中国人観光客の買い物行動は今 静岡空港の開港もあと1年となりました。外国からの観光客を呼び入れ、地域の活性化に結び付 けようと考えている人も多いことでしょう。日経ビジネスオンライン[[email protected]]の 中村正人氏のレポートで、中国人観光客は日本のどこに関心を持ち、どこで沢山の土産物を買って 帰るのか、その行動がとてもわかりやすく書かれていますので以下に紹介します。 レジャー超大国、中国(8) ∼中国人観光客が占拠するヨーロッパ 総取引金額 45 兆円の「銀聯カード」をひっさげて • 2008 年 1 月 22 日 火曜日 • 中村 中国 正人 北京五輪 海外旅行 観光 クレジットカード 銀聯 外貨準備高 (前回から読む) 北京オリンピックの年になった。急成長する社会の矛盾やひずみをめぐる論争、環境、鳥インフ ルエンザ、台湾問題など、スポーツ以外の話題でこれほど盛り上がる五輪は近年まれではないか ……。そんな気配が年始から濃厚である。 中国の人々は五輪開幕に向けてどこまで高揚し、どうふるまうのだろう。その“歴史的”光景を見 つめながら、やっぱりぼくらと彼らでは生きている時代が違うなあ。社会の目指している方向も違 うようだ……。そうしたことを強く実感する 1 年になる気がしている。 “違い”を認識することは、彼らにどう向き合うかを考えるうえで不可欠な思考過程だと思う。知 れば知るほどそうやすやすとは拭えそうもない、彼らへの違和感。その所在と背景の大枠くらいは つかんでおきたい。たたでさえ、ぼくらは“空気”に流されやすいのだから。 上海で毎年開催される「上海世界旅遊資源博覧会(World Travel Fair)」 さて、これから数回にわたって中国人の海外旅行をテーマにする。所得水準の向上で非製造業分 野の流通、サービスといった内需型ビジネスの成長が著しいといわれて久しいこの国では、レジャ ーの王様である海外旅行に彼らの欲望が素直に反映されると考えるからだ。彼らの生きる時代とぼ くらとの“違い”がわかりやすく見てとれる格好の題材といえる。1 億人ともいわれる、富裕層に次 いで高い購買力を持ち始めた都市中間層の消費シーンという観点からも、興味深い事例やデータが 出揃い始めている。 知り合いの中国人留学生が海外旅行に行ってきた話から始めよう。 都内某私立大の大学院生である O さん(24・女性)は、昨年夏、10 日間のヨーロッパツアーに 参加した。旅行パンフレットによくあるフランスとイタリアを周遊するパッケージツアーである。 いま日本の大学キャンパスには中国人留学生があふれている。一般に彼らはコンビニや居酒屋で アルバイトに明け暮れる姿を連想されるかもしれないが、日本の学生と同じように夏休みは海外旅 行を楽しむ時代になった。ひとりっ子世代の彼らには、親からの仕送りも多く、地方出身の日本人 学生より経済的に恵まれている層もいる。 上海市内の書店に並ぶ中国語版『地球の歩き方』 彼女の旅程はこうだ。1 日目にパリに入り、2・3 日目でパリの市内観光と免税店めぐり、その日 のうちに飛行機で南仏ニースへ。4 日目はニース、カンヌ、モナコを観光し、ミラノへ。5 日目は ミラノ観光をし、ヴェネチアへ。6 日目はヴェネチア観光をし、フィレンチェへ。7 日目はフィレ ンチェ観光をし、ローマへ。8 日目はローマ観光で、9 日目の午後には帰国便に乗る。この手の周 遊型パッケージツアーは日本人もさんざん利用してきたはずだが、あらためて書き出してみると、 実に慌しいものだ。 帰国後、 「どうたった?」と尋ねたら、 「ユーロが高くてもう大変」と彼女はぼやいていた。円安 とユーロ高が急激に進行していた頃であり、食事も買い物もすべてが日本に比べて激高だったとか。 「どこが面白かった?」と聞くと、少々うんざり顔で「パリでもヴェネチアでも、中国人ばかり」 。 そうため息をつく。ここ数年、ヨーロッパの主要観光地は中国人旅行客が大挙して押し寄せ、半ば 占拠されているという噂を耳にしていた。それはどうやらは本当のようだった。 1970 年代、日本の農協観光団が海外をバスで駆けめぐった時代を思い起こさせる話だ。しかし、 いまの中国人が好き好んで日本人の後追いをしているわけではない。彼らがパッケージツアーを利 用するのは、現在、ヨーロッパに限らずほとんどの国で中国人の海外旅行には団体ビザしか許可さ れないためだ。しかも、ヨーロッパ各国の在中国領事館は中国人の観光ビザの発給を積極的に拡大 する気はないから、それすら狭き門となっている。 評判はさんざん、中国人の団体旅行客 「中国人が海外旅行でいちばん行きたいのはヨーロッパ。行きたい人はたくさんいるのに、ビザ を取るのが難しい」と O さんはいう。その点、ヨーロッパの在日本領事館は、日本人のビザを発給 する必要がないぶんゆとりがあるから、本国に比べれば中国人にもビザが取りやすいらしい。 そんな話を彼女としながら、ぼくが大学生の頃、初めてヨーロッパ旅行に出かけたことを思い出 した。もう 20 年以上も前の話だが、日本人の場合、ヨーロッパは当時もノービザだったし、若い うちから団体旅行だなんてつまらないと思っていたから、当然のように個人旅行だった。O さんは ぼくの経験を「うらやましい」という。「80 後」世代(1980 年代生まれの中国版新人類。わかる かも中国人第 14 回参照)の彼女には、観光地をバスで駆けめぐる「弾丸ツアー」なんて物足りな いのである。気持ちはわかる。 かつての日本人観光客の風刺画をパロディにしたような「Newsweek」表紙絵(2007 年 8 月 29 日号) ちょうどその頃、 「Newsweek」が「世界を騒がす中国人観光客」なる特集記事を組んでいた。 「羽振りのよさとマナーの悪さを振りまく中国人ツーリストは 2020 年に 1 億人にふくらむ巨大 市場。(略)世界の観光地はあの手この手で熱烈歓迎に必死だ。果たして中国人客は観光産業の救 世主となるのか」( 「Newsweek」日本版 2007 年 8 月 29 日号) そこにはヨーロッパのホテル経営者 1 万 5000 人による「観光客ランキング」なる集計結果が掲 載されており、中国人の評判は散々だった。 「最も品行方正でない」「最もおしゃれでない」「最も地元の料理を試さない」「最も部屋をちら かす」など、不名誉な項目はすべて中国人がランク入り。「(成金趣味で素行の悪い)中国人は 21 世紀の日本人観光客だ」と話をこちらにまで飛び火させるのは勘弁してもらいたいところだが、い かにも「Newsweek」らしい底意地の悪さが笑えた。彼女も電車の中吊り広告で見かけ、立ち読み していたらしい。その話をすると、苦笑を通り越して憮然とするのだった。 それでも、彼女は今年も海外旅行を計画中だ。何事も障害があればこそ、チャレンジのしがいもある。日 本に留学している間に行きたいところへ行ってしまおうと考えているのかもしれない。さすがは「80 後」世代。 蓄財だけが生きがいのように見えた年長世代の中国人とは人種がまるで違う。そこが見ていて面白い。 渡航先を順次広げてきた それにしても、中国に比べると相当物価の高い日本に留学している彼女にどうしてそんな経済的余地が あるのか。そう思う方もいるかもしれない。別に彼女は幹部(特権階級)の子弟というわけではない。いま の中国人の経済力からすれば(という場合、もちろん民工などは含まず、都市中間層に限定しての話だ が)、海外旅行は身近なレジャーになりつつあるといえる。それだけ都市中間層の厚みがありながらも、ほ とんどの国が団体ビザしか発給したがらないのは、ひとことでいえば、格差の大きすぎる社会だから、うか つに解禁できないのである。O さんにとっては気の毒な話ではあるけれど。 ざっと中国人の海外旅行シーンの変遷を見ておこう。これまで中国政府は「外国人による中国旅行は強 力に、中国人の国内旅行は積極的に、中国人の海外旅行は適度に推進する」という政策を打ち出してき た。その一環で、中国人の海外旅行先は政府と対象国が承認した目的地に限られている。中国人に解禁 された海外旅行の主要目的地は以下のとおり。 ■中国人の海外旅行目的地解禁の変遷 1983 年 香港、マカオ 1988∼ 東南アジア諸国(タイ、マレーシア、シンガポー 1990 年 ル、フィリピン) 1997 年 団体観光旅行解禁(この年までは親戚訪問と目 的とした旅行のみ) 1998 年 韓国 1999 年 オーストラリア、ニュージーランド 2000 年 日本(承認地域限定→2005 年 7 月中国全土対 象) 2002 年 トルコ、エジプト等 2003 年 ドイツ、南アフリカ等。香港の自由旅行解禁 2004 年 ヨーロッパ諸国(英国を除く EU の大半)、アフリ カ諸国 2005∼07 英国、ロシア、モンゴル、中南米諸国等 年 2008 年 アメリカ(予定) 中国人の団体海外旅行解禁は 1997 年。わずか 10 数年前のことだ。それまではビジネス渡航や留学を 除けば、親戚訪問しか認められていなかった。解禁以後、パスポート取得の簡易化も進み、爆発的な勢い で海外旅行者数が増えた。2001 年に 1200 万人だったのが、2006 年は 3450 万人と約 3 倍になった。ただ し、この数字には全体の半分にあたる香港、マカオへの渡航者数も含まれており、それを除くと約 1700 万 人になる。 なぜ香港、マカオを海外旅行統計に含めるのか。何事も数字を大きく見せたがる中国の役人好みの水 増し疑惑という気もするが、いまだ中国人の香港入境にはパスポートや通行証、ビザが必要だからだとさ れる。それでも、海外旅行者数 1700 万人といえば、すでに日本の海外旅行者数に匹敵する(2006 年度の 日本人の海外旅行者数は 1753 万人)。日本の海外旅行者数は 1990 年代半ば以降伸び悩みが続いてい るため、この先あっという間に追い抜かれるだろう。 彼らの海外旅行熱は揺籃期にある。旅行者数の伸び率からいえば、2000 年代前半は日本の 1960 年代 後半から 70 年代前半の水準。ここ 1、2 年は少し落ち着いたが、それでも 10%成長を続けている。 次に渡航先を見てみよう。彼らにとって最も身近なのは香港、マカオだ。渡航手続きが容易なうえ人民元 が強くなり、ショッピングやカジノといった彼ら好みの観光素材の充実ぶりが群を抜く。マカオがラスベガス を抜いて世界一のカジノ収益を上げたことは記憶に新しい。 続いて団体旅行解禁が他の地域より先行し、中国人旅行客の取り込みに熱心だったシンガポールやタ イなどの東南アジア諸国。ただし、最近はツアー価格の値下げ競争による「安かろう悪かろう」が評判とな り、伸び悩み傾向にある。2004 年にヨーロッパが解禁になり、そちらに流れた影響もある。 World Travel Fair の韓国ブースでは、観光地ではなく韓流ブームをアピール 渡航者数が急増しているのは「韓流」人気の韓国だ。2006 年には済州島を訪れる中国人団体旅行のビ ザを免除するなど、こちらも取り込みに熱心だ。日本は韓国に次ぐ 6 位である。 旅行スタイルはどうか。前述の留学生のヨーロッパツアーに見られるように、まだ中国では周遊旅行が 主流。だが、上海の大手旅行会社・上海錦江旅遊有限公司の楊東さんによると、「ここ数年で 1 カ国をじっ くり楽しむ滞在型ツアーも出てきました。やっぱり、中国のお客さんも周遊旅行では忙しすぎて現地を十分 体験できないことに気づいたからでしょう」とのこと。このあたりも 1970 年代から本格化する日本人の海外 旅行スタイルの変遷によく似た話だといえる。ただし、日本が 10 年 20 年かけた変化をたった数年で、とい うスピード感はだいぶ違う。 弾丸ツアー型は、もう卒業? これまで中国人にとって海外旅行は、パスポートやビザ取得の困難さに外貨持ち出し制限など、政府が 「適度に推進」させる政策を採っているうえ、旅行会社が多額の保証金を課すなど(海外渡航先での失踪 が背景にある)、さまざまな制約があり、「一度行けても次にいつ行けるかわからない」ものだった。旅行時 期も新暦で 1∼2 月の春節(旧正月)と 5 月の労働節、10 月の国慶節の連休に集中しがちだった。 「でも、最近は状況が変わりつつあります。地域差はありますが、上海市場に限っていえば、外資系など 大手企業では有給休暇の取得も進み、3 大連休をはずした夏休みに海外旅行へ行く人も増えています」と 楊東さんは旅行時期の平準化が起きているという。 日本旅行上海支店の太田千秋さんも、「価格と中身を厳しく照合する消費動向が見られるようになった」 と中国の消費者も旅行商品の質にこだわる時代になったと指摘する。 そういえば、昨年末、マカオで中国の団体ツアー客が警官隊ともみあう騒動があった。 なんでも土産店めぐりを強要されるオプショナルツアーへの参加を拒んだツアー客を旅行会社のバスが 置き去りにし、抗議する客の一部が仲裁に入った警官隊から暴行を受けたとかなんとかで……。これも 「安かろう悪かろう」ツアーをめぐる消費者と旅行会社の対立の一幕である。なぜそこまでエスカレートする のか、ちょっと笑ってしまうところもあるのだけれど。 中国人の海外旅行シーンを語るうえで忘れてはならないのが、「銀聯カード」である。2002 年に中国人民 銀行が中心となり政府主導で設立された国内の銀行間決済のための運営会社・中国銀聯が主体となり、 中国国内で発行されるほぼすべてのキャッシュカードに付与されている。いわば中国版デビットカードだ。 発行枚数はなんと 13 億枚超とのこと。中国国内の小売店や飲食店などの加盟店で本人口座の残高分の 範囲で買い物ができる。支払い時に暗証番号を入れ、サインすると、即時に銀行から引き落とされるしくみ である。 中国国内 60 万店舗と海外 27 カ国でショッピングに使える「銀聯カード」は VISA、Master と並ぶ世界 5 大国際カードのひとつにな った 中国では銀行間決済のネットワークの構築が遅れており、以前は上海市内で発行した銀行のキャッシュ カードは北京では使えないといった不便があった。それを解消するべく政府主導で進めたものだ。封建的 な高利貸しが幅をきかせてきた伝統のせいか、「ローン嫌い」で知られる中国では日本や欧米のようにク レジットカードの普及が遅れていたぶん、銀聯カードの利便性は画期的であり、一気に中国のスタンダー ドになり得たといえる。 銀聯カードは中国人海外旅行者の急増に伴い、国際化した。海外でも中国国内と同じように、両替の必 要もなくキャッシュレスで買い物ができるようになったのだ。皮切りは 2004 年の香港から。05 年末には東 南アジアやオセアニア、アメリカ、ヨーロッパ諸国、日本など、団体旅行ビザの解禁に連動するように、現 在 27 カ国で利用可能になった。 外貨持ち出し制限はどうなった? なんでも 2007 年の銀聯カードの国内外の総取引金額は 3 兆元(約 45 兆円)と推定されるという。こうし たケタ違いの爆発を見せるという事例の報告は、中国に関してはもう慣れっこという感じだが、どこでも使 えるキャッシュカードを手にしたイケイケの彼らが大量の土産物買いに走るのは当然だろう。実際、2006 年には中国人海外旅行者の一人あたりの平均消費額は 928 ドルと世界一。彼らもまたブランドショッピン グが大好きだという。やれやれ。完全に日本人のお株を奪われてしまった格好だ。 ほんの数年前まで厳しく外貨持ち出し制限をしていた国なのに、外貨管理はどうなっているのか。これで は使い放題ではないか。そう訝しく思われる方もいるかもしれない。 背景には 1.4 兆ドルという世界一の中国の外貨準備高がある。近年中国の貿易黒字拡大は著しく、過剰 な資金流入が続いている。それが貿易摩擦や人民元切り上げ問題を招き、行き場をなくした資金が不動 産や株式バブルを生む「金あまり」社会になっているとされる。これはよくいわれるように、一面、日本の 1980 年代と似た状況だ。当時、中曽根康弘総理が黒字減らしのために「日本人は 1 人 100 ドル使いましょ う」などとのんきなことを話していたのを思い出すが、中国政府も中国人が海外でお金を使って黒字減らし をすることを黙認する方向にあるといっていい。 それに外貨管理のしやすさでいえば、キャッシュを持ち出されるよりは、海外で消費した金額がすべて中 国国内銀行に記録の残る銀聯カード決済のほうが断然有効である。こういったところにも、中国独特の国 家による管理システム構築の方式が見られる。 海外で使わなければ損、そのマインドに商機あり 投機的な発想が日常化している中国人は最近のドル安で「大損した」と思っている。「外貨を持たせてド ル安にすれば、結局得するのはアメリカだけじゃないか。俺たちはバカを見ている。だったら……」。 もしそういうことなら、中国の皆さんに海外、いや日本でも銀聯カードを使ってどんどんショッピングしても らおうじゃないの……。そう思うのはぼくだけではないのでは。本来なら、その前に蓄積された富を一部が 独り占めするのではなく国民にもっと公平に分配するのが筋である、とでもいうべきところだろうが、どうも 彼ら自身にその気はあんまりなさそうだし。 前述の楊東さんによれば、2007 年以降、上海市場では中国人旅行者の渡航先として日本が伸びている そうだ。確かに、昨年来、東京の街角や電車の中でも中国語を耳にする機会がぐっと増えている……。 次回以降は、中国人旅行客の来日シーンをレポートしてみたい。銀行口座分を使い放題にできるカード を手にした彼らは日本で何を見、何を感じているのだろうか。 (文・写真/中村正人 編集/連結社) レジャー超大国、中国(9) ∼実況!中国人観光客と「はとバス」ツアー 日本社会に興味津々、 「なぜ女子高生はミニスカートなのだ?」 • 2008 年 1 月 29 日 火曜日 • 中村 中国 中国人 正人 観光客 お土産 露天風呂 はとバス (前回から読む) 2006 年の中国人海外旅行者数、3450 万人。前回触れたように、中国の観光目的の海外団体旅行 解禁は 1997 年だ。戦後日本の海外渡航自由化が 1964 年だから、 日本に遅れること 33 年後である。 ところが、彼らの海外旅行熱は猛烈な勢いで、わずか 5 年で日本と肩を並べ、いまや 2 倍の規模と なった。しかも海外旅行者の一人あたりの平均消費額は世界一というのである。 そのスピードには呆れるばかりで、制度上も、経済的にも海外旅行なんて夢のまた夢だった 10 数年前の中国を知る自分は、いまだにマジックを見せられているような気さえする。内実はともあ れ、規模を見る限り、この国は“レジャー超大国”への道を突き進みつつある。少なくとも海外旅行 にいそしむ当の本人たちは、それを疑うことはないだろう。 海外に出かける中国人のうち来日者数は 81 万人(全体の 2.3%) 。この中にはビジネス出張や親 族訪問も含まれており、ふつうの意味での観光客は 3 割ほどだといわれる(その割合は年々上昇傾 向にある) 。では、彼らは日本のどこにいてどのように観光しているのか。 ひとまずその一例として、「はとバス」の場合を紹介しよう。中国人専用の日帰り富士山ツアー があると聞き、昨夏、ぼくも参加してみたのだ。東京観光でおなじみの「はとバス」は国内唯一の 中国語ガイド付き定期観光バスを出している。 中国人観光客の「はとバス」ツアーに同乗! たまたま大連の日系企業で働く知り合いの中国人が研修で東京に来ていたから、一緒に行くこと にした。中国の大学院を卒業したばかりの彼女は初めての来日。富士山に行こうと誘うと、とても 喜んだ。他の中国人旅行者と同じ目線でバスツアーを楽しんでくれたので、ぼくにとっては格好の 同行者だった。 コースの概要は、午前 9 時に浜松町のバスターミナルを出発。中央高速を抜け、富士山五合目で 自由観光。昼食を取り、名水で知られる忍野八海に立ち寄り、山中湖畔の温泉施設で富士山を見な がら露天風呂に浸かる。夕方東京に戻って解散というものだ。 その日のツアーガイドは駒走久子さん。中国語通訳案内士の国家資格を持つ彼女は、中国・天津 の留学経験があり、小柄だがバイタリティあふれる女性である。バスが走り出すと、彼女は中国語 で自己紹介をし、ツアーコースの概要や注意事項などを手際よく説明。そして、1 枚の写真を乗客 に掲げて見せた。「この家族、誰かわかりますか?」。 ロイヤルファミリーの写真を手に、皇室について説明するツアーガイドの駒走久子さん 皇室一家の写真だった。ちょうどバスが霞ヶ関のインターから首都高速に入り、皇居の脇を抜け る頃。乗客たちの多くが声をあげた。「天皇の家族です」。ほとんどの人が知っているようだった。 それを受け、彼女は皇居と日本の皇室についての説明を始めた。富士山ツアーにロイヤルファミリ ーの解説も付くとはちょっと意外だった。 あとで彼女に聞いた話では、中国人の多くは日本の皇室に純粋に関心があるそうで、都内観光で も皇居は人気スポットのひとつだという。写真を見せると手にとって「これは誰でこれは誰で……」 と家族構成まで詳しく語り始める人もいるそうだ。外国人観光客を相手にしたツアーガイドは単に 通訳だけではなく、日本文化の紹介者にならなければならない。なかなか大変な仕事である。 ※参考記事「実は『皇室報道』が大好きな中国人」 中央高速は夏休み最後の週末ということで、渋滞していた。予定時刻になっても富士山にはたど り着けなかったのだが、乗客たちは文句を言うでもなく、おとなしく車窓の風景を眺めていた。あ いにく曇り空で富士山の姿は見えなかった。それでも彼らは時おり思いついたように、何の変哲も ない(としかぼくには見えない)高速沿いの山々や農家の家並みをカメラに撮ったりするのだった。 彼らが「Newsweek」の特集「世界を騒がす中国人観光客」で散々マナーが悪いとなじられた同じ 中国人旅行者には思えなかった。 長時間のバス旅を終え、五合目に到着。みんないっせいにバックからカメラを取り出す 「みんな静かだね。もっと騒がしいのかと思ってた」。同行した馬健さんにそう言うと、 「だって みんな知らない人同士ですから」 。なるほど、そりゃそうだ。このツアーの参加者は 40 名。彼らは 今日 1 日限りのオプショナルツアーの同行者にすぎないのである。何気なく聞いて回ってみたとこ ろでも、北京から来た家族連れ、上海から来た出張族のグループ、台湾人カップルなど、地域も世 代もさまざまな人たちだった。 富士山五合目には「中国人歓迎」を伝えるプレートが至るところに 北京から来た家族連れ。富士山をバックに記念撮影中 予定より 2 時間遅れてようやく五合目に着いた。ついに富士山が姿を現した。バスを降りると、 乗客たちはいっせいにビデオを回し始めた。みんな日本のメーカーの最新型モデルを手にしている。 昔、海外で「カメラを持っていれば日本人だとわかる」とよくいわれたものだが、そんなのもすっ かり過去の話である。 とはいえ、彼らのいでたちや服装は、はっきり言ってサエなかった。あんまりお金持ちに見えな いのである。中高年の人が多かったせいもあるのだろうが、北京や上海といった大都市からの旅行 者も、申し訳ないけどぼくの目には田舎の人に見えてしまう。 五合目には日本人の登山客が列をなしていたが、中国語の会話もあちらこちらで耳にした。ぼく ら以外にも中国人ツアー客が来ていたのである。ヨーロッパの主要観光地に中国人が集結している ように、日本を代表する富士山に彼らがいないわけがない。 富士山をバックに馬健さんの記念写真を撮ってあげたりしながら、ぼくも中国人ツアー客になり すましていたのだが、とうてい彼らの真似はできないことがあった。ハンパじゃない量のお土産で ある。立ち寄る先々で、彼らは饅頭やら果物やら、口に入るモノを中心に次々と購入、ビニール袋 を手にしてバスに乗り込んでくるのである。 「どうしてあんなにいっぱい買うの?」 。馬健さんに聞くと、「私も研修期間中でなくて、あと 3 日で中国に帰らなければならないとしたら、いっぱい買っちゃうかも」。そう言って笑っている。 昔の日本人みたいに、帰国後、配らないといけない先がいっぱいあるのだろうか。なんにせよ、土 産物屋にとってはこのうえない上客である。 「イチゴ味のチョコ、おいしいよ」。忍野八海では中国語が目につく それを実感したのは、忍野八海に行ったときだ。富士山の伏流水の湧出口として知られる透明な 池の周辺に並ぶ土産物屋。それらの至るところに中国語の貼り紙や札が置かれていた。「触るな」 とか「甘くておいしい」だとか、いろいろ書いてある。 だが、いちばん驚いたのは、ひとりの草餅売りのおばさんが中国語で客引きしていたことだ。海 外で露天商が片言の日本語で客引きする姿は日常だが、日本の観光地で日本人が中国語で客引きす る光景をぼくは初めて見た気がする。思わずその草餅売りのおばさんに話しかけていた。近所の農 家の人だった。 ―― おばさん、中国語上手ですね。いつ頃から話すようになったんですか? 忍野八海は、中国人バスツアーが富士山観光の行き帰りに立ち寄りやすいルート上にある 「そうねえ、2 年前くらいからかねえ。すごく増えたから」 片言とはいえ、中国語を覚えた草餅売りのおばさんの商魂はあっぱれではなかろうか。おばさん の手作り草餅がおおいに売れていたことはいうまでもない。中国人というのは、買い食い立ち食い が大好きな人たちだ。海外旅行に出たら日本人だってそうだが、ぼくら以上に彼らは何でも試して みたい。中国語の誘い文句が耳に入れば反射食いだ。 忍野八海でもうひとつ発見したことがある。バスに戻る途中、多くのツアー客が突然、立ち止っ てじっと農家を眺めているのだ。なかには写真を撮る人までいる。その和風家屋は立派な門構えで 庭も広いのだが、ぼくにはごく普通の田舎の民家にしか見えない。どこがそんなに興味を引く? 日本の「田舎」に商品価値あり! 馬健さんはいう。「私もこの家気に入ったわ。田舎の日本のお家ってすてき。こんな大きな家に 住めてうらやましい。日本の田舎は緑が多くて自然がすばらしいと思う」。人口が多く集合住宅暮 らしが大半の中国人にとって、一戸建てへの憧れは日本人以上に強いようだ。 一般に中国人観光客は日本社会の現代性や文化の先進性に魅力を感じるといわれ、その発信地で ある東京が人気なのは事実だ。しかし、地方の自然や田舎の風景も好きらしい。日本の山々の緑は、 中国人にはとりわけ印象深く映るようだ。確かにあの広い中国大陸といえども、雲南省にでも行か なければお目にかかれない緑の濃さかもしれない。特に、上海など大都市圏に住む中国人ほど感激 するといわれる。 そして、ついに本日のメインイベント、露天風呂である。ガイドの駒走さんが乗客全員に中国語 の「温泉の入り方」プリントを配ってくれた。そこには、下駄箱のロッカーの 100 円が後で戻って くることから、体を洗ってから温泉に入ること、タオルを湯船につけてはいけないことなど、実に こまごまと注意事項が書き出してあった。 バスの中では馬健さんが妙にウキウキしていた。「私、自分が露天風呂に入っているところを写 メしたいんだけど、できるかしら。富士山をバックに」。露天風呂は初めてだという彼女の口から そんなドキリとさせる言葉が飛び出す。「う∼ん、ちょっと無理かな。お風呂に携帯は持ち込めな いから」 。 そこまで期待満々だったとは……。聞かれてちょっとひるんでしまった。大きくふくらんだ彼女 の期待に、このツアーで立ち寄る大人 700 円という大衆料金の温泉施設は応えられるだろうか。ぼ くが心配しても仕方ないのだが、異国の風物に抱くイメージ(あるいは妄想?)はかくも過剰なの である。それはどこの国の観光客だって同じだろうけど。 「Yokoso! Japan」は、国土交通省が展開中の「ビジット・ジャパン・キャンペーン」の合言葉。でも、外国人には意味 不明かも 思うに温泉については、日本の海外向け観光局にあたる日本国際観光振興機構(JNTO)が成田 空港に設置したイメージ広告や、中国でテレビ放映される旅行番組の影響が大きいかもしれない。 その幻想的かつ神秘的な表現に彼らがうちふるえる(?)のもわかる。ぼくらにとっては珍しくも ない光景でも、外国人にはまったく違って映る。ぼくらが海外旅行に出かける場合も、多かれ少な かれそうした幻影を追いかけている。 ただ、あの日の露天風呂の実際は、夏休み最後の週末だったので芋を洗うがごとき混雑ぶりだっ た。日本人なら肌を寄せ合い風呂に浸かることに慣れていても、共同浴場に行くという習慣のない 中国の皆さんにとってはどうか。おそるおそる「どうだった?」と馬健さんに聞くと、さすがに「混 雑ぶりには驚いたけど」と前置きしてから、 「富士山が見えてよかった」。そう言われて、少し安堵 した。 心配したりホッとしたり、なにやら勝手にワタワタしているように思われるかもしれないが、そ こはぼくも日本人。せっかく外国人が初めて温泉を体験するというからには、できるだけ満足して もらいたい。今回はそれが十分果たせなかったので、次の機会があったら、もっといいところに連 れていってあげよう、と思うのだった。 中国観光客ツアーガイド、心得その 1 は ツアー客の中にひとり、文句を言う男性がいた。「なぜこんなに混雑しているのか。これではゆ っくりお湯に浸かれないではないか」というのが彼のクレームだ。おっしゃるとおり。ただ、お気 持ちは理解できますが、この混雑では致し方ないじゃないですか。観光局のイメージ広告どおりの 風情を求められても……。いや、ともあれここは謝るしかない。 しかし、そこですぐにはおさまらないのが中国人である。「じゃあなんでもっといい温泉に連れ ていかないんだ」 。言いたいことはその場で言うのが彼らだ。あとでコソコソ言う日本人とは違う。 どっちがいいとか悪いとかじゃないけど、「ここはひとつ穏便に」と受け流してくれる相手ではな い。その応対で苦労していたのは、もちろんガイドの駒走さんだ。ご苦労様な一幕であった。 そんなこんなを含め、バスは夕刻東京に戻り、東京駅で解散となった。後日、駒走さんに話を伺 った。 ―― ツアーガイドの仕事ってホントに大変ですね。中国のお客さんを相手にするとき、どんな心 構えが必要ですか。 「最初にお客様に話すのが、時間を守ってください、ということです。ご存知のように、中国の 方は日本人ほど時間を気にしない。でも、富士山ツアーの場合、いったん集合時間に遅れると、ど んどん後の観光に響く。そこで、日本では時間をきちんと守る、待ち合わせの時間より前に来て待 っているのが普通である、と強調するんです。郷に入れば郷に従えですから、とかなんとか言って いると、だんだん守ってくれるようになりますね」 ―― マナーという点では? 「列に並んでください、と注意することはあります。観光地では日本の観光客もいるので、迷惑 にならないように。でも、はとバスに参加されるようなお客様は、そのあたりはたいてい大丈夫で す」 ―― ツアーに参加しているのはどのような人たちなのでしょう。 「台湾や香港からの方もいますが、最近は中国本土の方が増えています」 ―― 台湾・香港の人と大陸の人はどこが違いますか。 「台湾の方だと、浅草はもう 10 回目だというようなリピーターも多く、基本的に個人旅行です。 それに対して、団体旅行ビザで本土から来日する方は、あらかじめ決められたツアーコースで観光 をされます。はとバスは現地発オプショナルツアーですから、参加者はいません」 ※現在、中国から日本への個人旅行は認められていない。団体ツアーの場合も、自由行動を伴うオプショナルツアー参加は認め られておらず、全旅程を添乗員と一緒に移動しなければならない。今後、徐々に緩和していくものと思われる。 ―― では、参加している「中国人」は? 「企業の出張や接待旅行で来日した方が自由時間に観光するとか、国際結婚した方が家族を呼ぶ 場合とか。地方の工場などで働く研修生のグループもいます。社長さんが中国に帰る前の彼らに東 京観光させてあげようということでアレンジされる場合があります」 「はとバス」の中国語ツアーがスタートしたのは 2005 年 9 月。企画段階では、同年開催の愛・地 球博を契機にビザなし渡航が解禁となる台湾人をターゲットにしていた。2006 年の訪日外国人旅 行者数のトップは韓国。だが、言語別にみると、英語圏約 172 万人、韓国語圏 211 万人に対し、台 湾・香港・中国を合わせた中国語圏のほうが約 247 万人と多く、前年度比の伸びも大きかった。 また、韓国人はすでにノービザで日本各地を自由に観光していたから、東京に初めて来る人を客 層の基本とする「はとバス」のターゲットではなかった。同じことは、1979 年から海外旅行の自 由化が始まった台湾にもいえたが、韓国人と違って台湾人は「はとバス」の欧米人向け英語ツアー によく参加しており、中国語ツアーをあらたに作ればメイン客になると想定された。 しかし、実際にツアーを始めてみると、台湾より大陸の中国人の参加のほうが多かった。「はと バス」中国語ツアーは、まず都内観光コースからスタートし、現在、催行しているのは、都内の半 日、1 日、夜景の 3 コースと、ぼくの参加した富士山の日帰りコースなど。各コース内容はガイド や乗客のヒアリングをもとに半期ごとに改訂を加えている。 ―― 中国人観光客は日本の何に興味をしめしますか? 「とにかく中国のお客様はいろんなことを聞いてきます。観光や歴史についてはもちろんですが、 日本人の生活や社会に関する質問も多い。たとえば、日本では結婚しても女性は働くのか。日本は 一人っ子政策ではないからたくさん産めるのになぜ少子化なのか。なぜ女子高生はミニスカートな のか。日本人は本当に毎日残業しているのか。かと思えば、高速道路を見ながら、どうして日本の 車はきちんと車間距離をとるのか。ピカピカの新車が多い理由は……など、普段自分の気がつかな いようなことも聞かれます」 ―― 好奇心全開という感じですね。きちんと説明しようとすると難しい質問が多い。 「最近は、あのドラマで見たイチョウ並木はどこにあるの? といった質問も増えてきました。 皆さん、日本のテレビドラマやクイズ番組などのバラエティを見ているから、日本に来たら行って みたいと思うようです。そういえば、いまでも日本の男性はちゃぶ台をひっくり返すのか、という のもありました。日本人が冗談で描いたシーンが誤解されたのかもしれませんね」 ―― 日本は男尊女卑の国なのか。ぼくも似たようなことを言われたことがあります。 「中国では共働きが普通で、子供が生まれると若い夫婦でも家政婦を雇うのが一般的ですよね。 日本では家政婦を雇う家は少ないというと、中国人は驚きます」 メインは「ゴールデンルート」。訪日ビザの発給数急増 ―― それは都市部に住む中間層以上の中国人の話でしょう。わずかな賃金で出稼ぎ労働者を雇え る環境を疑うことのない社会ならではの。日本人からすると反感を買いそうな話だけど、その理由 を彼らは理解できないだろうなあ。 「とにかく、中国の人は初対面でも、年収はいくら? 年齢は? などと個人的なことだって平 気で聞いてきます。私も最初は面食らったけど、いまはそれも親しみの表現なのだろうと理解する ことにしています」 ―― ところで、よく聞く話ですが、台湾と大陸の人が同じバスの中にいて口論が起こったりする ことは? 「そうですね。めったにないことですけど、ごくたまに、なぜ台湾は中国なのに中国の言うとお りにしないんだ、という本土の方がいて、言い合いになるようなことも……。そういうとき、私は 聞かないふりをしています」 前回触れたように、中国本土から日本への団体観光ツアーは 2000 年 9 月にスタートした。当初 ビザの発給対象地域は北京、上海、広東省の 3 地域限定。その後、04 年 9 月に天津、淅江省、江 蘇省、山東省、遼寧省の 3 市 5 省に拡大し、05 年 7 月の愛・地球博開催期間中に中国全土が発給 対象となった。現在、地域別に見ると、旅行者全体の半数以上を占めるのが、最初に解禁した北京、 上海、広東省の 3 大市場である。 日本国際観光振興機構(JNTO)によれば、現在の訪日ツアーは業界で「ゴールデンルート」と 呼ばれるものが圧倒的なシェアを占めている。東京・富士山と京都・大阪を東海道で結ぶコースだ。 その他、東京と北海道を訪ねるコースや、「ゴールデンルート」と九州北部をつなげるコースなど が、繁忙期(春節、労働節、国慶節)において 3 大先進市場を中心に定番商品となりつつあるとい う。 同機構のアンケート調査によると、一般に訪日旅行の人気「5 大ネタ」といえるものが、 「ショッ ピング」 「温泉」 「富士山」 「新幹線」 「東京ディズニーランド」である。これらを網羅する「ゴール デンルート」が人気なのは当然だろう。 ツアー商品の価格帯に関しては、東京∼大阪 6 日間の「ゴールデンルート」の場合、解禁当初の 2000 年に 1 万 7000 元相当だったものが、07 年には 6000∼12000 元と著しく低下している(1 元 =15 円相当)。ヨーロッパや東南アジア、オーストラリアなどの競合国との激しいツアー価格競争 が起きたためだ。過度な価格競争による商品の質の劣化、急ぎ足で訪問地をまわるだけの「弾丸ツ アー」化が懸念される。 このように中国の旅行市場は急速に変わりつつある。2000 年以来、訪日中国人旅行者数も右肩 上がりが続いている。日本国際観光振興機構(JNTO)上海観光宣伝事務所の平田真幸さんの話で は、特に上海地区の 2007 年上半期の訪日ビザの発給数は前年度比 80%増と、他の地域と比べて飛 躍的な伸び方だったという。 上海の旅行市場でいま何が起きているのだろうか。それはぼくらにとって何を意味するのか。次 回は、日本へ旅行者を送り出す上海側の事情を見ていきたい。 ※取材協力/はとバス (文・写真/中村正人 編集/連結社) レジャー超大国、中国(10) ∼日本への旅行は「クレーム、ほぼゼロ」 日本観光で「対日観がガラッと変わった」人も急増! • 2008 年 2 月 5 日 火曜日 • 中村 中国 正人 海外旅行 来日 中国人 観光 ビジット・ジャパン・キャンペーン クレーム (前回から読む) 中国から来日するツアー旅行客が増えている。とりわけ上海からの旅行者数は 2007 年、前年に 比べて激増といえる伸び方だった (2007 年 1 月∼8 月の上海地区訪日ビザの発給数は前年度比 80% 増、9 月∼12 月で 60%増) 。 上海錦江旅游有限公司アウトバウンド部門副部長の楊東さんは、1977 年上海生まれ 上海の大手旅行会社・上海錦江旅游有限公司(中国旅行業界で 2005 年度 4 位)の楊東さんも、 「2007 年の弊社旅行取扱数の伸び率トップは日本」と胸を張る。 「私は韓国や東南アジア、オース トラリア地区のアウトバウンド(海外旅行)の担当を兼ねていますが、今後いちばん将来性がある 旅行先は日本だと思っています」 。そう断言する。 上海が反日デモの舞台となったのは 2005 年だ。ついこの間のことなのに、それが行きたい国の 最有力候補とは……。彼らは急に心変わりでもしたのか。正直、首を傾げざるをえないものがある。 10 数年前のように、金を稼ぐのが目的で来日したがっているのではない。日本の旅行を楽しみた いといっているのだ。これはどういうこと? 今回はそんな疑問を現地の旅行業関係者にぶつけながら、上海のレジャーシーンの主役たる海外 旅行者の実像について迫ってみる。 まず、楊東さんの話の続きを聞こう。彼のオフィスは上海市中心部、ホテルオークラが運営する 上海花園賓館の裏手にある。オフィスは活気にあふれていた。国・地域別に分かれたいくつもの部 屋からスタッフの話す多言語が飛び交い、電話のベルが途切れることなく鳴り響いている。 日本旅行人気の背景に「クレームゼロ」がある ―― 上海で訪日旅行が大人気。日本から来たぼくにはどうして急にそんなことになったのか、わ からないのですが……。 「増えているのは事実です。その理由をお話する前に、上海の海外旅行市場を取り巻く背景につ いて説明したいと思います。大きく 3 つの影響が考えられます。まず 2007 年はご存知のように、 中国の株式市場が好調でした。要は、株で儲けた人が増えた。上海人の手元に自由に使えるお金が 増えたのです。 それにともない、上海人のレジャースタイルが多様化しています。自家用車族が増えてきたので す。彼らは週末を使って上海近郊のドライブを楽しみます。そして、夏休みや 3 大連休などの長い 休みには海外旅行へ、というのがトレンドになってきました。 もうひとつの影響として考えられるのが、2005 年頃から海外の観光局が旅客誘致のためのイベ ントを上海で活発に行い始めたことです。こうしたイベントが頻繁に開かれることから、上海人も 海外への夢や憧れをかきたてられるようになりました。いまインターネットや雑誌の特集では“旅 行”が最大のテーマ。海外旅行はブームなんです」 では、なぜ数ある国のなかで日本が支持されたのか。日本のツアーに人気が集まったのはどうし てだろう。ヒット商品には必ず売れた理由があるはずだ。 ―― 売れた理由はズバリ、何でしょうか? 「訪日ツアーには優れた特性として 8 つのポイントがあります。まず、商品価格が安定している こと。他の地域・国のようにシーズンによって料金が大幅に変化しない。日本行きの航空料金は 1 年間通じてほぼ変わらないからです。お客さんにとっては、シーズンによって価格に変動がなく、 いつでも行けるというポイントは心理的に大きいのです。 2 つ目として、訪日ツアーの品質がいいこと。具体的には、ツアー中にお土産屋を連れまわすよ うなスケジュールが中国国内、ヨーロッパ、東南アジア、香港では当たり前に組まれているのに対 し、日本ではないことです。上海の消費者の間に、日本に行くツアーは安心できるという定評が生 まれつつあります。日本では騙されるようなことはない、と。 3 つ目は、観光地としての魅力があること。日本は季節や訪ねる地方によって景色が変わるし、 すばらしい自然の風景に出会えます。これは都会暮らしの上海人にとって得難い体験です(前回の 富士山ツアーなど) 。 4 つ目は、日本の食事が口に合うこと。上海人は刺身でもなんでも日本食をおいしいと思います。 納豆には納得できない人もいますが……。それに比べなぜか韓国の食事は好まれないようですね。 上海には日本料理店がたくさんありますから、本場を味わってみたいと思うものです。 5 つ目として、結果的に顧客満足率が高いこと。弊社が行う各国ツアー客へのアンケート調査で は、日本の満足率が最も高くなっています。クレームがほぼゼロに近い。ホテルの部屋が狭いなど 改善すべき点もありますが、サービスや清潔さの観点では問題なし。うちの営業担当も何の心配な くお客さんに日本をセールスできる」 ※楊東さんに見せてもらった同社の日本ツアー客のアンケート調査集計によると、2007 年 5 月分の満足率が 94.5%。以前より 上昇傾向にあるという。アンケート項目は、食事や観光地、ホテル、移動交通機関、娯楽、ガイド、安全性など 13 項目に及 ぶ。 ―― そんなに日本が高く評価されていたとは知りませんでした。むしろ意外な感じすらします。 以前は、中国人にとっての日本ツアーにはビザの取りにくさや多額の保証金などのハードルがあり、 旅行意欲も低かったと聞いていたのですが。 「3 年前はそういわれていましたが、明らかに状況が変わっています。いまの上海では、一般市 民のほとんどが旅行会社を通せば普通に観光ビザを取れるようになりました。それに対し、ヨーロ ッパのビザは取りにくい。EU では一カ国のビザが取れるとどこでも行けるせいか、審査が厳しい。 国ごとに様々な制限があり、旅行会社が代行するビザ申請の手間が半端じゃなく大変なんです」 ※たとえば、フランスとイタリアでは 18 歳以下の中国人には観光ビザが下りない。この段階で家族旅行はあきらめなければな らない。保証金のかわりに、本人名義のクレジットカードを領事館に預けさせる国もあるという。今年 1 月中旬、遼寧省瀋 陽の韓国総領事館に勤める中国人職員が、中国人の韓国へのビザ発給に不正関与、収賄容疑で逮捕された。こうしたことが 起きるため、ビザの発給に各国が慎重になるのもわからないではない。 ―― なるほど、そういう状況では……。 「ヨーロッパの領事館では、申請条件が急に変更となることもよくあるんです。これではお客さ んに出発日を保障できない。その点、日本領事館は普通に申請して問題がなければ期限を守ってく れる。旅行会社としては、きちんと対応してくれる国にお客さんを誘導するのは当然です。クレー ムや賠償で困るのは旅行会社だからです。 また、お客さんの立場でいえば、ビザを申請してつき返されたりすれば、ご本人の面子にかかわ ります。中国人はパスポートにビザを拒否された記録が残ることをいやがります。そうした観点か らも、訪日ツアーは上海人にとって参加しやすいといえる。これが 6 つ目のポイントです。 7 つ目は、ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)以降、日本観光のためのプロモーション が活発になったこと。マスメディアにも日本の魅力が発信され、観光地としての知名度が上昇した のです」 ※ビジット・ジャパン・キャンペーン(VJC)は、2010 年の訪日外国人旅行者 1000 万人を目標に、03 年より始められた国土 交通省による観光戦略活動のひとつ。日本人の海外旅行者約 1600 万人に対して、訪日外国人は 3 分の1の約 500 万人(02 年)に過ぎなかったことから、その格差を是正し、経済波及効果を高めようと進められている。 楊東さんが挙げた 7 つ目の点については、日本国際観光振興機構(JNTO)にも訊ねてみた。JNTO 上海観光宣伝事務所の平田真幸さんの評価は、 「2007年に入り、明らかに訪日旅行をめぐる状況が 飛躍的に好転した」「日本に対する親近感を視聴者に覚えさせるような報道や番組が増えた」とい うものだった。 篠原涼子、米倉涼子、山口百恵に電車男まで そうした情報環境の変化の背景には、2007 年 4 月の温家宝首相の訪日がある。中央政府の意向 にいつも敏感な反応をみせる中国のマスコミは、日本のイメージを一気に好転させようとしたわけ だ。 たとえば、首相訪日の前後から、中国各地のテレビ局で日本のドラマの放映が増えた。上海の東方電視 台では、米倉涼子主演の「女系家族」や「黒い手帳」、安徽電視台では日本ドラマ月間を設け「電車男」や 「アネゴ」など。また、こんなときこそ日中友好時代の記憶を呼び覚ませとばかりに、日本で 1970 年代に放 映され、中国では 80 年代に放映、絶大な人気を博したといわれる山口百恵の「赤いシリーズ」の再放映も 始まった。 あるいは、中央電視台ではニュース番組「東方時空」において、著名ニュースキャスター白岩松氏が日 本をルポする「岩松看日本」を 4 月中にほぼ毎日放映した。このルポに関しては、日本に対する見方が表 層的で古すぎるとの批判を浴びたが、日本への関心を高めるという意味では、訪日旅行の需要喚起にも 影響したといわれる。 ドラえもん映画も公式初公開 中国で人気のドラえもんキャラ。福田総理は「のび太似」といわれているそうだが… さらに 6 月の第 10 回上海国際映画祭では、日本映画週間が初めて開催された。「武士の一分」「大奥」 「ブレイブストーリー」「涙そうそう」など日本の新作 13 本が市内主要 11 の映画館で上映。どの館もほぼ満 員となる人気だったという。翌月にはドラえもん映画初の中国配給「ドラえもん のび太の恐竜 2006」も上 映された。 そして 9 月末、東京(羽田)−上海(虹橋)線においてシャトル便が就航。その直前に「上海ジャパンウィ ーク」が開かれ、日本から多くの関係者が上海に来て、観光プロモーションを行った。要するに、2007 年の この時期、中国ではこれでもかといわんばかりの友好ムードが演出されていたのである。日本国内は中 国「毒」食品や偽ディズニーの話題で持ち切りだった頃の話である。 「日中韓三国交流新時代」の到来をうたう羽田−上海シャトル便就航の告知(羽田空港にて) 上海錦江旅游有限公司・楊東さんとのやりとりを、もう少し続けてみよう。 ―― これまで中国人にとっての日本は、観光ではなく、ビジネスの対象国だったと思います。その認識 はすでに古い? 「いま日本といえば、富士山、温泉、桜ですよ。料金的に見ても、同じランクのツアーであれば、ヨーロッ パやオーストラリアより日本は安い。オーストラリアはスタンダードクラス 6 日間のツアーで 1 万 3000 元が 標準的ですが、日本は 9000 元(約 15 万円)。価格的にも手ごろな旅行先といえる。それが訪日ツアーの 特性の 8 つ目のポイントです。2007 年度は我が社の営業収益のうち初めて日本がトップとなりそうです。 営業担当スタッフも、お客さんになるべく訪日ツアーに行くよう誘導しているんです」 ―― 力を入れられているんですね。売れ筋はどんな内容のツアーでしょう。 『デラックス日本 6 日間』のパンフ。日本観光の人気アイテムをぎゅう詰めした「弾丸ツアー」だが、入門編として好評だ 「いちばん売れているのは、『デラックス日本 6 日間』と『東京ステイ 4 日間』です。前者は、大阪 in 東京 out のゴールデンルートを 6 日間かけてまわります。富士山、温泉、ディズニーランド(入場料は別途)など が含まれ、全行程 5 つ星クラスの高級ホテルに泊まり、9000 元ほどの料金。後者はまだ中国では珍しい 1 都市滞在型のツアー。東京のホテルに 3 泊滞在し、ディズニーランドや箱根などを日帰りで訪ねます」 ―― ツアー参加者に、職業や階層などの特徴はありますか。 「特にありません。いまの上海ではこの層がお金持ちとか一口には言えないのです。年齢も幅広い。最 近では、リピーターも生まれています。全体の 1、2 割はそうです」 ―― リピーターというのは一種のファン心理から? 日本のイメージががらっと変わる 「いろんな国を旅行してみて、日本がいちばんいいと思う人が増えているのだと思います。安心・安全で 食事に問題がない。飛行距離が短いから移動が楽。中国は広いので国内の辺境より日本はずっと近い。 人気が出るのも当然です」 ※たとえば、最近上海では沖縄ツアーも人気だ。中国には海南島というビーチリゾートもあるが、距離は沖縄のほうがはるかに近い。ツア ー料金の面でも海南島は 5 月の労働節になるとぐっと上がるため、沖縄と変わらない。ビーチで遊ぶ以外に、日本に行ってきたという 面白さがあるから、沖縄の魅力は大きいといえる。 「それから、私が最近お客さんを見て感じるのは、日本に観光で行ってくると、日本のイメージがガラッと 変わる人が多いことです」 ―― それはいいイメージに? 「もちろん、プラスのイメージです。2005 年のデモの直後に日本に行ってきた人でさえ、プラスの評価だっ たのですから」 上海の旅行業界では期待の若手だという、端正な顔だちをした楊東さんの話を聞いていると、訪日旅行 市場の前途は明るく、いいこと尽くめのように思えてくる。彼の手ごたえは確かなものなのだろう。しかし、 勢いに水を差したいわけではないが、当連載の筆者としてはより冷静に状況を捉える必要がある。 中国ではいまだに外資系旅行会社がアウトバウンド客を集めることが認められていない。いくら訪日旅 行者が増えても、日系の旅行会社は自国へのツアーを催行することができないのである。ならば、日系旅 行会社で働く海外旅行のプロの目には、いまの状況がどう見えているのか。 日本の大手旅行会社である日本旅行の社員氏に伺った。上海支店の太田千秋さんは、現在の訪日旅 行の実態についてこう語る。 「訪日市場は統計的に伸びている。実感としても拡大し始めたなあ、と思う。ちょうど日本の 30 年前の動 きと似ていますね。渡航が大衆化し、ハワイやグアムにわっと出ていった時代に上海も近づいてきた。そ れでも当時の日本人がアメリカ旅行でビザを必要としていたように、中国人が海外に行くにはまだ多くの 縛りがあります」 太田さんは 1970 年代に日本旅行入社。以来、アウトバウンド事業に取り組んできた。上海に来る前はシ ンガポール駐在だった。海外旅行ビジネスの大ベテランだ。それだけに、上海の海外旅行市場を語る言葉 にも説得力があった。 品プリの新館本館どっちがオトク、まで調査済み いまの上海の海外旅行者については、ただ海外に行ければいいという段階を脱し、消費者として価格と 内容を吟味するようになった、と太田さんは言う。かつて日本人がハワイに行くとき、最初は 15、6 万円の ツアーで飛び出したが、その後は料金が高くても自分の好みに応じてホテルのランクでツアーを選ぶよう になったのと同じだと。 内容を吟味するためには、何より情報の精査が肝心だ。その点についても太田さんはこんな話をしてく れた。 「みんなよく調べていますよ。たとえば、うちの中国人社員などはインターネットで日本の新聞を普通に読 んでいるし、日本の××県に行くとなればヤフーで検索して、自治体の観光案内や宿泊施設の情報を事 前にチェックしています。品川プリンスには本館と新館があって、どっちの客室が広いとか、お客さんに対 してもそのくらいのことは当たり前に答えています」 特に中国の若い世代は情報収集に長けている。いま中国で関心の高い自然食や化粧品の情報など、 実際に日本に行った同僚から口コミで集めるのもあっという間。最近、太田さんが驚いたのは、ある上海 人から「日本のデパ地下は夕方 7 時過ぎに行くと安いんですよね。もっと安く上げるには大学の学食に行く 手もありますね」と言われたことだ。 進化のスピードが速いから、世代格差が大きくなる。太田さん曰く、「中国人観光客の 40 代以上はビギ ナーだと思っていい。添乗員が旗を振って出かける団体旅行の世界。ところが、20 代の子たちはたとえ海 外に行った経験がなくても、ネットやメディアを通して情報を持っている。彼らがやりたいのは海外のひとり 歩きです」。そういうニーズのまったく異なる世代がゴチャマゼになってやって来るのが、いまの中国人旅 行者といえる(ただし、中国から日本への個人旅行は認められていない)。 それにしても、楊東さんの言うように、日本ツアーの品質が高く評価され、クレームが少ないのはどうして か。日本は海外旅行先として、本当に魅力的なのか。まだ半信半疑でいたぼくに、太田さんは感慨深げに こう応えるのだった。 土台にあったのは、地方の「生き残りたい」気持ち 「やっぱりビジット・ジャパン・キャンペーン以降、外国人旅行者を受け入れる地方の観光業者や旅館さ んが揉まれたということではないでしょうか。食事の量が少ないとか、多く出してもコレがないからダメだと か、逆にコレはいらないとか、外国人のお客様からのさまざまな要望があったはずです。そうした要望をく みながら、料金に見合ったサービスをきちんと模索した。地方の関係者はとても熱心ですよ。中国から直 行便の飛んでいる都市(現在 17 都市)の人たちは特にそうだと思います」 実は楊東さんはこんなことも言っていた。「日本の地方に行ってきたお客さんが、『都会より田舎のほうが 自然も多くて静かでいい。でも、街に人が少ないなあ。お店も閉まっているみたいだし、あれで商売が成り 立つのかなあ』と言うんです」。日本に来た中国人たちは、全国の地方都市のシャッター商店街の存在に 気づき始めている。 訪日外国人旅行者の増大を目指すビジット・ジャパン・キャンペーンの背景には、低迷する地方経済をど う活性化するかという大命題がある。かつて首都圏をはじめとする大都市圏からの観光客の入込みをひ とつの前提に成立していた地方経済は、バブル崩壊以降、観光客数の右肩下がりが基調となる時代を迎 えた。そこへきて、わずか 10 数年で首都圏に匹敵する規模を持つ経済圏が、フライト 2 時間の場所に現れ た。それが上海なのだ。 こうして降って湧いた観光需要を逃す手はない。背に腹はかえられないのだから。それに、相手が誰で あろうと、どんな要望が出てこようとも、「一期一会」を大切にし、相手を喜ばすことで自らも喜びを感じる、 そんなもてなしこそ日本人のホスピタリティの原点だろう。 楊東さんの言う「日本に旅行に行ってくると、日本のイメージがガラッと変わる人が多い」という話。それ についても太田さんに問うてみると、笑いながら頷いた。 「日本から帰ってきた上海人の感想といえば、まず、街がきれいですね。ビルの窓もピカピカ、駅がまぶ しいくらい明るい。道を尋ねても日本人は親切で、すぐ教えてくれる。レストランに行くと水やおしぼりが出 てくる。日本はすごいですね。みんな必ずそう言います。気持ちはある意味わかりますよ。なにしろこっち にいる我々は、逆の体験を散々してますからねえ」 ぼくらが日本でごく普通に享受していることが中国人にはまぶしく見える。ぼくらがあちらで体験すること についてはさておき、彼らは訪日することで日本と中国の明らかな 違い を初めて実感する。だから日本 はすばらしい!? そんなうぬぼれ話でまとめても仕方がないが、ざっくり言えばそういう話なのかもしれない。 消極的選択の結果、ではあるかもしれないが 太田さんは「来日する上海人旅行客が増えた理由」について、次のように総括してくれた。 「あくまで個人的見解としてだが、一般的に上海の庶民的富裕層(中間層)にとって、日本は欧米に比べ てビザが取りやすく行きやすい。中国の国内旅行よりも、都会の先端的なショッピングから地方の美しい 自然体験までいろいろ味わえる。何より自分の経済力で行ける国である。こうした複合的かつやや消極的 選択によるものではないか。本当は行きたい欧米渡航の前のステップという認識もあるかもしれません」 消極的選択先……。いささかクールすぎる総括のような気もしたが、傾聴に値すると思った。確かに、中 国の海外渡航全体で見れば、日本はようやく 5 本の指に入ってきた段階である。楊東さんが勤める上海 錦江旅游有限公司の 2006 年取扱額でも、1 位香港、2 位東南アジア(タイ、マレーシア、シンガポール)3 位オーストラリア、4 位韓国、5 位日本、6 位ヨーロッパだ。 伸び率ではトップの日本。だがそれも、ヨーロッパビザの取得の困難、香港や東南アジアの「安かろう悪 かろう」ツアーの蔓延など、他のデスティネーションが失点を繰り返すなかで、相対的に日本が浮上したに すぎないともいえる。 さらに今年は、超大国アメリカの団体旅行ビザ解禁が予定されている。その実施状況によっては、なん だかんだいって欧米好きの中国人がアメリカ旅行に大挙して繰り出すことも考えられる。日本が優位の状 況も今後はわからない。 ともあれ、中国の都市中間層から観光目的で来日する消費者が出てきたということ。それ自体は歓迎す べき流れだと思う。彼らは自分の目で日本を判断できる可能性が高いからだ。これまでの出稼ぎ目的でや って来る中国人は、日本の下層社会に組み入れられ、ネガティブな日本観を抱えたまま、帰国するケース が多かった。出稼ぎの彼らが見た日本も現実の姿に違いはない。けれど、日本にはもう少しまともな部分 もある。そこを知ってもらうには、見る側に余裕がないと難しい。ぼくが訪日旅行市場の動向を注視してい るのはそういう理由からでもある。 上海人の海外旅行話、次回は彼らの東京体験について見ていきたい。 (文・写真/中村正人 編集/連結社)
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