12 月 22 日(木) 聖書・コヘレトの言葉3:1−8

何事にも時が
12 月 22 日(木)
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聖書・コヘレトの言葉3:1−8
何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
…泣く時、笑う時、嘆く時、踊る時。
(コヘレトの言葉 3:1、4)
私の甥から電話で、27 歳の姪のジェンが、思いがけなく急死
したと告げられた時は、体ががくがくと震えました。ジェンは私
にとって、娘のような存在でした。ジェンが亡くなって、悲しみ
の日々を過ごしながら、私が再び笑顔を浮かべることなどあるか
しら、と思いました。タイムスリップで何年か先の時代に連れて
行ってもらえたなら、そこではこの痛みも少しは和らいでいたら
いいのにとさえ思いました。胸が張り裂けてしまいそうで、立ち
直れるかどうかも分かりませんでした。
今日のコヘレトの言葉は、人生のある時期、悲しむ時があって
も、喜ぶ時もあると語っています。私たちが断腸の思いのただ中
にいる時、人生は間断のない痛みに満ちているように感じます。
いつか、痛みが和らぐ時が来るとは、想像もできないでいます。
私たちは、希望がないまま悲しみに捉われているのを感じます。
私は姪の死について、まだ心に重いものを抱えてはいますが、
今は笑顔を取り戻し、神が寛大に与えてくださった祝福を喜べる
ようになりました。神の言葉は、悲しみの後に訪れる別の季節、
つまりは喜びとお祝いの季節ですが、その季節への希望を私たち
に与えてくれます。また御言葉は、悲しみの時も喜びの時も、神
が私たちとともに歩んでくださり、私たちが前に進むうちに癒し
をもたらしてくださることを思い出させてくれます。私たちは悲
しみに浸り続けるのでなく、もう一度喜んでいられるでしょう。
祈祷:愛する神様、つらい悲しみの中でも、あなたが近くにおられ、
あなたの愛により悲しみを乗り越えて行けることを感謝します。私
たちが耐えていけるよう、将来の希望を与えてください。アーメン。
神が共におられるので、悲しんでいても私には希望があります。
(Ⅰテサロニケ4:13 参照)
リン・ダニエルズ(米国、マサチューセッツ州)
(写真:P.40)
祈祷の焦点:望みがないと思っている人々のために。