いろは歌 - 仏教通信コース

いろは歌
仏教の生きる意味を現代へ
通信コース[初級] ⑦
この通信コースは、2600 年前、仏教に解き明かされた本当の生きる意味を、半年で
体系的に理解するための講座です。このコースを終了した時、あなたは現代の誰より
も深い人生観が身についたことに気づくでしょう。
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通信コース⑦
いろは歌
いろは歌の謎
今回は、桜の花と日本人の心、いろは歌を通して、
本当の生きる意味に迫ってみたいと思います。
せっかくいろは歌の謎が解明されるのに、
今回の映像も、隣の会場の音声が最初の方に少し入っていて
申し訳ないです。
ところで、桜といえば、日本人に人気で、毎年花見が行われています。
美しい上に、すぐ散ってしまうのが、またいいんですね。
ロサンゼルスにしばらく行った時、桜?に似た花があったんですが、
アメリカの桜は、散らないんですね。
1ヶ月くらいずーっと咲いています。
するといつもあるので、何だかみんな関心が薄れてしまいます。
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やはり美しいのに散ってしまうところが、もののあわれなのかも知れません。
それでは始めます。
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桜の花と日本人の心
桜の花と日本人の心には、とても深い関係があります。
日本人には、古くから桜の花を愛でる習慣があったんですね。
非常に人気のある花です。
ですから、新古今和歌集には、こんな歌がのっています。
ひさかたの光のどけき春の日に
静心なく花の散るらむ(「新古今和歌集」紀友則)
これは国語の教科書にもよく出ていますが、
「光のどけき春の日に」とは、こんなにのどかな春の日なのに、
ということです。
「しず心なく花の散るらむ」とは、
どうして桜は、落ち着きなく散って行ってしまうのか。
せっかくきれいな桜の花が咲いているのに、
あっという間に散っていってしまう。
どうしてこんなに落ち着きなく散っていってしまうのだろうか、
いい歌ですね。
当時から、日本人は桜の花を愛でていたと分かります。
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もう一首。
世の中に たえて桜のなかりせば
春の心はのどけからまし(「古今和歌集」在原業平)
という在原業平の歌もあります。
もし世の中にまったく桜がなかったら、春の心はのどかだったのに。
ましかばましの反実仮想みたいなものを高校で習いますが、
これは現実のことではありません。
「もし桜がまったくなかったら、春の心はのどかだっただろうになあ」
もしそう仮定すれば、のどかだっただろうに。
だから桜があるおかげで、春の心はのどかではないと歌っています。
桜の花はとてもあでやかなのと同時に、
あっという間に散っていってしまうという特徴があるんですね。
咲いたと思ったら3日くらいで散って行ってしまう。
ここがまた、無常観を誘うんですね。
ですから、人の命や人生を桜の花になぞらえている人もあります。
今度は江戸時代の松尾芭蕉。
さまざまの事思い出す桜かな (松尾芭蕉)
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桜を見ていると、 昔の思い出が、とめどもなく蘇ってくる、
さまざまのことを思い出す。
非常に味わい深いですね。
毎月4月、桜の咲く頃になると必ず新学期が始まります。
はじめて、小学校に入学した時も、桜の咲く中でした。
それから毎年四月になると、クラスが新しくなったり、
色々な出会いがありました。
中学生になっても、桜のもと、学校へ行く。
こうやって毎年、新しい出会いの季節には桜の下を通って行くので、
桜を見ていると、あの頃のことが、とめどなく心に蘇ってくる。
松尾芭蕉が言っています。
なぜ、桜はそんなに親しまれるのかといいますと、
やはりそこには、いい知れない無常観が
漂っているからではないでしょうか。
大変美しいにもかかわらず、あっという間に散っていってしまいます。
「無常」とは、常がない、続かないということです。
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楽しいことであれば、ずーっとそのままあっと欲しいのに続かない。
美しいものであれば、ずっとそのまま美しくあって欲しいのに続かない。
こういう無常観が漂っています。
そして、桜のことばかりではなく、私たちの幸せも一時的で、
桜の花のごとく、やがて色あせて、散っていきます。
大変な美女だったと有名な小野小町が、晩年に人生を振り返って
花の色はうつりにけりな いたづらに
我が身世にふる ながめせしまに
(小野小町「古今集」)
と歌っています。
自分の人生を花にたとえているんですね。
しかも掛詞まで使われています。
この我が身よに「ふる」というのを
「降る」と「経る」、
「雨が降る」というのと時間が経つ「経る」というのとかけている。
「ながめ」というのも、
「眺め」ているうちにというのと
「長い雨」が降っているうちにというのとをかけている。
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だから、この歌は
長雨にあっという間に色あせて散っていく桜のように
私の美貌の月日もうつろいゆく、
ことを歌った歌です。
やっぱり、美貌というものは、ずーっとそのままあって欲しいのに
必ずうつろいゆくのだと、晩年の小野小町が
しみじみと無常観を歌っているのです。
また、一休は、
世の中の娘が嫁と花咲いて
嬶としぼんで 婆と散りゆく (一休)
と歌いました。
女性で一番良い時が、娘時代です。
だから娘という字は、女へんに良いと書きます。
娘が結婚して、家に入ると嫁になります。
嫁さんが、子供を産みますと、かかあといわれます。
「女は弱し、されど母は強し」といわれますように、
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新婚当時はおしとやかでも、
お母さんになりますと、鼻高く、どっしりしますので、
女へんに鼻とかくのだそうです。
お母さんの次は、お婆さんです。
「婆」という字は、額に波がよってきますので、
女の上に波と書くのだそうです。
これが女性の一生ですが、
男性も、言葉が違うだけで、すべて同じコースをたどります。
いつまでも娘ではおれませんし、
お婆さんが娘に戻ることはできません。
「この間まで、自分は娘だと思っていたのに、
あっという間に子供が結婚して孫ができた。
いやあ月日の経つのははやいなあ」
と言っていますように、
女は、娘から嫁、嫁から嬶、嬶からお婆さんへと
どんどん進んで行くのです。
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そうやって最後、必ず死んでいかなければなりませんので、
一休は「散りゆく」と歌っています。
以下は良寛の辞世の句だそうです。
散る桜 残る桜も 散る桜 (良寛)
風で散っていく桜もあるかと思うと
散るまいと残っている桜もある。
しかしやがて必ず散っていくのだと。
これは何も桜のことだけではありません。
自分は、これで死んで行く。
あなたはまだ生きているかもしれないけれども、
やがて必ず死んで行くのですよ。
と歌っているんですね。
死は、逃れることのできない、100%の未来です。
私たちは、100%確実に、死ななければならないのです。
これを解決することはできるのでしょうか。
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いろは歌の謎
いろは歌をご存じでしょうか。
同じ文字を二度使わずに意味が通る文章になっている
ものすごい歌です。
いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす ん
ですからかつて日本人が、寺子屋でかなを覚えるために学びました。
その名残からか、
「そんなのいろはだぞ」
と言えば、初歩的なことだぞ、という意味です。
いろは歌といえば、初歩的なもの、簡単なものと思いがちですが、
実は、ある大切な考え方を伝えているのです。
芥川龍之介は、
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我我の生活に欠くべからざる思想は
或は「いろは」短歌に尽きているかも知れない。
(芥川龍之介「侏儒の言葉」)
と書き残しています。
私たちの生活に欠かすことのできない思想は、
いろは歌につきているかもしれない、
生活に必要なものと言えば、例えば、読み書きそろばんがあります。
しかし「欠くべからざる」ということは、たとえ字が読めなくても、
たとえ、お金の計算ができなくても、いろは歌の思想は知らねばならない
つまり、それほど重要なものがいろは歌だと言っているのです。
いろは歌は、涅槃経という経典の漢字16字を和訳したものだと
言われています。
それが、この漢字16字です。
諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽
書き下して読むと
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諸行は無常なり
是れ生滅の法なり
生滅滅し已りぬ
寂滅をもって楽と為す
この涅槃経の経文を分かりやすくしたのがいろは歌です。
諸行は無常なり
いろはにほへと ちりぬるを
是れ生滅の法なり
わかよたれそ つねならむ
生滅滅し已りぬ
うゐのおくやま けふこえて
寂滅をもって楽と為す
あさきゆめみし ゑひもせす
どちらも前半の二行は、私たちの迷いの世界を教えられたものであり、
後半の二行は、さとりの世界を教えられたものだと言われています。
まず最初の
「色は匂えど 散りぬるを」
このように漢字で書くと、少し意味が分かってくると思います。
「色」とは、桜のことであり、
「匂う」とは、咲き誇るということです。
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桜の花はさきほこっているけれども、
やがて必ず散っていくのだ。
先ほどの経文では「諸行無常」にあたります。
「諸行」というのはすべてのもの。
「無常」というのは常がない、続かないということです。
すべてものは常がない。移り変わっていく。
この世の一切は続かないのだということです。
「色は匂えど 散りぬるを」
咲き誇った桜も散るときがくるように
一切は崩れ去って行く。
そんなの当たり前じゃないかと思うかもしれませんが、
当たり前のことではありません。
たとえば、100円ショップの鉛筆がおれてしまっても、
また買えばいいやと思います。
このパソコンが壊れたとなっても他人のパソコンであれば
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「あ、そうですか」
というふうに平気でいられるかもしれません。
ところが、女性の方に、
「あなたのお肌も無常ですよ」
といいますと、
「何ー!?」
と腹が立ちます。
「20代のある時をお肌の曲がり角としてあとは衰える一方です」
と諸行無常を説くと、
「何でわざわざそんな例をあげるわけ!?」
と怒ります。
このように、自分にとって大事なものが続かないとなると、
「何ー!?」と思います。
このように、「諸行無常」は、とても当たり前には
受け入れられないのです。
自分にとって、どうでもいいものだったら、無常でもいいのですが、
自分にとって大事なものであれば、
ずーっと自分のものであって欲しいのに、続かない。
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自分の好きな人であれば、ずーっと一緒にいたいのに、
必ず別れていかねばならない。
自分の大切な人やものが、続かないとなった時、
とても受け入れられないとなります。
いろは歌は、最初の一行目から、大変なことが教えられているのです。
次の
「我が世誰ぞ常ならむ」
これも漢字で書くと少し分かりやすくなります。
「我が世」というのは、私の天下ということです。
この世の春を謳歌しても、誰が続いただろうかというのが、
「我が世誰ぞ常ならむ」
という言葉です。
何も天下でなくても、私たちは、何かを信じて生きています。
たとえば、私のお金、私の家族、私のもの
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私の、私の、といって、何かを信じて生きています。
そして、何を信ずるかは、一人一人違いますが、
何かを信じなければ、私たちは生きてはいけないのです。
その信じていたものに、裏切られた時に、
私たちは、苦しみ悩みます。
たとえば大切に飼っていたひよこが死んだら、苦しみます。
また、恋人にふられたら、大きなショックを受けます。
子供に裏切られたとなると、大変なショックです。
自分が信じていたものに裏切られると、大変なショックを受けるのです。
しかも、強く信じていればいるほど
裏切られた時の苦しみや悲しみ、怒りが大きくなります。
ドイツの文豪ゲーテは、こう言っています。
幸福というものが、同時に不幸のみなもとになっている。
これも、定めなのだろうか。 (ゲーテ「若きウェルテルの悩み」)
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別に好きでもない初対面の人に裏切られても、
まあそういう場合もあるかと思いますが、
非常に好きな人に裏切られてしまうと
大きなショックを受けます。
信じている状態というのは幸せですから、
幸せの源は信じていることなんですが、
それを信じているから裏切られて苦しむのです。
信じていることが、幸せと同時に不幸の源になっている
ということです。
これを幸福というものが、同時に不幸の源になっている
とゲーテは言っています。
だからこの世に苦しみ悩みがたえないのだ。
これを「有為の奥山」といいろは歌では言っています。
いろは歌の三行目です。
「有為の奥山 今日越えて」
ここがポイントです。
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苦しみ悩みの世界をいつか越えるというのではなく、
今日越えたということがある。
仏教というと、死んでから用事のあるもののように思っている人が
多くありますが、死んでから越えるのではありません。
今日、生きている今、越えるのです。
つまり、この世に苦しみ悩みを解決したという決勝点があるのです。
それは、最後、
「浅き夢見じ 酔いもせず」
とありますが、
苦しみ悩みの解決は、夢中になったり酔ったような世界ではない。
つまり現実逃避ではなく、ハッキリした世界があるのだということです。
現実逃避というのは、例えば試験前になると、
「もう試験は捨てた」
苦しみから逃れようと、マンガやテレビを見て、しばらく試験を忘れます。
これはマンガやテレビによって現実逃避している、
趣味によって嫌なことを忘れようとしている状態です。
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こういう世界ではありません。
借金で苦しい時に、酒に酔って借金の苦しみを忘れようとしているのは、
酔ったような世界です。
こういう世界でもありません。
夢や酔いではなく、ハッキリ苦しみ悩みを解決した世界があるのだ、
決勝点があるのだといろは歌によって、
全日本人に教えられているのです。
今回は、本当の幸福というのは、
夢や酔いのような世界ではないと分かりましたが、
仏教には、ハッキリ苦しみ悩みを解決した世界が説かれていますので、
続けて学んで行きたいと思います。
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まとめ
芥川龍之介が「我我の生活に欠くべからざる思想は、或は「いろは」短歌に
尽きているかも知れない。」と言っているいろは歌は、経典を和訳したもの
だと言われます。
色は匂へど 散りぬるを
諸行は無常なり
我が世誰ぞ 常ならむ
是れ生滅の法なり
有為の奥山 今日越えて
生滅滅し已りぬ
浅き夢見じ 酔ひもせず
寂滅をもって楽と為す
どちらも最初の二行は迷いの世界、後の二行はさとりの世界です。
「色は匂へど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ」
人は何かを信じなければ生きていけませんが、
信じていたものに、裏切られた時に、苦しみます。
ところが、すべのものは常がない、諸行無常ですから、
必ず裏切られるものばかり、苦しみ悩みの世界になるのです。
ところが、「有為の奥山今日越えて」その苦しみ悩みの有為の奥山を、
今日、現在、生きている時に、越えたという決勝点がある。
それは、「浅き夢見じ酔いもせず」
夢でもなければ酔ったような世界でもない、
ハッキリした世界があるのだと、
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いろは歌に教えられています。
次回はこの夢ということから、もう少し深く見ていきたいと思います。
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