見知らぬ観客12

「サイト・アンド・サウンド」誌(英国映画協会発行)が10年ごとに選出する「最も偉大な映画ベスト50」が発表された。世界各国846人の映画批
評家・研究者等が投票してオールタイムのベスト作品を選出するというイベントで、1952年に始まったというから半世紀以上に渡る歴史だ。
第1回にベスト1に選ばれたのはイタリアン・ネオ・レアリズモの傑作「自転車泥棒」(48年ヴィットリオ・デ・シーカ)。その後、オーソン・
ウェルズの「市民ケーン」(41年)が長らく首位の座を保持していたようだ。ところが、今回思わぬ番狂わせが起きた。「市民ケーン」が2位に退
き、アルフレッド・ヒッチコックの「めまい」(58年)がトップに躍り出たのだ。「めまい」は本欄第1回に紹
介した私の大好きな作品なので、ご記憶の向きもあるだろう。また、途中から世界の有名監督が選出する部門
を設け、つくり手から見た秀作を選んでいる。その監督選出部門(世界の映画監督358人が投票)で1位と
なったのが小津安二郎の「東京物語」(53年、写真上)だというから、ますますご同慶の至りである。しかも、
批評家選出のほうで3位に輝いたのも「東京物語」である。日本映画の三大巨匠(小津、溝口健二、黒澤明)
の中で、欧米で最後に評価されたのが小津だったことを考えると感慨深いものがある。溝口、黒澤作品は同時
代的に欧州の国際映画祭に出品され連続受賞して有名となった。ところが、小津作品は出品されなかったから
当然受賞もしなかった。小津映画は市井の人びとの日常を淡々とスケッチするだけで事件性もなければアク
ションもない。きわめて日本的な人生観のうえに独特の美学で構成された小津映画は、うわべだけ見ていると退屈かもしれない。つまり、外国人
などには到底わからない、われわれ日本人以外にわかってたまるかという、欧米に対する日本文化の特権意識、いわば劣等感の裏返しとしての逆
差別が、小津作品を国際映画祭に出品せしめなかった理由のひとつではないか。欧米もまた、極東の小国、敗戦国の映画に期待したのは紛れもな
い異国情緒(エキゾチシズム)であった。溝口や黒澤の時代劇が物珍しかったのである。しかし、そのうちに、ようやく日本文化の真価が欧米で
も理解されるようになったのだろう。「東京物語」は、東京に住む長男(山村聡)一家と長女(杉村春子)らを尾道から訪ねて来た老夫婦(笠智
衆と東山千恵子)が、かれらに歓迎されないまま数日の東京旅行を終えて失意のうちに自宅に帰るという物語の普遍性を世界が認めたのである。
老夫婦には戦争から帰らぬ次男がいて、その嫁(原節子)は再婚もせずに東京でひとり暮らしをしており、彼女だけが上京した老夫婦の世話を親
身にしてくれるという皮肉がリアルだった。戦争の傷跡という時代背景を巧みに織り込みながら、すでに核家族、老人問題といった現代的なテー
マを先取りしているところが今見ても新鮮である。
第4位はジャン・ルノワールの「ゲームの規則」(39年、写真中)である。印象派の巨匠画家を父に持つジャンは戦前戦後を通じてフランス映画界
をリードし、そのみずみずしい映画的感性は今も多くの若手映画人に影響を与えている。この映画は、つとに傑作として知られていたが、わが国
では輸入の機会を逃し続け、82年になってようやく本邦初公開された。主演は監督の実兄にして画家の長男であるピエール・ルノワール(フラン
ス劇壇の名優)。5位は戦前ドイツ映画の巨匠F・W・ムルナウの渡米第一作「サンライズ」(27年、サイレント)。ムルナウといえばドイツ表現主
義映画の代表選手みたいな人だが、その卓越した映像感覚がハリウッドのプロデューサーに認められ新天地に招かれながら、31年に若くして交通
事故で客死している。6位は映画というものの表現の可能性を極限にまで追求したスタンリー・キューブリック
畢生の大作「2001年宇宙の旅」(68年)。とても半世紀近く前に作られたとは思えない特撮の完成度に驚きを禁じ
得ない希有の傑作である。監督選出部門でも堂々の2位となった。7位は姪っ子をインディアンにさらわれた男
(ジョン・ウェイン)が自力で救出に行くというジョン・フォード西部劇の名作「捜索者」(56年)。日本では
フォードといえば「駅馬車」(39年)という人が大方だろうが、アメリカ国内では「捜索者」が最高傑作という点
で一致している。アメリカでは既にこの時代から拉致問題があったのか、と考えさせられる。8位はジガ・ヴェ
ルトフのドキュメンタリー映画「これがロシアだ」(29年)。原題の「カメラを持った男」としても知られる名作
だ。私は断片的にしか見ていないが、当時のソ連映画の実験映画的な新しさ、躍動感が画面から感じ取れる。9
位はデンマークの巨匠カール・ドライエルがクローズアップを多用して苦悩するジャンヌ・ダルクの表情を細部
までとらえた迫真の裁判劇「裁かるゝジャンヌ」(27年)。私は学生時代に京都会館の別館で見て、あまりの迫力に圧倒され、終わってからもしば
し茫然とした。この2本はともにサイレント映画である。10位は私のお気に入りでもあるフェデリコ・フェリーニの最高傑作「81/2」(63年、
ハッカニブンノイチと読む)。ずいぶん奇をてらった題名だが、フェリーニが監督デビューして9本目の長編映画になるようだが、処女作は共同監
督だったので半分と数えて、81/2本目の長編映画という意味。スランプに悩む映画監督(マルチェロ・マストロヤンニ)がようやく立ち直って映
画の撮影を開始しようとする終幕に、監督が妻(アヌーク・エイメ)にささやく映画史上の名台詞「人生は祭りだ、ともに生きよう!」は私の大
好きな言葉でもある。そうして、出演者全員が登場し、ニーノ・ロータの陽気な音楽に合わせて円になって回るエンディングは圧巻であった。因
みに監督選出部門では4位だった。
ところで、50位以内に入選した邦画は他に「晩春」(49年小津)、「七人の侍」(54年黒澤)、「羅生門」(50年同)、「雨月物語」(53年溝口、写
真下)の4本である。「晩春」は「東京物語」と並び称される小津の最高峰のひとつ。男やもめの老父(笠智衆)が行かず後家となっている娘(原
節子)の縁談に気をもみ、何とか嫁がせようと四苦八苦した末に、ようやく縁談がまとまって嫁にやる、まさしくその前夜の虚脱した父親の寂寥
をみごとに描出した。「七人の侍」はかつては海外で最も評価の高い邦画だったが、最近は不思議にも国内での評価が高まっている。日本映画の
全盛期には国内では小津が高く評価され、黒澤はたかが娯楽映画だと軽視された。人生哲学的な「生きる」(52年)が黒澤の最高傑作とされた時代
もあったが、今では「七人の侍」の普遍的なおもしろさを第一とする意見が圧倒的だ。私も若い頃は生意気に「生きる」がいいと思ったことがあ
り、その後、個人的に大好きな「天国と地獄」(63年)や娯楽映画の傑作「用心棒」(61年)がおもしろいと思ったが、改めてよく考えてみると、
総合的に「七人の侍」が一等優れていることに間違いはないと感じるようになった。馬の群れが疾走する場面などは、時代劇というより、黒澤が
敬愛したというジョン・フォード西部劇を想起させる。戦闘場面も従来のチャンバラ映画のように見得を切って様式的に立ち回るのでなく、死に
ものぐるいで刀を振り回すなどの殺陣が斬新だった。一方、「羅生門」はご存じ芥川龍之介の短編集の名を冠した名作だが、その中の「藪の中」
という短編が原作である。都の高貴な夫婦連れが森の中で盗賊(三船敏郎)に襲われ、夫(森雅之)は殺されて妻(京マチ子)は暴行される。賊
は捕縛されるが、裁きの場における賊、妻、霊媒によって降臨する夫の三者の証言が微妙に違うという筋立てだ。すなわち真相は藪の中というわ
けで、自分に都合のよいことしか証言しない利己の固まりとしての人間の本性を暴いて見せた。日本映画が戦後初めて国際的な評価(ヴェネチア
映画祭金獅子賞)を受けた記念碑的作品であり、敗戦に打ちひしがれた日本人を勇気づけた。のちに、硬派のマーチン・リット監督がポール・
ニューマン主演でリメイク(「暴行」64年)している。溝口の「雨月物語」は怪異・幽玄の幻想性が欧米人のこころを捉えたのだろう。琵琶湖で
ロケされた名作の一つで、「羅生門」と同じ宮川一夫の流麗なカメラワークに注目したい。この映画もヴェネチア映画祭に出品され銀獅子賞を獲
得している。
黄金期の映画は娯楽性と芸術性が1本の作品の中に併存していた。ここで紹介した映画の多くもそうである。いずれも映画の教科書に載るよう
な第一級の作品ばかりだ。機会があればぜひご覧いただきたい。(2012.12.1)