2017-01-17 12:05:05 Title 複雑酩酊と刑事責任 A

>> 愛媛大学 - Ehime University
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複雑酩酊と刑事責任能力 (小林敬和教授退職記念号)
田中, 圭二
愛媛法学会雑誌. vol.39, no.3/4, p.181-197
2013-03-31
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複雑酩酊と刑事責任能力
田 中 圭 二
愛媛法学会雑誌
第
巻第 ・ 合併号
(平成 )年 月
抜刷
複雑酩酊と刑事責任能力
田 中 圭 二
[Ⅰ] ⑴
精神障害犯罪者の刑事責任能力に関する刑法
条 項の心神喪
失者とは,精神障害により事の是非善悪を弁識する能力(以下,
「弁識能力」
という)を喪失している者,あるいは,かような弁識はできるが,その弁識に
したがって行動する能力(以下,
「自制能力」という)を喪失している者で,
同条 項の心神耗弱者とは,やはり精神障害により,これらの能力が著しく減
)
この立場による
退している者とするのが,判例および多数説の立場である。
と,心神喪失者や心神耗弱者は,精神障害が原因となって,「弁識能力」や「自
制能力」が喪失あるいは著しく減退している者ということになる。
⑵
上述のように,「弁識能力」や「自制能力」の喪失または著しい減退は,
精神障害によるものでなければならないが,では,飲酒による酩酊は,どうであ
)
酩酊は,
アルコールの作用による本人の常態とは質的ないし量的に異
ろうか。
なった精神的変調であるから,やはり精神障害である。つまり,中毒性精神障
害の一種なのである。そうすると,飲酒・酩酊により「弁識能力」や「自制能
力」が喪失または著しく減退した場合は,心神喪失や心神耗弱として,刑法
条が適用されるのが原則ということになろう。これは,刑法の責任主義か
らして,当然のことと考えられる。
⑶
人間の精神作用が知・情・意で構成されているとした場合,「弁識能力」
の喪失または著しい減退は,弁識という知的作用の障害によるものというべき
である。「自制能力」の喪失または著しい減退は,自己の行動の抑制ないしコ
ントロールという意志的作用の障害によるものである(
「意」と「情」とは密
巻 ・ 号
論
説
接に関連しているから,情意作用と呼ぶべきかもしれないが,わかりやすくす
るために,以下では,意志的作用と呼ぶことにする)。したがって,「弁識能
力」の有無とか程度(完全責任能力か心神耗弱か,あるいは,心神喪失かといっ
た程度のこと)は,知的作用の障害の有無・程度により,そして,「自制能力」
の有無・程度は,意志作用の障害の有無・程度によって,左右されることにな
る。
⑷
周知のように,酩酊犯罪は,酔いの快楽を求めた挙句の犯罪であるか
ら,かような犯人を心神喪失や心神耗弱として無罪や刑の減軽をすることに
は,国民の健全な処罰感情からして,納得できないものがある。そのためであ
ろうか,刑事裁判においては,酩酊犯罪について,心神喪失や心神耗弱をたや
すく認めない傾向があるように思われる。本稿は,犯行時に複雑酩酊と呼ばれ
ている酩酊に陥っていた酩酊犯罪者の刑事責任能力の問題をとりあげることに
する。もちろん,このテーマには,判例や学説の詳細な検討を必要とするが,
今回は,紙幅の制限等により概略的なことしか述べられないので,詳細な検討
は別稿にゆずり,文献の引用等は,必要最小限に止めたい。
⑸
私は,法学部出身ではあるが,約 年間,鹿児島大学医学部法医学教室
の助手や専任講師をしていた。同教室の主任教授であった故・城哲男医学博士
は,法医学だけでなく,精神医学も修められたので,司法解剖だけでなく,刑
事訴訟法
条や同法
条 項による精神障害犯罪者の精神鑑定もしておら
れた。私は,同教室に在職中,教育・研究のほかに,城博士がされる司法解剖
の介助や精神鑑定の介助をしていた。本稿は,私のこうした法医学教室での経
験 )を背景において,論を進めてゆこうと思う。
[Ⅱ] わが国の刑事司法における精神鑑定人の多くは,酩酊について,司法
精神医学者・中田修博士によって紹介されたスイスの精神医学者・ビンダー
(Binder, H.)の精神医学的症状論にしたがっているようで,この説は,酩酊
についての精神医学的な通説となっているようである(以下では,論を進める
便宜上,この説を「酩酊通説」と呼ぶことにする)。「酩酊通説」は,酩酊を,
単純酩酊と異常酩酊に分け,さらに,異常酩酊を複雑酩酊と病的酩酊とに分類
巻 ・ 号
複雑酩酊と刑事責任能力
)
している。
本節の以下では,これらの症状論を,要約的に紹介しておこう。
⑴
単純酩酊。これは,普通の酩酊で,血中アルコール濃度にほぼ併行して
酩酊の身体症状が進行する。精神症状も同様に進行する。「見当識」
(
〔筆者注〕
簡単にいうならば,時,所および人に対する認識のこと)も保たれ,意識の連
続性も,ほぼ保たれている。覚醒後の記憶障害も,さほどではない。平素の人
格と親和的で一般的に多幸である。精神運動性興奮(
〔筆者注〕精神作用の表
出とみられるような言動が活発になることを,精神医学上,精神運動性興奮と
いう ))も,さほどではない。幻覚や妄想もない。
⑵
複雑酩酊。これは,酒癖が悪いといわれる酩酊で,精神運動性興奮が著
しく,その気分は,一般に,刺激的であり,人格異質の粗暴な言動がみられ,
往々にして激情犯罪に至ることがある。かような酩酊者の行為は,周囲の状況
から了解可能であり,無差別・盲目的・非現実的・夢幻的な色彩を帯びること
はない。「見当識」に著しい障害はないが,意識障害が突発的に深化したりす
る。酩酊時の記憶障害は,比較的強いが,概括的記憶は,保持されている。浮
動的な妄想着想はともかく,明確な被害妄想はなく,幻覚も原則としてない。
⑶
病的酩酊。この酩酊の場合,著しい精神運動性興奮が発現し,「見当識」
の障害も著しい。そのため,意識障害により,正常な思考,感情行動の心理学
的連関が断裂しており,その行動は,周囲から了解不能である。記憶障害は,
島状健忘または全健忘である。
「もうろう型」の意識障害と「せん妄型」のそ
れがあり,前者の場合,妄想や幻覚があり,行動は,当初から基本的状況の「見
当識」が障害されていることから,無差別・無目的・非現実的となるが,本人
にとっては,ある程度の有意味な関連性がある。人格異質の言動も著しい。
「も
うろう型」の場合,最も重い激情犯罪がみられる。後者の場合,外的関連性だ
けでなく,内的にも関連性が失われており,多彩な幻覚や強い運動性不安があ
る。「せん妄型」は「もうろう型」に比べて少なく,犯罪学的意義は,少ない。
なお,犯行時の行為が目的性をもっていたか,それを喪失していたかが,病的
)
酩酊と複雑酩酊の違いを判定する重要な基準になる。
[Ⅲ] 上記「酩酊通説」を採用している精神医学者とか,この説にもとづい
巻 ・ 号
論
説
て刑事裁判で精神鑑定をしている精神科医の多くは,原則として,単純酩酊に
は完全責任能力,複雑酩酊には限定責任能力(心神耗弱)
,病的酩酊には責任
無能力(心神喪失)を認めるべきだとする見解(本稿の以下で,見解という時
は,精神医学者や精神科医のこうした見解を指すことにする)
を表明してい
)
周知のごとく,こういった完全責任能力とか心神耗弱あるいは心神喪失と
る。
いうのは,医学的判断ではなく,法的判断であるから,実際の刑事裁判で,裁
判所がどのように判断しているかについては,多くの判例を検討しなければな
らない。前述のように,今回は,かかる検討はできないが,たとえば,①「酩
酊通説」は,精神医学界で通説かつ権威のある学説であるから,精神鑑定医の
こうした責任能力に関する見解を,裁判所としては,無視できないであろうと
いうこと,②私が国選弁護を受任した若干のケースでも,裁判所は,精神鑑定
医が「酩酊通説」の立場からいう責任能力に関する上記見解にしたがっている
こと,③たとえば検察官や裁判官が,私的な発言ではあるが,
「犯行時の被告
人は…単純酩酊で,複雑酩酊ではないから,心神耗弱は無理だ」などと言って
いるのを,しばしば,耳にすること,これら①②③からすると,実際の多くの
刑事裁判でも,裁判所は,精神鑑定医による責任能力の上記見解にしたがう傾
向(本稿の以下で,傾向という時は,裁判所のかかる傾向を指すことにする)
)
があるのではないかと思われる。
[Ⅳ] 本稿では,複雑酩酊に焦点を合わせ,この酩酊についての精神鑑定医
による責任能力に関する上記見解(つまり,この見解のうち,複雑酩酊は,原
則として心神耗弱とする立場)が,刑法上の責任能力の問題として妥当である
か,その他の関連問題を検討しようと思う。だが,この検討に入る前に,この
見解における複雑酩酊以外の病的酩酊と単純酩酊の責任能力の問題,つまり,
前者は原則として心神喪失,後者は原則として完全責任能力とする見解それじ
たいが,精神鑑定医による刑法的評価であるため,これらの酩酊について,刑
法学者としての私なりの刑法的評価を,一応しておくべきであろう。
⑴ 「酩酊通説」の病的酩酊の場合,前記のように,意識障害により,正常
な思考,感情行動の心理学的連関が断裂しており,その行動は,周囲から了解
巻 ・ 号
複雑酩酊と刑事責任能力
不能というのであるから,
「弁識能力」の有無・程度を左右する知的作用の障
害(
[Ⅰ]の⑶を参照)も著しいと考えられ,それにもとづき,刑法的には「弁
識能力」を喪失しているといえるだろう。したがって,上記見解が,病的酩酊
の場合は,原則として心神喪失だというのは,理解できる。このように「弁識
能力」を喪失しているというのであるから,当然,
「弁識」にしたがって行動
する能力つまり「自制能力」も喪失していることになる。したがって,病的酩
酊の場合は,「自制能力」の問題を論議する必要性は,あまりないといえる。
⑵ 「酩酊通説」の単純酩酊の場合は,「見当識」も保たれ,意識の連続性も
ほぼ保たれており,平素の人格と親和的というのであるから,おそらく,知的
作用の障害も,さほどではなく,したがって,刑法的には,一般に「弁識能
力」は心神耗弱程度にまでも,至ってはいないとみるべきであろう。さらに,
精神運動性興奮も,さほどではないというのであるから,つぎの[Ⅴ]で詳述
するように,「自制能力」も刑法的に心神耗弱程度にまでは至っていないだろ
う。したがって,上記見解が,単純酩酊の場合は,原則として完全責任能力と
いうのも,理解できる。
⑶
以上,⑴⑵からわかるように,
「酩酊通説」の病的酩酊と単純酩酊につ
いての精神鑑定医による上記見解は,刑法学者としての私なりの刑法評価と同
じ結果になる。
[Ⅴ] ⑴
周知のように,飲酒・酩酊すると,上機嫌になり行動も活発に
なって,普段ならば,できないことでも,調子に乗って,することがある(た
とえば,歌を歌うのが下手なので,素面の時は歌わないが,酩酊するとカラオ
ケで歌いだすといった類)
。これは,飲酒・酩酊の精神症状の一つである精神
運動性興奮(これについては,
[Ⅱ]の⑴の〔筆者注〕を参照)が高まり,そ
れによって意志的作用である抑制作用が低下するから,平素ならば抑制してい
る情動が行動となって外部に表出されるのである。前述の城博士と私は,精神
運動性興奮の程度を軽度・中等度・高度というように分類している。軽度のそ
れは,顔面の表情が豊かになり,多弁で,見知らぬ他人に酌をしたり,他人の
肩をたたいたりする程度の活発さをいう。中等度のそれは,多弁で,大声で怒
巻 ・ 号
論
説
鳴ったり,泣いたり,暴力を行使したり,あるいは,その辺を動きまわったり
する(多動)ような活発さをいう。高度のそれは,ところかまわず大声でわめ
きちらしたり,暴れまわったりなどして,周囲の者にとって,手がつけられな
)
私が国選弁護を受任した事件で,犯人は,酩酊して,
いような躁暴状態をいう。
知人を多数回にわたって殴ったり蹴ったりした挙句,死亡させたという事案で
あるが,死体の外表には,多数の皮下出血斑や表皮剝脱あるいは挫創や挫裂創
などが認められ,内景的には,多数の骨折や各所の組織間出血あるいは臓器損
傷などが認められた。この事件の死体は,犯人が躁暴状態であったことを物語っ
ている。)
⑵
このように,精神運動性興奮が高まると抑制作用が低下してゆく。つま
り,その者の意志的作用に障害が生ずるのである。前記[Ⅰ]の⑶で述べたよ
うに「自制能力」の有無・程度は,意志的作用の障害の有無・程度によって左
右されるから,精神運動性興奮の高まりによって,刑法上「自制能力」の喪失
つまり心神喪失になることがあるのではなかろうか。すなわち,城博士と私と
の共同研究によると,酩酊者の精神運動性興奮が高度で躁暴状態の時は,たと
えば,警察官が酩酊者の傍で見張っていたり,拳銃の威嚇射撃をしたとして
も,暴れて傷害行為を犯したり殺人行為を犯したりすることもある。)明らか
に,これは,自己の行動を「抑制ないしコントロールできない状態」というこ
とができよう。このような躁暴状態の時は,意志的作用の障害が著しく,刑法
上,まさに「自制能力」を喪失した状態で心神喪失といえるのではなかろう
か。) )そして,躁暴状態に近い精神運動性興奮が発現している時は,刑法上「自
制能力」が著しく減退した状態つまり心神耗弱といってもよいだろう。
[Ⅵ] 以下では,複雑酩酊者は,原則として心神耗弱とする精神鑑定医ない
し精神科医の責任能力にかんする前記見解を,刑法学者としての私なりの責任
能力論の面から検討する。なお,本節でするこの見解の検討は,これにした
がっている裁判所の責任能力判断の傾向についての検討でもある。
⑴
まず,複雑酩酊者の「弁識能力」であるが,前記のように,かかる酩酊
者の行動は,了解可能であり,無差別・非現実的・夢幻的な色彩を帯びること
巻 ・ 号
複雑酩酊と刑事責任能力
はなく,「見当識」に著しい障害はないということであった。かようにみると,
複雑酩酊の場合,知的作用の障害は,さほどではなく,
「弁識能力」は,一般
に著しく減退した状態つまり心神耗弱にまでは至っていないということになろ
う。しかし,突発的に意識障害が深化したり,酩酊時の記憶障害が比較的強かっ
たりするとのことである。この記憶障害というのは,酩酊時に意識障害がある
から生ずるのであり,)したがって,複雑酩酊の場合には,意識障害が高度とま
ではゆかなくても,かなりの程度になることもあるのではないかと思われる。
知的作用の障害は,この意識障害によって左右されるから,)それが,上記のよ
うに,かなりであれば,知的作用も,かなり障害をこうむっており,複雑酩酊
者の「弁識能力」が心神耗弱程度にまで低下していることもあるだろう。以上
をまとめると,複雑酩酊の場合は,原則として,
「弁識能力」は心神耗弱の程
度にまでは至っていないが,意識障害が強い場合は,それに至っていることは
ありうるということになる。
⑵
つぎに,「自制能力」であるが,前記のように,複雑酩酊者の精神運動
性興奮は,著しいとされている。そうすると,それが高度に達し躁暴状態にな
ることは,充分にありうるだろう。上述したように,かような時は,
「自制能
力」を喪失して心神喪失状態と,刑法上,評価してもよいだろう。)
⑶
かようにみると,複雑酩酊については,「弁識能力」はある(
「弁識能力」
の面で上記のように心神耗弱の場合も,この能力があることに変わりはない)
が,「自制能力」の喪失により,心神喪失といえる場合 )が,充分にありうる
ということになろう。
⑷ 「複雑酩酊は,原則として心神耗弱」という前記見解やこの見解にした
がう裁判所の上記傾向は,「弁識能力」の面あるいは「自制能力」の面のいず
れかで,心神耗弱としているのであろうが,そのことは別として,上記からす
ると,複雑酩酊の場合,「弁識能力」はあるが,「自制能力」の面で心神喪失に
至っているというのは,充分にありうることである。この点で,かような見解
や裁判所の傾向は,妥当ではないということになろう。
[Ⅶ] しかし,妥当ではないというだけでは,済まされない。なにゆえ,裁
巻 ・ 号
論
説
判所が,一般的傾向として,かかる見解にしたがうのかが問題となろう。そこ
で,本節および次節では,この点について,私なりに,検討しておきたい。
⑴
裁判所による酩酊を含む精神障害犯罪者一般の責任能力の判定の間題で
あるが,「自制能力」が,実際の適用において,「弁識能力」と同じ程度に重視
されているかどうかについては,疑問を容れる余地がかなりあるといったこと
が指摘されている。)詳しくいうならば,一般に,裁判所は,意志的作用の障害
の有無・程度の認定を充分にせず,その結果,
「自制能力」の有無・程度の判
定が疎かにされている,あるいは,軽視されていることになるというのであろ
う。
⑵
前記のように,
「弁識能力」の有無・程度は,知的作用の障害の有無・
程度に左右されるものであり,その障害の有無・程度は,その障害者の外部に
表出された言動からわかることが多いので(たとえば,精神遅滞の場合,その
者の言動により,知能の程度がわかることが多い)裁判所にとって,かかる障
害の有無・程度は,認定しやすいだろう。つまり,
「弁識能力」の有無・程度
は,判定しやすいということになる。それに対して,
「自制能力」の有無・程
度は,意志的作用の有無・程度によるものであり,かかる障害は精神内界に止
まり,その障害の有無・程度は,障害者の外部的な言動に現れにくいところが
ある。このことは,裁判所にとって,意志的作用の障害の有無・程度の認定が
困難であり,したがって,
「自制能力」の有無・程度の判定が困難ということ
を示している。)
⑶
自己の行なっていることが,悪いことだということを知っている者は,
当然,そのような悪いことをしないようにするべきであるし,そのようにでき
るはずだというのは,きわめて常識的な考え方だといえるであろう。これを,
責任能力の面でいいかえると,「弁識能力」のある者は,当然,「自制能力」も
あるはずだということになろう。
⑷
裁判所にとって,上記のように,意志的作用の障害の有無・程度の認定
が困難であるということと,
「弁識能力」があれば当然に「自制能力」もある
という常識的な考え方によって,
「自制能力」の判定が軽視されるに至ったの
巻 ・ 号
複雑酩酊と刑事責任能力
ではなかろうか。
⑸
前記のように,複雑酩酊の場合,「弁識能力」は喪失していないが,「自
制能力」の喪失による心神喪失は,充分にありうるということであった。にも
かかわらず,複雑酩酊の場合は,心神喪失を認めない傾向が裁判所にあるのは,
上記⑷の理由によるものともいえよう。別言するならば,複雑酩酊の場合にお
いても,裁判所による「自制能力」の有無・程度の判定が軽視されているとも
いえるのである。
⑹
しかし,上記⑷⑸で述べたことは,精神障害犯罪者一般にいえることで
あって,なにも酩酊犯罪者に限ったことではない。複雑酩酊に「自制能力」の
喪失による心神喪失を認めないのは,
「自制能力」の判定が軽視されているな
どといった上記⑷の理由だけによるものではなく,複雑酩酊による犯罪特有の
問題があるからかもしれない。次節では,この点について,考えてみよう。
[Ⅷ] ⑴
前記のように,
「酩酊通説」によると,複雑酩酊は,酒癖が悪い
酩酊とされている。酒癖が悪いという以上,今までに何度か問題を起こしてい
る者ということで,たとえば,前記精神運動性興奮が昂進して人を殴ったり
蹴ったりして,暴行罪や傷害罪で検挙・立件されたり,それらで有罪とされた
り,あるいは,凶器で人の生命を侵害したりして,殺人や傷害致死罪の前科が
あるような者とか,今まで犯罪として立件されたことはないが,粗暴な言動で,
厄介者とされているような人で,当然,このような者達は,自己の酒癖の悪さ
を認識しているのが普通ではないかと思われる。このような札付きの者が,今
回,懲りもせずに,またしても飲酒・酩酊し,なんらかの罪を犯したというの
が,複雑酩酊に多いケースではなかろうか。
⑵
このように,過去に酒癖の悪さから,たとえば,暴力沙汰や罪を犯した
者が,今回,またしても飲酒・酩酊の上,なんらかの罪を犯したという場合に,
刑法上,問題となるのは,
「原因において自由な行為」の理論である。通説に
よると,これは,飲酒・酩酊により,みずからを心神喪失状態に陥れ,かかる
状態で,なんらかの罪となるべき事実を生じさせた場合には,刑法
条を適
用せずに心神喪失を認めない(もちろん,心神耗弱も認めない)という理論で,
巻 ・ 号
論
説
事前に罪となるべき事実を,かかる状態で犯すことについて,故意がある場合
は故意犯,過失の場合は過失犯の成立を認めようとするものである。) )なお,
以下では,主として,この理論の故意犯の問題をとりあげることにする。
⑶
もちろん,複雑酩酊に心神喪失を認めないで心神耗弱とする裁判所の前
記傾向は,つぎの違いがあるため,
「原因において自由な行為」の故意犯の理
論を適用したものとはいえない。その違いとしては,①事前に故意があったか
を,この傾向は考慮していない。②この理論を適用すれば,刑法
条 項の
適用を認めず,完全責任能力とするのに,この傾向は,同条 項を適用して心
神耗弱としている。)
⑷
これに対して,共通点もあるように思われる。かかる共通点としては,
①この理論は,酩酊中の酒癖を利用するものであるから,この理論が前提とす
るのは,平素から酒癖の悪い人の場合が多いと考えられ,上記傾向も,複雑酩
酊であるから,酒癖の悪い人で,この点は,共通している。②この理論のもと
では,犯人は,確定的にあるいは未必的に酩酊中の酒癖を利用して罪を犯すの
であるから,この理論は,自己の酒癖の悪さを認識している者を前提としてい
ると思われる。複雑酩酊の場合も,上記⑴からわかるように,犯人の多くは,
平素から自己の酒癖の悪さを知っているはずであり,この点でも,上記傾向と
共通している。③この理論のもとでは,確定的故意の場合は別として(後述)
,
未必の故意による場合は,またしても酒の上での失敗をしてしまったというケ
ースが多いだろうと思われる。複雑酩酊の場合も,上記のように酒癖の悪い者
の犯行であるから,またしても酒の上での失敗をした酩酊者が多いだろうか
ら,この点でも共通する。
⑸
本稿の[Ⅰ]の⑷で述べたように,酩酊犯罪に対しては,国民の厳しい
処罰感情がある。裁判所がこれに応えようとするのであれば,
「原因において
自由な行為」の理論を適用して,故意犯の成立を認めればよいということにな
るが,)上記⑷で述べたように,複雑酩酊の場合には,この理論との違いがある
のであった。しかし,共通点もある。それならば,裁判所としては,この違い
を克服するようにすればよいではないかということになる。つまり,なんとか
巻 ・ 号
複雑酩酊と刑事責任能力
して複雑酩酊であった当該被告人の事前の故意を認定するようにし,完全責任
能力であったとすればよいのではないかということになる。
⑹
しかし,はたして,かかる故意を問題なく認定できるであろうか,ある
いは,検察官は立証できるであろうか。この⑹では,かかる点について,考え
てみよう。①確定的故意をもって,心神喪失状態での酩酊中に罪を犯すような
ことは,実際上は,ほとんどないであろう。なぜならば,事前の意図どおりに
罪を犯そうと思う者は,通常は,酔って罪を犯すような不確実なことはしない
からである。)したがって,問題となるのは,未必の故意の場合であるが,この
場合,過去において,同種の酩酊犯罪の前科が多くあれば認定ないし立証しや
すいかもしれない。しかし,一犯や二犯では不充分であろうし,多くの前科が
ある者は,普通は,実刑を言い渡され,刑務所に収容されているから,それぞ
れの前科と当該酩酊犯罪との間が時間的に離れており,裁判所にとって,やは
り認定は困難であろうし,検察官にとっても,立証は困難であろう。
「原因に
おいて自由な行為」の故意犯の理論が適用可能というためには,おそらく同種
犯罪を犯した時期が,比較的,近接していなければならないと思われる。②今
まで犯罪として立件されてはいないが,平素から酒癖が悪い者の場合は,その
酒癖の悪さが当該犯罪を犯すに至ったという認定ないし立証は,裁判所にとっ
ても,検察官にとっても,困難であろうし,また,平素の酒癖の悪さは,弁護
人に,いわゆる「悪意の立証」とみなされ,不同意や異義ありの証拠意見を出
される可能性がある。以上,①および②からわかるように,かかる事前の故意
の認定や立証は,困難といわざるをえない。
⑺
たとえば病的酩酊(前記[Ⅱ]の⑶を参照)のように,酩酊者に,幻覚
や妄想があって,その言動が支離滅裂であったり,意識障害が著しく「見当
識」障害も高度であって訳のわからないような状態のもとで,なんらかの罪を
犯した場合に,
「弁識能力」の喪失による心神喪失として,無罪にしたとして
も,酩酊犯罪に対する国民の前記処罰感情は,さほど侵害されるようには思わ
れない。しかし,前記[Ⅵ]の⑴および⑶でみたように,複雑酩酊の場合は,
酔っているとはいえ,犯行時の状況認識等があり,
「弁識能力」はあるといえ
巻 ・ 号
論
説
る上に,平素からの酒癖が悪く,今回,またしても酒の上での失敗をしたとい
うのであるから,
「自制能力」の喪失による心神喪失として無罪にすると,か
かる国民の処罰感情は,著しく侵害されるであろう。さりとて,
「原因におい
て自由な行為」
の理論による故意犯を認めることは,上記のように,事前の未
必の故意の認定が困難ないし立証が困難である。
⑻
こうした困難から,裁判所は,複雑酩酊の場合,心神喪失ではなく,中
をとって心神耗弱として,処罰しようとしているのであろうか。しかし,単に
中をとっただけのようには,思われない。その背後には,以下のような諸点に
対する裁判所の認識 ―― それらが,複雑酩酊の具体的な事件で,認定ないし
立証されたかは,別として ―― がひかえているのではなかろうか。①複雑酩
酊者は,酒癖の悪い者で,酒癖が悪いという以上,その者は,平素から,人や
物に暴力を行使したりして,暴行や傷害あるいは器物損壊の前科があり,ある
いは,犯罪として立件されたことはないが,粗暴で人々から厄介者とされてい
る者が多いという点。②かような者は,平素から上記のような犯罪や問題行動
を起こしているので,当然,自己の酒癖が悪いことを知っているという点。③
それならば,当然,飲酒をひかえるべきなのに,今回,またしても飲酒し,過
去と同種の罪を犯し,あるいは,平素からの自己の酒癖が度を越して罪を犯し
てしまったという点。前記と重複するが,以上の①②③の点は,
「原因におい
て自由な行為」の理論が適用される場合と,つぎのように共通している。すな
わち,第一に,この理論は,自己の酒癖を利用して罪を犯すのであるから,当
然,酒癖の悪い者である。第二に,この理論は,故意に,その酒癖を利用する
のであるから,犯人は,当然,自己の酒癖の悪いことを知っているはずである。
第三に,かような者は,当然,飲酒をひかえるべきなのに,故意に飲酒するこ
とが,この理論による故意犯成立の前提となっている。これら三点が共通して
いるのである。
⑼ 〔本稿の結論〕以上からわかるように,複雑酩酊は心神耗弱で心神喪失
ではないとする裁判所の傾向は,前記のように厳密な意味での故意犯の「原因
において自由な行為」の理論を適用したものではないが,その背景には,この
巻 ・ 号
複雑酩酊と刑事責任能力
理論を支えている上の三点がひかえているように思われる。別言するならば,
平素から暴言を吐いたり,人に暴力を行使したりするなどの酒癖の悪い者は,
普段から飲酒をひかえるべきなのに,今回,またしても漫然と飲酒・酩酊して
自己を心神喪失の状態に陥れ,かかる状態のもとで,罪となるべき事実を生じ
させたので,心神耗弱程度の刑事責任を負担すべきであるという考え方が,上
記傾向をささえているのではなかろうか。これは,故意犯の「原因において自
由な行為」の理論に類似する考え方であり,これらの裁判所は,こうした考え
方に,したがっているともいえよう。もちろん,このことは,
「自制能力」の
有無・程度の判定が軽視されていることにかわりはないのであるから,
「自制
能力」の判定が困難であることや,「弁識能力」があれば,当然,「自制能力」
もあるという前記常識的な考え方が,あわせて,その背後にひかえていると考
えられる(前記[Ⅶ]の⑸を参照)
。
⑽
このように,故意犯の「原因において自由な行為」の理論に類似する考
え方にしたがい,複雑酩酊は心神耗弱とすることにより,充分かどうかは別と
して,酩酊犯罪に対する国民の処罰感情に応えていることは,確かである。こ
の意味で,かかる裁判所の上記傾向は,実務的といえるだろう。しかし,
「自制
能力」の判定を軽視していることにかわりはなく,それにより,
「自制能力」
の喪失により心神喪失といえる複雑酩酊者を心神耗弱としていることも,充分
にありうるということで,もし,そうであれば,刑法の責任主義に反している
ことになるといえよう。)
[Ⅸ] 次稿のために,さらに,論を進めておこう。
⑴
本稿の[Ⅶ]の⑵で述べたように意志的作用の障害の有無・程度の認定
は,裁判所にとって困難であり,こういったことが「自制能力」の有無・程度
の判定が軽視されることの一つの原因であった。城博士と私は,なんとか意志
的作用の障害の有無・程度を客観的かつ容易に判断する方法がないかというこ
とを検討していた。その結果,前記のように,精神運動性興奮の程度によって,
かかる判断が客観的かつ容易になるのではないかと考えるに至った。なぜなら
ば,精神運動性興奮の程度は,犯人の言動(たとえば,それが高度の時の躁暴
巻 ・ 号
論
説
状態)に表出されており,それらは,われわれの目に見えるものであるからで
ある。もちろん,精神運動性興奮が高度でなくても,意志的作用の障害によっ
ては,「自制能力」を喪失していることはあるだろう )が,少なくとも,かか
る興奮が高度の時は,「自制能力」を喪失していると考えてもよいように思わ
れる。
⑵
このように,精神運動性興奮の程度を知るためには,精神鑑定医は,被
害者の死体を司法解剖した法医学者作成の解剖鑑定書や,犯行現場の状況につ
いての司法警察員作成の実況見分調書あるいは写真撮影報告書等を詳細に検討
する必要があろう。なぜならば,被害者の死体の損傷状況や犯行現場の荒れた
状況は,犯人の精神運動性興奮の有無・程度を物語っているからである。たと
えば,犯人が躁暴状態の時の死体は,その損傷が著しいのが普通である。)以前
に,東京都監察医務院の元院長の上野正彦博士が,その著『死体は語る』
(平
成元年)で,「丹念に検死をし,解剖することによって,なぜ死に至ったかを,
死体自らが語ってくれる」と述べられた )ことがあるが,上記からわかるよう
に,死体の状況は,犯人の精神状態も物語っているともいえるのである。また,
犯行現場の状況が,足の踏み場もないほど荒れているということは,犯人の精
神運動性興奮が昂進していたことを示しており,この意味で,精神鑑定医は上
記調書や報告書等も詳細に検討すべきであろう。)城博士が,精神鑑定をするさ
いには,解剖鑑定書や上記のような調書や報告書等を隈無く検討すべきだと平
素から述べておられたのは,まさに,こういったところからである。
⑶
このような城博士の考え方に対して,精神鑑定医が解剖鑑定書を参照す
るのは,邪道だと言われた精神科医がいると聞いたことがある。その真意は,
わからないが,これらを軽視してはならないことは,上記から明らかであろう。
注
)たとえば,大判昭和
版)
』
(平成
年)
年
月
日刑集
巻
頁,団藤重光著『刑法綱要総論(第
頁。
)酩酊を広く薬物摂取による中毒状態とする時もあるが,本稿では,アルコール摂取によ
る中毒状態だけに限定する。
巻 ・ 号
複雑酩酊と刑事責任能力
)当時の私の研究活動については,拙著『法医学と医事刑法』(平成
年)の「はしがき」
を参照されたい。
)城博士と私は,それまでに博士がされた酩酊犯罪者の精神鑑定の鑑定書を検討し,その
結果,博士は,酩酊を症状論から,通常酩酊,異常酩酊および病的酩酊の三種に分類する
のが妥当とされた。かかる分類,および,これら三種の酩酊の博士による症状論の詳細に
ついては,拙著『酩酊と刑事責任』(昭和
年)
頁以下を参照。なお,後述の本稿注 )
を参照。
)拙著・前掲注 )
頁を参照。
)この[Ⅱ]の本文の⑴⑵⑶の症状論は,中田 修著『犯罪精神医学』(昭和
以下,野村総一郎・樋口輝彦編『標準精神医学(第二版)
』(平成
正明総編集・司法精神医学第二巻『刑事事件と精神艦定』
(平成
白倉克之・丸山勝也編『アルコール医療入門』(平成
年)
年)
年)
頁
頁以下〔原 隆〕,
頁以下〔三留晴彦〕,白倉
克之・丸山勝也編『アルコール医療ケース・スタディ』
(平成
年)
加藤 敏ほか 名編集委員『現代精神医学事典』(平成
−
年)
年)
頁以下,松下
頁〔宗 未来〕
,
頁〔影山任佐〕等を
参照し,要約した。なお,「酩酊通説」では,単純酩酊と複雑酩酊とは,量的異常とされ
て,
「異常酩酊」がその上位概念とされている。たとえば上記『現代精神医学事典』
頁。
城博士の分類においても,「異常酩酊」という言葉が使われているが,通常酩酊とは,単
に量的な差異ではなく,質的な差異もあるように思われるが,今回は,この点にはふれな
いことにする。この点については,拙著・前掲注 )
)たとえば,中田・前掲注 )
頁を参照。
頁,松下総編・前掲注 )
頁。
)本文で前述したように,複雑酩酊に関する判例を検討しなければならないのは,もちろ
んであるが,公刊の判例集で掲載されている各判例の立場が,刑事裁判一般つまり実務の
傾向といえるかは,問題がある。これらの判例では,特異な事例とか法解釈の新しい展開
などが,今後の参考事例として,判例集に掲載されていることが多い。日常茶飯行なわれ
ている裁判所の複雑酩酊についての責任能力判断は,特に珍しくもないので,判例集には
掲載されないだろう。現に,私が国選弁護人として受任した若干の酩酊犯罪の事件は,こ
ういった「酩酊通説」をとる精神鑑定医の本文のような見解にしたがったもので,いずれ
も判例集には登載されていない。かようにみると,裁判官や検察官がいう本文でみたよう
な私的な発言が,実務の一般的傾向を知るために重要ではないかと思われる。
)精神運動性興奮の程度と行動による活発さについては,拙著・前掲注 ) −
頁を参
照。
)被害者を鋭利な刃物で滅多刺しや滅多突きにするような場合も,躁暴状態であることが
多いだろう。たとえば,拙著・前掲注 )
の外表には,
−
頁の写真⑯⑰を参照。この被害者の死体
ヶ所以上にわたって,刺創や切創あるいは刺切創が認められた。
)かような警察官が見張っていた場合とか,威嚇射撃をした場合における抑制作用につい
ては,拙著・前掲注 )
頁を参照。
)この点については,拙著・前掲注 )
頁を参照。
巻 ・ 号
論
説
)もちろん精神運動性興奮が高度でなくても,意志的作用の障害が高度で,「自制能力」
を喪失していることは,ありうるだろう。この点については,拙著・前掲注 ) −
頁を
参照。しかし,本稿は,複雑酩酊の場合,精神運動性興奮が高度で「自制能力」を喪失し
ていることがありうるということを論議の主眼としているので,それが高度でない時の
「自制能力」の喪失にはふれないことにする。
)拙著・前掲注 ) −
)拙著・前掲注 )
頁。
頁。
)複雑酩酊者の精神運動性興奮が高度で躁暴状態にまでは至っていなくても,中等度を越
えて高度に近いような状態つまり躁暴状態に近いような状態の時は,「自制能力」は心神
喪失ではないが,心神耗弱程度に至っているといってもよいだろう。以上については,拙
著・前掲注 ) 頁を参照。
)精神運動性興奮が昂進すると,意識障害も進行するから,躁暴状態の時の意識障害も通
常の複雑酩酊の場合よりも,多少,進行していると思われる。この点については,拙著・
前掲注 ) 頁を参照。知的作用の障害は,意識障害によって影響を受けるので(同書
頁を参照)
,躁暴状態の時は「弁識能力」の方も,心神耗弱程度に達していることが多い
であろう。つまり,
「弁識能力」の方が完全責任能力で「自制能力」の方が心神喪失とい
うのは,あまりないように思われ,
「弁識能力」が心神耗弱で,「自制能力」が心神喪失と
いうパターンになるだろうということである。
)鈴木義男『模範刑法典およびニューヨーク新刑法典における責任能力の基準」警研
巻
号
頁。
)これらの点については,拙著・前掲注 ) −
頁を参照。
)みずから心神耗弱に陥れた場合にも,この理論の適用があるとする有力説もある。たと
えば,西原春夫「責任能力の存在時期」佐伯千仭博士還暦祝賀『犯罪と刑罰(上)』
−
頁。
)この理論についての私の見解は,拙著・前掲注 )
)もちろん,この裁判所の傾向は,前掲注
頁以下を参照。
)の有力説を適用したものでもない。
)もちろん「原因において自由な行為」の過失犯の成立を認めるということも考えられる
が,特に人の生命や身体を侵害した場合は,過失犯の法定刑では軽すぎて,多くの場合,
国民の処罰感情に応えることにはならないだろう。
)たとえば,植松 正「酩酊者に対する立法的措置(概説)
」日本刑法学会編『酩酊と刑事
責任』
(昭和
年)所収
頁を参照。
)刑法の大原則である罪刑法定主義や責任主義に反することなく,酩酊犯罪に対する国民
の処罰感情に応えることは,現行法の枠内では困難だというのであれば,立法論を考える
必要があろう。今回は,この点には言及しないが,ひとつの立法的解決として,拙著・前
掲注 )
頁以下を参照。
)この点については,本稿注
)を参照。
)この点については,本稿本文の[Ⅴ]の⑴および本稿注
巻 ・ 号
)を参照。
複雑酩酊と刑事責任能力
)同書
頁。
)拙著・前掲注 ) −
頁の〔事例
〕を参照。
畏友・小林敬和教授と私は,富山県高岡市所在の高岡法科大学法学部の刑法
学担当教授として,刑法総論と各論を交互に学生達に講義をしてきた間柄であ
る。その後,私は香川大学法学部の刑法学担当教授として転出し,しばらくし
て,小林教授は愛媛大学法文学部の刑法学担当教授として転出された。同教授
は,同大学学部および大学院における教育・研究が本務であったが,やがて,
四国地方におけるロースクールとして香川大学・愛媛大学連合法務研究科が設
立され,教授も私も,ここで刑法学の講義をするようになった。世の中に大学
の教師は,多いけれども,二つの大学で同僚になることは,あまりないのでは
ないかと思われる。今になって計算すると,教授と私との付き合いは,約
年になる。この間,教授には,色々とお世話になった。パソコンが苦手な私の
ために,教授みずからパソコンの前に座って,資料を集めてくださったり,刑
法学上の論点について適切なご意見をいただいたりなどした。今般,愛媛大学
を退官されるとのことで,その退官記念論集に執筆させていただき,光栄に
思っている。ささやかな論文ではあるが,今後の小林教授の刑法学者として,
さらに,弁護士としての教授のご活躍を念じつつ,本稿を小林教授に捧げたい
と思う。最後に,今後の小林教授のご健康とご多幸を祈りつつ,本稿を閉じる
ことにする。
(香川大学名誉教授,滋慶医療科学大学院大学教授,弁護士)
巻 ・ 号