「林芙美子の書簡が50年ぶりに尾道で引き合わされる」 昭和20年に林芙美子が、文豪・川端康成にあてた書簡の一部が見つかり、 「尾道」で封 筒と二枚の手紙が揃ったかたちではじめて、展示公開しています。 今回の報道発表は、一枚の書簡と封筒が、夫・緑敏氏から昭和37年に、芙美子の母校・ 尾道東高校に贈られて以降、50年ぶりに再会を果たすというのもので、来年の「林芙美 子生誕110年」を前に、芙美子さんゆかりの「尾道」で、一対としてみなさんに見てい ただく機会をつくることができました。 か く ま 二枚の手紙は、昭和19年に東京から長野県角間温泉に疎開していた芙美子が、近況を 知らせる内容の書簡を、昭和20年1月6日付けで、投函したものです。 尾道市にある書簡(以下「尾道所蔵書簡」という。)は、封筒と和紙に書かれた手紙一枚 からなり、その書簡の前文にあたるもう一枚の手紙は、芙美子の姪・福江氏所蔵の資料か ら見つかりました。 今年3月21日、林芙美子の研究者である久保卓哉(福山大学名誉教授)先生から、尾 道市教育委員会文化振興課に、「長野県山ノ内町立志賀高原ロマン美術館企画展(「わたし 林芙美子―没後60年記念 山ノ内に刻まれた足跡」4 月 21 日∼6 月 24 日開催)の監修を 行った際、林家より同館が展示用に借用した書簡(以下「林家所蔵書簡」という。)が尾道 にある書簡の一部ではないかと思われる。」との情報がもたらされました。 久保先生と尾道市教育委員会は、文献調査とともに最終的には実物を引き合わせての確 認が必要との見解をもとに、その営みを続けました。 信州での企画展示が終わり、 「林家所蔵書簡」が林家に返還されるのを待ったのち、8月 8日に久保先生と文化振興課職員が「尾道所蔵書簡」を持って林家を尋ねて「林家所蔵書 簡」との突合せを行い、次のことから、本来は一通の書簡をなしていたと判断されました。 1)川端康成が林芙美子の死後すぐに発表した「林芙美子さんの手紙」(『文学界』昭和2 6年8月号、追悼・林芙美子)で、昭和20年1月6日の手紙として紹介した文面が、 林福江氏所蔵の一枚と尾道東高等学校所蔵の一枚と一致する。 2)両文献の、和紙の寸法が一致する。折り目が一致する。筆書の運筆、筆致が同じ。 8月8日、林福江氏から今回の発見・確認についての報道発表、尾道での初公開の了承 を得て書簡を借用し、17日に報道発表しました。 この報道発表に至るまでには、久保先生の地道な調査と、もう一通の所有者である、林 福江さまのご理解とご協力があってこそであり、また尾道側の関係者である尾道東高校、 そして同窓会のみなさんからの資料提供が不可欠でした。 ここで、改めて関係者の皆さまに感謝を申し上げます。 【林家所蔵書簡】(前半の一枚) 三尺も雪に埋もれて郵便やさんもめつたに來ない村になりました 硯の水も凍ります 片 岡さんのおなくなりになりました事淋しくおもひます こんな事で年月がすぎてゆくのは 淋しいです いまは村もひつそりと落ちつき 毎日しんしんとそこ気味悪く降る雪をなが めております 創元社からお手紙いたゞきお返事もいたしませんで失禮しております 一 生懸命いゝもの書いてさしあげたいとぞんじます よろしくおつしやつて下さいませ 【尾道所蔵書簡】尾道東高校所蔵・尾道市寄託(後半の一枚) 全く雪深くなりました リンゴも沢山求めてあります そ れと温泉だけが幸福です 東京の日常も案じられますがどうにも仕方がございません 五日前の夜空 雪の山にこだまするやうな音をして 敵機が通ってゆきました 四 川端康成様 そのうち 一度お出掛けになりませんか 林芙美子 リンゴ また送ります (封筒) 表 鎌倉市二階堂 川端康成様 裏 一月六日 長野縣下高井郡穂波村角間 林芙美子 切手 五銭 消印 昭和20年1月6日 おのみち文学の館・文学記念室で、9月2日(日)まで、二枚の手紙と封筒を、また普 段は常設展示をしていない林芙美子関連の次の資料を、併せて特別展示しています。 開館時間;午前 9 時∼午後 6 時(入館は 5 時 30 分まで)、期間中無休 入 館 料;文学記念室・志賀直哉旧居・中村憲吉旧居共通 300 円 中学生以下無料 資 料 名 備 考 所蔵先 油彩画「裸婦像」 大正 15(1926)年、23 歳頃の作品 尾道東高校 油彩画 昭和 6(1931)年 11 月∼翌年 5 月にヨーロッパ(主に 尾道市 「モンマルトル風景」 パリ)に滞在した 生原稿 昭和 23(1948)年 2 月、照国書房から発刊 尾道東高校 「ヴィナスの牧歌」 生原稿「吾亦紅」 昭和 23(1948)年 8 月∼翌年 6 月まで「女性ライフ」 尾道東高校 に掲載 生原稿「上田秋成」 昭和 25(1950)年 3 月、 「芸術新潮」に掲載 尾道東高校 生原稿「寒椿」 昭和 26(1951)年 2 月、 「小説新潮」に掲載 尾道東高校 生原稿「大阪城」 昭和 26(1951)年 3 月、 「別冊文芸春秋第 20 号」に掲 尾道東高校 載 生書簡「井伏鱒二から」 昭和 8(1933)年 1 月 22 日付け 尾道市 生書簡「吉屋信子から」 昭和 36(1961)年 10 月 3 日付け 尾道東高校 生原稿 夫・緑敏が昭和 47(1972)年、尾道東高校文化祭の「林 尾道東高校 「林芙美子のこと」 芙美子展」に寄せたもの 書簡(パネル展示) 昭和 19(1944)年 12 月 30 日付け 「川端康成から」 新宿歴史博物館
© Copyright 2024 Paperzz