採卵後に原因不明の腹痛が持続した一例

第 16 巻,2001 年
症 例
採卵後に原因不明の腹痛が持続した一例
弘前大学医学部産科婦人科学教室
谷 口 綾 亮 ・ 福 井 淳 史 ・ 藤 井 俊 策
高 建 華 ・ Beatriz Paulina Ayala ・ 水 沼 英 樹
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protocol にて過排卵刺激を施行した。pure
は じ め に
FSH 製 剤(フェルチノームP)150IU を 7 日
産婦人科で遭遇する急性腹症には様々な原
間,計 1,050 IU 投与した。
因疾患があり,しばしばその鑑別診断に苦慮
9 月11日; pure FSH 最終投与(血清 estradiol
す る。一 方,体 外 受 精・胚 移 植(in vitro
(E2)値: 3,069 pg/ml,progesterone(P)値:
fertilization and embryo transfer;IVF-
1.0 pg/ml)。
ET)は過排卵刺激,採卵,胚移植など,種々
9 月14日;採卵 (穿刺卵胞数15個,採卵数 10
の非生理的侵襲を伴い,それらも急性腹症の
個,E2 値: 1,722 pg/ml)。
原因となりうる。今回,我々はIVF-ET の採
9 月15日; 下腹痛を訴え来院した。経腟超音
卵後から原因不明の下腹痛が持続した一症例
波 断 層法(TV-US)にて, 右卵巣は長径約
を経験したので報告する。
40 mm,左卵巣は長径約 60 mm に腫大し,内部
エコーも伴っていた。また,ダグラス窩に少
症 例
量の腹水貯留も認めた。しかし,卵巣腫大は
患 者:30 歳,1 妊 0 産。
軽度であり,腹膜刺激症状はなく,末梢血検
家族歴:特記すべきことなし。
査にて特に異常を認めなかったため,外来経
既往歴:12 歳,17歳に胃潰瘍,28歳にメニ
過観察とした。
エール病。
9 月 17 日; 胚移植(移植胚数 2 個,E2 値:
現病歴:26 歳で結婚し, 婚前交渉を含め
1,823 pg/ml)
2 年間の不妊を主訴として,平成 9 年に前医
9 月 22 日; 左下腹痛を訴え 2 回目の来院とな
を受診した。性交のタイミング指導,配偶者
った。TV-USで右卵巣は長径約 50 mm,左卵
間人工授精を受けたが妊娠は成立しなかっ
巣径は長径約 90 mm に腫大し,少量の腹水貯
た。平成 13 年 2 月13日に不妊症の精査・加療
留も認めた。左卵巣茎捻転も考え,カラー
を希望して当科を受診し,原因不明不妊と診
ドップラーを行なったところ,左卵巣門部に
断され,IVF-ETの適応となった。
血流を確認でき,血流の途絶などはなかっ
IVF-ETの経過:平成13 年 8月25日を最終
た。血液検査も異常を認めなかったため,自
月経として,GnRH agonist を併用した long
宅安静を指示した。
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青森臨産婦誌
9 月28日(妊娠 4 週 0日);尿妊娠反応陽性 (血
表 1.産婦人科で遭遇する主な急性腹症
清hCG 値: 27.9 I
mU/ml,P値:265.9 pg/ml)
妊娠に伴うもの
流産(切迫流産・進行流産など)
子宮外妊娠
妊娠時の下腹部痛(切迫流産・生理的水腎症な
ど)
となった。左下腹痛は間欠的に持続してい
た。
10 月 1 日(妊娠 4 週 3日); 下腹痛が増強した
妊娠以外の婦人科疾患
骨盤内感染性疾患
卵巣腫瘍茎捻転・破裂
ため,来院した。左卵巣とダグラス窩に限局
した圧痛を認めたが,腹膜刺激症状はなかっ
月経に伴うもの
卵巣出血(排卵出血)
月経痛,排卵痛
た。卵巣膿瘍を除外するために左卵巣の腫大
部を経腟的に穿刺し,淡赤色漿液性の液体を
約 50 ml 吸引した。しかし,
卵巣径が縮小した
で右卵巣径は 42.3×35.4 mm,左卵巣径は86.5
他科疾患
消化器系:虫垂炎,憩室炎,消化管穿孔,消化
管腫瘍,イレウス,腸間膜血栓症,
急性膵炎,急性腸炎など
尿 路 系:尿路結石,尿路感染症など
他臓器の出血(脾臓,肝臓,腎臓の外傷,腫瘍
の破裂など)
精神科疾患
× 48.4 mm であった。 子宮腔内に類円形の
その他
後も症状が改善せず,同日,原因不明の下腹
痛にて入院となった。
入院後の経過:
平成 13 年10月 2日(妊娠 4 週 4 日);TV-US
echo -free space(EFS)を認め,ダグラス窩
に少量の腹水貯留も認めた。血算は異常な
表 2.当科におけるIVF-ET 後の急性腹症
く,血清CRP値は 0.2 mg/dl であった。
原因
周期数(%)
10 月 8 日(妊娠 5 週 3 日); TV-USにて子宮
卵巣過剰刺激症候群
腔内にEFSの他に,長径 4.3 mm の胎嚢(GS)
感染
(
3 11.5)
を確認した。夜間に下腹部痛が増強すること
卵巣・腹腔出血
(
2
7.7)
があったが,内診・TV-US 所見は著変がな
不明
(
1
3.8)
かった。
計
20
( 76.9)
26
(100.0)
10 月 12 日(妊娠 6 週 0 日)
; TV-US 所見は
不変であったものの,血算・生化学検査は異
常なく,下腹部痛は軽快傾向にあったため退
を要した症例のうちわけを示した。卵巣過剰
院した。
刺激症候群(OHSS)が20 例と圧倒的に多く,
退院後の経過:
その他に,感染や腹腔内出血などがあった。
10 月19 日(妊娠 7 週 0 日)に胎児心拍を確認
今回の症例では,腹痛の発症が採卵翌日で
した。 両側卵巣の TV-US 所見は変わらな
あったため,まず採卵操作による卵巣または
かったものの,10 月26日(妊娠 8 週 0 日)に
腹腔内出血,上行性卵巣感染,および卵巣茎
は左下腹部痛ならびに子宮腔内の EFSも消
捻転が疑われた。しかし,腹水貯留や卵巣腫
失した。その後の妊娠経過は良好で,現在妊
大は軽度であり,血液検査で貧血あるいは炎
娠継続中である。
症所見が認められなかったため,出血や感染
は否定的であった。さらに,卵巣感染につい
考 察
ては,
入院時に施行した左卵巣の穿刺吸引で,
産婦人科で遭遇する主な急性腹症を表 1 に
腫大した卵巣の内容液が膿様ではなかったこ
示した。このうち,妊娠に伴うものを除いた
とで完全に除外された。一方,卵巣茎捻転は
疾患が鑑別の対象となった。
通常,臨床症状や診察所見によって疑いが持
表 2 に,当科で施行したIVF-ET
(2,500 周
たれ,腹腔内を直視することによって確定診
期)施行後に発生した急性腹症のうち,入院
断がなされることが多い。本症例では,腹膜
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第 16 巻,2001 年
刺激症状を認めず,卵巣血流をカラードップ
本症例では,胚移植前から腹痛を発症して
ラーにて確認できたため,否定的であると判
いたため,子宮外妊娠や流産は鑑別診断の対
断した。しかし近年,卵巣茎捻転患者の約
象外だった。しかし,妊娠 4 週で GSを確認
60 % ではカラードップラーによって卵巣血
できなかった時期に,子宮腔内に GS様にも
流を確認できるため,カラードップラーでは
みえる円形の EFSを認めたため,入院後は異
卵巣茎捻転を診断できないとも報告されてい
常妊娠にも注意して管理した。IVF-ET に
る
1)
。一方,心筋梗塞など虚血性変化に伴っ
よる妊娠では,自然妊娠と比較して子宮外妊
て血中に増加する interleukin- 6(IL-6)が,
娠の発生率が高いとされている。当科でも子
卵巣茎捻転の補助診断に有用であることが報
宮外妊娠は 449 妊娠中 8 妊娠(1.8 %)で,内
2)
告されている 。本症例のように診断に苦慮
外同時妊娠も 3 妊娠(0.7 %)で発生しており,
する腹痛に遭遇した場合,
IL-6 の測定が可能
IVF-ETによる妊娠周期では,内外同時妊娠
であれば,補助診断として役に立つかもしれ
も含めて注意深く観察する必要がある。
ない。
今回の症例では,腹痛の原因となる主な疾
さらに,採卵後に発症する腹痛の原因とし
患を除外することはできたが,診断を確定す
ては OHSSがある。今回の症例では左卵巣
ることはできなかった。もともと左卵巣周囲
が約 9 cm と腫大し,少量の腹水貯留も認めら
癒着などがあり,卵巣が腫大することによっ
れたが,血算・生化学検査値は正常で,腹部
て牽引痛が発生した可能性も考えられる。本
膨満,嘔気・嘔吐,呼吸障害などの症状も認
症例の腹痛は約 3 週間を要したとはいえ自然
められず,OHSSの重症度分類上は 2 度と
軽快したが,さらに持続した場合は確定診断
診断された。しかし,OHSSでは腹水貯留に
のために腹腔内の観察を必要とした可能性も
よる腹部膨満感はしばしば認められるが,
あったと思われた。
OHSSそれ自体が腹痛を引き起こすわけでは
文 献
ない。当科で過去に入院治療を要したOHSS
症例においても,そのほとんどが12 cm 以上の
卵巣腫大,血液濃縮,電解質異常などの所見
を認めた 3 度以上の重症例であり,腹痛や腹
部緊満感は多量に貯留した腹水によるもの
であった。また,OHSSの臨床症状は,採卵
の数日後に発症する場合がほとんどであり,
発症時期の点からも OHSSによる腹痛とは
考え難かった。
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