Vol.06 - 日本交通文化協会

CREARE NEWS No.6 / 2011
成田スカイアクセス パブリックアート特集
Pubic Art at Narita Sky Access Line Stations
クレアーレ作品紹介
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2
パブリックアート作品が世界からの人々をお迎え
旅のひと時にうるおいを添えます
「動く青い世界地図」
「おー日本よ」
●「雲上晴朗」
成田スカイアクセス 成田空港駅
成田スカイアクセス 空港第2ビル駅
成田スカイアクセス 成田湯川駅
●
●
座談会
佐野 ぬい
吉武 研司
篠原 修 南雲 勝志
パブリックアートがたどった道と未来
出席者: 佐野 ぬい
女子美術大学学長・画家
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松浦 晃一郎
酒井 忠康
ユネスコ前事務局長
世田谷美術館館長・美術評論家
ルイ・フランセンを偲んで
6
司会:滝 久雄
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クレアーレアカデミー構想の第一歩が始まる
14
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16
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18
東京藝術大学大学院壁画研究室プレ壁画実習ゼミを開催
クレアーレ アーカイブス
「風月延年」
京成上野駅
「光と水と生命」 JR大宮駅
●
●
ルイス・ニシザワ
ルートヴィッヒ・シャフラット
「国際瀧冨士美術賞」海外校紹介
●
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プラット・インスティテュート
(アメリカ合衆国)
クレアーレ パブリックアートの未来を拓く
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●
20
地域のためにパブリックアートは何ができるか
公益財団法人 日本交通文化協会 理事長
20
滝 久雄
Works of CREARE
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2
Public Art Works Welcome Visitors from Abroad and Brighten Their Travel
•The Traveling Blue World Map, Nui Sano, Narita Sky Access Line, Narita Airport Station
•Oh Japan, Kenji Yoshitake, Narita Sky Access Line, Airport Terminal 2 Station
•The Blue Sky Above the Clouds, Osamu Shinohara & Katsushi Nagumo, Narita Sky Access Line, Narita Yukawa Station
SPECIAL TALKS
Past and Future of Public Art
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6
Guest Speakers: Nui Sano, Painter and President, Joshibi University of Art and Design
Koichiro Matsuura, Former Director-General of UNESCO
Tadayasu Sakai, Art Critic and Director, Setagaya Art Museum
Moderator: Hisao Taki, Director General of the Japan Traffic Culture Association
Reminiscence of the Late Louis Fransen
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14
CREARE’s Future Plan Takes First Step
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16
CREARE Archives
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18
•Fugetsu Ennen (Wind and Moon Longevity), Luis Nishizawa, Keisei Ueno Station
•Hikari to Mizu to Inochi (Light, Water, and Life), Ludwig Schaffrath, JR Omiya Station
International Takifuji Art Award—Introduction of Overseas Schools
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20
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20
•Pratt Institute (USA)
CREARE—Creating the Future of Public Art
•What Public Art Can Do for the Local Community
Hisao Taki, Director General of Japan Traffic Culture Association
「クレアーレ」は、公益財団法人 日本交通文化協会の環境芸術推進活動の総称です。
題字:有馬 朗人
クレアーレ作品紹介 Works of CREARE
成田スカイアクセス パブリックアート特集
パブリックアート作品が世界からの人々をお迎え
旅のひと時にうるおいを添えます
成田湯川駅
Public Art Works Welcome Visitors from Abroad and Brighten Their Travel
成田スカイアクセス
空港第2ビル駅
成田空港駅
日暮里駅
京成上野駅
成田スカイアクセスは、新ルートの開業と新型車両の導入により、都心と成田空港を
最短36分で結びます。海外から訪れる人々が日本への第一歩として利用する鉄道駅
に、楽しい旅を演出するアート作品を設置したい、そうした想いから成田空港駅、空港
成田空港駅
「動く青い世界地図」
佐野 ぬい
The Traveling Blue World Map, Narita Sky Access Line, Narita Airport Station / Designed by Nui Sano
素 材: ステンドグラス
寸 法: W5.9m H2.8m
第2ビル駅、成田湯川駅の3つの駅にそれぞれ異なる作風を持つ作家のパブリック
制 作: クレアーレ熱海ゆがわら工房
アート作品が企画・制作されました。これらのアート作品は、旅の始まりや思い出に、豊
設置場所: 成田スカイアクセス線コンコース内
かな彩りを添えています。
光のあるステンドグラスは美しい。
絵の具で描き続けてきた色彩を、ステンドグラスにして表現する仕事を、専門家の指導のもとに
やらせていただきました。
動く青い世界地図が旅情を誘う多彩な異空間になってくれればと願っています。
(佐野 ぬい)
Stained glass filled with light is simply beautiful. To express colors that I had always created in
pigments in stained glass, I worked in close collaboration with a specialist.
I hope this work evokes the diverse and exotic spaces so compelling to the traveler’ s muse. (Nui Sano)
*本事業は(財)
日本宝くじ協会のご支援をいただきました。
作品部分
女子美術大学学長を務める佐野ぬい
模様入りなど22種類の青色ガラスを使
先生が、絵画で表現し続けた色「ブルー」
用しました。
を基調にして作られたステンドグラス作品。
また、佐野先生は
「多くの人が集まり、
原画で表現されている多彩な青、それに
行き交う場所に設置するパブリックアート
沿ったガラスを集めることも、ステンドグラ
として、このステンドグラスには賑わいや
スの造形とともに重要な作業です。今回
華やかさが必要」と考え、赤いガラスの色
使用されたガラスの中には製造中止のも
や表面の質感にもこだわりを見せました。
のもあり、クレアーレ工房のストックをフル
上 空から見える世 界を自由な色と形
活用し、さらにヨーロッパ、アメリカで製造
でイメージさせた、国際空港の玄関口に
第26回損保ジャパン東郷青児美術館大賞受賞。
「佐野ブルー」と呼ばれる青を基調とした作風で知られ
されているアンティークグラスを取り寄せて、
ふさわしい作品となっています。
ている。
絵付作業
佐野 ぬい
制作打合せ中の佐野先生
Nui Sano
1932年青森県に生まれる。女子美術大学芸術学部洋画科卒業。のちに、女子美術大学芸術学部教授、
安 井 賞 審 査員、女 子 美 術 大 学 大 学 院 美 術 研 究 科 教 授を歴 任 。現 在 女 子 美 術 大 学 学 長 。2 0 0 4 年
旅行者が行き交う空間にステンドグラスが溶け込んでいる
2
CREARE NEWS No.6/ 2011
3
空港第2ビル駅
成田湯川駅
素 材: 陶板レリーフ
「おー日本よ」吉武 研司
寸 法: W6m H2.8m
制 作:クレアーレ熱海ゆがわら工房
Oh Japan, Narita Sky Access Line, Airport Terminal 2 Station / Designed by Kenji Yoshitake
設置場所: 成田スカイアクセス線プラットホーム
「雲上晴朗」篠原 修 南雲 勝志
The Blue Sky Above the Clouds, Narita Sky Access Line, Narita Yukawa Station /
Designed by Osamu Shinohara & Katsushi Nagumo
素 材: ステンドグラス
寸 法: W8.8m H4.4m
制 作:クレアーレ熱海ゆがわら工房
設置場所: 改札コンコース
コバルトブルーの海に浮かぶ日本列島。それを取りまく太陽、月、星。八百万の神々に
天候や季節により表情を美しく変化させるステンドグラス作品。印旛沼橋梁の環境
守られた美しい日本の姿が、明るい色彩と自由な造形により浮かび上がります。温かさ、
設計などを手掛けた篠原修先生と、プロダクト景観デザイナーとして活躍する南雲勝志
先生によるこの作品は、雲を突き抜けた天空の晴朗さを幾何学的に表現し、爽やかな
楽しさ、そして原始的なエネルギーが感じられます。
空間を演出しています。
時空を超えた 大きな生きもの
壁画遠景
作品部分
人は来て 去り また来る
雲天、雨、雪の日でも雲を抜けると、
空・海・山・人の幸に恵まれ 空は常に晴朗である。
言霊のさきかうまほろば
日常の愁い、悩み、迷いの感情を振り捨てよと言うが如く、
八百万の神々に守られ 駅前広場より
(夕日をイメージしたライティング)
空は晴朗である。
海に浮かぶ宝石 日本よ
それがたとえ一刻のことであるにせよ、
大きく翔け 世界のために(吉武 研司)
(篠原 修)
天の晴朗は我々を勇気づける。
A great living force beyond space and time
People come and go, and come again
A wonderful land blessed by the sky, the ocean, the mountains,
its people and the spirit of language
Japan, a jewel floating in the sea, is protected by eight million gods
Fly high for the world (Kenji Yoshitake)
Even on cloudy, rainy, or even snowy days, once you break through
the cloud cover, the sky is always clear blue.
The clear skies all around seem to call out to us to put aside the
sorrows, doubts, and anxieties of our daily lives.
Brief as such an interlude might be, that bracing blue of heaven
gives us strength. (Osamu Shinohara)
*本事業は(財)
日本宝くじ協会のご支援をいただきました。
作品部分
*本事業は(財)
日本宝くじ協会のご支援をいただきました。
篠原 修
Osamu Shinohara
1945年栃木県に生まれる。東京大学工学博士号取得、東京大学大学院教授に就任。現在、政策研究
大学院大学教授、GS(グラウンドスケープ)デザイン会議代表。
吉武 研司
Kenji Yoshitake
南雲 勝志
1948年佐賀県に生まれる。東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻、同大学院修了。1984年「独立展」
独立賞受賞。洲本市柳学園(兵庫)、練馬高野台順天堂大学付属病院(東京)、東京メトロ副都心線北参道
1956年新潟県に生まれる。東京造形大学室内建築科卒業。1987年ナグモデザイン事務所設立。現在
駅の壁画を制作。現在、女子美術大学教授、独立美術協会会員、日本美術家連盟会員。
制作打合せ中の吉武先生
(左)
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CREARE NEWS No.6/2011
Katsushi Nagumo
Gmark審査委員、土木学会デザイン賞審査員。
制作打合せ中の篠原氏
(中央)
と南雲氏
(右)
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パブリックアートがたどった道と未来
Past and Future of Public Art
出席:佐野 ぬい・松浦 晃一郎・酒井 忠康 司会: 滝 久雄
Guest Speakers: Nui Sano / Koichiro Matsuura / Tadayasu Sakai
Moderator: Hisao Taki
左から 佐野 ぬい氏、酒井 忠康氏、滝 久雄、松浦 晃一郎氏 (撮影:林 義勝)
今日はお忙しい中、お集まりいた
だきましてありがとうございます。
僕はこのパブリックアート事業を始める
ときに、イギリスの詩人のハーバート・リー
ド*1の『今、我々に欠けているのは芸術家
ではない。大衆である。芸術に意識を持つ
大衆ではない。無意識的に芸術的な大
衆である』という言葉に出会いました。
松浦 立派な詩人ですね。
滝
はい。無意識のうちに大衆が芸術
に親しむこと、それが社会のモラルを高め
るということですね。パブリックアートも大
義名分がないと展開しづらいので、この
言葉を私どものパブリックアート活動の
指標としました。そしてこの啓蒙運動の場
所として、僕は駅がいいなと思い、それを
オーソライズしなければいけないと思い
たち、当時京都大学の会田雄次先生に
ご相談しました。先生は「パブリックアー
トは、やはり人の集まる場でなければだめ
ですね。日本の場合、人の集まる最大の
場所は駅ですね」とおっしゃいました。こ
の言葉により私は「駅で展開していくとい
うことは、パブリックアートの運動にとって
はいいことだ」と確信を持ち、駅を中心と
して空港や学校などにも広げ、現在まで
滝
に480点近い作品を設置してきました。
松浦 500点近くですね。
滝
はい。正 確には4 7 5 点あります。
佐野先生の成田空港駅のステンドグラス
『動く青い世界地図』が462作品目にな
ります。
佐野 そうなのですね。パブリックアート
として、私のステンドグラスを設置していた
だきまして本当にありがとうございます。
人類が最初に
アートを始めた頃
松浦 まさに滝さんが言われたとおり、日
本はもっとパブリックアートを重視しなけ
ればいけない。滝さんが駅から始められ
たのは非常によかったと思うのですが、こ
れからはもっと広げていかなければいけ
ないと思います。
考えてみると、人類がいちばん最初に
アートを始めたのは、パブリックアートの
形なのです。例えば、僕が見に行った二つ
の洞窟の壁画、
ラスコー*2とアルタミラ*3、
これはいまから1 万 7 0 0 0 年 前ですね。
実に生き生きとした動物や狩りをする人
*1: ハーバート・エドワード・リード(Herbert Edward Read/1893年∼1968年)
イギリス、ヨークシャー地方生まれ。詩人、文芸批評家、美術批評家。主な著作に、芸術を基礎とする
教育システムを構想した『芸術による教育』がある。イギリスの現代芸術家たちを高く評価し、現代芸
術グループにも参加した。日本では詩人としてよりも美術評論家として有名。
6
CREARE NEWS No.6/ 2011
間を描いています。そこに人々が集まり集
会所になっていたようです。これらは僕に
言わせれば、まさに滝さんが強調される
パブリックアートの誕生なのですよね。
滝
まさしく、
そのとおりですね。
松浦 もっと古くは紀元前3万年のフラン
スの南部にあるショーヴェ洞窟というの
もあります。僕は入口だけで中は見てはい
ないのですが、フランス南部で1990年代
に発見されました。
ラスコーはご承知のように、子どもたち
が遊んでいて、穴があるというので入って
みたらすばらしい絵が描かれていた。は
じめはみんな「こんなのは昔の人が描け
るわけがない。誰かがいたずらしたのだ
ろう」と言っていましたが、いろいろ調べ
てみたら、まさに1万7000年前の人たち
が描いたものということが分かりました。
その後、見学の人が増えてきて、人が
入ると二酸化炭素で壁画を痛めるので、
もうかなり前から一般公開は禁止されて
い ま す 。た だ し 隣 に フ ラ ン ス 語 で
「LascauxⅡ」、日本語では「ラスコー2」
で、本物と全く同じものが作られ、現在は
そこを一般の方が見学できるようになっ
ています。僕は幸い、ユネスコの事務局
*2: ラスコー洞窟(Lascaux)
フランスの西南部ドルドーニュ県、
ヴェゼール渓谷のモンティニャック村の近郊に位置する洞窟。2万
年から1万7000年前に描かれたと言われる壁画で有名。ユネスコの世界遺産に登録されている。
長をしていて本物を見せてもらったので
すが、本当にすごいですね。まさにパブ
リックアート!
佐野 私もアルタミラ洞窟で、隆起してい
る岩盤に馬や鹿などの動物が描かれてい
るのを見ましたが、その動きが実に現実
的で生き生きして、思わず震撼しました。
松浦 パブリックアートの伝統は、いろい
ろな形で西欧で続いており、中世から近
代にかけての教会でのステンドグラスの
ようなもの、
これもパブリックアートですね。
滝
教会は人が集まるパブリックな場
ですものね。
松浦 日本は残念ながら、パブリックアー
トの伝統は必ずしも充分に確立されてい
ないと思いますが、まずしっかりした概念
として確立して、それが駅や空港から始
まって、公園とかパブリックの場所にどん
どん広げていってほしいですね。
滝
日本は芸術と人間社会の関係、そ
の辺の自覚というか評 価が 少し低いで
すね。
ハーバート・リードの
想い出
酒井先生は、ハーバート・リードの
奥様にお会いして、一緒にハーバート・
リードのお墓参りをなさったそうですね。
酒井 だいぶ前の話ですが、71年に、た
またま僕はエジンバラにいましてね。それ
でロンドンに戻ってくる途中、ヨークで降
りて、突然お訪ねしたものだから、奥さん
には叱られましたけれど。ハーバート・
リードは、日本に 68年に一度だけ来た
折り、東慶寺の鈴木大拙先生を訪ねてい
らしたことがありました。最晩年、亡くな
る2年ぐらい前のことでしょうか。
滝
そういうことがあったのですか。僕
は知らなかった。
佐野 私も知りませんでした。日本にいら
したことがあるのですね。
酒井 彼は日本の禅に非常に興味があっ
て、美術評論家としても世界第一級の人
でしたから、かねてから何か折りがあれば
と思っていて訪ねたのです。手紙でもくれ
たらいいのにと奥様に言われましてね。
滝
それで「なんでいらしたの」と聞かれて、
「出来たらお墓参りがしたい」と申し上げ
たら、
「あそこは、行くといっても簡単には
行けないところなのよ」と言われました。
奥様もご高齢でしたし、ヨークシャーの
ずっと奥の、ちょうどエミリー・ブロンテの
『嵐が丘』の近くなのですよ。
それでも奥様は久しぶりということで、
お墓に一緒に行ってくださいました。
リードのお墓には奥様ご自身の運転で
行きました。お墓をずっと掃除していな
かったとおっしゃって。それで僕もお手伝
いしてきました。
滝
それはいいことをされましたね。
リードは美術評論の大家でもあったの
ですね。
佐野 詩 人で評 論 家 、その美 学は私に
とっては難しいのですが尊敬しています。
酒井 そうです。もともとは詩人でした。
とても豊富な言葉を持っている人でした。
思想的には、どちらかというとアナーキス
トだったのです。お墓にも、Poet( 詩人)、
Anarchist(アナーキスト)、Critic(評論
家)と三つ並んで記されています。リード
のお墓は、ノルマン・コンクエストによって
廃 墟となった小さな渓 谷のなかにある
小さなお寺にあります。
日本でいうと水仙ですか、リードはワイ
*3: アルタミラ洞窟(Altamira)
スペイン北部カンタブリア地方にある洞窟。壁画は1万8000年から1万3000年前に描かれたと言わ
れている。ユネスコの世界遺産に登録されている。
ルドフラワーと呼んでいたのですね、野の
花という意味でしょうか。それがきれいに
咲いていました。僕も北国生まれなので、
いろいろな思いが重なって、奥様に記念
に撮影したいと申し出たら、後ろを向かれ
て「やめてください」と、泣いておられまし
た。何か思い出されたのでしょうね。すご
く印象に残っています。
リードが最も仲のよかったアーティスト
は、20世紀の彫刻の原点になったヘン
リー・ムーア*4 です。二人とも同じヨーク
シャー出身で無二の親友だった。
松浦 ユネスコは 1 9 4 6 年 の 発 足 です
が、その後、1958年に現在の場所、エッ
フェル塔の近くに移りました。そのときに
世界で7人の芸術家を選んで作品を設
置しました。その中にヘンリー・ムーアの
彫刻作品もあります。とてもすばらしい石
の彫刻です。
水仙の花
佐野 ぬい
Nui Sano
女子美術大学学長・画家。青森県出身。1932年生まれ。’
55年に女子美術大学芸術学
部洋画科卒業。その年、新制作入賞、女流画家展で受賞。世界各地を回り取材、制作を
行う。
「佐野ぬいブルー」
と呼ばれる青を基調とした作風を確立する。母校の女子美術大
学で半世紀にわたり後進の指導にあたり、2007年より女子美術大学学長を務め、現在
に至る。
松浦 晃一郎
Koichiro Matsuura
ユネスコ前事務局長・世界ペア碁協会会長。山口県出身。1937年生まれ。’
59年外務
省入省、’
98年世界遺産委員会議長、’
99年アジア人として初めてユネスコ事務局長に
就任。2005年再任。芸術・文化の領域における国際交流推進の功績に対して、世界
各国より勲章および名誉市民の称号などを授与される。
酒井 忠康
Tadayasu Sakai
世田谷美術館館長・美術評論家。北海道生出身。1941年生まれ。’
64年慶大卒業。
’
92∼2004年神奈川県立近代美術館館長。現代彫刻に関する著書が多数ある。日本
近代美術をテーマにした最初の著作『海の鎖』
で注目され、
その後、東西の近代美術史を
専門に研究するかたわら、現代美術の評論活動を行う。’
79年第1回サントリー学芸賞を
受賞。
*4: ヘンリー・ムーア(Henry Moore/1898年∼1986年)
イギリス、ヨークシャー地方生まれ。20世紀を代表するイギリスの芸術家・彫刻家。大理石やブロンズ
を用いた大きな彫刻で有名で、彼の作品はパブリックアートとして世界中で設置されている。イギリス
にモダニズム美術を紹介するのに大きな役割を果たし、
イギリス美術を国際的なものにした。
7
アルタミラ洞窟の壁画
(スペイン)
ラスコー洞窟の壁画
(フランス)
酒井 イサム・ノグチ*5の庭もありますね。
松浦 イサム・ノグチが裏の広いスペース
につくった庭は、
「日本庭園」と言われて
います。
ちょっと脱線しますが、僕などは、あれ
は日本と西洋の芸術を合体させたものだ
と思っています。でも、外国人、西欧人か
ら見ると、
日本的なのでしょうね。
酒井 ヘンリー・ムーアは日本人にも良く
知られていますね。ヘンリー・ムーアの考
え方のいちばん根底にあるのは、彫刻は
外で見なければいけないということ、それ
を声高に言っています。
佐野 1972年にイタリアに行った折り、
フィレンツェのベルベデーレで、ヘンリー・
ムーアの大彫刻作品を見ました。丸屋根
のドゥオーモが眺められる丘に、ムーアの
彫刻と一緒に立っていると思ったら、ひざ
がガクガクしましたよ。
滝
ヘンリー・ムーアは1%フォー・アー
ツの具体的な原点ですね。
酒井 そうですね。
リードもヘンリー・ムー
アもヨークシャーの出身ということで、イ
ギリスでは、ちょっと素朴で豪放な人たち
という感じがあるのです。
松浦 イギリスの代表的な詩人と彫刻家
ですね。
酒井 その二人が同郷だというのも、なに
か不思議な縁ですね。
最後に笑い話ですけど、ハーバート・
リードの奥さんに「僕、帰ります」と言っ
て、支度して玄関にきたら、そこに絵がか
かっていたのです。リードの家には絵の
「専門家」と称する人が訪ねてくるわけで
すよね。リードは彼らに「この絵は誰が描
いたか、あててごらん」っておっしゃるの
だそうです。そうすると、ほとんどみんな
ギブアップする。あれだろう、
これだろうと
いうような返答はあるらしいのですが。そ
うするとリードは笑いながら、
「 サルの絵
だ」と。おサルさんが描いたのだと…。
松浦 本 当にサル が 描 いたのですか 、
(笑)
ジョークですよね。
歴史的遺産としての
復元
酒井 リードはどちらかというと、松浦先
生がおっしゃっていた古代美術、原始美
術、アボリジニなどのプリミティブな世界
が、彼の論理の根底にあると思います。
松浦 西欧の知識層は、4万5000年か
4万年前、
ヨーロッパにたどり着いたホモ・
サピエンス、のちにクロマニヨン人と名付
けられますが、彼らがはじめて芸術的なも
のを発達させたとよく言います。でも実は
そうではなくて、
アボリジニはヨーロッパの
前にもう、今の言葉でいう原始的な美術
を育ててきているのです。彼らは、7万年
前頃に真っ先にアフリカのホモ・サピエン
スが海岸伝いにオーストラリアに着いた
ものと考えられています。
それから、アフリカでもどんどん古いも
のが発見されているから、決して西欧で
言われるように、美術や芸術はクロマニ
ヨン人の独壇場ではないのですね。
佐野 松浦先生はアフリカを随分お回り
になったと伺っておりますが。
松浦 アフリカが大挙して独立したのは
*5: イサム・ノグチ(Isamu Noguchi/1904年∼1988年)
アメリカ合衆国ロサンゼルス生まれの芸術家・彫刻家。少年期を日本で過ごし、その後渡米して彫刻
家を志す。1960年代、アメリカに居を定めてからは、幅広い活動を展開。日米両国で世界的な彫刻家
として活躍した。
8
CREARE NEWS No.6/ 2011
セヌフォ族の彫像
1960年、その前にガーナが1957年に独
立しています。ガーナに大使館ができて、
私は61年に赴任しましたが、すぐにアフリ
カ諸国が大好きになってしまいました。ヘ
ンリー・ムーアもアフリカ彫刻からの影響
を多く受けていますね。絵画ではピカソや
マチスが 影 響を受けたことで有 名です
が、彫刻家ではヘンリー・ムーアが非常に
影響を受けています。
酒井 はい、大変な影響を受けています。
松浦 ユネスコの作品もそうですけど、二
人の男女の座像というのですか、非常に
アフリカ的ですね。
佐野 やはり、王と王妃が並んでいる像
をフィレンツェで見ました。感動でした。
松浦 そう、
男女二人で座っている座像と
いうのが非常に多い。アフリカの祖先像
というのですが、アフリカの部族によって
また特徴が異なります。
ああいう祖先像をつくるのは、一つはマ
リのドゴン族というのがいて、フランスの
芸術家がかなり目をつけています。あと、
コートジボワールの北にセヌフォ族 *6 の
祖先像というのがあります。
滝
その辺がパブリックアートの原点
なのですね。
松浦 でもアフリカは残念ながら気候風
土の変化が激しいから壁画が残りづら
い。逆にヨーロッパは氷河期だったから、
そういうものは洞窟内に残るわけです。ア
フリカの場合、絵が外にさらされているの
ですね。例えばアルジェリアですと、南の
方は昔森林があったのですが、いまは、サ
ハラ砂漠の真ん中になっていて、そこは外
の岩に動物を彫っています。彫っている
*6: セヌフォ族
マリ南部からブルキナファソ東部、
コートジボワールなどに住む民族。古くはコートジボワールのコルホ
ゴに首都を構えていた。農耕民族でキビやアワ、山芋などを栽培して生活していた。
部分は残っていますが。
佐野 描いていても絵の具は時とともに
風化し、彫刻のように彫ってある場所は目
立ちましたね。
松浦 そうなのです。タッシリの壁画*7と
いって有名ですけどね。ただし、これはそ
んなに古くはなくて、いまのところは1万年
ちょっと前から4000年ぐらいで、むしろ
ラスコーやアルタミラの方が古い。
ポルトガルにはコア渓谷があります。こ
れも世界遺産ですが、コア渓谷は露出し
た岩に絵を彫っています。古いものは紀
元前2万3000年ぐらいで、むしろアルタミ
ラやラスコーより古いですが、ただ、非常
に断片的なのです。ラスコーやアルタミラ
の保存がいいのは、洞窟の中だったので
描いたものがきれいに残ったからでしょ
う。昔も絵の具はあったかもしれません
が、外だと絵の具の部分は残らず、彫った
ところしか残っていません。
滝
アルタミラって、1万何千年前で、
色は出せたのでしょうか。
松浦 色を出しているのですね。
佐野 洞窟の岩盤そのものに、朱(あか)
とか黄土色の顔料をつくって彩色してい
る、と記憶にありますが、定かではありま
せん。
滝
そういえば、三内丸山*8などは古い
のでしょう。
佐野 あそこは私の生れ 育った青 森 県
です。
三内丸山の近くには、青森県立美術館
があります。何もなかった場所から何か
発掘されたというので、すごく喜びました。
皆さんに来ていただける名所ができたと。
勿論今までも、近辺には遺跡がありまし
たが。
酒井 実際にいま復元しています。あれは
栗の木かな。何かドーンとやぐらが立っ
ていますけど、あれだって、やはりパブリッ
クアートですね。
(笑)
松浦 僕も見に行きました。もちろん懸
命にやってはいるのですが、文献は残っ
ていないし、手がかりは発掘した地面に
ある跡だけですからね。それをもとにして
復元しているから、本当にあれが現実に
あったのかどうか疑問があると僕は思っ
ています。
(笑)ちょっと現代人の想像が
入りすぎているのではないかなと、これは
素人としての僕の感想ですが。
佐野 私のふるさとですから擁護したい
(笑)最初の頃は次々掘り
のですけれど。
出される現場にいたので、実際に生で感
動が伝わって来てとても興奮しました。
松浦 この間、招かれてクレタ島に行っ
てきました。ご承知のように、クレタ文明
はギリシャ文 明のさらに前の古い文 明
で、あそこのミコノスの宮殿を世界遺産
にしたいという声があります。しかし、
その
復元の仕方が先ほどの丸山遺跡で申し
上げたのと同じで、かなり想像を交えて
復元してしまっている。残念ながらそのほ
うが観光客に受けるのですよ。それなり
に根拠はあるのだけれども、想像を交え
ていっぱい復元してしまっているものだ
から、ちょっと世 界 遺 産としてはどうで
しょうか。おそらくユネスコの専門家は認
めないだろうと現地で感じました。だから
復元するときは本当に注意しないといけ
ませんね。
佐野 そうですね。松浦先生のおっしゃ
ることがよく分かってきました。
アートを活かした
都市計画を
滝
酒井先生、日本のパブリックアー
ト、1%フォー・アーツみたいなものは芸術
家のためにはぜひ必要だと思いますけど
*7: タッシリの壁画
サハラ砂漠にある山脈の洞窟内にある、先史的な岩絵群。壁画には、牛の群れ、
ワニなどの大型生物、
狩猟や舞踏といった人々の活動などを活写している。
ね。でも、芸術家のためだけでなく、一般
の人のためにもどうでしょうかね。
酒井 街や公 園をつくるのでも、やはり
いろいろな意味ではじめからアートに関
わる関係者がテーブルについて、一緒に
協議するほうがいいのではないかと思い
ます。日本ではかなり長い間、アートは後
回しにされてきました。
滝
欧米ではみんな、たとえば地下鉄
ができるときも、まずアートありきですね。
ところが日本は、残念ながらそうなってい
ない。ただ、最近の池袋から渋谷までの
副都心線を作るときには、東京メトロの梅
社長が前からパブリックアートに造詣
が深かった関係で、設計の段階から各駅
にアートを入れようということになりまし
たが、あまり他にはないです。そういう意
味では日本のパブリックアートに対する
認識はまだまだ遅れていますね。
酒井 スペースがあるので何か美術で埋
めてくれないか、みたいなこととか、あるい
は建築の付属物とか…。
佐野 そういう感じはありますね。いつも
もっと真剣に考えなければと思っていま
す。美術家の発言や力は必要です。
松浦 その点いちばん進んでいるのはフ
ランスですね。フランスは建築基準法な
どに「美しい」という概念が入っています。
ファサードは美しくなければいけない、さ
らにそれはまわりとの調和が取れてなけ
ればいけないということがあります。一つ
だけ単 独に見て美しくても、まわりとの
ヘンリー・ムーア作「横たわる人」/ユネスコ本部
(フランス)
*8: 三内丸山古墳
青森県青森市にある、約5500年前∼4000年前の縄文時代の集落跡。2000年11月には国特別史跡
に指定された。
9
調和が取れていなければ美しくないわけ
ですからね。
そうはいっても、パリでも一時期、1960
年代その法律の適用をちょっと緩めた時
期があります。そのときに三つの建物を
まわりと調和させないでつくってしまいま
した。その一つが、残念ながら日本大使
(笑)
館なのです。
僕はそれを知っていたから、行く前に
少しでも調和が取れるように、ファサード
だけは少しお金をかけて直してほしいと
言って、それで予算をつけてもらいまし
た。ただ、既存のファサードを変えるには
限界があったのですが、前よりは多少よく
なりました。
日本国内は、古い建造物と新しい建造
物が調和する形でつくられていません。
新しい建造物どうしも調和が考えられて
おらず、
もうちょっと調和の取れたものに
したいですね。
佐野 パリに行くと、すぐ街の建物を描き
だします。自然に自分が、その調和の中に
いて、無意識のうちに手を動かしていま
す。パリは昔からそういう建物が残ってい
て、そこにいる人たちも、日本人よりずっと
分かっていますでしょう。
松浦 そうですね。
佐野 やはり理解度が高いとうまくいきま
すよね。
松浦 国民がそういった意識を持たなけ
ればいけないと思います。
滝
無意識のうちに芸術に親しむ大衆
が必要だということですね。
松浦 それには人々が接する芸術、パブ
リックアートに、お金をかけなければいけ
ない。つまり、かけるだけの価値があるの
です。ずっと残っていき、みんながそれを
見て楽しむわけですからね。
いま、フランスの例をお話ししましたけ
れど、メキシコのパブリックアートはしっか
りしていますよ。たとえば、メキシコ市郊外
にメキシコ国立自治大学という大学があ
ります。そこのキャンパスが、最近、世界遺
産に登録されたのです。大学のキャンパ
スがですよ。なぜかというと、第二次大戦
後、1949年から52年にかけて、メキシコ
で60名以上の建築家、技師、それから芸
術家が動員されたのです。建物はもちろ
んですが、そこにある大きい壁画がすごい
のですよ。
佐野 メキシコっていうと、真先に大壁画
が頭に浮かびます。
松浦 リベラを含めて数 名 動員されて、
大学の建物の横は全部壁画。
滝
あれは国費で出しているのですね。
松浦 もちろん。国立ですから。だからユ
ネスコに世界遺産の提案があって、これ
はもう、すぐオーケーでした。大学のキャ
ンパスが世界遺産となっているなんて、日
本ではちょっと考えられないですね。メキ
シコでも始めからパブリックアートを計画
に入れているのですね。
それからもう一つ、ベネズエラにも大学
の例があります。
佐野 それもやはり国立、国が出すので
すか。
松浦 そうですね。首都のカラカスの郊
外に学園都市があるのです。これは1940
年代から50年代にかけてつくられた大学
です。建築もすばらしいですが、同時に
彫刻家のアレクサンダー・カルダーなどの
作品がすばらしい。
佐野 カルダーって、あのモビールのカル
ダーですね。
松浦 そうです。先ほどのメキシコと同様、
最初からそういう芸術家を動員して、始め
られています。
佐野 全部一緒に総合的にやらないとい
けない、
ということ。
松浦 ええ。それでこれも世界遺産になっ
ています。
イサム・ノグチを
めぐって
酒井 パブリックアートで日本で一番大
きいスケールということになると、北海道
の札幌の郊外にあるモエレ沼公園 *9 で
しょうね、イサム・ノグチがデザインしたも
のです。18ヘクタールかな。あれが一番
大きい、大きさから言えばですが。
佐野 ご覧になりましたか?
酒井 もちろんつくるお手伝いをしました
から。グランドオープンしたのが2005年
だったかな。
松浦 彼はその時はもう亡くなっています
ね。
酒井 1988年12月30日に亡くなってい
ます。お元気だった時に北海道に来てく
ださって、札幌芸術の森を見られました。
ところが、そこはスペースが小さい。
「 僕は
One of themになりたくない」と言って、
一度は断られました。
せっかく札幌まで先生がいらしたのだ
から、市長さんも市役所としても、なんと
かお願いしたいと思っていた。それで車を
出して色々な場所を見て回りました。その
モエレ沼公園になった場所は、たまたま
ゴミ捨て場でした。そこに彼はあるものを
感じたらしく、
「ここならいい」ということに
(笑)
なったのです。
すごく広大なスケールですが、そこには
高圧線が走っていまして、高圧線をどけて
くれないかという条件が出されました。
(笑)
滝
どけたわけですか?
酒井 たいへんでしたよ。でも市は努力し
てやりました。けっこうお金をかけて、高
圧線を移動させてイサム・ノグチにお願
いしました。そうしますと、模型を実際に
彼がつくってくれた。それまではよかった
のですが、そのあとアメリカへ戻られて、
風邪をひいて亡くなられたのです。
滝
おいくつぐらいでしたか?
松浦 1904年生まれで88年に亡くなられ
ていますね。誕生日を過ぎておられれば
84歳ですね。ずっと最後までお元気で。
滝
それでは、イサム・ノグチさんが亡く
なられてから、その模型をもとに完成した
のですか。
酒井 そうです。
松浦 イサム・ノグチが設計したユネスコ
の日本庭園は、彼が定期的に来られて
チェックされていたのですね。亡くなられ
る直前にも来られたと聞いています。
酒井 彼はヨーロッパでの作品が少なく
て、この庭園がすごく大事な作品だった
のですね。
佐野 北海道の札幌は、私の第二の故
郷ですから、モエレ沼公園にはぜひ参り
ます。
室生山上公園の
環境整備
酒井 日本にもう一つおすすめの一点が
あります。あまり行かれていないと思いま
すが、奈良の室生寺の山手、室生寺から
300メートルぐらい少し登ると室生山上
公園*10があり、そこにイスラエルの環境
アーティストであるダニ・カラヴァン*11の
作品があります。
松浦 よく知っています、
ダニ・カラヴァンは。
酒井 僕の大親友ですよ。
松浦 ユネスコの中庭に彼の作品を寄贈
してもらいました。ただし、メンテナンスに
ついて彼は苦言を呈しています。ユネスコ
はみんな寄付で維持していますが、ダニ・
カラヴァンはイスラエルの関係でなかな
か寄付がなく、作品のメンテナンスの悪さ
を怒られました。
酒井 僕が鎌倉の神奈川県立近代美術
館で館長をしている頃、ダニ・カラヴァン
が訪ねてきてくれて、以来すごく近しいお
付き合いをしています。
その室生寺の仕事には10年近くかけ
ました。その頃は年に幾度も会っていま
した。
松浦 すごいですね。
酒井 パブリックアートの展 開というの
は、彼らにとってはそのぐらいの期間がか
かるものなのですね。あのあたりは日本で
も有数の地すべり地帯で、下手すると、室
生寺まで土に埋まってしまうのではない
かというぐらい危ない地形です。国土庁
がそれをどうにかしようということになっ
た。それがこの仕事の発端で、その時に
たまたま室生の村長さんが、せっかくそれ
だけ大きな工事をするのなら、環境整備
とアートもやりましょう、ということを提案
されたのですよ。
佐野 村長さん、よくお考えになりました
ね。いいお話ですね。
酒井 村長さんが、せっかくだからアート
をというので、話しているうちにダニ・カラ
ヴァンの名前が挙がり、お世話することに
なったのです。彼はイサム・ノグチをもの
すごく尊敬して、僕の師はイサム・ノグチだ
と言っていました。
滝
そう言えば 大 宮に新 幹 線の新 駅
ができたとき、作品をつくっていただくた
めにルートヴィッヒ・シャフラットを口説
いたのですが、この人もやはりイサム・ノ
グチにたいへん私淑して、研究していまし
たね。
パブリックアートを
制作するよろこび
酒井 ステンドグラスや壁 画の世 界は、
土地と結び付いたパブリックアートとは
また違って、一種のやさしさがあるじゃな
いですか。
滝
そうですね。僕は、建築家の芦原
義信先生にお伺いしたら、
「 滝さん、駅は
通勤通学の道路ですよ。だから駅にはい
ろいろ違う作風の作品があってもいいの
ではないかと思う」と言われたのです。公
*9: モエレ沼公園
北海道札幌市東区にある公園。基本設計をイサム・ノグチが行った。
*10: 室生山上公園
2006年に開園した奈良県宇陀市にある公園。1997年に国土庁の支援を受け、過疎対策として「む
メキシコ国立自治大学のモザイク壁画
10
CREARE NEWS No.6/ 2011
ダニ・カラヴァン作「ピラミッドの島」/室生山上公園
(奈良県)
撮影者:川地清弘 写真提供:空間造形コンサルタント
園は全体が一つの統一したものでなけれ
ばいけないけれども、駅は生活の中でそ
れぞれの人が自分の通り道にしている。
正面に佐野ぬい先生の作品を見て、違う
場所には全然違う作風の作品があって
も、それはそれで楽しい。
「だから滝さん、
気にしないで、作品を置くことを遠慮しな
いでいいですよ」、こう言ってくださったと
(笑)
思っています。
佐野 それで私も、成田空港駅にステン
ドグラスをつくらせていただきました。
空港には、人生の夢の旅情を感じます。
ステンドグラスの前を行き交う人たちは、
その場の主役です。時の流れが動くよう
に、美の空間になってくれれば嬉しいで
すね。
滝
時間が経ってくると、
「 佐野先生の
ステンドの前で会おう」となります。
佐野 そうなってくれるといいですね。
「ラ
(笑)
イオンの前で会いましょう」みたいに。
滝
やはり芸術の力というのは違いま
すね。
松浦 それが場の記憶なのですね。大事
なことですね。
酒井 滝さんがお仕事をされていて、
アー
ティストの方も楽しんでらっしゃるのでは
ないですか。
滝
それはね、みんな毎日何十万の人
ろうアートカルディア計画」として文化芸術の視点からの村づくりをすすめ、公共事業とアートの融合
を事業推進の柱としている。
*11: ダニ・カラヴァン(Dani Karavan/1930年∼)
イスラエル生まれの彫刻家。周囲の環境や都市などの景観と調和した屋外作品で知られる。
モエレ沼公園
11
に見てもらえるというのは、平山郁夫先生
でもうれしいのですよ。上野駅のステンド
グラスをつくるときに、平山先生にお願い
して、当時はまだパブリックアートは存在
感がなかったから、画料のことなど言わ
れると困ってしまうと思いながら、じっと
チャンスを待っていました。
それで、上野駅に東北新幹線と上越新
幹線ができるときに、先生に申し上げまし
た。
「 東海道新幹線は経済革命です。東
北や上越に新幹線が行くとなると、
これは
文化的な革命にもすべきだと思います。し
かもそれが上野駅から始まるとなれば、
上野の絵師である先生としては応援せざ
るを得ないですね」と。すると先生は、
「滝
さん、何を言いたいの?」と言われたので、
「要するにいろいろな方のお手伝いなど、
そういう作業の費用は用意できますが、
先生の画料はお支払いできないのです。」
( 笑) そうした
とつい言ってしまいました。
ら先生は、
「それは喜んでやるよ」とおっ
しゃって下さいました。そうして、平山先生
には亡くなるまでに8作品つくっていただ
きました。
それから駅では何か事故があったら大
変なので、承認がとれるまで長い期間を
要します。成田アクセス鉄道でのパブリッ
クアート展開がわりとスムーズに行った
のは、そこの澤田社長が30年前から僕と
友達で、当時の運輸省の担当課長をして
いた頃からの付き合いがあり、
「自分がそ
ういう立場になったら、ぜひやりたい」と
いう30年越しの思いがあったから、それ
で理解が得られたのです。
熱海ゆがわらの
名を冠して
そもそも工 房を立ち上げたころ、
僕は信楽の町長を口説いて、まず土地を
貸してもらいました。町長には信楽線を
残したいという気持ちがあって、僕はそ
れを国鉄とつなげてさしあげた。それで
土地を借りて、そこへアトリエをつくりま
した。町には信楽窯業試験場という焼き
物の研究所があったのです。そこへ目を
つけて、そのそばの土地を5年がかりで
懇請して売ってもらい、アトリエと宿舎を
滝
つくりました。
でも遠いこともあって、それで湯河原
にも工房をつくりました。
佐野 湯河原ですか? 静岡県になって
いませんか?
滝
あそこ、住所は熱海市ですから、
静岡県です。でも、生活圏としては湯河原
*12
なのです。
佐野 じゃあ、静岡県で、熱海の湯河原
工房で、
いっぱい名前が絡んでいますね。
滝
もともとは、僕は奥湯河原からとっ
て「クレアーレゆがわら」という名前を付
けたのです。ところが、工房の20周年記
念のときに、当時の熱海の川口市雄市長
がいらして、すぐに帰るつもりが工房の存
在感にびっくりして結局1時間半もおら
(笑)
れました。
川口市長は「滝さんね、ここは熱海市
なんですよ」と言われた。僕が「たしかに
ここは泉区だから熱海市ですが、イメー
ジは奥湯河原ですよね」と返すと、市長は
「そうだけれども、私が来ているということ
は熱海市なの(笑)」と言われました。
さらに市 長は続けて「 滝さん、
『クレ
アーレゆがわら』というのは変だよね」と
言われたので、僕が「それじゃあ『あたみ
ゆがわら』と入れます」と言うと、
「それは
いいのだけれども、アトリエがあるのは
熱海市の中だから、何か差別感を付けて
(笑)そして市
ほしい」と頑張るのですよ。
長は「熱海」は漢字にしてほしいと言うの
です。なかなかですよ。それでいまは「クレ
アーレ熱海ゆがわら」です。
松浦 「ゆがわら」は残したわけですか。
滝
残した。
(笑)そこは私が頑張って…。
ここ100年の歴史の中で、千歳川を挟
んだ湯河原地区と熱海市泉地区の住民
の方々は、一緒になりたいという気持ちを
もっていて、最近その意見が固まって来
つつあります。千歳川にはホタルがいます
し、温泉もとてもよくて、私もいま、この両
地区を合体するような開発を考えていま
す。そこでその夢のかたちを30年構想と
して、建築家の隈研吾さんに描いてもらっ
たのです。いま、湯河原町長と熱海市長
(笑)
は親友になりました。
松浦 それこそパブリックアートの特権で
すね。
滝
そう、パブリックアートというのはそ
*12: 熱海市泉地区
クレアーレ熱海ゆがわら工房が位置する熱海市泉地区は、住所は熱海市ではあるが、生活圏として
12
CREARE NEWS No.6/ 2011
ういうことなのです。真ん中を流れている
のが千歳川、その流れのふもとには、いま
でも『坂の上の雲』の東郷平八郎が愛用
した旅館などが残っているのですね。そ
れで隈さんも「音楽家とか詩人に湯河原
に来てもらいましょう」と言われました。
クレアーレ
アカデミー構想
松浦 熱海市長はいまも同じ市長ですか。
滝
今は変わられて齊藤栄さんが市長
になられました。偶然、僕の東工大の後
輩で、若いのですよ。
松浦 熱海市にはパブリックアートはあ
るのですか。
滝
これからです。
松浦 ぜひそれをやってもらったらいいで
すね。
滝
はい、いいタイミングなのです。先
程の熱海ゆがわら構想の件で、東京でも
シンポジウムをやる予定なのですが、昨
年は東 京 芸 大の大 学 院 壁 画 研 究 室が
私どもの工房でプレ壁画実習ゼミという
課外授業を行いました。今度は女子美
にもやっていただければと思っています。
今後もこれを続けていきますが、その時
に「町長と話す会」というのも併せてやり
ました。これが人気でして、熱海市長は
次やるときは必ず、自分がマスコミを連れ
てくるから、ぜひ、言ってください、と熱心
に申し出てくれています。
松浦 それはいいですね。やはり熱海み
たいに観 光 客がたくさん来るところは、
しっかりしたパブリックアートを持つべき
ですよ。
佐野 工房での課外授業はいいですね。
それも単位が取れるしっかりしたカリキュ
ラムになるといいですね。
酒井 それはいいですよね。学生時代の
思い出にもなりますね。
滝
熱 海 市の齊 藤 市 長ですけどね 、
今度、熱海の小学生や中学生がアトリエ
に見 学 会に行くときには一 緒に広 報 関
係者を引っ張ってきて、熱海に住むお父
さんやお母さん、子どもたち全員に知っ
てもらうようにしたいと言ってくれていま
すから。
は湯河原町に属する。この地域は千歳川を堺に、湯河原町(神奈川県)と熱海市(静岡県)、また関東地方
と東海地方の分かれ目になっており、統合的なまちづくりが行われてこなかった。
「動く青い世界地図」原画
色から始まる
佐野先生のステンドグラス
滝
話は変わりますが、佐野先生は、
制作に入る際どのようにしてイメージを作
られるのですか。
佐野 私はデッサンのようなものは、先ず
色が浮かんで来ます。基調色はブルーで
す。色彩の配置がざっと決まると、形も重
なり合って出てきて構 図が 決まります。
形と色がうまく結びついたと思ったらス
タートします。ゴールは完全ではありませ
んが、どことなく出来たと思うときがあり
ます。そのとき、筆を置く機会を狙います。
松浦 では、
この原画も色から入られて。
佐野 そうです。ブルーが基 調です。私
は青森県出身だからと言って「青」とい
う色にこだわっているわけではないので
すが、みんながそういう風に思ってくださ
(笑)今回のステンドグラスでもはじめ
る。
真ん中の赤は入っていなかったのです。
そうしたら、
「 真ん中に赤を入れてくれ。
赤は希望だ」と夫が言いました。
滝
いや、それは後から聞いて知りま
した。
佐野 それで赤を入れました。私の作品
が工房のルイ・フランセン先生の最後の
お仕事になってしまいましたが、ルイ先生
は夫と同じ年で、同じような雰囲気の方
だったので、楽しくご指導いただきました。
その後、絵付けで工房に行くことになっ
ていた矢先、夫は他界しました。既に察知
していたので、
「自分がいなくなっても、す
ぐ工房に行って赤い希望の色を真ん中に
入れてくれ」と言っていたのです。私が出
かけようとしたら、工房の方に断られてし
(笑)
まいました。
「来ないでください」って。
12月の終わりごろでしたが、結局1月に
入って工房には伺いました。
滝
それは申し訳ありませんでした。
芸 術 家は本当に創 作が命なのですね。
利根山光人さんも私どものレリーフの制
作中に倒れられるのです。奥さんが止め
ても、制作に行くと言って、それで奥さん
ももうそれ以上、止めない。
松浦 それは分かりますね。
日本のパブリックアートの
未来のために
松浦 それにしても、パブリックアートは
もっとどんどん日本で広まってほしい。大
げさに言うと国民が支持して、そういう方
向に進めたいですね。
滝
僕らは夢中で、先生方を口説いて、
作品を見るのが楽しみで何十年もやって
きました。
佐野 パブリックアートの美が、どんどん
注目されていく時代になりますように。
酒井 美術館も同じですよ。いろいろな
人が見に来られて、感じ方もいろいろ、見
方も違うのですが、たった一つ、僕はとき
どき講演でいうのは、
「 感動」という言葉
ですね。感動は、個人の感動よりもたく
さんの感動を束ねたときに、より高まる
と言われます。自分一人だけが満足する
感動って、意外と底が浅い。
佐野 機 会をつくることも大 切ですね。
小さい頃から美術に触れさせることは、
と
ても大事です。損保ジャパン東郷青児美
術館で、私の展覧会が開かれたときに、
女子美付属の中学生の皆さんが、会場
に見に来てくれました。
アンケートを書いてもらったら、
「 無理
やり連れて来られた」と書いてありまし
(笑)
「でも見たら面白かったから、ま
た。
た来たいと思った」、この「来てもいい」が
いいですね。
滝
それが教育ですよ。佐野先生は
「日
本の女子は相当のことができるということ
を、女子美発で実現する」という思いを
持っておられますね。
佐野 そうなのです。
酒井 すばらしい学校ですよ。
佐野 酒井先生には、客員教授として大
学院の美術専攻洋画研究領域で講義を
していただいています。学生の人気絶大
です。
滝
今日は私の活 動の原 点となった
ハーバート・リードについて、酒井先生
からお話をお伺いできて大変ありがたく
存じます。
酒井 私も今日はびっくりしました。
滝
いやいや、僕の方がびっくりしまし
た。恐れ入りました。いつかそういうめぐ
り合いができると思いながら、一生懸命
にアートの仕事を頑張ってきました。
佐野先生、松浦先生、酒井先生、今
日はすばらしいお話をありがとうござい
ました。
13
ルイ・フランセンを偲んで
Memorial
Issue
Reminiscence of the Late Louis Fransen
日本のパブリックアートの振興に生涯を捧げた
親交を結んだ方々が集う
「偲ぶ一日」を開催
クレアーレ熱海ゆがわら工房 ルイ・フランセン所長が、
2010年4月26日、享年81歳で永眠いたしました
「力を合わせて芸術性の高い素晴らしい
ルイ・フランセンは、パブリックアートは
壁画をつくろう」ルイ・フランセンと滝 久雄
それ自体が美しく、人の心を豊かにすると
の出会いから、クレアーレのパブリック
ともに、建築の中で整合性を持った一体
アート事業が始まりました。
感がなくてはいけない、そしてその制作は
1977年、日本交通文化協会 環境芸術
施主、建築家、作家など多くの人々との共
推進活動の制作部門として滝が設立した
同作業であり、そこを利用する人々のため
現代壁画研究所(現クレアーレ工房)の
に、その空間にふさわしい作品を、それに
所長に、ルイ・フランセンが就任しました。
関わるすべての人々と協力して制作する
現在までの470点以上に及ぶクレアーレ
ことである、
と考えていました。
のパブリックアート作品は、ルイ・フランセ
作品が設置される空間と使用される素
ンの熱い思いと滝の夢により実現してきた
材の調和を重視して、スタッフには常日頃
ものです。
から、いかに材料を美術的に使うかについ
日本の伝統的な素材である焼き物の美
て指導してきました。
しさに着眼して制作された陶板レリーフ
工房設立以来、
長きにわたって日本のパ
や、日本特有の建築空間を活かして空気
ブリックアートの第一線を歩んできたルイ・
感あふれる美しい線で構成されたステン
フランセン。工房スタッフを仲間とよんで、
ドグラスを多数制作しました。それらの作
強い絆を持ち、
ともに日本独自のパブリック
ルイ・フランセンの逝去にあたり、6月23
ただきました。
永年にわたって日本のパブリックアート
日に偲ぶ会が開かれました。
また、前東京藝術大学学長 澄川喜一
活動に貢献したルイ・フランセン、あらため
ルイ・フランセンの手になるステンドグラ
氏、建築家 隈研吾氏からはビデオレター
て氏の功績を偲び、心から冥福を祈る一
スや造形作品で彩られた松原教会(東京
が寄せられました。
日となりました。
都世田谷)の礼拝堂で「祈念の集い」を開
き、さらに場所を移してウェスティンホテル
東京にてシンポジウム「ルイ・フランセン、
ク
レアーレ、
そしてパブリックアートを語る」を
開催しました。
パネリストに、生前親交のあった東京藝
術大学学長 宮田亮平氏、文化功労者 野
見山暁治氏、女子美術大学学長 佐野ぬ
い氏をお迎えし、さらに当協会理事長の滝
久雄と工房のスタッフとともに、生前のル
イ・フランセンの人柄や思い出を語ってい
シンポジウムの宮田(左)、野見山(中央)、佐野(右)各氏
スクリーンは澄川氏のビデオレター
ルイ・フランセン Louis Fransen
会場内でクレアーレの作品を紹介
1928年∼2010年
ルイ・フランセン作品集
造形美術作家。沖縄県立芸術大学名誉教授。1928年ベルギーのアントワープに生まれる。1977年現代
■B4判128ページ(カラー116点)
∼パブリックアートの世界∼
品には、日本の風土や素材に触れて深め
アートの世界を築いてきました。
クレアーレ
られた独特な造形感覚・色彩感覚が表現
はこれからもその志を受け継いで、
パブリッ
陶板レリーフ、ステンドグラスなどのパブリックアートの制作活動を精力的に展開。さらに作家による原画を
されています。
クアートの発展に力を尽くしてまいります。
壁画につくりあげる造形制作のスペシャリストとしても数多くの実績を持つ。
壁画研究所(現クレアーレ工房)所長就任。1987年、沖縄県立芸術大学教授に就任。日本を拠点として、
お問合せ
クレアーレ熱海ゆがわら工房
工房
〒413-0001 静岡県熱海市泉230 -1
TEL.0465-62-2034 FAX.0465-62-2195
興和紡績本社 陶板レリーフ「つながり」
東京工業大学 陶板レリーフ「科学と人間」
14
CREARE NEWS No.6/2011
みなとみらい線 新高島駅 ステンドグラス 「Deep Sea Dreams」
東京家庭・簡易裁判所ロビーステンドグラス「希望」
東久留米市庁舎 陶板レリーフ「グローイングシティ」
15
CREARE
Tokyo University of the Arts
クレアーレアカデミー構想の
第一歩が始まる
実習ゼミ日程
1日目(9月13日)
2∼4日目(9月14∼16日)
講習
東京藝術大学大学院壁画研究室プレ壁画実習ゼミを開催
ステンドグラス実習
写真①
講習内容:
CREARE’s Future Plan Takes First Step
講評
写真④ ⑤⑥
ガラスカット
ガラス組み
「パブリックアートに関して: 歴史と表現方法」
「クレアーレのステンドグラスと陶板レリーフ」
「パブリックアートマネジメントの実際」
工房見学
5日目(9月17日)
工藤晴也教授
陶板レリーフ実習
写真② ③
写真⑩ ⑪⑫
冨田町長との意見交換会
写真⑦ ⑧⑨
1/3模型制作、
1/1部分造形試作
クレアーレ工房をパブリックアート専門家養成のための教育施設に
その第一歩として東京藝術大学壁画研究室の院生による、
プレ壁画実習ゼミが実施されました
2010年9月13∼17日、クレアーレ熱海
制作実習へ移りました。宮城県内の公共
教授は「学生たちがとてもいきいきとして
ゆがわら工房は東京藝術大学と共同で、
施設に設置されるステンドグラスと、愛知
いた」とゼミの印象を話されていました。
院生による壁画実習ゼミを実施しました。
県内の教育施設に設置される陶板の制
アカデミー構想の第一歩となるこの取り
作に挑戦しました。
組みには、パブリックアート啓蒙の想いが
ステンドグラスの実習では特殊なカッ
込められています。
ターを使いデザイン原画の型紙に沿って
学生たちは「パブリックアートとしての
ガラスを切り取る作業、陶板では作品の
壁画表現」
「パブリックアートマネジメント
模型作成を体験しました。空間を利用す
の実 際」などについて講 義を受けた後、
る人々のために、その空間にふさわしい作
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品を、みんなで協力して制
作するというパブリックアー
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トの本来の意義に触れる機
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会となりました。
「一 人ですべてを行う個
人の作品制作とは違い、人
とコミュニケーションをとり
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ながら仕上げていくパブリッ
クアートの可能性を探りた
い」という学生からの意見が
よせられ、担当の工藤晴也
クレアーレ工房で行われた壁画実習ゼミの
模様が、静岡新聞をはじめ多数のメディアで
紹介されました。
クレアーレ熱海ゆがわら工房
湯河原まちづくりに関する意見交換会も
ゼミ最終日には冨田湯河原町長を交え
レアーレ工房だけでなく、地域にとっても
て湯河原のまちづくりについての意見交
新たな可能性を感じられた5日間でした。
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換会が開催されました。湯河原温泉まち
づくり協議会会長山本一郎氏と、同協議
会 副 会 長 渡 宗男氏も参 加。この会で
は、新しい視点によるまちづくりのための
斬新なアイディアが学生たちから提案され
ました。
学生たちが地域のまちづくりについて
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考える機会になった今回の実習ゼミは、ク
冨田湯河原町長(右)
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CREARE NEWS No.6/2011
意見交換会の模様
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左: 工藤教授
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芸術・文化の明日を担う美大生を育成
「国際瀧冨士美術賞」海外校紹介
International Takifuji Art Award—Introduction of Overseas Schools
公益財団法人 日本交通文化協会が手がける育英事業の
生に奨学金を給付しています。
ひとつ「国際瀧冨士美術賞」は、将来を担う若手芸術家を育成
『くれあーれにゅーす』では今回より「国際瀧冨士美術賞」の
する奨学金制度です。現在、国内12校・海外7校の優秀な美大
海外校をご紹介してまいります。
第1回
Pratt Institute (USA)
プラット・インスティテュート
(アメリカ合衆国)
● 創立: 1887年 ●教員数: 1000人 ●学部生: 3109人 ●研究生: 1654人 ●所在地:アメリカ合衆国 ニューヨーク
ニューヨーク市内に
も同校の特色で、ニューヨーク都市交通局やNPOのアートプロ
設立された同校は米国
ジェクトに参加する学生も多いと言います。
有数の美術系のカレッ
今回の受賞者のエミリーさんは「今後もデザインの分野で働き
ジで、ファインアートか
たいので、在学中から企業でのインターンに参加しています。私は
ら工業デザイン、建築ま
いまラップトップコンピュータの
で幅広い分野の教育を
ケースをデザインする会社でイ
行っています。
ンターンをしています」
とのこと。
ブルックリンにある
ハンス・バン・デ・ボベンカンプ作「Undulation」
キャンパスは現代彫刻
Image courtesy of Pratt Institute
さらにエミリーさんは「学生
たちがやる気にあふれ、周囲の
の公園としても有名で、著名なアーティストの作品を多数設置。
モチベーションが高いので、
と
この公園にどんな作品を置くか、
その審査に学生たちも積極的に
ても刺激的です」と同校を誇り
参加しています。
このようにパブリックアートへの意識が高いこと
高く語っていました。
受賞者のエミリー・ヴィスロッキー
(左)
と
指導教員のローレル・ボス
(右)
クレアーレ パブリックアートの未来を拓く
CREARE — Creating the Future of Public Art
地域のためにパブリックアートは何ができるか
What Public Art Can Do for the Local Community
1月28日(金)、内 閣 府 主 催 の 第46回
工房のある泉地区は住所は静岡県熱
お応えしていきます。
ESRI−経済政策フォーラムで「企業の
海市ですが、生活圏は隣接する神奈川県
講演後、齊藤栄熱海市長と冨田幸宏
社会貢献と地域活性化」と題した基調講
湯河原町に属し、地域開発がなかなか進
湯河原町長、関幸子氏(NPO法人地域
演をしました。その中で、本業でなければ
みませんでした。こうした中で一昨年、新
産業おこしに燃える人の会 理事長)に私
真の社会貢献はできない、
という考えをも
たな地域開発に向けて建築家の隈研吾
も加わりパネルディスカッションを行い、
とに、
クレアーレ工房のある湯河原周辺の
先生に湯河原温泉まちづくり計画を提案
齊藤市 長、冨田町 長がこの事 業 推 進に
地域活性化に私たちがどのように関わっ
していただきました。
それに伴い湯河原温
協力される旨を述べられました。私たちも
ているかをお話ししました。
泉まちづくり協議会が発足され、私はそこ
この地域開発のお力になれるよう頑張って
にパブリックアートを切り口にした地域貢
参ります。
献活動の可能性を見い出しました。
芸術文化に携わる人の雇用創出、作品
発表の場としての公共空間の提供、地域
住民の民意のレベルアップといった役割
を果たすとともに、パブリックアートを通し
て地域観光資源の価値を高めるなど、地
域社会のための工房活用にも積極的に
滝 久雄
公益財団法人 日本交通文化協会
理事長
Hisao Taki
Director General of
Japan Traffic Culture
Association
パネルディスカッションの模様
発行:2011年3月1日 編集発行人:滝 久雄
発行所:公益財団法人 日本交通文化協会 くれあーれにゅーす編集室
〒100-0006 東京都千代田区有楽町1-1-3 東京宝塚ビル
TEL.03-3504-2221 FAX.03-3504-2224 URL.http://crearejp.com/
編集後記 From the Editor
今回の座談会では、
パブリックアートがたどった道と未来につい
て、3人の先生方に大いに語っていただきました。
その中でアート
ありきの都市について貴重なご意見と示唆をいただき、活動の
糧にして参る所存です。
当 協 会は昨 年11月1日から公 益 財 団 法 人 日本 交 通 文 化
協会として、出発致しました。主な公益事業として育英事業、展覧
会事業、パブリックアートの普及事業及び国際交流推進事業
など、今後も公益事業の促進に寄与して参ります。
(N)
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CREARE NEWS No.6/2011
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クレアーレは、
公益財団法人 日本交通文化協会の
環境芸術推進活動の総称です。
Published March 1, 2011
Hisao Taki, Editor and Publisher
Published by the Japan Traffic Culture Association
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