青森臨産婦誌 第 14 巻第1号,1999 年 青森臨産婦誌 症 例 妊娠中毒症として母体搬送された 甲状腺機能亢進症の一例 青森市民病院産婦人科 新 野 隆 宏 ・ 船 橋 大 ・ 土 橋 義 房 上 田 克 文 ・ 橋 本 哲 司 A Ca seo fPregnancy comp l i cated wi th Hyper thyro i d i sm Trans f er red wi th A Di agno s i so fPreec l amp s i a Takahi ro NI INO , Masaru HUNAHASHI, Yoshihusa DOBASHI Katunor i UEDA , Tetuj i HASHIMOTO Department of Obstetr icsand Gynecology,Aomor iCi ty Hospi tal 合病院を紹介され入院となった。 は じ め に 前医での経過(図 1 )は,高血圧に対し安 甲状腺疾患は,20 ∼ 30 歳台の女性に好発す 静およびアプレゾリンの内服が行われ次第に るためしばしば妊娠に合併することがある。 増量されたが効果は不十分であった。また, 今日ではコントロールされた甲状腺機能亢進 主に子癇防止および胎児保護の目的でマグネ 症は,妊娠や出産にはさほどの障害を及ぼさ ゾールの持続点滴が行われた。さらに,心拍 ないことが明らかになっている。しかし,未 数 100 回 / 分程度の頻脈がみられたため, β- 治療の場合には流早産や低出生体重児などの blockerであるセロケンが投与された。尿蛋 原因になり,また不用意にウテメリンなどの 白および浮腫は数日で軽快したが,NST に 薬物投与や手術侵襲を加えると母体にクリー て次第にnon reactiveの所見も認められる ゼを起こしかねない。今回,私たちは母体搬 ようになり, 妊娠 26 週 6 日に青森市民病院産 送された未治療の甲状腺機能亢進症の一例を 婦人科へ母体搬送された。 経験したので報告する。 l ampsi aや 当科搬送時の所見では,Pre-ec 甲状腺機能亢進症に特徴的な症状をはじめ, 症 例 自覚症状は特になかった。身長 157cm, 体重 患 者:26 歳の主婦 48 kgと痩せ形で,非妊時からの体重増加は 3 家族歴・既往歴:特記事項なし。 kgと少なめであった。内診では,子宮口は閉 妊娠分娩歴:1 妊 0 産 脈 鎖していた。血圧は 180/90 mmHgと高く, 現病歴:平成 10 年 11 月 6 日から 7 日間を 拍数は毎分 90 回と軽度の頻脈であった。 最終月経として妊娠が成立し,近医にて妊婦 NST で は acceleration お よ び variability 健診を受診していた。妊娠 16 週より軽度の ともに不良でnonreactiveであった (図 2)。 高血圧がみられていたが, 妊娠 25 週には血圧 胎児推定体重は 900g で−1.5 SD であり,臍 180/90 mmHg程度に増悪し , 尿蛋白および 帯動脈 RIならびに子宮動脈 RIは異常高値 軽度の浮腫も認めたため,前医となった某総 であった。しかし,胎動は良好で羊水量も正 ― 6 ― 第 14 巻第1号,1999 年 青森臨産婦誌 図 1 前医の入院経過 図 2 当科搬送時のNST 常であり,BPS は短時間で 8 点となった。以 早速,当院内分泌内科に診察を依頼したとこ 上の所見からは,胎児胎盤循環不全による慢 ろ,甲状腺は触診にて著明な腫大はないがパ 性低酸素症はあるが,まだ顕性の胎児仮死で ワードプラ法で豊富な血流を認め,甲状腺機 はないと推定した。血液検査所見では尿酸が 能亢進症と診断された。後日到着した結果で 9.4 mg/dlと高値であったが,その他は血算・ は,TSHレ セ プ タ ー 抗 体 の 結 合 阻 害 率 も 生化学検査・AT-Ⅲ を含む凝固検査などに異 42.6 %と異常高値であった。 常はなかった(表 1)。 当科での経過(図 3 )は,前医でのアプレ 妊娠中毒症のわりには脈圧が高く,また頻 ゾリン・マグネゾールを継続して投与し,甲 脈もみられたため,甲状腺機能検査も緊急に 状腺機能亢進症に対してメルカゾールを 1 日 freeT3: 追加して行ったところ,数時間後に, 安静にも関わら 30mgにて開始した。しかし, 10.7pg/ml,free T4:3.7 ng/dl,TSH:<0.01 ず血圧がさらに 200/80 mmHg,脈拍 110 回 / μIU/mlと異常高値であることが判明した。 分と増悪するため,βブロッカーであるイン ― 7 ― 第 14 巻第1号,1999 年 青森臨産婦誌 表 1 入院時の検査成績 図 3 当科入院後の経過 デラルを 1 日 30 mgで追加した。増悪傾向が の所見はその後も改善はなかったが,BPS は 認められたのは,前医で投与されていたセロ l beingは,NSTの 良好であった。fetal wel ケンを当科では当初投与しなかったためだと 所見に悪化がない限りBPSを毎日行い評価 思われた。前医にて降圧剤に抵抗した高血圧 することにした。 は,メルカゾールおよびインデラルの投与に 一方,腹緊が出現するようになったため, より最高血圧は 140 から 160 mmHgの間に 前医から継続投与していたマグネゾールを次 なり,脈拍も 80 ∼ 90 回 / 分に安定した。甲状 第に増量した。しかし, 妊娠 28 週 4 日となり 腺ホルモンも約 1 週間位で軽度亢進程度まで 子宮収縮が増強し陣痛様となり,CTGで前日 下降した。 までとは異なり明らかな late deceleration 胎児については,NSTでは non reactive が出現した。また,臍帯動脈血流の途絶を認 ― 8 ― 第 14 巻第1号,1999 年 青森臨産婦誌 図 4 臍帯動脈の途絶(妊娠 28 周 4 日 ) め(図 4),胎児仮死と診断して緊急帝王切開 今回の症例は,妊娠初期には甲状腺機能亢 にて分娩となった。術後経過は良好で,降圧 進症が診断されておらず, 妊娠 24 週の時点で 剤も不要となり退院となった。甲状腺機能亢 高血圧以外に尿蛋白および浮腫も認め前医紹 進症の治療は,前病院内科にて引き続き行わ 介入院となった。数日で尿蛋白および浮腫は れることとなった。 軽快したものの,治療に抵抗性の高血圧を認 児 は 出 生 体 重 1,076gの男児で APGAR め胎児仮死も疑われたため当科へ母体搬送と は 4/8 点であった。直ちに当院 NICU入院と なった。当科入院時は,収縮期血圧に比べ拡 なり,集中管理が行われた。児はRDS Ⅳ度で 張期血圧の高くない高血圧および頻脈を認 あったが,治療に対して良好に反応し,特に め,検査にて甲状腺機能亢進症と判明した。 新生児甲状腺機能異常は認めなかった。生後 症状は特徴的でなく妊娠中毒症も混在してい 6 ヶ月に体重 3,200 gで特に大きな問題もな たが,早急に診断でき治療を開始することで く退院となった。 妊娠期間の延長を図ることができた。甲状腺 機能亢進症では血圧上昇を認め,妊娠中毒症 考 察 との鑑別が困難となることがあり,見逃すこ 甲状腺機能亢進症は,母体に対し流早産・ とがある2)。特に未治療の場合には,重症化し 妊娠中毒症・出血傾向等が増加し,胎児に対 甲状腺クリーゼへと進行することがあり注意 しては先天奇形・IUGR・甲状腺腫などの異常 しなければならない。 甲状腺機能亢進症では, 頻度が増加するとされている。特に,妊娠中 収縮期血圧が高値でそれに比し拡張期血圧は 毒症発症頻度は 7 ∼ 40 %と報告により差が 高くなく脈圧が増大しており,頻脈・発汗・ ある。これは,特にコントロール不良の甲状 振戦等の特有の症状があり鑑別可能である。 腺機能亢進症の場合に血圧を上昇させ,混合 しかし,今回のように血圧以外の症状がほと 型妊娠中毒症とするか甲状腺機能亢進症の症 んどなく,妊娠中毒症が合併した場合には甲 状と考えるか,境界が曖昧であるためと思わ 状腺機能亢進症の診断が困難となり注意が必 れる。甲状腺機能亢進状態で抗甲状腺剤によ 要である。 る治療を必要とする症例では,寛解状態であ 治療は,抗甲状腺剤が第一選択となる。し っても高率に妊娠中毒症の発症を認める。そ かし,未治療の場合にはクリーゼに進行する のうえ,コントロールされていない症例では, 危険があり,妊娠中であっても短期間で甲状 さらに増加し特に重症妊娠中毒症は約 5 倍に 腺機能を調節し高血圧・動悸などの交感神経 なったとの報告 1) もあり,正常妊婦に比べて 症状の治療としてβ - ブロッカーの投与も必 間違いなく発症率は高いと思われる。 インデラルを追 要 3)となる。今回の症例でも, ― 9 ― 第 14 巻第1号,1999 年 青森臨産婦誌 加することにより高血圧・頻脈をコントロー たため,胎児の評価に大変苦慮したが,BPS ルし,妊娠期間の延長をはかることができた。 でfetalwellbeingを評価した。母児の予後 未治療で診断がついていない甲状腺機能亢 は,現在のところ良好である。 進症合併妊娠では,血圧が上昇し妊娠中毒症 との鑑別が困難となる場合がある。妊娠中に 高血圧を認め脈圧が高く治療に反応しない場 合には,甲状腺機能亢進症を疑う必要がある。 ま と め 本症例の妊娠中毒症発症の原因としては, 未治療の甲状腺機能亢進症が関与していたと 考えられた。しかし,搬送後に甲状腺機能亢 進症の治療を早急に開始できたため,母体に より安全な状態で妊娠期間が延長できたと思 われた。また,NST がnon reactiveであっ ― 10 ― 文 献 1)豊田長康,永田光英. 合併症妊娠の管理に関す る研究.厚生省心身障害研究 妊産婦死亡の 防 止 に 関 す る 研 究.平 成 9 年 度 研 究 報 告 書 1997;91-94 2)永田光英,豊田長康.発症,重症化と糖尿病,甲 状腺機能亢進症の合併.臨婦産 1997;51: 266-268 3)桑原惣隆,福間秀昭,星本和倫,鄒 麗.妊 娠 合 併 甲 状 腺 機 能 亢 進 症.産 婦 人 科 の 実 際 1994;43:1079-1083
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