Nuclear Dynamics

留学体験記
Uli Laemmli 教授から学んだもの
ころがこのアパート、大学の職員の持ち家であったので、
信用して借りたのだが、とんでもない問題があることが判
明する。シャワーを浴びていると、なんと隣の部屋の床の
独立行政法人理化学研究所
隙間から水が出てきた。さらに、1ヶ月ほどして、アパー
中央研究所
前島
今本細胞核機能研究室
一博
ト 1 階のピザ屋が繁盛するようになると、お昼時、夕方か
ら夜にかけて、我が部屋の水道の水がでなくなったのであ
ジュネーブに行く前
1999 年 3 月に学位を取れる予定だった私は、学位を取っ
る!いろんなところに苦情を言ったのだが、建物自体が古
いので、構造的な欠陥とのことであった。そのため、新し
い部屋を探しはじめたのだが、ジュネーブの住宅事情は最
たらすぐに日本から出て行こうと心に決めていた。大学院
では、相同的組み替え蛋白質の DNA-protein 相互作用をい
ろんな方法で調べていた。この経験から、ゲノム DNA には
塩基配列などの一次情報以外にもっと「高次」な情報が隠
されていると思い、DNA の高次構造、つまりクロマチンや
悪で、なかなか物件がない。このため、朝から数十本のエ
ビアンのペットボトルに水を溜めておき、それをお昼時や
夜に使うという crazy な生活を、新しい部屋が見つかった
10 月まで半年も続けるはめになってしまった。これに懲り
た私達は、部屋探しの際、家中の水道を全開にして流し続
染色体の研究がしたいと思っていた。ある日、ふとしたこ
とで知り会いになった Laemmli 研出身の足立康久さんか
け、水が出続けることを(?)、またその水が部屋のどこから
も出てこないこと(?)を確認した。
ら、
「ぼくは君が行くのは決して勧めないけれども、君がど
うしても行きたいと思うのなら、Uli に推薦してあげよう。
」
という、ありがたくとも意味深な?言葉を頂いた。Uli
Laemmli 教授は、SDS-PAGE の発明で名高いばかりでなく、
染色体や核構造の分野でも知られた有名人である。彼の論
文はいつも斬新で、新しいアイデアにあふれていた。この
ため、私は Uli Laemmli 教授のもとで研究したいと思い、
Uli に 今 ま で や っ て き た こ と 、 ラ ボ で や り た い こ と の
proposal を書いた長い長いメールを送った。すると、驚い
たことに 30 分もせずに、Uli から返事が来た。
「おまえの
application に興味があるので、指導教官から推薦状を送っ
てもらうように」とのこと。このあまりのレスポンスの速
さに、ちょっと感動してしまった。メールを読んで興味を
持ってくれたと思ったのだが、現実はちょっと違ったらし
い(後述)
。
筆者ではなく、着ている T シャツに注目して欲しい。
ラボを去る際、ラボメンバーから送られたもの。その右隅に Uli
トラブル続きの日々
Laemmli 教授がいる(右:拡大写真)。1940 年生まれの Uli は現
1999 年 5 月、妻と二人でスイスのジュネーブ空港に降り
在 65 歳、その激しい気性はさておき、Science をこよなく愛し、
立った。とりあえず、ホテルに1週間ほど滞在し、見つけ
筆者が今まで出会った人の中で、もっとも creative な人である。
ておいてもらった Carl-Vogt という大学近くの通りの古い
その左側は、娘さんの Caroline。
アパートに、日本から送ったものを運び込んでいった。と
さて仕事の話である。これもアパートに負けず劣らず大
のような時に、私の application のメールが届いたのである。
苦戦であった。ジュネーブに行った当時、コンデンシンの
研究が世の中を席巻しており、その発見に関与できなかっ
た Laemmli ラボの染色体研究は「開店休業」状態であった。
転機
最悪の状態が続いていたが、日本に帰るところがなかっ
最初、Uli から言われたテーマは「カエルの卵からの染色体
た私は、なんとかしなければならなかった。このため、何
凝縮に必須なヒストン H3kinase の精製」である。細胞周
か別のことをはじめる必要性を感じた。いろいろと考えた
期の分裂期にヒストン H3の ser10 が特異的にリン酸化さ
結果、Uli が分裂期染色体の構造に関して過去にどのような
れることは 20 年前から知られていたが、ちょうどその頃、
ことを行ってきたのかを、まず調べることにした。幸い、
非常にホットな話題であった。しかしながら、読者はご存
セミナー室には、過去のラボメンバーの実験ノートが無造
知かもしれない。
このキナーゼは今でいう AuroraB であり、
作に並べてあったので、私は夜な夜な調べていった。この
カエルの卵の系では染色体凝縮には必須ではない!つまり、
作業はまさに、Uli の染色体研究をたどる作業となり、楽し
最初からお先真っ暗なプロジェクトであった。そんなこと
いと同時に、非常に勉強になった。うまくいった(publish
はつゆ知らず、私はコアヒストンを大腸菌で作り、精製し
された)仕事の試行錯誤の様子が、手に取るようにわかる
てオクタマーを作り、そして、暑くなる前にカエル 70 匹か
からである。思いつくことは、それが常識的であれ、非常
ら 100ml の分裂期抽出液をひたすら作った。それを FPLC
識なことであれ、取りあえずは何でもやってみるという感
で分画していき、ヒストンオクタマーを基質にして、H3の
じであった。また、私が書いた実験 proposal のいくつかは
ser10 をリン酸化する活性を追っかけていった。ところが、
もうすでに試みられていた(脱帽)
。このようにして 20 年
カエルの分裂期抽出液はこの活性が複数存在するらしく、
ばかりの実験ノートを解読していった結果、一つの方向性
どんな分画をおこなっても、ブロードな活性が出てくる。
が見えてきたのである。
それでも、新しく開発した in-gel アッセイも駆使して、な
Uli のラボに来たからには、ラボのアドバンテージを生か
んとか同定したのは RSK-2 であった。このキナーゼ、培養
した研究をするのがよいと思い、やはり染色体 scaffold の
細胞の serum starvation からの復帰によって活性化される
ことを少し調べることにした。染色体 scaffold とは、染色
H3ser10 をリン酸化する立派なキナーゼであったが、
体を 2M の塩などで処理し、ほとんどすべてのヒストンが
immuno-depletion により、分裂期の抽出液から除去しても、
除かれたときに残る軸状の構造体のことである。30 年近く
まだ H3ser10 のリン酸化活性は残っていた。また当然のご
前、Uli らは、この観察をもとに染色体にはクロマチンをル
とく、染色体凝縮には何の影響も無かった。惨敗である。
ープ状に束ねる染色体 scaffold が存在し、これが染色体の
ここまでで、10 ヶ月以上経過したが、ボス Uli との関係
形とサイズを決定しているのではないかという「染色体
は最悪であった。彼はうまくいっていないプロジェクトに
scaffold/radial loop model」を提案した。しかし、このモデ
関わるのが、大嫌いであった。しかしながら、物品の購入
ルに対して「観察された scaffold は高濃度の塩によってお
もすべて Uli のサインが必要で、何をするのも Uli と話を
こる非特異的な蛋白質沈殿による artifact ではないのか」
、
する必要があったのだが、なかなか話をさせてもらえない。
という批判が絶えなかったのである。このため、この批判
朝行けば “I’m impatient.”と当たり散らされ、昼に行け
に答えるべく、私は染色体より scaffold を精製し、この
ば、”I’m busy.”と言って断られ、夕方に行けば ”I’m tired.”
scaffold が本質的にトポ IIa とコンデンシンからなることを
と言って追っ払われた。そして、不毛な毎日が過ぎていっ
示した。このようやく結果らしい結果を得たのは、ジュネ
た。これは、何も私に限ったことでなく、新しく来たメン
ーブ州立病院で娘が生まれ、とうとう父親になった 2000 年
バーのだれもが、長短あるにせよ、味わうことであった。
の 12 月であった。そして、抗体を作製し、染色体を染色す
この結果、大学院生やポスドクの8割が、何の成果も出ず
ると、トポ IIa とコンデンシンがいずれも染色体に軸状に存
にラボを去っていくのである。
私が応募した 1997-8 年当時、
在することがわかった。つまり、scaffold = 染色体軸という
ラボはほとんど空だったらしい。ただただ人が欲しい、そ
ことである。
をしている人がいたらしい。スイス連邦工科大学の物理出
Best picture in the world
身で、物理と化学にも非常に明るかった Uli は SDS を加え
私が着任する少し前、ラボには DeltaVision が設置されて
ると PAGE の分離能が増すのではないかと思い、その彼に
いた。写真を撮るのも、Uli は”Best picture in the world”
「SDS を系に入れてみたか?」と聞いたそうだ。すると、
が口癖なので、なかなか大変である。めざすものは“The
その彼は「入れてみたことはあるけど、うまくいかなかっ
image which tells you everything”で、要するに「見ただけ
た」と、答えたらしい。その瞬間、Uli はきっとうまくいく
で、すべてが理解できるようなデータ」である。このため、
と確信したそうだ。そして、何度も何度も条件を検討し、
彼の論文に掲載された写真は美しく、また意図するところ
13?回目に成功したらしい。この発明で Uli は分子生物学
が非常に明快であるため、多くの教科書で採用されていた。
の世界で知らぬ人がいないほどの有名人になり、プリンス
私は一緒に DeltaVision の前に座り、
「どのようなイメージ
トン大学に迎えられる。それ以来「他人ができないと言っ
を撮るべきかについて」を学んでいった。とても楽しいひ
たら、できると思え」というのが、Uli の信条になった。こ
とときだった。さらに、光学顕微鏡レベルの仕事が一段落
の言葉には、独創性のある仕事をする上で最も重要なカギ
し、実際に染色体の軸が免疫染色できれいに見えると、
「コ
が隠されている(しかし、私も含めて多くのポスドクが、
ンデンシンやトポ IIa はクロマチンをどのように束ねてい
この言葉に泣かされたのは言うまでもない)
。
るのだろうか?」という疑問が出てきた。このため、今度
また、Uli からは”feel interesting, do it!”とよく言われた。
は電子顕微鏡を使いたいと思い、2002 年にドイツのハイデ
「もし何か面白いことが出てきたり、思いついたら、まず
ルベルグの EMBL でおこなわれた電顕の EMBO コースに
やってみろ。
」ということである。重要な発見は大抵、些細
参加し、技術を習得した。この EMBO コースは、ヨーロッ
なきっかけから始まる。横道にそれてばかりでは、プロジ
パ各国からの参加者が 2 週間同じところに寝泊まりし、午
ェクトは進まないが、そのきっかけを掴み取ることが、非
前中は講義、午後は実習、夜は discussion や party、休日
常に大切だということを教わった。これに関連して、”play”
は観光と、休みなしに続く、とてもハードな(?)日程であっ
する「遊び心」の大切さも教えられた。感覚を研ぎ澄まし、
たが、すばらしい体験であった。折しも、日韓ワールドカ
遊び心をもって、周りを見渡しながら、Science をおこなう
ップサッカーが開催されており、参加者一同、毎日(サッ
こ と 、 こ れ が重 要 な のだ ろう 。 そ の 一 方で 、 彼 の口 癖
カーの)結果に酔いしれ、一喜一憂していた。コースから
は、”That’s not so interesting.”である。彼が面白いと思え
帰ると、さっそく染色体構造をクロマチンレベルで調べる
なければ、テーマを躊躇なく替えていった。あるプロジェ
た め に 電 子 顕微 鏡 を 用い て解 析 を は じ めた 。 染 色体 の
クトがうまくいき出すまでに、4 回、5 回とプロジェクトを
cross-section をみると、クロマチンのループが中心部から
替える(替えさせられる)のは当たり前のような状態だっ
放射状にのびており、トポ IIa とコンデンシンがその根もと
た。このようにして「本当に面白いかどうか?」という
付近に存在することがわかった(この辺の染色体研究につ
General interest が試されていくのだろう。しかし仕事を進
いては最近、蛋白質核酸酵素の 11 月号に歴史的な背景も含
める方は、そんなにころころ替えられてはたまったもので
めて詳しく書かせていただいたので、興味のある方は読ん
はない(というか、仕事が進まない)
。このため、いい仕事
でいただければ幸いである)
。
に巡り会うことができずに、ラボを去った人も多かった。
また、プロジェクトを守るため、みんな面白いことを出そ
SDS-PAGE の話
うと思って、必死であった。Uli からは”You have to defend
さて、Laemmli といえば SDS-PAGE である。これにま
your project.”とよく言われて、容赦なく攻撃された。この
つわる話を少し紹介しよう。Uli が 30 歳の時、イギリス、
ような、緊張関係がよい実験結果を生み出すのかもしれな
ケンブリッジの MRC の Aron Klug(後にヌクレオソーム
い。同僚だった石井さんが、
「ボスが negative な方が、デ
や Zn-finger の構造研究でノーベル賞)の研究室でポスドク
ータの質があがる」といって、すばらしいデータを量産さ
をしていた頃の話である。その時、そこには PAGE の研究
れていたのを思い出す。
な核膜孔フリーの領域が見出された。ちょっとびっくりで
帰国とその後
さて、スイスのジュネーブでの生活も、4 年目にはいると、
ある。この核膜孔フリー領域は、細胞周期の進行にしたが
って徐々に解消され、核膜孔の密度は細胞周期の進行に伴
次の行き先を考えねばならない。スイスでは、ポスドクは
い増加した。この核膜孔フリー領域の核膜構造との関連を
基本的にビザの関係で 5 年しか居ることができない決まり
調べるため、種々の裏打ち蛋白質の局在を調べると、emerin
になっているためである。また、Uli からも、いろんなこと
や laminA/C は核膜孔フリー領域に高度に濃縮されている
を十分に学べたと思った。このため、同じデパートメント
ことがわかった(びっくり2)
。そこで、siRNA を用いて両
で働いていた名越絵美さんの勧めもあり、理研の今本尚子
者のノックダウンをおこなった。すると、emerin をノック
先生のラボに行くことにした。Uli 研を去るのはいろいろ苦
ダウンしても変化はなかったものの、laminA/C のノックダ
労したが、Uli の”I don’t care about what you will do.”とい
ウンは、きれいに核膜孔フリー領域を解消させた。この結
う、ありがたい?言葉と共に、ちょうど 5 年暮らしたジュ
果は laminA/C が核膜孔分布の制御に関与していることを
ネーブを後にした。ジュネーブで生まれた娘はもう 3 歳に
示唆しており、一つの観察からはじまった単純な(?)研究は
なっていた。
意外な広がりを見せている。以上の結果は、昨年の班会議
の際に発表させていただいたが、多くの方に建設的な批評、
「今の仕事の紹介も含めてください。
」という、竹安先生
suggestion を頂いた。今後は、細胞核のなかで、ゲノム DNA
のありがたいお言葉もあるので、最後に少し現在のことを
がどのように折りたたまれているかを調べ、当初の目的で
紹介させていただこう。
あった、ヒトゲノムのなかに隠されている高次の情報を明
理研は、すべての自然科学の領域を含む総合研究所であ
らかにしたいと考えている。
り、すばらしいところである。私は大学生の時、理研でア
また、理研でしかできない研究をしたいと思い、Spring8
ルバイトをしていた経験があり、あこがれの場所でもあっ
で、染色体構造を研究するため、播磨にも通いはじめた。
た。さて再び、何をするかである。私は染色体の構造を「解
何か面白いことがわかりそうなので楽しみな日々である。
く」ために、ジュネーブでやり始めていた染色体の電子顕
微鏡 tomography をもちいた三次元再構成を続けようと思っ
謝辞
た。このテクニックにより、染色体の再構築像を作製し、
スイス留学中に貴重な経験をさせていただいた、私が今
染色体中のクロマチン繊維をたどることで、直接染色体の
まで出会った人の中でもっとも creative な person である
organization を見ることができるかもしれない。しかし、
Laemmli 教授に深く感謝したい。この留学体験記の執筆の
染色体研究は 100 年の歴史がある難攻不落?のテーマであ
機会を与えてくださった竹安先生に感謝いたします。
る。このため、赴任する「今本細胞核機能研究室」のアド
バンテージを生かしたプロジェクトも同時に進めようと思
い、核膜上の核膜孔の分布と密度を調べてみることにした。
核膜孔が、細胞周期の進行によって 2 倍に増えることは、
今から 30 年以上前、GG Maul らの研究によって明らかにさ
れていた。しかし、不思議なことに、それ以後の研究はほ
とんど行われていない。分化との関連性も興味があった。
これは調べてみる価値がありそうである。
私は、まずラボにあった HeLaS3 細胞において、核膜孔
が核膜表面にどのように分布し、細胞周期でどのように変
化するのか?を蛍光免疫染色で調べた。この結果、
telophase から earlyG1 期の核に、核膜孔が存在しない大き