北海道勤労者医療協会看護雑誌

ISSN1881-8196
2 0 1 4
Vol.
通巻43号
40
J U N E
北海道勤労者医療協会看護雑 誌
北海道勤労者医療協会看護雑誌
The Journal of Nursing Care
Hokkaido Association of Medical Service for Workers
VOL.
40
公益社団法人
北海道勤労者医療協会
公益社団法人 北海道勤労者医療協会
〒003-0803 札幌市白石区菊水3条3丁目 井上ビル3F ☎011-811-5370(代) http://www.kin-ikyo.or.jp/
THE
JOURNAL
OF
NURSING
CARE
Vol.40
巻 頭言
いまどきの看護学校長が去るにあたって
小玉 孝郎 勤医協札幌看護専門学校 校長
いのちと健康を守る看護実践
幸子
北海道勤医協本部 看護部長
健康権の実現を看護現場から
小林
大高
主江
裕子
勤医協札幌病院 4病棟 看護師長
勤医協札幌西区病院 2病棟 看護師長
事例を通して健康権を考える
木村
理恵
勤医協中央病院 感染制御室 看護師長
「福島を忘れない」
特別寄稿
結核患者の事例から健康問題の社会的要因について考える
及川
~周囲と衝突を繰り返したAさんの生活史から学んで~
母子の困難に寄り添い、
命を生み育むことを支援する産科の看護実践
!!
勤医協札幌病院 3―1病棟 看護師長
~現地で奮闘する仲間との連帯と被災地ツアーからみえてきた真実~
松井 ひろみ
June 2014
Vo l . 4 0
S
T
N
E
T
N
O
C
6
10
12
14
16
18
2
看護と介護 Vol.40
地 域 とのかけ橋
裕美
私たちのめざす地域連携の実践
勤医協札幌西区病院外来 看護師長
「住み慣れた家で暮らしたい」
と願う認知症夫婦を支えたネットワーク
佐賀
真弓
勤医協月寒ファミリークリニック 看護師長
多職種連携における診療所看護師の関わり
青柳
幹
勤医協中央病院 6階西病棟
看護師主任
侵襲的陽圧換気療法(NPPV)を導入した
高齢患者を施設職員と共に在宅療養を支えて
武田
由美子 勤医協菊水在宅総合センター センター長
「住み慣れた地域で死にたい」
利用者さんと家族の願いに寄り添った医療・介護連携
菅原
特別寄稿
北海道勤労者在宅医療福祉協会
人事部長
創造!2025年に向けた在宅介護事業
太田眞智子
2013年度北海道勤医協看護部門研究発表一覧表
看護と介護 Vol.40
3
22
24
26
28
30
32
卒 後 研修の取り組み
看護師卒後1年目研修
自力喀痰の出来る患者への排痰援助として学んだ
体位ドレナージの方法とその有効性
10
竹薮
小嶋
患者さんの思いに寄り添った看護の継続
看 護 現場からの発信
政則 勤医協札幌西区病院 5病棟 ケアワーカー
北海道勤医協・在宅合同ケアワーカーC研修(3年目研修)
在宅生活を送るために ~A氏との関わりを通して学んだこと~
百合子 勤医協中央病院 5階東病棟 看護師
看護師卒後3年目研修
終末期の看護師の役割と希望を叶える援助の重要性
阿部
華子 勤医協伏古 条クリニック 看護師
看護師卒後2年目研修
外来における軽度認知症高齢患者に対する吸入指導の学び
古川 まなみ 勤医協中央病院 6階西病棟 看護師
36
38
40
42
岩澤
あきらめない看護をめざして
悦子 勤医協黒松内診療所 看護師長
地域から頼りにされる診療所をめざして
梅下 真由美 勤医協中央病院 3階西病棟 看護師長
44
45
小林
貴之 勤医協上砂川診療所 看護師長
高齢者の生活を支える看護をめざして
三浦 明美 勤医協札幌病院 在宅診療部 看護師長
46
47
4
看護と介護 Vol.40
地域から頼りにされるクリニックに
青柳 真弓 勤医協月寒ファミリークリニック 看護師長
~介護者への支援からの学び~
れっか 勤医協札幌西区病院3病棟 看護師
最期までその人らしく過ごしてもらうために
川原
A氏の療養を支える
伊藤 弘子 勤医協もみじ台内科診療所 看護師長
春美 勤医協中央病院 ER―HCU 看護師長
入院時から退院を見据えた支援をめざして
丸山
患者さんの人生を応援するクリニックに
布目 歩 勤医協平和通クリニック 看護師長
「住み慣れたまちで暮らしたい」という気持ちに寄り添って
事業所一覧
千葉真奈美 勤医協当別診療所 看護師長
看護雑誌投稿規定
編集後記
北海道勤労者医療協会
看護と介護 Vol.40
5
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56
57
いまどきの看護学校長が去るにあたって
小玉 孝郎
さと尊さを痛感している。そして、
前者には直ぐに理解は出来なくて
言葉を板書することから始める。
と
「百聞は一見に如かず」
の二つの
必ず
「門前の小僧習わぬ経を読む」
ある。私はその第1回目の講義を
本校の新入生が最初に受講する
専門基礎科目は私の解剖生理学で
なので、近年の若者の国語力の低
あまりにも人口に膾炙された言葉
いられないかもしれない。しかし
言葉で若者の日常会話の中では用
れらは金言・格言と称される古い
ない学生が増え始めた。確かにこ
挙げたが、4・5年前から手を挙げ
確認すると、かつては全員が手を
と、戦争に負けたのだという。そ
わからなかったので父に尋ねる
話が難しいのと雑音のせいでよく
人の兄たちは泣いていた。私は、
聴いた。放送が終わると両親と2
音放送(昭和天皇の敗戦宣言)を
にラジオの前に座り、いわゆる玉
の正午から両親と5人の兄弟と共
校)の3年生であった。8月 日
の条文とは合致しない。
状況が現れはじめた。これは憲法
差として示されるという由由しい
最近、経済力の差が受ける医療の
医療・看護の道にも通じているが、
している。憲法の理念はそのまま
隅々にまで生かされることを切望
その精神が私たちの日常生活の
国民主権、人権尊重、平和主義を
も良いから必ず出席して講義を聴
さに愕然とさせられている。「百聞
れを聴いて叫んだ私自身の言葉を
今春も、病む人の支えになろう
と、第1科 名、第2科 名の新
年前、私は国民学校(今の小学
あたるのでなおさら感慨は深い。
勤医協札幌看護専門学校 校長
(学校通信「たんぽぽ」より振り返る)
は先の二つの言葉を書いてからそ
くように、後者には耳学問ではな
は一行に如かず」に続き「百聞は一
今でもはっきりと覚えている。「米
の意味を理解しているかを挙手で
く自分の眼で出来る限り確かめる
考に如かず」と並べ続けなければ
国や英国には負けてもロシヤとは
(2008年8月)
百聞は一見に如かず
ように、との意味を持たせて話し
ならない時代となったようである。
謳った「日本国憲法」が厳守され、
を進める。更に続けて「百聞は一
めて技術は身に付く。即ち学生と
日射しが夏めくだけで「8月
日」を思い出してしまう。この日
(1995年8月)
は小学校3年生にして「軍国少年」
と初期の肺結核に罹りつつも、私
る。既に食糧不足からの栄養失調
真に教育とは恐ろしいものであ
み ん な 死 ぬ ま で が ん ば ろ う よ 」。
戦争を始めたばかりじゃないか、
ち日本国民のために、皆さんと手
する学生たちの為に、そして私た
れる」そんな社会を 世紀に活躍
来、「 憲 法 の 精 神 が 看 護 に 活 か さ
学ぶ心と技がいかんなく発揮出
も真剣に学びつつある。学生達の
入生を迎えた。未来を信じ、早く
願っている。
を携えて造っていきたいと心から
21
るのも大切だが自分で実行して初
50
15
行にしかず」
と書く。
これは眼で見
しての限度は有るが実習や実技演
は月遅れのお盆だが、私にとって
と化していたのである。
50
20
看護の中に憲法を活かそう
習の大切さを説く私の造語である。
は終戦記念日としての意味のほう
年を経た今、私は平和の有難
この第1回目講義を 年近く前
から続けてきたのだが、近年一寸
が重い。特に今年はその 年目に
37
とした異変が起きつつある。それ
71
15
50
巻頭言
6
看護と介護 Vol.40
年祝賀会び挨拶原稿を書き終え
3月 日の午後3時近く、翌日
日に開催予定の、本校創立 周
(2011年8月)
策を実行に移す事が、いま最重要
な災害対策、地域の再生・復興対
な学びとして、早期に日本の新た
から得た多数の貴重な経験を大切
れらは些末なことで、この大震災
か等と議論ばかりしているが、そ
本人は考えることも、歩くことも
しかし、昨年3月の大震災以降
そ の 共 感 は 大 き く 瓦 解 し た。「 日
感も持った。
結論付けた。私もそれには一部共
科学を生み出すかもしれない」と
われず、速やかに自然科学・社会
ので翌日から早速開始した。学生
一応「専門医」である病理の話な
「野蛮」と思ったが阿部先生とは
しく」と言って帰られた。すごく
学の講義は明日からあるのでよろ
受けた後、阿部先生が「じゃ病理
東日本大震災の早期復興を!
て、ホッとしたところに地震がや
の課題であると私は考える。
ていた。あわててラジオでニュー
る東北日本海岸町々が映し出され
イ画面に次々と津波に飲み込まれ
てきたので行ってみると、ケイタ
セラーとなった。私も中学生なが
つ い て 」( 笠 信 太 郎 著 ) が ベ ス ト
ていた1951年「ものの見方に
「日本人とは」と問答を繰り返し
日本人がまだ敗戦後の精神的虚
脱状態から抜けきれず「日本とは」
(2012年3月)
速度で歩き出さなければならない
各々が自分で考え、そして適切な
こ そ 日 本 人 の 若 者 も 高 齢 者 も、
我々も責められよう。だから、今
かに彼らを選挙で選んでしまった
任せられない体たらくである。確
治家と呼ばれる人達はもう政治を
人への見方である。特に多くの政
の念も含めてこれが私の今の日本
し な い。 ま た は 出 来 な い 」。 自 責
だいた多数の皆様の存在は言うま
を陰になり日向になり助けていた
来そうである。もちろんそんな私
恥も外聞も無く言い切ることが出
生達が愛おしかったから、と今は
が無いが、一言で言うならば、学
なった理由も細かに述べればきり
なった。この 年以上続くことに
係はその後、 年以上続くことに
して始まった当看護学校と私の関
さんには迷惑だったかも…。こう
そのような間柄だったし、講義も
ってきた。時々経験するそれより
スを聴き、震災による大惨事と知
ら 読 ん だ が、「 イ ギ リ ス 人( 英 )
と思う。政治を託すことの出来る
でもありません。もうひとつ私の
た。ところが少し時を経て教員室
ドイツ人(独)は考えた後で歩く
あとがき
のほうから大きな叫び声が聞こえ
た大災害である。
一文が印象に残った。しかし著者
考えよう、そして歩こう
ったが、実際の被害は、その時知
は歩きながら考える。フランス人
そのような人を選び出すことも大
も、少し大きく長い揺れと思った
り得たよりも遥かに甚大であり複
(仏)は考えた後で走る。スペイ
家庭を守り 年以上、昼食を持た
が、止んでしまえばそれまでだっ
雑であった。地震、地震+津波+
切である。とにかく考えよう、そ
家に帰り夕食時もテレビで被害
状況を見守った。そして関係者一
は日本人については触れず仕舞い
せてくれた妻にも感謝を述べさせ
発放射能汚染地区避難者 万人の
約7千人とされている。加えて原
ーンはない」とした。そして、「その
独の様な思考・行動・生き方のパタ
識や思想は無い。即ち英・仏・西・
名の本を上梓し「日本人に共通意
であった。その後1966年に同
の8階にあった。藤井敬三校長と
訪問した。それは勤医協中央病院
された勤医協札幌看護専門学校を
夫先生と共に、1979年に開校
の様な感慨に浸っている昨今です。
き抜くのではないでしょうか。そ
人馬とも足跡消さるる吹雪かな
中学一年の時の俳句です。北海
道人はこの環境に育ち成人し、生
てください。
方々が苦しんでおられる。
板宮主事や数人の教務員の紹介を
がその歩みは止まらない」という
同で 日の祝賀会は中止と決めた。
1981年8月1日の午前、私
は(故)阿部昭一先生と佐藤富士
30 30
30
事は諸外国の様に思考・慣習に捉
して歩こう。
ン人(西)は走った後で考える。
50
原発放射能、などが組み合わさっ
11
今回の大震災が想定外か想定内
12
10
4ヶ月を経て7月半ばでも、な
お死者約1万8千人・行方不明者
看護と介護 Vol.40
7
12
看護と介護 Vol.40
8
母子の困難に寄り添い、
命を生み育むことを支援する産科の看護実践
事例を通して健康権を考える
~周囲と衝突を繰り返したAさんの生活史から学んで~
結核患者の事例から
健康問題の社会的要因について考える
特別寄稿
「福島を忘れない」
~現地で奮闘する仲間との連帯と
被災地ツアーからみえてきた真実~
いのちと健康を守る
看護実践
健康権の実現を看護現場から!!
いのちと健康を守る
看護実践
健康権の実現を看護現場から
に お い て、
「健康で文化的な最低
と提言しました。
の一世代で健康格差をなくそう」
終報告(*注1参照)を出し、「こ
は健康の社会的決定要因委員会最
した。そして、2008年WHO
康戦略が不可欠との認識に立ちま
現実にある健康破壊を取り除く健
成されることはなく、国際社会は
人の人権を守る』という民医連の
後のよりどころであり、すべての
権 の 提 起 は、『 最 も 困 難 な 人 の 最
定着・発展してきています。健康
される基本的人権として国際的に
根拠に、すべての人に平等に保障
たWHOの『健康戦略の実践』を
康影響評価へ段階的に発展してき
「健康権」の守り手にな
ろう~世界と日本におけ
る健康権
限度の生活を営む権利」をすべて
す」と、確認されました。
1947年に制定された日本国
憲法は、 条と 条の1項、2項
の国民に保障し、そのための国の
この世界の動きに呼応し、それ
ぞれの地域でこれからも健康権の
歴史を正しく理解し、事実を捉え、
だからこそ、健康の自己責任論に
しています。日本は「健康権」を
権は、国際人権法やプライマリ―・
2012年、全日本民医連第
回 総 会 に て、「 世 界 に お け る 健 康
べきか、日々葛藤し「自己責任論」
患者の困難とどう向き合っていく
まく情勢は厳しさを増しており、
格差が進行する中で、患者をとり
の責務であり「自己責任」ではな
を守り発展させるのは、国・社会
で明らかになったことは、健康権
び合ってきました。この間の学び
の「健康の社会的決定要因 確か
な事実の探求」の視点で検証し学
陥らず、患者の生きてきた背景や
私たち民医連の看護師は、3つ
の視点(患者の立場に立ち、患者
患者の人権を守ることをめざして
理念・歴史・実践と共通するもので
義務を定めています。
大切だと考えます。
の要求から出発し、患者とともに
きました。
規定した国際人権規約を1979
ヘルス・ケア、そしてヘルスプロ
にぶつかることも少なくありませ
展開しています。しかし、貧困・
年 に 批 准 し、
「健康権」を遵守す
モーション、さらに『健康の社会
件、社会的条件による差別を禁止
べきであることは明らかです。し
人権と運動)を軸に、日々看護を
たたかう)と4つの優点(総合性
1975年 道立衛生学院第二科 卒業
1981年 北海道勤医協入職
札幌病院、芦別平和診療所、中
央病院、西区病院勤務を経て
2010年より現職
と継続性、無差別平等、民主性、
(こばやし さちこ)
この2年間、各院所や各研修会
にて、自ら関わった事例をWHO
小林 幸子
いということであり、これまでの
看護師として「健康権」
を学び、探求し、実践し
よう
北海道勤医協本部 看護部長
ん。健康権が脅かされている情勢
あるとし、政治的信条、経済的条
守り手となっていくことがとても
また1948年に発効したWH
O憲章では、第二次世界大戦がも
!!
的決定要因』の探求、全政策の健
の人間の基本的権利のひとつ」で
の健康を享受することは、すべて
反 省 か ら、
「到達可能な最高水準
たらした犠牲と残虐行為への深い
25
かし、世界的に見ても健康権が達
40
13
10
看護と介護 Vol.40
と思います。
て、とても大きな財産になること
れることは私たち看護集団にとっ
実践が特集として収録(注2)さ
展させています。今回、それらの
進んだところでは、提言として発
的に証明されました。取り組みの
に寄与するものであることが実践
私たち民医連の活動が社会の進歩
ました。簡単なことではありませ
「健康権の実現」が呼びかけられ
員育成を旺盛にすすめよう」と、
保障を担う医師をはじめとする職
にこだわり、健康権実現・生存権
しい時代に対応し、民医連らしさ
本年2月、全日本民医連第 回
総 会 ス ロ ー ガ ン の ひ と つ に、「 新
いると考えます。
民医連人として患者・地
域の人々と共に
「健康権」
をさらに発展させよう
WHOの「健康の社会的決定要
んが、健康権を宣言から科学に変
えていくために、民医連の看護集
団として発信し、共同組織の人々
をはじめとした多くの患者さん、
地域の方々と手つなぎ運動を進め
ていきましょう。
あらためて「患者の立場に立つ」
ています。私たちも、学習を通し
行動を促すことである」と記され
情報に基づき議論を重ね、そして
分けて「健康に関わる確かな事実
1998年、2003年と2回に
経済的、社会的条件のことです。
( Social determinants of health
)
とは、人々の健康状態を規定する
* 注 1: 健 康 の 社 会 的 決 定 要 因
ということが、患者の事実を健康
ソリッド・ファクト」という画
期的な報告を発表し、2008年
因 確かな事実の探求」の序文に
は、
「私たちの目標は健康の決定
の社会的決定要因から検証するこ
に最終報告を出しています。
要因に関する意識を高め、十分な
とで「正しい理解が深まり、患者
問題があること」
を確信しました。
めの手引~』北海道民医連第 期
* 注 2:『 健 康 権 ~ 看 護 実 践 の た
の頑張りだけでは解決しない社会
基本的人権としての健康権の担い
いくことが社会的にも求められて
手として、学習し行動し発信して
ープ
看護委員会 健康権冊子作成グル
看護と介護 Vol.40
11
41
25
いのちと健康を守る
看護実践
19
48
997年度、入院助産制度利用率
が %を超えた2004年度、
%になった2011年度について
産後訪問を行なった母子の概要の
変化について調査しました。結果
は、 未 婚 率( 図 1)、 生 活 保 護 受
給率(図2)
・入院助産制度利用率、
夫(パートナー)の無職率、精神
疾患合併妊婦の割合が高くなって
いました。入院助産制度利用率は
2004年度から増加しており、
その背景には、全国的な生活保護
世帯の増加や、2011年度にお
いては市内の入院助産施設の減少
が挙げられます。未婚率は、19
97年から比べると2011年度
では ・8%と約 倍になってお
り、全国平均2・1%(2008
年厚生省人口動態統計)から比べ
ると非常に高くなっていました。
当院での出産者には未婚者が多く
子育ての支援体制が脆弱です。産
後も継続的支援が必要であり、ま
すます保健センターとの連携が求
められます。
母子の困難に寄り添い、
命を生み
育むことを支援する産科の看護実践
めから見えてきた母子を取り巻く
環境の変化と、保健センターやこ
ども診療所と連携し支援した事例
から、母子の困難に寄り添い、命
を生み育むことを支援する産科の
看護実践について報告します。
産後訪問のまとめ
当院産科では、1997年にB
FH(赤ちゃんにやさしい病院)
の認定(2008年BFH返上)
に伴い完全母乳哺育の支援の一つ
として退院後も継続して母乳育児
ができるようにと初産婦を対象に
産後訪問を開始しました。現在は
児の体重増加や母乳哺育の確認の
他に、育児環境についてアドバイ
スしたり、母の相談にのるなど、
退院後の継続フォローや保健セン
ターへの連携の必要性をアセスメ
ントしています。
近年、対象者の社会的背景が複
雑化し、母子を取り巻く環境が変
化してきていると感じていまし
た。そこで、産後訪問を始めた1
大高 主江
(おおたか ちかこう)
1980年 埼玉県厚生専門学校 卒業
1983年 北海道勤医協へ入職
札幌病院、室蘭診療所勤務を経
て
2005年より札幌病院勤務
2013年より現職
Aさん 歳代
未婚、生活保護
妊娠初期から当院外来に妊婦健
診で通院。本人からの情報からは、
抑うつ状態があり、両親は離婚し、
生後1ケ月から祖母に育てられま
した。妊娠 週、保健センターの
保健師よりアルコールを多飲して
いるという情報がありました。ま
た、妊娠 週の健診時には右腕に
リストカットの跡が多数あるのを
発見、自傷行為が止まらないと話
されたため当院の神経科を受診し
保健センターとの連携
勤医協札幌病院 4階病棟
看護師長
20
29
37
30
30
2
はじめに
49
当院産科は分娩数400~45
0件で、妊娠・出産・産後まで管理
しています。大きな特徴として、
入院助産制度を取得しているこ
と、出産後自宅に産後訪問を行っ
ていることです。入院助産制度は
市内で2箇所しかなく、8割は当
院での出産となっています。入院
助産制度を利用する妊婦は、20
12年度では分娩数410件のう
ち204件で ・8%でした。そ
のほとんどは妊娠8ヶ月で紹介さ
れ受診することが多く、生まれて
くる子どもの養育に何らかの困難
を抱え、保健センターと連携する
ケースも増えています。
2011年度には保健センター
につないだケースは 件で、その
内訳は体重増加不良の継続フォロ
ー、知的障害による育児困難、ネ
グレクト、精神疾患による精神不
安定、DVなどで、2013年度
はすでに 件となっています。
今回、 年間の産後訪問のまと
17 58
12
看護と介護 Vol.40
ました。神経科では強い抑うつを
核として、重症パーソナリティー
障害に含まれる様々な症状を呈し
ている状態と診断されました。
Aさんは、アルコール依存症、
精神疾患合併、出産後の支援者が
いないことから、出産前に育児支
援の方向性を決定していく必要が
あり、産科医、助産師、こども診
療所看護師、保健師、保護課担当
者での合同カンファレンスを行い
ました。そこでは、 歳からアル
コールを飲み始め中学校へは不登
校が続き、 代後半で第1子を出
産し、 歳まで自分で育て、その
後祖母が引き取っていることもわ
かりました。
カンファレンスでは①入院中に
アルコールせん妄を起こす可能性
②眠剤内服すると授乳の際に起き
られないこと③新生児のアルコー
ル離脱症候群がおこる可能性④産
後の援助者がいない ⑤精神的に
不安定になった時に養育が困難に
なる可能性がある等の問題が上が
りました。カンファレンスの中で
は、育てられないのではないかと
いう意見もありましたが「このよ
うな生育歴はAさんのせいではな
い、第 子を不本意な形で手放し
ている、児に対する愛着もあり自
分で育てたいと思っている、Aさ
んが児を自分の手で育てることで
自信になるのでは」と、Aさんが
児を育てたいという思いを尊重し
育児を継続できるよう支援してい
く方針となりました。
入院中に分娩が思うように進ま
ずパニックを起こし、病室でリス
トカットするなど精神状態が不安
定になりましたが、本人の状態に
合わせ陣痛を誘発することで無事
出産しました。Aさんは児に愛着
をもって接し、夜間は眠剤を内服
しながらも児の啼泣に合わせて起
きることができ授乳や育児行動も
スムーズに行っていました。児は
アルコール離脱症候群の徴候もな
く経過しました。退院後は来棟フ
ォローで育児の状況を把握し、そ
の情報を保健センターの保健師へ
連絡し継続フォローを行った。
寄り添い一緒に克服していくとい
う民医連看護の「患者の立場に立
つ」看護実践そのものであると確
信しました。
今後も産科チーム(産科医、小
児科医、助産師、小児科看護師)
だけでなく多職種(ソーシャルワ
ーカー、精神科など)や行政(保
健センター、児童福祉相談所、区
の担当者など)と連携し、適切な
育児支援が退院後も継続して受け
られるよう努力していきたいと思
います。
図1
図2
まとめ
産後訪問のまとめから、格差社
会のひずみが当院の妊産婦に現れ
ていることや産科看護のフィール
ドも広がり来棟フォローや産後訪
問など保健センターと連携した実
践が必要不可欠になっていること
を再認識しました。
また事例のように産後訪問や保
健 セ ン タ ー と の 連 携 は、「 命 を つ
なぐ実践」、「母子への社会的支援」
であり、命の平等と患者の困難に
用語説明
1、「入院助産制度」
保健上の必要があるにもかかわ
らず、経済的理由により入院助産
を受けることが困難な妊産婦を入
所させて、助産を行うもので、対
象は、生活保護を受けている世帯、
市民税が非課税等の世帯で、所得
税が年8400円以下、出産育児
一時金が350000円を超える
健康保険組合の加入者でない場合
です。
2、「来棟フォロー」
初産婦・経産婦に関係なく助産
師が必要と判断した場合、本人と
の同意を得て、退院後2~3日目
に産科病棟に直接来棟してもら
い、母子の状態、体重増加の状態、
母乳分泌状態、黄疸の状態などの
観察や育児指導を行うことです。
毎日、1~3名フォローしていま
す。診療報酬上の算定はありませ
ん。
3、「民医連看護」
患者の立場に立ち、患者の要求
から出発し、患者とともにたたか
う看護
看護と介護 Vol.40
13
1
1
10
10
いのちと健康を守る
看護実践
事例を通して健康権を考える
~周囲と衝突を繰り返したAさんの生活史から学んで~
健康権の探求は、日々の民医連の
「健康権」についての理解を深め
会に取り組みました。事例を通し
て、法人や院所の師長研修会を機
践課題として取り組もう」につい
全日本民医連の総会方針に掲げ
ら れ た「
『 健 康 権 』 を 探 求 し、 実
内表など読めないAさんには、受
いていました。入院中も検査の案
1人で受診することには不安を抱
を通院で行うことにしましたが、
再度転院の決意をし、手術前検査
Aさんは、やはり手術をしたいと
たい」との願いを持っていました。
齢者住宅に入って気ままに暮らし
「病気のことは心配しないで、高
と強気でいたAさんですが、実は
転院当初「手術なんかもうしない」
った患者さんと映っていました。
看護師たちにとって、Aさんは困
など、対応に苦慮することも多く、
にならないと勝手に帰ったりする
と衝突したり、自分の思いどおり
に陥ってしまう危険を孕んでいる
はないか、その毎日は自己責任論
だけで捉えがちになっているので
の中で、患者さんの言動を現象面
私は、看護師の「特別扱いじゃ
ないか」との感情の中に、忙しさ
のお礼状を送ってくれました。
者住宅に入所ができ、ひらがなで
に治療を終え、希望していた高齢
きました。そして、Aさんは無事
よ」と手術する病院に転院してい
ま れ た の か、「 も う 1 人 で 行 け る
ことで、Aさんの中に安心感が生
ました。何度かの受診を繰り返す
きかけ、看護師が付き添い受診し
のじゃない、想像してみて」と働
外国へ行って、道に迷うようなも
かり学ぶことに取り組みました。
健康権の保障について自らがしっ
私は、健康権の探求をテーマと
した師長研修を機会に、Aさんの
える必要があると感じました。
場に立つとはどういうことかを考
きないAさんの不安を「知らない
看護 介
・ 護実践の中にあることを
師長として改めて学びました。
診時の付き添いが必要と考えられ
のではないかと感じました。Aさ
てきました。C病院でも、同室者
Aさんは、 歳代の女性で、ひ
らがながやっと分かる状況です。
ましたが、チームの中に「特別扱
んは、何故そのような行動をとる
Aさんの生まれた昭和 年初期
は、昭和 年に施行された日本国
はじめに
副甲状腺機能亢進症の手術目的で
いじゃないか」との感情を抱く者
のか、その背景にしっかり迫って
Aさんの生育歴に迫り、
その歴史から見た健康の
社会的決定要因
B病院に入院をしていましたが、
がいました。
10
周囲と衝突を繰返すAさ
んとの関わりを通して感
じた問題意識
人間関係上の衝突を繰り返し、入
憲法がまだ無かった時代です。幼
1981年 市立江別高等看護学院卒業
市立三笠総合病院、北里大学病
院、国立がんセンター勤務
1986年 北海道勤医協へ入職
西区病院、苫小牧病院、中央病
院、小樽診療所、札幌病院、老
人保健施設柏ヶ丘勤務を経て
2009年 西区病院勤務
2012年より現職
要求を理解する重要性、患者の立
(おいかわ ひろこ)
師長である私は、読み書きがで
勤医協札幌西区病院 2病棟
看護師長
院継続は困難と判断され転院され
及川 裕子
22
70
14
看護と介護 Vol.40
児童福祉法は昭和 年、生活保
護法は昭和 年に施行されている
ほとんどできません。
数回しか行っていず、読み書きは
生きてきたAさんは、小学校にも
くして親に置き去りにされ自力で
めて実感できました。
同時に、憲法に謳われた基本的
人権や平和がどんなに大切かも改
ました。
抜いてきたAさんの姿が見えてき
そして戦後の混乱期を必死に生き
く、日中戦争、第2次世界大戦、
り、「 高 齢 者 住 宅 で き ま ま に 暮 ら
信頼関係の一歩を築くケアであ
した受診が、Aさんの安心を生む
そして、看護師が付き添い繰り返
姿に迫る過程だったと思います。
ければ、見えない患者さんの真の
うな言動を取るのか見ようとしな
権を守る立場でチームと共に学ん
例を通して情勢を学び、患者の人
ています。師長として、今後も事
その後Aさんから学んだチーム
は生活保護制度やTPPを学習し
からの脱却に繋がると考えます。
寄り添うことであり、自己責任論
ので、貧困にあっても法の下基本
者の要求を捉える重要性を改めて
これらは、私にとっても、チー
ムにとっても患者の立場に立ち患
きました。
(2)全日本民医連第 回総会方
版
要因
参考文献
社会的関係や支援を受けられなか
期、人と上手く付き合えず良好な
ける権利も守られなかった幼少
には、愛情に恵まれず、教育を受
このような時代背景を理解する
ことで、Aさんの生きてきた歴史
られました。
態度をとる。誤解されやすい人と
れがストレスともなり更に頑なな
ケーションがうまく取れない、そ
から、思いを表現できずコミュニ
こす自分勝手な人という様な捉え
て行きました。すぐトラブルを起
っていたチームと共有され、チー
間は社会的存在であり、その健康
の場で捉える事に繋がります。人
念の一つである患者を生活と労働
することは、民医連の看護 介
・護
実践そのものであり、民医連の理
が大切です。患者の抱える困難の
針
確かな事実の探求」 第2
(1)WHO「健康の社会的決定
学ぶ機会となりました。
現に繋がったと振り返ることがで
で行きたいと思います。
私の学びは、カンファレンスな
どを通して「特別扱いじゃないか」
改めて患者の立場に立ち
患者の要求を捉えるを学
ぶ
したい」というAさんの願いの実
的人権が擁護されない状況でし
年代の施行
た。また、教育基本法や義務教育
制度などもみな昭和
です。
貧困者は教育を受けられず、
読み書きができない者も多くいま
した。また、ホームレス生活がA
さんの人間関係や生き方に大きな
った生活、ホームレスという社会
捉えなおし、何より、幾多の困難
を守る医療従事者には、人の命や
との感情を抱きつつ受診に付き添
的排除状態の経験、更には、安定
を乗り越えて、必死に生きてきた、
健康が社会の中でどのように扱わ
影響を与えた可能性も高いと考え
した仕事に就けない失業などの
生きようとしているAさんと捉え
れているのかを知ろうとする姿勢
おわりに
「健康の社会的決定要因」が複合
ることができました。
ムのAさんに対する見方は変化し
的に影響していること、その根底
背景に何があるのか、社会情勢を
15
人権を保障する立場で、患者の
「健康の社会的決定要因」を探求
に貧困に向けられた社会格差があ
チームがAさんをその様に捉え
なおす過程は、患者さんの言動と
踏まえて理解することが、患者に
ると理解しました。そして、 年
いう見える部分から、何故そのよ
看護と介護 Vol.40
15
22
20
戦争の真っ只中に生まれ、親も無
41
25
いのちと健康を守る
看護実践
のCTでは発症早期ではないと思
われる肺結核の所見があり、喀痰
地域差が問題となっています。
発症している状態で、すぐにIC
た。肺結核に細菌感染を併発しA
検査で抗酸菌塗沫検査陽性でし
感染管理認定看護師であり看護
師長でもある立場から、結核患者
Uへ入室し人工呼吸器を装着し
RDS(急性呼吸窮迫症候群)を
そして、昔と違い結核は「治せる
の事例から学んだことを以下に述
病
名:肺結核 重症肺炎
現 病 歴:1カ月前からの咳、喀
無職 無保険(入院後国保に加
入)無料低額診療利用
は一時的に改善しましたが、再度
いました。呼吸状態や肝機能障害
大きかったのだと思う」と話して
事もあり、精神面でもストレスが
に 我 慢 し て い た と 思 う 」「 生 活 の
と、体調が悪かったことを言わず
りました。家族は「心配させまい
全の他に肝機能障害や低栄養もあ
ました。また入院時には、呼吸不
のバイト料と義父の収入では足り
ない)を営んでいましたが、本人
属関係の自営業(ほとんど仕事は
ました。妻の父(
は土木関係のアルバイトをしてい
木関係の会社も倒産し、それ以降
その後正社員として働いていた土
が倒産し、借金だけが残りました。
た。一時期会社を立ち上げました
関係の正社員として働いていまし
う事は、広く認識されています。
病気」の一つです。
占めている中、日本の罹患率(2
痰、倦怠感、呼吸苦がありました。
悪化して入院8日目に亡くなりま
ず、貯蓄が底をついてきていまし
て、抗結核薬による治療を開始し
011年)
は人口 万対 ・7と、
呼吸苦が増強したため 月下旬に
した。死亡時には、遺体の搬送費
0万人が死亡しており、WHOが
中心となって結核対策を進めてい
ます。罹患者の %が発展途上国
%を
や旧社会主義諸国で、地域的には
アジアが %、アフリカが
40
920万人が結核を発病し、17
多くの欧米先進国の4倍以上(結
受診(初診)しました。
た。
90
歳代 男性
核中蔓延国)です。結核患者の半
についての相談もありました。
歳代)は、金
数以上が 歳以上と高齢化に伴う
生活背景:妻と妻の両親と暮らし
1986年 岩見沢市立高等看護学校卒業
同年、北海道勤医協へ入職 以
後中央病院勤務
2008年 北海道医療大学認定看護師研修
(感染管理分野)修了
2009年 日本看護協会感染管理認定看護
師認定
2013年より現職
経 過:1ヶ月前から体調不良
はありましたが、無職で収入が無
(きむら りえ)
特徴もありますが、社会経済的弱
木村 理恵
ており、子どもはいません。土木
勤医協中央病院 感染制御室 看護師長
く受診できずにいました。入院時
30
17
事例
べます。
での遅れ(2か月以上の割合)や
~ 代)の患者の発症から初診ま
徴としてあげられ、働き盛り(
結核患者の事例から健康問題の
社会的要因について考える
はじめに
20
しかし、いまだ世界の人口の約
3分の1が結核菌に感染し、毎年
感染症である結核が社会と密接
につながっている病気であるとい
50
者(低所得者)の高い罹患率も特
10
98
10
51
70
16
看護と介護 Vol.40
教員・接客業を除く常用勤労者で
業別にみると医療関係者・保育士・
要性を再認識しました。
引用・参考文献
され、有症状での発見は %以下
看護が輝くために」
考察
私は、事例の患者と職員・家族
の感染対策という点で関っていま
です。しかし臨時・日雇い・自営業・
とどまらず、感染症にかからない
また感染管理の点から、感染症
と貧困の問題は、「衛生」「栄養」
した。
この患者が亡くなった時
「今
無職では定期健診(健診が無い事
ための健康を守る社会的活動の必
は、約 ~ %が定期健診で発見
の時代にこんなに若い人がなぜ結
が多い)での発見は約 %にも満
(3)厚生労働省 平成 年結核
登録者情報年報集計結果
況で正社員だった会社が倒産し、
されています。
看護の3つの視点と4つの優点に
(5)高鳥毛俊雄:結核対策の及
2011
要性を感じました。
い問題であり、感染拡大の予防に
「免疫」など切っても切り離せな
核で死ななければならないのだろ
たず、約 ~ %が有症状で発見
( 1)「 健 康 の 社 会 的 決 定 要 因 確かな事実の探求 第2版」
(2)全日本民医連 職員育成部
期 看 護 委 員 会 提 言 集 「 民 医 連
う?」と思い胸を痛めました。不
収入が不安定になり、経済的に困
地域差ということでは、外国人
入国者・ホームレス・日雇い労働者
立ち、人権を守る看護の実践者を
を痛感した事例でした。
事ができない人がいるということ
ける事ができなければ、命を救う
いくら結核の良い薬が開発さ
れ、医療が発展しても、それを受
て初めて受診となりました。
状も悪化し身体も限界状態になっ
られない人の格差はあってはなり
格差、医療を受けられる人と受け
人間はみんな健康に生きる権利
が平等にあり、健康に生きる事の
まの事例でした。
回の事例はまさしくその現状のま
いるという事がわかりました。今
に影響し、受診抑制にも繋がって
このように日本における結核の
現状を見ても、社会的格差が健康
状況にあるアフリカと同水準です。
して、患者の背景しっかり捉え人
常にジェネラリスト育成の一環と
門分野における継続教育の中でも
成を行うとともに、感染管理の専
ために、入職時から民医連看護の
構築や活動はあり得ません。その
トとして専門分野の知識や技術の
としての基盤なしにスペシャリス
術を提供できるジェネラリスト」
~ 歳代では2008~2
ジェネラリストとしての看護師育
(4)公益法人結核予防会結核研
窮した状態になっていました。家
の多い大都市の罹患率が高く、特
育成し、さらに民医連看護を発展
日本の ~ 歳代の結核新規患
者(2011年)では、
無職・臨時・
ません。今回の事例から看護の対
間らしく生きていく権利を守る立
巻 日本公衛誌 第6、p.4
18―421
究所疫学情報センター 結核年報
族の生活もままならない状態で、
に大阪「あいりん地区」は全国平
ばない人々に対する対策 あいり
ん地区における実践活動から,第
日雇い等が全体の ・4%を占め、
象の患者を社会的存在としてとら
場で看護の実践に繋がるような、
50
代)の患者の発症から初診まで
56
そして、看護管理者としては、
患者の背景を広くとらえ、民医連
国保料も払えず、体調が悪くても
さ せ る 必 要 が あ る と 考 え ま す。
010年の3年間は増加傾向にあ
え、「 い の ち に 差 は な い 」 と い う
感染管理教育を実施していきたい
27
20
49
の問題解決のために的確な看護技
りました。また、働き盛り( ~
看護や、健康を揺るがす社会の現
です。
特に
が、2か月以上の割合も増加傾向
状に目をそむけない看護実践の重
20
45
「幅広い看護の知識を持ち、対象
均の 倍であり、世界でも深刻な
23
39
50
20
受診できるような余裕はなく、症
65
40
60
30
28
を示しています。発見方法別を職
看護と介護 Vol.40
17
50
いのちと健康を守る
看護実践
福島を忘れない
後福島市内を行進し〝原発をなく
病院職員が集まって交流会を開き
行進後、北海道民医連職員と福
島民医連、わたり病院・桑野協立
られるものが少なく、すごく困っ
看護師交流会
~現地で奮闘する仲間との連帯と
被災地ツアーからみえてきた真実~
トでは福島の名産品などが販売さ
して安心の未来を〟の横断幕を手
ました。わたり病院看護師と 年
ていました。うれしかったです」
れ、ステージでは〝脱原発〟の思
に、「再稼働反対!」「子供を守ろ
ぶりの再会にお互い感動し、手を
はじめに
う!」「 大 人 が 守 ろ う!」 と 大 き
取りあって喜びあいました。
会〟がありました。私は 年前に
いを各々アピールしました。集会
わたり病院の看護師支援に行き、
な声で呼びかけました。行進中、
月2日~3日〝な
そのとき出会った方たちとの再会
個人宅の庭には、未だに回収され
北海道民医連からは〝子どもの
いのちとくらし守る〟署名117
また、原発事故から2年6か月
経った、福島の現状について報告
2013年
を楽しみにし、また福島の今を知
ない汚染土が放置されていまし
2筆を手渡し、看護師支援や各院
くせ!原発 安心して住み続けら
れる福島を! ・2ふくしま大集
りたい、そして見て聞いて感じた
た。汚染土を覆うブルーシートに
しました。
ふくしま大集会
人が
福島市で行われた大集会には、
全国各地から7000人が集まり
ました。北海道民医連から
福島民医連職員一人ひとりから
は、震災での看護師支援に対する
取り組みを紹介しました。
ストレス・生活習慣変化による高
虫歯罹患率増加、大人の運動低下・
る震災事故関連死、今も続く人口
思いを伝えてくれました。
感謝の言葉や、今の思いなどが語
血圧・高脂血症などの健康問題、
/hと記載され、自然放射線量0・
ら れ ま し た。「 北 海 道 の 乳 製 品 を
苦悩する避難生活、孤独死やうつ
流出、子どもの体力低下や肥満・
4倍です。何気ない日常の中に、
贈ってもらい、ありがとうござい
状態が多発している実態を知りま
μシーベルト/hと比べると約
原発事故の現実を見ました。
ました。あの時期は安心して食べ
18
11
参加しました。会場を囲んだテン
04
2
20
と胸を熱くし、涙ながらに感謝の
ことを職場に伝えたいと思い参加
1994年 勤医協札幌看護専門学校卒業
同年、北海道勤医協へ入職
中央病院、札幌病院、在宅総合
センター勤務を経て
2006年より札幌病院勤務
2012年より現職
がありました。今もなお増えてい
(まつい ひろみ)
所での原発なくせ宣伝行動など、
松井 ひろみ
2
勤医協札幌病院 3―1病棟
看護師長
は、放射線量0・ μシーベルト
11
特別寄稿
18
看護と介護 Vol.40
した。全国からの支援は、職員に
らえた〟
〝理解してもらえた〟
〝見
発から キロ圏内にある浪江町。
日目は被災地訪問、南相馬市
と浪江町を見学しました。福島原
しなければ塩害を受けます。原発
刻も早く水門を開けて海水を排出
に海水が塞き止められました。一
福島県は、津波や原発の影響を
全く受けていない地域もあり、被
としても、原発0実現の願いを新
放さないで見てくれている〟こと
市街地に入る全ての脇道はバリケ
から近距離だったために立ち入り
災地でありながら温度差があると
り、被害が広がらないように工夫
の安堵感につながり、大変な時期
ードで封鎖され、検問所で通行証
を許可されず、シクラメンや稲は
聞きました。新聞やニュースで取
たにしました。
に支えてもらえる、全国の仲間へ
を掲示しなければ入ることができ
全滅しました。実は風向きにより
り上げられることが少なくなり、
していました。震災時、水門は閉
の連帯感を強くしたことを語って
ません。空き巣や盗難被害が相次
放射線量は、高値ではなかったの
『福島を忘れない』取り組みを続
被災地見学
くれました。また水素爆発直後の
いだための自衛策でした。原発か
です。南相馬市の方は「これは原
けていくためには、どうしたらい
とって全国の仲間に福島の苦悩を
院 内 の 様 子 で は、
「福島に居ては
ら6・5キロの地にある請戸港周
発の水害だ。正しい情報が知らさ
いのかと悩み・苦労しているとい
した。私は福島民医連職員の涙な
めない!」と力強く伝えてくれま
風化させない。忘れない!あきら
実を福島は体験しました。福島を
たり前な生活が一瞬で無くなる現
態を知りました。
そして最後に
「当
をこらえ医療活動を続けていた実
恨んだことはない〟と、必死に涙
として働いていることをこれほど
けつけられない状況から〝看護師
患者を目の前にして家族の元へ懸
未だに瓦礫が片づけられていない
を作っている器械音だけが響き、
見ました。そんな中、瓦礫置き場
とが消えてしまう信じ難い現実を
の先人が戻ることはない、ふるさ
た。活気のあったこの集落に、こ
ダチソウが一面に広がっていまし
人の背丈ほどもあるセイタカアワ
海岸を覆っていた松林は流され、
車、漁船などが散乱しています。
によって破壊された家屋や自動
集落は全て破壊されました。津波
で時が止まったかのようでした。
車がずらっと並んだままで、まる
た。駅には学生の帰りを待つ自転
れることなく平積みされていまし
売店には震災翌日の朝刊が、配ら
気が全く感じられません。新聞販
動物も姿はなく、静まりかえり生
ることは許されていません。人も
津波被害のなかった市街地は、
家屋が残っていますが現在も泊ま
原発事故の現実を知りました。
寂しそうに語りました。ここでも
も同級生も救うことができた」と
ると考えました。
島を忘れない』取り組みを続けて
で の 直 接 支 援 だ け で は な く、『 福
う現状を知りました。私は、現場
じていたので津波によりその土地
危ないから避難してきなさい」な
辺は、鮭の遡上場や田園地帯でし
れていれば、日本一のシクラメン
がらの感謝の思い、そしてすさま
現状を目の当たりにしました。
直に患者・職員を通し〝知っても
ど次々と家族や遠方の親戚から連
た。 ~ メートルの津波により、
じい現実とそこで生きて医療活動
さ、いのちと原発は共存できない
おわりに
絡が入り動揺が走っていたこと、
をしていこうとする決意・行動力
日本一のシクラメンや稲作農家
があった土地は、海抜マイナス5
現状を見ました。泊原発から福島
いくことも、支援であり役割であ
に感銘し、涙が止まりませんでし
mで以前から津波による被害があ
と同距離にある札幌に暮らす住民
目には見えない放射線の恐ろし
た。
り、住民は海岸に松林や水門を造
看護と介護 Vol.40
19
20
16
2
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いのちと健康を守る
看護実践
看護と介護 Vol.40
20
侵襲的陽圧換気療法(NPPV)を導入した
高齢患者を施設職員と共に在宅療養を支えて
「住み慣れた地域で死にたい」
利用者さんと家族の願いに寄り添った
医療・介護連携
特別寄稿
創造!
2025年に向けた在宅介護事業
地域とのかけ橋
多職種連携における診療所看護師の関わり
私たちのめざす地域連携の実践
「住み慣れた家で暮らしたい」と願う
認知症夫婦を支えたネットワーク
地域とのかけ橋
私たちのめざす地域連携の実践
ついて学んだことを報告します。
医療に求められる看護師の役割に
認知症夫婦の生活支援から、在宅
み慣れた家で暮らしたい」と願う
は地域友の会と連携しながら、「住
A氏夫婦は、C病院開院以来の
患者さんで、外来に定期通院して
進行がうかがわれました。そこで
けてくるなどの状況で、認知症の
ネ と 略 す )、 訪 看 等 と 夫 婦 に つ い
ケアマネージャー(以下、ケアマ
さんとして、受付の事務や薬局、
く、私達は生活障害の視点を重視
認知症 HDS―R 点から
点言語、即時再生、見
している
当職でゆるやかに低下
族と情報共有しながら生活の不都
合を早期に捉え、サービス調整に
いました。
介護保険の申請をし、それぞれ週
てカンファレンスを行ない、薬の
5年前頃より、夫のAさんは受
診時院内で迷ったり、帰宅後「薬
2回の訪問看護(以下、訪看と略
管理ができていない事や傷んだ食
事例紹介
す)とデイサービスを利用しなが
品を保管しているなどの情報を共
を貰ってない」と病院に電話をか
認知症 HDS―R 点から
点、即時再生が低下し
ら、2人でなんとか生活していま
有しました。そのことを長男に伝
A氏:男性 歳代
記憶低下により日常生
した
いる。猫の餌やりを忘れ、心配し
活に支障が生じる
「目がまわる」「吐き気がする」
などAさんの訴えが増えると、妻
ていた」と話されていました。病
妻: 歳代
のBさんも落ち着かなくなり、不
院に来ることが本人たちの混乱を
えたところ「部屋が乱雑になって
安が増長し夫婦そろって何度も複
繋ぐなど、
病状管理に留まらない、
る。
ました。外来では、気になる患者
夫婦ともADLは自立してい
る。長女は海外在住、長男は市内
1976年 伊達日赤高等看護学校卒業
同年 北海道勤医協入職 室蘭
診療所勤務
札幌病院、中央病院勤務を経て
2010年 勤医協西区病院勤務
2013年6より現職
招くと判断し、通院も訪問診療に
(さが ひろみ)
数の科に受診し、更には他の医療
佐賀 裕美 在住し1週間に1度は訪問してい
勤医協札幌西区病院外来 看護師長
切りかえることにしました。
安全 安
・ 心な生活を保障する立場
での支援を行なっています。
今回、病院、在宅事業所、更に
外来診療から訪問診療へ
「住み慣れた家で暮らしたい」
と願う
認知症夫婦を支えたネットワーク
はじめに
C病院在宅医療部は、連携機関
との顔の見える関係づくりを大切
に、『在宅ケア連絡会』へ参加し、
紹介元医療機関 ヶ所、居宅支援
事業所 ヶ所、訪問看護事業所
ヶ所と連携しながら、在宅ケアチ
ームの一員として奮闘しています。
現在200名程の患者さんに訪
問診療を行なっていますが、その
多くは高齢で、認知症を伴ってい
10
19
した訪問診療を行っています。家
ます。家族の援助だけで在宅生活
19
23
16
18
を継続するのは困難な場合も多
80
機関へも受診する状況となってい
80
52
22
看護と介護 Vol.40
夫婦の不安や楽しみなど、私たち
を訪ね安否確認をしている事、ご
が、子どもの意向もあり夫婦は、
自宅で過ごすことができました
していく役割があると学びました。
な在宅生活へと繋がる支援を追及
として、自分らしく暮らせる豊か
して暮らし続けられる町づくりと
高齢者住宅で暮らす事になりまし
をきたす状況となって行く中、ケ
しての地域包括ケアシステムを目
が知らなかった日常の様子を教え
アマネ、訪看を中心に、薬局やヘ
今回、私たちは「同じ地域の住
民、私たちが守っていくよ」と、
訪問診療を開始し友の会
と連携した関わり
訪問診療でも、夫婦は「今度、
展覧会があるんです」と過去のパ
ルパー、デイサービスの担当者な
話された友の会員さんの協力があ
た。
ンフレットを取り出したり、お茶
ど、夫婦の在宅支援に関わる関係
指す必要があります。在宅医療部
くました。その後も認知症は進み、
の準備を途中で忘れて落ち着かな
者と7回のカンファレンス、3回
ったから、Aさん夫婦の2年間の
として、その一翼を担うべく実践
の会員さんが夫婦に関わっていた
た。話しを聞いてみると地域の友
訪問診療当初、Aさん宅で看護
師が友の会ニュースを見かけまし
度検討していくことにしました。
いを共有し、在宅での方向性を再
いる」と聞き、改めてご夫婦の願
この家で暮らしたいと強く望んで
ろ、 ケ ア マ ネ か ら、
「 ご 夫 婦 は、
のカンファレンスで提案したとこ
ました。そこでケアマネや訪看と
る必要があるのではないかと考え
ァレンスやサービス調整会議は、
頂く機会をつくりました。カンフ
婦人や友の会の集まりで過ごして
やし、その間Bさんには地域の新
にと、Aさんのデイサービスを増
夫婦がそれぞれの時間を持てる様
予測した丁寧な関わりの検討や、
ービスの変更による夫婦の混乱を
にサービス調整を行いました。サ
は、毎日何らかの支援が入るよう
ま し た。 サ ー ビ ス 担 当 者 会 議 で
食後のみにするなどの調整を行い
管理が困難な内服は、医師と相
談して、必要最小限の内服薬を朝
訪問診療に関わる看護師とし
て、生活障害の視点からみる観察
た。
クの一員であることを認識しまし
が大事で、その人達もネットワー
のような地域で暮らす人達の支援
せる街づくりのためには、友の会
今回の事例からは、安心して暮ら
重要と実践してきました。
の多職種連携による総合的支援が
ためには、病院・在宅事業所など
願う患者や家族の生活を支えきる
私たちは認知症を抱えながらも
「住み慣れた家で暮らしたい」と
私たちは基本的人権を守る立場
で、誰もが住み慣れた場所で安心
おわりに
くなったり、妻の認知症もかなり
のサービス担当者会議を持ちまし
在宅を可能にすることができたと
ことを知りました。私たちは、息
在宅支援に関わるチームの情報共
力と、観察した事実を患者の願い
火の取り扱いなど日常生活に支障
進んでいることが分かりました。
た。
子さんの了解を取り、前述したカ
有やサービス検討だけではなく、
を実現する立場でアセスメント
まとめ
訪問診療を開始してからも、夫
婦は毎日通院してくる状況で、私
ンファレンスに友の会員さんに参
夫婦の頑張りを共有する場ともな
を積上げて行きたいと思います。
加して頂き、夫婦に関する情報や
りました。
し、必要な機関に発信 連
・ 携しな
がら、在宅を支えるチームの一員
実感しています。
支援について話し合いました。友
訪問診療を開始してから2年間
達は、施設への入所を視野に入れ
の会員さんからは、ほぼ毎日自宅
看護と介護 Vol.40
23
地域とのかけ橋
私たちのめざす地域連携の実践
はじめに
事例紹介
2011年総合病院からの依頼
により訪問診療が開始となりまし
た。
B氏は古いアパートの2階に次
男と住み、キーパーソンの次女が
亡くなってからは、居室内の清掃
や食事への支援がなくなっていま
した。生活環境は居室内に古い食
べ物が放置され、ねずみが出るな
ど衛生的にも劣悪なものでした。
他の息子が訪れた時には、日中か
ら一緒に飲酒していることもあり
ました。長男とは疎遠で、B氏と
キーパーソンの四男の関係も決し
て良好ではなく、四男自身も経済
的・社会的問題を抱えていました。
B氏は知的障害がある次男の日常
生活を見守り、ショートスティへ
の通所などできる範囲での支援を
行っていました。しかし、B氏の
都合でショートスティに通えない
事も多く、母子二人で何とか暮し
経過
多職種連携における
診療所看護師の関わり
Aクリニックは、これまでの診
療所の歴史や活動を土台に、地域
により密着した医療活動を前進・
発展させるために、2011年よ
り外来・訪問診療など新たな活動
に取り組んでいます。
訪問診療患者は、独居、高齢者
夫婦世帯などキーパーソンが不在
または関係が希薄であったり、生
活環境が厳しい方も少なくありま
せん。
在宅生活を支えていくには、
医療だけでなく介護分野との連携
は必須であり、多職種連携(IP
W)は欠かせないものとなってい
ます。
今回、多職種連携(図1)で高
齢なB氏と知的障害がある息子を
とりまく家族の関係性を変化さ
せ、在宅生活を支援した実践を報
告します。
B氏、 歳代、女性
病
名:高血圧、狭心症、認
知症
家族背景:2回の結婚歴(死別
と離婚)あり、子供
は4男2女。次男(知
的障害あり)と同居
し近所に4男(キー
パーソン)が居住
介 護 度:要介護2 経済状況:生活保護受給と次男
の障害年金
多 職 種:医師、看護師、ケア
マネージャー(以下
ケ ア マ ネ と す る )、
訪問介護士、訪問看
護師、ディサービス
職員、生活保護課担
当者(以下、保護課
担 当 者 )、 就 労 支 援
事業所担当者(以下、
就労担当者とする)
90
青柳 真弓
(あおやぎ まゆみ)
1977年 北海道社会保険高等看護学院 卒業
同年、北海道勤医協へ入職
中央病院、当別診療所、札幌病
院勤務を経て
2004年より現職
ているように見えても、食事や保
清への支援が充分にできない状況
でした。B氏と次男が、在宅生活
を継続する上で多く困難性があり
ました。
在宅生活に関わっている職種と
しては、B氏にはケアマネ、訪問
看護師、訪問介護士、ディサービ
ス職員、保護課担当者がおり、知
的障害のある次男には、就労担当
者が支えていました。
B氏の療養上の問題としては、
咳止め薬に固執するなど服薬のコ
ンプライアンスは悪く、薬管理に
困難がありました。訪問看護師や
勤医協月寒ファミリークリニック
看護師長
24
看護と介護 Vol.40
訪問介護士からは、服薬をはじめ
様々な情報の連絡や受診相談など
もあり、訪問診療担当看護師が対
応していました。また、ケアマネ
や四男との連絡調整、臨時往診や
入院対応など、一年間は、そのや
りとりが頻繁に行われていました。
介護分野とは定例のカンファレ
ンスで病状や方針の確認、対応の
意思統一を図り、ケアマネや訪問
介護士とは、在宅調整会議や訪問
診療時にサービス担当者会議の開
催招集を依頼するなど、密な連携
を取ってきました。これらの関わ
りを通して、関係者間の意見交換
が容易にできるようになっていき
ました。
次男の就労担当者にも、在宅調
整会議に参加してもらい、情報交
換・情報共有することで、入院の
際には、B氏の一番の心配事であ
る次男のショートスティを依頼す
ることもできました。
Aクリニックは、四男をキーパ
ーソンに据え、家族としての関わ
りをお願いしました。受診や入院
時、病状や服薬・療養に関する説
明をその都度四男に行い、Aクリ
ニック来院時は、訪問診療担当看
護師だけではなく、他の看護師も
積極的に声をかけ、依頼内容を具
体的に話していきました。また、
いつでも四男と一緒に考え、相談
にのり、四男の健康状態を把握す
るなど介入の強化を図っていきま
し た。 そ れ ら を 通 し て、「 い や ぁ
~済まないな。あんたの母さんで
もないのにそんなに心配してくれ
て 」「 俺 も 大 変 だ け ど 何 と か や っ
てみるわ」
「いつもいつも世話に
なるなぁ、これからも頼むわ」な
ど、当初は険しい表情を見せてい
た四男に変化が見られていきまし
た。また、四男が病気でその役割
を果たせない時には、長男や、そ
の家族が対応してくれるようにも
なりました。
い る と 実 感 し ま し た。 田 村 は、
「看護師は専門的知識を深め、コ
ミュニケーションスキルを磨き、
柔軟性を持ち、チーム全体がより
よく機能するよう調節する役割を
担い、IPWの牽引者となってい
くことが今後ますます求められ
る」(1)と述べています。
家庭医療においては、IPWは、
様々な情報の共有や療養上の問題
点の一致、解決への意見交換、方
針決定する上で、在宅生活を支え
る重要なツールのひとつです。そ
して多職種間をスムーズに連携さ
せる役割を診療所看護師は、今後
も積極的に担わなければならない
と考えます。独居や認知症を抱え
ながらも、住み慣れた地域での生
活を望む高齢者にとって、それぞ
れの専門職がその役割を担えるよ
うにマネージメントすることや、
発信者としての役割が診療所看護
師に求められていると考えます。
おわりに
次男との生活継続を望むB氏へ
の関わりは、まだまだ入り口に過
ぎないかもしれませんが、様々な
変化が起こっても、B氏とその家
族への支援を続ける多職種と連
携・協働しながら、在宅生活を支
えていきたいと思います。
用語解説
IPW:インタープロフェッショ
ナル・ワーク
よりよい健康のための専門職の
協働、専門職種間の協働実践、多
職種協働、多職種間連携・協働。
異なる学問基盤をもつ専門職が目
的を共有し、相互の役割を尊重し、
互いのもつ専門性を有機的に発揮
すること
(田村由美滋賀医療科学大学院大
学)
引用文献
(1)田村由美:新しいチーム医
療~看護とインタープロフェッシ
ョナル ワ
・ ーク入門 第2章 I
PW・IPEの実際 おわりに
看護と介護 Vol.40
25
考察
この事例では、家族の歴史や複
雑な家族関係を理解しながら、そ
の家族にキーパーソンを担っても
らうことが出来た事例でした。ス
トレートに感情を表出させる四男
の、生育歴や社会的背景を理解し
共感したことで、多職種の四男へ
の見方と関わりにも変化が見られ
ていきました。訪問診療担当看護
師を中心に多職種全体で関わる中
で、四男がキーパーソンとしての
役割を担うような変化につながっ
ていったと考えます。
今回の事例を通して、患者に関
わっている介護従事者との連携を
一層広げていくことが求められて
図1多職種連携図
地域とのかけ橋
私たちのめざす地域連携の実践
侵襲的陽圧換気療法(NPPV)を導入した
#3 肺性心
A氏は在宅酸素療法(以下HO
T)導入目的で入院したが、高二
「そんなマスクつけたくない」
のNPPVの指導は、導入時には
す」と話され、MSWとも相談し、
Vを導入して退院するのは困難で
高齢患者を施設職員と共に在宅療養を支えて
病名:#1 Ⅱ型呼吸不全
PVガイドラインを発表してか
酸化炭素血症のため、NPPVが
「 マ ス ク は ず し て 」「 日 中 は つ け
はじめに
ら、気管内挿管や気管切開をしな
導入となりました。A氏は独居で
ない」と話し、受入れが困難でし
誘導や見守り下での手技獲得を目
介護付有料高齢者住宅へ入所でき
い人工呼吸器として、従来の侵襲
生活していたため、NPPV導入
た。チームはA氏の思いを受け止
指し、B施設スタッフへの協力を
#2 陳旧性肺結核後遺症
的な方法とは異なり、患者負担が
に伴いキーパーソンである姪と相
めつつ、家族にも協力してもらい
えながらマスクの装着練習から始
行ったり、その都度指導方法を変
ていきました。夜間帯にも指導を
やNPPVの学習会などA氏を迎
た。また、B施設内でも、HOT
スタッフに来てもらい指導しまし
用に個別パンフレットを作成し、
く な く な っ た 」「 だ ん だ ん 慣 れ て
気管支炎で再入院された時に家
族、施設スタッフから前回退院後
2回目の入院経過
めました。器械操作もシールやテ
とがあり、酸素療法が開始となり
きた」と言う言葉に変わっていき
え入れる準備をおこない、無事に
ました。入院3日目にはNPPV
ました。しかし、手技獲得に時間
ープを使い工夫しました。呼吸困
が開始され本人、姪へ病状と今後
がかかり、全ての操作の獲得には
退院する事が出来ました。
るよう調整を行いました。A氏へ
少ないことから現在普及していま
談し、B介護付高齢者住宅に入居
侵襲的陽圧換気療法(以下NP
PV)は、日本呼吸器学会がNP
す。高齢者の多くは器械に慣れる
けではなく家族も含めたサポート
が必要になります。今回、独居で
あるA氏が介護付高齢者住宅でN
PPVを導入し、2回入退院を行
1回目の入院経過
確認していきました。B施設職員
1996年 勤医協札幌看護専門学校卒業
同年、北海道勤医協へ入職 以
後中央病院勤務
2013年より現職
ながらNPPVの必要性を説明し
(たけだ みき)
(以下B施設)となりました。
武田 幹
まで日数を要し、退院後は本人だ
勤医協中央病院6階西病棟
看護主任
難 感 が 改 善 し た 事 も あ り、「 苦 し
の事について説明を行いました。
至らなかったため、第三者による
作時には %台にまで低下するこ
入院時より安静時の酸素飽和濃
度(以下SPO2)が %台、労
80
姪は「独居のためHOTやNPP
60
いながらも長期間安全に療養がで
きました。看護師と施設職員との
連携実践を報告します。
事例紹介
A氏 歳代女性
80
26
看護と介護 Vol.40
しないで歩いたり、酸素量を間違
の療養の様子を聞き、夜間酸素を
くれるので助かっています」。
し酸素が流れているかも点検して
って理解していることが解りまし
た。入院後、看護師が観察を行う
まとめ
A氏がNPPVを導入、継続で
きた要因は、①A氏の受け入れ状
着状態や器械の作動状況の確認、
施設スタッフへ就寝時のマスク装
作方法の理解が得られたため、B
し再指導を行いました。一連の操
からマスクを装着する方法に変更
てもよいように、酸素カヌラの上
酸素ルートの付け替えを行わなく
獲得できる手技の方法を検討し、
とカンファレンスを行い、本人が
忘れている事がありました。医師
るなど苦労もありましたが、徐々
境の変化もあり、混乱され説得す
点検を行っています。退院後は環
を開けるのを忘れることもあり、
で過ごす時や酸素ボンベのバルブ
ます。NPPVを付けず酸素だけ
認も含め夜間の巡回は継続してい
困ったこともありました。安否確
説明しても受け入れてもらえず、
け替えに混乱される場面があり、
た。2回目の退院後は、酸素の付
出来ているかを点検していまし
回行い、ルートの付け替え状態が
していきました。夜間に巡回を2
「 1 回 目 の 退 院 後 は A 氏 が、 酸
素の付け替えが解らず職員で点検
ます。NPPVが導入される高齢
支援者の存在が必要不可欠となり
やすい説明や指導が重要であり、
るためには、生活に密着した解り
た。高齢者がNPPVを継続でき
実施状況を確認する事が出来まし
報があったからこそ、NPPVの
があり、家族や施設職員からの情
PPV導入後に再度入院する機会
行ったことです。A氏の場合、N
が安全に療養できる環境づくりを
にできたこと、③施設職員がA氏
トを絞った指導をA氏や施設職員
時々の問題点が明確化し、ポイン
こ と で、 A 氏 が 抱 え て い る そ の
と、②B施設と継続的に連携した
況や理解度に合わせて解りやすい
酸素量の確認のために午前・午後
に時間が経つと訴えや操作の混乱
患者が入院した際には、必ず自己
B施設スタッフの声
の巡回を依頼して退院となりまし
は減ってきました。学習会はA氏
管理に任せず、看護師が実施状況
と、ボタン操作に戸惑う場面や夜
た。
が入所した時に行い、新たな職員
を確認することや、退院先で安全
様工夫した個別指導を行ったこ
「環境の良いところを探しても
らってよかった。NPPVについ
へは説明を聞いた職員が説明し、
に実施出来ているかどうかのフォ
間トイレの時に酸素の付け替えを
て最初は、どうしてこんなものを
日中も含め巡回の記録を残してい
ロー体制を、外来と連携し確立し
退院後のA氏の声
かぶらなくてはいけないのか先生
ます」。
ていく必要があると考えます。
を恨んだけど姪に言われハッとし
た。夜間は施設の人を呼んだら教
えてくれた。ボタンを押す力がな
くても、施設の人が押してくれる
看護と介護 Vol.40
27
地域とのかけ橋
私たちのめざす地域連携の実践
ることが多い現状です。
ていることができず、病院で看取
が呼吸困難になっていく状況を見
時の対応が求められる事や、家族
期の場合、呼吸苦や痛みに対し瞬
後増加が予想されます。肺癌終末
終末期3件でした。癌終末期は今
その内訳は高齢者終末期1件、癌
向にあり、2012年度は4件、
す。自宅看取り件数も年々増加傾
00回前後の訪問を行っていま
E訪問看護ステーションは、月
平均220名前後の利用者、12
はじめに
の復活を願い、理容師の資格を取
経済状況:A氏は地域で長年理
容室を経営していました。妻は夫
生活を希望し退院しました。
院を紹介されましたが、自宅での
射線治療後、緩和病棟のあるC病
くて半年と診断を受けました。放
脳転移もあり余命2~3ケ月、長
肺癌疑いでB病院入院。肺腺癌で
身麻痺が残りました。2011年
既往歴:2009年くも膜下出
血発症し、高次脳機能障害、左半
です。
A氏は 歳代男性で妻と2人暮
らしです。息子さんとは音信不通
事例紹介
血痰があり、臨時往診を行い、抗
は、肺癌増大のため発熱・呼吸苦・
ヶ月肺炎で入院しました。退院後
日から、1
ら最後は病院で」と話していまし
ました。当初、妻は「何かあった
規模多機能を利用することになり
要なときは、泊まり機能がある小
始しました。また、妻の通学で必
症状があり、週1回訪問看護を開
ました。退院後発熱・血痰などの
その後肺炎でD病院入院し退院し
2012年4月自宅近くのD病院
また低酸素に対して在宅酸素を導
院に入院しました。麻薬を開始し、
の痛みが強くなり、
のストレッチを行いました。胸部
に対して、鎮痛剤の調整・麻痺側
訪問看護は週2回に変更し、疼痛
した。
「住み慣れた地域で死にたい」利用者さんと
家族の願いに寄り添った医療・介護連携
今回、肺癌終末期で、呼吸苦・
疼痛など症状があるA氏を、本人
るため理容学校に通いました。理
生剤投与・解熱剤使用など対処し
を受診し、往診を開始しました。
た。2012年7月
17
日退院となりました。
12
2月
日熱発・痙攣発作が起き、
呼吸苦・疼痛の対応と病
状悪化を受け入れられな
い妻への支援
25
肺炎で入退院を繰り返し
疼痛コントロールが必要
となった時期
の希望である住み慣れた地域で、
容室1店舗は借り続け家賃を支払
ました。食事量・尿量の減少もあ
月 日D病
妻や友人に囲まれ最期まで看取る
っていましたが、経済的に困難と
りましたが、本人は「入院したく
月
ことが出来ました。
在宅診療部
(以
なり2012年生活保護受給とな
入し
下往診)と密に連携したA氏の事
1985年 北海道立衛生学院 保健婦科卒業
同年4月北海道勤医協へ入職
札幌病院、中央病院、厚賀診療所、
札幌診療所、中央病院、柏ケ丘訪
問看護ステーション、北白石訪問
看護ステーションを経て
2007年 勤医協在宅医療福祉協会へ移籍
柏ケ丘訪問看護ステーション、き
くすい訪問看護ステーション所長
を経て
2012年より現職
ない」と在宅での生活を希望しま
(すがわら ゆみこ)
りました。
菅原 由美子
例をここに報告します。
勤医協菊水在宅総合センター
センター長
12
13
30
60
28
看護と介護 Vol.40
い、息子さんとは 年ほど音信不
たことや、癌が発見された時の思
り仕切り、夏祭りの仕掛け人だっ
は菊水で理容室を開き商店街を取
の訪問としました。妻から、A氏
妻の精神状態を支えるために連日
決め、2~3人でチームを組み、
ました。訪問看護は担当看護師を
できるよう往診は週1回に増やし
を行い、体調の変化にすぐに対応
りました。往診とカンファレンス
来から往診と訪問看護へ連絡があ
はパニック状態になっており、外
病状の悪化を受け止められない妻
救急車でD病院を受診しました。
トロールを行いました。毎日友人
往診では連日訪問し、痛みのコン
なと話しがしたい」と希望があり、
情 を 見 せ ま し た。「 眠 ら ず に み ん
を見てうなずくと、納得された表
師に問いかけがあり、看護師は目
う、死ぬんだよな」と真剣に看護
した。状態悪化の中、A氏から「も
士の話が出来た」ととても喜びま
ことができました。A氏は「男同
援も受け亡くなる一週間前に会う
いる事を強く伝え、また姉妹の支
られなかったため、死期が迫って
信不通の息子さんは来る様子が見
聞くように対応を行いました。音
と綴られていました。
えることも出来なかったと思う」
し、もう一度プロポーズしてもら
はみんなが来ることも出来ない
自宅で看ることが出来た。入院で
問看護が入ったことで、最期まで
ましたが、後日、妻のブログに「訪
ないのではないかと心配をしてい
亡くした喪失感から、立ち上がれ
支援してきた看護師は、妻が夫を
メッセージを届けてくれました。
がとう」と書かれたA氏の自筆の
って三日後、妻が「みなさんあり
うに見える死に顔でした。亡くな
されました。穏やかで微笑んだよ
求め運動していきたいと思います。
民と共に制度や社会保障の拡充を
て最期を迎えられるよう、地域住
無く、無差別平等に地域で安心し
必要な医療・介護が連携し切れ目
す。お金のあるなしに関わらず、
へ移行することを政策していま
国は重度・重傷者を病院から地域
り、交通費は自己負担となります。
訪問看護それぞれに償還払いとな
の償還払いを利用しても、往診・
末期は医療保険となり、高額療養
護が不可欠です。しかし、癌の終
安に丁寧に対応する往診や訪問看
く、今の状態はどの段階にあるの
血圧などの一般状態だけではな
い不安を訴える妻へ、訪問時には
しました。A氏の病状変化に戸惑
妻へ統一した対応が出来るように
毎日の訪問後に情報共有を行い、
1回の定期カンファレンスの他、
受け入れませんでした。往診と週
になっているのでまだ大丈夫」と
「6か月と言われたのが1年以上
ンフレットで説明しまたが、妻は
が近づく中で、終末期の変化をパ
した。病状が悪化し看取りの時期
通に近い状態である事など聞きま
たが、家族や友人に見守られ永眠
問しました。呼吸は苦しそうでし
そうですと妻から連絡があり、訪
況でした。同日夜、呼吸が止まり
にません」と受け止められない状
を伝えましたが、妻は「まだ、死
が下がっており、死期が近いこと
ました。その後訪問した時、血圧
る。もう一度結婚しよう」と話し
つかった。先に行くけど待ってい
た。そして妻へ「天国の階段が見
あった牧師さんに来てもらいまし
氏は亡くなる前、以前から親交の
で応対する姿が見られました。A
に囲まれ辛い中でも、笑顔や冗談
本人たちが望む在宅での看取り
を支えるために、病状の変化や不
なかったことも大きな要因でした。
活保護受給があり、経済的負担が
ができました。その背景として生
訪問することで、支え看取ること
する妻を往診と、訪問看護が毎日
を叶えたいと思いながらも、葛藤
たいという願いと、その夫の願い
ちと関わりながら最期まで過ごし
呼吸苦、痛みなどありながらも、
A氏の住み慣れた地域で、友人た
まとめ
かを紙に書き説明し、妻の思いを
看護と介護 Vol.40
29
10
地域とのかけ橋
私たちのめざす地域連携の実践
18
14
32
014年6月から(社福)札幌東
勤労者医療福祉協会が、特別養護
老人ホーム含めた事業を開始しま
す。在宅総合センターは ヶ所と
なり、在宅介護事業から、障害者
総合支援事業、給食事業、保育事
業に発展しています。事業運営を
支える職員は、2014年4月に
は1600名を超える職員集団に
なります。特徴的には、給食事業
の展開(セントラルキッチン)が、
利用者の食事を支え住宅事業や泊
まりサービス事業の展開を可能に
し、住居は ヶ所527人、泊ま
り機能は、6月の特養事業展開で、
229人となります。また、前回
の介護報酬改定で重度者を支える
新サービスとされた、複合型サー
ビスと定期巡回型訪問介護看護サ
ービスも下記のように、挑戦をし
ています。
956
1,180
1,550
1,587
1,349
463
577
689
780
794
635
臨時・パート職員
56
104
301
311
379
491
770
793
714
登録ヘルパー
236
222
269
298
274
271
0
0
-236
センター数
11
12
23
26
28
30
31
32
17
居宅介護
12
13(1)
訪問看護 9
9
訪問介護 10(2)
25(3) 26(16) 26(17) 26(17) 27(18) 28(18)
15
17+S3
12
20+S3
21+S3
16+S3
16+S3
格差が深刻な実態を生じさせるこ
とが予測され、介護サービスの市
場化の中で、不自由なく高齢期を
過ごせる人は一握りです。
この変化は在宅事業だけの課題
ではなく、急性期病院であっても
直面する質の変化です。国として
も、また医療 看
・ 護・介護に従事
する者にとっても、経験の無い大
きな挑戦の課題です。
勤医協在宅グループの事
業展開の推移在宅実践の
到達
勤医協在宅グループの事業展開
について、表1に示しています。
北海道勤医協から、事業移管し2
007年4月新法人となった勤医
協 在 宅 は、 現 在 は、( 株 ) 北 海 道
勤労者在宅医療福祉協会・
(社福)
札幌東勤労者医療福祉協会・
(一般
社団)日胆勤医協在宅の、3法人
で事業展開しています。加えて2
通所介護
6
10
24
29
30
36
短期入所生活介護
0
1(24)
1(24)
2(60)
2(60)
3(80)
3(80) 4(100) 4(100)
11(4) 17(12) 18(14) 20(15) 22(21) 22(22) 23(22)
小規模多機能 ・ 複合型
0
0
0
1
2
2
2
4
2
定期随時訪問介護看護
0
0
0
0
0
0
2
2
2
グループホーム
0
0
0
1
1
2
2
2
2
共同住宅
0
2(31)
2(31)
3(74)
3(74)
3(74)
2(64)
2(64)
2(64)
有料老人ホーム
0
1(33)
2(75)
3(91) 4(107) 4(107) 4(107) 4(107) 4(107)
高齢者専用賃貸住宅等
0
0
0
3(129) 4(179) 5(219) 8(289) 9(330) 8(313)
36
31
1980年 市立室蘭高等看護学校卒業
2003年 放送大学教養学部卒業
2012年 北海道医療大学大学院看護福祉
学研究科 地域看護 卒業
1980年 北海道勤医協入職 札幌病院・
中央病院勤務
2007年 北海道勤労者在宅医療福祉協会
経営移管に伴い移籍現職に至る
774
364
(おおた まちこ)
565
193
16+S3
37
12
297
145
太田 眞智子
201
正職員
創造!2025年に
向けた在宅介護事業
65
はじめに―「2025年
問題」に向けた変化
歳以上の高齢者人口は、20
25年に約3700万人(総人口
の 約 %)
、 歳以上の人口は約
2200万人
(総人口の約 %)
、
認知症の推計は、 歳以上の高齢
者の6人に一人とされています。
この指標は、様々なところでよく
聞いている数値ですが、現実的に
イメージがもてないと思います。
具体的には、高齢者が増加する
ので「疾病を持つ人が増える」
「介
護を必要とする人が増える」とい
う単純なものではなく、必要とす
る層の変化があるという事です。
必要な量も増え、必要とする人の
質 が 変 化 す る、
「量と質両面の変
化」と認識する必要があります。
重度認知症と慢性疾患管理や、認
知症とがん 非
・ がんの終末期重複
や、介護力が無い・介護者がいな
い人も増加します。加えて、貧困
75
北海道勤労者在宅医療福祉協会 人事部長
正職員+パート職員
特別寄稿
65
30
表1 勤医協在宅グループの事業展開の推移
2007年 2008年 2009年 2010年 2011年 2012年 2013年 2013年 4月比較
4月1日 4月1日 4月1日 4月1日 4月1日 4月1日 4月1日 10月1日 13―07
30
看護と介護 Vol.40
地域利用者の生活を総合的に支
援するためには、多職種協働及び
住民を含めたチームが不可欠で
す。ここでは、訪問看護事業を中
心とした多職種協働の実践につい
て特徴的な実践内容を報告しま
す。訪問看護は、小児から高齢者
まであらゆる年齢と、疾病や障が
い者に対応し、様々な医療機器も
活用し、医療依存度の高い利用者
の在宅療養を可能にしています。
践は、一歩利用者の家に入った瞬
間に、利用者 介
・ 護者 家
・ 庭の環
境などを、総合的に観察し見極め
探り、判断していく、まさに「看
護」の醍醐味があり、自律的な看
護師はその面白みを実感できると
思います。役職者に求められる能
力は、多職種の専門性理解と良い
関係を創る事です。これができな
ければ、利用者の生活に影響を及
ぼします。つまり、在宅療養(医
療)は、生活の一部であり、看護
だけでは利用者の生活の質は、改
善できないということです。
24
症・胃ろう造設の要介護5の利用
者が、老健施設からまっすぐ複合
型サービスに退院し、週1回在宅
に帰ることから始め、自宅での生
活につなげた実践(最後は、複合
型の泊りで老衰で死亡する)があ
ります。定期巡回型訪問介護は、
現在は3事業所で実践していま
す。訪問介護計画や看護アセスメ
ントも行い、毎日定時で複数回訪
問し内服が確実にでき、生活状況
をタイムリーに見守り対応が出来
ることで、利用者の生活が確実に
安定してきています。
今後の展開
勤 医 協 在 宅 グ ル ー プ は、「 在 宅
生活の限界点」を高める 時間3
65日の事業展開に取り組んでき
ましたが、社会保障制度解体路線
の中で、貧困格差は一層深刻さを
増していくことが予想され、民医
連の真価が問われる時代です。そ
の意味で、同じ理念の下にある北
海道勤医協の院所、診療所との強
固な連携を進めることが重要で
す。昨年の北海道民医連看護介護
活動交流集会で勤医協西区病院の
報 告 で は、「 中 堅 看 護 師 が 退 院 支
援研修を通し、退院支援は自己決
定を支援することであり、重度で
あっても在宅調整は可能」という
学びを得たという発表に大変感激
しましたし、勤医協札幌病院など
でも、在宅訪問看護事業の研修や
や連携会議の前進が図られていま
す。4月の診療報酬では、更に在
宅復帰率や機能分化が促進されま
す。医療介護一体改革・地域包括
ケアの大きな流れを学習し、患者
利
・ 用者を守る連携を前進させる
ために今後も力をつけていきたい
と考えます。
一方で、貧困格差の対応として、
SOSネットなどの相談機能とリ
ンクした、隙間を埋める自費のサ
ービスや低家賃で、不安なときに
泊まれる集合住宅・身寄りのない
人が最後の時間を安心して暮らす
ホームホスピスなどの取り組みの
検討が求められます。
職員集団が何を目指すのかの一
致と、そのためにそれぞれの持ち
場の技術を高める事や、理論エビ
デンスでは整理できない「一人ひ
とりの物語を深く理解したい」と、
心を傾け寄添う感性が必要です。
最後に、尊敬しあこがれるA先生
が、よく講演の最後に引用する言
葉 で す。「 わ れ わ れ は、 ど こ か ら
来たのか・われわれは何者か・われ
われはどこへ行くのか」(ポール・
ゴ ー ギ ャ ン )。 人 に よ り 捉 え 方 が
あると思いますが、目先の困難や
苦しさはあっても、方向を間違え
ないよう地に足の着いた実践が求
められています。
引用文献
( 1) 中 島 紀 恵 子( 1 9 9 0).
高齢者のQOL―保健医療の側面
から.季刊 社
・ 会保障研究,Vo
l. ,No.3,243―254.
看護と介護 Vol.40
31
【精神疾患:関係機関のコーデイ
ネート機能】
子供への虐待 暴
・ 力をきっかけ
に、保健師から精神疾患の訪問看
護が依頼されました。4人の子ど
もが精神遅滞や知的障害の実態に
対し、保健師・学校担任 小
・ 児科
医・精神科医 児
・ 童相談所・生活保
護課など、あらゆる関係機関のコ
ーデイネータ機能を訪問看護ステ
ーションが担い、利用者の生活を
世帯まるごと援助し、関係機関に
働きかけるダイナミックな展開が
あります。 訪問看護師の質を、総合的に標
準化する課題は、常に重点の課題
となります。現在緩和ケア・訪問
看 護 認 定 看 護 師 が、 各 1 名 就 業
し、今年度も皮膚創傷 認
・ 知症認
定看護師に受講予定があり、活躍
が期待されます。熟練看護師の実
26
【独居等の看取りー最後の場の選
択(自己決定)を守る実践】
「患者も
在 宅 看 取 り の 条 件 は、
家族も自宅でのターミナルケアを
希望していること、そして看取る
家族ができれば複数いること」
と、従来言われてきましたが、現
在は、
本人の希望があれば、
「独居
であっても、介護者が認知症の場
合でも看取る」実践は、数多く構
築しています。訪問看護師は、細
やかな情報共有の中心となり、特
に訪問介護事業との連携を取りな
がら、
看取りを可能にしています。
【新規サービスで、新たな生活の
再構築】
前回の介護報酬改定時(201
2年)の新規サービスの、複合型
サービス 定
・ 期巡回型訪問介護看
護の取り組みの中で、看取りや在
宅生活が安定してきました。住居
に併設する複合型サービスと訪問
診察が連携し、
住居での看取りや、
歳代の高次脳機能障害で失語
90
2013年度北海道勤医協
看護部門研究発表一覧表
2013年度北海道勤医協看護部門研究発表一覧表
<看 護 系 学 会>
各種全国学会
学会名
第25回日本看護学校協議会学会
日本災害看護学会第15回年次大会
日本看護学会
全国
日本看護学会 「看護総合」
開催地
福島
開催月
8月
札幌
8月
大分県
別府市
9月
看護師から語られた病状変化時の医師面談における家族の
勤医協札幌西区病院 2病棟
感情と行動
根本 昌世
11月
11月
12月
外来看護師の高齢者に対する気づき
外来通院中の関節リウマチ患者のアンケート調査
外来におけるインスリン自己注射手技確認の取り組み
濱館 美保
佐藤 千鶴
河内 幸恵
地域
北海道看護協会第2支部研究発表会
北海道
北海道看護協会苫小牧支部看護研究発表会 北海道
北海道看護協会第4支部看護研究学会
北海道
<看 護 系 以 外 の 学 会>
学会名
全国
第28回日本環境感染学会総会
開催地
開催月
東京
3月
第4回 日本プライマリ・ケア連合学会学
宮城県
術大会
6月
第55回全日本病院学会
11月
埼玉県
全道
日本プライマリ・ケア連合学会北海道ブロ
北海道
ック支部 第1回地方会
<民 医 連>
全日本民医連関係
学会名
10月
開催地
開催月
第11回全日本民医連学術・運動交流集会
札幌市
10月
第11回全日本民医連学術・運動交流集会
第11回全日本民医連学術・運動交流集会
札幌市
札幌市
10月
10月
第11回全日本民医連学術・運動交流集会
札幌市
10月
第11回全日本民医連学術・運動交流集会
札幌市
10月
第11回全日本民医連学術・運動交流集会
札幌市
10月
第11回全日本民医連学術運動交流集会
札幌市
10月
第11回全日本民医連学術運動交流集会
札幌市
10月
第11回全日本民医連学術運動交流集会
第11回全日本民医連学術運動交流集会
札幌市
札幌市
10月
10月
第11回全日本民医連学術運動交流集会
発表テーマ
院所・セクション
看護学生が人間観、看護観を深める沖縄研修旅行の学び 勤医協札幌看護専門学校
災害支援に派遣した看護師のサポートと2年後のフォロー
勤医協中央病院 師長室
(ランチョンセミナー:講演)
発表テーマ
氏名
伊藤 保恵
小澄 悦子
勤医協札幌西区病院 外来
勤医協苫小牧病院 外来
勤医協伏古10条クリニック
院所・セクション
氏名
流行性ウイルス感染症の罹患歴・ワクチン接種歴と抗体価
勤医協中央病院 感染制御室
木村 理恵
の分析
ある認知症患者との関わり~パーソンセンタードケアの理
勤医協月寒ファミリークリニック 青柳 真弓
念を用いて地域で独居生活を支えた一例~
生物学的製剤による高額治療を受ける関節リウマチ患者へ
の関わり―治療継続に困難をきたしていた2事例を通して 勤医協伏古10条クリニック
河内 幸恵
―
イブニングスタープロジェクト―Assets Mapping による独
勤医協月寒ファミリークリニック 梅前ちひろ
居高齢者に対しての文化的理解と地域連携の取り組み
札幌市
10月
第11回全日本民医連学術運動交流集会
札幌市
第23回全日本民医連神経 ・ リハビリテーシ
沖縄県
ョン研究会 in 沖縄2013
10月
発表テーマ
院所・セクション
婦人科再発癌患者の〝がんと共に生きる〟闘病生活の支え
勤医協札幌病院 3―1病棟
~繰り返し化学療法をうけているB氏を通して~
20数年間のひきこもり生活から社会復帰を目指して
勤医協札幌病院 3―1病棟
外来における臨床倫理四分割カンファレンスの取り組み
勤医協札幌病院 第1外来
「10分間総合スクリーニング」を活用した後期高齢者の生
勤医協札幌病院 第1外来
活機能障害のこころみ
外来在宅支援、病棟退院支援・調整看護師職員養成講座の
勤医協札幌病院 4病棟
取り組み
15年間の産後訪問記録からの母子の概要の変化
勤医協札幌病院 4病棟
脊髄性進行性筋萎縮症であるA氏の「死んでもいいからた
勤医協札幌西区病院 3病棟
べたい」という願いを支える看護
住みなれた地域で暮らしたいと願う認知症夫婦への支援 勤医協札幌西区病院 在宅医療部
2人を取り巻く人びととの連携を通して
CPAP3年間の取り組み
勤医協札幌西区病院 外来
退院支援強化に向けた主任教育
勤医協札幌西区病院 地域連携室
安心してすみ続けられる街づくりめざして~パート3安心
勤医協小樽診療所
カードお渡し活動の取り組み~
平和と医療を学ぶ沖縄研修旅行 勤医協札幌看護専門学校
10月
患者さんの力を最大限利用した、安全安楽な移乗方法
全日本民医連 認知症懇話会
東京
11月
第37回全国腎疾患管理懇話会学術大会
東京
11月
第38回全日本民医連呼吸器疾患研究会
第38回全日本民医連呼吸器疾患研究会
第30回全日本民医連循環器懇話会
三重県
津市
三重県
津市
長野県
11月
11月
11月
第7回東日本民医連医療研究会
東京
9月
第7回東日本民医連医療研究会
北海道民医連
学会名
東京
9月
開催地
開催月
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
10月
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
10月
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
10月
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
10月
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
10月
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
10月
勤医協中央病院 3階西病棟
氏名
野坂眞貴子
小松眞奈美
山口 敬子
渡邊 和恵
大高 主江
五十川聡子
竹内 達郎
渋谷 美樹
伴 理恵
遠藤 絹子
松岡 睦美
柴田 利彦
小野澤由貴
A病院における認知症ケアチームの2年間の取り組みと課 勤医協札幌西区病院・認知症ケア
折出 洋子
題
チーム
高齢者の透析導入指導の有効性について~看護師指導マニ
勤医協中央病院血液浄化センター 中越美奈子
ュアルの活用を通して~
化学療法を行っている患者の苦痛に関する調査と課題
勤医協中央病院 6階西病棟
外来看護師による吸入指導の取り組み―吸入手技の獲得が
勤医協伏古10条クリニック
困難だった高齢患者2事例への関わりを通して―
心臓血管手術を受ける患者への声かけがもたらす影響
勤医協中央病院 2階東病棟
医療ネグレクトが疑われた世帯への地域の機関と連携した
勤医協菊水こども診療所
関わり
幼児期後半児に付き添った親と看護師の関わりの分析
勤医協菊水こども診療所
発表テーマ
院所・セクション
婦人科再発癌患者の〝がんと共に生きる〟闘病生活の支え
勤医協札幌病院 3―1病棟
~繰り返し化学療法をうけているB氏を通して~
ひきこもりから社会復帰へ一歩踏み出した患者への看護師
勤医協札幌病院 3―1病棟
の関わり
失語症患者の障害受容過程と看護支援の考察 ~コーンの
勤医協札幌病院 3―2病棟
危機・障害受容モデルを活用し事例を振り返る~
ドライマウス外 来の療養指導のあり方の検討
勤医協札幌病院 第2外来
後期高齢者の生活機能障害への介入~ 10分間総合スクリー
勤医協札幌病院 第1外来
ニングを活用してのこころみ~
継続看護に役立つ手術室看護記録への取り組み
勤医協札幌病院 手術室
久保田貴子
阿部 華子
富樫真樹子
戸塚 舞
中川原由華
氏名
野坂眞貴子
前田 香織
佐々木李花
下川部幸子
渡邊 和恵
斉藤 和恵
看護と介護 Vol.40
32
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
10月
10月
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
10月
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
10月
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
10月
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
10月
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
10月
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
10月
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
10月
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
10月
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
10月
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
10月
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
10月
第6回北海道民医連看護介護研究交流集会 札幌
10月
<そ の 他(各種研究会、医療研究会など)>
学会名
開催地
全国
開催月
第40回医療研究全国集会
青森県
青森市
6月
第40回医療研究全国集会
青森県
青森市
6月
札幌
札幌
5月
10月
北海道リウマチ・膠原病看護研究会
札幌
10月
糖尿病療養指導研究会
糖尿病療養指導研究会
北海道勤医協糖尿病セミナー
札幌
札幌
札幌
10月
10月
11月
北海道透析療法学会
札幌
11月
リハビリテーションケア合同研究大会
札幌
11月
札幌
5月
全道
北海道医療研究会
北海道糖尿病研究学会
地域
札幌東区透析の会
民医連医療No497(平成25年1月号)
北海道勤医協看護雑誌「看護と介護」(平
成25年 Vol39)
33
看護と介護 Vol.40
15年間の産後訪問記録からの母子の概要の変化
勤医協札幌病院 4病棟
河嶋 亜衣
処置時の幼児期後半児に付き添った親の反応の分析
勤医協菊水こども診療所
多屋 佳葉
中堅看護職員研修「専門コース」2年間の評価~受講者ア 勤医協札幌西区病院 教育研修委
折出 洋子
ンケートを通して~
員会
病状変化した時の家族説明同席した看護師の感情と行動の
勤医協札幌西区病院 2病棟
大下 久予
特徴
転倒・転落リスクを予測するためのアセスメントシート活
勤医協札幌西区病院 4病棟
小畑サチエ
用の現状と課題―療養病棟における調査―
住みなれた地域で暮らしたいと願う認知症夫婦への支援 勤医協札幌西区病院 在宅医療部 仲村 真代
2人を取り巻く人びととの連携を通して
脊髄性進行性筋萎縮症であるA氏の「死んでもいいからた
勤医協札幌西区病院 3病棟
竹内 達郎
べたい」という願いを支える看護
退院支援研修2年間の評価
勤医協札幌西区病院 地域連携室 遠藤 絹子
関りを持ち続ける先に見えた看護~Aさんとの関りをナラ
勤医協札幌北区ぽぷらクリニック 寅松 靖恵
ティブアプローチで振り返る~
地方診療所における在宅終末期患者の家族支援―訪問診療
勤医協黒松内診療所
槌本 真純
と訪問看護との連携における看とりの一事例
人権を守る看護の取り組み
勤医協小樽診療所
佐藤 福子
在宅支援診療所看護師に求められる情報提供内容の検討―
勤医協伏古10条クリニック
長澤 幸子
訪問看護ステーションへのアンケート調査を通して―
高齢者の終末期における意思決定の支援~自宅看取りを実
勤医協余市診療所
小町 公美
践した家族インタビューの分析~
「学び方」を獲得する『生命活動演習』の有効性
勤医協札幌看護専門学校
菅原奈津子
発表テーマ
院所・セクション
氏名
脊髄性進行性筋委縮であるA氏の「死んでもいいから食べ
たい」という願いを支える看護 ~背景にせまったカンファ 勤医協札幌西区病院 3病棟
川原れっか
レンスからの学び~
続・家庭医療って面白い!~職員との連携の大切さを学ん
勤医協月寒ファミリークリニック 梅前ちひろ
だ2年間~
CPAP2年半の取り組み
勤医協札幌西区病院 外来
森田奈緒子
外来におけるインスリン自己注射手技確認の取り組み
勤医協伏古10条クリニック
佐々木真紀
若年発症し、再燃を繰り返す関節リウマチ患者へのかかわ
り~リウマチ専門外来と化学療法との連携で、患者の闘病 勤医協中央病院 第2外来
岡本 麻子
を支援した1事例~
糖尿病教育入院のまとめ~何が患者を変容させるのか~
勤医協中央病院 5階西病棟
笹川 恭子
熱傷を反復した壮年期独居男性への療養指導
勤医協中央病院 6階西病棟
本前 陽子
糖尿病教育入院後の追跡調査
勤医協中央病院 5階西病棟
笹川 恭子
高齢者の透析導入指導の有効性について~看護師指導マニ 勤医協中央病院 血液浄化センタ
川又枝理子
ュアルの活用を通して~
ー
全介助者が重心を保つための起居動作と端座位動作への支
勤医協中央病院 3階西病棟
鈴木 映美
援の有効性
透析導入患者のセルフケア指導
勤医協中央病院 血液浄化センタ
渕瀬 敬子
ー
知的障害がある夫婦への育児支援
勤医協菊水こども診療所
平瀬 信江
親のネグレクトがある喘息患児を支える地域の連携
勤医協菊水こども診療所
松田麻由子
看護と介護 Vol.40
34
卒後研修の
取り組み
自力喀痰の出来る患者への
排痰援助として学んだ
体位ドレナージの方法とその有効性
外来における軽度認知症
高齢患者に対する吸入指導の学び
終末期の看護師の役割と
希望を叶える援助の重要性
在宅生活を送るために
~A氏との関わりを通して学んだこと~
助が必要な患者を受け持つことが
おり自力で痰を喀出出来ず吸痰援
学んだ体位ドレナージの方法とその有効性
自力喀痰の出来る患者への排痰援助として
ら嚥下状態を維持・評価していま
難があり、STの介入を受けなが
摂取時ムセがみられ経口摂取に困
ほぼ床上で過ごしています。食事
は全介助で日中はリハビリ以外を
O2の低下がありました。ADL
していたが、痰貯留に伴ってSp
素化不良でありカヌラで酸素送気
いにて抗生剤治療しています。酸
われていたが、入院後に肺炎の疑
となりました。当初気道感染が疑
呼吸苦を主訴とし外来受診し入院
いました。本人の苦痛を最小限に
著明であり、十分に排痰出来ずに
ためか、サクション後も痰貯留音
より末梢の部位まで痰貯留がある
カテーテルが到達しない主気管支
りませんでした。またサクション
本人にとって望ましい援助ではあ
く抵抗されており、サクションは
ら管はやるなー!」と普段から強
ンには「やめろー!自分で出すか
ことの出来る方であり、サクショ
自力で痰を喉元まで上げ喀出する
看護師卒後1年目研修
多かったのですが、今回の事例で
だけ苦痛を最小限に、かつ有効な
排痰援助を提供する重要性を学ぶ
集め排痰しやすくする体位ドレナ
安全安楽に排痰援助を行う上で
の体位ドレナージの意義を深める
いました。
もみられず呼吸状態が安定せずに
も考えられ、なかなか肺炎の改善
ていきました。しかし不顕性誤嚥
摂取できるようチームとして努め
がら食事形態を調節し安全に経口
の咳があり、STの評価を交えな
中も経口摂取時にムセや痰がらみ
交枕から体がずり落ちるように体
不十分であったことや認知症によ
でいましたが、体交枕での支持が
に側臥位へと体勢を整えたつもり
が受け持った当初は体ドレのため
い、体位を整えていきました。私
音の聴取やラトリングの確認を行
し、痰を喀出しやすくした後に肺
まず施行するにあたって効果的
な体ドレとなるよう吸入を施行
ージ(以下 体ドレ)を施行して
いくこととなりました。
事ができたのでこの学びを報告し
もともと肺がんやCOPDとい
った肺疾患を多く抱えているうえ
勢が乱れ半側臥位となっており、
ことができました。
ます。
今回の肺炎も重なり、痰量が非常
十分に体ドレによる効果が得られ
#2COPD
A氏 歳代 男性
病名:#1誤嚥性肺炎
事例
に多く排痰援助を行う必要性があ
ませんでした。その後の振り返り
80
#3肺がん化学療法後
#4廃用症候群
#5認知症
もともと当科で治療歴があり、
り協力が得られず、訪室時には体
りました。廃用が進んではいるが
A氏は加齢や廃用の影響から嚥
下機能が低下していました。入院
様、重力を利用し痰を中枢気道に
し、十分に排痰することが出来る
(ふるかわ まなみ)
の排痰の重要性を日々の実践の中
痰を喀出出来るA氏に対し出来る
した。
2013年 勤医協札幌看護専門
学校 卒業
同年、北海道勤医協
へ入職 現在に至る
で学んできました。廃用が進んで
看護実践
は廃用が進んでいる中でも自力で
動機
古川 まなみ
私は春に入職し呼吸器病棟に配
属され、呼吸器疾患を抱えた患者
勤医協中央病院 6階西病棟
看護師
36
看護と介護 Vol.40
つつも最大限の協力を得ながら、
とに気付きました。認知症があり
る苦痛のみの援助となっているこ
られなければ患者にとっては単な
るに適した体位を整え、効果を得
を通し、しっかりとドレナージす
き、より効果的な排痰援助へと繋
ても積極的に協力を得ることがで
にしよっか」とサクションに対し
また自力で痰を喀出しきれない
時にはA氏自身から「ダメだ。管
ングは消失しました。
は日々の関わりや観察を通してそ
くことが重要であると感じ、それ
度や理解力に合わせて対応してい
を得るには、対象の認知機能の程
た。認知症のある患者に対し協力
でいくかが重要であると考えまし
知症のある患者にどう協力を仰い
要性を感じたことで、スムーズに
氏自らが判断し、サクションの必
た。また自力で喀出出来ないとA
上で大切な点であると感じまし
取り組むことができ継続していく
じることも、今後A氏が積極的に
自力喀痰できたという達成感を感
サクションに対しても受け入れて
げていくことにもなりました。
の人に合わせて行っていくべきで
頂くことが出来、体ドレのみに限
解が得られた時には協力的であり
が十分にありましたが、説明し理
症の影響から体勢が乱れる可能性
きました。また体位の苦痛や認知
え体交枕で体幹全体を支持してい
始し、痰貯留部位に応じ体位を整
をしっかりとA氏に伝えた上で開
いった点を協力して欲しいのか」
「どんな効果があるのか」
、
「どう
し今後の実践ではいかに体位を保
こととなりました。振り返りを通
まうことを初回の実践で痛感する
にとっては苦痛な援助になってし
の効果を十分に発揮出来ず、患者
上手く整えられない事は、体ドレ
す方法である故に、適切な体位が
体位をしっかりと整えて排痰を促
重要性を学ぶことが出来ました。
今回の実践の中で『体位ドレナ
ージ』という技術における体位の
には廃用予防に大きな効果がある
痰によって呼吸筋を使用すること
ビリの拒否もあるA氏が、自力喀
廃用が進み終日床上で過ごしリハ
とができました。特に今回の様に
力喀痰を促すことの意義も学ぶこ
することにも繋がるといった、自
促すことは、呼吸筋の廃用を予防
た。患者にできるだけ自力喀痰を
喀痰を促すことにも繋がりまし
るため、喀痰しやすくなり、自力
参考文献
ました。
事も実践を通して学ぶことが出来
による誤嚥予防にも繋がっている
や、食事摂取中の痰がらみの咳嗽
低換気から招くCO2貯留の予防
や、窒息予防の他に痰貯留による
による苦痛を最小限にすること
A氏にとって体ドレで排痰援助
を行うということは、サクション
らずその他の排痰援助に対しても
あると学ぶ事が出来ました。
短時間ならば記憶することが可能
持していくのかを考え、まずは自
と感じました。
考察
協力を得ることが出来ました。
しっかりと排痰出来るようにして
いくことこそが重要であると感
じ、援助に活かしていきました。
また体ドレによって肺内に貯留
している痰が、気管支に集められ
であることを関わりの中で感じま
身がしっかりと患者に体位保持し
再度受け持った際には「今から
何の目的で体ドレを行うのか」
、
した。そこで頻回に訪室し適宜苦
てもらえるよう環境を整える事が
が出来ました。体ドレによってA
痛の有無をきいて効果的な体位を
めに体交枕の当て方の工夫や、体
氏自身も「なんかいっぱい出せた
▼諸藤周平 ナース専科Spec
ial 一冊まるごと呼吸ケア
2012年 月増刊号
位保持中の患者の安楽さといった
わ」と効果を感じている発言があ
体ドレを行うことでの排痰への
効果も今回の実践を通して知る事
を保持した結果、終了後には自力
視点を持ち、援助していくことが
りました。A氏にとって呼吸苦や
必要であると感じました。そのた
でP2~3の膿性痰をティッシュ
必要であると考え、実践に活かし
廃用による倦怠感がある中で行う
分程度体位
数枚に多量に喀出してもらうこと
ていきました。次に体ドレには患
実践であり、体ドレによる効果や
15
保ちながらも体勢を整え直し協力
が出来ました。終了後には事前に
者の協力が必要不可欠であり、認
を求めました。 ~
肺音で聴取した痰貯留音やラトリ
看護と介護 Vol.40
37
10
12
2012年 勤医協札幌看護専門
学校 卒業
同年、北海道勤医協
へ入職 現在に至る
(あべ はなこ)
である。
事例紹介
17
12
16
年齢: 歳代
性別:女性
病名:#1BA
#2認知症疑い(HDR―
S: 点)
2007年にBAと診断され、
フルタイドディスカスが処方され
1ヶ月に1回呼吸器外来に通院し
ていました。BAコントロール不
良にてフルタイド→アドエアディ
スカス→シムビコートと何度も吸
入器を変更していきましたが、変
更後もACT: ~ 点でBA発
作を何度も繰り返していました。
医師の指示にて吸入指導すると手
技獲得されておらず、指示回数も
守れていなかったことがわかり、
アドエアディスカスへ変更となり
ました。変更後の外来受診時の吸
入指導では吸入力が弱かったため
エアー剤検討となりました。また、
BA発作を起こし救急外来を受診
したことをきっかけに、2013
年にBAコントロール・治療方針
検討・吸入指導目的で入院となり、
入院中アドエアエアーに変更とな
りました。しかし薬液噴霧と吸入
の同調が合わずむせてしまうこと
や、操作を覚えられず手技獲得は
困難との判断から、息子の見守り
可能な1日1回、スペーサー装着
してのオルベスコ吸入とツロブテ
80
看護師卒後2年目研修
レポート内に患者を特定する内
容が含まれないよう配慮しました。
倫理的配慮
ーとして吸入療法を行う患者に対
する定期的な吸入指導を行うシス
テムづくりに現在中心的に取り組
んでいます。吸入の手技をなかな
か獲得できない高齢者も多く、今
回プライマリーとして受け持つこ
ととなったA氏もまた気管支喘息
(以下BA)で吸入が出来ていな
いことで喘息発作を繰り返してい
ました。吸入手技が獲得できるよ
うA氏に合わせた吸入指導・生活
に合わせた療養指導とはどういう
ものか明らかにしたく、看護展開
をした経過をここに報告します。
外来における軽度認知症高齢
患者に対する吸入指導の学び
はじめに
用語の定義
ACT:ACTとは喘息の状態
を点数化して見るもので、 点満
点中 点未満がコントロール不良
25
阿部 華子
吸入療法は治療の要となる治療
法だが、それを正しく理解し、実
施・継続している患者は多くない
ことを、これまで吸入指導を行う
中で感じていました。今年、2年
目となり呼吸器グループのリーダ
20
勤医協伏古10条クリニック
看護師
ロールテープ貼付の方針になりま
した。娘より「5分前の事も忘れ
ている」息子より「必要ないのに、
毎日同じものを買ってくる」との
発言あることや、HDR―S:
点であることから認知症の疑いが
ありました。キーパーソンは長男・
長女でした。夫と結婚してから専
業主婦でした。夫は胃癌で他界し
ており現在は長男と同居していま
す。ADL・IADLは基本的に
自立しており、買物・食事の支度・
掃除など家事をしています。趣味
はパチンコで、週に2、3回、1
回に2~3時間行っています。長
男は、早朝から夜遅くまで仕事を
している為、日中は1人で過ごし
ています。長女は札幌在住で週1
回以上は娘宅に招かれ夕飯を食べ
たり入浴しています。要支援2で、
週2回デイサービス利用していま
す。
看護展開
2ヶ月間受診中断後にBA発作
を 起 こ し 受 診 さ れ、「 調 子 が 良 か
ったのでしばらく(受診に)こな
かった」「調子が良くなったので、
ここ1週間位は吸入(シムビコー
ト)はしていなかった」と発言が
あり、吸入のアドヒアランスが不
良でした。医師の指示にてシムビ
コートの吸入指導をしますが、手
技獲得が困難で指示回数も守れて
いなかったためシムビコートから
17
38
看護と介護 Vol.40
アドエアディスカスへ変更となり
ました。変更後の外来受診時に吸
入指導をすると、吸い込む際にネ
ブライザー吸入のように吸入口を
くわえず口を開けた状態で
「すー」
と軽く吸い込んでいました。
また、
吸入力が弱く練習用吸入器具の笛
は微かに音が鳴る程度でした。再
度医師へ報告と相談をしてエアー
剤を検討することになり、入院中
にスペーサー装着してもオルベス
コ吸入とツロブテロールテープ貼
付の方針になりました。吸入手技
の獲得ができるようプライマリー
として関わろうと考え、呼吸器グ
ループで4分割カンファレンスを
行い、その中で認知機能の評価や
日常生活について不足していた情
報を把握し受診時に情報収集をし
ていきました。
退院後は息子の見守りの元で吸
入を続けていきますが、本人にも
手技獲得をしていくことを目標に
参加型看護計画を立案し、受診時
に練習用の吸入器を使って吸入手
技を確認して行くことにしまし
た。退院後1回目の受診時の吸入
指導では、吸入口をしっかりくわ
えること、息止めができていなか
ったので実際に動作を見せながら
説明していきました。2回目の受
診時は、1回目と同様の部分と1
吸入1噴射のところ、1吸入2噴
射になっており何度か訂正をして
いきました。
その後自宅訪問をして、イラス
トと説明を書いた吸入指導用のパ
ンフレットを用いて、吸入指導を
行っていきました。書かれた文字
は読めるが、渡した時の反応が乏
しく途中から声かけに切り換えて
指導していきました。効果的なも
のを作るためにはどうしたらよい
のかと呼吸器グループに相談しア
ドバイスの元、1手技一つのイラ
ストと説明を書いた日めくり式の
ものを作成し、3回目の受診時に
使 用 し ま し た。「 見 や す い 」 と 反
応があり、パンフレットを見なが
ら一つずつ確認してできるように
なりました。
退院後にA氏から「吸入は毎日
使っています」「最近、調子がいい」
「これ(オルベスコ)は使いやす
い」と発言みられるようになりま
した。退院後の受診時はACT:
~ 点とコントロールも良好に
なりました。
日常生活について本人だけでな
く、娘や息子からも聞いていき、
困っていることがないか在宅調整
の必要性についても検討していく
こととなりました。自宅訪問では
部屋は薄暗く、かび臭く、居間の
半分は物で埋め尽くされていまし
た。埃はかぶっていなかったもの
の、清潔な環境ではなかったこと
がわかりました。しかし、本人や
家族は今の生活に困ったことはな
く在宅調整を積極的に行うところ
までは至りませんでした。
22
23
として周りの支援を受けることが
大切であると感じました。現在、
要支援2で日中一人にならないよ
うデイサービス週2回利用し生活
の支援を受けています。受診時に
は本人だけでなく娘や息子にも日
常生活について話を聞いていきま
した。また、自宅訪問もしていく
ことで生活環境の把握を具体的に
することが出来ました。実際に在
宅調整するところまでは出来ませ
んでしたが、今後3年目の関わり
の課題としていきたいです。
結論
・定期的に実際の手技をみて確認
し、個々の問題点を明確にして
繰り返し指導していくことが必
要です。
・指導に当たっては、高齢者の特
徴を理解し、個別性に合わせて
デバイスの変更も視野にいれた
支援が必要です。
・療養指導をしていくために、患
者さんの生活状況を把握してい
くことが大切です。
参考文献
呼 吸 器 ケ ア 2 0 0 9 V O L.
7 NO. 喘息・COPD患
者への吸入指導の注意と指導 看護と介護 Vol.40
39
考察
A氏を受け持ち、BAコントロ
ール不良だったのは吸入がきちん
と行えていないことが原因である
ことがわかり、参加型看護計画を
立案し実践することができまし
た。吸入指導では、実際に行って
もらい観察して評価をすることが
大切です。受診時には毎回吸入手
技の確認をしていきました。高齢
者は、吸入操作の習得が困難、薬
剤に対する理解が低いなどが原因
でアドヒアランスも低い傾向にあ
ります。高齢者の吸入療法に対す
るアドヒアランスを維持していく
ためには、定期的に実際の手技を
確認し、個々の問題点を明確にし
て繰り返し指導することが重要と
考えます。また、指導にあたって
は視力・聴力の低下や認知機能の
低下、細かい動作が不自由になり、
行動変容が難しいといった高齢者
の特徴を理解し、個別性に合わせ
てデバイスの変更も視野に入れた
支援が必要です。また、指導に当
たっては視覚的に捉えるために1
手技1枚の日めくり式のパンフレ
ットを作成し手技獲得が困難と思
われたA氏が、時間はかかったが
息子の見守りのもと、習得するこ
とができました。また、本人も吸
入ができるようになったことで調
子のよさを実感し継続に繋がった
と考えます。
自宅で療養していくための環境
10
看護師卒後3年目研修
2011年 勤医協札幌看護専門
学校 卒業
同年、北海道勤医協
へ入職 現在に至る
(たけやぶ ゆりこ)
歳代男性
病名:肝硬変、悪性リンパ腫
肝性脳症と食欲不振精査で入院
となりました。キーパーソンは妻
で介護熱心な方。2世帯でA氏と
妻、息子家族の5人で暮らしてい
ます。釣りや野球が好きで、入院
の半年前までは車の運転もできて
いました。
事例紹介
A氏の妻に今回のレポートの目
的と個人が特定されないよう配慮
することを説明し同意を得ました。
倫理的配慮
妻がどのように過ごせたら良い
か、悩みながらも関わり終末期の
看護援助について学ぶことができ
ました。
終末期の看護師の役割と希望
を叶える援助の重要性
はじめに
竹薮 百合子
今までは、終末期の患者を受け
持ってもその日の観察やケアで精
一杯だったが、A氏とはプライマ
リーとして深く関わることができ
印象に残りました。急激な病状の
悪化で緩和方向へ転換したA氏と
勤医協中央病院 5階東病棟
看護師
60
看護展開
入院後肝性脳症と腹水貯留のコ
ントロール、食欲不振精査を行い
食道カンジダに対して抗真菌薬で
治療していました。しかしどれも
なかなか改善せず、不穏か肝性脳
症の影響かはっきりしませんでし
た。意識レベルにムラがあったり
A氏のストレスも大きく「治療し
ないといけないのはわかってる。
でも家に帰るのは当然だ」と帰宅
願望が強く急遽外泊することもあ
る 状 況 で し た。「 身 体 が 動 き に く
い。良くなって家に帰りたい」と
いうA氏の思いの反面、嘔気嘔吐
や食事・内服が進まないこと、排
便コントロールについてと問題は
多く、4分割カンファレンスを実
施しました。浣腸とラクツロース
内服である程度排便コントロール
はついてきており、あとは嘔吐と
腹水のコントロールが課題と明ら
かになりました。妻は「動けなく
ても食事と嘔吐が解決すれば看れ
ます」と自宅退院が可能な状態で
した。チームでも嘔吐なく食事摂
取できることと内服を確実にでき
ることを目指して様々な方法を検
討し関わりました。腹水貯留や腸
管浮腫で腸蠕動が弱いA氏にとっ
て、1回の摂取量が多いことが嘔
吐につながると考え、1回の内服
時に飲む飲水量を減らせるよう懸
濁しました。食後薬を食間薬の時
間にずらすなど様々な方法を試し
た結果確実に内服することがで
き、食事も1回量は多くないが間
食も取り入れながら補液施行なく
過ごすことができました。課題は
クリアできてきており自宅退院に
向けて外泊を実施することとなり
ました。外泊中は病院でのA氏と
は違い意識も割と清明で嘔吐なく
食事も摂取できていました。しか
し、2日間介護した妻からは「今
回みたいな外泊なら大丈夫だけど
毎日となると難しいと思った」と
訴えがあり、療養先を検討してい
くこととなりました。そんな中、
女性化乳房と考えられていた左乳
房の腫脹が強くなり、針生検の結
果悪性リンパ腫と診断がつきまし
た。妻に治療は難しいことや予後
も週~月単位の可能性があること
を伝えました。苦痛緩和を1番に
優先とすることを希望されまし
た。その後も意識レベルや血圧低
下など病状は更に悪化し、夜間A
氏が痛みで入眠できておらず麻薬
が開始となりました。傾眠状態で
すがA氏の苦痛表情は少なくなっ
ており「昨日は見ていられなかっ
た け ど 薬 始 め た ら 楽 そ う で す。」
と妻も少し安心された様子でし
た。病状が悪化していく中で、チ
ームでも相談しながら、毎日病院
に来てA氏の介助などを行ってく
れていた妻が出来ることはないか
と考え、清拭や髭剃りを一緒にや
らないか声掛けしました。涙を流
しながら行っており辛さが増強し
40
看護と介護 Vol.40
ていないか不安がありましたが、
その都度「一緒にやります」とい
う言葉が聞かれたため継続しまし
た。その後、入院から約1ヶ月半
後家族に見守られながら亡くなり
ました。4カ月後、遺族訪問とし
て妻に会いに行きました。急激に
病状が悪化し、 歳代と若くして
A氏を亡くした悲しみは大きいが
「お父さんは、自分は長くは生き
られないと思うからいつかお前の
世話になるといつも私に言って
た。あの時外泊できてよかったよ
ね。毎日行くたびに悪くなってる
のがわかった。病院に行くのが怖
いなって思うこともありました。
でも最期まで色々やってあげられ
てよかった」
と思いを聞けました。
また、外泊時は好きな野球を見た
り、とろみなしでサイダーを飲ん
で嬉しそうだったという様子や、
いつも妻を気遣い優しく穏やかだ
ったというA氏の人柄について改
めてお話を聞くことが出来ました。
考察
日本看護協会の看護倫理では患
者の死が近づいていることを家族
が受け止めていくために重要なこ
とは「患者に死が近づいていると
いう真実をしっかり伝えること」
であり、
看護職としての役割は
「家
族が終末期を迎えた患者に寄り添
い、互いが最後の時間を悔いなく
過ごせるよう支援すること」とあ
ります。A氏の場合は、妻の疲労
も考えると自宅退院は難しく、病
状も一気に悪化してしまい、妻に
とっては何よりも辛く、受け入れ
ることも簡単ではありませんでし
た。病院に来ることが怖くなるく
らいの不安がありながらも、毎日
付き添った妻にとって、看護師は
一番近い存在です。病状説明に同
席して一緒に病状を理解しその都
度思いを聞いたりA氏の些細な変
化や医療者だから分かる病状の変
化などを伝え共有したことで、A
氏の病態の厳しさの受け止めに繋
がっていたと考えます。妻は以前、
A氏の母親を介護していた経過が
あり、介護者としての基盤ができ
ていました。母親の死後A氏から
は「 い つ か お 前 の 世 話 に な る か
ら」と聞かされており、自分の親
を一生懸命介護してくれた妻に自
分も見てもらえたらという希望が
あったのではないかと考えられま
す。また、入院中も、毎日病院に
来てA氏の食事やトイレの介助を
してくれていた妻だからこそでき
るケアとして、保清を一緒に行い
最期の夫婦の時間を過ごしてもら
うことができました。A氏と妻の
思いを捉えながら後悔のないよう
に過ごせる支援をすることが、終
末期における看護師の役割である
と学ぶことができました。また、
痛そうな様子のA氏を見るのが辛
いという訴えがあり、麻薬を開始
し苦痛表情が見られなくなったこ
とで、妻も安心される様子があり
ました。苦痛に感じることは患者
それぞれ異なります。何が一番の
苦痛なのか考えそれを取り除ける
よう援助することが重要だと学び
ました。痛みという一番の苦痛を
緩和できたからこそ一緒に清拭す
るなど妻とA氏が直接関わる時間
も作ることができたのではないか
と考えます。遺族訪問で改めて妻
から話を聞き、不穏や肝性脳症の
影響もあり、病院ではA氏らしく
過ごせていない部分が多かったと
思いました。外泊中のように、病
院でも穏やかに過ごせる方法はな
かったか、とろみなしのサイダー
を飲んで喜んでいたように何か病
院でもA氏の喜びにつながる援助
はできなかったのかと感じていま
した。しかし今回のレポート作成
を通し、A氏の自宅へ帰るという
希望を実現できたからこそ、病院
とは違い穏やかに2日間過ごすこ
とができ、その外泊に至るまでに
はA氏の思いを聞き取ることから
始まり課題をチームで共有し、実
践と様々な看護援助を経ていると
振り返ることができました。元々
は自宅退院を見越しての外泊が結
果的に最期の自宅で過ごす時間と
なってしまいましたが、終末期で
あったA氏にとっては特に貴重な
時間になったと考えます。自宅は
難しいと諦めてしまうことは簡単
で す が、「 家 に 帰 り た い 」 と 言 っ
ていたA氏が、病院とは違い自宅
でA氏らしく過ごす時間を作れた
というところに、患者の希望を叶
えるということの意味を感じまし
た。患者の希望や患者を支える家
族の思いを理解しそれを叶えられ
るようチームが1つとなり援助し
ていくことが重要だと学びまし
た。今後も終末期患者と出会う場
面は多くあると思います。A氏か
ら学んだ終末期における看護師の
役割や希望に添う援助の実践、そ
のためにチーム全体で患者を支え
る大切さについて学んだことを今
後も活かしていきたいと思います。
結論
患者とその家族が悔いの無いよ
うに過ごせる援助をすることが終
末期における看護師の役割であ
り、そのためには希望や苦痛は何
かを理解しそれを叶えられるよう
チームで援助を行うことが必要で
す。
参考文献
http://www.nurse.or.jp/rinri/
data/conclusion/second-two.html
日本看護協会 看護倫理
看護と介護 Vol.40
41
60
北海道勤医協・在宅合同ケアワーカーC研修
(3年目研修)
症候群
#2慢性呼吸不全
#3胃2/3術後
要介護度:要支援1
日常生活自立度:ランクA1
認知症高齢者の生活自立度:Ⅰ
経済背景:年金と傷病手当を受
給
無料低額診療利用中
生活歴
B市で生まれ、大学まで行くが、
経済的に厳しくなり中退。 歳代
は会社を立ち上げましたが、バブ
ルの影響により仕事がなくなりタ
クシーの運転手として 年以上勤
めました。結婚後は2人の男の子
に恵まれましたが、家庭の事情で
離婚、しばらくは息子さんとの交
流もありました。母の病気や妹の
死により貯金もなくなりました。
その後は仕事を休むと収入が減る
為に、休日を返上しアルバイト勤
務を続けていました。それでも月
の手取りが 万円程度でした。今
回の入院をきっかけに、次男に通
帳を預けましたが、連絡が取れな
くなってしまった経過があります。
入院前の経過
20
2013年1月頃、動けなくな
り、自ら救急車を呼んで「何かあ
ったらD病院が良い」と会社の上
司から聞いていた為、D病院へ緊
20
在宅生活を送るために
A氏は一年余りの療養を経て、
やっと在宅退院を目指せるほどに
回復しました。A氏と関わる中で
入院に至るまでの厳しい生活背景
があったことも知りました。
私たちは、A氏の「また、家で
暮らしたい」とう願いに寄り添い
関わってきました。2015年は
介護保険の見直しの時期になり、
要支援認定の方は厳しい評価にな
るとも言われています。家に帰る
事を目標に、日々リハビリに努力
するA氏が、安心して生活を送る
ためにどのような支援が必要かを
考え学んだ事を報告します。
倫理的配慮
御本人に研修の趣旨と発表にあ
たっては、個人の特定がされない
事を伝え同意を得ました。
事例紹介
A氏 歳代 男性
病 名:#1重症肺炎後廃用
10
~A氏との関わりを通して学んだこと~
はじめに
小嶋 政則
(こじま まさのり)
2001年 青森中央短期大学福
士専攻科卒業
知的障害者厚生施設
勤務、介護老人保健
施設など勤務
2010年 北海道勤医協へ入職
老人保健施設柏ヶ丘
勤務
2013年より現職 現在に至る
E病院の医療療養病棟は、後期
高齢者が8割以上を占めていま
す。一定の急性期治療を終えた方
が慢性期の治療とリハビリを継続
しながら、退院支援や調整を目的
とした入院が多い病棟です。
60
勤医協札幌西区病院 5病棟
ケアワーカー
急 搬 送 と な り ま し た。 D 病 院 で
「無料低額診療制度」を利用し治
療の継続に繋がりました。入院当
初は人工呼吸を装着し集中治療を
行い、一命を取り留めました。し
かし、喀痰の自己喀出が困難で、
ミニトラックが挿入され吸痰の継
続が必要な状況が続きました。廃
用に伴い、嚥下機能も低下し経口
摂取が困難となり、胃廔が増設さ
れ、経管栄養が開始されました。
その後は、一定病状が安定したた
め、リハビリと長期療養先検討目
的でE病院へ転院となりました。
入院中の経過
2013年4月、今までは一般
病棟だったF病棟は、新たに医療
療養病棟に機能が転換しました。
A氏は一般病棟の時から入院し、
寝たきりの状態でした。一度同じ
E病院内の障害者一般病棟に転棟
して肺炎の治療後は、症状は軽快
し、ミニトラックも抜去し、自力
で痰の喀出も可能となりました。
日常生活動作(以下ADL)に関
しては車椅子レベルで、トイレに
行くだけでも息切れがあり、廃用
が強い状況でした。嚥下機能も低
下しており、経管栄養を行ってい
ました。転棟後からずっと「食事
が食べたい」という要求がありま
したが、すぐに開始は出来ません
でした。カンファレンスを繰り返
し、言語療法士(以下ST)によ
42
看護と介護 Vol.40
る嚥下訓練を開始し、1ヶ月後に
は、ベッド上(ギャッチアップ
度頚部前屈)でミキサー粥を介助
により開始することが出来まし
た。私たちは、食事状況の観察を
行い、看護師、リハビリ技師、栄
養士、医師と共にチームで2週間
毎の評価をしながら食事形態を変
更していきました。
2週間後には、
更に嚥下状態も良好となり体位の
角度も解除され、食事回数は2食
となり、
自力摂取が確立しました。
その後、経口摂取も順調に進むと
同時に体力が徐々に付き、ADL
の向上も著しく、短い距離なら歩
行器を使った移動が可能となりま
した。普段は積極的にお話をする
方ではないA氏から「胃廔をやめ
たい」と強い訴えがありました。
私たちは、食事摂取量、摂取時の
ムセなどの観察を日常のケアの中
で行いました。その結果をカンフ
ァレンスで反映させながら、多職
種で栄養状態も含め評価を重ねな
がら胃廔の閉鎖について検討しま
した。胃廔を閉鎖したA氏からは
「やっととれたよ~」と非常にう
れしそうな言葉が聞かれました。
9月に病棟で買い物ツアーを企
画しました。私たちは、入院して
から外出する機会がないA氏が企
画を通してリフレッシュすること
が出来、更にリハビリ等の意欲に
繋がって欲しいと考え参加の提案
をした。するとA氏からは「気分
転換になる。それまでに体力つけ
30
ないと」という明るい言葉が聞か
れました。当日は、他の方が食べ
物を購入しているのを見て「自分
ももっといろんなもの食べられる
ようにリハビリ頑張らないと」と
意欲的に話され、外の景色を眺め
ながら「久しぶりだ」と笑顔を見
せていました。
その後、独歩が可能となり、い
よいよ退院に向けての調整の段階
になりました。A氏は「一時は死
んだほうが良かった、何で助けた
のかと考えたこともあった」と話
していることがありました。しか
し 今 は、「 退 院 し た ら も う 一 度 働
きたい。仲間とも釣りにも行きた
い。釣りも体力が必要なんだ、仲
間 に 迷 惑 か け ら れ な い し ね 」「 拾
った命だから無理はしなよ」と退
院後の生活について楽しそうに語
ってくれました。ソーシャルワー
カーを通じて、1年間家賃を払い
続けている事実も知りました。会
話 の 中 か ら は、「 早 く 家 に 帰 り た
い」という思いが伝わってきまし
た。
現在は、多職種と連携しながら、
金銭面の事、在宅での生活をイメ
ージしながら必要な支援の調整を
検討している段階です。
た。少しずつ回復していく過程の
中で、一時は「死」まで思ったA
氏 か ら の「 食 べ た い 」「 胃 廔 を や
めたい」、そして「家に帰りたい」
という言葉からは、希望を持ち頑
張って生きたいという思いを感じ
ました。しかし、一度、廃用症候
群に陥るとその回復には時間がか
かります。安全に食べる為には、
多職種と連携した評価と粘り強い
関わりが必要だと学びました。ケ
アワーカーの役割としては、患者
の思いを引き出し、情報の共有が
出来るように多職種に発信するこ
とが重要だと改めて学びました。
また、A氏が、今回のように命
の危険に脅かされるほど重篤な状
態になった背景には、厳しい労働
環境や経済背景があったことが分
かりました。お金がない為に、
歳代という若さで命の危険が及ぶ
まで病院に来ることができなかっ
た事実を知った時、無料・低額制
度があって本当に良かったと思い
ました。今回の卒後研修を機会に、
介護保険と生活保護について学習
し、今後、介護保険制度の改定に
伴い、要支援の方は認定されない
可能性があると知りました。また、
G市の生活保護は、まずは精一杯
働くこと、私的な財産は処分し、
自助や互助を受ける事となってい
ました。A氏が在宅で生活するた
めには、介護サービスや生活保護
の利用が必要な状況です。しかし、
今後の制度の改定の内容によって
は、介護認定が得られず、必要な
サービスが受けられない可能性が
あると解りました。
A氏が安心して在宅で生活する
為には、まだいくつか課題が残っ
ています。日々の直接的なケアだ
けではなく、社会保障、地域社会
にも目を向け、広い視野で患者を
捉えることが必要だと学びまし
た。退院後の生活を見据え、在宅
分野の制度の学習や多職種との連
携を強めて役割発揮が出来るよう
にしていきたいと思います。
おわりに
日々の入院生活の中で、患者さ
んの思いを引き出しながら、一緒
に目標をもちチームで関わった結
果、元気になっていく笑顔の患者
さんを見るとやりがいを感じま
す。今回の学びを通して、社会保
障の現状や様々な制度がどのよう
になっているのかにも目を向ける
大切さ実感ました。大変な治療を
終え、やっと家に帰っても利用し
やすいものか、誰の為の制度なの
かを考え、色々な社会保障制度の
改定に向けた運動に取り組んで行
きたいと思います。
看護と介護 Vol.40
43
考察
A氏の事例を振り、病状や本人
の思いを確認しながらチームで支
援していく事の大切さを学びまし
60
看護現場から の 発 信 ①
し、約3カ月の入院生活を終え無事
療と平行してMSWの支援で家を探
患者さんの
思いに寄り添った
看護の継続
2013年3月、がん性イレウス
で初めて中央病院を受診したAさん
に退院することができました。
昨年6月、2週間に1回の入院を
繰 り 返 し て い た A さ ん が、「 化 学 療
歳)は、2カ月前から黒色便が
水様の黒色便と経口摂取が困難で、
時に会社の寮を退去させられ退院後
同僚や社長だけでしたが、入院と同
寄りがいなく、唯一の知人は職場の
しました。また、Aさんは友人や身
の希望から、術後に化学療法を開始
自分の時間がほしい」というAさん
予 後 は 厳 し い と 判 断。
「 も う 少 し、
緊急の手術で状態は改善しました
が、大腸がんによる肝転移もみられ
い。他人が自宅に来るのは嫌だ」と
し た が、「 自 分 の ペ ー ス で 生 活 し た
がありました。訪問看護を検討しま
が、病状の進行から急変する可能性
院。 輸 血 で 一 時 的 に 改 善 し ま し た
8月になると下血症状が現われ、
貧血による息切れや動悸で緊急入
数カ月である」と告知されました。
障害が起こる可能性があり、予後は
が増大してきている。今後は肝機能
法の結果が得られなくなり、肝転移
(
梅下 真由美
体重が ㎏減少していました。
あり、受診の 日前から上腹部痛や
勤医協中央病院3階西病棟
看護師長
には住む家がありませんでした。治
13
10
62
(うめした まゆみ)
の を 拒 否 し て い た A さ ん が、「 こ こ
が自分にとってオアシスなんだ」と
話しながら、付き添った看護師に愛
用のソファーに座るように促してく
れました。短時間の外出でしたが、
戻ってきたAさんは穏やかな表情で
「安心した」と言って、付き添った
看護師に握手をしてくれました。
後日、Aさんはホスピスケア病棟
で看護師に看取られ、穏やかに亡く
なりました。
Aさんが自分の思いを語ってくれ
るようになったのは亡くなる直前で
したが、プライマリー看護師を中心
Aさんは拒否。体調が悪くなったら
きることができるようにチームで関
アにつなげました。Aさんらしく生
に、療養に対する思いを聞き取りケ
すぐ受診するよう指導して退院しま
わり続け、信頼関係が築かれるなか
で外出の支援ができたのだと思いま
患者の生活背景を捉え、思いに寄
り添った看護を継続していく大切さ
した。
なる」と外出を希望。トイレに行く
を学ぶことができた事例でした。
ました。あれほど自宅に他人が入る
護師が付き添うことで外出を支援し
にも見守りが必要な状態のため、看
死期が近いことを察していたAさ
んは「いま自宅に行かないと難しく
化で再入院となりました。
した。しかし、1週間後に症状の悪
病棟スタッフ
44
看護と介護 Vol.40
近所に住む患者さんからの紹介と、
ていました。診療所に通院している
寝返りも起きることも出来なくなっ
は、
お母様の腰痛が強くなったため、
担う家族介護の状態でした。正月に
きり状態。生活全般をAさん一人で
Aさんのお父様は認知症が進行し
て徘徊や妄想が強く、お母様が寝た
した。
年明け早々、黒松内診療所の窓口
を隣町に住んでいるAさんが訪れま
失行、天候に関係なく屋外に出てし
たが、お父様の認知症は失語、着衣
て否定することなく対応していまし
Aさんが認知症について勉強をし
ており、ご両親に優しく声かけをし
した。
でしたが、診察を受け入れてくれま
というお父様は、緊張された面持ち
れ、Aさんは安心した様子でした。
さっそく訪問診療を開始。お母様
の腰痛の原因が帯状疱疹と診断さ
(いわさわ えつこ)
ベッドを搬入したことでお母様の生
活が安定し、Aさんの介護軽減にも
つながりました。
私たちとAさん家族との関わりは
始まったばかりですが、家族ととも
に人生の最期の時期を心豊かに療養
できるよう支援する役割が訪問診療
にはあると考えます。私たちは黒松
内町のみならず寿都町、長万部町ま
で毎日訪問診療を行い、訪問看護師
と連携しながら在宅看取りも経験し
ています。
介護に疲れて困っている方や、制
度を知らずに悩みを深めている方
言葉に、私達は「長年介護してきた
の「一人でまだ頑張れます」という
いて説明しました。しかし、Aさん
などの活用、リハビリの有効性につ
小さな町の小さな診療所であって
も、「 勤 医 協 に 行 け ば 何 と か 相 談 に
も繋がります。
が安心して生活できるまちづくりに
す。その存在に気づき支援すること
が、地域の中で多く生活されていま
気持ちを尊重し、定期的な訪問診療
頼りにされる存在となるよう努めて
乗ってくれる」と地域の方たちから
ました。
いきます。
んの気持ちに変化がみられ、その後
2 回 目 の 訪 問 診 療 時 に は、「 介 護
申請してベッドを入れたい」とAさ
の中で少しずつ支援しよう」と考え
診療所スタッフ
看護現場から の 発 信 ②
「勤医協の名前が入った車」を見か
まうなど重度の状態でした。
地域から
頼りにされる
診療所をめざして
ける機会があったため「往診をして
普段、外部の人が来ると興奮される
くれるのでは?」と考え、まだ雪深
岩澤 悦子
家族介護だけでは大変であると判
断し、介護申請を勧め、介護ベッド
い黒松内町に相談に来たのです。
看護と介護 Vol.40
45
勤医協黒松内診療所
看護師長
看護現場から の 発 信 ③
生活保護を受給しているAさん
ミュニケーションもとれるようにな
したが、ゆっくり話すことができコ
あきらめ な い
看護をめ ざ し て
歳代)は、2012年1月に突
三浦 明美
ージ術を施行。その後、リハビリを
した。脳出血と診断され血腫ドレナ
然倒れ、S脳外科に緊急搬送されま
包丁や火気の扱いなど、片手での作
Aさんは、家族と暮らすために調
理や入浴の訓練をしていましたが、
りました。
いました。私たちは、Aさんの歩行
能力を高めるには何としてもリハビ
リが必要だと痛感し、良い手立ては
ないかと模索するなか、札幌市の「市
民の声を聞く課」にAさんの事例を
訴えました。
それから2週間後、保護課からA
さんのリハビリを検討するという返
事があり、自立支援法でもリハビリ
が 可 能 と な り、 さ ら に、「 介 護 保 険
で通所リハビリも利用できる」との
回答もありました。
すでに退院後2~3カ月経ってお
り、もっと早くリハビリが認められ
ていればという悔しさがありました
が、あきらめずに訴え続けて本当に
開始し、再出血も無く経過していま
節が拘縮してしまい歩けなくなって
業が難しく安全性が危惧されたた
良かったと思いました。
したが失語と強い右麻痺が残ってい
しまいます。私たちは、Aさんの「家
め、介護付き住宅へ入居しました。
族と暮らしたい」という願いが果た
ました。
8月に退院後、訪問診療の開始と合
今回のやりとりで、在宅で安心し
て暮らすためにも、あきらめないで
わせ、自立支援法を利用した家事援
せ な く な る と 考 え、「 リ ハ ビ リ の 必
3月にリハビリの継続目的で、当
院の回復リハビリ病棟に車椅子と四
行政に訴え続け、住民のための制度
助や入浴介助、脳外科への通院支援
要性を訴えた」医師の意見書を保護
点杖を併用する状態で転院。
その後、
にしていくことが私たちの役割だと
を受けることになりました。介護保
課 に 提 出 し ま し た。 し か し、「 介 護
四点杖で歩行できるまで回復しまし
学ぶことができました。
険を利用して自宅でのリハビリを継
Aさんはリハビリを続けないと関
保険でのリハビリは認めない」と再
た。
度却下されてしまいました。
され、言葉が出づらいときもありま
続する予定でしたが、保護課から「必
在宅診療部スタッフ
要ない」と判断されてしまいました。
(みうら あけみ)
また、着替えや食事、排泄も当初
は見守りが必要でしたが徐々に自立
(
勤医協札幌病院 在宅診療部
看護師長
退院して1カ月を経過した頃、A
さんが玄関先で転倒し骨折してしま
50
46
看護と介護 Vol.40
な の で 」 と 提 案 し た と こ ろ、
「良い
させてください。生活の様子が心配
が見て取れました。医師より「往診
ら、生活に支障をきたしていること
診するAさんの訴えや衣服の乱れか
んでした。しかし、毎日のように受
それまで他院に通院中だったこと
もあり、生活状況は把握していませ
Aさんが受診に来ました。
夜眠れないんです。もう、
「先生、
薬もないんです」と、困った様子で
いる様子でした。
うことも聞き入れない」と、困って
否されるし…。娘とも疎遠で誰の言
るけど、こちらから何か勧めても拒
隣町に住むご兄弟に連絡したとこ
ろ、
「急によくわからない電話が来
ました。
を勧めましたが、拒否されてしまい
難な状況でした。介護支援が必要と
衣服の散乱など、生活そのものが困
(こばやし たかゆき)
からも、診療所の活動方針として高
齢者の訪問に取り組んでいます。診
察場面からも予想も出来なかった生
活実態を訪問でつかむことができる
ようになりました。
また、通院が困難な方を中心に送
迎にも取り組んでいます。診療所だ
けでは解決できない問題もたくさん
ありますが、在宅で生活する患者さ
んに寄り添いながら支援を進めてい
人以上も減少しています。世帯数に
ことがわかりました。また、困って
Aさんは、その後の関わりの中で、
眠れなくて薬を続けて服用していた
るところです。
大きな変化はなく1世帯当たりの人
いることを共有し信頼関係をつくる
で、1人または2人で暮らす高齢者
なかで介護保険申請に同意され、訪
す。Aさんとの関わりを通して学ん
問介護の利用で生活の安定化につな
高齢者は、診察の場面で問題がな
さそうでも、生活上のちょっとした
だことを生かし、より地域に密着し
が多い地域となっています。また、
変化ですぐに体調が悪化します。自
て「生活」を支えることが出来る診
がっています。
宅での普段の生活状況を把握するこ
療所になるようにがんばっていきま
体調が崩れた場合、遠方の家族のも
とで変化に気づきやすくなり、いざ
す。
とへ転居する方も少なくありません。
という時のキーパーソンを知る必要
今後も認知症を抱えながら生活さ
れる方が増えることが予測されま
数は1・8人。高齢化率も
%以上
診療所スタッフ
看護現場から の 発 信 ④
高齢者の
生活を支える
看護をめざして
ですよ」とのことで、さっそく訪問
判断し介護保険申請とサービス導入
診療を開始しました。
お風呂、床に山積みになった書籍、
小林 貴之
上砂川町の人口は4月末現在37
23人で、2005年から1400
自宅は、使った形跡のない台所や
看護と介護 Vol.40
47
40
勤医協上砂川診療所
看護師長
看護現場から の 発 信 ⑤
として出発して3年目を迎えました。
更し、家庭医療を進めるクリニック
月寒ファミリークリニックは20
11年4月に名称を月寒医院から変
いています。
方がたを継続的に診療させていただ
た。ホームページを見て来院する
医師も複数配置になり、午後の予
約外来枠を設けることができまし
月寒医院時代を含めて約 年間の
お付き合いをさせていただいてい
地域から
頼りにされる
クリニックに
青柳 真弓
ちながらも地域で元気にされている
勤医協月寒ファミリークリニック
看護師長
化が進んでいます。
療の患者数も増加するとともに重症
しずつ増えています。また、訪問診
り、小児科や一般外来の患者数も少
「突然、鮭が5本も送られてきた」
仕事から少しずつ引退する方向を
とりつつ妻を見守っていましたが、
りました。
まり、業務に支障をきたすようにな
ある日、「200万円の行方が不明」
札幌市にも超高齢化社会は押し寄
せており、クリニックに通院中の患
「息子とケンカになってしまった」
していた妻の物忘れが数年前から始
生活されていましたが、経理を担当
る、 歳代のAさん夫妻。自営業で
30
者さんも高齢化しています。
独居や、
歳代の患者さんが多くな
70
などの相談が夫からありました。し
歳代から
20
夫婦二人暮らしで互いに認知症を持
40
(あおやぎ まゆみ)
振から医療費の支払いができないこ
とに心を悩ませていました。相談の
結果、無料・低額診療の利用へつな
ぎ、事業も息子さんに任せることに
なりました。
クリニックから電話で来院を促す
ことや、息子さんの家族に両親の自
宅を頻回に訪問してもらう、変化が
あるときは息子さんと連絡取りあう
など、支援体制をとることになりま
かし、間もなくして定期受診の日に
行かないとすねている」など、問題
「薬を隠された。捨てられた」「ケ
ン カ を し た 」「 妻 が デ イ サ ー ビ ス に
した。
なってもお二人は来院しません。夫
が、職員が見守りを続けることでA
が起きると夫は駆け込んできます
っていたのです。
Aさん夫妻のような事例は少なく
ありません。病気の治療だけではな
さん夫妻の生活を継続させることが
できています。
力的でない」と夫妻から聞いていた
援も行い、地域の中で信頼され、存
く患者さんに寄り添った生活への支
ていることも解りました。
実践を積み重ねていきたいと思いま
息子さんが、実は両親を大変心配し
お二人とも介護保険の申請を行
い、妻はデイサービスの利用を開始
す。
在するクリニックとしてこれからも
しました。しかし、夫は自営業の不
生 じ て い ま し た。 ま た、「 あ ま り 協
さらに夫は認知症からくる家族関
係の悩みや生活状況の変化に混乱を
も受診の日を忘れてしまうようにな
診療所スタッフ
48
看護と介護 Vol.40
看護現場から の 発 信 ⑥
最期までその人ら
しく過ごしてもら
うために
め、移動による振動さえも苦痛の増
強となり困難と思われましたが、私
たちは「ちーこ」に会わせることを
家族の了承を得た上で看護計画を立
案し、環境を整えました。
いつもは傾眠がちなA氏でした
が、当日は鎮痛剤の調整などを行い
苦痛のない状態で会うことができ、
終始優しい表情で「ちーこ」の頭を
撫でて喜ばれていました。家族も大
そんなA氏が唯一かわいがってい
たのが猫の「ちーこ」です。頬をゆ
勢集まり、写真を撮影するなど楽し
男性)は、大腸がんから肺への転移
るめて「早く会いたい」と嬉しそう
い時間を過ごすことが出来ました。
があり、疼痛もあるために麻薬を内
に話されていることもありました。
その人らしく過ごしてもらうために
りました。
今回学んだことを看護師として実
践し続けていきたいです。
との関わりを通して思いました。
でシリンジポンプを使用しているた
いか検討しました。A氏は静脈注射
「ちーこ」に会わせることが出来な
「 A 氏 の 願 い は 何 か 」 を テ ー マ に
チ ー ム で カ ン フ ァ レ ン ス を 行 い、
私たちは患者さんの苦痛を取り除
く だ け で は な く、「 最 期 の と き ま で
その数日後にA氏は永眠されました。
服していました。また、筋力の低下
麻薬と鎮静剤の静脈注射の開始に伴
ました。
再度入院。苦痛により徐々に麻薬の
一度は退院することが出来ました
今までA氏は、家族や家など身の
周りのことはすべて自分で決定し、
内 服 も 困 難 と な り、「 早 く 楽 に し て
もあるため移動は車椅子で行ってい
苦痛に対する薬の服用方法について
ほしい。寿命が短くなってもいいか
何が必要なのか」を考え、その人の
も自分なりの考えがあり、頑として
ら、とにかく苦痛をとってほしい」
い、A氏は眠って過ごすことが増え
聞き入れないまでものこだわりを持
と訴えられました。
が、
病状の進行に伴い疼痛が増強し、
っていました。そのためバルンや点
身動きが出来ないほどの状態となり
滴ルートをテープで固定する仕方も
生活に立ち戻って可能な限り実践し
病棟スタッフ
ましたが、以前と同じように「ちー
合わせたケアを行ってきました。
川原 れっか
ていくことが大切であることをA氏
(かわはら)
こ」に会いたいと話されることがあ
在宅での緩和療法を希望し、西区
病院に転院されてきたA氏
( 歳代、
勤医協札幌西区病院3病棟
看護師
A氏と家族の意向を尊重した治療
を行っていくことを確認しました。
特有の方法があり、私たちはA氏に
看護と介護 Vol.40
49
70
看護現場から の 発 信 ⑦
A氏の療養を支える
~介護者への支援か
らの学び~
伊藤 弘子
んが腰の手術をしている間は西区病
していましたが、介護者である娘さ
なりました。退院し自宅療養を希望
ましたが、副作用が強いため中止と
A氏( 歳代・男性)は、肺がん
の骨転移のため化学療法を受けてい
ことがはっきりと感じられました。
から不安を抱えつつも緊張している
また、ひとりでA氏を介護してい
る娘さんからは、初めて迎える状況
でした。
するための疼痛コントロールが課題
勧め、病態変化や夜間急変時の対応
院で療養することになりました。娘
た。
滴を施行し体力保持に努めました。
の摂取量が徐々に低下したため、点
希望で、西区の病院に依頼し再入院
みから楽になりたい」というA氏の
2週間が過ぎた頃、娘さんの介護
疲労が強く頑張りすぎる状況や「痛
と看取りについて相談しながら関わ
りました。
痛みが強く麻薬を増量すると傾眠と
所からの訪問診療を開始。経口から
「最期は自宅で過ごしたい」とい
うA氏の願いを支えようと、当診療
そこで、訪問看護を導入することを
なってしまうため、A氏らしく生活
勤医協もみじ台内科診療所
看護師長
さんの手術後、自宅へと退院しまし
80
(いとう ひろこ)
か、もっと何か出来たのではと思い
ます。痛がっている姿を見るのが辛
かった。でも、西区病院に入院して
脳転移が見つかり、顔面神経麻痺と
味覚障害で食欲がなくなっていたこ
とが分かり、父も最期まで頑張って
いたと分かりました。先生や看護師
さんに色いろ教えてもらい安心しま
した。自分ひとりでは怖くて痰を取
ってあげることが出来なかったし、
入院してからも何かあったときには
対応してくれるので助かりました」
宅に戻り自由な時間を過ごせたので
の腰が何ともなければ、父も早く自
A氏は温厚な性格で怒られたこと
が な か っ た と 言 う 娘 さ ん は、「 自 分
とができました。
いたとき、娘さんからお話を聞くこ
A氏の自宅でお参りをさせていただ
てA氏は亡くなりました。その後、
となり、数日後に娘さんに看取られ
者を孤独にさせないことが大切であ
を持った援助の方法を提供して介護
と、変化する病態を予測し、見通し
症状のコントロールが重要であるこ
私たちはA氏との関わりから、が
ん終末期を在宅で安楽に過ごすため
わってきました。
という娘さんの思いが、私たちに伝
自責を感じながらもA氏に精一杯
尽くし看取りを終えることができた
と話してくれました。
はと思います。もう少し上手にお粥
ることを学びました。
には、疼痛をはじめとする様ざまな
が作れたら食べてくれたのではと
診療所スタッフ
50
看護と介護 Vol.40
看護現場から の 発 信 ⑧
のひとりでした。
入院時から
退院を見据えた
支援をめざして
ER―HCUは、中央病院移転後
に新たな看護単位となったセクショ
独居のA氏は家賃を滞納していた
ため、管理会社の訪問によって発見
した。しかし、見当識や環境認知は
十分ではなく介護が必要な状態でし
日目にグルー
た。受け入れ先を探すのには難航し
ましたが、入院して
プホームへの入居が決まり退院とな
りました。
主治医・精神科医・保健師・区役所
保護課・退院調整看護師などとHC
Uスタッフが何度も連携をとりあい
療養先を検討した事例でした。A氏
からの言葉を聞くことは出来ません
でしたが、退院の日に外出着を身に
つけ笑顔を見せる姿から、A氏らし
さを垣間見ることができました。
私たちの病棟は、患者さんの受け
入れや転出、入退院も早く在院日数
され、中央病院に救急搬送されて来
に感心がなく、自発的な言葉はあり
きとるのがやっとでした。また、四
がわずか3・9日の病棟です。A氏
ています。
ません。動作は緩慢で、拒絶などは
7月からの救急車の受け入れ台数
は月400台以上となっており、急
低栄養状態でした。
のように1週間以上長期にわたり入
性期医療の需要を肌で感じながら働
ら退院を見据え患者さん一人ひとり
いと思います。
が社会生活でどんな問題を抱えてい
ームに介入を依頼しました。
ないもののすぐに車椅子から立ち上
いています。また、患者さんの中に
区役所の保護課からの情報による
と、以前は普通に話せたが、ここ1
るのかを常に考えて支援していきた
日ほどで治療の効果も
あり行動も少しずつ落ち着いてきま
た。A氏は
3日後に介護認定審査が行われ、
今後の療養方針の検討に入りまし
肢もやせて細く、下肢に力が入らな
は身寄りがなく地域に支えられなが
カ月位で生活能力が低下し家中ゴミ
院する患者さんはあまりいません
ら生活している方も少なくありませ
が散乱していたとのことでした。主
がろうと落ち着かない状態でした。
ん。
8月中旬にERへ救急搬送され、
要な内科的疾患はないものの、周囲
ました。意識はあるものの口腔内の
17
いため、動くこともできない脱水・
ER―HCUスタッフ
が、今回の関わりを通し、入院時か
(まるやま はるみ)
すぐに精神科医の診察と退院支援チ
人の看護師で担っています。
床を
丸山 春美
乾燥が著明であり、声も弱々しく聞
ンです。ER5床とHCU
勤医協中央病院 ER―HCU
看護師長
ERでは「断らない医療」を目指
し、日々救急車の受け入れに奮闘し
22
HCU病棟に入院となったA氏もそ
看護と介護 Vol.40
51
10
10
看護現場から の 発 信 ⑨
患者さんの人生を
応援する
クリニックに
布目 歩
平和通りクリニックでは、 時間
電話で相談などができる在宅支援診
検討の結果は「グループホームへの
るか」を相談しましたが、家族での
療の契約を
ます。
め、気管支炎や肺炎を起こす可能性
が高いのですが、家族は人工呼吸器
などの延命治療は望まず、住み慣れ
た場所で最期まで穏やかに過ごすこ
とを願っています。
私たちは、患者さんの状態や病状
に合わせ、往診でできる治療やケア
を検討して、家族と相談しながらと
もに患者さんの人生を応援していく
ことが重要だと、Aさんから学びま
した。
◇ ◇ ◇
先日、クリニックの近所で一人で
暮 ら す B さ ん( 歳 代 )か ら、「 動 け
で、一人ひとりの利用者さんのこと
ムの職員のケアも非常にていねい
問して対応しました。グループホー
て訪問。Bさんをクリニックに搬送
した。看護師がすぐに車椅子を持っ
ない。助けて」という連絡がありま
なくなっていたことがわかりました。
グループホームの職員も「Aさん
に住み慣れた環境で療養を続けてほ
んの肺炎も回復に向かいました。
患者さんが困ったときに、すぐ飛
び出して様子を見に行く看護師に
しています。1日4回の食事支援を
最近、希望するものを少しずつ口
から食べるようになったAさんを訪
「すごいな」と思い感動しました。
したところ、2日前に転倒して動け
訪問診療や点滴、身体のケアについ
問すると、お汁粉を食べていました。
これからも人生の大先輩から学びな
を大切に考えて行われており、Aさ
です。
施しました。家族は交替で部屋に泊
自 分 の 手 で お 椀 と お 箸 を 持 ち、「 お
がら、その方の人生の応援をしてい
しい」と考えていましたので、クリ
Aさんは昨年、胆のう摘出の手術
後に退院しましたが、体力低下から
まりこみ、Aさんの様子を見守りま
いしいですよ~」と笑顔を見せてく
毎週行いました。
肺炎治療のため
「入
感染を繰りかえすため、訪問診療を
などの相談があるたびに看護師が訪
て家族、グループホームと連携し実
食事がなかなかできずに発熱や気道
した。
「呼吸の状態が少しおかしい」
受けていますが、しっかりと会話が
診療所スタッフ
くクリニックでありたいと思います。
(ぬのめ あゆみ)
れました。Aさんは時どきむせるた
ニックとしてもその意向を受けて、
という希望でした。
往診で、できることをしてほしい」
人の患者さんとしてい
院するとき、病院への搬送をどうす
勤医協平和通りクリニック
看護師長
でき、車椅子で外出もする患者さん
80
24
その中の一人、今年100歳を超
えたAさんはグループホームに入所
60
52
看護と介護 Vol.40
減り自宅にこもりがちな生活を送っ
症による視力障がいが進み、外出も
年前に妻を亡くしてから一人で
暮らしているA氏は、糖尿病性網膜
紹介します。
域とともに支援している取り組みを
こに住み続けたい」と願うA氏を地
増えています。そのような中で、「こ
も住み慣れたまちを離れていく方が
期の生活の厳しさから、悩みながら
院しています。しかし、雪が多い冬
当別診療所には、独居またはご夫
婦で暮らす高齢の患者さんが多く通
がけていました。
聴し意思を尊重して関わるように心
ような場合にはA氏の訴えを良く傾
ってしまうこともありました。その
ことや、調理のため利用していた訪
ました。訪問診療の際に採血を拒む
A氏には自分なりの生活スタイル
があり、変化を好まない傾向があり
を行うことになりました。
全確認や病状管理、生活状況の把握
を導入しインシュリン自己注射の安
行っていたため、週1回の訪問看護
問介護も「味付けが合わない」と断
ていました。4年前、心筋梗塞で入
昨年の夏頃から、A氏はインシュ
(ちば まなみ)
A氏の願いを受けとめ、娘さんの協
力も得ながら支援することを決め、
平日は訪問看護を利用し、土日は娘
さんがインシュリン注射を行うこと
にしました。また、隣人の方の協力
も得て「電気がついたままになって
いないか」と毎日確認してもらい、
変化があるときは訪問していただく
対応をお願いしました。さらに、訪
問診療に同行した事務職員は屋根の
雪を下ろすこともあります。A氏は
自宅で猫を飼いながら、今年の冬も
自由気ままな生活を送ることができ
を提案しました。しかし、A氏は「住
の入所や札幌に住む娘との同居など
体調管理が難しくなるため、施設へ
当ケアマネジャーが、このままでは
射の手技が不十分になりました。担
その人らしい生活の支援ができると
し、家族や地域の方などの協力で、
ことは、簡単ではありません。しか
らしたい」という気持ちに寄り添う
す。「 住 み 慣 れ た 地 域 で 最 期 ま で 暮
高齢者が病気を抱えながら一人で
暮らすには、様ざまな困難が生じま
ています。
み慣れた所を離れたくない。この家
人の診療所で
思います。職員数が
と強く訴えました。
ます。
求を大事にこれからも活動していき
はありますが、今後も患者さんの要
私たちはカンファレンスを行い、
ない。それでもここで過ごしたい」
で誰にも気づかれず死んでもかわま
リンの単位を間違えることや自己注
診療所スタッフ
看護現場から の 発 信 ⑩
「住み慣れたまちで
暮 ら し た い 」と い う
気持ちに寄り添って
千葉 真奈美
受けています。インシュリン治療も
勤医協当別診療所
看護師長
院し、退院後から当院の訪問診療を
看護と介護 Vol.40
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12
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北海道勤労者医療協会
看 護 雑 誌 投 稿 規 定
(1974.12.第1次改訂)
(1977.6.第2次改訂)
(2002.6.第3次改訂)
(2003.6.第4次改訂)
(2012.6.第5次改訂)
1.本紙は、北海道勤医協の看護活動全般を収録する雑誌で、発行は年1回です。
2.原稿執筆の要領
①原稿はA4サイズ横書きとし、1頁44字×40行で、依頼字数範囲内とする。
②原稿は、新かなづかいとし、句読点は明瞭につけること。
③外国語名(人名など)
、雑誌名などは原語を使用し、活字体で書くこと。日本語化しているもの
についてはカタカナで書いて良い。
④数字は算用数字、度量衡の単位は㎞、㎝、㎖、㎗、㎎、時、分、秒などを用いる。
⑤図、表及び写真は図1、表1などの番号を付け、本原稿内にも明記すること。
⑥倫理的配慮:対象となる人々の権利を守るため、十分な理解と同意を得てとりくみ、個人が特定
できるような表現をさけプライバシーや秘密保持を厳守すること。
3.参考文献について
①本文中の引用した箇所に1)2)3)…と番号を付し、本文末尾に一括してその順に挙げること。
次の書式に従い、句読点の使用法(:,.)には特に注意する。
②雑誌の場合
著者名:論文名、雑誌名、巻(号):頁、西暦年号。
著者名は筆頭者氏名のみを書き、2名以上の場合は、筆頭者氏名ほかとする。
例1)中島京子ほか:乳癌患者の不安について、看護雑誌38(5):542-546、1974
例2)Bonica J J:Acupuncture Anesthe People's Repubicof Cina.JAMA229:1317-1325、1974
③単行本の場合
著者氏名:書名、版数、発行者、引用頁、西暦年号(雑誌の場合と少し異なるので注意のこと)
例3)田中恒男:ケース研究の理論とすすめ方、第2版、医学書院、東京、P110 ~ 125、1969
4.原稿の取り扱い
①原則として原稿料はお支払いしません。また、原稿や写真はお返ししません。
②規定にはずれる場合は改変を求める場合があります。原稿の採否は編集委員会で決定します。
5.原稿送付先は次の通りです。
〒003-0803 札幌白石区菊水3条3丁目1 井上ビル
北海道勤労者医療協会本部看護部「看護雑誌編集委員会」宛
看護と介護 Vol.40
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編集後記
テレビは時代を映す鏡と言われています。
4月からNHKで放送されていたドラマ「サイレント・プア」-声なき貧困―
は、大阪の社会福祉協議会が協力して製作されました。地域の絆が薄れつつある
下町で、ゴミ屋敷の主、引きこもり、若年性認知症など、懸命に生きながらも現
代の社会的孤立の淵に沈んだ人たちに、「人は何度でもやり直せる」その信念で
奔走するコミュニュティ・ソシャルワーカー(CSW)が主人公のドラマです。
私たち看護部門も、患者さんの生き抜く命に寄り添い、
「何ができるのか」と日々
悩みながら、人間の発達の可能性を信じて、チームとともに働きかける看護実践
に取り組んでいます。患者さんが抱える困難が大きいほど、行政や地域とのつな
がりが不可欠です。
ドラマを観ながら、地域で奮闘する人々と連携し、だれもが安心して住み続け
られるまちづくりに取り組むことが、私たちの役割であることをあらためて実感
しました。
本稿では「いのちと健康をまもる看護実践」「地域とのかけ橋 私たちのめざ
す地域医療の実践」や、福島を風化させない取り組みなどが掲載されています。
民医連の看護・介護は創立以来64年にわたり、民主的医療チームの一員として
患者立場に立った医療を追求してきました。これからも先人達の実践を受け継ぎ、
一つ一つの事例を大切にし、民医連の看護・介護を未来につなげていきましょう。
投稿にご協力いただいた皆様に心から感謝申し上げます。
2013年度 看護雑誌「看護と介護」編集委員会
委員長 加地 尋美(札幌病院 総看護師長)
委 員 成田 しず子(中央病院 地域連携センター看護師長)
松井 ひろみ(札幌病院 3-1病棟看護師長)
及川 裕子(西区病院 2病棟看護師長)
大西 敦子(苫小牧病院 在宅診療部看護師長)
谷井 紀美子(老健柏ヶ丘 療養生活部看護師長)
櫛引 美穂子(北区ぽぷらクリニック 看護師長)
伊藤 弘子(もみじ台内科診療所 看護師長)
久保田千香子(看護学校 専任教員)
事務局 宮負 麗亜(本部 看護部)
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看護と介護 Vol.40
北海道勤労者医療協会事業所一覧
2014年6月1日現在
●本部事務局
〔〒003-0803 札幌市白石区菊水3条3丁目1 井上ビル〕
●中央病院
〔〒007-8505 札幌市東区東苗穂5条1丁目9-1〕
●伏古10条クリニック
〔〒007-0870 札幌市東区伏古10条3丁目2-8〕
●札幌病院
〔〒003-8510 札幌市白石区菊水4条1丁目9-22〕
●菊水こども診療所
〔〒003-0804 札幌市白石区菊水4条1丁目8-6〕
●札幌市白石区介護予防センター菊水
〔〒003-0804 札幌市白石区菊水4条1丁目9-22〕
●札幌西区病院
〔〒063-0061 札幌市西区西町北19丁目1-5〕
●苫小牧病院
〔〒053-0855 苫小牧市見山町1丁目8-23〕
●札幌北区ぽぷらクリニック
〔〒001-0910 札幌市北区新琴似10条2丁目1〕
●札幌クリニック
〔〒060-0061 札幌市中央区南1条西10丁目 タイムスビル5階〕
●月寒ファミリークリニック
〔〒062-0020 札幌市豊平区月寒中央通4丁目1-15〕
●老人保健施設柏ケ丘
〔〒003-0028 札幌市白石区平和通り7丁目南5-1〕
●平和通りクリニック
〔〒003-0028 札幌市白石区平和通り7丁目南5-1〕
●もみじ台内科診療所
〔〒004-0013 札幌市厚別区もみじ台西6丁目1-4〕
電 話 011-811-5370
電 話 011-782-9111
電 話 011-786-5588
電 話 011-811-2246
電 話 011-833-3633
電 話 011-820-1365
電 話 011-663-5711
電 話 0144-72-3151
電 話 011-762-8811
電 話 011-221-3415
電 話 011-851-0229
電 話 011-865-0010
電 話 011-864-0912
電 話 011-897-5051
看護と介護 Vol.40
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北海道勤労者医療協会事業所一覧
●札幌みなみ診療所
〔〒005-0812 札幌市南区川沿12条2丁目2-35〕
●当別診療所
〔〒061-0224 石狩郡当別町末広118-52〕
●小樽診療所
〔〒047-0036 小樽市長橋4丁目5-23〕
●余市診療所
〔〒046-0003 余市郡余市町黒川町12丁目46〕
●黒松内診療所
〔〒048-0101 寿都郡黒松内町字黒松内306-1〕
●室蘭診療所
〔〒050-0085 室蘭市輪西町2丁目3-17〕
●厚賀診療所
〔〒059-2243 沙流郡日高町字厚賀町109〕
●浦河診療所
〔〒057-0024 浦河郡浦河町築地2丁目1-2〕
●神威診療所
〔〒073-0405 歌志内市中村26-2〕
●上砂川診療所
〔〒073-0200 空知郡上砂川町字上砂川町198-3〕
●芦別平和診療所
〔〒075-0002 芦別市北2条西1丁目2〕
●勤医協札幌看護専門学校
〔〒007-0871 札幌市東区伏古11条1丁目1-15〕
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看護と介護 Vol.40
電 話 011-572-6661
電 話 0133-23-3010
電 話 0134-25-5722
電 話 0135-22-2861
電 話 0136-72-3344
電 話 0143-43-1737
電 話 0145-65-2711
電 話 0146-22-2501
電 話 0125-42-2025
電 話 0125-62-2204
電 話 0124-22-2685
電 話 011-783-8557
印
刷
2014年6月
日
2014年6月1日
編
集
看護雑誌編集委員会
発
行
公益社団法人 北海道勤労者医療協会
発
行
〒003-0803 札幌市白石区菊水3条3丁目1 井上ビル ☎011(811)5370
発行責任者
印
刷
所
加地 尋美
(株)
北海道機関紙印刷所
看護と介護 Vol.40
58
ISSN1881-8196
2 0 1 4
Vol.
通巻43号
40
J U N E
北海道勤労者医療協会看護雑 誌
北海道勤労者医療協会看護雑誌
The Journal of Nursing Care
Hokkaido Association of Medical Service for Workers
VOL.
40
公益社団法人
北海道勤労者医療協会
公益社団法人 北海道勤労者医療協会
〒003-0803 札幌市白石区菊水3条3丁目 井上ビル3F ☎011-811-5370(代) http://www.kin-ikyo.or.jp/