1/18 第 8 回「新しい北東アジア」東京セミナー 「ロシア極東から見た北東

第 8 回「新しい北東アジア」東京セミナー
「ロシア極東から見た北東アジアの将来像:日ロ関係と中ロ関係の展望」
2005 年 12 月 13 日、東京国際フォーラムにおいて、多国間・多地域間の視点から日本と「新
しい北東アジア」の将来を探る東京セミナーシリーズ(ERINA 主催、笹川平和財団助成)の
第 8 回目が開催された。講師にビクトル・ラーリン氏(ロシア科学アカデミー極東支部歴史・
考古・民俗学研究所所長)、討論者に隈部兼作氏(㈱ロシアユーラシア政治経済ビジネス研究所
所長)、斎藤元秀氏(杏林大学総合政策学部教授)を招き、ロシア極東から見た今後の北東アジ
ア国際関係について活発な議論が展開された。
(ラーリン)
言葉と現実
ロシアの政治家たちは、1990 年代から積極的にアジア太平洋地域そして東アジアの一員とな
りたいと表明してきた。しかし現実は大きく異なった。実際に達成できたことは、東アジアの
国々との間にある程度の政治的関係を形成した点に過ぎない。その理由としては、思考や世界
観において政治エリートが伝統的なヨーロッパ志向の考え方から抜け出せず、経済面を含むア
ジア太平洋地域の重要性への理解・深い関心を見せなかった上に、ロシア国内の政治経済情勢
も影響した。つまり、ヨーロッパとアジアを含むあらゆるところでプレゼンスを確保したいと
いう国としての願望と、それを実現できないという矛盾が生じた。
現在、ロシア政府が依拠している『対外戦略構想』(2000 年公表)では、ロシアが最大のユ
ーラシア国家と位置付けられ、
「バランスのとれた外交」が外交上の特徴である旨謳われている。
ところが、現実にはロシアの東アジア問題への関与の度合いは、極めて小さい。幾つかの原因
を見てみたい。
第 1 に、経済分野における東アジアの国々との関係は、21 世紀初頭時点で著しく増大してい
るとは言え、ロシアの地域経済における役割は依然として非常に小さい。確かに、過去 5 年間、
対中貿易高がほぼ 4 倍になっているだけでなく、日本や韓国との貿易も増えている。しかし、
それでも貿易取引において、ロシアがヨーロッパを向いていることは一目瞭然で状況は変わっ
ていない。貿易高全体の 3 分の 2 を EU と CIS 諸国が占めている。アジア太平洋地域は、わず
か 6 分の 1 しか占めていない。また、各国の貿易高全体においてロシアが占める割合は、日本
と韓国が 0.5%、中国が 2%以下である。中ロ間の貿易高を、中米あるいは日中との貿易高と比
べてみるだけでそのような傾向は明らかに分かる。
投資面については、現在ロシアからの投資は、韓国における外国投資の約 1%、中国では 0.1%
以下となっている。日本についてはさらにっ少ない。
ロシアとアジア太平洋地域との関係が発展しない第 2 の原因は、伝統的にこの地域にロシア
に対する否定的なイメージがあることだ。それは文明的に相容れない攻撃的な国としてのイメ
ージである。その上に現在のロシアという国のイメージがあるが、潜在的に重要であるが予測
しにくい国、つまり現時点においては望ましくないパートナーとしてのイメージをもって受け
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止められている。
最近の中ロ関係に関し、潜在的な同盟関係への懸念が増大している。それは、外国の専門家
の考え方によれば、軍事戦略状況を大きく変えるようなものであるが、2005 年 8 月の中国とロ
シアとの合同軍事演習がこの懸念を著しく増大させた。
第 3 の原因は、東アジアにおけるロシアの本当の意味での関与を邪魔しているのがロシア自
身の問題である点だ。1 つに、ロシアの政策にはソビエト時代の政治ドクトリン的色彩が強く
残っており、政治的・イデオロギー的動機が経済的な動機を上回り、体外的な利害が国内的利
害の上に君臨し、中央の利害が完全に地方の自主性も押し潰している。
2 つ目に、いわゆる「地方」とは何かという明確な視点も理解もなく、ロシアの東アジアに
おける国益に関するはっきりとした解釈もない。いったいロシアが何を東アジアから得ようと
しているのか判然としておらず、従って、現在、イデオロギーもストラテジーも存在しない。
東アジアにおけるロシアの政策は統一されたものではなく、バランスに欠け、どちらかといえ
ば機械的に地域の国々との 2 国間関係をあまりよくわからない基準でしかない抽象的な理念を
機軸として何か一つの基本構想に、まとめてしまおうという試みである。同地域での国家間関
係の構築で最も成功しているのは、対中関係であるが、それもロシアが中国の政策に沿った行
動をし、今もそれを続けているからに過ぎない。1990 年代には中国とロシアの利害がかなり重
なっていた。中国は自国の国際情勢に関する見方や中国にとって都合の良い 2 国関係のモデル
をロシアに押し付けることに成功した。
中央と地方の利害の不一致
ロシアが東アジアへ関与していく上で重要なポイントの1つは、ロシアの自国領である国内
のアジア太平洋地域の今後の運命である。中央政府に特徴的なことは、同地域に対する相矛盾
した関係や相矛盾した政策をもっている点だ。一方でモスクワは、ロシアの太平洋地域である
極東部分のアジア太平洋地域への統合が必要且つ避けられない点を理解している。しかし、そ
の点は実行を伴っていない。他方で、モスクワはこのような統合によって、自国部分のコント
ロールを失うかも知れないとの恐れを抱いている。
中央と極東双方のレベルにおける異なる考え方の根底にあるのは、何よりも経済的利害のベ
クトルが一致しないことだ。ロシア全体と極東の貿易相手国の構造が異なっている点が、それ
を如実に示している。2004 年、ロシア全体の貿易高において、東アジアとアメリカが占める割
合は 15%に満たなかったが、極東だけについてみると、東アジアとアメリカが 82%に達した。
ここから明らかなことは、ロシアのビジネスと極東のビジネスの利害がかなり矛盾している、
あるいは全く正反対の利益を追っているという点だ。ソビエト時代の極東は、需要の 80%をロ
シアのヨーロッパ部や中央アジア、ウラル以東のシベリアからの納入に頼っていたが、今日で
はこの関係が途絶えてしまい、同じく 80%ほどを中国、韓国、日本など東アジアの隣国からの
輸入に頼っている。
さらに、中央政府の支配と住民に対する政治的コントロールの喪失の可能性を示す徴候がす
でに見られる。その原因は、モスクワがこの地方の特殊な状況をどうしても認めたがらず、極
東住民の利益を無視する態度を取っているためだ。極東地方には根強い連邦政府への不信感が
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ある。ただ、中国に対する恐怖感があるため、分離独立の傾向に歯止めがかかっている。経済・
文化領域での中国の影響が、特に極東地方の南部で強まってきている。徐々にではあるが、確
実に中国は極東を自国の利益の軌道に引き込んでいる。国境地帯の市場では、中国の消費物資
が広く出回っており、例えば、中国と国境を接している地域では多くの品物に“Made in China”
というマークが付いている。
2 国間関係
東アジアにおけるロシアの役割を考えるとき、個々の 2 国間関係を見る必要がある。何故な
ら、ロシアには東アジアに対する統一した政策が未だに見られないからだ。東アジアの主要な
パートナーは疑いなく中国である。中ロの政治的な接近は 90 年代に見られたが、これが実を結
び、2001 年 7 月には両国間の協力に関する条約が結ばれた。その条約実現のための行動計画が
2004 年 10 月に調印され、2005 年 6 月に最終的に国境画定が行われた。上記の『対外戦略構
想』によれば、世界政治の重要問題に関するロシアと中国の原則的アプローチが一致しており、
基本的な柱として地域的安定やグローバル的安定に寄与している。対中関係における主要課題
として挙げられているのは、経済協力の規模を政治関係のレベルと一致するところまで拡大す
ることだ。現在その課題は、積極的に実現されつつあり、中ロ貿易取引高は非常に伸びている。
2004 年の中ロ貿易高は 1999 年と比べ 3.7 倍増であった。
東アジアにおいて、ロシアにとり中国に次ぐ重要なパートナーは日本である。
『対外戦略構想』
では、ロシア連邦が日本との安定した関係発展と両国の利益に適うような真の善隣関係の達成
を目指す旨謳われている。ロシアは今後も双方が受け入れることができるような決定を探る努
力をし、国際的に認知された国境を両国の間に形成するという問題に対し、既存の交渉メカニ
ズムの枠内で継続していく意思を表明している。
日本との関係を例にとっても、世界観や東アジアにおけるロシアの将来像の中で位置づける
見方は、日本とロシアで大きく異なっている。それはクレムリンの人々の執務室から見る視点
と、極東の町の通りで感じられる視点の相違だ。極東地域にとり、日本は最も魅力ある好まし
いパートナーだ。しかしモスクワでは伝統的な日本観として、日本は地方規模の大国であり、
世界政治の中での位置付けはそれほど重要ではなく、それ自体の決定に重みがあるような国で
はないという見方から抜け出せないでいる。日ロ関係については、90 年代から 21 世紀の初め
まで、政治面でも経済面でも停滞の時期であったと言えよう。
3番目の関心は、朝鮮半島の問題である。しかし、朝鮮半島はロシア政府が特に関心を持っ
ている地域には入っていない。その問題解決にロシアが引き込まれて関与している理由は、単
に地域の大国クラブから最終的に落ちこぼれてしまうことがないようにということであり、朝
鮮半島内部のもめごとの解決にロシアが関与し、自国の国境付近から軍事危機の火種をなくし
たいという動機はさらに僅かである。ロシアと韓国の政治的関係はかなり充実している。韓国
はロシアを朝鮮半島の問題に関与させ、ロシアを北朝鮮のリーダーたちへの影響力行使という
点で利用しようとしている。他方、ロシアは北朝鮮に関し、アジアにおけるもう1つのエネル
ギー資源の供給先としての市場に関心がある。これがロシアと韓国の首脳がたびたび会談を重
ねる理由となっているが、しかし、両国の関係が理想的に伸びているわけではない。
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韓国との貿易規模は、ロシアと北朝鮮との貿易取引高と比べるとかなり大きい。2004 年時点
で、ロシアと北朝鮮の貿易取引高は、1 億 4,000 万ドルと非常に僅かだ。2000 年のロシアと韓
国、北朝鮮の3国首脳会談では、南北をつなぐ鉄道の復興についての合意が得られた。その鉄
道をシベリア横断鉄道と繋ぎ、輸送回廊で朝鮮半島とヨーロッパを結ぶというものであった。
北朝鮮との関係は明らかに不十分なレベルにある。地域レベルに止まっており、ロシア極東の
貿易高の中で北朝鮮との貿易は 2%を占めるに過ぎない。一方、毎年多くの労働者が北朝鮮か
らロシアに出稼ぎ労働者として入国しており、主に極東で働いているが、毎年 1 万人を超える
労働者が北朝鮮からロシアに入国している。
ロシアが東アジアで起きている政治経済のプロセスにどう参入しているかという問題につい
ては、バラ色あるいは虹の輝くようなという様子にはなっていない。中央政府は様々な宣言を
行っているが、現実は宣言文のような言葉には追いついていない。
ロシア極東の発展傾向
ソ連時代を含め、ロシア中央政府による自国の太平洋地域への対応は常に「植民地主義」に
貫かれてきた。極東地域は軍事的な前哨地域であり、原料の供給基地であり、また東アジアに
ロシアが躍進するための拠点としてのみの役割が与えられてきた。ロシア極東地域・太平洋地
域は、常にロシアのヨーロッパ地域の利益に奉仕するように要求されてきた。このような目的
の下にロシア極東の管理システム・経済構造が形成されてきた。労働資源も極東以外の地域か
ら自主的あるいは強制的な移住を行うことによって確保され、近隣諸国との関係もそのような
前提に基づいて構築されてきた。
1990 年代に入り、ロシア全体における経済危機、政治的無秩序、社会的危機によって、それ
まで構築されてきたシステムが崩壊した。それまでの統治目的は否定され、中央にある極東地
域の制御は不可能となり、極東地域の軍産複合体はほぼ完全に崩壊した。中央との経済関係も
途切れ、移民とその子孫たちはどんどん極東から撤退し始めた。極東地域の人口減少、特に極
東北部からの人口流出は 130 万人に達した。これは 1991 年時点の極東全体の総人口の 16%に
あたる。中央が食材及び大量消費財の主要供給地として機能しなくなったため、極東地域は中
国製、韓国製の物資を取り入れるようになった。極東地域が獲得した政治的自由と需要に対す
るモスクワの無関心が、極東地域おける独自の目的と優先順位、ロシアの利益に関する独自の
理解、そして中央との政治・経済問題をめぐる対立が生まれる原因となった。
地域的優先事項
ロシア極東地域と隣国及び主要経済パートナーに対する地方行政府の態度は、以下のような
相互に矛盾する要素によって決定されてきた。
・ロシア全体および自国東部地域の政治経済発展。
・地域経済全体の特殊性:地域ごとの経済状況、構造、可能性。
・ロシアと近隣諸国との 2 国間関係の進展:特に中ロ間の国境画定プロセス、北方領土問
題、朝鮮半島問題。
・隣国との直接的関係から生じる特殊性:中国や日本からの影響。
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・地方のリーダーたちの個人的な世界観や利益、好意、反発。
・国際協力経験の欠如や国際活動に関する法的な基盤の未熟性。
これらの相矛盾する諸要因は、変化し続ける対外関係基盤や発展のテンポ、成果を大きく制
約した。しかしながら、幾つかの分野において、ロシア極東の東アジア地域への参加が見られ、
それなりの成果もあがっている。
経済面
2000 年以降の東アジア諸国との貿易高が伸びている。ロシアの関税統計によれば、1990∼
2004 年の間に、極東地域の日本との貿易高は 3.7 倍に伸びた。この地域における中ロ貿易は
3.8 倍増加した。ロシア極東と韓国の貿易高は 2 倍増となった。
2004 年は特に日本との貿易高が急増した。最大の理由として、2004 年に関税当局の資料に
新たな項目が含まれたことがある。日本の中古車輸入が税関の統計資料に大きく盛り込まれる
ことになった。
極東地域における経済関係の力点が地理的に変化しつつある。つまり、ロシア・ヨーロッパ
及びシベリアから東アジア諸国へのシフトだ。極東地域の輸入先別の割合に関しては、日本が
40%を超え、中国は 20%、韓国も 10%を超えている。
極東の各地域はそれぞれ独自の関心や優先順位を持ち、経済的に共通点がなく協調性がない。
例えば、ハバロフスク地方を見てみると、輸入の構成が極東の他の地域と大きく異なっている。
ハバロフスク地方の輸入において、一番のシェアを占めるのは中国であることに変わりなく
40%弱である。日本は第 2 位で 25.3%である。アムール州、ユダヤ自治州となると、完全に中
国に依存している。2003 年のアムール州の輸入構成における中国のシェアは 88%であった。
同年のチタ州に関しては、対外貿易高全体のなかで中国が 86%を占めていた。
すでに 1990 年代から、ロシア極東市場では例えば中国製・中国産の野菜、果物、衣服、靴
等が大きなウェイトを占めており、その他韓国からの建材や家電、日本製中古車などが輸入の
大きな割合を占めて来た。
中国側の試算によれば、現在ロシア極東地域における大衆消費財の 80%が中国製のものであ
る。21 世紀に入ってからは、中国からロシア極東に輸入される様々な設備品や家電製品等が急
激に増えてきた。その結果、韓国製の製品が駆逐された。1990 年代は韓国製品がどんどん日本
製品を極東市場から駆逐していったが、この数年間は今指摘したような中国製品が韓国製品を
圧倒している。
極東地域における外国人労働力に関しては、2003 年に極東地域で正式に雇用された外国人労
働者の数は 4 万 8 千人強であった。その 3 分の 2 を占める 3 万 800 人は極東地域南部に集中し
た。ここで言う南部とは沿海地方、ハバロフスク地方、アムール州である。労働者の 42%は中
国人、28%は CIS 諸国出身者、15%は北朝鮮人であった。1990 年代には極東において中国人
数が増加し、人口動態の観点からも脅威になると言われた。しかし、それは単なる懸念に過ぎ
なかった。今日、ロシア極東では労働力が決定的に不足している。従って地方当局も外国人労
働力を導入することに積極的になっている。そのような労働者の大半を中国人が占めている。
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同時に、外国人の就労者問題については、不法就労者の問題が深刻化している。不法就労者
のかなりの部分が中国人観光客である。2000 年 2 月 29 日にロシアと中国の間で中ロ間のビザ
なし観光協定が結ばれたが、同協定に基づいて観光客としてロシアに入ってきた中国人が不法
就労しているという事態が起きている。諸説あるが、今日極東全体では 15 万∼35 万人の外国
人不法就労者がいると言われている。他方、東アジアで居住し就労するロシア極東出身者数も
増えつつある。
東アジアからの投資がロシア極東に及ぼす影響はまだ小さい。サハリン州は例外だが、外国
投資、ましてや北東アジア諸国からの投資は極東地域にとり重要な位置を占めておらず、経済
発展のための大きな材料とはなっていない。従って、ロシアにとり外国投資がこの地域圏に参
画するための要素であるとは見なせない。
行政・政治面
ロシアの東アジア地域への参加を拡大するための第 2 の手段として、具体的な地域間の交流
の拡大や姉妹都市交流の促進、国境地域にある様々な連邦機構の出先機関間の協力が欠かせな
い。経済・人的交流を前面に押し出しながらも、実際には政治的意義を持つ地域レベルのイベ
ントの実施が必要だろう。
人的交流
ロシア極東地域が東アジア空間に関与上での 3 つ目の方法は、人的交流である。この分野は
最も目につき難い、最も成果を予測し難いものであるが、現実問題としてすでに存在しており、
とても重要な側面だ。特に中国との人的交流の拡大には注目する必要がある。中国を訪れるロ
シア人の数は 1999 年以降、年々増加している。東部の中ロ国境区域内だけで、毎年 40 万人以
上の中国人、90 万人以上のロシア人が国境を通過している。観光客という資格で相互に訪問す
る中国人とロシア人の数が増加している点は注目すべきある。ただ、ロシア人の中国への観光
客としての渡航は大きく伸びているが、それに比べロシアへの中国人観光客数の伸び率は大き
くない。沿海地方とアムール州への中国人観光客数が増加傾向にある。無論、観光客と言って
も、例えばロシア極東から中国を訪れる人々の大部分が非課税の物資運搬に従事するいわゆる
「担ぎ屋」であるのが事実だが、21 世紀に入ってからは、両国間において純粋な観光客数も増
加しつつある。2005 年 1∼9 月には、沿海地方から 60 万の人々が中国を訪れた。沿海地方の
総人口が 200 万人余りであるということを考えれば、述べ 60 万人というのは大変大きい数で
ある。もちろん同一人物が何回も往復しているわけだが、いずれにしても相当な数である。ち
なみに、同期間に沿海地方を訪問した韓国人数は 8 万人であった。
他方、沿海地方を訪れた中国人と日本人の観光客の比は 24 対 1 であった。中国は極東の人々
にとり身近な国であると感じられているが、日本は多くの極東の人々にとり依然として遠いエ
キゾチックな国であり続けている。ところが人的交流分野の中でも特に重要なこととして、1
つのまとまった情報空間が出現しつつあることだろう。未だに言語や心理、メンタリティーの
面で、いくつものバリアがあるが、情報空間は存在し、拡大しつつある。教育、学術、文化交
流も進展しつつある。最も積極的に活動しているのは、ウラジオストク、ハバロフスク、ユジ
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ノサハリンスクの日本国総領事館だ。
既存のバリアはロシア全体の問題と傾向を大いに反映しているが、最も大きな位置を占めて
いるのが政治的なバリアであろう。ロシア極東地域は対外的なプライオリティーの選択や決断
を行う際に、独自の行動を取ることがまだできない。プーチン政権が打ち立てた権力の垂直構
造によって、極東地域はこれまで以上にモスクワの顔色を窺うになっている。モスクワは対外
政策及び国内政策のプライオリティーを変更するつもりはない。ロシア中央は極東地域を同国
ヨーロッパ地域にとっての「植民地的」燃料供給地としての付属物と未だにみなしている。
ロシア極東のアジア地域への参加を今後促進する上で、第 2 のバリアは、精神的、心理的な
バリアである。その根底には、スラブ文化と東アジア文化の文明的相違がある。西と東の相違、
ヨーロッパとアジアの相違に関し、学術的・科学的な裏付けがあるような言葉がいくつも存在
しているが、実際問題として、無知や無理解、近隣諸国・地域に対する無関心の問題がある。
極東の人々が好感を持っているのは依然として西側である。他方、
「黄禍論」に対する極東の住
民や地方行政府の恐怖あるだけでなく、冷戦イデオロギー上の遺産や国全体の原料供給地域に
成り下がりたくないという感情、大国主義的な野心、対外交流活動において威圧的な行為に走
る傾向等の問題を抱えている。
日本は経済的政治的に発展している国であるため、西側の代表あるいは西側の一員としてみ
なされている。それ故、他の東アジア諸国に比べた場合、極東の人々にとり日本に対する好感
度は高い。
対中・対日関係の展望は、対米関係よりもずっと楽観的に評価されている。もちろん、経済
的なバリアも数多くあるが、そのような問題の克服は、まずロシア全体による国の発展戦略及
び東アジアに対する政策をどう選択していくかによって左右されるだろう。
最後に、ロシアが東アジアでどのような行動をとるべきか述べたい。東アジアにおけるロシ
アの利益は次のように形成されると想像している。
地域の安定を促す必要がある。ロシアの太平洋地域を有効的に活用し、東アジアの経済・政
治・人的交流圏への幅広い参加を通じて、実質的な東アジア地域の国家へと変貌していくこと
が必要だ。この点については、すべて 1990 年代から再三中央政府によって唱えられてきたこ
とであるが、実際の政治はなかなかそれに見合うものになっていない。
では、東アジア地域の国家となるために何が不足しているのか。まず、パワーと手段が不足
している。政治的意思と経済的関心も不足している。また、ロシア自身に地域で認められてい
るという認識が足りない。さらに、東アジア地域から援助の手が差し伸べられているという確
信がロシア側にはない。中国は手を差し伸べてきたが、ロシアはその手を取るのを拒んでいる。
それはロシアが中国の指導者を心から信用できていないからだ。ロシア側には、然るべき適切
な決定を準備し、決定を行うための知的な基盤というものができていない。1990 年代において
は、そのようなものを確立する可能性が理論的にあったが、現実のものとはならなかった。
ロシアには、国家としての東アジア戦略の策定が必要である。ロシアは東アジア地域及び自
国の極東地域への見解を根本的に変えるべきである。ロシアの東アジア戦略において、ロシア
の東部地域は自国の不可分の領土であり、東アジア経済政治圏の構成要素であるべきだ。しか
し、これについては基本的にあまり確信が持たれていない。また様々な形で地域連携を活性化
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することが必要である。東アジア諸国のロシアに対するイメージを変え、好意的な世論を形成
することが必要だ。
隣国の利益を自国の利益に転化させることも必要である。ロシアは自国の見解、利益、取り
組みを東アジアとリンクさせるのが下手である。例えば、中国はロシア極東との関係において、
自国のポテンシャルと経済的発展を常に活用してきた。一方ロシアは中国という己の経済発展
に大いに役に立つポテンシャルを活用してきたという経験がいまだかつて一度もない。これは
ロシアの内政問題であり、モスクワが大いに考えるべき問題であろう。
私は楽観主義者でありたいが、ロシアも古い伝統と賢明な価値観を持つ東アジア文明を理解
し、受け入れるものと信じたい。東アジア地域へのロシアの参加が不可避である一方、東アジ
ア地域もロシアとの関係が肯定的要素をたくさん含んでいることを認識しているのだから。
(斉藤元秀)
ロシア人やロシア専門家の書いた論文を読むと政権寄りの側面が強い傾向があるが、本日の
ご報告でラーリン氏が評価するべき点、言うべき点などをそれぞれ明確に述べられたことは大
変良かった。モスクワが伝統的に北東アジアやロシア極東を重視していない点を強調されたが、
この傾向は将来的にも続くのではと思った。モスクワがロシア極東を植民地として見ていると
いう指摘は興味深く、かなり率直な分析であったように思われる。ロシア極東にはモスクワに
対する不信感があり、プーチン政権下ではモスクワの顔色を見ながらロシア極東の地方政府エ
リートたちが政策を展開しているという点は鋭い指摘であった。ラーリン氏は、中露関係に非
常に造詣が深い専門家である。パワーポイントを使ったり、数字を挙げながら不法滞在中国人
問題に触れるなど、分かりやすく分析をされた。総じてご分析に賛成するが、若干私と見方が
異なる点がある。
まずロシアの対中政策についてだが、ラーリン氏はロシアの北東アジア政策で対中政策が成
功している唯一の事例であるとし、その理由が中国の政策にロシアが擦り寄っていることに求
められるという見解を示された。2005 年 8 月に中国側の要請により山東半島などで中ロ合同軍
事演習が行なったことや、中国がかねてから反対する日本の国連常任理事国入りにロシアも反
対に回ったことから、確かにロシアが中国に合わせているという印象を受ける。その点では異
論はないのだが、ロシアの対中政策が全面的に中国寄りということには必ずしもならないであ
るまいか。
例えば、2001 年 9 月に米国で同時多発テロがアメリカで起きた際、プーチン大統領は中国と
一切相談することなく米国に対する全面協力の方針を打ち出した。
「中露戦略的パートナーシッ
プ」の推進を盛んに主張していたのにもかかわらず、ロシアがそうした行動をとり、中国側を
驚かせた。
別の例を指摘すると、近年ロシアは中国に武器を積極的に売り込んでいるが、中国が欲しが
っている最新鋭の武器を供与することに対しては二の足を踏んでいる。中国への最新鋭の武器
の輸出については、慎重にやっているという面がある。
東アジア石油パイプライン建設計画についていえば、中国側は大慶ルートの実現を望んでい
るが、ロシアは大慶ルートと太平洋ルートの両方を実現に漕ぎ着けようとしている。こうした
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事例から、必ずしもロシアが中国の言うことばかりを聞いてやっているわけではないことが分
かる。
次に朝鮮半島政策についてだが、ラーリン氏は朝鮮半島の平和と安全の問題にロシアが関与
しているのは、大国の地位を失わないためであると指摘されている。朝鮮半島がロシア外交の
優先項目に入っていないという点は、ラーリン氏の分析に賛成だが、北朝鮮の核開発問題をめ
ぐる 6 ヶ国協議をめぐるロシアの代表の動きを注意深くみていると、朝鮮半島に対するロシア
の関与は、このところかなり後退していると分析できる。ロシアが朝鮮半島の平和の問題に関
与しているのは大国の地位を失わないということならば、ロシアは朝鮮半島問題にもう少し積
極的に関与することになるのではないだろうか。大国としての地位を失わないためロシアが朝
鮮半島の平和と安全の問題に関与しているのではなく、別の要因が考えられるのではなかろう
か。
ラーリン氏にもう少し詳しく掘り下げて頂きたい点や報告のなかで触れられていない問題に
ついても言及してみたい。
第 1 に、対中武器輸出問題についてであるが、ロシアの対中武器輸出が中露貿易の 50%ほど
を占める年もあったと解釈できるようなご指摘があったように思われる。確かにロシアは世界
最大の武器市場である中国に武器輸出の 50%位を仕向け、あとの 20∼25%をインドに輸出し
ている。しかし、ロシアの対中貿易のなかで武器輸出の占める割合に関しては、誰も正確に分
からない。国連統計やロシア側の資料を見ても分からない。中露貿易の中に武器輸出が占める
割合などについてもう少し説明して頂ければ幸いである。また、最近プーチン大統領が来日し
た時に、小泉首相が対中武器輸出の問題を挙げて、日本側がロシアの対中武器輸出を憂慮して
いる旨を伝えた。それに対しプーチン大統領は、ロシアも対中武器輸出には責任を感じている
と応えたと報道されている。これはどういう意味なのか。将来対中武器輸出を抑制するという
意味なのか。もしも可能であれば、ご教示頂きたい。
第 2 に、東シベリアパイプラインの問題であるが、ロシアは大慶ルートと太平洋ルートの両
方を完成させたいという希望を表明している。ロシア政府高官は、大慶ルートの着工を 2005
年内にロシア側はスタートさせるという発言もあるが、どうやら着工は遅れそうだ。2008 年の
半ば着工という声がロシア側から出されることもあり、ロシア側は大慶ルート建設に関し本当
にやる気があるのかという印象を受ける。私見では、本来ロシアは中国と日本の両方に原油を
売りたいのだが、中国に大量に原油を輸出した場合、買い手市場になったり、中国の軍事大国
化を促すという危険性がある。そのため、ロシアは大慶ルート建設に本音では消極的で、大慶
ルートの着工が遅れていると私は判断しているが、ラーリン氏のご見解はどうか。
太平洋ルートについてだが、太平洋ルートのパイプライン建設に協力する上で、十分な埋蔵
量があるかどうかが分からず、日本にとって懸念材料となっている。東シベリアには、太平洋
パイプラインで採算が取れるだけの十分な油田の埋蔵量があるのかどうか。また、日本が東シ
ベリアの油田開発に関与した場合、ロシア側は採掘権を日本に許可する気持ちがあるのかどう
か、ご教示頂きたい。
最も関心があるのは、米国の動向である。カスピ海周辺地域やサハリン大陸沖で天然エネル
ギー資源の開発を推進することに米国はかなりの関心を示している。しかし、興味深いことに、
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太平洋パイプライン建設に関する米国の考えは、日本にいると何も聞こえてこない。ラーリン
氏の眼には、太平洋パイプライン建設に米国がどのような関与をしようとしていると映ってい
るのか。
第 3 に、北方領土問題を取り上げてみたい。本日のご報告では触れられていないが、実はラ
ーリン氏は北方領土問題について相当詳しいのではないかと思う。今年 9 月に私がモスクワに
行った際、カーネギー・モスクワセンターで大変興味深い資料を入手した。そこには、
「2 島プ
ラスα」で北方領土問題を解決しようという政策提言が記されていた。政策提言書の執筆者の
中には、ラーリン氏のお名前もある。政策提言書によれば、
「2 島プラスα」とは、日本が歯舞、
色丹の 2 島返還で満足し、その代償としてパイプライン問題を含みロシア側に大規模な経済協
力をするという内容だ。日本人から見れば、2 島返還で大規模にシベリア開発に協力するとい
う考えには違和感を覚える。ラーリン氏は、2 島返還によって日本から大規模な経済協力を獲
得することは可能であると考えておられるのだろうか。カーネギー・モスクワセンターの政策
提言書では、ラーリン氏以外にも他の方も関与されており、ラーリン氏の見解がストレートに
入っているとは限らない可能性もあるため、念のためお伺したい。
最近、ロシア政府は北方領土(南クリル)開発計画を発表した。連邦政府やサハリン州が資
金を拠出して 2007年から 2015 年まで開発を推進するという壮大な計画である。この計画は
ちょうどプーチン大統領の訪日前に公表されたが、本当に実現する可能性があるのか。国際市
場で石油が高値であるおかげで、確かに現在ロシアは好景気に沸いており、モスクワも華やか
で繁栄している印象を受ける。しかし、いくらロシア経済が繁栄しているといっても、シベリ
アやロシア極東の本格的な開発にはかなりの資金が必要とされる。クリル列島の経済発展プロ
グラムに財政的な裏付けはあるとラーリン氏はご判断されておられるのかどうか。
ラーリン氏は、日本あるいは北東アジアにおいて、良いイメージを作っていくことがロシア
の課題であると指摘されている。この点全く同感である。しかし、北方領土問題に関するロシ
ア側の発言を見ていると、北方領土問題に対するロシアの姿勢は日本にとって非常に厳しい。
「ロシアは戦勝国であり、日本は敗戦国である」とか、「北方領土は国際法的に確定している」
とか、非常に元気の良い発言が出されている。プーチン大統領が来日する丁度半年前ごろから
ずっと厳しい対日論調が続いている。日本側から見ていると、誰かが指揮棒を振って厳しい対
日論調を出しているような感じがする。もしもご存知なら、この点についてこの点についてご
教示をお願いしたい。
ところで、北方領土問題解決について、中ロ国境の最終画定の方法が日本にも妥当するとい
う考え方がある。中ロの場合はボリショイ・ウスリスキー島とタラバロフ島を半分に分けて「折
半の原則」に基づいて最終的に解決をはかった。しかし、ロシア研究者の中には5分5分で解決
したのではなく、実際は 3 分の 2 という中国に有利な形で解決したのではないかと主張する人
も一部いる。確かにボリショイ・ウスリスキー島とタラバロフ島は面積的に折半したのたが、
ボリショイ島という小島は全て中国に移管されたのではないかという懸念が、そうした見解を
生んでいるようだ。最終決着の方法は、ロシアの地元の人たちにも具体的に知らされていない
らしい。もしもご存知なら、最終画定についてご教示頂きたい。
ラーリン氏は、プーチン大統領の訪日に関する評価を行なわなかったが、どのような評価を
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されているのか。私見では、プーチン大統領はそれなりの成果を上げたと思う。つまり、北方
領土問題にコミットするのを避けて、共同声明を出さないということで日本側を押し切ったか
らだ。またパイプライン問題で小泉首相から前向きな発言を引き出したこともプーチン外交の
成果といえるであろう。プーチン大統領にとっては良い落としどころになったと思うが、ラー
リン氏はどのように考えておられるのか。
ラーリン氏はロシアにとっての課題を明確な形でまとめられているが、日本の経済界からみ
ての問題は、ロシアの税制や法律体系が不透明であり、投資環境が整備されていないことであ
る。ご指摘された通り、残念なことに腐敗の問題もある。ロシアは日本の隣国で魅力ある国家
だが、本格的投資にはためらいを感じるといった状況にある。プーチン政権側も投資環境改善
に向けて努力しているようだが、ロシア極東としても投資環境を改善のために、何か独自に努
力しているのだろうか。
いろいろご指摘したが、時機をえた大変興味深い報告であったと思う。
(隈部兼作)
斉藤氏も触れた通り、ラーリン氏からはロシア極東の連邦政府に対する不信感や対中関係に
関する忌憚のない意見を伺うことができた。特に、ラーリン氏がロシア内の戦略がないと述べ
たことに関し、日本側がどのように考えたら良いのかという点も踏まえて、大きく分けて 4 点
指摘したい。
第 1 に、本日の報告では、特にロシア極東において連邦政府に対する不信感が依然として強
く残っていることが強調されたが、実は私もモスクワに駐在していた時代、ロシア政府関係者
と極東のプロジェクトについて随分話をした際に、
「なぜ貴殿はそんなに極東に行くのか、自分
たちは東京に行ったことはあるが、極東に行ったことはない」と発言する人々が非常に多かっ
た。
実際問題、モスクワで作られるプログラムは「絵に書いた餅」であり、エリツィン大統領も
選挙のときは良いことは言うが、実際何もしなかったというのが実情であった。ロシア側に言
わせれば、その当時、財政状況は逼迫しており、あちこちの地方から言われているので極東だ
けを特別視できないという厳しい状況であり、連邦から極東に対する支援はなかった。
本日の報告を通じても、未だにロシア極東の連邦政府に対する不信が強い点を感じた。私は
現在 1∼2 カ月に 1 度モスクワに行きロシア側と意見交換をしているが、最近は少し変化を感
じている。プーチン大統領が来日した際も、極東に関する言及があり、グレフ経済発展貿易大
臣も投資ファンドを来年度から作り、そのうちの半分近くを極東に回したい旨発言した。例え
ば先日、ブリヤート共和国に道路や空港の改修費用として追加予算を回してきたということも
ある。ロシア政府高官と話してみると、ロシアは今後、経済発展を持続していく為にはやはり
東シベリアや極東経済の発展・多様化を進めていかなければならないという。極東地域を考え
るだけの財政的余裕がロシア政府に出てきており、私もモスクワがやっと本気になって動き出
すのではないかと思っている。日本の財界・ビジネス界も、これでようやく極東とのビジネス・
インフラが少しずつロシア政府のある程度の協力下で整備されてくるのではないかと期待して
いる。その点、ラーリン氏が現在のプーチン政権をもってしも未だに口だけであると見ている
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のか教えて頂きたい。
ロシア極東が同国ヨーロッパ地域に対する原料供給基地ないし「植民地」という指摘があっ
た。例えば、太平洋パイプライン計画に関し、東シベリアから太平洋側までパイプラインで原
油を運ぶ場合は 1 トン当たり 50 ドル弱位となり、西シベリアからヨーロッパに出すとき(約
25 ドル位)の倍近いコストがかかる。ところが逆に極東で資源開発をしてそれをヨーロッパ地
域に持っていくという考えはもう経済的にできないだろう。つまり、好むと好まざるとにかか
わらず、ロシア極東は中国や韓国、日本にある程度取り込まれてきている段階であるが、今後
ロシア政府が極東に重点を置いた場合でも、ソ連時代のような「植民地的な」考え方をずっと
引きずりながら中央政府が極東に関わっていくことになるのか疑問に思っている。
ただ最近、ロシア中央政府が地方知事の直接的任命や選挙で選ばれた知事を実質上プーチン
大統領が任命する等、中央が色々な形でコントロールを効かせてきていることは事実であり、
私がビジネスを含めてモスクワで話している限り、確かにこれまで以上に地方で話すよりもモ
スクワで政府高官と話す方が話は早いという感触を得ている。
今後、どのようにモスクワが極東に対し関わってくるのか。つい先般もロシアは経済特区を
6 ヵ所認め、来年は 10 ヵ所程度作りたいという意向を示しているが、残念ながらこれまでのと
ころ極東地域は含まれておらず、サンクトペテルブルクなどヨーロッパ地域の方が含まれてい
る。良い案件となると、やはりヨーロッパ地域に取られてしまうということがあるが、いずれ
にしても、ロシア政府の極東政策がここにきて変わりつつあるのではないかという点をある程
度確認させて欲しい。
第 2 点目は中ロ関係である。中ロ間では経済関係が強まっているものの、ロシアからすれば
「中国の脅威」が残っているという話であった。モスクワで話してみる限り、全てとは言わな
いが、ロシアの中には対中関係が強まったというなかで、同傾向がこのままではまずいという
勢力がプーチン政権の中にあると思われる。今回のプーチン大統領訪日においても、ロシア側
も失敗をさせることはできなかった。その背景として、ロシアは今後の中国にそれなりの脅威
を感じている為、中国とことを構えるということではないにしても、対中一辺倒ではまずいと
いうことで、日本のカードを備えておく必要性があるからであろう。
私の方にもロシア政府が時々ビジネス上の問題について相談してくるが、特に日本企業との
ビジネスを促進したいというそれなりのシグナルは送ってきていると思われる。
第 3 に、ラーリン氏はロシアに極東政策がないのではないかということを指摘したが、私も
ここ1年近くロシアに行きながら非常に懸念していることが 2 つある。
ロシアでビジネスをやる時に、経済と政治を分けることはなかなか難しい。ロシアでは政治
と経済、ビジネスが三位一体で密着している。それぞれをある程度理解しなければ、ロシアは
理解できない。特に、日本同様、90 年代のロシアと今のロシアの状況が異なる点を認識しなけ
ればならない。
1990 年代に私は日本輸出入銀行でロシア支援やロシアとの経済協力関係を担当していたが、
確かに当時は、資金が武器になっていた時代であった。ところがこの数年間で立場は変わった。
2 年前にモスクワで日本商工会議所の方々とロシアの製鉄所を訪問した際に私自身が驚いたこ
とがある。日本企業側がそこの鉄鋼製品を売って欲しいと言ったところ、即座にニェット(ノ
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ー)という答えが返ってきた。私は 30 年近くロシア・ソ連時代のビジネスに係わってきて、日
本の企業が売りたいと言ってニェットと言われたことはあったが、買いたいと言ってニェット
と言われたことは 1 回もなかった。その際やはり時代は変わってきたと感じた。
例えば、ワニノ港の改修工事はドイツが受注している。よく領土問題と経済協力(「協力」と
いう表現が適切か分からないが)を結びつける向きがある。しかしながら、時代は“Win-Win”
で考えなければいけない状況になりつつある。パイプライン問題についても同様である。ロシ
ア側から見れば、日本が石油を欲しいという以上、支援でも何でもない。今の状況では日本が
出て行かなくても、他の国がやるだろう。そこを間違うと、領土問題が進展しないから経済協
力をしないという発想になってしまう。私はプーチン大統領訪日前にもう時代が変わっている
点を日本側関係者にも話した。少なくとも私が聞いている限り、領土問題はプーチン大統領訪
日時には動かないが、しかしそれにからめて経済問題、ビジネス問題を抑制するということだ
けは止めて欲しいと強く訴えた。こうした状況下で、日本として戦略を考えなければならない
だろう。
日ロ間の貿易量はポテンシャルが小さいとよく言われる。良く見てみると、ロシアとの貿易
量が多いところは武器かエネルギーを輸入している。そう考えると、近いうちにサハリンから
LNG や石油等が入って来るため、貿易量は確実に増えると思う。しかしそう焦る必要はない。
逆にエネルギー問題に関しては、一体日本にはエネルギー政策があるのかとよくロシア側から
皮肉られる。これが何を意味しているかと言えば、サハリン 1 には日本の企業や資金が入って
おり、つい先般開所式が行われた。サハリン 1 は、30 年近くかかりやっと出来たプロジェクト
である。ところが、サハリン 1 の天然ガスは一体どこに行くのだろうか。今のところ日本には
来ない。
現在、同プロジェクトのオペレーターであるエクソンモービル社は、何と中国と交渉してい
る。他方、日中間では東シナ海開発問題をめぐり対立が生じている。ロシア側の関係者から言
わせれば、何なのかということになる。中国とのガス問題は最近出てきた問題ではなく、掘削
している時から分かっていたことであり、生産間近で今のような事態になっても無理だろうと
ロシア側は考える。ロシア側は、東シナ海の探鉱では日本の同盟国である米国の企業が手伝っ
ていたが、日本には自分で操っている所からも入手出来ないが、一体どうなっているのかと度々
問質してくる。
ロシアのエネルギーについて関心を持つことは、日本の中東依存率を下げるという点から、
当然合理的発想である。但し、ロシアには太平洋パイプライン関連だけではなく、サハリン方
面にサハリン 1 や 2 の後に 9 まで続いている。太平洋パイプラインはすでに 3 年間交渉されて
いるが、FS 等の結果として採算的に問題なければそれで進めれば良いだろう。しかし日本の財
政難を考えれば、費用対効果をもっと考えるべきだろう。目と鼻の先にサハリンがあって 1、2
はすでに開発されている。これから 3 から 9 まで開発されて行くのであれば、なぜ日本はそれ
考えようとしないのか。
すでに中国はサハリン 3 に入り、インドや欧米の企業もサハリン 5 などに関心を持って動い
ている。サハリン 1 は、今でもパイプラインで日本に持ってきたいと考えている。同時期に開
発されて動いたサハリン 2 からは LNG である。なぜサハリン 1 とサハリン 2 間の調整ができ
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ないのか。同時にサハリン 1 に関しては、天然ガスをパイプラインで日本に持ってくるには、
専門家の方々に聞くとかなり量的に厳しいらしい。サハリン 1 の天然ガスをパイプラインで日
本に持っていきたいという方々は、今後、サハリン 1 だけではなく今後出てくる 3、4、5 その
他のところについても日本がどのような形で関わって行くべきか総合的観点から選択していか
なければ、場当たり的なエネルギー政策しか出来ないだろう。
最後に、北東アジアの経済協力問題であるが、私自身も 15 年近く関わってきた。最近のロシ
ア、中国、韓国等の動きをみると、時代は変わっているとつくづく感じる。90 年代の北東アジ
アは、日本の資金を当てにした形で図們江開発を考えていた。未だにそういうところがある。
しかし、もうすでに先の APEC で中ロ韓首脳はサハリンからエネルギーを朝鮮半島に持っていく
ことも討議していると報じられている。また今年 6 月には、インド、ロシア、中国の外相会議
がウラジオストクで行われ、その時もエネルギー問題が 1 つの話題になった。
これまで北東アジアについては、日本を除き他は政府関係者が参加してきたが、日本では ERINA
を含め、民間のシンクタンクが中心になって進めてきた。当然のことながら、他国の政府もす
べてが同じような熱の入れ方でやってきたわけではない。しかしここにきて、中国が北朝鮮に
おける鉄鉱石の開発・投資を決めたことを含め、先ほどの話のような色々な動きが日本抜きで
進んできている。明日からマレーシアで東アジア共同体についての会議があるが、そこでは中
国、日本が主導権を取り合うという思惑をもって動いている。北東アジアにおいて、日本が本
当にイニシアティブを取りたいとおもうのであれば、今が最後のチャンスではないだろうか。
日本が戦略的に動かなければ、日本抜きで今後進んでしまうだろう。
実際、日本抜きで出来る分野はそうなりつつある。先ほどのエネルギーも同様、もう日本は
2 国間だけでエネルギー問題を語る時ではない。確かにエネルギーは国を守る上での武器であ
るが、もっと広義の安全保障という観点から、例えば日本企業進出している中国における停電
問題も考えなければならない。中国に先に石油を出したら日本企業が協力しないというのは視
野が狭く、環境問題にしてもガスや石油が来ない時には中国が日本海側に原発を作ると言った
場合、何か起きれば日本の国土はつかえなくなってしまうという恐れもある。酸性雨の問題も
ある。そのような意味でももっと広義の安全保障という観点から、日本はどのような形で北東
アジアに絡んで行くべきなのか、すでに 15 年近く議論は出尽くしており、民間には分かってい
る。あとは国としての行動が伴うか否かが問題であり、日本政府がもう前面に出なければなら
ない時期にきている。
(ラーリン)
斉藤氏および隈部氏から大変面白く充実したコメントが寄せられたことに感謝したい。提起
された問題全て答える時間がないので、私の報告に入っていなかった問題に集中して回答した
い。
まず武器供与の問題であるが、50%という数字が正しく理解されなかった為だろうが、1990
年代に中ロ間の貿易が 50 億から 80 億ドルというレベルで推移していった当時、30 億∼40 億
ドル位の数字を武器納入が占めていた。中国に対する武器輸出には賛否両論あるが、ここでは
経済的プラグマティズムが大きな位置を占めており、資金が必要な軍需産業が 90 年代に生き抜
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いていくための手段であった。つまり、中国から得たお金が 90 年代に軍産複合体が生き抜く上
での助けとなった。何故なら、国家・軍からの発注が殆どなかったからだ。
今日、ロシアが近代的な最新兵器を中国に納入したとすれば、北東アジアの軍事バランスが
変わるのではないかという懸念については、プラグマティックに考えたい。もし中国が武器を
欲したり、中国がもっている武器を他国に納入したりすれば、それでも戦略バランスは変化す
る。バランスの変化は、ロシアの武器を買うからではなくて、自国の軍需産業を急速に伸ばし
近代化するからこそ生じるのだ。この軍備の近代化というプロセスは止めることが出来ない。
確かに中国は巡視艇やミサイル等を外国から購入しており、それがもしかすると台湾海峡の緊
張がやや高まるのに一役買っているかも知れない。しかし、外国から武器を買い入れるからバ
ランスが変わるのではなく、北東アジア全体に非常に深刻な影響を及ぼすわけでもなかろう。
次に、パイプラインの問題である。色々なバージョンのプロジェクトを含む同問題の成り行
については、全部追えば探偵小説が書けるくらいわけのわからないことも沢山ある。これまで
にも最終的合意に至らなかった問題があるばかりか、左手が自分の右手が何をしているかを知
らないというような状況下にあり、様々な約束を国内での合意なしにやってきたという側面も
ある。1つの部局が石油について 1 つのことを言い、他の役所が他のことを言うというように、
非常に混乱した状況が続いてきた。中国との間では協定が調印されたが、これがトップレベル
で協議されたかどうかは誰も知らないという状況である。目下、希望と可能性を混同した状況
下にあると言えよう。
いずれしても現在のロシアの立場は次の通りだ。ロシアは中国の市場だけに縛られたくない。
ロシアにとり政治的・戦略的にも、経済的にもっとメリットがあるシナリオは、全ての市場へ
の出口を確保するという意味から太平洋への出口であり、日本、韓国、その他の市場に繋がる
ものであろう。太平洋に至るパイプライン建設は決定されており、実現されるだろう。最初は
スコヴォロジノまでというプロジェクトであるが、原則的に戦略的な決定として中国への増加
分を鉄道で運ばれよう。数年間に亘り中国への輸出分は年間 1,500 万トンまで増加していくこ
とになれば、それはパイプラインで運べる量の半分にあたる。もしかすると中国はこの決定に
完全に満足ではないかも知れないが、飲まざるを得ない。何故ならロシアの立場ははっきりと
しており、パイプラインを大慶までもっていく計画はユコス社のものであったが、現在同社は
そのプロジェクトを実現するような力を持っておらず、パイプライン建設はトランスネフチ社
が掌握しているからだ。
第 3 に、北方領土問題については、意識的に触れないでいた。非常に複雑な問題であり、今
個別にそれを話し合っても見通しも出口もない。斉藤氏が、カーネギー・モスクワセンター作
成の提言書の中で私が作者の 1 人であったと述べたが、2004 年 12 月に同センターでシンポジ
ウムが開催された際に何人が参加したものの、提言書自体は同センターのドミトリー・トレー
ニンとワシリー・ミヘイエフという 2 名が執筆したものであり、私はサインしておらず書いて
もいない。私はディスカッションには参加したが、提言書の内容は私の立場と異なる。私の見
るところ、現在のロシア政府はこの問題解決にあたり、1956 年の声明に沿って解決する用意が
あるが、ロシアの世論や政界にはその準備がまだ出来ていない。この点、日本側の状況も同様
であり、日本の世論はまだ 4 島返還論である。ロシアの世論が1つも返さないという立場であ
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る以上、これを詰めていくと双方の立場は全く一致しない。つまり、今の段階でこの問題を解
決することは不可能である。
北方領土の共同開発については、単なる宣言文以上のものではないと思う。つまりこの問題
の議論の余地を残そうというだけだ。この問題が存在している以上、目を瞑るわけにはいかな
い。周知の通り、ロシア政府の立場はソビエト政府の立場とは全く違う。ソビエト政権はこの
問題の存在そのものも認めなかった。ロシアの政権は同問題の存在を認めているが、我々は現
実主義者になる必要がある。現時点で領土問題を解決することは不可能であり、中国人も同じ
ような立場を取った。つまり現時点で解決出来ない問題は、解決を将来に先延ばししようとす
る立場だ。
ロシアは中国との間で基本的に島を分割した。そもそも中ロの国境が問題となったのは、約
100 年前からである。中国は不満を持ち続けてきた。1860 年代の北京条約によって引かれた国
境線に不満を示し始めたのは 1880 年代末の頃のことである。長年にわたり、ロシア帝国と清
王朝、後にソビエト政権と中華人民共和国が常にこの問題を議題にしてきた。しかし実際に交
渉の形になったのは 1960 年代の初め以降である。中国で文化大革命が起きて交渉が中断され
たが、その後復活した。そのように大変長いプロセスを経てようやく 1991 年には国境東部に
関し、1994 年には国境西部に関し合意がなされた。しかし国境の 2%にあたるアムール川上の
島嶼を巡る国境線は、画定しないまま取り残された。ようやく 2004 年 10 月に双方が合意文書
を協定し、今年両国の外務大臣がその批准文書を交換して、国境線がその島を通ることになっ
た。
この決定に関する不満が、ロシアだけでなく中国にも存在することに注目してほしい。中国
人民代表大会の外事委員会が同文書の批准を議論した際、中国の利益を損なうものであると批
准に反対する決定を出した。ハバロフスク近郊の 2 つの島は完全に中国が領有すべきだと同委
員会は考えた。同委員会の考え方を変えるために、中国政府は有力な関係者、学者を含めて強
力な陣営を送り込んだ。その結果、中国の人民代表大会もロシアとの文書を批准した。議論は
1週間に亘った。アムール川をめぐる国境画定問題をめぐり、どれだけの島を中国とロシアが
分け合ったかに関しては、岩下明裕(北大スラブ研究センター教授)氏が日本語、英語で論文
を書いている。そこには川の本流や航路の形態についても、明確な定義で書かれている。
1960 年に中ロ間で国境線が引かれた時、航路をめぐり国境線が引かれるとは書かれていなか
った。地図を見ても中国側の岸に近いところに国境線が引かれていた。島に関しては国境線が
引かれていなかった。
第 4 に、プーチン大統領訪日の評価に関し、意図的に私見を述べなかった。今回の訪日の評
価に関しては、そもそも訪日以前から評価は見えていたが、訪日がなされたこと自体は良かっ
たと思う。特別な期待は寄せるべきではなかった。例えば、当時のエリツィン大統領と橋本首
相との非公式の会談にバラ色の大きな期待が寄せられた結果がどうなったかということは、周
知の通りである。今回のプーチン大統領来日は、かなり実務的な訪問であった。モスクワの政
治家たちそれぞれが何を考えたとしても、私自身を含め、ロシア側はまともな実務的・建設的
関係を、日本を含めて東アジア全ての国家と確立していかなければならないからだ。国家元首
レベルも含めて全ての関係を維持していくべきである。
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投資環境や汚職の対策が重要であるという意見に対し、私は完全に賛同するが、本セミナー
のテーマとは若干外れており、すでに議論が飽きるほどなされている。日本の経済界の人々に
よって、ロシア極東における日本のプレゼンス問題を含め、1990 年代初めの時点でロシアは何
をすべきか、投資を誘致するために何をすべきかという議論がなされてきたが、重要な点は何
も変わっていない。ファイナンスの流れに関する透明性の確保が必要であり、例えば財務処理
を含めて透明性が必要な点は未だに解決されていない。しかし、ロシアはゆっくりとしたテン
ポで痛みを伴ってその方向に移行しつつある。日本の経済界が参加をするか否かについては、
より迅速にそのようなプロセスが進むかどうかを見極めて行けば良いだろう。
ロシアは 1990 年代の資本主義的バザール経済という段階をすでに越えた。もちろんその後
遺症がまだ十分実感される。他の国であれば 50 年、100 年かかって歩む道をロシアはたった
15 年間で歩んでしまった。このように跳躍するような形でその段階を超えたので、後遺症はこ
れからも実感され続けるだろう。ロシアは普通のまともな民主的で発展した国になりたいと思
っている。しかし、なりたいということと、できるということは、2 つの全く大きく違なるこ
とである。希望と実際にできるかどうかというのは、違う次元のことである。
ではロシア極東がどのような努力をしているのかという斉藤氏からの質問であるが、努力の
1つとして極東における経済特区の設立が挙げられよう。特区を極東に作ることを中央政府に
働きかけているが、隈部氏が指摘したように、確かに先日認定された経済特区に極東は入って
いなかった。今のところ、極東において公式に認定された経済特区は 1 つもない。まだ十分に
作業がなされたわけでもないが、当局側は少なくとも 1 つは中国との国境、綏芬河近郊に近い
特区が認められることを希望している。大統領は、少なくとも経済特区の 1 つは極東において
国が認定すると述べている。
隈部氏からの質問にあったように、モスクワの視点が極東に向いてくることがあるかどうか
ということについては、私の報告の中でも指摘したとおり、極東に目を向けなくてはならない
ということは皆が理解している。しかし、それを実行する能力や知的な力が足りないのだ。中
国よりも、日本や韓国と働く方がもっと難しい。それはメンタリティーや心理的な相違による
ものであるが、その点がある程度政治家やビジネスマンなどをくじけさせることがある。
極東を資源の供給地として「植民地的に」扱うという問題に関し、どうしてもロシア人の意
識下にそのような認識があると言わざるを得ない。そのように 150 年にもわたり、北方地域や
極東地域は、ソビエト時代を含めそのような役割を担ってきたからだ。これら地域の住民は、
基本的には移住してきた人々だ。西を見るのか、東を見るのかという選択をする際には、どう
しても西を向くという結果に至る。どうしたらこの状況が変わるのかと言うならば、時を待つ
しかない、あるいは何か通常でない状況が起きることでしかないだろう。
ロシアの政治が中国とあまりに接近し過ぎることに関しては、もちろん懸念がある。つまり
非常に大きな中国の影響下に入ってしまう危険がある。その一方で、隈部氏が明確に指摘した
通り、日本カードを切りたいという気持ちがロシアの政治家にあるということは確かであろう。
それは確かにあまり美しくないやり方であるが、これがロシアの外交政策形成の中にあり、東
アジアに対するロシアの外交の中にあるという点は言えよう。
それでは誰がそのような政策を作るっているのかと言えば、極東地域あるいは東アジアを十
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分に知らない人々である。さらにその政策は、米国あるいはヨーロッパに向けられた政治・政
策と比べ副次的なものと考えられている。
政治と経済の関係を考える際、政治は大変重要だ。しかし、ロシアはまだ政治が経済を規定
していたソビエト時代から十分に抜け出していない。今でもロシアでは政治的構図が大きな役
割を果たしている。それでも今のロシアと 90 年代初めのロシアとは全く異なる。現在、どんな
に経済的問題があると批判をしても、ロシアは順調に経済力を伸ばしている。現在、ロシアは
十分な資金を有している。問題は資金がないということではなくて、一体その資金をどのよう
に使うべきなのかという点であり、つまり国の指導部が使用方法を知らないという点であろう。
東アジアはこの 15 年間に大きく変わり、近代化されてきた。しかし私見では、日本の東アジ
アに対する視点は、ゆっくりとしか変わっていない。ビジネス界がそうだとは言わないが、ま
だ日本の政界の中にこのような惰性が残っており変わることが出来ないのだろう。日本が見て
いる東アジアは、10 年前の東アジアである。
例えば中国の変化に関し、最近私が読んだ本によれば、現在中国は世界第 2 位の貴金属の消
費国になっている。売る方においても米国に次いで第 2 位であり、大勢の裕福層がいる。上海
では最新の自動車を販売する見本市を見てきたが、非常に高い車が今年初日に売り切れてしま
うという状況であった。それは、今日私たちが目にしている変化であり、同じような変化がロ
シアでも起きている。
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