展景 No.77

展景
季刊
No.77
March 2015
季刊 展景
目次
号
蔵屋根の大穴〈短歌〉 …………………………………… 池田桂一 冬の陽〈短歌〉 …………………………………………… 市川茂子 埒外〈短歌〉 …………………………………………… 小野澤繁雄 老人ホームのヒューマニティー〈短歌〉 ……………… 河村郁子
冬の情景〈俳句〉
……………………………………… 谷垣滿壽子 鬼打ち豆〈短歌〉
………………………………………… 丸山弘子 クリスマス・イン・パリ、ロンドン&バルセロナ〈短
歌〉 …
結城 文 ジグザグデモ〈俳句〉
…………………………………… 新野祐子 白鳥〈短歌〉
……………………………………………… 布宮慈子 東京歌会 ………………………………………………………………… 歩きスマホ ………………………………………………… 松井淑子 〈那須通信
〉ベゴニアの香り … ……………………… 加藤文子 PART 53 …
…… 小 野澤/布宮/河村 対詠 ごきげんいかが?
前号作品短評 ………………………………………………………… 前号作品短評
………………………………………………………… エッセイ教室「清紫会」の作品より 同行三人 …………………………………………… 小野澤繁雄 ハロウィンの夜 … …………………………………… 大石久美 K子さんのこと ……………………………………… 市川茂子 「清紫会」だより …
…………………………………………………… 無二の会短信 …………………………………………………………… 編集後記 ………………………………………………………………… 今号のイメージ/ レンズ豆
52
2
展景 No. 77
展景 No. 77
3
4
6
8
20 18 16
14 12 10
77
26 22
28
38 36 32
48 47 44 42 40
22
A
B
蔵屋根の大穴
池田桂一
すさ
過疎となり久しき家か閉ざされて荒みし庭に残り柿のあり
雪道の曲がれるところ黄に染まる小便の跡の二つ並べる
のこ
お
人気なき道を歩めば行く手より鋸挽く音のかすかに聞こゆ
み
冬の陽といえどまばゆき不忍の池面に鴨の水脈曵きてゆく
ドア際にマンガ見る子の鼻唄が大きく聞こえる車両きしむたび
ビル風に着物の裾のひるがえる成人式帰りの娘らの華やぎ
空缶を叩けど雀ら現れず去年の鳥らは皆逝きたるか
この冬も取り忘れられ鳴り止まぬ隣りの風鈴聴きつつ眠る
暖冬に氷の張らぬ沼に来て夜鳴く白鳥の声は続きぬ
大地震に空きたる穴の蔵屋根は歳々広がる空を映して
4
展景 No. 77
展景 No. 77
5
冬 の 陽
市川茂子
冬の陽のそそぐ墓石を洗いおり君の体温かすかによぎる
つま
かえりみるひまなく過ぎし十年の歳月早し夫の命日
追憶はカレンダーめくる日々なりてすぎ来し今はわれのたそがれ
感情の起伏はげしくなるという適応障害の悩み告げくる
冬空に雲広がりて沈む陽の傾き早しビルの間に見ゆ
庭先にピラカンサの実を落しゆく何の鳥かとわからずにいて
今朝もまたピラカンサの実の散らばりて庭に来し鳥影も見せずに
年明けてわれに変われることあるや初日を仰ぎ思いめぐらす
正月の賑わい去りて冷蔵庫に余りしものはこれからの糧
寒中の風雨は春を呼びくるとコタツに入りて黙し待ちおり
6
展景 No. 77
展景 No. 77
7
埒
外
小野澤繁雄
あるところ粉のようにも踏まれいつ木に囲まれて風の及ばぬ
一仕事終えたる人の足取りにもどりゆく人見守り隊の
一続きの声としききぬ一つ家の庭にはなれて飼われいる鶏
眼 に 入 る と う 読 み か た に「 再 び( を )来 て 世 を さ ば く 」「 売 る な ら 」 つ づ く
土手上を下を歩いてその差異は小鳥は小鳥人の大きさ
少年というには幼なボールもつ雨が上がって小公園に
するどくも打ち合うような音のしつ風が大きく竹林を揺る
心根の悪さを顔に出しているどのドラマでも役はそんなで
らち
対岸の土手をし歩む人とわれ埒の外辺を歩むがごとし
川渡る手段にひとつこわごわと水門直上歩みわたりぬ
8
展景 No. 77
展景 No. 77
9
老人ホームのヒューマニティー
河村郁子
新 設 の ホ ー ム に 始 ま る 句 会 に は 「動 き は せ ぬ ぞ」 と 雪 兎 の 句
秋 空 を ホ ー ム の 窓 よ り 見 つ め ゐ て 亡 き 妻 の 笑 顔 を 〈ひ ょ う き ん〉 に 詠 む
をむな
「和 歌 の 方 が 好 き な ん で す」 と 言 ふ 嫗 瞳 の 奥 に 相 聞 の 歌
家族とも友とも会話の絶えゐしか一点見つめて問に答へぬ
「帰 り た い」 と 呟 く 声 を 聞 い た ら し 「帰 る と こ な い わ」 と ひ と り ご と 言 ふ
音楽の先生をしていたトシ子さん卓上見つめて指を動かす
慈しみ深きお方なりしかと皺ふかき笑みとほほ笑み交はす
二 回 目 に 「し ば ら く で し た」 と 言 は れ れ ば 同 じ 言 葉 に ご 挨 拶 す る
カ ー ト 押 し て エレベーターま で 送 り く れ る き み 子 さ ん ば つ ち り お 洒 落 き め て る
ヒューマニティー
老い同士ふれ合ふ時間の充実は人間らしさの溢れる空間
10
展景 No. 77
展景 No. 77
11
冬の情景
谷垣滿壽子
足かろく音楽しみて落葉径
寒林に踏み入りて知る明るさよ
貫きて冬真つすぐに向ひ来る
覚悟きめ空支へゐる冬木かな
我が胸と同じ高さに返り花
惜しみなく捨てはじめたり冬支度
葛湯吹く日はかたくなに雲を出ず
失ひし夫とふ宝冬夕焼
待ちし子に鯛焼買はむ列に入る
母の指示想ひ出しつつ年用意
12
展景 No. 77
展景 No. 77
13
ジグザグデモ
にい の
新野祐子
読初めは地図より消えし国の史詩
祖母呉れし聖書カルタをおごそかに
雪山行くジグザグデモを想起して
画然と杉の天辺凍りをり
雪の中の炎祈りのかたちかな
氷柱鋭し人員整理の工場の
風花の鎮魂の舞いやつづく
雪しづり骨より声の出づる刻
恋猫に払暁の戸を放ちけり
彩雲の降り立つやうにヒヤシンス
14
展景 No. 77
展景 No. 77
15
白
鳥
やす こ
布宮慈子
う
ひ
や
く
か
白鳥が来てをり雪の残る田にするどく春を嗅ぎ分けながら
す
にんげんの通ふ道より数百メートルは離れて田んぼに群るる白鳥
静かなる風景一枚白鳥の姿映して音鳴りはじむ
数日を内陸にゐて去つてゆく白鳥を記憶する山並み
雪の消え白鳥がゆき水ぬるむ 飛行せよ北へたどり着くまで
「 夕 鶴 」の つ う の ご と く に 体 温 の あ る 白 鳥 を ひ と は 恋 ひ を り
ゆるやかに曲がれる首を抱きたる夢より覚めぬ白鳥の首
こ
ぜ
み
らい せ
レダならぬわれは羽州の盆地にて肌へ透きたる白鳥と会ふ
か
い つ の 世 に 会 ひ て 別 れ し 白 鳥 か 過 去 世、 未 来 世 い ま す れ 違 ふ
月光を浴びる白鳥おもひたり曲線やさしき冬の去らむと
16
展景 No. 77
展景 No. 77
17
鬼打ち豆
丸山弘子
水やりが下手で鉢植のシクラメンことしの花もバラけてしまひぬ
植えかへて養生しくれし人病めどヒマラヤユキノシタに桃色の花
つがひ
わが寄るを気づかぬメジロの番ゐてかたみに椿の蜜を吸ひをり
雨あとの日射しに輝れる柿の木にメジロ来て鳴くしばらくを居り
ら
右ひだり瞳の色のちがふ猫けふは親しげに体を寄せ来
の
困るんだと言ひつつ野良猫にすり寄られ満更でもなし老人の顔
あ
生 れ し よ り 見 知 る 隣 家 の 猫 の 尾 の 片 仮 名 「ノ の 字」 は 笑 ひ を 誘 ふ
ビル解体 予告どほりの破壊音仕事はじめの今日より激し
、
としどしに届く鬼打ち豆友が手の一陽来福の言葉添へあり
つくり手の高齢化を言ひ渡されしリリアンの草履ことし最後か
18
展景 No. 77
展景 No. 77
19
ク リ ス マ ス・イ ン・パ リ 、ロ ン ド ン & バ ル セ ロ ナ
結城 文
コ ン コ ル ド 広 場 い つ ぱ い 埋 め つ く す クリスマス・マーケットに あ ま た さ ざ め く
舗 道 ま た ぎ 張 り 渡 し た る 電 飾 の 昼 で も 灯 る ク リ ス マ ス・イ ン・ロ ン ド ン
パリよりも銀の灯多し街路ごとに点灯式せしロンドンの電飾
パリっ子のロンドンっ子の気質の差を思ひつつ歩むキャロルの街を
*
カ サ・バ ト リ ョ
など文字が頭上に踊りをりさすが大胆なりスペインの灯は
FUMFUM
鮮烈な赤・青色の光ありて心弾み来バルセロナの街
*
ガウディの設計といふ富豪邸壁に描かれしやさしき草花
未 完 成 の サ グ ラ ダ・フ ァ ミ リ ア( 聖 家 族 教 会 )今 日 も ま た 多 国 籍 の 群 衆 を 容 る
青空に向きて自在に伸びてゆく発想恋ひをり言葉の域で
ク リ ス マ ス・ツ リ ー も 雛 も 処 分 せ し こ と 淡 々 と 歳 晩 の 街
20
展景 No. 77
展景 No. 77
21
東京歌会(第二十八回)
(木)
、
会場・文京シビックセンターB会議室。詠草は、各二首八首。出席者四名(市
平成二十七年一月十五日
川茂子、大石久美、小野澤繁雄、松井淑子)
。
・冬 空 に 雲 広 が り て 沈 む 陽 の 傾 き 早 し ビ ル の 間 に 見 ゆ 市 川 茂 子
ま
「ビルの間に」という云い方が舌になじまないという。この時期(季節)の歌、把えるべき
ところを把えている。ムリをしてはいないが、
「冬空に雲広がりて」と「沈む陽の傾き早し」
との間に関連は薄いようだ。
・こ こ に き て 竹 の 打 ち 合 う 音 の す る 新 年 は 歩 み は じ め の み ち に 小 野 澤 繁 雄
「新年は」の「は」で、説明になってしまう。「はじめの」の「の」で歌を緩
上句はいい。
くしてしまった。下三句が締まっていないという。
・群 青 の 風 に 吹 か れ て ひ と 刷 毛 に 描 か れ し 雲 の さ む ざ む と 白 河 村 郁 子
「群青の風」に、納得させられる、変でない、新鮮という声。また、
この日一番好評だった歌。
結句のよさにも声が集まった。全体にバランスがいい。
・代 々 木 駅 の 地 下 に 繋 が る 石 階 を 亡 き 師 は 今 日 も う つ つ 駆 け ゆ く 大 石 久 美
地下鉄に繋がる石階を元気なときの師が駆けてゆく。その姿は、(今日の日も)「うつつに(駆
けゆく)
ように」
みえた。校正をしに印刷所に通ったときのものだという。
「亡き師」とあるが、
生前は(結社内でも、本人の意向もあって)さん付けで呼んでいたという。亡くなってまだ
間がないのだ。心で読む歌。
東京歌会(第二十九回)
、会場・文京シビックセンターA会議室。詠草は、当日間に合わなかっ
平成二十七年二月十九日(木)
た歌二首を含む各二首十二首。出席者五名(市川茂子、大石久美、小野澤繁雄、林博子、松井淑子)。
22
展景 No. 77
展景 No. 77
23
・東 京 に 雪 降 る あ し た 画 面 に は イ ス ラ ム 国 境 し と ど 雨 降 る 大石久美
、雪と雨、その対比的な構成が注目された。また、東京の雪と「イ
東京と「イスラム国境」
スラム国境」の雨とにも意外性あり。現在の画面がつないでしまう遠近さ。歌は明快で、
「し
とど」に感情がこもるようだ。
「イスラム国境」には山岳地帯があるようだが、流動的、限
定されにくいか。
・初 春 に 到 来 し た る 胡 蝶 ら ん 一 部 屋 占 め て か が や き 放 つ 市川茂子
「到来したる」で、いただきものということがわかる。鉢ものか。部屋の大きさもあれこれ
云われたが、そう大きくもない部屋。そういう部屋を占有するようなかがやき、なのだ。気
分がみえる歌と。
・通学班の朝に遅れて歩むみち霜柱、氷みな踏まれいつ 小野澤繁雄
こどもたちの姿が想像される。結句「みな踏まれいつ」が効いているとの評あり。
うすづ
・日 に 焼 け し 障 子 に 舂 く 淡 き ひ か り 時 止 ま り た る 亡 き 母 の 部 屋 林 博子
うすづ
「舂く」は夕日が(地平線、山に)沈む時をいう。過剰な説明はない。一つ一つのコトバが
重ねあわされている。
・鳥 の 名 が 会 話 の 中 に 増 え て ゆ く ベ ラ ン ダ に 来 る セ グ ロ セ キ レ イ 布宮慈子
セグロセキレイの姿態にコトバが集まった。地域によってセキレイの種類はちがうと。ベ
ランダに見ているところからは、
つれあいのような親しい者の間の会話だろう。春が近い(来
た)ことが実感されるような。何か光も感じられる。
せきれい
・妙正寺川を塒となせる鶺鴒か何ついばむや庭に来ている 丸山弘子
庭に来ている鶺鴒。より直接的な視線が感じられる。疑問符が二つ。妙正寺川にも思いが
及ぶような。ひとりのたたずまいがみえるようだ。
(小野澤繁雄)
24
展景 No. 77
展景 No. 77
25
歩きスマホ
ひざ
松井淑子 わらじ
にも届かない丈の短い着物に草鞋ばき
新聞の広告欄に二宮金次郎の銅像の写真が載っていた。膝
たきぎ
かたど
で、背に薪を背負い、本を読みながら歩いている姿を象ったもので、私が子供のころ、小学校で毎
日目 に し て い た 銅 像 で あ る 。
「お や 、 懐 か し い 」 と 思 っ た 。
広告主はどこかの銅像の製作会社で、ある年代以上の人なら抱くに違いないこの〝懐かしい〟と
いう気持ちに訴えて、二宮金次郎像の売り込みをはかっているように思われた。銅像の大きさは、
もちろん室内に飾れる程度の小さなものであろうが。
近ごろはどうか知らないが、私が子供のころはほとんどどこの小学校でも、校舎の正面玄関の脇
あたりに、等身大のこの二宮金次郎像を飾っていたものである。そして先生方は新入学の児童たち
に、二宮金次郎は寸暇を惜しんで歩きながらも勉強した偉い人であることを説明し、
「みなさんも
ところが同じ学校に通っている、高学年になってそろそろ世の中を斜めに見ることを覚えはじめ
金次郎を見倣って一生懸命勉学に励むように」と大いにハッパをかけたものであった。
いとこ
た従兄が、ある日私にこう言った。
「二宮金次郎の真似なんかしちゃだめだよ。歩きながら本を読んだりしたら電柱にぶつかるかもし
れな い 。 危 な い じ ゃ な い か 」
もちろん私は、歩きながら教科書を読むつもりはなかったし、二宮金次郎の〝歩きながらの読書〟
たと
は勤勉さの譬えであることぐらいは承知していたが、積極的に危険と結びつけてこう言われると、
なんとなく〝目からウロコ〟の気分がしなくもなかった。
そんなことを思い出しながら新聞広告の二宮金次郎像を眺めているうちに、ふと〝歩きスマホ〟
を連想した。歩きスマホ ── 歩きながらスマホことスマートフォンを見ることだ。夢中になって
見ているうちに周りに対する注意が散漫になり、何かにぶつかったり、ひどい場合には駅のホーム
から転落したりして、最近、社会問題になりかけている。
二宮金次郎が手に持っている本をスマホに変えたら、まさに歩きスマホではないか。
(二宮金次郎さん、こんなことを言ってご免なさい)
二宮金次郎の偉さは別として、かつての従兄に倣って皮肉な見方をすれば、歩きスマホの元祖は
二宮 金 次 郎 、 と 言 え な い こ と も な い 。
ついでに、先年亡くなった、皮肉屋だった従兄の顔も思い出した。
26
展景 No. 77
展景 No. 77
27
〈那 須 通 信
〉
ベゴニアの香り
加藤文子 年が明けてしばらくした頃、冬のあいだ室内に取り込んでいる原種のベゴニアの周辺が香るよう
な気がしたり、しなかったり……。通路を横切ると、かすかに香りの帯がたなびいている。
そんな中、いつものようにベゴニアに水をやろうと鉢に触れた瞬間、香りの主はやはりこれだと
思っ た 。
香りをたよりに中をのぞいたら、平たくてまっ白な小さな蕾の粒が葉のかげで寄り添っていた。
それにしても蕾の時からこんなに香るのも珍しい。
それはまるで地下に眠る原石がかすかに光を放ちながら潜んでいる、そんな光景を思い起こさせ
るものだった。はっと心を明るくしてくれる世界だった。
長いこと気づかなかっただけなのか、どうだったのか……。
二十年以上育ててきて、ベゴニアの香りを味わったのは、はじめてだった。
28
展景 No. 77
展景 No. 77
29
22
今年の冬は、なるべく陽に当てようと、日光浴をまめにしたのが幸いしたのか、いつもの年より
蕾の数も多く、そのうえ葉も艶やかで潑剌としている。
ひと月もするうちに葉の間から赤味を帯びた細いストローのような茎が、先端に花をかかげて伸
び上がってきた。深いみどりの葉の上方で純白の花々が浮遊する。
外は雪、軒は氷柱、そんな一番寒い時季に満開になって、春に招待されたような気分になる。
30
展景 No. 77
展景 No. 77
31
Photo : Kato Fumiko
もう少しで 春が …
開花に向けて香りは強くなるものとばかり思っていたが、徐々にうすれていった。
ベゴニアの花が終わりに近づき、室内から香りが消える頃、本当の春が来る。
ベゴニア ニグラマルガ
対詠 ごきげんいかが?
PART 53
〈
〉
2014 – 2015
12
7
2
26
9
5
31
4
31
日 28
日 16
日 15
O
K
N
O
K
小野澤繁雄
布宮 慈子
河村 郁子
12
日 日 月
12
N
月
K
月
O
杉並の迷路のやうな道を行く盲導犬と人とは一体
K
月
O
お隣の飼い犬ナウへのお歳暮はオリゴ糖入りビスケットなり
K
年
O
201
24
日
日
日
日
日
日 日 日 N
N
日 N
30
月
月
月
月
月
月
月
12
対岸に子の上げている凧の影鳥のごとくに土手をうごいて
つつつーとセグロセキレイ動きたり雪の舞ふ日の音符のごとく
わが庭に紅梅咲きて久方の天より雪の降り積もりくる
へ
東京の開花しらせは梅の花当地開花は来週のことか
から う め
何かこう待つ間もなしに咲き出でぬ団地のみちは小木梅に
皺の寄るやうな天気図みてをれば風の息して雪女来つ
い
早春の陽ざしにこぶしの和毛立ち終活ひとまづ憇息に入る
元気とも云うはならねど吐く息の身を包むさまあるうれしさに
16
K
月
18
O
砂を吐く浅蜊おもひてゐる夜は雨の音して春めきてをり
雨あがりの庭におり立ち息深く生気うけたり如月の尽
晴れ切るという間もなくてまた雨に雲間明るむ日もうつりゆく
22
月
そ が ひ
12
32
展景 No. 77
展景 No. 77
33
撓ふほど実りし柿の背向には住む人のなきままのアパート
1
道の先に首垂れている黒き影犬連れている人とししりぬ
月
1
日 月
1
日 1
日 母の家の雪下ろし済みアクセルを踏めば思へり紅梅白梅
2
唐梅の咲き満つる庭に招かれて色と香りに囚はれてゐる
2
2
3月
2
3月
2
2
K N O
2
5
ス ー パ ー の レ ジ の 前 に て 黙 禱 す 三・一 一 の 夜 は 湯 豆 腐
山 形 に キ ャ ン ド ル 灯 れ り 四 年 め の 三・一 一 は 雪 の 一 日
初 め て 習 っ た 漢 字 曜 日 名 で 好 き に な っ た が〈 水 〉と 安 西 水 丸
カウカウと鳴き渡りゆく白鳥か雪に繊月みえ隠れして
3月
3月
3月
3月
日 N
日 日 O
日 N
34
展景 No. 77
展景 No. 77
35
K
11
13
15
24
前号作品短評A〈小野澤〉
池
田桂一
●雨ごとに秋は急ぎ足――壁や窓に呟きながら音たてながら 結城 文
雨(足)が壁や窓に触れて、それらは音でもあるが、
呟きでもあるようだ。秋は急ぎ足。ダッシュ
は、雨足の跡のように、ながれて、壁内の、窓際の作者の想念に着地する。一つ前の歌もそうだが、
詩に ( そ の 一 部 に ) 近 づ い た 短 歌 。
わが肩に赤き一葉のきてとまるやさしき季節よ今すこしここに
より散文的な生活感に近いところでは、こんな歌、
ホチキスで綴ぢゆくやうにはゆかぬなりひとたび壊れし他人との仲
●早く帰ると云った言葉を(詩「帰宅」の一行)
四連、三、四、四、五行で構成される詩。最終の三行を、一文につなぐと次のようだ。
「かすかな街路樹のざわめきは早く帰ると云った言葉を焦点のない夜空の中に揺らしている」
通常の散文にない含み。言葉の内実が宙づりになっていて、ゆすぶられている。フレーズでいう
と、舗道にみる模様を「まだら蛇」と云うところ、夜更けの交叉点を横切っていく酔っぱらい二人
の動きを「ジグザグデモを思わせるリズムで」と云ったところ、になお生気ある、引っ張り込まれ
た過 去 が み え る 。
●台風のおきみやげのごと庭すみに遅れて出でし茗荷が一つ 市川茂子
一つ庭すみに遅れて出てきたもの、茗荷。作者の視線がとらえたものはごく小さなもの。それを
台風のおきみやげのようだ、という。小さな幸福感。一連「吾のモノローグ」には、後半、十首目
に置かれた歌の「終活」のように、何か始末する心持の歌が続いている。
「心の迷い」というコト
バも 歌 に 出 て い る 。
善悪の過去の記録を束ねつつ「終活」という時の流れに
●人をらぬ苔沼の水さかさまの色を映してとりどりの赤 布宮慈子
人の姿は映していない。色は木々の色のみ。その色も、とりどりの赤で、たださかさまなのだ。
言葉に映されることと同様に、世界がそのままに映されることには驚きがある。
「人界」より森へ
あ
こ
げ
ら
行きたり。一つの境界性が、生動感をもたらすようだ。
を置けば小啄木鳥のドラミング林に響く
し ば ら く を 静 物 と し て 吾
冒頭の三首で、あだっちゃん(安達裕之)を呼び出す。この歌で慰めとする。
やはらかきたましひもてるきみなれば大震災のまへにゆきたり
36
展景 No. 77
展景 No. 77
37
前号作品短評B 〈慈子〉
●四つ足のものの姿態にかがむ猫みちの続きのわれもかがんで 小野澤繁雄
猫は四つ足だから、四本の脚を折り曲げるのは当然のこと。野良猫だろうか。かがんでいる、あ
るいは、かがもうとした瞬間を見て「われ」も同じようにしてみたらしい。関節の違いが気になっ
たのかどうかはわからない。周りに人がいないのだろう。自分の奇妙な行動を楽しんでいる。ここ
ろを自由にさせながら、一時、猫と作者の時間を味わっている。 青の間を鳴りいる音か交差点をひとり渡ればひとりのさびしさ
横断歩道を渡るときの機械音が、一人を意識させる音となって響く。実感がある。
きて入りたる六階の部屋の西窓広く明るい 河村郁子 つ
● 看 護 師 に 従
作者は病気がわかって入院したと聞く。病室の窓が広くて明るいことで、なにか希望を感じさせ
る場面だ。病名を告げられたとき、手術するか否か、いよいよ入院となったとき等々、ひとは最終
的に一人で考え、耐えねばならない。どうのように振る舞うかは、その人次第。
夕刻の街の営み見つめゐる 車が走り信号に停まる
車と信号を描写することによっ
自分の不安は他人にはわからない。(病室のある高さから見える)
て、生きているという偶然がリアルに浮かび上がった。
あをばと
鳩の声山賊をおどろかす 新野祐子 ● 緑
「オーアーオー」などと
アオバトは、インターネットで画像を見てみると、オリーブ色の鳩だ。
遠くまでとおる独特の声で鳴き、尺八の音のように哀調をもつとのこと。
「山賊」は、山に入って
いる 自 分 た ち を コ ミ カ ル に 表 現 し た 。
エコーよき「想像ラジオ」星月夜
『想像ラジオ』は三・一一を題材にした、いとうせいこうの小説。
「想像」という電波を使って、想
像力の中だけで聞こえるラジオ番組とのことだ。読んだ者にだけエコーは聞こえるのか、おのおの
で読 ん で み る し か な い 。
●ことし最後と聞きて見てをりマンションの肩を離れしスーパームーン 丸山弘子 二〇一四年九月九日の月は、昨年最後のスーパームーンだった。スーパームーンとは、月が地球
に接近して普段より明るく大きく見える満月または新月のこと。その日は天気がよく、各地で見ら
れたのではなかったか。景が大きく「マンションの肩を離れし」の描写がうまい。前半の音数を整
えれ ば 、 も っ と よ く な る は ず だ 。
ほろほろと散る白花のさるすべり飼ひ猫しろが身に浴びてゐる
「ほろほろと散る」「さるすべり」「しろ」のラ行音がリズムを生み、心地よい歌である。
38
展景 No. 77
展景 No. 77
39
エッ セ イ 教 室 「 清 紫 会 」 の 作 品 よ り
同行三人
小野澤繁雄 実家の片づけに往復することが頻繁になってからもずいぶん時間がたった。こちらは定年退職後
も元の職場に週三日の頻度で通っているので、まだ日程の調整の必要があるが、土曜日はあいてい
る。勢い土曜日にゆくことになる。こちらはワゴン車で、
兄さんは鉄道で、
途中駅での待ちあわせだ。
別途、市のクリーンセンターがやっている平日を選ぶ。家内にためておいたものを運び込むのだ。
この週末は、近くに住む下の妹も同行した。
多くごみとなるものからそうでないものを選別する作業ももう終盤となっている。前回は廊下に
置かれた棚から、もう最後といっていいアルバム類、写真がみつかったことで、二人とも心が騒い
だも の だ 。
駅に急いでいる間、車のなかでいろいろ妹とはなしができた。仕事のこと家族のことといろいろ。
魔法瓶のコーヒーをもらい、自家製の漬物に手を出したりする。醬油のもろみで漬けたものだとい
う。 県 境 の 山 々 が 見 え て い る 。
兄さんは、駅ナカでじかんつぶししている間に、酒饅や麩菓子に手を出したらしい。
途中、夫婦でやっている手打ちうどんの店で昼をとった。肉うどんとし、天ぷらを追加する。支
払い は も う 決 ま っ た よ う に 兄 さ ん だ 。
実家近くのコンビニで小休止する。ここもいつも通り。高速道が走る山際を雲がながれてゆく。
台所の片づけは終わっていたが、食器類が処分できないでいた。もちかえって使うものを妹にえ
らんでもらう。じぶんも湯呑を、九谷、有田とあるものの幾組かを選んだ。壊れにくく洗いやすい、
そんな湯呑をながく使っていたから。もう壊れたっていい。
洗面所の下の棚が片づいていないことに妹が気づいた。男二人では気づかなかった場所だ。
家の裏手、共同墓地にいってみた。新しい仏が出ていないかとなり伝いにみてまわる。
帰路も三人でいろいろな話をした。テニスのこと酒のことそれぞれ。
肩を近くに暮らしていた日々
は別な世界のことのように遠いが、今は身近にはなすことが多いのだった。
40
展景 No. 77
展景 No. 77
41
ハロウィンの夜
大石久美 明日からは十一月。十月三十一日の夜、玄関の前が騒がしい。玄関を開けると、十五、六人の子
供が集まっていた。そして、そのまま、六、七人の子が家に入ってきた。
よく見ると女の子は少し化粧し、髪にヴェールを被っている。仮装をしている子も何人かおり、
にこ に こ と し て 立 っ て い る 。
子供達に聞くと「ハロウィンだから」と口々に言う。ハロウィンは聞いた事はあるけれど、何故
こんなに押し掛けてきたのか訳が解らない。しかし子供達は全員にこにことして、何か期待をして
いる ら し い 。
「ハロウィン。おばさんは初めて聞くので解らないのよ」と言いながら、お菓子の買い置きが無い
か嫁の和子さんにも探してもらったが、折悪しくあまり数が無い。とりあえず小さな子供達にクッ
キーなどを配って、「この次には用意しとくからね」と退散してもらった。
翌日の昼、玄関のベルが鳴り、中年の女の人三人が立っていた。
「昨日は、子供達が大勢押しかけてすみません」
。同じマンションの下の階の住人と言う。
恐縮しながら、大きな林檎を二個置いて行かれた。
ハロウィンとは? 広辞苑で調べようと思ったのだが、私の持っている広辞苑は、昭和六十年の
第三版のものである。古いけれど、普段は充分これで間にあう。しかしハロウィンは出ていない。
小さな電子辞書で調べると、「諸聖人の祝日の前夜(十月三十一日)に行われる祭り。スコットラ
ンド・アイルランドに起源を持つアメリカの祝い」と出ている。
来りなのか。
しきた
な る ほ ど 、 ア メ リ カ の 仕
私が若い頃通った教会は、メソジストで、プロテスタントの一派で敬虔主義だったように思う。
その頃、同居していた姑が、新興宗教に凝り、異常な行動に出るようになったので、若かった夫は、
家の中での一切の宗教を禁じ、私の教会行も行かれなくなった事がある。
その姑も夫も、とっくに現世の人ではない。
む く
さす
腫んだ足を摩りながら、春を待って
暖かくなったら、ハロウィンの事を調べてみよう。薬害で浮
いる 私 で あ る 。
42
展景 No. 77
展景 No. 77
43
K子さんのこと
市川茂子 広い道路を渡っていくと、住宅街のなかにK子さんの自宅がある。
用事があって行ったときに、家が立て込んでいるなかの一画に、庭が広い家があり、花盛りだっ
たの で び っ く り し た 。
玄関に向って右側には、百五十センチ四方ぐらいの花壇にスズランが植えられて、左側にはミヤ
コワ ス レ の 花 が 咲 い て い る 。
縁側から見えるところには、シャクヤク、ツツジ、ノボタン、サザンカなど、四季折々に咲く花
や木 な ど を 丹 精 し て い る 。
親しい近所の人達を呼んで、縁側で花を眺めながらお茶会をしていると、言っていたことがあっ
た。
K子さんは、N病院の職員として各部署を務めながら、定年少し前に退職した。その後、再び新
たな分野の勉強をはじめ、大学で受講するなど、幅広く活動している様子だ。
時には私を、絵画展やコンサートにも連れて行ってくれた。
たまたま同人誌の「展景」が届いたときに行き合ったので差し上げると、しばらくして私の歌の
感想をしたためて、激励の言葉も書いて持ってきてくれた。身近な方に読んでもらえたことは、何
より も う れ し か っ た 。
折節には、体調のことなどを心配してくれて、同じように周りの人達にも親切にしてくれる。気
さくな方なので、皆さんが頼りにしているようだ。
寒い日がつづき、年の瀬もせまってくると、一人暮らしのことを心配してくれる。
隣近所の方はもちろんのこと、ご縁のある方々の世話になってきた一年だったと思いながら、今
日で仕事納めにしようとしていると、翌日になってまた一人と、急ぎの仕事を持ってくるので、年
末ぎ り ぎ り に な っ て し ま っ た 。
ありがとうございました、と心のなかでお礼を言いながら雑用に追われていたが、K子さんにだ
けは逢いたいと思って電話をしたら、外出中の留守電になっている。
「今 帰 っ て 来 ま し た 」
と夕方になって返事があったので、門扉を閉めないうちにと、急いで伺った。
玄関に入って言葉を交わしている間に、台所の方からチンと音がして、取り出してきたのが、焼
き芋にして送ってきた「あんのう芋」だった。
44
展景 No. 77
展景 No. 77
45
春になったら、庭の花を見ながらのお茶会に、私も呼んでもらおうと、ひそかに思っている。
「胸にあてて、温まりながら帰ってくださいね」
ラップに包んで温めた芋を手に握らせてくれて、
との気遣いに、冷え込んできた道すがら、涙が出るほどうれしかった。
「清 紫 会 」だ よ り
◆第 回 平成二十六年十一月二十日(木)
、会場・文京シビックセンター三階和会議室
〈提出作品〉小野澤繁雄・同行三人/林博子・健一さんの欅/松井淑子・歩きスマホ
◆第 回 十二月十八日(木)
、会場・文京シビックセンター三階A会議室
〈提出作品〉林博子・デンワと電話/松井淑子・雀
◆第 回 平成二十七年一月十五日(木)
、会場・文京シビックセンター三階B会議室
〈提出作品〉市川茂子・K子さんのこと/大石久美・ハロウィンの夜
(松井)
46
展景 No. 77
展景 No. 77
47
125
126
127
無二の会短信
◆今年こそ面倒なことが無いようにと祈っていたが、二月に入ってからそうはいかなかった。会計
役だけは大変なので断っていたのだが、前任者に頼みこんで続けてもらったら、決算近くで帳簿が
合わないといってきた。当人が通帳の出し入れをせずに、立替えを優先しすぎたために合わないこ
とがわかり、最初から伝票作りをして、二週間をかけて何とか目安がついた。
「だろう」仕事が如
何に迷惑をかけるか、あらためて身に染みる結果になった。 池田桂一
◆雨上がりの庭に小さな鉢植えがいくつか並んでいて、冬咲きの花の色があざやかに目に映る。も
う春の気配が足もとに近づいてきたようだ。正月に余った野菜や餅を雑煮にして食べながら、コタ
ツから出られないでいると、友達から出かけようとの誘いがあった。けれど、風邪をひきそうだっ
たので、もっと先にしようと言って断ってしまった。
市川茂子
◆この地に越してきた当初からあったホームセンターが、近くに同業者が開店したあおりか、閉店
し、すぐに更地になった。代わって 時間マックが新築開店した。近いこともあって、このところ
マックが読書室となっている。それにしても、今のマックは多く若い人たちが勉強部屋として使っ
ていて、そのなかに交じって読書しているので、少しくすぐったいような感じがある。小野澤繁雄
◆家の近くに老人施設が昨年九月に開設された。
「近隣の方々との交流を持ちたい」と女性ホーム
長が訪ねて来られた。入居者の介護の他にもハープ演奏、落語の独演会などの催し物があり、部活
のように俳句、カラオケ、リハビリ体操、料理に水彩画などの集まりも企画されている。
「どれで
もご出席いただきたい」と言われて、「それでは、俳句とカラオケね」と乗ってしまった。私自身
が退院後であったので、近場であることが嬉しかった。ここ四ヵ月出席しているうちに、どちらの
会でも、なんとなくお世話役になってしまった。深い人生から醸し出される俳句や歌唱には感動が
発行)という
多く、学ぶことも多くて大切にしたいと思っている。
『毎日が発見』
( KADOKAWA
高齢者向けの雑誌の中に短歌を応募する「新・短歌のじかん」が設けられていて選者の伊藤一彦先
生が「現在のことでも過去のことでもかまいません」と言って下さっているのは入居者には励みに
なる。私も幾分か年長の方々と過去の思い出も活き活きと表現していきたいと思っている。
河村郁子
◆初めまして。この度、ご縁がございまして「展景」に載せていただくことになりました。何卒よ
ろしくお願い申し上げます。まだまだ勉強途上の未熟者でございますが、
日々努力してゆこうと思っ
ております。今後ともよろしくご指導、ご鞭撻をお願いいたします。 谷垣滿壽子
◆一九八七年、フィリピンの農民との交流で、四人の仲間とミンダナオ島を訪ねた。農地解放を求
48
展景 No. 77
展景 No. 77
49
24
める運動家の家に泊まることになっていたが、村人から日本人が来ていると知られ、身の危険を避
けるため、漆黒の闇の中、隣村に逃れた。太平洋戦争中、日本兵に家族を殺された村人が少なから
ずいるという。隣村では、かつて日本軍がパイナップル農園を経営していた。安倍首相が戦後七十
年談話を出すに際して、昨日のことのように思い出している。 新野祐子
◆最近、スマホに万歩計の機能がついていることに気がついた。うちの辺りは最寄りの駅まで徒歩
で約二十分、スーパーまで二十五、六分とひどく不便な所で、不便さを嘆いていたが、早速、歩数
にして何歩歩くのか測ってみることにした。すると駅まで片道千九百歩、スーパーまで二千百歩、
どちらも往復にして約四千歩歩くことになる。健康のためには一日四千歩は歩く必要がある、と何
かで読んだことがある。そこで近ごろは不便さを嘆かず喜んで歩いている。
松井淑子
◆ことしはひどいお正月だった。十一月二十日すぎ、隣に住んでいる一人住いの弟が、脳梗塞にな
り救急入院した。その日救急担当の医師が脳神経専門の方でラッキーであった。しかし簡単に考え
てはいけない、と釘をさされ心配した。今は手当も薬もよくて、リハビリ専門の病院に転院するこ
とができ、養生している。困ることは、隣に住んでいる、というだけで彼の留守宅の日常の雑事が、
私の負担になっていることだ。わずかなことでも、
毎日となると少々息切れがしてきて困っている。
丸山弘子
◆介護職員養成訓練校を卒業する三月がいよいよ目前に迫ってきた。
「あと、一ヵ月後には介護職
として働いているのだろうか」と日々自問。やる気がないわけではないが、自信がない。今は残さ
れたモラトリアム期間の貴重さを噛みしめている。 山内裕子
◆狭山から持ってきた鉢のなかにシクラメンがあった。白い花びらの中心と縁が濃いローズ色の花
である。このシクラメン︱︱なかなかの優れもので、多分、平成八、九年頃から毎年、花を咲かせ
つづけている。今年は特に見事で、現在十八個の花をつけ、十二個の蕾をもつ。これはもともと妹
が、もう亡くなった母のためにもってきた鉢の花であった。花の少ない年もあるが、一つも咲かな
かったという年はなかった。今、直径二十センチ程度の鉢なのだが、花がおわったら、もう少し大
きな鉢に移してやったほうがいいのだろうか? 米のとぎ汁をやるだけなのだが、なにか肥料を与
えた方がいいのかなど思案している。 結城 文
50
展景 No. 77
展景 No. 77
51
編集後記
ご せんごく
◆今回から、河村さんのご紹介により、俳句の谷垣満壽子さんが加わった。谷垣さんは略歴による
と、昭和十二年、満州チチハル市生まれ。十八年、東京へ。俳句では、平成六年から上田五千石の
高弟・百瀬美津の俳句会に参加。五千石の急逝により平成十年、百瀬主宰の「般若」に参加、同人
となる。その後、主宰の健康上の理由で「般若」廃刊ののち「いずみ句会」に参加しているという。
ともあれ「展景」の仲間として、これから一緒に励んでいければと考えている。
上田五千石と聞いて、少し驚いた。五千石は、わたしが長年お世話になった編集プロダクション
「文彩」の社長・村井弘明さんの大学の同級生だったのである。村井さんの話によると、大学では
サークルのようなところで詩を作っていたが、みんなで五千石に「おまえ、詩の才能ないよ」と引
導を渡した。それで五千石は詩をやめて、俳句で大成したのだという。事の真相はともかく、その
当時の大学生は選ばれし者たちである。才能がないはずはない。村井さんの博学ぶりもさることな
がら、文彩を訪ねてきた数々のご友人も錚々たる人物ばかりであった。五千石は父が俳人で、幼少
のころから父と兄から俳句を教わったというから、あらためて俳句に取り組む覚悟ができたのかも
しれ な い 。
満州というと、村井さんも満州育ちである。朝食はパンに紅茶にサラダ。小学校に行くときの馬
車の様子、白系ロシア人の女の子と遊んだ話等々、仕事の合間に聞いた話が思いだされた。上田
五千石の俳句の展示会(小田急デパートだったか、短冊を飾ってあった)などにも行ったから、
一九九七年に五千石が六十三歳で急逝したと聞いたときには、なんだか自分も悲しくなってしまっ
た。俳句界にとって惜しい人を失くしたのだと、わたしでさえ思ったのであった。
◆「近江きまぐれ文学抄」の新関伸也さん、「鳥海山麓だより」の鈴木京子さんのエッセイは今回
お休 み で す 。
◆薦 め ら れ て 、
『日本はなぜ、
「基地」と「原発」を止められないのか』
(矢部宏治、集英社インター
ナショナル)を読んだ。すごい本です。著者の矢部宏治さんは編集者。難しいことをやさしく書い
ている。「だれもがおかしいと思いながら、止められない。日本の戦後史に隠された『最大の秘密』
とは?」と帯文にあるとおり、著者自身が素朴な疑問をもって取材を始めたところから話は始まる。
で、 ページまでの「ウェブ立ち読み」ができます)
http://www.shueisha-int.co.jp/archives/3236
日本とは? 日本人とは? 自分の足元を見るためには必要な一冊だろう。
(出版社のサイト
(布宮慈子)
52
展景 No. 77
展景 No. 77
53
104
muninokai.com
上記のサイトでは、フルカラーのオンラ
イン版「展景」を公開しています。
季刊 展景
号
一
—
七
—
二〇二
—
Copyright©2015 MUNINOKAI. All rights reserved.
[email protected]
山形市上町 二
制作 スタジオ・マージン
無二の会「展景」発行所
二〇一五年三月三十一日 発行
編集・発行人 布宮慈子
77