静岡県立美術館友の会

歌川広重
武蔵野《不二三十六景》より
静岡県立美術館友の会
NO.85
2014年 冬
友の会だより プロムナード No.85
静岡県立美術館学芸室のメンバーをご紹介
もうすっかりお馴染みの顔、今年初めてお目にかかる方…それぞれの分野でご
活躍の様子やエピソードを寄せていただきました。私達には分らない影のご苦労
があって、はじめて作品の素晴らしさを鑑賞できることが良くわかります。
いずみ
ま
り
みなみ
泉 万里さん(学芸部長)
出身地は宮城県仙台市
です。専門分野は日本の
中世絵画。屏風や絵巻物、
扇絵などを見て、ああで
もない、こうでもないと
考えるのが好きです。こ
の秋は、嬉しいことに、
昨年刊行した『中世屏風
絵研究』という本で賞
(国華賞)をいただき、
さらに鳥取県教育委員会
からも、この春まで続け
ていた鳥取県文化財保護
審議委員の仕事に対して、表彰状をいただきま
した。写真は授賞式で、文字通り一張羅の着物
で変装(仮装?)している所。
むらかみ
み ゆき
南 美幸さん(上席学芸員)
西洋美術を担当しています。イタリア・ルネサンス、特
にミケランジェロに魅せられて西洋美術史を勉強しました。
これまで訪れた国は実はそれほど多くないのですが、ヨー
ロッパが大好きです。ローマ、パリ
などの大都市は、何度行っても尽き
せぬ魅力があります。最近のお気に
入りはクロアチア。美味しい食事と
美しい風景。歴史と伝統はあるけれ
ど、肩肘張らずに寛げる。今年の夏、
2度目の旅行で訪れて、さらに好き
になりました。
かわたに
たかし
村上 敬さん(上席学芸員)
最近の担当展覧会は、「ロボットと美術」「川村清雄」「夏目漱
石の美術世界」そして「美少女の美術史」
となります。展覧会では、作品や資料を通
じてその時代の空気が浮かび上がる、いわ
ば視覚文化展のようなものを目指しており
ます。趣味はスポーツや演奏会といった文
化イベント鑑賞なのですが、土日も休めな
い仕事のため、涙をのんで無駄にしたチ
ケットも数知れず……「紺屋の白袴」を余
軍艦島にて
儀なくされています。今後ともどうぞよろ
しくお願いいたします。
まつうら
しょうこ
川谷 承子さん(上席学芸員)
金毘羅山で有名な香川県の琴平町出身
です。静岡県美に勤務するようになって
今年で11年になります。専門は現代美術
で、これまでに2008年に「風景ルルル」
展、2010年に「小谷元彦展」、2013年に
「グループ『幻触』と石子順造」展など
を担当しました。本は読むのも好きです
が、集めるのも大好きで、家じゅう本だ
らけ。いつも
夫婦喧嘩の種
になっていま
す。夢は、十
分な本棚が完
備されたマイ
ホームを持つ
ことです。
あや か
松浦 文香さん(学芸課職員)
今秋から非常勤で学芸員補助をさせていただいております。普段
は主に学芸課の事務や広報などを行っています。草薙在住です。
昨年度はインターンとして、展覧会の準備などに関わり、地元静
岡で熱心に美術の普及に取り組んでいる方々や、さまざまな形で美
術館のサポートをしてくださる皆さんとの出会いを経験しました。
今後も、たくさんの人との出会いやつながりを深めていきたいと思
いますので、よろしくお願いいたします。
−2−
友の会だより プロムナード No.85
み たに
り
か
三谷 理華さん(学芸課長)
専門は主にフランス近代美
術史です。出身地は鳥取県で
すが、京都や福岡、そしてフ
ランスにもちょこっといまし
たので、最近は「一体どこの
人ですか?」と尋ねられるこ
とも多いです。ちなみに、静
岡の前には福岡市美術館に勤
めていました。愛読書と言え
るほどお気に入りの書籍はあ
りませんが、戦前の新聞を読
んでいるとよくハマってしま
います。「美少年強盗あらは
る」とか「下火といへど島國
のエロ」とか、見出しだけで
も愉快です。
たい い
パリの
ノートル・ダム聖堂前にて
専門分野は、近代日本洋
画、ロダン、美術館評価な
どのミュージアムマネジメ
ントです。出身は、神戸市
です。家族は、妻と長男で
す。愛読書は、天台宗大阿
闍梨・酒井雄哉氏の『一日
一生』です。友の会の皆様
との一番の思い出は、ロダ
ン、印象派をめぐるフランス旅行でした。ロダン美
術館やブールデル美術館、モン・サン・ミッシェル、
ジベルニー、エトルタなど、フランス美術にとって
意義深い場所を皆様との楽しいお話とともに巡りま
した。
にっ た
いしがみ
たけふみ
新田 建史さん(上席学芸員)
みち よ
石上 充代さん(上席学芸員)
学芸員の石上(旧姓森)で
す。お隣愛知県で生まれ育ち、
就職に伴い静岡県民となりま
した。以降数えてみたら、早
いもので15年が経ちます。近
世及び近代の日本画を担当し
ていますが、伊藤若冲の勉強
を始めるきっかけとなったの
が、大学の見学旅行でここ静
岡県美を訪れ、たまたま展示
中であった《樹花鳥獣図屏風》に出会ったことでした。
ご縁ある大切な美術館で仕事をさせていただき、本当
にありがたく思っています。今後ともどうぞよろしく
お願いいたします。
生地の東京を出て当館に奉職し、16年目になりま
す。西洋の美術品、そして館内外の作品保存につい
ての仕事に重点を置いています。美術品を出来るだ
け良い状態で保存し、後世に伝えていくためには、
空気環境や虫菌害の有無等
の要因について、常に配慮
していなければいけません。
そのため、出来るだけ多く
の方々に作品の状態を気に
かけて頂き、お知らせを頂
いています。どうぞ皆様も、
お気付きのことがありまし
たら、御一報下さい。
うらさわ
かみ や
りょう
泰井 良さん(上席学芸員)
ようすけ
神谷 洋介さん(学芸課教育普及 実技室 主査)
二年目になりますが元は
高校の教員です。
西部地区の浜松出身で現
在掛川に住んでおります。
大学では油彩画を専攻して
おりました。その専攻は今
のところ何の役にも立って
いません。また教員時の経
験もなかなか活かせておら
ず、実技室のスタッフを始
め職員の皆様に助けてもらうばかりの毎日です。
今後もご迷惑おかけすること多いかと思いますが
よろしくお願いいたします。
−3−
りん た ろう
浦澤 倫太郎さん(学芸員)
こんにちは!東京から静岡
に来て2年目になりました。
こちらでの生活にはようやく
慣れてきましたが、学芸員と
してはまだまだ修行中でござ
います。専門は日本の近世絵
画です。友の会の皆様には日
ごろから大変お世話になって
おります。5月の箱根への研
修旅行にもご一緒させていた
中国・泰山にて
だき、とても良い思い出とな
りました。美術を1人でも多くの方に楽しんでいただ
けるよう、一層勉強してまいりたいと思います。これ
からもどうぞよろしくお願いいたします。
友の会だより プロムナード No.85
アトリエ訪問
画 家
なお
こ
杉 山 侃 子
地持院・襖絵 「三個の石」
初めて見たのは「富嶽ビエンナーレ展」で、風景画、抽象画と様々
に並ぶ中に一寸不思議な絵を見つけ足を留めた記憶がある。それは海
辺か、河原か、ただ大小無数の石のみがモノトーンに描かれていた。
そして今年ふとした縁で立ち寄った清水区由比のお寺で改めて石の絵
を見る事になり、はからずも、そのお寺で作者の杉山さんからお話を
伺うことになった。
何故石の絵
お会いして開口一番「なぜ石の絵を描かれる様になったのです
か?」とお尋ねする。
大学卒業後、由比中学で美術の先生として教鞭をとることになる。
ある時実習の一つとして石の彫刻をすることになった。そして石につ
「渡海」2005年
60S
いて調べるうちに地元には馬頭観音や道祖神、興津・清見寺の五百羅
漢などがあり、石仏や、さざれ石、二見ヶ浦等、人と石との様々な繋がりを知り、石の持つ普遍性に悠久の時を
感じられたそうだ。このことは当時、人物や静物を描いていて飽き足らず、何か新しいモチーフ探していた身に
とって大きな転機となった。そして石を描くことによって、ただ石を表現するのではなく、それを借りて(あえ
て空も水も描かない)その空間、悠久、無窮の時を表わそうと絵筆をとった。最初は石と枯葉を描いていたが、
当時「幻触」の中心的メンバーで、尊敬していた鈴木慶則氏より「石のみで表現してみたら」とアドバイスを頂
きこのスタイルが確立したと言われる。ただ画法についてはこれまで特別に師事された先生もおらず、飽くまで
我流の描き方を貫いてきたと言われる。あえて言うならば東山魁夷をはじめ過去の作品から学ぶことが多かった
そうだ。
襖絵の誕生
杉山さんはかねてから出来上がった作品が独り歩きを始めた時、美術館やギャラリーではなく、その作品が生
かされる場(空間)を模索されていたそうだ。そして日本には襖、屏風があり、そこに描かれた作品は時代を越
えて観る人たちに色々な意味を持っていると感じておられたそうだ。そうした中、授業の一環として郷土の歴史、
じ じ いん
伝説などを調べていて地元のお寺「地持院」とも懇意にさせて頂いていた。そしてかねての思いより御住職に襖
友の会だより プロムナード No.85
絵を描かせて頂きたいとお願いしたそうだ。御住職は既に
杉山さんの石の絵を周知、理解されており、また地持院が
臨済宗の禅寺であり、石と深い縁があることから快く了承
して下さった。
それからはテーマを求めて宗教、宗派を問わず全国の石
の名所を訪ねられる。下北半島・恐山、真鶴岬・三ッ石、
串本・橋杭岩、能登半島、和歌山県有田市・明恵峡、其処
彼処の石庭等々。そしてその風景、謂れをイメージ化して
作品に仕上げていったそうだ。仙崖和尚が描いた禅画「〇
△□」は万物の象徴を表すという。これはセザンヌの「自
然は円筒、円錐、球として取り扱う」という考えに通じ普
遍性を感じたので、これも襖絵のモチーフとなった。制作
にあたっては東山魁夷の唐招提寺御影堂の、障壁画「山
雲」、「濤声」を色々な意味で参考にされたそうだ。ただ襖
絵といえば伝統的に日本画又は墨絵といった中でアクリル
で描くことに若干の不安があったそうだ。しかし数年後
京都青蓮院・華頂殿に木村英輝氏がアクリルで斬新な襖絵
を描かれているのを観て、将に我が意を得たそうだ。
本堂を賽の河原とみなして、取り巻くそれぞれ謂れのあ
る石の絵、そして客殿に座ると襖絵と、枯山水のお庭と相
まって僅かな緊張と快い安らぎを感じ、時の過ぎるのを忘
れる。
これから
「風景」2010年
100F
「浄-Ⅱ」2014年
100P
今までは水彩キャンバスにアクリル絵具でグレーを主に微妙な色彩をつけて描いていたそうだ。限りなく黒に
近いブルーの世界は、あるコンクールで審査員に「何か分からないけど、現実ではなく、何かあるような不思議
な世界」と評されたそうだ。月世界から地球の出を迎えようとする瞬間だろうか?無明の世界を今まさに照らさ
くもはだ ま し
んとする光燿か?その不思議な幻想的な世界は観る人の想像力を刺激する。最近は和紙の一つ「雲肌麻紙」にア
クリルや墨を使い、色を加えて新たな展開を試みておられる。
杉山さんが勤務されていた頃は自身の制作をしながら美術教育に情熱を傾けていた多くの先輩がおられ、その
交流を通して多くのことを学ばせて頂いた良い時代だったそうだ。
ご自身も絵を描きつつ子供達と接しられたことは大変意義があった
と言われる。教え子の一人が襖絵の建具を手掛けてくれ、また教え
子の一人が「私が拾ったこの石は先生が描かれた石とよく似てい
る」と言ってきた時は大変うれしかったと微笑まれた。
これからも石にこだわり、どのような手法で新たな不思議な世界
を描きだすのだろうか楽しみにしてお寺を後にした。
地持院・襖絵「五十二位の石」
会報委員 山田克人 プロフィール
1943 静岡市に生まれる
1966 静岡大学卒業
1969-79 由比町立由比中学校勤務
1975 静岡県水彩画協会25周年記念賞
1977 静岡県芸術祭 奨励賞
1988 県内美術の現況展
(静岡県立美術館)
1989 静岡の美術秀作展(松坂屋)
1990 静岡の美(静岡県教育委員会)
中日展
1995 富嶽ビエンナーレ展
1998 天竜川絵画公募展 市民賞
2004 静岡市芸術文化奨励賞
個展 東京、静岡、清水
現在 水彩連盟会員、静岡県水彩
画協会委員、
県女流美術協会理事、
朝日テレビカルチャー講師
地持院 山号「北田山」臨済宗妙心寺派。ご本尊「地蔵菩薩」(静岡市指定文化財)清水区由比町屋原
枯山水庭園と襖絵のお寺として地元をはじめ多くの方に親しまれています。
−5−
友の会だより プロムナード No.85
平成26年度「実技講座」
日本画「器と身近な果実を描こう」
開 催 日 平成26年7月27日、8月3日
講 師 日本画家 田宮話子先生
受講者数 11名
梅雨明けの空の碧さがまぶしく、南風は美術館へと向
う小径の木の葉を僅かに揺らしていました。今日は独自
の画風でフアンの多い、田宮話子先生の日本画講座の始
まりです。
初めに先生から基礎知識として日本画で使う岩絵の具
について、石・土・貝などを砕いて膠で溶く、最近では
色ガラスの粉も使う等のお話がありました。
描く題材は、染付の蕎麦猪口、鉢等の器類とレモンで
す。受講の皆さんは熱心に先生の指導を受けていました。
2日間に亘り、ご指導下さった先生、助手の学生さん、スタッフの皆さん有難うございました。 記 服部英敏
川端 健
静岡市葵区
かねてより、岩絵の具を用いて日本画を描いてみ
たいという私の願いが、友の会の企画により叶うこ
とができました。しかし喜びも束の間で最初のデッ
サンに時間を使いすぎて終わりまで苦労をしました。
岩絵の具は混色での使用は出来ないため、溶く前に
絵の具を決めなければならない等、ひとつひとつが
奥深いものばかりでしたが、田宮先生の親切で熱意
あるご指導とスタッフの学生さんや回りの方々のサ
ポートを頂き何とか仕上げる事が出来ました。これ
からも初心の夢を忘れずに、ゆっくりと余裕をもっ
て楽しみたいと思います。
村岡照美
静岡市清水区
日本画は美術館の創作週間等でやったことはない
訳ではないのですが、今回制作の一連の手順を教え
ていただき有益かつ楽しい時間になりました。
講習は下絵のデッサンが難しかったです。器の形
がうまくとれず焦ってしまいました。器の文様と
カーブの関係は微妙ですね。岩絵の具は初めて使っ
たのですが、先生がアドバイスを幾つもして下さっ
たことで「日本画の彩色の仕方」と「この絵に足り
ないのは、ここ」という所をポイントで教えていた
だき、解りやすかったです。
興津輝雄
静岡市清水区
「美術講座 器と身近な果物を描こう」に参加し
て、今回は尊敬する田宮先生の指導を受けることで
大変期待しました。私は欲張って鉢と蕎麦猪口を構
図に入れたが、先生から上の空間を削り猪口の底ま
で見えるようにとアドバイスを受けた。するとレモ
ン、鉢、猪口のバランスが取れて安定した構図と
なった。鉢の模様の墨入れ、色付けは細く手が震え
た。乾きが遅く段取りを考えながら陶器のツルリと
した表現が難しかった。先生には的確な指導を受け
大変有難く充実した2日間でした。
大盛況の「にがおえ広場」
今年、ロダン館は開館20周年を迎え、ロダンワイークと
称して多彩ないイベントが行われました。友の会ではこれに
合わせ記念事業としてエントランス前の広場で11月1日よ
り3日間「にがおえ広場」を開催しました。常葉大学、静岡
大学、県立大学、友の会有志の方々によりブースが作られ、
企画展「美少女の美術史」の開催もあって子供連れの来館者
が多く116組ものお客さまに喜んでいただきました。企画
から実行まで関係された方々にはご苦労様でした。
−6−
友の会だより プロムナード No.85
キッズアートプロジェクト
中村ひよりさん 富士市立富士第一小学校一年
けんりつびじゅつかんにはじめていったよ。どうぶ
つがすきだから、どうぶつのえがたくさんあってたの
しかったよ。えのなかのどうぶつをおとうさんやおか
あさんとさがしっこしておもしろかったよ。31とうの
どうぶつのいるえがきにいったよ。またびじゅつかん
にいきたいな。
出前講座⃝通学合宿・切り絵 (麻機小学校)
福井利佐先生
5年
上條広夢
ぼくは、麻機小学校の「さ」の字を担当しました。
「さ」の中にれんこんの絵を入れて作品を作りまし
たが、プロジェクトの先生がていねいにやり方を教
えてくれたので、あまり難しくはなく、カッターで
切るところも楽しくできました。自分の班の作品が
出来上がったのを見た時、友達の「あ」の文字の中
にトンボの絵が入っていたり、「う」の上の部分が
魚の絵になってたり、それぞれ工夫して良い作品が
出来ていました。
6年
乾 夏奈
通学合宿のレクリエーションで切り絵をやりまし
た。どんなデザインにすれば麻機のイメージを文字
にとりこめるのか考えてつくりました。私は花が好
きなのでハスの花を文字に組みこみました。できあ
がった作品はきれいに花の形ができたのでうれし
かったです。みんなの作品を並べてみてもきれい
だったのでやってよかったと思いました。
−7−
4年
狩野めぐみ
去年の夏、富士川のクラフトパークというところ
で切り絵をみたことがありました。見た中で1番す
ごいなと思ったのは、女の子2人がかぼちゃの馬車
に乗っている絵でした。とてもこまかくてかわい
かったです。私もこんな風に切れるのかなと思いま
した。「あさはたしょうがっこう」のちっちゃい
「っ」を切りました。ちっちゃい「っ」の中にはす
の花をいれてみました。切り絵アーティストの福井
利佐さんの話を聞いてから切りました。最初は手を
切らないか心配だったけど、上手にできてよかった
です。
PTA
安部聡美
最初は不安そうにカッターを手にした子供達。単
純な丸と線が『アート』になる切り絵の面白さを知
ると、みんなアーティストに変身!! 瞳を輝かせ、
夢中になって制作に取りくみました。地域の特色を
要素にデザインした個性豊かな作品達は、どれも素
晴らしい出来栄え。達成感あふれる笑顔と感動いっ
ぱいの体験になりました。
友の会だより プロムナード No.85
学芸室より
「石田徹也展-ノート、夢のしるし」
(1月24日~3月25日)
皆様もどこかで一度は石田徹也さんの名
前を聞いたり、作品をご覧になったことが
あるのではないでしょうか。焼津市出身で
あることや、2005年に31歳でその生涯を閉
じた後、遺作展や遺作集で作品がひろく知
られるようになり、NHK「新日曜美術館」
の本編で2度取り上げられたことから、特
に静岡では、ご存知の方も多いはずです。
県立美術館では、2007年度にご遺族から
21点の作品の寄贈を受けたことを機に、同
年夏に、1か月足らずの短い期間ではあり
ましたが、県民ギャラリーを会場に、石田
徹也展実行委員会との共催で、「石田徹也
―悲しみのキャンバス」展を開催しました。
《無題》1997年頃
静岡県立美術館蔵
それまで作品がまとめて紹介される機会が
無かったこともあり、若い人を中心に、大変な反響
したのは、1995年からの10年間のことです。この10
があったことを覚えています。わざわざ展覧会を観
年は、バブル崩壊後の「失われた10年」と呼ばれる
るために遠方からみえた方も大勢いらっしゃいまし
時代と、おおむね重なります。この時期は、不況の
た。あの展示室の賑わいは、作家の没後、出版社や
中、かつて世界で高く評価された終身雇用、年功序
テレビ局が仕掛けた企画に、いちはやく反応した、
列賃金、企業内福祉などに支えられた日本的経営が、
敏感な鑑賞者からの共感と熱い支持を受けてのもの
崩壊していく時代でした。とりわけ労働にまつわる
だったように思います。
日本の社会構造が大きく変化した時代です。この社
あれから7年が経過した現在、石田徹也の残した
会構造の変化は、現在、ますます深刻さを伴って社
表現は、我々に何を伝えるでしょうか。作者の死か
会に不穏な影を落としています。
ら時間が経過したことによって、その表現を、少し
あらためて今、石田の作品群を見るとき、鑑賞者
距離を置いて読み解くことができるようになってき
との間に、「他人の自画像」ともいう独自のコミュ
た一方で、石田が描いたイメージは、より多くの人
ニケーション回路を切り開き、社会に宿る影を伝え
にとって、いっそう現実感を伴う身近なものとして
ようとした、表現の特異性が際立ってみえることで
映るのではないかと思います。
しょう。
石田徹也が、その作品性を明確に示す作品を発表
静岡県立美術館 上席学芸員 川谷承子
表紙の作品
歌川広重 (1797~1858)
《不二三十六景》のうち「武蔵野」
草に覆われた武蔵野は古くから名所として知られた。和歌にもたびたび詠まれ、
また江戸時代には武蔵野に月と富士を組み合わせた武蔵野図屏風が一時流行を見せ
た(当館にも所蔵)。この連作では特定の場所からの眺望に取材した図が多くを占
める。しかし、生い茂る草むらの向こうに富士を望む本図は、伝統的な名所として
の武蔵野のイメージも意識しているようだ。寒色を中心とした色調に墨一色の薄と
秋草がなびき、冷え冷えとした秋の空気を感じさせる。
18.0×25.5 紙、木版、色摺 1852(嘉永5)年
(静岡県立美術館学芸員 浦澤倫太郎)
静岡県立美術館友の会(静岡市駿河区谷田53-2 ℡ 054-264-0897)2014年12月15日発行 印刷 松本印刷㈱
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