論 文 戦後日本の男子大学進学率の分析 -供給側の制約の影響を中心に 馬場 浩也* 同志社大学 本稿は、1966 年から 2008 年における日本の男子 4 年制大学進学率の規定要因を分析 し、以下を明らかにした。(1) 進学率の増減は、進学適齢期の男子若年人口の増減によ る合格難易度の変動と、出生率の変動による家計の教育費負担率の変動という2つの要 因によってほぼ完全に規定されてきた。 (2)戦後日本における進学率の大幅な上昇は主 に入学定員数の増加による進学難度の低下によるものであり、特に 90 年代以降その傾 向が顕著である。 (3)教育投資理論による予測とは逆に、大卒男子生涯所得、大卒高卒 の生涯所得比率、内部収益率などの教育投資報酬と進学率との間には強い負の相関があ る。(4) 大学教育費の増加に対応して、大学進学のために家計が子供の数を減らしたこ とが近年の出生率低下の一因となった可能性がある。 1. はじめに 本稿は 1966 年から 2008 年までの日本の男子 4 年制大学進学率の規定要因を解明する こと目的とする。男子大学進学率の分析には多くの先行研究があるが、それらは主とし て 60 年代から 80 年代末までの期間を分析対象とし、60 年代から現在までの全期間を通 じた分析は本稿以外にはない。また、それらの先行研究は完全競争を仮定する Becker(1964)の教育投資モデルに家計所得と教育費による需要側の制約を加え、大学教 育の需要曲線を推計することを目的とする。しかし、進学率は大学教育需要量の実際の 値ではなく、文部科学省が定める入学定員数の制約を受けた値であるため、供給側の制 約が進学率に与えた影響を考慮しない先行研究のみでは、その推移を説明できない。 本稿の第2節では、男子大学進学率と志願率に関する先行研究を要約し、その問題点 を指摘する。第3節では大学進学に対する供給側の制約を分析に取り入れた分析を行う。 第4節では本稿の主張を回帰分析により立証する1。第5節では結論を述べる。 本稿の作成では同志社大学経済学部の西村理、徳岡一幸、鹿野嘉昭の各教授および本誌のレフェリーより貴 重なコメントを頂いた。また本稿で使用したデータの収集では同志社大学経済学研究科事務室の三浦美加氏の 協力を頂いた。ここに記して感謝する。ただし本稿に有り得るべき誤謬の責任は全て筆者に帰するものである。 * (連絡先住所)〒601-1123 京都市左京区静市市原町910-19 (E-mail)[email protected] 1 本稿の分析期間を 66 年-08 年とした理由は、65 年以前の各年度の学歴別・年齢別の勤労所得データが『賃 金センサス』で得られないこと、本稿の執筆時点では 09 年以降の勤労所得のデータが公表されていなかったこ と、ならびに本稿で使用した家計所得と教育費からなる説明変数に 1 年のラグを持たせたことである。 2. 先行研究の要約 2.1 男子大学進学率の推移 図1は 60 年から 09 年までの男子の 4 年制大学進学率の推移を示す。進学率は戦後 を通じて大幅に増加したが、60 年代から 70 年代中頃に増加した後、70 年代後半から 80 年代末頃に減少し、90 年代以降は再び大幅に増加している。また、進学率は短期的にも 大きく変動しており、60 年代中頃と 90 年代初頭には大幅に減少し、85 年という特定の 年には大幅に増加している。 従って、戦後日本の男子大学進学率の分析では、これらの進学率の短期的・中期的変 動と長期的増加の全てを説明しうる共通した規定要因を解明することが必要となる。 2.2 先行研究の要約 男子大学進学率と志願率の分析には、多くの先行研究がある。菊池(1981)は、60 年 から 80 年において、教育費(私立大学納付金) ・専修学校進学率の増加・内部収益率の 減少が進学率に負の影響を与えたとした。矢野(1984)は 58 年から 80 年において、家 計所得(家計所得 雑費係数)と現役大学合格率は正、教育費(私立大学授業料)は負 の影響を志願率に与えたとした。藤野(1986)は 61 年から 82 年において、家計所得(常 用労働者賃金所得)と前年度の進学率は正、教育費(私立大学平均学校納付金)は負の 影響を進学率に与えたとする。 金子(1986)は 56 年から 81 年において、家計所得お 図 1 男子大学進学率の推移 男子大学進学率(%) 出所) 『学校基本調査報告書』 よび年齢コーホートの規模は負、3 年前の期待収益率は正の影響を進学率に与えたとす る。Nakata and Mosk(1987)は 59 年から 80 年において、家計所得(実質可処分所得) 、 大企業就職確率、前年度合格率は正、教育費(学校納付金+修学費+通学費)は志願率 に負の影響を与え、内部収益率は志願率の変動率に正の影響を与えたとする。小椋・若 井(1991)は 70 年から 87 年において、教育費(私立大学授業料と生活費)は負、大卒 者と高卒者の比率および大卒と高卒男子の平均賃金比率は正の影響を志願率に与えた とした。田中(1994)は 70 年から 90 年において、男子労働者の勤労所得と4年前の内 部収益率は正、教育費(私立大学授業料)は負の影響を志願率に与えたとした。荒井 (1995)は 66 年から 86 年において、家計所得(男子常用労働者 1 ヶ月実質賃金) 、実 質賃金上昇率、大卒と高卒の課長比率は正、教育費(私立大学納付金)と放棄所得は負 の影響を進学率与えたが、内部収益率はその推移を説明できないとする。近藤(1995) は 60 年から 89 年において、家計所得(都市勤労世帯 1 ヶ月平均実収入) 、大卒と高卒 の初任給格差、有効求人倍率は正、教育費(食糧費支出で割った私立大学授業料と入学 金の値)および各コーホートの高校卒業者数は負の影響を進学率に与えたとした。島 (1999)は 74 年から 97 年において、家計所得(平均家計所得) 、内部収益率、大学収 容量が正の影響を志願率に与えたとする。小塩・妹尾(2005)はそれまでの日本におけ る男子大学進学率と志願率の実証分析を総括し、人的資本論と実証分析の間に断層があ るため、パネルデータの充実や経済学・教育社会学による学際的な研究が必要だと指摘 した。矢野・濱中(2006)は 70 年から 04 年において、勤労所得(勤労世帯の可処分所 得/世帯人員数)と失業率は正、教育費(実質私立大学授業料)は負の影響を現役志願 率に与えたとした。また、社会学や教育心理学の立場から、進学率上昇が顕示効果を通 じてさらなる上昇を起こしたとする山本(1979) 、天野ほか(1983)などがある。 2.3 先行研究の問題点 2.3.1 供給側の制約による影響 先行研究の第 1 の問題は、供給側の制約が進学率に与えた影響を考慮していない点で ある。先行研究には進学率と志願率を対象とする研究があり、家計所得・教育費などの 需要側の制約は分析に取り入れているが、金子(1986) 、近藤(1995) 、島(1999)など を除き、進学適齢期の男子若年人口の増減と入学定員数の関係が進学率や志願率に与え た影響を分析していない。進学率を分析対象とする理由は、 (a)私立大学が志願者をで きるだけ多く入学させようとする誘因(藤野 1986) 、 (b)私立大学が大学設置基準の定 員を超えて入学者を受け入れる慣例(金子,1986) 、 (c)進学率が下降した 70 年代後半 以降では供給側の条件が進学率を抑約したとはいえない点(荒井,1995)とされた。し かし一部の例外大学を除き、戦後に全国の大学入試合格率が 100%に至ったことはなく、 進学率が入学定員数による供給側の制約を受けたことは明らかである。実際、各年の入 試判定では大学は入学定員数に合わせて合否を判断するため、 「高校卒業者の安定した 教育需要を前提に厳格な定員管理が微妙に変化する大学進学率を形作ってきた」とする 近藤(1995)の指摘の方が現実的である。その意味では大学教育需要量の純粋な値を計 測するために、進学率ではなく志願率を被説明変数に用いる方が適している。しかし矢 野(1984)や矢野・濱中(2006)が指摘するように、受験生や家計は入学定員数や合格 確率に応じて進学の有無・受験する大学を決めるので、志願率もまた供給側の制約の影 響を受けると考えられる。また、Katz and Murphy (1992) や Card and Lemieux (2001) も大学教育の供給側の制約が戦後の米国・カナダ・英国における男子大学進学率に影響 し、男子若年層の大学教育投資報酬に影響を与えたことを指摘しており、Kambayashi et al. (2008)も戦後日本において進学適齢期の男子若年人口の増減が入学定員数との関係 で進学率に影響を与え、大卒と高卒男子の賃金格差に影響を与えた可能性を指摘した。 2.3.2 説明変数の内容 先行研究の第2の問題は、教育投資報酬を表す変数が各研究で異なり、それらを説明 変数として用いた理由が明示されていない点である。矢野・濱中(2006)も、投資報酬 が教育需要に与えた影響の分析結果は、先行研究ごとに分析結果が異なる点を指摘した。 また進学率や志願率の主要な規定要因である家計所得を示す説明変数が各研究で異な るが、教育ローン・奨学金制度が不完備な日本では、家計の教育費負担力は一般に、家 計の主たる所得である男性の勤労所得に依存すると考えられる。さらに、先行研究の多 くはそれらの変数に家計所得や勤労所得の月額を使用しているが、 『学校基本調査報告 書』で得られる教育費のデータは年額であり、家計は通常教育費を年単位で支払うこと から、教育費・家計所得の回帰係数の単位を統一する観点からも、年額の方が適切と考 えられる。そこで本稿の分析では『賃金センサス』のデータを用い、大学進学適齢期の 子供を持つと想定される学歴計男子常用労働者(45歳~54歳層)の年間勤労所得(毎月 きまって支給する現金給与額 12)に年間賞与その他特別給与額を加えた値を、家計所 得の年額として使用する2。 また、Nakata and Mosk(1987)および小椋・若井(1991) 2 本稿で使用する変数の実質値は全て 1965 年度の物価指数を 1 としてデフレートした値である。 を除く先行研究では、教育費の説明変数に学校納付金のみを使用しているが、教育費は 学校納付金だけでなく生活費(修学費・課外活動費・通学費・住居・光熱費・保険衛生 費・娯楽嗜好費・その他日常品費)が必要であり、学校納付金のみを説明変数とした分 析では、教育費の増減が進学率や志願率に与えた影響は明確にできない。 図 2 は 65 年から 08 年までの教育費の推移を学校納付金と上述した生活費に分離して 示したものである。それによると、60 年代から 70 年代前半までの期間では教育費に占 める生活費の額・比率が共に大幅に増加し、高度経済成長による実質家計所得の増加に より大学生の生活費用が増加した。一方、70 年代後半から 90 年代末までは学校納付金 は増加したが、生活費はほとんど増加していない。その原因は学校納付金の増加に加え て、70 年代後半以降の経済成長率の鈍化による家計所得の伸び率の減少や、進学率上昇 により複数の子供が大学に進学したことから、大学生の生活費を抑制したことと考えら れる。さらに、2000 年代以降に学生 1 人当たりの生活費の額・比率が大幅に減少した原 因は、上述した要因や最近の不況による家計所得の減少に加えて、 (a)自宅通学・地元 の大学への進学、 (b)多額の費用をかけられない低所得家計の増加が考えられる。 図 2 大学教育費の推移 実質教育費(学生 1 人当たり:千円) 出所) 『学生生活調査報告』 図3 家計所得と進学率の推移 実質家計所得(千円) 男子大学進学率(%) 出所) 『賃金センサス』 、 『学校基本調査報告書』 図4 教育費と進学率の推移 実質教育費(千円) 男子大学進学率(%) 出所)『学生生活調査報告』 、 『学校基本調査報告書』 図5 内部収益率と進学率の推移 内部収益率(%) 男子大学進学率(%) 出所) 『賃金センサス』 、 『学生生活調査報告』 、 『学校基本調査報告書』 2.3.3 主要説明変数と進学率の推移 先行研究の第3の問題は、先行研究の主要な説明変数である家計所得・教育費と進学 率との間に一貫した関係が見られない点である。また、大学教育投資の内部収益率や大 卒・高卒男子の生涯所得比率などの投資報酬が長期的に減少したが、進学率が大幅に増 加を続けており、教育投資理論に基づく先行研究では因果関係を説明できない。 教育投資理論との不整合の原因は、(a)文部科学省が定める入学定員数による供給側 の制約が分析されていないこと、(b)子供・家計が教育投資に関する完全な情報を持っ て進学の意思決定を行う仮定は適当でないことが考えられる。次節では、入学定員数に よる供給側の制約が進学率に与えた影響を考慮し、先行研究とは異なる視点から男子大 学進学率の要因を分析する3。 3 大卒/高卒生涯所得比率と内部収益率は『賃金センサス』の大卒男子(22 歳~64 歳)と高卒男子(18 歳~ 64 歳)の生涯所得を用いて計算した。図 6 で、90 年代末以降の大卒/高卒の生涯所得比率が上昇した原因は、 高卒の生涯所得の減少が大卒のそれよりも大きかったことである。本稿の推計では、大卒の生涯所得は 1997 年 の約 3 億 1,900 万円(実質:約 7,700 万円)から 08 年の約 2 億 9,300 万円(実質:約 7,200 万円)まで 8.2% (実質:6.5%)減少したのに対して、高卒の生涯所得は 97 年の約 2 億 4,800 万円(実質:約 6,000 万円)か ら 08 年の約 2 億 1,800 万円(実質:約 5,300 万円 )まで 12.1%(実質:11.7%)減少した。矢野・濱中(2006) は、以上のような高卒男子の賃金所得の低下による大学進学の機会費用の減少が、大学進学率の増加の一因に なった可能性を指摘した。図 5 において、2000 年代以降の内部収益率が増加した原因は、上述の理由に加えて、 2000 年代以降、学校納付金の増加応じて学生の生活費が切り詰められて、教育費が減少したことである。 図6 生涯所得比率と進学率の推移 生涯所得比率(倍率) 男子大学進学率(%) 出所) 『賃金センサス』 、 『学生生活調査報告』 、 『学校基本調査報告書』 3. 男子大学進学率の分析 3.1 供給側の制約の影響 大学進学率はその定義により、進学適齢期の若年人口の中で、 (A)大学入試に合格す る能力のある者の比率、 (B)大学の教育費を負担できる者比率、 (C)その中で進学を志 望する者の比率、の3つによって規定される。 (A)の比率は、全国の大学の入学定員と 受験者数の相対的な関係で決まる。従って、入学定員に対して進学適齢期の若年人口が 多い場合は合格率の低下によって進学率が減少し、進学適齢期の若年人口が少ない場合 は合格率の上昇によって進学率が増加すると考えられる。 図 7 は 60 年から 09 年までの 4 年制大学の入学定員と男子 18 歳人口の推移を示す。 入学定員はこの期間を通じて増加したが、進学適齢期の男子 18 歳人口は出生率の変動 により大きく増減した。 第1次ベビーブーム世代が進学適齢期に達した 60 年代中頃と、 第2次ベビーブーム世代が進学適齢期に達した 90 年代初頭には合格率・進学率が減少 し、66 年の「ひのえうま」に生まれた世代が進学適齢期に達した 85 年には合格率・進 学率が上昇したと考えられる。また 90 年代以降は、70 年代以降の出生率の低下により 進学適齢期の若年人口が大幅に減少したにも関わらず入学定員は増加したため、合格 率・進学率が大幅に上昇したと考えられる。図 8 は上述の内容を男子 18 歳人口と男子 図 7 男子 18 歳人口と入学定員数(単位は千人) 出所) 『全国大学一覧』 大学進学率によって示した。以上のように、戦後日本の男子大学進学率の増減は進学適 齢期の男子若年人口の増減と入学定員数との関係によって大きく影響された。 3.2 女子の 4 年制大学進学率増加の影響 上述した要因(A)について考慮すべき点には、女子の 4 年制大学進学率の増加もあ る。4年制大学では通常、入学定員数に男女別の枠を設けないため、女子の進学率増加 は男子の入学定員枠を狭め、合格率・進学率を低下させる。図 9 の「入学定員数/男子 18 歳人口」が高いほど、男子の合格率・進学率が増加すると考えられる。しかし、90 年代以降はこの比率で予測した値は実際の進学率から大きく乖離する。90 年代以降、女 子の4年制大学進学率の大幅な増加が男子の入学者数を減らし、男子の合格率・進学率 を減少させたと考えられる。この推量に基づき、図9において男子進学率の推移を「 (入 学定員数-女子進学者数)/男子 18 歳人口」の比率で示した。この線は実際の男子進 学率とほぼ同じ軌跡を描くため、男子大学進学率の要因の1つは、女子の 4 年制大学進 学率の増加と考えられる。以下、上述の比率を「男子定員枠」と呼ぶ。 図 8 男子 18 歳人口と大学進学率 男子 18 歳人口(千人) 男子大学進学率(%) 出所) 『学校基本調査報告書』 図 9 「男子定員枠」の推移(%) 出所) 『学校基本調査報告書』 、 『全国大学一覧』 図 10 女子の 4 年制大学進学率の増加(%) 出所) 『学校基本調査報告書』 図 11 「子供 1 人教育費負担率」の推移(%) 出所) 『学生生活調査報告』 、 『学校基本調査報告書』 図 12 「教育費負担率」の推移(%) 出所) 『学生生活調査報告』 、 『学校基本調査報告書』 3.3 需要側の制約の影響 上述した要因(B)は家計の教育費負担力であり、教育ローン・奨学金制度が不十分 な日本では基本的に家計所得に依存する。それを計測するために先行研究では、教育 需要における所得効果と代替効果として、それぞれ家計所得と教育費を用いている。ま た、教育費は同じでも所得階層によって進学率が異なるように、家計の教育費負担力に とって重要なのは家計所得・教育費の個別の値ではなく、家計所得に占める教育費の比 率と考えられる。 ただし、家計の教育費負担率を家計所得の中で子供 1 人当たりの大学の教育費が占め る比率で捉えるには「子供 1 人教育費/家計所得」ではなく、 「 (子供 1 人教育費✕家計 平均子供数)/家計所得」として捉えられるべきと考えられる。 図 11 は 65 年から 08 年までの「子供 1 人教育費/家計所得」の比率の推移を示して いる4。ただし、この比率は戦後を通じて増加しており、戦後の男子進学率の増減を説明 できない。代わりに、 「 (子供 1 人教育費 家計平均子供数)/家計所得」の比率は戦後 4 家計平均子供数は『国政調査』では各年度の数値が得られないため、 『人口動態統計』により分析対象とな った各年度から遡った 18 年前の合計特殊出生率(15 歳から 49 歳までの女性が生涯に出産する平均子供数)を 家計平均子供数の推計値として用い、合計特殊出生率は「ひのえうま」などの特定の年の異常な出生率の変動 の影響を受けるため、3 年間の移動平均値を用いて調整した。また合計特殊出生率は 1947 年からしか与えられ ていないため、1965 年の移動平均値は 1967 年から 1968 年の変化率を用いて推計した(図 18) 。 日本の出生率の変動による家計平均子供数の増減が、大学進学の教育費負担を明確に捉 えている。例えば第 1 次ベビーブーム世代が大学進学適齢期に達した 60 年代中頃は平 均的に子供の数が多く、各家計が子供を全て大学に進学させた場合の教育費は平均的な 勤労者家計の年収の約 1.2 倍に達した。しかし 60 年代後半以降は急速な経済成長によ る実質家計所得の増加と出生率の低下による家計平均子供数の減少により、家計の教育 費負担率が大幅に減少した。またこの比率は、第 2 次ベビーブームによる家計平均子供 数の増加や、90 年代以降の家計平均子供数の減少が家計の教育費負担率に与えた影響も 明確に示している。以上から、家計の教育費負担力は「 (子供 1 人教育費 家計平均子 供数)/家計所得」の値で捉えるのが適切と考えられる。以下ではこの値を「教育費負 担率」と呼ぶ5。 4. 回帰分析 4.1 モデル 本稿の回帰分析では 66 年から 2008 年までの各年度の「男子大学進学率」 (S)を被説 明変数とし、を第 3 節の「 (入学定員数-女子進学者数)/男子 18 歳人口」 (男子定員 枠,A) 、を第 3 節の「 (子供 1 人教育費 家計平均子供数)/家計所得」 (教育費負担率, B) 、大学教育投資の期待報酬を示す変数(C)として「大卒男子雇用者の生涯所得」 (R1 ) 、 、 「大学教育投資の内部収益率」 (R3 )を 「大卒/高卒男子雇用者の生涯所得比率」 (R2 ) 説明変数として使用し、最小二乗法によって回帰式(1)を推計する。なお (B)につい ては、家計は子供を大学に進学させるか否かを過去の家計の経済状態によって決めると いう仮定にもとづき、1年のラグを持たせた「教育費負担率 LAG1」を説明変数として使 用する6。 S K A B r1 R1 r2 R2 r3 R3 (1) 4.2. 推計結果 表 1 は(1)式の推計結果を示し、図 13 は推計結果を図示したものである。 (1)式の 説明力および推計係数の統計的有意性は極めて高く、男子大学進学率の増減は、(a) 女 子の 4 年制大学進学率の増加を受けた進学適齢期の男子若年人口の増減(男子定員枠の 5 矢野・濱中(2006 )も少子化が家計の教育費負担率に与えた影響を考慮し、家計所得を世帯人員数で除し た値を「所得」と定義している。 6 「教育費負担率」のラグ値の使用は矢野・濱野(2006)の分析方法を参照した。 「大卒男子の生涯所得」は進 学を志望する子供や家計は実質値の情報を持たないという仮定を置き、より周知度が高い名目値を用いた。 変動) 、 (b)出生率の変動による家計平均子供数の増減による家計の教育費負担率の変 動、の2つの要因によってほぼ完全に規定されてきた。また(1)式の推計結果は進学 率と「大卒男子生涯所得」 、 「大卒/高卒男子生涯所得比率」 、 「内部収益率」などの教育 投資報酬との間に強い負の相関があることを示している。それらは、大学教育の投資報 酬が減少したために進学率が増加したことを示したのではなく、子供・家計が大卒は高 卒より経済的・社会的に有利であるという期待にもとづき、教育投資報酬の増減に関係 なく大学に進学した(させた)ことを示す7。つまり、入学定員の増加による進学難度の 低下が進学率の大幅な上昇を起こし、結果として大学教育の投資報酬が減少した可能性 を示す。 70 年代中頃から末頃の期間において、(1)式に基づく推計値と実際の進学率の間に 見られる大きな乖離は(図 13)、石油危機の影響と指摘されている(矢野,1984)8。 4.3 供給側と需要側の制約の要因分析 推計式の説明変数 A は各年度において男子が大学入試に合格できる難易度を示し、こ の変数の値の増減が進学率の推移に与えた影響は、表 1 に示した「男子定員枠」の回帰 係数の「0.918」に下の(2)式の右辺の値を掛けた値で捉えることができる。 男子定員枠= 入学定員数 女子進学者数 男子18歳人口 (2) 一方、推計式説明変数 B は各年度において家計が全ての子供を大学に進学させた場合 の教育費負担率が進学率を抑制した効果を示し、この変数の値の増減が進学率の推移に 与えた影響は、表 1 に示した「教育費負担率 LAG1」の回帰計数の「-0.189」に下の(3) 式の右辺の値を掛けた値で捉えることができる。 教育費負担率= 7 子供1人教育費 家計平均子供数 家計所得 (3) NHK 放送文化研究所の 2003 年の調査では、家計が望む子供の修学程度は「高校まで」が 11%に過ぎないのに 対して、 「大学まで」が 68%、大学院を含めると 76%に達している。 8 説明変数=5、n=43 の D.W. 検定値(5 %)の L=1.29 、U=1.78 に対して、推計結果の D.W. 検定値は 1.59 で誤差項の系列相関は不決定となり、推計係数の統計的有意性に多少の問題が残る可能性がある。 表 1 (1)式の推計結果 モデル集計 R 0.993 R2 0.985 調整済 R2 推計値の 標準誤差 0.983 1.0923 Durbin-Watson 1.590 推計係数 説明変数 係数 定数 82.633 男子定員枠 0.918 標準誤差 標準化係数 14.725 0.034 t値 有意確率 5.612 0.000 1.013 27.048 0.000 教育費負担率 LAG1 -0.189 0.016 -0.418 -11.852 0.000 大卒生涯所得(1,000 万円) -0.584 0.065 -0.601 -8.981 0.000 -23.833 12.242 -0.075 -1.947 0.059 -2.178 1.134 -0.136 -1.921 0.063 大卒高卒生涯所得比率 内部収益率 図 13 (1)式の推計結果による推計値 男子大学進学率(%) 図 14 は、上述した供給側(男子定員枠)および需要側(教育費負担率)の制約の変 動が進学率の増減に与えた影響を示したものである。縦軸の「0」より上は供給側の制 約の緩和が進学率を増加させた効果を示し、「0」より下は需要側の制約が進学率を抑 制した効果を示す。60 年代前半までは「教育費負担率」による需要側の効果が供給側の 効果を大幅に上回っていた。しかし 60 年代後半以降になると供給側の緩和効果が需要 側の抑制効果を上回り、特に 90 年代以降でその傾向が顕著である。以上から、男子大 学進学率の大幅な上昇の主な要因は供給側制約の緩和であった。 以下では、供給側・ 需要側の要因の変動が進学率の増減に与えた影響をそれぞれ、より詳しく分析する。 4.4 供給側の制約の要因分析 「男子定員枠」による供給制約が進学率 に与えた影響は(2)式の分子の「入学定員 数-女子大学進学者数」と分母の「男子 18 歳人口」の 2 つの要因に分離することがで きる(図 15) 。第 1 次ベビーブーム世代が大学進学適齢期に達した 60 年中頃では進学適 齢期の男子若年人口が「入学定員数-女子進学者数」より大幅に上回っており、大学入 試の合格難度が極めて高かった。その後、70 年代中頃にかけて進学適齢期の男子若年人 口が大幅に減少したため、大学入試に合格できる難度が低下し、進学率の大幅な増加の 原因になった。また 70 年代後半から 90 年代初頭にかけて「入学定員数-女子進学者数」 図 14 供給側と需要側の制約の影響(%) 図 15 供給側の制約の要因分析 入学定員数(千人) 男子 18 歳人口(千人) 出所) 『学校基本調査報告書』 、 『全国大学一覧』 図 16 大学数と在学者数の推移 大学数(校) 出所) 『全国大学一覧』 。 在学者数(千人) が増加したが、進学適齢期の男子若年人口も同時に増加し、大学入試に合格できる難度 を高め、進学率の低下の原因になった。90 年代以降は、少子化の進行により進学適齢期 の男子若年人口が大幅に減少する一方、 「入学定員数-女子進学者数」が増加を続け、 大学入試の合格難度を低下させ、進学率の大幅な増加の原因になった。 上述した入学定員数の増加の背景には、70 年代後半以降の大学教育の過剰需要の発生 があった。60 年代初頭から中頃までの期間では進学率の上昇による在学者数の増加と共 に大学数も増加し、大学教育の需給のバランスが保たれていた(図 16) 。しかし、60 年 代後半以降は進学率の上昇による在学者数の大幅な増加に大学数の増加が追いつかず、 大学平均の在学者数が増加し、大学教育の過剰需要が発生した。そのような状況の下、 大学数・入学定員数はタイム・ラグを伴って増加し、 「大学全入時代」が到来した9。 4.5 需要側の制約の要因分析 「教育費負担率」による需要側の影響は、 「子供1人教育費」を「家計所得」で除し た「子供 1 人教育費負担率」と、 「家計平均子供数」の2つの要因に分離できる。図 17 は、それらの要因の変動が進学率に与えた影響を示した。に 60 年代から 70 年代中頃ま 図 17 需要側の制約の要因分析(単位は%) 出所) 『学生生活調査報告』 9 この間の経緯は全国私立大学教授会連合(2004)に詳しい。 での期間では「子供 1 人教育負担率」と家計が子供全員を大学に進学させた場合の「教 育費負担率」が共に大幅に減少した(図 17) 。この期間の進学率の大幅な上昇は、実質 家計所得の増加による「子供 1 人教育費負担率」の減少と、 「家計平均子供数」の減少 という、家計の教育費負担率を構成する 2 つの要因が同時に緩和されたことによる。ま た図 17 が示すように、70 年代後半以降では「子供 1 人教育費負担率」は大幅に増加し ているが、家計が子供全員を大学に進学させた場合の「教育費負担率」はほとんど変化 していない。その原因は「家計平均子供数」の減少であり、70 年代後半以降の「教育費 負担率」の推移は、大学進学に掛る教育費の増加に対応するために、家計が子供の数を 減少させた可能性を示す。人口学的なの観点から戦後日本の出生率の低下の原因を分析 した武藤(1992) 、森田(2004) 、大山(2004)なども、Becker (1981)の「家族理論」 に基づいて家計の子供の数・質のトレードオフを検証した上で、教育費の増加が戦後日 本の出生率の低下の原因であり、少子化の原因は大学進学によって家計が子供の量より も質の向上を求めるようになったためと指摘した。また 2000 年代以降に「子供 1 人教 育費負担率」が大幅に減少した原因は、第 2 節で示したように、不況による家計所得の 減少の一方で学校納付金が増加し続けたことから、家計が大学生の生活費を大幅に切り 詰めたと考えられる。 図 18 家計平均子供数の減少 (人) 出所) 『人口動態統計』 5. おわりに 本稿は、66 年から 08 年までの男子4年制大学進学率の規定要因を分析した。その結果、 以下の点が明らかになった。(1)進学率の増減は、男子が大学入試に合格できる難易度 に与えた影響と、子供の大学進学に掛る家計の教育費負担率に与えた影響という 2 つの 要因によってほぼ完全に規定されて来たこと、 (2)戦後日本の進学率の大幅な上昇の主 因は入学定員数の増加による進学難度の低下であり、特に 90 年代以降その傾向が顕著 であること、 (3)教育投資理論による予測とは逆に、進学率と大卒男子生涯所得、大卒 と高卒の生涯所得比率、内部収益率などの教育投資報酬との間に強い負の相関があるこ と、(4) 大学教育費の増加に対応して、子供を大学に進学させるため、家計が子供の数 を減らしたことが出生率低下の一因となった可能性を示した。 しかし、このような進学難度の低下による進大学進学率の大幅な上昇は、学生の学習 意欲・能力の著しい低下など、日本の大学教育に深刻な問題を投げかけている。このよ うな問題が発生する原因は、日本では親が大学教育費用を負担するのが一般的であるた めに、大学進学を投資行為として意識せず、大学卒は高校卒より経済的・社会的に有利 であるという漠然とした期待に基づき、教育投資報酬の増減に関係なく大学に進学する 学生が増加したためと考えられる。また、非貨幣的な動機の存在が、教育投資理論に基 図19 18歳人口の将来推計値(男女計・千人) 出所) 『日本の将来推計人口』 づく先行研究の分析方法によって日本の大学進学行動を十分に説明できない一因と考 えられる。一方、私立大学を中心とする大学教育の供給側では新学部や地方分校の設置 などにより学生数の確保を図っている。その背景には少子化・若年人口の減少に対する 大学経営上の危機感があり、日本私立学校振興・共済事業団の私立大学経常費補助金が 学生数の多寡により配分される点もあると考えられる。しかし、それらの方策では財政 基盤が不十分である。大学には巨額の固定費用が必要であり、規模の経済が存在するた めである。進学志望者数の減少による財政状況の逼迫は、学校納付金の増額、学生数の 減少を補うための進学難度の引き下げ、人件費の削減、既存の大学設備の売却などを必 要とする。しかし、それらの方策は教育サービスの質・量を一層低下させる。また本稿 は、学校納付金が増加する一方、家計が子供の数を減らし、学生の生活費を切り詰めて 大学に進学させた可能性を指摘した。しかし、不況の長期化は、それさえも困難にしつ つある。教育費を負担できる家計の子供は大学に進学できるが、他方では子供の大学進 学のみならず、子供を持つことさえも諦めなければならない家計が増加し、現在の大学 教育の在り方は、日本の将来を支える若者の量的減少・質的劣化の一因になる可能性が ある。現在の日本の大学教育は危機的な転換期にあり、入試制度の改善・奨学金制度の 充実などと共に、教育の質的向上によって「真理と知識の探求の場」としての大学教育 を再構築すべき時期に来ている。 参考文献 天野郁夫・河上婦志子・吉本圭一・吉田文・橋本健二(1983) 「進路分化の規定要因とその変動 ― 高校教育システムを中心として」 『東京大学教育学部紀要』第 23 巻, pp. 1-43. 荒井一博(1995) 『教育の経済学-大学進学行動の分析』有斐閣. 大山昌子(2004) 「子どもの養育・教育費用と出生率低下」 『人口学研究』第 35 号,pp. 45-57. 小椋正立・若井克俊(1991) 「高等教育市場の量的規制に関する計量経済学モデル-なぜ受験戦 争は無くならないのか」 『日本経済研究』第 21 号, pp. 15-33. 金子元久(1986) 「高等教育進学率の時系列分析」 『大学論集』第 16 号, pp. 43-63. 菊池城司(1981) 「わが国の高等教育進学率はなぜ停滞しているか」 『IDE』第 226 号,pp.72-80. 小塩隆士・妹尾渉(2003) 「日本の教育経済学:実証分析の展望と課題」ESRI Discussion Paper Series No.69, pp. 105-139. 全国私立大学教授会連合(2004) 『私立大学の未来』 大月書店. 近藤博之(1995) 「大学進学率のトレンド分析-人口生態学的モデルの可能性」 『大阪大学人間科 学部紀要』,pp. 93-121. 島一則(1999) 「大学進学行動の経済分析-収益率研究の成果・現状・課題」 『教育社会学研究』 第64集,pp. 101-139. 田中寧(1994) 「大学教育需要の時系列分析」 『経済経営論叢』第28巻, pp. 73-95. 藤野正三郎(1986) 『大学教育と市場機構』 岩波書店. 武藤博道(1992) 「日本における子育てコストと子供需要」 『日本経済研究』第 22 号, pp. 119-135. 森田陽子(2004) 「子育て費用と出生行動に関する分析」 『日本経済研究』第 48 号, pp. 23-57. 矢野眞和(1984) 「大学進学需要関数の計測と教育政策」 『教育社会学研究』第 39 集, pp. 216-228. 矢野眞和・濱中淳子(2006) 「なぜ、大学に進学しないのか-顕在的需要と潜在的需要の決定要 因」 『教育社会学研究』第 79 集, pp. 85-104. 山本真一(1979) 「大学進学希望率規定要因の分析」 『教育社会学研究』第 34 集, pp. 93-103. Becker, G.S. (1964) Human Capital : A Theoretical and Empirical Analysis, with Special Reference to Education, University of Chicago Press. Becker, G.S. (1981) A Treatise on the Family, Harvard University Press. Card, David, and Thomas Lemieux (2001) “Can Falling Supply Explain the Rising Return to College for Younger Man? A Cohort-Based Analysis,”Quarterly Journal of Economics 116, pp. 705-746. Kambayashi ,Ryo, Daiji Kawaguchi, and Izumi Yokoyama (2008) “Wage Distribution in Japan, 1989-2003,”Canadian Journal of Economics Vol. 4, pp. 1329-1350. Katz, Lawrence, and Kevin M. Murphy (1992) “Changes in Relative Wages, 1963-1987: Supply and Demand Factors,” Quarterly Journal of Economics 107, pp. 35-78. Nakata,Yoshi-fumi, and Carl Mosk (1987) “The Demand for College Education in Postwar Japan ,”The Journal of Human Resources, Vol.22(3), pp.377-404.
© Copyright 2024 Paperzz