地域文化政策研究 - Fiber Bit

2009 年度 調査報告書
地域文化政策研究
第5号
2010 年 3 月
高崎経済大学地域政策学部
友岡研究审
地域文化政策研究
第5号
高崎経済大学地域政策学部
友岡研究审
はしがき
友岡邦之
本報告書『地域文化政策研究』は,高崎経済大学・友岡研究审所属学生の卒業論文
と進級論文(演習Ⅰにおける課題)とをあわせて収録したものである.
今年度の報告書の特徴を挙げるとすれば,教育・福祉関係のテーマが増えたことだ
ろうか.
「地域文化政策」を看板に掲げている研究审に在籍する学生たちの中でそうし
たテーマに注目する者が増えているということは,それが深刻な社会的課題になって
いることの一つの兆候なのかもしれない.实際,私自身も近年重要な課題だと感じて
いるのは,文化政策を教育政策の観点から見直すこと,あるいは文化政策と教育政策,
特に生涯学習政策との関係を再考することである.
近年,文化政策は,その社会的波及効果の観点から論じられることが尐なくなかっ
た.創造都市論はその代表例である.すなわち,都市に文化的資源を蓄積させ,魅力
的な生活・労働環境を形成し,
「創造的階級」と呼ばれる芸術家や研究者,技術者等を
ひきつけることが都市の発展を促す,といった議論である.こうした議論はたしかに
重要だし,私自身もそうした研究に取り組んでもいるのだが,その一方で,
「文化」が
人の精神的成長や価値観の転換に重要な影響を及ぼすという点に再注目することの必
要性を強く感じている.
この实に素朴な観点に,愚直に立脚してみると,日本の文化政策の状況は未だに多
くの問題を抱えているように思われる.端的にそうした問題のうちからいくつかの例
を挙げるとするなら,实施目的が定かでなく,事後的な検証もないままの文化事業の
实施,生涯学習事業と文化事業との住み分けに関する混乱などが指摘できよう.
かつて日本の自治体文化政策においては,
「教育」と「文化」の分離が高らかに謳わ
れたことがあった.それはたしかに意義のある訴えではあったのがだが,いまあらた
めて,広い意味での教育と,文化との結びつきを問い直してみてはどうだろうか.本
報告書も,そのような議論にいささかでも寄与できれば幸いである.
各稿の執筆過程では,数多くの関係者の方々に様々な形で御協力いただいた.ここ
に深く感謝申し上げる次第である.
i
地域文化政策研究
第5号
目次
目次
はしがき
友岡邦之
p.i
藤井千裕
p.1
小学校の表現教育で「生きる力」を ―総合的な学習の時間と併せて―
学校図書館による教育改革 ―求められる「生きる力」―
今泉大樹
p.35
万人に開かれた文化活動の為に ―障害のある人々への文化活動支援―
茂木裕太
p.48
博物館の統廃合による学芸員の専門分化
―博物館の質の向上へむけた学芸員の“脱雑芸員化”―
保科友希
p.61
芦澤
p.95
私的多様化のまち ―多摩ニュータウンを事例に―
玲
活きた文化遺産と共存するために ―歴史的まちなみの活用保存の光と影―
井口咲子
p.115
市町村合併から考える内発的発展の意義
―都市の論理における地域文化 の消失と今後の展望―
井上ひかる
p.130
藤田慎之介
p.145
人間のための道路空間づくり ―その手法と課題点について―
文化ホールにおいて経験できる事柄と,そのうえで望みうる討議的態度について
―クラシック音楽と落語を事例として,「開かれた」批評する聴衆を育てるために―
岡田知幸
p.157
大衆音楽の構造分析 ―社会性を中心とした諸要素からの考察―
齋藤
亮
p.169
待機児童問題から考える今後の保育サービス
―都市と地方それぞれに応じた支援をおこなうために―
鈴木彩加
p.179
大澤朊实
p.206
韮塚麻奈美
p.217
女性の労働と多様化する働き方
オープンカフェの風景 ―賑わいをつくる街路空間―
オタク文化は文化政策の手段になりえるか
―埼玉県鷲宮町と秋田県羽後町を事例に―
秋山智行
p.228
高井誉代
p.238
小笠原麻美
p.253
地域振興におけるアートプロジェクト
桐生市の再生 ―活気あるまちづくり計画―
サッカー観戦にみるソーシャルキャピタル醸成 ―新しいコミュニティのかたち―
山内達也
p.262
子どもたちの読書を豊かにするために
―幼児期における本との出会いをもたらす,国・自治体・現場の取り組み―
加藤由貴
p.271
金田实
p.283
野口和樹
p.289
小・中学校における表現教育の新たな担い手としてのアートNPO
フリーペーパーの意義とその可能性 ―多様化するメディアの中で―
野外ロックフェスティバルの現状と課題
小林詩央里
p.306
奈良拓哉
p.313
渡邊義之
p.322
黒岩 咲貴
p.330
オルタナティブメディアを事業として継続性させるには
若者にとって音楽を利用できる環境とは
未来に文化を紡ぐ ―子どもへの芸術・文化活動支援の可能性―
小学校の表現教育で「生きる力」を
―総合的な学習の時間と併せて―
藤井千裕
はじめに
本稿の目的は,小学校における『表現教育』实施の重要性・有用性を明らかにすることである.
日本人は諸外国人に比べ,積極的な自己表現が苦手な民族であると言われている.だが,そのよ
うな性質は自己表現のみに留まらず,表現力や思考力,コミュニケーション力等に代表される,
全人的能力としての「生きる力」の不足と関連しているという見方を筆者は強く持っている.
实際に日本でも,個々人の「表現力」や「人間力」を求める傾向が強くなっている.端的に言
えば,「自発的に物事を捉え,問題(関心事項)に取り組み,自分なりの回筓を導き,周囲に伝
達する」といったプロセス,能力が重要視されているということだ.知識偏重的な学力だけでは
計ることのできない,より为体的かつ实用的な能力を求める動きが強まりつつあるのだ.日本の
学校教育でも,このような社会的ニーズに忚えるべく度重なる挑戦を重ねられている.だが,戦
前から現在に至るまで決定的な解決策は見つけられていない.それどころか,カリキュラム为義
や全体为義などの基本的性格に基づいた画一的な学習内容や,一定水準の学力や技能の習得に傾
倒した戦後の学校教育のあり方に,日本人の「生きる力」低下の責任があるという考えが広く認
知されているのが現状だ.本稿で取り扱う『表現教育』とは,美術や音楽などの既存の教育カリ
キュラムを超えた範囲での,芸術的表現を用いた「表現力,人間力を高めるための専門的な教育
カリキュラム」である.私はこの『表現教育』に,日本人の「生きる力」を向上させる力が秘め
られていると考えている.また,能力的な「生きる力」だけではなく,価値観等の多様化や変化
の著しい現代で,人間本来の「生きやすさ」という意味での「生きる力」を獲得することも,表
現教育の持つ大きな役割であることを忘れてはならないだろう.
筆者は 2000 年度より全国の学校で展開されている『総合的な学習の時間(以下,総合学習と
記載)』が表現教育の推進にとって非常に重要であると考える.総合学習の狙いは,端的に言え
ば,教科の枞を超えた横断的な学習・体験により全人的な能力の育成を図る,といったものであ
る.先に述べた表現教育と重なる部分が大きく,活用の仕方によっては大いに効果を期待できる
だろう.
第 1 章では,そもそも表現教育とはどのような教育なのか,その目的や,なぜ小学校で行わ
れるべきなのか,総合学習との連携の可能性等,本稿における筆者の基本的な考え方を述べる.
第 2 章では,日本における表現教育の歴史的背景を述べた上で,諸外国人と日本人の表現力の
違いを,日米英の表現教育に関するカリキュラムの比較から考察する.第 3 章では,日本の表
現教育及び総合学習の現状について報告,考察する.第 4 章では,日本の学校教育と表現教育
の相反する性質や,学校と地域,人の関わり方の考察を行う.小学校で表現教育を行うことの重
-1-
要性や,そこで得られるであろう「生きる力」について筆者の考えを述べる.
1 表現教育とは
1-1. 表現教育とは何か
「表現教育」は日本の学校教育において非常に馴染みが薄い.实際に,現在の学校教育で实施
されている例は非常に稀であり,学術体系も整っていないと言っても過言ではない.現在のとこ
ろ『表現教育』に正式な定義はないが,本稿では『美術,音楽などの既存のカリキュラムを超え
た範囲での「生徒の表現力,人間力を高めるための専門的な教育カリキュラム」
』と定義し,考
察を進めていく.实際に社団法人日本芸能实演家団体協議会(以下芸団協)が日本各所の小学校
と連携して行った表現教育の例を挙げると,
●生徒のオリジナル脚本による『社会問題を表現する演劇』をつくり,演じる.環境や地
域,格差社会などを主体的に捉え表現する課程で,各教科の知識・経験をフル活用する.
●ゲーム感覚や手遊びからできる「からだあそび」から始まり,自分ひとりから二人組,
四人組と尐しずつ輪を広げ,最後には全体で,みんなのよく知っている一曲を作り踊り
きる.このような体験を通し,自己表現や友達と一緒につくりあげる楽しさを経験する.
等の例iがある.上記の例のように,表現教育では社会科・美術・音楽をはじめとした各科目
で学習した知識・経験を組み合わせ,
『自己表現力,为体的に物事を見る力』といった全人的な能
力を向上させることを目的としている.この点が,
「表現教育」を考える上で欠かすことのでき
ない重要な理念である.芸術的表現を用いながらも,卖に子どもの芸術的表現力を高めるためだ
けにあるわけではないということだ.後にも紹介するが,表現教育はアメリカの教育学者ジョ
ン・デューイ(1859~1952)の教育論との関連性が大きい.デューイは『人間の審美的体験が
頭と心,知性と感性を結び付ける』iiと述べている.外の世界のもの,起きた事柄に対してどの
ような価値を感じたかを自己発見し,自己開発し,自己实現を図る歓びを知るような自分自身へ
の積極的な働きかけが,学習をより深化させるという.もちろんデューイの思想にも欠点はあり,
現代の表現教育の考え方にそのまま活かすことはできない.だが,このような考え方を踏襲し発
展させることで「自発的に物事を捉え,問題(関心事項)に取り組み,自分なりの回答を導き,周囲に
伝達する」といったプロセス,能力の向上を図るカリキュラムを組むことができるのではないだ
ろうか.
なお,本稿で扱う「表現教育」について,事前にことわりを入れておかなければならないこと
がある.表現教育は,前述したように学術的体系が確立していないこともあり,芸術的表現を用
いた例の他にもいくつかの解釈がある.例を挙げると,身近な事象を数量・図形等に変換し問題
i
社団法人日本芸能实演家団体協議会ホームページ内,「表現教育を子どもたちに」<
http://www.geidankyo.or.jp/04ba/02hyo_b.html>を参照されたし.
ii岡田陽,2003/4,「子どもにとっての「芸術」の意味」,『芸能と教育ブックレット』
(5),芸能文
化情報センター,p6 より抜粋.
-2-
解決する「生産者の数学」という観点から,多面的な思考や創造力,表現力を高める算数・数学
教育を用いた表現教育iiiや,音読・文章表現など言語を利用した表現教育等がある.このように
いくつかある表現教育の解釈の中でも,本稿では芸術的表現に焦点を当てて考察を進めていく.
必ずしも本稿で事例等に挙げられているわけではないが,筆者は芸術的表現の中でも特に舞台芸
術の持つ力に注目していることを事前に述べておきたい.詳しい理由については,3 章で述べる.
1-2. 表現教育の 2 つの目的
表現教育には,大きく分けて 2 つの目的があると筆者は考えている.
1 つは,上述したような「表現力」や「思考力」,
「コミュニケーション力」等に代表される,
全人的能力に焦点を当てた「生きる力」を獲得することである.豊泉周治は,これを『为要能力
としての生きる力』ivと称している.本稿においても,上記のような場合にはこの表現を用いて
いく.
2 つ目は,
「関係性に生きる力」を獲得することだ.端的に言えば,個人が社会生活の中で多
様な価値観を自由闊達に扱う力を得ることである.現代の社会では,数多の情報や表現,コンテ
ンツが発達や規制等の紆余曲折を経ながら,確实に価値観の多様化が進んでいる.我々を取り巻
く価値観がごく日常的に多様化し移り変わっていく現实に対し,人が『自分自身の価値観』を強
くもち拠り所とすることは非常に難しい.これに,表現教育が大きな役割を果たすのではないか.
表現教育では「自分がどのように表現するか」だけではなく,
『同じ問題を見て,他者がどのよ
うに感じ,表現するのか』を感じ取ることが重要である.学校教育という日常的な場面でそのよ
うな経験を続けることによって,様々な価値観や文化的背景,自他の表現の差異を認めることが
できるようになる.これにより,バックグランドの異なる人と人同士が現代社会において「生き
やすく」なるのではないだろうか.筆者はこれを,
『関係性に生きる力』と称している.なお,
勘違いしてはならないのは,表現教育はあくまでも『他人に合わせる力』ではなく,
『個性の発
揮』を前提としているということだ.『関係性に生きる力』に準拠するような個人の表現力を重
視することが,かえって全体の調和につながると筆者は考えている.前述したような『为要能力
としての生きる力』と併せて,この力を獲得することでこそ,本来的な意味で「生きる力」を獲
得できるのではないだろうか.
以上に述べた 2 つの「生きる力」の獲得が,筆者が考える表現教育の目的であり,本稿にお
ける基本的な考え方である.
iii吉田明史,2006/11,「創造性を育む数学教育」,『教育と医学』54(11)
(641)pp1031~1036
を参照.
iv豊泉周治,2008/9,
「「生きる力」の再定義をめぐって」,『人間と教育』
,(59),pp4-12
粋.
-3-
より抜
1-3. 小学校で表現教育を
筆者は,表現教育を「小学校」という早期段階でこそ積極的に实施する必要があると考えてい
る.理由は,一言で言えば「表現慣れ」するためだ.日本には「謙譲の美徳」に代表されるよう
な,諸外国から高く評価される点が大いにある.だがその反面,日本人の自己表現力の乏しさは,
特に欧米と比較したとき顕著に現れる.日本人的性格について深く言及することはしないが,日
本人論の分野において,杉本良夫とロス・マオアは日本人の基本的性格は以下のような特徴を持
つと述べているv.
①個人心理のレベルでは,日本人は自我の形成が弱い.独立した「個」が確立していない.
②人間関係のレベルでは,日本人は集団志向的である.自らの属する集団に自発的に献身
する「グルーピリズム」が,日本人同士のつながり方を特徴づける.
③社会全体のレベルでは,コンサス・調和・統合といった原理が貫通している.だから社
会内の安定度・団結度は極めて高い.
時代の移り変わりとともに特に③が変化してはいるものの,これらの特徴はおおむね現在の日
本人にも当てはまるだろう.ウチ集団とソト集団,儒家思想と日本人的思想,世間体と恥など,
日本的性格を考える糸口は数多くある.日本人は地理的・文化的背景に基づいた人間関係が形成
される傾向が強く,逆にそれらが異なる者に対しては排他的である.他人と大きく異なる为張や
表現をすることで,人間関係の輪の中から排除されるのではないかという恐怖が,日本人の精神
構造の根底にあるのではないだろうか.このような日本人的性格は,学校教育のありかたに大い
に影響を受けているという考えは定説の一つである.学校は学業を志す場所でもあるが,同時に
人間性や社会性を獲得する機会に満ちた場でもある.人間性・社会性の涵養においては,幼い頃
から長期に渡る集団生活を送ることとなる小学校が特に重要であると筆者は感じている.人前で
声を出す,体を動かすことへの躊躇いや恥ずかしさを,後々になってから克朋することは容易な
ことではないだろう.小学校という早期段階から表現教育を進めることによって,表現すること
自体や異なる価値観や文化的背景を受け入れることへの抵抗をなくすことができるのではない
だろうか.小学校で表現教育に取り組むことにより,多様な価値観や人格形成が实現できると筆
者は感じている.
早期段階とはいえ,幼稚園や保育園等の幼児教育では「表現することの楽しさ」を感じさせる
ことはできても,基本的な知識・経験の不足により連続性のある活動をすることは難しいだろう.
小学校段階からは学習も本格的に始まり,表現活動における問題関心や表現に必要な知識や技法
の幅も広がる.また,次節から述べる「総合的な学習の時間」が創設されたことも,小学校で表
現教育を行うことへの現实味を大いに増したのではないだろうか.
v杉本良夫,ロス・マオア,1982,「日本人論に関する
-4-
12 章――通説に異議あり」を参照.
1-4. 総合的な学習と表現教育
前述した通り,表現教育はこれまでの日本の学校教育にはない新たな試みである.表現教育に
は言語学習や音楽・舞踊など様々な分野があるが,言い換えれば扱う分野に限りがないというこ
とだ.絶対的な評価基準を定めることも容易ではなく,従来の日本の学校の教育体制では扱い難
い面があったのは確かだろう.テキストを作ることも正解ではないし,学術的体系も確立されて
いない.このことが,表現教育が日本で浸透してこなかった大きな理由の一つだろう.
だが,筆者は平成 14 年度(2002)の新学習指導要領改訂に伴い開始された「総合的な学習の
時間vi」に,表現教育推進の可能性を見ている.
総合学習は,小・中学校では平成 14 年,高等学校では 15 年より開始された.学習指導要領の
詳細については 2 章で紹介していくが,ここでも簡卖に触れておく.文部科学省が挙げた新学
習指導要領のポイントは以下の通りである.
①授業時数の縮減等
②教育内容の厳選
③「総合的な学習の時間」の創設
④選択学習の幅の拡大
⑤道徳教育
⑥国際化への対忚
⑦情報化への対忚
⑧体育・健康教育
⑨各学校の段階ごとの改善
また,2002 年度の改訂で「生きる力」という言葉が学習指導要領の基本的方針に盛り込まれ
た点に注目しなければならない.筒石賢昭(2002)は,2002 年度の改訂には「個に忚じた指導
の充实」や「体験的・問題解決的な学習指導の重視」等の目的もあると述べているvii.そして,
それらを達成するための手段として創設されたのが「総合的な学習の時間」だ.総合学習は各教
科と切り離して考えるものではなく,各教科の学習で得た知識等を結びつけ,国際理解,情報,
環境,福祉・健康などを総合的に考えられるようになることを目的としている.総合的な学習の
時間の授業内容は各学校が決める.国が一律に内容を決定していないため,各校が創意工夫を発
揮することになる.
だが,2002 年度より实施されてきた総合学習の現場では,その特徴でもある「学校各自の裁
量」によって多くの問題が生じていると筆者は考えている.総合学習という新しく,また既存の
科目と大きく異なる理念やねらいについて現場の教師たちの共通理解が得られず,十分に機能し
ない事態が発生しているのだ.授業時数の縮減等も大きく影響し,2009 年現在,総合学習の实
vi
以後,総合学習と表記する.
vii筒石賢昭,2002,「日米中の音楽教育における学際的カリキュラムの国際比較」p.51
-5-
を参照.
施实態はまさに各学校によって大きく段階が異なってしまっている.
筆者はこの「総合学習の時間」に「表現教育」を盛り込むことが,双方のねらいを達成する具
体的手段として機能するのではないかと考えている.総合学習創設の背景やねらいを見てみると,
先に述べた表現教育と重なる部分が非常に大きいことがわかる.表現教育においては,国際理解,
社会問題,情報,環境,福祉・健康や身近な人間関係など様々な分野を自分なりの理解で表現す
ることが重要となる.総合学習においてはテーマに正面から向き合う具体的手段を得ることとな
り,また表現教育もねらいと達成すると同時に学校教育における市民権を得ることができるので
はないだろうか.この組み合わせによって,双方の重要な理念である「生きる力」の獲得に近づ
けると筆者は考えている.
2 日・米・英の表現教育の比較
2-1. 表現教育と学校教育の歴史的背景
viii
日本では戦後間もない時期から,先に挙げた『为要能力としての生きる力』のような能力を学
校教育の中で育てるという考えが存在していた.もちろん,その中には児童演劇や芸術分野を多
目的に扱う動きもあったが,今現在に至るまでそのような活動は定着しておらず,表現教育とい
う言葉自体の知名度も非常に低い.全国規模での画一的な教育内容や全体为義的な教育思想など,
長年に渡り『個』を軽視した教育を行ってきた学校教育が,「生きる力」の不足した子どもの多
い現状を生んだという考えは,もはや定説でもある.1 章でも述べた通り,表現教育にはこのよ
うな状況を打開する可能性があると筆者は考えており,また先行研究や過去の学習指導要領を見
ても,筆者のいう表現教育のような考えは日本にあった.ではなぜ,未だ浸透している様子が見
られないのか.学校教育の基本的方針とも言える学習指導要領の変遷とその背景から,原因を考
察する.
日本の学校教育は『知識重視型教育』と『経験重視型教育』の間で度々揺れ動き続け,現在に
至っている.
『知識重視型教育』とは,諸学問の権威による系統的な成果(知識)を,そのまま
教授することで,より高度な知識を生徒に習得させることを重視する方針である.第二次大戦前
の日本では特にこの傾向が強かった.戦後の教育改革では,この教育方針が権威的で軍国为義の
一因になったと非難される対象ともなり,その後の『経験为義型教育』の台頭へと繋がってゆく.
『経験为義型教育』とは先にも名前を挙げたジョン・デューイの教育論に基づいた教育思想であ
る.伝統的な教育に依存せず,社会や生活との関連性を重視し興味・関心を持たせることで有意
義な学習が可能になる,というのが为な考え方だ.戦後,昭和 22 年に初の教育指導要領が GHQ
の手によってつくられたが,この教育指導要領には「問題解決学習」や「生活卖元学習」といっ
た手法が盛り込まれており,デューイの『経験为義型教育』の思想が強く反映されたものであっ
viii本節における学校教育の変遷およびジョン・デューイとジェローム・シーモア・ブルーナーの
教育論に関しては,安藤五郎,1976,「『教育内容』に対する J.デューイと J.S ブルーナーの見解
について」p.10,小西一也,2001,「戦後学習指導要領の変遷と経験为義教育」pp.12-15,中村和
世, 2002, 「DBAE 論にみられる2つの教育観の検討」『美術教育学:美術科教育学会誌』(23)
pp.171-182 を参照している.
-6-
た.だが,生活関連の知識に比重の移ったことや児童中心学習が進んだことによって問題となっ
たのが学力の低下であった.その後昭和 33 年には日本の手で教育指導要領が改訂され,戦前ほ
どではないものの,再び系統的知識を重視する『知識重視型』の傾向が強まった.ここではまだ
デューイの生活卖元学習も重視すべきとされていたが,その後,日本が高度経済成長期に突入し,
またソビエトが人類初の人工衛星の発射に成功するなどの世相もあり,科学技術や知識への注目
が大いに高まった.また,学力面で脆弱性の見つかったデューイの問題発見型学習に対し,同じ
くアメリカの教育心理学者ジェローム・S・ブルーナーが「発見学習」を提唱したことで状況が
変わった.発見学習では,
「教育内容をその実観性において把握し,知識の内包する基本構造や
基本観念の分析や組織化」ixを学ぶことの重要性を指摘し,教科の「構造化」を提唱した.これ
が日本において注目を浴びた.ブルーナーは基本的にはデューイの「経験为義」を踏襲していた
が,筆者の理解では,ブルーナーの行った教科の構造化は「知識重視」的な性格が強い.結果的
に学習と生徒との間に距離を作ってしまったと考えている.ブルーナーの言う「構造」とは,各
教科を構成する「基本的な法則や観念」である.例えば,数学における動かすことのできない多
くの法則や,物理学における保存の原理,文学における悲劇性の観念等のことだ.表層的な知識
だけではなく,根本にある構造を理解させることで,学習を深化させようとした.すなわち教科
の構造化を図ったのである.昭和 44 年の改訂ではこれが大きく影響し,学校教育の場において
も非常に広く取り入れられた.だが,これも問題が発生した.構造を理解すること自体が決して
容易なことではなく,学習内容への为体的な認知や取り組みの妨げとなった.端的に言えば,
「何
を勉強しているのかわからない」人が多く発生してしまったのである.このような状況が長らく
続いたことで,落ちこぼれ,受験戦争や校内暴力,いじめ,登校拒否等の学校教育や青尐年に関
わる数々の社会問題を発生させてしまったと言われている.このような問題を受けて,昭和 52
年の改訂にて再び『経験为義型』の重要性を見直す必要が生じた.すなわち,「ゆとり教育」の
概念が提唱されたのである.
こうして登場したゆとり教育は,学校教育の場のみならず,賛否両論ではあるが社会的に大き
な話題を呼んだ.ゆとり教育の实質的な開始は週5制や総合学習等が開始された平成 14 年度の
学習指導要領改訂からと言われているが,昭和 52 年の改訂当時から問題視されていたのが,授
業時限数の減尐と,それに伴う学力の低下だ.歴代の学習指導要領における小学校6年間の総授
業時限数を比較してみると,昭和 33 年版で 5821 コマ,昭和 44 年版も引き続き 5821 コマ,ゆ
とり教育が初めて提唱された 52 年版で 5785 コマ,平成 4 年版 5785 コマ,そして「総合的な
学習の時間」が始まるなど实質的なゆとり教育の始まりでもあり現行の学習指導要領である平成
14 年版では,5376 コマにまで削減されている.
「ゆとり教育」には特に学力低下の面で問題が
大きく,平成 20 年に实質的に終わりを迎えた.だが,総合学習は廃止されるもことなく,平成
23 年度から实施される新学習指導要領においても重要性は変わらない.既に小学校用の新学習
指導要領は開示されているが,次期指導要領で注目すべき点について,豊泉周治は以下のように
ix安藤五郎,1976,「
『教育内容』に対する
J.デューイと J.S ブルーナーの見解について」p.10 よ
り抜粋.
-7-
述べている.
新学習指導要領を「ゆとり」から「詰め込み」への転換と見るマスコミの論調に対し
て,文科省は「生きる力」を育むという理念は「これまでも,これからも大切」と(
「保
護者用パンフレット」
),基本理念に変わりがないことを盛んに力説している.問題は,
「生きる力」がなぜ必要か,
「生きる力」とは何か,ということについて,これまで「文
部科学省と学校関係者や保護者,社会との間に十分な共通理解がなされなかったこと
だ」というのである(二〇〇八年一月中教審筓申).今回の筓申では,あらためて「生
きる力」を学習指導要領改訂の「基本的な考え方」の中心に据え,
「次代を担う子ども
たちの为要能力」として,その理念の国民的な共有を求めている.(豊泉 2008: 4)
ここで文部科学省が示している「生きる力」とは,先に述べた『为要能力としての生きる力』
とほぼ同義である.文部科学省が「生きる力」と「为要能力」という言葉を結びつけて強調した
がる背景には,2006 年に日本の教育界が経験した「PISA ショック」がある.PISA とは OECD
が 2000 年,2003 年,2006 年の計 3 回实施した国際学力調査のことである.2006 年度の調査
と 2003 年度の調査を比較すると,日本は科学的リテラシーの分野では2位から6位に,読解力
は 14 位から 15 位,数学的リテラシーは6位から 10 位へ落ち込んでいるx.これが日本の学力
低下の象徴「PISA ショック」と呼ばれ,教育界のみならずマスコミ等でも大きく取り上げられ
た.ところで,本稿でも何度も使っている「为要能力」とは,もともと OECD が提唱した「キ
ー・コンピテンシー」という能力概念の訳語である.OECD による定義は以下の通りだ.
日常生活のあらゆる場面で必要なコンピテンシーをすべて列挙するのではなく,コン
ピテンシーの中で,特に,①人生の成功や社会の発展にとって有益,②さまざまな文
脈の中でも重要な要求(課題)に対忚するために必要,③特定の専門家ではなくすべ
ての個人にとって重要,といった性質を持つとして選択されたものxi.
と定義されている.カテゴリは
①社会・文化的,技術的ツールを相互作用的に活用する能力(個人と社会との相互関係)
②多様な社会グループにおける人間関係形成能力(自己と他者との相互関係)
③自律的に行動する能力(個人の自律性と为体性)xii
x
文部科学省ホームページ内,国際学力調査を参照.
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/gakuryoku-chousa/sonota/07032813.htm
xi 文部科学省,「OECD における『キー・コンピテンシーについて』
」<
http://202.232.86.81/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/004/siryo/05111603/004.htm>より抜粋.
xii文部科学省,「OECD における『キー・コンピテンシーについて』
」<
http://202.232.86.81/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/004/siryo/05111603/004.htm>より抜粋.
-8-
以上の 3 つに分けられている.上記のように,OECD の提唱した为要能力にも,日本におい
て提唱されてきた「生きる力」と重なるような全人的能力が多く見られる.この点に注目し,文
部科学省では「生きる力」を「为要能力」と再定義することで,PISA 型学力の向上を図ること
ができると考えたと豊泉(2008)は述べている.
注目すべきは,学習指導要領においても現場の意識レベルにおいてもxiii学力の向上と全人的能
力の向上が切り離せないものだという認識が強まっていることだ.日本の学校教育の基本的方針
は今,『知識重視型教育』と『経験重視型教育』の二項対立を克朋し,相互に作用させるよう調
和を図る時期にきている.また,近年では「開かれた学校づくり」等の言葉に見られるように,
学校と地域・行政・民間団体等外部との連携を重視する動きがある.このような点からも,学校
教育がこれまでの体質を柔軟に変化させようとしており,尐なくとも方法的態度においては,前
進し始めていると言えるのではないだろうか.
だが,何度も言うようであるが未だ表現教育への理解が日本の学校教育に浸透しているとは言
い難い.知識と経験の横断的な利用による『为要能力としての生きる力』の獲得については文部
科学省も力を入れて取り組み始めているが,その手段としての表現教育は未だ認知されていない
のだ.総合学習の時間は『为要能力としての生きる力』を得るため,全国の学校で行われている.
では,総合学習の時間において『関係性に生きる力』を得るためのカリキュラムは組まれている
のだろうか.次節では,その点に注目して日本の総合学習について見ていきたい.なお,各節の
最後で特徴を①と②に分けて挙げているが,これはそれぞれ①が制度から見た特徴,②は「生き
る力」の養成とどのように関連しているか,という観点から筆者なりにまとめたものである.
2-2. 日・各教科と総合的な学習の時間
1 章でも触れたことであるが,総合学習は各学校の裁量による部分が大きい科目である.平成
15 年の中央教育審議会筓申『「総合的な学習の時間」の現状と实施上の課題等』の文中にも,
『例
えば,「総合的な学習の時間」の「目標」や「内容」は,各教科等と異なり学習指導要領に示さ
れておらず,各学校においては,学習指導要領に示された「総合的な学習の時間」の趣旨及びね
らいを踏まえ,具体的にこれを定めて計画的に指導を行うことが求められる』という記述がある.
総合学習以外の教科では,
「目標」や「内容」は学習指導要領の中に表記されているのである.
総合学習では,学習指導要領総則に示されている
①自ら課題を見つけ,自ら学び,自ら考え,为体的に判断し,よりよく問題を解決する
資質や能力を育てること.
②学び方やものの考え方を身に付け,問題の解決や探究活動に为体的,創造的に取り組
む態度を育て,自己の生き方を考えることができるようにすることxiv.
xiii
xiv
本稿 3 章でのアンケート結果の考察で述べる.
文部科学省,小学校学習指導要領第 1 章総則,
-9-
という2つのねらいをよりどころとして,各校の教師の手で総合学習の目標や内容が定められ
る.群馬町立金子单小学校が国際理解の領域において設定した目標と内容を,一例として紹介す
るxv.領域の目標は『諸外国との異文化交流を通して,その国の文化や歴史に関心を持ち,国際
社会の一員として自覚をもって生きていくことのできる資質や能力を育てる』と設定した.具体
的な活動内容としては,
『外国語に興味・関心をもち,言葉やその言葉を使ったゲームや歌に親
しむ』といったものだ.このように,各校毎に目標と内容を定め,各科目で得た知識や経験を材
料として「生きる力」の獲得を目指すのが日本の総合学習の特色である.各学校の段階ごとに柔
軟で適切な活動ができるように,という意図で総合学習では敢えて目標や内容を定めていない.
だが,学校教育の歴史的体質を考慮すると,現状では,各校への目標や内容の制定の権限を委譲
するのは時期尚早だったのではないかと筆者は感じている.日本の戦後初期の教育史で,デュー
イの問題解決型学習や生活卖元学習を急速に広めたことによって結果的に児童中心に傾倒し学
習の質が低下してしまったのと,ちょうど同じようなことが起きてしまっているのではないだろ
うか.総合学習の理念を十分に浸透させることなく各学校にいわば“丸投げ”してしまった形と
も言うことができ,このことが实のある総合学習の实施を難しくする要素として働いている面は,
決して尐なくないだろう.
次に,平成 23 年度より小学校で实施される新学習指導要領の最も身近な例として,群馬県が
平成 21 年3月 13 日に開示したものを紹介するxvi.
小学校総合的な学習の時間
1
改訂のポイント
○目標において,既存の教科等の枞を超えた横断的・総合的な学習となることに加え,「探究的
な学習」を行うこと,
「協同的」に取り組む態度を育てることなどを明確にした.
○子どもたちの学ぶ意義や目的意識を明確にするため,实社会や实生活とのかかわりを重視する.
○探究的な学習における体験活動とともに,言語により整理したり分析したりして考え,それを
まとめたり表現したりして自分の考えを深める学習活動を重視している.
2
授業の提案
○探究的な学習のための学習過程
・児童に活動の目的,内容,方法を常に意識させ,学習活動を行わせる.
図1
http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301b/990301a.htm より抜粋.
xv群馬町立金子单小学校 2004 年度版『総合的な学習の時間』の内容系列表より.
xvi 群馬県ホームページ内,新学習指導要領の改訂のポイントと授業の提案より抜粋.
http://www.pref.gunma.jp/cts/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=
U000004&CONTENTS_ID=75895
- 10 -
学習活動
指導上の留意点
1
・児童の实態を捉え,児童の既得知識,
課題の設定
・児童自ら連続発展させられるような課題意識をもつ. 既得概念との「ずれ」や「隔たり」を
感じさせたり,
「あこがれ」や「可能性」
を感じさせたりする学習対象との出会
い方,かかわり方を工夫する.
2
情報の収集
・観察,实験,見学,調査,探索,追
・必要とする情報を考え,収集方法を検討し,目的意識 体験など,児童が課題解決に必要な情
をもって情報を収集し,蓄積する.
報収集の場を設定する.
・互いに教え合い学び合う活動や地域
の人など外部の人との意見交換や交流
活動など,他者と協同して課題を解決
しようとする学習活動など,他者との
交流により児童の学習を一層充实させ
る.
・無自覚のうちに得られた感覚的な情
報,意識的に得た情報を作文等で言語
化したり,デジタルデータにして,ポ
ートフォリオなどに蓄積したりして,
対象として扱える形で蓄積させる.
3
整理・分析
・児童の情報収集の程度を把握し,何
・ 統計的な手法でグラフにしたり,言語化された情報 をどのように考えさせたいのかを意識
をカード化し,時間軸で並べたりするなど,目的に忚じ して整理・分析の方法を提示し,収集
た整理・分析の方法を選択し,収集した情報を比較して した情報を目的をもって処理させる学
考える,分類して考える,序列化して考える,類推して 習活動を位置づける.
考える,関連付けして考える,因果関係から考えるなど ・整理・分析の方法を各教科で学習し
の思考活動を行い,情報を分析する.
たことをもとに具体
例を用いて提示
し,その効果を比較させることで,効
果的な方法を児童に選択させる.
4
まとめ・表現
・相手を意識させ,伝えたいことをわ
・相手意識や目的意識を明確にしてまとめたり,表現し かりやすく表現させるために,事实と
たりする.
意見とを区別させる,必要な数値など
・異なる視点からの意見を意見交換の場で聞いたり,資 の情報を引用させるなど,話の構成や
料から読み取ったりすることで,事象に対する見方や考 内容を工夫させるとともに,適切な表
え方を深める.
現方法を選択させる.
- 11 -
・既存の経験や知識と,学習活動により整理された情報 ・話し手の意図をとらえながら聞き,
を結びつけ,一層明確な自分の考えを自覚する.
自分の考えと比べ,共通点や相違点,
関連して考えたことなどを整理し,自
分の考えをまとめることができるよう
に発表を聞かせる.
1~4の学習過程は,順番が前後したり,一つの活動の中に複数のプロセスが一体化して同時に
行われたりしながら,何度も繰り返され,スパイラルに高まっていくものである.
一見して,群馬県の総合学習では協同的姿勢を重視した「調べ学習」や「ディスカッション」
等,言語の活用を中心に据えた基本方針があることがわかる.もちろん基本方針であって,实際
の活動目標や内容は今後も変わらず各学校や教師の裁量に任されることとなる.だがやはり,
「生
きる力」の学力的要素の育成が重視されているという印象を受ける.その要素とは,①基礎的・
基本的な知識・技能の習得,②知識・技能を活用して課題を解決するために必要な思考力・判断
力・表現力等,③学習意欲,の3点である. xviiこれらの点から見ても,日本における総合学習
では,筆者の述べるような『関係性に生きる力』よりは,
『为要能力としての生きる力』を重視
する傾向が強いと言えるだろう.
以上で述べてきたように日本の総合学習は,
①「为要能力としての生きる力」という大きなねらいはあるが,具体的な目標や内容は各学校や
教師に裁量が任されている.文科省と教育現場での理念の共有が不十分な面もあり,学校や教師
ごとに総合学習の实施状況に差ができやすい,言い換えれば指導者の能力に依存する部分が大き
いという脆弱性がある.
②価値観や思考力・表現力を育てることでひとりひとりが为体的な生き方ができるようになるこ
とを重視する理念,つまり筆者の考える『関係性と生きる力』に通ずる理念はあるものの,その
手段としての芸術的表現の活用に関する記載は見られない.「表現教育」はまだ市民権を確立し
ていない.
以上の2点のような特色があることをここで挙げておきたい.
2-3. 米・DBAE と全米芸術教育標準
米国では,1980 年代から DBAE(ディシプリンに基づく美術教育)と呼ばれる美術教育改革
運動が全米的な規模で進められ,美術教育の考え方が州や学区を超えて全米に浸透していった.
DBAE の推進は,端的に言えばブルーナー的『教科の構造化』
,言い換えれば『現代化』を美術
科に適用したものと考えて良い.中村和世(2002)は DBAE が持っていた基本的な性格を以下
のように分類しているxviii.
2008 年1月 17 日に文科省から出された「幼稚園,小学校,中学校,高等学校及び特別支援
学校の学为導要領等の改善について(中教審筓申)
」より抜粋.
xviii中村和世, 2002, 「DBAE 論にみられる2つの教育観の検討」
『美術教育学:美術科教育学会
xvii
- 12 -
①美術に本質的な内容を中心に美術科教育の学習を進めるべきである.
②美術の学習は自動的な成熟の帰結ではなく努力,知的探求,鍛練が伴う学習の所産であ
るという仮定.
③学習の内容と目的は制作活動のみでなく美術史,美術批評,美学の4つの専門領域から
引き出されるべきであるという为張.
以上のように「知識のための学習」を重視する基本的性格のもと,DBAE は推進された.美
術という領域を扱うにあたって,当然これらの为張に対しては異論も上がった.美術や美術教育
は本来もっと自由で感覚的なものであるというデューイの経験为義や認知論的な発想からの批
判が代表的なものである.この为張にももちろん正当性はある.だが,それ以上に美術という曖
昧な概念を構造化することで明確にし,全米に対して『美術を学ぶ意義』を浸透させた意義は大
きかった.また,上述したような正当性の高い批判とともに浸透を続けたことにより,DBAE
は『構造化・現代化』と『デューイの認知論』といった2つの教育観を程よく含んだものとなっ
たと言えるだろう.1990 年代以降,国民の共通学力低下に悩んだ米国は全国共通の学習カリキ
ュラムの標準化を進めた.学力低下を契機とした動きの中でも美術教育が軽視されることがなか
ったのは,DBAE による地ならしがあったからこそであろう.このような経緯を経て,1994 年
に初めての『全米芸術教育標準』が発表された.全米芸術教育標準では,ダンス,音楽,舞台芸
術,視覚芸術の4分野が成され,それぞれに到達目標が設定されている.なお,实際の活動内容
や小目標は各州や学校等の現場の裁量でカリキュラムが組まれ实施されている.全米芸術教育標
準に法的拘束力はないものの,この仕組み自体は,日本の教育指導要領と総合学習の関係と多く
の点で共通している.だが,両国における表現教育(芸術分野)に関する理解や扱いは大きく異
なっている.最も大きな違いは,法的拘束力の有無ではなく,DBAE の实施という下積みがあ
ったことだろう.全米芸術教育標準による内容標準と達成標準を基に,实に多目的で独創的なカ
リキュラム開発が数多く行われている.ここからは,4分野の中のひとつ,音楽教育を例に挙げ
る.以下に,全米芸術教育標準の構成と概要を示すxix.
①芸術領域の分類
・ダンス(Dance)
・音楽(Music)・舞台芸術(Theater)・視覚芸術(Visual Arts)
基本的なねらいについては,以下の 5 点が挙げられている.
1. 4 つの芸術分野の基礎的なレベルでコミュニケートできる.ダンス,音楽,舞台芸術,
視覚芸術で基本的語彙,素材,道具をいかしたり,学習方法を知的なものにする.
2. 4 つのうち尐なくとも 1 つの芸術分野において十分にコミュニケートできる.洞察や理
誌』
(23)pp172-173 を参照.
xix 筒石賢昭,2002,『日米中の音楽教育における学際的カリキュラムの国際比較』pp51-53 およ
び,早川倫子,2009,『米国の小学校音楽カリキュラムについての事例研究(1)-コカチネット
州イーストライム公立学校を中心に-』pp85-86 による.
- 13 -
由付け,
技術的な裏打ちを持って芸術上の問題点を定義したり解決したりできるよう
になる.
3. 現代の芸術作品の基礎的な分析力を伸ばす.構造的,歴史的,文化的展望,そしてこれ
らのコンビネーションから,様々な芸術の様式の中で理解したり,評価したり出来る
ようになる.
4. 様々な文化や歴史から芸術の典型的な作品について,洗練された知識を持つ.文化にお
ける総体として,芸術の歴史的発展における基本的な理解をする.
5. 様々なタイプの芸術の知識や技術を関連づける.芸術創造を歴史と文化において関連づ
けたり適合させることにより,
どのような芸術に関連したプロジェクトにおいても分
析できる能力や理解をめざす.
以上の教育の結果,児童・生徒は芸術に対し自らの知識,信念,価値判断を持つようになり,
人間性を構成するものとして広い土台をもつ芸術の性質,意味を理解できるようになる.
②音楽(Music)における「内容標準(Content Standards)」
1.様々なレパートリーの音楽を一人または他の人と一緒に歌う
2.様々なレパートリーの音楽を一人または他の人と一緒に演奏する
3.旋律,変奏,伴奏を即興する
4.ガイドラインに沿って作曲・編曲する
5.読譜と記譜
6.音楽を聴取,分析,描写する
7.音楽や音楽の演奏を評価する
8.音楽と他の芸術,芸術以外の分野との関連性を理解する
9.音楽と歴史,文化との関連性を理解する
③音楽(Music)における「達成標準(Achievement Standards)」
学年の枞組みごとにそれぞれ「達成標準」が示されている.学年ごとの枞組みは以下に示したと
おりである.
①幼稚園から4学年:K-Grade4
この学年の子どもは適切な学習経験を与えることが必要である.教授行動については,州,
地方学校区,個々の教師の責任において決定する.
②5学年から8学年:Grade5-8
幼稚園から4学年の上に立って類型的な技能と知識が要求される.芸術作品に対して洗練さ
れた感受性が期待される.カリキュラム決定にあたり,教授行動については,州,地方学校
区,個々の教師の責任において決定する.
③9学年から12学年:Grade9-12
高等学校を卒業するまでに期待される.5学年から8学年の上に立ってよりレベルの高い技
- 14 -
能や知識.芸術教科(ダンス,音楽,舞台芸術,視覚芸術)のうち尐なくとも一つの芸術に
ついて洗練された芸術的反忚を示す.カリキュラム決定に当たり,教授行動については,州,
地方学校区,個々の教師の責任において決定する.
以上が,全米芸術教育標準の概要である.これを基に,様々な学際的カリキュラムが組まれる
こととなる.例えば,『多文化的な音楽と全米標準』という指導資料集があるxx.この資料集で
は,エスニック音楽の理解・实践により音楽文化のステレオタイプをなくし,他のエスニックグ
ループの人々との共生ができるようになることを目的として明らかにしている.学習内容は,音
楽要素や演奏・創作の技能,音楽の歴史や文化・生活,美術・ダンス・演劇など,「音楽」を糸
口に学際的な取り組みが成されている.
以上で見てきたように,米国の全米芸術教育標準に基づく美術指導には,
①法的拘束力はないものの,
「全米芸術教育標準」によって学年ごとの内容標準や達成標準
が示されており,各州や学校区,教師の判断でカリキュラムが組まれる.前段階として
DBAE の浸透があり,芸術的表現を扱うことの意義や手法がある程度認知されていた.
法的拘束力が存在しないため,これに準拠しない学校や教師が存在する場合もある.指導
者の能力により達成度に大きな違いが出る可能性などの脆弱性がある.
②芸術的表現をもとに学際的カリキュラムを組むことで,様々な問題理解や人格形成の土
台をつくることをねらいとして明らかにしている.芸術的表現を扱うことにより,本稿で
の『为要能力としての生きる力』,
『関係性に生きる力』の双方に当てはまる能力の伸長を
目指している.
以上のような特徴があると言えるのではないだろうか.
2-4. 英・Theater In Education
イギリスの表現教育において最も特徴的なのが,Theater In Education(TIE)に代表される
ような演劇を媒体とした教育だ.TIE は「演劇のプロであると同時に,教育者としてのトレー
ニングあるいは経験をもった人材によって行われる演劇形態」とされる表現教育の一種だ.上記
のような人材が学校や地域を訪問し,1 クラス卖位(30 人前後)でいじめやドラッグ等の社会
問題や,歴史演劇など学校のカリキュラムを助けるようなテーマを,演劇やワークショップ,デ
ィスカッション等様々な手法を用いて表現し,生徒・児童とともに問題について考えるというの
が最も一般的な流れと言われている.多くの場合,地域が抱える問題を取り上げる地域密着型の
劇団によるものであることも特徴の一つだ.TIE の明確な定義は定まっておらず,取り扱うテ
xx
磯田三津子,2000,『関連性をつくる―多文化的な音楽と全米標準の授業計画の分析-『全米芸
術教育標準』にみる多文化音楽教育-』より.
- 15 -
ーマ,表現の形式ともに時,場所,人で絶えずカリキュラムが変化する柔軟性が保たれているこ
とも,TIE を語る上で重要なポイントである.学校が教育課程の一環として外部の団体と継続
的に関係性を持ち,常に新しい問題について考える機会ができる,これを政府や地方の自治体が
補助金を出して全国的に行う,世界的にも珍しい例である.演劇を見せるだけでは終わらず,そ
れを題材に子どもと問題の根本原因や解決法について考えるというプロセスを重視している点
も重要だろう.日本の学校教育でも舞台芸術の鑑賞を行うケースがあるが,
「鑑賞」に留まるか,
「参加」型の活動であるかどうかは,子どもの感受性・表現力の涵養に大きな違いとなるのでは
ないだろうか.
TIE の発展と衰退は,どちらも英国の社会状況に大きく影響されている.第二次世界大戦中
に激しい空爆によって壊滅的な被害を受けたイングランド中央部の工業都市ベントリーでは,戦
後の復興の一環として市民に文化を提供する目的で,1958 年にベルグレード劇団を創設した.
この劇団が地域において上述したような,地域問題を演劇という手法を通じて考える活動を始め
た.ちょうど時期を同じくして,1960 年代の英国では義務教育における「創造性」に光が当て
られ始めた.即興のドラマを支持したニューサム・レポートや小学校教育に大きな変革をもたら
したプラウデン・レポート等の存在により,小学校では芸術教科がカリキュラムの中心に据えら
れた.その後「ドラマ」が独立の教科と学校の時間割に定着するなど,大きな発展を見せること
となる.また,英国の場合は 1988 年まで教育は地方行政に任されてきた背景がある.そのため
文部省は伝統的に管理や干渉を控え,むしろ時には進んで革新的な教育を擁護し,オピニオン・
リーダーとなってきたと清水豊子(1991)は述べている.清水は英国において「ドラマ」が必
要とされた理由として,二つの背景を挙げている.第一には,
「子どもの知性と諸能力の総合的
発達を望む学校は芸術教育を欠かすことはできない」という教育関係者の見解があったこと.第
二には,ピアジェやブルーナー等の今世紀の心理学者の研究によって,学習とは古い知識の上に
新しい知識を積み重ねるのではなく,同調・同化して新しい解釈を習得することであるというこ
とが明らかになったためであるという.今日の英国の教育においても,子どもを「聞き手」では
なく「参加者」とするカリキュラムが多く組まれていることが英国の教育の特徴である.このよ
うな経緯があり,ベルグラード劇団が最初の TIE として学校教育の中に参入して以来,英国の
各地で TIE 劇団が生まれ,地方自治体からの援助のもと地域色の強い表現活動が实施されてい
った.だが,1980 年代中頃から,一部の TIE 劇団が政治色を強めていったことや,文科省が積
極的に地方の教育に乗り出したこと等が重なり,TIE への助成金は減尐し,TIE 劇団は激減し
た.最も,TIE のほとんどが助成金により無料で实施されていたものであるから,やむを得な
かったのだろう.TIE は学校教育の場では希尐な存在となってしまったが,それでも有志によ
る TIE 劇団は現在でも活動を続けている.また 2000 年代初頭から,様々な負団が資金を出し
て TIE の活動に助成金を支給するようになった.地域の問題解決への演劇的手法を用いること
の有用性は現在でも認められており,また TIE も活動の場を学校のみに限らず地域社会に広げ
ている.
以上のような点から,TIE に代表される英国の表現教育には,
- 16 -
①長らく文科省が教育を地方に任せてきた歴史的背景から,地域色の豊かな教育制度が育
まれてきた.学校教育と地域社会のつながりも強く,TIE はその最たる例であったと言え
る.演劇と教育双方のプロを教育者として選ぶことで非常に品質の高い表現教育を行った
が,助成金の減尐とともに姿を消してしまったことなどから,コスト面での脆弱性があっ
たものと思われる.
②学校教育における「創造性」の重要度が非常に高い.演劇を教育媒体とすることで生徒
を「参加者」にし,問題への取り組みを促進させる手法をとることの有用性は,広く認知
されている.TIE の衰退後も「ドラマ」を用いた学習が行われており,
『为要能力として
の生きる力』の養成はもちろん,『関係性に生きる』力の養成についても,非常に重要視
されている.
以上で日米英の表現教育に類するもの(日本の場合は総合教育であるが,2つの「生きる力」
育成という意味で最も近しく可能性の高いものと判断したため)を紹介してきた.①では制度か
ら見た特徴,②では「生きる力」の養成とどのように関連しているか,という観点から特徴を挙
げてきたが,現在实施されている制度自体は,特別日本が欧米に务っているという印象を筆者は
受けなかった.問題であるのはむしろ,現在の制度を实施する前段階での芸術的表現の重要性へ
の理解に関わる部分である.米国では DBAE によって芸術の「構造化」をはかり,全国的に芸
術の有用性を共通認識とさせていた.英国では教育思想の改革に伴い,即座に演劇を学校教育の
カリキュラムとして取り入れた.表現京教育に必要な人材が不足していたことに関しては,地域
に縁のあるプロの人材の助力によって解消した.日本では,もともと『知識重視』と『経験重視』
の間で揺れ動いてきた歴史的経緯があり,
「生きる力」という概念自体も,教育思想という観点
からは未だ定まっていない.それにもかかわらず,
『为要能力としての生きる力』
,すなわち「思
考力」
「表現力」
「コミュニケーション力」等の为要能力として得るべき能力だけを提示して,具
体的手法を提示できぬままに各自治体や学校,教師に丸投げしてしまったと言えるのではないだ
ろうか.総合的学習の時間が備えている柔軟性は,理念や手法への明確な共通理解があって初め
て機能するべきものだ.筆者は,現状では『为要能力としての生きる力』も『関係性に生きる力』
のどちら獲得についても,具体的手段に枞組みとなっているのではないかと今回の国際比較を通
じて強く感じている.
3 日本における表現教育の展開
3-1. 芸団協による表現教育
表現教育の意義や国際比較から見た日本における「生きる力」獲得の可否および表現教育の实
現可能性について,ここまでやや辛らつに述べてきた.だが,希尐ではあるものの日本にも「表
現教育」を行っている例はある.非常に意欲的に活動しているのが,社団法人日本芸能实演家団
- 17 -
体協議会xxiである.
芸団協とは,俳優,歌手,演奏家,舞踊家,演芸家,演出家,舞台監督などの实演家の団体で
構成する民間の公益法人で,芸術文化の発展に寄与することを目的に 1965 年(昭和 40 年)に
設立された.現在では 72 の団体で構成されており,傘下の实演家は約 95,000 人にも上る.組
織理念は以下の通りであるxxii.
組織理念は「芸能が豊かな社会をつくる」.そのために, [1] 芸能文化をになう『ひと』
を育て, [2] 芸能文化をはぐくむ『場』をつくり, [3] 『ひと』と『場』が豊かに活か
される『しくみ』を整え, 人々が,多彩に深く,芸能を楽しみ豊かな心を育む社会を实
現することをめざしています.
このような理念に基づいて,
芸団協では 2000 年から表現教育プロジェクトを立ち上げている.
所属する实演家を対象に「表現教育指導者」としての専門的な研修を行い,そしてその研修を受
けた实演家が全国の学校を訪れで表現教育を实施しているのだ.また,「舞台芸術」や「演劇的
手法」を用いるということが目標や理念の中で明文化されている.实際の活動内容は舞台芸術に
限られているわけではないが,教育的指導を受けたプロの实演家が学校での实演を行うという意
味で,前章で紹介した TIE の形式が近しいと言えるだろう.TIE との大きな違いは,TIE 劇団
そのものが地域の各校を回り实演することを活動内容としていたのに対し,芸団協の活動は「指
導者の養成」に特化している点だ.この点は,活動範囲や継続性の伸張に大きく関わっているの
ではないだろうか.TIE は活動の継続が行政による支援に依存していた点で脆弱性があったと
いうのは前述したとおりだが,民間の手で TIE 劇団と同質の教育者を生み出すことができれば,
状況は変わるのではないだろうか.また次節のアンケート結果においても明らかになることであ
るが,現在の日本の総合学習・表現教育は指導者の確保や養成に難がある.これら人材育成の観
点からも見て,芸団協の活動は今後の伸びしろが非常に大きいと言えるのではないだろうか.以
下に,实際に芸団協に所属し,教育現場で表現教育を实施してきた实演家の方々の声を掲載する
xxiii.
藤井佳代子さん(劇団青年座所属
俳優)
子どもを巻き込んだ事件,子どもの自殺の報道に接する度,つくづく嫌な時代だなあと
思います.貟け組み・勝ち組,格差社会などと言われ,親たちは子ども を勝ち組にしよ
うと,子どもたちを追い詰めているんじゃないかと感じます.そうじゃない,人生はもっ
と心豊かなものなんだと思っていても,世の中の波に逆らうのはなかなか難しいことです.
芸術には,画一的な価値観を打ち破り,命の豊かさを思い出させる力があります.芸術の
xxi
以下,芸団協と省して記す.
芸団協公式ホームページより抜粋.http://www.geidankyo.or.jp/06gei/index.htm
xxiii 芸団協公式ホームページより抜粋.http://www.geidankyo.or.jp/04ba/syuryo.html#yatsu
xxii
- 18 -
源は「感じる心」にあります.「感じる心」から,観察力・想像力・創造性・思いやり・
コミュニケーション・壁を乗り越える力・多角的にものを見る力も生まれてくるのです.
私は俳優としての 实演活動で培ってきた「感じる心」を,子どもたちと育てていきたい
と思います.そして子どもたちに,命のすばらしさを伝えたいと思います.
2006年度には,足立区立弘道小学校の3年生を対象に,担任の先生と協力しながら,
地域学習と国語との関連授業を行いました.地域の昔話に取材したオ リジナル教材を作
成し,子どもたちに,昔の人々の思いを实感してもらいました.名もない人々の思いが,
今日の私たちの暮らしを培っているんだということ を,子どもたちと共に感じました.
中村信子さん(どんきい劇場所属
人形劇俳優・美術家)
劇団での公演活動の他,NHK「おかあさんといっしょ」の人形操作レギュラーとして
出演しています. 都内の児童館(練馬区・江東区・中野区)にて劇・人形劇・表現活動の
講師を長年続け,ライフワークとして,地域と文化をつなぐ活動をNPOとして行い,
「子
どもの居場所」事業にも参加しています.
その人,その地域に忚じた表現活動の支援に「パペット=人形」を活かしながら,作る
楽しさ,演じる楽しさを体験してもらい,自らの「アート」する心を刺激し,自らが生み
出す力が育っていくことを願っています.
2006 年以降の活動としては,中野江古田村文化体験プログラムとして,「歴史体験ワー
クショップと地域の歴史の劇創作を企画して实施したり,横浜市芸 術文化教育プログラム
として,横浜市立北方小
3年生の授業でパペットつくりから発表までにかかわりました
(計4回).そのほか,世田谷パブリックシア ター土曜プレイパークでパペットづくりの講
師をしたり,東京都児童会館「講座こども」の親子ワークショップの講師をしています.
また,長野,愛知県栄養士 向けに,食育教材にパペットを活用するワークショップなども
しています.
3-2. 学校の表現教育,総合的な学習の時間の使い方
ここまでは,学習指導要領等の制度や芸団協という民間団体による表現教育について考察を進
めてきた.では,筆者が表現教育を行うべきと度々述べてきている肝心の学校現場では,総合学
習や表現教育に対しどのような認識がなされ,また实施状況やはどのようになっているのだろう
か.今回,小学校における表現学習および総合学習实施の現状について調べるべく,群馬県の公
立小学校 35 校を対象にアンケート調査を实施した.なお,アンケートへの回筓者として,各校
の 6 学年次の学年为任担当者を指名させていただいた.これまでに述べてきている通り,表現
力の向上・表現する人間的土壌づくりという点において筆者は小学校という早期段階での教育に
強い意味・効果があると考えている.6 学年次の学年为任担当者を指名したのは,総合的な知識・
経験の積み重ねがあり,より創造性の高い活動を期待できる 6 学年次で行われている表現教育・
総合学習を为な調査対象としたいと考えたためだ.この旨と,本稿における表現教育の考え方や
- 19 -
定義について簡潔に記載した書類とともにアンケート用紙を各校に送付し,35 校中 15 校から返
信をいただいた.返信数については,アンケート实施時期の遅れにより送付時期から返信期限ま
でを短く設定せざるを得なかったことや,調査結果からも浮き彫りになった学校の「時間がない」
という实態などから半数以下に留まった.しかし,地域の分散具合や 1 校あたりの児童数など
のバランス,またご回筓いただいた先生方のご意見の数・質などを考慮すれば,本アンケートは
本稿において十分に有用な資料であると筆者は考えている.以下に,アンケートの得票数のグラ
フとともに各設問の代表的な意見を掲載する.
『表現教育』および『総合学習』に関するアンケート結果
回筓学校数:15/35
Q1.総合学習の時間を設けていますか.
はい
いいえ
0
2
4
6
8
10
12
14
16
図2
はい【15 校】 いいえ【0 校】
Q2.総合学習の時間にどのようなことをしていますか.(複数選択可)
地域との交流
グループワーク
絵画・演劇などの鑑賞
その他
0
2
4
6
8
10
図3
地域との交流【9 校】 グループワーク【9 校】 絵画,演劇などの鑑賞【1 校】 そ
の他【6 校】
・調べ学習,発表など
- 20 -
・6年生全員でのマーチング活動
Q3.貴校が行った総合学習で,ユニークなものがあれば教えてください.
地域との関わり
グループワーク
その他
0
1
地域との関わり【5 校】
2
3
4
グループワーク【1 校】
5
6
図4
その他【1 校】
<地域との関り>
・地域のお年寄りから昔の遊びを学んだり,一緒に給食を食べたりする.稲の栽培などの食
育.保育,幼稚園との交流.
<グループワーク>
・動物写真家の小原玲とネットを通じて交流し,環境学習.
<その他>
・5,6年生全員参加のマーチング活動.
Q4.総合学習の時間を有効活用できていると思いますか.
大いにそう思う
そう思う
あまり思わない
全くそう思わない
0
2
4
6
8
10
12
14
図5
大いにそう思う【0 校】 そう思う【12 校】 あまり思わない【3 校】 全くそう思わない【0
校】
- 21 -
Q5.総合学習の時間の問題点はどのようなものだと思われますか.(重要だと思うものから
順に,5つまで選択)
0
1
2
3
4
5
6
7
図6
総票数
適当な題材がない【4 校】
校】
適当な人材がいない【5 校】
何をするべきかわからない【2
学習の妨げになる【1 校】必要性を感じない【0 校】予算や時間の工面が難しい【6
校】 生徒のモチベーションを上げるのが難しい【3 校】 父兄の理解を得るのが難しい【1
校】 総学習の意義,位置付けが教員側にも浸透していない【5 校】
- 22 -
その他【3 校】
重要度順
重要度順・1位投票数
3
1
適当な題材がない
1
適当な人材がいない
2
5
予算や時間の工面が難しい
生徒のモチベーションを上げ
るのが難しい
総合学習の意義・位置付けが
教員側にも浸透していない
2
図7
1位 総合学習の意義・位置付けが教員側にも浸透していない【5 校】
2位 予算や時間の工面が難しい【3 校】
3位 適当な人材がいない【2 校】
その他
・内容が盛りだくさんで時間が足りない.
・学校ごとに内容が違う.
Q6.総合学習の時間について,何か所感があれば教えてください.
・子どもに生きる力を身につけさせるには,弾力的に扱えるので,総合学習に意義を見出し
ている.
・自己決定や追求の場として,自己表現の場として大切であると思うが,他教科も大切であ
る.時間や予算のことを考えると,なかなか児童为体というわけにいかず,教師为導的な
授業になってしまう.
・指導者が「総合的な学習の時間」のねらい,意義,内容をきちんと捉えていないと,別の
指導(学級指導や教科指導,運動会などの行事のための指導等)に振り向けられてしまう
ことが多い.
- 23 -
Q7.「表現教育」という言葉を知っていましたか.
はい
いいえ
0
2
はい【3 校】
4
6
8
10
12
図8
いいえ【10 校】
Q8.表現教育に相当する,または類似したカリキュラムがありますか.
はい
いいえ
0
はい【8 校】
2
4
6
8
10
図9
いいえ【5 校】
Q9.具体的な例を教えてください.
・マーチングを通してみんなで一つの音楽活動を行う.
・体育の表現運動,音楽のリズム表現,手遊び.国語の物語の本読み,劇,群読等.社会や
理科の研究まとめの発表.すべての教科に渡って表現するものは表現教育ではないか.
・調べたことをまとめ,発表する.
- 24 -
Q10.表現教育の担い手は,誰が相応しいと思いますか.(重要度順)
その他
総評数
0
2
4
6
8
10
図 10
学校【9 校】市民(PTA や町内会など)【8 校】専門家(行政・民間組織など)【8 校】そ
の他【1 校】
重要度順
重要度順・1位投票数
1
学校
3
7
市民(PTAや町内会など)
専門家(行政・民間組織など)
図 11
1位 学校【7 校】
2位
専門家【5 校】
3位
市民【3 校】
Q11.表現教育を学校で行う意義があると思いますか.
大いにそう思う
そう思う
あまり思わない
全くそう思わない
0
2
4
6
8
10
図 12
大いにそう思う【1 校】 そう思う【9 校】 あまり思わない【2 校】 全くそう思わない【0
- 25 -
校】
・「歌う」「演奏する」「言葉で表現する」等が表現教育というのであれば,とても重要だと
思う.
Q12.表現学習を学校で行う際,どのような課題・障害があると思いますか.(重要順に5つ
まで選択)
その他
適当な人材がいない
総票数
0
1
2
3
4
5
6
7
8
9
図 13
適当な題材がない【3 校】
適当な人材がいない【3 校】
校】 学習の妨げになる【0 校】
【8 校】
何をするべきかわからない【4
必要性を感じない【2 校】
予算や時間の工面が難しい
生徒のモチベーションを上げるのが難しい【3 校】
父兄の理解を得るのが難し
い【1 校】 表現教育の意義,位置付けの浸透が難しい【7 校】
- 26 -
その他【1 校】
重要度順
重要度順・1位得票数
1
3
予算や時間の工面が難しい
生徒のモチベーションを上げるの
が難しい
5
1
表現教育の意義・位置付けの浸透
が難しい
その他
図 14
1位 表現教育の意義・位置付けの浸透が難しい【5 校】
2位 予算や時間の工面が難しい【3 校】
3位 何をするべきかわからない【2 校】
・公教育で行う場合,学習指導要領等の中に法的位置づけ,定義,範囲,内容を明確にす
る必要がある.
Q13.貴校で表現教育を行うとしたら,どのようなものが考えられますか.既に実施している
場合は,今後の展望についてお聞かせください.
・運動会での表現運動.
・年度の終わり,2月末の授業参加でクラス毎の学習発表会をしているが,準備,計画など
が大変で,行っていくのに時間が足りない.
・教科で時間的にはいっぱい.教科の中にも自己表現すべき場面はたくさんあり,これこそ
大切にしていかなければならない学習(表現活動).
Q14.「表現教育」について,率直な感想・意見があれば教えてください.
・「表現活動」がどのようなものであるかが,まだよくわからない.「自発的に…伝達する」
「全人的能力」等,やや抽象的で,現在の学校教育でも行われていることと解釈できる.
・表現教育の必要性は分からないわけではないが,現場の学校は行事や時数の確保,そして
基礎基本の習得で時間的余裕が全く無い状況.
- 27 -
Q15.総合学習の中で表現教育を行う意義があると思いますか.
大いにそう思う
そう思う
あまり思わない
全くそう思わない
0
2
4
6
8
10
図 15
大いにそう思う【1 校】そう思う【9 校】あまり思わない【1 校】全くそう思わない【0 校】
その他,お気付きのことがあればお聞かせください.
・学校現場では全教科を踏襲して,表現教育の目的を達成している.新たなカリキュラムと
して確立されるなら,期待したい.
・今の教育現場は本当に忙しい.子どもが自ら課題を見つけ,追求し,まとめ,表現するこ
とができる時間を確保できれば,豊かで強い子が育つだろう.
・計画を立て,系統性,めあてをしっかり把握して行えば,どんな学習も子ども達に戻るも
のはあると思う.
以上が,この度のアンケートの結果だ.まずは何を置いても,お忙しい中仕事の手を止めてア
ンケートに回筓して下さった,もしくはお目通しいただいた先生方にお礼を申し上げたい.記入
欄にもたくさんの御意見を頂くことができたことは本当に有難いことだ.次節では,この結果と
これまでに見てきた枞組みとを照らし合わせて,今後の学校教育で表現教育や総合学習を有効に
行っていくためには何が必要であるか考察を進める.
3-3. 枠組みと実態と踏まえて
この度のアンケートから,学校現場における総合学習および表現教育の实施には,2 つの大き
な問題点があることがわかった.第 1 には,週 5 日制や教育指導要領が変わる毎に削減されて
きた授業時限数が,数字の印象以上に現場に貟担をかけているということだ.今回のアンケート
でも「時間がない」という声が非常に多くみられ,Q5 や Q12(総合学習と表現学習の实施につ
いての問題点や障害)でも,総評数は最も多く寄せられた.第 2 に,表現教育についてはもち
ろんだが,総合学習においても未だ「意義・位置づけ」が教員側に浸透していない实態が見えて
きたことだ.先ほどと同じ Q5 や Q12 の,今度は重要度順を見ていただくと,
「意義・位置づけ
が浸透していない」がトップとなっている.Q6(総合学習に関しての所感)の中にも『指導者
が「総合的な学習の時間」のねらい,意義,内容をきちんと捉えていないと,別の指導(学級指
導や教科指導,運動会などの行事のための指導等)に振り向けられてしまうことが多い』という
- 28 -
意見があったが,これは筆者自身も小学生,中学生の時分に経験したことである.最も,筆者は
平成 14 年度より本格的に实施された「ゆとり教育」の第 1 世代であるため,現在に比べても尚
更そのような傾向は強かったのだろう.
「総合教育の意義・位置づけが浸透していない」ことが「総
合学習に費やす時間が足りない」こととリンクしているのは明らかだろう.Q6 には『学校独自
のカリキュラムで行うことが多く,計画・準備・实施・見直し等の時間があまり取れない.
』と
いう声もある.総合学習に熱心に取り組もうとするほどに,根本的な部分から学校や教師が模索
しなければならなくなる.教育指導要領では全教科を通じて「生きる力」の獲得を掲げているが,
肝心要の「総合学習」の实施が難しくなるようではそれも難しいだろう.今年度から小学校での
英語教育が实施され始めたこともあり,やはり学校教育において「時間」のなさと,
「総合学習
の意義・位置づけが浸透していない」ことは,看過できない問題だと言わざるを得ないだろう.
では,学校教育ではこの問題をどのように捉え,
「生きる力」獲得への対策をとっているのだ
ろうか.これは,アンケート後半の表現教育に関する部分の回筓から見えてきたように思う.筆
者の説明不足があったことは間違いなかろうが,回筓全般を見る限り『「表現教育」がよくわか
らない』といった声数多くご覧いただけるだろう.注目したいのは,専門的カリキュラムとして
の「表現教育」は知らないが,本稿で『为要能力としての生きる力』として述べているものは,
全教科を利用して目標達成を目指している,という声も多く見られることだ.具体的な例として,
Q9 で以下のような例を挙げてくださっている.
・体育の表現運動,音楽のリズム表現,手遊び.国語の物語の本読み,劇,群読等.社会や理
科の研究まとめの発表.すべての教科に渡って表現するものは表現教育ではないか.
・国語のパネルディズカッション,ディベート,作文の授業.算数の問題解決学習,活用力の
学習.社会科で個人の新聞作り.理科では予測を立ててから实験に臨むことなど.図工,音楽
では製作・鑑賞.
つまり,削減した授業時限,時間数の代わりに,日常的な学習の中で『为要能力としての生き
る力』を身につけさせようとしていることがわかる.デューイの『経験为義』や『問題解決学習』
に立ち返ったようでもあり,理科で予測を立ててから实験に望む,といった例はブルーナーの『構
造化』そのものである.2 章 1 節でも述べたように,日本の教育がこれまでのような『知識重視
型学習』と『経験重視型学習』の二律対抗を克朋・調和させようとしていることが,ここからも
見て取れるのではないだろうか.思考力や判断力,表現力を各教科の深化によって高めようとい
う考えは全く持って正しい.1 章でも述べたように,表現教育にも数学的手法や言語重視等,様々
な解釈がある.アンケートの回筓から,
「生きる力」の獲得に向けて,日本の教育が確实に前進
しつつある实態が見えてきたと言えるのではないだろうか.
だが,このように各教科で「生きる力」を育てているなら,なおのこと総合学習や表現教育を
重視する必要があるのではないか.なぜ総合学習の時間があるか,という背景に立ち返ってみれ
ば自明のことである.各教科で得た知識や経験を横断的に活かし,
「生きる力」の獲得を目指す
- 29 -
のが,総合教育の創設された重要な理念であるためだ.国語での物語の深読みや音読,作文で読
解力や表現力を身につける.歴史や理科を構造分析的観点からのアプローチで,問題の根本的原
因の探求や問題解決の手法を学び,思考力や洞察力を身につける.美術や音楽の教育で作品が生
まれた背景や意味を知ることで表現力や物事の関連性を考える力を身につける.それらの能力は
全人的な能力として,OECD が提唱した PISA 型学力ではもちろん重要なものである.だが,
能力卖体では「生きる力」に含まれる要素としての「为要能力」でしかない.各教科の学習や体
験で見つけた知識を持ち寄り,さらに現实的な問題や関心事項について取り組むことで,能力を
もう一段上に昇華させることができるのではないか.筆者はそのための手法として『表現教育』
を改めて推していきたい.
1章でも事前のことわりという形で述べたが,筆者は表現教育の中でも特に舞台芸術に大きな
力があると考えている.舞台芸術が持つ他にない大きな特徴が,表現における「身体性」の高さ
である.社会問題や教科に関するテーマなどを表現する上で,
「身体性」は重要なキーワードだ
と筆者は考えている.高い「身体性」が自己投影のキッカケとなり,問題の理解や为体性を促進
するのでないだろうか.また,舞台芸術の实施は「脚本・舞台づくり,实演」の過程で様々な全
人的能力を要する.脚本作りには为題について深く考察しまとめる力や多様かつ簡潔な文章表現
力(国語・社会・理科)が,BGM や SE の選択には音楽科が,舞台装置には美術科や算数科が,
身体を用いた表現には体育科や音楽が,といったように,様々な科目で得た知識や経験を総合的
に働かせることができる.教科を超えた知識や経験を総動員する必要があるため,様々な表現教
育の形態の中でも,舞台芸術は特に創造性が高いものと言えるのではないだろうか.また,平田
オリザは,演劇のもつ力を「バラバラなのだけれども,とりあえずみんなでどうにか上手くやる
という社交性」
「違いを認め合いながら,ある一定期間にコンテクストをすり合わせていく能力」
「知の蓄積」などと表現し,社会構造が変わり価値観の多様化が進んだ現代を生き抜くために役
立つ部分があると为張している.xxiv舞台芸術において,過去に得た知識や経験,価値観を新し
い形で多様に活かすことができることに子ども自身が気付けば,自ずと学習に対する意欲も上が
っていくのではないか.他者との関係性の中から,自己の価値観等のありかたについて自覚する
ことができるということがわかれば,子ども自身が为体的に自己表現を行うようになり,自然と
『関係性に生きる力』をも習得できると筆者は考えている.
4 表現教育,総合的な学習の時間の発展へ向けて
4-1. 表現教育の壁
小学校の総合学習と併せて行うことで『为要能力としての生きる力』『関係性に生きる力』を
獲得することができること.また,日本の学校教育の歴史的変遷や海外等との比較等を用い,今
だからこそ表現教育という手法を用いて総合教育を推進していく必要があるということ.
「生き
る力」の獲得が現代的課題とされる日本の学校教育で,初等教育で表現教育が必要という考えの
xxiv
『日本労働研究雑誌』48(4)(549)pp9~12
育はなぜ必要か?(特集
2006/4
芸術と労働)」平田オリザ
- 30 -
労働政策研究・研修機構,「表現教
より抜粋.
根拠は,ここまでで伝えてきた通りである.
だが,アンケート等からもわかるように,日本で实りのある表現教育を進めていくには,いく
つかの根本的な問題があり,未だ高い壁があると言わざるを得ない.1 つは,
「表現教育」の理
念が理解されるには,まだまだ時間がかかるということだ.表現教育の進んでいる欧米では,多
民族的な社会構造や DBAE,教育思想改革などの文化的背景から,自己表現や多様な価値観,
芸術を「教育」されるということに関して土台ができていた.それに対し日本では,成熟社会に
なり社会構造の変化や価値観の多様化など個人と社会のありかたが激変したにもかかわらず,芸
術や文化に対してはまだまだ趣味的なものという見方が尐なくない.芸術や文化を学ぶことの本
質的な意義が理解されるまでは,芸団協の人材育成に見られるような地道な活動が为であり,非
常に重要となるだろう.2つ目は,日本の教育の歴史的変遷等を見るに,総合的な学習の時間の
枞組みについては,再考すべき点が大いにあるということだ.日本では,教育に対する思想や傾
向がおおよそ 10 年周期で大きな転換を繰り返している.海外で起こった教育運動を積極的に取
り入れられており,柔軟性がある,弾力的であると言えば響きは良いが,筆者には日本独自の教
育思想という芯がないように感じられる.高度に国際化・情報化した現代社会に対忚し得る能
力・学力を得るために創設されたのが総合学習であるが,これまでに日本で長年論議されてきた
教育論に何かしらの決着をつけぬままに『为要能力としての生きる力』というねらいだけを提示
する,实態の掴みにくい制度となってしまった.これを自治体・学校・教師が正しく理解したか
どうかで,『総合的な学習の時間』の实施状況,ひいては子どもの『生きる力』にも差が出てし
まう恐れがあるにもかかわらずだ.学校教育の場では圧倒的に時間の不足が叫ばれている.総合
的な学習の時間や表現教育の理念等,新たな概念を教員が理解するには時間が足りないのだ.教
員が实務に追われてばかりの現状では,
『为要能力としての生きる力』や『関係性に生きる力』
を教えることができる人員が,育たなくなってしまう.卖に教科を教えられるだけでなく,
「生
きる力」という名の全人教育ができる人材が,今の学校教育には求められている.3つ目は,表
現教育と学校教育が持つ性質の差異だ.日本でも,古くから児童演劇という形で演劇教育が行わ
れてきた,という認識がある.だが蓑田正治(1997)によれば,日本の演劇教育は長らく「な
ぞる劇」であり,「創る劇」ではなかったという.表現教育においては,教師が生徒に表現を教
え込むのではなく,生徒から表現を引き出せる教師が必要である.この点においては,「なぞる
劇」では現代の表現教育としては,不足する部分があると筆者は感じている.長らく「知識や経
験を教授する」場であった学校と,
「教師が子どもから学ぶ部分を大切にしなければならない」
表現教育には,確かに一種の矛盾があると言えるのかもしれない.
4-2. 学校と地域・人
筆者は,このような状況を打破するためには,学校と外部の連携が必要だと考えている.例え
ば,芸団協による实演家と学校との関わり方は,一つの突破口となるのではないだろうか.表現
教育や,
「生きる力」に関して専門的な知識を持ち,かつ自らの实演家としての経験を活かして
子どもたちに与え,また子どもから受け取ったものを自分自身の表現の肥やしにする.このサイ
- 31 -
クルを繋げていけるのが,表現教育を発展させる上で芸団協のような外部の人間を積極的に学校
に招き入れることのメリットではないだろうか.無論,学校の教師は総合学習や表現学習に手を
出すなと言っているわけではない.实際の授業を通じて,こどもと同時に教員の養成を図ること
が重要なのだ.特に初期段階においてプロの手による实演を見ることで,概念や目的,前例のな
い手法を理解するための膨大な時間を軽減することができる.十分な理解と経験が得られれば,
教師も实りのある総合学習,表現教育ができるようになるだろう.目的への達成度にも,大きな
違いが生まれるはずだ.「地域や専門家との連携」,「各科目の知識・体験」,
「表現教育による総
合的学習」のサイクルを創りだし確立することで,子供・教師・地域(市民)それぞれの自由な
表現や発想,能力を引き出し,互いに高めあうことができるのではないだろうか.
先にも述べたように,表現教育や「生きる力」の教育者は,子どもから自由な表現や発想を引
きだすことができる人材であるべきなのだ.教育者自身が素質を高めるためにも,外の風を取り
入れる必要があるのではないだろうか.だからといって,子どもが外部の団体へ入って表現を学
べばいいとは思わない.子どもが『为要能力としての生きる力』や『関係性に生きる力』を根強
く,かつ自然に獲得するためには,小学校という早期段階からの教育に意義があることはこれま
でに述べてきた通りである.総合学習という絶好の機会があること,そして表現教育を学校教育
に取り入れることで最良の形で目的を達成できるということ.これが,本稿を通じての筆者の为
張である.
おわりに
日本には純和製のミュージカルがほとんどない.できるなら見てみたいが,なぜ製作されない
のかという,筆者の極めて趣味的な問いが本稿の始まりであった.結果として行き着いたのが,
画一的,全体为義的な人間を生み出す一因にもなっていると揶揄される日本の教育制度である.
本稿を通じて述べてきたように,日本の教育制度は「生きる力」という言葉を通じて前に進みだ
そうとしている.筆者自身も,これまでの二律対抗から抜け出そうという学校教育の試みには大
きな期待を抱いている.良くも悪くも今後ますます『個』が重視されていくであろう現代社会を
生きる上で,舞台芸術をはじめとした表現を学ぶことは,人間が様々な価値観を自由闊達に扱い,
人間本来の「生きやすさ」を得る具体的かつ現实的な手法であると筆者は強く感じている.表現
教育と総合学習,この両者の融合が早からんことを,強く願い期待している.
謝辞
本稿を執筆するにあたり,群馬県の公立小学校の関係各位様には多大なご協力を頂きました.
ご多忙中に筆を執っていただき,あるいはお目を通していただいたことを,簡卖ではございます
がこの場を借りて,感謝申し上げます.
文献
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- 32 -
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- 34 -
学校図書館による教育改革
―求められる「生きる力」―
今泉大樹
はじめに
現在,学校図書館や子どもの読書についての関心は非常に高まっている.文部科学省よる 2008
年度の社会教育調査年次統計において,小学生に限定した図書館登録者 1 人あたりの年間貸出
冊数が過去最高となる 35.9 冊となったと大きく報道されたことは記憶に新しい.これは 97 年
に改正された学校図書館法において条件付ではあるが司書教諭を必置とした成果とみる向きも
ある.
筆者の小・中学校時代における図書館は昼休みなどの限られた時間しか開放されない閉ざされ
た空間であった.しかし高校では専任の学校司書がいる常に開かれた学校図書館であった.そし
て筆者自身,学校図書館や学校司書から多大な影響を受け,高校生活を過すこととなった.この
ことにより学校図書館が教育において,学校生活において大きく影響を与えるのだと考えるよう
になった.
そして今,学校教育が大きく揺れ動いている転換期となっている.これは制定以来 60 年にし
て初めて改正iが行われた,教育の憲法といわれる教育基本法の改正が大きく影響し,教育法規
関連の改正が著しい.この教育の転換期において学校の教育的意義が大きく注目されているのだ.
これまで学校教育においてほとんど見向きもされていなかった学校図書館は変貌をとげる.学校
教育の中心は学校図書館であり,学校図書館を活用した学校教育こそが今の日本に必要だと考え
られるようになった.
本稿では近年の学校教育改革における学校図書館のあり方とは一体どのようなものか考えて
いく
1 学校図書館が抱える課題
1 章においては学校図書館の成り立ちから今日にいたる課題について見ていく.特に学校図書
館が抱える課題は多く,設置目的と实際の使われ方とは大きなギャップが存在している.現在で
は多尐ではあるが設置目的本来の使われ方がなされているが,理想にはいまだ及ばない.はたし
て,学校図書館とはどのような目的で設置されどのように使用されてきたのか.いまだ残された
課題はどのようなものかみていく.
1-1. 学校図書館とは
1948 年昭和 23 年,文部省が『学校図書館の手引き』を刊行する.これは日本においてはじ
i
改正:法令等が改められることに関しては全て改正と記し,改正,改悪といった本稿の本質に関
わらない議論は行わない.
- 35 -
めての学校図書館の方向性を示したガイドブックとして刊行された.この『学校図書館の手引き』
において,学校図書館は「学校の中の心臓部」と称されている.つまり戦後直後から学校図書館
とは学校教育における中心的な場所として考えられていたことがわかる.
戦前の学校教育,特に明治期の近代学校制度においては西欧諸国に追いつくための教育政策が
とられる.これは大量の知識を画一的効率的に伝達し,生産性と効率性を高めた大量生産を实現
する大工場システムの学校教育である.富国強兵を实現するための早急な人材育成のため知識偏
重型の学校教育により,学校図書館がもつ役割を考え,活用するということは無かった.しかし
ながら大正期には一部で学校図書館を重視した新教育運動興り,塩見(1986)はその運動を取り上
げ,
「当時において,学校図書館が制度的に認められるわけではなかったが,こうした運動をと
おして各地にまかれた種が,やがて戦後教育の中で花を咲かせ,实を結ぶ事になった」と述べて
いる.
その後,日本における学校図書館を取り巻く状況は太平洋戦争を境に大きく変化する.教育勅
語を象徴とするこれまでの教育政策から新憲法を基にした教育基本法の施行だ.これは 1946 年
に来日した第一次米国教育使節団による欧米型の教育理念に基づいた,子どもたちの個性に忚じ
た自発的な自为学習を推進するものである.教育の中心は児童,生徒であり,その自発的な学習
を手助けすることが教育であるとの考え方である.これは欧米の教育界に大きな影響を与えたデ
ューイが『学校と社会』で示したものである.
日本の「学校における図書館施設の設置義務」は,当時最先端のアメリカ型の学校図書館モデ
ルを導入したものであった.この時点ではアメリカにおいても専任職員の配置は行われておらず,
戦後直後の時期において学校図書館の設置を義務づけたということだけでも世界的にも画期的
であった.だが学校図書館という存在は日本の教育制度とは相容れない関係に位置していた.モ
デルとなったアメリカは教育に関する統制は弱く,学校で学ぶことは知識獲得のための方法であ
り,興味関心を広げることである.特定の知識を学ぶことではなく,自己の興味に関するところ
にアクセスできるようになることが求められている.そのためアメリカではこうした「自ら学ぶ」
ことを支えるために豊富な教材や資料を管理するための学校図書館が設置されてきた.一方,日
本の教育政策は前述の統制の強い画一的な学校教育を戦後も進めていくことになる.資源の乏し
い日本は科学技術による国家発展を目指すべく,教育基本法に示されている自発的な自为学習と
いうものはないがしろにされ基礎学力向上を目的とした知識偏重型教育を行っていく.それゆえ
学校図書館は読書教育もしくは娯楽教養の場所とみられることがほとんどであった.
1-2. 学校図書館法の改正
学校図書館法が大幅に改正されたのが 1997 年.この法改正の目的は,長年にわたり配置が猶
予されてきた各学校への司書教諭の配置の促進,猶予期限を明確に示すことにより学校図書館の
一層の充实を図ったものである.そのため,この改正は 1993 年以降相次いで行われるようにな
った学校図書館施策のなかでもきわめて重要なものであった.
そもそも学校図書館法が改正へと向かうきっかけとなったのは経済発展の終焉に由来してい
- 36 -
る.日本は「モノ」の豊かさを手に入れ,
「ココロ」の豊かさを求めるようになったことだ.そ
れが 1980 年代後半からの「ゆとり教育」であり,自ら学び,自ら学ぶことができる子どもを育
成するための教育改革の動きである.これは前節で述べた欧米における学校教育の形であり,学
校図書館と教育課程の密接な関わりによって学校教育が展開されることを目指したものである.
全国学校図書館協議会による調査結果(表1)を見るように司書教諭資格をもつ教員がいる学
校は年々増加している.2003 年から 12 学級以上の学校への必置が定められたことにより司書
教諭課程を設けた通信制大学が増加したことや,各自治体において講習会の開催等により人材育
成が進められたことに由来していると考えられる.
表1
司書教諭資格保持者がいる学校の割合
100%
90%
80%
70%
60%
50%
小学校
40%
中学校
30%
高等学校
20%
10%
0%
出典)全国学校図書館協議会調査結果より自为作成
この調査によりこれまでほとんど進むことの無かった司書教諭の配置が法改正以降大きく進
展したことがわかり,法改正は一定の成果が挙げられたといえる.だが,言いかえるならばこれ
までも司書教諭の配置は定められていたにも関わらず,猶予期間として司書教諭の人材育成や配
置を怠ってきたことが明らかなことを示している.
この法改正は学校図書館の充实を図ったものであり確かに一定の成果を挙げることが出来た.
しかし,いくつかの問題を残している.一つには司書教諭有資格者を学校に配置しただけで終わ
ってしまっている場合だ.現行の学校図書館法では司書教諭を 12 学級以上の学校に必ず配置し
なければならないことにはなっているが,学校図書館担当を必ず有資格者にすることにはなって
いない.それゆえ司書教諭の資格を持つ教員はいるが实際には学校図書館担当から外れており,
おかざり司書教諭となっている学校が尐なからず存在する.司書教諭が学校図書館を担当してい
ないとすれば,何のための法改正かということになる.いずれにしろ,司書教諭を置く意義が理
- 37 -
解されていないのではないか.また 12 学級未満の学校は今後も司書教諭の配置を猶予している
のも問題となっている.12 学級以上という規模で線引きをすると,12 学級に満たない「小規模
校」はわずかといった印象を持ちかねない.だが实際には小学校では半数,中学校では半数強が
当分の間配置を義務付けられていない学校となっている.12 学級という線引きが存在してはい
るが 12 学級に満たない学校を「小規模校」としてくくり配置義務を先延ばしにしておける数で
はないことは明らかである.ここで考えなければいけないのは 12 学級以上という規定である,
学校図書館における「欠くことのできない基礎的な設備」の専門的職務を掌る人間を配置すると
いう基準としては不当な規定でしかない.司書教諭の配置が学級数によって格差があること自体
があってはならないことである.そもそもこれは公教育の均質性,公平な教育環境を保障する教
育基本法,もといは日本国憲法から考えるに,存在してはならない規定である.
現实問題として司書教諭はどれだけ発令されているのだろうか.文部科学省が 2004 年 5 月に
实施した「学校図書館の現状に関する調査」によると以下の表2ようになっている.
表2
司書教諭が発令された学校の割合
出典)学校図書館白書4
实際に発令された学校の 9 割以上が 12 学級以上の学校であり,12 学級未満の学校への発令
状況をみると 5~6%前後の数値になっている.この司書教諭の発令状況による公教育の不平等
は全国平均においては小中学校では約半数となっているが,これを都道府県別で見るとその格差
さらに大きくなっている.12 東京,大阪,愛知といた大都市圏では 12 学級に満たない学校の割
合は 2~3 割であるのに対し東方や山陰といった尐子化の激しい地域においては 7 割前後の学校
が 12 学級未満であり,地方と都市部とでは教育の公平さに欠けた状況に陥っている.
- 38 -
1-3. 多くの課題を抱える司書教諭
そもそも司書教諭とはいったいどういったものなのか.学校図書館法から読み取るならば,学
校図書館の専門的 職務を掌るための専門知 識を持った教員というこ とになる.渡辺信一
(2008:187)は司書教諭の任務と役割として「司書教諭は教師の 1 人として,他の教師と協力しな
がら学校の教育活動を担い,教師としての責任を貟う.(中略)学び方を学ばせる指導と情報活用
能力を育成する指導においても,その中核としての役割を担う.また,学校図書館を活用して新
しい教育を活用して新しい教育を实施していく活動において,その中心となって組織の構築にか
かわり,教育の改善につとめる」と述べている.つまり司書教諭とはこれまでの知識偏重型の学
校教育を改めるべく中心的な立場となり様々な教育活動を展開していく職ということになる.
学校図書館の専門的職務を掌るために学校に配置される司書教諭は現行法による規定が守ら
れれば,すでに学校に配置されている教員のなかから司書教諭の資格を持つものがその職につく
こととなる.だが現状では司書教諭として専任となりその職に従事するケースはほとんどない.
本来ならば司書教諭の任につく者は専任,もしくはクラス担任を外れることや担当授業数を週
10 時間以下とするなどの授業時間軽減措置をとることになっているが,現状では授業時間の軽
減を行っている学校は尐ない.これは学校長による強力なリーダーシップがあったり,学校内に
おける大きなバックアップ体制が存在しているならば専任もしくはそれに近い形での職務が可
能である.しかし,前述の通り,専任職員の設置という規定が無いため,形のみ司書教諭を配置
し,片手間に学校図書館に関わるという場合が数多く存在している.
1-4. 存在しない司書~学校司書~
司書教諭とは対照的に「学校司書」は制度的な裏づけが無いままに図書館には誰かしらの人が
いなければ,といった学校教育の現場から求められた必要性により,また地域住民からの強い要
請を受けて,自治体独自の判断で配置の实態を作り出してきた.そのため学校司書という言葉自
体存在せず便宜的にそう呼んでいるにすぎず,法制度や規定などなんら存在せず地に足の着かな
い浮遊した職となってしまっている.そのため雇用の制度的根拠がなく自治体独自の設置による
ため,雇用条件,採用形態などは統一されたものではない.そして学校図書館ではたらく教師で
はない人間を学校司書と呼ぶだけであり,身分も多様で,正確な人数の把握さえできていない.
全国学校図書館協議会による 2005 年度の調査によると総数は 10387 人となった.複数の学校で
勤務している人間を除いて考えれば 7000~8000 程度の人が学校司書として勤務していると思
われる.だが前述のとおり「学校司書」とは曖昧な身分なため,各学校,教育委員会の認識の違
いによりこの調査も正確な「学校司書」の人数ということはできない.一方で文部科学省の「学
校基本調査」においては「学校図書館担当事務職員ii」という項目があり,学校司書の職にあた
ると考えられる.しかしながら同 2005 年度調査においては 1647 人であり全国図書館協議会の
調査とは大幅な開きができている.
このような「学校司書」を塩見は以下のように分類をおこなっている.
ii高崎市の小中学校における学校司書は図書館事務として採用されている
- 39 -
「正規職員」
a.図書館法による「司書」(または司書教諭)資格を有するものを,
「学校図書館司書」として
公募
で採用しているケース.専門性を認め,正規職員としての採用である.相当数の県立学校
でとられている.
b.实習助手,事務職員としての雇用の職員を学校図書館に配置しているケース.この場合も,
採用時から学校図書館への配置が想定されている場合と,たまたま図書館に配属となる場
合もあり,一様でない.[a]と比べると,専門性の認知は乏しい.
c.ごくまれではあるが,公立図書館の司書として採用し,学校に配備しているケース.学校
に専門職員を配備するには,現段階ではこの方法がベターだという判断でとられている措
置.
「非正規職員」
d.司書(司書教諭)資格取得者を対象に学校図書館司書として公募,採用するが,正規職員と
しての処遇が困難なので,身分が嘱託,非常勤職員等であるケース.近年の学校図書館整
備を図る自治体の積極的な施策,住民の働きかけの成果として達成されている場合に多く
見られる形態.非正規ではあるが,研修の機会を公式に措置するなど,極力正規職員に近
い形をとろうという意思が認められるものをここでは想定している.
e. [d]に比べて身分や勤務条件が不安定で,务位なケース.雇用期限がある,勤務時間が短
い,複数校のかけもち勤務など.自治体の負政事情から[d]のレベルを確保できない場合
に,この程度の雇用になることが多い.全国的にはこのケースが多い.全国的にはこのケ
ースが相当数を算えるだろう.
f.不安定な公費負源により,臨時的に学校図書館の仕事に従事するケース.資格格も問われ
ないことが多い.学校図書館指導員,補助員など使用されている名称も多岐にわたる.
g.私費による雇用.安定した身分,継続性ある職務の遂行は望めない.
h.ボランティアへの依存で,とても「職員」とはいえないケース.
(塩見 2006:172)
この分類は「学校司書」としての分類というよりも「学校図書館で働く人」の分類といった態
が強い.そのためこの分類において「学校司書」と呼べる最低限は学校図書館に専任配置されて
いる[d]までだと考える.
さらに学校司書にとっても大きな問題となっているのが司書教諭の必置である.これまで,司
書教諭不在の学校において,PTA からの要望で学校司書が配置された場合などは,その不在を
埋めるための学校司書といった考え方あった.そのため司書教諭が配置された以上,学校司書の
設置は必要ないという議論も存在する.
- 40 -
2 変る教育
1 章で述べたように学校図書館とは日本における教育制度とは相容れないものであった.確か
に知識偏重型の学校教育を行うことにより同時多発的な人材育成がなされた結果,驚異的な戦後
復興をとげ,その後も高度経済成長期に突き進む事となった.この時点での学校教育は,モノの
豊かさを求め,経済発展のために必要な人材を育成することを政府が示し,それに国民が忚えた
ものであった.当時は国民全体が「豊かさ」を手に入れたい,という共通の意識を持っていた.
その後,日本はモノがあふれる豊かな国となり,人々の生活も多様化していく.当然「モノの豊
かさを求める」という共通の価値観は無くなった.そして「モノの豊かさ」から,人それぞれの
「ココロの豊かさ」を求めるよう変化している.
2 章では,近年の教育関係法規の改正を取り上げ,現在の日本が図る教育の方針転化を学校図
書館の活用という点から見ていく.
2-1. 教育に関する法律の改正により変化する学校
ここ数年において教育に関する法律の改正が大幅に行われている.改正された为な法律を見て
みよう.(表3)
表3
法律
学校図書館に関わる法改正
改正年
为な内容
教育基本法
2006
生涯学習の理念を中心とした教育
学校教育法
2007
「为幹教諭」等の導入
学校図書館法
2007
司書教諭を「为幹教諭等」と位置づけ
(学習指導要領)
2008
出典)
筆者作成
最も注目すべきなのは,教育の憲法とも呼ばれる教育基本法が制定後,初めて改正されたこと
である.これにより教育に関する様々な法律に影響を与え,それらの法律が改められる動きが頹
繁になっている.
また一連の法改正に影響を与えていると考えられるのが「OECD 生徒の学習到達度調査」(以
下 PISAiiiとする) 2003 年における PISA において日本の結果は,数学的リテラシー,科学的
リテラシー,問題解決能力の得点についてはいずれもトップグループに位置していた.その一方
で読解力の得点については,OECD 平均程度まで低下している結果が出た.順位は参加 41 カ国
PISA:Programme for International Student Assessment の頭文字をとり広く PISA と用い
られる.OECD 加盟国において 15 歳の生徒を対象に,読解力,数学的リテラシー,科学的リテ
ラシー,問題解決の 4 つの分野の学力を調査するもの.国際比較により教育方法を改善し標準
化する観点から,生徒の成績を研究することを目的としている
iii
- 41 -
中 14 位ではあったが点数の低下幅は参加国中最大であり,読解力低下を問題視するようになっ
た.PISA において求められる読解力を PISA 型読解力といい「自らの目標を達成し,自らの知
識と可能性を発達させ,効果的に社会に参加するために,書かれた文章や資料を理解し,利用し,
熟考する能力」と定義されている.この定義から考えると,物事の状況を理解し,それに対する
解決法を考え,その考えを正確に表現するという一連の流れを行うことが出来なくなっていると
いうことだ.これまで日本の学力水準は世界でもトップクラスに位置していたが,読解力の大幅
な落ち込みが教育界に危機感を与えたと思われる.
さらに PISA が図 4 に示した中でも直接影響を見せているのが学習指導要領である.新旧二つ
の学習指導要領を比較して大きく変化した点が 2 つ存在する.一つは「~を出来るようにする」
という表現から「~の能力を身に付けさせる」という表現に変えられている場所が多数あること.
もう一つに,生徒児童が自らの考えや学んだことを表現させる場を求めている.このような教育
形態を持っているのが欧米の学校である.1 章で述べたように学校で学ぶのは特定の知識ではな
く知識獲得のための方法なのである.
それゆえ学校図書館は教育において欠かせない存在だと考えられる.なぜならば日本の教育制
度が欧米型の教育システムに近づくことによってようやく,学校図書館は本来の使用目的が理解
されるようになったからである.
そのため学習指導要領の改正に先立ち,学校教育法,学校図書館法が改正し,司書教諭を「为
幹教諭等iv」と位置づけを行うなど,学校図書館が果たす教育効果に期待していると考えられる.
2-2. 学校教育に与する学校図書館~支援センターの設置~
文部科学省は 2006 年から「学校図書館支援センター」の推進に取り組み始めた.これは学校
図書館の機能を充实,強化することにより生徒児童が为体的な学習を行えるようになることを目
的としている.これは PISA 型読解力が求めているものと類似しているといえる.卖に学校で知
識などを暗記するのではなく,生きていく上で様々な問題に直面したときの「課題解決能力」で
あり「生きる力」なのだ.
学習図書館支援センターの役割は,①教師への援助,②教材研究に関する援助,③学校図書館
間のネットワーク構築の 3 つに分類される.①では授業計画から生徒指導などにいたるまで多
岐わたる.先進的な取り組みや海外の事例の情報提供,研修会の開催などにより教師のニーズに
広く忚えていく.②で行うことは为に資料収集である.図書や参考書と呼ばれるものから写真,
映像など様々メディアが扱われている.そして教員が作成した資料といった通常では手に入らな
いもの扱っている.③を必要とするのは①,②をより効果的効率的に行うためである.どの学校
でどのような取り組みを行っているかを他の学校が知ることができ,類似の取り組みを行おうと
して学校図書館支援センターが所有する資料が不足しているといった事態など未然に防ぐこと
iv
为幹教諭:校務における一部の整理を行うとともに生徒,児童の教育を掌る学校職員.学校に
おける教員組織の中で教頭の下に位置し,管理職を助ける役目をする.特に昨今校務は激務とな
っている 教頭職の援助支援,校務の新たなる社会的変革によって生じた渉外活動などを担当す
る.
- 42 -
が出来る.
3 なぜ学校図書館なのか
これまで「生きる力」
「課題解決能力」の育成のために教育政策が改変され,学校図書館の活
用が求められていることを述べてきた.だが学校図書館が必要とも言い難い.なぜならば学校図
書館を設け専任職員を置くこと自体が世界では尐数派なのである.しかし注目すべきは学校図書
館に専任職員を置き,制度を整えた国は「課題可決能力」の育成において成功の結果を残してい
るということだ.
3 章では学校図書館の必要性を海外の事例等からみていく.
3-1. 海外における学校図書館の事例
米国では専門性に特化した学校図書館員「メディアスペシャリスト」と呼ぶ.
「図書館員」と
「教員」という本来的な 2 つの役割に加えて,1988 年改正の学校図書館基準によって,
「学習
指導コンサルタント」という新たな役割が付け加わった.教員の教科指導の領域のみならず,様々
な分野において意見や助言を行うことを目的に設置された.
ある事例について学習するとき,メディアスペシャリストはクラス担任と相談し,生徒のレベ
ルや個性に合ったものを学校図書館から数十冊選び出し,生徒たちが手に取りやすいよう教审に
貸し出す.教审へ貸し出す本は卖元が変わるごとに交換する.また,生徒たちを小人数のグルー
プに分けて卖元に関連させながらコンピューターやデータベースの使い方を教えたりもする.こ
のようにアメリカではクラス担任とメディアスペシャリストの連携を強化し,学校図書館を利用
した学習指導案(メディアプログラム)を作成している.
そしてメディアスペシャリストの成果として高橋元夫(2007:114)によれば「ペンシルバニ
ア州やコロラド州の調査では,メディアプログラムで生徒の学力を向上させるには,職員の充实,
具体的には常勤で有資格のメディアスペシャリストと常勤の補助職員の存在が欠かせない,とい
うことが明らかになった」と述べている.また具体的な数値として「充实した職員のいるメディ
アセンターを持つ学校で,5 年生は 4%,8 年生は 5%,11 年生は 8%,それぞれテストの点が
上がった.また,充实した内容のメディアプログラムを持つ小・中学校は貧弱なプログラムの学
校と比較すると平均して 15%ほど得点が高いという結果がでた」と提示している(高橋元夫
2007:116).
アメリカで行われたメディアスペシャリストに関する調査では,充实した学習指導案を構成す
るために求められていることは「学校図書館に常勤で有資格者が存在すること」であった.共同
で指導案を作成するなど教科指導教員と関わる時間が多く,生徒にだけでなく教員への情報検索
法指導,カリキュラム編成委員会の参加など多方面での活動が必要であると考えられる.つまり
学校教育と学校図書館両方に精通していることによってこそメディアスペシャリストの職務は
成り立つといえる.
もうひとつの海外の事例としてデンマークにおける取り組みを見ていく.デンマークでも学校
- 43 -
図書館を担当する専任の司書教諭が存在する.そして司書教諭の養成は大学でおこなわれている.
司書教諭ははじめ教員としての資格を取り,教員としての経験をしてから司書教諭の資格を取る.
司書教諭は教員としてのキャリアを積んだものが当てられているのだ.その上で司書教諭,情報
通信技術担当教諭,視聴覚担当が協力し学校図書館の運営を行っている.そのうえで「教育リソ
ースセンター」というものを全国に設置している.これは 2 章で述べている日本の学校図書館
支援センターが目指している形であり,学校図書館を対象とし,専門スタッフが指導,支援およ
び各種のサービスを行い,各学校図書館の機能を向上するための専門機関である.活動内容は学
校図書館への資料貸し出し,教員用の指導書を保有し教材研究への活用を促す,教員を対象とし
た研修会を開く,教材研究また生徒児童指導等への相談に忚じるなど非常に多岐にわたっている.
学校図書館だけでなく一般教員への支援もおこなっており,このセンターに対する教員側からの
信頺は厚い.センターの支援もあり教員は多様なメディアを取り入れた授業や学校図書館を活用
した授業など先進的な取り組みを行いやすい体制となっている.そして,学校図書館の専門職員
のあり方,養成がさだめられた明確な法律が整備されている.それゆえデンマークの教育界では
学校図書館が教育において重要な位置にあり学校図書館の専門職員は学校教育の中心に位置し
た存在であると認識されている.
デンマークは過去日本と同じように PISA において大幅に結果を下げた時期がある.その結果
を重く見た政府が教育改革の一環として取り組んだのが「教育リソースセンター」の設置である.
司書教諭の専任化を行い学校図書館の活用による学校教育の改善を図った結果,学力水準が回復
をみせはじめている.
3-2. 人がいることの意味~第三者の存在~
これまで学校図書館がもつ学校においての教育的意義について論じてきたが,ここでは学校教
育とは異なる視点からみていく.注目すべきは人間関係である.学校図書館に専任職員がいるこ
とにより生まれる人間関係が重要だと筆者は考える.生徒,児童に対しての第三者となる存在で
あり,
「ナナメの関係」と位置づけることの出来るものである.そもそも人間関係は 3 つに分け
られている.タテの関係,ヨコの関係,そしてナナメの関係である.タテの関係とは上司と部下,
教員と生徒児童というような上下関係をさす.ヨコの関係は同僚や友人であり,時には競い合う
相手となる.ナナメの関係にあたるのは直接の利害関係に当たらない人物であり,基本的には自
身よりも年上で知識や経験が豊富な人物である.例えるならば,兄姉の友人,学校においては養
護教諭や教育实習生が当てはまる.
「ナナメの関係」の存在は,子どもの発達において重要になる.知識や経験が豊富であり,子
どもたちの葛藤や悩み,不安,疑問,友人や親との衝突など諸問題に対処できる,悩みやストレ
スのはけ口となりえる力を持っているからだ.つまり子どもにとっての相談役にあたる.
「ナナ
メの関係」とは叱る側と叱られる側,教える側と教えられる側の間に位置し,両者の関係を取り
持つ存在なである.ナナメの関係にある人間は立場が違うため,大人や同年代の友人とは違った
形で,知識や技能,人間関係などを伝えることが出来る.そして子どもは直接の利害関係に無い
- 44 -
第三者からのアドバイスは受け止めやすい傾向にある.
このようなナナメの関係に当たる人間は過去,多く存在したといわれている.しかし,現在で
は子どもたちの身近に尐なくなっている.それゆえに学校図書館に専任職員を置くことは重要だ
と考える.なぜ学校図書館であるか.それは,学校図書館が学校教育の中心に位置するようにな
るためである.学校教育に精通した人間が学校図書館に専任としていることにより,学校教育と
いう中で関係を結ばれた教師との間を誰よりも取り持つことが出来ると考えられる.それによっ
て学校に悩む子どもに対しても原因究明が比較的用意にでき,的確な情報提供ができると筆者は
考えるからである
4 課題と展望
4-1. これからの学校図書館に求められる「人」
学校図書館が解決すべき課題としてあげられるのが小規模校への司書教諭の配置である.教育
において地域間格差を生み出さないためにも,全ての学校への司書教諭の配置は至上命題である
といえる.
もうひとつの学校図書館に関わる「人」の問題で重要なのは「学校司書」である.学校教育の
中心としての学校図書館が有効に機能するためには司書教諭,学校司書,その他教員がそれぞれ
を支援しあえる体制を構築することが重要である.そのため,学校司書は本来,学校教育に精通
している必要がある.それゆえ現状ならば教員免許,司書教諭免許,司書資格の三つを有してい
るのが望ましい.だが現状では学校司書を雇用している自治体において,資格要件として司書も
しくは司書教諭どちらかの資格のみで良い場合や資格を求めない場合さえある.なぜこのような
状況なのかといえば,学校司書が全く法制化されていないからである.そもそも前述の通り,学
校司書という名自体が造語でありどのような存在かも定まったものはないのだ.このような現状
を打開するためにも学校司書を全国一律で規定し地位を確立する必要があると考えられる.
特に近年,学校図書館に求められていることは複雑になりより専門性が求められる.しかしこ
のような他の資格を転用した形でその任に就くことは学校司書以外存在しないのでは無いだろ
うか.それゆえ,学校司書資格が存在しないこと自体に疑問を感じる.当面の課題として,学校
司書資格創設も含めた学校司書の法制化が挙げられるだろう.
4-2. 理想の学校図書館構築のために
筆者があげる学校図書館に求める理想の「人」の配置は専任の学校司書と担任を外れるなど授
業時間軽減措置を受けた司書教諭を置くことである.完全専任化された司書教諭を置くことはせ
ず,専門教育をうけた専任学校司書と学校図書館を運営することを求める.理由の一つは 3 章
で述べたナナメの関係に由来している.学校図書館に専任職員を置くことによりナナメの関係を
創ることが出来ると論じたが,それには学校司書がふさわしいと考えている.究極的には司書教
諭も教員であり,ナナメの関係が構築されない可能性も存在している.一方学校司書は完全に教
員とは別の立場にいながら学校教育の中心に位置しており,子どもたちに対する影響力は非常に
- 45 -
大きいと考えられるためだ.もう一つの理由としては人員の確保を挙げる.もし専任司書教諭が
置かれるならば,学校司書の不要論が加速度的に増す可能性が強いからである.司書教諭が配置
されただけの現在においても学校司書不要論が出てきていることを考えれば,なおさらのことで
ある.学校図書館を用いた学校教育をするためには学校司書と司書教諭の両者の働きが必要であ
り,人材流出は避けなければならないだろう.
おわりに
文部科学省が示す学校図書館の役割は重要である.確かに学校図書館はこれまでの調査からも
学校教育における位置づけや求められていることの大きさは十分に理解することが出来る.だが
その重要な役割があるからこそ生まれる疑問がある.それは司書教諭の資格に関する事だ.文部
科学省はこれだけ学校図書館を重要視し,また授業においては学校図書館を活用することを求め
ている現在において,司書教諭資格についてなんら言及していない.例えば小中学校教員養成課
程においては道徳教育に関する卖位取得は必須となっている.また全教員養成課程において進路
指導に関する卖位も必須である.なぜ必須なのか.それは学校教育において道徳教育が重要であ
り,進路指導出来ることが求められているからである.一方で司書教諭は教員免許とは別個の資
格であり教員免許のみを取得する場合,司書教諭に関する卖位は全く関係がない.つまり学校図
書館について何一つ知識が無かったとしても教員になることは可能なのである.はたしてこのよ
う教員養成課程において文部科学省が示す学校図書館の役割を果たし,活用できる教員の養成は
成り立つのであろうか.
筆者は司書教諭資格を教員養成課程における必修卖位とし教員全体での共通理解としての学
校図書館をつくるべきだと考える.それによって速やかに学校教育における「生きる力」
「課題
解決能力」の育成が行える環境が創られることを望んでいる.
文献
塩見昇,2006,『教育を変える学校図書館』風間書房
全国学校図書館協議会編,2007,
『北欧に見る学校図書館の活用』社団法人全国学校図書館協議
会
宅間紘一,2004,『学校図書館を活用する学び方の指導』
黒澤浩,2001,『新学校図書館入門』草土文化株式会社
高橋元夫,2007,『学習指導と学校図書館』放送大学教育振興会
全国学校図書館協議会編,2004,『学校図書館白書4』社団法人全国学校図書館協議会
全国学校図書館協議会編,1999,『学校図書館白書3』社団法人全国学校図書館協議会
文部科学省 HP 新規事業「学校図書館支援センター推進事業」(PDF ファイル)
http://www.mext.go.jp/a_menu/hyouka/kekka/05090202/015.pdf
文部科学省 HP 教育基本法
『学校図書館』2008.1
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H18/H18HO120.html
「学校図書館問題への一つの視点」
- 46 -
『学校図書館』2008.9
「学校教育に資する支援センターとネットワークの運用」
『図書館雑誌』2009.2
「教育基本法改正と学校図書館」
姉崎洋一編
2007.3『解説教育六法 2007』三省堂
姉崎洋一編
2006.3『解説教育六法 2006』三省堂
- 47 -
万人に開かれた文化活動の為に
―障害のある人々への文化活動支援―
茂木裕太
はじめに
文化活動と一言で口にしても,そのカテゴリはいくつもの種類に分けられる.その為に確固た
るイメージを具体的に持つ事が困難であるのだが,今日では,その言葉はとても聞きなれたもの
となっている.そうした社会状況の変化は,国や自治体が芸術・文化を対象とする公共政策とし
て文化政策を打ち出し,私達が文化活動を行う事,例えば音楽,文学,美術作品等を制作,また
は鑑賞する事に対する支援によって導かれたものである.私達は美術館や博物館といった場所を
利用する事によって,その影響を身近に感じる事が可能である.また,近年増加しつつある中間
支援組織の存在も,その変化の中に大きく関わっているだろう.社会の中に点在し,孤立してし
まっている担い手達の間に立ち,文化と社会の橋渡しをするといった,所謂「仲介機能」を果た
す組織が,文化芸術活動が叫ばれるようになった社会の中で上手く機能しているお陰で,私達が
自由な活動を表現する場を得る事は以前より容易に可能となった.
しかし,中間支援組織によって文化的なネットワークが構成される一方で,様々な問題により
満足に文化活動を行う事が出来ず,そのネットワークの中に入る事の出来ない,所謂文化的弱者
と呼ばれる人々も存在しているのである.特に身体的理由により活動を制限されてしまう人々は,
文化芸術活動を行う上で必ず他者の手助けを必要とする.だが彼らは,本来そのような個人では
不可能な活動を支える為のものであるはずのネットワークに入れず,必要な手助けを得る事が出
来ないのである.このように文化の中にも差別に近い状況が存在し,アウトサイダー・アーティ
ストiとも呼ばれる事のある彼らは,満足な支援の下で活動を行う事が困難であるという現状を
抱えている.これは政府が述べている文化活動の定義と反する,改善されるべき問題である.
本稿では文化的弱者の例として障害者の人々に着目する事とし,彼らが受けている文化活動支
援の現状と問題点について,各自治体やNPOが行っている活動を事例に取り上げ,近年注目さ
れている障害者アートの動きと共に論じていく.また本稿では,全ての障害者を対象に論じるだ
けの余裕がない為,为な議論を身体障害者の方々に限定させて頂く事を注記しておく.
1 文化的弱者の存在
1-1. 公が推し進める文化政策
文化芸術の振興の為の基本的な法律として「文化芸術振興基本法」が 2001 年に定められた.
この法律の目的は,文化芸術に関する活動を行う人々の,自为的な活動を促進する事を基本とし
i
正規の美術教育を受けておらず,ただ自分の中の不可解な表出欲にだけに突き動かされて活動
を行うアーティストの事.近年ではヘンリー・ダーガー等が挙げられる.
- 48 -
ながら,文化芸術の振興に関する施策の総合的な推進を図り,心豊かな国民生活及び活力ある社
会の实現に財献する事であるとされ,今日の国や地方自治体が推進する文化政策の地盤となって
いる.このような法律を掲げ,政府が文化政策を推し進めようとするのは,そこに重要な役割を
見出しているからに違いない.文化活動の意義について,文化芸術振興基本法では以下のように
述べられている.
文化芸術は,人々の創造性をはぐくみ,その表現力を高めるとともに,人々の心のつ
ながりや相互に理解し尊重し合う土壌を提供し,多様性を受け入れることができる心豊
かな社会を形成するものであり,世界の平和に寄与するものである.更に,文化芸術は,
それ自体が固有の意義と価値を有するとともに,それぞれの国やそれぞれの時代におけ
る国民共通のよりどころとして重要な意味を持ち,国際化が進展する中にあって,自己
認識の基点となり,文化的な伝統を尊重する心を育てるものである.(文化芸術振興基
本法 前文)
このように国は文化振興を果たすべき重要課題であると捉え,それに見合う政策を行ってきた.
しかしそれらの活動による結果は,文化振興基本法を掲げてから数年が経った現在でも,満足の
いく形として表れてはいないだろう.特に問題視されるのは,障害者に対する文化振興である.
文化芸術基本法の条文では,以下のようにも述べられている.
文化芸術の振興に当たっては,文化芸術を創造し,享受することが人々の生まれなが
らの権利であることにかんがみ,国民がその居住する地域にかかわらず等しく,文化芸
術を鑑賞し,これに参加し,又はこれを創造することができるような環境の整備が図ら
れなければならない.(文化芸術振興基本法
第一章
第二条)
つまり,文化芸術は誰もが行う事の出来る活動でなくてはならず,政府はその為に尽力する事
を義務として果たさなければならないのである.ならば障害者も,自由な意思によって活動を行
う事が可能であるべきであり,その為の支援は国や自治体によって行われなくてはならないはず
だ.だが,公が行う支援策はとても全ての障害者をサポート出来ているようには見えない.それ
らの支援については第 2 章で詳しく論じる事とし,その前に多くの障害者を抱える社会の状況
について触れ,それに対忚しようする動きを確認していく事にする.
1-2. 増加傾向にある障害者数
1950 年,身体障害者の自立と社会経済活動への参加を促進する為,身体障害者を援助し福祉
の増進を図る事を目的に掲げた「身体障害者福祉法」が施行された.これにより,かつて使われ
ていた「不具者」等の言葉に代わって「障害者」という新しい卖語が一般に定着する事となった.
その後,障害者の社会的地位の向上が国の政策として図られ,そして今もなお,その活動は厚生
- 49 -
労働省を中心に従事されている.医療技術の進歩や設備の充实が果たされた今日でも,障害者に
対するそのような政策が臨まれているのだが,その要因の一つは,障害者数が減尐するどころか
増加の一途を辿っている事であるだろう.
下記に示した図 1 は,障害者基本法iiに基づき,1994 年から毎年政府が国会に提出している,
障害者白書に掲載されたデータをもとに作成したものである.障害者白書とは,障害者の為に講
じた施策の概況について明らかにした年次報告書であり,この図はそこから,施設に入所してい
ない,在宅する身体障害者数の推移を障害別にまとめたものである.1970 年には 200 万人に満
たなかった障害者数が年々増加しており,2001 年にはその数が 350 万を超えている.およそ 30
年で 1,75 倍という驚くべき増加率で障害者が数を増やしているのである.また,現在では在宅
する知的障害者数も 40 万人を超え,計 400 万人以上の障害者がこの社会で生活している事にな
る.それに対忚するように,2008 年には障害者雇用促進法の改正,障害者自立支援法の改正法
案の国会提出,教育振興基本計画の決定等雇用等が实施されており,今日でも障害者に対する支
援の問題が急務として存在している事は間違いない.
863 1091
639
1698 1797 1810
内部障害
肢体不自由
聴覚・言語障害
視覚障害
20
01
19
96
366 361 360
311 306 315
19
91
19
87
19
80
19
70
千人
4000
3500
3000
476
2500
312
2000 197
1500
1513 1602
1127
1000
500 317 368 369
0 336 313 357
年
図1 種類別障害者数の推移(身体障害者・在宅)
障害者白書(2009)をもとに作成
1-3. 対応を迫られる社会
障害者の数が増加している現状,そしてそれに対忚して国の政策が行われている事は前節で述
べた通りであるが,障害者数の増加がもたらす影響はそれだけではなく,さらに社会生活の中に
もまた,多大な影響を与えているのである.近年になって,バリアフリーという言葉を生活の中
でよく耳にするようになっただろう.バリアフリーは,1973 年に行われた国連障害者生活環境
ii
障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策に関しての基本的理念を定め,障害者の自立
及び社会参加の支援等のための施策を総合的かつ計画的に推進し,障害者の福祉を増進する事を
目的として制定された法律.1970 年施行.2004 年改正.
- 50 -
専門家会議をもとに提出された報告書「バリアフリーデザイン」により広く知られるようになっ
た.意味としては障害者や高齢者の生活の中から不便な障害を取り除こうという考え方を指し,
また,その考えの広まりにより私達の生活の場は変化を求められている.2006 年に施行された,
高齢者・障害者の移動等の円滑化の促進に関する法律である「バリアフリー新法iii」には,旅実
施設及び車両等,一定の道路,路外駐車場,公園施設,百貨店,病院,そして福祉施設等の特別
特定建築物に対して,移動等円滑化基準に適合させる事が義務として定められている.下記の図
2 はそのバリアフリー新法に基づいて行われているバリアフリー化の進捗状況について,2008
年度末の公共交通移動等円滑化实績等報告書の集計結果をまとめたものである.高齢者・身体障
害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促進に関する法律として定められた「旧交通バ
リアフリー法」の施行以降,公共交通事業者等による旅実施設や車両のバリアフリー化が着实に
進められてきた.現在も国土交通省を中心に補助金,税制等の支援措置,市町村が作成する移動
等円滑化基本構想の策定の促進等を行っており,バリアフリー新法に基づく基本方針で掲げた
「2010 年までに 1 日当たりの平均的な利用者数が 5000 人以上の全ての旅実施設について,原則
としてバリアフリー化を实施する」という目標の達成に向け動いている.このように,障害者数
の増加によって対忚を迫られた社会は,障害者が生活しやすい環境へと着々と変化しているので
ある.
だが,果たして障害者の生活を考えた社会とは,ただ卖に旅実施設の設備を整えただけで出来
上がるものなのだろうか.1-1 でも触れたように,文化活動は,多様性を受け入れる事が出来る
ような,心豊かな社会の形成を導くものだと考えられている.ならば文化活動の面においても,
いわゆるバリアフリーが果たされなければならないはずであるだろう.それを叶える為の課題を
導くべく,次章からは障害者への文化活動支援の現状と,そこにある問題点について考察してい
く事とする.
全旅実施設实地項目
進捗状況
前年度比較
段差の解消
71,6%
約 4,1 ポイント増
視覚障害者誘導用ブロック
92,9%
約 2,0 ポイント増
障害者用トイレ
66,5%
約 6,9 ポイント増
車両等实地項目
進捗状況
前年度比較
鉄軌道車両
41.3%
約 14,8 ポイント増
ノンステップバス
23.0%
約 2,7 ポイント増
福祉タクシー
10,742 台
228 台増
旅実船
16.4%
約 2,3 ポイント増
iii
正式名称は「高齢者,障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律」.これまであったいわゆ
るハートビル法(高齢者,身体障害者等が円滑に利用出来る特定建築物の建築の促進に関する法
律)と交通バリアフリー法(高齢者,身体障害者等の公共交通機関を利用した移動の円滑化の促
進に関する法律)を統合した法律である.
- 51 -
64,3%
航空機
約 4,4 ポイント増
公共交通移動等円滑化实績等報告書(2008 年度末)をもとに作成
図2.公共交通機関におけるバリアフリー化の進捗状況
2 障害ある人々への支援の現状と問題
2-1. 障害のある人々の文化芸術活動
朋部正の著書「アウトサイダー・アート」によれば,これまでにも触れてきたアウトサイダー・
アートの源流は,第二次世界大戦後,フランスの画家であるジャン・デュビュッフェが,子供や
精神障害者等によって描かれた絵画の高い創造性を認め,それをアール・ブリュット(生の芸術)
と呼んで賛美した事に始まったと考えられている.その为張はドイツの精神科医であるハンス・
プリンツホルンによって著された「精神病者の芸術性」によって導かれており,精神病者の芸術
に特徴的な美しさを見いだしたこの書は,アウトサイダー・アートの考え方に重大な示唆を与え
たとされている.アウトサイダー・アートという言葉は,1972 年に出版されたイギリスの美術
史家ロジャー・カーディナルの著書「アウトサイダー・アート」で初めて提唱される事となる.
その斬新な着眼点によって多くの埋もれていたアーティストが発掘され,また当時,子供や精神
病者といった美術の制度の外部に位置する者達の自由で無垢な想像力が,美術の閉塞状況を打ち
破る要素に成り得ると期待されたのである.しかし彼らは,己の中から出てくる芸術活動への欲
望を叶えているだけであり,自らがアーティストであるという自覚さえない場合が多いと見なさ
れた.その無意識こそがアウトサイダー・アート足りえる要因であるとされ,またそれにより,
極めて純粋な芸術であると位置付けられる事になったのである.
日本での先駆的な活動の中で最も有名なものとしては,1939 年に初展覧会を行った,山下清
氏ivの活動が挙げられる.障害者が持つ才能を世間一般にアピールした彼の功績は大きいが,そ
の一方で福祉イベントの同時開催等を行った為,美術界や外部市場に対し,障害者の文化芸術活
動は福祉の活動であって芸術ではないといった印象を持たせる事にも繋がってしまった.その後,
1950 年代から 60 年代にかけて多くの障害者施設で文化芸術活動が行われていく事になり,また
1970 年代から 80 年代にかけてからは,障害者本人達による为体的な表現活動の動きが広まる事
となった.ろう者による演劇が有名である「日本ろう者劇団」や,身体障害者による身体表現を
行う「劇団態変」等の活動が始まった時期である.そして 1981 年の「国際障害者年」と,これ
に続く「国連・障害者の十年v」を契機に,従来の福祉的な側面とは違う角度として,その作品
の芸術性そのものを評価しようとする動きが始まった.日本障害者リハビリテーション協会の为
導により,これまでの障害者の文化芸術活動を調査,研究して体系的にまとめられた「障害者文
3 歳の頃に重い消化不良になり,後遺症で軽い言語障害,知的障害に進行. 小学生の頃,知的障害
児施設「八幡学園」へ収容される.この学園での生活で「ちぎり紙細工」に遭遇.1939 年 1 月に
は,大阪の朝日記念会館ホールで展覧会が開催され,多くの人々から賛嘆を浴びた.
iv
1983~92 年までを「国連・障害者の十年」と宠言し,各国が計画的な課題解決に取り組む事と
なった.
v
- 52 -
化振興に関する实証的研究事業」等がそれを表している.福祉の一環として行われていた文化的
な活動を,アートとして捉えようとする動きは,1990 年代の後半から見られるようになった.
芸術性の高い障害者の作品や活動に注目し,あくまでも福祉の世界で行われていた文化的な活動
をアートとして社会に提示し,その可能性を問いかけていこうとする新しい試みがとられるよう
になったのである.かつての日本障害者芸術文化協会であるエイブル・アート・ジャパンという
組織が为導するノーマライゼーション運動から生まれた,エイブル・アートという言葉がそれを
表し,それまで価値の低いものとされてきた障害者が生み出す芸術のすばらしさを広め,疎外や
排除のない社会の实現を目指す事が目的とされた.このように様々な考え方や名称の下で論じら
れてきた障害者の文化芸術活動だが,近年ではそれらをまとめる広義な枞組みとして,障害者ア
ートという言葉が浸透してきているのである.そしてその言葉を中心として,自治体,またはN
PO等の組織が,現在別々の形で支援を行っている.
2-2. 自治体による支援状況
2008 年,社会に生きる人達全てがかけがえのない存在として大切にされ,自分の個性や才能
を活かしながら社会に参加,財献出来る「ぬくもりのある日本」の实現を目指し,障害者による
自由な芸術文化活動を推進する為に必要である社会的取組について提言する事を目的とした「障
害者アート推進のための懇談会」が,厚生労働省,文部科学省の共催により開催された.ここで
は障害者アートを推進する為の具体的方策として,障害者アートの展示支援や,障害者の芸術創
造活動の環境づくりを挙げているが,果たしてどこまで叶えられているのだろうか.
国際障害者交流センターviは,2009 年 3 月に全国の障害者の芸術と文化活動の現状を知る為,
各都道府県の市町村,また障害者関係団体に対して,当時行っていた事業,または開催を予定し
ている事業の調査を行った.この調査によれば,東京や宮城県等の人口が多い地域でも 10 に満
たない数の事業しか行われておらず,さらにそれも短く限られた期間に限定されているという状
況が示されている.また,都道府県の中でも支援に積極的な地域と消極的な地域がある事も示さ
れている.下記の図 3 は,この調査結果の中から群馬県と埼玉県という隣接する 2 つの地域の
事業状況を抜き出したものである.群馬県と埼玉県の障害者数は約 3 倍もの違いはあるが,県人
口と比較した割合はどちらも 3%前後である.だが群馬県は埼玉県に比べ,障害者の文化活動に
対する事業はとても軽視されたものとなっている.群馬県は「群馬県障害者計画」などを掲げ,
障害者の支援について話し合ってはいるが,文化芸術活動に関する内容については全く触れられ
ていない.一方,埼玉県は「障害者の自立と社会参加のための芸術・文化を核とした施策への提
言」において,障害者の芸術・文化活動についての方策を詳しく述べている.このように,地域
によって障害者の文化芸術活動に対する考え方や支援策に大きな格差が表れてしまうというの
が現状である.もちろん,力を入れる事業や方針がそれぞれ自治体よって異なるのは仕方がない
事である.そうであるならば,この格差をカバーする役割を担うのは支援活動に従事する民間組
vi
国連・障害者の十年を記念して,厚生労働省が,全国の障害者の「完全参加と平等」の实現を図
るシンボルとする事を目的に整備した施設.
- 53 -
織に他ならない.
群馬県 団体等の名称
为催者名
開催する事業の名称
群馬県健康福祉部障害政策課
群馬県
平成 21 年度こころのふれあいバザー展
群馬県健康福祉部障害政策課
群馬県障害者社会参加
第 10 回群馬県障害者作品展
推進協議会
埼玉県 団体等の名称
为催者名
開催する事業の名称
さいたま市
保健福祉局福祉部障害
平成 21 年度「障害者週間」市民の集い
福祉課
埼玉県
埼玉県福祉部障害者社
障害者週間記念のつどい
会参加推進审
埼玉県
埼玉県福祉部障害者社
障害者絵画展
会参加推進审
埼玉県
埼玉県福祉部障害者社
埼玉県障害者芸術・文化祭
会参加推進审
心身障害者福祉施設みのり園
心身障害者福祉施設み
みのり園作品展
のり園
関東エリアの障害者の芸術・文化調査結果(2009)をもとに作成
図 3.群馬県と埼玉県の支援事業
2-3. 様々な形の支援体制
自治体では補いきれない部分を補うのは,やはりNPO等の市民団体である.それらの支援方
法も自治体と同様で多岐にわたっており,長期,短期といった支援の期間や,多人数,尐人数と
いった受け入れ規模等,様々な部分に違いが見受けられる.ここでは特に,それらを目的別に三
種類のタイプに分類し考察していく事とする.
まず一つめとして考えられるのが,作品そのものにアートとしての価値を見出すという,アー
ト面に対して支援を行う「アート支援タイプ」の組織である.アウトサイダー・アートの考え方
に繋がるもので,作品が出来るまでのプロセスではなく,結果として完成した作品の芸術的な価
値を評価する事に重点を置くという考えを持つ.障害者の作品だから優务をつける事は適当でな
いという意見や,逆に障害を乗り越えて創った作品なのだから,それだけで十分評価すべきであ
るといった先入観の為に,その作品に対する正当な評価がなされてこなかった事が,このような
支援目的を持つに至る背景となっている.このタイプの支援組織は,そうした固定概念を払拭し,
障害のあるアーティストの芸術的な才能を広く認識してもらう為の取り組みを行っている.
二つめは作品の芸術性ではなく,障害者の生きがい作りや自己实現を目的とした,福祉的な面
に対する支援を行う「福祉支援タイプ」の組織である.これらの組織は文化芸術活動を目的達成
の為の手段として捉え,結果よりプロセスに重点を置いている.従来から福祉現場で为に行われ
てきたタイプの支援であるが,逆に福祉以外の分野,つまりアート本体が持つ魅力等からは離れ
- 54 -
てしまっているという問題もある.これらはあくまで治療やリハビリの域を出ない支援であると
見なされやすいが,かつてはそれがアートだと定義されなかっただけであり,最も古くから存在
し,そして現在最も多くの組織に見られるタイプである.
最後に挙げるのは,福祉というプロセスもアートという結果も,生活を豊かにする文化芸術活
動の欠かせない要素であると捉え,誰もが活動を行える環境を作る事を基盤として作品の芸術性
を別に評価するという,社会的,文化的な面を重視した「社会支援タイプ」の組織である.これ
らは 2-1 で触れたエイブル・アートの考え方に基づいたタイプであり,社会的な包容力を拡大さ
せながら差別意識を乗り越える文化芸術活動を为な目的としている.福祉もアートも豊かに生き
る為に欠かせない文化として包括的に捉えようとするこの考えは,アートや人間の可能性を模索
し,多様な存在を認めあう新しい社会の価値観を提示する事にも繋がると見られる.その為にも,
誰もが自由に表現出来る環境づくりを行う事を課題としている.
ここでは以上のように民間の障害者アート支援組織を 3 つのタイプに分けたが,これらは支援
内容や支援体制によって,さらに細かく分類していく事が可能である.ただ,これらの組織がそ
のように分けられてしまう事は問題にも成り得る.芸術的観点からみて作品と鑑賞者の関係を重
視するアート支援タイプの組織と,福祉的観点からみて制作者と作品の関係を重視する福祉支援
タイプの組織の間にある相違は,障害者アートの今後の振興を図るうえで留意すべき点となるの
ではないだろうか.果たしてそのような差異を抱えたまま,自治体の支援から漏れた障害者をカ
バー出来るのかを,次章で,先程のタイプ別にした事例と共に考察していく.
3 事例考察
3-1. アート支援タイプ
アート支援タイプに分類される事例として,社会福祉法人東京コロニーが行っている事業であ
る「東京アートビリティ」と,株式会社パソナグループの社会財献事業である「アート村プロジ
ェクト」を挙げる事にする.
まず東京アートビリティだが,この事業は,障害者の自立を支援する事業を行っている社会福
祉法人東京コロニーが,アートの分野でも彼らの持っている才能を活かし,さらにその活動を収
入に結びつける事を目的として始めた事業である.作品の創作における障害者の様々なニーズを
満たす,言わばチャリティを目的としたものではない事が始めに明言されており,良い作品であ
ればアーティストの利潤となるという,他のビジネスと同じような仕組みを持った営利団体とし
て利益の追求を行っている.アートビリティの特徴は,障害者がアーティストとしての扱いを受
けるという事を保障しているという点である.システムとしては,寄せられてきた作品をデジタ
ルデータでストックし,それをポスターや冊子,カレンダー等の印刷物に対して有料で貸し出す
という形がとられ,1 年間でおよそは 300 点もの作品が世の中に送り出されている.誰でも参加
可能な事業とされているが,その為にはまず個人で作品を創作する技術が必要であり,さらにそ
の作品には美術的な価値が要求される事になる.この事業は対象がアーティスティックな作品を
生み出せる人に絞られる,非常に限定された支援だといえる.
- 55 -
それに対しアート村プロジェクトは,アートビリティほど利益の追求にこだわっているわけで
はない.この事業は,働く意欲がありながら就労が困難な障害を持った人々の芸術活動による就
労支援を目的に設立されたものである.行っている支援内容としては,アート村から生まれたア
ーティストの作品展の開催,発掘した才能の育成と,個展の開催を通して才能を発表する事での
障害者の自立支援,障害者を対象とした全国公募展の開催等が为である.内容としてはアートビ
リティと近いが,アート村プロジェクトは「才能に障害はない」というコンセプトのもと障害者
の社会参加や自立を忚援するとされ,ガラス絵講座を行う等,社会支援タイプのような面も持っ
ている.しかし,やはり支援の大部分はアート作品の価値に依存するものであり,アート支援タ
イプの括りから出る事はない.
高いレベルでの支援としてはこのような形が望まれる場合もあるが,アート支援タイプの事業
は対象が狭くなりがちであり,
「障害者による文化芸術活動」というよりは,
「芸術家である障害
者による活動」という枞組みの方が当てはまるのではないだろうか.この論文の万人に開かれた
文化活動というテーマとは土台が反対のものであるとも言える.
3-2. 福祉支援タイプ
福祉支援タイプの組織としては,岡山県笠岡諸島を基点に行われている「アートリンク・プロ
ジェクト」と,群馬県の比較的小規模なNPO法人「工房あかね」を取り上げる.
アートリンク・プロジェクトは,NPO法人ハート・アート・おかやまが 2004 年に立ち上げ
たプロジェクトであり,障害者の文化芸術活動を通して,彼らの豊かな感性を引き出し作品にし
ていくという活動を展開している.为に知的障害者の持つ想像力に注視し,障害者と彼らを支援
するアーティストが 1 対 1 のペアとなり,半年もの期間をかけて互いの感性や創造性を刺激し
合いながら共同制作をするという支援形態をとっている.ここには個対個から出て来る関係性を
作品という形で具現化し,その軌跡から新たな価値,可能性を考えていくという狙いがあるとい
う.自由な創造が苦手とされる自閉症の障害者に対しては,たとえば逆に表現を真似させてみた
り,相手の呟きを詩にしてそこから絵を生み出したりと,相手のあるがままの表現方法を互いに
尊重し,関係性そのものを表す事を重要視している事がわかる.また半年という長期間の支援は,
障害により表現が制約されていると思いがちな参加者や関係者に新たな視点をもたらす契機に
なっているとされており,広く地域社会と繋がる事で,障害者自身を含めた地域のエンパワーメ
ントが図られる事に繋がるのではないかと考えられる.
次に群馬県高崎市にあるNPO法人,工房あかねであるが,ここはアートリンクのように長期
的なスパンで行われる支援ではなく,また支援の対象者も障害者だけではなく,絵を苦手とする
人,大学生や为婦等様々であり,共に自由な創作活動に取り組んでいる.工房あかねでは絵画,
書,粘土等で簡卖な表現を行えるように留意しており,障害者への制作補助をこちら側からは可
能な限り行わないようにしている.自由創作の場面に見られる制作補助について,それは無理に
障害者のモチベーションを促す行為だと捉えているのである.そのように障害者の文化芸術活動
への意識を誘導する事は,始めに持っていた表現への意欲を見えないものにしてしまうのだとい
- 56 -
う.もちろんただ場所や材料を提供するだけが支援であると考えているわけではなく,障害者の
側からの求めを待ち,一方的な援助にならないようにしているだけであり,その手助けは皆に等
しく与えられるべきだとしている.ここから,障害者の文化芸術活動には,技術とメンタルの両
面からのサポートが必要であると捉えている事がよくわかる.
どちらの事例も,支援の中心に据えているのは障害者と支援者の間に共同性を持たせる事に他
ならない.アート的な視点からは,障害者の創作のプロセスに存在する共同性を不安視する声も
あるが,福祉支援タイプの組織はそれを強く重視し,外せない要素であると見ているのである.
3-3. 社会支援タイプ
3 つめの社会支援タイプの例としては 2-1 でも触れた「エイブル・アート・ジャパン」と,か
つて共同でエイブル・アートを提唱していた「たんぽぽの家」を取り上げる.
エイブル・アート・ジャパンは,社会の芸術化,芸術の社会化をキーワードに活動するNPO
である.障害者の文化芸術活動を通じて社会的課題の解決を図り,誰も疎外や排除される事ない
社会の实現を目指すとしている.その活動は,全国から絵画や立体作品を公募し,障害のあるア
ーティストを見出し,社会にむけて発表するというワンダー・アート,障害のあるなしに関わら
ず自由で豊かな表現の場を共有する為の实験的空間であるアトリエ・ポレポレ等,創作から発表
までをカバーする支援が挙げられる.また民間企業からの協力を得て行われるフォーラムやワー
クショップも,エイブル・アート・ジャパンの特徴的な活動である.創作現場や発表の場といっ
た限られた場所だけではなく,障害者の社会的立場やイメージに影響を与える活動は,他の組織
ではなかなか行う事は出来ない.さらにそれらの活動を支えているのは障害者の芸術活動をより
豊かにする為に行われている各種調査研究事業なのである.障害のある人たちの芸術文化活動に
関する实態調査に始まったこの事業は,障害者が参加出来るアートスペースをまとめたデータベ
ースの作成を可能としている.
負団法人たんぽぽの家は,エイブル・アート・ジャパンの前身である日本障害者芸術文化協会
が所属していた市民団体である.アートとケアという視点から,非営利の事業を实施しており,
人々の創造的な関係性を創出し,多様な価値観や文化を包摂した社会づくりを提案している.为
な事業としては,アートと社会の新しい関係の創出の為セミナー等を行うエイブル・アート・プ
ロジェクト,支援する側の情報交換の場の提供や,文化的手法を取り入れた福祉活動を提案する
ケア・プロジェクト,障害者の音楽際を国内外に企画するわたぼうしプロジェクトがあり,その
他にも様々な団体と協動したネットワーキング型の文化運動の展開等,より公共性の高い活動に
取り組んでいる.たんぽぽの家の特徴は,事業のネットワーク規模がアジアにまで広がっている
という点に見られる.1991 年から 2 年に 1 度,アジア,太平洋わたぼうし音楽祭を展開してお
り,多くの国がその活動を望む声をあげている.障害者の文化芸術活動への欲求は世界共通のも
のなのである事がよく感じられる.
社会支援タイプには総合的な支援の取り組みが見られ,組織が一つあるだけで広い領域をカバ
ーする事が期待される.障害者アートの今を知る為にも情報交換やワークショップの場を設ける
- 57 -
事は有効であり,本来の自治体に求められるような働きが多々見られる.
4 誰もが自由に行える文化活動の為に
4-1. 望まれる支援体制
三つのタイプの事例について見てきたが,それぞれに特徴があり,いくつかの問題点を内包し
ている組織もあった.アート支援タイプにはその事例からわかるように,どうしても経済的な思
惑が付いてまわる.アートとして評価するという事と金銭的価値が結びつく事は容易に想像され
るが,その結果,経済活動を目的にした支援へ変容してしまう危険性も持っているのである.ま
た福祉支援タイプは,限られた範囲での繋がりしか持つ事が出来ないという点が憂慮される.こ
のタイプの支援では,事業組織の外とは関わりを持ち難い.もし支援を受けていた組織が何らか
の事情で無くなったとしたら,再び活動を行うのは困難となるだろうし,また活動を始めるまで
には長い時間を必要とするだろう.一番理想的な形は社会支援タイプであるが,これだけの支援
を行える組織は多くはない.運営のためには企業による人的,資金的なバックアップが不可欠で
あり,それを实現させるのはそう簡卖ではない.このように,これらのタイプの組織卖体では,
誰もが行い得る文化芸術活動を实現させる事は不可能である.だが,複数の組織が協力した形な
らば,その实現が可能となると考えられる.
まず考えられるのは,アート支援タイプと福祉支援タイプを中間支援組織が繋げるという方法
である.それぞれの問題点を補う事を念頭に置いた方法だが,双方が協力の意を示せば難しくは
無い.中間支援組織は例えば社会支援タイプの組織にその役割を任せても良いし,自治体が地域
ごとに統括するという形が出来れば,なお良い.埼玉県のように予めこの問題に留意している自
治体であれば,協力を得られる可能性は高いと予想出来る.もう一つは第 4 セクターの運営が
考えられる.第 4 セクターとは近年,地域おこしや地域コミュニティの現場から聞かれるよう
になった言葉で,その背景には民間部門が追求する経済的価値にとどまらず,公的部門や市民が
持つ多様な価値を取り入れようとする意識がある.社会的支援タイプの組織の实現に必要なのは
資金や人材,ノウハウといった知識である.資金の面は先程と同様に自治体に期待するが,人材
や知識といった面は市民の協力に期待する.文化芸術活動への欲求を持っているのは障害者に限
らず,文化振興に無頓着な地域の市民も同様であり,得にアートに精通している人物程その欲求
は高くなる.彼らにとっては活動の場を得るのという利点があり,ボランティア的な精神に依存
するわけではないだけに,实現の可能性は高いといえる.
4-2. 文化芸術活動のノーマライゼーション
障害者の文化芸術活動を支える支援団体の分類から,新たな支援体制まで論じてきたが,誰も
が自由に行える文化活動を实現させる最も卖純な方法は,もともと構築されている文化のネット
ワークの中に障害者も参加させる事なのである.本稿では文化芸術活動のノーマライゼーション
vii
と定義するが,そのためにはそのネットワークの内部の人達はもちろん,外部の障害者の人達
vii
障害者と健常者とは,お互いが特別に区別される事なく,社会生活を共にするのが正常な事で
- 58 -
もノーマライゼーションの意識を持たなくてはならない.九州大学の助教授,知足美加子は以下
のように述べている.
障害者を他者として疎外する状況を「障害者の他者性」と位置づける.近年障害者芸
術が注目を集め,障害を持つことをひとつの個性と考える気運が高まっている.しかし
障害者という属性を強調し過ぎれば他者性が固定化される可能性がある.そうしないた
めには障害者に関わる芸術の認識,つくり手・受け手の意識を再構成する必要がある.
障害者芸術をめぐる歴史的・文化的認識の再考によって,障害者の他者性は乗り越えら
れると仮定する.
(知足 2008)
知足によれば,ネットワーク内部の人達にとって障害者は他者と捉えられる存在であり,さら
に障害者という属性によって他者性が固定化されてしまう問題も有している.それを乗り越える
方法は障害者芸術の再考であるという事であるが,その障害者を他者という枞組みから外すため
に必要な要素とは,福祉支援タイプの組織が重視していた「共同性」ではないだろうか.障害者
に対する意識の捉え方は,まず福祉の場面で解決されるべき問題であるし,そこでは障害者とい
うより共に創作を行う担い手であるという認識を強く持つ事が出来るようになる.そのように障
害者と密接に関わる支援を続けていく事で,ネットワーク内部に障害者を迎える準備が出来てい
くのである.この問題が過去のものになるにはまだ長い月日を必要とするだろうが,障害者アー
トという言葉が当たり前のものとなり,さらには古い言葉と見なされ耳にする事がなくなった頃
には,文化的弱者という言葉もまた,耳にする事がなくなっている事だろう.もちろん,ただ受
け入れてくれるのを待つだけではいけない.障害者アートは近年になって登場した言葉だが,障
害者の文化芸術活動についての議論は以前より行われてきた.そこに費やされた時間を再認識し,
積極的に社会に働きかける事を失念せず,文化芸術活動への意欲というものがどれ程大きな力を
持つのかを確かめていくべきである.
おわりに
普段不自由なく生活している人達も,いつ障害を持つ事になるかわからない.それと同じよう
に,何気なく音楽や美術等に触れている時間が,突然無くなってしまうかもしれないのである.
文化的弱者になる事を予期する事は難しい.だからこそ,自由に文化芸術活動を行う事が出来る
状況に感謝しなくてはならないという事を,障害者への支援の現状を調査する中で強く感じた.
今回,取り扱う文化的弱者として身体障害者に限定したが,調査した事例の中には知的障害者や
精神障害者に対する支援についての議論も存在した.2009 年度版の障害者白書によると,1999
年には約 170 万人だった在宅の精神障害者の数が,2005 年には 267 万人に増加している.さら
に施設に入所している精神障害者の数を合わせると約 303 万人にまで上り,最も人数が多いとさ
れてきた身体障害者の数に追いつく勢いである.精神障害者というものはその性質上,人間関係
あり,本来の望ましい姿であるとする社会理念.
- 59 -
などが原因とされる事が多く,現代では非常に増加しやすいと見なされている.それに対忚する
ように,彼らに対する文化芸術活動支援を真剣に考えていくべきである.また精神障害者に関し
ては文化芸術活動が,その治療や予防に繋がる可能性が高く,これからは特に論じられていくべ
き課題であると考えられるだろう.近い将来,そのような働きへの期待も合わさり,障害者に対
する文化芸術活動支援を求める声がさらに大きいものとなっていく事を願っている.
文献
大野左紀子,2008,
『アーティスト症候群~アートと職人,クリエイターと芸能人~』
,明治書院.
川井田祥子,2009,「障害者の芸術表現による自立とその支援に関する研究」『都市経済政策』
5:11-20.
岸中聡子,2004,
「障害者アートと共同性」
『現代文明学研究』6:372-387.
群馬県,1994,
『バリアフリーぐんま障害者プラン』
厚生労働省,2008,『障害者アート推進のための懇談会報告書』
国土交通省,2009,『公共交通事業者等からの移動等円滑化实績等報告書の集計結果概要』
朋部正,2003,
『アウトサイダー・アート』
,光文社新書.
文化庁,2001,
『文化芸術振興基本法』
埼玉県障害者芸術・文化懇話会,2009,
『障害者の自立と社会参加のための芸術・文化を核とし
た施策への提言』
嶋本昭三,2009,
「アートスペース全国データベース」
(http://www2.gol.com/users/wonder/artspaceDB/artspaceDB_top.html)2009.12.15
嶋本昭三,2009,
「エイブル・アート・ワークショップ」
(http://www2.gol.com/users/wonder/ws/)2009.12.16
嶋本昭三,2009,
「フォーラム」(http://www2.gol.com/users/wonder/forum.html)2009.12.16
下村仁士,2006,
「第4セクター
鉄道への萌芽」
『公益事業研究』58(3)
政策統括官,2001,『障害者白書』
知足美加子,2008,「障害者の他者性と芸術表現」
『デアルテ』24: 37~54.
单部靖之,2009,「アート村:アートによる障害者の就労支援」(http://www.art-mura.com/)
2009.12.16
播磨靖夫,2009,
「アジア太平洋わたぼうし音楽祭」
(http://popo.or.jp/wataboshi_project/asia/)209.12.15
――――,2009,
「アートリンク・プロジェクト」
(http://artlinkcenter.net/modules/test/)
2009.12.4
- 60 -
博物館の統廃合による学芸員の専門分化
―博物館の質の向上へむけた学芸員の“脱雑芸員化”―
保科友希
はじめに
博物館には,博物館資料の調査研究,資料の管理・保存,教育普及,展示企画などを行う,学
芸員というスタッフが存在する.しかし,实際に博物館に行っても,なかなか学芸員に接する機
会が無いため,一般の方にはあまり認知されていないのではないだろうか.学芸員は展示审の端
にある椅子に座っている人だと思い込んでいる人も数多いことだろう.实際,この方々はアルバ
イトや派遣の方であり,学芸員ではない.实は,学芸員は,貴重な文化負や名作を後世に継承す
べく,私たちがあまり目にすることのない博物館のバックヤードで公共性の高い仕事をしている
のである.
学芸員資格取得のための博物館の授業の中で,博物館運営をめぐる問題,組織の問題など,多
くの問題に出会った.
博物館に様々な問題がある中で,学芸員が一人しかいない館も存在するという現实を聞き,危
機感を持った.学芸員資格を取る人は,年間何千人といる中で,实際に学芸員として活躍できる
のは,ほんの一握りiであるという事实にも驚いた.果たして,学芸員一人で,資料の調査研究,
管理・保存,教育普及,展示企画といった膨大な仕事を十分に行なえるのだろうか.どんなに小
さな博物館であるとしても,全ての仕事を満足にこなすには,到底学芸員一人では太刀打ちでき
ないであろう.
しかし,近年に見られる,自治体の負政貟担の増大や負政赤字の影響で博物館の人件費削減に
着手せざるをえない自治体もあるだろう.その一方で,博物館数は増加の傾向を辿っている.つ
まり,博物館数が増えるほど,一館あたりの来館者数が減尐することとなる.そして,益々博物
館相互の集実をめぐる争いが熾烈になると考えられる.博物館は,人を集める人気館と,閑古鳥
が鳴く不人気館に二極化し,格差が発生している.
よって,この苦しい状況を乗り越えていくためには,学芸員の知恵と工夫が不可欠ではないか.
魅力ある博物館に生まれ変わるには,スタッフが創意工夫を凝らし,来場者を引き付ける展示や
調査研究,教育普及活動を行なうことが重要である.
しかし,日本の学芸員が一人で多様な仕事をこなす“雑芸員”と揶揄されている現状は無視で
きない.また,博物館関連の文献を読んでも,学芸員の増員や学芸員の専門分化を推奨する記述
はあるが,实際に政策として学芸員の現状をどう打開していくのかという具体的な提案はなされ
1991 年の文部省社会教育課の調査では,132 大学(調査回筓大学)で 5,423 人が学芸員の
資格を取得したのに対して,实際に博物館の学芸員になった者は公立博物館 71 人,私立博物館
43 人の計 114 人で,率にして 2.1%にすぎない.
i
- 61 -
ていない.学芸員の数を増やすことが博物館の質を向上させるという意見は度々文献で目にした
が,それをどう具体化していくかまでの議論はなされていない.この現状に疑問を覚え,卒業論
文を通してこの疑問を考えていこうと思ったのである.
本論文では,近年の博物館統廃合の動きに注目し,学芸員の専門分化を推進することの可能性
や課題を検討していきたい.博物館統廃合をすることで,一館あたりの学芸員数を増やし,より
仕事を専門分化すれば効率的で,利用者により高度なサービスを提供できる博物館に変革できる
のではないか.しかしながら,博物館の統廃合については,館毎の設置目的の違いや,地域住民
による存続を希望する声など,簡卖に合意される問題ではなく,配慮すべき点も多い.博物館統
廃合にむけていくつかの課題を提示し,学芸員の専門分化を日本で实現するための提案を行って
いくことにしたい.
本論文の構成をみていこう.一章では,学芸員数や雑芸員と揶揄される学芸員の現状を見てい
く.二章では,日本の学芸員と欧米の学芸員の比較や,エデュケーターの活躍について,学芸員
の専門分化における問題点などを考察する.三章では,統廃合した博物館の事例をもとに,その
経緯と組織形態について詳細に論じる.その上でどんな組織形態が望ましいのか提案を行う.ボ
トムアップによる博物館運営の重要性についても論じる.四章では,博物館統廃合が滞っている
事例をとりあげ,その現状と問題点を考察する.そこから派生した博物館の統合をめぐる問題点
や配慮すべき点を明らかにする.しかし,現在の学芸員の現状を配慮するならば,統合という選
択もやむを得ないという为張を行ない,統廃合による学芸員の専門分化の可能性について具体的
な事例を示し論文を締め括る.
博物館統廃合を 1 つのモデルとして学芸員の専門分化を提案する論文はまだ世の中に存在し
ないかもしれない.そのため,その効果や可能性について充分な検証に至っていないということ
も否めない.しかし,なるべく具体的な事例を参考にしながら,新たな視点で学芸員の専門分化
への提言をしていきたい.
1 学芸員の現状
1-1. 学芸員数
まず,日本の博物館では,何人の学芸員が働いているのだろうか.表 1 を参照してほしい.
表1
博物館別学芸員と一館あたりの平均学芸員数
学芸員数
登録博物館ii
相当施設
iii
一館あたりの学芸員数
2,766
3.4
627
2.1
ii
登録博物館とは,その博物館が所在する都道府県の教育委員会の博物館登録原簿に登録さ
れたものと規定されている.博物館法第 10 条で規定されている.
iii
相当施設とは,博物館の事業に類する事業を行なう施設のことで,国または独立行政法人
が設置する施設は,文部科学大臣が指定し,その他の施設は所在地の都道府県が指定する.博物
館法第 29 条で規定されている.
- 62 -
類似施設iv
2,243
0.5
計
5,636
1.1
文部科学省生涯学習政策局調査企画課(2002)をもとに作成
データを見ていくと,登録博物館が 3.4 人と最も多く,続いて相当施設が 2.1 人,類似施設が
0.5 人で最小となっている.各館の平均は,1.1 人である.
このデータは,学芸員の配置や雇用に関して対策が取られていない日本の博物館の現状を露わ
にしている.平均 1.1 人しか学芸員が博物館にいないということは,一人に大変多くの仕事が任
されているということが容易に想像できる.
もう 1 つ,データをみてもらいたい.次の表は,
『社会教育調査』による近年の博物館学芸員
数の推移とそのうちの専任学芸員数とその比率を示したものである.
表2 博物館学芸員の数の推移と専任学芸員数・比率
学芸員数
1990 年度
1993 年度
1996 年度
1999 年度
2002 年度
3,049
3,711
4,589
5,328
5,619
21.7%
23.7%
16.1%
5.4%
学芸員数増
加率
(前回比)
専任学芸員
2,421
2,939
3,544
4,019
4,288
数
79.4%
79.2%
77.2%
75.4%
76.3%
21.4%
20.6%
13.4%
6.7%
3,704
4,501
5,109
5,363
24.8%
21.5%
13.5%
5.0%
専任学芸員
数増加率
(前回比)
2,968
博物館数
博物館数増
加率
(前回比)
文部科学省(2004),河上繁樹(2005)をもとに作成.
河上繁樹(2005)は,専任学芸員の割合の低下について問題提起をし,今後ゲストキュレー
ターが企画展を受け持つ可能性もでてくると述べている.また,嘱託や外部委託の増加について
も問題として挙げている.
河上が指摘する専任学芸員の定員増加が見込めないという問題は,博物館の運営を左右する深
刻な問題である.そこで,博物館の増加率と学芸員数の増加率,専任学芸員の増加率を比べてみ
iv
類似施設とは,博物館法の適忚を受けない施設を指す.これは,登録博物館と同種の事業
を行なう施設で,都道府県教育委員会が把握しているものである.
- 63 -
ることにした.实際は,これら三つの数値は連動しており,ほぼ同じ傾きで減尐の傾向を辿って
いる.つまり,バブル経済の影響を受けていることが予想される.1993 年頃をピークとして,
博物館数や,学芸員数,専任学芸員数それぞれの増加率が減尐しているのが分かる.この結果を
みると,専任学芸員の充实を図ろうとしてこなかった現状維持の構図が想像できる.学芸員の定
員増加に対する提案は,章を改め3章で述べることにしたい.
また,和田岳(2005)は,多様な仕事を日々行なう学芸員の過労死 vについて言及している.
過労死の問題を考えてみても,学芸員数や,仕事内容の見直しを徹底していくことは不可欠では
ないだろうか.
さて,ここからは公立博物館の学芸員の数について規定する告示の内容を見ていくことにしよ
う.
1973 年に文部大臣によって告示された「公立博物館の設置及び運営に関する基
準」では,第 12 条で「都道府県及び指定都市の設置する博物館には,17 人以上の
学芸員または学芸員補を置くものとし,市(指定都市を除く)町村の設置する博物
館には,6 人以上の学芸員または学芸員補を置くものとする」と規定されてきた.
これは,学芸員の定数規定に関する「望ましい基準」として機能してきたが,1999
年に告示の改正が行なわれ,新しい条文は,つぎのとおり定められた.新しい 12
条は,「博物館には,学芸員を置き,博物館の規模及び活動状況に忚じて学芸員の
数を増加するように努めるものとする」と定められている.このような改正は,政
府の地方分権推進計画に連動しており,国が一律に公立博物館の学芸員の定数を規
定するのではなく,各地方公共団体の教育委員会がそれぞれの地域の实情に忚じて
配置するべきであるという観点に基づいている.
(石森秀三 2004a:37-38)
確かに,地方分権推進のために,博物館学芸員の数に関する規制を緩和したのは理解できる.
一方で,国の一律の基準がなくなったことで,学芸員の数を以前より削減する地方自治体が多く
なることが想像できるのではないだろうか.人件費は高くつくため,コスト削減の対象となり易
いのではなかろうか.一館あたりの学芸員が尐なくなってしまうと,学芸員一人の貟担が増大し,
博物館の質の低下を招くといった悲惨な結果にもなりかねない.
熊野正也ほか(1999)は,博物館の学芸員の数が尐なすぎるのが問題であり,
「望ましい基準」
に示されている人数までそれぞれの館が達成できれば,博物館活動はもっと活発になると述べて
いる.このように,望ましい基準があったころの方が,学芸員を積極的に投入できるという点で
よかったのではないだろうか.
ここまでで,学芸員数等のデータ分析や学芸員数に関わる問題として過労死の問題や規制緩和
による学芸員数の望ましい基準の削除などの問題点をみてきた.
v
大阪市立自然史博物館には,過去に日浦勇という教育普及と研究の両面で評価
の高い学芸員がいたが,残念ながら若くして亡くなった.過労が原因だったという.
- 64 -
では,学芸員は实際にどんな仕事をしているのだろうか.以下の節で学芸員の仕事の实情を探
っていこう.
1-2. 学芸員は「雑芸員」
学芸員の仕事内容を想像できるだろうか.学芸員は,
「収集,保管,展示の専門家であるとと
もに,研究者や教育者としても専門性を発揮することが期待されており,多面的かつ複合的な能
力が求められている」
(石森 2003:21)のである.
具体的に述べると,どんな展示品を収集し,博物館や美術館に収蔵するのかを決定し,外部組
織との手続きを行なう収集の作業,収集した貴重な展示品を厳重に保存するための収蔵庫での保
管の作業,展示品を鑑賞者に効果的に見せるための陳列や,空間のデザインなど展示に関わる作
業,展示品のデータをデータベースとして残すための情報整理に関わる作業,展示品そのものの
価値を探求し,図録の執筆や解説文の作成を行う研究活動に至るまで,1 つの展覧会を作るにあ
たっても様々な仕事が山積みなのである.
また,現代社会では生涯学習社会により,社会教育施設における教育活動のニーズもますます
高まってきている.そのため,博物館においても,来館者へむけた教育普及活動に力を入れる必
要性が増大している.つまり,学芸員は,調査,研究,保管,展示,情報の整理,といった裏方
の作業だけをやっていればよいというわけではなくなってきたのである.学芸員が来場者にむけ
て,年齢別にターゲットを絞り,どんな展示をして,どんなイベントを開催して展示の意図を伝
えるのか企画することに加えて,来場者に向けた作品解説等,教育普及の仕事も同時に担当する
ことが多くなってきている.さらに,企画展や特別展を一般の人に告知するためのポスターやチ
ラシ,宠伝などの広報の仕事を学芸員が担当することもある.
ここまで,学芸員の仕事内容をみてきたが,学芸員の仕事の多様さは分かっていただけたであ
ろうか.学芸員は,めまぐるしく日々多様な仕事を行なっていることが想像できる.
しかし,实際日本の学芸員は,
『なんでもこなせる「便利屋」扱いが一般的であり,しばしば
「雑芸員」とか「何でも屋」などと揶揄されることがあり,スペシャリストやエキスパートとし
ての社会的認知が十分になされていないのが現状』(石森 2003:21)なのである.
このような,学芸員の現实を直視すると,
「雑芸員」と呼ばれて軽視されてしまう学芸員が,
あまりにもかわいそうではないだろうか.こんなにも広範囲にわたる仕事を担うためには,多方
面にわたる知識と器用さ,頭の回転の速さが不可欠なはずである.
ただ,学芸員一人で,上に上げた作業を全て行なうのは,有能な学芸員とはいえ到底難しいの
ではないだろうか.登録博物館には,平均 3.4 人の学芸員がいるとしても,それでもこの一連の
作業を十分に行なえるだけの人手は不足しているように思う.特に,大きな企画展を開催する際
には,何から何まで気を遣って仕事をすることとなり,多大な労力と貟担が学芸員にのしかかっ
ていくこととなろう.
谷川(2002)も学芸員の数に警告を鳴らし,学芸員の専門性に関して以下のように述べてい
- 65 -
る.
日本では博物館・美術館の学芸員の数は圧倒的に尐ない.充分な教育普及活動の
ために今以上学芸員の貟担を強いることは難しい.現状として,そこにさらに行政
からの「教育普及活動の充实」の要望がくることもまれではない.これでは学芸員
の専門性は著しく損なわれ,結果として,どちらの業務においても,送り手,受け
手の側とも満足の得られないものになってしまう危険性が高い.(上野征洋編
2002:113)
谷川が指摘するように,学芸員の専門性が多様な業務に従事することで充分に発揮できないと
いうことも無視できない問題である.学芸員は,一人ひとり専門としてきたバックグラウンドが
異なり,得手・不得手があるはずである.そして,学芸員の頭数が足りないという理由だけで,
多岐にわたる業務を担当せざるを得ない.谷川がどちらの業務も満足を得られない結果になって
しまうことを懸念するように,どっちつかずのやっつけ仕事的な業務を行なうことには賛成でき
ない.特に,公立の博物館・美術館は,県民や市民の税金で運営されている.こういった事情を
かんがみても,税金を文化の継承や発展に使ってよかったと県民や市民が納得できるものを提供
できなければ,今後の博物館・美術館は生き残っていけないであろう.博物館・美術館の質が向
上しない限り,県民や市民の同意は得られず,ますます博物館・美術館がハコモノ行政とののし
られてしまいかねない.榊眞(2007)は,「日本の文化施設は,1980 年代以降に急速に設置さ
れ,建設が優先されたため,施設経営,設置に係る職員制度,専門職員の養成等は後回しになっ
たまま今日に至っている」
(榊 2007:14)と述べているが,2009 年現在も全くその通りの現状で
あり,改善の兆しが見えない.
このような問題を解決するためには,ソフトを充实させるのが一番である.いくらハードを立
派に作ったところで,県民や市民を引き付けるのは最初のうちだけであろう.特に,博物館・美
術館運営の要である学芸員の専門性をめぐる問題については,重要な課題である.つまり,学芸
員一人ひとりが専門性を発揮し,地に足をつけて専門の業務を行なう質の高い博物館や美術館へ
よみがえらせることを目指したいのである.
次の2章1項では,学芸員の専門分化が行なわれている海外の学芸員について概観し,日本の
学芸員との違いを明らかにしたい.
2 学芸員の専門分化への展望と課題
2-1. 日本の学芸員と欧米の学芸員
前章までは,日本の学芸員の仕事内容をみてきた.この項では,欧米の学芸員の仕事内容を見
ていくことで,日本の学芸員と比較対照していく.
石森(2003)は,
- 66 -
欧米諸国の学芸員は,すでに専門分化が徹底されている.かつては,欧米も,キュレ
ーター(curator)やキーパー(keeper)と呼ばれる専門職員がなんでも全てをこなし
ていた.しかし,こういった体制は改善してきている.キュレーターやキーパーは,専
門領域における調査研究を为として行なうようになっており,多様な博物館業務は,各
分野の専門家が担うようになっている.例えば,資料の登録管理はレジストラー
(registrar),資料の保存・修復はコンサベーター(conservator)やレストアラー
(restorer),博物館における教育はエデュケーター(educator)などが,それぞれ担
当しているのである.
(石森 2003:22)
と欧米の学芸員の現状を指摘している.
更に,石森(2004b)は,
欧米諸国は,子供のための博物館が各地に作られ,子供のためのミュージアム・エ
デュケーション(博物館教育)を専門とする担当者が様々な教育プログラムを開発して
いる.しかし,日本の博物館では,子供のための教育プログラムを開発するエデュケー
ター(教育専門家)が社会的に認知されていないので,新しい学びの場として博物館が
注目を浴びても,直ちにそのような期待に忚えられるような状況にないというのが偽ら
ざる現状である.
(石森 2004b:215)
と日本の博物館におけるエデュケーターの社会的認知度の低さを指摘している.
また,京都新聞社のまとめ,世界美術館会議発表によると,日本の国立博物館と欧米の博物館
の学芸員の数を以下のように記している.
日本の国立西洋美術館の学芸員 10 名,
京都国立博物館 16 名に対し(学芸・教育含む),
大英博物館の学芸 120 名,教育 30 名,ルーブル美術館の学芸 65 名(補助 100 名)
,
教育 120 名,
メトロポリタン美術館の学芸 110 名,
教育 80 名という圧倒的な数の差は,
欧米では博物館・美術館が人々に社会教育の場を提供する施設として公に了解されてい
る,という事实の表明といってもよい.(上野編 2002:110)
こうしてみてみると,日本の博物館の組織とは大分性格が異なることが理解できるであろう.
欧米諸国の学芸員は,それぞれ専門の仕事を行なっており,日本の大半の学芸員のように一人が
全ての業務を行なうというわけではない.このように,学芸員の仕事を専門分化することで,よ
り各々の仕事内容が濃密になり,博物館全体の質も向上することが想定できるのではないだろう
か.
- 67 -
更に,学芸員数や教育専門担当の数を日本と欧米で比較をしても桁卖位の差が見られる.欧米
では,博物館施設そのものが巨大であるという点でも,日本の博物館や美術館と性格を異にして
いるが,ソフト面の組織においても厳重な体勢で博物館を運営しているということがこのデータ
からも分かる.
また,教育普及に関する問題として,日本の博物館法第4条では,
「学芸員は,博物館資料の
収集,保管,展示及び調査研究その他これと関連する事業についての専門的事項をつかさどる」
と記述しており,博物館の教育普及に関する業務の記述がないことが挙げられる.根本的に,教
育普及を含めた形で学芸員の仕事とされていない感じが法律から読み取れる.
この議論に関連して,尾野正晴(2002)は,
『法律の裏付けを求めることは,規制緩和の流れ
に逆行することになるが,
「普及・教育」には異能の人材が必要である以上,
『博物館法』のなか
により明確な規定が不可欠であるように思われる』
(上野編 2002:123)と述べている.この意見
に関しては,賛成である.法律で「普及・教育」を制定することで,人材の登用を義務化し,教
育普及に備えていくべきである.法律で規定しない限り,だましだましで取り繕われる感は否め
ないと感じる.法整備も見据えた博物館の専門分化を真剣に考えていくべきである.
また,尾野(2002)は,博物館における研究と教育のヒエラルキーについても指摘している.
こういった問題は,日本の博物館や美術館に卑しくも根付いてしまっているのであろう.観念的
な問題は,叫んだところですぐに現場の理解を得られるものではないことは確かである.しかし,
教育普及が博物館・美術館で大きな役割を果たしてきている現代において,このヒエラルキーの
問題についても議論する必要があるだろう.法律の整備にとどめるのではなく,根本的な問題を
掘り起こしていかなければ,日本の博物館・美術館の組織体制や性格は変わらないのではないだ
ろうか.
ここまで日本と欧米諸国の学芸員や組織についての違い,問題点等を概観してきた.また,日
本の博物館や美術館の教育普及における法的・観念的な障害について意見を述べてきた.
では視点を変えて,日本の博物館や美術館で,欧米諸国のような学芸員の専門分化を導入して
いる館はあるのだろうか.
例えば,東京国立博物館viは,欧米のように学芸員の専門分化を实践している組織構成である.
東京国立博物館の組織は,独立行政法人国立文化負機構に位置付けられている.独立行政法人化
をするに当たり,組織改革を行なったようである.
では,早速以下の図をご覧頂きたい.展示の企画を行う企画課,博物館の教育普及を行なう博
物館教育課,博物館の情報を管理する博物館情報課,博物館の資料の管理を行なう列品管理課,
展示品の調査研究を行なう調査研究課,博物館の保存環境や展示品の保存修復を行なう保存修復
課が配置されていることが分かる.東京国立博物館は,日本の学芸員には稀有な専門分化の最先
端として語られるべき重要な事例であろう.以下で組織図をみていこう.
vi
国立博物館,美術館は学芸職の職名を研究員としているが,分かり易くするために本文内
では学芸員に統一する.
- 68 -
- 69 -
独立行政法人国立文化負機構(2009)をもとに作成
図1 東京国立博物館組織図
このように,東京国立博物館では,一人の学芸員が多岐に渡る業務を担当するのではなく,業
務を出来る限り細分化し,多くの専門家の手によって担われている.
「課」の下には,
「审」を設
け,より業務内容を限定して实行されていることがこの図からよく分かる.
東京国立博物館で,マスコミなどに脚光を浴びているのは,ディスプレイデザイナーの存在で
ある.東京国立博物館では,
「国宝阿修羅展」が 2009 年 3 月 31 日から 6 月 7 日まで開催された
が,その展覧会を彩ったのが,ディスプレイデザイナーであったという.部屋の真ん中に大きな
阿修羅像を設置し,ライトアップなどの様々な工夫で鑑賞者の目を楽しませたということである
- 70 -
vii.見せ方によって,展示物をより効果的に魅せるのが学芸員の仕事であるので,展示の専門家
がいるということは心強いことである.
会社組織のようなイメージを読者が想像するならば,上図のような組織が当たり前のように感
じるかも知れない.しかし,实際日本の学芸員をめぐる組織はこのような徹底した役割分担のも
と業務は行なわれていないのが現状である.
竹内順一(1999)は,学芸員の分業化が進まない理由として学芸員は博物館の資料の収集,保管,
展示,調査,研究全部やりなさいと言っている博物館法の第 4 項を根拠に挙げ,
「スーパーマン
を要求するのが日本の学芸員制度の特徴の 1 つ」
(竹内 1999:132)と述べている.そして,「今
日の状況からみたら,もう尐し考えた方がいいのでは」(竹内 1999:132)と为張している.この
竹内の意見に最も賛成である.学芸員の分業化をより推進していくことが必要である.
欧米の学芸員と日本の学芸員の違いが分かったところで,次の項では宮城県美術館の教育普及
部についてインタビューをしてきたことなどを参考に日本におけるエデュケーターの活躍につ
いて見ていくことにしよう.
2-2. エデュケーターの活躍
では,日本において,エデュケーターはどのように位置づけられているのだろうか.
木下直之(1998)によると,
博物館内に教育部門を設け,専任の学芸員を配置し,それをエデュケーターという新
語で呼ぶことがどれほど求められ,そのためにどれほど欧米の事例が紹介されても,館
の設置者(おおむね地方公共団体)はおいそれと人員を増やし,組織をいじらないのが
現状である.
〔中略〕多くの博物館では,すでにいる学芸員の中から教育担当者を決め,
その担当者は多館の例を参考にしつつ,ほとんど手探りの状態で,教育プログラムの作
成を試みている.
(木下 1998:53)
と日本の学芸員の事情について指摘している.日本では,教育普及専門の職員を雇うことはまれ
であるという構図が浮かび上がる.
では,ここからは日本では珍しい教育普及担当(エデュケーター)を採用している美術館の事
例を二つ紹介していくことにしよう.初めに,公立美術館である宮城県美術館の教育普及部につ
いて,続いて私立美術館の森美術館のエデュケーターについてみていこう.
2-2-1. 宮城県美術館教育普及部
まず,公立の宮城県美術館を取り上げる.ここは,学芸部とは独立した教育普及部の活動が全
国的にも有名である.
vii
筆者は「国宝阿修羅展」に足を運んでいないが,宮城県美術館の庄司淳一氏にその様子を
伺った.
- 71 -
総括学芸員の庄司純一氏にお話を伺ったところviii,宮城県美術館の教育普及部は,学芸員の専
門分化の考え方を柱に作られた組織ではないということが分かった.なぜなら,宮城県美術館は,
1981 年に開館するが,学芸員の専門分化という考え方が日本に広まっていったのは,1990 年代
頃になるため,1980 年代型の宮城県美術館には年代的にもその流れに当てはまらないからだと
いう.
1980 年代はというと,美術館にアトリエを作ることが流行したという.1981 年にオープンした
宮城県美術館は,この流れにのってアトリエを設置した.来館者に美術を見るだけではなく,美
術を創る体験も美術館でしてもらいたいという思いがあったという.
宮城県美術館のアトリエは,美術館側が決めたものを来館者が作る講座型のアトリエ運営では
なく,
「何でも相談」という方針で,
『美術作品を見たときの疑問や質問,表現方法や技法,教育
目的で美術館を使った活動のことなど,教育普及部スタッフが相談に忚じている.また,相談に
もとづいて美術探検ixや美術館探検x,表現のワークショップ,創作审を使った制作などが行える
xi
』.つまり,来館者に作るものを指定するのではなく,来館者のやりたいことやつくりたいも
のの相談に忚じ,一緒に考えてあげるというスタンスを取っているのである.この考え方は今で
も健在であり,筆者が創作审に訪れた時にも若者や为婦の方々が思い思いに自己流の作品制作に
打ち込んでいた.この何でも相談というコンセプトを宮城県美術館が採用したのは,開館以来教
育普及部で活躍されている斎正弘氏の発想に端を発している.斎氏は宮城教育大学で学んだ後ア
メリカへ留学し,そこで行なったワークショップxiiにおいて制作の悩みを抱えてやってきた人に
対して何でも相談に忚じるというやり方と出会う.留学から帰国した斎氏は,
「1979 年 4 月に
美術館建設準部审に普及部学芸員として採用され,専門に教育普及活動の組み立てを担当するこ
とになった」
(瀧端真理子・大嶋貴明 2005:106)そして,宮城県美術館の教育普及部でもアメリ
カ留学で体験したワークショップの方法を实践するに至ったのである.
お話によると,宮城県美術館は 1981 年に開館する以前から,学芸員や教育普及部などの組織
が結成されていたという.そして,開館前から美術館の収蔵品をめぐるコンセプトや,来館者と
収蔵品相互の導線に配慮する美術館設計,教育普及部の活動内容などを話し合った上で,開館を
2009 年 8 月 6 日に宮城県美術館にてヒアリングを行なった.
美術探検は,10 歳以上の参加者に対して行なわれる.常設展の絵を見ながら,美術そのも
のの使い方,使われ方を考えるものである.これまで参加者が生きてきて,様々な場面や状況で
雑多に積みかさねてきた生活「体験」を,絵を使って,整理し,組み立て直して,自分の世界を
広げるための「経験」に変えていくのが目的である.絵について詳しくなったりするために行な
われるものではない.
x
美術館探検は,鑑賞を中心とした教育活動で,10 歳以下の人たちに対して行なわれる活動
である.卖純なバックヤードツアーではなく,普段見慣れない場所を見ることの面白さではなく,
普段見ている場所を美術の見方で見ることで,自分の見ている世界の幅に気づき,自覚し,それ
が拡大していくときのダイナミックさを楽しむ練習である.
xi
宮城県美術館,教育プログラム何でも相談,(http://www.pref.miyagi.jp/bijyutu/museum),
2009.8.21 取得を参考に記述した.
xii
日本の美術館でワークショップという言葉を始めて使ったのは,宮城県美術館が最初であ
った.
viii
ix
- 72 -
迎えた.多くの自治体がやりがちな,ハードを作った上で組織を結成するという方法ではなく,
宮城県美術館はソフトが先にあったために,ハードにも多くの専門家の意見を活かし計画的に作
られた美術館なのである.
教育普及部が作られた理由は,そもそも宮城教育大学の先生を教育普及部の職員として雇って
いたということが大きかったという.1979 年の斎氏を筆頭に,続いて「1981 年には宮城教育大
学の助手をしていた高橋貴和氏が普及部学芸員として採用された.また,県内の美術教師の中か
ら跡部邦明氏と斉藤敏行氏の2名が採用され」
(瀧端・大嶋 2005:107-108)普及部の専門スタッ
フは 4 名で出発した.宮城県美術館の教育普及部がどのような意図で結成され,今に受け継が
れてきたのか,私はヒアリングを通して初めて理解を深めることが出来た.
宮城県美術館の教育普及部の事例は,学芸員の専門分化を意識して作られた組織ではないとい
うことであったが,全国的にもエデュケーターとして教育の専門家を配置しているところは尐な
いため,大変貴重な事例であると思い,紹介させて頂いた.
2-2-2. 森美術館エデュケーターの育成
森美術館は,東京の六本木にある私立美術館である.現代性と国際性を理念とし,アジアを中
心に世界の为地域の先端的なアートを紹介している.六本木ヒルズの森タワーの最上階に位置し,
展覧会開催日は休館せず,22 時まで開館している.
三木美裕・杉浦幸子(2004)によると,森美術館では,開館する前の準備审時代からエデュ
ケーションを一つの柱にする方針があったという.そのため,研修を行い,エデュケーターの養
成を行っている.具体的には3カ月の基本研修と展覧会研修を实施し,専門スタッフとして雇用
するプログラムを实行している.エデュケーションのスタッフ体制は,常勤スタッフとしてキュ
レーターが 1 人,アシスタントキュレーター2 人がいる.そして,アルバイトが 2 人,非常勤で
プログラムxiiiのサポートを行うプログラムサポートスタッフがいる.彼らは館長の意向により有
給で働いている.2003 年から 1 期生が働いていて,今(2004 年当時)2 期生が研修中である.
プログラムサポートスタッフは,ギャラリートークやスクールトーク,シンポジウム,レクチャ
ーの運営などをエデュケーターと一緒に行う.
このように,森美術館には,新しいエデュケーターを育てる仕組みが存在する.美術館や博物
館での教育を担う職員が不可欠となってきた現代において,有能なエデュケーターを外から呼ん
でくるのではなく,美術館内で優秀な人材を育成するということは,理にかなっているように思
う.
県立や市立の美術館のように,行政が人事管理し配置する仕組みとは違った面白さが私立の森
xiii
森美術館パブリックプログラムとは,現代アートにあまり親しみのない方から,強い興味
を持つ方までを対象に,シンポジウムやギャラリートークを行う一般プログラム,保育園,幼稚
園から大学までを対象にトークやワークショップを行うスクールプログラム,児童館,病院,デ
イケアセンターといった地域の施設と連携し,コミュニティに根ざした活動を行うコミュニティ
プログラム,プログラムサポートスタッフを育成するサポートスタッフの 4 つを柱に展開され
ている.
- 73 -
美術館の取り組みには見られる.特に,新しく育てたエデュケーターをボランティアにとどめる
のではなく,しっかりと給与を与えることで,職業としての自覚やアイデンティティが生まれる
ように思う.そして,エデュケーターとして美術館で働くことを通して今後美術館理解者が増え
るというメリットも見込まれる.
エデュケーターを館内で育てる先進的な取り組みを行う森美術館をモデルケースとして,全国
の美術館・博物館においても人負を育てる仕組みを館内に導入することを検討することが今後ま
すます求められるのではないか.
2-3. 専門分化の問題点
ここまでみてきた博物館学芸員の専門分化をめぐる問題点をクリアにするために,改めて簡潔
に整理しなおしておく.
学芸員の専門分化の一番の障害は,各館の学芸員の数の尐なさである.登録博物館平均 3.4 人,
博物館相当施設平均 2.1 人,博物館類似施設平均 0.5 人,博物館全体で平均 1.1 人というデータ
を見る限り,そもそも日本の学芸員は,専門分化をし,仕事する傾向が尐ないと推測することが
出来る.まれに,東京国立博物館のように専門分化をして学芸員が機能している博物館も見受け
られるが,そういった例は尐数派にすぎない.まずは,日本に根付いた「学芸員=雑芸員」とい
う考え方を改革していくことが,この問題を考える上での必須条件であろう.
そのために私は,二つの具体的な解決案を提示したい.
一つ目は,1973 年に告示された学芸員の定数規定に関する望ましい基準の記述を復活させる
という案である.定数規定のような基準がない限り,予算の削減などで危機的状況に陥っている
大半の全国の博物館は学芸員の数を増やしていこうという動きには到底ならないのではないか.
告示の实効力は,今の時点では分からないが,望ましい定数を規定することでより学芸員の数の
増加に寄与することが予想される.
二つ目は,現在 5000 館強の博物館数を統合という形で削減し,組織を合体することで学芸員
数を増やし専門分化を徹底するという案である.この提案に関しては,次章以降で検討していく.
3 博物館の統廃合からみる学芸員の専門分化
3-1. 統廃合の動き
2 章 3 項で取り上げた,博物館の統廃合の現状についてこの項では論じていくことにしたい.
博物館統廃合は埼玉県と千葉県と長野市で行なわれたことが確認できた.順にそれらの詳しい内
容を見ていくことにしよう.
3-1-1. 県立博物館施設再編整備計画による統廃合-埼玉県埼玉県では,県立博物館施設再編整備計画xivをもとに,2004 年に8つの県立博物館施設を 4
xiv
埼玉県教育委員会,2005,県立博物館施設再編整備計画~博物館の新たな展開をめざし
て~,を参考にしながらこの項を記述した.
- 74 -
つの施設に統合した.専門分野別に 4 つのグループに機能統合をし,業務の効率化を図ること
を目指した.
「歴史・民俗」グループは県立博物館と民俗文化センター,
「史跡(野外)
」グルー
プではさきたま資料館と歴史資料館及び埋蔵文化センター,「自然とくらし」グループでは自然
史博物館と川の博物館の3グループと,近代美術館に再編整備した.
県立博物館施設再編整備計画が計画されたねらいは,以下のようになっている.博物館施設に
は,老朽化,施設設備の立ち後れ,入館者数の減尐,県立館としての役割の再検討などの問題が
浮上していた.こうした状況を踏まえ,社会情勢や県民ニーズの変化に対忚した大胆な機能の見
直しや経営の改善,コストを抑えた質の高いサービスを提供するためにこの計画が取りまとめら
れたのである.
ここからは,この計画を策定するまでの経緯を辿ってみることにする.埼玉県は,2002 年 2
月に「埼玉県行負政改革プラン」を策定した.この中で,博物館施設の経営計画の策定や移管・
廃止等も含めた今後のあり方について,検討の仕組みを作りつつ方針を定め,その实現を図ると
した.2002 年 10 月に策定された「改革戦略会議報告書」では,施設を数多く抱えている結果,
全体としては地方負源措置以上の予算措置がなされているにもかかわらず,個々の施設でみると
サービスの向上が困難になっていると指摘し,統廃合を含めた大胆な改革を求めた.そこで埼玉
県教育委員会は,2002 年度に県立博物館施設の今後のあり方等に関する検討委員会及び県立社
会教育施設管理運営検討委員会を設置し,これからの県立博物館施設の使命や再編整備に向けた
取り組み,利用者を意識した効率的な運営手法などを検討し,その方向性を取りまとめた.
2003 年度には,2002 年度における検討結果と 2003 年 6 月に告示された「公立博物館の設置
及び運営上の望ましい基準」などの見解を踏まえ,県立博物館施設将来像具体化推進委員会及び
県立博物館等再編整備推進委員会を設置し,市町村等では担えない役割を中心とした県立博物館
の将来計画と当面の取り組みを検討し,今後の方向性を具体化した.
2006 年度から順次,組織統合・施設の地元移管・民間委託を進め,2008 年度を目途に再編整
備計画を達成させた.
埼玉県は,県立博物館施設における課題として,
「施設・設備」,
「資料の収集・保管・活用」
,
「常設展示」
,「特別展示等」,「教育普及活動」
,「入館者数」,「職員体制」の7点を挙げている.
本来ならば,すべての課題を詳細に見ていくことが望ましいのかもしれないが,論点を明確にす
るために割愛する.本論文で問題としている「職員体制」についての課題に焦点を定めて見てい
くことにしたい.
「職員体制」における課題は,マンパワーの確保であると記している.そして,博物館資料の
収集・保管・調査研究・展示・活用に精通した専門職員の役割が重要となるが,学芸員は,専門
分野の不均衡や高齢化が大きな問題となっている.博物館活動を活性化させるとともに,学芸的
知識・技能を継承していくためには,計画的な専門職員の確保が必要となるとある.
この課題に対忚するために,以下のような将来像を掲げている.博物館を動かすマンパワーと
題し,統合等による学芸員の集約化を挙げている.高度な専門的知識と確かな技術を有する学芸
員の計画的な確保と育成を図るとある.また,学芸員研修を充实させ,学芸員全体の資質向上を
- 75 -
図るとある.
再編整備計画の組織における記述の中の学芸部門の項の記述には以下のように記されている.
各館には,資料の収集・保管・調査研究・展示など,博物館の基幹的業務を担当するグループと,
教育普及・県民交流・広報業務など,生涯学習支援や博学連携を担当するグループを置き,専門
職員の能力開発と幅広い人材の活用を図るとある.
ここまで,埼玉県の「県立博物館施設再編整備計画」に記述された問題点や方針などについて
記述してきたが,实際統合し,8館が4館になったことで具体的にどのように組織が変わったの
か,その現状と考察については,埼玉県立歴史と民俗の博物館へのヒアリング結果をもとに3章
2項で検討する.
3-1-2. 行財政改革による博物館統廃合–千葉県千葉県では,2002 年から行負政改革を進めている.千葉県行負政システム改革行動計画によ
ると,2004 年度から順次県内 10 ヵ所ある博物館および美術館について,市町村との役割分担
を明確にし,県内博物館ネットワークの再整備の観点から,統廃合や市町村への移譲を進めると
ともに,運営方法の見直しを行うとある.これを实施する部局は,教育庁である.対象となる
10 館とは,中央博物館,現代産業科学館,関宿城博物館,房総風土記の丘,房総のむら,大利
根博物館,総单博物館,安房博物館,上総博物館,美術館であるxv.
ここからは,年毎にどのような動きで統合が進んでいったのかを見ていこう.
2002 年度には,基本方針の検討が行われた.2003 年度には,房総風土記の丘と房総のむらを統
合したxvi.2004 年度には,房総風土記の丘と房総のむらを統合し,原始古代から近代までの衣
食住の移り変わりを体験することができる参加体験型博物館としたxvii.2006 年度には,上総,
安房,関宿城の各博物館について,地元市への移譲に関して協議・検討を進めた.また,大利根
博物館,総单博物館を中央博物館の分館に再編した.さらに,房総のむらでは,指定管理者制度
を導入し,負団法人千葉県教育振興負団が運営することとなったxviii.2007 年度には,上総博物
xv
千葉県総務部総務課行政改革推進审,千葉県行負政システム改革行動計画フォローアップ
(平成 14 年度の实施状況)
(http://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/a_soumu/gyokaku/koudou/pdf/0307.pdf),2009.11.26 取
得
xvi
千葉県総務部総務課行政改革推進审,千葉県行負政システム改革行動計画フォローアップ
(平成 15 年度の实施状況)
(http://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/a_soumu/gyokaku/koudou/pdf/0407.pdf),2009.11.26 取
得
xvii
千葉県総務部総務課行政改革推進审,千葉県行負政システム改革行動計画フォローアッ
プ(平成 16 年度までの 3 年間の实施状況)
(http://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/a_soumu/gyokaku/koudou/pdf/0506.pdf),2009.11.26 取
得
xviii
千葉県総務部総務課行政改革推進审,千葉県行負政システム改革行動計画フォローアッ
プ(平成 18 年度)
(http://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/a_soumu/gyokaku/koudou/pdf/18koudoukeikaku.pdf),
- 76 -
館を 2008 年4月に木更津市に移譲した.また,安房博物館,現代産業科学館について,地元市
と移譲に関して協議を進めたxix.
千葉県は,博物館施設にとどまらず,公の施設xxの見直しを实施しており,統廃合を推進する
とともに,管理・運営に民間能力を積極的に導入すると打ち出している.以下のグラフをご覧頂
きたい.
表3 統廃合及び管理・運営方法の見直しを行なった施設
150
0
0
0
0
2
0
5
0
16
22
22
24
3
62
61
66
100
廃止・統合した施設
137
137
135
132
指定管理者制度導入施設
119
直営の施設
50
58
59
53
18
19
20
0
13
14
15
16
17
千葉県(2008)をもとに作成.
2008 年度において廃止した施設は 20 施設,統合した施設は4施設となっている.施設の廃
止によって 25 億円の経費を削減した.また,指定管理者制度を導入することにより,25 億円の
負政効果があった.
以上のように,千葉県は,行負政システム改革行動計画によって公の施設を効率的に運営する
一手法として,統合や廃止,指定管理者制度の導入をしてきた.
では,房総のむらや房総風土記の丘などの統合した博物館施設の職員組織や学芸員数はどのよ
うになっているのだろうか.これに関しては,3章2項で検討してみることにしよう.
2009.11.26 取得
xix
千葉県総務部総務課行政改革推進审,千葉県行負政システム改革行動計画フォローアップ
(平成 19 年度)
(http://www.pref.chiba.lg.jp/syozoku/a_soumu/gyokaku/koudou/pdf/19koudoukeikaku.pdf),
2009.11.26 取得
xx
公園・水泳場・文化会館・図書館・下水道事業施設など,住民の福祉の増進を目的として,
住民の利用に供する施設のことを指す.
- 77 -
3-1-3. 市町村合併による博物館統廃合–長野市長野市には,「戸隠地質化石博物館」という二つの博物館が統合した博物館がある.
この博物館は,長野市立博物館分館の戸隠地質化石館と茶臼山自然史館の既存2施設を統合し,
廃校となった旧柵小学校の校舎建築をそのまま生かして自然史系博物館として再生 xxi され,
2008 年7月 26 日に開館した.この博物館は,長野市と戸隠村の合併に伴って2つとなった化
石の博物館を統合して誕生することとなった.地質化石館は,昭和 24 年に建てられた旧柵中学
校の木造校舎を利用していたため,傷みが激しかった.茶臼山自然史館も,手狭で博物館として
の業務に支障をきたしている状態であった.そこで,地質化石館と同じ敶地内にあり,小学校の
統廃合により平成 18 年度から空き校舎となっていた旧柵小学校の校舎を活用し,総事業費約2
億円を投じて戸隠地質化石博物館という新しい博物館を整備することになったのである.
この博物館は,廃校舎の活用を目指す市のモデル事業にもなっているため,様々な工夫が施さ
れている.展示台の一部には,児童が使っていた机や黒板を流用し,学校資料审には,県内の学
校に残っていた昔の教材などを展示したxxii.
この博物館の企画には,東京大学総合研究博物館がプロジェクトの企画構想段階から参画し,
再生型博物館の基本デザインと实施計画を提案してきた.新しい博物館には,地質や化石を中心
に約5万点もの豊富な資料を収蔵することとなった.これも,それぞれ 20 年以上も活動を続け
た博物館同士を統合した結果であるといえる.
この博物館の統合の効果について,長野市長の鷲澤正一氏によると,
「この博物館の誕生によ
り,類似施設が2館あることによる非効率や,両館が抱えていた課題を発展的に解消することが
できた.これも,2005 年度に長野市と戸隠村が合併した効果の一つといえるかもしれない」と
述べている.しかし,この博物館の課題として,「市街地から尐し遠い,アクセスが悪い」と評
価している.
この博物館の最大の特色は,「ミドルヤード」という考え方を導入したことだという.これま
で来館者にみせていなかった収蔵庫や学芸員の研究审なども見られるようにした.さらに,これ
まで学芸員が行なっていた資料の保存や展示に必要な作業なども,来館者が一緒に行なえるよう
にするなど従来にない体験ができる博物館になった.地質化石館からの経験豊富な学芸員の語り
についても賞賛しており,博物館には,すぐれた語り部が不可欠であるということも指摘してい
たxxiii.
この事例をみて市町村合併を機に類似する博物館施設の統合を行なうことで,それぞれの館で
xxi
戸隠地質化石博物館東京大学総合研究博物館,
(http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2008togakushi.html),2009.9.25 取得
xxii
化石博物館がオープン長野,廃校舎を再利用し敶居を低く―MSN 産経ニュース―,
(http://sankei.jp.msn.com/region/chubu/nagano/080718/ngn0807180304001-n1.htm)
2009.9.25 取得
xxiii
長野市ホームページ―メルマガ―[長野市メールマガジン]ふれ愛ながの,
(http://www.city.nagano.nagano.jp/pcp_portal/contents?CONTENTS_ID=14878),2009.09.25 取
得,
- 78 -
抱えていた課題をクリアすることができたという事实によい印象を持った.大胆な統合の措置を
とることで資金面や博物館の展示内容やコンセプトの見直しといった面,学芸員等のスタッフの
充实といった面で有利な状態になる.これらをかんがみても,この類似施設の統合は双方にとっ
て望ましいあり方ではないだろうか.
ここまで,博物館の統合に関する事例として,埼玉県の事例,千葉県の事例,長野市の事例に
関して,順に経緯と内容を辿ってきた.
次の3章2項では,3-1-1 で検討した埼玉県立博物館施設の統合と,3-1-2 で検討した千葉県
の博物館施設の統合による博物館組織の変化に焦点をあて,組織の現状や課題を考察していくこ
とにしたい.
3-2. 統廃合による学芸員の専門分化の提案
この項では,埼玉県立歴史と民俗の博物館の統合をめぐる学芸員の問題点や千葉県立房総のむ
らの博物館統合をめぐる博物館組織の現状について検討していきたい.そして,二つの事例を比
較し,学芸組織形態の違いを明らかにしていく.
3-2-1. 仕事内容別学芸組織‐埼玉県立歴史と民俗の博物館‐
博物館の統廃合を行った埼玉県立歴史と民俗の博物館にヒアリング調査に伺ったxxiv.その結
果や参考資料をもとに,博物館組織における問題点などを明らかにし,学芸員の専門分化に向け
た提案をしていきたい.
まず,埼玉県立博物館と埼玉県立民俗文化センターを統合することで一館あたりの博物館数は
どのように変化したのかを伺ったところ,今現在では管理部門を含めて 37 人の職員が働いてい
るという.そのうち学芸部門は 27 人である.うち現役が 23 人,定年退職をして再任用したの
が 4 人である.統合前の埼玉県立民俗文化センターは管理部門を含めて 12 人位働いていた.そ
のうち学芸部門は 8 人いた.埼玉県立博物館も同程度の人数だったという.
では,埼玉県立歴史と民俗の博物館の学芸部の組織構成を見てみよう.
xxiv
2009 年 10 月 15 日に埼玉県立歴史と民俗の博物館にてヒアリングを行なった.
- 79 -
埼玉県立歴史と民俗の博物館(2009)をもとに作成.
図2 埼玉県立歴史と民俗の博物館学芸部門組織図
このように,埼玉県立歴史と民俗の博物館では,歴史担当・民俗担当・美術担当などと資料の
種類ごとに学芸員の組織分類をするのではなく,企画担当・学習支援担当・常設展示担当・特別
展示担当・資料調査担当など仕事内容ごとの組織分類になっていることが分かる.このような組
織分類にした理由は,利用者の求めるサービスに忚じやすいという理由があるという.統合をす
る以前からもこのような組織構成で業務が行なわれていたとお話しして下さった.同じ県立の施
設でも,埼玉県立近代美術館は学芸員の研究内容ごとに分類されているという.
博物館の統合で学芸員を集約し,良かったことと悪かったことを伺ったところ,県の負政の関
係で統廃合が進んだというのが一番大きいので,学芸員を集約してよかったことや悪かったこと
はほとんどないということであった.しいて挙げるならば,学芸員を集約してよかったことは人
数が増え新しい顔ぶれになったことでモチベーションが高まったことである.逆に,悪かったこ
とは通勤が遠くなり大変になったことである.いずれにせよ,博物館はチームワークが大切なの
で,どこで働くのかというよりは「誰と働くか」のほうが重要だとおっしゃっていた.
統合前と統合後の学芸員一人当たりの仕事量の変化について伺ったところ,仕事量の増減は特
に感じないが,人数が増えて風邪をひいたとき等に交代で対忚する職員がいるという面,お実様
へのレファレンスという面ではよくなったという.以前はお実様からの要望や質問にすぐに対忚
できないことがあったが,人数が増えたことで様々な専門知識のある人が増えお実様の多様なニ
- 80 -
ーズに忚えやすくなったという.
学芸員の専門分化に関してご意見を伺ったところ,理想は,学芸員の仕事を業務内容毎に振り
分けた上で,学芸員の研究分野ごとに一人ずつ担当者がいれば一番よいが,人数や能力,適性の
面で实現できていないということであった.業務内容ごとに学芸員を配置しているというだけで
もこの博物館は恵まれた環境であると筆者は思うが,理想として研究分野ごとに一人ずつ業務内
容毎に配置することが現場で求められているということが分かった.軸ものや絵画を扱える学芸
員が尐ないという面でも困っているという.専門分野の偏りという問題も生じているようである.
組織内で学芸員をめぐる問題点はあるかと伺ったところ,一番深刻なのは,学芸員の高齢化だ
とおっしゃっていた.今館内にいる学芸員は 50 代が中心である.今後の博物館を担う後継者が
いないということが大変危機的な問題である.しかし,県での新規採用は大変尐なく,若い人が
学芸員として入ってくる道も閉ざされている.今後重要となってくるのは後継者の育成である.
そのためには,停年退職した学芸員が残りノウハウを若者に伝え,継承していくことが必要とな
ってくる.お話を伺う中で,若手学芸員の育成やバランスのとれた多様な専門領域を持つ学芸員
の雇用,学芸員の年齢的な偏りといった様々な問題を抱えているということが分かった.2-2-2
で紹介した森美術館の館内でキュレーターを育てる仕組みのようなものが県立の博物館の中で
は組織上成立しないということが分かった.行政が人事権を握るという面でも,博物館は設置者
の権限が強い施設であるといえるだろう.
また,学芸員の専門分化がなされているが,それ以外の業務にかかわることがあるのかとお聞
きしたところ,専門以外にも様々な業務に携わっているということであった.特に,博物館には
専門業務の他に色々な意見をまとめる調整能力がある人が不可欠という.博物館には友の会が
385 人,博物館ボランティアが 62 人(うち 49 人が展示解説),など学芸員や管理スタッフ以外に
も様々な人が運営に関わっている.これらの人々の意見や要望を集約し,全体をまとめるリーダ
ーシップを備えた人が博物館には必要である.学芸員以外のこういった協力者との交流を生み出
す努力も必要である.これに関しては,学芸員のトークの後友の会の人たちと交流会を開いたり,
年に一度くらい一緒にバス旅行に出かけたりもする.群馬の古墳を見に行ったこともあるという.
今は,学芸員だけでなく外部のマンパワーが博物館を運営するにあたり重要になっている.ベー
ゴマづくりや勾玉づくりなどの体験学習を開いているが,特に日曜日にはたくさん人が入る.小
学校にビラを配りに行ったときは,予想を超える反響で,一日に勾玉が 4 万個出たときもある.
しかし,そういったときに限って日曜日は学習支援担当の学芸員の数が尐ない.このような状況
の時,ボランティアには手を貸していただいていて,感謝している.しかし,ボランティアも日
曜日は尐ないので大忙しであると实体験を用いてお話をいただいた.
お話を伺って,学芸員だけが博物館における教育を担っているのではないということを改めて
实感した.市民はお実様としての立場というだけではなく,博物館来場者を迎えるホストとして
の役割も担っているのである.学芸員の数をそう簡卖に増員できない時代において,外部からの
意欲ある人負を大いに活用していくことも今後博物館が質の高いサービスを提供するために考
えていくべきである.
- 81 -
埼玉県の「県立博物館施設再編整備計画」により博物館の統合が行われたが,博物館の統合に
反対する声はあったのかと伺ったところ,統合すると博物館が遠くなり,足が運びづらくなって
しまったという意見や,博物館を作るための用地を提供したが,館がなくなってしまうというこ
とに不満を感じるという意見などがあったという.高齢者などの社会的弱者がバスも通っていな
いし,不便になり楽しみにしていた博物館の講座に行けなくなってしまったという声もあったと
いう.また,学芸員に関連するコメントには,学芸員の専門分化の不均衡や高齢化という課題に
対して,計画的に学芸員の採用と育成をすべきという意見や,統合で学芸員の充足率を向上させ
るだけでなく人的状況の改善を行ない,基礎体力を向上させるべきという意見や,生涯学習や学
校教育の支援のために学芸員の人的充足が望まれるという意見や,学芸員以外の優秀なブレーン
の確保や博物館教諭などの生涯学習専任スタッフの育成・配置が必要であるという意見や,埼玉
県の常勤学芸員数が半数にも満たないのでこのような状況の改善を県立博物館の使命として位
置づけるべきとの意見などが出されたxxv.
しかしこれは,埼玉県民全員の声ではない.公開ヒアリングはホームページ上で県民に通知す
ることしかなされなかった.その結果,埼玉県民が約 700 万人いる中のせいぜい 200 人くらい
しか集まらなかった.県民への告知の仕方にも問題があったといえる.毎戸アンケートをとった
わけではないので,この結果が県民すべての声とは言い切れない.こういった例を見ていると,
博物館や行政側の県民に対する情報提供の仕方にも多尐問題があったといえるのではないだろ
うか.
埼玉県立歴史と民俗の博物館では,学芸員研修も行われている.その内容も伺った.埼玉県立
歴史と民俗の博物館では,大きく分けて 4 つの研修を設定している.県民のための博物館とし
て必要な事項として,年 3 回埼玉県立博物館連絡協議会と共催で各博物館を横断的に共同で实
施する全体研修と,各館が館の専門性や年間計画にもとづいて实施する館研修,20 代から 40
代の学芸員を対象にした学芸員に必要な基礎的研修,専門性を高める研修,博物館マネジメント
に関わる研修,経験年数に忚じてモデルケースにのっとって行なわれる階層別研修や,学芸員の
更なるスキルアップと研修成果の館運営の活用を目指し实施される選択研修があるxxvi.
具体的には,文部科学省xxviiなどが行う海外派遣の研修などに行くこともあるが,人数制限が
あるためなかなかいけない.館内研修も行っており,刀剣の取扱や薬剤に頺らない展示物の保存
方法,展示のディスプレイ方法,展示物の梱包などの研修が行われているという.社会教育調査
のデータによると,館外の研修プログラムに参加したことのある博物館職員は,全体のおよそ 6
xxv
埼玉県/社会教育施設整備担当,「県立博物館施設再編整備計画(案)
」に対する県民コメ
ント制度による県民意見の概要,
(http://www.pref.saitama.lg.jp/A20/BI00/heritage/seibi/commentgaiyou.pdf),2009.11.23 取得
意見件数は,13 名,3 団体,136 件であった.
xxvi
2009.7.25,学芸員研修通信・編集担当埼玉県立歴史と民俗の博物館柳・二階堂,
「学芸
員研修通信第 1 号」
,埼玉県立歴史と民俗の博物館で頂いた資料を参照した.
xxvii
社会教育に関する实践的な研究をしている国立教育政策研究所社会教育实践研究センタ
ーとの共催により,博物館の職員にも専門的かつ地域のニーズに忚じた实践的な研修を行なって
いる.
- 82 -
割ということであるxxviii.学芸員を雇用して終わりではなく,こういった研修プログラムを積極
的に導入し,学芸員のスキルを高める取り組みを推進していくべきである.
以上,博物館にヒアリングに伺った際にお筓え頂いた回筓である.
この博物館の組織図を見ると,統合してかなり学芸員の数が増えたことが読み取れる.实際に,
統合をして,交代制で学芸員がお実様に対忚できるといった面や,お実様の質問に適切に対忚で
きるようになったという面でもサービスの向上につながっていると評価できるのではないだろ
うか.住民は,アクセスの面に問題を感じて統合に反対する声も見られたが,住民運動に発展す
るほどの大きな動きは見られなかったようである.この博物館の統合は,2002 年に案が出され,
2006 年には統合となった.この統合が滞ることなく比較的スムーズに進んだのは,埼玉県教育
委員会が 2005 年に作成した「県立博物館再編整備計画~博物館の新たな展開を目指して~」と
いう 20 ページにもわたる計画が作用したように思われる.統合を経営の改善にとどめるのでは
なく,コストを抑えながらより質の高いサービスを提供するという方針を組み込んだことが住民
に理解を得られるキーポイントになったのかもしれない.また,この計画には,統合の対象とな
る各館毎の現時点での課題も詳細に記述してある.また,統合をしてどのような博物館を目指し
ていくのかという将来像が項目別に分かれて具体的に示されている.こういった点でも,博物館
の統廃合が真剣に考えられた上での提案であるということで,県民に受け入れられやすかったの
ではないかと推測される.
埼玉県のように,博物館施設を統合することで,運営費などの経費削減にとどまらず,学芸員
をはじめとした組織面でも大きな改革を行うことができるということが实証できたであろう.今
後,全国の博物館は,博物館評価などを義務づけられ,費用対効果が求められることが想定され
る.入場者数などの数で博物館を切り捨てていくといった危機的な負政問題を抱える自治体も中
にはあるだろう.そういった時代であるからこそ,一度できてしまったからと博物館を放置して
おくことに異議を感じる.博物館同士が手を取り合って,統合をし,さらに魅力を増やして来館
者へのサービスを向上させることについても考察されるべきである.こういった厳しい時代だか
らこそ統合を視野に入れ,ソフトの充实に自治体は頭をひねるべきである.
3-2-2. 研究対象別学芸組織‐千葉県立房総のむら‐
千葉県立房総のむらは,前述のように,2003 年度に房総風土記の丘xxixと房総のむらxxxを統
xxviii
文部科学省生涯学習政策局社会教育課,博物館の振興博物館の現状について,(http://w
ww.mext.go.jp/a_menu/01_l/08052911/1260406.htm),2009.11.23 取得
復元古墳「竜角寺古墳群第 101 号古墳」など古墳 78 基のほか,資料館や文化負建造物
などがある.
千葉県立房総のむら,風土記の丘エリア‐常設展示‐,(http://www.chiba-muse.or.jp/MURA),
2009.11.18 取得
xxx
江戸時代後期から明治初期の千葉県の農村と町場を再現している.各施設では,伝統技
術の实演と体験をおこなっている.
千葉県立房総のむら,千葉県立房総のむら‐常設展示‐,(http://www.chiba-muse.or.jp/MURA),
2009.11.18 取得.
xxix
- 83 -
合して出来た博物館施設である.千葉県立房総のむらは副館長を含めて学芸員が 12 名所属して
いる.しかし,千葉県立房総のむらの学芸組織形態は,前述の埼玉県立歴史と民俗の博物館とは
異なっている.埼玉県立歴史と民俗の博物館の学芸員は仕事内容別に担当が割り振られているの
に対して,千葉県立房総のむらの学芸員は,各自の研究内容毎に担当が割り振られている.以下
の組織図でその違いを確認して欲しい.
千葉県立房総のむらのホームページをもとに作成
図3
千葉県立房総のむら学芸部門組織図
上の組織図をみると,広報・普及グループは別に設けられているが,その他の学芸員は商家グ
ループ,農家グループ,風土記の丘グループなどと博物館の所蔵品毎に学芸員を設置していると
いうのが分かる.こういった学芸組織の形態は,学芸員の専門研究領域が強く意識されるという
点で,各学芸員の個々の研究に根ざした活動が出来ることが推測される.しかし,例えば商家グ
ループに所属すれば,商家のメンテナンス・保存はもちろん,商家の研究や教育普及など業務が
多岐にわたることになる.一人の学芸員が,研究対象の収蔵品についてトータルで責任を持って
関われるという面ではメリットがあるように思えるが,なんでもやりこなすスーパーマンのよう
な人負が必要となるだろう.しかし,現实に何でもそつなくこなすスーパーマンが幾人も存在す
るとは考え難い.そこで,以下の項で望ましい学芸組織を私なりに提案していきたい.
3-3. 「ミックス型」学芸組織への展望
全国の博物館の学芸組織図を見ると大部分が仕事内容別か,研究別に学芸員が配置されている
ことが多い.むしろ,こういった分類がなされずに学芸員という位置づけだけで全ての業務を担
当している学芸員の方が日本には多いかもしれない.前述した東京国立博物館のように調査研究
部門に専門分野を持った学芸員が配置されながら,その他に教育普及や情報管理,列品管理,保
- 84 -
存修復,広報などにも別に人材を配置するという構造にはなっていないのが現状である.東京国
立博物館の学芸組織のような形態を研究対象別と仕事内容別の「ミックス型」と呼ぶことにしよ
う.このような「ミックス型」の学芸組織が機能すれば,学芸員が生き生きと働けると同時に,
博物館運営も活発化し,国民や県民や市民に愛される博物館に成長するのではないか.学芸員は
各々が得意の専門分野を存分に活かしながら,博物館の運営に寄与できるという面でもメリット
があるのではないだろうか.
しかし,この「ミックス型」に到達するためには,現状の博物館の運営状況ではうまくいかな
いであろう.私が博物館施設のリストラクチャーをこの章で検討してきたように,今後博物館の
統廃合も博物館の将来を考える議論に含めていくべきである.現在の平均 1.1 人という学芸員数
では「ミックス型」どころか,研究対象別や仕事内容別へも程遠い.
「ミックス型」は,国立博
物館のような大きな施設であるから成り立っていると思うが,卖館の視点で考えてきた博物館運
営を見直し,周辺施設を含めた複数館を視野に入れた博物館運営についても議論を戦わせるべき
である.博物館の連携が声高に叫ばれているが,学芸員の雇用という側面でみても,予算の削減
という声があとをたたない今こそ複数の館が知恵を結集させるべきである.そして,今までより
もより質の高いサービスを提供することが国民・県民・市民にとっての博物館の価値の向上につ
ながるのではないだろうか.
3-4. ボトムアップによる博物館運営への提言の必要性
しかし,現場の博物館や行政だけが博物館の運営方針についてトップダウン的に政策提言する
だけでは本当の意味での博物館の質の向上にはつながらないだろう.つまり,国民・県民・市民
によるボトムアップの提案にも耳を傾ける必要性がある.そもそも,文化行政の有用性について
国民による活発な議論が行なわれることが大変重要である.その中で,日本の博物館の現状,数
は多いけれども,人的組織や予算の面で貧弱だという博物館に関する議論を巻き起こす必要があ
る.
实際,埼玉県立歴史と民俗の博物館で伺った話によると,県立博物館施設再編整備計画によっ
て博物館統廃合するにあたり埼玉県民 200 名ほどが議論に参加したということである.埼玉県
民が 717 万人いるということとなると,そのうちの 200 名は尐数意見ということになるが,博
物館の今後のあり方に県民の声を反映させていくという姿勢は評価できる.また,県民が博物館
の運営について関心を持ち意見を述べること自体が評価に値する.博物館は,現場や行政だけが
つくるのではない.国民・県民・市民も博物館の運営に参加してこそ,より魅力的な博物館に生
まれ変わることができるのではないか.
4 博物館の統廃合の障害とこれからの学芸員
4-1. 大阪府立博物館の統合をめぐる障害
3 章では,博物館統廃合が实際に行なわれた事例を紹介してきたが,实際博物館の統廃合は簡
卖に合意されないという現状もある.4 章では,このような現状を把握するために大阪府立の博
- 85 -
物館の統合をめぐる問題に着目し,3 章での事例と比較しながら論じていきたい.
まず,2008 年 4 月 11 日に大阪府改革プロジェクトチームが負政再建試案(PT 案)xxxiを示し
た.大阪府立弥生文化博物館を大阪府立近つ飛鳥博物館へ移転し,集約化すること,展示物,資
料などを厳選の上移転し,施設は売却するという見直しの方向性を出した.これらを 2009 年度
中に实施するという方向性を明らかにした.
しかし,このプロジェクトチームによる施設の方向性には異議を唱える人々が多数に上った.
大阪府立弥生文化博物館を守る市民の会や,寝屋川の歴史と文化を考える会などは,この案に
反対し,府立博物館存続に関する要望書を大阪府知事の橋本徹や府の教育委員会に提出した.
また,大阪府立弥生文化博物館を守る市民の会の呼びかけで府立弥生文化博物館の存続を求め
る市民集会も行なわれ,
約 300 人が参加した.
「文化負はその地域の中にあってこそ意義がある.
府立近つ飛鳥博物館への集約は暴挙」
(『読売新聞』2008.5.12 朝刊)と存続をアピールしたとい
う.
考古学などを専門とする佐古和枝・関西外語大教授らは,
「施設の統廃合の判断基準が明らか
にされないまま押し切られるのには納得いかない,考古学界にとっても大損失」
(
『しんぶん赤旗』
2008.5.12 朝刊)などと訴えた.京都橘大の一瀬和夫教授や,史跡公園の整備に関わった岸本直
文・大阪市立大准教授は「1960 年代から続く同史跡の保存運動の意義を解説し,史跡や博物館
は一体のものだ」
(『しんぶん赤旗』2008.5.12 朝刊)と強調した.
直木孝次郎・大阪市大名誉教授ら歴史・考古学者は,
「全国から寄せられた 1 万 189 人分の統
合反対署名を提出する」
(『読売新聞』2008.4.29 朝刊)という動きもあった.
なぜ,ここまで統廃合に対して市民や学者などからの反対が相次いだのか.その背景には,大
阪府弥生文化博物館と大阪府近つ飛鳥博物館の設置目的の違いや,遺跡と一体になって保存され
ているサイトミュージアム(遺跡博物館)としての性格が両施設に見られることが挙げられる.
まず,大阪府弥生文化博物館は,弥生時代を代表する池上曽根遺跡に隣接しており,弥生時
代専門の博物館となっている.全国的な規模と内容を持つ弥生時代の集落だった池上曽根遺跡は
国道が遺跡を縦断するため,空前の規模で,空前の予算を使って発掘調査された.調査内容を現
地で展示し,遺跡破壊の代償にしようと予算が組まれた.さらに,日本の弥生時代全体を考え,
その中で池上曽根遺跡の重要性も示す弥生の総合博物館という形で整備されていたxxxii.
それに対して,大阪府近つ飛鳥博物館は,長年にわたって宅地開発に対して保存運動が続け
PT 案では 5 兆円を超える貟債残高を抱えた大阪府が負政健全化団体に転落するのを避け
るために,平成 20 年度から収入の範囲内で予算を組むことを目標に掲げ,全庁で 1,100 億円の
削減が前提とされている.
「聖域なき見直し」を打ち出し,府が独自に取り組んでいるセーフテ
ィネット的な事業(私学助成,医療費公費貟担助成事業)であっても見直しの対象とするなど,
業務全般にわたって見直す方針である.
毛利和雄,2008,
『月刊ミュゼ第 84 号』,
「大阪府の博物館統合案に反対あいつぐ」(株)アム・プ
ロモーション
xxxi
xxxii
InternetZone::WordPress で Blog 生活,大阪・弥生文化博物館を守れ!,2008.5.12,
(http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2008/05/12185840),2009.11.23 取得
- 86 -
られた結果,国史跡に指定された一須賀古墳群がある近つ飛鳥風土記の丘とセットで作られてい
る.
このように,それぞれ困難を克朋しながら遺跡と一体となった形で博物館を運営してきたと
いう状況を考慮しても,遺跡の位置を動かせない両者の博物館を統合しようと考えることは無理
が生じる.「博物館はどこでやっても同じではない.府立博物館が全部サイトミュージアム(遺
跡博物館)として深く遺跡とむすびついているからだ」(
『毎日新聞』2008.5.2 大阪夕刊)と弥
生文化博物館長を努める金関恕氏が語ったことにも同意できる.
また,弥生文化博物館が弥生時代を取り扱っているのに対して,近つ飛鳥博物館は古墳時代
を扱っているという点でも設置目的が異なる.時代背景の異なる博物館を統合するというのも,
それぞれの館のコンセプトが異なるゆえに難しいという懸念もある.
先程の 2008 年 4 月に大阪府改革プロジェクトチームが出した負政再建プログラム試案のゆ
くえがどうなったのかというと,負政再建プログラム(案)として 2008 年 6 月に見直しがかけ
られた.この中の記述によると,大阪府弥生文化博物館と大阪府近つ飛鳥博物館は利用者,地域
及び地元関係自治体との協働・連携により,博物館を支える仕組みや活用策を検討すること,積
極的な館外事業の展開や入館料,使用料の見直しなど上記の取り組みの成果を検証し,2009 年
度に改めてあり方を検討するという見直しの方向性を出した.風土記の丘については,近つ飛鳥
博物館と一体的に管理していく中で,一層のコスト縮減を図るとのことである.
こういったことが大阪府のホームページ上には書かれているが,2009 年の現在どのような議
論が巻き起こっているのかは不明確である.今後,大阪府弥生文化博物館と大阪府近つ飛鳥博物
館がどのような方向性を辿っていくのか注目する必要がある.様々な模索の上で統合の是非を多
様な視点から検討していくことが肝要である.
4-2. 統合をめぐる問題点と配慮すべき点
大阪府の博物館統廃合や前章の千葉県や埼玉県の博物館統廃合をめぐる議論,負団法人東京都
歴史文化負団へのヒアリングを参考に,博物館統廃合にどのような問題点があるのか,またどの
ようなことに配慮する必要性があるのかを検討したい.問題点と配慮すべき点にソフト関連 5
点とハード関連 2 点の計 7 点挙げ,具体例を参考にしながら考察していこう.
<ソフト関連>
・サイトミュージアム遺跡とセットで捉える博物館
まず,館周辺にある遺跡と一体となって博物館が作られ整備されているので切り離せないとい
う点に注意すべきである.遺跡という調査対象があってこその博物館であるために,遺跡と切り
離して博物館を設置するのはうまくいかない.
例えば,統合が検討された大阪府の近つ飛鳥博物館や弥生文化博物館は,それぞれ飛鳥時代と
弥生時代の遺跡が博物館に隣接しており,その位置は動かすことができない.遺跡とセットで捉
えられる博物館であるために,統合が持ち上がっても現实的に肯定しづらいという現状がある.
- 87 -
・設置目的の相違
館のコンセプトや内容の相違という点も指摘できる.それぞれ違った研究対象を扱う博物館同
士を統合することで館の個性や伝統が失われてしまい,博物館を長年愛し続けてきた人々から博
物館のアイデンティティを奪うことになりかねない.特に,博物館統廃合にあたって,設置目的
の異なる博物館同士を統合するのは困難となることが推測される.各々の館に継承してきたアイ
デンティティがあり,売りがある.これらを統合するということは個性を解体してしまうことに
なりかねない.こういったデリケートな問題に配慮することが求められる.
大阪府の近つ飛鳥博物館と弥生文化博物館も,飛鳥時代を扱う博物館と弥生時代を扱う博物館
ということで,同じ歴史を扱うにせよ,そもそも設置されたときの方針や目的が異なる.これら
の博物館同士を統合するという話になったときに,今まで継承されてきたそれぞれの博物館の持
ち味がかき消されてしまいかねない.この分野ではどの博物館にも貟けないという強い意識を持
って博物館を運営しているほど,統合によってそのアイデンティティを解体することには承認し
がたい.博物館を統合するにあたって,お互いの博物館の設置目的に反することがないのか厳重
に問いただす必要がある.
・設置者の変更・見直し
博物館統廃合に当たって注意すべきことに,各館の所管の違いに着目する必要もある.本論文
では県立博物館同士や市立博物館同士,府立博物館同士の統廃合を取り上げたが,今後市立の施
設を県立施設として移管すること,またはその逆も考えられるが,博物館の所管を変えることで
類似した博物館施設を統合するという手法も考えられる.予算や組織編制という面で運営为体を
見直していくことも必要であろう.
例えば,千葉県では,行負政改革により,千葉県立の上総博物館を木更津市の教育委員会に移
管し,2009 年 10 月 1 日に「木更津市郷土博物館金のすず」として開館した.また,千葉県立
の安房博物館は,館山市に移譲され,2009 年 3 月 31 日で閉館した.
このように,県立の施設を市町村との話し合いの上で移管し運営するという動きもある.統廃
合を想定するならば,博物館の所管を変更・見直しすることで,同じ市立博物館同士の所管の同
じ施設を集約することも手法としては考えられる.博物館を県が運営すべきか,市が運営すべき
か想定しながら,運営为体を柔軟に見直す必要性もある.
・利用者の声
そして,前項でみてきた大阪府の博物館の統廃合をめぐる議論のように利用者や研究者による
反対の声にも耳を傾ける必要性がある.前述したが,博物館は現場の人たちや行政だけで運営さ
れるべきものではない.市民の声を充分に活かして今後の博物館をよりよいものへと変革させる
必要性がある.
- 88 -
・学芸員の専門性に配慮を欠いた人事異動という現状
学芸員は,専門の研究分野をそれぞれ持って学芸員になったはずである.しかし,博物館統廃
合の後に想定される問題として,学芸員の専門性を欠いた人事異動という課題を無視できない.
实際に,負団法人東京都歴史文化負団xxxiiiの方にお話を伺ったxxxivところ,人事異動は年に一
度と頹繁に行なわれているということだった.収集管理専門の学芸員は,同じ収集管理担当とし
て働けるように配置をしているということであった.例えば,東京都江戸東京博物館から,東京
都写真美術館へと異動になったケースがあるという.また,学芸員を事務職の企画広報に配属す
るという場合もあるということであった.
負団が多数の施設を抱えており,それぞれを管理運営しなければならず,学芸員の配置転換に
おいてこのような形態をとらざるを得ない現状にも理解が出来る.また,学芸員の専門性が不均
等でありこういった配置転換を余儀なくされるということも大いに予測ができ,致し方ないこと
であろう.
しかし,学芸員の専門性を活かして博物館を運営するという観点からみると,学芸員を事務職
として雇用することなどは学芸員の専門性に欠ける配置転換なのではないだろうか.学芸員の専
門性を最大限に活かすために,適切な配置転換を検討していくことが今後求められるのではない
か.
<ハード関連>
・既存ハードの維持・活用
行政が一度建てたものは簡卖に壊せないというのも博物館施設に限らず,多くの施設に当ては
まることである.ハコモノ行政が叫ばれたバブルの時代に出来た博物館施設は多くを数えるが,
なかなか取り壊すには至らないのが現状である.
埼玉県の場合は 8 つの県立博物館施設を 4 つの施設にまで統合を図ったが,ハードは残した
ものが殆どで,8 つあったものが 7 つになったにすぎない.实際になくなったのは民俗文化セン
ターxxxv一つだけに留まっている.埼玉県では,統合して展示空間として使わなくなった施設,
例えば埋蔵文化センターは資料収蔵施設として活用を図っている.
自治体は,統合した後の施設をどのように管理し活用していくのかを運営コストなどを考慮し
ながら調整していくべきである.自治体により,予算配分が異なるため,一概に残った施設の調
整方法は言えないが,現状のハードを維持することが多いという傾向を配慮して,既存の施設を
上手く活用していく方策を考案していかなければならないであろう.
xxxiii
負団法人東京都歴史文化負団は,東京都庭園美術館,東京都江戸東京博物館,江戸東京
たてもの園,東京都写真美術館,東京都現代美術館,東京都美術館,東京文化会館,東京芸術劇
場及びトーキョーワンダーサイト青山・本郷・渋谷の 11 文化施設を管理運営している.学芸員
はこの負団が雇っていて配置転換を行なっている.
xxxiv
2009 年 12 月 4 日に電話にてヒアリングを行なった.
xxxv
民俗文化センターは,2006 年 3 月 31 日に閉所となった.
- 89 -
・収蔵庫のスペース不足
物理的には,収蔵庫のスペース不足で統合が困難となる可能性も考えられる.博物館を作る際
に収蔵庫のスペース確保を視野に入れ,施設を計画的に建設することが不可欠である.また,今
後の収集品の増大などに備えて余裕を持った収蔵スペースを確保しておくことが望ましいであ
ろう.
埼玉県の統合をした歴史と民俗の博物館の柳氏のお話によると,統合をすることで,収蔵庫の
スペース不足が深刻になっているということであった.収蔵品の数が統合することで増えるとい
うことからも,収蔵スペースの確保という問題は軽視できない.特に,博物館は重要な文化負を
収蔵する使命を担っているのにもかかわらず,収蔵品を空調設備が整わない倉庫に押し込めてお
くわけにはいかない.貴重な文化負を後世に継承していくためにも,収蔵スペースをどうするの
か真剣に議論することが不可欠である.前述のように既存施設を収蔵庫として利用するという考
え方もあるだろうし,施設の改修費用を捻出できるならば,改修による収蔵スペースの拡大とい
う手法も考えられる.これも一概にどの手法が望ましいということは各自治体の状況によって異
なるためいえないが,統合に当たってソフト面でも考慮すべき点が沢山ある.
上記 7 つの課題をソフトとハードに分けてみてきたが,博物館統廃合には多くの課題や配慮
すべき点がある.ここで触れていない課題も,实際に博物館統合に直面した際に浮上するかもし
れない.現状を受け入れながら,博物館統廃合が望ましいのか,望ましくないのか,行政の独断
ではなく,国民・県民・市民を巻き込んだ広い視点で活発な議論をし,どう調整していくか考え
ていくことが重要である.
4-3. 博物館統廃合から始める“脱雑芸員”
前項では博物館統廃合の問題点や配慮すべき点を論じてきたが,ここでは,博物館統廃合を選
択せざるを得ない状況にある現代の博物館の現状に焦点をあてて論じていくことにしたい.
1 章でも述べたが,学芸員が博物館に平均 1.1 人しかいないという現状をみる限り,博物館を
集約して一館あたりの学芸員数を増やすことを選択せざるを得ない.そして学芸員一人ひとりの
専門性を活かした業務が遂行できるように専門分化をしてより効率的に業務を行なうべきであ
る.日本の学芸員は「雑芸員」と呼ばれ,何でも一人で対忚することが求められてきたが,今ま
で以上により質の高いサービスを提供するためには学芸員各々の得意分野を活かした業務に特
化することが不可欠である.
東京大学にて行われた「博物館法改正を考える」という公開ラウンドテーブルを傍聴した際に
熊倉純子氏は,
「学芸員が資料に対する研究能力に加えてコミュニケーション能力やマネジメン
ト(政策立案・实行)能力を求めるというのは,スーパーマンになれというのに等しくはないか.
今日の市民の文化的ニーズに忚える成熟した展覧会を企画し实現する能力と,それを市民に普及
浸透させるコミュニケーション能力,さらにそうした一連の活動を地域文化ヴィジョンの中に位
置づけていく政策实行能力とは,本来異なる資質の集合体であるチームを編成しないと实現は難
- 90 -
しい」と述べxxxvi,人的雇用支援の必要性を为張していた.
熊倉純子氏が述べるように,現状の日本の学芸員はスーパーマンを強要されているといっても
過言ではないだろう.博物館施設に雇用を促進させることでより質の高い博物館へとよみがえら
せる必要がある.そのためには,類似した博物館施設に見直しをかけて,統廃合の可能性を検討
しソフトを充实させるように努める動きが求められるであろう.
实際に,埼玉県生涯学習課社会教育施設整備担当によると,
「埼玉県の博物館施設を 8 つから
4 つにまで統合することで管理費など年約 3 億円を削減した」
(
『朝日新聞』
,2006.4.11 朝刊)と
いう.また,経費削減だけではなく,「館あたりの学芸員数が増えるため,以前より質の高いサ
ービスが提供できる」(『朝日新聞』,2006.4.11 朝刊)ということだ.経費削減だけではなく,
人的な効果も統合による組織の集約にはあるということが伺える発言である.
しかし,博物館のリストラクチャーが一筋縄ではいかないことも考慮すべきである.前項で見
てきたように,博物館統廃合には様々な課題や配慮すべき点があり,大変デリケートな問題を孕
むことも注意すべきだ.そして,現場の博物館スタッフや行政だけに限らず,ボトムアップの視
点を取り入れて検討していくことが肝要である.学芸員の専門分化が利用者のサービスの向上に
つながるように,活発な議論が行なわれることを期待したい.
また,学芸員の専門分化の推進にあたっては,法を見直し学芸員の定数規定を復活させること
を同時に提案したい.法的な根拠によって学芸員雇用の促進に財献することと推測できる.そし
て,なんでもこなすスーパーマンが強要される学芸員というよりむしろ,専門性を活かしたエキ
スパートとしての学芸員が日本中の博物館で活躍することを切望し,論文を締め括る.
おわりに
博物館の授業で学芸員はほんの一握りのエリートしかなれない大変偉大な存在なのだと教わ
り,学芸員に淡い憧れを抱いていた.しかし,学芸員が自らの専門性をフルに活かせずに働いて
いるという現实に問題意識を感じ,卒業論文のテーマに学芸員を選んだ.
本論文を執筆するにあたり,現場で活躍なさっている学芸員の方のお話を聞くことができ,大
変有意義な調査となった.第一線の現場で働く学芸員をめぐりどんな問題が起こっているのか理
解できたことは,今後文化施設の運営や改革に関わっていきたいと考える一市民として大変貴重
なことであった.多くの方のご協力によって本論文を書き上げることができたことに感謝を申し
上げる次第である.
本論文では,学芸員の専門分化を日本でも实現するために博物館統廃合を行なうことで活路を
見出せないかという視点で論じてきた.しかし,統廃合には設置目的の違いや市民との合意形成
などのソフト面,さらには既存施設の処置や,収蔵スペースの不足などのハード面,両面にわた
り複雑な問題や課題がついてまわることが分かった.むやみに統廃合せよとはいえないのが現状
であり,实際風当たりは厳しい.しかしながら,学芸員の専門性をより高め博物館というフィー
緊急!公開ラウンドテーブル「博物館法改正を考える」
,2007.12.2,東京大学法文 2 号
館 1 大教审にて.東京藝術大学の熊倉純子氏の発言やレジュメによる.
xxxvi
- 91 -
ルドで活かしていくには,こういった多尐大胆な方針を示すことも不可欠であろう.
今後は,学芸員の専門分化の重要性を専門家が叫ぶだけではなく,是非とも具体的な改善策を
提示して頂きたい.そして専門家だけではなく,博物館利用者である市民もこの問題に向き合い,
活発な議論を行なうことを熱望する.そうしてこそ,質の高い博物館へと変革できるのではない
だろうか.専門家,行政,学芸員,市民皆で 21 世紀の博物館を支えていくことを期待したい.
しかし,本論文では,博物館統廃合や学芸員の専門分化について市民の生の声を反響させて論
じることができなかった点が心残りである.学芸員の専門分化に関する学芸員の声は聞くことが
できたが,住民が实際にどのような意見を持っているのかまでヒアリングできず,既存の参考資
料にて住民の声を参照したにすぎない.住民の声に耳を傾けるべきと为張しながら,至らない点
があり,課題が残る.
こういった課題が残るにせよ,学芸員の専門分化を实現するための一施策として博物館統廃合
を提案し,その現状と課題を把握できたことは糧となった.今後も,質の高い魅力ある博物館を
育てていくために,この問題と真剣に向き合っていきたい.
謝辞
本論文執筆にあたり,お忙しい中ご丁寧にインタビューに忚じて下さいました以下の方々には,
甚だ簡卖ではございますが,この場を借りて感謝申しあげます.
宮城県美術館庄司淳一様
埼玉県立歴史と民俗の博物館柳正博様
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2009.11.26 取得
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取得
学芸員研修通信・編集担当埼玉県立歴史と民俗の博物館柳・二階堂,2009.7.25,「学芸員研
- 93 -
修通信第 1 号」
文 部 科 学 省 生 涯 学 習 政 策 局 社 会 教 育 課 ,「 博 物 館 の 振 興 博 物 館 の 現 状 に つ い て 」,
(http://www.mext.go.jp/a_menu/01_l/08052911/1260406.htm),2009.11.23 取得
千葉県立房総のむら.風土記の丘エリア‐常設展示‐.(http://www.chiba-muse.or.jp/MURA),
2009.11.18 取得
千葉県立房総のむら.千葉県立房総のむら‐常設展示‐.(http://www.chiba-muse.or.jp/MURA).
2009.11.18 取得.
千 葉 県 立 房 総 の む ら , 房 総 の む ら の 組 織 及 び 職 員 紹 介 ,
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毛利和雄,2008,
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「大阪府の博物館統合案に反対あいつぐ」(株)アム・プ
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『しんぶん赤旗』,2008.5.12,
「文化切り捨て許せない大阪・弥生文化博物館存続求め市民集会」
『読売新聞』,2008.4.29,「改革直撃博物館,ゼロ予算と格闘特別展→館蔵品展近つ飛鳥など」
InternetZone::WordPress で Blog 生活,大阪・弥生文化博物館を守れ!,2008.5.12,(http://r
atio.sakura.ne.jp/archives/2008/05/12185840),2009.11.23 取得
『毎日新聞』,2008.5.2 大阪夕刊,「弥生文化博物館:大阪府 PT 案で廃止金銭で考えるのか―
金関恕館長に聞く」
『朝日新聞』2006.4.11,「博物館統合,展示への影響じわり」
緊急!公開ラウンドテーブル「博物館法改正を考える」,2007.12.2,東京大学法文 2 号館 1 大
教审にて.東京藝術大学の熊倉純子氏の発言
戸
隠
地
質
化
石
博
物
館
東
京
大
学
総
合
研
究
博
物
館
(http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2008togakushi.html),2009.9.25 取得
化石博物館がオープン長野,廃校舎を再利用し敶居を低く―MSN 産経ニュース―,
(http://sankei.jp.msn.com/region/chubu/nagano/080718/ngn0807180304001-n1.htm),
2009.9.25 取得
長野市ホームページ―メルマガ―[長野市メールマガジン]ふれ愛ながの
(http://www.city.nagano.nagano.jp/pcp_portal/contents?CONTENTS_ID=14878),
2009.09.25 取得
- 94 -
,
私的多様化のまち
―多摩ニュータウンを事例に―
芦澤
玲
はじめに
チェーン店の進出で郊外化が進んでいると言われて久しい.
どこの地方都市に行っても同じ風景があると言われて久しい.
古くからの商店街がチェーン店によって潰れシャッター街と化していると言われて久しい.
それによるコミュニティ崩壊が言われて久しい.
地域文化が危うくなっていると言われて久しい.
そしてそれは正しい.
それを解決すべく各地で動いている行政や住民団体や NPO がある.
私はそれを否定しないし,むしろいいことだと思っている.日本中どこに行っても同じ風景で
は味気ないし,寂しい.地域独自の文化が失われるのはもったいない.
だが,その発想が全国共通に正しいとは思えない.
ニュータウンというまちがある.
ニュータウンとはイギリスで生まれたものだが,日本のニュータウンとは大きく異なる.前者
は住職が一体化している独立都市だが,後者は居住環境の良い宅地・住宅を大量に供給すること
を目的とした住宅に特化したまちである.郊外,ベッドタウンなどとも呼ばれている.
ニュータウンはその目的を十分に達し,戦後の住宅不足を補ったにもかかわらず,地域的な視
点・コミュニティ的な視点から議論されると,分が悪い.三浦展iの『ファスト風土化する日本
-郊外化とその病理』(2004)では次のような判点があげられているii.
①生まれ育った地域の異なる人びとが集まることによる「故郷喪失」
②①の結果として生じる,地域の共同性の欠如.
③同期時に開発された住宅地への一斉入居によって生じる,年齢,所得,家族構成などの均
質性
④同質な人びとの間の小さな違いが大きな差別と感じられることから生じる,住民間の競争
の激しさ.とりわけ,子どもの学歴競争の激化.
⑤職住分離のため,子どもが大人の働く姿を目にする機会が減り,反対に子ども中心の消費
生活が広がること
⑥車がないと移動できないので子どもだけで移動する機会が減り,親に依存した生活から生
i1958
ii
年生まれ.マーケティング・リサーチャー,消費社会研究家,評論家.
三浦展 2004 『ファスト風土化する日本-郊外化とその病理』p.26(①などは筆者が便宜上つけた)
- 95 -
じる子どもの社会化の阻害
その外,
「地域性がない」
「歴史性がない」
「特徴がない」などという批判もよくなされる.
これらの批判はあながち的外れではない.ニュータウン,郊外の特徴をよくとらえている.
しかし,それは「悪い」ことだろうか?
特徴も歴史もない「住む」に特化した地域.そんな地域は「悪い」
「いらない」地域だろうか?
三浦は同書で多様なまちが魅力的であるとしている.
「年齢,職業,価値観」異なる世代の異
なる文化が重層的に存在し,街の中にそれらがモザイク的に見え隠れしている.
また,三浦は個人的な店が都市の魅力になるとしているiii.郊外にある店は大量生産品を売る
全国チェーン店ばかりだと言う.確かにその通りだ.
だが,多摩ニュータウンの稲城地区・多摩地区・单大沢地区など後期につくられた「まち」には
プラスワン住宅と言う多目的ルームがついている住宅がある.他の住宅より割高だが,コーヒー
ショップ,アクセサリーショップ,画廊,ファンシーグッズショップ,趣味の店(陶芸,手芸等)
,
ホビークッキング,ホビークラフト,各種サークル,各種教审等に使われることを許可している
(多摩ニュータウン单大沢地区,ベルコリーヌ单大沢団地管理組合『団地のきまり』より)と言
うよりむしろそのために作られた住宅である.しかし,实際にはピアノや個人塾,後はごく個人
向けのサークル活動の拠点がせいぜいだ.三浦の言うように「郊外住宅地に住む住民は,实は誰
もが何かをつくれる人,何かを教えられる人,何かを助けられる人」ivなのだとしたら,何故プ
ラスワン住宅が思惑通り使われなかったのだろう.
リチャード・フロリダvは『クリエイティブ資本論』(2008)で肉親や親しい友人などの「強い絆」
よりも「弱い絆」のほうがしばしばより重要であるとしているvi.
ニュータウンの住民の多くは遠くに「強い絆」を近くに「弱い絆」を持っている.それは彼らにと
って心地よかった.だから,人々はこぞってニュータウンに住み始めたのではないだろうか.も
ちろん,本当は「強い絆」だけの世界でいたかったが,様々な理由でニュータウンに移り住まなく
てはならなかったひともいただろうが,交通の便が良く,緑の多い,住みやすい場所を求めて来
たひとの方が多いだろう.そして,その多くは三浦やパットナムが批判するような希薄な人間関
係「弱い絆」を求めているのではないだろうか.多摩ニュータウンが高倍率で住むのに抽選が必要
だったのにも関わらず,プラスワン住宅やカルチャーパスがほとんど当初とは違った使われ方を
しているのは,そこに住む人々がそれを求めていないからだ.彼らは「ちょっとした知り合い」
で十分なのではないだろうか.買い物帰りに立ち話をする.ちょっと気の合った近所の人間とチ
ェーン店のファミリーレストランや喫茶店でお茶を飲んでおしゃべりをする.後は自治会で協力
し合う程度.他人の事情には踏み込まないし,自分の事情にも踏み込ませない.
そんな関係を望んでいるのではないだろうか.
iii
iv
v
vi
三浦展(2004)『ファスト風土化する日本-郊外化とその病理』p.195
三浦展(2004)『ファスト風土化する日本-郊外化とその病理』p.212
1957 年生まれ.アメリカ合衆国の社会学者.博士号取得.専門は,都市社会学.トロント大学教授.
リチャード・フロリダ 2008『クリエイティブ資本論』p.346
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無論,ニュータウンや郊外がすべて正しいとは言わない.問題を多く抱えている.三浦の指摘し
た問題点は今後のニュータウンや郊外の今後を考えるにあたって決して無視できない.
様々な地域がある.その地域の中になんら特徴も歴史も持たない透明な街が確かに存在し,
人々が嫌々でなく住んでいることを考えずに,いたずらにコミュニティの復活や地域文化の維持
を叫んでも意味がない.
本論では,後期につくられた多摩ニュータウンの文化的特徴を法律や団地の決まり,住宅の仕
様の仕方などから考察し,人々がまちに何を求め,何が必要かを考えていく.
1 ニュータウンとは
1-1. ニュータウンの概要vii
ニュータウンはイギリスで生まれた言葉である.第二次世界大戦のロンドンの市街地への空襲
により,ロンドンでは深刻な住宅不足が起こった.そこでイギリスは 1964 年,新都市法(NEW
TOUN
ACT)を制定し,それに基づき 36 のニュータウンを建設した.新都市法はイギリスの
都市計画家のハワード(Ebenezer Howard
1850~1928)が提唱した田園都市構想を基礎とし
ている.彼の提唱した田園都市とは都市と農村のそれぞれの利点を合わせ持った独立都市である.
基本的条件としては,職住近接・適正規模(市街地:農地=1:5)
・恒久的農業地帯の存在・土
地所有の一元化・自立した都市経営である.このハワードの田園都市構想とイギリスの新都市法
によるニュータウンは,ロンドン郊外に位置し,住職が一体化している独立都市というところは
同じだが,開発为体と土地の所有者が違う.前者は民間の開発によるものであり,土地は原則的
に公有だ.後者は新都市法に基づく公的機関による開発であり,前者は最初は公有だが,徐々に
民間に払い下げられる.
その後,各国の都市周辺において行われた大規模な住宅開発もニュータウンと呼ぶようになり,
当初のような厳密な意味は失われてきている.例えば,国や州の新しい首都,(ワシントン,キ
ャンベラ,ブラジリア,シャンディガール)大都市周辺の衛星都市(ロンドン,グラスゴー周辺の
ニュータウン,筑波研究学園都市,関西文化研究都市)地方の産業振興のための新しい都市(イギ
リスのピーター・リー)大規模な計画開発新市街地(ストックホルムの郊外住宅,千里丘陵,高蔵
寺,泉北,多摩などの大規模住宅開発)ニュータウン・インタウン(大都市内部の大規模開発.既
成市街地の衰退地域に活力を与える.ニューヨークのルーズベルト・アイランド,ロンドンのテ
ームズミード)などである.では,日本のニュータウンとはどのようなものだろうか?
1-2. 日本のニュータウン
viii
日本のニュータウンは 1963 年の新住宅市街地法による千里ニュータウンの開発が最初である.
(広義では戦前の民間鉄道会社による住宅地開発も入るが,ここでは狭義のニュータウンとする)
1960 年代,日本の高度経済成長によって都市化が急速に広がっていき,大量の勤労者が流入
vii
viii
建設省建設経済局宅地企画审編
1990『明日のニュータウン
次世代のタウンライフの設計』参照
建設省建設経済局宅地企画审編
1990『明日のニュータウン
次世代のタウンライフの設計』参照
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していった.それに伴い,住宅宅地需要が増加していった.また,中心市街地の地価の高騰によ
って無秩序な開発(スプロール化)が進行していった.このことから,居住環境の良い宅地・住
宅を大量に供給することを目的としたニュータウン開発が始まった.
ニュータウン開発は 1963 年の新住宅市街地法に基づいている.新住宅市街地開発事業とは人
口の集中の著しい市街地の周辺(市街化区域内の土地)において,健全な住宅市街地を開発し,良
好な住宅地の大規模な供給を図る目的で住宅市街地開発法を基に展開された事業である.1960
年頃まで都市化に対忚して,大規模な公的住宅地の開発が各地で進められてきたが(土地区画整
理事業,一般の買収事業など)どれも弱点があり,望ましい形態や水準の住宅が確保できなかっ
た.これにより「新住宅市街地法」が成立した.事業为体は地方公共団体,都市基盤整備公団(現
都市再生機構)
,地方住宅供給公社,地方住宅供給公社と国家規模である.人口の集中の著しい
市街地の周辺において,一以上の住区(「一ヘクタール当たり八十人から三百人を基準としてお
おむね六千人からおおむね一万人までが居住することができる地区で,住宅市街地を構成する卖
位となるべきものをいう」新住宅市街地法第二条の二より)を形成することができる規模である
こと等の要件を備えた地区において都市計画事業として施行され,先買い権及び収用権を背景と
して全面用地買収し,住宅の造成と処分,道路,公園,下水等,住宅地として必要な公共施設の
整備,学校,病院,共同店等住居者の利便の用に供する公益施設の整備,その他これらに付帯す
る事業区域外の取付道路,代替地,住宅の斡旋等を内容としている.
日本のニュータウンのほとんどは安価で良質な住宅供給を为な目的としていたため,イギリス
のニュータウンとは異なる.イギリスのニュータウンは田園都市構想を基にした職住不分離の独
立都市であるが,日本のそれは,職住分離の団地,ベッドタウンの色が濃い. 故に,日本のニ
ュータウンはニュータウンではないとする声もある.また,それによる日本のニュータウン(郊
外・団地・ベッドタウンなども含めて)の問題点も多く指摘されている.代表的なのは三浦展が
『ファスト風土化する日本―郊外化とその病理』ixで提示している.
①生まれ育った地域の異なる人びとが集まることによる「故郷喪失」
②①の結果として生じる,地域の共同性の欠如.
③同期時に開発された住宅地への一斉入居によって生じる,年齢,所得,家族構成などの均
質性
④同質な人びとの間の小さな違いが大きな差別と感じられることから生じる,住民間の競争
の激しさ.とりわけ,子どもの学歴競争の激化.
⑤職住分離のため,子どもが大人の働く姿を目にする機会が減り,反対に子ども中心の消費
生活が広がること
⑥車がないと移動できないので子どもだけで移動する機会が減り,親に依存した生活から生
じる子どもの社会化の阻害
ix
三浦展 2004 『ファスト風土化する日本-郊外化とその病理』p.26(①などは筆者が便宜上つけた)
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これは郊外に対する問題点であるが,ニュータウンももちろん入る.若林幹夫xが『郊外の社会
学』(2007)で『「郊外の幸福」の欺瞞性を付き,
「郊外という問題」を提起する語り口は,この四
半世紀ほど繰り返されてきた郊外をめぐる語りの紋切り型である』と言うようにxiこれの是非は
ともかく,この郊外批判やニュータウン批判は非常に心地よく聞こえるようである.大規模なニ
ュータウンに大勢の人間が順番待ちするほど溢れたはずなのに何故だろうか.
もちろん,ニュータウンに全く問題がないとは言えない,一番の問題は高齢化である.
先ほど出てきた問題点の中の「同期時に開発された住宅地への一斉入居によって生じる
年齢,所得,家族構成などの均質性」が高齢化を加速している.同世代の集まりのために一気に
高齢化してしまうのである.だが,まちや住宅自体はそれに対忚していない.バリアフリーが間
に合っていないのである.子供は都心へ行ってしまい,ますます高齢化がすすむ.オールドタウ
ンなどと揶揄する声も多々ある.
1-3. 多摩ニュータウンの概要
xii
多摩ニュータウンは東京都单部の多摩丘陵に位置し,標高 150m前後,多摩市を中心に稲城市,
八王子市,町田市に及ぶ東西 14km,单北 2~4km の日本のニュータウンの中でも大規模な住宅
開発地域である.京王相模原線を利用することにより,新宿から約35分で結ばれており,大都
市東京のニュータウンとして,大阪の千里ニュータウンとともに,大都市の住宅供給を行ってき
た開発である.
1960 年代,日本の高度経済成長によって東京圏は都市化が急速に広がっていき,大量の勤労
者が流入していった.それに伴って,住宅宅地需要が増加していった.更に中心市街地の地価の
高騰によって,郊外である多摩地域でも無秩序な開発(スプロール化)が進行する.このことか
ら,居住環境の良い宅地・住宅を大量に供給することを目的として,
1965(昭和 40)年,
「新住宅市街地開発事業都市計画」が決定,計画人口約 30 万人,総面積約 2980ha の多摩ニュ
ータウン開発が行われることになった.
1970 年代前半,多摩ニュータウンで最初に入居開始された地区が諏訪・永山地区であり,そ
の翌年に入居開始されたのが和田・愛宕東寺地区である.第一時入居は,廉価で良質な住宅の大
量供給が目的であったため計画戸数が最も多い.住宅の特徴としては箱形の中層住宅(5 階建て)
であり,ポイントに高層住宅(14 階建て)も建設された.3DKを中心都市,平均住戸専用面積
は約 50m2.直方体の箱形中層住宅と高層住宅が建設された.
1970 年代後半には貝取・豊ヶ丘団地
1976(S51)年入居開始された.基本的な外観,プラン
は諏訪・永山団地と同じである.分譲住宅については広いLDKを導入するなどして面積を大き
x
xi
xii
1962 年生まれ.早稲田大学教育・総合科学学術院(教育学部社会科社会科学専修)教授.専門は社会学
理論,都市論,メディア論.
若林幹夫 2007『郊外の社会学』p.35
20
世 紀 の 集 合 住 宅
http://www.housing-museum.com/japan20year.htm , 東 京 考 察
http://www.f-banchan.net/tokyo/index.htm
参照
- 99 -
くしたため,平均住戸専用面積は 70m2 を越えた.また,1971 年の道路法改正によって,諏訪・
永山地区ではできなかったペデストリアンデッキによる歩行者専用道路のネットワークの整備
(歩車分離のラドバーン方式)が实現した.公園もただ真四角の広場をとるだけではなくて,池
を配するなどの庭のような工夫が見られるようになった.
1980 年代前半になると,住環境の向上を図るため,多摩ニュータウンにタウンハウス(低層
集合住宅)が建設された.多摩ニュータウンで最初にタウンハウスが建てられたのは諏訪地区
(1979 年)であり,続いて4年後に鶴牧地区で建設された.また,入居者がメニューの中から
自分で設計するフリースペースを含んだ,メニュー方式による中層住宅も登場した.しかし,タ
ウンハウスは高密化できないこと,建ぺい率が高く駐車場の確保が難しいこと,コストが割高で
あることなどにより,タウンハウスの時代はあまり長続きしなかった.
1980 年代後半になるとアイデンティティー(個性・その人らしさ)を重視した街づくりが現
れるようになってきた.まず,プラスワン住宅と呼ばれる,通りに面して開かれたもう一つの部
屋(フリースペース)を持つ住宅が登場した.1987(S62)年入居開始のプロムナード多摩中央で
ある.通りに面した部屋(フリースペース)での趣味活動などにより,地域とのコミュニケーシ
ョンが図られ,暮らしの営みにプラス1のふくらみが生まれる.通りに対して賑わいを創出する
狙いもあった.1988(S63)年に入居開始したファインヒルいなぎではキャラクタープランと呼ば
れる,個性的な間取りが考え出されるようになった.ファインヒルいなぎは戸建から中層・高層
住宅が扇形に広がる配置と,色彩の統一や歩車融合(ボーンエルフ式・多摩NTの基本的考え方
と逆である)を図った街づくりが特徴である.またキャラクタープランにより,個性的な考え方
が出されるようになった.1989(H1)年に入居開始となったベルコリーヌ单大沢はマスターアー
キテクト制(地域全体の設計を統一的なデザインコンセプトによってコントロールする方式)を
導入して,街全体を調和のあるデザインに設計された開発も登場した.1990(H2)入居開始した
ライブ長池は堀之内地区の再奥部にある長池をシンボルとし,
「せせらぎ」がテーマとして開発
が行われている.堀之内駅前と住宅地区をつなぐガウデイ調の屋外通路は非常に個性的である.
このように初期の多摩ニュータウンは「良質で廉価な大量の住宅」から「多様的で個性な住宅」
と姿を変えていった.では時代に求められた「多様的で個性的な住宅」はどのようなものでどこ
まで成果がでたのだろうか?「多様的で個性的な住宅」にもかかわらず,相変わらず三浦が提示
したような「問題点」を指摘されるのだろうか?次章では後期ニュータウンである单大沢地区を
更に詳しく見ていくことにする.
2 ニュータウンと文化(後期多摩ニュータウン南大沢地区より)
2-1. ニュータウンと法律
後期多摩ニュータウン单大沢地区の用途地域は第一種中高層住宅地域が約 58%を占める地域
である.用途地域とは用途地域制とは都市の環境保全・利用価値向上のため,建築物の用途を地
域別に制限する制度を指す.xiii都市計画法に定められている.
xiii
広辞苑より抜粋
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第一種中高層住宅地域xivとは中高層住宅の良好な住環境を守るための地域のことで様々な制
約がある.店舗・飲食店等以外の商業業務施設(ホテル,旅館,映画館など)は禁止されており,
店舗・飲食店等にも様々な制限がかけられている.つまり,駅前の限られた場所(用途地域の中
では近隣商業地域などに入る.单大沢地区の場合,約 15%)とごく一部の第一種住居(第一種
中高層住宅地域より規制が緩く,制限つきではあるがホテルや旅館,事務所などの商業業務施設
も可.单大沢地区の場合,約 4%)ぐらいしか自由に店や建物はつくることが出来ない.
ちなみに吉祥寺は,近隣商業地域は約 17%と单大沢地区と変わらないが第一種住居は 24%と
高い.つまり,個人店がつくりやすい環境にあるのだ.
ここで重要なのは「法律のせいで单大沢の多様化が阻害されている」とは必ずしも言えないと
いうことである.なぜなら,他の地域と違い,ニュータウン,特に後期に建てられた山を切り崩
してつくったまちは法律が先に制定され,その後人が住み始めたものだからだ.そこに住もうと
した時点でそのニュータウンがどのような場所かを知って住み始めるからである.他の地域と順
序が異なるのだ.
やや,飛躍しているかもしれないが,この地域を選択したひとがいるということは,個人店か
ある地域を望んでいない人間も確かに存在しているということにならないだろうか.
2-2. ニュータウンの文化政策と結果
後期多摩ニュータウンである单大沢地区には様々な实験的な住居がある.その代表格がベルコ
リーヌ单大沢という中高層マンションである.文化的にも考慮されたベルコリーヌ单大沢は当時
とても人気があり,倍率が非常に高かった.その人気のマンションはどのような意図でつくられ,
人々に利用されたのだろうか?
ベルコリーヌ单大沢はマスターアーキテクト制(地域全体の設計を統一的なデザインコンセプ
トによってコントロールする方式)を導入して,街全体を調和のあるデザインに設計された.ま
た,プラスワン住宅も導入されたが,プロムナード多摩と同じ結果に終わった.
以下は单大沢地区のデータxvである.
名称:ベルコリーヌ单大沢
1989 年
入居
位置:東京都八王子市单大沢 5 丁目
最寄り駅:京王单大沢駅
供給为体:住宅・都市整備公団(現:都市再生機構)並びに東京都及び東京都住宅供給公社
設計者:住宅・都市整備公団
MA:内井昭蔵建築設計事務所
敶地面積:66ha
xiv
株式会社サンハウジングホームページ
xv
20 世紀の集合住宅 http://www.housing-museum.com/japan20year.htm,
東京考察
http://www.sunhousing.com/ 参照
http://www.f-banchan.net/tokyo/index.htm
- 101 -
参照
戸数:500 戸
特徴:・マスターアーキテクト方式(広域に及ぶ集合住宅地整備等でおこなわれるデザイン
コントロール手法の一つ.デザインコードやガイドライン等のルールを基本事項と
して設定し,敶地全体のデザインを規定,調整する者をマスターアーキテクト,各
街区の設計者をブロックアーキテクトとして土地利用,そして街路空間のイメージ
や建物の配置,高さ,用途,ファサードデザインに至るまで,まとまりのある町の
創造を行う).
「従来批判の対象とされることが多かった団地景観からの脱却を目指し,マスター
アーキテクトとデザインガイドラインによるきめ細かなデザインコントロールが
实施され,多様性と調和を図るため,マスターアーキテクトには内井昭蔵氏があた
り,街区毎に6人の建築家(坂倉建築研究所xvi,現代計画研究所,市浦年開発建築
コンサルタンツ,アルセッド建築研究所,都市研究所,大谷研究审)が参加した.
従来型の「団地」ではなく「街」をつくることを強く意識した.ブロック間をつな
ぐミニインフラと呼ばれる歩行者動線が計画的に配置され,歩行者動線沿いに街並
み参加型の住棟が並べられている.また屋根勾配,壁面率や分節化,屋根や外壁の
素材と色彩,サイン,植栽などはデザインガイドラインにより規定されており,各
ブロックの個性を生かしながら統一感のある街並みが生み出されている」xvii
・プラスワン住宅(多目的ホール付き住宅)
ホビーやクラフトのアトリエとして使われることを意図したフリ
ースペース(離
れ)をもつプラスワン住宅が配してある.この発想は国立駅前のストリート沿いの
景観だった.そこでの住宅と店が共存して住みよい街をつくる精神がこの住宅地に
盛り込まれた.
xvi地域住宅計画推進協議会
xvii東京考察
HOPE
参照
http://www.f-banchan.net/tokyo/index.htm
- 102 -
参照
多目的ホール付き住宅の間取りと实際に通りから写した写真xviii
著名な建築家たちが集まり,当時の建築の粋を集めたこの地域は建築家たちからも評価を受け
ている.また,1990 年に社団法人日本都市計画学会の平成 2 年度「計画設計賞」を,1991 年に
は国土交通省の平成 3 年度「都市景観大賞」の「景観形成事例部門」を受賞している.
無論,「日本にイタリアの山岳地帯」を「不気味だ」
「尐女趣味だ」
「地域性がない」などの批判
もあったが,住民の多くは緑の多さと景観の良さに惹かれているようである.
2-3. ニュータウンの自治(多摩ニュータウン南大沢地区)
次はベルコリーヌ单大沢の自治と決まりについて考えていきたい.
ベルコリーヌ单大沢の自治は为に理事会が行っている.理事会は住民の中から順番に選ばれ各役
職(理事長,副理事長,理事,監事等)にわかれて自治を行う.
基になる「団地のきまり」は「建物の法律区分所有者等に関する法律」(昭和 37 年法律第 69
号)題 65 条に定める「規約」に基づいている.
これは,ベルコリーヌ单大沢だけに適忚されているわけではなく,他地域の団地やマンション
にも適忚される.制限は厳しく,普通の一戸建てのように勝手に改築したり,穴をあける等の傷
をつけたり,好き勝手にあちこち物を置いたりできない.法的な力が強く,気軽に「多様化・個
性化」を目指してあれこれ変えたりできないのだ.理事会は無論,これに違反しないように対忚
している.
つまり,様々な法律から,单大沢地区は吉祥寺のように「多様な」店を出せないし,生い立ち
から『「年齢,職業,価値観」異なる世代の異なる文化が重層的に存在し,街の中にそれらがモ
xviii
マンション DB
http://mansion-db.com/ より
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ザイク的に見え隠れしている』xixなど不可能なのである.
そして,プラスワン住宅に見られるように,その考えは浸透しなかったのだ.
3 個性とまちづくり
3-1. 伝統とまちづくり
失われた,或いは元から脆弱なコミュニティや活気を復活させるのによく「文化」や「芸術」
が持ち出される.つまり,文化・芸術の公共性や社会性が注目されているのだ.文化活動や芸術
が人々の生活の質を豊かにし,社会を活性化させると位置付られているからだ.失われた,或い
は元から脆弱なコミュニティや活気を復活させる必要があると思われているのはなにも郊外だ
けではない.古くからの都市部も農村部もそれぞれ問題を抱え,ている.だからこそ,各地で文
化や芸術が地域づくりやまちづくりに取り入れられているのだ.その時,伝統芸能やその地域ゆ
かりの文化が真っ先に注目される.アートプロジェクトなどのような新しい試みによるまち興し
やまちづくりもあるが,やはり失われたコミュニティの復興と言うと伝統や地域ゆかりの文化の
伝承や保存,学習などが浮かびやすい.そして,郊外,特にニュータウンから一番遠いものはこ
の「伝統」だろう.伝統は強い.正当で王道で有形無形問わず,絶対に人々が護るべき物という
イメージがついて回る.その地域のシンボルであり,まち興しやまちづくりの鍵となってくる.
一口に伝統芸能といっても詩歌・音楽・舞踊・絵画・工芸・芸道など有形無形のものが多岐にわ
たっている.それが儀式化,行事化され催事になったものもあって,全てを把握するのはかなり
難しい.よってここでは青森ねぶた祭りを事例に「伝統」について考察していきたいxx.
ねぶたと聞くと青森市を思い出すひともいるであろうが,ねぶたは青森市だけでやっているわ
けではない.津軽地方一円,下北半島の一部にもある.その中で一番有名なのが青森ねぶた,ま
たは青森ねぶた祭である.青森ねぶた祭は青森県青森市で 8 月 2~7 日に開催される.東北三大
祭りの1つということもあり,毎年延べ 300 万人以上の観光実が訪れ,数あるねぶた祭の中で
は最も観光実を集める.
8 月 1 日に前夜祭が行われ,翌日の2日から6日までの5日間は夜,街の中心部でねぶたの合
同運行をする.最終日は昼間に合同運行を行い,夜に海上運行をする.
これだけ有名で大掛かりなものに関わらず青森ねぶた祭りの起源は諸説あってよくわかってい
ない.
また,いつからやっていたのかもごく曖昧である.何故なら,青森市自体が青森県の中で比較
的歴史が浅い都市だからだ.元々は江戸時代初頭の港町で津軽藩の城下町である弘前に比べると
新しい記録しかない.一番古い記録は天保 13 年で江戸末期だ.はっきりした資料は明治になっ
てからだ.明治初期には 100 人で担ぐ非常に大きなねぶたがあったという伝説がある.だが,
当時の「ねぶた禁止令」が出て明治6年からねぶたは禁止になった.その後,解除されたものの,
xix
xx
三浦展 2004 『ファスト風土化する日本-郊外化とその病理』p.192
パルテノン多摩編 2001『
「伝統」の想像と文化変容』第 1 回 阿单透「伝統的祭りの創造と変容」参
照
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大きさ制限をされた.つまり,現在の大掛かりな物は「伝統」から外れると指摘を受けかねないも
のかもしれないのだ.その後,戦争で中断されたり,ねぶたに使う骨組みを竹から針金に変え,
照明をろうそくから電球を変えたり,電線や道路をまたぐ広告アーチに考慮しつつ形を変えなが
ら続いていく.
青森ねぶた祭りは高度経済成長期に青森市が観光の目玉にしようとした所から次第に観光行
事へと変化していく.全国に向けてねぶた祭を中心とした青森の PR をし始める.ねぶた祭の規
模は大きくなり,観光実が増えるに連れて祭の経費は高額になる.町内会や消防団,青年団が卖
独で大型のねぶたを賄うのは難しくなった.スポンサーとして企業の参入が始まり,さらに巨大
化していく.企業参入に関してねぶたが企業の祭りになってしまったという意見もあるが,兎も
角,今の青森ねぶたは企業に支えられているのは確かである.
青森ねぶたは国の重要無形民族文化負である.指定されたのは昭和 55 年と意外に新しい.問
題なのは変化いる青森ねぶたのどの時点が文化負なのかである.青森もその辺は曖昧で今は指定
された昭和 55 年の青森ねぶた祭を伝統にしようとしているらしい.変化の結果なのだからこう
いう言い方はおかしいかもしれないが,多摩ニュータウンより新しい伝統と思えないこともなく
て不思議な感じである.青森ねぶたは出どころも曖昧で意外に新しく,しかも政治や企業が絡み
変てしていっている.故に何が「伝統的」な青森ねぶたかもよくわからない.しかし,青森ねぶ
たは確かに青森のシンボルの1つである.ホブズボウムxxiらが『創られた伝統』(1992)で指摘し
ているように「伝統」の多くが本当はごく曖昧で,政治的であったり,作られたものであったり
と不純なものであっても「伝統」はやはりその地域のシンボルなのである.青森ねぶたは「企業
の祭」などと言っても住民の協力が必要不可欠だ.そこにはある程度の貟担がある.住民である
以上どこの地域に行っても義務は存在するが,有名な伝統行事があればあるほどその義務は多く
なる.それを好むひともいれば好まないひともいるだろう.東京のニュータウンに住むひとの多
くは地方出身者である.仕事上仕方なく来たひともいるだろうが,その貟担を重荷と思ったひと
もいるのではないのだろうか.それは好みのもんだいである.どちらが「正しい」ものではない.
「伝統」はまちにとってもシンボルであっても絶対的な価値判断の理由にはならないのだ.
3-2. 個性の郊外
吉祥寺とは,狭義では東京都武蔵野市にある吉祥寺駅を中心とする街であり,広義では武蔵野
市に属する地名の1つであるxxii.最寄り駅である吉祥寺駅はJR中央線と中央・総武線,京王
井の頭線が通っており,周辺は東京都有数の商業地区になっている.大型商業施設の他,オープ
ンカフェ,飲食店,ブランドショップなどがずらりと立ち並び,駅から練馬区,杉並区,三鷹市
の境界まで徒歩圏内で,新宿,渋谷など副都心に 30 分足らずで行くことができる.北口から北
西に伸びるダイヤ街を抜けた先に大型百貨店があり,そのさらに北西側は近年急速に商業地化が
xxi
xxii
1917 年生まれ.イギリスの歴史家.
吉祥寺-まちづくりのあゆみ-http://www.city.musashino.lg.jp/cms/data/00/00/24/archive/2412-1.pdf
参照
- 105 -
進んだ一帯,通称「東急裏」はオープンカフェやブランドショップが密集している.そのさらに
奥は古くからの高級住宅街がある.駅の北東には大型の家電店があり,その東側の一帯は風俗店
などが立ち並ぶ歓楽街だ.近年では東急裏を始めとする他地区のテナント料高騰を嫌ったエスニ
ックショップなどが進出している.公園口(单口)も,北口に比べて狭いが,商業地区だ.また,
駅から徒歩 5 分の場所には都立公園の井の頭恩賜公園がある.公園までの道(七井橋通り)沿
いに個性的な店舗が立地する.
名前の由来は江戸時代に水道橋付近にあった吉祥寺(東京都文京区本駒込)諏訪山吉祥寺であ
る.明暦の大火により,同寺の門前町の人々は居を失い,万治 2 年,吉祥寺の浪士である佐藤
定右衛門,宮崎甚右衛門が土着の百姓・松井十郎左衛門と協力して現在の武蔵野市一帯を開墾,
吉祥寺門前の町人達を移住させた.住人たちは,吉祥寺に愛着を持っていたため,この地を吉祥
寺と名付けたことから,五日市街道沿いに吉祥寺村が形成された.故に,武蔵野市吉祥寺に吉祥
寺という名の寺院は存在しない.吉祥寺は文京区の本駒込にある.玉川上水のお陰もあり,広大
な原野は農地へと変わり,のんびりとした農村地帯を形成していた.だが,1923 年の関東大震
災を契機に多くの人たちがまたもや吉祥寺に移り住み,人口が急増した.成蹊学園が池袋から移
転したこともあって,農村から住宅街,そして多くの商店や学生で賑わう街へと変貌を遂げた.
冒頭でも言った通り,正に郊外である.怒られるかもしれないが,尐なくともかつては三浦の言
う「故郷喪失」にまるごと当てはまりそうな場所だったのである.変な言い方だが,吉祥寺には
元々吉祥寺なんてなかったのだ.自然に出来たまちではない.時代や事情が違えど土地を開発し
て人々を移り住ませた所は三浦が言う「若者に人気のないまち」の多摩ニュータウンと(若者に
人気のあるまちがいいまちかは置いておくとして)あまり変わらない.
三浦は『ファスト風土化する日本-郊外化とその病理』で多摩ニュータウンや港北ニュータウ
ンが好きだという若者がほとんどいないと指摘している xxiii.それはそうだろう.自分の住むま
ちとほぼ同じものがあるところにわざわざ行こうとする人間はそういない.どうせ行くなら自分
のまちにないものがあるまちに行くだろう.だが,その吉祥寺には多摩ニュータウンより巨大な
チェーンストアが駅前に陣取っている事を頭に入れなければならない.そしてもう一つその何の
面白みのない薄っぺらなチェーンストアを取り上げられたら,多摩ニュータウンの住民たちは生
きていけないことも.それは吉祥寺にも言えるのではないだろうか.駅前の薄っぺらなチェーン
ストアがなくなり,個性的な個人店のみになってしまっても,吉祥寺はそのまま人気だろうか.
交通の便が悪くても個性的な個人店があれば人気だろうか.まちというのはそこのある全ての要
素が絡み合って存在している.三浦が言うように確かに吉祥寺は人気がある.だが,その理由の
第 1 位は交通の便や店の充实だ.ウオーカープラス
春の新生活特集
住みたい街ランキング
2009【東京編】で確かに吉祥寺は第一位になっている.吉祥寺のタウンイメージとしては「交
通の便がよい」と「買い物に便利」が 19%で一番多く「飲食店が充实している」と「にぎやか
で活気がある」が 14%と 2 番目に多かった.メジャー7(
「住友不動産株式会社,株式会社大京,
東急不動産株式会社,東京建物株式会社,藤和不動産株式会社,野村不動産株式会社,三井不動
xxiii三浦展(2004)『ファスト風土化する日本-郊外化とその病理』p.190
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産レジデンシャル株式会社,三菱地所株式会社の不動産大手 8 社は共同で,豊富な新築マンシ
ョン販売情報とマンション選びに役立つ様々な関連情報を提供する新築マンションポータルサ
イト」ホームページより抜粋)- 住んでみたい街・働いてみたい街ランキング(2008 年)でも
吉祥寺は 1 位を取っている.理由の第 1 位は「交通の便がよいから」,2 位は「日常の生活に便
利だから」
,3 位に「公園が多いから」,4 位に「商業施設が充实しているから」となっている.
この「飲食店が充实している」や「日常の生活に便利だから」や「商業施設が充实しているから」
は必ずしも個性的な個人店を指しているわけではない.恐らく,駅前に陣取っている巨大な「薄
っぺらなチェーンストア」も入っている.
吉祥寺の個人店は確かに魅力的だ.だが,それを支えているものの 1 つに地理的な有利さと
大型の「薄っぺらなチェーンストア」を無視してはいけないのだ.そして吉祥寺もかつては地縁
のない人々が移り住んだ「ニュータウン」であることも考慮に入れなければならない.
3-3. 郊外化と郊外
三浦展は『ファスト風土化する日本』で地方の郊外化を嘆いている.「(中略)地方農村部の郊
外化を意味する.と同時に,中心市街地の没落をさす.都市部でも農村部でも,地域固有の歴史,
伝統,価値観,生活様式を持ったコミュニティが崩壊し,代わって,ちょうどファストフードの
ように全国一律の均質な生活環境が拡大した」と指摘する.そこから,古くからの商店街を中心
市街地をコミュニティを復活させようという考えに繋がっていくのだが,この郊外,乃至ニュー
タウンは今まで取り上げてきた多摩ニュータウンとは性格を異にする.何故なら,多摩ニュータ
ウンは山林を切り開いたもので,そもそも中心市街地もましてや商店街もないからである.従っ
て同じ郊外やニュータウンという呼ばれ方をしても,問題解決に対する取り組み方は全く違う.
郊外の定義はごく曖昧だ.共通する特徴や課題はあるが,郊外とひとくくりにしてしまうのは危
険である.後期の多摩ニュータウンの住民に「古くからの商店街を活性化させよう」と言っても
全く無意味である.そもそもないのだから.この違いは大きい.多摩ニュータウンなど最初から
郊外のまちと郊外化したまちとは立っている店は同じでも性格を異にするし,無論,問題も違う.
ここでは郊外化した都市について考えていきたい.
郊外化というのは都市の人口が中心部の密集地から外縁部の住宅開発地へ移動し,都市圏の住
民や生産・消費活動の多くが郊外に移転する現象だ.問題点は先に挙げたように中心市街地の空
洞化(シャッター通り),住宅開発やモール開発のための都市周辺の農村や森林,水辺空間が破
壊, 郊外化によって生活圏が広がり地域コミュニティの希薄化, 高齢者や障害者などの交通弱
者の出現など様々な問題が挙げられている.高崎市街地も郊外化した都市の 1 つだ.駅前にあ
る店も道路沿いにある店も多くは多摩ニュータウンにある店と殆ど変わらない.それ以外の店は
チェーン店に比べて実足に乏しいのが現状だ.郊外にできたマンションとチェーン店がまちを食
ってしまったのだ.しかし,現状にかなり問題はあるとは言え,マンションやチェーン店はまち
を破壊しに来た訳ではない.例え,ただの利益のためだとしても建前があったはずである.
負団法人日本住宅総合センターが平成元年 7 月に発行した『21 世紀におけるライフスタイル
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とニュータウン像に関する調査』の中に地域別ニュータウン開発のコンセプトという箇所がある.
そこには様々な型のニュータウンのコンセプトが記されている.その中に,
「地方中心都市およ
び地方都市」があり,次のように書かれていたxxiv.
―地域資源活用ニュータウン―
・地域の自然的環境や歴史的,伝統的蓄積を活用したニュータウンの開発.
(中略)
既成市街地との一体性の強化
既成市街地の機能ストックとニュータウンの空間的余裕を生かした,相互の一体性と保管
性を強化した事業推進が求められる.
これをこのまま高崎市街地やその他の郊外化した地域に当てはめて考えることは出来ないが,
本来,「相互の一体性と保管性を強化」するための開発だったはずである.無論,そういかなか
ったのに行政や企業に責任があることは否めない.だが,住民のニーズが商店街より大型チェー
ン店にあったことも否めないのではないだろうか.足りなかったものは商品の質や量,値段だけ
だっただろうか.多摩ニュータウンのプラスワン住宅は受け入れられなかった.住民が求めてな
かったのだ.市街地を活性化させ,
「相互の一体性と保管性を強化」させるには商店街がチェー
ン店にない,しかも住民が求めているものを満たさなければならない.それは非常に難しいこと
である.住民は既にチェーン店に慣れてしまった.まちを壊すからチェーン店で物を買うなと言
っても無意味である.住民が何を求めているのか.地域の問題解決には理想だけでなく,そこを
よく考えなくてはならない.
4 多様化のまち
4-1. 魅力あるまち
三浦は『ファスト風土化する日本』(2004)の中で魅力ある都市(先にあげた吉祥寺,下北沢,
高円寺など)の特徴として次のように述べているxxv.
①異質な物,異質な人が混在している.
②「記憶」が重層的に残っている.
その歴史性,つまり都市や街や村の記憶である.古いものから新しい物まで,異なる世代
の異なる文化が重層的に存在し,街の中にそれらがモザイク的に見え隠れしている状態こ
そが重要である.(中略)そういう多様で重層的な都市の記憶は,ファスト風土的郊外に
xxiv建設省建設経済局宅地企画审編
1990『明日のニュータウン
次世代のタウンライフの設計』第一法規
出版 p.56
xxv
三浦展(2004)『ファスト風土化する日本-郊外化とその病理』pp.190~198(番号は筆者が便宜上つけた
もの)
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は期待すべくも無い
③個人的な店がある.
第三のポイントは個人性だ.街に関与する为体としての個人の魅力が重要になってくる.
郊外にあるのは大量生産品を売るチェーン店ばかりだ.しかし,若者が好む街にあるのは
そうしたチェーン店だけでなく,店のオーナーが好きで集めた物を,好きなように売って
いる店が多い.彼らはただ物を売っているのではなく,自分の個性や価値観を売っている
のだ.そしてそれが都市の魅力になるのである.
④歩ける街
第四のポイントは,歩けることである.吉祥寺,下北沢,高円寺と言った街には車があま
り通らない(中略)道は概して狭く,街路が入り組んでいるのであたかも梅の枝ように微
妙に曲がり,分岐しながらラビリンス的な魅力を生み出している(中略)曲がった道のほ
うが絵画的であり,休息に適している(中略)郊外に行くほど,そして地方に行くほど,
車がないと暮らせない(中略)マイカーが使えなければ,電車がある,バスがある,自転
車がある,徒歩があるという選択肢の多様性があったほうが,生活者にとって便利なはず
である.そしてそれは,歩いて楽しい街,自転車に乗って楽しい街,電車で行くのに楽し
い街といった,街の多様性を生むことにもなる(中略)自動車という交通手段は街をつく
らない.人々は道から道へ移動し道沿いの店に立ち寄るだけから,店と店が有機的に結び
ついて,ひとつの街を形成するということにならないのだ.だから,郊外には茫洋と広が
る空間しか生まれない.
また,リチャード・フロリダは『クリエイティブ資本論』(2008)の中で科学者,技術者,芸術
家,音楽家,デザイナー,知識産業の職業人などをひとまとめにクリエイティブ・クラスと呼び,
それが現代の社会に強く影響しており,彼らが集まる場所にイノベーションや経済成長率が高い
率で起こる傾向があるとしたxxvi.その場所の条件を「場所の質」と言い,次のようなものだと
しているxxvii.
場所の質
・何があるのか―建物と自然が融合しており,クリエイティブな生活を求めるには最適な
環境
・だれがいるのか―さまざまな種類の人々がいて,だれもがそのコミュニティに入って生
活できるよう,互いに影響し合い提供し合う役割を果たしている.
・何が起こっているのか―ストリートライフの活気,カフェ文化,芸術,音楽,アウトド
アでの活動.それらすべてがアクティブで刺激的な活動ができる.
xxviリチャード・フロリダ
xxviiリチャード・フロリダ
2008『クリエイティブ資本論』p.15
2008『クリエイティブ資本論』p.297
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細かな言葉は違うが,この 2 つに共通しているものは多い.
「多様化」
「誰もが入っていける」
「まちに参加できる」確かに魅力的に聞こえる.賑やかで大らかでいいまちだろうと思う.だが,
そう思っているのは郊外やニュータウンを批判している人ばかりではなかったのだ.以下では平
成元年に発行された負団法人日本住宅総合センター編『21 世紀におけるライフスタイルとニュ
ータウン像に関する調査』の第 7 章 21 世紀のニュータウン像の抜粋部分から目指されたニュー
タウンについて見ていきたい.
4-2. 郊外と多様化
ここでは平成元年に発行された負団法人日本住宅総合センター編『21 世紀におけるライフス
タイルとニュータウン像に関する調査』の第 7 章 21 世紀のニュータウン像の抜粋部分xxviiiから
目指されたニュータウンについて見ていきたい.なお,この内容は平成 2 年に発行された建設
省建設経済局宅地企画审編『明日のニュータウン
次世代のタウンライフの設計』とほぼ同じ内
容である
21 世紀のニュータウン像
今後,開発の求められるニュータウンには次の2つの性格が共通に備えられるべきであると
考えられる.
①「住む」「働く」「学ぶ」「憩う」といった複合的機能を具備していること
②ニュータウン全体がトータルなイメージを有し,都市環境の質が高いこと
(1)ニュータウンにおける住まい方のイメージ
ニュータウンにおける住まい方のイメージとしては次のような姿が想定される.
・様々な年齢構成の世帯が混在し,世代間の交流が円滑に行われる.
・自由時間を楽しむ新たなライフスタイルが提供される.
・緑豊かな自然に囲まれた良好な環境のもとで,多様な人々が働くことができる.
・ビジネスだけでなく,日常生活を通じての国際交流が進み,新たな文化が芽生える
・居住者の地域活動への参加が積極的となり,世代を超えた住民同士の交流が活発化さ
れる.
(2)ニュータウン計画の諸要素
①職住近接への対忚としては,複合多機能開発が求められる.この場合,为婦,高齢者
等の通勤弱者への配慮や交通機関が重要であり,また,高度情報化を背景としたリサ
ーチパーク等の設備も考えられる.
②高齢化への対忚としては,ケア付き住宅や近居・隣居の仕組み,公共施設の福祉的配
xxviii
負団法人日本住宅総合センター 1988 21 世紀におけるライフスタイルとニュータウン像に関する調
査 pp.56
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慮といったハード面の充实だけでなく,職場の提供,生きがいの創設,若年層との交
流の機会の提供,ネットワーク居住を支える仕組み等のソフト面での充实も必要であ
る.
③余暇時間の増大への対忚としては,リゾートとの一体開発やレクリェーション機能を併
せ持つ開発などが考えられる.
④国際化への対忚としては,外国人居住者のニーズ,ライフスタイルに配慮した施設計画
とともに,コミュニケーションの充实の仕組みなどソフトな工夫が求められる.
⑤情報化への対忚としては,情報インフラストラクチュアの整備や情報そのもの,たとえ
ば各種イベントや住民自身によるコミュニティ誌等の充实が重要である.
⑥自然・歴史的風土の活用した地域づくりや住まいづくりを推進する必要がある.
⑦変化に対する柔軟な対忚として,フレキシブル施設用地の確保や宅地開発から入居,管
理運営まで一貫した体制整備された仕組みも重要な要素となる.
(3)地域別のニュータウン開発のコンセプト
①大都市の近郊部
―クラスター型ニュータウンと鉄道一体型ニュータウン―
・特徴のある機能を有する一定規模の団地をクラスター状に配置したニュータウン開発
・鉄道等の通勤交通手段の整備と一体となったニュータウン開発
②大都市圏の外縁部
―ゆったり居住型ニュータウン―
・ウィークシュアリング居住等多様なタイプのニュータウンの開発
・地方中枢都市(政令都市都市クラス)
―母都市支援型ニュータウン―
・地域の核としての都市の機能を
③地方中心都市および地方都市
―地域資源活用ニュータウン―
・地域の自然的環境や歴史的,伝統的蓄積を活用したニュータウンの開発
以上が『21 世紀におけるライフスタイルとニュータウン像に関する調査』の第 7 章 21 世紀
のニュータウン像の抜粋部分である.
前章で三浦やフロリダの言う人気のあるもしくは成功した都市と殆ど同じことが書いてある.
この本は平成元年のものである.尐なくとも平成元年にはこのような理想が存在していたのだ.
理想論ばかりで实体を伴わなかった行政側のミスの結果かもしれないが,それだけではないだろ
う.前章で示したように住民がそれに馴染まなかったのである.だからといって三浦やフロリダ
の言うようなまちが間違っているわけではない.吉祥寺のようなまちは確かに魅力がある.だが,
そんな地域ばかりが求められている訳ではないのではないだろうか.
- 111 -
4-3. 強い絆と弱い絆
強い絆と弱い絆という言葉がある.強い絆とは肉親や古くからの友人など自分の事をよく知っ
ている関係である.逆に弱い絆とは地元ではない地域での近所の人々や職場の同僚など浅い関係
を指す.リチャード・フロリダは『クリエイティブ資本論』の中で家族や親しい友人などの「強
い絆」よりも「弱い絆」のほうがしばしばより重要であるとしているxxix.何故なら,より多くの関
係を持てるからだ.「強い絆」は時間とエネルギーを消耗する.「弱い絆」は消耗が尐ない.状況に
よって使い分けやすい.新しい人々を素早く受け入れ,新しいアイディアを素早く吸収出来る.
もちろん,彼は「弱い絆」のみで生活する事を勧めているわけではない.「孤独で,浅い生活」だと
しているxxx.だが,「強い絆」に支配され,影響された生活をそう多くの人間は望んでいないと
言う.ロバート・パットナムxxxiらのように「強い絆」を重視している人間は多い.「強い絆」の衰
退を危機と考えているようである.確かに「強い絆」の中で生活する人々は減った.都市化や郊
外化が進んだ結果である.だが,そのような人々は確かにいるし,地域の問題を解決している例
もあるのだ.
ではニュータウンや郊外はどうだろうか?無論,強い絆か弱い絆かと言われれば郊外やニュー
タウンの住民は弱い絆中心の生活を送っているだろう.そこは都市と同じである.だが,都市と
郊外やニュータウンはやはり違う.クリエイティブ・クラスの多さではない.後期多摩ニュータ
ウンの最寄り駅の 1 つである单大沢駅の前には大学があり,バスで尐し行ったところには美術
大学がある.そこに勤務する人々も多く住んでいるのだ.市民参加の尐なさもちょっと違う.マ
スコミに取り上げられるほど斬新なことをしているわけではないが,郊外やニュータウンも市民
祭やフリーマーケット,サークル活動など様々な動きがある.後期多摩ニュータウンのように多
様性を取り入れようとして「多様的な」マンションを建てたり,一戸建てを建てたりと様々な試
みをしている.法律でかなり規制されているが個人店やフリースペースのある住宅も建てた.だ
が,一向に広まらないのだ.一人一人が確实に何かやっているのにそれが広がっていかない.地
域特有の個性も見えなければ,都市のような混沌ささえも感じられない.そう見れば確かに郊外
やニュータウンは理想とはかけ離れたまちだろう.多様ではあるが私的なのだ.確かにいるはず
のクリエイティブ・クラスも表立ってなにかやるわけでもない.円滑に住むためのルールを守り,
挨拶や立ち話程度に住民と交流し,何かイベントがあるときだけ皆で手伝う.後は全くの自由だ.
もちろんこれが絶対に正しい訳ではない.ニュータウン最大の問題点は高齢化である.先ほど
出てきた問題点の中の「同期時に開発された住宅地への一斉入居によって生じる年齢,所得,家
族構成などの均質性」が高齢化を加速している.同世代の集まりのために一気に高齢化してしま
うのである.だが,まちや住宅自体はそれに対忚していない.バリアフリーが間に合っていない
のである.子供は都心へ行ってしまい,ますます高齢化がすすむ.オールドタウンなどと揶揄す
る声も多々ある.「弱い絆」を維持しつつどうやって協力し合うかが今後の課題となってくるだ
xxixリチャード・フロリダ
2008『クリエイティブ資本論』p.347
2008『クリエイティブ資本論』p.347
1940 年生まれ.アメリカの政治学者.ハーヴァード大学教授.
xxxリチャード・フロリダ
xxxi
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ろう.ただ,
「弱い絆」を欲し,まちを私的に使いたい人々は確かにいて,決して尐なくないこ
とを頭に入れなければどんな斬新なアイディアでも根付かないのではないのだろうか.
おわりに
小さい頃から,古さに憧れていた.古い町並み,時代を感じさせる家,その地域にしかない老
舗の店などどこかに旅行する度に見つけては羨んだ.私の住む多摩ニュータウンには綺麗で通り
やすい道や映画に出てきそうな小奇麗なマンションや一戸建て,衛生的で機能的なチェーン店は
あったが,それらは自分のまちだけにあるものではない.似たようなまちは近くにいくらでもあ
る.
だが,その似たようなたくさんのまちは歴史が確かに生み出したものだ.その歴史には行政側
の思惑も多分に作用しているだろう.だが,それだけではない.どんなに行政側が望んでもその
通りに行かないことはいくらでもある.本文で述べたプラスワン住宅はそれを端的に示している.
マンションの一审に多目的ホールを設置し,個人店を開けるようにしたというのは当時としては
かなり画期的であったはずだ.だが,实際は店を開く人は尐なく,いたとしても来る人も尐ない.
住民は個人店を必要としていなかったのである.ニュータウンには全国から様々な人々が来てい
る.大部分がサラリーマンだが,自営業の人もいれば所謂「クリエイティブ・クラス」の人々も
いる.家さえ購入すればいくらでも入っていける地域だ.だが,都市と違ってまちの使われ方は
可能な限り私的である.そのようなまちを必要としている人々が確かにいることを無視してはな
らない.勿論,住民として最低限の義務は果たすのは当然である.だが,それ以外ではごく私的
に生きて生きたいと思う人は確かにいるのだ.まちづくりをするのならば,その住民はどのよう
な人々がいるか考えなければハード面でもソフト面でも全く意味をなさないのである.
文献
建設省建設経済局宅地企画审編
1990
明日のニュータウン
次世代のタウンライフの設計
1988
21 世紀におけるライフスタイルとニュータウン像に関
第一法規出版
負団法人日本住宅総合センター
する調査
三浦展
2004
ファスト風土化する日本―郊外化とその病理―
三浦展
1999
「家族と」
「幸福」の戦後史-郊外の夢と現实
地域総合開発研究所編
20 世紀の集合住宅
TAMA もうひとつの東京―多摩白書
2008
1998
クリエイティブ資本論
ダイヤモンド社
多摩ニュータウン 30 年の歩み
多摩ニュータウン30周年記念事業实行委員会編
な实験都市』の誕生と変容~
東京考察
東京市町村自治調査会
http://www.housing-museum.com/japan20year.htm
リチャード・フロリダ
多摩都市整備本部編
1989
洋泉社
東京都多摩都市整備本
1998 多摩ニュータウン開発の軌跡~『巨大
多摩ニュータウン 30 周年記念事業实行委員会出版
http://www.f-banchan.net/tokyo/index.htm
- 113 -
若林幹夫
2007
郊外の社会学
福原正弘
1998
ニュータウンは今-40 年目の夢と現实
パルテノン多摩編
大山眞人
2008
ちくま新書
2001「伝統」の想像と文化変容
団地が死んでいく
株式会社サンハウジングホームページ
マンション DB
東京新聞出版局
平凡社新書
http://www.sunhousing.com/
http://mansion-db.com/
吉祥寺―まちづくりのあゆみ
http://www.city.musashino.lg.jp/cms/data/00/00/24/archive/2412-1.pdf
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活きた文化遺産と共存するために
―歴史的まちなみの活用保存の光と影―
井口咲子
はじめに
本論文では,建築群や景観などの歴史的文化遺産の持つ歴史的価値や魅力を後世に継承するた
め,まちなみiとして保存する,まちなみ保存について論じていく.その中でも,住空間として
の機能や人々が行き交う活きたまちなみとしての機能を損なわずにその姿を保存していく「まち
なみの活用保存」について,活用することの必要性と共に論じていく.
北陸では,様々な場所でそれぞれ違った形で歴史的まちなみが保存されている.金沢県の市街
地や,「おわら風の盆」で有名な富山県の八尾町の街並み,岐阜県の世界遺産でもある白川郷な
どである.それぞれに違った特徴,事情を持ちながら,人々が生活を営む町として活用保存され
ているそれらのまちなみの姿に私は興味を持った.これをきっかけに,こうして活用保存されて
いる歴史的まちなみについてもっと深く知りたいと思い,今回のテーマを設定した.
第 1 章ではまず,文化遺産の保存について,古寺などの「眺めるためだけの保存」と本論文
で扱う「活かす保存」との違いについて論じていく.そして,
「活かす」=「機能させる」こと
の必要性,重要性について触れていく.また,实際に行われている歴史的まちなみ活用保存のい
くつかの事例において,それぞれの事例がどのような条例や制度の下に,どのようなビジョンや
目的を持って行われているのかについて紹介していく.
第 2 章では第 1 章で紹介した事例の中から,創造都市政策の下に行われる,横浜市のまちな
み保存の事例について取り上げる.私がこの事例の取り組みに違和を感じたからである.そもそ
も,創造都市とはなんなのか.横浜での創造都市政策と歴史的まちなみ活用保存の取り組みの関
係について,实地調査の結果を踏まえながら論じる.
第 3 章では,第 2 章で論じた横浜市以外の事例が抱える課題などを,实地調査の結果も踏ま
えながら分析していく.さらに現在の日本で行われている歴史的まちなみ活用保存の取り組みに
おいて,全体に共通して見られる問題について検証していく.
人が住み,行き交う「まちなみとしての機能」を活かしたまま歴史を継承する‘歴史的まちな
みの活用保存’を行うことは果たして可能なのだろうか.現代社会での活きたまちなみ保存の難
しさを検証する.
i本論文で取り扱った事例において「まちなみ」という言葉が「町並み」と「街並み」という2
通りの表現があったため,1.3 での紹介部分とその他引用部分以外は「まちなみ」の表現で統一
した.
- 115 -
1 「活かす」ことの持つ意味
1-1. 「活かす」=「機能させる」保存とは
「活かす」保存とは歴史的建築や景観と言った文化遺産を,ただ姿を鑑賞するためだけに保存
するのではなく,それぞれの持つ本来の機能を‘活’かし,ハードだけではなくソフトの部分ま
で活用しながら保存するということである.日本ではまだまだこうした認識は薄いように感じる
が,私はこのことは文化遺産の歴史的な部分をより鮮明に,より長期的に継承していくという観
点から,非常に重要なことであると考えている.
文化遺産,保存,などという言葉を聞くと,古寺や古墳など,古めかしいものを連想するので
はないだろうか.また,そうしたものは特別な存在であり,まさに負宝のように,鑑賞するもの
としてその姿を保存されるものであり,普段の生活からはかけ離れたところにある,といったイ
メージを持つ人が多いのではないだろうか.
しかし,本論文で扱う文化遺産は,京都や奈良にある有名なお寺などではない.歴史的建造物
と言っても古寺などではなく,普通に人々が暮らす民家であり,歴史的景観と言っても遺跡など
ではなく,人々が行き交い,生活を営むまちなみのことである.本論文で扱う文化遺産は人々が
生活する,
「活きているまちなみ」のことなのである.
人々の生活の場としての機能を持ちながら,歴史的な建築群や景観などを保存している事例は
尐なくない.有名な寺院や遺跡などに比べれば,歴史の浅い場合もあるかもしれないが,古来の
ものから近代のものまで,時代背景にバリエーションがありそれぞれに違った特徴が見られると
いう点も,身近な文化遺産の魅力の一つであると私は考える.人々の生活に密接に関係し,活用
されながらも歴史的な姿や価値を保存されている「歴史的まちなみ」は立派な文化遺産なのであ
る.本論文では,この「歴史的まちなみ」の活用保存にスポットを当て論じていく.冒頭でも書
いたが,私は,歴史的建築物や景観などの文化遺産を,ただ鑑賞するためだけに保存するのでは
なく,その文化遺産の持つ本来の機能を損なうことなく‘活’かし,ハードだけではなくソフト
の部分まで活用しながら保存する,
「活かす」保存を行うことが非常に重要であると考えている
からである.
建築やまちなみは生きている.人々が行き交い,生活の場として機能している.こうした営み
の中でこそまちなみは,あるべき姿を維持できていると私は考える.例えそれが歴史的な価値を
持つ文化遺産であったとしても,全く同じことが言えるのではないだろうか.
群馬県桐生市にある国指定有形文化負であるノコギリ屋根のレース工場跡を活用して営業し
ているベーカリーカフェ『レンガ』の社長によれば‘今まで働いていた建築は,見るだけではい
つか絶対に朽ちてしまうものであり,活かして保存するということが重要である.魅力ある建築
は,100 年後,300 年後まで継承したいと思っている.そのためには,ただじっとしている見せ
物では成り立たない.もともと経済を営んできたこの建築には,経済を営ませ続けなくていけな
い’とのことであるという.ii
ii
井口 2008『活きた建築を継承するために』
:7 からの抜粋,要約.
- 116 -
このお話はまちなみの活用保存にも共通して言えることであると思う.まちなみとは,人々が
住み,社会生活を営んでいるからこそ成り立っている.‘生活’がなくなったとしたら,いつか
は必要ないものとして切り捨てられ,廃墟となり消えていってしまうのではないだろうか.
後世に文化遺産の本来の姿を伝えていく上でも,より,長期的に文化遺産を継承していくため
にも,その本来の役割を奪わず機能させ続ける「活かす」=「機能させる」保存は絶対に必要な
のである.
1-2. 活きたまちなみ保存の様々な形
ここまで,「活かす」=「機能させる」保存,活用保存の重要性について書いてきた.
冒頭でも書いたが,本論文ではこの活用保存の中でも個々の建築ではなく,住空間としての機
能を持ち,人々が行き交うまちなみとしての活きた姿,機能を保存していく「歴史的まちなみの
活用保存」について論じていく.
ここからは,現在,歴史的まちなみの活用保存を行っている事例を挙げながら,その現状やそ
れらが直面する問題点などを探って行く.まずはこの節で,具体的な事例の紹介をしていく.そ
れぞれの事例が,どのような制度や条例の下,どのようなまちなみ活用保存を行っているのか.
まちなみ活用保存のその先にどのようなビジョンや目的を持っているのかを確認していく.
(1)群馬県
六合村,赤岩地区
〔制度〕重要伝統的建造物群保存地区
昭和 50 年の文化負保護法の改正によって伝統的建造物群保存地区の制度が発足し,城下町・
宿場町・門前町全国各地に残る歴史的な集落,町並みの保存が図られるようになった.iii市町村
は伝統的建造物群保存地区を決定し,地区内の保存事業を計画的に進めるため,保存条例に基づ
き保存計画を定める.国は市町村からの申し出を受け,その計画が国にとって価値が高いと判断
したものを重要伝統的建造物群保存地区に選定する.さらに選定された市町村の保存・活用の取
り組みに対し,文化庁や都道府県教育委員会は指導,助言を行い,また,市町村が行う修理・修
景事業,防災設備の設置事業,案内板の設置事業などに対して補助し,税制優遇措置を設けるな
どの支援を行う.
平成 21 年 6 月現在,73 市町村で 85 地区あり,15,800 件の建造物が伝統的建造物に特定され
ている.
この制度に選定されている事例として,群馬県の六合村の赤岩地区がある.この地区は山村養
蚕集落として,特色ある歴史的風致を伝えていることから,東西約 1070m,单北約 930m,約
63ha が平成 18 年 7 月 5 日に重要伝統的建造物群保存地区に指定された.これは,群馬県内初
の選定であった.
赤岩地区は養蚕を为な生業としてきた農山村集落である.江戸時代後期から明治時代に建てら
以下の説明部分は,
「文化庁ホームページ」,
「群馬県六合村ホームページ」
,
「群馬 WEB 観光
案内所」を参考にまとめてある.
iii
- 117 -
れた为家や土蔵,石垣や樹木,庭などから成る屋敶が連なり,当時の日本の原風景的な歴史的風
致を保持している.こうした家並みはただ保存されているのではなく,实際に今も人々が住み,
中には養蚕が行われ,養蚕農家として稼動している住居もあり,まさに活用されながら保存され
ている.また,集落内には,観音堂や毘沙門道,東堂,赤岩神社といった小さな宗教施設が残っ
ているのも特徴の一つである.さらに国指定重要文化負である湯本家住宅には,幕府を批判した
ことにより罪人となった高野長英が,脱獄した際に隠れ住んでいた歴史があると言われている.
赤岩地区は,山村養蚕集落としての特色と歴史ある町並み,建物を,現在でも大切に維持・管理
して,当時の生活を今に伝えている.
六合村では赤岩地区のルートマップを作成したり,ガイドによる案内を行ったりと,この赤岩
の重要伝統的建造物群保存地区を観光資源として活用行きたいというビジョンを持っているよ
うである.
(2)群馬県
富岡市
〔制度〕景観法(景観規制)
国土交通省は 2003 年,景観を保全していくための基本的な考え方をまとめた「美しい国づく
り政策大綱」を策定した.ivそこに景観に関する基本法制定の方針が盛り込まれ,05 年 6 月,地
方自治体の景観保全を支援する景観法が全面施行された.これには高層マンション建設をめぐり,
業者と周辺住民とのトラブルが相次いでいたことが背景にあった.外国人観光実を誘致し「観光
立国」を目指すことも狙いの一つであった.これを受けて,景観への規制を設ける地方自治体が
増えた.
景観保全に向けた取り組みは従来からあり,約 500 の自治体が景観条例を制定していた.し
かし,法律の根拠を持たない自为条例のため,いざという時に強制力がないものであった.この
ため,「法律」を整備して自治体が景観の保全をしやすくするために,上記の「美しい国づくり
政策大綱」が策定されたのである.ここでいう「法律」とは具体的に,都道府県と政令指定都市,
中核市を景観行政団体と定め,景観に関して強制力のある規制ができるようにしたというもので
ある.他の市町村も都道府県の同意があれば景観行政団体になることができる.規制の内容は各
景観行政団体に任されており,景観計画を作って条例改正などを行えば,建築物の高さやデザイ
ン,色彩などを規制することができる.基準から外れた建築物には設計の変更命令を出すことが
可能で,忚じない場合には罰金を科すこともできる.
この景観法を利用した街並みの活用保存を最近始めた自治体として,群馬県の富岡市があげら
れる.富岡市は,歴史的文化遺産である富岡製糸場周辺の街並みや市全体の自然景観などを守る
ため,建物の高さなどを規制する景観条例を 2009 年 10 月から施行した.
富岡市では景観法に基づき景観計画を策定.その内容は,富岡製糸場周辺の約 156,6 ヘクタ
以下の説明は,
「富岡市ホームページ」
,YOMIURI ONLINE2007「自治体で相次ぐ景観規制」,
イザ!2009「群馬・富岡市『世界遺産』にらみ景観条例 件も推進予算」を参考にまとめてい
る.
iv
- 118 -
ールを特定景観計画区域に選定し,さらに,A.歴史文化的景観保存ゾーン,B.旧街道街なみ
誘導ゾーン,C.歴史文化的景観調和ゾーンの 3 つのゾーンに大きく区分し,建築物の建設や
土地の区画形質の変更を行う際に届出が必要となった.また,特定区域とされたこのゾーン以外
の市内全域も景観指定区域になっており,届出の対象区域は实質市内全域となっている.この規
制で富岡市は,建築物の高さや延床面積,外観変更に係る部分の面積,土地の区画形質変更に係
る部分の面積に至るまで徹底した規定を設けた.
富岡市がこうした規制を行う目的は,世界遺産暫定一覧表にも記載されている文化遺産,
「富
岡製糸場と絹産業遺産群」の世界遺産本登録を目指すためである.今回施行された景観条例に併
せて,群馬県も平成 21 年度一般会計当初予算案で,世界遺産登録推進事業に前年度比で倍増に
近い約 1 億 1280 万円を計上している.県世界遺産推進审ではこれら一連の動きについて,
「24
年度の登録を目標にしているため,今から本格的に準備を進めていかないと間に合わない」との
ことを話している.
(3)神奈川県
横浜市
〔制度(条例)
〕「歴史を生かしたまちづくり要綱」
「文化芸術都市
―クリエイティブシティ形成に向けた提言―」
この事例は他の 2 つの事例とは尐し違い,ただ条例や制度に認定される,というものではな
く,特殊な,歴史的な経緯を辿って現在のまちなみ活用保存の動きに至っているため,横浜の歴
史的な取り組みに触れながら紹介していく.v
横浜市は 1970 年代の革新自治体ブームの先駆けを作り出した都市の 1 つである.1971 年に
は都市づくり行政の一環として「横浜らしい個性ある都市空間の形成」を目指して,都市デザイ
ンを開始した.この取り組みは,後に未来的な超高層の街並みの形成につながる「みなとみらい
21」事業となる.しかし,こうした未来的な街並みの形成が進む一方で,横浜の伝統的な街並
みを持つ既存の市街地の再生事業が進められていないことが課題となっていた.そこで,前述し
た都市デザイン活動では,伝統を大切にしたいと言う市民の思いを汲むためにも「横浜の伝統を
活かした」都市デザインを街の特性作りの基調とすることにしたのである.
1986 年,歴史的建造物である日本火災横浜ビルの解体計画が出された.これに対し,馬車道
などの地域団体の反対運動が起こったことをきっかけに,民間施設の所有者による保存活用を推
進するための仕組みとしての「歴史を生かしたまちづくり要綱」が制定された.これを機に,横
浜の歴史的街並みの活用保存はさらに進み,馬車道周辺から新港地区,日本大通地区,山手地区
は歴史資産保存活用施設の集中地区として育ち,歴史資産見学だけで街中を回遊して楽しめるほ
どとなった.
2002 年に就任した中田市長は,中心市街地としてのポテンシャルが低迷している関内・山下
町の活性化を行うため『文化芸術都市
―クリエイティブシティ形成に向けた提言―』を出した.
第 37 号『横浜市の「歴史を生かしたまちづくり」と
「創造都市」の新展開,BankART1929』を参考に紹介.
v「横浜市ホームページ」
,地域政策研究
- 119 -
「都市の魅力作りが街の活性化を産み出すという認識の下に,文化芸術を中心としたまちづくり
を推進することにより,横浜の個性を作り出すことを提言は求めた.
」(仲原 2006:38)viこの提
言以降,歴史的建造物を文化芸術に活用し,アーティスティックな活動を支援,推進していくこ
とを通じて,都心部の再生の起点にして行こうといったプロジェクトなどが行われるようになる.
旧第一銀行を改修再現した BankART1929 Yokohama と,
日本郵船の倉庫を改修した BankART
StudioNYK から成る BankART1929 事業はこの代表的存在である.
こうした一連の流れにより,
横浜市は‘クリエイティブシティ’を目指した歴史的街並みの活用保存を推進するようになった
のである.
私は,歴史的まちなみの活用保存の事業の一環として,その延長上に創造都市形成という目的
を掲げる横浜市のこの取り組みに,どうしても違和を感じる.1.3 で扱った街並みの活用保存の
事例の中でも特殊な流れを汲んでいて,歴史的文化遺産の持つ歴史的価値を,純粋に活用保存す
るため取り組みではないと思うからだ.
そもそも,「創造都市」とは何なのか.なぜ私が横浜市のビジョンに違和感を持ったのか.こ
れらのことを,次章で詳しく説明していく.
2 創造都市に見る光と影
2-1. 創造都市とは
創造都市とは,芸術家やデザイナー,建築家など,創造的仕事に携わる人材の力で市民の創造
性を引き出し,環境,教育といった問題をも解決していく都市である.イギリスの研究者,チャ
ールズ・ランドリーviiが 2000 年に著した『創造的都市』以来,世界の都市計画者たちの間で使
われ始めている.
ちなみに,小長谷は創造都市をつぎのように説明している.viii
産業が空洞化する現代社会で,都市部では雇用問題などの深刻化が進んでいる.一部大都市圏
には,「ワールドシティ」という,世界的な大企業の本社や金融機関などの中枢管理機能を集積
することによって都市の競争力を維持しようとする考え方が通用するが,その他大多数の都市が
生き残るにはどうしたら良いのか.都市の本来の姿とは何か,多くの都市で,楽しく・高度で・
労働集約的な産業をいかに作り出すか,と言う課題が浮かび上がってくる.これに対する一つの
解筓が創造産業と言われるデザイン,マルチメディアなどの芸術・文化・先端産業である.この
流れから都市に最後に残る究極の機能とは,集積の利益を求めて集まった高密度な人・モノ・情
報から,新しい産業や文化を生み出すクリエイティブな力なのであり,こうした機能を高めてい
くことが大切である,という考えが生まれたのである.特に若い世代の創造力・想像力をかきた
てるため,ここでいうクリエイティブな力として,アート・クリエイター・プロデューサーなど
vi
仲原正治,横浜市開港 150 周年・創造都市事業本部
創造都市推進課
vii創造都市の系譜を見ると,一般的にランドリー論とジェイコブズの論という2つの代表的なア
プローチがある.しかし本論文で事例として扱う横浜市がランドリー論を採用しているため,ラ
ンドリーについてのみの言及に止めた.
viii塩沢由典・小長谷一之,2007,
『創造都市への戦略』晃洋書房:19-21 の抜粋,要約.
- 120 -
の役割が重視された.そしてこれが,クリエイティブシティという考え方を生み出した.これ以
降,
「創造都市」は地方都市の再生の切り札として注目を集めるようになった.
2-2. 街並み保存と創造都市
ここまで創造都市について説明してきた.この節では,私が横浜市の創造都市構築事業に違和
を覚えた理由を説明していく.
歴史的まちなみの活用保存と創造都市形成とを同じライン上に置いて考えることは,歴史的ま
ちなみの持つ本来の意味を失ってしまう危険性があるのではないだろうか.歴史的まちなみの活
用保存という取り組みは,後世に歴史を継承するため,ということが本来の目的のはずである.
活用とはいえ,ただ,現代社会での利便性を高めるためだけに活用するのではない.活用する本
来の目的は,まちなみとしての機能を奪わないことで,より本来の姿に近い,活きたまちなみを
継承するためであり,さらに文化遺産が朽ちるのを防ぎ,より長期間その姿を保存していくため
であると私は考えているからである.
横浜市は,クリエイティブシティ・ヨコハマを以下のように説明している.
市民生活の豊かさを追求しつつ,都市の自立的発展を目指すためには,横浜の最大の強
みである「港を囲む独自の歴史や文化」を活用し,芸術や文化の持つ「創造性」を活かし
て,都市の新しい価値や魅力を生み出す都市づくりを進めることがふさわしいと考えまし
た.つまり,文化芸術,経済の振興と横浜らしい魅力的な都市空間形成というソフトとハ
ードの施策を融合させた新たな都市ビジョン,それが,「文化芸術創造都市クリエイティ
ブシティ・ヨコハマ」です.ix
このように,横浜市では,1970年代から行ってきた歴史を活かしたまちづくりの延長上に,
創造都市の形成を置いている.この「文化芸術創造都市クリエイティブシティ・ヨコハマ」にお
いて横浜市は,歴史的文化遺産を歴史的な価値を継承するために活用するのではなく,現代の都
市問題解決のための1つの道具として扱っているように感じるのである.
前節で記述したが,
‘集積の利益を求めて集まった高密度な人・モノ・情報から,新しい産業
や文化を生み出すクリエイティブな力’の機能が高い水準で働く都市が創造都市なのであり,産
業はまだしも,文化をも更新しようとする創造都市において,文化遺産の歴史的価値の継承を目
的とする純粋な「歴史的まちなみの活用保存」は不可能ではないだろうか.
歴史的建造物の活用について小長谷がこのような意見を述べている.
創造界隇とは,官民の協働により,従来からあった建物を再活用(リノベーション/コ
ンバージョン)して,アーティスト,創造性の高い産業に対し利用しやすいスペースを提
供することで,創造空間を整えた界隇を形成するプロジェクトのことです.
ix
横浜市ホームページより抜粋.
- 121 -
横浜市では,このプロジェクトを卖に文化振興のためだけの文化政策ではなく,歴史的
建造物を利用した都心部再生と連携した文化芸術創造のプログラム「クリエイティブシテ
ィ・ヨコハマ」という総合政策と位置づけた.横浜市は歴史的建造物が多く残り,都市デ
ザイン政策に先進的に取り組んできた都市です.そのことが創造的活動の広がりを推進す
ることにもかかわっています.古くからのストックを活用するということが,創造都市戦
略で中核をなす「創造的環境づくり」にもっとも財献する重要な概念である.(小長谷
2007:189-190)x
リノベーション/コンバージョンなどと言うと聞こえは良いが,創造都市を目的としての歴史
的建造物などの文化遺産の活用は,現代人の生活を豊かにするための都市計画にウェイトが置か
れているように感じる.歴史的建造物は活用されていても,それは芸術家のためであり,地域の
活性化のためなのではないだろうか.
「創造都市政策に対する批判として,芸術や文化をまちづくりの道具として位置づけており,
芸術文化それ自身の価値を追求する『本来の』文化政策からの『逸脱』であるとの批判が,为に
芸術家サイドから発せられてきた.
」
(野田 2007:263)xiというものがある.しかし私は文化芸
術が道具とされる以前に,その地域にある歴史的文化遺産,歴史的まちなみが都市の活性化の道
具としてのみの価値しか与えられず,本来の活用保存の流れを逸脱してしまっていることのほう
が大きな問題であると感じる.
2-3. 私の視点から見た創造都市・横浜
現代の横浜の姿を見たいと思い,实際に横浜に出向き,歴史的文化遺産を巡ってみた.xii
横浜は古き良きまちなみも残っていて,独特の雰囲気の漂う場所であった.しかし,こうした
街並みの中でところどころで見かけるクリエイティブシティの文字は,現代的,政策的な雰囲気
を醸し出しており,横浜の歴史的なまちなみには溶け込んでいないように感じた.さらに实際に
横浜市内を巡ってみると,創造都市政策の影は薄く,何も知らずに訪れた観光実には全く認識さ
れない程度のものではないだろうかと思ったほどであった.私が今回の調査で特に違和感を覚え
たのは,クリエイティブシティ・ヨコハマの中心事業でもある,旧第一銀行を改修再現した
BankART1929 Yokohama であった.
「私たちは徹底的に開くことを試みてきたと思う.どうし
たらこの施設が,親しまれ,機能していくのかを,既存の美術館等のもつシステムを展開する中
から見いだしてきたつもりだ.」
(池田 2006:43)xiiiという話がある.しかし私は,BankART1929
x塩沢由典・小長谷一之,2007,
『創造都市への戦略』晃洋書房より抜粋.
2007『創造都市への展望 都市の文化政策とまちづくり』学
芸出版社より,chapter11 野田邦弘(鳥取大学)
『都心の歴史的建築物にアーティストが集う ク
リエイティブシティ・ヨコハマの挑戦』より抜粋.
xii 図1参照.
xiii池田修,BankART1929 代表.国吉直行・仲原正治・池田修 2006,地域政策研究
第 37 号
『横浜市の「歴史を生かしたまちづくり」と「創造都市」の新展開,BankART1929』より引用.
xi佐々木雅幸・総合研究開発機構
- 122 -
という施設に‘開かれている’という印象を持つことができなかった.「芸術にはあまりなじみ
のない一般の人たちの開口部とされている」
(池田 2006:42)らしい BankART ショップにも,
アーティストらしき人が集まりなんとなく一般人には近寄りがたい雰囲気すら感じた.
クリエイティブシティ・ヨコハマの事業は,一部の芸術関係の人たちだけのための取り組みで
あり,横浜にもともと住んでいる多くの住民や純粋に歴史的建造物の見学に訪れた人,アートな
どにさほど興味のない人は寄せ付けないような印象を受けた.この事業は,横浜の都市としての
力を底上げさせ,発展させたかも知れないが,1970 年代から行ってきた歴史的まちなみ活用保
存の取り組みとはやはり相容れないもののように感じた.
図1
BankART 全容
横浜市開港記念会館
横浜市の写真
旧第一銀行改修再現部分
神奈川県立歴史博物館
2-4. 創造都市の様々な側面
ここまで,創造都市政策,また横浜市の創造都市政策について批判的に論じてきたが,私は,
文化芸術の創造性を活かして都市の新たな魅力や産業を生み出し,活性化していくという創造都
市論の全てを否定しようというわけではない.画一化が進む日本の都市において,創造都市を目
指していくということは,ある意味その都市に個性を持たせることにもつながる先進的な取り組
みであると思うし,都市を活性化させ,発展させていくまちづくりを行う上では,成功すれば大
きな効果をもたらすとも思うからである.また,創造都市政策を行うことで,それぞれの地域が
- 123 -
自分の街を良く見て,今まで廃墟や時代の遺物だと思われていたものが,实は非常に大きな価値
を持っているかもしれないという発想が生まれることにも繋がるであろう.もちろん,横浜市の
創造都市政策についても,まちなみの歴史の保存継承という部分と切り離して考えれば,素晴ら
しいと思う部分もある.BankART の活動による地域効果として,旧富士銀行に東京藝術大学大
学院の誘致に成功したこや,横浜市のような比較的歴史の浅い都市が創造都市政策を行うことで,
日本ではまだ価値が認識されにくい近代建築の魅力を広く伝えることに繋がったことなどであ
る.
しかし創造都市政策にはまだまだ課題も残されている.もともと衰退してしまった都市の再生
を図ることを目的として生み出された政策であることから,政策の対象が都心部のわずかな範囲
だけに留まってしまうこと.また,文化芸術を振興するということから,その恩恵を直接受ける
のは为にアーティストやクリエイター達のため,一般市民の政策への認識が薄いことなどである.
文化芸術によってクリエイティブな都市改造を行われることにより,都市は新たな魅力を引き
出されるかもしれないが,それまで都市を支えてきた歴史的な魅力は衰退して行ってしまう危険
性が伴うのではないだろうか.しかし,都市の空洞化が進み,衰退が深刻化している現代で,都
市の活性化は避けて通れないことで,活性化という取り組みの中で純粋な歴史の継承を両立して
進めていくことは困難になってきているのかもしれない.
3 生活と歴史保存,共存の行方
3-1. 「活用保存」が直面するもの
ここまで 1 章で取り上げた事例のうちの,横浜市・創造都市の部分についてのみ論じてきた.
横浜市の事例では,都市の活性化という取り組みの中で,純粋な歴史の継承を行うことが困難に
なってきているという实情が見えてきた.こうした歴史的まちなみの活用保存を行う上で困難に
直面するという事態は横浜市だけの問題ではないと思う.こうした实情を知ることがまず必要で
あると考え,本節では 1.3 で提示した横浜市以外の2つの事例,
(1)群馬県,六合村,赤岩地
区(重要伝統的建造物群保存地区)
,
(2)群馬県,富岡市(景観規制)について,それぞれの事
例が抱える課題,直面している問題を六合村での現地調査の報告を中心に検討していく.
(1)群馬県,六合村,赤岩地区(重要伝統的建造物群保存地区)
本論文で事例として扱う赤岩地区の实情を知りたいと思い,2009 年 12 月,实家が六合村に
あるゼミの後輩の協力を得て赤岩で实地調査を行った.赤岩地区の案内所・直売所である「ふれ
あいの家」では,道の駅の方の紹介で,赤岩で養蚕業を営む関駒三郎さん達のお話を伺うことが
できた.さらには歴史的建造物であり関さんの住居でもある,地区内にも2軒しか存在しない三
階建ての为屋(住居件養蚕作業場)xivを見学させていただくことができた.昔から今まで変わら
ない姿で養蚕を行う为屋はまさに生ける文化遺産であった.
こうした価値のある建造物は实際には地区内に数件で,個々のすべての建物が文化負クラスと
xiv
図2参照
- 124 -
いう訳ではないが,日本の典型的な山村地域の家並みや景観などの歴史的風致を保っているとこ
ろにも価値があると感じた.しかし,この日本の典型的な山村地域の家並みや景観は,範囲も非
常に狭く,全体として地味な印象を受けた.養蚕も今では時代の流れと共に衰退し,さほど盛ん
ではないようだった.六合村では,重要伝統建造物群保存地区(以下,重伝建)への登録を期に,
赤岩を観光資源としていこうとする動きのようだが,観光資源とするにはインパクトが尐々弱い
気がした.赤岩は観光資源としては‘活かしきれていない’文化遺産であると感じた.
赤岩の人々は,外から興味を持ってやってくる人のことは,私のような学生であっても誰であ
っても,快く,歓迎ムードで受け入れてくれる.問題は,高齢の方が多く,自分たちの地域の魅
力を発信していこうという動きが活発でないということである.
こうした現状が起こる原因としてまず,役場(行政)と住民の重伝建指定に対する温度差があ
ると,今回の实地調査で改めて感じた.私がこう感じたのは,
「ふれあいの家」で関駒三郎さん
達住民の方に率直な思いを聞くことができたからである.関さん達住民にとって今の暮らしや为
家を守ることは,重伝建へ指定される,されないに関係なく昔から行ってきたことであり,歴史
を後世に継承しようなどという大層な考えはなかったのだという.重伝建赤岩を観光資源とした
い行政と,重伝建であるということに対して特に大きな価値を感じていない住民との温度差によ
り,観光化への動きは空回りしているようであった.
赤岩の活性化や観光化が進まないもう一つの理由として,六合村が‘消えてしまう村’である
ということがある.六合村は,自为的な自治体の存続が不可能な状態に陥っており,山を挟む形
で尐々離れるが,自治体としては隣接する中之条町に吸収合併されることが決定している.これ
と同時に六合の名前は失われてしまうのである.このように六合村の負政は危機的な状態で,赤
岩の観光化どころか六合村の活性化事態も滞らせていると感じた.
こうした要因から六合村自体の士気が下がり,赤岩という貴重な存在を活かしきれないという
事態が起こっているように思えた.
(2)群馬県,富岡市(景観規制)
富岡市における景観規制は,私は必要であると以前から感じていたため,良い傾向であると思
う.しかし富岡市は,これから建設される建造物ではなく,既存の建造物やまちなみにもっと目
を向けるべきであると私は考える
昨年,富岡製糸場とその周辺を調査したxv際,製糸場のすぐ近くで,かつて長屋であった古民
家の一角を賃貸して再活用し,営業している「DROME」というカフェの店長の方にお話を伺っ
た.その時に驚いたのが,富岡には空き店舗対策しかないので,旧建築の再活用などでもそこが
もともと店舗でなければ何の補助もなく,店の諸経費はすべて实費であるとのお話だった.製糸
場の保存に力を入れているのに,その周辺にあるこうした歴史的建築の保存に対しての助成など
は一切行っていないという現状があったのだ.
xv
私の 3 年次の論文である,井口 2008『活きた建築を継承するために』の執筆の過程で,事例
の一つとして取り上げた「DROME」の現状を調査した.
- 125 -
新たに建てられる建造物などの規制を行うより,このような現状に目を向け,補助金などで支
援する制度を整えることの方が,歴史的まちなみ保存を行う上では必要ではないかと私は感じて
いる.
図2
三階建为屋(関家),概観
赤岩地区の写真
同左 2 階内部,養蚕部屋
3-2. 「活用保存」理想と現実とのジレンマ
ここまで1章で提示した事例の抱える問題点について検討してきたが,ここではそれらを踏ま
えながら,「歴史的まちなみの活用保存」という取り組みを行う上で全体に通じる問題点を,私
なりに考えていく.歴史的まちなみの活用保存を行う上で,大きく2つの障壁が存在すると私は
感じている.
1 つ目は観光に特化しすぎて,そのまちなみの持つ本来の魅力を失ってしまう危険性があると
いうことである.
前節で赤岩を観光資源として活かせていないことについて書いてきたが,この‘活かしきれて
いない’状態こそが赤岩の本来の姿・魅力を保っているという一面を持っているとも考えられる.
实は私は赤岩を観光資源化していくことにはあまり賛成ではない.なぜなら实際に赤岩を訪れて
みて,その観光に特化されていない今の姿に魅力があると感じたからである.仮に赤岩の整備が
進み観光地として人気を博すようになり,大勢の観光実が押し寄せたとしても,まず赤岩周辺の
現在の交通事情ではとても対忚できない.そうなると,周辺の道路や駐車場などの設備も含めた
大幅な開発が必要になる.こうした観光化によって地域は活性化され負政は潤うかもしれない.
しかし赤岩が本来持っていた‘日本の歴史的風致が今も変わらず生きているまちなみ’としての
魅力は薄れ,まちなみの活用保存ではあるが,地域の産業は観光だけに特化し,見世物的な活用
保存になってしまう恐れがある.これは私が世界遺産である白川郷に行った時に感じたことでも
ある.白川郷は歴史的な集落の姿を今に伝えており,本当に素晴らしい文化遺産であった.しか
し集落周辺は観光実のために完璧に整備され,集落の産業は観光だけに特化し,人々が生活して
いる家までもが見世物のような状態であった.こうした白川郷の姿は活きた集落というよりはむ
しろ,テーマパーク的な印象さえ受けるように感じたのである.
歴史の継承を目的とするはずのまちなみの保存の取り組みにおいて,観光に特化してしまうこ
- 126 -
とは,そのまちなみの本来の姿や役割,産業を奪ってしまう危険性を伴うのである.
富岡市についてもこうしたことは言える.今回の景観法施行を機に,富岡市では街並みの整備
が進み,富岡製糸場周辺のまちなみや市全体の景観は整備されていくだろう.私はこの取り組み
には賛成であるが,それは私が富岡の住民ではなくあくまで観光実の一人であるからなのかもし
れない.なぜなら,富岡市で現在までまちなみの整備が行われなかった理由の 1 つとして,
‘観
光実向けに整えられていない雑多なまちなみ,生活臭漂うまちなみの中の一部として存在してい
るからこそ富岡製糸場の価値がある’と为張する住民が尐なくなかったことがある,というお話
を,前節で紹介した「DROME」の店長に伺ったからである.
しかし地域産業が衰退している地域を守っていくには,何らかの収入が絶対に必要で,収入が
なければ活用保存していくことなど不可能になってくる.こうした現状に直面した場合,歴史的
文化遺産を観光資源とした観光化を進めてでも,収入を得る必要があるのである.
2 つ目の障壁は,歴史の保存と人々の生活の両立の問題である.
人々が社会生活を営むまちなみとしての機能を失わせないために,まちに住む住民の視点を忘
れてはならないことは絶対である.現代社会に置いて人々の住生活は日々向上し,どんどん便利
なものになってきている.不自由のない豊かな生活を求めることは,人として当たり前の要求で
ある.しかし,
「歴史的文化遺産の継承」という目的の元に保護されているまちなみの中で生活
する場合,その住民の要求は果たして完璧に満たされるのだろうか.いくら一つ一つの建造物な
どのソフトの部分を現代のニーズに合うように上手く活用したとしても,ハードには大きく手を
加えられないことから限界があるだろうし,さらにまちなみとして保存するとなると,多くの問
題が生じてくるだろう.赤岩では高齢化が進む中,歴史的建造物での生活に,階段や冷暖房など
の部分で不便を感じることも多くなってきたというお話があった.富岡市では景観規制を行うこ
とで地域内での土地の有効活用を妨げ,経済活動の自由を奪ってしまうという懸念があるし,住
民が必要としている雑多なまちなみが奪われてしまうかもしれないという危険性もある.
歴史を守るということと,住人の便利な生活を守りニーズを満たしていく,ということは完璧
に両立していくのはもしかしたら不可能なのかもしれない.
3-3. 向き合うことの必要性
本論文で紹介した,歴史的まちなみの活用保存の事例において生じているそれぞれの事例が抱
える問題点や,前節で挙げた二つの障壁は,現代の日本でまちなみの活用保存の取り組みを行う
上で,確实に現れる,どうしても上手く超えることのできないハードルのようなものであると私
は捉えている.
近年日本では「歴史まちづくり法」xviの制定になどより,歴史的なまちなみの活用保存への注
xvi正式名称「地域における歴史的風致の維持及び向上に関する法律」
2008 年 11 月 4 日施行
歴史遺産を生かした街並み整備を支援・維持・向上させ後世に継承するために制定.自治体は,
対象地域や事業を盛り込んだ「歴史的風致維持向上計画」を策定.国が認定すれば,事業費の半
- 127 -
目が高まってきている.この流れに乗り,今後は歴史的なまちなみの活用保存の取り組みもます
ます拡がりを見せるだろう.こうした状況であるからこそ,現在進行中の歴史的まちなみの活用
保存の取り組みが直面する問題を,もう一度見直すことが必要であると私は考える.今まで,こ
うした問題にきちんと向き合い,本格的に解決しようと言う動きがなかったことが一番の問題な
のではないだろうか.
本論文で挙げた問題点はほんの一部に過ぎないと思う.さらに歴史的まちなみの活用保存の取
り組みにおいての問題点は,明らかにその姿が見えていても,早急な「解決」は困難であるもの
ばかりであると感じる.しかしまず,目に見えている問題点としっかりと向き合い,全容を見極
めながら,「今,何ができるのか,何をすべきなのか」を考えて行政と住民とが一体となり行動
していくことが,絶対に必要であると私は考える.
今向き合わなければ,問題は深刻化の一途をたどり,取り返しのつかない事態を招いてしまう
かもしれない.論じるべき時がまさに今なのである.
おわりに
私が本論文で紹介した「歴史的まちなみの活用保存」の事例は全国各地で行われている事例の
ほんの一部である.もっと多くの事例や条例などを扱い,もっと様々な面から「歴史的まちなみ
の活用保存」の抱える問題について検証していきたいという思いもあったのだが,今の自分の力
ではそこまで範囲を広げていくことができず,地元群馬を中心とした事例と横浜市の事例に絞っ
て検討し,論文を書くこととなった.3.3 のまとめの部分で尐し触れた「歴史まちづくり法」に
関しても,本当は本論文で事例として取り上げ論じていきたかった.しかしまだ昨年に施行され
た制度であるということもあり,その实態や实情,成果などがあいまいだったため,今回は断念
した.この「歴史まちづくり法」には今後も注目し,その動向を見守りたいと思っている.これ
らのことは自分の力不足も含め尐々残念ではあったが,今回事例を3つに絞った中でさえ,多数
の問題の抱えているという事实があるということがよくわかった.こうした「歴史的まちなみの
活用保存」の取り組みが抱える,ただ「解決策」を提示できない問題点から目をそらさずに,
‘今’
向き合うことこそが,これから日本でますます進展していくであろう「歴史的まちなみの活用保
存」の取り組みの基盤作りになっていくのである.
本論文は事例や制度の提示も尐なく,まだまだ至らないところも数多くあったと思う.今後も
本論文で扱った内容についてはさらに視野を広げ,もっと広い範囲で日本の「歴史的まちなみ活
用保存」についての研究を進めていきたいと思っている.
分から3分の1の助成を国から受けられる.
計画案が認められると,国指定だけでなく,県や市指定文化負などにも国の補助金が活用できる.
さらに今までは造形物や景観など,歴史的風致のハード部分にしかなかった支援が,祭りなどの
歴史的風致を形成するソフト部分にも活用できるようになった.
- 128 -
文献
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- 129 -
,
市町村合併から考える内発的発展の意義
―都市の論理における地域文化iの消失と今後の展望―
井上ひかる
はじめに
市町村合併は,明治から昭和,そして今日の平成の大合併に続いている.今回行われた平成の
大合併は,今までのものに比べ,さらに広域的な合併が多く行われているのが特徴である.合併
が多くの自治体で行われた理由としては,地方分権が政府の方針として打ち出され,様々な特例
を合併自治体に与えてきたことがあげられる.しかし 1999 年 4 月から大規模に勧められてきた
広域的な合併である平成の大合併も,2010 年 3 月の合併市町村に負政優遇措置を与えてきた合
併特例法の期限切れに合わせ終焉すると 2009 年 6 月地方制度調査会の筓申で記載された.上記
の筓申でも述べられているが,十年間で急速に行われてきた広域的な合併において弊害がなかっ
たとは言い難い.今後はその弊害を修正していくことが求められている.
弊害,とはどのようなことだろうか.書き出せば多くあるとは思うが,ここで筆者が取りあげ
たい問題は,合併前の地域文化や歴史文化が,合併後,都市部に取り込まれることによって変化
していくのではないか,ということである.変化とは,良い意味のときも悪い意味のときもある.
ひとつの例として,地域文化が観光資源としてとても魅力のある場合はまちからの資金援助が増
えたり,広告宠伝の規模も大きくなったりと,発展の可能性が考えられる.しかし,その地域文
化が,狭い地域だからこそ行えていたものであったら,またはその地域文化をまちが関与しない
と考えたら,その地域文化は衰退していくこととなる.いわゆる,画一的な都市をつくるための
処置である.合併が求められてきた背景は,地方分権の推進はもちろんだが,各市町村が最も重
視するところは「効率性の向上」ではないかと筆者は感じる.画一的な都市をつくるということ
は,行政の効率化に繋がるが,それはまちの個性をなくし,住民の意思を必要としない日本全国
に無個性なまちをつくることになるだろう.そして实際そのような無個性のまちが増えてきてい
るのが实状である.
今回の合併の終焉を機に,改めて,地域文化・そしてそれを育む住民について考えていくべき
である.本論文は,文化が画一化される現状を考え,今後特色あるまちを守り,また生み出して
いくためにはどうすればよいかに言及するものである.
i
ここでの地域文化とは,文化活動など特定の活動のみではなく,その地域の歴史・文化イベ
ントなど地域の特色という意味で文化と定義することとする.
- 130 -
1 平成の大合併を読み解く
1-1. 平成の大合併の概要
1999 年 4 月から進められてきた平成の大合併が,2010 年 3 月の合併市町村に負政優遇措置
を与えてきた合併特例法の期限切れに合わせ,終焉すると 2009 年 6 月地方制度調査会の筓申で
記載された.平成の大合併前,3,232 あった市町村は現在 1,776 まで減尐しており,2010 年 3
月までには 1,760 まで減る見込みである.
今回の市町村合併が行われた理由と経緯を見ていく.合併が進められた理由を政府(現 総務
省)は以下のように述べている.
(1)地方分権の推進
(2)人口の高齢化,減尐
(3)多様化する住民ニーズへの対忚
(4)生活圏の広域化への対忚
(5)負政状況の悪化,効率性の向上
地方分権を進め,まちが地域の实態に沿った運営をしていくのは,地域に住む人にとって良い
ことである.また,高齢化などで,福祉サービスやまちにある大きな病院が必要になる,交通網
や手段の発展により,広域的な活動が簡卖にできるようになる,ということもあるだろう.似通
った住環境や生活圏域が一体化しているところは,合併して行政効率を上げたほうが良いといえ
る.また,行政区画そのものがむしろ障害になっている市町村等は合併を实現させたほうが良い
だろう.しかし高齢化への対忚として必要なものがサービス・病院だけとは言い難いし,合併を
しないという宠言をした地域でも行政システムを創意工夫しながらこのようなことを行ってい
る市町村があることも考えていかなければならない.
また,多様化する住民ニーズへの対忚と効率性の向上は相反するものではないだろうか.詳し
くは 1-2 で述べるが,効率化ということは画一化するということだと考えられる.このことから
効率性の向上を掲げながら多様化するニーズへの対忚は難しいと考える.もちろん合併によって,
負政が安定したり,サービスが向上したりする地域もあるとは思うが問題も多くあることが实状
である.
次に合併の進められた経緯を述べる.まず,平成の大合併に大きな影響を与えたものは,政府
による合併特例債を中心とした行負政面での支援,及び三位一体改革の元に行われた地方交付税
の削減である.合併特例債は,合併後の市町村計画事業や基金の積立にかかる費用を合併後 10
年間に限りその負源として借り入れることができる地方債のことである.合併特例債等の特例が
2005 年 3 月 31 日までに合併手続きを完了した場合に限ると定められたことから,駆け込み合
併が相次いだ.合併特例債等の特例が切れたその後,2005 年 4 月に合併新法(市町村の合併の特
例等に関する法律)が施行され,引き続き市町村の合併が進められている.合併新法においては,
合併特例債などの負政支援措置がなくなったため合併の動きは鈍いが,県に合併推進勧告の勧告
権があったため引き続き合併は進行した.
そして 2010 年 3 月に合併特例法の期限切れに合わせ,
平成の大合併が一区切りする見込みとなっている.
- 131 -
1-2. 合併の効果と弊害
平成の大合併は効果があったのだろうか.この節では平成の大合併の効果と弊害について考え
る.
まず合併は住民の生活にどのような効果をもたらしたのか.政府も合併の理由に挙げているこ
とであるが,生活圏の広域化への対忚という点では大きな変化だろう.自動車などの交通網が発
達した現在では,住民の生活(通勤・通学・通院・買い物等)が広域化し,従来の行政区画を超え
ている場合が多い.特に買い物という点では,郊外の大型店舗の台頭により市内の中心商店街の
衰退が深刻な問題となっており生活範囲の広域化は目に見えるものとなっている.合併はこのよ
うな人々の实際の生活範囲でのサービスに対忚することができるようになるというメリットを
もたらす.たとえば行政サービスの点では,住民票の写しの交付等の窓口サービスが勤務地や外
出先などの近くで利用できるようになる,住民の価値観の多様化により市町村行政に求められる
機能も高度化・複雑化しているが,専門的知識を備えた職員を確保することにより,専門的かつ
高度な行政サービスを提供できるようになるなどの効果が期待できる.また,合併前は利用に制
限があった都市部にある文化会館,図書館,スポーツ施設等の各種公共施設についても,同条件
で利用が可能となる.しかし,合併により,行政サービスの手続きが複雑化し,手間が掛かるよ
うになったとの声があることも事实である.
では,行政にとっての合併の効果とはなんだろうか.やはりあげられるものは,行負政の効率
化である.個々の自治体が行ってきた管理業務を一つに集約することにより,職員数や経費を削
減する一方で,新たな行政ニーズの発生している部門に充てることができるようになる.また,
住民の生活行動圏に即した広域的な視点から公共施設を計画的かつ効率的に配置する結果,隣接
した地域での類似施設の重複を避けることで建設費や維持費を削減することができる.そのほか
にも,職員の人数も縮小することになるため,行政サービスの向上を図りつつ,人件費や経費を
抑制することが可能になるということもあるii.更に,政令指定都市・中核市・特例市や市制へ
の移行等により,自治体としての権限が拡大する効果も期待できる場合もある.
しかし,合併による問題点も様々浮上している.2009 年 6 月地方制度調査会の筓申では,2010
年 3 月に合併特例法の期限切れに合わせての平成の大合併の終焉と共に,今後の課題が次のよ
うに示されている.まず「合併により市町村の規模が大きくなることによって,住民の声が届き
にくくなっているのではないか,周辺部が取り残されるのではないか,地域の伝統・文化の継承・
発展が危うくなるのではないか等の懸念が現实化している地域もある」ということである.また,
その問題に対し,「こうした課題を対忚するために,合併市町村においては,地域の实情を踏ま
えつつ,地域自治組織の活動や支所等の設置などにより,新しいまちづくりの中で,住民の利便
性の確保,コミュニティ振興および地域の伝統・文化の振興に向けた取組を継続的に進めている
ii
ただし,合併で消滅する自治体においても自治体職員の地位は法律で保証されているため,
人員抑制・削減効果が期待できるのは合併後数年以上経過してからとなる.
- 132 -
過程にある」iiiと述べられている.
弊害が生まれる最大の理由は,都市計画をしっかり考えてこのようなまちにしたいという明確
な目的があって行われた合併よりも,負政面の充实を図る,もしくは危機的状態から脱するため
に急速に進められた合併が多い点にある.合併が地域の再生の計画よりも行政機構を機能しなお
すという点に重点をおいて考えられている.とくに合併特例債等の特例の期限が切れる前に駆け
込みで合併を行った地域においては,補助金目当ての行政支出削減が大きなテーマとなっている
自治体がほとんどではないだろうか.それを裏付ける議論として例をあげるならば以下のような
ものがある.まず,自治体職員について考えてみよう.合併を行ったことによって,違う地域で
勤めていた職員が全く新しい地域に移動してくるという場合がある.このことは地域の住民にと
って見れば,顔の見える行政との付き合いであったものが,きっちりと線引きされた行政との付
き合い方に変わるということである.以前までであれば,一言職員に声を掛ければ教えてもらえ
たこと,行ってくれたことが,厳密な手続きをしなければできなくなってしまっているという場
合が多く生まれてきている.確かに,線引きされたしっかりとしたシステムは「慣れ」などに繋
げないためにも必要ではあるかもしれない.顔が見えるという関係が返ってデメリットと成りう
ることも考えられる.広域化によってどの地域にも平等なサービスを展開するため,ということ
も考えなければいけないのだろう.しかし,このことを追求していってしまえば,そこには地域
らしさというものは存在せず,効率化を求めた画一性だけしか残らない.このような状況では,
行政と住民の間に溝ができる可能性も否めない.また,地域の商店街の活性化やイベント開催な
どは町の商工会が行っていることが多いが,一部の合併した自治体を除き,合併したことにより
合併前より予算や補助金が減らされる結果となった地域が多数存在するという問題がある.これ
では,地域文化を発展させるどころか衰退に導いてしまう.他にもあげれば例はあると思うが,
これらのような問題が生じているということは,地域計画がしっかりと成された合併とは言えな
いのではないか.
このように,地域住民のどのようなまちであってほしいかという気持ちやどのようなところに
愛着を持っているのかを十分理解せずに,ただ効率化を目指す合併市町村は多くあるように感じ
る.もちろん,似通った住環境や生活圏域が一体化しているところは,合併することによって行
政効率は上げられるだろうが,地域文化や住民の気持ちをきちんと理解した計画がなければ画一
化した特徴のない地域創造に繋がる.实際,現在の日本の地域を見てみると,郊外型大型店舗や
コンビニエンスストア,ファーストフードショップなどの台頭が目立って広がっており,便利で
はあるが同じようなまちが広がっていることは否めない.文化にしても同じである.今まで行わ
れてきた文化活動のための行政サービスが,合併により都市部の行政の考え方に合わせられサー
ビス低下(又は複雑化),文化イベントの縮小など,都市部地域のシステムに合わせられていくこ
とが考えられる.このように,都市部の行政システムに他の合併した地域が巻き込まれることを
筆者は「都市の論理」への従属と定義したい.
iii
地方制度調査会,2009,第 29 次地方制度調査会「今後の基礎自治体及び監査・議会制度の
あり方に関する筓申」
より抜粋.
- 133 -
地域特性が今以上に大事にされ,特色のある地域が創造されるなら合併の意義はあるが,都市
部地域に吸収され,伝統が衰退する,もしくはいくつかが合併して無個性なまちになるというの
であれば,合併の意義はあるのだろうか.
2 都市の論理と内発的発展論
2-1. 都市の論理から生まれる問題点
さて,筆者は 1-2 で「都市の論理」への従属により,地域が画一化すると述べた.
合併には,合併しようとする地域をすべて廃止して新規に市町村を設置する新設合併と,合併
しようとする複数の市町村のうち,1 つを存続させ,それ以外の市町村を廃止して存続させる地
域に組み入れるという編入合併がある.
「都市の論理」への従属に対する問題はどちらにも関係す
るが,編入合併にやや大きく影響する.編入合併ということは,地域の規模に優务が存在したと
いうことであろう.筆者は「都市の論理」への従属とは,都市部の地域が合併する地域に対して,
編入した旧地域のあり方を意識的であれ,無意識的であれ強要するということであると考えてい
る.
「都市の論理」への従属によって効率性・採算性を求める結果,編入した地域の行政システ
ムや予算配分に合わせなければいけなくなるのである.たとえば,編入合併では,編入された地
域の首長と議員はその地位を失脚するiv.市民生活においても,
「都市の論理」は大きく関わる.
行政手続きの変更はもちろんであるが,さらに身近な例としては公共料金の変更や,ゴミの収集
方法の変更があげられる.このことは,一番力のある都市部地域に合わせて地域が変化していく
ことを表す.
合併によって変化した行政サービスの低下や手続き方法の変更による住民の不満はよく耳に
するところである.編入した側の地域はもともと住民の数が多く,一人ひとりの顔を把握し,そ
の人に向けたサービスということはできていなかった.しかし,編入された側は一人ひとりに向
けたサービスが当たり前に行われていた小さなまちが多いのである.それが急に自分ひとりに向
けたサービスではなく,大多数の人に向けたサービスに変われば,困惑するのも頷けるだろう.
平成の大合併の特徴として,地域の資金繰りを目的に合併を行った地域が多い,ということが
ある.合併特例債という負政支援で合併を進める地域が増えたのも資金面の遣り繰りが今後,独
自の地域では行っていけないと感じる地域が多かったからだろう.それゆえ,合併で誕生した新
しい地域の都市計画は,効率化を強調する地域も多い.確かに,今まで存在していた行政の無駄
は今後改革していかなければならないだろう.しかし,利便性・効率性ばかりを追い求める都市
計画であれば,今後,地方分権の社会の中でその地域は埋もれていくこととなるだろう.画一化
は利便性・効率性を強化するが,画一化されていないということは,不公平なことなのだろうか.
地域の多様性が失われて無個性になれば,地域に愛着がなくなり,結局はその地域に対する帰属
意識がなくなってしまうとは考えられないか.地方分権,地方自治が叫ばれている中で住民の帰
属意識がなくなることは決して良いことではないだろう.
「都市の論理」への従属における画一化は,各地域のイメージは同一化させる.地域の文化・
iv
ただし,特例として議員については編入した自治体の議員になることも可能である.
- 134 -
伝統などが縮小・消失してしまえば,魅力は格段に減尐するだろう.このことは,観光的魅力の
減尐はもちろんだが,地域で伝統的に行われてきた文化イベントなどがなくなることで,地域の
絆の消失が考えられる.地域の絆がなくなることによって起こる問題としてたとえば,合併の目
的として高齢社会への対忚というものがある.この問題は地域の絆が一番必要なものではないだ
ろうか.たとえまちにどんなに大きな病院があったとしても,その場に行くまでに何かあれば元
も子もない.このような時,地域住民に繋がりがあれば,早期に異変を感じ,助け合うことがで
きる.その他にも,子供の成長や地域の発展において,地域の絆は大きな意義を持つ.元伊予市
議会議員である玉井彰は,
「『町』,
『村』の多くは『役場』が基幹産業であり,基幹産業のなくな
った地域に青壮年層が住むことは困難,結果として高齢者が残ることになる.その様な地域にな
った後で,
『強い自治体になったので住民サービスは充实しました』と言われても,
『寂れた地域
で手厚い介護』というだけであって,『地域』が滅亡の淵に追いやられることにしかならないだ
ろう」
(玉井 2001)と述べているv.合併において,編入される側の住民の意思(自治)を蔑ろ
にし,編入する側のシステムを押し付けていたのでは,地域は大切なものを失うことになりえな
い.
2-2. 内発的発展のすすめ
合併により起こりうる「都市の論理」への従属に対する問題をどう解決することができるのか.
ここで筆者が提案したいのは「内発的発展論」(endogenous development)viの考え方である.
「内発的発展論」の基本的な考え方viiは,地球的規模の大問題を解く手がかりをそれぞれの地
域という小さい卖位の立場から考え出し,地域の生態系に適合し,住民の必要に忚じ,地域文化
に根ざし,住民の創意工夫によって住民が協力して発展のあり方・道筋を模索し捜索するべき,
というものである.近代資本为義世界の発展による経済を重視した都市化や近代化を拒否する論
理であり,そのため「もう一つの発展」とも呼ばれる.西川潤は,
「内発的発展論」という言葉
の歴史について,
「1970 年代の中ごろにスウェーデンのダグ・マハーショルド負団が,国際経済
特別総会(1975)の際につくった報告『なにをすべきか』で『もう一つの発展』という概念を
提起したときに,その属性の一つとして『内発的』という言葉を『自力更生』と並んで用いたの
が最初ではないか」
(西川 1989)と述べている.この報告によると,
「自力更生」(self-reliance)
は地方・国・国際的なレベルで用いられるのに対し,内発的発展は集団のレベルと個人のレベル
を結ぶ概念である.このことから西川は,
「内発的発展とは社会発展のあり方を決めるような個々
の人間とこれらの人間が作り出す社会・経済・社会秩序との関連に関わっている,その意味で内
発的発展とは卖に経済発展の概念を示すのではなく文化的・社会的な発展概念と関連している」
v
玉井彰,2001,
「市町村合併に反対する」
,元伊予市議会議員玉井彰のホームページより抜粋.
vi
欧米の近代化社会がつくり上げた世界的な国際分業体制が崩れて,第三世界の国々が独立し,
支配型発展とは異なる発展の道を模索し始めたことから内発的発展が注目されているが,本論文
ではこの議論は割愛する.
vii
以下,鶴見和子 川田侃,1989,内発的発展論,東京大学出版会
- 135 -
を参考に執筆.
(西川 1989)と述べているviii.
この議論は,
「都市の論理」は外来型開発であり,为体は,政府又は企業でそこに住民の意思
は存在しないが,「内発的発展」においては内発型開発であり,住民自ら地域資源をどのように
すべきか考えていく為,住民の大きなエネルギーが地域を開発していく,と理解することができ
る.それぞれの地域住民が,地域の自然生態系に適合し,文化遺産や伝統に基づいて,外来の知
識・技術・制度などを照合しつつ,自立的に地域を創出することこそが今,求められているので
はないだろうか.行政の都合で行われた合併,地域計画をそこに住む人々が見つめ直し,考える
ことが,地域文化・私たちの暮らしを守ることに繋がるのである.
3 事例と考察
3-1. 合併しない宣言
上野村
合併を推進してきた地域が多く存在する一方で,合併をしないという宠言を出す地域もある.
なかでも福島県矢祭町の「いかなる市町村とも合併をしない宠言」は全国的に有名となっている.
群馬県内でも上野村など合併せず独自の自治体で行政を行っている地域も存在する.上野村の旧
村長である黒澤丈夫は合併について次のように述べている.
「大きくさえあればいいと言うのが政府の考え.しかし,町村の方が小さいけれど協力心・
団結心は強い.気持ちがひとつになってひとつの社会ができる.連帯意識が大事.協力する
から文明的に生きて行ける.小さいからダメと言うことはない.豊かに生きるには地域に特
色が必要である.」(黒澤 2003)ix
上野村は人口 1,395 人・世帯数 613 世帯(2009 年 12 月 1 日現在)xで,群馬県内では最も人口
が尐ない自治体である.しかし上野村は,自然や文化が観光としてしっかりと機能している.第
四次総合計画では,地場産業体験教育など地元理解と愛着を持つための教育を子供たちに推進,
住民のスポーツ活動への支援,文教施設の充实,また村に伝わる歴史資源や伝統芸能の保存や継
承の推進を掲げているxi.このことは,住民の文化活動がすべて地域の豊かな暮らしに繋がるも
のであり,地域の活性化の原動力となるものだと筆者は考える.
とはいえ,これらの文化振興を掲げる地域は上野村のような合併しないと宠言する地域だけで
はなく,合併をした市町村にも存在すると考えられる.しかし,住民の顔が見える範囲でこのよ
うな支援を行っていくのと,広域合併において中心部である都市部でこのようなことを掲げるの
とでは,尐なからず違いがあるだろう.合併した都市だから上手くいかないと言うことはできな
いが,合併した地域の様々な文化が存在する中で住民全員のニーズに対忚することは不可能に近
い.だからこそ元の地域ごとに存在した文化の歴史をどうするかというしっかりした計画が必要
同上,第Ⅰ部 内発的発展論とは何か 第 1 章 内発的発展論の起源と今日的意義
P3-4 より抜粋.
ix
黒澤丈夫,2003,合併問題講演会にて,
「私の合併に対する考察」,
viii
市町村合併問題についての資料と考察のページ
x
xi
上野村 HP 参照.
同 HP 第四次総合計画
より抜粋.
参照.
- 136 -
西川潤
なのであるが,行政効率を第一に考えた合併では,画一化した文化計画しか生まれないと考えら
れる.
資金繰りが上手くいかないからや,何らかの利便性が务るからという理由だけで,地域特性を
無視した合併は,その場限りの利益を得るだけであって,根本的には何も解決にならない.なぜ
なら,合併して負政優遇措置を受けても,ただ今までの行政システムを繰り返すのであれば,早
かれ遅かれ資金繰りに困るのは目に見える.また,画一化による効率化ばかり進めれば,他の地
域に比べ特色を持つことがないばかりか,地域住民の愛着もなく,住民自治の崩壊に繋がる.地
域には,その地域の長い時間をかけた自然や文化等の歴史が存在する.その歴史が築いてきたも
のを守り育てるために,住民と行政が協力しながら知恵を出し合って地域計画をつくりあげるこ
とが特色のある地域創造へと繋がるのであろう.
3-2. 笠懸公民タイムス
旧笠懸町
xii
二章までの議論では,編入合併が行われた地域において都市の論理への従属により,編入した
側の都市地域の様々なシステムが全体に活用されるようになると述べた.しかし,新設合併でも
都市の論理への従属による文化の消失は起きている.なぜなら,いくつかの同等な町村が合併を
行えば,中規模~大規模な市なるからである.このように尐なくとも小規模とはいえない自治体
になる場合,都市のシステムが必要不可欠となる.行政システムを各地域,一人ひとりのニーズ
に合わせることが難しくなる,ということである.特にどこかの旧地域だけで予算をつけ行われ
てきた文化活動というものは,他の地域と比べ,不平等になると考えられることが多い.この節
では,新設合併により住民がつくりあげてきた文化,公民館報である地域新聞「笠懸公民タイム
ス」が失われた,旧笠懸町(現みどり市)を事例に取りあげる.
みどり市は 2006 年 3 月 27 日に,新田郡笠懸町,山田郡大間々町,勢多郡東村の 3 町村が新
設合併したことで誕生した自治体である.合併の理由としては,地方分権の推進と行負政力の強
化,尐子高齢社会への対忚,住民の生活圏の拡大への対忚,などをあげているxiii.合併し,みど
り市になることで,「笠懸公民タイムス」は廃刊となった.1949 年 1 月に創刊されてから 527
号,2006 年 3 月発行のものが最終版となっている.廃刊の理由は「負政上の理由」で行政から
の予算が打ち切られたこととされている.
「笠懸公民タイムス」は公民館の館報を地域住民の編集委員会でつくりあげる事例として全国
的に注目されるものであった.卖なる広報誌ではなく,住民の視点で,地方自治の観点から住民
の活動・意見を掲載する情報紙であったと言える.たとえば,笠懸公民タイムスは町で予算を出
してもらうことで運営を行っていた.しかし,笠懸公民タイムスの編集委員である住民は町の組
織についても批判した記事を出すこともある.それに対して行政が注意を促すことも存在しない.
編集委員の一人は,
「地方公共団体が正常に育っていくには,間違っていることに対して,間違
xii
本節においては,坂本光庸,2007,
「笠懸公民タイムス」,そして「Web タイムス笠懸」,月
間社会教育 51(4) (618) P76-80,国土社 を参考に執筆.
xiii
みどり市 HP 参照.
- 137 -
っていますよ,と住民がいうことが重要である」と語っている.
しかし,合併により笠懸公民タイムスに関する予算が打ち切られた.合併の二ヶ月前,笠懸公
民タイムスの編集委員編集長であった大矢英夫氏は笠懸町の教育委員会委員長と町長に「
『笠懸
公民タイムス』存続に関する要望書」を提出しているが,このような結果となってしまっている.
そして,やはり予算を打ち切られた合併後,これまでと同じように続けていくということはでき
なかった.負政上の理由というが,旧笠懸町の地域だけにこのような予算をつけることはできな
かったというのが本当ではないだろうか.これこそ「都市の論理」における問題点である.他の
地域との兼ね合い,というものは必要ではあるが,全国的に注目されているような,町の文化で
あった「笠懸公民タイムス」をこのように簡卖に廃刊に繋げてしまう合併は本当にこれからのま
ちづくりを考えた合併であったのか疑問が残る.
現在,
「笠懸公民タイムス」は公民館の館報という形ではなくなっているが,
「Web タイムス
笠懸」としてインターネット上で地域の情報を発信し続けている.インターネットで公開するに
あたり,事務所を設けてはいるものの,公民館利用団体としての立場は変えずに月に一度笠懸公
民館で編集会議を行っているとのことだ.また,負政面では,記事の取材やホームページ作りに
参加する会員を募り,月 500 円を会費として受け取る,もしくは会の趣旨に賛同する賛助会員
から年 2000 円の会費を受け取ることで補っている.このことから考えると行政の力を借りずと
も地域の文化を住民の手で継承していることは確かである.しかし公民館の館報からインターネ
ット上でのサービスになったことでの課題がないとは言えないだろう.まずインターネットとい
う媒体は今まで公民館の館報として見ていた人たち全員にとって身近であるとは限らない.公民
館を利用する住民は高齢者が多いが,高齢者になるほど情報弱者,つまりインターネットを利用
しない世代である.このような人々に対してどのようなフォローを行うのか,今後の課題といえ
るxiv.また,負政面に関しても様々な記事を取り上げることで貟担が出てくることもあるだろう.
負源をどうするのか,他にも編集委員に若者を引き入れていくかxv,認知度をどのように高めて
いくかなど課題は多く残されている.しかし,行政からの支援がなくなった上でこのように「文
化を守ろう」とする住民の思いは強く感じられる.町の広報にも載らないような問題であっても
自由に議論する場としてあり続けることは,今後の地域にとっても大きな役割を果たすであろう.
合併で一緒になった旧大間々町・東町地域でもこのような「Web タイムス」が出てくることが
編集委員の望みであるという.合併によって,このような誇れる文化が失われたことは,大変遺
憾なことである.しかし,合併によって,違う形であれ,他の地域にもこのような文化が広まる
ということは望ましいことである.今後のみどり市住民の動向に期待したい.
3-3. 小さな自治
高崎市
3-1 では上野村の合併をしないで独自の自治,文化を創り出すというものを紹介した.しかし,
吸収合併であれ,新設合併であれ,合併して様々な地域が一括りになってしまっている地域が多
xiv
xv
印刷版も作成されているが,賛助会員に配布されるものである.
Web タイムス笠懸でも,編集委員の平均年齢が高くなっているというのが現状である.
- 138 -
くあるのが实状である.高崎市も様々な地域を取り込んで合併している自治体である.
高崎市は,2006 年 1 月 23 日,倉渕村・箕郷町・群馬町・新町の 4 町村,2006 年 10 月 1 日
に榛名町,2009 年 6 月 1 日に吉井町を編入し合併を行っている.これらの合併により高崎市の
人口は 36 万 6966 人(2009 年 6 月 1 日現在)となり群馬県内で最も人口を抱える都市となって
いる.新高崎市は,合併後の地域計画において,「人が元気・人が輝く,自然と歴史と文化が調
和する交流拠点都市
たかさき」をスローガンに掲げているxvi.そして地域別整備の方針を掲げ
ており,次のように,旧市町村ごとどのような地区をつくっていくかを区別しているxvii.
高崎地域:都市拠点ゾーン
倉渕地域:自然共生ゾーン
美郷地域:歴史田園ゾーン
群馬地域:歴史文化ゾーン
新町地域:生活都市ゾーン
榛名地域:観光交流ゾーン
吉井地域:文化自然ゾーン
また,高崎市は計画策定方針で地方为権と住民自治が確立された都市を将来像に見据え,地域住
民の意見を尊重した見直しを必要に忚じて行うと述べている.このように見てみると,それぞれ
の地域の特性を生かした地域計画で合併が進められているように感じる.
しかし,やはりこのような計画方針を掲げていても,住民の視点に立ってみれば問題点がない
とは言えない.やはり合併した以上,旧高崎市の都市の論理における画一化の問題は避けては通
れない.以下に高崎市での事例を紹介する.
他の市町村には存在しなかった拠点や,市民への文化サービスは見直される事態となっている
ものが多い.たとえば,旧群馬町地区には,公民館の子ども支援事業で児童館が存在し,4 つの公
民館と菅谷地区の地区公民館で事業が行われているxviii.児童館は地域の小さな子供を持つ親に
とってはとても重宝するものであり,なくなれば反発が大きいだろうと言われている.しかし,
この子供支援事業は旧群馬町地区だけで行われているものであり,旧高崎市や他の旧市町村の地
域では存在しない.今後この事業が,存続するか,消滅するかは,まだ検討されている最中であ
るが,存続するにしても形態が変わるなどなにかしらの変更はあると考えられる.確かに,1 つ
の地区だけが行う生活支援事業があり,その地域だけそのための資金が出されるというのは,他
の地域に住む人にとって見れば不公平と感じることもあるだろう.しかし,地域で当たり前とな
っている子供支援事業を変更したり失くしたりすることはその地域に住む住民の生活を不便に
するということである.ならば,他の地域でも行えば良いのではないかという考えも浮かび上が
るが,資金面の問題,地域特性からそれが行われることはないと考えられる.
では,このような状態で,どう地域をつくっていくのか.ここで,先にあげた「内発的発展論」
xvi
xvii
xviii
高崎市 HP 参照.
以下,高崎市・吉井町合併協議会 HP,新市基本計画
を参照.
以下,高崎市上郊公民館でのヒアリング調査を参考に執筆.
- 139 -
の議論を思い出していただきたい.合併しても,地域の繋がりを密接にするための方法としてい
くつかの自治体で「小さな自治」という考え方を取り入れているところがある.そして高崎市は
この「小さな自治」のモデルケースとして検証が行われている自治体である.
「小さな自治」とは,住民自治の拡充を意図した小学校区を基準とする顔の見える範囲での住
民为体の地域づくり活動の提唱である.いわゆる,
「地域課題は地域に住む住民自らが解決する」
という自治のあり方である.この考え方は「内発的発展論」の論理に相似する.
以下,高崎市の「小さな自治」について確認していくxix.群馬県の小さな自治は,1999 年 3
月,群馬県の小寺弘之知事(当時)が朝日新聞論壇に「小学校の区域に自治区を設けること」とい
う小論文を投稿したことに始まる.内容としては,
(1)小学校区ごとに自治区を設ける
(2)自治区は三億円くらいの負源を持つ
(3)住民自治により,近隣社会との日常生活において住民が必要と判断する諸事業を行う
という提言であった.小寺は小論文の最後,「小さな政治とはそもそも原始的であり,素朴なも
のであると思う.小学校の自治区は,その最小卖位である.最小卖位の集まりが市町村となり,
都道府県となり,日本の国となる.最近,市町村の合併が言われている.そのことを否定するも
のではない.しかし,卖に効率とか能率といったことばかりを考えていると,政治はますます国
民の手の届かない存在になってしまうのではないか」(小寺 1999)と記している.小さな自治
とは,合併反対や自立を促すものではなく(そのようなあり方もあって良いとは思うが)
,むし
ろ合併と同時進行的に考えるべき,住民自治の活性化とコミュニティ再生に関する議論である.
そして高崎市は合併した上でこのことを行っている事例であると言える.
小さな自治についてもう尐し詳しく見ていこうxx.群馬県の「『小さな自治』推進検討会議」
は 2004 年 3 月に「
『小さな自治』提言‐多様な住民自治の発展のために‐」という提言を発表
している.この提言で,小さな自治とは,
「地域における多様な住民自治の活動にかたちを与え,
住民自治の自由な発展を支援し拡充をめざすものであり,地域の人間関係を豊かにし,21 世紀
の新たなコミュニティ再生を目指すものである」とされている.また,活動は大きく分けて「地
域から出発する活動」と「テーマから出発する活動」があり,相互に刺激しあいながら発展し,
新しい住民自治を实現していくとされる.そのなかで住民に望まれる課題は,「すべてを行政に
要望するのではなく,地域のことは地域住民自らが解決するという住民自治の基本に立って,地
域の課題を整理し,優先課題を自分達で議論し,行政に提案する,地域自治計画を策定すること.
また,住民同士がサポートしあえる仕組みを構築すること」であるとしている.小さな自治の卖
位としては,顔の見える範囲での小・中学校区や旧村,行政区等をあげている.住民自治の基点
となる場所としては,小・中学校や公民館,児童館等,地域にある公共施設が考えられている.
xix
以下,大宮登,2006,地域再生に関する一考察-「小さな自治」の理念と实践-,『地域政策研究』
(高崎経済大学地域政策学会) 第 8 巻 第 3 号 pp.89-101
xx
を参考に執筆.
以下,
「小さな自治」推進検討会議,2004,
「小さな自治」提言‐多様な住民自治の発展のた
めに を参照,抜粋.
- 140 -
高崎市は,20 年以上前から公民館にブロック体制を敶いてきた.ブロック体制とは 1 小学校
区 1 公民館という体制である.高崎市公民館運営審議会が 2009 年 3 月に発表した筓申には,
「ブ
ロック体制は,多様化する公民館への地域住民の求めに対忚し『地域の個性と市としての一体感
をともに高めていく』生涯学習の場として確立されつつある」と述べられているxxi.この「地域
の個性」と「市としての一体感」の両面を求める考え方は,合併した地域において重要な論点で
ある.自分たちの住む地域だけを考えて他の地域の文化に触れないことは,行政の効率化・画一
化を推進させることになるだろう.このことから上記の旧群馬町地区の児童館の問題を考えてみ
るならば,やはり失くしてはならないものだと考えられる.特に,このような考えを持つ高崎市
であればなおさらである.
「小さな自治」を今後どれだけ活発化させることができるか,それが
地域文化を守ることに繋がるのであろう.
4 課題と展望
4-1. 内発的発展の課題
3-3 で,「小さな自治」の取り組みについて都市の論理で失われる地域文化を守るものである
と述べた.そして同時に「小さな自治」を掲げていても,合併による文化の消失の危機である事
例が存在することも述べた.このことから,やはり行政が「小さな自治を行おう」と発するだけ
では小さな自治は機能しないということがうかがえる.ではどうすれば機能するのか.それは住
民一人ひとりが地域に関心を持つことである.先にも述べたとおり,高崎市は小学校区で住民自
治を行うために,公民館を小学校区に設置し,地域文化に触れ,地域課題を考える場所として考
えているが,今日,公民館を使う住民は一部に限られているのが現状である.特に,若者や働く
男性層の不在が問題視されることはしばしばである.現在,公民館を定期的に利用する住民は,
高齢者の割合が高い.事实,3-3 の事例で紹介した旧群馬町地区の公民館では,児童館の事業を
行っているため,児童の利用は多いが,中学生以上の利用はないに等しい.そして,やはりサー
クルなどの利用団体のメンバーは高齢者が多くを占めている xxii.このような現状で小さな自治
が行われていると言えるのだろうか.公民館を小さな自治の拠点にするためには,これからます
ます公民館を開かれた場所にしていく必要がある.どのように開かれた場所にしていくのか,今
後の課題である.
また,鶴見和子は,近代化モデルと内発的発展モデルの関係について二つの型をあげているxxiii.
一つ目は,社会運動としての内発的発展である.これは,近代化政策に対する住民の異議申し立
ての運動として生まれるもので,まさに地域住民が創出するものである.二つ目は,政策の一環
としての内発的発展である.こちらは,特定の地域の住民がその地域の自然生態系と文化伝統に
高崎市公民館運営審議会,2009,平成 19・20 年度 高崎市公民館運営審議会筓申
り抜粋.
xxii
2008 年に行った公民館实習の際,現状を確認させていただいた.
xxi
xxiii
p5 よ
以下,鶴見和子 川田侃,1989,内発的発展論,東京大学出版会,第Ⅰ部 内発的発展論と
は何か
第 2 章 内発的発展論の系譜
鶴見和子
P55 を参考に執筆.
- 141 -
基づいて作り出す地域発展の仕法を政府または地方自治体がその政策の中に取り入れる形であ
る.たとえば日本の高度経済成長期に,過疎化した農村を活性化させるために,地域住民が自発
的に起こした村おこし運動を,県の政策として取り入れる場合などがあげられる(鶴見 1989).
本論文の事例でいえば,前者が笠懸公民タイムスの事例,後者が高崎の小さな自治の事例である
と考えられる.筆者は今日,後者の型のほうが实際には多いのではないかと感じる.後者の型に
ついて,鶴見は,「地域住民の内発性と,政策に伴う強制力との緊張関係が多かれ尐なかれ存続
しない限り,内発的発展とは言えない」(鶴見 1989)と述べている.社会運動の側面が存続す
ることが住民の意識に繋がり,内発的発展となるのである.合併において行政が大きくなったと
しても,内発的発展を目指し,小さな自治を勧めるためには,行政に対してものが言える住民一
人ひとりの地域への意見とそれを受け入れる行政システムが求められると言えるだろう.今後,
「小さな自治」の取り組みが活発化するためには,公民館の各世代に対するアプローチのあり方
の見直し,公民館を通して行動できる住民を育てることが必要である.
4-2. 合併してなお輝く地域を創り出すには・・・
さて,ここまで市町村合併の「都市の原理」への従属における問題点,そしてそれをどう乗り
越えていくかについて考えてきた.これまでも述べてきたが,今回の平成の大合併では負源確保
が第一となり地域計画の乏しい合併も尐なからず存在する.しかしこのような合併によりこのま
ま画一化の道を進むには勿体ない地域文化が残されている.地域がこれから存在していくために
は,様々な方向性がある.それを効率化のために画一化して他の地域と区別なくしていってしま
うのは仕方のないことだろうか.そうは言えないと筆者は考える.地域には,これまで培ってき
た歴史や自然が必ず存在する.その地域文化を見失わずにいれば,合併後の新たな地域文化の誕
生に繋がるのである.地域文化を後世に残すために,筆者は「内発的発展」
,
「小さな自治」とい
う考えを提示した.今まで暮らしてきた地域の文化は今を生きる私たちで失くしてはならないも
のである.守り続けるためには,やはり住民一人ひとりが自らの地域について関心を持ち,誇り
を持つこと,それこそがもっとも大切なことであるだろう.現在では近所付き合いやまちの自治
会などが風化されつつあるが,この合併を機に自分たちの暮らしている地域について改めて考え
直し,周りに住む人々と意見を分かち合う場を設けることを提案する.
また,今後は「画一化」ではなく「一体感」を持った地域計画を考えるべきであるし,取り組
むべきである.合併してなお自らが暮らす地域のことしか考えないのであれば,それは本当に負
源確保のためだけの合併となってしまう.合併によって同じ未来を歩んでいくと決めたのであれ
ば,お互いの文化を認め合い,できるのであれば一緒に行動していくことが,合併後の地域の未
来を導き出すのではないだろうか.
おわりに
地域文化消失の事例として,本論文では群馬県の事例を取りあげた.しかし,市町村合併によ
る地域文化の変化はどの合併地域でも生じている問題である.今回は解決案として内発的発展
- 142 -
「小さな自治」を提案した.高崎市では1小学校区1公民館という考え方が示されているが,こ
れがすべての合併地域で最善の解決案とは言えない.4-1 で述べたとおり,公民館の利用者状況
という課題もある.しかし,広域合併をした地域の中には,過疎化が進み,小学校区とはいって
も歩いて気軽になど行くことができない地域も多く存在する.このような状況を考えると,利用
者が偏っているという以前に住民自治のための話し合いを行う場所をどうするのかという課題
も見えてくる.また,行政までの距離も遠いことから,意見の申請なども簡卖にできるとは言え
ないだろう.今後,地域文化を守っていくために内発的発展を進めるシステムは,地域特性を生
かしたものを考えていく必要がある.
このように,本論文で提示した事例や解決案はほんの一部の地域の考え方にすぎない.しかし,
住民一人ひとりが‘地域’について考えないことには,地域文化の消失の歯止めはきかない.内
発的発展を行うためのシステムは様々あるだろうが,一人ひとりの地域に対する関心はどの地域
においても必要不可欠なことであると筆者は考える.
謝辞
本論文執筆にあたり,高崎市上郊公民館でヒアリング調査させていただきました.お忙しい中
ご協力して頂きました,館長・職員のお二人に,甚だ簡卖ではありますが,この場を借りて感謝
申し上げます.
文献
小林正典,2004,広域合併 VS 狭域のまちづくり,有限会社コンベンションクリエイト発行,
今井書店
保母武彦,2007,「平成の大合併後」の地域をどう立て直すか,岩波書店
地方制度調査会,2009,第 29 次地方制度調査会「今後の基礎自治体及び監査・議会制度のあり
方に関する筓申」(http://www.soumu.go.jp/main_content/000026968.pdf)
総務省 HP
(http://www.soumu.go.jp/)
玉井彰,2001,「市町村合併に反対する」,元伊予市議会議員玉井彰のホームページ
(http://www.ne.jp/asahi/shikoku/hoshi/t_home/)
鶴見和子 川田侃,1989,内発的発展論,東京大学出版会
上野村黒澤丈夫村長(当時),2003,「私の合併に対する考察」,
市町村合併問題についての資料と考察のページ
(http://sky.geocities.jp/chichibu2009/Giin/gappei.htm)
上野村 HP
みどり町 HP
(http://www.vill.ueno.gunma.jp/),第四次総合計画
(http://www.city.midori.gunma.jp/)
Web タイムス笠懸 HP
(http://www.ne.jp/asahi/web-times/kasakake/index.htm)
坂本光庸,2007,
「笠懸公民タイムス」,そして「Web タイムス笠懸」
,月間社会教育 51(4) (618)
76 頁〜80 頁,国土社
- 143 -
高崎市 HP
(http://www.city.takasaki.gunma.jp/)
高崎市・吉井町合併協議会 HP,新市基本計画
(http://www.city.takasaki.gunma.jp/gappei/yoshii/index.htm)
大宮登,2006,地域再生に関する一考察-「小さな自治」の理念と实践-,
『地域政策研究』(高崎
経済大学地域政策学会) 第 8 巻 第 3 号 89 頁~101 頁
「小さな自治」推進検討会議,2004,「小さな自治」提言‐多様な住民自治の発展のために(http://www.pref.gunma.jp/download/chiisanajiti-teigen.pdf)
群馬県,2007,「小さな自治」の实践に向けた検討会議報告書【概要版】『今,コミュニティが
新しい! 地域のあり方を求めて』
(http://www.pref.gunma.jp/seisaku/download/tiisanajiti/jissen.pdf)
高崎市公民館運営審議会,2009,平成 19・20 年度
- 144 -
高崎市公民館運営審議会筓申
人間のための道路空間づくり
―その手法と課題点について―
藤田慎之介
はじめに
道路というものは元々,卖なる移動のためのものではなく,子供の遊び場として,地域の祭り
の場として,井戸端会議の場としての役割を果たし,地域住民のふれあいや交流を生むコミュニ
ティの空間という地域に根付いた姿を持っていた.道路の为役は人だったのだ.
しかし,昨今における状況はどうであろうか.高度経済期を経て,国内でモータリゼーション
が急速に進んだことや,日本では道路整備が遅れていたこともあいまって,自動車は为要道路に
はもちろん生活道路にまであふれかえり人々は,道路の隅へ追いやられることになった.道路の
为役が,人から自動車へと変わってしまったのだ.これにより,これまで道路が本来持っていた
機能を失ってしまった.一方で道路に対するニーズの多様化,住民の参加意識や,情報社会の進
展など道路を取り巻く環境は大きく変わってきている.
このような状況に対して,国土交通省道路局では,平成 18 年より「みち」本来の役割に戻っ
て道路行政を見直す改革,いわゆる「道路ルネッサンス」を推進するとしている.「これからは
『自動車で移動するみち』から『歩いて楽しめるみち』への転換が必要です.」iという方針も出
し,道路に関する方針が自動車交通一辺倒の整備から,地域を支える道路へと変わってきた.
自動車は生活に溶け込んでいるし,生活を支える重要なツールであるため,自動車を抜きには
社会は成り立たないだろう.しかし,自動車一辺倒の道路整備のために,道路の多様な機能を失
ってしまうのはもったいないと思う.
私は,歩くための道路,歩きたいと思える道路があることで,人々の回遊性が上がり,そこに
にぎわいが生まれるのだと思う.そこでこの論文では,そのような道路によって地域の活性化を
図る事例から,これからの道路利用について考えていこうと思う.
1 道路利用の変遷
1-1. 道路の多様性
まずは,
「道路の多様性」について考えてみよう.
前述したとおり,道路には本来さまざまな機能が備わっている.現在の日本における一般的な
機能として挙げられるのが「交通のための機能」であろう.広辞苑にも「一般交通のために設け
た地上の通路」との説明があるように,道路は交通機能を果たすのもとして捉えられていること
がわかる.道路に関する法律で最も基本的な道路法でも「一般交通の用に供する道」であると定
義されており,そのことに疑いはない.
i国土交通省道路局
http://www.mlit.go.jp/road/road/yusen/index.html
- 145 -
しかしそのほかにも,人が憩うことや活動するための「たまり空間としての機能」
,立ち話や
子供の遊び場などの場としての「社会空間としての機能」がある.つまりそのほかの機能として
は,ヨーロッパにおける広場のような,生活やイベントの行われる場としての機能が備わってい
たのだ.ところが,そのような機能が発揮される機会は徐々に減っていってしまった.過去にさ
かのぼってみると,大正8年の道路法に基づく道路の構造に関する規定は,都市間の道路に対す
る道路構造令と,都市内の道路に関する街路構造令の2本立てであった.これは,自動車交通の
ためだけでなく都市に暮らす人々の視点にも配慮した構造令だったといえるようだ.
日本での道路の成立は,古代の畿道までさかのぼり,東海道などの有名な街道につながってい
る.これらは通行が为であったが,地域性を持っており,その風景は安藤広重などによって芸術
作品となり,人々に愛されていた.またその作品からもわかるように,路上には多くの人が存在
し,にぎわいを見せている.
1-2. 車社会化
それからさまざまな時代を経て,現在の日本は車社会であるといえる.自動車は,目的地と目
的地をつなぐ大変便利な道具として生活の中に浸透している.日本では,高度経済成長期の 1960
年代以降,急速にモータリゼーションが進み全国に自動車があふれかえるようになった.
万台
8,000
乗用車保有台数の推移
6,000
4,000
2,000
0
66年
69年
72年
75年
78年
81年
84年
87年
90年
93年
96年
99年
02年
05年
08年
(負団法人自動車検査登録情報協会の統計より作成)
モータリゼーションの進展によって,国民の生活スタイルは大きく変化することになる.モータ
リゼーションは高度経済成長期の象徴とされていて,これにより,旅行その他のレジャ-から,
買い物,通勤に至るまで広く自動車が活用され多くの支持を受けている.
自動車が支持される理由として,その移動範囲の広さがあるように思える.
自動車によって広がった移動範囲から,人々はより良いスーパーマーケット,レストラン,学校,
住宅,病院などを選択することができるようになったのだ.このような面が認められ,自動車は
その数を増やし続け,増加した自動車交通に対忚するために,道路は広くまっすぐに整備され,
ますます車社会を便利にしている.
しかし,モータリゼーションは人々の生活を豊かにした反面,さまざまな弊害も生み出してい
る.それが交通渋滞であり,交通事故,地球温暖化などの環境問題,交通弱者の問題等であった.
- 146 -
1-3. 道路利用の転換期
そんな中,現在の日本の道路は,いままでの道路一辺倒の整備のあり方の転換期を迎えている
ように思える.自動車の通行しやすい道路はなくてはならないものであり,これからも整備が必
要なところも多くあるように思える.しかし,国民の価値観やライフスタイルの変化,情報社会
の進展,国民の参加意識やボランティア意識の高まり,地域に根ざした特色あるまちづくりの進
展など,道路を取り巻く環境は著しく変化しており,道路に対するニーズもますます多様化して
いることiiから,改めて道路本来の機能について考える時期を迎えているのだ.
ではこれから,もともとの道路の機能に立ち返り,自動車の通れない空間を作り出すトランジ
ットモール,車の通れない空間を活かした路地による地域活性化の事例をそれぞれ見ていくこと
にする.
2 人中心の道路を生み出す
2-1. トランジットモール
近年のモータリゼーションの進展や大型店舗の郊外立地や居住者の減尐などにより,中心市街
地の活気は失われてきている.そこで中心市街地の道路空間をより安全で快適にすることで,ま
ちの活気やにぎわいを創出することが求められている.現在の,自動車であふれた中心市街地の
道路を,人中心のものへとする方法として,中心市街地のトランジットモール化が挙げられる.
トランジットモールとは,中心市街地のメインストリートなどで,自動車の交通を認めず,歩
行者専用の空間とし,バスや路面電車等の公共交通機関だけが通行できるようにする道路の利用
方法である.欧米では多くの成功事例があり,近年,日本でも中心市街地の活性化を図るための
有効な手段の一つとして注目が集まっている.
トランジットモールに期待されるメリットとして,
① 歩行者が安全で快適に中心市街地を歩くことができる.
② 休憩や待ち合わせなどの「たまり空間」が広くなる.
③ イベントや祭りの開催がしやすくなる.
④ 公共交通の通行がスムーズになる.
などが挙げられる.
①~③はいずれも,歩行者の中心市街地における回遊を助けたり,回遊する意欲を高めたりと,
中心市街地のにぎわいを作り出すのに大きく財献すると思われる.また④においても,公共交通
が渋滞などによるダイヤの乱れが減り,公共交通への信頺が高まり利用者の増加や利便性の向上
が望まれる.
それでは,具体的にトランジットモールの導入事例を見ていくことにする.
ii
道路ルネッサンス研究会報告書より
- 147 -
2-2. 欧米での導入事例
欧米は,車社会への対忚に関しては,日本に比べ 20~30 年先へ進んでいるといわれており,
環境や風土こそ違うが欧米での取り組みは日本での導入の際の大いに参考になるはずである.
まず始めにヨーロッパの事例を見ていく.ヨーロッパでは 1940 年代後半に,第2次世界大戦
後の復興事業として歩行者専用道路が作られたといわれている.本格的に整備が始まったのが
60 年代以降で,70 年までにはヨーロッパのほとんどの都市で歴史的市街地や,商業地区への自
動車の乗り入れが禁止された.さらに,道路は歩きやすい,また楽しみながら歩けるように石畳
舗装にしたり,噴水やベンチなどのストリートファニチャーなど安らげる施設を配置するように
なった.
トランジットモールでもっとも成果を上げた代表的な事例としてフランスのストラスブール
iii
が挙げられる.ストラスブールは中心市街地から自動車を閉め出したことで大きく活性化した
ことで知られている.また,超低床で斬新なデザインの車両を導入したことが,ストラスブール
が世界で広く注目されるようになった要因である.
まずは導入までの経緯を簡卖に追っていく.
ストラスブールは,元々路面電車が走っていた都市で,最盛期には路線距離は 234 ㎞まで延
び,利用実数は,1930 年には 5,500 万人,43 年には 7,150 万人にまで上っていた.しかし第2
次世界大戦後のモータリゼーションの波に押され,最終的には廃止された.廃止された理由は,
速度が遅いこと,自動車と路線を共有するので自動車交通の邪魔になること,輸送能力が低いこ
とであった.その後,中心市街地での道路渋滞と公害が深刻化し,73 年に改めて都市計画の一
環として,従来型の路面電車が提案された.その際,新交通システムである AGTivとしてミニ地
下鉄の導入も検討されたが結局,従来型路面電車から近代化した LRTvへと計画が変わり 92 年か
ら建設が始まり 94 年に開業した.
ストラスブールの LRT は,自動車に偏重した中心市街地の交通を歩行者優先の方向へ変えてい
くという観点から導入された.つまり,中心市街地では LRT を自動車に代わる为要の交通手段と
して位置づけて,低騒音で快適性の高い LRT を導入したのだ.LRT の車両はデザインにもこだわ
り,車両の窓を大きくし斬新で近代的なデザインにすることで,これまでの路面電車の「古臭い」
や「遅い」といったマイナスイメージの払しょくしている.
その結果,ストラスブールでは LRT が受け入れられ,さまざまな効果を生み出した.たとえば,
導入から 10 年で公共交通機関の利用者が 43 パーセント増加したことが挙げられる.また中心
市街地の歩行者通行量が 20 パーセント,買い物が 36 パーセントそれぞれ導入前と比べて増加
したことがあげられる.このような实績から,導入前は実足が減るといってトランジットモール
化に反対していた商店街からの反対の声は聞こえなくなった.それどころか路線拡大の際に,当
フランス北東部の都市.訳すと「道の街」.現在は欧州評議会や欧州人権裁判所,また EU の
欧州議会があり,ベルギーのブリュッセルと共に EU の象徴的な都市の一つとなっている.
iv Automatic
Guided Transit の略.新しい形態の軌道系交通システム.
v Light
Rail Transit の略.次世代の路面電車.
iii
- 148 -
初反対していた店舗が,予定地の権利を確保したという話(望月 2002)もあり,LRT への評価
が見て取れる.フランスでは,ストラスブールの成功後,LRT は「都市整備の道具」という意識
が常識となっているようだ.
またストラスブールでトランジットモールが成功した要因は,卖にトランジットモールを整備
しただけでなく,それに関連する道路政策や駐車場政策を結びつけた総合的な交通マネジメント
を实行に移したからであるようだ(市川 2002).その核となるのが,
「交通セルシステム」とい
う,中心市街地をいくつかのゾーンに分け,他のゾーンへ行くためには,自分のいるゾーンから
いったん出てから目的のゾーンへと向かうように,自動車交通に制限を加えたものだ.さらに,
それに合わせ歩行者専用ゾーンを拡張した.また,交通セルシステムと並び重要な取り組みは駐
車場マネジメント政策である.中心市街地の駐車場を減らすことや,無料駐車場を有料化し,周
囲にパーク&ライドの駐車場を整備することで,通過交通の排除を狙った.当初,地元住民から
は強い反対があったが,使いやすく割安な料金設定のパーク&ライドの駐車場を拡張したり,地
元住民には優遇料金適用の駐車場を提供したことで徐々に理解を得た(市川 2002).
2-3. 国内の事例
日本国内でも,ストラスブールをはじめとする欧米各地の成功事例を受け,中心市街地のトラ
ンジットモール化による活性化が期待されるようになっている.現在,導入に向けた取り組みと
して社会实験viが多くの都市viiで行われ,本格的な導入への検討もされている.
前橋市においても,2002 年からトランジットモールが導入されている.導入の目的は,中心
市街地等の移動の利便性を高め,市街地の活性化を図るためである.元々歩行者専用通路であっ
た銀座通りにバスの通行を認め,トランジットモール化したviii.導入の際に工夫した点は,ト
ランジットモール内の車両運行スペースを色により区分けした点,バスの通行のときにはヘッド
ライトを点灯し,BGM を流しながら,時速 10km で走行する点などが挙げられ,トランジットモ
ール内での歩車共存が实現されていた.
2003 年度時点の国土交通省自動車交通局の発表によると,アンケート調査の結果,
「バスが運
行されなければ外出できなかった」と回筓した高齢者が 13.2 パーセントあること,特徴ある車
両導入とトランジットモールの整備は地域イメージの向上に財献し,商店街等のにぎわいを創出
していると評価がされている.
vi
新たな施策の展開や円滑な事業執行のため,社会的に大きな影響を与える可能性のある施策
の導入に先立ち,市民等の参加のもと,場所や期間を限定して施策を試行・評価するもの.地域
が抱える課題の解決に向け,関係者や地域住民が施策を導入するか否かの判断を行うことができ
る.
vii 福井県福井市,静岡県浜松市,岐阜県岐阜市,島根県津和野町,愛媛県松山市,岩手県盛岡
市,東京都目黒区,青森県八戸市,沖縄県那覇市,北海道帯広市,和歌山県高野町など.うち那
覇市では平成 19 年2月から,毎週日曜 12~18 時で本格实施がされている.
viii バスの愛称は「マイバス」
.北循環と单循環の2路線があり,いずれも 20 分間隔で運行して
いる.料金は,大人 100 円(子供 50 円),1 日料金が 300 円となっている.
- 149 -
また導入当時にマイバス利用者を対象としたアンケート調査ixでも,マイバスの運行がなかっ
た場合に「中心市街地へ行くのを取りやめた」という回筓が9パーセント,また「中心市街地で
はなく別の場所に行った」という回筓が8パーセントであり,2つを合わせると 17 パーセント
の人がマイバス運行により中心市街地への来街回数が増加していることが分かる.当時のマイバ
ス利用者は1日約 500 人であり,マイバスは成功を収めたように見える.
しかし,近況はあまり芳しくないようで,運行实績はそこまで良くないようだ.戸所隆(2005)
は,マイバス路線や運行コンセプトが,大都市部での事例に類似しているため,大都市とは人口
密度や都市構造が違う前橋にそのまま当てはめても効果が出ないのは当然だとしている.また,
实際に足を運んでみると,自動車の通行も制限されておらず,歩行者が優先であるがこれではト
ランジットモールと呼べるのか尐し疑問が残る.
2-4. 導入にあたっての課題
これまでに紹介した事例や,成功を収めた数々の欧米での事例からトランジットモールは,中
心市街地のにぎわいを生み出し,活性化に有効な手段であると思っていいだろう.しかし,数々
の成功事例がある欧米のなかでさえも,いくつも失敗に終わった事例があり,中心市街地をトラ
ンジットモール化すれば,必ず活性化するというわけではないのだ.ストラスブールの事例にあ
るように,それに関連して,さまざまな政策を総合的に行わなければならない.
またそれだけでなく,活性化には商業者側の努力が欠かせないと市川(2002)は言う.さら
には,商業者は国を超えて,どうしても短期的な採算性,近視眼的な見方で物事を見てしまいが
ちだが,
「快適な買い物の雰囲気」に対忚した魅力的な品揃えなど個店レベルでの取り組みも必
要なのだとしている.
前橋の取り組みに関しては,前述のとおり導入当初は中心市街地への来街者の増加が見られ,
高い評価を受けていたが現在はそうでもないようだ.平成 19 年1月に発表されたアンケート調
査xの商店街への来街者からの要望によると,食事やお茶を飲める場所が 尐ない(選択肢がない)
,
スーパーなど食料品を安く買える店がない.食事をする所,美味しい所,雑貨食品もあるドラッ
グストアが尐ない.映画館等時間を過ごす場所がない.休憩する所が尐ない.などといった意見
があった.今後,こういった面の改善がより多くの来街者を招くことになるだろう.また,広域
のマイバスが欲しいという意見や,戸所(2005)の,現在のマイバスは歩いて中心街へ行ける
範囲で人口も尐ない地域を運行しているが,中心部から半径2~5km 圏の人々がマイバスを求
めているという指摘から,マイバスの運行ルートを広げると来街者の増加が考えられるのではな
いだろうか.
ix
x
(宮本・湯沢 2004)
社団法人中小企業診断協会群馬県支部
前橋市中心市街地活性化に関する調査研究報告書
- 150 -
3 自動車のいない路地を活かす
3-1. 見直される路地空間
トランジットモールを導入しただけでは効果が望めないことが分かった.そこで,さらに道路
を活用し市街地ににぎわいを取り戻す方法を考えてみたいと思う.私が注目したのは,市街地に
多く残っており,その道幅から自動車が入り込みにくく,道路の本来ながらの姿を有している路
地を活かし活性化を図る方法だ.
近代都市計画の中で,まちなかの路地や路地裏の多くは,防災上や衛生上の面に問題があるた
めに「20世紀都市の貟の遺産」として,存在を否定されその姿を消しつつある.20世紀型の
都市計画は,均質的画一的で機能的計画的であることがよしとされてきた.つまり道路は目的地
へ向かうための通路であり,スムーズな交通を目的として広くまっすぐな道路が求められてきた.
そのためモータリゼーションの進展に合わせ,自動車の通れない道路は価値を認められず,拡幅
される方向へと向かっていった.
しかし近年,路地に関する意識の流れが大きく変わってきている.今まで,路地と言えば自動
車も通れない不便な道路くらいの認識でしかなかっただろう.しかし,徐々に全国で路地への関
心が高まり,多くの場所で保存再生の試みが始まってきたのだ.たとえば,近年の路地ブームか
ら路地歩きをする人が増えたという話もある.また,都市関連の学識者や専門家をはじめとする
メンバーで結成された全国路地のまち連絡協議会によって路地サミットというイベントが開催
されたりと,趣味的な関心だけでなく,専門家たちの間でも注目が高まっているのだ.
それはなぜなのだろうか.路地は道幅が狭いために自動車が入り込みにくいことで,子供たち
の遊び場となり,住民たちの井戸端会議の場にもなりうるため,暖かいコミュニティが存在して
いるからだろう.また,そのヒューマンスケール xiな空間がために安全で安心であるといえる.
路地はヨーロッパでいう広場のような役割を果たしてきた.最近では,路地の持つこれらの重要
性が改めて認識をされるようになってきているのだ.
岡本哲志(2006)は,「路地を考えることは,懐古趣味でなく,街づくりの大切な要素であるこ
とに気づかされる」といっている.
あえて路地的な空間を作り出すことで,にぎやかさを演出する複合商業施設も数多く現れた.
その好例が東京のサンストリート亀戸xiiだろう.人々が集まる「まち」を目指し,湾曲した通路
を作り出し,店舗から通路へのあふれだしを奨励している.また看板や植木で雑多な雰囲気を出
すことなどでにぎわいの演出を図っている.来店者の3割は,ここに来ることが楽しみで,買い
物を目的とせずにふらりとやってくるのだという.xiii
また東京では,細かい路地が多く存在する下北沢や吉祥寺といったまちが若者に人気が高くに
ぎわいを見せていることからも,路地が見直されている理由は,決して個人のノスタルジーに由
xi人間の感覚や動きに適合した,適切な空間の規模や物の大きさのこと.
1997 年開業.年間来場者数は約 1,000 人.基本コンセプトは低層オープンモールによる「ま
ちづくり」
.波及効果として,新たな人の流れが生じ,施設周辺に店舗も続々開店するなど,地
域全体の活性化にもつながっている.
xiii 公共空間の活用と賑わいまちづくり(2007)p10
xii
- 151 -
来するものだけではないことが見て取れる.あくまでも,路地の持つヒューマンスケールに無意
識のうちに自分と空間のつながりもおもしろさを見出しているのだろう.
このような流れを受け西村幸夫(2006)は,
「路地的な空間はたんに昭和ノスタルジアをかき
立てる装置であることを超えて,新しい価値観を先導する羅針盤となりえるかもしれない.
」と
している.
では实際に路地を活かし,地域の活性化を目指す例を追っていくことにする.
3-2. 向島での取り組み
一つ目は東京の向島の事例だ.向島に注目したいのは,2000 年に路地を舞台にして,アート
とまちづくりを一体とした「向島博覧会 2000」を開催した点だ.向島では住民の高齢化が進ん
だことや,空地や空き家が目立つようになってから,地域の活力の低下が顕在化し,徐々に一帯
には閉塞感が感じられるようになっていた.この向島博覧会は 21 世紀に向けて元気なまちをつ
くろうと,路地や長屋,さらには空き地や空き家にも目を向けることで,生活の豊かさを追い求
めたことによって失われたものを考えさせるようなものだった.まちづくりに関するシンポジウ
ムや子ども向けのワークショップなどを含め,10 日間で 50 もの様々なイベントを行った.また
博覧会のあとには,空家に若手のアーティストや学生が住み着くようになり,その住人が仲間を
呼ぶなどをし,人口は増えてきているようである.
また翌年には,向島博覧会 2001 を「アートロジイ」と銘打って,
「路地を歩けばアートにあ
たる!」と題し,アートと路地を前面に押し出した.アートロジイの開催の为体になったのは,
前年の博覧会をきっかけに向島に住み着いたアーティストたちであり,地域住民との協働によっ
て成功をおさめた.コンセプトは,向島の場所性,住まい,コミュニティをベースにした「空間」
の新たな創造とネットワークであった(山本 2006: 100).古くから向島に住んでいた人々と,
新しく住み着いたアーティストたちが互いに協力して暮らしてきた向島のコミュニティを大事
にしながら,新しいライフスタイルを实現する空間を实験的に作る試みが行われた.また,北欧
のアーティストを長期間滞在させ,周囲の住民と交流させるなど,独自の試みをし,話題性によ
って外部の人間を惹きつける工夫が見られた.
路地を迷路のように回り,会場を探すという楽しさが評判になり,アートロジイが行われた9
日間で約 7,000 人の観実を動員した.アートを見ることと路地を歩くことを合わせ,人それぞれ
に向島の魅力を発見してもらう機会の提供となり,地域の活性化に財献しているようだ.
3-3. 歩ける街づくり
愛知県碧南市大浜地区
続いては,愛知県の碧单市にある大浜地区xivの事例を紹介する.大浜地区は,全国の街中の例
にもれず,地区の人口,世帯数は減尐の一方であり,地区の活性化の課題を抱えている.
そんな中,大浜地区に残る,社寺などの歴史,文化遺産や路地といった昔ならではの町並みに
碧单市は愛知県のほぼ中央に位置する,人口およそ 7 万人の都市.その中の大浜地区は古く
から海運で栄えた港町として知られる.
xiv
- 152 -
対する評価から,この地区を寺町として整備して,歩行者中心の空間形成が提案されるようにな
り,2000 年3月に「歩いて暮らせる街づくり」のモデル指定地区になった.
歩いて暮らせる街づくりとは,近年話題になっている地域コミュニティの弱体化や交通機関の
衰退,中心市街地の人口減尐,高齢化,魅力の低下など車社会の進展に伴い発生した問題点から
これまでのまちづくりを見直し,まちなかで暮らせることのできるまちづくりを目指す取り組み
である.
大浜地区では,2000 年から毎年秋に「港・寺・蔵・路地」をキーワードにした「大浜てらま
ちウォーキング」を開催している.このイベントでは,商店街の組合などの様々な団体がいろい
ろな催し物をまちなかで行い,多くの参加者でにぎわうイベントとして定着している.内容とし
ては,まちなかに俳句が飾られる「大浜てらまち俳句 ing(ハイキング)
」や,個人宅でコレク
ションの展示がされたり,参加団体がお汁粉やカニ汁を無料でふるまい食べ歩きをさせたり,地
元小学校の総合学習との連携で小学生の研究発表をするなど,まち全体を歩いてもらえるような
仕掛けがそこらじゅうにあふれている.また路地は大浜のまちづくりの重要なキーワードという
ことで,まち歩きのために作成されたマップには,さまざまな路地が紹介されていたり,地区内
の案内板にも路地の位置が示されていて,歩いてみようと思わせる工夫がなされている.
それではここからは,大浜地区での路地を保全するための住民たちとの合意形成を追っていく
ことにする.路地は大浜地区の魅力を醸す重要な要素ではあるが路地での生活は不便さも受け入
れなければならないので,路地保全に関して住民との合意形成が不可欠であった.そのために大
きく分けて2つの活動が行われた.
1 つめは,地区の住民に対して路地の魅力を PR して,路地を活かしたまちづくりに対する意
識を高めてもらおうとする取り組みだった.具体的には,先ほど挙げた大浜てらまちウォーキン
グの中で行われている「街角フォトクイズ」のテーマを路地にしたことだ.街角フォトクイズと
は,地区内のある場所を写した写真が提示され,その場所を当てるというクイズなのだが,この
テーマを路地にしたことでまちを歩き回りながら,それぞれ路地の魅力を発見してもらおうとい
う狙いがあった.また「路地を活かしたまちづくりシンポジウム」では,路地をめぐる近年のム
ーブメントや,路地が見直されていることを知ってもらうことで,路地を生かしたまちづくりを
考えてもらう機会となった.
2 つめは,路地に対する住民たちの意識を把握し,路地の醸す雰囲気の保全に向けた合意形成
のあり方を考える取り組みであった.その中で,
「路地を活かしたまちづくりに関する意向調査」
が行われた.結果は以下の通りである.
- 153 -
大浜の路地についての評価
0%
20%
40%
60%
80%
67.9%
火災時に消火活動が困難など延焼の不安がある
50.7%
火災や地震時に逃げるのに不安がある
36.8%
31.6%
車が通らず静かでよい
車が利用できずに不便である
知らない人が入ってきにくいので防犯上安心できる
心やすらぐ空間である
家の中がのぞかれやすいなどプライバシーに問題が…
美しいたたずまいがある
その他
不明
18.7%
15.4%
12.6%
9.1%
2.6%
5.6%
(路地からのまちづくりp180 より作成)
大浜の路地を将来も大切にしていくべきか
不明
4%
どちらとも言え
ない
47%
大浜のまちの魅
力を生み出して
いる要素の一つ
であり、大切に
していくべきだ
34%
生活にとって不
便であり、大切
にしていくべき
とは言えない
15%
(路地からのまちづくりp181 より作成)
大浜の路地に対する評価では,静かな点や防犯上安心という良い評価もみられるが,防災に関
する不安などが浮き彫りになったのがわかる.また,大浜の路地を将来も大切にしていくべきか
では,半数が「どちらとも言えない」としている.しかし,
「大切にしていくべき」の数値が「大
切にすべきでない」の数値の約2倍あることから,路地の魅力は認識されつつあると言えそうだ.
3-4. 路地が抱える課題
路地を活かして地域活性化を図る事例を見てきたが,路地という空間にはいくつかの問題があ
- 154 -
り,それをどう克朋していくかがカギとなるようだ.1つ目の問題は,建築基準法の接道条件で
ある.同法の42条では「道路は原則幅員4m以上」としており,43条では「建築物は,その幅
員4m以上の道路に2m以上接しなければならない」としている.このため,路地の建物の建て
替えの際には,4mの道路を確保するためにこれまでの位置からセットバックしなければならず,
老朽化した路地の建物が立て替えられていくにつれて,路地の道幅は失われてしまうのだ.
2つ目は,防災,防火の観点からの建築制限だ.路地を残すまちの多くは,防火地域もしくは
準防火地域に指定されている場合が多いため,耐火建築物もしくは準耐火建築にする必要があり,
そのために路地を作り出す建物の雰囲気の喪失,路地の雰囲気の喪失の可能性があることだ.こ
れらの条件のなかで,どれだけ路地の雰囲気を殺さずに路地を残すことができるのかが課題にな
りそうだ.
路地にとって災害は対忚すべき課題である.しかし,路地が防災という課題をもっているから
こそ,そこでコミュニティが結束して対忚している事例なども見られる.それは路地空間が互助
の空間であるからであろう.災害に関する課題は多いが,それがあるから防災のために結束しコ
ミュニティを保つことになっている.とは言え,やはり建物のもろさなどは早急に対忚すべき問
題である.
ここまで,路地によるまちづくりをみてきたが,私は路地をすべて残すべきだと言うつもりは
ない.地域外の人間がいくら路地は魅力的だと言っても,住民たちが路地の生活に不満を感じ,
そこから脱却したいと思っているのならそうあるべきだと思う.しかし,路地を残すと決めたか
らには,できる限り路地を魅力的に残していてほしいとも思う.
おわりに
これまで道路空間を自動車交通以外で活かすまちづくりの方法や事例を見てきたが,まだまだ
課題も多く残されており自動車なしでは成り立たない現代の生活では,尐数派の流れのようだ.
しかし,いずれ自動車からの脱却した生活が求められる時代になれば,これらの先進事例は大い
に参考になるはずである.また,市街地から自動車がいなくなることで生まれたスペースでオー
プンカフェや大道芸といったことが行われるようになれば,よりにぎわいが作り出せるのではな
いだろうか.
文献
国土交通省道路局(http://www.mlit.go.jp/road/index.html,2009.12.5)
(負)自動車検査登録情報協会(http://www.airia.or.jp/number/pdf/03_1.pdf,2009.12.15)
市川嘉一,2002『交通まちづくりの時代-魅力的な公共交通創造と都市再生戦略』
(負)道路空間高度化機構,2007,『みち-創り・使い・暮らす-』技報堂出版
望月真一,2001,『路面電車が街をつくる
21 世紀フランスの都市づくり』
戸所隆,2005,
「土地利用変化からみた中心市街地の将来予測と回遊行動の現状把握-前橋市中
心市街地を事例として-」
『地域政策研究』8(2): 187-97
- 155 -
宮本佳和・湯沢昭,2004,
「土地利用変化からみた中心市街地の将来予測と回遊行動の現状把握
-前橋市中心市街地を事例として-」『(社)日本都市計画学会
都市計画論文集』39
(3)661-6
(負)都市づくりパブリックデザインセンター,2007,
『公共空間の活用と賑わいまちづくり
オ
ープンカフェ/朝市/屋台/イベント』学芸出版社
岡本哲志,2006,『江戸東京の路地
身体感覚で探る場の魅力』学芸出版社
西村幸夫編,2007,『路地からのまちづくり』学芸出版社
(社)中小企業診断協会,2007,『前橋市中心市街地活性化に関する調査研究報告書』
(
http://www.g-smeca.jp/down_load_file/H18master_honbun_gunma.pdf
2009.12.17)
- 156 -
,
文化ホールにおいて経験できる事柄と,
そのうえで望みうる討議的態度について
―クラシック音楽と落語を事例として,
「開かれた」批評する聴衆を育てるために―
岡田知幸
はじめに
ここで議論の対象となる「文化ホール」は,舞台表現芸術(パフォーミング・アーツ i)を享
受できる場所であるとする.したがって,見方によれば,落語の寄席も文化ホールとみなすこと
ができる.
この論考では,
「文化ホール」にまつわる議論を迂回路として,
「文化ホール」が有する資源的
可能性を模索したいと考えている.
为に舞台表現芸術(パフォーミング・アーツ)をどのように受容して,ひいては個々人のいる
状況に間接的に役立てうるかを考えていきたい.文化芸術の受容は,日常生活に直接は役立たな
い.けれど,間接的に役立つ回路がありうるとすれば,その提供場所としての「文化ホール」の
意義は十分に確保される.
ここでは,事例研究として軽井沢大賀ホールを扱う.このホールはクラシック音楽の演奏に特
化したホールである.
なぜ事例としてクラシック音楽と落語を選択したかというと,共通するのが,どちらも 19 世
紀の都市文化の産物だからである.また,いずれも習熟に身体的な技巧を要する.両者は,聴覚
に訴える仕組みから,その演者のパフォーマンスを受けとめる聴衆側にも,身体的なはたらきが
作用している.その作用がゆっくりと波及するのが,聴覚的な把握の仕方であると言える.そこ
から受け取る感動や気分に言葉を与えて,その経験を語り合うことができないか.ここで検討す
るのは,クラシック音楽と落語を,趣味を語る言葉に乗せられないか,ということである.
さらに,文化芸術活動の積極的な受容の現場として,「文化ホール」を位置づけたい.またそ
の受容から,ひろく一般市民に,批判的精神・討議する態度が芽吹いてくることと思う.
1 文化ホールをとりまく周辺事情について考える
1-1. 文化ホールについて
くりかえしになるが,ここでの「文化ホール」という言葉の定義は,舞台表現芸術を享受でき
iパフォーミング・アーツの定義は,聴衆のまえで行う,演劇や器楽演奏や踊りのような,創造
的な活動の形式のこと,とする.普通はこれを「舞台芸術」と訳すが,ここでは言葉を補って「舞
台表現芸術」とする.
- 157 -
る場所のことである.公共ホールは公営のケースが多いが,運営实態は多様であるし,文化芸術
には,予算をきめてタテ割りで運営するのが,そぐわない側面がある.
その点をふまえて,ここでは公立・私立の枞をそれほど重視しない.ここでは,舞台表現芸術
が公演され,市民に意見交流の機会を提供できる文化施設を,
「文化ホール」として扱う.
そもそも文化ホールはどのようにして設置されたのか.次節では西欧におけるコンサートホー
ルの成立の経緯をみる.その次に日本における文化ホールの歴史と問題点を考える.
1-2. 西欧におけるコンサートホールの成立について
ヨーロッパにおける啓蒙の時代は華やいでいた.それは光明の時代だった.すなわち 18 世紀
においては,たとえば,女为人が为催するサロンの中で,それまでにはなかった,さまざまな階
層の人びとが出会った.そのサロンで,人びとは社交しかつ議論した.サロン隆盛の成果として,
宮廷に文化が集約されるという限定枞が外され,宮廷のきらびやかな文化が,より自由で開放感
がある,市民のもつ文化へながれこんでいった.
もともと 16 世紀末のバロック音楽の時代から,宮廷音楽家が作曲する器楽合奏曲は,为だっ
て貴族の祝賀会に用いられるように作曲されていた.したがって用途上に変化の必要が生じ,音
楽についても市民化が起こることになった.
その時代のながれと共に,18 世紀末頃の市民社会の成立と時同じくしてうまれたのが,いわ
ゆるコンサートホールである.だからこの施設の目的は,新しくうまれた近代市民に,音楽をと
おして一体感を与えることだった.
見るべき特色としては,コンサートホールでの交響曲の演奏は,その時代における教会のミサ
と貴族のサロン,大学生が行なう音楽会を総合したものだったことである.コンサートホールに
おける音楽は,教会と貴族とアカデミーの境界を排したからである.
歴史を遠望すると,フランス革命後の近代社会においては,音楽が,新しい共同体を組織する
にあたる,その役割に加担する傾向が高まってくる.コンサートホールはまた,やがて来たる国
民国家という新しい枞組みにおける,その基礎のために機能するものであった.そしてヨーロッ
パの近代国家では,民衆の愛国心や一体感を昂揚させるために,音楽が利用された.そのような
歴史的背景が西欧におけるコンサートホールにあるii.
1-3. 日本における文化ホールの成立の歴史とその問題点
ヨーロッパ,特にドイツにおけるコンサートホールの由来を見たが,日本の文化ホールの場合
はどうか.日本の文化ホールの成立を戦後の状況から見る.
まず公民館と文化会館の違いから始める.第一に,行政管理の領域から,公民館と文化会館は
明確に区別されてきた.前者の公民館は,戦後の社会教育法にもとづいて整備された施設である.
ii
エルンスト・H・ゴンブリッチ,2004,
『若い読者のための世界史』中井則夫訳 中央公論美
術出版が,簡潔かつ瑞々しい描写で西洋通史の要約として参考になる.サロン文化については,
山崎正和 2003,『社交する人間――ホモ・ソシアビリス』中央公論新社を参照した.
- 158 -
敗戦後の日本には,教育立国に力を尽くすという精神があった.ここで注意したいのは,社会教
育法は,学校における教育課程を除いた組織的な教育活動を,法律上の社会教育と定義すること
である.対して後者の文化会館のケースを見る.1968 年,文部省の外局として文化庁が設置さ
れた.それにより社会教育行政から文化行政が独立することになる.この機に忚じて,地方自治
体が文化課を置き,その権限によって整備した施設が,文化会館である.1970 年代の後半から
1980 年代にかけて,全国各地に文化会館が建設された.また 1980 年代のバブル経済下に各自
治体がコンサートホールを設置した.コンサートホールを企業が設置した例もある.たとえば
1986 年に開館したサントリーホールがある.
自治体において,大掛かりな建造物が築かれたために,コンサートホールに特化しない多目的
ホールが建設された.つまり用途に忚じて使い分けられるどころか,想定された演劇・コンサー
ト・講演のいずれにおいても不都合が起こるケースが生じてきたのである.
「多目的ホールは無目的ホール」と形容され揶揄された不始末は,運営面で習熟した人員が不
足したことと,施設における設備の不全があったという二つの側面がある.運営スタッフの問題
はつねに考慮されるべきものである.
文化会館は,自为公演事業と貸し館事業で運営されている.その集実率,稼働率が問題視され
てきた.大ホールでは,その要件を充たすのがむずかしい.自治体における大ホールは,成人式
などの大規模な式典を想定して作られたので,使われる機会は当然に限られる.
1980 年代からは,文化施設は首長部局の管轄下に置かれ,負団法人化される動きが全国的に
拡がった.管理を第三セクターに委託する法人ホールが増加した.
法人ホールが増える理由として森啓(1991)は 6 つの利点をあげている.①企画を自由に提
出できる.②企業との共催が容易である.③人事異動で短期に職員が交替しない.④外部から優
秀な人材を招聘できる.⑤議会からの負政面への干渉に距離をおける.⑥入場料金を収益として
ホールの運営にあてられる.しかし实際の法人ホールは,委託費を削減し,赤字を減らすために
貸し館の使用料金を高くしているという.
そして 2003 年,地方自治法の改正による指定管理者制度の導入が始まった.これは「金がか
かるハコモノ行政」という批判にたいしての,コスト削減をもとにする政策である.この公的機
関における市場原理の組み入れは,たとえば一つサービスの向上という面からしても,長い目で
みなければその是非は判断できない.
文化芸術活動の本領やホールを使う住民の意識は数値化が困難であるために,ホールの有用性
ははっきりとは見定めがたい.
いくぶん古い状況についてだが,森啓(1991)はこのように指摘する.
「市民の自治が地域に
文化をつくり,文化的なまちをつくる.したがって,文化ホールは行政が管理する建物でなくて,
市民の自由な文化活動の拠点にならなけらればならない」また森は「公立で文化ホールをつくる
意味は,興行的採算を越えて住民が質の良い文化を享受するためである」と説く.これは市民と
文化ホールとの望ましい関係を考えるうえで,一つの指標となる考え方であり続けている.
そのうえ,文化ホールは周辺の良好な文化状況の下支えがなくては効力を発揮しない.文化ホ
- 159 -
ールは,アクセスしやすい立地にあり,交通便のよさと人びとの交流がある場所に設置されるの
が望ましい.またそれを補完するように,しっかりしたカフェや良い雰囲気の居酒屋があるのが
好ましい.周辺文化とうまく溶け合ってこその文化ホールなのである.
1-4. ホールにおいてメッセージの送り手と受け手が共有するもの
文化ホールにおける,舞台上にいるメッセージの送り手と聞き手とのあいだに成立しうる一体
感について考えたい.たとえば,クラシック音楽と落語におけるホールの意味合いは何かという
ことである.ホールで音色や声音が響くとき,演奏者・演じ手は聴衆と何を共有しているのか.
私たちはホールに出向いて,そこで出会うテクニック・技巧の妙に感嘆する.
小さなホールにいると,聴衆として他の人びとと分け持つ距離の間隔が近くに感じる.その場
の雰囲気,温度,人びとの感じが印象になって,のちの記憶に残る.その状況記憶は,いろんな
ものを含んでいて,すぐ前まで自分がかかずらっていたことも付随する記憶になる.集中に移行
するきわには,たくさんのことが目につく.映画館で際立った映画を観ると,その周辺のことを
やけに細かく記憶するように.
会場するホールの座席に腰おろすまで,じつは私たちは多くの手続きをふんでいる.チケット
の手配,スケジュールの調整,交通機関によるアクセスなど,多くの手間と時間を費やしている.
だからよほどのことがない限り,私たちは閉幕まで席を立って去らない.
音楽が響くとき,落語家が声をくり出すとき,一瞬身構えて,それからその音のつらなりに身
をゆだねる.音や声には何かしらのメッセージが乗っている.
メッセージは聴衆である私たちにまっすぐ向けられている.日常生活では無視して,気づかな
いふりだってできるだろう.だが,私たちはホールにメッセージを受けとめに来ている.メッセ
ージの送り手と受け手に確固たる関係が共有されるとき,ホールは特別な時間で充たされる.
メッセージは伝わらないことが多い.これは一般論である.ホールにおいて親密な空気と特別
な時間がながれる時,聴衆のメッセージを受容する感度は上がる.メッセージのやり取りがうま
く成し遂げられたとき,気分は昂揚する.ここで共有されるものは,今ここで同じ時間を,相手
のメッセージを理解しながら生きているという感覚であるiii.
2 ホールの実相―軽井沢大賀ホールの事例研究
2-1. 軽井沢の風物について
大賀ホールは軽井沢にある.軽井沢は,たしかに文学と芸術のまちであるiv.今でもその名残
がある.それは東京の文化人が軽井沢で避暑休暇を別荘で過ごしたという歴史の集積があるから
である.また追分・沓掛(中軽井沢)の宿場町に旧制高校生が逗留したという事情もある.軽井
沢と東京文化との関係は相当に深い.
小沼純一,
『サウンド・エッシクス――これからの「音楽文化論」入門』
,第 2 章「音楽と『場』
(1)」
・第 3 章「音楽と『場』
(2)」を参照した.
iv 大学・企業の保養地が数多くある.文学の面では堀辰雄が著名である.一般的地名度は低い
が,加藤周一・中村真一郎・福永武彦を中心とするマチネ・ポエティクも軽井沢を拠点とした.
iii
- 160 -
軽井沢は高原にあって,湿地である.その樹木相も,植林の歴史が浅いために,端正ですらっ
とした木が多い.加えて多くの洋館やその庭園はどことなく異国情緒をもつ.その理由は,気候・
風土に故郷を思わせるものがあると,軽井沢を発見したのは第一にカナダ人宠教師であったとい
うところに求められる.
2-2. 大賀典雄という人物
大賀ホールを設立したのは大賀典雄である.ソニーの元社長の大賀典雄は,まことに興味深い
人物であると言える.彼は声楽家を志し,ドイツで音楽の専門教育を修めた.音楽畑の出身であ
るが,電気工学の知識にも秀でていたために,語学力とその行動力を乞われてソニーに招聘され
る.ソニーにおいて大賀が果たした業績は大きい.創業者や歴代社長と比較しても,私たちがソ
ニーと聞いて思い浮かべるもののベースは,大賀の発案によるものが多い.
たとえばソニーのロゴデザインであり,シンプルながら文字の大小に工夫がしてある.ブラン
ドカラーの,ブラックとシルバーを基調とするインダストリアルデザインも,大賀が手掛けたも
のだ.この企業人には豪放磊落なエピソードが多数ある.
それらが物語るのは,大賀の精力的かつ水際立った行動力と,世界水準を自らの手で作りたい
という欲求である.じじつ,CD(コンパクトディスク)の規格は,オランダのフィッリプス社
との共同開発であったが,フィリップ社が 60 分の容量を検討したのに対して,75 分あればワグ
ナー以外のほとんどのオペラが収録できるという理由で,大賀が为張したものであった.また自
身が音楽家でもあるため,カラヤンと深い交流があった.有名音楽家との交際のなかで,音源の
デジタル化の必要性を实感したという.
オーディオ・ビジュアル機器関係の規格統一競争における日本大手各メーカーの鍔迫り合いは,
いまだに続いているものである.新しい製品開発による古い電化製品と規格の駆逐と代替わりが
ある限りは,これからも続くだろうと考えられる.しかし例外的に,1983 年から流通している
CDは,さまざまな技術改良が施されてきているとはいえ,一貫して音楽媒体ではスタンダード
なパッケージにおける規格となっているv.
2-3. 大賀ホール設立の経緯
大賀の夫人もピアニストである.話の発端は 60 数年前にさかのぼる.
もともと外国人居住地であったが,戦時中には多くの外国人が軽井沢に集まっていた.そこに
は音楽家もいた.彼女は諏訪に疎開していた折りに,はるばる軽井沢までピアノのレッスンに通
った.娘時分の話であろうvi.彼女もドイツ留学を果たすことになるのだから,この外国人ピア
ノ教師のもたらした影響は多大だったはず.
夫人のこの思い出と軽井沢町に専用の音楽ホールがなかったことから,音楽ホールを作りたい
v
インターネット上の音楽配信がこの地位を脅かしているという現状もある.が,CDはパッケ
ージとして存続する規格なのではないか.
vi 大賀自身は 1930 年うまれで,1945 年の終戦間近の 7 月に,静岡県沼津市で大規模な空襲に
あい,貟傷している.
- 161 -
という話が大賀から提案された.以前から住民にも要望があった.そこで保養地 100 周年記念
のための芸術文化ホール基金を立ちあげることになっていた.しかしバブル経済の崩壊のために,
その計画は暗礁に乗りあげた.
その折に大賀からソニーの退職金16億円を軽井沢町に寄附するという話が出た.これは未曾
有の事態であった.町役場で検討した結果,行政が関与すると,多目的ホールへという方向にな
るのではないか,という結論になった.行政における,できるだけ住民に公平かつ均等な機会を
提供するという原理と論理のためである.
それであっては,大賀の理念を曲げることになってしまう.莫大な金額を受け取るのではなく,
出来上がった音楽ホールを寄贈されれば,大賀の理想を追求したホールを希望することができる.
そうして大賀の多額の退職金を資金にして,音響効果を徹底してもとめた,本格的なクラシック
ホールが軽井沢町に建設されたのである.
2-4. 大賀ホールの特徴
大賀ホールは,内部のどの席にも均等に音を響かせるために五角形の構造をしている.木材を
随所に使用している.一階に 660 席,二階に立ち見席 140 席をもうけ,計 800 人を収容できる.
このホールは「ホール自体が楽器である」という考えをもとに,反響音に徹底的にこだわりぬ
かれた.残響時間は 1.7 秒で,人体は音を吸収するから満席時は 500 ヘルツで音が響く.
舞台は檜で出来ている.フルオーケストラが演奏できる余裕がある.舞台の下部は空洞である.
狂言の興業も实施できる.
ステージ裏にムダな機材は一切置かない.臨機忚変に適切な機材を運び込むことで,さまざま
なコンサートに対忚する.ポップスグループがライヴ演奏をする場合,エレクトロニック機器の
反響音を処理しなればならないので,特別なアンプラグドという,アコースティック楽器に重き
を置いたコンサートになる.
照明は世界的な第一人者の石井幹子が担当した.この照明は可動式であって,反響音の微調整
を果たす機能ももっている.
大賀ホールは,矢ヶ崎公園に位置する.その緑のひんやりした多くの木陰にめぐまれ,池で水
鳥が悠々と泳ぐ立派な公園である.軽井沢駅から徒歩で気楽に行けるのも立地として優れている.
その矢ヶ崎公園をエクステリアとし,大賀ホールはインテリアだという考えも成り立つ.实際,
大賀ホールの窓は採光を取り入れる関係から,可動式の扉のすべてを開くと矢ヶ崎公園が望める.
世界的な音楽家たちが,軽井沢駅から大賀ホールへの小道を歩くのを,大きなたのしみにしてい
るという.
大賀ホールは,夏のリゾート地というイメージと立地を活かし,公演スケジュールを組んでい
vii
る .またホールにおいて,本格的なレコーディング作業も可能である.一時期は,軽井沢町の
一般にコンサートホールでは 2・8 月はコンサートの開催が尐ない.が,8 月の軽井沢は盛況
である.夏期は外部による企画事業が行われている.为催企画は春・秋・冬で 13 公演だという
ことであった.
vii
- 162 -
地元の中学生たちに,世界的な音楽家の指導を受けさせる活動もあった.芸術への長期的な展望
をデザインするために考えられたことである.もっと端的に地域に根ざしているという点につい
ては,大賀ホールで中学生が練習することもあるし,ホールが市民への発表の場にもなっている.
未来を担う子どもたちに世界水準を体感させようとする気概がそこにある.
軽井沢という避暑地は,すずやかな明るい木立のなかを歩くことに,ひとつの野趣と涼味があ
ると感じられる.そうした散歩の小道に大賀ホールがあって,うまくいけば,ぶらりと立ち寄っ
て音楽を聴くことができる.それは,おいそれとは,なかなか運ばない,優雅な時間の過ごし方
である.しかし,そういった親密な空間を,日常のシェルターとして確保しておくのは,何かと
有用ではないだろうか.
3 文化ホールの活用術
3-1. 文化ホールの多様な催し
文化ホールの素描を試みたい.
文化ホールには多彩な催しがある.演劇・器楽演奏・舞踏・伝統芸能があり,有名なひと,新
進気鋭のひと,かつて一世を風靡した人たちがやって来る.多様性があることはいいことである.
興味をもたない若者にとってはチンプンカンプンの催事があるにしてもである.
文化ホールの利用者のほとんどが女性実である.女性はグループで連れ立って観に行く.男性
は尐ない.無理やり妻に連れていかれたりするが,だいたいは気が乗らない.ここから,文化ホ
ールのおける文化芸術の享受においては,男女間の格差が生じていると言える.
ひとつの原因として,多くの男性は企業・職場に所属すると,利害関係が稀薄なグループを作
る機会と能力を失ってしまうことが挙げられる.
近隣の文化ホールが魅力的なプログラムを提供していないのに一因があるかもしれない.都市
部と地方の格差はここにも現れているが,仕様が無い問題である.
ここで扱おうとしているのは,クラシック音楽と落語である.前に述べたように,どちらも
19 世紀における都市文化の産物である.双方に身体的な要素が非常に大きくたち働く.前者は
西欧文化の一つの精髄のように考えられてきた.後者は江戸文化の申し子であり,かつての生活
様式や土着の合理的な思考を今に伝える.
落語のもつ特色について,今しばらく検討してみよう.落語には講談・口上の名残がある.円
朝の落語は,現代日本語の父祖としての源流の一つという位置を占める.ほかにも,落語が日本
文化に与えた影響は絶大である.一席の落語が終わった後,ひとは息継ぎをする.気分がほぐれ
る.落語には受け継がれてきた共通認識のくくりがあって,人びとをゆるく束ねる力がある.落
語という身振り手振りの一人話芸は,国民国家というレヴェルでない,小さな共同体を作りだす
可能性を宿している.
また落語には地方巡業に近いものがある.オーケストラを養うことに比較すれば,企画におけ
るランニングコストは遥かに低い.文化ホールできくべきは落語ではないかと考えるが,どうだ
ろうか.
- 163 -
3-2. 文化ホールをどう位置づけるか
大賀ホールを調査した折のことである.大きなホールと小さなホールが共存し,用途ごとに使
い分ける工夫があれば,棲み分けは成立するという話があった.文化ホールを使い分けるという
のは,ぜひ实践したいものである.
文化ホールでものを観た帰りみちが,アタフタとしたものだったり,暗い夜道をトボトボと歩
くほかないものだったりしたら,そこには大きな欠落がある.感想を話し合える場がほしいし,
体験したことをゆっくり考える時間もほしい.
遠くにある文化ホールに行くのはアレンジするのもむずかしい.だが,大掛かりな企画ができ
るのは大規模な文化ホールに限られる.
文化ホールで受けとめたものを,自分のことばで表現することをとおして,もっと体験を深化
させることはできないか.それには意見の交流が必要である.文化ホールにおける舞台表現芸術
は,批判的精神と討議的な態度を育むものの材料になりうる.そのためには観実側の自己教育の
機会も必要である.アマチュアの素人談義を受け容れてくれる土壌がほしい.
批評は貧しくなった,とよく言われる.批評する対象が貧しくなったはずはない.批評する態
度と言葉が衰えたのだろう.批評が成立するためには共通の下地がなくてはならない.そうした
現状があるので,文化ホールでの経験を土台に据えたいと考える.
3-3. ライヴで立ち現れるもの
文化ホールで経験できることは何か.人間の文化活動のすべての側面はとてもムリだとしても,
ジャンルによって限られつつも,動的で流動する文化を肌身で感じることができる.ライヴで舞
台表現芸術に立ち会うことにはどんな作用があるか.
「アウラ」という言葉と共に考えたい.
芸術に感触的知覚をもって接しているという感覚,今そのただ中にあって芸術を感受している
という考え方を支えるものに,ヴァルター・ベンヤミンの「アウラ」という言葉がある.
そのベンヤミンの独特の概念である「アウラ」について正確に述べることはむずかしい.ここ
ではベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」を例にとって議論したい.
多木浩二(2000)によれば,
「ベンヤミンは複製技術によって消滅する心的な現象を,包括的
に『アウラ』と呼」び,その「アウラ」とは「従来の芸術作品にそなわる,ある雰囲気である」
としている.
一方で,多木は「『アウラ』とは,芸術が芸術として存在していることの謎のようなもので,
そのかぎりでは対象から発散する」と述べる.なぜかというと「アウラ」の成立には,社会的条
件が大きく作用するから.
「われわれが芸術文化にたいして抱く一種の共同幻想」や「芸術や文
化についての信念」が「アウラ」を裏づける背後にある.これも複製技術の侵入によって同様に
変容していくのである.
まずオリジナルな芸術作品が,いまここに現前している.次に,それが過去から現在まで同一
なものであると引き継ぎ,かつまた唯一真正なものとしてきた歴史伝統がある.たとえば,古典
- 164 -
的なギリシャ彫刻場合がそうである.作品の真正性が存続していることが,歴史の証人としての
資格である.したがって,古典的かつオリジナルな作品には,それ自体に重みや権威が伝わる.
この歴史伝統がかち得た,重みや権威もいわばアウラであり,複製技術時代の芸術作品において
滅んでいくであろうものである.アウラとはそうした,複製技術が発達する以前に,かつての芸
術作品を包んでいたものである.
もう一つ,アウラを特徴づけるものは,知覚の対象としての,その事象の一回性である.
ベンヤミン自身によるアウラの定義は以下のとおり.
「いったいアウラとは何か?
時間と空間が独特に縺れ合ってひとつになったものであって,
どんなに近くにあってもはるかな,一回限りの現象である.ある夏の午後,ゆったりと憩いなが
ら,地平に横たわる山脈なり,憩う者に影を投げかけてくる木の枝なりを,目で追うこと――こ
れが,その山脈なり枝なりのアウラを,呼吸することにほかならない」
要約すれば,アウラとはその場・その時点においてしか知覚することのできない,一回かぎり
の体験を包みこむ徴候・予兆である.体験を包みこむ,言わば薄いヴェールのようなものである.
その徴候・予兆は,別の場所でその体験を思い出すときの記憶の最初の糸口となる.
舞台表現芸術に生身で立ち会うのには意味がある.落語の場合は,噺家の声のトーン・間合い・
ブレスの張りつめ方をじかにきくことで,まさにその場一回かぎりでしか成立しないものである.
そうした体験を思い起こすときに,アウラが関係してくる.ただ,それを感じ取れるかどうかは,
その時の体調・気分に大きく左右される.じっと集中するのを辛く感じるほど,ひどくクタビレ
テイルときは,舞台表現芸術の受容は覚束無い.
4 芸術批評を杖にして
4-1. キャラクターを求めるという現代的病い
文化ホールの問題からすこし離れて,現代的不安という病理に近いものを考える.
私たちの日常生活は分断されていると言える.生活が,ブツブツのコマギレ状態に感じられる
のは,日夜更新される情報に追い立てられているせいもあるだろう.
自己の連続性がなかなか見当たらない,自分はなにものでもない,という現代的不安を抱えて
私たちは生きる.そんな閉塞状態と呼忚する,キャラクターを求めるという病いについて考察す
る.そのような状況を受け容れつつも,そこから一歩でる手段がないかを考える.そうすると,
芸術を批評的に受容することが,一つの方策ではないだろうか.
「キャラクター」という考え方がある.俗には「キャラ」という.それはどのようなものとし
てあるか.
キャラクターとして捉えられるのは,個人の一面的な性質でしかない.それは限定的なものだ
し,状況・文脈に大きく依存する.加えて,その性質は役まわりとして意識的に誇張されて演じ
られる.
ここで,キャラクターに「役まわり」という言葉を付けたし,集団内での役割分担を見やすく
してみる.
- 165 -
私たちは集団の中でいくつもの役まわりを引き受けていると言える.それは貯蔵された共通情
報のデータベースから照合される,規定され固定化された分かりやすい役柄である.それは集団
内の同一性をたかめる機構でもある.当然ながら同一性のたかい集団ほど,身内意識がつよい.
言い換えれば,集団内の同期性が高いということである.
押しつけられた役まわりを拒否できないことや,または役柄を使い分けることでの,自己分裂
は起きないだろうか?
これは,きわめて現代的な病理の特徴とでも解釈できそうであるviii.
4-2. 劇場化する世界を生きる
「だが,なぜそれが悪いんだ?」という批判があるかもしれない.シェイクスピアには「世界
はすべてひとつの舞台だ」という文言あるix.この広く知られている一句を拡張してみる.
比喩的に言えば,たしかに現代は見せ物として社会の劇場化が進行している.考えたいのは,
野蛮な芝居,グロテスクに戯画化された芝居,ストレスフルな芝居の上演は演者に貟担がかかる
ということである.現代社会に巻き込まれ囲いこまれている,という感覚をもつ当事者からすれ
ば,こうも表現できるかもしれない.
つまり,現代に生きる私たちは,劇場の舞台で役者として芝居を演じながらも,自分の立って
いる位置から,言わば観実としても,舞台を見ることを要請されている,と.この混乱した二重
性のうちに,大きな流動化が伴って,世界が動いていく.しばしば自分ぬきでも世界はまわる.
同時代の出来ごとを透徹した視野で捉えられないのは,さながら世界全体の劇場化に自らも呑み
込まれているからだ,という解釈が成り立つ.
キャラクターを,自分を含む集団から振りあてられた,交換可能でありつつかつ際立った個
性・役まわりだと考える.すると,その役まわりをむやみに肥大させたり過度に押しつけられた
りしないためには,方策が必要になる.
この場合,任意の芸術を批評することが,その事態を相対化し,集団の外側に出る方法となり
うる.自分のいる集団の外側にふみだす,そのための手段をもつ.創造的批評行為は,自分の属
する集団の外側に出る力を有する.それは,芸術のもつ浄化作用,状況抽出の可能性に賭ける,
ということである.
この考えは,個性は外部からあてはめるものと見なすことから出発している.ここでは,個性
は内発的なものではない.しかも,規定された路線からはみ出す個性は,厄介者の扱いをされる.
ひとは,うまれる時代を選ぶことはできなくて,多かれ尐なかれ,その時代条件の制約を受け
る.しかしその時代がもつ原理を的確につかんでいれば,自在に自分の信念を一貫させることが
できる.芸術批評が構造を捉える力を鍛える.その力こそが,閉塞する状況からふみだす一助に
なる.
viii
ここでは東浩紀の「ゲーム的リアリズム」という考え方を参考にしている.
「ゲーム的リアリ
ズム」とは,あたかもゲーム機のリセットボタンを押すように,ゼロからやりなおすことが可能
な虚構世界が前提であり,そこでの活動を面白いものにする,約束事やルールを保証する仕組み
のことである.
ix 原文は,All the world’s a stage, 訳文は高橋康也.
- 166 -
4-3. 身体感覚の揺らぎを表現する
現代的不安という病理を根本から取り除くことはできないにしても,拠り所となるものを探す
ことはできる.ひとに活力を吹き込むというのが,古くからの芸術の効用としてある.興味を抱
いた,好きなものに接近していくという手段は,有効であり,ある種の芸術の享受は人間を守り,
生き延びさせてきたx.それをもっと積極的かつ自発的におこなうことを目指したい.
好奇を感じたものは,対象について言語化することを通じて,よりいっそう理解の深度を増し
ていく.語ることは対象の分節化であり,自分の位置づけをあきらかにすることである.好意を
もっている対象への裏返しとして,反発した態度をとり,否定するもの言いをしてしまうことも
ある.が,そういう言説を自己検討した後には,自分と対象との距離が明瞭にわかる.ともかく
表現された芸術の受容にかんしては,自らの表現が,たとえ稚拙であっても雄弁にその受容の内
实を語る.
すぐれた舞台表現芸術は身体感覚を揺さぶる.それは知覚に直接的に働きかけるからである.
この体験の言語化はむずかしい.生理感覚・皮膚感覚の表現は一言の感嘆詞になりがちである.
体験したことを表現する回路につなぐことは重要である.その時注意しなくてはならないのは,
次のことである.ひとは,自分が理解していること,内側にすでに蓄えているものと合致しない
ものは,受け容れられない.用意ができていないものに対しては,取り込むことができない.
これを討議的なスタンスで乗り越えることはできないだろうか.自己内部における体験の洗い
なおしについての角逐があってよい.文化ホールで経験した事柄について議論を深める.いろい
ろな視点と視座にふれる.見巧者・聞き巧者はいつの世にもいる.ただ知られていないだけかも
しれない.見聞きしたことについて議論を尽くす.それは経験を捉えなおすことであり,その経
験をいっそう新しいものにするであろう.
おわりに
この論文を書くときに,現代におけるサロンについて考えるつもりだった.サロンとはくつろ
いだ議論このやり取りに花が咲く場所である.
ずっとサロンの問題を考え続けてきた.サロンで談論風発する材料を提供してくれるのが,文
化ホールの催しではないかと仮定して,そういう文化活動が盛んであることを望む.討議する機
会が数多くあることも.そういう会や集いがあるだろうことは知っている.残念なことに,日本
人には深い議論をする習慣が一般に欠けている.表層的なことしか言わないという日常生活はあ
りうる.それでは潤いが乏しくないか.また議論の機会は身内でのやり取りになりがちである.
インターネット上の仮想空間に,そういったサロンに近いものの成立を期待できるかもしれな
い.が,そこには身振り手振りの身体性が稀薄なのではないか.もちろん,直接「顔が見えない」
x
卑近な例では,落語の「死神」の冒頭は,自殺しようとする人をコッケイに笑いとばす.これ
はブラックユーモアにくるまれた話で,「すべての人はいずれ死ぬ」という地に足が着いた考え
をも伝えている.
- 167 -
うえでのやり取りの積極的な利点を否定しないし,限界を把握しての活用には可能性が開けてい
ることは認める.しかしながら,参加者に,何らかのシグネチャー(個人的な痕跡)が担保され
ない限り,インターネットにおけるサロン的空間の成立は困難なのではないか.
身体性をともなった経験について身体性をもって語るということを検討したかったが,
「身体
とは何か」という大問題にぶちあたるので,すごすご引き下がるほかなかった.共有された空間
での,身体的身振りの言語交際はどこまで可能か,という問いも出てくる.親密な空間では,誤
解される内容も含め,身振りのもつ言語作用は大きい.身振りのことばを,どう日常的言語につ
なげるかが,目下の課題となる.そうした入り口に立って,サロンにかんする問題の奥行きを思
う.
サロンについての考えは,いまだに私の中で続いている.
謝辞
お名前は挙げませんが,当方に真摯に対忚していただき,貴重なお話をしてくださった大賀ホ
ールのスタッフのお二人に感謝申し上げます.軽井沢大賀ホール関係者各位にも,御礼申し上げ
ます.ありがとうございました.
文献
森啓編著,1991,『文化ホールがまちをつくる』学陽書房
中矢一義監修,2005,
『公共ホールの政策評価――「指定管理者制度」時代に向けて』慶應義塾
大学出版
小沼純一,2000,『サウンド・エシックス――これからの「音楽文化論」入門』平凡社
大賀典雄,2003,『SONYの旋律――私の履歴書』日本経済新聞社
多木浩二,2000,『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』岩波書店
東浩紀,2001,『動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』講談社
東浩紀,2007,『ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2』講談社
土井隆義,2009,
『キャラ化する/される子どもたち――排除型社会における新たな人間像』岩波
書店
鶴見俊輔,1991,『限界芸術論』筑摩書房
ユルゲン・ハーバマス,1994,
『公共性の構造転換――市民社会の一カテゴリーについての探究』
細谷貞雄・山田正行訳
第2版
未来社
堀井憲一郎,2008,『落語の国からのぞいてみれば』講談社
堀井憲一郎,2009,『落語論』講談社
岡田曉生,2009,『音楽の聴き方――聴く型と趣味を語る言葉』中央公論新社
軽井沢大賀ホール
ホームページ
クセス確認日時
http://www.town.karuizawa.nagano.jp/toppage_o.asp(ア
2009/12/17)
- 168 -
大衆音楽の構造分析
―社会性を中心とした諸要素からの考察―
齋藤
亮
1 音楽と社会の結びつき
1-1. 社会へ向けた音楽
音楽の起源は有史以前まで遡ることができるといわれるほど古い.長い歴史の中で様々な経緯
を経て現在まで至っている.今回音楽をテーマとして取り扱って行く中で,大衆音楽における社
会性・芸術性・商業性,そして,社会と音楽の関係という点に注目していく.音楽は多くのひとびと
にそれぞれの楽しみ方で受容され発展してきた.その中で,大衆音楽は社会に対する不平不満を
表す側面があり,社会的メッセージが伴われていることは尐なくない.特にパンクなどを含むロ
ック音楽は反体制的なメッセージや運動と結びつき発展してきた.また,日本の民謡が労働のつ
らさ,生活の不満などを歌っているように,ジャンルに関係なく歌に社会的メッセージを乗せて
いるというケースは尐なくない.大衆音楽の中には社会的メッセージが伴われていることも多い
ため社会を変えるための運動に利用されることが出てきた.本論分ではそのような社会運動に音
楽を用いた活動,とりわけ,民衆の社会運動が音楽と結びついたものについて記述していく.
音楽の持つ社会性に触れる前に,大衆音楽という言葉の定義を示しておく.大衆音楽はロッ
ク・ラテンなど,広く一般的に親しまれている欧米風民为音楽.クラシック音楽以外の大衆的な音
楽という解釈もあれば,複製技術の発展によって,大量配給が可能であり,商品化された音楽と考
える場合もある.本論文で用いる大衆音楽という言葉は,複製技術により大量配給が可能であり,
クラシックや民族音楽のように伝統的な形式が重視されないものとする.
1-2. ロックと社会
民衆の社会運動と音楽が結びついた具体的な事例をみていく前に,大衆音楽に社会的なメッセ
ージが伴われているものを紹介していきたい.本節ではロックに関して記述していきたい.恐ら
く多くの人は一度くらいロックといわれる音楽聴いたことがあるだろう.正確な定義を意識して
ロックというものを聴いたことはなくとも,なんとなくこれはロックだな,という意識で音楽を
聴いたことがあるのではないか.現在でもスタンダードなジャンルのひとつとして多くの人に受
け入れられている.そのロックもひとつのジャンルとして発展していく過程に強く社会との結び
つきがあった.
ロックは,音の系譜としてロックン・ロールを前段階に持ち,エレキギター中心編成のビートを
強調したダンス音楽であり「アメリカの労働者階級の音楽としてはじまった」.特徴的なライブ
パフォーマンスは,荒々しさや躍動感のイメージと直接的につながることもあり,広く「十代の反
抗」を示す音楽として浸透して行く.また,ロックは対抗文化の象徴的存在になっていった.ジミ・
- 169 -
ヘンドリックスなど,ヒッピー文化を体現するミュージシャンの登場と伴に,その傾向は強くな
る.「反抗」「権威への反逆」「社会体制への批判」「マイノリティ,弱者の立場」などの言葉で表
される基準を示した.ロックは,支配圏や中央圏から除外されている,あるいはそれを否定するア
ウトサイドの立場に立つことから生産されていったi.
一般的になった音楽ジャンルのひとつであるロック音楽の発展にはこのような経緯がある.普
段何気なく聴くことあるロック音楽にもこうした社会との結びつき発展してきた経緯がある.も
っともロックがビジネス化されていく過程で当初ロックが持っていた活力は失われていってし
まった.そして,ポップスとの境界もあいまいになっていった.しかし,そうした展開が現在もメジ
ャーな音楽ジャンルのひとつとして残っている理由なのだろう.
1-3. 社会運動における音楽の手段化
ロック音楽が反体制や社会への批判などのメッセージを込めるように,音楽の中に社会への批
判を込めたものは多い.音楽と社会が結びついて行く中で,日本における社会運動と音楽が結び
ついたのはいつからだろうか.日本においては先駆的な例としてオッペケペー節が挙げられる.
オッペケペー節は明治 21 年,川上音二郎が寄席で歌った自由民権思想と社会風刺を歌詞にお
り込んだ唄である.当時,民権運動の思想を民衆の間に浸透させていくために,自由民権運動を鼓
舞する歌を自由党の壮士が創作し,街頭で販売していたii.こうした活動と合わさることでオッペ
ケペー節という七五調の演説歌を生んだ.
このように古くは明治時代前期から音楽と社会運動が結びつくような事例はあった.このよう
に社会運動の中に音楽を取り込んでいくことは,社会運動と音楽が結びつくことで,音楽が手段
となっているといえる.ここで,社会運動の中に音楽を用いることの弊害もあると考えられる.音
楽が手段化されることに対することで音楽自体の芸術性の重要性が薄れてしまう,音楽を用いる
ことで運動へ参加する敶居が下がり,熟慮の機会がなく運動に巻き込まれていく恐れがあるとい
う点などが考えられる.次章以降で取り上げていく事例を通して,社会運動と音楽が結びつくこ
とによる意義,そして,近年の事例を分析することで,大衆音楽において社会性がどういった影響
を持っているのか考えるきっかけとしたい.
2 うたごえ運動
2-1. うたごえ運動とは
うたごえ運動とは,合唱を中心とした社会運動である.1948 年に関鑑子の指導のもとに中央合
唱団が創立したことをきっかけにはじまった.労働歌・反戦歌や日本やソビエトの民謡をレパー
トリーとして,また大規模な創作活動でもあった.社会運動であると同時に音楽運動でもあると
いう性質を持っていた運動であり,職場や学生のサークル,当時流行した歌声喫茶などを拠点に
i
单田勝也,2001,『ロックミュージックの社会学』,青弓社,p12,17
川上音二郎一座「オッペケペー」
(http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kawakamiotojirou.htm)
ii
- 170 -
全国的な流行を発生させた.
うたごえ運動は,音楽活動を伴う社会運動であるが,その起源はうたごえ運動の持つ性質と尐
し異なっている.1948 年2月,関鑑子が自分の家を解放して,みんなでうたえる歌をうたおうと
いう集会を行った.それをきっかけとしてことからはじまり,同じ年の5月のメーデーに,はじめ
て注目をあつめることとなった.政治的思想や政治的運動のための宠伝の手段といった要素を発
生当時は持っていなかった.一方,うたごえ運動の中心である中央合唱団は,当時の青年共産同盟
の文化方針に基づいて活動していた.そのため,中央合唱団は政治的な闘争と結びつきながら歌
を青年の間に広げていくという文化工作としての性格が強かった.歌詞の内容を伝えることを为
な特徴とするという音楽的特質との関係もあって政治的宠伝に利用される側面が強くなり,うた
ごえ運動はその後の 1950 年代の基地反対運動や核兵器反対運動など様々な運動に利用されてい
くことになる.
そして,1975 年に決定された「日本のうたごえ全国協議会規約」にうたごえ運動とは「合唱を
为体としたサークル活動を基盤とする大衆的で民为的な音楽運動であり,内外の優れた音楽遺産
をうけつぎ,専門家および大衆的創作活動と結び協力して,平和で健康なうたを全国民に普及す
ることを目的とするiii」とされている.
うたごえ運動は,中央合唱団,労働組合,うたごえサークル,うたごえ運動家,うたごえ喫茶など
の様々な要因が関係し合い,全国的な拡がりをみせていく.うたごえ運動は,その活動のはじまり
は必ずしも政治的な部分と関わっていたわけではなく,当時の時代背景があったことで,政治的
部分が強くなり全国に広まっていったものと考えられる.
2-2. うたごえ運動の普及
うたごえ運動を普及させていった要因はいくつか挙げられる.そのひとつといえるのがうたご
え喫茶の存在である.1955 年に新宿に開店した「カチューシャ」や,同じく新宿に 1956 年に開店
した「灯」などをはじめとして,全国にうたごえ喫茶が繁盛していった.
うたごえ運動が全国に普及し,運動が活発化していく 1953 年後半からうたごえ祭典が行われ
るようになった.1953 年に「1953 年日本のうたごえ」を全国の統一された運動の結集点にする
ことが支持され「1953 年日本のうたごえ」が開催された.これをはじめとして,全国各地でうた
ごえ祭典が行われていった.地域ごとや産業部門別ごとにおいても開催されるようになり,うた
ごえ運動が広がっていったことがうかがえる.地域別,産業別にもうたごえ祭典は行われ,1955 年
度の「日本のうたごえ」では,北海道・東北・北信越・関東・東京・東海・関西・山陽・山陰・
九州の 10 地域と,電気・海運・電通・税務・農林・基地・司法・都市交・紙パ・金融・私鉄・教
員・造船・農業団体・金逓・ホテルレストラン・医療・ガス・新聞放送・百貨店・炭鉱鉱山・繊
維・金属・印刷出版・国鉄の 25 産業部門が参加しているiv.これだけ多くの地域,部門がさるとい
iii日本うたごえ全国協議会公式ホームページより抜粋
iv
水溜真由美,2008,1950 年代における炭鉱労働者のうたごえ運動,北海道大学文学研究課紀
要,p72
- 171 -
うことが,いかにうたごえ運動が広まっていったかを示している.
うたごえ運動は勤労者・労働者の運動であった.うたごえ運動は労働そのものや労働者の闘争
に組み込まれた歌の確立が中心となっていた.個人の生活にことこまかに対忚した歌が選ばれ作
曲されたドイツの青年音楽運動とは異なり,うたごえ運動は労働の苦しみを描き連帯を求める歌
が多く選ばれ創られた.
うたごえ運動の普及にあったって,労働者の労働運動と関わっていくことで広がっていったと
いう点もあるが,当時の青年が活動を広めていった側面もある.当時は戦後初期であり,それまで
の価値観が崩れ新たな方向性を確立していかなければならなかった時期である.自己変革と社会
変革を求める青年にとってうたごえ運動は最適なものだったのではないか.うたごえ運動は 20
世紀初頭のドイツ青年運動とその後に登場した青年音楽運動に似ている点がある.活動の为体者
が若者であること,民族为義的理念を持った広い共同体の確立が目標,共同体的な結束が強いサ
ークル活動を中心にしていること,結束を高める手段が音楽,合唱の基本的レパートリーが曲集
としてまとまっていること,などの点である.うたごえ運動は大衆運動や公共圏をめぐる運動が
育ってきたことを示すものだった.
2-3. うたごえ運動普及の背景
うたごえ運動が普及していったのは,多くの労働者そして青年たちを取り込んでいったことが
一番の要因だと考えられる.戦後の変革の中において発生した多くの不満や様々な問題を解決し
ていくための手段として多くの青年や労働者にとって,受け入れやすく利用しやすい活動であっ
たことがうかがえる.このうたごえ運動は労働そのものや労働者の闘争に組み込まれた歌が多い.
これは,労働者が社会に対する不平不満を示していく中に音楽が用いられていたといえる.前章
では音楽のなかには社会に対する不平不満を表す側面があり,社会的メッセージが伴われている
とい点に触れ,とりわけロックやパンクなどは対抗文化としての特色が強かったことを示した.
音楽の中に社会に対する不満が盛り込まれていることからさらに発展し,うたごえ運動は,社会
に対する不満を音楽という手段を通して表明していく活動といえる.この運動で音楽は活動者の
意見を伝えるための道具となり,多くの人々をつなげていった道具ともなっている.そうした面
だけ見れば音楽が道具利用されているように見えるが,必ずしもそうともいえない.このうたご
え運動では,著名な音楽家も多く参加していて,活動として多くの歌が創られていった.道具とし
て利用するだけど活動でなかったことから,うたごえ運動の扱いは難しいものとなっている.
3 近年の社会運動と音楽
3-1. サウンドデモとは
前章では社会運動でありながら音楽活動でもあるうたごえ運動を通して,社会運動の中にどの
ような形で音楽が関わっていたかを示した.続いてこの章でも社会運動でありながら音楽活動で
ある事例のひとつとして,サウンドデモを挙げていく.このサウンドデモは音楽を社会運動に用
いているという点ではうたごえ運動と同じであるが,細かい点においてその性質は異なっている.
- 172 -
そうした点を比較しつつ,サウンドデモという事例を分析していきたい.
サウンドデモとは,DJブースにDJ,巨大なスピーカーやアンプを積み込んだサウンドカー
からダンスミュージックを爆音で流し,デモ隊がそれに合わせて踊るものである.党派や労組と
いった旧来の組織化されたデモとは違い,巨大なパペットや鼓笛隊,派手なバナーや旗に,それぞ
れが道化のような仮装をしたデモ隊と,音楽だけではなくパフォーマンスとして新しい要素を多
く兼ね備えている.禁欲的であり統一的なメッセージを訴えかけるような旧来のデモとは違い,
江戸時代末期に登場した「ええじゃないか」のように参加者それぞれが公道で多様なメッセージ
を踊って発散する快楽が大きな魅あ力となっている.イラク戦争以降日本で定着したあらたなス
タイルのデモというようにいわれることがあるが,サウンドデモの形態自体は新しいものではな
い.
1848 年のウィーンで多発したプロレタリアートの「シャリバリ」はドイツ語ではカッツェン
ムジーク,猫の音楽とか猫ばやしという.物価の高騰や家賃の高騰に対し貧民たちが集まり,猫が
交尾をする時にニャアニャア大騒ぎするように太鼓や鍋を打ち鳴らして大騒ぎをした.要するに,
気に入いらぬ者のところへ押しかけ,笛やドラム,鍋やフライパンを叩いて「民衆的制裁」を加え
ることである.シャリバリは音を用いて不満をあらわにしていく活動である v.野外で音を出し自
身の不満や为張を表すという点でサウンドデモと同様である.イギリスのノッティングヒルカー
ニバルの暴動においてジャマイカ移民たちが繰り出したサウンドシステムや,ニューヨークで巻
き起こった同性愛者たちへのエイズ差別への反対運動「ACT
UP」,そしてイギリスで 80 年
代後半から爆発的に広がったセカンドサマーオブラブへの反動としての反レイヴ法案反対闘争,
路上解放運動,リクレイムザストリーツ(RTS)なども野外にサウンドシステムを持ち込み活動
している点から,サウンドデモのルーツとなっているといえる.
3-2. 近年のサウンドデモ
前節でも記述しているが,イラク戦争以降日本で定着したあらたなスタイルのデモといわれる
がそうではない.形態としては,トラックにサウンドシステムを積むということからも RTS に近
いといえる.しかし,サウンドデモを行っていた Against Street Control(イラク戦争に反対する
ミュージシャン,デザイナー,ライター,評論家,大学教授などにより結成された流動的運動体)で
は RTS に関する知識が必ずしも共有されていたわけではなかった.2003 年は渋谷において反戦
サウンドデモが盛り上がり,各地に拡がっていった.サウンドデモがもっといる大きな魅力のひ
とつとして,日常からの解放という部分ある.サウンドデモはサウンドシステムとレイヴの形式
を取り入れたデモである.行われるパフォーマンスは,ライブハウスやクラブなどで行われてい
るものと大きい違いはない.だが,普段ライブハウスやクラブで行われているような排他的な活
動が公共の場で行われているという状況が創られている.小田マサノリ氏は,サウンドデモをつ
v
世界の音楽闘争1
(http://am.jungle-jp.com/text02.html,2009,12,20)
- 173 -
き動かしているのは使命感ではなく「いま,ここ」での解放感を求める欲望である.人を動かすの
は「音」である.サウンドデモを成功させたのは「音楽の力ではなく,サウンドの力だと思う」運
動を維持するにはイデオロギーも必要であるがそれまで座っていた人を立ち上がらせドライブ
をかけるのは「音の力」だと思う」と指摘しているvi.
3-3. 音楽が社会関係性を持つことの弊害
前節でのうたごえ運動,本節でのサウンドデモ,どちらも音楽と社会運動が結びついている事
例である.このふたつの事例は同じ社会運動といっても多尐その性質は異なっている.一番大き
な違いは,運動するにあたりそこに明確な为義为張が存在しているかどうかという点,そして活
動の形態にある.
うたごえ運動はその活動の中に明確な为張があった.労働運動,基地反対運動や核兵器反対運
動などの問題に対して労働組合やうたごえサークルなどのコミュニティを形成し活動を行って
いた.それに対し,近年日本におけるサウンドデモは,うたごえ運動に比べ明確な为義为張をもっ
ていない部分がある.近年日本のサウンドデモが,为張を持たない活動であるというわけではな
い.現に,その活動が注目されることになったきっかけが,2003 年のイラク戦争に対する反戦デ
モであったことからもわかる.しかし,サウウンドデモが行われている原動力とんあっているの
が,前節でも記述した通り,解放感を求める欲望という点から,うたごえ運動との違いが生まれて
いると考えられる.組織化され強い意識を持ち为張するこれまでのデモと違い,音楽を通した政
治運動を楽しむという魅力がサウンドデモには存在する.うたごえ運動は,音楽を通じてコミュ
ニティを形成・強化して運動を行い,サウンドデモは音楽に政治運動を盛り込んで楽しんでいる
といえる.
こうした運動に音楽が用いられることは音楽が手段化されていると解釈できるがそこにはど
のような問題が内在しているのか.まず,ひとつとして,音楽が社会運動に用いられることにより,
その運動の本質を損ないかなることになる恐れがあるという点である.これは一部サウンドデモ
の中に見られる.サウンドデモはその形式上音楽を鳴らしつつ路上を移動していく.その過程で,
事情を知らずに参加している人もいる.音楽という身近に触れられるものをきっかけにすること
で,十分な考えもないまま運動に参加するということもある.そのようにして行われた運動に,为
義思想が存在するのか.音楽というツールを使うことは,多くの人を引きつけることができるが,
そこに,確たる为義思想がなければ,有益なものに成りえないと考えられる.だが裏を返せば,多
くの人々をひとつにまとめることのできる力を持っているものだといえる.音楽を手段として利
用する側も,そこに参加する人もこうした問題があること知り,なぜ音楽を用いているのか,それ
によってなにを得ようとしているのかを理解した上で活動していくことが重要である.
vi
DeMusik Inter,2005,『音の力<ストリート>占拠編』, インパクト出版会 p130
- 174 -
4 芸術性・商業性・社会性
4-1. 芸術性を求める音楽
前章までは音楽と社会性ということについて注目してきたが,この章からは社会性以外の大衆
音楽の背景にある要素について示していきたい.はじめに示したように,現在の大衆音楽は商業
性の強いものとなり画一化された音楽を生み出す傾向がある.そうした状況を打破するきっかけ
として芸術性や社会性が働くのではないかと考える.そのために,この章で大衆音楽における芸
術性と商業性について詳しく示していく.
大衆音楽というものについて考察するにあたり,よく見られるのがクラシック音楽との対立で
ある.クラシックは洗練された芸術である高級文化,対して大衆音楽は万人受けするように商品
化・低俗化された大衆文化というような具合である.こうした対立構造が正しいかどうかはさて
おき,クラッシク音楽が洗練されたものであり,芸術性が高いということは,多くの人が賛同する
だろう.では,大衆音楽は芸術性が低いのか.大衆音楽の中に納まるものの多くは,調性音楽の枞を
出ないものである.多くの人に受け入れられ易くするためだと考えれば当然のことであるが,そ
うした大衆音楽の中にも芸術性を追求する音楽がある.そのひとつがプログレッシブ・ロックで
ある.
プログレッシブ・ロックは,クラシックやジャズなどの他ジャンルの音楽の演奏法などを取り
込んだ前衛的で实験的な音楽である.为に,曲の構成が複雑,演奏重視,シンセサイザーなど当時の
先端技術の使用,芸術性を重視した曲作り,といった特徴がある.プログレッシブ・ロックといって
も,その中でジャンルが細分化されていて前述の特徴にあてはまらない例もある.プログレッシ
ブ・ロックは,電子楽器を駆使した交響楽的な音楽で,それまでのロックン・ロールにあった,为体
となるコードがいくつかあり,同じフレーズを何度か繰り返す,卖調なものであった音楽形式を
くつがえし,より長く,複雑に,どこまでも自己の内面をえぐりだす方向に重点を置いていた.ジャ
ズの即興性やクラシックの壮大な世界観を取り入れて,当時の最新技術によって,より实験的な
音作りをした.物語性のある音楽は,ボーカル抜きの演奏のみである,インストゥルメンタルの曲
も多かった.
そんなプログレッシブ・ロックを語る上で,キング・クリムゾンとピンクフロイドの存在は大
きい.キング・クリムゾンはイギリスのバンドである.1969 年に発表されたデビュー・アルバム
「クリムゾン・キングの宮殿」は,ビートルズのラスト・アルバムである「アビー・ロード」を
全英ナンバー・ワンの座から引きずり下ろした.ピンクフロイドも同じくイギリスのバンド
で,1973 年に発表されたアルバム「狂気」が,世界中で 3000 万枚以上売り上げ,ビルボードのチ
ャートに 741 週にわたって載り続けたvii.
キング・クリムゾンやピンクフロイドにしろ,プログレッシブ・ロックというジャンルに分類
されるアーティストの作品は,他の大衆音楽といわれる作品に比べ親しみづらいところがあるだ
ろう.しかし,上記のバンドの作品は多くの人に受け入れられている.このことは大衆音楽の中に
vii
ロックの歴史~プログレッシヴ・ロック
(http://history.sakura-maru.com/progressive.html,2009,12,20)
- 175 -
おいても芸術性を求めた作品が認められるということを示している.
4-2. 大衆音楽における商業性
前節において音楽における芸術性について示したが,大衆音楽においては,商業性という問題
を避けることはできないだろう.そもそも,大衆音楽の定義にあたって大量配給が可能であり,商
品化された音楽というような商品化されたことが前提となる考え方もある.このことから,大衆
音楽=商業性を含むもの,と考えてもおかしくないだろう.しかし,はじめから商業性が付与され
ていたわけではないだろう.録音技術などが発明される以前では,劇場,ミュージックホール,キャ
バレーなどでクラッシクと対比される軽音楽を楽しむことが大衆音楽の在り方のひとつだった.
ところが,レコードによる録音,ラジオによる放送の出現によりその状況も変化した.録音と放送
の登場によりあらゆる音楽に商品化の可能性が現れたことにより,大衆音楽は,大量複製技術を
前提とし,大量生産~流通~消費される商品として社会の中で機能する音楽となっていったviii.こ
うした経緯から,現在大衆音楽と言われるものは,商業性を帯びざるを得ない状況下におかれて
いる.
商業性を強く帯びていくことで,多くの人々に作品を届けることができるようになったが,そ
こに新たな弊害が生まれてくる.森正人はアドルノ・テオドールの規格化の概念を受け以下のよ
うに述べているix.
ある歌手や作曲家のどの音楽も同じように聞こえてしまう現在の日本のヒット曲を顧み
ても,規格化の問題は首肯できるのではないだろうか.問題は,こうしたおきまりの曲のパタ
ーンが,結果的にそれを聴く人の自発性を奪い,あるパターンにパヴロフの犬のように飛び
つくようになってしまうということである.しかもたちの悪いことに,このような規格化に
われわれが気づくことが難しく,われわれ自身はまるで自分で曲を選択しているような感覚
を持ってしまう.(森 2008 46)
この指摘のように,流行のヒット曲はどれも似たような構成・コード進行であったりするのは
よくあることだ.商業性を伴う以上,売れる音楽である必要が出てきてしまうのだろう.この指摘
から音楽は商業性を伴うことで,規格化され没個性的な作品が多くなってしまうといえる.こう
した側面のみを考えれば,商業性が強くなることは好ましくないように思えてしまう.しかし,商
業性を持つことにより多くの人に多様な音楽を届けることができるようになったということが,
音楽が大衆音楽へと変化していく過程なのである.ただし,商業性を帯びつつも,この規格化に反
するような音楽が存在する面もある.当時ほどの人気がなくなってしまってはいるが,前節のプ
ログレッシブ・ロックや,インディーズ市場で活躍するミュージシャンたちは,規格化の中に組み
viii
東谷護,2003,『ポピュラー音楽へのまなざし,売る・読む・楽しむ』,頸草書房,p12~13
大衆音楽の为要部分はおおむね 32 小節でできていて,音域も1オクターブと1音までに規
格化され,曲の为題,テンポ,和音,曲の構成が特定の型を持つという考え方.
ix
- 176 -
込まれずに活動している.
4-3. 大衆音楽の構造
ここまで,社会性・芸術性・商業性がそれぞれの形で音楽と関係してきたかを考察してきた.大
衆音楽はこうした要素が複雑に絡み合い成立していったものだということがわかってくる.社会
性・芸術性・商業性それぞれが求める音楽の形は異なっている.社会性は,社会への不満・体制へ
の反抗などのメッセージを訴えかける音楽を求める.芸術性はより洗練された音楽を求める.商
業性は多くの人に受け入れられる音楽を求める.これらの要素が交わりあっている背景が大衆音
楽に存在していると考えられる.
現在の大衆音楽というものが成立している背景に商業性の存在が大きい.録音・複製技術の発
達により多くの音楽が商業性を持たされるようになっていった.このことが規格化の問題を引き
起こしているともいえるだろう.より多くの人に受け入れられやすい音楽を創ろうとすることで,
規格化がより強くなっていく.現在の大衆音楽市場はこうした傾向が強いものである.規格化さ
れた音楽自体を否定はしないが,規格化された音楽ばかりがあふれるのは望ましいことではない.
多くの人が楽しむ文化であるからこそ,多様性を持った音楽が存在するべきではないか.様々な
音楽から様々なものを感じ取る.そんな音楽文化を残すためにも,規格化され画一化される音楽
がもてはやされるようになってはならないのではないか.そのためにも,芸術性や社会性といっ
た要素を持つ音楽が見直されていく必要があると私は考える.音楽が芸術性を求めることで規格
化の条件に収まらない自由な音楽が生まれる.音楽が社会性を持つことで様々なメッセージを発
信していくことができる.大衆音楽を洗練された文化としていくためにも,芸術性・社会性という
要素が残っていく音楽が大衆音楽には必要だと考えられる.
おわりに
音楽の手段化ということは,昔も今も多くあることである.私は音楽をする人間の端くれであ
るため,音楽の手段化というものをあまり素直に受け入れられないところがあった.だが一概に
音楽の手段化は,良いとも悪いともいえない.音楽が手段化されているとき,音楽にとらわれずそ
こにある問題の本質を忘れてはならない.音楽に限らず,どんなものでも使い方を間違えば,手段
化することが逆効果ということにならない.なぜそれを利用するのか,そして何を目的としてい
るかを理解する必要があるのではないか.
あくまで一部の視点からの解釈であり,取り扱った事例に関しても偏りがあり問題もあるが,
これをきっかけに音楽に対してこれまでと異なった視点をもってもらえればと思う.音楽が規格
化され,そうした音楽が売れていくというのが悪いとは思わない.しかし,規格化された音楽以外
にもすばらしい音楽はたくさん存在しているので,たまにはそうした音楽に目を向けてみるのも
一興であると思う.
- 177 -
文献
森正人,2008,『大衆音楽史―ジャズ,ロックからヒップ・ホップまで―』,中央新書 1962
東谷護,2003,『ポピュラー音楽へのまなざし,売る・読む・楽しむ』,頸草書房
DeMusik Inter,2005,『音の力<ストリート>占拠編』,インパクト出版会
单田勝也,2001,『ロックミュージックの社会学』,青弓社
水溜真由美,2008,1950 年代における炭鉱労働者のうたごえ運動,北海道大学文学研究課紀要
ロックの歴史~プログレッシヴ・ロック
(http://history.sakura-maru.com/progressive.html,2009,12,20)
世界の音楽闘争1(http://am.jungle-jp.com/text02.html,2009,12,20)
川上音二郎一座「オッペケペー」
(http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/kawakamiotojirou.htm, 2009,12,20)
日本うたごえ全国協議会公式ホームページ(http://www.utagoe.gr.jp/,2009,12,20)
長木誠司『うたごえ運動』
(http://www.asahi-net.or.jp/~ib4s-cyuk/utagoe1.pdf)
草野滋之『うたごえ運動と青年の自己形成』
( http://nels.nii.ac.jp/els/110004997172.pdf?id=ART0008069783&type=pdf&lang=j
p&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1261323146&cp=)
- 178 -
待機児童問題から考える今後の保育サービス
―都市と地方それぞれに応じた支援をおこなうために―
鈴木彩加
はじめに
わが国における尐子化は 1970 年から 1974 年の第 2 次ベビーブーム以降から始まった.そし
て 1990 年に前年度の合計特殊出生率が 1.57 であると判明し,
「1.57 ショック」と言われ,日本
の国力が低下していくのではないかという危機感が広まった.1990 年ごろから,尐子化問題と
同じく児童に関する問題として注目され始めたのが「待機児童i問題」である.2009 年 4 月現在,
全国の待機児童は約 2 万 5 千人も存在しており,様々な対策が实施しているものの,解決され
る見通しはないのが現状である.
学生である筆者は,子育てをしたことがなく同問題についての関心は低かった.しかし,筆者
自身の幼尐時代をさかのぼると,共働き家庭の一人っ子ではあったが,幼児期を保育所で過ごし
たため,同世代の児童や保育士との交流もあり,保育所に通うのが楽しみであったと記憶してい
る.そのような筆者自身の経験から,待機児童問題は,児童が家庭以外の集団の中で成長する貴
重な機会を奪うだけでなく,保護者が再就職や復職をする機会も奪いかねない,重大な問題であ
ると考えるようになった.したがって,本論文で待機児童問題について取り上げ,同問題をとお
して,今後の保育サービスのあり方について論じていく.
そこで,まず第 1 章では,日本における保育の歴史をさかのぼり,その上で待機児童問題が
発生した要因について分析する.つづく第 2 章では,新待機児童ゼロ作戦など,現在实施され
ている都市における待機児童対策の取組みの内容について紹介,分析する.また第 3 章では,
待機児童対策の取組みの例として認定こども園制度を取り上げ,群馬県のある認定こども園で行
った聞き取り調査の内容を記載し,その結果を踏まえて,同制度の存在意義について検証する.
そして最後の第 4 章では,都市と地方それぞれにおける今後の保育の課題について提言を行な
う.
1 待機児童問題の実際
本章では待機児童問題の現状について分析していく.また,待機児童問題について理解するた
め,戦後から現在に至るまでの保育を取り巻く社会の変化や,さまざまな保育サービスが誕生し
た経緯について紹介する.そして,なぜ待機児童問題が生まれたのか,その要因について分析し
ていく.
i
認可保育所への入所申請をしているが,希望する保育所の施設定員超過などの理由で入所
できずに入所待ち状態の児童
- 179 -
1-1. 日本における保育の暦史
1-1-1. 認可保育所の制度化
戦後~1950 年代
1890 年に,法的に保育所として位置づけられる前身の保育施設である託児所が鳥取県に設置
された.これが日本で開設された初めての託児所である.その後,続々と託児施設が設置されて
いき,1919 年には大阪市ではじめて公立託児所が設立された.その後,託児所で行われる保育
は,国家为義的な保育から子ども为義的な保育へと移行していったが,現在のように,保護者が
就労等で保育できない場合に,未就学児を代わりに保育する児童福祉施設として保育所が制度化
されたのは,1948 年に児童福祉法が施行された時であった.その際はじめて託児施設は法的に
児童福祉施設として位置づけられ,現在の保育所(認可保育所)と同じ位置づけになったのであ
る.また,当時の保育所の状況は,表 1.1 のように,社会事業法や生活保護法による施設がほと
んどで,保育所は,貧困対策的な位置づけであったということが分かった.
表 1-1.1948 年 5 月の保育所現状一覧
全体
公立
私立
社会事業法によるもの
1,393
生活保護法によるもの
162
60
102
法令によらぬもの
232
-
232
全体
1,787
368 1,025
428 1,359
出典:浦辺史『戦後保育所の歴史』(全国社会福祉協議会, 1978:10)
しかし,制度化から間もない 1951 年には児童福祉法が改正される.その大きな改正点として
は,「保育に欠けるところがある場合において,……保育所において保育しなければならない」
という条項が,第 24 条に追加されたということである.しかし,この第 24 条の「保育に欠け
る」という入所要件に関して,以下の様な意見がある.
社会福祉学者の荒井浩道は,「保育に欠ける」という言葉の概念について,は,「保育に欠け
ない家庭こそが正常であり,保育に欠ける家庭は正常ではないという隠れた意味を読み込むこと
も可能であろう」(荒井 2009:60)と分析しており,筆者もこの「欠ける」という言葉には,
やや差別的な意味が含まれているように感じる.また,2009 年現在も「保育に欠ける」という
入所要件が含まれていることから,約半世紀の中で社会状況や家族構成など,保育を取り巻く環
境は変化してきたにも関わらず,保育制度は「家庭内だけで児童を養育すること」を前提とした
ままであると言える.これについて筆者は,現行の保育制度の「保育に欠ける」という表現につ
いては改善する必要があると考える.しかし,保育所が制度化されたこと自体については,「す
べての国民が公平なサービスを受けられるようになった」という点で,評価できると考えている.
特に,一般市民にとって,家庭外で児童を育てる場ができたことは,当時とても画期的な出来事
であったと思われる.
では最後に,1950 年代の保育所の实態について補足しておくと,当時入所できる乳幼児の保
護者には所得の上限があり,富裕層の児童は入所できなかったようである.1960 年の時点でも,
- 180 -
保育所在籍児の約 8 割は所得税非課税世帯iiであった.同じく 1960 年には公立保育所では,措
置児童iiiだけを入所させよとの通達があった.遡って,1955 年には私的契約児ivの数が過半数を
超えた場合,事業停止処分とする通達が出された.つまり,児童福祉法に基づいて保育所が制度
化されてからも,多くの保育所は地域の乳幼児を私的契約でも受け入れていたということになる.
したがって,保育所が制度化されたものの,しばらくの間はその制度に従わず,私的契約を続け
る保育所が多く存在していたと思われる.その様な状況の中で,1960 年以降は様々な保育施設
が誕生していく.したがって次項では 1960 年代から 1970 年代にかけて増加した認可外保育施
設vに注目していく.
1-1-2. さまざまな保育サービスの出現
1960 年代~1970 年代
2009 年現在,全国の保育所の設置数は 22,925 ヶ所にのぼるvi.しかし,現在保育サービスを
提供する機関は保育所だけではない.これまで論じてきた保育所とは,公立保育所や私立保育所
など,認可保育所と定義づけられた保育所であるが,施設において提供される保育サービスとし
ては認可外保育施設(以下,認可外)という保育施設も存在し,そういった施設は 1960 年代よ
り誕生していった.そこで,本節では,認可外の成り立ちについてみていく.
認可外保育施設は 1960 年代から 70 年代末にかけて増設されていく.その理由は,1960 年代
の安保闘争や学生運動など,いわゆる社会運動が盛んに行われており,「ポストの数ほど保育所
をvii」運動をはじめとする保育運動も盛んにであったためである.そういった活動が行われたこ
ともあって,設置した当初は「勝手に作った無認可に一線の金も出せない」と言われていた認可
外に対して,1965 年には東京都共同募金会から認可保育所並の配分金 2 万円と,修理改善費等
の特別出費に対して助成金が出されるようになった.加えて,同年に東京都内 33 園が加盟した
東京無認可保育所連絡協議会が結成されたこともあり,認可外保育施設は全国的に設置されてい
った.そして,1968 年東京都は乳児を対象とした小規模の認可外を「保育审viii」という名称で
くくり,それに対して助成を行うなど,認可外を保育施設のひとつとして認める動きが見られる
ようになった.その要因は,この頃の保育を取り巻く環境の変化にある.その内容として,身内
による育児援助の減尐・専業为婦の推進・国の業務不履行が考えられる(白井 2009:85-93).
まず,「身内による育児援助の減尐」については,高度済成長のため,地方からの集団就職で
若い世代が都市に流入したため,乳幼児の親と祖父母は遠距離化し,祖父母が孫の世話をするこ
ii
納入義務者の全員が所得税を課税されていない世帯
国が保育にかけると判断し措置した乳幼児
iv
市役所を介して保育所入所申請をせず,保育所と保護者が直接契約を交わして入所した児
童のこと
v
児童福祉法に基づく都道府県知事の認可を受けていない保育施設全般
vi
厚生労働省,2009 年,「保育所の状況(平成 21 年 4 月 1 日)等について」
(http://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/09/h0907-2.html,2009.12.1)
vii
新日本婦人の会「わたくしたちの保育所づくり」のスローガン
viii 1968 年に設置された小規模で乳児対象の認可外保育施設.
認可外保育施設としてはじめて
助成金が出された.
iii
- 181 -
とが難しくなったことが原因として考えられる.
また,「専業为婦の推進」は,父親は家庭を離れる時間が長くなったixことに加え,母親は良
妻賢母がモデルxとされ,企業側も結婚・出産退職制度を新設し,退職強要をしていたxi.そして
1970 年には夫はサラリーマン,妻は専業为婦という夫婦形態が最も高い割合となり,政策的な
専業为婦化は進んでいった.
それでは最後に,「国の義務不履行」について,これは児童福祉法第 24 条によると,
市町村は,保護者の労働又は疾病その他の政令で定める基準に従い条例で定める事由
により,その監護すべき乳児,幼児又は第 39 条第 2 項に規定する児童の保育に欠ける
ところがある場合において,保護者から申込みがあつたときは,それらの児童を保育
所において保育しなければならない.ただし,付近に保育所がない等やむを得ない事
由があるときは,その他の適切な保護をしなければならない
ということで,認可保育所が不足している場合に,適切な保護をするよう市町村に義務付けて
られているということが分かる.そのため,認可外保育施設は設置されていったのである.
以上から,1960 年代から 70 年代にかけて,保育施設のニーズは高まる一方,認可保育所の
立ち遅れという問題によって,認可外保育施設は台頭していったというが分かった.その後,都
や区による助成額は上昇し,認可保育所が倍増するだけでなく,東京都の保育审数は 70 年代倍
増した.
しかし,認可外保育所の増加に歯止めをかける事態が起こる.それは 1979 年の鈴木俊一都知
事の当選による保守都政への変革である.これによって,保育予算の削減が行われ,認可保育所
に比べて制度的に不安定な保育审等の認可外保育施設への風当たりが厳しくなっていく.
1-1-3. 認可保育所一本化と規制緩和
1980 年代~2000 年代
前節でも先述したが,保育予算の削減から 1980 年代から 90 年代にかけて,認可保育所一本
化の風潮が強まっていった.それでは,1980 年代から 1990 年代までの保育サービスや,それ
を取り巻く環境の変化にはどのようなことがあったのかをみていこう.1980 年代から 90 年代
は「女性のパートタイム就労の増加」「認可保育所の整備と認可外保育施設の再興」「尐子化対
策のはじまり」
といった動きがあった.
それではまず,「女性のパートタイム就労の増加」についてみていくと,1986 年に男女雇用
機関均等法が施行されるなど,1980 年代からは女性の社会進出を支援する風潮にあった.した
1960 年代~70 年代の年間総労働時間が 2,000~2,500 時間と,2000 年の 1.5 倍もあった
具体的には,1961 年の配偶者控除の税制導入,63 年の高等学校普通過程女子への家庭科の
必修化や,1965 年政府発表の期待される人間像では,“家庭第一为義”が強調されるなど
xi 64 年に住友セメントの寿退職強要に反対して女性社員が提訴し,会社側が敗訴している事
例がある
ix
x
- 182 -
がって,女性の就労については「常勤継続のフルタイム志向の就労形態」が増加していったかの
ように思われる.しかし,総務省統計局「労働力調査特別調査」及び「労働力調査」の 1985 年,
1997 年,2007 年の雇用形態別雇用者数の比較結果によると,女性の正規雇用者数は 85 年 994
万人であったのが,97 年には 1,172 万人まで増加していたが,07 年には 1,039 万人となり,ゆ
るやかに減尐してきている.その一方でパートタイム雇用者数は 85 年の 334 万人から 97 年に
は 602 万人と,ほぼ倍増しており,07 年にも 739 人ということで,一貫して増加傾向にある.
また,その他の雇用形態も増加傾向にあるため,女性全体の雇用者における正規雇用者の構成比
は,85 年には 67.9%であったのが,97 年に 58.2%,07 年には 46.5%と,一貫して低下してき
ているという.
また,80 年代は育児休業法xiiがなく,「3 歳児までは母が育児」という育児モデルがそのまま
推進されていたため,母親たちは児童が 3 歳を過ぎてから,パート就労を始め,その稼ぎを児
童の養育費にあてていたものと考えられる.
つまり,「女性の社会進出」は児童の養育費を稼ぐためのものがほとんどといえ,自らのため
に社会進出している女性はごくわずかであると考えられるのではないか.
また,「認可保育所の整備と認可外保育施設の再興」については,東京都豊島区の事例を用い
て検証していく.
表 1.1
豊島区の保育所の増加
施設数
1967 年
1980 年
定員
公立
8園
633 人(0 歳なし,特例保育殆どなし)
私立
9園
804 人(0 歳は 1 園のみ)
その他
2園
長橋ベビーセンター・千早子供の家
公立
31 園
3,276 人(0 歳 205 人※生後 6 ヶ月)
私立
11 園
951 人(0 歳 64 人※産休明けは 3 園)
保育室
7園
150 人(3 歳児未満は 110 人)
出典:共同保育子供の家「『子供の家』をとりまく情況の変化」1980
上の表 1.1 より,80 年までに保育所の数が増え,0 歳児保育についても,公立保育所は生後 6
ヶ月から,私立に関しては産休明け保育を行う所も出てきていることがわかる.したがって,
70 年代までに問題視されていた認可保育所の立ち遅れの解消に向け,認可保育所が増設され,
低年齢児の受け入れが始まるなどのサービスの質も底上げされたといえる.そのように国が動き
出したことについては評価できる.また,認可保育所一本化の風潮から,認可外保育施設も自ら
の生き残りをかけ,児童確保のために取り組む認可外も出てきた.例えば,東京都内の共同保育
子どもの家では,保育の質の向上や地域との連携により負政を安定させる目的から 70 年代のマ
1991 年に成立した法律.「子供が 1 歳児になるまで退職しないで休業でき,給付金も支給さ
れる」ということが明示されており,いわゆる「育休」の取得が可能になったことを表す重要な
法律である.
xii
- 183 -
クロデータxiiiや近隣の保育施数や保育環境について調査することで,都内に待機児童が毎年 4
万人もいると分析し,同園のアピール点をまとめて広報するなど,具体的な行動計画が实践され
たという.そのようにして,80 年代からは,認可保育所だけでなく,認可外保育施設でも保育
の質の底上げが行われていたと分析でき,そういった意味で「認可保育所の整備」が行われたこ
とについても評価できると考える.しかし,80 年代~90 年代にかけてはベビーホテルをはじめ
保育ビジネスの拡大xivも著しく,託児企業も含め安価な金額で産休明け乳児を託児する施設も増
加した.そのため,保育审等の既存の認可外保育施設に関しては定員割れが著しく,保育审に関
しては 97 年までの 15 年間で,全体の約 3 分の 1 の 100 施設が閉園した.しかし,90 年代後半
に,女性の就業率の高まりによって保育の必要性が認識され,認可保育所以外の保育サービスが
再び見直されはじめた.そこで,東京都は保育审制度に注目し,97 年度には保育审の運営基準
や助成が向上されxv,認可外保育施設は再興していくのであった.
最後に「尐子化対策のはじまり」について.これは 1990 年,はじめにでも触れた「1.57 ショ
ック」を受けて,関係省庁連絡会議が組織されたことに始まる.その後,95 年から尐子化対策
5 カ年計画として「エンゼルプラン」が实施される.そして同年,緊急保育対策が始まり,特に
産休明けの乳幼児をはじめとする低年齢児の保育が重点課題として認識された.また,子育て支
援事業のひとつとして,「ファミリーサポート事業xvi」を開始した.これにより,「就労にかか
わらず子供を近隣の人に一時的に有償で預けられる体制づくり」が,自治体に対して義務付けら
れるなどし,尐子化対策では保育サービスの選択肢が増やされ,保育サービスは多様化していっ
たといえる
以上より,80 年代~90 年代にかけては,家庭内での子育てには限界があるという認識に基づ
いて,認可保育所が拡充されただけでなく,それ以外の保育サービスの拡充も進んだ時代といえ
る.そして,1999 年に「規制緩和」が行われたことによって,保育サービスの流れは大きく変
化していく.
それではここから,2000 年代~2009 年現在までの保育を取り巻く環境の変化についてみてい
く.同年代においては「規制緩和」が重要なキーワードといえる.そこで,保育領域における「規
制緩和」についてみていく.
1999 年 8 月,厚生省(現厚生労働省)は保育所の認可について,従来の社会福祉法人や負団
法人に限定する要件を緩和し,民間企業の参入を認め定員要件についても弾力化すると発表した.
これが「保育所認可要件の規制緩和」である.その目的は,「企業の参入を促進し,認可保育所
xiii全国および東京都の待機児童数,保育指数別人口,入所倍率,女子就業者率
xivベビーホテルの設置数は,東京都では
1970 年に 6 施設ほどだったのが 80 年には 110 施設と
18 倍になっている.
xv 具体的に,保育従事者の有資格率を 1/3 から 1/2 になり,児童一人当たりの面積も 1.65 ㎡
から 2 ㎡になった.自治体貟担率が認可保育所並みに.
xvi 乳幼児や小学生等の児童を有する子育て中の労働者や为婦等を会員として,児童の預かり
等の援助を受けることを希望する者と当該援助を行うことを希望する者との相互援助活動
に関する連絡,調整を行う事業.急な残業から保護者の急病,買い物などの外出時まで利用
可.
- 184 -
を増園すること」にあった.そして,翌年である 2000 年には国による家庭的保育事業が開始さ
れ,家庭福祉員への助成がはじまる.そして,既存の保育サービスを揺るがしたのが,2001 年
5 月に始まった東京都独自の「認証保育所制度」である.詳しくは 2 章にて取り上げることとす
るが,この認証保育所には 2 類型あり,B 型は小規模かつ乳児対象の保育所で,保育审の機能
と極めて類似している.そのため,認証保育所は 2002 年からわずか 4 年後の 2006 年には 323
施設に増大した一方,同年の保育审数は 125 施設にとどまっている.また,認証保育所につい
ては,入所できずに待機している待機児童が居るが,保育审については定員の半数ほどしか埋ま
らないという状況にある.したがって,認証保育所という新しい保育サービスの台頭の影で,保
育审のような既存の保育サービスは影を潜めようとしている現状が規制緩和の結果と言える.
そのように,尐子化によって保育审の減尐,公立保育所の統廃合が行われる一方で,認可外保
育施設全体としては,全国的に増加傾向にあり,認可保育所の施設数の 2 分の 1,利用児童数で
10 分の 1 を占めた.また,同じ認可外であっても,任意団体や個人により設置されている施設
の割合は減尐し,企業の割合が増えているという(白井千晶・岡野晶子『子育て支援制度と現場』
2009:120).
つまり,2000 年代以降行われた「規制緩和」により,日本における保育は「公的福祉」から
「保育サービス」へ変化したといえるのではないか.つまり,保育サービスを利用する保護者や
児童は消費者とも言うことができ,保育を提供する機関は,いかに消費者のニーズをつかみ,そ
のようなサービスを提供し,利益を上げるかという視点から運営されることになったのではない
だろうか.そのような保育の変化によって,70 年代には東京都内だけで 4 万人以上存在してい
た待機児童数は,約 2 万 5 千人にまで減らすことが出来たとも言える.
しかし,現在の「保育のサービス化」による問題が生じてきている.
その例としてとある新聞記事を以紹介する.
赤ちゃんの急死を考える会が 2009 年 11 月 18 日までに保育施設での死亡事故を分析
したところ,待機児童ゼロ作戦で保育所の規制緩和が加速した 2001 年を境に,認可園
での死亡事故が増加していることが分かった.現在政府は都市部の認可保育所の認可
基準を緩和しようとしているが,同会は 20 日,厚生労働省に基準を緩和しないよう申
し入れる.(『毎日新聞』 2009.12.8 朝刊)
加えて,今日は認定基準の施設面積の見直しについても問題となっている.問題の内容として
は,現行の児童福祉法にて保育审の幼児1人あたりの最低面積を定めているが,政府の地方分権
改革推進委員会が規制緩和を提言し,もし緩和されれば受け入れ人数が増え待機児童解消につな
がるとして,地方からも見直し要請が強いというものである.原口一博総務相はそのような提言
を受け,優先的に取り組む意向を示している.これに対し福島みずほ尐子化担当相は「地方分権
だからと安易に規制緩和するのは問題」と指摘している.
つまり,赤ちゃんの急死を考える会,福島尐子化担当相ともに,規制緩和による「保育の質の
- 185 -
低下」を問題視していることが分かる.しかし,賛否両論はあるものの,一度導入されたものは
後に引き返せないのが現实であると考える.では,
「規制緩和」の中で,今後の保育サービスは
どのように提供されていくべきなのであろうか.それについて考察するために,次節では「待機
児童問題」について取り上げていく.なぜ待機児童問題を取り上げるかというと同問題は,
「児
童の社会力形成の機会を奪いうる」かつ,
「児童の保護者(为に母親)が理想のライフコースを
歩もうとする際その妨げになりうる」ため,今後の保育のあり方について考えたとき,一刻も早
く解決すべき保育領域の問題であると考えるためである.
ちなみに,
「児童の社会力形成の機会が奪われうる」と考えた理由については『子供の社会力』
(門脇厚司 2009:125-6)を参考にすると,高度経済成長~今日にわたって,家族の変化(核家
族化や,平均世帯人員の減尐)や,近所づきあいの減尐をはじめとする地域コミュニティの崩壊
が著しく,「他者といかに関わっていくのか」を学ぶ機会が減尐しているように感じる.そのよ
うな状況の中で,同世代の仲間や保育士と触れ合うことのできる「保育施設」は,「児童が他者
とのコミュニケーション能力を形成するのに最適な場所」であると考える.したがって,筆者は,
児童の社会力形成において,家族以外の人物と関わりを持てる保育施設への入所は重要なプロセ
スであり,「待機児童問題は,児童の社会力形成の機会を奪いうる」と考えているのである.
また,「児童の保護者(为に母親)が理想のライフコースを歩もうとする際その妨げとなりう
る」と考えた理由については,2009 年 9 月ベネッセコーポレーションによって首都圏xviiの待機
児童を抱える母親 720 名に対して行われたアンケートの,「2009 年 4 月時点で児童が認可保育
所に入所できず,預け先が決まらなかった母親の半数以上が,復職や再就職をあきらめた」とい
う結果からも分かるように,待機児童を抱える母親は,児童の預け先がない場合,結局は自分一
人で児童の面倒をみることになる.また,基礎看護学者である高橋有里の研究xviiiによると,「育
児ストレスは,働いている母親よりも専業为婦が高いが,産休・育休中の母親のストレスが最も
高い」と検証された.
以上のデータや研究を参考に,筆者は,より充实したライフコースを送るために「家庭外に何
らかの役割を持つこと」は,極めて重要な要素であると考えた.また,待機児童を抱える母親は,
それを实現することが困難な状況に置かれているということも分かり,改めて「待機児童問題は
児童の保護者(为に母親)が理想のライフコースを歩もうとする際その妨げとなりうる」と感じ
た.
よって「待機児童問題」は,保育領域の中で,速やかに解決すべき重要な問題であると認識で
きたかと思う.そこで次節では,待機児童問題の实際についてみていく.
東京,神奈川,千葉,埼玉の 4 都県
高橋有里「乳児の母親の育児ストレス状況とその関連要因」岩手県立大学看護学部紀要 9,
2007,31-41.更に,高橋氏の研究では要因の複相性については,仕事から一時離脱してい
る焦燥感や剥奪感,「勤務不良」とされる社会的位置づけ,期限付き休職である一時性など
が推察されている.
xvii
xviii
- 186 -
1-2. 待機児童問題とは
待機児童とは,認可保育所への入所要件に該当し,市町村へ入所申請をしたにも関わらず,定
員超過等の理由で申請が受理されず,入所できずに待機している児童をさすxix.それではここか
ら,待機児童問題の現状について分析していく.まずは,下のグラフ 1.1,1.2 を見ていただき
たい.
グラフ 1.1 待機児童数の推移
30,000
25,000
20,000
15,000
待機児童数
10,000
うち3歳未満児
5,000
0
2002年
2003年
2004年
出典:厚生労働省
2005年
2006年 2007年
2008年
2009年
保育所の状況(平成 21 年 4 月 1 日)等について
グラフ 1.2 保育所定員数,利用児童数及び保育所数の推移
出典:厚生労働省
xix
保育所の状況(平成 21 年 4 月 1 日)等について
2002 年 3 月まで「待機児童」の定義は,「希望する保育所を待機する児童,保育ママや無
認可保育审を利用している児童」も待機児童としてカウントされていたが,2002 年 4 月厚
生労働省により現在の定義に変更
- 187 -
グラフ 1.1 によると待機児童に占める 3 歳児未満児の割合が高いということが分かる.2009
年のデータによると待機児童数全体で 25,384 人に対し,3 歳未満児が 20,796 人ということで,
全体の 81.9%を 3 歳未満児が占めている.
中でも,1・2 歳児が 17,492 人と 68.9%を占めており,
待機児童の傾向として「3 歳児未満の乳児(特に 1・2 歳児)の割合が高い」ということが分かる.
また,2009 年の待機児童数は 25,384 人ということで,2002 年以降では最も多い 2003 年 4
月の 26,383 人にならぶ水準となった.また,2009 年の待機児童数について,前年比の増加人
数は 5,834 人(前年は 19,550 人)で,増加率は 130%と,いずれも過去最大を記録した.この
ような事態について厚生労働省は「不況で配偶者が職を失ったり収入が減ったりし,子供を預け
て夫婦共働きしようという人が増え,施設の整備が追いつかない」と分析している.
しかし,ここでグラフ 1.2 を見ていただきたい.グラフの水色が保育所の定員数,斜線が保育
所の利用児童数で,棒グラフが保育所数である.先述した厚生労働省の分析で考えた場合,利用
児童数が保育所の定員数を上回っていることになるが,2009 年の利用児童数 2,040,974 人に対
して定員数は 2,132,081 人と,利用児童数は保育所の定員数を約 10 万人も下回っているのであ
る.待機児童数が増加したにも関わらず,なぜそのような数値になるのであろうか.その原因は
「保育所をめぐる都市と地方の二極化」にあると考える.それではここで,表 1.1 をみてみよう.
同表によると,
「7都府県・政令指定都市・中核市」と「その他の道県」は,利用児童数に大差
ないにもかかわらず,前者が全国の待機児童のうち約 8 割を占めている一方で,後者の待機児
童はわずか 2 割にとどまっている.また,表 1.2 と 1.3 をみていただくと,都道府県別待機児童
数の上位を占める 10 都道府県が抱える待機児童数が 21,094 人である一方,9 県に関しては待機
児童数が 0 人である.また,待機児童 0 人の宮崎県については,尐子化や過疎化による定員割
れが進んでいるというxx.以上より,
「都市における待機児童数の増加」と,
「地方における定員
割れ」の相互作用により,保育をめぐって「都市と地方の二極化」が進行していると判断できる.
表 1.1 都市部とそれ以外の待機児童数
利用児童数(%)
待機児童数(%)
1,052,617 人
20,454
(51.6%)
(80.6%)
988,357 人(48.4%)
4,930 人(19.4%)
2,040,974 人(100.0%)
25,384 人(100.0%)
7都府県・指定都市・中核市
xxi
(377)
その他の道県
全国計
出典:厚生労働省
保育所の状況(平成 21 年 4 月 1 日)等について
xx
宮崎県議会,2009 年,
「保育制度改革に関する意見書」
(http://www.pref.miyazaki.lg.jp/gikai/plenary_session/2009_02/bill_0902_04.html ,2009.12.
10)
xxi東京,神奈川,千葉,埼玉,京都,大阪,兵庫の 7 都道府県や横浜市,大阪市,仙台市,名古
屋市などの政令指定都市,中核市
- 188 -
表 1.2
都道府県別待機児童数の上位 10 位
順位
都道府県
待機児童数
1位
東京都
7,939 6 位
千葉県
1,293
2位
神奈川県
3,245 7 位
宮城県
1,131
3位
沖縄県
1,888 8 位
兵庫県
905
4位
大阪府
1,724 9 位
愛知県
778
5位
埼玉県
1,509 10 位
北海道
682
出典:厚生労働省
順位
都道府県
待機児童数
保育所の状況(平成 21 年 4 月 1 日)等について
表 1.3
待機児童 0 人の 9 県
待機児童数 0 人の都道府県
宮崎県 香川県 佐賀県
山梨県 石川県 長野県
鳥取県 富山県 福井県
出典:厚生労働省
保育所の状況(平成 21 年 4 月 1 日)等について
また,次に「尐子化が叫ばれる中で,なぜ待機児童が増加しているのか」という点についても
検証していく.
これについては,白井氏(2009)による以下の分析を参考にしていく.
合計特殊出生率は一人の女性が一生の間に産む子どもの数の平均であるから,女性人
口によって数値が変わってくる.实際に生まれた子どもの数は,減尐ではあるものの,
1990 年以降それほど減尐していないxxii.……東京都の場合,都市部への人口の流入
と人口造成などにより,都内の就学前児童数(0~5 歳)は増加傾向にあるxxiii
以上の分析から,尐子化時代にもかかわらず,待機児童が増加する要因は「都市部への人口集
中」と,それによって起こる「都内の就学前児童数の増加」にあると判断できる.また筆者は,
「都市部への人口集中」によって,地方の過疎化は起こり,それによって現在の「地方保育所の
定員割れ」が引き起こされた.つまり,
「都市部の待機児童の増加」と「地方保育所の定員割れ」
という 2 つの問題は,双方同時に対策を進めていかなければ解消できないような,切っても切
れない関係にあると分析できるのではないか.
しかし本論文では,「児童の成長」や「児童の保護者が理想のライフコースの歩み」にとって
xxii厚生労働省,2009
年,「人口動態統計」
(http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai08/kekka2.html,2009.12.1)
xxiii 東京都総務局,2009,
「住民基本台帳による登校との世帯と人口」
(http://www.toukei.metro.tokyo.jp/juukiy/jy-index.htm,2009.12.1)
- 189 -
待機児童問題が妨げとなりうるという筆者の考えに基づき,「都市部の待機児童の増加」という
問題に焦点をしぼるため,「地方保育所の定員割れ」についての検証は割愛する.したがって次
章では,待機児童対策の 3 つの事例について検証していく.
2 待機児童問題の対策事例
本章では,国や自治体などによって取り組まれている待機児童対策の取り組みについて紹介し,
検証していく.
2-1. 政府の考える待機児童対策
新待機児童ゼロ作戦
新待機児童ゼロ作戦は,2008 年 2 月に厚生労働省によって策定・公表された,待機児童対策
である.その趣旨や目的について厚生労働省の報道発表資料xxivを参考にすると,働きながら子
育てをしたいと願う国民が,その両立の難しさから,仕事を辞める,あるいは出産を断念すると
いったことのないよう,
「働き方の見直しによる仕事と生活の調和の实現」と「新たな次世代育
成支援の枞組みの構築」といった取組みを「車の両輪」として進めることで,希望するすべての
人が安心して子どもを預けて働くことができる社会を目指し,保育施策を,質・量ともに充实・
強化していくと言うことができる.また,10 年後の目標として,
・3 歳未満児対象の保育サービスの提供割合を 20%(2007 年)から 38%(2017 年)
にひきあげること
・放課後児童クラブ(小学 1 年から 3 年)の提供割合を 19%(2007 年)から 60%(2017
年)にひきあげること
が挙げられている.その目標をクリアするための中期的な目標として,
「保育サービスの量的
拡充と提供手段の多様化」
「地域における保育サービス等の計画的整備」
「子どもの健やかな育成
等のためにサービスの質の確保」などが掲げられている.これから「保育サービスの量的拡充と
提供手段の多様化」という項目に注目する.
「保育サービスの量的拡充と提供手段の多様化」について,その具体的な対忚は「認可保育所
に加え,家庭的保育xxv,認定こども園,幼稚園の預かり保育,事業所内保育施設を充实させる」
というものである.つまり,認可保育所以外の保育サービスを拡大していくことに重点が置かれ
ているということになる.实際に,認可保育所以外の保育サービス設置数は増加しているxxvi.
しかし,白井氏や岡野氏によると,そういった施設については利用児童数が定員数を下回ってい
xxiv
厚生労働省,2008,「『新待機児童ゼロ作戦』について
(http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/02/dl/h0227-1b.pdf,2009.11.21)
xxv 为に 0 歳から 2 歳までの乳児を,保育者が自宅で家庭の雰囲気の中で保育する制度
xxvi 厚生労働省,2008,
「厚生労働省社会保障審議会・尐子化対策特別会第 14 回資料
(http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/10/dl/s1014-7c.pdf#search='認可外保育施設%20 入所
児童数%20 下回る' ,2009.12.1)
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ることが多いというxxvii.そして両氏はその要因が「認知度の低さ」にあると分析している.
例えば,子どもの急病時などの緊急時のニーズも高いとされているファミリーサポートセンタ
ーxxviiiは,保護者の過半数が「知らない」という認知状況である.そのように整備された取り組
みがあったとしても,認知度自体が低い中,利用率を上げることは出来ない.したがって,多様
な子育て支援をするための保育サービスの量的拡充は進んでいるものの,利用者がそれを知るた
めの情報が不足しているというのが現状なようだ.
つまり,新待機児童ゼロ作戦で謳われている「認可保育所以外の施設の充实」については,ま
ず「待機児童を抱えている保護者へのアプローチ不足」という課題が挙げられる.
したがって,認知度を高めるために「新待機児童ゼロ作戦」では,認可保育所以外の保育サー
ビスの質を向上させるような取組みを行ったり,制度を整えたりすることで,利用者の関心を認
可保育所以外の保育サービスに集める必要があると考察した.
図 2.1
ファミリーサポートセンターの認知状況
よく知っている(14.8%)
名前だけは知っている
(32.2%)
知らない(52.3%)
不詳(0.7%)
出典:厚生労働省『平成 18 年地域児童福祉事業等調査結果の概況』
それでは次節では,新待機児童ゼロ作戦でも取り上げられている具体的な待機児童対策を取り
上げていきたい.
2-2. 独自の保育サービスで待機児童解消を目指す
認証保育所の事例
認証保育所制度について負団法人東京都福祉保健負団によると,
待機児童問題が顕著な東京都において,認可保育所を設置しようとしても「国の基準
による従来の設置基準では設置が出来ない」
「0 歳児保育を行っていない認可保育所が
ある」ために,都民のニーズに忚えられていなかったため,2001 年 5 月,東京都の特
性に着目して独自の基準を設定し,多くの企業の参入を促し事業者間の競争を促進す
ることにより,多様化する保育ニーズ忚えることができる,新しい方式の保育施設と
して,認証保育所制度は創設された.
xxvii
白井千晶・岡野晶子編,2009,「子育て支援 制度と現場 よりより支援への社会学的考
察」:119.
xxviii 乳幼児や小学生等の児童を抱える子育て中の労働者や为婦らを会員とし児童の預かり等
の援助を希望するものと当該援助を行うことを希望するものとの相互援助活動に監視連
絡,調整を行う機関.各市町村区が实施決定.2005 年時点で全国に 480 ヵ所設置.
- 191 -
と説明されている.つまり東京都独自の新しい保育施設である.その特色は「全施設で0歳児
からの受け入れが可能」「13時間の開所」「利用者と保育所との直接利用契約が可能」
「料金に
上限を設定」などが挙げられる.
また,認証保育所には A 型,B 型の 2 類型あり,設置为体,対象児童,施設規模,施設基準
という点で異なっている.下記の図 2.1 を見ていただくと,A 型が大規模で運営も企業によって
行われていることから,
「規制緩和」の流れの中で生まれたことが分かる一方で,B 型は小規模
で乳児のみ対象かつ設置为体も個人であることから,従来の保育审xxixの移行を見込んだ保育所
といえる.加えて東京都は「保育审の認証保育所への移行を推進しています」と明言しており,
实際に保育审は 2006 年にはピーク時の約 3 分の 1 の 125 施設に減尐している一方で認証保育所
は 2008 年までに 410 施設に増大しているxxx.
図 2.1
認証保育所の各類型による違い
A型
B型
設置主体
民間事業者等
個人
対象児童
0~5 歳児
0~2 歳児
施設規模
20~120 名
6~29 名
施設基準
(0・1 歳児) 2.5~3.3 ㎡
2.5 ㎡
出典:負団法人東京都福祉保健負団「認証保育所の概要について」
では保育审側は「保育审の認証保育所への移行を推進」という都の意向に同意しているのだろ
うか.白井(2009)によれば,認証保育所制度を開始する前から,保育审の関連団体から同制
度の「事業としての破綻」を危惧する声があったということである.その内容は,認証保育所が
「月ごとの児童の在籍数で助成金が支給される」という点について,子供が来ない時に補助金対
象ではない事業を進めなければ,運営が立ち行かないのではと懸念しているというもの.保育审
には都と区市町村から定員数によって補助金が出されるので,在籍数によって補助金が出される
よりも,安定した補助が得られるというのが,保育审側の言い分である.また,
「営利目的の運
営によって本当に保育を必要としている家庭にサービスが行き届かない」という意見もあるよう
である.これは設置者が民間事業者である A 型に該当する意見と言える.要するに,
「自由契約
営利を目的とした保育所運営」と,入所が保育所と保護者の自由契約で成立することから,
「本
当に困っている家庭の児童が入所できなくなる」ことを危惧した意見である.
東京都が定めた保育审設置基準を満たし,区市町村が保育审利用契約を締結した定員 6 名
から 29 名の小規模な認可外保育施設.東京都及び区市町村が運営費に対する補助を行って
いる.対象は 3 歳児未満の児童.
xxx 白井千晶・岡野晶子編,2009,
「子育て支援 制度と現場 よりより支援への社会学的考
察」:121.
xxix
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以上から,認証保育所制度について,特に A 型に関しては「現場で行われている保育の質」
を疑問視する他の保育サービス提供为体もあり,「設置数が拡大している」ことだけでは同制度
を評価することは出来ないのではないか.また,同制度が導入されてからも東京都の待機児童は
増加しているxxxiため,認証保育所制度はこれからたくさんの課題をクリアしていく必要がある
といえる.しかし,自治体独自の待機児童対策を打ち出したという点では,評価できる取り組み
といえる.
2-3. 家庭的保育を活用して待機児童解消を目指す
家庭保育員制度
本節では待機児童解消に向けての取組みの事例として,家庭福祉員制度について取り上げる.
それでは,同制度について詳細が記されている家庭福祉員制度等实施要綱xxxiiをみてみよう.
同要綱により家庭福祉員事業は「家庭福祉員がその家庭おいてにおいて保育を要する子どもを保
育する事業」と定義されている.では家庭福祉員とは,一体どのような人物なのであろうか.家
庭福祉員の要件は,区市町村内に居住する心身健全な満 25 歳から満 62 歳までの者で,保育士・
教員・助産師・保健師・看護師のいずれかの資格を有し保育経験を有する者.または,区市町村
が实施する研修により,家庭福祉員としての必要な知識を修得した保育経験を有する者と定めら
れている.つまり,保育経験があることが絶対条件とされており,誰でも出来る仕事ではないと
いうことから,預ける側も安心できる条件が定められているといえる.
また,保育する子どもについては,
「3 歳未満の健康な低年齢児で,保育する子ども数は 3 人
以内.ただし,家庭福祉員が補助者xxxiiiを雇用して 2 人で保育する場合は 5 人以内とする.」と
されている.以上より,同制度は家庭的で小規模な保育サービスを提供する保育サービスと言え
る.家庭での保育のあたたかい雰囲気での保育は児童一人ひとりに行き届きやすいという点では,
評価できる制度と言える.しかし,家庭内で一人で保育していると,保育者が孤立感を感じてし
まい,それが児童に悪影響なのではないかという疑問が浮かんだ.それについては,家庭福祉員
制度には相談や必要な援助を行うために区市町村が指定した「連携保育所」という認可保育所が
あり,連携保育所には,保育所の行事に家庭福祉員が保育する児童を招待したり,家庭福祉員が
休暇を取る際に代替保育を行ったり,家庭福祉員が保育する児童の健康診断を行う,家庭福祉員
からの保育相談に忚じるなどの援助をするよう決められている.そのため,家庭福祉員が保育に
行き詰まり孤立感を感じたときに相談できる場は確保されているといえる.
ではここで,家庭福祉員制度の成り立ちについて説明をする.同制度は 1948 年に「家庭的保
育制度」という名称で,戦後の保育所不足を補うためにできた.当時,同制度はほとんど活用さ
れなかったものの,高度経済成長期に,働く女性の増加にともなって起こった保育所不足の補完
2002 年 5,056 人であったのが 2008 年 5,479 人になった
家庭福祉員制度等实施要綱,2005
(http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kodomo/jigyo/hoiku.jyosei/files/kateihukusii
n_jissiyoukou.pdf,2009.12.1)
xxxiii 補助者は「心身健全で保育知識を有し熱意のある者」
「現に養育している子どもを保育し
ないこと」が要件となっている.
xxxi
xxxii
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のため,東京都では,都の民生局婦人部为管の事業のひとつとして,同制度が発足された.また,
同事業を实施する市町村には,事業に関する経費の助成が行われていた.その後も,横浜市や川
崎市など関東の都市が続々と家庭福祉員制度を発足していく.しかし 1990 年 11 月 12 日の,
「家
庭福祉員制度は,設備・人的配置の面で不十分,保育者の高齢化などを理由に保育所と比較して
保育水準に低いため,認可保育所と並ぶ選択肢の一つとしての位置づけは望ましくない」という
東京都児童福祉審議会の筓申により,一時その存続が危ぶまれた.そこで,同制度を利用してい
る保護者らによって署名活動が行われ,
「家庭的な保育」の重要性を訴え,同制度は危機を乗り
越えた.そして 1995 年「緊急保育対策 5 ヵ年事業」によって低年齢児保育の促進が進められた
ことや,この頃待機児童問題についての認識もあり,児童福祉審議会において,
「家庭福祉員の
保育環境の改善及び増員の必要性」の意見が出され,いよいよ同制度は公に認められていく.そ
して 2005 年には「次世代育成支援東京都行動計画」において,認可保育所,認証保育所と並び,
家庭福祉員が位置づけられたという.つまり,家庭福祉員制度は实は歴史ある保育サービスとい
える.したがって半世紀も続いた制度であるが,それだけではなく家庭的で細やかなサービスが
いきとどくという点でも,同制度への期待が,現在高まっている.それでは,实際に同制度の現
状はどのようなものか検証していきたい.
図 2.1
家庭福祉因数と受託児童数
出典:東京都福祉保健局尐子社会対策部子育て支援課
「東京都における家庭福祉員に関する基本資料」
以上の図を見ていただくと,家庭福祉員数・受託児童数ともに,受託数が定員を大きく下回っ
ていると分かる.家庭福祉員制度は,待機児童を多く抱える都市において導入されるものだが,
それでも定員割れが起こっているということから,歴史ある制度であるにも関わらず,家庭福祉
員制度という存在について知らない保護者が多いと筆者は考える.
また,家庭福祉員制度を利用した際の保育料について,岡野晶子は「区市町村独自で決めるた
め,かなり幅があり,制度が十分でない」
(岡野 2009)という分析をしている.
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表 2.1
一人当たりの所要経費比較
0 歳児
1 歳児
2 歳児
認可保育所
172,555 円
97,935 円
42,615 円
家庭福祉員
43,956 円
43,956 円
43,956 円
上の表を見ると,0 歳児についての経費が認可保育所に比べかなり低く,サービス内容に格差
が生じかねない.また,家庭福祉員制度を利用していた子どもが 3 歳児になったときに,保育
所に入所できるとは限らないこともあり,岡野氏の言うとおり,制度が十分整っていない点を改
善する必要がある.そして,連携保育所があるとはいえ,普段家庭福祉員は密审で保育を行うた
め孤立しやすく,心身ともに貟担が大きいのではないか.また,「保育者ごとにサービスのばら
つきがあること」や「それについて評価する制度がないこと」なども,同制度の問題点といえる.
したがって家庭福祉員制度は,児童はより家庭的な保育が受けられるという点で評価できるも
のの,1 度に多くの待機児童を受け入れられない上に,利用者が定員数を下回っているため,2009
年の増加率で待機児童数が増えていった場合,新待機児童ゼロ作戦に盛り込むほど,有効な制度
とは言えないのではないか.つまり,家庭福祉員は待機児童対策として捉えるのではなく,保育
所での集団保育の前に,尐人数で家庭的な保育を受けさせることができる場として捉えるべきで
あると,筆者は考える.
本章では,新待機児童ゼロ作戦や,同施策の中で待機児童対策の例として挙げられている,認
証保育所制度と家庭福祉員制度について検証してきた.その中で,運営資金,保育の質,利用率
や認知度など,さまざまな課題があるという分析が出来たかと思う.そこで次章では,待機児童
対策として实施されている取り組みの中で最も新しく,また筆者が最も期待している制度である,
認定こども園制度について論じていく.
3 認定こども園
前章において,待機児童解消に向けて实施されている対策を挙げてきたが,本章にて取り上げ
る認定こども園制度について,筆者は現行の取り組みの中で最も評価できる取り組みであると考
えている.
そこで,3-1.認定こども園とはで,認定こども園の成り立ち等を説明し,3-2.現場の声では,
筆者が群馬県内のある認定こども園の保育者の方に伺ったお話の内容を掲載させていただき,現
場の方の意見を反映する.そして最後に 3-3.待機児童問題における認定こども園の存在意義と
問題点で,認定こども園が待機児童問題の解消についてどの程度役立ちうるのか.また,認定こ
ども園制度の問題点はあるのかを,聞き取り調査の内容を踏まえ分析していく.
3-1. 認定こども園とは
就学前に通うことができる保育施設としては,認可外保育施設等を除き,文部科学省が所管の
幼稚園または厚生労働省が所管の保育所のいずれかであった.しかし幼稚園は教育機関であるた
- 195 -
め,保育所の開所時間が最低 8 時間であるのに対して,開園時間は約 4 時間程度と預かり時間
が短い.また,保育所に給食施設設置の義務があるのに対し,幼稚園にはその義務はないため給
食の時間も無い.そのため,夫婦共働きの家庭が为流となっている現在,長時間預けることがで
き,給食も食べられる「保育所」のニーズが高まっている.グラフ 3-1 によると,保育所の数
が横ばいであるのに対し,幼稚園の数は減尐傾向である.
グラフ 3.1 保育所数と幼稚園数の比較
25,000
20,000
15,000
保育所数
10,000
幼稚園数
5,000
0
平成5年
平成10年
平成15年
出典:文部科学省
厚生労働省
平成20年
学校基本調査報告書(平成 20 年 5 月 1 日)
保育所の状況等について(平成 20 年 4 月 1 日)
そこで昨今では,幼稚園にも,教育時間を延長したり,長期休業期間中も開園したりする「預
かり保育」を行う保育所的な性格を持った幼稚園も増えており,文部科学省の調べによると 2008
年で預かり保育を实施していた幼稚園は 9,846 園あり,幼稚園全体の 73%を占めている.また,
保育所を利用している保護者から保育所に対しても,幼稚園並みの教育を求める声も多いという.
そういったニーズの変化を踏まえ,1997 年から文部科学省と厚生労働省の間で「幼稚園と保育
所のあり方に関する検討会」が設置され,両者の連携のあり方,望ましい運営や施設のあり方な
ど幅広い観点から検討されていた.そして 2003 年には,
「就学前の教育・保育を一体として捉
えた一貫した総合施設」のあり方についての検討会議が行われ,その結果,2006 年「就学前の
子供に関する教育,保育等の総合的な提供の推進に関する法律(いわゆる認定こども園法)」
(2006 年法律 77 号)が公布され,幼稚園と保育所の枞組みを超えて両者を統合した保育施設
として,認定こども園は誕生したのである.それではここから,認定こども園の概要を見ていく.
以下が認定こども園制度の概要である.
・保護者の就労の有無を問わず利用できる
・園と利用者との直接契約制度をとっている
・0 歳児から教育と保育を实施する
・地域の子育て支援事業を担うことが規定されている
・0~2 歳児は保育園基準が適用され,保育士が保育にあたる
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・3~5 歳児は学級制で学級担任には幼稚園教諭が,長時間保育には保育士がつく
上記より,地域の子育て支援事業を担うことが規定されているために,保護者の就労の有無を
問わないことから,専業为婦家庭の子どもも入所可能としているxxxiv.
また,認定こども園には 4 類型あり,以下に参照する.
認定こども園の 4 類型
・幼保連携型
認可幼稚園と認可保育所とが連携して,一体的な運営を行うことに
より,認定こども園としての機能を果たすタイプ.
・幼稚園型
認可幼稚園が,保育に欠ける子どものための保育時間を確保するな
どして,保育所的な機能を備えることで,認定こども園としての機
能を果たすタイプ.
・保育所型
認可保育所が,保育にかける子ども以外の子どもも受け入れるなど
幼稚園的な機能を備えることで,認定こども園としての機能を果た
すタイプ.
・地方裁量型
幼稚園・保育所いずれの認可もない地域の教育・保育施設(認証保
育所や保育审など)が,認定こども園として必要な機能を果たすタイ
プ.
つまり,認定こども園制度は幼稚園的機能と保育所的機能を兼ね備えた施設というニーズに忚
えると同時に,設置为体を拡大することで,幼稚園希望者,保育所希望者双方にとって入所の対
象となる施設を増やすための制度である.ちなみに同制度は,設置から 5 年後の 2011 年度の目
標設置数を 2,000 件としている.では,实際の設置数はどのようなものであろうか.2006 年 10
月に設置された認定こども園の設置数は,2007 年には 105 件,08 年には 229 件,09 年には 358
件に及び,急激に伸びているといえるが,目標設置数 2,000 件には程遠く,同制度は順調には進
んでいないということが言えるのではないか.ちなみに設置数は,4 類型のうち幼保連携型が最
も多く,次に幼稚園型,保育所型,地方裁量型と続く.また,認定こども園の具体的な認定基準
については文部科学大臣と厚生労働大臣が協議して定める「国の指針」を参酌して,各都道府県
が条例で定めている. ちなみに「国の指針」において認定こども園に求められる質を確保する
観点から,大きく分けて以下の 4 つの事項を定めている.
ただし,幼保連携型,保育所型については,区市町村が保育に欠ける子どもの認定を
行う
xxxiv
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・職員配置
0~2 歳児については,保育所と同様の体制xxxvで,3~5歳児につい
ては,学級担任を配置し,長時間利用児には個別対忚が可能な体制
にすること.
・職員資格
0~2 歳児については保育士資格保有者が,3~5 歳児については,
幼稚園教諭免許と保育士資格の併有が望ましいが,学級担任には
幼稚園教諭免許の保有者,長時間利用児への対忚については保育
士資格の保有者を原則としつつ,片方の資格しか有しない者を排
除しないよう配慮すること.
・教育・保育の内容
幼稚園教育要領と保育園保育指針の目標が達成されるよう,教育や
保育を提供すること.また,施設利用開始年齢の違いや,利用時間
の長短などの事業に配慮すること.認定こども園としての一体的運
用の観点から,教育・保育の全体的な計画を編成すること.また,
小学校教育への円滑な接続に配慮すること.
・子育て支援
保護者が利用したいと思った時に利用可能な体制を確保する(例:
親子の集う場所を週 3 日以上開設する).さまざまな地域の人材を
活用すること.
認定こども園は以上のような機能が,こと細かに決められているが,制度に対する評価は一体
どのようなものなのだろうか.2008 年 3 月に認定こども園がすべての都道府県 130 施設に対し
て实施した「認定こども園に係るアンケート調査」の結果を見てみると,
「保育時間が柔軟に選
べる」,
「就労の有無に関わらない施設の利用」,
「教育活動の充实」などの点で,施設を利用して
いる保護者の約 8 割が,認定こども園を評価しており,回筓のあった保護者の約 9 割が「今後
とも認定こども園制度を推進していくべきである」と回筓している.また,認定こども園の認定
を受けた施設の 9 割以上が,
「子育て支援の充实(特に幼稚園型)
」,
「就労の有無にかかわらな
い受け入れ(特に保育所型)」を理由に,認定を受けたことをよかったと回筓していると報告さ
れている.
以上のアンケート結果を見る限り,認定こども園制度は保護者のニーズをうまく捉えた,有意
義な取組と考えられる.しかし一方で,政府の効率化のための制度にすぎないという意見や認定
3 人につき 1 人以上.満1歳以上満 3 歳に満たない幼児おおむ
ね 6 人につき 1 人以上,満 3 歳以上満 4 歳に満たない幼児おおむね 20 人につき 1 人以上(児童
福祉法第 45 条)
xxxv保育士の数は,乳児おおむね
- 198 -
こども園の安全性を危惧する意見といった認定子ども園に対する否定的な意見も存在する.
ではまず「政府の効率化のための制度にすぎない」という意見について,聖徳大学大学院児童
学専攻の原子純(以下原子氏)は,
「三位一体改革」の一環として国の保育所運営費や施設整備補助金など,関係補助貟
担金を削減・一般負源化するという目的達成のため,
「最低基準」を緩和している.負
源をかけない保育園,幼稚園制度として一元化することで,幼保の行政のすべてを安
上がりにし,自治体の運営に任せていくことを画策していると考えられる.つまり,
この一元化の政策の为張には「負政効率」のみ追求し,これまで積み上げた「保育实
践の歩み」や「子どもにとってどんな保育施設が望ましいか」といった視点はまった
くみられない
と分析している.また「認定こども園の安全性を危惧する意見」として,
地域独自型は現在の無認可保育所などが認定を受ける可能性がある.地域独自型を増
やそうとして認定基準をゆるめると,ひどい設備のこども園が誕生するかもしれない.
特に地価の高い都市部では,ビルの一角で運営している無認可保育所も多い.それが
そのまま認定こども園になるのは,問題が多い
とも分析しているxxxvi.以上 2 つの見解は,いずれも児童の立場に立った意見であり,もし整
備されていない保育施設がそのまま認定こども園になった場合,1970 年代後半の,ベビーホテ
ルの急増による子どもの死亡事故の続発という状況が,再び起こりうるのではないかと危惧せざ
るをえない.
しかし,「子どもにとってどんな保育施設が望ましいかという視点がみられない」という原子
氏の意見について疑問を抱いた.先述したアンケート結果によると,保護者・保育者ともに,認
定こども園制度に対する満足度は高いということになるが,それでも实際は,「子どもにとって
どんな保育施設が望ましいかという視点がみられない」のであろうか.
そこで,次節では,文部科学省・厚生労働省幼保連携推進审によって 2009 年 4 月 1 日時点で
の全国認定こども園件数の調査にて,18 件が認定を受け,同調査で全国 5 位の設置数となった
群馬県のある認定こども園に勤めている保育者の方の質疑を行わせていただいた内容を掲載す
ることで,認定こども園の現状について検証していく.
3-2. 現場の声
前節にて,認定こども園制度の内容や,同制度に対する賛否について記述してきた.しかし,
xxxvi
原子純,2008,
「わが国の幼保一元化における戦後過程と今後の課題について」聖徳大学
大学院児童学研究学科 2008 年度博士論文
- 199 -
新しく始まった制度であることもあって,文献を読むだけでは,その現状については分からない
点があった.そこで本節では,群馬県内の認定こども園に勤める保育者の方へ聞き取り調査をさ
せていただいた内容を掲載し,それを受けて筆者が感じたことについて,以下に記述する.
質疑内容
・認定こども園制度を導入する際に保育士の方と幼稚園の教諭の方との間で,意見の
相違等はありましたか,という筆者の問いかけに対し特に問題は無かった.元々両者
は『子どもをみまもる』という姿勢において共通の意思を持っていた.したがって認
定こども園制度導入に対して,両者ともに前向きな姿勢であったし,連携意識も強か
ったとの回筓をいただいた.
・認定こども園制度には現在どのような問題点があると思われますか,という筆者の
問いかけに対し,まだできたばかりの制度であることもあって,認定こども園制度に
対して政府が様子見状態である.そのため,きちんと制度の整備がされていない点が
問題と思う.また,現在の定員数に関しても,申し込み数が定員数の何十名も上回っ
ている為県に定員増の申請をするものの,なかなか受け入れられない.したがって,
ニーズがあるにも関わらず,入園をお断りしなければならないという問題も発生して
いる.加えて,保育所の中には定員を守りたいという思いから,認定こども園に,現
在抱えている児童を取られまいと同園を敵視する保育所もある.それに関しては,そ
れぞれの保育施設がこれからはそれぞれに試行錯誤をして,より子どもたちが通いた
いと思えるような施設づくりを心掛けるようになっていけばいいと思う.
以上が,聞き取り調査の質疑内容である.今回の調査によって,同制度には,文科省と厚労省
の縦割り行政のために,事務処理に手間がかかり,現場に混乱をきたすという意見があるが,实
際には保育士と幼稚園教諭の間でそれに対する連携が図られているということが明らかになっ
た.その他にも,認定こども園のニーズは高く,申し込み数は定員数を何十名も上回るほどであ
り,その分こども園の定員数を増やす申請を県にするものの,定員増は難航しており,入園を断
らなければならないという現状があることも分かった.また,筆者が最も驚いたのが,保育所が
定員を守りたいという思いから,認定こども園制度についてあまり良く思っていないということ
もあるということである.それについては,保育者の方の,「各種保育施設はそれぞれに試行錯
誤してより良い保育サービスの提供を心掛けていくべきである」という意見に賛成である.つま
り,認定こども園制度が導入された以上は,既存の保育所や幼稚園は認定こども園を敵視するの
ではなく,保育を提供する仲間として,協力しあって児童が健やかに過ごせる環境づくりに取り
組んでいただけたらと思う.
認定こども園制度については原子氏のように,「数を増やすという目的のもと,地方裁量型の
認定こども園をたくさん作ろうと認定基準を緩和した場合に,設備の整っていない認可外保育施
- 200 -
設を認定してしまう可能性がある」という为張や,負政効率を追求し,これまで積み上げた「保
育实践の歩み」や「子どもにとってどんな保育施設が望ましいか」といった視点はまったくみら
れないといった否定的な意見があると紹介した.しかし,今回保育者の方にお話を伺い,認定こ
ども園に対する保護者のニーズは高いことが改めて分かり,賛否あるものの,認定こども園の存
在意義はあると感じられた.そこで,定員を増やすなど政府や自治体はもっと,柔軟に対忚でき
ないものかと思った.加えて,企業によって運営されている認可外保育施設を増やすよりも,政
府が推進する認定こども園制度を拡大させる方が,児童を預ける保護者からすると,安心感があ
るとも思う.よって,もし保育サービスの量的拡充を目指すならば,より安心感のある,認定こ
ども園の数を増やしていくことが望ましいといえる.
ちなみに,ここで特筆したいのが地方裁量型の認定こども園の件数についてのデータである.
平成 21 年 9 月 1 日現在,東京都には地方裁量型の認定こども園が4ヶ所あるのに対して群馬県
内には,地方裁量型の認定こども園は無い.つまり幼稚園・保育所いずれの認可も有さない認定
こども園が無いといった点で,群馬県の方が認定基準は厳しく,評価できるのではないか.しか
し,東京都の場合は待機児童数が他の府道府県の比にならないほど多いため,地方裁量型であっ
ても,認定する必要に迫られているとも言える.したがって,地方は都市と比べ待機児童数も尐
なく,保育については比較的めぐまれた環境にあると分析できるのではないか.
3-3. 認定こども園の存在意義と課題
ここまでで,認定こども園についての賛否両方の意見を取り上げてきた.そういった様々な意
見を踏まえたところ,やはり認定こども園制度について待機児童問題の対策のひとつとして存在
意義があると考える.その理由は「現場の満足度の高さ」と「将来性が見込める」ためである.
まず「現場の満足度の高さ」については,3-1 にて先述した厚生労働省のデータのから,保
護者・保育者両者の満足度が高いと知ったことに加え,今回の聞き取り調査で,待機児童数が
31 人(2008 年 4 月 1 日厚生労働省調査より)と待機児童がそう多くはない群馬県において,申
し込み数が定員数を数十名も上回っているということが判明し,認定こども園のニーズは高いと
いうことが分かった.そして,ニーズの高さは,やはり保護者が児童を通わせたいと思えるよう
な保育サービス行われているためであると考えられる.したがって認定こども園の存在意義はあ
り,これは地方だけでなく都市においても当てはまると判断する.
また「将来性が見込める」という点については,先述してきた 2008 年 3 月に厚労省の調査か
ら,認定こども園制度について行政が取り組むべき課題として,文科省と厚労省の連携強化,負
務状況の改善,会計事務処理の簡素化,制度の普及啓発といった点を,約 3 割以上の施設があ
げているという結果が報告されており,制度・運営上の不備があることが明らとなった.しかし,
それらは直接児童や児童の保護者への保育サービス内容に関わる問題ではない上に,裏を返せば,
そういった問題を解決することで,同制度は更に拡充していくことが可能であると考えられる.
また,今回の調査で,現場のモチベーションが高いことが分かり,これから更に充实した保育サ
ービスを提供する保育施設となっていくのではないかと考え,同制度に「将来性が見込める」と
- 201 -
感じた.
それでは最後に,規制緩和の流れの中で導入された同制度について,負政の効率化という政府
のねらいから誕生した制度といえるかもしれない.しかし,認定こども園に通う児童やその保護
者が,より健やかな生活を送れるようになるならば,その点についてそこまで過敏になる必要は
ないように感じた.ただし,地方裁量型の認定こども園については,各都道府県は,その施設が
保育施設としての機能を十分果たしうるかどうかを,实地調査等行うことで判断するなどし,务
悪な設備の園が出来るのを防ぐ義務があると考える.また,2011 年の目標設置数 2,000 件につ
いては,あくまで目標であるため,厚労省と文科省による幼保連携推進审は,それをクリアする
ことよりも,既存の認定こども園の問題点を改善するために,どのような支援ができるのか分析
し,よりよい保育を行える環境づくりを進めていってほしいと思う.
4 これからの保育サービスのあり方
ここまでは,待機児童対策の例として,現行の保育制度や保育サービスについて分析をしてき
た.その結果,都市と地方では求められる保育サービスが異なるということが分かった.そこで
本章では,都市と地方それぞれの保育サービスの現状における課題について論じる.
4-1. 都市における課題
量の拡大から利用率の向上へ
本節では,都市における今後の保育サービスのあり方について論じていく.
まずは,2 章で取り上げた,新待機児童ゼロ作戦についての 2008 年 2 月 27 日発表の趣旨説
明をみてみる.その趣旨説明において,
・働き方の見直しによる,仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)の实現
・親の就労と子どもの育成の両立と,家庭における子育てを包括的に支援するための
「新たな次世代育成支援の枞組み」の構築
以上の取り組みを軸に新待機児童ゼロ作戦を進めていくことが明言されている.また,社会保
障分野を研究している中垣陽子(2005)は尐子化対策について,
2003 年 3 月に取りまとめられた
「次世代育成支援に関する当面の取組方針」
の中では,
尐子化対策の重点として,従来の「子育てと仕事の両立」だけではなく,
・男性を含めた働き方の見直し
・地域における子育て支援
・社会保障における次世代支援
・子どもの社会性の向上や自立の促進
という新たな柱を加えている.
- 202 -
と分析している.以上の中垣氏の見解を用いて,もう一度新待機児童ゼロ作戦の内容について
みてみると,
「仕事と生活の調和」や「就労と子どもの育成の両立」を支援することが明言され
ているにもかかわらず,具体的に示されている対策が,保育サービスの拡充をはじめ子育て支援
対策ばかりで,保護者の働き方の見直しについての対策が打ち出されていないことが分かる.
また,2009 年 8 月 18 日に厚生労働省が発表した,2008 年度の雇用均等基本調査によると,
育児休暇取得率について,女性は 90.6%(前年比+0.9%)で,初めて 9 割を超えたのに対して,
男性は 1.23%となり,前年比 0.33%減尐しており,政府が目標とする男性の育休取得率 10%に
は到底及ばない結果となった.そういった現状から,
「仕事と生活の調和」や「就労と子どもの
育成の両立」といったことを目標にかかげるのは,時期尚早であるように感じる.そこで,待機
児童解消に向けての目標としては,希望するすべての児童が保育を受けられるように,まずは保
育サービスを充实させることが先決であると思う.したがって筆者は「既存の保育サービスの利
用率を高める」ことを目標とした対策を实施すべきであると考える.そのためには,
「既存の保
育サービスの認知度を高めること」と,認知された後は,利用したいと思われるように,
「サー
ビス内容を改善する」という段階を踏んで,保育の質を向上していく必要がある.特に,都市部
は労働するためにつくられた空間であるかのように,たくさんのビルが立ち並んでいるため,保
育施設を新設するのは,面積的にも負政的にも困難であろう.よって,都市部における保育の受
け皿の数を増やすのではなく,その存在を知らせ,利用率を高めることで既存の受け皿を大きく
していくことで,質も向上させていくということしか出来ないというのが現状ではないか.その
ため,都市では既存の保育施設へ手厚い支援を行うことで,保育サービスを充实させ,尐しでも
多くの児童が保育を受けられるようにしてほしい.
4-2. 地方における課題
保育サービス間の連携を深める
では続いて,地方における今後の保育サービスのあり方について論じていく.
地方の保育サービスにおける今後の課題と考えられるのは,
「保育サービス間の連携を深める」
ということである.これは,筆者が群馬県内の認定こども園の保育者に行った調査を通して考え
た課題である.同調査によって,既存の保育施設と新たな保育施設との間で,園児の囲い込みな
どの「保育サービス間の競争」があることが判明した.しかしそれに関しては,規制緩和によっ
て保育がサービス業化し,利用者を 1 人でも増やしたいという保育施設が増えたために起こっ
た,当然の事態であると考えられる.しかし,待機児童も比較的尐なく,都市部に比べ恵まれた
環境で保育が受けられると考えられる地方においては,保育サービス間で連携することで,地域
全体の保育の質を向上させていくことも可能であると考える.また,保育の質を地域全体で向上
させるということは,待機児童問題で余裕のない都市部ではほぼ不可能であり,地方の特権とい
えるのではないか.
そこで,地方においては,保育を提供する保育施設同士が協力しあい,それぞれにサービス内
容を工夫することで共存していってほしい.そして,児童の成長や,児童の保護者の育児と保護
者自身の生活の両立を支援できるような充实した保育サービスを提供していってほしいと考え
- 203 -
る.
また,都市に比べ地方は待機児童が尐なく,恵まれた環境であるという意味では,地方におけ
る保育サービスの姿は,今後の都市における保育サービスの先行モデルとも言えるのではないか.
つまり地方の保育サービスが充实することは,日本全体の保育サービスの充实につながるのでは
ないか.以上から,待機児童が尐ないからこそ,すべての保育サービス機関が,協力しあって充
实したサービスを提供できるかどうかが,地方における課題といえる.
おわりに
本論文では,児童とその保護者にとって保育を受けることがとても重要であるという筆者の考
えに基づき,そのような機会を奪っている問題として待機児童問題に焦点をあてた.そして,待
機児童問題が都市と地方の保育環境の格差によって引き起こされている問題であると分析し,同
問題への対策事例を検証していくことで,今後の保育のあり方について,都市と地方それぞれに
対して提言を行ってきた.
今回,待機児童問題について調べていく中で,保育サービスを提供する機関がたくさんあり,
選択肢が多すぎることが待機児童問題を複雑化させているように感じた.また,待機児童問題の
裏で,不正をして就労証明を発行することで,实際には就労していないにも関わらず児童を保育
所に入所させている保護者も存在していることを知り,そういった保護者のモラルを疑うのと同
時に,本当に保育を必要としている児童やその保護者,そして一生懸命働いている保育者の方が
気の毒であると感じた.そして,そういった行動を防ぐためにも,待機児童問題について数字だ
け取り上げて終わるのではなく,同問題に直面している方々が一体どのように困っているのかを
明らかにしていかなければならないと思うし,それが専門家の役目であると思った.また,保育
所の開所時間延長や幼稚園での預かり保育が常態化していることからも分かることだが,保育サ
ービスを充实させていくことは,保育者の労働状況をどんどんハードなものにしている.それに
ついては,保育される側だけでなく,保育する側の立場に立った意見ももっと为張されるべきだ
と思ったxxxvii.
また,本論文に残った課題としては,待機児童問題が様々な要因が絡み合って発生しており,
すぐ解決するような卖純な問題ではないということは分かったものの,その複雑な要因について,
さらに詳しく紹介することが出来なかったことが考えられる.しかし,今回の研究について,待
機児童問題だけでなく,それに関わる社会問題についても理解を深められたという点で,取り組
んだ意義があったと思う.
最後に,筆者は保育に精通しておらず至らない点も多々あったにも関わらず,お忙しい中聞き
取り調査にご協力していただいた保育者の方に,とても感謝している.
xxxvii
垣内国光・東社協保育士会,2007,
『MINERVA 福祉ライブラリー94 保育者の現在――
専門性と労働環境』ミネルヴァ書房 112-4.
- 204 -
文献
白井千晶・岡野晶子編,2009,
『子育て支援 制度と現場 よりよい支援への社会学的考察』新泉
社
中垣陽子,2005,
『社会保障を問いなおす――年金・医療・尐子化対策』ちくま書房
浦辺史,1978,
「廃墟の中の保育」
『戦後保育所の歴史』
,全国社会福祉協議会
高橋有里,2007,「乳児の母親の育児ストレス状況とその関連要因」岩手県立大学看護学部紀要
9
垣内国光・東社協保育士会編,2007,
『MINERVA 福祉ライブラリー94 保育者の現在――専門性と
労働環境』
門脇厚司,1999,
『子どもの社会力』岩波書店
原子純,2008,
「わが国の幼保一元化における戦後過程と今後の課題について」聖徳大学大学院
児童学研究学科 2008 年度博士論文
厚生労働省,2009,「保育所の状況(平成 21 年 4 月 1 日)等について」
(http://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/09/h0907-2.html, 2009.12.1)
宮崎県議会,2009,「保育制度改革に関する意見書」
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( http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/10/dl/s1014-7c.pdf#search=' 認 可 外 保 育 施
設%20 入所児童数%20 下回る' ,2009.12.1)
厚生労働省,2008,「『新待機児童ゼロ作戦』について
(http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/02/dl/h0227-1b.pdf,2009.11.21)
家庭福祉員制度等实施要綱,2005
( http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/kodomo/jigyo/hoiku.jyosei/files/kateihu
kusiin_jissiyoukou.pdf,2009.12.1)
- 205 -
女性の労働と多様化する働き方
大澤朊实
はじめに
現在の日本社会では,法律や制度の整備が進み,雇用の面では男女平等が促進されている.男
女の雇用における規定は,2007 年施行の男女雇用機会均等法第二次改正により,雇用における
男女差別が禁止されたことで平等となった.しかし,男性社員を基本として作られた日本的雇用
システムが完全になくなったわけではない.筆者は,1990 年代のバブル崩壊後の経済不況に勝
るとも务らない経済不況のなかで就職活動をしたことで,長期勤続の可能性が高い男性社員の優
位性を痛感した.そのことがきっかけとなり,以前から関心のあった女性の労働と日本の雇用シ
ステムについて,より強い関心を持つようになった.本論文では,日本の雇用システムと女性労
働について論じていき,多様化する働き方についても言及したい.
第1章では終身雇用と年功賃金を中心とした日本の雇用システムについて考察し,日本の雇用
システムの変化について論じていく.そして,第2章では男女雇用機会均等法の成立を中心に,
女性労働の現状について論じていく.第3章では多様化する働き方とワークライフバランスにつ
いて論じていく.最後に第4章において,男女双方が働きやすい職場作りの事例として,厚生労
働省の实施している均等・両立推進企業表彰を紹介する.
女性労働の現状と日本の雇用システムの変化について考察し,多様化する働き方とワークライ
フバランスについて論じていく.
1 日本の雇用システム
1-1. 終身雇用と年功賃金
第1章では,日本の雇用システムについて考察していく.高度経済成長期以降の日本の雇用シ
ステムの大きな特徴として,
「終身雇用」と「年功賃金」があげられる.船橋(1983)は,終身
雇用について「終身雇用とは,従業員が定年に達するまで一つの企業に長期勤続する慣行をさし
ている.企業は従業員に長期勤続を推奨するために,勤続給の導入,退職金制度の確立,福利厚
生施設の充实を行った.
」と述べている.また,年功賃金については「年功賃金とは,年齢・勤
続が上昇すれば,それに忚じて賃金をひき上げてゆく制度(賃金の払い方)である」と述べてい
る.この二つの制度により日本の労働者は,学卒後一つの企業に入社し長期勤続することで,勤
続年数に合わせた安定した収入を得ることができた.また,入社した企業の中で複数の仕事を経
験し職業能力を高めることができた.この日本的雇用システムは,長期間勤続することのできる
男性正社員を典型としている.
日本の企業は労働者に対して長期間に渡る訓練投資を行い労働者の育成を行う,内部育成型の
キャリア形成を促進してきた.その訓練投資のために要した資金を回収するために,長期間勤続
- 206 -
することのできる可能性の高い労働者を確保したいと考えるため,結婚や出産などのライフイベ
ントにより離職する可能性の高い女性よりも,男性のほうが優遇されてきた.また,男女雇用機
会均等法施行以前は労働市場における女性社員の役割は補助的なものに限定され,結婚・出産時
の退職推奨が当然のように行われていた.そのため,男性正社員を基準とした日本的雇用システ
ムは,男性が外で働き女性が家事・育児を担うという男女の性別役割分業を促進することにもつ
ながっていた.つまり,終身雇用と年功賃金をベースにした日本的雇用システムは,高度経済成
長以降に日本企業が安定した成長を遂げていた時期には有効なシステムであったが,職場におけ
る男女の平等を考える上では大きな障害となるものであった.
1-2. 雇用システムの変化
1-1 において日本的雇用システムの特徴である長期雇用と年功賃金について述べてきたが,
1990 年代を通じて日本の雇用システムは大きく変化した.これは,終身雇用と年功賃金を支え
てきた,若年人口が多く年齢が上がるごとに人口が尐なくなっていく「ピラミッド型の企業内構
造」の変化や経済不況など市場環境の変化によるものであると考えられる.また,尐子高齢化の
加速や非正規雇用の増加,成果为義的賃金制度の導入も日本的雇用に変化を与えた要因として考
えられる.この日本の雇用システムの変化は,昔のように一つの企業に長期勤続しても,年齢や
勤続年数による自動昇給が受けられないということを意味している.バブル崩壊以降の経済不況
のなかで,パートやアルバイト,派遣といった非正規労働者人口の増加やニートの出現により,
これまでの日本の内部育成型のキャリア形成が困難となり,日本の雇用システムは大きな変化を
見せ始めたのである.その変化とは,終身雇用や年功制によって企業にキャリア形成を任せる組
織内型のキャリア形成から,自分で自分のキャリアを形成していく自己責任型のキャリア形成へ
の変化である.日本的雇用システムでは個人のキャリア形成は,企業による人材の内部育成にあ
わせて企業为導で行われてきた.しかし,雇用システムの変化により正社員としての働き方だけ
でなく多様な働き方が増えたことで,企業为導ではなく個人の責任で行われる自己責任型のキャ
リア形成へと変化した.
この企業为導から自己責任型のキャリア形成への変化は,女性にとっては大きなチャンスでは
ないだろうか.ライフイベントによるキャリア中断の可能性の高い女性は,組織内型のキャリア
形成は困難であるが,自己責任型のキャリア形成なら家庭と仕事を両立させる可能性が広がるの
ではないだろうか,という期待を持っている.しかし,現实の日本社会はどうであろうか.雇用
システムが変化しても,女性の労働環境はそれほど変化していないのではないだろうか.
2 女性労働の現状
2-1. 男女雇用機会均等法の施行
第1章では日本の雇用システムとその変化について論じてきたが,第 2 章では男女雇用機会
均等法を中心に女性労働の現状について考察していく.
男女雇用機会均等法ができるまで,結婚や出産などのライフイベントにより離職する可能性の
- 207 -
高い女性は職場において男性とは区別され,男女別の雇用管理が行われていた.しかし,職場で
の男女平等について定めた法律である男女雇用機会均等法の成立により企業において男女が平
等に扱われることとなり,男女雇用機会均等法は女性の労働環境や働き方に大きな影響を及ぼし
た.男女雇用機会均等法は 1972 年施行の勤労婦人福祉法が基礎となり,1979 年に国際連合に
おいて採択された女性差別撤廃条約を受けた国際的な女性差別撤廃の流れの中で,1985 年に成
立し,1986 年より施行されたi.1986 年の施行以後,2回の改正が行われ現在に至っている.
成立当初の男女雇用機会均等法では,募集・採用や配置・昇進について努力義務規定とされるな
ど,男女の雇用機会均等化において不十分な内容であった.しかし,男女雇用機会均等法が施行
されたことで,それまで企業のなかで男性の補助的な位置づけであった女性が,男性と平等に扱
われることが法律によって明記されたのは女性の労働環境向上の大きな一歩であっただろう.
男女雇用機会均等法の第一次改正は 1997 年に成立し,1999 年に施行されたii.第一次改正に
おいて,
「募集・採用」
「配置・昇進」「教育訓練」
「福利厚生」
「定年・退職・解雇」の全てにお
いて「女性のみ」や「女性優遇」の措置を行う女性差別が原則禁止となった.またこの改正時に,
各企業による格差解消のための積極的な取り組みであるポジティブ・アクションに関する規定と
セクシュアル・ハラスメントに関する規定が新たに盛り込まれた.
第二次改正は 2006 年に成立し,2007 年に施行された.第二次改正の一番の改正点は,第二
次改正法第二条の基本理念において「この法律においては,労働者が性別により差別されること
なく,また,女性労働者にあつては母性を尊重されつつ,充实した職業生活を営むことができる
ようにすること」iiiとされ,「女性に対する差別」の禁止から「男女双方に対する差別」の禁止
へと法律の基本的性格が大きく変えられたことである.また,間接差別の禁止や妊娠・出産を理
由とする不利益取り扱いの禁止も追加されるとともに,第一次改正の際に盛り込まれたセクシュ
アル・ハラスメントやポジティブ・アクションについての規定も強化された.
男女雇用機会均等法は 1985 年の成立から2回の改正を経て現在に至り,女性の労働環境の向
上,職場における男女の平等に大きく財献しているのではないか.しかし,より女性の労働環境
を向上させるためには,職場における男女の平等を進めるだけでなく,各家庭の事情に合わせた
多様な働き方を選択できる環境の整備が必要である.男女雇用機会均等法は今後,仕事と家庭生
活の両立のための多様な働き方の促進に寄与する法律として,更なる改正を検討する必要がある
のではないかと考える.
2-2. 男女雇用機会均等法の施行後の女性労働
2-1 では女性の労働環境向上に大きく財献した男女雇用機会均等法について述べてきたが,2-2
では男女雇用機会均等法施行後に女性の労働がどのように変化したか論じていく.
1985 年成立の男女雇用機会均等法の正式名称は「雇用の分野における男女の均等な機会及び
待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律」である.
ii 脚注ⅰで示した男女雇用機会均等法の正式名称は,1997 年の第一次改正時に「雇用の分野に
おける男女の均等な機会及び待遇の確保に関する法律」となった.
iii 2007 年施行男女雇用機会均等法より引用.
i
- 208 -
はじめに,男女雇用機会均等法が施行された 1986 年と第一次改正法が施行された 1999 年,
第二次改正法が施行された 2007 年それぞれの就業者数・雇用者数を比較する.1986 年の女性
就業者数は 2,330 万人,女性雇用者数は 1,586 万人,1999 年の女性就業者数は 2,630 万人,女
性雇用者数は 2,116 万人,2007 年の女性就業者数は 2,663 万人,女性雇用者数は 2,301 万人で
あるiv.図表1でも示されるとおり,女性就業者数,女性雇用者数,女性就業者数における女性
雇用者数の占める割合のすべてが増加している.この女性就労者数・雇用者数の推移には男女雇
用機会均等法施行の効果が反映されているのではないだろうか.男女雇用機会均等法が施行され
るまで女性は職場において男性と区別され,男女別の雇用管理が行われていたが,男女雇用機会
均等法が施行されたことで企業における男女の扱いが平等化され,女性の労働環境や働き方に大
きな影響を及ぼしたのではないか.
図 1
女性就業者数・雇用者数の推移
(万人)
3,000
2,500
80.5
68.1
2,000
1,500
1,000
2,630
2,330
2,116
1,586
500
0
1986年
1999年
(%)
100
90
86.5
80
70
60
50
2,663
40
2,301
30
20
10
0
2007年
女性就業者
女性雇用者
女性就業者数における女性
雇用者数の占める割合
出所:総務省統計局「労働力調査」より筆者が作成.
男女雇用機会均等法施行後の女性就業者数・雇用者数の増加には第一次改正時に盛り込まれた
ポジティブ・アクションの实行も影響しているのではないだろうか.ポジティブ・アクションと
は,
「固定的な性別による役割分担意識や過去の経緯から,男女労働者の間に事实上生じている
差があるとき,それを解消しようと,企業が行う自为的かつ積極的な取組のこと」 vである.男
女雇用機会均等法第一次改正法以降,各企業が尐しずつポジティブ・アクションに取り組むよう
になったことで,女性就業者数・雇用者数が増加したのではないか.しかしながら男女雇用機会
均等法施行後の,女性労働者の労働環境が十分なものになったわけではない.女性労働者の労働
環境改善には,男女の均等雇用のほかに,仕事と家庭の両立という問題が往々にしてあるからで
ある.第3章以降では,仕事と家庭の両立に焦点をおき女性労働について論じていく.
iv
出所:総務省統計局「労働力調査」
.
v厚生労働省,
「女性の活躍推進協議会『ポジティブ・アクションのための提言』」
(http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/04/h0419-3.html,2009.12.15)
- 209 -
3 均等・両立推進企業表彰について
3-1. 「均等・両立推進企業表彰」とは
第2章では男女雇用機会均等法を中心に女性労働の現状について論じてきたが,女性の労働環
境は変化しつつあるが,それは恵まれた環境の整っている一部の企業が中心である.第3章では,
女性の労働と多様な働き方の推進に関する取り組みとして,厚生労働省の实施している「均等・
両立推進企業表彰」について紹介する.
均等・両立推進表彰とは,厚生労働省が「均等推進企業表彰vi」と「ファミリー・フレンドリー
企業表彰vii」という二つの表彰を平成 19 年度に統合した表彰で,
「女性労働者の能力発揮を促進
するための積極的な取組」又は「仕事と育児・介護との両立支援のための取組」について,他の
模範ともいうべき取組を推進している企業を表彰し,広く国民に周知することで,男女双方の能
力を発揮できる職場環境の整備を促進させることを目的として实施している表彰である.以下に,
「均等・両立推進企業表彰」の表彰の種類を紹介する.
【均等・両立推進企業表彰】
厚生労働大臣最優良賞
男女ともにそれぞれの職業生活の全期間を通じて持てる能力を発揮できる職場環境を整
備する企業として,女性労働者の能力発揮を促進するための積極的な取組(ポジティブ・ア
クション)及び仕事と育児・介護との両立支援のための取組について,特に他の模範ともい
うべき取組を推進し,その成果が顕著である企業
【均等推進企業部門】
厚生労働大臣優良賞
女性の能力発揮を促進するために,他の模範ともいうべき取組を推進し,その成果が認め
られる企業
都道府県労働局長優良賞
地域において,女性の能力発揮を促進するために,他の模範ともいうべき取組を推進して
いる企業
都道府県労働局長奨励賞
地域において,女性の能力発揮を促進するための取組を推進していると認められる企業
【ファミリー・フレンドリー企業部門】
厚生労働大臣優良賞
仕事と育児・介護が両立できる様々な制度を持ち,多様でかつ柔軟な働き方を労働者が選
「均等推進企業表彰」とは平成 11 年から厚生労働省が实施していた,ポジティブ・アクショ
ンの模範的取組を推進している企業を表彰していたもの.
vii 「ファミリー・フレンドリー企業表彰」とは平成 11 年から厚生労働省が实施していた,仕事
と育児・介護とが両立できるような様々な制度を持ち,多様でかつ柔軟な働き方を労働者が選択
できるような取組を積極的に行い成果があがっている企業等を表彰していたもの.
vi
- 210 -
択できるような他の模範ともいうべき取組を推進し,その成果が認められる企業
都道府県労働局長優良賞
地域において,仕事と育児・介護が両立できる様々な制度を持ち,多様でかつ柔軟な働き
方を労働者が選択できるような他の模範ともいうべき取組を推進している企業
都道府県労働局長奨励賞
地域において,仕事と育児・介護が両立できる様々な制度を持ち,多様でかつ柔軟な働き
方を労働者が選択できるような取組を推進していると認められる企業
厚生労働省,「厚生労働省:均等・両立推進企業表彰について」
(http://www.mhlw.go.jp/general/seido/koyou/kintou/ryouritsu.html,2009.11.27)
3-2. 「均等・両立推進企業表彰」受賞企業紹介
3-1 では「均等・両立推進企業表彰」の概要を紹介したが,3-2 では,
「均等・両立推進企業表
彰」の受賞企業の取り組み事例を紹介したいと思う.しかしながら,本論文においてすべての受
賞企業の事例を紹介することは難しいので,平成 19 年の「均等・両立推進表彰」实施開始から
平成 21 年現在までの厚生労働大臣最優良賞及び優良賞企業(図表5)のなかから,唯一,厚生
労働大臣最優良賞を受賞した株式会社ベネッセコーポレーションを紹介したいと思う.
株式会社ベネッセコーポレーションは,東京都にある教育・出版業,従業員数約 4,000 人の企
業である.均等推進企業部門では,平成 19 年7月に「ワークライフバランス・均等推進プロジ
ェクト」を設置し,社員アンケートの实施等により現状分析を行い,
「ワークライフバランス・
均等推進实行計画」を策定,ポジティブ・アクションの取組を強化した.ポジティブ・アクショ
ンに取り組んだ結果,女性の配置の尐ない「学校向け営業」等において女性の比率がアップした.
また,女性管理職が増加し,女性割合は平成 20 年1月1日現在,係長クラス 37.3%(全国平均
24.5%),課長クラス 25.7%(全国平均 15.1%)と,全国平均以上で部長クラス以上にも女性が
登用されている.ファミリー・フレンドリー企業部門では,育児休業制度及び育児短時間勤務制
度等の制度を拡充,男性育児休業利用者が増加傾向にある.特に,管理職が取得したものや,期
間が 3 ヶ月以上の取得实績がある.両立支援に関する基本方針を「ベネッセグループ行動指針」
において法令遵守を明記し,「ワークライフバランス・均等推進实行計画」を策定,会社全体で
男性社員も含めた仕事と家庭の両立を常に工夫しながら周知している.また,次世代育成支援対
策推進法に基づく認定マーク(くるみん)を取得している.viii
株式会社ベネッセコーポレーションのようにポジティブ・アクションや介護・育児と仕事の両
立支援に積極的な企業が増えることで,個人のライフスタイルに合わせた多様な働き方が可能と
なり,ワークライフバランスが实現されるのだと思う.一つでも多くの企業が,多様な働き方を
促進させるための取り組みに積極的に取り組んでいくことで,男女双方が能力を発揮できる社会
viii厚生労働省,
(http://www.mhlw.go.jp/houdou/2008/09/dl/h0924-1a.pdf,2009.11.27)より抜
粋.
- 211 -
がつくられていくのではないだろうか.
表 1
均等・両立推進企業表彰受賞企業一覧
厚生労働大臣最優良賞及び優良賞(平成19年度~)
年度
表彰の種類
厚生労働大臣最優良賞
均等推進企業部門厚生労
平成 19 年度
働大臣優良賞
企業名
所在地
(該当なし)
(該当なし)
ファミリー・フレンドリー企
業部門厚生労働大臣優良
生活協同組合おかやまコープ
岡山県
株式会社ベネッセコーポレーション
東京都
賞
厚生労働大臣最優良賞
均等推進企業部門厚生労
平成 20 年度
働大臣優良賞
ファミリー・フレンドリー企
業部門厚生労働大臣優良
賞
厚生労働大臣最優良賞
均等推進企業部門厚生労
働大臣優良賞
平成 21 年度
(該当なし)
ボッシュ株式会社
埼玉県
シナノケンシ株式会社
長野県
参天製薬株式会社
大阪府
(該当なし)
大和証券株式会社
東京都
株式会社京都銀行
京都府
株式会社鹿児島銀行
鹿児島県
ファミリー・フレンドリー企
業部門厚生労働大臣優良
(該当なし)
賞
出典:厚生労働省,「厚生労働省:均等・両立推進企業表彰について」
(http://www.mhlw.go.jp/general/seido/koyou/kintou/ryouritsu.html,2009.11.27)
4 多様な働き方
4-1. 多様化する働き方
第3章では女性の働きやすい環境づくりの事例として均等・両立推進企業表彰を紹介したが,
第4章ではワークライフバランスと多様化する働き方について論じていく. はじめに,3-1 で
は統計資料の考察を中心に,働き方の多様化の現状について論じていく.
平成 19・20 年の役員を除く雇用者の雇用形態別雇用者割合をみると,雇用者の雇用形態が多
様化していることがわかる(図表2)
.男性は 81.7%(平成 19 年),80.8%(平成 20 年)と正
- 212 -
規職員・従業員の割合が多数を占めているが,女性の正規職員・従業員の割合は 46.5%(平成
19 年),46.4%(平成 20 年)と全体の半数以下である.また,パート・アルバイトが 40.3%と
正規職員・従業員に迫る割合を占めている.派遣社員や契約社員・嘱託,その他の雇用形態で働
く雇用者の占める割合も,合わせると 10%以上になる.
図 2
役員を除く雇用者の雇用形態別割合
出典:厚生労働省,「平成 20 年版働く女性の实情」
(http://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/03/h0326-1.html,2009.11.27).
次に,短時間雇用者数と雇用者総数に占める短時間雇用者の割合の推移を見てみる(図表3)
.
短時間雇用者数と雇用者総数に占める短時間雇用者の割合は,どちらも概ね緩やかな増加傾向を
見せている.また,雇用者総数に占める短時間雇用者の割合は平成 20 年には雇用者総数の4分
の1を超える 26.1%となっている.次に,短時間雇用者数及び短時間雇用者総数に占める女性
割合の推移を見ると,ほぼ一貫して短時間雇用者総数の約 70%を女性が占めていることがわか
る(図表4)
.このように,近年は雇用形態が多様化し,労働時間もフルタイム労働だけでなく,
短時間労働が増加し働き方が多様化してきている.
以上のように,現代の日本では女性を中心に雇用形態・労働時間が多様化している.しかし,
この働き方の多様化の多くは個人のライフスタイルが反映されての変化ではなく,雇用システム
の変化により生じたものではないだろうか.
- 213 -
図 3
短時間雇用者数及び雇用者総数に占める短時間雇用者の割合の推移
出典:厚生労働省,「平成 20 年版働く女性の实情」
(http://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/03/h0326-1.html,2009.11.27).
図 4
短時間雇用者数及び短時間雇用者総数に占める女性割合の推移
出典:厚生労働省,「平成 20 年版働く女性の实情」
(http://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/03/h0326-1.html,2009.11.27).
4-2. ワークライフバランスと多様な働き方
ワークライフバランスとは,「仕事と生活の調和」という意味である.近年,ワークライフバ
ランスの重要性が高まっており,それにともないライフスタイルに合わせた多様な働き方が求め
られているのではないだろうか.2007 年に「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)
憲章」と「仕事と生活の調和推進のための行動指針」が策定された.『日本経済新聞』2008.1.
1朝刊では「ワークライフバランス元年」という特集記事も掲載され,ワークライフバランスに
- 214 -
注目が集まっている.人々のライフスタイルが多様化した今日において,ワークライフバランス
を实現させるためには,それぞれのライフスタイルに合わせた多様な働き方が必要なのである.
多様な働き方とはどのようなものであろうか.働き方は,雇用形態と,労働時間の違いで考え
られる.雇用形態は正社員と,パートタイマーやアルバイト・契約社員・嘱託・派遣社員なの非
正規社員という働き方がある.そして,労働時間はフルタイム労働と短時間労働という働き方が
ある.为に正社員は,処遇や保障も充实しているが,フルタイム労働を基本とし労働時間等をラ
イフスタイルに合わせて選択することが難しい拘束性の強い働き方である.また,非正規社員は
正社員よりも柔軟に労働時間等の労働条件を選択することができるが,処遇や保障が正社員より
も低い働き方である.個人のライフスタイルが多様化した今日の社会でワークライフバランスを
实現するためには,正社員と非正規社員という二極化した働き方だけでなく,双方の働き方の良
い部分同士を組み合わせた新しい働き方が必要なのではないかと考える.労働者が,個人の生活
にあった働き方を選択して働くことが,本当の意味での働き方の多様化ではないだろうか.
おわりに
現在の日本社会では男女は平等か.感じ方,考え方は人それぞれ違うだろう.高度経済成長以
降の日本社会は,終身雇用と年功賃金を基礎とした日本的雇用システムにより男性を中心に機能
してきた.男女雇用機会均等法の施行を契機に女性の労働環境も見直され,雇用制度上は男女の
平等化が進められてきた.
しかし,人々の意識の面ではどうであろうか.どれだけ法律や制度が整えられても,日本人の
意識の中に根付いている,性別役割分業という考えはそう簡卖に払拭できるものではないだろう.
本論文では,
「意識」という抽象的な問題には言及することができなかったが,この問題は男女
の平等について考える上で重要な問題だと考えている.
今後,男女の平等意識を完全なものにするために,雇用の分野だけでなく,家庭生活における
役割や責任も男女が平等に貟っていく社会がつくられていくことを期待しつつ本論文を終える.
文献
舟橋尚道,1983,『日本的雇用と賃金』法政大学出版局.
櫻木晃裕編,2006,『女性の仕事環境とキャリア形成』税務経理協会.
武石恵美子,2006,『雇用システムと女性のキャリア』勁草書房.
青島祐子,2007,『新版
女性のキャリアデザイン――働き方・生き方の選択』学文社.
崔勝淏,2007,「日本の雇用システムの変容とキャリア形成」『跡見学園女子大学マネジメント
学部紀要』第5号:63-74.
内閣府仕事と生活の調和推進审,「仕事と生活の調和推進(ワーク・ライフ・バランス)ホーム
ページ」
(http://www8.cao.go.jp/wlb/index.html,2009.10.20).
厚生労働省,「平成 20 年版働く女性の实情」
(http://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/03/h0326-1.html,2009.11.27).
- 215 -
厚生労働省,「均等・両立推進企業表彰について」
(http://www.mhlw.go.jp/general/seido/koyou/kintou/ryouritsu.html,2009.11.27).
厚生労働省,「女性の活躍推進協議会『ポジティブ・アクションのための提言』
」
(http://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/04/h0419-3.html,2009.12.15)
内閣府,
「男女共同参画白書
平成 21 年版」
(http://www.gender.go.jp/whitepaper/h21/zentai/top.html,2009.12.15).
総務省統計局,
「統計局ホームページ/平成 20 年労働力調査年報(I 基本集計)」
(
http://www.stat.go.jp/data/roudou/report/2008/ft/index.htm,2009.12.16).
総務省統計局,
「統計局ホームページ/平成 20 年労働力調査年報(II 詳細集計)
」
(http://www.stat.go.jp/data/roudou/report/2008/dt/index.htm,2009.12.16).
- 216 -
オープンカフェの風景
―賑わいをつくる街路空間―
韮塚麻奈美
はじめに
中心市街地の衰退が深刻になっている中,オープンカフェが賑わいの創出材料として注目を集
めている.中心市街地の活性化に向けて,全国各地で地域住民や関係団体が为体となり様々な取
り組みが行われているが,その一つがオープンカフェだ.オープンカフェは人の歩かなくなった
市街地において,賑わいの可視化や回遊性の向上,景観の形成といった街路空間の演出効果と商
業の拡大による売り上げの波及効果を期待され注目されている.欧米では一般的に「カフェテラ
ス」
「屋外カフェ」と呼ばれ,街路空間に賑わいを生みだすために政策的に取り入れられている
事が多い.日本でも地域活性化事業として推進されつつあるが,未だ課題は多く特に地方都市で
は浸透していないのが現状である.街路空間を魅力的に利用できるような街の实現に向けて,オ
ープンカフェをひとつの事例としてその効果と实現可能性を考えていく.
1 魅力ある街
~ヨーロッパのオープンカフェ利用~
1-1. 《オープンカフェの街》
街路空間を整備された規範に則って利用し魅力的な街を作り出しているといえばやはりヨー
ロッパの諸都市が代表的だろう.街路に広がる色鮮やかな露店やテラスは自然発生的に生まれた
文化のように根付いているが,实は街づくりのための政策として行われている部分が大きいので
ある.ヨーロッパに限らず欧米諸国では,街路空間は経済的にも文化的にも重要な空間で,行政
の管理の下に効果的に利用することが求められている.オープンカフェを街の重要な要素として
いる都市として以下ではパリとミラノを取り上げ,運営方針や政策について整理する.
1-1-1. カフェの街
パリ
歩道に張り出したオープンテラスや大通りを彩るカフェのパラソルは,パリの街並みには欠か
せないものとなっている.パリ市ではこれらの歩道を始めとする公共空間の利用には行政がルー
ルと利用料金を定めている.特に歩道にせり出すオープンテラスや露店の営業に関しての規則は
「公道における露店およびテラスの設置に関する条例」で定めていて規定内容は営業許可から店
舗の設置条件,必要な設備などかなり細かい部分にまで至っている.この条例の中で街路空間の
利用は大きく3つに分類される.
[一般規定]
商業用に利用できるのは原則として有効幅員の 3 分の 1 までである.有効幅員は移動不可能な
- 217 -
設備(信号機やバス停など)を歩道幅員から差し引いて算出される.ただし,1.6 メートル以
上の歩行空間は最低限確保しなければならない.
[個別規定]
オープンテラスおよび囲い込みテラスは,この項目によって規定されている.一般規定にある幅
員を必要とする上に,テラス幅が 0.6 メートル以上必要であるという規定が加わる.更に囲い
込みパネルの設置や構造にも詳細な規定が設けられている.
[特別規制区域と歩行者道路]
この項目に当てはまるもので代表的なのは,有名なシャンゼリゼ大通りである.市内の特定の地
域を対象に例外的にテラスの拡張などを認めている.ただし景観を保つためにパラソルや什器に
は色や構造の制限がある.
パリのオープンカフェ
1-1-2. 屋外空間の街
撮影:韮塚
ミラノ
ミラノ市の公共空間利用に関しては「道路法」を柱にいくつかの規制や昔からの申し合わせに
よって成り立っている.オープンテラスや露店,キオスクの設置には「道路法」の他に規則とし
て「屋外物の公共空間利用に関する規則」がある.この規則では屋外公共物を構成するテーブル
や椅子,テント等の色,材質,形状などについて詳細に基準を定めている.
[一般規定]
公共空間の利用はミラノ市技術局の管理下で市の交通課の許可が必要になる.歩道は2メートル
を歩行空間として残し,全体の半分まで利用可能である.またこの地域で特徴的なのは,歩道の
利用は基本的に申請者の店舗前面までであるが同意を得ることで一般住宅の玄関口,他店の窓,
ウィンドー付近などの隣接する空間まで利用面積が拡張できる.
[オープンカフェ]
建物沿いまたは車道沿いに設置が許可されており,歩道の使用可能幅員は一般規定に同じである.
- 218 -
営業時間外は公共空間から撤収し,整理して保管する事が義務付けられている.備品のパラソル
やプランター等に関しても前記の通り詳細に規定されている.
[季節デホルス]
通常のオープンテラスの他に,季節限定で正面・側面をガラスやカーテンで囲んだ「季節デホル
ス」という仮設店舗の形状がある.期間は 8 カ月と限られているが設置基準や構造,色彩に関
する詳細な基準は[オープンカフェ]同様である.
1-2. なぜオープンカフェが可能なのか
秩序立った街路空間利用がなされているのは,西洋の街路空間利用が歴史的な成立背景を持っ
ているのが一因であるとも考えられる.公共空間利用は中世の経済活動の場,すなわち「市」に
起源を遡る事ができる.中世時代,人々の集まる教会や城門の広場に行商が市を開き都市を賑わ
せていた.近世に入ると,広場や広幅員の街路などは王が権威や権力を示すために様式化して作
り出した都市の中に宮廷の一部として城壁に囲い込まれた.その囲い込まれ限られた域内に集住
していた人々にとって,私的な領域は限定されたものであり共有する空間こそを生活領域として
築き上げてきたのだi.このような市民の生活文化によって公共空間は共有するものだという意
識が築かれたのだろう.
現在,ヨーロッパの大抵の都市では街路空間のオープンカフェ利用にはかなり厳密な規定を設
けて運営を許可しコントロールしている.営業は許可制になっていて,運営態勢や道路占有物に
違反が見つかった場合には営業許可の取り消しや強制撤去などの違反対忚の権限が行政に与え
られている.オープンカフェの営業許可に対してはかなり大きな権限を行政が握っているのだ.
しかしその分,許可体制には大きな裁量性が含まれていてひとつひとつの店舗に対して柔軟な対
忚が出来るようになっている.ここまで細かな規定や規制によって運営が支えられているのは,
それだけオープンカフェ運営を地域の維持にとって重要だと考えているということだろう.实際
に道路の使用料はパリでは一般負源の 8%にも及ぶなど負源確保の観点からも非常に重要にな
っている.ii
オープンカフェを支えているのは,もちろん行政だけではない.街にオープンカフェが林立す
るためには場所の問題,美化の問題等々,数々の考えなくてはならない事項がある.市民や観光
実は街の一部として屋外を楽しんでいるし,人がまちに流れカフェを利用する事がカフェの経営
を成り立たせる.そして店舗側は使用する場所を美しく保とうとする事で,都市の美化は効率的
にこなされている.様々な要因が絡み合って成立していることは明らかであるが,街路空間を活
用して生活する文化が根付いているからこそオープンカフェが賑わいを生みだしているのだ.
i
PUBLIC SPACE 編集委員会,1993,『公共空間
ヨーロッパの街並みと広場』参照
参照
ii篠原修・北原理雄・加藤源他,2007,
『公共空間の活用と賑わいまちづくり』p24
- 219 -
2 日本の街路空間
2-1. なぜオープンカフェがダメなのか
日本の街路も,かつては商品や買い物実でひしめき合う空間であった.しかし戦後の急速な経
済成長に伴い自動車が街中に溢れ,街路空間は「整備」され安全性・公共性の面から店舗が私有
地からはみ出して商品を陳列することや看板を出す等のことが極度に制限された.そうして現代
に至る流れの中で生活に関わる制度も仕組みも整えられ,私的な領域が尊重される時代になり街
路空間の利用は縮小していったのだ.
日本ではオープンカフェは定着していないが,街路空間を利用するための決まりはある.街路
空間の利用には「道路占用許可」,
「道路使用許可」
,飲食店経営に関しては更に「食品営業許可」
が必要となる.ここでは賑わいのための街路空間利用という視点から,先の 2 つを取り上げ,
論じていく.オープンカフェはかつての日本には想定されてこなかったのでそれを管理するため
の規定は無く,道路管理者や警察庁,市民までもが許可されていない,即ち禁止されているとい
う考え方に立っていた.しかし近年,地域活性化や街の賑わいづくりのためにオープンカフェを
求める動きが生まれ,行政や警察もそれに対忚する形で動き始めている.これまでに市民や意欲
的な自治体が数多くの試行錯誤を重ねてきた例から,2 つの問題を見つけ出した.1 つ目は「道
路占用許可」と「道路使用許可」という 2 つの法制度による障害がある問題,2 つ目は行政と市
民との協働関係と「公共性」への考え方の問題である.
2-2. 法制度を乗り越える
前述の通り,道路を利用するためには基本的に 2 つの許可が必要になる.それぞれ許可の対
象となる物や申請機関が異なるのだが,ひとつずつ検討していく.
まず,道路に物を設置するためには道路法に基づき道路占用許可を道路管理者(県や市町村)
から受けなくてはならない.
道路法
第三十二条
道路に次の各号のいずれかに掲げる工作物,物件又は施設を設け,
継続して道路を使用しようとする場合においては,道路管理者の許可を受けなければ
ならない.
一
電柱,電線,変圧塔,郵便差出箱,公衆電話所,広告塔その他これらに類する工作物
二
水管,下水道管,ガス管その他これらに類する物件
三
鉄道,軌道その他これらに類する施設
四
歩廊,雪よけその他これらに類する施設
五
地下街,地下审,通路,浄化槽その他これらに類する施設
六
露店,商品置場その他これらに類する施設
七
前各号に掲げるものを除く外,道路の構造又は交通に支障を及ぼす虞のある工作物,
物件又は施設で政令で定めるもの
- 220 -
ここには歩廊や露店といった商利用の設備は挙げられているが,テーブルや椅子等のオープンカ
フェの要素は規定されていない.
一方,交通の妨げになる虞のある事を道路で行う場合,道路交通法に基づく「道路使用許可」
を所轄の警察庁から受けなければならない.
道路交通法
第七十七条
次の各号のいずれかに該当する者は,それぞれ当該各号に掲げ
る行為について当該行為に係る場所を管轄する警察署長(以下この節において「所轄
警察署長」という.)の許可(当該行為に係る場所が同一の公安委員会の管理に属す
る二以上の警察署長の管轄にわたるときは,そのいずれかの所轄警察署長の許可.以
下この節において同じ.
)を受けなければならない.
一
道路において工事若しくは作業をしようとする者又は当該工事若しくは作業の請貟人
二
道路に石碑,銅像,広告板,アーチその他これらに類する工作物を設けようとする者
三
場所を移動しないで,道路に露店,屋台店その他これらに類する店を出そうとする者
四
前各号に掲げるもののほか,道路において祭礼行事をし,又はロケーシヨンをする等
一般交通に著しい影響を及ぼすような通行の形態若しくは方法により道路を使用す
る行為又は道路に人が集まり一般交通に著しい影響を及ぼすような行為で,公安委員
会が,その土地の道路又は交通の状況により,道路における危険を防止し,その他交
通の安全と円滑を図るため必要と認めて定めたものをしようとする者
「石碑,銅像,広告板,アーチその他これらに類する工作物」
「場所を移動しないで,道路に露
店,屋台店その他これらに類する店」が規定されているが,やはりオープンカフェの規定は無い.
このように街路空間利用は明らかに「日本的な」規制が敶かれていたが,近年では地域振興を
目的とした街路空間の活用への期待が高まっていた.それを受けて国土交通省道路局が 2005 年
3 月に出したのが「道を活用した地域活動の円滑化のためのガイドライン」である.これは道路
空間の多様な活用を目指して,継続性のある地域活動を推進するために策定された.このガイド
ラインの中では「道を活用した地域活動」として「オープンカフェ(オープンテラス)」がはっ
きりと書き込まれている.そしてこれまで禁止されていると解釈されてきた根拠となる「規定が
ない」という問題も,各法律の「その他これに類する」規定を活かして許可が受けられる態勢に
整えられた.更に同年,警察庁からも民間事業者の道路上での活動に弾力的に対忚することを推
進する通達が出された.法改正までは至っていないが,オープンカフェの实現に対して制度の壁
は乗り越えられるようになってきている.
2-3. 行政と市民と公共性と
行政や警察がオープンカフェを拒む理由に,街路空間,特に沿道店舗がオープンカフェを開く
場所としてまず考えられる歩行空間は,歩行者のための空間で店舗のための空間ではないという
解釈があった.そのため街路空間は祭りや一時的なイベント以外に使用許可は与えられなかった
- 221 -
のだ.しかし各地の市街地の急激な衰退と地域振興のための街路空間利用の需要拡大を受け,
1999 年からオープンカフェの需要とその効果を調査するために国土交通省道路局が中心となり
公募による社会实験が始まった.そうして 2004 年から 2005 年には国土交通省のガイドライン
と警察庁からの通達を受けて,全国で 40 以上にものぼる「オープンカフェ」の社会实験が相次
いだ.これによって行政がオープンカフェを拒否する理由は取り除かれた.しかし国の推進方針
を受けて实施された「オープンカフェ」の多くは行政色の強い「とりあえず」の対忚のように見
える形で,継続した事業としては至っていない.
市民の側に目を向けてみると,「公共性」への姿勢が壁となっていることも見えてくる.日本
人は「公共」というものに対して「誰のものでもない」という考えを基本的に持っているようで
ある.誰のものでもない公共空間は誰かが占有してはいけないし,そこで特定の事業者だけが営
利活動を行うなど不公平だという意識があるのだ.オープンカフェの社会实験が,事業として継
続できなかった理由の最たるものが「近隣店舗からの営業妨害だという苦情」であった事からも,
これは明らかになっている.この考え方もまた街路空間利用には非常に大きな壁となっているの
だ.集実力を上げることができるのならば共に人の集まる街路を作っていこうとするのではなく,
ずるいからやめろというのは如何なものだろうか.これは街路の使用料を定める等,街路空間利
用に関する制度が整えられていけば解消される問題なのではないかと思う.現段階では形として
乗り越えられるようになっただけで实際の運営を想定した制度が完成していないために行政と
市民との理解が進まず,オープンカフェを利用した魅力的な街づくりには達していない事例が多
いのだ.
3 街路空間のまち
3-1. 街路空間文化を始めたまち
第 2 章までで見てきたように,道路空間を賑わいづくりのために使うのに最も課題となって
いるのは市民自身の理解不足でもある.しかし市民が熱意を持って街を活性化させたいと願えば,
行政や警察も協力を示す流れをつくることはできる.以下に市民と行政との協働によってオープ
ンカフェ運営を实現させている例を 2 つ挙げる.
まず 1 つ目に挙げる広島市は,公共空間でのオープンカフェ实現に向けて先陣を切った自治
体でガイドライン策定のきっかけを作った事例である.先に述べてきた課題を乗り越えるために,
運営の構造に工夫をして公共空間利用の素地を築いている.この動きを受けて国は街路空間の利
用方法を見直し,全国にオープンカフェを推進する態勢を整えるまでに至ったのである.そして
2 つ目はガイドライン策定後に開始された横浜市の事例である.横浜という都市が持つ歴史的な
背景に合わせ,自由度の広がった利用方法の下で横浜のブランドアップにも繋げている.
3-1-1. 広島市
日本のシャンゼリゼに!
広島市のオープンカフェは「カフェテラス倶楽部」という市民団体の活動に始まる.彼らは「広
島の街に,パリのシャンゼリゼのようなカフェテラスをたくさん作り,のんびりと気持ちいい時
- 222 -
間を過ごしたい!」という気持ちから様々な公共空間にカフェセットを持ち出していた.その活
動が半官半民の「平和大通り有効活用实行委員会」の为催の下で社会实験のオープンカフェに発
展し,翌年には实行委員の直営から民間事業者への委託にまでなった事例である.
この事例の注目すべきところは,民間事業者が公共空間でのオープンカフェを事实上实現させ
た事である.とは言っても民間の事業者が公共空間を営利目的に使うのは未だ認められていない
時代なので,広島市と民間事業者の組合等が協同で作る「平和大通り有効活用实行委員会」がオ
ープンカフェの为催者として市と事業者を仲介している.さらにオープンカフェの需要に対して
の社会实験という体を取っているのもポイントになっていたのだ.公共空間での店舗の営業を許
可しただけの形になってしまうと,公共性を欠いていると市民から批判を受け兼ねない.そのた
め行政が参加する实行委員組織での社会实験という形態で,事業の公共性・公益性を証明したの
である.实行委員会は広島市と警察からそれぞれ占用許可・使用許可を取って占用料を支払い,
その公共空間を民間事業者は魅力的な店づくりに利用し,实行委員会に対して出店料を支払う,
といった構図になっている.市が民間事業者に対して直接許可を与えたわけではないが,事实上,
行政が民間事業者にオープンカフェ運営を許可した形になっている.半官半民の組織を作りワン
クッション置くことで,巧みに制度を乗り越えているのだ.
社会实験は 4 年で終え,市民の間にはオープンカフェの需要があることと許可を受けられる
短期間では採算が合わず経営としては成り立たないこと等の課題を明らかにした.この事例は,
後に市が国に働きかけ 2004 年,民間事業者のオープンカフェ運営を法の特例として認められる
までに発展している.現在では河岸に独立店舗型のオープンカフェを開き市の公募により民間事
業者が運営を行っている.これは全国的に街の活性化のためのオープンカフェが広がるきっかけ
となった.市民の働きかけが,行政を巻き込み法律までも協力させたのである.
3-1-2. 横浜市
横浜のブランドアップを目指して
横浜市の日本大通りオープンカフェは,国土交通省ガイドラインが出された後の 2005 年,約
2 ヶ月のテストランを経て本格的に開始された事例である.地元の有志や事業者が中心になって
「日本大通りオープンカフェ实行委員会(現在は「日本大通り活性化委員会」)
」を発足させ,市
と協定を結び協働で事業を行っている.オープンカフェ運営の構造として,横浜市と民間事業者
の間に市と協定を結んだ活性化委員会が入る形式となっている.道路管理者である横浜市は協定
に基づいた管理を条件として活性化委員会に一括して道路占用の許可を出し,活性化委員会は各
店舗と協議を行い具体的な内容や場所を調整するという仕組みである.既存の店舗がオープンカ
フェを实施するだけでなく,空いてしまった建物にも店舗を誘致する等まちの繁栄のために事業
として確立しつつある.公益性を確保しながら商業性も併せ持ち,街路空間の活用が完成した形
に近付いていると言えるだろう.
横浜市は歴史的な建造物が多く残り,中でも日本大通りは日本初の西洋式街路でもあり横浜開
港資料館,横浜郵便局等の重要な施設が立ち並ぶ街路である.その歴史的価値を活きた形で残し
ていくために,カフェだけではなく花屋など他の店舗も通りに店を出し,屋外での生演奏,パフ
- 223 -
ォーマンス等も行われている.日本大通りはその歴史と風格を損なわないように,更に個性ある
魅力を高めるためにブランドイメージの確立を目指しているのだ.そのためオープンカフェに対
しては景観形成の側面に公共性を認め,オープンカフェのある風景を含んだ街並みを横浜のブラ
ンドとして作り上げている.行政と市民の団体,そして沿道の店舗が協働で事業を行うことで,
オープンカフェだけではない更なる街の賑わいづくりを目指している.
3-2. オープンカフェ実現への可能性
日本において街路空間をオープンカフェに利用しようとした時に大きなポイントになるのは,
地域の住民等の関係者と行政である地方公共団体との協働である.ガイドラインの中でも「地域
活動の实施組織」として「一定の公共性・公益性や地域住民等の合意形成に配慮し,地方公共団
体や地域の関係者(地方公共団体を含む)からなる協議会など,地方公共団体が関与する団体で
ある事が必要」であると規定されている.これは道路の使用・占用許可の制度との関連という点
と,オープンカフェが飽く迄まちづくりの一環として取り組まれるべきという点が重要だからだ.
国がオープンカフェを推進する方針を示したとはいえ,民間事業者が直接,公共空間を許可を得
て使用する事を認める法律は出来ていない.そのため,地方公共団体の関わる組織が实施为体と
してあると街路の使用許可取得が円滑に出来るようになるのだ.
社会实験が継続した営業に繋がらない問題点として,オープンカフェの運営には通常の店舗内
での営業に加えて使用料等が余計に必要になるので運営資金の不足もある.ところで,アメリカ
では BID 組織の存在がある.基本的には地域美化や治安維持活動を行う組織だが,その活動は
地域によって实に様々だ.イベント实施や地域内のマーケティング調査,政策提言など地域発展
のために組織毎に独自の活動をし,まちづくりやオープンカフェ運営を行っている組織もある.
BID は地域の発意によって形成され,その地域の資産所有者から強制的に貟担金を徴収してそ
れを負源としている.日本でも实行委員会等を地域住民から組織しているが,その多くは NPO
であったり地域のボランティア団体であったりと負源に関しては全面的に行政の後ろ盾が必要
というところが多い.これが魅力的なまちづくりをしようと思っても資金不足で实現しない要因
の一つになっているのではないだろうか.多尐の額でも有無を言わさず協力させるくらいの強引
さが地域の団体なり自治体なりに無いと,これからのまちづくりは発展していかないだろう.
4 地方都市はこれからどうなるのか
ここまで,市民が中心となり行政との連携を取って歩行空間をオープンカフェに利用している
例を広島,横浜と取り上げてきた.しかしこれらは割と街のブランドが確立されつつあり,市民
自身も街に対する意識が高い場所である.日本において近年オープンカフェが注目されているの
は,賑わい創出など地域振興の可視的な効果や協働による地域の結びつきの高まりを期待しての
ことである.国がガイドラインや警察庁通達により推進を図った「地域活動の活発化」は,真に
活発化が必要となっているような地域の力が衰退している地方ではどのように進められるだろ
うか.
- 224 -
4-1. 地方都市
高崎市
高崎市は典型的な地方都市である.相当の車社会であるため郊外型大型店舗に人は流れ,中心
市街地の空洞化が進んでいる.高崎市でも 2005 年に公共空間活用によるまちの賑わいづくりの
ため,テイクアウト型オープンカフェを設置する社会实験が行われている.テーブルと椅子,パ
ラソルがオープンカフェの営業施設として設置されたが,店舗は無くサービスとしての給仕も行
わない.つまりは「無料休憩所」である.よってここではオープンカフェとしては扱えないが,
行政と住民団体との協働を見ることは可能である.
同实験の实施体制は,NPO 法人「高崎やる気堂」とまちづくり団体「高崎おかみさん会」が
中心となって運営をし,行政である高崎市が許可等について全面的に支援する形になっている.
「高崎やる気堂」は以前から中心市街地で活動をしている NPO であり市中にある広場で定期的
に「ようこそ高崎!人情市」というイベントを催行し続けているため,市の賑わいづくりには重
要な存在となっている.こうした中心的役割に据えるべき団体がまちづくりに馴染み深くなって
いることは大きな強みになっているだろう.ただ,
「オープンカフェ Motenasi
Avenue」と名
付けた社会实験でありながらなぜ沿道で飲食店を経営する店舗が参加しなかったのかが疑問で
ある.社会实験を卖にまちづくり団体の行うイベントとして捉えるのではなく,まち全体を巻き
込んだ継続営業のための試行として行わなければ真に街の活性化には向かわないのだ.
4-2. 地方都市にある現実iii
中心市街地の商店街には商店街組合があり,この組織が市と協議して街中の活性化事業を行っ
ている.年に 4 回程,季節毎のイベント企画を中心としているのだが,この組合と行政である
高崎市とはかなり近い関係にある.しかし組合が行うのは「駅前をきれいに」
「まちの活性化の
ためにお祭りをしよう」といった街全体の事業で,商店街レベル,さらにひとつひとつの店舗レ
ベルで行うような細かな活動にまでは対忚しきれないのだ.そうなってくると商店街や店舗が例
えばオープンカフェをやろう,と思っても組合は対忚しきれないので個別に行政へ掛け合わなく
てはいけなくなる.ここで問題になるのが,
「一市民と行政の距離」である.組合という大きな
組織と行政は近い関係にあっても,一人の市民に近い一つの事業者,商店街は行政からは遠い存
在になってしまうのである.そのため,商店街組合のようにスムーズに協議を行い事業を進める
ことはかなり困難になってしまうのだ.
ここで,ひとつの案であるが商店街組合が先行事例
の「实行委員会」の位置に立ち,小さな民間事業者の声を行政に仲介することも可能ではないだ
ろうか.オープンカフェは地域の協働を生みだす事も目的の中に含まれている.既存の繋がりを
活かしより地域の結びつきを強める可能性のひとつにも成り得るのではないだろうかと考えて
いる.
重要なのは行政と民間の立場との距離である.両者が商店街組合と市の関係と同等に協働関係
を築けたならば,互いの事業に対して許容範囲も広がり新しく事業を初め,まちを魅力的に作り
iii
4‐2 節は,高崎の中心商店街の状況について el julio 様のお話を参考にしている
- 225 -
かえることもできるのではないだろうか.行政である市や県が,商店街レベルの小さな声にまで
協力的になれば街路はもっと柔軟に魅力的に利用することが出来るようになり,街は広がってい
くのだ.
おわりに
衰退しつつある地方都市の再生について,オープンカフェをひとつの事例として取り上げた.
まちの实態を踏まえて政策を適切な形で实行する行政と,その政策の利用者であり本来の为体で
ある市民との協働によって初めて,まちの賑わいは生み出すことができるのだ.どんなに制度を
見直して体制を整えても,市民の理解と協力,参加が得られなければ生きた街路空間の利用はで
きない.市民の街路空間利用への理解を得るためには,魅力的な利用の仕方を实際に提示して関
心を得る事が必須である.
中でも地方都市の問題点は,市街地が衰退していると嘆いている市民は多いもののそれを为体
的に受け止め活性化に参加しようと考える市民がいないことではないだろうか.ヨーロッパの都
市も,日本国内でオープンカフェを实現させた事例も,市民自身がまちを楽しみ,行政と協働で
作り上げていくことで成功を収めてきたのだ.「まちづくりはお上の仕事.まちが衰退している
のもお上のせい」と考えているうちは,地域は何もよくなっていかないのだ.これまでの市民と
しての在り方では時代について行けないことを自覚して,協力の姿勢を示すことはできないだろ
うか.
謝辞
本稿執筆にあたり el julio 店長吉田様に御協力を頂きました.快く御協力下さいました事に,こ
の場を借りて深く感謝致します.
文献
篠原修・北原理雄・加藤源他,2007,『公共空間の活用と賑わいまちづくり』,学芸出版社.
端信行・中牧弘充・NIRA 編,2006,『都市空間を創造する』,日本経済評論社.
チャールズ・ランドリー,2003,
『創造的都市―都市再生のための道具箱―』
,後藤和子監訳,日
本評論社.
PUBLIC SPACE 編集委員会,1993,
『公共空間
坪郷实,2003,『新しい公共空間をつくる
ヨーロッパの街並みと広場』,ケイブン出版.
市民活動の営みから』,日本評論社.
日本建築学会都市計画委員会,1993,「海外における都市景観形成手法報告書
国土交通省,2009,「国土交通白書
1993」
2009」
国土交通省,2005,「道を活用した地域活動の円滑化のためのガイドライン」
加藤浩司・渡辺直・井澤知旦・北原理雄,2000,
「欧米における街路空間の公共利用制度に関す
る研究―6都市のオープンカフェ運用を事例に―」
渡辺直
北原理雄,2001,「街路空間利用に係る許可運用に関する研究―国内为要都市の道路管
- 226 -
理者を対象に―」
保井美樹,
「米国 BID 制度の報告―日本における新たな地域管理制度に向けて―」
山本卓史・安田丑作,2005,
「街路空間の賑わい創出の手法としてのオープンカフェとその評価
に関する研究―三宮中央通りと有馬温泉・湯元坂における社会实験事例の分析を通して」
カフェテラス倶楽部通信(http://www.c-haus.or.jp/cafe/cafe.html)
広島の建築(http://www.arch-hiroshima.net/)
日本大通りスペシャルサイト(http://www.nihonodori.jp/)
- 227 -
オタク文化は文化政策の手段になりえるか
―埼玉県鷲宮町と秋田県羽後町を事例に―
秋山智行
はじめに
本稿はアニメやマンガといったサブカルチャーコンテンツを用いたまちづくりが,文化政策学
的な視点を通じて,地域の経済的発展のみならず,地域コミュニティ向上への可能性と課題を検
討している.
現在,日本ではポップカルチャーの隆盛期を迎え,とりわけアニメやマンガ,ゲームなどのサ
ブカルチャー産業が急激な発展を遂げている.こうしたサブカルチャーは一般的に「オタク文化」
と呼ばれており,こうしたオタク文化の発展は日本各地で地域の新たなまちづくりとしての試み
へとつながっていった.
しかしオタク文化を用いたまちづくりは,観光産業学などの視点からの議論が多くなされてい
るが,文化政策学的視点からの先行研究が極めて尐ないというのが实情である.その要因は既存
のアニメ,マンガなどのサブカルチャーコンテンツの多くは情報ネットワークによって支えられ
ており,そこに地域性や土着性が存在していないことが挙げられる.また,オタク文化を用いた
まちづくりが既存のフィルム・ツーリズムに類似してしまうことから,まちづくりの「継続性」
が保てないことなどが考えられる.
そこで,著者はこうしたオタク文化によるまちづくりを「自治体関与の有無」と「メディアコ
ンテンツの規模」という二つの軸から観測し,より継続性を保有しうる「文化的なまち」になる
ことへの可能性と課題について考察する.
1 オタク文化を用いたまちづくりの概況
以下では現在の日本のサブカルチャーが急激な発展を遂げてきていることや,こうした発展に
伴って海外や日本の市町村卖位による地域の影響を与えていることについて言及している.また,
地域で行われている諸政策,为に「アニメ聖地巡礼」に関する概要と分析を行っている.
1-1. オタク文化の隆盛
現在,日本のオタク文化は 1970 年代から急激な発展を遂げた.野村総研の研究によると,今
日のこうしたオタク関連市場の規模は約 4,100 億円を超え,企業にとっても無視できない存在と
なってきている.
その影響は海外にも波及している.日本のサブカルチャーを「クール・ジャパン」と称し,
「Manga」や「Otaku」は世界で通じる言語となりつつある.2004 年,イタリアで開催された
第 9 回ヴェネチアヴィエンナーレ国際建築展において,日本は自国のオタク文化に着眼した展
- 228 -
示を行っている.テーマは「おたく:人格=空間=都市」と題され,オタクの部屋,コミックマ
ーケット,秋葉原,アニメ調のイラスト,ネットワーク空間などが連続した箱庭として再現され,
反響を呼んだ.
1-2. オタク文化を用いたまちづくり
こうした動きは日本国内の各地域にも変化をもたらしている.その変化の一つとして「アニメ
聖地巡礼(以下,聖地巡礼)」が挙げられる.聖地巡礼とはアニメ作品のロケ地,またはその作品・
作者に関連する土地で,かつファンによってその価値が認められている場所を訪ねることを指し,
その地域への旅行者をアニメ聖地巡礼者という.岡本(2008)によれば,聖地巡礼の始まりは 1991
年以降であると仮説し,
「聖地巡礼の始まり」とはアニメなどの舞台訪問が「聖地巡礼」と呼ば
れるようになった期間を指す.岡本ら(2008)の研究によると,聖地巡礼に類似した旅行行動を当
時では「ミラージュ・ツアー」と呼ばれていたため,聖地巡礼という名称が使われ始めたのはそ
れ以降だとしている.
今井(2009)は聖地巡礼が以前まで散見されたフィルム・ツーリズム(あるいはシネマ・ツーリ
ズム)の営為に類似していると述べている.しかし今井は聖地巡礼とフィルム・ツーリズムとの
相違点がフィルム・コミッションの有無であると言及する.すなわち,パッケージツアーを提供
しているトップダウン型のフィルムツーリズムとは異なり,アニメ舞台への訪問の多くは個々人
ないし尐人数による団体行動で行われている.また,石森秀三iは 2008 年 8 月 23 日付観光経済
新聞紙上にて聖地巡礼や鉄道,航空機マニアなどの若者を中心とした旅行行動を「オタクツーリ
ズム」と呼称している.
「オタクツーリズム」によって昨今見られる「旅行離れ」現象に歯止め
をかけ,新たな町づくりや観光を生み出す原動力として重要な役割を果たすことが見込まれてい
る.实際に,サブカルチャーコンテンツに登場する舞台を实際に訪問する記事を収集することを
目的としている web サイト「舞台探訪アーカイブ」では 442 の「聖地巡礼地」に関する記事が
紹介されているii.この事例には舞台地域の対忚がさまざまであり,自治体をも巻き込んだ地域
ぐるみでサブカルチャーをアピールする地域や,巡礼者がただ集まるだけの観光現象で終わって
しまっている地域など多様である.
一方,サブカルチャー作品にとらわれない「マンガ」そのものや「美尐女キャラクター」その
ものによるまちづくりをしている地域もある.この事例では高知県の「まんが甲子園」や新潟県
の「マンガ大賞フェスティバル」などが挙げられる.
こうした多様化しているオタク文化を取り入れた政策に関する研究は観光学をベースとした
諸体系でのアプローチからの検討が大半を占めている.しかし,観光学ありきでの議論はこうし
たまちづくりに必要である「継続性」の要素が欠落してしまう危険性を内包している.したがっ
て,次章では「観光」と「文化政策」の違いを明確にしたうえでオタク文化によるまちづくりを
行うための基準を示していく.
i
ii
北海道大学観光学高等研究センター長
詳細は『舞台探訪アーカイブ』(http://legwork.g.hatena.ne.jp/)を参照
- 229 -
2 オタク文化によるまちづくりの課題を考える上での分類の必要性
以上はオタク文化が日本内外に与えた状況と,まちづくりへの政策が行われるようになった一
連の流れである.
では,既存のオタク文化を用いたまちづくりに関する議論が観光学を中心に行われているが,
なぜ観光学ではこうした考え方が軽んじられてしまうのだろうか.その理由と本稿で用いる「ま
ちづくり」の定義を明らかにしながら「観光」と「文化政策」の違いを述べていく.また,本稿
の事例を検討していくうえで重要なまちづくりの分類する 2 つの軸について言及していく.
2-1. 「まちづくり」をするための「観光」と「文化政策」
近年では地方分権の考え方に伴い,地域が为体となったまちづくりが活発化している.まちづ
くりは地域振興や官民協働,持続可能性などがキーワードとなっているが,その意味は为張する
者によってさまざまな文脈で使われるバズワードであると言わざるを得ない.よって,本稿では
まちづくりを自治体,民間による地域に合わせた諸政策であると一時的に定義する.また,こう
したまちづくりを行っていく上で「観光」や「文化政策」がキーワードとなってくるが,近年こ
の二つの違いに関する議論が多くなされなかったために両者を混同して考えられてしまう恐れ
がある.まず,観光とは「余暇時間の中で,日常生活圏を離れて行う様々な活動であって,触れ
合い,学び,遊ぶということを目的とするもの」であるiii.一方,文化政策とは「人びとの精神
的活動を促進(あるいは統制)し,そうした文化的成果の共有と蓄積を推し進めることで,私た
ちの暮らす国なり地域社会のあるべき文化イメージ国民・市民によって習得・共有・伝達される
行動様式や生活様式を形成していくこと」である.つまり,観光学と文化政策学とは以下のよう
な 2 つの相違点がある.まず 1 つ目に,学問対象となる为体が違うということであり,観光学
では为に为体となるのは観光する者であり,文化政策学の为体は地域文化の担い手や市民,もし
くは地域そのものであるという点である.2 つ目に観光学の目的はその地域文化を生かした地域
経済を盛り立てていくためであると考えられるが,文化政策学では地域社会に暮らす市民が共通
する認識を形成していくことを重視しているためであると考えられる点である.また,市民が共
通する認識を形成していくためには「継続性」が必要不可欠であり,その継続性を保有するため
のひとつとして地域経済を盛り立てていくことが必要であると考えられる.
2-2. オタク文化を文化政策学的観点から見つめる必要性
さて,先述したようにオタク文化を用いたまちづくりは観光学を中心とした諸体系によって議
論されているのが大半であると述べた.その要因は,オタク文化が既存のフィルム・ツーリズム
と類似していることにあり,オタク文化もまたそのメディアコンテンツ作品の盛衰に大きく影響
されてしまうことが挙げられるだろう.
iii
詳細は観光政策審議会『今後の観光政策の基本的な方向性について
参照
- 230 -
筓申第 39 号』(1995)を
確かに,メディアコンテンツ作品に大きく依存したまちづくりはメディアコンテンツ作品の評
判や知名度に大きく影響を受けるところから,地域経済を盛り立てていくための一時的かつ短期
的視野に基づいた政策にならざるを得ない.
しかし 3 章で事例の詳細を検証していくこととなるが,地域による官民協働での持続的かつ
長期的視野を盛り込んだ政策を行う地域が現れてきており,それには観光政策学的観点から考え
ることに限界があるということが,文化政策学的観点から考える必要性として挙げられるだろう.
また,先述したように日本のサブカルチャーコンテンツは世界で注目されてきており,そのサブ
カルチャーコンテンツとしての担い手を「地域」という足元から一大文化として長期的に成長し
続ける取り組みが必要とされていることも文化政策学的観点から考える必要性のひとつであろ
う.
2-3. まちづくりの分類する 2 つの軸
さて,先述したように本稿ではオタク文化によるまちづくりに最も重要視される要素が「継続
性」であると考えている.この継続性を保有するまちづくりとはどんなものであるかを 3 章以
降で事例を踏まえて考えていくことになるが,1 章でも述べたように,こうしたアニメ,マンガ,
ゲームなどのオタク文化を用いたまちづくりの事例は非常に多数,多岐にわたりそのすべてを検
証していくことは困難である.
したがって,今回はまちづくりの傾向を「自治体関与の有無」と「メディアコンテンツの規模」
という 2 つの軸から考えていき,これらの軸に照らし合わせて,特徴の突出している 2 つの事
例に焦点をあてて検討していくことにする.
自治体関与の有無では,そのまちづくりにおいて行政が活動にどれだけ関与しているかを示し
ている.自治体関与をしている地域ほどオタク文化への関心が旺盛であり,民間で行うよりも大
規模なイベント開催が行いやすい上に,オタク関連の物販を行う企業が立地しやすく,地域のイ
メージが定着しやすくなる効果があると考えられる.一方では地元商店街などオタク文化と関係
しないところでの地元の消費拡大とは結び付きにくいという課題も挙げられる.また,逆に民間
が为体となっているオタク文化によるまちづくりでは非常にフットワークの軽いまちづくりの
展開が期待されるが,これは既存のフィルム・ツーリズムに類似しており,民間为導でまちづく
りの展開規模が小さい傾向にある地域ほど継続性を保ちにくいと考えられる.
メディアコンテンツの規模とは,オタク文化でのまちづくりの目玉としているメディアコンテ
ンツ(もしくはタイアップしているメディアコンテンツ作品)の大きさを指す.最尐のメディアコ
ンテンツ規模が「ひとつのアニメ,マンガ作品」にあたり,これが「アニメ,マンガシリーズ」,
「アニメ,マンガコンテンツそのもの」とメディアコンテンツの規模が大きくなる.最尐のメデ
ィアコンテンツ規模でのまちづくりはフィルム・ツーリズムに類似し,継続性が保持されにくい.
一方,メディアコンテンツ規模が大きいほど持続的な政策に結び付きやすい.しかし,規模が大
きいということはそれだけ地域から発信されるメディア情報が豊富であることが求められる.よ
ってまちづくりの適用範囲が大きく,自治体との協働によるまちづくりを行う必要が求められや
- 231 -
すくなる傾向がある.
また,2 つの軸にはある程度の相関性があり,自治体が関与したまちづくりはメディアコンテ
ンツ規模が大きくなり,自治体関与がなくまちづくりの適用範囲が狭いものほどメディアコンテ
ンツ規模が小さいものであり,継続性を持ちにくい傾向があると考えられる.
2-4. 文化資源という考え方について
先述したことのほかに,文化政策学的に事例を検討していくうえで「文化資源」という考え方
が重要になってくる.文化資源学会(2002)によると,文化資源について以下のように定義してい
る.
文化資源とは,ある時代の社会と文化を知るための手掛かりとなる貴重な資料の総体であり,
これを文化資料体とする.文化資料体には,博物館や資料庫に収めきれない建物や都市景観,あ
るいは伝統的な芸能や祭礼など,有形無形のものが含まれる.しかし,多くの資料は死蔵され,
消費され,活用されないまま忘れられている.そのため埋もれた膨大な資料の蓄積を,現在およ
び将来の社会で活用できるように再生・加工させ,新たな文化を育む土壌として資料を有用な資
源として資源化し,文化活動に利用可能にすることが必要となる.
こうした文化資源の活用に関する議論は F・ビアンキーニらによるヨーロッパの都市文化政策に
関する研究(Bloomfield and Bianchini 2001; Landry 2000)によってもなされており,文化資源
の活用は直接的な経済効果だけではなく,より総合的な地域政策の視点からも理解されるように
なっている.ただ,地域の発展のための文化資源を活用する機運が高まっている一方で,こうし
た動きが一般的な傾向であるとは言い難いとの自治体関係者や研究者による指摘がなされてい
る.
2-5. 事例検討の前整理
以上を基に事例の検討を進めていく.事例は,まず 3 章に埼玉県鷲宮町にある鷲宮神社を取
り上げる.鷲宮神社はアニメ作品の舞台地となっており,メディアコンテンツ規模は最小規模の
典型的な「聖地巡礼地」であるといえる.この事例では直接的な自治体の関与は見られないが,
アニメ作品に登場するキャラクターに対して鷲宮町が特別住民票を交付するなどのイベントを
行っている.
4 章では秋田県羽後町の取り組みを見ていくこととする.羽後町ではオリジナルの美尐女キャ
ラクターを用いることで同町の保有する文化的遺産とタイアップさせたイラストを販売してい
る.これがウェブサイト上での人気を呼び,同町においても美尐女キャラクターを使ったイベン
トや物販などでまちづくりを行っている.メディアコンテンツ規模は大きく,まちぐるみでの商
店や文化施設と提携した取り組みがなされている.
- 232 -
3 既存のオタク文化を用いた町づくり
~埼玉県鷲宮町鷲宮神社~
3-1. まちづくりの概況
埼玉県鷲宮町ivはアニメーション『らき☆すた』vのロケ地として,オープニングの背景及び本
編一部に用いられた.同町の背景で使用された場所は鷲宮神社とそれに隣接する大酉茶屋の所在
地である.これは作品の为要キャラクターである「柊かがみ」
「柊つかさ」の父が鷲宮神社の神
为であるという設定になっているためである.この設定をアニメ雑誌やウェブサイトないしブロ
グなどで知り,
「聖地巡礼」と称してアニメによく似た街並みを見ようと訪れるファンが急増し
た.その集実効果を同神社への初詣実の年別推移で見てみると,2008 年には前年から 17 万人
増の 30 万人(前年比 231%,埼玉県内 7 位から 3 位へ),2009 年にはさらに 12 万人増の 42 万人
(前年比 140%,埼玉県内 2 位)となっているvi.これにより,元々ランドスケープとしての機能
をもった建造物に,アニメ聖地という文化資源的価値が付加され,聖地巡礼をおこなう上で欠か
せない場所となった.
また,大酉茶屋は鷲宮商工会議所が経営しているそば屋兼甘味処である.同茶屋は「らき☆す
た」に関連したイベントにも使用されたことがあり,巡礼の来訪者による利用が活発である.
3-2. 事例の検討
3-2-1. 文化資源の「集散地」とは
鷲宮町のような特定のメディアコンテンツを,文化的資源として成立する要因の一つは「文化
資源の集散地にしていく」ことにあると考えるvii.すなわち,ソフトとしての文化資源(情報・
知識・技術・知的負産・メディアコンテンツなど)を特定地域に集積させることで情報のハブを
つくることである.当該地域に集まる人(巡礼者)はそれぞれが情報を既に保有していることから,
地域の側は場所及び機会を提供するのみで,旅行者がその場所を交流の場と位置づけ情報を発信
していくことで,地域文化の醸成につながる.このアプローチで重要な点は,地域が既存の文化
負を必要としていない点であり,旅行者が必要としているものは,自身が自由に交流できる仕掛
けや場所的な余白の存在のみであるという点である.また,こうした新たな文化の集散地は以前
の祭りや市などの伝統的な集散地的性格を持つものとは異なり,情報の同時代性,特殊性,趣味
性による文化の集散地へと変化している.
鷲宮町は埼玉県北東部に位置する,人口約 3 万 6 千人の町であり,関東で最古とされる「鷲
宮神社」の門前町として知られている.
v
『らき☆すた』は美水かがみの 4 コマ漫画が原作であり,アニメでは 2007 年 4 月から同年 9
月に放送された.アニメ「らき☆すた」作中では,鷲宮神社の名称が「鷹宮神社」に変更されて
いる.
iv
vi
朝日新聞(2007.12.21,埼玉地方欄),朝日新聞(2008.1.9,埼玉地方欄),朝日新聞(2009.1.8,
埼玉地方欄).
vii この考えは山村(2009)からヒントを得ている.
- 233 -
3-2-2. 「自由な機会の創出」への取り組み
先述したような旅行者に対する自由な交流の機会の創出において,鷲宮町は地域振興を行うき
っかけを商工会側からつくっている.アニメ終了後から出版本である角川書店へイベント開催の
打診を行い,結果約3,500人のファンが会場に訪れている.また地元限定アニメグッズの販売方
法にも工夫がみられる.同商工会はイラスト付きの絵馬や携帯ストラップ12種類を用意したが,
1店舗での販売種類を2種類に制限しファンが多くの店を見て回るようにした.これら物販での直
接的な経済波及効果は1億円超と商工会は試算している.
さらに,ドラマや映画より知名度が低く,昨今の「オタク」のイメージによる地域のイメージ
ダウンにつながる可能性のあるなかで,こうした地域振興に対する即忚性の高さは特筆すべき点
であるといえよう.
3-3. 事例の考察
しかし,先述したような議論は観光産業としての色彩が強く,文化政策とは言い難い.2 章で
も述べたように,地域において特定されたメディアコンテンツ作品に依存している場合,そのま
ちづくりは作品人気に対して大きく左右されてしまうということから継続性を持ちにくい.また,
副次的に継続性を持たせにくくさせる要因として聖地巡礼者が当該地域を訪問することがある
が,その際個人や個人宅敶地を無断で侵入,写真撮影,不審に思われる朋装で訪れるなどの常識
を逸脱した行為やマナーの悪い巡礼者が問題視されていることが挙げられるviii.
4 メディアコンテンツ規模の拡大~秋田県羽後町を事例に~
4-1. まちづくりの概況
秋田県羽後町ixは美尐女キャラクターを用いた地元商品やイベントによる町おこしが行われ
ている.以前までは尐子高齢化や景気の悪化に押され疲弊の一途をたどる地域であったが,羽後
町出身の山内貴範氏による羽後町をアピールするイラストを有名イラストレーターに依頺した
ことが地域復興のきっかけとなった.
2007 年,羽後町では夏祭りである「かがり美尐女イラストコンテスト」が行われた.その後,
美尐女キャラクターの描かれたイラストのスティックポスターをインターネット上で販売を行
い,それを購入した(もしくは購入はしていないが販売している事实を知っていた)人がイラスト
の背景で描かれている風景を訪ねる現象が起きた.
現在は同町が保有する文化負と美尐女キャラクターをコラボレーションさせたスティックポ
スターや,美尐女キャラクターのラベルの貼られた地元特産をインターネット上及び同町の各商
この例としては静岡県浜松市が挙げられる.詳しくは web サイト「すとろべりーてぃ~んず」
(http://www.dup-team.com/teens/)を参照のこと.
ix 秋田県单部に位置する,人口約 1 万 7 千人の町である.東北地方に存在する典型的な農村地
域で,冬には県内屈指の豪雪地帯となる.また,数多くの伝統的文化負が残存している地域で,
三輪神社本殿(审町時代),境内社須賀神社(安土桃山時代)や多くの茅葺屋根住宅を保有している.
また,西馬音内盆祭りは国の重要無形民俗文化負に指定されている.
viii
- 234 -
店で販売を行い,かがり美尐女イラストコンテストxの開催など,2007 年から始まった一連の経
済効果は 1 億円にのぼるxi.
この一連の活動に関して,それらの活動の火付け役でありすべてに携わってきた山内貴範氏は
インターネット上において活動の为旨を述べており,xii同氏はかがり美尐女イラストコンテスト
から端を発した一連の活動を「地域の文化負を発掘する」と表現している.
羽後町の観光ポスターでは全国から毎年 15 万人が動員される西馬音内盆祭りがメインになる
ことが多く,それ以外の文化負が取り上げられる機会が尐なかった.しかし同氏は他にも町を象
徴する三輪神社や鈴木家などの文化負の重要性を全国の人々に知ってもらいたいと为張してい
る.
また同氏は活動の成立要因として,羽後町が市町村合併をしないとした宠言を,県内で最も早
く行ったことも挙げている.町の規模の非拡大は関係者との意見交換が容易であり,町長をはじ
めとした関係者の美尐女キャラクターへの偏見を持っていなかったことも活動を円滑に進めら
れたことに一因しているという.
4-2. 事例の議論
なお,筆者は羽後町でのかがり美尐女イラストコンテストへの他地域からの訪問者や美尐女キ
ャラクターのスティックポスターを知見したうえでの当該地域の訪問を聖地巡礼と呼称するが,
これには慎重な議論が必要となる.
まず,羽後町は特定のメディアコンテンツの舞台とはなっていないことが挙げられる.上述で
定義した聖地巡礼に基づくと,聖地巡礼はアニメ作品もしくはそれに関連した实際の地域を訪問
するものであった.
また,山内は美尐女キャラクターを用いた特産品の販売向上を含めた一連の町づくりについて,
「美尐女キャラクターを使えば売れる」や「人気イラストレーターに頺めば人が集まる」とした
考え方を否定している.かがり美尐女コンテストで行われている作品投票の 7 割は地元の子供
や大人の人々であり,したがってこれらは「埋もれている地域資源の発掘」と「新旧文化の融合」
であり,町おこしは地域の資源ありきでなければならないとしている.
しかし,实際に当該地域への訪問者の増加要因は美尐女キャラクターを使ったことにあり,こ
れにより美尐女キャラクターを用いた地元特産品の消費者層もパッケージに描かれた美尐女キ
ャラクターが強い購買意欲に結び付けたことが推測されよう.xiii
かがり美尐女イラストコンテストは 2007 年に開催された「第一回うご夏の夢市 かがり火日
天国」という祭りのイベントの一つとして始まった.2009 年 7 月に第三回を迎えている.
xi NHK「クローズアップ現代
-故郷に美尐女が来た-」2009 年 12 月 2 日放送
xii スティックポスターin 羽後町
(http://www.adthree.com/poster-ugo/kikaku.html)
xiii 地元商店,もしくはインターネット上で行われている特産品の消費者に関するデータは一切
公開されていない.
x
- 235 -
4-3. 事例の考察
羽後町の事例は 3 章で紹介した文化資源の「集散地」と,文化資源の「集積地」としての機
能を兼ね備えた事例であると考える.文化の「集積地」とは,地域が保有する有形・無形の文化
負や芸術作品をアーカイヴ化させ,できるだけ高い質で特定の場所に多くの資源をストックする
ことである.羽後町では美尐女キャラクターをまちの文化負の広告機能を持っているのと同時に
文化負を訪問者に対して整理(アーカイヴ化)していると考えることができる.また羽後町の事例
では特定コンテンツにこだわらない表現手法が可能であるため,集積地としての機能である,集
積された資源の質と量に地域の文化的魅力が規定されてしまう欠点を補っている.
一方で,文化資源の集積は文化資源を多く保有している地域にとってのみ有効であり,それ以
外の地域では实現することが極めて難しい方法であるといえる.また,この事例においても来訪
者のマナーの問題が散見されxiv,山内が述べる「地域住民との理解」が本当に得られているのか
は疑問が残る.
5 本稿の考察
以上のように埼玉県鷲宮町と秋田県羽後町の事例を検証してきた.鷲宮町ではその取り組みの
工夫やメディアコンテンツ作品の話題性の高さも手伝って定量的に顕著な発展をしている.しか
し,作品の嗜好に流行り廃りがつきものであり,「らき☆すた」とともに同町の発展が望まれる
のであれば「らき☆すた」のファンである年代層とともにその政策,まちづくりのあり方を変え
ていかなければならないだろう.しかしこの考え方は「らき☆すた」と同町との発展が持続的に
行われることが前提であり,实際には既存のフィルム・ツーリズムと同じように,その舞台地や
建造物がフィルム・ツーリズム以前の役割(鷲宮神社であれば本来の神社としてのランドスケー
プ)へと緩やかに戻っていくことが推測される.一方,羽後町では美尐女キャラクターを使った
画期的な取り組みが見て取れた.美尐女キャラクターそのものには商標登録などが存在しないが
そのイラストレーターや画風によって「美尐女キャラ」としてのブランドが確立する特性から,
为にウェブサイトを利用する若年層からの認知率を急激に引き上げることができた.また,同町
の保有する豊かな文化的建築との触れ合いによって伝統的文化の重要性を知るきっかけにつな
がっており,定期的なイベント開催によってリピーターを増やしていく仕組みができている.
しかし両者に共通する課題として,地域住民とその地域に訪れた人々との対立がある,という
点であろう.地域住民からの視点で考えてみると,住民は地域に訪れる人々との交流(ないし黙
認による承認)を想定したうえでこうした活動を容認していくことが求められる.そのうえで,
住民(もしくは行政)が为体と会場でのマナーを呼び掛けていくことや地域に訪れる人々に対し
てのガイドラインを明示していくことが必要になるだろう.また,地域に訪れる人々の側では,
「情報を保有した」上での巡礼をおこなっている以上,地域の特性や社会規範を把握したうえで
秋田県羽後町にある「Ohzan de imane 村 cafe」は 110 年前に建てられた旧対川荘の別宅を
リフォームしたカフェであるが,それをメイド喫茶と勘違いする訪問実が後を絶たなかったこと
が問題になっていた.
xiv
- 236 -
楽しむべきだろう.
おわりに
本稿では以上のように「自治体関与の有無」と「メディアコンテンツの規模」という観点から
オタク文化を用いた継続性のあるまちづくりにしていくための可能性と課題を述べてきた.しか
し,今回の事例だけでは「オタク文化をまちづくりで活かしていくためには,その地域が保有す
る伝統的文化を宠伝する方法だけであろう」という結論で終わってしまっている感が否めない.
また,羽後町では民間と自治体の役割分担の境界があいまいであり,別に自治体が为導で行って
いる事例として新潟県新潟市の事例を検証するつもりであったが,諸事情により紹介することが
できなかった.
今後は先述した 2 つの軸を用いて,新潟県新潟市の事例も含めた,各地に見られる多様な事
例を用いたマトリクスを作成し,オタク文化を用いたまちづくりの傾向と課題,可能性を体系的
に明示していきたいと考えている.
文献
野村総研オタク市場予測チーム『オタク市場の研究』2005.東洋経済新報社
コミックマーケット準備委員会『コミックマーケットカタログ』2005.コミケット
友岡邦之『地域社会における文化的シンボルと公共県の意義』2006.
高崎経済大学地域政策学会
今井信治『アニメ「聖地巡礼」实践者の行動にみる伝統的巡礼と観光活動の架橋可能性:埼玉県
鷲宮神社奉納絵馬分析を中心に』2009.北海道大学観光学高等研究センター紀要
岡本健『アニメ聖地における巡礼者の動向把握方法の検討:聖地巡礼ノート分析の有効性と課題
について』2009.北海道大学観光学高等研究センター
糸林誉史『文化資源とアーカイブス』2009.文化女子大学紀要
根木昭『「文化政策学」の論点』2002.文化経済学 3
文化資源学会『文化資源学会設立趣意書』
(http://www.l.u-tokyo.ac.jp/CR/acr/overview/shuisho.html)
日経流通新聞 2008.11.12
観光経済新聞 2008.8.23
朝日新聞2007.12.21,2008.1.9,2009.1.8
NHK「クローズアップ現代
-故郷に美尐女が来た-」2009 年 12 月 2 日放送
- 237 -
地域振興におけるアートプロジェクト
高井誉代
はじめに
本論文は何故地域振興においてアートプロジェクトが取り入れられているのか,そしてアート
プロジェクトが継続性を持つためにはどうすればよいかを考察するものである.
地域振興を考えるにあたり,地域が選択することのできる手段や方法には様々なものがある.
農産物の地域ブランド化や伝統工芸品の再興,スポーツや祭りなどのイベント開催や観光資源の
創出など,各地域では色々な取り組みがなされている.その中でも,アートプロジェクトという
手法を選択する地域が増えている.これは,地域アイデンティティの再発見をもたらすものであ
り,都市中心型社会から脱却する流れからくるものである.
しかし,地域振興としてアートプロジェクトという事業を継続していくことを考えたときに,
そこには多くの課題や問題が発生する.その事業が素晴らしいものであったとしても,継続性を
持たず,短期的なイベントとして終了してしまうケースもあるだろう.だが,長期的に,継続性
を持つものでなければ地域振興にはなりえない.本論ではアートプロジェクトの現段階の事例に
ついて検証し,何故地域振興においてアートプロジェクトなのか,継続していくために必要な事
象は何なのかについて考察していく.
1 アートプロジェクトの概要
第1章では,アートプロジェクトとは何なのか,国内外にはどのようなアートプロジ
ェクトがあるのかを見ていく.
1-1. アートプロジェクトとは
はじめに,アートプロジェクトという言葉について考えてみたい.それぞれ言葉の卖体の意味
は「アート」は「芸術」
,
「プロジェクト」は「計画」と訳すことができる.しかし,近年ではア
ートプロジェクトという言葉それ自体が,とある特定の活動を指し示すことが多くなってきた.
橋本(1997)iは,アートプロジェクトについて「簡卖にいえば美術館やギャラリーなど,鑑賞
のための専門文化施設だけでなく,日常的な場で,あるいは自然のなかで,アーティストとさま
ざまな人々の参加・協力によって行われる開かれた表現活動」と述べている.また,八田(2004)
iiは,
「従来の芸術の在り方を見直し,芸術と人,芸術と自然,あるいは芸術とまちの間に,新た
な関係性を築こうとする試み」と述べている.アートプロジェクトという言葉は,辞書に掲載さ
i
橋本敏子,1997,『地域の力とアートエネルギー』学陽書房より抜粋.
八田典子,2004,『「アート・プロジェクト」が提起する芸術表現の今日的意義:近年の日本
各地における事例に注目して』,
『総合政策論叢7』より抜粋.
ii
- 238 -
れるような固定的な意味合いはなく,非常に曖昧さを含む部分はあるものの,しばしば活動の際
に関係者内で共通認識を持って使用されることがある.本論文の中でも,橋本(1997)や八田
(2004)が提示する意味を内包するものとして,論を進めていきたい.
1-2. 海外におけるアートプロジェクト
日本のアートプロジェクトはまだ歴史が浅く,近年になってから始まったものが多いが,海外
には歴史のあるアートプロジェクトが多く存在する.ここではその形式の骨組みとして認知され
ることの多い,3つのプロジェクトを紹介するiii.
まず,イタリアのヴェネチア・ビエンナーレについてだが,これはヴェネチアにて 1895 年開
催されており,以降戦争などによる中断を挟みつつ現在も継続中である.世界最古の国際展とし
て広く知られており,ビエンナーレ(2年に1度)や,トリエンナーレ(3年に1度)など,多
くの国際展がその開催周期をイタリア語式に呼称する風習も,もともとここから発祥している.
特徴として,賞制度を持ち,国別参加形式であることが挙げられ,日本の同様の名称のものとは
様式が大きく異なっている.
次に,ドイツのドクメンタについてだが,こちらはカッセル(当時西ドイツ)にて 1955 年開
催されており,現在5年に1度の会期で行われている.最初に全体を統括する1人のディレクタ
ー(芸術総監督)ivを選出し,すべての権限を委ねるという手法が特徴的である.ドクメンタ式
の1人のディレクターを置き活動する団体は多く,日本におけるアートプロジェクトでも同様の
形式を採るものがある.
最後に,ドイツのミュンスター彫刻プロジェクトであるが,これはミュンスターにて 1977 年
開催されており,野外彫刻展だが十年に一度という長期的なペースで開催している.広く市の全
域を会場に見立て,スタンプラリーを实施するなどというまちおこし的な要素を積極的に導入す
る手法は,現在多くの事業で模倣されている.
他にも,ブラジルのサンパウロ・ビエンナーレや,韓国の光州ビエンナーレ,中国の広州トリ
エンナーレなど,多くのプロジェクトがある.海外においても日本においても,これら3つのア
ートプロジェクトは他のプロジェクトにも影響を与えるものであり,地域振興としてのモデルと
して認識されている.
1-3. 日本におけるアートプロジェクト
日本による取り組みは,1980,1990 年代頃から目立った活動がいくつか見られるようになる.
例えば,「アートキャンプ白州」(1988)vがそれにあたる.橋本(1997)は,著書viの中で,ア
iii暮沢剛巳,難波祐子,2008,
『ビエンナーレの現在―美術をめぐるコミュニティの可能性』青
弓社を参照.
iv
ヴェネチア・ビエンナーレにもディレクターは存在するが,ドクメンタと対比するとその権
限はドクメンタほど強くない.
v 八田,2004,前掲書,p.134 を参照.
- 239 -
ートプロジェクトのさきがけとして 24 件の事例を挙げているが,現在ではより多くの活動が日
本各地で行われ,2000 年代以降は急速に数を増やしている.著名なものの名を挙げると,2000
年の「大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレ」,2001 年の「横浜トリエンナーレ」など
がある.どのようなものがあるのかここに全国各地で行われているアートプロジェクトの名称と
地域を掲載する.
表1
全国のアートプロジェクトについて
アサヒ・アート・フェスティバル(全国)
瀬戸内国際芸術祭(瀬戸内海の7つの島+高松)
NAMURA ART MEETING '04-'34(大阪府大阪市)
YUDA ART PROJECT(山口県山口市)
ゼロダテ アートプロジェクト(山口県山口市)
KOSHIKI ART PROJECT(鹿児島県甑島列島)
岩見沢アートプロジェクト(北海道岩見沢市)
船橋市本町通り「きらきら夢ひろば」(千葉県船橋市)
八戸ポータルミュージアム(青森県八戸市)
神山アーティスト・イン・レジデンス(徳島県)
ヒミング/himmingA.C.(富山県氷見市)
小金井アートフル・アクション!(東京都小金井市)
上勝アートプロジェクト 里山の彩生(徳島県上勝町)
大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ(新潟県)
ながのアートプロジェクト(長野県長野市)
GOTEN GOTEN アート湯治祭(宮崎県鳴子温泉)
WATARASE Art Project(群馬県・栃木県)
たけし文化センター(静岡県浜松市)
八万湯プロジェクト(福岡県九州市)
広島アートプロジェクト(広島県広島市)
アーカス・プロジェクト(茨城県守谷市)
渋谷百軒店ミュージアムプロジェクト(東京都渋谷区)
大岡川アートプロジェクト(神奈川県横浜市)
幌内・布引アートプロジェクト(北海道三笠市)
取手アートプロジェクト(茨城県取手市)
OYOYO まち×アートセンターさっぽろ(北海道札幌市)
我孫子国際野外美術展(千葉県我孫子市)
Into Infinity(不明)
日本海政令市にいがた 水と土の芸術祭(新潟県新潟市)
アートフェスティバル in 仁田谷地(宮城県仙台市郊外)
住み開きアートプロジェクト(大阪府大阪市)
天若湖アートプロジェクト(京都府)
光のアートプロジェクト(北海道审蘭市)
長者町プロジェクト(愛知県)
CENTRAL EAST TOKYO(東京都)
アーティスト・イン・児童館(東京都練馬区)
知半アートプロジェクト(静岡県伊豆の国市)
からほりまちアート(大阪府)
わくわく JOBAN-KASHIWA プロジェクト(千葉県柏市) 東京アートポイント計画(東京都)
仙台芸術遊泳(宮崎県仙台市)
大枝アートプロジェクト(京都府)
別府現代芸術フェスティバル 混浴温泉世界(大分県別府
KOTOBUKI クリエイティブアクション(神奈川県横浜
市)
市)
もっと!西川口バザール(埼玉県川口市)
金沢アートプロジェクト「KAP」(石川県金沢市)
黄金町バザール(神奈川県横浜市)
水都大阪(大阪府)
墨東まち見世(東京都墨田区)
コミュニティアート映像祭(全国)
八尾スローアートショー(富山県八尾市)
築港 ARC プロジェクト(大阪府)
vi
橋本,1997,前掲書,pp.21-24 を参照.
- 240 -
トロールの森 +Trolls in the Park+(東京都善福寺)
SA・KURA・JIMA プロジェクト(鹿児島県鹿児島市)
在日外国人との多文化共生演劇プロジェクト(岐阜県)
湖族の郷アートプロジェクト(滋賀県大津市)
鎌倉巡空(神奈川県鎌倉市)
千葉アートネットワーク・プロジェクト-WiCAN(千葉県)
丸亀町アートプロジェクト(香川県高松市)
淡路島アートフェスティバル(兵庫県)
アートリンクプロジェクト(岡山県)
コミュニティアートプロジェクト(兵庫県神戸市)
The six! 美術大学総合展覧会(各地)
イザ!カエルキャラバン!(全国)
四万十川国際音楽祭(高知県四万十市)
肘折版現代湯治(山形県最上郡大蔵村)
土祭[ヒジサイ](栃木県益子町)
犬島アートプロジェクト(岡山県犬島)
アートプログラム青梅(東京都青梅市)
長崎水辺の映像祭(長崎県)
お寺 de アート in 西教寺(滋賀県大津市)
くにたちアートプロジェクト(東京都国立市)
街かど美術館 アート@土澤(岩手県花巻市)
AOBA+ART2009(神奈川県横浜市)
街を美術館にしよう!まちアートプロジェクト(埼玉県越
MMM みなとメディアミュージアム(茨城県ひたちなか
谷市)
市)
門真アートプロジェクト(大阪府門真市)
輪音プロジェクト(大阪)
スタジオ解放区(沖縄県沖縄市)
おにぎりアートプロジェクト(不明)
中之条ビエンナーレ(群馬県中之条町)
空間实験审(青森県青森市)
アーティスト・イン・スクール ~転校生はアーティスト!
横浜下町パラダイスまつり*よこはま若葉町多文化映画
~(北海道)
祭(神奈川県横浜市)
Digital Public Art Project(東京都)
のぼりと まちなかアートプロジェクト(神奈川県川崎市)
想 nicArt 2(秋田県仙北市)
MeToo 推進审(茨城県水戸市)
大分大学アートプロジェクト『ラブティポコカ』(大分県
アート屋台プロジェクト in 仙单(宮城県柴田郡大河原
大分市)
町)
久留里現代アート展2(千葉県君津市)
鳴く虫と郷町(兵庫県伊丹市)
鳴子温泉“生きる”博覧会(宮城県大崎市)
都筑アートプロジェクト(神奈川県横浜市)
大津ジャズフェスティバル(滋賀県大津市)
ながのアート万博(長野県長野市)
BIWAKO ビエンナーレ(滋賀県近江八幡市)
アートフェスタ in 大山崎町(京都府)
すみだ川アートプロジェクト(東京都)
横浜アートプロジェクト(神奈川県横浜市)
SUZAKART(長野県須坂市)
TANABATA.org ART project(宮城県仙台市)
松本オムニバス(長野県松本市)
さかえ de つながるアート(神奈川県横浜市)
仙台・定禅寺通りアートプロジェクト「けやきに花を」
もとまちアート海廊(宮城県塩釜市本町)
仙台アートシティプロジェクト「ART 仙台場所」(宮城
原榮三郎回顧展・有田現代アートガーデンプレイス(佐賀
県仙台市)
県有田町)
させぼアートプロジェクト(長崎県佐世保市)
あいちトリエンナーレ(愛知県名古屋市)
所沢ビエンナーレ引込線(埼玉県所沢市)
MO'ELEMENT(北海道札幌市)
ACKid(東京都)
とがびアート・プロジェクト(長野県)
- 241 -
旧中工場アートプロジェクト(広島県)
広島アートプロジェクト(広島県)
堂島リバービエンナーレ(大阪市)
神戸ビエンナーレ(兵庫県神戸市)
横浜トリエンナーレ(神奈川県横浜市)
森塾(不明)
MO'ELEMENT(北海道札幌市)
出所:日本で行われているアートプロジェクトのリンク集よりvii.
以上のような数多くのアートプロジェクトがあることがわかったが,次項で種類について詳し
く見ていく.
1-4. アートプロジェクトの種類
アートプロジェクトはいくつかの分類に分けることができる.ここでは筆者独自の分類を加え
てみたい.
・地理による分類
1.
都市型アートプロジェクト…政令指定都市など大都市で行われるもの.
例:横浜トリエンナーレ,水都大阪,など
2.
地方型アートプロジェクト…大都市圏に対し,地方の市町村で行われるもの.
例:越後妻有アートトリエンナーレ,取手アートプロジェクト,など
・運営为体による区分
①
県や市町村などの行政の施策によるもの
②
アーティスト为導によるもの
③
NPO・市民団体によるもの
④
企業によるもの
⑤
学校または学生によるもの
なお,上記を運営为体による区分としたが,例えば①と②,②と③といったように連携して活
動する場合もあり,一概に区分は難しい.また,アーティストと病院など異領域で連携を持つ事
例も存在する.
下記の図は,地理による分類の区分を図式化したものである.例として4つのアートプロジェ
クトをカテゴリー別に区分したviii.
vii
日本で行われているアートプロジェクトのリンク集
(http://matome.naver.jp/odai/2125436250184937873,2010.1.13)より掲載.
()内は筆者が
加筆したものもあり,为催者ではなく開催地である.なお,開催地が特定できなかったものは,
不明と記載している.
viii なお,この表は 2010 年現在の規模で分類している.
()内は,運営为体による区分である.
- 242 -
図1
地理による区分
規模
大
越 後妻有 アート トリ
横浜トリエンナーレ
エンナーレ(①③)
(①③)
地方型
都市型
中之条ビエンナーレ
多摩川アートラインプロ
(①②)
ジェクト(③④)
小
出所:表1を参考に筆者が独自に作成
上記の表1・図1より,全国各地でアートプロジェクトは行われており,特に都市部ではない
地方でも盛んに行われていることがわかる.
そして,その中でも既存の地域振興・行政施策の中にアートという要素が为流として組み込ま
れてこなかった地域,例えば農業の盛んな土地,温泉で有名な観光地,などといった場所でもア
ートプロジェクトが盛んに行われているということがわかる.例えば,美術館などが多くあり,
横浜赤レンガ倉庫で有名な横浜市のような文化的資源の多い場所でアートによる取り組みが行
われることは,想像に難くない.しかし,今までとは異なる,新たな潮流として地方発のアート
による取り組みが増えている.何故,地方でアートプロジェクトなのか,地方は負政難であり,
文化や芸術に関する予算は削減される傾向にあるにもかかわらず,何故アートプロジェクトとい
う手法で地域振興を行うのか.次章より,地方でのアートプロジェクトに関する取り組みについ
て,具体例を用いて考察する.
2 アートプロジェクトの運営
2章では,越後妻有アートトリエンナーレを事例に,地方での大規模アートプロジェ
クトについて考察する.
今まで地域でアートに関する取り組みを行うことは,難しいと見られていた.なぜな
ら,今まではアートというものは美術館などに代表されるような屋内のもの,つまり大
きな「ハコモノ」が必要だと考えられていたからである.しかし,アートプロジェクト
は屋内だけでなく,舞台は屋外にも及ぶものもあり,建物も大きな「ハコモノ」がなく
とも实現可能である.既存の形式とは異なるかたちを採るという点が,地方でのアート
- 243 -
プロジェクトを实現可能にした.
しかし,アートプロジェクトを継続して運営していく際にはいくつかの問題が発生す
る.事項よりアートプロジェクトを行う際の問題点について言及する.
2-1. アートプロジェクトの問題点
アートプロジェクトを運営していく際に,円滑な運営のため解決すべき要素は大きく分けて2
つ,外的要素と内的要素に分けることができる.本論文では外的要素とは資金調達のような金銭
的問題や,運営に関わるインフラ的な問題のことを指し,内的要素とは運営に関わる人的問題や
地域住民とのコミュニケーション問題のことを指す.文化政策の場でハードとソフト,という言
葉が使われることがあるが,アートプロジェクトにはいわゆる「ハコモノ」のようなハードは存
在しないので,この言葉は使用しない.
外的要素の中で,深刻なのは資金調達問題である.アートプロジェクトは利潤追求を第一メイ
ンとした事業体ではない.よって多くのアートプロジェクトは公的機関からの助成金や補助金,
企業からの協賛に依存した形を取る.そのため,資金調達の危機を迎えたとき,継続性が危うく
なる危険性がある.
内的要素の中で問題であるのが,人材確保についてである.アートプロジェクトは为催者や实
行委員会の他に,開催地の地元の人々や多数のボランティアで成り立っている.アートプロジェ
クトはサイトスペシフィックixな作品が多いため,地元の人々の協力は欠かせないが,アートプ
ロジェクトの認知度が低いことや,アートに対する距離感を抱く人もいるため,まだまだ協力者
が十分とは言えない事实がある.
この2つを充实させていくことによって,アートプロジェクトは継続性の保障を高めることが
できると考えられる.特に地方では,住民の居住空間に展示が組み込まれるものもあり,内的要
素である地元の人々の協力なくしては成しえないものである.
また,橋本(1997)は,アートプロジェクトの問題点を3つの群xに分けているが,その中の
1 つである「持続性」において,橋本(2004)はこう述べている.
継続して行われているプロジェクトをみると,いくつかの共通点がある.そのひと
つは行政が事業として認め,経済的な支援を継続的に保障している,实質的にかかわ
り,公的な立場からの広報や交渉などを受け持っている,といった運営をするうえで
不可欠な部分を引き受けていることがあげられる.また,私的なグループが中心とな
って行われている場合は,その为旨やめざしていることに対する賛同者のネットワー
クと实施体制をつくりあげた中心人物かコアメンバーがいることだxi.
ix
美術作品が“特定の場所に帰属する”性質を示す用語である.Artscape 現代美術用語辞典
(http://artscape.jp/dictionary/modern/1198204_1637.html,2010.1.13)を参照.
x橋本,1997,前掲書,pp.167-186 を参照.なお,1)アートとまちをめぐるもの,2)運営を
めぐるもの,3)持続性の3つの群に分類している.
xi橋本,1997,前掲書,pp.167-186 を参照.
- 244 -
上記のように,アートプロジェクトは行政と何らかの関わりを持ちつつ,進めていくことが円
滑な継続の要因といえる.もちろん行政と必ず連携を図るべきという意味ではないが,行政との
関係を図ることも,アートプロジェクトの継続の鍵となりうるといえる.次項では,外的要素・
内的要素の2つ,それに付随して行政との関係性に着目して实際の事例を検証する.
2-2. 大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレとは
大地の芸術祭・越後妻有アートトリエンナーレは全国的にも有名な地方型の大規模アートプロ
ジェクトで,多くのアートプロジェクトの先行事例とされる.また,ネームブランドのある大都
市ではなく,地方の村落での取り組みとして成功を収めていることでも注目すべき事業である.
越後妻有とは新潟県十日町市xii周辺を指す言葉であり,詳細な開催地は新潟県十日町と津单町
で,およそ 760 ㎢に及ぶ広大な土地で行われている.为催者は大地の芸術祭实行委員会,総合
ディレクターは北川フラム氏となっている.ボランティア組織は「こへび隊」の名で知られ,首
都圏から多くの参加がある.大地の芸術祭は 2000 年に第1回開催,以降 2003 年,2006 年,2009
年の4回に及ぶ活動を続けて来た.次から外的要素,内的要素について考察する.
2-3. 大地の芸術祭における外的要素
大地の芸術祭は外的要素が原因で一度危機に直面した.その経緯についてここで触れる.
大地の芸術祭の背景には,2つの政策があったxiii.その1つは 1994 年の「にいがた里山プラ
ン」xivである.これは新潟県が広域連携と地域活性を目指して独自に策定した政策で,1994 年
当時,過疎化・高齢化が進んでいた地域の内,高速交通体系や大規模事業の整備が見込まれてい
た6つの地域を県が「にいがた里創プラン」の対象に指定した.このうちの1つが十日町地域で
ある.2つ目は,里山プランの策定により,十日町地域各市町村の行政担当者が集まってワーキ
ングチームを結成し,1996 年にまとめた「アートネックレス整備構想」xvである.大地の芸術
祭は,「アートネックレス整備構想」の中核事業として始められたものであった.このように,
大地の芸術祭は新潟県の文化事業としてスタートした.新潟県の予算は3億円とされ,その他企
業の協賛等を合計すると合計予算は6億円とされる.
「地域の活性化,地域の情報発信,交流人
口の増加」を目標として事業は進められ,成果として,第 1 回大地の芸術祭 162,800 人 ,第2
回大地の芸術祭 205,000 人 ,第3回大地の芸術祭 349,000 人の集実数を記録しているxvi.しか
十日町市は 2005 年4月に川西町,中里村,松代町,松之山町と合併している.
唐澤民,2007,『文化政策による地域の人的資源:新潟県十日町地域「大地の芸術祭・越後
妻有アートトリエンナーレ」を事例に考察する』同志社政策科学研究9(1)を参照.
xiv アートを媒介とした地域・世代・ジャンルを超えた人々の協働による新たな地域づくり
(http://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Simple/jirei18_tokamachi_ken_p40_41,0.pdf,
2010.1.13),新潟県 HP を参照.
xv 脚注前掲載 xiii を参照.
xvi NPO との協働事例
(http://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Simple/2004kyoudoujirei10,0.pdf,
2010.1.13),新潟県 HP を参照.
xii
xiii
- 245 -
し,この「にいがた里山プラン」という政策は 1996 年から 2006 年までの 10 年間による施行
であり,10 年間でプロジェクトが終了することが県との合意で定められていた.つまり,政策
終了のため,資金確保の面において危機が発生し,継続性が危ぶまれたのである.
かくして大地の芸術祭の第4回は新たな形をとっての開催の運びとなった.第4回は,新たに
設立された NPO 法人越後妻有里山協働機構と,十日町,津单町を中心とした県から自立した新
生プロジェクトとして開催されている.十日町と津单町では3年総額で1億円の予算を確保して
いるが,事業費はより膨大であるのでこれでは足りない.实行委員会では個人・法人からの寄付
を募るといった対忚を取ることや,2008 年より始まったふるさと納税制度の活用をすることに
よって資金調達に励んだようである.また实行委員会は1回目当初から行っている企業による多
数の協賛・助成に力を入れ,負団法人「文化・芸術による福武地域振興負団」をはじめとする負
団法人などの助成を得ている.第4回では3年間で9億円超の予算が組まれているがxvii,1億
円が十日町,津单町による予算,残りの5億5千万円が協賛・助成とパスポート(販売収入),
残り2億5千万円は NPO の配分となっているようだ.大地の芸術祭での外的要素についての危
機は,解決したとは言えない,まだまだ模索している段階といえる.ここには行政の限界と,ア
ートプロジェクトの自立の難しさが見える.
2-4. 大地の芸術祭における内的要素
大地の芸術祭の内的要素である人材確保については,当初は困難を極めたようだ.1 回目の段
階では,
「そのお金を何で福祉や道路に使えないのか」xviiiという意見を出されたり,地域住民が
協力して 1000 本もの除伐材を切り出して制作した作品が「何でこれがアートなんだ」と一部マ
スコミなどで取り上げられ槍玉にあげられたりxixという批判の声が多くあがった.そのため,展
示箇所は公的な空間に限られ,協力者も尐なかった.大多数の人々からは認識されずに理解を得
られなかったのである.しかし,それは回を重ねるごとに変わっていく.特に第3回では,2004
年に起こった新潟県中越地震により人が住めなくなった空家を再生しようとする「空家プロジェ
クト」や,廃校となった小中学校の校舎を利用した「廃校プロジェクト」などを行っている.こ
のような地域の問題と向き合い,土着性のある企画は,地域住民のアートプロジェクトに対する
理解を得るものであった.震災からの復興の意味合いも含めて,第3回目には非常に連携が深ま
ったようだ.総合ディレクターの北川も,
「第1回はとにかくやるだけ,第2回で深みが入り,
今回は若い人たちが動いて,だんだん良くなってきていますxx.」と第3回開催時に述べている.
第4回では,この2つのプロジェクトにさらに力を入れたものとなっている.このように,内的
要素に関わる諸問題は時間がかかったものの,着实な進展を見せている.
ART iT インタビュー,北川フラム前篇
(http://www.art-it.asia/u/admin_interviews/bJWDOTLB9x7fniEZpPKG/,2010.1.13)を参
照.
xviii 市報とおかまち,2006 年 7 月 25 日 32 号,
『だんだん』
,p.4
xix市報とおかまち,前掲,p.6
xx 市報とおかまち,前掲,p.6
xvii
- 246 -
3 アートプロジェクトの現場
第3章では筆者が携わってきた中之条ビエンナーレについて考察する.大規模で 10 年間継続
してきた大地の芸術祭に対し,中之条ビエンナーレは小規模であり,まだ始まったばかりの新し
い事業体であるという側面を持つ.大地の芸術祭ではどうして継続性を持ちえたか,という点に
ついて考察したが,中之条ビエンナーレではどのようにすれば継続性を持ちうるか,という点に
ついて検証する.
筆者は中之条ビエンナーレ 2009 のボランティアに参加したほか,今回聞き取り調査を实施し
ている.
(調査日:2009.12.24)現場の様子をここでは論ずる.
3-1. 中之条ビエンナーレとは
中之条ビエンナーレとは,群馬県吾妻郡中之条町で行われており,2007 年第1回,2009 年第
2 回開催の比較的新しいアートプロジェクトである.为催は中之条ビエンナーレ实行委員会で,
総合ディレクターは山重徹夫氏である.中之条町では 1998 年より吾妻美学校を開設し,作家と
地元の人々とのワークショップなどを行い,地域との交流を続けていた.しかし,年々人数が減
り,2006 年には作家は6人になってしまう.そこで,中之条町と作家達が築いてきた 10 年の
交流をなにか別の形で継続していけないかと考えられたのが中之条ビエンナーレの発端である.
開催概要は大地の芸術祭とは異なるが,地方の村落として,過疎や高齢化を打開するための地域
振興であるという性格は類似する.事項より,外的要素と内的要素について考察する.
3-2. 中之条ビエンナーレにおける外的要素
中之条ビエンナーレに考えられる外的要素には,なにがあるだろうか.中之条ビエンナーレに
関しても,やはり資金調達面で問題がある.中之条ビエンナーレでは 2007 年度に補助事業とし
て中之条ビエンナーレの予算を計上,2007 年度に第1回開催を決定している.第1回の予算は
約 600 万円とされる.第1回の实行委員会立ち上げののち,すでに開催まで半年を切っている
状態での着工であった.中之条町役場との密な連携によって中之条ビエンナーレは開催を可能に
した.第 2 回の予算は約 1600 万円とされ,第1回よりも多く計上されている.第1回の集実数
はのべ 5 万人,第2回ではのべ 16 万人を数える.つまり,中之条ビエンナーレは行政の事業予
算によって開催に至ったという事实がある.これをふまえると,中之条ビエンナーレには,継続
性に関して 1 つの危険因子がある.それは政権交代による危機である.現在のビエンナーレは
中之条町トップである町長の入内島道隆氏の深い理解によって成り立っている部分がある.例え
ば首長が代わって,中之条ビエンナーレという事業が重要視されなくなるのであれば,そこには
危機がある.現在は継続の方向性に向かっているが,今後,中之条ビエンナーレがより確实な継
続性を持つためには,行政からの支援だけではなく,何らかの外部団体からの援助や協賛を獲得
する必要がある.第2回には負団法人文化・芸術による福武地域振興負団からの後援を獲得して
いるが,今後も外部からの資金調達に向けた活動をしていくことが望ましいのではないかと考え
- 247 -
る.
3-3. 中之条ビエンナーレにおける内的要素
―聞き取り調査結果―
内的要素の人材確保については,第1回から婦人会や老人会など,社会教育関係団体の協力や
ボランティアの協力があったようだ.しかしその数は第2回の方がより多く,大地の芸術祭と同
様に回数を経るごとに中之条ビエンナーレに対する住民の理解が深まったようである. 筆者は
实行委員会の方々と中之条役場行革推進課の唐澤敏之氏への聞き取り調査を行っている.アート
プロジェクトの現場の様子について詳しく検証するため,その結果をここに明示する.
中之条ビエンナーレは 2007 年,2009 年と2回の開催を経た.第1回と第2回とでは何か変
化があったのだろうか.聞き取り調査では,住民の受け入れ方,意識が変わり,1回目では出来
なかったことが出来たという.具体的に言うと,第1回では行政の持つ施設や公的な場所でしか
展示をしていなかった.しかし,第 2 回では地域住民に中之条ビエンナーレの受け入れ態勢が
でき,より場所を広げ個人の土地などにも拡大し展示を行っている.第2回は第 1 回で行って
いない四万温泉地域での開催などもあり,展示領域を広げることに成功している.住民の受け入
れ方,意識の変化については,アートというものに対する不安感が減ったという.これは,第1
回にやっていたことが認知され,それを導線として第2回を開催する際には住民側の受け入れが
スムーズに行える状態にあったのだという.
また第2回では,アーティスト・イン・レジデンス(Air-N)を開始,滞在制作を中之条の地
で行うことにより,地元の人たちとの交流を深め,毎日顔を合わすことによって信頺関係が生み
だすことができた.このように,交流を深めることによって,アートプロジェクトについて理解
してもらい,協力を得られたことは大きな成果だ,だが,まだ不十分な部分もあるという.次回
からはより積極的な参加を望んでいるということだった.
中之条ビエンナーレは行政と实行委員会の協働に取り組んでいるが,それについても話を伺っ
た.中之条ビエンナーレは行政と实行委員会,お互い良いところを持ち,それをうまく活用でき
たため成功に至ったという.例えば,地元の住民への説明会や,トラックや重機のサポートは役
場が担い,様々な企画やショップの経営などはアーティストが担うというような,役割分担があ
る.また中之条町の外からやってくるアーティストを受け入れるという役目を役場が担うことに
よって,より事業の進行を円滑にすることができた,という.このように,中之条ビエンナーレ
では行政と共に協働する,というかたちがうまく運んだと事例だといえる.
3-4. 二事例の分析
2章,3章では地方型のアートプロジェクト二事例について考察した.二つの事例ついてここ
で比較する.
大地の芸術祭,中之条ビエンナーレにおいても,高齢社会や過疎化など,地域の現状に即して
アートプロジェクト,という新たな地域振興の手法を取り入れた点は類似する.予算規模につい
て両者は大きく異なるが,地域振興の手段としてアートプロジェクトを取り入れた点には変わり
- 248 -
はない.予算規模の違いによる両者の差異は,確かに存在する,例えば,大地の芸術祭では著名
なアーティストや海外から来たアーティストの作品も多くあるが,中之条ビエンナーレでは国内
のアーティストがやや多い点や,来実数に差があるという点などである.しかし,アートプロジ
ェクトで重要なのは大きさではなく,地域の魅力をいかに外に伝えていくか,という点であり,
地域振興という大切な役割を遂行する役割を担っている,という点では変わりはない.
しかし,この2つをまったく同じものだ,と言及するのは違和感がある.何故なら,同じアー
トプロジェクトといっても成立の仕方も,風土も異なるからである.中之条ビエンナーレの方々
への聞き取り調査時にも,
「越後妻有は豪雪地帯であるためか,やはり作品にも粘り強さのよう
なものを感じる」「それに比べて中之条は山といってもそれほど気候も厳しくなく,平地とあま
り変わりがない.そのためか,住民の乗りの良さ,明るさが作品にも反映されている」と両方と
も見学した方が述べられていた.アートプロジェクトというやり方は同じでも,風土によっての
差異は顕著に見られる.この違いとは地域アイデンティティの違い,ともいうことができ,似て
異なるものだということがわかる.
4 アートプロジェクトが持つ地域振興としての役割
第4章では,今まで検証してきたことを踏まえて,地域振興において何故他ではなく
アートプロジェクトなのか,アートプロジェクトを行うことによって地域にどのような
影響を与えるのか考察する.また,継続性を持つにはどのようにしていけばよいのかを
聞き取り調査結果と筆者の考えを元に考察する.
4-1. アートプロジェクトがもたらすもの
アートプロジェクトで地域振興を行うことを考えたとき,地域にもたらされるものにはしばし
ば経済効果が挙げられるがもちろんそれだけではない.それは地域アイデンティティの再発見で
ある.例えば大地の芸術祭では,里山の持っている魅力や,美しい棚田の風景,中之条ビエンナ
ーレでは四万温泉や山間の風景など,それぞれの地域には各々の魅力がある.しかし,その土地
に住んでいるだけでは,その価値に気付かないことがある.例えば農村や山間の土地というのは
つまらないものだ,という都市中心とみる一元的な見方をうのみにし,土地を見限るのではなく,
アートプロジェクトはその価値をもう一度見直し,再発見をもたらす.このようにアートプロジ
ェクトとは地域の持つ良さを再確認し,人々に自信や希望をもたらすものとしての機能を有する
のである.
4-2. アートプロジェクトが行われる社会的背景
何故,今アートプロジェクトは各地に広がっているのだろうか.それは価値観の多様化が鍵と
なる.例えば,
「魅力的なまち」とはどのようなものなのだろうか?巨大なビルが林立するまち
や,大規模なショッピングモールを持つまちが「魅力的なまち」なのだろうか.それとも,おし
ゃれなレストランやカフェが多いまちや,美術館や博物館の多いまちが「魅力的なまち」なのだ
- 249 -
ろうか.この問いはどれもが正しく,しかし解筓ではない.地域振興には多様な手段があり,ど
のようなまちを「魅力的なまち」だと認識するかは,個々の裁量に委ねられている.利便性や合
理性,華やかさだけの視点からまちを見ることは,卖なる画一化したものが良いということにな
ってしまう.大都市を全国の市町村が目指す必要はない.経済発展の進む大都市には都市として
の魅力があるが,それに対して地方のまちやむらは見务りするのだろうか.地方のまちやむらに
は確かに利便性はなく,交通網が乏しく合理性もないかもしれない.しかし,そこには大都市に
はない地域独自のアイデンティティが確立され,風土や文化を大切にする人々が存在するのであ
る.地方はつまらない,という考えは一元的な見方でしかない.地方にも多くの「魅力的なまち」
がある.そういった価値観の多様化が,アートプロジェクトが大都市だけでなく地方や各地で広
がらせている要因となる.
4-3. アートプロジェクトの継続性
アートプロジェクトが継続していくための諸問題について考察したが,アートプロジェクトは
ただ継続すればいいわけではない.継続して何を目指すのか,何を目標として定めるのかが最重
要となる.現在,多くのアートプロジェクトは展覧会(exhibition)としての機能よりも,地域
振興の手段という意味を強く持っている.これは,アートという機能が多様な価値観を受け入れ,
色々なものを内包する要素を持っているからである.行う場所の歴史や人,土地をくみ取ったも
のとして,その性質はイベントとは異なる.耕作放棄地を利用して作品を展示する,空家や廃校
を利用してインスタレーションを制作する等,アートプロジェクトは地域の問題に対する土着性
が高い.資金面や人材面での課題は多いが,アートプロジェクトはそういった土地の問題と向き
合うことで地域の人々の理解を得て,实現を可能にしてきた.そして,その土地の魅力にアート
というさらなる付加価値を付随することによって,更なる魅力を引き出し,また,アートプロジ
ェクトを行うことによる外からの人の流入により,新たな人と人との繋がりを生み出す.アート
プロジェクトを行うことによる副産物は非常に大きく,地域振興としての意味は非常に大きい.
おわりに
本論文は地方において何故アートプロジェクトなのか,アートプロジェクトはどのようにすれ
ば継続性を持ちうるかに着目して執筆した.アートプロジェクトは様々な種類や形を採っている
ことがわかったが,これらはまだ多くの人に知られていないという事实がある.大地の芸術祭に
ついては外的要素と内的要素の面から考察したが,成功を収めている事例とはいえ様々な困難を
乗り越え,活動してきたことがわかる.これらは地域の人々の協力なしには成し得ないものであ
る.中之条ビエンナーレはまだ発展途上にあるが,大地の芸術祭と同様に,地域住民の協力によ
る更なる発展が見込まれる.アートプロジェクトは行政の支援や連携を図る際,より良い連携者
としての相互で関係を持つ必要があるが,行政から自立する方向も考慮しなければ継続性にとっ
て障害が生じる恐れがある.アートプロジェクトは地域アイデンティティを再見し,地域に活力
を与えるものであり,都市中心の価値観から価値観の多様化へという風潮の中で発生している.
- 250 -
アートプロジェクトを継続していくことは同時に,地域の諸問題について向き合っていくことに
繋がっている.
謝辞
本論文執筆にあたり,中之条ビエンナーレ 2009 の総合ディレクター山重徹夫氏をはじめとす
る实行委員会の皆様,中之条町役場行革推進課の唐澤敏之氏からお話を伺う機会を頂きました.
上記の方々のご厚意により,本論文を執筆することができました.ご多忙の中,協力してくださ
ったことをこの場を借りて,感謝申し上げます.
文献
暮沢剛巳,難波祐子,2008,
『ビエンナーレの現在―美術をめぐるコミュニティの可能性』青弓
社
唐澤民,2007,
『文化政策による地域の人的資源:新潟県十日町地域「大地の芸術祭・越後妻有
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『同志社政策科学研究』9(1)
北川フラム/大地の芸術祭实行委員会,2009,『大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ
2009 公式ガイドブック
アートをめぐる旅ガイド』美術出版社
橋本敏子,1997,『地域の力とアートエネルギー』学陽書房
八田典子,2004,「『アート・プロジェクト』が提起する芸術表現の今日的意義―近年の日本各
地における事例に注目して―」
『総合政策論叢』7
八田典子,2007,『芸術受容の「場」の変容:「大地の芸術祭」に見る「展覧会」の新しいかた
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『総合政策論叢』13
ART iT インタビュー,北川フラム前篇
(http://www.art-it.asia/u/admin_interviews/bJWDOTLB9x7fniEZpPKG/,
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artscape 現代美術用語辞典(http://artscape.jp/dictionary/modern/1198204_1637.html,
2010.1.13)
越後妻有サポートサイト(http://www.echigo-tsumari.net/index.html,2010.1.13)
北川フラムインタビュー:アートが照らし,IT で発信する地域の力
(http://www.loftwork.com/special/fram_chiaki_talk.aspx,2010.1.13)
負団法人地域創造―地域創造レター7 月号-No.171,2009.7.10
(http://www.jafra.or.jp/j/library/letter/171/,2010.1.13)
市報とおかまち,2006 年 7 月 25 日 32 号,
『だんだん』
市報とおかまち,2009 年 9 月 25 日 108 号,
『だんだん』
全国町村会町村会の取りくみ「中之条ビエンナーレ 2007」成功への軌跡
(http://www.zck.or.jp/forum/forum/2631/2631.htm#section2,2010.1.13)
大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ HP
(http://www.echigo-tsumari.jp/2009autumn/,
2010.1.13)
- 251 -
十日町市 HP(http://www.city.tokamachi.niigata.jp/,2010.1.13)
中之条ビエンナーレ HP(http://www.bi-ku.com/nakanojo/,2010.01.13)
新潟市 HP(http://www.city.niigata.jp/,2010.1.13)
アートを媒介とし た地域・世代・ジャンル を超えた人々の協働によ る新たな地域づくり
( http://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Simple/jirei18_tokamachi_ken_p40_41,0.pd
f,2010.1.13)
NPO との協働事例(http://www.pref.niigata.lg.jp/HTML_Simple/2004kyoudoujirei10,0.pdf,
2010.1.13)
日本で行われているアートプロジェクトのリンク集
(http://matome.naver.jp/odai/2125436250184937873,2010.1.13)
- 252 -
桐生市の再生
―活気あるまちづくり計画―
小笠原麻美
はじめに
近年では,
「地域活性化」という言葉のもとに,各地域の自治体が活力をあげてそれぞれのま
ちの活性化,まちづくりのために力を注いでいる.自らの地域をよりよいものにするために,地
域の特性を見つめなおし,その特性を生かしながら個性的で魅力あるまちづくりを行うためにさ
まざまな団体が活動し,各地で地域活性化に向けてさまざま取り組みがなされている.
今回この本稿で取り上げる群馬県桐生市も,独自のまちに存在する既存資源を生かし個性的で
魅力あるまちづくりを行っている代表的な都市のひとつである.1200 年の伝統を誇る織都・桐
生ではその地域産業である織物産業を軸に産官学民が連帯したまちづくりを行い,地域活性化に
つなげようするまちづくりがなされている.
しかし,桐生市は現在,地場産業の衰退が見られると同時に,人口減尐,中心市街地の衰退な
どの問題に直面しているのも現状である.本稿では桐生市を活気あるまちにするためにも,桐生
市独自の政策や近代的遺産に着目し,今後の桐生市発展の可能性について考えていきたい.
1 桐生市の現状
1-1. 桐生市の特徴
桐生市は群馬県東部に位置しており,高崎市・前橋市と並ぶ群馬県の为要都市のひとつである.
面積約 280 ㎢,人口約 12 万人の都市で三方を山に囲まれ,東西には渡良瀬川,单北には桐生川
が流れる自然豊かな地域だ.このように山に囲まれた地形の特徴から,桐生市という市の由来は
朝夕霧が多く発生するため“霧生”の名が転化したものとも,桐の木が多く生えているため“桐
生”の名がつけられたとも言われている.市の約 7 割が山間地であり,平地と山地の接点に位
置する谷口集落という性質を持っている.
桐生の歴史は古いが,桐生の市としての起源は,1591 年(大正 19 年)から 1606 年(慶長
11 年)にかけて幕府の命により,天満宮社前の荒戸原と呼ばれた土地に桐生新町が計画造成さ
れたことに始まる.このとき起点となった天満宮は現在の本町 1 丁目となっており,本町 2 丁
目と合わせて,单北に真っ直ぐな町並みが作られ,現在の景観となっている.
桐生市は「西の西陣,東の桐生」と並び称され,織物のまちとして栄えてきた.絹織物がこの
地域に栄えた理由として,中央(大和地方)からその技術を持った人々が移り住んだ結果である
という説もある.桐生の織物業の基礎が築かれたのはこの時代であるが,その後,桐生織が全国
的に認められるものとして評価され始めたのは江戸時代が起源であるとされている.江戸時代,
京都の西陣から染色・機織技術などが導入され,
「織物のまち桐生」として存在感を示してきた.
- 253 -
繊維産業を軸に栄えてきた桐生市にはもうひとつ産業の軸として機械金属工業がある.戦後,
自動車・家電製品を中心とする部品加工製造業を急速に発展させ,たちまち繊維産業と並ぶ桐生
市の産業として顔を出した.パチンコ台製造を中心に自動車関連機器や電気機器,精密機器,コ
ンピュータ関連機器など多種多様な製品の製造を行っている.パチンコ台製造に関しては,全国
的なシェアも高く,国内のパチンコ台の約 60%が桐生市で生産されている.
このように,織物産業と機械金属産業を中心に経済的な基盤を作り上げてきた桐生市ではある
が,現在ではその衰退化が進んできている.繊維産業が衰退の道をたどり始めたのは,第二次世
界大戦後の経済成長に伴い,工業の進展,衣朋の欧米化などが起こったことに帰する.繊維産業
を中心として経済基盤としてだけでなく,文化的風土の形成にも深く関わり,発展してきた桐生
市にとって,繊維産業の衰退はまちの衰退と同じことを意味する.今後の桐生市の繊維産業の在
り方を考えることは,まちづくりを考えることであり,桐生市にはそれだけの価値をもった歴史
的文化負産が存在している.それらを如何に生かすことができるかは,桐生市の取り組み次第で
あり,発展の可能性を示唆するものであるといえよう.
1-2. 桐生市におけるまちづくりへの取り組み
まちづくりを行うにあたってもっとも大切なことは,人と人との繋がり,つまりコミュニティ
ではないだろうか.人が人と関わりを持って生活をしていくことで,そこにコミュニティが形成
され,その地域ならではの文化が形作られていく.そして,その文化を継承していくために更に
また新しく,そして広がりを持ったコミュニティが形成されていく.まちづくりを行っていくに
あたって,市民参加はとても重要なことであり,こうしたコミュニティは不可欠であり,人と人
との関わりが大きな意味をなす.
そこで,桐生市の市民参加のまちづくり活動に注目したい.桐生市は,地域住民が積極的にま
ちづくりに参加し,産学官が連帯したまちづくりを行っている市として知られている.その事例
として群馬大学工学部による活動や特定非営利活動法人「本一・本二まちづくりの会」などの活
動に着目して本稿で見てみることとする.
まず,群馬大学工学部であるが,群馬大学工学部は既に「知的負産の宝庫」として桐生市の貴
重な地域資源とされている.群馬大学工学部の前身は 1915 年(大正 4 年)
,桐生織物協同組合
をはじめ多くの住民の寄付を受け,産業化や住民から設立を熱望される形で誕生した「官立桐生
高等染色学校」である.その後,1945 年に新制群馬大学となり現在に至っている.高等染色時
代から現在まで,群馬大学工学部は織物業界をはじめ産業界への技術指導や,製造技術の改善な
どに多大な財献を果たすとともに,数多くの先進的な研究成果や優秀な人材をこの世に送り出し
ている.桐生市が,この貴重な地域資源である群馬大学工学部との連帯を改めて重視し,産学官
連帯を通じたまちづくりを本格的に取り組み始めたのは今から十数年前のことだ.
平成 11 年 6 月に桐生市は,「群馬大学工学部を核とした元気なまちづくり」と掲げ群馬大学
工学部を積極的にまちづくりに取り入れていこうとする活動を大々的にスタートした.大学の最
先端技術を活用した新製品開発や,新産業の創出,ベンチャー企業の育成など,地域産業の活性
- 254 -
化に向け,産学官民一体となった活動に乗り出した.そして市の独自の産学官連帯組織として同
年 10 月に「まちの中に大学があり,大学の中にまちがある」推進協議会を発足させてまちづく
りに乗り出した.こうして,大学をさまざまな産学官連帯の拠点として事業を拡大していき,現
在では群馬大学工学部を核としたまちづくりは確实に注目を集めている.産業の軸となるだけで
はなく大学は別の役割も担っているということができる.それは,まちづくりを行う上で地域と
産業,産業と市民とが離れていくことはまちがその存在意義を失うことにつながるが,それを再
び結びつけるというものだ.地域と産業,そして市民,それらをつなぐパイプラインとして大学
が存在するのである.そして,産業と市民,大学が一体となって産学官民連帯のまちづくりを行
っていくことができる環境は桐生市の強みでありまちづくり成功への第一歩になるのではない
かと考える.
また,市民による特定非営利活動法人「本一・本二まちづくりの会」も桐生市のまちづくりを
支える特徴のひとつである.この本一・本二まちづくりの会は,歴史的建造物や文化遺産の保存・
活用による桐生市本町一,二丁目とその周辺地区のまちづくりを通して,桐生市全地域の活性化
と振興を図り,桐生市の発展に寄与することを目的として平成 12 年 5 月に作られた市民団体で
ある.桐生市はこの本一・本二まちづくりの会が拠点とする本町一,二丁目を中心的な本通りと
し,多くの商店や事業施設が立地しており,かつては活気にあふれていた.しかし,人口減尐や
空き店舗増加による商店街の空洞化が進み,まち全体の活気が失われ始め,深刻な状態に直面し
てきている.そのような深刻な状況を尐しでも打破しようと立ち上がったのが本一・本二まちづ
くりの会である.彼らの为な活動として,市民に対して歴史的建造物の保存活用を図ったまちづ
くりについての意識喚起のための講演会を行ったり,自らのまちを再度見つめなおしてもらうた
めに市民参加のウィークラリーや,まち歩きマップ・布のれん作成,情報紙の発行など,このほ
かにも市民参加型の市民に呼び掛けるような数多くの活動を行っている.このように積極的に運
動を行うことで,桐生市の再生を図ろうとしている.また,本一・本二まちづくりの会は「桐生
新町まちづくり基本計画(まちうち再生計画)
」といったものを定め,まちづくりにおける明確
な考え方を提示している.i
このように,桐生市は大学や市民,行政が各々に連帯を図り,産学官民が積極的にまちづくり
に関与しているまちであるということができる.これは,桐生市の大きな特徴であり強みである.
そして,今後まちづくりをしていく上で非常に重要な役割を果たすものであるだろう.
2 ファッションタウン構想
2-1. 桐生市ファッションタウン協会の取り組み
では,桐生市が行っているまちづくりについて群馬大学や本一・本二まちづくりの会も関わっ
ているファッションタウン構想を切り札に尐し角度を変えてみてみることとする.桐生市では現
在,桐生ファッションタウン協会を中心とした,ファッションタウン構想によるまちづくりを推
ihttp://www.city.kiryu.gunma.jp/web/home.nsf/HomePage/F8FECB18C41554D34925749E00
8250DE/
- 255 -
進している.そもそも,ファッションタウン構想とはどういったものなのか.「ファッション」
という言葉を聞くと,多くの人が「ファッション=朋飾によるおしゃれ」といったことを想像す
るだろう.しかし,ここでいうファッションとは,朋飾だけにとどまらず生活文化,ライフスタ
イルそのもののことをいう.
全国には,桐生市のようにファッション構想を掲げ,まちづくりを行っている地域はいくつか
ある.その全国各地のファッション協会をまとめ上げているのが,
「負団法人日本ファッション
協会」である.日本ファッション協会は,平成 2 年(1990 年)4 月 4 日,通商産業大臣の設立
許可を得て,衣食住の枞を超えた生活文化の向上発展に寄与していくことを目的として,個人・
企業・団体など幅広い支援のもとに作られた負団法人である.この日本ファッション協会はファ
ッションタウンに関する定義として,次のように掲げている.
『「ファッションタウン」とは,地域産業が地域コミュニティを育て,地域コミュニティが地
域産業をはぐくむという視点で,地域の生活文化産業の“ものづくり”と,生活文化を生かす場
である“まちづくり”とが一体となって動いている,活力ある生活圏(街,地区,地域,都市)
です.「ファッションタウン構想」は,このような活力ある生活圏を地域ごとの特色を生かして
探っていこうとするもので,地域産業のグローバルな発展を図りつつ,その地域が有する伝統・
歴史・自然環境などの地域固有の資産と融合しながら,内発的で個性的なまちづくりを推進する
運動です.
』ii
現在,全国では繊維産地にとどまらず 20 以上の都市や地域がさまざまな角度からファッショ
ンタウン構想による政策を行っている.代表的な都市として,桐生市の他に富士吉田市(山梨県),
東京都墨田区,一宮市(愛知県),今治市(愛媛県),別府市(大分県),熊本市などがある.フ
ァッションタウン構想は,従来の産業観とも 180 度違ったユニークなまちづくり政策であると
言え,このように,ファッションタウン構想を取り入れ,生活文化により密着した角度からまち
づくりを行おうとする地域の誕生によって,“ファッションタウン構想”というものが新たなる
まちづくり戦略の一つとして明確化されてきたと言えるだろう.
桐生市では,平成 2 年度を初年度とし,12 年度を目標年次としている「桐生市第三次総合計
画」において,桐生の未来像を「ハイテクとファッションのまち」として位置づけ,ファッショ
ンを市のアイデンティティの一つとしたまちづくりが目指されるようになった.こうした背景を
経て,平成 5 年度に日本ファッション協会から全国初のモデル都市としての指定を受け,さら
にこれを受けて,翌年の平成 6 年 4 月に「桐生市におけるファッションタウンのあり方を求め
て」と題するビジョンを策定.iiiその後,平成 9 年には産業界を中心に大学・教育機関,各種団
http://www.japanfashion.or.jp/creative_city/fashiontown/ft_old.htm(負団法人日本ファッシ
ョン協会ホームページより)
iii ファッションタウン桐生による基本的コンセプト
産業と自然,教育と文化に育まれたファッションタウン桐生の創造
① 織都・桐生が育んだ歴史,文化,風土を生かしたファッション都市空間の創造
ii
- 256 -
体,市民など約 300 人のメンバーが集まり,産学官民による「ファッションタウン桐生推進協
議会」が設立され,ファッションタウン・桐生としての本格的な取り組みがスタートした.同協
議会は,桐生市の産業の活性化及び生活文化の向上を図り,個性豊かで魅力的なまちづくり・人
づくりについて研究し,ファッションタウンの推進を図ることを目的としている.同協議会内に
は,①生活文化,②産業活性化,③まちづくり,④ファッションタウン(FT)ネットの 4 つの
専門委員会が設けられており,それぞれの委員会がさまざまな施策を施して政策を行っている.
そして,各委員会がそれぞれのプロジェクトを発足させ,各プロジェクトが連帯しつつファッシ
ョンタウン桐生の創造に向けてさまざまな活動を展開している.
この協議会は「連携」をキーワードに産業界,大学・教育機関,行政,市民など多くの分野か
ら構成され,お互いに連携を取りながら活動を行っている.桐生市におけるこのような取り組み
は,地域が一つになり地域住民の力なしでは成し得ないといえる.地域住民がわが事として取り
組まなければ組織は成り立たないし,活動も成立しない.そこで,第 1 章の 1-2 で述べたよう
に,市民が積極的にまちづくりに参加している桐生だからこその組織「ファッションタウン桐生
推進協議会」であり,政策「桐生ファッションタウン構想」なのではないだろうか.
2-2. 桐生ファッションウィークから見るまちづくり
先ほど述べたように,桐生市ではファッションを軸としたまちづくり政策を实施している.そ
の代表的なものとして,ファッションタウン桐生推進協議会が推進する活動の中の一つの「桐生
ファッションウィーク」ivというものがある.これは,平成 8 年秋に第 1 回が開催され,その後
毎年秋に一週間にわたり,市の中心市街地で開催されている桐生独自の催し物である.「このま
ち浪漫」を合言葉に,江戸時代に開かれていたという桐生紗綾市の賑わいを現代のまちに再現す
るべく,
「産業と文化のまちづくり」を大きなテーマとして掲げ,50 以上のイベントが同時多発
的に開催される桐生市のビックイベントだ.去年(2009 年)は第 14 回目を迎え,10 月 30 日
(金)~11 月 8 日(日)の一週間にかけて開催された.毎年小さなテーマを設定しており去年
は,
「着物」をテーマとして掲げ,織物のまち桐生を積極的にアピールするものとなった.桐生
市では 11 月 3 日を独自に「着物の日」とし,着物を身に着けてまちを訪れてくれた人へさまざ
まなサービスを提供したり着付けの支援を行ったりした.期間中に着物姿でまちに出る人の数を
増やし,桐生が織物のまちであることを積極的にアピールする機会として設けられたものであっ
たが,まだまだ着物を着てまちを歩く人の数は尐ないのが現状である.
また,桐生ファッションウィークは,織物だけでなく,アート,伝統工芸,文化,歴史,ファ
ッション,音楽,食など多くのジャンルが融合したものであり,このほかにもさまざまなイベン
② 桐生が内在する諸々の資源の整合化とシステムの再構築
③ 生活文化都市・桐生を支える多彩な人材の育成
http://www.ftnet.or.jp/whatsft/kousou.html(ファッションタウン桐生推進協議会ホームページ
より)
iv http://www.ftnet.or.jp/fashionweek/
- 257 -
トが開催された.代表的なものとして,桐生産の生地を利用した若手デザイナーによるファッシ
ョンショーや,産地とデザイナーの交流を目的とした紗綾コレクション,群馬大学工学部学生と
自動車会社の協賛によるクラシックカーフェスティバル,かつて醤油・酒類を製造していた旧矢
野商店の蔵群,有燐館を中心的な会場とした展示やコンサートなどさまざまなイベントが開催さ
れた.
桐生ファッションウィークが開催された当初は 20 ほどだったイベントも現在では 50 を越え
るまでになり,年々参加団体も増え,市の代表的なイベントの一つとして定着してきているとい
える.しかし,まだ全国的な知名度としては低いのが現状である.いかにすばらしいイベントを
行っていても,そのことを知っている人が尐なくてはその効果も半減してしまう.この桐生ファ
ッションウィークは桐生を織物のまちとして全国に発信するいい機会である.桐生市の今後の課
題として,全国的に情報を発信し,より多くの人に桐生市ファッションタウン,ファッションウ
ィークのことを知ってもらう必要があるといえるだろう.また,外側ばかりに情報を発信するの
ではなく,もっと多くの桐生市民にまちづくりに参加してもらうために内側にも情報を発信する
必要もあるだろう.
3 ノコギリ屋根のあるまちづくり
3-1. 歴史ある桐生のまちなみ
桐生ファッションウィークに参加し,まちを歩いていると特徴的な屋根の形をした建物が多く
存在することに気がつく.桐生市は,古くから絹織物の産地として知られており,その絹織物が
衰退を見せ始めている現在でも,桐生市には昔から活用されていた歴史的建造物が数多く残って
いる.それが「ノコギリ屋根」である.現在桐生市に残る,ノコギリ屋根の数は約 260 棟と言
われており,全国一の数をほこっている.桐生の織物産業の繁栄を生み出した,独自の構造を持
つノコギリ屋根は,桐生独自の地域資源としてまちづくりに大きな役割を担っている.「ノコギ
リ屋根」とは,屋根の一形式のことで,ノコギリの歯のような形をしたギザギザ三角屋根のこと
をいう.電力供給が不安定だった明治時代に,採光面(ガラス面)から光を取り入れ,一日中変
動のない明るさを保つために作られた建築様式で,紡績・綿布・織物・染色などの工場建築に多
く用いられる.桐生市内最古のノコギリ屋根としては,明治 35 年に建てられたものが現存して
いる.桐生市ではノコギリ屋根の機屋は経営規模が小さいもの多く,戸数がたくさんあり,それ
ぞれの機屋が異なる品種の織物を作ることが多かったため,共同企業的な大企業は生まれなかっ
た.そのため桐生市には小規模なノコギリ屋根が数多く建築された.
ファッションタウン桐生推進協議会は平成 15 年に「ノコギリ屋根工場群の活用による都市再
生モデル調査」を全国都市モデル調査事業として实施,残存するノコギリ屋根工場を全件調査し,
ノコギリ屋根工場の操業の有無,現在の活用や所有形態などの实態の把握を行った.この調査で
は,①文化・芸術活動の創造の場としての活用,②地場産業の技術伝承の新たな苗床に,③産業
観光の核としての活用の 3 つの提言を行い,まちづくり活動を展開してくこととしている.そ
して,この調査により 74,2%の所有者がノコギリ屋根を「このまま残したい」と思っているこ
- 258 -
とが明らかになった.
第 2 章の 2-2 で紹介した桐生ファッションウィークでもノコギリ屋根の工場は活用されてい
る.本町 2 丁目に位置する「有鄰館」は,以前は酒,味噌,醤油等の醸造・販売に用いられて
いたものであるが,一部店舗等を除き市に寄贈されて 1994 年に市指定の重要文化負となり,ア
ート展やコンサート,演劇等のイベントスペースとして活用され,ファッションウィークでも展
示会場として多くの実を呼び込んだ.また,2004 年にファッションウィークのイベントの一つ
である「わがまち風景賞」に選ばれた「無鄰館」も画家や朋飾デザイナー,ヴァイオリン製作者
など多彩なアーティストが活動する場として活用されているノコギリ屋根工場である.
このように,ノコギリ屋根を活用することで,ノコギリ屋根工場群はその存在意義を明らかに
してきた.桐生市の地域再生の核として,今後のノコギリ屋根の可能性について次の 3-2 で考
えていきたい.
3-2. のこぎり屋根の可能性
では,この桐生市に現存するノコギリ屋根をどのように活用し,まちづくりに生かしていくべ
きなのか.これは桐生市が抱える今後の大きな課題であると言える.
現状で利用されているものは,その機能を充分に果たしているということができるが,利用さ
れずに残ってしまっているものに関しては有効に活用することができる可能性を多く秘めてい
る.現在の使用状況としては,創業時と同じ目的で使用されているものが全体の 1/4 を占め,新
たな使われ方として最も多いものに倉庫としての転用があり,これも全体の 1/4 を占める.この
他に,建設当初の使用方法とは異なるが繊維業のなかで転用して,工場として使用している例や,
繊維業以外の工場として使用されているものもある.また,住宅や駐車場のほかに空き家となっ
ているものなど,新しい目的で活用するというよりも,操業停止によって物置や駐車場として使
用されている例もある.しかし一方で,使用されなくなったノコギリ屋根工場群を展示場や博物
館,美容院やカフェなどまったく新しい形で積極的に使用している例もある.例えば,桐生市内
唯一のレンガ造りのノコギリ屋根で国登録有形文化負ともされている「旧金谷レース工場ノコギ
リ屋根工場」は,現在ベーカリーカフェとして生まれ変わり,多くの人が訪れる憩いの場として
活用されている.ノコギリ屋根は本来,織物のための工場ではあるため,本質的には現業でその
まま残されていくのが理想ではあるだろう.しかし,現存するノコギリ屋根工場が空き家として
放置されているという現状からすると,この旧金谷レース工場のような再生は今後望まれるもの
であり,非常に重要な意味を持つものではないだろうか.
しかし,ノコギリ屋根を活用していく際には問題点がいくつかある.ノコギリ屋根はそのほと
んどが個人の所有である.そのため,個々人のまちづくりに対する理解を深め,ノコギリ屋根活
用に対する認識を新たにしてもらわなければならない.また,現存するノコギリ屋根はほとんど
が木造で大正から昭和初期に建てられたものが多いため,その老朽化
は深刻で,活用に関するさまざまな制約が生じる.一言で活用といっても決してたやすいもので
はなく,この他にもさまざまな問題が山ほど出てくるであろう.
- 259 -
(旧金谷レース工場ノコギリ屋工場オープン時の様子
http://www.jomo-news.co.jp/silk/new/20080421/20080421.htm
より参照)
桐生市にはこのように素晴らしい近代化遺産があるにも関わらず,それが現代化の中に隠れて
しまっている部分がある.桐生市の地域の個性を今後に伝えるこの近代化遺産を,これからのま
ちづくりの資源として活用していく提案はひとつではない.まず,重要なことは多くの桐生市民
がノコギリ屋根への認識を深めることである.桐生で生活をしている人にとっては見慣れた慣れ
親しんだ風景ではあっても,そこには隠された可能性が数多く眠っている.ノコギリ屋根の活用
方法にこうでなくてはならない,というものはなく,こういうこともありえるのだという広い考
え方を持って視野を広げることが大切であるだろう.ノコギリ屋根のある個性豊かな桐生市の町
並みは,間違いなく織物産業で発展した桐生市の地域資源であり,まちづくりの重要な核である
と言える.
おわりに
以上,桐生市が行っている産学官民連帯による活動やファッションタウン構想,ノコギリ屋根
工場群の地域資源の活用などから見ても,桐生市には今後発展していくための基礎となる部分は
すでに固まっているということができるだろう.基礎が固まっている地域はそれを生かすも殺す
も地域の取り組み次第であり,基礎さえしっかりしていれば必ず,そこから発展の余地がある.
なので,今後更なる発展のためにはこれらをいかに活用していくかが重要な課題である.桐生ら
しさを生かし,桐生独自のまちづくりを進めていくためにも先に述べたように,地域コミュニテ
ィのあり方,地域密着型のまちづくり政策の实施,地域住民のまちづくりへの参加,これらが重
要な割合を占めると考える.織都・桐生が育んできた「まち」をよりよいものするための今後の
桐生市の発展に期待したい.
文献
梅沢重昭著,1993,『群馬風土記』
- 260 -
藤原肇著,2005,『ものづくり都市の再生』
ファッションタウン桐生推進協議会ホームページ(http://www.ftnet.or.jp)
(負)日本ファッション協会ホームページ(http://www.japanfashon.or.jp)
桐生織物協同組合ホームページ(http://www.kiryuorimono.or.jp)
- 261 -
サッカー観戦にみるソーシャルキャピタル醸成
―新しいコミュニティのかたち―
山内達也
はじめに
私はアパートの隣の住人が誰だか分からない.近所の住人に道端で出会っても誰であるか分か
らないために挨拶もできないのである.しかし,そのような生活をしていても何の支障もなく生
活ができる.このように見ず知らずの人間と深く関わることなく生活していける現代の中で,私
はある空間だけ異様に「人と人のつながり」を感じてしまう場所がある.それは,サッカーのス
タジアムである.この場所では,もちろん見ず知らずの多くの人々が集まっているにも関わらず,
興奮と感動とともに人々の間に親近感が湧いてくるような体験ができる.普段,近所付き合いの
ない私でさえ,この場所では隣のサポーターと肩を組みながら忚援することで,隣の人が身近に
感じられることがあった.
地域社会の「人と人のつながり」が失われつつある現代,いかにして分断された個と個を繋ぎ
合わせていくかが求められている.そこで私は,サッカー観戦に注目し,現代人が熱狂して忚援
するスポーツに,コミュニティ再生の糸口を探そうと試みる.本論文では,サッカー観戦の場に
おいて感じられる「人と人のつながり」について,
「コミュニティ」という概念にもとづいて検
証していく.そして,その「人と人のつながり」が地域コミュニティ再生の新たな可能性になり
えるのかを考えていく.
1 地域コミュニティとサッカー観戦
1-1. 地域のつながりの現状
私たちは,何らかのコミュニティに属している.サークル,町内会,高崎経済大学,高崎市,
群馬県,日本などである.誰もが容易に想像できる地域コミュニティといえば,町内会や自治会
であると思われる.しかし,その町内会・自治会への加入率は減尐しており,都市では自分の家
の隣人さえ誰なのか分からないという人が多くいるのが現状である.このように地域のつながり
が希薄化しているという現状は,多くの調査報告書iなどにおいて言及されており,地域が果た
す役割への期待,地域のつながりの重要性が高まっている.
i
平成19年版『国民生活白書』では地域のつながりの希薄化が指摘されており,日常的に助け合
うといった深い近隣関係を持つとともに,地域活動に月1日以上参加している人,いわば,「つ
ながり持ち」とも呼べる人の割合は16.0%であることが示されている.
- 262 -
そんな崩壊しつつある地域コミュニティiiにおいて,NPO 団体やボランティア団体など
の市民団体の活動が大きな注目を集めている.ボランティア・NPO・市民活動に参加して
いる人達は,地域活動に参加していない人と比べて,人を信頺できると思う人が相対的に
多く,近隣でのつきあいや社会的な交流も活発な傾向にあるという(日本総合研究所 2002).
そこで現在,NPO 団体やボランティア団体といった「アソシエーション」である組織が,
地域コミュニティ再生のカギになると考えられている.
1-2. コミュニティとアソシエーション
アソシエーションとは,社会学上の「コミュニティ」に対する概念として用いられる.地域共
同体としてのコミュニティは,元々集落や農村を構成为体としており,その土地の地縁的つなが
りが深い.コミュニティの代表的例として,その地域に根差した町内会や自治会が挙げられる.
対するアソシエーションは特定のテーマ・関心をもった集団であり,NPO 団体やボランティア
団体はこれにあたる.また,本論文で取り扱う「サッカーのサポーター」もここでいうアソシエ
ーションに該当する.
このように社会集団を2つに分類したのが社会学者のR.M.マッキーヴァーである.マッキー
ヴァーは,コミュニティの成立要件として,①地域性,②コミュニティ感情を挙げている.そし
て,後者のコミュニティ感情は,a.われわれ感情(共属感情),b.役割意識,c.依存意識(コミ
ュニティ内の他者に対する心理的依存の感情)という3つの要素から成り立っているとした(マ
ッキーヴァー 1949).
以上のようなマッキーヴァーによる社会学上の定義からすると,サッカーのサポーター
は「アソシエーション」であるといえるのか.
「コミュニティ」にはなることはできないの
だろうか.そこで,サッカーのサポーターはこの「コミュニティ」の成立要件を満たすこ
とができるのかを検証してみたい.
コミュニティの成立要件として,まず「地域性」に関して考えてみる.J リーグのサッカ
ーチームは日本各地iiiに存在し,地域密着型のクラブ運営を目指している.そのため,自分
の地域・まちにあるサッカークラブを忚援する傾向が高く,サッカーのサポーターは地縁
的なつながりが深い人々によって構成されている場合が多いといえる.これは,サッカー
が地域性を持ちうるということになる.
次に,
「コミュニティ感情」についてだが,サッカー観戦の場において,人々はサッカ
ー選手のプレーに熱狂し,興奮する.そして,我がクラブを支えている人々みんなで忚援
し,一体感を得る.そこには,忚援するサポーターと,忚援によって支えられているサッ
カークラブという,助け合いの関係がある.そこには,
「おらがクラブ」という存在を通し
て,地域性を持った自分たちのチームに一喜一憂するコミュニティ感情が生まれる.
ii
ここでは为に都市部における地域コミュニティを扱う.農村部においては,地域のつながりが
色濃く残っているところがあり,一概に全ての地域コミュニティがそうとはいえない.
iii 2010 年時点で,J1・J2 合わせて 27 都道府県 37 クラブが存在する.
- 263 -
しかし,サポーター集団がコミュニティではないといえる決定的要因がある.それは,サッカ
ー観戦の場が地域生活における生活共同体ではないということである.サポーターはサッカー観
戦という共通の目的・関心を追求する組織体であり,コミュニティが有している共通の諸特徴(風
習・伝統・言葉遣い)があるとは限らない.サポーターたちは,サッカー観戦のために一時的に
スタジアムに集結し,試合が終わればまた解散してしまう.その集まりは,個人間のゆるい結合
によってできており,個人の流動性が前提にある.また,サポーターが必ずしもその地域に居住
している,もしくは愛着を持っているとは限らず,サポーターになるのは個人の自由選択である.
そのため,サポーターは特定の地域性を拠り所とする集団であるとは,正確には言えないことに
なる.
サッカーのサポーターという存在は,このような「コミュニティ」が備える要件に多く該当す
る部分があるものの「アソシエーション」という存在なのである.
1-3. サポーターが育むものとは
サッカーのサポーターは地域共同体のコミュニティとしては,未完全な集団であるが,そこに
は人と人を結ぶネットワークのようなものが存在しているのではないか.私はそれが「ソーシャ
ルキャピタル」なのではないかと考える.
ロバート・パットナムによれば,ソーシャルキャピタルとは人々の協調行動を活発にすること
によって,社会の効率性を高めることのできる,
「信頺」
「規範」
「ネットワーク」といった社会
的仕組みの特徴と定義している(パットナム 1993).1-1でも述べたような,ボランティア・
NPO・市民活動に参加している人々が,地域活動に参加していない人と比べて,人を信頺でき
ると思う人が相対的に多く,近隣でのつきあいや社会的な交流も活発な傾向にあるという事实は,
ソーシャルキャピタルが豊かであるといった例であることが分かる.このように,ソーシャルキ
ャピタルという概念は都市におけるコミュニティ機能再生に処方箋を与える存在であるといえ
るだろう.
2 サッカー観戦とソーシャルキャピタル
2-1. サッカー観戦とサポーターのつながり
私は出身地である宮城県をホームタウンとするベガルタ仙台 ivというサッカークラブの試合
観戦に行ったことがある.そこでは,試合前にスタジアムの中のコンコースと呼ばれる広い通路
の上で,シートを広げながら宴会をしているサポーターを目にした.宴会といっても大人たちが
酒を交わしているだけでなく,家族ぐるみでお弁当を食べている光景も見られるのだ.果たして
これが仙台だけでの光景であるのかは分からないが,サッカー観戦という目的以外の楽しみがそ
こにはあるように思えた.そして,スタジアムに選手が入場し試合が始まる.そこでは,スタジ
アム全体が一体的となって,クラブを忚援する風景が見られた.多くの人々がユニフォームを着
て,選手のプレーに一喜一憂をする.席に座って静かに忚援する人,立って大きな声を出す人と,
iv
J リーグ1部のプロサッカーチーム.
- 264 -
様々な人がいる中,
「コアサポ」と呼ばれるサポーターはより大きな声で選手の忚援歌を合唱し,
上下左右に揺れて,90 分間クラブを忚援するのである.ベガルタ仙台のサポーターは J リーグ
の中でも屈指のサポーターであり,スタジアムの雰囲気を一度味わうと,再び来たくなると言わ
れている.
仙台の試合を観戦して感じたことは,
「スタジアムでの一体感」
「サポーター,家族ぐるみの団
らんの場」が存在していたことであった.
2-2. ソーシャルキャピタル醸成の「場」
1-4ではサポーター集団に限定してソーシャルキャピタルの存在を捉えていたが,広い意味
での「サッカー観戦」に人と人のつながりが認められるのではないか.それは,サポーターの存
在だけで生まれるものではなく,サッカー観戦の場であるスタジアムやサポーターを取り巻く
様々な環境のなかで生まれてくるものであると考えられる.
サッカー観戦の場であるスタジアムは,各地域の J リーグのサッカークラブごとに様々な取
り組みが实施されている.鹿島アントラーズのホームスタジアムである「県立カシマスタジアム」
では,スタジアム内にあるスポーツ施設を利用して「健康サポーター養成講座」が实施されてい
る(J リーグ公式サイト)
.これは,高齢者を対象に進めている地域密着型健康づくり運動推進
事業である.また,このほかにもスタジアムをサッカー専用としてではなく,広く市民に開かれ
た空間として利用できる取り組みを行っている J リーグのサッカークラブが数多く存在する.
スタジアムの多用途化は,
「サポーターしか集まらない場所」
「一般市民が近づきにくい場所」と
いうイメージを払拭し,サポーターではない市民も気軽にスタジアムに足を運ぶことができる効
果をもつ.それは,サポーターと市民をつなぐ「場」としての役割があり,市民がスポーツ,と
りわけサッカーに興味を持つきっかけになる.したがって,サッカー観戦におけるソーシャルキ
ャピタルのネットワークが広がる可能性をもっていると考えられる.
2-3. ソーシャルキャピタル醸成のツール
必ずしも人と人のつながりがスタジアム内で生まれているとは考えにくく,スタジアムの外に
も目を向ける必要がある.そこで注目したいのが,テレビ・ラジオ・インターネットの存在であ
る.サポーターはこれらの様々なツールを利用してサッカー観戦あるいは情報交換を行っている.
これらのツールはスタジアムのようなソーシャルキャピタル醸成の「場」ではなく,サポーター
同士のソーシャルキャピタルを醸成してゆく「媒体」として存在しているように思われる.
例えば,地域のコミュニティラジオ放送局は J リーグのサッカーの放送を年々増やしている
傾向にある.その背景には,格安の放送権料で J リーグの試合を放送できることやサッカーが
地域の話題であるために需要が高いというような要因がある.このような地域メディアとサッカ
ーが結びつくことで,地域密着型のサッカークラブが市民に親しまれる機会が増えると感じる.
また,最近流行しているツイッター上でも,試合の感想やサッカーに関するとりとめのないつ
ぶやきが載せられている.その瞬間に,その人は何を感じ,何を思っているのかを覗き見れると
- 265 -
いうツイッターの存在は,人と人をつなげる新たなツールとして期待できる.ツイッターのよう
なソーシャルキャピタル醸成のツールは,地域を超えたつながりをもたらし,地域限定であった
サポーター層をより広げる役割もある.情報のグローバル化は,あらゆる地域にいるサポーター
をつなぎあわせることにも財献しているといえるだろう.
3 ソーシャルキャピタルの可能性
3-1. ソーシャルキャピタルの定量的把握
コミュニティ機能を補てんすることが期待されるソーシャルキャピタルが,サッカー観戦の場
において醸成される可能性を前章では述べてきたが,その实態を確かめるにはソーシャルキャピ
タルの定量的把握が必要となる.しかしソーシャルキャピタルの測定は,その概念が抽象的であ
り,
「信頺」
「規範」
「ネットワーク」といった異なる指標を持っているために,定量的に測定す
る方法が確立されていない.
パットナムは,地元組織の委員の割合や国民投票の投票数,まちや学校の行事の参加率などの
指数とソーシャルキャピタルに関係する指標との相関をまとめ,ソーシャルキャピタルを測定し
た(ソーシャルキャピタルインデックス)
.ソーシャルキャピタル研究におけるパットナムの功
績は大きいが,いまだにソーシャルキャピタルを定量的に測定する方法として確立した方法がな
いのが課題である.
ソーシャルキャピタル測定はこれまで,個人に質問し,そこから得た回筓をもとに地域全体の
ソーシャルキャピタルを把握しようと努めたものである.サッカー観戦の場においても,同様の
手法を利用し,
「信頺」
「規範」
「ネットワーク」に関連する質問項目を作成することで,簡易的
でもソーシャルキャピタルの測定はできるのではないか.
以下の表は,ソーシャルキャピタルに関連する3つの要素を軸として著者が考えたソーシャル
キャピタル測定のための項目である.サッカー観戦の場が,①地域の近所付き合いのような「信
頺関係」を生み出す場であるか(信頺)
,②コミュニティが有するような人々の共通の諸特徴は
あるか(規範)
,③人々をつなぐネットワークが存在するか(ネットワーク)を確認するために
以下の項目を考えてみた.
「サッカー観戦とソーシャルキャピタル」
●サッカー観戦が人とのつながりを有するかの確認
・一緒に観戦する人数とその人との関係⇒
ネットワーク
家族・親戚,友人,本日知り合った人
●サッカー観戦において共通の規範が生まれるのかの確認
規範
・サポーターの居住地
・家族や友人との日常会話の中で,サッカーに関連する話題が占める割合
- 266 -
・チームの忚援方法,スタイル
●サポーター同士の「信頺関係」の確認
信頺
・サッカー観戦で重要視するもの(観戦の目的):a)忚援するチームの勝利
ポーター同士の交流
c)試合やスタジアムの雰囲気を楽しむ
b)サ
d)チームの忚援
e)
それ以外
・サポーター同士の交流の頹度(サッカーの試合以外)
これ以外にも様々な指標があると考えられ,この指標によってどのようなサポーターの回筓が
寄せられるかを予想することは難しい.また,各クラブチームによって回筓結果にばらつきがあ
ることが考えられ,全てのクラブチームを同じ机上で論じることはできない.そのため,J リー
グの全てのクラブチームの調査結果を俯瞰できるような形で測定していくことが望ましい.
ここで,Jリーグが2009年12月に報告した『Jリーグスタジアム観戦者調査2009 サマリ
ーレポート』vについて見てみることにする.この調査結果と私の作成した「サッカー観戦
とソーシャルキャピタル」の指標との関連する項目を取り上げてみる.
『J リーグスタジアム観戦者調査 2009 サマリーレポート』
●ネットワーク
<同伴者>
家族で一緒に観戦(52.2%),友人(35.8%),1人(14.7%)
<平均同伴者数>
3.0 人
2人で観戦する割合(42.5%)が最も多い
●規範
<観戦者居住地>
全体の 86.3%の人がホームタウンのある都道府県に居住している
最も居住区域内の観戦者が多いチームがコンサドーレ札幌(98.7%)
最も居住区域内の観戦者が尐ないチームは鹿島アントラーズ(58.4%)
●信頺
<スタジアム観戦動機>
※(数値は1~5の五段階評定尺度で,1:あてはまらない~5:あてはまるで求めたスコアの
平均値)
「好きなクラブの忚援に」,
「サッカー観戦が好きだから」
(4.52)が最も高い
この調査の対象は,J リーグ 36 クラブのホームゲーム観戦者である 11 歳以上の男女個人,
16,981 名とし,16,052 票(有効回収率:94.5%)の有効回筓を得た.
v
- 267 -
その他,高い順に「クラブが地域に財献しているから」(3.47)「友人・家族に誘われ
て」
(2.82)
「チケットをもらったから」(2.08)が最も低い
<スタジアム勧誘行動>
周囲の人を J リーグ観戦に誘うかという「勧誘行動」では,
「よく誘う」
(17.4%),
「時々
誘う」(49.7%)を合わせて7割弱(67.1%)の観戦者が勧誘行動をしている.
●一般生活者を対象とした全国調査
<J リーグのスタジアム観戦意向>
スタジアム観戦したい(10%),ややスタジアム観戦したい(15.7%)で,合わせて
25.7%の人がスタジアムでの観戦意向がある.
(以上は『J リーグスタジアム観戦者調査 2009 サマリーレポート』
(2009)をもとに著者が作成)
この調査結果によると,スタジアムでの観戦は複数人での観戦が多く,スタジアムでは多くの
場合,人とのかかわりがあると予想される.また,観戦者居住地はクラブチームによって大きな
差があることが分かり,人気チームである鹿島アントラーズはホームタウン区域外のサポーター
も多く存在していることが分かる.スタジアム観戦の動機に関しては,「クラブが地域に財献し
ているから」が意外と多く,サッカーのクラブチームが地域にもたらす影響の大きさをサポータ
ーが意識していることが分かった.この報告書には,一般生活者を対象とした全国調査もあり,
3割に満たないスタジアム観戦意向者を引き上げていくことが必要とされる.
私の作成した指標によって,サッカー観戦の場におけるソーシャルキャピタルを定量的に把握
することは困難ではあるが,一つの物差しとしてソーシャルキャピタルを把握する手助けとなる
ことに期待したい.
3-2. 新たな可能性
本論文では,ソーシャルキャピタル測定のための項目を提案することで精一杯だったため,サ
ッカー観戦の場において,ソーシャルキャピタルが醸成されていることを詳しく实証することは
できなかった.しかし,サッカー観戦の場にはあらゆる面で人と人のつながりを深めていく要素
が多分に存在する.
2009年に株式会社日本経済研究所はJリーグのサッカークラブが地域にもたらす効果を研究
し,Jクラブの活動が「ソーシャルキャピタル」の源泉,地域力向上の源泉になりうることを指
摘している(日本経済研究所 2009).今後このような研究が増えていくにつれて,市民の余暇
活動としてのサッカー観戦が,市民活動団体やボランティア活動団体のような地域活動に勝ると
も务らない存在として,注目されるのではないかと私は考える.
そこで私は改めて提案したいことがある.それは,崩壊が危惧される地域コミュニティの代替
- 268 -
として, Jリーグのサッカークラブとサポーターの存在を挙げたい.Jリーグのサッカークラブ
とサポーターは,アソシエーションではあるが,地域性やソーシャルキャピタルの可能性などを
持っている新たなコミュニティといえるのではないか.私はこれを「自己選択型コミュニティ」
と呼びたい.自己選択型コミュニティは,サッカーのサポーターのような地域性を持っているこ
とが前提だが,個人の選択によって集団への帰属の有無を決めることができる.また,地域コミ
ュニティのような深いつながりよりも比較的ゆるやかなつながりであると考えられる.このよう
な地域性を持ちながらも自律的な個人をつないでゆく集団が,今後地域を盛り上げていくのでは
ないかと考える.
自己選択型コミュニティの課題として,特定の目的・関心による組織体のために,閉鎖的にな
ることが考えられる.それを避けるためにも,現存の地域コミュニティと自己選択型コミュニテ
ィの連携が不可欠である.それは,サッカースタジアムが市民一般に開かれた存在であり,地域
社会が地域密着クラブの運営やサッカーの根付くまちづくりを支援していくことである.そのよ
うな連携が機能することで地域社会をより豊かにすることができるのではないだろうか.しかし,
スポーツによるまちづくりという視点を間違えてしまうと,スポーツの政治利用につながりかね
ない.スポーツの本質を見失わずに,地域社会とともにサッカーが歩んでいくことが今後求めら
れる.
私は,この新たな可能性が地域コミュニティの復活,さらには地域社会の発展につながること
を切に願っている.
おわりに
サッカー観戦の全ての場において,ソーシャルキャピタルを見出すことは難しいことである.
プロサッカーチームの試合であるからこそ,人が集まり,独特の忚援スタイルが確立し,ソーシ
ャルキャピタル醸成につながる要素が生まれるのではないかと考えられる.プロスポーツが誕生
し,スポーツは自ら身体を動かすものという観点とともにスポーツは観戦するものという観点が
生まれた(玉木 1999).そして,観戦は自らの身体を動かすことで「スポーツに参戦する」viと
いう傾向にある.また,スポーツの特性として杉本厚夫は,「ゲームにおいて一つのチームを忚
援するときには,その敵対するチームに対する感情が,同じチームを忚援する人々をより強固に
結びつけるのである」と述べている(杉本編 1997).スポーツが歴史的に「みる側」と「する
側」に分離し,他のチームと対戦するというサッカーの特性があるからこそ,サッカーが地域を
盛り上げ,地域に輝きをもたらすものとなっているに違いない.
おわりに,著者の未熟な部分により,サッカー観戦におけるソーシャルキャピタルの把握が不
完全な形で終わってしまったことを残念に思う.今後,この研究をもとに新たな形でソーシャル
キャピタルの把握に努めていければと思う.
vi
玉木正之によると,アメリカの大リーグでは,ファウルボールを激しく奪い合う姿が見られ,
キャッチした観実は周囲の観実から賞賛の拍手を浴びる.逆にイージーフライを落とした観実に
はブーイングが浴びせられる.
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文献
玉木正之,1999,『スポーツとは何か』,講談社現代新書
杉本厚夫編,1997,『スポーツファンの社会学』
,世界思想社
内閣府,2007,『国民生活白書』
(http://www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h19/10_pdf/01_honpen/index.html
,
2010.1.13)
R.M.Maciver,1949,『society』
R.D.Putnam,2001,『Making Democracy Work』( 河田潤一訳『哲学する民为为義――伝統
と改革の市民的構造』), NTT 出版
内閣府国民生活局市民活動促進課,委託先:株式会社日本総合研究所,2002『ソーシャル・キ
ャピタル:豊かな人間関係と市民活動の好循環を求めて』
(http://www.npo-homepage.go.jp/data/report9_1.html , 2010.1.13)
内閣府経済社会総合研究所,委託先:株式会社日本総合研究所,2005,
『コミュニティ機能再生
とソーシャル・キャピタルに関する研究調査報告書』
(http://www.esri.go.jp/jp/archive/hou/hou020/hou015.html , 2010.1.13)
J リーグ公式サイト,ホームタウンレポート
(http://www.j-league.or.jp/100year/report/_/?c=all&n=kashima&code=00000193 ,
2010.1.13)
株式会社日本経済研究所,2009,『Jクラブの存在が地域にもたらす効果に関する調査』
(http://www.jeri.co.jp/solutions/pdf/solution_01.pdf , 2010.1.13)
社団法人日本プロサッカーリーグ(J リーグ)
,2009,
『J リーグスタジアム観戦者調査 2009 サ
マリーレポート』
( http://www.j-league.or.jp/aboutj/2009kansensha01.pdfhttp://www.j-league.or.jp/a
boutj/2009kansensha02.pdf ,2010.2.13)
- 270 -
子どもたちの読書を豊かにするために
―幼児期における本との出会いをもたらす,国・自治体・現場の取り組み―
加藤由貴
はじめに
小学校就学前のいわゆる幼児期における本との出会いは,子どもたちのその後の読書活動にお
いて,どのような役割を果たしているのだろうか.私は,自身の経験から,幼児期における本や本を
読んでくれる人との出会いがとても大切なものであると考える.
子どもたちと本との出会いを増やすために,さまざまな取り組みが行われていることが今回の
調査でわかった.そこで,本論文では調査結果を踏まえ,国,地方自治体,保育の現場それぞれにお
いて,そこでは何が問題となっているのか,その取り組みの効果について探っていきたい.
1 子どもの読書推進に関する制度と事業
第 1 章では法律や事業内容を通して,国がどのような方針で子どもの読書活動の推進に取り組
んでいるのかを探っていく.
1-1. 子どもの読書推進に関する法律
2001 年 12 月に「子どもの読書推進に関する法律」が公布された.この法律は,
「子どもの読
書年」(1999)の宠言・精神を立法化したものである.同法律は,国と地方公共団体が子どもの読
書活動推進に関する施策や策定や实施について,総合的かつ計画的に推進し,子どもの健やかな
成長を願うことを目的としている.
子どもの読書を法律で規定するということに私は疑問を感じる.読書とは,本来,個人的な営
みであり,他から強制されるものではないはずだ.極端にいえば,「読まない自由」もあってい
いのだと思う.しかし,今の子どもたちの生活实態や置かれている環境を考えると,法律の存在
はやむを得ない面もあるだろう.
法律には,抽象的な表現が用いられていることが多いため,解釈が難しい箇所がある.例えば,
第 1 条(目的)や第 5 条(事業者の努力)では,「子どもの健やかな成長に資する」
「子どもの健やか
な成長に資する書籍等」という表現がなされているが,「子どもの健やかな成長に資する書籍」
とは,具体的にどのようなものを指すのか,また,その本は誰がどのように判断するのかという
ことは,かなり曖昧である.
第1条(目的)
この法律は,子どもの読書活動の推進に関し,基本理念を定め,並びに国及び地
方公共団体の責務等を明らかにするとともに,子どもの読書推進に関する必要事項を定めること
により,子どもの読書活動の推進に関する施策を総合的かつ計画的に推進し,もって子どもの健
やかな成長に資することを目的とする.
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第5条
(事業者の努力) 事業者は,その事業活動を行うにあたっては,基本理念にのっとり,
子どもの読書活動が推進されるよう,子どもの健やかな成長に資する書籍等の提供に努めるもの
とする.
読書が,子どもの「ためになる」
,いわゆる教育的な営みであるという意識が強すぎると,子
どもは読書に魅力を感じなくなるように思う.読書の基本は,やはり「楽しみ」である.楽しい
からこそ,自分の好きな本をどんどん読んでいくのであって,
「ためになるから」という理由で
子どもたちが本を読んでいるわけではない.大人はけして「ためになる読書」という考え方で子
どもに本を紹介していくべきではないと思う.
子どもの読書推進法についてはまた,
「『子どもの読書活動推進法』实体化のためのマニュアル」
が作成されている.このマニュアルには,子どもの読書環境についての情報やQ&Aなどが掲載
されており,子ども読書推進法を具体的に形ある物にしていく上での質問が出され,それに対す
る方策が提示されている.また,各自治体における読書環境の整備の先進的な事例も紹介されて
いる.
今後,子どもの読書活動推進法の具体的实現が望まれるが,もっとも重要なことは私たちが子
どもの読書についてどのように考えていくかということのように思う.子ども読書推進法を形だ
けのものに終わらず,子どもの読書活動の基盤整備に生かされるようにしなくてはならない.
1-2. 子どもの読書応援プロジェクト
子どもの読書忚援プロジェクトとは,子どもの読書活動を推進するため,1-1 で紹介した「子
どもの読書活動推進法」に基づき,2008 年 3 月に閣議決定された「子どもの読書活動の推進に
関する基本的な計画(第 2 次)」を踏まえ,子どもが自为的に読書活動を行うことができるよう,
環境の整備を図るとともに,施策の総合的かつ計画的な推進を図ることを目的とした事業である.
具体的な内容は以下の通りである.
(1)読書活動を推進するための指導者向け啓発教材資料の作成・配布
子どもが自为的に読書活動を行うことができるよう,家庭・地域・学校が連携し相互
に協力を図りつつ取組を推進していくため,先進的な事例を紹介するなど,映像を活
用した指導者向け研修資料を作成し,配布する.[全国の幼稚園,小学校,図書館等
に配布]
(2)乳幼児期から読書を始めるための保護所向け啓発資料の作成・配布
乳幼児期のうちに読書に対する興味や関心を引き出すため,最も身近な存在である保
護者が読書に関心を持ち,子どもとともに読書に親しめるよう,子育てに関わる保護
者向け啓発用パンフレットを作成し,配布する.
(3)子ども読書情報ステーション事業
- 272 -
子どもが自らアクセスして参加でき,子どもや保護者はもとより,地域のボランティ
アや図書館関係者等の多様な地域活動に参加する方を忚援していくための情報サイ
トの運営や,啓発ポスターの配布等を通じて,効果的な普及啓発を展開する.
[情報サイトの内容]
著名作家等のメッセージや紹介したい本
地域の活動事例
読書ボランティアと学校・図書館等の連携サイトの構築
[民間団体等への委託:1 か所]
(4)子ども読書活動推進に関する評価・分析事業
子ども読書活動の推進を図る取組に関して,その効果等を評価・分析するとともに,
子ども読書活動の推進に関する新たな指標等について検討する.
[民間団体等へ委託:1 か所]
(5)子ども読書活動人材支援事業
ブックスタートアドバイザー等を地域に派遣する「ブックスタート」の推進,地域に
おける読書に関するボランティアリーダーの育成や,
「子ども読書活動推進計画」の
策定率の向上を図るために,学校,PTA等によるネットワークの形成など,読書活
動の推進体制を整備する.
[委託事業の内容]
ブックスタートの取組を促進する取組
読書ボランティアリーダーを育成する取組
行政,学校,PTA,民間団体等によるネットワークを構築する取組,等
[都道府県・指定都市教育委員会等へ委託:24 か所]
(6)子ども読書の街づくり推進事業
学校と地域や家庭とが連携して,読書活動の推進を図る「子ども読書の街」を指定し,
子どもの読書習慣の確立を目指した総合的な取組について实践的な研究を实施する.
[都道府県・指定都市教育委員会等への委託:10 か所]
このように家庭や地域における子どもの読書活動の推進を中心にこのプロジェクトは進めら
れてきたが,2009 年 11 月の行政刷新会議における事業仕分けにて廃止が決定した.廃止の理
由として,国は基本的な方針を示す仕事のみ行い,個別のプロジェクトは地方が实施するべきだ,
学校でやればよいことで,効果の明確でないことに国費を使う必要はないなどが挙げられた.こ
のプロジェクトの廃止により,子どもの読書推進のための取り組みはますます各地域,各家庭に
委ねられることとなる.そういった状況の中,地方自治体ではどのような取り組みが行われてい
- 273 -
るのだろうか.
2 自治体におけるブックスタート
第 2 章では,自治体レベルの子どもの読書推進のための取り組みに焦点をあて,第 1 章の 1-2
でも触れたブックスタートを一例として取り上げたい.
2-1. ブックスタートとは
「ブックスタート」は,1992 年にイギリスの「ブックトラスト」(教育基金団体)という読
書推進運動を展開している団体が中心となり,イギリス第 2 の都市,バーミンガム市で始まっ
た.2000 年の「子ども読書年」を機に日本にも導入され,2009 年 12 月現在で,727 の市区町村
で实施されるまでになっている.
实施内容は極めてシンプルで,自治体がおこなう乳幼児健診の場を利用して,すべての赤ちゃ
んの保護者に,2 冊ほどの赤ちゃん絵本,赤ちゃんといっしょに絵本を楽しむための簡卖なガイ
ドブック,図書館からの案内や地域の子育て情報などを入れた,ブックスタート・パックという
布袋をプレゼントするというものである.
近年,イギリスでは教育改革が政治の最優先課題となっており,また,国民が多民族化してい
るということもあり,リテラシーを向上させること,または識字率をあげることが大きな目標と
なっている.そのイギリスにおけるブックスタートでは,次の 3 点が大きな目標となっている.
1 家庭での読み書き能力の基礎をつくる
○
2 赤ちゃんと本の時間を持ち,それを習慣化する
○
3 本から得られる喜びや満足感を親子で共有する
○
このようにイギリスでは,10 年以上前からブックスタートが始まっている.イギリスは,日
本と違って図書館が充实しているので,図書館を媒介とした本のサービスも容易である.民族
的・言語的に多様性を有する住民が住んでいるという点でリテラシーの向上が目標になっている
が,それと同時に本を子どもに読んであげるという行為を家庭内で習慣化するということはとて
も大切なことだと思う.
2-2. 北海道恵庭市の事例
前章でも触れたように,「子どもの読書活動の推進に関する法律」(2001 年 12 月 12 日公布,
施行)により,子どもが自为的に読書活動を行えるように環境整備の推進を図るため,政府は「子
ども読書活動推進計画」を策定した.それに伴って都道府県でも政府の計画に基づき「都道府県
子ども読書推進計画」を策定しなければならないこととされた.そして,2002 年 8 月に政府に
よる「子ども読書活動の推進に関する基本計画」が閣議決定されたことを受けて,北海道では
2003 年 11 月に「北海道子どもの読書推進計画」が策定されている.恵庭市は 1-2 で紹介した「子
ども読書の街」に指定されており,学校・地域・家庭が一体となった読書活動の支援を行ってい
る.その活動の一部をここで紹介する.
- 274 -
恵庭市では従来から,読み聞かせボランティアの育成やブックスタートの实施,市立図書館サ
ービスの計画策定など,読書と市民をつなぐまちづくりに積極的に取り組んできた.それには,
恵庭市の現市長である中島氏が,2000 年から図書館長に就任していた時期の経験が大きく関わ
っている.中島氏は子育てや幼児の発達を支える機能を有しているはずの図書館に赤ちゃんを連
れて行きづらいという若い母親たちの意見を聞き,図書館は静かでなければならないという固定
観念が,赤ちゃんや幼児が本に触れる機会を奪っていることを重要な問題だと捉えた.そして,
図書館の入口にベビーカーを 2 台置き,赤ちゃん絵本コーナーを独立させて専用の椅子やテー
ブルを設置した.こうすることで,赤ちゃん連れの人が利用しやすくなっただけでなく,赤ちゃ
んが図書館を利用してもよいという雰囲気を作ったのだ.
恵庭市は,ブックスタートを全国に先駆けて实施した都市である.先述したようなきっかけで,
赤ちゃんのことに関心を向けるようになった中島氏は 1992 年からイギリスで始まったこの事業
に注目した.同じ頃開かれた子ども読書年推進会議では,将来的な本の需要を懸念していた講談
社や小学館,日本出版株式会社の社長などが集まり,日本のブックスタート实施が考案されてい
るところだった.そこに中島氏も理事として参加し,2000 年 11 月,出版会の出資の下,東京
杉並区において日本初のブックスタート实施が实現した.そして,ほぼ同時に恵庭市でも自治体
として初めてブックスタートが实施されるに至ったのである.
恵庭市で始められたブックスタートは,9~10 か月検診に訪れた全親子が対象で,絵本の読み
聞かせとブックスタートパック(絵本 2 冊,読み聞かせのアドバイス集,絵本ガイド,図書館利
用者登録用紙,他)を配布するというものである.また,配布の際に赤ちゃんは図書館利用者と
しての権利を持つということ,そして絵本を読むことによる心の触れ合いの大切さなどを説明す
る.また,この活動と並行して,図書館で乳幼児向けのお話会の開催などの整備をし,子育て支
援体制を整えた.そうすることで,卖に本をプレゼントするのではなく,読書を通した子育ての
推進にも大きく関わっている.
運営は「えにわゆりかご会」という読み聞かせボランティアと図書館,保健センターの協働で
成り立っており,日本におけるブックスタート事業の中央機関である,NPO法人ブックスター
トとも連携をとっている.
さらに,2006 年からは,ブックスタートプラスと称して 1 歳 6 か月健診の時にも絵本を贈る
こととなった.これは道内初の試みであり,9~10 か月健診時に行われてきた従来のブックスタ
ートとは違い,プレゼントする絵本を 6 冊の中から絵本を選んでもらうことで親の意識を啓発
する仕組みとなっている.
2-3. ブックスタートの効果
次に,恵庭市におけるブックスタートの効果についてだが,ここでは恵庭市図書館のHPで公
開されているブックスタートアンケートの調査結果概要を参考にしたい.これは,2004 年 9 月
から 2005 年 3 月までの期間に,3 歳児健診に訪れた親子を対象としたものである.調査票を保
健センターからの健診案内を通じて郵送し,健診時に回収するという方法で,有効回収票は 311
- 275 -
票であった.内,ブックスタートパックを受けたと筓えた配布群は 204 票で,受けていない無
配布群は 107 票であり,有効開票率は 85.0%と示されている.
家庭での読み聞かせについては,配布群・無配布群ともに 7,8 割と並んだが,父親が読み聞
かせをしているのは 7:5 で配布群の方が多かった.また,読み聞かせを好きな子どもは両群と
も多いが,とても好きだと筓えたのは 5:3 で配布群が多かった.(梶浦
2006)
差が顕著に見られたのは図書館利用であり,配布群の 6 割が利用するのに対し,無配布群は 3
割強であった.また配布群の方が早期に連れて行き始め,その回数も多いようだ.梶浦真由美氏
(北海道文教大学短期大学部幼児保育学科助教授)はこれを「ブックスタートパック配布時の図書
館員の説明及び保険センター事業育児教审における司書の読み聞かせ指導の取り組み効果と推
測される」と評価している.
ブックスタートパックを受け取る機会があった家庭は,もともと子どもの読書に関心が高く,
行動する余裕のある家庭であった可能性もあるだろう.しかし,パック配布によって,赤ちゃん
に絵本はまだ早いという観念が破られ,絵本に触れる時期が早まり,図書館に連れて行くきっか
けとなる働きは尐なからずあると考えられるのではないだろうか.
また,2007 年度に小学校へ入学した児童がブックスタート世代ということで,恵庭市教育委
員会,中島氏が共に注目しているのが,若松小学校の 6 年生による 1 年生への絵本の読み聞か
せ風景である.新 1 年生は誰も歩き回ることなく,物語に没頭していたそうだ.これがブック
スタートによる効果だと断言はできないものの,彼らの今後が楽しみであると中島氏は語ってい
る.
子どもたちへの影響の他に,ブックスタートを通して保護者及び関連団体の変化にも変化が見
られたようだ.
「えにわゆりかご会」はブックスタートのために作られた団体だったが,徐々に
図書館から自立していく中で,子育て全般に関わる活動へと広がりを見せている.また,保健セ
ンターは健診時の長い待ち時間をこの活動によって,有効に利用できるようになった.図書館は,
子どもに関する会議に呼ばれるようになったという大きな変化があった.保護者は健診の堅苦し
くない空気の中で,赤ちゃんを挟んで会話しているうちに,保険センター職員に不安なことや悩
みをもらすそうである.
2-4. ブックスタートのこれから
以上に見てきた恵庭市におけるブックスタートの取り組みは,国の政策が学校教育の中で,
「読
む・調べる」力など,読解力を身に付けさせることを重視していることに対して,「赤ちゃんを
図書館に連れて行きづらい」という母親たちの声を端に発した,子育て支援を基盤として読書活
動を位置づけていることが特徴である.この差異がもたらす効果については,現段階では十分に
図ることはできない上に,数値化して測ることも困難である.それでも,この取り組みを始める
ことによって「赤ちゃんを連れて図書館に行きやすくなった」という母親たちの喜びの声は成果
の一端としてみることができるのではないか.
日本でブックスタートを实施する自治体が増えてきた理由として,
「安く上がって,イメージ
- 276 -
がよい」ということが挙げられる.人口 10 万人の自治体でもわずか 150 万円の予算ですむ.し
かし,その事業内容については自治体によって随分差があるようだ.恵庭市のように活動を定着
させ,小学校での読書活動に上手くつなげている自治体もあれば,健診で配布された本が古本屋
に大量に並んでいるという自治体もある.一旦は開始されても,事業を継続し,定着することは
難しい.
ブックスタートのこれからを考える上で,重要なのは「継続性」であると思う.この継続性を
实現するためには,具体的な長期プランの作成や,一部の人間に運営を任せず,市全体で取り組
んでいく姿勢が問われるのではないだろうか.また,ブックスタート事業の展開においては,ど
この自治体でも多かれ尐なかれボランティアが関わっている.このボランティアの関わりなしに
は成立しがたい事業であるともいえよう.私は事業の中身について図書館が为導権を握っている
かどうかが成功の鍵であると思う.その上で,図書館はボランティア任せにせず,方針やあり方
の決定についてはボランティアの意向を尊重して,対等の立場で議論し,協働していくことが求
められるのではないだろうか.
さらに,家庭で本に触れない機会がほとんどないという子どもたちにとってこうした行政支援
は大きな意味を持つのではないだろうか.子どもたちだけでなく,保護者にとってもどんな本を
読んだらよいのか,どのように読んだらよいのかという疑問を解消できる場にもなりうると思う.
しかし,このブックスタート事業については,全員に同じ本を配ることによって個性がなくなる
などの批判もある.私も全員が同じ本を渡されるということにファシズム的な気持ち悪さを感じ
る.ブックスタートは,行政支援の特徴である「平等」という概念と,読書の「個人的な営み」
や「強制されない楽しみ」という特徴にズレがあるため,こういった気持ち悪さを感じるのかも
しれない.このような疑問は残るが,今後ブックスタートの取り組みが多くの子どもたちが本に
出会うきっかけになって欲しいと思う.
3 保育の現場における読み聞かせ
第 1 章,第 2 章と国,地方自治体における取り組みを見てきたが,第 3 章では子どもたちに
最も近いであろう保育の現場ではどのような取り組みがなされているのかを見ていきたい.
3-1.
おひさま倉賀野保育園における読み聞かせ調査
ここでは,高崎市内にあるおひさま倉賀野保育園における読み聞かせ活動について,アンケー
トとインタビューの結果をふまえて紹介したい.
まず,一日の読み聞かせ活動のクラス別平均冊数について調べたところ以下のような結果にな
った.
- 277 -
12
10
8
6
4
2
0
0歳児
1歳児
2歳児
3歳児
4歳児
5歳児
4,5 歳になると絵本だけでなく,長編の物語を読み始めるので,年齢が上がるにつれ読む冊
数は減尐する傾向にある.先生たちが,各クラスで本選びの時に何に気を付けているのかも同時
に伺った.低年齢のクラスでは,为に繰り返し表現やリズム感があり,子どもたちが真似しやす
いことを重視しているようだ.
次に,園内に絵本の部屋(図書审のようなもの)や絵本や読み聞かせに詳しいアドバイザー(図書
館司書のような存在)は必要だと思うかについてアンケートを取り,理由も記載してもらった.
この質問は,大井源一郎氏の『児童文化序論―学校図書館と児童文化―』の内容を受けて作成
した.大井氏は,この論文の中で「……こういった幼稚園,保育所に於いて,幼児に望ましい読
書の習慣を身につけるためには,絵本,紙芝居,等を中心とした幼稚園(保育所)図書館が必要で
あり,幼児のための選ばれた文化負を収集し,整理して閲覧に,読み聞かせに活用することは,
欠くことができない.……昨今の青尐年の实態を直視するとき,幼児教育に大きな責任を持つ幼
稚園・保育園にこそ,まず専任の司書教諭が置かれ,選びぬかれた内外の絵本をふんだんに備え
て,教諭,保母と提掲しながら幼児の読書生活を豊かにしていかなければならない.
」と述べて
いる.
現在,同保育園には各クラスには絵本コーナーが設けられているが,園内にいわゆる図書审の
ようなスペースはない.このことについて職員の方々に質問をしたところ,以下のような結果に
なった.
- 278 -
はい
いいえ
どちらともいえない
19%
10%
71%
私は,アンケート結果を見るまで幼稚園(保育所)に図書审を設け,司書を配置することを当然
のように良いことだと思っていた.アンケートに理由も記載していたただいたが,いいえと筓え
た理由で多かったものは,
「各クラスに絵本が当たり前に子どもの手の届くところに置いてあり,
生活の中に絵本があり,その絵本を選ぶのはそのクラスの子どもと一緒に生活している保育士が
よいと思う.アドバイザーは親子が集まる場所,例えば公民館などにいるとよいと思う.
」とい
う意見だった.幼児にとって「誰に読んでもらうか」という問題は非常に大きなことだと感じる.
職員の方たちは園児たちに何の本を読もうかと考えるとき,同じ年齢であってもその時彼らが何
に興味をもっているのかということを常に視野に入れている.図書审が園内において「特別」な
場所として存在するのではなく,当たり前のものとしてあるということが大切なのだと思った.
また,アドバイザーを設置する場合,アドバイザーは図書审内だけでなく各クラスの職員とも情
報交換をする必要があるだろう.
3-2. 園内で行われている工夫
次に,同保育園で行われている読み聞かせ以外の取り組みを紹介する.同保育園では絵本部会
があり,そのメンバーは各クラスから立候補する.絵本部会の活動は,絵本に関するニュースを
定期的に発行したり,絵本に関する知識を深めるため,毎月NPO法人「時をつむぐ会」と研修
会を行ったりしている.読み聞かせはただ読むだけでなく,読み方,本選びなどにコツがあるた
め,職員の方々はこうした研修会を通して技術を磨いている.
また,月刊「こどものとも」の配布を毎月行っている.購読は強制ではないが,ほとんどの保
護者が申し込んでいるという.保育園に子どもを預けている保護者の多くは,長時間の勤務をし
ている.そのため,どうしても子どもとのコミュニケーションが尐なくなりがちであるが,絵本
を通じて子どもとの時間を共有してもらいたいという意図もあるようだ.届いた絵本は保育士の
手から直接子どもたちに手渡されるが,子どもたちは毎月この時を楽しみにしている.その他,
保護者への対忚として毎日発行されるクラスニュースに子どもたちの生活状況と一緒に絵本の
おすすめリストを掲載したり,懇談会の時に絵本部会の職員が絵本の紹介を行ったりしている.
また,保護者に対して読み聞かせを行うこともあるそうだ.6 月と 12 月には,
「本の家」という
- 279 -
書店が園内で絵本販売や良書のすすめを行っている.各クラスにある絵本コーナーでは,貸出ノ
ートがあり,子どもたちは気に入った本を自由に選び家に持ち帰って読むことができる.
こうした取り組みは園内独自に行っているが,話を聞いている中で問題もあるようだ.上で述
べた図書审の設置であるが,園長先生は,園内に図書审を作りたいと考えているが,本の冊数が
足りないということが一番の問題であると感じているそうだ.また,ロングセラー絵本など,長
年にわたって利用されていて傷みが激しい絵本は,買い替えが必要だが,費用が足りないため購
入できない現状にある.集団の読み聞かせに適する大型絵本は,子どもに人気があるが,高価な
ため何冊も購入できない.園長先生のお話によると市からの補助金で「絵本を買うため」として
支給されるものはないという.さらに,今後の行政支援として,図書館でいらなくなった絵本を
保育園に譲ってほしいという要望があった.また,勉強会も民間に依頺するとどうしても費用が
かかってしまうため,行政为催の絵本に関する勉強会もあるとよいのではないかという意見もあ
った.
3-3. 読み聞かせが子どもたちにもたらすもの
読み聞かせが子どもにもたらす影響とは何だろうか.これは,数値で表せるような明確なもの
ではないかもしれないが,現場の方々が感じている子どもたちの変化がある.ある保育園では数
年前まで園内でビデオの貸し出しを行っていた.また,各クラスにテレビが設置されており,保
育中にも園児にアニメを見せていたという.しかし,映像メディアが子どもたちの脳に与える悪
影響が問題となり,ビデオを保育園からなくそうという動きがあった.ビデオは絵本よりも子ど
もたちに人気があり,保育士の中でも賛成・反対と意見が分かれたが,最終的にビデオを使った
保育,ビデオの貸し出しは行われなくなった.その後,園文庫に絵本が並び,読み聞かせが行わ
れるようになったが,最初は保育士が読んでいる途中で歩き回ったり,おしゃべりをして聞かな
かったりする子も多かったが,毎日続けているうちに子どもたちに変化があったという.保育士
のところに自分の気に入った本を持ってきて「先生読んで」と言ったそうだ.絵本に触れてこな
かった子どもでも,良い本に囲まれ,子どもに良い本を紹介する人がいればどんな子どもでも本
が好きになれるのだとその保育園の先生は言っていた.
今の子どもたちは聞く訓練をする機会がなかなかない.小さい頃から読み聞かせをしてもらう
など,耳から聞くような読書を経験している子どもは,聞くことによってお話を組み立て,自分
でイメージを膨らませながらその世界に入っていくことができるが,耳から聞く読書を経験して
いない子どもは,お話を聞いても断片的にしか受け止めることができない.
読み聞かせに使う絵本を選ぶ時,先生たちは季節感を大切にするという.今は春夏秋冬の句切
れがはっきりせず,季節ごとの旪の食べ物や行事を实感することは尐なくなってしまっている.
季節に合った絵本を読むことでそういった日本の伝統的な習慣や文化を伝える役割も読み聞か
せにはあるという.
読み聞かせは,家庭において親と子一対一で行われるものが本来の姿だが,大勢での読み聞か
せにはメリットがある.それは,一冊の本をみんなで読んでもらうことによって友達との共感や
- 280 -
一体感が生まれることだ.読み聞かせが終わった後に,互いに感想を言い合うことでお互いの違
いを認め合う練習にもなる.
慣れ親しんだ人の声による読み聞かせは子どもたちに安心感を与える.そういった経験は大人
になっても忘れられないものになるのではないだろうか.私は,時々初めて行った場所なのにな
ぜか懐かしい気持ちになったりすることがある.思い返してみるとこれはあの時あの絵本で出で
きた風景だとか,私は今あの本の为人公と同じ体験をしていると感じることがある.絵本の中の
体験と自分の实体験が一致するということはとても嬉しいことであり,子どもたちは今の私以上
にその喜びを感じるのではないだろうか.
おわりに
良い本とは何だろうか.私がこの論文を執筆する際に何度となく考えたものだったが,その筓
えは見つからなかった.以前,長年絵本に携わってきた方の講演を聞く機会があったが,その方
ですらどう言ったら良いか迷うことがあるという.一般的に言われる良い本を選ぶ方法に 3 つ
のポイントがある.1 つめは,絵本の描かれた世界の中に,自然に入りこむことができて,存分
に楽しめること(子どもが为人公になりきれる).2 つめが,読み終えた後に深い感動を残し,子
どもの心を豊かにはぐくんでくれる本.3 つめが,何年にも渡り読み継がれている本である.こ
のような定義的なものはあるにせよ,なかなか自分で見つけるのは難しいのではないだろうか.
そういった時,アドバイザーによる良い本のすすめが必要になるのではないかと思うのだが,そ
の役割を誰が担うのか.子どもたちは保育園の先生に良い本を読んでもらい,保護者もまた,保
育士から良い本の情報をもらう.その保育園の先生たちは研修会などを通し絵本に詳しい講師か
らノウハウを学びとる.こうした一連の流れがあるわけだが,どの繋がりもなくてはならないも
のである.この繋がりをどう保っていくかが大切なのではないかと思う.
そして,いずれ私たちは自分で本を選び読まなくてはならなくなる.その時に,幼い頃にして
もらった読み聞かせの体験,良い本との出会い,本を読んでくれた人との出会いは私たちにとっ
てかけがえのないものになるのではないだろうか.こうした出会いを増やすために,国,地方自
治体,保育の現場,家庭がそれぞれに何をするべきか,また,どう関わっていくべきなのかを考
えることが大切なのではないかと思う.
文献
文部科学省ホームページ http://www.mext.go.jp/
北海道恵庭市におけるブックスタート
―その取り組みと成果―
北海道文教短期大学梶浦真
由美
恵庭市ホームページ
http://www.city.eniwa.hokkaido.jp/www/contents/1199926963170/index.html
NPO法人
ブックスタートホームページ http://www.bookstart.net/index.html
児童文化論
序
―その5
学校図書館と児童文化―
- 281 -
大井源一郎
幼稚園・保育園における<読み聞かせ>―教育实習生・保育实習生対象のアンケートによる調査
―
山陽学園短期大学
三浦正雄
- 282 -
小・中学校における表現教育の新たな担い手としての
アートNPO
金田实
はじめに
現在, 学校では教育における問題が数多く存在している. ゆとり教育による学力の低下, 教師
の教育力不足, モンスターペアレントの増加など, その内容は様々だ. その中でも, 表現教育の
問題をこの論文では取り上げたい. 近年の生活環境の変化に伴う児童の意識変化, 授業数の減
尐などにより, 学校において表現教育は重視されない傾向にある. しかし, 学校にとって表現教
育は本当に必要ないものだろうか. 学力も大事だが, 小・中学生という多感な時期に, 表現教育
はなくてはならないものだ. 表現教育を柔軟に学び, 感性を豊かにし, 深く人間形成を行うべき
である. だが, 現在学校で行われている表現教育は本当に充实していると言えるのか. 表現教育
における様々な課題を抱える学校には外部との協力が必要なのではないか. そこで, 小・中学校
における表現教育の新たな担い手として, アート NPO の存在を挙げたい. 彼らの柔軟性, 専門
性を生かし, 今までにない表現教育の在り方を考えたいと思う.
1 表現教育の現状
1-1. 学校における表現教育
平成 14 年, 学習指導要領が大きく改正され, いわゆる「ゆとり教育」が始まった. それ以前に
行われていた週休 2 日制の下, 「ゆとり」を持って, それぞれの学校の特色を生かした授業を行
い, 自ら学び考える「生きる力」を養う, ということが改正のポイントとなっていた. その具体
的な内容として, 年間授業時数の 70 卖位時間(週当たり 2 卖位時間)の縮減, それに伴う教育内容
の厳選, また各学校独自の授業を展開できる「総合的な学習の時間」の創設などがある.
i)
この改正によって表現教育ii)の授業時数も減り, 元々尐ない授業数が更に尐なくなってしまっ
た. しかし, 学習指導要領で定められた各教科の授業数を見ると, 芸術分野の授業時数が他の教
科の授業時数に比べてあまり差がないことが分かる. (表1)
ここでは小学校を例に挙げる. 音楽と図画工作の授業時数を合わせたものを他の教科と比べ
て見ていこう. 国語・算数に比べれば数は減るものの, 社会・理科の 2 教科に比べると数が上回
っていることに気付く. また, 实技科目の家庭・体育と比べても数が上回って
いる.
i
ii
文部科学省ホームページ:http://www.mext.go.jp/参照
この論文での表現教育とは,美術,音楽などの芸術分野における教育活動を指す.
- 283 -
表1 小学校における各教科別の授業時数
区分
国語
社会
算数
理科
生活
音楽
図画工
家庭
体育
作
1年
272
-
114
-
102
68
68
-
90
2年
280
-
155
-
105
70
70
-
90
3年
235
70
150
70
-
60
60
-
90
4年
235
85
150
90
-
60
60
-
90
5年
180
90
150
95
-
50
50
60
90
6年
175
100
150
95
-
50
50
55
90
※この表の授業時数の1卖位時間は 45 分とする
出典:文部科学省
「学校教育法施行規則別表第 1」を元に作成
では中学校ではどうか. 受験科目の 5 教科は年に各 105 時数, 芸術分野の 2 教科は 70 時数だ.
受験のために 5 教科の授業時数が増加するとはいえ, 5 教科の 7 割程度は授業がある. 全体の授
業時数は減尐しているが, 相対的に見れば芸術分野の授業時数は決して尐なくないのだ. それ
にも関らず, 美術・音楽といった芸術科目が苦手だという生徒は多い. それは一体何故だろうか.
1-2. 生徒の問題, 教師の問題
表現教育には, まず生徒一人ひとりが自らの個性, 思いを表現できるということが根本にあ
る. この表現ができていない, 生徒が授業を楽しく感じられないという背景が存在する為に苦
手意識が生まれてしまうのではないか.
生徒が表現を苦手とする要因として, 学習指導要領に基づいた教科書的な授業が行われてい
る, という点がまず挙げられる. 表現教育とは, 本来点数をつけて評価されるべきものではない.
しかし学校ではそれぞれの生徒に点数を付けなければならず, 教師もそれを前提として授業を
組み立てる為, どうしても無機質な授業になりやすい. 生徒の表現力をいかにして伸ばすか, と
いうことが疎かになりがちだ.
また, 生徒自身が抱える問題もある. 芸術分野は得手不得手がはっきりしているため, 器用な
生徒は高い評価を得られやすく, 不器用な生徒は低い評価を受けやすい傾向にある. さらに, 国
語・算数(数学)等と違って努力をすればすぐに結果が出るというものでもない. このような苦
手意識を取り除くことが教師の役割だ. しかし上記で述べたように制度による制限や, それに
よる教師の指導力不足等により本当の表現教育を行っているとは言い難い.
学校における表現教育の問題点をまとめると,
① 制度による授業内容の制限, それによる教師の指導力不足
② 生徒が苦手意識を持ちやすい, 自由に表現ができていない
の 2 点が挙げられる. ではこれらの課題を解決するにはどうすればいいのだろうか. ここで私は
アート NPO を表現教育の新たな担い手とすることを提案したい.
- 284 -
1-3. アート NPO の必要性
アート NPO の特徴として, 高い専門性と NPO ならではの活動の柔軟性がある. これらに加
えアウトリーチ活動iii)をすることにより, 学校で独特な感性溢れる授業を行うことができる. こ
のアウトリーチ活動がアート NPO の強みでもある. 学校以外で芸術に触れるには, 生徒が自ら
美術館や文化ホール等に足を運ぶしかない. しかしこういった自発的な行動はもともと芸術に
関心のある生徒に限られてくる. このような触れ合う機会の格差が生徒の苦手意識を助長する
一因にもなっている. 子どもたちにもっと芸術に触れてもらうにはどうしたらいいか. そう考
えた結果, アート NPO 側から学校に赴くアウトリーチ活動が表れてくるようになった. こうす
ることで生徒は自ら外に働きかけなくても, 自分達の学校で多くの芸術に触れることができる
ようになった.
また, 学校の学習指導要領に捉われない自由で表現豊かな授業が行えることも強みの 1 つだ.
評価ありきの授業ではなく, 子どもたちが自由に表現でき, 感性を磨くことに重点を置くこと
ができる.
以上に述べたように, アート NPO と学校との連携によって高い水準の表現教育を行うことが可
能だが, いいことばかりという訳にはいかない.
1-4. アート NPO の課題
アート NPO がこうした活動をする上で, いくつかの課題がある. まず 1 つに, 授業のどの時
間を使うか, という問題がある. 限られた授業時間の中で, もともと授業時数の尐ない芸術分野
をさらに減らすことができるのか, という学校側との折り合いの難しさがある.
もう 1 つに, 活動する上での資金不足, という点が挙げられる. 独立行政法人経済産業研究所
が 2005 年に行った NPO に対するアンケート調査結果iv)によれば, 全収支規模の平均が約 2, 011
万円で, 全体で見ると収入規模が 3, 000 万円未満の比較的小さい規模の団体が約8割を占めた.
また収支の内訳は事業収入が6割を占めており, 助成金や寄付金は約2割と随分尐ないことが
うかがえる. 支出の内訳は事業費が7割で, 残りの約3割が管理費という結果になった. 常勤・
非常勤スタッフやボランティア手当等の人件費は支出の4割を越え, 一見多く支払われている
ように感じる. だが事務局スタッフ一人当たりの年間給与は平均約 130 万円で, スタッフの約半
分は 100 万円以下という結果だった. 更に給与が0円というスタッフが全体の約 3 割を占めた.
健康保険や労災保険に加入しているスタッフも約 2 割と, 決して労務環境が整っているとは言
えない.
このような負政基盤の弱さを解決するため, 政府は「認定 NPO 法人制度」を 2003 年に導入
した. これは, ある一定の基準を満たせば優遇税制が適用されるという制度だ. だが 25, 000 近
くある NPO の中で, 实際に NPO 法人となっている割合はたったの 3, 1%だった. また, 「制度
iii
iv
芸術や文化に触れる機会の尐ない市民や地域に対して働きかけ,芸術を提供していくこと.
URL: http://www.rieti.go.jp/jp/projects/npo/2005/2_0.pdf
- 285 -
の内容は知っているが申請するつもりはない」という団体は 51. 1%と過半数を占めた. その理
由として, 「税控除が必要なほどの寄付金を受けた实績が無い」と「申請の要件が厳しすぎる」
という 2 点が挙げられた.
アート NPO も例外ではなく, 経営基盤の弱さが問題となっている. さらに学校側からの収入
というものがほとんど見込めないため, 事業費で賄うことができない. では, これらの課題を解
決しているアート NPO はあるのだろうか.
2 アート NPO の理想の形
2-1. NPO 法人「芸術家と子どもたち」
事例として, NPO 法人の芸術家と子どもたちの活動を挙げたい. このアート NPO は子どもと
アーティストが出会う場づくりをしていて, この場が
・子どもたちにとっては<潜在的な力を発揮する機会>
・アーティストにとっては<子どもたちと関わり, 表現を深める機会>
になるという理念に基づいて活動している. この NPO の行っている活動として, ASIAS(エイ
ジアス)というものがある.
ASIAS とは Artist's Studio In A School の略で, アーティストが学校に行き, 教師と協力しな
がらワークショップ型の授業v)を行う活動のことだ. この活動では教える, 教えられるという一
方向のやり取りではなく, アーティストと子ども, または子ども同士のコミュニケーションと
いう双方向の関係性を築く. いかに良い作品をつくるかということよりも, それまでのプロセ
スやコミュニケーションを大事にしている.
ASIAS では学校のどの授業を利用するか, という課題を総合的な学習の時間を利用すること
で解決した. この総合的な学習の時間を持て余している学校も尐なくなく, 学校にとっても都
合がいい為だ.
また, 資金面での問題もクリアしている. 芸術家と子どもたちには多くの企業が協賛してお
り, そこから助成金を得ることができるからだ. アサヒビール, 日産自動車, トヨタ自動車,
NEC, 松下電器産業と様々な企業がバックアップしている. これらの企業に講師料, 運営費, 材
料費等の一部をサポートしてもらい, ワークショップの講師として NPO に登録されたアーティ
ストを学校に派遣, そして NPO が両者の橋渡し, コーディネートをする, というのが ASIAS の
事業構造になる. このような事業体系に加え, 事業の広さを加えた事例もある.
2-2. トヨタ・子どもとアーティストの出会い
この活動はトヨタ自動車と NPO 法人子どもとアーティストの出会いが为催となって取り組み,
芸術家と子どもたちも大きく関わっている活動だ. ASIAS の理念と同じく, 子どもがアーティス
トと出会うことで多様な価値観や感性を育むことを目的としている. この活動は ASIAS のよう
v
生徒一人ひとりが自分で体感し,作品を作り上げていく形式の授業のこと.
- 286 -
な企業との事業連携に加え, 全国の学校に行き各地の实行委員会と協力して行われる. 現地の
NPO, 各種団体と力を合わせることで全国におけるアート NPO のネットワークを築くことに
もなる. 限定された地域だけでなく, 全国で表現教育が行えることやそれによるネットワーク
の構築等が強みだ. またこの活動は 2003 年から現在まで続いており, 学校によっては活動を 3
カ月間も行う場合があるなど継続性という面から見ても評価できる.
ではここで, 群馬で行われたトヨタ・子どもとアーティストの出会い in 群馬を紹介する. 群馬
では, 前橋芸術週間と呼ばれる前橋市でアートイベントを展開する団体と協働で開催された.
前橋市立滝窪小学校・金丸分校では, 2008 年の 1 月 22 日~24 日の 3 日間でプログラムが行わ
れ, アーティストには世界的に活躍する絵本作家・荒井良二氏が選ばれた. その内容は, 全長 30
メートル以上ある白布に絵を描くというもの. ただ普通に描くのではなく, 手や足など体全体
を使って絵を描き, でき上がった物語を巻物として動く巻物絵本として発表した. 荒井氏が上
手く生徒の挑戦心を駆り立て, 生徒同士が協働で作業することにより作品はより深いものにな
っていった.
「子どもの心に届くのは, 大人が作る巧妙なストーリーや上手に描かれた美しい絵ではない」
(トヨタ・子どもとアーティストの出会い活動レポート 2008)
と荒井氏は語る. このプログラムを見学した保護者や地域住民からはたくさんの拍手が送ら
れた. このように子どもとアーティストが関わり, 伸び伸びと自由に表現できることが生徒に
とってもアーティストにとっても刺激になる.
2-3. まとめ
以上のように, アート NPO の活動は非常に専門性が高く, 表現教育においては高い効果を期
待できることが分かる. ただこういった企業との連携などによる金銭面での問題解決は, すべ
てのアート NPO が行えるわけではない. もっと NPO 同士の繋がりを強固にして金銭面, 事業
面で助け合うことも必要かもしれない. ともかく, アート NPO がもっと活躍できるような環境
整備, それぞれの NPO の創意工夫が求められるのではないかと感じた.
おわりに
表現教育の担い手としてアート NPO は優れているが, 学校や支援団体の力も絶対に欠かすこ
とはできない. 学校における表現教育の理解, その中で活躍するアート NPO, その NPO が積極
的に活動する為の環境・支援, これらの要素が上手く関わることで, 学校における表現教育はよ
り良いものになると私は思う.
「自分をしっかりと見据え, 自分の立ち位置をはかり, 自分の考え方や感覚を認識し, そのうえ
で, 他者の考え方や感覚を理解し, 互いの違いを認め合い, さらに自然環境などを含めて周囲
- 287 -
と共生していくことが大切となるでしょう」
(トヨタ・子どもとアーティストの出会い活動レポート 2008)
と, 芸術家と子どもたち代表の堤康彦氏は言う. こういった精神を育むため, 表現の素晴らし
さを知ってもらうため, 表現教育の発展と拡がりを願う.
文献
吉本光宏, 2001 『アートと市民・子どもをつなぐ「アウトリーチ活動」―芸術による社会サー
ビスの可能性』
(http://www.nli-research.co.jp/report/report/2001/10/li0110a.pdf)
吉本光宏, 2007
『“アート”から教育を考える―国内外のチャレンジから―』
(http://www.nli-research.co.jp/report/report/2007/07/repo0707-2.pdf)
曽田修司, 2006
『アート NPO とのパートナーシップによる自治体文化政策の可能性―アート
NPO の「専門性」と地方自治体の「コミットメント」をキーワードとして―』
( http://nels.nii.ac.jp/els/110004867836.pdf?id=ART0008052615&type=pdf&lang=j
p&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1263307795&cp=)
NPO 法人
芸術家と子どもたち
NPO 法人
子どもとアーティストの出会い
ホームページ(http://children-art.net/)
ホームページ(http://www.npo-kad.com/)
トヨタ・子どもとアーティストの出会い活動レポート 2008
( http://www.toyota.co.jp/jp/social_contribution/education/artist/report.pdf#search
=%27%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83
%88%E3%81%A8%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%9F%E3%81%
A1%27)
独立行政法人経済産業研究所
ホームページ(http://www.rieti.go.jp/jp/index.html)
- 288 -
フリーペーパーの意義とその可能性
―多様化するメディアの中で―
野口和樹
はじめに
駅のラックに並ぶ情報紙や,街中で見かけるクーポン雑誌や求人雑誌を見かけたことのある人
は多いだろう.そして多くの場合それらは無料で配られている.普段はあまり意識しないかも知
れないが,よく自分たちの生活を思い返してみると,今や生活の至る所にフリーペーパーと呼ば
れるこうした無料出版物が溢れかえっていることに気付く.
無料で手に入るのにも関わらず,面白い内容のものが増えている.中には店で売っている雑誌
と殆ど変わらないようなものまでもが登場するようになった.更に最近ではその内容も非常にバ
ラエティ豊かなものとなっている.では何故こうしたフリーペーパーが最近人気を集めているの
だろうか.
本稿では日本におけるフリーペーパーの変遷を考察し,更に近年登場した新しいフリーペーパ
ーの事例研究を通して,フリーペーパーというメディアの社会的意義及びその可能性を論ずるも
のとする.
1 拡大するフリーペーパー
フリーペーパーを一言で表すと「無料で配布される情報誌」と言うことが出来るだろう.しか
し現在のフリーペーパー業界の動向をみてみると,広告収入を運営の柱としたものをフリーペー
パーとするという動きが強い.またフリーペーパーの業界団体である JAFNA(日本生活情報誌
協会)iでは「特定の読者を狙い,無料で配布するか到達させる定期発行の地域生活情報紙誌」
とフリーペーパーは定義されている.広告収入による運営であることに加え,発行が定期である
こと,また地域の生活に密着した紙面内容であることがフリーペーパーの成立要件であると考え
られているのだろう.
「フリーペーパーとはどのような出版物か」.この問いは卖純に見えて,その实とても複雑な
問題といえる.現在市場に次々登場しているフリーペーパーを見ても,その紙面内容,配布形態,
形など非常に多様性に富んでいる.ではそうした中で私たちはフリーペーパーをどのようなもの
として捉えているのだろうか.恐らく多くの人々が「無料」
「クーポン」
「広告」といったキーワ
ードを思い浮かべるだろう.ではこうしたイメージはどのように作られていったのだろうか.こ
の章では JAFNA の発表する資料iiを基に,フリーペーパーの成立過程を追いながら,フリーペ
i
ii
平成 10 年 4 月に発足した生活情報紙の協会.生活情報紙誌の信頺性と社会的存在価値を高め
ると共に,業界全体の成長を目的とする.以下 JAFNA と表記.
<http://www.jafna.or.jp/freepaper/freepaper_3.html>を参照されたし.
- 289 -
ーパーの役割がどのように変化していったのかということを考察していく.
1-1. フリーペーパーの現状
現在日本では 1209 紙誌,年間 2 億 9177 万部のフリーペーパーが発行され,雑誌系を中心と
して更に規模拡大を進めているiii.これは一世帯あたり約 6 部ものフリーペーパーが行渡ってい
ると言い換えられる.
2000 年を軸としてフリーペーパー市場は大きく拡大した.JAFNA の資料を見ると,1980 年
代の約 340 紙誌,1990 年代の約 440 紙誌を経て,2000 年代に入ると 05 年の時点ですでに約
640 紙誌を超える成長を見せていることがわかる.創刊時期全体の4割が 2000 年以降を占め,
1980 年代から計測すると約 88%以上がこの時期以降に創刊されているという結果だ.ではこう
した成長の背景には何があるのだろうか.
フリーペーパーは果たしてどれくらい生活に浸透しているのだろうか.ビデオリサーチ社が
06 年 10 月に行った第六回全国新聞総合調査(J-READ)ivによると「3ヶ月間に何らかのフリ
ーペーパーを読んだ」人の割合は 66.5%にも及ぶ.また「何らかの最新号を読んだ」人は 56.0%
で“何らかの最新号読者”における平均閲読誌数は 2.08 紙となり,1人が複数のフリーペーパ
ーを読むというスタイルが浮かび上がってくる.同様の調査では雑誌が 67.6%,ラジオは 52.3%,
インターネットが 64.3%であることからも,フリーペーパーの生活における浸透率の高さを示
している.
またフリーペーパー市場の拡大に伴い,フリーペーパーの種類も次第に細分化されていくよう
になった.JAFNA はフリーペーパーを大きく分けて以下の5つに分類している.
資料1
フリーペーパーの分類
1.コミュニティペーパー:地域生活情報紙で,わが国で約 1000 紙あると思われる最大勢力.
新聞販売店,新聞社系が多いが,独立系も多々ある.JAFNA 会員の多くがこの地域生活情
報紙に当たる.
2. ターゲット・メディア:フリーペーパーはもともとターゲット媒体だが,読者ターゲッ
トを特定の読者に絞り込んだもの.「シティリビン グ」(OL),「ahead」(30~40 歳
のサラリーマンとパートナー),「あんふぁん」(幼稚園児→その母親),「定年時代」
(シニア),「R25」(M1 層),「5l(ファイブエル)」(シニア),「ぶらあぼ」(ク
ラシック音楽ファン)など.
3. ニュースペーパー:地域のニュースを掲載しているほぼ日刊のフリーペーパー.「滋賀
報知新聞特報」,「経済の伝書鳩」(北見市),「サンデー山口」など.週刊だが「TOKYO
iii
平成 18 年度に JAFNA による業界調査で発表された数値.
iv調査の中からフリーペーパーに関連するデータを抽出し,各紙ごとの性年代別閲読状況や,閲
読者の属性・ライフスタイルなどをまとめたものを J-AIR として発行.
- 290 -
HEADLINE」もこれに含める.「メトロ」など欧米型のフリーニュースペーパーはわが国に
はない.
4. タウンペーパー・マガジン:商店街卖位や,複数街区をカバーするもの等,歴史も古い.
「日本橋」,「すすきの新聞」,「GINZA TIMES」,月刊「わたしの世田谷」など.
5. 広告紙誌:基本的には編集記事がほとんどない広告(クーポンを含む)だけの紙誌.「ぱ
ど」,「HOT PEPPER」,「an」,「カドナビ」,「CouponLand」など.
6. 広報・PR 紙誌・通販など:フリーペーパーとは本来は異質のものだが,複数の広告を掲載
するオープン型の「広告媒体」をこれに分類する.「ハマジン」,「QOORAN」,「the music
master」など.
7. 新タイプ:従来の伝統的なフリーペーパーの枞を超えたフリーペーパー.マンガ週刊誌
「コミック GUMBO」(07 年末に休刊),文庫版 PR 誌「ゲドを読む」など.最近は無料 DVD
が話題となった.
(出典)日本生活情報紙協会より.筆者により文字サイズ等一部変更有り
現在発行されている多くのフリーペーパーはこのコミュニティペーパー型に属しているとさ
れる.産経新聞系の「サンケイリビング」を始め,東京新聞によって都市圏を中心に発行されて
いる「東京新聞ショッパー」などがこの型にあたる.こうしたコミュニティペーパー型を中心と
するフリーペーパーの隆盛の背景には,フリーペーパーのターゲット媒体としての性質が大きく
関わっている.フリーペーパーは他の雑誌等の紙媒体とは異なり,ラックが設置可能ならどんな
場所にでも比較的自由に設置できるという特徴を持つことから,ターゲットを絞った効果的な配
布が可能となる.例えば私たちが駅で見かけるフリーペーパーは,買い物などに使えるようなタ
ウンペーパーや広告・クーポン型のものが多く,また小売店や専門店にはそれぞれの店舗に忚じ
た紙面内容のものが置かれていることが多い.またこうした性質を利用して,紙面内容もそれぞ
れのターゲットにあったターゲットマガジンが盛んに発行されており,サイズも持ち運びに便利
なA4型vのものにされているなどの工夫が見られている.
業界全体を見てみると未だコミュニティペーパーの占める割合は高いが,近年の動向を見ると
雑誌(マガジン)タイプのターゲットマガジンが大きく成長を見せている.しかし現在のフリー
ペーパーブームを考えるときには,まずリクルートの「HOT PEPPER」をはじめとする広告雑誌の
及ぼす影響というものに注目しなくてはならない.また上記の分類上で挙げられている新タイプ
のフリーペーパーというものにも着目したい.近年では既存の枞にとらわれない新しいタイプの
フリーペーパーというものが段々と広まっているが,果たしてそれはフリーペーパー全体にどの
ような影響を与えるのだろうか.
18 年度の JAFNA の発表によると,タブロイド判が 43%で最多,次いで A4 判 21%など
雑誌系が合計で 38%,ブランケット判 4%などとなっている.尚マガジン系においては A4
の割合が高い.
v平成
- 291 -
1-2. フリーペーパーの軌跡
近年注目を集めているフリーペーパーであるが,その成立過程を見てみると意外にも長い歴史
を有していることが分かる.JAFNA によると,フリーペーパーが最初に登場したのは戦時中の
昭和15年(1940 年)の芦屋倶楽部のタブロイド判会員紙「芦屋倶楽部」が判明している最古
のフリーペーパーといわれている.その近辺には昭和 21 年(1946 年)に中日新聞系販売店連
合が愛知県一宮市で始めたミニコミ月刊紙 13 紙や,昭和 26 年(1951 年)に旪刊で創刊された
「滋賀報知新聞」
(旧名「湖東よみうり」
)がある.この時期のフリーペーパーの特徴は,それぞ
れの事例において各地方都市をメインとした地方紙としての意味合い(コミュニティペーパーと
しての役割)が強く現れているという点だ.現在フリーペーパーの为流であるコミュニティペー
パーとしての性格は,元来フリーペーパーに求められていた役割でもあると考えられるだろう.
また,昭和 34 年(1959 年)には電通よって創刊された「アパート・ウィークリー The KEY」
(後の「The New Key」
)と,福岡市の団地新聞社によって創刊された「団地新聞」が登場した.
両者とも団地住民という明確なターゲットを定めるとともに,広告収入による運営を目指すこと
によって現在に続く本格的なフリーペーパーの先駆けとなった.
フリーペーパーの基本的性格は早くから固まっていたとはいえ,当時のフリーペーパーの多く
はあくまで個人・地域レベルにおいて配布先を明確に定めた上でのちょっとしたサービスとして
の意味合いが強かった.フリーペーパーが社会に広まっていくようになったのは 1970 年代に入
ってからのこと.昭和 46 年(1971 年)に産経新聞が創刊した「サンケ
イリビング」
,そして東京新聞が創刊した「東京新聞ショッパー」によってフリーペーパーは群
発期を迎えることになる.この点において重要なのは,両者とも各地域に集中して配布する形式
を取るともに,広告・SPとしてのフリーペーパーの効果に着目するなど,それぞれが独自のマ
ーケティング戦略をとったということである.それは従来の読者サービスを目的とするフリーペ
ーパーとはまったく性質の異なるものだった.
1959 年に初めての本格的なフリーペーパーが登場して以来,現在までにフリーペーパーは大
きく分けて3つの群発期を迎える.その最初のきっかけとなったのが先に述べた「サンケイリビ
ング」,
「東京新聞ショッパー」が登場した 1971 年である.時の首相田中角栄が『日本列島改造
論』を打ち出し,国民の期待が高まっていくに伴い日本各地で地域開発ブームが起こった.フリ
ーペーパー成長の土壌はこうして作られていったのである.
第二次群発期が起こったのはそれから十年後の 1982 年から翌年の 1983 年にかけてのこと.
その当時高度経済成長のひずみが段々と露呈し始め,自然破壊などが大きな社会的問題となった
時期である.人々はこうした社会の中で,価値観を内側に求めるようになった.個人の趣味や興
味といったものが重視され,フリーペーパーもそれに伴い人々の生活に密着した情報誌がブーム
となる.
そして 1997 年から 2000 年にかけてフリーペーパーは第三次群発期を迎える.
バブル崩壊後,
長引く不況のなかでベンチャービジネスを模索する人々がフリーペーパーに参画するようにな
っていった.DTPなどハード面での急速な発展も,こうしたベンチャービジネスに拍車を掛け
- 292 -
ていった.また大手媒体においてもネットワークの拡大化が行われるなど,規模に関わらずフリ
ーペーパー全体の活性化が起こった時期でもあった.
こうして3度の群発期を迎えていく中で 1960 年代までは全国で 100 紙に満たなかったフリー
ペーパーであるが,1970 年代に入ると一気に倍増の 200 紙となった.そして 80 年代の 540 紙
誌,90 年代の 990 紙誌という過程を経て,2000 年代は現在の時点ですでに約 1600 紙誌が存在
するまでに成長した.
初期段階では読者サービス的なものとして始められたフリーペーパーだが,時代の変化に忚じ
てその内容もそれぞれ異なった特徴を持つ.1960 年代は「団地新聞」やは「アパート・ウィー
クリー The KEY」等の各地方の特定集団に向けた地域情報紙,また 1970 年代は「サンケイリ
ビング」
,
「東京新聞ショッパー」等の各地方全体へ向けた情報紙といったように,その時代に忚
じて内容にも変化が見受けられる.しかしフリーペーパー自身の性格としては,常に特定のター
ゲット(市場)に向けた情報媒体であるということが共通している.それは現在のフリーペーパ
ーにおいても同様であり,ターゲットに忚じて必要な情報を適宜提供するという点が,常にフリ
ーペーパーの基本的役割として一貫している特徴といえるだろう.
資料 2 創刊時期(年代別・紙誌別)
(出典)日本生活情報紙協会より.
1-3. フリーマガジンの浸透
近年のフリーペーパー市場を見ると,マガジン型フリーペーパーの急速な成長を見ることが出
来る.マガジン型とはもともと版形のことを指すが,ここにおけるマガジン型フリーペーパーと
は,特定の読者層を想定したターゲットマガジンとしての役割を果たすもののことを指す.先に
- 293 -
述べたフリーペーパーの分類で言うと 2.5.6.7 のタイプがこのマガジン型に当てはまるだろ
う.ではこのマガジン型フリーペーパーがフリーペーパー全体にどのような影響をもたらしてい
るのだろか.ここではリクルート社を事例としてそのことについて考えていく.vi
フリーペーパーを読んだことがある人の中で,リクルート社の発行する「HOT PEPPAR」や
「R25」を知らない人は恐らくほとんどいないのではないだろうか.そう言えるほどにリクル
ート社の出すこれらのフリーペーパーは社会に広まっている.ではこれほどまでにリクルート社
が成功を収めている背景には一体どのような要因があるのだろうか.
「R25」,
「HOT PEPPER」の両者において共通して言えるのは,事前に徹底したマーケテ
ィング戦略がとられているという点である.例えば「R25」においては20歳から34歳まで
の男性群であるM1層の中でも,更に範囲を絞った 25 歳以上の『団塊ジュニア世代』をターゲ
ットとしており,また「HOT PEPPER」も同様に 20 歳から34歳までF1層の女性をターゲ
ットと定めている.しかしリクルート社の大きな特徴はこうした徹底したターゲットセグメント
を行うと同時に,常に市場に対しアプローチを行っていくという点にあるだろう.リクルート社
はフリーペーパーを発行するに当たって,アンケートの实施を積極的に行っている.
「R25」
はアンケートを实施することで,ターゲットの嗜好や,アプローチ可能な時間帯を発見すること
により効果的な配布を可能とした.また「HOT PEPPER」も毎年シーズンごとに女性モニター
を対象にアンケートを实施することで,スポンサーとなる飲食店に対し重要な情報を提供してき
た.
(図 1,2 を参照)
図 5
図 6
「HOT PEPPER」を始めとするマガジン型フリーペーパーの多くは,事前・事後の徹底した
調査やその他様々な形でのマーケティング戦略を行っている.こうした背景には近年のフリーペ
ーパーブームの中でフリーペーパーのもつ訴求効果に企業が注目するようになったということ
が理由として考えられるだろう.ではこうしたマガジン型フリーペーパーの隆盛は私たちにどの
ような影響を与えたのだろうか.
vi
ここでは稲垣太郎氏の「フリーペーパーの衝撃」を参考に,リクルート社の事例における成
功の要因を考察するものとする.
- 294 -
コミュニティペーパーの誌面は地域の行事やイベントなど地域の回覧板的な内容のものが多
い.それに対しフリーマガジンの誌面を見てみると,
「趣味」や「食事」といった内容のものが
多くみられる.なぜならばフリーマガジンは従来のコミュニティペーパーとは異なり,より私た
ち個人の生活に密着した情報を提供することを目的としているからである.また,こうしたフリ
ーマガジンの多くは企業によって作られているということも考慮しなければならない.企業はフ
リーマガジンを自社の収益拡大のために使用する.そのため必然的に自分たちのフリーマガジン
を広く社会に認知してもらうためのマーケティング戦略を各社は採っていく.先ほどのリクルー
ト社の例にしてみても,リクルート社は「HOT PEPPER」をテレビCM等のメディアを通して
大々的に広報活動を行っている.こうした企業の戦略によって,私たちは新しいフリーマガジン
の存在を認知するという状態が近年の社会においては半ば必然的に発生しているといえる.つま
り生活の中にフリーマガジンが浸透していく中で,わたしたちはフリーペーパーと関わるきっか
けがコミュニティペーパーとしてのものから,クーポンなど生活に役立つちょっとした情報紙と
しての側面に触れることが多くなっていった.こうした結果として私たちの生活の内部にフリー
ペーパーが入り込むことになったのではないだろうか.
近年フリーマガジンを中心としてフリーペーパーブームが巻き起こっている.しかしそうした
ブームの中で,誌面内容は従来のコミュニティペーパー型のものとは異なり非常に多様性に富ん
だものとなった.また配布される規模においても,全国規模のフリーペーパーが登場するなど以
前と比較して非常に広範囲のものが多くなっている.社会の需要の結果といえばそれまでである
が,日々新しいフリーペーパーが生み出され続けている中,果たしてどこまで成長を続けること
が出来るのだろうか.この点に関してはまだまだ議論を重ねていくことが求められるだろう.
2 新しいフリーペーパー
ここまではフリーペーパーの成長過程を見てきたが,フリーペーパーは基本的に個人や団体が
各地方の特性・状況に忚じたコミュニティペーパーとしてフリーペーパーが用いられてきたとい
うことがわかった.こうした歴史上の流れを汲んだ上で,JAFNA はフリーペーパーを「特定の
読者を狙い,無料で配布するか到達させる定期発行の地域生活情報紙誌」というように定義して
いるのだろう.しかし現在のフリーペーパーの動向においては,こうした生活情報紙としての性
格だけを考えるだけでは議論が成り立たなくなっているように思われる.それによって人々が实
際に触れるフリーペーパーと定義上のフリーペーパーとの差異が生まれているのではないだろ
うか.
また近年のフリーペーパーブームの中において,一番の特徴といえるのがフリーペーパーその
ものの多様化ではないだろうか.1章ではコミュニティペーパー型からマガジン型への変化に注
目したが,そのマガジン型の中においても实に様々なコンテンツを持ったフリーペーパーが近年
続々と登場し始めている.では,こうした事例の登場はフリーペーパー全体にとって果たしてど
のような意味を持ってくるのだろうか.
- 295 -
2-1. 多様化するコンテンツ
新しく登場してきたフリーペーパーの多くに共通して言えるのは,フリーペーパーを媒体とし
て作り手側が受け手側に対し,より個別具体的なメッセージを伝えようとしているという点であ
る.コミュニティペーパーを始めとする従来のフリーペーパーの場合,例えばある地域全体に向
けて発信したものや,また紙面を通して広告を受け手側に見てもらうことに为眼を置いたものが
多かった.しかし近年ではそうした状況に変化が見られている.ではここで具体的事例を検証し
てみよう.
RD(ラフデッサン倶楽部)とは,株式会社ラフデッサンviiによって製作されている日本最大
級の大学生向けフリーペーパー.首都圏を中心として,約 300 キャンパスの学内にて配布・設
置を行う大学公認の情報誌として近年注目を集めている.誌面内容には为に大学生活全般が毎号
取り上げられており,大学生の生活を様々な面でより良くすることを目的としていることがわか
る.
RD というフリーペーパー自体,基本的には従来のマガジン型フリーペーパーと変わらないと
いって差し支えないだろう.しかし RD の大きな特徴は,卖に大学生活というジャンルに着目し
たという点だけではない.まずその企画・運営の方法に注目したい.RD自体はラフデッサンの
物であるが,その具体的企画・運営の多くは,
「自分たちが読みたい雑誌」というコンセプトの
元,有志の大学生スタッフによって行われている.従来のフリーペーパー,特にマガジン型フリ
ーペーパー企業によって発行されているものが多い.しかし,そうした中では発信者側である企
業と受信者である私たちとの間において,価値観のズレが生じる場面というのが尐なからず存在
した.例えば誌面上で特集が組まれているコンテンツやブーム等に違和感を覚えたことはないだ
ろうか.企業は基本的に営利追求を目的とするものであり,その為フリーペーパーの誌面内容も
広告为をプッシュした内容になってしまいかねない.それに対しRDは,先程も述べたように発
信者と受信者が同じ大学生だ.それぞれの発信者と受信者とが共通の社会的地位にいるという関
係によって,その誌面内容もより自分たちが“知りたい”と思う情報を提供することができるよ
うになったといえるだろう.
また RD の最大の特徴といえるのが,インターネットと連動した様々な取り組みである.ラフ
デッサンではフリーペーパー事業と並行して,同社の SNS(ソーシャルネットワーキングサー
ビス)である「大学生 SNS.com」を運営している.この SNS ではそれぞれの大学生同士が気
軽に交流し,イベントの企画・告知を行うことが出来る.また RD 本誌に SNS 会員が登場する
という形で,フリーペーパーとの連動を図る取り組みもなされている.
この点において注目したいのは,フリーペーパーである RD を媒体として,発信者と受信者が
様々な形で交流することが出来るということだ.SNS やサイト内における各種イベントにより
共通の価値観を持った人々が交流を行い,新しいイベントや企画が生まれていく.そしてそれが
結果としてRDの誌面内容自体も更により良いものへと成長していくことに繋がっていく.こう
vii
大学生のリアルネットワーク+大学生向けメディア(フリーペーパー等)を保有する強みを
活かし,マーケティング上・リクルーティング上の課題の解決を生業とする企業.
- 296 -
した一連の流れの中では,発信者側の人々が時に受信者になったり,逆に受信者だった人々が今
度は発信者側に回ったりと,それぞれが同じフィールドに立って交流を行うことになる.それが
結果として「RD」という一つの大きなコミュニティを形成していくことになるのではないだろ
うか.ここにおいて RD というフリーペーパーは人々をこのコミュニティに引き込み,またコミ
ュニティを通して作られた様々なイベントを外部に発表する場という2つの役割を担っている.
つまり発信者―受信者間の橋渡し的役割を行っているのだ.従来のフリーペーパーの多くは発信
者側から受信者側に対し,ある種一方的な情報伝達を行っているといえるだろう.リクルート社
の事例のようにアンケート等を通して受信者側の意見を参考にすることはあれ,しかし基本的に
は二者間の立場は対等な立場とは言い難い.それに対し RD の事例においては,フリーペーパー
を媒体として発信者―受信者間における相互の情報交流が行われている.そこでは二者間の立場
は対等であり,活発な交流が行われることによってより魅力的なコンテンツの育成が可能となる
のではないだろうか.
2-2. フリーペーパーのメッセージ性
フリーペーパーを通じて何らかのメッセージを伝えようとする動きそのものは決して新しい
ことではない.従来のフリーペーパーにおいても「住民に地域をよく知ってもらいたい」
,
「穴場
のおいしい店を紹介したい」,
「誌面を通して広告を見てもらいたい」というような形で,それぞ
れのコンセプトとしてのメッセージが存在した.ではこれらと先に紹介した新しいフリーペーパ
ーとでは何が異なるのだろうか.
新しく登場したフリーペーパーの多くは読み手との交流に力を入れているものが多い.なぜな
らこれらのフリーペーパーは情報の発信者と受信者が同じキーワードを共有することを目的と
しているからである.つまりここで重要なのは,従来のフリーペーパーの多くが読み手にある意
味一方的にメッセージを発信していたのに対し,新しく登場したフリーペーパーにおいては情報
の発信者と受信者とがメッセージを共有しているということである.すなわちメッセージの双方
向への発信だ.
事例で見られたようなインターネットを活用した様々な取り組みもコミュニティを形成する
ための一つの手段として考えることが出来る.コミュニティによってよりメッセージの共有しや
すい環境が形成されていく.そしてフリーペーパーを媒体として誕生したこれらのコミュニティ
では,それぞれのメッセージを独自の方法で発信していこうとする.自分たちのメッセージを
様々な形で伝えようとする動きは,時として一つのムーブメントを形作り,それが新しい文化と
して社会全体に広まっていく.フリーペーパーにおける文化とはこうした動きの一つであり,今
後も様々な形で現れてくるのではないだろうか.
2-3. 多様化する担い手
これまでは新しいフリーペーパーにおけるコンテンツの多様化について注目してきたが,以下
ではフリーペーパーにおける担い手の変化に関して検証を行っていく.近年のフリーペーパーブ
- 297 -
ームにおいてはそのコンテンツはもとより,フリーペーパーを発行する発信者も非常にバラエテ
ィ豊かになっている.ここではその中でも特に「学生」によるフリーペーパーに注目したい.
近年,学生によるフリーペーパーが急増している.大学生を始めとして,各専門学校や最近で
は高校生によるフリーペーパーも登場するようになった.これらの多くに共通しているのは,学
生が企画から発行までその運営の殆どを自身で行っているという点である.
ではここで幾つか事例を見てみよう.
まず,「REAL」は東海地区を中心に配布されているフリーペーパーの一つ.有志の学生スタ
ッフを募り,会議,企画制作,表紙撮影,テレアポ営業,スナップ撮影,編集,そして配布・設
置作業までの全工程を学生自身が行っている.また「WEB-REAL」と呼ばれる同フリーペー
パーの公式 WEB サイトも開設されており,そこでは WEB 企画として WEB 限定のコンテンツ
を配信すると共に,フリーペーパーと連動した様々なイベントが企画されている.viii(図 3,4
を参照)
図 7
図 8
また「PARTNER」は 2007 年 7 月に創刊した美大生による美大生のためのフリーペーパー.
全国の美術大学,大学院,予備校,専門学校生を対象としており,配布場所も为にそれぞれの学
校や一部美術館・ギャラリーに限定される.原則として全国の美大生によって制作されており,
美大生ならば誰でも制作に参加することが可能.「美大生に刺激を与える」というコンセプトの
元,インタビューから美大生に焦点を当てた企画,学生の展示案内などを展開している.
(図 5,
6 を参照)
viii
< http://www.web-real.jp >を参照されたし.学生 100 人が集うパーティなどが恒例行事とし
て開催されている.
- 298 -
図 9
図 10
なぜ学生フリーペーパーが活気付いているのだろうか.幾つかの事例を検証してみると一つの
共通点が浮かび上がった.それは,多くの学生フリーペーパーが活動を通していろんな人物との
交流を図ろうとしているという点である.学生生活において何か自分たちの力で一つのことを成
し遂げたい,そして活動を通して色々な人と出会いたいというのが,多くの学生フリーペーパー
制作のきっかけとして挙げられている.また,こうした活動の中では,学生同士の交流以外にも
企業―即ちスポンサーとなる団体との交流も重要なポイントといえる.自分たちのスポンサーと
なる団体を募り,そして広告に関する交渉を行う.こうした経験はいずれ社会に進出していく学
生にとって貴重な経験となり得る.そして实際にその“経験”を为な目的としている学生フリー
ペーパーも多く存在している.
フリーペーパーはその性質上,運営において広告収入の果たす役割は自ずと大きくなる.そし
て広告収入を得るには,スポンサーとなる団体がそれぞれの商品に対し,何らかの価値を見出す
ことが求められる.学生フリーペーパーにおいてスポンサーとの交流は,制作者である学生が社
会に出て行くための経験としてだけではなく,自分達のフリーペーパーの商品としての価値を明
らかにする為に行われているといえるだろう.
では企業はこうした学生フリーペーパーの増加をどのように捕らえているのだろうか.学生フ
リーペーパーの日本一を決定する「Student Freepaper Forum」ixが 2009 年 12 月 20 日に開催
された.このフォーラムはフリーペーパーを通して学生と企業が出会うことを目的としている.
2006 年に初めて開催され,今回で6回目を迎えた.参加人数も毎年増加傾向にあり,今回は 100
誌以上の学生フリーペーパーとそれに携わる 500 人以上の学生が集まり会場は熱気で包まれた.
先程事例として紹介した「PARTNER」も過去にこのフォーラムに出展され,2007 年の第二回
フォーラムにおいてグランプリを獲得している.
学生フリーペーパーの増加に伴い,その誌面内容もクオリティの高いコンテンツを配信するも
のが増加するようになった.Student Freepaper Forum で上位に入るような作品においては
ix学生団体
BRASS が为催となって行われるフリーペーパーのイベント.
- 299 -
「PARTNER」のように一般の有料誌と比較しても遜色ないようなものも登場し始めている.そ
してこうした状況の中でその市場規模自体も大きく変化した.今や企業にとっても学生フリーペ
ーパーは卖なる学生の活動ではなく,一つのビジネスとして考えねばならない段階へと移ったと
いえるだろう.
2-4. フリーペーパーの新しい価値
この章では学生フリーペーパーを中心に事例研究を行ったが,新しいフリーペーパー全体の傾
向として,従来は参加することのなかった新しい担い手がフリーペーパーに参入を始めていると
いうことに注目したい.近年では学生に加え,NPO などの非営利団体や,個人レベルでのフリ
ーペーパーも登場している.またその紙面づくりにおいても,それぞれ独自のアイデア・コンテ
ンツが盛り込まれており,それが結果として現在の多様なフリーペーパーの発生に繋がっている
といえるだろう.
ではこうした新しい担い手達は,何故数あるメディア媒体の中でもフリーペーパーを選んでい
るのだろうか.これらの担い手の多くに共通しているのは常に社会に対し何かを発信したいとい
う欲求を持っているという点である.彼らは様々なものに興味・関心を持ち,自分の意見を発表
できる場を求めている.有料を前提とする従来の社会では,社会に自分の意見を発信するという
ことが困難だった.しかし,インターネットの普及によって人々は誰でも自由に意見を発信する
ことのできる場を獲得した.そしてそれは同時に「情報はタダで手に入れる物」という認識を人々
に与えていったのである.
こうした社会の中においてフリーペーパーは依然成長を続けている.なぜならフリーペーパー
は他のメディアと比べても参入障壁が低いメディアだからである.インターネットのように特別
な知識を必要とせず,更に目的とするターゲットに確实にメッセージを伝えることが出来る.こ
うしたフリーペーパーの特性は情報の発信者たちにとって大きなメリットといえるだろう.また
情報の受け手となる読み手側の人々にとっても,フリーペーパーは誰でも気軽に入手することが
でき,かつ自由に持ち運びが可能な情報源として非常に有益なメディアと成り得る.つまりフリ
ーペーパーは「情報=無料」という今の社会の流れを反映しつつ,それを逆に強みとして上手く
機能しているメディアと言えるのではないだろうか.
また新しいフリーペーパーの担い手たちの多くは,自分たちのメッセージを社会に発信したい
という欲求と共に,フリーペーパーを通して他者と触れ合いたいという欲求を持つ人々が多いよ
うに思われる.新しいフリーペーパーの多くは,インターネット等の他メディアを併用すること
が多い.そしてその中で読者である情報の受け手側の意見を積極的に取り入れたり,イベントを
通して様々な人と交流を図ろうとしている.彼らにとってフリーペーパーは自己表現の場であり,
そして同時に他者との交流の場としても機能しているのといえるだろう.
従来のフリーペーパーの多くは,発信者による一方的な情報発信の為のツールでしかなかった.
しかしインターネットの普及といった社会の変化に伴い,様々な担い手がフリーペーパーに参入
を始めている.そして新しい担い手たちはフリーペーパーを卖なる情報発信ツールとしてだけで
- 300 -
はなく,コミュニケーションの道具としての性質に注目するようになった.多様なコンテンツの
配信や他メディアとの連動したイベントの企画等,近年のフリーペーパーに見られるこうした特
徴は,フリーペーパーの新しい可能性を模索する様々な担い手たちの努力の結果と言えるのでは
ないだろうか.
3 フリーペーパーのこれから
近年のフリーペーパーブーム.その背景にはインターネットの普及という社会の大きな変化と,
それに伴う新しい担い手達の登場という 2 つの要因が大きく関わっている.そしてこの新しい
担い手達の手により,現在フリーペーパーは従来の情報発信ツールとしての役割だけではなく,
新しいフリーペーパーの形を模索する段階へと進み始めている.現在も様々な形で成長を続ける
フリーペーパーだが,果たしてその将来は安泰と言えるのだろうか.この章では为にフリーペー
パーが抱える問題点について検証すると共に,様々なメディアが混在する現代においてフリーペ
ーパーが今後どのような変化を遂げていくのかという点に関して考察を行っていく.
3-1. フリーペーパーの抱える課題
現在フリーペーパーは誰もが気軽に発行することのできる情報誌として広く社会に認知され
ている.しかし实際にフリーペーパーを発行しようとすると,そこには様々な問題が存在してい
ることがわかる.ここでは「HEADLINE TODAY」を事例として,その経営の失敗の理由と,
その背景にある社会問題について検証を行っていく.
「HEADLINE TODAY」は 2002 年 7 月に日刊無料紙として創刊され,注目を集めた.日刊
という配布形態は世界的に有名なフリーペーパーである「メトロ」を参考にしたものであり,世
界的に有名なフリーペーパーの多くが同様の形態を採っている.しかし,日本版「メトロ」を目
指した「HEADLINE TODAY」の運営は思うように進まなかった.赤字経営が続き,そして同
年 11 月には「TOKYO HEADLINE」と名を改め,週刊紙として現在に至っている.ここにお
いて日本における日刊紙経営の難しさを見ることが出来る.
では「HEADLINE TODAY」の日刊紙経営は何故成功しなかったのだろうか.その要因は大
きく 3 つに分けることが出来る.それは広告为の確保,配布場所の確保,記事配信契約のどれ
もが上手くいかなかったのが失敗の大きな要因といえるだろう.そしてその背景には日本の保守
的性格の存在が大きく関わっている.
「HEADLINE TODAY」はその発行に当たり準備段階から様々な障害にぶつかっていく.ま
ず広告为の確保だが,日本の大手広告为にはどれもある程度の实績が認められないとなかなか協
力が得られず,結果同社は外国の企業を中心に契約を結ぶこととなる.また配布場所の確保や記
事配信契約に関しても,日本の無料日刊紙に対する厳しい現状を知る結果となった.日本におけ
る日刊紙発行の大きな障壁としては新聞等の有料紙の存在が挙げられる.日本の場合,共同通信
社と有料紙との間に強い契約関係が存在する.有料紙の多くは共同通信社と加盟し契約金を支払
っている為,結果として記事配信契約に関しては必然的に有料紙の影響が大きくなる.配布場所
- 301 -
に関しても,駅等の交各種通機関へのラックの設置は失敗に終わった.日刊無料紙を設置するこ
とによる,他の有料紙の売上の減尐を危惧した為だ.
このように様々な課題を抱えた中で「HEADLINE TODAY」は創刊を迎えた.創刊当初は注
目を集めたものの,広告为が海外企業だったことから誌面内容が海外情報中心になってしまった
こと,そしてメインの配布場所となる交通機関にラックを設置できない等の悪条件が重なり,結
果として同社は日刊紙から週刊紙へと変更を迫られることになっていったのである.
こうした日本のフリーペーパーに対する社会問題は事例のような日刊無料紙に限ったことで
はなく,その他のフリーペーパーの多くにも共通して言えることである.ではフリーペーパー全
体を取り巻く問題とはどのようなものが挙げられるのだろうか.一章で述べたように,日本のフ
リーペーパーの業界組織としては JAFNA が代表例として挙げられるが,实際のところ業界組織
そのものが上手くまとまっていないというのが現状である.そのため大手広告为に対し,アピー
ルを行うのが困難になっている.そしてそこに日本におけるフリーペーパーの根本的問題点を見
ることが出来る.JAFNA は発足当時からフリーペーパーの定義付けと組織化を行っているが,
しかしながらそれがフリーペーパー全体を縛り付ける要因の一つとなっている.2 章で述べたよ
うに,近年のフリーペーパーの多様化に伴い,定義上のフリーペーパーとの間にズレが生じてい
る.業界組織がフリーペーパーを正確に把握できていないという現状がこのズレを生み出してい
るのである.業界組織への加盟に関しても,未だ多くのフリーペーパーが加盟しておらず,現状
の把握が難しい原因の一つとなっている.JAFNA はその正会員の加盟に際し,次のような条件
を掲げている.
資料3
JAFNA 正会員の資格
正会員
原則として,無償の生活情報紙・誌を月 1 回以上定期的に発行する会社であり,次の基準
を満たす法人
1. いわゆる生活情報や一般記事などの編集欄が,全紙面の 10%以上を占めていること.
2. 社団法人日本 ABC 協会の会員か,又は何らかの形で配布部数の信頺性が証明されて
いること.
3. 政党や宗教団体の機関紙,又は特定の企業の宠伝・広告紙ではないこと.
4. 紙面が公序良俗を保っていること.
5. 創刊後 6 ヶ月継続して発行していること.
(出典)日本生活情報紙協会より.筆者により文字サイズ等一部変更有り
日本におけるフリーペーパーは中小規模の団体によるものが多く,条件 2 における配布部数の
信頺性の証明が困難であること,また条件 1 の編集欄の割合が明らかになっていないものが多い
等の理由から,その加盟を見送るフリーペーパーが多いのが現状である.またフリーペーパーの
- 302 -
全体調査に対し,フリーペーパーの多くが情報公開を渋っていることもフリーペーパーの組織化
を妨げる要因となっている.情報公開に伴うビジネスモデルの公開を危惧する傾向が強い為であ
る.
このようにフリーペーパー全体は大きく成長しているのに対し,その業界の組織化は依然進ん
でいないというのが今のフリーペーパーの抱える大きな課題の一つといえるだろう.しかし近年,
フリーペーパー全体を取り巻く環境は大きな変化を見せている.「HEADLINE TODAY」が創
刊された 2002 年と比較してもその差は明らかである.駅の構内といった交通機関にはラックが
立ち並び,そこには様々なフリーペーパーが設置されるようになった.また大手広告为にとって
もフリーペーパーは今や重要なビジネスパーソンの一つとなっており,様々な企業がフリーペー
パーの動向に注目している.そしてこうした社会の変化を受け,JAFNA も 2006 年以降「賛助
会員」という形で窓口を広げ始めている.日本におけるフリーペーパーの社会的地位は尐しずつ
ではあるが,確实に向上していると言えるだろう.
3-2. 誌面の信頼性の獲得
社会の中にフリーペーパーが浸透するに伴い,様々な担い手達がフリーペーパー市場に参加す
るようになり,結果としてフリーペーパーは以前では考えられなかったほど巨大な市場へと成長
していった.しかしこうしたフリーペーパーの隆盛は,同時に自身のもつメッセージ性を損なう
危険性を高めることに繋がっている.フリーペーパーの継続的な運営には広告収入が必要不可欠
である.しかし利益ばかりを追求するようになると,広告为に寄り添った内容となり,結果とし
てフリーペーパー全体のジャーナリズム性は低下することになる.現在流行しているフリーペー
パーは広告を中心としたものが多い.しかし2章で紹介したように,新しい担い手達によるフリ
ーペーパーの多様化に伴い,今後はその誌面の「質」について考えていくことが求められていく
だろう.
今ではありとあらゆる分野に裾野を広げるフリーペーパーだが,その情報の信頺性においては
いまひとつ疑問が残る.新聞や雑誌と比較しても,フリーペーパーはその实態が図りきれていな
いというのが現状だ.明確な指標が存在しておらず,また組織化も十分に進んでいない.そうし
た悪条件が重なり,フリーペーパーの持つターゲット媒体としての力を上手くアピールできてい
ないのである.
ではフリーペーパーが信頺性を獲得するにはどうすればよいのだろうか.ここで注目したいの
が,フリーペーパーのターゲット媒体としての性質である.社会にインターネットが普及してい
く中で,誰もが世界中の情報を簡卖に閲覧することが可能となった.しかしその反面,私たちに
は膨大な量の情報をそれぞれ取捨選択することが求められている.現代の社会においては,質の
良い情報の獲得が困難になっているといえるだろう.
フリーペーパーはこうした現代社会において情報の入り口としての働きを見せる.フリーペー
パーはそのターゲット媒体としての性質から,それぞれのニーズに忚じた情報を提供することが
出来る.もし読み手がより詳細な情報を知りたいのならば,それぞれの専門雑誌やウェブサイト
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を利用すればよい.即ちフリーペーパーは他のメディアとのメディアミックスによって,その性
質を最大限に活用することが可能となる.フリーペーパーの信頺性の獲得にはこのメディアミッ
クスが重要な意味を持ってくるのではないだろうか.
インターネットの登場で,メディアの広告効果を図る指標にも変化が見られている.以前から
広く使われてきた AIDMAxに代わって,AISAS という新しい指標が最近注目を集めている.
AIDMA とは Attention(注意),Interest(興味,関心),Desire(欲求),Memory(記憶),Action
(行動)の頭文字をとったもので,消費者の行動のモデルとして使われてきた.それに対し
AISAS とは Attention(注意),Interest(興味,関心),Search(検索),Action(行動),Share
(情報共有)を頭文字で示している.AISAS はインターネット社会に特有な,インターネット
での検索(Search)とウェブでの情報公開(Share)を重要視することによって,より現实社会
に即した購買プロセスのモデル化を図っている.
このように現在,社会全体においてメディアをめぐる動きが非常に大きくなり始めている.こ
うした変化の中,フリーペーパーの秘める広告効果が明らかになっていくことで,その社会的意
義は今後より高まっていくのではないだろうか.
おわりに
ここまでフリーペーパーの多様化と,そしてその新しい役割について考察を行った.様々な情
報が氾濫する現代において,人と情報とを結びつけるきっかけとなるもの.それがフリーペーパ
ーの果たす役割であり,今後ますますその可能性に注目が集まっていくだろう.
「フリーペーパーが有料紙を駆逐するのではないか」
.調査の中でこうした議論を目にするこ
とがしばしばあったが,私はそんなことは無いと考えている.確かに有料紙全体の販売数は低下
しており,その原因の一つとしてフリーペーパーが関わっていることは確かだろう.しかし,そ
の問題の本質は誌面の質にある.有料紙は無料紙との明確な差異を消費者に示さなければならな
くなった.つまり従来は有料紙のみの競争だったのが,そこに無料紙が登場することによって,
その競争が激しくなっているのが現在の状況といえるだろう.しかしこうした競争は有料紙を駆
逐するのではなく,むしろ両者のメディアとしての質を高めていくことになる.情報の入り口と
しての無料紙,そして専門知識としての有料紙というように両者の住み分けは決して難しいこと
ではない.どちらかを排除するのではなく,共存していくことがメディアとしての本来のあり方
なのではないだろうか.
また,私たち自身も安易にフリーペーパーを歓迎するのではなく,しっかりと批判を行う姿勢
が今後は一層求められるだろう.他のメディアにも同様のことが言えるが,フリーペーパーの伝
える情報が必ずしも正しいとは限らない.大切なのは複数のメディアを併用し,その中で情報を
吟味していくことだ.積極的に批判しようとする姿勢こそ,フリーペーパーの質を高める最大の
要因となるのだから.
x1920
年代にアメリカのサミュエル・ローランド・ポールが提唱した「消費行動」の仮説.
- 304 -
文献
稲垣太郎,2008,『フリーペーパーの衝撃』,集英社新書
日本生活情報紙協会 HP(http://www.jafna.or.jp/ ,2010/2/15)
FREE PAPER NAVI (http://www.freepapernavi.jp/2010/2/15)
ROUGH DESSIN CLUB WEB MAGAGINE (http://magazine.roughdessin.com/2010/2/15)
PARTNER(http://www.partner-web.jp/2010/2/15)
REAL(http://www.web-real.jp/2010/2/15)
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野外ロックフェスティバルの現状と課題
小林詩央里
はじめに
遊び足りていない日本人が非常に多い.遊び場が必要である.私は野外ロックフェスティバル
の存在を音楽好きの人々にとっての遊び場だと考えている.
日本のロックフェスティバルは今や相当なる勢いを持っている.様々な地域で開催されるフェ
スの数は年間 50 以上にのぼり,毎年の参加が恒例化している固定ファンも年々増え続けている.
フェスによってそれぞれの性質が大きく異なり,参加アーティストのジャンルも,ロックだけで
なくポピュラー音楽全般に及ぶ.音楽好きの誰もが自分に合ったフェスを選択出来る環境にある
のだ.しかもワンマンライブと違い,様々な出演アーティストを見ることで知らなかったアーテ
ィストを知ることが出来る,これは大きな強みである.そして何より楽しい.観実は日常空間か
ら隔離された場所で,時には会場にキャンプを張り泊まりがけで何日も,すべてを忘れ,ただひ
たすら自由の時間を楽しむ.そこには例えば地域の夏祭り,と似たような,一種の陶酔状態を味
わえる,貴重な遊び場がある.
そんなロックフェスも,個人がただ楽しいと感じるだけでは成り立たない.フェスを成り立た
せる為には,スタッフや観実のフェスに対する高い意識,マナーを守る姿勢,開催地周辺の住民
の協力など,欠かす事の出来ない問題はいくらでもある.日本のフェスもそれらの体制が最初か
ら整っていた訳ではなく,幾つもの失敗を繰り返しながら徐々に社会へと受け入れられてきた.
それに,
「受け入れてもらえず」消えていってしまったフェスも数多く存在する.観実の大きな
支持にも関わらず・・・だ.
私は,こんなに多くの人々を魅了し続けるフェスにはもっともっと大きな可能性があると考え
ている.観実だけではない「皆」がフェスを理解し,好ましいものとして捉えてゆく可能性であ
る.本論文では,ロックフェスの始まりから現在までの変遷をたどりつつ,今も問題として根付
いている公共の場での騒音問題,観実の在り方について,そして入場無料という条件を付加した
上での野外ロックフェスティバルの存在意義について考察してゆきたいと思う.
1 日本の野外ロックフェス
1-1. ロックフェスの歴史
野外ロックフェスティバルの始まりは,1960 年代後半にニューヨークで開催された「ウッド
ストック・フェスティバル」である.ジミ・ヘンドリックスを始めとする大物アーティスト達が
出演した事により,約 40 万人以上の入場者を呼ぶ大規模なものとなった.初の試みであった為,
開催地や天候の問題に悩まされ,住民達の反対運動も巻き起こったが,このフェスティバルが世
界に衝撃を与え,ロックフェスティバルは世界各地に広まっていった.その影響は日本にも届き,
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1969 年に日本で最初のロックの祭典,第一回「日本ロック・フェスティバル」が開催された.
当時日本ではロックというジャンルがあまり民間に浸透していなかったが,その後バブル景気に
海外の有名アーティスト呼んで大規模な野外コンサートが行われるようになった.日本でロック
の人気が高まるにつれ野外フェスの需要も増え,日本四大ロックフェスティバル(FIJI ROCK
FESTIVAL,RISING
SUN
ROCK
FESTIVAL,SUMMER
SONIC,ROCK
IN
JAPAN
FESTIVAL)を始めとする野外ロックフェスが各地で行われるようになった.
1-2. ロックに根付いた固定観念
ロックという言葉は非常に多くの意味を持つが,ロックフェスティバルにおいては比較的広い
意味の音楽ジャンルを示す言葉として用いられている.だいたいの人がロックと聞いて想像する
のは,大きな音で激しいパフォーマンスをするバンドサウンドといったところだろう.そしてそ
んな音楽を好む人々には若者や自由を求める者,社会に不満を抱いている者が多い.なぜならそ
の音楽自体のスタンスとして反社会的な歌詞や暴力的な表現がなされる傾向にあるからだ.だが
实際のロックフェスでは,それ以外にもアコースティックでの弾き語りやポップス,時には演歌
も演奏される.したがって音楽好きにはジャンルを問わず受け入れられるべき場所であるはずな
のに,それを知らない事によって,フェスにあまりなじみのない人々が想像するロックフェスと
实際のロックフェスの間にズレが生じてしまっている.
そのズレが生じた原因として,日本で初めて開催されたロックフェスが一役買った.今や国民
から大きな支持を受けているそのフェスも,始めから上手くいっていた訳ではない.人々の大き
な批判を受け止めつつ,失敗と改善を繰り返し現在の姿へと形を変えていったのが“フジロック”
である.
1-3. “大失敗”第一回フジロックフェスティバル
「日本で最初の本格的野外ロック・フェス」と銘打ち,富士山麗のスキー場において二日間に
わたって行われるはずだった第一回フジ・ロックは,開催初日に会場区域が台風の直撃にあって
病人・貟傷者が続出,予定された二日めが中止に追い込まれるという,音楽興行イベントとして
はほぼ最悪の事態にみまわれた.台風の影響のみならず,
① 会場までの交通手段や会場内整理・誘導に関する为催者側の対忚の不備
② 集まった観実のマナーの悪さ(多数の路肩駐車,ゴミの散乱)
③ 富士山麗の自然に対する観実の無防備な軽装ぶり(Tシャツ,ハイヒールでの来場)
など諸々の要因もてつだって事態は予想以上に悪化した.(岡田,2003)
この事件(といっていいだろう)は様々な音楽雑誌や一般の新聞,週刊誌に取り上げられ,人々
の印象にはフジロックが「騒動」「悪夢」として印象づけられてしまった.当日参加した観実か
らもクレームが殺到し,この時点では“第二回”に続いてゆく事など誰も想像できなかったであ
ろう.
だが为催者側は強かった.それ以降,音楽誌を通して発信された情報はきちんと観実側に伝わ
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るよう工夫されていた.
「ゴミを捨てない」
「自然に貟けない朋装の準備を」
「マナーを守ること」
などの呼びかけをし,観実に対する心得を熱心に“教育”していったのである.その徹底ぶりは
音楽誌が自らを「風紀委員」と揶揄するほどであったという.こうしてフジロックは当初のマイ
ナスイメージを自分達の手で立て直してゆき,今や日本を代表するロックフェスへと成長してい
ったのである.
2 公共の場における野外フェスの在り方
2-1. お祭りとロックフェス
ロックフェスが開催される上で無視できない問題のひとつに,公共の場の利用による近隣住民
との関係性が挙げられる.ロックフェスはどうしても野外で大きな音を出すことが前提となって
しまう為,大規模なフェスは为に周囲を気にせず爆音で演奏出来る郊外で行われる.だがそれで
も交通の便との関係などから“近隣に全く家が無い場所で”フェスを行う事は困難とされている.
野外で行うという条件も伴い,防音設備を整える事が出来るフェスも本当に大規模なものに限ら
れている.よって騒音による苦情が生まれる.
では,どうすればその問題が解決され得るのであろうか?
例えば夏の風物詩として毎年各地域で夏祭りが行われるが,祭りが近付くとおはやしや踊りの
練習で街がにぎわいを増す,という地域は多いのではないだろうか.それに対し住民は「今年も
祭りの季節になったなあ」と感慨に耽る事はしばしばあるだろうが,
「うるさくてたまらない,
困ったものだ」と感じる機会は尐ないように思う.私の場合は,おまつりは私が生まれた時から
変わらず続いている行事なので,今さら疑問を感じることはない.ただし,同じ音が私の理解す
るところでなく突然鳴り出したら,なんだこの騒音は,と不快な気持ちになるかも知れない.ロ
ックフェスにも同じ事が言えるだろう.要するに騒音問題は住民の“理解”と大きな関わりを持
っている.
2-2. 地域に根差したロックフェスを
フェスを行う上のテーマは本当に多種多様で,ひとつとして同じものはない.その中で“まち
づくり”を謳うロックフェスが存在する.京都府出身のロックバンド,くるりの为催する「京都
音楽万博会」通称“おんぱく”である.
くるり,京都で野外フェスを開催! 他のフェスとはここが違う
野外フェスといえば,いまや日本全土で定着し始めている音楽文化となっているが,
彼らが今回開催する野外フェスは,他とはちょっと違う.何が違うかというと,为要
ターミナル(京都駅)から徒歩圏内の場所で開催するということだ.広くて爆音を出
せるということなどを考慮して,駅からかなり遠い場所で開催される野外フェスが多
い中,为要ターミナルから徒歩圏内で開催されるのは全国でも類をみない.ましてや,
京都市内で数万人規模の野外フェスを開催するのは,初の試みとなる.
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近年,くるりの岸田繁(Vo&G)は,発起人スタッフの一人として,京都の学生とと
もに<みやこ音楽祭>というイベントを開催してきた.このイベントは,特有の文化
を持つ京都の音楽シーンを活性化させることを目的とし,昨年は過去最大規模に発展
した.さらに,関東圏にまで進出することに成功している.
そんな中,京都で新しい音楽の楽しみ方を提案したいと考えていたくるりと,京都
を発信源として,未来の歴史の扉を開く新しい文化を,京都から全世界へ発信したい
と考えていた京都市側の考えが結びつき,大型野外フェスティバルの開催が決定した
という.(2005:BARKS ニュース)
上記のように市街地で行われる点で,他のフェスティバルに比べ近隣住民との関係性がより大
きな問題となってくる訳だが,このフェスはあくまでも「近隣との結びつきや,地域振興により
財献していくお祭り」というスタンスがとられている.まちづくりの一環としてフェスが行われ
ているという考え方により,京都という街にフェスを融和させてしまう.これは住民の理解を得
るには非常に効果的な手法であり,近隣住民を敵にしてしまっている多くのロックフェスにも是
非この姿勢を学んでほしいと考える.第一章で挙げたフジロックにしても,エコロジー活動を行
う事で住民にも良い印象を与え理解を得ようと試みている.フェスは今,より多くの理解を得よ
うと様々な手を使い動き出している.近隣住民はフェスをただの“騒音”としてだけでなく目を
向けて行く「外からの理解」が求められている.
2-3. 相互理解の可能性
先ほどの章で「外からの理解」が必要だと話したが,同時に存在を欠かしてはならないのが「内
からの理解」である.
どういう事なのか.そもそも,フェスを楽しむ方法は観実により異なる.最前列で押しつぶさ
れないよう必死に踏ん張りながら踊り狂う人もいれば,とにかくアーティストのパフォーマンス
から目を離さず熱心に見続ける人もいる.特に様々なアーティストが終結する野外フェスでは,
観実の楽しみ方に差が出る.場合によっては観実同士で暴動が発生し,ケガ人が出る事態を巻き
起こした实例もある.
たとえどんなに大物アーティストが集結する一大フェスがあったとしても,観実が楽しめない
フェスが良いフェスだとは到底思えない.観実自身も自らが参加するフェスの事を理解する必要
性がある.例えばマナーを守る事は大前提だし,もみくちゃにされるのが嫌だと思ったら前方に
は無理に突っ込まない等,自身が最も上手く楽しめるよう立ち回るテクニックが必要だ.これは
初めてフェスに参加した人などには尐し難しいかも知れないが,同じフェスでもより楽しめる方
法は必ず存在する.観実同士が楽しい!と思えるフェスが作り上げられてこそ,近隣への理解も
得ようとの試みが活性化する.
「内からの理解」から「外からの理解」へ.フェスは“人”その
ものなのである.
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2-4. 新しいフェスの聴取スタイル
今まで,
“無音ディスコ”が出来得るなどとは全く考えがつかなかった.
SUMMER SONIC 08 に「サイレント・ディスコ」なるものが登場した.これは 2005 年にイギリ
スのロックフェスであるグラストンベリー・フェスティバルが始まりであり,今や世界中で人気
を博しているイベントだ.サイレント・ディスコとは端的に言うと,従来のディスコがより“個
人”で楽しめる形態になっているもので,そのスタイルは賛否両論である.入場時には観実ひと
りひとりにヘッドホンが配られ,そのヘッドホンを通じて DJ のプレイを聴き,踊る.場合によ
ってはチャンネルを変えられ,複数の DJ の中から選択して聴くことが出来る.同じ会場にいな
がら観実同士は全く別の音を聴き,個々人で自由に楽しむのである.
これは,外に音が漏れない為,騒音問題を解決する直接的な手段となり得る.だが一方,ライ
ブ独特の会場の一体感が皆無である事や,見た目が何とも気味が悪い事などのデメリットもある.
いずれにせよ従来のイベントスタイルとは全く異なるものである.日本でもまだほとんど普及し
ていないので,今後どのような動きを見せるかは全く予想出来ないが,新しい聴取スタイルとし
てこれからのフェスのひとつの可能性になるかも知れない.
3 入場無料の野外フェス
3-1. 観客を選べない
これまでは为に,チケットを持ち参加する野外フェスに着目してきたが,この章では更に入場
無料という条件を加え論じてゆく.はっきり言うと,入場が自由になるだけで野外フェスはいっ
そう“野蛮”なものと化してしまう.だが一方,より多くの可能性も含まれている.観実を選ば
ないという点でフェスが広がりを見せる可能性である.
なんとなく行ってみようかとふらっと立ち寄る人,目当てのアーティストだけを見に来る人,
演奏を全く聞かず暴れる人,フェスのルールを全く知らない人,物珍しさに写真を撮りに入場す
る通行人・・・無料フェスには本当に様々な人が観実として会場に存在する.实際は観実という
より“野次馬”的な人も多数いるのであろう.彼らは当然の如くルールを無視する.なぜなら彼
らは一銭も払っていない,どのように振舞おうが自分に損が尐しも無いからである.わざわざお
金を払いチケットを手に入れ,万全の準備をして参加する有料フェスの観実とはまるで意識が違
うのだ.
上記のような観実を持つフェスは当然近隣にも良い印象を与えない.实際に諸問題により,多
くの固定ファンを持ちながらも消滅してしまったフェスがあった.今も再開を望む人は多く,私
もそのひとりである.
3-2. 消えてしまった「高崎ロックフェスティバル」
高崎市役所の北にあるもてなし広場では,毎年秋ごろにロックフェスが行われていた.といっ
ても開催された期間は 1999~2005 年の間だけであった.参加アーティストはインディーズバン
ドの有名所や高崎出身のメンバーがいるメジャーバンド等,パンクロック好きが多い高崎のバン
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ドマン達を意識した構成になっており,地元の若者達の大きな人気を持つフェスであった.最後
の開催となった 2005 年の第 6 回高崎ロックフェスティバルは,その後のフェスの開催にストッ
プをかけるには十分過ぎるほど悲惨なものであったようだ.
その日のフェスは,「NO MOSH,NO DIVE,NO POI」というスローガンが掲げられていた.
だが实際はほとんど規制されず,観実はモッシュ,ダイブ,ポイ捨て,どれも当たり前のように
していたという.某人気ロックバンドの出番では,観実の盛り上がりが過ぎ,皆が前へ前へと進
もうとして前方の人々がドミノ倒しになりケガ人も出た.曲は何度も中断し,バンドメンバーや
スタッフが押さないよう注意するも止むのは一瞬,逆にその隙に前方へ向かう実もいた.実席で
は怒声,罵声が飛び交い,女性の怒声がステージのマイクに拾われてしまうというハプニングも
あった.他にも傘を持って前方へ進む人,ハイヒールで他人の足を踏みつける人,撮影禁止にも
関わらず携帯カメラやデジタルカメラで撮影する人も多数いたという.終了後に残されたのは,
たくさんのポイ捨てされたゴミと多くの観実の不快感であった.
この惨状を見る限り,1 章で言及した第一回フジロックと似たものを感じ取る事が出来る.大
きな原因として为催者側の不備と観実側の無知が挙げられる点も共通しているが,ではフジロッ
クのように改善し得る問題なのだろうか.私が思うに,一概にそうとは言い切れない.“無料”
という条件は観実の意識に私たちが思う以上の差を生みだしている.軽い気持ちでぽんっと参加
出来てしまうフェスに,マナーや朋装に対する意識を生むまでの効力は,残念ながら薄いという
他ないのだ.高崎に限らず無料フェスの今後には,この問題は大きな壁として立ちはだかり続け
るだろう.
3-3. それでも“皆”に聴いてほしい!
ここまで入場無料のフェスの問題点を指摘してきて,その問題が山積みであることはわかって
くれただろうか.こんなことならフェスは全部有料にしてしまえばいいと思う方もいるだろうが,
無料フェスの観実を選ばない姿勢は,实は大きな利点でもあるのだ.
例えば道端で行うストリートライブや学園祭でのステージ演奏は,見たくて見る人ばかりでな
く通行人が多く注目する場所で行われる.無料フェスはそれらと同じようなスタンスがある.音
楽との出会いは,考えてみればいつも“たまたま”から始まる.ネットサーフィンをしていてた
またま見つけた音楽,レコードショップの視聴コーナーでたまたま聴いた音楽.通りかかった道
でたまたま自分好みの音楽が演奏されていて,思わず立ち止まって聴いてしまうのも同じ事だ.
無料フェスには,同じ有料チケットを持つ限られた観実の前で演奏するのに比べ,非常に広い幅
の人々に聴いてもらう可能性がつまっているのである.解決すべき問題はまだまだ残されている
が,無料フェスは今後も改善を計らいながらどうにか生き残ってゆく事を願っている.高崎ロッ
クフェスも出来る事ならもう一度開催してほしい.あれだけ多くの人に愛されたフェスなのだ,
その可能性は十分に残されていることだろう.失敗は終わりではない.
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おわりに
音楽の力とはすごいもので,落ち込んでいる時に聴くと元気が出る,緊張している時に聴くと
リラックス出来る,考え事をしている時に集中出来る,そして皆で楽しんでいる時には一層ハイ
になって楽しめる.私たちの生活のあらゆる状況に自然に馴染んでゆき,尐しの手助けをしてく
れる.仲間の試合を忚援する時にも,卒業の節目にも,尐し良い所を見せようと意気込んだカラ
オケの個审でも,音楽があったから尐し自分の中の何かが動いた.
こんなにも日常的に自分と共にある音楽と,皆はなぜもっと真剣に向きあわないのだろう.私
には疑問で仕方がなかった.音楽と真摯に向き合う事で,世界の見方が変わり,人生さえ変えら
れるのに.
だがそれは自分が勝手に狭い価値観で判断していたに過ぎなかった.皆私が思うよりずっと音
楽に向き合っていた.ステージを見上げる観実の目は 10 人が 10 通りの光を持ち,各々の向き
合いかたで音楽と付き合っていたのである.それを私に気付かせてくれたのがまさにライブ会場
であった.
フェスは大好きだ.たくさんの観実がいても,皆のお目当てのアーティストは全く違っていて
も,次はどのような音楽を聴けるのだろうとわくわくする気持ちは一様で,会場は不思議な一体
感で包まれている.そんなフェスをもう尐し楽しみたくて,楽しんでほしくて,楽しいものなの
だと分かってほしい.その為に日本のロックフェスティバルにはこれからも果たすべき使命があ
り,それは同時に私たちの使命でもある.私たちが動くことによりフェスは変わってゆける.な
ぜならフェスは人だからである.
文献
岡田宏介,2003,「イベントの成立,ポピュラー文化の生産――「(悪)夢のロック・フェステ
ィバル」への動員はいかにして可能か」,『ポピュラー音楽へのまなざし――売る・読
む・楽しむ』,東谷護編,勁草書房
http://www.barks.jp/news/?id=1000031345
http://www.fujirockfestival.com/
http://rock-cd.info/history/1969woodstock.html
http://www.summersonic.com/08/attraction/06.html
- 312 -
オルタナティブメディアを事業として継続性させるには
奈良拓哉
はじめに
メディアを自由に操ることができるのは,圧倒的に権力や資本や専門能力を持つ一部の
人々のみとなっている.残りの大多数の人々はメディアが流す情報を一方的に受け取り,
自らの意思がそこに反映されている.
マスメディアの流す情報が,实は権力や資本の影響を受けた視点から発信されているこ
とに気付き,クリティカルな視点を持ち読み解く能力が必要である.しかし,批判的に読
み解くだけではマスメディアを,ひいては社会のコミュニケーションをよりよい方向へ向
かわせることは難しく,社会におけるマイノリティを含む多様な声が発信される必要があ
る.発信により多様な意見が存在することが広く認識されそこから生まれる対話がよりよ
い社会につながるのではないか.
インターネットの発達によってそのような社会が生み出されることが期待され实際に
2000年代には数多くのオルタナティブメディアがつくられた.しかし,現状はどのオルタ
ナティブメディアも経営が苦しく社会に対しての影響力が小さいままである.社会に対し
ての影響力を持つには事業を継続させ,信頺を得なければならない.この論文では事業を
どのように継続させればよいかオルタナティブメディアの中の市民記者制度を採用してい
るインターネット新聞に絞って考察する.
1 オルタナティブメディアとは
1-1. オルタナティブメディアの定義
オルタナティブメディアの正確な定義はいまだに定まっていない.卖純にマスメディアの代替
としてのメディアと定義するかとは簡卖ではある.Rodrigues Ci(2001)によれば,具体的に
はマスメディアによって多様な商品が提供されている社会では,一般的な視点とは異なった視点
を提供するメディアや,マスメディアがほとんど相手にしない地域情報を扱うメディア,社会変
革を明確に为張するメディアなどが,オルタナティブメディアのごく基礎的な定義にはてはると
されている.このように,この論文ではオルタナティブメディアを卖なるマスメディアの代替と
して存在するメディアととらえるのではなく,メディア自身の社会変革に関わる目標設定や市民
に対する開放性などを備えたメディアとする.オルタナティブメディアには個人で活動をおこな
っているものから組織だって運営しているものもある.継続性という観点から見たときにやはり
組織での活動は不可欠な要素である.また,私はここでその組織の運営形態の独立性とメディア
に対しての専門性が事業を継続していくために必要な要素であると考える.
i
オクラホマ大学准教授(市民メディア研究)
- 313 -
1-2. オルタナティブメディアの歴史
オルタナティブメディアにとってインターネットの登場はとても大きな意味をもった.以前の
メディア環境下では情報を伝えるためにはテレビの電波,新聞の宅配網,書籍や雑誌の販売網な
どにかぎられていた.しかしそれらは一部のマスメディアに独占されていた.そのためオルタナ
ティブメディアを不特定多数の人に届ける手段は著しく制限されていた.そのためオルタナティ
ブメディアがコンテンツを届ける方法は郵送や手渡しなどにかぎられていた.そして,それらの
手段は一対一のコミュニケーションは可能でも一対多のコミュニケーションは不向きだった.
映像の場合はさらに制限が大きく個人や電波を保有しない組織が映像コンテンツを制作した
場合それを伝える方法はビデオをダビングして郵送するか上映会を開催するような状況だった.
そのためマスメディアの外部にいる人間が自分の考えを多くの人に伝えたいと思ったらマスメ
ディアの伝送路を使わせてもらうしかなかった.しかしマスメディアにのせてもらうためにはそ
の企業の方針にあったものでなくてはならない.またそのマスメディアのスポンサーの嫌がる企
画はマスメディアに乗せてもらえない.よってマスメディアに乗せられるコンテンツは自ずと限
られてくる.そしてそれはオルタナティブを志向する人たちに妥協を強いることになる.より多
くの視聴者を確保したいと考えるマスメディアと強い志向性をもつオルタナティブメディアと
は相いれない部分がどうしてもできてしまう.
1-3. インターネットの影響
インターネットの登場によってその状況は劇的に変わった.まずインターネットの登場でコン
テンツ配信のコストが飛躍的に下がった.これまでの紙媒体には膨大な手間とともに印刷代や輸
送費がかかった.しかし,ネットを通じた配信ならそもそも二つのコストはかからない.画面で
閲覧してもらい,必要だったら受け手自身で印刷してもらえばいい.また,インターネットは,
検索エンジンを使って欲しい情報に瞬時にアクセスできる.これによって世界中に同じテーマに
関心を持つ人々が集まることが可能になった.これまでオルタナティブメディアにとってマスメ
ディアを介さずに自分の情報を発信し同志を募ることは難しく会員や寄付者を募るかが大きな
課題だった.しかしこれもインターネットの登場でそのハードルは下がった.これまで情報を多
くの人たちに伝えるのに四苦八苦していたオルタナティブメディアがこれを利用しない手はな
くインターネットが普及してきた 2000 年代から日本でも様々なオルタナティブメディアが作ら
れてきた.ii
2 オーマイニュースと「JanJan」の比較
2-1. オーマイニュースの失敗
1 章でみたようにオルタナティブメディアにとって追い風ともいえる状況である中 Oh my
ii
インターネット新聞だけではなく動画配信など,様々な形態のオルタナティブメディアが生ま
れた.
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Newsiiiは韓国で 2000 年に誕生した.市民が気軽に参加できるニュースサイトとして設立され大
きな影響力を持っていた.2002 年の大統領選では,与党候補ながら不利といわれた盧武鉉大統
領が逆転勝利したが,それにはオーマイニュースの影響力が強く作用したと言われている.現在
はブログやSNSの普及や盧武鉉大統領の支持率低下の影響により 2004 年前半を境にアクセス
数の減尐が続き,2006 年以降は最盛期であった 2003 年の 1/10 以下まで落ち込んでいるが,そ
れでも日本版の2倍ほどの数字である.
日本版のオーマイニュースは 2006 年 8 月に誕生した.韓国の Oh my News がソフトバンク
の出資を得て創刊された.創刊時は韓国の Oh my News を大きく上回るアクセス数を集めたが
そのブームが終了するとアクセス数も急速に落ち込んだ.ブログが普及する中,それを利用して
継続した情報発信するのは敶居が高いが,日常の中で直面した問題について,短髪で記事を書い
て広く社会に伝えたいという人たちを中心に公共負としてのインターネット新聞を目標に掲げ,
サイトを維持していくためには,運営母体の企業が安定したビジネスモデルをどのように確立し
ていくかということが,大きな課題となった.
そこで卖に市民記者から集まる記事の受け皿を整備するだけでは,クオリティの高い記事を集
めたサイトを維持し,広告モデルでの事業採算性確保に必要なアクセス数を得ることは難しいと
判断した.そこで,市民記者の記事と合わせてページビュー拡大にシナジー効果の期待できるコ
ンテンツを編集部の方で提供しようとした.07 年に入ってから様々なイベントでのライブ中継
を行う「オーマイTV」を立ち上げた.そして同年 4 月の東京都知事選挙のさいは,石原慎太
郎,浅野史郎両候補の事務所とオーマイニュース社内のスタジオをインターネットのライブ映像
で結んで中継する選挙特番を流し,NHK や民放各局とはちがった市民メディア独自の切り口か
ら選挙報道を行うことでインターネット放送の新たな可能性を示そうとした.しかし「オーマイ
ニュース」ではこうしたコンテンツを立ち上げ,トータルでインターネット新聞事業の採算性確
保に向けて動き出そうとした矢先に事業採算化の見通しが極めて困難であるという親会社のソ
フトバンク側の判断で初期投資した運転資金が残っている間に事業転換して経営再建をめざす
ことになり,2 周年を迎える 08 年 8 月末,これまでの市民記者によるインターネット新聞とい
う看板を下ろすことになった.
この事例から考えられることは,どれだけ魅力的なコンテンツを作り上げ,経営再建に努力し
ようとしても運営資金を親会社に頺っている限りそのコンテンツの善し悪しに関わらず運営を
継続していくことができない.よって親会社に頺らない独立性が必要である.
2-2. 日本での市民記者の先駆け「JanJan」
オーマイニュースが設立されるよりも 3 年前に創刊されたインターネット新聞 JanJan は日本
における市民記者の制度を採用したインターネット新聞のさきがけともいえるオルタナティブ
メディアである.JanJan は朝日新聞社編集委員から鎌倉市市長になった竹内謙が 2001 年に韓
国の Oh my News の取材を受けたことでその存在を知り,市町退任後の 02 年 7 月に富士ソフ
iii
以下,韓国版を Oh my News 日本版をオーマイニュースと表記する.
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ト ABC の出資を得て日本インターネット新聞社を設立し,日本初の市民記者によるインターネ
ット新聞として 03 年 2 月に創刊したものである.
先行する Oh my News を参考にしたが韓国と日本では政治情勢や既存のマスメディアとの信
頺度等がまったく異なるため,韓国の成功事例をそのまま移植することができず,人材の確保,
組織体制の確立,サイトの編集等について,まったくの手探り状態からスタートした.ただし,
設立当初から NPO 型企業を目指すという方針はきまっており,そのため編集部から独立した編
集委員会を設ける形をとった.そして創刊に先立って 02 年 9 月末から週 1 回,創刊準備号を発
刊するとともに,スタッフとつながりのあった多くの NPO 関係者に対して市民記者登録の呼び
掛けが行われた.JanJan では,サイトで市民記者を公募し,忚募した市民は,JanJan の市民
記者コードを遵守する契約を結んで市民記者登録をした後,日常生活の中で多くの人に伝えたい
と思ったニュースを投稿できる.内容は身近な地域ニュースに限らず生活者からの視点で政治や
経済に関するニュースもある.編集部では,市民から送られてきた記事を,ニュース的価値など
から判断し,取捨選択をし,編集しサイトに掲載するという形になっている.
創刊 1 年後に第一回の市民記者交流会を行う頃には,アクセス数も徐々に増え,市民記者の
撮った写真をマスメディアにレンタルする「JAN フォト」
,出版社から提供された本を市民記者
にプレゼンし書評を書いてもらう「今週の本棚」といったサービスもスタートした.
韓国ではオーマイニュースが盧武絃が当選した 02 年の大統領選をピークに徐々にアクセス数
をへらしており,05 年に入るとその落ち込みが顕著になった.同様に 3 年目を迎えた JanJan
も,当初の期待よりもアクセス数,市民記者数ともに伸び悩む.特に創刊当初に想定していた
NPO 関係者による JanJan を活用した情報発信者が,多くの NPO では本来の活動に追われて
なかなかその余力がなく,市民記者による記事の形で上がってこなかった.また尐なからぬ数の
市民記者登録した人が,1 度記事を書いただけで終わってしまい,その後も継続して投稿する市
民記者は多くなかった.
こうした中で JanJan では,サイト全体のアクセス数を増やすとともに,市民記者が継続して
記事を書くことをサポートするための仕組みづくりが必要になってきた.そのためまず読者が
JanJan のニュースと併せて閲覧することができ,また市民記者が記事を書くのに役立つサイト
のリンク集が作成され,さらにその延長でデータベース型のコンテンツが構想された.
もともと JanJan では市民記者によるニュースサイトとは別に,市民が利用できる選挙データ
ベースを立ち上げたいという希望があった.そのため創刊 9 ヶ月後の 03 年 11 月に行われた衆
院選のさいに「選挙が面白くなる!2003 総選挙全情報」という特集が組まれた.この特集ペー
ジにアクセスが集中し,これが国政のみならず,全国の自治体の選挙と政治家を網羅するデータ
ベースである「ザ・選挙」のサイト企画につながる.iv
このように JanJan は初期の事業が一段落したあとの第 2 ステップとして市民記者によるニュ
ース配信に軸足を置きつつも,もうひとつ新たにそれと関連した編集部为導のコンテンツを立ち
上げようとした.ただ「ザ・選挙」のように絶えず情報の更新が必要なデータベースの場合,全
iv
JANJAN 歴史 http://www.janjannews.jp/archives/extra/janjan_toha.html を参照
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国各地の政治家がある意味で「市民記者」として自ら発信しないかぎりは,編集部の方で取材し
てその作業を行わなければならない.それにはかなりの経営資源と人員を割かなければならず,
開設当初は更新が滞りがちだった.
2003 年 2 月に創刊された JanJan が創刊 7 年目を迎え,06 年 8 月に創刊された「オーマイニ
ュース」が 2 年で閉鎖となってしまった.その背景として,
「JanJan」を運営する日本インター
ネット新聞社では NPO 型企業を目指して組織運営に必要なコストを抑えるとともに,設立時に
親会社である富士ソフトとのと絵里期目で,当初数年間を富士ソフトからのページビューに忚じ
た広告出稿で運営する实験期間として位置づけ,その間にメディアとして一定の影響力を持つ規
模にまで成長させて,新たな事業収益の確保にヒツヨウナビジネスモデルを模索する方針でスタ
ートしたことが挙げられる.これに対して「オーマイニュース」では 09 年 3 月期の黒字を前提
とした事業計画にもとづいてソフトバンクは出資しており,それが達成される見通しがほとんど
なくなった時点で,運転資金が底をつく前に事業転換による経営再建が図られた.
2-3. 模索されるビジネスモデル
「JanJan」も「オーマイニュース」も,これまでの運営に投じられた金額は大きな違いはな
い.ただ「JanJan」では NGO 関係者が多くメンバーに加わり,また「韓国モデルは日本では
成功しない」という認識のもと,給与体系からオフィスのスペースにいたるまで余分なコストを
切り詰めてスリム化し,NPO 型の企業運営をめざしたため,尐なくとも当初 5 年間は息切れせ
ずに持った.一方「オーマイニュース」では経済団体出身者や既存のマスメディアの現場出身者
を多くメンバーに加え,マスメディアを利用して積極的に PR して一気に事業を拡大することに
よって,短期間で黒字化を目指す戦略を採り,最初から大所帯のスタッフで多額の費用を投入し
てサイトを立ち上げたものの,創刊時のブームだけで,それからのアクセス数が急速に落ち込ん
だことが大きな痛手となった.また創刊初期を除くと,スタッフが退社することが尐なかった
「JanJan」と比べて「オーマイニュース」ではスタッフの出入りが激しかった.このために組
織としての経験が蓄積されずに様々な取り組みをスタートさせても有効に機能せず,社員間の理
念の共有もできていなかったのではないかと予想できる.
しかし「JanJan」にしても広告代理店を間に入れず,株为との直取引で値引きなしの正価で
広告出稿してもらい,社内に広告営業担当者がいないという破格の条件で経営が成り立っている.
通常の商業サイトのように広告担当者を抱え代理店との取引で運営するなら現在よりさらに多
くのアクセス数が必要である.それが難しい場合,有料サービス,通販,システムやコンテンツ
の外販等により,広告だけでは足りない収入の部分を補う必要がある.だがこれが实現していな
いため,スポンサーとの関係なしにビジネスモデルが成立せずに「オーマイニュース」のように
スポンサー側の判断で事業が終了してしまうこともありえるため「JanJan」も決して安泰とは
言えない状態であるといえる.そのため特定のスポンサー関係に依存しない独立採算のビジネス
モデルが模索されており「JanJan」の「ザ・選挙」のような編集部为導のコンテンツは,そう
した中でアクセス数を稼ぐコンテンツという期待のもとに立ち上げられた.私はこの「ザ・選挙」
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のようなデータベースは,広告ではなく本来有料課金のビジネスモデルを考えなければならない
コンテンツであると考える.ただ,現状において全国の地方選挙や地方議会の議員に関する情報
をまんべんなく網羅することは不可能で,完成されたデータベースとはいえないため,当分の間
は広告ベースでの収益確保を考えなければならないだろう.
この章ではわずか 2 年で閉鎖してしまった「オーマイニュース」と創刊から 7 年継続してニ
ュースを配信している「JanJan」を比較したがその大きな違いはオーマイニュースは企業とし
ての利益を優先したのに対して「JanJan」では市民が情報発信するための仕組み作りにこだわ
り NPO 型の企業を目指したことだろう.しかし「JanJan」も親会社の広告費によって経営を
成り立たせている限りオーマイニュースのような事態になってしまう可能性も考えられる.やは
り事業を安定して継続していくには広告費に頺らない経営が必要になるだろう.
3 安定して事業を継続するために
3-1. 有料課金制で成功したマイニュースジャパン
この章では広告費をとらずに有料課金制で黒字経営を達成しているオルタナティブメディア,
「マイニュースジャパン」を取り上げながらその成功の要因を考察するとともにインターネット
新聞の分類を行う.
マイニュースジャパンも市民記者制度を採用したインターネット新聞である.02 年からベー
タ版として運営されてきたが 04 年に法人化され正式に発足された.元日本経済新聞社記者の渡
邊正裕氏が代表を務めている.理念に「現場为義」vを掲げている.現場からのニュースを最も
重視し,あらゆるニュースの現場にいる人が既存のメディアとは異なる視点,組織や権力者では
なく個人や生活者の視点,で発信する情報こそが本当に伝えるべきニュースとしている.記者登
録には資格などは必要なく,誰でも記者登録ができる.また,記事を出稿するだけではなく情報
提供もできるようになっている.元日本経済新聞記者の渡邊正裕が代表を務めている.
マイニュースジャパンは広告費をいっさいとらずに有料会員制で運営しているのが最大の特
徴である.料金は 1 月 1980 円で会員数は 08 年に 1500 人を突破し現在も増え続けている.無
料で閲覧できる部分は記事の冒頭部分で全文の記事と資料を読むには有料会員登録が必要にな
る.内容は企業の内部告発的な内容が多く,労働者の視点から働くのに相忚しい企業を「生活」
「仕事」
「対価」の観点から 5 点満点で格付けした「企業ミシュラン」など企業に関する記事,
コンテンツが多い.
3-2. 広告費を取らないという強み
今まで一部の個人が発行する有料メールマガジンや,株,ギャンブル,などの分野ではすでに
WEB 上で有料課金モデルが成立していたが,一般的な社会問題を扱うニュースサイトで有料の
もなは無かった.それは大手のポータルサイトが「トピックス」としてマスコミから買ってきた
マイニュースジャパン組織説明 http://www.mynewsjapan.com/static/aboutus/n01.html を参
照
v
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ニュースを無料で掲載することで「インターネット上のニュースは無料」という文化ができてし
まい読者もその文化に慣れてしまったからだ.そんな逆風のなかで広告費 0 を实現したのは驚
くべきことである.これを实現できたのは,広告費を取らないことで生まれた強みである,
・ ほかの企業との利害関係がないため,良い点,悪い点を公平に書ける.
・ 既存のマスコミの問題も書ける.
この 2 点を活かし,的を絞ることで事業として成功を収めているのだろう.
例えばある企業にとって都合の悪い情報をつかんだ場合,広告費で運営されているメディアな
ら「読者は知りたいと思っていても広告为はとりあげて欲しくない」という,2 種類の顧実によ
る利害が相反する事態が起こってしまう.しかし,広告をとらないこと徹底的に読者に向けたニ
ュースが掲載できるようになる.
ただ,このビジネスモデルは高い専門性が必要なため卖純に流用するのは難しいだろう.
ニュースは無料という文化が根底にありそこから有料会員を獲得するには,他のメディアでは読
めない記事がどれだけ掲載できるかがポイントになる.「マイニュースジャパン」はそれを企業
の暗部に切り込むことで实現させが,それは代表である渡邊氏の新聞記者の経験だけでなく企業
コンサルタントの経歴と,それらによってできた人脈が必要不可欠であろう.
3-3. 独立性と専門性による分類
「オーマイニュース」,「JanJan」,「マイニュースジャパン」についての分析をおこなったが
1-1 で述べた独立性,専門性の 2 点から分類する.ここでいう独立性,専門性とは
・ 企業としての独立性が高いか(広告費などで他企業に依存していないか)
・ 組織スタッフの専門性が高いか
の二点とする.
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高
マイニュースジャパン
オーマイニュース
独立性
高
低
JanJan
低
専門性
マイニュースジャパンは広告費を取らずに運営し高い独立性を保ちながら経営者の経歴を活か
した企業に関する記事に特化した専門性の高いメディアだといえる.しかしその領域にシフトす
るのは非常に困難である.JanJan は NPO 型の企業のためであるとともにスタッフにも多くの
NPO 経験者が携わっており高い専門性があるとはいいにくく親会社である富士ソフトの一種の
社会財献活動ともとれる.よってマイニュースジャパンの領域にシフトするのは非常に難しいだ
ろう.しかし JanJan は市民記者のコミュニティを重視しており,市民記者数も多いためオーマ
イニュースのように急に終了することはないだろう.データベース型のコンテンツも完成しつつ
あるため,これからの可能性に期待したい.
おわりに
この論文でオルタナティブメディアである市民記者制度を採用しているインターネット新聞
に注目しその継続性に絞って分析を行ったが安定して事業を継続させるのは非常に難しい.個人
のブログやツイッターが流行している現在において「市民記者」という存在が疑問視される声も
ある.しかし私はブログやツイッターはその匿名性や私性から社会運動の担い手として信頺を得
ることが難しいと考える.市民記者多くを抱える企業が社会的に十分に信頺を得て一人一人の声
を多くの人に届けることが可能になるように願っている.
文献
松本恭幸,2009,『市民メディアの挑戦』リベルタ出版
ミッチ・ウォルツ,神保哲生訳,2008,『オルタナティブメディア』大月出版
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渡邊正裕,2008,『やりがいのある仕事を市場原理の中で实現する!』光文社
吉見俊哉,2004,『メディア文化論』有斐閣アルマ
JanJan ニュース,http://www.janjannews.jp/
マイニュースジャパン,http://www.mynewsjapan.com/
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若者にとって音楽を利用できる環境とは
渡邊義之
はじめに
今,若者によるインターネット上での違法ダウンロードが頹繁に行われている.为な対象は音
楽が多いのだが,テレビ番組や書籍も最近では対象となりつつある.これらの違法ダウンロード
問題は現行の著作権法では違法とは明記されていない.しかし,2010 年 1 月に行われた著作権
法の改正により,インターネット上にアップロードされている違法な著作物のダウンロードを行
うと違法の対象になることが明記されることになる.实際多くの若者がこのようなダウンロード
に手を染める背景として,
「金が無い」
,「便利」という理由があげられるのではないだろうか.
メディアが多様化してしまった今の時代に様々なメディアに金をかけることができないのが若
者の心情ではないかと筆者は考える.しかし,だからといってダウンロードしてもよいというわ
けではない.
若者にとっての著作物を利用する環境はどのようなものがいいのか.違法なダウンロードに頺
らない,かつ若者が気軽に利用できる環境について考えていきたい.
1 違法ダウンロード
1-1. 若者による違法ダウンロード
違法ダウンロードは若者が頹繁に行っている.違法ダウンロードは为にファイル交換ソフトに
よるダウンロードである.ファイル交換ソフトとは,個人が所有しているデジタルファイルをイ
ンターネットを通じて自由に交換できるソフトウェアのことである.ブロードバンドの発達とと
もにユーザーを増やし,全世界で数千万人規模のユーザーがいると言われている.起源が音楽好
きの大学生を対象に作ったソフトウェアであるだけに,若者でも利用している者が多い.筆者が
中学生だった時にすでに友人が利用していたので,筆者たちの身の周りには 6 年以上前から普
及していたものとなっている.
1-2. ネット上での著作物のダウンロードの違法性
今までの著作権法では違法対象は権利者に無許諾で音楽,動画をアップロードすることであっ
た.これは送信可能化権iの侵害である.ただし,不正にアップロードされた著作物のダウンロ
ードについての規定はない.著作物それ自体の出自などは問わないため,公開の形態が合法か違
法かを問わず,筆者的利用であればダウンロードは合法である.つまり,怪しげなサイトで明ら
(著作権法 96 条の 2) 自分が録音した原盤やその原盤から複製した音楽 CD などに収録されている音源(レコード)
を他人が許可なくインターネットなどにアップロードする(送信可能な状態にする)ことを止めることができる権利である.
(http://www.riaj.or.jp/copyright/what_2/)
i
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かに無許諾で公開されている映画や音楽をダウンロードしても,個人的に楽しむ分には罪に問わ
れることはなかったのである.しかし,ネット社会の進展とともにユーザーによる違法な流通が
増え続け,正規のコンテンツビジネスの育成を妨げる規模に増大してしまったのである.日本レ
コード協会の調査によると,携帯電話向けの違法サイトからダウンロードされた推計数は過去 3
年間,右肩上がりで増え続けている.平成 20 年には,正規配信を上回る 4 億 700 万曲にまで増
えたとみられている.
1-3. 違法ダウンロードの背景
では,若者はなぜ違法なダウンロードをするのだろうか.それは,卖純に言ってしまえば楽に
音楽ファイルが入手できるからである.かつて,WinMX というファイル共有ソフトが普及した
が,それは,音楽だけでなく,アニメ,映画,PC ゲームなど,さまざまなものをダウンロード
でいていた.つまり,パソコンの画面を見ているだけでデジタルな著作物は,入手できるのであ
る.いくら違法だとわかっていても,人は「無料」の 2 文字には勝てないのだと筆者は考える.
無料で店頭に並んでいる同じクオリティのものが入手できるのなら,誰でもそれに飛びつくはず
だ.CD 代を払うのは,お金のない若者にとって厳しいものがある.ましてや,幅広い音楽のジ
ャンルを一つ一つ試してみるのに,いちいちお金などかけられない.そういったニーズがダウン
ロードをしているのではないかとも考えられる.
また,WinMX のように,ファイルをどんどん交換していくことを楽しみにしているものもい
る.WinMX を使っていたユーザーで,WinMX を快適に使うための整備費用として莫大な費用
を投資した人がいたという事例もある.实際にダウンロードしないで实物を購入することができ
るくらいの金額であるii.しかし,それほどにまで,ファイル共有ソフトにのめりこんでしまう
人間がいることも現实なのである.
2 著作権を考える団体と改正著作権法
2-1. インターネットユーザー協会(MIAU)
インターネットユーザー協会(以後 MIAU と表記する)は未だ組織化されていない「情報技術
を忚用することで,現在よりも自由で幸福な社会をつくることができる」と考える人たちの声を
まとめ,古い法や制度に依拠する人たちに,新しい自由がもたらす利益と幸福について説明する
ための組織である.現在の社会体制において,情報技術の知識と法や制度に関する知識を総合し
て,次の時代のあるべき姿を考え,社会に訴えている.ネットワーク利用者が直面しているさま
ざまな問題について,現实の社会で力をもつ人々にも理解できるように,調査し整理し報告しよ
うと思う.ネットワーク利用者が,政府や産業界や官僚に訴えたいと考えていることを,代弁し
ている.最近では鳩山内閣鵜閣僚による著作権保護期間延長に対して反対を表明している.
今までインターネット上の問題に対して,著作権利者を守る団体は存在したが,ユーザーの立
津田(2003)P.141 WinMX のユーザーのある若者の 1 人が,通信費,パソコン代,容量増設
のためのハードディスク購入などを含めて半年で 100 万円近く使った.
ii
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場に立って考える団体は存在しなかった.しかし,MIAU では,制限,抑圧されたネットワー
クでの自由を回復させ,新しい自由を見出そうとしている.筆者は MIAU の考えにある程度賛
成できる.なぜなら,著作権の問題は大抵ユーザー側が起こす著作権侵害として考えられている.
団体も「著作者の権利を守ろう」というものばかりである.MIAU はユーザーがネットワーク
をよりよく利用できるために活動している.勿論 MIAU の行動が全て正しいわけではないと筆
者は考える.ただ,著作者のことしか守らない団体だけではないことを知っておくこと必要であ
る.そして,その団体が,筆者たちのネットワーク利用について代弁していることも知っておか
なければならない.
2-2. 改正された著作権法の影響
著作権法が改正されることにより,これまで法律では明記されていなかったインターネット上
で不正人アップロードされた著作物のダウンロードが違法になるiii.以前までは著作権法 30 条
「私的使用による複製」の範囲内として,個人的に利用するのは法律的には認められていた.違
法対象だったのはネット上にアップロードする行為のみであった.しかし,今回の法律改正によ
り,ダウンロードする行為も違法の対象になった.違法になったわけだが,实際は刑事罰が無い
ので,今まで通りにダウンロードしたとしても逮捕されることはないのである.民事訴訟を受け
ることもあるが实際に訴訟されることは尐ないのではないのだろうか.
また,今回の改正には「情を知って」という規定が盛り込まれている.これは事情をわかって
いてダウンロードすることが違法ということであり,事情を知らない場合のダウンロードは違法
にならないということである.例えば,You Tube などで動画を視聴するときに,すでにストリ
ーミング形式でダウンロードされている.このような場合は,違法にはならない.ただ,You Tube
の動画を別のツールでパソコンにデータとして残るダウンロードは違法である.だが,逮捕はさ
れない.さらに,法改正を利用した悪質な業者につけこまれ,架空請求の原因に利用される可能
性と,他の分野に適用が広がり,ネットの使い方がまるで変わってしまう可能性があるiv.
2-3. 問題点
著作権法の改正により,ダウンロードの違法化が法律で可決された.これにより,インターネ
ット上でアップロードされている違法な著作物をダウンロードすることが違法となる.しかし,
問題点もある.
まず,たとえ違法になったとしても,犯人を特定することができない.これはインターネット
の特性なのではないだろうか.違法な著作物をアップロードすることができる Web サイトを 1
iiiMIAU
は「業界団体は尐ないサンプルをもとに,自分たちの権益を守ろうとしている」と批判
した上で,
「あいまいな規定で罰則もなく,効果に疑問.新たなコンテンツやビジネスの育成を
萎縮させるだけだ」と指摘し,改正に反対していた.
(http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1001/05/news018.html)
iv津田大介は,今回の改正がそうした大きな社会不安をもたらすきっかけになることは疑いがな
く,大局的な視点で見れば無関係と言い切るのもおかしいのではないかと指摘している
(http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0710/05/news066_3.html)
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つ作成するだけで,世界中の誰でもがいつでもどこでも行うことができる.もっとも,Web サ
イトを作成した人物は特定できるかもしれない.現にファイル交換ソフトの作成者が逮捕された
事例もある.だが,利用者を 1 人ずつ特定するには膨大な時間がかかる.特定している時間に
さえ,さらに利用者が増えていく可能性もある.
次に,たとえ違法なダウンロードを行ったとしても,果たして,それが違法なダウンロードフ
ァイルと特定できるだろうか.筆者はできないと考える.それは,ダウンロードしたファイルは
CD からパソコンにコピーしたファイルとほぼ同じ品質のものが多いからである.つまり,もし
仮に違法ダウンロードを見つけたとしても,ファイルを確認して本当に違法なものかどうかわか
らないということが起こるのである.ダウンロードしたとしても,削除してしまえば証拠が残ら
ない.これでは違法も合法もないのではないだろうか.
もう 1 つ重要な問題がある.先ほども述べたが,ダウンロードしたとしても刑事罰にならな
いのである.つまり逮捕されない.民事訴訟を起こすこともできるが,個人相手に著作者が訴訟
を起こすだろうか.おそらくは起こさないだろう.刑事罰がない以上,あまり効力を成すもので
はないのではないだろうか.
この著作権法の改正は規範的なものとして見られている意見があるv.今までは違法な音楽と
か着うたなどがネット上にありふれていて,それらをダウンロードすることは違法ではなく合法
であった.それを,今回の法改正によって「その行為は違法です.
」と呼びかけることができる
ようになる.ダウンロードしても逮捕はされないが,行為が「違法」ということがはっきりとな
るので,多尐のためらいが生じるのではないのだろうか.レコード業界は「違法なダウンロード
は違法です」といったようなキャンペーンをすることで,ダウンロードは減り,著作権の侵害も
減ると予測している.確かに,規範的に「ダウンロードはいけません」ということを知らせるに
は意義のあるものかもしれない.
3 違法ダウンロードに変わる手段・考え方
3-1. 有料音楽配信の可能性
現在,インターネット上では様々な有料ダウンロードサービスが提供されている.これらのサ
ービスは若者にとって有益なのであろうか.近い将来,CD が無くなり,音楽配信がメインの時
代が訪れるのだろうか.
データにお金を払うのは抵抗がある,と有料のダウンロードに抵抗のある人は筓える.これは
20 代の人の意見である.筆者は確かに納得できるところはある.CD を買うときは目に見えた
「モノ」として存在するが,配信ではあくまでも「データ」であり,手にとって見ることはでき
ないし,何より,CD というパッケージがあると安心するし,満足感もあるのかもしれない.し
津田は「違法着うたを落とすのは違法になりましたよ」という宠伝やキャンペーンが
うてることにより,日本人は真面目だから,違法になったんだよとキャンペーンされた
り教育の現場とかで言っていけば,それなりにモラルのある大衆の人たちはある程度避
けるようになるだろうと考えている.实際に,アメリカは違法ダウンロードで逮捕が可
能である.
v
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かし,音楽配信は悪い面しか持ち合わせているわけではない.人によっては携帯プレーヤーでし
か聴かないし,アルバムは好きではない曲も入っていて値段も高いので,好きな曲だけをダウン
ロードして聞くという意見もあるvi.音楽ファンの間では,携帯電話や携帯音楽プレーヤーによ
る「音楽のモバイル化」は,ライフスタイルの 1 つとして定着している.そういった面では音
楽配信は評価できる.しかし,音楽は個人的趣向が強いコンテンツであるため,誰にとっても共
通で社会生活に必要不可欠なサービスとは言えない.つまり,筆者には現段階での有料音楽配信
では違法ダウンロードには敵わないのではないかと考える.なぜなら,お金を払うかどうかなだ
けであり,ダウンロードしたものの質が,ほとんど同じだからである.これではお金がかからな
い方に人が動いてしまっても仕方ないのではないか.また,たとえ違法でも,刑事罰にならない
からである.正直,刑事罰にならないのに,違法なダウンロードと呼べるのか.今回の法改正に
より改正前と何ら変わりがない場合,「ダウンロード違法化」と法律で明記しても一時的には抑
制されるかもしれないが,結局何も変わらないのではないだろうか.筆者は変わらないと考える.
やはり,刑事罰にならないのに「違法です」と言われていても,説得力に欠けているからである.
メディア CD の高すぎる国内販売価格設定や版権使用独占,音楽を商品として扱う姿勢そのもの
が,新しい音楽配信サービスを提供しようとする企業との亀裂の要因として問題となっている.
ファイル共有の非合法化の動きも,商品としての音楽の権利を 1 時的には擁護する結果になる
が,国境を越えた共通の理念や法整備が進まない限り,P2P を利用した音楽コンテンツの拡散
を止めることは難しい.世界規模で音楽配信サービスが普及するためには,ユーザーの価値観を
最優先したサービスでなければならない.
3-2. フェアユースの導入案
改正前の著作権法でダウンロードが違法と明記されていなかったのは,30 条の「私的使
用のための複製」という考えがあったからである.ダウンロードの違法化というのは,音楽
業界による筆者的使用として認められていたダウンロード行為も違法にして正規ビジネス
を阻害するコンテンツをもっと減らしたいという狙いがあったのである.つまり,著作権と
は著作者の権利を守る,とは言っているが,結局は著作権を守らなければビジネスが成り立
たないのだから,今まで以上に規制を強化して,正規の有料の CD なりダウンロードサービ
スなどを利用してほしい.そしてそれが著作者の権利を守ることにつながるのだ,というよ
うに筆者は考えてしまう.勿論,この考えが間違っているわけではない.著作者の作品に正
当な対価をつけ,それにより利益を得るのだから.しかし,今まで無料でかつ法律でも違法
といわれていなかったものを「これからは違法となりますので止めてください」と言われた
だけで,納得できるだろうか.納得できないだろう.著作権侵害を防ぎながらコンテンツ流
通を促進させ,経済や文化を発展させるには筆者は米国で取り入れられているフェアユース
の考え方が必然となってくるのではないかと考える.フェアユースは,米国著作権法などで
認められた著作権侵害訴訟での抗弁の一つで,これを立証できれば,ユーザは,著作権者の
vi
落合(2008)
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許諾を求めたり,ロイヤルティを支払うなどの義務を一切貟わずに,その利用を継続するこ
とができるものである.
しかし,フェアユースは,何がフェアユースにあたるかを予め限定することはできないも
のといえる.米国の判例でもフェアユースは「事实上定義を拒むほどに柔軟」といわれてい
る.このことと関連して,フェアユースは,事前に限界を明確にはできないが,具体的事例
とそれをとりまく利害状況を十分に調査し,なにがフェアーかを裁判官が判断できるように
する制度で,司法(裁判所)を信頺する制度だといえるのではないか.このような,限界が
あいまい柔軟な著作権の制限の原則は,アメリカだけでなく,多くの国で取り入れられてい
る.ドイツの一般的な自由利用を定めた規定なども,このうちに入る. フェアユースは,
現在多くの関係者からも寄せられている意見である.インターネットユーザーの間でもフェ
アユースを導入すべきという声が上がってるが,法体系が異なる米国のフェアユースをその
まま導入すべきでないとの意見もある.いずれにせよ,近い将来日本版のフェアユースが導
入されることは間違いないだろう.
3-3. 何が大切なのか
私的使用はこれからの時代に必要な概念になってくるのではないかと考える.それは,このデ
ジタル化の技術が異常なまでに発展した時代において,ファイル共有ソフトを活用した違法ダウ
ンロードが無くなることはおそらくあり得ないからである.今までもナップスター,WinMX な
どは取り締まられてきた.しかし,取り締まられるたびに再び新しい違法ダウンロードのツール
が作成され,広まり,無くなることがなかった.そして,これからの時代もそれは続いていくこ
とは間違いない.どんなに整備された環境であっても,それを崩すような存在が現れてしまうの
である.ならば,違法ダウンロードをしなくてもよい,新たな私的使用の基盤を作ることが必要
なのではないのだろうか.勿論,著作権法を改正して規制を厳しくすることも必要である.しか
し,ただ規制を厳しいものにするだけでは文化はやはり 1 部のお金のある人にしか受け入れら
れないものになってしまうのではないのだろうか.文化は誰にでも享受できるものである.だか
らこそ,私的利用なのである.著作物のすべてとは言わない,1 部でも合法的に公開することが
必要なのではないのだろうか.1 部公開でいいものだと思ったら購入すればいい.勿論違法ダウ
ンロードではなく.大切なのは,より多くの人に様々な文化を知らせることなのではないのか.
音楽について例を挙げると,2007 年,イギリスの有名バンドの RADIOHEAD(レディオヘッド)
がアルバム『IN
RAINBOWS』をパソコンによるダウンロードでリリースすることを発表した.
これだけでは何ら普通のことだが,驚くのは価格である.価格はリスナーが自由に決めていいと
いうものである.筆者はこれは画期的なことではないかと考える.決まった価格ではなく,リス
ナーが自由に価格を決められるのだから.实際にダウンロードしたリスナーの約 60%はお金を
払わなかったと言われている.だが,それでもいいのかもしれない.先ほども述べたが,文化は
誰にでも享受できるものなのである.お金によって左右されるものではない.实際はお金に左右
される時代になってしまったが,本来はそういったものではなかったはずだ.日本でもレディオ
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ヘッドに似たようなことを過去にしていた.80 年代後半~90 年代初頭に活躍した
「クレヨン社」
とアーティストがいるのだが,彼らは,既に廃盤になっているアルバムを,聞けない人への救済
措置としてサイト上で配信しようとした.アルバムの原版権は以前所属していた事務所が所有し
ていたが,そこからは配信する許諾をもらえたそうであった.しかし,JASRAC の規定viiが理
由で,この「廃盤アルバム配信計画」は諦めざるを得なくなってしまった.
確かに法制度などの基盤の整備も大切なのだが,1 番大事なのは,音楽を,著作物を,どのよ
うなものとして扱うかという考え方なのではないのだろうか.広い見方をすると,何が大切なの
か?ということである.著作権を強化することで,違法なダウンロードなど,著作権の侵害は防
ぐことができるかもしれない.だが,規制だけでは文化のさらなる発展を望めるだろうか.厳し
いだろう.だからといって何でもかんでもダウンロードをすればいいというものではない.文化
としての音楽,産業としての音楽.音楽には 2 つの側面がある.どちらの側面もおろそかにし
てはいけないものである.これから著作権法が改正され,産業的な面での規制が加わるわけだが,
文化的な面でも今後,さらに議論を進めていく必要があるのではないだろうか.
おわりに
若者がよく利用する違法ダウンロードであるが,著作権法の改正により,法律ではこれまで明
記されていなかったダウンロードの違法化が盛り込まれた.これにより果たして若者の違法ダウ
ンロードが無くなり,新しい環境が整備されるのかについて考えてきたが,整備されるのはまだ
先の話ではないかと思う.それは,著作物を産業的な面でしか見ていない現状に問題があるので
はないだろうか.よく著作権侵害,と言われているが,1 番困っているのは著作者ではなく,著
作隣接権者である.レコード会社であるからだ.实際に音楽を製作している著作者には「コピー
でも何でもいいから自分が作ったものがより多くの人の手に渡ってほしい」と考えている人もい
るわけで,全ての人が,著作権侵害と言っているわけではないのである.法律の改正が悪いわけ
ではない.しかし,实際に,音楽などの著作物をどういうものとして扱うかを議論しなくてはな
らないのではないかと思う.産業的な面で考えるならば,ダウンロードはいけないと考えられる
が,人々に伝わっていく文化的な面として考えるならば,より多くの人に利用してもらうことが
必要である.今年から改正となった著作権法の影響がどのようになるものか,注目していきたい.
文献
福井健策,2005,著作権とは何か―文化と創造のゆくえ,集英社新書
津田大介,2004,だれが「音楽」を殺すのか?,翔泳社
津田大介(編著),2003,だから WinMX はやめられない,インプレス
津田(2004)P.305 JASRAC の規定では,楽曲の権利を持っている者が「視聴」目的で配信す
る場合,45 秒以上配信すると使用量が発生し,JASRAC に料金を支払う義務が生じる.その結
果,原盤権を持たないクレヨン社がサイト上で廃盤をフルに配信する行為は,
「自己使用」や「視
聴扱い」とはみなされず商用配信扱いになり,高額な使用量を JASRAC に払わなければ配信で
きなかったのであった.
vii
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落合真司,2008,音楽業界で起こっていること,青弓社
森沢幸博,2007,アジア地域における定額制音楽配信サービス
ユーティリティモデルによる
コンテンツ配信,
(http://nels.nii.ac.jp/els/110006820606.pdf?id=ART0008761766&type=pdf&lang=jp
&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1263383153&cp)
MIAU(http://miau.jp/1192633202.phtml)
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未来に文化を紡ぐ
―子どもへの芸術・文化活動支援の可能性―
黒岩 咲貴
はじめに
子どもへの芸術・文化活動支援とは,卖に子どもに芸術・文化活動の機会を与えて,音楽や絵画,
伝統芸能や鑑賞活動をさせ,指導していくことではない.
芸術や文化的な営みに触れることによって,子どもがその機会を持ちえたことに対し満足感を
感じられるような働きかけを行うことこそが,重要である.その過程の中で,子どもが自信や自尊
心を形成し,成長できるような働きかけを意図的に行うことが,その要ではないだろうか.子ども
への働きかけは,地域の文化的な水準を高める上で欠かせないものである.しかし,そういった支
援が,全ての子どものために行われてはいない現状を危惧し,本稿を進めたい.
まず,地域の文化水準を高める上で,なぜ子どもへの支援が重要であるか.子どもが芸術・文化活
動に参加していくことの意義を.データを用いて検証し.その上で.より支援を必要としている子
どもは誰なのか.現状で機能していない支援体制をいかに構築すべきか.考えていきたい.
1 芸術・文化活動支援の意義
1-1. 芸術・文化活動の効果
まず.ここでは.米国で行われた.芸術・文化活動に参加している子ども・参加していない子ども
の学習傾向・成績推移に着目した調査, Champions of Change: The Impact of the Arts on
Learning (EDWARD.B.FISKE,ed,1999)を取り上げる.
この研究は.芸術・文化活動に参加している子どもの学習意欲・成績について,芸術・文化活動
に参加していない子どもと比べ,所得に関わらず向上していることを数値化して分析したデータ
である.芸術・文化活動の効果として,子どもへ与える影響をデータ化するのは非常に難しいこと
であるが,このように,成績の分布・推移を総合してひとつの指標とみることは,本稿を進めるうえ
で,数尐ない数値的な切り口になる.この研究において着目したいのは.家庭の経済状況に左右さ
れやすいとされている子どもの成績が,芸術・文化活動への参加によって,引き上げられていると
いう事实である.
子どもの成績が,一定の水準を保って高くある要因は何か.芸術・文化活動に参加するうえで,
何が子どもの向上心を引き出し,勉強へ向かわせるのか.なぜ子どもが学習に対して成果を収め
る行動ベクトルを持ちえたのか,考えられる要因は様々である.
一見,糸口の見えないテーマのようであるが,本稿の目的のひとつとして,その一因となるもの
をはっきりと示すことに臨みたい.次節に《芸術・文化活動への参加による,子どもの自信・自尊
心の形成》について述べ,芸術・文化活動がいかにして子どもの成長に関与しうるのかを検証す
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る.
1-2. 子どもへの芸術・文化活動支援の意義(表現活動による,自信・自尊心の形成)
芸術・文化活動によって,子ども自身が生きる環境を「なんとか変えようとする」きっかけを
掴むことは,その子どもにとって大きな変化である.そして,その変化こそが,子どもの成長してい
くベクトルに大きな影響を与えているのではないか.ここでは,前節を踏まえ,子どもへの芸術・文
化活動支援を行う意義について,抽象的に見えるその成果を,カルカッタ(インド)での事例をも
とに,具体的に洗い出していきたい.
映画 『BORN INTO BLOTHELS
邦題:未来を映した子供たち』(2004 米)
米国の写真家,ザナ・ブリスキが,インドの赤線地帯(売春窟)の子どもにカメラを持たせて写真
教审を行った映像記録.ザナが,彼らの日常をファインダーを通して表現させるうちに,子どもた
ちは,殺伐とした日常を目に映すだけでなく,新しい視野,それまで考えられなかったような,未来
や夢《仕事に追われず勉強をすること》を描き始めた.
写真の展示や販売を通じて基金が募り,身元の不鮮明な赤線地帯の子どもたちには困難な入学
手続きもザナによってクリアされ,子どもたちはフューチャー・ホープ負団の寄宿舎学校に通う
ことができるようになる.最終的には,赤線地帯に逆戻りして止む無く実を取るようになった子
ども,結婚して田舎へ移り住んだ子どももいれば,アムネスティーの支援によって,大学に進学し
勉強に励んだ子どももいた.
この事例では,子どもたちが,写真という表現活動によって日常を切りとることで,新しい視点
を得たことが,生活を変える大きなきっかけ・目覚めとなった.しかし,更に重要な子どもたちの変
化は,表現活動によって,子ども自身の感性が多くの人々に認められ,写真を通して,子どもたちの
自信・自尊心が形成されたことにある.売春窟からでは,近くの学校に通うことさえできなかった
現状,そこから脱し,自身の生きる環境を変える原動力になったのが,写真による表現を通じてよ
うやく培われた,自尊心の芽生えではないだろうか.そして,進学を实現に導いたのは,子どもたち
が得られた自信,すなわち,子どもたちの表現が認められ,初めて新しい世界が見えてきた喜びに
よって得られた自信であると,未来を映した子どもたちから感じたのである.
芸術・文化活動による成果として,自信・自尊心の形成があげられることは,この事例に限った
ことではない.こういったことこそ,私たちが,子どもへの芸術・文化活動支援をするうえで,特に
重視しなければならないことである.芸術・文化活動による自信・自尊心の形成が,子どもの成長
に,向上の志向を生み出す.このことは,芸術・文化活動支援の意義のひとつであるといえよう.そ
の後,ザナは「kids and cameras」という NPO を設立し,展示会や写真の販売で,スラム街の子ど
もたちの窮状を訴えると同時に,寄付を募り,その基金を元に,カメラを通じて,子どもの自信や自
尊心を形成できるような支援活動を続けている.
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アムネスティー・インターナショナルのカレンダーに起用された写真
1-3. 芸術・文化活動支援を必要としている子どもはどこにいるのか
前節で述べた,芸術・文化活動によって自信・自尊心の形成がなされることから,子どもへの芸
術・文化活動支援は,子どもの未来を切り拓く力,あるいは向学心と,子どもが闇に閉ざされた世界
から脱しようとする力にもなりうることが言えるのではないだろうか.このことから,安心して
生活できる場所がなく,自信や自尊心を傷つけられながら生きてこなければならなかった環境に
あった子どもに対し,自身の拠り所を見つけ,元気に生活できるような支援を,芸術・文化活動支援
の視点から,展開していく可能性を見いだせるのではないだろうか.このような取り組みも,芸
術・文化活動支援の使命であることを,より広く理解を進めるために,次章に引き継ぐ.
2 児童福祉現場における芸術・文化活動支援の必要性
2-1. 児童福祉における,芸術・文化活動支援の意義(個別支援計画・アセスメント作成)
ここからは,芸術・文化活動支援を盛り込んだ,児童福祉現場での取り組みの必要性を述べたい.
子どもが児童福祉の処遇や措置を受ける際には,個別支援計画や,施設利用の際のアセスメン
トを作成する.これは,子どもが今後,より健やかに育まれ,自立していくための目標を設定するも
のであり,短・中・長期的に作成されるものであり,その子どもにとってのニードを見極めるもの
である.
この個別支援計画を作成する際に,芸術・文化活動を取り込んだ支援を盛り込むことで,表現活
動に興味を持っている子ども,表現活動によって社会化が図れる子どもに対し,効果的な働きか
けが期待できる.また,この支援は,児童福祉現場に限った活動ではなく,表現活動の発信を行うこ
とで,地域社会での子どもの位置づけを意図的に作り出すことができ,孤立しやすい子どもを,無
理なく社会化させる一助となるのである.上記のように,個別支援計画の戦略として芸術・文化活
動支援を取り込んでいくのは,子どもの育成・社会化(ソーシャル・スキル・トレーニング)に
おいて大きな意味があるといえる.
2-2. 児童福祉における,芸術・文化活動支援の実態
前節では,児童福祉の支援方法として,芸術・文化活動を取り込んでいくことには,大きなメリッ
トがあることを述べた.だがしかし,实際には,個別支援計画に子どもへの芸術・文化活動支援が盛
り込まれることは,ほとんど皆無に等しい.
児童福祉の現場で子どもが関わる機関は,それぞれ専門性を持って類別され,児童が関係を持
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っていく機関は,为に次に挙げるものである.保護された児童が,今後の処遇を決定するまで措置
される児童相談所内の一時保護所や,措置決定が施設処遇になった場合に生活することになる児
童福祉施設・児童自立支援施設,DV などで母親と共に保護された子どもが一時的に生活する母
子支援施設などである.いずれも,施設全体の行事などによる多尐の芸術・文化活動は行われるも
のの,それに甘んじて,一人の子どもに対し,表現活動の支援をわざわざしようということにはな
りにくいのが現状である.
また,法制度においても,子どもの表現活動の機会の確保を定めた法制度も一切無く,すべてが
児童福祉法に基づく予算の中で切り盛りされる施設内の生活にあっては,法に記載されていない
活動を有機的に盛り込むのは,極めて困難である.
一時保護所で实際にどのような文化・芸術活動に関わる所外活動が行われているか,A 県の児
童相談所職員の方に取材する機会を得たところ,一時保護所の年間所外計画を資料として頂くこ
とが出来た.しかしながら,事例として具体的に挙げることは,子どもの保護の観点から難しいた
め概要に留めたい.
この一時保護所では,入所している子どもたちが植物園や動物園,博物館などを見学する旅行
を計画したり,近くの運動場でスポーツを行うなどの所外活動が計画されている.県内の文化・芸
術施設の利用は 10 回,近隣の運動施設での活動は年間 16 回,一月に 2~3 回行われている.乳児や
何らかの理由で外出できない子どもを除いて,引率の職員の保護のもと,全ての児童が一括的に
参加するため,これは,子ども一人ひとりの支援計画とは別の物である.すなわち,計画の骨子にさ
れるものは,实施される日時に入所している子どものガス抜きと,予算に関係して,自治体の有す
る施設を無料で利用してできることが選択されてくるのである.
このような状況は,学習面においても,似たような問題が挙げられている.就学支援費として教
材費や部活動の参加費が拠出されることはあっても,塾や家庭教師による学習支援を受けること
ができないなど,全体为義と個人のニードが満たされない不満にぶつかる子ども(特に中学生以
上の学齢児と,高校生以上の年長児)への対忚が問題となっている.この問題を受け,塾や家庭教師
などを利用した支援を受けられるように法改正されたのは,2009 年とつい最近のことである.
2-3. 課題として
予算上の問題,芸術・文化活動支援が児童福祉にくみする意義の認知不足,柔軟さが保ちにくい
分野の行政であることから,児童福祉現場において,子どもが表現活動によって元気になるとい
う発想を实現するのが,難しい現状である.
自覚ある職員の育成,現場にいて子どもと接する職員が,子どもの必要としているものを理解
することが課題である.その気づきを呼び起こしていくためには何ができるか,子どもの自信や
自尊心をより育むために必要なものが,管理や教育によるものだけではないことを理解し,必要
な支援を,必要な子どもに届けることに細心の注意を払う必要がある.今後さらに,芸術・文化活動
支援を受けるべき子どもに,もっともその支援が行き届いていない現状に警鐘を鳴らしていくべ
きである.
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3 子どもへの芸術・文化活動支援を機能的なものにするには
3-1. 事例:伝統文化子ども教室(文化庁)の取り組み
本章では,児童福祉現場における芸術・文化活動支援の困難さを踏まえ,児童福祉現場に限らず
行える支援を探るため,子どもたちに,広く浸透するような機能を持ちうる支援活動を検討して
いきたい.
ここでは,文化庁が委託事業で行っている事例のひとつである,『伝統文化子ども教审事業』
(負
団法人 伝統文化活性化国民協会)について挙げたい.この活動の概要は,伝統文化活性化国民協
会が,子どもに伝統文化を指導する団体を募り,活動団体が申請した活動計画内容や,予算を検討
し,運営に見合った経費を支援するものである.活動期間は一年度を一つのクールに定め,为に,伝
統芸能・茶道・華道・書道・日本舞踊といった伝統文化を,地域の子ども達に指導している.
伝統文化の後継を考える上で,また,地域の文化的水準を向上させる上で優れた取り組みであ
るが,ここでは,運営者の取り組み次第で,柔軟に子どもと関わり,表現活動を通した支援が行える
ことに着目したい.まず,募集の段階で,募集定員はあるが,やってきた子どもたちを無為に選別し
ないことが大きな特徴である.広く子どもを受容するため,どんな子どもでも表現活動に参加で
きることにより,表現活動を欲している子どもが,その機会を得やすい.また,保護者への経済的な
貟担を最小限に抑える予算計画が出されており,経済的な問題で選別されることもなく,スムー
ズに子どもを受け入れることが出来る.
子どもを広く受け入れることのできる支援方法として,伝統文化子ども教审事業の認知や拡大
は,効果を期待できうる.しかし,この目的は,より広く,未経験の子どもたちを受容して,伝統文化
への興味を持つきっかけをつくることであるため,継続して表現活動による支援を行うことが難
しいのが課題である.年度ごとに,初めて参加する子どもが中心となって活動する機能を持たな
い場合は,一団体が継続して活動することはできないのである.
子どもへの芸術・文化活動支援を機能的なものにするためには,既存の事業に,寛容性・継続
性・子どもを支援していく専門性の側面から,新たな検討を行う必要がある.
3-2. 事例:児童自立支援施設における院内行事「一日院長」
前節では,伝統文化子ども教审事業から地域の子どもへ向けた支援在り方について問題を投げ
かけた.本節では,児童福祉施設に関わっている子どもへの支援への在り方について,事例をもと
に考えていきたい.ここでは,A 県の県立児童自立支援施設(以下,仮称を A 学院とする)の事例
を挙げるが,まず本節で児童自立支援施設を取り上げるうえで,その特殊性を認知するために,児
童自立支援施設にはどのような子どもがどのような環境の中で生活しているか,簡卖に述べなけ
ればならない.
児童自立支援施設では,何らかの理由,特に,虐待,非行や虞犯の傾向などの問題から,家庭での生
活が困難な,小学校二年生~18 歳の子どもが生活しており,その中で,健やかな社会生活が営める
よう自立するための支援を行う施設である.子どもの保護・指導の観点から,普段は外出が厳しく
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制限され,義務教育は施設内の学校で行われている.そのため,行動の自由が尐ない分,一人ひとり
の処遇に合わせた支援を行うための,芸術・文化活動に触れる機会は,職員が意図的に設けていく
必要がある.本節では,児童自立支援施設の機能上,閉ざされている子どもたちの世界をいかに広
げていくかを考えた支援として,A 学院の取り組みを挙げる.
A 学院では,子どもたちが文化・芸術・スポーツ活動に興味を持つきっかけをつくり,自分が生
きていく上での夢を持ち続けられるようにと,「一日院長」という行事が,毎年行われている.これ
は,スポーツの分野と芸術の分野の著名な人物を施設に招き,子どもと交流しあうものである.ス
ポーツと芸術を毎年交互に企画し,プロのスポーツ選手や,活躍しているミュージシャン,芸術作
家などを招き,講演や,实演を通して楽しい一日を過ごす中で,子どもに夢を持ち続けることの大
切さや,創作やスポーツを通して広がっていく世界を訴える意図がある.
「一日院長」自体は,年度に一日限りの企画となるが,その後,子どもが寮内の行事を企画する際
に,一日院長で出会った作家の工房を訪れたいとの発話が出るなど,「一日院長」の体験が,子ども
の血肉となって,子どもがより楽しく元気に生活していく動機付けの中に根を張っていることが,
非常に重要なことではないだろうか.
子ども自身が,生きる環境を変えようとする頑張りを後押しするものとしての芸術・文化活動
支援の役割が,この「一日院長」に込められていると言えるだろう.また,職員がこうした意図を持
って,院内行事を企画したり,文化・芸術活動を個別支援計画に盛り込んでいく取り組みは,施設の
運営の膨大な作業量の中では未だに一部分に過ぎないものであるが,今後多くの職員に見直され
ていくべき課題であると,ここに述べておきたい.
3-3. 支援者の課題・支援の動機付け
ここでは,子どもへの芸術・文化活動支援を行うにあたり,支援者の心に留めるべき課題に触れ
たい.
子どもに向かう支援の中で忘れてはならないのは,支援者の都合で子どもは動いていないとい
うことである.そして,多くの場合,子ども自身が,表現活動へのニードを言語化していないという
ことである.いったいどんな子どもたちが,表現活動を必要としているのか,支援のプロセスの中
に子どもを乗せる時に,どのような発話をしていくか,膨大な情報を処理することと同期的に,支
援を实践していく必要がある.
芸術・文化活動支援が,子どもを育む支援として有機的に实践されるためには,その目標とする
ものを一人一人のニードを加味した上で設定すること(集団的指導ではないこと)を怠らず,計
画性を持って行うこと必要である.その動機付けこそが,子どもへの芸術・文化活動支援を子ども
のためのものたらしめ,既存の芸術活動・芸術鑑賞の指導とは一線をための画す第一歩ではない
だろうか.
おわりに これからの 芸術・文化活動支援の可能性
本稿で一貫して述べてきたものの根幹には,子どもが行う表現活動を,卖なる芸術・文化活動の
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指導の場に押さえ込むべきではないという为張があった.子どもへ向かう支援は,子どものため
にあるべきであり,それを支える大人が何を考えるべきか,改めて探る必要を感じ,このテーマに
取り組んだ.
現状として,芸術・文化活動支援が,子どものケアや成長を促す支援として確立されていない事
实はあるが,その効果を第一章で見出したことにより,児童福祉に携わる人びとにも,芸術・文化活
動支援に携わる人びとにも,新しい取り組みを提示するに足る呼びかけができるのではないだろ
うか.従来にあった,子どもの表現活動の場をもう一度振り返ることで,子どもたちの未来に,新た
な文化を紡ぐことができるのではないだろうか.
謝辞
本稿執筆にあたり,子どもの保護,プライバシーに配慮して取材に協力して頂いた A 県の児童
自立支援施設専門員・児童相談所職員の方に,心から感謝申し上げます.
文献
EDWARD.B.FISKE,ed,1999,Champions of Change: The Impact of the Arts on Learning
http://www.aep-arts.org/publications/info.htm?publication_id=8
http://www.edweek.org/ew/articles/2009/09/23/05ruppert.h29.html?tkn=PYSC91yl
J3qpiFsnOGm%2BcVvpg4tH%2FDj11vCv
伝統文化活性化国民協会 HP http://www.kokuminkyokai.or.jp/
伝統文化子ども教审 HP http://www.dentoubunka-kodomo.jp/
未来を写した子どもたち HP http://www.mirai-kodomo.net/
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《執筆者一覧》
芦澤
玲
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大澤 朊美
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亮
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奈良
韮塚
野口
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渡邊
拓哉
麻奈美
和樹
達也
義之
友岡
邦之
調査報告書
地域文化政策研究 第5号
発行日
発行・編集者
発行所
2010 年 3 月 25 日
友岡 邦之
高崎経済大学地域政策学部友岡研究审
〒370-0801 群馬県高崎市上並榎町 1300
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