「多摩美術大学修了論文作品集」の抜粋で

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多摩美術大学大学院
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絶対零度都市-「都市」をめぐる断章、あるいは漂着された東京湾岸
多摩美術大学大学院
美術研究科 2 年
099D084
成河 広明
<ネオ・ノスタルジイ>
灰色の円盤、色は千葉の空。
、、、
今こそ――
円盤が回転を始め、どんどん速くなり、薄い灰色の球体となる。膨張し――
そして溢れ開いてケイスを迎え入れる。流体ネオン折紙効果。広がるは、距離のないケイスの故郷、
ケイスの地、無限に延びる透明立体チェスボード。内なる眼を開けば、段のついた紅色のピラミッド
は東部沿岸原子力機構。その手前の緑色の立方体群はアメリカ三菱銀行。そして高く、とても遠くに
見える螺旋状の枝々は軍事システムで、永久にケイスの手には届かない。1
「建築」や「都市計画」への幻想が完全に崩壊し、都市についての拠り所を探していた時、コンピュ
ータが世の中で劇的に、圧倒的に影響力を持ちはじめた。我れ先に−――ポストモダニストと呼ばれて
いた−――多くのひとびとがこれに飛びついてもおかしくはない。そもそも、われわれが都市を認識す
るためには何かしらの根拠が必要なのだ。それは、もはや「都市」であることは前提であり、その存在
性に対しては異論を差し挟む余地がないにもかかわらず、われわれが「都市」そのものについは決して
認識し得たことが今までなかったからである。
80 年代には、その根拠が電子回路やコンピュータ・ネットワークだったわけだ。コルビジェを頂点と
するモダニストたちは、純粋機械論を背景にユートピアという理想を近代の「建築」と「都市計画」を
打ち立てた。60 年代には揺らぎはじめた機械論、操作可能な物質論的視点に対し、メタボリストは神経
回路的な生物学で新たな都市を語っていた。一方、ケビン・リンチをはじめとするアメリカの研究者た
ちは、都市を現象的なものごとによって読み解くテクストとして捉えた。70 年代にはレム・コールハー
スが二次元的均質性のグリッドにより三次元的には無秩序で「錯乱」状態のニューヨークを現代都市の
象徴とした。サイバーパンクによって生み出された、いわゆる「サイバースペース」にもとづく 80 年代
のの都市論の把握もそれらの流れと構造的には同じことだ。ギブソンが『ニューロマンサー』において
提示したものは、現実空間とコンピュータ・ネットワークを位相融合させることで都市―それが現実の
空間であるのかサイバースペースであるのかが判別しない、判別する必要がない都市を語ること、であ
った。
M.クリスティーヌ・ボイヤーは、このような実際の都市とサイバースペースが結合され、両者が混在
化されている場=情報都市を「サイバーシティ」と呼んだ。サイバーシティでは「時間と場所の現実を
地球の離れた場所を電子的に結びあわせ、電子コードとして貯蔵された情報の巨大な集合体と多線形に、
そして非連続的にコミュニケーションするコンピュータ・ネットワークの想像的なマトリクスに変えて
しまう。」2 確固たる「形式」と「内容」の合致もなく、都市への幻想が崩壊し、渾沌とした現代の状況
において「都市」は、実空間とコンピュータによって形成される電子空間との融合によって認識可能な
のだ、ということになった。様々な形でコンピュータと結びついた都市や建築、サイバースペースが世
に提案され、「都市」は現実とコンピュータ・マトリクスの差異を溶かし、境界がきわめて曖昧な両者間
を自由に行き来することとなった。
しかし 21 世紀を迎えた現在、SF の世界ですでにサイバーパンクの熱狂が過ぎ去ったことに呼応する
ように、「都市」は圧倒的な了解不能に陥ってしまっている。現実に在り続ける都市が極端にコンピュー
タ・ネットワークへと異相変換された結果、両者の関係はむしろ急速に乖離してしまったのだ。
東京湾岸がその姿を現した時、サイバーシティに「都市」を見ることは最も新しいノスタルジィでし
かなくなった。
<スピード、メモリー、フリーズ>
Power Mac G4 は、史上最高のパワーを備えたコンピュータ。きわめて高度なプロセッサ性能が求め
られる、クリエイティブや科学分野のアプリケーションを使用する際にも、並外れたパワーを発揮し
ます。事実、5.5 ギガフロップの演算速度を実現する Velocity Engine を搭載した 733MHz PowerPC
G4 は、1.5GHz の Pentium 4 に比べて 57%も速く画像処理をこなします。3
都市において、いま絶対的リアリティを持つのは「スピード」と「メモリー」である。「スピード」と
は CPU の処理能力のことであり、「メモリー」とは RAM や ROM 、ハードディスクなどの容量のことで
ある。われわれはこれらの性能に自らや社会をゆだねている現実に疑問を感じることはない。すなわち
刻一刻、変化する都市の動きや在りよう、都市の変量が CPU であり、都市の歴史、記憶が RAM である。
扱う情報を一時的にどれぐらい記憶することでき、集められた情報をどれぐらいの速さで処理でき、そ
の結果をどれぐらいの量を保存できるのか。この情報のフローとストックこそが都市なのである。
現実世界を、コンピュータ・マトリクスを通してろ過し、そのすべてを情報のパターンに異相化し、
「都
市」をそのパターンの調節と管理で説明する「サイバーシティ」を跳び越し、われわれが暮らす「都市」
そのものがすでに「MPU のスピード」と「メモリーの容量」で変化させられる状況になっている。都市
では、われわれを取り巻くほとんどの環境が最終的にはコンピュータに接続されており、その性能に都
市は大きく左右される。これは「都市そのもの」がコンピュータという媒体を通じて認識され、了解さ
れることを意味している。
生産や市場といった経済活動は言うに及ばず、建築などのインフラや芸術、テレビなどのメディア、
自然もコンピュータの介在無しには都市において対象化され得ない。地震のような直接われわれに働き
かけてくる自然災害ですら、情報化されたデータの処理をコンピュータが行った結果をメディアを通じ
て獲得してようやく真に体感されるのが現実である。このような状況下では、「都市」はわれわれにとっ
て、その全域が空間的に、物質的に了解されるものでも、そこに実際に立ち表れてくるものが表象した
り、読み取られたりするものでもない。それは、スピードとメモリーによって現前され、認識される「情
報そのもの」なのである。ポール・ヴィリリォは、情報通信技術による多様な「外観」が瞬時に世界中
に伝達される「透明さ(トランスバランス)」を「超外観(トランス=アパランス)」という造語でとら
え、現代のこのような状況を「直接的外観(イメディア)」からなる実際の現実とメディアによる超外観
(トランス=パランス)からなるヴァーチャルな現実―このふたつからなるステレオ的現実」と定義し
ている。
マルチメディアはコンピュータのスクリーンを究極の窓にする。ただし、この窓はデータを受信する
というより、グローバル化の地平線、加速するヴァーチャル化の空間を知覚するための窓である。
※
実際、こうした行為(筆者註:コンピュータ・ネットワークを通じた「遠隔監視」)は隣接性にもと
づく旧来のテレビ(つまり情報番組の電波化)をまさしく根底から変化させ、住まいのひろがりや厚
みの《透明性》を完全に変質させ、われわれが生きる現実の空間を純粋にメディア的な《超外観》に
変化させてしまう。4
しかし、確かにサイバーシティでは「電子通信が我々の空間と時間の感覚を再編し、そして、我々が
空間の領域や区分の喪失を経験し、すべての空間が同じもののように見え、連続物の中に内破し始める
一方で、時間が強迫観念的で強制的な反復に集約されていってしまう」が、「我々に、自分が立脚し、批
判し、過去を思い出し、未来を計画する土台を提供しない。」(ボイヤー、前掲訳論文、95p、101p)つ
まり「都市」が完全に不可視になり、コンピュータ・ネットワークを通じて「スピード」と「メモリー」
によって判断されるということは、われわれが「都市」と―それが現実の問題でもサイバーシティの問
題でも―メディアを通じて得る「情報」という表象だけと結節することが可能であることを意味する。
このとき、コンピュータ・ネットワークにより距離や時間という概念を超越したはずの物質世界が、わ
れわれと完全に乖離し、外部化してしまう状態を生み出す。しかも、われわれは、それが「情報」から
本当に乖離した、現実の都市の表象なのかさえ、完全には確認することが出来ないのである。結局、「都
市」はその存在を了解されていながら、全域を把握されていないのだ。
「スピード」と「メモリー」あるいは「変量」と「記憶」。これはともに「時間」との関係、すなわち
単位時間当たりと一定時間での蓄積、の上に成りたっている。しかし、この関係がより先鋭化されれば
されるほど、突然なんの前後の脈略もなく停止する=「フリーズ」の危険性を持つ。
東京湾岸は固定された「都市」である。表象も、判断も、認識されることなく「漂着」されたフリー
ズ都市。フリーズした空間は次の瞬間をまったく保証しない。ただフリーズしているだけ。東京湾岸に
は時間の概念はない。
<イメージの都市論>
K.リンチにとって、都市は「パス、エッジ、ディストリクト、ランドマーク、ノード」という5つエ
レメントで括られるものだった。5つという数が問題なのではない。都市が、記号なり、イメージなり、
コンテクストなり、現象的な「こと」を通じての分析のみで、了解することが可能な対象だと容認され
ていたことが重要なのである。磯崎新が的確に指摘するように、その方法においては、
「かならずしも具体的なデザインやプランニングと結びついた地点から出発していない。むしろ都市
という、すでに存在している相手をヴィジュアルに知覚するという行為の分析から始まり、このよう
にして知覚された対象、すなわちそれがシンボルとしての意味を持ち始め_われわれはここで、もは
や実体そのものをとり扱っているのではなく、その表象と状況を、いわば認知し得た仮象だけが相手
になる。」5
もちろん、これらの都市分析方法にも当初は「都市空間を組織し構成するところまで意図しているよ
うにも見うけられ」(磯崎新)たが、結局、以降われわれの眼前にいたづらに現れ続けた「建築」あるい
は「都市計画」に対して、創造的で有効な解答を指し示すことが出来なかった。それは計画論からは完
全に乖離し、ひたすら象徴論的な視点に留まって、都市を解読される文脈=テクストとして論じるだけ
だった。
もっとも、たとえ神話的な秩序の体系や構造を明確に持っていたとしても、また城壁など物理的に囲ま
れた領域を有限な内部空間として把握したとしても、「都市の全域は、象徴的な体系や構造的な図式を通
して表象され、読み取られているのであって、「都市そのもの」などいささかも把握されたり可視化され
たりはしていない。」6
結局、都市をテクストとして捉える限り、われわれは永遠に都市の全域を具体的な経験で体感するこ
とも、創造的な実体化もできないのである。
それは「都市のイメージ」を現実化するのではなく、「都市」の表象を空想的に語るだけの文字通りの
「イメージの都市論」であった。それは終わりのない物語を続けるようなものである。
東京湾岸は表象される「都市」が存在しないし、もちろん都市の物語も成立しない。そこには、スタ
ティックな空虚があるだけである。
<都市の零度性①>
ここで計画された都市のすがたは、いつも朦朧として、霧のように揺れ動くものとなるはずである。
確固とした未来の姿などなく、都市の姿はますます目に見えなくなってゆくだろう。いまあなたが描
こうとする未来都市は、もし具体的な形になって描かれたならば、その瞬間にその提案は未来のもの
から現在にひきもどされてしまうのだ。それゆえ未来都市は、いつもあなたのイメージの内部でゆら
ゆらと揺れ動いているものでなければならない。7
シティ・インヴィジブル―――《見えない都市》―磯崎新にとって、「都市」は「揺れ動いて固定しな
いイメージ」であり、その「内部では建築も都市も融解して霧のようになっている」ものであり、すで
に消失したものであった。田中純によれば、このような「都市」への喪失感は、磯崎と同世代の J.G.バ
ラードやハンス・ホラインなど「第二次世界大戦という『絶対的アクシデント』を経験した者に共通す
る「未来が化石化」した「アナクロニックな場所の風景」「過去の廃虚」であるとする「文字どおり黙示
録的な、歴史のクロノス的時間の死のヴィジョン」に起因し、それは「消し去りがたい原風景として残
されている」。
現在は存在しない。というよりも、現在はあらゆる偶然に向かって開かれていると言うべきかもしれ
ない。未来と過去から構成されたこの廃虚において現在とは、均質なクロノス的時間を垂直に断ち切
る破局の時間に他ならないだろう。そのような現在とは事故=偶然に等しい。8
「都市」とは、現在=アクシデントであり、なんら実数的な根底をもち得ない。われわれは近代以降
「都市」を語り続けて来たが、現前に立ち表れることが出来るのはアナクロニックな場所の偶然の表象
でしかなく、それは実体的な経験とは常に乖離した言説のみが作用する場であった。そしてこの時、「都
市」そのもの、あるいは都市のアクシデント=出来事について語られる言説は、浮かび上がった瞬間に
してその意味は別の意味に変化してしまうという矛盾を抱えている。「都市」は、終わりなきゲームのよ
うに絶えず揺れ動き続け、われわれがその全域を認識することが不可能な決して現前されない「インビ
ジブル」なものなのである。消え失せたというよりもいつ何時も「見えない」。
いや、はじめから「在り得ない」のにわれわれが認識しようとするからこそ不可視だったのだ。そし
て不在の現前であるということは、つねに「原点」であるということである。「都市」はどこまでいって
も結局ゼロなのだ。「都市の零度性」こそが「都市」なのである。
東京湾岸はアクシデントではない。あらゆる偶然に対して開放されてもいない。そこは、不在の現前
であるはずの「都市」そのものさえも固まってしまうほど冷たい温度下である。
<都市の記憶①>
上にたつ建物のデザインや規模が変わっても、地形・道・街区といった家康の時代につくられたこの
町の骨格は、四世紀近くたった今もいぜん崩れることなく、しっかりと現代の町を支えている。そし
て富士見坂ばかりか法眼坂、一口坂、帯坂といった江戸以来の多くの坂が今も同じ名称で残っており、
まっすぐな道路、四角く区切られた街区からなるこの番町に、ほどよい街路景観の変化を与えている。
_このように番町に刻みこまれた江戸の都市構造は、確実に現在の町の中に息づいているばかりか、
アイデンティティを失わぬ町づくりを実現していく上で今後も欠かせない、芝居の黒子のような存在
なのである。9
飛躍的に広がる情報通信やコンピュータ・ネットワークへの「都市」の接近、融合の動きという 80 年
代以降の流れの一方で、街の様々な表象に「過去」を見い出し「都市」を認識し、ほっと安堵するとい
う流れがあった。これは、現代の「都市」とは境界によって囲われた平面的なものでなく、幾重にも積
層する地層であり、その地層のひとつ(ひとつ)には過去から受け継がれた貴重な「記憶」が潜在し、
空間に透けて見えることで都市が豊かになるとする、一種のコンテクスチュアリズムであり、日本では
特に「江戸東京学」あるいは「江戸=東京論」として興隆した。陣内秀信がいうように、近代以降の都
市は一見すると過去を完全に断絶しているように見えるが、実際には江戸―東京というある種の連続性
が存在し、それが現前の「都市」性を支えているとも言える。しかし、この江戸東京学的な「都市」に
は決定的に欠けていることがある。「過去」の正統性に対する根拠である。
積層する過去の表象が「豊かさ」を保証し、われわれに「都市」を認識させるという立場は、言うな
れば考古学の隠喩である。しかし、「ゴッドハンド」とあだ名されたひとりの男のねつ造すら身に抜けな
かったように、考古学とは「過去」が見い出された地層が今からどれくらい前の時代のものであるか、
ということのみが根拠となるきわめて現在的な学問である。それ故に今和次郎らは、関東大震災直後の
瓦礫の山の東京に「現在」の「都市」を探す作業を考現学と称して行ったのだ。しかし、「考古学をモデ
ルとしたその都市の記録作業は実のところ、そのような方法によっても記録しえない不可視の痕跡をめ
ぐる堂々めぐりの作業だった。」10
都市において発見される「過去」とはあくまでもひとつの表象であり、表象されているそれ自体は認
識できない痕跡に過ぎない。表象される「過去」は現在からの深さの距離であり、「都市そのもの」を了
解させるものにはなり得ないのだ。
東京湾岸には表象される「過去」はない。そこには時間の概念すら存在せず、ただ断絶した「都市」
が固まっているだけである。
<ユートピア>
「都市」についてわれわれが思考するとき、無意識のうちに何か規範となる理想像=ユートピアを抱
いてきたことは否定できない。多木浩二によれば、われわれが普段念頭に置いている「都市」とは、そ
もそも十九世紀のネーション・ステート(国民国家)の首都として成立した大都市に由来する「都市」
概念をほとんど無意識に普遍化したものだ。 11それ以前までの人間の集住空間とは、生存に直結する衣食
住に代表される日常的な行為と完全に照応し、また街や集落に「社会的な場」を形象化するために、神
話的な実践や祭礼などの象徴的実践が存在していた。
そして、その場所で生まれた資本や権力、人口密度、消費、享楽、富と貧困のせめぎあい、売春や悪、
時には暴力を生み出す集合的な文化がわれわれが「都市的なもの」と呼んでいるライフスタイルであ
る。12
この 19 世紀のネーションステートが生み出した「都市」や都市的なものが、他を圧倒する形で全ヨー
ロッパ、アメリカにまで広がる。それと同時に「都市」は資本の活動の中心として膨張を続け、それ以
前までのスケールを瞬く間に超えた圧倒的な巨大な空間へと変容した。それが近代の「都市」である。
しかし都市は、そのまま放っておくと無秩序な状況を生み出す不安定で破たんした人口や建築の分布、
無計画な交通や不整備なインフラからなるものとして成立してしまう。「都市」の誕生と急速な拡大によ
って住宅の不足や居住空間の不衛生、スラム化など都市の負の部分が同時に生まれた。このような不具
合を制御し、改善し、人間の心身の健全化をはかるために構想されたのが近代的ユートピアであり、そ
れは「建築」と「都市計画」へ絶対的信頼を置く世界観である。近代の「都市」とは、「建築」と「都市
計画」なのである。
_ユートピアが構想された最も内的なきっかけは、機械の登場であった。_フーリエによればファラ
ンステール〔フーリエの構想した、生産・消費・生活の共同体で、三百から四百の家族で構成される〕
は人間を、道徳心が不要となる状態に連れ戻すはずである。その複雑きわまる組織は、機械装置のご
とき外見をもつ。さまざまな情念のかみあい、機械的な諸情念と陰謀情念の錯綜した共同作用といっ
た発想は、心理学から素材をとり、機械との単純なアナロジーで作ったものである。13
フーリエ、ルドゥーからル・コルビジェにいたる近代の都市計画は、都市を人間の制御が効く機械論
的モデルとしてとらえる世界観に立脚しており、そのため都市が「厳格かつ精密に規格生産された最小
の部品の組み合わせによること」 14が、近代的ユートピアの条件であった。この時ユートピアは、決して
「不在郷」ではなく、近代的知性と資本主義によって完全に構成し、全体を支配し、管理することが可
能な計画された理想的な近代の産物として盲信されている。そして近代的ユートピアに対するこの絶対
的な信頼は、オーウェンやフーリエ、CIAM の「アテネ憲章」、ロンドンを中心とする田園都市計画、新
大陸の近隣住区計画、高度経済成長時代の日本のニュータウン計画など広範な「都市計画」の実践とし
て、19-20 世紀の世界を支配して来た。
だが近代が目指してきた「ユートピア」は結果として、その語源とおり「不在の場」であり決して実
現されなかった。それを支えるはずの「建築」や「都市計画」という思想自体が崩壊し破綻してしまっ
た。
隈研吾によればユートピア、理想的な都市とは、ヘーゲルやマルクスなど 19 世紀の弁証法哲学の精神
に由来する「外部なき理想の社会システム」「ひとつの普遍的な構造=秩序を築きあげる」という「構築
的な建築の極限の姿」である。
しかし、理想都市のプロジェクトは最終的には、すべて失敗に終わった。そして理想都市の挫折とは、
実は構築的な思考方法自体の挫折でもあったのである。普遍性を求めて構築を拡張していくというプ
ロセスは、エネルギーの源である外部を自ら放棄し、ひたすらスタティックな氷点へと向かって構築
を導いていく、死のプロセスに他ならなかったのである。15
東京湾岸はユートピアを否定も肯定もしない。いや、そのような理想はそもそも存在すらしない。そ
れは停止し、固定された「都市」の墓標なのかもしれない。
<都市の記憶②>
桑子敏雄によれば、「わたし」とは「空間での身体の配置」であり、「わたし」が配置されたこの空間
は「モノと心を媒介するものとしての空間」であり、この時「空間」は歴史的なできごとによってさま
ざまな意味づけを与えられている「歴史性」をもつ。そしてこの空間の歴史性が「空間の履歴」である。
16
わたしは、わたしが存在する以前に書き込まれた履歴をもつ空間のうちにあることで、わたし以前の
ものとかかわる。だから、わたしの履歴の内容は、わたしの身体が配置される空間の履歴におおいに
依存する。この点でも、わたしの経験の豊かさ、人生の豊かさとわたしが配置された空間の豊かさと
は深いつながりをもつ。人生の豊かさ、心の豊かさを問うことは、空間の豊かさを問うことから切り
離すことができない。17
不在の「都市」を認識しようとする時、空間の豊かさは「都市」の豊かさへと導かれる。したがって
空間の履歴とは、すなわち「都市の履歴」である。そして、「わたし」という存在が豊かであるのは、自
らが配置された空間、「都市」が豊かな履歴を持つ時である。その「都市の履歴」が歪められたり、抹消
されたりした時、「都市」から豊かさが失われる。さらに「都市」が貧しければ、「都市」とそこにおけ
る配置との関係によって存在する「わたし」の履歴もまた貧困なものとなるのだ。換言すれば、「都市」
を見る「わたし」が豊かであることは、「わたし」の身体が内に配置された「都市」が豊かな歴史性をも
つことであり、不確定で虚ろであったはずのわたし以前のもの=過去の表象がその「都市」の豊かさへ
とつながる「都市の履歴」となることを意味する。
このようにして、実際には、記憶の集合的枠は日時とか名前とか定式に還元されないのであって、そ
うした枠は、思考や体験の流れを表している。しかも、われわれの過去にその流れが染み渡った時に
のみ、われわれはその流れの中に過去を再び見出すのである。
歴史は過去のすべてではないし、また過去からの残存物でもない。あるいは換言すれば、書かれた
歴史のほかに、時間を通じて永続し更新される、生きている歴史があり、その中にわれわれは、表面
上だけしか消え去りはしなかった昔の流れの大多数を再び見出すのである。18
「記憶」の集合的な枠、われわれの思考や体験の流れの中に、その「都市」の履歴が生き続ける時、「都
市」は豊かであると認識され、その内にある「わたし」も豊かである。
「都市の履歴」とは「都市の記憶」
である。
東京湾岸では「都市の記憶」はスキャンダルそのものである。殺された記憶。停止してしまった記憶。
歪められ、消失された記憶。生まれながらに背負わされた決して口に出していけない出自。
<都市のオートポイエイシス>
まず私たちが二つの家をつくりたいと思っているとしよう。この目的のためにそれぞれ十三人の職人
からなる二つのグループを雇い入れる。一方のグループでは、一人の職人をリーダーに指名し、彼に、
壁、水道、電気配置、窓のレイアウトを示した設計図と、完成時からみて必要な注意が記された資料
を手渡しておく。職人たちは設計図と資料という第二次記述によって記された最終状態にしだいに近
づいていく。もう一方のグループではリーダーを指名せず、出発点に職人を配置し、それぞれの職人
にごく身近かな指令だけを含んだ同じ本を手渡す。この指令には、家、管、窓のような単語は含まれ
ておらず、つくられる予定の家の見取図や設計図も含まれてはいない。そこにふくまれるのは、職人
がさまざまな位置や関係が変化するなかで、なにをなすべきかについての指示だけである。
これらの本がすべてまったく同じであっても、職人はさまざまな指示を読み取り応用する。というの
も彼らは異なる位置から出発し、異なった変化の道筋をとるからである。両方の場合とも、最終結果
は同じであり家ができる。しかし一方の職人は彼らがなにをつくっているのか知らないし、それが完
成されたときでさえ、それをつくろうと思っていたわけではないのである。19
マトゥラーナとヴァレラのこの有名な建築の隠喩は、われわれが「都市」を語る上で非常に示唆的で
ある。前者の職人グループは、事前に与えられた設計図と完成資料に示された、あらかじめ了解された
全体像に向かって目的論的に作動する。近代以降、われわれが「建築」や「都市計画」で行ってきたこ
とは、このような設計図を理想の姿として目指す、目的適合的な作業である。しかし、このような普遍
的な社会への幻想は崩壊し、実際には理想都市=ユートピアはひとつも実現されなかった。それは「都
市」を認識するために「都市」を前提とするような弁証法的世界観の限界であり、結局はそのような本
末転倒はわれわれに何一つ分からせることはなく、「都市」はやはりいつまでも「不在の現前」ままであ
る。
「都市」とは、後者の職人グループようなシステムの中で形成されるものだったことがここで了解さ
れる。それは連続的に作動することで何かを産出しつづけ、さらに新たに産出されたものもまた次なる
産出しつづけるという「オートポイエーシス・システム」である。
確かに、われわれは認識論的に「都市」の不在の現前を理解し、それが常に完結することのない「未
然」の状態でのみ「都市」と対峙できる。しかし、このとき「都市」そのものは認識できるが、建築や
都市を実際につくることになった場合、認識論では何も出来ない。
「都市」を言説によって語ることでは、
現実には何も産出されず、そのあいだに近代の「建築」や「都市計画」の論理にもとづいて資本主義は
都市をつくりつづける。オートポイエーシスは、認識を具体的に制作活動へと導く経験的な方法でもあ
る。設計図も完成予想図もないが、自己をそのシステム自体の作動によって形成し、特定の空間に場所
を占める自己制作なシステムだからである。
オートポイエーシス・システムとは反復的に要素を産出するという産出(変形および破壊)過程のネ
ットワークとして、有機的に構成(単位体として規定)されたシステムである。(ⅰ)反復的に産出
された要素が変換と相互作用をつうじて、要素そのものを産出するプロセス(関係)のネットワーク
をさらに作動させたとき、この要素をシステムの構成素という。要素はシステムをさらに作動させる
ことによってシステムの構成素となり、システムの作動を通じて構成素の範囲が定まる。(ⅱ)構成
素の系列が閉域をなしたとき、そのことによってネットワーク(システム)が具体的単位となり、固
有空間を形成し位相化する。このとき連続的に形成されつづける閉域によって張り出された空間がシ
ステムの位相空間であり、システムにとっての空間である。20
河本は、マトゥラーナとヴァレラの定義を拡張的に発展させ、オートポイエーシスが「制作的行為」
つまりそれが物を作ることの回路であると指摘する。
この拡張に伴って、「都市」「現実の都市」それ自体と人間や建築などの「都市」の様々な要素が、繰
り返し相互に作動して次なる「都市」や人間や建築を「都市」に産出するとき、その制作過程がひとつ
のネットワークとなって「都市」の範囲が設定される。この都市域の中で各要素が限定された時、われ
われは固有の「都市空間」(つまり現実的にある都市)を了解することができる。ここで「都市」そのも
のを認識しようとするわれわれも、このシステムの観察者として「都市」の一要素となり、行為主体と
なって制作活動に入ったとき、「都市」は不在の現前のまま、現実にデザインされ実践される。
普段われわれが現実的に眼にするのは、典型的な「都市計画」の中で生み出された場である。しかし、
それは矛盾した目的論的な制作活動を惰性的に繰り返しているにだけである。「都市」にまつわる様々な
問題もこの人間の行為と「都市」とを無理矢理に 1 体1に対応させようとする思考に起因しているので
はないだろうか。
しかし、東京湾岸は理想化された目的もそれを俯瞰的に見る絶対者の視点もどこかに消失し、完全に
停止している。近代以降われわれが扱ってきた「都市」から乖離したメタな位相にある絶対零度の異形
的存在である。非−目的論的なな創造活動「オートポイエーシス」が作動させる準備は整っている。
<都市の記憶③>
空間とは持続する現実である。われわれの印象は、現れてくるものを次から次へと追いかけていくの
で、われわれの心の中には何も留まらない。それで、もし過去が実際にわれわれを取り囲む物的環境
によって保持されていなければ、過去を取り戻せるということは理解されないであろう。われわれが
注意を向けなければならないのは、空間へ、われわれの空間へなのである。−それは、われわれが占
有しているもの、いくども横切るところ、いつも近づいているところであり、いずれにせよわれわれ
の想像力や思考がいつでも再構成できるものなのである。21
空間における集合的=集団的記憶は「過去から、その記憶の中で、今なお生きているものしか、ある
いは、その記憶を保っている集団の意識の中で生きることのできるものしか保持していない」 22とアルバ
ックスは指摘する。この記憶とは言うなれば、読み取り専用や有限で消去可能な保存用、一時的保存用
などといった「メモリー」ことであり、それは非常にフレキシブルに変動性を有しているであると同時
に、極めて不安定で限定的な性質の上で成り立っている。われわれの空間は、この「メモリー」が変動
する可塑性を有しながら持続しつづけ、圧倒的な「スピード」で現前に再構成された時、「都市」として
認識されることとなる。「メモリー」とは「都市の記憶」なのである。
しかし「メモリー」のこの不安定性は、「都市の記憶」が極めて流動的で儚いものであることを意味す
る。民族戦争の末、決定的に破壊されてしまった旧ユーゴスラビア連邦の都市をめぐってボグダン・ボ
グダノヴィッチは、「至高の記憶のための戦争の、獰猛で下劣な戦争」における「他者の記憶」の壊滅に
他ならず、今日導かれている記憶は「歪められるたもの」か「まったくの虚構」であるとしている。23「都
市の概念」と「エクリチュールの概念」は大きく重複し、「都市」とは、人間がそれによって歴史的存在
となり得る「複雑で有効な認識論的モデル」であり、「強力な超=言語的なエクリチュールのシステム」
なのである。
われわれが「都市」を認識するということは書き記されたものという極めて流動性の強い無限のシス
テム上に依拠しており、その不確定性によってわれわれは自分自身を遡行的に了解し、自らの運命の道
程を感じることが出来るのである。「都市」におけるわれわれの記憶、あるいはわれわれが認識する「都
市の記憶」は広範で虚ろな存在なのであり、それ故に都市破壊者によって執拗に攻撃され、容易に抹殺
されるのである。
つまり、都市破壊者たちの憎悪が向けられるのは、「他者の記憶」ではなく、記憶装置としての都市
という他者それ自体なのではないだろうか。都市が「超=言語的エクリチュールのシステム」である
として、そこにわれわれが何かを書き付けるとき、われわれはつねにすでに都市から何かを書き付け
られている。
_都市という記憶機械のただなかに死の欲動という「他者」が存在する以上、集合的記憶の危機は恒
常的であり、それが完全無欠な全体性にいたることなど決してない_。24
田中によれば、「集合的記憶」(あるいは「都市の記憶」)には、常にそれを侵犯し破壊しようする「死
の欲動」(J.デリダ)とも言うべき他者性が存在する。これは、ボグダノヴィッチの語る「歴史的に内化
された」他者でなく、記憶装置ともいうべき「都市」という他者それ自体であり、それこそが破壊者に
よって憎悪が向けられるものである。「都市の記憶」とは、つねに侵犯され破壊される死の陰を背負い続
ける宿命にある。「メモリー」はクラッシュされ、「都市」は停止される。
「都市」の停止とは「フリーズ」
である。
東京湾岸は不在の現前であるはずの「都市」がフリーズされ、そこに漂着された結果である。この意
味で、東京湾岸は破壊された死の「都市」である。
<都市の零度性②>
首都高速湾岸線をレインボーブリッジから東京湾岸の副都心へ向かっている時に感じる妙な既視感。
そのデジャ・ヴュが大友克洋が『AKIRA』で描いた第三次世界大戦後の東京湾上の埋め立て地「新市街
地」の風景に起因することは間違い無い。1982 年 12 月に『AKIRA』の連載が開始され、84 年 9 月に
単行本第 1 巻が出版されたこの時期は、東京都が 13 号埋立地開発構想作成に着手した年に不思議と合
致する。東京湾を覆いつくす埋立地の人工大地。「旧市街」と呼ばれる陸地と「新市街」がメガストラク
チャ−な橋で結ばれている風景は、連続する埋立地が湾へと侵食してレインボーブリッジとのみ大地と
繋がるお台場の様相と酷似している。25
若林幹夫によれば、19 世紀以降さまざまな形で繰り返されてきた都市をめぐる言説や思考を駆動して
きたのは、「都市そのもの」がそれ自体としては語り難い<虚の焦点>のようなものとして現れてきたか
らにほかならず、それは、「不在の現前」とでも呼ぶべき事態である。そして、『AKIRA』が描く東京の
状況は、『ブレードランナー』『未来世紀ブラジル』などとともに 80 年代の都市論が繰り返し取り上げて
きた SF 的な都市イメージを特徴づけている、「未来」という時制を取ることによって増幅された、現代
都市の強度と全域的な了解不可能性のイメージである。 26「都市」が圧倒的な強度や密度を持って強く意
識されながらも、私たちは「都市」の不在の現前の中にいたのだ。
しかし東京湾岸は、決して実現しない了解不可能なはずであった「零度のイメージ」と奇妙な一致を
見せ、現前化、形象化された。
江戸前の良質の漁場であり、外国船を迎え撃つための砲台であり、ゴミ処理場であった「都市の記憶」
は完全に抹殺された。「フリーズ」。そこには「都市」を認識させる表象=「スピード」と「メモリー」
の作動がまったく存在しない。文字どおりの「タブラ・ラサ」であり、それ故にわれわれがリアリティ
を絶対的に持ちえないきわめて空虚な場であった。
その後、東京湾岸には、事実としては建築をはじめとする多種多様なヴォリュームが立ち並びはじめ
ているが、それ自体はホテルやスタジオ、展示場、駐車場、倉庫、ショッピングセンターなどといった
あくまでも「空洞」であり、これは新しい「メモリー」(記憶媒体)を増設しているようなものだ。同時
に、断続的にあちこちでイベントが繰り広げれ、「都市」の賑わいのようなものも演出されてもいるが、
それは結局のところ刹那的な「都市」を構成する活動の浮上でしかなく、CPU の処理能力を知るための
「ベンチマーク・テスト」を繰り返しているのと同じことである。
東京湾岸は、「不在の現前」という「都市」そのものを超越し、何もない全体のみで構成された「不在
でありながらの現前」であり、実質的には未だにいかなる要素も作動しないままである。これは東京湾
岸が「都市の零度性」ではなく、すべての要素が固定してしまう「絶対零度」下にあることを示してい
る。「フリーズ」し「リスタート」されたものの、決して動き出さない「都市の絶対零度性」。
<表徴の東京湾岸>
レインボーブリッジ/水景
かつて江戸において、旧日本橋川界隈などの水際の街や埋立地の商人町の運河に掛かる反りを持った
日本独特の橋が掛かっていた。その橋と水際に立ち並ぶ蔵群は江戸の街の経済と水系を司る重要な要素
で、「広重の『小網町』『鎧の渡』、北斎の『富嶽三十六景江戸日本橋』など、蔵で囲まれた水景が好んで
描かれたことを見ても、当時の人々がそこに一つの様式化された水景の美を見出していたことは疑いが
ない。」27レインボーブリッジは、東京湾岸というそのスケールが極端に拡大した現代の水際の人工大地
にかかる、極端に拡大した反り橋ともいえる。そのメガスケールの中では人間は完全に拒絶され、橋と
水際に並ぶ巨大倉庫群と倉庫的ファサードの商業施設に対峙できるのはやはりゴジラしかいない。
シーリア/郊外
あらゆる意味で集合住宅の教科書通りに立ち並ぶ公団住宅。そして意図されたプラン通りには何一つ機
能していない外構。郊外のニュータウンで見慣れた好ましからざるこの光景に、了解不能のままもうス
ピードで空回りしている東京湾岸にあって唯一シンパシィが抱けてしまうところが、この「都市」の大
きな特徴がある。
デックス、パレットタウン、アクアシティ/引きこもり
東京湾岸にカジノ建設話が持ち上がったり、ラスベガスのフォーラム・ショップスを模倣してパレッ
トタウンに「ヴィーナスフォート」が、デックスの増築で「お台場小香港」が建てられたり。しかも、
そのほとんど期間限定かプランが自由に変えられる倉庫建築である。
初めてに建てられた「デックス」は道路には倉庫、海にはデッキという二重性を持っていたが、つづ
いたパレットタウンではほとんどに外に閉じていて内側に「ヴィーナスフォート」というイミテーショ
ンの「外側」を再度作るという内向化が進む。最終形であるアクアシティはファサードは倉庫化し、内
側に地名や通り名を与えているなど別の街を立ち上げ、完全に内に「引きこもって」いる。
お台場プロムナード、夢の大橋/不在の大地
地上レベルのファサードおよび構成の徹底的な簡素化と建築の巨大化。東京湾岸の表層の基準レベル
は「ゆりかもめ」の高架(地上3F)の高さに合わされている。東京湾岸が 80 年代から 90 年代の申し
子である高度に整備された交通と情報のネットワークによる超高速度インフラの実現された都市だから
である。下方より聞こえる自動車の轟音に比べて、人通りが極端にまばらであるのはやはり人間非=中
心の街として計画されたからだろうか?
ディズニーランド/80 年代
擬似的都市計画として遊園地が山林田畑に向かって行ったのに対し、ディズニーランドやハウステン
ボスに代表される 80 年代型テーマパークは、臨海すなわち水際を埋め立てるという行為で海へと延ばす
ことで造られていった。隈研吾は、建築における形式対自由という構図をサプライサイド(建築家)と
デマンドサイド(市民)の対立、矛盾という形で説明し、ディズニーランドに代表されるテーマパーク
は、デマンドサイドの形式主義によって統制された建築に代わる既視のファンタジーの表れとした。28つ
まり、晴れた日に海の向こうに見えるディズニーランドは、近代の「建築」や「都市計画」が目指した
ユートピアの代替物としての夢想である。
フジテレビ・ニッポン放送本社ビル/コンピュータ・マトリクス
90 年代に竣工した丹下健三設計の建築の中では、91 年の「東京都新庁舎」と並ぶ代表作。都庁が江
戸時代の格子柄と LSI の集積回路を両義的に表象しているのに対し、こちらは構造体の 4 本1組の柱(マ
ストコラム)による立体格子が「人や情報の流れや動きが視覚的にも明解に表現され、24 時間休み無く
活動する情報産業集団の躍動的な姿がシンボライズされている」。29 サイバースペースの丹下の解釈を
明示している建築であると同時に、自身も触れているように「東京計画 1960」や「築地再開発計画案」
など彼の都市論、東京湾岸へのアプローチの具象化である。解剖学的な都市から最終的には「サイバー
スペース」の隠喩という道程は興味深い。
臨時駐車場、空き街区/タブラ・ラサ
丘陵を削り、その土砂で谷を埋めて造られた郊外のニュータウンと埋め立てで海岸線を沖に後退させ
ることで誕生した臨海部は、その土地の記憶と断絶した新たな土地、人工的な大地である。
小林康夫が分析するように「アルケオロジックな層をタブラ・ラサするシステムが、東京では機能して
いるとすると、東京という街において、記憶が常に焼かれて、そして消えてしまう。(中略)ウォーター
フロントでも、埋め立て地ですから、もともと土地が無かったところに土を入れて「ユートピア」をつ
くっているわけで、郊外の方は、逆に山だったところを全部切り刻んですべての痕跡を消してしまった
うえに、全くの架空の土地をつくっている。」30
国際研究交流大学村/街路
都市を語ること、特に都市の表象を分析することはべンヤミンがたどった道程を踏み締めることとイ
コールであった。しかし、東京湾岸ではこれは当てはまらない。なぜなら、そこにはパサージュも何も
ないのだ。語るべき濃密な都市の表象が存在しない。おそろしいほどの空隙。いやむしろ空が「図」で
あり、計画された都市が「地」であるというべきだ。しかし国際研究交流大学村は東京湾岸で唯一「ま
ち」を標榜するだけに、街路らしきものが計画されている。
青海ビル群/台場フロンティアビル/日商岩井本社ビル:オン
塚本由晴は、ゼネコン設計部や大手設計事務所によって、社会が要求する条件やスペックを漏らさず
設計された建築(あるいは都市)を「すべてがオン(on)」と表現し、東京における建築の面白くなさの
要因としている。31 都市のいかなる要素もリアリティを持ち得ない絶対零度においては、すべてがオン
の建築はその存在が極端に希薄である。
東京テレポートセンター/軸線
巨大なガラスの凱旋門というプログラムのインパクトもさることながら、ここからプロムナード、レ
インボーブリッジ、東京タワー、そして_へと軸線が続いている。ついぞ果たせなかった丹下健三の「東
京計画 1960」に対する設計者のオマージュなのか。いずれにしても、現代日本の凱旋門を勝利の喚起
の中、くぐる者はいない。
東京ビッグサイト、東京ファッションタウン/メガ・スケール
東京湾岸の人体のスケールを逸脱したメガストラクチャーを見て思い出すのは、バブル時に、環状8
号線という「大地」の道路を走る車の速度に対応したスケールの建築である隈研吾の「M2」である。M2
に表象するものは、過剰さが際立つポストモダン的なデコンに対する隈の解答であった。速度と建築の
純粋な関係を表出するために「建築」を一度解体する必要があったのだ。しかし、その後デコンの嵐が
過ぎ去った後に M2を見て感じるのは、隈が目指した速度と建築の関係ではなく、本来であれば凌駕す
べき世田谷という場所性との建築の不親和であり、それがかえって M2の大地に「不格好に」根ざして
いる様が異様に目立ってしまう不様さである。
東京ビッグサイトや東京ファッションタウンは、その巨大さのみに存在価値が見い出される空虚な建築
であり、東京湾岸をヴォイドによって埋めるというシニカルな存在である。
K-ミュージアム:都市と地下
東京湾岸が近代的な「都市計画」の理想の中で「副都心」として生み出されたにも関わらず、やはり
他の都市と決定的に異なる存在となっている要素のひとつに「地下の不在」がある。空間の徹底した表
面化。地下が「もともとある物質としての土を除去して穴を開けることによって空間を生み出し」たも
ので、そこに「あるのは内部だけ」 32という特質がある点を考えると、あるいはこれは都市の建築化とも
いえる。東京湾岸において、われわれが普段目にすることが出来ない地下には、高速道路から光ファイ
バー、上下水道など、「都市インフラ」と「情報ネットワーク」が張り巡らされている。K−ミュージア
ムはいまや誰もが忘れ去ってしまった「東京テレポート構想」という東京湾岸の出自を思い出させる唯
一の存在であり、共同溝への入口でもあるとなっている。
<二卵生双生児>
剽窃のメトロポリス©の偉大な長所とは、計画があまりにも欠陥だらけで、コントロールがあまりに
御通合主義で、開発があまりにも予測不可能だったために、都市と高度な偶然性、高度なランダム性
とが混在するという珍しい状況になったことであり、その価値はきわめて高い。_ここで我々が向き
合っているのは完全に「他者」なる都市であり、建築家も都市プランナーも謙虚に受け止めるべきで
しょう。私は心から、これがきわめて創造的でありバイタリティに満ちた(そして美しくさえある)
都市だと思います。33
コールハースが珠江デルタに向かったのは、そのオリエンタル志向だけでなく、「膨大な量の都会的実
在物」が作られつつあり、約 20 年間という信じ難いスピードで「まったく新しい都市の状況」がそこに
生まれていることを確信したからだった。珠江デルタではいかなる「都市の記憶」とも無関係に広大な
タブラ・ラサが生み出され、その場所にメガ・ストラクチャ−がつくられている。しかもビルが建ち始
めてからのプログラム変更は、工事をストップさせるどころか逆に加速され、工事が開始されてからも
それが、オフィスビルになるのか、住居用になるのかはまったく判別できない。34しかも、猛「スピード」
で産出された実際の都市はほとんど作動していない。その多くが、からっぽの容器、すなわち「メモリ
ー」としてただ建っている。珠江デルタもまた「都市の絶対零度性」の中にいる。
一方、南泰裕が指摘するように、東京湾岸の特異さ(つまり絶対零度性)もまた、極度の計画性によ
って構成されたにもかかわらず、「その計画のぎこちなさ(不自由度)を批判する前に、意図することの
なかった誤読によってすでに踏破されてしまっている」ことにあり、珠江デルタと東京湾岸はその特異
さを共有する。
だから、その都市空間の計画性は今や、批判において肯定においても実質的なリアリティを受けはし
ない。それが不可避的に誤読されることにおいてのみ、都市の現在的なリアリティに触れることがで
きるのである。都市は制御不能な誤読を通じて初めて現実的に了解される。35
このような状況は、一見すると単に計画が錯乱してしまい「都市」において収拾がつかなくなっている
ようである。しかし、珠江デルタや東京湾岸の産出過程は目的適合型でなく、連続する産出によって「都
市」が立ち表れてくる自己創成システムでもある。「絶対零度都市」には「オートポイエーシス」が作動
し始めている。
珠江デルタと東京湾岸とは「絶対零度都市」という保冷庫の中の二卵生双生児だったのだ。
<東京湾岸を作動させるために>
かつて「都市の記憶」がない人工的な土地に、それを立ち上げることを可能にした力は徹底した資本
主義市場経済であった。近代の「建築」や「都市計画」という理想から離れ、継続する経済の活性化、
すなわち「いつまでもより多く稼ぐ」という活動にのみを目的としてエネルギーが集中して注がれた。
先鋭化された目的適合型計画である。その結果、生まれたのが欲望の不夜城ラスベガスである。ヴェン
チューリがサイン広告を「商業的ヴァナキュラー」といった時、ラスベガスの運命は完全に決まった。
立ち並ぶカジノやホテル、ショッピングモールなどすべてフィクションであり、「都市」に対して徹底し
た無根拠性を持つ「貨幣回収装置」である。結局のところ、ラスベガスには「都市」が存在しない。す
べての表象が、結局のところイミテーションやイメージに支配された「金儲けの機械」に過ぎないから
である。
現代の海上の「絶対零度都市」である東京湾岸にとってラスベガスは自らの行き着く先だろうか。お
そらくそれはあり得ない。東京湾岸はその卓越した「スピード」と膨大な容量の「メモリー」によって、
近代的「都市計画」のあらゆる理想や目的を瞬く間に処理してしまう、何も動かざる「絶対零度都市」
だからである。それを作動させる超ラスベガス級の欲望と資本は現在の東京にはない。ラスベガスは一
時的に一部分を模倣することはあっても、それ以上に関わるべき対象ではない。
東京湾岸を創造していく上で、われわれが意識すべきは「オートポイエシス・システム」である。計
画や理想が意味をなさない東京湾岸や珠江デルタなどの「絶対零度都市」を作動させることを可能にす
るのが、この自己創成のシステムである。しかし、東京湾岸においては具体的に何をすれば良いのだろ
うか。
もう一度「オートポイエーシス」の定義に立ち戻る。
「オートポイエーシス」が「都市」において可能であるのは、
「都市」そのものが、見本もないまま「都
市」の諸要素を反復的に産出するという産出過程において、その「都市」の要素がさらに次なる要素を
産出する系を作動させることが条件である。この時、「都市」の要素の範囲が定まり、その系が具体的な
単位として固有の「都市」空間を位相化する。つまり、ひとつの建築を「都市」に建てる時、その建築
中にさらに別の建築をつくる行為が生み出される、あるいはその建築に暮すようになった人間が別の活
動を小行うようになるという、何か別のという関係を反復的に行なうことで「都市」が「絶対零度」上
昇し、スクランブル的に作動するのである。反復的に自己創成していく建築物とは何か。
それは「城壁」である。隠喩としての城壁は「九龍城壁都市」である。いまは無き「オートポイエー
シス都市」の先駆。
魅力的というのは、それが世界の中でその種の存在の唯一のモデルであるからで、しかも数十年にわ
たって困難にめげずしぶとく(変)作動し続け、なおも潜在的な実現可能性の余地を残しているから
なのです。36
東京湾岸は明確に引かれたメガ・スケールのグリッド 1 単位に、原則としてひとつの建築物だけが建
っている。それらのメガ・ストラクチャ−は完全に自律しており、それが相互に何か構成素を産出する
ネットワークを形成することはない。決定的な不干渉のために、すべての「都市」の表象はひとつの CPU
によって高速で処理されてしまい、「都市の記憶」には「メモリー」されない。「九龍城壁都市」とはま
ったく正反対のシステムなのである。
しかし、東京湾岸にも「オートポイエーシス・システム」は胎動する予感はある。何しろ、膨大な残
余の空間が眼前に広がっている。たとえば、現代の「城壁」は「スケルトン」の構造体でもよい。東京
湾岸の 1 グリッドにスケルトン構造のある単位のキューブを角から 1 列に建て、その後の利用方法の制
限をしない、すなわちインフィルは自由として構造体を使用させる。ある者は住宅を建て、ある者は店
鋪。倉庫、オフィス、美術館、あるいは未使用。そして、最初の一列がすべて使用されたら、それに次
の一列の「スケルトン」を増設する。その方向は上でも横でもよい。その先にあるのは未知、未踏の領
域である。一切の手本なしにみずからの行為が継続可能なように制作行為が進んだとき、自己創成され
た東京湾岸の「都市」ができるかもしれない。
<非−過密とヴォイド>
21 世紀を迎え、東京湾岸お台場に通うようになって 4 年になろうとしている。日々感じていたこの「都
市」への不思議な思いが何に依るのか。答えを探すための東京湾岸をめぐる行為は、結局のところ「都
市」とは何かを確認することとなった。理由は分かっている。「絶対零度都市」では通常われわれが「都
市」に対して行っているアクションが通用しないからだ。それが違和感と感じてしまうか、受け入れら
れるかで東京湾岸を認識すること、ひいてはその将来展望も変わるかも知れない。
様々な議論とは無関係かのように、毎日さまざまな工事が東京湾岸では行われている。あらたメガ・
ストラクチャ−が毎年建ち上がっている。しかし、お台場に対する印象はまったく変わらない。確実に
ヴォイドは減っているのだが、「都市」のスケールに比べてやはり圧倒的に非—過密だからかもしれない。
非−過密とは人口密度が低いというこではない。敢えて言うなれば「都市」の表象のひとつである「く
らしの喧噪」の密度に近いかもしれない。東京湾岸の地面に立つことが皆無なのはその非−過密による
ところが大きい。
東京湾岸をめぐる議論はお決まりの「開発の是非論」である。これは「都市博中止」以降ある意味仕
方がないことではある。しかし、それがあまりにも「ヴォイド」に関すること、すなわち空間の費用対
効果の話ばかりでは問題だ。なにも「ヴォイド」が悪いわけでは無い。
救いは、東京湾岸を訪れる人々が意外に楽しんでいる風であることである。大上段の理論でなく、「絶
対零度都市」の不思議さを発見して堪能しているのかも知れない。これが旅行者の眼ではなく「都市生
活者」の眼としてであれば、東京湾岸にも大きな可能性があるだろう。そもそも「都市」に住むという
ことは、自然に住むことに比べて大きな代償を払うことで獲得されるものである。「郊外」というものが
出来て「都市生活」が中途半端なものに変容してしまったのだ。「間−自然」的生活とでもいうべき「良
いとこ取り」スタイルである。
東京湾岸をめぐるこの小論の先に、あらたな「都市生活者」の姿がほのかに見えてきたようである。
1
William Gibson, Neuromancer , 1984.(邦訳=「ニューロマンサー」黒丸尚訳(早川書房、1986、91-92p)
2
M. Christine Boyer "CyberCities: Visual Perception in the Age of Electronic Communication, 1996 (邦訳=M.クリスティー
ヌ・ボイヤー「サイバーシティという想像的な現実の世界」(毛利嘉孝訳、『10+1』No.7、INAX出版、1996、92p)
3
アップル・コンピュータ・ホームページ http://www.apple.co.jp/powermac/index.html
4
Paul Virilio, "La Bombe informatique", 1998 (邦訳=「情報化爆弾」丸岡高弘訳、産業図書、1999、21pおよび79p)
5
都市デザイン研究体『日本の都市空間』(彰国社、1968、20-21p)
6
若林幹夫『都市のアレゴリー』(INAX出版,1999、15p)
7
都市デザイン研究体『日本の都市空間』(彰国社、1968、26-27p)
8
田中純『都市表象分析Ⅰ』(INAX出版、2000、30p)
9
陣内秀信『東京の空間人類学』(筑摩書房、1985、ちくま学芸文庫、1992、75-77p)
10
田中純「都市の探偵たち∼東京論の困難をめぐって∼」(『建築文化』第55 巻、第645号、彰国社、2000、46p)
11
多木浩二『都市の政治学』(岩波新書、1994、95p)
12
同、107p
13
Walter Benjamin, "Paris. die Hauptstadt", 1935. 邦訳=「パリ―十九世紀の首都」久保哲司訳、(浅井健二郎編訳『ベンヤ
ミン・コレクションⅠ』ちくま学芸文庫、1995、330-331p)
14
多木浩二、前掲書、119p
15
隈研吾『新・建築入門』(ちくま新書、1994 年、205-206p)
16
桑子敏雄『環境の哲学』(講談社学芸文庫、1999、21p)
17
同、33p
18
M .Halbruachs, "La memoire collective", 1950. 邦訳=M.アルバックス「集合的記憶」(小関藤一郎訳、行路社、1989、66p)
19
Maturana,H.R.& F.J.Varela, "Autopoiesis and Cognition., 1980. 翻訳=マトゥラーナ、ヴァレラ「オートポイエーシス―第
三世代システム」(河本英夫訳、国文社、1991、235-234p)
20
河本英夫『オートポイエーシス2001』(新曜社、2000、101p)
21
アルバックス、前掲訳書、182p
22
同、89p
23
Bogdan Bogdanovic "Die Stadt und Tod" . 1993. (邦訳=ボグダン・ボグダノヴィッチ「都市と死」(篠儀直子訳、『10+1』
No.8 INAX出版、1997、165、170p
24
田中純、『都市表象分析Ⅰ』、289p
25
大友克洋『AKIRA』(講談社、1984、8-11p)
26
若林幹夫『都市のアレゴリー』(INAX出版、1999、299-300p)
27
陣内秀信、『東京の空間人類学』、117p
28
隈研吾「負けるが勝ち/形式対自由のゆく末」(『新建築』第75 巻9号、新建築社、2000、56p)
29
丹下健三「高度情報化社会の大規模複合建築の原点を求めて」(『フジテレビ本社ビルの記録』1997、鹿島出版会、9p)
30
後藤武、小林康夫、田中純「鼎談 東京は何を欲望しているのか」(『建築文化』第55 巻 第645号、彰国社、2000、30p)
31
青木淳、五十嵐太郎、塚本由晴「鼎談 オン/オフ、表/裏、観察/定着」(『建築文化』2000 年7月号、彰国社、146p)
32
後藤武「場所なき場所の生成」(『建築文化』2000 年7月号、彰国社、74p)
33
レム・コールハース「剽窃のメトロポリス」(太田佳代子訳、『アジアが都市を超える』、TN Probe Vol.5、1997、219p)
34
同、204p
35
南泰裕「極限都市論−東京湾岸、あるいは未在の空間水準」(『10+1』No.7、INAX出版、1996、77p)
36
アーロン・タン「実践を超えて」(鈴木圭介訳、『アジアが都市を超える』、TN Probe Vol.5、1997、171p)