勧められて飲んだアサヒスーパードライは実に美味しかった。北京でもアサヒビー
ルを飲んだことがあるが、正直、味が違うと思った。特に黒ラベルは、日本のほうが口当たりが良く、苦
味がきいているのに比べ、中国のそれは漢方薬のような味がする。
アサヒビールの工場で働く人たちの仕事ぶりを見て考えた。設備と技術は中国のビールメーカーとほと
んど差がないのに、なぜ日本と中国のビール工場で作るビールに違いが生まれるのか‥‥。それは原料
(水など)が違うという以外に、日本の作業員の細かい所も決しておろそかにしない姿勢によるのかもし
れない。これほどの口当たりの良さは、量産化という基準で計れるものではなく、各プロセスに十分気を
使ってはじめて良質の製品ができるのだと思う。日本で「不合格品は次の工程に送らない」という言葉を何
度も耳にした。
午後は住友商事を見学した。正直、とても驚いた。一企業でこれほどの規模を持ち、完璧な産業チェー
ンとバリューチェーンを形成している企業は、世界中を探してもないだろう。それは数百年に及ぶ蓄積と
発展プロセスによるものだが、こうした企業ではリーダーの想像力や度量、見識が試されると思った。ど
の企業も規模化と強大化を追求するものだが、「大きい」「強い」とはいったい何を意味するのだろう
か。国内で1番ということか、或いは世界で1番ということなのか。住友商事は既に完璧な企業ではある
が、この完璧さのさらに上を目指すことも不可能ではない。以前受講した講座で「完璧とは最高の状態より
もほんの少し良い状態のことだ」というのを聞いたことがある。住友グループは達成不可能なことを達成し
たのではなく、自らを常に良い方向に変化させて来ただけのことだ。
日付:11月26日(金)4日目
大学名:北京外国語大学
氏名:張瀚之
神奈川県はアニメの「スラムダンク」に出てくる湘北高校のある場所だ。アサヒビールの工場は静かな
小都市にあった。山々に囲まれたビール工場は、知らなければなかなか見つけることができない場所に
あった。これほど自然環境の美しい場所に大きなビール工場があるとは思いもよらなかった。
アサヒビールの神奈川工場で最も印象的だったのは、やはり環境への取り組みと考え方で、廃棄物の
100%リサイクルや緑化が行われていた。今回の工場見学を通じて、日本企業の自らの責任に対する積極的
な取り組みについて考えさせられた。中国では工場見学をしたことがないので、中国の工場がどのように
運営されているかはよく分からないが、テレビでは工場周辺の深刻な環境汚染が報道されている。日本で
もすべての工場がアサヒビールの神奈川工場のように自然との融合を目指しているというわけではないか
もしれないが、中国の工場も日本の工場も、ないしは世界の全ての工場は環境について考え、そのための
努力をすべきだと思う。開発、破壊、回復、再保護という過ちを繰り返してはならない。二度と回復でき
ない自然環境もあるのだから‥‥。
午後は住友商事の本社を見学した。商社のような企業形態は日本独自のものであって、これも日本の国
情から生まれたものだと思うが、商社が日本の発展にこれほど大きな影響を及ぼしているとは知らなかっ
た。住友商事は日本を代表する商社で、事業は社会生活の各方面に及ぶ。世界中に拠点があり、日本経済
に貢献している。中国の企業は国営企業にしても民営企業にしても、自分の知る限り、住友グループのよ
うな多国籍企業はない。中国企業もさまざまな事業を行っているが、それぞれの分野で上位にランクイン
している企業はまだない。中日両国はその国情の違いもあって経済の発展モデルや企業形態が異なる。経
済では、中国は日本を抜いて世界第二の経済大国になったが、企業を見た場合、中国企業のレベルは日本
に比べやや劣っているように思う。今後、中国が総量だけではなく、各方面で日本を追い抜いてはじめ
て、米国に次ぐ正真正銘の世界第二の経済大国ということになるのだと思う。
日付:11月26日(金)4日目
大学名:北京大学
氏名:閻晗
今日の午前中はアサヒビールの工場を見学した。ビールの醸造は原料選定、糖化、発酵、容器詰め、最
終品質検査などの工程に分かれていた。ホールに原料の麦芽とホップが展示されていた。糖化工程では直
径数メートルの円形の発酵タンクがスペース一杯に整然と並んでいた。糊化タンク、糖化タンク、麦汁濾
過タンク、煮沸タンクに段階的に麦芽、ホップ、その他の原料を入れてビールが醸造される。500m3の発
酵タンクを使って醸造するが、これは1人が毎日1瓶を飲むとして3,960年分の量に相当する。容器詰め工
程は1本のラインになっていてカートン詰めと検査が行われていた。缶ビールの場合、1分間に1,000本の
容器詰めが可能で、カートン検査で不合格になったものは生産ラインのバイパスを通ってはずされる。不
合格品は作業員によってまとめられ再度検査が行われる。ラインにはほんの数人の作業員しかいない。容
器詰め工程も不合格品の運搬と設備の保守を行う数人の作業員がいるだけだった。高度にオートメーショ
ン化された日本の工場では、人と機械が最大限にその機能を発揮するようになっていた。アサヒビールの
機械化された生産現場では人はそれほど必要ではないが、ビールの鮮度管理はどうしても人が試飲するこ
とになる。
また、環境と生態保護への取り組みについての説明を受けた。工場は生産工程を改良することでCO2排出
量を削減し、1瓶当たりの用水量を節約しているという。ソーラーエネルギーを最大限に利用し、廃棄物の
100%リサイクルでは50種類以上の分別が行われていた。制服も廃棄ペットボトルからの再生品だった。
ビール瓶は1瓶当たり年3回回収され、瓶の平均寿命は8年という。木を植えて生態環境の保護にも努めて
いる。これらはすべて日本人が自然に対し畏敬の念を持っていることの表れであり、日本人には自然から
得られるものは全て自然の恩恵だという考え方がある。人は自然から何かを得たいのであれば、自ら進ん
で自然を保護していかなければならない。ここに自らの生産活動が環境に与えるマイナス効果を考え、積
極的に自然を保護していく日本企業の原点がある。
午後は日本の三大商社の一つである住友商事を見学した。商社は日本独特の企業形態であり、商社の手
がける事業は各分野に及び、地域的にも複数の国と関係し、貿易と高付加価値商品の生産を利益獲得の手
段としている。商社が日本に誕生した背景には歴史的要因があり、商社は時代の移り変わりとともにさま
ざまな機能に重点を置いてきた。戦後の復興期は軽工業品の輸出入に力を入れて外貨獲得に努め、経済成
長期は原材料と技術の導入によって市場開拓と貿易機能を発揮して発展の基礎を築いてきた。グローバル
化によって生じる課題に直面するようになった1980年代以降は、資源エネルギーの開発に乗り出し、さま
ざまな方法で市場の情報をすばやく収集し、新規事業を開拓するなど、新しい時代の刻々と変化する環境
に対応して来た。商社の環境の変化に対する強力な即応性が、生存のための原動力になっている。
住友商事の事業分野は、金属から自動車、機械、化学品、電子製品、資源エネルギーに至るまで、あり
とあらゆる分野を網羅し、原材料の調達から加工製造、最終的な販売までできる。多くの企業が強み資源
を集中させている時期に、商社は豊富な資源を使って市場を開拓し、利益を獲得してきた。
住友商事の中国での投資は合弁、独資、日本メーカーとの提携による工場建設に分けられる。また、イ
ンフラ建設や資源貿易など、その幅広い事業分野も特徴として挙げられる。こうした他国に頼ったインフ
ラ建設は、グローバル化によってもたらされた成果であると同時に、それは潜在的危機に直面しているこ
とでもあり、中国にとっては自力でインフラ建設を行うことが非常に大事になる。初期の蓄積段階が終了
し、商社の視線は発展途上国の未開発資源と豊富で廉価な労働力に移り、中国沿海都市の保税区に工場を
建設してより良い発展のための資源を獲得している。また、高付加価値加工を通じて発展途上国からも利
益を得ている。こうした提携はウィンウィンの関係だと思うが、発展途上国からすれば、自国の民族産業
が発展した後に外資系企業と提携することではじめて真の競争力がつくのだと思う。
日付:11月27日(土)5日目
大学名:北京理工大学
氏名:胡鵬飛
午前9時半、幸運にも訪日団メンバー中一番にホストファミリーの岡田さん一家と会うことができた。岡
田さんはFacebookの写真とは雰囲気が少し違っていた。逞しいというよりもやさしい感じがして親近感を
覚えた。こうして日本でのホームステイが始まった。緊張と興奮で胸が一杯だった。
ホテルを出た後、3人で前から約束していた科学館を見学した。宇宙専攻の学生だということで、気を
使って宇宙関係の博物館をいくつか用意してくれていた。若者が集まる場所にも行ってショッピングを楽
しむなど、日本の若者の生活を体験した。奥さんも親切でいろいろと気を使ってくれた。いつもにこにこ
笑っていた。僕たちはすぐに仲良くなった。まるで長い間会っていなかった友人に会えたような喜びを感
じた。
岡田さんは中国語が話せるので、何の不自由もなく交流ができた。地下鉄カードを購入するとき、岡田
さんが僕の日本名を言ってカードを作ってくれたのは本当に嬉しかった。地下鉄に乗ると、岡田さんと僕
は最近の北京のあれこれについて話をした。北京を離れてもう20年になるということだったが、北京のい
ろいろな地名が話題にあがった。小さい頃に数年間過ごした北京での生活がとても印象的だったようだ。
当時の北京はまだ多くの馬車が走り、三里屯の辺りも普通の地味な場所だったという。北京での生活は今
のように地下鉄もあればバスもあるといった便利なものではなかったともいう。二人で北京のこの20年間
の変化をしみじみ思った。岡田さんの奥さんは中国語が話せないが、ずっと熱心に僕と岡田さんの会話に
耳を傾けていた。中日の文化には共通する部分もたくさんあるし、岡田さんの通訳もあって三人ともすぐ
に打ち解け、家庭的な雰囲気を味わうことができた。
11時頃、科学館に到着した。まず「宇宙館」を見学した。館内には日本が発射した衛生やロケットのエ
ンジンが展示されていた。岡田さんと奥さんに衛星発射の原理などを説明したり、中国の最近の宇宙事業
について紹介したりした。また「神舟5号」について説明しているパネルもあった。岡田さんはそれを読
んで中国の宇宙科学技術に驚き、将来、中日両国が青空の向こうの宇宙空間を共同開発できたらどんなに
いいかと語り合った。一番面白かったのは「宇宙飛行士テスト」だった。テストの問題はどれも簡単で、
宇宙専攻の僕はアッという間に問題に答え、次の宇宙船のシミュレーション操作に移った。ちょっと難し
かったが、僕と岡田さんの息のあった共同作業でクリアーした。当然、日本の宇宙技術や陳列されていた
模型を見ることになったが、日本も航空宇宙技術の進んだ航空宇宙大国であることを実感した。展示品に
しても岡田さんと一緒に遊んだゲームもおしゃべりもとても楽しく、宇宙事業の輝かしい未来を思った。
科学館を見てからすぐに横浜港に向かった。横浜港がどこにあるか知らなかった。中国の港と同じよう
に巨大な埠頭とコンテナがあるだけだと思っていたが、横浜港の美しい景色にはまったく驚いた。黄金色
の銀杏の樹と赤や緑の木が植えられ、夕焼けが空をオレンジ色に染めていた。海面がキラキラ輝き、海と
空の境界線が滲んで霞んでいた。ゆったりと停泊中の大型石油タンカーにはたくさんの白いカモメがとま
り、空にはさらにたくさんのカモメが気持ちよさそうに飛び交い、人々が投げるパン屑を奪い合うよう
にして食べていた。港をゆっくりと散歩するカップルの姿。海風とともに何とも言えない幸福感がこみ上
げ、美しい景色にひたりきった。ずいぶん長い間散歩してから港を離れた。
何回か地下鉄を乗り換えた後、バスに乗って家に着いた。雄輔君とミキさんに会った。雄輔君は早稲田
大学付属高校の生徒で、第二外国語で中国語を勉強している。部屋に入るやいなや可愛らしいアクセント
の混じった中国語で挨拶をしてくれ、とても親しみを感じた。雄輔君は高校のラグビー部の選手でもあ
る。大学入学後は早稲田大学と北京大学の両方で学位を取ることを計画している。「その時は必ず訪ねて
ほしい。あちこち北京を案内するから」と言った。ミキさんは小さくて可愛らしかった。ずっと体操部で
体操を習っている。岡田さん一家のために中国のプレゼントを用意していた。こうして親切に中国の大学
生を受け入れてくれた一家へのお礼の気持ちだ。
少し休んで7時ごろ食事に出た。日本風鍋!とても美味しかった。奥さんが料理を勧め、ミキさんも飲
み物をおかわりしてくれた。美味しい食事に舌鼓を打った。食事の間も中国と日本の教育の違いや卒業後
の進路について話したり、雄輔君の将来の中国旅行のアドバイスをしたりした。2時間ほど食べて家に戻っ
た。家に戻るとすぐに日本で撮った写真を中国にいる友だちにインターネットを使って送った。中国の友
だちは日本の食事、風景、街の様子に驚き、ホームステイを羨ましがった!昼間、あちこち見て回ったの
ですぐに寝て、明日の「冒険の旅」に備えた。
日付:11月27日(土)5日目
大学名:北京外国語大学
氏名:鄭穎
今日から2日間のホームステイが始まった。この日が来るのを楽しみにしていた。この数日、日本語を話
す機会があまりなく、企業見学だけだったが、ホームステイは日本語を話し、日本についての理解を深め
る絶好の機会だ。日本の一般家庭に入り、一緒に出かけ、食事をし、おしゃべりして初めて直に本当の日
本人と触れ合うことができるということで、みんなホームステイには期待していた。
朝、一行は日中経済協会へ行き、ホストファミリーが迎えに来てくれるのを待った。ホストファミリー
を待っている間、やっと私の「出番」がやってきた。団員のみんなに日本語の日常会話を教えるのだ。み
んな懸命に日本語を覚えようとしていた。そうこうするうちに私の「大家さん」が来てホームステイがい
よいよ始まった。
「大家さん」の星野裕史さんは日立にお勤めで、奥さん、息子さん、娘さん、それにハムスターの「5
人」家族だ。星野さんはとても親切で、まずスターバックスに入ってお互いのことを紹介し合った。そ
の後、息子さんにドーナツを1箱買った。途中、奥さん(以下、「お母さん」と呼ぶ)から電話があり、
チャーシュー入り中華まんじゅうを作ったけれど失敗してしまったので、皮を買って来てくれとのこと
だった。私のためにわざわざ中華料理を作ってくれているのを知り、とても嬉しかった。それに日本の
スーパーでは出来合いの「皮」が手に入るのか、とても興味があった。結局、チャーシュー入り中華まん
じゅうの皮は見つからず、そのまま家に帰るのかなと思ったが、お父さんは替わりに似たような皮を見つ
けて買って帰った。本当によく気の利くご主人だと思った。
午後、浅草寺と皇居へ行った。皇居はとても美しく、木がおい茂り、広々とした芝生があった。その日
はちょうど皇居の周りでマラソン大会が行われていた。日本人はマラソン好きだ。マラソンには何の制約
もないので、老いも若きも誰でも気軽に楽しめるスポーツだ。皇居では近代的な都市と歴史を感じさせる
皇居が織りなすコントラストが特に印象的だった。現代的な日本と伝統的な日本の見事な調和がそこに
あった。
星野さんの家は少し特別で、アメリカナイズされていた。一家はシンガポールに3年、中国に2年滞在し
たことがある。息子さんは今年10歳。シンガポールで生まれているので、これまでの人生の半分を海外で
過ごしたことになる。娘さんはシンガポールではイギリスの学校へ通っていたので、とても流暢な英語を
話す。お母さんは結婚で仕事を辞め、あるお店のお手伝いをしている。お母さんもお父さんも日本の歌や
ドラマのことを余り知らないが、アメリカのドラマや映画にはとても詳しい。要するにアメリカナイズさ
れた家庭だと思った。
夜の浅草はとても賑やかだった。日本のドラマによく出てくる居酒屋を見ることもできた。その後、息
子さんの小学校の「肝試し」に行った。学校がお化け屋敷になっていてスリル満点だった。こんなに楽し
い催しは中国ではあまりお目にかかれない。それから近くの銭湯に行き、色々なお風呂を楽しんだ。帰り
道、小さな神社をお参りした。そうだ!浅草では久しぶりにゲームをして、日本に来てから一番辛いラー
メンを食べた。とても充実した一日だった。
日付:11月27日(土)5日目
大学名:中国伝媒大学
氏名:潘月
今日は清水さん夫妻に会った。清水さんはまだ新婚で、二人とも三菱に勤めている。まず、日中経済協
会の近くにある神社に行った。ちょうど結婚式が行われていて、黒い布越しに新郎新婦の姿が見えた。新
婦は白無垢を、新郎は黒い着物を着ていた。新郎新婦の前では、二人の赤い着物を着た人が舞を踊り、と
ても厳かな雰囲気だった。清水さん夫妻に参拝の仕方を教わり、見よう見まねでお願い事をした。
続いて、東京大学に行った。清水浩行さん(32歳、ホストファミリー)も東京大学出身ということで驚
いた。清水さんは背がスラリとしていて優しく、ずっと私の荷物を持ってくれた。東京大学のキャンバス
では、40‐50歳の人たちが思い思いの場所に座ってスケッチをしていた。東京大学は北京大学よりも欧米
的な雰囲気がした。建物は北京大学と同じように古いが、至る所に当時の文明開化の跡を見て取ることが
できた。
次に旧岩崎邸庭園を見た。この庭園は1896年に建てられ、西洋と日本の伝統的様式を融合させた造り
になっている。パンフレットには新しい日本を象徴する代表的な建築だと紹介されていたが、このことか
らも日本人の西洋文化に対する考えや姿勢を知ることができる。一方、中国では西洋の様式と中国様式の
融合は一種のイノベーションという捉え方をし、それを新中国誕生のシンボルとでも言おうものなら「西
洋かぶれ」との批判を免れない。それに対し日本人は当時の西洋文明は優れていて、それを学ぶのは誇ら
しいことだと考えた。個人的な意見だが、やはりよその国を必要以上に崇めるのはあまり好ましいことで
はなく、民族の誇りと民族の最もコアな部分は大切にすべきだと思う。とは言え、日本人の進取の気概は
見習うべきだと思う。日本人のこうした謙虚な姿勢も日本が飛躍的な発展を遂げた理由の一つであるから
だ。
最後に銀座に行った。中国の王府井と同じく贅沢品ばかりで、高くて手が出なかった。買えそうな物も
あったが、やはり値段が高く、しかも「made in China」だった。
やっと清水さんの家に着いた。3階建てのマンションの一室で、それほど広くはなかったが、設備は整っ
ていた。洗面所、浴室、トイレがそれぞれ独立して3つに分かれていた。また、部屋の中は非常に清潔で、
髪の毛一本落ちていなかった。(髪の毛が落ちていれば、奥さんの幸代さんがすぐに片付けるというのが
後で分かった)。夕食をみんなで一緒に作った。色々な具の入ったスープ、日本の魚、カボチャサラダ。
一人分ずつ器に盛られ、食器の下には奥さんのお母さん手作りのランチョンマットが敷かれ、箸置きも用
意されていた。心を込めて夕食を用意してくれた奥さんの気持ちが伝わって来た。食事を終え、私が「ご
馳走様でした」と言うと、清水さん夫妻はとても喜んでくれた。この「ご馳走様でした」という言葉は、
今日のお昼にラーメンを食べた時に教えてもらったばかりだ。ずいぶん覚えのはやい子だと思われただろう。
夜は私が一番先にお風呂に入った。バスタオル、フェイスタオル、ボディソープが私用に用意されてい
た。箱根の温泉と同じだった。洗い桶や椅子まで同じだった。奥さんの幸代さんはお風呂の入り方を一つ
一つ丁寧に教えてくれた。まるで保育園の先生のようだった。
日付:11月27日(土) 5日目
大学名:北京大学
氏名:王鶩
今日のホームステイはとても思い出深いものとなった。ホストファミリーは棟方直比古さんと奥さんの
Yokoさん、それに息子さんのShun君。Shun君は法学部の学生だ。10年程アメリカにいたので英語が堪能
で、英語で話をした。
日本人家庭の夕食のマナーにはとても驚いた。家での食事だったが、7時30分から10時30分まで日中経
済や中米関係、中国と日本の今後の展望などについて話しながら食事をした。60歳の棟方さんはとても快
活でユーモアたっぷり、会話がとても弾んだ。また、家には工芸品や観葉植物が沢山飾られ、とてもセン
スがあった。棟方さんの家の環境はすばらしかったが、棟方さん自身は“it is the most expensive place in
Tokyo,but I am the poorest guy in this building”と言っていた。おそらく謙遜しての言葉だろう。
今日は皇居にも行った。自然に皇居と紫禁城を比べていた。皇居は大きな庭園といった感じだった。濠
は左右対称というわけではなく、道も真っ直ぐではなかった。一方、紫禁城は中国の伝統的な建築様式と
構造になっている。今の日本の天皇は国の象徴であって実質的な権力はない。中国は皇帝がいなくなって
からもうすぐ100年が経とうとしている。かつて聖域とされた二つの場所は今では市民の憩いの場や朝の
体操の場となっている。
明日は富士山に行く。忘れられない旅になるだろう。
(補足がある。これは翌日に思い出して書き加えたものだ。当日、棟方さんは日本酒、焼酎、ワインの3
種類のお酒を用意し、好きなお酒を選ぶように勧めてくれた。日本の酒は口当たりが軽く、さっぱりして
いた。本当は私も五粮液を棟方さんに贈ろうと思っていたのだが、税関で引っかかり持って来ることがで
きなかった。また縁があれば棟方さんには是非五粮液をプレゼントしたい)。
日付:11月28(日)6日目
大学名:北京外国語大学
氏名:張萌玥
今日はホームステイの2日目、朝8時30に起きた。「お母さん」が優しく「おはよう」と声をかけてくれ
た。私が贈ったプレゼントをよく目立つ所に大事に飾ってくれていた。アツアツの栄養満点の朝ご飯をす
ませ、さぁ、出発だ。まず娘さんと息子さんのテニス教室を見に行った。その前に「お父さん」が私のリ
クエストに応えてゴミ置き場に連れて行ってくれた。マンションを出る時に訊いてみると、何と築20年だ
という。しかし、20年の「歴史」は全く感じられず、中も外もまだきれいで、中国の築20年以上の住宅と
は全く比べ物にならないと思った。周りの環境も衛生的で整然としていた。緑や川もあり空気が澄んでい
た。公共プールや地域の小学校、保育園の設備も完備されていた。「お母さん」の話によると、2人の子ど
もが毎週公園でテニスの練習をしているが、10歳になる頃にはとても上手になっているそうだ。娘さんは
他にもバレーを習っているというので、2人に疲れないか訊いてみると「疲れないよ。楽しい」という答え
が返って来た。
お昼ご飯は家の近くのショッピングモールでラーメンを食べた。とてもこってりとした味だった。そこ
で見た日本人の子どもの教育方法がとても印象的だった。お母さんはラーメンを買うために列に並んだ
が、そのとき外国人の私に6歳になる子どもを付き添わせたのだ。お母さんの目配せ一つで、まだ小さな息
子はその意味を察し、ずっと私に付き添ってくれた。こんなに小さいのに、ここまで何でも分かっている
のは、素晴らしい家庭教育の賜だと思う。また「お父さん」も「お母さん」も子どもを尊重しつつ、子ど
もの行動に気を配り「褒めたり」「叱ったり」していた。このように小さい時から子どもを尊重しながら
育てるのは、子どもの自信を育むのにとてもいいことだと思った。
他にも印象的だったのは日本人の細やかさだった。自分自身でさえ気に留めていなかったような些細
なことでも「お母さん」はちゃんと覚えていて、私の希望をかなえようと今日の準備をしてくれてい
た。本当に至れり尽くせりといった感じだった。例えば、何気なく友だちがアニメのグッズを欲しがっ
ていると言うと、「お母さん」はアニメのお店がどこにあるか何人もの人に訊いてくれた。また、別れ
る時に「お母さん」から「大きなプレゼント」をもらったが、その中には嵐のカレンダー、和菓子、敬
語の使い方ガイドが入っていた。私が「嵐」のファンであること、和菓子をお土産にしようと思ってい
たこと、敬語の使い方が難しいと言ったことを覚えていて、プレゼントしてくれたのだ。このプレゼン
をもらった時は、本当に言葉では言い表せないくらい感動した。感謝の気持ちで一杯になった。この経
験は一生の宝物だ。
夜はみんなでお台場に行った。お台場のショッピングセンター自体は中国とあまり変わりないが、
「自由の女神」と「マンハッタンブリッジ」を見て日本人は「アメリカ」が好きなんだなと思った。
日付:11月28日(日)6日目
大学名:国際関係学院
氏名:黄暁楚
朝7時、亀川さんの奥さんと5歳の息子さんの「おはよう」という優しい声で目が覚めた。朝から日本
語を聞くというのは何とも新鮮な感じがした。
朝食はサラダ、フルーツ、ベーコンエッグに日本茶だった。朝食を食べながら亀川さんと若者の就職
や高齢者の生活について話しをした。亀川さんに中国の状況を話した。亀川さんの話では、日本の老人
は中国の老人と違って、みんなで広場に集まってダンスをしたり一緒に活動したりすることはあまりな
いそうだ。
午前9時、亀川さん一家3人と地下鉄に乗り都庁に行った。都庁は東京の政府だが、都民の多くが都
庁の建物はお金をかけ過ぎていると批判していると、亀川さんが言った。都庁は威厳のある建物だった
が、どこでも笑顔が見られ、観光客にも親しみが持てた。エレベーターに乗り、アッという間に45階
に着いた。今日の東京は快晴で、45階からは東京のパノラマが一望でき、遠くには微かに富士山も見え
た。45階の喫茶店でコーヒーを飲んでから、タクシーに乗り明治神宮に行った。そこで日本の伝統的な
結婚式を見たり参拝を体験したりすることができた。一台の新車が停められていた。亀川さんが言うに
は、しばらく新車をそこに置いて安全祈願をしているのだという。
それから歩いて竹下通りへ行った。竹下通りは細い道路に沿った商店街で、道の両側のショップには
売り物が所狭しと並べられていた。店員さんが大きな声でお客さんに声をかけ、お目当ての商品を求め
る個性的なファッションをした人たちで賑わっていた。
竹下通りを過ぎ、近くの大型百貨店に行った。百貨店には日本の伝統工芸品の店があった。どれも珍
しく素晴らしいものばかりで、すっかり見入ってしまった。フランスの有名ブランドのシャネルやディ
オールの店もあり、優雅で気品のある佇まいに思わず立ち止まって見とれてしまった。
それから地下鉄に乗って東京大学に向かった。大学の門をくぐると、銀杏並木が続いていた。書物の
香りの染み付いた銀杏の木が、忙しそうに行き過ぎる学生や観光客を静かに見つめているようだった。
東京大学の建物は西洋風の建築でとても古く、ハーバード大学を連想させた。東大は130年の歴史があ
り、日本の最高学府だ。静かなキャンパス、美しい風景、これまでに培ってきた歴史と文化‥‥、東大
の学生さんが羨ましくなった。
話をしているうちに、亀川さんが早稲田大学出身であることが分かり、尊敬の念が湧いてきた。亀川
さんも母校の早稲田大学が中国で有名だと知り喜んでいた。
午後4時、亀川さん一家がホテルまで送ってくれた。素敵なプレゼント——赤漆のオルゴールのジュエ
リーボックスをもらった。別れ際、亀川さんが「もう立派な外交官だね!」と言ってくれて本当に嬉し
かった。日本人の亀川さんは私を通して中国のことを理解してくれたのだ。日本と中国は儒教の影響をと
もに受けていて両国の世界観、価値観、人生観には共通する所が多いことを知った。両国が互いに意思疎
通を図り、理解し合う機会がもっと増えれば、日中両国の友好は更に深まり、これからも末長く続いてい
くと思う。
最後にいなや顔一つせず東京中を案内し、伝統的な日本料理をご馳走してくれた亀川さんご一家に心か
ら感謝したい。特に誠実に心から私と向き合ってくれたこと、中国を理解しようとしてくれたことに感謝
したい。
日付:11月28日(日)6日目
大学名:中国伝媒大学
氏名:付瀟
私は別れが大の苦手だ。今日は時間が遅くなってしまったので、西嶋さん一家がみんなが待つ台場まで
送ってくれた。地下鉄を出てから目的地までりりちゃんはずっと私の手を握っていてくれた。昨日までり
りちゃんの口から「おはよう」の言葉さえ聞くことができなかったが、24時間たった今、お母さんではな
く、りりちゃんが私の手をギュッと握りしめてくれている。りりちゃんはまだたったの2歳なので、このこ
とを忘れてしまうかもしれないけれど、「今のこの時」が私にとっては紛れもない真実であり、感動の瞬
間に思えた。
午後は時間の関係で、行きたいと思っていた原宿へ行けなくなってしまったことを西嶋さんと奥さんが
何度も謝ってくれたが、私はそれに「大丈夫、大丈夫」と返すのが精一杯だった。結局最後まで「原宿は
いつでも行ける。でも四人が鎌倉で過ごした大切な時間は一度きり、四人で一緒に過ごせたことに意味が
ある」との思いを伝えることはできなかった。この2日間、西嶋さん夫妻は何よりも私のことを考えてくれ
た。例えば、りりちゃんの「七五三」のお参りにも付き添わせてもらったが、わざわざ私に着物を着せて
くれた。団員の誰もがそう思っているかもしれないが、この2日間の私の体験が一番素晴らしく、有意義
だったと心から思っている。日本人の普段の生活、一家団欒の楽しい一時、中国に対する友好の気持ち、
これら全てを存分に感じることができた。西嶋さん一家と出会えて本当に良かった。こうした思いが何度
も何度も胸に込み上げて来た。
西嶋さんは、私に日本のお父さんは大変だということをレポートに書くようにと何度も念を押した。日
本に来る前は「日本の男性はみんな偉そうに威張っている」と思っていたが、西嶋さんはりりちゃんをあ
やして一緒に遊んだり、奥さんをいたわったりと、これ以上ないくらい家庭的で、西嶋さん一家と過ごし
ていると私まで温かい幸せな気持ちになった。異国の地で家族の温かさを分けてくれた西嶋さん一家に心
から感謝したい。最終日にまた会えるが、西嶋さん一人が来るということだったので、中国に帰る前の日
に奥さんとりりちゃんに電話をしようと思う。帰国してからもメールで連絡を取り合おう。日本に来るこ
とができて本当に良かった。本当にありがとうございました!
日付:11月28日(日)6日目
大学名:北京大学
氏名:閻晗
朝、目が覚めると、望月さんがキッチンで朝ごはんの支度をしている音が聞こえて来た。起きていく
と、望月さんの奥さんとまほちゃん、そして望月さんが中国語、日本語、英語で私に朝の挨拶をしてくれ
た。顔を洗ってから朝食までの間、まほちゃんとトランプをした。今朝の朝食は洋風で、卵と手作りジャ
ムを挟んだパン、ヤングコーン、冷たい牛乳、それに日本茶だった。日本人は中国人よりもよくお茶を飲
み、食後にもお茶を飲む。普段お茶を飲むときはお菓子も一緒に食べる。中国よりもお茶に対するこだわ
りが強いような気がする。美味しい朝食をすませてから、マンションの屋上へ洗濯物を干しに行った。あ
いにく富士山は見えなかったが、近くの公園が見渡せてとてもいい眺めだった。色とりどりの木々が水辺
を覆い、水面は波一つなく静まり返っていた。本当に素晴らしい住環境だった。
それから近くの100円ショップに連れて行ってもらった。1軒目のお店に着いたのは10時50分だったの
で、11時のオープンまで10分待った。日本の店の営業時間は短く、普通は午前11時から午後20時まで。
仕事を持っている人は平日の買い物は無理なので、週末にまとめて買い物をする。連れて行ってもらった
100円ショップは2軒とも可愛い物がいっぱいあった。特にキッチン用品と食器は良くできているのに値段
も手頃で、陶器の食器とお皿を数枚、黒い湯呑みを1つ選んだが、全部MADE IN JAPANだ。世界中に中国
製品が溢れる今、お土産に中国製でない物を選ぶのはとても難しい。
次に家の近くの公園へ行って一家と写真を撮った。週末の公園はとても賑やかだった。足こぎボートに
乗っている人、池の畔のベンチも人でいっぱいだった。公園の木はどれも大きく、少なくとも樹齢数十年
はありそうだった。黄色に色づいた木の葉がひらひらと舞い落ち、道を金色に染めていた。沢山の人が公
園に店を広げ、手作りの工芸品や絵を売っていた。日本人は手の込んだ物を作るのがとても好きなのだ。
どこか遠くから「ポーランド舞曲——チャルダッシュ」の音色が聞こえてくると思ったら、バイオリンを
弾いている人がいた。更に歩いて行くと大道芸をやっていた。手品師がみんなの人気者になっていた。野
外でのランチをすませて公園を出ようとした時も、まだ沢山の人が続々と公園に来ていた。人が多くて確
かに賑やかなのだが、北京の騒がしさとは少し違っていた。日本は人が多くても秩序があって騒々しいこ
とにはならない。また、人々の環境意識が高く、みんな公園を汚さないように心がけているので、人が多
くても散らかったり、汚れたりすることがない。公園で犬を散歩させている人も自分のペットの糞をきち
んと片付けているし、遊びに来た人も自分で出したゴミは自分で持ち帰り、その辺に捨てたりするような
人はいない。
昼食の後、望月さんとまほちゃんはペットのキャンディを連れて先に家へ帰り、望月さんの奥さんが食
料品店へ連れて行ってくれた。奥さんが言うように、日本人は食にうるさいと思う。食料品店は大型スー
パーぐらいの大きさで、いろいろな和菓子や洋菓子が売られていて、試食もできた。奥さんは私と一緒に
色々なお店を回ってくれ、どれが美味しくて日持ちがよいか教えてくれた。お茶も一緒に選んでくれた。
だいぶ長い時間あれこれ見て回ったが、奥さんは中国滞在経験もあるので、中国へのお土産には何がいい
かよく知っていた。奥さんに手伝ってもらったお陰で安くて美味しいいい買い物ができた。
望月さん夫妻と中国の就職状況について話し合った。望月さんの話では、日本企業は欧米の多国籍企業
に比べ実際の仕事の能力を重視していて、学歴やそれまでの成績が優秀だったからと言って、高い給料は
払わないということだった。これに対し今の中国はというと、激化する競争の中、大学院以上の学歴を持
つ人を採用する企業が増えている。公務員に対する考え方は日中両国で大差はなく、安定した仕事と高い
給料が公務員の魅力だ。
賢くて気の利くまほちゃんを通して日中の教育の違いを感じた。日本の親は子どもの自立を重視してい
る。子どもが自分で問題を解決できるようにと願っている。まほちゃんは毎日自分で学校へ行き、自分で
髪を梳かし、お風呂に入り、お母さんのご飯の支度を手伝う。私がお世話になった2日間も、まほちゃんは
私が必要な物を一番先に持ってきてくれ、買い物する時もお土産選びを手伝ってくれた。それから、まほ
ちゃんは頭を使うゲームが好きで、私は刃が立たず、すっかりお手上げ状態だった。天然パーマの可愛い
女の子、一緒に喜んで遊んでくれた女の子の印象は強烈だった。
お別れの時、望月さんの奥さんが連絡先を教えてくれた。今後も連絡を取り合い、また会おうと約束し
た。奥さんが桜の模様のノートと化粧品をプレゼントしてくれた。2日間のホームステイが終わろうとして
いる。時間が短過ぎてまだ解り合えていない事や一緒にできなかった事がまだまだ沢山ある。吉祥寺の駅
で奥さんとまほちゃんと別れた。この素敵な一家とこれからもずっと友だちでいたいと思った。
日付:11月29日(月)7日目
大学名:北京理工大学
氏名:劉冰妍
今日見学した日立中央研究所と一橋大学がとても印象的だった。研究は心を鎮めてそれに専念すること
が大事だと思った。
日立研究所は小高い丘の上のやさしい光の降り注ぐ絶好のロケーションにあった。まるで寡黙で学識豊
かな学者のような雰囲気を漂わせ、少しも派手な所がなかった。日立研究所は技術を何よりも重んじ、技
術で社会に貢献してきた。なんと日立の技術転化率は70%で、中国の平均水準を遥かに超えている。これ
は世界中に広がる日立のビジネス拠点が技術応用の受け皿となっていると同時に、研究開発が日立のピラ
ミッドを支え、独自の発展を遂げてきたことによる。私たちも見習うべきだと思う。
一橋大学で印象に残ったことが二つある。一つは図書館。一橋大学の図書館は豊富な蔵書はもとより、
図書を管理するための設備も先進的だった。まるで図書館自体が経験豊かな老人のように、学問の奥深さ
を優しく説いて聞かせてくれているようで、知識欲が刺激されとても居心地が良かった。もう一つは一橋
大学の中国人留学生と知り合いになれたことだ。彼女は日本の学生と一緒に「中国交流橋」というサーク
ルを結成し、日中の学生交流に取り組んでいる。どこにいても世界と交流し、国と国との理解を深めるこ
とはできるし、またそれが世界の平和と融合に貢献することにもなる。私たちには交流やそのための場所
が必要なのだ。
就職に関しては、日本の学生も中国の学生も就職難、そして自分の専攻に合った仕事が見つからないと
いう厳しい現実に直面していることが分かった。日本の企業は採用の際に能力ではなく、その人の資質を
より重視するという。通常、入社後に新人研修を受けてからそれぞれの部署に配属されるそうだ。中国と
大きく異なる点として、日本企業は終身雇用制をとっているので、社員の会社への帰属意識が強いが、そ
れは現状に甘んじて向上心がないというわけではなく、むしろそれが自分の仕事に責任を持って良い仕
事をし、新しいものを生み出していく原動力になっている。一方、中国はというと、若者は転職を繰り
返し、いつも現状に飽き足らずにいる。豊かな経歴で自分の能力を証明しようとするが、どこか地に足が
ついていないような所がある。こういうふうでは良い仕事ができるはずがない。中国においては、仕事は
あくまでも一つのステップであり、会社にとって従業員はただの道具に過ぎない。互いの利は一致してい
るが、これではどちらも健全な発展は望めない。だが、この責任を個人や企業に押しつけることはできな
い。やはり社会全体に問題があるように思う。福祉や保障体制をどのように整備していくか、若い人たち
が安心して働き、生活できるような制度や規則を構築するにはどうすべきかを考える必要がある。
日付:11月29日(月) 7日目
大学名:北京外国語大学
氏名:張一杪
今、日記を書いていて、もう一週間経ってしまったことに気づいた。アッという間に時間が過ぎ、訪日
の旅もいよいよカウントダウンの段階に入った。
日立製作所と聞いて真っ先に思い浮かんだのは「近代的」という言葉だったが、実際に日立製作所を訪
ねてみて驚いた。一体、これのどこが製作所というのだろうか。まるで森のようだった。製作所がこれほ
ど緑豊かな環境にあるとは思ってもみなかった。しかもここがあの賑やかな東京だとは、誰が想像できる
だろう。言葉で言い表せないほどの美しさだった。こんな時は写真に収めるのが一番だということで、
カメラの撮影枚数が一気に100枚増えた。本当にどこを撮っても絵になるのだ。こうした環境があればこ
そ、研究者の人たちもあれほど沢山の素晴らしいアイディアが浮かぶのかもしれない。 一橋大学との交流では、始めのうちこそ互いによそよそしい感じがしたが、話しているうちに徐々に打
ち解けることができた。就職問題は今注目の話題なので、これについて話し合うのはとても意義のあるこ
とだと思った。中国では文系の学生は大学院に進む必要はないように思う。理系の学生はアルバイトをし
なくても教授の手伝いをしてお金がもらえる。これは他国と比べ珍しいことだと思う。が、語学専攻だけ
は例外で、語学専攻の学生にとって大学院はそれほど重要ではない。一方、日本の理系の学生は大学院
まで進む必要があり、教授の手伝いをしてもお金はもらえないのでアルバイトをしなくてはいけないとい
う。日本でも文系の学生のほとんどが大学院には進まないので、知識の多くは大学院ではなく、職場で身
につけるということだった。
食事の時に一緒にキャンパスの見学をした学生さんと話しをした。思った通り彼らも経済学部の学生
で、大学院には進まずにそのまま就職することを希望していた。「日系企業は給料はいいけど、仕事が大
変」という私の意見に賛同してくれた。ある女子学生は私と同じく公務員志望だが、政治には全く興味が
ないということで意気投合し握手を交わすのを、他の人たちがあっけにとられて見ていた。とっても和や
かな雰囲気だった。まるで高校時代の友人と話しているかのように就職への夢と希望を語り合った。
今、中国と日本は多くの似たような問題に直面している。今回のような交流会が増えれば、友だちが増
えるだけでなく、互いの経験を語り合うことで視野や考え方が広がり、問題解決の一助になると思う。今
回の交流会は時間が限られていたが、とても楽しいものだった。最後にみんなで就職、進学、公務員試験
に向けて頑張ろうと約束した。最後は「さよなら」ではなく「頑張って!」と言って別れた。訪日団のメ
ンバー、日本の学生、中国人留学生のみんな、一緒に頑張ろう!
日付:11月29日(月)7日目
大学名:北京大学
氏名:邱天
今日最初の訪問先は日立研究所だった。質素な感じのする建物と門の外に広がる紅葉の林、素晴らしい
環境だった。ここで働くのは気持ちがいいだろうなぁと思った。実際に研究所の傍の林を見学してさらに
驚いた。自然そのままの状態を留め、赤や黄色や緑の木々が生い茂り、足元の小道には落ち葉が敷き詰め
られ、歩くとカサコソと音をたてた。研究所の人たちもお昼休みにここを散歩するそうだ。本当に緊張を
ほぐしてリラックスするには持って来いの環境だ。デートをするにもいい場所だと思う。こんな所で研究
ができるなんてなんて快適だろうと思った。
理系の学生なので、日立研究所にはこれまで見学したどの企業よりも親近感が湧いた。まず、研究所の
職員が日立の研究部門の概要について説明してくれた。非常に大きな機構で(私の理解によると)、今話
題の分野を多く扱っている。エレクトロニクスのようなハイテク機器を中心に研究が行われ、バイオ機器
の中には自分の研究室で使っているものがあった。
音声合成システム担当の中国人社員が「Hit Voice」というシステムの実演をしてくれた。音声識別システ
ムと組み合わせて使えば、インテリジェントシステムにおける用途が一気に広がるに違いないと思った。
日立の新技術開発にかける思いが伝わって来た。
他にも静脈識別という新システムが印象的だった。極小のチップと大規模な監視システムからは、日立
の研究成果を実用化する能力、即ち商品化能力の高さを知ることができた。これは中国の研究機関、企
業、大学も見習うべき点だと思う。日立研究所はとても楽しい思い出をプレゼントしてくれた。
その後、一橋大学に向かった。大学はとても静かで、北京大学と同じように歴史が感じられた。秋の
清々しい風に銀杏の香りが漂い、緑が生い茂り、黄色く色づいた落ち葉が西日に照らされ本当に美しかっ
た。キャンパス自体はそれほど大きくなく、学生も少ないような気がした。
マーキュリータワーの会議室に入ると、一橋大学中国交流センターの志波代表が歓迎の挨拶と大学の状
況を説明してくれた。高台寺に行けずじまいだったが、志波代表が日本の茶道と高台寺の紹介をしてくれ
たのでとても嬉しかった。
続いて一橋大学の学生さんがキャンパスを案内してくれた。見学が終わると会議室に戻り、日中の大学
生による就活についての交流が始まった。まず流暢な英語を話す学生から日本の大学生の就活について説
明があり、その後、このテーマについて30分ほど話し合ったが、時間が足りず、夜のパーティーまで話し
合いは続いた。最後にお互いに名刺を交換し、北京大学の記念品を日本の学生と中国人留学生に渡した。
これからも連絡を取り合いたいと思う。
日付:11月30日(火)8日目
大学名:北京理工大学
氏名:熊珊珊
三菱東京UFJ銀行が今日の午前中の目的地だった。三菱東京UFJ銀行のおかげで午前中が充実したものに
なった。まず窓口ロビーを見学した後、金庫に行った。映画に出てくるような厚さ1.7メートルの鋼製のド
ア、中も驚くほど堅牢にできていた。金額の最も大きいものでは納税額だけでも数百万円になるという。
広々とした窓口ロビーは高いカウンターと低いカウンターに分かれていた。高いカウンターは速やかに業
務を処理するため、低いカウンターは顧客に座ってもらってゆっくり業務を処理するためのものだ。この
銀行は融資、事業戦略・経営コンサルティング、国際業務・外為取引、リスク対策、資金運用、決済(国
内)などのサービスが全て揃っているので、あちこち回らなくてもよいというのがこの銀行の最大のメ
リットだ。資金が社会建設にエネルギーを送るための血液だとすれば、銀行はさしずめその資金を循環さ
せる「循環器」といったところか。銀行がそれほど重要な所だというならば、銀行に新鮮な活力を与え続け
る顧客はもっと便利なサービスが受けられるべきだと思うので、こうした配慮はとても人にやさしいもの
だと感じた。昼食の前にガラス窓越しやテレビでディーラーが仕事をしている様子を見学した。明晰な頭
脳を持ったディーラーには冷静沈着な判断と果断で迅速な行動が求められる。1秒の躊躇がまったく違った
結果をもたらすのである。
ディズニーランドは若者が好きな場所だ。今の私の気持ちはというと、興奮と残念な気持ちが半々だ。
興奮しているのはディズニーランドに行けるからで、残念なのは遊ぶ時間が半日しかないからだ。とはい
え、この貴重な半日の時間を思いっきり楽しもうと思う。
ディズニーランドではおとぎ話に出てくるようなお城、お姫様と王子様、ミッキーやミニー‥‥を見
た。おとぎ話の中の世界が目の前にあった。潘先生に引率されてスペースマウンテン、ホーンテッドマン
ション、スプラッシュマウンテン、ビッグサンダーマウンテンを楽しみ、フライドチキンやコーン、ハン
バーガーを食べ、おみやげを買い、午後一杯楽しく過ごした。夕方、ホテルに戻ると、氷妍さんは明日の
大使館での挨拶の準備ということで私をインタビューした。私は浴槽に身体を沈めながら、これまでのあ
れこれを思い返してみた。苦しいこともあれば楽しいこともあった。笑ったりがっかりしたり、いろいろ
なことがあった。水を飲んでみないと温かいか冷たいかが分からないように、人は経験しなければ分から
ない。
今回の訪日団には私たちの大学から6名が参加した。もともと知らない同士だったが、今回一緒に旅をす
ることになった。人は感情の動物だ。親しみを感じる人もいれば感じない人もいる。どういう理由か(お
そらく私自身のせいだろうが)、みんな私に対してあまり親しく接してこない。昨日まで私はみんなと仲
良くやろうと思っていた。しかし、これまでのあれこれを思い返しながら田平先生の言葉を思い出してい
た。「人と交際することは一種の能力だ、一人でいることが悪いわけではない、むしろ一人でいることのほ
うがもっと重要な能力なのかもしれない」。私の性格の中のある要素が人との交際で引っ込み思案にさせて
しまうのだろう。もし私が自分を変えようとして、迎合したり、人のご機嫌をとるようになったら、私は
私でなくなってしまう。角が取れ、生まれ変わり、最後には他人の複製品のようになってしまうのだろう
が、それでは楽しくない。そうなるよりは本当の自分でいたほうが良い。誠実で、善良で、上品に。曹操
はこう言っている。「我を知る者は、我が心憂ふと謂ふ。我を知らざる者は、我何をか求むと謂ふ」。
日付:11月30日(火)8日目
大学名:国際関係学院 氏名:周也青
今日は日本に来て8日目になる。知らない間に旅も終わりが近づいている。
午前中、三菱東京UFJ銀行を見学した。まず貸金庫を見学した。非常に厚い金属製の扉が貸し金庫を守っ
ていた。扉の内側は完全な防火防水設備が備え付けられ、顧客の貴重品がその中に入っていた。次にズラ
リと並べられた棚に案内された。中には予約済みの企業のファイルが入っていて待ち時間が大幅に短縮さ
れていた。「効率こそ命」の今日、中国の銀行もこうした細かい手法を学び、小さいことから始め、社会
全体の効率を高めていくべきだと思った。
次に別のビルにあるディーリングルームを見学してトレーダーの一日の業務を理解した。ここで働いて
いる人たちによれば、ここで働くのに財政・経済・金融の専門知識は必ずしも必要なく、一定の教養と潜
在的な能力があれば、訓練を受けて持ち場に就くことができるそうだ。この話を聞いて卒業後は銀行に就
職しようかと考えた。大学の段階で重要なことは知識より知識を学ぶ力だ。
午後から夕方まで楽しみにしていたディズニーランドで過ごした。まずビッグサンダーマウンテンを楽
しんだ。小さな列車が険しい山の間を飛ぶように走り、みんなキャーキャー言っていた。しかし最も印象
的だったのはいろいろな先進技術がディズニーランドで応用されていることだった。3D技術はまるで本
当に宇宙にいるように感じで、ジャクソン船長について不思議な宇宙旅行を楽しんだ。また、ウエスタン
リバー鉄道に乗ってインディアンとも「親しく接触した」。ジャングルクルーズではカバ、象、恐竜と出
会った。夜のディズニーランドに花火が上がった。輝くお城と可愛いキャラクター、よく知っている童話
の世界がそこにあった。子どもの頃の白雪姫、ミッキー、ミニーと握手し写真を撮るという願いがこの瞬
間現実となった。
ディズニーランドは娯楽施設とサービス施設だけでなく、無数の人に夢を実現する機会を与えている。
騒がしい世俗を抜け出して、ロマンチックなアニメの世界に入り込む機会を与えてくれている。最も好き
なのは、ディズニーランドでは子供たちが無邪気に、心から笑っていることだ。彼らが子供のときから好
きなキャラクターと抱き合ったり、一緒に写真を撮ったりできることが羨ましいと同時に、彼らが将来の
忙しい一生の中でもこの童心、単純な夢を持ち続けることを心から期待する。
日付:11月30日(火)8日目
大学名:中国伝媒大学
氏名:呉文超
1.三菱東京UFJ銀行の見学
三菱東京UFJ銀行は日本本土で最大の銀行だということは訪日前から知っていた。今日は皇居のそばに
ある本店に行った。本店のサービスには融資、各種費用の支払い、外為、金融などがある。中国の多くの
銀行のレイアウトとは異なり、窓口ロビーは業務ごとにサービスカウンターが分かれ、顧客のさまざまな
ニーズに応えていた。高いカウンターは料金の支払いに来た顧客用だ。融資などゆっくりと相談が必要な
顧客は低いカウンターに座る。カウンターの高さを変えただけだが、作業効率がアップしているのが一目
で分かる。また、中国の銀行と違って、窓口ロビーの全ての窓口、窓口と窓口の間に透明な仕切り板がな
かった。こうすることで銀行と顧客の距離が縮まり、より満足のいくサービスが受けられるように配慮さ
れていた。もう一つ中国の銀行と異なる点は、顧客が待っている場所に新聞や雑誌が置いてあり、顧客は
それを見ながら待つことができるという点だった。中国の大多数の銀行ではただ座って待っていることが
多い。
銀行は規模も大事だが、実力をつけなければならない。実力をつけるのは顧客を惹きつけるためであ
る。一般市民として銀行から何か経済的メリットを得ようなどということは全く期待していない。銀行は
信用とサービスの上に成り立っている商業機構であるので、小さなことから顧客を惹きつけ、顧客の心を
つかみ、信頼を勝ち取っていくべきだと思う。
2.東京ディズニーランド
香港のディズニーランドができるまでは、東京ディズニーランドがアジアで唯一のディズニーランド
で、アジアや世界中から観光客が訪れている。香港ディズニーランドが赤字に苦しむ一方、東京ディズ
ニーランドはずっと黒字経営を維持している。これは東京ディズニーランドのサービスの良さと日本人の
高い民度と無関係ではないように思う。
東京ディズニーランドでは毎日19時30分ごろにパレードが行われる。ディズニーランドで最も人気のあ
るアトラクションの一つだ。かなり前から子ども連れのお父さんや若い人たちが道の両脇に座ってパレー
ドが始まるまで静かに待っていた。先を争って席を取ろうとする人も混乱もない。更に感心したのは、パ
レードが終わり、見ていた人たちが立ち上がって別のアトラクションに向かった後、さっきまでみんなが
座って飲んだり食べたりしていた場所にゴミがひとつも落ちていなかったことだ。この点は中国人も学ぶ
べきだと思う。国慶節60周年のパレードに参加したことがあるが、毎回のリハーサルと正式のパレードの
後には、観覧台のあたりまでゴミが散らかり非常に見苦しかった。環境保護や民度の向上にもっと力を入
れ、一人ひとりが気をつけるようにしていかなければならない。
日付:12月1日(水)9日目
大学名:北京外国語大学
氏名:張天華 上戸彩と錦戸亮主演のドラマ「アテンションプリーズ」は、大空に飛び立つ夢を持つ若者たちが夢を追
い続け、ついには優秀なキャビンアテンダントになるという物語だ。このドラマの撮影場所が今日見学し
た日本航空だ。
日本航空の羽田整備工場でジャンボ機、中型機、小型機の整備を見学した。何も支えるものがない、大
きな整備工場で整備を行っていたのが印象的だった。できるだけ操縦中に故障が起こらないように整備は
常温で行われるので、整備員は厳寒、酷暑の中で作業を行うことになる。現在、羽田には3本の滑走路があ
るが、今年12月には4本目の滑走路が使用できるようになるそうだ。
次にドラマの中で見た場所―客室乗務員の訓練所を見学した。キャビン内部がシミュレーションされて
いて、客室乗務員のサービスレベルと非常事態への対応能力の実戦的訓練が行われていた。講師の米山さ
んがビジネスクラスの訓練を行っていたが、彼女の説明を聞き、彼女の一挙手一投足を見ていると、彼女
がすばらしい職業的資質を持ち合わせていることが分かった。思わず、「保剣峰は磨いてなるもので、梅
の花の香りは寒さの中で香る」という中国の古い言葉を思い出した。細かな気配りと配慮の行き届いたし
ぐさの全てがサービスの質に影響を与えているのかもしれない。そしてそれは多くの訓練と努力によって
培われたものなのだろう。
日本航空を後にし、はやりたつ気持ちを胸にバスで六本木にある中華人民共和国駐日本国大使館に行っ
た。8日間にわたる日本での学習と見学を終えて中国の国旗を見たときは、何とも言えない懐かしさが涌い
てきた。程永華特命駐日全権大使とスタッフが代表団一行を迎えてくれた。北京外国語大学を代表して発
言した。ここ数日間の体験を以下のような言葉でまとめてみた。
独特:世界が一体化している今日、独特の文化を維持することは、一つの民族、一つの国が発展し続ける
上で特に重要である。
度量:急速に台頭している大国として発展の質を追求すると同時に、小国思想や島国思想に別れを告げ、
大国としての視野と度量を持つようにする。
他人:明治以降、日本は良好な社会秩序を形成するに至ったが、これは政府の提唱と他人に迷惑をかけま
いとする強い日本人の意識があったからだ。未来を担う若者は心の中の他人を意識することで社会意識や
国際意識を養うことができる。
団員が次々と自分の意見を発表した後、程大使からそれらについてのコメントがあった。国際関係とそ
の構築に関する内容の濃い話だった。北京外国語大学の学生として、大使館では「五星紅旗の上がってい
る場所には中国人がいる」ということをつくづく感じた。大使館で多くの優秀な先輩に会えたことは今後
の学生生活の刺激となるだろう。
日付:12月1日(水) 9日目
大学名:北京外国語大学
氏名:郭芸蔚
午前中、日本航空を見学した。会社説明では日航のCO2排出削減への取組みについて重点的に紹介してく
れた。日本企業が企業文化について紹介するときには、いつも省エネ・排出削減の取組みについて触れる
ことに気づいたが、これは日本企業が非常に環境に気を配り、常にその改善を図ることによってCO2の排出
削減技術を完全なものにしようとしていることの表れだと思う。
客室乗務員訓練所では客室乗務員が実際に食べているお弁当を試食した。お弁当は量が少なく、冷めて
いたので、私たちの口にはあまり合わなかったが、栄養価はとても高いとのことだった。客室乗務員の説
明によると、客室乗務員用として機内には通常お弁当が2種類用意されているが、それは全員が問題のある
弁当を食べてお腹をこわし、飛行機が運航できなくなるという状況を防ぐための措置だという。飛行の安
全を確保するために、なるほど、クルーは裏でこんなに入念な準備をしていたのか!初めて知った。
午後は駐日中国大使館を訪問した。この訪問は表敬というよりも家に帰ったという表現のほうが正し
い。というのも、中国大使館に行くことは中国の土を踏んだことと同じだからだ。大使館の玄関の国章を
見てとても感激した。程永華大使は私たちの発言に耳を傾けた後、日本に比べ中国がまだ後れているとこ
ろを積極的に見つけ、自分のベストを尽くし、日本に追いつき追い越すようにと励ましてくれた。程大使
が現在の中日関係について簡単な分析をしてくれた。とても勉強になった。
また、大使館では母校の北京外大の先輩に何人も会い、とても誇らしい気持ちになった。キャンパスで
よく耳にする「五星紅旗のはためくところには必ず北京外大出身者がいる」ということが証明されたよう
な気がした。先輩たちを目標に発奮して、祖国の将来、中日両国の平和と友好のために力を尽くしたいと
思う。
日付:12月1日(水) 9日目
大学名:北京大学
氏名:易煦
午前中、羽田空港の機体整備工場を見学した。会議室に入った途端、各種航空機の模型が目に入った。
地球環境部長の説明で日航の環境対策について多くのことを学ぶことができた。例えば、CO2排出削減対策
としては、元々航空機に付いていた補助動力装置APUを地上動力装置GPUに切り替えたことで1/20のCO2
を減らすことができたという。また、燃料効率の高い飛行機の導入、大型機から小型機へのダウンサイジ
ング、つまり飛行機を徐々にボーイング777、787-800、787に換えていく計画だという。また、環境に
配慮した飛行方式を取り入れ、飛行機が着陸するときはこれまで行っていた水平飛行をやめて連続着陸に
改めたり、航空機エンジンを水洗いすることでゴミを落とし、ガソリン消費量を抑えているともいう。軽
量化対策としては、軽量の機内食の食器類や軽量貨物コンテナを採用したり、飛行機に積み込む飲料水の
量の調整したりしている。資源のリサイクル対策としては、プルトップ缶や新聞紙、制服のリサイクルを
行っている。環境分野の社会活動では、森林火災の発見以外に、エコマイレージ、環境講座、大気観測、
バイオ燃料の使用がある。
航空機のメンテナンスに関する紹介もあった。説明の後、整備工場を見学し、担当者から整備工場の各
施設の説明があった。整備工場では多くの飛行機が着陸する様子を見学することができた。みんな整備工
場の見学は初めてなので目を輝かせていた。昼食は飛行機の中で機内食を食べた。それは客室乗務員が毎
日食べているものだと聞いたが、冷たくて量も少なかった。客室乗務員もそんなに甘くないようだ‥‥。
次に客室乗務員の訓練所を見学した。客室乗務員たちはお酒の注ぎ方、美しい歩き方、お化粧の仕方な
ど、厳しい訓練を受けなければならない。客室乗務員のあの素敵な笑顔の裏には厳しい訓練と苦労がある
のだ。
日本航空の見学を終え、期待に胸を躍らせながら中華人民共和国駐日本国大使館に向かった。中国を出
発してすでに9日が経過していた。団員のほとんどがこんなに長い間外国にいる経験がなかったので、中国
を恋しく思う気持ちが強くなっていた。
大使館のスタッフとともに風にはためく五星紅旗と威厳のある国章が迎えてくれた。大使館の中に入っ
て中国の国境内に足を踏み入れると、外国にいるような気がしなくなった。大使館の中は中国式の装飾品
で飾られていたが、屏風、陶磁器や中国画などを見て懐かしさを覚えた。
大使館の会議室で程永華中華人民共和国駐日本国大使に会った後、ホールで今回の中国大学生の訪日活
動について活発な意見交換が行われた。まず各大学の代表が感想を述べ、他の団員たちからも日本企業が
世界で成功を収めることができた理由、中日両国の文化の共通点と相違点、中日関係の緊張と友好などに
ついて積極的な発言があった。もちろんみんなの意見も素晴らしいものだったが、今日、程永華大使が私
たちに話してくれた自らの経験や理解が一番大事だったように思う。「中国と日本が隣国だという事実を
変えることはできない。家を買うようなわけにはいかない。家を買うのであれば、隣人が気に入らなけれ
ば買い換えることができるが、隣国を換えることはできない。中日両国間にはさまざまな問題があるが、
それを以って中日関係が悪化しているということにはならず、中日関係が良好なときでも両者の間に全く
問題がないということもない。中日友好はみんなの努力によって成し遂げるものであり、特に君たちのよ
うな若い人たちが直接相互訪問や交流をすることで打ち立てていくものである」。程大使も日本企業に対
する自分の考えを話してくれた。程大使は青年時代に日本に留学し、日本に対する理解は相当深い。「日本
の企業は3つの段階、つまり、資本を使って利益を獲得する段階、高品質の製品によって市場を勝ち取る段
階、企業イメージや文化、モラルによって持続可能な発展を遂げる段階へと歩んで来た」。程大使はとても
親しみやすい感じがした。中日両国の相互理解は段階を追って深めていくべきだと言うときに恋愛に喩え
てこう表現した。「一目惚れをする人は少ないでしょう。だいたいは徐々に分かり合い、愛情を深め、信
頼関係を築いていくものでしょう」。
大使館の国章の下で記念撮影をして大使館での日程を終えた。名残惜しい気持ちを胸に大使館を後にし
た。その後は秋葉原電気街でショッピングをし、中華レストラン「孫悟空」で夕食をとり、忙しい充実し
た今日のスケジュールが終了した。懐かしい祖国に帰るために荷物の整理をした。
日付:12月2日(木)10日目
大学名:北京理工大学
氏名:張学枢
ついに別れのときが来た。空港に行くまで特に外出の予定はなく、ずっとホテルニューオータニの中に
いた。今日は図らずも泊り客としてではなく見学者としてこのホテルについていろいろ見学することに
なった。確かにこのホテルはこれまで泊まったホテルの中で最も豪華なホテルの一つだと言える。この点
についてはみんなもほぼ同じ感想を持ったと思う。豪華なホテルであればあるほど、注意しなければなら
ないことも多いのではないかと思う。今日紹介してもらった再生水とゴミ処理やバラ園以外にも、このホ
テルには宝物がまだまだたくさん潜んでいるように思うが、それらを詳しく見学するチャンスはおそらく
もう二度とないだろう思うと残念だ。
お昼の歓送会の席で青柳さんに再会することができた。歓送会のほとんどの時間を青柳さんとおしゃべ
りをして過ごしたが、今日のおしゃべりは数日前に話した続きのようなもので、まとまった話はできな
かった。国情の違いゆえか、話したいと思っていたこと全部を話すことはできなかった。青柳さんがこれ
から半年間上海に出張するので、冬休みにチャンスがあれば会おうと言ったが、冬休みに彼に会えないこ
とははっきりしていた。将来また日本に来られるかどうかも分からない。もしかしたら今後はEメールで連
絡を取り合うことしかできないかもしれない。
もう少しすると北京への帰国の途に着くが、この旅行のことを一生忘れない。また会えるかどうか分か
らないが、大阪、京都、名古屋、箱根、東京、渡辺さん、青柳さん,ガイドの呂さん、そして同じグルー
プの友だち、どの顔も忘れることができない。旅は終わりを告げ、みんなそれぞれ自分の家に帰る。母の
元に帰る。そして自分の元に残るのは写真と文章だけ。そしてそれらに刻まれた記憶だけだ。
日付:12月2日(木)10日目
大学名:国際関係学院
氏名:黄暁楚
今日は訪日団が日本で過ごす最後の日だ。目を覚ますと、名残惜しさで胸が一杯になり、最後の一日を
大切に過ごそうという気持ちが膨らんで来た。
午前9:30、ホテルニューオータニの見学。ホテルニューオータニの本館は開業してすでに46年が経
つ。案内係の人が1993年には水净化システムを、1999年には厨房ゴミ処理システムを導入したと説明し
てくれた。その後でホテルの空中庭園を見学した。
中でも一番印象に残ったのはホテルの厨房ゴミ処理システムだ。このホテルには約50の厨房があり、年
間約3,500万円のゴミ処理費用がかかるので、1億円余りのこの設備の投資は約3年で回収できるとのこと
である。このシステムの導入は環境保全に一役買っている。中国でもホテルから出るゴミの量は驚くほど
多い。中国のホテルも率先して環境事業に貢献してほしいと思う。
ホテルニューオータニが浄化処理した水はトイレや庭園の水やり、屋上緑化用の水として利用されてい
た。厨房のゴミは処理後に堆肥として農家に提供され、米の栽培に利用されている。農家はできた米を安
価でニューオータニに販売する。ホテルの従業員が食べている米は厨房から出たゴミで作られた堆肥を
使って栽培されたものだ。
お昼にはニューオータニで歓送会が催され、参事官など大使館のスタッフや訪問企業の社員、ホスト
ファミリーの人たちが参加した。私のホストファミリーである亀川さんも出席してくれたのでとても嬉し
かった。会話を楽しんだり、別れを惜しんだり、一緒に記念写真を撮ったりした。
歓送会の終了後、バスで成田空港に向かい、ガイドの呂さんや渡辺さんに別れを告げ、帰国の途に着い
た。さようなら、日本。この忘れられない日本の旅を大切に、みんなと過ごした素晴らしい一分一秒を心
に刻み、今回日本で学んだことをしっかりと記憶し、帰国後はみんなと共にこの経験を分かち合い、祖国
の発展のために自分のなすべきことをし、中日両国人民の友情のために努力していきたいと思う。
日付:12月2日(木)10日目
大学名:北京大学
氏名:黄智聡
午前、6日間滞在したホテルニューオータニの環境衛生に関する見学をした。このホテル独自の成熟し
た管理モデルは46年の歴史が作り上げたものだった。特に環境面のニューオータニの取り組みが優れてい
る。
ニューオータニでは敷地面積の半分が庭園として使われているが、それにはお客様に快適な住空間を提
供するという経営理念が反映されていた。ニューオータニには賞賛に値する3つの環境への取り組みがあ
る。
①廃水処理システム。ホテルの廃水は100%再利用されている。しかも微生物技術やマルチプログラミン
グによってシステムがスムーズに運用されている。水資源が不足する今日、廃水処理は企業の社会的責任
として行われるべきである。
②ゴミの回収。「ゴミから新しい資源を創造する」という理念に基づき、ニューオータニは堆肥転換技
術を導入し、厨房ゴミを価値あるエコ肥料に転換している。企業が新たな価値を創造するための方法であ
り、ゴミ回収コストの削減にもなる。
③花壇の整備。これは一種の無形資産であり、ホテルのイメージ作りのための重要な手段となる。
歓送会のときにホストファミリーの稲葉さんと再会することができて嬉しかった。別れの言葉を言おう
と思ったが、この10日間のさまざまな経験を伝えるには時間が余りにも足りなかった。この思いや気持ち
は言葉では到底表せない。帰国後は日本で見たこと、聞いたこと、感じたことを周囲の人たちに伝え、日
本はどういう国か、日本人はどうだったか、日本の企業はどうだったかを話すことになるだろうが、人は
自ら経験してはじめてその人なりの理解や認識ができるのだと思う。自分たちにできることはこれからの
毎日の生活の中で、自分の心の奥にある真心で感じたことを行動で示していくことだ。
さようなら、東京!
さようなら、日本!
学生たちの撮った写真
北京での壮行会
出発を前に緊張というよりも期待に胸が膨らんでいます
オムロン京都太陽
障害者への就労機会提供という理念の実践に学生達も敬
意を表しています。説明していただいた方は車椅子マラ
ソンの選手でもあります
トヨタ会館で展示車をバックに記念撮影 会館ではロボット演奏、未来の移動手段i-unitのデモン
ストレーションも楽しみました
静岡県農林技術研究所
静岡県の農業の発展のために智恵と工夫を凝らしていま
す
アサヒビール神奈川工場
ビールの製造過程の見学のあとはレクチャー。環境保
護、リサイクル、ゼロエミッションが印象的でした。こ
のあとの試飲も最高でした
住友商事本社
総合商社という中国にない業種は学生達の強い興味を引
いた。勉強のあとの懇親パーティでは住友商事の方を囲
んで更に学習
日立製作所の中央研究所
鬱蒼とした森林に囲まれた雰囲気は研究機関の名に相応
しい
一橋大学
佐藤ゼミの学生との交流会
5組に分かれてグループ討議。同年代の若者同士なだけ
に打ち解けるのも速い
外国における我家の中国大使館
程永華大使と囲んで今回の《走近日企・感受日本》の感
受を報告
三菱東京UFJ銀行本店
ますます複雑さを加えている銀行業務の実態に迫る今日
の訪問は金融・経済関係の学生にとっては興味津々。写
真はレクチャー、ディーリングルーム見学後銀行の方を
囲んでの昼食会
日本航空羽田整備場
大きな航空機を収納する巨大ハンガー。このように近距
離で飛行機を見上げる機会はなかなかありません
ホテルニューオータニ
顧客対応の華やかなホテルの裏側で地道なエコ活動が行
われている。キッチン廃水を浄化して中水として再利
用。キッチン生ごみをコンポストとして有効活用
歓送会
帰国日の昼に開催された歓送会
企業、大学、ホストファミリーと一緒に最後の1枚
ホームステイ風景
日中経済協会の会議室で出迎えのホストファミリー
を待ち受ける学生達
ちょっぴり不安な表情
ソファーに寛いで一緒に記念撮影
二日間のホームステイを終えてニューオータニに戻
り、フロントで記念撮影
小さい女の子も一緒に記念撮影
楽しいパーティの途中 話題が盛り上がっています
同年代の若者がいると滞在も楽しいものです
日本点描
京都清水寺
今年の秋の紅葉は見事でした。人出もとにかく多か
った
京都から名古屋への新幹線の移動
1時間足らずの旅程ですが名にしおう新幹線に乗れ
て先ずは満足
名古屋で再会した第3回訪日団の楊竹楠さん。9月か
ら名古屋外国語大学に交換留学中。北京外語の先生
後輩と会えて嬉しそうです
箱根の温泉にて 全員浴衣に着替えての懇親宴会
違う大学の仲間との距離もぐっと近まります
皇居二重橋前
移動の時間の余裕をみて皇居前に立ち寄り
東京ディズニーランドは見逃せない場所 嬉しさに跳び上がりたくなります