長野大学紀要

長野大学紀要
第32巻第2号(通巻第121号)
長
野
大
2010年12月
学
長野大学紀要
第3
2巻第2号(通巻第1
2
1号)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
目
<論
次
文>
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(2)
―学校評価における自己評価および地方教育当局の位置づけの変化―
…………………………………………………………………………久保木 匡 介………1
経営管理イノベーションとしての非常識経営
―メガネ2
1(トゥーワン)の経営モデル分析―
…………………………………………………………………………木 村
誠………1
5
特別支援教育における子どもの自立と保護に関する一考察
……………………………………………………祐 成
哲・田 中 祥 貴………3
1
知的障害児・者における実行機能の問題とその関連要因
……………………葉石 光一・八島 猛・大庭 重治・奥住 秀之・國分 充………3
9
<研 究 ノ ー ト>
大学の個性化と総合化
―公正な競争とコンソーシアム構想―
…………………………………………………………………………黒 沢 惟 昭………4
7
<書
評>
Review and Discussion of Catalonia : History and culture by John Payne and Catalonia : A cultural
history by Michael Eaude
………………………………………………………………………Margaret Simmons………6
3
<2009年度長野大学地域研究・一般研究助成金による研究報告>
(研究A)
現代山村の限界集落化に関する調査研究 …………………………………大 野
晃……7
1
死生観の教育〜文学によるデス・エデュケーション ……………………小 高 康 正……7
3
アメリカ西部におけるヒツジの
長距離移牧に関する文化地理学的・実証的研究 ……………………斎 藤
功……7
5
明清期における東北統治機構の比較検討 …………………………………塚 瀬
進……7
7
医学生の職業倫理教育
―専門職倫理と社会の側の倫理との接点― …………………………徳 永 哲 也……7
9
金井正の思想と行動―大正デモクラシー・農民美術運動・
ファシズム・戦後民主主義をめぐって ………………………………長 島 伸 一……8
1
コンピュータを用いる中国語教育
システムの構築とより一層の実用化 ……………………………ビラール イリヤス……8
3
社会事業理論史の構築のための基礎的研究 ………………………………野 口 友紀子……8
5
(研究B)
特別支援教育における子どもの自立と保護 …………祐 成
哲・田 中 祥 貴……8
7
(研究C)
デジタル・アーカイブ作成による
伝統工芸の制作過程分析・近代大工業と対比して
………………………………………野 原
光・田 中 法 博・森
俊 也……8
9
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2巻第2号
1―1
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イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(2)
―学校評価における自己評価および地方教育当局の位置づけの変化―
School Inspections by OFSTED and the Professionalism of School Education Part 2 :
Chaging Position of Self-Evaluation and LEAs in School Evaluation
久保木
匡
介*
Kyousuke KUBOKI
の学校査察など、保守党政権が1988年教育法以来
はじめに
構築してきた「競争と外部評価」に基づく新自由
教育水準局(Office for Standards and Education
=OFSTED)の査察を確立した1
992年教育法が成
主義的教育改革の手法の多くを引き継いだので
あった1。
立してから18年以上が経過した。この間イギリス
筆者は前稿で、学校評価における「説明責任モ
では、2度の政権交代が行われた。199
7年に発足
デル」と「職能改善モデル」という対抗図式を念
した労働党政権は、ブレア政権による11年間と、
頭に、教育水準局による学校査察が教員や学校の
そのあとを継いだブラウン政権によってさらに3
有する教育の専門性に対してどのような影響を与
年続き、2010年の総選挙において保守党と自民党
えたかを検討した2。この問題意識を引き継ぎつ
の連立政権が誕生して終わった。したがって教育
つ、本稿では、教育水準局査察導入後の保守党政
水準局による学校査察は、すでにその創設者であ
権から1997年からおおよそ2001年までのブレア労
る保守党政権よりも長い期間、労働党政権の下で
働党政権第一期にいたる「過渡期」を対象に、以
機能してきたことになる。
下の点を検討する。
1997年の総選挙において、労働党は保守党政権
第一点は、教育水準局査察とは区別される学校
の教育政策を「最大の失敗」として批判する一
自己評価(school self-evaluation)をめぐる議論お
方、同政策を労働党の最優先課題と位置づけて選
よび改革が、保守党政権から労働党政権にかけて
挙戦を戦い、地滑り的な大勝利を収めた。同党の
どのように変化したのかである。
教育政策の柱は、保守党政権のそれがもっぱら中
この点に関して、本稿ではまず、労働党が政権
産階級に対する選択権と説明責任を強化するもの
の座につく前の1995年に、労働党の有力な支持母
であったのに対し、貧困地域の困難校を含むすべ
体で あ っ た 全 国 教 員 組 合(NUT)が Strathclyde
ての学校において教育機会を保障し、
「教育水準
大学のマクベス(John MacBeath)教授らととも
の向上」を全公立学校対象に推進しようとするも
に行った、自己評価を中心とした評価システムの
のであった。それを実現すべく、前政権時代には
研 究 お よ び 報 告『学 校 は 自 ら の た め に 語 る
なかった多額の教育予算や財政配分が行われる一
School speaks for themselves』に注目する。後述す
方、「教育水準の向上」推進の手段として、ナシ
るようにこの報告は、おもに労働党の影響力の強
ョナル・テストや学校選択制、および教育水準局
い自治体において実行に移され、当該地域の学校
*環境ツーリズム学部准教授
― 1 ―
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8
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に対して大きな影響力を発揮した。また、1990年
どのように関係づけるか、という論点で議論され
代に学校評価の主流となった外部評価に対する有
てきた3。
力なオルタナティブとして、高い評価を得てい
1995年、全 国 教 員 組 合(National
Union
of
る。本稿の前半では、同報告の射程と意義を分析
Teachers、以下 NUT)はジョン・マクベス教授ら
する。
に委託 し た 報 告 書「学 校 は 自 ら の た め に 語 る
1997年以降のブレア労働党政権は、このような
(School Speak for themselves、以下 SSFT 報告)」
流れを受けて教育水準局査察の枠組みに自己評価
を公表した4。同報告は、後述するように、学校
を段階的に導入していった。しかし、教育水準局
内部のアクターによる評価指標設定を嚆矢として
査察における自己評価に対しては、自己評価の名
展開する「学校自己評価(school self-evaluation)」
の下に外部評価である学校査察を内在化した「自
の推奨とその枠組みを提起したものである。この
己査察(self-inspection)」であるという批判が生
報告は、以下の問題意識にもとづいて作成・公表
じている。労働党政権下の査察枠組みにおいて、
された。
外部評価と自己評価が学校評価システム全体の中
まず、教育水準局査察を中心とした学校評価に
でどのような役割を果たしているのか、それは
ついて二つの批判点が挙げられる5。第一に、現
「説明責任モデル」と「職能改善モデル」という
在の学校評価が、教員、生徒、保護者、理事など
対抗図式の中ではどのように整理されるべきもの
から構成される「学校コミュニティ」の外部から
なのか、改めて問われることとなっている(この
のみ行われており、評価のプロセスにおいて「学
点は、次の第二の論点である地方教育当局の検討
校コミュニティ」を構成する諸アクターの活動や
のあと、本稿の最後で検討される)。
判断が生かされていないことである。
第二点は、上記の論点に大きく関わるが、教育
1980年代後半から90年代初頭にかけて行われた
水準局の査察体制における地方教育当局の位置づ
一連の教育改革により、教育機関の説明責任と、
けの変化である。本稿の後半は、この検討に当て
客観的なアウトプットにもとづく学校パフォーマ
られる。1944年教育法以降、戦後教育において学
ンスを重視する体制が構築された。教育水準局査
校と共に教育の専門性の担い手として学校現場を
察を実施するためのハンドブックも、査察報告書
管理・運営してきた地方教育当局は、保守党政権
の作成に際してはこの「客観性」を重視してい
によって、その権限を奪われ「弱体化」してきた
る。しかしその「客観性」が獲得される手続に問
といわれる。しかし労働党政権によって、地方教
題がある。それは、評価が専ら外部の査察官によ
育当局は再び教育システムにおいて重要な位置づ
る限られた時間の学校訪問にもとづいて獲得され
けを与えられると共に、教育水準局の査察対象と
る認識に依拠していることである。それゆえに、
なった。従って、以上のような変遷を遂げた地方
そこには学校コミュニティを構成する諸アクター
教育 当 局 の 位 置 づ け が、
「説 明 責 任 モ デ ル」と
との「協働的な、交渉を通じたプロセスは存在し
「職能改善モデル」の対抗図式の中でどのように
ない」。その結果、
「多くの教員や生徒の経験で
整理されるべきなのかが問われることになる。
は、訪問した査察官による学校や教室の観察は、
1 もう一つの学校評価の試み:
「学校は自
らのために語る」報告を中心に
1)教育水準局査察と「学校は自らのために語
子どもや教員の日常のリアルな経験に触れること
6
のである。
ができていない」
第二には、上記の問題の結果として教育水準局
査察という外部評価が、従来から行われてきた学
る」報告の射程:外部評価と学校自己評価
校による様々な内部評価=自己評価との調和を欠
すでに前稿でも指摘したように、1990年代にお
いてしまっており、外部評価の結果が学校改善に
ける教育水準局査察の役割とその力点をめぐり、
活かされていないことである。もともと各学校に
「査察か助言か」の議論が闘わされてきた。この
おける自己評価は、1960年代より専門職としての
論点は、学校の評価の形式をめぐっては「外部評
教員の成長をおもな目的として行われてきた。各
価」か「内部(自己)評価」か、あるいは両者を
学校の自己評価に対しては、後述するように、地
― 2 ―
久保木匡介
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(2)
方教育当局の助言が大きな役割を果たしてきた。
1
1
9
が評価を行う。
したがって、1992年教育法によって教育水準局査
・協働的な(co−operative)システム。二つの
察が導入されてからは、現存する学校自己評価と
組織が評価のプロセスについて議論と交渉を
学校外部の査察機関による外部評価とをどのよう
行い、異なる利害や視座が考慮に入れられ
に連動させるのかが重大な問題となったのであ
る。
る。
しかし、マクベスらの認識によれば、
「イング
したがって、SSFT 報告が提唱する自己評価シ
ランドとウエールズにおいては、学校の内部評価
ステムについても、その評価情報が外部評価との
と外部評価を系統的に結びつけるシステムが存在
関係でどのように利用され、それが学校における
しない。両方の強みを活かし、学習と教育活動を
教員の教育活動や生徒の学習への有効な支援をど
支援する統合的なシステムとして状況に応じた質
のように実現するのかが問われるのである。以下
7
現実が存在していた。
の保証を行っていない」
では、SSFT 報告の内容を概観しながら、報告が
SSFT 報告では、以上の問題意識にもとづき、
学校自己評価と外部評価たる教育水準局査察をど
自己評価を基軸にした、外部評価と自己評価の相
のように結びつけようとしたかを検討する(以
互補完的な制度設計が提唱された。ここで強調さ
下、SSFT 報告からの引用箇所は本文中にページ
れる自己評価の役割は、外部評価と切り離して
を記載)。
「専門職としての教員」の成長や「学校の改善」
を目指すものではない。むしろ自己評価は、
「外
2)SSFT 報告の概容
部の指標を学校内部から生まれた指標に照らし、
①原則
双方の相対的なメリットや適切さを考慮すること
SSFT 報告は、全ての学校に適用されるべき自
を促すこと」を求められる。したがって、この
己評価のフレームを示したものではない。むしろ
SSFT 報告の目的は、
「異なるソースの評価デー
各学校における教育活動や学習の現状や学校改善
タの強みと限界を検証し、どうすれば、教員たち
の文脈をふまえつつ、学校コミュニティの主体が
の評価の優先事項、すなわち教育活動と学習の改
「基準やプロセスの領有(ownership)」(p.
73)
善を支援するためにそれらを最もうまく使えるか
を行うことが重視される。それを前提としたうえ
を考察すること」とされたのである8。
で、学校自己評価は以下のような原則を共有すべ
自己評価と外部評価の連携という点では、ヨー
ロッパ諸国やカナダ、オーストラリア、ニュー
きであるとされる(pp.
73−74)。
・自己評価は学校改善に資するという正当性が確
ジーランドなど多くの国で多様な事例が観察され
ている。1990年代のイギリスにおける学校評価
信されていること。
・評価において何を重視するかが合意されている
が、その重点を第三者機関による外部評価にドラ
こと。
スティックにシフトしたのに比べ、デンマークを
・学校教職員に加え、生徒、親、理事、地域住民
はじめ多くの国々では、説明責任を重視しながら
などの非専門職の評価への参加が可能となって
も、教員の専門性と自己評価組織としての学校の
いること。
一体性を尊重するシステムを探求しているとされ
・評価を支援できる経験と熟練を有する「批判的
る。そのような国々では、内部評価=自己評価と
な友人(a critical friend)」がプロセスに加わっ
外部評価の連携について、以下の3つの形態が見
られる9。
ていること。
・評価が改善への取り組みを導くこと。
・対等な(parallel)システム。学校と外部評価
機構がそれぞれ独自の評価を行い、事後的に
それぞれの評価情報を共有し比較する。
以上のような原則をふまえた上で、各学校が自
己評価のための手続を整備することが求められ
・連 続 す る(sequential)シ ス テ ム。学 校 が 独
る。
自の評価を行い、その評価を基礎に外部機関
― 3 ―
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長野大学紀要
②評価の指標:教育水準局査察の基準との違いに
注目して
第3
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1
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る、10のクラスターからなる自己評価指標の特徴
は、以下のようにまとめられる。
SSFT 報告は、その末尾に一般的に想定される
学校自己評価の評価指標を掲げている。詳細な分
・学校および教室の総合的な環境の重視(第1、
析を行う余裕はないが、同報告と同年に発行され
た教育水準局の1995年版ハンドブックで重視され
第3クラスター)
・生徒(相互)、教職員(相互)、親、理事、地域
ている評価項目や評価指標と簡単な比較を行って
みたい。
の関係性重視(第2、第7、第10クラスター)
・子ども同士が互いの価値観の尊重(第3クラス
まず教育水準局1995年版ハンドブックでは、査
察の際に用いられる指標には以下のような特徴が
ター)
・すべての子どもの学びや成功の重視。すべての
見られる10。
子どもの達成が認められるチャンス(第9クラ
・生徒の到達=成績の重視、とくにナショナル・
スター)
カリキュラムの履修状況の重視
・学び、学校内の意思決定(資源配分における交
「報告は、各キーステージの終わりの生徒の到達
渉と共有)
、学校経営における参加の重視(第
をパフォーマンス・データとともに記載しなくて
はならない。
6、第7クラスター)
・教員の教育活動を支援することの重視、教員の
・キーステージ1の終わり:レベル2を獲得し
た生徒、あるいは特定の科目でそれ以上の生
チームワーク(第5クラスター)
・教員の計画、アセス、専門性の発展の重視(第
徒の割合、到達目標。
6クラスター)
・キーステージ2の終わり:レベル4を獲得し
・公正な機会の重視。カリキュラム編成における
た生徒、あるいは特定の科目でそれ以上の生
すべての子どものニーズの反映(第8クラス
徒の割合、到達目標。」
ター)
・出席の重視
・多様性の重視(第8クラスター)
「報告は、学校および比較しうる出席データを含
み、公式および非公式の欠席が半分以上のパーセ
総じて、教育水準局査察の指標は、ナショナ
ンテージを示さなくてはならない。」
ル・カリキュラムを通じた国家による教育内容の
「生徒は90パーセント以上出席しているか、時間
統制、テスト成績や出席率など客観的な業績、そ
通り登校し授業に参加しているか?」
れらを推進しつつ財政上の効率性を追求するマネ
・教育活動におけるナショナル・カリキュラムの
ジメントを重視している。それに対し、SSFT 報
重視
告における指標は、教育活動と学びを支援する環
「教員は、教えている科目や領域について確かな
境や(教員や生徒相互および親、地域との)関係
知識と理解を有しているか?」
(ナショナル・カ
性、全ての生徒を視野に入れた多様な達成、教育
リキュラムの科目秩序、正しい宗教教育のシラバ
上の意思決定や学校運営への多様なアクターの参
ス、5歳以下の生徒の教育についての知識と理
加と合意、価値観の多様性の相互承認などを重視
解)
するものである。
「カリキュラムはナショナル・カリキュラムの諸
以上の差異は、前稿で指摘した学校評価におけ
科目、宗教教育、および性教育を教える法的な要
る「説明責任モデル」と「職能改善モデル」の対
請を満たしているか?」
抗関係の中で理解できよう。教育水準局査察の指
・親やコミュニティとのパートナーシップの重視
標が、学校外部から提示された目標によって学校
・学校のリーダーシップとマネジメントの重視
のパフォーマンスを誘導することを企図している
・学校運営における財政上の効率性の重視
のに対し、SSFT 報告の指標は、学校に内在する
教育と学びの支援のための諸条件を高めるものと
これに対し、SSFT 報告の末尾に掲載されてい
なっている。前者は、教育という公共サービス内
― 4 ―
久保木匡介
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(2)
1
2
1
部で教員が有する専門性に対する不信を前提に構
れている。そして、教育水準局による査察では、
築された「説明責任モデル」にもとづく外部評価
従来の査察のサイクルやその焦点を見直し、各学
である。逆に後者は、教員の専門性に信頼を置き
校が独自の評価によって自らの長所と短所を見極
ながら、より多様なアクターの参加の中で「開か
めること、それにより教育の質の改善と向上を図
れた専門性」を通じた学校改善を志向するという
ることに焦点を当てるべきである。
点において、従来の「職能改善モデル」を参加型
したがって地方教育当局は、地域において学校
にバージョンアップしたものと捉えることができ
自己評価を支えるとともに、広い意味での「学校
る。
コミュニティ」の一員として地域のニーズを学校
自己評価に反映させ、各学校に対して自身も含め
③外部評価との連携
た「批判的な友人」を提供することが求められ
SSFT 報告の特徴は、学校評価における「職能
る。また各学校が、自己評価とそれに基く自己改
改善モデル」が「説明責任モデル」に取って代わ
革に重点を置くような資源配分を積極的に行うこ
られようとする趨勢の中で、前者を中心としなが
とが求められる。
ら後者との役割分担を確立し、両者が相互補完す
各学校は、現在学校内に存在する自己評価の取
るシステムを構築しようとするところにある。す
り組みを認識するとともに、学校および教室の活
なわち、SSFT 報告は上記のような自己評価のた
動を改善するために、それらを学校における業務
めの指標を掲げながら、自己評価と外部評価=教
の不可欠な構成要素と捉えることが求められる。
育水準局査察を連携させ、学校改善にとって有効
外部評価との関係では、外部評価の指標に学校独
に機能させるために、以下のような勧告を行って
自の評価指標を反映させ、説明責任と学校改善の
いる(p.
92)。
バランスを図っていくことが求められる。また、
まず最優先されるべき事項として以下の四つを
挙げる。
学校理事については、学校および生徒の成長をモ
ニタリングするとともに、それらを支援する予算
の執行を統制する立場から自己評価への参画が求
1、学校改善に関する国レベルのどのようなア
められる。
プローチでも自己評価は中心となるべきであ
る。
したがって、繰り返しになるが、SSFT 報告に
おいては、②で指摘された違いを持つ教育水準局
2、説明責任と自己改善は、一つの相互連関し
査察の指標と SSFT 報告の指標が、以上のような
た戦略の二つの要素と捉えるべきである。
学校自己評価を中心とした総合的な評価システム
3、時間とリソースの提供は学校改善の重要事
の中で、互いに補完しあいながら一つのシステム
項として理解されなくてはならない。
を構成することが企図されているのである。
4、学校査察は学校改善に向けた行程の一局面
としてあり続けるべきだが、学校と地方自治
3)SSFT 報告の射程とその意義
体の協働戦略の一部として機能すべきでもあ
る。
NUT は SSFT 報告の公表後、それらを実 現 す
べく中央政府および各地方自治体に積極的に働き
かけた11。
これらを、敷衍すれば以下のようになる。ま
まず中央政府レベルでは、NUT は教育水準局
ず、国全体のレベルでは、教育水準局査察のその
長官ウッドヘッドや政権党である保守党の政策担
ものを、教育の質や学校改善への有効性という視
当者に対して SSFT 報告のプレゼンテーションを
点から評価する必要性がある。その上で、地方教
行った。しかし、
「学校コミュニティ」あるいは
育当局が、各学校における自己評価を支援し、評
「教育コミュニティ」の外部から説明責任モデル
価結果に基づく改善に対して助言機能を果たすべ
による品質保証を進めている保守党政権にとって
きである。ここでは、地方教育当局が各学校の独
は、自己評価を機軸とした評価体制の修正は基本
自指標に基く改善の品質保証を行うことが想定さ
的に受け入れがたいものであった。
― 5 ―
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保守党とは逆に、NUT をその支持基盤の一つ
としている労働党は、自己評価を軸とした学校評
あったという自治体関係者の声があったことも留
意すべきであろう14。
以上の経過をふまえつつ、SSFT 報告の意義と
価体制の改革を肯定し、労働党が次の選挙で政権
をとったあかつきには、SSFT の提案内容を政府
限界について簡単にまとめておこう。
の政策に取り入れることを約束した。後述するよ
SSFT 報告の意義は、第一に、教員や学校の有
うに、1997年総選挙で政権を獲得した労働党は、
する専門性に信頼を置く「職能改善モデル」を基
教育水準局査察に自己評価を導入する改革を行っ
礎に、学校自己評価に「参加」と「関係性強化」
ている。
の視点を採り入れながら、従来の自己評価を発展
次に、地方自治体レベルでは、NUT はイング
させたモデルを提示したことである。同報告は、
ランドとウエールズ全体に SSFT 報告を5
000以上
このようなモデルを提示したことにより、教育水
配布し、その「普及」につとめた。NUT によれ
準局査察を中心とした「説明責任モデル」では落
ば41の自治体において同報告の研究成果を何らか
とされていたいくつかの要素、すなわち評価を通
12
の形で採り入れていることが確認されたという 。
じた学校改善、現場の教職員を支援し教育活動や
ただし、SSFT 報告を受容する目的や文脈は地方
生徒の学びを改善すること、教員・職員・生徒・
自治体ごとに多様であった。地方教育当局の査察
親・コミュニティなど学校を構成する諸アクター
官やアドバイザーに情報提供するために同報告を
の関係性の強化などを、学校評価とそれにもとづ
利用するケースもあれば、学校が独自の自己評価
く改善のサイクルの中に位置づけたのである。特
をたちあげるのに利用するケース、自治体が各学
に報告の中で強調されたのは、教員をはじめとす
校の教育活動と学習における達成の水準を向上さ
る学校コミュニティのアクターが評価のプロセス
せるために利用するケースもあったという。
を我がものとすることであった。それは、急速に
また、SSFT 報告を採り入れた各学校において
支配的となった教育水準局査察の「説明責任モデ
も、その活用の仕方は様々であった。SSFT 報告
ル」が、教育現場の諸アクターを評価プロセスか
を学校全体の運営のツール、あるいは学校改革の
ら排除したことへの異議申し立てであると同時
契機として活用するケースもあれば、個々の教員
に、それらのアクターを中心にしてこそ学校改善
や個別の教科において活用するケースもあった。
につながる評価が行いうることを、オルタナティ
学校評価を通じた教育の品質保証という点で
ブとして示そうとするものでもあった。
は、教員がその評価の担い手として加わったこと
SSFT 報告の第二の意義は、同報告が「説明責
に大きな意義があった。SSFT 報告に参加した教
任モデル」を学校評価から排除するのではなく、
員からは、SSFT 報告の活用により、「学校改善
外部評価の意義を認めながら15、それを自己評価
計画を教室での教育活動に結びつけるのに役立っ
を中心とする学校改善サイクルに接続し、双方の
た」「重要な基準に照らして教室での実践を評価
強みを生かしながら教育活動と学習を支援する総
することができた」
「教育活動の評価や改善に生
合的な品質保証のシステムを構築することをめざ
徒を巻き込むことができた」
「学びの評価に親を
したということにある。この点は従来のイギリス
巻き込むことができた」等の肯定的なコメントが
における自己評価にはなかった視点であった。
13
寄せられたという 。
しかし、この第二の点は両刃の剣であった。
これらは、学校自己評価を通じて自らの専門性
教員の成長と自己評価の関係を検討した勝野正
を何らかの形で高めることができた、あるいはそ
章によれば、教員の自己評価には、二つの側面が
の展望を持つことができた教員の、
「職能改善モ
あるという。一つは、教室での実践をふりかえり
デル」に対する評価と捉えることができる。しか
反省しながら専門家として自ら成長する自己評価
し他方では、マクベスも指摘するように、教育水
であり、これは同僚の教員や生徒との協働でさら
準局査察による外部評価=「説明責任モデル」が
に豊かなものとなる。もう一つは、明確に定義さ
支配的な状況下で、SSFT 報告の示す評価基準と
れ与えられた目的とそれを達成するための技術的
教育水準局の評価基準を調節することが困難で
法則およびその知識の存在を前提に、教員が「自
― 6 ―
久保木匡介
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(2)
1
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3
分の活動を意識的に監視する」自己評価である16。
法に基づいて形成された戦後イギリスの教育シス
このことを本稿が検討してきた学校評価に当ては
テムにおいて、地方教育当局は地域の教育ニーズ
めて考えた場合、前者が「職能改善モデル」
、後
に応え学校やカレッジを提供する機関としての役
者が「説明責任モデル」に適合的であるのは明ら
割を担ってきた。そして、地域における教育のイ
かであろう。
ンフラ整備を拡大する仕事の中で、地方教育当局
SSFT 報告の学校自己評価は、自己評価のうち
は教員が専門職としての技術を磨く条件を提供し
前者の側面を軸に評価システムを構築することを
てきた。地方教育当局が教育の枠組みを刷新し管
提唱するものと考えられる。しかし、それが教育
理する一方で、学習のプロセスに関する問題は
水準局査察のように国家が規定する教育内容や達
もっぱら校長や教員たちの課題というように捉え
成目標を基準の中心にすえた強力な外部評価と接
られてきており、ある種の分業関係が確立してい
合されるとき、自己評価の中の後者の側面が機能
た17。
し、前者の側面は従属的な役割しか果たしえなく
他方で1944年教育法では、地方教育当局に管轄
なる危険性が生じる。それは、各学校独自の評価
の教育機関を査察(inspect)できる権限を付与し
指標の設定や、評価プロセスの「学校コミュニテ
ており、これにもとづき地方教育当局が雇う地方
ィ」による「領有」が行われず、外部評価のプロ
視学によって各学校の査察が行われることとなっ
セスの一部に自己評価が組み込まれてしまうこと
た。地方視学の多くは教育関係者、特に元校長な
に他ならない。
どであり、これらの人々が当該地域内の学校や教
本稿3の2)で検討するように、1997年に成立
員に対して指導・助言を提供した。重要なこと
した労働党政権下で行われた学校評価への自己評
は、地方教育当局の査察には、もともと査察的任
価の導入は、このような懸念を現実化させるもの
務と助言的任務があり、1970年代には従来にも増
となっていったのである。
して助言的任務に重点が置かれるようになったこ
2 学校評価システムの変化と地方教育当局
前述のように、SSFT 報告が自己評価を軸とす
とである。さらに、カリキュラムを含めた多くの
教育内容に関わる事項に、地方視学を含む地方教
育当局全体が関わるようになったのである18。
る学校評価システムの構築を提言するに際して強
したがって、1992年の教育水準局査察導入以前
調したのは、学校評価システムにおける地方教育
には、独自の原則に基づいた監察と評価のスキー
当局の役割であった。そこで期待されていたの
ムを有する地方教育当局が一定存在した。ウッド
は、学校自己評価を支援し、「批判の友」を提供
(Wood, M.)によれば、地方視学の持つ、地域
することであった。しかし、80年代から90年代に
についての知見と学校に対する支援的な関係性が
いたる保守党政権の教育改革では、従来の学校自
基礎となり、地方教育当局と学校がパートナーシ
己評価の助言者としての地方教育当局の役割は大
ップの中で協働する伝統が、地域レベルで形成さ
きく制約され、変貌するにいたった。ここでは、
れてきた。戦後の教育システムの中で、地方教育
教育水準局査察導入以降の地方教育当局の役割の
当局は教育の基盤整備に加え、教育の内容に関わ
変化を検討しながら、学校評価システムをめぐる
る助言的機能を強化することにより、教員や学校
対抗関係の中で、地方教育当局の占めてきた位置
の有する教育の専門性の改善という課題を共有
を明らかにしたい。その作業を通じ、SSFT 報告
し、結びつきを強めてきたのである19。総じて、
が期待した、「学校自己評価を支援する要として
戦後イギリス教育行政の中で地方教育当局が果た
の地方教育当局」が実現する条件が、特に保守党
してきたのは、
「職能改善モデル」にもとづく学
から労働党への政権交代期にどのように変化した
校への評価、助言、支援の各機能であったという
のかを明らかにしたい。
ことができよう。
1)戦後の地方教育当局と学校評価
2)1988年教育法と LEA の「弱体化」政策
ランソン(Ranson, S.)によれ ば、1944年 教 育
― 7 ―
このような教育現場と地方教育当局の結びつき
1
2
4
長野大学紀要
第3
2巻第2号 2
0
1
0
の強さゆえに、サッチャー保守党政権が子どもの
べ、地方教育当局の査察から教育水準局による全
学力低下と学校の機能不全を問題としたときに、
国一律の査察体制への移行を強調したのである。
地方教育当局は主要な攻撃対象とされることに
さらに『選択と多様性』白書は、今後の地方教
なった。サッチャー政権は、1988年教育法により
育当局の役割について以下のような認識を示し
地方教育当局の権限の多くを「剥奪」し、その
た23。
「弱体化」を図った。保守党政権にあっては、前
・国庫補助学校の拡大により地方教育当局の役割
は変化する。
稿で指摘した「親の選択権」の保障・強化と外部
評価の導入による「説明責任モデル」の確立は、
・政府は地方教育当局が各学校に対し更なる権限
委譲を行うことを要求する。
学校と共に旧来の「職能改善モデル」の枠組みと
して機能してきた地方教育当局の弱体化なしには
・地方教育当局は国庫補助学校に支援サービスを
行うことができる。
ありえなかったのである。
まず、「自立的学校運営」(Local Management of
・政府は地方教育当局の運営する学校と国庫補助
schools)として、その権限の多くを地方教育当局
学校の地位にある国立、教会立、ボランタリー
から各学校に委譲することをうたい、学校の経営
の各学校のパートナーシップを強化する。
20
責任は各学校にゆだねられることとなった 。
その上で、地方教育当局が有してきた学校に対
同時に、1988年教育法によって、公立の各学校
する助言、支援、あるいは訓練の機能は民間セク
は理事会の判断により地方教育当局の管轄から離
ターに移譲することを展望している。このよう
れ、「国庫補助学校(Grant Mainted School)」とし
に、保守党政権の教育政策において、地方教育当
て国の直接管理下に入ることが可能となった。政
局はその権限を各学校に、あるいは中央政府に
府の意図は、公立学校に対する地方教育当局の独
(あるいは民間セクターに)移譲させられ、教育
占的な支配を打破し、国の定めるナショナル・カ
システムの「周辺」に位置づけられることとなっ
リキュラムの下で父母に直接責任を負う自立的な
たのである。
学校経営を確立することであった。ランソンは、
この国庫補助学校の導入は保守党政権のニューラ
3)90年代の変化:
「説明責任モデル」の浸透と
21
地方教育当局の位置づけの変化=「教育の質」
イト政策の中心に位置するものと捉えている 。
保証機能への注目
この地方教育当局の「弱体化」政策は、当然な
がらそれが長年担ってきた各学校に対する「助言
しかし以上のことは、労働党との政権交代が起
的」査察機能に対しても向けられた。それに取っ
きる1997年まで、実態においてすべての地方教育
て代わったのが1992年教育法に基づく教育水準局
当局が即座に従来の学校とのパートナーシップを
の査察である。メージャー政権が1992年に発表し
断ち切られ、
「周辺」化させられたことを意味す
た白書『選択と多様性(Choice and Diversity)』は
るわけではない。
次のように述べる22。
第一に、教育水準局の査察が導入された後も、
「いくつかの地域におけるこれまでの自治体の査
現実には多くの地方教育当局が、学校の改善につ
察体制はひどいものだった―無原則で系統性のな
いて支援機能を発揮していたという事実である。
い訪問と、ほとんどあるいはまったく評価を行わ
おもに査察終了後の学校改善に対する地方教育当
ない非 公 開 の 報 告し か な か っ た。
(略)査 察 官
局の支援を調査したウッドによれば、学校査察の
は、持ち時間のうちせいぜい3パーセント程度し
プロセスにおける各学校に対する地方教育当局の
か教室の視察に時間を割かず、彼らはしばしば査
関わり方は多様である24。
まず、査察に対する地方教育当局による事前の
察と助言の区別をまったくつけていなかった」。
その上で、1989年以降もその改善が不十分であ
関わりとして、査察を受けるための学校や学校理
るとして、「来年から、すべての学校は、新しい
事に対する訓練、各科目に専門的知識を持つ地方
強力な学校査察官の注意深い観察の下で、規則的
視学による科目ごとのアドバイス、カリキュラム
で厳格な査察を課されることになるだろう」との
や教育政策の改訂についてのガイダンス、学校経
― 8 ―
久保木匡介
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(2)
1
2
5
営のアドバイスなどがある。これらについては、
摘している。地方教育当局査察の開始の背景にこ
1995−96の OFSTED 年次報告書が次のような苦
うした意図があったことが事実であるとしても、
言を呈している。
「地方教育当局は多くの資源を
もう一方で教育水準局を中心とした教育の品質保
査察の準備に投入しすぎている。純粋に教育水準
証システムの中に地方教育当局を位置づけるとい
局のフレームワークで学校の成果を評価するなら
う改革の方向性が保守党政権期から存在していた
いいが、査察において学校をよりよく見せるため
ことは留意されるべきであろう。
25
であるなら、それは正当化されない」。
「職能改善モデル」と「説明責任モデル」との
次に、教育水準局による査察の判定が出された
対抗図式の中で学校評価の変化を捉える本稿の問
あとの対応についても、各学校は地方教育当局の
題関心からすれば、教員や学校に対して助言し支
専門的な支援を必要としてきた。特に、
「失敗」
援する地方教育当局の役割をめぐっては、教育水
「重大な弱点」と判定された学校にとっては、査
準局査察の導入以降、地方教育当局の位置が「職
察後の学校改善のための行動計画と目標設定を行
能改善モデル」の担い手から、「説明責任モデ
う上で地方教育当局は重要な役割を果たしてお
ル」の担い手へと徐々に変化してきたことが注目
り、そのことは政府内でも認識されていたとい
される。
26
う 。
従来から、学校独自の文脈や発展のプロセスに
第二に、保守党政権末期には、地方教育当局に
即して助言を行い、現場の教員や学校の職能改善
対して各学校の教育の質を保証する役割を要求す
を支援してきた地方教育当局は、教育水準局の査
る議論が政府内でも現れた。
察が導入されたことによって、各学校に対する支
1996年の教育雇用省白書『学校のための自己統
援内容を変更せざるをえなくなった。地方教育当
治(Self Government for Schools)』では、教育水
局は、各学校から教育水準局査察への対応につい
準を向上させる責任は学校自身が第一義的に追
ての助言や支援を求められれば、教育水準局の査
う、という前提を置きつつ、その上で地方教育当
察枠組みに基づいた支援を行うことになる。それ
局が持つべき「品質保証」機能について論じてい
は各学校の事情を知る地方教育当局だからこそで
る27。「教育水準の向上についての責任はおもに学
きる支援であるという意味において、従来からの
校自身にある。しかし地方教育当局は、助言や支
地方教育当局と学校の関係性の中で行われる側面
援サービスを提供することによって、各学校が
がある。しかし他方では、その支援内容はあくま
各々の改善目標を設定する基盤としてパフォーマ
で中央政府の求めるパフォーマンスの改善を推進
ンス・データを流布することによって、
「失敗」
するものとなっており、その点では中央政府が構
「深刻な弱点を持つ」と判定された学校と協働す
築したナショナル・カリキュラムを柱にした集権
ることによって、学校を支援する役割を負ってい
的な教育システムと、その中で展開する「説明責
る。」
任モデル」を、地方教育当局が各学校に浸透させ
そして地方教育当局がこれらの課題を遂行する
上で、政府自身が地方教育当局の品質保証を行う
る役割を担うようになったと捉える必要があろ
う。
必要性を認め、教育水準局の査察の対象に地方教
育当局を含むことが示唆されているのである。
しかし、教育水準局の査察体制の中で、地方教
育当局がその推進主体として本格的に位置づけ直
政権交代の直前、保守党政権は教育水準局の査
されるのは1997年教育法以降である。それが労働
察対象に地方教育当局を新たに加えることを内容
党政権によって実行される中で、地方教育当局の
とした1997年教育法を成立させた。清田夏代は保
役割は、より明確に「説明責任モデル」の担い手
守党政権期の教育改革における地方教育当局の位
として再浮上してくるのである。
置づけについて、「公立学校の 水 準 低 下 の 責 を
LEA に負わせ、それから権限を奪うことを正当
化するための手段として、LEA の機能不全を開
28
と指
示させるために LEA 査察制度を導入した」
3 労働党政権(1
9
9
7〜2
0
0
1)の教育政策:
地方教育当局の役割変化と自己評価の採用
1)「教育水準の向上」政策と品質保証機関とし
― 9 ―
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6
長野大学紀要
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ての地方教育当局
たな「教育水準と効果ユニット」が主導する教育
1997年総選挙の労働党マニフェスト29は、教育
雇用省の支援と圧力によって改善される。教育水
政策を「保守党政権の最大の失敗」であると同時
30
準局の地方教育当局査察がこれを補強する。」
に「労働党政権の最優先課題」であると宣言し、
この新たなガバナンスは、教育水準の向上を客
教育改革の諸提案を行った。そこでは30人学級や
観的な数値目標の達成によって遂行する責任を有
幼年時教育の実現と並んで「学校における低い教
する学校と、それを支えるために形成される地方
育水準との戦い(attack low standards of schools)」
教 育 当 局、教 育 水 準 局、政 府=教 育 雇 用 省 の
が 掲 げ ら れ た。こ れ 以 降、
「教 育 水 準 の 向 上
「パートナーシップ」によって構成される。この
(raising standards)」が労働党政権の教育政策を
「パートナーシップ」は、各アクターが「教育水
象徴するスローガンとなる。
準の向上」について独自の説明責任を負いなが
さらに同マニフェストでは、この「教育水準の
ら、それらが全体として教育サービスの品質保証
向上」政策の要として地方教育当局に高い位置づ
のヒエラルキーを構成する、重層的「説明責任モ
けが与えられた。すなわち、
「低いパフォーマン
デル」とでも言いうるものである。
この「パートナーシップ」におけるそれぞれの
スに対する不寛容」として、次のような内容が述
べられていたのである。
アクターの役割は次のようである。まず、学校は
「すべての学校には成功する能力がある。すべて
教育水準向上の第一義的な責任主体として、自ら
の地方教育当局(LEAs)は、すべての学校が改
のパフォーマンスを改善するための目標を設定し
善されていることを示さなければならない。改善
て、それらを追求することが求められる。それに
が不可能な失敗校に対しては、大臣が「フレッシ
対して地方教育当局は、学校が目標を設定し、そ
ュ・スタート」を命じるだろう―それは学校を閉
れらを達成するための支援を行うこととされる。
鎖し、同じ場所で新たに再スタートすることであ
これには後述するように教育水準局の査察が行わ
る。良質な学校と劣悪な学校が隣同士で並存して
れない期間のモニタリングや、改善が思うように
いるところでは、われわれは地方教育当局に対し
進まない学校に対する介入が含まれる。教育水準
て、一方の学校が他方の学校を引き継いで、低い
局の役割は、全国共通の枠組みで個々の学校およ
パフォーマンスの学校に新たな道筋をつけること
び地方教育当局のパフォーマンスを査察し、学校
を許可する権限を与える。」
システム全体の状況について外部評価を行うこと
さらに、ブレア労働党政権成立後の1997年に発
である。教育雇用省は、教育水準局とも協力しな
行された最初の教育政策白書である『学校におけ
がら、教育政策全体の枠組みを設定し、同時に各
る卓越 性(Excellence in schools)』で は 教 育 水 準
地方教育当局にパフォーマンスの改善を促す。
向上を達成するための、教育水準局や地方教育当
ではこの改革によって、学校と地方教育当局の
局を含むガバナンスが明示された。すなわち、同
関係性は従来に比してどのように変化しただろう
白書の3章「教育水準と説明責任」は以下のよう
か。それは「圧力と支援のバランス(the balance
に述べた。
31
という白書の言葉に象徴
of pressure and support)」
「2
われわれは圧力と支援の組み合わせを改善
されるように、地方教育当局が学校に対して、教
し、それらを学校に適用してコンスタントな改善
育水準向上という至上命題の目標達成を常に促し
と低いパフォーマンスへの対応を促さなければな
ながら、それが目標どおりに進められない場合に
らない。現在すでに高い質の外部査察が教育水準
は様々な「圧力」をかけることを想定するもので
局によって行われている。これらを達成するため
あった。地方教育当局は日常的なモニタリングを
に、各学校は毎年のパフォーマンスの改善の計画
行い、助言や支援を行いながら、必要に応じて学
を持ち、よりよい教育指導と学習に焦点を置き、
校に対する様々な外部からの介入を導くことが期
達成した結果を基盤としなければならない。それ
待されたのである。地方教育当局は、学校と並
らの計画は地方教育当局の賛同を必要とし、地方
び、「教育水準の向上」を達成するための重層的
教育当局のパフォーマンス改善の取り組みは、新
「説明責任モデル」の主要なアクターとして、明
―1
0―
久保木匡介
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(2)
確に位置づけられたのである。
1
2
7
業績目標に到達しているかを監視」「他の学校と
比した 当 該 校 の 水 準」な ど が 列 挙 さ れ て い る
2)教育水準局査察への自己評価の接続
(p.
152)。
①ブレア労働党政権第一期における自己評価の扱
い
②自己評価から自己査察へ
1997年に労働党が政権に就くと、学校評価シス
以上から明らかなように、2000年度版の査察ハ
テムに自己評価を導入する機運が高まった。教育
ンドブックにおける自己評価は、教育水準局査察
水準局は、1998年に自己評価のハンドブック32を
で重視する客観的な業績を中心とする基準を、ほ
出版し、教育水準局査察と並んで学校自己評価が
ぼそのまま自己評価の基準としているものであ
公に奨励されることとなった。そして、2000年度
る。したがって、ここに示されている自己評価
版の各査察ハンドブックにはいずれも「自己評価
は、本稿1の3)で言及した自己評価の二つの側
のガイド」が加えられることとなり、学校自己評
面のうち、「説明責任モデル」に適合的な側面を
価は公式に教育水準局査察と連携して行われるべ
前面に打ち出している。ここには、SSFT 報告が
きものとなったのである。
構想した「学校コミュニティの主体による評価の
例えば2000年度版小学校・保育園の査察ハンド
基準やプロセスの領有」や「自己評価における基
ブックでは、自己評価の意義について以下のよう
準と外部評価における基準の調節」はなく、外部
33
に述べられている (以下、同ハンドブックの引
評価=教育水準局査察の基準を全面的に受け入れ
用は本文中にページ数を記載)。
た自己評価が存在するのみである。
「効果的な改革と自己評価は、公開性と協議に
このような学校自己評価について、ファーグソ
よって特徴づけられ、良質な学校において誰もが
ンら(Ferguson, et. al.)は早くも、自己評価では
参加を奨励される日常的な活動となっている。自
なく教育水準局査察の不可欠の部分としての自己
己評価は、改善、モニタリング、アウトカム評価
査察(self−inspection)の一形態と捉えた34。マク
のための優先順位をコンスタントに認識するプロ
ベスもまた、この学校自己評価の導入は、教育水
セスによって、査察を補完している。」(p.
150)
準局査察との「協働モデル」を形成しているので
「全ての学校が査察の際に使っているものと同じ
はなく、学校の自己認識が査察を中心とした世界
基準のうえに学校自己評価をおくことは、有益で
35
観に回収されていくプロセスとして捉えている。
ある。学校の活動について共通の言語が形成さ
マクベスは、自己査察と自己評価の違いを表のよ
れ、基準を通じて表現されてきたからである。
」
うに整理した。
先述のように、労働党政権は「教育水準の向
(p.
150)
また、自己評価が、労働党政権が重視する教育
上」を政策の柱にすえ、
「低いパフォーマンスへ
水準の向上に資するために、以下のことを強調す
の不寛容」を打ち出したが、その第一義的な責任
る。
は学校自身に帰せられた36。したがって、各学校
「・生徒の達成および未達成が生じる領域を客観
は、そのパフォーマンスの向上について、保守党
政権時代のように外部アクターの統制に身をゆだ
的に見ること。
・学びに対する支援を行う前に、教育活動におけ
ねるだけでなく、外部から課せられる基準や目標
る強みと弱みを認識することで自分の学校にお
を積極的に内在化し、自らを査察(inspect)し監
けるアウトカムを説明すること。
視(monitor)しながら、「教育水準の向上」を追
・評価情報を学校改善計画の作成に活用し、教育
水準向上の手段としてみたときに最善のものと
求することが求められるようになったといえよ
う。
かくして、1997年以降の労働党政権における学
すること。」(p.
151)
さらに、評価の基準(Evaluating Standards)で
校評価は、自己評価を導入することを通じて、さ
は、「テスト結果と教員評価の分析」「テスト結果
らに精緻な「説明責任モデル」に向けて舵を切っ
の人種やジェンダーごとの研究」
「何人の生徒が
たのである。
―1
1―
1
2
8
長野大学紀要
表
第3
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1
0
自己査察(self-inspection)と自己評価(self-evaluation)の特徴の比較
自己査察
自己評価
トップダウン
ボトムアップ
一回限りのイベント
継続的で校長や教員の業務に埋め込まれている
現場のスナップショットを提供
現場の動画を提供
時間を浪費する
時間を節約する
改善より説明責任を重視
説明責任より改善を重視
共通の枠組みを適用して行われる
柔軟かつ内発的に行われる
事前に設定された基準を適用する
適切な基準を活用、適合、創出する
抵抗を生みやすい
人々を引きつけ、包摂する
学びや教育活動を損ないやすい
学びや教育活動を改善する
見解の一致を要求する
多様性を奨励する
出典:MacBeath, J.(2
0
0
6)
, School Inspection and Self-evaluation, p.
5
7.
コミュニティや教育コミュニティの中で閉じられ
4 小括
た自己評価を行うのではなく、参加や合意形成を
本稿では、1990年代の保守党政権からブレア労
重視することにより、自己評価を行う主体の「拡
働党政権第一期にいたる過渡期に、学校自己評価
大」と「開かれた」専門性の構築を志向するもの
と地方教育当局をめぐる議論と改革を検討し、前
であり37、自己評価から改善にいたるサイクルの
稿で示した「説明責任モデル」と「職能改善モデ
具体的な提起を含め、
「職能改善モデル」の総合
ル」の対抗図式の中で整理することを試みた。
的なバージョンアップを図るものであった。
NUT の発行した SSFT 報告による学校自己評
しかし他方で、SSFT 報告は、その中に学校自
価システムの提起は以下の意義を有するもので
己評価と教育水準局の査察システムという容易に
あった。
は相容れない二つのシステムを、自己評価を機軸
第一に、監査社会化の進行と「説明責任モデ
に接続する志向を強く持っていた。現実には、こ
ル」の隆盛という時代状況の中で、教育水準局査
の提案は「説明責任モデル」をその哲学として生
察に対抗して「職能改善モデル」の新たな発展の
み出された教育水準局査察そのものを根本から組
可能性が90年代に追求されたことである。教育水
み替える大胆な改 革 案 と な ら ざ る を 得 な い。
準局査察の導入によって、イギリスの学校評価が
SSFT 報告では、自己評価のための独自の指標に
一挙に「説明責任モデル」の覆いつくされるので
もとづき、学校コミュニティの各アクターが評価
はなく、「職能改善モデル」に依拠した有力なオ
プロセスを我がものとすること、それを支えるた
ルタナティブが提起されたことの意義は確認され
めの地方教育当局の支援を整備することなどを、
てよいだろう。
それらを含め査察システム全体を自己評価ベース
第二に、上記の意義のコロラリーであるが、
SSFT 報 告 は、教 員、生 徒、親、理 事 な ど 学 校
で見直すことを、その改革のポイントとして重視
していた。
「内部」のアクターが共有できる指標の創出と、
その実現可能性を SSFT 報告を提起したマクベ
それにもとづく評価を恒常的に行い、教育現場に
スらや NUT がどこまで見通していたのかは不明
おける教育活動(teaching)や学習(learning)の
である。むしろ、この提案は監査社会化と説明責
改善に資する評価情報を生み出すことを強く志向
任モデルの隆盛の中で、教員らの専門性に基礎を
したことである。
置いた「職能改善モデル」の苦肉の生き残り策で
しかも第三に、その内容は、従来の狭隘な学校
あったと見ることができるかもしれない。マクベ
―1
2―
久保木匡介
イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性(2)
スによれば、1990年代末には、外部評価と自己評
1
2
9
る。
価の調和にとって決定的に重要な学校と評価機関
それは、自己評価システムの形式を通じて国の
=教育水準局の信頼関係、特に教育水準局の評価
品質保証システムを内在化させた「自己査察」の
に関わる判断力や熟練、柔軟性に対する学校側の
システムへの道を予感させるものであった。
38
信頼がかけている状況が存在していた 。SSFT
次稿では、この自己評価システムの「公認」に
報告は、このような状況を打開し、外部評価が社
よって端緒を開かれた、ブレア政権第二期以降の
会的趨勢となる中でそれを正面から否定すること
「自己査察システム」の展開過程を検討する。
なく現場の専門性に信頼を置く自己評価を「復
権」させることを狙ったものと考えることができ
るのである。
いずれにせよ、ブレア労働党政権成立後に着手
注
1
以下の拙稿では、サッチャー政権からブレア政権
にいたるイギリスの教育改革を一連の新自由主義教
された改革の中では、SSFT 報告が期待した上記
育改革として把握した。久保木匡介「第1
6章
のポイントは実現されなかった。
イギ
リスにおける NPM 教育改革の展開」佐貫浩・世取山
地方教育当局の位置づけについては、政権交代
洋介編『新自由主義教育改革
を契機に、「職能改善モデル」における学校の支
援者としての地方教育当局から、
「説明責任モデ
その理論・実態と対
抗軸』大月書店、2
0
0
8年。
2 「イギリス教育水準局の学校査察と教育の専門性
ル」の要としての地方教育当局へ向けて、明確な
(1)−1
9
9
0年代保守党政権期を中心に−」
『長野大
転換が行われた。地方教育当局は、SSFT 報告が
学紀要』第3
1巻第1号、2
0
0
9年6月。
想定した学校自己評価の支援者ではなく、外部評
3
価の先鋭な担い手として現れたのである。これは
保守党政権期から、教育水準局査察が浸透する中
4
権における教育行政システムは、保守党時代の
ある。
5
NUT (1999), Memorandum from the National Union of
Teachers (Appendix 10) in The Education and Employ-
「説明責任モデル」をさらに精緻化したものと
なった。
MacBeath, J., et al. (1995), Schools Speak for themselves. 同報告は NUT のホームページより閲覧可能で
で地方教育当局の役割そのものにも転換が生じて
きたことの帰結でもある。これにより、労働党政
The Education and Employment Committee (1999), The
Work of OFSTED : Fourth Report, para. 98.
ment Committee, The Work of OFSTED : Fourth Report.
6
MacBeath, J., et al. (1995), op cit., p.
1
0.
自己評価の導入は、1997年以降の労働党政権下
7
ibid ., p.90.
では教育水準局査察に学校自己評価が加えられる
8
ibid ., p.11.
形で行われた。査察のプロセス全体の中で自己評
9
MacBeath, J. (1999), Schools Must Speak for them-
価がどのように位置づけられ、その評価結果が査
selves : The Case for School Self-evaluation, Routledge,
察全体にどのような影響を及ぼすことが想定され
p.90.
ているのかについては、ブレア労働党政権第一期
1
0 OFSTED (1995), The OFSTED Handbook : Guidance
on the Inspection of Nursery and Primary School , part 3.
では未整理なままであった。自己評価を教育水準
局査察システムの中に体系的に組み込む作業は、
ブレア政権第二期以降の課題となる。ここで確認
できるのは、自己評価の評価指標は外部評価=査
察の指標を基礎に設定されたこと、したがって教
1
1 MacBeath, J. (1999), op. cit., pp.71−73.
1
2 NUT (1999), op. cit.
1
3 MacBeath, J. (1999), op. cit., p.80.
1
4 ibid ., p.78.
1
5 マクベスは、1
9
9
9年の下院教育雇用委員会の証言
員や生徒、保護者らによる評価プロセスの「領
において、外部評価の意義を、「新たな視座(の導
有」は企図されなかったことである。すなわち、
入)
」
「評価における熟練」
「社会経済的文脈で評価に
ブレア政権第一期における学校自己評価の導入
よる発見を解釈できること」
「他の学校の知識(の参
は、自己評価が、SSFT 報告の想定した「職能改
照)
」など7つ列挙し、自己評価を中心としたシステ
善モデル」ではなく、「説明責任モデル」を構成
ムにそれらが組み込まれる意義を主張し た。Mac-
する基準を有するものであったということであ
Beath, J.(1999), Memorandum from Professor John Mac-
―1
3―
1
3
0
長野大学紀要
第3
2巻第2号 2
0
1
0
Beath(Appendix 15), in The Education and Employment
3
0 Department for Education and Employment (1997), Excellence in schools, pp.24−25.
Committee(1999), The Work of OFSTED : Fourth Report,
3
1 ibid ., p.27.
Appendix 15.
1
6 勝野正章『教員評価の理念と政策
日本とイギリ
3
2 OFSTED (1998), School Evaluation Matters, ただし未
見。
ス』エイデル研究所、2
0
0
4年、7
0−7
1ページ。
1
7 Ranson, S. (1995), The Role of Local Government in
3
3 OFSTED (2000), Handbook for Inspecting : Primary
and Nursery Schools with guidance on self-evaluation.
Education: assuring quality and accountability, Longman,
3
4 Ferguson, Earley, Fidler and Ouston (2001), Improving
p.13.
1
8 高妻紳二郎『イギリス視学制度に関する研究―第
Schools and Inspection : The Self-Inspecting School , pp.5−
三者による学校評価 の 伝 統 と 革 新―』多 賀 出 版、
7.
3
5 MacBeath, J. (2006), School Inspection and Self-
2
0
0
7年、1
8
4
‐
1
8
7ページ。
1
9 Wood, M. (1998), Partners in Pursuit of Quality : LEA
evaluation : working with the New Relationship, Routledge, pp.56−57.
Support for School Improvement after Inspection, in Earley, P. eds., School Improvement after Inspection? :
3
6 Department for Education and Employment (1997), op.
cit., p.12.
School and LEA Responses, PCP, p.41.
2
0 その詳細については望田研吾『現代イギリスの中
3
7 この点については、教育を含む公共サービス全般
等教育改革の研究』九州大学出版会、1
9
9
6年、2
7
3
‐
における業績測定偏重の評価のあり方に対して「参
加型評価の可能性」を検討した平塚眞樹の議論を参
2
7
4ページの注)1
1
3を参照のこと。
2
1 Ranson, S. (1995), op. cit., p.24.
考にした。平塚眞樹「教育改革評価のあり方に関す
2
2 Cm 2021 (1992), Choice and Diversity : A new frame-
る一考察
正当性の回復
を、どのようにはかるの
か」
『教育学研究』7
3巻4号、2
0
0
6年、6
4ページおよ
work for schools, HMSO, p.3.
2
3 ibid ., pp.31−32.
び6
7ページ。ここで参加型評価とは、「政策や改革の
2
4 Wood, M. (1998), op. cit., p.42.
実施過程に参加した多様な主体が、当事者ベース、
2
5 OFSTED (1997), The Annual Report of Her Majesty’s
現場ベースで自ら随時プロセス評価を積み重ねてい
Chief Inspector of Schools : Standars and Quality in Edu-
く、いわば再帰的な活動」と説明される。そして、
cation 1995/96, HMSO, p.42.
教員に加え、生徒、保護者、住民、研究者といった
2
6 Wood, M. (1998), op. cit., p.42.
多様な主体が改革過程に参加しているという点で、
2
7 Department for Education and Employment (1996), Self
「拡張された内部」評価であることが重視される。
Government for Schools. また、Wood, M. (1998), op.
平塚が念頭においているのは、日本における「開か
cit., p.38 も参照。
れ た 学 校 づ く り」の「自 主 的 な」取 り 組 み で あ る
が、SSFT 報告の提案する自己評価システムもこの
2
8 清田夏代『現代イギリスの教育行政改革』勁草書
「参加型評価」の一類型として把握できるだろう。
房、2
0
0
5年、1
6
4ページ。
2
9 Labour Manifesto 1997, New Labour ; Because Britain
3
8 MacBeath, J. (1999), op. cit.
deserves better.
―1
4―
長野大学紀要
第3
2巻第2号 1
5―2
9頁(1
3
1―1
4
5頁)2
0
1
0
経営管理イノベーションとしての非常識経営
―メガネ21(トゥーワン)の経営モデル分析―
An Eccentric Management as Management Innovation
―Management Model Analysis for “Megane21(Two-One)”―
木
村
誠*
Makoto KIMURA
当化の両側面から捉えた視覚化を試み、そのメカ
1.はじめに
ニズムを記述する。
21世紀の今日、経営管理のための情報基盤とし
木村(2009)は非常識経営と呼ばれる事例に着
てイントラネットが利用されている。イントラネ
目し、良循環モデルと悪循環モデルの一対構造と
ットは、通信プロトコル TCP/IP 等のインターネ
なる内部モデルの図式化を試みることで、経営者
ット標準の技術を用いて構築された企業内情報通
がメンタルモデルとして保持していると想定され
信ネットワークである。イントラネットの利用者
る多様な経営変数を取り込んだ経営の仕組みを論
は、通常、社員等に限定している。つまり、イン
じてきた。この非常識経営とは、現在、当然と見
トラネットを用いて情報共有する際には、その基
なされている職業観および企業内制度が否定ある
盤の運営を通じて、その利用者の身元が担保され
いは廃止されており、逆に通常と異なる職業観を
る。イントラネットを用いた情報共有は、信頼の
推奨、あるいは通常と異なる制度を積極的に採用
おける当事者同士の情報共有であり、その恩恵を
しているが、結果的に収益を確保しており、企業
可視化さらには内部化することが容易となる。
として存続しうる経営を指している。ある企業が
例えば、イントラネットを用いた電子会議室の
「非常識経営である」と呼ばれる由縁は、他の企
運営から、当事者同士の情報共有さらには問題提
業で行われていないことが意図して行われてい
起や解決策の提案といった新たな情報発信能力が
る、あるいは、他の企業で行われていることが意
高まることも期待できる。一方、イントラネット
図して行われていないことにある。非常識経営の
から、オープンなインターネットを通じて社外の
具体例として、成果主義の否定、仲間意識、ホ
利害関係者に向けて情報発信することもできる。
ウ・レ ン・ソ ウ(報 告・連 絡・相 談)禁 止、IT
本稿は、Hamel and Breen(2007)が提唱する経
導入の拒否、出退勤自由、自動化の拒否、管理会
営管理イノベーションを実現している経営管理の
計の簡略化、仕事と遊びの境目の不明瞭さ等があ
逸脱例(非常識経営の事例)として、イントラネ
る。
ットと社内ウェブによる、ほぼ完全な情報共有が
本研究は、木村が論じてきた、代表取締役社長
行われているメガネ専門店21(トゥーワン)を取
である経営者のみが保持しているメンタルモデル
り上げる。事例分析では経営管理手法のモデル化
(内部モデル)ではなく、社員全員の共有が目指
(21経営モデル)として、経営管理の効率化と正
されているメンタルモデル(経営モデル)につい
*企業情報学部准教授
―1
5―
1
3
2
長野大学紀要
第3
2巻第2号 2
0
1
0
て論じることが目的である。そのために、Hamel
ために、測定装置とその管理者を必要としない。
and Breen(2007)が提唱する経営管理イノベー
つまり、経営管理の効率化をはかるために、管理
ションの概念を分析枠組みとして援用し、経営管
者側は、経営変数の測定・評価するという行為自
理イノベーションの実現形態と見なされる非常識
体を行わないという逆転的な考え方である。
経営の事例分析を行い、その経営モデルを導出す
る。
そして経営管理には、経営組織がそれを行うべ
きか否かという正当化の論理がある。いわゆる公
正の議論である。社会的公正に関する最近の知見
2.本研究に関連する先行研究
では、「社会の効率的な運営には、成果分配の公
2.
1. 経営管理の効率化と正当化
正よりも、決定手続きの公正さの方がより重要と
「企業は利益を上げることが最終目的の経済組
される」
(Tyler et al,
1
9
9
7)
。Leventhal(1
9
8
0)は、
織体である」(伊丹,2009)ということは、企業
手続き的公正を、「分配過程を規定する社会的シ
経営の一大命題である。その長期的な利益の最大
ステムの手続き的構成要素が公正であるかどうか
化を達成するために、経営管理の効率化が図られ
に関する個人の知覚」と定義し、手続き的公正を
る。
評価するための6つの基準(情報の正確さ、修正
企業における経営管理の効率化は、合理化ある
可能性、代表性、倫理性、一貫性、偏見のなさ)
いはコスト削減と同義に捉えることができる。企
を提案している。手続き的公正を認知した人々
業、さらには産業の工業化や情報化の基本的な論
は、「集団成員としての自覚が強まり、集団に対
理は、そのための工数や費用を投入することに
する献身的行動が増える」と見なされる。
よって、把握できない状況から管理可能な状態に
経営管理の正当化の論理には、その正当性を認
移行することで効率化を推進し、経営実績を向上
知してもらう対象範囲として、社内と社外(世
させることにあるといえよう。
間)がある。本稿では、社員に向けた社内手続き
この考え方は、測定装置とその管理者の存在を
の公正と一般市民に向けた事業の社会的公正の2
前提としている。そして、管理可能とするための
つに大別する。しかし、事業の社会的公正は、極
諸変数(経営変数)の測定、評価、維持のための
めて適用範囲が広い概念である。そのために、事
費用は必要経費と見なされ、積極的に負担され
業の社会的公正を評価するための基準として以下
る。例えば、成果主義導入と維持のためのコスト
の6つを抽出した(説明責任、継続的改善、法人
は必要経費と見なされる。これを、経営管理の効
格、法規遵守、経営方針、顧客満足)
。説明責任
率化のための管理者側による測定・評価の推進と
は、事業における資本、労働、生産の内容と数字
呼ぶことにしよう。
を利害関係者に開示していること。継続的改善
上記に対して、測定・評価の放棄という論理も
は、事業の遂行に関連するプロセスを継続的に改
ありうる。すなわち、「何もしない」。経営管理の
善していること。法人格は、法人として資産を所
ための工数や費用を出来る限り投入しない。その
有し、個人や他の組織と適切な契約関係を結んで
表1
Levernthal(1
9
8
0)の手続き的公正基準
基準
内容
情報の正確さ(accuracy)
正確な情報を基盤として決定が下されている。
修正可能性(correctability)
再審理の機会がある。
代表性(representativeness)
すべての関係者の利害関心や価値観が反映されている。
倫理性(ethicality)
基本道徳や倫理に反しない。
一貫性(consistency)
時間や対象者を超えて一貫した手続きが適用される。
偏りのなさ(bias-suppression)
個人的利害や思想的先入観が抑制されている。
(林(2
0
0
7)から引用し、一部変更)
―1
6―
木村
誠
経営管理イノベーションとしての非常識経営
表2
1
3
3
経営管理の効率化と正当化
経営管理の正当化
管 理 者 側 測 定・評 価 管 理 者 側 測 定・評 価
推進
廃棄
の
組織内手続きの公正
事業の社会的公正
経営管理の効率化
・情報の正確さ
・修正可能性
・代表性
・倫理性
・一貫性
・偏りのなさ
・説明責任
・継続的改善
・法人格
・法規遵守
・経営方針
・顧客満足
・測定未実施
・評価未実施
・未実施の社内公開
・測定未実施
・評価未実施
・未実施の公開
の
いること。法規遵守は、事業の遂行において法律
2.
2. 経営管理イノベーションの考え方
を遵守しており、それを公開していること。経営
Hamel and Breen(2007)は、企業の経営管理プ
方針は、組織アイデンティティとしての経営方針
ロセスを「経営管理の仕事が日々どのように実行
を持ち、それを公開していること。顧客満足は、
されるかを決定づける決まりや手順」と定義し、
事業活動が顧客の満足度向上を目指しており、そ
その典型的プロセスとして、戦略的プランニン
れを公開していること。
グ、予算配分、プロジェクト管理、採用・昇進、
すなわち、経営管理の効率化の論理として、経
訓練・能力開発、社内コミュニケーション、知識
営者側による経営変数の測定・評価の推進とその
マネジメント、定期的事業評価、社員評価と報酬
放棄の2通りがありうる。そして経営管理の正当
決定をあげている。そして経営管理イノベーショ
化の論理として、社内手続きの公正と事業の社会
ン(management innovation)を、「経 営 管 理 の 仕
的公正の2通りがありうる。経営管理の効率化と
事を遂行する手法や従来の組織の形を大幅に変
正当化の論理の対応関係は、表2のように示すこ
え、なおかつ、そうすることによって組織の目的
とができる。
を推進するあらゆるもの」と定義しており、経営
しかしながら、企業における従来の経営管理プ
ロセスが、効率性と正当性の両方を同等に扱って
管理イノベーションが競争優位の源泉となりうる
ことを主張している。
いたわけではない。通常は、経営管理の効率性が
彼らは、経営管理イノベーションの目的を「個
最重要と見なされてきた。その理由の一つは、
人と組織の双方の達成領域を拡大し、業績の優位
Hamel and Breen が指摘するように、企業の階層
性を獲得すること」と見なし、従来の階層構造や
構造に由来するともいえよう。つまり、頂点とな
官僚主義を採用せずにインターネットを活用する
る経営者(代表取締役社長)はただ一人であり、
ことで、その実現のための諸調整を促進しうるこ
情報と権力が集中する仕組みができており、経営
とを強調している1。
者が経営管理の正当性に関心を持たない限り、経
Hamel らは、インターネット上のコンテンツの
営管理の効率性のみが推進され、一層、情報と権
連携さらにはアプリケーション連携であるウェブ
力が集約していくことになる。
(リアルタイムの分散型ネットワーク)を経営管
理の新技術と見なしている。そして、ウェブを活
用することで、個人の活動を拡大、結集させるこ
―1
7―
1
3
4
長野大学紀要
図1
第3
2巻第2号 2
0
1
0
経営管理イノベーションの階層
とが経営管理イノベーションの方向性と捉えてい
る。
.
資源が機会に従って自由に移動する。
決定は仲間の間でなされる。
さらに、インターネット自体の管理に見られる
上記の Hamel and Breen が提唱する21世紀の経
特徴として14項目をあげており、これらが、21世
営管理システムの構成要素における経営管理の効
紀の経営管理システムの設計仕様となることを予
率化と正当化の論理の対応関係を示すことを試み
言している。
るならば、表3のマトリクスで示すことができ
!
"
#
$
%
&
'
すべての人に発言権がある。
る。
創造のツールが広く配布される。
このとき、
「権力が下から与えられる」ことと
実験が手軽に安く行える。
「決定は仲間の間でなされる」ことは、管理者側
資格や肩書きより能力がものをいう。
の測定・評価の放棄ではなく、むしろ、測定・評
参加は自主的である。
価の指針として捉えている。また、「権威は流動
権力は下から与えられる。
的で、加えられる価値に付随すること」、「アイデ
権威は流動的で、加えられる価値に付随す
アが公平な土壌で競争する」こと、「売り手と買
(
る。
)
る。
*
+
,
よって大きな力を与えられる。
い手が互いに相手を簡単に見つけることができ
唯一の階層構造は、「自然な」階層構造であ
る」ことは、事業の社会的公正(特に経営方針)
かつ管理者側の測定・評価の推進が行われている
コミュニティは自己定義する。個人は情報に
項目とした。
そして、「唯一の階層構造は、「自然な」階層構
すべてが分散的である。
造である」、「すべてが分散的である」、「資源が機
アイデアは公平な土壌で競争する。
会に従って自由に移動する」ことは、社内手続き
売り手と買い手が互いに相手を簡単に見つけ
の範囲ではなく、事業の社会的公正であり、かつ
ることができる。
管理者側の測定・評価の放棄と見なしている。
―1
8―
木村
誠
経営管理イノベーションとしての非常識経営
1
3
5
表3 2
1世紀の管理システム構成要素の分類の試み
経営管理の正当化
管 理 者 側 の 測 定・ 管 理 者 側 の 測 定・
評価推進
評価放棄
経営管理の効率化
社内手続きの公正
事業の社会的公正
・すべての人に発言権がある。
・資格や肩書きより能力がものをいう。
・権力は下から与えられる。
・決定は仲間の間でなされる。
・権威は流動的で、加えられる価値に付
随する。
・アイデアが公平な土壌で競争する。
・売り手と買い手が互いに相手を簡単に
見つけることができる。
・創造のツールが広く配布される。
・実験が手軽に安く行える。
・参加は自主的である。
・コミュニティは自己定義する。個人は
情報によって大きな力を与えられる。
・唯一の階層構造は、「自然な」階層構
造である。
・すべてが分散的である。
・資源が機会に従って自由に移動する。
2.
3. 経営管理の逸脱例としての非常識経営
本清(2009年11月当時)は、事業の目的と社内情
Hamel らは、経営管理イノベーションの実現例
報共有の目的を以下のように簡潔に述べている。
として「経営管理の逸脱例」を捉えており、他社
の採用する経営管理手法が逸脱例であるか否かを
「一番の目的は社員の給与を確保することで
判別するための6つの問いかけを示している。こ
す。社員の幸せが大切ですから。社員の給与を確
の6つの問いかけに含まれる要件は、次の8つに
保するためには、お客さんに来てもらわなければ
大別することができる:風変わりな慣行、従来の
ならない。だったら、そのためにお客さんに販売
問題点の解決あるいは回避、風変わりな解決策の
する価格を安くする。だから、情報共有の一番の
ための誘因づけ、風変わりな解決策のためのイン
目的は、合理化になります。合理化を行うことに
フラ、独自アプローチの根本的な原理、潜在的な
よって、販売価格は安く、社員の給与は高くす
非生産性のためのけん制メカニズム、風変わりな
る。これが一番の目的ですよね。他よりも安く売
慣行のマイナス面の緩和、風変わりな慣行に対す
ることが社員の幸せにつながるということになり
る典型的反対意見。
ます。情報共有が目的というわけではありませ
本研究は、これらの8つの要件を満たす経営管
理の逸脱例を、経営管理イノベーションを実現し
ん。業務の合理化を行い、安く販売しないと社員
の給与が確保できません。
ている非常識経営の事例と見なした。本稿で取り
とにかく、お金をかけないということが大切で
上げる事例の株式会社トゥ−ワン(21事例)は、
す。だから、組織はフラット化になる。人事もそ
表4のように、経営管理の逸脱例の8要件を満た
うだし、開発もそうだし、経理もそうだし、広告
しており、経営イノベーションを実現している非
制作もそうだし、管理もしたくない。公開すれ
常識経営事例と見なすことができよう。
ば、管理をする必要がなくなります。」(本部取締
役平本清のインタビュー、2009年11月2日)
3.事例概要
21は毎年2月末決算時までに、社員への決算賞
3.
1. 事業概要と経営業績の推移
与と販売価格値下げから、当期利益≒0円になる
(株)トゥ−ワン(21)の事例分析は、公開資料
ような調整を行っている。過去10年間の経常利益
調査と現地調査、本部取締役2名とフランチャイ
は、毎年−3千万円〜2千万円の間を推移してい
ズ店舗責任者1名からの聞きとりと電子メールに
る。その一方で、同じ商品の販売価格は年々低下
よる質疑応答を行った。21の本部取締役である平
している。
―1
9―
1
3
6
長野大学紀要
表4
第3
2巻第2号 2
0
1
0
経営管理の逸脱例の8要件と2
1事例の対応づけ
経営管理逸脱例の8要件
(Hamel and Breen,2
0
0
7)
2
1事例の項目
風変わりな慣行
原価率7
0%。売上ノルマなし。会議なし。
期末純利益≒0を目指す(内部留保をゼロにする)
。
社長4年交代制で、就任時に「何もしない」と宣言する。
従来の問題点の解決あるいは回避
銀行融資を受けずに、社員より借入(無担保借金)
。
売上予測にもとづく年2回の仮決算(後に本決算)
。
無駄な間接部門と中間管理職の撤廃。
風変わりな解決策のための誘因づけ
高い借入金利。経営指数による経営分配。
新店舗設立の出資制度。
電子会議室への提案の黙認制度(反対は3日以内に発言)
。
風変わりな解決策のためのインフラ
イントラネット上の社内ウェブ(グループウェア利用)
。
レギュラー懇談室(全文検索機能つき)
。
小さな本部(6人体制の別名「女性だけ課」
)
。
独自アプローチの根本的な原理
合理化を行うことで、給与は高く、販売価格は安くできる。
公開をすれば、管理をする必要がなくなる。
モラルの高い人に入社してもらう。
潜在的な非生産性へのけん制メカニズム
社員に経営情報(売上、財務、借入金、年収、評価等)開示。
「失敗、失言はすべて許す。ただし、隠すな」と伝える。
レギュラー懇談室提案の黙認制(反対意見のみ書き込み)
。
労働分配(出勤時間内の店舗や独身寮の清掃)
。
風変わりな慣行のマイナス面の緩和
本部から社長を選出しない(店舗責任者の兼任)
。
年収上限があり(約1千万円)
、定年6
0歳で退職金なし。
2
1グループ規模の忘年会(毎年1
1月第3木曜日開催)
。
風変わりな慣行に対する典型的反対意見
安売りしても商品が売れなくなる。
社内借入の返還が殺到し、資金繰りができなくなる。
出世意欲が高く、高額所得を求める社員は働きにくい。
3.
2. 歴史的経緯
「業務の効率化と社内でも情報公開を突き詰めた
21の非常識経営には歴史的な必然性がある。メ
ガネ専門店の常識的経営、特にオーナー経営に対
結果、大半の会議は必要ないという結論に至っ
た」(取締役 平本清の2003年当時の発言)。
する強い嫌悪感が、広島県内市場シェア60%を占
懸案事項、業務改善提案といった案件を電子会
める大手メガネチェーンからの退社を余儀なくさ
議室に投稿する。社員は毎日必ず業務の空き時間
れた創業者たち8人にあった。2店舗からはじめ
を使って電子会議室を閲覧し、投稿案件に対して
た1986年創業当時からメガネ販売店の仕事を確保
自由に意見を書き込み、議論する。社員間で、接
し、経営組織として存続するために、元の大手メ
客や業務態度について指摘し、意見しあう場合も
ガネチェーンではできない「全商品の定価4割引
ある。これらの内容も全社員にすべて公開され
き」の実現という非常識な経営方針があり、それ
る2。
新規店舗の用地購入や競合店への対抗策につい
に同意する必然性があった。
1986年の創業以来、同社は社員一同を集めた会
ても、電子会議で議論される。このような重要な
議を行っていない。その代わりに、1997年からイ
意思決定は、電子会議室で提案され、発議後3日
ントラネット上での「レギュラー懇談室」と呼ば
以内に異議がなければ、承認されたと見なされる
れる電子会議を導入している。
「黙認制」が採用されている。これらの作業に
―2
0―
木村
表5
誠
経営管理イノベーションとしての非常識経営
株式会社2
1(トゥーワン)の概要(出所:メガネ2
1本部)
会社名
2
1(トゥーワン)
事業内容
眼鏡・コンタクト・補聴器の小売。眼鏡店支援(FC/VC)
業界
眼鏡業界
顧客
一般の消費者
社是
2
1は社員の幸福を大切にします。社員は皆様の信頼を大切にします。
経営方針
会社に利益を残さず、値下げで還元する。
差別化源泉
原価率7
0%の低価格。高い顧客満足度による口コミ。
上場状況
なし
創業
1
9
8
6年2月4日
資本金
5,
0
0
0万円。社員借入による資金は約1
0億円。
2
1グループ全体の資金は2
0億円以上。
売上高
4,
5
3
7,
6
2
5千円(2
0
0
8年3月期実績)
。2
1グループ売上高:約8
4億円
平均年収
年度によって変化する
平均勤続年数
結婚や出産などで退職する方を除いて自己都合による退職者が年間1〜2名
平均年齢
3
4歳(男性4
0歳、女性3
2歳)
店舗数
1
2
8店舗(直営2
2店、FC7
2店、VC3
4店舗)
社員数
1
9
1名(男7
1名・女1
2
0名)
。2
1グループ社員数:約5
5
0名
一般職1
2
0名(女性が大部分)
。経営職7
0名(男性中心)
。
図2 2
1の経営実績推移(2
0
0
0〜2
0
0
8)
―2
1―
1
3
7
1
3
8
長野大学紀要
図3
第3
2巻第2号 2
0
1
0
メガネ(レンズ)価格推移(1
9
8
9〜2
0
0
9)
よって、提案あるいは稟議の書類を作成する必要
額、⑧社外意見・要望、⑨クレーム、⑩税務調査
がなくなり、経営的意志決定の効率化が実現して
の詳細。
いる。
しかし、21ではイントラネット導入以前と比べ
てリアルタイム性以外に情報共有の質が劇的に向
3.
3. 情報共有の発見事実
上した訳ではない。ワープロ用データとして記録
21事例における情報共有の特徴として以下があ
された経営情報を伝達するための媒体が、口頭、
げられる。
紙、FD、イントラネットとウェブブラウザに変
・特定の組織内メンバーが情報占有をできない仕
化している。つまり、イントラネット導入以前に
組みづくりが行われている。
あっても、人の移動と郵便による情報共有が可能
・組織内メンバーの地位(役職)は、情報共有の
であった。
程度に無関係である。
イントラネット導入後は、経営情報の記録から
・組織内外に向けて、経営情報の積極的公開を
行っている。
伝達までの時差がほとんどなくなった。さらに利
点として、情報共有(情報の発信と受信)の程度
・情報共有の範囲が拡大するほど、情報システム
に物理的距離が無関係となり、情報システム(グ
運営側の権限管理費用が低下する(情報アクセ
ループウェア)導入により、経営情報を検索する
スの制御については、何もしない方が情報シス
ための効率が格段に向上していることがあげられ
テム運営の効率が向上する)。
る。
21では企業経営に関わるあらゆる情報(経営情
イントラネット用ウェブのトップページには、
報)をイントラネットを通じて、全社員に向けて
年代別に書き込みできる懇談室のリンクが張られ
公開している。社内公開される経営情報は次の種
ており、就業中においても、社員同士で自由な発
類である:①給与、賞与明細、②会社の預 金 残
言のやりとりが行われ、親睦を深めている。この
高、③評価ポイント(経営指数)
、④人事情報、
年代別談話室の内容を、役員や古手の社員も読む
⑤部門別損益、⑥稟議内容、⑦社員の社内預金
ことはあっても書き込みは一切しないというルー
―2
2―
木村
誠
経営管理イノベーションとしての非常識経営
1
3
9
図4 2
1ネット:レギュラーメインページ(出所:メガネ2
1本部)
ルが導入時から設定されている。匿名による書き
されており、社長の任期は2期4年である。2008
込みも可能であるが、多くの場合、実名で書き込
年まで年1回2月開催の役員懇親会(個人負担)
みが行われている。今まで1度も場が荒れたこと
の場で次期社長候補が決定されていた。創業者の
がないという3。
ほとんどが定年を迎えた2009年より、役員懇親会
も廃止された。
「書き込みは、ほとんど就業中です。ただし、
お客様が最優先です。仮にお客様をほっておいて
「対外的な21の顔となりますので、会社への貢
書き込みをしているような社員がいれば、まわり
献度や人気で自然と次期社長は決まります。常日
の社員が許しません。その社員は人気者になれま
頃の懇談室でのやりとりで、次期社長は○○さん
せん。(中略)。この懇談室は仕事に関することの
だと社員は知っていますし、了解しています。次
みならず、色々な話題が書き込まれます。上司が
期社長は池田さんで、その次の社長も決まってお
介入すれば、社員は監視されていると思い、この
り、社員の方もあの人ならと思っています。同じ
懇談室は機能しません。(中略)。完全な情報公開
繰り返しになりますので、社長の宣誓は最近はあ
が、モラルの高い社員を育成しているのだと思い
りません。
(不文律となって、社員全員が認識し
ます。」(21本部取締役
ています)。」
大上博己氏からの返信。
2009年9月30日)
(本部取締役 大上博己からの返答。2
010年1月
15日付)
3.
4. 社長の4年交代制
21の定款に役員の改選は2年毎(2期)と記載
―2
3―
本部は、株主総会(ネット上)の議案(社長交
1
4
0
長野大学紀要
第3
2巻第2号 2
0
1
0
代や決算報告)を載せる作業や、社長交代におけ
る。それらは、
「全文検索機能つきレギュラー懇
る一連の作業を行う。代表取締役変更に伴う変更
談室への全員による提案、懸案の黙認制(反対意
手続き14項目がイントラネットにあげられてお
見のみ書 き 込 み)」、「期 末 純 利 益≒0を 目 指 す
り、誰でも引き継いでできるようになっている。
(内部留保 を ゼ ロ に す る)」、「社 長4年 交 代 制
(店舗責任者兼任)であり、本部から社長を選出
4.事例分析
しない」、「銀行融資を受けずに社員より借入(無
4.
1. 21経営モデルの分類枠:経営管理の効率化
と正当化
担保借金)」の4つの施策である。これらの施策
は、21の社員たちが「フラットでサークルな組
2.
3.節の表4で整理した21事例の特徴は経営管
織」と自称するネットワーク組織のための経営管
理の逸脱例の8要件を満たしており、経営イノ
理の効率化を図ったものであり、経営管理イノ
ベーションを実現している非常識経営事例と見な
ベーションの実現例と捉えることができよう。
される。この21事例の特徴の総体を21経営モデル
21経営モデルに見られる、社内手続きの公正に
と呼ぶことにしよう。21経営モデルを2.
2.節の表
おける経営効率化のための管理者側の測定・評価
3で示した経営管理の効率化と正当化のマトリク
の推進と放棄の対応関係として、以下が指摘でき
ス表示を試みるならば、表6のように示すことが
る。
できる。
「全文検索機能つきレギュラー懇談室への全員
21経営モデルには、経営組織の正当化として、
による提案、懸案の黙認制(反対意見のみ書き込
社内手続きの公正と事業の社会的公正の両方に相
み)」に は、「「失 敗、失 言 は す べ て 許 す。た だ
当していると見なされる項目(経営変数)があ
し、隠すな」を周知させる」ことが対応してい
表6 2
1経営モデルのマトリクス表示
経営管理の正当化
管理者側の測定・評価推進
管理者側の測定・評価放棄
経営管理の効率化
社内手続きの公正
事業の社会的公正
・全文検索機能つきレギュラー懇談室への全員に
よる提案、懸案の黙認制(反対意見のみ書き込
み)
。
・期末純利益≒0を目指す(内部留保をゼロにす
る)
。
・社長4年交代制(店舗責任者兼任)であり、本
部から社長を選出しない。
・銀行融資を受けずに社員より借入(無担保借
金)
。
・経営指数に基づく経営分配。
・経営指数更新時に女子一般職からの評価を重
視。
・全文検索機能つきレギュラー懇談室への全員に
よる提案、懸案の黙認制(反対意見のみ書き込
み)
。
・期末純利益≒0を目指す(内部留保をゼロにす
る)
。
・社長4年交代制(店舗責任者兼任)であり、本
部から社長を選出しない。
・銀行融資を受けずに社員より借入(無担保借
金)
。
・原価率7
0%を広告宣伝する。
・「自分の家族に売るように」接客する。
・「失敗、失言はすべて許す。ただし、隠すな」
を周知させる。
・経営指数は必要なときのみ更新する。
・社長と取締役以外の社員に肩書きなし。
・年収上限があり(約1千万円)
、定年6
0歳で退
職金なし。
・全社員に経営情報(売上、財務、借入金、経営
指数等)を公開。
・年 代 別 電 子 懇 談 室 の 運 営(内 容 に 干 渉 し な
い)
。
・新店舗設立時の共同出資。
・社長は就任時に「足跡を残さない。だから何も
しない」と宣言(不文律化し、近年は宣言な
し)
。
・店舗ごとに商品種類を決定、発注、展示。
・店舗間で稼動負荷に合わせた人員移動の調整。
・売上ノルマなし。
―2
4―
木村
誠
経営管理イノベーションとしての非常識経営
$
る。
「社長4年交代制(店舗責任者兼任)
」には、
「社長と取締役以外の社員に肩書きなし」が対応
%
する。
1
4
1
その際の諸問題は、電子懇談室上のコミュニ
ケーションを通じて調整される。
その質疑応答もオープンである一方で、業務
一般を含む「間違いや失言」がすべて許されて
「経営指数に基づく経営分配(年収上限あり)
」
いる。
と「経営指数更新時に女子一般職からの評価を重
21経営モデル(良循環構造)は、社内手続きの
視」に は、「経 営 指 数 は 必 要 な と き の み 更 新 す
公正・ループと事業の社会的公正・ループと呼ぶ
る」と「定年60歳には退職金なし」が対応してい
べき二重ループとして表現できる。
る。
一方の社内手続きの公正・ループは、期末純利
一方、21経営モデルに見られる、事業の社会的
益≒0を目指す共同経営のために、内部留保がほ
公正における経営効率化のための管理者側の測定
とんどなく、銀行からの借り入れができない状況
・評価の推進と放棄の対応関係として、以下が指
下で、社員から借入(短期借入金)を実施するこ
摘できる。
とで資金繰りを行う仕組みを示している。投資家
「社長4年交代制(店舗責任者兼任)
」には、
でもある社員には、社内公開されている財務情報
「社長は就任時に「足跡を残さない。だから何も
・売上明細・給与明細を常に参照可能とすること
し な い」と 宣 言(不 文 律 化 し、近 年 は 宣 言 な
から、経営者意識も高まっていく。
し)」が対応している。また、「「自分の家族に売
本部は全社員の経営指数を公開し、経営指数に
るように」接客する」には、「売上ノルマなし」
基づいて年3回の賞与額による経営分配を行うこ
が対応している。
とで、社員のモチベーションも向上していく。イ
ントラネット上での年代別電子懇談室や同好会
4.
2. 21経営モデルの循環的構造
(ゴルフ、釣り等)の運営を行い、店舗間をまた
表6に示した経営管理の効率化と正当化の分類
がる社員間の親睦も深められている。
枠を用いて、経営変数間の因果関係を吟味するこ
そして、会社の最高責任者あるいは最高権力者
とで、21経営モデルの循環的構造を導出すること
である社長を任期4年の交代制とし、
「何もしな
を試みる。循環的構造の図示化にはシステム思考
い」ことを宣言することで、社長個人の意思で雇
のツールである因果ループ表記法(Kim,1998)
用や事業の諸事が決定されるようなオーナー会社
を用いている。
となる危険性を未然に防ぎ、レギュラー懇談室の
この21経営モデルの循環的構造は、イントラネ
ットを活用した経営管理の効率化と正当化の推進
提案の黙認制を介した共同経営的な意思決定が行
われる。
を通じて、収益(社員の所得)確保と商品の値下
もう一方の事業の社会的公正・ループは、本部
げ販売を両立させる仕組みの論理的可能性を示し
が作成するチラシ内容で、顧客に向けて「原価率
ている。21経営モデルは、以下の良循環を含んで
70%」の広告宣伝と自社の財務情報を公開しなが
いると解釈しうる。
ら、消費者への継続的な還元として全商品の大幅
!
責任者(共同経営者)は居るが中間管理職の
いない店舗ごとの売上予測に基づいて、期末純
な値下げ販売を行い、顧客のリピーター化や口コ
ミを促す仕組みを示している。
利益ゼロを目指した調整として、社員への経営
毎月の仕入れ会において、各店舗が仕入れる商
分配と商品の値下げによる消費者還元が行われ
品と数量を決定し、個別に発注するが、本部側が
"
る。
一括してメーカー側に支払い処理を行う(この際
#
資や21グループ会社への出資が行われる。
毎年、社員からの短期借入金を集め、設備投
に、コストのかかる納品と請求額の突き合わせは
行わない)
。各店舗では、特に売上目標がなく、
これらの数字(金額)および人事評価(経営
店員が自分の家族に売るような対応(顧客の立場
指数)が社員全員に開示されており、社員のモ
を考えた対応)をすることで、顧客の感動を呼
チベーションと経営者意識が向上する。
び、リピーター数、従来顧客の口コミによる新規
―2
5―
1
4
2
長野大学紀要
第3
2巻第2号 2
0
1
0
図5 2
1経営モデル(良循環構造)
顧客数が増えていく。
差が起きる。特定の社員間における情報流ができ
本部方針あるいは共同経営者2名の賛同のもと
に新店舗が設立される。新店舗や設備投資等の経
あがることで社内の派閥化も進む。さらには情報
入手の優位性を巡る派閥間競争にもつながる。
営的意思決定は、レギュラー懇談室への提案とそ
の黙認制を通じて迅速に実行される。
つまり、21経営モデルは、オーナー経営(社内
情報へのアクセスを既得権益としたり、情報中継
の役割を果たす管理者が増えることで組織の階層
5.ディスカッション
化が進行し、社長の資産が増える一方で内部留保
5.
1. 21経営モデルが示唆する経営管理イノベー
ション
金も増えていく経営)が社内で台頭する余地をな
くす経営管理の仕組みと解釈することもできよ
21経営モデルで示される経営管理の仕組みが経
う。
営管理イノベーションと見なされる理由として、
その21経営モデルの独自性は、
「全文検索機能
社長を頂点とする階層型組織ではないことを指摘
つきレギュラー懇談室への全員による提案、懸案
できる。これは、代表取締役社長の既得権益がほ
の黙認制(反対意見のみ書き込み)
」、「期末純利
とんどなく、独自の経営を展開することもできな
益≒0を目指す(内部留保をゼロにする)
」、「社
い仕組みでもある。21の創業者そして社員たちが
長4年交代制(店舗責任者兼任)であり、本部か
強い嫌悪感を持つとされるオーナー経営は、社長
ら社長を選出しない」、「銀行融資を受けずに社員
による情報占有あるいは社内情報へのアクセスの
より借入(無担保借金)
」が社内手続きの公正・
権限管理が行われ、経営者の権限強化と事業の収
ループと事業の社会的公正・ループの両方の変数
益性向上が図られることである。企業内情報アク
となっていることにあるだろう。これらの調整を
セスの権限管理が進行すると、役職による情報格
通じて、経営指数に応じた経営分配(社員の所得
―2
6―
木村
誠
経営管理イノベーションとしての非常識経営
1
4
3
確保)と消費者への継続的還元(商品の値下げ)
な試行錯誤とその学習期間を要することになる。
が毎年行われることになる。
しかしながら、結果として構築された経営管理シ
二重ループ構造として図示した21経営モデルの
ステムは、競合他社が模倣することは困難であ
中央変数である「期末純利益≒0を目指す共同経
り、事業の差別化、そして経営の差別化が達成さ
営」は、企業の内部留保をゼロにすることを目指
れるともいえよう。
している。これは、従来、企業の大命題とされて
きた「長期的利益の最大化」を否定する経営管理
5.
3. おわりに
手法であり、経営管理イノベーションと見なされ
る。
本稿は、Hamel and Breen(2007)が提唱する経
営管理イノベーションを経営管理の効率化と正当
化の両側面から捉えることを試みた。経営管理イ
5.
2. 21経営モデルに見る経営の効率化
ノベーションの実現例と見なしうる、経営管理の
21経営モデルとして示された経営管理の仕組み
逸脱例(非常識経営事例)としてメガネ専門店21
は、管理者側の測定・評価の放棄が経営の効率化
を選択し、経営管理の効率化と正当化の両側面か
によく寄与していることも指摘することができよ
ら捉えた視覚化(因果ループ図示)を行い、21経
う。これは、面倒なモノ・コトの測定や評価を意
営モデルとして提示した。この21経営モデルは、
図的にしない、役職による境界や権限範囲を設け
イントラネットを活用した経営管理の効率化と正
ない、それらに付随する無駄な間接業務をしない
当化の推進を通じて、収益(社員の所得)確保と
ことによるコスト削減、結果として経営の効率化
商品の値下げ販売を両立させる仕組みの論理的可
を達成することである。
能性を示している。
21経営モデルから、特に管理者側の測定・評価
21経営モデルは、全社員間で経営情報の共有が
の放棄が経営の効率化によく寄与している例とし
実現されているという点でネットワーク組織に似
て、以下があげられる。
ている。ネットワーク組織は組織構成員の間で情
・レギュラー懇談室運営による提案の黙認制(会
報共有を行うために適した組織形態であるが、そ
議をしないという効率化)。
の一方で全体的パフォーマンス向上のための効率
・売上、財務、年収、人事評価等経営情報の社内
公開(情報アクセスの権限管理をしないという
効率化)。
化が難しいこと、意思決定に時間がかかることが
問題点である。
21の場合、1
0人にも満たない小規模ではある
・経営分配用経営指数は必要なときに更新する
が、本部というハブが存在しており、情報共有の
(人事評 価 を 固 定 業 務 と し な い と い う 効 率
ためのインフラ整備と定型業務の集中処理を行っ
化)。
ている。全社的な意思決定は、レギュラー懇談室
・納入業者からの請求は、すぐに支払い処理する
(電子会議室)を用いた提案・懸案の発議と黙認
(正誤確認の工数をかけないという効率化)。
制(発議後3日以内に反対意見がなければ承認さ
・POS 管理を導入しない(売上個数計上を自動
れる)によって、民主的なプロセスとその効率化
化せず、社員に変化を発見させるという効率
の両方を達成している。さらに、会社の代表取締
化)。
役は常に本部外の店舗側(ノード)に所属してお
このような経営管理イノベーションと見なしう
り、本部の独走をけん制し、防止しうる仕組みと
る仕組みの設計は容易ではない。特に経営者側の
なっている。
測定・評価の放棄による経営の効率化は、経営者
21経営モデルとして示された経営管理の仕組み
側が制御可能な経営変数を一つ一つ減らしていく
が、経営管理イノベーションと見なされる理由と
意志決定とその試みであり、その影響がどのよう
して、社長を頂点とする階層型組織ではないこ
なものかを事前に判断することは困難である。常
と、年度末純利益ゼロを目指して調整しているこ
識的ではなく、経営者側の制御変数が少なくなる
と、管理者側の測定・評価の放棄が経営の効率化
ような経営管理システムを構築することは、多大
によく寄与していることを指摘した。
―2
7―
1
4
4
長野大学紀要
第3
2巻第2号 2
0
1
0
本研究の限界として、分析的枠組みとして経営
Role of Informational Technology in Collective Remem-
管理イノベーションという概念を用いているが、
bering and Forgetting”, Simulating Organizations Compu-
取り上げた事例が極めて特殊であり、その普遍化
tational Models of Institutions and Groups, the MIT
が困難であることが指摘できる。本稿で提示した
Press,1
9
9
8.
21経営モデルと同様の経営管理システムを採用し
林洋一郎「社会的公正研究の展望:4つのリサーチ・
て成長している企業(株式会社)は、我が国で見
パースペクティブに注目して」
『社会心理学研究』第
られない。つまり、本稿で指摘した経営管理イノ
2
2巻第3号、2
0
0
7年、3
0
5−3
3
0頁.
ベーションが近未来に普及するか否かは、全くの
平本清『会社にお金を残さない!』大和書房、2
0
0
9年
未知数である。
伊丹敬之『イノベーションを興す』日本経済新聞出版
本稿では述べられていないが、21経営モデルが
具現化するまでの初期条件と境界条件に相当する
他社との競争状況の時間的推移を分析すること
社、2
0
0
9年
株式会社2
1ホームページ.
http : //www.two−one.co.jp/a
2
1/
で、経営管理イノベーションが具現化する普遍的
木村誠「反常識的経営の一対型内部モデル−間接的コ
条件について何らかの示唆が得られるかもしれな
ントロールとコントロール放棄の事例分析−」
『長野
い。
大学紀要』第3
1巻第1号、2
0
0
9年、1
3−2
7頁
また本稿では、21経営モデルを(株)21以外の
木村誠「非常識経営の動的安定性−「遊べる本屋」ヴ
企業がうまく採用できない理由、普及していない
ィレッジヴァンガードの内部モデル分析」
『長野大学
理由についても述べられていない。経営者側ある
紀要』
、第3
1巻第2号、2
0
0
9年、1−1
5頁
いは社員側の心理的障壁や、税務会計上の解釈等
木村誠「メガネ2
1(トゥーワン)の非常識経営」
『早稲
の複合的な理由とも推測されるが、現時点では明
田大学 IT 戦略研究所ケーススタディ』No.
1
5、2
0
0
9
らかではない。これらについての調査と検討も、
経営管理イノベーション、そして非常識経営の研
年、2
7頁
日下公人『これから1
0年、光る会社、くすむ会社』ソ
究に役立つであろう。
ニー・マガジンズ、2
0
0
5年
西 川 敬 一『会 社 に 利 益 を 残 さ な い!
参考文献
メ ガ ネ2
1』
Vol.
3
0、ブロックス、1
9
9
9年
Daniel. H. Kim, and V. Anderson , Systems Archetype Ba-
Tom R.Tyler, Robert J.Boeckmann, Heather J.Smith and
sics, Pegasus Communications,1
9
9
8(
.ダニエル・キ
Yuen J.Huo, “Social Justice in a Diverse Society”,
ム、バージニア・アンダーソン、ニューチャーネッ
Westview Press,1
9
9
7(
.大渕憲一・菅原郁夫監訳『多
トワークス監訳『システム・シンキングトレーニン
元社会における正義と公正』ブレーン出版、2
0
0
0年)
グブック』日本能率協会マネジメン ト セ ン タ ー、
■インタビュー
2
0
0
2年)
独 立 行 政 法 人 情 報 処 理 推 進 機 構(IPA)編『IT 百 選
株式会社2
1
(トゥーワン) 本部(2
1アライアンス)
取締役
データブック』アイテック、2
0
0
6年
Gary Hamel, Bill Breen, THE FUTURE OF MANAGEMENT”, Harvard Business School Press,2
0
0
7(ゲイ
平本清、取締役
大上博己(2
0
0
9年1
1月2日)
株式会社2
1
(トゥーワン) 東京竹の塚店店舗責任者
谷口栄治(2
0
0
9年1
1月2
7日、1
2月4日)
リー・ハメル、ビル・ブリーン、藤井清美訳『経営
■メールによる回答
の未来』日本経済新聞出版社、2
0
0
8年)
.
Gerald S. Leventhal, ”What should be done with equity
株式会社2
1(トゥーワン)
取締役
theory? New approaches to the study of fairness in social
本部(2
1アライアンス)
大 上 博 己(2
0
0
9年8月2
2日、8月2
4日、8
relationships.” In K.S. Gergen, M.S. Greenberg, R.H. Wills
月2
8日、9月1
4日、9月1
6日、9月2
9日、9月3
0日、
(eds.
)
, Social Exchange : Advances in theory and
1
0月9日、1
1月7日、1
1月9日、1
1月1
1日、1
1月1
5
research, pp.
2
7−5
5,Plenum Press,1
9
8
0.
日、1
2月2日、1
2月7日)
Kent Sandoe, “Organizational Mnemonics Exploring the
株式会社2
1(トゥーワン)
―2
8―
本部(2
1アライアンス)
木村
取締役
誠
経営管理イノベーションとしての非常識経営
2
平本清(2
0
0
9年1
1月1
4日)
株式会社2
1(トゥーワン)東京
竹の塚店
1
4
5
電子会議室で自由な発言ができる雰囲気作りのた
めに、電子会議の管理人(本部)は、失言や失敗に
谷口栄治
ついて寛容な立場を取り、どんな提案に対しても必
(2
0
0
9年1
1月2
9日、1
2月2日)
ず感謝のコメントを返すようにしている。
注
1
3
この年代別談話室は社員の要望があり、1
9
9
7年に
Hamel and Breen は、業務イノベーションを「企業
グループウェア導入時期とほぼ同時期に設立され
のビジネス・プロセス(調達、製造、宣伝、販売、
た。年代別談話室として、孔子会、野郎会、乙女の
顧客サービス等)に焦点を当てるものであり、経営
茶話亭、悟空会、勇士軍、維新軍、ひまわり会があ
管理イノベーションと異なるものである」と見なし
る。
ている。
―2
9―
長野大学紀要
第3
2巻第2号 3
1―3
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1
0
特別支援教育における子どもの自立と保護に関する一考察
A Study on Self-Reliance and Protection of Disabled
Children in Special Needs Education
祐
成
Satoshi SUKENARI
1 はじめに
障害者の自立と社会参加、教育・福祉・労働等
哲*
田
中
祥
貴**
Yoshitaka TANAKA
2 障害のある子どもたちの自立と保護者
の願い
におけるノーマライゼーションの実現、子どもた
特別支援教育は、従来の肢体不自由や知的障害
ち一人一人の教育ニーズに応じた支援、そして障
などに加えて、通常の学校に在籍する LD(学習
害の重度・重複、多様化の進展、小・中学校等の
障害)や ADHD(注意欠陥多動性障害)の子ど
LD 等の子どもたちへの対応等々、社会情勢の大
もたちをも支援していこうと始まったものであ
きく複雑な変化から新しい時代の要請に応え、平
る。特別支援教育が目指しているものは、子ども
成18年6月21日に、「学校教育法等の一部を改正
たち一人一人の教育的ニーズを正しく把握して、
する法律案」は衆・参両院において全会一致で可
適切な指導と支援を行い、子どもたちが自立して
決され、公布、そして平成19年4月1日から施行
社会参加することを目指すものである。そして、
された。
学習指導要領にも示されている、障害のあるなし
このことから、特殊教育は特別支援教育へと転
に関わらず総ての子どもたちに必要な「生きる
力」を育むことにある。
換されることになった。
明治11年、京都に盲唖院の創立から始まった特
「自立」とは、就労して自活することや身辺処
殊教育の歩みは、約130年の長い道のりの中で先
理が自分でできることだけを意味しているもので
人たちの努力があった。特別支援教育に転換され
はない。また「生きる力」は子どもたち一人一人
た今、学校は教育力を強化し、障害のある子ども
によって違いがある。特に障害のある子どもたち
たち一人一人のニーズに応じた教育を展開し、子
にとっての「生きる力」や「自立」は、自分にで
どもたち一人一人の人格の形成、自立と社会参
きないことを、他人から支援を受けながら、人間
加、国家・社会の形成者の育成などを目指してい
としてよりよく生きていくことをも含んでいる。
脳性まひをはじめとする肢体不自由児は、移動
くことが必要となる。
本論は、障害のある子どもがいる保護者の願い
や姿勢保持、食事や排泄、また学習活動などの中
などから、子どもの「自立」について考察をする
で様々な支援や介助が必要になる。肢体不自由と
ものである。
いう障害やその幅の広い障害の程度から、肢体不
自由児の「自立」を考えるとき、その「自立」に
*社会福祉学部教授
**長野大学非常勤講師・信州大学准教授
―3
1―
1
4
8
長野大学紀要
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0
1
0
ついては、いろいろな角度から見なければならな
課後の課外学習ができなかったり、部活動ができ
い。
なかったりする。また行事が多くあることによ
いわゆる、一人で生活し一人で生きていくとい
り、教科学習の時間が縮小されてしまう。大学進
う意味での「自立」は、障害が重度化・多様化し
学が可能な子どもの十分な学習補償に向けて、通
ている肢体不自由児の実態からは難しいと考えざ
常の高等学校と同等の教育課程を創意工夫するこ
るを得ない。しかし、いろいろな角度から子ども
とが必要である。就労を目指す子どもには、小学
たちを見たとき、肢体不自由児の「自立」には一
部の段階から将来の就労に向けて、充実したキャ
人一人の子どもの中に、一つの意味を見出すこと
リア教育を行っていく必要がある。就労や自立の
ができる。
意義を理解させたり、働くことへの意欲を育んで
例えば、障害の重い肢体不自由児が学校や家庭
いったりすることが大切になる。働きながら生活
において、適切なトイレットトレーニングを受け
できる、洗濯ができる、調理ができるなど文字通
て、おむつが取れるようになる。そして、毎日の
りの「生きる力」を育むために、子どもが将来、
生活の中で、パンツで過ごせることができるよう
一人で生活ができていけるように、学校と家庭が
になることも、一つの「自立」であるとみること
連携した綿密な協力はとても重要となる。
ができる。パンツで過ごせることができるように
社会参加においても、その子ども一人一人の特
なることは、子どもの「快」感覚の向上にもつな
性に応じた社会参加がある。障害の重い子どもた
がることになる。また、食べることに困難がある
ちが様々な人たちとかかわる中で刺激を受け、そ
子どもは、離乳食様に食形態を工夫した食物が、
こで培われる子ども自身の成長がある。また障害
食べられるようになったり、自分からスプーンに
のある子どもとかかわる人たちが、その子どもと
口をもっていく意欲が生まれたりすることも、一
かかわる中で障害の何かを考えたり、障害のある
つの「自立」であると考えることができる。食べ
子どもにかかわりたいと思わせたりすることも、
ることは健康をつくり、関わる人とのコミュニ
障害のある子どもたちにとっては、一つの「自
ケーションを育み、子どもの「生きる力」への意
立」であると考えてもよい。
欲を生み出すことにもつながる。
肢体不自由単一障害の子どもには、特別支援学
保護者は我が子を含めた肢体不自由児の自立に
校を卒業した後、大学への進学や就労を目指した
ついて、どのように考えているか、群馬県立二葉
「自立」に向けての支援をしていくことが必要で
高等養護学校の PTA のアンケート(1)が参考にな
ある。肢体不自由特別支援学校では、スクールバ
る。
スの運行のために登下校の時間が決められてい
る。そのためスクールバス利用の子どもたちは放
!
あなたは、お子さん(生徒さん)の自立について具体的なイメージを思い描くことができますか。
保護者
職員
θ
ε・西
θ
ε・西・寄
合計
%
ア
できる
1
2
0
6
9
1
3.
2
4
イ
何となくだができる
9
1
1
7
4
3
1
4
5.
5
9
ウ
難しい
1
6
5
4
1
2
6
3
8.
2
3
無回答
0
0
2
0
2
2.
9
4
―3
2―
祐成
!
哲・田中祥貴
特別支援教育における子どもの自立と保護に関する一考察
14
9
お子さん(生徒さん)のどのような場面を自立ととらえることができますか。
保護者
職員
合計
順位
4
3
7
2
2
3
2
0
8
1
1
9
3
9
8
9
6
5
2
8
1
4
3
9
3
2
9
3
3
θ
ε・西
θ
ε・西・寄
1
4
1
1
8
4
1
1
1
1
ア
日中の活動場所
イ
金銭的な安定
ウ
意思表示ができる
エ
親から離れての生活
オ
睡眠、
食事、
排泄が他人の手助けでできる
カ
余暇を楽しめる
9
1
0
3
7
2
9
キ
その他
0
0
①1
②2
3
無回答
3
1
3
①:人との関わりを楽しんで生きていける。
②:就労。障害により自立のレベルが異なる。
"
学校の諸活動で、どのような場面が自立につながっていると思いますか。
保護者
職員
合計
順位
7
4
1
2
1
1
6
4
1
2
1
7
1
2
8
5
8
1
1
1
1
2
6
9
3
8
3
作業学習をはじめとする職業に関する学
2
9
2
5
1
8
カ
資格を取得したりする専門教科学習
3
8
0
5
1
6
キ
進学するための教科
1
1
1
2
5
ク
その他
0
0
0
①1
1
無回答
2
θ
ε・西
θ
ε・西・寄
食事や排泄などの生きていくための活動
1
7
4
1
3
体を動かしたり周りの状況を判断する活
1
7
7
ウ
他人とのコミュニケーションをとる活動
2
1
エ
卒業後の進路を体験する現場実習
ア
イ
動
オ
習
2
①:学校行事
#
卒業後のお子さん(生徒さん)の自立に必要なものはなんですか。
保護者
職員
θ
ε・西
θ
ε・西・寄
合計
順位
ア
法的整備
1
2
9
5
6
3
2
3
イ
企業や施設などのハード面
1
1
1
2
8
9
4
0
2
ウ
支援者などの人的なもの
1
8
1
3
1
0
6
4
7
1
エ
医療的な支援
1
6
6
7
3
3
2
3
キ
その他
①1
0
0
②1
2
①:社会的な理解
②:記述なし
―3
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1
5
0
!
長野大学紀要
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1
0
PTA 活動で子どもたちの自立に役立つ活動は、どのようなものだと思いますか。
保護者
職員
θ
ε・西
θ
ε・西・寄
合計
順位
ア
進路等の学習
1
7
1
0
9
7
4
3
2
イ
専門家等の講演会
1
3
1
0
9
4
3
6
3
ウ
施設見学
1
7
1
2
9
9
4
7
1
キ
その他
0
①1
②3
③1
5
無回答
3
2
①:一般企業見学
②:ネットワーク構築、家庭以外で学校外の人と関わる活動、保護者・学校の結びつき
③:教師・生徒・保護者が同じ方向を向く
(注) 表中の語句の説明:θ→重度障害 C 課程のグループ名。ε→重度重複障害 B 課程のグループ名。西→単一障害
と重複障害 A 課程を合わせたグループ名。寄→寄宿舎
肢体不自由の子どもたちの「自立」についての
「子ども一人一人の障害の程度により『自立』
具体的なイメージとして、
「いろいろなことがで
の捉え方は異なるが、自分で身辺処理ができる
きる」ということを断言している保護者たちは少
ようになること、就労ができるようになること
ない。他方で、子ども自身が言葉でのコミュニ
であるが、意思表示でも、言葉であったり、手
ケーションは難しいが、自分の意思表示がしっか
足の動きであったり、視線を使ったりすること
りできることを「自立」の条件であると考えてい
も、『自立』であると思う。」
る。そのために、学校の友達とコミュニケーショ
ンをとる活動や毎日の学習などが、
「自立」につ
ながると考えている。
このアンケートから見ると、保護者は親亡き後
の我が子の行く末を案じた心配の念が非常に多く
アンケートの自由記述の中で、保護者が日ご
含まれた、子どもの「自立」の思いが語られてい
ろ、肢体不自由児の「自立」について考えている
る。障害のある子どもを持った保護者は、親亡き
ことをあげているので、下記する。
後の我が子の将来を考えながら、学校教育への期
待を大きく持っている。学校教育の12年間を保護
「障害の重い我が子の自立には、親が亡くなっ
者たちは、「パラダイス」という言葉で表す。
てもいつもの暮らしが送れるように、親の体力
卒業後、いろいろな福祉サービスを受けるが、
がある内から、他人に我が子をゆだねられるよ
福祉施設などでは学校のように手厚い人的配置も
うに、人との関わりを厚くしていくことが親の
ないなど、様々な場面で保護者の負担が大きく
役目ではないかと思う。」
なってくる。そのために保護者は、地域でのいろ
「自分にできないこと困ったことがあった時
いろなサービスを利用し、いろいろな人の手を借
に、親以外の人に対して意思表示ができること
り、いろいろな人とのコミュニケーションをとり
が、自立であると思う。」
ながら、我が子にとっての将来の「自立」につい
「親からの干渉が煩わしいと子どもが思うよう
て、様々な角度から考えている。特に障害の重い
になった時でもあるかもしれない。」
子どもについて、保護者は親亡き後の処遇を一番
「障害の重い子どもは人との関わりなしには生
に心配している。我が子が安心して生活していけ
活そのものが難しいため、子どもを取り巻く
るために、様々な福祉サービスの支援、または行
人々に、『この子と関わりたい』と思わせるこ
政的な支援や保護・援助に得たいと考える。
とができるようになることも、その子の自立と
考える。」
いろいろな分野の企業や障害のある子どもの居
住地の役所は、子どもの障害を十分に理解し、社
―3
4―
祐成
哲・田中祥貴
特別支援教育における子どもの自立と保護に関する一考察
1
5
1
会参加のチャンスを与えて欲しい。税金を使わせ
ミュニケーションの輪を広げていったり、障害者
てもらうことは心苦しいが、利用できるいろいろ
の理解啓発を進めていったりしている。このこと
な制度を確立して、我が子が親亡き後も楽しく生
は、障害のある子どもたちへの「生涯学習」にも
活できるようになって欲しい、障害が重くても、
つながることになり、また障害者が地域で豊かな
地域で自立した生活が送れるように、学校以外の
生活を送ることができるための支援にもつながる
触れ合える場を作って欲しいと、保護者は願って
ものである。
いる。そのために家庭でも地域に積極的に出て、
平成7年12月、障害者対策推進本部は「障害者
子どもを中心とした支援の輪を広げていきたい
プラン(ノーマライゼーション7か年戦略)
」を
と、保護者は考えている。
策定した。また平成1
4年12月には、
「障害者基本
計画」が閣議決定されるとともに、障害者施策推
3 障害児・者の自立への取り組み
進本部は「重点施策実施5か年計画」を策定し、
肢体不自由以外の障害のある人に目を向ける
障害者への様々な支援を推進している。このよう
と、「目が不自由ということは、視力や視野・色
な支援は計画的に早急に実施されることが求めら
覚等の見る機能(視機能)が低下していくため
れる。
に、日常の生活や社会参加をしていく上で、制約
障害のある子どもがいる保護者は、我が子の
や制限があるということです。視覚障害者の一人
「今」という時のいろいろな状況下での支援を求
一人それぞれの見え方にもよりますが、一般的に
めている。我が子の「けいれん発作、誤嚥、パニ
見えない、見えにくい状態ということから、人と
ック、暴力、行方不明」、「経済的支援、レスパイ
の関係、コミュニケーション、日常生活において
ト、緊急時の保護や支援」など、障害児・者やそ
苦手な部分があります。その中で、
『生涯学習』
の保護者が必要としているのは、まさに「目の前
における学習の機会の提供やサービスは、視覚障
の支援」である。これらの処置や保護・支援が、
害者にとって日常生活の向上へとつながっていき
すぐに実現、対応できる施策や場所を求めてい
(2)
ます。」 と、全国盲学校 PTA 連合会会長は言っ
る。
ている。そして視覚障害者だけが生活しやすいと
障害児・者のいる保護者が、気持ちにゆとりを
いう視点ではなく、すべての人が生活しやすい環
持ち、安定し、安心した毎日の生活ができること
境を整備していく必要があると言っている。
が、何よりも必要である。心のゆとりの中からで
バリアフリーの環境づくりには、障害のある無
こそ、保護者は我が子に向き合って、子どもの将
しにかかわらず一部の人だけの使いやすさを考え
来の「自立」への模索ができる。障害者基本計画
ず、すべての人が利用し易い物理的な環境の整備
は、絵に描いた餅にならないように推進していっ
や法的な制度の整備をしていくことが必要である
てほしいと考える。
といえる。高齢者が多くなるこれからの社会の中
で、障害児・者に応じたバリアフリーの環境づく
4 特別支援学校の役割
りは、すべての人にとってもマッチした使いやす
昭和22年教育基本法、学校教育法公布、昭和23
い環境になる。障害のある人たちへの様々な支援
年盲学校・聾学校小学部義務制実施、昭和31年公
や制度を構築していくことは、障害のある子ども
立養護学校整備特別措置法公布、昭和54年養護学
たちが将来の「自立」と「社会参加」を、スムー
校義務制実施、そして平成18年学校教育法一部改
ズに行うことができるようになると考える。
正・公布、教育基本法改正・公布などから、特殊
障害のある人たちが地域の中で豊かな生活が送
れるように、各特別支援学校の PTA や教員が中
教育は特別支援教育へと転換されることになっ
た。
心となり、いろいろな活動を展開している。土・
特に養護学校の義務制度は30余年もの間見送ら
日曜日や休日を活用して、地域の公共施設や娯楽
れてきたが、保護者の障害のある我が子へ教育を
施設などを利用した交流活動やボランティア養成
受けさせたいという熱い思いが実り、昭和54年に
講座の開催などを行い、地域の人々と障害者のコ
養護学校の義務制が実施された。事実上、特殊教
―3
5―
1
5
2
長野大学紀要
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1
0
育は公教育として、制度の中でしっかりと障害の
母からの反対もあったが。そして毎日児童は楽
ある子どもたちの教育への役割を担うことになっ
しく登校してくる。普通児もびっくりした目で
た。
見ることもなくなり、今ではもう話しかけが
それに先駆け、東京都は昭和49年に、就学猶予
あったり、下校時には『さようなら。
』の声が
・免除を受ける障害のある子どもたちのうち、希
毎日聞かれるようになった。
望者全員に対して就学措置を行った。その当時は
児童の試歩はとっても遅い。毎日同じことを
東京都も養護学校の数が少なかったため、区市町
繰り返すが、それでも完全にはできない。学校
村に訪問学級や特殊学級を置いた。以下は、その
で一生懸命に努力するが、家に帰れば元の木阿
当時、訪問学校担当教員であった筆者の所見であ
弥である。学校は施設でも保育所でもない。父
る。
母への働きかけも私たちの課題の一つである。
またこの子らのことを考えたとき、教育と福祉
「M 市 の 訪 問 学 級 は、今 年 で 二 年 目 に な
は決して分離されるものではないと思った。加
る。一年目、スクーリング教室が福祉会館に設
え医療は、彼らの生命につながるものであるか
置され、通学可能な児童が集まって開級され
らして是非必要と思った。
た。学校内にあってよいはずの教室が会館の中
障害児学級を大海の小島に見られないよう、
にあることでいろいろと不便なことがあった。
訪問学級を別の世界のように思われないために
プール、運動場などを使いたくてもない。それ
も、私たちの努力が必要とこの二年間思い続け
に、私たちが感じたことは、重度の児童は何事
てきた。
も後回しにされてしまうことであった。通える
しかしまだまだ、私たちの努力しなければな
(3)
らないことばかりだ。」
児童は週二十時間だが、在宅の児童は週二時間
の指導しかできない。同じ学級の児童には同じ
時間数を持って指導したかったが、通える児童
就学猶予・免除により学校教育を受けていな
の父母の要望もあり、このような時間数となっ
かった子どもたちが学校教育を受けることができ
てしまった。毎日楽しく通ってくる児童には
るようになったが、当時の社会では障害児・者へ
たっぷり接しても、在宅児にはほんのわずかな
の十分な理解までには至っていなかったことが現
時間しか接することができない。一日の指導が
実である。障害児がいる保護者ですら、世間の目
終わって帰るときには、もう来週の私たちを
を気にしている様子があった。
待っている。学校に教室があれば、在宅児の願
例えば、このような事実があった。ある病院か
いもかなえられ、また不便も解決できるのでは
らタクシーに乗った母親は、他人に見えないよう
ないかと考えた。特に併設校の意義を考えた場
に子ども用の毛布に包めた子どもを抱いていた。
合、普通児は障害児を見ることで、障害児は普
母親の行き先はタクシーの運転手と同じ市内の団
通児を見ることでお互いの人格を成長させてゆ
地であった。このことから、運転手は抱いている
くことになるのではないかと考え、校内に専用
のは子どもかと尋ねたが、母親はすぐにはしゃべ
教室を造ってもらうことにした。
らなかった。そのうち、実は脳性まひの子どもで
学校へ通うようになった時、普通児は如何に
あると話した。運転手はそんなにぐるぐる巻きに
もびっくりした目で学級の児童を見ていた。
していては、子どもが可哀そうだ。実は自分にも
『先生、どうしたの。』『かわいそうね。
』いろ
脳性まひの子どもがいる。会社勤めであったが子
いろな声が返ってくる。中には、『ばかだ。』
どものために自由がきくタクシーの運転手をして
『きちがいだ。
』という声もあった。この後述
いるのだなどと話したという。
もう一つの事例を紹介したい。今まで就学免除
の言葉をなくすことは、併設校の意味があり、
私たち教師の責任だと思った。一年経ってよう
・猶予であった、12歳の女子の事例である。
やく在宅児のスクーリングを一日設けることが
今まで在宅で外にもあまり出たことがなかった
できた。通える児童の一日が減ることになり父
のか、色白と表現しておきたい。髪の毛を抜く自
―3
6―
祐成
哲・田中祥貴
特別支援教育における子どもの自立と保護に関する一考察
傷行為で、頭の右の髪の毛がほとんどなかった。
1
5
3
とにもなる。
歩けるが腰を屈め O 脚歩きであった。訪問学級
学校教育法第74条(普通学校における特別支援
の担当者は、この子どもの指導に苦慮してしまっ
教育の助言・援助)には、
「特別支援学校におい
た。保護者のあまり外に出ていないというので、
ては、第72条に規定する目的を実現するための教
担当教員は、許可を得て、家の周りの散歩を何日
育を行うほか、幼稚園、小学校、中学校、高等学
か行ったが、そのうち保護者から、周りの人が見
校又は中等教育学校の要請に応じて、第81条第1
るとみっともないからやめてほしいと言われてし
項に規定する幼児、児童又は生徒の教育に関し必
まった。
要な助言又は援助を行うように努めるものとす
昭和49年代では、社会一般の人たちは障害児・
る。」とある。
者をまだ稀有の存在と見、障害児のいる保護者は
特別支援学校は、地域の特別支援教育のセン
我が子であるが恥ずかしい存在と見ていたようで
ターとしての努力を示しているものであるととも
あり、そこには、障害児・者の社会参加や自立の
に、障害児・者の理解啓発に努めなければならな
言葉は存在してなかったに等しい。
いことを意味している。特別支援教育は、
「(前
昭和63年に、東京都は心身障害児理解教育地域
略)障害のある児童生徒の教育にとどまらず、障
推進事業を立ち上げた。これは、養護学校などが
害の有無やその他の個々の違いを認識しつつ様々
設立されている地域の小・中・高等学校と交流教
な人々が生き生きと活躍できる共生社会の形成の
育を推し進めるという事業である。しかし養護学
基礎となるものであり、我が国の現在及び将来の
校の教員は子どもたちが、
「見世物になる」と言
(6)
とされ
社会にとって重要な意味を持っている」
い、この事業には消極的であった。
る。
平成10年の小・中学校学習指導要領(高等学校
特別の場所で特定の子どもを指導していた特殊
は平成11年)の「指導計画の作成等に当たって配
教育からの特別支援教育へ転換された今、特別支
慮すべき事項(高等学校は教育課程編成・実施に
援学校だけでなく、地域の小・中・高等学校は障
当たって配慮すべき事項)」の項目の中に、
「(前
害児・者に対する理解・啓発が当然として必要で
略)盲学校、聾学校及び養護学校などとの間の連
ある。障害児・者の理解啓発のために学校の役割
携や交流を図るとともに、障害のある幼児児童生
は大きく、重要なものとなる。
(4)
徒や高齢者などとの交流の機会を設けること」
とされている。
5 おわりに
平成20年(高等学校は平成21年)の上記各学校
障害や病気などについて知らないことから差別
の学習指導要領の前記の項目は、「(前略)特別支
や偏見が生まれるといわれる。障害者が地域社会
援学校などとの間の連携や交流を図るとともに、
の中で充実した生活を送ることができるには、障
障害のある幼児児童生徒との交流及び共同学習や
害者を取り巻く周りの人々が心のバリアを取り除
(5)
と
高齢者 な ど と の 交流 の 機 会 を 設 け る こ と」
き、障害のある人たちと一緒に生活することで、
なっている。
頭ではなく心と体で、これらの人々を理解し、手
各学校は、高齢者を含めた障害のある子どもた
ちを理解するために、最善の努力をする必要があ
を差し伸べることがなんでもないと思う社会にな
ることが大切である。
ることが読み取れる。このために、障害児が見世
「身体障害者福祉法」
(昭和24年)、「精神障害
物になるなどという考えを捨て、特別支援学校で
者福祉法」(昭和35年)、「精 神 保 健 法」(平 成5
は積極的に地域の小・中・高等学校と連携した交
年)、「障害者基本法」
(平成5年)
、「障害者自立
流教育を推し進め、障害児・者の理解啓発のため
支援法」
(平成17年)と、障害者を支援する法律
に創意工夫した取り組みが必要になってくる。障
が制定され、障害者に対する福祉施策は進められ
害児・者の理解啓発が進められていくことは、障
てきた。障害者が地域社会の中で、自立し充実し
害児・者の社会参加がスムーズになり、さらには
た生活を送ることができるために、その時代に
障害児が社会に向っての「自立」を推し進めるこ
あった立法や法改正を進めていくことが必要であ
―3
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1
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長野大学紀要
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平成1
9年第4
3回関東甲越地区肢体不自由養護学校
る。そしてこれからの社会では、教育・福祉・労
働・医療などが連携して、障害児・者の自立や社
会参加を推し進める必要がある。
"
PTA・校長合同研究協議会
#
育全国フォーラム)
$
級研究協議会
全国特別支援教育振興協議会(第3回特別支援教
学校教育においては、子ども一人一人の教育的
ニーズに応じた、また保護者の学校教育への期待
に応える指導を充実させていかなければならな
い。教員は授業の充実のために、自分が身につけ
ている知識・技能・態度などを発揮し、さらに専
門性を高めるために自己研鑽をしていくことが必
要である。
そして学校は、障害があっても子どもたち一人
一人の人格の形成、自立と社会参加、国家・社会
の形成者の育成などを目指すことが必要である。
全国盲学校 PTA 連合会会長発表配布資料
%
&
訪問学級通信第7号
昭和5
1年3月東京都訪問学
小学校学習指導要領
平成1
0年1
2月
中学校学習指導要領
平成1
0年1
2月
高等学校学習指導要領
平成1
1年3月
小学校学習指導要領
平成2
0年3月
中学校学習指導要領
平成2
0年3月
高等学校学習指導要領
平成2
1年3月
特別支援教育の推進について(通知) 1
9文科初第
1
2
5号平成1
9年4月1日
'
参考資料
!
群馬県立二葉高等養護学校 PTA 副会長発表配布資
料
―3
8―
全国特殊学校長会編 「地域活動づくりのための手
引書」 平成1
8年3月
長野大学紀要
第3
2巻第2号 3
9―4
6頁(1
5
5―1
6
2頁)2
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0
知的障害児・者における実行機能の問題とその関連要因
Factors Affecting the Executive Function in Persons
with Intellectual Disability
葉石
光一1)・八島
奥住
猛2)・大庭 重治3)
秀之4)・國分 充5)
Koichi HAISHI Takeshi YASHIMA Shigeji OHBA
Hideyuki OKUZUMI Mitsuru KOKUBUN
しかし一方で、実行機能の概念については、ま
1. 問題と目的
だ十分に明確とはいえない部分がある(Jurado &
2010年に版が改められたアメリカ知的発達障害
Rosselli,2007)のも事実であり、これまでに得
学会(American Association on Intellectual and De-
られた知見を概観し、知的障害と実行機能の両概
velopmental
Disabilities:以下 AAIDD)の定義で
念の関連を整理しておく必要がある。本研究で
は、知的障害は「知的機能とともに、概念的、社
は、そういった作業を踏まえ、実行機能概念を今
会的、実用的適応スキルにみられる適応行動の両
後の知的障害児・者に対する教育や研究にどのよ
者 の 大 き な 制 約 に よ っ て 特 徴 づ け ら れ る」
うに位置づけていく必要があるかを検討すること
(AAIDD,2010)とされている。知的障害を知
を目的とする。
的機能と適応行動の両面から捉えようとする立場
は Dual-criterion
approach と 呼 ば れ、AAIDD の
1959年の定義から見られるものである。
なお、本研究でいう知的障害者とは、基本的に
特定の病理との関連がない生理的要因による知的
障害者をさす。
本研究で取り上げる実行機能は、適応行動に
とって重要であり、われわれの思考を目標志向的
2. 実行機能概念の現状
実行機能は、適応的で目的にそった行動や思考
なものにすることを媒介する(Jurado & Rosselli,
2007)心理機能と捉えられている。つまり、上述
を組織化する(Jurado & Rosselli,2007;Garon,
の知的障害の定義の一つの側面は、実行機能の問
Bryson & Smith,2008)ことに必要とされる心理
題と強く係わりをもつとみることができる。近
機能である。実行機能を支える脳領域としては、
年、知的障害と実行機能の関連を扱った研究を目
脳の中で最も発達が遅い前頭前野との結びつきが
にする機会は確かに多くなってきており、知的障
強いとされている。この脳領域の最も重要な機能
害を理解すること、あるいは知的障害児・者の支
は、他の脳領域を活性化したり抑制したりするこ
援を検討することにおいて、実行機能概念が重要
とを通して、知覚や思考、行動を調整することに
な位置を占めつつあるように思われる。
ある(Garon, Bryson & Smith,2008)。
1)
長野大学非常勤講師・上越教育大学准教授
2)
上越教育大学講師
3)
上越教育大学教授
4)
東京学芸大学准教授
5)
東京学芸大学教授
―3
9―
1
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長野大学紀要
第3
2巻第2号 2
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1
0
実行機能の心理学的構造とその働きに関する明
彼は脳の中でも前頭葉を「知的行為のプログラミ
確な合意は、まだ十分に形成されているといえる
ングやその遂行の監視を行い、知的活動の全体的
段階にない。しかし実行機能を単一の心理機能と
なまとまりを作り出すもっとも重要な器官」
(Lu-
捉えるよりも、複雑な行動の遂行を形成するいく
ria,1973)と位置づけた。また行為のプログラ
つかの制御過程(これらは互いに関係しあいなが
ムの機能的側面について、
「直接作用する刺激に
らも分離可能であり、より低次の認知過程を調整
対する衝動的反応の抑制によってもたらされる」
す る 働 き を も つ)の 集 合(Friedman et al.,
ものであり、「その創造には抽象し、一般化し、
2008)として捉える Miyake et al.(2000)のモデ
調節する言語行為の機能が極めて密接に参加して
ルは他の研究に強い影響を与えている(森口,
実現」するとしている。つまり、ルリヤは脳的基
2008)。な お Miyake et al.(2000)は 実 行 機 能
礎としては前頭葉が、心理学的基礎としては言語
を、①課題あるいは心理的構えの間のシフティン
の調整機能が、行為を目的にそって実行する上で
グ、②ワーキングメモリの表象の更新及びモニタ
重要であることを指摘した。
リング、③優勢な反応の抑制の三要素を特に重視
して捉えている。
ルリヤは知的障害児について、「複雑な精神活
動の形成における言語の働きが障害され、思考と
現 在、実 行 機 能 と 呼 ば れ る も の を 概 念 化 し
調節の働きが障害されている」という捉え方をし
(Ardila,2008)、実行機能概念の直接の先駆者
た。その現れとして「言語教示を一般化して理解
(Jurado & Rosselli,2007)とされるのは旧ソ連
し、それを行動の規則としてまとめられない」こ
の心理学者であるルリヤである。ルリヤは認知や
とや、「長期間にわたる訓練によって条件反応を
行動に対する言語の調整機能に着目し、その発達
安定化させることはできるが、それは極めて緩慢
過程を明らかにする(ルリヤ,1969)とともに、
な、易動性の乏しいもの」になってしまうことを
知的障害児における言語の調整機能の特徴も明ら
指摘した(ルリヤ,1
962)。現在の実行機能の概
かにしている(ルリヤ,1962)。知的障害と実行
念と関連づければ、これは知的障害児の行動に関
機能の関連において指摘されている重要な知見の
わる問題を、言語機能の障害とそれに基づくプラ
一つは、知的障害者の実行機能障害が、通常、彼
ンニングやシフティング等の困難として捉える見
らの言語の問題と強く関連しているという点であ
方である。
るが、これは既にルリヤが過去に指摘したことと
重なる指摘である。
Whitman は、知的障害者の自己制御に関するレ
ビュー論文(Whitman,1990)の中で、過去の研
知的障害と実行機能に関する最近の知見を整理
究を①行動主義、②社会的学習理論、③認知理論
する前に、次節ではまずルリヤが指摘した言語の
に基づくものに分類し、それぞれの立場が知的障
調整機能を簡単にまとめる。また、やはり現在の
害者の自己制御の問題をどのように捉えてきたか
実行機能の概念と一部重なりをみせる自己制御
をまとめた。Whitman(1990)によれば、自己制
(self-regulation)の概念(森口,2008)から知的
御のシステムの見方は立場によって異なる。行動
障害を捉えようと試みた Whitman(1990)のレビ
主義の立場では、他者の行動の制御と同じよう
ュー論文も合わせて紹介する。このレビュー論文
に、環境変数の操作によって人は自己を制御する
は、知的障害者の環境への適応の困難という側面
と捉える。社会的学習理論の立場では、自己制御
について、自己制御の点から論じているものであ
は認知的手段を通して行われると捉えられ、自己
る。このことにより、実行機能概念以前の、適応
制御のシステムは「自己モニタリング」「自己評
行動の問題としての知的障害という捉え方のまと
価」「自己強化」といった成分からなると考えら
めとしたい。
れる。認知理論の立場は、そういったより下位水
3. 知的障害と適応行動:実行機能概念以前
準の認知過程のみでなく、メタ認知的な上位水準
の制御過程を含め、両者の相互作用の観点から自
ルリヤは心理機能と脳との関連を探る神経心理
己制御を捉えようとする。つまり認知理論の立場
学の基礎を作り上げた一人としてよく知られる。
では、能動的な自己制御の過程で必要とされるも
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0―
葉石・八島・大庭・奥住・國分
知的障害児・者における実行機能の問題とその関連要因
1
5
7
のを、①直面している状況の要請と自分の能力に
結果が得られることは十分にあり得ることであ
ついて理解していること、②問題解決の適切な方
る。な お、IQ70〜85の 群(生 活 年 齢7歳11ヵ 月
略を実行し監視できること、③それらの方略の有
〜11歳7ヵ月)と平均的知能水準の群との比較を
効性を評価できることとしている。以上のよう
行った Alloway(2010)は、知的水準が近いこの
に、立場によって自己制御を捉える枠組みに異な
ような二群においても知的機能が低い群では言語
る点はあるが、レビューの主旨はこれらの立場の
領域と視空間領域の幅広い内容について実行機能
対立を鮮明にすることではない。それぞれの立場
及びワーキングメモリに障害がみられることを示
は相互が補い合う関係にあるものとして捉え、そ
している。
ういった作業の中で、知的障害者の自己制御の問
定型発達者との比較ではなく、実行機能が生活
題は、理論的背景の違いを超えて、彼らの言語障
年齢に伴って向上するとみられる結果を示した研
害に起因するものと結論付けることができるとし
究 も 存 在 し て い る。Japundza-Milisavljević,
ている。この点は、既に述べたルリヤの知的障害
Maćesić-Petrović(2008)は、生 理 的 要 因 に よ る
&
ˆ
ˆ
知的障害児(IQ50〜69、生活年齢8〜1
6歳)1
24
の捉え方と一致している。
人を対象として Twenty Questions Test という検査
4. 知的障害と実行機能
を使い、知的障害児における問題解決方略とその
本節では、知的障害と実行機能の関連を検討し
使用の発達、及びそれに関連する要因を検討し
た研究を概観し、知的障害者の実行機能に対して
た。このテストの目標は、相手プレーヤーが考え
影響を与えることが指摘されている要因に関する
ている物を当てることであり、被検査者は相手プ
知見を整理する。また、知的障害者の実行機能を
レーヤーに対して、答えを引き出すための質問を
幅広く取り上げた研究はあまりない一方で、近
することができる。どのような質問をすることで
年、実行機能の重要な一側面と位置づけられる
効果的に正答を引き出せるかが問われるが、筆者
ワーキングメモリに関する知見の蓄積は徐々に進
らは対象児の課題への取り組み方を、
「方略がな
んでいる。ここでは知的障害者の実行機能とワー
く失敗」「方略はあるものの失敗」「成功」に質的
キングメモリを取り上げ、生活年齢、知的機能、
に分類した。課題解決のための方略の使用と生活
運動機能、原因疾患がそれらに対してどのように
年齢の関連を調べた結果、課題に成功するのは生
影響しているかをまとめる。
活年齢12歳以降であること、12〜13歳では方略が
みられるが失敗する割合が高く、14〜16歳になる
4.
1 生活年齢の影響
と成功する割合が高くなる、といった関係が見い
基本的に知的障害者の実行機能は、生活年齢相
だされた。また課題の成績と生活年齢、性別、家
当よりも低い水準にあるとみられる。実行機能の
庭の社会経済的状況、学業到達度との関連を検討
一要素と考えられているワーキングメモリについ
したところ、課題の成績と有意に関連したのは生
て、生活年齢を一致させた群との比較を行った
活年齢であったとしている。
Henry(2001)は、中軽度知的障害児(平均生活
この研究では、知的障害児の実行機能が生活年
年齢11歳11ヵ月)のメモリスパン課題(単語スパ
齢とのみ関連したという結果についてあまり多く
ン、空間スパン、リスニングスパン、odd one out
を考察していない。脳の構造的成熟(例えば神経
スパン、数唱、パタンスパン、数字の逆唱)の成
線維の髄鞘化など)が、実行機能と関連する前頭
績を分析し、すべての課題において生活年齢を一
葉領域においては遅いということとの関連を示唆
致させた群よりも成績が低かったことを示した。
している程度である。ただし生活年齢を脳の発達
同様の結果は、他にも Van der Molen et al.
の程度のみを代表する変数として捉える根拠はな
(2007)においても得られている。実行機能を測
い。例 え ば、生 活 年 齢1
1〜12歳(British Ability
定する課題には知的機能に負荷をかけるものが多
ScaleⅡで 測 定 さ れ た 知 的 能 力 の レ ン ジ は40〜
く、そういったことからすれば、知的機能が平均
79)の知的障害児と生活年齢及び精神年齢を一致
的水準よりも低い知的障害者においてこのような
させた三群のワーキングメモリについて検討した
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長野大学紀要
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2巻第2号 2
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Henry & MacLean(2002)は、精神年齢を一致さ
た。その結果、知的障害者と定型発達児を区別す
せた群よりも知的障害児が良い成績となる課題が
るのに最も適した課題は updating 課題であるこ
あった点について、経験のある側面が知的能力を
と、より高次な水準でのワーキングメモリ制御
こえて課題遂行を良くする可能性があるといった
(dual task word span や updating word span など)
指摘をしている。今後、より丁寧な検討が求めら
に関しては知的障害者の機能水準は精神年齢を一
れるところであろう。
致させた定型発達児よりも低い水準にあることを
示唆している。
4.
2 知的機能の影響
ところでワーキングメモリと知的水準が単純に
実行機能の一側面(ワーキングメモリ)につい
関連しないことを示唆する研究も存在している。
ての研究だが、Henry(2001)によれば、知的障
Maehler & Schuchardt(2009)は、生活年齢を一
害者のワーキングメモリ機能は基本的に精神年齢
致させた学習能力の混合性障害(MDSS)児(IQ
と強く関連しているとみられる。しかし詳細に分
は平均的水準だが読み、書き、算数の障害があ
析を行っていくと、課題で問われる内容によって
る)、IQ55〜85の知的障害児、定型発達児のワー
この傾向が変化するようである。先に紹介した
キングメモリ機能を比較した。その結果、MDSS
Henry & MacLean(2002)は、数 唱、数 字 の 逆
児はすべての課題で定型発達児よりも成績が低
唱、odd one out スパン課題では知的障害児は生活
く、知的障害児と同水準であることが明らかと
年齢を一致させた定型発達児と同水準であった一
なった。これは、ワーキングメモリの機能が IQ
方で、単語スパン課題では知的障害者は精神年齢
でなく学習障害と強く結び付いているとみられる
を一致させた定型発達群よりも成績が低いといっ
結果である。ただし Maehler & Schuchardt は、こ
たように、知的障害児はワーキングメモリに強い
の結果がワーキングメモリ機能と IQ の独立性を
面と弱い面があることを示した。この結果につい
示すものとは考えておらず、学習障害をもつ子ど
て、知的障害児ではリハーサルを使用しないこと
ものワーキングメモリと IQ の間の特殊な関係を
がワーキングメモリの弱い面と結びついているの
示唆するものと捉えている。
ではないかと推察している。知的障害者のワーキ
ングメモリにおけるリハーサルの特徴については
4.
3 運動機能の影響
知 見 が 一 致 し て い な い。Rosenquist, Conners &
知的機能の発達の源として重要なものの一つ
Roskos-Ewoldsen(2003)は、音 韻 ル ー プ 課 題 で
は、外界との直接的な係わりの経験である。その
知的障害児が語長効果を示さなかったことから、
ような観点から、実行機能に対する運動機能の影
Henry & MacLean(2002)と同じく彼らがリハー
響を検討した研究がある。Hartman et al.(2010)
サルの問題を有して い る と 考 え た。一 方、Van
は、7〜12歳の軽度知的障害児と生活年齢を一致
der Molen et al.(2007)は音韻ループ課題におい
させた境界線児、定型発達児を比較し、歩行機能
て語長効果と構音抑制効果が見られ、リハーサル
及び対象を扱う手の機能が実行機能(プランニン
の問題はないと考えた。二つの研究を比較する上
グと関連するロンドンの塔課題によって測定)に
で考慮すべきであろうと考えられるのは、Van
対して与える影響を重回帰分析によって検討し
der Molen et al.(2007)の対象児が Rosenquist,
た。軽度知的障害児と境界線児ではロンドンの塔
Conners & Roskos-Ewoldsen(2003)の研究よりも
課題の成績に有意な差がなかったため、分析は二
精神年齢において高いという点である。つまり精
つの群を合わせて行われた。その結果、二つの運
神年齢がリハーサルの使用の有無と関連すると考
動機能はともにロンドンの塔課題の成績に対して
えられるが、今後の詳細な検討が待たれる。
有意な関連をもっていることが明らかとなった。
ワーキングメモリと流動性知能との関連を検討
さらにロンドンの塔課題の遂行状況について、課
するため、Carretti, Belacchi & Cornoldi(2010)は
題提示から課題を遂行し始めるまでの decision 時
レーヴンの色彩マトリクステストで精神年齢を一
間及び課題の遂行開始から終了までの execution
致させた知的障害者と定型発達児の比較を行っ
時間が運動機能と実行機能をどのように媒介して
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葉石・八島・大庭・奥住・國分
知的障害児・者における実行機能の問題とその関連要因
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いるかを検討した。その結果、二つの運動機能の
齢の影響を除くため、課題の成績を従属変数、群
成績がともに低い子どもは decision 時間が短く、
を独立変数、生活年齢を共変量とした共分散分析
ロンドンの塔課題が低い成績になっているという
を行っても、群の主効果は有意であった。精神年
関連がみられることが明らかとなった。decision
齢を一致させた群との比較において全般的な成績
時間が短いということからは、課題に取り組む前
の低さが認められたということは、ダウン症児の
のプランニングが十分ではない可能性が推測され
実行機能が知的発達の水準を下回る重い障害を有
る。また対象を扱う手の機能が低い子どもでは実
している状態であることを示唆している。
行時間が長く、ロンドンの塔課題の成績が低いと
Menghini et al.(2010)は、平均生活年齢19歳
いう関連がみられた。これはロンドンの塔課題が
10ヵ月、平均精神年 齢6歳1
0か月、平均 IQ53.
3
実際に道具を操作するプロセスを含んでいること
のウィリアムズ症候群者15人と精神年齢を一致さ
が反映されているのであろう。
せた定型発達児15人の比較を行った。実行機能課
実行機能に影響を与える要因を検討した研究
題としては、注意、記憶、プランニング、カテゴ
で、運動機能を取り上げたものは筆者の知る限り
リ化、シフティング、抑制に関する課題を行っ
この研究のみであった。しかし環境の中での種々
た。ウィリアムズ症候群者は、言語と視空間処理
の行為を支える運動機能が認知機能の発達の基礎
の両面で、選択的注意、注意持続、短期記憶、
にあることを考えれば、本研究の意義は十分理解
ワーキングメモリ、プランニング、抑制の課題で
できる。
成績が低かった。一方で、カテゴリ化とシフティ
ングに関しては、言語的材料を用いた場合の成績
4.
4 原因疾患の影響
の低下の程度は相対的に小さかった。このように
本研究では、基本的に特定の病理と結びつかな
一部の課題について、視空間的側面と言語的側面
い生理的要因による知的障害者を対象としてい
の能力の現れ方が異なる点は、先にみたダウン症
る。しかし生理的要因による知的障害者を対象と
者と対照的な結果である。
して、以下に述べるような実行機能の総合的な検
少なくともダウン症とウィリアムズ症候群とを
討は筆者が知る限り行われていない。そこで最後
比較した場合、実行機能に特徴の違いがある可能
に参考のために、ダウン症、ウィリアムズ症候群
性が示唆されているが、特定の病理と結びつかな
を対象に行われた研究を紹介する。
い生理的要因による知的障害者を対象としてこの
病理的要因による知的障害の中で、一般にも最
ような総合的な実行機能の検討がなされた場合、
もよく知られているものの一つはダウン症であろ
どのような特徴がみられるのか検討が待たれると
う。ダウン症児の実行機能には幅広く障害が及ん
ころである。
でいることが指摘されている(Lanfranchi et al.,
2010)。Lanfranchi et al.(2010)は平均生活年齢
15歳2ヵ月、平均精神年齢5歳9ヵ月のダウン症
5. 今後の知的障害児教育及び研究におけ
る実行機能概念の位置づけ
児15人と精神年齢を一致させた定型発達児15人を
これまでみてきた内容を踏まえ、知的障害者の
比較した。行った課題はワーキングメモリ課題、
教育及び研究に対して実行機能概念をどのように
抑制課題、セットシフティング課題、概念シフテ
位置づけていくことが必要かを検討する。
ィング課題、プランニング課題、語想起課題、持
まず冒頭に述べたように、適応行動に問題を示
続的注意課題である。その結果、ダウン症児では
すことが定義の要件の一つとなっている知的障害
精神年齢を一致させた定型発達児と比較して、語
者においては、適応行動を支えるものと考えられ
想起課題を除くすべての課題で成績が低いことが
ている実行機能の問題が少なからず認められるで
明らかとなった。特に成績が低かったのは、ワー
あろうことは想像に難くない。実際、既にみてき
キングメモリ課題のうちの言語的二重課題、概念
たように、知的障害者には実行機能について何ら
シフティング課題の修正カード分類課題、プラン
かの問題がみられることが指摘されてきている。
ニング課題のロンドンの塔課題であった。生活年
またその問題は、知的発達の程度を一致させた定
―4
3―
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長野大学紀要
第3
2巻第2号 2
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型発達者を下回ることさえあると指摘されてい
績は低下する。二重課題での成績の低下の程度
る。こういったことからすれば、知的障害者の認
は、注意の配分機能によるものと考えられるが、
知や行動に関する理解及びその支援方策の検討に
Oka & Miura(2008)の結果は、知的障害者の注
おいては、実行機能概念を念頭に置くことは必須
意の配分機能には定型発達者と違いがないという
の事項であるように思われる。ただし、上述の内
可能性を示唆している。教育支援においては、で
容をみれば明らかであるように、知的障害者の実
きないことへの配慮が中心になりがちであるが、
行機能についてはワーキングメモリに関する研究
できることに基づいて可能性を開拓することも大
の数はそれなりにあるものの、他の要素を含めた
切である。どちらも教育支援を考慮する際には重
実行機能の総合的な評価を行った研究はほとんど
要な観点であろう。
ない状態である。ワーキングメモリのみについて
さらに、把握された実行機能が知的障害者の日
みても、単に全般的に機能が低下しているという
常的な生活場面での諸行動とどのような関連があ
のではなく、機能低下の程度がばらついた状態で
るのかという点についても知見を蓄積する必要が
あることが指摘されている。実行機能についても
ある。例えば、Willner et al.(2010)は実行機能
そのような状態である可能性は否定できないこと
の問題が遅延報酬の価値割引という現象に対して
から、まずは、実行機能についての総合的な検討
どのような影響を与えるかを検討した。遅延報酬
が蓄積されることが望まれる。
の価値割引(temporal
discounting:以下 TD)と
なお、教育支援との関連で実行機能を考える
は、遅れて手に入る報酬の主観的価値が低く、値
際、発達の遅れなどマイナスの側面ばかりでな
引きされて知覚されることを指す。Willner et al.
く、特に問題がないとみられる点についての知見
(2010)の研究は知的障害者(平均生活年齢40.
7
も見逃 さ れ る べ き で は な い で あ ろ う。例 え ば
±2.
8歳、平 均 IQ59.
8±5.
4)に TD 課 題 を 実 施
Merrill(1
990)や Tomporowski & Hager(1992)
し、実行機能、知能、語彙、金銭的知識、記憶に
にみられるように、知的障害者は古くから注意の
関する検査結果との関連を検討した。TD 課題で
問題をもっていることが指摘されてきた。この注
は、遅れて手に入る大きな報酬と即座に手に入る
意の制御は実行機能に関連する能力とみられる
小さな報酬との選択を求められる。TD 課題の成
が、Oka & Miura(2008)はこの機能において知
績に対する実行機能及び知能の影響を検討したと
的障害者が大きな障害を示さないとしている。彼
ころ、実行機能は TD 課題の成績に対して有意に
ら は、生 活 年 齢18〜28歳、IQ35〜70の 知 的 障 害
影響を与えていたが、知能は TD 課題の成績に対
者11人及び生活年齢を一致させた定型発達者16人
して有意な影響を与えていないという結果が得ら
を対象として、トラッキング課題と記憶スパン課
れた。
題を実施した。分析においては、それぞれ単独で
ところでこの研究の課題で得られる報酬は架空
行う場合と、二つの課題を同時に行う二重課題と
のものではあったが金銭であった。また対象者は
して実施した場合の結果が比較された。まず、知
平均年齢40歳程度の成人であり、知的障害の程度
的障害者と生活年齢を一致させた定型発達者とで
も軽い。Willner et al.(2010)はそのような考察
成績を単純に比較したところ、どちらの課題も知
をしていないが、TD 課題に対して IQ が有意な
的障害者の成績は定型発達者よりも低かった。こ
影響を与えなかったという結果について、対象者
れは各課題を単独で行った場合でも、同時に行っ
が金銭についての価値を生活上の経験からそれな
た場合でも同様であった。これはメモリスパンの
りに獲得しており、また性急な判断をすることが
点からみれば知的障害者と定型発達者の間には差
損につながるということもそれなりに経験を通し
があるとみられる結果である。しかし二重課題と
て知り得る可能性があったためと考えることはで
して行った場合の成績低下の程度を知的障害者と
きないだろうか。また逆に、もし課題の題材が生
定型発達者とで比較したところ、両者には差がな
活上の事柄から距離のある抽象的な内容だった場
かった。単独で課題を遂行する場合と二つの課題
合、TD 課題の成績と IQ との間には関係がみら
を同時に行う場合とでは、後者のほうが一般に成
れたのではないだろうか。実行機能が適応行動を
―4
4―
葉石・八島・大庭・奥住・國分
知的障害児・者における実行機能の問題とその関連要因
野豊・小林茂訳『精神薄弱児』三一書房、1
9
6
2年、
支える心理機能である以上、具体的な適応行動と
の関連において、生活上の経験をも踏まえてその
1
6
1
1
5
7
‐
1
7
4頁
特質を明らかにしていくことが、特に知的障害者
1
2)Luria, A. R. “Disturbance of action control in frontal
の教育支援を考える上では求められることであろ
lobe lesions” Human Brain and Psychological Processes
New York : Harper & Row,1
9
6
6,pp.
5
3
0
‐
5
5
6.
う。
1
3)ルリヤ,A. R.「随意運動の発生」松野豊・関口昇
訳『言語と精神発達』明治図書、1
9
6
9年、1
3
9
‐
1
7
1頁
1
4)Luria, A. R. “The frontal lobes and the regulation of
文献
mental activity” The Working Brain New York : Basic
1)Alloway, T. P. “Working memory and executive func-
Books,1
9
7
3,pp.
1
8
7
‐
2
2
5.
tion profile of individuals with borderline intellectual functions”
Journal
of
Intellectual
Disability
Research
1
5)Maehler, C., & Schuchardt, K. “Working memory functioning in children with learcning disabilities : does intelli-
Vol.
5
4,No.
5,2
0
1
0,pp.
4
4
8
‐
4
5
6.
gence make a difference?” Journal of Intellectual Disabil-
2)Ardila, A. “On the evolutionary origins of executive
ity Research Vol.
5
3,No.
1,2
0
0
9,pp.
3
‐
1
0.
functions” Brain and Cognition Vol.
6
8,2
0
0
8,pp.
9
2
‐
1
6)Menghini, D. et al. “Executive functions in individuals
9
9.
with Williams syndrome” Journal of Intellectual Disability
3)Friedman, N. P. et al. “Individual differences in execu-
Research Vol.
5
4,No.
5,2
0
1
0,pp.
4
1
8
‐
4
3
2.
tive functions are almost entirely genetic in origin” Journal
of Experimental Psychology : General Vol.
1
3
7,No.
2,
1
7)Merrill, E. C. “Attentional resource allocation and mental retardation” International Review of Research in Mental
2
0
0
8,pp.
2
0
1
‐
2
2
5.
Retardation Vol.
1
6,1
9
9
0,pp.
5
1
‐
8
8.
4)Garon, N., Bryson, S. E., & Smith, M. “Executive function in preschoolers : A review using an integrative frame-
1
8)Miyake, A. et al. “The unity and diversity of executive
work” Psychological Bulletin Vol.
1
3
4,No.
1,2
0
0
8,
functions and their contributions to complex frontal lobe
pp.
3
1
‐
6
0.
tasks : A latent variable analysis” Cognitive Psychology
Vol.
4
1,2
0
0
0,pp.
4
9
‐
1
0
0.
5)Hartman, E. et al. “On the relationship between motor
performance and executive functioning in children with in-
1
9)森口佑介「就学前期における実行機能の発達」
『心
理学評論』第5
1巻第3号、2
0
0
8年、4
4
7
‐
4
5
9頁
tellectual disabilities” Journal of Intellectual Disability Re-
2
0)Oka, K., & Miura, T. “Allocation of attention and effect
search Vol.
5
4,No.
5,2
0
1
0,pp.
4
6
8
‐
4
7
7.
of practice on persons with and without mental retardation”
6)Henry, L. A. “How does the severity of a learning disability affect working memory performance” Memory
Research in Developmental Disabilities Vol.
2
9.2
0
0
8,
Vol.
9,2
0
0
1,pp.
2
3
3
‐
2
4
7.
pp.
1
6
5
‐
1
7
5.
7)Henry, L. A., & MacLean, M. “Working memory per-
2
1)Rosenquist, C., Conners, A., & Roskos-Ewoldsen “Pho-
formance in children with and without intellectual disabili-
nological and visuo-spatial working memory in individual
ties” American Journal on Mental Retardation Vol.
1
0
7,
intellectual disability” American Journal on Mental Retar-
No.
6,2
0
0
2,pp.
4
2
1
‐
4
3
2,
dation Vol.
1
0
8,No.
6,2
0
0
3,pp.
4
0
3
‐
4
1
3.
ˆ
ˆ
8)Japundza-Milisavljević, M. & Maćesić-Petrović, D.
2
2)The AAIDD Ad Hoc committee on terminology and
“Executive functions in children with intellectual disabili-
classification “Definition of intellectual disability” Intellec-
ties” The British Journal of Developmental Disabilities
tual Disability : Definition, Classification, and Systems of
Vol.
5
4,Part2,No.
1
0
7,2
0
0
8,pp.
1
1
3
‐
1
2
1.
Support.
1
1th ed. Washington, DC : AAIDD,2
0
1
0,
pp.
5
‐
1
2.
9)Jurado, M. B., & Rosselli, M. “The elusive nature of executive functions : A review of our current understanding”
2
3)Tomporowski, P. D., & Hager, L. D. “Sustained attention in mentally retarded individuals” International Review
Neuropsychology Review Vol.
1
7,2
0
0
7,pp.
2
1
3
‐
2
3
3.
of Research in Mental Retardation Vol.
1
8,1
9
9
2,
1
0)Lanfranchi, S. et al. “Executive function in adolescents
pp.
1
1
1
‐
1
3
6.
with Down syndrome” Journal of Intellectual Disability
2
4)Van der Molen, M. J. et al. “Verbal working memory in
Research Vol.
5
4,No.
4,2
0
1
0,pp.
3
0
8
‐
3
1
9.
1
1)ルリヤ,A. R.「精神薄弱児の一時結合の形成と行
children with mild intellectual disabilities” Journal of In-
動調節における言語の役割」山口薫・斎藤義夫・松
tellectual Disability Research Vol.
5
1,No.
2,2
0
0
7,
―4
5―
1
6
2
長野大学紀要
第3
2巻第2号 2
0
1
0
pp.
1
6
2
‐
1
6
9.
task by people with intellectual disabilities reveals difficul-
2
5)Whitman, T. L. “Self-regulation and mental retardation”
ties in decision-making and impulse control” American
American Journal on Mental Retardation Vol.
9
4,
Journal on Intellectual and Developmental Disabilities
No.
4,1
9
9
0,pp.
3
4
7
‐
3
6
2.
Vol.
1
1
5,No.
2,2
0
1
0,pp.
1
5
7
‐
1
7
1.
2
6)Willner, P. et al. “Performance in temporal discounting
―4
6―
長野大学紀要
第3
2巻第2号 4
7―6
1頁(1
6
3―1
7
7頁)2
0
1
0
大学の個性化と総合化
―公正な競争とコンソーシアム構想―
The Individuality and Generatily of Universites
―Fair Competions and the Consociam Ideas―
黒
沢
惟
昭*
Nobuaki KUROSAWA
としての古典的大学の消滅ないし凄まじいまでの
はじめに
変容である。古典的大学のイメージは次のようで
小論は長野大学の改革について筆者の見解をま
あろう。
とめ、学内に一定のインパクトを与えることを意
「19世紀のドイツ観念論とともに成立した。国
図した。そのために、国内外の潮流の理解も必要
民文化のほとんど独占的な担い手として機能しつ
と考え、旧稿から該当する部分を抽出して、一本
つ、かつ理性の普遍性という構想を掲げるとい
に構成したものである。読者の卒直な批判を期待
う、二重性を備えている。カントの理念やフンボ
したい。
ルトの理念を体現し、哲学ないし人文的な諸学に
¿ 大学の市場化の背景と現状
範型をおき、教養形成という手段を通じて社会統
合を達成するモデルである」
。さらにそこに存立
―マス化と卓越性の関連―
している了解は、
「自由な精神の共同体が教師と
学生によって構成され、世俗的世界であるならば
1
大学の大衆化
強制によるであろう関係が、もっぱら純粋に内的
大学の変容とグローバル化・市場化は先進諸国
な衝動に基づいて、人間の知的陶治によって達成
でも顕著に見られる。まず注目すべきはここ半世
されるというものであった。実利的な目的ではな
マ
ス
紀間における大学の大衆化現象である。1960年か
く、高邁な理想を追求しているのだという観念
ら2000年までの40年間に、イギリスの大学生数は
も、その一部 を な す」(岩 崎 稔「大 学 を め ぐ る
実に16倍、フランスは7倍、ドイツ、アメリカ、
『革命』の修辞、
『病い』の隠喩」)。
日本ではそれぞれ4倍にふくらんだ。同一年齢層
50年代終りから60年代前半に青春を送った私た
に対する進学率は、1
960年当時で、アメリカの
ちの世代の大学には如上のような古典的大学の
35%は例外としても、日本12%、フランス7%、
「残照」が未だ感得することができたが、そうし
イギリス、ドイツは各4%に過ぎなかったが現在
た幻想を粉砕したのが60年代末の全共闘運動によ
ではなんと50%〜30%に急上昇したのである(潮
る大学紛争であった。
木守一『世界の大学危機』)。
ところでエリートによって独占されていた大学
急激に進行した大学マス化の要因については省
からマス化へ移行した大学の葛藤とそれに伴う危
略するが、その結果生じた事態は「知の共同体」
機的状況についてはアメリカの社会学者マーチ
*社会福祉学部教授
―4
7―
1
6
4
長野大学紀要
第3
2巻第2号 2
0
1
0
ン・トロワの有名な研究を参照していただきたい
ず、戦前期日本の大学のモデルはドイツの古典的
が(天野・喜多村編訳『高学歴社会の大学』)、要
大学であったことはよく言われるが、同時に多数
目は知的能力、学習意欲の低い大量の大学生の登
の私学の存在にアメリカの影響も看取されること
場であり、「大学のレジャーランド化」現象であ
も忘れるべきではない。次いで戦後は占領のため
る。一方、こうした学生をまえにやる気をなくし
にアメリカにモデルが転換したとされるが、臨教
た教員も多く両者あいまって大学の知的退廃が一
審答申の出る80年代半ばまでは、大学人の多くは
部エリート大学を除いて進行したことはこれまで
知的共同体としてのドイツ的モデルを理想として
しばしば指摘されたところである。
いたのである(有本・江原編著『大学教授職の国
こうした事態はひとり日本だけでなく、古典的
際比較』参照)
。そうした意義を持続させ得たの
大学の発祥の国、ドイツはもちろん、ヨーロッパ
は、帝国大学を頂点とするエリート大学とマス化
の多くの国々の大学で軒なみに生じている。その
の「受け皿型」となった多くの私学の存在とその
主要因は大学進学者数の急増がもたらした大学の
ピラミッド型による「棲み分け」及びその固定化
マス化、大衆化であることを専門家は指摘してい
であった。さらにそれを可能にしたのは、戦前期
る(天野郁夫『日本の高等教育システム・変革と
に比べれば著しく緩和されたとはいえ、依然とし
創造』、とくに10章「グローバル化する改革」参
て残された政府の規制、「大学設置基準」であ
照)。
り、高等教育の資源の配分システムとその硬直化
である。具体的には、配分の規定が教育・研究に
2
アメリカの大学
よるのではなく、戦前来の大学の序列に基づいて
ところで、以上の危機にアメリカは直面しな
いること。教員の任用・移動も業績本位ではな
かった事情を天野郁夫氏は前出のトロワの理説を
く、学閥や自大学出身者を優先する「同系繁殖」
援用して次のように説明している。その要因とし
が多いことなどが指摘される(前掲天野書)
。以
て強調されるのは、アメリカの高等教育に伝統的
上にみるように戦後の大学はアメリカをモデルに
な「市場の力」の支配する「感応的」な構造であ
したという通説に対して実相は著しく戦前期の日
る。それが普遍性をもつモデルと見なされるの
本的土壌を色濃く反映していたといえよう。
は、現在ドイツをはじめ多くの国の高等教育が目
指しているのは「市場の力」の積極的な導入であ
4
大学市場化の問題点
り、「競争的で開放的なシステム」への転換であ
そのような土壌を崩す一大契機になったのは前
るからだ(天野氏前掲書)。それはまた、
「世界中
出の臨教審の「規制緩和」政策であり、なかでも
のトップレベルの大学のうち、優に3分の2はア
その一環として、87年に新設せれた大学審議会で
メリカの大学」であり、
「圧倒的優位を誇ってい
あった。とりわけ、9
1年の答申、
「大学教育の改
る」(経済学者ヘンリー・ロソウスキーの指摘)
善について」は注目されてよい。周知のようにこ
事実によっても証明されている(同上書)
。ただ
の答申は、教養部の解体を引き起こしたが、もと
し、留意されるべきは天野氏の次の警告である。
もとは学部段階の教育の在り方の検討を促すもの
「19世紀初めのドイツで確立されたとされる近代
であった。その後現在に至る「改革」動向―シラ
大学・エリート大学モデルが根本的な再検討と変
バス、セメスター制、ファカルティ・デベロップ
革の必要に迫られていることは疑いない。しかし
! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! !
その変革は、そ れ ぞ れ の 国 の 歴 史 的 伝 統 と 文 化
! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! !
的・社会的な文脈のなかで推し進められる他はな
メント、授業評価等々―については改めて指摘す
いのである」(同上書、傍点引用者)。
は、国立大の独立行政法人化と第三者評価であろ
るまでもなく普及している。
改革のなかでとりわけ関係者の議論をよんだの
う。独法化についてはすでに総論・各論にわたっ
3
日本の大学問題
て多くの検討・批判が刊行されているのでそれら
次に日本の社会的土壌における高等教育の特色
をご参観願いたい。ここでは紙巾の制約もあって
及び現状と課題について概要を述べてみよう。ま
要目について若干の私見を述べるにとどめたい。
―4
8―
黒沢惟昭
大学の個性化と総合化
1
6
5
まず問題は、①これが行財政改革の一環として
たりコントロールされることには反対である。一
出てきた法人化であって、大学の在り方を議論し
方、市場の論理(利潤追求原理)によってのみ運
ての選択肢ではなかったこと。②文科大臣に達成
営されることも好ましくないという立場である。
目標(6年間の中期目標)の承認を受けなくては
逆に公的システムが可能な限り分権化され、決定
ならないこと。③その評価を文科省に設けられる
権限が「現場」
(当事者)に近づくことを念じて
国立大学評価委員会が行うこと。しかもこの評価
いる。この視点からいえば、発足した国立大学法
に基づいて資源配分が行われることである。以上
人は看過できない問題をはらんでいると断ぜざる
が多くの論者に共通する批判点である。①の成立
をえない。以上のことを前提とした上でいえば、
事情は論外であるが、②の評価と資源を結びつけ
国家主義と市場主義を超える大学の実現の在り方
其の要を文科省が握るということで法人化の目的
である大学の国家からの自立が保障できるだろう
としてはやはり法人に行きつくのではないか。具
! !
体的に学校法人、端的に私立大学が中核となるべ
か。規制を緩和して事前チェックから事後チェッ
きだというのが私の一応の結論である。もちろ
クへという法人化の意図が実現できるのであろう
ん、現実の私立大学の実態をそのまま認めるわけ
か。重大な疑点といわざるをえない。かって私
ではない。「私学もいろいろ」である。あえてい
は、大学評価委員会の専門委員として国立大学の
えばやる気のある学生、志ある教員に対する公正
評価(社会貢献分野)に携わったことがあるが、
な審査による奨学金、研究費の拡充がミニマムな
第三者による客観的評価、ピアレビューを標榜し
条件である。
ながら、実相は極めて権威主義的な「評価」に終
以上の管見に対して特に旧国立大学の教員から
始した印象を拭えなかった。ただし、法人化がス
は反論が出ることは承知している。しかし、以下
タートして余り時日が経ていない現在では長期の
の点は是非とも考慮されるべきと思う。
経緯について確かめる資料がない。前出の天野氏
第1に、法人化の過程で参議院で23項目の付帯
も以下のような懸念を表明していることにも留意
決議をつけたとはいえ、全体的に見れば殆ど無風
したい。「6年間の目標・計画を作って、文部科
のなかの法案成立であった。たしかに国民の「無
学大臣がそれを認め、それに従って教育研究活動
関心」も勘案すべきだが、国立大の「特権」に対
を進めなければならない。しかも結果の評価も受
する反感も底流していたのではないか。
けて、それによって予算が増減されるとなれば、
第2に、大学生の7割は私立大学に属してい
これまで以上に、大学の自由が少なくなるのでは
る。その保護者は国立大のほぼ倍額の学費を負担
ないかと危惧する関係者もいます。・・・・新し
しながらなお殆ど返還を期待できない国立大の経
い法人化の仕組みにさまざまな問題が隠されてい
費負担を強いられているのである。
第3に、以上に一端をみる国立・私立の格差が
ることは確かだと思います」(『大学改革・秩序の
両大学間の交流・公正な競争を阻んできた主要因
崩壊と再編』)。
である。今後は、国立大学法人化(公立大も含め
5
今後の課題
て)と私立大を横並びにして、それぞれの研究・
論点の一端にしか触れることができないが、伝
統的大学から大衆化時代の大学への転換を、
「市
教育・経営の努力に応じて資金の投入を図る方向
を探るべきではないか。
場の力」と「感応的」な構造によって首尾よく遂
ただし、経営努力などになじまない、民間のイ
行したアメリカのモデルも、日本の土壌に移され
ンセンティブの働きにくい基礎的研究分野などに
ると多くの問題が発生し、期待されたほどには効
ついては少数の大学院大学・研究所において特別
を奏していないことは以上に述べた通りである。
な公的資金投入の措置が不可欠であることを強調
それではどうすべきか。もとよりこの点につい
したい。
要するに、前述した国家主義、市場原理主義を
て私に明確なヴィジョンがあるわけではない。た
超えて大学が再生するためには、国(公)・私立
だ大筋としては次のように考える。
まず、私は研究や教育が国家によって主宰され
を横並びにして公正な競争原理を働かせることが
―4
9―
1
6
6
長野大学紀要
第3
2巻第2号 2
0
1
0
不可欠である。
か。これがシンポジストの一人としての筆者の問
À 大学コンソーシアムの構想と現実
題提起であった。時間の制約もあってこの論点は
―山梨県の実情を踏まえて―
がこの課題に一定の解決の道を提示しているので
深まらなかったが、筆者は、コンソーシアム構想
はないかと従来から考えてきた。以下、筆者の見
1
大学の将来像
聞に基くコンソーシアムのコンセプトと山梨県に
中央教育審議会の「答申」
「我が国の高等教育
おける状況を記してみたい。
の将来像」(平成17年1月28日、以下「答 申」と
記す)によれば、我が国の18歳人口は「平成4年
3
山梨県の県民コミュニティカレッジ
(1992)年度の約2
05万人を直近の頂点として減
大学の連携としては、東京学芸大時代に都下多
少 期 に 入 り、平 成11(1999)年 度 か ら 平 成1
5
摩地区の一橋大、東京農工大、電気通信大、東京
(2003)年度までには150万人程度となっている。
外国語大との単位互換の認定を体験する一方、横
平 成16(2004)年 度 に は 約1
41万 人 で、平 成1
7
浜国大、埼玉大、千葉大との教員養成系の連合大
(2005)年度からさらに減少し、平成21(2009)
学院の実情も間近に見聞することができた。しか
年度に約121万人となった後は、平成3
2(2020)
し、積極的に関わることになったのは山梨学院時
年度まで約120万人前後で推移する」と予測され
代においてである。
ている。この現象化によって、大学・短期大学の
山梨県には国・公・私立を合わせると短大も含
収容力(入学者数÷志願者数)は平成19(2007)
め14の大学がある。これらの大学が県の委託をう
年には100%に達するものと予測される(従前の
けて毎年度「県民コミュニティカレッジ」と呼ば
試算よりも2年前倒し)。
れるコラボレーション講座を県民のために開講し
したがって、今後とも、次第に小さくなってい
ている。生涯学習の「大学コンソーシアム山梨」
くパイの奪いあい、大学の生き残りの熾烈な闘い
の実態があることを知り大いに勇気づけられた。
がくり広げられることはまちがいない。
しかも事務局が山梨学院生涯学習センターにおか
れ、当時センター長である筆者が運営委員長を兼
2
大学の個性化と総合性
任した。毎年度受講者のアンケート、県の要請そ
以上に一端をみるわが国の高等教育の「ユニ
して各大学の意向などを集約して共通のテーマを
バーサル」段階に対して、「答申」は大学の将来
設定する。これを基にカリキュラムを編成し、各
像の分析、予想そしてそのための施策等につい
大学の特色を生かして講座分担を決めるのが運営
て、具体的提言を試みている。
委員会の主要な任務である。在職5年間の体験で
なかでも、第2章でしばしば言及されている高
等教育機関の協力体制、「大学 コ ン ソ ー シ ア ム
しかないが各校の運営委員の熱意にも励まされ協
力体制はおおむね良好であった。
(共同事業体)形成」が注目される。というの
は、「答申」でも唱 導 さ れ て い る 大 学 の「特 色
4
知の周縁と中心の関連
化」「種別化」は「生き残り」の方法として理解
前述した多摩の国立5大学の単位互換の経験な
はできるが、総合性の方はどう担保されるのかと
どから山梨におけるこれまでの大学間の協力を
いう疑念がぬぐえないからだ。2004年の日本都市
ベースに開放講座を超えて、より広いコンソーシ
学会のシンポジウム「大学と都市社会」でも、こ
アムに発展できないだろうかと赴任以来考えた。
の特色化と総合性の関連が問われた。つまり、大
この筆者の念願が大きく前進したのは、在職中に
学の閉鎖性を打破して地域社会に貢献するために
行われた山梨学院生涯学習センターの10周年記念
地域の要求を教育・研究に取り組むために「特色
フォーラムであった。その際にテーマを「知の中
化」は必要であるとしても、その場合に「下請
心・周縁関係を問う―学問・大学・生涯学習の可
け」的に要求に応ずるのではなくそこに大学とし
能性―」と設定した。社会貢献とか大学開放とい
て独自の「貢献」が考慮されて然るべきではない
うタームから思い浮かべるように、一段高い立場
―5
0―
黒沢惟昭
大学の個性化と総合化
1
6
7
から大学の知的財産を市民・地域住民に伝達する
しかも総合的大学の高度な研究や多彩な教育課程
のではなくて、民衆、
「ヒラの市民」との知の交
という利点を備えられるか」という一見矛盾する
流によって、大学の知を捉えかえそうというのが
課題に挑戦したのであった。その答えは「自校を
前期のテーマの主旨であった。基調報告ではこの
大規模化した総合大学にするのではなく、それぞ
認識のもとに大正時代に信州で実践された自由大
れ建学の精神を異にする独立したカレッジ五校
学運動、1950〜60年代に熾烈に展開された三井三
と、大学院センターとをクレアモントの理念に
池闘争時の労働者の自己教育、また一時期話題を
そって創設していくこと」だった。現状は次のよ
呼んだ川崎市の「キャンパス都市構想」の事例
うである。
「それぞれのリベラルアーツ、人文学
(いずれも筆者の長年の研究テーマである)を紹
の女子大、政治経済学、理工学、社会科学を専門
介しながら、知識人一大衆の関係について私見を
とする5校のカレッジと1校の大学院からなるコ
述べた。
ンソーシアムに成長している。しかもそこでは
この基調報告を受けるかたちで、パネリストの
「5千人の学生たちが、別々のカレッジに属しな
赤坂憲雄(東 北 学・東 北 工 科 大 学)
、宮 坂 広 作
がら、あたかも一つの大学のように図書館を共有
(社会教育学・東大名誉教授)そして金井淑子
し、2,
200にわたる授業科目を選択履修し、・・
(フェミニズム論・横浜国立大学)の三氏によっ
・・単位を互換し合い、学寮で教師とともに生活
て「知の周縁・中心関係」について提言が行われ
し、学部課程を終えると大学院に進学し、毎月
た。地元山梨はもとより、遠く鹿児島、北陸、東
150を超える行事に参加している」
(喜多村和之
海、信州、東京から120人程度が参加し活発な意
『大学は生まれかわれるか』)という。一読して
見が交わされ、各地の事例も報告された。難しい
コンソーシアムの目的・内容が具体的にイメージ
テーマのためもあって、主催者側が企図したよう
できるであろう。
には議論が深まったとはいえないが、パネリスト
なお、喜多村氏は「大学連合」を評価しつつ、
のお三方はいずれも「周辺」部から中心を撃つ!
インパクトを参加者に投げかけたと思う。しか
しかし単に自校にない科目を他校で履修するだけ
! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! ! !
でなく、その背後に全体構造を持つカリキュラム
!
論の必要性を強調する。全く同感である。そうで
も、テーマが目指す問題は一大学では不可能で
なければ、学生は一貫した大学教育を自己の経験
あって少なくても県内各大学の協力が不可欠であ
のなかに総合化することが困難であるからだ。単
るという筆者の提言の主旨は参加者の多くによっ
位互換、施設の共用の段階を超えて「コンソーシ
てうけ入れられた。
アム」が求められる所以である。
というスタイルの研究者であったために、一定の
たしかに、個別の大学の生き残りは死活の問題
国内の状況はどうであろうか。多摩地区の例は
であるには違いない。だがそのためにもより広い
前述したが群を抜いて有名なのは1994年に設立さ
展望のもとに地域社会への大学の「貢献」の意味
れ、すでに10年以上の歴史を誇る「大学コンソー
を考え直す必要性を大学はもっと認識すべきであ
シアム京都」であろう。京都駅のすぐ前に「キャ
り、その有効かつ有意義なコンセプトがコンソー
ンパスプラザ京都」の5階建ての ビ ル(2
000年
シアムだと筆者は考える。そこで念のために、専
オープン)を拠点に、51の大学が一大コンソーシ
門家の指摘によってコンソーシアムのアメリカの
アムを運営している。詳細については、
『創立1
0
例を紹介しよう。
周年記念』(財団法人大学コンソーシアム京都、
2004年11月発行)をお読みいただきたいが、数回
5
大学コンソーシアムの理念と現実
にわたる筆者の見聞を基に要点を記してみよう。
カリフォルニア州のクレアモント・カレッジに
コンソーシアム設立の契機になったのは、80年
は、五つのカレッジと一校の大学院が、徒歩通学
代半ばから始まった大学の市外への流出であっ
可能なキャンパスにおかれている。早くも1920年
た。「大学のまち」京都を維持・発展させるため
代に当時の学長が「いかにして小規模カレッジの
に、京都市や京都府それに系列団体が参加して財
もつ人間的ふれあいという長所を保持しながら、
団法人大学コンソーシアム京都が立ち上げられた
―5
1―
1
6
8
長野大学紀要
第3
2巻第2号 2
0
1
0
のである。一方、大学側にも多様化した学生、複
定終結を目ざす」
(『山梨日日新聞』 05年6月8
雑化している社会的要請に個別の大学では対応で
日、第一面)
きないという認識が広まり産・学・地の連携につ
以上のように進行するかは定かでないが筆者も
ながったのである。主な事業は、①単位互換②市
提唱者の一人として今後も「大学コンソーシアム
民開放講座③インターンシップ、離職者のリカレ
山梨」の行方を見守りたい。その際に留意すべき
ント教育④地域調査研究⑤高校・大学の連携の5
点を列挙して小論の結びとしたい。
!
つである。多面的取り組みに驚くが、各大学、と
コンソーシアムは一方で各大学の建学の精
くに国公立大と多様な私立大との温度差、単位互
神、理念を尊重しつつ連携によって一校ではでき
換の繁雑さなどのほか未解決の問題も多いことを
ない新しい知の創造を目ざすものである。筆者は
事務局の担当者が率直に語ってくれた。とはいえ
県内の全大学をまわり、学長と懇談した折、この
多様な51の大学を束ねつつ、産・学・地の コ ン
点の理解が不足していることを痛感した。
"
ソーシアムの活動を10年余にわたって続けてきた
関係者の努力には敬意を表したい。
単位互換、施設の共同利用などは有効な連
携の方法であるが、それにとどまらず開放講座、
その後、北九州、静岡、西ノ宮、愛知、奈良、
離職者、新しい起業者に対するリカレント教育お
仙台、山形、信州(松本)、鳥取など各地の大学
よび地域社会のための調査研究によって地域社会
間連携の実態を見学・調査した。アメリカのスタ
への貢献も重要な課題である。この場合に、地域
ンフォード大学を軸とする「シリコンバレー」の
社会の各レベルの「知」を批判的に捉えかえす契
日本版の印象を受けた北九州市を除いて、概ね京
機にすることも求められる。
#
都の例をモデルに単位互換を中心とする連携を実
下級の教育機関との教育、とくに高大連携
施しているように思われる。もちろん、行政の関
の重要性を強調したい。最近高校の通学区の撤廃
わり方や大学立地(位置)の状況、設立事情や歴
などによって競争が促進され学校間格差が拡大傾
史の長短などによって各地の状況は多様である。
向にある。こうした状況では、
「ゆとり」教育に
しかし、国立大の独立行政法人化にも影響され
よる「生きる力」を育むことはできない。地域社
て、大学コンソーシアムへの全国的な流れを感ぜ
会の大学が連携によって魅力あるユニバーシティ
ざるをえない。
に変貌すれば、わざわざ大都会の大学に進学する
6
必要もなくなるだろう。同時に高大の接続を強め
%
て、殆ど意味のない受験勉強の無駄が省ければ本
% %
来の中等教育ひいては初等教育の実現にもつなが
大学コンソーシアムの課題
おわりに、山梨の現状を踏まえて大学コンソー
シアムの課題について述べてみよう。残念ながら
るだろう。
$
山梨では筆者の在職時には大学コンソーシアムは
京都の例のようにセンター的施設が必要で
発足していなかった。しかし、その後創設に向け
ある。山梨の場合には甲府駅付近にショッピン
て顕著な動きがみられるようになった。地元紙に
グ、食堂などの集客機能も併設された生涯学習の
よってその一端をみよう。
拠点ビルが建設されることが期待された。その一
「大学間連携は…本年度第一回学長委員会で協
角にコンソーシアムのセンターを組み込むことが
議。…先進都県での調査報告などを踏まえ、1
4大
望まれる。なお、遠隔の大学・機関との交流に
学の学長らが『地域としての学習機能を高める上
は、インターネットの活用が不可欠であることは
で連携は必要』との見解で一致。7月中に『コン
いうまでもない。
ソーシアム設立検討会議(仮称)
』を立ち上げ、
具体的な協議に入ることで集約した。計画では検
付記
討会議内に事務レベルのワーキンググループを設
その後の経緯について簡単に述べておきたい。
け、①組織の運営や企画②単位互換や提供する講
2005年6月25日に、山梨県教育機関連絡協 議 会
義内容の検討③図書館の連携④市民開放の講座開
(会長貫井英明山梨大学長)が開かれ、
「大学コ
講などの部門別に話し合いを進め、来年秋にも協
ンソーシアム(大学間連携)の設立検討会議を発
―5
2―
黒沢惟昭
大学の個性化と総合化
足させた。
1
6
9
テージサーバー)
検討会議のメンバーは各大学の教員ら12人で構
②「大学コンソーシアムの理念と現実―山梨県の
成され、委員長には筆者が選ばれた。なお具体的
現状をふまえて」
論点は次の4点である。①組織編成や予算など。
(『IDE』(NO.
473、2005年9月 号、民 主 教 育 委
②単位互換や高大連携など。③留学生教育を含む
員会)
学生交流。④図書館の連携。
Á 教育における新自由主義
さらに、7月25日には、以上の諸点の検討のた
―はじまりとしての臨教審―
めに、3つのグループが発足し(①は各グループ
の代表と検討委員会が事務局と協議する)第一回
の会議を行った。今後、活動計画や協定書の策定
本稿で筆者が大学改革のポイントとして提唱す
などを進め、2006年9月には大学コンソーシアム
るコンソーシアムは、連携、共生が理念である。
設立を目指している。因みに、山梨大学と山梨学
これは新自由主義とは正反対のものである。そこ
院大学との単位互換の話し合いが両大学間で進め
で本節ではコンソーシアムの理念を明らかにする
られ、大枠の合意が成立し、今年(2004年)度内
ために教育における新自由主義の内実を述べる。
には正式調印が見込まれている。山梨県では初め
ての国立大と私立大の総合的な単位互換であり、
1
教育現場の貧困化
日教組全国教研(教員の自己研修)に共同研究
今後のコンソーシアムの中核になることが期待さ
者(助言者)としてかかわって二〇年を経た。全
れる。
ところで、地元紙も社説で、大学コンソーシア
国各地の教育実践が、各支部段階からはじまり県
ムを取り上げ次のように述べている。
「構想は、
教研に至るまでの討議を踏まえて全国教研レポー
単位互換を基本とし、小規模な大学の良さを生か
トとして報告される。だから発表時間は一五分だ
しながら、多様化する学生の学習ニーズに応える
が、背景には数十倍、いや数百倍の実践がこめら
ことができる。クリアしなければならない課題は
れているのだ。
多いが、お互いにできるだけ補完し合って、県外
筆者の参加分科会は「進路保障・選抜」である
の大学に負けない環境づくりを進めていってほし
が、そこでは子どもたちの進路をどう保障するか
い。また大学連携が実現し、県内の高等教育が高
が主要テーマである。いまや高校進学率が九八%
まれば、より多くの若者を地域に定着させること
になるのに、わずか数%が依然として希望しても
ができるほか、将来的には県民の学習機会も広が
入れない。その多くは知的障害児である。入試で
る。経済的にバックアップしていく必要がある」
振り落とされるのだ。希望者には全員高校進学を
(山梨日日新聞、 05.
6.
10)。この通りであろう。
保障すべきだ。そのためにどうすべきか。全国各
県民の関心も「いまいち」
地の実践が持ちよられそれに基づいて討論が活発
という感はまぬがれないが山梨でもコンソーシア
に行われる。これが二〇年間一貫した筆者の分科
ム設立への大きな第一歩が始まったことは確かで
会の経緯である。
各大学の
温度差
ある。その後状況については筆者は山梨学院大学
ところが、今年から新しい論点が加わった。貧
を退職したので不明である。近く現地に赴いて調
困である。奨学金がもらえない。あるいは返済で
査したいと念ずる。その点で小論は「中間報告」
きないために進路保障が困難になったというレ
である。
ポートが多くみられた。しかも、昨今は、少子化
おわりに、本稿は次の二つの拙稿を基にして、
に加えて自治体の財政悪化のために学校の統廃合
大巾な加筆・修正を行い一本にまとめた稿である
が急速に進んでいる。それに伴う遠距離通学は交
ことを断わっておきたい。
通費の負担増になり高校進学・通学に大きな影響
①「大学の市場化の背景と現状―マス化と卓越性
を及ぼしているのだ。つまり、高度経済成長以来
の関連」
それほど目立たなかった貧困が今回の教研で顕著
(『教育評論』vol.
694、2004年12月号、アドバン
になったのだ。
―5
3―
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7
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2巻第2号 2
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0
因みに、朝日新聞は「高校再編『通学に配慮
次のように発言した。
を』―遠距離で負担増、日教組報告」の見出しで
「格差ではなく貧困の議論をすべきです。貧困が
次のように報じている。
「行政の財政事情と少子
一定程度広がったら政策で対応しないといけませ
化を背景に、全国各地で進められている公立高校
んが、社会的に解決しないといけない大問題とし
の統廃合。進学先が地元に無くなって遠くに通わ
ての貧困はこの国にはないと思います(
『朝日』
ねばならなくなり、交通費の負担に苦しむ家庭は
〇六年六月一六日)。
少なくない。安易な『再編』を見直し、避けられ
さらに、当時の安倍晋三首相は、
「生活必需品
ない場合でも交通費などを手当てする―。行政側
が調達できない絶対的貧困率は先進国の中で最も
にこうした姿勢を求める声があがっている」
(宮
低い水準にある」と国会で答えた(
『東京』〇七
本茂頼)。
年二月一三日)。
宮本記者が当日筆者の分科会で取材した各地の
しかし、湯浅誠氏は、
「海外の民間団体がたっ
状況を二、三かいつまんで紹介しよう。
(一)大
た七〇〇人に電話で主観的な回答を聞いただけの
分県。「地元の県立高校の商業科が今年度から募
調査」が以上の断定の根拠になっていると告発す
集停止になった。地元の高校は普通科だけにな
る(湯浅誠『反貧困―「すべり台社会」からの脱
り、実業系の高校に進んでその先は就職したいと
却』岩波新書、二〇〇八年、九七頁)。
考えている生徒は遠距離通学しなければならなく
さらに同書によって「貧困化」の一端を引用し
なった。そのために必要なバスの定期代は月2万
よう。
「一九九〇年代の長期不況以降、正規から
円ほど。教え子の一人は不況で親の家業の経営が
非正規への雇用代替が急速に進み、非正規労働者
厳しく、本意ではない地元の普通科を受験するか
はこの一〇年間(一九九七―二〇〇七年…)で五
どうか迷っているという。
『統廃合が進むと、生
七五万人増え、正規労働者は同時期に四一九万人
徒のニーズを受け止められなくなるのではない
減った…今や、全労働者の三分の一(一七三六万
か』」。
人)が非正規であり、若年層(一五―二四歳)で
(二)長崎県の離島。
「募集停止となった高校の
は四五・九%、女性に至っては、五割を超えてい
地域から他校へ通学するにはバスの定期代が月2
る(五三・四%)。
万円ほどかかる。バス会社は高校生の定期券代を
また、地方商店街が『シャッター通り』化し、
半額にしてくれているが、それがいつまで続くか
米価も暴落…するなど、自営業主の生活の厳しさ
わからない。
『長距離通学となれば体力的な問題
が露わになっている。いわゆるフリーターの平均
もある。部活動の時間も制約されかねない』」。
年収は約一四〇万円であり、…国税庁の発表では
(三)北海道。「九九年度に275校あった公立高校
年収二〇〇万円以下の給与所得者が二〇〇六年、
は11年度までに2
38校に減る計画だ。道教委は今
一〇二二万人に達した…。もはや「まじめに働い
年度から、地元の市町村の高校が募集停止になっ
てさえいれば、食べていける」状態ではなくなっ
た場合、通学費や下宿費が月1万3千円を超えれ
た。労働の対価として得られる収入によって生活
ば補助する制度を設けた。しかし、補助金は10月
を支えていく、というこれまでの日本社会の『あ
以降でないと支払われない仕組みで、道教職員組
たりまえ』が『あたりまえ』ではなくなったので
合は『半年間の持ち出しはきつい。もっと使いや
ある…」(前掲湯浅書、二一頁)。
すい制度にする必要がある』という」(『朝日』〇
3
九年三月二二日)。
戦後社会の構造変化と新自由主義
日教組の全国教研のレポートに例をとりなが
2
国側の説明と貧困化の実相
ら、格差化による教育の貧困の背景を探った。そ
わずかな例であるがこのような事態を生じたの
の元凶は小泉構造改革であることも指摘した。し
は小泉内閣が推進した「構造改革」路線による格
かし、その源流は八〇年代の中曽根内閣時代に遡
差化であるとみてよい。ところが、首相とともに
らねばならない。そこで歴史的経緯について述べ
この政策を進めた竹中平蔵氏は、総務大臣当時、
よう。
―5
4―
黒沢惟昭
大学の個性化と総合化
1
7
1
七〇年半ば頃から日本はポスト産業主義に至
のレーガン政権(八〇年五月成立)によって主導
り、社会構造が大きく変わった。第三次産業が五
されてきたことはよく知られる。しかしそれより
〇%を越えた。高度情報社会の到来である。この
早く、一九世紀の四〇年代から七〇年代にかけ
構造における変化を巧みに捉えて、戦後教育の転
て、「自由放任」の名のもとにイギリスで花開い
換を企図したのは八〇年代半ばの中曽根内閣時代
た歴史も想起されてよい。だが「私的利益と公共
に発足した臨時教育審議会(臨教審、八四年発
善との間の神の摂理による調和」という古典派経
足)であった。周知のようにそこで採用された政
済学の理念は長続きはしなかった。詳しい説明は
策理念は新自由主義(ネオ・リベラリズム)であ
省略して結論のみをいえば、恐慌の発生による失
り、その教育への適用である。それでは新自由主
業者の大群によって「調和」は崩されたのであ
義とはなにか。ここでは最近注目を浴びている D
る。
・ハーヴェイの説明を掲げたい。
この事態をのり超えるために一定の政府の介入
「新自由主義とは何よりも、強力な私的所有
を不可欠とするケインズ経済学が出現したことは
権、自由市場、自由貿易を特徴とする制度的枠組
周知のとおりである。その画期は、一〇年に及ぶ
みの範囲内で個々人の企業活動の自由とその能力
思索の成果『雇用・利子および貨幣の一般理論』
とが無制限に発揮されることによって人類の富と
の公刊(一九三六年)であった。その後・このパ
福利が最も増大する、と主張する政治経済的理論
ラダイムは先進資本主義国の経済政策を、少なく
である。国家の役割は、こうした実践にふさわし
とも七〇年代半ばに至るまでは主導したのであっ
い制度的枠組みを創出し維持することである」
た。一言でいえば、
「ケインズ的福祉国家」の実
(D・ハーヴェイ渡辺治監訳『新自由主義・その
現である。国家による公共事業を増やし、失業を
歴史的展開と現在』作品社、二〇〇七年、一〇
押さえ他方で国民のミニマムな生活を保障する。
頁)。
要するに修正資本主義(資本王義と社会主義のア
さらに、常識的には市場を万能視し、自助努力
マルガム)は、第二次大戦後の西欧、アメリカの
・自己責任を強調し、
「小さな政府」を志向する
先進国、少し遅れて日本でも成功し、社会民主主
理念といいかえてもよいだろう。ただし、ハーヴ
義の基礎となった。
ェイは、単に「市場原理主義」的側面だけでな
ところが日本の経済成長がマイナスに転じた七
く、そうした理論とともに、
「階級権力の再興と
四年頃から順調にみえていた修正資本主義に「か
いう新自由主義の実践の 両 側 面 の 総 体」
(前 掲
げり」がさすようになった。端的に資本蓄積の危
書、渡辺治氏による解説―「日本の新自由主義―
機である。原因は、階級的妥協によって実現した
ハーヴェイ『新自由主義』に寄せて」二九三頁)
福祉国家政策である。つまり、資本主義の修正に
としても捉えることに留意を促す。さらに渡辺氏
よる延命策が行き詰まったのである。この状況突
は自らの定義を次のように述べる。
「新自由主義
破のために試みられたのが新自由主義政策であ
とは何よりイデオロギーではなく、グローバル企
る。具体的には労働運動を徹底的に弱め、社会保
業の競争力の回復のため、それを妨害する既存の
障を薄める諸政策、他方で「例外なき規制緩和」
政治制度の全面的改変をめざす運動と体制であ
! ! ! ! !
り、市場優位の制度を導入するために強力な国家
! ! ! ! ! ! ! !
介入をいとわない」三九四頁、傍点引用者)もの
「市場原理王義」が推進された。この政策は、イ
としている。これは渡辺氏が認めるようにハーヴ
八〇年代の中曽根内閣に継承されたのであった
ェイの定義と同じである。したがって、私もこの
(因みに、ハーヴェイは「未来の歴史家は、一九
考え方に従うことにする。
七八―八〇年を世界の社会経済史における革命的
ギリスの「サッチャーリズム」にはじまり、アメ
リカのレーガン政権(レーガノミックス)を経て
な転換とみなすかもしれない」と述べている―前
4
新自由主義の歴史的背景
掲書九頁)。
ところで、この新自由主義は、近年のイギリス
さらに、七三年のオイルショックは先進国の経
のサッチャー政権(七九年五月成立)
、アメリカ
済成長に決定的な打撃を与えた。このため肥大し
―5
5―
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長野大学紀要
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2巻第2号 2
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た福祉予算が慢性的赤字をきたすと喧伝され、
育の時代が到来したことだろう。しかし、そうは
「小さな政府」が不可欠と唱導された。つまり
ならなかった。なぜか。
「不平等を是正するための政府による市場介入の
以下その点を検討しよう。
不可避」を主張するケインズ経済学は嫌われたこ
(二)臨 教 審 の 教 育 の「自 由 化」(後 に「個 性
とを指摘しておきたい。
化」に変更)の提唱は、新自由主義実現のための
「市場」の自由、その教育への導入、積極的推進
5
教育における新自由主義―臨教審
であった。これは、電電公社の NTT への転換と
臨教審は「新自由主義」の教育政策への適用で
軌を一にする「公」教育の「民」間への移 管 で
あると前述した。反面、これまたすでに述べた戦
あった。教育においていえば、学習者の「意欲」
後日本の社会構造の変化に伴う子ども、青年の変
「自由」を尊重し、民間の教育産業と分担しつ
容に対応する改革を意図するものであったことに
つ、市場の「競争力」を導入すべきだという考え
も留意を促したい。そうでなければ広く国民の支
方である。すでに指摘した財政赤字の対策という
持を得られなかったであろう。まさに「時に臨ん
文脈でいえばこの側面の方が臨教審にとっての眼
で」の改革であった。これら二面を勘案して臨教
目というべきであろう。
審の担った課題を二点にわけて述べよう。
そうであれば、学習者の学ぶ「自由」は尊重さ
(一)当時日本はポスト産業主義の時代に至って
れるといっても、実相は自ら学ぶ意欲のある者、
いた。つまり、画一的で均質的な大衆一括の時代
自己負担能力のある者、つまり、限られた一定の
から差異化、多様化を求める人々が多数を占める
枠内に入れる社会的強者の「自由」に限定される
ようになった。学校・教育もこれに対応するよう
のである。しかも、弱者は切り捨てられるが、そ
に転換すべきである―当初臨教審は「教育自由
れは自由な市場競争の当然の結果なのだとみなさ
化」をスローガン化した―という提唱は時代にマ
れたのであった。端的に、教育における格差の拡
ッチしていたのである。一例を挙げれば、
「生涯
大(階層分化)の促進、弱者の切り捨てである。
教育」から「生涯学習」への転換である。
これでは、前述した生涯学習のラディカルな意味
市民がなにかを学ぼうとする時、従来のよう
は喪われ倭小化されたのは当然である。一節で一
に、ある目的のために、つまりなにかの手段とし
端をみた教育の貧困化は以上の臨教審による教育
ての「勉強」ではなく、それ自体が楽しいから、
の新自由主義に端を発すると結論することができ
それ自体を目的として「学ぶ」
、そのような人々
る。
(勉強→学び)が急速に増大した時代になったの
である。こうした時代を巧みに捉えたネーミング
6
小括と今後の課題
が「生涯学習」であった。この用語には「教え・
すでに述べたように、「戦後政治の総決算」を
育てる」教育者(教師)中心から、
「学び習う」
呼号してスタートした中曽根政権による臨教審が
学習者(子ども)中心への意味の転換が、しかも
教育におけるわが国の新自由主義の始期で、小泉
その場は「学校」だけではない(「生涯学習」)と
内閣によって徹底化したのだと私は考える。もち
するラディカルな思想が簡潔に表現され、含意さ
ろん、その後の一四期、五期中教審による路線の
れていた。この「自由化」路線が、これまでの産
若干の手直し(とりわけ一五期の「ゆとり教育」)
業社会型の学校を変え、国家支配(官僚主導)の
はみられたが、基本路線は変わらなかった。
色濃い明治以来の日本の教育に風穴を開けるもの
として期待され、歓迎されたのである。
(当時、
しかし、前出の渡辺治氏は、新自由主義自体の
経緯について次のように述べる。
全国紙の「社説」にもその期待が表明されていた
「結論からいうと、中曽根政権の新自由主義は
ことが想起される)。「生涯」「学習」がこの方向
日本の新自由主義革命の始期ではなかった。せい
で、つまりその提唱者(ポール・ラングラン、エ
ぜいのところ、それは早熟的な新自由主義改革の
ットーレ・ジェルピなど)たちの思想にそって実
試みであった。なるほど・中曽根やそのブレイン
現されたならば、まさに日本にとって画期的な教
となった佐藤誠三郎・公文俊平・香山健一らは、
―5
6―
黒沢惟昭
大学の個性化と総合化
1
7
3
イギリスやアメリカで展開されている改革が既存
規制緩和、さらに国立大学の法人化、教育特区の
の福祉国家システムを変える新たな性格をもった
開設など市場主義の導入が次々と政策化された。
ものであることを理解し、その日本への導入を意
逐一の検証は省くが、小泉内閣時代に「勝ち組」
図したが、アメリカ、イギリスと異なり、当時の
「負け組」の流行語を生み出したことが「格差社
日本は、先進国の中ではいち早く不況を克服し、
会」の到来を如実に示している。
第二次石油危機も乗り越えていたため深刻な蓄積
さいごに指摘しておきたいことは、所得格差の
危機にはなかった。…(したがって)日本での新
拡大と学力格差の相関関係である。つまり、教育
自由主義改革の本格的な始期は、一九九〇年中
文化水準と経済水準が相関関係にあるのだ。この
葉、細川政権まで待たなければならなかったので
点については、
『希望格差社会』で有名な山田昌
ある。しかも…その進行はジグザグを余儀なくさ
彦氏の次の指摘の引用にとどめよう。
れ、新自由主義の本格的な遂行は、小泉政権にい
「たとえ学力が同じであっても、教養とか好奇
たってはじめて可能であ っ た の で あ る」
(前 掲
心とか、コミュニケーション能力というのは、い
書、二九七頁)
。詳しい説明は省略するが、要す
わゆるインテリ的な家庭で育った人と、そうでな
るに、日本の福祉国家体制がそれほど強固ではな
い人では大きな差があります…。学校では学力を
く・資本蓄積を大きく阻まなかったために、イギ
伸ばすことができると思いますが、ペーパーテス
リス、アメリカに十数年遅れたというのが渡辺氏
トで計れる以外のものを伸ばすシステムを持たな
の見解である。
いということです。そういった能力を育てる場
経済・政治の詳しい分析による渡辺説は充分傾
は、今のところ家庭以外にはなかなか考えられな
聴すべきだが、しかし、教育のそれはやはり臨教
いですね」(『季刊教育法』一四八号、〇六年三月
審が始期であることに私はこだわりたい。なぜ
号)。
か。たしかに先に触れたように直後の一四期中教
以上、新自由主義、その教育への適用として臨
審は「格差」が教育の病理と認め、「特色づくり」
教審の基本構造を概述した。Ⅲ章は拙稿「教育に
による是正化を提言したが、その限り反臨教審の
おける新自由主義―(1)はじまりとしての臨教
ように見えるが、競争による格差化に対して特色
審」(「社会主義」2009年6月号)を多少の変更を
づくりはほとんど無力であった。
「特色づくり」
施して再録されたものである。
は、芸術系、体育系では格差化の対抗プランにな
 長野大学の再生を求めて
りえたが、普通科では大学進学のために効果を全
―有機的な知のゲマインデのために―
く発揮できなかった。その後一五期中教審による
「ゆとり教育」の提言も、その理念は正しく評価
筆者は長野市に生まれ、高校まで長野で育ちま
されるべきだが、長い期間にわたって試行された
学校五日制にしても、総合学習にしてもいよいよ
した。(出身高校は長野高校)
本格的に実施された。二〇〇二年には、突如「学
大学院を修了後に初めて就職したのが本学(当
力」低下の大合唱が始まり、一転して「学力」向
時の校名は「本州大学」
)でした。最初の就職先
上競争に逆流してしまった。つまり、一五期中教
と最後(現在)の就職の場が同じ大学というのは
審の理念―「ゆとり」に よ る「生 き る 力」の 育
不思議なめぐり合わせです。40年まえの本州大学
み―は、経済のグローバル化に対応する国力の増
は一学部(経済学部)の小さな大学でした。ふる
強、そのための市場の活性化、
「学力」の向上と
さとに創設された初めての四年制大学に希望を
いうかけ声のまえに消失してしまったといっても
持って赴任しました。久しぶりに本学に帰って参
過言ではない。
りましたが、当時のゲマインデ的な大学とは一変
以上不十分な例証ではあるが教育においては、
し、急速な発展に目を見はりました。短い在職で
臨教審が新自由主義のスタートであり、その改革
すが、志のある若い教員、誠実な優秀な職員の多
構想はその後歴代内閣によって踏襲され、教育課
くに接し感動した次第です。それにもかかわら
程の基準の緩和、教科書検定の緩和、学校選択の
ず、学生が期待したように集まらない本学の現状
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に憂慮し、一体どうしたことかと不思議に思いま
位授与機構に設置された大学評価委員会の委員と
す。もちろん定員割れ、学生不足の傾向は本学だ
して、国立大学の評価にあたったときにこの点を
けではなく、少子化が進む近年は、全国共通の現
痛感しました。文科省から示されたロンドン大学
象です。この状況下で歴代の学長、理事長をはじ
医学部の例によって評価の視点について討論を重
め教職員全員が長年努力されてこられたことには
ねましたが、結局この点に集約され、事実この点
心から敬意を表します。
から評価されたのです。広島大学の理念は「平
しかし、あえていえば最悪の事態に至るまえ
和」です。これを掲げるだけでは組織の運営は不
に、為すべきなにかが残されているのではないで
充分です。その理念がいかに有機的に各学部・各
しょうか。それを掘り出し、本学の課題の解決に
セクションの運営において具体的に実践されてい
早急に取り組むべきです。
るか。ここが評価のポイントでした。筆者が責任
そうでなくては事態は悪化する一途でしょう。
もちろん救済の「特効薬」があるわけではありま
者(班長)として担当した11の国立大学もこの点
に焦点をあてて評価し、判定を行いました。
せん。皆さんにおかれても同様と思います。大切
私たちの大学の再生もこの視点から出発すべき
なことは課題解決の処方のために一人一人が知恵
です。各学部、セクションの活動が本学の理念と
を出し合い結集する組織、体制づくりです。大学
どのように関連して実施されているか。これを常
共同体としての本学を再建するためのノウハウを
に点検し、総括し、還流して理念との整合性を検
結集することが急務です。そのために私が長年蓄
討するべきです。そのシステムが求められます。
積してきた経験を率直に提供し、全教職員で討議
しかも、そのプロセス、結果が全教職員に公開、
して課題解決の方途を探り、共有化することを提
共有化されることが不可欠です。これによって、
案します。以下、提言を5点に的をしぼって私見
適材適所を実現し、無駄を省き、とくに若い教員
を述べます。
のための研究時間を確保すべきです。
全学の有機的なネットワーク化、その検証に基
1.有機的な組織体制の確立
づく、全員参加の大学運営、これを第一に提言し
有機的な組織体制の確立により、本学の活性化
ます。付け加えれば授業の方法、内容を主とする
を実現します。
学生との関係についても有機性は適用されなくて
2.地域に根ざす大学
はなりません。このためには高校・義務教育で行
地域社会との交流を深化させ、知的資源の社会
われている授業研究、教材研究が参考にされるべ
的活用を促進しネットワークによる「ユニヴァー
きです。このために本学教職課程の活動、成果が
シティ」を目指します。
大学教育にも活かされるべきです。また、条件整
3.大学の国際化
備は理事側に強く求めるべきです。
国際交流をさらに展開し、本学を東北アジア共
2.地域に根ざす大学
同体の中心拠点とします。
4.大学コンソーシアムへ向けて
この理念は多くの大学が掲げています。最近、
近隣大学との連携を早急に推進し、本学を中心
本学と同規模の北の旭川大学、南の福岡県立大学
とした「コンソーシアム信州」を実現確立しま
に招かれ、筆者の報告をもとに教員・院生と語ら
す。
い、学長、理事長とも親しく懇談の機会を得まし
5.大学院の新設
た。旭川大では地域の大学間の協力、学長の強力
大学の知的水準を高めるために大学院を新設し
な知的リーダーシップの必要性を学長から説かれ
国内外のステータスを高め、新しい市場を開拓し
ました。全国から一流人を招き学長の司会のもと
ます。
に教員・院生の研究会がしばしば開かれていま
す。旭川大の卒業生が旭山動物園の再生に貢献し
1.有機的な組織体制の確立
たとのことです。教員の採用にも校務分担型と講
大学は有機的な組織でなければなりません。学
義専念型に特任教授の種別化を行っていることも
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黒沢惟昭
大学の個性化と総合化
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参考になりました。福岡県立大学では「炭都田
不可欠の課題です。現在進められている海外(中
川」の再生を大学を中心に進め、それによる「田
国、韓国ほか)の大学との交流をベースに有機的
川を世界遺産に!」をモットーにして大学と田川
発展を目指すべきです。とりわけ東北アジアとの
市の同時再生の経緯と現状を詳しく理事から伺い
協力・交流は重要です。留意すべきは、
「学生集
ました。その経緯、成果をどう見るかが筆者の今
め」の一時的、部分的な交流ではなく「東北アジ
回の講演のテーマでした。地理上の特色を活かし
ア共同体」構想を本学から大胆に発信する、主体
てアジアとの協力を熱心に進めていることを羨ま
的なヴィジョンがなくてはなりません。学生の留
しく思いました。前任校(山梨学院大)では生涯
学の便益に止まらず、東北アジア共同体を創造す
学習センター長を5年間務め、地域住民の「学び
るために学生はもちろん研究者、地元の人々の相
の再生」に力を尽くしました。そこで努力したこ
互交流をも積極的に進め、次々に研究プロジェク
とは知の中心(大学)と周縁(地域)という従来
トを立ち上げ、科研費をはじめ民間の資金を積極
の二分法をいかに超克するかです。そのためには
的に獲得して理念の実現に努めましょう。この理
開放講座を主として大学から地域に発信された
念に基づく実体があってこそ「留学」も生きるの
「知」をどのように大学に再還流させるかを大学
です。
人と地域住民が一緒になって論じあいました。
東京学芸大時代に文科省・特別科研費(7
50万
講座のほか、紀要、所報などとして総括された
円)による中国の東北師範大学のスタッフとの共
大学の知の総体を地域社会に開放し、それについ
同研究(
「20世紀東北アジアの社会・経済変動と
て卒直なコメントを求め(開放講座での意見表
教育」研究代表者黒沢惟昭)を三年間にわたって
明、アンケートなどによる)
、再び大学に還流さ
行いました。そこで得た「人脈」
「ノウハウ」は
せて、大学の知の在り方を再審する。この方法に
現在にまで生かされ中国研究者との交流は密接に
よって中心一周縁という二分化の隔壁を乗り超
続いています(毎年の同大学における「集中講
え、知的地域社会の創造を意図しました。一定の
義」など)
。中国では海外からの教員による集中
成果をあげたと自負します。
講義を大学院の「単位」に組み入れています。学
同センターの10周年記念シンポにシンポジスト
ぶべきでありましょう。一方、平和教育の一環と
として出席された赤坂憲雄氏が東北工科大学で主
して民間団体の支援による「教材研究」を中国、
宰している「東北学」を報告しましたが、これは
韓国の教員、研究員とともに行い、いまに至って
大いに参考になり、早速山梨学院大学生涯学習セ
います。日本が近隣諸国でどう教えられている
ンターでも「やまなし学」を住民とともに始めま
か、日本ではどう教えているのか、東北アジアの
した。ここには学生も参加し、社会人とともに学
交流、平和のためには絶対必要です。
び、学び方理解の仕方の違いも検証しました。本
本学の国際交流センターを中心にこれまで蓄積
学でも大正時代に展開された自由大学の遺産に学
してきた本学の交流の総括を行いその成果を「東
んで「上田学」(仮称)を始め全国へ発信するべ
北アジア共同体の創造」の視点から交流を捉えか
きです。そのために本学の地域連携センターを中
えして本学国際化の有機的な展開を始めようでは
心に、地域社会との有機的なシステムをつくり、
ありませんか。本学にはそのための人材が豊富で
「地域に根ざす大学」の実質化を目指すべきで
す。
す。山梨では公民館を軸とする社会教育の伝統が
根強いのです。それとの連携にも力を入れまし
4.大学コンソーシアムへ向けて
た。長野大学でも長野県の社会教育の活動状況を
以上の課題は本学だけでは実現不可能です。こ
考えると、なお、考えるべき点は、多く残されて
の点、1920年代アメリカのカリフォルニア・クレ
いると思います。
アモントで始められたコンソーシアムは大いに参
考になります。少なくとも上田近辺の大学間の積
3.大学の国際化
極的なネットワーキングが求められます。それを
グローバリゼーションの現代では「国際化」は
基に県内外のコンソーシアムに発信連携すべきで
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す。図書の交流、単位互換などは早速実現可能で
ベス大統領と会見しました。その時、彼はグラム
す。
シの「歴史的ブロック」の概念に言及し、南米の
山梨は小さい県ですが14の大学があります。山
歴史的ブロックを語りました。感動した私は、東
梨学院時代に前述のセンターを軸にそれら諸大学
北アジアの「歴史的ブロック」を南米につなげる
のネットワークを企て、県の協力の下に責任者と
ことを提案しました。その模様は全南米のテレビ
してその実現に努めました。在職中に県の生涯学
ネットワークによって同時に全南米に生放映され
習審議会会長を務めましたが、このネットワーク
たのです。私たちのコンソーシアム・ネットワー
(コンソーシアム)構想を「答申」に盛り込み知
クをゆくゆくは全世界へ展開すべきです。そのこ
事に提出しました。ネットワーク(コンソーシア
とを会見で大統領に提言し意気投合しました。志
ム)による魅力ある大学を創り、学生の多くを県
は高く意気は壮でなくてはなりません。なお、以
内に留め、活性化を意図したのです。京都には51
上は、いずれも私が実際にかかわり、この目で確
の大学が「大学コンソーシアム京都」をつくって
かめた実現可能な再生プランです。ともに頑張ろ
活動し成果を挙げています。特別な産業のない京
うではありませんか。
都に学生を引きつけることが主要な目的です。運
営のための6階建のセンタービルは京都駅前にあ
5.大学院の新設
ります。何度も訪問しました。各大学の学生がそ
東京学芸大学時代には通例の大学院(但し、ド
こへ毎日通い、市内各大学の開講科目を自由に選
クター課程は千葉大、埼玉大、横浜国立大の四つ
択・聴講して必要単位に組み込むものです。ほか
の大学との連携による「連合大学院」)、山梨学院
に西宮、静岡、北九州、山形、奈良、鳥取、仙台
大学時代は社会人のための修士課程大学院を担当
にも規模は小さいですがコンソーシアムはありま
しました。前者では教員の就職が困難で未就職者
す。責任者として全て現地調査を行いました。数
が留年よりも大学院修了の方が有益と考えるため
年前全国のコンソーシアム交流会(金沢大学)に
に希望者が多く、毎年度私一人で10〜15人の修論
も参加してコンソーシアムの将来性について討議
指導を担当しました。連合大学院は、地理的関係
してその有効性を確信しました。
で連絡が困難というハンディはありました。又教
まず近くの信州大学、上田女子短期大学、工科
職志望者がドクターまでは必要ないという考えも
短大、佐久大学などとの連携を早急に始めるべき
多かったのです。理論よりも実務というわけで
と思います。さらに、将来的には高校、公民館な
す。もちろん少数ではありましたが「学位」を取
ど生涯学習機関(研究所、一部企業なども含める
得して大学の教員になった例はあります。
べきです。)を含めて地域に一校ではない「ネッ
後者は社会人、中国、韓国の留学生が主な対象
トワークとしてのユニヴァーシティ」を実現すべ
でした。生涯学習時代ですから定年後に再び学問
きです。こうなれば、生涯学習の視点から「学び
を志す人、時間的に比較的余裕のある人(教員な
の復権」が実現します。私がとくに注目したいの
ど)の現職中の志望者も多かったです。ホーム
は高大連携です。いま流行は、エリート高校との
ページで希望の教員(私もその一人でした)の講
連携ですが本学ではあえて「低位校」との連携、
義を受けるために来たという入学者にも何人にも
一体化も図るべきです。つまり高大の教員によっ
会いました。定年後にゆっくり生涯学習として大
て、7年間の一貫カリキュラムを作成すれば、そ
学院で学びたいという人も多い筈です。
れに基いて学力不振者の学力向上も可能です。格
一方、大学のステータス、学内のアカデミック
差化のなかの新しい挑戦です。地域のネットワー
なアトモスフィアの形成のためにも最低、修士大
クとしての「ユニヴァーシティ」は魅力的カリキ
学院設置はいまや常識です。本学学生のなかにも
ュラムの作成も可能で、学習意欲のために効果的
大学院に進学したいという学生は結構います。又
です。もちろん、本学はその中心拠点にならねば
留学生も学部だけでは満足できず、せめて大学院
なりません。なお、つけ加えれば、昨夏南米ベネ
へという志望者が圧倒的に多いのです。中国へ行
ズエラへ招かれ、知識人と交流し、官邸ではチャ
くたびに「貴学に大学院はあるか」という質問を
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黒沢惟昭
大学の個性化と総合化
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毎年ききます。ドクターの設置は近未来の課題と
を求めましょう。学内にはこれを内容とする「総
しましても修士課程は早急に新設するべきです。
合科目」を学生のため来年度から開講すべきで
連合大学院構想を考慮すべきですが、そのために
しょう。
は修士課程設置はミニマムな条件です。最後に、
地域連携センターの講座にも是非、この視点か
4で述べたネットワーク(コンソーシアム)によ
らの講座を編成して地域へメッセージを発信して
るユニヴァーシティ実現のためにも大学院は必要
ほしいと思います。そして、定期的に地域社会に
条件でしょう。
長野大学は何を考え、どの方向へ進もうとしてい
将来的には、希望者の受講の便宜、受講生の拡
るか。強力な魅力あるメッセージを繰りかえし提
大のために上田、長野駅付近などにサテライトキ
起すべきです。座して沈没を待つのではなく「総
ャンパスの設置、さらに情報機器の活用、通信教
員死に方用意!」の覚悟で頑張ろうではありませ
育による単位取得の方法も考慮すべきです。
んか。皆さんのご批判に基づく、ご支援を期待し
て私の提言を結びます。
(拙い小論ですが成稿に
おわりに
あたっては、本学社会福祉学部の田中祥貴先生、
以上は私の経験による本学再生の提言です。こ
れをもとに学内はもちろん、学外にも討論の機会
職員の平原修氏のご助言、ご協力を賜わりまし
た。ここに誌してあつく御礼を申し上げます。)
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〔書評〕
Review and Discussion of Catalonia : History and culture
by John Payne and Catalonia : A cultural history by Michael Eaude
Margaret Simmons*
The autonomous region of Catalonia, in northeast Spain, maintains a strong sense of local history and culture,
and is a destination for tourists as well as historians, other scholars and international business. Transitions into our
modern, technological and globalizing world society has happened along ancient landscapes, remains of feudal estates, medieval towns and cities as well as entrepreneurial, industrial and commercial traditions. This article discusses John Payne’s and Michael Eaude’s approaches to the history and culture of Catalonia. Each work presents
a unique view of Catalonia through the author’s eyes which together provide a thorough introduction to the region
for a variety of audiences. First, an outline of each work is given with comments, and a comparative discussion of
the two works follows.
Catalonia : History and culture by John Payne
John Payne presents his work in three main parts : Catalonia – a Sense of History, The Cultures of Catalonia,
and Catalonia Today. In Chapter one Payne introduces the reader to Empúries, in the province of Girona, which
was established by traders about 550 BC. He reminds us of the presence of Iberians, Phocaeans, Phoenicians,
Rhodians and Carthaginians who were also players in this era during which the Romans were advancing their
dominance in the Mediterranean. Roman ruins are founds throughout Catalonia, some of the most impressive in
Tarragona. Some of the present day towns maintain layouts from Roman times, not to mention aqueducts, bridges
and old city walls. This sets the stage for the deepness of the history of people who inhabit a place for millenniums and the continuity of culture.
In Chapter Two, the Visigoth era is told through visits to various towns in the Pyrenees and the Romanesque architecture found there. He discusses Muslim influences as well as Christian. Clerics and landowners advanced
their interests ; life was dangerous, and feudalism was developing.
Chapter Three gives notable attention to the Mediterranean Empire of the Catalan-Aragonese Federation. Feudalism, business, trade and the role of the church in the feudal system and economy are discussed. The empire expanded to include Valencia, the Balearic Islands, the area of Rosselló in France, Sardinia, parts of the Italian Peninsula and Greece. Piracy was on occasions condoned by the crown, and the expansion of Catalan culture included
brutal resettlement of some conquered lands, often disposing of the previous inhabitants through slavery or exile.
During this period, much development occurred in the city of Barcelona especially in terms of trade and commerce
in the port and civic life and culture.
*環境ツーリズム学部教授
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Chapter Four takes the reader from the 1600’s through the Renaixença, industrialization and the accompanying
social changes leading into the 20th century. Catalonia had a series of defeats, as indicated by the title Backing the
Wrong Horse, supporting the Carlists and in the process loosing territory and also political autonomy under the
New Plan of the Bourbons. Payne tells us the experience of the city of Cervera, the venue of the marriage contract
of Ferdinand and Isabel. Later, Catalonia also experienced new opportunities for wealth in the Spanish colonies–
money which could be invested in the textile industry and other economic development when successful émigrés
returned home. Payne gives us examples of Sitges and Vilanova. The upper middle class expanded, art and culture were revived thanks to financial backing from industrialists, but working classes remained in difficult conditions. Industrial progress was accompanied by changing views about the church, new liberalism and growing syndication of workers.
The next chapter takes the reader from the Republic through a difficult war to the post-war repression of the
Franco dictatorship. The chapter draws on Orwell’s writing regarding his experience during the war years, but also
numerous other works on the war as well as the experiences of individuals. Payne does not detail the forty years of
post-war repression or the details of the transition to democracy after the Franco era ; however, the later part of the
chapter discusses the social phenomenon of “collective amnesia” that seemed to be the price of peace and a necessary base for the transition to democracy. The silence about the war and repression created “internal exile” for
some, and the role of film, literature, poetry have been important in breaking this silence toward a recuperation of
collective memory. This is an ongoing process of recuperation and integration of the experience of those repressive years, which in the case of Catalonia was often considered an attempt at cultural genocide, into both national
and regional histories. It is important that Payne includes this concise and well expressed section which emphasizes the continuous intersection of past and present.
The second part of the book covers the development of culture in historical layers which are further detailed in
each of the chapters from the Visigoth era through the present. Payne returns to the question of cultural diversity
in Catalonia in chapter six considering the Christians, Jew and Muslims. The city of Girona is the readers introduction to the historical Jewish culture and the city of Lleida is chosen to introduce that of the Muslims.
Chapter seven addresses the expansion of the city of Barcelona in the 19th century into wide open quadrangular
blocks, in contrast to the narrow winding streets of the old city, along with modernisme which Payne describes as
“Catalonia’s own version of art nouveau.” The architecture, the architects and their politics defined the nation and
national character, although sometimes from rather different social viewpoints as socialists or conservatives creating new spaces and facilities for the citizens of their cities or for their private clients. Growing social class divisions accompanied industrial expansion and its representation in architecture.
Barcelona as the main venue of many of the political and social developments of the 20th century is presented in
chapter eight. From the beginning of the century, with a seven year hiatus under the Primo de Rivera dictatorship,
through the Republic and into the war from 1936-1939, the focus on architecture continues, a process which Payne
describes as moving from modernisme into modernista style. Some of the projects were interrupted by the war or
during the post-war Franco era. Urban development was under a great deal of pressure with increased immigration
into the city, the growth of immigrant neighborhoods and suburbs and continuing divisions between social classes.
More recent projects in urban renewal have occurred with the hosting of the Olympics, Forum and other international events as well as development for tourism. Payne also introduces the neighborhood organizations, which remain very important in the city, as well as new interests in ecology and initiatives for sustainable development.
Popular culture in Catalonia is the theme of chapter nine. The meanings of older traditions which continue to be
represented in festivals often date back centuries with origins in religion, good against evil, agriculture and harvest,
annual renewal and natural phenomena. The chapter explains that there are also very local traditions in towns,
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rather than a single regional tradition. The cultural priority seems to be taking part as opposed to mere observation. Although change over centuries cannot be totally avoided, there is maintenance of many original features of
these traditions. Payne gives examples from various towns in different provinces.
Chapter ten moves onto tourism. Rural areas are the focus rather than urban architecture, museums and restaurants. Payne adds more details of the history of agricultural development and the multicultural influences over the
centuries. He includes a few pages on the typical expectations of British tourists interested in enjoying the seaside
on the Costa Brava. But then he returns to the theme of tourism and nature, national parks and agriculture with
positive comments on what he sees as successful green tourism and enjoying nature as part of local culture as well
as local consciousness for sustainability.
The reader by now may be wondering whether or not Picasso, Dalí, Casals and other world renowned artists of
Catalonia would be mentioned. Chapter eleven addresses these contributors to regional, national and international
art as well as their importance in tourism today.
From a European viewpoint, Payne looks at Catalan identity and the identity of Catalonia in chapter twelve.
Catalan, Spanish, European or some combination of these are identity options for many people living in Catalonia.
He discusses Catalan political elements, the multicultural nature of Spain and the importance of the Catalan language as an element in Catalan identity. Language in Catalonia is the theme of chapter thirteen ; the repression
and revival of the Catalan language, the present situation of normalization of the language, the changing roles and
social territories of Spanish and Catalan in the region, and the increasing use of English in Barcelona are mentioned. Language choice by writers, bilingual lifestyles and the increased presence of Catalan in mass media are
some of the details he elaborates.
The northern part of old Catalonia, now part of France, is introduced in chapter fourteen by its role in the Spanish Civil War as the passage out of Spain into Europe and, shortly afterwards, as the passage out of Nazi occupied
France for some hoping to flee Europe through Spain and Portugal. The reader is taken along the Catalan-French
border.
Chapter fifteen focuses on immigration and resulting diversity in present day Catalonia. Multiculturalism is a
long term historical fact in Catalonia, often thought of in terms of religions in the Middle Ages. Though even then
regional cultural and linguistic identities existed among groups native to the peninsula and also among groups of
invaders and immigrants. Especially during the twentieth century, mass domestic immigration to Catalonia put regional identities in contact with each other, exacerbating the differences between Catalonia and Spain in linguistic,
ethnic and socioeconomic terms. Globalization in more recent decades has brought in many new cultures, including those that had been expelled from Spain under the Catholic Kings. The chapter provides a look at this present
day multicultural global society intertwined with domestic history and Catalonia’s long term differentness from
Spain.
Chapter sixteen considers Catalonia’s situation in a globalizing world, the pressures of internationalization and
necessary adaptation for participation in Spain, Europe and the world.
Catalonia : A cultural history by Michael Eaude
Eaude also divides his work into three sections : Birth and Rebirth of a Nation, Geniuses, Tourism and War. He
begins at Portbou, on the modern day Spanish Pyrenee border with France, the border where various people
crossed into Spain to observe or participate in the Civil War and where people fled World WarⅡ Europe. He
dedicates several pages to describing the town and it’s events. Later in the chapter he takes the reader to the Abbey of Montserrat, a symbol of Catalonia, which has played its part in history since before Ferdinand and Isabella.
In chapter two, the reader is introduced to Tarragona, as the center of Roman civilization in Iberia. Still present
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are the aqueduct, amphitheatre and other ruins, many of which have been restored. In the later part of the chapter,
Empuries, the early trade city of Phoenicians and Greeks later taken over by Romans, is introduced. Chapter three
looks at Romanesque structures in various areas of the Pyrenees with historical explanations of the Visigoths, medieval Christians and also Jews.
Chapter four expands on the historical roles of the Cistercian order in the development of feudalism and the heroes Roger de Llúria and Roger de Flor in their pirate activities during the expansion of the Mediterranean Empire
of the Catalan-Aragonese Federation. Eaude often shows the darker side of historical events and their heroes by an
analysis which takes into account those who were affected. Through his chosen examples, the reader grasps the
feeling of the reconquest, empire building and ongoing conflict over centuries including the events of social discontent after industrialization and prior to the Civil War which affected these monasteries.
The focus of chapter five is the biographies of Jacint Verdaguer and Antonio Lopez and their relationship. The
financial success of many émigrés to the colonies allowed them to return and invest in local industry and also in architecture and art, as was the case of Verdaguer’s patron, Lopez. The chapter brings to light the financing of cultural development by exploitation abroad in the sugar cane industry, slave trade and other such commercial activity.
Chapter six continues the story with the marriage of Lopez’s daughter to Eusebi Guell who became Gaudí’s patron. The chapter comments on the works of various architects, their architecture and their politics. More details of
the financing of industrialization with money made overseas are brought to light. These nouveaux riches of their
time created industrial colonies in urban centers where oppression of workers led to class struggles, uprisings and
violence.
Gaudí and his works are the theme of chapter seven. The presentation is not particularly flattering, and Gaudí’s
unpopularity with many, even at times his clients, is shown. This unpopularity was in part for a style of excessive
detail and also for his conservative viewpoints.
Chapter eight introduces Rusiñol, and Casas, a generation of modernist painters less conservative than Verdaguer and Gaudí, and then dedicates several pages to Picasso and his life and work in Barcelona.
The controversial and complicated art and person of Dalí are the topic of chapter nine. Eaude shows the political views which supported the Franco regime as well as Dalí’s business and marketing skills. His family background and eccentrically extravagant lifestyle are described as well as comments on a few of his works.
The life, artistic struggles and developments of painter Joan Miró is presented to the reader in chapter ten. This
is a biographical discussion of this painter’s life and passage through various stages in his creativity as well as his
grounding in his Mediterranean roots and rural experiences. While Miró would not be overlooked in any work
specifically focusing on Catalan modernist painting, he is sometimes overshadowed by Gaudí and Dalí in travel literature ; this chapter is welcomed.
Continuing chronologically into the later post-war Franco era, the reader meets the popular singer Raimon and
other musicians of the “new song” genre in the first part of chapter eleven. The chapter continues with music, both
classical and traditional folk based genres some of which have imported characteristics expressing the returned
émigrés nostalgia for the colonies. Eaude gives interesting anecdotes in his analysis of genres of Catalan music
and the revival of some of these during the Franco and post Franco eras.
The last section takes the reader around the region again from a less biographical and more aerial view for a
look at today’s Catalonia. In chapter twelve, Eaude gives the reader a view of society in the Raval which has long
been the quarter of the lower classes. This has also been an area of entertainment, shows and popular theatre, Barcelona’s Montmartre, as Eaude describes it. While this area also draws tourists, Eaude offers blunt descriptions of
the seedy roots of poverty in the area that are still sprouting prostitution, other vice and crime. Chapter thirteen
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moves onto the old Gothic area of the historical landmark structures of the old city. He gives a guided tour of the
Cathedral, including the crypt of St. Eulalia and the story of her martyrdom at the hands of the Romans. Her biography appropriately accompanies the existence of the remains of the Roman walls of the city mentioned several
times in the chapter. Eulalia is the city’s second patron saint, for whom the Cathedral is named, and is less well
known than Our Lady of Mercy whose elaborate festivals steal the show in September. As in the case of Miró and
Raimon, Eulalia’s short biography is a insightful elaboration. He ends the chapter with comments about the increasingly touristic character of the Gothic area making it less of a real people’s city.
Chapter fourteen outlines the often hectic, tiring and noisy modern lifestyle of an average person in Barcelona, a
way of life which is in some ways stressful but which also keeps the streets lively and busy with everyday real
people who casually socialize and shop into the late evening on the streets of their neighborhoods. Alcoholism,
angry drivers and other social problems exist. Overcrowding of high rise apartment buildings in response to mass
immigration over decades has expanded the city and created enclaves of immigrants as well as an apparently disorganized city. The second part of the chapter continues some kilometers north up the Costa Brava where quaint and
often poor fishing villages have, over the decades, been converted into concrete covered tourist resorts full of alcohol, sun-creams, discos and noise in the summers. The tourist industry is an economic boom which not only buries
the history and culture of the areas under business establishments and apartments but eats away at the natural resources of fresh water, land, vegetation and the sea. Consciousness about these problems at the local level exists,
and perhaps some towns will change their image and fate while still maintaining a sustainable economy based in
tourism. Chapter fifteen leaves the urban provincial capital and commercialized northeastern coast for the more
rural areas in the south and west. The chapter centers around the Ebro River along which events of wars have had
important impacts on history as well as the current agriculture combined with tourism in the delta area which continues today. The chapter also offers insightful details not always found in works on Catalonia.
The 1936-1939 war is seen largely through George Orwell’s writings, but also other works, in chapter sixteen.
The conditions which allowed anarchism and social revolution to prosper are revisited, and also how these uprisings justified, in the eyes of some, Franco’s victory and long post-war repression of the region and country, including implicit collective social silence about that era. Eaude’s presentation of the experience in which Orwell immersed himself is again biographical.
The last two chapters focus on cuisine and the Barcelona Futbol Club–two points where real daily life and international tourism easily merge. Wine, cava and open markets for fresh seasonal products allow professional chefs
and local restaurants the resources to create specialty dishes but still allow the local products to maintain elements
of local identity. In the last chapter, some developments of the Futbol Club are outlined, naturally including the
long term rivalry with the Madrid based Real Madrid and the embodiment of local nationalism intertwined with
team loyalty.
Discussion
Approach, style and critical viewpoint
Payne approaches much historical information by introducing the modern place, as though one were driving
through the region and stopping to enjoy the natural environment or a sleepy little town on a quiet day. From there
history emerges from the landscape, a bit like ghosts at first and then facts, events and their effects on society are
told. The information is well documented and academic but presented in a very personal, sometimes poetic style
which often draws the infinite past into the present moment through an elegant nostalgia for the essence of centuries of history recorded in the land even though modern developments have encroached. The work is not without
criticisms of Catalan society and includes descriptions of social inequalities and unfair conditions imposed on
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lower classes and resulting social unrest.
Eaude’s approach is more biographical, getting into the minds of particular historical figures and illustrating historical eras or events through the life and experience of the person. His accounts often show the negative or less
flattering side as well as the more usual and widely known accomplishments of the person in question. There is a
thread of showing sharp contrasts and ironies in people, places and society. Eaude offers the reader a knowledgeable and sophisticated narrative, but periodically breaks the sophistication by interspersing seedy elements.
The critical viewpoint of each work revolves around the degree of continuity and contrast, the degree of optimism and also opinion. Payne’s work is more continuous through history and in working through the issues of the
present while Eaude makes more use of sharp contrasts. Payne gives his work continuity through deep roots which
provide a foundation which is developed throughout the book whereas Eaude provides a time line running along
the surface of history with close-ups on important players, periodic clashes of past and present, pros and cons and
ironies along the way.
Payne’s work is more optimistic about Catalonia in general and his own attachment and connection are evident
in his work. Eaude’s more contrastive approach comes across as less optimistic and sometimes negative. This
may be projected, in part, because Eaude’s style is more overtly opinionated. Eaude’s book seems to be an editorial essay offering a perspective to the reader while Payne’s style involves the reader in a virtual experience of past
and present. Of course, the optimistic undercurrents and fond nostalgia implicit in Payne’s expression also provide
the reader with the author’s opinion, though more subtly.
Particular themes
Both books treat many of the same issues of history and culture ; however, they each include details which differ
from the other. Payne includes frequent mention of Jewish elements and also Moorish elements. The contributions of these two cultures are evidently very important in the history of the region, but often summarized too concisely in both historical and travel literature. There is also a chapter on the area of France which was part of the
Catalan-Aragonese Empire ; Catalan culture in this area remains important today. Payne includes a chapter addressing the idea of nation in which he discusses the significance of history and local identity in Catalonia and in
Spain and how these concepts play out today. A chapter addressing the linguistic situation of co-official languages
and bilingualism in Catalonia is well done and includes many references to important authors and the language in
which they chose to write.
Eaude includes chapters on Miró and the singer Raimon. These artists are well known, especially to those
knowledgeable about Catalonia, but they are sometimes not given extensive elaboration in travel literature ; these
are important chapters. Overall, the biographical approach to Catalan history and culture is very interesting, and
the life sketches of the characters he has chosen give the reader a view of the real person behind the hero. He also
gives a focus to Catalan cuisine and the Barcelona Futbol Club, both of which bring tourists into the real world of
Catalans.
Sources, format, presentation
Both Payne and Eaude draw on historical, literary and travel literature sources. Robert Hughes (Barcelona) and
George Orwell (Homage to Catalonia and other works) are referred to by both authors and they cite each other’s
work as well. Payne’s bibliography is more detailed, but there is no index. Though the chapter titles are representative of the content, the table of contents alone is not an adequate guide for someone who already knows their way
around and wishes to search for details. Eaude, on the other hand, includes an extensive index which is helpful to
the knowledgeable reader and also to the traveler who wishes to refer to the book on an ongoing basis. Eaude includes a map of Catalonia and photos which are useful and pleasant additions for any reader. Payne’s book does
not include supplementary visual information.
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Margaret Simmons
Review and discussion of Catalonia : History and culture by John Payne and Catalonia : A cultural history by Michael Eaude 1
8
5
The information in Payne’s book is somewhat denser and more developed. It is a longer book than Eaude’s. As
mentioned above, the historical background from Roman times through the early twentieth century is given in the
first part. Many of the themes in the second and third part revisit and expand on the earlier chapters. Eaude’s
presentation is perhaps more artistic ; there is a chronological base but also some elements that seem to be added
on. The early history is presented, and the eras of the Renaixença, modernisme and noucentisme are illustrated
through biographical sketches. The last section of chapters on themes from the war to the present is rather eclectic
but nonetheless relevant and interesting.
Intended readers
Though any reader or traveler could use these books to enhance their knowledge or travel experience in Catalonia, they seem geared toward the reader who already knows this region and has a base from which to develop
deeper knowledge and expanded perspectives. For readers who know Catalonia well, both works will likely transmit nostalgia, albeit in different ways.
In summary, both authors cover history, culture and modern life in Catalonia from a strong base of knowledge
founded in their own long term experience in the region. Both offer a wide view of Catalonia and include events
and places from diverse areas of the region. Each author also has a distinct approach and style and each offers different details to illustrate historical and cultural themes. The critical view of each is also distinct. These differences make the two books complementary, especially for the reader who is already knowledgeable about Catalonia.
Bibliographic Information :
Eaude, Michael. 2007. Catalonia : A cultural history. Oxford : Signal Books Limited (281 pages).
Payne, John. 2009. Catalonia : History and culture (second revised edition). Nottingham : Five Leaves (339
pages).
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<2009年度長野大学地域研究・一般研究助成金による研究報告>
(研究A)
現代山村の限界集落化に関する調査研究
大
野
晃*
Akira OHNO
社会組織は集落にあるが、地域間格差の拡大で人
研究実績の概要
口、戸数の激減によって山村自治体の小規模化が
平成21年度に実施した研究は、次の二つの学会
進み、山村集落が限界集落化してきている。
で公表されている。一つは、北海道社会学会の
北海道社会学会の研究報告をふまえた論文で
「地域再生と社会学」をテーマにして開催された
は、全国的な山村自治体の小規模化と限界集落の
大会シンポジウムでの「現代山村の現状と地域再
全国的拡大状況を分析した上で、地域的特性の異
生の課題」報告であり、二つ目は、
「集落再生−
なる棚田稲作地域(新潟・上越市)
、山地(やま
農山村・離島の実情と対策」を特集した日本村落
ち)畑作地域(高知・旧池川町)
、国有林山村地
研究学会編『年報・村落社会研究−第45集』の所
域(北海道・置戸町)の三つの事例を取り上げ、
収論文「山村集落の現状と集落再生の課題」であ
山村の限界集落化の具体的過程を実態調査を通し
る。
て考察し、地域的特性をふまえた山村集落のそれ
公表された学会報告とそれをふまえて書かれた
ぞれの再生の方途を論じている。
論文の構成と概要は以下の通りである。
棚田稲作地域では、生産共同組織の弱化を他集
<北海道社会学会報告>
落との共同関係によって防ぎつつ、外に開かれた
『現代山村の現状と地域再生の課題』
集落自治の方向を探っている。生活共同組織の解
1.自治体間格差分析と集落の状態区分
体化が進んでいる山地畑作地域では、森林の多面
2.限界集落の全国的拡大と北海道の動向
的機能の維持を目差した森林環境交付金制度の創
3.国有林地帯の山村と地域再生の課題
設による山村再生の道を国に要請。大半が国有林
(1)営林署の統廃合と地域崩壊の危機〜常呂
郡置戸町勝山地区の事例〜
労働者で占められていた国有林山村地域では、住
民の自治会組織を拠点に住民自身による政策提案
(2)住民の政策企画立案の実践と住民自治〜
型まちづくりによる地域再生を提起している。
網走郡津別町のまちづくり〜
なお、この期間に北海道・置戸町の国有林山村
<日本村落研究学会年報所収論文>
を相対化するために秋田の国有林山村・上小阿仁
『山村集落の現状と集落再生の課題』
村の調査に入ったが、両者の比較研究は今後に残
1.格差分析の手法と自治体間格差の拡大
された課題である。
2.限界集落とその全国的拡大
研究発表
3.山村集落の地域的特性と限界集落
4.集落再生の具体化とその課題
雑誌論文
わが国では、市町村自治体を支えている基礎的
1.大野晃、山村集落の現状と集落再生の課題、
*環境ツーリズム学部教授
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年報・村落社会研究(日本村落研究学会編)
、
学会報告
査読の有無・有、第45集、45〜87頁、2009
1.大野晃、現代山村の現状と地域再生の課題、
第57回北海道社会学会、2009年6月28日、札幌
学院大学
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(研究A)
死生観の教育〜文学によるデス・エデュケーション
小
高
康
正*
Yasumasa KOTAKA
②2009年度「文学 B」の受講者(アンケート回答
1.研究内容
者90人)を対象とした。
研究計画の一つに、
「全国の『生と死を考える
(2)方法
会』の活動の調査と、会員への『死生観の調査』
のアンケートをとり、分析する」としていたが、
上記①、②は各年度(半期15回)の授業を受講
し、アンケートに答えてもらった。
今回は、もう一つの「これまでの『文学 B』の受
そのうち、「『文学 B』の授業を受けて、死に対
講者の感想文・レポートの分析」と『死生観の調
する考え方に変化はありましたか。
」という問い
査』のアンケートの分析結果」をもとに研究結果
に対して、
「1.はい
を報告する。
とも言えない」という回答をしてもらった。さら
全学共通の教養科目として開講されている「文
学 B」の受講生に関する死生観の調査報告、2
008
年度と2009年度の「文学 B」の受講生のアンケー
ト結果とを比較してみた。
2.いいえ
3.どちら
に、「はい」と答えた者には。「どのような変化が
あったか」を記述してもらった。
4.分析結果と考察
(1)選択式の回答の結果は、以下のようになっ
2.目的(ねらい)
た(一部)。
「文学 B」は副題にもあるように、
「文学にみ
(ア)2008年度「文学 B」の受講者(アンケート
る生と死」をテーマとして、いろんなジャンルの
回答者66人)を対象とした。
文学作品を教材として、現実の死と文学の中の死
1.はい(26人:39%)
の接点を探ることによって、受講生各人の死生観
人:14%)
を養うことを目的としている。今回の研究「文学
人:47%)
に よ る デ ス・エ デ ュ ケ ー シ ョ ン(死 生 観 の 教
育)」の調査は、この授業を受けた学生が、生と
2.いいえ(9
3.どちらとも言えない(31
無回答(1人:1.
5%)
(イ)2009年度「文学 B」の受講者(アンケート
死について、どのような考え方をしているかを調
回答者90人)を対象とした。
べようとしたものである。
1.はい(44人:49%)
人:9%)
3.対象と方法
2.いいえ(8
3.どちらとも言えない(38
人:42%)
(1)対象
①2008年度「文学 B」の受講者(アンケート回答
者66人)を対象とした。
4〜5割近くの受講生が授業を受けることに
よって、死に対する考え方に何らかの変化が見ら
*企業情報学部教授
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表1
全体
1.はい
2.いいえ
3.どちらとも
言えない
5.結論(まとめ)
(ア)2
0
0
8年度
(イ)2
0
0
9年度
6
6人:1
0
0%
9
0人:1
0
0%
2
6人: 3
9%
4
4人: 4
9%
9人: 1
4%
8人: 9%
3
1人: 4
7%
3
8人: 4
2%
「文 学 B」の 授 業 は、毎 年、半 期15回 の 授 業
で、生と死をテーマにした様々な文学作品やエッ
セイ、ドキュメントなどを教材として取り上げな
がら、死生学的な知識も合わせて理解してもらお
うという試みであるが、学生たちの反応は、最初
は暗いテーマでいやだなあと感じていた学生も、
毎回授業に参加しているうちに、こういうことを
れると考えていることが分かる。
考えることはとても大事なことだと気づいてい
く。1時間や2時間くらいではそこまで行くかど
(2)記述式の回答も、年度ごとの大きな違いは
見られず、一部のみ示しておく。
うかわからないが、毎週9
0分くらいの授業を受
け、ただ聞くだけでなく、自分で考えたことを文
・身近に死というものはあると思うように
なった
章に書くことによって自分が感じていることや考
えていることに気づき、そこから自分の考えを
・死生観を持つことの重要性について考え
た
作っていく。1
5回終わるころにはかなりの学生
(39〜49%)が、いのちに限りがあることや、死
・死に対して前より考えるようになった
について前向きにとらえるなど、死について考え
・死をただ怖いものと考えないようになっ
ることをタブー視せず、その重要性に気づくよう
た
になる。
・死は終わりと考えていたが、本当は終わ
りではないのではと考えた
なお、この研究成果(全体)は、「大学生の生
と死の教育―文学によるデス・エデュケーショ
・一日一日を大切にしたいと思った。
ン―」として、平山正実編『生と死の教育』(『臨
・死を見つめることによって生を実感でき
床死生学研究叢書2』聖学院大学出版会、2011年
るということ。
4月刊行予定)に掲載される。
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(研究A)
アメリカ西部におけるヒツジの
長距離移牧に関する文化地理学的・実証的研究
斎
藤
功*
Isao SAITO
2
研究実績の概要
既に16程度のヒツジ農場の状況は把握して
いるが、新たに北のチュラーレ郡から転入し
アメリカ西部におけるヒツジの長距離移牧は、
た経営者がいた。羊飼いの話では規模は大き
主にバスク系アメリカ人によって担われてきた。
いらしいが、本人は情報を教えたくないと
筆者は、これまでベイカーズフィールドを中心と
いっていた。
したカーン郡からのカリフォルニア州北部、ネヴ
ァダ州、アイダホ州へのヒツジの長距離移牧の実
態を調査してきた。
3
バスク系経営者でない唯一のアメリカ人
Hay Bros Sheep の経営 者 に 会 う こ と が で き
た。彼は毎年1,
400頭の更新ヒツジをワイオ
2010年3月6〜15日、カリフォルニア州、ベイ
ミング州から買い入れており、メスヒツジ
カーズフィールド、モハベ砂漠を訪れ、移牧の一
(Ewes)の規模は4,
500頭であるという。彼
端を解明した。丁度、この時期はヒツジが平地の
の本業はフォード自動車の販売代理店の経営
アルファルファ畑から周辺の丘陵地の自然草地に
者であり、ヒツジの放牧は副業である。
移動した時期にあたっていた。これらの自然草地
①ヒツジは毎年1〜2頭の子供を産むので、
は石油会社や鉄道会社の土地で、地中海性冬雨気
6,
000頭の子ヒツジ(Lambs)を販売でき
候の恩恵で、草は青々と生長していた。ここでは
るという。5月に売るときの価 格 が1頭
ヒツジの親子が一緒に放牧されていた。この時期
150ドル前後であるので、一億円近い収入
は、羊毛(冬毛)の刈り取り時期で、二か所で観
となる。子ヒツジは主としてコロラド州の
察できた。また、ヒツジの一部はモハベ砂漠の南
ラムフィードロット(集中最終肥育施設)
部に放牧されていた。砂漠といっても耕地化さ
に販売される。
れ、放棄されている畑が多かった。モハベ砂漠へ
②自然草地の放牧地は石油会社からの借地
の本格的放牧は5月に入ってからのことである。
で、ヒツジ群の毛刈りが行われていた。毛
この観察と聞き取り、図書館での資料収集の結
刈り人は1
1人のクルー(毛刈り人6人)か
果、以下のことが判明した。
らなる渡り職人で、もう一か所の毛刈りク
1
農業センサスによるとカーン郡における
1,
000頭以上の ヒ ツ ジ の 所 有 者 は2
0人 程 度
ルーはニュージランドからの出稼ぎ集団で
あった。
で、多くは1
00頭以下のホビー農場である。
③Hay Bros のヒツジは夏季、カリフォルニ
したがって移牧の対象となるのは20程度の農
ア州北部のモドク国有林とヨセミテ国立公
場である。
園の北のタホー国有林の二か所に山地放牧
*環境ツーリズム学部教授
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される。長距離移牧である。
る。モハベ砂漠で会ったペルー人の羊飼い
ネヴァダ州の北部の国有林で放牧している
は、ベイカーズフィールドのマリトレナのヒ
長距離移牧の Etchevery 氏によると、子ヒツ
ツジ2,
000頭を管理していた。彼によるとパ
ジの販売と羊毛の販売の割合は、9:1であ
トロンは6,
000頭のヒツジを所有し子ヒツジ
4
るという。なお、子ヒツジはコロラド州のラ
はテキサス州に販売するという。
ムフィードロット Mike Harper 氏に販売する
7
という。
5
上記以外、Ansolabehere、Etchamendy 等の
ヒツジの所有者を尋ね、内容の充実に努め
Esnoz 等を訪ね、ラムの販売先を聞くと、
バイヤーであるという。バイヤーを通じてコ
ロラド州に販売される。ともあれ、子ヒツジ
た。
研究発表
はロッキー山脈東部のコロラド州に集中して
1.斎藤功「インペリアルバレーにおけるヒツジ
いるラムフィードロットに販売されているよ
のアルファルファ畑放牧」立教大学観光学部紀
うだ。換言すれば、ラムフィードロットによ
要、査読の有無・無、11巻、2009、pp.
25‐38
るバスク系牧羊業者の垂直的統合が進んでい
2.斎藤功「カリフォルニアにおける移民農業と
環境利用―アルアァルファ・酪農・羊―」長野
るといえよう。
6
大学紀要、査読の有 無・無、特別号第1号、
サンホワキンバレーのアルファルファ畑と
モハベ砂漠の二季移牧を行っているものもい
2009、pp.
23‐50
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(研究A)
明清期における東北統治機構の比較検討
塚
瀬
進*
Susumu TSUKASE
の理解なくして、明代初期の状況の理解は不可能
研究実績の概要
なことを知り、急遽、元代の研究、史料の検討、
平成21年度は研究課題として、
「明清期の東北
消化をおこなうことにした。これまで筆者は元代
統治機構の比較」をかかげて研究をはじめた。研
史については概説程度の知識しかなかったので、
究費交付の決定後、明代の東北統治機構に関する
『元史』の購読からはじめた。それゆえ、多くの
研究の収集、検討をおこない、基礎的な史料典拠
研究時間を元代史研究にとられる結果になってし
の確認などの作業をはじめた。すると予想以上に
まい、研究課題である、明朝期と清朝期との東北
明代の東北統治に関する研究成果が多いことが判
統治機構の比較研究は遅々として進展しない状況
明した。とくに中国東三省の社会科学院のメン
となった。
バーによる研究成果は多いだけでなく、その水準
元代に関する研究・史料の収集、分析をおこな
も高いことを知った。たとえば、蒋秀松、叢佩
うなかで、統治機構やマンチュリアの地域変動に
遠、楊暘、董万侖、張杰、張士尊らの研究は、日
ついて考察した程尼娜の研究が存在することを
本人研究者も先行研究として消化、依拠する必要
知った。またノヤンの反乱について考察した吉野
があると確信するに至った。
正史の研究や、サハリン・アイヌとの関係につい
また日本人の研究成果は、最近のものはそれほ
て考察した大葉昇一、中村和之の論文には多大な
ど多くはないが、戦前の論考を改めて読み返して
示唆を受けるところがあった。やや遠回りをした
みると、さまざまな示唆が含まれていることに気
ような経過をたどったが、元代マンチュリア史に
がついた。むろん戦前の研究は分析視角、歴史認
関する整理を終えることができた。
識などに限界はあるとはいえ、こうした成果をき
つづいて明代マンチュリアの研究成果の消化、
ちんと咀嚼せずに、研究論文をまとめることはで
関係史料の検討にうつり、研究論文をまとめる作
きないと考えるに至った。
業を開始した。研究開始当初は、明代マンチュリ
それゆえ、立ち向かわなければならない先行研
アの社会変動を通観した論文をまとめようと考え
究が、予想をこえる本数となり、それらを収集、
ていた。しかしながら研究をすすめる過程で、そ
消化し、その論点、史料典拠を確認する作業に、
れは無理なことが判明した。そのため、以下のよ
多大な時間を費やす結果となった。このため、研
うな三本の論文に分けて、研究成果をまとめるこ
究はなかなかすすまなかった。
とにした。
さらに明代の研究を消化するなかで、明代の状
①
況を理解するには、それ以前の元代の状況につい
て研究する必要性が明らかになった。元代の状況
*環境ツーリズム学部教授
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元朝末から永楽期までのマンチュリアの社会
変動をあつかった論文(第一論文)。
元代のマンチュリアの地域的特徴を指摘し、
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元末の混乱のなかから明朝の洪武帝が衛所制に
③
よる遼東統治を確立し、さらに永楽帝による覊
縻衛所制に実施までをあつかう。
②
明代マンチュリア史の研究総括をした論文
(第三論文)
これまで日本、中国で発表された、明代マン
正統期から明朝末までのマンチュリアの社会
チュリア史に関する研究論文の総括をおこな
変動をあつかった論文(第二論文)。
う。
覊縻衛所制が変容し、明朝は女真に対して遼
東辺牆をつくり、防衛的な体制を構築する方向
元末から永楽期の第一論文については、
「元末
で対応したが、ヌルハチの台頭をおさえること
・明初におけるマンチュリアの社会変動と地域秩
はできず、明朝は崩壊していく時期までをあつ
序形成」と題して、
『長野大学紀要』第32巻第1
かう。
号、2010年7月に掲載予定である。
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(研究A)
医学生の職業倫理教育
―専門職倫理と社会の側の倫理との接点―
徳
永
哲
也*
Tetsuya TOKUNAGA
こうした教育の営みと並行して、医学・医療関
研究実績の概要
係の学会や研究会や市民集会でも研究交流を重
私は生命倫理学者として、大学の医学部・看護
ね、教育成果を研究に、研究成果を教育に、とい
学部の学生や看護専門学校の学生の教育にも長く
う往復活動を続けている。現時点での報告として
携わってきた。担当する科目の名称は哲学、倫理
は、「医療崩壊」と呼ばれる現状を私なりに研究
学、看護倫理などであるが、その中でやはり生命
・分析してある切り口から医学生たちに投げかけ
の倫理や医療の倫理を話題にすることが多かっ
ている問題の立て方、それに対する医学生たちの
た。そして近年は特に、マスコミで「医療崩壊」
反応、その反応を私が分析した成果を、
「医学生
や看護師不足が取り上げられることが増えて、医
の職業倫理教育」の一部として、短くまとめてお
師や看護師の労働環境も問題関心となっている。
くことにする。
よって、私の授業の中でもそういった話題に時間
を割くようになってきた。
本報告では、「医師の地域偏在、都市と地方の
地域格差」について、私なりに研究したものを授
若者は時代の空気に敏感である。医学部医学科
なら、単なる「受験エリート」として医学部に
業で提示した投げかけ方、それへの受講生の応答
レポートの分析を紹介する。
入ってしまったと見える学生もいないわけではな
教育場面はある地方の国立大学医学部である。
いが、大半の者は、今という時代に医師あるいは
その県には他に医師養成の教育機関はなく、県下
医学者になることの責任の重大さと仕事の難しさ
の医師供給をこの大学が大きく担っている。医学
を感じ、それでもやるのだという覚悟を固めよう
科2年生前期必修の倫理学を私が毎年担当してお
としている。よって私の授業も時代とともに変え
り、受講者数は約90名である。かねてから、安楽
ている。10年前なら、医学の急進歩が暴走して技
死や脳死などの死をめぐる問題、妊娠中絶や人工
術に人間が振り回される危険性や、医師が権威主
生殖などの生をめぐる問題については、倫理的観
義に陥って患者の人権を踏みつけかねないことへ
点から講じてきたのだが、ここ3年くらい、
「医
の警告に、ウエートを置いていた。しかし近年
療と社会」という章を新たに設けてそこに4週ほ
は、そうした警告は発しつつも、それを受け止め
どの授業時間を当てている。その中の1節が「都
てくれる医学生たちへの激励の言葉に置き換える
市と地方の医療格差」である。
ようにしている。また、医師のみの倫理的責任と
まず第一に、私なりの情報整理に基づいてレジ
せずに地域社会の倫理意識の向上が大切であるこ
ュメと新聞切抜きなどを配布し、
「都市部への医
とを訴えるようにしている。
師の集中は顕著であり、東京都23区中央部と宮城
*環境ツーリズム学部教授
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県黒川地区とでは人口当たり医師数は17倍の開き
はできない」
「若い時期こそ研究と専門技能向上
がある」「地方の県内でも中心部と過疎地では格
が大事なのに、地方勤務はその芽を摘む」
差があり、島根県の出雲地方と雲南地方では3倍
<折衷的な意見>
の開きがある」などと講じる。そして第二に、こ
ず、いくつかの国立大が、あるいは各大学の一部
の地域偏在の原因について、
「昔からあると思わ
分ずつが、地方勤務を引き受ける」「卒後すぐで
れる原因―地方の不利など」と「近年発生した原
なく、中堅どころになった年代での地方勤務にす
因―新医療研修制度の負の側面など」を語る。そ
ればよい」「年数を6〜9年でなく3〜5年に短
こで第三に、背景論議に深入りせずにいきなり対
縮する」
策の試案を3つ提示し、それぞれへの意見を授業
<私からのまとめの言葉>
末レポートとして書いてもらう。その対策試案と
年数は工夫の余地がある。ただしあまり遅いと
は、「試案1:日本全国「自治医大」方式―国立
「わが子の教育」や「親の介護」といった理由で
大医学部は、安い授業料と引き換えに、卒後6〜
抵抗感はかえって高まる」「最終目的は、人生の
9年は地方勤務を義務づける」「試案2:各県の
後半生も地方医を引き受ける人が増えることであ
大学医学部に大幅な「地元枠」―学生定員の30%
る。そのための地方の魅力をどう作り、デメリッ
ほど地元出身生を優先し、卒後は僻地を回っても
トをどう縮減するかが課題となる」
「全ての国立大とまではせ
「地方勤務の時期と
らう」「試案3:大学医局の権限の良い意味での
上記のような形で、
[試案2]と[試案3]に
復活―各医局に「なわばり」を与える代わりに、
対しても学生の反応を分析し、学生たちにフィー
その地への医師派遣責任を持たせる」というもの
ドバックしており、
「医師だけが頑張るのではな
である。
く社会とともに育む倫理が大切である」という話
20分ほどの時間をとって、3つの試案に対して
に持ち込んでいる。また、
「医師の地域偏在」だ
それぞれ10行分ずつ罫線の入った用紙に、受講生
けでなく、「診療科による医師数の偏り」「勤務医
の私見をレポートとして書いてもらい、翌週の授
と開業医の労働環境と社会的役割」「医師の力を
業でその結果をまとめて受講生たちに示してい
生かす患者側の倫理」などにも話題を及ばせてい
る。ある年度のまとめ、翌週の授業で配ったレジ
る。
ュメの内容をここに圧縮して紹介する。
こうして得られた知見を、医療倫理や医療政策
[試案1に対して]
<全体の傾向>
の研究会や集会にも提示し、「医療と社会」を市
賛成:反対=4:6と予想した
民共有の課題とするような研究・啓蒙活動を行っ
ところ、実態は3:7くらいであった。国立大学
ている。今回の報告では医学部生の話に終始した
の医学生には地方勤務義務は抵抗感があるという
が、看護職やその他の医療関係職についても、社
ことか。
会との接点で倫理の共有を考える研究を始めてい
<主な賛成意見>
「医師養成には多額の税金が
る。今後も、教育現場や研究会などでの蓄積をさ
投入されているのだから受け入れるべきだ」
「医
らに分析・整理して、医療政策とそれを支える社
師人生の若いうちに地方で総合的経験をしておく
会倫理に関する研究成果をまとめることにする。
ことは有意義である」
<主な反対意見>
「経済的に私立医大に行けな
研究発表
い人が自由を奪われる」
「研究医や専門医を育成
1.徳永哲也(共著の執筆と責任編集)
、安全・
するという医学部のもう一つの目的に反する」
安心を問いなおす、郷土出版社、2
009、pp.
1‐
「若い半人前の医師が僻地に行っても有効な仕事
5、9‐24、182‐183)
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(研究A)
金井正の思想と行動―大正デモクラシー・農民美術運動・
ファシズム・戦後民主主義をめぐって
長
島
伸
一*
Shinichi NAGASHIMA
本研究は、金井の自由大学との関わり以前か
研究実績の概要
ら、ファシズム期を経て戦後までの思索の跡を辿
上田自由大学を創設し、地域の「社会的教養」
り、金井の思想家および実践家としての全体像を
の涵養に尽力した3人の農村青年の中でも、蚕種
明らかにしようとしたものである。具体的には、
業を営んでいた金井正(1886−1955)の思想と行
以下の5つの側面からその実像に迫るべく、金井
動については、研究の蓄積が比較的多い。その代
の論稿を精査してきた。すなわち、①自由大学の
表的なものは、小崎軍司「農民哲学者・金井正」
講師たちからも高い評価を受けた在野の哲学者と
(『思想の科学』第39号、1974年11月)および柳
しての側面、②社会教育や学校教育に歯に衣着せ
沢昌一「自由大学運動と〈自己教育〉の思想」
ぬ立場を貫いた教育思想家の側面、③山本鼎への
(大槻宏樹編『自己教育論の系譜と構造』早稲田
資金協力者として、また販路拡張の経営者として
大学出版部、1981年)である。小崎には、小説仕
農民美術運動に孤軍奮闘した実践家の側面、④村
立ての金井正の伝記『夜明けの星』もあるが、史
長在任中の日本ファシズム全盛期にそれを批判す
料の裏づけを欠く部分が多く研究書と見なすこと
る私的なメモを残したリベラリストの側面、⑤戦
はできない。
後の10年間の大変革期に当時の日本社会を冷静な
先行研究のうち最も優れたものは上記の柳沢の
論文である。教育に関する金井正の論稿の分析に
眼で観察した民主主義者としての側面がそれであ
る。
もある程度の紙幅を割き、要領よくまとめられた
詳しくは、現在準備中の論稿に譲らざるをえな
佳作といってよい。しかし、金井正の思想と行動
いが、ここでは自由大学における学びを踏まえ
の全貌を理解するためには、大槻宏樹編『金井正
た、教育に対する金井の指摘を摘出し、その現代
選集』(1983年)に 収 め ら れ て い る 全 て の 論 稿
的な意義を指摘しておくことにする。
と、同編『山越脩蔵選集』(前野書店、2002年)
彼は、1934年に執筆した「教育に関する雑感」
に収められている山越の金井正論や書簡類、ま
の中で、次のように述べている。「教育の要諦
た、『選集』に再録されていない数編の論稿(そ
は、被教育者が将来現実的に遭遇する万般の場合
の代表的なものは「農村における技術と教育」
を処理すべき実例を一々枚挙して教え込むことに
〔『唯物論研究』19
35年9月〕に加えて、山本鼎
はなく、少数の一般的知識を基礎として、無限に
記念館に所蔵されている農民美術関係の論稿や書
遭遇する特殊の場合を、その知識内に包摂する能
簡類と、時報『神川』に寄稿したかなりの量にの
力〔「疑問を提起する能力」
〕を養ふこと」にあ
ぼる論稿)とを踏まえる必要がある。
る。また、1940年の論稿「科学的教育ニ就テ(イ
*環境ツーリズム学部教授
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稿)」では、当時の教師の間に蔓延していた「教
も、昭和戦前期から戦後の晩年期まで、書物との
養主義」を批判して、以下の文章を書きつけてい
格闘を続けた。教養とは著名な大家の著作にある
る。
字句の断片を記憶することではない。それは教養
「単ナル博識ハ科学的デハナイ。ソレハ記憶力
とは別物の「教養主義」に過ぎない。大切なの
ノ問題ニスギナイ。記憶ニヨッテ把持サレタ諸々
は、学びを通して「疑問を提起する能力」
、疑問
ノ経験ガ、特定ノ方法ニヨッテ、抽象、要約、普
を自ら提起してその疑問を解く能力であると喝破
遍化サレ将来起ルベキ事象ヲ正シク予見スル有用
した。この金井の教育をめぐる考察は、極めて現
性ヲモッテ初メテ(科学的)知識トナルノデア
代的な意義を有すると考えられる。
ル。……〔現在のところ〕教師ノ教養トハ解釈的
しかし、ここに示したのは、金井の思索のほん
哲学科目ヲ鵜呑ミニスルコト、公認大家ノ著作中
の一例に過ぎない。かれは、農民美術運動と自由
ノ字句ヲ断片的ニ記憶スルコトデハナイカ。教師
大学運 動 に 深 く 関 わ っ た 時 期 か ら、村 長 時 代
自ヲ思惟スルコトヲ学バズシテ、生徒ヲシテ思惟
(1937年2月−1
945年2月)を経て、戦後の10年
スルコトヲ学バセ得ナイノハ当然デアル」。
間まで、ラディカルな思索と悪戦苦闘の実践を続
ここには、教育論の本質が語られている。教育
けた。その詳細は、紙幅の制約がありここでは記
とは教育者が多数の知識を教え込むことでは、被
せないが、上の2つの引用からもその一端は充分
教育者が思惟することを学べるよう導くことであ
にうかがい知ることができる。なお、準備中の論
る。また、教育とは記憶力を高めることではな
文は、これまで断片的に明らかにされてきた金井
く、少数の一般的知識を活用して、将来起こるべ
の全貌を、彼が執筆したほぼ全ての論考を対象に
き事象や現実的に遭遇する出来事を正しく予見す
して明らかにしようとするものであり、先行研究
る力、予見した事象や状況を解決するための「疑
を踏まえた総合的なものになることを予定してい
問を提起する能力」を涵養することである。金井
る。
は、自由大学での教育運動に区切りをつけた後
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(研究A)
コンピュータを用いる中国語教育
システムの構築とより一層の実用化
ビラール
イリヤス*
Bilal ILYAS
の発音に現れない1
0個の音節があるからである。
研究実績の概要
これらの音節を正確に発音できるようにするに
ご存じのように、デジタル化社会の劇的な進化
は、かなりの時間を要する。したがって、中国語
によって学習環境が変わってきている。その変化
の学習において、発音の学習は非常に重要であ
が学習者層にもはっきりと現れ、普通の授業だけ
る。だが、現有の CALL システムでは、ピンイ
では満足しない現象も学習者の中で起こってい
ン学習や声調の学習は音声と文書に頼るもので
る。学習者のこのような要望に答え、時代に相応
あったため、改善する余地があった。そのため
しい学習環境を構築することを研究の目的とし、
に、研究課題としてあげた現有の CALL 教材の
大学や地域の学習者に豊富な学習教材を提供する
機能改善にかかわる新たな研究開発では、昨年度
ことによって、学習効果を高めることを目指す。
はピンイン学習指導システムの更なる効率化に重
具体的には、この研究では長野大学の中国語
心をおき、その成果として「研究発表欄」に挙げ
CALL 教材システムをより一層充実化し、大学や
たような論文や学術発表を行った。
地域に時代に相応しい語学教育システムを提供し
中国語の発音は音節と声調から構成されるの
て、学習環境の改善に努めることを目的とする。
で、発音の学習システムを構築するためには、音
長野大学の現有の中国語 CALL 教材システム
節の学習システムと声調学習システムを構築する
では、中国語の発音の基礎であるピンインの学習
必要がある。音節を正しく発音するには、口の
(音声、静止画、ヒント文によるもの)
、中国語
形、舌の構えと動き、空気の出所とそのぐあい、
の単語・語彙の学習、中国語文法の学習、四者択
の三ポイントをしっかり押さえることが大事であ
一形式のリスニングなどの学習ができるように
る。この三要素の中のどちらか一つが欠けると、
なっている。が、今日では、コンピュータやネッ
正確な発音ができない。ここでめざしたのは、音
トワークの処理能力の向上に伴って、CALL 教育
節学習に関して口の形の変化や舌の動きなどを明
システムを用いて教育のより一層の効率化を図る
確に習得できる学習システムの研究開発である。
条件が整っていると言える。よって、学習者や教
声調学習では、四つの声調をはっきり聞き分け、
育関係者の新しい CALL 教育システムの登場に
言い分けし、アクセントの高低や強弱、力を入れ
対する期待感も日々高まってきている。
るところ、力の抜くところなどのコツをはっきり
日本人学習には、中国語を学習する上で、最大
捉えられるような教材システムの構築を目指し
の難関は中国語の発音である。その理由は、中国
た。紙媒体で得られない多様な情報をコンピュー
語は声調言語であり、その上に中国語には日本語
タを通して学習者に提供し、学習者各自が自分の
*環境ツーリズム学部教授
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間違いに気づき、それを直せる学習指導システム
テムの登場にも繋がり、情報化時代に適した新し
の研究開発に力点を置いた。
い大学教育のあり方が問われている今日では必要
この研究開発によって少なくとも、次の幾つか
のメリットを得ることができる。まず、インター
ネットおよびコンピュータネットワークを用いる
不可欠である。
研究発表
と場所・時間の制限から解放され、各自が自分の
雑誌論文
空いている時間で、自分の求めている内容にアク
1.ビラール
イリヤス「中国語発音学習の難点
を克服するための工夫」コンピュータ&エデュ
セスし学習することができるので、学習内容や学
習時間の不足が補われる。次に、教員の授業負担
ケーション、査読の有無・有、vol.
27、2009年
を増やさずに特別授業や補講などができるように
12月、pp.
18〜23
なる。もうひとつは、今までの学習システムと異
2.ビラール
イリヤス「中国語の発音練習を効
率化する試み」長野大学紀要、査読の有無・
なって、音声に関する情報の視覚的な表示により
無、第31巻第1号、2009年6月、pp.
83〜90
自分の発音の間違いに気づき、発音を自分で修正
学会発表
できるようになる。
この研究成果は中国語教育一般の基礎であるだ
1.CALL によるピンイン学習指導「CALL によ
けではなく、学校経営上、LL 教室などの設備費
るピンイン学習指導」、CIEC(2009PC Confer-
用を節約できる。これは、近い将来にはインター
ence)、2009年8月、CIEC(2009PC Conference
ネットおよびコンピュータネットワークシステム
から時間と場所を限定しない新しい語学教育シス
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愛媛大学城北キャンパス)
(2009PC
ence 論文掲載)
Confer-
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(研究A)
社会事業理論史の構築のための基礎的研究
野
口
友紀子*
Yukiko NOGUCHI
1950年までの社会事業論を検討することを通じ
研究実績の概要
て、社会政策との関係から社会事業を論じた大河
【研究の成果】
内とは異なる視点で社会事業の本質を捉えようと
(1)社会事業史学会第11回大会での報告「社会
した試みがあったことを明らかにした。その試み
事業の本質論に見る非科学性の可能性―大河
とは社会保障という視点であり、戦後は生活保護
内理論との対比から―」
をはじめとする貧困者対策が中心とされる中で、
(2)日本社会福祉学会第57回全国大会での報告
「戦後社会事業の本質論の諸相―戦後から
1950年までの理論から―」
社会保障制度体系のひとつとして社会事業を社会
保険と並列的に位置づける見方であった。
(3)の論文:これは社会事業史学会での報告をま
!
(3)日本社会福祉学会誌『社会福祉学』50 の
とめ、査読のある学会誌へ投稿した論文である。
論文「社会事業理論の4類型と方向性―1938
その内容は、次のとおりである。大河内の社会事
〜1945年の『社会事業』から―」
業論では社会事業の対象を「経済秩序外的存在」
【具体的な内容】
と限定し、社会事業に対する科学的根拠のない伝
(1)の 学 会 報 告:大 河 内 の 社 会 事 業 論 が 発 表
統の破棄が述べられた。本稿では大河内の社会事
(1938年)されて以降、『社会事業』誌上に社会
業を捉える科学と対象者限定の視点に着目し、そ
事業の本質を検討する論文がいくつか掲載され
の対抗軸として伝統と対象者拡大をおき、科学/
た。これらの論文を検討し、大河内が規定した社
伝統、対象者の限定/拡大という枠組みから、当
会事業のあるべき姿と対比させ、大河内理論をふ
時の社会事業の捉え方に関する総合的視点を提示
まえて展開される社会事業の本質の類型化を図っ
した。これら2つの軸から、当時の理論は科学性
た。そこから言えることは、この時代の理論は、
を重視 し 対 象 を 拡 大 す る「普 遍 拡 散 型 社 会 事
社会事業の対象や事業内容の範囲の拡大と限定の
業」、伝統を重視し対象を拡大する「伝統融合型
対立軸と、社会事業の行動原理としての伝統と合
社会事業」
、伝統を重視し対象を限定する「慈善
理性の対立軸で捉えることができる。そのように
型社会事業」
、科学性を重視し対象を限定する
みると非科学性を中心とする議論は時局に抗うも
「科学的固有型社会事業」に分類できた。
「普遍
のであり、非科学的な要救護性は経済的側面だけ
拡散型」は社会改造運動、
「伝統融合型」は厚生
ではない生活全般にわたるものであったというこ
事業、協同組合運動など、
「慈善型」は人格的保
とである。
護や応急的保護、個別的救済など、「科学的固有
(2)の学会報告:大河内の社会事業論から孝橋理
型」は社会的文化施設、ケース・ワークなどと社
論へという方向以外の社会事業論、特に戦後から
会事業の方向性を捉えていた。このように大河内
*社会福祉学部准教授
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理論以降の社会事業理論を4つに類型化した。
た。このことで、戦後の社会事業・社会福祉の理
【意義】
論には、大河内から孝橋へという流れだけではな
これらの研究は、社会事業の理論史を描くため
いものが存在したことを明らかにした。
の一部である。社会事業理論は一般的に、大河内
今回の研究では、昭和初期から第二次世界大戦
一男の社会事業論から戦後の孝橋正一の理論につ
までと戦後からの5年間を検討したが、今後の社
づく系譜と、竹内愛二にみられる援助論の2つが
会事業理論史研究の方向性としては、大河内理論
あると言われている。大河内の社会事業論は、社
の登場(1938年)以前の社会事業論の検討が必要
会科学的な視点によるものとして高く評価されて
となり、さらには大河内理論の登場以前から戦後
いるが、大河内の理論の発表より前、あるいは同
の理論までをつなげて社会事業理論史とすること
時代においても多くの社会事業理論が存在してい
が必要となる。今回の研究は、その基礎として意
た。既存の研究では、戦後社会事業理論の形成を
味がある。
大河内の社会事業論との関係から検討している場
合が多く、大河内理論以外の当時の理論に目配り
研究発表
して、戦後の社会事業・社会福祉理論の流れを検
雑誌論文
討したものはほとんどない。本研究は、見落とさ
1.野口友紀子、
「社会事業理論の4類型と方向
れていた社会事業理論を検討し、昭和初期の理論
性―1938〜1945年の『社会事業』から―」日本
の類型化をはかることで、昭和初期の社会事業理
社会福祉学会『社会福祉学』5
0
(4)、査読の有
論の多様性とその方向性を明らかにした。これ
無・有、Vol.
50‐4、pp.
29‐41、2010
は、既存の研究では明らかにされていないことで
学会発表
あり、この研究によって今後の社会事業理論史の
1.野口友紀子「社会事業の本質論に見る非科学
性の可能性―大河内理論との対比から―」社会
構築に重要な方向づけを行うことができた。
事業史学会第11回大会、2009年5月9日、東洋
加えて、戦後から1950年までの5年間という短
大学
い期間 に お い て も従 来 の 社 会 事業 史 の 中 で は
GHQ の福祉政策の検討を中心に行われているに
2.野口友紀子「戦後社会事業の本質論の諸相―
すぎず、この期間の社会事業に対する考え方がど
戦後から1950年までの理論から―」日本社会福
のようであったのかは明確にされていないが、今
祉学会第57回全国大会、2009年10月10日、法政
回の学会報告において、社会事業を社会保障体系
大学
として位置づけようとする見方を明らかにでき
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(研究B)
特別支援教育における子どもの自立と保護
祐
成
哲*
田
中
祥
貴**
Satoshi SUKENARI Yoshitaka TANAKA
る点を看過してはならない。例えば、脳性麻痺を
研究実績の概要
はじめとする肢体不自由児は、移動や姿勢保持、
本研究では、障害のある児童及び生徒に対する
食事や排泄、また学習活動などの中で様々な支援
特別支援教育の在り方について考察を進めてき
や介助が必要になる。肢体不自由という障害やそ
た。とりわけ、特別支援教育の史的経緯、学校教
の幅の広い障害の程度から、肢体不自由児の「自
育法や学習指導要領に関わる制度上の枠組、教育
立」を考えれば、その「自立」の概念考察には、
現場の保護者や教師のアンケート調査結果等を踏
多角的な視座が必要となる。そして、様々な角度
まえつつ、あるべき特別支援教育の方向性を共同
から子どもたちを見たとき、肢体不自由児の「自
研究に基づき検証したものである。これらの共同
立」には、一人一人の子どもの中に、様々な意義
研究により、以下の結果を得ることができた。す
を見出すことができるのである。それらの個体差
なわち、かつて我が国の障害児教育では、障害児
を勘案しつつ、彼ら・彼女らが掲げる目標、例え
童及び生徒は、もっぱら「保護」の対象とされて
ば、働きながら生活できる、洗濯ができる、調理
きたが、彼ら・彼女らへの教育でなにより重要な
ができるなど、文字通りの「生きる力」を育む多
ことは、その自立性が尊重されること、すなわ
様性のある教育を担保しなければならない。さら
ち、子どもたち一人一人の教育的ニーズを正しく
に、そのような教育を実現するには、学校と家庭
把握し、そのために必要かつ適切な指導と支援を
が連携し、綿密な支援体制を構築・発展させてゆ
提供し、子どもたちがやがて自立して社会参加で
くことが不可欠となる。
きるように導くことにある。換言すれば、すべて
さらに、障害のある児童及び生徒の「自立」に
の子どもに必要な「生きる力」を育むことに尽き
とって重要なことは、その社会参加に際して、周
る。
囲からの差別や偏見を払拭することである。障害
そして、かかる支援教育にて留意すべきは、
や病気などについて知らないことから差別や偏見
「自立」という概念が、単に、就労して自活する
が生まれるといわれる。障害者が地域社会の中で
ことや、身辺整理が自分でできることだけを意味
充実した生活を送ることができるには、障害者を
するものではないという点である。すなわち、
取り巻く周りの人々が心のバリアを取り除き、障
「生きる力」の意義は、子どもたち一人一人に
害のある人たちと一緒に生活することで、頭では
よって相違がある。特に、障害のある子どもたち
なく心と体で、これらの人々を理解し、手を差し
にとっての「生きる力」や「自立」は、自分にで
伸べることがなんでもない社会になることが大切
きないことを、他人からの支援を受けながら、人
である。そのためには、その時代にあった立法や
間としてよりよく生きていくことまでを含んでい
法改正を進めていくことが必要である。そして、
*社会福祉学部教授
**長野大学非常勤講師・信州大学准教授
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長野大学紀要
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これからの社会では、教育・福祉・労働・医療な
立し社会参加が果たせるのである。そのための環
どが連携して、障害児・者の自立や社会参加を推
境整備が必要であり、また、特別支援教育もかか
し進める必要がある。それによって、障害のある
る文脈からの制度設計を図ることが看過されては
児童・生徒が、将来に向けて夢を抱きながら、自
ならない。
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(研究C)
デジタル・アーカイブ作成による
伝統工芸の制作過程分析・近代大工業と対比して
野
光*・田
原
中
法
博*・森
俊
也*
Hikari NOHARA Norihiro TANAKA Shunya MORI
すると、これらの反射モデルでは物体表面に映り
研究実績の概要
込むような鋭い鏡面反射は記述できない。一般的
本研究は、今年度は、将来の作業動作のデジタ
な CG 技術では、こういった映り込みは反射モデ
ル・アーカイブ化をみすえて、さし当たっては、
ルとは独立して、別途映り込む物体の色を計算す
工程の中間生産物を出来るだけ高い質で記録する
ることにより実現しているが、この方法では多重
こと、及び制作過程の聴き取り調査によって、そ
反射が起こるような状況下では色再現精度が低下
の映像の意味(環境、材質、加工の癖等がどうい
することが知られている。その問題に対して、本
う条件の時に、どういう中間製品が出来るか)を
研究では Nayer らの理論に基づいて幾何的には鏡
あきらかにすることを課題としてきた。
面反射成分は,物体表面の鏡面反射成分が表面の
工学的な立場からは、伝統工芸品と近代工業製
微細な幾何的構造によって生じる艶(Gloss)と
品を3次元デジタルアーカイブし、それを精密に
完全鏡面(Perfect mirror)の2種類の反射成分で
映像再現する手法を提案した。従来手法では、実
構成される反射モデルを構築して多重反射を再現
物に対する再現画像の色の再現精度が大きな問題
となっていた。この問題の原因は主に
!反射モデ
できるようにした。本研究で開発した手法では金
属やプラスチック等の反射特性の違いも定量的に
ルの精度, RGB カラー情報に基づいた画像生
再現することが可能である。
「金属」と「不均質
成,
誘電体(プラスチック等)
」の見え方の違いは,
たものである。
原理的には物体表面の3次元的な光反射の違いに
"
#人間の視覚特性のモデル化が不十分といっ
本研究では、こういった問題に対して、分光反
より発生する。「金属」は鏡面反射(光沢)に物
射モデルと光反射強度計測に基づいて対象物体の
体固有の色が生じ,
「不均質誘電体」では拡散反
反射特性を定量的に記録・映像再現する手法を開
射成分に物体固有の色が生じる。不均質誘電体で
発した。このことにより、物体の材質や表面加工
は鏡面反射成分(光沢)は光源と同じ色となり、
状態による物体の見え方を定量化することができ
拡散反射成分が物体固有の色となる。このため不
たため、対象物体の見え方を主観的な情報ではな
均質誘電体の色は、光源色と物体色の線形和とな
く、数値データとして客観的に表現できるように
る。この性質を明確に示す特徴量は単一光源で生
なった。
成された画像のカラーヒストグラムを用いた手法
さらに対象物体を高精度な色再現精度で物体を
を用いて定量的に示した。この特徴量(カラーヒ
3DCG 再現できるようになった。このとき実際
ストグラム)は本研究で提案する手法で生成した
のシーンに存在するような複雑な光源分布を想定
CG 画像でも再現することが可能となり、金属物
*企業情報学部教授
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長野大学紀要
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体(金)と実験に使用したプラスチックの反射特
になる。その点で今後の制作過程分析の本格的な
性の違いを定量的に示すことができた。
推進の重要な技術的条件を準備することが出来
色再現を低下させるこの他の要因として、カ
た。
ラーデバイスの特性による問題がある。本研究で
他方で、制作過程については、伝統工芸の特質
はデバイスに依存しない色再現を行うために、色
の豊かな言語表現を残した法隆寺宮大工西岡常一
信号から等色関数を用いて三刺激値(CIE-XYZ)
の記述を整理することで、伝統工芸一般の技能の
を求める。ここでは分光反射モデルで得られた色
特質を明らかにした。これを参照基準に、坂城町
信号から人間の視覚系が受ける色刺激を計算し
の刀匠宮入小左右衛門行平氏からの聴き取りを何
た。三刺激値は映像デバイスに依存しない情報で
度かおこなった。目下この聴き取りの整理中であ
あるため、実際にディスプレイなどの映像デバイ
る。
スに出力するためには生成した画像を各デバイス
固有の色空間に変換した。
最後に本手法の妥当性の検証は、分光的にレン
研究発表
雑誌論文
ダリングして実物と再現した CG をそれぞれ分光
1.田中法博(第一著者)他2名、物体表面の反
光度計で色差を調べて、定量的に比較しその精度
射特性と分光反射モデルに基づいたリアルタイ
を調べることにより行った。そして視覚実験によ
ムレンダリング手法、日本感性工学会論文誌、
り実物と CG 画像を比較した。この結果から、本
査読の有無・有、Vol.
9、No.
2、pp.
301‐310、
研究で提案する手法により、実際の物体の色を高
2010
2.N. Tanaka(第一著者)他2名、A Real-time
精度に CG 再現できることを示した。
上記の研究は、伝統工芸の制作過程の特定の工
Rendering Method of Art Objects Based on Multi-
程における中間生産物を正確に再現する。伝統工
spectral Reflection Model、Proceedings of the In-
芸の特徴は、近代工業に比べて、工程と製品が再
ternational Association of Societies of Design Re-
現性でなく一回性を有する点にある。したがっ
search(IASDR)、査 読 の 有 無・有、4pages
て、それぞれの制作過程は、同じ工程の同じ中間
(CD−ROM)、20
09
生産物であっても、微妙にその特質が異なる。こ
学会発表
の違いと個々の制作過程の特徴の聴き取りを合わ
1.田中法博(第一著者)他4名、マルチバンド
せると、どういう条件の場合に、どういう中間生
カメラを用いた分光ベースの反射モデル推定、
産物が生まれるか、この点を明らかにし、熟練の
情報処理学会研究報告 CG135、2009年7月13
内容を分析的に明らかにすることが一定程度可能
日、日本シリコングラフィックス社
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0―
2009年度
区分
長野大学地域研究・一般研究助成金による研究一覧
研
究
研
究
1
大野
晃
2
小高
康正
3
斎藤
功
4
塚瀬
進
5
徳永
哲也
6
長島
伸一
7
ビラール
8
野口友紀子
者
研究B 研究C
祐成
野原
アメリカ西部におけるヒツジの長距離移牧に関する文化地理
学的・実証的研究
明清期における東北統治機構の比較検討
医学生の職業倫理教育―専門職倫理と社会の側の倫理との接
点―
金井正の思想と行動―大正デモクラシー・農民美術運動・フ
ァシズム・戦後民主主義をめぐって―
イリヤス
コンピュータを用いる中国語教育システムの構築とより一層
の実用化
社会事業理論史の構築のための基礎的研究
哲
特別支援教育における子どもの自立と保護
光
(田中法博、森
*
マ
死生観の教育〜文学によるデス・エデュケーション
(田中祥貴)
1
ー
現代山村の限界集落化に関する調査研究
A
*
1
テ
デジタル・アーカイブ作成による伝統工芸の制作過程分析・
俊也)
近代大工業と対比して
については、論文として本紀要に掲載されている。
―9
1―
長野大学紀要編集規程
(名称および発行)
第1条 本誌を「長野大学紀要」
(以下「本紀要」という。
)
と称し、年4回発行することを原則とする。
(目的)
第2条 長野大学において教員が行っている研究および本学で実施された共同研究や受託研究の成果を学
内外に紹介し、長野大学の教育・研究活動の活性化に寄与することを目的とする。
(編集委員会)
第3条 長野大学図書館運営委員会のもとに、長野大学紀要編集委員会(以下「編集委員会」という。
)
を
置く。編集委員会委員長は図書館運営委員会委員長が兼ねる。
2.本紀要の原稿の募集・編集は編集委員会が行う。
(投稿資格)
第4条 投稿できる者は原則として本学の専任教員および実習助手とする。ただし、本学の非常勤講師等
も投稿することができる。
(投稿原稿)
第5条 本紀要に掲載する原稿は他に未発表のものに限り、種類は次の各号に掲げるものとする。
論 文
研究ノート
書 評
その他の編集委員会の認めたもの
(著作権)
第6条 本紀要に掲載された論文等の著作権の取り扱いは、以下のとおりとする。
著作権は著者に帰属する。
著者は著作物の複製権と公衆送信権の行使を大学に委託する。
(論文等のネットワーク上での公開)
第7条 本紀要に掲載された論文等は、原則として電子化し、長野大学ホームページ等を通じてネット
ワーク上に公開する。
(配布)
第8条 発行された紀要は専任教員、実習助手および非常勤講師等へ配布する。
(抜刷)
第9条 執筆者には抜刷5
0部を配布する。ただし、5
0部をこえる分については執筆者がその費用を負担す
るものとする。
(執筆要領)
第1
0条 原稿は別に定める執筆要領にしたがうこととする。
(改廃)
第1
1条 この規程の改廃は、評議会の承認を得なければならない。
附則
本規程は平成5年7月1日から施行する。
本規程は平成1
7年4月1日から施行する。
!
"
#
$
!
"
編集委員会
委員長
佐藤
委
旭
員
哲
洋一郎,野原
光
2010年12月26日
発行
長野大学紀要
第32巻第2号(通巻第1
2
1号)
編
集
発行所
長野大学紀要編集委員会
長
野
大
学
長野県上田市下之郷6
5
8−1
TEL (0
2
6
8)
3
9−0
0
0
5
印
刷
蔦 友 印 刷 株 式 会 社
長 野 市 平 林 1−3
4−4
3
TEL (0
2
6)
2
4
3−2
3
5
1
BULLETIN OF NAGANO UNIVERSITY
Vol.
3
2,No.
2,December 2
0
1
0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
CONTENTS
Articles
School Inspections by OFSTED and the Professionalism of School Education Part 2 :
Chaging Position of Self-Evaluation and LEAs in School Evaluation
Kyousuke KUBOKI …………………………………………………………………………1
An Eccentric Management as Management Innovation
―Management Model Analysis for “Megane2
1(Two-One)
”―
Makoto KIMURA……………………………………………………………………………1
5
A Study on Self-Reliance and Protection of Disabled
Children in Special Needs Education
Satoshi SUKENARI・Yoshitaka TANAKA ………………………………………………3
1
Factors Affecting the Executive Function in Persons
with Intellectual Disability
Koichi HAISHI・Takeshi YASHIMA・Shigeji OHBA・
Hideyuki OKUZUMI・Mitsuru KOKUBUN ………………………………………………3
9
Notes
The Individuality and Generatily of Universites
―Fair Competions and the Consociam Ideas―
Nobuaki KUROSAWA ……………………………………………………………………4
7
Review
Review and Discussion of Catalonia : History and culture
by John Payne and Catalonia : A cultural history by Michael Eaude
Margaret Simmons ………………………………………………………………………… 6
3