アリの防衛:個体レベルの反応から効果的な集団行動を生み出すメカニズム

動物行動学ゼミ
アリの防衛:個体レベルの反応から効果的な集団行動を生み出すメカニズム
方法
Sakata H, Katayama N (2001) Ant defence system: A mechanism organizing individual 材料
20070118 高嶋 香子
この実験では、宝塚の栗林に生息するトビイロケアリを用いた。アリのワーカー間に識別可能な
responses into efficient collective behavior. Ecological Research 16:395‐403. 多形性はない。 はじめに
トビイロケアリは栗の樹上でクリオオアブラムシ(Lachnus tropicalis)とクリヒゲマダラアブラム
多数の個体から成る社会性昆虫のコロニーは、状況に応じて、組織化された反応を示す。コロ
シ(Myzocallis kuriocola)と共生しており、甘露供給量の著しく多いクリオオアブラムシの方に、よ
ニー内の各個体は、行動決定に必要なだけのわずかな情報を取り入れ、一定の反応だけを示す。
り多くのワーカーを分配している。 限られた技能しか持たない個体間の相互作用を通して、コロニーレベルで行われる情報処理と行
動決定の仕組みとは? 攻 撃性試 験
トビイロケアリ(Lasius niger)を用いて集団防衛機構を研究した。 トビイロケアリの攻撃性を、ダミーとしてクロヤマオオアリ(Formica japonica)(栗の木で、アリ
マキ資源をトビイロケアリと競合するアリ)を用いてテストした。 ト ビイロ ケア リのア リマ キ利用 戦略
クロヤマオオアリのワーカーは体長 4.5~6mm、トビイロケアリのワーカーは体長 2.5~3.5mm で
トビイロケアリはアリマキのコロニーを飼育し、天敵から保護する代わりに、アリマキの排泄
ある。 液(甘露・糖質)を採集したり、アリマキ(動物性蛋白質)を捕食したりしている。 アリは、糖質の餌をおもにワーカーの活動エネルギーに充て、動物性蛋白質はおもに幼虫の成長
ダミーには生きているか、死後 2 時間以内のものを用い、edge に細く丈夫な松脂製の糸を結び
や女王の産卵などコロニーの増殖に利用していると考えられる(Sudd 1987)。 つけている。糸から切り離されてしまうか、死後 2 時間が経過しない限り、ダミーは交換しなかっ
た。 アリはアブラムシの現存量と自分のコロニーの需要とのバランスに応じて、甘露採集と捕食の採
被験体のトビイロケアリワーカーの近くにダミーの頭部を向けて置き、反応を見た。被験体がダ
餌活動を調節していると考えられる。 ミーを攻撃した場合、直ちに引き離した。 アリは甘露の生産の少ない種のアブラムシを、生産量の多い種のアブラムシよりも頻繁に捕食す
野 外での 攻撃 性
る(Edinger 1985;Sakata 1995)。 攻撃性が状況依存型であるかを調べるため、1998 年の秋に野外実験を行った。以下の状況下で、
アリは自分の巣(土中)とアリマキコロニー(樹上)を決まった道に沿って往復する。道の重要度は、
各ワーカーの攻撃性をテストした。 どのアリマキコロニーに通じているか(餌資源の質は高いか低いか)、交通量の多寡(枝の太さなど。
一度に多くのアリが移動できるか)によって決定される。 1. 巣や採餌地域から離れて、単独で歩き回っている 2. 巣とアリマキコロニー間の道の上を歩いている 巣や採餌領域(アリマキコロニー及びコロニーへの道)における防衛を観察して、 3. アリマキの番をしている 1. 各個体は、どの程度まで情報を処理できるのか 2. 各個体が受け取った情報を、コロニーではどのように組み立て、処理するのか 全ての試験にはそれぞれ異なる3つのトビイロケアリコロニーを用いた。 の二点について調べた。 ・2の試験では、5 分間隔で道の一定ポイントを通過する個体数を数えて交通量を見積もり、交
また、実験的に作った状況下でのアリの攻撃的行動を調べ、個体の能力と、コロニーレベルでの
通量が少ないもの、中くらいのもの、多いものをそれぞれ選んで行った。 状況に即した反応を引き起こすメカニズムを、 ・単独で歩いている、あるいはアリマキの番をしているアリの試験は、その状態のアリを見つけ
1. 各個体の本質的攻撃性のレベルはどのように異なるか 次第行った。 2. 各個体の居場所は個体の攻撃性に依存するのか ・複数のアリが試験領域にいた場合は、無作為に選んで、10 分間隔で可能な限り何度も試験を行っ
3. 各個体が攻撃性のレベルを決定する要因は何か た。 の三段階に分けて示した。 ・総被験体数は 737 頭で、ロジスティック回帰分析を用いて、状況ごと、コロニーごとに、攻撃
するアリと臆病なアリの割合の差をテストした。 1 動物行動学ゼミ
・試験中ダミーは 7 回取り替えられ、ダミーの鮮度も統計モデルの因子に加えた。 攻撃したアリ:n=283, χ2=7.96, d.f.=1, P=0.006 ・交通量の多さと攻撃性レベルとの関係を調べるためにも、同様にロジスティック回帰分析を用
逃げたアリ:n=283, χ2=4.79, d.f.=2, P=0.029
20070118 高嶋 香子
(Figure1) いた。 更に、クリオオアブラムシの世話をしていたアリは、クリヒゲアブラムシの世話をしていたアリ
攻 撃性の 一貫 性
よりも攻撃的だった。 アリの攻撃性が状況に関係なく一貫しているか、個体ごとに反復実験を行って確かめた。 χ2 検定:n=418, χ2=60.3, d.f.=2, P<0.001
125 頭のアリを別々に、壁の内側にタルカムパウダーを塗布したペトリ皿(直径 88mm、高さ
(Figure 1)。 ダミーの鮮度とその他の因子との関係は、実施数の不足のため、分析できなかった。 12mm)に乗せた。 攻 撃性の 一貫 性
2 時間後に攻撃性試験を行い、新しいペトリ皿に移し、更に 2 時間後に再び試験を行った。 ペトリ皿上では、ダミーに対するアリの反応は個体によって異なった。24.0%のアリはダミーを
実験室内25℃下で、アリの移動には pooter(吸虫管?)を用いた。 攻撃し、66.4%は逃走した(Figure2)。 野 外での 攻撃 性と、 ペト リ皿で の攻 撃性と の関 連性
これに対して、個体それぞれの反応は概ね一貫しており、一回目の試験で逃走したアリの 85.5%
野外で、クリオオアブラムシとクリヒゲアブラムシの番をしているアリ、道を歩いているアリ、
が二回目の試験でも逃げ、一回目の試験で攻撃した 70.0%は二回目でも攻撃した。 野外実験の結果ダミーを攻撃したアリとダミーから逃げたアリ、を集めて、ペトリ皿で攻撃性試
弱い反応あるいは無反応の結果を除いた、一回目と二回目の試験の独立性のχ2検定:n=113, χ2
験を行った。 =44.0, d.f.=1, P<0.001 (Figure2)。 結果
しかし、一回目に弱い反応あるいは無反応だった 12 頭では、58.3%が二回目に攻撃し、33.%は
野 外での 攻撃 性
二回目でも逃走した。 野外では、トビイロケアリはダミーに対して様々な反応を示した。 野 外での 攻撃 性と、 ペト リ皿で の攻 撃性と の関 連性
1. ダミーから逃げる 野外での個々のアリの攻撃性は、ペトリ皿上で見られた攻撃性とは必ずしも一致しなかった。野
外でのクリオオアブラムシのコロニーでダミーを攻撃したアリでは、野外では最も攻撃的であっ
2. 特に反応しなかった たに関わらず、ペトリ皿でも一貫して攻撃行動をとった個体は 6.7%だけだった(Figure3)。クリ
3. ダミーに向かって静止し、時折大顎を伸ばす ヒゲアブラムシのコロニーから採取したアリでは、野外で攻撃した個体の 42.9%がペトリ皿でも
4. ダミーを噛んで、すぐに逃げる 同様に攻撃し、野外で逃走したアリの 27.3%がペトリ皿ではダミーを攻撃した(Figure3)。 5. ダミーを噛んで離さない これらの割合に有意差は見られなかった(フィッシャー直接法
6. ダミーを噛んで蟻酸を放出する 一方、交通量が中くらいの道から採取したアリでは、56.2%が一貫してダミーを攻撃した。その
P=0.215)。 以後の考察では、1は逃走、2・3・4は弱い反応あるいは反応なし、5・6は攻撃したとみな
割合は、野外では逃走してペトリ皿では攻撃したアリの割合が 12.9%であったのに対して、有意
した。 に高かった(フィッシャー直接法 P<0.001)(Figure3)。 ダミーに対するアリの攻撃性は、アリのコロニーやダミーの鮮度による差は特になく、状況にお
ア リの攻 撃性 に影響 を及 ぼす因 子
いて有意差が見られた(Table1)。 野外では、クリオオアブラムシの世話をしているアリが最も攻撃的だった(Figure1)。 巣やアリマキのコロニーから離れて単独行動しているアリ、及び交通量の少ない道を歩いている
しかしペトリ皿上では、クリオオアブラムシの存在と攻撃性との関連性は見られなかった(Table2、
アリでは 74.3%が逃走するか無反応だった(Figure1)。 Figure4)。クリオオアブラムシがいない場合、被験体アリの 20.2%はダミーを攻撃して、37.0%
対照的に、アリマキの番をしているアリ、及び交通量の多い道を歩いているアリの 76.7%はダ
は逃走した(Figure4)。クリオオアブラムシがいる場合、28.7%が攻撃して、35.6%は逃げた
ミーを攻撃した(Figure1)。 (Figure4)。 アリの攻撃性は明らかに、同時に道を歩いていた巣仲間の頭数に関連していた(ロジスティック
一方、巣仲間の存在によって、ペトリ皿上での攻撃性は有意に変化した(Table2、Figure4)。巣仲
回帰を用いた尤度比検定で 間が不在の場合、被験体アリの 3.7%が攻撃して 73.8%が逃げた。巣仲間がいる場合、33.8%が攻
撃し、19.6%が逃走した(Figure4)。 2 動物行動学ゼミ
20070118 高嶋 香子
考察
集 団の情 報処 理にお ける 、個体 差の 役割
集 団防衛 行動 の制御 機構
社会性昆虫のワーカーの分化において、ワーカー間の反応閾の差は重要な役割を果たしている
実験の間、巣仲間から離れた単独のアリは非攻撃的だった。交通量の多い道や、甘露供給量の多
(Beshers et al. 1999; Bonabeau&Theraulaz 1999)。多くのアリ種において、攻撃性に個体差があ
いアリマキの世話をしているアリはより攻撃的になった。 り、一部の個体だけが敵と戦うために特化していることが報告されている(Brown&Gordon 1997)。 ⇒トビイロケアリにおいて、攻撃性のばらつきは、アリコロニーにとって重要な状況にあるか否
トビイロケアリにおいても、攻撃の閾値は個体ごとに異なり、ある個体は逃げる中、別の個体は
かに一致している。 戦っている。しかし、状況に応じた集団での攻撃性の変化(攻撃するアリの割合の変化)は、攻撃
野外では、クリオオアブラムシの番をしているアリが最も攻撃的だったが、ペトリ皿試験では一
度の違うアリを配置したためではない。むしろ、無作為に割り当てられているようである。 貫していなかった。個体間の本質的攻撃性の差は、必ずしも野外での攻撃性を反映していない。 それでも、個体差は集団の攻撃性制御に大きく影響しているかもしれない。戦うアリの割合は、
⇒状況ごとでの集団の攻撃性の差は、それぞれの場所に応じて攻撃度の違うアリを配置したため
周りの仲間の数に応じて段階的に変化するが、もしもワーカーの閾値にバリエーションがなかっ
ではない。(個体の本質的攻撃性≠状況ごとでの攻撃性) たなら、全ての個体は同一の状況下で一定の行動を示すはずである。 各状況間の最も顕著な違いはアリマキや巣仲間の存在である。結果から、攻撃性に影響する要素
まとめ
は、アリマキではなく巣仲間の存在であると考えられる。 トビイロケアリの防衛機構は以下のプロセスから成る。 道の交通量に応じて攻撃性が段階的に変化した。 1. 効果的なワーカー配置機構により、重要な食物資源により多くのワーカーが投入される。 ⇒周囲の巣仲間の数に反応して攻撃性を変化させている。 2. 各ワーカー個体は、周囲の巣仲間の数に応じて攻撃に関する決定をする。つまり、攻撃は
集 団レベ ルで の情報 処理 と個体 レベ ルの意 思決 定
食物資源の重要性を反映する。 トビイロケアリは、高価値の食料資源に多くのワーカーを分配し(Beckers et al.1990;Beckers et al. 3. 攻撃するアリの割合の段階的変化は、個体の攻撃域の多様性に基づく。すなわち、各個体
1992;Beckers et al. 1993; Sakata 1995)、時間も費やす(Bonser et al.1998)ことが報告されている。 は独自に状況を判断するための情報収集や情報処理は行えないが、効果的なネットワーク
多くの巣仲間が集まる場所―巣や交通量の多い道―はコロニーにとって重要な場所である。 に組み込まれているといえる。 ⇒各場所の防衛の重要性は、周囲にいる巣仲間の数さえ分かれば評価できる。 参考文献
どのように周囲の巣仲間の数を知るのか? 『アブラムシの生物学』
テリトリーフェロモンが、アリ個体の攻撃行動を調節する情報化学物質だと報告されている
『蟻の自然誌』
(Holldobler&Willson 1977; Salzemann&Jaffe 1990; Salzemann et al.1992: Mayade et al. 1993)こ
とから、各々の存在を周りに伝えるために、テリトリーフェロモンを使っている可能性が考えら
れる。化学物質の濃縮か何らかのシグナルによって、仲間の数の多さに反応できるのかも知れな
い。 アリコロニーのテリトリーの広さはコロニーサイズと相関関係にある(Tschinkel et al. 1995)。コ
ロニーが能率的に防衛できるテリトリーの拡張は、ワーカーの数によって制限される。周りの仲
間の数に応じた行動決定によって、アリは仲間がしばしば訪れる場所だけを防衛する。 また、食料の需要と供給のバランスは、食料資源防衛の重要性を変える。供給が需要を上回り、
高品質の資源を守る必要がないときもあるが、逆に供給が少なく、低品質の資源も守らなければ
ならない場合もある。採餌している個体数の見積もりはコロニーの需要を反映することから、食
料の需要供給バランスは攻撃性に影響する。アリは巣仲間の数で間接的にこのバランスを知り、
コロニーの需要や食料資源を査定する必要はない。 3 石川統 編
東京大学出版会 バート・ヘルドブラー/エドワード・O・ウィルソン著