リストカットの理解と対応

精神科読本19:『思春期の自傷行為の理解と対応』
川谷医院、株式会社精神医療相談室ドンマイ:川谷大治
Ⅰ.はじめに
平成9年5月開業からの9年間で当院を受診した自傷行為者は 180 例(男 24,女 156)
います。この中にはピアスや刺青やタバコによる火傷は含まれていません。鋭利な刃物や
鋏などで身体を傷つける患者が対象です。そのなかで小学校高学年から 22 歳までの間に自
傷行為するようになった者は 130 例です。思春期は一般に 12 歳から 22 歳までの年齢枠な
のですが,精神医学の臨床的知見から 10 歳前後からとする研究者は少なくありません(笠
原ら)。そのため本論では,10 歳前後のケースから選びました。この 130 例を分析し,思
春期の自傷行為をどのように理解し支援するかについて私見を述べることにしましょう。
Ⅱ.川谷医院を受診した自傷行為患者の特徴
思春期に自傷行為を行う者のすべてが医療機関(精神科や心療内科や小児科)を受診す
るとは限りません。精神科を受診するものは氷山の一角です。そのために本論では,当院
を受診された自傷患者の特徴と正確に表現したいと思います。以下に,私の経験した自傷
行為患者 130 例の分析を述べることにしましょう。
1.性差,生活史などの特徴
男女差は女性が圧倒的に多い。112 例(88.2%)を女性が占めています。10 歳から自傷
を始めるものは2人と少なく,多くは中・高生から始めています。
彼らの生い立ちを見ると,幼少期に車酔いが 30%,手のかからないよい子 15%,母子分
離の困難 13%,爪噛み・指しゃぶり 10%が見られています。
学童期に入ると,10 歳前後の自我の芽生えの頃から内省的に悩み始めるものが 22%,過
剰に明るく振る舞い「よい子」であろうとするものが 10%に見られます。と同時に,いじ
めや両親の離婚や虐待 16%などの環境側の問題が増え,こうした個人の外と内で約半数に
問題が見られるようになります。
そして中学校に入ると全例が悩み始めます。すなわち,不登校,自傷行為,精神疾患の
罹患,非行,いじめなどの問題が急増し,特に不登校は彼らの半数が経験し,高校中退は
35%にも達します。しかも思春期の人格形成を促す家庭環境は破綻し,家庭崩壊は 25%,
虐待 30%という数字は悲惨な家庭環境を窺わせます。さらに,3人に2人は境界性パーソ
ナリティ障害(BPD)と診断されました。
2.緊張の強い家庭環境や不登校や高校中退がもたらすもの
家庭環境が複雑で緊張に満ちていたり,学校でいじめにあったり,登校できなかったり
すると,子どもの心にどのような影響を与えるでしょうか。
1)10 歳の「自我の芽生え」と「魔の中 2 の 2 学期」
この二つの時期は私が臨床で大切にしている子どものこころの発達段階です。前者は,
子どもの脳が世界を時間軸のなかで自分と世界とを関連づけて見ることを可能にします。
大人の脳になるのです。10 歳以前は,嫌なことがあっても「今鳴いたカラスがもう笑う」
とけろりとしているのですが,10 歳を過ぎると出来事は長期記憶されるようになり,なか
なか忘れることができなくなるために,長いあいだ子どものこころを苦しめることになり
ます。この時期に家庭が楽しくない,学校でみんなとうまくやれない,能力面で劣等感に
悩まされると,
「自分は駄目な子」
「自分は悪い子」空想を抱くようになります。
「両親の仲
が悪いのは私のせい」と考えることによって家庭で生き延びようとするのです。
後者の「中2の2学期」は,性的な自分と社会的な自分の統合を試される時期で,それ
に高校受験が重くのしかかってくる時期です。中1の課題は,新しい環境の変化について
いけるかどうかですが,中 2 の 2 学期はもっと心理・社会的な問題で,パーソナリティ発
達と深く関わっています。対人関係の躓きと自己の能力の限界に直面して不登校や自傷行
為や摂食障害やパーソナリティ障害の前兆が始まります。学校に通えなくなると,自分が
どれほどの人物なのかを分からなくなるので,現実離れした空想的な自己像のなかで生活
するようになり,ますます学校に通えなくなるという悪循環を形成していくのです。
2)「17 歳」の問題
作家の庄司薫は『狼なんかこわくない』の中で 17 歳を「この時代の『男の子』というの
は,まことに始末におえない。まず彼は,たとえ表面的には激しい自己嫌悪や荒々しい絶
望を示そうとも,実はまだこの現実の中で試したことのない,漠然とした,そしてそれだ
からこそ大きな夢を抱いている」と述べています。つまり,若さという可能性を最も自然
に漠然と抱えているのが 17 歳なのです。可能性があるということは,それが漠然であるか
らこそ,非常に危険な年頃なのです。可能性の芽がつぶされると,自尊心の病理が露わに
なってきます。そしてそれは自己愛的憤怒と呼ばれるもので,底の尽きない泉のように憎
しみを大きくさせていきます。特に,完璧主義の青年にとっては,17 歳は人生という舞台
から降りるか,あるいはそこに留まりつつ非現実的な空想を膨らませるか,逃げるか戦う
か,脳の奥深いところで葛藤が起きているのです。
以上のように,引きこもりの問題点は,現実を離れることで自分の可能性と限界につい
て学ぶ機会を失うことにあるのです。そのために,彼らの健康な自尊心が育ってきません。
この点は,彼らの対応を考える上でしっかり押さえておきたいところです。
Ⅲ.自傷行為患者の三タイプ
自傷行為の対応について述べる前に彼らを心理・対人関係・性格傾向から 3 タイプに分類
すると理解がより深まるので,それを紹介することにしましょう。先ほども述べましたよ
うに,自傷行為患者の3分2は境界性パーソナリティ障害を中心とするパーソナリティ障
害なので治療がとても難しくなります。逆の言い方をするなら,パーソナリティ障害を合
併していない,一過性に見られる自傷行為は対応も簡単だということですので,ここで詳
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しく述べる必要もありません。そのため,BPD の治療が自傷行為者の対応にも役立つので
す。
1型:「偽りの自己」群=「手のかからないよい子」
このグループの患者さんの特徴は,生まれつき周囲の空気を読み,瞬時にそれに合わせ
ることが上手な人たちです。俗にいう「手のかからないよい子」。幼い頃から自分のことよ
りも他人を優先して生活しています。爪噛みなどの神経症的習癖が見られることがありま
すが,幼少期のあいだはたいした問題となることはありません。習い事や塾にも自ら希望
して通います。問題が起きるのは小学校 4 年生の自我の芽生えの時期で,患者さんは内省
的になり,自分について深く考えるようになります。端的に言うと「私は自分がないので
はないか」と悩みだすのです。それでも大半の者は見かけ上は何事もなく小学校を卒業し
ます。しかし,魔の中2の2学期を前に混乱を来たすのです。器用貧乏で高校中退が多い
のも特徴の一つで自傷行為や摂食障害を伴うことが多い。治療にはよく反応しますが,周
囲への過剰適応で疲れ果てて治療中断に陥りやすいことを知っておくことが大切です。精
神療法(対話療法)のよい適応になります。
2型:中核群=「トルネード」
BPD の「不安定さ」が特徴です。幼少の頃から夜驚,癇癪持ち,落ち着きのない子とし
て育ち,発達過程で様々な問題が露呈しています。母子分離が難しく幼稚園や保育園でみ
んなの中に入れない,運動会や学校行事などのときにしばしば発熱や腹痛などの自律神経
症状が発現する,対人恐怖や不安症状が小学生の頃に起きる(早熟現象),などです。思春
期になると,その不安定さはいろいろな領域で現出します。対人関係,将来の自己像,気
分,社会適応,などで自分が何者であるのか混乱し始めるのです。
文字通り「トルネード」のような人たちなので,彼らに関わるい人は吸い込まれては放
り出されます。そして,トルネード同様,同じ場所に居続けることができません。剣道部
に入ったかと思うと,バイクの無免許運転で補導されたり,生徒会に入ったかと思うと酔
っ払って学校に来たり,時には殴り合いの喧嘩まで引き起こしかねない。そして中学校か
ら学校に通えなくなる者が多いのです。トルネードのような外見とは裏腹に内心は臆病で
寂しがり屋です。常に「他者から見捨てられるのではないか」と不安に圧倒され,
「嫌われ
まい」として必死です。何よりも孤独が苦手で,一人で居ることができないのが特徴です。
治療は患者さんの先を行かず,半歩遅れて,患者の起こした現実問題の後片付けという
気持ちで一つ一つ丁寧に当たっていく過程が成熟への道になります。問題が発生したとき
は,環境を調整するなど,患者さんの問題行動を否定しないで,
「辛かったね」とねぎらい
ます。情動興奮はたいてい 2 週間内には収まり,意外と患者さんは状況を把握し冷静に自
分の行動について反省することがあるからです。治療は決して焦らず,現状打破を考えず,
半歩遅れてついていくことに尽きます。
3型:乖離やマイクロ精神病群=「自爆」
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このグループの人たちは周囲との関係に症状が現れるのではなく,患者さん自身が混乱
し自爆するような恐怖を持っています。幼少期の虐待などの悲惨な体験を持ち,自我機能
が脆弱で外的刺激によって,現実状況を正しく認識することができなくなり,被害的に現
実を認知し,辛い現実状況から目を背けるために意識を失ってしまうことが多い。しばし
ば自分の意識が飛んでしまうと訴えます。外見はおとなしい人たちに見えるのですが,心
の中は嵐のように混乱しています。自分の心の中で起きる不安はどこに逃げても追いかけ
てくるので,意識を乖離することで自分の心を守ろうとしているのでしょう。
治療の中でも自傷行為が繰り返され乖離症状が頻発します。家庭内の揉め事の原因は自
分にあるという信念に近い空想(「自分は悪い子」)を持ち,しかも完璧主義の性格のため
に,学校でのいじめ体験や仲間に入れないなどの適応の失敗から自尊心が傷つきやすい状
況にあります。治療は薬物治療を中心に治療を進めるほうがよい。感情表出が苦手なので,
精神療法は無理には行わずに,私は状態の改善と社会適応に治療の焦点を置くようにして
います。患者さんは現実生活で起きる不安を溜め込み,他者との間でそれを問題解決でき
ない点があるので,治療の中でそれを学ぶことを援助するのが治療になります。
Ⅳ.自傷行為の理解と支援・かかわり方
以上,説明してきたことを念頭に置いて自傷行為患者との関わり方について述べましょ
う。自分を傷つける人たちは自尊心感情が傷つきやすい状況にあるので,関わることでさ
らに事態を混乱させる事だって起こりうるので扱いは難しいものです。
1.学校・家庭で自傷行為を知ったときの対応
1)第一段階:共感と理解を示すために「なぜ切ったの」と問わない
自分の子どもが自傷行為をしていることを知ったとき,あるいは見つけたときには,彼
らが「何に困っているのか」を訊ねることから理解と支援は始まります。
「どうして切った
の?」とその理由を聞くのではなく,
「どのように困っているの?」と彼らの辛い心理状態
を理解しようという姿勢を示すことが関わり方のポイントです。この問いの違いは,自傷
行為に対する支援のなかで最重要項目なので詳しく述べることにします。この「なぜ」と
問う方法は洞察を求めることで思考の広がりを持たせるやり方の代表的なものの一つです。
しかしこの問い方は,彼ら自身が自傷行為を行ったことで自責的になっているので,
「責め
られている」
「叱られている」という反応を起こしやすくします。つまり,彼らの「私は悪
い子」空想を大きくすることにつながるのです。彼らの自傷行為がコミュニケーションの
意味を持っている場合は,
「なぜ」という問いは威力を発揮すると推測されますが,その問
い方は難しい。なぜなら,自傷行為者の心のなかには,
「叱る人=切る人」と「悪い私=切
られる手首」の二人がセットで住みついているからです。そのために,
「なぜ切るの」とい
う問う方が「切る」役の片棒を担がされ,自傷行為者は「叱られる=切られる手首」を演
じてしまうのです。そのために,
「なぜ」と質問する側の心の中には加害者の意識はないと
思っていても,つい非難がこめられてしまうのです。
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2)第二段階:主観的万能感の復活
次に,彼らのニーズを直感的に読み取ることで第二段階に入ります。たとえば,彼らの
心理,つまり「自分は普通でない」
「友達とうまく行かない」
「成績が思うように伸びない」
「家庭が面白くない」などに触れるのです。彼らはそのことで悩み,自傷行為に及んでい
ることが多い。彼らの無力感・絶望感・不安感に触れることが大切なのです。自傷行為の
裏にあるこれらの気持ちに触れられてはじめて,萎びてしまった「誇り」を取り戻すこと
ができるのです。このニーズを読み取る能力が「錯覚の世界=主観的万能感」を一時作り,
その錯覚が比較的長びくという体験が健康な自己の発達の基盤となります。その期間は少
なくとも半年以上は必要です。このような体験なしには彼らは救われないし,自己に触れ
られるからこそ気持ちが回復するのです。半年以上の期間が過ぎないと,立ち直っても,
一回の現実の挫折で元の木阿弥になってしまいます。
3)第三段階:幻滅と脱錯覚化過程―劇化 dramatization と謝罪
援助は第3段階に移ります。長い関わりの中で私たちも失敗することがあるでしょう。
彼らに理解・共感できなかったりすることが起きるものです。ところが,私たちの失敗を
彼らは自分のせいにすることで私たちとの関係を修復しようとするクセがあります。つま
り,両親の仲が悪い原因は,あるいは親に虐待を受けたりする理由は「私が悪い子だから」
と思っていたのと同じように,過去の環境側の養育の失敗を自分のせいにしようとするの
です(再演=劇化)。その瞬間に,私たちの失敗を取り上げることで,つまり,それを演じ
ること playing によって彼らの凍結した『自己肯定』感情に温もりを与えることができる
のです。たとえば,面接の夜などに自傷行為をしたと知ったときに,
「あなたが私に心配か
けまいとして,元気を装っていることに気づかなかったので,辛くなったのね」と理解を
伝えるのです。このようにして信頼関係が構築されると,現実の困った問題を語り始め,
自傷行為といった解決方法を捨てて,成熟した人間関係のなかで心理的問題を解決できる
ようになり,現実の人間関係にも変化が見られ始め,立ち直っていくのです。
2.「自分を傷つけないように約束して」と言わないことの重要性
「切らないように」と言われて,それを守れないのが自傷行為者の自我の脆弱性なので,
無理に約束を取り付けようとしないことはとても大切です。約束して安心するのは私たち
環境側であることを押さえておくべきで,決して彼らが約束したことによって救われるの
ではありません。自分でも悪いことだと分かっているので「私のために先生が本気で向き
合ってくれた」とポジティブになることもあるのですが、約束の後も彼らはまた現実の嵐
の中で生活しないといけません。約束した時には,自傷行為に走らないように「傷つける
以外にどうしたらよいのか」を提供するか,あるいは環境を調整しないといけません。
もし「切るな」と言われて,もしそれを守れなかったら,自傷行為者はどう考えるでし
ょうか。申しわけない気持ちと自己否定感情で畏縮しているに違いありません。なかには,
挑戦的に反撥する人もいるかも知れません。また,何度も何度も自傷をされると,周りも
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腹が立ったり,あきれたり,突き放してしまいたい気持ちになるかもしれません。つい叱
り飛ばして,自己嫌悪感を強めることになるかもしれません。このような泥沼に陥らない
ためにも私は「約束」を取り付ける代わりに,彼らの困ったことを理解し,現実問題を一
緒に解決する道を模索することを勧めるようにしています。
Ⅴ.まとめ
以上,思春期における自傷行為(自傷行為)を理解するために私の 130 例の自験例の分
析結果について述べ,その結果を踏まえて自傷行為を知ったときの対応について私の見解
を述べてきました。自傷行為者は女性に多く,緊張に満ちた家庭環境の中で「自分が悪い
子」空想のなかで成長し,思春期に入って不登校,自傷行為,様々な精神症状や問題行動
を起こし,自分に誇りを持てずに,傷つきやすい心理状況にあります。そのために,彼ら
を理解し支援する態度は,彼らが「どのように困っているのか」を理解しようとする姿勢
が欠かせないし,彼らの自傷行為の裏にある無力感・絶望感・不安に触れることが彼らの
誇りの復活には欠かせないこと,それでも彼らを理解できないことが起きるが,その瞬間
こそが彼らが成長に必要なときなのである,ことを説明してきました。
(2014 年 4 月 30 日)
本論は,
『児童心理』2006 年 8 月号臨時増刊に投稿したものを、思春期の子どもに関わ
る家族や学校関係者向けに大幅に修正・加筆したものです。
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