レイチェル・カーソンの修士論文

レイチェル・カーソンの修士論文
-科学者としてのレイチェル・カーソン-
栃内 新
監著
池田光良 訳著
表紙写真
クジャクチョウ(表表紙)、キベリタテハ・フジウツギにとまるヒメアカタテハ(裏表紙):
澤田実氏提供。カーソンはモナーク蝶などを好んだこと、また、修士論文で議論されているのに加
えて、『潮風の下で』で登場することから、蝶とキアンコウを表紙写真とした。
―― 目
次 ――
まえがき
第Ⅰ部 レイチェル・カーソンの修士論文
池田光良(監修 栃内
第1章
歴史的経緯 ·····················································
1-1
沈黙の春と騒々しい夏 ··········································
1-2
レイチェル・カーソンの修士論文をどう評価していくか ··············
1-3
レイチェル・カーソンの生涯·····································
1-4
生物学の研究史の中で ··········································
新)
1-1
1-1
1-1
1-4
1-7
第2章
2-1
2-2
2-3
2-4
2-5
2-6
2-7
レイチェル・カーソンの修士論文を読むための基礎知識 ··············· 2-1
動物の発生反復説について······································· 2-1
前腎について ·················································· 2-2
胚の構造 ······················································ 2-5
魚類の腎臓の機能 -排泄と浸透圧の調節 ························· 2-7
レイチェル・カーソンの修士論文に出てくる魚 ····················· 2-9
レイチェル・カーソンの著書『潮風の下で』に出てくる魚 ··········· 2-16
レイチェル・カーソンが修士論文で議論している魚の近縁種 ········· 2-18
第3章
3-1
3-2
3-2-1
3-2-2
3-3
3-4
3-4-1
3-4-2
3-5
3-6
3-7
3-8
アメリカナマズの発生 ···········································
なぜアメリカナマズか? ········································
頭腎および前腎室形成の謎·······································
頭腎形成の謎 ··················································
前腎室形成の謎 ················································
人名に関するコメントとレイチェルのユーモア ·····················
アメリカナマズの発生 (1)胚期 ···································
無羊膜類の排出器官の構造·······································
アメリカナマズの発生 (1)胚期 ···································
アメリカナマズの発生 (2)幼生期 -特にリンパ様組織について ····
排泄システムのでき方 ·········································
前腎室・前腎の糸球体とボーマン嚢の空洞・マルピーギ小体の相同性 ····
この章のまとめ ···············································
3-1
3-1
3-2
3-2
3-3
3-4
3-6
3-6
3-6
3-10
3-13
3-18
3-19
第4章
魚類の生体防御 ·················································
4-1
はじめに ······················································
4-2
非特異的生体防御 ··············································
4-3
特異的生体防御 ················································
4-3-1
リンパ組織とリンパ球 ··········································
4-3-1(1) リンパ組織 ···················································
4-3-1(2) リンパ球 ·····················································
4-3-2
体液性免疫 ····················································
4-3-2(1) 体液性免疫のしくみ ···········································
4-3-3
細胞性免疫 ····················································
4-3-3(1) 細胞性免疫のしくみ ···········································
4-4
魚類の養殖と魚病 ··············································
4-5
ワクチンによる魚病対策 ········································
4-1
4-1
4-1
4-3
4-3
4-4
4-4
4-5
4-5
4-6
4-6
4-8
4-8
4-6
この章のまとめとカーソンの修士論文の免疫研究への意義 ············
4-9
第5章
5-1
5-2
5-3
5-3-1
5-3-2
5-3-3
5-4
5-5
5-6
5-6-1
5-6-2
5-6-3
5-6-4
レイチェル・カーソンの修士論文の科学史的および環境論的意義 ·······
発生学と進化論と生態学-カーソンの修士論文と進化系統樹との関連性
デカルト的二元論の限界 ········································
ゲーテの環境論、進化論への影響 ·································
ゲーテにおける環境論の萌芽·····································
現代物理学への影響 ·············································
進化論の原点としてのゲーテ·····································
ゲーテからレイチェル・カーソンへ至る人物の系譜·················
文理融合の道へ ···············································
科学の両輪 ···················································
基礎と応用 ···················································
帰納と演繹 ····················································
ホーリスティックな観点 -巨視的観点と微視的観点の統合 ········
科学の両輪とレイチェル・カーソン ······························
5-1
5-1
5-3
5-4
5-4
5-6
5-7
5-15
5-16
5-20
5-20
5-21
5-21
5-22
第6章
レイチェル・カーソンの修士論文の業績と現代的意義·················
6-1
レイチェル・カーソンの修士論文の業績 ···························
6-2
レイチェル・カーソンの修士論文の意義 ···························
6-2-1.生物学・発生学的意義 ············································
6-2-2.進化論および生態学的意義 ········································
6-2-3.医学的意義:腎臓病 ··············································
6-2-4.水産学的意義:魚類の免疫機能·····································
6-2-5.文学的意義 ······················································
(1).初期作品への影響 ···················································
(2).科学的講演「海辺」への影響 ·········································
6-2-6.環境論的意義 ····················································
6-3
終わりに ······················································
7 レイチェル・カーソンの修士論文に寄せて
海洋生物学者としてのレイチェル・カーソン
栃内
7-1
カーソンが発生学の基礎的研究を行ったことの意義 ···················
7-2
リンパ組織研究の意義 ············································
7-3
胚の構造に関して ················································
7-4
終わりに ·······················································
参考・引用文献 ·························································
6-1
6-1
6-2
6-2
6-2
6-2
6-2
6-3
6-3
6-3
6-4
6-5
新
7-1
7-2
7-3
7-4
7-5
あとがき
・特に明記していない図と写真は著者によるものである。また、原則として本文中の敬称は略した。
まえがき
レイチェル・カーソンは『沈黙の春』を著し、環境の時代を切り開いたとされる偉大な先駆者の
一人であり、『潮風の下で』『われらをめぐる海』『海辺』などの海洋文学や、『センス・オブ・ワン
ダー』などの作品で知られる優れた作家でもある。しかし、カーソンが魚類の発生学の研究者だっ
たことはあまり知られていない。彼女は海洋生物学の研究者を目指して、当時から生物学では世界
的なレベルにあったジョンズ・ホプキンス大学の大学院に入り、先端的な研究を行っていた。だが、
カーソンは「海洋生物学者」とも呼ばれる反面、現在でもカーソンの科学者としての力量に疑問を
持つ向きが一部には存在することも確かである。筆者には、それらの批判的な意見が科学的に十分
検討されたものなのかどうかに疑問があり、本当のところを知ることができれば、との思いを以前
から抱いていた。
2006 年 9 月に、「レイチェル・カーソン北海道の会」が発足したとき、カーソンの書いたものの
うち、唯一日本語に翻訳されていない修士論文があるという話が同会代表の近藤務氏より紹介され
た。筆者が一読したいと申し上げたところ、氏は早速入手すべく、カーソンの作品うち『潮風の下
で』『海辺』『センス・オブ・ワンダー』や、カーソンの伝記の翻訳者として著名な上遠恵子氏に、
その原題名をお教えいただき、論文名を北大理学部図書館に告げて、論文入手の希望を依頼された。
その後、図書館同士の資料交換として、カーソンが通っていたジョンズ・ホプキンス大学図書館か
ら同年 10 月に、レイチェル・カーソンの修士論文の写しが無料の PDF で届けられた。こうして、
1932 年の執筆当時における、カーソンの若い情熱や苦心の垣間見られる修士論文を目にすることが
できたわけである。
2006 年末より翻訳を始めたが、レイチェル・カーソンの修士論文は専門的で緻密な内容の「未公
表学術論文」であるため、当初翻訳には様々な困難が生じた。専門用語や、内容に関する問題のほ
か、英語だけでなく、ラテン語(学名)、フランス語、ドイツ語、イタリア語が論文中に頻出するこ
と、また、現代英語と比べやや古風な文体も所々に見られるという言語の問題もあった。非専門家
には難解であるため、カーソンの伝記作家達からも詳細な言及が行われてこなかった内容でもある。
幸いにも、北海道大学大学院理学研究院多様性生物学分野准教授(当時:発生生物学専攻・理学博
士)の栃内新先生とその協力者の方から翻訳の監修と不明な点などについてのご教示・ご指導をい
ただき、着手からおよそ半年くらいかかって翻訳が一応終了した。そして、やはりこの修士論文は
「科学者としてのレイチェル・カーソン」を解く重要な鍵の一つであることを確信するに至った。
加えて言うならば、筆者が関わっている「地下水」は、資源としての側面を持つだけでなく、環
境の構成要素の一つでもある。過剰な地下水揚水や地下水位の低下は地盤沈下を引き起こすのみな
らず、今や地下水水質や土壌の深刻な汚染が生じた地域も世界的にみて拡がってきている。カーソ
ンは『沈黙の春』の第4,5章で地下水・土壌汚染について詳細に議論している。さらに、保全対策
の不十分な開発行為や、ひいては地球温暖化が水辺空間や、湿原地下水などに与える影響は大きい。
「地下水」も含め、環境問題に取り組む人たちにとって、レイチェル・カーソンの主作品の基底に
流れる循環論的思想から得られる様々な示唆は少なくないと思われる。
レイチェル・カーソンの修士論文のタイトルは「アメリカナマズ(Ictalurus punctatus)の胚期お
よび幼生期初期における前腎の発生」(1932)という。魚類の発生初期には前腎と呼ばれる腎臓が使
われる。しかし、幼生期以降にも前腎は腎臓として機能するのか、また、幼生期には別の組織が前
腎のところに集まってくるとされているが、これの果たす機能は何なのかなどが、その当時はよく
わかっておらず、様々な学説間の論争が行われ、混沌とした状況にあった。しかし、24 歳から 25
歳にかけての若きレイチェル・カーソンはこの謎の解明に挑んだのである。
2007 年7月1日から同年 9 月 7 日まで、彼女の生誕百年を記念して「レイチェル・カーソン生
誕百年」のパネル展が北海道大学総合博物館で開催された。このパネル展は、基本的にはレイチェ
ル・カーソン日本協会から貸与されたパネルを中心に行われたものであるが、レイチェル・カーソ
ンの修士論文の翻訳、および筆者が原案を書いた論文概要のパネル展示も行われた。レイチェル・
カーソンの修士論文の存在と、その優れた内容を多くの方に知っていただく貴重な機会となった。
パネル展の期間中、およびその後に、レイチェル・カーソン北海道の会の主催または共催の学習会
と講演会が、北海道大学遠友学舎、北海道大学総合博物館、北海道環境財団・環境サポートセンタ
ーにおいて行われた。筆者にはこの修士論文について講演する機会が与えられ、その内容に対する
貴重なご意見とご討論をいただいた。
本稿は、カーソンの修士論文の全訳および科学史的意義と解説であり、高校生物の発生・免疫・
進化に関わる部分である。加えて、論文中に出てくる魚類の説明を「学名等一覧」として示し、監
修者栃内博士による「修士論文」の意義に関するコメントを付け加えた。本稿が、この修士論文と
科学者としてのカーソンを理解する一助となることを願ってやまない。
レイチェル・カーソンの修士論文
池田光良(監修
栃内 新)
第1章.歴史的経緯
1-1. 沈黙の春と騒々しい夏
レイチェル・カーソンの名作『沈黙の春』が出版された 1962 年、この本で問題視された農薬に
よる環境汚染の真偽をめぐって大論争が巻き起こった。当時のニューヨークタイムズの見出しに
「『沈黙の春(Silent Spring)』が、今や騒々しい夏になってしまった」と書かれたほどの大論争を
引き起こした。彼女への強い反発は、この本が「毒物を無差別に使用することばかりでなく、工
業化した技術万能社会の、自然界にたいする根本的な無責任ぶり(ジェザー(p.13))」を批判してい
たことに根本的な理由があったからである。カーソンの警告した DDT を含む農薬汚染という問題
を取り上げたのは時の大統領だったケネディであり、自分の諮問委員会に『沈黙の春』の基本的
研究を行うように指示した。結局、この委員会が『沈黙の春』の基本概念と内容は、おおむね正
しいであろうと認めるにいたって、初めて農薬規制への道が開かれたという画期的な本だったわ
けである。最高裁判所判事で自然保護論者のウィリアム・ダグラスは『沈黙の春』を、
「人類にと
って今世紀のもっとも大切な記録である」と語っている(ワズワース『レイチェル・カーソン』、
pp.165-166)。
タイム、リーダーズ・ダイジェスト、サイエンスといった有力誌は、当初『沈黙の春』に批判
的な言動を行っていた。ケネディ大統領の諮問委員会が、この本の内容の正しさを大筋で認めた
あたりから、タイム誌の論調が徐々に変わり、出版の数年後、タイム誌はどちらかといえばレイ
チェル支持の方に徐々に変わっていったのだった。
その後 1971 年には環境保護庁が設立されている。委員会の翌年の 1963 年にケネディは暗殺さ
れているので、実際に農薬を規制する法律が施行されたのはジョンソン大統領のあとのニクソン
大統領の頃であり、だいぶ遅れるのだが、それでも環境の時代を切り開いたということで、タイ
ム誌(1999)がカーソンを 20 世紀の最も重要な 100 人の一人、かつ「偉大な知性」の 20 組の一人
に選出している。
1-2. レイチェル・カーソンの修士論文をどう評価していくか
筆者はレイチェル・カーソンには4つの顔があると考えている。第 1 に『沈黙の春』に代表さ
れる環境保護論者としての顔、第2に海洋作家としての顔、第3にその著『センス・オブ・ワン
ダー』に象徴される自然への感性を大切にしようとする人としての顔、そして、第4に科学者と
しての顔である。これらは互いに有機的に結びついて、
『沈黙の春』として結晶しているはずであ
る。さらに、科学者としての厳しくも確固とした基礎がなければ、この本の説得力は生まれなか
ったはずである。第 1 から第3の面については、すでに優れた訳書や研究書が多数、出版されて
いる。だが、従来、ともすれば『センス・オブ・ワンダー』的な世界のみが注目されすぎてはい
なかっただろうか。そして、それがカーソンの評価を歪め、
「きれい事の」世界の人であるという
誤った評価を生んでいる面が全くなかったと、言い切れるだろうか。
カーソンが魚類の発生学の研究者であったことはあまり知られていない。彼女は海洋生物学の
研究者を目指して、当時生物学では世界的なレベルにあったジョンズ・ホプキンス大学の大学院
に入り、先端的な研究を行っていた。だが、カーソンは「海洋生物学者」とも呼ばれる反面、現
在でもカーソンの科学者としての力量に疑問を持つ向きや、カーソンへの批判者が一部には存在
1-1
することも確かである。
レイチェル・カーソンへの批判には次のようなものがある。
・レイチェル・カーソンは科学を否定している。
・レイチェル・カーソンは農薬をすべて否定している。(そのために伝染病が増えたのではないか?)
・レイチェル・カーソンは科学者ではない。
一方、カーソンの業績を全体としては高く評価しながらも、カーソンの科学者としての力量に
疑問を持つ人達も存在する。例えば、水尾一郎氏という山と渓谷社などでガイドブックなどを書
かれている方が、科学史に興味を持って、レイチェル・カーソンについてもいろいろと書いてい
る。全体としてはカーソンを評価しながらも、科学者としては、厳しい言葉を投げかけている。
大学院に入って最初、レイチェルは爬虫類の脳神経の比較研究ということで、ヘビとか、トカ
ゲなどを一生懸命解剖している。レイチェル・カーソンとヘビなどの爬虫類というのは、なかな
かイメージしにくいところではあるが。この研究が行き詰まり、1年間留年することになる。そ
こで研究の行き詰まりを打開すべく、指導教官コールズ教授の示唆で始めたのが、アメリカナマ
ズの腎臓の発生の研究である。
水尾一郎氏は、留年には「カーソン家の経済事情が大きく影を落としてもいたが、これがジョ
ンズ・ホプキンス大学でのレイチェルの評価を低くしたのは間違いなかった。大学研究者として
は失格に近い評価といえた。」
「リンダ・レアは、レイチェルの科学研究の失敗のほとんどすべて
の原因が、折からの大恐慌に発するカーソン家の経済的困窮にあるように書いている。」さらに、
伝記には、レイチェルが卒業したペンシルヴェニア女子大の教師が非常に意地悪で、女性は勉強
なんかしなくていい、という意味のことを言って、生物学の基礎をきちんと指導してくれなかっ
たからだということも書かれているが、
「それはじつはひいきの引き倒しで、レイチェルは現代科
学の研究者としての資質には欠けていたのではないだろうか。
」「分析し、仮説を立て、実証し、
理論を構築するという意味では、レイチェルには科学的創造性がなかったとみてよい」と驚くよ
うなことを書いている(『水尾一郎の自然誌』、レイチェル・カーソン(3))。
『沈黙の春』が出たとき以来、科学者としてはどうなのか、科学的根拠はどうなのかという、
現在に続く疑問や批判が根強くあるのは事実であろう。筆者は、本当のところはどうなのかを知
りたいという希望をかねてから持っていた。そんなとき、カーソンの書いたもののうち、唯一翻
訳されていない修士論文があることを知って、この論文を読み始めたわけである。
修士論文のタイトルは「アメリカナマズ(Ictalurus punctatus)の胚期および幼生期初期におけ
る前腎の発生*」(1932)という。魚類の発生初期には前腎と呼ばれる腎臓が使われる。しかし、幼
生期以降にも前腎は腎臓として機能するのか、また、幼生期には別の組織が前腎のところに集ま
ってくると言われているが、いったいこれはどのような機能を果たしているのかなどが、その当
時はよくわかっておらず、諸説紛々の状況であった。レイチェル・カーソンはこの謎の解明に挑
んだのである。しかし、内容が高度に専門的であり、非専門家には難解であるため、カーソンの
伝記作家達が深くは読みこんでおらず、十分に言及されてこなかった内容でもある。
レイチェル・カーソンの伝記が今まで多数書かれてきたわけであるが、伝記作家の多くが、科
学者としてのカーソンへの評価を避けている点に問題があるように思う。
レイチェルの『沈黙の春』を世に送り出した編集者であるポール・ブルックスも伝記を書いてい
るが、そこには、「
『沈黙の春』が出版されたのち、ある農業会社のスポークスマンは、レイチェ
1-2
ル・カーソンが生物学者として、じゅうぶんな訓練を受けていないと主張した。彼らのためには、
地獄の図書館に、フジツボでびっしりおおわれた椅子をそなえた特別席を設け、鯨油のランプの
光の下で、彼女の修士論文を、大声で読ませたらよいだろう。」(ポール・ブルックス、『レイチェ
ル・カーソン』、p.38)と、いささか感情的なことが書かれているだけである。
それからレイチェル・カーソンの百科事典とも言うべきリンダ・リアの優れた伝記を読むと、
確かにレイチェル・カーソンの修士論文を取り寄せて読もうとしている。しかし、文献表から見
て、序論の2ページと、オクラホマ州から試料を取り寄せた部分(研究試料と方法)しか参照さ
れておらず、その3ページ以外は読みこんでいないものと推定される。また、
「修士論文」に限れ
ば、書かれている内容は必ずしも正確とは言い難い点が見られるのが残念である。例えば、魚類
の前腎(発生初期に現れる腎臓:第 2~4 章参照)は、幼生期初期には”it [pronerhros] lost that
function, disappeard, and later reemerged with another function altogether. (Lear, p.73) ”「や
がてその機能を失い、一旦は消失し、発達のあとの段階でまたあらわれて、まったく違う機能を
果たすようになる(『レイチェル』:p.112)」とあるが、「やがて前腎中の諸器官(前腎室、糸球体
と前腎細管、前腎輸管の前方側の管腔(2-2 参照))が退縮・消失していき、前腎は腎臓としての機
能を徐々に失っていくが、発生のあとの段階では別の組織(リンパ様組織)が前腎の残部に集積
して、[造血など]まったく違う機能を果たすようになる」というのが正確な内容である。「一旦は
消失し・・・あとの段階でまたあらわれ」るわけではない。翻訳自体は優れたものなので、この
部分の原文が生物学的には不正確になっていると思う。また、 ”so-called head kidney, or
pronephros”(いわゆる頭腎、すなわち前腎)という表現も出てくるが、カーソンが「修士論文」
で指摘しているように、前腎と頭腎は区別して使う必要がある。すなわち、頭腎は幼生期になっ
て、魚類が生涯の腎臓である中腎を使うようになったときに、前腎の残部に別の組織(リンパ様
組織)が集積・変化したものをいう(頭部近くにあるのでこう呼ばれる(2-2 参照)。「いわゆる頭
腎」は邦訳では省略されている)。さらに、受精卵が孵化したのち、幼生になるまでの期間を「胚」
と呼ぶが、分かりやすさのためか、これを「卵」と表現している作品もあり、正確とは言い難い。
ジョンズ・ホプキンス大学の広報誌、ジョンズ・ホプキンス・マガジン(Popkin(2013))による紹
介では、
「カーソンの修士論文は、科学的に画期的なものとは言えないまでも、細部にいたるまで、
生物を詳細かつ正確に観察し、記載した学術的成果である。」「科学論文としては権威のあるもの
だが、緻密で難解である。…ぎこちない表現も見られ、カーソンがその後ほどなくして科学作家
となり、優美な文章表現を見せることを彷彿とさせる点はほとんど見られない。とはいえ、光り
輝くほどの独創性があるとまでは言えないものの、研究成果は揺るぎのないものである(筆者試
訳)」と述べ、さらにカーソンの指導教官だったコールズの推薦文(6-3 参照)を引用し、高く評価
している。しかし、この難解さは科学論文として格調の高い文章を書こうとした意識の現れだと
考えたい。
「修士論文」による科学的鍛錬と、かつて目指していた文学的素養が結びついて、優れ
た文学的表現を身につけるのに 4 年(6-2-5(1)参照)、『潮風の下で』として花開くまで、この後 9
年を要するのである。
原著論文を読みこんだ上で、レイチェル・カーソンは科学者としてどうであったかという視点
を含めて検討するのは意義があると考えたのが、本書の執筆の動機である。言葉は悪いかもしれ
ないが、単にきれい事の世界だけでカーソンを評価するのではなく、カーソンを総合的に理解す
るために、この論文を評価するのは避けて通れない道であると考える。
1-3
従って、この修士論文から次の内容などを考えていきたいと思う。
①その後の著作との関連
②海洋生物学者という言い方は正しいか
③レイチェル・カーソンの科学者としての評価
④現在における意義
その前に、まず、カーソンの経歴や、この修士論文を読むための基礎知識から進めたい。
図-1-1 レイチェル・カーソン(1907-1964)
図-1-2 ジョン. F. ケネディ (1917-1963)
* 修士論文のタイトル(The development of the pronephros during embryonic and early larval life
of the catfish (Ictalurus punctatus):「アメリカナマズの胚期および幼生期初期における前腎の発生」)
について
「ナマズの胚子および仔魚期における前腎の発達」などと訳されているが、高校の生物で教えられてい
るように、
「胚→幼生→成体」という基本用語を使うほうがより望ましいと考える。胚とは、受精卵から卵
の中にあって幼生になるまでの期間を言い、幼生とは卵から孵化して、独立に栄養を取り、成長して親(成
体)になるまでの期間の個体のことである。embryonic life は胚期、early larval life は幼生期初期の意。
lives と複数形にせず life と単数形にしているのは、本論文では胚期と幼生期初期を一つの時期として扱
っているためと考えられる。embryonic life は「胎生期」とも訳されているが、魚類は無羊膜類で、ナマ
ズなど大部分では胎盤は持たず、適切ではない。胎盤を持つのは、サメ・エイなどの一部や、ウミタナゴ
など卵胎生の魚だけである。また、
「仔魚期」は発生学ではあまり使われておらず、どちらかと言えば水産
学などで使われる用語である。embryology(発生学)を「胎生学」と訳しているものもあるが、これも適
切ではない。
また、学名が明示されているので、「アメリカナマズ」の方が良く、生物学の本では「アメリカナマズ」
(または「チャネル・キャットフィッシュ」)が多用されている。
development は「発達・発育」、次いで「開発」の意味で使われることが多いが、元来 develop は、
「ヴェ
ールをはがす」意味であり、分野により様々な意味に使われる。例えば、数学では「(立体の)展開(図)」、
音楽では「(ソナタ形式の)展開部」、地下水分野の well development は、井戸を掘削したのち、掘削泥水や
スライムを除去し、スクリーンを洗浄して地下水が良く出るようにする「井戸の仕上げ」を、生物学では「発
生」を意味する。従って、文章の前後関係から、development を「発生」、または「発達」と訳し分けた。
** 「前頭腎臓」という訳語もあるが、
「頭腎」という正しい訳語を使うべきである。
1-3. レイチェル・カーソンの生涯
レイチェル・カーソンが生まれたのは、エリー湖から 200 ㎞ぐらい離れたスプリングデールと
いう小さな町である。これは「春の谷」を意味する。ヴァレーという言葉だと V 字谷や U 字谷な
どの峡谷になるが、デールは台形の形をした幅広い谷、谷平野を表している。
1900 年に父親がここに入居した当時は人口 1200 人、レイチェルが生まれた当時でも人口 2500
人の谷平野内の小さな町であった。現在はピッツバーグの衛星都市として、住宅がびっしりと建
1-4
てこんでいる。カーソンの両親の農場の地下に石炭会社が坑道を伸ばそうとしたとき、彼らは農
村環境への愛着から坑道掘削とその権利金の受領を断った。両親の行動はレイチェルに強い影響
を与えた(ジェザー(pp.24-25))。
『沈黙の春(Silent Spring)』というタイトルは、キーツの詩から取ったとされている。これは
筆者の想像であるが、自分の故郷の本当に美しいスプリングデールの町が、
(鉄鋼業などの影響で)
川も何もかも汚れてしまった。おそらく、そのこともイメージしていると思う。
大学はピッツバーグのペンシルヴェニア女子大(現チャタム・カレッジ)に通った。ピッツバ
ーグはかつて「鉄鋼業の街」として知られていたが、現在は日本や韓国などの鉄鋼業に圧倒され
て、鉄鋼業はかなり縮小され、むしろ、ハイテク・環境・大学・病院の街、となっている。現在、
ピッツバーグ市の人口は 30 数万人。最大時には約 60 万人だったが、現在は周辺に分散している。
レイチェル・カーソンは、最初ペンシルヴェニア女子大学の文学部に入って英文学を専攻して
いたが、生物学に興味を持って、途中で生物学に専攻を変更している。卒業後、ボルチモアへ転
居して、1929 年世界大恐慌が始まる直前に、ジョンズ・ホプキンス大学というアメリカの一流大
学の、生物学科の大学院に入学する。
ジョンズ・ホプキンス大学は、当時、生物学では全米トップクラスと言われていて、モーガン
がショウジョウバエの染色体の遺伝子説を提唱している。最終報告が 1926 年に出ているが、ちょ
うどその年に生物学に興味を持ったということで、おそらくその影響を受けていると思われる。
この大学は、北大の初代学長であった佐藤昌介や、新渡戸稲造も学んでいた世界最初の大学院大
学であり、博士号を出したのもアメリカで最初である。
レイチェルは、
「子どものころから、私は海に思いをめぐらせることに魅了されていました。夢
に見たり、どんな場所か想像したりしていたのです。
」と語っている(『われらをめぐる現実の世
界(『失われた森』、文庫版 p.206)』)。大学院に入る直前に、ウッズホール海洋生物学研究所に短
期留学というのか、講習に出かけて、そこで初めて見た海にすっかり魅了され、のちに水を得た
魚のように、海をテーマとした研究と海洋作家への道を歩んでいくことになる。このとき、のち
の指導教官となるコールズ教授と出会っており(Popkin(2013))、この研究所で海への興味を覚え
ることになる。当初大学院で取り組んでいた爬虫類の研究には、あまり気持ちがのらなかったに
違いない。余談であるが、この研究所は大変レベルが高く、単一の研究所としては、最多のノー
ベル賞受賞者を輩出している。日本からもかなりの数の研究者が行っている。野口英世や津田梅
子もそこで学んでおり、2008 年度のノーベル化学賞を受賞した下村脩博士*が勤務されていた場
所でもある。
カーソンは博士課程を中退後公務員となり、水生生物学者として漁業局に勤務しながら海洋文
学作品を2冊書いた (『潮風の下で』(1941)、『われらをめぐる海』(1951)) 。
『われらをめぐる海』がベストセラーとなって経済的基盤が確立されてからは、15 年にわたる
公務員生活を辞して作家に専念し、
『海辺』(1955)を上梓した。
「レイチェルはこの本を、単に生
物の名前を羅列した」ものではなく、エコロジーの思想を吹き込もうとした(ワズワース『レイチ
ェル・カーソン』、p.113)。1952 年以降、カーソンは「海洋学の研究の現場から離れていたが、
ウッズホール海洋生物学研究所の理事として、つねに最新の研究を把握し、海洋科学者たちとの
連絡も欠かさなかった(『失われた森』、文庫版 146p.)。」そのことが、『沈黙の春』を書く上で大
きな力となった。1959 年から 1963 年まで彼女は、
『沈黙の春』の執筆と、同書への批判との戦い
1-5
に明け暮れた。
「春の谷平野」に生まれ(誕生日は 1907 年 5 月 27 日)、
『沈黙の春』(1962)を書き、ワシントン
郊外の、シルバースプリング(銀色の春)というところでこの世を去った(命日は 1964 年 4 月
14 日)。すなわち、レイチェル・カーソンの人生は「春」と縁の深いものであった。
*池本佐恵子氏が『レイチェル』を翻訳したとき、下村博士は夜光虫についてご教示されたという。
図-1-3 レイチェル・カーソンゆかりの地
・スプリングデール(生誕地:1907.5.27-1925.8)
・ピッツバーグ(ペンシルヴェニア女子大:現チャタムカレッジ:1925.9-1929.5)
・ウッズホール(海洋生物研究所、マサチューセッツ州:1929.7-8)
・ボルチモア(ジョンズ・ホプキンス大学他:1929.10-1934.1-1956)
・デュラント(孵化場:アメリカナマズ試料、1931.9 頃)
・ブースベイ(別荘、1953.7-)
・ダラス(ケネディ暗殺:1963.11.22)
・シルバースプリング(終焉の地:1957-1964.4.14)
・ワシントン D.C.(葬儀)
1-6
表-1-1
レイチェル・カーソン
1907.5.27
1923
1925.9
1928.1
1929.10
1932.6
1934冬
1936.8
1941.11
1951.7
1953
1955
1962.9
1964.4.14
年
表
社会
ペンシルヴェニア州ス
プリングデールにて誕生
パルナサス高校入学
ペンシルヴェニア
女子大学入学
メンデルの法則 (1900
1865-1866 ド・フリースら再発見)
1920-1933
禁酒法時代
1922
(1926生物学に興味)
1926
生物学科に変更
ジョンズ・ホプキンス
大学大学院入学
修士号取得 (1930一家
ボルチモアへ転居)
生物学(遺伝学)
1929.101933
世界大恐慌
1927
1933
ルーズベルト:ニュー
ディール政策に着手
1933
1941
スタインベック
『コルテスの海』
1941-1945
太平洋戦争
シュミット:欧米のウ
ナギの産卵場所発見
遺伝子説*(キイロショウジョ
ウバエ):モーガン
X線による突然変異の発
見:マラー
モーガン :ノーベル医学
・生理学賞
博士号断念 (1935父の死)
漁業局勤務、
(1937姉の死)
『潮風の下で』
『われらをめぐる海』
(1952作家に専念)
米国科学振興協会シンポ
ジウムで講演: 「海辺」
1946
1952
シュヴァイツァー:
ノーベル平和賞
1953
マラー:ノーベル医学・
生理学賞
ワトソン、クリック:
DNAの2重らせんモデル
『海辺』
『沈黙の春』 (1963
シュヴァイツァーメダル )
1963
(ケネディ暗殺)
3
H濃度最大
1962
ワトソン、クリック:
ノーベル医学・生理学賞
シルバースプリングで
死去(56歳)
*メンデルが推定した遺伝要素は染色体に線状に配列している遺伝子である。
1-4. 生物学の研究史の中で
レイチェル・カーソンの学生時代は、1920 年から 1933 年の禁酒法時代にほぼ一致する。レイ
チェルの伝記を読むと、いつのまにか実験室のアルコールが蒸発してなくなっているという話が
出てくる。レイチェルはまじめ一方の人ではなく、けっこう茶目っ気があった人のようだ。これ
はきっと研究室の関係者の誰かが犯人ではないかということで、アルコールの瓶にドクロのマー
クに骨を二本交差させたマークを貼り付け、アルコールに赤い色を付けておいたら蒸発しなくな
ったという話が出てくる(今井清一訳『レイチェル・カーソン-自然への愛』、p.26)。
『沈黙の春』
の 10 章と 11 章に出てくる家庭用農薬売り場に、そのマークを貼っておいたら対策として良いの
ではないかという冗談の元になったのが、
学生時代の経験によるものと思われる。レイチェルは、
このような時代に学生時代をおくったわけである。
一方、生物学、特に遺伝学の流れとしては、1866 年にメンデルの遺伝の法則が提唱され、1900
年ド・フリースらにより再発見されている。黄色ショウジョウバエを用いた実験から、ジョンズ・
ホプキンス大学のモーガンが遺伝子説(表-1-1 の脚注参照)の最終報告を出すのが 1926 年で、こ
の年にレイチェルは生物学に強い興味を持つようになり、専攻を生物学に変えている。レイチェ
ルはどちらかというと、生態学的な方により興味を持っていた可能性が強いが、遺伝学的な分野
でもかなりの影響を受けたであろうと思われる(表-1-1)。
翌年、モーガンはジョンズ・ホプキンス大学を退職してコロンビア大学の教授になるのだが、
その弟子だったマラーが、遺伝子に X 線を当てると突然変異が起こることを発見する。モーガン
もマラーもノーベル医学・生理学賞を受賞し、遺伝学の流れとしてワトソンとクリックの DNA
二重らせんモデルの方につながっていく。こういう流れをレイチェルはどのように見ていたのだ
ろうか。レイチェルは、科学としては認めていたと思う。しかし、これが間違った方向に使われ
1-7
た場合の懸念は強く持っていたようである。レイチェルがワトソンとクリックの DNA 二重らせ
んモデルを知っていたかどうかについては、
『沈黙の春』の 13 章で細胞中のミトコンドリア*の役
割について詳しく述べていることや、ケネディの大統領直属科学諮問委員会(PASC)の顧問をワト
ソンが務めていることからも、ワトソンの説に無関心なことは考えにくく、おそらくイエスであ
ると推定される。加えて、『生物科学について(『失われた森』、文庫版 232p.)』において、「化学
者と遺伝学者の協力によって、遺伝子そのものや遺伝形質を生み出す過程(プロセス)の謎が解明さ
れつつある」と述べていることからも確かであろう。
PASC は殺虫剤の影響を検討したのち、レイチェル・カーソンに会議への出席を求めた。初対
面の印象をワトソンは「完全に冷静で、農業、化学関連のロビーストたちが描いてきた、ヒステ
リックで頭のいかれた自然愛好家という印象はまったくなかった**」と述べている。農務省は、
農薬産業と癒着しており、農薬規制は米国の農業に著しい不利益をもたらすとして PASC 報告書
に異議を唱えた。これに対し、「PASC 代表のジェローム・ウィズナーは断固として譲らず、‘全
体としてはわが国の食品は安全である’という、都合の悪い事実を覆い隠す文言を加えることと、
レイチェル・カーソンがこの問題について社会に警告してくれたことに対する敬意を表した最後
の一文を削除することは拒否した***。」結局、ケネディ大統領は、農薬会社、農務省、食品医薬
品局が農薬の毒性を国民に知らせていないことへの批判を含んだこの報告書を、そのままの形で
公表した。
ワトソンはのちにこう述べている。
「レイチェル・カーソンが主張した事実のいくつかに、彼女
が初め考えていたほど確固たる根拠がなかったことがのちに明らかになったのは確かだとしても
***、人間が製造した合成殺虫剤が食物連鎖を通して急速に広まっており、人類にも危険なレベル
に到達する恐れのあることは真実である。この真実を覆い隠す目的として、化学産業の最終収益
を損なわないこと以上に強力な動機となるものはなかったであろう。****」
* 真核生物の細胞小器官の一つで、細胞が生きるためのエネルギーを生産する役割を果たす。真核生物
とは、動植物、菌類、原生生物など、身体を構成する細胞中に細胞核を有する生物を言う。
**『DNA のワトソン先生、大いに語る』、pp.199-202、**** 同、p.208.
*** DDT の人類への発ガン性は今日に至るまで、「人に対して発がん性が有るかもしれない物質」に分類
されてはいるが、必ずしも顕著とは言い難いとの意見がある。その一方で、血漿中の DDT のレベルが高い女
性は乳がんになるリスクが 5 倍高いことが報告されている(オレスケス & コンウェイ、pp.187-188)。最新
の報告では、54 年間、2 万人以上に及ぶ研究から DDT の胎内暴露によって子供が将来乳がんを発症するリス
クが4倍に高まることを初めて立証したとされている(AFP=時事:2015/6/19 による)。
DDT 禁止がマラリア感染防止に悪影響を与えたという強い批判もある。しかし当時の知見の限界や、これ
らの批判を部分的に認めたとしても、DDT などの農薬による環境への汚染、
および人類も含めた生態系攪乱、
DDT に耐性のある害虫の大量発生は事実である。また、カーソンが農薬など人工化学物質による汚染防止や、
米国環境保護庁を初めとする各国の環境保全機関の設立を含めて、環境の時代を切り開いた功績は、その難
点をはるかに上回ることは言うまでもない。DDT が短期的にはマラリアや発疹チフスの予防に役立ったのは
事実としても、長期的かつ総合的な功罪では、マイナスなのは確かである。
1970-80 年代以降、DDT の使用は、先進国では禁止されている。一方 DDT は、安価な殺虫剤であり、現在
でも中国やインドで生産され、一部の発展途上国における農薬用として輸出されている。このため猛禽類や
水棲生物等の生態系破壊が続いており、DDT に耐性を持つ蚊の増加を招いている。
2006 年より WHO は、発展途上国におけるマラリア発生のリスクが DDT 使用によるリスクを上回る場合、
マラリア予防のために DDT を室内で限定的に使用することを認めているので、DDT 規制がマラリア増加を招
いたというカーソン批判は正しくない。マラリア根絶が発展途上国でうまくいかなかった最大の理由は、む
しろ蚊が薬剤耐性を獲得したことによるとの意見も強いのである(オレスケス& コンウェイ、pp.178-181)。
そして WHO の推奨するような使用法は、採用するにしても暫定的なものとされるべきであり、本当に人体へ
の影響が少ないのかどうか、十分なモニタリングがなされるべきである。実際、米国立衛生研究所などの研
1-8
究チームは 2013 年 8 月、蚊が媒介するマラリア予防ワクチンの臨床試験で画期的な成果が出たと発表した。
マラリア用のワクチンを開発することが将来的には本筋となろう(4-4、4-5 参照)。
**** ワトソンは、ケネディ大統領には化学産業と利害関係がなかったので、農薬規制につながる報告書
を提出できた。しかし、当時アメリカの綿花産業で問題になっていた綿害虫対策に研究資金を出すべきだと
いう勧告は骨抜きにされた。これは後任のジョンソン大統領には綿栽培者との政治的な繋がりがあったため
である、という意味のことを述べている(前掲書 pp.203-206,210)。
さて、話は元に戻るが、レイチェルは 1926 年に生物学に興味を持って文学から生物学へ転向し、
1929 年 10 月にジョンズ・ホプキンス大学の大学院に入学する。だが、その数週間後の、10 月 24
日に世界大恐慌の始まりである「暗黒の木曜日」が起こって、苦学を強いられるようになる。
カーソンが当初取り組んだ爬虫類の脳神経の比較研究は、テーマ自体が難しい上に、試料の入
手困難などの事情で挫折する。指導教官コールズ教授に相談したところ、魚類の「排泄器官の発
生学的発達を研究することで、成体の頭腎の持つ性質について、論拠を示せるのではないか(邦訳,
pp.1-2)」との示唆を受け、彼女は魚類の腎臓の研究を始めた。
魚類の発生初期には前腎と呼ばれる腎臓が使われる。しかし、幼生期以降にも前腎は腎臓とし
て機能するのか、また、幼生期には別の組織が前腎のところに集まってきて頭腎と呼ばれる器官
に変化するが、この器官の果たす機能は何なのかなどが、その当時はよくわかっておらず、様々
な学説間の論争が行われ、混沌とした状況にあった。これに対し、アメリカナマズを研究例とし
て、どの説が妥当なのかを研究することにしたのである。
カーソンは、パートタイムの大学助手をしながら、なんとか頑張って経済的困難を乗り越え、
1932 年 6 月に修士号を獲得する。しかし、その後博士課程に進んで挫折してしまうことになる。
最大の原因は、世界恐慌後父親が失業し、経済的苦境に陥ったことにある。1930 年には、スプリ
ングデールにあった家を担保に入れて、父母と姉を支えながら研究を続けるのだが、結局その家
も売り払い、一家はジョンズ・ホプキンス大学のあるボルチモアに移住する。父が亡くなってか
らは博士課程を中退し、さらに姉が亡くなったあと、公務員試験に優秀な成績で合格した。二人
の姪を養いつつ漁業局に水産生物学者として勤務している (1957 年には姪の息子を養子にしてい
る) 。カーソンの上司であるエルマー・ヒギンズはのちに DDT が野生生物に悪影響を与えること
を報告し、さらに人間に及ぼす影響を確かめようとした(ジェザー(p.105))。
レイチェルは博士課程に進んでからは、ウナギの研究を始めていた。実は 1922 年にデンマーク
のシュミット博士が大西洋のサルガッソー海でウナギの幼生を発見し、後にヨーロッパウナギ、
アメリカウナギともに、この海が産卵地であることを明らかにしていた。この発見も生物学への、
そして海への探求心を呼び起こしたものと思われる。また、ボルチモアの家は、アメリカウナギ
が遡上してくるチェサピーク湾までわずか2マイルの地点にあったことも、このテーマを選んだ
理由の一つであることは想像に難くない。
博士号取得断念(1934 年)、父の死(1935 年)姉の死(1936 年)を乗り越え、『チェサピーク湾のウ
ナギはサルガッソー海をめざす』(1938、
『失われた森』所収)という作品や、彼女の処女作である
『潮風の下で』が 1941 年、太平洋戦争の始まりである真珠湾攻撃の3週間前くらいに出版される。
その中の第3章・13 章・15 章でウナギが出てきており、特に第3部は、
『チェサピーク湾のウナ
ギはサルガッソー海をめざす』を発展させたもので、ウナギを主人公にした物語となっている。
さらに「修士論文」で議論されている魚がウナギを含めて 15 種出てきている(2-6 参照)ことから
も、この作品は完成されなかった博士論文のかわりに書かれたと言っても過言ではないであろう。
1-9
その後は、周知のように海洋作家として活躍したのち、1962 年に『沈黙の春』を出版することと
なる。
一方でレイチェルは原水爆等による放射能汚染を相当に懸念していた。彼女はマラー博士を高
く評価していて、
『沈黙の春』第 13 章の中に、マラーの発見した X 線による突然変異の話を引用
し、また、「環境の汚染」という講演(『失われた森』所収、文庫版 p.332)でも放射能の影響につ
いて述べて警告を発している。ケネディ大統領の頃の 1963 年から 1964 年にかけては、大気中の
水爆実験により水素の放射性同位体であるトリチウム(3H)やセシウム 137(137Cs)が世界中にばら
まかれ、放射能汚染が最も大きかったときである。今でもトリチウムの残量による地下水の年代
測定や、セシウム 137 の残量による土壌の堆積速度の測定が行われているくらいである。その時
代に『沈黙の春』は書かれている。
なお、次のコラムでは、カーソンと同時代に生き、同様の自然観を持って海洋文学かつネイチ
ャー・ライティングの作品も残したスタインベックについて述べる。
1-10
コラム
環境の人々(1)
ジョン・スタインベック(1902-1968)
ジョン・スタインベックは、1962 年度のノーベル文学賞受賞者(ワトソン、クリックと同年に受賞)で、
『怒りの葡萄』『エデンの東』『二十日鼠と人間』などの作品で知られている。レイチェル・カーソンと
直接の接点はないが、同時代人として様々な点で彼女との共通性が見られる。
第 1 に、スタンフォード大学文学部入学後、海洋生物学を学び、彼の文学に生かした。
第 2 に、海洋文学『コルテスの海』(1941)がある。コルテスの海とは、世界最長(約 1100km)の湾で、
世界自然遺産でもあるカリフォルニア湾のことである。ある大きな発見や進展は数名の人間によって同
時に行われることも多い。これは海洋文学にも言えることで、カーソンの『潮風の下で』と スタインベ
ックの『コルテスの海』はほぼ同時期に出版されたのであり、まさに時代の要請であったのであろう。
戦争の暗雲が立ちこめる時期に、透明感に富む文章は読者にとって一服の清涼剤となったに違いない。
海洋生物学者エド・リケッツと交流し、
『怒りの葡萄』のジム・ケーシーなど彼の代表作中にもリケッツ
をモデルとした人物が出てくる。のちに(1951 年:カーソンの『われらをめぐる海』出版の年)、この
本は踏切事故で亡くなったリケッツへの追悼文を添え、海洋生物学調査の部分を削除して、
『コルテスの
海航海日誌』として再版されている。
第 3 にスタインベックの主著『怒りの葡萄』は、旧約聖書の「出エジプト記」がその根底にあり、こ
れを 1930 年、世界恐慌後のオクラホマ州に置き換えている。主人公の一家は、レイチェルがアメリカ
ナマズの試料を得た孵化場に近いレッドリバーに沿って、緑なすカリフォルニアを目指す。同年、レイ
チェル一家は、経済的苦境でスプリングデールを離れ、職を求め、レイチェルの通うジョンズ・ホプキ
ンス大学のあるボルチモアへ転居、レイチェルとともに一軒家に住むことになる。これはレイチェル一
家にとっては、小規模な「出エジプト記」とも言えるものであった。
『怒りの葡萄』では、一家の移動の原因として資本主義社会の矛盾に力点が置かれているが、加えて
「自然の猛威」による不作が描かれている。北米中部の半乾燥地帯は、本来短い草などが生えている土
地であり、自然条件に適しない作物を耕作したことが、不作の根底にはある。スタインベックは、生態
学的な資質を持ちあわせた作家だったと言えるだろう。カーソンは『野生生物のための闘い』というエ
ッセイで、1930 年代に乱開発により砂嵐の被害を受けた地域―「黄塵地帯 (ダストボール)」の植林による
土壌水分の回復を望んでいるが、これはスタインベックと同等な視点と言えよう。
第 4 に、ホーリスティック(全体論的)な観点がスタインベック文学の根底をなしていることである。
彼は自分の思考法を「非目的論的思考」と呼んだ。これは「生きた現実」を人間中心主義、固定概念・
先入観を排して「ありのまま」に観察し、全体像の一部として受け入れる思考法である。
「潮だまり」の
生物たちを正確にミクロ的世界として観察し、大きな世界へのマクロ的発展へ向かう思考法でもある。
スタインベックの作品は、海洋生物学・生態学で培った個々の登場人物に対する ミクロな視点と、それ
を発展させたマクロな歴史的視点が全体論的な観点として統合されているところに、その特徴がある。
スタインベックは、
「潮だまり」の生物たちから出発してダーウィンの進化論、アインシュタインの相対
性理論、ディラックの量子論まで想いを馳せている。ビーグル号に乗ったダーウィンの言葉を引用し、
「朝になると何もかもが喜びに満ち溢れているように見えた。」「乾いた大気。燦々と輝く太陽。青く
澄みわたる大空。大自然が生き生きと躍動しているようだ」と
ダーウィンが述べているのに対し、
「あまりに素晴らしかったの
で、ありきたりだが的確な形容詞で、高揚した気持ちを百年の
時 空 を 越 え て 伝 え る こ と が で き た の だ 」 ( 『 コ ル テ ス の 海 』、
pp.291-292) と評している。
このような全体論的思考法は、ゲーテ、ダーウィン、カーソ
図-1-4
ジョン・スタインベック
ンと続く人物系譜に繋がるものである。これについては第 5 章
で詳しく議論する。
1-11
第2章
レイチェル・カーソンの修士論文を読むための基礎知識
レイチェル・カーソンの修士論文を読むためには、生物学的な基礎知識が必要になる。第 2
章では、それについての解説を行った。
2-1. 動物の発生反復説について
反復説(発生反復説)は、動物学者のヘッケルによって唱えられた説で、
「個体発生は系統発生
を繰り返す」というものである。図-2-1 の一番上に示したように、胚(受精卵が幼生になるまで
の期間:2-3 参照) のときには、魚から哺乳類まで、どの種類も同じような形態の時期があり、
鰓裂( さいれつ:えらの裂け目)と尾を持っている。これは生物進化の跡をたどっていると見なせ
る。人間も妊娠初期に似たような時期があって、そこから成長していく過程で各動物がそれぞ
れの形になっていく。この説には、個体発生と進化の関係に目を向けさせる先駆的役割を果た
し、後世に与えた影響が大きい反面、ヘッケルは自説に都合の良い解釈をしている部分があり、
また例外もあるため、ヘッケルに対する強い批判もある。現在では、ヘッケルの説は比喩的表
現にすぎないとする意見と、最新の知見からヘッケル説に真実の一端を見出そうとする二つの
立場があるようである。動物の腎臓においてもこのような系統発生的傾向が見られる。カーソ
ンは、生物進化を考える際のキーワードとして腎臓が非常に重要であると考えていたようで、
指導教官の教授が示唆したテーマとレイチェルの海への想いが合致して、アメリカナマズの研
究に取り組んだわけである。
鰓裂:現在では、ヒトの第 1、第 2 鰓弓は耳
小骨に、第 3、第 4 鰓弓は発声や、嚥下に関
わる部分になることが分かっている * 。
図-2-1
脊椎動物の個体発生の比較
(ウィキペディア(ヘッケルの項:原図はヘッケル著『ヒトの進化』参考にして作成)
2-1
* 鰓列中の盛り上がりの部分である鰓弓の数は、ヌタウナギ類 6~14 対、ヤツメウナギ類 7 対、軟骨魚類 6 対(ま
れに 8 対)、硬骨魚類・両生類・爬虫類 5 対、鳥類・哺乳類 4 対である(Yahoo 百科事典。硬骨魚類では前 4 対に
呼吸に関わる䚡弁を備え、第 5 対はこれを欠く(矢野(1995),p.178)。)しかし、ヘッケルの図では鳥類と哺乳類
も 5 対として描かれている。個体発生中の共通部分にのみ着目して、その相同性を議論すべきであるという意見
も根強くある。「造血細胞性の骨髄」については、4-3-1 参照。
2-2. 前腎について
図-2-2 は腎臓の発生の模式図であるが、最も初期の段階に発生する腎臓が前腎である。そ
の後、中腎が生じ、最後にヒトを含む哺乳類などの成体が使う後腎と呼ばれる腎臓が生じる。
最初にできる前腎は非常に単純な構造をしていて、大動脈から血液が糸球体と呼ばれるとこ
ろに送られる。糸球体とは毛細血管が毛糸の玉を巻いたような形をしているので、こう名づけ
られている、いわば濾過器である。前腎を使っている段階では、前腎輸管と呼ばれる排出管が
あって、そこへ尿が排出される。前腎の濾過率はあまり高くなく、入ったものの多くは出てし
まうような構造である。その後、前腎は徐々に退化して、ネフロン*と呼ばれる糸球体を持っ
た構造が数十個からなる中腎ができてくる。前腎輸管の後方側(図では下方)が中腎の排出管
として使われ、中腎輸管(ウォルフ管)と呼ばれている。その後、尿管芽という芽体**が出て
きて成長し、後腎という高機能の腎臓になる。受精卵は、胚→幼生→成体、と成長していく。
胚:卵の中にあって次々に分割を繰り返して受精卵から幼生になるまでの期間の個体。
幼生:卵から孵化して独立に栄養を取り、成長して親(成体)になるまでの期間の個体 (カエルな
らオタマジャクシ)。
成体:性的に成熟した、すなわち子孫を残せる機能を備えた個体。
大部分の魚類は、発生の初期、胚期には前腎を使い、幼生期以降、前腎は退化して中腎を生涯
の腎臓として使い、後腎は生じない。無羊膜類(羊膜のないグループ)、すなわち魚類と両生
前腎
ネフロン1~数個
中腎
ネフロン10~50 個
(ヒトの 約7対の痕跡的な前腎細管ができ
場合
るが前腎輸管ができたのち退化。
第 4 週に発生。暫定的。
腎臓として機能する。
図-2-2
後腎
ネフロン100 万個
第 5 週初めに発生し始め、)
第 6 週に機能し始める。
脊椎動物の腎臓の発生
2-2
魚類:発生の初期には前腎を、中腎を生涯の腎臓として使用。爬虫類以上の脊椎動物:発生の初期に進
化の名残りの前腎・中腎の時期を経て、高機能の後腎を生涯の腎臓とし、水分を体内で有効利用。
* ネフロン:糸球体とそれを包むボーマン嚢と呼ばれる袋を合わせて、腎小体という(マルピーギ小
体ともいうが、脾臓のマルピーギ小体との混同を避ける必要がある)。さらに、腎小体と、それに連なる
細尿管を合わせてネフロンと呼び、これが腎臓の構造上の一単位となる。細尿管は尿細管、腎細管(前
腎では前腎細管、中腎では中腎細管)とも呼ばれ、水分の再吸収、イオンの吸収または排出が行われる
(2-4 参照)。
** 尿管芽のように、ある器官が成長し始める小突起を植物の芽にたとえて、芽体と呼ぶ。
*** 「バリンスキー発生学」, 414p.
類は同様であるが、羊膜類(羊膜があるグループ)、すなわち爬虫類・鳥類・哺乳類では、発
生の初期には中腎を使って、後腎を生涯の腎臓として使う。軟質魚類(サメ・エイ類、ギンザ
メ類など:図-5-1 参照)と、は虫類以上では、前腎は初めから退化痕跡的で機能を持たない。
発生の初期に無羊膜類では前腎が、羊膜類では前腎と中腎ができる時期があることは、ヘッケ
ルの言う系統発生に当ると見なすこともできよう。
魚類の腎臓は鰾 (うきぶくろ)の背面にあり、体腔の背側の壁を脊椎骨に平行に後方へ伸びる左
右一対の細長い器官である。前腎は幼生期には退化して頭腎となる(図-2-3)。そして、その
尾側のところが体腎と呼ばれる部分である。これは中腎でもあり、魚類の一生の腎臓となる。
胸腺
頭
腎
側
体腎側
●●
鰾
スタニウス小体
図-2-3
魚類の腎臓の概略位置
*スタニウス小体:硬骨魚類のうち、全骨類と真骨類に特有な内分泌線で、血中カルシウムの低下
に関わる。
この頭腎と呼ばれる部分について、1930 年代には定説はなく、様々な学説間の論争が行わ
れていた。レイチェルは、アメリカナマズを用いて、次のような諸問題に取り組んだのである。
1.真骨類*の腎臓は、幼生期には頭部付近にある頭腎と後方に伸びる体腎に分かれるが、前
腎のあったところに生じる頭腎は胚期の前腎の痕跡器官なのか?
2.中腎が形成された後、幼生期や成体になっても前腎が持続性を持ち、前腎を腎臓として
使い続けるのか? そうではない場合、いつまで魚類の腎臓機能を持ち続けるのか?
2-3
3.前腎の糸球体の収納場所である前腎室は、どのように形成されるか。また、前腎と中腎の
できかたには相同性があり、同様な形成過程と言えるか?(相同の本来の意味は、クジラの胸ビレ、鳥
の翼、哺乳類の前足のように、本質的には同じ器官と見なせることをいい、その器官を相同器官という。
「修
士論文」では、ある器官または組織のでき方と構造が本質的に同等であるとの意味で用いられている。)
4.胚期の前腎中にも少量存在し、胚期後期から幼生期に、前腎のところに集積してくるリンパ
様組織と呼ばれる組織の役割はどういうものなのか?
5.前腎には大動脈から前腎の糸球体に血液が送られているが、幼生期では循環形態が違ってき
て、次のような血液循環となるが、1~3のことと何か関係があるのか?
(胚期): 動脈→前腎→後主静脈
(幼生期):静脈→中腎→後主静脈
以上に対するカーソンの見解については、第 3 章で詳しく述べることとする。
*真骨類:条鰭(じょうき)綱 新鰭亜綱 真骨区に属する魚類の総称。条鰭綱の中の 3 つの大きなグループで
ある軟質類(チョウザメ)・全骨類(アミアなど)・真骨類のうち最も後の中生代三畳紀になって出現した。
現生魚類の中の大多数を占める代表的な魚類で、40 近い目と 2 万種以上(魚類の 90%以上)を含む。
魚の腎臓には多様性があって、様々なタイプがある。図-2-4 はその一部であり、埼玉大学の研
究者だった小川瑞穂博士が分類したものである。
1番目がウナギ、2番目がナマズで、一番上の突き出た部分が頭腎、すなわち、元は前腎のあっ
た場所である。それから3番目がボラ、4番目がキアンコウの腎臓である。より原始的なものには
サケやニシンなどがある。これらでは左右の腎臓が完全に癒着したような状態になっている。
左右の腎臓が開いている方が、どちらかというとより進化している場合が多いと考えられている。
図の①から④に向かって徐々に開いていく。アンコウは、一見原始的な魚に誤解されそうだ、実は
左右の腎臓が分かれていて進化した種類であることがうかがわれる。
左右の腎臓が分離する理由としては、おそらくフェイルセーフ(fail safe)の意味があるのではな
いかと言われている。フェイルセーフというのは、飛行機などでもそうだが、どこか一つ壊れても
別の機能をつけておいて安全を守るという考え方である。左右に分かれているから、どちらかが破
(注)腎動脈が前腎の痕跡と考えられている。
血液の腎臓への供給は主に、前腎段階:動脈から、中
腎段階:静脈から、となる(Carson(1932)-8p.参照)。
図-2-4
硬骨魚類の真骨類の腎臓の外形 (Ogawa(1961)より選択・加筆修正)
①ウナギ、②ナマズ、③ボラ、④キアンコウ(無糸球体腎魚) :①②は左右の腎臓の融合が不完全、③はさら
に不完全、④は完全に分離、頭腎を区別しにくい。このほか、左右の腎臓が完全に融合しているもの:サケ、
ニシンなど。カーソンは②ナマズの腎臓の細い部分を腎臓間空間と呼んだ(6,7 日目:邦訳 pp.36,37,39)。
2-4
損しても片方はまだ壊れていないので何とか大丈夫であるが、癒着していると一度に両方が壊れて
しまう危険性が生じる。
特殊な例として、アンコウの仲間などは無糸球体腎魚と言って、糸球体が消失している。糸球体
は濾過器なので、濾過器がたくさんある方が進化しているように思えるが、必ずしもそうとは限ら
ない。アンコウは深海に適応して、せっかく体内で海水から造った水が出て行かないように糸球体
が退化(進化?)したと考えられている(2-5 キアンコウの所も参照されたい)。
2-3. 胚の構造
レイチェルの修士論文は、受精卵から要請になるまでの期間、すなわち胚の構造をよく頭の中に
入れておかないと理解が困難なので、まず胚の構造について説明する。
図-2-5 は高校の生物の教科書に出ている発生の状況であり、発生のモデル動物として、ニワト
リ、カエル、ウニなどがよく用いられている。受精卵が胚と呼ばれる時期になると、最初、球形を
していたのが、徐々に繭(まゆ)のように伸びてくる。6.の原腸胚と呼ばれる時期には、胚の内側の内
胚葉と呼ばれる部分に、卵黄が変形して腸管ができ、内臓ができてくる。ニワトリでは、卵黄の中
心よりやや上、カエルではそれよりやや上にできるが、レイチェルの論文ではアメリカナマズの腸
管は、でき方は同じだが、もっと上の脊索とよばれる部分の直下に細胞がコード状に凝集してでき
ていくことが報告されている(2 日目)。7.は神経胚と呼ばれる神経管(後述)ができる段階を輪切
りにしたものである。それから 8.は尾芽胚と言って、もう少しで幼生になる段階である。図中の前
腎細管とは、前腎でろ過した尿から水分を再吸収し、尿を前腎輸管へ送って、後方で排出するため
の器官である。
図-2-6 も同様な図であり、尾芽胚の原基、すなわち、ある器官のもとになる部分を示している。
胚の部分は植物にたとえて、
「ある拡がりを持っている部分」は‘葉’、
「一連の連続したものが部分・
部分に分かれているところ」は竹にたとえて‘節’と呼ばれる。例えば、
「外胚葉」は「胚の外側の
部分」を、「腎節」は「腎臓のできるところ」を意味する。
胚の構造は外から中心に向かって海苔巻き状になっており、外胚葉・中胚葉・内胚葉と呼ばれて
いる。外胚葉は皮膚や様々な感覚器官になる。外胚葉の一番上に神経管と呼ばれる部分(修士論文 図
-11,12,20~26 に認められる)があって、これから脳や脊髄・神経系統が造られていく。
その下の中胚葉の脊索は、のちに等間隔に並ぶ体節と呼ばれる部分の硬節というところから脊椎
などができるまでの、言わば土木構造物の仮設構造物のようなものである。原索動物のナメクジウ
オには脊椎骨がなく、一生を脊索だけでおくるが、脊椎動物の脊索は後に退化し、椎骨間の椎間板
の一部をなすゼリー状の物質(髄核という)となり、椎骨同士をスムースに動かす役割を果たすよ
うになる。従って、椎間板を痛めると、かつて脊索であった髄核が神経を圧迫するようになってし
まう。これが椎間板ヘルニアである。体節という部分からは脊椎骨や筋肉ができる。内胚葉からは、
消化管・呼吸器、あるいは甲状腺などができていく。
それから上下方向には、上から上分節、中分節、下分節に分かれる。腎臓は中胚葉中分節の腎節
と呼ばれるところからできる。これは「中間中胚葉」、カーソンの論文中では「中間の塊(intermediate mass)」、また「中間細胞塊(intermediate cell-mass)」(岩波生物学辞典)とも呼ばれてい
る。次に、下分節の側板からは循環系ができる。側板は体壁側にある体壁板と、内臓側にある内臓
板の 2 層構造をしており、その間の隙間を体腔(内臓腔)と呼ぶ。これらはカーソンの修士論文の
議論における重要な箇所である。
2-5
図-2-5
カエルの発生
(水野丈夫・浅島誠編「理解しやすい生物Ⅰ・Ⅱ」,pp.96,99 を参考にして作成)
Ⅰ:上分節、Ⅱ:中分節(「中間の塊」)、Ⅲ:下分節、Ⅳ:腎節板、Ⅴ:体節板
図-2-6 尾芽胚の器官原基の由来
(岩波生物学辞典、「理解しやすい生物Ⅰ・Ⅱ)」, p.99 などを参考に作成)
体腔と呼ばれる体内の空洞は、カーソンの論文中では「内臓腔」と表現されていることも多い。ニワトリ
では、腸管(消化管:中心付近の穴の部分)が卵黄の中心やや上に近い所、カエルはもう少し上にできる。
ナマズは卵黄の上の方に「細胞がコード状に凝集して」できる(レイチェルの発見)。いずれも基本的なでき
方は同じである。
2-6
2-4. 魚類の腎臓の機能
-排泄と浸透圧の調節
魚は水中にいるのに、なぜ水ぶくれにならないのだろうか? また、海の魚は塩水中にいるのに、
なぜ体内が塩辛くならないのだろうか?レイチェルも同じような疑問を持っていたようである。こ
れは魚類に優れた防水機能があることのほかに、腎臓による塩分調節機能が働いているためである。
海棲の魚は、塩分を鰓(えら)で排出し、残りの塩分の少なくなった水をさらに腎臓で濾過して体
内の水分中の塩分濃度を保っているので塩辛くはなく(図-2-7)、細尿管で水分を再吸収するととも
に、2 価のイオン(マグネシウムイオン、カルシウムイオン、硫酸イオン)を排出するので、尿の
量も非常に少ない。表-2-1 は、ある単位で示した糸球体の濾過量であるが、金魚が約 330 なのに
対し、カレイは約 14 とはるかに少ない。魚の表面はきわめて高性能な防水構造になっているが、
それでも多量の水が体内に入ってくる。淡水魚は鰓で塩分を吸収し、細尿管(腎細管)で水分を再
吸収する。多量の水を腎臓で濾過するため、海の魚よりかなり尿の量が多くなる。ウナギの場合、
室内実験値であるが、淡水の中にいるときに糸球体濾過量が約 85 だったのが、海水に入れておく
と 20 日間で約 15 まで減ったことが報告されている(表-2-1)。
図-2-7 硬骨魚類の浸透圧調節機能
(岩田・平野(1991)、
「理解しやすい生物Ⅰ・Ⅱ」,p.215 を参考に加筆して作成)
(カーソンは前腎輸管の融合した部分を膀胱と呼び、膀胱から肛門までの発生の様子を検討している。)
表-2-1 硬骨魚類の尿量と糸球体濾過量(GFR)
尿量
(内田清一郎,1970:魚類生理学概論, p.113)
魚種
環境水
キンギョ
淡水
329±9.6 (189個)
490±16 (189個)
ウナギ
淡水
84.5±9.9 (11個)
111±12 (11個)
ウナギ
海水(移行20日後)
15.1±2.1 (7個)
24.8±5.2 (7個)
カレイの一種
海水
14.4±1.2 (73個)
57.6±6.5 (39個)
(mL/kg・日)
GFR (mL/kg・日)
[(
)内は試料数]
ここで、鰓(えら)と塩類細胞の機能について述べる。魚の鰓(えら)は、通常左右 5 列からなり、そ
れぞれの鰓の間では、鰓弓(さいきゅう:図-2-1 参照)と呼ばれる 4 列の支柱状の構造から、鰓弁(さい
べん)が後方へ左右交互に V 字型に伸び、さらに鰓弁には二次鰓弁と呼ばれる襞がついている。鰓弁
と二次鰓弁にはそれぞれ、海水型および淡水型と呼ばれる塩類細胞が発達しており、サケやウナギ
のような回遊魚は両タイプの塩類細胞を持ち、次のようにそれぞれ海水と淡水中で使い分けている。
海水型塩類細胞:主に鰓弁上に発達。過剰の Na+、Cl-を排出。
淡水型塩類細胞:主に二次鰓弁上に発達。Na+、Cl-、Ca2+の吸収に関与。
これが、回遊魚が塩淡両環境で生息できる大きな理由の一つである。そして、さらに腎臓で二度
目の濾過を行っているのである。
東京工業大学の中田勉・広瀬茂久(2005)*の両氏は、次の知見を得た。淡水ウナギの血中硫酸イ
2-7
オンが、海水ウナギのそれの 20 倍以上に達するのである。体内の浸透圧を保つため、血液中の陰
イオンを一定に保つことは、必要不可欠である。一般の淡水魚は莫大なエネルギーを使って、淡水
中から陰イオンとして微量しかない塩化物イオンを取り入れている。しかしウナギは、塩化物イオ
ンに変えて陰イオンとして硫酸イオンを用いている。著者達によれば、硫酸イオンは塩化物イオン
に比べて、環境中から取り込むのが容易だとされている。また、硫酸イオンはアミノ酸などの副産
物として生成するので、体内からも取り込める。結果、他の淡水魚に比べ、淡水に適応するのにエ
ネルギーが少なくてすむことになる。また、淡水ウナギでは細尿管中の硫酸イオン輸送体が増えて
細尿管から硫酸イオンを再吸収し、海水ウナギでは硫酸イオン輸送体がほとんど消滅して、硫酸イ
オンを排出していることも分かった(図-2-8、2-9)。なお、図-2-9 の陰イオンの量から、濾過率
はヒト>ウナギ>アンコウであることが読み取れる。アンコウは深海に生きるため、糸球体がなく、
体内の水の塩分濃度がやや高い状態で生きていることが分かる。
図-2-8 淡水ウナギと海水ウナギの腎臓の働きの違い
(中田、広瀬(2005):
ウナギが川にのぼる謎が解けた!(ウナギのユニークな淡水適応戦略) に基づき作成)
図-2-9 血液中の硫酸イオンと塩化物イオンの濃度
-
(中田、広瀬(2005)に基づき作成)
2-
他の魚と違い、ウナギは Cl の代わりに SO4 の量を変化させて海水と淡水に適応している。
* この二人の研究者は、日本の電気工学の開祖はエレキテルを発明した平賀源内であり、「土用丑の日」に
ウナギを食べる習慣を始めたのも平賀源内だとの説がある(これは諸説の一つにすぎず、根拠に乏しいらしい
が(黒木真理編著(pp.205-206)))。よって、東京工業大学でウナギの生態を研究しているのは、何ら不思議で
はない、と言っている。
2-8
なお、魚類の腎臓には、このほかに造血、副腎、免疫の機能があるが、これについては第 3 章、4
章で詳述する。
レイチェル・カーソンは、魚類の腎臓に関する修士論文の研究後、博士研究として、最も興味を
持っていた魚の一つであるウナギの回遊のメカニズム、特に塩分濃度の変化がウナギの行動に与え
る影響を調べるために、水槽でウナギを飼っていた。生物で修士号をとった親友のドロシー・フリ
ーマンと水槽のそばで楽しく語り合ったという話が伝記に出ている(リンダ・リア『レイチェル』、
p.114)。また、
『潮風の下で』(p.233)では、海から戻ってきた「ウナギたちのなかには塩気をふくん
だ広い河口でうろうろしているものもいた。彼らは若い雄のウナギで、淡水という不思議な状態に
とどまって近寄れないのである」とあって、このときの研究のことが生かされている。
今後もウナギの生態に関して様々な謎が解明されていくことだろう。レイチェル・カーソンもウ
ナギの謎に取り組もうとしていたのだが、時代的に機が熟していなかったのであろう。
2-5. レイチェル・カーソンの修士論文に出てくる魚
レイチェルは、研究前にほとんどの関連論文を読破するつもりで、2,400 ページ以上も文献を読
破したという大変な勉強家である。1851 年に遡り、1931 年までの 80 年間にわたる詳細な研究史が
全部で 52 ページにわたって展開されており、初期の研究者であるヒルトル(=ヨーゼフ・ヒルトル)
が、アンコウの仲間で頭腎と体腎を取り違えてしまったところから書き始めている。
レイチェルは修士論文中で、サケ属(サケ・マス)・ワカサギも含めると 47 属 28 種について言及
している(2-7 章の学名等一覧参照)。以下、議論の対象種のうちの 10 数種類について解説する。
アメリカナマズ:レイチェルにアメリカナマズの研究試料を送ってくれたデュラント孵化場の近
くを、ミシシッピー川の支流レッドリバーが、テキサス・オクラホマの州境いを通って東流してい
る。「赤い河の谷間(The Red River Valley)」という有名な歌に出てくる川であり、ロッキー山脈方
面から、茶褐色のシルト分が流れてくるので、その名の通り赤い色をしている。赤い河の谷間を遡
ってカリフォルニアに行く物語である、スタインベックの『怒りの葡萄』の舞台でもある。ジョン・
フォード監督が映画化した作品(1940)の中では、この曲が主題曲として使われていた。デュラント
孵化場周辺は、現在アウトドア派のメッカの一つになっている。
アメリカナマズは、成長の早い大型の魚で、最大 1.3mに達するという(北大水産学部の試料の
説明による)。アメリカナマズは鋭い目つきをしている。それに対し日本のナマズは、ビワコオオ
ナマズなど、正面から見ると非常に愛嬌のある顔つきをしている。成体のアメリカナマズは、日本
のナマズより大きい場合が多い。アメリカナマズは霞ヶ浦で養殖されていたが、一部が逃げ出して
繁殖し、霞ヶ浦や利根川の生態系に悪影響を与えるものと懸念されており、特定外来生物に指定さ
れた。愛知県の矢作川水族館のホームページによれば、違法放流によるものなのか、アメリカナマ
ズが矢作川で繁殖し、体長 1.2m に達する大物が捕獲されたことがあるという。
図―2-10 アメリカナマズ(Ictalurus punctatus)
英名channel catfish
(2007レイチェル・カーソン生誕100年記念パネル展プログラムより:大原昌宏氏作図)
2-9
キアンコウ、アンコウ:キアンコウの表皮は保護色になっていて、砂の上にいるとほとんど分り
にくくなる。まずこの種類を取り上げている。
研究史の最初の話として、1850 年頃に研究を行ったヒルトルという生物学者が、「頭腎のみを見
出した。体腎は欠如している」種類が多いという間違ったことを書いている(邦訳 p.2)。アンコウ
には2つの大きな体腎があり、成体の頭腎の退化が非常に著しいため、初期の研究者は中腎(体腎)
を頭腎だと誤った判断をしてしまう。現在では中腎が一生の腎臓で、アンコウの仲間は糸球体のな
い腎臓を持ち、腎臓の前方側にある動脈系(図-2-4)が前腎の痕跡だということが明らかにされて
いる。
アンコウは深海に適合するために、せっかく体内で海水を濾(こ)して造った水を排出してしまわな
いように腎臓中の濾過器である糸球体が退化した種類であり、無糸球体腎魚と呼ばれている。無糸
球体腎魚はほかにも存在する。例えば南極観測隊が見つけた魚には無糸球体腎魚が種々存在する。
南極では、0℃になっても海水は凍らない。一方、塩分を含まない水は0℃で凍結し、せっかく造っ
た水分が凍って、凍死するのを防止するために、自分の体内に不凍液を造っている。ところが、そ
こに糸球体があると、不凍液を排出してしまうので、進化して(退化して?)糸球体がなくなった。
すなわち、大切な水や不凍液を排出しないように進化した種類である(タツノオトシゴも同様)。
レイチェルはアンコウという魚にも相当な興味を持っていたようである。アンコウを漢字で書く
と鮟鱇となり、江戸時代には「魚へん(扁)に安いと書くは春のこと」という川柳がある。アンコウ
は冬の鍋物に使われるので、冬の値段が非常に高い。ところが、産卵期の近づく春になると味が落
ちるので、アンコウの値段は今でも4分の1から5分の1になる。江戸時代からそうだったようで、
庶民がアンコウを食えるのは不味くなった春だけなので、この川柳が詠まれ、かつ、こういう字を
当てたのだという説がある。
『潮風の下で』の第2部ではこのアンコウ(正確にはキアンコウ)のロフィウス(Lophius)という
学名を名前にした主人公の物語が書かれている。おそらく、完成しなかった博士論文の代わりとし
て。このほか、
『われらをめぐる現実の世界(『失われた森』所収)』でも、アンコウに関する記述が
あり、カーソンはこの魚にかなり興味を持っていたようである。
ハナミノカサゴ:体腎がないと誤解された種類の一つがハナミノカサゴで、南日本(駿河湾以南)
や朝鮮半島南部以南、インド洋・太平洋域に広く分布しており、餌は小型の魚類やエビ類などであ
る。各ひれの棘に毒を持つことはよく知られており、姿が美しいので、水族館での紹介も多い。
カエルアンコウ:レイチェルがさらに興味を持ったのが、カエルアンコウ(旧名イザリウオ)で
ある。2007 年の2月に日本魚類学会が、
「イザリ」は足の不自由な人に対する差別語になるという
ことで「カエルアンコウ」という名前に変えたものである。こうして名称変更された種類は非常に
多い。この種類は胸ビレで海底を擦って進んで行くため、車椅子を押している姿に似ていることか
ら、かつてはイザリウオと(岩波生物学辞典でも)呼ばれていた。これもアンコウの一種で、ダイ
バーには、大変な人気がある魚である。
ボラ:『潮風の下で』では「マボラのムギール」という学名を使った名前で登場する。ボラ科の
魚で体長は最大 1m、通常数 10cm。背部は青灰色、腹部は銀白色。成魚は世界各地の温帯、熱
帯(日本では北海道以南)に分布し、食用に供されている。表層を活発に泳ぎ、時々水面上へ
飛び上がる。なお『潮風の下で(pp.72~75)』には、ウッズホール研究所で見た「細い水路を銀色に
かがやきながら、すごいいきおいでおよいでいる」マボラの記憶が、生き生きと描かれている(『レ
イチェル・カーソン―沈黙の春をこえて―』、pp.43, 61)。
サケ・マス・ノーザンパイク:進化系統樹(図-5-2 参照)を見ると分かるが、サケの仲間とナマズ
は系統的に近く、真骨類の中ではやや原始的な種類である。系統樹上では左右に分かれたようにな
2-10
っているので、第3章で述べるように、当時の発生学の権威であるブラシェーやフェリックスが魚
類の腎臓の発生学的発達のモデルとして、サケ・マスを用いて研究を行っているが、カーソンはこ
れらの研究との対比を詳細に行い、また、ノーザンパイク(キタカワカマス)という釣り人に大変
人気のある魚についても議論している。この魚は、2000 年頃に、DNA の解析からサケの姉妹種で
あることが明らかにされている (前川光司編、『サケ・マスの生体と進化』)。ノーザンパイクも特定外
来生物に指定されている。
ヌタウナギ(旧名メクラウナギ)
:カーソンの修士論文では、ヌタウナギに関する様々な議論が、ブ
デロストマ属(Bdellostoma 属=Eptatretus 属の正式名)として、邦訳(pp.8-9,45-46)で展開されている。
ヌタウナギは研究者によっては魚類に分類するのに反対しているくらい、他の魚類とは違った原始
的な種類である。ヌタウナギはバケツに入れた海水がゼリーないし寒天状になるほど体がヌルヌル
している。このヌタと呼ばれる粘液で外敵から身を守るのだが、一方で漁網を傷め、また、網にか
かった魚を食い荒らすので漁師から嫌われている。岩波生物学辞典第 4 版では「メクラウナギ」と
なっているが、この種も「盲(めくら)」は差別語だ
ということで、「ヌタウナギ」に名称変更された。
背大動脈
右後主静脈
アゴがないので無顎類、または口が円形なので円
口類と呼ばれる。無顎類の代表にはヌタウナギとヤ
ツメウナギの2つのグループがある。しかし、同じ
動脈支
無顎類の中でもヌタウナギとヤツメウナギには様々
な違いがある。両者の特徴としてそれぞれ、海水と
左右後主静
脈間咬合
等張か淡水硬骨魚類と同様に高張(図-2-7 参照)か、
腎小体
排出器が前腎と中腎の両方か中腎のみか、腸にらせ
ん弁がないかあるか、という大きな違いがある。ま
た普通の魚は幼生期には前腎が退化して、中腎だけ
左後主静脈
を一生の腎臓として使うが、ヌタウナギは、前腎と
中腎の両方を一生の腎臓として使う古い種類である。
ヌタウナギ属の腎臓は原始的で、体液の塩分濃度
は海水と等しく、浸透圧を調整しなくて良い(「魚類
輸尿管
解剖学」, p.187」)。他の脊椎動物のようにネフロン
(腎小体+腎細管)の集合した腎組織は存在しない。
図-2-11 ヌタウナギの腎臓
(Fänge, 1963)
背大動脈から分枝した動脈支に繋がる糸球体と、そ
れを包むボーマン嚢からできた腎小体が、左右両側
に対になって体節的に一定間隔で分布し、それに連なる細管が左右を縦走する輸(尿)管に接続する
単純な構造である(図-2-11、「魚類解剖学」,pp.170-171)。ヌタウナギ属の腎臓は全体が前腎として
発生し、その後、後方領域が分化して中腎となる。
20 世紀初頭頃の知見は不十分で、このような種類を基にした議論がやや混乱に陥っていたのは
無理もないところであろう*。カーソンは、前腎と中腎の「糸球体構造の発生に違いがあるとは考
えにくい。しかし、ヌタウナギ属の場合、あらゆる無羊膜類のように典型的なものとも考えにくい
(邦訳(1932)部 p.47)」と述べて、前腎と中腎のでき方は基本的に同様なものであることを示唆して
いた(3-7 参照)。
ヌタウナギはヤツメウナギと違って「背骨をもたない脊椎動物」とされていたが、2011 年、理
化学研究所が、ヌタウナギに脊椎の痕跡を発見したと発表している。
ヌタウナギは朝鮮料理では食材としてよく使われている。日本人はあまり食べないが、韓国船が
能登半島沖へ密漁しに越境してくることがあり、これでは困るということで、富山県の漁協ではヌ
タウナギを獲って韓国に輸出しているとのことである。
スタインベックも『コルテスの海航海日誌』(p.18)でヌタウナギに注目している。
「コルテスの海」
とはカリフォルニア湾のことで、北海や南アフリカ沿岸と並ぶヌタウナギ研究の重要拠点の一つで
2-11
ある。彼は、「見た目も、手触りも、まったく胸がむかつくような生き物で、その習性ときたら吐
き気を催すほどだ。身の毛もよだつ動物と表現したほうがぴったりだろう」と述べている。
* ヌタウナギの成体における前方の腎臓は上腎(哺乳類の副腎に相当する器官)に当るという説をウェルド
ン(1884)が唱えたが、他の研究者は、それを支持しなかった(邦訳 8~9p.)。ヌタウナギは、前腎と中腎の両
方を一生の腎臓として用いるところから、数名の研究者が、両者の相同性の研究に用いたものである(詳細は
3-7 参照)。
ヨーロッパウナギ:ヨーロッパウナギは、学名をアンギラ・アンギラ(Anguilla anguilla)と言っ
て、カーソンの博士論文には結実しなかったが、
『潮風の下で』第 3 部の主人公「ウナギのアンギラ」
としてウナギが登場する。カーソンはチェサピーク湾のウナギについて言及しており(『失われた森』
所収)、明記されていないが、その記述と整合することから、これはアメリカウナギ(Anguilla
rostrata)と考えられる。『潮風の下で』には、大西洋の「バーミューダ諸島の南の深海」(注:サル
ガッソー海のこと)で2種類のウナギの産卵が行われることが述べられている。
近年、ウナギには産地偽装などの問題が生じている。ウナギの養殖は非常に難しく、ヨーロッパ
ウナギなどの稚魚を中国で大きくして日本に輸出し、さらに日本で食材とするように飼育している。
ニホンウナギ、アメリカウナギ、ヨーロッパウナギのいずれも稚魚が激減している。ヨーロッパウ
ナギは、EU が資源保護のため、2013 年までに稚魚輸出 60%減を決定(2007.6.11)したほか、ワシン
トン条約の付属書Ⅱに掲載され、輸出入の規制が行われている(2009.3.13 効力発効)。また、「国際
自然保護連合(IUCN)」はヨーロッパウナギを 2008 年、アメリカウナギを 2014 年 11 月、絶滅危惧種
としてレッドデータブックに記載した。
2013 年 2 月、環境省は、ニホンウナギを絶滅危惧種(絶滅の危険性が2番目に高い「絶滅危惧1
B類」(近い将来、野生で絶滅する危険性が高い))に指定した。さらに、2014 年 6 月には国 際 自
然 保 護 連 合 が ニホンウナギを絶 滅 危 惧 種 に指定した。鰻丼も庶民の口から遠ざかりつつある*。
レイチェルが高校生だったときに、ヨーロッパウナギとアメリカウナギが、
「藻の海」を意味する
大西洋のサルガッソー海で誕生して回遊することが明らかになった(表-1-1、1-4 参照)。サルガ
ッソー海はホンダワラなどの海藻が多く、また、メキシコ湾流の背後の潮流が弱く、貿易風帯と偏
西風帯の間の弱風地帯に位置するため、潮流や風がなくなる場合もあり、かつては船の遭難が非常
に多かった場所として知られている。コロンブスも航海の途中で一時的にピンチに陥ったという。
北大総合博物館の阿部剛史博士にお聞きすると、産卵場所および植物プランクトンなどの餌場とし
ての海藻という意味はあっても、海藻のヨード分との関係はあまりないだろうとのことだった。透
明度の世界記録 66mを記録したことのある貧栄養で塩分濃度と水温が高い場所で、天敵となる魚の
生息数が少ないことが(降水量が少なく、魚が釣れないこともかつての船の遭難原因の一つであっ
たらしい)、ウナギの産卵にとっては安全な場所なのであろう。
近年、東京大学海洋研究所(現東京大学大気海洋研究所)では、ウナギと近縁の可能性のある魚
種のミトコンドリア中の DNA を調べた結果、浅海性で外見が似ているアナゴやハモ、ウツボより
も、ウナギと名はつくがウナギ属ではないシギウナギ、ノコバウナギなどの深海魚に塩基配列が近
かった。2008 年の水産庁調査でも、マリアナ諸島の深海でニホンウナギの親が見つかるなど、野外
調査の結果も考慮すると、深海に生息していたウナギの祖先が、深海よりも餌の豊富な熱帯や亜熱
帯の淡水域にたどり着き、そこで進化した一方、産卵場所には棲み慣れた外敵の少ない深海を選ん
だのが、回遊ルートの起源であると推定されるという (毎日新聞、2010 年1月 6 日版など)。東大
海洋研と水産総合研究センターは、2009 年5月の新月、西マリアナ海嶺南端部で天然ウナギ卵の世
界初の採集に成功し、さらに 2011 年には、その近傍で多数の天然ウナギ卵の採集に成功した。つ
いに古代ギリシャのアリストテレス**以来、2000 年におよぶウナギ産卵場の謎の主要部分が解明さ
れたといえる。現在のところ、ウナギは 6-7 月の新月の日にいっせいに産卵するという説が有力
である。ウナギの起源に関する研究の進展には目が離せない。
2-12
欧米人は日本人ほどはウナギを食べず、欧米では摩訶不思議な魚と考えられおり、日本人の持つ
イメージとはかなり違う魚である。例えば、今村昌平監督(2006 年没)の『うなぎ』という作品がカ
ンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞したが、その評論のひとつに「あれはウナギだからとれたので
はないか」というのがあった。筆者は、
『赤い殺意』や『復讐するは我にあり』などが今村昌平の代
表作だと思うが、ヨーロッパ人の見方は違っている。日本のウナギはミクロネシアで生まれて、約
2,000km 泳いで日本にやってくる。水槽に飼っているウナギが、主人公の心の旅路の象徴として描
かれており、そのあたりが非常に受けたようである***。
* 近畿大学では、ナマズをウナギの蒲焼きに近い味にすることに成功しており、近い将来、ナマズをウナギ
の代用品にできる可能性がある。種類としては、マナマズ(写真 2-21)が最もウナギに近い味をしているとの
ことである。
** カーソンは、「約 2000 年前、アリストテレスは、ウナギは泥から自然に生まれるといった」と述べてい
る。(『チェサピーク湾のウナギはサルガッソー海をめざす』、『失われた森』所収、文庫版 44p.)
**日本人と欧米人では全くイメージの違う魚に、レイチェルの論文にも出てくるコイがある。コイは日本人
からすると滝登りをする非常にめでたい魚であるが、欧米では泥に棲む汚い魚で、弱そうなイメージがあるら
しい。5月に鯉のぼりが揚がっていると「あれは、なんだ?」と欧米人からよく聞かれることがある。そのく
らいコイのイメージは違っている。
ギンガメアジ:熱帯の海が主な分布域で、大きな群れを作り、食用で美味とされる。成長すると最
大 70cm ほどになる。カーソンによれば、中間の塊(中胚葉中分節)の発達程度は低く、孵化の時
点では赤血球が未発達という特徴がある。卵が小さく、マスに比べ胚が急速に発達し、受精から 3
~5 日で孵化する点はナマズと似ているとしている。
2-13
写真-2-1 ビワコオオナマズ *
(Silurus biwaensis)
写真-2-5 カエルアンコウ
(Antennarius striatus)
(旧名イザリウオ)
写真-2-2 キアンコウ(Lophius litulon)
写真-2-6 カエルアンコウ
写真-2-7 スポッテド・ガーパイク
(Lepisosteus oculatus):英名 spotted
garpike
写真-2-3 ハナミノカサゴ
(Pterios volitans):カサゴ目
写 真 - 2-4
ホ ウ ボ ウ (Chelidonichthys
spinosus):カサゴ目ホウボウ科
*「(地独)大阪府立環境農林水産総合研究所」によ
る。
2-14
図-2-12. ヌタウナギ
Eptatretus burgeri (cf. Bdellostma 属)
旧名メクラウナギ
写真-2-10 ギンポ
写真2-8~2-10はいずれもニシキギンポ科)
図-2-13. ヨーロッパウナギ
(Anguilla Anguilla)
写真-2-8 ギンガメアジ
(Caranx sexfasciatus)
写真-2-9 ハコダテギンポ
(Pholis nebulosa、
(成体)
2-15
2-6. レイチェル・カーソン著『潮風の下で』に出てくる魚
レイチェル・カーソンの修士論文「アメリカナマズの胚期および幼生期初期における前腎の発生」
で研究対象となっていた魚類が、『潮風の下で(Under the Sea Wind)』に登場する 53 種の 30%弱、
「修士論文」で議論されている 47 属のうち、約 1/3 に当たる 15 種類登場している。結実しなかっ
た博士論文の代わりと言って良いほど、海洋生物に関する一般向け書物として、「修士論文」が見
事に生かされていることがわかる。以下、登場する魚類の一覧である (ページは上遠恵子訳(岩波現代
文庫版(2012)による)。
また、
『潮風の下で 』には、食物連鎖を通じたエコロジーの基本原理が描かれており、のちに『沈
黙の春』における汚染物質の生物濃縮の記述に繋がっていくわけだが、その思想の種はすでに「修
士論文」でまかれていたと見ても良さそうである。
・ボラ
:ボラ属(Mugil)、pp.28, 72, 75, 78,83-92(文中では「マボラ」)
「マボラのムーギル」:ボラ属(Mugil)、pp.78
・ウナギ
:ヨーロッパウナギ(Auguilla anguilla)とアメリカウナギ(Anguilla
rostrata)、pp.16-17,70, 184-200, 220-224, 226-234
「ウナギのアンギラ」
:チェサピーク湾から大西洋へ向かい、サルガッソー海でヨーロッパウ
ナギとともに産卵する(『チェサピーク湾のウナギはサルガッソー海をめざす』:『失わ
れた森』(文庫版、pp.43-49))ことからアメリカウナギ(Anguilla rostrata)、pp.185-195,
198, 232. リンダ・リアは同著の解説部分でヨーロッパウナギとしているが誤りである。
・アンコウ
:ニシノキアンコウ(Lophius Piscatorius)、pp.211-215
「アンコウのロフィウス」:キアンコウ属(Lophius) pp. 211-215
・ギンポ(blenny)
:Blennius 属(コチョウギンポの仲間)、イソギンポ、pp.5, 148
・ニシン(herring)
:pp.12-21,28, 70, 113, 115, 119-120, 123, 126, 139, 141-143, 145,
163, 205, 214, 233 (太字はシャッド:ニシン科シャッド亜科の魚)
・トウゴロウイワシ
:アテリナ属(Atherina)、pp.72, 84
・ナマズ(catfish)
:おそらく、アメリカナマズ(Ictalurus punchatus)、pp.80-81
・アナゴ
:イトアナゴ属(Fierasfer)、p.96, 161-163
・メルルーサ(スペイン名):ヨーロピアン・ヘイク(European hake)(Merluccius merluccius (「修
士論文」では Merlucius esculentus を使用))、タラ目メルルーサ科の一種。p.144
・マス(trout)
:pp.120, 202-206,208, 211-212,215-216, 218, 233-234
・カワカマス
:カワカマス科(Esocidae)の魚、おそらく「修士論文」に出てくるカワ
カマス属(Esox)の魚、pp.127, 234
・カレイ
:pp.144, 148-149, 202, 217-218
・ヒラメ
:pp.144, 214, 217-218
・サケ(salmon)
:p.195
・トビウオ(frying fish):p.228、サルガッソー海におけるウナギの記述の所で出てくるので、
世界中の暖海で生息し、
「修士論文」で議論されているイダテントビウオ(Exocoetus volitans)
などの種類であろう。
*『われらをめぐる海』では、上記のうち、ニシンやヒラメに関する記述がある(文庫版、pp.33, 109 など)
程度であり、カーソンの修士論文との直接的な関連性は強くないようである。
**カーソンが愛読したソローの『森の生活』中の『湖』では、以上のうち、カワカマス、ナマズ、ウナギ
が言及されている。
2-16
2-7. レイチェル・カーソンが修士論文で議論しているその他の魚
以下、レイチェル・カーソンが修士論文で議論しているその他の魚(詳細は第二部巻末の「学名
等一覧」を参照されたい)の一部を示した。ただし、カーソンが言及している種類はアメリカ合衆
国および大西洋などに生息している種類が大部分なので、写真の入手が難しく、ここでは近縁の種
類を示した。
* 『沈黙の春』「9 死の川」では、農薬汚染による魚の大量死の例として、マス(Silent Spring, p.135)、
サケ(同 p.138)、アメリカナマズ、ブルヘッド、コイ、ウナギ、ガーパイク(以上、同 146p.)の 7 種が報
告されている(「学名等一覧」を参照)。
2-17
写真-2-11 ‘プレコ’の一例(セルフィン・プレコ)
写真-2-15 シロチョウザメ
(Glyptorichthys gibbceps) ロリカリア科
(Acipenser transmontanusi) チョウザメ科
写真-2-12 ネズミフグ
写真-2-16 ニシン
(Diodon hystrix)
(Clupea pallasi Valenciennes) ニシン科
ハリセンボン科
写真-2-13 ハリセンボン
(Diodon holocanthus) ハリセンボン科
写真-2-17 マガレイ
(Pleuronectes herzensteini) カレイ科
写真-2-14 ハコフグ
(Ostracion immaculatus) ハコフグ科
写真-2-18 イトヨ *
(Gasterosteus aculeatus)
2-18
写真-2-23 サケ(シロザケ)
(Oncorhynchus keta)
写真-2-19 コイ*
(Cyprinus carpio)
写真-2-24 ニジマス
(Oncorhynchus mykiss)
写真-2-20 ナマズ (マナマズ) *
(Silurus asotus)
写真-2-25 アメマス
(Salvelinus leucomaenis leucomaenis)
写真-2-21 ウナギ(ニホンウナギ) *
(Anguilla japonica)
写真-2-26 サクラマス
(Oncorhynchus masou)
* 印の 6 種(写真 2-1、2-18~2-22)の写真は、「(地
写真-2-22 ワカサギ*
(Hypomesus nipponensis)
独)大阪府立環境農林水産総合研究所」による。写
真の著作権は、同研究所に属するものを転用させて
頂いたものである。
2-19
2-20
第3章 アメリカナマズの発生
本章では、カーソンの修士論文、
「アメリカナマズ(Ictalurus punctatus)の胚期および幼生期初期にお
ける前腎の発生」の概要を解説する。レイチェルは彼女の修士論文の序論で「本研究は、ナマズの胚期お
よび幼生期初期の前腎に関する学説を提示することを意図して行われたものである。本研究は、ナマズの
構造的変化について将来的な研究の基礎となりうる(邦訳, p.1)」と述べ、大変な意気込みを持って研究に取
り組んでいる。さらに、
「この過程を通じて、幼生期の魚の前腎は変化を受け、腎臓とは明らかに外見的特
徴の異なる器官となる」とも述べている。ここがこの論文で最も強調したかった部分であり、後述するよ
うに、前腎の部分が幼生期初期に造血組織に変わっていく過程を見出しているわけである。
3-1. なぜアメリカナマズか?
まず、アメリカナマズを研究した理由を推定すると、次のようになる。
第 1 に、時間的制約があり、きわめて成長が早い種類を選ぶ必要があった。レイチェルは、爬虫類の神
経系の研究の行き詰まりから留年し、ピンチに陥っていた。これに対し、アメリカナマズは孵化してから
幼生となるのに 1 週間程度しかかからない。実際、この論文では6日目で幼生になり、前腎の退化が始ま
るのが 10 日目からとなっている。サケやマスだと前腎の退化が始まるのに 200 日弱、前腎が消滅するの
に 600 日強かかるので、1 年程度では研究が終わらない。現実の問題として時間がないので、成長が非常
に早く、試料が入手しやすい種類を研究する必要があった(これは現在でもアメリカナマズを用いた研究
が多い理由の一つである)
。
第2に、レイチェルは、大学院に入る前にウッズホール海洋生物学研究所で短期的に学び、魚類への感
心がかなり高まっていた。
第3に、アメリカでは最も一般的で広域的に棲んでいる魚類の一つである。ミシシッピー川流域、すな
わち、アパラチア山脈からロッキー山脈までアメリカ大陸の半分にはアメリカナマズが棲んでいる。これ
だけポピュラーな魚であるにも関わらず、あまり研究されてこなかった。
第4に、ナマズは真骨類のうち原始的な種類である。原始的種類としては系統樹上でサケ・マス類の対
極にあり(図-5-2 参照)、やや研究の進んでいたサケ・マス類と比較することで、真骨類の進化や多様性を
研究するのに適している。実際、ナマズの仲間は全魚類の 10%強、淡水魚の約 20%もの種類が生息してお
り、多様性に富んでいる。
第5に、腎臓は生殖器とも関係し、特に前腎は生物の発生・進化を考える上で重要な器官である。
以上の目的を満たす上で、指導教官のコールズ教授の示唆もあって、非常に良い種類を選んだと言える
だろう。
さて、アメリカナマズを研究対象とすることにはなったが、レイチェルは苦学生であり、各地で採集す
るための資金がない。それまでは海を見たこともなく、スプリングデールと女子大のあるピッツバーグま
でのわずか 30km ぐらいを往復していただけの人生であり、大学院に入学するためボルチモアに出てきた
のち、初めて海を見ることになる。それで困ったあげく、コールズ教授の助力を得て、
「なんとか試料を分
けてほしい」ということをアメリカ中の孵化場に手紙で依頼した。その結果、ほとんど断られるのだが、
言ってはみるもので、
(レイチェルの亡くなる1年前にケネディ大統領が暗殺された)ダラスに近いオクラ
ホマ州デュラント孵化場の所長から OK の返事をもらうことができた(リンダ・リア『レイチェル』、p.112)。
当時の汽車ではボルチモア-ピッツバーグ間が1日弱、
ピッツバーグ-オクラホマシティが3日ぐらい、
3-1
さらに孵化場まで1日弱の計 5 日近くかかっていた。今でも特急バスでピッツバーグ-オクラホマシティ
が丸2日(全行程丸 3 日)かかり、航空機+レンタカー(全行程 10 数時間)でもなければ、行くのは大変
な場所である。デュラント孵化場まで実際に行ったのではなく、試料をホルマリン漬けにしてもらい、貨
物列車で1週間近くかかって送ってきたのであろう*。採取直後でなくても大丈夫なのかを栃内新博士にお
聞きすると、
「いや、大丈夫ですよ。変質はしない」ということなので、試料を送付してもらったというの
が正解のようである。
試料をパラフィンの中に入れ、着色して厚さ 10 ミクロンの切片にし、顕微描画装置を用いてスケッチし
て顕微鏡写真を撮るという基本的な方法で、詳細かつ丁寧な観察を行っている。
*論文中にグリセリンとホルマリンの混合比が不明と正直に書いている。おそらく、試料採取時における混合比測定
の指示が十分ではなかったのであろう。
3-2. 頭腎および前腎室形成の謎
3-2-1. 頭腎形成の謎
カーソンの修士論文は、前半の研究史と、後半のアメリカナマズの前腎の研究および議論の2つからな
る。前半では大量の文献を読破して、1851 年から 1931 年までの 80 年に及ぶ詳細な研究史とその問題点、
本修士論文研究の意義が語られている。
胚期に前腎だった場所は、幼生期になると、頭腎と呼ばれる部分になる。頭腎とはどのような器官なの
かについて、当時の研究者に定説はなかった。前腎が幼生期になっても持続し、機能するという考えも根
強く残っていたし、頭腎は上腎であるとの説*もあった。レイチェルが、アメリカナマズを用いて取り組ん
だのは次のような諸問題であった。第 2 章でも述べたが、もう一度、詳しく述べることにする。
1.真骨類の腎臓は、幼生期には頭部近くにある頭腎と体全体に伸びる体腎に分かれるが、前腎のあっ
たところに生じる頭腎は胚期の前腎の痕跡器官なのか?
2.中腎が形成された後の前腎が、持続性を持つのか? すなわち、幼生期や成体になっても前腎を腎臓
として使い続けるのか? そうでない場合には、いつまで魚類の腎臓機能を持ち続けるのか?(
「修士論文」
が書かれた当時、すでに幼生期中盤以降における前腎の持続性は否定されつつあったが、まだ定説にはな
っていなかった。
)
3.
幼生期以降、
胚期には散在していたリンパ様組織と呼ばれる組織が前腎のところに集まってくるが、
これはいったいどのような機能を果しているのか? その発生学的意義は何か?
4.前腎には大動脈から前腎の糸球体に血液が送られているが、幼生期では循環形態が違ってきて、次
のように循環系が別系統になるのはなぜか? そのことと1~3で述べたことは、何か関係があるのか?
・胚期:大動脈-前腎-後主静脈
幼生期・成体:静脈-中腎-後主静脈
5.前腎室の形成はどのように行われるか。また、前腎と中腎のでき方には、相同性があるか。
すなわち、同様な形成過程と言えるか?(相同とは、クジラの胸ビレ、鳥の翼、哺乳類の前足のように、
本質的には同じ器官と見なせることを言い、その器官を相同器官という。
)
*1880 年代~1900 年代には、頭腎は上腎に相当するとの根強い説もあった(邦訳 p.8 L.左 39~p.9 L.右 32 参照)。
上腎は、哺乳類以外の脊椎動物で、哺乳類の副腎に相当する器官である。副腎とは、腎臓の隣にあって脊椎動物のア
ドレナリン、副腎皮質ホルモンを分泌する内分泌器官で、内部の副腎髄質とそれを取り巻く副腎皮質からなる。硬骨
魚類では前腎の中に皮質・髄質に相当する部分が入り混じって存在する。すなわち、頭腎は第一に免疫機能、第二に
造血器官(古い血液を破壊して、新しい血液を造る)としての機能がより重要であり、第三の役割として上腎として
の機能も若干果たしているというのが現在の学説である。カーソンはさすがに免疫機能までは気づいていないが、そ
れ以外では現在の学説と矛盾しない論理を展開している。特に、典型的な上腎と見なせるのは、スタニウス小体(図-
3-2
2-3,2-4、4日目の記述:図-3-9 参照)に限られるとしており(邦訳、要約の 5.参照) 、これも現在の学説と整合する
正しい見通しを与えている。
以上に関する現在の知見は次のとおりである:魚類の腎臓は、体腔の背壁を脊椎骨に沿って縦走する左
右一対の細長い器官で、鰾の背面に分布し、その形態は魚種によって大きく異なる。胚期に現れる前腎は,
幼生期に中腎が形成されて機能し始めると頭腎を残して退化する。すなわち、頭腎は前腎の痕跡器官であ
って、かつ前腎の組織がリンパ様組織と造血組織(未分化な血液細胞が大部分)に置き換えられて、別の
機能、すなわち、免疫と造血の役割を果たすようになる。血液の循環についても、前腎の時期には大動脈
から血液が送られてきたものが、造血が行われるようになって、頭腎から静脈経由で中腎に血液が送られ
るようになる。多くの魚類の造血器官は頭腎と脾臓である。主に前者は赤血球の、後者は白血球の造血に
関わる。
近年、頭腎は、造血のほか免疫細胞のうち B 細胞の形成に重要な役割を果たしていることが明らかにな
っている。B 細胞は両生類以上の動物では骨髄で造られる(免疫細胞については第 4 章で詳述する)。中
腎は魚類の幼生期以降の腎臓として尿の排泄と浸透圧の調整を担うが、魚類には後腎は発生しない。
3-2-2. 前腎室形成の謎
当時、サケ・マスの発生の詳細な研究に基づいた、糸球体とそれを包むボーマン嚢の入る空間、すなわ
ち前腎室の形成に関する2つの有力な学説があった。ブラシェーの説(Swaen and Brachet (1900, 1902))
とフェリックスの説(Felix(1897, 1906))である。
・ブラシェー(Brachet)(父)の説:前腎室と輸管は内臓腔とその壁が回転し、分離してできる(下図)
。す
なわち、体壁板上皮と内臓板上皮の双方が融合してできる。両者が成長し、正中線の近くで行き止まりに
なって内臓腔が回転して折れ曲がり、孤立して前腎室を形成する。そのため、
「前腎の原基は体壁板中胚葉
の上に横たわり」
、
「あたかも体壁板中胚葉だけからできたかのような印象が生じる」ようになるとカーソ
ンは述べている(邦訳 2.5、p.13 参照)。
回転
脊索
回転
脊索
大動脈
前腎室
体壁板上皮
消化器
( 腸 )
消化器
( 腸 )
内蔵板上皮
図-3-1 ブラシェー説のイメージ図
・フェリックス(Felix)の説:前腎室は体壁板上皮から生じた数本の前腎細管が融合した前腎褶襞という
ひだ状の構造が変化してできる。すなわち、体壁板上皮のみでできるのであって、元々あった体腔が分離
してできるものではない(数本の前腎細管のイメージについては図-3-2 等を参照されたい)
。
カーソンは、
「フェリックスは、
」真骨類と両生類の「二種類の前腎室を‘二つの完全に異なった構造の
個体発生’であり、相同性があるとは言えないと考えて」おり、
「前腎室を内部型(サケ)と外部型(両生
類)に分類して」いると述べている(邦訳 p.18)。
この 2 つの説の是非をカーソンはアメリカナマズを用いて、比較検討している(3-4 参照)。
3-3
3-3. 人名に関するコメントとレイチェルのユーモア
今では魚類の腎臓として胚期~幼生期初期には前腎が、幼生期後期以降、一生の腎臓として中腎が使わ
れるのは周知の事実であるが、カーソンの修士論文はまだそのことが確立されておらず、諸説の論争が行
われた時代に書かれたことをふまえてお読みいただきたい。この修士論文には 32 名、前半の研究史だけ
でも 28 名の人名が現れるが、そのうち、著名な数名について解説する。
・Hyrtl, Joseph:ヨーゼフ・ヒルトル(1810~1894)
19 世紀オーストリアの解剖学の権威で、プラハ大、ウィーン大教授を歴任。局所解剖学を研究し、左右
の舌下神経間に時々認められる吻合(ふんごう)「ヒルトルの環」を発見。1937 年のオーストリアの切手にな
り、ヒルトル通りがある(参考:岩波人名大辞典、フリー百科事典「ウィキペディア」)。
カーソンは、
アンコウの仲間を含む多数の魚の体腎を、
頭腎と見誤った人として紹介しており、
「研究は、
表面的な観察と不正確な手法によったもので」
、
「初期の研究には、歴史的な価値があるというのにすぎな
い(邦訳 p.1)」と、厳しい評価をしている。
・Emery, Calro:カルロ・エメリー(1848~1925)
イタリアの生物学者。ボローニャ大学の生物学教授で、のちにジュネーブで研究を行った。昆虫学から、
特に魚類などの脊椎動物の形態学に至る幅広い研究を行い、多数の論文と著書を著した(参考:Wikipedia(イ
タリア語、ドイツ語))。
エメリーなどの研究者は、前腎が成体になっても持続するという説を唱えたが、エメリーは単に体が大きい
というだけで議論している恐れがあり、
「性的に成熟している(邦訳 p.3)」
、すなわち子孫を残せる能力がそなわ
った個体である成体で議論しているとは限らず、幼生の試料を用いているのかもしれない、という他の研究者
の論文を引用して、カーソンはエメリーらの説を批判している。大人並みに体の大きい子供もいるからである。
前腎が成体になってからも持続するかどうかは、性的に成熟していることが確実な試料を用いて検討すべきだ
というカーソンの主張は、説得力がある。
なお、エメリーは 1850 年代前半という早い時期に、前腎には哺乳類の副腎皮質に当る部分が存在する
ことを指摘しており、この点は評価されねばならない(邦訳 8~9p.参照)。
・Balfour, Francis M.:フランシス・バルフォア(1851~1882)
イギリスの発生学者。ダーウィンの進化論から影響を受け、カーソンが引用している「A treatise on
comparative embryology ( 比 較 発 生 学 論 文 集 ) 」 を 著 し 、 進 化 論 的 立 場 か ら 比 較 発 生 学
の発展、特に脊椎動物の神経系と泌尿器系の発生の解明に大きく
貢献した。カーソンは「胚においてさえリンパ系要素と前腎細管
との間には密接な関係がある、という事実を正しく評価できてい
ない」点は批判しつつも、
「排出器官の機能的な部分だと思われ
ていた頭腎に、腎臓としての要素が欠けていることを指摘した最
初の一人である」と紹介し、初期の発生学者として基本的には高
く評価し、4 回も言及している(「修士論文」2.2)。ヒトの発生初
期(受胎後 3 週目あたり)には頸部に鰓弓(さいきゅう)と呼ばれる
4 列の盛り上りが生じる。鰓弓は胎児が成長するにつれて、耳小
図-3-2 バルフォア(1851-1882)
骨や喉付近の、話したり、ものを飲み込んだりする機能の部分へ
3-4
変化していく(図-2-1)。バルフォアはサメなど軟骨魚類との比較から、これは魚類の鰓(えら)に相当するも
のであることを最初に示した(5-8p.参照)。ダーウィンの後継者として将来を嘱望され、出身校のケンブリ
ッジ大学に彼の講座が設けられることになっていた。ダーウィンの死の 2 箇月後、モンブランの初登頂を
目指したが墜死した(参考:岩波生物学辞典、
『ヒトの中の魚、魚の中のヒト』
、pp.117-125)。進化論を終始擁護
し、
「ダーウィンの番犬」と呼ばれたハックスレーは、
「我々の時代における最大の損失」と言って嘆いた。
バルフォアを評価したこと自体、カーソンが進化論的視点の持ち主でもあることがうかがわれる(5-1 参照)。
哲学者・政治家で日露戦争頃のイギリス首相であるアーサー J. バルフォアの弟に当たる。
・Brachet, Albert:アルベール・ブラシェー(1869~1930)
ベルギーの発生学者。彼のマスを用いた前腎室形成のメカニズム研究はよく知られており、現在でもし
ばしば引用されている (このうちスワーエン(Swaen)との共著論文は 1899,1901 発行。カーソンの文献表
では 1900,1902 となっているので、第 2 刷を読んだのかもしれない)。当時のもう一人の大家であるフェ
リックスの説との比較から、前腎室は体壁板と内臓板の双方から形成されるというブラシェーの説が正し
そうだとした、カーソンの判断が正しかったことになる(なお、カーソンはフランス人と書いているが、
正しくはベルギー人)
。発生学者としては息子(Brachet, Jean: 1909~1998)の方が有名で、RNA**と分化・
誘導との関係を明らかにし(参考:岩波生物学辞典)、1950 年代には「ブラシェー詣で」と呼ばれるくらい、
世界各地の発生学者が彼の元へ集まったという。
* カーソンは、オーディゲが、リンパ系組織が「前腎のほかの要素とともに、胚の中で共存している」ため、
「単に
更新された組織とは考えていない」ことを紹介している(「修士論文」2.2)。また、カーソンが高く評価したヴェルヌ
についても「胚期の前腎にも多量のリンパ系組織が存在することが説明できていない」ことを指摘しており(「修士論
文」2.3)、リンパ系組織が何か重要な役割を果たしていることには気づいていた(現在では、その最大の役割が免疫作
用であることが分かっている(詳細は第 4 章参照))。
** 細胞中の核酸には DNA(デオキシリボ核酸)と RNA(リボ核酸)がある。DNA は遺伝子情報の記録として働き、RNA は
主に DNA に記録された情報をタンパク質に変換し、生体分子を必要な量だけ生み出す役割を担う(稲垣(2014),p.88)。
レイチェルの文章には、非常にシリアスなテーマを扱っているときにも、時々ユーモアというか、一種
のギャグが現れる。1-4 で述べたドクロのマークの話もそうである。この修士論文に対し、
「あの素晴らし
い海洋文学を書いた人と同じ人が書いたとはとても思えない」という感想もよく聞かれるのだが、この一
見無味乾燥に思えそうな学術論文にも、よく読むとユーモラスなところも出てくる。一例を挙げる。
バルフォアが、幼生期以降のキアンコウ属の腎臓は、実は中腎 (体腎)であることを見ぬき、中腎が本来
の位置から前方へ移動してきたことを示している、という説を主張したところ、コールダーウッド
(Calderwood)が、
「前腎は骨で囲まれている」ので、
「もしも体腎が前方へ成長して前腎の上に侵入するよ
うになると、体腎は‘鰾(うきぶくろ)と肩甲切痕を突き抜いて’しまうことになる(邦訳 p.2)」と主張するく
だりなど、肩甲骨の一部が骨折して、鰾がパンクした魚を想像すると実におかしい。現在の知見では、ア
ンコウ属の生涯の腎臓はバルフォアが主張したように中腎である。深海に適応するため独自の進化を遂げ
て、糸球体が退化し、中腎(体腎)が増大して前腎の付近まで成長したものであるが、鰾を突き抜くまでに
は至らない。アンコウ属の前腎の退化は著しく、小さな痕跡が見られる程度である(2-1 参照)。バルフォ
アはアンコウ属の腎臓を「真骨類の普通の腎臓」であると述べたが、カーソンはこの「表現には何らの意
義もないことが示されることになる」と述べているのは、以上の理由による(図-2-4 とその説明、2-5 キ
アンコウ・アンコウを参照されたい)
。ただし、カーソンはバルフォアが中腎の重要性に気づき、前腎が成
体でも維持されることはないという説を、いち早く提示したことを高く評価しているのである。
3-5
また、カーソンの修士論文には、47 枚のスケッチ、8 枚の顕微鏡写真、に加えて 8 枚の模式図が掲載さ
れている。スケッチはアメリカナマズの発生の様子を双眼顕微鏡で観察して描いたもので、詳細かつ正確
に描かれ、学術的にも評価できるものである。当時はまだ顕微鏡写真が高価なものだったと見えて、特に
重要な時点だけを写真で示し、発生の一連の流れは多くのスケッチから選んで論文中に図示している。
模式図は、修士論文前半の研究史と最後の議論のところで用いられている。文章だけでは分かりにくい
高度な概念を図示することで、
イメージしやすいように工夫されている。
高度な内容なのにもかかわらず、
この模式図は何となくユーモラスで、レイチェルの人柄を表しているようである。
3-4. アメリカナマズの発生 (1)胚期
3-4-1. 無羊膜類の排出器官の構造
カーソンの研究結果に入る前に、無羊膜類の排出器官の構造を確認しておこう。図-3-1 はカエル(両生
類)の尾芽胚の水平断面図である。この図にこれから述べる前腎から膀胱・肛門までの位置関係を示す。
腎小体(糸球体+ボーマン嚢)の入る前腎室から前腎細管が伸びている。
(腎小体+前腎細管)がネフロン
である。前腎細管では、水分の再吸収などが行われる。前腎細管が集まるところを集合管と呼び、これは
さらに前腎輸管と呼ばれる排出管を経由して排出口に達する。左右の前腎輸管が1つになる部分を’膀胱’と
呼んでいる。これは、哺乳類の膀胱に比べて、二つの輸管が繋がっただけの単純な構造である。
フェリックスは、魚類の前腎室は前腎細管の融合によってでき、魚類と両生類の前腎室は別の構造だと
考えた。一方、ブラシェーとカーソンは、本質的には両者は同様の構造だと考えたことから、図-3-2 には、
発生学のモデル動物の一つであるカエル(両生類)の排出器官を示した。
集合管
(フェリックスは、前腎細管が融合
して前腎室ができると考えた。)
(水平断面図)
図-3-2 カエルの尾芽胚における排出器官
(水野丈夫・浅島誠編著「理解しやすい生物Ⅰ・邦訳, p.99 を参考にして作成)
3-4-2. アメリカナマズの発生 (1)胚期
以下にレイチェル・カーソンの修士論文の概要を述べる。カーソンは孵化後、2 日目から 11 日目までの
アメリカナマズの前腎について議論している。5 日目までが胚期、6~11 日目は幼生期初期
に当る。その概要は後述の表-3-1 に示すとおりである。
3-6
2日目: 2 日目における前腎の原基は、前方の領域の前腎室と呼ばれる糸球体を入れる部屋と、前腎細管
を経由して、後方で前腎室と連続する前腎輸管の2つが主要部分である。原基とは、ある器官ができ上る
基の場所を意味する。図-3-3 に前方の切片を示す。一番上に脊索があり、脊椎骨ができるまで体を支える
役割をしている。前腎室ができ上るとき、内臓板上皮と体壁板上皮と呼ばれる部分が丸まってきて、腹膜
漏斗と呼ばれる狭まった部分が生じる。漏斗という字は「ジョウゴ」とも読むとおり、ジョウゴ型の空間
が生じて、前腎室が形成されていく。
この様子は、前腎室は体壁板上皮と内臓板上皮が融合し、内臓腔の内部角は成長して行き止まりとなる
ため回転して折れ曲がり、孤立して形成される、というブラシェー(Brachet, A)の説(図-3-1)とそっくりで
ある。
ブラシェーの説の正当性が強く示唆され、体腔(内臓腔)は2つの領域に分離される。前腎室は、腹膜
漏斗を通じて内臓腔と初生的な接続を保ち、
前腎細管を通じて尿の排出管である前腎輸管と繋がっている。
2日目の状況を写真で示したのが図-3-5 である。この時点の排泄システムは、外部とは繋がっておらず、
まだ排泄は行われていない。
そして、後方の前腎細管を通る切片(図-3-4)でも、フェリックス(Felix)の説のような前腎細管の融合に
よって前腎室が形成される様子は認められず、体壁板の一部から前腎細管ができたように見える。カーソ
ンはブラシェーの説の方が良いことに自信を持っていたと思われる。しかし、孵化初日の試料による決定
的瞬間が得られなかったため、3日目の説明では、
「各前腎室の内側の壁は内臓板中胚葉からできている」
というブラシェーの説は、
「初期の段階を欠いているため、本研究では証明できていない」が、前腎室は、
「元々は内臓腔の一部であったと考えられる(邦訳 p.27)」と述べている。論文の最後の議論でも、
「より確
からしいと思われるのであるが(邦訳 p.45)」という慎重な表現に止めている。
[左右の内臓腔が折れ曲がり、前腎室を形成していく]
脊索
体壁板上皮
前腎の原基
腹膜漏斗
内臓腔
内臓板上皮
内臓腔
体壁板上皮
食道の原基
図-3-3 2 日目の胚の前腎原基を通る切片 (原著 図版 I・図 1)
ここまで分かったのなら、もう少し断定的な書き方をして、自説を積極的にあちこちで発表・宣伝しても
良さそうに思われるが、その控えめなところ*がレイチェルの良いところであり、損なところでもある。
『沈
黙の春』を書いたときに、科学的ではないという批判もあったが、巻末に 587 もの参考文献が載っていて、
その根拠をきちんと書いており、批判した側もなかなか論破できなかったくらい勉強していた。文献を丹
念に読むというのは元々粘り強い性格的なものもあると思われるが、修士論文研究のときに 2,400 ページ
を越える文献の読破を行ったところから培われたものだと言って良い。と同時に、事象をよく観察して根
3-7
拠を淡々と列挙することは、科学にとって基本的なことであると言える。
* 「カーソンは親友のドロシー・フリーマンに、科学的事実の探求への自分の貢献は、自然のすばらしさに対する
人々の感動を喚起しようとした努力と比べれば、まったくとるに足らないものだ」と謙虚に語っていたという。(『
失われた森』
、序文より)
3日目:前腎室は分化を受け、腹膜管と呼ばれる内臓腔への通路は閉じて、内臓腔から孤立する(
「真の
前腎室」の形成)
。3日目の胚における最も重要な進展は、糸球体の形成に伴い、循環系ができ上ることで
ある。左右両側の前腎室は正中線(胚の長軸方向の中心線)のところで互いに近づくが、わずかな幅の中
胚葉によって分離されている。
その後、前腎室の中に盛り上がった部分が生じ、糸球体と呼ばれる濾過器が左右の前腎室間の中胚葉に
でき上ってくる。糸球体の上下に入り込んだ空所を角(つの)と呼び、背側の背角と腹側の腹角の2つができ
て正中線のところで接近する。こうして左右の糸球体が形成され、ここで初めて前腎が機能し始める。3
日目の時点では大動脈から糸球体へ向かう血流が主体であり、図-3-7 には大動脈が記載されている(顕微
鏡写真を図-3-6 に示した)
。
前腎細管から前腎室への開口部である腎口は 2 日目には不明瞭であったものが、
3 日目には明瞭になって
いる(図-3-7)。カーソンは特に言及していないが、この現象は前腎細管群の結合により前腎室ができると
するフェリックスの説には不都合である。もしフェリックスの説が正しければ、最初から腎口は明瞭でな
ければならないはずである。また、フェリックスは背角と腹角が伸びて糸球体ができるとしているが(邦訳
18p.)、糸球体が前腎室内に膨張することで、結果として背角と腹角ができると見るべきだろう。
図-3-7 3 日目の胚の前腎室および糸球体の原基を通る切片 (原著 図版Ⅲ・図 5)
4日目~5日目:4日目には、前腎の糸球体の発達は進み(図-3-8)、動脈系との関連性が確立される。
すなわち、前腎はほぼ完全に胚期の腎臓としての機能を果たすようになるわけである。また、左右両側の
前腎室は正中線のところに横たわり、薄い隔膜で仕切られる。図には示されていないが、
前腎細管の腎口は糸球体と反対側で前腎室へ開いている。左右の前腎の糸球体は融合して、一つの
中くらいの塊となり、隔膜にぶら下がっている。
4~5日目にかけて主静脈の前駆体である未分化な血管組織が、前腎細管の近くで生じる。主静脈の原
基、すなわち主静脈ができる基の部分が、糸球体から尿を排出する左右の前腎輸管の間に楔状に貫入して
くる(図-3-9)。これが何を意味するのかは、6~8日目、すなわち、幼生になってから明らかになってく
るのだが、まだ、この時点では不明である。
(図中の略字 PD の『D』はダクト(duct)という英語の頭文字
である。ダクトには排気口という意味があるのと同じで、排泄管である)
。これはちょっとした発見で、前
腎が中腎に変わっていくなかで、血液が大動脈からよりも主静脈から卓越して運ばれるように変化するの
は、このあたりから準備が始まっているのではないかと、カーソンは示唆している。
4日目のもう一つの大きな特徴は、多数の核を持つ凝集した原基が、前腎輸管の中腎領域に接して発生
してくることである。カーソンは、これを様々な文献に書かれているスタニウス小体であることに気づい
ている。スタニウス小体は、硬骨魚のうちやや進化した種類(図-5-1、5-2 参照)である全骨類(アミア、
ガーパイクなど)と、真骨類のみに存在する内分泌腺で、血中カルシウムを低下させる役割を果たすこと
が分かっている。
3-8
3-5. アメリカナマズの発生 (2)幼生期 -特にリンパ様組織について
6日目:ここから幼生期、すなわち孵化後、成体になるまでの時期になる。6日目に最も大きな変化が
起こる。尿の元になる水分(原尿)を集めて糸球体で濾して、前腎細管で再吸収し、残りを前腎輸管という
排泄管に持っていく。前腎輸管の周りにリンパ様組織という組織が、6日目に突然現れ、いっせいに集ま
ってきて、前腎細管を取り巻き、さらに中腎細管をも取り巻いていく。論文では、
「前腎の領域において、
今、重大な変化が始まっている」(邦訳 p.36)というドラマチックな書き方をしている。
冷静なレイチェルも感動を押さえきれないのだろう。あくまで客観的な記述が要求される学術論文なの
にもかかわらず、行間から感動が伝わってくるようである(現在分かっているリンパ様組織の機能につい
ては、第4章で詳述する)
。
おそらくレイチェルは待ちかまえていたのだと思う。論文前半の研究史においても、リンパ様組織に着
目して一節を割いており、頭腎は「哺乳類では脾臓で行われている機能を有している(邦訳 p.12)」という
ヴェルヌ(Verne(1922))の説を紹介している。
「脾臓で行われている機能」とは、古い赤血球を破壊し、新し
い血液を造ることである。この説に注目していたからこそ、前腎のところにリンパ様組織が集まってくる
状況に感動を覚えたのであろう。これはまさにレイチェルのいう「センス・オブ・ワンダー」
、すなわち、
自然の驚異に感動する心に他ならないと言えよう。
その後、前腎細管は何回もらせんを巻いたような構造となり、前腎全体を横断するようになり、リンパ
様組織と主静脈の原基との混じり合いが生じてくる。また、前腎輸管の中心より前寄りのところに中腎細
管が生じ、胚期には前腎輸管の後方端側の部分だったウォルフ管(中腎輸管)と繋がる。すなわち、魚類
の一生の腎臓である中腎の体制に移行しようとしているのである。
* リンパ様組織:カーソンは、前腎に集積するリンパ組織に、通常のリンパ系組織に見られる細網組織が見られない
ことから、リンパ様組織(pseudolymphoid tissue)という用語を使うべきだとするフェリックスの意見に従って、この
語を採用している。この用語は、現在でも魚類生理学で使われている。
リンパ様組織
前腎室
前腎細管
糸球体
主静脈の原基
図-3-10 6 日目におけるリンパ様組織に取り囲まれた前腎細管のコイルを示す切片
幼生期の始まり:
「前腎の領域において、今、重大な変化が始まっている」前腎がリンパ様組織(一種の造血組織)に
置換され(頭腎)、その機能が変化していく時期であることを示唆。(原著 図版 XI・図 51)
3-9
7日目~8日目:前腎は先行する段階での発生状況からはほとんど進歩していないが、中腎の
マルピーギ糸球体が生じ、リンパ様組織が増大するのが特徴であり、アメリカナマズの腎臓とし
て、前腎から中腎への移行が始まりつつあることがうかがわれる。
7日目の主静脈を通る切片(図-3-11)では静脈群が認められる。8日目には、前腎は初めて静
脈系との関係を明確に示し、十分に発生の進んだ主静脈が前腎細管と関係して現われる。主静脈
から枝状に分かれた血管が、前腎のかなりの部分を占めるようになる。血液の流入の主体は動脈
系から静脈系に換わる。以上の事実は、頭腎で造られた血液をこの静脈群で運ぶように変化した
らしい、ということを示唆している。そのことを示唆している既存の文献(オーディゲ(邦訳 8p.)
やヴェルヌ(邦訳 10p.))があったのだが、アメリカナマズの研究からも、その説が正しいと言え
そうなことにカーソンが気づいていたのは確かである。
なお、カーソンは「前腎輸管と[主静脈の]血管は、7 日目の時点で・・・リンパ様組織を伴って
いない。多くの研究者によって、リンパ様組織は「輸尿管」を取り巻いていると記述されてきた
のだが(邦訳 p.39)」と述べ、定説が必ずしも正しいとは限らないことを指摘している。
9日目~11 日目:9 日目には8日目までにできた構造の複雑化以上の変化は少ない。前腎室は
まだかなりの大きさを残しているが、縮小の確認できる試料もある。
しかし、10 日目になると、幼生の急速な発達とともに前腎領域で退化が始まっていることを次
の諸現象が示唆している。
1. まず、前腎室の入り口であり、前腎細管との結合部でもある腎口は、いくつかの場合には消
失しつつあることが認められる。また、前腎輸管の管腔が、ある領域で消失するのも認めら
れる。
2. 前腎室とその糸球体は縮小し、前腎の生理学的な効率が最大だった期間に、その 2 つを際立
たせていた特徴が失われる。
3. リンパ様組織は前腎細管を犠牲にして増加していく。前腎細管の上皮は、明確な細胞特性を
失っていき、粒状の細胞質が管腔の中に拡がっている(9~11 日目)。
4. 太い主静脈が前腎細管と密接に関連して現れる。
そして、他の構造、特に鰾と、発達しつつある頸椎の軟骨組織が入り込み、前腎は鰾の前方の
小さな空間に閉じ込められ、前腎の発達が事実上妨げられる。一方、中腎の組織は発達を妨げる
ものには出会わず、急速に大きくなり、複雑さを増していく。
カーソンは断定的には書いていないものの、これらの事実は、幼生になってから、循環系に変
化が起こり、頭腎(前腎が変化したもの)での造血→静脈群→中腎→後主静脈、という循環系が
新たに形成されることを示唆している。
3-6 排泄システムのでき方
最後に、胚期から幼生期初期における消化系統のでき方についてまとめた。
2日目:前腎室は前腎細管を通じて前腎輸管と繋がっているが、排泄システムはまだ外部とは
繋がっていない。ニワトリの腸管は、卵黄のやや上部に形成されるが、それとは違って、腸は脊
索と卵黄の間に細胞がコード状に凝集して形成される(論文では 4 日目の状況が図示されてい
3-10
る:図-3-13)。卵黄と内胚葉の間には原腸を示す空間は生じていない。つまり、基本的には同じ
でき方であるが、発生のモデル動物であるカエルやニワトリでは卵黄の中心より上側に丸い穴が
開いて、そこが原腸になり(図-2-5 の原腸胚の段階)、さらに消化管になっていくのに対し、ナ
マズでは卵黄の上縁の所にできるという特徴が明らかになった。
これはカーソンによる小さな発見ではあるが、それをおろそかにしてはならない。結局、科学
とはこのような小さな発見の積み重ねでもあることに、我々は思いをいたす必要があるだろう。
なお、4 日目の時点で、脊索の上に神経管(脊髄や神経系ができる部分:図-2-5 参照)が形成さ
れており、幼生として泳ぎ始める準備が行われていることが分かる。
5日目:前腎輸管の後方端は融合して膀胱ができる。論文中では、しばしば‘いわゆる膀胱’
という表現が用いられている。これは 2 本の輸管が結合して尿を貯めるだけの簡単な構造であり、
高等動物のような複雑な構造の膀胱ではないからである。初期(4-5 日目)の段階では、膀胱の外
界への開口部の背面側にある、膀胱の前方の壁に対して、腸は行き止まりとなる(図-3-14)。
6日目:6 日目に膀胱は開口する。これは排出系の開口と考えて良い(図-3-16)。このとき、開
口部は‘総排出腔’のように腸に一時的に利用されると考えられる。‘総排出腔[同:総排泄腔]’
とは下等な動物の排出孔に見られるもので、消化管、輸尿管(輸管)、生殖輸管に一つの孔を利用
するものをいう。脊椎動物では胚期に形成されるものが多く、成体でも残存するものがある。硬
骨魚類では消化管と泌尿生殖系は別口として開くようになる(岩波生物学辞典)。アメリカナマズ
の腸と膀胱は近づくが接することない。腸は一時的に膀胱の開口部を利用し、その後、腸は膀胱
の開口部の前方にある肛門の開口部へ繋がるようになる。フェリックスによれば、サケ・マスでは
輸尿管と消化管が接するが、両者が繋がることはなく、別孔として開口するとしているが、アメ
リカナマズでは一時的に総排出腔のように共通の孔を使う点が違っている。これもカーソンの発
見の一つである。
7日目:7 日目には膀胱の開口部は確認できていないが、前後の段階の状況から、それが存在
するのは確かだと考えられる。
9日目:さらに成長するにつれて、これらの開口部は互いにもっと離れたところに移動する(図
-3-17)。以上がアメリカナマズの排泄孔形成の概要である。
表―3-1 には、アメリカナマズの胚期および幼生期初期の発生の概要をまとめて示した。
3-11
表-3-1(1) レイチェル・カーソンによるアメリカナマズの胚期および幼生期初期の発生の概要(胚期)
受精後
日数
2日目
(胚期)
前腎
3-12
5日目
リンパ様組織
循環系
・前腎原基は、正中線と直角方向をな
す前方の前腎室と、前腎細管を経由
して後方で繋がっている前腎輸管か
らなる。前腎室は腹膜漏斗を通じて内
臓腔と初生的な連続性を保っている。
〇前腎室の形成は体壁板上皮と内臓
板上皮の融合→内臓腔の内部角の
回転による、というブラシェー(Brachet,
A)の説との整合性が強く示唆され、
内臓腔は2つの領域に分離される。
・前腎室は分化を受け、腹膜管は閉
じ、内臓腔から孤立する(「真の前腎
3日目 室」の形成)。前腎室の背角と腹角は
(72時間後)
糸球体の上下に分布し、正中線のと
ころで接近する。
4日目
糸球体・中腎
排泄システム
(消化器を含む)
・前腎室は、前腎細管を通じて前腎
輸管と繋がっている。
・排泄システムはまだ外界とは繋
がっていない。
〇ニワトリでは腸管は卵黄のやや
その他:前腎細管・退化
・前腎細管から前腎室への開口
部である腎口は不明瞭である。
上部に形成されるのとは違って、腸
は脊索と卵黄の間に細胞がコード
状に凝集して形成される。
・前腎の糸球体が膨出
し、左右の前腎室間の
中胚葉に最初に現れ
る。
・左右両側の前腎室は正中線のとこ
・前腎の糸球体が発達
ろに横たわり、薄い隔膜で仕切られ
し、動脈系との関連性
る。前腎細管の腎口は糸球体と反対
が確立される。
側で前腎室へ開く。
・左右の前腎の糸球体
は融合して、一個の中く
らいの大きさの塊とな
り、隔膜からぶら下が
る。
・中腎細管は、まだ現
れていない。
・糸球体の形成に伴い、循環
系との関係ができ上がる。血
液の流入の主体は背大動脈
からである。
・前腎細管は、前後(頭尾)方向に
発達する。
・腎口は明瞭である。
〇未分化な状態の主静脈の前
駆体である血管組織が前腎細
管の近傍において生じる。主
静脈の原基が左右の前腎輸
管の間に楔状に貫入する。
・多くの脊椎動物の血島に当
る組織が形成される。これを循
環系の始まりと見なせる(「議
論」における記述)。
・スタニウス小体(腎上体の皮質
部分)と考えられる多数の核を持
つ凝集した原基が、前腎輸管の
中腎領域に接して発生する。
・4日目に前腎輸管の後方端は融 ・前腎細管は、横断方向に卓越
合し、対をなさない膀胱となる。初 して発達する。
期の段階では、膀胱の外界への開
口部の背面側にある、膀胱の前方
の壁に対して、腸は行き止まりとな ・前腎細管は、横方向、腹面側、
る。
正中線と屈曲した経路を描く。
表-3-1(2) レイチェル・カーソンによるアメリカナマズの胚期および幼生期初期の発生の概要(幼生期初期)
受精後
日数
前腎
糸球体・中腎
・凝集した細胞の塊が
管腔のまわりに配列し
て中腎細管が生じ、
ウォルフ管(中腎輸管)と
繋がる。
6日目
(ここから
幼生期)
リンパ様組織
循環系
・突然現れたリンパ様組織
が前腎細管を取り巻き
・リンパ様組織と主静脈の原
(「今、重大な変化が始まっ
基との混合が生じる。
ている」)、さらに中腎細管を
取り巻く。
排泄システム
(消化器を含む)
その他:前腎細管・退化
・前腎細管は、前方・横向き・後
方とループを描いて前腎全体を
口)。開口部は腸に一時的に利用さ
横断し、分岐管を生じて前腎輸
れる。(肛門の開口の詳細な様子
管と繋がる(大きな生理学的効率
はマス・サケと異なる。)
を持つ段階の始まり)。
〇膀胱は開口する(排出系の開
〇リンパ様組織は増大して
7日目
・前腎は先行する段階での発達状況 ・中腎のマルピーギ糸
からはほとんど進歩していない。
球体が生じる。
・7日目には膀胱の開口部は確認
・前腎細管の後方に向かう部分
できていないが、前後の段階の状
には分岐管が一定間隔で生じて
況から、それが存在するのは確か
おり、前腎輸管へ収束している。
である。
・初めて静脈系との関係を明
確に示し、十分に発生の進ん
だ主静脈が前腎細管と関係し
て現われる。主静脈から分岐
した血管が前腎のかなりの部
分を占めるようになる。血液の
流入の主体は動脈系→静脈
系となる。
8日目
3-13
9日目
いる。この時点で前腎輸管
と主静脈の血管は、リンパ
様組織を伴っていない。(既
存文献では、輸管を取り巻く
とされてきた。)
・9ー11日目は前日までの構造の複雑
化以上の変化は少ない。
・前腎室はまだかなりの大きさの構造
を残している。
・リンパ様組織は前腎細管
を犠牲にして増加していく。
前腎細管の上皮は、明確な
・前腎室とその糸球体 細胞特性を失っていき、粒
・前腎室が縮小し始めるのは10日目
は縮小し、前腎の生理 状の細胞質が管腔の中に
10日目 くらいからである。
学的な効率が最大だっ 拡がる(9~11日目)。
・太い主静脈が前腎細管と密
(幼生期の ・腎口はいくつかの場合には消失して
た期間に、その2つを際
接に関連して現れる。
約4日後) いく。前腎輸管の管腔が、ある領域で
立たせていた特徴が失
消失しているように見える。
われる。
11日目
・中腎の組織は発達を
・幼生の試料の一つでは、前腎室は
妨げるものには出会わ
以前の広がりの単なる残余になって
ず、急速に大きくなり、
いる。
複雑さを増していく。
・1本の前腎細管から派生管が
前後に生じている。
・腸は膀胱の開口部に対して前方
にある肛門の開口部へつながる。
・1本だけの前腎細管には分岐
さらに成長するにつれて、これらの
管の構造がまだ残っている。
開口部は互いに離れたところに移
動する。
・幼生の急速な発達とともに前腎
領域で退化が始まっているかも
しれないことを左の諸現象が示し
ている。
・他の構造、特に鰾と発達しつつ
ある頸椎の軟骨が入り込んでく
るために、前腎は鰾の前方の小
さな空間に閉じ込められ、前腎の
発達が事実上妨げられる。
〇:陰を付けた部分はカーソンが新たに見出した事項。 (池田光良編)
3-7 前腎室・前腎の糸球体とボーマン嚢の空洞・マルピーギ小体の相同性
カーソンは、前腎室と中腎のボーマン嚢の空洞のでき方は基本的に同じであり、体腔の一部が閉
じてできたものであることを示唆している。カーソンは、前腎室は体腔の一部が分離してできたも
のであるというブラシェーの説の正当性について述べるとともに、ヌタウナギの「体腔のポケット
は、真骨類の前腎室と相同」であり、
「前腎細管と中腎細管の形成様式には、本質的な違いはない(邦
訳 p.46)」ことを初めて指摘したプライス(Price(1897, 1905))の論文を引用しながら、前腎室・前腎
の糸球体と中腎のマルピーギ小体の相同性について議論している。相同とは、本質的には同じ器官
のことを言い(例:ヒトの手・イヌの前足・クジラの胸びれ・鳥類の翼)、本論文では、本質的に同じでき
方の器官のことを相同性がある、という使い方をしている。表-3-2 と図-3-18(カーソン原図)は
両者に対応関係があることを示したものである。
ヌタウナギは原始的な魚で、まずプライスが「体腔のポケット」と呼ぶ空洞が頭尾方向全体にで
き、前腎となる。その後、前方は前腎のままであるが、後方が中腎に変わり、その両者を一生の腎
臓として使うため、両者に相同性があれば、どちらも体腔の一部が一種の室をつくるというブラシ
ェーの説を支持することになることから、この種類が検討されたものである。
カーソンは、次のように議論する。当時、前腎室は前腎細管の融合で生じたものだとするフェリッ
クスの解釈は認められてはいたのだが、フェリックスの説を支持する証拠は限られていた。たとえ、
彼の説を認めたとしても、
「前腎室を生じさせた前腎細管自体は、内臓腔とその壁から生じたもので
ある、という事実は残」る。また、
「ボーマン嚢が内臓腔の孤立した部分に当るのでなければ、それ
がどのようにして前腎室と相同性を持つことができるのかを理解するのは難しい(以上、邦訳 p.47)」
と、フェリックスの説の矛盾をついている。こうして、前腎室・前腎の糸球体と中腎のマルピーギ
小体には相同性がある可能性が高いことを示唆している。
表ー3-2 前腎室・前腎の糸球体とボーマン嚢の空洞・マルピーギ小体の相同性に関する対応関係
前腎室・前腎の糸球体
ボーマン嚢の空洞・マルピーギ小体
1
前腎の糸球体
1’
2
前腎室から内臓腔への「腹膜管」 2’
3
前腎室
3’
ボーマン嚢の空洞
4
前腎細管
4’
中腎細管
5
前腎室へ開口している「腎口」
5’
ボーマン嚢の空洞と繋がる中腎細管の一部
中腎の糸球体
腎口
レイチェルは控えめな性格の人で、決定的証拠である孵化初日の前腎原基のでき始めの試料が得
られなかったので、断定はしていないが、アメリカナマズの試料から見て(特に 2 日目)、ブラシェ
ーの説が正しいことに自信を持っていたものと思われる。
現在でも(!)、魚類の前腎室形成のメカニズムとして、ブラシェーの説はたびたび引用されている。
この説の正しさと、前腎室・前腎の糸球体と中腎のマルピーギ小体の相同性―すなわち、前腎室・
中腎のボーマン嚢のでき方は同様で、体腔の一部から形成されたもので、細管の融合したものでは
ない―を指摘したレイチェルの見通しは正しく、ブラシェーの説に肉付けする業績をあげたと言っ
て良い。
3-14
3-8. この章のまとめ
レイチェル・カーソンの修士論文における、3-2-1 で述べた頭腎に関する様々な疑問点への考察
結果をまとめると、次のようである。
(なお、魚類の腎臓の機能については表-3-3 にまとめて示し
た。)
1.前腎のあったところに幼生期に生じる真骨類の頭腎には、胚期の前腎の痕跡器官であるとい
う側面がある。
2.中腎が形成された後の前腎は、持続性を持たない。すなわち、幼生期(孵化の6日目以後)
になると、成体になってからの腎臓である中腎を使う準備が始まる。前腎は徐々に腎臓としての機
能を失い、特に 10 日目以降には、前腎の退化を示す諸現象が明瞭に現れる。
3.幼生期になってすぐに、胚期には散在していたリンパ様組織と呼ばれる組織が前腎のところ
に集まってくる。また、前腎輸管の間に静脈群が楔状に侵入してくる。
4.前腎では大動脈から前腎の糸球体に血液が送られているが、幼生期では循環形態が違ってき
て、次のように静脈が血液循環の主体となる。
・胚期:大動脈-前腎-後主静脈
幼生期・成体:静脈-中腎-後主静脈
この理由として、頭腎は哺乳類なら脾臓に当たる役割:古い赤血球の破壊と造血機能を果たして
いる可能性があり、頭腎で造られた血液は静脈経由で中腎の糸球体に運ばれていると考えると、上
で述べたことへの説明がつく。
5.前腎室の形成は、ブラシェー説のように、体壁板と内臓板の上の方が回転することにより、
体腔の一部が閉じて形成されると考える方が合理的である。また、前腎と中腎のでき方は、本質的
に同様な形成過程、すなわち体腔の一部からできるのであって、両者には相同性があり、前腎室・
ボーマン嚢ができてから糸球体が形成されると考えられる。
以上に関する現在の知見は次のとおりである。:胚期に現れる前腎は,幼生期に中腎が形成され
て機能するようになると頭腎を残して退化する。すなわち、頭腎は前腎の痕跡器官であって、かつ
前腎の組織がリンパ様組織と造血組織(未分化の血液細胞が大部分)に置換されて、造血と免疫と
いう別の機能を果たすようになる。血液の循環についても、胚期には大動脈から前腎へ血液が送ら
れてきたものが、幼生期には頭腎で造血が行われ、静脈経由で中腎に血液が送られるようになる。
多くの魚類の造血器官は頭腎と脾臓である。主に前者は赤血球の、後者は白血球の造血に関わる。
免疫に関しては第 4 章で詳述するが、B 細胞は両生類以上の動物では骨髄で造られるのに対し、
魚類の場合、造血のほか免疫細胞、特に B 細胞の形成に頭腎が重要な役割を果たしていることが明
らかにされている。なお、中腎は魚類の幼生期以降の腎臓として尿の排泄と浸透圧の調整を行うが、
魚類には後腎は発生しない。(魚類の腎臓の機能については、表-3-3 にまとめて示した。)
このように見てくると、レイチェルは現在でも通用する学説を最初に唱えたわけではないが、頭
腎の免疫機能を除けば、諸説のうち、アメリカナマズという未研究の種類を用いて、現在の説とそ
んなに違わない説を正確に選んでいたと言って良く、発生学に貢献する業績を残したと言っても過
言ではないと思われる。
3-15
表ー3-3 魚類の腎臓の機能のまとめ
前腎:胚期・幼生期初期
①排泄+浸透圧調整器官、②造血器官、③上腎、(④免疫)
リンパ様組織が集積
頭腎:幼生期(中盤以降)・成体期
①免疫器官、②造血器官、③上腎
・幼生期・成体期には中腎が排泄+浸透圧調整機能を担う。
・前腎・頭腎とも①が最大、前腎では②③④ともごく一部(②→④の順に寄与は少なくなる)。頭腎で
は②は第 2 の役割、③はごく一部。
・造血機能:古い血液を破壊して、新しい血液を造る。脾臓と同じ役割だが、頭腎の寄与率が大。
・免疫細胞:両生類以上では骨髄で造られる B 細胞を魚類では頭腎で産生。胸腺で T 細胞が産生され
るのは両者とも共通(詳細は第 4 章)。
・カーソンは、頭腎の機能のうち、免疫には気づいていなかった*が、造血と上腎(哺乳類の副腎に相当)
としての機能には気づいていた。前腎・頭腎とも哺乳類の副腎皮質に相当する部分が含まれるが、典
型的な上腎はスタニウス小体(カルシウム調節機能を担う)だけであることも気づいていた。
* 「胚にもリンパ組織が存在する」ことを 3 度述べて、排泄・浸透圧調整・造血・上腎のほかに何か重要な役割
を果たしていることを示唆している。
3-16
第4章
魚類の生体防御と免疫
4-1. はじめに
レイチェル・カーソンの大学院時代にはほとんどわかっていなかったことに、魚類の生体防御
や免疫作用がある。生体防御とは、生物個体が体内に侵入する微生物、有害な異物、およびスト
レスから自らを防御するしくみである。また免疫とは、「自己(自分本来の細胞など)」と「非
自己(体内に侵入してきた病原体(細菌・ウィルス)や異物)」を区別し、「非自己・異物」を
排除する働きである。頭腎は造血機能にも増して生体防御・免疫という重要な役割を担っている。
このことが明らかにされたのは主に1970年代末以降であり、現在でも重要な研究テーマとなって
いる。以下、明記した部分を除き、『生物生産と生体防御
Ⅳ魚類の生体防御』(コロナ社, 1995,
矢野友紀著, pp.172-254)などに基づいて、魚類の生体防御についてまとめた。
4-2. 非特異的生体防御
魚類の微生物感染や有害物質への抵抗性である生体防御機能には、非特異的な免疫(物理的防
御壁・自然免疫)と特異的な免疫(獲得免疫)がある。
・非特異的:元々体に備わっていることを意味する。
・特異的:抗体の産生を促す抗原とだけ結合し、他の抗原とは反応しないことをいう。
一度はしかにかかると二度とかからないのも、特異的な免疫の例である。非特異的生体防御は、
特異的免疫が機能する前に外敵への防御を行うため、魚の健康度を表す目安と見なされている。
また、魚類などの水生生物は、水中の細菌・ウィルス・各種化学物質に体表が接しているため、
特異的免疫が成立する以前の非特異的生体防御機構がより重要であると言われている(川合・山本
(2004)、pp.199-200)。
非特異的生体防御には、①皮膚、腸粘膜、鰓(えら)などによる物理的防御壁、②血液や粘液に
どんしょく
含まれる非特異的な体液性因子(抗微生物因子)、③細胞性因子:白血球中の食細胞による貪 食
(捕食ともいう)がある。一方、特異的免疫には、④B細胞が主体となる体液性免疫(抗体産生:4-3-2
参照)と、⑤T細胞が中心となる細胞性免疫がある(1)(4-3-3参照)。
①物理的防御壁:魚類(真骨類)でも微生物が侵入したとき、局所的に急性の炎症反応が起こ
ることがコイやニジマスで明らかになっているが、魚類の炎症応答は哺乳類に比べて一般に緩慢
で(1)、魚類の免疫機構の原始的な点の一つとされている。
②体液性因子:重要なものに補体があり、血清中のタンパク質や酵素群からなる。抗体は抗原
を認識して特異的に結合することができるが(4-3-2参照)、抗体には結合した抗原を分解して除
去する能力はなく、補体がその機能を担っている。
抗原の細胞を殺したり(溶菌)、ウィルス中和(ウィルスに結合してウィルスの細胞への付着を
防ぐ)・外毒素中和・寄生虫溶解などの抗微生物作用のほかに、食細胞による抗原の分解を大き
く促進する(貪食促進作用)。補体は第一経路(古典経路)と第二経路と呼ばれる2つの経路か
らなり、ニジマス、コイ、アメリカナマズなどで第一・第二経路の存在が確認されている。しか
4-1
し、魚類の補体第二経路による活性は、哺乳類に比べきわめて高く(5~60倍)、魚類では抗体
と関わらずに働く第二経路が生体防御に重要な役割を果している(2)。
近年、硬骨魚類には哺乳類とほぼ相同な補体が存在し、補体成分の多様性と、哺乳類には見ら
れない機能があることが明らかになった。例えば、哺乳類の補体の最適反応温度は37℃であり、
低温では補体の機能が大きく低下するが、硬骨魚類では補体の最適反応温度が20~25℃と低く、
0℃でも若干の活性が認められる。この性質が魚病体策(4-5参照)に重要となりそうである (中尾、
矢野(2000))。
このほかの体液性因子として重要なインターフェロンは、ウィルスの感染に誘発されて大多数
の脊椎動物の細胞が作り出す分子量2万~3万のタンパク質である。インターフェロンは、ウィル
スに感染していない細胞に作用して、その細胞の正常な機能にはほとんど影響を与えずにウィル
スへの抵抗性を持たせ、感染にかかわるウィルスの増殖だけを押さえる役割を果す。
③細胞性因子:次に、貪食作用を示す細胞として知られる白血球中の食細胞について述べる(血
液の成分については図-4-1を参照されたい)。
9000/ μL)
血液を分離すると生じる、血漿と
血球の間の薄く白い部分に、白血
球は分布する。
図—4-1
ヒトの血液の成分
ニジマス、アメリカナマズ、ウナギ、コイなどの魚類では、白血球のうち好中球、単球、マク
ロファージなどの食細胞が貪食活性を示す。食細胞に貪食された異物は、酵素で分解される。た
だし、サケ科魚類、アメリカナマズ、コイなどは急激な水温低下、低酸素、水質汚染等のストレ
スにより、食細胞の貪食・殺菌能力が低下する。血液中の全白血球に対する好中球の比率は魚類
によって著しく異なり、アメリカナマズは、魚類としては高い(50~85%)グループに含まれる。
サケ科魚類、ウナギなどでは、好中球は主に頭腎でつくられ、一部が脾臓でつくられる (3)。
白血球中の単球の比率は、アメリカナマズ、ウナギでは0.6~1.1%と報告されている。アメリ
カナマズでは、単球を多く含む血液中に正常な血清や抗体が存在するときに、食細胞が貪食作用
を活発に示すと言われている。マクロファージ**は大食細胞とも呼ばれる大型(15~20μm)の
単核細胞で、単球が移動して種々の臓器に定着したものである。細胞質に富み、粘着しやすく、
4-2
偽足を出して運動する。魚類のマクロファージは頭腎、中腎、脾臓、胸腺、腸間膜、鰓 (えら)、皮
膚(真皮)に多数存在する(4)。
ナチュラルキラー(NK)細胞は、同種の異個体間で異なる抗原(アロ抗原)による感知を受け、
ウィルスに感染した細胞や癌などの腫瘍細胞を攻撃し、傷害を与える細胞である。魚類のナチュ
ラルキラー様細胞(NK様細胞)については、コイ科およびサケ科魚類、アメリカナマズなどでそ
の機能が研究されている(5)。魚類の場合は哺乳類のNK細胞とは構造がやや違っているので「様」
の字が付けられている。
* 近年、マクロファージには免疫を活性化するM1マクロファージと、免疫を抑制するM2マクロファージの2
種類があることがわかってきた。M2マクロファージには、癌組織などに栄養を供給するための血管を作
ったり、癌細胞を刺激して増殖を促進する働きがあり、癌病巣内では癌細胞とM2マクロファージが相互
に活性化しあって、癌が発育・転移しやすいような微小環境を形成しているのではないかと考えられて
いる(熊本大学(2009))。なお第4章では、免疫を活性化するマクロファージについてのみ述べている。
4-3. 特異的生体防御
特異的生体防御には、次の2つがある。
・体液性免疫:抗体、補体などの液性成分によって抗原抗体反応が生じ、抗原を無毒化する。
・細胞性免疫:キラーT 細胞やマクロファージが抗原を直接攻撃するタイプの免疫防御。
ただし、抗原:体外から体内に侵入し、免疫系に異物として認識される物質のことをいう。
細胞性免疫の例としては、移植片拒絶反応や結核の有無を調べるのに用いられるツベルクリン
反応などがある。
真骨類魚類でも、同種移植片拒絶反応が認められる(キンギョ、メダカ、カサゴを用いた研究
例がある)ことから、体液性免疫に加えて細胞性免疫が機能していることは以前から予想されて
いたが、1980年代中頃以降は、アメリカナマズやサケ科魚類などでT細胞とB細胞(次節)が分離
され、リンパ球の機能の解析も行われるようになった(6)。
4-3-1
リンパ組織とリンパ球
リンパ球組織のうち、胸腺ではT細胞が、骨髄など(魚類では頭腎)ではB細胞がつくられる。
・T細胞(Tリンパ球)・・・・・・胸腺(Thymus)で分化・成熟するリンパ球で、免疫反応を調整する
指示を出すヘルパーT細胞、非自己細胞を攻撃・破壊するキラーT細胞などがある。
・B細胞(Bリンパ球)・・・・・・両生類から哺乳類までの骨髄(Bone marrow)でつくられ、胸腺を
通らずに分化するリンパ球で、脾臓や、獲得免疫が効率よく機能するための器官であるリンパ節
で働き、免疫グロブリン(抗体)をつくる。ただし、魚類では頭腎で産生される。
・造血細胞性の骨髄・・・・・・造血とB細胞の形成を担う細胞を持つ骨髄のことをいう。
魚類における主要なリンパ組織は腎臓中の頭腎、胸腺、および脾臓である。無顎類(ヌタウナ
ギ、ヤツメウナギ)を除く脊椎動物では、B細胞の産生する抗体とT細胞が担う免疫系の両方を、
かね備えている。しかし、脊椎動物中で哺乳類と大きく分岐している魚類では、一種類の免疫グ
ロブリンだけがほぼ全量を占めている(4-3-2参照)ことのほかに、免疫器官についても哺乳類と
大きな違いがある。魚類は造血細胞性の骨髄を持たず(両生類において初めて出現(図-2-1参
4-3
照))、造血機能とB細胞の分化は成体の魚では頭腎で起こる。また、哺乳類とは違って獲得免疫
を効率よく機能させるためのリンパ節などの器官を持たず、二次免疫応答(4-3-2(1)参照)が遅い
など、魚類の免疫の状況も哺乳類と比べて原始的である。それに対し、無顎類を除く魚類から哺
乳類まで、胸腺はT細胞を成熟させる機能を担っている。
脊椎動物は、羊膜の有無によって、両生類と爬虫類のところで大きく分かれる。すなわち、無
羊膜類(魚類・両生類)と羊膜類(爬虫類・鳥類・哺乳類)である。しかし、骨髄の有無は、魚
類と両生類のところで分かれる。これは栃内新博士によれば、放射線障害に関してより危険性の
少ない水中から、より危険性の高い陸上へ上がる過程で進化したためであろうという。1980年代
以降、特に皮膚からの感染症などでカエルやサンショウウオなどの両生類で絶滅する種類が増加
し、地球温暖化などによる影響が懸念されている(例えば、石裕之著『地球環境危機報告』、pp.277-281)。
両生類は造血細胞性の骨髄を持っているとはいえ、羊膜類に比べて皮膚による防御壁の機能が劣
ることがその理由の一つと言えそうである。
4-3-1(1) リンパ組織
腎臓:第2,3章で述べたように鰾の背面に分布し、体腔の背側の壁を脊椎骨と平行に後方へ
伸びる左右一対の細長い器官で、その外形は魚種により異なる。胚期に機能する前腎は、幼生期
に魚類の生涯の腎臓である中腎が形成され機能を開始すると退化し、それと同時にリンパ様組織
が集積して頭腎となる。頭腎はリンパ様組織と造血組織からなり、組織的には中腎(体腎)と異
なるが、目視的には両者の境界は判別しにくい(図-2-4参照)。頭腎は、Bリンパ球や、赤血球な
どの血液細胞を産生する機能を持っている点で哺乳類の骨髄に相当する。中腎は尿の排泄と浸透
圧調整の二つの機能を果たしている(2-4、表3-3参照)。
多くの魚類の造血器官は頭腎と脾臓である。主に前者は赤血球の、後者は白血球の造血に関わ
っている(岩井、p.137)。
頭腎の組織のうち、造血組織では未分化な血液細胞が多くを占めるが、赤血球、単球、マクロ
ファージ、ナチュラルキラー様細胞、リンパ球など、大部分の種類の血液細胞が産生され混在す
る。魚種によってはリンパ様組織(白色髄)と造血組織(赤色髄)が区別できるものもあるが、
全体が均質なリンパ造血組織となっているものもある(7)。
また多くの魚種で、頭腎以外に中腎細管群の間隙にもリンパ組織が点在している。このことは、
レイチェル・カーソンの修士論文でも言及されている(表-3-1(2)、第邦訳(1932)部6日目の記
述・図-30)。
胸腺:T細胞を分化する働きを担うリンパ組織からなる。魚類の胸腺は左右一対の薄い膜に覆
われた卵形の器官で、鰓腔(さいこう)の後方背面側の上皮下に埋没して分布する(図-2-3参照)。
脾臓:造血器官であるばかりでなく、老化した赤血球や白血球を破壊する場所であり、さらに
赤血球の貯蔵箇所でもある。真骨類では胃の近くで腸管に接して存在する。ただし、無顎類は脾
臓を持たない(岩井、p.138)。リンパ組織としての役割は頭腎が脾臓よりも大きいとされている。
4-4
4-3-1(2)
リンパ球
リンパ球は、特異的生体防御の中心的な役割を果たす。魚類のリンパ球は頭腎、胸腺のほか、
脾臓、血液、皮膚(真皮)、粘膜、鰓に広く分布し、その形態は、他の脊椎動物のものとおおむ
ね同様である。近年、魚類でも哺乳類のT細胞・B細胞と相同なものが、ニジマスを含むサケ科魚
類、アメリカナマズ、コイなどで見出された。また、表面構造の違いを利用してT,B細胞を分離
することが可能となった(8)。
この結果、魚類でも各リンパ球の機能の研究例が増えて、魚類のT,B細胞の特性は多くの点で、
哺乳類のリンパ球とよく似ていることが明らかにされている。
4-3-2.
体液性免疫
血液やリンパ液に含まれるタイプの免疫を体液性免疫と呼び、その抗体は、免疫グロブリン
(Ig)というY字型をしたタンパク質からなる。抗原に接触して刺激を受けた免疫担当細胞(マ
クロファージ、T細胞、B細胞)は相互に作用しあい、B細胞が分化・成熟して抗体産生細胞となっ
て、抗原に対して特異的に結合し、抗原を無毒化する。
哺乳類には5種類の抗体が存在するが、無顎類を除く魚類の抗体のほぼ全量は、IgMと呼ばれる
抗体に限られる点で原始的である。IgMは進化の過程で最初に出現した抗体とされ、ヒトでは抗原
の刺激によって最初に造られ、補体を活性化する作用が強い。
魚類のIgMは血液のほか、皮膚、腸、鰓の分泌液、体腔液、胆汁などの粘液や、卵からも検出さ
れており、抗原を投与すると、粘液中にIgMなどの抗体が特異的に出現することが、アメリカナマ
ズ、ツノガレイ、ニジマスなどで報告されている(9)。
哺乳類や鳥類で知られるIgM以外の抗体としては、近年、硬骨魚類でIgDと呼ばれる抗体などが
ごく少量見出されているが、その機能はよく分かっていない。魚類の抗体は頭腎と脾臓で産生さ
れる。抗体産生細胞は大部分が頭腎に存在するが、一部の魚種では胸腺でも抗体産生細胞が確認
されている。なお、無顎類では、胸腺とIgM抗体の存在を示す明確な証拠は得られていない。
4-3-2(1) 体液性免疫のしくみ
体液性免疫のしくみは、次のとおりである(図-4-2)。
①
マクロファージは侵入した抗原を捕食し、抗原の情報をヘルパーT細胞に伝える。
②
ヘルパーT細胞は異物を確認し、刺激物質を出してB細胞を刺激する。
③
刺激されたB細胞は抗体産生細胞となり、その抗原物質と特異的に結合する抗体を産生して体
液中に放出する。抗体と抗原は抗原抗体反応を起こし、抗原は無毒化される。
④
B細胞が増殖・分化する際に、一部は記憶細胞として抗原の情報を記憶する。
4-5
(抗原の情報
を伝える)
抗原
(侵入)
マクロファージが
抗原を捕食
ヘルパーT細胞
(異物の確認)
(刺激)
抗体産生細胞
(増殖・分化)
B細胞
(抗体を産生・
放出)
記憶細胞
抗原抗体反応
(抗原の情報を一定
期間保ち,2回目以降
の抗原侵入に反応)
(抗原の無毒化)
図-4-2
体液性免疫のしくみ**
恒温動物(哺乳類・鳥類)では一度抗体ができる(一次応答)と、同じ抗原が二度目に侵入し
ても、早急に大量の抗体が産生される(二次応答)。この理由は、抗原が最初に侵入したとき、
その抗体の情報がリンパ球に記憶されるためである。魚類の抗体産生においても一次、二次応答
の両方が認められるが、二次応答は哺乳類のそれと比べて緩慢であり、抗体の産生量も一般に低
い(二次応答の発現を疑問視する意見すらあったという (児玉・伊藤(1987)))。この理由は魚類の
抗体の全量近くがIgMに限られるためと考えられている(図-4-3)。
図-4-3
血中の抗体量の日変化(概念図)
魚類は適温下では正常な抗体産生応答を示すが、低温下では免疫応答が抑制される。おそらく、
ヘルパーT細胞の機能やB細胞の増殖・分化が阻害されるためだろうと考えられている(10)。
4-3-3
細胞性免疫
リンパ球のT細胞自身が抗原に対する免疫防御を担い、抗原と特異的に結合する抗体が血清中に
検出できないものを細胞性免疫という。
4-3-3(1) 細胞性免疫のしくみ
細胞性免疫のしくみは、次のとおりである(図-4-4)。
4-6
①
マクロファージは、補食した抗原の情報をヘルパーT細胞に伝達する。
② 情報を受けたヘルパーT細胞は、細胞自体が増殖するとともに、リンホカイン産生T細胞やキ
ラーT細胞の増殖を促す。
③ キラーT細胞は増殖して、非自己と判断した移植片細胞やがん細胞を攻撃し破壊する。
④ リンホカイン産生T細胞は、増殖してリンホカインを放出し、マクロファージの食作用を活性
化する。活性化されたマクロファージは、抗原を捕食する。
抗原: 変成した
細胞・異物
マクロファージ
による捕食
マクロファ
ージの食作
用の活性化 (捕食)
リンホカイン
産生T細胞
(情報)
ヘルパー
T細胞
(リンホカ
イン放出)
キラーT細胞
(増殖・攻撃)
図-4-4
変
成
細
胞
・
が
ん
細
胞
・
移
植
片
な
ど
細胞性免疫のしくみ**
ここでリンホカインとは、免疫担当細胞であるリンパ球から産生・放出され、免疫作用の発現
や調節に関わる様々な特性を持った溶解性因子の総称である。哺乳類のリンホカインは分子量1
万~8万のタンパク質で50種類以上が知られているが、魚類でもニジマス、コイ、アメリカナマズ
などのT細胞が、種々のリンホカインを産生することが確認されている(11)。
なお、カーソンの修士論文では、 リンパ系組織からなる食細胞として、リンパ球が古い組織を破
壊する役割について言及されている(邦訳 2.3、pp.10-12)。オーディゲ(Audigé)が「リンパ系組
織が、使い古した腎臓の細胞を破壊するのに重要な役割を果たしている」としたのに対し、ヴェ
ルヌ(Verne)が、前腎の「機能性のある腎臓組織へリンパ球が侵入するのは全く認められて」おら
ず、この役割は、前腎「細管が機能しなくなって退化」してからに限られると批判したことを紹
介している。
カーソンは、免疫としてのリンパ球の役割や胸腺については全くふれておらず、さすがにそこ
までは気づいていない。しかしカーソンは、胚の中のリンパ組織が何らかの重要な役割を果たし
ていることには気づいており、3 箇所でそのことを指摘している。3.3 のバルフォアのところで述
べたことのほかに、ヴェルヌの説では、「胚期の前腎にも多量のリンパ系組織が存在することが
、説明できていない」と述べ、リンパ系組織は胚期においても、また、ほかにも何らかの重要な
役割があることを示唆している。
カーソンは、修士論文前半の研究史の部分で、「間隙を満たすリンパ系組織が、前腎の重要な
構成要素の一つなのは明らかである。我々の生理学的知識はかなり限られているため、この組織
が有する機能の重要性は評価できていないが、それを単なる付属品だと考えることはできな
4-7
い。
・・・オーディゲは、リンパ系組織を単に更新された組織とは考えていない。というのは、こ
の組織は前腎のほかの要素とともに、胚の中で共存しているためである。(第邦訳(1932)部2.2、
p.7)」と述べ、リンパ様組織の重要性について指摘している。そして、他の研究者の論文を引用
しながら、リンパ様組織は、「あらゆる点で哺乳類の脾臓に匹敵する」こと、「脾臓と・・・リ
ンパ系組織の局在化との関連性には、有意なものがある」こと、さらに、「哺乳類では脾臓で行
われている機能を有している(以上、第邦訳(1932)部2.3、pp.11-12)」ことを述べている。「脾臓
で行われている機能」とは、古くなった赤血球の破壊と造血であることを示唆している。
そして、リンパ様組織は出現した幼生期の始まり(6 日目)では、この組織および同時に現れ
る毛細血管網について議論し、「この組織は 6 日目に突然現れる。リンパ様組織が生じるときに
ついて、5 日目の胚で見出された要素から、確実に言えることは何もない。この組織は、発達し
つつある血管組織に対して重要な役割を果たす可能性のある、何らかの関係を維持するために現
れるのだが。この問題については、さらに十分な研究を行う必要がある(第邦訳(1932)部 6 日目、
p.36)」と述べている。
以上から、リンパ様組織の持つ造血作用についてカーソンが気づいていたことは、ほぼ間違い
ないと言って良いだろう。
4-4. 魚類の養殖と魚病
カーソンの修士論文で議論されている魚種では、アメリカナマズ、フグ、コイ、ウナギ、マス、
サケ、ヒラメ、その他では、ブリ、タイ、カンパチ、マグロを含む様々な魚種の養殖が世界各地
で盛んに行われている。しかし、養殖数が過大になると水質や底質が悪化し、さらに生魚や魚卵
を輸送するときにも病原体が感染して、多大な魚病被害が発生するという問題が生じている。さ
らに、養殖に使われる抗菌剤には発ガン性を示すものもあり、特に輸入品については、検疫だけ
では防ぎきれず問題視されている。
養殖事業における魚病被害は毎年200億円を越えると言われており、2003年には日本国内の各
地でコイヘルペスの被害が発生した(川合・山本(2004)、p.199)。
魚病にはウィルス病、細菌病、真菌病、寄生虫病がある。特に重要なウィルス病には、6箇月
未満のアメリカナマズに多発するウィルス病が含まれる。細菌病には腸内細菌によるアメリカナ
マズ、ウナギ、サケ科魚類の病気などがあり、真菌病としては、サケ科魚類の水カビ病などが知
られている。また、寄生虫病のうち、ある種の繊毛虫がウナギ、アメリカナマズを含む淡水魚や
海水魚の鰓、皮膚に多数寄生することで起こり、寄生虫が白点のように見えることから白点病と
呼ばれる病気が知られている。この寄生虫は世界的に分布しており、様々な魚種の主に幼生に寄
生するため問題となっている(12)。
4-5.ワクチンによる魚病対策
魚類養殖では、一度魚病が発生すると薬品(抗菌剤と抗生物質)による治療しか対策がない時
期があった。しかし、多剤耐性菌が現われて感染症の治療が困難となり、さらに、安全な食品に
対する消費者の要望の高まりから、薬剤の魚体内残留が問題視された。従って近年は、できる限
り薬品に頼らずに魚病の発生を防止すべく、魚類の免疫力を利用し、免疫力を高める物質の研究
が進められており、効果的な魚病ワクチンが養殖事業で使用・普及するようになってきている。
ワクチン効果に影響を及ぼす要因には、魚の体重、水温およびストレスがある。一般に魚の体
4-8
重の増加とともに、免疫持続期間が長くなる傾向があり、成体に比べて幼生の免疫持続期間は短
いことが多い。第二に、魚類は変温動物であるため、一般に抗体産生能力は低水温下では著しく
阻害される。水温の影響は魚種によって異なる。第三に、サケ科魚類、アメリカナマズおよびコ
イなどでは、ストレスにより抗体産生の低下が生じ、細菌、真菌、寄生虫に対する抵抗力が弱ま
ることが明らかにされている。魚病用ワクチンの一例として、寄生虫病のうち白点病に対しては、
白点病ワクチンが有効である。これをコイやアメリカナマズに接種すると、特異抗体が産生され、
白点病による致死率が減少することが確認された。さらに、アメリカナマズの腸内細菌病(腸敗
血症)に対するワクチンが開発・実用化されている(13)。現在、日本国内の海産魚用としては、ブ
リ、ヒラメ、シマアジ、マダイ、カンパチ等のワクチンが承認されている(杉本(2011))。
魚類の特異的免疫機構は未熟で、異物の認識に難があるが、硬骨魚類の補体には哺乳類では見
られない多様性がある。従って、魚類の抗病性を高めるためには、補体を含めた非特異的免疫を
強化することが効果的らしいと考えられている(中尾、矢野(2000))。実際にワクチンが適正量与え
られると、魚体内では白血球の殺菌能力が向上し、補体等の免疫物質が活性化されることが明ら
かになっている(湯浅 (2003))。
また近年は、DNAワクチンの研究が盛んである。これは病原体の抗原遺伝子を組み込んだDNAを
魚体内に入れ、細胞中で抗原タンパク質を発現できるようにしたもので、体液性免疫だけでなく、
細胞性免疫の誘導能にも優れていることから、まだ実用化には至っていないが、究極の免疫と期
待されている。コイ、アメリカナマズなどのウィルス病に対するワクチン効果が高かったことが
報告されている(青木(2008)) 。
4-6. この章のまとめとカーソンの修士論文の免疫研究への意義
無顎類を除く脊椎動物では、B細胞の産生する抗体とT細胞による免疫系を備えている。しかし、
魚類の成体では哺乳類と違って造血細胞性の骨髄を持たず(両生類で初めて出現)、造血機能と
B細胞の分化は頭腎で起こり、一方、魚類から哺乳類までT細胞の産生は胸腺で行われることを述
べてきた。
魚類の生体防御には、原始的な点がある。すなわち、a.物理的防御の炎症応答が緩慢である (4-2
①)、b.低水温下での免疫応答の低下 (4-2③,4-3-2(1),4-5)、c.リンパ節を持たず、IgM以外の免
疫グロブリンがほとんど産生されないため、恒温動物(哺乳類・鳥類)に比べ抗体産生の二次応
答は緩慢で、抗体の産生量も少ない(4-3-2)、d.抗体が関与して働く補体の第一経路があまり機
能していない(4-3-2(1))、などである。その一方で魚類の免疫機構には、頭腎-B細胞の分化、胸
腺-T細胞の成熟などの機能がほぼ十分に形成されているのに加えて、T, B細胞の特性は哺乳類
のリンパ球と似ており、高等動物に近いものである点が明らかにされたことは重要である。
魚類の生体防御の研究は、主に1970年代末以降発達してきたが,研究課題も多い。魚類の免疫
機構の解明を進めていくには、主にT細胞の機能などの検討をさらに深めていくことが不可欠だ
と言われている。具体的には、a. 魚類のリンパ球の表面構造を解析してT,B細胞の分離例を増や
す、b. 胸腺で分化・成熟したTリンパ球の免疫機構の詳細な研究、c. 補体やナチュラルキラー様
細胞の免疫機能(特に感染防御)に果たす役割の詳細の研究、といった課題の解明が望まれてい
る。これらの研究は免疫学上重要であるとともに、魚病対策にも寄与するものと考えられる。
レイチェル・カーソンが大学院で研究していた1930年代前半には、頭腎のもつ機能のうち、造
血機能が少しずつ分かり始めてはいたが、免疫機能については全くと言ってよいほど分かってい
4-9
なかった。しかし、カーソンは修士論文中において、前腎が幼生になっても腎臓機能を維持し続
けるのではなく、徐々に退化していく一方で、リンパ様組織が集積して頭腎となり、造血機能を
持つようになるという説が正しいことを示唆して、現在の魚類の免疫研究の前夜に相当する研究
を行っていた。カーソンは、彼女が高く評価したバルフォアやヴェルヌの論文に関して、「胚期
の前腎にも多量のリンパ系組織が存在」し、何か重要な役割を果たしていることが論じられてい
ない点に限れば批判的だった。カーソンは、修士論文を「リンパ様組織が未分化な主静脈の組織
とかなり近い地点に生じて、前腎と中腎の双方に同時に現れることに注目するのは、意義がある
ものと考える」と結んでおり、今後のリンパ様組織研究の重要性を指摘している。
また、以上述べてきたように、彼女が用いたアメリカナマズが現在、メダカに次いで魚類の頭
腎の免疫機能研究のために多用されている種類の一つであることなど、先見性にも富んでいるこ
とを考えると、レイチェル・カーソンの修士論文は、科学にも貢献したと言って良く、この修士
論文の持つ科学的意義が評価されてしかるべきだと考える。
さらに、多剤耐性菌が現われて強い薬剤による魚病の治療が困難になるとともに、薬剤の魚体
内残留が問題視され、魚類の免疫力を利用したワクチンにより魚病を防止する試みが進められて
いることは、『沈黙の春』でレイチェル・カーソンが示した極力自然なものを使うという思想と
深い繋がりがあるように思われ、興味深い。
* 『生物生産と生体防御
Ⅳ魚類の生体防御』(矢野、1995)の参照箇所:(1)p.173-174, (2) pp.180-182,
(3)p.189-190, (4)pp.192-193, (5)p.195, (6)pp.197,214-215, (7)pp.199-200, (8)pp.203-204, (9) p.207,
(10)pp.209,211, (11)p.217, (12)pp.227,229-231,237,239-241, (13)pp.244-246.
** チャート式シリーズ 新生物邦訳(1932)、数研出版(2005)、pp.70-74. を参考にして作成。
4-10
第5章
レイチェル・カーソンの修士論文の科学史 的および環境論的意義
本章では、レイチェル・カーソンの修士論文の科学史や環境論における意義について考察する。
5-1. 発生学と進化論と生態学-カーソンの修士論文と進化系統樹との関連性
カーソンは大量の文献を読破して、それを基に様々な魚の議論を詳細に行っているが、選ばれた種
類を、図-5-1 に示した魚類の進化系統樹と比較してみると、ある特徴に気づく。
魚類の進化系統であるが、古いものは古生代カンブリア紀(約 5.4-4.9 億年前)から現れている。最
も古い種類は絶滅し、現存する種類で古い形態を残しているのは、
「魚の時代」と呼ばれるデボン紀(約
4.2-3.6 億年前)に現れたものが多い。のちの石炭紀(約 3.6-3.0 億年前)になると、第 2 章で述べた
無顎類(ヌタウナギ・ヤツメウナギ)が出現して、今でも原始的な形態を保っている。例えば、ヌタ
ウナギは中腎だけではなく、前腎を一生使うわけである。さらに、軟骨魚類から硬骨魚類へ進化して
いく。1990 年代には、魚類は約 25,000 種類が報告されていて、そのうちの約 24,000 種が硬骨魚類だ
った。硬骨魚類では、チョウザメの類などが分かれたのち、最後に現在の魚の代表格である真骨類が
現れ、魚類全体の 90%以上を占めるに至っている(図-5-2)。現在では魚類の数は 28,000 種に達し、
いずれ 30,000 種を越えると予想されている。
( 億年前 )
きょくき
棘鰭上目
軟 全 真
真
肺
魚
類
等
カレイ目
類 類 類
類
ギンポ、ボラ、アジ
(
ギ
ン
ザ
メ
類
な
ど
スズキ目
ヨウジウオ目 他
カサゴ目
タツノオトシゴ
ダンゴウオ
)
サ
メ
・
エ
イ
類
な
ど
(
ヤ
ツ
メ
ウ
ナ
ギ
・
ヌ
タ
ウ
ナ
ギ
類
ウバウオ目
)
絶
滅
×
トウゴロイワシ目
キンメダイ目 他
アンコウ目
ダツ
)
代
フグ目
質 骨 骨
質
バトラコイデス目
アシロ目
)
生
類
鰓 頭
類 類
硬骨魚類
)
0.66
中
板 全
(
白
亜
紀
円
口
(
0.23
軟骨魚類
(
第
新
四
紀
生
0.026
第
代 三
紀
無顎類
メダカ目
タラ目
三
畳
紀
古
ソコダラ科
1.45
ペ
ル
ム
紀
サケスズキ目
ハダカイワシ目
2.5
ワニトカゲギス目
骨鰾上目
石
生
炭
紀
代
3.6
デ
ボ
ン
紀
4.2
サケ目
コイ・ナマズ
3.0
カワカマス
ニシン目
オステオグロッサム目
無
顎
顎
類
口
類
肉
鰭
魚
類
条
鰭
魚
類
カライワシ上目 ウナギ
フォリドフォラス目
図-5-2 真骨魚類の系統進化関係
図-5-1 魚類の進化系統図
(Nelson,1984 に加筆)
(小嶋・高井『魚の世界』
、p.74 を簡略化、加筆)
レイチェル・カーソンは進化系統を意識して種類を選
び、議論している。影を付けた部分は、カーソンが修
士論文中で議論している種類である(図-5-1 も)。
5-1
側
棘 きょ
鰭 きく
上
目
現存の真骨類でいちばん古いのがカライワシとか、ウナギの類である。彼女はウナギ回遊の謎に着
目して博士論文を書こうとした。だが、海陸両棲であるウナギの腎臓で「どのように海水の塩分を調
節するのか」などを研究し始めていたところで、家庭や経済的な事情により中止せざるをえなかった
のである。
進化が進んでいくと、修士論文の議論の対象としているコイやナマズが現れ、もう一方はニシンや
サケ、カワカマスなどに分かれていく。これらは真骨類の中では原始的な種類であり、真骨類全体の
基本的な情報を得るために、原始的な種類を調べたものと思われる。カーソンがさらに議論している
のは、タラ、アンコウ、ウバウオである。それからカサゴ、ダンゴウオ、トウゴロウイワシ、ダツ、
タツノオトシゴと続く。アンコウやタツノオトシゴは、2-4 で述べたように独特の進化を遂げたので、
糸球体が存在しない。
最も魚らしい魚と言われるスズキ目のギンポや、ボラ、アジ、さらにはカレイ目など、満遍なく種
類を選んでおり、メダカ目を除く主な真骨類の大半をカバーしている。直接書かれてはいないが、魚
類の進化と生物多様性を強く意識していることが分かる。また、回遊魚であるウナギを選んだことは、
後のレイチェル・カーソンの循環論的な議論に繋がるものと思われる。
図-5-3(1) チャールズ・ダーウィン(1809-1882)
ビーグル号によるガラパゴス諸島の調査等から、全
ての生物種が共通の祖先から長時間をかけて、自然
選択の過程を通して進化したことを示し、現代生物
学の基礎の一つを築いた。代表作「種の起源」
。
図-5-3(2) エルンスト・ヘッケル(1834-1919)
ダーウィニストで、進化論を証明するために発生学を
研究。反復説を提唱し、マクロな生物学の必要性を説
いた(1886)。なお、彼の死後、反復説がナチスの人種
差別政策擁護に悪用された不幸な歴史もある。
こうして見てくると、カーソンは進化論の影響を受けていることが分かる。事実、カーソンは近代
進化論の開祖で、
『種の起源(1859)』の著者であるダーウィンから以下の計 11 回引用・議論している。
『沈黙の春』においては、第 5 章でミミズの土壌形成に果たす役割の話、正常な細胞がガン細胞に
変わる理由を適者生存と結びつけて説明した部分(第 14 章)、第 2 章・16 章で自然淘汰説と害虫が農
薬によって強い免疫を得ることを結びつけた議論で 3 回、の計 5 回ダーウィンについて述べている。
また、次の6回でもダーウィンについて語っている。まず、
『失われた世界-島の試練』でダーウィ
ンが、鳥の羽毛についていた泥の塊から 5 種 82 個体の植物を得たことと、ガラパゴス島から進化の
歴史を悟ったことを述べている(『失われた森』、pp.83-84)。これはのちに『われらをめぐる海』の『島
の誕生』に発展させた形で議論されている(文庫版、pp.139-141)。同書では他に、南米沖で熱帯の水域
から南方の冷水域に入ったとたんにペンギンの大群などに出会って驚く話(同、p.34)、大西洋のブラ
ジル沖でリン光に輝く夜の海で感動する話(同、pp.53-55)、大洋中の島では珍しい非火山島起源のセン
ト・ポール列岩でクモを見つける話(同、pp.132-134)、でダーウィンのことが述べられる。さらに、
『環
境の汚染』という講演会でダーウィンの進化論が世に受け入れられていく過程について述べ、環境の
思想がやがて受け入れられていくことに希望を寄せている(『失われた森』、pp.273-284)。
5-2
また、発生学を研究することで、ヘッケルの反復説、生態学とも間接的に繋がっている。ヘッケル
はその著『自然創造史』(1866)の中で「生態学」という言葉を、初めて提唱した人物である。以上か
らカーソンは、ダーウィン、ヘッケルから続く発生学・進化論・生態学の流れに位置づけられる人物
であり、これら 3 つの学問は密接な関係にあることも明らかである。太田哲男(1997、37p.)は、カー
ソンの『潮風の下で』で使われている「
「無限の鎖」
「生命の織物」
「ライフサイクル」という表現は」
「海辺の生命の織りなす生態系を見事に描くキーワード」であると評している。
5-2.デカルト的二元論の限界
今日、地球規模の環境問題が顕在化し、近代科学文明を問い直す必要があるとする意見が多い。
近代の科学的思考は、観察と実験から得られる経験的事実を踏まえ、論理的推定と数学的証明によ
って合理的に思考する、という2つの要素からなる。ベーコンの帰納法*的な経験論(経験と実証)と、
帰納法を退け演繹法*(演繹と合理)を推奨するデカルトの合理論によって、この2つの要素は、近世
17 世紀の西洋を象徴する新しい思想として定着していった(*5-6-2 参照)。それ以前は、自然の変化を
目的達成の過程とする見方、例えば物体の落下はその物体が下に向かおうとする目的により生じる、
とするアリストテレス流の目的論的自然観が主流だった。それに対し、デカルト(1596-1650)は自然を
精密機械と見なし、実験と理論から示される自然法則に従って運動する自然、との考えである機械論
的自然観を提唱した。彼は、自然から客観的認識を得るために、主体である人間(精神・主体)と、
空間的広がりを持つ自然(肉体・物体・客体)とに区分する物心二元論から自然を捉えた。
フランシス・ベーコン(1561-1626)は、彼の「知は力なり」という言葉で象徴されるように、きわめ
て知的な人である。かつて、シェークスピアの正体、もしくは正体である作家群の一人であるとの説
が出されたほどである。彼は、
「自然の克服」は可能であり、
「自然を奴隷のように使うことができる」
と考えた**。鈴木善次(2007)によれば、近代科学の成立にはキリスト教思想が背景にあって、次の 2
つが主張された。
①自然法則を発見することにより、神を理解できる。
②人間は神から自然を管理し、有効に利用する権利を与えられたので、自然を知る必要がある。
ベーコンによれば、ゆえに人間にとって「自然の克服」は可能である、ということになる。
古代ギリシャ哲学や中世のキリスト教的世界観と機械論的自然観との違いは、観察・実験・数学的
理論による法則化は可能で、人間は原理的には自然を克服し支配できる(
「自然克服思想」
)とされた
点にある。この考えによって、17 世紀頃、ガリレイ(1564-1642)、そしてニュートン(1642-1727)によ
る物理法則の発見が続いた。ニュートン力学(古典力学)の骨子は、力=質量×加速度 (F=ma)とい
う運動方程式で表される。これはデカルト的二元論を背景とした物理学の金字塔であり、近代科学の
基礎である。ニュートン力学は地球程度の大きさまでは十分な近似で成り立つため、様々な科学技術
分野に応用されている。
「自然克服思想」はヨーロッパの伝統的な考え方になっていった。18 世紀の
産業革命の成功もデカルト的二元論とニュートン力学の力が大きかったと言える。日常生活では極め
て有用であり、我々の生活に様々な恩恵を与えている。その適用限界をわきまえているなら、デカル
ト的な二元論も必ずしも誤りとは言えないのである。
およそ、科学者や技術者で、一時的であったとしても二元論的状況に全く陥ったことのない人は少
ないと思う。二元論的に自然を単純化して馬車馬のごとく、一心不乱に研究した方が、何らかの新事
実を発見しやすいからである。そういう状況になったことは全くないという科学者や技術者がいたと
したら、かえってその方が怪しいのである。
しかし、環境問題の顕現化とともに、デカルト的二元論の限界と、それから導かれた人間中心主義
の誤りが明らかになったとする論者は多く(例えば、榧根(2006))、今や主流な意見となった観さえある。
また、デカルト的二元論のもう一つの問題は、
「要素還元主義」である。
「還元主義とは複雑な物事も
それを構成する要素に分解し、それらの個別の要素だけを理解すれば、元の複雑な物事全体の性質が
5-3
理解できるはずだとみなす考え方である(海上知明:『新・環境思想論』、p.71)。
」部分の合計が全体でな
いことは、自然の階層が異なれば、別の法則が適用されることからも論を待たない。自然と人間の相
互作用を一元論的に考えずに、今日の環境問題を考えることは不可能であろう。
要素還元主義的なアプローチは、確かに自然科学の重要な事項の一つではある。しかし、それは自
然を知るための必要条件ではあっても、十分条件ではない。特に、複雑系と見なされる諸現象―生物・
生態系、気象、地震、火山、海洋等々―においては、決して十分なアプローチとは言えないのである。
デカルト的二元論による近似は、対象とする面積に比べ、人口が十分に小さい場合には問題は少な
いのだが、対象とする面積に対して人口が非常に大きくなった場合、さらには地球の人口が 70 億人
を超えた現在に至っては、人間の環境に及ぼすインパクトは無視できなくなる。デカルト的二元論の
限界を考えずに、それだけで物事を進めていったならば、核兵器や地球環境問題など人類を脅かす事
態に結びつく可能性があるのも事実である。
** 一方でベーコンは「自然=森・迷宮」と考えた。彼は全学問の基礎を博物学に置き、その上に自然学、さら
にその上に形而上学を置いた。そうすることで、自然を少しずつ修正しながら認識できる(修正帰納法)と考え
たのである。このことが、後に生物多様性の考えに繋がっていく面もあるので、一概に自然克服思想の元凶とし
て切り捨ててしまうのは行き過ぎである。
デカルト的二元論、古典力学の限界が示されたのは、むしろ物理学の側からだった。現代物理学の
2 つの屋台骨は相対性理論と量子力学である。
相対性理論:慣性系において、光速に近い速度で等速直線運動する物体における時間の伸びと、光
速度一定の法則、さらにエネルギー(E)と質量(m)は本質的には結びつき、E=mC2(C は光速度)で
あることを示した特殊相対性理論と、加速度運動する太陽程度以上の大きさの物体の重力による場の
歪みを示す一般相対性理論の2つからなる。
例えば、特殊相対性理論について言えば、ミュー粒子*は速度ゼロから出発した場合、散乱されずに
進める距離である平均自由行程は 660m程度だが、速度が光速に近い宇宙線に乗ってきた場合には、
寿命が約 30 倍延びて、平均自由行程は約 20kmに伸び、成層圏から届くことになる。GPS(全地球測
位システム)やカーナビゲーションには人工衛星の速度に対する特殊および一般相対性理論の効果が
考慮されている。一般相対性理論について言えば、1919 年の皆既日食で、太陽の近くを通る星の光の
曲がり方が、ニュートン力学で予想される値の約 2 倍であることを観測で確かめたのが最初の証明で
ある。近年、一般相対性理論の効果は、NASA(米航空宇宙局)の人工衛星を用いた観測から地球程度
の大きさでも見出された。
*この粒子は、発見当初、湯川秀樹博士の中間子理論から予想された粒子だとした場合、性質が違うので、湯川
理論に対する疑問が生まれた。後に、湯川理論で予測された性状にほぼ合致する粒子が見つかり、理論の正しさ
が認められた。湯川粒子は現在π(パイ)中間子と呼ばれている。ミュー粒子は透過性がきわめて高いため、火山
体や原子炉の内部構造の調査に応用されている。
量子力学:素粒子レベルでは粒子性と波動性の二重性が現れ、その運動は確率論的であってニュー
トン力学は成立しない。また、ハイゼンベルクの不確定性原理で示される観測対象と観測者との相互
作用が基礎理論となっている。不確定性原理は、次式で与えられる*。
Δx・Δp≧h [(位置の誤差)×(運動量[質量×速度]の誤差) ≧一定値(プランクの定数)]
この式の物理的意味は次のようである:原子内部のある粒子を調べるのに、波長の長い(=エネルギ
ーの少ない)波を当てると、その粒子の運動量への影響は少なく、運動量が精度良く決まるが、波長
が長いから粒子の位置の精度は低くなる。一方、波長の短い(=エネルギーの大きい)波を当てると、
5-4
粒子の位置の精度は高くなるが、
その粒子の運動に影響を与えてしまい、
運動量の誤差は大きくなる。
すなわち、粒子の運動量と位置を同時に精度良く決めることはできず、一方の観測精度を上げれば、
もう一方の誤差は大きくなる。また、観測という行為そのものが対象に影響し、観測者は対象とする
現象と無縁ではありえず、観測者と観測される対象に区別は存在しない。
ニュートン力学の根底には、人と自然を分離して考える二元論があるが、量子力学では、人と自然
の相互作用を一元論的に考えないと説明がつかなくなるのであって、これが東洋思想的な観点に繋が
ると考える論者も多い。
そして、近年ではもしかすると究極の物理理論であるかもしれない「超ひも理論」も提示されてい
る。この理論では素粒子を点粒子ではなく、プランク長さ(10-35m 程度)のひもと考え、その延長、
ねじれ、開閉、モード、振動数等、10 次元の要素で物理的諸現象の説明が試みられている。
1970 年頃までは物理学が自然科学の王道であり、
「物理学帝国主義」とも呼ばれたが、その後、環
境問題の重視という時代の要請に対し、デカルト的な二元論は様々な問題があることが示された。さ
らに、新しい素粒子の発見などに対する実験装置の巨大化、費用の増大などが足かせとなったことも
あり、物理学に代わって、生命科学が最も重要視されるようになって今日に至っている。
*2003 年、数学者の小澤正直名古屋大教授は、測定による誤差に加え、もともと物体に備わっている量子ゆら
ぎの効果を加味したハイゼンベルクの不確定性原理の修正式を提唱し、2012 年以降、実験結果から小澤の式が
より正しい結果を示すものとの発表が行われている。しかし、ここでは従来の説の簡単な説明にとどめた。
5-3. ゲーテの環境論、進化論への影響
文豪ゲーテ(1749-1832)は、
政治家としてヴァイマール公国という小国の首相を務めたこともあった
が、科学にも深い関心を持ち、近代科学の基礎とされた機械論的自然観の、自然を物質と見なす思考
法を批判して、植物学、動物学、光学、地質学等、科学に関する多数の論考を残した。
1775 年 11 月、リスボン大地震が起こり、6万人もの命が失われた。ゲーテは、教会で慈悲深く万
能と教えている神が、なぜ深い信仰を持つ人々までを破滅させてしまったのかに疑問を抱き、
「自然」
と向き合うことになる(星野、1981)。ゲーテは、観察者である人間と、観察される自然を分離する物心
二元論を批判し、人間の観察行為が観察の対象である自然に影響を与える一方、観察される自然もま
た、観察者である人間に影響を及ぼすものと考えた。ゲーテは、自然の断片的な要素を繋ぎ合わせた
だけのものではなく、人間の生命と深い繋がりを持つものこそが自然である(「神なる自然」)との考
えを発展させていった。そして、
「
「自然と直接に交渉し、自然を自己の作品として認めかつ愛する神」
こそ、真実な神であるとの考えに到達するにいたった (星野、
1981)」のである。
ノーベル賞作家のトーマス・マンは、ドイツが無条件降伏し
た直後に亡命先のアメリカで講演し(『ドイツとドイツ人』)、
ドイツには、三十年戦争、第一次・第二次大戦の遠因となり、
ナチスドイツに繋がった国粋主義的で「デモーニシュ(悪魔的)
なドイツ」と、ゲーテに象徴され、真の自由と平和への道であ
る「コスモポリタン(世界市民的)なドイツ」があると述べ、
ゲーテをきわめて高く評価するとともに、ゲーテ的な生き様こ
そがドイツ再生への道であることを力説した。
図 5-4 ゲーテ(1749-1832)
5-5
5-3-1. ゲーテにおける環境論の萌芽
ゲーテの自然観は現在の環境論の先駆をなすものの一つであり、その思想には東洋的とも言える側
面も見られる*。すなわち、自然に対するホーリスティック(全体論)な見解、全体と部分は互いに切
り離せない、の重要性を指摘している。
ゲーテは「外面に現れているだけの、完結した、静的」な自然(例えば、リンネの生物分類学)
、
「微
細な要素」のみに注目する「過剰に分析的・分類的なアプローチ」
(要素還元主義)
、のいずれも誤り
であって、
「両方とも、絶えざる変化、成長、死、再生のプロセスの一部と見なさなければならない」
とする。代表作『ファウスト』は「調和、ホーリズム、そして相互性という自然の徳」を賛美したも
のである(「 」内は『環境の思想家達(上)』、pp.124-134 より引用)。ゲーテは、
「これらの分析の努力は、
繰り返し行いすぎると、多大の弊害をも生じる。生物はなるほど諸要素に分解されるが、それをこれ
らの諸要素からふたたび合成し、生き返らせることはできない(『形態学序論、意図の序説』p.26)」と
述べている。
『ファウスト』
の中にはホーリズムに関わる表現が多数見られる。
いくつかの例を挙げる。
・
「おお、あらゆるものが綾をなして一体となり、ひとつのものが他のものに呼びかけ、応えあって
いる!」(『ファウスト』、447-448)
・
「生きた何ものかを認識して記述しようと思うものが、まず精気を度外視しようとする。それでそ
の手に残るのは、きれぎれの部分で、悲しいことに、統一する精神の靱帯がそこに無いのだ」(『ファ
ウスト』
、1936-1939:メフィストフェレス(悪魔)の口を借りたゲーテによる物心二元論批判)
・ファウスト「悪魔の自然観がどんなものか、拝聴するのも一興だな。
」
メフィストフェレス「自然なんかどうだろうと、こっちの知ったことじゃない。
」(『ファウスト』、
10122-10124、以上、井上正蔵訳)
最後の例では、ゲーテの自然克服思想への批判的な視線が感じられる。
ファウストは他者に喜びを与える仕事に生き甲斐を見出し、第 5 幕では、運河の掘削と干拓を押し
進める。(これは石原(2010, pp.242-244)によれば、パナマ、スエズ、ライン=マイン=ドナウの3つの運河計
画に触発されたものという。) 一方で、行き過ぎた公共事業により善良な老夫婦 (バチウスとフィレモ
ン) が犠牲になる挿話を入れ、開発行為の持つ光と影の両面を著すことを忘れていない。このとき、
メフィストフェレスに「こっちの受けた報告は、掘割(graben)のことではなくて、墓掘り(grab)のこ
とですがね」(『ファウスト』、11557-11558、大山定一訳、( )内は筆者付記)」と言わしめている。
ゲーテは「なんでも知らないことが必要なので、知っていることは役に立たない」(『ファウスト』、
1066-1067)、
「驚きは人類の最上の部分である」(『ファウスト』、6271)と語る。後者については、
「人間
の到達し得る最高のものは驚きである。・・・それ以上のものは与えられない。」(エッカーマン『ゲー
テとの対話』、1829 年 2 月 18 日、以上、高橋建二編訳)とも語っている。また、
「理論はすべて灰色で、み
どりに繁るのは、生命のかがやく樹だ」(『ファウスト』、2038-2039、井上正蔵訳)との有名な言葉もある。
以上は「
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。
」(『センス・オブ・
ワンダー』、p.24)と述べたカーソンの思想と共通している。
さらに、ゲーテは「人々はどこでも、科学と詩歌が一致しうるということを認めようとしなかった」
と嘆いている(『ゲーテ形態学論集・植物編』、p.215)が、科学と文学の統合という点でもカーソンと同一の
視点が見られる。これは『詩と科学』と題して湯川秀樹が子供向けに書いた文章において、
「詩と科学
は同じ所から出発したばかりではなく、行きつく先も同じなのではなかろうか。
・・・どちらの道でも
ずっと先の方までたどって行きさえすれば・・・時々思いがけなく交叉することさえある」
、それは「ど
ちらも自然を見ること聞くことからはじまる」ためだ、としているのにも通じている。
また、
『ファウスト』の最後の方で登場する塔守リュンコイスは、
「視覚の人」である点で、ゲーテ
の分身の一人と言えるだろう。リュンコイスは、
「見るために生まれ」で始まり、見てきたものは「ま
ったく美しかった」で終わる有名な歌を歌い、見ることの喜びを語る(『ファウスト』、11288-11303、井
5-6
上正蔵訳)。この点でも、
「徹底的な観察の人」
「直感の人」だったゲーテとカーソンには通底するもの
があると言えよう。
環境思想に通じるものとして、もう一つの代表作『若きヴェルテルの悩み』では、思い出のクルミ
の木を切り倒されたヴェルテルの悲しみが語られる(第 1 巻 7 月 1 日、第 2 巻 9 月 15 日)。植物の葉が緑
に見えるのは、光の三原色のうち、赤成分と青成分のみが光合成に寄与し、緑成分は「廃棄光」とし
て散乱しているためである。しかし、物理学者の佐藤文隆は、この「廃棄光」が「我々の目に癒しを
与えて」おり、これを「環境やエコのアイコン」にするのは「浅学にあらずして生きる賢慮である。
ゲーテはこうした賢慮を解体するニュートン光学に反対したのだ」としてゲーテを高く評価している
(佐藤(2013), pp.235-236)。
さらに、
『魔法使いの弟子』という詩**は、自分がよく理解していない強大な力に手出しすることへ
の危険性を戒めたものであり、行き過ぎた人的行為への警告でもある。カーソンの根源的な考え方、
今の言葉で言えば「予防原則」と一脈通じるものがあると言える。また、東日本大震災の際の東京電
力福島第一発電所事故や、JR 福知山線脱線事故、さらには養殖のため輸入した外来種による異常繁
殖・生態系擾乱などに象徴される、科学技術分野での失敗事例を連想させるものでもある。
ゲーテとカーソンの思想をまとめてみると、次の3つの共通点があることが分かる。
① 知ることよりも見ること、感じることを重視する視点。
② 文学と科学の統合という視点。
③ どちらかと言えば、部分よりも全体、ミクロ以上にマクロを重視する視点。
これらは環境思想と深い繋がりを持つものと言って良い。
ゲーテは青白きインテリとはほど遠い、行動・実践の人である。1777 年、ゲーテは無謀以外の何物
でもなく、
魔物が棲むと思われていた当時のブロッケン山***の冬期初登頂に成功する。
三田博雄の
『山
の思想史』(岩波新書青)によれば、
『若きヴェルテルの悩み』執筆によって疾風怒濤の時代・ゲーテの
心の中に吹き荒れる嵐を脱出したのではなく、この登頂によって、自然の持つ奥深さを知ったのをき
っかけとして、疾風怒濤の時代を乗り越えていったのだとされている。けだし、卓見と言うべきであ
ろう。このときの経験が、後に『ファウスト』の「古典的ワルプルギスの夜」のブロッケン山の情景
に生かされている。ゲーテは登頂後の感動をこう述べている。
「今、戸口にでてみると、わたしの眼前の唐檜林の上高くかかった煌々たる月の光を浴びてブロッケ
ン山がそびえているのです。わたしは今日あの上にいたのです。そして「悪魔の祭壇」で神に心から
なる感謝をささげたのでした。
ひとに恐れられた峰の
雪におおわれた頂も
彼には心こもる感謝の祭壇となる」
「ハールツの旅」(『ゲーテ――その生涯と作品』, pp.372-373)」
ドイツ文学者の小塩節は、
「自然による治癒ということがゲーテにはあり得た」という。
「ここには
人間と自然の間の不思議な交流がある。
・・・人間と自然はひとつの生をなしている。人間が自然にふ
れ、包まれて生き、自然もまた人間において生きている」と述べている(小塩節『ファウスト』, pp.224, 229)。
* もちろん、ゲーテは伝統的西洋人としての側面も見られる。一例として、石原(2010, pp.55-62)によれば、
真理を探究するためには野の花を抜き取ってしまうのが「西欧的自然科学者の正当な態度」であり、ゲーテの
分身とも言え、
「メフィストと契約するファウスト博士はその典型」である。小塩 節(1996, pp.77-80)もファ
ウストに西欧的人間の典型を見ている。一方、ゲーテが妻に贈った『見つけた』という詩では、野山で見つけ
た花をそのまま愛でる東洋的なものではなく、庭に植え換えて育てる内容になっているという(石原(同))。ゲ
ーテは、ファウスト的人間の限界と矛盾について深く洞察して、東洋的視点と西洋的視点を併せ持つ観点を持
つに至った人物であると言って良いと思われる。
5-7
** 「魔法使いの弟子」は、ウォルト・ディズニーの『ファンタジア』(1940)として映画化されたことでもよ
く知られている。
*** ブロッケン山:ドイツ中部、ハールツ山地の最高峰、標高 1142m。登山者にはよく知られているブロッ
ケン現象、すなわち、山頂で太陽を背にして立ったとき、雲や霧に自分の影が映り、かつ周囲に光輪が見える
現象の語源になっている。現在では山頂の近くまで登山列車が走り、登山は容易である。
5-3-2. 現代物理学への影響
先に、デカルト的二元論は、思想よりはむしろ物理学から破綻した面もあることを述べたが、ゲー
テが量子力学の基礎の一つであるハイゼンベルク*の不確定性原理へ与えた影響は大きく、実際、彼は
ゲーテについて言及し(例えば、『山の思想史』、pp.5-8)、ゲーテを絶賛している。(量子力学の創始者の
一人であるマックス・プランクもゲーテを高く評価した。)
ゲーテの考えは、相対性理論と並んで現代物理学の屋台骨の一つである量子力学において重要な、
不確定性原理のヒントとなる考え方を天才的に先取りしていたと見なすことも可能である**。
* ハイゼンベルクは量子力学の成立以前から、非因果律的な考えを持った人物であり(佐藤(2013)、pp.174175)、これにはゲーテの影響が考えられる。すなわち、ニュートン的な因果律:「原因と結果に一定の関係が存
在する」という考え方に批判的であった。というのは、要素還元主義的な見地から、自然を形成する一つ一つの
要素には因果律が認められたとしても、自然は複雑系であることが多く(例えば、生物や、地震・火山、気象な
どの地学的現象)、全体の挙動には単純な因果律は成り立たないことが多いからである。彼は後述するゲーテの
提唱した原植物を、DNA 上の遺伝子情報の束(ゲノム)に相当するものだと評価していた。また、観測行為が自然
を変えてしまうことに気づいたハイゼンベルグは、プリズムを通して自然を分解して見るニュートン光学を批判
したゲーテに共感していたのである。
** ゲーテは『色彩論』を著して、光をプリズムで分けて全体的に理解していないとしてニュートンの光学を
批判した。ゲーテの説は光学的現象と知覚現象を混同している。実際、ゲーテはプリズムを覗いたため、思った
ような色の変化が観察できず、また、白黒の縁だけに色が見えたのでニュートンの観測結果を否定したらしい。
物理学的にはおかしな部分も散見されるが、荒唐無稽な説とは見なされず、近年、その評価が高まっている。そ
の理由の詳細は他書にゆずるが、『色彩論』は先述した「環境やエコのアイコン」という側面を持つとともに、
「光と闇から色彩が生まれる」ものとして、知覚心理学や色彩心理学の一つのルーツを与えたものだからである。
一例として筆者は中学校の美術の時間に、ゲーテの考えに基づく色彩実験を経験したことがある。長方形の中に
円を描き、円の中を緑、長方形の残りの部分を黒く塗る。これを 30 秒ほど見つめた後、灰色の紙を見ると、日
章旗が浮かび上がる。黒を見つめたことで、より明るい白が見え(残像・対比)、緑を見つめたことで、その補色
の赤が見えるのである。ゲーテはこのような例を多数挙げて、自然と人の相互作用を考慮した科学の必要性を論
じた。
5-3-3. 進化論の原点としてのゲーテ
ゲーテを進化論の原点の一つと見なしても大きな誤りはないであろう。さらにスピノザに遡るとの
意見もあるが、
「ゲーテの自然は・・・発展史を含むことによってスピノザの自然から区別される(三
木清(1932)」とされる点、また、大きな進展があった点から、ここではゲーテと進化論の関連性につ
いて述べる。
ゲーテは 1784 年に、比較形態学を先取りする方法で、人類の下顎骨には他の哺乳動物の顎間骨(が
くかんこつ)に類似した形態の痕跡が認められることを発見した*。実際には、フランスの解剖学者ヴィ
ック・ダジュールが第一発見者である(1780:互いに独立した発見)ことがのちに明らかになっているが、
ゲーテの偉大さは、この現象を発見したこと以上に、
「顎間骨の発見をとおし哺乳類全体に作用する自
然の統一性を実証したことにある」(木村直司(2009)、p.434)。すなわち、今日の環境思想の原点の一つと
言える考えを提示していたことにある。
ゲーテは 1790 年、「すべては葉である。この単純さにより最大の多様性が可能になる。」という考
えを初めて提唱した(『植物学断章』、木村直次編訳(2009)、p.303)**。花は進化の過程で突然現れた器官では
5-8
なく、花の各器官は葉が変化したものである。1990 年代には植物学でも、遺伝子の働きにより形態変
化を解明する分子発生遺伝学から、花の発生を説明する ABC モデルが提案され、その後分子生物学的
研究により検証されてきた。このモデルは、A,B,C の 3 つのクラスに分類される遺伝子の組み合わせ
からガク片、花弁、雄しべ、雌しべが決まるとするもので、A,B,C の遺伝子の機能を同時に喪失させ
ると、全ての花器官が葉のような器官に変化し、花は葉へと先祖返りしてしまう。ゲーテの提唱した
説が、約 200 後に現代生物科学から証明されたことになる(平野博之による解説を要約)。
また、
ゲーテはウィーンの墓地で見つけたヒツジの骨格から、
頭骨は6個の椎骨が融合したもので、
脳と感覚器官を収納するために丸い形に変化したと考えた(1820 年)。この説は現在では否定されてい
るが、次の理由から荒唐無稽なものとは見なされていない。というのは、脊椎動物の体は体節に分か
れており、その典型的なものの一つが、脊椎であり、椎骨は体節の一つ一つである。前腎が成体の腎
臓ではないことを初めて明確に述べたことで、カーソンが修士論文中で高く評価したバルフォアは、
ヒトの胚に見られる鰓弓(さいきゅう)は、耳小骨や発声、物を飲み込む部分となり、魚の鰓(えら)と相同
性があり、
頭部の一部が体節化していたことの表れと見なせることも明らかにしていた(2-1、3-3 参照)。
バルフォアはゲーテと同様に「体節」を強く意識していたことが、この発見に繋がったのである(『ヒ
トのなかの魚、魚のなかのヒト』、pp.120-121)。バルフォアの発見した魚の鰓とヒトの鰓弓との相同性は、
ゲーテの推論の延長線上にあると見なすこともできる。さらに、カーソンが修士論文で取り組んだ「比
較形態学」の研究は、ゲーテの相同性概念の延長線上にあると筆者は考えている。
「形態学」という用語を事実上、最初に用いたのはゲーテである。
「形態は動くもの、生成するもの、
消滅するものである。形態学は変化に関する学説である。メタモルフォーゼ[変態:後述]の学説は自然
のあらゆる徴表を解明する鍵である(『形態学論集 動物編 比較解剖学断章』、p.214)。
」
「生命ある形成
物そのものをあるがままに認識し、眼にみえ手で触れられるその外なる部分部分を不可分のまとまり
として把握し、この外なる諸部分を内なるものの暗示として受け止め、こうして全体を幾分なりと直
観においてわがものとしよう(『ゲーテ全集 自然科学論 形態学序説 研究の意図、p.43』)」としたと彼は
述べ、現在用いられている生物分類法である二名法を提唱したリンネの静的で固定した生物分類学を
批判した。ゲーテは、当初リンネの植物学に学び、こう語っている。「私はこの稀有の人[リンネ]に対
する畏敬・・・をますます感じるようになった。
・・・しかし・・・私にも別の道があるように感じた。
有機的被造物における変化と変形の諸現象は、私の心をつよい力でとらえていた。
」なぜなら、
「多く
の経験をつみ、深い洞察に富んだこの人物でさえ、自然と一致した見方ができなかった」と感じてい
たからである(『形態学論集 植物編 論文「植物のメタモルフォーゼ試論」の成立』、pp.93-95)。そして、
「イタリア紀行(1786-1788)」の最中に見た植生の様々な形態から、
「形態学」の構想を得た。
「生物
のいかなる考察のさいにも根底になければならず、そこから逸脱してはならない根本概念(『ゲーテ形態
学論集・植物学断章』
、p.307)
」を目指したのである。
ゲーテは、自然の中に存在するものを「内なるもの」の現れとして捉えるとともに、内と外の諸現
象を包括的に捉えようとした。また、彼は近代科学の難点である物事を外の現象としてのみとらえ、
全体を細分割し、細部の特質を捉えることで全体を理解できるとする要素還元主義に懐疑的だった。
ゲーテは「内なる自然」と「外なる自然」は区別できないとし、その相補性について次のようにも
述べている。
「私は内なる自然をその本性のままに生かし、外なる自然をその特性のままに私のほうへ
流入させようと決意していたが、そのために私は不思議な力を得ることができた。
」
「こうして自然の
一つ一つの対象とのあいだに摩訶不思議な親縁関係が生じたばかりでなく、全体として親しく睦みあ
い、心を和することができるようになったので、
」
「すべての変化は私の心の奥底に深く触れた。
(
『詩
と真実』第三部第十二章、高橋義人訳、自然と象徴、冨山房)」ゲーテは、科学によって自然を支配で
きるとする考えの限界に気づいていた。
「ゲーテは自然の美・多様性・豊穣さを賛嘆と畏怖をもって眺
めることで満足し、自然の支配や抑制は望まなかった。(石原(2010, pp.126-133)」
5-9
ゲーテは「分極性と高昇」が自然の二つの重要な要素であり、「発展は内なるものの漸次的な展開」
だと考えた。若きゲーテは「自然のうちにあるのは永久の生命、生成と運動である。自然は永久に転
化し、そのうちには如何なる瞬間にも静止がない」と述べたという(三木清(1932))。ゲーテはたえず変
動する生きた自然を愛したのである。この考えは『植物変態論(1790)』など、その後の自然研究にお
いて結実する。
『植物変態論』の中で原植物***という概念を提唱し、生成と運動の思想の結論とした。
この説において変態(メタモルフォーゼ)とは、同一の器官が多種多様に変化して見える作用を指し、
原植物から出発した植物が、拡張と収縮を交互に繰り返しながら、垂直的・螺旋的に変化していくこ
とであり、進化論の原型とも見なせる。垂直的傾向は、持続性、硬化性、残存性に関わり、この傾向
が強いと堅い木質化をもたらす。螺旋的傾向は、継続的形成、増殖性、栄養補給に関わり、この傾向
が強いと新芽が吹き、葉などになるという****。
ゲーテがダーウィンやヘッケルに与えた影響*****は少なくない。ヘッケルの生態学的発想は、ゲー
テに影響されたものである。ヘッケルは進化論の創始者として、ダーウィンと並んで、ゲーテやラマ
ルクを挙げており、ゲーテの原植物概念を進化論的に解釈している******。
ダーウィンは『種の起源』の中でゲーテを引用している。植物に関しては、
「父ジョフロワとゲーテ
(Goethe)は、ほぼ同時に、成長の代償あるいは平衡の法則を提唱した。ゲーテは、つぎのようにいい
あらわしている。
「自然は一方で消費するために、他方で節約を余儀なくされている。
」これは飼育栽
培生物について、ある程度まであてはまると思われる(第 5 章)」とある。
また動物に関しては、用不用説*******を唱えたラマルクに言及し、
「変化の方途にかんしては、か
れ[ラマルク]はそのあるものを生活の物理的条件の直接作用に、あるものを既存の種類の交雑に、そし
て多くのものを用と不用、つまり習性の影響に帰した。かれは自然界におけるみごとな適応――たと
えば木の枝についた葉をくうジラフのながいくび――のことごとくを、この最後の要因によるものと
していたようである。しかし、かれはまた前進的発達の法則も信じており、生物のあらゆる種類はこ
のように進歩にむかっていくので、」「そのような種類の生物はいまも自然発生をしていると主張し
た。
」
「私の祖父であるエラズマス・ダーウィン********博士が 1794 年に刊行した著作『ゾーノミア』
でラマルクの見解、
およびかれの意見のまちがった根拠を、
かれに先だって大幅にのべていることは、
興味ふかく思われる。
」
「ゲーテも同様な見解の極度の賛同者であったことが、1794 年と 1795 年にか
かれてそののちながく公表されなかった著作の序論によって知られる。かれは、たとえばウシはなん
のために角をつかうかではなくて、いかにして角をもつようになったかということが、博物学者にと
って将来の問題になるであろうと、的確にのべている(「自然研究者としてのゲーテ」
:
「種の起源にか
んする意見の進歩の歴史的概要」)」とある。(引用はいずれも岩波文庫 912-4、pp.194, 362-363.)
地質時代を特定する標準化石の考えや、氷河による岩石の運搬の考えを最初に提示したのもゲーテ
であることは、特筆されて良い。
なお、当時の物理学の権威であったケルビン卿は、地球全体がドロドロに溶けた状態から熱伝導理
論で計算し、地球の年齢を 2000 万~4000 万年(最大限の可能性を考えても 1 億年以下)と推定した。
ダーウィンは、地質学的・古生物学的見地から、この値はあまりに短すぎる、海食崖の侵食速度など
から推定して3億年以上ではと考えていた。現在、地球の年齢は 46 億年とされている。当時、地層
に含まれる放射性元素の崩壊熱は知られていなかったために、ケルビンは過小評価をしてしまったの
である。フィールドワークに支えられたダーウィンの直感がより正しかったことになる。佐藤文隆
(2013, pp.233-234)は、
「ケルビンによる地球年齢推定の失敗はデカルト流合理論の失敗である」と評
している。
5-10
時代的制約から、ゲーテも人間中心主義的な時代のただ中にいたのであり、彼を単純に環境論の祖
の一人とすることには問題もあるが(マンデルコウ(1991))、ゲーテ的視点が環境問題を考える場合の示
唆に富んでいることは確かであろう。
* セイウチの顎間骨を発見したのもゲーテである(『ゲーテ全集 14 自然科学論』
、p.499)。ゲーテは、人間だけ
ではなく、
「セイウチやラクダにこれまで顎間骨はないとされてきたが、もしも」これらに「顎間骨を認めるこ
とができないとしたら、私としては大いに困惑せざるをえない(同、p.166)」と述べ、ここでも「原型」の考
えを展開している。
** カーソンの愛読したソローは『森の生活 ウォールデン』の『春(岩波文庫版、(下)pp.239-249)』において、
ゲーテの「葉」的な自然観を語っている。また、『孤独』では、「私自身、からだの一部は葉っぱであり、植物
の腐植土なのではないか(岩波文庫版、(上)pp.249-250)」と述べ、自然との一体感を表明している。ソローは
ゲーテと類似した自然観の持ち主であったことが分かる。また、
「自然のまっただなかで暮らし、自分の五感を
しっかりと失わないでいる人間は、ひどく暗い憂鬱症にとりつかれることなどあり得ない。(同 p.236)」と述
べたくだりは、
「地球の美しさと神秘を感じ取れる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、
孤独にさいなまれることは決してないでしょう。(『センス・オブ・ワンダー』
、p.50)」と語ったカーソンへの
強い影響が感じられる。ソローは、科学的な正確さと、詩人としてのメタファーを結合することに成功した。
特に、『森林の遷移(1860)』は、その代表例とされている(『環境の思想家たち 上』、pp.206-219)。
*** ゲーテの原植物に最もイメージが近く、ゲーテが好んだのは、セイロンベンケイ草という植物で、ドイツで
は「ゲーテ草」
、日本では「ハカラメ(葉から芽)
」と呼ばれている(石原(2010, pp.47-48))。
**** ゲーテは螺旋システムについて「わたしにはブドウが最高の凡例である」と述べている。(『形態学論集、
植物の螺旋的傾向について』
、pp.354-377、ブドウの例は p.365)
***** 近年特異な自然哲学者・思想家として評価の高い発生学者の三木成夫もゲーテから強い影響を受けており、
ヒトの発生の中に生物進化の歴史、特に「古代魚類(受胎 32 日目)」から「原始哺乳類(受胎 38 日目)」までの変
化を見ている。
****** 柴山英樹(2004):ドイツにおけるダーウィニズムと教育思想、教育学雑誌、No.39, pp.105-117. ただ
し、ヘッケルはラマルクの用不用説を評価していた点で、ゲーテやダーウィンの説とは違いがある。
******* 用不用説:ここに出てくるジラフ(キリン)の例のように、よく使われる器官は発達し、その発達した
獲得形質が子孫に伝えられて進化が起こるという説。ダーウィンはこれを批判して自然選択説を唱えた。現在
では、獲得形質が遺伝しないことは定説となっている。
******** エラズマス・ダーウィン(1731-1802):チャールズ・ダーウィンの父方の祖父。医師・科学者・発明家・
詩人など多彩な才能を発揮した。その著書『ズーノミア』で生物の進化について語っており、孫のダーウィン
の進化論にも影響を与えた(佐倉(2010))。カーソンは天敵による有害昆虫の制御を主張し、
『沈黙の春』第 17
章において、「害虫の敵を育てて害虫を押えようと考えた最初の人は、エラズマス・ダーウィンだとふつう言
われている(1800 年ごろ)」と紹介している。
なお、以下のコラムでは、ゲーテやレイチェル・カーソンと同様な自然観の影響を強く受けた人物
として、南方熊楠と黒澤明について述べる。
5-11
コラム 環境の人々(2)
南方熊楠 (みなかた くまぐす)(1867~1941)
ここではレイチェル・カーソンの活動期とも一部重なる南方熊楠を取り上げる。
南方熊楠は博物学者、菌類学者、民族学者で、日本のエコロジ
ーの創始者と目される人物であり、動物と植物の特徴を合わせ持
つ粘菌の研究でも知られている。ダーウィン『種の原始論(=種の
起源)
』
、ソロー『森の生活』の影響を強く受けた。歩く百科事典と
称されるほどの博覧強記と奇抜な言動から、数多くの逸話を残し
た。熊楠を「極端人」と呼ぶ人もいる(唐澤(2015))。
1884 年、大学予備門(現東大)に入学した。同期に夏目漱石、
正岡子規、本多光太郎、進学前の友人に幸田露伴がおり、英語は
後に首相、蔵相等を歴任した高橋是清(2.26 事件で暗殺)から学
んだ。もはや学ぶべきものがないとして大学を中退しアメリカへ
図-5-5 南方熊楠
留学、動植物学を修めた。その後キューバ・メキシコを回り、渡
英して大英博物館に勤務。孫文と交流した。
1900 年には帰国し、和歌山県田辺市に居住した。
1909 年、神社合祀令に反対し、田辺市神島(かしま)を含む森林生態系の破壊を懸念して「神社合併反
対意見」を提出した。この法令案は、神社を合併し、それによって浮いた経費(土地・山林の売却、
人件費節減等)を日露戦争後の財政再建策としようとするものであった。戦争は最大の環境破壊と言
われるが、戦争による直接的な破壊だけでなく、このように間接的な破壊もあり、もしこの法案が施
行されていたならば、廃仏毀釈と並んで、明治政府の失政の一つとなるところであった。
なお、この意見書と関連した書簡の中に我が国では初めて「エコロギー」の語が見られる。熊楠は、
エコロジーの語を造語したヘッケルの書を読んでいたことが日記からうかがわれるが、ヘッケルが生
命とは常に変化する流れであり、様々な生物種は流れの休止点であると考え、どちらかと言えば因果
律的な進化論を考えたのに対し、熊楠は一見関係ないように見えるものにも相互関係はありうると考
え、「世界に不要のものなし」との名言を残した。熊楠の考え方は「南方曼荼羅(まんだら)」と呼ばれ
る仏教的な自然観に通じるもので、生態系や生物進化が今にいう複雑系であることをすでに考えてい
たのである(中村(2013))。柳田國男は熊楠を「日本人の可能性の極限」と評した。
反対意見書提出を巡るトラブルから熊楠は逮捕されるに至るが、法制局参事官だった柳田国男
(1875-1962)の尽力で拘禁解除となる。二人の交流が始まり、ここから日本の民俗学が生まれた。そし
て、1918 年には南方熊楠の尽力が実って神社合祀令は廃止された。この運動は日本のエコロジーの先
駆的なものとして高く評価され、世界遺産に登録された熊野古道が今に残るきっかけとなっている。
1929 年、神島で昭和天皇にご進講。キャラメルの箱に入れた粘菌の標本を進呈し、大変喜ばれたエ
ピソードはよく知られており、昭和天皇は後年熊楠を和歌に詠んで偲んでいる。1936 年、神島は天然
記念物に指定された。
1941 年、日米開戦 3 週間後、戦争の行方を懸念しつつ死去した。真珠湾攻撃の 2 週間前、カーソ
ンの『潮風の下で』の初版が出版されたが、戦争の影響もあって、その売れ行きは乏しかった。
1990 年代には「日本のエコロジーの創始者」として再評価され、ブームとなったが、業績の全容は
まだ整理されていない。
なお、ソロー(1817-1862)は近代生態学的思想やアメリカにおける環境保全運動の先駆者であり、ウ
ォールデン湖畔での生活を描いた『ウォールデン 森の生活(1854)』とダーウィンの『種の起源』はレ
イチェル・カーソンにも影響を与えた(
『失われた森』の『自然を描く意図』と『生物科学について』
(文庫版 pp.138、231)や友人への書簡の中でソローへの言及がある)
。カーソンは進化論の著書も書きた
いとの希望を持っていたが(『失われた森』
、文庫版 p.338)、それよりも先に子供達に自然への驚きの
心を伝えるべく、
『センス・オブ・ワンダー』の執筆に取りかかっている(没後に出版された)
。
5-12
コラム 環境の人々(3)
黒澤明(1910~1998)
世界の巨匠と呼ばれ、映画人に多大な影響を与えた黒澤明監督であるが、環境的視点に関わる映
画も製作している。作品中にしばしばゲーテ的、ソロー的、さらにカーソン的な世界観が現れる。
生きる(1952) :まず、
「生きる」を取り上げる。この作品は市役所の市民課長が胃ガンという死の
病に直面して、今まで無気力で何もしてこなかったことを悔やみ、部下の若い女性の自由で力強く
生きる姿に心を動かされたのをきっかけに、小さな公園作りに残された人生の全てをかける物語で
ある。
「私が森へ行ったのは、
・・・死ぬときになって、自分が生きてはいなかったことを発見する
ようなはめにおちいりたくなかったからである。人生とはいえないような人生を生きたくなかった。
生きるということはそんなにもたいせつなのだから。」というソロー(『森の生活』(上)、pp.162-164)
の視点と通じるものがあり、黒澤明の現代劇では最高の作品とされる。ベルリン国際映画祭上院特
別賞、キネマ旬報賞1位等を受賞したほか、タイム誌が 2005 年、1950 年代の最高傑作に選出した。
この作品は文学的要素に満ちている。すなわち、小役人の死を描いたトルストイの『イワン・イ
リッチの死』が下敷きになっている。また、物語の中盤で主人公がやる気満々で出かけていくとこ
ろで暗転、葬式における回想シーンへ続く破格の構成は、寺田寅彦の若くして亡くなった愛妻を追
悼した随筆『団栗』からヒントを得たものとの説がある。さらに、渡辺課長の造形・構図にはゴッ
ホの「タンギー爺さん」の影響があるとの指摘*(岩本憲児編(2004)より「生きる」論:貴田庄)があり、
聖書からの引用:ヨハネによる福音書(19-5)やニーチェの「エクセ・ホモ(この人を見よ)」もある。
「この人は胃がんという十字架を背負ったキリストだ」というせりふも出てくる。
しかし、言及されることは少ないようだが、筆者にはこの作品がゲーテの『ファウスト』**をも
下敷きにしているように思える。『ファウスト』を含む文学作品をベースに、人間の生きがいや官
僚主義批判などのテーマを盛り込んだものであろう。この映画の海外における評価がドイツでの映
画賞受賞から始まっていること自体、ドイツ人の多くはこの映画の中に『ファウスト』の影響を感
じたのではなかろうか。以下に『ファウスト』との共通点を挙げてみたい。
・何よりも登場人物の構成が『ファウスト』と類似している。主人公である渡辺市民課長(志村喬)
は、まるでイワン・イリッチ兼ファウストのような人物であり、残された短い人生に生きがいを探
す。死を覚悟して胃ガンなのに飲めない苦い酒を居酒屋で飲んだのは、ファウストが絶望の余り毒
杯を仰ごうとしたことに対応する。そのとき、三文小説家(伊藤雄之助)と出会う。三文小説家は
こう言う。「私はね、今夜あなたのために喜んでメフィストフェレスの役を務めます。代償を要求
しない善良なるメフィストの役をね。おあつらえ向きに黒い犬***もいる。こらっ案内しろ!」
・そして、市役所の部下には、「生命」そのものの象徴であり、生き生きと輝く臨時職員(小田切
みき)がいる。彼女は『ファウスト』のヒロイン、グレートヒェンの役割を果たす。渡辺課長は彼
女から生命の輝きを受け取りたいのだが、周囲からは老いらくの恋人との誤解を受ける。渡辺課長
が彼女から触発されて回生を遂げるところ、「正しい女性」に導かれ、女性的なものにより救済さ
れるというストーリー展開は『ファウスト』と共通している****。
・渡辺課長は元々夜遊びなどしたことのないまじめ人間だったが、「代償を要求しない善良なるメ
フィスト」に誘われて夜の街をさまよう。この場面は、『ファウスト』の「古典的ワルプルギスの
夜」における、ブロッケン山の魔女の夜宴を彷彿とさせる。同様に黒澤作品では、「白痴」におけ
る札幌中島公園での夜のカーニバルのスケートシーンや、「天国と地獄」における夜の麻薬の巣窟
シーンは悪魔的、ファウスト的でもあり、その映像表現力は圧巻である。
・街の人々のために不衛生な汚水だまりを排水して公園作りを進めるのは、『ファウスト』が人々
のために干拓事業を行うことに対応し、世の人のために働くことが生きがいであるとする『ファウ
5-13
スト』の視点や、黒澤作品では、汚染=悪の象徴として描かれることも多い(例:「酔いどれ天使」
のドブ池)環境的な視点にも繋がる。ゲーテは『ファウスト』において、開発の光と陰を描いてい
るが、「生きる」は、開発の光の部分を描いたと見なすことも可能である。
・昇天するところも共通している。主要人物のうち、三文小説家と元部下の女性が葬儀に出席しな
いのはおかしいという批評もあるが、二人は悪魔と天使なのだから、俗物達の前には現れないのが
正しい。だが、よく見ると、元部下が市役所をやめたあと工場で作っていたウサギのおもちゃが一
瞬写し出される。これは昇天するファウストをグレートヒェンが出向かえたことに対応していると
思われる。確かに天使は舞い降りたのだ。
*黒澤明の描く絵は後期印象派、特にゴッホやセザンヌの影響を受けている。映画の構図にもその影響が感じ
られる作品も多い。例えば、「七人の侍」などではセザンヌの絵と似た構図の場面がしばしば登場する。
**黒澤明は現状に満足せず、常に高みを目指すという点でファウスト的人間としての一面を持っている。手
塚治虫もファウスト的な部分があるとともに、ファウストフリークであり、『ファウスト』を二度漫画化し
ている。黒澤明と手塚治虫の作劇術に共通性があることはしばしば指摘されている。
***『 ファウスト』において、メフィストは最初、黒いむく犬に化けて登場するが、ファウストが神聖な十
字架を使って祓うと、メフィストはそれに耐えきれず、正体を現す。
****渡辺課長が部下にプレゼント(ストッキング:終戦直後は貴重品だった)する場面も、ファウストがグレー
トヒェンにプレゼントするところと共通する。そもそも老いらくの恋が出てくること自体、ゲーテ的である。
このほかの黒澤作品でも、環境問題に関わるものは少なくない。一貫した原水爆、放射能汚染批
判:
「生き物の記録(1955)」や、黒澤の晩年の作品「夢(1990:第六、第七話)」
「八月の狂詩曲(1991)」
もその系列に属するものであり、
「夢」の第六話「赤富士」はあたかも 2011 年 3 月の福島第一原子
力発電所事故を予見したかのような黙示録的な作品となっている。ドストエフスキー研究者の高橋
誠一郎(2011)は、「生き物の記録」や「デルス・ウザーラ」における黒澤明とカーソンとの共通性
を指摘し、特に「生き物の記録」は、「カーソンに先だってこれまでの「価値の変換」を強く訴え
ていたと言っても過言ではない」と高く評価している。すなわち、「強いもののみが栄える」とい
う思想から「調和」への「価値の変換」こそが新しい思想だとする視点が、黒澤映画の根底にある
と論じている。「夢」の第二話「桃畑」においても、切り倒された桃の木を通じて、人間が行って
いる自然破壊への深い悲しみが語られる。これはゲーテの『若きヴェルテルの悩み』に通じる世界
である。また、第一話「日照り雨」では狐の嫁入りの話を通した自然への畏敬が感じられ、第八話
「水車のある村」では、笠智衆演じる老人に「近頃の人間は、自分たちも自然の一部だという事を
忘れている」と語らせ、自然と同化して生きることの素晴らしさが描かれている。これは傑作「デ
ルス・ウザーラ」の形を変えた表現とも言える。
英文学者の大橋洋一(2013)は、シェークスピアの諸作品を翻案した黒澤映画群(「蜘蛛巣城」
「悪
い奴ほどよく眠る」「乱」)にエコクリティシズム(環境批評:「危機的状況にある環境に警鐘を鳴
らし、歴史的文化的批判を展開する」)、ディープ・エコロジカルな面を見出し、
「黒澤映画は、ま
さに世界に誇れる環境思想芸術として正しく評価される」べきだと絶賛している。
デルス・ウザーラ(1975):次にデルス・ウザーラを取り上げる。ロシアの地理学者・探検家のア
ルセーニエフの紀行文を原作とし、地球環境、少数民族、高齢化をテーマとした先駆的作品であり、
アカデミー賞外国語映画賞、モスクワ映画祭金賞などを受賞している。
1903 年~1910 年沿海州。ロシア軍地理調査隊長のアルセーニエフは、森で出会った沿海州の少
数民族ゴリド(現ロシア名:ナナイ)族の猟師、デルス・ウザーラに調査隊のガイドを依頼する。
アルセーニエフはデルスの生き様に感服し、また、ハンカ湖の畔では命を救われる。デルスは、山
5-14
小屋を訪れる未知の人のため食料や燃料を残し、ゴリド族の哲学として自然から必要最小限以上の
ものは取ろうとはしない。自然と同化して生きるデルスにとって、水は天からの恵みであり、水を
売る人は「悪い人」である。焚き火に対し「うるさい」と叫び、太陽を「あれ一番偉い人」、月を
「あれ二番目に偉い人」と呼ぶ。
4年後再会し、デルスは再びガイドを引き受ける。しかし、森の守り神であるアムール虎(アン
バ)を銃撃したあとから、高齢化と著しい視力の低下による限界を自覚する。デルスは老化と視力
の衰えは、タブーであるアンバへの銃撃に対する神の怒りと考えているのだ。これは度を越した環
境破壊のメタファーと見なすことも可能だろうし、黒澤監督自身の老いとも関連するものだろう。
デルスは森を離れ隊長の自宅に身を寄せるが、都会の生活に耐えきれず、再び森へ帰る。隊長は視
力が落ちても命中率の高い新式銃を持たせるが、森へ帰った直後、彼の銃を狙った強盗に殺害され、
隊長のもとに訃報が届く。数年後、デルスの墓の場所は分からなくなっており、近づいてくる近代
化の陰で真に良いものが失われていく悲しみが語られる。この映画は「生きる」とは対照的に、開
発の陰の部分を描いたと見なすことも可能である。全編シベリアの厳しく雄大な大自然の中でのロ
ケを主とし、デルスによる大自然との対話を通じた黒澤明の世界観が生き生きと描かれている*。
図-5-6(1)(2) 黒澤流イワン・イリッチ兼ファウスト博士?(志村喬)と
グレートヒェン(天使:小田切みき)
図-5-6(3) 黒澤流メフィストフェレス
(悪魔:伊藤雄之助)
図-5-6(4) デルス・ウザーラ
(マキシム・ムンズク)
*黒澤明監督は、メッセージが前面に出て一人歩きすることを特に嫌い、あるテーマが「自然に」にじ
み出ることを目指した監督であるが、以上の作品から、自然との共生、自然への畏敬というテーマが
浮かび上がってきているのは、確かなことであろう。
5-15
5-4. ゲーテからレイチェル・カーソンへ至る人物の系譜
先に、レイチェル・カーソンは進化論・生態学・発生学を基礎とした科学的な考え方を持ち、ゲ
ーテ - ダーウィン - (ヘッケル)に繋がる系譜の中に位置づけられることを述べてきた。
一方、アフリカでの医療活動と伝道に生涯をささげ、ノーベル平和賞を受賞したシュヴァイツァ
ーは、機械論的自然観とは一線を画した思想家でもあった。特に、真理に達するには、自然に対し
先入観を持たずに没頭し、自然の声に注意深く耳を傾けなければならない、とするゲーテの思想に
深く共鳴していた。その実践の中から彼は、自然の中に生きる全ての生物に、生きようとする意志
が与えられており、さらに、生命への畏敬の念-すなわち、全ての人が自分の生きようとする意
志に敬意を払うとともに、生きようとする意志を持つ他の全ての生命にも敬意を払う-を持つこ
とが最も重要な倫理だとの考えに達したのである。
シュヴァイツァーは 1928 年ゲーテ賞を受賞した。カーソンは 1963 年シュヴァイツァー・メダ
ルを受賞し、こう述べている。
「シュヴァイツァー博士は、
「もしもわれわれが人間と人間との関係
にしか関心を持たないとしたら、われわれは真に文明化しているとはいえない。」といわれました。
大切なのは、人間とほかのあらゆる生命体との関係です」 (ワズワース『レイチェル・カーソン』、
pp.171-172)。
「人間は、すべての生物に対して思いやりをかけるシュヴァイツァー的倫理-生命に
対する真の畏敬-を認識するまでは、けっして人間同士の間でも平和に生きられないであろうと
いうのが私の信念です」(ブルックス、『レイチェル・カーソン』、p.387)。
また、『失われた森』所収の『生物学を理解するために』(文庫版、p.268)で、「子供時代にあらゆ
る生物には命があると認識し、命への畏敬の念を育んでこそ、はじめて、人類に対する豊かな愛を
持つことができる」と述べたソローを「偉大なナチュラリスト」であり、その作品は「生物学の分
野の著作として権威ある地位を占めている」と絶賛している(『生物科学について』、同 p.231)。
レイチェルの母であるマリア・カーソンはシュヴァイツァーと同時代の人であり、「生命への畏
敬」を通じてシュヴァイツァーを深く尊敬しており、レイチェルに大きな影響を与えている。レイ
チェルは『沈黙の春』の巻頭でシュヴァイツァーに献辞し、受賞したシュヴァイツァー・メダルを
最も大切な持ち物にしていた。言いかえると、母親にも献辞していることになる。カーソンは、
「人
間自身がつくり出した悪魔が、いつか手におえないべつのものに姿を変えてしまった」というシュ
ヴァイツァーの言葉を引用して、化学薬品による汚染を嘆息してもいる(『沈黙の春』第二章)。従
って、レイチェルのゲーテへの直接的言及はないが、間接的には「精神的子孫」としてゲーテの思
想的影響を受けている。それは「自然の征服」という考えの批判(『沈黙の春』第 7 章)を初めとす
るデカルト的二元論への批判、全体論的視点、という形で諸作品の背景として現れている。このこ
とは、両者の自然観がよく似たものであることからも、そう言って良いと思われる。
以上のように見てくると、レイチェル・カーソンは、
バルフォア、ブラシェー
ゲーテ - ダーウィン *- (ヘッケル)** - レイチェル・カーソン
ゲーテ - シュヴァイツァー ー マリア・カーソン(母) - レイチェル・カーソン
(ソロー、ジョン・ミューアなど)
という 2 つの人物系譜の中にあることが明らかであり、いずれもゲーテに遡る。また、すでに見て
きたように、カーソンが修士論文中で高く評価しているバルフォア(3-3、5-3-3 参照)やブラシェー
(3-2-2~3-4、3-6~3-8 参照)もゲーテ、ダーウィンから続く科学史的流れの中にあると言っても過
言ではない人達である。すなわち、カーソンは進化論・生態学・発生学を基礎とした科学的な考え
方を持ち、かつゲーテに始まるホーリスティックな自然観の持ち主であると見なして良いことが分
かる。言いかえると、カーソンは人間の中にある「内なる自然」とその外部にある「外なる自然」
5-16
との相互作用にこそ、環境問題を考える際の鍵があると考えていたと言って良いだろう***。一例
として、カーソンは『われらをめぐる現実の世界(『失われた森』、文庫版 pp.223-224)』で、こう述べ
ている。
「人間は進化し、
・・・周囲の環境に適応し、莫大な数まで増えました。でも、その生命の
原型質は、空や水や岩と同じ要素でできています。」
「私たちの体の奥底には、自然界に呼応するも
のが存在するのであり、それは人間性の一部分なのです。」また、
『生物科学について(『失われた森』。
P.233)』では、
「人類は・・・自然の一部であるにすぎず、あらゆる生物を統制する広大無辺の力」
「と闘うよりも、むしろ調和して生きることを学べるかどうかに、人類の未来の幸福が、そしてお
そらくは、その生存がかかっている」とも述べている。
そして、さらに付け加えるなら、カーソンはゲーテと類似した自然観を持つ、ソローなど****の
ネイチャー・ライティングの伝統にも影響を受けていると言えるだろう。カーソンは『失われた森』
所収の『自然を描く意図(pp.138-139)』において、「ソローの精神に忠実であるなら、・・・模倣す
るのではなく」、自分達の「時代の代弁者」になるべきであること、
「私たちをとりまく森羅万象の
驚異や現実に、しっかりと興味を集中できればできるほど、自らの破滅をもたらすような行いは少
なくなる」こと、「驚き感動する心と謙虚さは有益であり、破壊を求める欲望とは共存し」ないこ
とを述べている。上岡(2011)は、この部分を、「後のカーソンの著書『沈黙の春』と『センス・オ
ブ・ワンダー』を思い起こさせる」と評している。
* ただし、ダーウィンの進化論では、自然と人との相互作用という観点は明確ではない。
** ここでヘッケルについて( )付けにしたのは、カーソンが直接的にヘッケルの影響を受けていないこと
のほかに、ヘッケルの説は、ダーウィンが批判したラマルクの用不用説の根底にある獲得形質の遺伝を認め
ているなど様々な問題を含んでいるためである。一方で、カーソンがヘッケルの提唱した「生態学」の流れ
の中にあることも確かであり、それらを勘案して( )付きとした。
*** 同様の考え方として、生物の身体である「内なる自然」には、「外なる自然」が取り込まれているとす
る考え方は養老(2003)でも展開されているし、次節で述べるように、これに賛同している論者は少なくない。
**** カーソンはソローのほか、ジェフリーズ、ハドソン、バローズなどの作家を挙げている。また、上岡
(2011)によれば、ジョン・ミューアも多少読んでいたという。
5-5. 文理融合の道へ
榧根勇(2006)は、近年、脳科学、認知科学、分子生物学、生命科学等より自然と人間(身体と精
神、環境と人間)は相互に作用し合い、明確に分離できないことが明らかになってきたことを論じ
ている。同様の考えは、道元(1200-1253)による禅の教え(『正法眼蔵』の「身心学道」や、『正法
眼蔵随聞記』)、小林秀雄や、人類学者による児童への自然教育(河合雅雄(2003)『森へ還ろう-自
然が子どもを強くする』)などに見られるという。道元の考えはデカルト的二元論とは対極にあり、
生命科学の最先端にも通じるものがあるという。河合の著書は、カーソンの『センス・オブ・ワン
ダー』と同様の環境教育的な内容を持っている。河合雅雄(1990)は、「進化史を通じて人類の存在
の根本を形成している諸性質」を「内なる自然」と呼んだ。それに加え、「系統発生的適応を通じ
て、われわれの心性の奥深く形成された」ものであるという点が重要で、「緑の中で心が安」まる
のは、「霊長類の進化史の中で作られた生得的な心性なのだろう」と述べている。
こうした観点は道元の『正法眼蔵』の別の部分にも多く見られるとのことなので、他の部分を探
してみると、渓声山色(けいせいさんしょく)の巻で次の一節に出会う。
げ
みょうりしんじん
「正修行のとき、渓声渓色、山色山声、ともに八万四千偈ををしまざるなり。自己もし名利身心を
ふじゃく
い ん も
げんじょう
不惜すれば、渓山また恁麼の不惜あり。たとひ渓声山色八万四千偈を現成せしめ、現成せしめざる
5-17
こ
じ
じんりき
けんもん
ことは夜来なりとも、渓山の渓山を挙似する尽力未便ならんは、たれかなんぢを渓声山色と見聞せ
ん。」(岩波文庫青 319-1, pp.126-127., ルビ:筆者) これを解釈してみると、次のようになろう。
「もし、正しく修行するならば、渓(たに)の声も、渓の色も、山の色も、山の声も、ともに数限
りない真理を惜しみなく現してくれるものだ。自分がもし名誉や利益や身も心も惜しまなければ、
渓や山もまた、かくのごとく(真理を現すことを)惜しみはしないであろう。だが、たとえ渓の声
や山の色が数多くの真理を現していたとしても、あるいは現していなかったとしても、それが夜半
のことであろうとなかろうと、渓や山が渓や山であることを見極めるために、力を尽すのが不十分
ならば、誰が渓の声や山の色を、見聞きすることができようか、できはしない。」
自分の意のままに生きるのではなく、自然の摂理に則って生きる、というのが禅の教えの一つで
あるが、道元はそれを自分の身と心で力を尽くして、見極めなくてはならないと説いている。これ
は自然と人間の相互作用そのものであり、ゲーテの自然観やカーソンの『センス・オブ・ワンダー』
とも驚くほど共通性が高い。自然と人間が調和して共存しようとする自然観は、東洋、特に日本人
には親しみ深いものである。このような観点が、現代の東洋や日本から薄れてきたり、捨て去られ
た面があることも確かではあるが、やはり、我々の生活に深く影響を与えているデカルト的な意味
での西洋の近代科学的自然観を反省し、見直すことは必要であろう。
そのためには、循環論≒仏教的、輪廻的な観点も必要になってくる。西洋的自然観の教育を受け
たはずなのにもかかわらず、レイチェル・カーソンの考えはこれに近い。『沈黙の春』第4章でも
「an endless cyclic transfer of materials from life to life」(注:Silent spring, chapter 4, p.46、生命
から生命への物質の終わりなき輪廻、の意)という言葉がキーワードとして出てくるとともに、地下水
の循環(これは「環境」の要素の多くを含んでいる)の重要性について述べている。彼女の修士論
文では、腎臓を通る血液の循環という形でその原型が垣間見られる。ゲーテは、「万物の根源は水
である」と述べて、最初の哲学者と呼ばれた古代ギリシャのタレスを高く評価し、『ファウスト』
の「古典的ワルプルギスの夜」でタレスを登場させていることを思い出させる。
第 13 章の細胞中のミトコンドリアの継続的な働きを説明するところでは、「endlessly turning
wheels(注:終わりなく廻り続ける輪、の意), cycle, turn, transfer」といった循環を表す言葉が頻
出する。また、『われらをめぐる海』では、「地殻運動」の「輪廻」のことが言及されているし (文
庫版、pp.155-156)、テレビ番組のシナリオとして書かれた『雲』 (『失われた森』所収)の中で、
「水
の循環」について述べている。さらに、『沈黙の春』に触発され、農薬汚染に関するドキュメンタ
リー『農薬禍』(1967)を制作し、
『センス・オブ・ワンダー』(2001)を映画化した小泉修吉監督によ
れば、エール大学にある『センス・オブ・ワンダー』の下書きの中に、Life-Death-Renewal Life
(生と死と再生された生命)という語があるとのことである。カーソンの『海辺』という作品も、
縫い目のない大自然の循環を感じさせる作品である。
福岡伸一(2009:
『動的平衡』第8章)も循環論的な視点を展開している。
「生命体とは動的な平衡
状態にあるシステムで」あり、「可変的でありながら、サスティナブル(永続的)なシステムであ
る」。
「サスティナブルは、動きながら常に分解と再生を繰り返し、自分を作り替えている。それゆ
えに環境の変化に適応でき」る。「不変のように見えて、実は常に動きながら平衡を保ち、かつわ
ずかながら変化し続けている。その軌跡と運動のあり方を、ずっと後になって「進化」と呼べる」
のだと福岡は言う。これはルドルフ・シェーンハイマーの研究に基づいている。すなわち、窒素の
同位体である重窒素を用いて調べると、
「標識アミノ酸は瞬く間にマウスの全身に散らばり」、その
「身体を構成していたタンパク質は、三日間のうちに、食事由来のアミノ酸に置き換えられ、その
分、身体を構成していたタンパク質は捨てられ」る。すなわち、「環境にあるすべての分子は、私
5-18
たち生命体の中を通り抜け、また環境へと戻る大循環の流れの中に」あることになる。
自然は非定常な系であるが、実際には常に過渡的状態にあるのではなく、ある環境の変化に対す
る過渡的状態に続く準定常状態(厳密には非定常だが)が生じ、これが繰り返される。この性質を福岡
は動的平衡という言葉を使って説明する。これは生物学以外の自然科学にも適用できる概念である。
自然は乱雑さの指標であるエントロピーが増大する方向へ進む(エントロピー増大の法則)。生
命体がこの物理法則に逆らって、進化も含め高度にエントロピーが小さい存在であり続けることが
できる理由を、福岡は次のように説明する。生命体は「エントロピー増大の法則に先回りして、自
らを壊し、そして再構築する」。つまり、
「動的平衡」という進化の過程で作り上げた「精妙な仕組
み」によって、「不可避的に身体の内部に蓄積される乱雑さを外部に捨てている」。「環境は生命を
取り巻いているのではない。生命は環境の一部、あるいは環境そのものである」のだと。
では環境問題に対処すべく、我々はどのようにしたら良いのだろうか。一般論として、文系的環
境論は問題解決には具体性に欠け、そのままでは実際の役に立たないことが多い。一方、理系的環
境論には技術への偏りが多い。従って、環境問題に踏み込むには、人間と自然の関係性について、
哲学と科学の両面から再検討し、文理融合的な「知」が必要である、と榧根勇(2006)はその著『現
代中国環境基礎論』で述べている。これは文学と科学の統合を強く説いたゲーテやカーソンの手法
そのものであり、カーソンに学ぶことも多いと思われる。カーソンの愛読したソローの『森の生活』
も、自然と人間との関わりを描いた優れた文学の一分野(ネイチャー・ライティング)であり、科
学的な正確さと、文学的な香りの見事な結合の例でもある。学問の細分化には、その理由と歴史が
あるため、文理融合への道は容易ではないかもしれないが、ゲーテやカーソンなどが、その模範や
ヒントになるものと思われる。
ここで文理融合に関する私見を述べておきたい。一般に、共同研究が成功するには、各人が「一
人一芸」とも言うべき得意分野を持って集まって検討していく必要がある。これと同様に、文理融
合においても、ただ漠然と文系・理系の境界領域付近を扱うのでは不十分である。理系の得意分野
を持ち、そこで培われた知見をベースとして文系の分野(文学、哲学、社会学)を学んでいく。ま
た逆に、文系を学んだ人が、自然科学を学んでいく。その両者が集まって議論を深めることによっ
て初めて、一方に偏らない「文理融合」が実を結んでいくはずである。カーソンの場合も、魚類の
発生学、特に腎臓に関わる体内水分中の老廃物質の除去や血液の循環を深く学んだことが、のちの
海洋文学や、環境論(環境汚染、自然の循環、)に繋がっていったのであって、カーソンの人生その
ものが「文理融合」の見事な実例と言えると考える。
太田哲男(1997)は、
「『沈黙の春』の叙述の仕方の特色」として「ミクロ的視点を基本としつつも」
「文明史的・科学史的視点を織り込んでいる」 (『レイチェル・カーソン 人と思想』、p.94)と述べて
いる。これはホーリズムに他ならない。レイチェル・カーソンの修士論文もまた、発生学というミ
クロ的視点と、進化論というマクロ的視点のホーリスティックな統合の表れと見なせる。また、カ
ーソンは『沈黙の春』の第 7 章(青樹簗一訳)で「自然を征服するのだ、としゃにむに進んできた私
たち人間」、
「過去二、三百年の歴史は、暗黒の数章そのもの」とベーコン・デカルト的方法論を批
判しているが、この視点には修士論文研究によって培われた部分も多いと言って良いと思う。デカ
ルト的二元論が実用と結びつけられたのは、人類の歴史上、産業革命以降の「過去二、三百年の歴
史」に過ぎないことを我々は思い出す必要がある。
以上の考えは、小林秀雄が述べたことと、かなりの共通性を持っている。以下のコラムで述べる
ように小林秀雄は、「カーソンの眼は、生きた自然の均衡に向けられている。この観念は、自然詩
5-19
人の誕生とともに古いのである」と述べてカーソンを高く評価している。文学者である小林秀雄が、
こうした考えを河合雅雄の用いた「生得」や、福岡伸一と同様な「動的均衡」という言葉を用いて、
50 年も前に述べていたことに、筆者は驚きを禁じ得ない。
コラム 環境の人々(4)
小林秀雄(1902-1983)
日本の近代的文芸批評を切り開いたとされる小林秀雄の考え方は、デカルト的な二元論とは対極
にあり、環境に関しても多くの人に影響を与えている。以下、環境に関わる小林秀雄の言葉を拾っ
てみた。
まず、処女作『様々なる意匠(1929)』において、
「雲が雨を作り雨が雲をつくる様に、環境は人を
作り人は環境を作る」(新潮社版全集 1, p.138)と述べ、昭和 4 年という我が国ではきわめて早い時
期に自然と人間との相互関係の重要性を指摘している(この部分は榧根(2006)でも指摘されている)。
圧巻なのは『パスカルの「パンセ」について(1942)』である。
「人間は考える葦だ、という言葉は、
あまり有名になり過ぎた。」「或る者は、人間は考えるが、自然の力の前では葦の様に弱いものだ、
という意味にとった。或る者は、人間は、自然の威力には葦の様に一とたまりもないものだが、考
える力がある、と受取った。どちらにしても洒落を出ない。」
「パスカルは、人間は恰(あたか)も脆弱
な葦が考える様に考えねばならぬと言ったのである。人間に考えるという能力があるお蔭で、人間
が葦でなくなる筈はない。従って、考えを進めて行くにつれて、人間がだんだん葦でなくなって来
る様な気がしてくる、そういう考え方は、全く不正であり、愚鈍である」(同全集 14, pp.43-44)と
喝破している。デカルト批判(「無用にして不確実なるデカルト」。これはパスカルの独白である。
(同, p.49))も見られる。
さらに道元の評価:「道元をこのごろ読んでいるが、実に面白いのだよ。」「手応えというものは
道元にある。道元は独立している、蟇みたいに。」(『実験的精神(対談)
』同 14, pp.71-72)や、
「自然と人間とが応和する喜びである。」(『鉄斎邦訳(1932)』
同 17, p.31)、「文化の生産とは、
自然と精神との立ち会いである。」
(『私の人生観』 同 17, p.166)などに同様の思想が垣間見られ
る。
カーソンに対しては、
『沈黙の春』日本語版の出版直後に『DDT』(1964)を執筆した。
「青木簗一
氏の、熱意を込めた邦訳」と絶賛し、後に有吉佐和子が『複合汚染』を執筆するきっかけの一つと
なったと言われている。
(このほか『天の橋立』(『考えるヒント』所収)でも環境の悪化によりキン
タル鰯が獲れなくなった話が出てくる。)小林秀雄は次のように述べている。
「私が感銘を受けたのは、生命現象という暗い深い世界に関する本格的研究は、今、始まったば
かりだというはっきりした認識に立った生物学者だけに抱ける危懼 (きく)の念である。生きた自然
に対する真実な感情である。」
「無論、カーソンは、科学の進歩や科学者の努力を笑うような愚かな
事は、少しも言ってはいない。ただ、生物学的には未知な化学薬品の暴力では、自然には勝てない、
と警告する。免疫性という・・・問題が・・・生きた自然の抵抗性という極めて鋭い形で現れた。
その意味を科学者は、掴(つか)み直さなくては適(かな)うまいと言うのである。」
「カーソンの眼は、生きた自然の均衡に向けられている。この観念は、自然詩人の誕生とともに
古いのである。こういう」「生得の直感と言って良いものが、現代科学者の分析的意識のただ中に
顔を出してくるとは面白い事だ。」
「原形質生物から、幾億年もの間、育てられて来た生物の、自然
環境に生きる為の動的均衡に酷似した働きが、私達の心的世界にも存する事は疑えない」。
『無常という事』を執筆し、鎌倉時代の文芸作品を批評した小林秀雄であったが、環境保護派の
正木千冬が鎌倉市長に立候補したときには、正木を支持した。結果、小林秀雄の影響力もあって、
5-20
当選した正木により鎌倉の緑が守られたということもあった。友人の作家、大佛次郎は鎌倉の自然
と山林を守る運動を起こし、小林秀雄はこれを支持した。大佛の運動は鎌倉風致保存会の設立、ひ
いては日本におけるナショナルトラスト運動の嚆矢となった。
また、湯川秀樹との対談において、「人間は自分の発明した技術に対して復讐されない自信があ
るかどうか。それほど強いでしょうか、人間という奴は」と述べ、原子力の利用に関する懸念を、
戦後いち早く示した。「小林秀雄の昭和」を著した文芸評論家の神山睦美は、「ハンナ・アレント、
ヤスパース、サルトルは『人類にとっての大問題』ととらえたが、当時、これを語る日本人は小林
ぐらいだった。」と述べている (毎日新聞 2012/10/2) 。
小林秀雄は、『美を求める心(1957)』において、「物を部分に分け、要素に分けて行くやり方」、
すなわち要素還元主義に陥りがちな「知識や学問の道」よりも、「美しい自然」や「美しい絵や音
楽や詩の姿」に感動する「物を感ずる能力の方」がはるかに重要であることを力説した。23 歳の小
林は、後に世界自然遺産となる小笠原旅行(1925)から戻って、
「海だって山だって、色彩なんてエも
のは、一度あの島へ行ってきた奴でなければ、しゃべってみたってわかるもんじゃないさ」(『この
人を見よ』、p.325)と語っていた。また、
「子供は母親から海は青いものだと教えられる。この子供が
品川の海を写生しようとして、眼前の海の色を見た時、それが青くもない赤くもない事を感じて、
愕然として、色鉛筆を投げだしたとしたら彼は天才だ」(『様々なる意匠』)とも述べている。これら
はカーソンの『センス・オブ・ワンダー』と通底する思想に他ならないと言える。
(注)戦争に対する小林秀雄の見解には批判がある。代表的なものとしては加藤周一のいう「小林秀雄は戦争
を天災と同じように運命的に受け取っている」というものである。仮にそれを認めるとしても、小林秀雄の
業績(古典文学の再評価、芸術批評)に加えて、環境問題の重要性をいち早く指摘した点は高く評価されね
ばならないだろう。
5-6. 科学の両輪
次に筆者が捉えている科学の両輪について述べる。すなわち、自然科学系(広義)には次の3つ
の両輪があり、どちらが欠けても不十分なものになると考える。
5-6-1. 基礎と応用
自然科学系(理科系)
基礎≒理学 ≒科学
〔 応用≒工学 ≒技術
第一に、自然科学系、理科系と言われる分野であるが、基礎と応用が常に平衡しないと非常にア
ンバランスなものになる可能性が高いということである。ある原理を発見したときに、その応用の
仕方を間違うと、極端な話、
「核兵器ができてしまう」ということなので、常に基礎と応用が両輪と
して廻っていかなければならない。新しい発見があったとき、それがどう応用されていくかは、発
見された時点では分からないことが多い。例えば、レーザーが見つかったとき、今日のような使い
方となるとは思われていない。あるいは、アインシュタインがノーベル賞を受賞した光量子理論が、
光電管として様々な分野に利用されたり、さらに、超新星から飛んできたニュートリノの検出に使
われている。アインシュタインはまさかそんな使い方をされるとは思っていないわけである。科学
は両刃の剣だとはよく言われるが、その使い方を間違えないためにも、基礎と応用の両輪のあり方
を常に考えていくことが重要である。
5-21
5-6-2.
帰納と演繹
①帰納法(postiori)
②演繹法(priori)
後の(posti)、考え(ori)
先の(pri)、考え(ori)
①事実+事実+事実+ ・・・・・・→∴理論(結論):レイチェルの方法
堅実で一般への説得力がある。データ不足の時は行きづまる。
②作業仮説(working hypothesis)
→ 思考実験(Gedanken experiment, thought experiment) →実証
行き詰まり打破の可能性。実証される以前は信用されにくく、失敗はある。
二番目に、方法論としては帰納法と演繹法がある。帰納法・ポスティオリ(postiori)、後から出て
くる考えというのが直訳である。それから演繹法・プライオリ(priori)であるが、先に考えがあると
いう意味である。帰納法とは、いろいろな観測データや事実を積み重ねていって「ゆえにこういう
ふうになる」という論法なのであるが、これはレイチェル・カーソンがいちばん得意としたところ
である。この修士論文もそうだし、ほかの本や『沈黙の春』でも帰納法的な方法論をとっている。
帰納法は非常に堅実だし、専門としない人=一般の方への説得力も高い方法ではあるが、未知の要
素が関与したり、既知の要素が未知の振る舞いを示すと、一度導いた結論に反する事例が見つかっ
て、結論が崩れる恐れがあるのが難点である。
そのため、科学としては演繹ということが非常に重要になってくる。演繹法とは、作業仮説
(working hypothesis)、つまり、
「実はこうなっているのではないか」という仮説を立てて、そこで
思考実験=頭の中で考えることを行う。思考実験はドイツ語ではゲダンケン・エクスペリメント
(Gedanken experiment)、英語ではソート・エクスペリメント(thought experiment)という。頭の
中で様々な可能性を考えて、可能性の一つ一つを潰していきながら、それを徐々に実証に結びつけ
て行く方法である。
データが不十分なときの行きづまり打開策として、作業仮説が認められないと科学の進歩は困難
なものになるだろうと考えられる。ただし、実証されない、あるいはデータが不十分なうちはなか
なか信用されないということもあって、失敗のリスクは伴うのであるが。
日本のノーベル賞受賞科学者は 2015 年までに 21 人おられて、その業績はいずれも大変優れたも
のである。その中で、科学史的に湯川中間子論が特に重要視されるのは、日本が戦争に入る物のな
い時代に思考実験から新しい道を切り開いた、そして、理論物理学という分野がありえる、演繹法
は有効であることを示したという意味で、しばしば天才的とも言われるわけである。また、演繹法
は科学の醍醐味であると言われるが、その意味でも非常に重要だと考える。
この帰納と演繹ということが、両輪として廻っていかないと科学の進歩は困難であると思う。
5-6-3. ホーリスティックな観点
専門的(≒先端科学)・微視的
総合的・巨視的
-巨視的観点と微視的観点の統合
例)発生学、遺伝学(DNA)
例)進化論、生態学
第三に対象とする範囲の問題がある。専門的というか、先端科学的で先鋭的な進め方と、より総
合的に広く見てどうかという、この2つが両輪として機能していく必要がある。
第 1 章で述べた遺伝学の流れは、メンデルの法則から始まって DNA の二重らせんモデルに至る
まで、どちらかというと、微視的な分野に近い。微視的分野に関して、レイチェルが一流の人であ
ったかどうかは議論のあるところだろう。しかし、この修士論文でもかなりの成果は挙げているの
で、科学者としても優れた人であったことは確かである。ペンシルヴァニア女子大ではスキンカー
という先生についた。優秀な女性科学者であったが、その当時のことだから、女性差別で大変な思
5-22
いをした人でもあった。
カーソンは、そのスキンカー教授を超える存在にはなりえたと思われる。レイチェルが、超一流
の科学者になれたかどうかはともかく、非常に丹念に文献を読み、観察を重視し、データを重ねて
いくタイプの人であったから、巨視的な分野、生態学的な分野で研究を進めていったのなら、かな
りの科学者にはなっていたかもしれない。少なくとも、第一章で紹介したポプキン(2013)による「光
り輝くほどの独創性があるとまでは言えないものの、研究成果は揺るぎのないものである」との評
価が妥当なところと考える。カーソンが科学者になった場合には優れた環境論は生まれなかった、
というよく聞かれる意見は、それはそれで正しいのであるが、その一方で、修業時代としての「修
士論文」の経験と、その中で論じられた腎臓や循環系を通じての物質循環、さらには循環論的視点
の芽生えがなければ、その後の優れたネイチャー・ライティングの諸作品や『沈黙の春』が生まれ
なかったのも確かなことであろう。
話を元に戻すと、微視的と巨視的のどちらかに偏ることは、いずれも科学として不十分である。
両者を統合し、先にゲーテのところで述べたように、ホーリスティック(全体論*的)に捉えることに
よって、はじめて自然の姿が本当に見えてくるというべきである。以上述べてきた3つの両輪が廻
っていくことで初めて、自然科学は健全な道に進むのだろうと考える。
*全体論:
「人間は自然の一部である」という視点をアメリカで最初に明確に示したのは、アルド・レオポル
ドだとされている。彼は人間の倫理観を「人間社会のみでなく、自然全てに」拡張すべきだとする「大地の
倫理」を唱えた (多田満(2014),pp.111-113、
『たのしく読めるネイチャーライティング』,pp.78-79,252 参
照) 。
5-6-4.科学の両輪とレイチェル・カーソン
次に以上で述べた科学の両輪と、レイチェル・カーソンの修士論文や「沈黙の春」との関連性
について述べる。
カーソンの修士論文は、非常に帰納法的な論法を用いており、実証性を重んじていることに特徴
がある。また、多数の文献を非常に丹念に読むことによって訓練された力が、後の『沈黙の春』の
詳細な文献リストの作成と、説得力のある議論に繋がっている。この粘り強い文献読解能力は、修
士論文研究において培われたものだと言って良い。
その反面、演繹法的展開がやや不十分にも見える点が、先端科学者としては若干弱いかのような
印象に繋がっている可能性はある。あそこまで到達したのなら、もっと大胆に議論を進めて、自説
を押し進めるのかというと、そういう人ではない。大変謙虚なのであるが、そこが十分に理解され
ず、科学者としてはどうか、という批判に繋がっているのかもしれない。しかし、
『沈黙の春』など
でカーソンが述べた内容の全てが正しいとまでは言えないにしても、年月を経るにつれて大筋の正
しさや、その価値が明確になり続けていることも事実である。これは「徹底的な観察の人」であっ
たカーソンの生来の資質に加え、観察能力を鍛錬した「修士論文」研究によるところも大きいと言
えるであろう。
むしろ、カーソンは博物学的、総合科学的であり、生態学により向いている資質の人であったの
ではないかとも考えられる。先述したように、実は発生学の研究から進化論(系統樹)を強く意識
して考えることによって、カーソンの中に生態学・環境論的考えや、ミクロからマクロへの思考が
芽生えていたと言える。太田哲男(1997、p.87)はすでに筆者と同様な見解を言及しており、
『沈黙の
春』は「膨大な情報を……圧縮し」、「自らの観察を織りまぜ」、「諸研究を要約的に……積み重ね」、
「含蓄的・簡潔に述べた」ものである。これは帰納法的な展開と言える。また、
「ある論理にしたが
5-23
っての演繹的展開というより、むしろ博物誌・自然誌的な色彩を持つ」と評している。
ウナギの回遊を博士論文のテーマとして選ぼうとしたこと自体が、非常に環境論的、循環論的で
ある。そして、『沈黙の春』にも循環、輪廻という言葉が出てきている(例えば、前述したように、
第 4 章に「endless cyclic transfer=終わりなき輪廻」とある)点や、本章で述べてきたことを総合
的に考えると、カーソンの研究が、環境の思想家になるために重要な役割を果たしたのは間違いな
いものと考える。
なお、後の「沈黙の春」では演繹的展開も見られる。まず、事実の積み重ねとして、農薬汚染の
個々の実態を詳細に議論し、そこから農薬の危険性ということを結論づけており、ここまでは帰納
法的な論理展開である。次のステップとして、最後の方の章では、これが正しいとするとこういう
ことが起こるはずだという演繹的展開を見せる。すなわち、農薬を適切に使用しないと生態系への
深刻な打撃が生じるのだから、環境社会を目指すべきであるとの議論を進めている。具体的な対策
としては、天敵による害虫駆除ということを議論している。ただし、「その方法では生態学的バラ
ンスが崩れないか」という批判が出てくるのは、どうしても避けきれない点でもあるのだが。
そうは言っても、帰納法的にきちんとまとめたものに演繹的展開が加わったことにより、さらに
説得力を持った意義の方が大きい。すなわち、
『沈黙の春』という作品は帰納法だけの議論から脱皮
して、演繹的展開も含め、普遍性の高い論理展開を持った作品に発展していったと言える。
5-24
第6章
6-1.
レイチェル・カーソンの修士論文の業績と現代的意義
レイチェル・カーソンの修士論文の業績
レイチェル・カーソンの修士論文の業績をまとめると次のようになる。
1.アメリカナマズの発生の様子を初めて詳細に明らかにした。この基本にきわめて忠実で詳
細な観察結果は、現在でも魚類の発生学を学ぶ者にとって参考になる点が多いと思われる。
2.特に、前腎室形成に関するブラシェー説の正当性と、前腎室と中腎のボーマン嚢形成にお
ける相同性を主張した。当時、前腎室形成に関して、ブラシェーの説-前腎室は内臓板と体壁板
の双方が回転することによって、内臓腔から分離してできる-と、フェリックスの説-前腎室
は前腎細管の融合によって生じる-との 2 つの有力な学説があったが、カーソンはアメリカナ
マズの発生から類推して、ブラシェー説の優位性を論じた。
3.魚類の前腎は幼生期中盤以降になっても腎臓機能を持続するという説は誤りであり、徐々
に腎臓としての機能を失っていき、中腎が機能するようになること、頭腎はリンパ様組織に置き
換わり、造血器官(哺乳類の脾臓)の役割を担うとの説の重要性を指摘した。
「修士論文」が書か
れた当時、すでに幼生期中盤以降における前腎の持続性は否定されつつあったが、それをアメリ
カナマズを用いて肉付けしたことは評価されるべき成果である。
4.2.と 3.は現在、定説となっている。また、カーソンが評価したバルフォアの著作である’A
treatise on comparative embryology (1881) [比較発生学論文集]、スワーエンとブラシェーの論
文(Swaen, A. et Brachet, A.(1899, 1901))、ヌタウナギを通じて前腎と中腎の相同性を論じたプ
ライスの論文(Price(1897, 1905))の 5 つの文献は、書かれてから 100 年以上経った今日において
も(!)、しばしば引用されて、レイチェル・カーソンの見通しの正しさ、先見性を示している。
従って、修士論文前半の研究史の部分を含め、カーソンは科学史家としても優れていたと言って
良いと思う。その能力は「修士論文」における既存論文の詳細な検討によって磨かれたものであ
り、やがて『沈黙の春』第 14 章の汚染物質の出現とガン発生の歴史の記述に繋がっていく。こ
のほか、次の研究の先駆けとなった。
5.博士論文研究において、ウナギの海陸両生の機能研究に取り組んだが、残念なことに未完
に終わった。しかし、1970 年代になって、そのメカニズムが明らかになってきた。さらに、最近、
硫酸イオンの増減が重要な役割を果たしていること(東京工業大学の研究)や、ウナギの DNA
の分析からウナギのルーツが深海魚らしいこと(東京大学の研究)が明らかとなっている。それ
にしても、ウナギとはいかにも循環論的テーマであり、レイチェル・カーソンにふさわしいもの
である。
6.頭腎の役割として、造血機能のほかに、リンパ球による免疫機能が重要であることが、1970
年代末以降わかってきており、現在、重要な研究テーマとなっている。カーソンは免疫機能まで
は気づいていないが、現在の魚類の免疫研究に先んずる研究を行っていたと言えるであろう。
以上、レイチェルは現在の発生学の先駆けをなす研究を行ったとともに、科学者としても、業
績を残したと言えよう。
6-1
6-2.レイチェル・カーソンの修士論文の意義
レイチェル・カーソンの修士論文の意義は次のようにまとめられる。
6-2-1.生物学・発生学的意義
本論文は、単にアメリカナマズの腎臓の発生という生物学的意義を持つだけでなく、前章まで
に見てきたように、アメリカナマズなどの魚種の個体発生と系統発生の研究を進める上で、腎臓
は最も重要な器官の一つである点でも意義がある。
6-2-2.進化論および生態学的意義
従って、進化論の研究を進める上でも、腎臓は重要な器官の一つであると言える。カーソンが
論文中で議論の対象とした魚種は、進化系統樹上で万遍なく選ばれており、進化系統を意識して
選んだのは確かだと思われる。従って、本論文は(ゲーテ)→ダーウィン→(ヘッケル)から繋
がる進化論および生態学の系譜の上にあることは確かであろう。すなわち、本論文には発生学と
いうミクロな側面と同時に、進化論および生態学というマクロな観点との統合が見られるのであ
る。これこそは、ゲーテが示唆した全体と部分の統合というホーリスティックな観点の現れとも
言える。
また、ナマズ目は 2800 種以上、全魚類の 10%強に達し、スズキ目、コイ目に次いで種類が多
い。淡水魚に限れば、約 20%に達するきわめて多様性に富む種類である。したがって、進化や生
物多様性を研究する上で、重要な種類と言えよう。
6-2-3.医学的意義:腎臓病
現在、腎臓病で人工透析を必要とする患者数は約 31.4 万人(2013 年、(社)日本透析医学会によ
る)であり、日本の総人口の約 0.25%、約 400 人に一人に相当する。今後、人工透析の技術は進
んでいくとしても、腎臓そのものを直す方法は、現在のところ知られておらず、治療法の開発の
ためにも医学だけでなく、腎臓に関わる様々な分野の研究が総合的に進められなければならない。
腎臓の細胞の多くは、中間中胚葉(=中胚葉中分節)から発生するが(第Ⅰ部、2-3 参照)、京都大
学は、2014 年 1 月、ヒト iPS 細胞(人工多性能幹細胞)から高い効率で中間中胚葉へ分化させ
る技術を開発したと報告しており、今後の腎臓医学への寄与が期待されている。
6-2-4.水産学的意義:魚類の免疫機能
レイチェル・カーソンの時代には、頭腎のもつ免疫機能は全くと言って良いほどわかっていな
かったが、1932年という早い時期に、現在の魚類の免疫研究の先駆けとも言うべき研究を行って
いた。また、彼女が用いたアメリカナマズが現在、魚類の免疫機能を調べるために最も多用され
る種類の一つでもある。アメリカナマズは孵化から幼生になるまで約6日と短いだけでなく、繁
殖力が強く、研究に適している。論文提出までの期限が迫っていたという理由はあるにしても、
実に良い種類を選んだと言うべきである。さらに、多剤耐性菌が出現して強い薬剤による魚病の
治療が困難となり、薬剤の魚体内残留が問題視されて、魚類の免疫力とワクチンを利用した魚病
予防の試みが進められているが、カーソンは、修士論文の最後でリンパ様組織研究の重要性を指
摘しており(4-6参照)、カーソンの研究は、その先駆け的な意義を持っていると言える。
6-2
6-2-5.文学的意義
以上に加えて本研究は、
『潮風の下で』のような海洋作品や『沈黙の春』の根底をなしている。
『チェサピーク湾のウナギはサルガッソー海をめざす』(1938、『失われた森』所収)や、『潮風の下
で』では、本論文中で議論されている魚種が 15 種類出てくるだけでなく、博士課程の研究で関
わったウナギと、サルガッソー海におけるウナギの胚や幼生の話が重要な位置を占めている(特
に『潮風の下で』、第 15 章『回帰』)。すなわち、レイチェル・カーソンの海洋文学作品は、科学
的に見てもしっかりとした根拠を持っているのである。『潮風の下で』は、未完成に終わった博
士論文の代わりに書かれたという側面もあると言って良いと思う。この本のうち『サバの誕生』
は、その典型である。
(1).初期作品への影響
科学作家のポプキン(Gabriel Popkin(2013))は、ジョンズ・ホプキンス大学の広報誌である『ジ
ョンズ・ホプキンス・マガジン』において、カーソンが、ボルチモア・サン紙に最初に投稿した『も
うすぐシャッド漁の季節は間近(It’ll be Shad-Time Soon:1936)』では、
「修士論文」とは大い
に違った優れた文学的表現法を、わずかの期間のうちに身につけたことに驚きを持って指摘して
いる(シャッドはニシンの仲間で『潮風の下で』に登場する)
。例えばシャッドの発生について、
「もろい組織が少しずつ形をとり始める。瞬きもしない眼が[胚の]閉ざされた壁を通してじっと
見つめている。血管からできた細い糸束が、深紅の脈打つ袋である心臓と繋がっている。背面に
そった V 字型の峰が、発達しつつある筋肉を連想させる。一週間ほどのうちに、か弱い牢獄の占
有者だったものが十分に活動的となり、自らを水中に解き放つことができるようになる(筆者試
訳)」と紹介している。
この部分は、のちに『潮風の下で』の『サバの誕生(文庫版、pp.108-111)』で次のように応用
されている。
「若い細胞は、
・・・組織そして器官を形づくっていった。」
「V 字型をした一ダースほどの筋肉
層が背骨の両側に現れ、完成に近づいた目は、
・・・周囲の世界をじっと見つめているようだった。」
「頭部の下にある薄い袋―内部の液体のために深紅色を呈している―が、ピクピクとふるえ脈打
った。」
「産卵後六日目の夜、
・・・閉じこめられていた小さな球の中から一匹また一匹と滑り出て、
稚魚は初めて海の感触を知った。」
これらは、「修士論文」の文学的表現と言って良いだろう。
(2).科学的講演『海辺』への影響
カーソンが漁業局で働くようになってからの唯一の科学的な講演が、1953 年、米国科学振興協
会のシンポジウムで発表された『海辺』(『失われた森』(文庫版 pp.187-203))である。カーソンは
この講演で、環境の変化が生物に与える影響、例えば、海水温の上昇が海洋生物に与える無視し
えない影響について議論している。これは、現在の地球温暖化の問題を先取りする感さえあるも
のである。
しかし、この講演で最も注目すべきなのは、ここでも全体論的な視点が展開されていることと、
さらに、環境、特に水温や地質的・化学的な砂質の違いによる、生物の分布範囲に与える影響に
ついての言及である。これは特に「幼生」への影響を重視している点からも、彼女の「修士論文」
の影響が強いと考えられる。以下、このような部分を引用する。
6-3
「動植物と周囲の自然界との関係」を「よくよく考えてみれば、生命の複雑さに気づかされま
す。そこには独自に完結している要素は何ひとつなく、単独で意味を持つ要素もありません。一
つひとつが、複雑に織り上げられた全体構造の一部なのです。
」
その例として、「ある特定の蠕虫(ぜんちゅう)は生息条件が非常にかぎられており、ある一種
類の砂でしか生きられ」ず、
「生後数時間から数日の幼生の段階で、地質学を学ぶ学生も及ばない
ほどの正確さで、成長に適した砂を発見し、識別することができるのです。
」
生物の「分布変化の・・・全貌を知ろうとするなら、当該の動物の幼生段階へ注意を向けるべ
きでしょう。成体であれば、通常生息する温度範囲外の新しい環境に適応することも可能でしょ
うが、幼生はそうもいきません――そして、幼生を生き延びさせることができなければ、繁殖で
きません」。また、
「定住性の動物では、自由に泳いだり、潮の流れなどの外的な力に運ばれたり・・・
コロニー
新しい群体を築けるのは幼生だけです。
」なぜなら「幼生は自分自身の運命をそれなりに制御する
能力を持ち、とりわけ成体の形態を身につける決定的な瞬間にそれを発揮する」からである。
「幼
生から成体へと変わる形態の劇的な変化は、ある一定の時期に達した幼生に起こり、」「幼生が成
体として生きるのにふさわしい環境にいるかどうかは関係ない」とされてきた。しかし、幼生の
多くは「親が棲んでいた砂や泥の性質を認識する能力を備えており、
」「場合によっては変態の時
期をかなり遅らせても、条件に見合う底質を発見してから成体に変化する」。すなわち、
「成体に
なって棲むにふさわしい場所を選択する準備が整ったとき」
「その砂が適当なものでなければ」
「幼
生は再びゆるやかな潮の流れに乗り、別の場所・・・で探していた砂を見つける」能力を有する
のだと結んでいる。
また、カーソンは、「海の生物によって海水中に放出される代謝物質」である「外分泌物」(エ
クトクリン)について着目しており、後に『海辺』という作品 (1955 年、pp.62-63)の中でも言及し
ている。カーソンは『われらをめぐる海』を執筆した翌年の 1952 年以降、海洋生物学の研究現場
から離れたが、
『沈黙の春』を執筆中でも、かつて短期的に学んだウッズホ-ル海洋生物学研究所
の理事として、最新の研究を把握し、海洋科学者たちとも連絡し続けたのであった (『失われた森』、
文庫版 p.146)。
6-2-6.環境論的意義
すでに述べてきたように、カーソンの「修士論文」には今日の環境論に繋がる思想の片鱗がうか
がえる。
まず第一に、同論文には発生学というミクロな側面と同時に、進化論および生態学というマク
ロな観点との統合が見られるのである。これこそは、ゲーテが示唆した部分と全体の統合という
ホーリスティックな観点の現れと言って良い。これが、後の海洋文学、さらにはデカルト的二元
論批判の上に立つ今日の環境論的な視点へと発展していったものと見て良いであろう。
第二に、魚の腎臓というテーマを選ぶことによって、後の海洋三部作の原点となるとともに、
循環論的な思想が芽生えていったことが考えられる。なぜなら、腎臓は体内の老廃物や各種イオ
ンの循環と深いつながりがあるだけでなく、汚染物質の除去という側面もあるからである。その
点からも、のちの環境汚染の防止という観点に繋がっていったと思われる。加えて「修士論文」
の最後の議論において、カーソンは「循環系の発生は、本研究の目的とするところではないが、
血管組織の発生における顕著な特徴については、排出器官と関連づけて指摘してきた」(邦訳p.48)
と述べ、前腎が変化した頭腎には古い血液の破壊と造血という循環的な役割があることに気づい
6-41
ているからである。
第三に、多剤耐性菌により魚病の治療が困難となり、薬剤の魚体内残留が問題視されて、魚類
の免疫力とワクチンを用いた魚病予防の試みが進められていることは、『沈黙の春』でレイチェ
ル・カーソンが示した極力自然なものを使うという思想と繋がっており、カーソンの修士論文研
究は、その先駆けであったと考えられる。
第四に、『沈黙の春』には農薬汚染の根拠として 587 文献が巻末に載せられている。この粘り
強い仕事は、本研究で 36 文献、2千数百頁に及ぶ読破を行ったときに培われたものであり、本
研究には後のカーソンの環境論の萌芽、または助走とも言うべき意味合いもある。
以上から、レイチェル・カーソンの修士論文はカーソンの生涯をたどる伝記的意味において、
また、生物学や科学史的にも重要な文献であると考える。
6-3. 終わりに
1932 年 5 月、ジョンズ・ホプキンス大学における指導教官の R・P・コールズ教授と、海洋生
態学担当の E・A・アンドリュース教授が動物学科を代表してカーソンの修士論文の主査と副査
を務めた。そして、大学研究理事会への評価書の中で、研究成果は「「このテーマに関する論文
の比較検討が非常によくなされており」、調査は注意深く、また「ひときわ優れた、批判的観点
から」なされ」、
「レイチェルの論文は魚類の泌尿器系に関する知識に「意義深い貢献」をした(リ
ンダ・リア、『レイチェル』、p.114)」と高く評価され、1932 年 6 月に修士の学位を授与されたので
ある。現在なら博士に相当するレベルであったと考えられる。
カーソンは、先入観、常識、定説にとらわれず、自分の目で見、自分の頭で考えて、前腎室の
発生に関して、当時有力だったフェリックスの説よりもブラーシェの説が正しいことを明らかに
した。そして、この経験が後の「海洋三部作」や『沈黙の春』へ繋がっていくのである。
コールズは、彼女を「頭脳明晰かつ正 確で、研究者として有能である」と評 価していた
(Popkin(2013))。しかし、おそらくコールズとアンドリュース、さらにはレイチェルが臨時助手と
して働いたメリーランド大学薬学および歯学科の元同僚等を除くと、カーソンの論文の真価を評
価できていたとは言い難い。特に、動物学研究所長で遺伝学を専門とするジェニングスは、カー
ソンをあまり高く評価していなかった。それは、
「うたがいもなくレイチェルが研究課題を完成さ
せるのにかかった時間の長さや苦境に、
ジェニングスが疑念をいだいていたことを反映している」。
すなわち、最初の研究(爬虫類の脳神経の研究)の失敗と留年、経済的問題がジェニングスを含
む教授陣の何人かに悪い印象を与えたであろう、とカーソンの伝記作家であるリンダ・リアは考
えている。また、「彼の推薦状には、」「「カーソン女史はたいへんな勤勉家で、きわめて優秀とは
言えないまでもたいへん有能で、生物学に関しては多くの知識を持っています。彼女はまったく
信頼にたる申し分ない教員になるでしょう」」と「明らかに冷たい語調で書かれて」いたのである
(「
」内、『レイチェル』、p.115)。これは裏を返せば、研究者にはあまり適していないと暗に言っ
ているようにも取れるのである。
カーソンが専攻を文学から生物学に変更する直前には、ジョンズ・ホプキンス大学のモーガン
による遺伝子説、そして、その弟子でカーソンが『沈黙の春』等でしばしば言及しているマラー
による X 線による突然変異説といった、後にノーベル賞を受賞する偉大な研究がなされていた。
ジョンズ・ホプキンス大学の生物学の主流は、そして時代は遺伝学全盛の方向へ進もうとしてお
り、カーソンの論文のテーマがやや古典的で新規性を欠くと見なす向きがあった可能性もある。
6-5
これに、主として経済的困難からカーソンの博士研究が挫折に終わったことが重なって「レイ
チェル・カーソンは科学者ではない」との言い方が生まれてきたものであろう。最初に述べた水
尾一郎氏によるカーソンの「現代科学の研究者としての資質」や、
「分析し、仮説を立て、実証し、
理論を構築するという意味」での「科学的創造性」への疑問は、こういう流れに影響されている
可能性もある。
しかし、第1章でも紹介したジョンズ・ホプキンス大学の広報誌、ジョンズ・ホプキンス・マ
ガジンにおけるポプキン(Popkin(2013))の報文のタイトルは、‘Right fish, wrong pond’(魚は正
しかったのに、池が間違っていた)となっており、カーソンの修士論文に対する当時の大学側の
評価は不十分であり、今後、正当な評価がなされようとしていることがうかがわれる。
レイチェル・カーソンは再三にわたって、農薬を全て否定するものではなく、その適切な使用
を訴えていたのである。例えば、『沈黙の春』第 2 章に「私は合成殺虫剤をいっさい使ってはな
らないと主張しているのではない。私たちは有毒な、そして生物学的に影響する可能性のある化
学物質を、それらの及ぼす危害について、ほとんど、あるいはまったく無知な人びとの手に無差
別に渡してしまったということを、あえて主張したいのだ。」(ポール・ブルックス、『レイチェル・
カーソン』、p.341)という一節がある。また、ケネディ大統領の諮問委員会の公聴会において、化
学工業界代表のスティーヴンス博士の、殺虫剤使用をやめたら害虫が支配する暗黒時代に戻ると
いう趣旨の発言に対しても、そのことを述べている。そして、農薬による汚染は多岐にわたるの
で、全てを解決できる方法を探るのではなく、個々の問題に適合する様々な方法を考えるべきだ
と述べている。
また、『沈黙の春』第 10 章では、ヒアリの駆除に「土まんじゅうの巣」に集中した農薬散布
が効率も良く、薬量を減らすことができ、費用も安いとしていて、安全性が高く、かつ必要最小
限の農薬散布ならば、むしろ推奨しているのである(ただし、『沈黙の春』第 11 章では、環境基
準値が絶対視されることの危険性を警告している)。
しかし、今もって、無意識に、あるいは故意に、農薬全否定を主張していたと誤解している向
きが一部に見られるのは残念と言わざるを得ない。若干 25 歳のレイチェルが全力を傾けたこの優
れた論文を読むとき、レイチェル・カーソンは科学者ではない、と言って切り捨てようとするの
がいかに不適切なことかが理解できよう。仮にカーソンに対して批判的な立場を取るにしても、
彼女の科学的な業績を熟知した上での評価でないならば、それは単に自説に都合の良い議論や感
情論にすぎず、心ないわざと思われる。またカーソンが、一部の人が言うような「環境原理主義
者」ではないことも明らかであろう。
一方で、カーソンを神格化したり、必要以上に美化しすぎる向きがあるとすれば、それもカー
ソンへの誤解を招く原因の一つになることは否めないであろう。そうではなくて、その作品には
発生生物学を基礎とする科学者の冷静な目で描かれた部分も多いこと、そして『沈黙の春』は、
その集大成として発せられた心の叫びであることを理解する必要がある。
カーソンは、大学院で「他に学んだことがあるとすれば、それは私どもは実際、何も知らないの
だという忘るべからざる教訓です。私どもが今日知っていると思っていることは、明日にはなにご
とかに取って変わられる運命にあるのです。(ブルックス『レイチェル・カーソン』、上遠恵子訳
248p.)」と謙虚に述べている。しかし、「取って変わられる」どころか、彼女の「修士論文」は今
日でも十分に通用する内容を持っている。
レイチェル・カーソンの時代には、頭腎のもつ造血および免疫機能は良く分かっていなかった。
しかし、カーソンは修士論文中において、前腎室発生のメカニズムを明らかにし、前腎が幼生にな
6-6
っても腎臓機能を維持し続けるのではなく、リンパ様組織に変化して、造血機能を持つという説が
正しいことを示唆しており、科学的創造性はあると言える。すなわち、現在の魚類の免疫研究の前
段に当る研究を行っていたこと、また、第4章で述べたように、彼女が用いたアメリカナマズが現
在、魚類の免疫応答の研究に多用される試料の一つであることなど、先見性もある。控えめな表現
ながらも、定説や先入観にとらわれずに、丹念な観察に基づいて、いくつもの小さな発見をなして
いる。これらを総合的に考えると、レイチェル・カーソンの修士論文は、大発見とは言えないにし
ても科学にも貢献したのは明らかであり、本論文の科学的意義が高く評価されてしかるべきだと考
える。
この章の結びとして、科学と環境問題との関わりについて触れておきたい。榧根(2006, p.16)
は、
「環境問題に関する限り、科学者が価値の問題を避けていたのでは、環境についての学術論文
は生産されるかもしれないが、それだけでは環境は改善されない」と述べ、これまで科学者が環
境問題への評価を極力避けてきた状況について論じている。カーソンが(先端科学者という意味
での)
「科学者として成功していたら、環境問題への彼女の影響力は、今よりもはるかに小さいも
のになっていた」かもしれないことを榧根(私信)は示唆しており、実際、その可能性は高いに違
いない。その一方で、本著で見てきたように、カーソンの大学院での鍛錬と研究がなかったら、
その後の海洋文学の作家や、
『沈黙の春』に見られる骨太で、科学的基礎に裏付けられた環境論者
としてのカーソンが生まれなかったのも確かであろう。このような科学と環境問題の関わりを考
えていく上でも、カーソンの修士論文を含む諸著作はきわめて重要な文献であると考える。
6-7
第 7 章 レイチェル・カーソンの修士論文に寄せて
海洋生物学者としてのレイチェル・カーソン
栃内 新
(本稿は、北海道大学総合博物館で開催(2007 年 7~9 月)された「レイチェル・カーソン展」の一環とし
て、北海道大学平成遠友学舎で行われた講演(講演者:池田光良)に対し、栃内准教授(当時)がコメント
した内容を基にして、栃内博士自身が再構成・加筆したものである。)
7-1.カーソンが発生学の基礎的研究を行ったことの意義
池田さんが解説されたレイチェル・カーソンの研究生活の過程と修士論文の内容をお聞きして、
彼女が非常にオーソドックスな動物学者だったと感じられる。そして、彼女の研究とその成果は、
私は今でも十分通用すると考えている。つまり、今これを読んで役に立つ人が確かにいるという
ことである。カーソンの研究領域は形態学という学問分野で、要するに生物の身体を作り上げて
いる器官や組織、細胞などがどのような形をしているかということをひたすら観察して記述する
ことが研究の基本である。この論文も 1932 年に書かれてから 80 年以上になるが、100 年や 1000
年たっても生物の構造などはほとんど変化するものではないので、彼女の仕事も 100 年経とうが
200 年経とうが価値を失うものではない。こういう基礎的な仕事は、地味で目立たないけれども、
非常に重要なもので、生物学の基礎としていつの時代にも必要とされているものなのだ。これを
読んで「ああ、そうか」と十分に納得する人が、現在の研究者の中にも必ずいるはずで、彼女の
やっていた仕事はそれくらい普遍的なのである。
そして彼女の研究の重要な視点の一つが、いろいろな魚を見ているということである。いろい
ろな動物を比較しながら見ていくというのは比較形態学と呼ばれる研究であるが、そうやって多
くの動物を比較していくと、動物界全体を見渡して見えてくるある一つの流れというか、進化の
様子のようなものが推測できる。彼女は、まさにそれをやろうとしていて、かなりのところまで
できていたと思う。ただ、やはりこういう研究には多くの時間もかかるし、誰にでもわかるよう
な進歩がなかなか示しにくいし、もちろん華々しさはない。おそらく彼女自身の研究成果を売り
物としてどこかへ乗り出していくというような、そういう性格の研究者ではなかったので、どう
しても過小評価されているのだろうと思う。
そういう研究が持っている性質もあって、最近はこういう「動物の身体の中で、どこにどうい
う組織があって、それが発生とともにどういうふうに変化していくのか」というような研究をや
っている研究者が非常に少なくなってきている。一方で、動物の組織や細胞を十分に観察したこ
とがないのにもかかわらず、遺伝子などの「華やかな」研究をやりたがる研究者が多い。そして、
それを最先端と呼ぶわけである。しかも、そういうテーマは新薬を開発するときに役に立ったり、
場合によってはそれがお金もうけにつながったりする。言うなれば、応用に直結した学問が最先
端研究としてもてはやされているのである。
しかし、そうした研究には打ち上げ花火のように単発的なものが多く、継続性のないことも多
い。人類の歴史とともに連綿と受け継がれてきている自然科学にとって非常に大切で、しかも永
く残るのは、カーソンの行ったような仕事である。ともすれば忘れられがちな、この種の研究が
今少しずつ見直されてきている。というのも、日本の大学を含めて世界中でこういうことができ
る研究者の数がものすごく減って、このような基礎的な研究を理解できる研究者がかなり少なく
7-1
なってきていて、「これはまずいのではないか」という反省が起きているところである。そうし
た中で、彼女が 80 年以上経っても全く価値を失わない修士論文を、若い研究者として書いたと
いうことは、もっともっと評価されても良いことだと思う。
さらに、こうした基礎研究に専念したというレイチェルの経験が、その後の『沈黙の春』に繋
がっていくと思うのであるが、ともかくいろいろなものを見るということの大切さを学んだのだ
ろう。形態学という学問は修行のような側面があって、見て、見て見つくしていくと、ふと全体
が見えてくるという瞬間がある。まさに帰納法的と言っても良いような、見つくしていく手法は、
もともと天賦の才能として彼女が持っていたということもあるだろうが、修士論文研究によって
磨きがかかったことは想像に難くない。
研究の過程で、いろいろな魚を見て行くとみな違いがあることがわかる。それに驚きを感じな
がら(この感じる力こそが彼女の言う「センス・オブ・ワンダー」だろう)研究を進めていく…、
彼女の研究手法というのはまさにそれであって、私のような動物学者としては強く共感できる点
である。
悪く言えば、誰にでもできるような研究なのだけれども、こんな地味なことをやりがたる人は
少ない。レイチェルだからこそやれたとも言えるのだ。こういう地道な研究には、やはり“それ
に適した非常に根気強くて、諦めない性格”が要求される。彼女はまさにそういう人だったから
こそ成し遂げられた研究と言えるだろう。
純粋に学問的に見ると、博士課程でもこの研究を続けることはおそらく可能だったと思う。し
かし、そうした地味な研究を延々と続けていくことに対して、世界大恐慌(注)後の復興期という
当時の時代環境の中において、大学も社会からいろいろものを要求され、基礎的なことばかりや
っていてはいけないのだというような批判的な風潮が、だんだんと出始めた頃であって、有形無
形の「圧力」が彼女およびそれを指導する大学側の行動になんらかの影響を与えたのかもしれな
いという気もする。このことは現在、日本の中で大学およびそこで行われる研究に対する社会的
「圧力」のようなものを感じている我々としては他人事とは思えない実感でもある。
7-2.リンパ組織研究の意義
彼女の論文の中でもうひとつ興味深いのは、前腎がリンパ組織に置き換わっていくことへの言
及である。カーソンが修士論文を書いていた当時(1932 年)は、まだ免疫学はあまり盛んではなか
ったのであるが、1970 年代後半から 80 年代ぐらいになると免疫学が非常に進歩してくる。その
結果わかったことは、脊椎動物は抗体を作る免疫システムをもっており、サメやエイなどの軟骨
魚類はちょっと原始的なものだが、硬骨魚類になるとヒトと同じくらい立派な免疫機能を十分に
そなえていて、その重要な細胞が T 細胞や B 細胞と呼ばれるリンパ球である。硬骨魚は T 細胞や
B 細胞といったリンパ球を持っているのだが、魚類には B リンパ球を作る骨髄がなく、また T リ
ンパ球を作る胸腺の存在が明らかになるまで、リンパ球を作っているのはどうも頭腎と呼ばれる
前腎がリンパ球を作る組織として、重要なのだということが 1980 年頃にはしきりと言われるよ
うになった。今でもこのテーマの研究をしている人はたくさんいる。しかし、頭腎のそのような
機能は 1930 年代当時にはまだ全然分かっていなかったので、頭腎がリンパ組織だ、造血組織だ
(注)1929~1933 年。カーソンがジョンズ・ホプキンス大学の修士号を取得したのが 1932 年 6 月、約 2
年の在席ののち博士課程を中退したのが 1934 年。
7-2
といってもあまり重要視されていなかったものと思われる。血液の主要な働きが、呼吸や栄養の
供給が主なものだと思われていた時代から、現在では免疫すなわち身体を守る非常に重要な機能
があるという、非常に積極的な意味が出てきている。
カーソンが修士論文を書いていた当時では、免疫のことはほとんどわかっておらず、時代の流
れとして、研究がまだそこまでいっていなかった。要するに、早すぎたのだと思う。
ではなぜカーソンが先駆的研究として、リンパ組織への置換という現象に気づいたのであろう
か。これは着眼点の鋭さと言うよりはむしろ、要するに無私の気持ちで見ていたからであろう。
丁寧に観察していくと、前腎が退化していって、そこにリンパ組織という造血組織が出てきた。
どのような機能を担っているのか。血液細胞を造っているのであろうというのは正しいのである
が、1980 年代になって、血液細胞の働きには「免疫機能も兼ね備えている」ということが分かっ
てくると、もう見る目・見られ方が全く変わってくる。1930 年代は、まだそういう時代ではなか
ったのである。
リンパ組織といっても、当時は何をやっているのかあまり良く分からないということが、研究
がそれ以上発展しなかった理由の一つだったと思う。魚類にも頭腎の近くに胸腺が存在するので
あるが、カーソンはそれについては発見していたかもしれないし、見つけ損なっていたのかもし
れない。今では胸腺というのはものすごく大事で、T リンパ球を造る上で最も重要と考えられて
いる臓器であるが、当時だと胸腺がどのような機能を果たしているのかまったく分かっていない。
しかも、胸腺の中には若いうちにはリンパ球がたくさんあるが、成体になると退化してしまうの
で、あまり重要な役割を果たしてはいないのではないかと考えられていたのが、1980 年代になる
と免疫能力が成熟するために、最も重要な組織のひとつであるということが分かってきたのであ
る。
最先端研究といっても、1930 年代に行われているとしたら、今ではなんの意味もない研究は多
いと思う。ところが、カーソンの行ったような基礎研究は「80 年経とうが、100 年経とうが、意
義を失わない」という意味で不滅であるし、私はこういう研究が好きである。
7-3.胚の構造に関して
レイチェル・カーソンの研究結果を見ていく上で、胚から幼生、成体へと成長していく「発生」
という過程が一般の人にはなじみが少なく、わかりにくいことかもしれない
ヒトやサカナを含む脊椎動物のからだが作られていく発生過程を思いきり簡単に言ってしま
うと、最初に我々のからだは3つの層からなる海苔巻きのようなものとして作られると考えると
良いかもしれない。海苔のまかれた一番外側が外胚葉と呼ばれるところで、一番内側にある具の
部分が内胚葉である。その間にある、ご飯の層が中胚葉である。内胚葉からは腸とか、内臓の多
くのものが作られる。外胚葉というのは皮膚や、外からちょっと落ち込んだところから脳や神経
が作られる。それらの中間にある中胚葉は、外胚葉と内胚葉の隙間を埋めていく器官が作られ、
中でも重要なものには、骨と筋肉、それから血管・血液と腎臓がある。腎臓はからだの中から要
らないものを身体の外に出すという働きをしている。こうしてみると、腎臓で血液が作られると
いうように相性が良いのは、元々のでき方と深い関係があることがわかる。大雑把には、そのよ
うに理解すると良いのではないかと思う。
ナメクジウオあたりについては、良く分からないが、少なくともヤツメウナギとかヌタウナギ
といった魚類より少し下等な円口類と呼ばれる種類では、成体になると中腎が機能することがわ
7-3
かってきた。それを見ると、前腎だけで排出機能をまかなっている脊椎動物はいないのではない
かと思う。
ただ、腎臓の働きをする器官というのはミミズにだってあるし、どんな動物にでもあるので、
そこまで考えていくと、脊椎動物の先祖には前腎だけで生きていた動物がいたのであろうと考え
るのが普通だと思う。だが、こうした動物は現在のところ発見されていないようであり、絶滅し
てしまった可能性が高い。
7-4.終わりに
北海道大学総合博物館で開催(2007 年 7~9 月)された「レイチェル・カーソン展」に展示す
る目的で、「池田光良氏という人が、レイチェル・カーソンのあまり研究されていない修士論文
について調べているので、その中身について少しアドバイスしてもらえないか」ということを北
海道大学総合博物館の大原准教授(当時:現教授)に頼まれて、軽い気持ちで「いいですよ」と
いうふうにお答えしたことから、私がこの修士論文に関わることとなった。
池田氏の最初の訳は、私ども北海道大学大学院理学研究科の大学院生の蛭田千鶴江さんという
女性が、同じ動物系大学院の修士課程の学生としてレイチェル・カーソンに興味を持ったという
こともあって、丁寧にチェックしてくれた。それをさらに私が本文も含めて再チェックした次第
であり、翻訳の内容については、少なくとも生物学的にはほとんど問題はないものと思っている。
話が戻るが、レイチェル・カーソンがなぜ博士課程を途中で辞めたのかということに関して、
今ふと思ったことであるが、彼女が大学院生活を送った時代というのが、ひょっとするとアメリ
カの大学や自然科学分野というものが、変質し始めた時期に当たり、カーソンの研究したような
きわめて基礎的な、悪く言うと国防や経済には直接貢献することがほとんどない基礎科学が、排
斥され始める時期に当たっていたのかもしれないとも思われる。そうだとすると、一般に言われ
ているように実家の経済的理由でレイチェル・カーソンが大学にいられなくて、博士課程の研究
を途中で断念したというだけではなくて、自由な基礎研究が許されなくなってきた大学というも
のに愛想を尽かして出て行ったということも十分に考えられる。
北海道大学総合博物館で開催された「レイチェル・カーソン展」に関する感想の中に、熱心な
小学校・中学校の理科教師に拡がる失望感の話が寄せられていたが、大学でも愛想を尽かしてい
る先生方が出ていると言われている。今、日本の大学がそういう意味で「もっと役に立つことを
しろ。金を稼げる研究をしろ」ということをかなり言われていて、その中で、「自分は役に立つ
ことよりも、非常に基礎的な自然を見つめる仕事をしたいのだけれど、今の大学ではそれは許さ
れないし、それを続けていても研究職にありつくことが難しい」という理由で、途中で出て行く
学生もいる。
ひょっとするとレイチェル・カーソンにもそういうことがあったのだということを、もし、な
んらかの形で見出すことが出来れば、それもまた新しいレイチェルの側面の発見になるかもしれ
ないなどという「期待」が思い浮かんだりもする。もちろん、そうしたことについては今のとこ
ろ全然根拠がないし、今後どうなるか分からないが、カーソンという人の「骨太さ」のようなも
のを知るにつけても、今後の研究からそうした像が浮かび上がってくると楽しいなどと考えなが
ら、生物学者レイチェル・カーソンの修士論文を読むのも一興である。
7-4
参考・引用文献
専門書・図鑑・自然科学学術論文
・岩波生物学事典
第四版、岩波書店(1996)
・平凡社世界大百科事典、平凡社(1988)
・原色魚類大図鑑、北隆館(1987)
・世界大博物図鑑2
魚類、荒俣宏編、平凡社(1989)
・岩井保:魚学入門、恒星社厚生閣(2005)、219p.
・田村保編:新版
魚類生理学概論、恒星社厚生閣(1991)、288p.
・板沢靖男・羽生功編:魚類生理学、恒星社厚生閣(1991)、621p.
(岩田宗彦・平野哲也、浸透圧調整、pp.125-150)
・落合明編著:魚類解剖学、水産養殖学講座1、緑書房(1987)、347p.
・バリンスキー著/林雄次郎訳:バリンスキー
発生学、岩波書店(1969)、pp.409-417.
・赤坂甲治他監訳:ウィルト発生生物学、東京化学同人(2006)、pp.132-137.
・矢野友紀編著:生物生産と生体防御、Ⅳ魚類の生体防御、コロナ社(1995)、pp.172-254.
・中尾実樹、矢野友紀(2000):硬骨魚類の補体系-補体成分の多様性から特有の生体防御戦略を探る、化
学と生物、Vol.38, No.9, pp.582-588.
・児玉 洋、伊藤久夫:魚類のウィルスと宿主の防御免疫機構、ウィルス、37(2), pp.169-177(1987)
・池田光良・高田茂・松枝大治:北海道の環境水中のトリチウム濃度および δD およびδ18O の高度効果
の推定値について、Radioisotopes, 47-11(1998), pp.812-823.
・Rachel L. Carson(1932):The development of the pronephros during embryonic and early larval life of
the catfish ( Ictalurus punctatus), Johns Hopkins Univ. Master's Thesis, 106p.
・Ogawa, M.(1961): Comparative study of the external shape of the teleostean kidney with relation to
phylogeny. Sci. Rep. Tokyo Kyoiku Daigaku, B10, pp.61-88.
・Nelson, J.S.: Fishes of the world. 2nd edition. John Wiley & Sons, Inc., New York(1984), 523p.
・Ota, K. G. and Kuratani, S(2008): Developmental biology of hagfishes, with a report on newly
obtained embryos of the Japanese inshore hagfish, Eptaterus burgeri., Zoological science, 25,
pp.999-1011.
・Fänge, R.(1963): Structure and function of the excretory organs of Myxinoids. Brodal, A., Fänge, R
eds. The biology of Myxine, 516~529,Universitetsforlaget, Oslo-Norway.
一般書・伝記(レイチェル・カーソン関係)
・レイチェル・カーソン著/上遠恵子訳:潮風の下で、宝島社(1993)、238p.、岩波現代文庫(2012)、269p.
・レイチェル・カースン著/日下実男訳:われらをめぐる海、ハヤカワ文庫(1977)、319p.
・レイチェル・カーソン著/上遠恵子訳:海辺-生命のふるさと、平凡社ライブラリー(2000)、pp.62-63.
・レイチェル・カーソン著/青木簗一訳:沈黙の春、新潮文庫(1974)、394p.
・Rachel L. 邦訳: Silent spring – 40th anniversary edition, marine books(2002), 378p.
・レイチェル・カーソン著/上遠恵子訳:センス・オブ・ワンダー、新潮社(1996)、60p.
・レイチェル・カーソン著/リンダ・リア編/古草秀子訳:失われた森、集英社(2000)、299p.
同 集英社文庫版(2009)、370p.
・太田哲男:レイチェル・カーソン
人と思想:清水書院(1997)、215p.
7-5
・ポール・ブルックス著/上遠恵子訳:レイチェル・カーソン、新潮社(2004)、429p.
・リンダ・リア著/上遠恵子訳:レイチェル-レイチェル・カーソン「沈黙の春」の生涯、3.科学者への決
意、東京書籍(2002)、pp.85-121,740-743.
・Linda Lear: Rachel Carson-Witness for Nature, An Owl Book, Henry Holt and Company (1997),
pp.54-80, 498-504.
・上遠恵子:レイチェル・カーソンの世界へ、かもがわ出版(2004)、61p.
・アーリーン R. クオラティエロ著/今井清一訳:レイチェル・カーソン-自然への愛、島影社(2006)、
pp.26-48,55-62.
・上岡克也/上遠恵子/原強編著:レイチェル・カーソン、ミネルヴァ書房(2007)、175p.
(鈴木善次:レイチェル・カーソンの思想と現代、pp.18-30.)
・エイミー・エアリク著/池本佐恵子訳:レイチェル-海と自然を愛したレイチェル・カーソンの物語、BL
出版(2005)、32p.
・利光早苗著:レイチェル・カーソン―地球の悲鳴を聞いた詩人―、メディア・ファクトリー(1992)、121p.
・マーティー・ジェザー著/山口和代訳:運命の海に出会って レイチェル・カーソン、ほるぷ出版(1994)、
162p.
・ジンジャー・ワズワース著/上遠恵子訳:レイチェル・カーソン―[沈黙の春]で地球の叫びを伝えた科学
者―、偕成社(1999)、198p.
・キャスリン・カドリンスキー著/上遠恵子訳:レイチェル・カーソン―沈黙の春をこえて―、祐学社(1989)、
125p.
・上遠恵子:レイチェル・カーソン いまに生きる言葉、翔泳社(2014)、170p.
・多田満:センス・オブ・ワンダーへのまなざし
レイチェル・カーソンの感性、東大出版会(2014)、310p.
・多田満:レイチェル・カーソンはこう考えた、ちくまプリマー新書(2015)、168p.
・新山一彦:レイチェル・カーソン
「沈黙の春」で環境問題を訴えた生物学者、ちくま評伝シリーズ<
ポルトレ>、筑摩書房(2014)、189p.
・小手鞠るい:科学者レイチェル・カーソン(こんな生き方がしたい)、理論社(1997)、187p.
一般書(生物関係)
・ジェームス.D.ワトソン著/吉田三知也訳:DNA のワトソン先生
大いに語る、日経 BP 社(2009)、
pp.199-210.
・前川光司編:サケ・マスの生体と進化、文一総合出版(2004)、pp.15-41.
・井田徹治:ウナギ-地球環境を語る魚、岩波新書(2007)、225p.
・黒木真理編著:ウナギの博物誌、謎多き生物の生態から文化まで、化学同人(2012)、254p.
・栃内新・左巻健男編著:新しい高校生物の教科書、講談社ブルーバックス(2006)、pp. 168-175, 180-182.
・栃内新:進化から見た病気 「ダーウィン医学」のすすめ、講談社ブルーバックス(2009)、201p.
・柳澤桂子:卵が私になるまで-発生の物語、新潮選書(1998)、190p.
・ニール・シュービン著/垂水勇二訳:ヒトの中の魚・魚の中のヒト、早川書房(2008)、pp.117-139.
・江島勝康:世界のナマズ
増補改訂版、マリン企画(2008) 、pp.184.
・ダーウィン著/八杉龍一訳:種の起源(上)、岩波文庫青 912-4(1990), 446p.
・佐倉統監修:知識ゼロからのダーウィン進化論入門、幻冬舎(2010), pp.102-103,140.
・福岡伸一:動的平衡、木楽舎(2009)、pp.135-138, pp.223-254.
・水野嘉夫:徹底図解
からだのしくみ、新星出版社(2008)、pp.158-179, pp.192-213.
・稲垣賢二監修:生化学若い研究者の会著:これだけ!生化学、秀和システム(2014)、291p.
・三木成夫:胎児の世界
人類の生命記録、中公新書(1983)、226p.
7-6
・三木成夫:人間生命の誕生、築地書館(1996)、242p.
一般書(環境関係)
・石裕之:地球環境危機報告、有斐閣(2008)、pp.277-281.
・榧根勇:現代中国環境基礎論-人間と自然との統合、愛知大学(2006)、134p.
・ジョン・A・パルマー編/ 須藤自由児訳:環境の思想家たち
上
古代-近代編、309p.、下
現代編、
320p.、みすず書房(2004).
・海上知明:新・環境思想論
二十一世紀型エコロジーのすすめ、荒地出版社(2009)、189p.
・養老孟司:いちばん大事なこと-養老教授の環境論、集英社新書(2003)、pp.25-36.
・川合真一郎・山本義和:明日の環境と人間-地球を守る人間の知恵、第三版、化学同人(2004)、pp.199-200.
・ナオミ・オレスケス、エリック・M・コンウェイ著/福岡洋一訳:世界を騙しつづける科学者たち、第7
章、楽工社(2011)、pp.163-205.
・多田満:レイチェル・カーソンに学ぶ環境問題、東大出版会(2011)、190p.
一般書(文学・芸術・思想・科学・教育)
・デカルト著/谷川多佳子訳:方法序説、岩波文庫青 613-1(1997), 137p.
・道元著、水野弥穂子校注:正法眼蔵(二)、岩波文庫青 319-1(1997)、pp.126-127.
・小林秀雄:様々なる意匠、小林秀雄全作品 1
様々なる意匠、新潮社(2003)、pp.135-155.
・小林秀雄:パスカルの「パンセ」について、実験的精神、小林秀雄全作品 14
無常という事、新潮社(2003)、
pp.43-53,60-72.
・小林秀雄:人間の進歩について、小林秀雄全作品 16
、新潮社(2004)、pp.31-172 要修正.
・小林秀雄:鉄斎Ⅱ、私の人生観、小林秀雄全作品 17
私の人生観、新潮社(2004)、pp.31, 172.
・小林秀雄:美を求める心、小林秀雄全作品 21
・小林秀雄:DDT、小林秀雄全作品 25
美を求める心、新潮社(2004)、309p.
人間の建設、新潮社(2004)、pp.76-80.
・小林秀雄:天の橋立、考えるヒント、文春文庫(2004)、pp.144-147.
・新潮社小林秀雄全集編集室編:この人を見よ
小林秀雄全集月報集成、新潮文庫(2015)、432p.
・竹内薫・竹内さなみ(2008):シュレーディンガーの哲学する猫、中公文庫、カーソンの章
沈黙の春、
pp.121-142, 小林秀雄-沈黙、pp.270-283.
・神山睦美:小林秀雄の昭和、思潮社(2010)、278p.
・ジョン・スタインベック著/吉村則子・西田美緒子訳:コルテスの海、工作舎(1992)、393p.
・ジョン・スタインベック著/仲地弘善訳:スタインベック全集 11
コルテスの海航海日誌、大阪教育図書
(1997)、533p.
・ジョン・スタインベック著/大久保康雄訳:りの葡萄、新潮文庫(1967)、(上),468p.、(下),448p..
・文学・環境学会編:のしく読めるネイチャーライティング、作品ガイド 120、ミネルヴァ書房(2000)、
292p.
・河合雅雄:に還ろう-自然が子どもを強くする
小学館(2003)、269p.
・河合雅雄:どもと自然、岩波新書 113(1990)、238p.
・ゲーテ著/井上正蔵訳:ァウスト、世界の文学 10、ドイツ 1、集英社(1991)、pp.138-522.
・ゲーテ著/大山定一訳:ァウスト、若きヴェルテルの悩み、筑摩世界文学大系 24、ゲーテ I、筑摩書房(1972)、
pp.1-300, 301-350.
・ゲーテ著/木村直司編訳:ゲーテ形態学論集・植物編、ちくま学芸文庫、筑摩書房(2009)、465p.
7-7
・ゲーテ著/木村直司編訳:ゲーテ形態学論集・動物編、ちくま学芸文庫、筑摩書房(2009)、398p.
・ゲーテ全集 14 自然科学論、科学方法論 (pp.5-49 木村直司訳)、潮出版社 新装普及版(2003)、562p.
・星野慎一:ーテ
人と思想、清水書院(1981)、235p.(リスボン地震については pp.51-53)
・ゲーテ著/高橋健二編訳:ーテ格言集、新潮文庫、新潮社(1952)、212p.
・ゲーテ著/高橋義人訳:自然と象徴、冨山房(1982)
・石原あえか:科学する詩人ゲーテ、慶応義塾大学出版会(2010)、296p.
・アルベルト・ビルショフスキ著/高橋義孝・佐藤正樹訳:ゲーテ-その生涯と作品:ハールツとスイス
の旅、ゲーテと哲学、自然科学者としてのゲーテ、
『ファウスト』、岩波書店(1996)、pp.368-387, 619-643,
963-1008, 1117-1210.
・小塩 節:ファウスト
ヨーロッパ的人間の原型、講談社文庫(1996) 319p.
・三木清:ゲーテに於ける自然と歴史、青空文庫(1932)(http://www. aozora.gr.jp/)
・トーマス・マン著、青木順三訳:講演集 ドイツとドイツ人、岩波文庫(1990)、238p.
・三田博雄:山の思想史、岩波新書青版(1973)、236p.
・ハイゼンベルグ著/芦津丈夫訳:科学-技術の未来
ゲーテ・自然・宇宙、みすず書房(1998) 181p.
・ハイゼンベルグ著/湯川秀樹序・山崎一雄訳:部分と全体
私の生涯の偉大な出会いと対話、みすず書
房(1974)、403p.
・鶴見和子:南方熊楠、講談社学術文庫(1981)、318p.
・中村桂子:科学者が人間であること、岩波新書(2013)、pp.181-192.
・唐澤大輔:南方熊楠―日本人の可能性の極限、中公新書(2015)、283p.
・ソロー、H.D.著、飯田実訳:森の生活 ウォールデン、岩波文庫(1995)、(上)330p., (下)335p.
・岩本憲児編:黒澤明をめぐる 12 人の狂詩曲、「生きる」論:貴田庄、早稲田大学出版部(2004)、226p.
・高橋誠一郎:黒澤明で「白痴」を読み解く、成文社(2011)、終章、pp.272-295.
・高橋誠一郎:黒澤明と小林秀雄―「罪と罰」をめぐる静かな決闘、成文社(2014)、302p.
・大橋洋一:シェイクスピアと黒澤明映画の文化的可能性、(野崎歓編「文学と映画の間」所収)、東京大学
出版会(2013)、pp.23-40.
・佐藤文隆:科学と人間-科学が社会にできること、青土社(2013)、299p.
・湯川秀樹:詩と科学-こどもたちのために、湯川秀樹著作集 6 読書と思索、岩波書店(1989)、pp.242-243.
・高橋真聡:相対性理論がわかる―天才アインシュタインの考え方に迫る、ファーストブックシリーズ、
技術評論社(2011)、192p.
論説、エッセイ、ホームページ、新聞等
・水尾一郎:水尾一郎の自然誌、レイチェル・カーソン(1)~(11)、(2005.10-2006.1)、ホームページ
・Gabriel Popkin: Right fish, wrong pond, Johms Hopkins Magazine(2013), June 3.,、http://hub.jhu.edu/
magazine/2013/summer/rachel-carson-at-hopkins
・Karen Wellner: The Embryo Project Encyclopedia Recording and contextualizing the science of
embryos, development, and reproduction., The Embryo Project Encyclopedia,
https://emb-
ryo .asu.edu/pages/development-pronephros-during-embryonic-and-early-larval-life-catfish-ictaluru
s-punctatus-1932
・矢作川水族館ホームページ:矢作川のアメリカナマズ、(2008)、http://www.yahagi-aqua.com
・中田勉・広瀬茂久:ウナギが川にのぼる謎が解けた!(ウナギのユニークな淡水適応戦略)、(2005)、6p.
7-8
・毎日新聞:2010 年1月 6 日版、ウナギの祖先は深海魚.
・中島林彦、協力 塚田勝巳・田中秀樹(2010):旅するウナギの謎、日経サイエンス、2010 年 8 月号、pp.34-45.
・理化学研究所:「背骨を持たない脊椎動物「ヌタウナギ」に背骨の痕跡を発見」http://www.riken.jp/
pr/press/2011/20110629/
・杉本善彦:増える養殖魚へのワクチン接種、徳島県水研だより第 76 号(2011) 、6p.
・熊本大学大学院医学薬学研究部細胞病理学分野ホームページ(2009) :http://www.medic.kumamoto-u.
ac.jp/dept/patho2/pages/komohara.html
・湯浅明彦:免疫賦活物質とは何か、徳島県立農林水産総合技術支援センター水産研究所ホームページ(2003) 、
http://grwww004.pref.tokushima.jp/suisan/zoyo/zoyo_topic009.html
・青木 宙:水産用ワクチンの今後の展望、日本水産資源保護協会月報(2008)、pp.8-14.
・柴山英樹:ドイツにおけるダーウィニズムと教育思想、教育学雑誌(2004)、No.39, pp.105-117.
・上岡克己(2011):レイチェル・カーソンと環境保護運動、国際社会文化研究、vol.12、pp.27-44、高知大
学.
・平野博之:花の進化、東京大学大学院理学研究科理学部ホームページ、 http://www.s.u-tokyo.ac.jp/
ja/story/newsletter/keywords/10/02.html
・カール・ロベルト・マンデルコウ/小泉進訳:受容史の鏡の中のゲーテ的自然観、pp.11-28、http://www.
jstage.jst.go.jp/article/morpho1979/1991/13/1991/_13_11/_pdf
・http://ha3.seikyou.ne.jp/home/Sigakenren/2001/113_news.html:あなたの子供に驚きの眼をみはらせ
よう The Sense of Wonder レイチェル・カーソンの贈りもの:インタビュー 映画「センス・オブ・
ワンダー」小泉修吉監督に聞く
・毎日新聞:2012 年10 月 2 日版 東京夕刊、特集ワイド:今こそ読み返し 小林秀雄 科学に負けては
いけない
・( 社) 日本透析医学会ホームページ、慢性 透析患者数の推移 http://docs.jsdt.or.jp/overview/pdf2014/
p003.pdfhttp://docs.jsdt.or.jp/overview/pdf2014/p003.pdf
・AFP=時 事、 殺虫 剤 DDT の 胎内 暴露 、乳 がん リス ク 4 倍に 、 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=
20150619-00000015-jij_afp-int
・池田光良(2011):「内なる自然」と「外なる自然」に関する科学史的考察、自然復元学会予稿集、6p.
高校生用参考書
・ 水 野 丈 夫 ・ 浅 島 誠 編 : 理 解 し や す い 生 物 Ⅰ ・ Ⅱ 、 文 英 堂 シ グ マ ベ ス ト (2004) 、 pp.95-101,
141,214-215,220,321.
・チャート式シリーズ
新生物Ⅱ、数研出版(2005)、pp.71-77.
外国語辞典・人名辞典
・ランダムハウス
・英辞朗
英和大辞典
第2版、小学館(1993)
第4版、アルク(2007)
・ジーニアス英和辞典
・マグロウヒル
改訂版、大修館(1994)
科学技術用語大辞典、日本工業新聞社(1979)
・小学館ロベール仏和大辞典、小学館(1988)
・独和大辞典 第 2 版、小学館(1998)
・小学館伊和中辞典、小学館(1983)
・岩波人名大辞典、岩波書店(2013)
7-9
あとがき
レイチェル・カーソンが『沈黙の春』を著し、環境の時代を切り開いてから、半世紀以上にな
る。すでに、カーソンの著書には優れた訳書や研究書が多数出版されているが、唯一日本語に翻
訳されていない魚類の発生に関する修士論文がある。
「レイチェル・カーソンの修士論文」は、彼女がジョンズ・ホプキンス大学大学院の修士課程時
代の24~25歳のときに、全力を尽くして書き上げた研究論文である。
『潮風の下で』を初めとする
カーソンの海洋文学は、まさに完成しなかった博士論文の代わりに書かれたと言っても過言ではな
いほど、この修士論文がその基調をなしていることが見て取れる。これらの作品群が、科学的に見
ても正確さを持っていると言われる理由の一つはそこにあると言えるであろう。また、カーソンの
主著である『沈黙の春』も、その当時までに知られていた科学的知識に基づいて冷静な論調で書か
れており、彼女の生来の資質に加えて、自然と生命を丁寧に観察することに主眼をおいた修士論文
研究による科学的訓練が、それを可能にしたものと思われてならない。
カーソンの修士論文は、
「アメリカナマズの胚期および幼生期初期における前腎の発生」(1932)
というきわめて専門的なテーマであるため、詳細な言及がなされてこなかった論文である。しか
し、この重要な文献を読み込むことで、カーソンへの評価で不足している部分を肉付けしていく
ことは可能であろうと思われる。
レイチェル・カーソンは、『沈黙の春』に 55 ページにわたる参考文献を添付して、その根拠を
明確に示し、批判した側もなかなか論破できなかったというくらい勉強していた。膨大な文献を
丹念に読みこんだのは元々のねばり強い性格によるとも思われるが、修士論文の研究時に 2,400
ページを越える文献を読破して、さらに観察を主体とした地道な研究を行ったところから彼女の
科学的センスと、自然と人間の相互作用・自然の循環といった環境論的視点が培われたものと言
って良いだろう。筆者は、
「修士論文」の中に科学者としてのカーソンを解く鍵が潜んでいるもの
と考えている。
カーソンは、魚類の発生初期に現れる腎臓、すなわち前腎が、幼生期以降には頭腎と呼ばれる
器官に変化して、排出器官としては機能しなくなり、造血器官に変化することなどいくつかの発
見をなした。前腎室の形成過程については、アメリカナマズを実例として、諸説を比較検討し、
その中で最も信頼性が高く、現在でも十分通用する学説を選び出していた。さすがに現在盛んに
研究されている頭腎中のリンパ組織の持つ免疫機能までは気づいていないが、胚の中においてさ
え、この組織が認められることを再三にわたって述べており、リンパ組織の持つ未知の機能を示
唆していたのである。少なくとも、当時(1930 年代初め)としては、かなりの水準に達していた
論文であると思われる。とともに腎臓による物質循環、それと関係する循環系の研究を通して、
循環論という環境的な視点も育まれていったのであろう。残念ながら、一見、基礎的で地味な研
究であるため、その時代には指導教官など一部の人達を除いて、正当には評価されなかったので
ある。しかし、科学者としての厳しい鍛錬が、彼女の海洋文学や『沈黙の春』の基礎を形作った
のは確かであり、本文中で述べたように現代の科学につながる科学的業績も上げていたこと、さ
らにはカーソンが評価した論文が現在でも読み続けられているという、科学史的な観点からも再
評価されるべきである。
7-10
2007年7月19日のレイチェル・カーソン北海道の会主催の筆者の講演に際しては、参加者の方々
から貴重なご意見をいただいたが、特に本論文を読んでいく過程で、生物学・発生学の第一線の研
究者であり、監修者でもある栃内博士から、現在におけるレイチェル・カーソン修士論文の生物学
的な意義と重要性について、様々な示唆に富むをご教示をいただき、それを本文の基調とすること
ができた。
「カーソンは、非常にオーソドックスな動物学者だったと思います。その意味で、僕は今でも十
分に通用すると思います。今、これを読んで「ああ、そうか」と思う研究者がいるはずなのです。
それぐらい不滅なのですね。僕らにとって科学として最も大事で、しかも永く残るのは、こういう
仕事なのです。ともすれば今忘れられがちなというか、今見直されているんです、こういう研究が。
日本の大学を含め、世界でものすごく減っているんですよ、こういうことができる研究者が。「そ
れではいけないんじゃないか」という反省がきているところで、彼女がきちっとオーソドックスに
80年以上経っても全く価値を失っていない修士論文を若い研究者として書いたことは、もっと評価
されても良いと思います。たぶんその後の『沈黙の春』に繋がっていくと思うのですが、ともかく
いろいろなものを見て見て、見つくしていくと、ふと全体が見えてくる。まさに帰納法的な見つく
すという手法も、もともともっていたというか、天賦の才能として。
」
「徹底的な観察の人だった」レイチェルの特質を栃内博士はこのように語られている。
最後に、「レイチェル・カーソン生誕100年記念パネル展」(2007)での展示と筆者の講演に際して、
暖かいご配慮とご尽力を賜った藤田正一(北大名誉教授、元北海道大学総合博物館長)、同博物館
の大原昌宏副館長、阿部剛史の各先生はじめ同博物館の関係各位に深い謝意を表する次第である。
また、同パネル展での記念講演のため来道されたレイチェル・カーソン日本協会理事長の上遠恵
子氏と専務理事(当時)の原 強氏から、別の講演会の席では岡田 弘先生(北大名誉教授)から
は暖かい励ましを賜った。さらに、以下の諸氏に厚くお礼申し上げる。魚類の生体防御の文献を
お貸しいただいた 故 片桐千明先生(北大名誉教授)、動物学の立場から翻訳部分の粗原稿を読ん
で内容をチェックしていただいた蛭田千鶴江氏。貴重なご意見を賜った多田満氏(国立環境研究
所)、様々なご助力とご意見をいただいた「レイチェル・カーソン北海道の会」の近藤務氏・沼田
勇美氏、「(地独)大阪府立環境農林水産総合研究所」ホームページの淡水魚図鑑の転用を許可して
いただいた同研究所経営企画室推進グループ佐々木雅人・平松和也の両氏(写真の著作権は同研究所
に属する)、魚類の学名のチェックを手伝っていただいた三沢勝也氏 (㈱ドーコン)。水族館におけ
る魚類の写真撮影や作図等を手伝っていただいた安田匡、佐々木勇一、東中 強、野田太門の各氏、
表紙写真を提供していただいた澤田実氏、キアンコウの撮影にご協力頂いた成田正直氏。また、
上記のパネル展を見学した東京大学医科学研究所の「近代医科学記念館」の方からも、
「カーソン
の修士論文」の展示に対して評価していただいた (東大病院便りNo.58、平成19年8月31日号)。ご助力・
ご配慮をいただいた。以上の方々に記して感謝申し上げる。
翻訳および解説部分の執筆に際しては、様々な文献を参考にさせていただき、いろいろと学ばせ
ていただいた。それらの著者の方々にも感謝申し上げたい。特に、榧根勇先生(筑波大名誉教授)
の著書で議論されているデカルト的二元論の限界に関する議論は大変参考になった。
今後レイチェルの修士論文の解読がさらに進み、科学者としてのカーソン研究が進んでいく一助
となるなら、著者の喜びはこれに優るものはない。筆者の認識不足な点や、読者各位とのご意見の
相違もあるかもしれない。読者諸氏の率直なご意見、ご指導・ご鞭撻をいただければ幸いである。
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栃内 新(とちない
しん)
北海道大学大学院理学研究院自然史科学部門多様性生物学分野特任教授(研究分野:進化発生学)、理学
博士、21 世紀 COE「新・自然史科学創成」推進担当者。科学技術コミュニケーター養成ユニットスー
パーバイザー。専門分野:動物発生学、免疫学、進化学。著書:『両生類の発生生物学』(共著、片桐千
明編著、北大図書刊行会:1998)
『ヒトの遺伝の 100 不思議』
(共著、東京書籍:2003)、
『新しい高校生
物の教科書』
(編著、講談社ブルーバックス:2006)、
『進化から見た病気「ダーウィン医学」のすすめ』、
(講談社ブルーバックス:2009)
池田光良(いけだ
みつよし)
博士(工学)、技術士(応用理学)、環境再生医上級、APEC エンジニア、公害防止管理者、科学技術エコリ
ーダー、環境プランナー・ベーシック。専門分野:応用地下水学、地下水工学。日本地下水学会誌編集
委員、日本地下水学会代議員、地下水用語集編集委員等を歴任。現在、認定 NPO 法人 自然環境復元協
会運営委員、日本地下水学会地球温暖化と地下水の水資源評価に向けた課題研究員、2007 年度日本地下
水学会功労賞。著書:『新・名水を科学する』(共著、技報堂出版:2009)、『地下水用語集』(共著:編
集・執筆、理工図書:2011)
レイチェル・カーソンの修士論文
-科学者としてのレイチェル・カーソン
Master’s Thesis of Rachel Carson -Rachel Carson as a Scientist
原稿:2015年 10月 10日
監著者:栃内 新
訳著者:池田 光良