close

Enter

Log in using OpenID

犀円文錦の研究

embedDownload
犀円文錦の研究
尾
形
充
彦
はじめに
さいえんもんのにしき
はなだ じ だいからはなもんのにしき
犀円文錦(挿図
し
)は、縹地大唐花文錦(挿図
き
し
し かりもんきん
(注 )
)
と四騎獅子狩文錦(挿図
(注 )
)
に並ぶ、
隋・唐代の最高級の名錦のひとつに数えられる。連珠円帯の中に犀を納めた主文の直径が約
㎝あり、
者の中で最も大きい雄渾な錦であるが、褪色した断片しか伝わらず、文様の詳細な
構成や色彩、当初の形状や寸法などについては、不明な点が多い。そのため、故太田英蔵氏の
㎝
挿図
犀円文錦文様復元図(太田英蔵作図)
(29)
論文(注 )が公表されて以降、これまで、論考と言えるものが他には見当たらないのが現状である。
しかし、その後古代の染織品に対する調査や研究環境は、下記のように著しく進展している。
①正倉院の古裂整理事業の進捗により犀円文錦断片が新たに
では、これらを古裂帳に整理して保管している(表
片以上発見された。正倉院
)
②連珠円文錦などが、近年中国各地で多数発見され報告されている(表
、後掲)
③各国の博物館や美術館から古代染織コレクションの図録が新刊されるようになった(注
)
④正倉院に至るまでのシルクロード(注 )の染織品の研究成果が、近年多数報告されるように
なった(注
)
⑤古裂調査用具として、ルーペに替わるLEDライト付単眼マイクロスコープが登場し、デジ
タルカメラとパーソナル・コンピューターの発達で、高細密な画像が容易に得られて、活
用できるようになった
以上のことから、この錦の再調査が必要ではないかと考えていたところ、このたび、熟覧調
査する機会があり、新たな知見が得られたので報告する。
.文様復元図について−当初の寸法の検討−
断片のみ伝わる犀円文錦の文様復元図については、太田論文に発表された線描図が知られて
いる(挿図
)
。獅子や織り出し部分の小石畳文に不明な箇所があると言われるが(注 )、そのよ
うな細部を除けば、完成度は高いと考えられる。その太田氏の文様復元図に基づき、断片化す
る前の製作当初の裂地寸法を検討した。
犀円文錦の文様復元・寸法検討などに与る資料は、約 片の断片であり、それらが貼付され
た古裂帳の頁は、下記の通りである。図版には、代表的な数頁のみを掲載した。
○古裂帳第
号
(挿図
)、
、
頁
○古裂帳第
号
(挿図
)、
、
(挿図
、
(挿図
)、
、
、
(挿図
)、
、
(挿図
)
、
)頁
○古裂帳第
号
頁(挿図 )
○古裂帳第
号
頁
○古裂帳第
号
頁
○古裂帳第
号
、 頁(挿図 )
○古裂帳第
号
頁(挿図 )
○古裂帳第
号
頁(挿図 )
検討にあたっては、主要な断片の図版を復元図の上に実際に並べて様々な配置を試みたが、
その際に次のことに着目した。すなわち、犀や双鳥や獅子などの双獣文様は主文
個に
組し
か存在しないため、それら双獣文様の個数は主文の個数を示していること。また、今日に伝わ
る断片の数量からみて、全てが
枚の裂地から分解したとみなせるので、どの断片も互いに重
なることはあり得ないこと。
(30)
No Image
所蔵者の意向により
ウェブサイトへの掲載はできません
挿図
表
号数
縹地大唐花文錦(南倉
(幅 ㎝)
琵琶袋残欠)
挿図
四騎獅子狩文錦 部分(法隆寺所蔵、画像提供:奈良国
立博物館)(主文の直径約 ㎝)
犀円文錦貼付の古裂帳一覧
犀円文錦断片の貼付されている頁数
※
(
)
内は犀円文錦の片数
貼了年月
出櫃号数
( )
、
( )、
( )、( )
、( )
大正
年
月
( )
、
( )
、
( )
、
( )
、( )
、( )、( )
、( )
、( )
、( )
、( )
、( )
大正
年
月
同上
( )
、
( )
、( )
同
上
同上
( )
、( )
、( )
同
上
同上
( )
、
( )
、
( )
、
( )
、
( )、
( )、
( )
、( )
、( )
、( )
、( )
、( )
、
( )
、( )
、( )
、
( )
、( )
( )
、
( )
、( )
、( )
、( )、( )、( )
、( )
、( )
、( )
( )、( )
、( )
( )
大正
月
上
同上
同
上
同上
年
同
( )
( )
( )、
( )、
( )、
( )、( )
、( )
月
上
同上
年
月
同上
大正
年
月
同上
上
同上
( )
大正
年
月
( )
大正
年
月
大正
年
月
( )
同
( )
、
( )
、( )
、
( )
、
( )
、(
)
、
(
)
、(
)
、
(
)
、(
)
( )
、
( )
、( )
、
( )
、
( )、
(
( )
、( )
、( )
、( )
)
、
(
)
、(
)
、
(
)
、(
)
、(
( )
、
( )
、
( )
、
( )
、
( )、
(
)
、(
)
、
(
)
、
(
)
(31)
)
、
同上
大正
同
( )
同上
同
大正
( )
、
( )
、
( )
年
上
同上
同上
昭和
年
月
昭和
年
月
昭和
年
月
、 、 、 、
、
挿図
古裂帳第 号 頁
(台紙寸法 .× .㎝ 以下同じ)
挿図
古裂帳第
号
挿図
古裂帳第
号
頁
挿図
古裂帳第
号 頁
挿図
古裂帳第
号
頁
挿図
古裂帳第
号 頁
挿図
古裂帳第
号 頁
挿図
古裂帳第 号
(32)
頁
頁
挿図
古裂帳第
号
頁
挿図
挿図
左右の犀の頭部のある断片(左右幅の原寸約 ㎝)
(古裂帳第
挿図
左向きの犀の胴部の断片(左右幅の原寸約
㎝)
(古裂帳第 号 頁)
挿図
(33)
古裂帳第
号
頁
号 頁)
右向きの犀の頭部の断片(左右幅の原寸約
㎝)(古裂帳第 号 頁)
以下に、裂地寸法の検討結果を述べる。
【犀文の個数の検討】
犀の文様は、向かい合う左右両方の頭部を含む断片(挿図 )と左向きのもの(挿図
右向きのもの(挿図
)が存在するので、主文は、少なくとも
)と
個存在したことがわかる。
【双鳥文の個数の検討】
花樹の上方中央に位置する双鳥文は、左右の鳥を含む断片が
片(挿図
)と左の鳥の断片(挿図
)が各々
片(挿図 ・
)、右の鳥の断
片ずつ存在するので、少なくとも
組の双鳥
文が存在することがわかる。さらに、左側の鳥の頭部で連珠の一部を含む断片(挿図 )をみ
ると、文様の一部分が
組の双鳥文のいずれにも重なる。したがって、この断片は先の
は別の双鳥文の一部であることがわかる。全部で
くとも
組と
組の双鳥文が存在するから、主文は、少な
個存在したことになる。
【副文の重なりの検討】
犀円文錦は、主文の直径が約
窠間(織り幅に文様が
㎝、長さ約
㎝、連珠円帯間の隙間が少なくとも
〜
㎝であるから、二
回繰り返されている)で主文一窠分の丈であるとすると、寸法は幅約
㎝となる。しかし、古裂帳第
号
頁に貼付された副文の部分断片(挿図 )
は、やや大きく、他の副文と合わせると、二窠間で一窠分の丈の中には納まらない。二窠の主
文の左右に副文を織り出した裂地が、少なくとも、もうひとつ必要である。このことは、織り
幅が三窠間か、丈が少なくとも二窠分あったことを示している。
織り出しの小石畳文を含む副文(挿図
〜 )は、裂地の下端部分であり、小石畳文を含ま
ない副文は、左右の端か、主文と主文の間に挟まれたものである。小石畳文を含まない副文断
片の幾つかを下端以外に配置すると、二窠間の幅で二窠分の丈(又は、三窠間の幅で一窠分の
丈)だけの裂地では、矛盾を生じるものがある。例えば、やや大きな副文断片(挿図
挿図
双鳥文の断片(左右幅の原寸約 ㎝)(古裂帳第
号
頁)
(34)
・
・
挿図
双鳥文の断片(左右幅の原寸約
(古裂帳第 号 頁)
㎝)
(古裂帳第 号 頁)
双鳥の左側の鳥(左右幅の原寸約 ㎝)
挿図
挿図
双鳥の右側の鳥
(左右幅の原寸約 .㎝)
(古裂帳第
号 頁)
挿図
双鳥の左の鳥の付近と連珠(左右幅の原寸約 ㎝)
(古裂帳第
挿図
副文の中心(左右幅の原寸約 ㎝)(古裂帳第
号
頁)
挿図
織り出しの小石畳文を含む断片(左右幅の原寸約 .㎝)
(古裂帳第
(35)
号 頁)
号 頁)
挿図
挿図
織り出しの小石畳文の断片(左右幅の原寸約 ㎝)
(古裂帳第 号 頁)
挿図
織り出しの小石畳文の断片
(左右幅の原寸約 ㎝)
(古裂帳第 号 頁)
挿図
挿図
織り出しの小石畳文を含む断片(左右幅
の原寸約 ㎝)
(古裂帳第 号 頁)
連珠を含む副文断片(左右幅の原寸約 ㎝)
(古裂帳第
やや大きな副文断片(左右幅の原寸約 ㎝)
(古裂帳第 号
号
頁)
頁)
)と他の副文断片との位置関係をみると、丈の三窠目(又は幅の三窠間目)の裂地の一部ま
でが存在しなければ、互いに重なってしまう。ただし、現存する断片の全体量は少なく、幅が
二窠間で丈が三窠分(又は幅が三窠間で丈が二窠分)の裂地に見合う分量の主文の断片は存在
しない。したがって、丈の三窠目(又は幅の三窠間目)は主文までは含まず、中間の副文が半
切を超えていたと考えるべきである。
【織り幅の検討】
織り出しの小石畳文を含む断片の中に、同じ部分のものが
種発見されている。このことを
根拠にして二窠間の錦であったとする太田説は、的を射たもので認められるが、二窠間か三窠
間以上かの論議は行われていない。また、主文と主文に跨がる副文部分の断片(挿図 )の存
在から、天平時代の一般の織り幅である
尺
寸(約
.㎝)の
倍以上の広幅の錦とする西
村兵部説(注 )も首肯されるが、三窠間以上の錦である場合について論議されていない。ここで
(36)
は、三窠間の錦である可能性について考えたい。この錦は、
前記の主文の直径などからみて、三窠間であれば織り幅が
〜
〜
㎝の錦になる。正倉院の広幅の錦は、織り幅が約
㎝で、正倉院の広幅の錦を復元模造した経験から言え
ば(注 )、その約 .倍の織り幅になる錦が、奈良時代の技術で
製織可能であったとはとうてい考えられない。現存する古代
の錦の中では特別に幅の広い、中国製とされる四騎獅子狩文
錦ですら現在幅(注 )は
.㎝であり、たとえ中国において
も、その約 .倍の織り幅の錦がそのころ製織可能であった
とは思えない。
以上から、犀円文錦の当初の寸法は、二窠間で主文二窠分
の丈(幅約
㎝、長さ約
㎝)に、織り出しの部分を加え
て、さらに副文が半切を超えて三窠目に及ぶものであったと
推定する。したがって、長さは約
挿図
㎝となろう。
二窠の主文に跨がる副文部
分(長の原寸約 ㎝)
(古裂
帳第 号 頁)
(↔経方向)
.糸使いと織り組織について
拡大画像(その図版を挿図 〜 に示す)により糸使いと織り組織を調査した。拡大撮影個
所は、古裂帳の頁全体の図版(挿図
〜
)に矢印で記した。
マイクロ・メーターを写し込んだ画像(挿図 ・
・
・
)により、糸の太さ(見かけ幅)
や織り密度を測定した(図版の最小目盛りは . ㎜)。母経(絡み経)の密度の平均は 本/㎝、
糸の太さは .〜 .㎜、陰経(芯経)の密度の平均は母経とほぼ同じ、糸の太さは約 .㎜、色
緯の密度は
〜 本/㎝、色緯の中で糸の太さの判明するものは、紺色が .〜 . ㎜、黄・紫
色が .〜 . ㎜である(注 )。母経(絡み経)と陰経(芯経)には、強いS撚り(右撚り)が掛
かっている。糸の撚りがわかる画像(挿図 ・
)を見ると、糸長がおよそ . 〜 .㎜毎に
回転しているから、見た目の撚り数は
回/mである。陰経(芯経)は
〜
本揃えの羽二
重である。色緯には無撚りの平糸が用いられている。母経(絡み経)と色緯の間の組織は、緯
地合の三枚綾組織である(挿図 )。
このように、経糸に強い撚りが掛かっていて、糸の太さが比較的揃い乱れが少ないなど、こ
の錦は、高度な技術が用いられている。そして、一連の断片以外に、正倉院の染織品中に使用
例は無く、我が国の他の上代裂中にも同様の錦は存在しない。それらのことに加えて、主文の
直径が大きく非常に雄渾な錦であることから、縹地大唐花文錦、四騎獅子狩文錦と同じく、お
そらく中国からの舶載品であろう。
ところで、拡大画像調査・検討中に、本来最表面層にあって文様・色彩を表わす色糸(色
緯)と陰経(芯経)の多くが欠落している事を発見した。最表面の色緯と陰経(芯経)がほぼ
完全に欠落している場合、陰経(芯経)が必要な色緯を表に出し残りを裏に沈める働きをして
(37)
挿図
連珠(古裂帳第
号
頁)
(× )
挿図
連珠円の内側と外側の境目
(古裂帳第 号 頁)
(× )
挿図
連珠間の隙間(古裂帳第
挿図
連珠円帯内区の地(双鳥の上)
(古裂帳第 号 頁)
(× )
挿図
連珠円帯内区の地(獅子の下)
(古裂帳第 号 頁)
(× )
挿図
獅子の脚と地の境目(古裂帳第
(× )
号
挿図
犀の首の下の渦巻状の飾り
(古裂帳第 号 頁)
(× )
挿図
犀の身体の斑文(古裂帳第
頁)
(×
号
頁)
(×
)
(38)
号
頁)
)
挿図
犀の首のリボン(中間部)
(古裂帳第
(× )
挿図
花樹の実の房(古裂帳第
挿図
副文の中心の蓮華(古裂帳第
挿図
号 頁)
号 頁)
(×
)
号 頁)
(×
)
挿図
副文の葡萄の実の中心(古裂帳第
(× )
挿図
副文の唐草の茎(古裂帳第
挿図
織り出しの小石畳文(古裂帳第
(× )
挿図
錦断片の裏面(左右幅の原寸約 ㎝)
(古裂帳第
号 頁)
複様三枚綾組織緯錦の組織要領図
(佐々木信三郎作図)
(39)
号
頁)
号 頁)(×
)
号 頁)
いないので、犀円文錦の裏面(挿図
)のように、色緯が霜降り状に混り合うことが予想され
る(注 )。それにもかかわらず、古裂帳に貼付されている裂地片に文様の外形線が伺える事に、
ある種の違和感を感じざるを得ない。しかも、犀円文錦の表面の荒れ方は、文様の部分により
異なっている。自然に朽損が進んだ場合は、断片に分解されていても表面が一様に荒れている
はずである。これは状況からみて、古裂帳作製の過程で、水伸ばしされ台紙貼りされた古裂片
の朽損が進んだ部分の表面の埃(絹の粉塵)が、刷毛で掃き落とされたために生じたのであろ
う。犀円文錦の文様・色彩の現状を観察する際には、このことに留意しなければならない。な
お、陰経(芯経)が剥落しているにも拘わらず
色の色緯に覆われているように見える連珠の
地部などは、経糸開口時に同色の色緯が整然と重ねられて乱れずに織り入れられたために、そ
のように見えるものと考えられる。また、色緯のほとんどが杢糸状に見えている文様部分は、
異なる色の緯糸を短い間隔で表面に出したり下に沈めたため、数色の色緯が重なりあって
束
になって杢糸状に見えるものと考えられる。
獅子の前脚の縁(挿図
)と葡萄の実の縁(挿図 )は、最表面の色緯と陰経(芯経)の一
部が残っているので、文様細部の形状が明瞭である。副文中央の唐草の茎の縁(挿図 )は、
藍色の色緯が当初に近い状態で残っている。織り出し部分の小石畳文(挿図 )は、黄色と紫
色が市松模様になっていて、紫色の色緯は当初に近い状態である。色緯の表面に波状の凹みが
見える部分は、陰経(芯経)が上に載っていたために出来た痕跡である。
.色
彩
現在古裂帳に貼付されている犀円文錦断片の多くは、
「
.糸使いと織り組織」で述べたよう
に、最表面の色緯と陰経(芯経)を欠くので、現在見えている色彩の多くは、当初とは異なる
ものである。母経(絡み経)の下に挟まれて僅かに残る色緯の微細片の一番上に見えるものが
当初の表面の色彩と考えられる。
太田論文には、犀円文錦は赤地(現在茶色)であったらしく、濃藍色の骨線で連珠帯や文様
を画し、連珠は白色、その他文様の内側を緑・白・黄色で埋め、犀の胴部の斑文に薄い褐色を
呈する別色が見えると記されている。今回改めて、LEDライト付単眼マイクロスコープを用い
て観察した結果、連珠円帯の地部は紺で、他の地部は赤、連珠は輪郭を白線で画した赤、犀は
紫に縁取られた赤で斑文には赤に紫が用いられ、全部で赤・紺・黄・白・緑・紫の
色の色緯
が用いられていることが判明した。文様の諸処に見える紺色の輪郭線は、最表面に出た色緯で
表されているので、当初の色彩であると判断した。経糸は、陰経(芯経)の一部に、茶紫色に
黄赤色が混在して見えるものがあるので、黄色の下染めに紫色が重ね染めされたと考えられる。
似寄りの色の母経(絡み経)も陰経(芯経)と同様にして重ね染めされたのであろう。
次に、各部分の色彩の観察結果を個別に述べる。
【連珠】
連珠の部分(挿図
)は、母経(絡み経)の下に赤味の糸屑が挟まっているから、赤色であ
(40)
る。赤色糸の下には何色もの色緯が織り入れられているにも関わらず、全体が白色糸で覆われ
て見えるから、連珠の輪郭が白色の線で画されていたと考えられる(注 )。
【連珠円帯】
連珠円の内外を画す縁の部分(挿図 )を見ると、母経(絡み経)の下に、外側では紺色の
糸屑が挟まり、内側では赤味の糸屑が挟まっている。したがって、連珠と連珠の間地は紺色で
あり、連珠円の内側の部分は赤色である。連珠円帯の地の部分(挿図 )だけを見ると、全て
の母経(絡み経)の下に紺色の糸屑が挟まり、地が紺色であることは明らかである。
【連珠円帯内区の主文の地部】
連珠円帯内区の地の部分(挿図 ・
・
)は、母経(絡み経)の下に赤味の糸屑が挟まっ
ているから、赤色である。
【犀の飾り】
犀の首の下の羽根のような渦巻き状の飾りの端(挿図 )は、母経(絡み経)の下に赤味の
糸屑が挟まっているから、赤色である。赤色の糸の直ぐ下には、紺・紫・白(又は黄)の色緯
が見えるので、紺の輪郭線以外に紫色と白色が用いられていたことがわかる。
【犀の斑文】
犀の胴体の斑文の部分(挿図
)は、母経(絡み経)の下に赤味の糸屑が挟まっているので、
赤色である。赤色の糸の直ぐ下には、紫の色緯が多く存在するので、犀の胴体の斑文や縁など
に紫色も用いられていたと考えられる。
【犀の首のリボン】
犀の首に巻かれたリボンの風になびいている部分(挿図 )は、縁の紺色の線の間に黄色の
糸が見られるので、リボンは黄色である。
【葡萄の実】
副文の葡萄の実の中央部の画像(挿図 )には、経糸に跨がる緑の色糸が見えるから、紺色
で縁取られた果実の中央は緑色である。円帯内の葡萄の実(挿図 )は、紺色糸の縁の中央に
黄と緑の色緯がわたっているので、中央は黄と緑色である。
【副文の蔓】
副文の唐草の蔓(挿図
)は、紺色の縁の中間部分の母経(絡み経)の下に赤味の糸屑が挟
まっているから、赤色である。黄色の糸が多く見えることから、蔓が赤色と黄色の
色を並べ
たような色彩であったと推定できる。
【副文間の蓮華文】
副文の先の剣先形の忍冬文の間に位置する蓮華文の中心部分(挿図 )は、紺色の縁以外、
母経(絡み経)の下に赤味の糸屑が挟まっているので、赤色である。
【織り出しの小石畳文】
副文断片の下の織り出しの小石畳文の画像(挿図 )を見ると、母経(絡み経)の下に赤味
の糸屑が存在し、黄色の糸が覆う部分と紫色の糸が覆う部分が石畳状に見える。したがって、
(41)
小石畳文の色彩の詳細は不明であるが、赤・黄・紫色から成っていたと考えられる。
.シルクロードと犀円文錦
犀円文錦は、シルクロードを通って行われた絹織物の文様と織技の東西交流の問題と深く関
わっており、それらを切り離して理解することはできない。
絹は中国に起源があることが判明しているが(注 )、経錦と緯錦を織り出す織技の東西交流に
ついては、諸説があり今も決着していない。経錦は中国由来のものであるとみて間違いないが、
緯錦や空引機が西方(西トルキスタンからヨーロッパ)からもたらされたものなのか、中国に
も古来から存在したものなのか今も不明のままである。前漢以来、経錦は紋棒機(注 )で製織さ
れたとみて、
〜
世紀には緯錦と共に空引機も西方から中国へもたらされたという説や、中
国でも西方に先だって
〜
世紀に空引機が発明されており、西方から緯錦が伝わる前に中国
で緯錦が織られていたという説がある(注 )。
連珠円文については、文様の形式で分類されて地域性と時代性が論じられている(注 )。珠文
を並べて連珠としたような文様は、中国漢代にもみられ、西アジア、イラン地方のみに源流を
求めることはできないが、連珠を円帯として、その中に花樹や動物を納めた文様は、ササン朝
ペルシャで盛行し、そこから世界に広がったことが明らかである。連珠円文や樹下動物文のよ
うなササン系の文様が中国に伝来し、そこに中国固有の文様が融合して、所謂「シノ・イラニ
カ様式」の文様が中国で誕生したということは、今では通説となっている(注 )。四騎獅子狩文
か じゅたいろくもんきん
錦や花樹対鹿文錦(後述)は、シルクロードによる東西文化交流を示す資料として今日でも重
要な研究対象と言えよう。
ただし、これまでは研究対象の染織資料が特定の出土品に限られていたため、シルクロード
の染織品の時代性や地域性について体系的に考察されることはなかった。ところが、絹織物の
文様と織技の東西交流を示す染織資料は、近年になって飛躍的に増加している(表
参照)。多
数の資料に基づくシルクロードの染織品全体の体系的研究も視野に入ったといえよう(注 )。犀
円文錦についても、体系的に位置付けられるべきであるが、シノ・イラニカ錦全般の織技に関
する調査報告が今でもまだ少ないために(注 )、体系的研究は進捗していない。これは、今後の
課題である。
犀円文錦は、文様が大きく色緯が多数(
色)である。さらに、陰経(芯経)が強撚糸の羽
二重になっているが、これは、当時の国産の錦には見られず、中国出土の錦の中でも珍しい高
度な技術といえる。それらのことからみて、中国隋・唐代のシノ・イラニカ錦の中でも優秀な
製品であったと思われる。他のシノ・イラニカ錦と見られるものに、例えば、冒頭で触れた四
騎獅子狩文錦や大谷探検隊将来の花樹対鹿文錦(挿図
(注 )
)
、スタイン将来の花樹対鹿文錦
(注 )
(挿図 )
が知られる。これらは、いずれも優品であり、中国で瑞錦又は大瑞錦と呼ばれた
ものかもしれない(注 )。このような錦は、長安の織染署などの宮廷所属工場で製作されたとみ
て良いであろう(注 )。
(42)
挿図
挿図
花樹対鹿文錦(アスターナ古墓からスタイン
発掘)
(Aurel Stein “Innermost Asia” Ⅳより転
載)(幅の原寸約 ㎝)
花樹対鹿文錦(大谷探検隊将来裂、個人蔵)
(『東
洋美術第 巻工芸』朝日新聞社、
より転載)
(長の原寸 .㎝)
犀円文錦の製作年代は、二つの花樹対鹿文錦と四騎獅子狩文錦を加えた四者間の相対比較に
より検討することができる。すなわち、スタイン将来の花樹対鹿文錦が出土したアスターナ古
墓群の第
第
区第
号墓は、隣接する第
号墓からは延壽
年(
号墓から延和
年(
)と貞観
年(
)の墓誌が、
)の墓誌が出ていることから、高昌国の末、中国では隋の中頃か
ら唐初にあたる頃の造営と考えられ、この面被いの錦も同じ頃に製作されたと推定される。そ
の製作年代を基準にして、四者を錦文様の比較から互いに編年することにより、犀円文錦の製
作年代を推定することが可能であると考えられる。
種の錦の製作年代の違いは、副文に顕著にあらわれている。すなわち、スタイン将来の花
樹大鹿文錦と四騎獅子狩文錦は、副文がかなり似ており、パルメット唐草が大型の三葉形で構
成され揺らぐように斜めにあらわされ、蔓に渦巻文などの装飾は無い。犀円文錦は、小型の三
葉形で、蔓の一部が渦巻文で飾られ(注 )、唐草が内と外(又は上と下)に二重に構成され、副文
と副文の間に蓮華風の連珠円文が置かれているなど重厚感があり古様である。したがって、犀
円文錦は、他の
者よりも製作年代が古いと考えられる。それに対して、大谷探検隊将来の花
樹対鹿文錦の副文は、犀円文錦ほど明確ではないにしてもパルメット唐草が二重に構成され、
文様の中心にある蓮華文の花弁が犀円文錦と同様に剣先形としていて、先に述べた
者と比較
すると、重厚感があり古様である。逆の見方をすれば、スタイン将来の花樹対鹿文錦と四騎獅
子狩文錦の副文は、大谷探検隊将来の花樹対鹿文錦のものと比較すると、様式化された優美さ
があり新しい。
(43)
以上の検討から、年代の古い順に並べると、犀円文錦が最も古く、次に、少し離れて大谷探
検隊将来の花樹対鹿文錦が古い。スタイン将来の花樹対鹿文錦は、四騎獅子狩文錦と製作年代
がほぼ一致するが、大谷探検隊将来のものと主文が同図柄であることから、四騎獅子狩文錦よ
りも古い順番に並べても差し支えないといえよう。一番新しいものは四騎獅子狩文錦である。
スタイン将来の花樹対鹿文錦の製作年代は、前述の如く隋の中頃から唐初の
れる。したがって、四騎獅子狩文錦の製作年代を
〜
年( 世紀の前半)とみて(注 )、大谷
探検隊将来の花樹大鹿文錦は、やや古く隋代の中頃、すなわち
れよう。犀円文錦の製作年代は、それよりも古いもので、
結
世紀初めとみら
年頃( 世紀の初め)とみら
年前後(隋初)と推定される。
語
犀円文錦の
片の断片を蒐集確認し、約 片の断片に残る文様を検討して、当初の裂地が
二窠間の幅で主文二窠分の丈よりも少し長いもの(幅約
㎝、長さ約
㎝)であると推定し
た。拡大画像の観察調査により、これまで不明であった色彩の幾つかを明らかにすることがで
きた。陰経(芯経)として強撚糸を羽二重に使用し、母経(絡み経)として強撚糸の単糸が用
いられているなど、高度に発達した製織技術が用いられていることを確認した。また観察の結
果、古裂帳作製の過程で、台紙貼りされた古裂片の表面の埃(絹の粉塵)が、刷毛で掃き落と
されていると判断された。したがって、現状の色彩の多くは、当初と異なっている。そして、
犀円文錦が隋初の
製作年代が
年前後に製作されたとみた。
年前後とみられる犀円文錦は、光明皇后の宝物献納・大仏開眼会・聖武天皇
一周忌斎会をはじめとする
世紀中頃(
年前後)の由緒を持つ正倉院裂と同時代のものでは
ない。この錦については、墨書も文献記録も見つかっていないので、直接の由緒は不明である
が、何時かの時代に正倉院宝庫に納められたものであることは確実である。由緒を明らかにす
ることは、断片化された原因の解明と共に、今後の課題と考えている。
注
(
)雄偉な唐花文を
れる。
〜
色の色緯で表した錦で、琵琶袋の表地に用いられたため琵琶袋の錦とも称さ
世紀の絹を用いた錦の中で最も優れたものの一つで、龍村謙(二代平蔵)
『錦とボ
ロの話』
(学生社、
)には、正倉院随一の名錦で、中国の皇帝(おそらく玄宗)の所持品で
あろうと紹介されている。
(
)ササン朝ペルシャの文様の影響が顕著な世界的に知られる中国渡来の名錦。明治
年、アーノ
ルド・フェノロサと岡倉天心が法隆寺夢殿を調査した際、この錦が救世観音の厨子の脇に巻い
て立て掛けられているのが発見されたことが知られる。この錦の研究や解説の類は多い。近年
の代表的なものの幾つかを示すと、西村兵部「四騎獅子狩文錦解説」(『奈良六大寺大観法隆寺
五』岩波書店、
)
、桑山正進「法隆寺四騎獅子狩文錦の製作年代(一)」
(『江上波夫教授古
稀記念論集考古・美術篇』山川出版社、
文化』
号、
)、太田英蔵「大瑞錦獅子狩文錦について」
(『服装
、のち『太田英蔵染織史著作集下巻』文化出版局、
に収録)
、深井晋司
「ササン王朝ペルシャ銀製馬像に見られる馬印について」(『東洋文化研究所紀要』第
(44)
冊、
、のち『ペルシャ古美術研究第二巻』吉川弘文館、
に改稿して収録)
、道明三保子「法
隆寺蔵四騎獅子狩文錦に関する一考察」
(『古代オリエント博物館紀要』第
巻、
子「法隆寺四騎獅子狩文錦の成立について」
(『古代オリエント博物館紀要』第
)
、横張和
巻、
)など
がある。
(
)太田英蔵「犀円文錦について」
(『書陵部紀要』第
巻』文化出版局、
(
号、
、のち『太田英蔵染織史著作集下
に収録)
。
)近年刊行の図録を《参考文献》に記した。我が国では、
年頃までは、西域出土の染織品につ
いては、Aurel Stein “Serindia” Vol. Ⅳ, Oxford, The Clarendon Press,
most Asia” Vol. III, Oxford, The Clarendon Press,
(國華社、
、のち復刻版:柏林社書店、
、Aurel Stein “Inner-
、香川默識編『西域考古図譜上・下巻』
)などの図版を参照にする以外に無かったと言
われる。
(
)シルクロードという呼称は様々な意味で用いられるが、本稿では、中国からローマに至る内陸
の砂漠地帯を通る東西交通路の意味で用いた。なお。林良一『シルクロード』
(美術出版社、
)に「私はかつてわが「正倉院」を「シルクロードの終着駅」と名づけたことがある」と記
されており、中国から日本の平城京・正倉院に至る道もシルクロードとみられる。
(
)例えば、佐藤武敏、布目順郎、道明三保子、横張和子、坂本和子、武敏、超豊の諸氏はシルク
ロードの染織品全体を視野に入れた種々の研究報告を発表している。
(
)元正倉院事務所保存課長の松本包夫氏談。太田氏自身も「まだ完全なものではない」と記して
いる(前掲注(
)「大瑞錦獅子狩文錦について」
)
。
(
)西村兵部「正倉院の錦 第三章各説」
(『書陵部紀要』第 号、
(
)平成 年度に、皇后陛下の御親蚕になった小石丸繭を下賜していただいて、日本製である赤地
唐花文錦を復元模造した。この錦は、織り幅が通常の錦の
)
。
倍の約
㎝あり、製織するために
は、織り前に二人の織手が並んで織らないと、一人では織り幅の端から端まで手が届かない。
さらに、経糸を引き上げるために、ジャカード機のモーターをトルクの大きいものに取り替え
る必要があるなど、製織が相当困難であった。
( )前掲注(
)西村兵部「四騎獅子狩文錦解説」によると、四騎獅子狩文錦は、一部に耳とおぼし
いところがあるが、織り幅は不明、ないしは現在の全体の幅をそれにあてるしかないとある。
( )ちなみに、佐々木信三郎「正倉院の錦 第二章組織」
(
『書陵部紀要』第 号、
文錦の織り密度は、母径約 本/寸(
本/㎝)、緯約
越/寸(
( )佐々木信三郎『新修上代織技の研究』(川島織物研究所、
)では、犀円
本/㎝)としている。
)の
頁に「陰経を抜き取れば、
表面は緯綾の霜降に化して了う」とある。
( )四騎獅子狩文錦の色彩について、西村氏は「地色は赤色、円帯の珠文は淡紅色で、縁に白い輪郭
線がある」とし(前掲注(
)
「四騎獅子狩文錦解説」)、道明氏は、連珠や円文中の地色は白茶
(淡紅色)
、連珠帯の地色や輪郭線は濃藍、葉文や連珠帯の珠文の輪郭に白線があるとしている
(前掲注(
)
「法隆寺蔵四騎獅子狩文錦に関する一考察」
)
。犀円文錦の連珠にも白い輪郭線が
あったに違いない。
( )布目順郞『養蚕の起源と古代絹』
(雄山閣、
)
、布目順郎『布目順郎著作集第
巻』
(桂書房、
)参照。
( )クリシュナ・リブー、道明三保子訳「正倉院染織の源流(講演)
」
(『服装文化』
号、
)に
よると、漢代の文織物は紋棒機(メチエ・オ・バゲット “metier aux baguettes”)で製織された。
(45)
( )武敏「アスターナ古墓出土織錦の研究」(『シルクロード学研究』
織物、
、トルファン地域と出土絹
)
。
( )道明三保子「ササンの連珠円文錦の成立と意味」(『深井晋司博士追悼シルクロード美術論集』
吉川弘文館、
)
、坂本和子「連珠文の伝播−アスターナ出土絹織物を中心として−」
(
『シル
クロード学研究叢書
シルクロードの文様の世界』シルクロード学研究センター、
)
、山本
忠尚「瓦と連珠円紋」
(『奈良国立文化財研究所 周年記念論文集文化財論II』同朋舎出版、
のち『日中美術考古学研究』第
章、吉川弘文館、
、
に収録)など参照。
( )かつて、三宅米吉「法隆寺所蔵四天王紋錦旗考」
(
『文』第
号、
)で、四騎獅子狩文錦の文
様の源流が西方(アッシリア)に求められることが初めて論じられた。その後、鳥居龍蔵「四天
王紋錦旗に比較すべきものあり」
(
『東洋学芸雑誌』第
号、
)の中で源流がササン朝ペル
シャに求められることが指摘されると、三宅米吉「四天王紋旗」
(『東洋学芸雑誌』第
)で旧説が撤回され、同「法隆寺所蔵四天王紋錦旗と埃及の古裂紋様」
(『考古界』第
号、
号、
篇
)では、ギメ美術館のアンティノエ出土天馬文錦(現リヨン織物美術館蔵)の文様との
比較から、ササン朝ペルシャの影響が明らかにされた。大谷探検隊が吐魯番ムルトック(木頭
溝)河流域から花樹対鹿文錦を発掘し(
鹿文錦を発掘するに及んで(
年)
、スタインが吐魯番アスターナ古墓から花樹対
年)
、連珠円帯内に樹下動物(人物)文を置く文様は、ササン
朝ペルシャの影響のもとに中国で誕生したシノ・イラニカ様式の文様と称されるようになった
(太田氏によるとシノ・イラニカ錦と称したのはイギリスのスタインである)。原田淑人「法隆
寺所蔵獅子狩文錦に見ゆる立樹に就いて」
(『考古学雑誌』第 巻第
化研究』座右寶刊行會、
号、
、のち『東亜古文
に収録)では、四騎獅子狩文錦の立樹の文様について、イラン系の
文様が六朝期に発達して中国化されたものと論じられた。
( )横張和子「サミット(緯錦)の成立とその展開」
(
『シルクロード染織史』講談社、
)は、シ
ルクロード全域の染織品を対象に、サミット(複様三枚綾組織緯錦)の成立とその展開を軸に
して、多くの実物観察調査経験に基づいて、文様・由緒・織技などを総合的に論じている。同
「サミット(綾地緯錦)論考」
(
『古代オリエント博物館紀要』第 巻、
)は、著者がサミッ
ト論考の締めくくりの一編と位置付けている論考で、技術面を詳細に検討してサミットの歴史
的展開についての議論を展開している。坂本和子「織物に見るシルクロードの文化交流−トゥ
ルファン出土染織資料−錦綾を中心に」
(大阪大学博士論文、
)は、日本から中国中原、西
域の西トルキスタンからペルシャ、ビザンティン、西ローマまでを視野に入れたスケールの大
きい論を展開しながら、あくまでも、文様のみならず糸から織技まで自ら熟覧して詳細に調査
した新疆出土の絹織物を中心にした議論を積み重ねている。
( )佐藤武敏氏は「これ迄の調査は時代・項目が個別的に試みられている傾きが強く、殷代から唐
代迄、生産技術がどのように展開しているのか、という体系的な考察に欠けているし、またそ
うした技術のもつ意義についてほとんど論究されていない」
(
「古代絹織物の技術史的研究」
『中
国古代絹織物史研究上』風間書房、
)と指摘しているが、今でも生産技術の展開を考察する
ための資料が十分とは言えない。
( )大谷探検隊将来の花樹対鹿文錦は、第
次探検(
〜 年)に派遣された橘瑞超が、トルファ
ン盆地のベゼクリク千仏洞の下を流れるムルトック(木頭溝)河流域の高昌国人の墓から発掘
したミイラに装着されていた面覆いである。そのことは、『新西域記上・下巻』(有光社、
)と前掲注(
)香川默識編『西域考古図譜上・下巻』に記されている。
(46)
( )スタインによると(“Aurel Stein “Innermost Asia” Vol. III, Oxford, The Clarendon Press,
スタイン将来の花樹対鹿文錦は、スタインが第
回目のシルクロード探検(
ルファン盆地のアスターナ古墓群を発掘した時に、第
(
区第
〜 年)でト
号墓において発見されたもので
年)
、おそらくミイラの面覆いの一部である。スタインは、第
めてのアスターナ古墓群の発掘を行っている。その後、
”)
、
次探検で精力的に史上初
年に西北科学考査団の黄文弼に
よっても古墓群の発掘が行われた。その間の経緯は、岡崎敬「アスタァナ古墳群の研究」
(『佛
教芸術』第 号、
にある約
)に詳しい。
基の古墓の中
( )張彦遠『歴代名画記』
(
年代になると、中国の発掘調査が進み、現在アスターナ
基が発掘済みと言われる。
世紀中頃成立)の竇師綸の条に「凡創瑞錦宮綾、章彩綺麗、蜀人云至
今陵陽様・・・高祖太宗時、内庫瑞錦対雉闘羊翔鳳游麟状、創自師綸、至今伝之」
(竇師綸(後
に陵陽公となった)の創始した瑞錦は、章彩が綺麗で、蜀の人々は今日まで陵陽公様式と云う。
高祖、太宗の時の内庫にある瑞錦の動物文様のものは竇師綸に始まり今に至る)とある。おそ
らく、中国の人々は、ササン系の連珠円帯内に樹下動物(人物)文を置く文様を瑞祥文様と捉え
たのであろう。犀円文錦は、動物文様の瑞錦にあたると思われる。
『旧唐書』巻
「咸亨二年(
武承嗣伝に
)
、栄国夫人卒、則天出内大瑞錦、令敏之造仏像、追福」
(則天武后(在位
〜
年)は、生母の栄国夫人が亡くなったので、内から大瑞錦を出させ、敏之に仏像を造らせて
冥福を祈った)とある。大瑞錦とは、犀円文錦や四騎獅子狩文錦のような大型の文様の瑞錦の
ことを指すのであろう。
『新唐書』巻
東夷伝の新羅の条に「弟興光襲王、玄宗開元中・・・
帝間賜興光瑞文錦、五色羅、紫繍紋袍、金銀精器」
(新羅王興光は、開元年間(
〜
年)に
玄宗から瑞文錦、五色羅、紫繍紋袍、金銀精器を賜った)とある。瑞錦が供養物や朝貢者への賜
物として用いられたことがわかる。犀円文錦や四騎獅子狩文錦は、遣唐使が将来した瑞錦(又
は大瑞錦)ではなかったのだろうか。
( )佐藤武敏「唐代の生産形態」
(『中国古代絹織物史研究下』風間書房、
( )前掲注(
)参照。
)西村兵部「四騎獅子狩文錦解説」は、犀円文錦の副文の蔓の渦巻文飾りについて
「蔓の上に渦文をならべるところは、中国六朝時代における織文の余韻を残している」と記し
ている。
( )従来の四騎獅子狩文錦の製作年代に関する主な説を上げると、ササン朝ペルシャの文様が中国
に盛んに流入した隋代の半ばの
年頃に、ホスロー
世の姿を織り込んだこの錦が製作され
たとする龍村謙説(「大谷探検隊将来の古代錦綾類」
『西域文化研究第六 歴史と美術の諸問
題』法蔵館、
)
、永徽
年(
)の墓誌が伴出したアスターナ北区
との関連性や第
回遣唐使が帰朝した天智
内容(前掲注( )参照)などから、
年(
世紀後半(
)の時期、
『旧唐書』巻
〜
武承嗣伝の記載
年)とする太田英蔵説(前掲注(
「大瑞錦獅子狩文錦について」
)
、形式を同じくする隣接する墓から延和
(
号墓出土の対馬文錦
年(
)の墓誌が伴出したことからスタイン将来花樹大鹿文錦の製作年代を
)と貞観 年
世紀前半と推定
し、同じシノ・イラニカ文錦で文様の様式化されたこの錦も、それに続く初唐貞観時代(
年)の製作とする西村兵部説(前掲注(
)
〜
)
「四騎獅子狩文錦解説」
)などがある。それらの
中で、著者の考えは西村説に近い。
(47)
表
シルクロードの染織品の発掘一覧
発掘年
〜
発掘者
コレイシャ
アルベール・ガイエ
出土地
クリミアのケルチの遺址
エジプトのアンティノエ
染織出土品
菱文綾(絹)
菱格子文錦(絹)ほか
時代
後漢代
〜 年
オーレル・スタイン
尼雅(第 次)、敦煌(第 次)、
敦煌、楼蘭、阿斯塔那(第 次)
錦、綾、羅、平絹、刺繍、組紐、彩
絵、平絹など様々な絹製品
漢〜唐代
アドリアノフ
ポール・ペリオ
南シベリアのミヌシンスクのオグラクティ墳墓
甘粛省敦煌莫高窟第 窟(蔵経窟)
錦
錦、綾、羅、平絹、刺繍、組紐、彩
絵、平絹
前漢代
唐代
大谷光瑞
阿斯塔那(第 次)
敦煌第 窟品購入(第
絹織物
六朝〜唐代
平絹や組紐
漢代
日本の発掘調査隊
(原田淑人他)
楽浪郡漢代遺址、石巌里、丙墳、王旰墓、梧野
里、彩筐塚、王光墓など
ピョ−トル・コズロフ
モンゴル中央部のノイン・ウラ古墳群(匈奴の 刺繍毛織物、刺繍絹布、雲岳禽文錦
墓)
(等経錦)
、絹製毛皮縁飾上衣など
前漢末
フランスの探検隊
シリアのパルミラ遺址
平絹等
後漢代
平絹等
漢代
スウェン・ヘディン
〜
〜
次)
居延(エツィン・ゴル)
、オ ル デ ィ ク、扞 泥 城
(ミーラン)
都城址など
ソスノフスキー
セルゲイ・ルデンコ
バイカル湖南のイルモヴオイ・バディ古墓
南シベリアのアルタイのパジリク古墳群
錦
錦、刺繍、パイル織の絨毯など
漢代
中国戦国時代
エール大学(米)
・フラン
ス学士院碑文アカデミー
中国の発掘調査隊
シリアのパルミラ東方のドゥラ・ユーロポス
錦など
漢代
湖南省長沙市近郊
帽子の裏地の平絹やハンカチ状の平
絹など
平絹や刺繍など
戦国〜漢
帛書
戦国中期頃(楚)
平絹、羅など
漢
平絹、刺繍など
綾の付着した玉戈
戦国時代晩期頃
殷
ベルンシュタム
中国の発掘調査隊
キルギスのタラスのケンコール古墳群(第
墓)
湖南省長沙市の東郊、子弾庫の紙源沖の墓
日本の発掘調査隊
山西省陽高県の漢墓群
中国科学院考古研究所
中国科学院考古研究所
湖南省長沙市五里牌の古墓(
河南省安陽県大司空村の殷墓
湖南省文物管理委員会
平絹、薄絹
戦国晩期( 号・ 号墓)
戦国末〜前漢初( 号墓)
河南省文物管理委員会
湖南省文物管理委員会
湖南省文物管理委員会
湖南省文物管理委員会
中国科学院考古研究所
湖南省長沙市郊外の左家公山の古墓( 号墓)
・
楊家湾の古墓( 号墓)
・仰天湖の古墓( 号
墓)
河南省信陽長台関の戦国時代の楚墓
湖南省長沙市廣済橋の戦国時代の古墓
湖南省長沙市郊外の戦国時代の古墓
湖南省長沙市烈士公園の戦国時代の古墓
河南省安陽県大司空村の殷墓
綾、紗、刺繍
錦、平絹、紗
錦、平絹、紗
刺繍
綾の付着した銅戈
戦国
戦国( 号墓)
戦国中期(楚)
戦国( 号墓)
殷
浙江省文物保管委員会
浙江省呉興銭山漾遺址
平絹
良渚文化前期
甘粛省博物館
甘粛省武威県磨咀子の後漢時代の古墓群
新疆ウイグル自治区博物
館
新疆ウイグル自治区民豊県尼雅遺址(北大沙
漠)
新疆ウイグル自治区博物
館
新疆ウイグル自治区博物
館
新疆ウイグル自治区和田の屋于里克(ダンダー
ン・ウィリク)古城
新疆ウイグル自治区吐魯番阿斯塔那北区の古墓
群
パイルの錦、羅、紗、平絹、印花絹、 後漢
経錦、刺繍で飾られた針箱
「延年益寿大宜子孫」や「萬世如意」 後漢
の文字を織り出した経錦、綾、羅、
刺繍
纐纈の平絹、臈纈の毛織物、臈纈の 北朝(北魏〜)
木綿(もめん)
織物
平絹の服・纐纈平絹( 号墓)
、経 北朝〜初唐
錦( 号 墓)
、平 絹 の 服・覆 面・経
錦・綾・帛 画( 号 墓)
、経 錦(
号墓)
、経錦・平絹・帛画( 号墓)
(48)
号
号墓)
後漢
報告書等
所蔵者
エルミタージュ美術館
主にギメ美術館、ルーブル美術館、リヨン
織物美術館
大英博物館、ビク ト リ ア・ア ン ド・ア ル
バート美術館、ニューデリー国立博物館な
ど
モスクワ歴史博物館
ギメ美術館
フランス国立図書館
Aurel Stein “Ancient Khotan”,
“Serindia”,
“Innermost Asia”,
“Tissus de Touen­houang”,
(敦煌の織物)
備
考
布目順郎『養蚕の起源と古代絹』(雄山閣、
)参照
年間の発掘で大量に出土したコプト裂は、世界に将来
第 次(
検
〜 )
、第
次(
〜 )
、第
次(
〜
)探
中央アジア探検(
〜 )
。敦煌第 窟発見の経巻・絹製
品を王道士から購入。染織品は、クリシュナ・リブー、ガブ
リエル・ヴィアル両氏により報告された(
)
〜 )
、第 次(
〜 )
、第 次(
〜 )探
『西域考古図譜』
(
)
、
『新西域記』
(
)
、龍谷大学図書館、東京国立博物館、天理参 第 次(
『西域文化研究』 (法蔵館、
)
、
『中国 考館、旅順博物館・大連博物館(中国)、国 検
立中央博物館(韓国)、個人
の染織』(芸艸堂、
)等々
楽浪郡漢代遺址(
〜 )
、石巌里(
)
、丙墳(
)
、王
原田淑人『東亜古文化研究』(
)
、布目 東京大学文学部考古学
旰墓(
)
、
梧野里(
)
、彩筐塚(
)
、王光墓(
)
を発
順郎『絹繊維遺物の研究−蚕糸業技術の観 教室、個人など
掘
点から−』
(
)
〜
)
、第 次(
〜 、第 次(
〜 )
探
梅原末治『蒙古ノイン・ウラ発見の遺物』 エルミタージュ美術館、イルクーツク博物 第 次(
検。第 次の
〜 にノイン・ウラで漢代の絹織物を発見
(
)
、ルボ・レスニチェンコ『古代中国 館など
の絹織物と刺繍』(
(
)露語)
フィステル『パルミラの織物』Ⅰ(
)
、 シリア国立博物館
パルミラ遺址を広汎に発掘調査。
年代に、シリアの政情
Ⅱ(
)
、Ⅲ(
(
)仏語)
不安のため発掘調査が一時中止されている。
スウェーデン国立民族学博物館など
第 次(
〜 )
、第 次(
〜
)
、第 次(
〜
Vivi. Sylwan “Investigation of Silk from
)、第 次(
〜 、及び
〜 )探検。第 次に漢代
Edsen-gol and Lop-nor”,
の平絹などを発見
布目順郎『絹と布の考古学』
(雄山閣、 )
『古代中国の絹織物と刺繍』
(
(
)露語) エルミタージュ美術館
『古代中国の絹織物と刺繍』
(
(
)露語) エルミタージュ美術館
第 号墓(
)
、第 号墓(
)
、第 ・ ・ 号墓(
)
を
発掘。第 ・ 号墓から染織品を発掘
布目順郎『養蚕の起源と古代絹』(雄山閣、 エール大学アート・ギャラリー
)
『京都工芸繊維大学繊維学部学術報告』
クーパー・ヘウィット美術館、個人など
巻 号(
)
『古代中国の絹織物と刺繍』(
(
)露語) エルミタージュ美術館
『京都工芸繊維大学繊維学部学術報告』
メトロポリタン美術館保管(個人所有)
巻 号(
)
小野勝年・日比野丈夫『蒙疆考古記』
(
)
、個人蔵
布目順郎「山西省陽高県出土の漢代絹繊維
およびその他繊維について」(『日本蚕糸学
雑誌』 巻 号、
)
『長沙発掘報告』
『考古学報』
− 、陳娟娟「!件有絲
織品花紋印痕的商代文物」
『文物』
−
『考古学報』
−
下地の平絹は、最初ジーン・メイリーにより調査報告されて
いる(
)
『考古』
−
『文物参考資料』
−
『文物』
−
『文物』
−
『考古』
− 、陳娟娟「!件有絲織品
花紋印痕的商代文物」『文物』
−
『考古学報』
− 、
『文物』
−
発掘された古墓
『絲綢之路』(文物出版社、
『文物』
−
『絲綢之路』
『文物』
−
『絲綢之路』
『文物』
−
『考古学報』
『絲綢之路』
、
− ・
第
第
)
− ・
号墓から染織品が出土
座のうち
号墓から染織品が出土
次発掘で第 層から発掘
層の年代測定値はB.C.
± (C− による)
座の後漢墓( 号墓、 号墓)から出土
新疆ウイグル自治区博物館
新疆ウイグル自治区博物館
、
−
古墓百数十座を発掘、
北朝的な織物が出土した事が知られるが、王朝は特定できず
新疆ウイグル自治区博物館
号墓(前秦建元 年( )
文書伴出)
号墓(高昌章和 年( )
文書伴出)
号墓(高昌和平 年( )
墓誌)
号墓(唐永徽 年( )
墓誌)
号墓(唐貞観 年( )
文書伴出)
(49)
発掘年
発掘者
新疆ウイグル自治区博物
館
出土地
新疆ウイグル自治区吐魯番阿斯塔那北区の古墓
群
染織出土品
夾纈の平絹、経錦、綾、羅、纐纈、
刺繍など数十点が、 座の古墓から
出土
時代
北朝後期〜末
新疆ウイグル自治区博物
館
新疆ウイグル自治区博物
館
新疆ウイグル自治区巴楚(マラル・バシ)脱庫
孜薩来(トッグスサライ)城址
新疆ウイグル自治区吐魯番阿斯塔那北区・哈拉
和卓(カラホージャ)古墓群
唐
敦煌文物研究所
湖北省文化局
敦煌文物研究所
甘粛省敦煌莫高窟
・ 窟前
湖北省江陵県馬山区裁縫店付近の戦国楚墓(
座)
甘粛省敦煌莫高窟
窟内、 ・ 窟前
新疆ウイグル自治区博物
館
新疆ウイグル自治区吐魯番阿斯塔那北区・哈拉
和卓(カラホージャ)古墓群
蚕繭( 個)、毛織の絨毯、文織木綿
(もめん)
「富且昌宜侯王天延命長」文字の織
成の履・刺繍( 号墓)、経錦( 号
墓)
、経 錦・彩 絵 平 絹( 号 墓)
、綾・
印花絹ほか( 号墓)
説法図刺繍
方鏡を包む綾(望山 号)
刺繍(望山 号)
錦・綾・綴・夾纈・纐纈・臈纈・平
絹幡・帯等々 点( 窟内)
、綾・
纐 纈・臈 纈・平 絹 幡・綾 帯・帽 子
等々 点( 窟前)
纐纈絹
錦
錦・綾・絞纈絹・臈纈紗・印花紗
等々約 点
絹、平絹
錦、刺繍、羅、紗、平絹
錦、綾、平絹
前漢(中期)
唐代
新疆ウイグル自治区博物
館
中国科学院考古研究所
新疆社会科学院考古研究
所
湖南省博物館
湖南省博物館・中国科学
院考古研究所
新疆ウイグル自治区吐魯番阿斯塔那北区 号
墓
河北省満城の前漢中期古墓( 座)
新疆ウイグル自治区烏魯木斉市郊外湖南岸天山
の古墓
湖南省長沙市瀏城橋の楚墓
湖南省長沙市郊外の馬王堆 号漢墓(前漢初期)
嘉峪関市文物清理小組
新疆ウイグル自治区博物
館・西北大学歴史系考古
専業
湖南省博物館・中国科学
院考古研究所
新疆博物館考古組
甘粛省酒泉県嘉峪関市の後漢墓( 座)
新疆ウイグル自治区吐魯番阿斯塔那北区古墓群
湖南省長沙市郊外の馬王堆
号漢墓
北朝〜中唐初(
紀)か
〜
世
〜
世
北魏中期
戦国中期(楚)
盛唐
西涼
東晋
北朝〜中唐初(
紀)
盛唐
平絹
戦国(楚)
衣服数十点、袋類、反物(経錦、パ 前漢
イルの錦、綾、羅、紗、刺繍、平絹、
摺絵、組紐)等々数百点
綾、平絹
後漢
経錦
唐代(?)
帛画、錦、パイルの錦、羅、紗、平
絹
厚絹・錦・刺繍(北涼)
錦(唐)
刺繍
前漢初期
五胡十六国(
紀)
戦国(楚)
荊州地区博物館
新疆ウイグル自治区吐魯番県哈拉和卓(カラホ
ージャ)古墓群
新疆ウイグル自治区烏魯木斉市の南山鉱区阿拉
溝 号墓
新疆ウイグル自治区吐魯番阿斯塔那北区 ・
号墓
湖北省江陵県の馬山 号墓
青海省文物考古研究所
青海省都蘭県熱水古墓群の血渭大墓
錦、綾、平絹、刺繍(
号墓)
平絹、纐纈平絹、紗(
号墓)
錦、羅、紗、平絹、刺繍等で作られ
た良好な衣服・衾(夜具) 件
錦、綾、羅、平絹、綴れ
陝西省考古研究所
陝西省扶風県法門寺塔の地下倉庫(地下宮殿)
錦、綾、羅、平絹、刺繍等々数百点
新疆文物考古研究所
新疆ウイグル自治区尉犁県因半墓地の古墓
新疆文物考古研究所
法国科学研究中心
研
究所
日中共同尼雅遺跡学術調
査隊
新疆文物考古研究所
新疆ウイグル自治区和田の克里雅河流域
錦、綾、平絹の衣服、衾(夜具)、枕、 漢〜晋
袋
毛編裙、条、衣服片
北朝(王朝は不明)
新疆博物館考古組
吐魯番地区文物管理所
座
新疆ウイグル自治区民豊県尼雅遺跡・古墓
新疆ウイグル自治区尉犁県營盤遺址の古墓(
号墓)
*本表は、染織品の発掘事例の基本的なものを示しているが、網羅したものではない。
(50)
北涼(
唐
戦国
世紀末)
〜
世
北朝末〜晩唐( 世紀後
半〜 世紀末)
晩唐( 世紀後半頃)
錦、綾、絹の衣服、衾(夜具)、顔覆 前漢〜後漢
い、枕、香袋、袋類、帽子
錦・綾・平絹・刺繍で作られた衣服、 漢・晋
毛織りの錦の袍、衾(夜具)
、枕、香
袋等
報告書等
『文物』
− ・
『考古学報』
−
『日本蚕糸学雑誌』
巻
号、
『文物』
−
『絲綢之路』
所蔵者
新疆ウイグル自治区博物館
備
考
夾纈の平絹は、高昌延昌 年( )
文書伴出の墓から出土
経錦は、高昌延昌 年( )
文書伴出の墓から出土
綾は、高昌章和 年( )
文書伴出の墓から出土
新疆ウイグル自治区博物館
布目順郎「絲綢之路の一古城址で発掘された唐代繭殻に関す
る一考察」
(左記学会誌掲載)
号墓(東晋升平 年( )
・同 年( )
文書伴出)
号墓(高昌延昌 年( )
号墓(唐神龍 年( )
文書伴出)
号墓(唐垂拱元年( )
文書伴出)
新疆ウイグル自治区博物館
『文物』
『文物』
−
−
『文物』
−
『文物』
−
新疆ウイグル自治区博物館
『文物』
−
新疆ウイグル自治区博物館
『考古』
『文物』
−
−
座を発掘、
座に副葬品発見
建設工事中に古墓
座を発見、
号墓から染織品出土
『考古』
−
『長沙馬王堆 号漢墓』
『文物』
『文物』
−
−
座の古墓を発掘、唐代の古墓から経錦等を発見
『文物』
−
・ 号墓を発掘、
『文物』
−
座の古墓を発掘
『建国以来新疆考古的主要収穫−文物考古
工作三十年』
『文物』
− ・
−
『文物』
− 、
『考古』
『中国歴史博物館』
・
号墓から染織品を発見
号墓は、五胡十六国時代(
〜
世紀)
−
− 、
『文物』
−
余件 余種の絹織物が出土、
種が西方製とされる
数千点の金銀器も発見
『文物』
−
古墓
『日中共同尼雅遺跡学術調査報告書第二
巻』
『文物』
−
座中の
座から染織品を発掘
座の古墓を発掘、
(51)
種が中国(中原)製で
号墓から染織品を発見
《参考文献》
正倉院事務所編『正倉院宝物 染織 上・下』、朝日新聞社、
・
Krishna Riboud et Gabriel Vial, “Tissus de Touen-houang”, Academie des Inscriptions et Belle-Lettres,
(『敦煌の織物』
)
新疆維吾爾自治区博物館出土文物展覧工作組編『絲綢之路―漢唐織物』、文物出版社、
『漢唐の染織 シルクロードの新出土品』、小学館、
(前記図録を原本とした日本語翻訳版に論考
を追加)
西村兵部『中国の染織 上・下』、芸艸堂、
新疆維吾爾自治区博物館編『新疆出土文物』、文物出版社、
湖南省博物館・中国科学院考古研究所編『長沙馬王堆一号漢墓』、文物出版社、
『長沙馬王堆一号漢墓 上・下』、平凡社、
『カルチュア版世界の美術
(日本語完訳版)
染織』
、世界文化社、
山辺知行『シルクロードの染織』、紫紅社、
『西域美術 大英博物館スタイン・コレクション第
『中国美術全集 工芸美術編
『中国の博物館 第二期第
巻 染織・彫塑・壁画』、講談社、
印染織繍(上)
』
、文物出版社、
巻 新疆ウイグル自治区博物館』、講談社、
武敏『織繍』
、幼獅文化事業有限公司、
『西域美術 ギメ美術館ペリオ・コレクション第
巻』、講談社、
超豊『織繍珍品』
、芸紗堂/服飾工作隊、
『シルクロード学研究』Vol.
『シルクロード学研究』Vol.
、トルファン地域と出土絹織物、シルクロード学研究センター、
、中国における絹織物のはじまりと発展、シルクロード学研究センター、
正倉院事務所編『新訂 正倉院宝物 染織 上・下』、朝日新聞社、
趙豊『紡織品考古新発現』、芸紗堂/服飾工作隊、
趙豊『中国絲綢通史』、蘇州大学出版社、
(52)
・
Author
Document
Category
Uncategorized
Views
24
File Size
6 413 KB
Tags
1/--pages
Report inappropriate content