オランダ構造主義における「中間領域」概念の成立とその表現手法

オランダ構造主義における「中間領域」概念の成立とその表現手法に関する考察
山本
1. はじめに
直
2-1-1. ニジェール・ヘンダーソンが与えた影響
1-1. 研究の背景
スミッソン夫妻は、写真家ニジェール・ヘンダーソ
1950 年代末期のアムステルダムに成立した建築家グ
ンと深い親交を持っていた。4) 彼は 1949 年から 1952
ループ「オランダ構造主義」
は、CIAMを軸に展開してい
年にかけてロンドンの Bethnal Green の路上での日常
た近代建築を批判し修正する立場をとったオランダに
生活を撮影し、写真集『路上の生活』にまとめた。こ
おける後期近代建築運動として知られている。彼らは、
の作品に対して彼らは「路上での規制がかけられてい
建築雑誌『Forum』
の編集作業を通じて建築思想を形成・
ない子どもたちの遊びの姿を私たちは、生活の自由な
共有してゆきながら、各自の創作活動に反映してきた。
ひろがりの確かな姿が示されているとみるし、まちの
このようにグループ内で共有された設計概念のひとつ
自由なかたちの予兆といえる」5) と評している。スミッ
に「in-between(訳語:中間領域)」が挙げられる。この概
ソン夫妻は彼の作品から、単なる移動空間ではなく地
念はオランダ構造主義の代表的建築家であるアルド・
域の生活空間としての街路の可能性、つまり「住宅の
ファン・アイクやヘルマン・ヘルツベルハーによりし
延長としての街路の可能性」を見出したのである。
ばしば言及されており 、構造主義建築作品を再考して
2-1-2. 設計競技提出案による概念の具体化
1)
ゆく上での鍵語であることが推察されるが、同時に現
1952 年、スミッソン夫妻は「Golden Lane 集合住宅
代建築においても広く援用される建築言語でもある。
設計競技」6) に参加した。そこでは建物の 3 層ごとに全
1-2. 研究の目的
住戸が接続される「空中街路」を備えた高層の集合住宅
オランダ構造主義の始祖ファン・アイクは 1950 年
が提案された。( 図 1.) そして各住戸には空中街路に直
代の近代建築運動である「Team10」
「Forum Group」
接接続された住戸占有の 'yard-garden' と明記される外
に参加し、それぞれ指導的な立場をとっていたことか
部空間が計画されている。
(図 2.)彼らはこの場所につ
ら、
「中間領域」概念の成立の背景が彼の経験したこの
いて「空中街路と切れ目なく連続する 'yard-garden' は
2 つの建築運動内に存在することが推察される。
住居内部に外側(街路)での生活を提供する ( 中略 ) そし
本研究ではまず、これら近代建築運動の内容を追っ
て街路に対しては自らのアイデンティティを表現する
てゆくことで、グループ内で「中間領域」概念が形成
場所となる。
」7) と言及している。また、この計画案は
されてゆく経緯を明らかにする。そしてファン・アイ
後述する第 9 回 CIAM 会議において彼らによってプレ
ク、ヘルツベルハーのオランダ構造主義建築作品にお
ゼンテーションされるのであるが、その際に「CIAM
2)
いて実際にこの概念が表現される手法の分析を通じて 、
Grid」
と呼称された展示パネル上に、計画案の図面と同
「中間領域」という建築言語に対するデザインの手法に
列に 'House' と 'Street' のつながりの様子が撮影された
関して新たな考察を得ることを目的とする。
ヘンダーソンの写真がレイアウトされた。( 図 3.)
2. Team10 における「中間領域」概念の形成と伝達
以上のことから、スミッソン夫妻は 'yard-garden' の
2-1. スミッソン夫妻と Team10
イギリス人建築家アリソン・スミッソンとその夫
ピーター・スミッソン(以下スミッソン夫妻)は CIAM
の イ ギ リ ス 支 部 で あ る MARS(Modern Architectual
Research) のメンバーであった。彼らは「都市は将来
図 1.「Golden Lane 集合住宅計画案」空中街路
は機能的な統一体として限定されるものである。」3) と
図 2.「yardgarden」
する『アテネ憲章 (1932 年 )』に代表される CIAM の機
能主義的思想に異論を唱え、1954 年、オランダのドー
ルンにおいてファン・アイクを中心とするオランダの
若手グループらとともに Team10 を結成した。
図 3. スミッソン夫妻、ヘンダーソンによる CIAM Grid
27-1
計画によって、ヘンダーソンの写真に見られるような
べきである。それらは建築の形態を持ち、人々の出会
'House' と 'Street' の連続性を生み出す、住居と街路の「二
いの場となるのである。( 中略 ) 出会いと閾。住居と街
重性」 を備える空間を指向したことが指摘できる。
路。人と人との間の形態。我々は doorstep の哲学から
2-2. 第 9 回 CIAM 会議における概念の伝達
この'threshold issue'を導き出す」
と言及する。13) つまり、
8)
1953 年、第 9 回 CIAM 会議 (Aix-en-Provence) が開催さ
ハーディはファン・アイクの導き出した 'in-between'
れた。
建築作品・思想を発表する機会を与えられたスミッ
概念に具体的な建築的な形態が与えられたものとして
ソン夫妻は、アテネ憲章の「機能的な都市の分割」のオ
'threshold' という新たな名称を与えたのである。
ルタナティブとして「住居」
「街路」
「地区」
「都市」という
3-2-2. ヘルツベルハーの 'matchboxes'
段階的なコミュニティの分割を提案し、それらコミュニ
一方、ヘルツベルハーは、'in-between' が集合住宅の
ティの間のつながりの重要性について指摘した。 特に、
デザインに導入されてゆくプロセスを、
「マッチ箱」から
彼らは「住居」と「街路」を接続するファクターの具体例
作成された模型(図5.)を用いて説明する。そこで彼はマッ
として「doorstep(玄関前の段差)」
を示した。
チ箱の内側の箱を引き出しながら「住居の外部への延長
9)
会議に同席し、彼らの発表を傍聴したファン・アイ
はバルコニーによって形成される」と述べ、その場所こ
クは次のように言及する。
「スミッソン夫妻が Aix-en-
そ「個と集団とを架橋する 'threshold' である。
」と言及す
Provence で、doorstep と い う 言 葉 を 使 っ て 以 来、 私
る。14) つまり、彼もハーディと同様、'in-between' 概念
の心の中で次第に成長してきたもう一つの考えがあ
にバルコニーという「建築の形態」が与えられたものと
る。(中略)中間的なものを確立することは、種々の極性
いう意味で'threshold'という語を用いてることがわかる。
を調和するということである。
」 このように彼は、ス
10)
ミッソン夫妻の住居と街路とをつなぐという意味での
'doorstep' という概念を、種々の要素を接続しうる 'inbetween'という概念に拡張した。
3. Forum group を媒介とする「中間領域」
概念の共有
3-1. 建築雑誌『Forum』
図 4.『Forum』誌 表紙
3-3. 小結
『Forum』誌 ( 図 4.) は主に国内の建築家に対して紙面
図 5.「matchboxes」
ハーディとヘルツベルハーは『Threshold and Meeting』
を通じた公開討論のプラットフォームを提供する目的
の編集作業を通じてファン・アイクの 'in-between' 概念
で 1946 年に創刊された建築雑誌
である。1959 年
に具体的な建築的イメージを与えた。しかし、
「ファン・
から 1967 年の間、ファン・アイク、ヘルツベルハー
アイクは 'threshold issue' に対して満足しているわけで
を中心として『Forum』誌の編集を歴任した建築家達
はなかった。(中略)彼の意図は、具体的な形態を与える
は Forum group と呼称されており、編集作業を通じ
べきだという彼らの態度とは異なっていた。
」
と、ストラ
てオランダ構造主義の思想的基盤が形成された。
ウフェンが指摘するように、15) 両者の 'in-between' の解
3-2.『Forum』1959 年 10 月号の編集体制
釈はファン・アイクの指向したものではなかった。
11)
Forum group は 創 刊 号 (1959 年 9 月 ) の 刊 行 後、 次
号において、ファン・アイクを中心として 'in-between'
4. ファン・アイクの表現手法
4-1.「中間領域」に関するファン・アイクの言及
を主題として編集作業を進めていたが、この編集期間
ファン・アイクは中間領域に関して以下のように言及
中に彼は急病を患い、自身の代理としてヤープ・ハー
する「中間領域は両者の持つ意味を同時に意識させると
ディ、ヘルツベルハーの二人を編集の中心人物に抜
いうことを誘発する場所である。中間領域はこのような
擢したといわれている。 そして、両者を中心に編集
意味で矛盾しあう種々の極性を再び『対現象』にするよ
さ れ た こ の 号 は 1959 年 10 月 に『Threshold( 閾 )and
うな共通の場を与えるものである。
」16) そして、彼はこの
12)
Meeting( 出会い ) 』
という題目で刊行された。
3-2-1. ヤープ・ハーディの 'threshold issue'
「対現象」について次のように説明する。
「対立的であり
ながら、相互補完的な関係にある二つの現象」17) つまり
ハ ー デ ィ は こ の 号 に お い て、'the shape of in-
彼は「対現象」を表現するための手法として中間領域と
between' と題して、自ら選定した 18 枚の写真を掲載
いう言葉を使用している。(設計手法としての中間領域)
した。重ねて彼は巻頭論考 'threshold issue' において
4-2. 表現手法の分析
「人々の住居や街路に人間性を取り戻すために、ドア
( 表 2.) に示すファン・アイクの 8 作品の平面図をも
や窓、バルコニーやルーフテラスが再び問題にされる
とに分析を行った結果、
「対現象」の表現方法として以
27-2
された領域としての中間領域 )
5-2. 表現手法の分析
(表2.)に示すヘルツベルハーの4作品の平面図に記載
Team 10
-
-
された室名をもとに領域図を作成し、その図から領域の
スミッソン夫妻
建築作品における思想の実践
重合する領域を「中間領域」として抽出し、そのアイソ
メトリック図を作成することで、具象化された中間領域
思想伝達のための具体例の提示
の形態分析を行った。(表3.)その形態的特徴を以下に示す。
「doorstep」
・「領域の重複を可視化する形態」 2 つの領域の重複
するラインに沿って腰壁や袖壁の立上り、あるいは床
「in-between」
面のレベル差が設えられていた。
・
「家具的なスケール」 腰壁の立上り寸法に着目すると
ハーディ
ヘルツベルハー
Forum group
ハーディ、ヘルツベルハーを中心とする編集体制
「threshold」
ファン・アイク
ファン・アイクによる概念の拡張
① 400mm 〜 650mm ② 1,100mm 〜 1,250mm という 2
つのスケールのまとまりが確認された。これは、座るこ
とのできる椅子、ものを置くことのできる棚など、中間
領域の家具的な具象化を指向していたことを示唆する。
表 1.「中間領域」思想の伝達過程
ファン・アイクが中間領域概念を見出した 1953 年から、オ
ランダ構造主義建築の思想形成に大きく寄与した『Forum』
分析対象作品
誌 の 編 集 が 完 了 し た 1967 年 の 間 に 設 計 さ れ た 建 築 作 品。
アルド・ファン・アイク
6. おわりに
本稿では以下のことを明らかにした。
A1.Primary School, Nagale(1954-1956)
A3.Open-Air School(1955)
A5.The Wheels of Heaven(1962)
A7.Sculpture Pavilion(1962)
A2.Orphanage,Amsterdam(1955-1960)
A4.Congress Building,Jerusalem(1958)
A6.Roman Catholic Church(1964-1969)
A8.M.Visser House(1967-1969)
1) オ ラ ン ダ 構 造 主 義 の「 中 間 領 域 」概 念 の 成 立 は、
H1.Students’ House(1959-1966)
H3.Delft Montessori School(1960-1966)
H2.Factory Extension Lin Mij(1955)
H4.Diagoon Delft(1967-71)
ル・ヘンダーソンの写真「路上の生活」から見出した「住
ヘルマン・ヘルツベルハー
Team10 のメンバーであるスミッソン夫妻がニジェー
表 2. 分析対象リストとその選定理由
下の 3 つの設計手法を確認することができた。( 表 3.)
宅の延長としての街路の可能性」に端を発する。
・
「フラクタル」 建築物の平面の部分と全体とが、あ
2) オランダ構造主義建築家の間において「中間領域」
る図形の自己相似によって構成されている作品である。 概念の解釈に差異が存在する。つまりファン・アイク
部分と全体とが同一形状の図形によって構成されてい
は字義とは異なり、対現象を表現するための「設計手
るため、
「部分 - 全体」
「統一性 - 多様性」
「大 - 小」とい
法」という意味で「中間領域」という言葉を用いる一方
う対現象が同時に表現されている。[A1],[A3],[A4]
で、ヘルツベルハーやハーディは字義通りに、二つの
・
「入れ子」 ある建築物の平面内に、その平面よりも
異なる領域が重複し、同時に建築の形態として具象化
一回り小さい場所を順番に挿入してゆくことで平面が
された「領域」という意味で用いた。
構成される作品である。
「内側-外側」
「個-集合」
「大-小」
3) しかし、ファン・アイクとヘルツベルハーは、
「中間
という対現象が同時に表現されている。[A2],[A4]
領域」の表現により、ある一つの場所に複数の空間的な
・「非完結な図形」 幾何学的形態をもつ閉図形の壁面
価値を同時存在させようとした点で共通していた。(表3.)
や建具等の一部が切り取られることで、
「開放 - 閉鎖」
このような彼らの指向は機能主義建築の目指した「機能
「内側 - 外側」という対現象が同時に表現されている。
と一対一対応した」
空間とは明らかに相反していた。
[A1],[A2],[A3],[A4],[A5],[A6],[A7],[A8]
このように「中間領域」は、
「二者択一」によって空間
5. ヘルツベルハーの表現手法
の持ち得る多様な価値や意味というものを軽視してき
5-1.「中間領域」に関するヘルツベルハーの言及
た『アテネ憲章』に代表される CIAM 的機能主義に対
ヘルツベルハーは、中間領域について次のように言
するアンチテーゼとして成立した「両者共存」の建築
及する。
「私たちはオブジェクトとオブジェクトの間
言語であるといえるだろう。
の場所に価値を見出さなければならない。( 中略 ) それ
ファン・アイクの「中間領域」概念 ヘルツベルハーの「中間領域」概念
はすなわち住宅の延長でもあり、街路の延長でもある、
両者の一部である住宅と街路との間の『threshold(出
対現象 : a - b
a
入り口)
』のような「中間領域」の具象化である。
」18) つ
まり彼は、お互いに異なる二つの領域が重複し、同時
b
部分 - 全体
大-小
内側 - 外側
開放 - 閉鎖
個 - 集合
etc...
A
B
空間の輪郭
対現象を表現するための輪郭の設計手法 お互いに異なる二つの領域 A,B の共通部
( 一つの領域に対立的な 2 つの空間概念を 分が建築の形態として具象化された領域。
同時に表現するための手法 )
にその領域が建築形態として具象化された領域という
意味で中間領域という言葉を使用している。( 具象化
表 3. ファン・アイク、ヘルツベルハーの意図した中間領域の概念
27-3
1. 分析対象作品の平面図
3. 設計手法の説明
1「フラクタル」
A1.Primary School, Nagale(1954-1956)
3
1
1
H1-A
3「非完結な図形」
a a
a
a
円形に囲われた生け垣の一部が切り
1
1
1
a
b
2「入れ子」
a
住戸
共用廊下
大人数のための場所が入れ子状に計
半円のベンチと 4 箇所が切り欠かれ
c
た正方形のベンチ。
A3.Open-Air School(1955)
d
a=1,250mm
d
3「非完結な図形」
3
H1-B
H1-B
c
画されている。
3
c=350mm
ギャラリー
エントランスホール
1
3
1
3
3
3
3
b H2-A
H2-B
c
2「入れ子」
a=500mm
4 箇所が切り取られた正方形の入れ
子状のプラン。
1 3
1
3
A5.The Wheels of Heaven(1962)
c
H2-B
1「フラクタル」
2
b
a
c=500mm
た便所ユニット。
A4.Congress Building,Jerusalem(1958)
H2-A
b=500mm
壁面の 2 辺が切り取られた六角形の
教室ユニットと、1 辺が切り取られ
3
a
a=500mm
a
3「非完結な図形」
b
c
b=650mm
H2.Factory Extension Lin Mij(1955)
1「フラクタル」
b
b a
a=1,100mm
b=300mm
建物のユニット内に、個人→少数→
2
2. 中間領域のアイソメトリック図
H1-A
b
取られる。
A2.Orphanage,Amsterdam(1955-1960)
3
1. 分析対象作品の領域図
H1.Students’ House(1959-1966)
a
3「非完結な図形」
b
c
正方形の建物のヴォリュームが 4
箇所で切り取られる。
b=400mm
ホール
作業場
ルーフガーデン
a c
c=200mm
b
H3.Delft Montessori School(1960-1966) H3-A
3「非完結な図形」
それぞれ、半円と 1/4 円の壁面で
3
囲われた礼拝室と講堂。
3
3
洗礼盤室と半円の壁面で囲われた
a
b
c
3
A7.Sculpture Pavilion(1962)
3
c
a
c=765mm
e
e=250mm
b
d
f
a
c
f=400mm
H4-A
a
円の壁面で囲われた展示室。
a=400mm
H4-A
3
3
b
b=2,050mm
d=250mm
クラスルーム
エントランスホール
校庭
半円の壁面で囲われた展示室と 3/4
3
H3-A
H4.Diagoon Delft(1967-71)
3「非完結な図形」
c
a=1,200mm
c
懺悔室。
c=430mm
H3-B
a
3/4 円の壁面で囲われた礼拝室と、
3
a
b
a
3「非完結な図形」
b=810mm
a
H3-B
3
A6.Roman Catholic Church(1964-1969)
3
a=510mm
a
b=200mm
b
a
b
A8.M.Visser House(1967-1969)
H4-B
3「非完結な図形」
住宅の拡張計画により新たに付加
H4-B
された、3/4 円の壁面で囲われたリ
3
ビングルームと、3/4 円の壁面で囲
3
われた階段室。
a
b
c
コモンガーデン
住戸
占有庭
表 4. 両者の中間領域の表現手法
【参考文献】
[1]Francis Strauven:『ALDO VAN EYCK』,Architectura&Natura,1998
[2]Alison Smithson:『チーム 10 の思想』, 彰国社 ,1974
[3]Alison&Peter Smithson, 藤井博己 訳 :『都市の構造』, 美術出版社 ,1971
[4]Dirk van den Heuvel:『from the house of the future to a house of house』,010
Publishers,2004
[5]Alison&Peter Smithson:『スミッソンの都市論』, 彰国社 ,1979
[6]Alison&Peter Smithson:『The Charged void:Architecture』,Moracelli Press,2002
[7]Claude Lichtenstein:『As found: the discovery of the ordinary』,Lars Muller
Publishers,2002
[8]Francis Strauven:『ALDO VAN EYCK The Shape of Relativity』,Architectura&Natu
ra,1998
[9]『Forum』1959.no8,Architectura et Amicitia,1959.10
[10]Wim J. van Heuvel:『Structuralism in Dutch Architecture』,010 Publishers,1992
[11]Vincent Ligtelijn:『Aldo van Eyck Works』,Birkhauser Publishers,1999
[12]Herman Hertzberger:『都市と建築のパブリックスペース』, 鹿島出版会 ,1995
[13]Herman Hertzberger:『Lessons in Architecture 2』,010 Publishers,2000
[14]『a+u (Extra Edition)』,1991.4
[15]Arnlf Luchinger:『Herman Hertzberger 1959-1986』,Arch-Edition Den Haag,1987
[16]『Forum』1961,Architectura et Amicitia,1961
【註】
1) ファンアイク : 参考文献 [2].p43,p89-91,p108,p113 Forum,1961,no.6-7,p273 ヘルツベル
ハー : 参考文献 [13].p70-77 参考文献 [12].p30-33,p38, 参考文献 [9].p212-219、2) ①両者は、
オランダ構造主義による編集体制が敷かれた期間 (1959 年〜 1967 年 ) の『Forum』誌の編集初
c
a=1,200mm
b=1,250mm
c=200mm
c
a
b
期メンバーであった、つまりオランダ構造主義思想の形成に最初期から関わっていたこと。②
オランダ構造主義建築の主要作品集である参考文献 [10] に掲載された 15 人の建築家の 36 作品
のうち、両者の建築で半数近く (16/36) を占めている、つまりオランダ構造主義思想の設計を
通じた積極的な実践を行ってきた。という 2 つの理由から、本研究では、オランダ構造主義建
築家の中でも特にファン・アイクとヘルツベルハーの建築作品を分析してゆく。3)U. コンラー
ツ :『世界建築宣言文集』, 彰国社 ,p185、4) スミッソン夫妻とヘンダーソンはともに、1952 年
にロンドンの Institute of Contemporary Arts( 現代芸術研究所 ) において結成された芸術家集
団「Independent Group」に所属していた。5) 参考文献 [3].p10、6) 第二次世界大戦により甚大
な被害を受けたロンドン北端の地域の復興計画として開催された。7) 参考文献 [6].p86、8)「二
重性」という言葉については、スミッソン夫妻により次のように言及される「住宅はすなわち
人の体にぴったりと合った殻であって、家族に対しては内を向き、社会に対しては外を向いて
いるものであり、構成面にもこのような方向の二重性が反映されていなければならない。」この
意味で 'yardgarden' は住戸と空中街路に対する二重性を有する。9) 参考文献 [7].p20、10) 参考
文献 [2].p86、11) オランダ国内の建築連合組合「Architectura et Amicitia」によって創刊された。
12) 参考文献 [8].p355、13) 参考文献 [9].p249、14) 参考文献 [9].p271-p277、15) 参考文献 [8].
p356 ※フランシス・ストラウフェン (1942 〜 ) はファン・アイクに関す著書を 2 冊執筆してい
る。16) 参考文献 [16].p238、17) 彼は参考文献 [2].p112 において「基本的な対現象とは、部分
と全体、統一性と多様性、大と小、多と少、同様に重要なものとして、内側と外側、開放と閉
鎖、密集と空隙、変化と恒常、活動と休止、個と集合、等々である。」と説明する。 18) 参考文
献 [13].p214
【図版出典】
( 写真 1.) 参考文献 [4].p18、( 写真 2.) 参考文献 [3].p12、( 写真 3.) 参考文献 [9].p256、( 図 1.) 参
考文献 [5].p58、(図 2.) 参考文献 [5].p61、(図 3.) 参考文献 [7].p140-141、(図 4.) 参考文献 [9]. 表紙、
( 図 5.) 参考文献 [9].p277、( 表 1.)( 表 2.)( 表 3.) 著者作成
27-4