水政策に関する国際的課題と動向の研究

水政策に関する国際的課題と動向の研究
The study of the international issues and trends about the water policy
伊藤一正*1
Kazumasa ITO
日本は水に関する高い技術を有していると言われているが、それらを、将来どのように利用してゆくべき
か、どう国際的に活用できるか、世界水フォーラムにおける日本の発信、水の安全保障戦略機構における官
民の取り組みなどが要点と言われている。本研究は、水ビジネスなどへの日本の取組み方、特に建設コンサ
ルタントとしての取組み方法などについて国内外の有識者へのインタビューと議論を通して、新しい水分野
のビジネス展開の可能性を研究したものである。
キーワード:食料、エネルギー,水ビジネス、国際展開、国際連携
1. はじめに
水の問題は水量や水質についての確保が課題となるだ
けでなく、食糧やエネルギーとも深くかかわり、水の政
策は国家の基幹の課題である。
本研究は、世界各国の水に関する動向をもとに、今後
の水に関する政策、ビジネスの在り方を著名な専門家と
の討論をとおして分析し、日本の進むべき方向性、企業
の戦略の方向性を提案したものである。特に、急速に進
展する高齢化が社会の在り方を大きく変化させ、その中
で企業や組織はどのような戦略を考えるべきか、水に関
わる事業として何を展開できるか、国際化にいかに対応
すべきか提案した。
本論文は以下の5章で構成した。まず、日本の水に関
わる政策の基本を江戸期から現在にいたるまでの社会活
動とともに概観し、現在の水循環の課題がいつ、どのよ
うに生じてきたのか、社会システムとともに把握した。
次に第 2 章では近年議論が進んでいる水ビジネスの現状
を整理した。そして第 3 章では水問題のうち日本に最も
関係の深いアジア地域での状況を整理し、第 4 章で水問
題の国際化にいかに対応すべきか課題と方法を示し、第
5 章でとりまとめを行った。
日本は過去 20 年、
バブル崩壊以後の経済成長が停滞し、
世界の中で技術力経済力も含め低下傾向にある。その一
方で、2050 年、今から 40 年後には高齢化率(65 歳以上
人口)が総人口の 40%に近づき、国の形態が大きく変化
する。それに向かい、その半分の、これから 20 年間で日
本は何ができるのか、世界で最も重要で日本が最も得意
とする分野である水分野で世界の一翼を如何に担うべき
か、本研究では、そのあり方の一部を提案した。これか
らの 20 年間で、さらに、その一部でも達成できれば、そ
の後の 20 年で次世代の人々が安心し、
誇れる日本の基礎
となる事を願うものである。
2.日本人と水
江戸時代(1603~1868 年)は 265 年もの長きにわたり
戦争がなく、特有の江戸文化が熟成され、世界史でも稀
*1
な時代であった。特に鎖国政策(1635~1854 年)は日本
を諸外国から切り離し、おのずと自給自足となり、閉ざ
された環境のもと徹底した自活自営が進められた。江戸
時代中期以降3000万人を超す人口が当時として高度
な文明社会を形成しそれを維持できたのは、ほぼ完全な
循環型社会を営む事が出来たからである。これは近代社
会の中にあって世界に類のないリサイクル社会の成立で
あり環境政策の面でも特筆に値する。江戸時代における
循環型社会の生活体験は明治時代以降にも保たれ、
「も
ったいない」と言う表現と資源を大切に利用する事であ
り、国際的にも評価されるようになっている。
今、世界の人口並びに都市人口は急激に増大してきて
いる。その都市の発展には食料とエネルギーの供給が必
須で、その両者の基となっているのが水である。
日本が経験してきた循環型社会は、これからの世界に
日本が貢献できる恰好のテーマでもある。
表-1 20世紀の世界の人口増加と都市化率の推移
世界人口
都市人口 都市化
年 度
(千人)
(千人)
率(%)
1900 1,619,887
232,695
14.3
1970 3,610,034 1,354,237 37.5
1985 4,781,124 2,053,544 42.9
2000 6,055,049 2,881,079 47.6
*資料出典: Greenway and Monsna, 1989; Barrett and
Johnson, 2001
3.水ビジネス
(1)世界の水ビジネスの現状
新興国や途上国の経済成長により生活用水や工業用水
の安定供給を担う水ビジネスが注目を集めている。その
中では設備の製造から上下水道の整備・運営まで一括し
て対応する「水メジャー」と呼ばれる海外企業が活躍を
しており、
予測では87兆円もの市場が見込まれている。
この水メジャーは、フランスのヴェオリア、スエズ、
さらには英国のテムズウォーター(テムズウォーターオ
ーソリティが民営化されテムズウォーターユーティリ
ティ株式会社となったが、2006 年 12 月に英国のケンブ
企画本部 国際部 International Division, Corporate Planning Department
-8-
ルウォーター(Kemble Water Ltd)に売却され、さらに、
2007 年 11 月にオーストラリアの投資会社マクアイアー
グループ Macquarie Group Limited に売却)が代表であ
る。
これら、各社の現状と、日本の動向を対比すると以下
のとおりである。
フランスは公共が財産権を保有し、運営を民に任せる
風土があり、160 年前、フランスは 3,600 の地方に分割
され自治が行なわれ水道事業が進められていた。ヴェオ
リアやスエズはその個々について水道事業運営支援を営
業し今日の基礎を構築してきた。結果、1980 年にはフラ
ンス国内の水道事業をヴェオリア、スエズ、サールの3
社で80%のシェアを超過するまでになった。各社は、
ここで確立した技術を背景に国際展開を開始したのであ
る。
一方、日本の水道事業は主に公共が担当し、1 億 2 千
万人に 3 兆 2 千億円の料金収入により運営されている。
これは、表-2のスエズの給水規模に匹敵し、直接の比
較は必ずしも適当ではないが、1 兆 5 千億円で運営され
ていることと比べると約 2 倍の経費が投入されていると
も言える。
表-2 水企業規模
水関連 給水人口
水部門
企業
(百万人)
売上(億円) 従業員
1.スエズ(仏)
15,000
72,000
125
2.ヴェオリア(仏) 16,000
78,000
108
3.テムズ・ウォター(英)
6,000
15,000
70
そして2015年にはこれらの水企業が、
世界の人口の15%
にサービスを供給する事が展望されている。特に、その
中でもアジア地域が世界の水市場の40%以上を占める事
が予測されており、アジア各国が水ビジネスへの展開を
推進している理由である。
表-3 水供給サービスの分布
区 分
国名
2005年 現在
2015年 展望
サービス人 専門企業 サービス人 専門企業
口(百万人) の供給率 口(百万人) の供給率
全世界(合計)
562.6
9%
1,085
15%
西ヨーロッパ
中央·東ヨーロッパ
中東およびアフリカ
南アジア
中央アジア
東南アジア
オセアニア
北アメリカ
南アメリカ
179.1
24.5
30.6
3.3
0.0
146.7
4.6
79.3
94.5
45%
7%
3%
0%
0%
7%
18%
19%
17%
210
60
105
45
5
380
10
120
150
52%
18%
8%
3%
5%
17%
35%
25%
24%
※資料出典: Pinsent-Masons Water Yearbook 2005-2006
そして、この水メジャーを追随しているのが、韓国とシン
ガポールである。シンガポールでは民間企業のハイフラック
ス、政府系複合企業のセムコープ等がシンガポール国内の水
ビジネスで経験を積み、ハイフラックスは中国や中東、北ア
-9-
フリカにまで海水淡水化などの事業拡大を行っている。2009
年の売り上げは346億円と3年前の3.7倍へと急増してきてい
る。シンガポールでは下水道の高度処理を進め飲料水レベル
の水質まで再生したニューウォーターや海水淡水化などの
技術開発を進めてきており、ここで培った技術を積極的に海
外に展開している。韓国も2000年代に入り水に関わる高度技
術の研究開発を政府主導で進め、2006年には環境部で水ビジ
ネス展開シナリオを完成させ、2007年には水ビジネスの規模
を2015年までの8年間で倍増させる計画を打ち出し、世界10
位以内の企業を2つ以上育成する方針を確立した。
(2)日本の現状
2010 年 2 月 17 日に、水制度改革国民会議が中心とな
り「水循環基本法」
(仮称)の制定を実現させるため、超
党派の国会議員 40 名により「水制度改革議員連盟」が発
足しシンポジウムが開催された。その後、4 月 14 日には
日本経済新聞社が「水の世紀」シンポジウムを、6 月 3
日に日仏工業技術会が「日仏水フォーラム 2010~地球の
水危機への日仏協力」
、11 月 4 日には「日経 水フォーラ
ム in 大阪 ~日本の水ビジネス新潮流~」、12 月 9 日に
は北九州市が「北九州国際水ビジネスフォーラム 2010」
を開催するなど、盛んに水に関わるシンポジウムが開か
れ、多くの協議会などが立ち上がってきた。
しかしながら、たとえば「海外水循環システム協議会
(GWRA)
」
などでは、
設立時 14 社でスタートしたものが、
現在 50 社になっており、
また、
国土交通省や経済産業省、
厚生労働省が立ち上げた「海外水インフラ PPP 協議会」
にいたっては座長の三菱商事小島順彦会長以下 196 機関
から委員が選出された。この結果、各協議会は情報交換
と企業マッチングの場となり、日本の水ビジネスの戦略
も方向性も作られていない。GWP の吉村和就代表によれ
ば、まさに「合コン」の場になっており、とりあえず参
加して、何かあれば手を出そうと言う様相になり、実際
には成果がほとんど得られていない。まさに日本企業の
文化そのもので、とりあえず、他社にあわせて参加する
事が目標となり、決して挑戦して結果を得ようとしない
体質がここでも発揮されている。
2009 年に日本企業が海外で得た事業額は 1200 億円で
あるが、シンガポールは 5000 億円を獲得している。韓国
は 2018 年に世界の水ビジネス市場の 3%の獲得を目指し
ている。シンガポールも韓国も水ビジネスの戦略として
国内の水市場を民営化して解放し、外資の導入を図り、
国内企業を競争させる、あるいは、外資と連携して国に
人材を育成する等を明確にし、まさにその結果が徐々に
表れてきており、水メジャーと渡り合える段階になろう
としている。行政が主導すると言う事はまさに、このよ
うな明確な戦略の立案と、戦略に基づく企業育成と海外
進出の支援が挙げられよう。日本では、多くの水市場が
行政により閉鎖されており、外資の参入は困難を極め、
従って国際的な技術体系が出来上がらず、さらには、行
政が中心となって、民間企業を束ねて国際ビジネス展開
をはかる戦略は、行政の過去の海外経験、事業戦略の立
案などの面で不利があり、海外マーケットで日本勢が成
功するには高いハードルがある。
韓国、台湾など東アジアの技術先進国は積極的に海外
企業の呼び込みと連携を進めており、その結果、国内企
業の育成と、技術者の育成、さらには、連携した企業と
ともに韓国・台湾企業の国際展開が図られると言う一石
二鳥の戦略が水分野のみならず、広く進められており、
経済活性化にも大きな効果を発揮している。
4.アジアの水問題
(1)中国とインドの現状
1)中国
中国の水資源は、現在、枯渇と汚染に直面している。枯
渇については、かつて、黄河上流には 4000 もの湖があっ
たが、現在では半減していることを示す。水資源の枯渇
は河川の断流を引き起こし、断流は流域に深刻な水不足
を招いている。汚染については、2004 年時点では、中国
の7大水系(長江、黄河、珠江、松花江、准河、海河、
遼河)では、総水量の 40.9%が「飲めない水」、30%は
「やや汚染が進んだ水」であり、比較的良質な水は
29.1%に過ぎない。中国企業統計によると、中国の上水
道事業者数は 2,476 で、ほぼ我が国の地方公営水道事業
者数(2,449)に匹敵する。営業収入は約 9,782 億円相当
(670 億人民元)で、我が国の地方公営企業の約 3 分の
1 レベルである。
中国では都市部への人口集中が急速に進展しており、
2006 年は 1985 年に比べ、全国行政鎮の数が 7,956 から
17,645に増加し、
鎮の人口は1.4億人に達した。
そして、
2006 年現在、中国小都市の水道普及率は6割程度。小都
市水道の浄水処理及び施設は簡易のものが多く、飲料水
の安全性は低く、3.2 億人が安全ではない水を飲用して
いる。特に、消毒及び監視・計測設備が不足し、農村に
おいては病原性微生物による飲料水の汚染が懸念されて
いる。2006 年の中国小都市水道建設の総投資は 84.3 億
元(1,058 億円)、一人あたり一日給水量は 102.5ℓ 、水
道管延長は 34.2 万 km であり、下水施設総投資は 65.2
億元(815 億円)、廃棄物施設の投資は 25.8 億元(323
億円)であり、全国村鎮の建設投資は 2002 年に比べ、
58.2%増加し、上下水道の整備は急を要している。このよ
うな、中国地方都市水道事業への参入について環境省は
以下の結果を得ている。
①地方中核都市の浄水BOT事業参入
• 欧米メジャーが既に参入している市場
• 地方都市の経済成長は目覚しく、水道料金も上昇する
ことが期待され、参入分野としては魅力的である。
• 地元企業との提携はコスト削減、営業力補強に有効で
ある。
② 地方中小都市の井戸、管網リハビリ事業
• 井戸、配水管網のリハビリ事業などは欧米メジャーの
参入も活発でない分野
- 10 -
• 水道料金も上昇することが期待され、今後の参入分野
として有効。
さらに、中国における水道事業への民間参入の制度につ
いては以下の特徴がある。
・ 水道事業への外資参入は可能
・ 一定の経営権を伴うコンセッションも実施可能
・ 上下水管網の建設・経営は中国政府を大株主とする株
式会社方式で実施
既にフランス企業などが参入しているように外国企業
が参入することに法規制上の制約はなく、事業経営も担
うコンセッション事業への参画も可能である。但し、配
水管網などの建設、管理は公共の関与が条件となる。
ここで、コンセッション事業とは、「市政公共事業特
許経営制度(コンセッション契約)の事であり、市政公
共事業の中で、政府が企業に対して一定期間、一定範囲
を限って市政公共製品又はサービスの経営権を与えるも
の」である。この、民間企業へ経営権の付与も行うコン
セッション事業は、全国レベルは国務院建設主管部門が、
省や自治区は人民政府建設主管部門が、それぞれの行政
区域内の指導及び監督の責任を持つこととなっている。
このように、中国に対しては法的な規制はなく、設備建
設には公共の関与が条件となるが事業経営への参画も可
能である。
2)インド
IT産業を強みとして高い経済成長を遂げているインド
は、中国に次いで世界第2位の人口を有し、人口400万人
以上の都市を4つ抱えている。人口集中が激しい都市部で
はインフラ整備の遅れが問題となっている。
インドの河川は飲料用水、生活用水、灌漑用水、工業
用水、レクリエーション、沐浴といった多様な機能を果
たしているが、工業発展や人口増加により汚染が進んで
いるため、政府は第10次5ヵ年計画(2002~2007)で河川
の浄化を重点目標に掲げ、主要な河川の浄化を実施する
ものとした。表-4は同国の水資源の利用状況を示したも
のである。農業部門での水の使用が大きな割合を占めて
いる。
インドでは、人口増加や経済発展に伴う上水需要の増
加に対して、施設整備が追いつかず供給不足が深刻化し
ている。また水中からのフッ素、砒素等の有害物質検出
等の問題を招いている他、都市部への急激な人口流入や
工業化により、下水処理能力を超過した汚水が排出され
ており、地域住民の衛生、生活環境が脅かされている。
下水道事業の運営・維持管理面についても、水質、無収
水、料金設定等、技術的・財務的な課題を抱えている。
インド政府は、第10次5ヶ年計画(2002年4月~2007年3
月)において、十分かつ安全な飲料水の全国民への供給、
主要な汚染河川の浄化及びその流域環境の改善を提唱し
ている。これを踏まえ、水資源省は国家水政策(2002年4
月)の中で、水資源配分の優先順位を上水・灌漑・水力
発電の順番に置くことを示し、環境森林省は国家河川保
全計画に基づく下水道整備の取組を行っている。また、
第11次5カ年計画(2007年4月~2012年3月)においては、
国家都市再生ミッションの下での上下水道・衛生施設の
整備の推進が言及されている。
表-4インドにおける水資源使用量(単位:1兆㎥/年)
項目
インド 日本(参考)
農業用途での水利用量(2000 年)
558
55.2
都市(Municipal)における水利用量
52.2
17.4
(2000 年)
工業用途での水利用量(2000 年)
35.2
15.8
合計水利用量(2000 年)
646
88.4
1 人あたりの国内再生可能な水資源
1094
3361
量(2007 年)
(㎥/人/年) (㎥/人/年)
(出典:AQUASTAT
http://www.fao.org/nr/water/aquastat/main/index.stm)
インド政府は第11次5ヵ年計画において、2011/12年ま
でに都市部全人口への上水供給及び下水・衛生施設の提
供を政策目標として掲げ、各州・自治体に対し包括的な
都市開発計画を策定し、国家都市再生ミッション
(Jawaharla Nehru National Urban Renewal Mission、以
下JNNURM)等による支援を活用しつつ目標の達成を図る
よう求めている。
ここに、海外水企業の参入のチャンスが見出されて
いる。
(2)シンガポールの水への取り組み
前シンガポール首相のリー・クアンユー
(Lee Kuan Yew,
李光耀)は「水をきれいにして、流れを保ち、あらゆる
水路の汚染をなくすことが、シンガポールの生活スタイ
ルでなければならない。……10 年以内にシンガポール川
と、カラン川で釣りをできるようにしよう。それは可能
です。
」と 1977 年の 2 月 22 日の演説で述べ、それが川や
水についての国の目標の一つとなった。
人口約 400 万人のシンガポールでは、一人当たりが得
られる水資源の量(水資源賦存量)は 346m3 と世界で下
から 4 番目である(2000 年度)
。そのため、シンガポー
ルは隣接するマレーシアのジョホール州から水を輸入し
ていた。両国間の水供給協定は 1961 年に結ばれ、50 年
後の 2011 年まで協定が有効であった。
マレーシアの降水
量は年間約 2400mm で、これは世界の降水量平均の 970mm
の倍以上で、豊かな水資源を国の発展にどう活かすかを
マレーシア政府は考えており、シンガポールへの水供給
はその手段の一つであった。
シンガポールとマレーシア間における 2011 年以降の
水供給協定の協議においてマレーシアは 100 倍の価格上
昇を提案し、
シンガポールはそれを受け入れるとともに、
マレーシアから水輸入する以外のオプションに取り組み
- 11 -
始めた。
つまり、国内で水資源開発を始め、それが海水淡水化
事業、下水再利用水の製造である。下水再利用水はニュ
ーウォーターとして具体化された。
シンガポール政府の水への取り組みは完璧な水循環の
管理として位置付けられ、水源から取水し浄化し供給す
るまでの管理、雨水排水や使用水の汚水排水を処理して
ニューウォーターとするまでのサイクルを完全管理する
事を目指し、その成功が国の安全の確保として実現され
てきた。これらの政策を実現し、ここで開発され、また
得られた技術を背景に、シンガポールは水処理技術、水
管理技術を世界に向けて輸出する政策を開始している。
シンガポールが世界の水メジャーに匹敵し、ベオリア、
スエズやテムズウォーター(現在テムズウォーターユー
ティリティ)に続くメジャーとなりつつある背景がここ
にある。自国の安全のために開発確保した技術を新たな
商品として積極的に海外に向けて行く仕組みを政府その
ものが取り組んだ例である。
(3)韓国の現状
韓国環境部による「水ビジネス育成の 5 年推進計画の
研究」報告書(2006 年 12 月)によると、水ビジネスを、
"様々な用水(生活、工業)を生産し供給する産業と下水
•廃水を移送、および処理する産業のサービス"を総称す
る概念として定義し、国民経済に占める割合が非常に大
きな基幹産業となりうるビジネスであり、その育成は、
21 世紀の国家の競争力の維持と向上にとって重要な課
題と定め、水ビジネスの基本構想を定めている。
2006 年は、日本も、やっと水供給のノウハウや維持管
理のノウハウが国際的なビジネスになるかも知れないと
議論を開始したような段階であるが、韓国では、その段
階で 21 世紀の国家競争の手段として政策に取り組んで
いた。
その中で韓国は日本の水ビジネスの取り組みを以下の
ように評価していた。
・日本の水産業規模は年間57兆ウォン(4.1兆円)で世界
第2位であるが、様々な問題が内在。
・水道事業だけで17,719件あり、自治体の直営による効
率の低下が発生。
・また、再投資の時期が到来、既存人材の定年退職など
の課題を抱えている。
・現在のところ世界的な水企業への成長は不調。
・下水道分野の委託は、短期運用• 管理(O&M)に限定
・多国籍水企業と提携した大企業の場合は、役割が限ら
れている。
これらを背景に、韓国の水産業への取組方針を以下と
して定めていた。
表-5 韓国の水産業への取組方針
区分
目標
段階的な推進の内容
備考
水ビジネス育成のため
短
期
の法的制度的な基礎を
(2 0 0 6 ~2 0 1 0 )
用意
・上下水道の構造改編を推進
・上下水道サービスの評価システムを導入
・農漁村。離島などの上下水道事業のサポートを拡大
・有望なコア技術の重点開発
・優秀な人材の養成のために教育システムを構築
・水ビジネスの海外進出の支援システムを構築
・関連産業の活性化のため制度の改善
・水ビジネス育成のため法律の制定や資金を調達する
産 業 規 模 : 1 4 兆
水企業群:2~3件形成
本格的な水ビジネスの
中
長
期
育成を通じた水ビジネ
(2 0 1 1 ~2 0 1 5 )
ス大国を実現
・水ビジネス育成法や資金の運用
産 業 規 模 : 2 0 兆
・上下水道サービス業の構造再編の完了
水企業群: 8 件形成
・国際的なレベルの上下水道サービスの質の達成
・上下水道サービス業の民間への活性化
・有望なコア技術の商用化
(世界10位圏の企業の2カ
・国内のミネラルウォーターの世界ブランド化を達成
所以上)
・水ビジネス輸出の国際的なネットワークの形成、運営
このために、以下の課題克服を目標に掲げた。
国内市場を中心に進められてきた産業構造を海外市場
進出に合わせて体質改善が必要との認識のもと、
・上下水道設備• 装置などのハード中心の輸出から、上
下水道運営• 設計• 技術などのソフト中心に、輸出先
を切り替え。
・海外市場開拓のための積極的な海外の情報取得と税制
支援を通じた海外市場への進出を奨励。
・持続的なサービスの質の向上、およびインフラの構築
を通じた地域間のサービスの不均衡の解消、および関
連産業(建設• 工学• 機材等)の活性化。
・国内の水道事業構造の再編によって、常に変化する
世界の水ビジネス市場に能動的に対処できる組織として
の体質改善。
これらを踏まえて、水ビジネス育成のための詳細実行
政策課題の推進と目標を達成するためには、政府を中心
とした事業者• 産業• 学界の有機的の関係形成を介した
役割分担が必要として、水ビジネス展開について以下の
方針を 2006 年時点で取りまとめている。
①政府は水ビジネス育成のための制度を改善し、投資を
拡大することにより、国内市場を活性化させ、国内の
水ビジネスの海外市場進出のための、支援システムの
構築に努力
②上下水道事業者は、
サービス業の構造改編を実施して、
独立採算制と責任経営体制を確立し、競争力を持つ事
業者に生まれ変わり東南アジアなど海外水市場の開拓
者としての役割が必要
③水ビジネス関連の関連産業部門は、政府の内需市場の
活性化を目指し、上下水道事業者の海外進出に伴う連
携進出方案を模索し、高付加価値技術の開発と国際規
格に適合するように、製品の質の向上を図る 。
4)水ビジネスの育成の一軸を成す学界は、産•学•研の
- 12 -
研究システムの構築を通じた技術の開発と海外水市場の
開拓に必要な優秀な人材の養成と水ビジネス育成のため
の持続的な政策提言を提案
これらの具体化のため、以下の基本計画を確認してい
た。
①水ビジネス育成のため、法的制度の補完
国内の水ビジネスは、初期段階であり、水ビジネスを
国家の重要な成長産業として育成するためには、政府レ
ベルでの法的• 制度的支援が必要。特に、上下水道部門
が地方政府の行政事務に区分されている韓国の場合、事
業構造再編を通じて水企業を育成するためには、法的な
裏付けが必要。したがって、これらの制度的な問題を克
服するためには、水ビジネス育成のため法律の制定が必
要であり、新設される関連法により水ビジネス育成に予
想される問題の解決策を提案しなければならない。その
ために、次のような内容を含んだ"水ビジネス育成法"の
制定を目指した。
・水ビジネスの育成基本計画の樹立• 施行に関する事項
・
『
(仮称)水ビジネス委員会』の設置• 運営に関する事
項
・専門家育成に関する事項
・水道事業の構造改編に関する事項
・水ビジネス分野の技術と人材育成に関する事項
・水ビジネス分野の国際交流、輸出支援に関する事項
・
『
(仮称)水ビジネス育成基金』の設置• 運営に関する
事項
さらに、国家次元で定期的に水ビジネスの育成計画と重
要な政策などを審議• 設定を行う『水ビジネス委員会』
のような統括組織の活性化。
②水ビジネス育成のための財政支援
水ビジネス育成政策課題を実行するには、莫大な予
算が必要で、投資期間も長期的である必要がある。他
省庁の場合も、政策や事業育成のため、別途の資金を
運用することで、
政策の実効性を保証しているように、
水ビジネス育成政策の場合も、目的に適合された資金
の助成• 運営が必要。基金の助成は、政府の支援金(ま
たはローン)と、水関連事業者、政府以外の支援金、
基金運用などによる収益金を介して運用が可能である。
そして、必要な場合負担金を新設して造成する案を検
討する必要がある。水ビジネス育成のための負担金の
新設時には事業範囲と納付主体を明確にして、関連省
庁(企画予算処)の負担金の新設抑制政策に十分な理
由と必要性を提示しなければならない。資金調達は、
別途の関連基金法を制定するより、
『
(仮称)水ビジネ
ス育成法』
に法的根拠を置いて運営するのが望ましい。
③水ビジネス育成のための推進体系の用意
水ビジネス育成のための政策統括組織として作ら
れた「水ビジネス委員会」の役割は、水ビジネスの育
成計画などの重要な政策を審議• 調節する機能を果た
しており、政策の実行段階では、実務のサポート(業
務代行)と管理のための推進システムが必要である。
従って、
水ビジネスの部門別推進システム構築のため、
既存の組織(協会• 工事• 工業団地)別に事業の範囲
を特化させ、新しい組織として構成し、政府の水ビジ
ネスの育成支援システムを構築する必要がある 。
5.水の国際化にどう対応するか
(1)これからの時代
現在、日本は気候変動による水資源環境の変化への対
応、並びにグローバル化の加速度的進展による社会構造
そのものの改変が求められている。それは経済力の変化
にもまして重視される時代となり、新しい仕組みをいか
に作るかが、これからの大きな課題である。
1990 年からの、失われた 20 年(1990-2010)と残され
た 40 年
(40 年後の 2050 年には人口の 40%が 65 歳以上で
22%が 75 歳以上)
、
それまでに我々には何ができるのか?
社会に効果として発現されてくる時間を含むと、実質的
に残された時間は 30 年程度でしかない。
その間に生活の
仕組みを変えなくてはいけない。ビジネスの形態を変え
なくてはいけない。そして日本のあり方を変えなくては
いけない。生産人口が 50%に近づき、高齢人口が 40%とな
る社会で日本は何をなすべきなのか。
図-1 各国の高齢化人口率の変化と予測
(国連World Population Prospects 2006 年版より
日本は2005年以前は「国勢調査」
、2010年以降は国立社会保障・人口問題
研究所「日本の将来推計人口」による。
)
- 13 -
図-2 生産人口の変化と予測
(総務省統計局「国勢調査報告」による)
現在の社会で、果たして、長寿である事は幸せな事な
のか?経済力は幸せを生むのか?豊さの尺度が変化して
きている。もはや、日本の中だけでは解決が難しい地点
にきており、これからの日本に求められるものは、経験
を生かして、社会も産業も、技術も国際的な連携と貢献
が必要な理由である。
(2)国際化の遅れ、国際感覚の欠如の回復
日本は水の国際化になぜ遅れたのか。それは、多くの
指導者(学識者、官僚、民間)においても国際感覚が従
来極めて不十分で、学識者・研究者においてですら、国
際会議の場であっても論文発表以外に関心が薄く、国際
的な連携交流が必ずしも十分に見られていない事にもう
かがえる。さらに、日本では官僚組織や企業においても
明治大正期は別とし、以後からは伝統的に国際人を優遇
してこなかった歴史もある。国際的な調整や連携を推進
し達成しても、組織の中枢に適用されない歴史が長い。
韓国、台湾、中国などでは逆に国際派が組織のリーダー
となって様々な分野を世界の中心に押し上げる原動力と
なっている。
上下水道事業は管理を含めて、ここまで輸出の経験が
少なく、それは、韓国が 2006 年には将来を見据えて国際
的な水ビジネス展開を立案していたのに比べ、組織的に
も水ビジネスの国際化に遅れていたことは事実で、
また、
その必要性もなかった事でもあった。なぜ水道の民営化
に消極的であったのか?日本国内の水道事業は海外での
事業費用の 2 倍ものコストで運営されており、その結果
海外での競争力も無いし、また、必要性も少なかった。
そのような制度、仕組みを構築してきたのは、まさに日
本の特殊性であり、特殊な環境の中で特殊な集団が育成
されていた事となる。結果、国際化の中で、国際競争の
もと、大きな障害となりつつある。
では、国際連携に真剣に取り組むためには何が必要な
のか?行政が主導する国際水ビジネスは本当に成り立つ
のか?最も国際経験の少ない行政が、なぜリードして国
際ビジネスなのか?日本が総合力で国際市場に持ち込む
技術、商品を如何にして作り上げるべきか、民間の優秀
な個別技術と行政が培ってきた総合化の技術の統合が今
まさに求められる時である。
民間の国際ビジネスでの成功例は国際分業の仕組みで
の成功に他ならない。国内でなしえた分業の仕組みを国
際化できれば勝機がある。経験豊かな民間の知恵を、い
ままさに行政と連携して、展開すべき時である。
(3)総合力の不足
日本では、行政も学問も専門分化を繰り返し、その長
所のみを伸ばしてきたのがこれまでの経験である。その
ための分業体制の確立が成長時代を構成し、その上に安
住した歴史がGeneral Managementの重要性を排除する事
となってしまった。
日本の近代化、戦後復興、高度成長は生産力、技術の
向上によって成し遂げてきた。それは西欧の合理性を呑
み込み、日本・アジアの精神文化の多様性と活力を失っ
た経験でもある。自然との融合、共生を忘れ、専門化を
進め、それに依存してきた歴史でもある。農業用水と都
市用水の完全分離、
戦後の都市化と減反は水循環を乱し、
古来の水循環は失われ、それが豊かな日本の実態であっ
た。
大学教育、社会教育、企業内教育においても、個々の
技術の進捗に力点がおかれ、その結果、設計、解析に特
化する事となり、総合性の重要性は抽象的にしか理解さ
れない状況となった。
水循環の健全化は行政のトップでは理解されていたが、
水循環(雨水、地表水、水利用、地下水、再生水の総合
的把握)を具現する行政、研究はなかなか進展してこな
かった歴史がある。
日本人は江戸時代の経験にあったように、元来、水循
環とその健全化を感覚的に認識していたが、明治以降の
専門分化と分業体制の確立が、総合力の重要性を喪失し
ていったものとうかがえる。総合力の不足が水資源問題
を非効率化している事の一例でもある。ここは、行政が
主体となって、いかにして総合力を育成するかが日本の
将来への課題である。
(4)PR の不足と技術の幼稚さ
日本では行政、
民間会社とも PR の重要性を認識してい
ない。予算資金が苦しくなると、まず、PR の人員や予算
を削る。これは米国の企業経営者には理解されないこと
である。インターネットの進展が情報戦略の重要性を変
えたとはいえ、まだまだ市民に情報を伝達し事態の進行
を共有する事に企業活動の価値がある事が理解されてい
ない。日本の技術の国際展開においても同様である。技
術内容は国際会議や国際関係の場に大いに公表され、推
奨されるべきである。その結果、日本の新しいマーケッ
ト構築につながって行くことになる。新しい技術を開発
するのと同じかそれ以上の効果を発揮する事となる。韓
国や欧米の戦略を眺めているだけでなく、日本も海外へ
の PR の必要性を認識し、
新たに情報戦で勝ち取って行か
なければならない。
6.まとめ
日本橋川の再生はなぜ韓国ソウル市の清渓川再生に先
を越されたのか?多くの市民、国民、専門家もが望んで
いながら実現できないのは何故か?多くの人たちの積極
- 14 -
的な合意のもと物事の判断が進められる日本と、強力な
行政リーダーシップのもと物事の判断が進められる韓国
との国情の違いが影響している事例である。今、2050 年
の高齢化に向け、今後 20-30 年間で新たな社会システム
の構築が求められる時点で、長時間をかけて多くの人た
ちの合意を得て物事を進展する仕組みに改変が必要な時
でもある。国内の特殊な技術価格状態の続く現状は、か
つての鎖国状態となんら変わらず、国際的な開かれたマ
ーケットにもなっておらず、同様に国内の高価格な技術
は国際マーケットに展開する事の障害でもある。
平成23年度の日本の一般会計予算は92.3兆円であり、
対応する歳入のうち、44.3 兆円が国債である。既に国債
の発行残高は平成 22 年 9 月で 909 兆円(国債 741 兆円、
借入金等 167 兆円)である。毎年 40 兆円規模で国債が増
加すれば、国民貯蓄額の 1400 兆円に 12 年で到達する。
しかしながら、
国民の国債の購入意欲は 1000 兆円を超過
する段階で低減が予測されており、国債発行を計画して
も消化しきれなく収入に欠損が発生する事となる。それ
は、今後の税制の改革(消費税増額など)を見込んでも
3~5年の期限となろう。その間に日本の構造を大きく
変える事が求められる。
短い時間で、これら国際的な障害を取り除く事と国内
の変革を進めるには、過去の経験と実績を蓄積している
企業群が牽引して、日本の技術、産業を行政と連携して
国際展開するとともに、その結果を国内に還元する事が
重要である。
本研究は東京大学名誉教授高橋裕先生との連携による
ところが多い。日本の将来の水問題展開の一助となるよ
う、多くの専門家との議論、意見交換を踏まえて、取り
まとめたものである。
本研究については、2010 年韓国仁川世界都市水フォー
ラム
(2010 年8 月韓国仁川)
と2010 年中国水利学会
(2010
年 11 月中国貴陽)
にて講演論文として投稿発表を行った。
参考文献
1)平成20 年度水道国際貢献推進調査業務 報告書、厚生労働省
2)中国小規模水道セミナー、フォローアップ調査報告、水道国際協力
検討委員会平成20年3月18日
3)中国における水ビジネス市場~その市場特性と市場規模~2008 年8
月、株式会社大和総研コンサルティング本部ビジネス開発部
4)インドにおける下水道関連基礎情報、下水道グローバルセンター
5)研究ノート インドの上水政策の分析、三菱総合研究所所報 38
号,2001
6)インドにおける水道事業ベンチマーキング、水道ホットニュース、
(財)水道技術研究センター,2008 年 2 月
7)世界の水ビジネスの動向と日本の戦略、吉村和就、第264回技術サロ
ン、財団法人下水道新技術推進機構
8)Singapore’s experience in River Clean-up & Integrated Water
Resource Management, 24 Nov 2008, Singapore Public Utility Board
9)水ビジネス育成の5年推進計画の研究,韓国環境部,2006.12
10)財務省発表資料:
http://www.mof.go.jp/gbb/2209.htm