何事にも時が 12 月 22 日(木) 64 聖書・コヘレトの言葉3:1−8 何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。 …泣く時、笑う時、嘆く時、踊る時。 (コヘレトの言葉 3:1、4) 私の甥から電話で、27 歳の姪のジェンが、思いがけなく急死 したと告げられた時は、体ががくがくと震えました。ジェンは私 にとって、娘のような存在でした。ジェンが亡くなって、悲しみ の日々を過ごしながら、私が再び笑顔を浮かべることなどあるか しら、と思いました。タイムスリップで何年か先の時代に連れて 行ってもらえたなら、そこではこの痛みも少しは和らいでいたら いいのにとさえ思いました。胸が張り裂けてしまいそうで、立ち 直れるかどうかも分かりませんでした。 今日のコヘレトの言葉は、人生のある時期、悲しむ時があって も、喜ぶ時もあると語っています。私たちが断腸の思いのただ中 にいる時、人生は間断のない痛みに満ちているように感じます。 いつか、痛みが和らぐ時が来るとは、想像もできないでいます。 私たちは、希望がないまま悲しみに捉われているのを感じます。 私は姪の死について、まだ心に重いものを抱えてはいますが、 今は笑顔を取り戻し、神が寛大に与えてくださった祝福を喜べる ようになりました。神の言葉は、悲しみの後に訪れる別の季節、 つまりは喜びとお祝いの季節ですが、その季節への希望を私たち に与えてくれます。また御言葉は、悲しみの時も喜びの時も、神 が私たちとともに歩んでくださり、私たちが前に進むうちに癒し をもたらしてくださることを思い出させてくれます。私たちは悲 しみに浸り続けるのでなく、もう一度喜んでいられるでしょう。 祈祷:愛する神様、つらい悲しみの中でも、あなたが近くにおられ、 あなたの愛により悲しみを乗り越えて行けることを感謝します。私 たちが耐えていけるよう、将来の希望を与えてください。アーメン。 神が共におられるので、悲しんでいても私には希望があります。 (Ⅰテサロニケ4:13 参照) リン・ダニエルズ(米国、マサチューセッツ州) (写真:P.40) 祈祷の焦点:望みがないと思っている人々のために。
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