第6回中国大学生「走近日企・感受日本」 訪日団報告書

第6回中国大学生「走近日企・感受日本」
訪日団報告書の刊行にあたって
本書は、「走近日企・感受日本」事業の第6回訪日団の報告書です。
「走近日企・感受日本」事業は、中国日本商会が2007年から始めた中国人大学生を日本視察に招待す
る社会貢献事業です。未来の中国を担う若い世代に日本及び日本企業を知ってもらうことを目的に、中
国日本商会の総意で実施が決議され、会員有志企業の寄付金によって費用を賄っています。過去5回の訪
日団で24大学145名の学生を日本に招待してまいりました。
第6回目となる今回は、清華大学、北京第二外国語学院、中国人民大学、北京工業大学、対外経済貿易
大学の5大学から、日本に行ったことのない学生30名を選抜、一行は2010年5月24日から6月2日までの
10日間、日本に滞在しました。
視察先は企業では、丸紅(東京)、アルプス電気古川工場(宮城)、東芝メディカルシステムズ(栃
木)、キューピー五霞工場(茨城)、キヤノン取手事業所(茨城)、みずほコーポレート銀行(東
京)、ANA機体メンテナンスセンター(東京)の7社。その他、国会議事堂見学、中国大使館訪問、日本
の大学生との交流、一泊二日のホームステイ体験など多岐にわたるプログラムが組み込まれています。
ホームステイ受け入れに協力した企業は、17(アサヒビール、アルプス電気、伊藤忠商事、キヤノン、
キューピー、住友商事、全日空、トヨタ自動車、日立キャピタル、日立物流、丸紅、みずほコーポレー
ト銀行、三井住友海上、三井物産、三菱商事、三菱電機、三菱東京UFJ銀行)にのぼっています。
このように「走近日企・感受日本」事業は、中国日本商会の会員企業の協力によって実施されていま
す。また、共催団体である中国日本友好協会はじめ中国側にも全面的な協力をいただいておりますし、
訪日団の日本受け入れ、本報告書の編集にあたっては、財団法人日中経済協会にご尽力をいただいてお
ります。加えて、寄付金の管理については、中国側では中国友好和平発展基金会に、日本側では財団法
人貿易研修センターにご協力をいただいております。改めて、本事業実施にご協力、ご尽力をいただい
た皆様に厚く御礼を申し上げます。
本報告書に寄せられた参加学生のレポートを拝見いたしますと、本事業が学生たちに深い印象を残し
ていることが分かります。本報告書をご一読いただき、日系企業の社会貢献活動の一端と中国の若者た
ちの生き生きとした姿に触れていただければ幸いです。
日本商会では、引き続き「走近日企・感受日本」事業を実施してまいります。本事業が日中の相互理
解促進の一助となり、将来さらに大きな実を結ぶことになれば、これに優る喜びはありません。
中国日本商会 会長 鹿間千尋
2010年6月
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中国日本商会社会貢献事業「走近日企・感受日本」
寄付金申込社(者)一覧
〔寄付金額〕1,000万円
1 朝日ビール株式会社
34 日本たばこ産業株式会社
69 トヨタモーターファイナンスチャイナ
2 伊藤忠商事株式会社
35 日本農林中央金庫有限公司
70 株式会社日新
3 キヤノン(中国)有限公司
36 日本郵船株式会社
71 株式会社損害保険ジャパン
4 新日本製鐵株式会社
37 野村ホールディングス株式会社
72 マルチメディア振興センター
5 住友商事株式会社
38 松下電器産業株式会社
73 日本東京海上日動火災保険株式会社
6 全日本空輸株式会社
39 三菱化学株式会社
74 日立高科技貿易(上海)有限公司
7 トヨタ自動車株式会社
40 三菱電機株式会社
75 日立租賃(中国)有限公司
8 NEC(中国)有限公司
41 ワコール(中国)時装有限公司
76 阪和興業株式会社
9 株式会社日本航空インターナショナル
77 ブラザー(中国)商業有限公司
10 株式会社日立製作所
〔寄付金額〕10万円~100万円未満
78 北京HYFソフト有限公司
11 丸紅株式会社
42 株式会社IHI
79 北京キューピー食品有限公司
12 株式会社みずほコーポレート銀行
43 あいおい損害保険株式会社
80 北京KDDI 通信技術有限公司
13 三井物産株式会社
44 アルパイン(中国)有限公司
81 北京宏達日新電機有限公司
14 三菱商事株式会社
45 インテック国際科学技術有限公司
82 北京新世紀日航飯店
15 株式会社三菱東京UFJ銀行
46 川崎汽船株式会社
83 北京図新経緯導航系統有限公司
47 キッコーマン株式会社
84 北京日立華勝信息系統有限公司
〔寄付金額〕500万円~1,000万円未満
48 協和発酵工業株式会社
85 北京日立控制系統有限公司
16 株式会社イトーヨーカ堂
49 株式会社組合貿易
86 北京村田電子有限公司
17 ソニー(中国)有限公司
50 KDDI 株式会社
87 本田技研工業(中国)投資有限公司
18 豊田通商株式会社
51 五洲大氣社工程有限公司
88 前田建設工業株式会社
19 三井住友銀行
52 J-POWER電源開発株式会社
89 三井化学株式会社
53 JVC(中国)投資有限公司
90 三井住友海上火災保険株式会社
〔寄付金額〕100万円~500万円未満
54 住金物産株式会社
91 三菱自動車工業株式会社
20 旭化成株式会社
55 住友化学株式会社
92 三菱重工業株式会社
21 味の素株式会社
56 住友電気工業株式会社
93 三菱UFJ証券株式会社
22 アルプス(中国)有限公司
57 積水化学工業株式会社(京都研究所)
94 三菱UFJ信託銀行
23 岩谷産業株式会社
58 双日株式会社
95 明治安田生命保険相互会社
24 オムロン(中国)有限公司
59 太平洋セメント株式会社
96 明和産業株式会社
25 新日本石油株式会社
60 宝酒造株式会社
97 柳田 洋
26 JFE鋼鉄株式会社
61 株式会社竹中工務店
98 湯浅 弘
27 大和証券SMBC株式会社
62 大日本印刷株式会社
99 理光軟件研究所(北京)有限公司
28 株式会社電通
63 大福自動輸送機(天津)有限公司
100 ヤマハ発動機株式会社
29 東芝(中国)有限公司
64 長富宮中心有限責任公司
30 日産(中国)投資有限公司
65 帝人株式会社
〔寄付金額〕10万円未満
31 オークマ株式会社
66 株式会社東京機械製作所
101 北京エプソン電子有限公司
32 株式会社商船三井
67 東工コーセン株式会社
102 北京集佳知識産権代理有限公司
33 株式会社JTB
68 東レ株式会社
103 日本海事協会
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2010年度 中国日本商会役員一覧
6月度現在
商会役職
会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
副会長
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
氏 名
鹿間 千尋
山﨑 史雄
佐々木 淳一
小澤 秀樹
林 岳志
梶原 謙治 稲田 健也
田中 孝明
加藤 雅大
堂ノ上 武夫
佐々木 伸彦
大野 信行
大井 篤
木島 綱雄
末木 孝幸
柳岡 広和
里井 庚士 川﨑 一彦
横井 昭正
長岡 秀典
鶴島 敏章
加悦 文雄 山田 晶一
松元 裕之
勝又 謙
笹原 勉
橋本 泰昭
洪 嘉偉
湯浅 健二
白井 省三
猪瀬 崇
石本 孝典
二方 歩 久保田 陽
山田 正晴
木戸脇 雅生
箕田 好文
城阪 俊郎
森山 博之 中村 総明
会社名
丸紅
アサヒビール
伊藤忠 キヤノン
新日本製鐵
住友商事
全日本空輸 東芝(中国) トヨタ自動車(中国)投資
日中経済協会
日本貿易振興機構
日立(中国) 三井物産
三菱商事 三菱電機(中国)
三菱東京UFJ銀行
岩谷産業
双日(中国)
豊田通商
阪和興業
住金物産 東工物産貿易
NTTファシリティーズ
クボタ
ジャパンエナジー
日揮 北京事務所 日産(中国)投資有限公司
前田建設工業 三菱重工業
アルプス(中国)
NTT
NTTコミュニケーションズ
NTTドコモ ソニー(中国)
京セラ
NEC(中国)
富士通(中国)
パナソニックチャイナ
旭化成
伊藤喜商貿(上海)
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役職
常務執行役員 中国総代表
常務執行役員 中国総代表
常務執行役員 中国総代表
常務取締役 中国総裁
中国総代表 北京事務所長
専務執行役員 中国総代表
執行役員 中国統括室長兼 北京・天津支店長
執行役常務 中国総代表
総経理
北京事務所長
北京代表処 所長
執行役常務 中国総代表
常務執行役員 中国総代表
常務執行役員 中国総代表
中国総代表
常務執行役員
中国総代表
執行役員 中国総代表
常務執行役員 中国総代表
理事 中国副総代表華北担当兼北京所長兼大連所長
北京事務所大連事務所 所長
北京分公司 副総経理
北京代表処 所長
北京事務所 所長
北京事務所 所長
北京事務所 首席代表
董事 総経理
北京駐在員事務所 首席代表所長
中国総代表
総経理
中国総代表
中国総代表
北京事務所 所長
董事長 中国総代表
北京代表処 首席代表
総裁
董事長
董事長
北京事務所 所長
北京分公司 総経理
商会役職
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
理事
監事
監事
氏 名
山岡 保夫
石舘 周三 寺師 啓
千葉 雅哉
山口 俊和
深谷 弦希
池本 一彦 篠崎 康雄 稲垣 雅人 岳 志明
新川 陸一
入沢 稔
今川 真一郎
守屋 卓 横田 恵三郎
伊藤 隆夫
吉村 久夫
麦倉 弘
松島 訓弘
三木 日出男
鈴木 浩
川畑 保
田淵 真次 田中 雅教
内藤 規夫
河内 洋輔 越智 博通
藤田 千栄子
中嶋 清治
片平 猛 河原 東
三浦 智志 越智 幹文 会社名
王子製紙
資生堂(中国)研究開発中心
東レ
凸版印刷
北京ヤクルト 邦博(北京)医薬技術開発
三菱化学
損害保険ジャパン
日本農林中央金庫
野村證券
日本銀行
みずほコーポレート銀行(中国)
三井住友銀行(中国)
日新
日本航空
日本郵船
JTB CHINA
イトーヨーカ堂
電通 日航国際旅行社 長富宮中心
北京発展大廈 日中経済貿易センター 日本国際貿易促進協会 北京ビール朝日
国誉商業(上海)
北京陸通印刷
ジェイエィシーコンサルティング
宝酒造食品 電源開発 オリンパス(中国)
監査法人トーマツ
国際協力銀行
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役職
北京事務所 所長代理 代表
董事 総経理
北京事務所 所長
北京駐在員事務所 首席代表
副総経理
董事長 総経理
執行役員 中国総代表
中国総代表処 中国総代表
北京代表処 首席代表
北京駐在員事務所 首席代表
北京事務所 首席代表
北京支店長
北京支店長
中国部部長 北京事務所首席代表
中国総代表兼北京支店長
中国総代表
執行役員 中国総代表
常務執行役員 中国総代表
執行役員 中国総代表 北京事務所長
董事長 総経理
総支配人
董事 総経理
専務理事 北京事務所長
北京事務所 所長
董事 総経理
総経理
董事長 総経理
董事長 総経理
董事 総経理
執行役員 中国総代表
総経理 董事
パートナー
首席代表
2010年度社会貢献委員会委員名簿
氏 名 (会社名・役職)
社会貢献委員長
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
委員
木島 綱雄 (三菱商事 常務執行役員 中国総代表)
鹿間 千尋 (丸紅 常務執行役員 中国総代表)
山﨑 史雄 (アサヒビール 常務執行役員 中国総代表)
佐々木 淳一 (伊藤忠 常務執行役員 中国総代表)
小澤 秀樹 (キヤノン 常務取締役 中国総裁)
林 岳志 (新日本製鐵 中国総代表 北京事務所長)
梶原 謙治 (住友商事 専務執行役員 中国総代表)
稲田 健也 (全日本空輸 執行役員 中国統括室長兼 北京・天津支店長)
田中 孝明 (東芝 執行役常務 中国総代表)
加藤 雅大 (トヨタ自動車(中国)投資 総経理)
堂ノ上 武夫 (日中経済協会 北京事務所長)
佐々木 伸彦 (日本貿易振興機構 北京代表処 所長)
大野 信行 (日立 執行役常務 中国総代表)
大井 篤 (三井物産 常務執行役員 中国総代表)
末木 孝幸 (三菱電機(中国)中国総代表) 柳岡 広和 (三菱東京UFJ銀行 常務執行役員)
横田 恵三郎 (日本航空 執行役員 中国総代表兼北京支店長)
高羽 人志 (JTB 北京事務所 事務所長)
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2010年度社会貢献委員会ワーキンググループ委員名簿
会社名
氏名
役職
【社会貢献委員長】
木島 綱雄
三菱商事 常務執行役員 中国総代表
【WG座長】
堂ノ上 武夫
日中経済協会 北京事務所長
アサヒビール株式会社
飯塚 喜美子
行政局主任
伊藤忠(中国)集団有限公司
篠原 弘樹
中国人事・総務部長代行
キヤノン(中国)有限公司
原 浩一郎
企画本部 DIRECTOR
新日本製鐵㈱ 北京事務所
長南 隆
代表
株式会社JTB北京事務所
高羽 人志
事務所長
能勢 敦司
華北管理部門 総括部 副部長
韓 建平
総括部 総務科長
全日本空輸株式会社 北京弁事処
柏木 寿州
銷售部 経理
東芝(中国)有限公司
馬場先 雄二
総裁室 副室長
トヨタ自動車(中国)投資有限公司
栗田 弘毅
渉外部主査
(財)日中経済協会
葛西 敦
所長代理
日本航空インターナショナル
柴田 晃伸
中国地区旅客営業部副総経理
日本貿易振興機構 北京センター
島田 英樹
進出企業支援センター 副センター長
日立(中国)有限公司
佐々木 良二
副総経理
丸紅㈱ 北京事務所
稲積 和典
総代表助理
三井物産㈱ 北京事務所
劉 玉氷
業務部 経理
三菱商事㈱ 北京事務所
李 征
中国総代表室 経理
三菱東京UFJ銀行北京支店
小室 拓也
取引先1課
三菱電機(中国)有限公司
原 正英
副総経理
みずほコーポレート銀行 北京支店
武沢 弘貴
総務課 課長
【オブザーバー】
柳澤 好治
日本大使館 広報文化センター 一等書記官
【オブザーバー】
長谷川 綾子
日本大使館 経済部 三等書記官
【訪問先企業】
安孫子 仁
アルプス(中国)有限公司 人事総務部長
【訪問先企業】
三谷 達巳
北京キューピー食品有限公司 総経理
【訪日中のアテンド等】
渡辺 光男
日中経済協会(東京) 総務部参与
住友商事(中国)有限公司
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第6回「走近日企・感受日本」中国大学生訪日団報告書
団長挨拶
中国日本商会の招待で、第6回「走近日企・感受日本」中国大学生代表団の一行35名は2010年5月24
日から6月2日まで、東京、宮城、茨城、栃木などの各県を訪問しました。日中経済協会及び各関連企
業、大学、一般家庭の心のこもった歓迎により、代表団一行は充実した10日間を過ごすことができまし
た。ここに心から感謝申しあげます。
10日間に丸紅本社、アルプス電気古川工場、東芝メディカルシステムズ、キューピー五霞工場、キヤ
ノン取手工場、みずほコーポレート銀行、全日空など多くの日本の大手企業を訪問し、程永華駐日本大
使にも表敬訪問をすることができました。また東北大学と早稲田大学の先生や学生との交流、一般家庭
でのホームステイも経験したほか、世界文化遺産の日光東照宮を見学したりと、多面的に日本の歴史や
社会・文化を体験することができました。
帰国前には、中国日本商会と日中経済協会主催の送別会が開かれ、日本の各関連企業、大学、一般家
庭の代表、代表団全員が一堂に会しました。送別会では、中国の大学生が壇上に上がり、流暢な日本語
や英語で詩、歌、写真、文字を使って日本の皆さんに今回の訪問の感動と収穫を報告させていただきま
した。長い間抱き合って別れを惜しむという感動的な場面もありました。そうした情景を見て、中日両
国の子々孫々の友好は必ずや実現できると確信しました。
今回の代表団は中国人民大学、北京工業大学、対外経済貿易大学、清華大学、北京第二外国語学院の5
校から選抜された優秀な大学生たちで、その出身地も各省、自治区、直轄市とさまざまでした。一人ひ
とり、毎日ペンとカメラで日本を観察・認識し、その感想を記録してきました。学生たちの日本と日本
国民に寄せる思いをこの報告書から感じていただければ幸いです。
最後に、今回の代表団の日本訪問のために色々とお骨折りいただいた皆さま方にあらためて心からお
礼申しあげます。また、学生諸君が自分の耳で聞き、目で見、感じ取った日本を周囲の人々に伝え、中
日友好事業の新しい架け橋となることを期待いたします。
第6回中国大学生訪日団 団長 関涌
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主催・共催団体の概要
中国日本商会
在北京企業の円滑な事業活動を支援するとともに、日中間の経済交流の活発化を通じて、日中友好を
促進することを目的として、1980年10月に設立された北京日本商工クラブを前身とする。中華人民共
和国国務院令第36号「外国商会管理暫行規定」に基づき認可された外国人商工会議所の第1号として、
1991年4月22日に設立された。
会員数は、2010年6月末日現在、市内法人会員641社、市外法人会員54社、個人会員40名、賛助会員
8名の合計743社(名)を擁している。
中国日本友好協会
1963年に中華全国総工会、中国人民外交学会など19の民間団体によって発起設立された、中国におけ
る最も代表的な対日民間友好組織である。創立以来、周恩来総理の提唱の下で積極的に対日友好交流活
動を展開し、1972年の中日国交正常化と1978年の中日平和友好条約の締結においては大きな貢献を果
たした。政治、経済、文化、スポーツなどの各分野で対日友好交流事業を強力に展開し、健全で安定的
な両国関係の推進に重要な役割を果たしている。
中国友好和平発展基金会
中国人民対外友好協会の下部組織として、1996年に設立された。各国との友好増進、国際協力の推
進、世界平和、共同発展を主旨とし、世界平和と人類の進歩に貢献するため、中国と海外各国との友好
事業を始め、文化、教育、医療衛生、環境保護、スポーツ、経済、貧困支援などの数多くの分野で社会
的公益活動を行っている。
財団法人貿易研修センター
国際的な経済活動に携わる官民の人材の育成と我が国と外国との経済交流促進を目的に、「貿易研修
センター法」に基づく特別認可法人として1967年に設立された。
財団法人日中経済協会
経済産業省を始めとする日本政府及び日本経済団体連合会他経済界の支援の下に、日本と中国との経
済交流促進のため、1972年に設立された。
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第6回中国大学生「走近日企・感受日本」訪日団団員名簿
姓 名
性別
所 属
1
団長
関 涌
男
中国日本友好協会 経済交流・都市交流部 部長
2
団員
柳 源
男
北京第二外国語学院 日語学院(日本語専攻)
3
団員
保 羅
男
北京第二外国語学院 日語学院(日本語専攻)
4
団員
滑美琴
女
北京第二外国語学院 日語学院(日本語専攻)
5
団員
趙 鄭
女
北京第二外国語学院 日語学院(日本語専攻)
6
団員
冼安琪
女
北京第二外国語学院 日語学院(日本語同時通訳専攻)
7
団員
黄 芬
女
北京第二外国語学院 日語学院(日本語同時通訳専攻)
8
団員
顔霊珊
女
中国人民大学 商学院(財務管理専攻)
9
団員
敦奎利
男
中国人民大学 外国語学院日語系(日本語専攻)
10 団員
趙俊娜
女
中国人民大学 環境学院(環境科学専攻)
11 団員
于 淼
女
中国人民大学 経済学院(国際経済・貿易専攻)
12 団員
胡 暁
男
中国人民大学 経済学院(経済学専攻)
13 団員
楊 鐸
男
中国人民大学 財政金融学院(税務専攻)
14 団員
董 崢
男
北京工業大学 建築工程学院(土木工程専攻)
15 団員
余 堃
男
北京工業大学 環境・能源工程学院(熱能・動力工程専攻)
16 団員
付洪偉
男
北京工業大学 材料科学・工程学院(材料科学・工程専攻)
17 団員
欧陽麗婷
女
北京工業大学 応用数理学院(応用物理専攻)
18 団員
呉 鑫
男
北京工業大学 計算機学院(計算機科学・技術専攻)
19 団員
邱騰菲
女
北京工業大学 建築・城市規劃学院(建築学専攻)
20 団員
張 乾
男
対外経済貿易大学 国際経済貿易学院(経済学専攻)
21 団員
時嘉邑
男
対外経済貿易大学 国際関係学院(国際政治専攻)
22 団員
趙家悦
男
対外経済貿易大学 金融学院(金融専攻)
23 団員
王犀通
男
対外経済貿易大学 外語学院(アラビア語専攻)
24 団員
潘揚洋
男
対外経済貿易大学 外語学院(フランス語専攻)
25 団員
高 影
女
対外経済貿易大学 外語学院(日本語専攻)
26 団員
王 和
男
清華大学 機械工程学院工業工程系(工業工程専攻)
27 団員
趙 赫
男
清華大学 機械工程学院汽車工程系(車両工程専攻)
28 団員
楊雅嘉
男
清華大学 機械工程学院(マイクロ機電系統工程専攻)
29 団員
姜雨杉
女
清華大学 生命科学学院(生命科学専攻)
30 団員
陳 睿
男
清華大学 信息科学技術学院(マイクロエレクトロニクス専攻)
31 団員
黄新我
男
機械工程学院(機械工程及び自動化専攻)
32 事務局
王 磊
男
中国日本友好協会 経済交流・都市交流部 33 団 員(引率教員) 林 曌
女
北京第二外国語学院 日語学院 教師
34 団 員(引率教員) 胡 霞
女
中国人民大学 経済学院 教師
35 団 員(引率教員) 梁 爽
女
清華大学 人文社会科学学院 講師
––
第6回中国大学生「走近日企・感受日本」訪日団視察日程
日次
1
月日
5月24日
(月)
2
5月25日
(火)
3
4
5
5月26日
(水)
5月27日
(木)
5月28日
(金)
6
5月29日
(土)
7
5月30日
(日)
8
9
10
5月31日
(月)
6月1日
(火)
6月2日
(水)
日程
08:30 北京首都国際空港発(NH956便)
13:00 成田空港着
16:30~19:30 丸紅㈱本社視察(夕食含)
20:00頃 ホテル着
07:30 ホテル発 東北新幹線にて古川へ
08:20東京駅→10:36古川駅 やまびこ45号
11:00~14:00 アルプス電気古川工場視察(昼食含)
仙台観光:青葉城跡/仙台市博物館(魯迅碑)
16:00~20:00 東北大学視察(魯迅碑)交流及び懇親会
20:30頃 ホテル着
07:50 ホテル発 東北新幹線にて那須塩原へ
08:21仙台駅→09:30那須塩原駅 やまびこ210号
10:30~13:00 東芝メディカルシステムズ㈱本社視察(昼食含)
午後 日光観光:日光東照宮
17:00頃 ホテル着 鬼怒川温泉(泊)(温泉体験と日本旅館体験)
07:30 ホテル発 09:30~13:00 キューピー五霞工場視察(昼食含)
14:30~16:30 キヤノン㈱取手事業所
18:00 東京着 日中経済協会主催歓迎宴
20:00 ホテル着 09:00 ホテル発
09:30~13:00 みずほコーポレート銀行(昼食含)
14:00~15:00 中国大使館訪問
午後 東京ディズニーランド観光
22:00頃 ホテル着
09:30 日中経済協会着
※ホームステイ家族の中国大学生出迎え
終日 学生はホームステイ
午前~午後 ホームステイ
16:00 ホテルニューオータニロビーに集合
全員チェックイン後バスにてお台場へ
20:00頃 ホテル着
09:45 ホテル発
10:00~13:00 国会議事堂参観
15:00~20:00 早稲田大学視察、交流及び懇親会
20:30頃 ホテル着
午前 都内観光
14:30~16:30 ANA機体メンテナンスセンター視察
18:00~20:00 送別パーティー 場所:ニューオータニ
20:30頃 ホテル着
09:30 ホテル出発
10:00~日本科学未来館見学
成田空港近辺、イオンモール成田にてショッピング
17:20 成田国際空港発(NH955便)夕食は機内
20:10 北京首都国際空港着
到着後解散
– 11 –
宿泊地
東 京
ホテルニューオータニ
仙 台
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第6回中国大学生「走近日企・感受日本」
訪日団視察先出席者リスト
1.丸紅株式会社(5月24日)
関山 護 代表取締役副社長
志々目 祐二 市場業務部 部長
杉田 欣二 〃 担当役員付部長
松園 大 〃 中国チーム
木村 千穂 〃 〃
松田 勇太 〃 〃
成 玉麟 〃 〃
陳 詩林 〃 〃
趙 文黙 金融・保険営業部 金融事業チーム
劉 飛揚 住宅開発第一部 開発第三課
李 雪連 丸紅経済研究所 所員
劉 静 軽金属部 地金課
陳 婷微 石炭部 一般炭課
丁 倍和 法務部 法務第四課
劉 威 〃 〃
2.アルプス電気株式会社(5月25日)
高村 秀二 MMP事業本部 取締役 生産・中国担当
原 艇 〃 生産戦略室 中国室 室長
神垣 友夫 〃 第3技術部 設計4G係長
河村 健志 〃 古川総務課 課長
松浪 孝昭 〃 〃 課長代理
伊井 佑一 〃 〃
銭 婧 〃 第3技術部 設計4G
趙 洋 〃 第4技術部 設計1G
曹 暉 〃 第1品質保証部 品質保証G
李 希 HM&I事業本部 第2商品開発部2G
管野 和美 〃 事業戦略室
小熊 貴志 AUTO事業本部 事業企画室 企画G
3.東北大学(5月25日)
木島 明博 副学長
重野 芳人 国際交流センター 副センター長
山口 昌弘 理学研究科 教授
助川 泰彦 国際交流センター 教授
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山田 直子 国際交流センター 講師
小谷 元子 総長特任補佐
陳 迎 国際教育院 准教授
末松 和子 経済学研究科 准教授
中島 美樹子 工学研究科 教授
森谷 祐一 工学研究科 講師
平田 純一 国際交流部 国際交流課長
角田 賢次 国際交流部留学生課長
渋谷 幸雄 グローバル30推進室長
江幡 武 宮城県日中友好協会会長
他に教職員12人、学生、留学生 約30人、その他来賓 約10人
4.東芝メディカルシステムズ株式会社(5月26日)
綱川 智 取締役 上席常務
小林 一也 取締役 常務
熊埜御堂 靖志 総務部 総務安全保健担当グループ長
下地 敏邦 〃 〃 参与
藤原 茂美 経営企画部 参事
姚 淙 超音波開発部
李 紅 経営計画部
張 偉 海外営業統括部
曹 冬梅 〃
5.キューピー株式会社 五霞工場(5月27日)
島 家時 常務取締役 広報室 室長 田渕 弘 中国事業部 部長
小林 強 〃 課長
松永 陽代 〃 春名 隆徳 五霞工場 次長
吉岡 恵 〃 総務課
三石 加代子 〃 〃
6.キヤノン株式会社 取手事業所(5月27日)
奥垣 弘 映像事務機取手工場 工場長
今村 義広 取手総務部
海老原 咲子 〃
板垣 明子 〃
猪飼 千都 広報部
鈴木 琴 〃
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澤田 澄子 社会文化支援部 部長
天野 真一 〃 7.(財)日中経済協会(5月27日)
稲葉 健次 専務理事
関 誠 理事・総務部長
武田 雄博 理事・企画調査部長
畠山 忠久 事業開発部長
渡辺 光男 総務部参与
横山 達也 事業開発部 主査
太田 圭 〃 伊藤 智 業務部 主査
中島 俊輔 企画調査部 次長
山本 祐子 〃 〃
加藤 康二 〃 課長
岡本 謙三 〃
8.株式会社みずほコーポレート銀行本社(5月28日)
菅野 暁 執行役員 国際管理部 部長
茶谷 康弘 中国営業推進部 次長
白井 和樹 〃 調査役
姚 瑾 〃 部長助理 王 旻 〃 調査役
熊 俊 〃 〃
崔 京月 〃 〃
葉 嵐 〃
山根 麻子 〃
山田 順子 〃
山田 猛 ALM部 調査役
石渡 海平 〃 〃
善野 吉博 国際為替部 次長
山田 憲二 〃 胡 楠 グローバルストラクチャードファイナンス営業部
沈 連姫 〃
9.中国大使館(5月28日)
程 永華 特命全権大使
湯 本淵 公使参事官
張 社平 大使秘書
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杜 暁曦 友好交流部 三等書記官
10.国会議事堂(5月31日)
山根 隆治 参議院議員
青芝 俊弘 山根隆治議員秘書
坂口 恒男 経済産業省 国会連絡室長
中山 誠 〃 国会連絡室 国会担当専門官補佐
鈴木 勇人 〃 国会連絡室 11.早稲田大学(5月31日)
江 正殷 国際部 副部長
楊 振 国際部 国際課
中越 明子 〃 〃
宮房 寿美子 国際部 学生交流企画課
白木 三秀 政治経済学術院教授 留学センター所長
他に白木ゼミ学生 38人
12.全日本空輸株式会社整備本部機体メンテナンスセンター(6月1日)
大坪 誉博 整備本部 機体メンテナンスセンター 業務推進室
福永 穂 ANAビジネスクリエイト㈱
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統合戦略リーディングカンパニーの実力と矜持
中国人民大学学生代表
見学日時:2010年5月24日(月)16:30~19:30
見学場所:丸紅株式会社本社
業務概要
丸紅株式会社は世界74の国と地域に34の支社を持つ、創業150年の大手総合商社である。総合商社と
は日本独特の組織で、多様な形態の商業活動を通じてさまざまな業界・業種と繋がっている。同社は経
営環境の変化に対する柔軟な対応、商取引や投資活動の円滑な推進を目的に、それまでの単なる仲介機
能にとどまらず、金融・物流・情報・プロジェクト運営・コンサルタントなどの各種機能を効果的に結
合させ、顧客に対し付加価値の高い製品とサービスを提供し続けている。丸紅の主な機能は次の通りで
ある。
(1)オーガナイズ機能。資金調達能力や開発能力及びリスクに対する管理・対応能力を活かして、数多
くのプロジェクトでオーガナイザーとしての役割を果たしている。(2)資源供給機能。世界中に鉄鋼原
料や非鉄金属などの金属資源及び石油、石炭等のエネルギー資源を安定供給している。(3)市場開拓機
能。中国を中心にアジア・東欧・中米・南米等で温室効果ガス削減事業に取り組んでいる。(4)バリュー
チェーン構築機能。食品・紙パルプ事業を柱とした、各業界・業種に跨るバリューチェーンを構築して
いる。(5)物流機能。物流コスト削減に向けたコンサルティング業務やITによる物流効率の向上に取り組
み、最適化された物流システムを構築している。(6)金融機能。買収、企業再編・再生、ベンチャーキャ
ピタルなどの各種投資ファンドを設立・運営して非上場企業への援助を行っている。
垂直統合化
総合商社としての丸紅が進める統合化は次の2つのプロセスに見ることができる。それは、産業の幅を
徐々に広げて産業チェーンの垂直統合プロセスと、これまで手がけたことのない分野を堅実に切り開い
ていく新分野開拓プロセスである。
同社の進める垂直統合は、これ以上ないというぐらいに完成されている。再生紙を例にとると、最終
製品の再生紙のためには苗木の研究開発事業から始めることになる。経済林作物の研究開発から全体的
な造林とその保護、更には木材加工、最終的には製紙及び製紙工場の汚染物質の排出にいたるまでの産
業チェーンの全てを掌握し、川上から川下にいたるコスト削減を可能にしている。再生紙産業はやや特
殊なケースだが、丸紅や他の日本企業の多くの産業における戦略は概ね同じようなものになっている。
その戦略とは持株会社によって川上から川下までの産業チェーンを確立することである。川上企業の株
式を大量保有することで、原材料コストの削減が可能になり、川下企業も同様に販売コストを削減でき
ることになる。こうした大幅なコスト削減によって生じた余裕資金が、丸紅の他分野への更なる参入を
後押ししている。
企業の社会的責任——社会貢献と環境保護
丸紅はCSRの一環として他に先駆けて社会貢献活動に取り組んできた。「社会福祉」、「国際交流」、
「地域貢献」、「地球環境」、「文化支援」という5つの重点分野を中心に、積極的な社会貢献活動を展
開している。幹部社員が毎月一定額を積み立て、それを丸紅基金に寄付するという「100円クラブ」が
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あり、基金によって毎年各分野に提供される1億円の社会福祉助成金は、自動車や設備購入、施設の修繕
などに使われ、障害者の「自立」支援に役立てられている。
同社の地球環境保護分野での貢献が特に注目に値する。丸紅は紙パルプ分野を中核事業の一つにして
いる関係で毎年大量の木材の輸入が必要になるが、同社は原材料の安定供給と社会の持続可能な発展を
両立させるべく、産業の最上流に位置する植樹造林事業を特に重視している。目下、中国・インドネシ
ア・オーストラリア・ブラジル・ニュージーランドなどの地域を中心に植樹造林活動が行われている。
日本企業が海外で実施する植樹造林としては最大規模で、08年7月時点での総植樹面積は東京都の約2倍
の広さに当たる39万haに達している。また、同社は浙江省でCDM事業を推進している。主にフロンガス
の分解技術とその関連設備を提供することで温室効果ガスの削減を目指している。同社はこの事業を単
純な投資とは見ず、事業育成を通じた「再生可能分野」のリーディングカンパニーになるための挑戦と
捉えているが、まさにこれこそが丸紅の仕事のやり方だと言える。
新しい価値の創造と新分野の開拓
垂直統合の過程においては一つの産業分野にとどまるということはない。丸紅が目指すものは単なる
統合ではなく、最大限の統合である。その事業内容は最も原始的な靴製造業から環境保護、金融、機
械、小売にいたるまで多岐に渡っているが、特に以下の点に興味を持った。それは丸紅がある産業の川
上から川下にいたる垂直統合を完了した後、どのようにして次の新たな分野を選択し、既存分野との両
立を実現していくのかという点だ。これについては、同社の管理者層から以下のような回答が得られ
た。
まず事業分野の拡大には資金力によるサポートが必要になるが、丸紅はその資金の全てを自らの投融
資活動でまかなっている。丸紅の投資・融資先は多岐に渡り、その事業内容も自社関連分野の延長線上
にあるものを選ぶことで、現実の営業販売とバーチャルな資金運用という両面のリスクを回避してい
る。また、同社の投融資は独立色が強く、金融機関が同社の個別業務に干渉することはない。したがっ
て同社は経営活動に十分な資金運用チームを自前で持ち、変動の激しい市場から一定の距離を置くこと
ができている。
また、同社の新規事業の開拓は中核社員全体の智慧の結晶だと言える。同社では四半期ごとに各部署
の責任者が経営陣に新分野開拓構想を示したレポートを提出することになっている。経営陣による一括
審議を経て優秀案が選出された後、提案者と関連部署が呼ばれ何度も論証が行われると同時に、自社の
経済研究部門による研究成果と経営状況全般を考慮したうえでの評価がある。そして上述の要件をすべ
て満たし、資金に余裕のある場合のみ提案が実行に移されることになる。
以上、見てきたように、新規事業に向けた第一歩は常に苦難に満ちたものとなるが、その足取りは着
実で揺るぎない。同社が新規に参入する分野は余り目立たないが、ひとたび脚光を浴びれば、驚くべき
成果をあげるというものばかりだ。こうした未知の分野への参入で失敗することはほとんどない。
統合的リーディングカンパニーを体感
丸紅を訪問して「能力の高さは責任の重さに比例する」ということを実感した。生活のあらゆる分野
に影響を及ぼす大手企業が、社会のために自らの責任を果たし、社会に貢献したいという姿勢で人々の
前に現れるとき、人々はこれをより喜ばしいものとして歓迎する。事業の成功が丸紅を社会還元へと導
き、その社会還元がまた同社を更に広範な事業分野へと後押しするための資本となる。企業の発展と社
会的責任の両立は丸紅の矜持の表れだと言える。
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丸紅本社での記念撮影
夕食会での丸紅社員との質疑応答
– 18 –
人と地球のための新たな価値の創造
――アルプス電気株式会社見学記
対外経済貿易大学学生代表
見学日時:2010年5月25日(火)11:00~14:00
見学場所:アルプス電気古川工場
見学概要
①会社紹介ビデオ:アルプス電気グループの対中投資及び販売実績
②アルプス電気、アルパイン、アルプス物流の紹介
③自動車電子部品とコアテクノロジーの紹介、EMC実験室と製造現場の見学
④社員食堂での昼食
⑤質疑応答
豆知識
①他の電子部品メーカーと比べたときのアルプス電気の強みは?
コアテクノロジー関連の展示を見学する中で、アルプス電気が製造する電子部品はどれもハイテクが
駆使されていることが分かった。要するに、アルプス電気の強みはその科学技術属性にある。常にトッ
プレベルの技術を目指し、独創的かつ高度に専門化された技術開発を行っている。また、取引先に対し
ては「Design In」方式を導入し、迅速に市場のニーズに対応している。
その科学技術属性以外にも、アルプス電気は「精緻な電子製品」の製造、即ち、美しさとコストパ
フォーマンス重視の、環境保護性能の集約された、ヒトにやさしいものづくりに取り組んでいる。アル
プス電気はまさにこれらの要素によって熾烈な市場競争に勝ち抜いてきたと言える。
②アルプス電気の市場対応能力は?
なぜアルプス電気は長期にわたり好業績を挙げることができているのか。その重要な理由の一つに市
場に対する判断がある。変化し続ける市場に対しアルプス電気は「より迅速に、よりタイムリーに」を
心がけるとともに、「販売と技術」と「生産機能」の一体化を図り、いっそう迅速にユーザーのあらゆ
るニーズに対応することを目指している。
③アルプス電気の海外市場、特に中国市場に対する認識は?
「世界にネットワークを広げ、関連取引先との協力関係を構築していく」ことを基本理念としてい
る。現在、アルプス電気は日本をはじめ、米国、ヨーロッパ、東南アジア、中国の82か所に開発・製
造・販売のための拠点を設け、それぞれの国と地域で社会的信頼関係を築き、電子工業の発展に貢献し
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ている。
中国市場について言えば、1990年代から本格的な進出が始まり、今や北京・上海・大連・天津・無
錫・寧波・東莞に研究開発・製造・販売・物流分野の現地法人を立ち上げるまでになっている。
創意工夫はアルプス電気の社訓の一つである。創意工夫を重視し、新技術の開発に努め、業務能力の
向上を目指す。アルプス電気の技術はオリジナリティと革新性に富むことで知られ、そうした技術を
バックに電子化時代における技術開発及びイノベーションの主動権を握っている。
⑤環境保護理念は?
「宇宙船地球号」の一員として環境調和型の事業を推進している。先進的ビジネス手法と社員の努力
により美しい自然を保護し、貴重な資源を大切にすることを基本理念として掲げ、二酸化炭素などの温
室効果ガスや環境負荷物質の排出削減に積極的に取り組んでいる。
具体的な行動としては、環境保護に役立つ製品の開発、環境保護型製品の製造販売、貴重な資源の節
約、汚染と廃棄物の削減、リサイクル啓蒙活動がある。
感想
会社紹介の中に企業と社員の関係に関するもの
があった。アルプス電気の社員に対する考え方
は3つの「hard」で表わすことができる。即ち、
「work hard」、「study hard」、「play hard」
だ。それは一見矛盾しているように思えるが、実
は互いに補完し合い、支え合う関係にある概念
だ。社員にとっての価値は、毎日同じことの繰り
返しの仕事だけでなく、知識の更新や発想の転換
といった面にも見出すことができる。仕事や研究
の余暇には十分な休息と余暇を利用した楽しみが非常に重要で、それにより社員は仕事への精力を養う
ことにもなる。アルプス電気では仕事・研究・娯楽という良循環を中心に、社員のやる気を積極的に引
き出し、独特の企業文化を生み出している。
工場の随所に上述の3H理念が体現されていた。工場の周囲にはさまざまな植物が植えられ、自然を重
視した環境が作られていた。仕事の余暇を利用した各種スポーツ大会には社員の心身をリラックスさせ
ると同時に、社内の結束力を強化する効果がある。特に印象的だったものに食堂と工場の通路に設置さ
れていたカロリー消費に関するボードがある。それはいろいろと工夫を凝らして、食後の少しの運動が
いかに大事であるかを教えていた。
それにひきかえ、中国の同種の企業であるフォックスコンはどうだろうか。最近、社員の飛び降り自
殺がメディアを賑わしているが、これは中国の企業に社員との関係を考える上で重大な問題があること
の表れだと言える。しかもこれらの問題は雇用者と被雇用者の矛盾を激化させ、最終的に悲劇を生む結
果になることが多い。
世界の一流企業になるためには、一流製品を製造できる能力だけでなく、世界一流の社員を持ち、企
業と社員の緊密な関係を構築することが必要になる。ヒトは企業が成功するための核心的要素であり、
アルプス電気はヒトを企業文化の中心にすえ、企業と社員との良好な関係を守り、育てている。一方、
多くの中国企業は、残念ながら、この点をきちんと認識しているようには思えない。中国企業が世界の
一流企業になるためにはまだまだ長い道のりが必要だ。
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東北大学訪問交流報告
北京第二外国語学院学生代表
見学日時:2010年5月25日(火)16:00~20:00
見学場所:東北大学
見学概要
東北大学で最初に見学したのは、当時、魯迅先生も勉強していたという階段教室だった。教室は永い
歳月を経てずいぶん古くなっていたが、それでもずっと大事に使われてきたことは分かった。教室前方
のドアの左側に魯迅先生と藤野先生の写真が並べて掛けられていた。教室の床、戸や窓、机やイスはか
なり古ぶるしかったが、それがかえって東北大学の古い歴史を感じさせてくれた。この階段教室で東北
大学の歓迎を受けた後、史料館に向かった。
東北大学史料館には大学創建時の記録が保存されていて、さまざまな興味深い写真や実物が展示され
ていたが、最も感動したのはやはり魯迅先生の留学生活を紹介したものだった。入学通知書、学籍番
号、成績順位表、他の中国留学生と写した記念写真などが展示されていた。中でも最も目をひいたの
は、藤野先生が添削してくれたノートだった。それはレプリカだったが、あの激動の時代の強い友情が
伝わってきた。
学内を見学した後、歓迎会が始まった。
歓迎会での一番のハイライトは、東北大学の学生たちが披露した三味線の見事な演奏だった。古典楽
器を使って現代の楽曲を演奏してくれたが、それは東北大学の学生たちが知識の進歩を重視しながら
も、伝統文化の継承に力を入れていることの表れのようにも思えた。三味線によって奏でられるメロ
ディは、力強く情熱的だったかと思うと、ゆっくりと穏やで、温かい曲調に変わっていった。
東北大学の学生たちは全部で3曲演奏してくれたが、「島唄」が特に印象的だった。この曲は「不想睡
(眠りたくない)」というタイトルでマレーシアの有名な歌手――梁静如によってカバーされ、その美し
いメロディーにどれだけ多くの人が感動したことか。この曲が終わると、私たちも大きな拍手でこの感
動的な演奏に応えた。
演奏終了後は盛大な歓迎夕食会だった。東北大学の先生方と学生が夕食会に参加し、中国留学生の代
表も何人かいた。彼らとの交流を通じて東北大学や仙台、日本について改めて認識することができた。
ある中国からの留学生がこんな話をしてくれた。「日本に来たばかりのころ、成績がとても良かったの
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で、いくつかの国立大学や私立の有名大学から誘いがあったが、たまたま東北大学を訪れる機会があっ
て仙台に来てみると、すっかりこの「杜の都」が気に入ってしまった。キャンパスが繁華街から離れて
いることもあって静かで、学生たちも素朴で勤勉な感じがした。その後も東北大学についていろいろ知
る機会があって、最終的に東北大学で勉強することにした」。「2年弱の学生生活を送る中で、先生や同級
生にいろいろと助けてもらい、この選択は間違いではなかったとつくづく感じている」。彼の母校であ
る東北大学は、学術はもとより、人情味の溢れる大学のようだ。もう一人の中国からの国費留学生(ポ
ストドクター)は「高額の奨学金によるサポートがあるので経済的な心配はいらない。研究に専念でき
る」と教えてくれた。こうした話を聞くうちにこの一流学府への憧れがふくらんで来た。
知っていますか?
三味線の起源 一般的にその起源は中国の三弦にあると言われ、15世紀頃には今のような形になっていたとされる。
中国の伝統楽器の三弦が琉球王国(現在の沖縄)に伝わって、初期の沖縄「三線(サンシン)」が生み
出され、その後日本本土に伝わり、徐々に今のような形になった。
三味線の価値 日本民族の伝統的楽曲の多くの流派による作品が今日まで伝承され、さまざまな形に姿を変えてい
る。また、多くの「ニューエイジ・エスニックフュージョン・アーティスト」(たとえば吉田兄弟)に
よって現代的な楽曲も作曲されている。三味線は日本の伝統楽器としてよく知られ、それには重要な歴
史的・芸術的価値がある。
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「Made for Life」
――東芝メディカルシステムズを体感
北京工業大学学生代表
見学日時:2010年5月26日(水)10:30 ~ 13:00
見学場所:東芝メディカルシステムズ株式会社本社
見学概要
東芝と聞いて、その医療機器分野での実績を思い浮かべる人はそれほど多くないと思うが、今回、小
林さんの会社案内と工場見学によって、東芝の医療部門についての理解を一段と深めることができた。
1930年に設立された東芝メディカルシステムズ株式会社は、東芝グループ全売上高の33%を占めるイ
ンフラ集団に属している。本社は栃木県大田原市にあり、医療機器の研究開発・製造・販売・技術サー
ビスを主要業務としている。主力製品には診断用X線装置・磁気共鳴画像診断装置・CT・超音波画像診
断装置・放射線治療装置・診断用核医学装置・医用検体検査機器・医療機関向け情報システムなどがあ
る。その確かな性能を武器に、東芝の医療機器は医療の最前線を支え、世界中でその卓越した能力を発
揮し続けている。また、人類の健康と医療への貢献を目標に革新的な医療製品の開発に取り組んでい
る。
同社は1975年に東芝医療系統(中国)有限公司を設立し、中国で「Made for Life」というスローガンを
提唱し始める。その後、改革開放が進み、すでに30余りの省・市・自治区の医療機関で3万ユニットを
超える同社の先進医療機器が導入されている。全国をカバーする販売・メンテナンスネットワークを構
築すると同時に、中国国内の多くの企業や病院と友好的な協力関係を積極的に築くことにより、今や同
社の医療製品は、中国の医療機器市場で最も強い影響力と競争力を持つブランドの一つになっている。
工場見学で、同社が患者の不快感を緩和するために優れた静音化技術を開発していることを知った。
また、より正確な診断を目指して、CT1回転の時間を0.35秒まで短縮するという世界トップレベルの技
術を開発している。短時間の見学では「Made for Life」の真髄を知るまではできなかったが、東芝メ
ディカルシステムズが患者の身になっていろいろと考え、人々の健康を願ってまじめな努力を続けてい
ることが分かった。
知っていますか?
①東芝メディカルシステムズの工場見学で最も印象深かったことは?
– 23 –
工場見学では、日本の工場がいかに清潔であるかを実感した。北京の工場もいくつか見学したことが
あるが、そのほとんどが油と騒音にまみれていた。一方、東芝の工場で目にしたのは、清潔な作業服と
オーバーシューズに身を包んだ作業者と、外部からの異物の侵入を可能な限り排除した工場の姿だっ
た。工場は組立作業が中心なのでゴミが殆どなく、ゴミの原因になるようなものもなかった。こうした
理由で、工場がとても清潔に保たれていた。
②東芝メディカルシステムズの工場は清潔さ以外にどんな特徴があったか?
日本の工場は特別な組立を行うエリアで機械の音がするだけで、どこも非常に静かだった。見学の時
に聞こえてきたのは私たち学生代表団の声だけだった。また、工場の作業者が自主的に自分たちの作業
をより簡単なものにするための高効率の機械を開発していた。これらの機械はハイレベルな専門技術を
駆使し、品質が良く、騒音もなく、作業者の作業を正確かつ完璧にサポートしていた。
③見学で最も感銘を受けたことは?
全ての電灯に括り付けられた長いロープが、ちょうど人の頭の少し上の位置まで垂れ下がっていた。
ロープの先には両面プレートが取り付けてあり、一方の面には日本語で「地球はみんなの故郷」、「地
球を守り、故郷を守る」といった意味の言葉が記され、もう一方にはそれぞれの作業者の名前が書かれ
ていた。その言葉と名前が何を意味しているのか知りたくて質問してみると、東芝メディカルシステム
ズの工場では、電灯は各人が責任をもって管理し、スイッチのオン・オフはプレートに名前のある作業
者が行うことになっているということだった。人が来たら電灯をつけ、人がいなくなったら消す。節電
が徹底され、責任の所在が明確になっている。大連にも同社の工場があるが、そこでも同様の管理手法
が採られているのか訊いてみたところ、中国でもこの手法が全て踏襲されているとのことだった。製造
技術のみならず、環境管理に関する体制もきちんと整備されているのが分かった。
見学の感想
2008年、東芝の社会インフラ事業の売上高が東芝メディカルグループ全体の35%を占め、東芝メディ
カルシステムズの売上高が社会インフラ事業部門のそれの15%を占めた。この東芝という超大型グロー
バル企業の売上高は36億ドルに達する。熾烈な国際競争が繰り広げられる中、東芝メディカルシステム
ズはどのように精密機器分野の先進国である日本や欧州で頭角を現し、世界シェア4位の医療機器メー
カーにまで上りつめることになったのだろうか。
まず考えられるのは、社員の研究開発に対する飽くなき探求心だ。科学技術の発展が迅速な今日にお
いては、成長なき者が落伍者となるのは周知の通りである。東芝メディカルシステムズは研究開発に膨
大な精力と巨額の資金を投じ、日本・米国・欧州に研究開発センターを設けている。常に顧客からの
フィードバックを集め、市場に流通している他社製品との比較を行い、その長所を取り入れ、短所は改
善するなど、同社の製品は進化し続けている。中でもCT装置は世界シェア30%を達成しているが、まさ
にこの実績こそが、同社が懸命に顧客のニーズに合った製品を開発し続けてきたことの証だと言える。
次に規範意識の高さがある。工場作業者が当たり前のことのようにきちんと歩行ラインを歩いてい
た。歩行者が工場内を通り抜けするときに使うドアは強く推さなければ開かないが、ドアから通路を1本
隔てた車両通行口の門は開けっぱなしの状態だった。ところが、私たちの見た限り、重いドアを開ける
のを面倒くさがって、歩行ラインを横切って車両通行口を通る作業者は1人もいなかった。こうした細部
に渡る高い規範意識があるからこそ、優れた生産モデルと高い生産効率を生み出すことができたのだと
思う。
さらに重要なものに同社の経営スローガン「Made for Patients. Made for you. Made for Partnership」
がある。同社は「患者さんのために」というスローガンの下、全身全霊で健康と尊い命を守る医療事業
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に貢献し、「人間本位」のスローガンの下で高品質かつ信頼できる製品と行き届いたサービスを提供
し、お客様と「ともに歩」み、ともに発展するという企業目標を厳しく守って来ている。要するに、科
学技術の研究開発を通じて人類のために力を尽くすということを実践している。また、企業として強大
になることを目指しながらも、利欲に惑わされることなく、常に病気の人々の身になって考えることを
肝に銘じている。CTを例にとると、市場に出回っている他社製品の開口径はわずか50㎝しかないが、こ
れでは肥満気味の患者が装置内で窮屈な思いをする可能性があるということで、東芝メディカルシステ
ムズは開口径70㎝のCTを開発し、人間本位の価値観の体現としてこの問題の徹底解決を図っている。
ほんの数時間の見学で同社について細かいところまで理解することはできなかったが、見学によって
得たものはじっくりと考えるに値するものだった。
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キューピー工場見学記
清華大学学生代表
見学日時:2010年5月27日(木)09:30~13:00
見学場所:キューピー五霞工場
キューピードレッシングの美味しさは中国でも知っていた。今回の工場見学で最も印象的だったこと
は、野菜の新鮮さやサラダの味ではなく、強い影響力を備えたキューピーの企業文化とその深い智慧
だった。
ただ単に製品作りだけをしている企業は、命のない生産ツールと生産手段の無機質な集合体にすぎな
い。だが、それが独自の企業文化を醸成し始めたとき、企業は「命」という特性を手に入れることにな
る。キューピーという企業にはなんとも言えない温もりを感じるが、その最たるものが企業キャラク
ターである可愛い天使のキューピットだ。天使は純粋無垢の象徴である。そのイメージを企業キャラク
ターとして採用した時点で、キューピーは成功への第一歩を踏み出したとも言える。
また、会社の隅々まで同社の「温もり」という企業文化が根付いているのが見てとれた。職場風景を
撮ったスナップには、20歳ぐらいの若者に交じっておどけた顔をした50~60代の社員が楽しそうに写っ
ていた。社訓にも「食に携わる者は信義を重んずること」、「親を大切にすること」といった条項が掲
げられている。中国に「安居楽業」という言葉があるが、こうした先人の訓戒が日本人による潤色を経
て、「楽業皆悦(キューピー創業者の揮毫)」として新たな命を吹き込まれているとは思いもしなかった。
「楽業皆悦」とは生活を楽しみ、仕事を楽しむということ、作り手と消費者が悦びを共にするという意味
である。
企業文化は企業の魂、企業の智慧はその肉体に譬えることができる。前者の昇華にはその基礎となる
後者が必要であり、もし後者がなければ、すべての文化は源のない水、根のない木のようになってしま
う。
キューピーの企業文化の第一印象が「温もり」だとすれば、その後の見学では企業の智慧を実感する
ことができた。その一例として、工場にあった効率的な割卵機には全員が目を奪われた。割卵機とは自
動で卵を割り、卵黄と卵白を効率よく分ける機械のことだが、1日に130万個もの卵を分離し、1分間に
平均600個の卵黄を取り出すことができるという。この割卵機によって生産効率が大幅にアップし、品
質も安定するようになったのだが、この機械は業務を簡略化したいと考える一般社員によって改良され
たものだという。
卵は卵黄、卵白、殻、薄皮の4つの部分に分けられるが、キューピーマヨネーズの原料に必要なのは卵
黄だけなので、他の部分はどうなるのだろうか。卵白は小麦粉と混ぜてパンの原料になることは常識だ
が、殻と薄皮はどうなるのだろうか。ゴミとして処分してしまうのだろうか。いいえ!キューピーでは
原材料を100%余す所なく利用していた。
卵の殻は細かい粉状のカルシウム粉に加工してエコチョークや壁材に使うという。見学先の工場の壁
の塗装にも卵の殻が使われていた。また卵の殻と卵白の間にある薄皮の利用の研究も進められている。
静電気防止効果があることから、ズボンの加工に使われているという。中国ではゴミとして処分されて
しまう物が、ここでは価値ある物として再利用されていることを知り、本当にびっくりした。
また、消費者の視点に立った設計もキューピー製品の素晴らしいところだ。例えば、ドレッシングの
瓶の蓋のプラスチックフィルムを破り易いように、右利き用と左利き用に2ヵ所切ってあるほか、蓋の
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上には目の不自由な人にも分かるようにと凸凹の
点字が施されていた。このように細部にわたる心
遣いは、社会の少数派や弱い立場にある人々に喜
ばれると思うし、多数派の人たちも温かい気持ち
になるので、本当に素晴らしい取り組みだと思っ
た。
見学の途中にゴミ回収加工場に立ち寄った。目
につく場所に「分ければ資源、混ぜればゴミ」と
いう垂れ幕が掛けられていた。「ゴミは置き場所
を間違えた資源」という言葉を思い出した。日本
企業の多くがそうであるように、キューピーも資
源の回収利用に力を入れている。先に見学した卵殻の再利用以外にも、製造工程で生じる金属やプラス
チックなどの非生産材も再加工・再利用して有償で販売している。こうした取り組みは、全ての工程で
ゴミ排出ゼロを実現するというだけでなく、収益増にも一役買っていて、まさに一挙両得である。
社会全体を一つの有機的な集合体とした場合、企業はエネルギーを利用して資源を有用な新しい物質
に変える生産体であり、生態学的観点から言えば、その必然的結果として、生産過程で資源ロス(廃棄
物)が発生することになる。したがって、いかに生産量・品質の確保と資源ロスの削減を両立させるか
が企業にとっての最重要課題となるが、この命題については、キューピーが両立させるための方法を示
してくれている。キューピーのこうした取り組みが単に利益追求を目的としたものではなく、頂点を極
めた後の生産モデルの見直しであり、真の意味での社会的責任を全うするための行為なのだと思う。早
くに急速な工業化と経済発展を遂げた日本は、環境問題を軽視したことで大きな代償(大量の水銀排出
による「水俣病」など)を払うことになったが、以来、こうした代償が警鐘となって、企業はその考え
方を改め、より健康的で持続可能な発展の道を歩み始めている。
急速な工業発展を続ける中国でも、環境保護を呼びかける声が次第に高まって来ているが、まだまだ
環境保護や低炭素を謳い文句にしている「似非環境保護」ばかりが目につくのも事実である。環境保護
対策も形ばかりの表面的なものが多く、持続可能で企業の生産活動と十分に連動させたプラットフォー
ムがなかなか提供できないでいるのも残念なことだと言わざるを得ない。資源の枯渇が危惧される21世
紀の社会には、資源を浪費するような余裕など残されていない。優れた日本企業に見習い、小さなこと
から始めることで環境保護意識をしっかり根付かせることが、かけがえのない財産になるのだと思う。
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効率第一と未来志向
中国人民大学学生代表
見学日時:2010年5月27日(木)14:30~16:30
見学場所:キヤノン取手事業所
見学概要
2010年5月27日午後、「走近日企・感受日本」中国大学生訪問団一行はキヤノン取手事業所を訪問し
た。キヤノンの次世代を感じさせる進んだ生産方式を肌で感じ、視野が広がったような気がする。
キヤノンに到着するや、キヤノン社員の細やかな心配りに感激することになった。というのも、記念
撮影をするときに、手に荷物を持たなくてもよいようにと、事前に荷物を置くテーブルを用意してくれ
ていたのだ。記念撮影が終わると、キヤノンの業務内容、製品ラインナップ、世界での売上高、沿革、
独自の生産方式についての説明があった。
キヤノンの売上高は3兆2092億円で、欧米市場がそれぞれ1/3、日本市場が22%、その他の地域が
19%を占めているという。生産している商品もコンシューマー製品から医療機器までと幅広く、キヤノ
ンのカメラはよく知られているが、それはキヤノンが生産しているものの一部に過ぎない。この日は高
品質コピー機の研究開発と生産を行っている工場を見学した。1961年にはカメラの一号機、1968年に
計算機、1972年にコピー機の一号機がそれぞれ生産されているが、キヤノンは常に技術革新に取り組
み、白黒のアナログからカラーのデジタルへと飛躍を続けてきた。
見学では、キヤノンの生産に関する先進的理念が随所に反映されているのが感じられた。特にセル方
式や社員のイノベーションスピリッツ、高度な自動化生産、「1秒の視点」が印象的だった。会議室を出
て、まず2階のプラットフォームから社員によって改良された機械設備を見学した。指1本で60kgの荷物
を持ち上げることのできる機械や騒音を大幅に減少させた装置があった。次に帽子と靴カバーをつけて
工場に入った。工場内は撮影禁止だった。作業者がいくつかのチームに分かれコピー機の組立てをして
いた。これがキヤノンのいわゆるセル方式と呼ばれるもので、従来のラインの流れ作業と比べ社員のや
る気を引き出すことができる生産方式だ。社員がやり甲斐を感じれば効率も上がる。また、工場内では
たくさんの運搬ロボットが自動運行し、床面の白いラインに沿って荷物を次の工程に運んでいた。特に
人件費が高い日本では、自動化はコストの大幅削減につながる。見学の途中で小さな車に出くわした。
車が突然、私たちの目の前で止まってしまったので、てっきり故障かと思って訊いてみると、なんとこ
の車は自動制御されていて、前方に「障害物」があるのを感知して自動停止したのだという。ここでは
全ての作業がロボットによって行われている。ロボットがラベル貼りや箱詰め作業をテキパキとこなし
ているのを見て、本当に進んでいるなぁと感心した。
工場見学の最後にキヤノンから特別なプレゼントがあった。それは一見、ごく普通の高画質印刷され
た日本の風景画のようだったが、角度を変えて光にかざしてみると文字が浮かび上がり、そこには私た
ち一人一人の名前と大学名が刻まれていた。世界にたった一つの素敵なプレゼントだった。私たちは名
残惜しい気持ちでキヤノンを後にした。キヤノンは活気と創造性に溢れた素晴らしい企業だった。中国
にもキヤノンのような世界の頂点に立てるような優れた企業が出てきてほしいと心から思った。 知っていますか?
キヤノン取手事業所の進んだ企業理念を実感することができた。特にセルプロダクション(cell
production)と呼ばれる生産方式がよく知られている。
周知にように、ライン生産方式とセル方式は全く異なる2つの管理モデルだ。私たちが見学したレー
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ザープリンタ工場は自動化が進み、多くの工程が24時間無人で自動運転されていた。ごく少数の人が品
質のチェックや生産プロセスの制御をし、組立ては全てセル方式で行われていた。セル方式の強みは社
員のやる気を最大限引き出し、管理を受身的なものから能動的な管理へと換え、常に作業プロセスが改
善され、より高い付加価値を生み出すことができるという点だ。 また、キヤノンでは「1秒の視点」と呼ばれる非常に細かい管理手法が採用されている。これは1秒単
位で無駄な動きや時間、原材料の浪費、社員の体力の消耗を低減し、コスト削減を図るというものだ。
例えば、社員が足を一歩踏み出すのに0.8秒のロス、90度回転するのに0.6秒のロス、部品を20㎝離れた
所に置くと1秒のロス‥‥。これらのロスを全て改善することで無駄がなくせる。部品を全て手の届く範
囲に置き、1人の作業者が全ての組立てを行うようにすれば、時間の大幅削減ができるだけでなく、責任
の所在も明らかになり、作業効率が向上するという。
生産の改善活動はセルプロダクションのチームごと毎日話し合いがもたれ、月に1回総括会議を開き、
各セクションに問題がないかを話し合い、問題があれば、統一的な改善が行われることになっている。
また、キヤノンは社員による発明や創意工夫を奨励することで、作業負担の軽減や効率アップを図っ
ている。今回の見学では、指1本で50㎏を超える荷物を軽々と持ち上げてしまう重機など、社員によっ
て考え出されたたくさんの機械を見ることができた。
感想
今回のキヤノン訪問を通じて、日本企業の細部に対するこだわりを強く感じた。日本企業の多くが細
部にこだわって研究を重ねてきた結果として効率化を実現している。例えば、作業員が1歩余分に歩く、
1m余分に移動する、1回余分に方向転換することにより消耗されるエネルギーを換算し、そうした無駄
なエネルギーの浪費を減らすことで作業効率をアップさせるという考えの下、キヤノンはセル方式を採
用している。
また、社員のやる気を引き出すという面で、キヤノンは独自の取り組みを行っている。キヤノンの社
員は下から上方向にピラミッド型の体制がとられ、各段階とも社員がある程度独立して組立作業が行え
るような仕組みになっている。上に行けば行くほど作業者が自分で組み立てられるパーツが増え、一番
上まで行くと、1人で1台のコピー機の組立て全てを任されるようになり、社員はやり甲斐を感じるよう
になる。社員にやり甲斐を感じてもらうことで、より一層のやる気を引き出すというのは非常にうまい
やり方だと思った。
今回のキヤノンの訪問では、科学技術だけでなく、進んだ理念や管理手法を学ぶ必要性を実感した。
日本の優れたところを学び、いろいろと吸収することで、中国工業の発展が促進されていくのだと思
う。
キヤノンでの記念撮影
キヤノン取手事業所の説明に聞き入る
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みずほコーポレート銀行の見学
対外経済貿易大学学生代表
見学日時:2010年5月28日(金)09:30~13:00
見学場所:みずほコーポレート銀行本店(東京都千代田区丸の内1-3-3)
みずほコーポレート銀行の見学は来日前から期待していた。みずほコーポレート銀行が1995年から中
国人民銀行傘下の中国金融学院で奨学金(現在名「対外経済貿易大学みずほ基金」)を支給しているこ
ともあり、対外経済貿易大学はみずほに対し格別の思い入れがある。みずほ銀行は毎年対外経済貿易大
学の学生のために金融制度や世界経済の動向に関する金融講座を開催するなど、世界金融に照準を合わ
せた最も直接的なプラットフォームを提供してくれている。そうした意味で、みずほコーポレート銀行
への訪問は、旧友の家を訪ねたときのような温もりがあった。
3時間の見学は慌しかったが充実していた。簡単な銀行紹介から本店の核心部分――8階のディーリン
グルームの見学や最後のエクエーター原則の講義にいたるまで、日本の銀行業界をリードする優れた企
業文化――「時は金なり」、「効率第一」、「専門性と責任感」といった精神が存分に体現されていた。
簡潔明瞭な挨拶の後、銀行の大枠についての簡単な紹介があり、みずほの概要、みずほコーポレート
銀行の業務、みずほの対中事業、CSR活動について理解することができた。みずほフィナンシャルグルー
プは2000年9月29日に第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行によって結成され、2003年1月には資本
金1兆5409億円を擁する世界最大のフィナンシャルグループとなった。三菱東京フィナンシャルグルー
プとUFJフィナンシャルグループの合併前は、日本で最大の資産規模を持つフィナンシャルグループで
あった。1,200名の社員を抱え、人的規模でも日本の金融持株会社の中で最大である。「お客さまのより
良い未来の創造に貢献するフィナンシャル・パートナー」というのが、みずほフィナンシャルグループ
の掲げる目標である。
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会社紹介では、みずほフィナンシャルグループのそれぞれの銀行の違いについての説明があった。み
ずほ銀行は個人、中堅企業、中小企業及び地方自治体等の国内取引先を主な営業基盤とし、中国資本企
業に金融デリバティブ商品を提供する資格を初めて取得した外資系銀行4行の一つである。一方、みず
ほコーポレート銀行は、大企業(東京証券取引所一部上場企業)・金融法人・公共法人(公団、事業団
等)及び海外の取引先を主要営業基盤としている。会社説明の後、フィナンシャルグループの中核企業
であり、大企業・金融機関・海外の大手企業を主な取引先とするみずほコーポレート銀行本店を見学し
た。
みずほコーポレート銀行は大企業・金融法人・公共法人・海外の取引先を主な営業基盤とし、2007年
6月1日には登録資本金40億人民元の中国の現地法人企業――瑞穂実業銀行(中国)有限公司が正式に設
立された。本店は上海にあり、現在1,200名余りの社員が働いている。北京支店は瑞穂(中国)の分支機
構の一つとして華北・西北地区の市場開拓を任され、「最も優秀なソリューションサプライヤー」とな
ることを目標に積極的に事業を展開している。
みずほの対中国マーケティングでは「中国に根をおろす」という高効率でハイエンドな総合マーケ
ティング手法が採用されている。即ち、顧客の事業展開に合わせ、その多様性とハイレベルな要件に対
応しつつ、財務面の課題に焦点を絞ってより効率の高い先進的ソリューションを提供するというもので
ある。みずほは中国の環境及び人材育成事業において多大な貢献をしている。
以上のことを理解した上で、私たちは案内役に引率されて、みずほビルの心臓部であり、一刻を争う
金融界の「戦場」とも言える国際為替部と市場営業部を見学した。至近距離でみずほの中枢部門を見学
したが、日本の銀行の張り詰めた雰囲気の漂う職場を見ることができるとは思ってもみなかったので、
チャンスとばかりに隅々まで観察した。国際為替部は海外資金調達を担う部門だが、些細なことが大き
く影響する国際金融市場での取引を、この1平米そこそこの狭いデスクの上でしているというのがなんと
も驚きだった。4台のコンピュータからのリアルタイム情報を頼りに為替相場の分析と外貨取引の決定が
なされる。為替相場の変動とそれ関連のニュースが毎分毎秒を貴重なチャンスにも落とし穴にもする。
これらのわずかな変化にまで注意を払わなければならないみずほの社員は、常に相当の集中を強いられ
ることになる。彼たちはそうした緊張の中で働いているのにもかかわらず、30名余りの代表団を笑顔で
迎え、見学を受け入れることで仕事がおろそかになるということもなかった。
続いて、狭い通路を通って市場営業部に入った。市場営業部の主な業務はALM資産管理と資金証券、
特に国債、金融デリバティブ市場及び銀行間取引である。24時間リアルタイムでの取引が行われている
市場営業部は、昼間は主に日本の証券取引所の各種業務に、夜間は為替市場にそれぞれ目を配ることに
なるが、1人1ヶ国という任務配分を聞いて、日本の銀行業界の社員に対する要求の高さとその効率の高
さを実感した。
その後会議室に戻って、みずほ銀行の中国人社員から「“エクエーター原則”とは何か」、「どの銀行が
エクエーター原則を採用しているか」、「どのような要件があるか」、「みずほはエクエーター原則を
どのように実施しているか」という疑問に答える形で「エクエーター原則」についての説明を受けた。
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エクエーター原則とは、2002年10月に世界銀行傘下の国際金融公社(IFC)とオランダ銀行が、ロンド
ンに世界の主要金融機関を集めたときに提起された企業ローン準則であり、2003年に国際金融機関に
よって正式に採択された。エクエーター原則は、プロジェクト所在国の環境関連法、基準要件、「国際
金融公社の成果基準」、定量化された環境指導方針、「世界銀行/国際金融公社の環境・健康・安全ガイ
ドライン」の各項目をベースにした、金融機関(主に商業銀行)がプロジェクトの過程で起こる社会及
び環境リスクを管理するための枠組みであり、銀行はこの枠組みをベースに自らの実施ガイドラインを
作成することになっている。この準則では、金融機関がプロジェクトに投資するに当たっては、そのプ
ロジェクトが環境と社会に与える影響について総合評価することと、財務レバレッジを利用しこのプロ
ジェクトが環境保護及び周辺社会の調和ある発展に積極的な役割を発揮するように促すことが要求され
る。これは一種の自発的な行動規範であり、銀行は特定の社会基準と環境基準によって民間銀行の融資
プロジェクトに対してしばりをかけることを約束している。エクエーター原則は世界の総コストが1,000
万ドルを超える新規プロジェクトのファイナンスに適用される。現在、全世界で60を超える金融機関が
エクエーター原則の採用を宣言し、プロジェクトのファイナンス額は世界のファイナンス総額の約85%
を占めている。
みずほコーポレート銀行はアジアで初めてエクエーター原則を採用した金融機関であり、それは中国
の銀行業にとっても非常に参考なる事例だと言える。2003年10月、みずほコーポレート銀行はエクエー
ター原則の採用を宣言すると同時に、38業種の実施細則を含む実施マニュアルの作成に着手し、社内の
オペレーションフローを確立させている。2004年10月には「みずほコーポレート銀行エクエーター原則
実施マニュアル」が完成し、それをグローバルなプロジェクトファイナンスとファイナンシャル顧問業
務に応用している。エクエーター原則の採用と実施は、みずほコーポレート銀行の名声と営業成績を著
しく高める結果となり、統計によると、国際プロジェクトファイナンスのランキングは2003年の第18位
から2006年には第3位に上昇し、7.72億ドルを突破するまでになった。
中国で同原則の採択を宣言している銀行は興業銀行1行を数えるだけだが、中国の銀行も環境及び社
会リスクが自身の金融資産に与える影響や銀行の名声に対する影響力について認識し始めている。一部
の銀行ですでに「グリーンファイナンス」が始められているが、中国の銀行はエクエーター原則などの
国際慣例や規則に対する十分な理解がなく、依然として借入人またはプロジェクトの環境コンプライア
ンス情報を審査するという初期的段階に留まっている。また、銀行内に系統的かつ規範化された環境及
び社会リスクのための管理手順や制度が確立されていないということにも目を向けるべきではないかと
も思う。中国の銀行業は直面する環境及び社会問題にいかに対応していくか、銀行の社会的責任をいか
に履行するかなどの問題をもう一度見直す必要があるように思う。みずほグループの途上国での「エク
エーター原則」を応用した多くの成功例が、中国が「エクエーター原則」を積極的に取り入れる上での
実現可能性とその必要性について示唆してくれているように思う。
社内でのランチタイムに中国部の社員と交流をすることができた。本店400名の従業員のうち中国人
社員が50名を占める。そのほとんどが東大・慶応・早大といったトップクラスの有名校を卒業した修士
だということで、同行の中国及び中国人材を重視している様子がうかがえた。
みずほの日本語の意味は「みずみずしい稲の穂」という意味で、「みずほの国」は実り豊かな国を意
味し、日本の美称である。潤沢な資本と充実した人材を擁するみずほコーポレート銀行は、まさに国際
金融界の「みずほの国」たるに恥じない銀行だと思った。
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国会議事堂見学の感想
清華大学学生代表
見学日時:2010年5月31日(月)10:00~13:00
見学場所:国会議事堂参議院(日本国東京都千代田区永田町1丁目7番1号)
見学概要
今回の訪日のほとんどが日本企業の訪問だったが、今日は国会議事堂を見学した。日本の政治を知る
良い機会となった。日本の経済についてはある程度の知識があるが、中国と日本では政治体制が異なる
ということもあり、日本の政治についてはほとんど知らなかった。
日本は民主主義国家であり、国会(Diet of Japan)は日本の最高権力機関であると同時に、唯一の立
法機関でもある。国会は衆議院と参議院で構成され、衆議院480議席、参議院242議席となっている。首
相が国会によって指名・決定されるなど、日本の国会制度は米国のそれとはだいぶ異なる。衆議院議員
の任期は4年、参議院議員の任期は6年で、3年ごとに半数改選が行われる。
国会議事堂は東京都千代田区にあり、ここで日本の国会が開催される。国会議事堂は1920年1月の着
工から17年の歳月を経て1936年11月に竣工した。敷地面積は約7万平方メートル、近代的な白い立派な
建物で、中央がピラミッドのように尖り、左右対称で長方形をしている。中央塔の左側が衆議院、右側
が参議院。私たちは職員の案内でまず参議院の大広間から見学を始めた。
参議院議場
参議員の議場は国会議事堂の心臓部にあたる。ここに参議院議員242人が集まり、全体会議を開いて
法案についての議論が行われる。今回は案内係について2回議場に入り、それぞれ違う傍聴席から解説を
聞くことができた。
参議院議場は国会議事堂正面右側の2階にある。議場の天井は高く(13m)、唐草模様を配したステン
ドグラスがとても優雅だった。議場は壁から机や椅子、ステンドグラスの枠に至るまで全てが木製で、
美しい彫刻が細部まで施されていた。
美しく荘厳というのが議場の第一印象だった。当然、管理も非常に厳しく、原則、対外的に開放され
てはいるが、一般の人はなかなかここまで入ることはできないという。解説をしてくれた職員の方も終
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始真剣な表情で、議場と同じように威厳に満ちていた。
参議院議長応接室
議長応接室に足を踏み入れた瞬間、思わず「すごい!」と驚きの声を上げてしまった。部屋全体に
ヨーロッパの貴族を思わせる雰囲気が漂っていた。長方形の部屋の中央には長い机が、そしてそれを取
り囲むように美しい模様のカバーの掛けられた椅子が置かれていた。机の向かい側には巨大な大理石の
暖炉があり、その上には細かい美しい彫刻の施された三叉のキャンドルスタンドが飾られていた。ま
た、長方形の机の周りには小さなテーブルとソファーが置かれ、ソファーの柄は椅子のカバーと同じも
のだった。壁面は参議員議場と同様に木製で、複雑な模様の壁紙で装飾されていた。
応接室は参議院議長が来賓を迎えたり、議会の委員会を開く時に使われるという。間もなく日本を訪
れることになっている温家宝総理もここで議長と会見するとのことだった。
参議院議員食堂
今回の国会議事堂見学のサプライズは、何と言っても、議員食堂の見学、しかも国会議員と昼食を一
緒に食べたことだった。通常の国会議事堂見学では、議員食堂は公開されていないそうだが、日中経済
協会の計らいで、議員食堂の見学というまたとないチャンスに恵まれた。
議員食堂は中央の建物ではなく、左側の参議院分館の2階にあった。親切な議員秘書が食堂へと案内し
てくれた。食堂の中央には長い大きなテーブルがあり、その横には小さな丸テーブルが置かれていた。
私たち4人はその丸テーブルに就いた。昼食はすでに用意されていた。テーブルの上にお弁当とスープが
置かれていた。全員が席に就くと、年配のボーイさんが冷たい水をついでくれた。昼食は決してご馳走
というわけではなかったが、サーモン、エビ、肉団子と、栄養バランスのよく取れたものだった。
箸を進めてしばらくすると、昼食を一緒に食べることになっていた男性の参議院議員が合流した。彼
はにこやかに挨拶しながら大きなテーブルに腰掛け、学生代表団のメンバーと話しを始めた。食事を終
えた後も、しばらくそこで議員の話に聞き入った。
知っていますか?――衆参両院の採決方法
参議院の委員会で話し合われた議題は、委員長が国会の場で発表し、国会で採決が行われる。参議院
議場の見学では、職員が投票と採決の方法について詳しく説明してくれた。聞き漏らしてはならない
と、必死でモメを取った。
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参議院の採決方法は主に以下の3つがある。(更に議長が異議の有無を問う形式があるそうだが、そ
れはめったに採用されないために、職員も説明を省略していた)。①起立採決。賛成者が起立し投票す
る。②記名投票。より正式な方法で、重要な議題の採決に用いられる。議員が賛成・反対の異なる色の
木札を演壇に持参し投票箱に入れる方法。③人による集計作業の手間を省いた押しボタン方式投票。各
議員席の氏名標の下に白、青、赤の3色のボタンがあり(フランスを模したもので、フランス国旗と同じ
配色になっている)、それぞれ賛成・反対・棄権を意味する(棄権の場合はボタンを押さない)。結果
はすぐに議長席両脇の大掲示板に表示される。掲示板には誰がどのような投票を行ったかは表示されな
いが、記録は残されていて、いわゆる無記名投票ではない。参議院ではこの方法が最もよく採用されて
いる。
見学の感想
国会議事堂は、まず建物の迫力に圧倒されたが、日本の政治制度は独特かつ複雑だと思った。これま
で日本の政治制度についてほとんど知識がなかったが、今回の見学で多くのことを学ぶことができた。
日本の議会制度は長い年月をかけ、ここまで完成されてきたのであり、民主的なものの考え方が人々
に深く浸透している。議員は国民の話に耳を傾けるために各地を訪ねたり選挙活動をしたりと、膨大な
量の仕事をこなさなければならない。次の選挙で落選しないように、当選後も選挙公約の実現に力を注
ぐことになる。
また、日本の議会制度は他の国と多少異なっている。衆議院の職責は法案を提出することであり、参
議院の職責はその法案を審議・可決するという点は、どこの国もそう大差はないが、日本では衆議院に
参議院よりも大きな権利が与えられているという点がアメリカと異なる。具体的には、法案が参議院で
否決されても、衆議院に戻され再投票を行った結果、賛成票が2/3を占めれば、法案は可決される仕組み
になっている。また、衆議院には予算の決定、総理大臣の指名などでも優先権がある。
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早稲田大学見学交流記
北京第二外国語学院学生代表
見学日時:2010年5月31日(月)15:00~20:00
見学場所:早稲田大学
5月31日、有名な早稲田大学を見学した。早稲田大学は東京の新宿にあり、大隈重信によって1882年
10月21日に創立された。2007年には創立125周年を迎え、盛大な祝賀行事が行われた。
早稲田大学に着いてまず目に入ったのは、堂々とした外観の大隈講堂だった。大隈講堂はゴシック様
式の建築で、左側の高い塔が印象的だった。
日本語グループと英語グループに分かれて見学した。ガイド役を担当してくれた二人の学生は手作り
の詳細なガイドブックを使って丁寧に解説してくれた。演劇博物館では、大学の中に博物館が建てられ
ていること自体が非常に稀なことであり、この博物館は演劇の舞台を模して建てられ、建物自体が演劇
史上の貴重な資料であるという説明を受けた。
図書館はとても先進的だった。会議場が併設され、最新の同時通訳設備が備えられていた。森の中の
一本の道を描いた絵が壁に掛けられているのが目に留まった。一見シンプルに見えるが、この絵には深
い意味が込められていた。この絵はどの角度から見ても、森の中の道が自分に向かっているように見え
るようになっているのだ。この道はつまり学問の道を表わし、誰でも、どんな年齢でも、いつでもこの
道を進むことができるという意味が込められているという。道の彼方にかすかに見える光は、学問の道
が希望に続く道であることの象徴だ。とても印象的な絵だった。
キャンパスを見学した後、教室棟の階段教室へ行き、そこで待っていた政治経済学部の白木教授研究
室の学生と交流した。白木ゼミは白木教授と政治経済学部の3、4年生の学生で構成されている。今回の
交流はグループ討論形式がとられ、中日混合の7-8人のグループを作り、「上海万博のメリットとデメ
リット」と「キャリアプラン」という2つのテーマについての討論が行われた。討論は中国語、日本語、
英語で行われ、コミュニケーションは決してスムーズというわけではなかったが、表情や手ぶりを交え
てなんとか自分の考えを発表した。教室中に笑い声とさまざまな言語が飛び交い、一見バラバラのよう
にも見えるが、そこにはなんとも言えない「ハーモニー」が感じられた。
夜は早稲田大学の学生や先生たちと夕食を食べながらの自由な交流になった。中日両国の大学生の考
え方の違いは職業や生涯プランによく表れていた。日本の大学生は卒業後、大学院に進んで研究を続け
るという人はとても少数で、大学生活では勉強よりも社会的実践や人脈づくり、趣味に重点を置いてい
る。一方、中国の大学生は大学院に進む人が多く、大学生活はやはり絶対的に学業最優先の生活になっ
ている。
また、就職先を決めるに当たっては、中国の大学生は欧米などの外国企業に就職したがるが、日本の大
学生にとっては自国の大手企業のほうが欧米企業よりも魅力的に映るようだった。職業を選ぶときも、
日本の学生の多くがその職業に興味があるかどうかを基準に選び、職業選択の自由度がかなり高いこと
が分かった。これに対して中国の大学生は企業の知名度や給与をより重視するほか、一般的に大学で勉
強した専門知識を活用できるように、自分の専門と関係のある分野で仕事を選ぶ傾向がある。
非常に限られた時間の交流ではあったが、中国と日本の大学生の職業観に大きな違いがあることが分
かった。相手をより理解し、自分と異なる観念や考え方を受け入れるという意味で、大きな意義があっ
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たように思う。
知っていますか?
早稲田大学建学の精神
早稲田大学は学問の独立、学問の活用を追求し、模範国民を育成することを以て建学の精神とする。
「学問の独立」の追求とは、学術レベルを高めるために研究と調査の自主性を強調するとともに、独
創性のある研究を奨励することをいう。
「学問の活用」の提唱とは、知識を応用する能力の育成に努め、学問研究を以って文明の進歩を促進
することをいう。
「模範国民を育成する」とは、個人の個性を尊重し、文化的な家庭を作り、国家と社会全体の資質を
高めると同時に、世界各地で才能を発揮できる人材の育成を提唱することをいう。
– 37 –
すべての乗客に贅沢で快適な空間を
――全日本空輸株式会社
北京工業大学学生代表
見学日時:2010年6月1日 (火)14:30~16:30
見学場所:全日本空輸株式会社機体メンテナンスセンター
会社概要
1952年に設立された全日本空輸株式会社はアジア最大の航空会社のひとつである。1957年、単独経
営を行っていた民営の日本ヘリコプター輸送株式会社と地域航空会社が合併して全日本空輸株式会社が
誕生した。以来、全日空は急速に発展をとげ、今では国内主要都市をくまなく結ぶ航空ネットワークを
構築するまでになっている。また、日本政府の競争力を強化して海外旅行市場の拡大を図るという決定
を受けて、1986年、全日空は新たな時代へと突入し、最初の国際線である成田-グアム線を就航させ
た。IATA加盟航空会社のうち第8位の搭乗旅客数を誇る今も、国際線業務は拡大を続け、世界10カ国22
都市に就航している。また、強大な国内市場を保持し、1日800便以上を運航している。グループ会社を
含めると50%近いシェアになる。
プロフェッショナルな優れたサービスで有名な全日空は、ビジネス客に最上級のサービスを提供すべ
く努力を続けている。1996年にはフルフラットシートを導入し、他社に先駆け、ビジネスクラスの乗
客向けに180度倒れる快適なシートを提供する航空会社のひとつになった。また2002年4月には「New
Style CLUB ANA」で「イージースリーパー」シートを導入している。これは長距離路線のビジネスクラ
スと高級エコノミークラスの乗客用の新しいタイプのシートである。また、最近ではボーイング7E7型
機を50機購入し、2008年からそれらの使用を始めている。全日空は新たな企業理念と目標の下、品質と
サービス面の向上に取り組んでいる。
見学の流れ
世界中が金融危機の猛威にさらされていた頃、それにより日本の航
空事業が大打撃を受けているというニュースを耳にしたが、世界経済
が徐々に回復している今、全日空は以前の勢いを盛り返し、これまで
と変わらない優れた品質によって消費者の心をつかんでいる。
全日空に着くと、まず会社の沿革や工場の概要についての熱心な説
明を受け、全日空の航空路線や輸送規模、成田空港の運輸の現状につ
いて理解することができた。会社紹介では、クイズ形式での質問や記
念品の配布があった。
次に幅150メートルもある機体メンテナンスセンターを見学した。
巨大なメンテナンスセンターには、解体された整備中の航空機が置か
れていたが、ボディにポケモンがペイントされた小型旅客機を発見し
たときには嬉しくなった。ポケモンは日本でとても流行っているゲー
ムだが、可愛らしいモンスターたちをボディにペイントすることは、
航空機をきれいに飾るということ以外に、乗客の心理的ニーズにもよ
– 38 –
く合っているように思う。こうした独創的なデザインは全日空の国内線によく見られ、好評を博してい
る。続いてメンテナンス工場を見学した。厳しい管理体制と作業の流れについて詳しい説明を受けた。
最後に記念写真を撮り、短い時間ながら大きな収穫のあった見学を終えた。
見学後の感想
「千里の道も一歩から」。何事も始めが肝心だ。
短い見学ではあったが、全日空を見学できたのも
何かの縁であり、必然だったのかもしれない。全
日空の乗客になれたことを嬉しく思う。全日空が
中国の大学生の訪日をサポートしてくれたおかげ
であり、とても幸運なことだと思った。
全日空は今回の日本訪問で接する機会の最も
多かった日本企業であり、最初に接した日本企業でもあった。キャビンアテンダントは全日空を知る重
要な窓口だ。航空会社のキャビンアテンダントと言えば、みんなサービスが良くて綺麗にきまってい
るが、全日空のキャビンアテンダントのそれ以外の特徴は何だろうか。全日空のキャビンアテンダント
はサービスが良いだけでなく、親しみやすかった。まるで家族と一緒に飛行機に乗っているような感じ
で、堅苦しい思いは全くしなかった。自分の家に帰ったような感じで安心できた。自分の「家族」が機
内でいろいろと世話をしてくれているわけだから、信用して任せることができた。
時間が経つのは速い。10日間はアッという間に過ぎた。この間さまざまな経験をし、いろいろなこと
を考えた。全日空の機体メンテナンスセンターを見学したときは、もうすぐ日本訪問の旅も終わりとい
う頃で、気持ちは複雑だったが、この見学によって、全日空の機体整備について理解し、乗客の見えな
いところで全日空がしている努力や、メンテナンスセンターで働く人たちのプロ意識と真摯な姿勢に触
れることができた。
メンテナンスセンターで飛行機を見て思わず興奮すると同時に、いろいろと考えさせられた。自分た
ちが普段乗っている飛行機を間近に見て触ることができたが、こうしたメンテナンス作業には膨大な時
間と技術が必要になることをあらためて思った。メンテナンスセンターについての説明を聞いて、毎回
安全に飛行するためには、多くの人の努力が必要で、整備士は定刻通りに飛行機を運航させるために、
早朝から作業をしなければならないことを知った。人が寝ている間、或いは翌日の旅行に備えて英気を
養っている間も作業をしているのだ。しかもそれは私たちの見えないところで行われている。見えない
から重要ではないということはない。彼らの仕事がどれほど重要かは言われなくても分かる。この見学
によって、自分の傍に自分のために汗を流している人がいること、過去も現在も、そして未来も、彼ら
がいた(いる)からこそ、今、私たちが手にしているものがあるのだということを忘れてはならないこ
とを教えられた。
全日空は見学以外に、その社員の家に泊まって日本の家庭生活を体験することもできた。ホームステ
イでは普通の日本人の生活を知り、間接的に全日空を感じることもできた。私のホームステイを受け入
れてくれた人は全日空に入社したばかりの人だったが、彼女との触れ合いの中で、彼女が常に人のこと
を思いやる人であることを知った。また彼女は自分が勤めている会社をとても愛していた。こうした一
般社員の愛社精神を見れば、全日空の社内管理がうまくいっていることが分かる。
帰国のときにまた全日空の飛行機に乗った。日本に行くときと同じサービスを機内で受けたが、団員
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の気持ちは違っていた。今回の日本訪問では、日本企業や日本の人たちのお世話になった。いつも全日
空のように一緒に「飛び」回ってくれた。
知っていますか?
子どものころからテレビや暮らしの中でたくさんの飛行機を見てきたが、それはどれも白の機体に文
字の書かれたもので、カラフルな飛行機はおとぎ話の中だけのものだと思っていた。が、今回、全日空
でカラフルな「ポケモンジェット」を目にすることができた。小学生から6000点余りの絵が寄せられ、
最終的に10歳の子どもが描いた図案が採用されたという。「お花ジャンボ」と名付けられたこの飛行機
は27色でペイントされていて、使ったペンキは1トンになるという。
一般的に飛行機の図案はシンプルなものが多いので、この飛行機を見たときは、とても意外な感じが
した。全日空の見学では、他にも多くのアニメキャラクターがデザインされた飛行機の写真を見ること
ができた。中国線就航20周年のときには、パンダの絵をあしらった飛行機が制作され、私たちの目を楽
しませてくれた。
実は、この「ポケモンジェット」は数年前に中国にも飛んで来たことがあり、アモイの太古格納庫で
検査を受けている。この飛行機がアモイに降り立つと、人々はそのボディにいろいろなキャラクターが
描かれているのを見てとても喜んだ。たくさんの幼稚園児がこの珍しい飛行機を見にやって来たともい
う。機内のシートのヘッドレストカバーやカーテンにもポケモンがプリントされ、シェードやドリン
クサービス用のカップにもピカチューがデザインされていたという。全日空にはこうした「ポケモン
ジェット」が5機あり、主に国内線で利用されている。アニメキャラクターをペイントした飛行機は子ど
もたちに大人気で、わざわざこの飛行機を予約する家庭が多いと聞く。
今回の見学を通して、中国の航空会社も国外の航空会社の成功例を参考にして、飛行機をもっとカラ
フルなものにしてもいいのではないかと思う。コストが多少高くなっても、そうすることによって多く
の人々、特に子どもがいる家庭がそれに注目し、会社のイメージアップや宣伝にもなる。まさに一挙両
得ではないか。
– 40 –
学生たちの感想文から
学生たちは毎晩、一日のスケジュールを終えてから日記形式の感想文を書き、第 6 回訪日の記録とした。
以下ではその一部を紹介する。
日付:5月24日(月) 1日目 大学名:北京第二外国語学院
氏名:柳源
1.第一印象———自然美と建築美
空港に降り立って最初に実感したのは日本の湿潤な空気だった。この日はべた曇りで、ぽつぽつと小
雨まで降っていたが、日本に着いた興奮と高揚感が冷めるということはなかった。温帯海洋性気候のせ
いか、呼吸も滑らかで、昨夜の睡眠不足が嘘のように気持ちが高ぶり、胸がはずんだ。
成田空港から都心までは1時間半の道のりだった。日本は植生被覆率が高いと聞いていたが、バスから
見る光景はまさにその通りだった。目にも鮮やかな緑や道路の両脇の木々が単調な道程に彩りを添え、
楽しい気持ちにさせてくれただけでなく、日本人の環境美化意識の高さを感じることができた。
バスが都心に入ると、高層ビルが徐々に増え始めた。有名な「レインボーブリッジ」を渡り、人工島
のお台場を遠くに眺め、空高くそびえる東京タワーを仰ぎ見た。日本の道路はきれいに区画され、交通
マナーがとても良かった。日本の建物はしっかりどっしりしているという印象を受けた。外壁が厚く、
窓が小さい。日本は島国で地震が多いので、どっしりとした建物が人々を危険から守っているのだ。
「多難興邦(困難や災難が国を興す)」というが、頻発する地震が日本の建物を強固なものにし、日本人の
粘り強い国民性を育んだのかもしれない。
2.丸紅――さまざまな分野で活躍する巨人、社会的責任を重視する日本企業
ホテルニューオータニにチェックインした後、休憩もそこそこに丸紅本社の見学に向かった。本社ビ
ルに入ってまず感じたことはその清潔さと雰囲気の良さだった。1階の受付係の笑顔にも親しみを感じ
た。人の出入りは多かったが、塵一つ落ちていなかった。15階の床にはふかふかの絨毯が敷き詰めら
れ、壁に掛けられた油絵が美術館のようだった。廊下には休憩や待ち合わせのためのソファーが置かれ
ていた。優雅で芸術的雰囲気に溢れ、人にやさしいオフィスであれば、社員が懸命に働こうという気に
なるのも頷ける。企業の環境は即ち企業イメージであり、企業精神や文化の表れであり、企業の大切な
無形財産なのだと思った。
会社紹介のビデオや会社案内により、丸紅が幅広い事業分野を手がけ、新規分野にも積極的に参入
し、社会的責任を重視する会社だということが分かった。その後16階で行われた交流パーティーでは、
好奇心と緊張の入り混じる中、思い切って丸紅の木村千穂さんに次のような質問をしてみた。
問:日本企業はさまざまな分野に積極的に参入している。中国企業も同じように「走出去(海外進出)」を
実践しているが、中国企業が日本に学ぶべきところは何だと思うか。
答:中国企業は独自の技術開発を重視すべきであり、特色ある技術を持つことが競争力を高める重要な
要素になると思う。
問:日本企業はその社会的責任を重視しているが、収益が少ないか、または利益の出ない分野でも、社
会的意義のある場合は、その分野に参入することはあるのか。
答:利益の追求は企業活動の基本であり、社会的責任と利益を両立させるのが望ましい。利益のあげら
れない企業に社会的貢献はありえない。利益を無視して、盲目的に社会的責任だけを追求する企業は生
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き残れない。
問:丸紅の企業理念の一つである「新」には「常に自己変革を図り、飛躍に向けて挑戦する」という意味
があるが、ここで言う変革には企業の性質に関する改革も含まれるのか。
答:当然、企業は情勢に応じて制度改革を行うことになる。新技術の研究開発や新分野への参入を重視
すべきであり、そうすることで初めて企業の先進性を維持することができる。
また、日本企業の雇用制度や社員の福利厚生についても質問してみた。木村さんの回答は非常に勉強
になった。中国企業には以下の面で日本企業に学ぶべきところがあると思った。①企業精神と文化の醸
成を重視する、②新技術の開発を重視する、③新分野への挑戦を重視する、④時代に即した企業制度改
革を重視する、⑤社員の福利厚生を重視する。中国企業もこの5つの「重視」ができれば、競争力が飛躍
的にアップすること間違いない。
日付:5月24日(月)1日目
大学名:北京工業大学
氏名:呉鑫
昨日、北京は夜から雨という天気予報を見て、突然、日本の雨はどんな感じだろうと思った。ザー
ザー降るのか、それともしとしと降るのだろうか‥‥。東京行の飛行機に乗り込み、しばらく待った
後、飛行機は東京の方角を目指して勢いよく飛び立った。その時、心の中でこう呟いた。「東京。もう
すぐ行くから待っていて‥‥」。
私の考えていたことが伝わったのだろうか。飛行機が日本の上空を飛ぶころには、下は厚い雲で覆わ
れていた。そして、その雲を突き抜けて飛行機が着陸するときは、窓の外は予想通り雨でびっしょりと
濡れていたが、飛行機を降りるときには、その雨がすっかり上がっていた。北京では経験したことのな
い空気の清々しさを感じた。
迎えのバスの前では運転手さんが早々と待機していて、荷物の運び込みを手伝ってくれたのが嬉し
かった。空港を出ると、道路の両側の青々と茂った木が目に入った。樹齢何十年と思われる大木だっ
た。北京ではまず目にすることのできない光景だ。日本では緑化が進んでいると聞いていたが、実際に
生い茂る木々を目の当たりにし、その環境意識の高さを実感した。また、日本は37.783万㎢しかない国
土に1億2千840万もの人々が暮らしているというガイドさんの言葉にさらに驚いた。これほどの人口密
集地でこのような緑化ができるとは、本当に素晴らしいとしか言いようがない。この点は中国も是非日
本に学び、取り入れるべきだと思った。
バスが東京に入ると、想像通りの都会が姿を現した。ホテルニューオータニ(ガイドさんは冗談に
「10星」ホテルだと言っていた)で短い休憩をとった後、第一の見学場所である丸紅に向かった。
実は、この訪日団に参加するまで丸紅という会社は名前も聞いたことがなく、なぜそんな無名な会社
を見学するのだろうかと不思議に思っていた。が、ネットで丸紅の名を検索してみて驚いた。丸紅は世
界の500強に名を連ねるだけでなく、大きな業績をあげている製造業はもちろん、投資・貿易・物流な
どの分野でも事業を展開し、人々の生活のあらゆるシーンに係わる世界で活躍する企業だった。
今回の座談会を通じて丸紅という会社について理解することができた。特に「企業の社会的責任
(CSR)」重視を一貫して掲げている点が印象に残った。丸紅は各国で植林活動に取り組み、成長した木は
製紙に用いている。更に古紙回収にも力を入れ、回収された紙は再生紙として再利用されている。こう
した取り組みは二酸化炭素排出量の大幅削減とコスト削減だけでなく、世界の環境改善に大きく貢献し
ている。
– 42 –
科学的かつ効率的な実行力と英明な決断力がなければ、こうした大企業の今日の成功はあり得ない。
丸紅の効率的な管理手法は中国企業にとって学ぶべき点が多い。
「良いスタートがきれれば、それはすでに半分成功したようなもの」という言い方があるが、「走近
日企・感受日本」訪問団の初日も良いスタートがきれたように思える。これからの9日間、日本の文化や
考え方をしっかり学ぶと同時に、日本の企業や大学の人たちに中国の大学生の心意気を見てもらおうと
思う。
期待がふくらむ‥‥。
日付:5月24日(月)1日目
大学名:清華大学
氏名:楊雅嘉
北京の乾燥した晴天、東京の湿潤な雨空。わずか数時間という短い間に、アジアの2つの主要都市から
陽光と雨の両方の洗礼を受けることになった。35人の訪日団は全日空機で待ちに待った日本旅行の途に
ついた。
清々しく澄んだ湿潤な空気、それが日本の第一印象だった。北京の乾燥した気候に慣れていた私は、
突然、故郷の四川によく似た湿った空気に触れ、なんとも言えない懐かしさを覚えた。日本人が細部に
こだわるということは知っていたが、実際に体験してみると、それは聞きしに勝る細やかさだった。そ
こで、私も細かいことから書いてみることにしよう。まず、バスの背もたれに付けられたドリンクホル
ダーが印象的だった。それは中国のバスではなかなか見られないデザインになっていた。「人に優しい
デザイン」ということがよく言われるが、こうしたバスの細かい設計から見ると、「人に優しい」とい
うことは、完璧な状態だと思っても、さらに改良の方法があるかないかを考えるということなのかもし
れない。次に、旅行会社の行き届いたサービスに感激した。電話をかけるときに必要な小銭まで準備さ
れていたが、さまざまな場面でこうした温かい気配りが感じられた。
慣れ親しんだ場所から新しい世界に足を踏み入るとき、新しい環境への適応はこれまでの環境との比
較の中で進められる。日本は大きな通りも路地も、どこもまさに塵一つないという言葉がぴったりだっ
た。ガイドさんが東京は雨が降れば降るほど車がきれいになると言っていたが、それは路面に埃が無い
からだ。北京の雨が降った後の光景を思い出して、思わずため息が出てしまった。また、日本の家が
びっしり密集している様子も想像以上のものだった。隣り合う家と家の間はわずかな隙間しかなく、そ
の外観も中国とは大きく違っていた。日本では単純な立方形をした家などどこにもなく、もうこれ以上
できないというほど、空間を目一杯利用して家が建てられていた。土地が狭く地価の高い日本では、こ
うした設計になるのも仕方のないことなのだろう。初めて中国の国土の広さという強みが誇らしく感じ
られた。
ホテルにチェックインすると、休む間もなく丸紅へと向かった。丸紅はグローバルな大手総合商社だ
が、グローバル化という流れの中だけで同社の規模と実力を説明するだけでは到底不十分なような気が
する。なぜなら丸紅は1億円もの大金を使って絵画を購入することで、社員の資質向上を図ろうとする会
社だからだ。また、社員のための書道サークルや歌唱サークルなど、一見、経営効率の向上とは全く無
関係に見える活動を積極的に支援している。こうした姿勢が会社にどれだけの利益をもたらすかを説明
するための理論的な裏付けはないが、仮に私がこの会社の社員としたならば、会社は自分の家のように
近しい存在となり、そして家族のために懸命に働くのは当然だと考えるようになると思う。
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日付:5月25日(火)2日目
大学名:北京第二外国語学院
氏名:黄芬
今日は日本の静謐な一面を実感した。特に東北大学の静寂で美しいキャンパスが印象深かった。朝、
太陽が昇り、一日が始まる。人々は目が覚めるとそれぞれの職場へと急ぎ、夜になれば家に帰って休
む。静かな落ち着きの中にも活力が感じられ、静けさの中でこの都会は前進を続ける。人々は精巧な部
品のようにこの大都会という機械を前進させるのに余念がない。
見学したアルプス電気という会社もまた黙々と製造業を支える部品会社だった。紹介された部品はど
れも精巧かつ丈夫で、柔軟性に優れ、「人に優しいデザイン」になっていた。こうした部品があるから
こそ、精密なカメラや頑丈な自動車、家電が作れるのだと思った。また、1つのスイッチで3つのスイッ
チを代替させる集約化や操作の簡略化という考え方には、中国も学ぶべきところが多いと思った。
午後に見学した東北大学は印象深かった。自然と上手に調和し、その景観を全く損ねることなく山間
部に建設されたキャンパスには独特の趣があった。東北大学の学生が三味線や琴などの日本の伝統楽器
を演奏してくれた。とても勉強になった。日本の学生の自国の伝統文化を学び、それを継承していこう
という姿勢がすばらしいと思った。それでも舞台を下りれば、文化の違いはあっても同世代の大学生同
士、最近のテレビ番組や音楽の話など多くの共通の話題があった。日本の大学生と遠慮なく冗談を言い
合い、距離感は全く感じられなかった。東北大学と言えば、魯迅が学んだ学校として中国人にもよく知
られた大学だ。魯迅先生が授業を受けた階段教室や、添削入りの宿題、当時の成績表などを見て、魯迅
先生に親しみを感じると同時に、奇妙な感覚に襲われた。魯迅先生がこの見知らぬ異国の大学でたった
ひとりの中国人留学生として孤独の中に学んだ心境は、一体どんなものだったのだろうか。今を生きる
者たちは自分の使命にどう立ち向かっていったらよいのか。日本にいる間に何か答えが見つかればよい
のだが‥‥。
日付:5月25日(火)2日目
大学名:北京工業大学
氏名:余堃
日程の羅列のような日記はダメだと言われたが、今日は予定がびっしりで、内容も豊富だったので、
記述文のようになってしまい、日記としての意味が失われてしまう可能性がある。そこでまず簡単に今
日の出来事をまとめてみることにした。
1.新幹線に乗る(速い、沿線の風景もすばらしかった)
2.アルプス電気の見学(大手部品メーカー)
3.魯迅像の見学
4.東北大学での交流
5.仙台エクセルホテル東急に宿泊。周辺を散歩。
日本人の生活上のストレスの大きさが印象的だった。新幹線のドアが開くや、誰もが一目散に下車し
ていた(それでも整然と順序よく降りていた)。夜の11時近く、ホテルを出て近所を散歩した。そんな
時間にもまだスーツを着て書類カバンを持ったサラリーマンがいた。
アルプス電気では、技術者が同社の技術について説明してくれた。アルプス電気が独自に設計開発し
た機械の加工精度は1000分の25ミクロンになり、これは伝統的な機械大国であるドイツにも引けを取ら
ない数字だという。精密機器や加工精度については、中国でも研究開発の必要性が高まっているので、
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今後は活発な経済交流を通じて企業間の技術提携を進めていけば、いつか中国が世界の頂点に立つ日も
来るのではと思う。
東北大学で魯迅が学んだ階段教室を見学したとき、幸いにも、魯迅が当時よく腰かけ、江沢民前総書
記も視察の折に座ったという席に座ることができた。将来、東北大学がその座席について紹介するとき
に、自分も有名になって紹介されるようになればいいがという思いが心をよぎった。
見学の後、東北大学と中国日本商会共催の歓迎会が開かれた。歓迎会では東北大学の日本人学生やた
くさんの留学生と交流することができた。ずっとアメリカに留学したいと思っていたが、東北大学の様
子をいろいろ訊いてからは、日本に留学したいという気持ちが芽生えていた。東北大学や日本の大学全
体に見られる「研究第一」という雰囲気が特に良いと思った。アカデミックな雰囲気の中で学問や研究
に励むことは、単に面白いというだけでなく、それは多くの場合、ある種の悦びにも繋がる。
夜、ホテルに着くと、そのまま街へ散歩に出かけた。また雨に降られた。日本は本当に雨が多いとこ
ろだが、とても清潔だ。前にも書いた通り、泥はねが一切ない。恐らく、それは日本では至る所に木が
植えられているからだと思う。
歓迎会では話に夢中になっていてあまり食べられなかった。お腹が空いてきた‥‥。
日付:5月25日(火)2日目
大学名:対外経済貿易大学
氏名:王犀通
今日は朝一番に日本の経済高度成長期の象徴とも言える新幹線に乗った。それほど感激しなかったの
は、新幹線が「和諧号」の上のバージョンで、「和諧号」よりも速く、総延長が長く、歴史のある乗り物に
すぎないということを知っていたせいかもしれない。しかし両者を冷静に比べてみると、わずかながら
違いがあることが分かってくる。新幹線は東京から日本全国に放射線状に広がり、鉄道・飛行機・バス
と共に日本の中心部の公共交通網を形成している。一方、中国の中心とも言える北京‐天津及びその周
辺の一体化を図ろうとした場合、真っ先に解決しなければならないのが公共交通網の問題だが、コスト
や土地収用などがネックとなってその発展が制約され、多くの課題を抱えている。
アルプス電気の親切な対応と行き届いた手配に心温まる思いがした。丁寧な説明で、これまであまり
知らなかった精密部品加工に関して理解が多少深まった。特に清潔な工場の環境と徹底した管理体制が
印象深かった。アルプス電気のこうした姿勢が同社を信頼できる部品メーカーへと成長させたのだと
思った。
魯迅先生のことを思いながら有名な東北大学を見学した。これは訪日団にとって最初の大学訪問とな
る。塀がなく、5つのキャンパスが点在する東北大学の景観は、中国の大学のそれとは全く違っていた。
こうして大学を社会に開放し、大学の学びの精神を一般市民の生活に溶け込ませるというやり方には中
国も学ぶべきところが多いと思った。また、こうした方法は学生と社会の繋がりをより強固なものに
し、学生が社会帰属意識を高め、社会性を身につけ、問題なく社会に出ていくためにも良いことだと思
う。
東北大学の学生との交流では、日本の若者や若い日本についていろいろ知ることができた。たくさん
の共通の話題や互いに訊きたいことがあった。これからもこうした密接な交流の場が持てればいいと思
う。
– 45 –
日付:5月26日(水)3日目
大学名:中国人民大学
氏名:于淼
今日はまた那須塩原駅まで新幹線に乗り、東芝メディカルシステムズを訪問した。会社紹介の後、製
造現場に行って磁気共鳴画像診断装置等の精密医療機器の製造工程を見学した。医療機器のことはよく
解らない文系の私でも、東芝の先端技術と環境保護意識の高さを実感することができた。
見学では1回転0.35秒の磁気共鳴画像診断装置が印象に残った。中を見ると、装置の部品がすごい勢い
で回転し始めてびっくりした。大きく重い装置が高速かつ安定して回転し、正確に元の位置に戻る。
東芝は環境保護にも力を入れている。見学のときに目にしたお社の土台も、全て工場で廃棄された端
材で作られていた。それは同社の未来に対する希望の表れであり、美しい未来に向けた願いを体現した
ものである。
午後は日光東照宮に行き、郷に入っては郷に従えとばかりに神社を参拝した。手水場で手と口を清め
て神への畏敬の念を表すという参拝前の儀式がとても気に入った。が、正直なところ、日本の古い建築
物はその緑陰とすっぽりと森に抱かれたような自然の景観以外、人の心を震わすほどの気迫に満ちた中
国の建物には到底及ばないと思った。古代中国の文明と智慧は他を圧倒する存在として輝きに満ちてい
たが、産業革命以降、中国は世界の流れに対応することができず、他国に追いつかれ、遂には取り残さ
れてしまう結果になってしまった。そんな中国がまた他国に追いつき追い越すためには、世界と友好的
に交流し、常に世界の動向に注意をはらい、それに対応していかなければならないと思う。
夜は鬼怒川の温泉旅館に泊まった。部屋はいわゆる畳が敷き詰められたそれだった。ベランダからの
景色が見事だった。清流が草木の生い茂る谷を勢いよく流れ、水が透き通るほどきれいだった。私たち
は浴衣に着替え、温泉に入ろうとしたが、温泉に入るまでになんとも可笑しい一幕があった。何度行っ
たり来たりを繰り返したことか‥‥。まず羽織を忘れ、次にスリッパに履き替えるのを忘れ、仕舞には
鍵まで忘れる始末だった。やっとの思いで指示された通りに部屋を出ることができた。ずいぶん慌てた
が、みんなで笑い転げてしまった。楽しい思い出になった。
夕食は宴会場で和食を味わった。一列に並んだテーブルには蕎麦や刺身、味噌汁などの日本料理がき
れいに並べられていた。どれも丁寧に作られていて、食べ方も凝っていた。食事をしながら団員同士の
親睦を深めることができた。それぞれの大学から素晴らしい出し物があり、先生や他校の学生から大き
な声援と拍手をもらっていた。関団長と渡辺先生、それにガイドさんの3人も1曲披露し、みんなの距離
が一気に縮まったような気がした。
今日は楽しくゆったりできた一日、そして感謝と友情に満ちた一日だった。いつまでもこの友情が続
きますように。今回の訪日に尽力してくれた全ての人たちに感謝!
日付:5月26日(水)3日目
大学名:北京工業大学
氏名:付洪偉
いつの間にか今回の訪問も3日が過ぎた。時の経つのは速い。じっくりと味わう間もなく過ぎてしま
う。今日の見学先の東芝メディカルシステムズでは、東芝の医療機器の進んだ技術を見ることができ
た。日本と世界中の人々の健康のために、最良の医療機器を提供するというのが同社の理念だが、この
理念の下で最新設備の基礎研究と開発に取り組んでいる。東芝の工場を見学して、高度な刷新を続ける
医療機器の中にイノベーションがあることを実感した。中国人社員との交流では、同社の市場戦略と世
– 46 –
界の医療機器市場におけるポジションを知ることができた。全ての見学が終わる頃には、ほぼ同社の全
体像が描けるほどになっていた。東芝メディカルシステムズの生産ラインは人の配置に特徴があり、命
を尊重するという観点から一つひとつの生産工程に至るまで責任者が決められていた。
午後は日本風情の溢れる観光スポットを見学した。日本史の縮図とも言える日光東照宮には、その長
い歴史以上に、美しさという魅力があった。知らず知らずのうちに建築と環境が見事に融和した風景の
中で深呼吸をしていた。また、きれいなおみやげがいろいろ売られていて、家族や友だちに素敵なおみ
やげを買って帰ることもできる。
今日の一番の思い出は鬼怒川の温泉に入ったことだ。日本の温泉は有名で、日本人が温泉好きだとい
うのは知っていたが、これまで温泉に入ってみたことはなかった。初体験には好奇心がつきものだ。初
めての温泉は少し熱すぎるようにも感じたが、それでも十分気持ち良かった。全身がリラックスし、一
日の疲れを癒してくれた。
今日はスケジュールがタイトで朝も早かったが、それぞれ特色ある見学のおかげで日本の生活と歴史
を体感し、日本人の生活習慣をより深く知ることができた。
日付:5月26日(水)3日目
大学名:清華大学
氏名:姜雨杉
朝、仙台のエクセル東急ホテルを出発し、新幹線で那須に向かった。那須は有名な温泉地ということ
で、駅に着くや、みな次々に記念写真を撮った。
車で1時間ほど行ったところに東芝の工場があった。途中、日本のいわゆる農村を通ったが、その光景
は中国のそれとは全く違ったものだった。農村とは言うものの、家やインフラ設備は都会と変わらず、
貧しく発展から取り残されたというような感じはどこにもなかった。都会と農村の最大の違いは、農村
には道路の両脇になみなみと水の張られた稲田があるということぐらいだろうか。そしてまさにこの稲
田で香りと粘り気のある美味しいい日本のコメができるのだ。
今日の見学先は東芝メディカルシステムズだった。工場見学がとても印象的だった。生物を専攻して
いて、医療に強い関心があるからかもしれない。到着早々、日本の平均寿命がとても高いということを
聞かされた。なんと男性は平均76歳、女性は84歳だという。これは日本の医療水準の高さによるところ
が大きい。
工場ではX線、超音波診断装置、CT、MRIを中心とする医療機器を主に製造していた。市場シェアは
世界第4位(トップ3はフィリップス、シーメンス、GE)で、日本市場ではトップを走る。CTが同社の主
力商品だが、工場見学ではCORE64というCTの製造現場と運転中の空芯部のデモンストレーションを見
ることができた。同社のMRIには静音化、開放型という特徴がある。騒音に敏感な子供や老人に適し、
「人に優しい」設計の表れでもある。
工場見学では別の面で大きなサプライズがあった。それは案内役の社員が北京出身で、高校から日本
で学び、卓球のナショナルチームに選出されたこともあるという女性だったのだ。これには本当にびっ
くりした。彼女のおかげで同社の見学が一段と興味深いものになった。
午後は日光東照宮を観光した。伝統的な日本の神社がいつ止むともない雨の中に佇み、その周囲を滴
るような緑の樹木が取り囲む光景は、見る者を清々しい気持ちにさせた。雨の日の空気はとても新鮮
で、歩いていると、周囲の景色が幻想的なものに思えてきた。日本の文化と景観をじっくり体験するこ
とができた。
– 47 –
夜は鬼怒川の温泉旅館に泊まった。夕食前に温泉を満喫した。熱いお湯の中で身を沈めると、全身の疲
れがとれ、日本人の温泉好きが頷けた。夕食は嬉しいことに会席料理を味わうことができた。料理が一
品ずつ運ばれる中、訪日団全員が親睦を深め、一段と楽しい一日になった。一生忘れられない思い出に
なるだろう。
日付:5月27日(木)4日目
大学名:北京第二外国語学院
氏名:保羅
温泉の旅を終え、身支度を整えて、今日の見学先であるキューピー五霞工場とキヤノン取手事業所へ
と向かった。キューピーの工場見学はこれまでの見学で最も印象深いものになった。先進的な生産理念
と最先端の生産設備のほかにも、高い素養を持つ工場スタッフの姿に触れることができた。一番驚いた
ことは、工場に一切廃棄物というものがなく、全て再利用するという点だった。キューピーは「おいし
さ、やさしさ、ユニークさ」という目標を掲げて生産に取り組み、常に創始者の経営理念を尊重し、改
善を怠らず、発展し続けている。その生産ラインの先進性はまさに称賛に値するものだった。卵を洗浄
して割り、卵白と卵黄に分離する作業は一瞬のことだった。設備は全て自社開発したものだという。ま
た、五霞工場やその他の工場には自社開発のTSファームが設けられていた。TSファームとは三角パネル
と噴霧耕を利用した立体水耕栽培農場のことをいう。立体栽培は狭い空間を効率良く活用することがで
きるほか、土を使わないので衛生的で、輪作が可能になる。また室内栽培なので虫がつかず、農薬も不
要で、天候に影響されることもない。更には全ての農産物に産地が明記されているので、どこで生産さ
れたかが分かる。工場見学の後、キューピーで昼食を食べることになったが、当然、マヨネーズが用意
されていた。帰るときに工場見学の記念に団員の写真が印刷されたマヨネーズをもらった。
キヤノン取手事業所の見学で印象的だったのは「ポリバレント=多能工」という言葉だ。経験豊富で
高いオペレーティング能力を持つ多能工は、3時間以内に1人で100万人民元超の精密で複雑な機械を組
み立てられるという。多能工の存在は企業にとっては得難い財産になる。こうした優秀な人材の育成は
短期間でできるものではなく、決して簡単なことではない。
夜の日中経済協会のパーティーでは、以前、中日省エネ環境保護フォーラムで知り合った日本の友だ
ちに再会し、とても懐かしかった。席上、関団長の挨拶を聞いていろいろと考えさせられた。この10日
余りの日程は効率的に無駄なくスケジュールが組まれ、日本の各界から「超」の字のつくほど厚遇を受け
ているが、これは主催者である中国日本商会と日中経済協会、中日友好協会のおかげである。この場を
借りて関係者の方々に一言お礼を言いたい。「いろいろとお疲れ様でした。本当にありがとうございま
した!」。
日時:5月27日(木)4日目
大学名:北京工業大学
氏名:邱騰菲
今日はハードスケジュールだった。午前中はキューピー五霞工場、午後はキヤノン取手事務所をそれ
ぞれ見学、夜は日中経済協会の歓迎レセプションと盛りだくさんだった。特に印象に残った2点を書くこ
とにする。
1.ユニークな生産方式 キューピー五霞工場の生産ラインはフルオートメーション化が進み、作業者の主な仕事と言えば、ミ
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スがないかを監視することだけだった。その他の作業は原料の加工から最後の製品の箱詰めまで完全な
ラインができていた。また、キューピーの社員は機械を自主開発することで生産効率のアップに取り組
んでいた。卵割機を例にとると、ロボットアームが卵を挟むと、その下についている鋭い刃が一瞬の間
に卵の殻を割り、卵黄と卵白が出てくるという仕組みになっていた。なお、マヨネーズの原料になるの
は卵黄だけで卵白は必要ないので、下の卵受けには小さな穴が空いていて、そこから卵白だけが流れ出
て別の用途に使われるという。このように細部まで計算し尽くされた精巧な設計が高い作業効率を支え
ているのだ。キューピー五霞工場の人たちの工夫と知恵に脱帽した。彼らは与えられた仕事をこなすだ
けでなく、どうしたら生産効率がアップするかを常に考えて試行錯誤を重ねているのだ。
一方、キヤノン取手事務所はセル生産方式を採用していた。作業者はマイスター3級、2級、1級、
スーパーマイスターというように能力に応じてランク付けされ、スーパーマイスターになると、一人で
わずか数時間のうちに複合機一台を組立ててしまうという。スーパーマイスターは数千個ものパーツと
数百に及ぶ作業行程が全て頭の中に入っているが、仮にこれらの組立手順を冊子にするとなんと3500
ページにもなるという。
この2つの工場はどちらも高い生産効率を誇っているが、これは自分たちが必要とする最適な生産方式
を模索し、柔軟にイノベーションを進めてきた結果なのだと思った。
2.心の触れ合い
日本に来て4日目になる。家族や親しい友だちと離れ、慣れない環境で知らない人たちと接するという
のは、海外経験のない私にとってはある意味試練とも言えるが、今夜の歓迎レセプションで少しずつ寂
しさが薄れ、周りの人たちとも徐々に打ち解けることができるようになってきた気がする。日中経済協
会の人たちとも外国語ではなくて中国語で会話ができた。歓迎レセプションを開いて下さった日中経済
協会の皆さん、本当にありがとうございました。
日付:5月27日(木)4日目
大学名:清華大学
氏名:黄新我
早朝、鬼怒川を出発するとき、いくつかの残念な思いがあった。温泉にもう1回入ればよかった、面
白い鬼の記念スタンプも押さなかった、おみやげも買えずじまいだった‥‥。
道中、雨が降っていたが、眠くはなかった。
最初にキューピー五霞工場に到着した。食品会社を見学するのは初めてだったので、とても新鮮に思
えた。キューピーのロゴも可愛らしかった。
卵は卵黄、卵白、殻、薄皮の4つの部分に分けられるが、キューピーマヨネーズの原料に必要なのは卵
黄だけなので、他の部分はどうなるのだろうか。卵白は小麦粉と混ぜてパンの原料になることは常識だ
が、殻と薄皮はどうなるのだろうか。ゴミとして処分してしまうのだろうか。いいえ!キューピーでは
原材料を100%余す所なく利用していた。
卵の殻は細かい粉状のカルシウム粉に加工してエコチョークや壁材に使うという。見学先の工場の壁
の塗装にも卵の殻が使われていた。また卵の殻と卵白の間にある薄皮の利用の研究も進められている。
静電気防止効果があることから、ズボンの加工に使われているという。中国ではゴミとして処分されて
しまう物が、ここでは価値ある物として再利用されていることを知り、本当にびっくりした。
また、消費者の視点に立った設計もキューピー製品の素晴らしいところだ。例えば、ドレッシングの
瓶の蓋のプラスチックフィルムを破り易いように、右利き用と左利き用に2ヵ所切ってあるほか、蓋の
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上には目の不自由な人にも分かるようにと凸凹の点字が施されていた。このように細部にわたる心遣い
は、社会の少数派や弱い立場にある人々に喜ばれると思うし、多数派の人たちも温かい気持ちになるの
で、本当に素晴らしい取り組みだと思った。
次にキヤノン取手事務所を見学した。ここはカメラではなく、主にコピー機や複合機といったOA機器
を生産していた。工場は想像していた以上で、完全に国際化されていた。また、工場内は非常に衛生的
で、見学の際は帽子と靴カバーの着用が義務づけられていた。
夜の歓迎レセプションでは日中経済協会の方々と会った。会場は少々窮屈だったが、日本の参加者は
みな中国語がとても上手だった。総務部長の関誠さんは面白い方で、中島さんという「お父さん」もとて
も気さくで親しみやすかった。
夜、ニューオータニに戻ると、部屋が4628号室から4631号室に変更されていた。どうすれば温総理
に会えるのか、みんなで策を練った。
今日1日の発見:①賑やかな東京のことが少し分かった。②日本人の細かい気配りには驚いた。例え
ば、キヤノンで記念撮影をする際に準備されていたテーブル。③ディテールが成功のカギを握るという
が、日本人はその良いお手本だ。③日本人の行動原則は他人に迷惑をかけないこと。
日付:5月28日(金)5日目
大学名:中国人民大学
氏名:顔霊珊
みずほ銀行グループは日本の三大メガバンクの一つだ。今回はみずほコーポレート銀行国際為替部と
市場営業部を見学できるチャンスに恵まれた。社員がテキパキと忙しそうに働き、一人で数台のパソコ
ンを相手に一刻一秒を争う為替の処理をしていた。銀行全体の効率が非常に高く、速いリズムで仕事が
行われていた。
みずほコーポレート銀行ではグリーン金融――「赤道原則」(金融業界のファイナンスに関する環境
社会配慮についての評価と管理指標)が印象的だった。省エネと環境保護は日本企業が掲げる理念の一
つであり、国際経済が目指す方向でもある。みずほコーポレート銀行はアジアで初めて赤道原則を採択
した銀行で、将来を見据え、エコ事業の先駆者となることを目指している。「赤道原則」とはファイナ
ンス案件のリスク評価に環境リスクと社会リスクの評価指標を取り入れ、プロジェクト実施者の能力を
評価することにより、投資家の環境や社会に対する配慮を促そうとする取り組みだ。
「グリーン金融」や「赤道原則」の説明を初めて聞いたときには、利益を追求する企業がなぜ多くの
コストをかけて収益がはっきりしないプロジェクトを進んで手がけるのか、また環境保護の実践では
ハードルが高く設定され、さまざまな企業努力が求められるはずなのにと腑に落ちない思いでいたが、
これは双方向のインタラクティブなものだということが昼食会の席の話で分かった。赤道原則は10年程
前にNGOよって提唱され、シティバンクやドイツ銀行といった主要銀行が採択したのを機に世界的な広
がりを見せた。日本は当時、半ば圧力に屈し、競争という必要に迫られて採択せざるを得なかったが、
同時にそれは企業価値の創造に有利だということが後で分かったという。環境への支出は大型海洋開発
プロジェクトの資金などに比べたら微々たるもので、理念の多くは企業と環境が相互に作用し合った結
果だと言える。企業の環境意識を高めるためには、単にスローガンを掲げるだけでなく、外部のシステ
ムによる制約が非常に重要な意味を持つということを、中国も学ぶべきだと思う。
午後は中国大使館に行って程大使に会った。大使はとても親しみやすい人だった。中国の伝統文化で
ある「家」とはこういうことかとしみじみ感じた。五星紅旗のはためく大使館の中で大使と親しく話をす
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ることができ、有意義な時間を過ごすことができた。大使からは「日本の優れた技術を学ぶと同時に、日
本が歩んできた失敗を繰り返すことなく、中日友好(帰国後に中国の人々に日本企業の素晴らしい点を
伝えること)に力を尽くすように」という話があった。
最後のディズニーランドは童話の世界そのままを現実の世界に再現したものだった。それにゲームや
アトラクションが加わり、いつまでも遊んでいたいと思った。子供たちの笑い声が溢れ、ポップコーン
の甘い香りが漂う夢のような世界にすっかり子供時代に戻ったような気がした。アトラクションの「ス
プラッシュ・マウンテン」は、出航、順調な航行、そして激流に飲み込まれ、最後にゴールに到達する
までの大冒険で、童話の世界そのものだった。
ディズニーランドのフィナーレは盛大なパレードだった。お城の上に色とりどりの花火が咲き乱れ、
愉快な音楽が鳴り響いた。この夢のような世界に渋々別れを告げた。
日付:5月28日(金)5日目
大学名:中国人民大学
氏名:胡暁
1.みずほコーポレート銀行
経済学専攻ということもあり、近代的な金融機関を訪問できるのを楽しみにしていた。みずほコーポ
レート銀行は業界の模範生であり、日本企業が海外事業を展開する上での有力な後ろ盾にもなってい
る。今回は外貨建金融商品を取り扱う部門を見学させてもらった。投資銀行は業務が忙しいとは聞いて
いたが、みずほコーポレート銀行の社員が実際にこなしている作業量の多さには驚いた。一人で6台のパ
ソコンに向かい、世界の20余りの市場の市況データを処理・分析し、刻々と変わる動向を見ながら、企
業に融資や投資のための最新情報を提供し、情報を価値あるレポートにまとめ上げるという。
みずほコーポレート銀行は「赤道原則」を採用する組織のメンバーである。この組織は環境社会に配
慮したプロジェクトへの融資を進め、世界の60余りのメガバンクで構成されている。企業融資に対し制
約や罰則を設けて資金が環境保護と省エネ分野に利用されることを保証し、環境に不利なプロジェクト
に対しては融資しないようにしている。
ここで一つ引っかかるのが、環境に配慮した事業への融資は収益に影響が出るにもかかわらず、なぜ
こんなにも多くの銀行がこの取り組みに参加しているのかという問題だ。が、いろいろと銀行の責任者
と話をしているうちに、みずほのコストと収益に関する分析は長期的視点に立っているということが分
かった。企業が目の前の利益を犠牲にするということは、彼らがより長期的ビジョンを持っているとい
うことの表れなのだ。現在、環境保護は主に国が中心となって進められているので、環境を企業理念と
して掲げていれば、新しい国の市場を開拓することもでき、長期的に見れば、収益にもつながることに
なるという。
2.在日本中国大使館
程永華大使に会うことができた。大使はとても気さくな穏やかな人で、官僚然としたところがなかっ
た。アットホームな雰囲気で程大使との会話も弾んだ。ホームシックになったらどうすればいいかとい
う質問まで飛び出した。
程大使は日中国交正常化後に日本に派遣された第一期留学生だ。大使がこれまで歩んで来た道のりを
聞いて、中日両国が戦争の痛みを乗り越えて再び歩み寄り、相互に信頼関係を築くことがいかに難しい
かということを知った。日中関係はこれまでさまざまな問題と関係修復を経験してきた。どん底、氷河
期から「氷を割る旅」、「氷を溶かす旅」と数々の荒波を乗り越えてここまでやってきた。これら全て
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の出来事が今日の中日両国の平和と友好関係がいかに得難く尊いものであるのかを物語っている。 日付:5月28日(金)5日目
大学名:清華大学
氏名:王和
今日の出発時間はいつもより遅かったが、SDメモリーカードを買った時に、ビジネスセンターにバッ
クを忘れてしまい10分遅刻してしまった。迷惑をかけてしまい申し訳なかった。梁先生は清華大学の学
生4名が遅刻したのでとても怒っていた。ガイドの呂さんと渡辺さんにも叱られた。二度と遅刻しないよ
うに気をつけなくては! 10時ちょうどに日本の三大メガバンクの一つ、みずほコーポレート銀行の本社ビルに到着した。ビル
は14階建てで東京のど真ん中にあった。市場営業部の人の案内で8階の営業フロアを見学した。相当な
面積で、数百人の社員が働いていた。皆4-6台のディスプレイが置かれたデスクの前に座っていた。
ディスプレイにはいろいろな指数、為替レート、利率がその他の情報とともに表示されていた。どの人
も画面を見たり、デスクの紙で計算をしたり、ブローカーからの電話に対応したりと、見るからに忙
しそうだった。外為部の山田さんの話によると、業務時間は朝7時から夜7時までだというが、残業は
しょっちゅうとのことだった。このように狭い空間で緊張を強いられる仕事をするというのは、ずいぶ
んストレスの溜まることだと思った。なぜ、もっと広い快適なオフィスにしないのか不思議に思った。
お互いの声が届く距離にいなければならないからか‥‥。
午後は中国大使館に行って程永華大使に会った。程大使はとても気さくな方で、その実直な話ぶりに
はえらぶったところが全くなかった。私たちが簡単な自己紹介をした後、大使は日中関係の新たな局面
や大使の日本に対する思いを話してくれた。また日本の中国人留学生の状況や大使館の外交活動につい
ての話もあった。程大使の答えはとても明確で、実質的な内容のものだった。学生たちの質問にも誠実
に対応してくれた。程大使のように賢く、有能で慕われる人間になりたいと思った。
日付:5月29日(土)6日目
大学名:北京第二外国語学院
氏名:趙鄭
今日は初めて徒歩で目的地に向かった。また今日は一日中ハイヒールを履かなくてもいい初めての日
でもあり、それだけでもウキウキした気持ちになった。
ホストファミリーを待っている間、みんな少し緊張していたようだった。最初に現れたホストファミ
リーの女性はとても綺麗な人だった。その後、次々と仲間がホストファミリーに引き取られて行くのを
見ているうちに、最後に一人取り残されたらどうしようと焦ってきた。自分でもよく分からないが、そ
う思えば思うほど惨めな気持ちになって、涙が出そうになった!どうしてそんな気持ちになったのか自
分でも分からなかった。その後しばらくして、私のホストファミリーの樋口さんが現れ、幸い最後の一
人にならずにすんだ。緊張している私を気遣い、樋口さんがいろいろ話かけてくれた。樋口さんは中国
にも行ったことがあり、私の拙い日本語も何とか理解してくれたが、どうしても解らない時は中国語で
話すこともできた。
新宿で買い物をしている時に日本の政治について訊いてみた。一般の日本人が現政権をどう思ってい
るのか知りたかったからだ。中国と日本では立場が違うので、当然、その見方も違うはずだ。この他に
もヤクザや暴走族、日本のドラマや漫画によく出てくるトレンディーな話題やホストクラブなどについ
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ても訊いてみた。 お昼は学校帰りの樋口さんの二女の萌さんと合流した。揚げたてを出してくれる店で天ぷらを食べ
た。昨日、みずほコーポレート銀行での昼食の時に食べそびれてしまっていたのでちょうど良かった。
食後は萌さんが買い物に付き合ってくれた。ブラブラ街を歩いていると、ちょうど「花園祭」をやってい
た。ずっと食べてみたいと思っていたたこ焼と、萌さんの好きな水飴を一緒に食べた。
遅くなって帰宅した。「祭」でお腹一杯食べてしまったので、夕飯はあまり食べられなかった。食後は
萌さんとアニメ談義に花を咲かせ、趣味には国境がないなと思った。寝る直前まで萌さんの「コレク
ション」を見せてもらった。中国ではお目にかかれない貴重なものばかりだった。
日付:5月29日(土)6日目
大学名:北京第二外国語学院
氏名:冼安琪
今日はホームステイの日だ。まず日中経済協会に集合し、ホストファミリーが迎えに来るのを待っ
た。みんなが次々とホストファミリーと対面するのを見ているうちに緊張してきた。
私を迎えに来たのは三菱商事に勤めている近藤恵美(めぐみ)さんと妹の泉美(いずみ)さんだ。二
人は行きたい所はないか訊いた後、自分たちが立てた計画を教えてくれた。荷物は二人が先を争うよう
に一番重たいものを持ってくれ、電車でもまず私を座らせてくれた。ほんの些細なことだが、日本人の
温かさと優しさを感じることができた。
電車に揺られて有名な古都鎌倉に着いた。歴史ある鎌倉の町並みはとても美しく、町の至るところに
神社やお寺があった。まずは鶴岡八幡宮へと向かった。参拝のときに願い事をしてみた。鶴岡八幡宮を
出ようとした時、偶然、二組の新郎新婦に出くわした。初めて見る日本の伝統的な結婚式だった。新婦
の白無垢姿がとても綺麗だった。
鶴岡八幡宮を後にし、泉美さんがよく行くという和食レストランに案内してもらった。食事の時に泉
美さんが十数年前に天津の南開大学に留学していたことを知った。泉美さんは中国史を勉強したという
ことで、流暢な中国語を話す。最近は恵美さんも中国語を勉強し始めたという。二人とも中国文化が好
きなのだ。このような家にホームステイできて本当に良かったと思った。
夜、三姉妹の両親の家に行った。三姉妹の末っ子は「望美」(のぞみ)さんという。3人とも普段は両
親とは別々に暮らしているが、私のためにわざわざ実家に泊まることにしてくれたのだ。お父さんもお
母さんも温かく迎えてくれ、わざわざ私の泊まる部屋まで用意してくれていた。その日は少し寒かった
ので、いずみさんが暖かい服を貸してくれた。お母さんは腕によりをかけて暫く揚げていない天ぷらを
揚げてくれた。どの料理もお母さんの真心が一杯に詰まっていてとてもおいしかった。
食後はみんなでお喋りをした。和気藹々として、少しも居心地の悪さを感じなかった。まるで前から
この家族の一員だったような気さえしてきた。
いずみさんとのぞみさんが夜遅くまで明日の予定についてインターネットで検索してくれた。昨日ま
で一面識もなかった他人の私のためにしてくれていると思うと、また胸が熱くなってきた。
日付:5月29日(土)6日目
大学名:対外経済貿易大学
氏名:趙家悦
今日は「走近日企・感受日本」訪日の6日目であり、日本人の家に泊まるホームステイ一日目だ。これ
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までの日程は学習、交流、見学がメインだったが、今日と明日の2日間は日本の家庭生活を肌で感じる良
い機会だ。この数日考えていたことや疑問の答がこのホームステイで見つかるかもしれない。
午前9時30分、ホストファミリーの人が続々と日中経済協会に迎えに来てくれた。いよいよホームス
テイの始まりだ。なんとホストファミリーのご主人が出張で迎えに来られないということで驚いたが、
ご主人以外の家族全員で迎えに来てくれたのにはもっとびっくりした。
この家庭はご主人、奥さんと3人の子ども、子どもの年は私とほぼ同じで、長女が大学3年生、長男が
大学1年生、二男が高校1年生だった。ホームステイの一日目は言葉の壁が大きかったが、予定などはお
互いに慣れない英語を駆使して何とか理解することができた。私の拙い日本語に怪しげな発音の英語、
時には筆談とジェスチャーを交え、そして時にはバックから電子辞書を引っ張り出したり、iPhoneを
使ってネットから写真を探し出したりと、毎回あの手この手で一生懸命思いを伝え合い、お互い解り合
えた瞬間は思わず会心の笑みがこぼれた。
一家4人に付き添われ江戸東京博物館、靖国神社そして原宿、渋谷のビジネス街を見て回った。彼たち
の優しさと細やかな気配りは言うまでもないが、長女と話しているうちに、一般の日本人が日中関係を
どう考えているのかが少しずつ解ってきた。
やはり言葉の壁があったので話した内容はそれほど多くはなかったが、温総理の訪日に始まり、日本
のここ数年の首相についてや、数年前の日中関係が政冷経熱の状態にあったこと、第二次世界大戦が日
中両国に与えた影響など、多少センシティブな問題もあったが、私たちのこれらの問題に対する見方は
ほぼ一致していた。若い世代としてできることは、グローバル化の進む世界の中で、中日両国をより良
い方向に導いていくことだと思う。過去の歴史を変えることはできない。大切なことはこの問題をどう
認識するかだ。彼女の話では、ほとんどの日本人が日本の中国に対する侵略戦争の事実を認めていると
いう。これをベースに中日両国が互いの理解を深め、互いに許し合うことができれば、中日友好の新時
代が必ず切り開けると思った。
おしゃべりの最後に、実はホストファミリーの皆さんが、今日の午後に靖国神社に連れていくのを躊
躇していたことを知った。靖国神社に行くことで私の日本に対するイメージが悪くなるのではないかと
心配していたのだ。ホストファミリーの人たちのこの心配は、中日友好を真剣に考えているからこそで
あり、中国人が日本人をどう思っているか気にしているゆえのことだった。
日本のこうした状況を中国共産党予備党員の一員としてとても嬉しく思った。一部の極右勢力を除い
た一般の日本人は中国人に対してとても友好的であり、これが中日両国関係を支える礎になるのだと思
う。
今日は内容の濃い話ができてとても充実した一日だった。明日も今日以上に中日友好の輪が広がれば
いいのだが‥‥。
日付:5月29日(土)6日目
大学名:清華大学
氏名:趙赫
今日はホームステイの初日だ。ホームステイは初めての経験だった。
ホストファミリーに会う前はとても緊張し、どんな家族だろうと期待に胸がいっぱいになった。
ホストファミリーとは、小さな可愛い3人の娘さんが「趙赫さん、日本へようこそ」と書いた手書きの
絵を手にしての対面だった。日本の家庭の温もりともてなしの心が嬉しかった。
家に向かう地下鉄の中で私の故郷のことが話題になった。故郷は豆腐が有名だと言ったのを聞いて、
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途中、食料品を買うためにスーパーに寄っときに、わざわざたくさんの豆腐を買ってくれた。いろいろ
な種類の豆腐の名前を教えてもらった。家に帰ると、日本式の豆腐料理を食べさせてくれた。
午後はHIPPOというファミリークラブにみんなで行った。そこは大人と子ども合わせて20人くらいが
一緒になってゲームをしたり外国語を学んだりするところだった。ホストファミリーは毎週ここに来て
子どもたちと一緒に遊んでいるという。3人の子どもはここで中国語、フランス語、ドイツ語、スペイン
語など7つの言葉を習っているそうだ。中国の一般家庭は英語を習わせるだけで精一杯だが、日本の家
庭にはたくさんの言葉を学ばせる環境がある。これが中日両国の教育レベルの違いなのかもしれないと
思った。
夜、みんなでお喋りをしていると、お母さんが私の携帯を見たいと言った。携帯を見せると、今度は
カメラを見せて欲しいと言い、結局、私の全ての電子機器をお母さんに見せることになった。お母さん
はうれしそうに手にとってあれこれ見ていたが、おもむろに裁縫箱を取り出してきた。その時はちょう
どお父さんと話をしていたので、お母さんと一番下の娘さんが一緒に何か縫い始めたのに気がつかな
かった。お母さんと娘さんが12時になっても寝ないので理由を訊くと、なんと私のために携帯ストラッ
プを作ってくれているという。嬉しさで胸が一杯になった。ホストファミリーの家では、まるで自分の
家にいるようなアットホームな雰囲気で過ごすことができた。
明日はみんなで海辺にピクニックに行く。とても楽しい経験になるだろう。
日付:5月30日(日)7日目
大学名:中国人民大学
氏名:敦奎利
今日は訪日7日目、一番楽しみにしていたホームステイの最終日だ。朝、携帯の目覚ましの音で目が
覚めると、ちょうど山田さんが私を起こしに来てくれたところだった。洗顔をすませダイニングへ行く
と、山田さんの奥さんが朝食を用意してくれていた。美味しい朝食をたっぷりと食べ、ホームステイの
最終日が始まった。
山田さんは私が日本語専攻で、日本文学にとても興味があるのを知り、日本でよく知られている古本
屋のブックオフに連れて行ってくれた。好きな小説をいろいろ選んでレジへ行こうとすると、山田さん
が記念にと言って代わりに代金を払ってくれた。その後、車で横浜の海辺に向かった。内陸育ちの私に
とって海は憧れの場所だ。その日は肌寒く風も強かったが、みんなで貝殻を拾いながら砂浜を散歩し、
楽しく一時間余り過ごした。それから山田さんは有名な横浜中華街に案内してくれた。私が四川料理が
好きなことを知り、昼食は高級中華レストランの重慶飯店でということになった。中華街の重慶飯店と
いっても、料理の味付けは日本人好みにアレンジされていた。中国ではあり得ないことだが、重慶飯店
ではタンタン面でさえも少し甘めの味付けになっていた。中華街の他の料理もどれも日本人好みの味付
けになっていた。食後は3D映画館で日本の3D映画を見た。最後に山田さん一家がニューオータニまで
送ってくれたが、車の中は別れの寂しさに包まれ、車がニューオータニの駐車場へ入ったときには、そ
れまで堪えていた気持ちが一気に込み上げ涙が出そうになった。このまま車が停まらずにどこかへ行っ
てしまえばいいのにとさえ思った。最後に別れを惜しみながら再会を約束した。
今日はちょうど温総理訪日の日に当たり、街中に中国国旗が掲げられていた。外国で見る自分の国の
国旗は何とも懐かしく、誇らしい気持ちになった。また、偶然にも温総理もこのニューオータニに泊ま
るという。温総理に会える可能性はほとんどないが、同じホテルに泊まれるだけでも光栄だと思った。
– 55 –
日付:5月30日(日)7日目
大学名:北京工業大学
氏名:董峥
今日は朝早くから山内さんと新宿に繰り出した。新宿は若者が集まる街ということで、とても興味深
かったが、真面目な山内さんは居心地が悪そうだった。また、こうして街をブラブラするというのも山
内さんにとっては苦痛ではなかったかとも思う。それにも拘らず、山内さんは疲れた素振りなど少しも
見せずに、私が行きたい場所を訊いて、そこに連れて行ってくれた。こうした心遣いがとても嬉しかっ
た。
新宿の後は学生が多く集まる街、渋谷に向かった。この2つの街で日本の若者の日常生活の一面とライ
フスタイルを垣間見ることができた。おみやげをたくさん買うことができたのも大きな収穫だった。
道中、山内さんと中国の発展ぶりから始まり、日本の政治体制、青少年のやる気の問題や両国の福利
厚生制度についてまでずいぶん話が盛り上がった。山内さんは中国の人民代表大会制とアメリカの議会
制度のそれぞれの長所と短所を分析できるほどの知識を持っていたが、とても謙虚な方で、自分の考え
を人に押し付けるようなところがなかった。これも日本人独特の気質なのではないかと思った。中国人
もこのような日本人の気質を見習い、驕りを捨てて謙虚な気持ちになれば、それまで見えなかったもの
が見えてくるのではないだろうか‥‥。
その後、ホテルに向かい、2日間のアッという間のホームステイが終了した。山内さんとはこれからも
連絡を取り合うことを約束した。短いホームステイだったが、一生の思い出になった。
日付:5月30日(日)7日目
大学:北京工業大学
氏名:欧陽麗婷
明日は8時に起きようと約束したので、寝過してはいけないと思い、目覚まし時計を2個かけて寝たと
ころ、7時半過ぎには目が覚めてしまった。興奮していたのかもしれない。
布団を片付けると、朝食の時間になった。ホストファミリーの人たちがフィリピンに4年間住んでい
た関係か、それとも日本式の朝食はどれもこうなのか、いろいろなおかずやご飯が並べられ、バラエ
ティーに富んだ朝食だった。ホストファミリーの心遣いが感じられた。
昨晩話し合って今日は浅草に行くことになっていたので、朝食後10時に出発した。ホストファミリー
の息子さんは、今日はサッカーの練習があるということで、お母さんと一緒に自転車に乗って息子さん
の練習を見に行った。日本の道路で自転車に乗るのは新鮮な体験だった。吉祥寺近辺は歩行者も少な
く、朝のきれいな空気が気持ちよかった。
サッカーを見てから浅草に出かけた。
地下鉄の出口でお母さんがボランティアサービスセンターに行き、浅草の中国語版パンフレットをも
らって来てくれた。お母さんのこの細やかな気配りがとても嬉しかった。
共に過ごした時間は短く、アッという間のことだった。別れのときが終に来た。ニューオータニでホ
ストファミリーと別れるときには名残惜しい気持ちで胸が一杯になった。ホストファミリーは「また日
本に来る機会があったら、是非自分たちを訪ねてほしい、そして、これからもずっと連絡を取り合いた
い」と言ってくれた。
ホストファミリーの人たちを送って玄関まで行ったときも別れがたい気持ちを引きずっていた。振り
返りながら私が見えなくなるまで手を振ってくれた。私のホストファミリーの人たちに対する思いと同
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様、彼たちの目にも私への思いが溢れていた。みんなのこの気持ちがずっと長く続きますように‥‥。
そしてこうした中日間の友情や思いが広がっていきますように‥‥。
日付:5月30日(日)7日目
大学:対外経済貿易大学
氏名:高影
物質的なものから精神的なものまで――最高の贈り物
朝9:30、やっと目を覚ました。もともと9時に起きる予定だったのに、ホストファミリーのお兄さん
とお姉さんは、疲れている私を気遣って起こさなかったのだ。自分の家を出てからだいぶ経つ。故郷か
ら北京へ、そして北京から日本へとやって来たわけだが、懐かしいわが家での月日が戻って来たような
気がした。高校時代、母はかわいそうだと言って起こしてくれなかったので、よく遅刻していた。当時
はいろいろと不平不満もあったが、今考えると、あの頃は本当に幸せだったと思う。両親が近くにいな
ければ、何時に寝て何時に起きようが、気に掛けてくれる人はいない。目覚まし時計は5個必要‥‥。そ
うでもしないと自分では起きられないから。大学生活では自然に目が覚めるまで寝ていられるというよ
うなことなどなく、寝坊すれば朝食は食べられない。でも、今日はホストファミリーのお兄さんとお姉
さんが、嬉しいことに朝早くから朝食を準備してくれていた。
朝食を済ませてから近くのスーパーを見て回り、犬の散歩をして、地元の老舗で名物の日本そばを食
べた。途中、お兄さんが笑いながら私に「犬を連れて散歩している姿は素敵な日本の奥様のようだね」
と言ったときには、自分が本当に日本の生活に溶け込み、まるでこれが私の元々の生活であったかのよ
うな感じがしてびっくりした。「奥様」という言い方はちょっと変な感じがしたが、住宅街でホスト
ファミリーのお兄さんやお姉さんと屈託なく散歩していると、本当にここで暮らしている住民の一員に
なったような気がしてきた。
午後、ホストファミリーと別れた後、元の38名の大ファミリーに戻った。その後一行はお台場に行
き、トヨタのテーマパークやヴィーナスフォート、レインボーブリッジの夜景を楽しんだ。楽しくてい
つまでも遊んでいたかった。
今日はもう訪日7日目だ。日本での滞在期間は決して長くはないが、バラエティーに富んだスケジュー
ルのおかげで、38人全員すっかり打ち解け、毎日行動を共にするのが当然のようになっていた。3日後
の別れのことを考えると少し怖いような気持ちになる。今は残りの一日一日を大切に過ごすことだけを
考えよう。
日付:5月31日(月)8日目
大学:中国人民大学
氏名:敦奎利
今日は訪日8日目。美味しい朝食を食べた後、エレベータのところに集合して8日目の日程が始まっ
た。
今日の午前中は国会議事堂の見学、午後は早稲田大学の見学と親睦会が予定されていた。国会議事堂
ではまず参議院を見学したが、案内係りの人が熱心に参議院と衆議院の違いや日本の二院制、参議院の
議席数について説明してくれた。その後、国会議事堂の食堂に行き、参議院議員の山根隆治先生と昼食
をとった。山根先生は私たちを歓迎し、代表団の学生も中日関係などについて山根先生に質問した。山
根先生は質問に丁寧に答え、自分の考えを話してくれた。
– 57 –
昼食後、次の見学先までに時間があったので、関団長とガイドの呂さんが皇居の見学を決めた。皇居
前広場に玉砂利が敷き詰められているのは暴漢防止のためだという。日本の皇居と中国の宮殿の最大の
違いは、皇居が豊かな緑の木々に覆われている点だ。
美しい皇居を堪能した後、世界有数の学府――早稲田大学に向けて出発した。ガイドさんの案内で大
学のキャンパス、図書館、演劇博物館などを見学した。東北大学における魯迅のように、日本の著名な
文学者坪内逍遥がこの早稲田大学で教鞭をとり、演劇博物館を建てて日本の伝統芸能である能や狂言を
上演していたという。その後、政治経済学部のゼミに参加し、早稲田大学の学生たちと上海万博のメ
リットとデメリット、就職プランについての踏み込んだ討論を行い、それぞれの意見を発表し合った。
ゼミの後に日本の学生たちと夕食をとりながらの交流が印象に残った。早稲田大学の校風は東北大学に
比べより豪放磊落という印象を受けた。夕食会は賑やかな談笑の中で終了した。
今回、日本の大学生と2度交流する機会があったが、日本に留学するぞという気持ちがまた強くなった
ような気がする。語学力のアップはもちろんのこと、自分自身を鍛えるという意味でも、日本に留学す
るのは良いことだと思う。
日付:5月31日(月)8日目
大学:中国人民大学
氏名:趙俊娜
今日、国会議事堂に行ってその荘厳さを実感することができた。参議院本会議場を見学していたとき
は、突然、古典と現代との融合を感じた。木製構造の部分にはすべて彫刻があしらわれ、優雅な照明の
下で長い間蓄積してきた智慧と文化が煌めいていた。職員の説明を聞いているうちに、ここで繰り広げ
られているのは、議事堂の建物のように旧いものではなく、現実のことなのだということに気がつい
た。
今日の午後に温家宝総理が出席して会議が開かれる議長応接室に行った。格調高い重厚な感じのする
ソファーに座り、おそらく温総理が座るであろう長テーブルに触れたりしていると、光栄と興奮の入り
混じった気持ちが涌いてきた。
スケジュールが順調に進み、時間が余ったので、団長とガイドの呂さんが急遽見学先を一カ所増や
し、皇居を見学することになった。皇居は中国の華麗で堂々とした宮殿とは違い、まるで隠遁の賢者の
ように緑の木々の間に威厳ある城壁が見え隠れし、城壁の外を囲む砂利道を歩く音は長い歴史を語りか
けて来るようだった。皇居と道を挟んで向かいに立ち並ぶ高層ビルが面白いコントラストをなしてい
た。クラシックとモダン、荘厳さと柔軟さ。いつまでも見ていたい気持ちになった。
夕方、世界的に有名な早稲田大学を見学した。早稲田大学の英文表記の頭文字は「W」だが、門の
フェンスから図書館、ソファーの配置から建物に至るまでキャンパスの中はさまざまな「W」の文字で
溢れていた。案内役の女子学生について演劇博物館、教室棟,図書館を見学した。彼女の英語は流暢と
いうわけではなかったが、誠実さとその熱意に感動した。早稲田大学の学生たちとの交流会では、万博
のメリットとデメリット及び大学生の就職プランという2つのテーマについて討論した。日本の学生は万
博の高額な出費を問題視する一方、世界各国の展示を通じて巨大なビジネスチャンスと経済成長がもた
らされるだろうと考えていた。生涯プランに関しては、日本の学生も中国と同様に就職難という問題に
直面し、終身雇用における昇進ストレスや労働強度の高さという問題の前で、さまざまなメリットとデ
メリットをバランスさせざるを得ない状況にあった。私たちの討論グループの中には日本語専攻の学生
がいなかったので、英語を使っての討論となり便利だった。学生たちはそれぞれ自分の意見を述べ、和
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やかな雰囲気の中でみんな徐々に打ち解け、友だちのようになっていった。友だちと言えば、今回の日
本訪問では本当にたくさんの収穫があった。世界有数の企業に勤務している先輩や同年齢の大学生、そ
れにホームステイのお兄さんやお姉さん、弟、妹と友だちになることができた。こうした貴重な友情は
一生大切にし、守っていく価値があると思う。
日付:5月31日(月)8日目
大学:中国人民大学
氏名:楊鐸
ホームステイから戻ったばかりということもあり、その話題で盛り上がったが、それも束の間、車は
国会議事堂に到着した。温総理の訪日でホテル周辺はパトカーだらけだったが、沿道に中日両国の国旗
が掲げられ、異国の地で祖国の温かさを感じることができた。
国会議事堂の見学では日本の政治制度を知ることができた。日本は旧憲法の時代から両院制度が採ら
れ、すでに120余年の歴史がある。衆議院480名と参議院242名の議員で構成され、衆議院は小選挙区と
比例選挙区という二つの方式で議員が選出される。衆議院は4年に1度選挙が行われるが、与党は支持率
を背景に衆議院を解散することができる。衆議院は法律の制定、予算の議決、内閣総理大臣の指名選挙
などにおいて優先議決権を有することが憲法で規定されている。衆議院で可決された決議は、参議院の
同意を経てから効力を発し、両院で異なる議決をした場合、その議案は無効になるか、または双方で20
名のメンバーを組織して協議し互いに譲歩して可決するか、或いは衆議院で再審議して可決し強制執行
するという方法がある。この制度を採用すると、決議に時間がかかり過ぎるという問題があるが、選挙
によってもたらされる影響を防ぐことができる。また、十分各意見を反映させることができるほか、こ
れにより政策決定が過激になるのを防ぐこともできる。
国会議事堂の見学を終えた後、皇居を見学した。皇居の面積は天安門より広かった。皇居の周りはお
堀で囲まれ、二重橋によって外部とつながっている。皇居の中に入ることはできない。皇居は青々と
茂った樹木に覆われていたが、この点こそが皇居の故宮と大きく異なる点である。故宮は暴漢の侵入を
防ぐために大部分の木を伐ってしまったということだが、日本の皇居は東京の緑化エリアになってい
る。皇室の安全を守るために皇居の周りは玉砂利が敷き詰められている。暴漢が近づいて砂利を踏めば
音がしてその侵入に気がつくというわけだ。また、皇居に続く道路には黒の砂利が敷き詰められている
が、それは皇族の威厳のように思えた。
午後は日本有数の私立大学である早稲田大学を訪問した。早稲田大学は128年前に大隈重信によって
創立され、現在の学生数は55,000名、そのうち学部生は45,000名だが、これは中国の大学とは正反対の
現象だ。中国では大学院生の数が相当多いが、本当の意味で学問を志している研究者はそれほど多くな
い。こうした違いは両国の企業がどんな人材を欲しているかの違いによって生まれる。中国では就職の
際は主に学歴や専門が合っているかどうかを見るが、日本では基本的に学部卒で充分であり、しかも企
業は学生の専門については特に重視するということはなく、個人の学力や業務能力に注目する。
早稲田大学では白木教授の教室を訪問し、クラスの学生30名と討論を行った。まず2010年上海万博の
メリットとデメリットについて議論した。日本の学生はメリットとして国民の意識を向上させ、社会の
発展を促したことを挙げ、デメリットとしてはインターネットの普及によって万博はもはや必要ないと
いう意見があった。主催者側以外の視点から万博をどう見るかという意見が参考になった。その後、就
職プランに関する中日の違いや共通点について討論した。中国の学生の就職活動は生活の快適さや家族
の意見に左右されることが多いが、日本の学生は会社に一生を捧げるに値する将来性があるかどうかを
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考える傾向にあることが分かった。こうした具体的な問題についての議論を通じて、中日文化の根本的
な違いを感じることができたのが大きな収穫だった。
日付:6月1日(火)9日目
大学:北京第二外国語学院
氏名:滑美琴
訪日団の日程もあと2日を残すだけとなった。朝、まず東京タワーに行き、その後秋葉原に行って家族
におみやげを買った。お昼は「両国」に行って相撲の力士が普段食べている「ちゃんこ鍋」を食べた。
店の外では通りを歩く力士を見ることもできた。これも日本理解と体験ということになるだろう。午
後はANAを見学した。いつも乗っている飛行機を運航させるために、どれだけ多くの人が準備している
か、どんな準備をしているかを初めて知った。また、至近距離で初めて飛行機の装置を見ることができ
た。ANAの見学ではサービス精神とそれに向けた努力が最も印象に残った。
明日は帰国ということで、日中経済協会と日本商工会議所の人たちが歓送会を開いてくれた。見学先
の企業や学校からも代表が参加した。もちろんホストファミリーの人たちも大勢出席した。出席者リス
トの中に吉永さんの名前があったので、会場に入ってからずっと彼を探していたが、見つからなかっ
た。丸紅の人に訊いてみたところ、「吉永さんは仕事があって今日は来られないだろう」と言われ、
ちょっとがっかりした。柳さんのホストファミリーも丸紅に勤めている人だったので彼らと話をしてい
たが、ずっと会場の入口が気になっていた。歓送会では大学ごとに訪日の感想を発表することになっ
た。1時間余り過ぎた頃、「吉永さんはもう来ないだろうな」と諦めかけたちょうどそのとき、そばに
いた丸紅の重美さんが「吉永さん、もうすぐ来れそうだよ」と言った。それを聞いた途端、胸が一杯に
なった。さっき心の中で願った「ミラクル」が起こったのだ。思わず涙が溢れ出た。そして、そこには
ずっと会いたいと思っていた吉永さんのいつもの「元気」な姿があった。吉永さんはたくさんの写真を
持って来てくれていた。それは2日前のホームステイのときに撮った写真だった。吉永さんは写真を全部
焼き増ししてくれていたほか、日本情緒溢れる風呂敷をプレゼントしてくれた。このおみやげを渡すた
めに、吉永さんは残業が終わるや会社から駆けつけて来てくれたのだ。「ギリギリ、間に合ってよかっ
た」と言った。吉永さんは涙を浮かべている私を見て、ポケットからハンカチを2枚取り出し、1枚を私
にくれた。感謝の言葉はいくら言っても言い尽くせない。吉永さんは解ってくれたと思う。今日もまた
記念写真を撮った。最後に吉永さんをエレベータのところまで送って行き、泣きながら手を振って別れ
を告げた。
帰国したらすぐにメールを送ると吉永さんに約束した。
「吉永さんとご家族の皆さん、10日間の中で一番心温まる思い出をもらい本当に感謝しています。本
当に有難うございました!お会いできる日を楽しみにしています。頑張ります」。
日付:6月1日(火)9日目
大学:対外経済貿易大学
氏名:張乾
本を買うこと以外、買い物にはあまり興味がない。今回もクラスメートにおみやげを買う以外、買い
たいものと言えば本くらいだ。今日は一般の書店ではなかなか見かけない専門書が、早稲田大学の書店
にはたくさん置いてあったのが印象に残った。こうしたことからも早稲田大学の優秀さが充分伝わって
くる。実務的なことで有名な早稲田大学さえこうなのだから、学術的なことで有名な東京大学や京都大
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学には、きっともっとたくさんの専門書が置いてあるに違いないと思った。
また、細かいことだが、日本にいる中国人についても考えた。今、大きな商店や電器量販店にはどこ
も中国人や中国語のできる店員を置いている。それは中国人や中国系の人たちが日本でどんどん買い物
をして日本の観光収入の多くを担っているからであり、多くの商店が中国人客の気を惹くことに躍起に
なっている。それとは対照的に、書籍やコンサートなどの文化事業に携わる中国人が非常に少ない。こ
うした状況についてはいろいろと考えるところがあった。
午後は全日空機体メンテナスセンターを見学した。これが最後の企業訪問になる。訪日団が利用する
飛行機は往復とも全日空ということもあり、全日空の優れたサービスはすでに身をもって体験している
ので、この見学を楽しみにしていた。メンテナンスセンターのサービスは素晴らしかった。自然な親切
さが印象的で、たくさんの記念品をもらった。
まず企業文化と沿革、メンテナンスセンターについての紹介があり、次に工場を見学した。メンテナ
ンス工場は、本来ならば、これまで見学した他の工場と同じように撮影禁止だが、写真を撮りたいとい
う私たちの気持ちを理解してくれて、公開しないことと商業的目的に使用しないことを条件に、個人的
な記念撮影を許可してくれた。こうした配慮と私たちを信頼してくれたことが嬉しかった。ANAの企業
理念や特色が一段と理解できたような気がした。
これですべての企業見学が終わり、大部分の日程が終了した。今回さまざまな経験をしていろいろと
考えさせられた。各企業を訪問してそうした気持ちがより強くなった。
夜の歓送会は最も避けたいプログラムだった。なぜなら歓送会は別れを意味するから。体験したこと
のすべてがこの国を離れがたいものにしていた。
歓送会ではこの10日間に知り合った人たちとまた会うことができた。例えばキューピーの小林さん、
日中経済協会の中島さん、早稲田大学の学生たち、そして私が一番会いたかったホストファミリーの平
井さん。こういう別れの場面はとても苦手だ。気持ちをコントロールすることができない。1泊2日の触
れ合いがこんなにも強く心に残るとは‥‥。日本の人たちの健康と一日も早くまた会えますように。互
いの友情が永く続きますように。
歓送会では私たち対外経済貿易大学の学生は歌を歌った。真心のこもった曲に会場が沸いた。
私と日本の友人との
友情の花が
この土地に永遠に咲くなり‥‥
日付:6月1日(火)9日目
大学:対外経済貿易大学
氏名:時嘉邑
今日の午前中は都内見学とショッピングだった。東京タワーに上り、美しい東京のパノラマ(残念な
ことに、視界が悪く、富士山は見ることができなかった)を堪能した後、有名な秋葉原の電器街に行っ
て日本の電気製品やアニメ天国の状況を見学した。
午後のANAの見学はとても印象的だった。日本航空が経営危機に陥って以来、全日空は日本でナン
バーワンの航空会社となったが、これは全日空の一流の事業内容とサービスによるところが大きい。
ANAの機体メンテナンスセンターで一機の飛行機が無事に飛ぶためには、百人以上の人が手抜きのない
厳しい作業をしていることを知り驚いた。全日空が乗客に提供しているものは単なる安全だけではな
い。そこにより楽しいものをという考え方がある。その実践としてANAは機体表面にペイントを行って
– 61 –
いる。中で最も有名なのが「ポケモン」シリーズと「FLY! パンダ号」だ。巨大なピカチュウが飛行機の
垂直尾翼に描かれているのを見て、思わず乗りたいと思った。
ANAのこうした方法はとても賢いやり方だと思う。飛行機という移動宣伝手段を活用して親しみやす
い企業イメージを確立するとともに、日本という国のイメージ戦略も担っている。この機体ペイントは
日本のソフトパワーをさらに強いものにし、国としてのイメージ作りにも貢献している。中国もこうし
たことを日本に学んではどうかと思う。この「一挙多得」の方法を一度試してみてはどうだろうか。
夕刻、宿舎であるニューオータニに戻り、中国日本商会、日中経済協会、貿易研修センターが訪日団
のために開いてくれた歓送会に出席した。歓送会の会場で王珺さんと再会した。
王さんは日本の大学院の留学の手引きというおみやげを持って来てくれた。ホームステイしたとき
に、将来日本に留学したいという夢を話したので、わざわざ資料を集めてくれたのだった。とても嬉し
かった。私も準備していた感謝の手紙を手渡した。自分の気持ちを表すために詩を作った。王さん一家
とはたった2日間生活を共にしただけだが、私の気持ちの中ではとっくに友だちになっていた。壇上に上
がってのスピーチでは、王さん一家が元気で幸せに暮らせることを祈った。
今日の感想:楽しかった!
ANAは乗客に楽しい空の旅を提供することを目指している。歓送会では楽しく語り合った。中日両国
の国民がずっと楽しく暮らしていければいいと思う。
日付:6月2日(水)10日目
大学:北京工業大学
氏名:董崢
もうすぐ日本を離れ、帰国の途につく。昨晩はガイドの呂さんからしっかり寝るように言われていた
が、いろんな気持ちが交錯してなかなか寝つかれなかった。窓の外を眺めていると、日本への思いが
次々に湧いてくる。別れはいつもこうだ。別れは美しく、人をセンチメンタルにする。
日本での最後の食事を済ませ、重い荷物を持って成田空港に着いた。おみやげを買ってNH955便に乗
りこみ、飛行機は6時に離陸した。窓外の慣れ親しんだ日本の町を見ていると、またあの離れがたい気持
ちが湧いてきた。農村の上を通過したときには東北大学の周りの絵のように美しい景色を、工場の上を
通過したときにはキューピー五霞工場の職員が手を振ってくれたことを思い出した。また高いビルの上
を通過したときにはみずほコーポレート銀行の人が丁寧に金融について説明してくれたことを、市街地
の上を通過したときには私につきあって街をブラついてくれたリュックを背負った山内さんの姿が思い
出された。今回の訪日では数多くの思い出とともにいろいろなことを教えてもらった。日本企業が内包
する企業文化は世界中の人々を惹きつけてやまない。日本の社員が懸命に仕事に励む姿は消費者に安心
感を与え、その良好な上下関係については中国の指導者も参考にしてほしいと思った。また日本の森林
カバー率の高さはどの国にとっても羨ましいことであり、日本人の環境意識の高さはすべての地域、世
界の隅々まで伝えていくべきものだと思う。そして日本人の謙虚で穏やかな態度や誠実さもすべての人
から尊敬されるべきものだと思った。わずか10日間の旅だったが、訪日団のほとんどの学生がこの美し
い国が好きになり、また日本に来たいと思っている。もちろん日本の人たちも是非中国に来てほしいと
思っている。そのときは日本人に負けないような心のこもったもてなしをして、本当の中国、美しい中
国を見せてあげたいと思う。
中国に帰ったら、今回日本で経験したすべてを家族や友だちに話して聞かせたいと思う。私がここで
見たこと、聞いたこと、そして感じた、偽りのない真の日本を伝えたいと思う。7月から渡航手続がさら
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に簡単になり、両国の往来も増えるということだが、中日関係がより緊密になることを願っている。中
国と日本がさまざまな分野でともに素晴らしい未来を創造していくことを確信している。これからも一
生懸命勉強し、日中間の絆としての役割を果たしていきたいと思う。より高い次元の中日友好に貢献が
できるように頑張りたい。
中日両国の友情の花がすべての中国人と日本人の心の扉を開いてくれますように‥‥。
日付:6月2日(水)10日目
大学:対外経済貿易大学
氏名:潘揚洋
今、36,000フィートの上空にいる。飛行機は日本を離れ、祖国に向かって飛んでいる。この10日間の
旅を振り返ると、まるで夢をみていたような気がしてくる。
本当にすばらしい夢のような時間だった。10日間、完全にいつもの生活から離れ、今まで知ってい
たすべてを置いて、見知らぬ国にやって来て、面識のなかった人たちと一緒に生活をともにした。朝早
くから夜遅くまで毎日のスケジュールはびっしりと組まれていたけれども、何の悩みもプレッシャーも
なく、気持ちはこれまで経験したこともないほどリラックスしていた。訪問した先々で温かい歓迎を受
け、どの夕食会でも心のこもったもてなしを受け、毎回の交流では質問に丁寧に答えてもらい、毎日
安心して主催者側が手配してくれたスケジュールを楽しみ、どの場面でもどの地方でも身に余るほどの
歓待を受け、日本人の友情と温かさを感じ、心の中はいつも感激と感動と名残惜しい気持ちで一杯だっ
た。「これは本当に普段着の日本人なのだろうか。日本に対して好印象を持たせるために、わざとこん
なに親切に友好的に見せているのではないか。中国の指導者が視察をするときのように、すべて準備さ
れたうわべだけ取り繕ったものであって、この背後に誰も知らない真実の日本があるのではないだろう
か」と、時々疑ってみたりすることもあった。しかし、この10日間日本で過ごし、日本人と接する中
で、とりわけ一般の家庭や日本の学生との交流を通してこれは真の友好であり、日本人の本当の優しさ
だということを知った。大多数の日本人には中国人への敵意や蔑視などというものはなく、あるのは誤
解から生まれる疑惑であって、多くの一般庶民はその人がどこの国の出身かで差別しているわけではな
いのだ。中国人であろうと、日本人であろうと、韓国人であろうと、みんなが真心と友好的心で話をし
さえすれば、誠意をもって接しさえすれば、いい友だちになれるのだ。どこの国や地域から来た人もみ
んな同じ人間であり、みんな善良で純真な心を持った人間だ。私たちはまず同じ人間であり、その後に
中国人、日本人というのがついてくるべきだと思う。人間性は国境を越え、種族を越え、歴史をも越え
る。今回の訪日で多くの日本人と接し、いろいろと考えるところがあった。自分が日本人の家に泊まる
なんて、これまで考えたこともなかった。日本の大学生と一緒に酒を飲み、言いたいことを遠慮なく言
い合うなんて、想像もしなかったことである。日本人と別れるときにこんなにつらい気持ちになるなん
て、今まで考えたこともなかった。でも、これらすべてが本当に起こったことなのだ。中国人である私
が多くの日本人と、人生のある時点で出会い、付き合い、互いに感動し、互いに別れを惜しんだ。みん
な同じように感じる、同じ人間なのだ。
昨日「人生のある時を一緒に過ごすことができてとても嬉しい」と歌ったように、日本行きのチャン
スをつかむことができて本当に幸せだと思った。21歳の年に一生忘れることのできない思い出をつくる
ことができた。帰りの荷づくりで困ったことが起こった。買い物をしたときのレシート、大判の封筒、
ポリ袋でさえも日本での思い出がありすぎて捨てられなかった。この大事な一分一秒の時間も無駄にし
ないために、毎日たくさんの写真を撮り、たくさんのビデオを撮り、たくさんの日記を書いた。この思
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い出を大事にし、この温かさと感動を永遠に記憶し、身近にいる一人一人とこの思い出と感動を分かち
合いたいと思う。私という一人の中国人が、日本でたくさんの人から親切にされたことを彼らに伝えた
いと思う。中国人でも日本人でも、善悪を判断する能力、親切な心と誠意さえあれば、私たちはいつま
でも友だちでいられるということを彼らに是非知ってほしいと思う。
10日間の夢はじきに覚め、現実の生活の待つ中国に戻る。私たちの祖国は日本と比べるとまだまだ
後れているが、自分たちの努力によって、中国人も日本人と同じように裕福で、自由で健康的な生活を
送ることができたらと思う。正直なところ、これまで日本に対してあまり良い感情を抱いていなかった
が、今はこの国とこの国の人々を心から尊敬している。歴史問題や領土問題によって政府間には時々軋
轢が生じるかもしれないが、一般庶民の間には恨みはないし、人間性こそが全てに勝ると信じている。
中日両国が永遠に平和で友好的に付き合っていくことを願っているが、もし、ある日意見の食い違いや
衝突が現実に起こったときは、私は揺るぎない戦争反対主義者として、平和を実現するために奔走し、
平和を訴えていこう。なぜなら祖国と私自身にこんなにもたくさんの素晴らしい思い出をくれた国と再
び誤解したり傷つけ合ったりするようなことは絶対見たくないから‥‥。
こんな心温まる夢を見させてくれてありがとう。私たちがずっと友だちだということは決して夢など
ではない。
日付:6月2日(水)10日目
大学:清華大学
氏名:陳叡
ついに最終日。明日の今頃は大学で授業を受けているはずだ。この10日間の生活を振り返ってみる
と、いろいろなことが思い出される。有名企業や工場を見学し、日本の大学を訪問し、大学生と交流
し、ホームステイもした。これらの活動を通して日本人の親切さを知った。
今回の日本訪問は見学というよりも、個人的には自分を再発見する旅だったと言える。滞在期間中、
日本人の生活習慣を知り、気力充実した日本人を感じ、そして大学訪問では日本の大学生の情熱と活力
を感じることができた。自分たちと日本の距離に気づいただけでなく、身近にいるクラスメートとの差
にも気づいた。代表団の他の団員は自分よりも明るく、社交的だった。学校で一番大事なことは成績だ
ということは認めたくはないが、潜在意識の中にそうした思いがあったことは否定できない。勉強さえ
できれば、他のことは短期的にはそれほど重要ではないと考えていた。しかし、今回の旅行によって自
分自身を分析するようになった。確かに、一定の範囲内では、成績はその人の実力を表す一つの手段に
なるが、ある一定レベルに達した後は、成績は一つの判定基準にすぎず、しかも非常に一面的な基準で
しかない。自分で気づき、創り出していくべきものがまだまだたくさんある。
だんだんと分かって来た。万巻の書を読み、万里の道を行くということの意味は、象牙の塔の中にい
る私たちが普段接しているのは、単に本に書かれた知識だけであり、本以外の広い世界が私たちの将来
にさらに大きな舞台を用意してくれているということだったのだ。人生には考えなければならないこと
がたくさんある。
– 64 –
学生たちの撮った写真
出発前の北京の壮行会での集合写真。団長を囲んで神妙な面持ちです。「走近日企・感受日本」の訪日に期待が
膨らみます
丸紅本社ロビーにて記念撮影。今回の最初の訪問企業だ
が電光パネルには両国の国旗と「熱烈歓迎」の言葉が中
国大学生を出迎え、緊張した面持ちが思わずほころぶ
アルプス電気古川工場
会社概要と製品の詳しい説明をいただく。大学の授業よ
りも熱心にノートを取る。世界の企業に部品を供給する
縁の下の力持ちとしての先端企業の実態に触れる
東芝メディカルシステムズ
東芝と言えば電化製品、電子製品と思っていた学生達は
東芝メディカルシステムズが世界に名だたる医療機器メ
ーカーと知って認識を新たにする
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キューピー五霞工場
食品工場だけあって工場入り口では製品群とマスコット
のお出迎え。しかし廃棄物ゼロ、卵の殻・膜まで有効利
用、高度の自動化、食品安全のための諸工夫、野菜工場
が学生達を驚かす
キヤノン取手事業所
複写機の主力工場。流れ作業によらないセルプロダクシ
ョン方式とマイスター制度により社員の積極性を引き出
す方式がが学生達の興味を引く
日中経済協会歓迎宴
日中経済協会職員は全員中国語堪能。3日間のタイトな
見学・交流日程を終えて東京に辿り着いた学生達はほっ
とした気分で母国語で懇親
みずほコーポレート銀行
午前中のレクチャー、見学を終えて昼の懇親パーティの
前に記念撮影。ディーリング業務と環境投資。銀行業務
の広範さに経済専攻、金融専攻の学生もびっくり
– 66 –
中国大使館
程永華大使からの心温まるお話。4度の日本勤務を通し
て感じられた日中友好を発展させていくことの大事さを
伺う
国会議事堂
今回初めて国会見学を実施。案内者より日本の議会制度
について詳しく説明を受ける。昼食は議員食堂でした
全日本空輸羽田機体メンテナンスセンター
近距離に整備中の旅客機を見学。機体のポケモンが親し
みを感じさせる。安全運行の裏にある地道な安全維持の
努力に感じ入る
歓送会
各大学の学生が壇に上がって今回の訪日の感想を発表。
各大学制限時間を超えたそれぞれの熱情が参加者に伝わ
って来た
– 67 –
学生交流
東北大学階段教室
100年以上前に魯迅が学んだ階段教室で記念撮影。前の
壁には魯迅と藤野先生の写真が飾られていました。日中
友好の歴史に思いを馳せるひと時です
東北大学交流風景
東北大学邦楽部の学生による琴と三味線の演奏。このあ
と懇親パーティで日中の学生が熱心に交流
早稲田大学大隈講堂
大隈講堂の前で記念撮影。128年の歴史を感じながらの
見学です。学生ボランティアガイドによるキャンパスツ
アーの始まりです
早稲田大学での交流風景
白木ゼミナールの学生とのグループ討議。討議のあとは
懇親パーティが予定されています。日中の学生が一体と
なって交流です
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ホームステイ風景と日本点描
ホストファミリーが同じ会社なので浅草までは一緒
に。連日の正装のあとに今日はカジュアルな服装で
楽しい夕餉の席。美味しそうな手作りの料理を前に
思わずゴクリ
ホストファミリーのお父さんと一緒に。愛犬も一緒
にパチリ
お母さんと子供達と一緒に。大きな身体を少し屈め
ないとフレームに入りません
日中経済協会を出発前に。子供達が作ったウェルカ
ムボードが可愛らしいです
古川に向かう新幹線やまびこの車中中国にも新幹線
はあるが1964年からの先輩はさすがに一味違います
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日本点描
仙台市博物館の庭園で魯迅像とともに。魯迅像は東
北大学の中にもありました
日光東照宮の前で。雨の中の杉並
木が一帯の森厳さを際立たせます
鬼怒川温泉で浴衣に着替えて会席料理をいただく。
食事のあとは各大学の出し物で盛り上がりました
夕方からのお台場は若者のメッカです。レインボー
ブリッジと自由の女神像をバックに記念撮影
日頃勉強に勤しむ学生達もディズニー
では童年に返ります。シンデレラ城を
バックに1枚
皇居の二重橋前で記念撮影。ここでは皆真面目な面
持ちです。後ろの堀のスワンが綺麗でした
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