プアサ(断食) 小尾 吉弘 今年もムスリム(イスラム教徒)にとって恵みの

[個人・団体からの寄稿]
プアサ(断食)
小尾 吉弘
今年もムスリム(イスラム教徒)にとって恵みの多いラマダーン月がやってまいり
ました。
イスラーム暦の9月は、「ラマダーン」と呼ばれ、この月に断食(インドネシア語
でプアサ/ PUASA)をすること は、ムスリムにとって、5つの基本的な義務(5柱 −
信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼)のひとつであり、非常に重要なものです。
私は、11 年前にイスラムの世界に飛び込み、ムスリムとなりました。それ以来、毎
年、断食をしています。調べてみると、断食は様々な宗教にて行われており、仏教
でも煩悩を克服・滅却するために断食を行うようです。
日本人にとって、なじみの薄いムスリムの断食について、皆様の理解を深めていた
だくためにお話ししたいと思います。
<ラマダーン月は、いつ始まっていつ終わるの?>
イスラム暦は、月の運行に基づく暦なので、基本的には新月が目視確認されて、新
しい月に入ります。インドネシアでは、宗派によって決め方が違いますが、一般的
には、宗教大臣がラマダーン月の開始と終了を発表します。ラマダーン月(9月)
は、29日目が終わって、翌月の新月が目視されれば、そこで終了します。新月が
目視されない場合は、30日目の断食を行って、ラマダーン月が終了します。
太陰暦であるイスラム暦は、太陽暦より11日ばかり、一年が短いので、断食の月
であるラマダーン月は、毎年約11日早く訪れることになります。
私がインドネシアに初めてきた 1983 年のプアサが 1983 年 6-7 月ごろだったので、
今年 33 年目にしてちょうど 1 年めぐってきたことになります。
<なぜ、断食をするの?>
イスラムにおける断食は、明け方から日が沈むまで、飲食、喫煙、性的行為などを、
完全に絶つことを意味しています。飲食の禁止だけではないため、食を絶つよりも
広義な意味で、「斎戒」と言われることもあります。
根本的な考え方として、断食は、自分が唯一の神(アッラー)の僕(しもべ)であ
ることを示すためであり、断食を通して神への畏敬の念を高める、つまり、普段忘
れているアッラーの恵みを改めて認識し、よりいっそう、感謝と服従の気持ちを新
たにするというものです。人間にとって最も基本的な欲望である、食欲・性欲をし
っかりと抑制するのが「斎戒=断食」なのです。
また、断食をすることによって食べ物のない貧しい人々の不幸を少しでも感じるこ
とができます。
日本人はあまり断食をする機会に恵まれませんが、イスラムの世界では、だれもが
断食を実践し、断食を通して、心と身をひきしめ、日々の糧が神からの恵みである
ことを自覚するのです。また、ムスリムは、日没時に 1 日の断
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食を終えるとき、他の人々と一緒に食事を取ります。貧しいものも富めるものも、
食べ物と飲み物を日が沈む時に共に分かち合うのです。
<断食はどのように行うの?>
よく、断食は日の出から日の入りまでといわれますが、実際は、日の出の約1時間
半前ごろ、朝のお祈りの時間(午前 4 時半頃)10 分前までに食事を終わらせ、断食
にはいり、 夕方のお祈りの時間(午後 6 時頃)に解除となります。断食に入る前の
午前3時頃ごろにサウールという食事を取ります。近くのモスクから「サウール、
サウール」と連呼する声が流れてきます。
断食をしている間も通常の業務を行いますが、始業時間や終了時間を早めたりして、
ムスリムに配慮している会社が多いようです。
日没のお祈り時刻を告げるアザーンが聞こえると同時に、まず、水や甘い紅茶を飲
んだり、コラック(カッサバ、さつまいも、バナナなどをココナツミルクで甘く煮
たもの)を飲んだりして断食を解きます。(インドネシア語では、ブカ・プアサと
いいます。)
断食が始まった1週間は、睡眠不足に悩ませられます。もちろん、朝早くに起きて
サウールをとるからですが、それだけではありません。寝過ごすと1日食事にあり
つけないという恐怖感から、夜中の1時頃から1時間おきに目が覚めてしまいます。
昔、遠足や大事な試合などの前日に、なかなか眠れない上、眠っていても寝過ごし
て遅刻しないようにとすぐ目が覚めてしまった経験がだれにもあるかと思いますが、
そういった日々が続くのです。従い、最初の1週間は、空腹とのどの渇きというよ
りも、とにかく眠いというのが実感です。
断食を経験してきて、食事をとらないことによる空腹感よりも、やはりのどの乾き
のほうがつらく感じます。断食中であっても口と鼻をゆすぐことは許されています。
ただ、夕方近くになると、特に口の中が乾いてきて、舌の滑りも悪くなり、非常に
しゃべりづらくなります。よく、唾ものみこんではいけないと言われますが、唾液
やほこりなど、避けがたいものを飲み込むことはかまわないとされています。
一度、断食の期間に朝からゴルフに挑戦したことがあります。ゴルフ中は、なんと
か、のどの渇きにも耐えて 18 ホール回り終えましたが、ゴルフが終わってから、断
食があけるまでの間が地獄でした。じっとして時が過ぎるのを待つこと約4時間。
時計ばかりを見ているので、なかなか時計の針が進みませんでした。それ以来、断
食期間中は、午後からゴルフをすることにしました。ちょうど、ゴルフを終えてク
ラブハウスに戻り、少し休憩したあとに断食があけ、飲み物にありつけるからです。
<断食ができなかったらどうなるの?>
ムスリムにとって断食は、なにがなんでも厳守しなくてはならないというわけでは
ありません。 旅行中の人(80 km 以上の移動は旅行とみなされます)や、病気の人
や断食によって症状が悪化する恐れのある人、妊娠中の女性や、
乳児に母乳を与えている母親、生理または出産後に出血している女性、子供などは、
断食は免除されています。厳密には、事情により、断食の実行を先延ばしにできる
ということで、次の年のラマダーン月までに、その日数分のやりなおしの断食をす
る必要があります。年老いたり、健康上の理由などで、全く断食ができない人など
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は、貧しい人に食事を供与しなければなりません。いろいろと細かな規則はありま
すが、イスラムでは、これらの例外的なことを認めています。
従い、ムスリムでありながら、断食せず、飲食している人に対して、いい加減な人
間だとか意志が弱い人間だと一方的に決めつけるべきではありません。何らかの事
情があって、断食を免除していることもあるからです。
ルールに厳格な日本人は、インドネシア人をいい加減なムスリムと呼びがちですが、
それぞれに事情があって、教えの通り行っていないケースもあり、断食をしていな
いという一面だけをとらえて、判断しないでください。
また、断食を行っている人に対して、過度に気をつかったり、遠慮したりする必要
もないと思います。一言、失礼しますと断って、飲食をしてもかまいません。実際、
インドネシアでは、夕方のレストランをのぞいてみると、断食の解除を待つムスリ
ムのとなりで、非ムスリムの人が食事をしているという光景も珍しくありません。
<断食明けのお祭り(レバラン)って何?>
断食明けのお祭り(レバラン)は、ラマダーン月がおわり、新しいシャウワール月
の最初の2日間です。インドネシアでは、このお祭りをイドゥル・フィトゥリと言
い、初日の朝6時頃から、モスクにて集団礼拝を行います。 無事に断食の月が終
わったことを祝うため、みんなで着飾って、家族総出でお祭りの礼拝に出かけるの
です。1ヶ月の断食を無事に終えたことをみんなで祝いあうということで、みんな
とても明るい表情をしています。
この礼拝が終わった後は、みんなで、握手をして、喜びを分かち合うわけですが、
中には、感極まって泣き出す若者もいました。やりきったという達成感から涙を流
しているのでしょうか? 私自身、大学時代にシーズンの最終戦がおわったあとに
思わず、涙が溢れてとまらなかったことを思い出しました。みんなで一緒に苦労を
分かち合った後の達成感は、なにものにも代えがたい感動であり、やりきった本人
にしかわかならいものかもしれません。
最後にレバランの際によく耳にする言葉を紹介します。
レバランのあいさつとして使われる Mohon maaf lahir dan batin という表現です。
Mohon maaf は、お詫びしますという意味。lahir は外面上のこと、batin は内面上の
ことを指します。すなわち、直接的に行ったことだけでな く、心のなかで思ったこ
とや、意図的にあるいは無意識のうちに行ったことなど、すべての罪を許してくだ
さいと1年間に犯した罪の許しを請うのです。
ラマダーン月は、ムスリムにとって神聖な月です。この30日に及ぶ断食の義務を
達成し、1年間重ねてきた罪の許しを請うことによって、新たに生まれ変わり、新
しいスタートを切る日、それがレバランなのです。