マイコース・プログラム活動報告書 学生番号:0601229332 氏名:土井 響 研修先:National Institutes of Health Frederick Campus HIV Drug Resistance Program 期間:2013 年 8 月 16 日~2013 年 10 月 15 日 活動内容:HIV に対する抑制的な宿主因子である、APOBEC3F(A3F)、APOBEC3G(A3G) の役割に関しての研究、特に A3F と A3G の間に Competition があるかについて 0. はじめに 私は、今年のマイコース期間を利用し、NIH(National Institutes of Health) の Frederick Campus に留学させていただきました。 いつか海外留学をしてみたい、海外を経験したいと感じていました。この度、マイコー スを利用し、貴重な留学体験をさせていただきました。 以下、時間を追って、準備や留学生活について紹介したいと思います。 1. 留学の準備 留学の準備は、本当に色々あるので、余裕を持って進めてください。きっかけ、実験の 準備、英語の準備、宿舎の準備、お金などの準備、書類等の準備という順で述べたいと思 います。 去年の放射線遺伝学の授業で、武田教授からマイコース期間の海外留学に関してお話し ていただき、その年の 8 月に、武田教授をお訪ねし、留学に関して具体的に説明をいただ きました。いくつか提案いただいた留学先の中で、HIV が専門の上記の研究室を希望し、 そこで泉 泰輔先生にお世話いただくことになりました。 基礎研究の準備に関してですが、私はそれまでラボで研究させていただいたことはなか ったので、1 からの準備となりました。冬休みと春休みに、武田教授の研究室の村井先生に お世話になり、基本的な手技を教わりました。 経験させていただきました手技を列挙しますと、細胞の培養の基本、アガロースゲル電 気泳動、細胞数計測、エタノール固定、細胞培養、フェノクロ抽出、PCR、Transformation、 blue-white selection、Mini prep、大腸菌の plating などの基本技術になります。その他、 Comet Assay、FACS、エレクトロポレーション、蛍光顕微鏡、プライマー作成などを見せ ていただきました。 なお、NIH で用いた技術としては、Western blot、PCR、Gel extraction、TA cloning、 Transformation、Blue-white selection、Sequence 解析や、その他にも、プロトコールを 使っていくつかの実験をしました。 留学先の研究内容について事前に予備知識を持っておくと良いでしょう。私の場合、武 田教授に論文を 1 本選んでもらい、それを自分で読んだのち、武田教授に内容を確認して いただいたり、質問させていただいたりしました。その経験は、留学先で役立ち、研究を 理解するのに非常に助けとなりました。それに加えて、留学先の Principal Investigator(PI) である、Vinay 先生に紹介していただいた review paper を読んでいきました。さらに、 Essential Cell Biology も読み直しておきました。 英語面での準備としては、英会話に通ったり、日々のリスニングをするよう心がけるな どしました。ただ、日本で多少準備したからといって、現地の英語についていける、とい うわけではありません。雑談などは本当にわからなくて、雰囲気で合わせていました。 とはいえ、ある程度準備していくと気持ちが全く違いますので、これから留学される方 は、時間を作って準備されることをおすすめします。個人的には、比較的余裕のある 1 回 生、2 回生のうちに英語を勉強しなかったことを今になって後悔しています。将来の選択肢 を広げる意味でも、早くから英語を練習しておく必要性を痛感します。 宿舎探しですが、泉先生のご自宅に泊めていただけることになりましたので、宿泊の心 配はありませんでした。ただ、宿泊先探しで苦労した同級生もいますので、私の場合は非 常に幸運でした。 泉先生の奥様に、おいしいお食事も作っていただけましたので、食事の心配も全くしな くてよかったです。日本食を出していただけましたので、日本食が恋しくなることもあり ませんでした。 お金に関しては、現金のドルに加え、トラベラーズチェック、それにカードを 2 枚(VISA、 MASTER)持って行きました。トラベラーズチェックは、もう時代遅れとも聞いていたの ですが、宿舎代として大金を持ち歩くことになるため、念のために作っていきました。結 局、行ってすぐに、銀行でドルに替えました。 その他には、国際学生証(作るのにお金が若干かかりますが、観光の際、学割がきくの で、元はとれました)、国際運転免許証(念のため作りましたが使いませんでした)を用意 していきました。 必要書類については、留学先の研究室から次々とメールで指示が送られてきましたので、 順番に準備をしていきました。しかし、CV(履歴書)を書いたり、高校から卒業証明をと ったり、長々と英語で書かれている同意書を読まなくてはならず、作業量は少なくありま せんでした。 海外留学保険は AIU に入りました。 航空券は、時計台旅行センターでとりました。行きは、関西国際→San Francisco(1 日 観光)→Washington D.C で、帰りは、Washington D.C→成田→伊丹で帰ってきました。 服、勉強道具、お土産などは、日本の郵便局から郵送で送りました。 直前に合宿や西医体に行っており、帰宅してから 2 日後に出発だったため、時間がギリ ギリになって準備が大変で、前日は 4 時間しか睡眠が取れませんでした。余裕のある予定 を立てるべきでした。 2. 留学先について、留学先での生活について NIH Frederick Campus は、Washington D.C 郊外の、Fort Detrick という陸軍基地内 にあります。 Washington D.C を走る地下鉄の最寄駅から車で 40 分、また MARC という電車の最寄 駅から車で 15 分ほどでした。もっとも、MARC は、本数が非常に少ないので、Frederick は、車がないとかなり動きづらいです。 泉先生のご自宅は、Frederick Campus から、歩いて 15 分、自転車で 5 分ほどの場所に ありました。当初は泉先生の車に乗せていただいて通っていましたが、途中からは自転車 で、また自転車が盗まれてからは(驚きました)歩いて行っていました。 まさに、大都市郊外といった感じのところで、豊 かな自然に囲まれ、うさぎやリスがいっぱいいたり、 NIH への通勤路に牧場があったりしました。 また、同時期に泉先生のご自宅にアメリカ人 のポストバック、ロシア人のポスドク、イタリ ア人の医学生がいました。 近所に日本人(小さい頃からアメリカ住まい) のポストバック、韓国人のポストバックもいて、 交流することができました。 Frederick Campus は、小さな「研究村」みたいになっており、テニスコート、公園を始 め、バーや、誰かの家までありました。 ラボは国際的であり、隣のラボとのつながりが強かったこともあって、様々な国から来 た人々のなかで研究生活ができました。ボスの Vinay はインド人、隣のラボのボスは台湾 人、後はアメリカ人、中国人、イタリア人、エチオピア人、ロシア人、カザフスタン人、 メキシコ人がいました。ポジションの構成としては、1 つのラボにつき、ボス(PI という) の他に、biologist などの staff scientist が 2 人ほど、そしてポスドクが 3 人くらいの構成だ ったかと思います。 ラボでの実験は、泉先生の研究の手技を手伝わせていただく(手伝いになっていたかど うかは怪しいですが)という形でした。作業は非常に遅かったかと思いますが、泉先生は 根気強く付き合ってくださり、なんとか結果までたどり着くことができました。実験の内 容、結果については後述します。 最後には、ラボで出した研究結果についてプレゼンする機会をいただきました。直前の 1 週間は、かなり忙しかったですが、泉先生が、ご自分の時間を割いて見てくださり、しっ かりと準備をしていけました。質問は、泉先生が答えてくださったので、私は特にピンチ にも陥らず、無事に終わることができました。 普段は、ラボから帰宅してからは、泉先生にバーや誕生日パーティーに連れて行ってい ただいたり、予定がなければ、勉強や、ラボ関連の実験のまとめをしたり、レビューペー パーを読んだりしていました。 パーティーでも様々な国の人と知り合いになれました。私の英語力では、外国人同士の 雑談は初めは全くわかりませんでしたが、だんだんなんとなくやっていけるようになり、 最後には、カードゲームに参加できたりしました。 ほかには、ピンクリボンという慈善団体がやっている 5km のマラソンに参加したことも ありました。5km くらいなんてことはないと思っていましたが、運動を怠っていたので、 大変なことになり苦しみました。 また、アメリカでレジデントから医者をされていた方にお話を伺うことができました。 アメリカで医者をするということに関して貴重なお話をきかせていただき、その活躍のス ケールの大きさに圧倒されました。 日本に帰ってから計算したところ、結局かかった金額は、だいたい 航空券 3500 ドル+宿泊・ご飯 1200 ドル(2 ヶ月)+旅行・外食・お土産 2030 ドル くらいでした。宿泊費、食事代は抑えられましたが、外食したり、旅行をするのにかかっ た値段が大きかったようです。また、他の人と比較しても、なぜか航空券が非常に高かっ たです。San Francisco で一日泊まったのが大きかったのかもしれません。 3. 観光 まず、行きがけに、San Francisco に寄りました。なお、San Francisco は、アメリカで 行った都市の中で一番住んでみたいと思った都市です。 Full House(San Francisco を舞台とする、アメリカのコメディードラマ。NHK で放送し ていた)のオープニングでは、ここでピクニックをしています。 その後は、Washington D.C を始め、New York、Boston に、NIH に留学していた友達 と行きました。New York には、Washington D.C からバスで、Boston には、ロナルド・ レーガン空港から行きました。Washington D.C に行くには、Frederick Campus と Bethesda Campus を結ぶ無料のバスが有用でした。 また、Baltimore には、泉先生に車で連れて行っていただきました。 UC Berkeley 校や、Harvard、MIT などを見てきましたが、その規模には衝撃を受けま した。 Harvard University の辺り 4. トラブル 入国審査で、間違ったスタンプを押される、という事件が起きました。もともと、NIH から、WB stamp で入国するようにいわれていました。しかし、入国審査官にスタンプを 押してもらうと、WB とは書いてありません。不安になって、入国審査官に、本当にこのス タンプでいいのかと確認すると、これは、WB stamp を示しているんだよ、と言われ、そ のままラボに持って行きました。すると、ラボの初日に、違うスタンプだね、これは WT stamp だと言われる羽目になりました。秘書の方が問い合わせて下さり、結局、WT stamp でも実験出来ることになったのですが、始めの 1 週間、かなりビビることになりました。 帰国時にも、Washington の空港で、成田で 1 回荷物を引き取らないといけないのかと聞 いたら、いや荷物は伊丹まで直接いくんだよ、成田でピックアップしなくてもいいと、い い加減なことを教えられ、危うく成田に荷物を置いてくるところでした。 念には念を入れてもまだ足らないくらいです。気を付けてください。 また、ご存知のとおり、10 月から、アメリカの government が shutdown してしまいま した。はじめは、やじうま根性で半分面白がっていましたが、結局、shutdown が解除され たのが帰国当日でしたので、ラストの 2 週間は実験ができませんでした。 ただ、担当の実験はほぼ終わっており、9 月の末に、その成果についてプレゼンする機会 を頂いていたので、それは非常に幸運でした。 5. 実験の内容 内容は、HIV-1 virus に対して、T cell にある A3F、A3G がどう阻害するかについてで した。A3F、A3G は、HIV-1 virus が増えるプロセスの、reverse transcription の過程で、 そのゲノムに hypermutation をいれることで、HIV-1 の複製を阻害します。ただし、A3F、 A3G が一緒に働いたとき、お互いに competiton するのかどうかはわかっていませんので、 その点に関する研究でした。 方法に関してですが、A3F と A3G の mutation パターンが違うことを利用しました。ど ちらも、ゲノムの G を A に変える点では同じなのですが、2 つ組でみると、A3F は、GA →AA の mutation を沢山入れ、A3G は、GG→AG の mutation を沢山入れるのです。A3F と、A3G を、同時に HIV に作用させたとき、どのような mutation のパターン(GA→AA か、 GG→AG)が沢山出ているかを数えることで、A3F と A3G がどれだけ強く働いているかが わかる、というわけです。 結果を簡潔に言うと、competition していませんでした。 簡単な実験手順と、グラフを示しておきます。ご質問があれば聞いてください。Medsis にも掲載されるかとも思いますので、そちらを見ていただいても良いかと思います。 FIGURE 1 A3F-Y and A3F-Y_A3G-M FIGURE 2 A3G-Y and A3G-Y_A3F-M 6. 感想 アメリカに留学させていただいてよかったと思う点は沢山あるのですが、アメリカの生 活を実感させていただけたというのが特に良かったかと思います。泉先生ファミリーの生 活を近くで見させていただいて、実感がわきました。 また、自らの英語力の無さを痛感しました。リスニングの CD はまずまず聞けても、実 際には複数の会話が重なったり、文法が崩れたりしたらわからないし、ジョークも本当に わかりませんでした。 ただ、2 ヶ月もいると、度胸がつきました。重要なことを聞くときは、こちらの英語力が 貧弱だからといって諦めるわけにはいきません。いざという時は、どれだけ時間がかかっ ても、突っ込めるようになりました。また、誰かがジョークを言ったとき、そこで雰囲気 を感じ取って一緒に笑ったりする度胸は身につきました(そのことに対し罪悪感を感じな くなりました)。 そして、勉強へのモチベーションができました。英語や医学ができない自分が、世界で は全く通用しないと実感したからです。 今回の留学は、完全にお世話いただくという立場でのアメリカ生活でした。次に何かの 機会に訪れる時には、英語や医学を鍛えて、使うに値する、雇用に値する人間になってい たいと思います。 最後になりましたが、留学の準備から長い間、沢山の方にお世話になりました。 日本では、武田教授には留学全体を通してお世話いただきました。村井先生をはじめと する放射線遺伝学教室の方々には、実験手技や理論を丁寧に教えていただきました。血液 腫瘍内科の高折教授には、急にお願いいたしましたにも関わらず、快く担当教官になって いただきました。ありがとうございました。 アメリカ生活では、泉泰輔先生、奥様の泉桃さん、愛娘のここちゃん、私のつたない英 語を我慢強く聞いてくれた、Masha、Derek、Andrea、そして Charlotte、Marina、あり がとうございました。ラボでは、泉先生には何から何までお世話になりました。ボスの Vinay を始め、話をしたり、実験を教えて下さったラボの皆さんにも、非常にお世話になり ました。Frederick におられる日本人の方々にもよくしていただきました。そして、同時期 に NIH へ留学した友人がいたことも良かったです。 貴重な機会をいただき、一生忘れられない素晴らしい体験をさせていただきましたこと を、心より感謝致します。
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