文学哲学と仏教 - 仏教通信コース

文学哲学と仏教
仏教の生きる意味を現代へ
通信コース[初級]②
この通信コースは、2600 年前、仏教に解き明かされた本当の生きる意味を、半年で
体系的に理解するための講座です。このコースを終了した時、あなたは現代の誰より
も深い人生観が身についたことに気づくでしょう。
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通信コース②
文学哲学と仏教
通信コースも 2 回目となりました。
少し考えて見たんですが、映像も、テキストも、解説を短めにしようかなと思
います。
まずは、しっかり集中して読まれることが大事だなと。
長いために、読めなくなってしまっては大変です。
しかも、今回も歴史上の人物を何人かとりあげますが、
具体的、個人的な状況は同じはずがありません。それを
「そういうお話があったんですかー」
と他人事で流してしまっては、何も活かされません。
自分の人生でいえばどういうことなのかと、自分のこととして受けとめられる
かどうかで、同じ時間をかけて、同じテキストで学んでも、受け取る量が全
然違ってきてしまうのです。
短いですので、集中して、自分のこととして受けとめて欲しいのです。
仏教は我が身のこととして聞けといわれますが、仏教の場合、知識を増や
すことではなく、どれだけ自分のこととして受けとめられるか、がポイントなの
です。ですから、具体例を省略している場合でも、同じように、自分の人生
でいえばどうかと、少しでも多くのことを受けとめてもらいたいと思います。
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とは言っても詳しく解説する場合もありますし、まあ、このテキストを学んで
おられる方は、その点が分かっておられるからここまで来られたのだと思い
ますので、十分大丈夫だと思います。
映像の方も、iPhone や iPod に入れて、繰り返し聞いて下さいね。人間の
迷いに対して、真実をぶつけてあるので、聞く度に新しいことが知らされる
と思います。
それでは内容に入って行きたいと思います。
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生きる意味に取り組んだ
天才文学者や哲学者とは?
生きる目的、人生の目的とは、
何のために生まれてきたのか
何のために生きているのか
なぜどんなに苦しくても自殺してはいけないのか
ということです。
平たい言葉では「なぜ生きる」といいます。
この問題に答えを出そうと取り組んだ人が、文学者とか哲学者の中にいま
す。
例えば天才といわれた芥川龍之介とか、藤村操、太宰治……しかし、答え
が分からずに自殺してしまいました。
太宰治にいたっては、
「生まれてきて済みません。もはや自分は、完全に人間でなくなりました」
と、「人間失格」という本に書いています。
パスカルは、「人間は考える葦である」と言いました。
人間は、自然の中で他の動物に比べて大変弱い、一本の葦である、しかし、
他の動物とちがって、生きる意味を考えることができる。
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人間は、考える葦である。
しかし残念ながら、自分は答えを見つけることができませんでしたと、
太宰治は死を選んでしまいました。
とはいっても、現実にはそんなに、
何のために生きているかなんて考えない人が多いのではないでしょうか。
何も考えず、ベルトコンベアーで運ばれるように、
小学校、中学校、高校……社会人と進んで行く。
そんな人間のすがたを一休は、
世の中は 食うて糞して寝て起きて さてその後は死ぬるばかりよ
と歌っています。
100人いれば、98人は、
何のために生きるかなんて考えていないのではないでしょうか。
またはちょっとは考えたけれど、もうあきらめたとか。
これは頭がいい悪いに関係なく、人間の本質にかかわる問題です。
いい大学を出て、一流企業に就職しても、少しも考えないという人もいれば
そんな大学なんかいかなくても、いつも考えている人もあります。
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芥川龍之介が表現した人生のすがたは?
生きることを走ることにたとえると、
私たちが、昨日から今日、今日から明日へと生きていくということは、
目的地を知らず、広いところでとにかく走らねばならないようなものです。
どこへ向かって走っていくのか分からないけど
止まってしまったら走っていることにならないので、
とにかく走っている。
しかも、ただ走らねばならないだけではありません。
周りに沢山の人が走っているので、
追い抜かれないように、前にいる人に追いつき追いこすように、
頑張らなければなりません。
学校に入ると、偏差値がいくつだ、
テストが学年で何番だと比べられたりして
少しでも勉強して、いい大学へ入り、
いい会社へ入ろうと頑張っています。
何の為に?
と聞くと、分からないのですが、とにかく競争をしています。
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目的地を知らず、とにかく頑張っているのです。
そんな人生の姿を天才・芥川龍之介は
人生は、狂人の主催になったオリンピック大会に似たものである。
(侏儒の言葉)
と言っています。
狂った人が、オリンピック大会、競争を開くと、そこにはゴールがない。
しかし、そのトラックは走り続けなければならない。
ゴールのない円形トラックを走り続けるようなものだということです。
目的なしに走ったら、走り倒れあるのみです。
例えば、私が高校でやっていたサッカー部では、
「エンドレス・ラン」という練習(?)がありました。
この悲劇的な練習については、映像の中でふれていますが、
ちょっとしたことで、恐ろしい走り倒れになってしまうのです。
だから芥川龍之介は、そんな目的なしに走り続ける競技がくだらないと思っ
たら、トラック外へ歩出るのも一つの方法である。
つまり自殺するのも一つの方法だと言って、
大変な才能を持ちながら、30代の若さで自ら命を絶っています。
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華厳の滝を自殺の名所にした
天才哲学青年
旧制一高(東京大学の前身)で天才哲学青年といわれた藤村操という人が
います。夏目漱石が英語を教えていた時、その授業に出席していたとか。
藤村操がなぜ有名なのかというと、
華厳の滝で自殺したことで有名なんですね。
しかもそれ以来、後追い自殺が頻発し、
華厳の滝が自殺の名所になりました。
なぜ自殺したのかというと、「巌頭の感」という遺書が
華厳の滝の上に刻まれていました。
悠々たる哉天壌。遼々たる哉古今。
五尺の小躯を以って此の大をはからむとす。
ホレーショの哲学ついに何等のオーソリティーに価するものぞ。
万有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
我この恨を懐いて煩悶終に死を決す。(巌頭の感)
「悠々たる哉天壌」とは、……ああ、この大自然の広大なることよ。
「遼々たる哉古今」とは……ああ、この歴史の流れの永遠なることよ。
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その大いなる世界をこの五尺の、大体150cmの小さな体で、解明しようとし
た、とは「五尺の小躯をもってこの大をはからむとす」
ところが「ホレーショの哲学、ついに何等のオーソリティーに価するものぞ」
「ホレーショ」とは、シェイクスピアに出てくるにせ哲学者。
私の学んでいた西洋哲学は、にせ哲学者の哲学であった。
「ついに何等のオーソリティーに価するものぞ」
何の権威もなかった。この世界のことは、何も分からなかった。
「万有の真相はただ一言にしてつくす」
すべての真実は、ただ一言でいい表せる。
「曰く、不可解」
分からない。この一言だと。
「我この恨を懐いて煩悶終に死を決す」
私はこの世界に生まれ、何のために生きているのか、
何とか解明しようとしたけれど、
とても解明できるものではなかった。
このことに私は深く悩んだ末、自分は死ぬことにした。
このような自殺の動機が書かれています。
これは、哲学的な動機ですから、自殺の動機としては、大変珍しいのです。
健康問題とか、借金で倒産しましたとか、人間関係でうまくいかないので自
殺しますということならありがちですが、哲学的に、自分は死にますというの
はとても珍しい。
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そしてこの文章も大変美しく、何だかカッコイイ☆
ということで、その後、後追い自殺が多発したんです。
それで華厳の滝が自殺の名所となってしまった。
だから当時、世のお父さんお母さんは、
大学へ行っても哲学だけはやるなと言っていたそうです。
やはり当時は大学進学率も低く、
裕福な家庭で、せっかく大学に進学したのに、哲学を学んで自殺してしま
ったら、親の立場としては、悲惨きわまりないですね。
そういうことで、哲学的自殺で有名になった藤村操は、
彼もまた、真剣に生きる意味に悩んだのですが
分からずに自殺してしまったということです。
このような、天才と言われる作家や、
哲学青年が真剣に考えても分からないことですから、
生きる意味ということは、大変深い、難しい問題なのです。
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100人のうち、残る一人は?
大変難しい問題であるということもあってか、
100人中、98人は人生についてあまり考えないか、
考えても分からず諦めてしまいますが、
1人位はこのように真剣に生きる意味に悩み、
中には自殺までしてしまう人があります。
もし、生きる意味を解き明かすことができれば、相当すごいことですが、
最後に残った一人は生きる目的を知り、それを果たすことができると
言われます。
しかも、西洋哲学でも、天才文学者でも分からないようなことを、
自分が果たすだけでなく、それを人にも伝えられる人があれば、
相当の偉人と言えるかも知れません。
今日、世界の三大聖人のトップにあげられるお釈迦様は、
日本だけでなく世界中で多くの人からほめたたえられています。
二十世紀最高の天才科学者といわれるアインシュタインは、
現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれるものがあるとすれば、
それは仏教です。(アインシュタイン)
という有名な言葉も残しています。
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また、ドイツのノーベル賞作家ヘルマン・ヘッセは、シッダールタというお
釈迦様が出てくる小説も書いているんですね。その中で、お釈迦様のこと
についてこのように描写しています。
光と平和があるばかりであった。
その手の指の一つ一つの関節が教えであり、真理を語り、呼吸し、におわ
せ、輝かせている、と思われた。
この人、この仏陀は小指の動きに至るまで真実だった。
(ヘルマン・ヘッセ「シッダールタ」)
小指の動きに至るまで真実とは、やはりノーベル賞作家の表現には驚かさ
れます。
このように、世界中でたたえられるお釈迦様ですが、なぜそんなに偉いと言
われるのかというと、お釈迦様の教えて行かれた仏教に、生きる意味がハッ
キリと示されているのです。
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ではお釈迦様はどう言われているの?
人身受け難し、今已に受く。
仏法聞き難し、今已に聞く。
この身今生に向って度せずんば、
さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん。
と経典に説かれています。
「人身受け難し」とは、
「人身」とは、私たち人間のことです。
「人身受け難し」とは、人間に生まれることは難しい。
ところがその、「生まれがたい人間に生まれることができて良かった」
という喜びの言葉が、
「人身受け難し、今已に受く」
よくぞ人間に生まれたものぞ、という生命の大歓喜です。
私たちは、人間に生まれたことを当たり前に思ったり、
苦しい時などは、人間に生まれたことを恨んだり後悔したりしていますが、
人間に生まれたことは、大変喜ばねばならないことだと、
お釈迦様は教えられています。
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お釈迦様は常日頃から
「人間に生まれたことを喜びなさい」
と教えられていたのですが、あるとき阿難というお弟子に
「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」
と尋ねられました。
「はい、大変喜んでおります」と答えると、
「ではどれくらい喜んでいるか」と重ねて聞かれた。
どれくらい喜んでいるかと聞かれるといわれても、
答えに困っていると、
お釈迦様は次のような話をされています。
今日、「盲亀浮木の譬喩」といわれているお話です。
「果てしなく広がる海の底に、一匹の目の見えない亀がいる。
その盲亀が、百年に一度、海面に顔を出すのだ。
広い海には、一本の丸太棒が浮いている。
その丸太には、小さな穴がある。
そして、波のまにまに西へ東へ南へ北へと漂っているのだ。
阿難よ、百年に一度顔を出すこの亀が浮かび上がった拍子に
丸太棒の穴にひょいと頭を入れることがあると思うか」
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聞かれた阿難は驚いて
「お釈迦様、そんなことはとても考えられません」
と答えると、
「では、絶対にないと言い切れるか」
とお釈迦様が念を押されると、
「何億年かける何億年、
何兆年かける何兆年の間には、
ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、
ないと言ってもいいくらい、難しいことです」
と答えると、
「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは
この亀が、海面の丸太の穴に、首を入れることがあるよりも
難しいことなのだ。有難いことなのだよ」
と言われています。
「有難い」というのは、有ることが難しいということで、
めったにないことを言います。
日本語のありがとうという言葉の語源は、この仏典から来ています。
この話は非常に有名ですから知っている人もあるかもしれません。
それほどお釈迦様は、
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「人間に生まれることは難しい、
人間に生まれたこと喜びなさい」
と言われているのですが、喜んでいるどころか、
「なんで生まれてきたのだろう。
人間に生まれさえしなければ、こんなに苦しまなくてよかったのに」
と恨んでいる人さえあります。
それは、
何のために生まれてきたのか、
何のために生きているのか
なぜ苦しくても生きねばならないのか、
生きる意味が分からないからなのです。
人身受け難し、今已に受く。
生まれがたい人間に生まれたということは、
人間に生まれなければ果たせない、
重大な使命がある。それを果たす為に生まれてきた
ということです。
しかも、人間に生まれるということは、大変難しいことなので、
こんなことは、何億年に一度しかめぐってこない
絶対のチャンスなのです。
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次の「仏法聞き難し」とは
人間に生まれた目的を説かれているのが仏教であり、
仏教以外に説かれていないのですが、
その仏教は、人間に生まれさえすれば聞けるかというと
そうではありません。
「仏教聞き難し」と説かれています。
どれくらい難しいかというとお釈迦様は、
ヒマラヤの山頂より糸を垂らして、
麓にある針の穴に通すことよりも難しいと説かれています。
ヒマラヤといえば、8800mという世界一高い山で、
9キロ近くあります。
手元にある針の穴でも通らないのに
9キロ先の針の穴に糸を通るでしょうか。
大体、ヒマラヤの山頂から糸をたらして
ふもとまでおりていくのかなという感じもします。
その、針の穴を通すくらい難しいのではなく、
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針の穴を通す「よりも」難しい
ということで、どれだけ難しいか分かりません。
その仏教の教えを聞き、絶対の幸福になった時にこそ
人間に生まれた本当の有り難さが分かるのです。
仏法を聞き開かぬ限り、人間に生まれた喜びなど
絶対に分かるものではありません。
ですから最後に
この身今生に向かって度せずんば、
さらにいずれの生に向かってかこの身を度せん。
と説かれています。
「度する」とは、人生の目的成就するということです。
「今生に」とは、生きている時ということです。
生きている時というのは、生まれてから死ぬまでのことですが、
ではいつまで生きているでしょうか。
10年後生きていますか?その保証はありません。
では1年後は?その保証もありません。
1ヶ月後は、明日は?
実は、明日も生きている保証はないのです。
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今生というのは、生きている時ということですが、
それは、今しかないんですね。
現在ただ今、ということです。
ですから、生まれがたい人間に生まれた今、
仏法を聞き、人生の目的を果たさねば、いつ果たすというのか。
永遠のチャンスは今しかない。
今が勝負ですよといわれたのが、
この身今生に向かって度せずんば
さらにいずれの生に向かってかこの身を度せん。
というお釈迦様のお言葉なのです。
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まとめ
100人いれば98人は、生きる意味なんて考えず、または考えても分から
ずにあきらめています。
1人はこの問題に真剣に取り組みますが、分からない。天才といわれた芥
川龍之介、藤村操など、中には自殺する人もあります。
残った最後の1人が、人生の目的を知り、果たすことができると言われて
います。
お釈迦様は、このように説かれています。
人身受け難し、今已に受く。
仏法聞き難し、今已に聞く。
この身今生に向って度せずんば、
さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん。
生まれがたい人間に生まれ、聞き難い仏法を聞けた今、
人生の目的を知り、果たさなければいつできるというのか。
永遠のチャンスは今しかない。
必ず、この生きる目的を知って、今生に果たしてくださいよ、勝負は今で
すよと、人界受生の本懐成就(人生の目的の達成)を勧められています。
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覚えましょう
じんしん う
がた
いますで
う
ぶっぽう き
がた
いますで
き
人身受け難し、今已に受く。
仏法聞き難し、今已に聞く。
み こんじょう
むか
ど
この身今生に向って度せずんば、
しょう
むか
み
ど
さらにいずれの生に向ってか、この身を度せん。
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