事故調査は再発防止のために

事故調査は再発防止のために
123 便事故調査報告書にある事実隠しとは・・
目 次
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はじめに ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 1
第1部 事故例に見る事故調査の問題点
事例1 疑問だらけの事故調査 日航 123 便墜落
事故・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3
事例2 花巻空港DCー9型機ハードランディング事
故 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 19
第2部 事故調査の現状 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22
第3部 私たちの要求 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 25
発行 航空安全推進連絡会議
航空労組連絡会
日本乗員組合連絡会議
客乗連絡会
〒144-0043
東京都大田区羽田 5-11-4
ル
TEL 03-5705-2770
FAX 03-5705-3274
フェニックスビ
はじめに
520 名の命を奪った日航 123 便事故から 11 年が過ぎようとしています。
1977 年 3 月 27 日にスペイン領カナリア諸島のテネリフェ島で発生した、 583 名の
死者を出したジャンボ機同士の地上での衝突事故に次ぐ大惨事で、1 機の事故とし
ては世界最悪の記録です。
十年一昔という言葉のように、航空関係の職場に働く人の中でも当時の記憶が薄
れ、「当時は小学生でした」という人も増加してきています。
この重大な事故の原因に関する運輸省事故調査委員会(事故調)の結論は、私たち
航空の職場で働くものには到底納得できるものではなく、私達はこれまでも繰り返し
再調査などを要求し続けてきました。 この事故調査の経過を振り返ってみると、事
故発生から 3 日後に操縦室音声記録装置(CVR)と飛行記録装置(FDR)が運輸省に搬
入され、解読が開始された 8 月 15 日の朝、事故調の藤原次席調査官は「16 日に今
後の調査のおおよその方針を決めたい」と発言しています。翌々日の 17 日付の新聞
は、「後部圧力隔壁の修理ミスが引き金となって、隔壁破壊、与圧空気の噴出・急減
圧 垂直尾翼の破壊 油圧系統の破壊操縦不能 墜落」と報じ、事実上の事故調査
の結論の方向を決定しています。
事故調によるその後の調査は、この結論に合致する証拠のみを選択し、 矛盾する
ような事実は無視し(例:生存者の、「耳は軽く詰まった程度」という証言など)、あるい
は「その理由を明らかに出来なかった」(例:客室高度警報とされている音が、1 秒間し
か鳴らなかったこと)などと逃げ、 都合の悪い実験結果は隠したり改ざんするなどして、
初めに決めた結論にこじつけています。このようなやり方は、到底、科学的な調査と
は言えません。
また、最近不起訴が決定した花巻空港 DC9 ハードランディング事故(93 年 4 月 18
日)の調査でも、結論は「乗員のミス」と決め、その理由を「地理的に見てウインドシヤ
ーはなく、乗員が速度の低下に気づかず失速したのが原因」としていました。ところが、
実際の速度が失速速度より大きかったことや、日乗連の調査でウインドシヤー(風の
急激な変化)の存在が否定できなくなると、今度は「乗員のウインドシヤーに対する注
意不足が原因」と理由を変更しています。
この経過を見ると、結論は「乗員のミス」と決めておいて、理由は後から考え、適当
に付けたとしか思えません。「結論」が先に決定され、結論と矛盾する新たな事実が出
てきても、結論は変更しないという事故調の調査方針が見えてきます。
なぜこのような非科学的なことをするのでしょうか?
航空機の事故では、多額の損害賠償や、業務上過失を理由にした責任追及が行わ
れます。国や企業は責任逃れのために「事実隠し」をし、結果、 事故原因をゆがめて
いるのではないでしょうか。
HIV 汚染血液製剤事件での資料隠しや、高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事
故のビデオ隠し事件、その他の公害事件などと全く同じことです。
安全に関わるミスなどについて、過度に厳しい不利益扱いや刑事責任の追及が行
われると、真の原因追求の鍵になるような重要な事実が隠されてしまいます。真実の
1
情報が得られないと真の事故原因は解明できません。真の事故原因が解明されなけ
れば、有効な安全対策は不可能です。 今回は日航 123 便墜落事故と花巻 DC9 事
故を例に、日本の事故調査をもう一度考え直してみたいと思います。
その上で、日航 123 便事故の再調査を改めて要求したいと思います。
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第1部 事故例に見る事故調査の問題点
【事例1】疑問だらけの事故調査 日航 123 便墜落事故
■思い出そう、日航 123 便事故の経過
1985 年 8 月 12 日、日航 123 便(ボーイング 747SR-100 JA8119)は 18 時 12 分、羽田
空港滑走路 15L から離陸し、大阪に向かいました。
巡航高度 24000ft に到達する直前の 18 時 24 分 35 秒、伊豆半島稲取港の東約 4
沖の上空で、操縦室音声記録装置=ボイスレコーダー(CVR)に記録された「ドーン」と
いうような大きな音と共に異常事態が発生しました。 事故機の乗員はトランスポンダ
ーで地上のレーダーに緊急信号を送ると共に、「高度 22000ft に降下し、羽田へ引き
返したい」と管制官に要求しました。これを受けた東京コントロールの管制官は、事故
機の要求を承認し、先ず大島へのレーダー誘導のために右旋回で機首を東に向ける
よう指示しました。
しかし、事故調が解読した飛行記録装置=フライトレコーダー(FDR)の記録によると、
その後まもなく事故機は操縦不能になり、ダッチロール(傾きと機首方位が周期的に
変動し、安定しない機体の動き)とフゴイド(機首が上下し、上昇・降下を繰り返し、速度
も大きく周期的に変化する運動)を繰り返しました。その結果、乗員の思うようには上
昇も降下も旋回も出来ず、大島に向かうことも出来ませんでした。
その中で、事故機の乗員は異常発生から 10~12 分経過した頃、これまで経験した
こともない、エンジン推力の操作だけでフゴイド運動を抑制するということを学習し、一
時的に機体を安定させることに成功しています。
18 時 40 分頃、車輪を降ろして空気抵抗を増し、41 分頃から降下を開始、 18 時 43
分まで 20000ft 以上の高度を飛行した後、6600ft まで降下しました。54 分頃フラップ
を 5 度まで下げた頃から、フゴイド及びダッチロールがー層激しくなり、全く操縦不能
となって、56 分頃に御巣鷹(おすたか)の尾根に墜落しました。
墜落直後には、かなりの生存者がいたものと推定されますが、最終的には 4 名の
みが生存、救出され、520 名が死亡しました。
■事故発生後の経過; 米軍情報で謎の深まる事故機の位置
事故後、墜落位置がなかなか確認されず、そのために救助が遅れ死者が増えたの
ではないかとの疑問が各方面から出されました。墜落位置に関する位置情報が異常
とも言えるほど入り乱れていたのです。 墜落後、25 分で米軍機 C ー 130 が墜落地
点と見られる火災を発見、それ から 1 時間近くも経過してから、墜落地点から 8km
も離れたぶどう峠の長野県側が現場だとの怪情報が流されました(資料1)。更に墜
落から 2 時間 15 分後には、米軍情報に基づいて、朝日新聞社のヘリによって墜落
現場が再確認され、写真撮影に成功しています。その 3 時間後に自衛隊が運輸省や
警察に通報した地点が約 4km も北にずれた場所で、群馬県なのに、なぜかその地点
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が、長野県側で
あるとの誤った
情報までつけ加
わっていました
(自衛隊が発表
したといわれる
地点は、緯度経
度では群馬県
側;(資料1)防衛
庁情報 1)。
防衛庁からは 13 日の午前 2 時に
なっても、まだ墜落地点は「ぶどう峠
から 210°/3 マイル」とか、「御座山(お
ぐらやま)の南斜面、頂上から
1km 」(資料1 防衛庁情報 3)など
の情報が新聞社に流されていました。
13 日の朝、明るくなって、墜落地点
が視認されてからも、まだ防衛庁は
長野県とか、群馬でも 5km 北西の
地点を通報していました(資料1 防
衛庁情報 4・5)。これらは理解しがた
い誤りです。これについては、「単な
る誤りとは考えにくい。現地に人を近
づけないようにしたのではないか?」
との疑問の声が当時から出されてい
ました。
そこへ、95 年 8 月 27 日付の米軍
の準機関紙である「スターズ アンド
ストライプス」紙に発表された、
MICHAEL ANTONUCCI 氏の証言(資料2)が加わり、「米軍がなぜ現地に降下しかけ
ていた厚木基地の救助ヘリや、最初に現場上空に到着していた C ー 130 輸送機に引
き返しを命じたのか」「そのことをなぜ口止めしたのか」など、謎は一層深まってきてい
ます。
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「スターズ アンド ストライプス」の記事を加え、事故発生後の事故現場確認と救助を
めぐる経過を、事故調の報告書、当時の新聞情報などに基づいてまとめてみました。
■墜落地点の確認から救助に至る経過
1985 年 8 月 12 日
18 時 59 分 救難調整本部は東京アプローチより「18 時 57 分、羽田より 30
8°/59NM(ノーティカルマイル・海里)の地点で日航 123 便がレーダーから機影が消えた」と
の情報を入手。警察庁、航空自衛隊入間救 難調整所、海上保安庁に連絡。
19 時過ぎ 横田基地より、付近を飛行中の米軍 C-130 型輸送機に 123 便の 捜索依
頼。
19 時 01 分 防衛庁は百里基地より航空機 2 機(F4 ファントム)を捜索に向ける。
19 時 15 分 C-130 の機関士が墜落機の煙を発見。
日本側に横田アプローチ経由で、C-130 からの情報として「横田タカン(TACAN:設置
された地点からの方位と距離を機上の計器に表示する航法援助施設で、主として軍
用に使用されている)の 305°/34NM に火災」との情報が入る。
19 時 20 分 C ー 130 が墜落地点を確認。 横田基地から同機に「厚木基地より 救難ヘ
リが出発準備中。 1 時間で現地到着予定」との情報。
19 時 21 分 19 時 01 分に発進した 2 機の防衛庁機(F4)は火災を発見。 「横田 タカン
から 300°/32NM」と位置を確認。
19 時 54 分 防衛庁百里救難隊の救難ヘリ(V107)1 機、 百里基地を発進。
20 時 08 分 長野県警へ氏名不詳の 110 番通報で「事故現場はぶどう峠の長 野県
側」との情報(ぶどう峠は墜落地点の北北西約 8km の群馬と長野の県境)。この情報
に多くの関係者が振り回された。(資料1)20 時 30 分 C ー 130 は上空を旋回、厚木
からの米軍ヘリを現地へ誘導。 朝日新聞社ヘリが米軍からの位置情報を基に羽田
を離陸。
20 時 33 分 東京空港事務所長は航空自衛隊中部方面隊司令官に災害派遣を要請。
20 時 42 分 19 時 54 分に発進した防衛庁救援ヘリ(V107)現地上空に到着。 墜落地
点を「横田タカンの 299°/35.5NM」と測定。
20 時 50 分 厚木救難ヘリの現場到着を C-130 の乗員が確認。ヘリは現場 へ降下準
備。
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21 時 05 分 厚木の救難ヘリは C ー 130 に「煙と炎が非常に濃い。少し離れた ところ
へロープを使用して降下する」と連絡。 横田基地司令部より「厚木の救難ヘリも C130 も直ちに基地へ 引き返すよう」命令。(理由は日本側がそちらに向かっている)
21 時 10 分 20 時 30 分に羽田を離陸した朝日新聞社ヘリが現場上空に到着。 炎上
中の事故機を撮影。約 20 分間の取材後、位置を測定。「群馬県側で羽田より
304°/60NM」(後にこの計測は再確認)。
21 時 20 分 横田アプローチから C-130 へ「最初の日本側飛行機が現地に到着」との
連絡。
21 時 30 分 東京空港事務所長は陸上自衛隊東部方面総監に災害派遣を要請。
21 時 59 分 自衛隊より運輸省に「墜落現場は北緯 36°02′、東経 138°41′で 御
座山の北斜面長野県側」と連絡。しかし、その座標は実際 には長野県側ではない。
(資料 1 防衛庁情報 1・2)
22 時 50 分 朝日新聞社ヘリが自衛隊からの位置情報を確認のために羽田 を発進し、
自衛隊が運輸省に通報した地点には墜落の形跡がないことを確認。また、事故現場
は前回の測定に誤りがないことを再確認。現場上空に自衛隊のものと思われるヘリ
が飛行しているのを視認。
23 時 30 分 長野県警は「現場は群馬県内、と判断している」との見解を正式発表。
?
C ー 130 の乗員は横田に到着後、第 816 戦術飛行隊の副司令 JOEL SILLS
大佐より 123 便関係のことについて口止めされる。
8 月 13 日
01 時 00 分 埼玉県航空自衛隊入間基地のヘリ V107 は、墜落地点を「入間タカンか
ら 291°/36.3NM」と測定。
02 時頃防衛庁より新聞社へ、朝刊最終版締め切り直前に「事故現場 はぶどう峠から
210°/3NM。御座山南斜面で山頂から 1km の地点の長野県側(資料1 防衛庁情報
3)」との情報が流された。
04 時 39 分 防衛庁ヘリコプターが日航機の残骸を「再発見」。墜落現場を確認しなが
らもなお、墜落地点は「三国山の西 3km。扇平山の北約 1km」と誤って通報。(資料1
防衛庁情報 4)
05 時 10 分 陸上自衛隊ヘリ OH6 も墜落現場を視認、「御座山東約 5km」と誤った報
告。(資料1 防衛庁情報 5)
05 時 37 分 長野県警ヘリも日航機の残骸を「発見」「確認」した。
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07 時 10 分 海上保安庁は 2 時 30 分頃からの巡視艇に引き続き、航空機も 出動さ
せ駿河湾、相模湾の海上捜索を行う(乗客が機外に吸い出された可能性を考慮して)。
11 時 40 分頃 4 名の生存者を発見救出。14 時 15 分頃に藤岡市内の病院に 収容。
■疑惑の残る墜落地点の情報
上記の経過を見ると、防衛庁の位置情報が混乱しているのが良くわかります。又、
12 日の 20 時 8 分の出所不明の 110 番通報に始まって、「長野県側」の情報が繰り
返し流されているのもわかります。
航空機によって測定された現場は、 長野県側のものは翌日の朝になるまでは、一
件もありません。翌朝、明るくなってから、残骸が視認された時にやっと航空自衛隊が
長野県の地点を通報しています。 他はほとんどが群馬県側で、一件、埼玉県のもの
があるだけです。
墜落地点は、北緯 35°59′54″、東経 138°41′49″と確認されており、地図上
での横田タカンからの磁方位は 302°、距離は 36NM(約 65 )で、羽田 VOR からの
磁方位は 305°/60NM(108 )です。実際に飛行機で測定する場合には、これに誤差
が加わります。とは言うものの、 当日、航空機が測定した、横田、入間や羽田からの
方位と距離で、長野県側でないことは容易にわかることです。それにもかかわらず、
なぜこの様に「長野県情報」が繰り返し流されたのか、強い疑問がわいてきます。
いずれにせよ、この狭い日本で、墜落現場が民間の新聞社のヘリによって確認され
ながら、防衛庁関係のヘリは、翌日の朝になって、現場を視認しながらも、位置の情
報を間違えていたことについては、その原因を究明して改善しないと、今後の救助活
動にこの経験を生かす事が出来ません。事故調査報告書で、このような救難捜索の
問題について、全く触れていないのはどうしてでしょうか?
墜落地点の情報についても、なぜ出所不明の「ぶどう峠の長野側」の情報に振り回
されたのでしょうか? あの山岳地では、飛行機ならば問題なくても、地上からでは、
3km も違えば尾根一つは違ってしまい、とても到達できません。山岳地帯の多い日本
では、航空機からの位置の確認方法を再検討しなければならないと思います。
■検察官も否定した事故調の推定原因
87 年 6 月 12 日に 123 便事故の事故調査報告書が公表されましたが、 その前から
マスコミを通じて、繰り返し「後部圧力隔壁の修理ミス」「急減圧」 などの言葉が報道さ
れました。
その結果、多くの人が日航 123 便事故を、事故調の発表通り、
修理ミスが原因で、飛行中に後部圧力隔壁が客室与圧に耐えられなくなって破
壊し、客室与圧空気の圧力により尾部胴体、垂直尾翼が破壊され、油圧系統も
破壊され操縦不能になり墜落した。
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と思い込んでいます。ところが、この事故の刑事責任を調査していた検事が、この事
故で亡くなられた方々のご遺族に、
修理ミスが事故の原因かどうか相当疑わしいということだ。
タイ航空機の時には、乗客の耳がキーンとしたという声があったが、
今回はない。
圧力隔壁がいっぺんに起こったかも疑問である。
まず、ボーイング社が修理ミスを認めたがこの方が簡単だからだ。落ちた 飛行機
だけの原因ならいいが、他の飛行機までに及ぶ他の原因となると、
全世界のシェアを占めている飛行機の売れ行きも悪くなり、
ボーイング社としては打撃を受けるからだ。
(8.12 連絡会パンフレットより)
と語っており、事故調の調査内容を全く信頼していないのは注目されるところです。
■急減圧が無ければ報告書は崩壊
123 便は、上昇して高度 24000ft に到達した頃に異常が発生しました。事故調はこ
の異常事態は急減圧だと推定しています。24000ft で急減圧 が起こると、どのような
現象が見られるのでしょうか。
現代の大型旅客機は通常、20000ft から 40000ft の高度を飛行する事が多いため、
すべて客室は与圧され、気圧が低く酸素が少ない高高度を飛行していても、客室は
8000ft より低い高度の気圧が維持されています。そのために胴体の内と外では B747
型機では、最大 8.9PSI(1 平方インチについて 8.9 ポンド=626 /cm2=約 6.3t/m2)、言い
換えると、1m2 におよそ乗用車 4 台分の重さに相当する大きな力が胴体の内から外
に向かって加わっていることになります。飛行機の胴体は、ちょうど風船のような状態
です。ですから穴があけば中の空気は、瞬時に外に向かって噴出し、客室の圧力は
急激に低下します。これが急減圧です。その吹き出した空気の圧力が、与圧されてい
ない垂直尾翼や胴体尾部を破壊した、と事故調は推定しているのです。
従って、急減圧の存在が証明されなければ、事故調の推定は根本から崩れてしま
います。この根本的な「急減圧があったか、無かったか」、それがこの事故原因の争
点です。
■客室高度警報は作動したのか
機体に減圧があった場合に起こる現象の一つ
に、客室高度警報音があります。客室の気圧が
高度 10000ft の気圧より低くなると、操縦室の警
報器が作動します。この警報音は、離陸警報の
警報音と同じブザーで、音を聞いただけでは区
別は不可能です。これを区別するのは、「車輪が
収納できる状態(ティルト;次頁図)にあるか否か」
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と「エンジンの推力がある程度以上に大きいか」によって区別されます。 この事故機
の場合は、上昇中なので推力は出ていますから、問題は車輪のティルトの状態だけ
です。 CVR の解読記録では、異常発生の数秒後に、副操縦士が「ギアドア」と指摘
しています。漠然と、車輪に異常があったのではないか、というようなものではなく、具
体的に車輪収納部のドアの異常を指摘しています。 続いて機長が「ギア見て、ギア」
と機関士に指示していると見られる声が記録されています。その後、この機長の指示
を受けて、機関士が「ギア、ファイブオフ」(車輪全て収納状態)と報告しています。
この記録から多くの乗員は、「車輪の収納部のドアが開いたことを知らせる警報灯
が一時的に点灯したのではないか」と指摘しています。油圧系統に異常があると、車
輪がティルト状態から外れ、飛行中でも地上のモードになってしまうことがあります。こ
のときには空中にあっても、飛行機は地上に着いた状態になり、客室の与圧を抜くよ
うに圧力調整用のバルブを開きます(着陸後与圧が残っているとドアが開けられない
ので、それを防止するため)。その結果、客室の気圧が下がり、激しい急減圧ではあり
ませんが減圧状態になります。また、その状態でフラップを離陸位置まで下げずに、
推力を増すと離陸警報が作動します。
FDR 記録によれば、異常事態では+2G~-0.25G と、大きな上下方向の G が加わ
っています。その時、油圧の低下が加わると、車輪が適正な格納位置からずれたりす
る可能性が高くなります。そうすると空中でも地上と同様の状態になり、客室の空気を
抜くように弁が開くため、客室内の湿度が高くなる夏などでは、白い霧が出る程度の
軽い減圧が生じ、しばらくして客室高度警報が作動することは十分に考えられること
です。
車輪がその時、どうなっていたのかを示す問題のティルトの状態については FDR に
記録されていますが、事故機の FDR の解読では、この警報の作動した瞬間を含めて
3 秒間だけ、 記録が不正確になっている事を示す「エラー」マークが記されています。
従って客室高度警報か離陸警報かを判定する記録は無いことになります。
■一秒の警報を客室高度警報とすると、急減圧は否定される
事故機の CVR の解読によると、「ドーン」という異常発生時の音に続いて、1 秒間だ
け客室高度警報か離陸警報が作動しています。その後 27 秒間停止した後、22 分以
上にわたって連続作動しています。
警報が一秒で停止し、その後再び作動したことは、警報器の故障や乗員の停止操
作で一秒で止まったのでなく、警報装置は正常に機能していたことを示しています。
従って、一秒の警報音を客室高度警報とすれば、 一秒間だけ 10000ft(約 3000m)以
上の高度に相当する気圧まで低下し、再び気圧が上昇したことになります。急減圧が
このように、一旦 3000mまで上昇し、 その後、 又、 降下することは考えられません。 こ
れは急減圧=圧力隔壁の破壊を否定しています。
多くの乗員は、一秒間作動したのは、油圧の低下と大きな上下の G による、車輪の
位置の一時的な異常による離陸警報で、減圧については、 そのために客室の圧力
調整弁が開いて、一時的な減圧状態が生じたのではないかと見ています。
いずれにしても、この警報音は急減圧を否定するもので、日本航空の運航担当者も
「一秒間での停止は不自然で、社内でも調査中である」と乗員組合に説明しています
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(94.3.17.)。
急減圧という結論が先にあるため、事故調はこの 1 秒間の警報音を矛盾なく説明
することができず、「1 秒間しか鳴らず、その後 27 秒間停止し、再び鳴り出した理由を
明らかにすることは出来なかった。」と事故調査報告書に記載するのみで、事象の説
明=原因追求を放棄しています。
■気温は 6 秒で 65℃低下したはず?
これまでは、警報音のような、機体のメカニズムに関係する減圧時の 反応について
話しました。今度は、故障の可能性が無く、例外なく発生する物理的現象や生理的現
象をチェックしてみます。 空気を圧縮すれば熱が発生して温度が上がります。この現
象は自転車のタイヤに空気を入れたりするときに経験する現象です。逆に膨張させる
と温度が下がります。従って、急減圧の時には必ず客室温度の低下が見られます。
事故調の計算では、6 秒以内に客室温度は 65 度低下して、氷点下 40 度までが下
がったと計算しています。しかし、4 名の生存者の方々は誰も 寒かったとは言ってい
ません。残された遺書の中にも寒さを訴えるものは見つかっていません。
真夏の 8 月半ば地上が 30 度の酷暑、客室温度が一瞬に氷点下 40 度まで下がっ
たときに「凍えるほど寒い」と訴えない人がいるでしょうか? また、高度 24000ft の外
気温度は、地上よりも 40~50 度近く低い、氷点下 10~20 度付近であったと推定され、
圧力隔壁が破れていれば減圧後も寒さは続いていたはずです。ハワイの沖で、89 年
2 月 24 日ホノルルを離陸後、123 便とほぼ同じ高度で、貨物室の扉が突然開き、急
減圧が発生した UAL811 便の B747 型機の事故では、搭乗者の誰もが「凍えるように
寒かった」と話しています。
事故調は、急減圧があったとすれば客室温度は低下したはずだ、と計算はしている
ものの、現実に温度が低下した事実は確認されていません。 計算でこうなったはず
だ、というのは憶測にすぎません。事故調査は事実に基づかなくてはなりません。
■強い風も吹かなかった
「パーン」という音と同時に、白い霧のようなものが出ました。
かなり濃くて、前のほうがうっすらとしか見えないほどです。
私の席すぐ前は、それほど濃くはなかったのですが、もっと前の
座席番号「47」「48」あたりのところが濃かったように見えました。
ふと見ると、前方スクリーンの左側通路にスチュワーデスが
立っていたのですが、その姿がかすかに、ボヤーッと見えるだけでした。
その霧のようなものは、数秒で消えました。
酸素マスクをして、ぱっと見たときには、もうありませんでした。
白い霧が流れるような空気の流れは感じませんでした。
すっと消えた、という感じだったのです。
これは、事故機に乗っていて奇跡的に救助された、落合さん(元日航アシスタントパー
サー)が話した、異常発生直後の状況です。落合さんが座っていたのは、「56」列の席
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です。座席は両窓側が 59 列まで、中央部は 60 列までです。落合さんの席は左窓際
の列の通路側、後ろから 3 番目の席です。
この中で注目されているのが、
1. 落合さんの席から見て前のほうが霧が濃かったことは、機体後部より 前の方
が温度が低かったことが考えられます。この事実は、落合さん よりも後方の席
に座っていた川上さんにも「前の方から白い霧のよう なものがきた」という趣旨
の発言があり、これを裏付けています。 これは、客室後部の後部圧力隔壁か
ら空気が吹き出したということに、 疑問をいだかせる現象です。
2. 霧がすぐに消えたことは、気温の低下が比較的短時間で止まったこと による
と見られます。
3. 空気の流れを感じていないことは、他の急減圧事故と大きく異なっています。
客室の空気が機外に噴出すると、機内には当然、強い風が吹き抜けます。先に例と
して挙げた、UAL811 便の事故では、機内を強い風が吹き抜け、紙屑、雑誌や固定し
てないものが吹き飛ばされ、客室乗務員も吹き飛ばされそうになり、足を踏ん張ったり、
ものに把まったりしたと報告されています。 123 便事故の翌年の 10 月 26 日に、四
国沖で発生したタイ航空エアバス A300 ー 600 型機の急減圧事故でも(原因は機内で
の手投げ弾の爆発)、強い風が機内を吹き抜け、機内のものが飛び散ったことが報告
されています。 機内に空気の流れがなかったことは、急減圧もなかったことになりま
す。
■気圧は半分以下。酸素も不足。でもマスクなしでも乗員異常なし
地上では標準気圧は 1 気圧で、水銀柱で 760 (1013 ヘクトパスカル)ですが、高度
24000ft では約 308mm(400 ヘクトパスカル)と気圧は半分以下に低下します。それに比例
して酸素も薄くなります。
事故調が推定しているように、5 秒程度で気圧が半分以下に低下する のはまさしく
急減圧です。 航空医学書などによりますと、(例「臨床航空医学」監修:上田 泰 航空医
学研究センター発行)「このような急減圧では、減圧症と呼ばれる症状が現れる。これは
気圧が地上の 1/2 になる 18000ft 以上の高度に急激に上昇すると、血液中の窒素
が気泡となって血管や関節の中に詰まり、 激しい痛みを訴えるなどの症状が見られ
る」と記載されています。これを防ぐためには、事前に 100%酸素を少なくとも 30 分呼
吸すると予防できる事が知られています。
減圧症はスキューバダイビングなどでも発生する、気圧の急激な変化に伴う症状で
す。生存された方々からは、この様な症状の報告はありません。
これとは別に、高高度では気圧ばかりでなく、酸素の分圧も低く、呼吸をしても酸素
が体の中に十分吸収できずに障害が起こります。これが酸素不足による低酸素症で
す。
低酸素症は自覚症状がないまま意識を失うのが特徴で、突然、意識を失なう危険
性があります。そのために乗務員は、減圧を認識したら、他のことは後回しにして、直
11
ちに酸素マスクを着用するように訓練されています。子供を連れた乗客にも、子供は
後にして大人が先に酸素マスクを着用するように指示しているのは、大人が先に意
識を失ったら子供を助けることが出来ないからです。
ところがこの事故では操縦席の乗員 3 名は、「マスクつけましょうか」 と会話しなが
らも、終始酸素マスクは着用していません。事故調が推定しているような激しい減圧
があれば、これほどのんびりとはしていなかったと見られています。
事故調は、乗員が低酸素症になっていた可能性があるとして、CVR の会話から次
の四点を上げています。




飛行高度の高い、異常発生の 5 分後から 11 分後にかけてと、16 分後か ら
19 分後くらいまで、機長と副操縦士の間の会話が少ない。20000ft 以下にな
ったら会話が増えている。
異常発生から約 10 分後、機関士が 2 度にわたって酸素マスクの着用を 提案
しているのに、機長は「はい」と答えただけで、マスクをつけなかっ た。
異常発生後 9 分から 19 分にかけて、社用無線で地上から 4 回呼び出して い
るのに、これに応答していない。また応答先が、東京か大阪かを決 めるのに
1 分を要している。
11 分後、機長の語調が強くなっている。
これらはいずれも、低酸素症でなくても他の原因でも発生することで、その時の他の
条件も考慮しなければ意味がありません。更に、CVR は事故調査委員しか聞いてい
ないので、会話が多いか少ないか、特に語調が強いか弱いかについては、事故調の
主観的評価であり、そのまま信用するのは危険が伴います。
7 分から 12 分、16 分から 19 分にかけて、機体は旋回中で、フゴイドも激しく、-
0.5G から+1.8G が記録されています。思うように操作できない機体を何とかしようと
必死で、会話どころでないのは当然です。
機関士が酸素マスクの着用を提案したのに対して、軽く受け止めているのは、それ
だけ減圧が厳しくなかったと、逆の解釈も成り立ちます。これを減圧の証拠とする根
拠はありません。
CVR はこれまで事故調以外の人は聞かされていないので、語調がどの 程度強くな
っているのかわかりませんが、11 分後はちょうど+1.7G が記録されている頃で、本
当に言葉が激しくなっていたとしても当然だと思われます。
このように事故調が低酸素症の証拠として、説得性のないものしか取り上げられな
かったこと自体、急減圧の結論を合理化するために、無理に低酸素症があったことに
しようとしたためとも考えられます。
■事故調委員長が報告書を修正?
既に見たように、 報告書では乗員がなぜ酸素マスクを着用しなかったのか、につい
ては「その理由を明らかに出来なかった」としていますが、当時の事故調査委員長が、
94 年 2 月 6 日、日本テレビ放映の特集番組で「酸素マスクをつけていられないような
状況にあったのではないか、もっと重要なことがあったのではないか」と報告書と異な
12
る説明をしています。乗員にとって減圧率が毎分 300000ft(事故調査報告書)にも及
ぶ激しい急減圧状態で、酸素マスクを着用する以上に重要なことは想像できません。
差し迫った空中衝突を回避するのでもなければ、自殺行為です。
事故調の委員長自身が報告書と異なる見解を事後に披露したのは前例のないこと
で、このマスク着用については報告書の内容に疑問を持っていたことを示すものです。
事故調は酸素マスクの着用より重要なこととはどのようなことかを明らかにしなけれ
ばなりません。
このような矛盾が生じたのも、事故調が原因を「急減圧」にこじつけようとした結果で
はないでしょうか?
■乗員は激しい緊張と労働をしていたにもかかわらず、 酸欠は見られない
低酸素症で自覚しやすいのは視野が狭くなることです。 時には体が熱く感じることも
あります。
外から見える低酸素症の症状は、「顔色が悪くなる」「簡単な計算が出来なくなるな
ど、知能活動が低下する」「反応が遅くなる」「字を正確に書くなど、協調した運動が出
来なくなる」「言葉がはっきりしなくなる」 「意識障害」などで、いずれも本人は自覚しに
くいとされています。又、18000ft 以上は「危険域」と呼ばれ、意識障害が起こり、放置
すると命に関わる危険性があるといわれています。更に、これらの症状は「酸素を多く
消費する激しい緊張や労働を伴うと発症しやすく、危険性が高まる」 と医学書には書
かれており、注意を促しています。
動作が鈍くなり、判断力が損なわれ、バランスのとれた運動が出来ず、 字が正しく
かけなくなる状態になるまでの時間を有効意識時間と呼んでいます。有効意識時間
は高度 22000ft で 5 分から 10 分、高度 25000ft では 2、3 分というのが航空界の常
識で、世界的な定説です(資料4.5 有効意識時間のグラフ)。
事故調の報告書によると、有効意識時間は、低酸素症で筆記文字が崩れ出すまで
の時間で、急減圧の場合は、緩やかな減圧よりも短くなり、身体的作業(力仕事)を伴
うと更に短くなると書かれています。そうすると、操縦という身体的労働をし続けてい
た、この事故機の乗員の場合、有効意識時間は平均的な値よりも短くなるはずです。
事故機の乗員は墜落の瞬間まで、操縦桿を飛行機の姿勢を修正するように動かし
続けていたことが FDR に記録されています。操縦桿は油圧が なくても操舵感覚を持
たせるためのスプリングによる抵抗があるために、正常な時と同じく、かなりの力を必
要とします。急減圧に続いて、力仕事を続けていたら、有効意識時間は大幅に短くな
るはずです。
それに加えて経験したことのないエンジン推力だけによるピッチ(機首の上下)操作
は、かなり予測を必要とするため、頭脳の働きとバラン スのとれた手の操作が必要で、
地上のシミュレータでやっても難しい操作です。それにも拘わらず事故機の乗員が、
異常発生から 10 分から 12 分後にエンジン推力の操作だけで機首を安定させること
に成功している事は、事故調も確認しています。もしも本当に急減圧が発生し、飛行
高度の外気と等しく、気圧が半分程度になっていたと仮定すると、エベレストのベース
キャンプ付近の高さまで数秒間で上昇し、そこで酸素マスクなしで、20 分も重労働を
していたことになり、酸欠症状が出ないことはあり得ないはずです。
13
しかし、事故機の乗員の取った行動をみると、とても酸欠症にかかっていたとは考え
られません。航空機関士も、 異常発生から 10 分経過した時点で、会社との無線連絡
──通常は機関士の業務ではない──を適切に、はっきりとした言葉で処理してい
たのが傍受されています。
■急減圧説を守るために『意気込んで』行った実験
事故調の主張するような、急減圧の存在については航空関係者では、一部の「航空
評論家」以外はあまり信じてはいないようです。86 年 4 月 25 日に開催された聴聞会
でも急減圧説を述べた口述人はいませんでした。
聴聞会で日乗連を始め、日航の乗員組合、機長会(現在の機長組合)、 客室乗務員
組合などの現場の乗員はいずれも急減圧には否定的で、別の観点の調査や、相模
湾の海底調査を求めました。中でも日乗連と日航乗員組合は具体的に、「急減圧状
態の後、20000ft 以上の高度を 20 分近くも飛行を続けることは低酸素症に陥り、いろ
いろな事態への対応が不可能ではないか」と指摘し、急減圧はなかったと考えられる
と口述しました。
聴聞会から 4 ヶ月ほどたった 8 月 7 日付けの読売新聞(資料3)で、「急減圧でも操
縦可能」「隔壁主因を補強」などと 6 段抜きの見出しで、事故調による航空医学実験
隊での実験結果が報道されました。
その後、読売新聞社から出版された『悲劇の真相』ではこの実験について、「もし日
乗連の主張通りなら、隔壁引き金説は崩れ去りかねない。それだけに、事故調の意
気込みには、ただならないものがあった。」と書かれています。科学的に公正な調査
ならば、実験の結果「隔壁引き金説」が否定されても、真実への一歩前進であり、矛
盾のない新しい推定原因を考えればよいことです。全く意気込む必要はありません。
この記述からも、事故調が急減圧という結論を変えない方針であったことが読みとれ
ます。
■急減圧を否定した事故調の実験結果
事故調は垂直尾翼を破壊するには、計算上、毎分約 300000ft の「急減圧」(1 分間
に約 90000m の高さの気圧まで、又は 6 秒間でエベレストの頂上近くの気圧まで下が
る減圧)があったとしていますが、報告書には、一時的な白い霧が発生したなど、緩や
かな減圧を示す事実は見られますが、これほど激しい急減圧を示す物理的な事実は
見あたりません。むしろ急減圧の発生を否定する事実が目に付きます。
事故調では「毎分 300000ft 程度の減圧は、人間に嫌悪感や苦痛を与えない」と言
っていますが、これに同意する航空関係者はいません。
事故機の乗員は異常発生後も酸素マスクはつけていませんでした。事故調の言う
ような急減圧があったとしたら、20000ft 以上の高度を 18 分間にわたって飛行してい
た事になり、当然、機能低下や意識障害が起こるのではないか、との疑問が出されま
した。
14
この点を指摘された事故調は、急減
圧とそれに続く 20000ft 以上の高度の
飛行でも、意識障害が起こらずに操縦
できることを証明せざるを得なくなりま
した。そこで自衛隊の航空医学実験
隊の施設を借りて、「ただならぬ意気
込みで」減圧実験を実施しています。
ところがその実験では、後で述べる
ように、事故機の半分ほどの時間だけ
酸素マスクをはずしたり、減圧症が起
きないように事前に酸素吸入を行なっ
ています。このような実験では「急減
圧があったとしても、操縦可能である」
ことの証明にはなっていません。むし
ろこの程度の実験しかできなかったこ
とは、急減圧を否定する結果になって
います。
■実験は酸素マスクをつけて、事故機
の百分の一の減圧率、マスクなしは
12 分だけ
86 年 8 月 7 日付の新聞記事(資料3)の内容は、「9 分間マスクをつけない」という
だけで詳しい内容は報道されていません。報告書から見ると、実験は 2 回行われて
います(補助的実験を除いて)。試験1と呼ばれているものでは、被験者は 2 名で、事
故調の推定した状況とは違い、 酸素マスクをつけて 24000ft の気圧まで 8 分かけて
減圧し(減圧率は毎分 3000ft で、 事故調の推定の 1/100 程度のゆっくりした減圧)、
その後、24000ft の気圧で、12 分間だけ酸素マスクを使用しないで身体作業を伴わな
い簡単な作業を行いました。実験の結果は「わずかな機能低下は起きたものの、操
縦不能につながるような激しい変化は起きなかった」というもので、機能低下に限って
言えば、事故機が 20000ft 以上を飛行した時間の半分でも機能低下が発生すること
を認めるものでした。
20000ft 以上の高度では、最大 12 分間程度は操縦可能ですが、それ以上長くなる
と、操縦は出来なくなり、まもなく失神する危険性があることは、AIMJAPAN(AIRMAN'S INFORMATION MANUAL JAPAN:運輸省航空局監修)にも記載が
あり、一般に知られている事で、今更実験をするまでもないことです。なぜ事故機と同
じ 18 分間の実験をしなかったのでしょうか? もし、20000ft 以上の高度の気圧で 18
分間減圧にさらすと意識障害発生の可能性がある事を事故調も承知していたために、
12 分間しか実験出来なかったと考えると、この実験は「事故機が経験したような急減
圧でも操縦可能」という事故調の意図した結論を否定する結果になっています。
15
■減圧症が出ないように脱窒素をした;試験2
試験2と呼ばれるものは、減圧室の同乗者は 3 人でしたが被験者は 1 名のみで、
減圧症の発生を避けるために実験前に 100%酸素を吸入しています。報告書には、
被験者は、実験開始から終了まで酸素マスクなしで、 客室高度を 650ft から約 5 秒
間で 24000ft の気圧まで減圧し、その後 20 分間 20000ft を維持するように設定した
とあります。20000ft を維持している間は簡単な作業を行って、作業能力の低下を調
査したとされています(資料5)。
酸素マスクをつけていた同乗者 3 名のうち 2 名は交互に 10 分だけ酸素マスクをは
ずして作業能力調査に参加(資料4)していますが、その結果は、
急減圧した際、被験者には急減圧による格別の症状は認められなかった。被験
者の計算に要する時間は、漸増する傾向にあり、
声の基本周波数は 8 分経過した頃から明らかな上昇を示した。
音圧は変化しならも低下している。
マスクをはずした同乗者は、被験者により差があるが、
マスクをとって 4 分後から、著しく反応時間が増大し、
マスクをつければ元に戻った。
と報告されています。
減圧症の予防対策として、100%酸素を吸入してから実験したという事実は、「事故
機に発生した程度の減圧は、人間に直ちに嫌悪感や苦痛を与えない」と事故調が報
告書の中で主張していたことと、裏腹で相いれないものです。
減圧症の予防をしておいて、「急減圧による症状は認められなかった」 のは当たり
前のことで、これでは単に、事前の酸素吸入の効果を確認しただけの実験に過ぎま
16
せん。事故調は何を目的にこの実験を行ったのでしょうか?
マスクをとった同乗者の気圧の状態と時間経過については、(資料4)に 「試験2 同
乗者」のグラフで示した通りで、事故機の飛行時間から見れば半分に近い時間で、ほ
ぼ有効意識時間の範囲内で行っているに過ぎません。それでも 4 分間で反応が遅く
なったのです。
事故機の乗員には、「語調の変化はあった」と事故調は言っていますが、作業遂行
能力が低下した事実は確認されていません。その様な記載は、報告書にも見あたり
ません。
本当に急減圧があったとすると、この実験結果からは、減圧 10 分後にフゴイドをエ
ンジン操作だけで押さえるような高度な操縦は出来ないことになります。(資料4.5の
グラフで示した、日航 123 便の飛行高度変化の振幅が 10 分以降、小さくなっている
部分)
■被験者本人が酸素マスクをつけたと証言
その上、「急減圧」シナリオの要となる、この急減圧実験結果については、事実隠し
の疑いもあります。
報告書が出される以前の、86 年 11 月 25 日、日本航空の機関士会員 10 名が、立
川市にある自衛隊航空医学実験隊を見学に訪れました。このときの報告が機関士会
の会報(87 年 1 月 15 日付)に掲載されています。
その中で、最も印象に残ったこととして、 事故調が行なった減圧実験の被験者だっ
た人から聞いたという次のような話が記載されています。
最も印象に残った事は、
雑談の中で聞いた日航事故を想定して、客室高度 650FT を 7~8 秒かけて
24000FT に急減圧した実験で、
今までに経験した事がないほど肺から空気が吸出され、
すぐにまわりが暗くなり(低酸素症)思わず酸素を吸ったという話でした。
日航の乗員の間では急減圧の有無については、前記の読売新聞の記事などもあっ
て関心が高く、この話は広く知られていましたし、その年 (86 年)の 12 月 17 日付で、
日乗連から出された「事故原因と調査を考える」 と題したパンフレットでもすでに公表
されていました。この実験結果が世間に知れ渡ったことで、乗員の中には事故調も最
終報告書では急減圧はなかったと訂正するものと思っていた人も少なくありませんで
した。 ところが報告書を見て唖然としました。
被験者は、試験開始から終了まで酸素マスクなしで、課題作業に従事した。急減
圧した際、被験者には急減圧による格別の症状は認められなかった。実質的に
約 23000 フィートの高度に、12~20 分間低酸素状態にさらされた、いずれの被験
者・同乗者も、低酸素暴露中に課題作業遂行能力が減退したが、意識の喪失は
観察されなかった。
17
と報告書は両方の実験結果をまとめています。
この報告書の記載は明らかに被験者から直接聞いた話と異なっています。被験者
は「酸素マスクを着用した」と、日航の機関士たちに語っていましたが、報告書では「被
験者は試験開始から終了まで酸素マスクなしで、作業を実施した。」と記載されていま
す。これは急減圧の有無を示す要となる実験です。この食い違いは重要です。
単なる見学者であった機関士に、 被験者がわざわざ「マスクをつけた」と嘘を言う必
要性があるでしょうか? 被験者の証言が事実だとすると、 報告書は実験結果を隠し、
偽の結果を記載していることになります。
こうなると他の実験の結果や、CVR の解読、FDR のデータにも疑いが生じてきます。
事故調は疑惑を晴らし、真実を明らかにする義務があります。
■事故調による実験結果隠しは許せない
このように、急減圧実験(試験2)の結果については、事実隠しが行わたのでは・・・と
いう疑いが生じています。 これまでも事故調は、中標津事故調査でプロペラに関する
調査資料を
改ざんしたとして、国会で取り上げられたことがあります。 このような事実隠しや改ざ
んは、事故調が初めに「結論」を持っていて、 それに併せて「事実」を取捨選択し、「結
論」を否定する事実は隠すか改ざんするために発生します。事故調査は公開された
科学的に公正なものでなくてはなりません。このような事故調査を続けていたのでは、
事故の再発防止は不可能で、航空の発展の障害になります。 事故調は急減圧の実
験を今度は公開で行い、その結果に従って自主的に再調査しなければなりません。
これが事故調査への国民の信頼を回復する唯一の方法です。
18
【事例2】花巻空港 DC9 型機ハードランディング事故
■花巻事故の調査は乗員処分が目的
花巻空港事故では、強風の中花巻空港に着陸しようとした DC9 型機が、 接地直前
に急に高度を失い、ハードランディングとなり、接地後火災が発生、機体は大破炎上
しました。乗客は全員脱出しましたが、搭乗者 77 名中 3 名が重傷、55 名が軽傷を負
いました。
93 年 10 月 29 日の新聞紙上(資料6)では、
運輸省の航空事故調査委員会は、
FDR の結果をもとにシミュレーターでの実験を行った。
その結果、事故機の速度が着陸前 10 秒前後から異常に速度が下がり続け、
接地直前には異常降下を記録していた可能性が高いことがわかった。
失速警報は作動していなかったが,
事故調ではスピード不足から着陸寸前瞬間的に大きな揚力低下が起こり
滑走路にたたきつけられた珍しい事故、との見方を強めている。
着陸前 20 秒前後から 130 ノットを下回り始め、着陸 10 秒前には 120 ノット、
さらに着陸 5 秒前には 110 ノットを切っていた。
JAS の規定では、今回のような気象条件下では
着陸時の速度は 130 ノットを少し超える程度を維持しなければならない。
事故調では、地理的関係からも突風などはなく、
横風と事故原因との直接の関係はないと見ている。
むしろ操縦していた副操縦士が横風で機が滑走路をはずれないことに気をとら
れ、
速度を誤ってバランスを崩した可能性があるとしている。
と報道しています。
要するに、「花巻には地形から見て突風な
どの風の影響はない。事故原因は乗員が
速度の低下に気づかず、失速して滑走路上
に落下したことであり、乗員の操縦ミスであ
る。」という、いわゆるパイロットミスが結論と
なっています。
ところが、事故機の失速速度は 92 ノットで、
FDR の記録では 120 ノット程度を示していて、
誤差を考えても 110 ノットはあったことは確か
で、失速はありえません。
この事故について日乗連では、気象デー
タと乗員の報告から見て、ウインドシヤーと、
ハードランディングが多い DC9 型機の空力
19
特性に疑いを持ちました。そこで、京都大学防災研究所の協力を得て、独自に音波レ
ーダーなどを使用してウインドシヤーの調査を行い、更に、日米の定期操縦士会の協
力を得て、ウインドシヤーに対する乗員の反応、機体の操縦性などについて、アメリカ
でシミュレーターをレンタルしてデータを取りました。その結果、花巻空港では 300ft
以下の低高度でも上下方向の風が観測され、ウインドシヤーが存在していたことが確
認されました。又、 乗員のウインドシヤーからの回復に要する時間は、ウインドシヤー
の認識から、それに対する操作に機体が反応するまでに約 11 秒が必要であることが
確認されました。従って、200ft 以下の低高度でウインドシヤーに遭遇した場合、脱出
はきわめて困難であることが明らかになりました。
日乗連はこの調査結果を 94 年 9 月 30 日に発表しました。
■理由は変えても乗員のミスは変えない
事故調は日乗連の調査報告書が発表された後で、95 年 12 月 2 日、この事故に関
する調査報告書を公表しました。推定原因は、
風向風速が大きく変動する強風下で、
ウインド・シヤーに対する十分な警戒をすることなく着陸のための進入を行い、
過走帯付近を通過する際、激しいウインド・シヤーに遭遇したため、
機体が急激に降下して、ハードランディングし、
火災が発生したことによるものと推定される。
さらに、所見として次のように付け加えました。
風向風速が大きく変動する気象条件下で着陸しようとした際、
ハードランディングしたことによるもので、
このような気象条件下で着陸する場合は、
常に機を失せず着陸復行をすることも含め安全上最適の措置をとるよう、
細心の注意を尽くして運航することが必要である。
なお、機長及び副操縦士は、定期航空輸送事業に従事する運航乗務員として
の使命を自覚して、
それぞれの職分に応じ、より一層安全意識に徹することが肝要である。
日乗連などの調査で、花巻空港周辺にはウインドシヤーがあることが確認されたた
め、報告書ではウインドシヤーがなかったとは言えなくなりました。また「失速」はあま
りにも事実からかけ離れた、非現実的な憶測で、さすがにこれも撤回し、原因を変更
したものと見られています。
乗員の過失だとするには、その異常事態を「予見」することが出来、それから「回避
することが可能」であったことを明らかにしなければなりま せん。これが証明できなけ
れば「不可抗力」という結論になるのが当然です。
報告書では、速度が変化しているから「ウインドシヤーを予見」できたにも拘わらず、
20
GPWS(対地接近警報装置)の降下率警報(シンクレイトとの音声警報)が作動した接地
9 秒前の時点で回避操作を行なっていない、 だから乗員のミスだと言おうとしているよ
うです。
事故機が、遭遇したウインドシヤーを「予見」し、それから「回避できるか、出来ない
か」については全く調査していません。速度がどの程度変化したらウインドシヤーを予
測すべきなのか、その基準も全く示していません。
事故機がウインドシヤーに遭遇し、速度低下が始まったのが接地 10 秒ほど前です。
ウインドシヤーの回避には 11 秒程度を必要とすることは、日乗連の調査で明らかで
す。従って、回避は不可能と見られています。 事故調はこのような調査もやらずに、
ただ漠然と「十分な警戒をしていなかった」と言うだけで、これでは「乗員の不注意」で
あるという具体的根拠はなにも示していません。
事故調の報告書と 93 年 10 月 28 日の新聞発表と日乗連の報告書とを併せて読む
と、事故調は結論としてこの事故はパイロットミスにする方針を持って調査を進め、ウ
ィンドシヤーがあったことが確認され、回避不可能であることがわかっていても、「結
論」だけは変えずに、漠然と注意不足を付け加え、無理矢理、乗員の行政処分などの
責任追及の材料を作ろうとしたとしか考えられません。
21
第2部 事故調査の現状
■事故調査は事象の鎖を逆にたどる
航空会社が行う安全教育などで、「事
故に発展する事象の鎖を断ち切ること
が事故防止につながる」「航空機事故の
原因となるものは、設計から製造、整備、
運航などいろいろな段階で存在し、発生
する」などと教えられます。その際、 以下
のような図がよく出て来ます。
事故というのは、設計から始まる各段
階での不安全要素が、図に示された「不
可避点」に至るまでの各段階でのチェッ
クをくぐり抜け、不可避点に到達した場合に発生すると教えられています。その不可
避点に関わるのが、通常は乗務員です。
運航乗務員は不可避点の一歩手前で、何とか事故を回避するために努力していま
す。これは実際にあった事例ですが、飛行機の重量を計算間違いで、実際の重量よ
りも 40000 ポンドも軽く計算してしまいました。この様なミスは乗務員には発見不可能
でした。誤りに気づかないまま離陸を開始し、機首を上げる速度(VR)に達し機首の引
き起こしを始めましたが、 機体はなかなか浮揚せず、すでに決心速度(V1)を過ぎてい
るため離陸を中止せず、滑走路の端まで走り、ぎりぎりのところで浮揚しました。一歩
間違えば、大惨事であったことは確かです。
もしもこれが事故になってしまったとすると、事故調査のやり方をどのようにすれば、
真の事故原因を究明出来るでしょうか。 当然、最後の事象を解明し、そこから、なぜ
その事象は避けられなかっ たのか、次々とさかのぼることによって、最初の事象にた
どり着き、それを排除することによって同種事故の再発を防止することが出来ます。と
ころが、この「事象のさかのぼり」は意外に難しく、不可避点からさかのぼらなければ、
すべて「乗員のミス」になってしまいます。
この重量の間違いによるインシデント(事故に至らなかった不安全事象)では、 搭載
重量の記載を誤ったのか、 搭載重量をウエイト・アンド・バランス表を作成するときに
書き誤ったものか、 究明できませんでした。 その理由は関係者が口をつぐんでしまっ
たからです。 口を閉ざした理由は、 処分を恐れ、 お互いにかばいあったことにあった
と見られています。
■責任追及は事実を隠す
Q;あなたが事故になるかもしれないような、ミスを犯したとします。 直ぐにためらうこと
なく、上司に報告できますか?
22
「ミスを報告したら、懲戒処分を受けるのではないか」、「昇級昇格に 影響するので
はないか」と心配したりしませんか?
正直に報告したら刑事責任を問われるとしたら、かなりの勇気を出さ ないと報告す
ることは難しいと思います。このような心理は、政府機関、 航空機メーカー、航空会社
なども基本的には同じです。これらは責任追及や損害賠償などをおそれて事実隠し
をする方向に動きます。 ここに事故に関係した事実隠しをする動機が見られます。隠
されてしまう事実や情報は、本当の事故原因を明らかにすることが出来る、最も重要
なものです。
HIV 汚染血液製剤事件、高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故のビデオ隠し、
そして日航 123 便事故の急減圧実験の結果隠しなども、その類のものです。
このように日本では、重大な事故ほど、真実の情報を得ることがきわめて困難にな
っています。事実が明らかにならないと、「事象の鎖」を正しくたどることは出来ません。
つまり「真の事故原因は解明されません」。 むしろ、これまで重大な事故については、
真の事故原因が明らかにされたことがないと言っても過言ではないのが現実です。
■日航 123 便事故の不可避点は操縦不能、それと急減圧とはつながらない
日航 123 便の場合、墜落を避けられなくなったのは、操縦不能になった時点です。
操縦不能になった一つ前の事象は、四つの油圧系統すべてが破壊されたことです。
さらにその前の事象が垂直尾翼の破壊です。ここまでは正しく辿られていると見られ
ています。
ところが、事故調は垂直尾翼を破壊したエネルギー源を、後部圧力隔 壁の破壊に
よる客室空気の噴出に求めています。そこから先がつながっていないのです。
客室の空気が噴出すれば、当然急減圧になり、気温の低下、客室高度警報の作動
などが確認されなければならないのですが、その事実がない。 客室警報は 1 秒だけ
で停止している。その上、乗員は減圧症にも、低酸素症にもなっていない。
事故調は、その矛盾を埋めるために、都合の悪いことは「その理由を明らかに出来
なかった」と逃げ、「耳はエレベーターで経験するような、軽く詰まった程度」という生存
者の証言は無視、毎分約 300000ft もの減圧でも減圧症にはならない証拠を作るた
めに、急減圧実験の前には被験 者に減圧症の予防処置を行い、実験中に酸素マス
クを使用したことさえも隠さざるを得なくなったのです。
■事象は正しく遡れたが、犯人作りをした花巻事故
一方、花巻事故では、ハードランディングという最終事象から、その一つ前の事象は
低高度での降下率の増大であることは当然です。ところが事故調はその前の事象は
風の影響ではなく「失速」であるとしていました。しかし、失速速度より接地したときの
速度が多いことに気づき、今度はウインドシヤーがその前の事象であると改めました。
そこまではよいのですが、事故調はその前の事象として、ウインドシヤーは予見でき、
また回避も可能であったのに、乗員がそれをしなかったと結びつけたのです。しかし、
どの様な速度変化があればウインドシヤーを予見すべきなのか、具体的には示さず、
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着地 9 秒前でも着陸のやり直しが出来ると (実際にはきわめて困難)、証拠もなしに
乗員の不注意にこじつけました。
これは、「乗員の責任」に転嫁することで、空港設備の不十分さ(計器着陸装置が一
方の滑走路しか設置されていない)や、風の観測態勢の不十分さ等を隠す結果になり
ます。
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第3部 私たちの要求
■公開で急減圧実験を行え
事故調の行った、急減圧実験の結果が、事実と大きく異なっていることが明らかに
なっています。事故調は、報告書で「試験2」と呼ばれている減圧実験中、被験者(当
時 48 歳)は「試験開始から終了まで酸素マスクなしで作業を実施した」旨、報告書に
記載していますが、当該被験者が、 航空医学実験隊に見学に訪れた日航の機関士
たちに、日航の事故を想定した実験では、急減圧後、「直ぐに酸素マスクを吸った」と
語っている事実があります。
私たちは、これまでも繰り返し日航 123 便事故の原因の再調査を要求してきました。
確かに法律上は、再調査を求めたり、報告書に異議を唱える手続きはないかもしれ
ません。しかし、報告書の一番要の部分で、実験結果に重大な疑惑がある以上、事
故調は国民に対して、真実を明らかにするために自主的に再調査、再実験すべきと
考えます。
■真の原因究明のために、CVR・FDR・残骸の保存を
事故機の残骸は、事故後検察庁に押収されていましたが、92 年に日本航空に引き
渡されました。私たちは日本航空に対し、残骸保存と公開を求め 4 度に渡り要請を行
いましたが、日本航空は未だに拒み続け、のみならず一部の残骸をすでに廃棄処分
にしたことを明らかにしています。
事故調査報告書の CVR の解読や FDR の解析には、現場の乗員が納得できない
部分も多く、実際に聞けば正確に解明できる可能性が大いにあります。又、残骸調査
も隔壁に集中せず、様々な部位の、多種多様な観点からの、突っ込んだ調査が更に
必要と考えます。
CVR や FDR、重要な部分の残骸を破棄してしまえば、本当の原因は永久に闇の中
に葬られてしまいます。 私たちは改めて、CVR、FDR、残骸の保存を要求します。
■事故調査と責任追及は分離せよ
今年の(96 年)6 月 13 日、福岡空港で発生した、ガルーダ・インドネシア航空 DC10
型機の事故でも、事故調より先に、警察が犯罪捜査を開始したことは記憶に新しいと
ころです。
従来から航空機事故については、警察による犯罪捜査が事故の原因調査より優先
されており、また事故調査報告書が、運航会社による事故関係者の処分、運輸省に
よる行政処分の根拠とされています。その上、刑事責任の追及にも使用されています。
現状では、同種事故の再発防止のために率直に事実を報告しようとすると、責任追
及によって不利益を受けるおそれがあります。事故調査は犯罪捜査ではないので、
いわゆる「令状」なしで、事情聴取を行っています。それが犯罪捜査に利用されたので
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はたまりません。
事故調査に当たって真実を述べる必要はありますが、事故調査といえども、当然の
ことですが、自分に不利益なことまで、述べる義務は全くありません。
現在のように、CVR や FDR は警察が押収し、それを事故調は警察の依頼を受けて、
鑑定するような、犯罪捜査と一体となった事故調査を続ける限り、航空労働者や関係
者は、事故調に対しても口を塞がざるを得なくなっています。
アメリカ合衆国では、国家運輸安全委員会(NTSB)が原因調査にあたり、 刑事責任
に該当する疑いがあるときに、検察当局と協議して処理するようになっています(酒に
酔って操縦していた場合などには刑事責任が追及される)。
明確な法違反や怠慢がない限り、全ての証人から、 起訴される怖れなしに信頼でき
る情報を得るため、 証言については免責が与えられています。イギリスでも、法律違
反がない限り、判断の誤りなどで刑事責任は問われていません。
この点について、かつて事故調査委員でもあった山口真弘氏も、 その著書「航空法
規解説」の中で、法律上の規制がないとはいえ「事故調査報告書を、刑事手続きにお
いて、証拠資料とすることは、事故調査が、犯罪捜査を目的としていないにもかかわ
らず、刑事訴訟法の手続きに従うとはいえ、結果的に犯罪捜査のために利用されるこ
とになり、望ましいことではない。」と見解を述べています。
その理由は、報告書が訴訟に用いられ、これに基づいて責任追及が行われれば、
事故調査に必要な関係者の情報の提供が得られにくくなる事にあると思われます(ア
メリカ合衆国では、事故調査の目的と、訴訟の目的の相違から、訴訟での報告書の
利用を禁じています)。
この様に事故調査を困難にし、事故再発防止の機能を失うような現在の犯罪捜査と
一体となったような事故調査を、速やかに改める必要があります。
■事故防止や安全に関する問題についての発言は自由に
大きな事故を防止するために、事故には至らないが、 安全を阻害する事態「インシ
デント」を、匿名や処分を行わない事によって自由に報告させ、事故に至る前の段階
で防止策を立てる方法が「インシデント・リポートシステム」として各国で検討、試行さ
れています。
現在のように、機材が大型化し、事故が発生する度に犠牲者の数が更新されていく
ようでは、インシデントの段階で防止しないと、事故調査では遅すぎるという意見も出
始めています。
現代の事故は航空機事故に限らず、例えば原発で事故が発生すると、将来極めて
長期間放射能汚染が残り、人類の将来を危うくする事も考えられます。その影響の大
きさを見れば、事故が発生してから、防止策を考えていたのでは遅すぎます。
航空界でも事故を無くすために、事故に至る前に不安全要素を自由に報告できるよ
う、企業側も安全に関するミスについては個人に対し、処分や差別しないようにしなけ
ればなりません。特に、働く者がアルバイトとか下請けとかの不安定な身分では、正
直に自分のミスを報告すると、 職を失うのではないか、生活を脅かされる・・・という恐
怖がつきまといます。これでは安全は向上できません。差別のない、お互いに自由に
意思疎通が出来る、明るい職場を作ることを心がける必要があります。
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それによって事故が防止できるため、結果的には企業側も利益につながります。
同時に、社会全体の利益を考えるとき、日本で行われているような、警察優先の責
任追及のための事故調査を選ぶか、先進諸外国で行われているような、再発防止の
ための事故調査のどちらを選ぶのか、みんなで考えるべき時期ではないでしょうか。
日本の航空会社の現状は残念ながら、安全問題について自由な発言が保証されて
いません。又、事故が発生しても、これまで述べて来たように、科学的で公正な事故
原因の調査が行われる保証もありません。
私達、航空の職場に働く者は、自由にものが言える職場を作り、科学的で公正な事
故調査を実現させるために、今後も努力を続けます。
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