浅間火山,応桑岩屑なだれ堆積物のテフラ層序

日本大学文理学部自然科学研究所研究紀要
No. 38 (2003) pp. 55 - 64
浅間火山,応桑岩屑なだれ堆積物のテフラ層序
竹本
弘幸 1)・久保
誠二
2)
Tephrostratigraphy of the Ohkuwa Debris Avalanche Asama Volcano, Central Japan
Hiroyuki TAKEMOTO and Seiji KUBO
(Received September 30, 2002)
On the view point of tephrostratigraphy, the deposition of the Okuwa debris avalanche (OkAV) of
Asama volcano is estimated to have been occurred at about 23ka, concurrently with the eruption of Itahana
brown pumice (BP-4). The OkAV and its secondary mud flow rushed down along the Agatsuma and Tone
rivers and buried them with thick mud and debris, which resulted in the rise and stabilization of riverbeds;
following lateral erosion of these rivers brought about the formation of wide valleys, natural levees and terraces. Thus formed terraces are called here the volcanic-accumulated terrace or volcanic-controlled terrace, which is distinguished from the climatic terrace constructed by the deposition in interglacial epoch
and erosion in glacial epoch.
1.
相当層である(早田,1995;早川,1995;竹本・久保,
はじめに(浅間火山の形成史と周辺地形の概要)
1995 など)。本稿では,この堆積物を応桑岩屑なだれ
長野・群馬両県境に位置する浅間火山は,成層火山
堆積物(OkAV)と呼ぶ。
の黒斑山,前掛山,中央火口丘の釜山,溶岩円頂丘の
黒斑期のテフラについては,竹本・久保(1995)に
石尊山,小浅間山からなる。その活動の時期は,火山体
よれば,牙・剣ヶ峰・三尾根グループの成層火山体主部
の盛衰から黒斑期,仏岩期・軽石流期,前掛期に区分
を構成する噴出物(荒牧,1968)にほぼ相当するもの
されている(荒牧,1968,1993;荒牧ほか,1990;中沢
を古期黒斑期のテフラ,仙人グループの噴出物に相当
ほか,1984)。
するものを新期黒斑期のテフラにそれぞれ分類されて
黒斑期は,およそ 10 万年前頃(守屋,1983)より
いる。
火山活動を開始してから室田軽石層(MP)・板鼻褐色
浅間火山北麓を東流する吾妻川は,嬬恋盆地から吾
軽石層群(BP・F)をもたらした噴火や溶岩の流出に
妻渓谷を経て中之条盆地に入り,渋川市北方付近で利
より成層火山が形成された後,山体崩壊により山頂部
根川に合流して,関東平野に流入している。流域には,
を含めて山体の半分近くを失った時期である。この堆
複数の火山が分布しており,これらの活動によって吾
積物は,分布する地域によって応桑・中之条・塚原・
妻川はたびたび影響を受けている河川である(図 1 )。
塩沢・前橋泥流(新井,1962;荒牧,1968 など)と呼ば
浅間火山の活動では,岩屑なだれ・火砕流・泥流を流
れているがいづれもテフラ層位から同一層およびその
下させていることから,合流する利根川水系の諸河川
1)Department of Geosystem Sciences, College of Humanities
and Sciences, Nihon University: 3-25-40, Sakurajousui,
Setagaya-ku Tokyo 156-8550 Japan
2)Faculty of Engineer, Gunma University; Kiryu, Tenjin-cho
1-5-1, 376 - 8515 Japan
1)日本大学文理学部自然科学研究所研究員
〒 156 − 8550 東京都世田谷区桜上水 3−25−40
2)群馬大学工学部
〒 376 − 8515 群馬県桐生市天神町 1−5−1
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─
(1)
竹本 弘幸・久保 誠二
草津白根
四阿
浅間
BP-7
BP-6
火山灰互層
BP-5
応桑岩屑なだれ
新
赤城
榛名
期
黒
BP-4
軽石流
・
図 1 調査位置
(烏川・碓氷川・鏑川など)にも影響を及ぼしている
ものと推定される。
斑
BP-3
軽石流
BP-2
軽石流
BP-1
期
火砕流
室田軽石層
本報告では,はじめに山麓に分布する新期黒斑期の
テフラの記載を通じて,黒斑期末期に発生した岩屑な
だれ堆積物の詳細な層位について明らかにする。次に,
図 2 新期黒斑期テフラ(AT 以降)
(★印は斜交層準)
各地の岩屑なだれおよび相当層の記載から,吾妻川を
通じて流下した堆積物が,周辺諸河川の地史にどのよ
灰色と灰色の火山礫,赤褐色と赤紫色岩片を伴うク
うな影響を及ぼしたか明らかにしたい。
リーム色の軽石→発泡の良い白色軽石→桃色軽石を含
2.
む粗粒軽石(最大粒径 80 mm)と変わり,上方に細
新期黒斑期テフラの記載
粒化しながら灰青色岩片を含む軽石へと変化してい
新期黒斑期テフラ(YK− 1〜11)約 2.4〜2.2 万年
く。最上部には溶結した黒色スコリア質火山砂の中に
円磨された黄白色粗粒軽石(最大粒径 35 mm)が点在
新期黒斑期テフラ層は,竹本・久保(1995)によれ
ば,斜交層準を基準にすると AT 降下後,約 1,000 年
しており,火砕流の噴出があったものと推定される。
後に南東方向に降下主軸を持つ室田軽石(MP:YK−1)
浅間火山から南東方向に分布の主軸を持っており,埼
の噴出から始まり,4 枚の BP 軽石の噴出→山体崩壊
玉県北部で板鼻褐色軽石層(BP)と呼ばれていたテ
→ BP 軽石→細粒軽石と火山灰互層→ 2 枚の BP 軽石
フラ(新井,1962)に相当する。
で活動を終了している。浅間山麓では,山体崩壊物
YK− 2,3 は,層厚 5 mm〜2 cm の白色ガラス質火山
(YK−8)を除く降下火砕物の全層厚は 8.4 m で,確認
灰で数 mm〜1 cm 前後の黒曜石片を多く含む。この
できる降下テフラは 10 枚にのぼる(YK− 1〜11)。こ
テフラ層は,安中地域の泥炭層中でのみ確認でき,風
のテフラ層序(図 2 )の概略を以下に記載する。
成テフラ層中で見ることはできない。
YK− 1 は,室田軽石層(MP)と呼ばれるテフラ層
YK− 4 は,板鼻褐色軽石層− 1(BP− 1 )と呼ばれる
で層厚は 1.5〜 2 m あり,少なくとも 10 枚の降下ユ
テフラ層で,層厚 40〜60 cm の逆グレーデイングした
ニットから構成されている。下位より,発泡の悪い緑
やや発泡の悪い白色軽石と紫灰色の石質岩片からなる
(2)
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─
浅間火山,応桑岩屑なだれ堆積物のテフラ層序
(最大粒径 50 mm)。このテフラは,北東方向に主軸を
褐色細粒火山灰の薄層が挾まれ若干の時間間隙か噴火
持ち下部には細粒火山砂を伴っている。風化が進むと
の消長があったものと推定される。3 枚目の部層最上
赤鉄鉱色に変化する。赤城火山南西麓から藤岡市にか
部は 4 枚の細粒火山灰からなり,その上に黒斑火山の
けて YK− 2〜4 はほとんど認められず MP 上位の風化
山体崩壊物(岩屑なだれ堆積物)が重なる。
火山灰からなる暗色帯となっている。赤城山から藤岡
YK− 8 は,層厚 10 m+ の岩屑なだれ堆積物で,南麓
市にかけて AT,MP の上位で旧石器が多産する(軽
では塚原・塩沢,北麓では応桑岩屑なだれ(OkAV)
・
部,1994)のは,このテフラの上下の層位である。
中之条泥流,下流域では山体崩壊物の占める割合より
YK−5 は,板鼻褐色軽石層− 2(BP− 2 )と呼ばれる
も流域の物質を多く取り込んだ火山泥流となり前橋泥
テフラ層で,層厚 112 cm で発泡の良い黄白色粗粒軽
流と呼ばれている(新井,1993)。OkAV の分布を図 3,
石(最大粒径 70 mm)と細粒軽石,青黒色溶岩片を
崩落した黒斑山火口壁を写真 1 に示す。
含む 4 部層,少なくとも 14 枚の降下ユニットから構
この堆積物の層位は,長野新幹線軽井沢駅東の工事
成される。下位より 3, 5, 13 のユニットには,火砕流
露頭において,テフラ層中に薄く挾まる様子が観察で
起源と推定される円磨された粗粒軽石が黄褐色細粒火
きた(竹本,1996)。ここでは,黒斑火山東にあたる国
山灰層中に挾まれている。また,最上部には青黒色粗
境平付近を噴出源とする灰黒色の白糸火砕流(荒牧,
粒溶岩片を多量に含み上位に 4 cm の褐色風化火山灰
1968)のブロック,黒斑火山溶岩・赤紫色スコリア・
層が認められる。このような層相からは,軽石噴火中
桃色軽石などが観察され,下位のテフラ層を削らず整
に頻繁に火砕流の発生があったことや徐々に活動を終
合に堆積していることから,岩屑なだれ堆積物の末端
息して休止期となったと推定される。
縁辺部と考えられる。なお,YK−8 は,単独のテフラ
YK− 6 は,板鼻褐色軽石層− 3(BP− 3 )と呼ばれる
番号を付けているが,上下に挾まれるテフラ層のいず
テフラ層で,層厚 20 cm で発泡の良い黄白色細粒軽石
れにも有意な時間間隙を伴う風化火山灰層が認められ
層(最大粒径 30 mm)からなり,上位に 3 cm の褐色風
ないことから YK− 7,8,9 a,b(BP− 4〜BP− 6)は,一
化火山灰層が認められる。
連の噴火活動によって噴出したものと考えることがで
YK− 7 は,板鼻褐色軽石層− 4(BP− 4 )と呼ばれる
きる。この OkAV に含まれる木片の 14 C 年代は,塚原
テフラ層で,層厚 126 cm で発泡の良い黄白色細粒軽
において 2.3〜2.2 万年前(樋口,1989),前橋におい
石層で 3 枚の部層,11 枚の降下ユニットからなるテフ
て 2.4 万年前(新井,1967)という測定値がある。
YK−9 a は,板鼻褐色軽石層− 5(BP−5 )と呼ばれる
ラである(最大粒径 65 mm)。1,2 枚目の部層上には黄
図 3 応桑岩屑なだれ堆積物(OkAV)および相当層の分布 露頭位置(× 1 〜 7)
─
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─
(3)
竹本 弘幸・久保 誠二
テフラ層で,層厚 144 cm の発泡の良い黄灰白色粗粒
3.
軽石で 4 枚の降下ユニットで構成されている。粒径
各地の応桑岩屑なだれ(OkAV)を覆うテフラ
各地の OkAV と相当層の分布・観察地点を図 3 に,
10 cm をこえる桃色軽石や黄白色軽石,このほか青黒
色や赤紫色の火山岩片などが含まれ,上方にいくにし
柱状図を図 4 に示す。
たがって岩片量が増加する。9 a は,岩屑なだれ堆積
① 軽井沢駅東(Loc.1):写真 2
本露頭は,長野新幹線工事に関連して現われたもの
物を直接に被うテフラ層で大きな時間間隙はない。こ
で,矢ケ崎山の凝灰岩を不整合に覆う AT 以上のテフ
の軽石は東方向に降下している。
YK−9 b は,層厚 140 cm の発泡の良い橙色細粒軽石
ラとこれに挾まる応桑岩屑なだれ堆積物(OkAV)が
(粒径 3 〜 7 mm)と遊離結晶鉱物 (斜方輝石・磁鉄
観察できた(竹本,1996)。この OkAV は,分布地域
鉱)主体の火山砂の薄層(層厚 3 cm 前後)の 40 数枚
によって塚原・塩沢・中之条・前橋泥流と呼ばれた
前後のテフラ互層から構成されている。火山灰の特徴
が,いずれも同一のものである(早田,1995 ;早川,
からは,9 a 軽石の噴出後,小規模なテフラを間欠的
1995 ;竹本・久保,1995)。本露頭の堆積物中には,群
に吹き上げるような活動に移行したものと推定され
馬・長野県境国境平付近より噴出した灰黒色ガラス繊
維状に発泡した白糸火砕流(荒牧,1968)起源のブ
る。
YK−10 は,板鼻褐色軽石層− 6(BP−6 )と呼ばれる
ロックが多数含まれており,BP− 4 を覆い,BP− 5 以
テフラ層である。層厚 65 cm の発泡の良い橙色粗粒軽
上のテフラに覆われていた(図 4 − 1)。
石層(最大粒径 60 mm)と青黒色溶岩片を多量に含む
② 一ノ字山南東(Loc.2)
2 部層,9 枚の降下ユニットで構成されるテフラ層で,
上位の YK−11 とは層厚 6 cm の褐色軽石質火山灰層で
一ノ字山南東の熊野神社北側の露頭では,基盤岩を
不整合に覆って,層厚 120 cm の BP−5(YK−9 a)以上
限られる。青黒色溶岩片が多量に含まれることは,マ
のテフラが観察できた(図 4 − 2)。BP− 5 上位に重な
グマが上昇した際に火口付近で冷やされ固まったもの
る YK− 9b(層厚 140 cm)の主体は,橙色細粒軽石と
が再び吹き飛ばされたものか,火道にあった岩石を引
斜方輝石・磁鉄鉱からなる遊離重鉱物による薄層(40
き剥がしてきた可能性が高い。
数層)の互層で構成され,上位に重なる BP− 6(YK−
YK−11 は,板鼻褐色軽石層− 7(BP−7)と呼ばれる
10)との間には有為な時間間隙を示す風化火山灰は認
テフラ層である。層厚 85 cm の発泡の良い橙色粗粒軽
められない。一方,この上位には,6 cm の風化火山
石層で 3 部層,
11 枚の降下ユニットで構成されている。
灰を挾んで,中程に細粒軽石と火山砂の互層を挾む層
2 枚目の部層上部には,細粒火山砂を伴う軽石互層が
厚 75 cm の BP−7 が堆積しているのが観察できた。
挾まれており,本層の識別に役立つ。このテフラは,
③ 浅間大滝(Loc.3):写真 3
白糸の滝・榛名山東麓漆原(Loc. 6 )において,白糸
本露頭は,長野原町北軽井沢栗平から二度上峠へ
の滝軽石(SP:木崎ほか,1971)の下位に認められる。
向かう県道脇の浅間大滝の駐車場背後にある(竹
本・久保,1995)。この地点の岩屑なだれ堆積物には,
上記テフラの岩質は,いずれも両輝石安山岩質であ
る。新期黒斑テフラ層の堆積期間は,約 2.5 万年前の
黒斑山火口付近に降下堆積したと推定される強溶結
AT の上位に風化火山灰土を挾み室田軽石層(MP)
凝灰岩(写真 4)や黒斑山溶岩類・軽石流などの巨大
が重なり,BP− 7(YK− 11)の上位を約 2.1 万年前の
ブロックが含まれている。これを覆って,板鼻褐色
雲場軽石流(Kb)が覆っている(中村ほか,1997)こ
軽石層群上半部(BP − 5 〜7)以上のテフラが堆積し
とから,およそ 2〜3 千年間前後と短かいと考えられ
ている。層厚 25 cm の風化火山灰を挾んで約 2.1 万年
る。とりわけ,旧石器文化層が発見される BP−1 直上
前の離山火山起源の雲場軽石(Kb :辻ほか,1984),
の土壌層以降,BP−3 までは上位を覆う風化火山灰層
小浅間に先駆した(荒牧,1968)と考えられる白糸
から若干の時間間隙はあるものの,BP− 4 以降 BP− 6
の滝軽石(SP),橄欖石を多量に含む玄武岩質スコリ
までは,有為な時間間隙を示す風化火山灰が認められ
アと縞状軽石(大滝第 1・第 2 スコリア: OtS − 1・2)
ないことから,爆発的でほぼ連続的な活動が起こって
などの仏岩期に噴出したテフラに覆われている(図
いたと推定される。
4 − 3)。
(4)
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浅間火山,応桑岩屑なだれ堆積物のテフラ層序
火砕流
軽石流
火山灰
互層
陣馬
岩屑なだれ
埋没樹幹
泥炭層
埋没
樹幹
花崗岩
礫
円礫
前橋泥流
シルト岩
(湖成層)
樹木片
斜交不整合
応桑岩屑なだれ堆積物
基盤
不整合
図 4 各地の応桑岩屑なだれ堆積物(OkAV)を中心としたテフラ柱状図
─
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─
(5)
竹本 弘幸・久保 誠二
に続く(図 3 )。
④ 中之条町役場脇(Loc.4):写真 5
吾妻川左岸の攻撃斜面側の中之条面(Nk)上には,
⑤ 吹屋(Loc.5):図 4 − 5
層厚 5〜20 m の堆積物から構成された数多くの「流れ
吹屋では,下位より 6.4 m の段丘礫層,3.8 m の応桑
山」地形が認められる(新井,1962 など)。流れ山の
岩屑なだれ起源の泥流,5 cm の泥層を挾んで BP− 7
断面は,紫灰色〜青灰色の安山岩の巨大な固まりのブ
が 20 cm,10 cm の風化火山灰層を挾んで SP が 45 cm
ロックで構成され,ジグソーパズルの様に幾つにも割
堆積している。
れている(写真 5 )。上部には花崗閃緑岩の河成礫が
ここで注目されるのは,OkAV から変わった前橋泥
含まれていることから,OkAV が流下中に河床礫や段
流(MMf)が礫層上に堆積し,もう 1 段高い約 6 万
丘礫などを巻き込んできたものと推定される。流れ山
年前の吹屋原の段丘(竹本,1998)上にも乗り上げて
は,層厚 30 cm の BP 軽石層群の上部層(BP− 5〜7)
いる点である。堆積の広がりをみると,利根川を逆流
に覆われている。この段丘面より 1 段低い伊勢の森神
して子持村長坂上の段丘に乗り上げ,先端は上安城付
社脇では,岩屑なだれ堆積物を少し削り込む形で河成
近まで達している(図 3 )。長坂上の段丘では,河岸
礫が 60 cm ほど堆積し,この中に BP−7 が挾まり,上
に沿った微高地で畑または桑畑となっている。現在の
位を白糸の滝軽石層(SP),草津黄色軽石層(YPk)
利根川合流点からは,6 km 以上逆流したことになる。
などのテフラが覆っている。対岸の植栗側の吾妻河畔
さらに,下流では利根川との合流点から前橋付近の利
の崖にも同様の堆積物がみられる。植栗では,OkAV
根川河床にかけて堆積しているのが確認されている
(新井・矢口,1994)。
のため河岸に近い方に高まりをつくり,山側の土地が
低くなっていることがわかる(図 5 )。低い山側が水
中之条盆地周辺までは大きな安山岩のブロックが多
田,高い河川沿いが畑や桑畑になっており,岩屑なだ
く,岩屑なだれの様相を示すが,渋川以南の利根川流
れ堆積物の有無によって土地利用が制約されている。
域では,周囲から取り込んだと考えられる円礫,樹木
この堆積物を上流に追跡していくと吾妻渓谷の両岸に
片,中之条湖成層由来と考えられるシルト岩ブロック
分布しており,浅間山麓の応桑岩屑なだれ(OkAV)
などが中心に観察され,火山泥流の層相に変わる。
⑥ 漆原(Loc.6):図 4 − 6;写真 6
この露頭では,OkAV から変わった前橋泥流(MMf)
の起伏を埋めて粘土層・泥層が重なり,上位に BP − 7,
SP などが堆積している。さらに 5 cm 前後の泥炭層を
挾んで,榛名火山相馬山起源の陣場岩屑なだれ
(JAV)が 10 数 m の厚さで堆積している(竹本・久保,
1995)。
⑦ 烏川下流,高崎台地のテフラ(Loc.7)
烏川左岸(高崎: Loc.7)では,前橋泥流(MMf)が
現河床下(標高 75 m 付近)にも確認され,この上位
の泥炭層中に BP−7 ・雲場軽石(Kb),これを覆って
約 1 万年前の高崎泥流(TkMf)が 5 m の層厚で堆積
している(新井・矢口,1994)。TkMf は,新井(1962)
の岩鼻泥流に相当する。
応桑岩屑なだれ
OkAV
(中之条泥流)
4.
応桑岩屑なだれ流下以降の湖水準・河床変動
応桑岩屑なだれ(OkAV)の流下が周囲の古環境の
鎌原岩屑なだれ
変遷(第四紀地史)に与えた影響について検討するた
め,前項で記載した数地点で,浅間火山起源の OkAV,
図 5 吾妻川河畔の応桑岩屑なだれ堆積物の分布
(6)
榛名火山の相馬山起源の陣馬岩屑なだれ(JAV),九
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浅間火山,応桑岩屑なだれ堆積物のテフラ層序
十九川上流起源の高崎泥流(TkMf)の流下による河
坦面は,寒冷化に伴う河川掃流力の低下によって引き
床変動図を作成した(図 6 )。縦軸は,その地点の堆
起こされる気候性の埋積による地形と区別し,火山性
積物の基底や堆積面の高度,横軸は,既存のテフラ年
の埋積(堆積段丘)の例と考える(竹本,1999)。
吾妻川中流の中之条盆地では,OkAV の流下の影響
代を示す。作成地点は,軽井沢駅(Loc.1)の南西
2 km の成沢周辺,中之条町役場周辺(Loc.4),子持
により 30〜40 m の急激な河床上昇が認められる(図
村吹屋(Loc.5),吉岡漆原(Loc.6),高崎市烏川河畔
6 )。岩屑なだれの堆積面および若干削剥した低位段丘
面上においても,上位を覆う砂層直上に約 1.9 万年前
(Loc.7)の計 5 箇所である。
南軽井沢での OkAV の層厚は 25 m あり,一帯に多
の白糸の滝軽石(SP)が認められることから,およ
数の「流れ山」地形が認められる(宇野沢・坂本,
1972)。OkAV が認められない八風山側の地域では,
そ数千年の間河床が安定していたものと推定される.
一方,吾妻川下流の利根川合流点付近でも 40 m 近
植物片を含む砂層・シルト層が厚く堆積している(宇
い河床の上昇が認められ(図 6 ),約 6 万年前以降に
野沢・坂本,1972)。航空写真判読でも北側の「流れ
段丘化した上位段丘に乗り上げ,利根川上流 6 km に
山」の高度より南の平坦地の方が低いことから,山体
わたって逆流する現象が認められた
(図 3:竹本・久保,
崩壊が南軽井沢湖成層(荒牧,1968)の発生と堆積の
1995)。しかし,下位に発達する貝野瀬Ⅲ面(Ka − III)
主因と考えられる。岩屑なだれの発生は,テフラ層位
の礫層中には SP が認められることから,上流の中之
から,14 C 法で約 2.3 万年前の BP−4 の噴火中である。
条盆地より速く下刻が始まったと考えられる(竹本,
OkAV 堆積直後には湖水の発生は認められるが,大量
1998)。これは,OkAV がこの付近では流木や泥,中
の岩屑と周囲から流れ込む水系が乏しかったため,水
之条湖成層由来のシルト岩ブロックなどの外来物質を
深は浅かったものと推定される(竹本,1999)。
多量に含む泥流(前橋泥流: MMf)に移り変わって
OkAV 流下から雲場軽石流(Kb)の噴火までのお
いたことやその後の利根川の流水量が上回ったことに
よそ数千年間には,若干の排水と水位低下が認められ
よると推定される。下流の漆原では,関東平野に向い
る(図 6 )。雲場軽石流の流下以降も,南軽井沢周辺
河床勾配がさらに緩くなっている。このため,OkAV
で厚い泥炭層・炭質泥層の堆積が認められた(辻ほか,
から変わった泥流起源の大量の土砂堆積により,およ
1984)。約 1.3 万年前の板鼻黄色軽石層(YP)の降下
そ 5 千年間にわたって河床が安定する現象が起こって
直前には,埋没林がたった状態で埋もれているのが観
いる(図 6 )。漆原では,引き続き相馬山起源の陣馬
察できる(辻ほか,1984 ;中村ほか,1997)ことから,
岩屑なだれ(JAV)の埋積(新井・矢口,1994)を受
軽石流の流下前の時代(1.5〜1.4 万年前)に水位の低
け,再び河床の上昇がおこり,YP(1.3 万年前)降下
下が見られた。しかし,第 1 軽石流の流下に伴い,炭
頃まで河床の低下は起きていない。この結果,MMf
質泥層の堆積が見られることから再び水位の上昇・安
と JAV の流下は,利根川を約 1 万年間埋積・安定さ
定が繰り返されたと推定される。その後,総社軽石
せる現象を引き起こしたと推定される。下流の烏川左
(S j P)の降下直前(1.15 万年前)に広範囲に斜交層
岸の高崎台地でも前橋泥流の上位に高崎泥流(Tk)
準が認められることから,再び水位の低下があり,総
が累重しており,長期間の埋積による河床上昇が認め
社軽石(S j P)に伴う第 2 軽石流の流下以降は,ヒプ
られる(図 6 )。
シサーマル期も含めて湿原状態を維持しており,浅間
このような現象は,烏川に合流する碓氷川・鏑川の
C 軽石以降に排水されている(辻ほか,1984)。この
河床変動にも大きな影響を与えている。両河川ともに
ような現象は,火山活動が引き金となり発生した水位
山間地から丘陵を流れる河川でありながら,低位の段
上昇と堆積である。
丘や氾濫原が河川流域に対して異常に広い特徴を持っ
ている(図 3 )。これは長期間の河床安定の影響で,
浅間火山は,OkAV 以降にの火山活動(仏岩期・前
掛期)を通じて,雲場川下流へ長期間にわたり数多く
側刻作用が強く現れたことによると推定される。鏑川
の火砕流を供給しており,このことが南軽井沢地区の
では,河川中流付近まで自然堤防の発達と後背湿地が
埋積の繰り返しを引き起こし,現在の高原状の平坦地
見られることも同様の理由と考えられる(竹本,
を形成したものと推定される。このような埋積性の平
1999)。
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61
─
(7)
竹本 弘幸・久保 誠二
南軽井沢(成沢付近)
藤岡では,台地を構成する扇状地礫層の上位とこれ
を覆う BP や YP の上位に粘土が認められ,藤岡粘土
層と呼ばれている(新井,1962)。黒土層中にも多く
の地点で洪水堆積物が挾まっているのが観察されてい
現河床
る(軽部,1994)。この粘土層の形成や堆積,黒土中
に挾まれる洪水堆積物は,テフラ層序の上からも応桑
岩屑なだれ起源の前橋泥流(MMf)・相馬山起源の陣
馬岩屑なだれ(JAV),高崎泥流(TkMf)などの流下
西之条(Loc.4)
による河床の上昇が大きく関与しているものと推定さ
れる。
このように火山体で起きた岩屑なだれ,火砕流など
の火山活動にともなう河床の上昇と埋積,安定化に
よって作られた段丘やコントロールを受けた段丘は,
通常の河川に発達している氷期に掃流力の低下が起こ
り,谷の埋積がすすむ気候性の河岸段丘とは明らかに
異なるものである。
現河床
5.
吹屋(Loc.5)
まとめと今後の課題
新期黒斑期テフラ層の記載から,およそ 2.3 万年前
の板鼻褐色軽石− 4(BP−4 )の噴火中に黒斑火山で山
体崩壊が起こり,応桑岩屑なだれ(OkAV)が発生し
たことが明らかとなった。この OkAV の流下は,周
囲に湖を発生させるに留まらず,河川の上流域で河谷
現河床
の埋積と堆積作用の継続を引き起こした。
中之条面
漆原(Loc.6)
伊勢町Ⅰ面
伊勢町Ⅱ面
貝野瀬Ⅲ面
低位面
現河床
応桑岩屑なだれ
前橋泥流)
雲場軽石流
陣馬岩屑なだれ
高崎泥流
元総社ラハール
高崎(Loc.7)
現河床
火山性堆積段丘
火山コントロール段丘
図 6 応桑岩屑なだれ(OkAV)流下以降の湖水準・河床変動
(8)
─
62
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浅間火山,応桑岩屑なだれ堆積物のテフラ層序
次に,吾妻川から利根川へ流下し,本流に合流する
崩壊の過程やメカニズムについて検証することは出来
周辺諸河川に対しても河床勾配を変化させ,長期的に
なかった。今後,岩屑なだれに含まれる黒斑火山の山
河床の安定を引き起こした。その結果,合流する支流
体構成層と軽石流ブロック,国境平付近を噴出源とす
河川では側刻作用が継続され,広い河谷の形成と中流
る白糸火砕流堆積物の層位と混入割合を検討すること
域にまで自然堤防を発達させた。
で,これらの過程を明らかにしていきたい。
このような事実から,火山活動に伴って引き起こさ
れた河谷の埋積現象を示す前者を火山性堆積段丘,長
謝辞
本稿の主要部分は,名古屋大学の中村俊夫先生との共同
研究の成果によるところが大きい。群馬大学名誉教授の新
井房夫先生,日本大学の荒牧重雄先生,高橋正樹先生,茨
城大学の天野一男先生には,日頃から暖かいご指導を頂き
ました。ここに記して感謝の意を表わします。
期にわたる側刻作用や河床の安定をもたらす後者を火
山コントロール段丘の事例と考える。
本報告では,OkAV のテフラ層位の検討と流下の影
響について,若干の知見を得ることが出来たが,山体
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(9)
竹本 弘幸・久保 誠二
写真 1
釜山から見た黒斑火口壁(北側)
写真 2
板鼻褐色軽石層群に挾まれる応桑岩屑なだれ
(OkAV)
:軽井沢駅東工事露頭
写真 3
応桑岩屑なだれ(OkAV)を覆う BP と仏岩期以
降のテフラ:浅間大滝
写真 4
OkAV 中に含まれる強溶結凝灰岩(アグルーチネ
イト)
:浅間大滝
写真 5
( 10 )
写真 6
前橋泥流(OkAV 由 来 の 泥
流)を覆う BP7 以上のテフ
ラ:吉岡町漆
原
中之条盆地に見られる OkAV の「流れ山」断面:
中之条町役場前
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