慶應義塾大学におけるアラビア語教育の歴史と現状と将来 慶應義塾大学

慶應義塾大学におけるアラビア語教育の歴史と現状と将来
慶 應 義 塾 大 学 湘 南 藤 沢 キ ャ ン パ ス ( SFC) に お け る ア ラ ビ ヤ 語 教 育
慶應義塾大学
総合政策学部
教授
奥田 敦
Ⅰ 慶 應 義 塾 大 学 湘 南 藤 沢 キ ャ ン パ ス ( SFC)
慶 應 義 塾 大 学 湘 南 藤 沢 キ ャ ン パ ス は 、1990 年 に 藤 沢 市 北 西 部 の 丘 陵 地
帯 に 開 設 さ れ た 、 慶 應 義 塾 の 未 来 先 導 を 体 現 す る キ ャ ン パ ス 。現 在 、総
合政策学部、環境情報学部、看護医療学部という 3 つの学部と、政策・
メディア研究科、健康マネジメント研究科という 2 つの大学院研究科が
置かれている。
SFC の 公 式 HP で は 、
「 多 様 で 複 雑 な 社 会 に 対 し て テ ク ノ ロ ジ ー 、サ イ
エンス、デザイン、ポリシーを連関させながら問題解決をはかる。その
た め に 設 立 さ れ た の が 慶 應 義 塾 大 学 湘 南 藤 沢 キ ャ ン パ ス ( SFC) で す 。
既 存 の 学 問 分 野 を 解 体 し 、 実 践 を 通 し て 21 世 紀 の 実 学 を 作 り 上 げ る こ
と が 私 た ち の 目 標 で す 。」 と キ ャ ン パ ス の 目 標 が 紹 介 さ れ て い る 。
既 存 の 学 問 分 野 を 解 体 し 、実 践 を 通 じ た 21 世 紀 の 実 学 を 作 り 上 げ る 、学
問分野に囚われない、学問分野横断型の、問題発見解決型の研究・教育
が指向されている。
ここでは、アラビヤ語教育が直接関係する 2 つの学部、総合政策学部と
環境情報学部に限って話を進めていきたいと思います。
SFC の 学 部 教 育 に お い て 、外 国 語 教 育 は 開 設 当 初 か ら 特 徴 の 一 つ で あ り 、
IT 教 育 と と も に 、 SFC の 基 本 的 ス キ ル の 2 本 柱 で あ る 。
多 言 語 主 義 を 掲 げ る SFC に お い て は 、11 の 言 語 が 教 え ら れ て い る 。英 語 、
フランス語、ドイツ語、中国語、朝鮮語、マレー・インドネシア語、ス
ペイン語、アラビヤ語、ロシア語、イタリア語、日本語である。
そのうち特徴的なのは、インテンシブと呼ばれる週 4 回の授業である。
フランス語、ドイツ語、中国語、朝鮮語、マレー・インドネシア語、ス
ペイン語、アラビヤ語、の7言語について開講されている。これらの言
語では、このインテンシブが 3 学期分用意され、それを中心に、4年間
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慶
慶應義塾大学
学湘南藤沢
沢キャンパス
スにおける
るアラビヤ語
語教育
にわたって総合的に言語が学べるようになっている。
ア ラ ビ ヤ 語 の コ ー ス が で き あ が っ た の が 2002 年 で 、 ち ょ う ど 10 年 ぐ ら
いである。
Ⅱ SF
FC の ア ラ ビ ヤ 語 教 育
これは 1 年生の入学の際の言語ガイダンスに用いるパワーポイントであ
る。
( 図 1 )こ こ で は イ ス ラ ー ム と 言 語 と の つ な が り を 明 確 に 意 識 し た パ
ワーポイントを出し、
「宇宙創造の彼方にありながら自分に最も近い視点
は最も公平で客観的で現実的で実践的」と説明する。さきほどキャンパ
スは問題発見、解決に重きを置いているという話をしたが、アラビヤ語
が地球上のあらゆる問題に対して最も公平で客観的で現実的で実践的視
点を与えてくれる、このような形でアラビヤ語に対する履修の方向付け
を行っている。
(図1)
SFC の 2 つ の 学 部 で は 、 毎 年 ほ ぼ 5 0 0 名 の 入 学 者 が あ る が 、 彼 ら は 、
アラビヤ語はもちろん言語を勉強するために入学してきた学生ではない。
そ れ ぞ れ の 問 題 を 発 見 し 、そ れ を 解 決 す る た め に キ ャ ン パ ス に 来 て お り 、
言語を履修するかどうかは、まったく本人に任されている。因みに現時
点では、外国語科目は、総合政策学部においてのみ4単位が必修単位と
なっているに過ぎない。
さらに、中東やイスラームに対するイメージの悪さ、片寄りはいかんと
もしがたい部分がある。
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慶應義塾大学に
におけるアラビア語教
教育の歴史
史と現状と将
将来
私が毎年宗教と現代社会という講義でアンケートを取った結果がある
( 図 2.3)。 こ れ を 見 る と 「 イ ス ラ ー ム 」 と 言 わ れ て 思 い 浮 か べ る 形 容 詞
は何ですかとの質問に、厳しい、厳格、こわい、神秘的、が 3 分の1を
「 イ ス ラ ー ム 」と
占 め て い る 。こ
こ こ か ら ど う 変 え る か が 問 題 で 、さ ら に 、
いうことばを聞いたとき親しみやすいと感じることがありますかという
質 問 を す る と 、 こ れ は 露 骨 に も 90%の 学 生 が あ ま り 感 じ な い 、 あ る い は
まったく感じない、こういう状況にありながら、なおアラビヤ語やイス
ラームを学ぶことに向けさせることが重要になる。
(図2)
(図3)
そ う し た 状 況 の 中 、 SF
FC の ア ラ ビ ヤ 語 教 育 は 、 あ え て イ ス ラ ー ム と ア ラ
ビヤ語のつながりを始めから全面に押し出し、
「 神(
神 ア ッ ラ ー )と 対 話 の
できる唯一の言語」としてのアラビヤ語を位置付け、履修案内を行って
いる。
現代、過去、未来、自分自身、見えないものと対話できるのはどの言語
も言えることであるが、アッラーと対話できる言語は、現存するもので
はアラビヤ語以外ない。聖典クルアーンがアラビヤ語で下されているこ
とに尽きるが、神というものとコミュニカティブであるという特徴をア
ラビヤ語は持っている。アラビヤ語の学習は単にコミュニケーションや
思考のツールにとどまらず、グローバル社会において、人間とその社会
が経験と歴史を超えて現世のみならず来世も含めた幸福を実現するため
のツールとなる、このような立場でアラビヤ語を新入生に紹介するかた
ちをとっている。
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慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスにおけるアラビヤ語教育
そこでは、アラビヤ語の習得が、問題の発見と解決を考える際の有効な
視座と枠組みを提供してくれることを強調している。
その一方で、不安と疲弊、停滞と閉塞的な気分の現代にあって、何か頼
れるもの、あるいは真剣に打ち込めるものを探していることも確かで、
このガイダンスで初めてアラビヤ語を知り、そのまま履修を決める学生
も少なくない。
こうしたガイダンスをきっかけに毎年、50~60名の学生が入門コー
ス(ベーシック)に入る。履修の流れは、次の通りである。
* ベーシック(春学期)入門 週2回(文字、基本的な会話)
* インテンシブ1(秋学期)初級 週4回
* イ ン テ ン シ ブ 2( 春 休 み )初 級 2 週 間( 現 地 で の ア ラ ビ ヤ 語 に よ る 授
業とグループワーク)
* インテンシブ3(春学期)初級 週4回
* ス キ ル 1 ~ 4( 毎 学 期 )中 上 級 週 4 コ マ( 総 合・ 読 解・ク ル ア ー ン 注
解・入力) 重複履修可
* アラビヤ語海外研修(春休み)中上級、重複履修可
1 年 生 の 春 か ら 履 修 を 始 め る 学 生 が 大 半 を 占 め る が 、学 年 の 指 定 は な い 。
人数的には、ベーシックが50から60名。インテンシブに進むために
は 、資 格 認 定 の 試 験 の 合 格 が 要 件 と な る が 、大 体 2 0 名 前 後 に 絞 ら れ る 。
そこからが、本格的なアラビヤ語履修である。インテンシブ1履修の2
0名のうち15名前後が、資格認定試験を経て現地で開講されるインテ
ンシブ2に参加することになる。
さらに、スキルの履修者については、毎年10名程度が残っていくとい
う状況。この10名のうち、毎年かなりの数がアラブ・イスラーム研究
室に所属し、それぞれの卒業制作に向けた研究と活動をアラビヤ語ある
いはイスラーム研究と結び付けた形で行う。
( 研 究 室 の 人 数 は 、年 に よ っ
て 増 減 は あ る も の の お お む ね 20 名 ~ 30 名 )
研 究 者 、専 門 職 を 希 望 し て 大 学 院 に 進 学 す る 学 生 も 少 な く な く 、1999 年
4 月 に 同 研 究 室 が 発 足 し て 以 来 、 1 名 の 博 士 号 取 得 者 と 15 名 の 修 士 号 取
得者を輩出している。
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慶應義塾大学におけるアラビア語教育の歴史と現状と将来
なお、スタッフは、専任はわたくしが 1 名、アレッポ大学からの訪問講
師 1 名、非常勤講師 1 名の 3 名。因みに私自身は、語学教員としての採
用ではなく、専門教員としての採用であり、後に触れるように、学部の
授業科目も、大学院科目も担当している。
Ⅲ SFC ア ラ ビ ヤ 語 を 支 え る 3 つ の 連 携
3 名の体制で 4 年分のアラビヤ語コースを実施していくのは、皆さんご
承知の通り並大抵ではないが、そこには、それを支えている様々な仕組
みがある。それは、次の 3 つにまとめることができる。
①現地拠点との連繋:アレッポ大学学術交流日本センター、同日本研究
大学院、レバノン・セントジョセフ大学学術交流日本センター
②研究会活動との連繋:アラビヤ語教材開発プロジェクト、アラビヤ語
辞書プロジェクト、ハラールとハラームプロジェクト、アラブ人学生歓
迎プログラム、アラブ世界訪問プログラムなど。
③授業科目との連繋:宗教と現代社会、国際比較法制論、現代文化探究
まずは、研究会活動との連携の中からいくつか紹介しておきたい。
◆教材開発プロジェクト
SFC で 使 用 し て い る 入 門 、 初 級 用 の テ キ ス ト は す べ て オ リ ジ ナ ル 。 研 究
会( ゼ ミ )の ア ラ ビ ヤ 語 教 材 開 発 プ ロ ジ ェ ク ト に よ っ て つ く ら れ た 。
「作
りながら学ぶ、学びながら作る」をモットーに、多くの学生たちが、研
究会の活動として、教材作りに参画している。またテクストのフスハー
チェックやスキットビデオの撮影など、アレッポ大学学術交流日本セン
ターの協力も見逃せない。
① 『 マ ド ハ ル 』( + ビ デ オ ・ 音 声 教 材 ・ WEB 副 教 材 ) 入 門 用 。
② 『 イ ク ラ ァ 』( + ビ デ オ ・ 音 声 教 材 ・ ワ ー ク ブ ッ ク ) 初 級 用 。 12 章 か
らなる。言語機能による編別に特徴がある。
③『サビール』
④副教材『ジャダーウィル』初級用文法ガイドブック
⑤ 副 教 材 『 ア フ ア ー ル 』( α 版 ) ア ラ ビ ヤ 語 全 動 詞 の 活 用 を 網 羅 。
◆アラブ人学生歓迎プログラム
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慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスにおけるアラビヤ語教育
2002 年 に シ リ ア 現 地 研 修 で 世 話 に な っ た 方 々 へ の 感 謝 の 気 持 ち か ら 始
ま っ た 、ア ラ ブ 世 界 で 日 本 語 を 学 ぶ 学 生 た ち を 約 2 週 間 SFC に 招 い て の
学 生 主 体 の 学 術 交 流 活 動 。 SFC で ア ラ ビ ヤ 語 を 学 ぶ 学 生 た ち と の グ ル ー
プワークによる、日本語レポート作成と日本語スキット撮影を 2 本の柱
とする。日本語による出身国紹介、着付け・茶道などの日本文化体験、
ア ラ ビ ヤ 語 に よ る デ ィ ス カ ッ シ ョ ン 、ア ラ ビ ヤ 語 に よ る ミ ニ レ ク チ ャ ー 、
アラブ料理教室、鎌倉・東京探索、日本語レポート発表会、富士山旅行
なども行う。
こ れ ま で に 、 ア ラ ブ 7 カ 国 か ら 54 名 を 招 聘 。 昨 年 11 月 に は 、 過 去 の 招
聘 者 48 名 の 中 22 人 が 東 京 に 集 ま っ て 、日 本 人 の ASP 卒 業 生 も 多 数 参 加
して、記念のディスカッションやシンポジウムを行った。
◆ 第 11 回 ア ラ ブ 人 学 生 歓 迎 プ ロ グ ラ ム ( ASP2012)
ア ラ ブ と 踏 み 出 す 新 た な 一 歩 ~ 実 践 型 学 術 交 流 の 挑 戦 ~( 2012 年 11 月 4
日 ~ 18 日 )シ リ ア 、レ バ ノ ン 、モ ロ ッ コ 、 エ ジ プ ト 、 ヨ ル ダ ン の 5 カ 国
から 6 名を招聘。6 本のレポートと 6 本の映像作品を作成。上記活動の
他、神奈川県立中央農業高校にて高校生との交流活動も行った。アラブ
民主化運動について、その是非も含めて、様々な意見をじかに聞くこと
ができ、また、民主化運動自体が自己目的化しないためには、何が必要
かなどについて、様座な議論ができたことも収穫の一つである。
◆アラブ世界訪問プログラム
アラブ諸国を訪問し、現地で日本語を学ぶ学生たちと交流し、あるいは
アラビヤ語スキット撮影などの共同のプロジェクトを進める。これまで
に14回を数え、ほぼ春休みと夏休みごとに10日から3週間の日程で
行われてきた。訪問先としては、シリア、レバノン、ヨルダン、イエメ
ン、エジプト、チュニジア、リビア、モロッコがあげられる。
2012年は、春休みにモロッコを、夏休みにヨルダンを訪れた。モロ
ッコでは、沙漠も含め各地を訪問すると同時に、フェズとラバトとムハ
ンマディーヤで交流活動を行った。ヨルダンでは、現地日本語学習たち
と の 交 流 、 ASP の 面 接 試 験 の 他 、 ア ラ ビ ヤ 語 ス キ ッ ト の 撮 影 を 現 地 の 先
生方や学生の皆様の協力のもとに行った。
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慶應義塾大学におけるアラビア語教育の歴史と現状と将来
さて、イスラーム学との関わりという点では、講義科目との関連につい
て述べておかなければなりません。現在、湘南藤沢キャンパスでは、学
部 向 け に 『 宗 教 と 現 代 社 会 』『 国 際 比 較 法 制 論 』『 現 代 文 化 探 究 』 の 3 科
目 に お い て 、イ ス ラ ー ム 関 係 の 講 義 を 行 っ て い ま す (
。いずれも担当者は、
奥 田 敦 )。
◆ 『 宗 教 と 現 代 社 会 』は 、宗 教 と 現 代 社 会 に 関 わ る 問 題 を イ ス ラ ー ム 的
な視点から考える講義。イスラームに対する包括的な理解を深め、その
教えの基本を念頭におきながら、宗教、言語、社会、国家、民族、神、
信仰、個人、経済、文化、思想、人権、戦争、科学、芸術などの問題を
扱いながら、人類全体に向けられた教えとしてのイスラームの意義を探
っていくことでもある。
◆『国際比較法制論』は、シャリーア・イスラーミーヤの概説。日本法
あ る い は 西 欧 法 と の 比 較 を 念 頭 に 置 き な が ら 、そ の 一 般 的 な 性 質 、法 源 、
個 々 の 法 領 域 、 歴 史 な ど を 紹 介 す る 。イ ス ラ ー ム 法 は 、国 民 国 家 あ る い は
主権国家を基本的な構成単位とすることなしに成立する法秩序であって、
民族や人種あるいは習慣や伝統の違いを乗り越える枠組みを有してさえ
い る 。し た が っ て 、イ ス ラ ー ム 法 に つ い て の 正 し い 認 識 は 、16 億 人 か ら な
るイスラーム教徒の共同体およびその法のありように対する理解を正す
ば か り で な く 、全 地 球 規 模 で の 公 益 の 公 平 か つ 公 正 な 分 配 が 求 め ら れ る
国際社会の法の構築にとっても不可欠であるとの立場からシャリーアの
現代的意義も明らかにしていく。
◆ 『 現 代 文 化 探 究 』で は 、ア ッ ラ ー の 属 性 を 取 り 上 げ な が ら 、イ ス ラ ー
ム神学の基本原理を学びながら、イスラーム圏を読み解くための新しい
方法論の構築を模索する。それと同時に、イスラーム的視点から眺めた
と き の 、「 教 え 」 ど お り に は な っ て い な い 、「 現 実 」 の イ ス ラ ー ム 圏 に つ
いて、言語、金融、市民社会などいくつかの具体例を提示する。
こうした科目群をアラビヤ語の傍らで履修してもらうことによって、イ
スラームに対して宗教、法、神学、文化・社会の角度から理解を深め、
それが、最も包括的な知の枠組みであり、最良の行動の指針であること
を伝えられればと考えている。そうすれば、問題発見解決――それがい
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慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスにおけるアラビヤ語教育
かなるものであったとしても――の枠組み自体を構築してもらうことも
可能になる。こうして、これまでのイスラームに関わる研究の大半がそ
うであったようにイスラームを対象として研究するのではなく、むしろ
あらゆる問題を捉え、また解くための方法として研究が展開されること
に つ な が り う る 。 つ ま り 、 SFC の イ ス ラ ー ム 関 連 科 目 は 、 方 法 論 と し て
イスラームを位置付けることによって、イスラームが本来的に持ってい
る汎用性、普遍性を取り戻そうとしているのである。
Ⅳ アラビヤ語の必要性
さて、イスラーム学においては、知ることは信じることであり、信じる
ことは行うことである。イスラームの教えに基づく学問は、行為を伴う
こ と に よ っ て 、お そ ら く 近 代 的 な 学 問 と 一 線 を 画 す る 。理 論( 判 断 )が 、
実践されないまま放って置かれてはいけない。問題解決まで研究の対象
とする問題発見解決型の研究・教育というのは、実践性を伴っている意
味で、イスラーム的であるといえる。
グローバル化の時代における問題の解決において、それが特定の国家や
民族、あるいは支配層や富裕層など特定の人々の利益にのみ資するよう
なものでは、地球上のすべての人々にとっての解にはならない。必要な
のは、特定の人間あるいは人間たちの恣意から自由な判断である。人間
の恣意からの自由という点でイスラームに比べられるものはなく、した
がって、それはまさにイスラームによってもたらされるものといっても
過言ではない。そうであるとするならば、問題の捉え方から問いの立て
方、解き方もまたイスラームに尋ねてみることも悪くない。イスラーム
に尋ねるとなれば、アラビヤ語は必須である。したがって、ここに現代
社会の問題を解こうとするすべての者にとって、アラビヤ語習得は、必
須であるとさえ言える。
SFC の 目 標 の と こ ろ で 、 実 学 を 目 指 す こ と が 掲 げ ら れ て い た が 、 イ ス ラ
ームはまさに究極の実学である。知ることを進めれば、アッラーを知る
ことになる。アッラーを知ったならば、それに逆らうことはできないこ
とを知ることになり、結果としてそれを信じることになる。信じたので
あれば、アッラーが何を命じているのかを知らないままにしておくこと
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慶應義塾大学におけるアラビア語教育の歴史と現状と将来
はできない。アッラーが何を命じているのかを知れば、人は行わないわ
けにはいかない。たとえ、行わなかったとしても、最後の審判において
その命令が完全に実現されることを知るならば、信じることが行うこと
であることに変わりがないことがわかる。
そ し て こ れ ら す べ て の 局 面 で 、人 は ク ル ア ー ン に 頼 ま な け れ ば な ら な い 。
いやクルアーンに尋ねれば、かならず道は開かれる。
それを極端に過ぎるという人があるかもしれないが、慶應義塾の創設者
福 沢 諭 吉 先 生 は 、'' 事 を な す に 極 端 を 想 像 す ''と し て 、
「元来私が家にお
り世に処するの法を一括して、手短に申せば、すべて事の極端を想像し
て覚悟を定め、マサカのときに狼狽せぬように後悔せぬようにとばかり
考 え て い ま す 。」と 言 う(『 福 翁 自 伝 』SFC 公 式 HP よ り )。想 起 さ れ う る
限りの極端は、この場合、最初の御方で最後の御方で表にもいて内側に
もいて自分のいちばん近くにもいる御方、すなわちアッラーにすべては
帰すというタウヒード的なイスラームの世界であり、またそれを伝える
アラビヤ語の世界と言えよう。
アラブ人とコミュニケーションをとるためだけでなく、イスラーム教徒
とコミュニケーションをとるためだけでなく、世界のすべての人々とコ
ミュニケーションをとるためだけでなく、アッラーとコミュニケーショ
ンをとるための言語としてのアラビヤ語。アッラーとのコミュニケーシ
ョンは、それが最後の日に必ず清算されるという意味において、単なる
コミュニケーションや思考のツールであることを超えて、人が現世でも
来世でも正しくかつ幸福に生きることへと導いてくれる。アッラーにこ
の世のあらゆる問題を問い、まっすぐな信仰に基づく答えをいただき、
最後の日にアッラーの慈顔にまみえることをひたすらに願って答えを実
現に移していく。その意味で、アラビヤ語はこの世の問題に唯一正義と
倫理に適った答えとその実践へと導いてくれる言語であり、自分自身を
変えそして世界を変えようという学びの徒にこそふさわしい言語だとい
えるのではなかろうか。
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