原著まえがき

原著まえがき
マイケル・ポーターは、その著書Competitive Strategy(邦訳『競争の戦略』)の「はじめに」で、
経営戦略の分野には分析の基礎的手法が欠けており、一般化ができ広く応用可能な深い洞察力を
持つ手法がほとんどない、と主張している。さらに産業や競争について研究している経済学者は、
そのような洞察力を構築する基盤を提供できるにもかかわらず、実践に身を置く経営者たちのニ
ーズに対して感度が低いと指摘している。ポーターの著書は、経営者にとってどのように経済学
の理論が役に立つ洞察を提供して、さらに発展させていくことができるかを示している点で重要
である。特に企業が外的な環境に対峙していく戦略について、そのことが言える。
この洞察は、これ以上ないほど絶好の時期に現れた。1980年代の初頭、トップ・ビジネススク
ールでは入学の必要条件として、大学卒業後3年から5年の実務経験を求めるようになりつつあ
った。
「大人の」MBA学生は、授業の内容を即座に現実の経営問題に直結させることができた。
大学卒業後間もない学生であれば、クールノー均衡について議論することに何の疑問も持たない
であろうが、27歳の元マッキンゼーのビジネス・アナリストであれば、クールノー均衡を学ぶこ
とがなぜビジネスにおける、より優れた意思決定につながるのか知りたいと考えるであろう。こ
のような変化が、戦略という科目を長く教えてきた教師たちに新たな負担を強いることになり、
伝統的な経済学の授業を受けてきた新人の助教授にとっては、戦略の授業を教えることが徐々に
難しくなってきた。
ポーターに続いて、我々を含め、より大人の学生に直面したビジネススクールの経済学者は、
戦略的な分析に対して経済学的な基礎を提供してくれる教材を捜し求めた。当時、戦略論の標準
的なテキストは理論的な基盤を欠いており、1980年代から90年代にかけて経済学や戦略論の研究
者によってもたらされた新たな知見(たとえば、取引費用経済学、コミットメント、経営資源論など)
についての議論が展開されているものはほとんどなかった。さらに、当時の著作のほとんどが、
ノースウエスタン大学ケロッグ・スクールなどのビジネススクールで必要とされるテキストに比
べて、より一般的な読者を想定して書かれていた。全米の教授仲間と議論するうち、ビジネスに
おける戦略論を教えるために適したテキストを見つけ出せずにいるのは、自分たちだけではない
という結論に達した。実に、最も重要である戦略の授業の教材選択が、多くのビジネススクール
で問題となっていたのであった。
1つの可能性は経営戦略の授業をミクロ経済学の教材を使って行うというものであった。1980
年代、ロバート・ピンディックとダニエル・ルビンフェルドの著書Microeconomics(ミクロ経済学)
i
が出版され、従来の教材をはるかにしのぐ進歩を遂げた。特に実社会における事例をふんだんに
盛り込み、経済学の実務面での重要性を明らかにした。しかし、このテキストは中級レベルのミ
クロ経済学の読者層に向けて書かれたものであり、戦略を教える側あるいはビジネス経済学者か
ら見れば、伝統的なミクロ経済学と経営戦略論の、よくて折衷案にとどまるものだった。その後、
本書の初版が出版される数年前、2冊の重要な著作が登場した。シャロン・オスターの著書
Modern Competitive Analysis(現代の競争分析)は、1989年に最初に出版されたが、その汎用性は特
筆すべきもので、我々が経営戦略論を教えるにあたって重要だと認識していたトピックをほぼす
べてカバーしていた。ただ、MBA学生向けということであれば、オスターの著作で紹介された
概念について理論的かつ実証的な基礎が、より詳細に検証されていればもっと有用であったであ
ろう。1991年に出版されたポール・ミルグロムとジョン・ロバーツによるEconomics, Organization
and Management(邦訳『組織の経済学』)はその深さにおいて特筆される。ミルグロムとロバーツ
は、組織、インセンティブ、階層などの問題を理解する理論的で強固な基盤を提供してくれた。
しかし、この先鋭的な著作は、基礎的な経営戦略論の授業でカバーすべきトピックをカバーしき
れていなかった。我々が本書Economics of Strategyを書いた目的の一部は、オスターの著書のトピ
ックの広がりを、ミルグロムとロバーツの著書の分析に近いレベルでとらえ、同時に両書に現れ
るような例示をふんだんに盛り込むということであった。
我々は、Economics of Strategyの初版で、おおむね所期の目的を達成した。しかし、たとえそう
であっても、初版を用いて我々が授業を行うにつれ、まだまだ改善の余地があることに気がつい
た。初版になじみのある読者は、この本を用いて教えるにあたって、大きく改善すると確信を持
って行った多くの変更点にお気づきであろう。我々は、自製と購買の誤謬、競合の特定、コミッ
トメント、戦略的ポジショニングなど、多くの複雑なトピックについて議論をはじめから組み立
てなおした。また、学生が5つの競争要因分析を行う際に、大変便利だと考えられる「業界分析
チェックリスト」も掲載している。一方で、膨大な数学を使う割に実用性が低い議論については、
細かすぎるものはほとんど削除した。より多くの事例を紹介し、国際的に本書の理論が応用でき
ることを強調している。また索引を加え、さらに各章の最後にまとめの演習問題を大幅に加えて
いる。
初版を念入りに読まれた読者であれば、いくつかの章の順番が変わり、1つの章が削除された
ことにお気づきであろう。水平統合の章は垂直統合の前に置いたが、それは前者が後者の理解に
必須だからである。業界分析の章は第Ⅱ部の冒頭から最後へと移行させた。この章はそのまま独
立した章として残り、競争に関するそれまでの内容を総括する役割も担っている。コストと便益
の優位性の章は削除した。この章の内容の多くは今回の版では第2章と第12章の補論に記載した。
ii
本書の構成
本書は大きく4部構成となっている。第Ⅰ部は企業の境界を中心に扱っている。主要なトピッ
クとしては、規模と範囲の経済、自製・購買の決定の経済理論(垂直境界)
、市場における取引
費用、多角化である。第Ⅱ部では、産業組織論の観点から競争戦略を扱っており、市場構造や参
入などの伝統的な産業組織論のトピックと、動的な価格競争などの最近のトピックがある。この
部の最後の章は、それまでの章で取り上げた産業組織論の問題を評価するための体系的な枠組み
である、ポーターの5つの競争要因に関する議論で締めくくっている。第Ⅲ部では戦略的なポジ
ショニングとその動的な関係を扱っている。ここでは、競争優位とは何か、それはどのように分
析されるのか、それが長期的に持続される条件は何か、それはそもそもどのように獲得されるの
か、ということを理解するための経済学的な基礎を提供する。この部分は経済学と戦略論に関す
る現代の研究から導き出されたものである。第Ⅳ部は、エージェンシー関係の経済学、組織デザ
インの経済学、政治・パワー・企業文化など、内部組織に関連したトピックを扱っている。この
部は、経済学の視点に組織論の視点の融合を試みている点で、初版より大幅に改善されている。
本書では経済学のモデルに生命を吹き込む役割を果たす、実社会における事例を積極的に盛り
込んでいる。各章には平均して6つの「事例」を設けており、さまざまな組織や業界について詳
細な議論を展開している。アメリカ以外の事例も多く、それは本書における原則が、広く世界中
で応用可能であることを示すものである。ビジネスの世界は日々大きく変化しており、本書が書
店に並ぶ頃には組織や個人の引用が陳腐化している可能性が高いが、そこから得られる教訓は意
味のあるものであり続けることを願っている。
本書は戦略論の基礎科目のテキストとしても、業界や企業の経済に焦点を当てたビジネス経済
学のテキストとしても使うことができる。MBA学生向けの戦略論や戦略経営論では第Ⅰ部、Ⅲ
部、Ⅳ部の各章を用いることをおすすめする。ノースウエスタン大学ケロッグ・スクールでは、
1年生の最初の秋学期で学ぶ10週の戦略論の授業で以下の章を扱うことが一般的である。
第1章 近代企業の発展
第2章 企業の水平境界:規模の経済と範囲の経済
第3章 企業の垂直境界
第4章 市場での取引費用
第5章 垂直境界の編成:垂直統合と代替手段
第11章 業界分析
第12章 競争優位の戦略ポジショニング
第13章 持続的競争優位
第16章 戦略と組織構造
第17章 パワーと企業文化
原著まえがき iii
我々は、この授業では第6章の「多角化」を入れていないが、それは後の科目で詳細に扱われ
るからである。基礎戦略論の科目で多角化を扱う場合は、上記のリストに第6章を加えるべきで
あろう。もし戦略論を半年間で講義するのであれば、さらに第7章(競争相手と競争)
、第14章
(競争優位の源泉:イノベーションと進化と環境)
、第15章(インセンティブとエージェンシー)
、そし
て第17章(パワーと企業文化)を加えるとよい。
企業の境界に関する章(第2∼6章)を戦略の章(第11∼14章)の前に持ってきたことは、通
常とは異なると驚く人も多いのではないだろうか。しかし、教師がこの順番に従う必要はまった
くない。学生が序章と第2章の規模と範囲の経済の内容を理解しているのであれば、境界に関す
る章(第3∼6章)の前に戦略の章(第11∼14章)を教えることは可能である。
コミットメント、動的な競争関係、参入・撤退を扱う第8章から第10章は、現在の産業組織論
の経済学に最も強く結びついており、したがって本書において最も「ゲーム理論的」である。学生
があまり経済学のバックグラウンドを持たない場合には、これらの章を難しいと感じる可能性が
高い(ただし、序章のゲーム理論の導入に加えて第7章の内容が理解できれば、この内容は十分理解で
きるものと思われる)
。ケロッグ・スクールの基礎戦略論の授業を受ける学生の多くは経済学の授
業を受けたことがないため、我々はこれらの章を除いている。第12章以降の章の内容は第8章か
ら第10章の内容に依存しないため、第8∼10章を飛ばしても問題なく連続性を確保できる。
本書は競争戦略や現代の産業組織論に重点を置いた、戦略やマネジリアル・エコノミクスの授
業にも使用できる。1クォーターの授業では、以下の章を扱うことをすすめたい。
第2章 企業の水平境界:規模の経済と範囲の経済
第7章 競争相手と競争
第8章 戦略的コミットメント
第9章 価格競争のダイナミクス
第10章 参入と撤退
第11章 業界分析
第12章 競争優位の戦略ポジショニング
第13章 持続的競争優位
第14章 競争優位の源泉:イノベーションと進化と環境
半年間の授業であれば、これらに第6章を加え、競争戦略、産業組織論、ゲーム理論に関する
各章の参考文献を補完的に用いるとよい。
iv
謝辞
多くの方々の協力を得て、このEconomics of Strategy第2版は完成にいたった。そのなかでも、
本書の完成までにコーディネーターとしてさまざまな調整を行ってくれたワイリーのマリッサ・
ライアンには特に感謝の意を表したい。彼女は多くの教授方法の変更が生じても、効率よく、熱
意を持って対応する触媒としての役割を果たしてくれた。彼女は編集の準備をし、書評の執筆者
を探し、本書のマーケティングを調整してくれた。フレッド・コートライトは、さまざまな図表
や文献の引用について版権の確保を、またワイリーのクリスティン・サーボニは本書の印刷を管
理してくれた。全行程を通じて校正作業に従事してくれたゲラルド・ロンバルディには大変感謝
している。初版、第2版を通じて各章を何度も読み込み、改善の提案をしてくれたゲラルドは
我々よりも本書の内容を深く知っているかもしれない!
第2版で行った改善の多くは、初版を使って授業を行った教授の方々からのコメントをもとに
行われたものである。問題のある部分や改善の方法を指摘してくれた同僚たちに感謝したい。こ
の点では、特に我々ケロッグ・スクールの同僚のなかでも、ジェームス・ダナ、アン・グロン、
ソニア・マルシアーノには特に協力をいただいた。また、ドナルド・ジェイコブス学長(訳注:
前学長)
、マーク・サタースワイト元副学長、ディパック・ジェイン副学長(訳注:現学長)には、
ケロッグ・スクールにおいて基礎戦略論の科目を設置する機会を与えていただき、また本書の初
版、第2版の執筆において熱心に支援いただいたことに最大限の謝意を表したい。
また、本書の書評をいただいた方々、バージニア工科大学のシェリー・ボール、インディアナ
大学のロバート・ベッカー、南カリフォルニア大学のティム・キャンベル、ブリガム・ヤング大
学のダラル・クラーク、フロリダ州立大学のゲーリー・フーニア、サンディエゴ州立大学のケニ
ス・マリノ、ミネソタ大学のジョン・スティーブンス、フロリダ州立大学のジョセフィナ・トラ
ンファの諸氏のコメントにも大変感謝している。
ケロッグ・スクールの経営学修士コースで学ぶ多くの学生も、本書の各部分にとても貴重な題
材を提供してくれた。クリストファー・メイヤーは第3章の事例3. 4(ジャグラム)を執筆した。
アナ・ダトラは第6章の事例6. 2において、コンチネンタル銀行とバンカメリカの合併について
調査と実際の事例の執筆を手伝ってくれた。アンディー・チェリーは第9章の事例9. 1(フィリッ
プ・モリス対B.A.T.)を担当した。竹村文伯、エドワード・アーンスタイン、トッド・サルツマン、
ロイ・アルトマン、村上雅宏のチームは第9章のパナソニック−エプソンの事例を、サンジャ
イ・マルカニ、デイビッド・パレイラ、ロバート・ケネディ、カタズナ・ピチュラ、岡本三成の
チームが第9章の事例9. 2(逆浸透膜市場におけるダウ・ケミカル)をそれぞれ担当した。ディア
ン・キチャマ、ジョン・パスマン、クレーグ・サフィ、トッド・レイクマン、フィリップ・ヤウ
は、第9章のタバコ業界に関する事例9. 4に貢献してくれた。アンドリュー・カルダーウッドは
第10章オーストラリア航空業界の事例10. 3の執筆をした。ジェームス・カー、ニナ・ケース、キ
ャサリン・ファブシット、ロバート・ミューソン、シェット・リチャードソン、アンドリュー・
シュワルツ、スコット・スワンソンのチームは第11章コナ・コーヒーの事例の初期原稿を書いた。
また、ジョセフ・バウマンは第15章のイリノイ州児童福祉機関の事例15. 3を、スレシュ・クリシ
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ュナは第16章のABBの事例16. 2を、マイケル・ロンズビュリーは第16章のサムスンの事例16. 5を、
それぞれ調査と執筆において手伝ってくれた。
最後に、1996∼97年、1997∼98年、1998∼99年(学年)にケロッグ・スクールで経営戦略D31
(経営と組織)およびマネジリアル・エコノミクスD41(競争戦略)の授業を受講し、その結果本
書の第1版を教材として使ったすべての学生諸君に感謝したい。彼らは、熱心に誤植や事実認識
の誤りを指摘し、また新しい事例を紹介してくれた。これらのさまざまなインプットを通じて、
彼らの足跡が第2版に刻まれている。本書の執筆は、知的チャレンジに富み、学問的に裏打ちさ
れた戦略の授業をケロッグ・スクールの学生のためにつくりたい、と望んだことから始まった。
幸いにも初版同様、学生諸君が本書の完成に対して大きな貢献をしてくれたと感謝に堪えない。
イリノイ州エバンストンにて
デイビッド・ベサンコ
デイビッド・ドラノブ
マーク・シャンリー
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