精神科読本15: 『境界性パーソナリティー障害』 川谷医院、株式会社精神医療相談室ドンマイ:川谷大治 Ⅰ 境界性パーソナリティー障害とは 1.境界性 Borderline(ボーダーライン)という用語について ボーダーラインという医学用語が使われるようになったのはアメリカで精神分析が盛 んになった 1930 年頃のことです。第二次世界大戦前のヒトラーのユダヤ人迫害にあって 多くの著名な精神分析家がアメリカに亡命,移住してきたことによってアメリカの精神 分析は発展しました。当時は,今日のように向精神薬は開発されていません。アメリカ の精神科教授の 8 割を精神分析家が占め,市民にとっては精神分析治療を受けることが 一つのステイタスになるほどでした。多くの人々が分析治療を受けました。ところが, 神経症の患者に精神分析治療(「自由連想」といって患者に頭に浮かぶことを報告させる) を施していると,治療が難しく,なかには状態が悪化して妄想状態を呈する患者が現れ る,という報告が目立つようになりました。しかも,彼らを通常の対面法による精神科 診察に戻すとその妄想状態が消失するのです。こうした神経症と精神病の境界という意 味で彼らはボーダーラインと呼ばれました。 その後,ボーダーラインの研究は進み,ロールシャッハという心理検査のように,無 構造のテストでは統合失調症的な反応が見られるのですが,それ以外の検査では健康者 と同じような反応を示すこともわかってきました。状況によって示す反応が違ってくる のです。さらには,精神分析の発展とともに,アイデンティティ拡散(エリクソン),偽 りの自己(ウィニコット),規定欠損(バリント)といった概念が提出されるに従って, ボーダーラインをパーソナリティ発達の問題として見る流れが定着してきたのです。 そして今日のボーダーライン論に大きな影響を与えたのは,1970 年代のカーンバーク によっては提唱されたパーソナリティー構造論(性格特性)です。この段階に至って, ボーダーラインは①精神病との境界,②うつ病との境界,③パーソナリティー構造とし ての「境界(ボーダーライン)」という流れが明らかになり,1980 年に登場したアメリカ 精神医学会の DSM-Ⅲ(精神疾患の診断・統計マニュアル)によって境界性人格障害とい う用語が精神分析家だけではなく広く精神科臨床で使用されるようになったのです。当 時は Borderline Personality Disorder という診断名に「境界性人格障害」という訳語 を当てていました。しかしこの人格障害という訳語が「人格に倫理的な欠陥があるよう な」響きを与えるために大変評判が悪く,2004 年の「DSM-Ⅳ‐TR」から「境界性パーソ ナリティー障害」と改訂されました。 2.境界性パーソナリティー障害(以下,BPD と記載する)とは何か 今日では,境界性パーソナリティー障害では,以下のような特徴をもつ疾患として理 解されています。 1)パーソナリティー障害とは これまでに,パーソナリティー(personality)という専門用語は,明治の頃に「人格」 と訳され,その「人格」という和製漢語は一人歩きし,本来の意味からかけ離れてきた ために,「人格障害」という病名は様々な偏見と誤解を産みました。それではパーソナリ ティー障害とは何なのか?DSM-Ⅳ‐TR では「長期にわたって,通常よりも偏りの多い, いくつかの性格傾向の目立つ状態であり,そのために自分自身や周囲の人々にマイナス の影響を与える」障害で,パーソナリティー障害をA,B,C群に大別して,全部で 10 種類のパーソナリティー障害を定義しています。その中で,境界性パーソナリティー障 害はB群のパーソナリティー障害に含まれ,その治療は難しい。 2)境界性パーソナリティー障害の原因 原因はまだよくわかっていません。体質要因を強調する学派や環境要因を重視する学 派,その折衷派と3分されているのが現状です。私は折衷派で,体質的な要因を抱えて 生まれた子どもがほどよい環境を得なかったことによるものと考えています。私の研究 では,体質的要因としては,幼い頃から癇の強い子だった,非常な負けず嫌い,恥ずか しがり屋,音に非常に敏感だった,夜泣きが激しかった,自家中毒を起こしやすかった, 母親と離れるとよく大泣きした,熱性痙攣をおこしやすかった,という体質の子どもで ある場合が多い。なかには,逆に育てるのにほとんど手がかからないよい子である場合 もありますが,こうした普通の子よりも偏った性格傾向が母親からしばしば報告されま す。こうした性格傾向に,両親が不仲で家庭のなかが常に緊張していた,父親の暴言や 暴力がしばしば見られた,母親が病気でほどよい養育ができなかった,などの環境要因 が子どものパーソナリティー形成に大きな影響を与えていくのだと考えています。 最近では,学校教育も見逃せない問題になってきました。特に、競争原理を排除した 戦後民主主義教育と「いじめ」による仲間からの孤立は大きな問題です。ですから,単 一の遺伝子が関与しているとか親の育て方が悪かったから病気になったという理解は正 しくないのです。患者の多くは,こうした偏りを持ったパーソナリティーのまま成長し ているので,ライフサイクルの移行期,たとえば思春期から青年期,青年期から成人期 への移行期に負荷される分離・個体化(親からの心理的・経済的自立)のストレスに対 処することができずに発病するのです。 3)子どもの「こころ」の発達 a.小学生のこころ 子どもは 10 歳前後の前思春期から「自意識」が芽生えます。この頃から、子どもたち は他者の視点を通して自己を見るようになります。それは新しい世界を子どもにもたら 1 す一方で他人が自分のことをどう見ているのか悩ませます。自分が他者よりも劣ってい るのかそれとも優っているのか、また過去の自身の考え方や行為を振り返り不安と緊張 を孕むようになるのです。つまり恥・劣等感・不全感に悩まされるようになるのです。 またこの時期は同性の仲間と徒党を組み、行動を共にすることを楽しむようになります。 それだけに、この頃の仲間からの孤立は強い劣等感を抱かせるのです。虐待やいじめと いったトラウマは自己否定に彩られた自己像(「私は悪い子」空想)を抱かせ自己を育む 自己像を描けなくさせるのです。 b.中高生のこころ 中学生になると、子どもたちの精神的不調は目に見える形で周囲に気づかれるように なります。その一つが不登校や自傷行為です。中学生という時期は「共同体か自己か」 という弁証法的な緊張関係の中で、つまり、自己の欲求を押し通すと共同体と衝突し、 共同体の益を優先すると自己を失う、という矛盾を経験しながら成長していくので、現 実世界が内的世界にとって侵害となることもありますし、内的世界が病理に彩られてい ると外的世界を客観的に見ることもできなくなる、という問題を孕んでいます。 中学生では外的世界の問題が高校生よりは大きく、男子では能力に関する優劣の問題、 女子では級友との対人関係の問題がこころのトラウマになるという性差による違いはあ りますが、男女にかかわらず Micro Trauma(小さな心的外傷)の累積の影響は軽視でき ません。 逆に、高校生になると自己不全感が最も激しくなり、外的世界(環境)よりも内的世 界の病理性が自殺を考える時に比重が大きくなります。気分障害、統合失調症、摂食障 害、パーソナリティ障害等が代表的な疾患である。対社会(家庭や学校)に対する反抗 よりも自己破壊的になって自傷行為に走る者が増加しうつ状態を呈する者が増えるのも この時期である。 c.18 歳以降のこころ さらに高校卒業後、大学進学や就職というアイデンティティの確立の段階へと入ると、 「これが私だ」という回答を見出せるかどうかが課題になります。 「普通であること」 「何 にでもなれる」という社会的自己の確立が困難になった現代社会では若者にとっては生 きづらくなって、空虚感に彩られた抑うつ、アパシーになるのです。高校生と違ってこ の時期の自己破壊的行為はいよいよ深刻なものになります。 4)性格傾向の特徴 それではどのようなパーソナリティーの子どもとして成長していくのでしょうか。 BPD の患者をうけもっていつも驚くのは,彼らの潜在能力が高いことです。絵がうまい, 文章が天才的,踊りや話術に優れている,手先が起用,学力が高い,などはしばしば出 会うことです。残念なことに,こうした能力を現実社会で発揮できないことが特徴の一 つです。つまり,持っている能力を使いこなせずに社会適応レベルが低いのです。第二 2 番目に,衝動に駆り立てられると我慢ができなくて,気持ちを上手にコントロールでき ないことです。三番目に,感情や対人関係が不安定であることです。機嫌が良いかと思 っていると些細なことでいらいらしたり,怒りっぽいのです。ですから,友達や恋人に 期待感や理想を抱きやすく,しかも落胆しやすい,といった特徴のために対人関係が不 安定です。さらには,相手から利用され傷つけられやすく,逆に相手を責め,傷つける などの感情的な人間関係が特徴です。こうした性格傾向のために,自分らしさがわから なくなっている人が多いのです。先に述べたエリクソンのアイデンティティ拡散状態に あるのです。つまり,長期的な人生目標が定まらず,職業あるいは学業,個人生活の広 い領域で停滞して,先に進むことができないでいるのです。 5)その他の特徴 BPD は明らかに女性に多い。75%は女性です。有病率はアメリカの報告によると,一 般人口の約2%です。1980 年に生まれた子どもは 158 万人なので、このうち約 3 万人が BPD と診断されることになります。精神科外来診療所に受診する患者の約 10%,精神科 入院患者の 20%と見積もられています。わが国での多施設による研究はありませんが, 当院では,総患者数の 5%,外来通院患者の 10%は境界性パーソナリティー障害です。 この数はイタリアの報告と同じです。 6)経過 多くの文献で,10 代後半から 20 代にかけて症状が現れ,30-40 代になると症状は緩 和されると言われています。米国の精神科医マクグラッシャンはチェストナットロッジ 病院に 90 日以上入院した患者の平均 15 年後の社会的適応度と精神・行動症状について 追跡調査をおこなっています。それによりますと,以下のような 5 段階で予後を示して います。 回復群(結婚して子どもを育てる):16% 働いて活動的な社会生活を送る:37% 中等度の改善(半分の期間で働いている):26% 軽度回復(1/4の期間を入院,1/5の期間で働いている):16% 慢性群(3/4の期間で入院,社会的に孤立):5% さらに,ほぼ半数の患者が子の親として生活していたことが明らかになりました。し かしこの疾患の自殺率は 10 年間で約 10%と高い値を示していました。また,長期の予後 を見ると,10 年以内よりも 20 年前後で改善率が上がっているうえに,うつ病と同程度の 適応を示していたことも分かっています。 また,オースティン・リッグ・センターの退院後平均 14 年後の社会適応を見てもうつ 病と同程度の適応を示しています。また,ストーンの調査では,1/3の患者が回復して います。退院して 10-15 年が経過した頃から徐々に社会適応性が高まり,症状も緩和し ているのです。1/2の女性患者と 1/4 の男性患者が親密な対人関係を築けるようになっ 3 ていたと報告されています。1/2から3/4の患者がフルタイムの仕事を持っていたの ですが,残念なことに,自殺率は9%程度あります。 要約すると,BPD は治る病気で,わが国の多くの精神科医が家族に「治らない」と悲 観的なのは短期予後の結果なのです。 Ⅱ 境界性パーソナリティー障害の臨床像 1.DSM‐Ⅳ‐TR の診断基準 ここでは,最新のアメリカ精神医学会が出している DSM‐Ⅳ‐TR の診断基準を紹介し ます。境界性パーソナリティー障害の臨床像は、 対人関係,自己像,感情の不安定および著しい衝動性の広範な様式で,成人早期までに始まり, 種々の状況で明らかになる,以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される。 (1)現実に,または想像の中で見捨てられることを避けようとするなりふりかまわない努 力 (2)理想化とこき下ろしとの両極端を揺れ動くことによって特徴づけられる,不安定で激し い対人関係様式 (3)同一性障害:著明で持続的な不安定な自己像または自己感 (4)自己を傷つける可能性のある衝動性で,少なくとも 2 つの領域にわたるもの(例:浪費, 性行為,物質乱用,無謀な運転,むちゃ食い) (5)自殺の行動,そぶり,脅し,または自傷行為の繰り返し (6)著明な気分反応性による感情不安定性(例:通常は 2~3時間持続し,2~3 日以上持 続することはまれな,エピソード的に起こる強い不快気分,いらだたしさ,または不安) (7)慢性的な空虚感 (8)不適切で激しい怒り,または怒りの制御の困難(例:しばしばかんしゃくを起こす,い つも怒っている,取っ組み合いの喧嘩を繰り返す) (9)一過性のストレス関連性の妄想様観念または重篤な解離性症状 症例を出して説明を加えるとわかりやすいのですが,プライバシーを保護するために それはできません。その代わりに,皆さんの知っている人物を紹介することで BPD の全 体像を描くことにします。古くは,サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の主人公 ホールデン・コールフィールドや作家の「太宰治」を想像するとよいでしょう。映画で はメル・ギブソンが演じる『リーサル・ウェポン』の主人公マーティン・リッグスや, 日活映画の浅丘ルリ子演じる『女体』の主人公がそうです。この映画はとても優れた作 品ですが,熱烈なルリ子ファンでないときっと観たことがない映画だと思います。この ように BPD は文学や映画の主人公になることが多いのです。他には,古い映画になりま すが,ロバート・デニーロ主演の「タクシードライバー」やダイアン・キートン主演の 「ミスター・グッドバーを探して」の主人公が BPD です。このように BPD は周囲に大 4 変な迷惑をかける人たちではありますが,なんとも言えない人間的魅力にあふれた人た ちでもあります。 2.川谷の分類:BPD2型 この2型は社会適応能力、発症の仕方と治り具合から見た分類です。精神状態は安定 すると速やかに社会に出て働くケースと、なかなか社会に出ていくのが困難なケースの 2タイプです。その研究結果は 2012 年の第 108 回日本精神神経学会のシンポジウムで発 表しました。 1)退行型 BPD 半年~2年間の治療で安定し社会に出ていく予後良好のタイプです。発症する前は曲 がりなりにも社会に適応してきた人たちです。完全主義あるいは負けず嫌いといった性 格の人たちが現実生活で傷つき、行き詰まった結果退行し、BPD の診断基準を満たすよう な状態を呈するのです。恋人や配偶者といった人間関係、職場での二進も三進も行かな い状況、学校での「いじめ」による孤立が原因の主なものです。薬物治療よりも環境調 整を図り、自身の性格を見直すことで改善します。回復すると、こころに不快な感情や 葛藤を行動に移すのではなく、悩みながら(抱えながら)問題解決を図れるようになり ます。 2)発達停滞型 BPD およそ2年間の外来治療、時には緊急の入院治療などを経ながら、状態は安定します が、社会に出ていくのが困難なタイプです。中には部分的に症状を持つ者もいます。退 行型BPDと違って、幼少の頃から社会適応に困難さを持っています。それを私は「ボア (bore)」と呼んでいます。BPDの主要な症状である「見捨てられ不安」に近いものです が、「ボア」は心身反応を伴うので、あえて新しい用語を設けました。その特徴は以下の ようになります。 1.3歳の頃から「ボア(bore)」見られます。 母親が傍にいると元気な普通の子どもなのですが、母親が視界から見えなくなる と目に輝きが無くなり、退屈、無気力といった具合に元気が無くなります。活発に 遊んでいたのに急に元気が無くなるのです。お母さんの前では何時ものように元気 なので近所のおばさんたちに気づかれることが多い。 2.生理的変化:過剰睡眠、だるさ、過食が見られ、一日中寝込んだりします。 3.精神的変化:空虚で無気力な状態。 4.行動的変化:上記の1、2、3の状態はとても不愉快でどうしようもできない状 態なので、それを打開するための「行動化」が見られます。飲酒、薬物乱用、買い 物、過食、万引き、喧嘩、セックス・・・等で精神を高揚させるのです 治療では「行動化」が患者にとっては自己治療的であることを認識し、患者が「行動 化」の意味を理解できるように援助し、「ボア」を治療の最終ターゲットにします。 5 Ⅲ 境界性パーソナリティー障害の治療 アメリカにおける BPD の治療は 1990 年代の医療改革マネージド・ケア・システムに よって入院治療から外来治療へ,そして外来治療は精神分析を中心とした個人精神療法 の時代からケース・マネージャーのもとで多種多様な治療法が並行しておこなわれるマ ルチプル・トリートメント(多種多様な治療)がスタンダードです。私が精神科医にな った 1980 年当時のアメリカにおける BPD 治療は入院治療が主流でした。しかも多くの 患者が長期入院治療を受けていました。ドルが強かったときはそれだけの費用を払えて いたのですが,ドルが次第に弱くなるにつれて,保険会社が費用を出すのを渋るように なりました。そして 1990 年代に入って,保険会社は支払った分の医療効果を査定するよ うになり,それはマネージド・ケア・システムと呼ばれる医療改革へとつながったので す。現在では,提供する医療サービスが確かなエビデンスを持っていないと保険会社へ 医療費を請求できなくなっています。そのために,多くの病院で入院治療から外来治療 へと大きな変換が行われたのです。 とは言え,治療の内容がお粗末なものになったわけではありません。それはうらやま しい内容です。たとえば,ニューヨークのある病院の外来治療プログラムを見ますと垂 涎ものです。一人の患者に数多くの医療スタッフが関わり、治療も薬物治療だけではな く,1 回 50 分の対話による精神療法が週に 3 回以上行われ,さらには集団精神療法,デ イケア治療,家族療法といった治療や就業の斡旋といった社会療法まで手厚く行われて いるのです。しかも働き出した患者のためには仕事の始まる朝あるいは仕事がすんだ夕 方に治療が行われるように準備されているのです。しかもこのような治療がうまく進展 しているかを保険会社のケア・マネージャーが査定しているのです。 アメリカの BPD に関する研究は着実に積み重ねなれ,その研究データには圧倒されま す。たとえば,アメリカ精神医学会が 2001 年に提出した BPD の治療ガイドラインは過 去約 30 年に亙る BPD の論文(MEDLINE で 1562 本,PsycINFO で 2460 本)をもとに作ら れています。わが国ではアメリカのような基礎データ,特に患者を集団で見る臨床デー タを持っていません。私はかつて福岡大学病院を受診した 108 名の境界例や 24 例の自験 例について生活史,家族歴,家系内精神科疾患の発現,性差,治療構造,治療転帰,な どについて調査したことがあります。その調査結果で皆さんの参考になるところを述べ ますと,私が治療に当たった自験例では治療開始後 4 年が経過すると患者の 75%は改善 し,それは母親との同居生活のなかで安定する、という結果が明らかになりました。そ れは BPD 治療のプランを考える際に非常に参考になります。BPD は女性患者が多いの で,同性の母親との関係で安定するのです。わが国でも個人精神療法に優れた精神科医 は少なくないのですが,アメリカの研究論文の質と量には脱帽せざるを得ないのが現状 です。 6 わが国では 2002 年 4 月からやっと「治療ガイドライン作成」のための厚生労働省の班 研究(通称:牛島班)が始まり、その成果は牛島定信編『境界性パーソナリティ障害〈日 本版治療ガイドライン〉』(金剛出版)にまとめられています。 以下の治療は当院における試みの一部です。 1)精神科医による診察 私の基本的治療スタイルは治療への情熱と治療の限界性を常に意識しながら治療する ストーン流のやり方です。そしてその実践は治療の柔軟性に重きを置いています。この 柔軟性がマネージメントでもっとも重要な点だと考えています。通院回数,環境調整, 他の治療法の組み合わせ,などの治療プランを患者(彼/彼女)と話し合っていく過程が 治療の中心になります。患者は主治医との間で受け入れられるとそこに関係性が芽生え てきます。治療の妨げになる問題行動や不安定性は関係性の歪みとして現れ,私はそれ をホールディングし,ときに情緒的に対峙し,人と安心して付き合えるような関係性を 育てていくのです。 2)薬物治療 薬物治療はこれまで補助的に使用してきました。しかし最近の向精神薬の発展により, 薬物治療は捨てたものでないような気がしています。BPD 患者は思春期から青年期にか けて発症することが多く,この時期の患者の病態は複雑かつ動揺しやすいので,使用す る薬物もいろいろなものが使われます。抗不安薬は基本的には使わないようにしていま す。坑うつ剤も使用しますが,効果の程度は非定型抗精神病薬に劣ります。 3)ATスプリット治療(精神療法) ATスプリット治療とは,主治医がマネージメント(管理)をおこない,精神療法を 心理士が担当する治療のやり方です。アメリカではスタンダードなやり方でスプリット 治療と呼ばれています。アメリカのように多くのスタッフによる治療は更なる不安を招 く場合があるので、主治医である私とだけの診察で十分な人もいます。 4)集団精神療法 集団精神療法は今後期待される治療法の一つです。私の経験では,重症の BPD の治療 が成功するかどうかの鍵は,一部の患者にとっては,デイケアを含めた集団療法に参加 できるかどうかにあると考えられます。 5)環境調整は特に重要です。枚数の制限があるために詳しく述べることができないの ですが,クリニックにおける家族相談を含めた環境調整の比重は大きいのです。私の経 験では BPD 患者は孤独に耐えられないので,治療のある時期に自我を支える治療的環境 を整えることが行動化や悪性退行を少なくできるのです。 Ⅳ まとめ 境界性パーソナリティー障害の用語の由来,臨床像から治療までをアメリカのそれを 参考にしながら述べてきました。治療は大変根気のいるものですが、長期予後を見ます 7 とそれほど悲観的ではないことが分かってもらえたのではないかと思います。当院での 治療においていろいろな疑問や不満がありましたら遠慮なく申し出てください。私たち の治療をさらに引き上げることにつながるでしょうし,治療の成功を引き寄せることに なると思っています。 (2014 年 4 月 30 日) 参考文献 川谷大治:牛島定信編『境界性パーソナリティ障害〈日本版治療ガイドライン〉』.金 剛出版、2008. 8
© Copyright 2024 Paperzz