10号 史料室だより(PDF2.5MB

第10号 2004年11月3日
題字デザイン 高岸 昇
バラのアーチ 園芸科小平校
花卉の岡見義男先生が、バラの大家鈴木省三氏から贈られた株で仕立てられました(
19
5
7年頃)
1957年頃 岡見義男先生が、バラの大家鈴木省三氏から贈られた株で仕立てたアーチ
イギリスのガーデンを訪ねて
日本の園芸の将来をいま一度思い描くために、河井先生
日本の園芸の将来をいま一度思い描くために、河井先生
その翌日からNorth Yorkshire の Newby Hall、Derbyshire
の Chatsworth Garden、South Cotswold の Barnsley House
がなさったように、イギリスの庭園を巡りながら考えてみ
がなさったように、イギリスの庭園を巡りながら考えてみ
Garden、North Cotswold の Hidcote Manor Garden、London
たいと思った。森山倭文子さんは早速私に、庭園巡りの資
たいと思った。森山倭文子さんは早速私に、庭園巡りの資
の南にある RHS Garden Wisley、Sissinghurst Castle Garden
料を送って下さった。昨年の夏の花の一番美しい季節、胸
料を送って下さった。昨年の夏の花の一番美しい季節、胸
などを巡った。ただし、Barnsley House Garden は改装工事
をときめかせつつ
をときめかせつつ Heathrow 空港に降り立った。何年ぶり
空港に降り立った。何年ぶり
中で庭にも入れず、代わりに Bibury や Burton on the Water
かに見る黄昏れの田園風景は美しかった。小型のメルセデ
かに見る黄昏れの田園風景は美しかった。小型のメルセデ
などを訪れた。このあたりはイギリスでも最も美しいと言
スを駆って
に
スを駆って Cambridge 郊外に一泊し、翌日
郊外に一泊し、翌日 Leicestershire に
われる村や町が、どこもかしこもまるで絵のように点在し
ある
ある Brooks by Melton College
College を表敬訪問した。ここは、
を表敬訪問した。ここは、
ている地方である。
また、Sissinghurst Castle Garden は案内
短期大学の学生たちが毎年夏期実習に行くところである。
短期大学の学生たちが毎年夏期実習に行くところである。
と違って休みだったため、近くの Leeds Castle を見た。中
Ms. Naomi Strachan という花卉装飾の先生がキャンパスを
という花卉装飾の先生がキャンパスを
世風の城館の窓から眺められる庭のバラが、堀の青い水や
案内して下さった。
ここは園芸のほか、
牧畜や水産もある。
案内して下さった。
ここは園芸のほか、
牧畜や水産もある。
白鳥の優美な姿と、美しい景観をなしていた。
園芸は2年制で、
学生数は学年70人ほど、
男女の割合は半々
園芸は 2 年制で、学生数は学年70人ほど、
男女の割合は半々
英国を旅して感じたことは、名だたる庭園や貴族の館ば
という。しかし、非常勤の学生が非常に多くて、数は把握
という。しかし、part-time student が非常に多くて、数は
かりでなく、庶民の家庭やB&Bがみな美しい庭を持ち、
できないようだった。年令層は広いが、主力は
30代で、新
把握できないようだった。年令層は広いが、主力は30代で、
建物や室内のデザインと調和しつつ自然と共生し、高いセ
しいキャリアーを求めて来る学生と、教養として家庭園芸
新しいキャリアーを求めて来る学生と、教養として家庭園
ンスの風景の美しさを創出し、享受していることである。そ
を目的とする者が半々らしい。通いもあれば、宿泊つき短
芸を目的とする者が半々らしい。通いもあれば、宿泊つき
れを支える広範な社会層があり、その多くがシルバー世代
期集中型もあり、寮は男女
10人ずつのユニットが3つあ
短期集中型もあり、寮は男女10人ずつのユニットが
3 つあ
である。そのような美しさを、私は日本にとり戻したい。
る。園芸関係の専任教員は数人のようだが、非常勤教員や
る。園芸関係の専任教員は数人のようだが、非常勤教員や
それは何より心の教育の問題であろう。平和を愛好する若
助手のような人たちがかなり大勢いるようで、教員対学生
助手のような人たちがかなり大勢いるようで、教員対学生
者を育てるには、美しく優しい環境を創造するのが最善で
比は日本の国立大学並みと言える。私立とはいえ公的助成
比は日本の国立大学並みと言える。私立とはいえ公的助成
ある。河井先生の思いもそこにあったのではないか。恵泉
が収入の
70%を占め、残りは結婚式場や、苗の販売などの
が収入の70%を占め、残りは結婚式場や、苗の販売などの
の園芸は、そのような目的意識の中に正しく位置付けられ
事業収入と、農業・漁業団体からの援助とで賄われてい
事業収入と、農業・漁業団体からの援助とで賄われてい
て初めて、すべての人々が共有できる園芸の将来像を持つ
る。学生の授業料に対する依存度はあまり大きくない。こ
る。学生の授業料に対する依存度はあまり大きくない。こ
ことができるようになるのではあるまいかと私は考えた。
のあたりは、日本の私立大学とは全く事情を異にする。
のあたりは、日本の私立大学とは全く事情を異にする。
学園長 大口 邦雄
(学園長 大口邦雄)
1
第3回
河井道勉強会
4本柱のひとつとしての「芸術」をめぐって
リ ス ト 教」「園 芸」
「国際」の3本だけ
で な く、「芸 術」と
いうもうひとつの重
リ ス ト 教」
リス
「園
ト 芸」
教」「園 芸」
要な柱があると話さ
「国際」の3本だけ
「国際」の3本だけ
れた際、Creative Art
で な く、
で
「芸
な 術」と
く、「芸 術」と
という言葉を使われ
いうもうひとつの重
いうもうひとつの重
リ ス ト 教」「園 芸」
た。それを受けて史
要な柱があると話さ
要な柱があると話さ
花の日「みにくいアヒルの子」(1
9
4
6年)
「国際」の3本だけ
料
を紐解いてみる
1.はじめに勉強会の主旨と本稿の内容
4本柱のひとつとしての
「芸術」
をめぐってArt
れた際、Creative
れた際、Creative
れた際、Creative
Art
Art
雄、一色義子、安積力也、松井弘子、服部
出席者:大口邦雄、一色義子、安積力也、松井弘子、服部
出席者:大口邦雄、一色義子、安積力也、松井弘子、服部
で な く、「芸 術」と
卒業生の方々6名をお招きして、河井道勉強会3回目が
と、確かに学園初期の学校案内には「芸術」の教育(Pracという言葉を使われ
という言葉を使われ
という言葉を使われ
み、下田千春、須藤智子、大崎好子、大蔵
伸江、鏑木かすみ、下田千春、須藤智子、大崎好子、大蔵
伸江、鏑木かすみ、下田千春、須藤智子、大崎好子、大蔵
いうもうひとつの重
日時:
2
0
0
4
年7月
2
4
日(火)
1
3
:
3
0
~
1
6
:
0
0
開かれた。会の主旨は、恵泉教育の3本柱キリスト教、
tical
Arts)が他の3つと並ぶ教育の強調点として明記して
た。それを受けて史
た。それを受けて史
た。それを受けて史
営委員、史料室員
浩之、史料室運営委員、史料室員
浩之、史料室運営委員、史料室員
要な柱があると話さ
場所:世田谷キャンパスC棟2階大会議室
(1
花の日「みにくいアヒルの子」
9
4
6年) 花の日「みにくいアヒルの子」
1
9
4
6年)
(1
9
4
6年)
園芸、国際と並ぶ、4本目の柱として創立当初から据え 花の日「みにくいアヒルの子」
あり、19
51年のアメリカの新聞記事にも
Creative (
Art
が恵
料を紐解いてみる
料を紐解
料い
をて
紐み
解る
いてみる
勉強会の主旨と本稿の内容
1.はじめに勉強会の主旨と本稿の内容
1.はじめに勉強会の主旨と本稿の内容
れた際、Creative
Art
出席者:大口邦雄、一色義子、安積力也、松井弘子、服部
られていた「芸術」に焦点を当て、その教育内容と意義を
泉教育の4つの強調点の一つと紹介されていた。
6名をお招きして、河井道勉強会3回目が
卒業生の方々6名をお招きして、河井道勉強会3回目が
卒業生の方々6名をお招きして、河井道勉強会3回目が
と、確かに学園初期の学校案内には「芸術」の教育(Pracと、確かに学園初期の学校案内には「芸術」の教育(Pracと、確かに学園初期の学校案内には「芸術」の教育(Pracという言葉を使われ
伸江、鏑木かすみ、下田千春、須藤智子、大崎好子、大蔵
探ることにあった。そこで今回は、恵泉教育の本質とその
この教育理念は、
「私は人を教育するのに音楽、園芸を
主旨は、恵泉教育の3本柱キリスト教、
開かれた。会の主旨は、恵泉教育の3本柱キリスト教、
開かれた。会の主旨は、恵泉教育の3本柱キリスト教、
tical Arts)が他の3つと並ぶ教育の強調点として明記して
tical Arts)が他の3つと並ぶ教育の強調点として明記して
tical Arts)が他の3つと並ぶ教育の強調点として明記して
た。それを受けて史
浩之、史料室運営委員、史料室員
真価を、「芸術」の教育という新しい視点から捉えなおす
切り離して考えることはできないと思うのです」という河
花の日「みにくいアヒルの子」
1
9
4
6年)Art が恵
並ぶ、4本目の柱として創立当初から据え
園芸、国際と並ぶ、4本目の柱として創立当初から据え
園芸、国際と並ぶ、4本目の柱として創立当初から据え
あり、19
51年のアメリカの新聞記事にも
あり、19
あり、
51年のアメリカの新聞記事にも
Creative
19
51年のアメリカの新聞記事にも
Art
が恵
Creative (
Creative
Art
が恵
料
を紐解いてみる
1.はじめに勉強会の主旨と本稿の内容
井道先生の言葉にも表れており、木造講堂の時代から掲げ
花
術」に焦点を当て、その教育内容と意義を
られていた「芸術」に焦点を当て、その教育内容と意義を
られていた「芸術」に焦点を当て、その教育内容と意義を
泉教育の4つの強調点の一つと紹介されていた。
泉教育の4つの強調点の一つと紹介されていた。
泉教育の4つの強調点の一つと紹介されていた。
卒業生の方々6名をお招きして、河井道勉強会3回目が
と、確かに学園初期の学校案内には「芸術」の教育(Pracの
られている「真善美」の額にも端的に示されている。その
た。そこで今回は、恵泉教育の本質とその
探ることにあった。そこで今回は、恵泉教育の本質とその
探ることにあった。そこで今回は、恵泉教育の本質とその
この教育理念は、
「私は人を教育するのに音楽、園芸を
この教育理念は、
この教育理念は、
「私は人を教育するのに音楽、園芸を
「私は人を教育するのに音楽、園芸を
日
開かれた。会の主旨は、恵泉教育の3本柱キリスト教、
tical
Arts)が他の3つと並ぶ教育の強調点として明記して
志は、芸術関係の学校行事や芸術的感性を育む教育環境と
の
の教育という新しい視点から捉えなおす
真価を、
「芸術」の教育という新しい視点から捉えなおす
真価を、
「芸術」の教育という新しい視点から捉えなおす
切り離して考えることはできないと思うのです」という河
切り離して考えることはできないと思うのです」という河
切り離して考えることはできないと思うのです」という河
劇
園芸、国際と並ぶ、4本目の柱として創立当初から据え
あり、
19
51年のアメリカの新聞記事にも Creative Art が恵
して具現化され、質的にも量的にも高い水準で今日まで維
(
井道先生の言葉にも表れており、木造講堂の時代から掲げ
井道先生の言葉にも表れており、木造講堂の時代から掲げ
井道先生の言葉にも表れており、木造講堂の時代から掲げ
られていた「芸術」に焦点を当て、その教育内容と意義を
泉教育の4つの強調点の一つと紹介されていた。
一
花
花
持されている。芸術や園芸関係科目の指導に当たった教員
九
の
の
られている「真善美」の額にも端的に示されている。その
られている「真善美」の額にも端的に示されている。その
られている「真善美」の額にも端的に示されている。その
探ることにあった。そこで今回は、恵泉教育の本質とその
この教育理念は、
「私は人を教育するのに音楽、園芸を
四
日
日
の名簿や芸術分野で活躍している卒業生の名簿からも、恵
志は、芸術関係の学校行事や芸術的感性を育む教育環境と
志は、芸術関係の学校行事や芸術的感性を育む教育環境と
志は、芸術関係の学校行事や芸術的感性を育む教育環境と
一
の
の
真価を、
「芸術」の教育という新しい視点から捉えなおす
切り離して考えることはできないと思うのです」という河
泉は創立当初から「芸術」を教育の中核に位置付けていた
年
劇
劇
して具現化され、質的にも量的にも高い水準で今日まで維
して具現化され、質的にも量的にも高い水準で今日まで維
して具現化され、質的にも量的にも高い水準で今日まで維
)
(
(
井道先生の言葉にも表れており、木造講堂の時代から掲げ
という事実が把握できる。
花
一
一
持されている。芸術や園芸関係科目の指導に当たった教員
持されている。芸術や園芸関係科目の指導に当たった教員
持されている。芸術や園芸関係科目の指導に当たった教員
の
九
九
られている「真善美」の額にも端的に示されている。その
ための第一歩として、芸術関連の分野で活躍されている卒
4.恵泉における「芸術」と教育
日
四
四
の名簿や芸術分野で活躍している卒業生の名簿からも、恵
の名簿や芸術分野で活躍している卒業生の名簿からも、恵
の名簿や芸術分野で活躍している卒業生の名簿からも、恵
志は、芸術関係の学校行事や芸術的感性を育む教育環境と
の
一
一
では、現在も芸術の分野で活躍する卒業生の方々は、在
業生の方々をお招きし、お話を伺う会として開催した。
劇
泉は創立当初から「芸術」を教育の中核に位置付けていた
泉は創立当初から「芸術」を教育の中核に位置付けていた
泉は創立当初から「芸術」を教育の中核に位置付けていた
年
年
して具現化され、質的にも量的にも高い水準で今日まで維
(
)
)
学中のどのような体験を恵泉の「芸術」の教育と捉え、そ
本稿では、まず勉強会の概要を報告し、次に4本目の柱
という事実が把握できる。 という事実が把握できる。
という事実が把握できる。
一
持されている。芸術や園芸関係科目の指導に当たった教員
れがどのように現在の職業や生活に影響していると考えて
として「芸術」がどのように据えられていたかに関する吉
九
して、芸術関連の分野で活躍されている卒
ための第一歩として、芸術関連の分野で活躍されている卒
ための第一歩として、芸術関連の分野で活躍されている卒
4.恵泉における「芸術」と教育
4.恵泉における「芸術」と教育
4.恵泉における「芸術」と教育
四
の名簿や芸術分野で活躍している卒業生の名簿からも、恵
おられるのだろうか。以下に概略を発表順に紹介する。
川俊子史料室運営委員の解説を概観する。最後に、卒業生
一
では、現在も芸術の分野で活躍する卒業生の方々は、在
では、現在も芸術の分野で活躍する卒業生の方々は、在
では、現在も芸術の分野で活躍する卒業生の方々は、在
招きし、お話を伺う会として開催した。
業生の方々をお招きし、お話を伺う会として開催した。
業生の方々をお招きし、お話を伺う会として開催した。
泉は創立当初から「芸術」を教育の中核に位置付けていた
年
岩崎京子氏(安元・普通8・高等8
児童文学者)
6氏の発表の概略を紹介し、それによって与えられた示唆
)
学中のどのような体験を恵泉の「芸術」の教育と捉え、そ
学中のどのような体験を恵泉の「芸術」の教育と捉え、そ
学中のどのような体験を恵泉の「芸術」の教育と捉え、そ
ず勉強会の概要を報告し、次に4本目の柱
本稿では、まず勉強会の概要を報告し、次に4本目の柱
本稿では、まず勉強会の概要を報告し、次に4本目の柱
という事実が把握できる。
について言及したい。
1941年の恵泉デーで「小公子」を上
れがどのように現在の職業や生活に影響していると考えて
れがどのように現在の職業や生活に影響していると考えて
れがどのように現在の職業や生活に影響していると考えて
がどのように据えられていたかに関する吉
として「芸術」がどのように据えられていたかに関する吉
として「芸術」がどのように据えられていたかに関する吉
ための第一歩として、芸術関連の分野で活躍されている卒
4.恵泉における「芸術」と教育
演すべく、脚本、舞台装置、音響効果、
2.勉強会の概要
おられるのだろうか。以下に概略を発表順に紹介する。
おられるのだろうか。以下に概略を発表順に紹介する。
おられるのだろうか。以下に概略を発表順に紹介する。
営委員の解説を概観する。最後に、卒業生
川俊子史料室運営委員の解説を概観する。最後に、卒業生
川俊子史料室運営委員の解説を概観する。最後に、卒業生
では、現在も芸術の分野で活躍する卒業生の方々は、在
業生の方々をお招きし、お話を伺う会として開催した。
会は、吉川委員の司会により進行され、深谷佐紀子委員
キャストの抜擢など生徒がすべてを担
岩崎京子(安元・普通
岩崎京子氏(安元・普通8・高等8
岩崎京子氏(安元・普通8・高等8
岩崎京子氏(安元・普通8・高等8
児童文学者) 8 ・高等 8 児童文学者)
児童文学者)
児童文学者)
略を紹介し、それによって与えられた示唆
6氏の発表の概略を紹介し、それによって与えられた示唆
6氏の発表の概略を紹介し、それによって与えられた示唆
学中のどのような体験を恵泉の「芸術」の教育と捉え、そ
本稿では、まず勉強会の概要を報告し、次に4本目の柱
の開会祈祷、大口学園長の挨拶、司会者による「4本目の
当し、その準備に夢中だった。ところ
たい。
について言及したい。
について言及したい。
1941年の恵泉デーで「小公子」を上
1941年の恵泉デーで「小公子」を上
1941年の恵泉デーで「小公子」を上
れがどのように現在の職業や生活に影響していると考えて
として「芸術」がどのように据えられていたかに関する吉
柱」
の説明と続いた。その後、同窓生の岩崎、和田、高瀬、
が、戦時下であることから一部の勢力
演すべく、
脚本、
舞台装置、
音響効果、
演すべく、
演すべく、
脚本、舞台装置、
脚本、舞台装置、
音響効果、
音響効果、
概要
2.勉強会の概要
2.勉強会の概要
おられるのだろうか。以下に概略を発表順に紹介する。
川俊子史料室運営委員の解説を概観する。最後に、卒業生
海老沢、遠山、松風の各氏は、恵泉で受けた教育によって
から演目の変更を迫られた。しかし強行にではあったが上
員の司会により進行され、深谷佐紀子委員
会は、吉川委員の司会により進行され、深谷佐紀子委員
会は、吉川委員の司会により進行され、深谷佐紀子委員
キャストの抜擢など生徒がすべてを担
キャストの抜擢など生徒がすべてを担
キャストの抜擢など生徒がすべてを担
岩崎京子氏(安元・普通8・高等8
児童文学者)
6氏の発表の概略を紹介し、それによって与えられた示唆
何を学び、それを専門分野や人生の様々な局面でどのよう
演が叶った。後になって知ったのは、劇上演が可能となっ
口学園長の挨拶、司会者による「4本目の
の開会祈祷、大口学園長の挨拶、司会者による「4本目の
の開会祈祷、大口学園長の挨拶、司会者による「4本目の
当し、その準備に夢中だった。ところ
当し、その準備に夢中だった。ところ
当し、その準備に夢中だった。ところ
について言及したい。
1941年の恵泉デーで「小公子」を上
に生かしてこられたかについて、興味深いエピソード等を
たその陰には、河井道先生が、当時の軍国主義的な風潮か
た。その後、同窓生の岩崎、和田、高瀬、
柱」の説明と続いた。その後、同窓生の岩崎、和田、高瀬、
柱」の説明と続いた。その後、同窓生の岩崎、和田、高瀬、
が、戦時下であることから一部の勢力
が、戦時下であることから一部の勢力
が、戦時下であることから一部の勢力
演すべく、
脚本、舞台装置、音響効果、
2.勉強会の概要
交えながら生き生きと語られた。
ら、常に生徒たちを守ろうとする姿勢と行動があったとい
松風の各氏は、恵泉で受けた教育によって
海老沢、遠山、松風の各氏は、恵泉で受けた教育によって
海老沢、遠山、松風の各氏は、恵泉で受けた教育によって
から演目の変更を迫られた。しかし強行にではあったが上
から演目の変更を迫られた。しかし強行にではあったが上
から演目の変更を迫られた。しかし強行にではあったが上
会は、吉川委員の司会により進行され、深谷佐紀子委員
キャストの抜擢など生徒がすべてを担
さらに、参加した教職員からの質問とそれらへの応答に
うことだった。恵泉では教育全体を通して、美しいものや
を専門分野や人生の様々な局面でどのよう
何を学び、それを専門分野や人生の様々な局面でどのよう
何を学び、それを専門分野や人生の様々な局面でどのよう
演が叶った。後になって知ったのは、劇上演が可能となっ
演が叶った。後になって知ったのは、劇上演が可能となっ
演が叶った。後になって知ったのは、劇上演が可能となっ
の開会祈祷、大口学園長の挨拶、司会者による「4本目の
当し、その準備に夢中だった。ところ
よって、話題は「芸術」にとどまらず、園芸やキリスト教
正しいものを見分ける感性を育てていただいたと感謝して
れたかについて、興味深いエピソード等を
に生かしてこられたかについて、興味深いエピソード等を
に生かしてこられたかについて、興味深いエピソード等を
たその陰には、河井道先生が、当時の軍国主義的な風潮か
たその陰には、河井道先生が、当時の軍国主義的な風潮か
たその陰には、河井道先生が、当時の軍国主義的な風潮か
柱」
の説明と続いた。その後、同窓生の岩崎、和田、高瀬、
が、戦時下であることから一部の勢力
教育との関係、恵泉教育の本質にも及んだ。約2時間半に
いる。
生きと語られた。
交えながら生き生きと語られた。
交えながら生き生きと語られた。
ら、常に生徒たちを守ろうとする姿勢と行動があったとい
ら、常に生徒たちを守ろうとする姿勢と行動があったとい
ら、常に生徒たちを守ろうとする姿勢と行動があったとい
海老沢、遠山、松風の各氏は、恵泉で受けた教育によって
から演目の変更を迫られた。しかし強行にではあったが上
及ぶ勉強会の締めくくりとして、安積力也中高校長からの
和田礼子氏(畑中・普通
12-4・英専1 映画の翻訳他)
した教職員からの質問とそれらへの応答に
さらに、参加した教職員からの質問とそれらへの応答に
さらに、参加した教職員からの質問とそれらへの応答に
うことだった。恵泉では教育全体を通して、美しいものや
うことだった。恵泉では教育全体を通して、美しいものや
うことだった。恵泉では教育全体を通して、美しいものや
何を学び、それを専門分野や人生の様々な局面でどのよう
演が叶った。後になって知ったのは、劇上演が可能となっ
感謝の言葉が述べられ、西島黎委員の閉会の祈祷によっ
太平洋戦争開始からの4年間を恵泉
「芸術」にとどまらず、園芸やキリスト教
よって、話題は「芸術」にとどまらず、園芸やキリスト教
よって、話題は「芸術」にとどまらず、園芸やキリスト教
正しいものを見分ける感性を育てていただいたと感謝して
正しいものを見分ける感性を育てていただいたと感謝して
正しいものを見分ける感性を育てていただいたと感謝して
に生かしてこられたかについて、興味深いエピソード等を
たその陰には、河井道先生が、当時の軍国主義的な風潮か
て、恵泉の「芸術」について語り合う初めての会が神の祝
で過ごした。古い小さな校舎での入学
恵泉教育の本質にも及んだ。約2時間半に
教育との関係、恵泉教育の本質にも及んだ。約2時間半に
教育との関係、恵泉教育の本質にも及んだ。約2時間半に
いる。
いる。 いる。
交えながら生き生きと語られた。
ら、常に生徒たちを守ろうとする姿勢と行動があったとい
福の内に終了した。
式で、生まれてはじめて見たコサージ
めくくりとして、安積力也中高校長からの
及ぶ勉強会の締めくくりとして、安積力也中高校長からの
及ぶ勉強会の締めくくりとして、安積力也中高校長からの
和田礼子氏(畑中・普通12-4・英専1
和田礼子氏(畑中・普通
和田礼子氏(畑中・普通
映画の翻訳他)
12-4・英専1
12-4・英専1
映画の翻訳他)
映画の翻訳他)
和田礼子(畑中・普通12−
4 ・英専
1 映画の翻訳他)
さらに、参加した教職員からの質問とそれらへの応答に
うことだった。恵泉では教育全体を通して、美しいものや
ュを上級生から胸につけてもらったこ
3.4本目の柱芸術・クリエイティヴ アート
べられ、西島黎委員の閉会の祈祷によっ
感謝の言葉が述べられ、西島黎委員の閉会の祈祷によっ
感謝の言葉が述べられ、西島黎委員の閉会の祈祷によっ
太平洋戦争開始からの4年間を恵泉
太平洋戦争開始からの4年間を恵泉
太平洋戦争開始からの4年間を恵泉
よって、話題は「芸術」にとどまらず、園芸やキリスト教
正しいものを見分ける感性を育てていただいたと感謝して
と、ピアノ伴奏にあわせて着席したこ
について
術」について語り合う初めての会が神の祝
て、恵泉の「芸術」について語り合う初めての会が神の祝
て、恵泉の「芸術」について語り合う初めての会が神の祝
で過ごした。古い小さな校舎での入学
で過ごした。古い小さな校舎での入学
で過ごした。古い小さな校舎での入学
教育との関係、恵泉教育の本質にも及んだ。約2時間半に
いる。
となどが印象的だった。音楽学校でもない恵泉に3から4
元副学園長の河合ハナ先生は、恵泉教育を支える柱は「キ
た。
福の内に終了した。
福の内に終了した。
式で、生まれてはじめて見たコサージ
式で、生まれてはじめて見たコサージ
式で、生まれてはじめて見たコサージ
及ぶ勉強会の締めくくりとして、安積力也中高校長からの
和田礼子氏(畑中・普通12-4・英専1 映画の翻訳他)
2
ュを上級生から胸につけてもらったこ
ュを上級生から胸につけてもらったこ
ュを上級生から胸につけてもらったこ
柱芸術・クリエイティヴ
3.4本目の柱芸術・クリエイティヴ
3.4本目の柱芸術・クリエイティヴ
アート
アート
アート
感謝の言葉が述べられ、西島黎委員の閉会の祈祷によっ
太平洋戦争開始からの4年間を恵泉
と、ピアノ伴奏にあわせて着席したこ
と、ピアノ伴奏にあわせて着席したこ
と、ピアノ伴奏にあわせて着席したこ
について
について
て、恵泉の「芸術」について語り合う初めての会が神の祝
で過ごした。古い小さな校舎での入学
となどが印象的だった。音楽学校でもない恵泉に3から4
となどが印象的だった。音楽学校でもない恵泉に3から4
河合ハナ先生は、
元副学園長の河合ハナ先生は、
恵泉教育を支える柱は
元副学園長の河合ハナ先生は、
「キ 恵泉教育を支える柱は
恵泉教育を支える柱は
「キ
「キとなどが印象的だった。音楽学校でもない恵泉に3から4
福の内に終了した。
式で、生まれてはじめて見たコサージ
2
2
ュを上級生から胸につけてもらったこ
3.4本目の柱芸術・クリエイティヴ
アート
日時:2004年7月24日(火)13:30~16:00
勉強会 第3回 第3回
河井道勉強会
河井道勉強会 リ ス ト 教」「園 芸」
場所:世田谷キャンパスC棟2階大会議室
「国際」の3本だけ
出席者:大口邦雄、一色義子、安積力也、松井弘子、服部
とつとしての
「芸術」
4本柱のひとつとしての
4本柱のひとつとしての
をめぐって
「芸術」
「芸術」
をめぐって
をめぐって
で な く、「芸 術」と
伸江、鏑木かすみ、下田千春、須藤智子、大崎好子、大蔵
いうもうひとつの重
月24日(火)1
日時:
3:30
2
~
0
日時:
0
1
4
6年7月
:00
200
2
4
4
年7月
日(火)
24日(火)
13:30~
1
1
3
6
:
:
3
0
0
0
~16:00
第3回 河井道勉強会
浩之、史料室運営委員、史料室員
要な柱があると話さ
ャンパスC棟2階大会議室
場所:世田谷キャンパスC棟2階大会議室
場所:世田谷キャンパスC棟2階大会議室
について
元副学園長の河合ハナ先生は、恵泉教育を支える柱は「キ
と、ピアノ伴奏にあわせて着席したこ
となどが印象的だった。音楽学校でもない恵泉に3から4
のピアノレッスン室が当時からあったのは驚くべきことで
く信頼するということ、見えないものに価値を見ることの
ある。ピアノの才能に優れた人は、指を痛めるような運動
大切さを恵泉で学んだ。
は免除されるという配慮もあった。卒業後アメリカに留学
松風早苗氏(安東・高校6
デザイナー)
松風早苗(安東・高校 6 デザイナー)
した際には少ない枚数の洋服を着まわしていたが、画家で
学校の中に何となくバタ臭いもの、
あり総長夫人でもある方から芸術的センスがあると大変ほ
アメリカの行事にまつわる装飾や季節
められた。それは、恵泉在学中に先生方の色の身につけ方
ごとのお花、毎朝の礼拝の音楽、河井
や着こなしを日常目にしていたことから自然に色彩への感
寮の西洋風な建物など、日常の空間に
性が養われたからだと思う。また、河井先生は演劇がお好
西洋の生活様式が常にあった。
そのよ
きで、キャストとして度々選ばれ舞台で演じた。その経験
うな全体的なもの、
なんとなく感知するものから自分の感
は後にアメリカのテレビ番組や映画の翻訳という仕事に携
覚の基礎、自分の美術の世界が育まれたと思う。デザイン
わった際、大変役に立った。
というのは西洋の生活様式から受けるものが多いが、
何の
高瀬洋子(高瀬・高校
4 バレリーナ)
高瀬洋子氏(高瀬・高校4
バレリーナ)
抵抗もなく西洋を受け入れられたのは、
恵泉での生活の中
戦後恵泉に入学した。
「頭だけでな
くて、体でも、両方のものを身に付け
で自然に浸透したものがあったからだと思う。
5.まとめにかえて
ていないと世の中に太刀打ちできな
恵泉教育における「芸術」の教育は、他の3本柱同様に、
い」と河井先生がおっしゃっていた意
学校生活や教育活動全体の通奏低音として、また様々な感
味を心に留めて、バレエを続けるため
覚器官を通して内部に浸透していく環境として、生徒の心
に学業にも精一杯取り組み時間の使い方も工夫した。卒業
の成長を支え、その人間性を豊かに育んできたと言えるだ
前の修養会では河井先生がその努力を褒めてくださり、バ
ろう。今回の勉強会に参加くださった卒業生の皆様のご協
レエにどういう態度で打ち込むのかを常に見守っていてく
力によって、恵泉教育の真髄にまた一歩近づくことができ
ださったことを知った。学校の中で美しい花々を見たり小
たことを心から感謝したい。
川に足を入れたりしながら皆で賛美歌を歌った体験は、バ
ピアノの勉強のために、北海道から
単身上京し、河井寮に入れていただい
た。卒業後、桐朋学園で教えているが、
恵泉にいたときにあったもの、大きな
もの、しかし桐朋学園には完全にない
ものがある。それは西洋音楽をやる上で不可欠な宗教的な
柱である。宗教的なベースに触れずに西洋音楽をやってい
る人が日本の音楽界には少なくない。河井先生はかつて桐
朋学園の井口基成氏から「恵泉に音楽科を作らないか」と
言われ、きっぱりと断っているが、もし河井先生が音楽科
設置を受け入れていたとしたら、日本の音楽界も少し変わ
っていたかもしれない。
遠山慶子氏(藤村・高校6
ピアニスト)
遠山慶子(藤村・高校
6 ピアニスト)
恵泉では自由自在に生活し、学校は
特別楽しい所だった。河井先生が、自
由な時間があるときはいつでも学校に
来てピアノを弾いていいとおっしゃ
り、ピアノ練習室も頻繁に利用してい
た。音楽で国際的に通用するためには外国に出て行くこ
と、そのためにもセンスを磨き語学だけは一生懸命やりな
さいと親身な助言をいただいた。人と違うことをコンプレ
ックスにせず、神様からいただいた大事なものを自分が豊
かにしていくという生き方を教えられた。そして人間を深
海老沢京子(小川・高校
5 ピアニスト)
海老沢京子氏(小川・高校5
ピアニスト)
河井先生をめぐる人々(10)
ミセス・モリソン
モリソン夫人は、1949年友人のオ
ウレル夫人をとおして河井先生に出
ー
ー
会われた。オウレル夫人と同じよう
に在日米軍将校夫人の一人であっ
た。河井先生の信仰者としての人格
に強く心惹かれ、度々恵泉を訪れ
て、一色邸で先生のためにタイプを
打ったりされた。やがて夫人は、将校夫人たちの会の
責任者となり、河井先生に講演を依頼、恵泉の名を広
めることにも尽力された。
1951年ご家族と共に帰国、渡米中の河井先生と再会
された。翌52年冬、先生の病重しとの報を受け、先生
のブリンマー時代のご友人たちと力を合わせて、ミチ
・カワイ(後に免税のためにクリスチャンを入れる)
フェロシップを設立された。先生が恵泉の将来を憂え
ることなく召されるように、恵泉を物心共に支えるた
めに創られた後援会である。夫人は、第三代の会長と
して今にいったっている。明るく強く指導力のある女
して今にいたっている。明るく強く指導力のある女性
性である。頭脳明晰で株の仲買人としてフェロシップ
である。頭脳明晰で株の仲買人としてフェロシップの
のファンドを増やす事に貢献された。2年前最愛の夫
ファンドを増やす事に貢献された。 2 年前最愛の夫君
君を天に送られ、
96歳の今心身ともに弱られている。
を天に送られ、96歳の今心身ともに弱られている。今
今春大口学園長が訪問された折は、そんな中で
“I love
春大口学園長が訪問された折は、そんな中で“I
Miss Kawai”
Kawai”と繰り返しつぶやかれたとのことであ
と繰り返しつぶやかれたとのことである。
る。夫人の恵泉への想いと祈りは続いている。
夫人の恵泉への想いと祈りは続いている。
(写真は1
9
6
2年頃)
(吉川俊子)
吉
いる。
レリーナとしての音の捉え方や踊りなどに直接つながって
(岩佐玲子)
3
第1
2回
第1
2回 第卒業生の会
1
2回 卒業生の会
卒業生の会
「恵泉の園芸とは」
「恵泉の園芸とは」
「恵泉の園芸とは」
日時:2004年9月
日時:
1
2
4
0
日時:
日(火)
04年9月
200
1
1
4
3
4
年9月
:
日(火)
30~14
6日(火)
:
13
00
:30~
1
1
3
6
:
:
3
00
~16:00
場所:世田谷キャンパスC棟大会議室
場所:世田谷キャンパスC棟大会議室
場所:世田谷キャンパスC棟大会議室
出席者:宇佐節子(井上・農専1)福田真智子(藤井・短
出席者:宇佐節子(井上・農専1)福田真智子(藤井・短
出席者:宇佐節子(井上・農専1)福田真智子(藤井・短
園15)小泉美智子(天野・短園
園15)小泉美智子(天野・短園
園15)小泉美智子(天野・短園
17)鈴木信子(短園
17)鈴木信子(短園
1
2
7
1)鈴木信子(短園
)本
21)本 21)本
多洋子(鴨田・短園
多洋子(鴨田・短園
2
多洋子(鴨田・短園
4)原嶋夕佳(短園
24)原嶋夕佳(短園
2
3
4
1)原嶋夕佳(短園
)奥 峰子(澤
31)奥 31
峰子(澤
)奥 峰子(澤
田・短園31)菊地牧恵(短園
田・短園田・短園
31)菊地牧恵(短園
31
6)菊地牧恵(短園
)小澤文子(短園
36)小澤文子(短園
3
4
6
0)小澤文子(短園
)入江 40)入江
40)入江
小平の農場(1
小平の農場(
9
5
0年) 小平の農場(
1
9
5
0年)1
9
5
0年)
でよい機会が整えられた。しばらくの時を共有したい。
意味でよい機会が整えられた。
意味でよい機会が整えられた。
意味でよい機会が整えられた。
しばらくの時を共有したい。
しばらくの時を共有したい。
しばらくの時を共有したい。
百合香(短園
百合香(短園
46)/学園側:大口邦雄、箱田直紀、澤登早
百合香(短園
46)/学園側:大口邦雄、箱田直紀、澤登早
46)/学園側:大口邦雄、箱田直紀、澤登早
*深谷 おいでいただいた
*深谷 *深谷
おいでいただいた
10おいでいただいた
人の方々に自己紹介も兼ねて
10人の方々に自己紹介も兼ねて
10人の方々に自己紹介も兼ねて
苗、新妻昭夫、森山倭文子、安積力也、松井弘子、塚本康
苗、新妻昭夫、森山倭文子、安積力也、松井弘子、塚本康
苗、新妻昭夫、森山倭文子、安積力也、松井弘子、塚本康
5分ぐらいずつお話頂く。
5分ぐらいずつお話頂く。
5分ぐらいずつお話頂く。
子、森山浩二、松井信行、大蔵浩之、同窓会、恵泉会、史
子、森山浩二、松井信行、大蔵浩之、同窓会、恵泉会、史
子、森山浩二、松井信行、大蔵浩之、同窓会、恵泉会、史
*宇佐 1943
*宇佐
年戦争の最中に高等部家事科に入学。河井先
*宇佐
1943年戦争の最中に高等部家事科に入学。河井先
1943年戦争の最中に高等部家事科に入学。河井先
料室運営委員、史料室員
料室運営委員、史料室員
料室運営委員、史料室員
生・山口先生の園芸に強く惹かれ新設の園芸科に移る。小
生・山口先生の園芸に強く惹かれ新設の園芸科に移る。小
生・山口先生の園芸に強く惹かれ新設の園芸科に移る。小
*開会祈祷 *開会祈祷
吉川俊子(史料室運営委員)
*開会祈祷
吉川俊子(史料室運営委員)
吉川俊子(史料室運営委員)
平校で全寮制の学びを体験、農専一回生として卒業する。
平校で全寮制の学びを体験、農専一回生として卒業する。
平校で全寮制の学びを体験、農専一回生として卒業する。
中高の新米園芸教師に。まもなく山口先生と同じ米国アン
中高の新米園芸教師に。まもなく山口先生と同じ米国アン
中高の新米園芸教師に。まもなく山口先生と同じ米国アン
*深谷佐紀子
*深谷佐紀子
(司会)
*深谷佐紀子
史料室では毎年卒業生による座談会を
(司会)史料室では毎年卒業生による座談会を
(司会)史料室では毎年卒業生による座談会を
ブラーの園芸学校に留学、そこで日本では知られていない
ブラーの園芸学校に留学、そこで日本では知られていない
ブラーの園芸学校に留学、そこで日本では知られていない
行い、恵泉の教育について語り合って頂いている。園芸短
行い、恵泉の教育について語り合って頂いている。園芸短
行い、恵泉の教育について語り合って頂いている。園芸短
フラワーデザイン(花卉装飾)に出会う。河井先生は女子
フラワーデザイン(花卉装飾)に出会う。河井先生は女子
フラワーデザイン(花卉装飾)に出会う。河井先生は女子
大の終結を控え今回はテーマとして
大の終結を控え今回はテーマとして
大の終結を控え今回はテーマとして
「恵泉の園芸とは何か」
「恵泉の園芸とは何か」
「恵泉の園芸とは何か」
が高いレベルの園芸教育とともに若い時から自然に親しみ
が高いレベルの園芸教育とともに若い時から自然に親しみ
が高いレベルの園芸教育とともに若い時から自然に親しみ
「園芸教育に関して今後学園の中で継承してほしいものは」
「園芸教育に関して今後学園の中で継承してほしいものは」
「園芸教育に関して今後学園の中で継承してほしいものは」
自分の手で草花を育てそれらを生活のなかに豊かに取り入
自分の手で草花を育てそれらを生活のなかに豊かに取り入
自分の手で草花を育てそれらを生活のなかに豊かに取り入
を取り上げた。記録として歴史に残すと共に現在にも役立
を取り上げた。記録として歴史に残すと共に現在にも役立
を取り上げた。記録として歴史に残すと共に現在にも役立
れる大切さを学ぶように望まれたと思う。伊勢原キャンパ
れる大切さを学ぶように望まれたと思う。伊勢原キャンパ
れる大切さを学ぶように望まれたと思う。伊勢原キャンパ
つ事を願っている。
つ事を願っている。
はじめに大口学園長からご挨拶を頂く。
つ事を願っている。
はじめに大口学園長からご挨拶を頂く。
はじめに大口学園長からご挨拶を頂く。
スの新寮が恵泉とその枠を超えて若い人々の園芸の学びの
スの新寮が恵泉とその枠を超えて若い人々の園芸の学びの
スの新寮が恵泉とその枠を超えて若い人々の園芸の学びの
*大口先生 *大口 恵泉はキリスト教関係の学校の中でも極めて特徴
*大口先生
恵泉はキリスト教関係の学校の中でも極めて
*大口先生
恵泉はキリスト教関係の学校の中でも極めて
恵泉はキリスト教関係の学校の中でも極めて
場として用いられることを切に願う。
場として用いられることを切に願う。
場として用いられることを切に願う。
特徴のある学園として羨ましがられている。その伝統をい
特徴のある学園として羨ましがられている。その伝統をい
特徴のある学園として羨ましがられている。その伝統をい
のある学園として羨ましがられている。その伝統をいかに
*福田(1964
*福田(
入学)小平から伊勢原への移転を体験。現在
*福田(
1964入学)小平から伊勢原への移転を体験。現在
1964入学)小平から伊勢原への移転を体験。現在
かに認識・理解し、継承・発展させていくか、歴史的に振
かに認識・理解し、継承・発展させていくか、歴史的に振
かに認識・理解し、継承・発展させていくか、歴史的に振
認識・理解し、継承・発展させていくか、歴史的に振り返
アイビーチェーンに参加。卒業後中学の園芸教員を勤め
アイビーチェーンに参加。卒業後中学の園芸教員を勤め
アイビーチェーンに参加。卒業後中学の園芸教員を勤め
り返り将来を思い描くことは極めて重要である。拡散して
り返り将来を思い描くことは極めて重要である。拡散して
り返り将来を思い描くことは極めて重要である。拡散して
り将来を思い描くことは極めて重要である。拡散している
る。その夏(
る。その夏(
1966)二年生の伊勢原ワークキャンプが始ま
る。その夏(
1966)二年生の伊勢原ワークキャンプが始ま
1966)二年生の伊勢原ワークキャンプが始ま
いるものの焦点を結んでいく、共通の将来像を思い描く努
いるものの焦点を結んでいく、共通の将来像を思い描く努
いるものの焦点を結んでいく、共通の将来像を思い描く努
ものの焦点を結んでいく、共通の将来像を思い描く努力を
り、高校生有志のワークキャンプと共に環境教育・体験学
り、高校生有志のワークキャンプと共に環境教育・体験学
り、高校生有志のワークキャンプと共に環境教育・体験学
力をする、やることは違っても次第にそちらへフォーカス
力をする、やることは違っても次第にそちらへフォーカス
力をする、やることは違っても次第にそちらへフォーカス
する、やることは違っても次第にそちらへフォーカスされ
習の先がけになる。今後も真の環境教育の発信元であって
習の先がけになる。今後も真の環境教育の発信元であって
習の先がけになる。今後も真の環境教育の発信元であって
されるという希望があれば必ず復活すると思う。そういう
されるという希望があれば必ず復活すると思う。そういう
されるという希望があれば必ず復活すると思う。そういう
るという希望があれば必ず復活すると思う。そういう意味
恵泉の芸術教育・園芸教育を担った初期の先生方
恵泉の芸術教育・園芸教育を担った初期の先生方
恵泉の芸術教育・園芸教育を担った初期の先生方
音楽
音楽
音楽
書道
書道
書道
園芸
園芸
園芸 (
)は年度
(
)は年度
( )は年度
津川
田淵
田淵
1929~
清雄(
1
田淵
932)
19
清雄(
29~19
1
3
9
29
)~1932)
乾
節(
乾
1936~1
乾
9
節(
71)
1936
節(
~19
1
7
9
1
36
)~1
971) 清雄(
主一(
津川
1931~
主一(
1
津川
941)
19
主一(
31~19
1
4
9
1
3
1
)~1941)
河合
茶道・華道
茶道・華道
茶道・華道
ハナ(
河合
1934~
ハナ(
1
河合
982)
19
ハナ(
34~19
1
8
9
2
34
)~1982)
奥田
末光
平
光波(
1938~
光波(
1
平
944)
19
光波(
38~19
1
4
9
4
38
)~1
944)
耕天(
奥田
1938~
耕天(
1
奥田
986)
19
耕天(
38~19
1
8
9
6
3
8
)~198
6) 平
櫛引
文学
文学
繋子(
櫛引
1938~
繋子(
1
櫛引
942)
19
繋子(
38~19
1
4
9
2
38
)~1942)
斎藤
三好
三好
1936~
靱男(
1
三好
9
38)
19
靱男(
36~19
1
3
9
8
36
)~1938)
末光
績(
末光
1936~1
末光
9
績(
71)
1
936
績(
~19
1
7
9
1
36
)~1
971) 靱男(
良子(
斎藤
1941~
良子(
1
斎藤
945)
19
良子(
41~19
1
4
9
5
4
1
)~1945)
1929~1952
靱
男
山崎
藤崎
1938~
千里(
1
藤崎
938)
19
千里(
38~19
1
3
9
8
38
)~1938)
宮崎
子(白蓮)
(
宮崎
1948~
子(白蓮)
1951
()
1948~(
1
9
1
5
9
1
48
)~千里(
1951藤崎
)
道子(
山崎
1941~
道子(
1
山崎
944)
19
道子(
41~19
1
4
9
4
1
)~194
4) 宮崎 子(白蓮)
内藤
弘子(
内藤
1944~
弘子(
1
内藤
948)
19
弘子(
44~19
1
4
9
8
44
)~1948)
美術
美術
美術
文学
八戸
二瓶
池田
次男(
八戸
1933~
次男(
1
八戸
934)
19
次男(
33~19
1
3
9
4
33
)~1934)
績(
末光
1936~1
末光
9
績(
71)
1936
績(
~19
1
7
9
1
36
)~1971)
要蔵(
二瓶
1936~
要蔵(
1
二瓶
937)
19
要蔵(
36~19
1
3
9
7
36
)~1937)
ゆき お
国平(
池田
1938~
国平(
1
池田
947)
19
国平(
38~19
1
4
9
7
38
)~1947)
中森憲太郎(
中森憲太郎(
1942~1
中森憲太郎(
943)
1942~19
1
4
9
3
42
)~1943)
本郷
新(
本郷
1929~1
本郷
9
新(
43)
1
929
新(
~19
1
4
9
3
29
)~1943)
1929~1940
中沢
恵以(
中沢
1934~
恵以(
1
中沢
944)
19
恵以(
34~19
1
4
9
4
34
)~1944)
山口美智子(
山口美智子(
1943~1
山口美智子(
984)
1943~19
1
8
9
43
)~1984)
山下
安武(
山下
1949~
安武(
1
山下
973)
19
安武(
49~19
1
7
9
3
49
)~1973)
孝(
明田川
1937~1
明田川
9
孝(
51)
1937
孝(
~19
1
5
9
1
37
)~1951)
岡見
義男(
岡見
1946~
義男(
1
岡見
960)
19
義男(
46~19
1
6
9
0
46
)~1960)
土佐林豊夫(
土佐林豊夫(
1946~1
土佐林豊夫(
947)
1946~19
1
4
9
7
46
)~1947)
渡辺
文策(
渡辺
1944~
文策(
1
渡辺
970)
19
文策(
44~19
1
7
9
0
44
)~1970)
堀
石井
勇義(
石井
1945~
勇義(
1
石井
953)
19
勇義(
45~19
1
5
9
3
45
)~1953)
明田川
文子(
堀
1944~
文子(
1
堀
947)
19
文子(
44~19
1
4
9
7
44
)~1947)
牛窪
正(
牛窪
1948~1
牛窪
9
正(
49)
1948
正(
~19
1
4
9
9
48
)~1949)
島貫
昭子(
島貫
1952~
昭子(
1
島貫
959)
19
昭子(
52~19
1
5
9
9
52
)~1959)
1937年頃 右から明田川、高田、
右から明田川、高田、乾、弓削田、
右から明田川、高田、乾、弓削田、
右から明田川、高田、乾、弓削田、
中沢、本郷 乾、弓削田、中沢、本郷
中沢、本郷
(
中沢、本郷
1
9
3
7年頃) (1
9
3
7年頃)
(1
9
3
7年頃)
『恵泉』誌、名簿
『恵泉』
卒業アルバム
誌、
『恵泉』
名簿 な
誌、
卒業アルバム
どから
名簿とりま
卒業アルバム
したが、
などから
資料不足のため一部不明な点も
とり
なま
どから
したが、
とり資料不足のため一部不明な点も
ましたが、資料不足のため一部不明な点も
あります。
また、途中お辞めになった期間は記載してお
あります。
ま
あ
た、
ります。
途中お辞めになった期間は記載してお
また、途中お辞めになった期間は記載してお
りません。
りません。りません。
4
4
4
ほしい。園芸科では実習に除草が多く「ラテンネーム」と
いう授業、一年草ボーダー花壇設計など苦労を重ねたが、
朝に夕に友や先生と交わり、植物・家畜と向き合う全寮生
活の中でそれらの深い意味を悟っていった。
「神の大地を
汗して耕し、造り主の賜う命を育てることで鍛えられたも
のは如何なる所でも神と人に喜ばれる」との河井先生の信
念は卒業生のめざましい働きの中に見事実現し花開いてい
る。プレーデーの時の卒業生展示を書き記しつつ「この教
育の種火が受け継がれるように」との山口先生の願いに思
になる。今日まで続く他にはないもの。何処かで続けても
いが重なる。
らいたい。園芸を職業とし自立できる教育。園芸・農業を
*小泉(1966入学)嫁ぎ先が伊勢原であったためアウトサ
総合的に学習し、全寮制と相まって
循環も学んだ。二年
イダーとして園芸科を見続けてきた。アイビーチェーンの
間で本物を学ばせるために全寮制は必要であった。そこで
メンバー。入学するまで恵泉をを知らなかったがここへ来
メンバー。入学するまで恵泉を知らなかったがここへ来
は食べることを大切にする。食に責任をもつことは命に責
てよかったと思う。植物が好き、学者としてではなく、植
任を持つこと。食卓では語らいが生まれ人間関係が育った。
物を文化として扱って永遠に関わり続けたい、園芸科でそ
*本多(1973入学)現在園芸短大で花卉装飾を担当。恵泉
れを学ぶことができた。寮生活では先生と接する中で授業
の園芸といっても特別なことをやっているわけではない。
以外の継続する観察力を教えられた。200人兄弟はとて
人の目に映った、卒業生の植物と向き合う姿、植物に対す
も素敵。卒業生が母校で教えるシステムを作って植物を育
る感性、それが評価されている。畑で植物と向き合い寮生
てる楽しさ苦しさを伝えていってほしい。
活で人と向き合う。植物を育てることは人を育てることに
*鈴木(1970入学)清水先生時代の最後。宇都宮先生時代
通じる。そのやりとりの中で恵泉の園芸といわれる植
に舎監になる。私が受けた園芸教育の中で誇りに思うのは
物に対する姿勢が育てられたのではないか。園芸学の下川
福田さんの話にもあった花壇園芸学。二年間に2
00種類以
先生は「まず見なくていけないのは植物そのもの」と言わ
上の植物を覚える。一枚一枚カードを作る。始めは植物図
れた。血が通わない書物ではなく実物を通して学ぶこと。
鑑を写すが実習の中で書き込みを続け、立体的な植物図鑑
恵泉の卒業生は「花の顔」を見わけることができる。植物の
恵泉あれこれ(10) 「光よ」の原詩が見つかりました!
Spirit of Light
Guide us upon our way
Dispel our night and bring
The wonder of Thy day.
Spirit of Truth
Teach us Thy way to find
For in Thy Light our eyes
Need be no longer blind.
Spirit of Joy
Thy radiance enthrone
Until our lives reflect
The glory of Thine own.
Spirit of Life
Our wills make wholly thine
That we may lead the world
To seek that life divine.
Spirit of Love
From self our hearts set free,
Through service let us find
A truer self in Thee.
5
あ
と あ
も 愛
の よ
た
め わ
に が
み
い を
か す
し て
た
ま
へ
4
い
な の
が ち
も よ
の
と 世
ぞ を
き
な よ
さ め
せ て
た
ま
へ
3
さ
賎 か
が へ
み よ
に
も な
が
う よ
つ ろ
し こ
た び
ま
へ
2
ま
き こ
よ と
き よ
み
ち わ
を が
め
し を
め あ
し け
た
ま
へ
1
ひ
ま か
ひ り
る よ
の
内 や
に み
を
す さ
ま ら
せ せ
た
ま
へ
恵泉₇5年の歴史のなかで、
「光よ」の歌は、第一回の卒
恵泉75年の歴史のなかで、
「光よ」の歌は、第一回の卒
YWCA 本部に尋ねたが、答えは得
本だけでなくスイスの
日本だけでなく外国の Y.W.本部に尋ねたが、答えは得ら
業式から、学燈ゆずりに続く光の行進に合わせて歌われて
業式から、学燈ゆずりに続く光の行進に合わせて歌われて
YWCA の酒井真紀子氏が、
られないでいた。ごく最近日本
れないでいた。ごく最近日本 Y.W.の酒井真紀子氏が、
1925
きた。河井先生自身が、英文の原詩から訳されたというこ
きた。河井先生自身が、英文の原詩から訳されたというこ
YWCA 発行の歌集〈渡辺(一色)百合編〉に
1925年日本
年日本 Y.W.C.A.発行の歌集〈渡辺
(一色)
百合編〉に載っ
とが伝えられている。その原詩は、どのような英文なのか
とが伝えられている。その原詩は、どのような英文なのか
載っていたものを、送って下さった。大喜びで原文を読み
ていたものを、送って下さった。大喜びで原文を読み訳と
内外からの問い合わせもあり、史料室は、過去10年あまり
内外からの問い合わせもあり、史料室は、過去10年あまり
訳と比較する。河井訳の歌詞は、原文の意味のエッセンス
比較する。河井訳の歌詞は、原文の意味のエッセンスを持
これ
を 探 し 続 け て き た。YWCA の 歌 集 に あ っ た こと、
これを探し続けてきた。Y.W.C.A.の歌集にあったこと、
を持つすっきりと美しい名訳であることを、発見する。残
つすっきりと美しい名訳であることを、発見する。残念なが
Spirit of
of Light
Lightで始まることだけが、手がかりであった。日
で始まることだけが、手がかりであった。
念ながら作者名と作られた年代は不明である。
(吉川俊子)
ら作者名と作られた年代は不明である。
(吉川俊子)
5
思う。ネアンデルタール人も花を愛で花で死者を弔ったと
思う。ネアンデルタール人も花を愛で花で死者を弔ったと
いわれる。花を愛でるのは本能に近い人間の本質ではない
いわれる。花を愛でるのは本能に近い人間の本質ではない
思う。ネアンデルタール人も花を愛で花で死者を弔ったと
か。園芸・人間の本質を考えるチャンスとして寮生活も大
か。園芸・人間の本質を考えるチャンスとして寮生活も大
いわれる。花を愛でるのは本能に近い人間の本質ではない
きな意味を持っていた。その形式を取らないから学べない
きな意味を持っていた。その形式を取らないから学べない
か。園芸・人間の本質を考えるチャンスとして寮生活も大
ということではない。自らが額に汗して畑を耕さないと園
ということではない。自らが額に汗して畑を耕さないと園
きな意味を持っていた。その形式を取らないから学べない
芸の良さは分からない。一輪の花を愛でる心のゆとりが文
芸の良さは分からない。一輪の花を愛でる心のゆとりが文
ということではない。自らが額に汗して畑を耕さないと園
化と呼べるものをつくりだすと思う。
化と呼べるものをつくりだすと思う。
芸の良さは分からない。一輪の花を愛でる心のゆとりが文
*入江
*入江
(199
(
5
1
入学)
995入学)
卒業後恵泉の中学に戻って4年目。秋田
卒業後恵泉の中学に戻って4年目。秋田
化と呼べるものをつくりだすと思う。
みでなく植物に接する人をも育てるものであってほしい。
みでなく植物に接する人をも育てるものであってほしい。
先生が礼拝で一つの花に心を奪われる感性を養い育てると
先生が礼拝で一つの花に心を奪われる感性を養い育てると
*入江
(1995入学)卒業後恵泉の中学に戻って4年目。秋田
*原嶋(
*原嶋(
1980
1
入学)中高の園芸教員をして早
980入学)中高の園芸教員をして早
14年になる。
14年になる。
みでなく植物に接する人をも育てるものであってほしい。
話されたが、それが果たして自分の身についているかどう
話されたが、それが果たして自分の身についているかどう
先生が礼拝で一つの花に心を奪われる感性を養い育てると
園芸短大で学んだのは植物も人間も同じ生き物である、一
園芸短大で学んだのは植物も人間も同じ生き物である、一
*原嶋(
1980入学)中高の園芸教員をして早14年になる。
かまだわからない。
かまだわからない。
教員の立場として一年生の授業は、
教員の立場として一年生の授業は、
はじはじ
話されたが、それが果たして自分の身についているかどう
対一の同等の価値ある生き物であるという事。河井先生が
対一の同等の価値ある生き物であるという事。河井先生が
園芸短大で学んだのは植物も人間も同じ生き物である、一
めてで楽しみにしている生徒が多くよいのだが、四年生に
めてで楽しみにしている生徒が多くよいのだが、四年生に
かまだわからない。
教員の立場として一年生の授業は、はじ
聖書・国際・園芸といわれているが聖書がベースになって
聖書・国際・園芸といわれているが聖書がベースになって
対一の同等の価値ある生き物であるという事。河井先生が
はどこまで何を学ばせればよいのかわからず悩んでいる。
はどこまで何を学ばせればよいのかわからず悩んでいる。
めてで楽しみにしている生徒が多くよいのだが、四年生に
その上に国際理解があり、生き物を愛する園芸の心が成り
その上に国際理解があり、生き物を愛する園芸の心が成り
聖書・国際・園芸といわれているが聖書がベースになって
*この後話を聞いていた方々を交えての懇談に移る。恵泉
*この後話を聞いていた方々を交えての懇談に移る。恵泉
はどこまで何を学ばせればよいのかわからず悩んでいる。
立つのではないか。6、7年前に農学部を出た。一般的な
立つのではないか。6、7年前に農学部を出た。一般的な
その上に国際理解があり、生き物を愛する園芸の心が成り
にとって園芸は聖書・国際と共に三つの柱の一つであ
にとって園芸は聖書・国際と共に三つの柱の一つであ
*この後話を聞いていた方々を交えての懇談に移る。恵泉
農学というのは、植物なり生命体をある程度人間がコント
農学というのは、植物なり生命体をある程度人間がコント
立つのではないか。6、7年前に農学部を出た。一般的な
り、リアリティの感覚が欠如しがちな今の生徒たちに必要
り、リアリティの感覚が欠如しがちな今の生徒たちに必要
にとって園芸は聖書・国際と共に三つの柱の一つであ
ロールするという視点に立っている。園芸科で学んだのは
ロールするという視点に立っている。園芸科で学んだのは
農学というのは、植物なり生命体をある程度人間がコント
な学習である。
な学習である。
「園芸の恵泉」としての期待も大きい。
「園芸の恵泉」としての期待も大きい。
り、リアリティの感覚が欠如しがちな今の生徒たちに必要
植物のもつ力をどう引き伸ばすか、見出だすかという事で
植物のもつ力をどう引き伸ばすか、見出だすかという事で
ロールするという視点に立っている。園芸科で学んだのは
一貫教育の中での位置づけ、各教科間の時間の調整、授
一貫教育の中での位置づけ、各教科間の時間の調整、授
な学習である。
「園芸の恵泉」としての期待も大きい。
あり、それが人間関係、生き方にもつながっている。今懸
あり、それが人間関係、生き方にもつながっている。今懸
植物のもつ力をどう引き伸ばすか、見出だすかという事で
業内容のさらなる整備、後継者、など中高も課題を持つ。
業内容のさらなる整備、後継者、など中高も課題を持つ。
一貫教育の中での位置づけ、各教科間の時間の調整、授
念しているのは、恵泉の中高の園芸の後継者を今後どのよ
念しているのは、恵泉の中高の園芸の後継者を今後どのよ
あり、それが人間関係、生き方にもつながっている。今懸
大学では生活園芸への反応もよく、本格的に学びたいと望
大学では生活園芸への反応もよく、本格的に学びたいと望
業内容のさらなる整備、後継者、など中高も課題を持つ。
うに見出していけるか、いくかということである。
うに見出していけるか、いくかということである。
念しているのは、恵泉の中高の園芸の後継者を今後どのよ
む学生も多い。こうした現状を踏まえ来春の統合に向けて
む学生も多い。こうした現状を踏まえ来春の統合に向けて
大学では生活園芸への反応もよく、本格的に学びたいと望
*奥(
*奥(
1980
1
入学)卒業後外国にいたのを呼んで頂いて蓼科
980入学)卒業後外国にいたのを呼んで頂いて蓼科
うに見出していけるか、いくかということである。
これからが正念場。改めて園芸を位置づけ土台を整備す
これからが正念場。改めて園芸を位置づけ土台を整備す
む学生も多い。こうした現状を踏まえ来春の統合に向けて
ガーデンをつくる手伝いをした。今は園芸短大で非常勤講
ガーデンをつくる手伝いをした。今は園芸短大で非常勤講
*奥(
1980入学)卒業後外国にいたのを呼んで頂いて蓼科
る。全寮制はなくなるがこれまでの歴史の上に四年制の園
る。全寮制はなくなるがこれまでの歴史の上に四年制の園
これからが正念場。改めて園芸を位置づけ土台を整備す
師。小さい頃から花が好き、憧れて恵泉に入った。ずっと
師。小さい頃から花が好き、憧れて恵泉に入った。ずっと
ガーデンをつくる手伝いをした。今は園芸短大で非常勤講
芸を創り継承していく。卒業生の話とも基本的には重ねて
芸を創り継承していく。卒業生の話とも基本的には重ねて
る。全寮制はなくなるがこれまでの歴史の上に四年制の園
園芸の仕事をしたいと園芸科に進んだ。今、フリーで仕事
園芸の仕事をしたいと園芸科に進んだ。今、フリーで仕事
師。小さい頃から花が好き、憧れて恵泉に入った。ずっと
いけるのではないか、今後も話し合いたい。大学における
いけるのではないか、今後も話し合いたい。大学における
芸を創り継承していく。卒業生の話とも基本的には重ねて
ができているのは恵泉で学んだことがベースになってい
ができているのは恵泉で学んだことがベースになってい
園芸の仕事をしたいと園芸科に進んだ。今、フリーで仕事
園芸の展開にキリスト教信仰を抜いてはいけないという意
園芸の展開にキリスト教信仰を抜いてはいけないという意
いけるのではないか、今後も話し合いたい。大学における
る。広く浅くたくさんの科目をこなすのに悩んだこともあ
る。広く浅くたくさんの科目をこなすのに悩んだこともあ
ができているのは恵泉で学んだことがベースになってい
見について、
見について、
三つの柱
三つの柱
を並列したものとして捉えている
を並列したものとして捉えている
園芸の展開にキリスト教信仰を抜いてはいけないという意
ったが、仕事の中でいろいろな折にそれが強味になってい
ったが、仕事の中でいろいろな折にそれが強味になってい
る。広く浅くたくさんの科目をこなすのに悩んだこともあ
ことが多いので、キリスト教的基盤と認識したいとの発言
ことが多いので、キリスト教的基盤と認識したいとの発言
見について、
三つの柱を並列したものとして捉えている
る。本当に有り難いのは、苦痛と思っていた寮生活で、
る。本当に有り難いのは、苦痛と思っていた寮生活で、
24 24
ったが、仕事の中でいろいろな折にそれが強味になってい
もある。困難はあっても一つ一つやっていけば、大学への
もある。困難はあっても一つ一つやっていけば、大学への
ことが多いので、キリスト教的基盤と認識したいとの発言
時間自然の中で働いておられる先生の背中を見せて頂いた
時間自然の中で働いておられる先生の背中を見せて頂いた
る。本当に有り難いのは、苦痛と思っていた寮生活で、
24
移行はできるなど話し合いは尽きず貴重な時であった。
移行はできるなど話し合いは尽きず貴重な時であった。
もある。困難はあっても一つ一つやっていけば、大学への
こと、一年を通して
こと、一年を通して
24時間いろいろな植物や生き物を見て
24時間いろいろな植物や生き物を見て
時間自然の中で働いておられる先生の背中を見せて頂いた
*閉会祈祷
*閉会祈祷
谷口谷口
稔(史料室運営委員)
稔(史料室運営委員)
移行はできるなど話し合いは尽きず貴重な時であった。
こられたことである。
こられたことである。
それが今日仕事を続けていられる元
それが今日仕事を続けていられる元
こと、一年を通して
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時間いろいろな植物や生き物を見て
*閉会祈祷
谷口
(西島
黎)黎)
稔(史料室運営委員) (西島
お知らせ
お知らせ
になっている。
になっている。 それが今日仕事を続けていられる元
こられたことである。
(西島
黎)
*菊地(
*菊地(
1985
1
入学)多摩キャンパスで生活園芸の実習アシ
985入学)多摩キャンパスで生活園芸の実習アシ
になっている。
展示コーナーでは「太平洋戦争下の恵泉」の展示を終えて
展示コーナーでは「太平洋戦争下の恵泉」の展示を終えて
お知らせ
スタントをしている。園芸科の生活は大変多忙であった。
スタントをしている。園芸科の生活は大変多忙であった。
*菊地(
1985入学)多摩キャンパスで生活園芸の実習アシ
1
0月下旬から第4回のテーマ展示「蘇りと新生戦争が終
10月下旬から第4回のテーマ展示「蘇りと新生戦争が終
展示コーナーでは「太平洋戦争下の恵泉」の展示を終えて
印象に残るのは、恵泉の学園長はイエス・キリストである
印象に残るのは、恵泉の学園長はイエス・キリストである
スタントをしている。園芸科の生活は大変多忙であった。
わって」を行っています。ご来校の折には是非お立ち寄り
わって」を行っています。ご来校の折には是非お立ち寄り
1
0月下旬から第4回のテーマ展示「蘇りと新生戦争が終
という言葉。恵泉の園芸はキリスト教・聖書が土台になっ
という言葉。恵泉の園芸はキリスト教・聖書が土台になっ
印象に残るのは、恵泉の学園長はイエス・キリストである
ください。
ください。
尚、座談会関係の記録は史料室で閲覧出来ます。
尚、座談会関係の記録は史料室で閲覧出来ます。
わって」を行っています。ご来校の折には是非お立ち寄り
ていてその点をはずしては考えられない。日頃は忙しさに
ていてその点をはずしては考えられない。日頃は忙しさに
という言葉。恵泉の園芸はキリスト教・聖書が土台になっ
ください。尚、座談会関係の記録は史料室で閲覧出来ます。
流されているが学生に何かを伝えたいと思う時私の中でこ
流されているが学生に何かを伝えたいと思う時私の中でこ
ていてその点をはずしては考えられない。日頃は忙しさに
運営委員長:岩佐玲子
運営委員長:岩佐玲子
れが基盤になる。大学では必修で一年生が野菜を作る。草
れが基盤になる。大学では必修で一年生が野菜を作る。草
流されているが学生に何かを伝えたいと思う時私の中でこ
運 営運委営員:谷口
委 員:谷口
稔 稔
吉川俊子
吉川俊子
深谷佐紀子
深谷佐紀子
西島西島
黎 黎
吉
運営委員長:岩佐玲子
取りにも熱心。実習から実感として学ぶ、自然に対する畏
取りにも熱心。実習から実感として学ぶ、自然に対する畏
れが基盤になる。大学では必修で一年生が野菜を作る。草
室 営室委 長:大石のり子
長:大石のり子
運
員:谷口
稔 吉川俊子 深谷佐紀子 西島 黎
敬の念、小さなことにも感動するそんな農場でありたい。
敬の念、小さなことにも感動するそんな農場でありたい。
取りにも熱心。実習から実感として学ぶ、自然に対する畏
室 室
員:安藤和子
員:安藤和子
高澤美津子
高澤美津子
樋口朗子
樋口朗子
長:大石のり子
*小澤(
*小澤(
1989
1
入学)卒業後花卉の副手として4年、その後
989入学)卒業後花卉の副手として4年、その後
敬の念、小さなことにも感動するそんな農場でありたい。
室 員:安藤和子 高澤美津子 樋口朗子
研修施設である蓼科ガーデンの維持管理に携わって6年に
研修施設である蓼科ガーデンの維持管理に携わって6年に
*小澤(
1989入学)卒業後花卉の副手として4年、その後
恵泉女学園史料室
恵泉女学園史料室
なる。恵泉には園芸を通して人間形成につながるという園
なる。恵泉には園芸を通して人間形成につながるという園
研修施設である蓼科ガーデンの維持管理に携わって6年に
芸があった。心に響く、精神に感ずる、人が変わっていく
芸があった。心に響く、精神に感ずる、人が変わっていく
なる。恵泉には園芸を通して人間形成につながるという園
〒1
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〒
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東京都世田谷区船橋5
5 東京都世田谷区船橋5
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恵泉女学園史料室
TEL・FAX
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園芸があった。園芸の本質を突き詰めるとともに人の本質
園芸があった。園芸の本質を突き詰めるとともに人の本質
芸があった。心に響く、精神に感ずる、人が変わっていく
メールアドレス
メールアドレス
[email protected]
[email protected]
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に迫っていける、私もここで学ぶことによって変わったと
に迫っていける、私もここで学ぶことによって変わったと
園芸があった。園芸の本質を突き詰めるとともに人の本質
メールアドレス [email protected]
に迫っていける、私もここで学ぶことによって変わったと
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