おふくろの味 選集 - GMOとくとくbb

会報「ねむろ」第65号~81号
おふくろの味
選集
2016年6月18日発行
編集発行責任者 髙橋
正弘
(注)役職名は当時のものです。
ヨロコンブ
篠島 斉子 2004年11月14日発行 第65号
「エッ、今年もまたいただけるんですか。それなら残っているのたべちゃお」
「こんなおいしい昆布、探すんだけれど、どこにも売っていないよ。嬉しいなあ」
見た目には何とも貧相な棹まえ昆布が、これほどまでに喜ばれようとは。三十年程前か
ら夫の親兄弟にあげていたのが、配る人がだんだん増えて今年は四十㌔を取り寄せました。
それを大小九十個位に小分けし、職場関係者、夫の兄弟、親しい知人、近所の方々に配り
ます。差し上げた方々の反応が嬉しくて、大仕事ですが小分け作業も何のその、潮の香り
の中で〝ふるさと自慢〟の気分に浸りながら作業を楽しみます。
初めて差し上げる方には、簡単に次の様な調理方法も伝えます。
○殆どの調理法では、昆布は水洗い程度、根室弁で言う〝長くうるかさない〟それを結ん
で、おでん、煮しめ、湯豆腐等に。
.....
○少しうるかして酢の物、刻んでそのままポン酢でもおいしい。
○ぬれ布巾で拭く程度にして、昆布を広げ魚(鮭)を包む。昆布の塩気と風味で高級魚に変身。
○さっと水洗いした昆布を二、三㌢に切り厚手鍋に敷く。砂糖または蜂蜜に醤油少々、水
は昆布よりやや上まで。その上に角切りのカボチャをのせ、中火で煮る。こげつかぬよ
う注意。
棹まえ昆布との出会いは、父が歯舞の華岬小学校に赴任、私が高一の時でした。海から
押し寄せてくる白いガスの毎日。晴れた日には一斉に昆布漁の船が出漁、浜には船から上
げられたつるつる光った茶色の昆布を、ほっかむりの人たちが両手に一本ずつ交互に砂地
に打ちつけながら砂浜を引っ張って並べ、また並べ、砂浜は昆布の縞模様があちこちに出
来上がります。薄れ掛けた遠い記憶ですが懐かしい光景です。
良質の昆布が採れるという貝殻島の昆布漁は「貝殻島昆布日ロ民間交渉」によって、年
間一艘当り四~五十万円をロシアに払っているそうです。「厳しいですよ。六月から九月ま
での漁ですからねえ」(歯舞漁協担当者のことば)
北方領土の経緯を思うと、大国の不条理にムカつきながら、歯舞昆布漁の行く末を案じて
いるわけですが、郷土のヨロコンブ愛好者の広がりの和、輪をいつまでも大切にと、思う
根室っ子です。
(東京根室会幹事)
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鮭の親子鍋
谷中 和子(故人) 2005年6月18日発行 第66号
1月の幹事会終了後に会食があり、その時古郷の味自慢が話題になりました。
私に「何か思い出の味、懐かしい味ありますか」と問いかけられ、とっさに私の頭の中
に思い浮かびましたのは大きな土鍋と父の顔でした。普通古郷の味と言いますと、次の言
葉はおふくろの味、でも私の場合は父の味なのです。
お鍋の中には大根、ジャガイモ、キャベツ、葱そしてメインの生鮭、味は味噌仕立てで
す。ここまでの調理が母の担当、これだけですとただの鮭鍋。
さあ・・・これからが大変!父の出番です。グツグツと煮え立つ鍋をじっと見つめ「い
まだ」と言いつつ皮を破った筋子を汁の中に振り入れてパラパラ筋子の粒を散らし、火を
止める。その微妙なタイミングが実に父ならではの感じなのです。あまり生でも駄目、煮
過ぎてもかたくて駄目。少し白濁した味噌汁のあちこちにルビーの玉が?子供の頃思った
ものでした。半熟の筋子を噛むとプチュ、弾けるようにつぶれ、次々と口の中いっぱいに
ひろがる味、私にはそれがほっとするような父の味でした。郵船の事業をしていた父は仕
事上接待も多く料亭への出入りもありましたから若しかしたらその辺りから家庭に持ち帰
った味かも知れません。
でも私には父の味、即ち古郷の味なのです。秋鮭の漁の時期になりますと毎年我が家で
はこのお鍋が食卓を賑わせたものでした。
名付けて「親子鍋」いかがでしょうか。
(東京根室会副会長)
「根室・舞さんま祭り」に参加して
木村 幸恵(故人) 2005年11月
13日発行 第67号
東京根室会の訪郷旅行に参加した時、こんど横浜のこどもの国で「さんま祭」があるの
でと、根室管内ふるさと会連合会の実行委員になっている大村賢治さんから勧められまし
た。
旅行の同行者のKさんはこどもの国近くにお住まいで、とても広く、素晴らしい公園だ
とのお話でご一緒しましょうということになりました。
10 月2日は、お天気。公園内をKさんに案内してもらいながら、バーベキュー会場へ。
ふるさと会の方々、家族連れと大勢の参加者でした。
私たちも、根室会のお仲間のテーブルにつき、それぞれうちわで、バタバタが始まりま
した。遠い昔、母の手伝いで火鉢をバタバタした我が家の光景と重なった瞬間でした。新
鮮なサンマがジュッジュッと焼き上がり、それぞれの味付けで一口………。「おいしいね」
「ウマイネ」の声があちらこちらから。
家族で参加された方々は、おじいさん、おばあさん、お父さん、お母さんからふるさと
のブランド品サンマの昔なつかしい話を聞きながら、満喫されたことでしょう。
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裏方でお世話下さったふるさと会の役員の皆様、本当にご苦労様、ありがとうございま
した。
今の生活にはほど遠く、炭火、焼きたてのサンマ、遠い昔。懐かしい日常生活の一端を
覗いた一日でした。解散後、公園の中からの元気な声を背にして、イベントに参加できた
ことに満足しながら、帰路に着きました。みなさんありがとうございました。おいしかっ
たでーす。
(東京根室会副会長)
(根室・舞さんま祭りは、歯舞漁協様から「さんま」のご提供を受けて実施されました。
)
ふる里の海の幸 イコールモーツァルト
石川
繁子
2006年6月24
日発行 第68号
高校卒業まで故郷根室で過ごし、娘時代を名古屋で、結婚を機に東京へ東京在住 41 年目
になろうとしています。昨年芭蕉同窓会の当番幹事を終え根室会へ、新米会員です。ふる
里根室の自慢料理を一筆と課題を与えられ、さて何だろうと考えた。
実家は網元で底引網漁を筆頭に春は鮭鱒、夏から秋はサンマ漁、イカ漁、冬は延縄漁を
操業していたので、一年中、旬の魚を食べていた。
料理の基本、煮る、焼く、ゆでる、揚げる、生(刺身)、汁物と言う具合に。
煮る:カレイの煮付、金目の煮付、大鮃のあら煮(縁側)、あら煮は甘辛く煮付一晩置い
て、にこごりになったのが好きでした。
焼く:七輪で焼いた時しらず、一夜干しのサンマの開き、きんきの開き、サンマの塩焼
に大根おろしをたっぷりのせて(大根は裏の畑から収穫)
ゆでる:タラバガニ、花咲ガニ、北海しまえび、ゆでたての花咲ガニ、真っ赤でトゲの
痛さに軍手をはめて割箸で身を押し出し、つゆも一緒にすすって食べた。北海しまえびは、
北の海で育まれた繊細な味が何とも言われぬ味わいです。
揚げる:カニの天婦羅、芳香が増し、刺身やゆでたのとは別の味わいが楽しめます。
刺身:カレイ、イカ、ホタテ、タラバガニ、カレイ類は淡白なおいしさ。タラバガニは
一番脚の殻を除き、氷水の中で振り洗いすると透き通った身がほぐれ、白い花が咲いた様
になる。その先端にちょっとしょう油をつけて食べる。これは父の手料理でふる里でしか
味わえない一品でした。刺身はしょう油をつけ過ぎない様に、各々の持ち味を楽しみなが
ら食べなさい、と父の教えです。
汁:カジカの味噌汁、鮭の三平汁、タラの三平汁、白子清汁、早春の味フノリの味噌汁
等沢山の汁物がありますが、ふる里を離れて一度も口に出来ないのがカジカの味噌汁です。
機会があったらキモ入りのカジカの味噌汁、是非食べたいものです。
お正月料理に欠かせないのが鮭の飯寿しです。漬込の時期には大根、人参等野菜の千切
を良く手伝いました。飯寿しは各家庭の味があり、当時は普及品でなかった様に思います。
北海道一村一雇用おこし事業認定品として根室発、浜の郷土食飯寿しが出廻って来ました。
なつかしいふる里の味を楽しみにしています。
生誕250年を迎えた天才作曲家モーツァルト、NHKBSで〝毎日モーツァルト〟珠
玉の名曲を毎日一曲ずつ一年にわたって放送されますが、その中で評論家がモーツァルト
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の音楽は長い間多くの人々に愛され続け、いつ聴いても何度聴いても飽きる事なく、また
すぐ聴きたくなる、それがモーツァルトの音楽であると話しておりました。
ふる里の海の幸どれもが新鮮で美味、毎日食卓にのぼった素朴な料理の数々が自慢なの
です。ふる里の海の幸、これこそがモーツァルトの名曲に共通するのではないかと思う次
第です。
(東京根室会幹事)
子供の頃のおやつ
篠島 斉子 2007年6月16日発行 第70号
昭和 20 年前後の数年間は、日本中が空腹でした。寒冷地、根室の農作物は野菜が中心。お
腹を満たす作物は、ジャガ芋ぐらい。このような貧しい時代に小学生でありましたが、その頃の
「おやつ」を懐かしく思い出しています。
春、鰊の大漁で近所の家々では身欠き鰊作り。朝、干し、夕方取り込む。この作業は子供たち
の仕事でした。楽しみは、合い間に少し固くなって脂ののった鰊の皮をビリッと剥ぎ、むしって
食べたこと。
春から夏、子供たちは連れ立って街はずれの丘陵地に野生しているヨモギ摘みに出かけたもの
です。母はそれをゆで、すり鉢ですりつぶし、父と作ったジャガ芋とでんぷんでこね合わせ、葉
っぱや花の形にして蒸してくれたものです。
秋、街中がイカの臭い。幾本も張った縄に開いた白いイカを干す。スルメになる前の生干し状
のイカをストーブの上の網で焼く。指が火傷しそうになりながら、厚い身を割いて食べたっけ。
冬、小2の頃のある休日。父の後について流氷で真白な海に向いました。あちこちにたくさん
の人が氷に穴を開け、赤い布切れを釣り糸につけ穴に垂れていました。缶で火を燃している所も
あり、私たちも穴を一つ分けてもらって釣り糸を垂れたところ、赤い布切れの針にコマイが食ら
いつき、見る間にコマイはバケツを満たしました。帰ってからムシロに広げ干し、夕方取り込み、
朝、又干すのくり返し。この生干しも「おやつ」でした。
寒冷地根室での、貧しいと思っていた子供の頃の「おやつ」
、実は何と豊かで恵まれた内容で
あったことか、つくづく思うのです。
(東京根室会広報委員)
ギンポ(銀宝)とベベ
大村 賢治 2007年11月11日発行
第71号
5月同窓会後、同期生連れ立って、浅草寺をお参り、仲見世を見物途中、当会幹事で食
通の樋口さんが「今旬のギンポの天麩羅が旨い」と云い、浅草でも名の通った天麩羅屋へ
案内し、早速「ギンポ」を注文した。
だが樋口さん以外の8名はギンポなるもの初めて聞く名で勿論、姿・形など見たことが
ない連中、
(私の外に魚屋経験者1名いたが、これも同じ)
出てきた「ギンポ」に早速箸を付けた、白身の魚で脂がのり確かに旨く、ハモに似た感
じがした。誰かが「これハモでないの」と店の女将さんに声を掛けた、女将さんじろりと
我々を見て「違うこれはギンポ」と云い、ギンポは江戸前で獲れる磯魚で、今が旬の江戸
前天麩羅を代表するネタだと、いろいろ講釈を云い、奥からギンポの写真を持ってきて「こ
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れがギンポだ」と我々に見せた。
写真を見た者一斉に「これべべだ」と声を上げた。女将さんと板前さんビックリ顔をし
ていたが、でも「べべ」は喰えない魚と思っていたので、「べべ」を喰った者誰もおらず、
「べべ」も喰えるんだと只感心した。
後日、広辞苑を引いてみたら左記内容から、どうも間違いなく「ギンポ」=「べべ」で
ないかと思う。
ギンポ(銀宝)ニシキギンポ科の磯魚、体長 20 ㌢、体は細長く著しく側扁。頭は小さく、
背びれは頭部から尾まで達する。灰褐色で複雑な斑紋がある。北海道から九州まで分布。
天麩羅として賞味。カミソリ、ウミドジョウと書かれていた。(カミソリは手ッ切りべべの
ことでないか)
その「べべ」子供の頃、干潮の時に本町の波止場や倉庫裏の石垣下の磯で、棒ッコに5
寸釘を括り着けた手製のヤスで、大きな石陰に潜んでいる「べべ」を獲って遊んだものだ
が、その磯も今では埋め立てられてないが、根室の磯は広い、「べべ」はどこかの磯の岩陰
に棲んでいるのでは。
以前に量販店のバイヤーに、浜でザッパとして扱われている物でも、我々が見たら使え
る物があると云われたことを思い出した。
小樽名物の「八角の軍艦焼き」その八角、我が浜では相手にしない「サブロッコ」と思
う。
各地で「ギンポ」
・「八角」と名物となっている魚、根室の浜にも、きっと珍重される魚
類が沢山いる気がしてならない。
(東京根室会会長)
ギンポ
おやつ 思い出の味
小林 勝子 2008年6月21日発行 第72号
混雑する「大北海道物産展」。その中でも一段と長蛇の列。泳ぐように辿り着いた先は、何と
ジャガバター売場。都会人の感覚にハテナであった。薯は国民が皆貧しかった時代の代用食、お
やつの代表格。但し、当時バターは病人の滋養食の位置付け。健康人は塩茹でか蒸かして食べて
いた。あっ!かぼちゃの塩茹でも美味しかったから売れるかも・・・。
あの頃、農家育ちの母は「天狗印ベイキングパウダー」を混ぜて作るパンもどきより、薯やか
ぼちゃを扱った方が得意だった。
父はマメな人で、ビート大根の水飴やカルメ焼きをこれまた上手に作ってくれた。大人の留守
中にカルメ焼きを上手に作りたくて、何度も挑戦して「危ない!」
「もったいない!」の集中砲
火を浴びたのも今は懐かしい思い出。駄菓子屋で買った変り玉は、今時のママなら目を剥きそう
な強烈な色彩とサッカリンの甘さ。現代周知の毒薬(?)をも、我々世代は薬に代えて逞しく育
って今日に至っている。青や紫に染まった口の中を見せ合って大笑いしたものだった。
おやつは甘い物が相場のようだが、その頃から私は砂糖より左党?おやつよりオツマミが大好
物。一番のお気に入りは、海老の塩茹で。貧しい親の懐具合も知らず、浜のおばさんが一升桝を
片手に売りに来るのをひたすら待っていた。それと魚漬け用に用意した身欠ニシン。そのまま食
5
べるのが一番。毬つきをしながら汚い手で食べていたのを思い出す。今でも身欠ニシンの前には、
いつもあの幼い日の自分がいる。~夕日を背にして~
中学生の時、缶詰工場の景気が良かったのか、私までアルバイトに駆り出され、蟹のハサミを
自由に食べさせてもらった。あの美味しさも忘れられない。
フレップやウニを自由にとって食べた遠足の思い出。時代は発展途上であっても子ども達は大
らかに本物の味を堪能していた。
昔、大人のおやつは魚漬けと飯ズシ。部屋が臭くなるので大嫌いだったのが、今は大好物に。
年に一度、母や友人の奥さんから送られて来るのがとても楽しみだ。
「臭っさー!何これ!」と
言う孫娘を横目に「敵は少ない方がいいネ」と、最近ファンになった娘と目で会話した。
色々な事を思い出しながら、三世代でポテトチップスをつまむ、今日この頃である。
(東京根室会幹事)
おふくろの味
板垣 誠 2009年6月20日発行 第74号
「畑に行ってゴショイモを掘ってきて」という母のひと言で、よく裏畑に鍬(くわ)と
大きな網駕籠を持って、いやいやにイモ掘りをした頃が懐かしい。
当時はそれをふかして食べたり、擦りつぶして小麦粉と混ぜ、油で揚げて代用食として
いた。味はピカ一だった。
食べるものがない時代――。わが家は旅館と商業を営んでいたが、白いご飯は食べられ
ず、10 人兄姉と大勢のためか、主食はイモと小麦を混ぜて炊いていた。米は配給制度で「米
穀通帳」なるものをよく配達した記憶がある。配給の乾パンもあった。しかし、宿泊者が
ある時は手を叩いて姉たちと喜んだ。お客には白米を出すため、釜で炊いたおこげのおに
ぎりがめちゃくちゃおいしくて、母の手塩の味は格別だった。
珸瑤瑁は小さな漁村。魚は近所からもらってよく食べた。アブラコなどは自分でも釣り
に行ったものだ。東京に出てからもこれが食べたくて捜したがなく、あとで「アイナメ」
だとわかり、呼び名が違う都会に驚いたりもした。
小学生の頃、温根元にはカニ工場が3軒もあり、タラバガニの折れた脚があちこち落ち
ていて、大きくて2、3本食べるとお腹がいっぱいになるほどだった。
また裏山の土手にはフレップ、ヨモギ、セリ、フキなどが群生し、姉たちとよく摘みに
出掛けた。ヨモギはすり鉢でつぶし、小麦粉と澱粉を混ぜてフライパンで焼き、よくほお
ばった。
「おふくろの味」はどんな料理もおいしかった。幼い頃の名残なのか、いまだにセリや
ヨモギは大好物で食べている。また正月の餅は必ずヨモギが入ったものをつき、それをア
ンコ餅にして食べると、プーンと香りがして何ともいえなかった。それを重箱に入れて隣
近所に配ったものだ。
フレップはよく採りに行った。母が牛乳で独特の味付けをし、それを父がうまそうに食
べていた顔が忘れられない。現在では予想もできない食糧難の時代だったが、なぜかみん
な元気で生き生きしていた。もう「おふくろの味」は味わえないが、故郷に帰るたびにそ
の頃の思い出がよみがえる。
そして空気と自然だけが笑顔で迎えてくれるような気がする。
(東京根室会幹事)
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おふくろの味
新関 壽子 2012年11月18日発行 第81号
私の家にはお料理上手な祖母が居て、祖母は母のお母さんなので、私にとっての「おふ
くろの味」は、同時に「おばあちゃん」の味とも言える。私が子供の頃から我が家の台所
には祖母が多く立ち、おさんどんに腕を奮っていたように思う。
私は好き嫌いの多い子供で食事に関しては、焼き鮭と玉子焼きと焼のりがあれば良く、
とりわけ肉類は苦手、根室に生まれ育ったのが無意味な程、新鮮な魚貝類にも興味が無か
った。家を離れ、根室を離れ、偏食もなくなり、食の楽しさを知り、なんと勿体なくも贅
沢な食環境の中で、私は育ったのかと気づいた。
祖母や母の味をあらためて美味しい「おふくろの味」と認識できたのは、結婚して自分が
台所の主となってからかもしれない。四苦八苦して食事を作り、料理本のレシピを頼りに
しつつも、何かもっと味わいたい、ピンとくる懐かしい味を求めてしまう。ああ、これぞ
子供の頃から当たり前の様に口にしていた我が家の味、
「おふくろの味」なのだと納得する。
祖母は日常の家庭料理や季節の漬物を、母は時々蟹の甲羅に詰めたグラタンやホタテ貝
を器にしたコキール等ちょっとおしゃれなご馳走を工夫して、当時の私はうきうきして食
べた。
子供たちの誕生日は、きまって祖母の五目寿司と母の赤白緑の寒天入りフルーツポンチ
が我が家の定番。祖母も母も他界して久しいが、私のお節の「根室風」「おふくろ風」旨煮
と黒豆は現在も変わらない(旧姓・川野上)
(東京根室会幹事)
【名文追記】
ゴダッペのつぶやき
2004年6月19日発行 第64号
何はさておき、花咲ガニ。まずはフンドシをパリッとひっぱがしてミソをすすり込む。
それから一献、地酒北の勝。つきだしには、ホヤのレモン添えかメフンがよい。
店内のあちこちに根室弁が飛び交い、コマイの一夜干しの匂いに鼻がうごめく。
きょうは、カジカ汁はないのと、お姐さんに訊く。でっかい肝が入ったやつサ。
鰊漬けなんかもいんでないかい。シバレたカイベツや噛むとピョと氷が飛び出す大根を
バリバリやるのはたまんないね。
友人に山形産の男がいる。お国訛りと山菜料理に惹かれて都内の郷土料理店によく出掛
けるとか。
ふるさと根室の味覚、根室弁の店が身近にあったらと思ったりしています。 (M・K)
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