風のたより - 竹内工務店

風のたより
2004 年
7月
VOL
15 号
発行者
竹内 明
風(k,s)のたよりは、
EQ の母といわれている 「かきくけこ」
感動、興味、工夫、健康、恋と
そして、環境、建築
を加えた K の集りの意味です。IQは、単なる知能指数をあらわしますが、EQとは、心や感性の豊かさ
をあらわします。私達の元気の元のこれらのkたちの話題を私なりにまとめてみました。
是非ご一読ください。
タリアセン・ウェスト
風という字は、いろんな字とくっついていろいろな含みを持った言葉に変化します。
風景、風土、風光、風紀、風格、風化、風情、風習、風俗等、いずれも様子やある状態をあらわす言葉で
変化する意味あいを持ちます。
風景といえば、最近の吉永小百合さんのシャープの TV のコマーシャルの中に岩をくり抜いたような中
に土を塗った家(アリゾナの家)が出てきますが、前に同シリーズで砂漠の中の家で赤茶の木の梁が
勾配になった室内に青い椅子がおいてある家というのを覚えていらっしゃいますか?
それが旧帝国ホテルの設計者のフランク・ロイド・ライトの夏のスタジオ、住宅兼建築の学校である
「タリアセン・ウェスト」です。(現在は、フランク・ロイド・ライト財団の国際本部となっています。)
又、この建物群は現在、国の重要文化財に指定されています。
この「タリアセン・ウェスト」は、アメリカの中西部のアリゾナ州のフェニックスという所に建てられ
ています。(タリアセンとはライトの母親の祖父のふるさとイギリスのウェールズの言葉で輝く額と
いう意味があります。)
サボテンのある風景のゴルフ場、又 PGA のフェニックスオープンが行われている所でもあります。
当時のライトの活動の場であったタリアセン・イースト(東北部ウィスコンシン州スプリンググリーン)
は、一年の内半年近くが寒さとの戦いであり、仕事の調査で来たこの地アリゾナの温暖な気候が、当時肺炎
を患っていたライトを勇気づけました。ライトはここでの温暖な冬の気候を求め、ここに居住する事を決意
して、タリアセン・ウェストを建設しました。
(哲学者を師にもつ妻のオルギバンナのアイデアで、ライトは
建築の学校のコミュニティという形で生徒から生活費を徴収して運営するタリアセン・ウェストを作りまし
た。)1937 年に工事が開始されています。ライト 65 才の時であります。
ライトの思想の「あるものを使用する」「箱をこわせ」をコンセプトにこのスタジオ兼住宅は造られて
います。ロックパーティと称する(この地にある)石拾いを皆で行い、それらをコンクリートとに混ぜて
使って建物の外壁(腰壁)として使用しています。又これらの赤や黄色の石の色模様がうす灰色のコンクリ
ートの中でひときわ色鮮やかに輝いて見えています。
建物遠景
この建物の形状は平家建ての建物で、従来のプレーリーハウスの流れを組み水平線が強調されては
いますが背景の山の稜線に合わせて、一対二の勾配の屋根の変形の切妻の形からなっています。
山や砂漠に対応して(砂漠は、はっきりした実線ではなくて点線イメージ)点線のイメージを形に表した
建物の上端の端部にはデンタルという歯型の欠き込みの凹凸があります。
(その他のアメリカ西部の
ライトの設計の建物のテキスタイルブロックにも上部には同じような意図でデンタルがつけられている
建物があります。)
この建物の屋根は当初は布テントのみでありましたが、最後にはプラスチック製の屋根に変わりました。
(内部天井は布張り)この屋根は取り外し可能の屋根です。
ライトのスタジオが建物群の入り口コーナーにあります。
側面の壁のガラスは当初はなかったのですが、ライトの妻のオルギバンナのたっての要望で最後にはガラス
が入りました。これはライトがしぶしぶ折れて実現しました。
この建物の特徴としては、先住民のネィティブアメリカンの影響が随所にみられます。キバと呼ばれる部
屋やキバの象徴の二本の長い木に装飾を施した飾り物、色使いもインディアンカラーの
アースカラーやトルコストーンカラー等が塗られています。又、装飾には、一定のリズムがみられます。
スタジオⅡは元図面庫でありましたが今はスタッフの製図室として使用されています。
モヂュールは 16 フィートが柱間であり、8 フィートが梁間です。
(1 フィートは、約 30CM です。
)
映写室(キバ)はスクウェアプラン(四角の平面)でキバと名づけられています。
置いてある模型のプランは今年にツーソンで新しい建物として実現する(6角形のプラン)らしいです。
空間の中で棚が周りを巡る、本棚に使用したりしています。又、棚に続く中で3個の箱がありそれらは
映写機の映写する穴でありました。
飾ってある写真の建物はマリリンモンローの家として設計をされるが実現できず、プランはマウイ島の
ゴルフ場のクラブハウスに変わって建設が実現したものです。
又、キャバレーと呼ばれる劇場の建物のプランは6角形(3角形の集積)
、モジュールは 7 フィート。
この部屋でみられる3角形(6角形)のデザインはライティングや椅子に応用されています。譜面台も
デザインもその要領でデザインされています。
劇場の中に入ると低く狭いところから高く広いところ出るように、空間の演出がなされています。
シャンデリアの照明は安価なクリスマスライトをプラスチックでカバーし天井に張り巡らしたものであり、
空間をドラマティックに演出しています。
そこで行われたパーティは 80~100 人の大人数。食べ物も全て自家製です。
タリアセンブレッドは定番でありました。信じられませんが小麦粉やたまごはタリアセン・イースト製で
向こう(東部のウィスコンシン州のスプリンググリーン)から運んだりしていました。
ガーデンルームの内部
ライトは、照明も家具も建築化をして、一からその建物にあう物を設計していますがここでも多くの
それらが見受けらます。
折り紙家具の椅子(昔カッシーナーが 8 万円で売っていましたが、今は?)と呼ばれる椅子は、合板で
作られていて座面の布のマットは当時の女子学生の手作りでありました。
「さりげないものから豊かな物を演出する」
外部を見てみると、土地の南の端に船の先端のイメージを持ったコーナーがあり、当時は砂漠で何も
ない所であったのでライトが砂漠の大海原に乗り出す船のイメージをもって未知の所で仕事をしていた
事がうかがえます。
近年開発の波が押し寄せてきて住宅が近接するまでになりました。この地域の人口も急激に増えています。
植生は、元はサボテンしかなかったのが、ゴルフ場ができて樹木が増えました。
(地下水の汲み揚げ
により)
タリアセン・ウェストではアジアンティストのものが多く使用されています。
(中国製の陶器製の人形像が
壁に埋めこまれています.タリアセン・イーストでもそうでありましたが)
サンセットテラス等各部屋に名称がついています。
エロイーズクリスト(父親が同志社大学の教授で彼女の生まれは神戸)の前衛の彫刻像が多く飾られて
います。彼女は、タリアセンの生徒でありますが、ライトの影響から抜け出すためにあえて彫刻家の道を
選びました。今も彼女の作品がテラスのあちこちに飾られています。
水平線の屋根をさえぎるように一段高い鐘の塔があります。食事の合図に鐘を鳴らして使うものです。
当時、食事の世話は当番制でありました。
タリアセンは昔フェローシップで運営されていましたが、今はその他の人たちの手も半分借りて
フランク・ロイド・ライト財団として運営されています。
一時期、タリアセンには 70 人くらいの生徒(アプレンティ)がいました。
(日本人の土浦亀城もいました)
アプレンティコート(学生の住居)もスタジオの建物に隣接して建っています。
ミスターダッジもいた。
(ビルトモアホテルの設計の)
彼等の卒業設計が、この地で学生等自身の住む住居の設計と施工であった。
現在のアプレンティの最古参は 89 歳の人がいるらしい。
ここでは身近にある素材、手に入りやすい素材で、工夫をしてデザインをして豊かに(演出)暮らし、
仕事をしています。
精神的な豊かさを時空にあらわし演奏会、パーティなどの催しで生活を豊かにしています。
タリアセン・ウェストの広さは 800 エーカーでタリアセン・イーストと同じくらいの広さです。
ライトは、この地で 91 歳 11 ヶ月の人生を全うします。多くの彼の弟子を残して—
「形態と機能が一つからになり、形態は機能から生まれる」とライトがいっている様に、自然の中で生き
ている植物のその形態が、その機能から成りたっているということをライトは自然から学んでいます。
ライトの洞察力が深く自然を師として学びとり、同じ物が一つとしてなく、又、年を経るごとになお
進化し続けていることにライトの創造性の豊かさや並々ならぬパワーを感じます。
ライトのすごさは、ライトがその土地の空気を感じて芸術家の感性でもって、自分の中で咀嚼をしてそれ
ぞれの風土にあった建物を自分なりの形で表した物が、ライトの建築であります。
そこには、自分のやりたいことを最後まで年令を感じさせずにやり続けた事や、多くの弟子達を育てた事
に敬服するとともに、建築を志す者として尊敬の念を禁じ得ません。
株式会社 竹内工務店
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