失踪表象の近代――特に今回は戦後の「家出」と「蒸発」の言説に着目して

2013/06/04
吉田研院ゼミ
失踪表象の近代――特に今回は戦後の「家出」と「蒸発」の言説に着目して
吉田研博士後期課程
0
中森弘樹
<失踪の社会学>は何であって、何ではないのか
0-1.「失踪」概念を用いる意義について
◆ 「失踪」の定義
「人が家族や共同体から消え去り、長期的に連絡が取れずに所在も不明な状態が継続する
こと」
※ただし自然災害や海難事故、戦争に巻き込まれたことが明らかである場合は除く。
◆ 他の概念との関係
・失踪の原因や結果に基づく、もっと細かい概念がすでにある。
・ホームレス、家出人、ネットカフェ難民、拉致被害者、自殺者など。
・彼らがなぜそのような状況になったのか/彼らがどのような生活を送っているのかにつ
いて考察するにあたっては、上記の概念を用いた方が良い。
・実際に、上記の概念を用いた優れた先行研究が数多く存在する。
・「失踪者」という概念は、曖昧ではないか?
◆ 不確実性を捉える
・「失踪者」とは、残された家族や、消えた者が以前所属していた社会から彼/彼女を捉え
る際の視点を採用した概念である。
・社会(親密圏/公共圏、個人/システム)が「失踪者」という不確実な存在をどのよう
に意味付け、対処しているのか(あるいはしていないのか)。
◆ 失踪者=死者?
・死者は、社会から「消える」わけではない。身体的には消失するが、使者儀礼や法的手
続きを通して「死者」たちの中に組み込まれる。一方、E. Goffman の議論における「番
外の人間」=「同席していても、ときにあたかも不在であるかのように取り扱われる人
びと」(Goffman 1959=1974: 178)は、身体的にはそこに存在しているという点でやは
り「失踪者」とは異なる存在を捉えた概念であるといえる。
・中森(2013a)では、主に親密圏において「失踪者」の「生物学的死なき死」が成立する
のかを考察した。それは、究極的には残された家族の意思次第であった。
1
0-2. <失踪の社会学>の内容
内容
1
論文
社会学に対する効能
失踪に関する言説分析
歴史社会学。失踪の心性史。
家族やコミュニティから人が消え去るこ
中森(2013a) とがどのように語られてきたのかを見る
中森(2013c) ことで、個人と社会や個人同士の関係に対
する意味付けがどのように変わってきた
のかを考察する(詳しくは後述)。
2
失踪者家族へのインタ
臨床社会学。
ビュー調査
人間関係における不確実性に私たちがい
修士論文
NPO(MPS)へのイン
かに対処すべきかを、失踪者という大いな
中森(2013b) る不確実性を抱えている家族たちに対す
る臨床の可能性から見出す。(それはリス
タビュー&参与観察
クなのか危険なのか、それとも…?)
3
失踪者の社会学
1 と 2 を十分に行った後で、ホームレスや
(博士論文つまり 1 と 2 の研究の後に
家出人、ネットカフェ難民などについての
実施予定。
)
先行研究を捉え直す(もしくは自ら調査研
究を行う)ことで、既存のマイノリティ研
究にはないことが言える…かもしれない。
※今回発表するのは、網掛けの部分。博士論文の中心部にもなる予定。
1
戦後の失踪表象の変遷
1-1. 問題設定
◆ 人間関係に対する不安の高まり
・孤独死の言説、「無縁社会」批判、
「絆」を称揚する言説など
・親密圏から受動的に個人が排除されることを批判的に語るのが特徴。
◆ 理論的背景
・背景には、後期近代以降の人間関係の変化
・U・ベックら(Beck and Beck-Gernsheim 2002)の指摘する「個人化」によって、個人
は伝統的な共同体や紐帯から解き放たれ、より多くの自己選択の機会を得る一方で、自
己選択の帰結としての多大なリスクにさらされることになる。
2
・「個人化」の傾向は、個人と個人が取り結ぶ人間関係にも見出すことができる。既存の親
族関係や、職場や学校などのコミュニティの拘束が弱まり、個人と個人が自らの選択に
基づいて関係を取り結ぶようになる。⇒ 選択次第で関係が解消されるリスクも。
・A・ギデンズ(Giddens 1991=2005)の指摘する「純粋な関係性」の拡がり
・石田光則(2011)は、
「無縁社会」言説の流行の背景には、後期近代以降の不安定な人間
関係に対する我々の不安があることを指摘している。
◆ ではかつてはどうだったのか?
・網野善彦(1978)によれば、近世以前の日本社会では、「無縁」と言う言葉には「自由」
の意味が孕まれていた。⇒ このような捉え方は、近世以前のみ見られるわけではない。
・石田(2011)によれば、
「純粋な関係性」の出現は当初は肯定的に捉えられ(解放の言説)、
徐々にリスクが強調されて否定的に捉えられるようになった(剥奪の言説)。
・同様の指摘は島田裕巳(2011)によっても指摘されており、戦後から高度経済成長期に
かけて「無縁」が肯定的に評価された時期があり、その際には戦前頃まで日本の村落や
家制度のなかに存在した紐帯からの解放が歓迎の意味を込めて語られた。
◆ 今回の課題
・しかし、かつての「解放の言説」については詳細な検討がなされていない。
・注目されるのは、家族や共同体からの受動的な排除に関する言説ばかり。例えば「孤独
死」の言説の変遷を扱った堀崇樹(2012)、小辻寿規・小林宗之(2011)、青柳涼子(2008)。
・かつての「解放の言説」について検証するためには、家族や共同体から能動的に離脱す
ることについても扱うような言説に焦点を当てるべきではないか?
・そこで、「失踪」の言説に焦点を当てる。特に先行研究では「解放の言説」が主流だった
とされる時期に、「失踪」はどのように語られていたのか。また、「失踪」が個人の意思
による能動的なものとして語られる際に、それは何から何への自由を意味していたのか。
◆ 分析の視座
・「個人化」
、
「純粋な関係」の拡がりにともなう「解放の言説」⇒「剥奪の言説」
・しかし、一言で「解放の言説」といっても、時期によって何からの自由を意味していた
のかは異なるはず。
・そこで、言説の分析の際には、その背景としての親密圏の変容にも同時に着目する。
・親密圏の定義:「具体的な他者の生/生命への配慮・関心によって維持される圏域」
斉藤純一(2000)の定義を参照。よって、必ずしも親密圏=家族ではない。
◆ 予備知識
・捜索願(現在は行方不明届出書)の推移は、巻末の資料 1 を参照。
3
この表には、年次毎の行方不明者の発見数も記されているが、届出数には及んでいない。
これまで毎年、少なくとも一定数の失踪者が警察によってカウントされてきた。
・とはいえ、
「失踪」の実態は彼/彼女らが発見されるまでは分からないことも多い。
・しかし、むしろこのように「失踪」の実態がブラックボックスであるからこそ、「失踪」
はマスメディアにおいて様々な語られ方をしてきた。「失踪」の言説に注目する理由は、
まさにここにある。
1-2. 研究の方法
◆ 用いる資料
・雑誌記事(主に一般商業誌)を分析の対象とする。
・理由は、テレビ番組など映像資料の場合はデータの量や範囲が限られてしまう、新聞の
場合は事件報道が中心で、失踪に対する意味付けが見えにくい、など。
◆ 雑誌記事の収集方法
・1888 年以降の雑誌記事タイトルがカテゴリー毎に記載されている『大宅壮一文庫雑誌記
事索引総目録』を用いる。
・上記索引のうち、大項目「世相」
・中項目「世相風俗いろいろ」の中に小項目「謎の行方
不明、失踪」と「家出」が存在する。この二つの項目の記事から、下記の条件で収集。
① 個人が家族や共同体から長期間離脱する事態について扱った記事を収集した。数日や一
カ月程度で家族や集団の元に帰還する短期的な「家出」のみを扱った記事は除外。
②
収集するのは 1950 年から 1989 年までの 40 年間の記事とした1。
③
複数の「失踪」の事例を取り上げ、取り上げた事例を社会的な問題として論評する記
事のみを収集した。単独の「失踪」の事例のみを扱っている事件報道の記事は除外。
・以上の条件で雑誌記事を収集した結果、38 種類の雑誌から、140 件の記事が収集された2。
1
記事の収集期間を上記のように限定しているのは、既存の紐帯からの開放が肯定される傾
向にあった時期として、石田(2011)では 1970 年代から 1980 年代が、島田では昭和 30
年代から 1970 年代までが挙げられていたからである。
2 記事の収集対象となった雑誌は、
『文藝春秋』、
『週刊新潮』、
『週刊東京』、
『週刊サンケイ』、
『週刊現代』
、
『週刊文春』、
『新評』
、
『平凡パンチ』
、
『週刊読売』、
『サンデー毎日』、
『現代』、
『主婦と生活』、『アサヒ芸能』、『現代の眼』、
『婦人公論』
、『週刊朝日』、『週刊女性』、『女
性セブン』、
『潮』、
『素敵な女性』、
『少年補導』、
『リーダーズ・ダイジェスト』、
『地上』、
『婦
人朝日』、『中央公論』、
『キング』、
『週刊大衆』
、『朝日ジャーナル』、『週刊明星』、
『日本』、
『毎日グラフ』、
『微笑』、
『警察時報』、
『女性自身』、
『プレイボーイ』、
『週刊ポスト』、
『FRIDAY』、
『SAPIO』であり、男性誌から女性誌まで多岐に渡っていた。(Q.こんなにたくさんの雑
誌から記事を収集して、分析が粗くならないのか? A.メリットとデメリットがありそう
ですが、デメリットの方が大きそうです。詳しくは口述しますが、今後に向けた反省点。)
4
1-3. 「失踪」の言説の戦後史
1-3-1. 1950 年代の「家出」言説
◆ 「家出娘」言説の流行
・東北の実家から家出した 10 代半ばの少女が、東京の上野駅で「狼」によって誑かされ、
最終的に性労働者になるというストーリーが大半を占める。
例)「家出娘はどこへ行く 都会に巣食う狼の群、上野地下道へ一直線」(『週刊朝日』
1950.3.5)、「上野・ねらわれる東北の風来娘」
(『週刊読売』1953.11.29)
・当時のサザエさんでも取り上げられる(巻末の資料 2 参照)。
・少女たちの東京への憧れの流行と、農村の暮らしの閉塞感がセットで語られる。
「マス・コミが生んだ“東京病”
」(『週刊大衆』1958.8.21)
・「家出娘」たちの「家出」は軽率でありつつも当時の風潮にそったものとして理解される
傾向があり、記事では「家出娘」たちの「家出」を非難するよりも、
「家出」による危険
や悲惨な結末を指摘することに主眼が置かれていた。
1-3-2. 1960 年代における「蒸発」言説の出現
◆ よく分からない「蒸発」言説
・1950 年代の農村から出てきた少年少女の「家出」言説は、1960 年代半ばになると減少。
・代わりに登場するのが、「蒸発」の言説。
・1967 年に、「人間蒸発」という映画が公開される。⇒最初の流行へ。
・「蒸発」は、この時点では人が原因不明のまま突然姿を消すという事態を指している。
・主に成年の「蒸発」が語られているという点も、「家出」の言説とは異なる点。
・この時点では、「蒸発」の原因や動機が分からないということが強調されている。
例)「原因のトップ“動機不明”」
(『週刊読売』1967.4.28)
「ミステリアスな蒸発事件」(『平凡パンチ』1967.3.6)
・1967 年の「蒸発」の言説には、新たに注目され始めた「蒸発」に対する驚きや不可解さ
が表れている。
・当時のサザエさんでも取り上げられる(巻末の資料 3 参照)。
1-3-3. 1970 年代における「蒸発」言説の流行
◆ 「蒸発妻」言説の出現
・1970 年には、「『蒸発』という言葉が、初めてマスコミに登場してからすでに久しい。最
近では、ああまたかぐらいにしか感じられなくなって来ている」(『現代』1970.8)とい
う記述
⇒ 「蒸発」が数年の間に一般的に認知されたことが分かる。
・1967 年以降一時停滞していた「蒸発」の言説は、この頃に再び増加し始める。
・「蒸発妻」という新しい言葉の出現。
・「その中でも、特に最近、主婦の蒸発が加速度的にふえ始めている。その原因も、昔と違
5
って、亭主が酒乱だとか、グウタラだとかいうのではなく、そんなことならひょっとす
るとウチの女房だってと心配になるほど、単純で、ありふれた動機なのである。」
(『現代』
1970.8)
・夫婦関係において生じる「蒸発」
、特に妻の「蒸発」の記事が 1970 年代に流行する。
・また、1970 年代以降は、上の記述のように「蒸発」の原因や実態が分かりやすいものと
して、そして失踪者本人による能動的な行為として、はっきりと語られるようになる。
◆ 1970 年代における少年少女の「家出」言説
・1970 年代になると、「家出」を見出しとした記事が再び増加。
・「家出」と「蒸発」の概念は、マスメディア上では区別が曖昧な状態で語られる。
・この時期の少年少女の「家出」は、家庭環境や教育の荒廃による「非行」として扱われ
ている。
・1950 年代の「家出」言説との違いは、家出する少年少女たちの目的がはっきりしないこ
とや、異性関係を目的とした「家出」の増加、近距離型の「家出」の増加など。
・例)「同棲志願のこの危険な家出人たち」(『週刊朝日』1973.10.12)
「セックスに魅かれて、女子高生の家出が急増!」(『女性自身』1976.12.2)
「家出を遊戯と思ういまの子ども」
(『週刊朝日』1973.10.12)
「ここ数年、少年少女の家出の様相がガラッと変わってきている。いわく家出年令の
低下、いわく家出される側の親のクールな反応、いわく遠距離家出型から近距離家
出型への移行……。」(
『週刊プレイボーイ』1977.4.26)
・過去の「家出」とのスタイルの違いを強調。
◆ 「蒸発」の原因はどのように語られたか
・妻の「蒸発」の原因として、家庭内不和(特に夫との関係)と、妻の異性関係が強調さ
れる。そして、「蒸発」後の妻の異性関係を奔放に語るのが特徴(特に週刊誌)。
例)「いまや、妻から離婚を申し立てるなんてもう古い。めんどうくさい離婚手続きなん
てマッピラと、夫も家庭も捨て、即充実したセックスライフを求めての蒸発がふえ
ているのだ。
」(『週刊現代』1974.10.17)
・妻の蒸発は、基本的には「あまりにも現代的な社会問題」
(『週刊平凡』1976.6.24)や「子
捨て・子殺し“犯人”になる可能性が大だから始末に悪い」などと否定的に評される。
・しかし記事によっては「蒸発妻は男性支配への反乱者」
(『週刊朝日』1974.10.25)や「忍
従と耐乏が美徳としてあがめられた過去を清算して、今、女はあてどない旅に出る。(中
略)それは閉鎖された空間のなかで見つけた唯一の救いなのかもしれない。」(
『週刊サン
ケイ』1973.3.9)などとも評され、一定の理解も示されている。
・「蒸発妻」に対する両義的な語り方。
6
◆ 蒸発される夫
・「マジメ、無趣味、おとなしく内向的で仕事一途」(『週刊朝日』1974.10.25)や、「マジ
メな亭主はつまらない、ということか、ゼイタクな!」(『週刊朝日』1976.6.24)、「時計
の振り子のように家と会社を往復。真面目人間だった夫なのに」
(『週刊女性』1975.3.11)
など、蒸発される夫の「真面目さ」が強調されることが多い。
・夫との安定した関係に対する妻の不満が語られていた。
・家庭は「中流」以上として語られることが多い。
⇒ そのような記事では、貧困はもはや不満の原因ではなくなっている。
◆ 蒸発する夫
・「蒸発妻」と比較するとかなり頻度は少ないが、蒸発する夫についても語られている。
・会社の仕事と、家の中でのうるさい妻による板挟み。
・
「現状に負け組織脱出を願望する哀れな都会マン」
(『アサヒ芸能』1972.3.30)や「現代サ
ラリーマンは残酷物語の主人公として登場する。……だれしも、蒸発願望にふと、つき
動かされることがあるだろう。」(『アサヒ芸能』1972.9.7)など、仕事からの「蒸発」も
語られる。←「モーレツ社員」言説の影響?
・蒸発する夫に対する同情的な視点。
◆ 蒸発した者の結末はどのように語られたか
・「蒸発した者」が帰ってこない場合、結末は記事の執筆者によって推測されるしかない
・「蒸発妻」の場合、当初は夫以外の新しい男性と恋愛関係になるものの、その後は新しい
男性との関係が悪化したり、生活のために「水商売」に行きつくなどの展開が多く語ら
れており、「蒸発」の結末は悲観視されることが多かった。
・また、サラリーマンの「蒸発」も、
「一種のサラリーマン的自殺行為」
(『アサヒ芸能』1972.9.7
と形容され、その後の社会復帰の困難さが語られていた。
・ただし、蒸発した者が帰還するケースも多く語られていた。
1-3-4. 1980 年代における「蒸発」言説の流行の終息
◆ 「家出」の「思い出」
・少年少女の「家出」を社会問題として扱う記事は、1980 年代には殆ど見られない。
・
「おじさん新聞
僕らの“トム・ソーヤー”体験、家出の思い出」
(『週刊宝石』1989.9.28)
と題された記事は、30 代半ばから 50 代の男女が、自らの「家出」の体験を回顧するとい
う構成になっている。
◆ 「蒸発」言説の終息
・1980 年代前半まで夫婦関係による「蒸発」を問題として取り上げる記事が見られる。
7
・
「モーニングショーの番組で 500 組ほどの、夫婦のいさかい、別離、憎しみ合いを骨の髄
まで見てきた」(『婦人公論』1983.10)…「蒸発」の流行を回顧する視点。
・1980 年代半ばになると、夫婦関係による「蒸発」を扱った記事は見られなくなる。
・
「蒸発」という言葉が原因不明の「失踪」や「行方不明」に対して用いられる頻度も激減。
1-4. 「失踪」の言説と親密圏の変容
1-4-1. 戦後の家族史との関係
◆ 「家出娘」から「蒸発妻」へ
・「家出娘」は、農村の閉塞的で貧しい生活からの自由を目的として語る「失踪」言説
・「蒸発妻」は、主に不満のある夫婦関係からの自由を目的として語る「失踪」言説
・特に「蒸発妻」の言説、仮に経済的に裕福であっても、夫との安定した関係から抜け出
すことが志向された。
・1950 年代の「家出」の言説で志向されていた生活が、1970 年代の「蒸発」の言説では不
満の対象となっていた?
◆ 人口学的以降世代と「家出娘」の言説
・最近流行りの、家族社会学における人口学的説明。
・人口学的移行世代:多産少死で人口増加が起こった 1925~1950 年にかけて生まれた世代
・第二次大戦後、彼らは田舎の家から都会に出て(家は長兄しか継げないため)
、都会で核
家族を形成し、落合恵美子(2004)が「家族の戦後体制」と呼ぶ戦後の標準的な家族モ
デルの成立に寄与した。
・戦後の家族体制:女性の主婦化、再生産平等主義、人口学的移行期世代が担い手
・人口学的移行期世代が都市に移動した時期と、「家出娘」言説の流行した時期は重なる。
・少年少女の都会への憧れと、その悲惨な結末を語る「家出」の記事は、そのような当時
の家族の動向を反映すると同時に、そのネガティブな側面を表象したものであった。
◆ 戦後の家族体制の揺らぎと「蒸発妻」の現世
・落合(2004)や山田昌弘(2005)の指摘する、
「戦後の家族体制」の揺らぎ。
・1975 年頃を境に、専業主婦数の減少が始まり、平均初婚年齢や離婚率が上昇を始める。
・落合(2004)によれば、そのような家族の変化を先駆的に反映したのが、1970 年代のウ
ーマンリブ運動。(「女に忠実になる」をスローガンに、当時の家族のあり方に異議)
・妻が「蒸発」するまでの奔放な振る舞いを描き、ときにはそれを「男性支配への反乱」
と形容した「蒸発妻」の言説は、同時代の「家族解体」の言説の影響を受けていた。
・また、「蒸発妻」の言説では、嫁姑問題など拡大家族的な論点よりも、夫との夫婦関係の
問題が論点として語られる傾向があった。
・家制度や村落ではなく、戦後に成立した新しい家族体制からの自由を志向する側面。
8
1-4-2. 親密圏の変容との関係
◆ 「第二の近代」と「蒸発」の言説
・ベックら(Beck and Beck-Gernsheim 2002)は、既存の紐帯からの解放がなされる「第
一の近代」と、「第一の近代」からの解放の後に形成された家族や中間集団にまで「個人
化」の波が及ぶ「第二の近代」を区別し、現代を「第二の近代」として位置付けている。
・「第一の近代」の解放に対応する「家出」の言説。
・「第二の近代」の解放に対応する「蒸発」の言説。かつて解放された個人が再埋め込みさ
れた共同体(ここでは戦後の新しい家族体制)が、今度は不満の対象となっている。
・個人と個人はより選択的な関係へ。
◆ ロマンティック・ラブ → コンフルエント・ラブ?
・夫との安定した、恒久的な関係に対するアンチテーゼとしての「蒸発妻」の恋愛言説
・「蒸発妻」の恋愛の相手は、一般的に夫婦になるのは難しいような相手も多く語られた。
例)大幅に年下の男性や、レズビアン女性
・夫婦関係よりも互いのコミットメントによる関係が優先されているという点で、ギデン
ズ(Giddens 1992=1995)が「純粋な関係」における愛のあり方として指摘した「コン
フルエント・ラブ」に当てはまる。
・戦後の結婚言説の変容を分析した桶川泰(2010)は、
「家族の戦後体制」におけるロマン
ティック・ラブの理念に代わるものとして、1970 年代に夫婦間のコミュニケーション・
コミットメントによる親密性を志向する言説が出現してくることを指摘。
・「蒸発妻」の言説は、いわばその裏返しだったのではないか。
・ただし、そのような選択的な関係の脆さも語られていた。←「蒸発妻」の悲しい末路
・その後の時代に盛んに語られる、選択的な関係に内在するリスクの図式が先駆的に。
◆ 敷居が高かった婚外恋愛や離婚
・落合(2004)や山田(2005)によれば、婚外恋愛の言説が本格的に流行したのは、1980
年代(「金曜日の妻たちへ」を始めとした不倫ブーム)。つまり「蒸発妻」の少し後。
・1970 年代の「蒸発妻」の言説では、婚外恋愛に「失踪」が伴っているのに対して、1980
年代の「不倫」言説では婚外恋愛がより手軽で身近なものとなっている。
・「蒸発妻」言説でしばしば見られる、離婚よりも「蒸発」の方が簡単という発言。
例)「離婚よりもてっとり早いの」
(『週刊現代』1974.10.17)
「一見マジメな夫は、離婚になど絶対に応じてくれない」
(『週刊平凡』1976.6.24)
「離婚はおろか蒸発する勇気もないわたし」(
『婦人公論』1980.1)
・もちろん「蒸発」のリスクも認知されていたわけで、当時の婚大恋愛や離婚のハードル
の高さを見て取ることができる。
・あくまでも「蒸発」の言説は、「個人化」が徹底される前の過渡的なものであった。
9
2
今後の研究予定
2-1. 現代の「失踪」表象
◆ 1990 年代以降の「失踪」言説
・同様の方法で雑誌記事の収集を行ったところ、1990 年の「夜逃げ」
、2000 年代の少女た
ちのプチ家出、2000 年代後半のネットカフェ難民や「神待ち少女」についての言説が収
集された。(+特殊な例としては北朝鮮による拉致問題の記事も)
・特に 2000 年代の言説は、1970 年代の少年少女の「家出」言説の延長線上にある。
・しかし 1990 年代以降、「蒸発」言説のように個人が能動的に家族や共同体から消え去る
といった内容の言説は見られなくなる。これはなぜか。
・対照的に、1-1 で述べたように個人が親密圏から受動的に排除されることを不安視する言
説が増加する。典型的であるのは 2010 年に話題になった高齢者所在不明問題で、当該時
期には多くの雑誌記事が残されているが、個人(の記録)が「消えた」のではなく「社
会から消された」と語られることが多い。
◆ いくつかの仮説と問題提起
・「個人化」の徹底により起こったのか。つまり、自由が徹底されたことで、消極的自由を
目的とする能動的な「失踪」が問題化することがなくなり、代わりに選択によるリスク
が問題視されることが多くなった、ということか。
・見られている不安から、見られていないかもしれないという不安へ。
・「失踪」の偏在化。私たちはある意味で、常に誰かに対して「失踪者」である。
・その一方で、再び注目が集まる「アジール」…セルフヘルプグループや、シェルター
いま、ありうべき、そしてあるべき「失踪」とは?
・「失踪」の雑誌記事以外の表象も見る必要があるかもしれない。(「消えたい」願望など)
・不確実性に対する処方箋…これも「失踪」の考察から出てくる可能性。0-2 の 2 に該当。
2-2. 戦前の「失踪」表象
◆ 戦前の「失踪」言説
・明治時代より、法学の学術誌で「失踪宣告」の制度がたびたび紹介・議論される。
→ 戦争もあり、人の生死が不明になるという事態は少なくない頻度で起こっていた。
・1900 年代頃より、「家出」が社会問題として雑誌で取り上げられ始める。
・大まかな記事のパターンとしては以下の 4 通りである。
①生活の貧困や夫との不仲に耐えかねての女性の「家出」。家出人に同情的な視点。
②若い女性の家出。
「田舎娘」のケースと(戦後の「家出娘」の言説の原型)、名家の「令
嬢」のパターンの 2 通りが存在。後者は特に婦人公論の記事に多く見られた。
目的はいずれも女優志望が多かった。これらの記事は昭和後期に増加。
10
③不良少年の「家出」
。戦後の社会病理学の「家出」研究の源流。
④マルクス主義的な「家出」論。革命の前兆現象。
自殺と並列に語る、アノミー論に近い内容(道徳の弛緩、欲望の肥大)も見られた。
◆ 今後の課題
・(「失踪」の研究ではよくあることですが)深刻な素材不足
・とはいえ大正以降の婦人公論と中央公論にある程度まとまった件数の「家出」の記事が
あり、それらをより精緻に分析していけば最低限の知見は導き出せるはず。
・特に婦人公論には特定の人物の「家出」事件を扱った記事も含めると 30 件ほどの記事が
存在し、上記のように「家出」について論評している。
・しかし、大正・昭和戦前期の婦人公論の言説のみならず、「家出娘」や「蒸発妻」の言説
でもそうであったように、男性よりも女性の「失踪」が語られることが多い理由は一体
なぜか。女性の社会的生活 が抑圧されたものとして捉えられていたから?
・上記の作業に加えて、明治期の「失踪宣告」をめぐる言説の検討。
・他国との法制度の比較を行うことで、積年の課題であった国際比較の糸口が掴めるかも
しれない。
・戦後に比べるとやや控え目に見える失踪の言説を、どのようなパースペクティブで捉え
ていくべきか。
[文献]
網野善彦、1978、『無縁・公界・楽――日本中世の自由と平和』平凡社。
青柳涼子、2008、
「孤独死の社会的背景」中沢卓実・淑徳大学孤独死研究会編『団地と孤独
死』中央法規出版、79-103。
Beck, Ulrich and Elisabeth Beck-Gernsheim, 2002, Individualization:
Institutionalized Individualism and Its Social and Political Consequences, London:
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