1 第一章 現代社会と日常的な美の経験

第 一 章 現 代 社 会 と日 常 的 な美 の経 験 ....................................................................................................... 2
Ⅰ−1 日 常 生 活 において経 験 される美 ................................................................................................... 2
∼ファッションにおける美 の経 験 ∼ ........................................................................................................ 3
∼町 並 みにおける美 の経 験 ∼ .............................................................................................................. 6
Ⅰ−2 「至 高 の美 」の経 験 ...................................................................................................................... 10
∼ファッションにおける問 題 点 ∼ .......................................................................................................... 11
∼町 並 みにおける問 題 点 ∼ ................................................................................................................ 15
※補 足 ・・・メディア化 された風 景 ......................................................................................................... 19
第 二 章 美 の本 質 について .......................................................................................................................... 22
2−1 美 の概 念 ........................................................................................................................................ 23
2−2 美 と視 覚 ......................................................................................................................................... 27
2−3 自 然 の美 ........................................................................................................................................ 29
それぞれの庭 園 における特 徴 ............................................................................................................. 35
2−4 芸 術 ................................................................................................................................................ 37
第 三 章 美 の実 践 としての生 活 文 化 .......................................................................................................... 45
3−1 複 製 (大 量 生 産 )と芸 術 (固 有 性 ) ............................................................................................... 45
固 有 性 について .................................................................................................................................... 48
3−2 生 活 と芸 術 :魯 山 人 とモリス ......................................................................................................... 49
北 大 路 魯 山 人 .................................................................................................................................... 50
ウィリアム・モリス .................................................................................................................................. 52
終 わりに
∼美 しい生 活 のために∼ .......................................................................................................... 56
感 謝 の言 葉 ........................................................................................................................................... 56
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第一章 現代社会と日常的な美の経験
Ⅰ−1 日 常 生 活 において経 験 される美
ファッション・メイク・インテリア・都 市 の景 観 ・建 造 物 ・工 業 製 品 ・メディアなど、今 の私
たちの日 常 生 活 を取 り巻 くものの多 くは、機 能 性 のみならず、同 時 に美 しさをも併 せ持 っ
ていなくては人 々の意 識 や記 憶 に残 るものとして成 り立 たない状 況 にある。
それらの中 で最 も分 かりやすい事 例 として、広 告 があげられる。
今 、町 の至 る所 に広 告 は溢 れ返 っており、それを自 らが意 識 して見 た広 告 であっても、
無 意 識 のうちに目 にしていた広 告 だったとしても、広 告 を一 度 たりとも目 にしないという日
は無 いと言 える。広 告 代 理 店 などでは、人 々の注 意 をひきつける、より効 果 的 な広 告 を
打 ち出 すための斬 新 なデザイン・媒 体 ・技 法 などのアイデアを次 々に考 案 し続 けている。
そんな中 、永 遠 に変 わる事 のない定 義 は、美 しいものは人 を惹 きつけると力 を持 つ、
と言 う事 である。
テレビコマーシャルにおいては美 しい映 像 といったものよりは、ユーモラスなものが話 題 に
なり、好 まれる傾 向 が見 られるが、紙 媒 体 の広 告 においては、一 番 宣 伝 したい事 柄 につ
いて、より効 果 的 に消 費 者 に伝 わっているかということだけでなく、誰 が見 ても美 しいと思
う写 真 やイラストを駆 使 して作 られたもの、つまり機 能 面 と美 しさの二 つが備 わっている
ものに人 々の関 心 は集 まるのである。
この事 は読 売 広 告 大 賞 で賞 を受 賞 した作 品 を見 ていただければ一 目 瞭 然 であろう。
読売広告大賞
第20回受賞作品
金賞
テ ィ フ ァ ニ ー ・ア ン ド ・カ ン パ ニ ー ・
ジ ャ パ ン ・イ ン ク
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また、美 しさを求 めるのは、ものだけに留 まらず、自 らの身 体 においても美 しさを追 い
求 め続 けている人 は少 なくない。今 アメリカや韓 国 では、美 容 整 形 手 術 を受 けるという事
がかなり日 常 的 なものになっていて、それはまるでご飯 を食 べるのと同 じような感 覚 であ
るという。
日 本 でも従 来 のメスのいる手 術 や、化 学 薬 品 を使 ったピーリングなどをせずに安 価 で
短 時 間 でできるプチ整 形 が今 、大 変 な人 気 を博 している。
これらの美 容 整 形 手 術 を受 ける理 由 として、異 性 から良 く見 られたい・テレビに出 ている
タレントに憧 れて、といった理 由 の他 に、就 職 活 動 において有 利 になるからという理 由 で
手 術 を受 ける人 も少 なくないという。この事 から、特 に近 年 において美 しいという事 が社
会 的 にも利 得 であるという風 潮 が蔓 延 しているという事 実 が露 呈 されている。
人 々は美 しさに対 して非 常 に敏 感 になり、美 に関 する事 に対 しては高 いコストも厭 わない。
そして今 後 も、人 々の美 に対 する意 識 はさらに貪 欲 になっていく事 であろう。
今 の私 たちの生 活 において、美 しいという事 は、決 してかけ離 す事 のできないものなの
である。
私 たちは、生 活 を取 り巻 く様 々な場 面 において美 と触 れ合 う機 会 がある。美 と触 れ合
う事 によって心 が豊 かになり、より生 活 を豊 かに感 じるができる。美 とは、私 たちにとって
かけ離 す事 の出 来 ない非 常 に重 要 な生 活 の要 素 となっているのである。
では普 通 の生 活 の中 で出 会 う美 とは、一 体 どういったものがあるのだろうか。
その中 の一 つとしてファッションが挙 げられる。
∼ファッションにおける美 の経 験 ∼
渋 谷 や新 宿 などの繁 華 街 を歩 いていると、実 に様 々なファッションに身 を包 んだ人 が
いることに気 づかされる。特 に昨 今 では、一 口 にファッションといっても、モードファッション
(上 質 な素 材 によるデザイン性 が強 いファッション)、カジュアルファッション(普 段 着 、着
ていて楽 であるファッション。モードファッションの対 儀 語 )、ロリータファッション(フリルや
レースをふんだんに使 用 した、やや過 剰 な装 飾 を特 徴 とする少 女 趣 味 なファッション)等
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その他 にも非 常 に様 々なジャンルのファッションが存 在 する。
特 に日 本 においては個 性 が叫 ばれ始 めてきた80年 代 以 降 から、今 までにない、新 た
なファッションがたくさん生 まれてきた。
数 あるファッションの中 から各 人 は、自 分 の個 性 や美 意 識 にあったファッションを選 び出
し、それぞれが思 い思 いのファッションを楽 しんでいる。
この様 に「ファッションにおける美 」に対 する価 値 観 は人 によって異 なるものではあるが、
「ファッションにおける美 の経 験 」はほとんどの人 が持 っている事 であろう。
例 えば、私 にはこの様 な経 験 がある。ショッピングをしに町 へ出 て、何 か洋 服 を買 おう
と思 い、初 めて入 るお店 に入 ってみる事 にした。すると淡 いブルーのカーディガンを羽 織
った一 人 の女 性 店 員 がすぐさま私 の視 界 に入 ってきた。彼 女 にはそれがとても良 く似 合
っていて、全 体 的 なコーディネートも彼 女 の雰 囲 気 にとてもよく合 っていた。私 は何 度 も
目 で追 ってしまうほどそのファッションが気 に入 ってしまった。
そして、迷 うことなく彼 女 が着 ていたものと同 じカーディガンを購 入 してしまったのだ。
もともと、青 いカーディガンが欲 しくて探 していたというわけではなく、むしろ普 段 白 や黒
などのベーシックな色 を好 んで着 る私 とっては、お店 で見 かけても目 を見 向 けもしないよ
うな服 であるはずなのに、この時 の店 員 があまりにも私 の目 に素 敵 に写 り、どうしても彼
女 のように着 こなしてみたいと思 ったのである。
そしてこの服 を着 ている時 は、自 分 があの店 員 を見 た時 に感 じたように、周 囲 の人 も
私 を見 た時 に素 敵 だと感 じてくれている様 な気 分 になれて、しばらくの間 このカーディガ
ンは私 のお気 に入 りの一 枚 となった。
この様 な経 験 はそう頻 繁 にあるものではないが、誰 かのファッションにおいて美 しさを
感 じ、それを模 倣 したという経 験 をした事 があるという人 は少 なくないはずである。
分 かりやすいところで言 うと、テレビに出 ている有 名 人 等 のファッションを美 しいと感 じ、
その人 がしていたファッションを真 似 るという行 為 だ。
この様 な行 為 が社 会 現 象 までになるものもある。記 憶 に新 しいものに、1996 年 に歌
手 の安 室 奈 美 恵 のロングヘアーの茶 髪 に 超 ミニスカートに厚 底 ブーツ(靴 の底 部 分 が
10 c m 以 上 あ る ブ ー ツ ) と い う フ ァ ッ シ ョ ン を 真 似 す る 女 性 が 女 子 高 生 を 中 心 に 激 増 し
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た。
そして誰 が言 い始 めたかは定 かではないが、このような女 性 たちは「アムラー」と呼 ばれ
た。「アムラー」は、同 年 の流 行 語 大 賞 のトップ 10 に入 るほど社 会 をにぎわせる、一 つの
突 発 的 な社 会 現 象 となった。
安室 奈美恵
http://www.avexnet.or.jp
厚底ブーツ
また、ファッション雑 誌 などに載 っているファッションを模 倣 するという事 も、これと同 様
である。ファッション雑 誌 は、例 えば 8 月 に刊 行 されるものでも、すでに 9 月 号 であり、実
際 の季 節 は夏 であるのにも関 わらず、すでに秋 号 が刊 行 されているのである。
つまり、実 際 の季 節 よりもワンシーズン程 度 先 に進 んだファッションが掲 載 されている。
そういったメディアから次 の流 行 を先 取 りするという行 為 は、私 たちにとっては、すでに当
たり前 の行 為 となっているのである。
人 のファッションを模 倣 するという行 為 は、特 に日 本 人 によく見 られる傾 向 であり、私 たち
の間 では日 常 的 に行 われている。そのため、企 業 などによる作 られた流 行 に踊 らされて
しまうという問 題 点 もしばしば見 られる。
また、今 一 番 人 気 のある有 名 人 のファッションを追 っていたら、結 局 みんなと同 じファッシ
ョンになってしまっていたという事 も多 く見 られる現 象 であり、模 倣 という行 為 はあまり良
い傾 向 とは言 えないかもしれない。
しかし、自 分 が美 しいと感 じたお気 に入 りのファッションに身 を包 むというという事 によ
り、そのファッションのお手 本 にした人 の様 に、素 敵 な自 分 になれるような錯 覚 を起 こし、
心 が躍 動 し、自 然 と自 分 自 身 に対 して自 信 が沸 いてくるという効 能 も見 られるのだ。
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私 たちにとってファッションとは、自 分 の内 面 を表 現 する一 つの手 段 として捉 える事 もで
きるのであり、ファッションを通 じて自 己 表 現 や、自 己 像 をメッセージとして発 信 している
のである。
この場 合 、誰 かにとってそのファッションを褒 められるということは、その人 のアイデンテ
ィティーが認 められたという事 と同 じ意 味 合 いを持 つくらいに重 要 な事 なのであり、例 え
ばそれが模 倣 したファッションだとしても、それがその人 をより魅 力 的 に見 せる事 ができ、
アイデンティティーを失 わせる事 がなければ、それは美 しいファッションであると私 は考 え
る。
∼町 並 みにおける美 の経 験 ∼
この論 文 を書 くに際 して、美 しい町 並 みにおける美 の経 験 について考 えている時 に、
実 はなかなか思 い浮 かんで来 なかった。そこで私 は今 まで町 並 みに関 して何 と無 関 心 で
あったのかという事 を思 い知 らされた。確 かに、今 まで私 はどこかへ出 かけるとしても、美
しい町 並 みを見 るという事 を目 的 にしてどこかへ出 掛 けるという事 がなかったし、世 間 で
美 しいと言 われている町 並 みを見 ても、そこまで感 動 した事 もなかったのである。
しかし、そのような経 験 の中 からも、美 しいと感 じた町 並 みをあげるならば、岡 山 県 の
倉 敷 市 である。
ここは、中 学 1年 生 の時 に家 族 旅 行 で訪 れて以 来 、もう一 度 訪 れたいとずっと思 いなが
らも、なかなかその機 会 に恵 まれずにいる場 所 である。
倉 敷 の町 並 みのどの様 な点 に美 を感 じたのかと言 えば、白 壁 の蔵 屋 敷 に川 辺 の柳 並
木 が映 える風 景 が、まるで時 代 劇 の中 に入 ってしまった様 な気 分 にさせられ、幼 心 なり
に心 を揺 さぶられたものであった。
倉 敷 市 内 でも特 に、倉 敷 の歴 史 の原 点 であり、町 並 みはほぼ江 戸 時 代 と変 わらない
遺 構 を今 日 に伝 える風 情 のある地 域 、倉 敷 川 畔 特 別 美 観 地 区 の周 辺 は、文 化 庁 から
伝 統 的 建 造 物 群 保 存 地 区 の選 定 を受 けているほど美 しいエリアである。
この美 観 地 区 は、川 面 に柳 の枝 を映 す倉 敷 川 のほとりに白 壁 の蔵 屋 敷 が続 く、古 い町
並 みであり、美 しい町 並 みを象 徴 する倉 敷 のメインストリートである。この美 しい町 並 みを
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見 ようと、年 間 350万 人 以 上 の観 光 客 が訪 れるほど、倉 敷 の町 並 みの美 しさは有 名 な
ものである。
そもそも倉 敷 は、江 戸 時 代 に幕 府 の直 轄 地 であり、年 貢 米 を収 める米 蔵 や商 屋 が立
ち並 んでいた。また、物 資 を運 ぶ多 くの船 が往 来 し、備 中 地 方 の物 資 が集 荷 ・搬 出 され
る商 業 の中 心 地 として栄 えた町 である。しかし、慶 応 4年 に代 官 所 が廃 止 され、明 治 24
年 以 降 は鉄 道 が開 通 したため、商 業 の中 心 地 が駅 前 へと移 り、一 時 ほどのにぎわいは
なくなった。
そのような状 況 の中 で、倉 敷 はもとより、関 西 の経 済 界 に大 きな足 跡 を残 した実 力 者 が
登 場 し、商 人 の町 で知 られた倉 敷 は新 たな経 済 の時 代 を迎 えた。その一 族 は、経 済 活
動 と共 に社 会 事 業 にも尽 力 し、倉 敷 の文 化 の発 展 に大 いに貢 献 した。彼 らの発 案 で倉
敷 川 畔 にも洋 風 建 築 のモダンな美 術 館 や建 物 が建 てられたが、それがまた周 辺 の江 戸
期 以 来 の建 物 や自 然 環 境 などと溶 け合 って、独 特 なムードを作 りだした。
そして彼 ら一 族 の中 に、町 並 み保 存 の重 要 性 に着 目 した人 物 がおり、「倉 敷 をドイツの
歴 史 的 都 市 ローテンブルクのようにしたい」との考 えを抱 いたが、戦 争 を目 前 にして実 行
に移 すことはできなかった。しかし、この思 想 は後 の文 化 人 に多 大 な影 響 を与 え、建 築
や民 芸 といった立 場 での戦 後 の保 存 活 動 へとつながっていった。昭 和 30年 代 後 半 、こ
れら有 志 による先 覚 者 主 導 型 の活 動 は、行 政 ・住 民 主 体 の取 り組 みへと移 行 していっ
た。昭 和 44年 には保 存 計 画 が告 示 され、先 に述 べた、「倉 敷 川 畔 特 別 美 観 地 区 」が指
定 された。さらに昭 和 54年 に「重 要 伝 統 的 建 造 物 群 保 存 地 区 」(13.5ha その後 平 成
10年 に15ha に拡 大 )として国 の選 定 を受 けるまでになった。
又 、平 成 2年 には全 国 にさきがけ背 景 保 全 条 例 を制 定 するなど、積 極 的 な対 策 が講 じ
られている。400年 近 くの歴 史 をもつ町 並 み。天 災 に見 舞 われることも少 なく、戦 災 にも
遭 うことなく今 日 を迎 えた。しかし、それだけではよりよい保 存 は望 めなかったにちがいな
い。
今 日 に至 るまでには、町 並 みの文 化 的 な価 値 に目 を向 けた先 覚 者 たちの多 大 な尽 力 と、
地 域 住 民 の町 を愛 する気 持 があったからであろう。
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www.netnice.jp/ newpage6.htm
この倉 敷 のように、日 本 独 自 の古 き美 しき伝 統 文 化 を大 切 に守 り続 ける町 並 みがあ
る一 方 で、 従 来 の 日 本 の伝 統 などは まっ たく 取 り入 れずに、 手 塚 治 虫 が描 いた漫 画 、
「鉄 腕 アトム」の舞 台 となっている様 な、未 来 の社 会 をイメージして作 られた、まったく新 し
い美 しさを持 つ町 並 みもある。
その様 な町 並 みの代 表 的 なものとして、臨 海 副 都 心 や幕 張 などといった湾 岸 都 市 が挙
げられる。特 に臨 海 副 都 心 の港 区 お台 場 は、90年 代 に入 り新 交 通 網 の整 備 が進 み、9
3年 にはレインボーブリッジが開 通 、95年 には新 交 通 システム「ゆりかもめ」が開 業 し、
お台 場 公 園 一 帯 はホテルや住 宅 地 や商 店 舗 が軒 を連 ねている。また、大 手 放 送 局 のフ
ジテレビが移 入 してきたという事 や、人 気 ドラマシリーズの『踊 る大 走 査 線 』の舞 台 になっ
たという事 もあり、知 名 度 ・人 気 度 から見 ても他 の湾 岸 都 市 から一 歩 抜 きん出 た存 在 で
ある。
そもそもお台 場 とは、臨 海 副 都 心 計 画 に基 づき形 成 された海 上 都 市 である。1980年 代
から東 京 の第 7の副 都 心 として、職 ・住 ・遊 の均 衡 のとれた都 市 を目 指 すし計 画 されてき
た。敷 地 面 積 は448haで、その敷 地 内 には国 際 展 示 場 や最 新 通 信 機 能 を備 えるテレ
コムセンター、商 業 ビル、マンションなどが複 数 立 ち並 んでいる。
その景 観 は、東 京 都 港 湾 局 による「臨 海 副 都 心 まちづくり推 進 計 画 」で示 す計 画 内 容 に
適 合 した優 良 な開 発 を誘 導 し、良 好 な都 市 景 観 、都 市 環 境 の形 成 とその永 続 的 な担 保
を図 ることを目 的 としたまちづくりガイドラインに沿 って形 成 されている。
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私 が初 めてお台 場 に訪 れた時 、まるで子 供 の頃 に思 い描 いた未 来 都 市 のイメージが、
実 際 にひとつの都 市 として目 の前 に広 がっている様 に感 じた。観 覧 車 やフジテレビの社
屋 やテレコムセンターを始 めとする先 駆 的 なランドマークが非 常 に上 手 く生 かされた都 市
景 観 になっており、ひとつひとつの建 造 物 が近 未 来 的 デザインになっているので全 体 的
にも調 和 が取 れている。それでいて公 園 や緑 地 もしっかりと設 けてあるので、近 未 来 的
でありながら自 然 との共 生 を目 指 した都 市 であるといえる。
また、ゆとりのある土 地 活 用 をしてあり、災 害 時 などに十 分 にオープンスペースが確 保 で
きるように作 られており、安 全 面 に対 しても申 し分 のない都 市 である。歴 史 の重 みという
部 分 では引 けを取 ってしまうことは否 めないが、私 はお台 場 が新 しい形 の都 市 の景 観 と
しては十 分 に美 しいものであると感 じる。
倉 敷 のような古 くからの伝 統 が今 に残 る町 並 みと、お台 場 のように従 来 の伝 統 に臆 す
る事 無 くまったく新 しい形 で築 きあげられた町 並 みは、個 人 によって好 き嫌 いはあるかも
しれないが、私 にとってはどちらも非 常 に美 しいと感 じられる町 並 みである。
倉 敷 の町 並 みからは、歴 史 の趣 を感 じられ、懐 かしい気 持 ちに癒 される。一 方 のお台 場
の近 未 来 的 な町 並 みは、どこを見 渡 しても目 新 しく、何 かワクワクしてくるような気 持 ちに
なれる。
この様 に、そのスタイルはまったく違 っても、倉 敷 もお台 場 も私 にとっては、「ずっとこの町
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並 み中 を歩 いていたい」と思 わせるような、美 しい町 並 みなのである。
Ⅰ−2 「至 高 の美 」の経 験
Ⅰ−1では、私 自 身 が日 常 の生 活 の中 で経 験 し、感 じた美 の2つのケースについて述
べた。これらの事 例 はファッションに興 味 がない人 や倉 敷 やお台 場 が美 しいと思 わない
人 にとって共 感 できる事 例 ではないかも知 れない。
しかし、いま私 がここで言 いたい事 は、私 たちが日 々暮 らしている中 で経 験 される美 とい
うのは、人 によって多 少 の差 は出 てくるが生 活 のあらゆる場 面 において日 常 的 に経 験 さ
れるものであるということだ。たとえそれがどんなに些 細 な事 だったとしても。
そして、それらの美 というのは、学 術 的 な意 味 においての美 ではなく、生 活 を構 成 してい
る重 要 な要 素 の中 の一 つとしての美 であると考 える。
このように、私 たちは生 活 的 な経 験 における美 については、今 までの人 生 の中 である程
度 の経 験 をしてきた。
しかし、それが本 当 に美 しいかというと、そうではない。
先 にあげた、青 いカーディガンも、購 入 したシーズンには頻 繁 に着 用 していたが、翌 年
には、その年 の流 行 のお気 に入 りの服 ができてしまったので、青 いカーディガンを着 る機
会 はほとんどなかった。
また、倉 敷 やお台 場 にしても、何 らかの理 由 でお台 場 に行 けなかったとして、代 わりに横
浜 へ行 ったとしても、横 浜 も十 分 美 しい町 並 みであるので、満 足 する事 ができてしまう。
絶 対 にお台 場 の町 並 みでなくてはいけないという理 由 は何 一 つないのである。
この様 に、私 たちが生 活 の中 で具 体 的 に接 するものの多 くを、「本 当 に美 しいか」と考 え
た時 、その殆 どは、どこかうそっぽく見 え、その本 質 はうすっぺらな感 じがするものばかり
である。何 故 ならそれらは、絶 対 的 なものが少 なく、他 のものと変 換 可 能 なものばかりだ
からである。
ではなぜ、生 活 を構 成 している要 素 の中 の一 つとしての美 はうそっぽく見 えてしまうのだ
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ろうか。それは、なぜなら、この様 な美 は「至 高 の美 」ではないからである。
「至 高 の美 」とは、誰 が見 ても絶 対 的 に美 しいものであり、他 の何 かとは変 える事 ができ
ない唯 一 無 二 の美 しさである。つまり、何 があってもその美 しさが揺 るぐ事 のない、絶 対
的 な美 である。
美 と触 れ合 う機 会 が多 く、美 に対 して非 常 に敏 感 であるとされる生 活 を送 っているはず
の私 たちだが、本 当 に美 しい「至 高 の美 」を経 験 しているのだろうか。ざっと今 までの人
生 を振 り返 ってみても、決 してその経 験 は多 いとは言 えない。
では何 故 、「至 高 の美 」の経 験 が少 ないというような事 態 になってしまったのだろうか。
日 常 の中 で「至 高 の美 」を経 験 する事 が難 しくなってしまった事 には、必 ず何 らかの原
因 があるはずである。
この章 では、その原 因 となる問 題 点 はどんな事 なのかについて考 えていく。
∼ファッションにおける問 題 点 ∼
ファッションを考 えていく上 で、流 行 という言 葉 は切 っても切 り離 せない存 在 である。そ
もそも流 行 とは、大 辞 林 第 二 版 (三 省 堂 )によると、
「ある現 象 が、一 時 的 に世 間 に広 まること。特 に、ある型 の服 装 ・言 葉 あるいは思 想 ・行
動 様 式 などがもてはやされて、一 時 的 に広 く世 間 で用 い行 われること。はやり。」
である。しかし、一 時 的 な現 象 であるにも関 わらず、最 近 の風 潮 として、流 行 の洋 服 を
着 ている事 が「ファッショナブル」であり、御 洒 落 であるという様 な勘 違 いが蔓 延 してしまっ
ているように思 われる。
ファッションに対 して何 のポリシーもなく、ただ「流 行 っているもの=お洒 落 なもの」という
認 識 を捨 てきれないでいると、ファッションは、単 なる自 己 満 足 であり、またその時 代 、そ
の一 瞬 の間 だけの楽 しみにしか過 ぎないものになってしまうのだ。
「流 行 ものは廃 りもの」という、流 行 する物 事 は一 時 的 なもので、やがて飽 きられて長 続
きしないものである、ということを示 す言 葉 があるように、ファッションには流 行 があるとい
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う事 が、「至 高 の美 」を日 常 的 に感 じとる事 を困 難 にしている大 きな原 因 なのではないだ
ろうか。
以 上 のことから、流 行 とは一 体 何 かについて考 えていく必 要 がある。まずは、流 行 とは
一 体 どの様 にして世 間 に広 まっていくのかについて考 えていく。
流 行 を考 えるに当 たって、まず、ファッション自 体 を二 つのカテゴリーに分 けて考 えてみる。
一 つは巷 のファッション、つまり私 たちが普 段 着 て来 る様 な既 製 服 と、もう一 つはコレクシ
ョンなどで有 名 デザイナーによって発 表 される洋 服 である。
コレクションとは、広 義 には発 表 会 ・展 示 会 。狭 義 には、オート・クチュール(高 級 オー
ダーメイド服 )やプレタ・ポルテ(既 製 服 )のメーカーがシーズンに先 がけて発 表 する作 品
や発 表 会 のことで、代 表 的 なものにはパリ・コレクションやミラノ・コレクションなどがある。
もとは、パリのオート・クチュール・メゾンの作 品 発 表 会 (1月 と7月 に開 催 )に由 来 。
デザイナーが発 表 する作 品 自 体 をさすか、作 品 を揃 える意 をもつ。モード界 でいうコレク
ションは顧 客 によって大 きく二 つに大 別 される。
(1)パリのオート・クチュール・コレクションや、ミラノやローマのアルタ・モーダなどに代 表
される、特 定 の顧 客 を対 象 としたコレクション。
(2)世 界 のファッション都 市 で定 期 的 に開 催 されるプレタ・ポルテのコレクション。後 者 は
パリ、ミラノ、ロンドン、ニューヨーク、東 京 、マドリードなどで開 催 され、ファッション団 体 や
デザイナー・グループによって組 織 される。
(Mode21.com より抜 粋 )
一 部 の上 流 階 級 の人 やアパレル業 界 関 係 者 を除 いては、普 段 私 たちが洋 服 を買 お
うとした時 に、コレクションで発 表 されたものを意 識 して購 入 する洋 服 を選 択 する、という
事 は殆 ど無 い。むしろこういったコレクションがいつ行 われているのかさえ知 り得 ていない
場 合 が多 い。ファッションに関 して関 心 が無 い人 であれば尚 の事 である。
しかし、ルイ・ヴィトンやシャネルやクリスチャン・ディオールなどのいわゆる一 流 ブラン
ドと称 されるブランドのコレクションで発 表 されたものは、たちまち巷 のファッションにも大
きな影 響 を及 ぼす事 になるのである。例 えば、今 年 の秋 冬 シーズンのコレクションの中 で
多 くのブランドが毛 皮 を用 いていたとする。すると、秋 頃 には多 くの洋 服 店 の店 頭 に毛 皮
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を使 った商 品 が溢 れ返 るといった具 合 である。
この事 から、「私 は一 流 ブランドなんて興 味 がない」と思 っていたとしても、巷 のファッショ
ンの流 行 と一 流 ブランドのコレクションで発 表 されたものには実 は非 常 に密 接 な関 係 が
あるのだ。
この様 に、巷 のファッションの流 行 には、少 なからずコレクションで発 表 された作 品 の
傾 向 と関 係 してくるという事 は理 解 できただろう。
では、流 行 とは、コレクションで作 品 を発 表 するようなデザイナー達 が影 で操 っていると
いう事 になるのだろうか。
実 は、そういう事 ではなく、各 デザイナーはその時 代 の世 相 や雰 囲 気 を読 み取 り、今 の
人 々はどういったものを求 めているのかを考 える。そして自 分 なりに解 釈 したものを作 品
に表 現 しているだけなのである。
例 えば、2001年 9月 11日 に米 国 で起 きた同 時 多 発 テロの以 後 のコレクションには、
『リラックス感 』をトレンドのキーワードにした傾 向 がどんどん強 くなってきた。
やわらかい素 材 やデザイン、体 を無 理 に締 めつけないフェミニンな洋 服 に代 表 されるよう
な、リラックスウエアが主 流 を占 めているのだ。これは、世 界 中 がとてつもなく大 きなショッ
クを受 けた、実 に悲 惨 な事 件 の後 で人 々の凝 り固 まった心 を解 かしてくれるような『リラッ
クス』を感 じる事 のできるファッションを人 々は求 めるであろう事 をデザイナーが読 み取 っ
たからである。
このようにデザイナーは『時 代 の気 分 』をすくい上 げ、それをファッションにおいて芸 術
的 かつ実 用 的 なものとして、私 たちに今 までにないまったく新 しい形 で提 供 していかなく
てはならないのだ。
以 上 にあるようにデザイナーとは、『時 代 の気 分 』をすくい上 げたものを、新 しい形 とし
て表 現 していくわけであるが、もちろんファッションにおいて定 番 がないわけではない。
100年 近 く人 々に親 しまれ、愛 用 されてきたもののひとつにトレンチコートがある。
トレンチコートとは、防 水 素 材 製 の肩 章 つきダブル前 のベルトつきコートのことを言 う。
イギリスの バーバリー と アクアスキュータム という2つのブランドの製 品 がその元 祖 と言
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われている。そもそもトレンチコートは、第 一 次 世 界 大 戦 にアクアスキュータムが兵 士 の
為 に開 発 したもので、1951年 には123ものパターンを持 つ体 型 別 システムを開 発 し、
そのシステムをもとに製 作 された製 品 は今 も世 界 中 に輸 出 されている。
Burberry 社 製
トレンチコート
日 本 での流 行 のきっかけを作 ったのは、映 画 「カサブランカ(Casablanca 1942 年 )」
で当 時 の大 人 気 俳 優 、ハンフリー・ボガート Humphrey Bogart(1899∼1957)が、
アクアスキュータム社 製 のトレンチコートを着 用 していた事 からではあるが、映 画 が公 開
されてから50年 以 上 経 つが、今 もその人 気 が続 いており、その人 気 は衰 えること知 らな
い。
この事 から考 えると、トレンチコートが愛 され続 けている理 由 は当 時 の人 気 俳 優 が着
ていたからという理 由 だけではないことは一 目 瞭 然 であろう。
トレンチコートが定 番 のファッションになったように、すべてのデザイナーは人 々に長 く愛 さ
れ続 ける定 番 を作 りあげる事 を目 標 にし、常 に新 しいアイデアを提 供 している。
しかし、たくさんのデザイナーが定 番 になるような服 を作 ろうとして、アイデアを出 しすぎて
しまい、この世 に数 え切 れないほどの既 成 服 が生 まれてきてしまったのである。そしてフ
ァッションは一 大 産 業 になっていったのである。
こうして、ファッションにおける流 行 が生 まれ、次 々と新 しいものが出 来 ていった結 果 、
ファッションにおける「至 高 の美 」を感 じる事 が難 しい事 になっていってしまったのである。
今 回 、流 行 について色 々考 えてきたが、誰 かが意 図 的 に流 行 らそうとして仕 掛 ける、『作
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られた流 行 』というものも存 在 する。
これは企 業 が、人 気 のあるタレントや俳 優 などと契 約 し、マスコミに登 場 する時 などに、
流 行 らせたいものを常 に身 に付 けさせるなどといった方 法 である。
自 分 の好 きな芸 能 人 に少 しでも近 づきたいと思 っている人 ならば、挙 ってそういったも
のを追 いかけてしまう。これも一 つの流 行 であると言 えない事 はないかもしれないが、し
かし、これはあからさまに仕 掛 けがある流 行 であり、いわばやらせとも言 えるので、ここで
は流 行 の対 象 として扱 わない事 とする。
∼町 並 みにおける問 題 点 ∼
先 にも述 べているが、倉 敷 やお台 場 は確 かに美 しい町 並 みであると言 えるが、江 戸 時
代 の街 並 みを見 たいのであれば、島 根 県 の松 江 市 に行 っても見 られる。また、お台 場 の
ような近 未 来 都 市 を見 たいのであれば、幕 張 でも十 分 に満 足 できてしまうのである。
つまり、「そこの町 並 みじゃなければいけない」という何 かがなければ、その町 並 みは
「至 高 の美 」にはならないのである。
町 並 みにおける「至 高 の美 」の経 験 がある人 はそう多 くいないのは、ほとんどの町 並
みに「この町 並 みじゃなければいけない」と人 々に思 わせる要 素 がないからである。
この事 は特 に、自 らが住 む町 並 みにおいて言 えることである。
では、一 体 どんな事 が原 因 で人 々はこの様 に感 じるようになってしまったのだろうか。
今 私 たちは情 報 社 会 の中 で生 きている。情 報 社 会 とは、コンピュータによる迅 速 な情
報 処 理 と、多 様 な通 信 メディアによる広 範 な情 報 伝 達 によって、大 量 の情 報 が不 断 に生
産 、蓄 積 、伝 播 されている社 会 の事 を指 す。通 信 技 術 とコンピュータの飛 躍 的 な発 達 を
背 景 として、1960年 代 後 半 ころから日 常 的 に広 く用 いられるようになった。物 質 やエネ
ルギーの変 形 ・処 理 を主 要 な産 業 とする工 業 社 会 の後 に到 来 する社 会 という意 味 での
脱 工 業 社 会 とい う言 い 方 も ある 。つ まり、 情 報 操 作 によっ て付 加 価 値 を 生 産 する 産 業
(知 識 産 業 や情 報 産 業 )が主 流 となる社 会 である。
また、人 々の日 常 生 活 のなかで、情 報 に対 する要 求 が強 まり、情 報 メディアに接 触 す
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る時 間 量 が増 大 し、意 思 決 定 や適 応 行 動 にとって情 報 の重 要 性 がより大 きくなるなど、
一 般 的 に情 報 への依 存 度 がきわめて高 い社 会 のことである。
情 報 社 会 では、常 にものすごい数 の情 報 が私 たちを取 り巻 いている。これにはインター
ネットの急 激 な発 達 が一 役 買 っている。テレビや雑 誌 などは自 分 が必 要 な情 報 以 外 の
情 報 も一 方 的 に入 ってきてしまうのに対 し、インターネットは自 分 が欲 しい情 報 だけを知
ることができ、さらに情 報 を送 る側 と情 報 を受 ける側 の相 互 的 なやり取 りもできる非 常 に
便 利 で画 期 的 なツールであるからだ。
2003年 の国 内 のインターネット利 用 者 は 7,730 万 人 に上 った。これは人 口 普 及 率 の
60%を超 える。それほどに現 在 の私 たちの生 活 には情 報 の必 要 性 が高 まっているので
ある。
この様 な急 激 なメディアの発 達 の中 で、私 たちの「至 高 の美 」の経 験 は大 きく揺 るがさ
れている。
これはどういう事 かといえば、例 えばテレビなどで、自 分 がまだ訪 れたことのない場 所 の
美 しい町 並 みが放 送 されるという事 はよくある事 である。毎 日 のように知 らない町 並 みが
画 面 に映 し出 され、美 しいと思 う町 並 みもあれば、決 して美 しいとは言 えないような町 並
みもブラウン管 を通 じて見 ることができる。
この事 は非 常 に便 利 な事 ではあるのだが、自 分 が実 際 に美 しい町 並 みを見 るという経
験 をする前 に、メディアによる、情 報 としての美 の経 験 が先 行 してしまうという問 題 が起 き
てしまうのである。
美 の経 験 をメディアによって先 行 してしまうと、これによって、メディアから流 される美 し
い町 並 みを見 たという事 が、無 意 識 のうちにそれが自 らの美 の経 験 として置 き換 えられ
てしまうのである。そして、実 際 に日 常 で自 分 が生 きられている町 並 みに関 しては、非 常
に鈍 感 になってしまうのである。
この様 な事 が続 くと、逆 にメディアに登 場 する町 並 みに関 しては「この前 見 た番 組 で出 て
きた町 並 みの方 が美 しかった」というように、非 常 に敏 感 になって来 るのに対 して、自 ら
の住 む町 並 みに関 してはますます鈍 感 で無 関 心 になってしまうのだ。
つまり、テレビという二 次 元 の世 界 の美 に対 しては鋭 敏 でありながら、現 実 世 界 に見 える
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町 並 みに関 しては鈍 感 であるという問 題 が起 きているのである。この事 が町 並 みにおけ
る「至 高 の美 」の経 験 を浅 くしている原 因 であるといえる。
確 かに、日 本 において私 たちが暮 らしている町 並 みは、観 光 地 や昔 の建 物 が並 ぶ、風
情 のある町 並 みを除 いたその大 半 は、お世 辞 にも「美 しい」と思 える町 並 みではない。
その原 因 としては、土 地 が狭 いので建 物 と建 物 の間 が狭 い、建 物 の高 さがちぐはぐ、違
った様 式 の建 物 が乱 立 している、派 手 な宣 伝 広 告 がそこらじゅうに掲 げられている等 、
その他 にもここで書 ききれないほどその要 因 はある。しかし、先 に書 いた倉 敷 の町 並 み
のように、そもそも日 本 の江 戸 時 代 の頃 などは、長 屋 がきれいに整 列 されており、大 変
美 しい町 並 みであった。
では何 故 、現 在 の日 本 の町 並 みはこうも美 しくなくなってしまったのだろうか。
現 在 でも美 しい町 並 みが残 るヨーロッパの町 並 みと、日 本 の町 並 みを比 較 し、考 えて
いくとする。
ヨーロッパでは、自 国 が築 き上 げてきた伝 統 や文 化 を非 常 に重 んじ、多 くの人 たちが
それらを誇 りと思 っているために、社 会 が発 展 し近 代 化 に向 かいつつも「文 化 」が中 心 と
なって開 発 が進 められている。
しかし日 本 では、ヨーロッパとは逆 に、過 去 の文 化 に対 する誇 りを持 っていたとしても、よ
り新 しいものを望 もうとしているために開 発 が中 心 になってしまい、「文 化 」はその開 発 過
程 の中 で保 護 されているにすぎないのである。
文 化 財 に対 する制 度 の制 定 についても、ヨーロッパでは、産 業 革 命 のあと産 業 が発 展 す
るとともに、早 くから伝 統 文 化 の破 壊 を恐 れ、文 化 を保 護 する制 度 が整 えられている。
しかし一 方 の日 本 では、文 化 が危 機 的 状 況 に陥 ったときになって、初 めて保 護 しようとす
る動 きがあるため、文 化 を保 護 する制 度 が生 まれてくるのが遅 いのである。
このように、ヨーロッパと日 本 では自 国 の文 化 に対 する国 民 の思 い入 れがまったく違 う
という事 がその大 きな原 因 となっていると考 えられる。
では、なぜ日 本 国 民 は日 本 の文 化 をもっと重 んじる事 ができなかったのか。
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まず考 えられる事 は、町 並 みの主 体 である建 造 物 の構 成 物 質 が日 本 とヨーロッパで
はまったく異 なるという事 である。ヨーロッパでは、石 造 建 造 物 が非 常 に多 く、これらは半
永 久 的 に残 存 する事 ができる。これによって過 去 の文 化 について認 識 することが容 易 で
あるため、過 去 の文 化 に対 して強 い誇 りを持 たれ易 かった。
一 方 、日 本 では、木 造 建 造 物 が多 く、それらは腐 敗 、風 化 しやすく耐 久 年 数 が短 いため
残 存 しにくい。
関 東 大 震 災 や第 二 次 世 界 大 戦 などでは、この様 な建 造 物 が幾 つも倒 壊 した。
当 然 、倒 壊 した建 造 物 を建 て直 す際 に、「もっと丈 夫 なものを建 てよう」と考 える。こうして
人 々は、木 より丈 夫 な建 材 を求 めていった。このようにして、日 本 は段 々と過 去 の文 化 に
対 する認 知 度 を低 くしていったのである。
もう一 つ考 えられる事 といえば、日 本 が西 欧 化 をあまりにも急 ぎすぎたという点 である。
1858年 に徳 川 幕 府 が開 国 して以 来 、それまでオランダを通 じて日 本 に僅 かに流 入 して
いた西 欧 文 化 が米 、英 、仏 など各 国 から直 接 伝 わるようになった。
そして1868年 の明 治 維 新 後 、政 府 の政 策 により一 気 に西 欧 化 が進 んだ。この事 によっ
て、侍 は姿 を消 し、着 物 は洋 装 に取 って代 わり、髷 頭 は散 切 り頭 になった。こうして日 本
のナショナリズムは失 われていったのである。
また、第 二 次 世 界 大 戦 の敗 戦 により、日 本 のナショナリズムはより一 層 失 われていった。
これは、勝 者 側 (特 にアメリカ)の華 やかな文 化 に強 い憧 れを持 ってしまった為 である。そ
して、過 去 の文 化 に対 して劣 等 感 を持 ち始 めてしまったである。
そもそも、日 本 においても、開 国 や明 治 維 新 が行 われる前 の19世 紀 には自 国 の文 化 に
は強 い誇 りと自 信 を持 っていた。
しかし開 国 してから100年 足 らずの間 に、日 本 全 体 が西 欧 文 化 に多 大 なる幻 想 を抱 き、
自 らの築 き上 げてきた文 化 をいとも簡 単 に捨 てたのである。
しかし、相 変 わらず西 欧 文 化 を追 いかける動 きは見 られるが、反 対 に、日 本 独 自 の文
化 を大 切 にしようとする運 動 も顕 著 に見 られるようになってきた。
そのひとつとして、先 に述 べた倉 敷 市 の様 に、行 政 から選 定 を受 けるなどといった町 並
み保 存 の事 業 があげられる。
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町 並 み保 存 とは、文 化 的 にも価 値 があり、自 分 たちが愛 する美 しい町 並 みを、どうにか
後 世 にまでに残 していきたいと考 える人 々の活 動 である。
倉 敷 市 の他 にも町 並 み保 存 の事 業 を掲 げている町 が存 在 する。しかしその数 は徐 々に
増 えていってはいるが、まだその数 は決 して多 いとはいえない。
西 欧 文 化 に押 され、価 値 のある日 本 文 化 はどんどんとその姿 を消 していってしまった。
過 去 に日 本 が犯 してしまった過 ちは今 さら取 り戻 すことができない。しかし、こうした町 並
み保 存 の事 業 が推 進 され、ひとつでも多 くの美 しい町 並 みを残 していく事 によって私 たち
の「至 高 の美 」の経 験 は豊 かになっていくのである。
※補 足 ・・・メディア化 された風 景
昨 今 の情 報 化 社 会 の急 激 な進 展 に伴 い、数 年 前 では考 え付 かないような様 々な問
題 が現 在 あらゆる場 面 において生 じてきている。例 えば、コンピュータで扱 う情 報 につい
て、最 近 では相 次 いでセキュリティの問 題 が出 てきて、個 人 情 報 の大 量 流 失 が続 々と起
きるという深 刻 な事 態 に陥 っている。この問 題 は将 来 もつきまとう問 題 だろう。何 故 なら、
情 報 というのはコンピュータの中 に閉 じ込 めて永 久 に鍵 をかけておくことができないもの
だからである。
情 報 を扱 う人 は、必 ずその内 容 を見 ることができるため、その人 が情 報 を漏 らしてしまえ
ば漏 洩 を防 ぎようがない。これは人 為 的 な問 題 であり、結 局 は管 理 が不 十 分 だったとい
うことであり、リテラシーの在 り方 などが問 われることになる。
また、コンピュータの情 報 については、これを盗 んでも必 ずしも窃 盗 罪 が適 用 できるとは
限 らない。例 えば、自 分 の買 ったフロッピーディスクに会 社 の情 報 緒 をコピーして盗 んだ
としたら、窃 盗 罪 の適 用 は大 変 難 しいと考 えられている。これは窃 盗 罪 が物 に対 する窃
盗 として法 制 度 が作 られているからである。
以 上 のことが、今 一 般 的 に問 われている情 報 化 社 会 における問 題 点 である。
しかし、一 般 的 にはあまり知 られていないが、これ以 外 にも情 報 化 社 会 が併 発 する問 題
がある。それは「至 高 の美 」の経 験 に非 常 に関 わってくる問 題 である。
その問 題 とは、自 分 が実 際 に体 験 した美 の経 験 が、情 報 としての美 の経 験 に負 けてし
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まうという事 である。
これはどういうことなのかというと、例 えばどこかへ旅 行 に行 こうという計 画 があって、どこ
へ行 くかを決 める時 に、人 や雑 誌 などからの情 報 が決 め手 となる場 合 は少 なくない。
特 に旅 の情 報 誌 や広 告 などでは、気 候 や状 態 が一 番 良 い時 の写 真 を使 用 しているの
で、その様 な掲 載 写 真 に心 惹 かれて行 き先 を決 定 したという経 験 はないだろうか。少 なく
とも私 にはその様 な経 験 がある。
しかし、大 抵 の場 合 、写 真 で見 たものより実 際 で見 たものの方 が美 しかったという事
はないものである。写 真 で見 ていて、頭 の中 で想 像 していたものを実 際 に目 の前 にした
時 に、想 像 と現 実 にあまりにギャップがありすぎてガッカリした事 があるという人 は多 いは
ずだ。
私 が一 番 最 近 でその様 な経 験 をしたのは、友 達 と盛 岡 に温 泉 旅 行 に行 った時 のこと
だ。代 理 店 でもらったパンフレットの中 から私 たちの条 件 に一 番 合 ったプランを探 し出 し、
申 し込 みをした。私 たちの条 件 は温 泉 と部 屋 が綺 麗 な旅 館 だったので、いくつかあるパ
ンフレットの中 から写 真 を何 回 も見 比 べ検 討 していた。しかし、実 際 に訪 れたみたところ、
写 真 ほどに綺 麗 な事 はなく、写 真 で見 たときに想 像 していたものよりかなり粗 末 なところ
だったのである。こういった事 は日 常 生 活 の中 でもしばしば見 られるが、特 に観 光 旅 行 へ
行 った時 によく感 じるものである。
その理 由 の一 つとして、旅 行 の広 告 やポスターなどはほとんどにおいてその場 所 の一
番 売 りになる場 所 、つまり観 光 客 が好 み集 まる場 所 、美 しい景 色 ・有 名 な建 築 物 などの
写 真 を一 面 に載 せる手 法 が使 われているという事 が挙 げられる。
この様 な広 告 写 真 は、大 抵 がプロのカメラマンが撮 った写 真 であり、先 にも書 いたがその
場 所 が一 番 美 しく見 える時 期 に撮 られたものであるので、広 告 写 真 に使 われた写 真 より
実 際 のものの方 が美 しいという事 が起 こらないのは当 然 の事 なのかもしれない。
もちろん写 真 を使 う事 を全 否 定 しているわけではない。大 体 その場 所 がどんな場 所 であ
るか知 るには、写 真 を見 るという事 が一 番 分 かりやすいものであるからだ。
そして私 たちはその写 真 を見 て、数 ある観 光 地 の中 から自 分 の好 みにあった場 所 を選
定 していく事 ができるのである。
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しかしこの事 が、美 しい写 真 を見 て感 動 し、実 際 に自 分 が見 に行 った時 に、その写 真
を見 た時 の感 動 の方 が実 物 を目 の当 たりにした時 よりも大 きいという矛 盾 した現 象 を起
こしてしまう大 きな要 因 となっているのである。
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第二章 美の本質について
第 一 章 では現 代 社 会 における日 常 的 な美 の経 験 について私 自 身 の経 験 を踏 まえた
上 で論 じてきた。
しかし、それらの日 常 的 な美 の経 験 は「至 高 の美 」の経 験 であるかという事 について
考 えた時 、本 当 に美 しいものとは言 えないものがほとんどであった。そして何 故 、日 常 生
活 において、「至 高 の美 」を経 験 する事 がほとんどないという事 態 になってしまったのかに
ついても考 えてきた。
では、ここまでで当 然 のごとく「美 」という言 葉 を使 ってきたが、そもそも「美 」とは一 体 ど
ういったことなのであろうか。
美 の概 念 について話 をする前 に、美 を感 じ理 解 する心 の働 きである、美 意 識 について少
し話 をしておく。
美 意 識 とは、人 によって異 なるものであり、例 えばコンパスで書 いたような形 の整 った
丸 とフリーハンドで書 いたような歪 んだ丸 があった時 、ほとんどの人 は形 の整 ったほうの
丸 を選 ぶものである。しかし、歪 んだ丸 の方 を選 ぶ人 は誰 もいないという事 もないのであ
る 。 青 色 が 好 き な 人 がい れ ば、 赤 色 の 方 が 好 き と いう 人 がいる 様 に、 美 意 識 とは 実 に
様 々なものであるのだ。
また美 意 識 とは文 化 や時 代 によっても大 きく異 なるもので、例 えば昔 の中 国 では女 性
が幼 い時 の小 さい足 をそのままの大 きさで保 つため、包 帯 できつく足 を縛 り成 長 を止 め
る纏 足 という習 慣 があった。纏 足 の足 は小 さければ小 さいほど美 しいと言 われていた。
纏 足 は3、4歳 の時 に始 めるのだが、最 初 は木 綿 などの包 帯 で足 を横 巻 にして足 を細 長
くし、次 に指 を裏 側 に丸 め縦 巻 にし足 を先 の尖 った形 にする。5、6歳 頃 には足 が纏 足 の
形 になり、以 後 布 は巻 かずに纏 足 用 の靴 を着 用 する。幼 い頃 はまだしも年 齢 も大 きくな
ると無 理 にきつく縛 った足 が炎 症 をおこしたり化 膿 したりし、かなりの苦 痛 と不 自 由 さを
受 け入 れなくてはならなかった。
それでも纏 足 をしないと嫁 入 りも出 来 ず男 性 から相 手 にもされなかった。またこの習 慣
は長 い年 月 の間 美 醜 の感 覚 と深 く結 びついていた為 、この奇 習 は宋 代 以 降 に始 まって
から以 後 約 600年 間 も続 いたのである。
今 の時 代 ではまったく考 えもつかないような習 慣 だが、実 際 に行 われていた習 慣 であ
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りごく少 数 だが纏 足 をしている70∼80歳 の女 性 はまだ存 在 するのである。
この事 からも分 かる様 に、美 意 識 とは人 や文 化 や時 代 によって異 なるものであり、当 然
美 の概 念 についても一 概 には何 とも説 明 のつかないものなのだ。
私 たちは美 に対 して過 剰 に反 応 する世 代 のはずであるのに、美 の概 念 について実 は何
も分 かっていないという現 象 が起 こっている。
ここで改 めて、そもそも美 の概 念 とは何 かという事 について考 える必 要 があるのではな
いか。
次 の章 では美 とは何 かについて、過 去 の偉 大 な哲 学 者 が説 いた古 典 的 な概 念 を探 りそ
の本 質 について考 えていく。
2−1 美 の概 念
例 えば、「山 」といっても、山 には富 士 山 のように高 いもの、地 図 にものらないような小
さいもの、禿 山 などいろいろな種 類 の山 があるにも関 わらず、私 たちは、今 までに見 たこ
とがない初 めて見 る山 でも、疑 いようもなくそれが山 だと理 解 する事 ができるのである。
これは、一 体 どうしてなのだろう、という疑 問 について論 理 的 に考 えた哲 学 者 がプラトン
Platon(427B.C.−347B.C.)である。そして、彼 がこの疑 問 について考 え出 した結 果 、
「イデア」と呼 ばれる概 念 が生 まれた。
イデアとは、個 々の事 物 をそのものたらしめている根 拠 である真 の実 在 であり、それは永
遠 に変 わることがなく、絶 対 的 なものであり、普 遍 的 なものである。そして、イデアが存 在
しているのがイデア界 である。
そして、常 にイデア界 からの影 響 を与 えられているのが、われわれ人 間 が存 在 する現 象
世 界 である。現 象 世 界 では、「命 あるものはいつか必 ず死 ぬ」というように、生 成 変 化 が
起 こりうる世 界 であり、すべてにおいて完 全 なものがない、有 限 な世 界 である。
現 象 世 界 におけるすべての物 事 は、人 間 の感 覚 的 能 力 によって認 識 される。しかし、人
間 の感 覚 的 能 力 は完 全 ではないため、もし人 間 がイデアに向 かってアプローチをしようと
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するには、概 念 的 に思 考 する能 力 =理 性 しかないのである。
この事 を図 で表 すと以 下 のようになる
イデア界
理 性 による認 識
(永 遠 不 変 ・絶 対 的 ・普 遍 的 )
(※エロース)
現象世界
感 覚 による認 識
(日 常 的 ・生 成 変 化 ・有 限 )
(※プラトンの考 えによれば、先 の例 で言 えば、人 間 が初 めて見 る山 でも、それが山 で
あるという事 を知 りえているのは、もともと人 間 は現 象 世 界 に生 き、現 象 世 界 において死
んでいくという繰 り返 しをしているのではなく、その魂 はイデア界 に存 在 していたからだと
言 う。現 象 世 界 という不 完 全 な世 界 において、かつて自 分 のいた世 界 を恋 い慕 い、自 ら
に欠 けているものを求 める魂 のはたらきがエロースである。)
プラトンのこの考 えによると、たくさんの山 がある中 で、なぜ、初 めて見 るはずの山 を、
それが山 だと分 かりえるのかといえば、イデア界 において山 のイデアがあるからであると
いう。つまり、現 象 世 界 において山 が山 でありえるのは、イデア界 において、山 のイデア
が実 在 するからなのである。
また例 えば、現 象 世 界 において人 間 が、花 を見 て「美 しい」と感 じるのは、イデア界 に
「美 」のイデアが実 在 するからであり、個 別 の花 は「美 」のイデアが分 有 されている事 によ
って、私 たちにとって美 しいものとして存 在 できるである。
美 のイデアとは次 のようなものである。
「『それはまず第 一 に、永 遠 に存 在 して生 成 も消 滅 もせず、増 大 も減 少 もしないのです。
次 に、ある面 では美 しいが他 の面 では醜 いというものではなく、ある時 には美 しいが他 の
時 には醜 いというものでも、ある関 係 では美 しいが他 の関 係 では醜 いというのでもなく、
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またある人 々にとっては美 しいが他 の人 々にとっては醜 いというように、ある所 では美 し
いが他 の所 では醜 い、というものではないのです。さらにまた、その美 は見 る者 に、何 か
顔 のような恰 好 をして現 れるものでなく、また手 やそのほか身 体 に属 するいかなる部 分
の形 をとって現 れることもないでしょう。それに、何 かある言 論 や知 識 の形 で現 れることも
なく、またどこかのはかの何 かのうちに、例 えば動 物 とか大 地 とか天 空 とか、その他 何 も
のかのうちにあるものとして現 れることもないでしょう。かえってそれ自 身 、それ自 身 だけ
で、それ自 身 とともに、単 一 な形 相 をもつものとして永 遠 にあるのです。
ところがそれ以 外 の美 しいものはすべて、今 述 べたあの至 上 の美 を次 のようなある仕 方
で分 かち持 って(分 有 、metechein)いるのです。すなわち、これらはかの美 しいものが生
成 し消 滅 しても、かの美 は決 して大 きくなったり小 さくなったりせず、いかなる影 響 も外 か
ら受 けないという仕 方 です。したがって、人 が自 分 の正 しい愛 のおかげで、この地 上 のも
ろもろの美 から上 昇 して行 って、かの美 を感 じ始 める時 には、その者 はほとんど究 極 最
奥 のものに達 したことになるでしょう。なぜならば、じつにそれが、自 分 で進 むなり他 人 に
導 かれるなりして、恋 の道 を進 む正 しい進 み方 だからです。
つまり、地 上 のもろもろの美 しいものから出 発 して、絶 えずかの美 しいものを目 的 として
上 昇 して行 くのですが、その場 合 ちょうど階 段 を使 うように、一 つの美 しい肉 体 から二 つ
の美 しい肉 体 へ、二 つの美 しい肉 体 からすべての美 しい肉 体 へ、そして美 しい肉 体 から
美 しい数 々の人 間 の営 みへ、人 間 の営 みからもろもろの美 しい学 問 へと登 って行 き、最
終 的 にはそのもろもろの学 問 から、他 ならぬかの美 そのものを対 象 とするところのかの学
問 に行 き着 いて、まさに美 であるそのものを遂 に知 るに至 るというわけなのです。』とこの
マンティネイアから来 ている異 国 の婦 人 は語 るのだった。
『親 愛 なソクラテス、いやしくも人 生 のどこかにあるとするならば、まさに此 処 においてこそ、
その生 活 が人 間 にとって生 きるに価 するものとなるのです。なぜなら、その者 は美 そのも
のを観 ているからです。ひとたびあなたがこの美 を見 るならば、それは黄 金 や衣 裳 の比 で
はなく、世 の美 少 年 美 青 年 の比 でもないと思 われるでしょう。現 在 のあなたは、その青 少
年 たちを見 て有 頂 天 となり、またあなただけでなく他 の多 くの人 々も、もし自 分 の愛 する
少 年 を見 ながら絶 えずその者 と一 緒 にいるのであるならば、飲 食 も何 とかできるものなら
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ば摂 らずに、ただただ彼 を眺 め、彼 と一 緒 にいたいものだという有 様 ですけれどもね。』
『それでは』と彼 女 は続 けた。『一 体 どういう事 になると私 たちは考 えるでしょうか−もし誰
かが美 そのものを純 粋 清 浄 で混 ざりもののない姿 で見 て、それを人 間 の肉 や色 や、その
他 数 多 くの死 滅 すべきつまらぬものにまみれた姿 においてではなく、かえってその神 的 な
美 そのものを単 一 の形 相 をもった姿 に老 い観 るということが、誰 かに起 こる場 合 には。
人 がかの美 の方 を眺 めやり、用 いるべき本 来 の器 官 をもってかの美 を観 、それと共 にい
る時 、そもそものその生 活 がつまらぬものになると思 いますか。それともあなたは考 えて
みないのですか』と彼 女 は続 けた『ここにおいてのみ、すなわち、かの美 を見 るに必 要 な
器 官 をもってそれを見 ているこの時 にのみ、次 のような事 が起 こるであろうという事 を。そ
れは、彼 の手 に触 れているものが徳 の幻 像 ではなくて真 の徳 を生 みそれを育 てるがゆえ
に、神 に愛 される者 となり、またいやしくも人 間 のうち誰 が不 死 となることができるならば、
まさにその者 こそ不 死 の者 となりうるのだということを』」
(『饗 宴 』211A-212A)
ここで重 要 なポイントとしておさえておかなければいけない事 は、美 のイデアの分 有 につ
いてである。この事 については、プラトンの著 書 である『パイドン』(100−101)の中 で詳
しく書 かれてある。
「純 粋 な美 そのもの、善 そのもの、大 そのもの、その他 、すべてそのようなものがあるとい
う前 提 だ・・・・・ぼくの考 えでは、(1)もし美 そのもの以 外 になにか美 しいものがあるとす
れば、それが美 しいのは、かの美 にあずかるからであって、ほかのいかなる原 因 によるの
でもない・・・・・すなわち、ものを美 しくしているのは、ほかでもない、かの、美 の臨 在 という
か、共 有 というか、その他 その関 係 はどのようなものであっても構 わない。その点 は、い
まのところ、なんとも確 言 しないが、・・・・・ただ、ぼくの断 言 するのは、(2)すべての美 し
いものは美 によって美 しいということだ。」
ここでは、アンダーラインが入 っている部 分 が特 に重 要 であるのだが、日 本 語 に訳 する
と、どうしても分 かりにくい部 分 が出 てきてしまうので、補 足 を入 れたものを付 加 えておく。
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(1)もし美 そのもの(=美 のイデア)以 外 になにか美 しいもの(=現 象 世 界 における美 し
いもの)があるとすれば、それが美 しいのは、かの美 (=美 のイデア)に預 かるからであっ
て、ほかのいかなる原 因 によるのでもない。
(2)すべての美 しいもの(=現 象 世 界 における美 しいもの)は、美 (=美 のイデア)によっ
て美 しい(=人 間 の感 覚 で捉 える美 )
つまり、私 たちが日 常 生 活 の中 で、何 か感 覚 で捉 えるものにおいて美 しいと感 じるのは、
そのものに美 のイデアの共 有 があってこそであると、プラトンは考 えたのだ。
今 まで書 いてきたプラトンの考 えを総 じると、人 間 が何 かを美 しいと感 じるのは、イデア界
において美 のイデアが実 在 し、もし人 間 がそれに向 かってアプローチするには、理 性 によ
るものしかない。
そして常 にそのイデア界 から影 響 を受 けているのが、私 たちが存 在 する現 象 世 界 である。
現 象 世 界 において、私 たちが美 しいと感 じるすべてのものは、美 のイデアを共 有 されたも
のであり、それは人 間 の感 覚 において認 識 されるものである。
本 稿 では、以 上 に書 いてある、「イデア界 と現 象 世 界 を分 ける」というプラトンの考 えを基
本 にして、「何 故 、私 たちは至 高 の美 の中 で生 きていく事 ができないのか」という問 題 に
ついて考 えていく。
2−2 美 と視 覚
前 章 でも述 べているが、現 象 世 界 において、何 らかのものを美 しいと感 じるのは、人
間 の感 覚 による認 識 である。それは例 えば、このような事 である。
私 は、2004年 の9月 にゼミ合 宿 で、長 野 県 の蓼 科 高 原 に訪 れた。そこの辺 りは民 家
がなく、街 灯 もないので、夜 になると本 当 に真 っ暗 になってしまうような場 所 であった。
そして、夕 飯 を食 べに外 に出 た時 に、ふと見 上 げた夜 空 には、満 天 の星 空 が広 がってい
た。それは、今 にもこぼれ落 ちてきそうなほどの星 の数 であり、今 まで生 きてきた中 で、間
違 いなく一 番 美 しい星 空 だった。
この事 柄 のように、美 しさを感 じる人 間 の感 覚 による認 識 の中 でも、特 に、視 覚 を通 じ
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て美 しいと感 じる事 がもっとも頻 繁 に経 験 されるものであるが、視 覚 以 外 にも、美 しい音
楽 や、美 しい香 りなど、聴 覚 や嗅 覚 を通 じて、美 しいと感 じるものもあるのだ。
つまり人 間 は、視 覚 以 外 にも、聴 覚 や嗅 覚 を通 じて美 の価 値 概 念 を理 解 する事 もできる
のである。
しかし、視 覚 を通 じて実 際 に目 で見 る事 ができるというのは、美 の価 値 概 念 だけが持
つ特 性 なのである。
例 えば、美 以 外 の愛 や正 義 や友 情 などの価 値 概 念 は、誰 かに愛 や正 義 を形 で表 し
て見 せるという事 は、そのもの自 体 を形 としてその姿 を表 象 することができない為 に、不
可 能 なことである。しかし美 の価 値 概 念 だけは、美 しいものを形 にして誰 かに見 せるとい
うができるのである。
ところが、形 にできるという事 によって、視 覚 に頼 りすぎてしまい、美 の価 値 概 念 は他 のも
のと比 べ、非 常 に容 易 なものであると思 い込 んでしまっている人 が多 いのである。
この事 については、人 間 にとって基 本 的 な価 値 概 念 である真 善 美 を例 に挙 げて考 えて
みるとわかりやすくなる。
真 と善 については、その価 値 概 念 を他 人 に伝 えようとする時 、感 覚 的 な認 識 では理 解 を
得 る事 ができない。つまり、そのイデアについて、理 性 によって近 づく事 が必 要 である。
しかし、美 の価 値 概 念 を他 人 に伝 えようとする時 には、感 覚 を通 じてある程 度 理 解 でき
てしまうという事 から、理 性 によるアプローチをする事 なく、その価 値 概 念 を他 人 と共 感 す
ることができてしまうのである。
この事 から、美 の価 値 概 念 は感 覚 的 なもので分 かると思 い込 んでしまう者 が多 いのであ
るが、これこそが、至 高 の美 の中 で生 きていく事 ができない原 因 の一 つでもあるのだ。
美 の価 値 概 念 は他 の価 値 概 念 と同 様 に、非 常 に難 解 なものであり、それについてきち
んとした理 解 を得 るためには、理 性 によるアプローチが必 要 であるという事 を理 解 してい
かなければならないのである。
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2−3 自 然 の美
『新 約 聖 書 』の「マタイ伝 」の第 6章 29節 には次 の様 なキリストの教 訓 がある。
「なにゆえに衣 のことを思 いわずらうや。
野 のユリはいかにして育 つかを思 え、労 めず、紡 がざるなり。ソロモン王 の栄 華 の極 みの
時 だにも、その装 い、この花 の一 つに及 かざりき」
ソロモン王 とは、ダビデ王 の息 子 にして古 代 イスラエル第 三 代 の王 であり、エルサレム神
殿 の建 造 者 である。在 位 は、紀 元 前 973年 ∼933年 ごろと言 われている。
人 間 の精 神 的 ・物 質 的 繁 栄 の頂 点 をきわめた人 物 であり、当 時 の文 化 はソロモン王 の
知 恵 や金 銀 宝 石 等 の富 を湯 水 のように用 いて発 展 していった。それは人 間 が手 にする
繁 栄 ・栄 華 の極 致 として、人 々を驚 嘆 させた。
この様 にソロモン王 とは、人 生 において最 高 の成 功 をおさめた真 に優 秀 な人 間 であり、
その栄 華 は過 去 何 千 年 と語 り継 がれているほどの人 物 なのである。
しかしキリスト教 の教 説 によると、ソロモン王 ほどに輝 かしい栄 華 を極 めた人 物 であろうと
も、野 の花 の美 しさには及 ばないものである。なぜなら神 が創 造 した野 の花 は、人 間 技
ではとても及 ばない美 しさを持 っており、どんなに巨 万 の富 を得 たものだとしても、人 間 の
技 が神 の技 を超 えることは決 してないと説 いてある。それは世 界 を創 造 した神 からの私
たちへの愛 なのだと。
私 はキリスト教 を信 仰 しているわけではない。しかしこの節 を読 み、何 か私 にとっても響
いてくるものがあった。捉 え方 は少 し変 わってしまうが、私 は以 下 の様 に解 釈 をした。
野 の花 は、たとえ今 どんなに美 しく咲 いていたとしても、ほんのわずかな時 間 で枯 れてし
まい、枯 れれば集 めて焼 かれてしまうような存 在 である。しかし、そんな野 の花 でもじっく
りと見 れば実 に見 事 に細 かい所 までよく出 来 ていて、人 間 にはとても作 り出 せない精 巧
さを持 ち、調 和 を持 ち、美 しさを持 っているのである。
つまり、どんなに科 学 が発 達 しようとも、自 然 の美 しさを作 ろうとする事 は人 間 業 では
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成 しえないものなのだ。ソロモン王 が高 価 で上 等 な生 地 を用 い、腕 の立 つ職 人 が作 った
服 に身 をまとっていたとしても、それは人 間 が作 り出 した「造 型 美 」であり、自 然 の美 しさ
と比 較 すればその美 しさには到 底 かなわないものなのであると捉 えた。
私 たちは、美 しい自 然 を求 めてどこかへ出 掛 けるということがある。
例 えば、最 近 では宴 会 の要 素 の方 が強 くなってきているが、本 来 は、美 しい桜 を見 に行
くと言 う事 が目 的 であるお花 見 や、富 士 山 などの山 にハイキングへ行 く事 や、また、海 外
旅 行 のパッケージツアーでも、自 然 を堪 能 する事 ができるツアーは人 気 を博 している。
この様 に、自 然 を感 じる為 には、どこかへわざわざ遠 出 をし、自 然 を見 に行 かなくてはな
らないのである。
では、何 故 、わざわざ遠 出 をしてでも、自 然 を見 たいと思 うのかと言 えば、自 然 の美 しさ
は私 たちに、心 の安 らぎを与 えてくれ、精 神 的 な喜 びを満 たしてくれるからである。
この様 な、私 たちの生 理 的 欲 望 を満 たしてくれる自 然 を、常 に自 分 の近 くへ持 ってこら
れないかという考 えから、自 然 の美 しさの、視 覚 的 な要 素 を中 心 として抽 象 しようとする
試 みがいくつか生 まれた。
そのひとつが芸 術 (風 景 画 )である。
まず、自 然 を描 いた風 景 画 は、いつでも美 しい自 然 の姿 を、視 覚 を通 じて味 合 わせてく
れるものであった。しかし、風 景 画 は当 然 ながら、視 覚 でしか自 然 の美 しさを感 じる事 が
できないものである。
そこで、その欠 点 をすべてカバーする、庭 園 という試 みが生 まれた。
庭 園 の良 い点 は、何 といっても、自 然 の美 を体 感 できるという事 である。
風 景 画 では、どんなに美 しい木 が描 かれていても、例 えばその木 の裏 を見 たいと思 って
も、決 して見 る事 はできない。また、描 かれている美 しい自 然 の中 を歩 き回 る事 もできな
いからである。
この様 に庭 園 は、自 然 の中 でも人 間 にとって気 持 ちが良 いものだけを取 り入 れる事 がで
きるのである。臭 い、大 きすぎる、小 さすぎるなどといった、人 間 の神 経 を逆 撫 でするよう
なものは一 切 取 り入 れずに作 る事 ができるのである。
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この事 から、庭 園 とは、自 然 の美 を抽 象 するもので、風 景 画 よりも人 間 の感 覚 に対 して
総 合 的 なものであるといえる。
[補 足 ・・・・・庭 園 には、自 然 が人 間 の生 理 的 欲 望 を満 たしてくれるという事 の他 にも、
防 災 という物 理 的 な役 割 も併 せ持 っている]
しかし、例 えば、富 士 山 の様 な自 然 を持 つ庭 園 を作 りたいと考 えても、富 士 山 と同 じス
ケールのものを庭 に持 ってくるという事 は容 易 な事 ではない。
自 然 のスケールがあまりにも雄 大 すぎるために、自 然 をそっくりそのままの形 で、庭 園 に
おいて表 現 するというのは、それに見 合 う広 大 な敷 地 がない限 りは不 可 能 な事 である。
では、庭 園 とは、自 然 をどの様 な手 段 によって表 現 して作 られたものなのだろうか。
その手 段 といえば、 縮 小 である。
富 士 山 をそのまま表 現 するには、富 士 山 を持 ってこなくてはいけないのだが、「富 士 山 の
ように見 せるもの」を表 現 するには、 縮 小 という手 段 を使 えば、それを表 現 することが
可 能 になるのである。
縮 小 と一 言 で片 付 けてしまうと少 し分 かりにくくなってしまうが、日 本 庭 園 の中 にあ
り、京 都 に数 多 く点 在 する枯 山 水 の庭 園 を例 にあげて考 えてみるとわかりやすくなる。
枯 山 水 は「石 庭 」ともいい、水 を用 いずに、石 ・砂 などにより自 然 を表 現 する庭 である。
つまり、水 のないところに水 を見 、山 のないところに山 を見 、木 々のないところに木 々を見
るという、極 度 に象 徴 化 した庭 園 様 式 である。枯 山 水 の庭 では、白 砂 は海 を表 し、石 は
山 または島 を表 すとされている。また、砂 の上 に配 置 された自 然 石 は、大 海 に点 在 する
島 々と見 なしている。枯 山 水 はこの様 に、あるものを他 のものになぞらえるという見 立 て
をしていくのである。
枯 山 水 の大 きさと言 えば、最 も有 名 な京 都 の龍 安 寺 の石 庭 でさえ、東 西 約 25m、南 北
約 10mほどの大 きさしかない。しかしそこには、自 然 と親 しむための趣 向 がふんだんに
凝 らされており、自 然 の景 観 をそのまま縮 小 したような空 間 となっている。
枯 山 水 はこの様 に、非 常 に狭 い敷 地 面 積 の中 でも十 分 に自 然 を表 現 することができる
のである。つまり、自 然 のスケールを変 換 (縮 小 )する事 が可 能 な庭 であると言 える。
「龍 安 寺 石 庭 」
( http://www.ryoanji.jp )
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この様 に、自 然 を縮 小 して庭 園 に表 現 するという行 為 は、何 より、自 然 の本 質 (=イデ
ア)についてまず考 える事 が必 要 である。
何 故 なら、私 たちが現 象 世 界 において感 覚 による認 識 で捉 えている自 然 とは、自 然 の
イデアを分 有 されているものであり、「本 当 の自 然 とは何 か」という事 について考 える時 、
それはすべて自 然 のイデアにあるからだ。
つまり、庭 園 を作 り出 すためには、自 然 のイデアに向 かって、理 性 によるアプローチを
する事 が必 要 なのである。
庭 園 とは、自 然 のイデアを形 にするという事 に対 して、理 性 によるアプローチから出 発
し、最 終 的 に到 達 する感 覚 的 なものの表 れである。
この事 を踏 まえた上 で、庭 園 について詳 しく考 えていくこととする。
庭 園 には大 きく分 けてフランス式 庭 園 とイギリス式 庭 園 という西 洋 の庭 園 の二 つのパ
ターンが存 在 する。
まず、フランス式 庭 園 (整 形 式 庭 園 )とは、17世 紀 中 葉 にイタリア式 庭 園 の影 響 を受 け
て発 達 したが、イタリア式 庭 園 が立 体 的 であるのに対 しこちらは平 面 的 で貴 族 趣 味 のも
のである(例 :ベルサイユ宮 殿 )。
その特 徴 は、敷 地 の形 状 や特 性 とは無 関 係 に幾 何 学 をあてはめ、無 から形 態 を創 造 す
るという事 である。それは実 に建 築 家 的 な造 園 家 の仕 事 である。
また左 右 対 称 で整 然 とした形 で、まるで定 規 で測 ったように刈 り込 んだ庭 木 やまっすぐに
続 く大 運 河 、四 角 形 の池 から上 がる噴 水 などに「自 然 をも自 分 たちの意 のままに作 り替
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えていく」という基 本 コンセプトが現 れている。
構 成 要 素 としてパルテール(Parterre:刺 繍 や芝 生 花 壇 )、ボスケ(Bosquet:樹 木 の植
込 み)、カナル(Canal:運 河 、細 長 い長 方 形 の池 )、アヴェニュー(Avenue:並 木 道 )、アレ
ー(Allee:遊 歩 道 ・小 道 )、噴 水 、彫 像 、植 木 鉢 などを体 系 的 に配 置 し、自 然 を人 工 的 に
再 構 築 しているという事 がフランス式 庭 園 の最 大 の特 徴 である。
ヴィラルドリー城
(北 フランス)
それに対 してイギリス式 庭 園 (風 景 式 庭 園 )は、18世 紀 に入 り自 由 思 想 が起 こり、
人 々は人 工 的 なフランス式 庭 園 に疑 問 を抱 き始 め、四 季 の自 然 の彩 りを楽 しむ独 特 の
スタイルを持 つイギリス式 庭 園 が完 成 した。その特 徴 は、境 栽 花 壇 (質 感 ・色 の調 和 を
重 視 し草 花 が自 然 に咲 いているがごとく、高 低 差 を考 慮 し宿 根 草 を多 く取 り入 れバラン
ス良 く植 栽 する花 壇 のこと)である。
敷 地 の特 性 に従 い、すでにある自 然 の要 素 を活 用 し、それを伸 張 するように作 られて
いるところである。直 線 的 な要 素 がほとんど見 られず、正 方 形 や円 形 の刈 り込 みや水 盤
など幾 何 学 的 な庭 園 構 成 は捨 てられ、その代 わりに起 伏 のある大 地 、池 、樹 木 、芝 生 な
ど、美 しい自 然 風 景 が庭 園 のなかに創 りだされたように見 せる作 り方 となっている。
以 上 の事 からもわかるように、フランス式 庭 園 とイギリス式 庭 園 の大 きな違 いと言 えば、
フランス式 庭 園 は自 然 を自 然 から切 り離 すような作 り方 なのであるのに対 し、イギリス式
庭 園 は自 然 を自 然 な姿 の状 態 に見 せるような作 り方 をしているという事 である。
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バッキンガム宮 殿
(ロンドン)
次 に、私 たち日 本 人 が永 い間 愛 して続 けてきた日 本 庭 園 についても少 し考 えてみよう。
日 本 庭 園 の歴 史 は非 常 に古 く、文 献 上 で残 っているものだけでも、ゆうに千 有 余 年 の歴
史 を持 っている。
先 に述 べたイギリス式 庭 園 を除 けば、西 洋 の庭 園 は花 や緑 を使 いながらも幾 何 学 的 な
秩 序 による、人 工 的 な美 しさを追 求 しているのに対 し、日 本 庭 園 は、大 自 然 を母 体 とし、
その自 然 との調 和 を図 りながらも、それを一 歩 踏 み越 えて人 間 の理 想 郷 を追 求 してきた。
また、自 然 の風 景 をそのまま庭 園 に取 り入 れたものではなく、自 然 のなかの好 ましい景
観 を、好 ましい手 法 によって、理 想 化 して取 り入 れたものである。
一 般 的 に、フランス式 庭 園 に代 表 される西 洋 の庭 園 は、シンメトリー(左 右 対 称 )にデザイ
ンされるのに対 し、日 本 庭 園 は、平 面 的 位 置 関 係 でも、立 面 的 位 置 関 係 でも、不 等 辺
三 角 形 になるように形 づくる。
各 々に差 をつけて配 置 する事 により、大 きいものは、より大 きく、小 さいものは、より小 さく
見 せるというように、それぞれの個 性 を強 調 したり、変 化 をつけたり、欠 点 を補 ったりする。
手 前 に背 の低 いもの、奥 に背 の高 いものを配 置 する事 により、遠 近 感 や奥 行 感 をつくり
出 す事 もできる。西 洋 の整 形 式 庭 園 が2次 元 的 であるのに対 し、日 本 庭 園 がより3次 元
的 な空 間 を作 り出 しているのは、この為 でもある。
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銀閣寺
(京都)
それぞれの庭 園 における特 徴
今 回 ここで紹 介 した3つの庭 園 の中 で、自 然 が持 っている調 和 を乱 さずに、自 然 本 来
の美 しさをより美 しく見 せようとする作 り方 であるという点 で、イギリス式 庭 園 と日 本 庭 園
は自 然 のイデアに対 する認 識 が、近 いものを持 っているという事 がうかがえる。
しかし、幾 何 学 的 な秩 序 を嫌 い、自 然 の調 和 を乱 さないという点 において、両 者 は近
いものを持 っているが、日 本 庭 園 にはあってイギリス式 庭 園 にはないものもある。
それは何 かというと、縮 小 である。
縮 小 については、先 の枯 山 水 のところで説 明 してある通 りであるが、この縮 小 こそが、
幾 何 学 的 な秩 序 、左 右 対 称 で整 然 とした形 を好 むフランス式 庭 園 と日 本 庭 園 における
自 然 のイデアに対 する認 識 の共 通 点 である。
ベルサイユ宮 殿 で見 られるような幾 何 学 的 な形 は、今 日 我 々が見 るとひどく人 工 的 な
ものに映 るが、当 時 の造 園 者 にとっては、庭 園 に宇 宙 を表 現 したものなのであった。
天 体 が発 見 され宇 宙 の法 則 が発 見 された時 に、それを自 然 そのものだと感 じ、表 現 した
のがフランス式 庭 園 なのだ。つまり、自 然 を人 工 的 に再 構 築 し、自 然 を表 しているのがフ
ランス式 庭 園 なのである。
この様 にフランス式 庭 園 とは、果 てしない宇 宙 空 間 を、限 られた敷 地 の中 で小 宇 宙 とし
て表 現 したものである。これこそまさに縮 小 という手 法 によるものである。
この事 から、縮 小 という手 法 こそが、日 本 庭 園 とフランス式 庭 園 の自 然 のイデアに対 す
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縮小
フランス式
日本庭園
庭園
不定形
幾何学的な秩序
イギリス式
庭園
1:1
る認 識 の共 通 点 であると言 えるのだ。
では、イギリス式 庭 園 はどうだろうか。
イギリス式 庭 園 を歩 いてみると、庭 園 にいるというよりはどこかの荒 れ地 に迷 い込 んでし
まったような気 分 にさせられるものである。本 当 の自 然 では無 いけれど、自 然 の良 さを味
あわせてくれるというのがイギリス式 庭 園 である。
この様 にイギリス式 庭 園 は、できるだけありのままの自 然 を取 り入 れようとする手 法 をと
っているので、自 然 と庭 園 は1:1のスケールのままで表 されている。
あまりにも雄 大 すぎる自 然 のスケールをそのまま再 現 するというわけにはいかないが、限
られた敷 地 の中 で1:1のスケールで表 されているのだ。
つまり、枯 山 水 の様 に、自 然 のスケールの変 換 をするという手 法 はイギリス式 庭 園 では
取 られていないのである。
以 上 のことをまとめると、幾 何 学 的 な秩 序 を嫌 い、自 然 が持 つ調 和 を乱 さないという点 に
おいて日 本 庭 園 とイギリス式 庭 園 には共 通 点 が見 られるが、日 本 庭 園 における自 然 の
スケールの変 換 (縮 小 )はイギリス式 庭 園 では決 して見 られない手 法 なのである。
以 上 に書 いてきた、フランス式 庭 園 とイギリス式 庭 園 、そして日 本 庭 園 のそれぞれの手
法 の関 係 性 を図 式 化 すると以 下 の様 に表 す事 ができる。
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上 記 に紹 介 した3つの庭 園 の他 にも、オランダ式 庭 園 ・イタリア式 庭 園 ・中 国 式 庭 園 など
の様 々な様 式 の庭 園 が存 在 する。この様 な庭 園 は、自 然 環 境 や社 会 環 境 の諸 条 件 に
よって、世 界 各 国 ・各 地 域 およびその時 代 によって実 に多 様 な様 式 を生 む。
この様 に、一 口 に庭 園 といっても、それぞれの国 における文 化 の違 いによって、その表
現 は実 に様 々な手 法 で作 られている。
これは、「自 然 のイデアとは何 か」という認 識 がそれぞれにおいて異 なるからである。
庭 園 に表 現 される形 状 が、国 の違 い等 によって実 に様 々であるのは、それぞれの国 にお
ける自 然 のイデアの認 識 の違 いが、そのまま庭 園 の形 状 の違 いに表 れているからなの
である。
2−4 芸 術
前 章 では、人 間 が自 然 のイデアについて理 性 というアプローチによって、自 然 のイデア
を感 覚 によって形 にしたものとして庭 園 をあげ、説 明 してきた。
この章 では、本 当 に美 しいものを作 り出 そうとする行 為 で、庭 園 のように自 然 の美 しさ
だけに限 定 したものではなく、美 しさ一 般 に対 して人 間 がイデアを理 性 というアプローチ
によって作 り上 げるもの、つまり、芸 術 について、具 体 的 な作 品 をあげて考 えていきた
い。
ここでまず初 めにあげる芸 術 作 品 は、レオナルド・ダ・ヴィンチが描 いた、おそらく絵 画
の中 で最 も世 に知 られた作 品 と思 われる「モナリザ」である。
この肖 像 画 が多 くの人 々を魅 了 してやまないのは、画 面 いっぱいに上 半 身 を見 せている
女 性 、モナリザの口 もとにかすかに浮 かべた微 笑 にあるといわれている。唇 を軽 く閉 じて
いるが、向 かって右 の端 をほんの少 し上 げ、微 笑 んでいるといえば微 笑 んでいるような誠
に不 思 議 な表 情 をしている。
ダ・ヴィンチと同 世 代 の画 家 で伝 記 作 家 のジョルジョ・ヴァザーリは、ダ・ヴィンチが「モナ
リザ」を制 作 するのと同 時 に着 手 した「聖 アンナと聖 母 子 」の絵 にも同 じような謎 の微 笑
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が描 かれていることを指 摘 している。つまりダ・ヴィンチは、この時 期 、女 性 の微 笑 の表
現 にとり憑 かれていたようである。
その証 拠 として、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツという美 術 館 が所 蔵 してい
るカルトン(下 絵 )には微 笑 する口 もとを描 いた習 作 がたくさん残 っている。
しかし、見 た人 々を虜 にさせるモナリザの魅 力 は、微 笑 だけではない。実 はこの絵 にダ・
ヴィンチはさまざまな仕 掛 けを施 しているのである。
モナリザの顔 を仔 細 に見 ると、顔 の向 かって左 側 には正 面 から光 が当 たっているのに対
し、右 側 は斜 め上 方 から光 が当 たっている。つまり現 実 にはない光 と影 を施 しているので
ある。また媚 を含 んでいる感 じすらする熱 っぽい眼 差 しの目 をみると、左 の目 は正 面 をみ
ているが、右 の目 は右 のほうを見 ており、焦 点 を少 しずらせている。これによって顔 の左
側 はややきつい感 じで、右 側 は和 やかな感 じを醸 し出 している。
この様 な左 右 非 対 称 な描 き方 が人 々に何 か分 からない不 思 議 な感 覚 を与 え、もう一 度
見 てみたという思 いを募 らせるという。
顔 の他 にも注 目 されるものがある。それはモナリザの手 の描 き方 である。モナリザの両
手 は体 の正 面 で軽 く組 み合 わされているが、この上 のほうの手 をよくみると、わざと大 き
めに描 かれていることが分 かる。これは立 体 感 を出 すための工 夫 で、遠 近 法 について新
技 法 を編 み出 したダ・ヴィンチらしい工 夫 といわなければならない。
このように、さまざまな工 夫 と技 法 を凝 らしたモナリザは、肖 像 画 という分 野 でもさまざま
な新 機 軸 を打 ち出 している。
その一 つは、当 時 、肖 像 画 は宮 廷 画 家 たちの手 によって盛 んに描 かれていたが、モナリ
ザの登 場 までのそれは顔 を真 横 に向 けた描 き方 が一 般 的 で、モナリザのように顔 を斜 め
正 面 から描 いた肖 像 画 はなかった事 である。
また従 来 の肖 像 画 は、人 物 の顔 や形 に輪 郭 線 があったが、モナリザにはそれがなく、写
真 のような感 じになっている。このスフマート(注 6)という技 法 は今 日 では一 般 化 してい
るが、これもダ・ヴィンチが生 み出 した新 技 法 である。
それからもうひとつ、注 目 すべきはモナリザの背 景 である。そこには月 の光 に照 らし出 さ
れたような幻 想 的 な岩 山 と川 の流 れが描 かれている。このような荒 涼 とした背 景 は従 来
の肖 像 画 にはなかったものであり、しかも岩 山 や川 を右 側 だけを高 くし不 均 衡 に描 いて
いる。これによってモナリザの上 半 身 が前 面 に浮 き出 され、これを見 た時 の不 思 議 な感
覚 を、弥 が上 にも高 めるものにしている。
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モナリザ
(ルーブル美 術 館 所 蔵 )
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ダ・ヴィンチは言 わずと知 れた万 能 の天 才 であり、その才 能 は絵 画 の分 野 だけでは収
まらず、数 学 、物 理 学 、天 文 学 、解 剖 学 、地 質 学 などの自 然 科 学 分 野 の研 究 、飛 行 機
をはじめとする機 械 類 の考 案 、土 木 、造 兵 、築 城 、航 海 等 の軍 事 技 術 の開 発 、さらには
運 河 ・水 利 計 画 、都 市 計 画 、橋 梁 設 計 にまでと、極 めて広 範 多 岐 に及 んでいる。
では、なぜ彼 はこれほどまでの才 能 に恵 まれ、多 彩 で優 れた作 品 を残 すことができたの
だろうか。
この疑 問 点 については、多 くの専 門 家 が解 明 を試 みているが、彼 には通 常 の人 には見
られない奇 行 や奇 癖 があり、これをどう解 釈 するかが大 きな壁 となっている。
例 えば彼 の奇 癖 でも有 名 なものといえば、通 常 、文 章 は左 から右 へ書 かれるが、彼 はそ
れを右 から左 へ書 いており、しかも文 字 は裏 返 し(鏡 文 字 )になっている。さらに文 字 自
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体 も綴 りや句 読 点 は誤 りだらけ、文 法 も不 正 確 で、判 読 が困 難 を極 めるという。
この様 な事 から、ダ・ヴィンチについては、「ADHD」(注 意 欠 陥 多 動 性 障 害 」ではなかっ
たかと考 える専 門 家 がいる。「ADHD とは、前 頭 葉 機 能 不 全 や神 経 伝 達 物 質 (ドーパミ
ン・ノルエピネフリン・セロトニン等 のカテコールアミン)の代 謝 の問 題 、また、その他 青 斑
核 や尾 状 核 、扁 桃 体 などの領 域 の機 能 不 全 など、生 物 学 的 な問 題 が原 因 とされる 障
害 であり、その代 表 的 な症 状 としては活 動 性 が異 常 に強 く、落 ち着 きがなく、走 り回 った
り、衝 動 的 で、すぐ興 奮 したりするといったものである。
この説 が正 しいかどうかについては誰 も分 からない。しかし、はっきりとここで言 える事 は、
天 才 はやはりどこか凡 人 では考 え付 かないような、世 間 一 般 の常 識 にとらわれない自 由
奔 放 な発 想 力 を持 っているという事 である。
以 上 、ダ・ヴィンチについて色 々と述 べてきたが、ダ・ヴィンチほどの広 範 多 岐 にその才
能 を発 揮 する天 才 は、後 にも先 にも現 れないと思 しき人 物 である。
「モナリザ」は 1503 年 頃 から 1505 年 頃 にかけて制 作 されたものである。(但 しダ・ヴィン
チはこの 作 品 にか なり入 れ 込 んでい て、 この後 何 度 も 何 度 も この 絵 に修 正 を加 え て い
る。)この時 代 において、従 来 の常 識 を覆 す工 夫 を取 り入 れ、美 術 史 的 に意 義 ある技 法
を残 した。
以 上 の様 にこの絵 は、様 々な仕 掛 けがあり、ダ・ヴィンチによって生 み出 された技 法 が使
われており、制 作 から500年 以 上 経 つ現 代 においても、その輝 きが失 われる事 はない。
その証 拠 として「モ ナリザ」は今 でもパリのルーブ ル美 術 館 で、その圧 倒 的 な存 在 感 で
人 々を魅 了 し続 けている。
「モナリザ」が名 画 と呼 ばれる所 以 と言 えば、その写 実 性 である。ダ・ヴインチは人 体
がどうなっているのかという疑 問 から、人 体 を解 剖 してはスケッチをとるという作 業 を繰 り
返 し、とうとう人 体 解 剖 図 を作 り上 げたのだ。
こうして人 体 各 部 分 形 状 を極 めたダ・ヴィンチが描 いた「モナリザ」は、それまでのどの巨
匠 の絵 よりも写 実 的 で人 の肉 感 が表 されていた。一 説 によれば、この人 間 の中 身 である
骨 格 、筋 肉 を把 握 したうえで絵 を描 くという新 概 念 、革 命 がなければ以 後 の絵 画 は全 て
50%の完 成 度 にしかならなかったという。
この様 な意 味 合 いにおいても、個 人 的 な好 き嫌 いはあるかもしれないが「モナリザ」は
誰 が見 ても美 しい芸 術 作 品 であり、美 術 史 上 欠 かせない作 品 と言 える。
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「モナリザ」の様 に写 実 的 に描 かれており、見 るからに美 しいという芸 術 作 品 がある一
方 で、実 に抽 象 的 に描 かれていて、絵 自 体 だけでは完 成 してなく、作 品 の持 つ本 質 を理
解 した時 に、初 めてその美 しさに気 付 かされる芸 術 作 品 もある。
その代 表 的 な作 品 の1つにパブロ・ピカソの「ゲルニカ」がある。この作 品 は初 めに何
の知 識 もない状 態 で見 てしまうと、特 に私 のように美 術 に関 する知 識 の乏 しい者 にとって
は、なんだかよくわからない絵 である。
しかし、ピカソが二 十 世 紀 最 重 要 の画 家 であるという評 価 はすでに定 まっており、好 き
嫌 いは別 にして、それを否 定 する意 見 も聞 かれない。日 本 を代 表 する芸 術 家 、岡 本 太
郎 (注 8)・横 尾 忠 則 (注 9)らも、ピカソから大 きな影 響 を受 けたと言 う。
音 楽 界 のピカソ、料 理 界 のピカソなどと、何 か抜 きん出 た才 能 を持 っている人 物 を称 す
るときにピカソの名 を引 用 する事 がある。これは、ピカソ=怪 物 的 な天 才 という等 式 が、
ピカソと無 縁 の人 々の間 でも成 り立 っているからである。これほどまでに、人 々がピカソに
敬 意 を表 する理 由 は、ピカソが描 く絵 の持 つ本 質 を理 解 した時 に、初 めてその理 由 が手
に取 るように分 かってくる。
では、先 にあげた「ゲルニカ」だが、実 はこの作 品 が描 かれた背 景 には、ある歴 史 的
事 件 が深 く関 係 しているのである。
作 品 のタイトルでもある「ゲルニカ」とは、北 スペインのバスク地 方 にある小 都 市 の名
称 である。この町 は、バスク人 にとって深 い意 味 を持 っていた。バスクの人 々は中 世 のは
じめからこの町 を首 都 と考 え、彼 らの独 立 精 神 と民 主 主 義 の象 徴 と考 えていたのだ。
1937年 4月 26日 、独 裁 者 フランコは、支 持 する親 友 のヒトラーに依 頼 して、ナチス・ドイ
ツ軍 にこの町 を爆 撃 させた。3時 間 15分 の悲 劇 であった。抵 抗 勢 力 の拠 点 となっていた
ゲルニカ市 を見 せしめの為 に壊 滅 させたのである。
しかしそんな中 、サンタマリア教 会 はかろうじて全 壊 を免 れた建 物 であり、今 もあの日 の
記 憶 が刻 み付 けられている。空 襲 を知 らせた教 会 の鐘 。ゲルニカの市 民 7000人 のうち
当 時 発 表 された空 襲 による死 者 の数 は、1654人 にものぼった。
ピカソは、そもそもあまり政 治 的 なものに興 味 を示 さなかった画 家 であった。しかし、彼 の
祖 国 であるスペインのゲルニカのニュースを知 り、取 りつかれたように下 絵 のスケッチを
始 めた。この作 品 は、祖 国 で行 なわれた蛮 行 に対 する、怒 りと抗 議 、そして犠 牲 者 への
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祈 りを表 した世 紀 の傑 作 である。
ピカソは45枚 ものデッサンやスケッチを描 いたのち、縦 3.5m、横 7.8mの巨 大 なキャ
ンバスに向 かい、キャンバスの上 を這 うように巨 大 な絵 に取 り組 んだ。描 いていくうちにア
イデアが膨 らみ構 図 の変 更 が繰 り返 されていった。そしてピカソは、キャンバスに向 かっ
てから僅 か20日 あまりで「ゲルニカ」を完 成 させたのだった。
モノトーンの絵 は、当 時 大 変 珍 しいものであった。この時 の心 境 をピカソは以 下 のように
語 った。
「スペインの戦 争 は、人 民 と自 由 に対 する反 動 の戦 争 だ。私 の全 芸 術 的 生 涯 は、ただ芸
術 の死 と反 動 に対 する闘 いのみであった。私 が制 作 中 の『ゲルニカ』と呼 ぶことになる作
品 と最 近 の私 の全 作 品 において、スペインを恐 怖 と死 の海 に沈 み込 ませた軍 事 力 に対
する私 の恐 怖 感 をはっきりと表 現 している・・・。
(こんな時 代 に)他 人 に無 関 心 でいられようか。こんなにも豊 かなものをもたらしてくれる
人 生 に無 頓 着 でいることなどできるのだろうか。そんな筈 がない。絵 画 は家 を飾 るために
あるのではない。それは敵 に対 する戦 争 の防 御 と攻 撃 の手 段 でもある・・・。いつか平 和
になったらこの作 品 をスペインに飾 るようにしたい」
ピカソの意 図 した通 り、この作 品 は、当 初 ニューヨークの近 代 美 術 館 に展 示 された。そし
て世 界 中 に平 和 の尊 さを訴 え続 けたのであった。今 この20世 紀 の西 洋 絵 画 史 上 最 高
傑 作 と言 われるゲルニカは、平 和 となったマドリッドのプラド美 術 館 に飾 られている。
susuki.sakura.ne.jp/ ~cowral/diary.html
この作 品 にはピカソにおける二 つの重 要 な象 徴 が描 かれている。ひとつは中 央 の荒
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れ狂 い逃 げまどう馬 であり、もう一 つは画 面 左 上 に描 かれた虚 ろな目 をした牡 牛 である。
馬 は人 民 をあらわし、そして牡 牛 は獣 性 と暗 黒 の象 徴 として描 かれている。この二 つの
動 物 の対 比 に、ピカソがこの作 品 に込 めた怒 りと悲 惨 があるわけだが、ただ後 にピカソ
が語 っているように、この牡 牛 はファシズムを象 徴 しているわけではないらしい。だとする
とこの作 品 は、戦 争 という人 間 性 を抹 殺 した極 限 状 況 における、人 間 全 体 の残 忍 性 、恐
怖 、悲 惨 さ、虚 脱 感 をあらわしたものであり、我 々人 類 に対 するピカソの警 告 とみること
もできる。
この他 にも、この作 品 には様 々な美 術 評 論 家 による、たくさんの解 釈 があるが、それらは
どれが正 しくてどれが誤 りであるのかという事 はここでは問 題 ではない。
ここで大 事 なのは、見 たものにとって、何 か心 に訴 えるものがあるという事 である。
見 てのとおり、「ゲルニカ」は、「モナリザ」の様 に写 実 的 ではなく、実 に抽 象 的 に描 か
れている。先 にも書 いてあるが、私 がこの作 品 を初 めて見 たときに、抽 象 的 に描 かれて
いるが故 に、何 だかよくわからない絵 であった。しかし作 品 の本 質 を知 ってからは、作 品
から戦 争 のその残 酷 さが伝 わり、見 れば見 るほど、心 の悲 痛 さを抑 える事 ができなくなっ
た。そして、ピカソが伝 えたかったのは以 下 の様 な事 なのではないかと考 えた。
写 実 的 に書 くことでそのときの現 状 を克 明 に伝 えることができるだろう。しかしピカソが
伝 えたかったのは、そのような文 章 でもできるような事 ではなかったと思 うのである。そう
ではなく、絵 だからこそ一 瞬 にして伝 えられること、つまり頭 で理 解 する残 酷 さではなく、
心 で感 じる残 酷 さ、戦 争 や大 勢 の人 々が亡 くなっていく虚 しさ、醜 さを表 現 したかったの
ではないか。そのために写 実 的 にではなく抽 象 的 に、そして色 彩 もほとんど使 わない方
法 をとったのではないかと。
これについては飯 田 善 国 氏 も著 書 『ピカソ』(岩 波 書 店 )の中 でこう語 っている。
「この手 法 による抽 象 の結 果 、現 実 にゲルニカの街 で起 った阿 鼻 叫 喚 の惨 劇 の光 景 は、
もしそれが自 然 主 義 的 な写 実 の方 法 に頼 って表 現 されたならば、たぶん極 めて通 俗 的
な悲 劇 の解 説 になってしまったかもしれない危 険 をまぬかれない」
というようなことである。
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以 上 、2つのあまりにも有 名 な芸 術 作 品 につい見 てきたわけだが、写 実 的 ・抽 象 的 で
あるという点 で2つの作 品 は実 に対 照 的 である。個 人 的 な好 き嫌 いを抜 きにして、写 実
的 な一 枚 の絵 として、実 にわかりやすい美 しさを持 つ「モナリザ」。
これに対 し抽 象 的 であるがうえに、絵 自 体 では完 成 しておらず、作 品 の本 質 を知 った時
に改 めてその美 しさに気 付 かされる「ゲルニカ」。
この両 者 における、表 現 の違 いも、先 にあげた庭 園 と同 様 に、レオナルド・ダ・ヴィンチ、
ピカソという芸 術 家 の、それぞれの美 のイデアの認 識 の違 いからくるものなのである。
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第三章 美の実践としての生活文化
3−1 複 製 (大 量 生 産 )と芸 術 (固 有 性 )
第 一 章 に書 いてあるように、私 たちが日 常 的 に接 するファッションにおいて、「至 高 の
美 」は殆 んど経 験 されないものである。
しかし、私 がファッションのイデアについて理 性 によってアプローチした考 えでは、日 常 的
な生 活 の経 験 からではなく、人 生 において何 か特 別 な時 における身 に付 けるファッション
において「至 高 の美 」は存 在 すると考 える。
たった一 日 だけで、ほんの一 瞬 の輝 きではあるが、誰 にとってもそれを着 たことにより
一 生 大 事 な思 い出 になるウエディングドレスこそがまさにそれではないだろうか。
そもそもウエディングドレスを世 に広 めたのは、イギリスのビクトリア女 王 である。1840
年 に行 った結 婚 式 で、ビクトリア女 王 の着 たシルクサテンとレースの白 いウエディングドレ
スとベールは白 で純 粋 無 垢 を表 現 しつつ、実 は低 迷 する国 内 繊 維 産 業 を盛 り上 げる目
的 もあったと言 われる。
この女 王 の結 婚 式 を機 に、ウエディングドレスを着 る習 慣 が庶 民 にも広 がったのである。
また、今 でこそ実 に色 とりどりのウエディングドレスが着 られるようになったが、ウエディン
グドレス=純 白 のというイメージになったのは、ビクトリア朝 には、女 性 の処 女 性 を極 端
に理 想 化 する傾 向 があり、純 潔 で無 垢 なイメージを象 徴 する白 いドレスはたちまち多 くの
人 のあこがれのドレスとなり、純 白 のウエディングドレスは正 統 の花 嫁 衣 裳 のシンボルと
なったのである。
よく、コレクションの最 後 にウエディングドレスを登 場 させることがある。これはクライマッ
クスを飾 るウエディングドレスは、デザイナーの夢 と技 術 の結 晶 でもあるからだ。
ファッションにおける「至 高 の美 」であるウエディングドレスは、オートクチュールのコレクシ
ョンで見 ることができる。
2004年 春 夏 パリオートクチュールコレクションで、ジャンポール・ゴルティエ(注 1)は、
水 着 かと一 瞬 目 を疑 う大 胆 なデザインを披 露 した。クリスチャン・ラクロワ(注 2)はフリル
で少 女 らしさを演 出 した。一 方 、ハナエモリ(注 3)は光 沢 感 のある白 の飾 りをあしらった
豪 華 なウエディングドレスを見 せた。いずれも白 一 色 の中 に個 性 が光 るものたちばかりだ
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った。
何 故 ならウエディングドレスは、それを着 た人 が人 生 の中 で最 も輝 ける、特 別 な機 会
に着 るものであるからこそ、デザイナーには通 常 より多 くのものが求 められるからである。
若 い女 性 に人 気 のブランド「ミス・アシダ」も、コレクションの最 後 は必 ずウエディングド
レスで締 めくくられる。デザイナー芦 田 多 恵 氏 は「特 別 な機 会 に着 るものですから、完 ぺ
きさが求 められます。多 くの人 が共 通 のイメージを持 つ服 にどう新 風 を吹 き込 むか。条 件
が多 いからこそ、考 える楽 しさもあるのです」と話 す。
このようにウエディングドレスには、着 る人 だけでなく作 る人 など、色 んな人 の思 いがたく
さんつまっているので、「たくさんの思 い入 れからできている服 」と言 っても過 言 ではない。
ドレス作 りの全 工 程 は、着 る人 の好 みや体 系 などを考 え、たった一 枚 のドレスであるにも
関 わらず実 に丹 念 に仕 上 げていくのである。その分 、多 大 な制 作 時 間 とコスト がかかっ
てきてしまう。そのわりにはウエディングドレスを着 ている時 間 は、長 い人 生 の中 でほん
の一 瞬 でしかないかもしれない。
しかし、それを着 た者 にとっては、生 涯 忘 れることなく一 生 大 事 にする思 い出 となる。
つまり、たった一 瞬 の輝 きが永 遠 の美 の経 験 となるのである。この経 験 は他 の既 製 服 に
は取 って置 き換 える事 は決 してできない。これこそがファッションにおける揺 るぐことなく絶
対 的 に美 しい「至 高 の美 」の経 験 なのである。
今 は殆 どの人 がオートクチュールではなくて、レンタルのウエディングドレスで済 ますと
いうことが主 流 になっているが、たとえドレスがレンタルだとしても、着 た人 にとっての感 動
は他 の既 製 服 では絶 対 に味 わえないものである。オートクチュールと同 様 に、生 涯 忘 れ
ることなく大 切 な思 い出 となる事 は変 わらない、その人 にとっての「至 高 の美 」の経 験 で
あると言 える。
既 製 服 もそもそもはこの様 な、着 る人 にとって唯 一 の輝 きを目 指 したはずである。しかし
大 量 生 産 に慣 れすぎてしまいその感 覚 は麻 痺 してしまったのだ。
この事 から、「至 高 の美 」の経 験 を乏 しくさせる、現 代 のファッション業 界 における一 番
の原 因 と言 えば、大 量 生 産 であると言 える。
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では、日 本 はどの様 な経 緯 をたどって、大 量 生 産 型 の経 済 になっていったのだろうか。
第 二 次 世 界 大 戦 後 、廃 墟 の中 から経 済 回 復 への道 を模 索 した日 本 経 済 は、1950
年 代 後 半 から1960年 代 を通 して本 格 的 な経 済 発 展 を遂 げた。
この時 代 に日 本 経 済 は、高 技 術 ・高 品 質 ・低 価 格 の製 品 開 発 で成 功 をおさめ、また海
外 市 場 の拡 大 等 を背 景 に、1955年 から1970年 までの16年 間 で実 質 GNP 成 長 率 を
年 平 均 9.8%も実 現 し、日 本 経 済 史 上 に伝 説 とさえ思 われる、高 度 経 済 成 長 の時 代 に
突 入 した。
この様 な高 度 経 済 成 長 期 において、特 別 な知 識 や経 験 を要 求 せず、誰 にでも動 かせ
るように設 計 された機 械 を多 用 し、流 れ作 業 によって作 業 を単 純 化 するという大 量 生 産
方 式 が確 立 された。この大 量 生 産 こそ日 本 経 済 を大 きく飛 躍 させた原 動 力 であった。
こうした大 量 生 産 により、均 質 な工 業 製 品 が安 価 に消 費 者 に提 供 されるようになった。
生 産 規 模 を拡 大 すればするほど、スケールメリットが働 いて、製 品 はますます安 価 となり、
多 くの消 費 者 の手 の届 くところとなったのである。こうした大 量 生 産 は実 に革 命 的 であり、
社 会 全 体 に大 きな変 化 をもたらした。
大 量 生 産 が可 能 になれば、次 は大 量 消 費 である。消 費 者 がどんどんものを使 わなく
ては、生 産 が続 かないからである。企 業 は消 費 を煽 るように、次 から次 へと製 品 の性 能
アップやデザインを新 たにして、市 場 に供 給 していった。
このような大 量 生 産 、大 量 消 費 社 会 を象 徴 する、「消 費 は美 徳 」などというフレーズが当
時 のマスコミをにぎわしていた。
こうして日 本 は、着 実 に完 全 なる大 量 生 産 型 経 済 へと変 化 していったのである。
では何 故 、大 量 生 産 では、ウエディングドレスのように、着 る人 にとって唯 一 の輝 きを
持 つ事 ができないのだろうか。この事 についてもう少 し詳 しく説 明 していく。
例 えば、ある一 流 のデザイナーが、自 分 の娘 のピアノの発 表 会 の為 だけに作 ったと
ても美 しいドレスがあるとする。そのドレスは紛 れもなく世 界 に一 つしかないものであり、
固 有 性 を持 つものである。つまり、他 のものと代 えることができないものなのである。
しかし、何 らかの機 会 にそのドレスを見 たアパレルの企 業 が、そのドレスを市 場 で売 り出
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せば必 ず売 れると考 え、複 製 (大 量 生 産 )をしたとする。
ところが、大 量 生 産 で作 られたこのドレスは、まず第 一 の目 的 は、 売 る という事 であ
る。この様 な目 的 で作 られているという事 は、とにかくたくさん売 れれば売 れるほどいいの
であって、「誰 がどんな場 面 で使 うのか」については基 本 的 にどうでもいい事 である。
つまり、「誰 のためでもいい、どんな場 面 で使 おうと構 わない」という趣 旨 で作 られている
ものなのである。
この様 に、大 量 生 産 、すなわち複 製 という行 為 は、物 事 から 固 有 性 を取 り除 く行 為
によって、美 に限 らず、価 値 を取 替 え可 能 なもの(固 有 性 のないもの、量 で計 れるもの)
に変 えてしまうのである。
固 有 性 について
例 えば、A と B の2枚 の絵 画 があったとする。この 2 枚 は何 かの作 品 を複 製 したもので
はなく、まったくのオリジナルのものである。ここで、「どちらの絵 が美 しいと思 うか」という
質 問 を100人 の人 に聞 いたとする。
そして、100人 中 100人 が「A の方 が美 しいと思 う」という答 えを出 す結 果 が出 たとしよう。
しかしそれは、各 個 人 における好 みの問 題 によるものだけの話 であり、この結 果 だけで
は A が B より美 しい作 品 であるとは言 えない本 当 にどちらが美 しいかというその答 えは
誰 にも言 えないものなのである。
何 故 かと言 えば、それは、芸 術 作 品 にはそれぞれ他 のものにはない固 有 性 を持 っている
からである。
「モナリザ」や「ゲルニカ」は一 般 には美 しい名 画 だと言 われている。しかし、それはただ
美 術 史 上 の中 だけでの話 である。つまり、「美 醜 の対 立 を超 越 したもの」という芸 術 作 品
の本 質 で言 ってしまえば、「モナリザ」も、名 も知 られてないような芸 術 家 が作 ったガラクタ
のように見 える作 品 も、どれもその価 値 はすべて同 じなのであるという事 が言 えるのだ。
他 のものの固 有 性 を侵 す事 のない、まったくのオリジナリティを持 つ芸 術 作 品 においては、
この様 に、固 有 性 を持 つからこそ芸 術 作 品 は「至 高 の美 」であり、どちらがより美 しいとい
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ったように比 較 することができてしまう相 対 的 な美 では決 してないという事 が言 えるので
ある。
3−2 生 活 と芸 術 :魯 山 人 とモリス
ここで、今 まで述 べられてきた事 を振 り返 ると、生 活 を構 成 する重 要 な要 素 である美
が、本 当 に美 しいものかと考 えたとき、それらはどこかうウソっぽいものに感 じられた。
その理 由 は、私 たちが今 まで美 しいと信 じていたものは、感 覚 による認 識 によって美 しい
と感 じたものでしかなかったからである。
人 間 が本 当 に美 しいもの、つまり「至 高 の美 」について考 える時 、それはすべて物 の存
在 のかなたにある、永 遠 で完 全 なもの=イデアを、理 性 によってアプローチする事 必 要 な
のである。
日 常 生 活 とは、ごくまれに大 きな変 化 が訪 れることもあるが、あとの些 細 な変 化 を除 け
ば、基 本 的 には毎 日 同 じことの繰 り返 しである。この毎 日 同 じようなリズムの単 調 な日 々
を送 れるという事 は、戦 火 の下 で暮 らすような人 々を考 えれば、本 来 、実 に幸 せなことで
ある。
しかし、逆 に考 えれば、せっかく毎 日 を平 穏 で単 調 に暮 らせるという幸 せな環 境 にありな
がら、私 たちは実 に個 性 のない生 活 を繰 り返 しているのである。これは何 とももったいな
いことである。
もっと生 活 のひとつひとつを意 味 のあるものにするには、一 体 どうしたらいいのだろうか。
私 たちの生 活 で具 体 的 に接 するものの多 くは、美 のイデアが分 有 されたもの(芸 術
品 )のコピー(模 倣 )である。
例 えば、椅 子 を例 に挙 げて考 えると、美 のイデアが分 有 された椅 子 を見 て、人 々は美 し
いと感 じる。そしてそれらは、芸 術 品 と呼 ばれる。
しかし、私 たちが生 活 の中 で具 体 的 に接 するものといえば、美 のイデアを分 有 された、
芸 術 品 を、さらにコピー(模 倣 )したものである。
これらは「至 高 の美 」とはかなりかけ離 れた場 所 にいるものである。
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生 活 の中 で具 体 的 に接 するものを、もっと本 物 の美 しいもの、つまり「至 高 の美 」に変
えることによって、私 たちの生 活 は、より豊 かなものになるのではないか。
このような事 を考 え、生 活 に関 わるもののイデアを理 性 によるアプローチをし、それを
追 求 し、形 にしていった芸 術 家 たちがいる。
本 稿 ではそのような活 動 をした芸 術 家 の中 から、北 大 路 魯 山 人 とウィリアム・モリスに
スポットをあてて、もっと生 活 のひとつひとつを意 味 のあるものにする為 には、どうすれば
いいのかについて考 えていく。
北大路 魯山人
北 大 路 魯 山 人 は1883年 3月 24日 、京 都 に生 まれる。書 、篆 刻 、絵 、陶 芸 、料 理 を
極 めた20世 紀 の芸 術 家 である。
魯 山 人 は、自 然 界 の美 しさを師 とし「自 然 美 礼 讃 」を信 条 に、生 涯 をかけ美 を追 求 し
た。
また、美 食 家 としても有 名 で、東 京 赤 坂 に会 員 制 の高 級 料 亭 「星 岡 茶 寮 」を開 設 した。
「食 器 は料 理 の着 物 」と言 った有 名 な言 葉 を残 している。1995年 重 要 無 形 文 化 財 保 持
者 (人 間 国 宝 )に指 定 されるが、辞 退 。1959年 12月 21日 、76歳 でこの世 を去 る。
魯 山 人 がこの世 に生 み出 した作 品 はたくさんあるが、すべての作 品 において、実 に素
晴 らしいの一 言 である。しかも、どの作 品 も誰 かの物 まねでなく、全 てにおいて彼 のオリ
ジナリティが発 揮 されているのだ。
しかし、何 と言 っても魯 山 人 は陶 芸 である。
彼 の陶 芸 は、料 理 に関 する敏 感 な感 覚 に根 ざして、料 理 と器 の総 合 的 な演 出 を目 指 し、
独 特 の魅 力 あふれる造 形 の世 界 を創 造 した。
「食 器 は料 理 のきもの」といった魯 山 人 は、調 理 方 法 ・素 材 へのこだわりと同 等 に、食 器
のバランスにもこだわり、調 和 を大 切 にした。料 理 を美 しく盛 ることは食 べる側 の食 欲 を
そそるものである。つまり、美 しい食 器 は、料 理 をより美 味 しくすることにつながるのだ。
魯 山 人 は作 陶 にあたって、九 谷 焼 の須 田 菁 華 窯 、青 磁 の宮 永 東 山 窯 、金 沢 の中 村
50
梅 山 窯 などから、陶 工 を招 き、多 様 な作 品 を制 作 した。他 にも志 野 、織 部 、黄 瀬 戸 、呉
須 、金 襴 手 、備 前 とあらゆる陶 芸 技 法 を学 び、作 陶 意 欲 を燃 やした。模 倣 から始 まり、
魯 山 人 の手 により生 み出 された食 器 は独 特 の光 を放 っているように感 じられる。
そんな魯 山 人 の食 器 に盛 ることにより、食 材 ・素 材 の持 ち味 はさらに引 き立 つのである。
魯 山 人 は、料 理 と食 器 の関 係 についての考 えをこう述 べている。
「言 うまでもなく料 理 には食 器 がなくては成 り立 ちません。太 古 には食 べ物 を柏 の葉 に載
せて食 べていたということですからこれは食 器 の起 源 かもしれません。
世 間 には料 理 さえ旨 ければ食 器 などどうでもよい、どうせ食 器 は食 えるわけではない、な
どと平 気 で言 う人 がいますが、これは『着 物 は暑 さ寒 さをしのげればよい』という暴 論 です。
『馬 子 にも衣 装 』というではありませんか。早 い話 が目 をつむったり、鼻 をおさえて食 べた
ら、いかに名 人 が丹 精 込 めて作 ったご馳 走 でも無 味 乾 燥 となりましょう。
尾 籠 な話 でありますが、仮 にカレ−ライスを新 聞 紙 の上 に載 せて出 されたら、おそらく
誰 も食 べたいとは思 わないでしょう。このことをもってしても食 器 の役 割 は大 きいのです。
結 論 を言 うと良 い料 理 には良 い器 が必 要 だということです。
一 つだけ良 くて他 方 が悪 くても構 わないというのはいけません。料 理 と食 器 は車 の車
輪 と同 様 であります。さればこそ私 如 きが一 生 懸 命 に窯 の前 で汗 をかいて自 分 の作 った
料 理 に最 も相 応 しい器 を作 ろうと日 夜 努 力 をしているのです。」
「使 い勝 手 が良 く、料 理 が映 える器 。」魯 山 人 の作 った器 を表 するとき、このように言
われることが多 い。今 となっては芸 術 作 品 と言 われる魯 山 人 の器 だが、魯 山 人 自 身 は、
器 は使 ってこそ意 味 のあるもの、料 理 と器 とは絶 妙 な関 係 にあって、料 理 がぴったりマッ
チする器 に盛 りつけられたとき、一 段 とその味 が旨 くなると料 理 と器 の本 質 的 な関 係 を
感 じていたようである。
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「椿 づくし鉢 」
www.shinwa-art.com/back_no/bn-page/03-10-15
北大路 魯山人
mytown.asahi.com/ishikawa/kikaku.asp?kiji=362
ウィリアム・モリス
ウィリアム・モリスは1834年 3月 24日 に、ロンドン近 郊 ウォルサムストウに生 まれる。
モリスは装 飾 芸 術 家 であり、詩 人 であり、物 語 作 家 であり、また、社 会 主 義 運 動 家 でも
あった。
そもそもモリスは、聖 職 者 になるためにオクスフォード大 学 に入 学 したが、やがて当 時
英 国 ビクトリア朝 を代 表 する美 術 評 論 家 であったラスキンの影 響 を受 け、建 築 学 に興 味
が向 かい始 める。そして、ラファエル前 派 を代 表 する画 家 、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ
に師 事 することになる
1859年 にモリスは、ベクスリーヒースにある自 宅 (通 称 レッドハウス)の新 築 に際 して、
設 計 を友 人 の建 築 家 フィリップ・ウェッブに依 頼 し、赤 レンガの素 朴 で住 み心 地 のよい家
と、市 販 の家 具 のデザインの俗 悪 さを嫌 悪 して、そこにふさわしい家 具 を自 分 とその友
人 たちで製 作 する。
これを契 機 に、1861年 モリス・マーシャル・フォークナー商 会 を設 立 。そのメンバーに
はモリス、フォートマドック・ブラウン、ロセッティ、バーン・ジョーンズ、アーサー・ヒューズ、
フィリップ・ウェッブ(建 築 家 )などラファエル前 派 に関 係 する多 くの画 家 が含 まれていた。
以 後 、モリスはデザイナー、経 営 者 、詩 人 、作 家 、社 会 主 義 運 動 家 として活 躍 することに
なる。そして、1896年 、62歳 に西 ロンドンのハマースミスで永 遠 の眠 りにつく。
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この様 なモリスの多 彩 な業 績 の中 でも、昨 今 は、装 飾 デザイナーとしての認 知 度 が高
く、彼 のデザインは英 国 のみならず、日 本 を含 む、世 界 中 のファンに愛 されている。
彼 の生 まれたウォルサムストウは、産 業 革 命 による都 市 化 の影 響 をもろに受 けた土
地 であり、産 業 革 命 という歴 史 的 に特 別 な時 代 を背 景 として、生 まれ育 った地 域 がモリ
スの人 生 と、人 格 全 体 に影 響 を与 えた。
モリスは、産 業 革 命 による、手 工 業 の機 械 化 に抗 うように、中 世 の手 工 業 に理 想 を置
いた。「手 づくり」志 向 、芸 術 を日 常 生 活 に生 かし、生 活 の改 革 からさらに進 んで社 会 改
革 への情 熱 をたぎらせ、その手 段 として「アーツ・アンド・クラフト運 動 」を展 開 する。
「アーツ・アンド・クラフト運 動 」とは、モリスが生 きた産 業 革 命 真 っ只 中 のイギリスでは、
様 々な商 品 が機 械 によって大 量 生 産 され多 くの民 衆 に供 給 された。そして、大 量 生 産 に
よって、自 ずと低 品 質 な商 品 が数 多 く市 場 に出 回 った。
そうした工 芸 品 の品 質 低 下 、そしてクラフトマンシップ(職 人 の技 能 )の消 滅 を危 惧 したモ
リスは、「手 作 りの良 質 な工 芸 品 こそが、作 り手 と消 費 者 、そして社 会 を幸 福 にする」と
提 唱 し、工 芸 品 のデザインの改 良 とそれを通 じた社 会 改 良 をめざすモリスと、それに賛
同 する人 々による動 きを一 括 して「アーツ・アンド・クラフト運 動 」と呼 ぶ。
モリスの工 芸 的 実 践 には、芸 術 的 な日 用 品 の 制 作 を目 指 し、建 築 ・ 絵 画 染 色 ・ 織
物 ・壁 紙 ・タピストリー・じゅうたん・刺 繍 ・テキスタイルプリント・家 具 ・ステンドグラス・文 字
印 刷 ・製 本 など、実 に広 範 囲 に及 ぶ。
モリスは、数 十 種 に及 ぶ職 人 の技 術 を修 得 し、消 えてしまった作 業 手 法 を再 現 する試
みを成 功 させる。たとえばタペストリー製 作 を開 始 するにあたっては、中 世 の織 機 を復 元 、
使 用 する糸 を染 めるため、すでに化 学 染 料 にとってかわられていた古 い植 物 染 料 を自 ら
創 り出 した。これは、科 学 染 料 のどぎつさや劣 化 の早 さに我 慢 が出 来 なかったからであ
る。
この様 な工 芸 活 動 の元 となる認 識 は、すでに述 べたように、モリスの理 想 が中 世 のク
ラフトマンシップにある事 にみられる。
この事 は、彼 の活 動 のなかに、誠 実 で個 性 的 な職 人 の態 度 、人 間 の尊 厳 や幸 福 への
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権 利 の存 在 、自 分 自 身 で作 ったものを最 高 とする姿 勢 、デザイナーと職 人 との同 質 性 、
職 人 の厳 しい熟 練 度 などが見 られることからもわかる。
壁紙
「石 榴 (Pomegranate)」
http://www2s.biglobe.ne.jp/ nobuhiko/Willi
am_Morris.htm
ウィリアム・モリス
www.nikko-company.co.jp
以 上 、北 大 路 魯 山 人 とウィリアム・モリスという二 人 の芸 術 家 について見 てきたが、この
ふたりの共 通 点 として、手 の込 んだ質 のいい工 芸 品 を、芸 術 品 として飾 ってしまうのでは
なく、実 際 に生 活 の中 で使 う事 によって、生 活 が豊 かになると考 えたという点 があげられ
る。そこには、人 々の美 しいものに対 する姿 勢 を、根 本 から問 いなおそうとする意 思 が見
られる。
しかし、両 者 の作 品 の値 段 的 な話 になってしまうと、質 が良 く、手 も込 んで作 っている
ものなので、どうしても高 価 になってしまうのだが、この二 人 の活 動 によって、良 質 なデザ
インのもたらす生 活 の豊 かさが広 く世 間 に理 解 されるようになり、日 常 生 活 の中 で民 衆
に役 立 つ「小 芸 術 =モダンデザイン」が重 要 視 されるようになった。
この二 人 の芸 術 家 は、特 に、生 活 の中 で接 するものにおいて、「本 当 に美 しいものは
何 か」という事 を、感 覚 による認 識 ではなく、そのイデアに向 かって理 性 による認 識 をし、
それを形 として表 した。これこそが芸 術 である。
芸 術 とは非 日 常 的 なものである。しかし、非 日 常 である芸 術 作 品 を、実 際 の生 活 にお
いて使 用 する事 で、日 常 は非 日 常 的 なものになるのである。
この事 から、この二 人 こそ、まさに「芸 術 的 に生 きる」人 物 であったという事 が言 えるだろ
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う。
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終わりに
∼美しい生活のために∼
私 はこの論 文 を書 くまでは、何 の根 拠 もなかったのだが、自 分 が美 しいと感 じるものに自
信 があり、誰 に何 と言 われようと、絶 対 的 なものであると過 信 していた。
しかし、今 まで私 が美 しいと感 じていたものが、本 当 に美 しいかと学 術 的 に考 えた時 に、
それらはすべて、どこかウソっぽく感 じられたのである。
今 まで私 たちが、現 象 世 界 において美 しいと感 じていたものは、イデアを分 有 された、
感 覚 によって認 識 されるものであり、それは完 全 なものではなかった。
本 当 の完 全 なる美 、「至 高 の美 」について考 える時 、イデアについて理 性 からアプローチ
をしなくては、その真 意 を知 りえる事 はできなかったのだ。
私 の頭 の中 に、何 故 か妙 に残 って離 れなかった言 葉 のひとつに、「星 の王 子 様 」(注 1
0)に出 てくる、「本 当 に美 しいものは目 に見 えない」という言 葉 があった。
今 までは、この言 葉 の意 味 を何 となく漠 然 と捉 えていたが、美 のイデアを知 った時 、この
言 葉 の持 つ本 当 の意 味 を知 ることができた。
私 たちは、美 の本 質 についてあまりにも無 知 なために、目 で見 えるものの価 値 のみを信
じすぎていたのである。今 、目 の前 に見 えている美 しいものは、本 当 に美 しいものなのか、
もう一 度 問 いただす必 要 がある。
たしかに、「至 高 の美 」について、知 らなくても、また経 験 する事 がなくても、当 然 生 きて
いくことはできる。しかし、「至 高 の美 」とは一 体 どういう事 かを知 ったとき、私 たちの生 活
はもっと豊 かなものになるのである。
私 も、魯 山 人 やモリスのように、本 物 の美 に囲 まれた生 活 を送 ることの意 義 を理 性 をもっ
て理 解 している、「芸 術 的 に生 きる」人 間 になりたいものである。
感 謝 の言 葉
締 め切 り直 前 になっても、まだこの論 文 の核 心 的 な部 分 について理 解 してなく、途 方
にくれかけていた私 を、最 後 まで見 捨 てずに、細 かく熱 意 のあるご指 導 していただきまし
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た犬 塚 先 生 おかげで、何 とか完 成 させる事 ができました。ここに厚 く御 礼 申 し上 げます。
注 1 ジャンポール・ゴルチエ
注 2 クリスチャン・ラクロワ
注 3 ハナエモリ
注 4 大 名 庭 園 ・・・江 戸 時 代 大 名 屋 敷 にあった庭 のことを言 う。特 に、1657(明 暦 3)年 の大 火 後 から、
幕 府 は大 名 の屋 敷 を上 屋 敷 ・中 屋 敷 ・下 屋 敷 に分 けたために、庭 園 の数 も増 えた。
それは、幕 府 が政 権 の安 定 をはかるために、江 戸 に住 む大 名 達 を火 災 の危 険 から
守 るための政 策 だった。当 時 は、各 大 名 に最 低 3つの屋 敷 があったわけだから、大
名 庭 園 も膨 大 な数 があったと考 えることができる
注 5 世 界 自 然 遺 産 ・・・正 式 名 称 は世 界 の文 化 遺 産 及 び自 然 遺 産 の保 護 に関 する条 約 。国 連 教 育
科 学 文 化 機 関 (ユネスコ)が1972年 (我 が国 は1992年 に締 結 )から顕 著 で普 遍 的 な価 値 を有 する遺
跡 や自 然 地 域 などを人 類 全 体 のための世 界 の遺 産 として保 護 、保 存 し、国 際 的 な協 力 及 び援 助 の体
制 を確 立 することを目 的 とする。
注 6 スフマート
注 7 エーロ・サーリネン・・・フィンランド生 まれ(1901∼1961)。 建 築 家 。建 築 家 の父 エリエルとともにア
メリカに移 住 。 北 欧 モダンとアメリカンモダンを調 和 させた建 築 や家 具 を発 表 する。 ミッドセンチュリーの
代 表 ともいえる「チューリップチェア」は彼 のデザイン。 リンカーン・センターや JFK 空 港 のターミナルなど
アメリカ建 築 史 に残 る仕 事 をした。
注8 岡本太郎
注9 横尾忠則
注 10 星 の王 子 様
フランスの作 家 {アントワーヌ=サン=テグジュペリ}によって書 かれ、1943年 に
出 版 された児 童 文 学 。
現 在 まで、世 界 中 で100以 上 の言 葉 に翻 訳 され、子 供 から大 人 まで年 齢 や
性 別 を問 わず親 しまれている。
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参考文献
「パイドン」
「饗 宴 」
「」
中 沢 裕 輔 ようこそ異 業 種 交 流 リポート
http://www009.upp.so-net.ne.jp/nakaguma/index.htm
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