毎月1回 10 日発行 朝日新聞大阪本社 1879年 (明治12年)創刊 関西からのメッセージ集団 朝日 21 関西スクエア 会報 Asahi Kansai Square21 No. 118 広がる大学の地域格差 ~地方小規模私立大学の嘆き~ 今田 寛 (広島女学院大学学長・元関西学院大学学長) 長年住み慣れた関西を離れ、 広島に来ていつの間にか5年 が経った。 その間、高等教育界における地域格 差とその進行には驚かされている。関西にいた ときには東京一極集中を苦々しく思っていた が、広島から関西を見て感ずる格差感はそれ を上回るように思う。 自由競争をあおる近年の 風潮はその格差をさらに増幅させた。 例えば広島県の場合、大学進学率は京都、 東京に次ぐ全国第3位61.6%であるが、 まさに そのためでもあろう、直近の入学試験では近 畿圏の55大学、首都圏の24大学を含む143 私大が広島市内に地方試験場を設けて学生 を採りに来た。その結果、2008年度は県下の 進学者の50%が県外大学に流出し、そのうち の30%が京都・大阪・兵庫の大学に、14%が 東京に流れている。 一方では新天地に挑む若者の姿を好ましく 思いつつも、広島にはそれほど魅力がないの かとの思いと共に、弱肉強食ともいうべきこの 姿には複雑な思いである。 しかもこれらの大都 市圏の私大は近年規模拡大傾向にある。例え ば首都圏12大学、近畿圏8大学を含む20主要 私大と言われる大学の2009年度の入学定員 は、2004年度のそれに比べて105%、実数に して5557人の入学定員増となっている。私の 古巣の大学も規模拡大をしている。つまりこれ らの大学は器を大きくして地方に学生を採り に来るわけであるから、地方との格差は広がるわけである。 地方の大学に限らないが、私立大学の学生募集に影響 を与える要因は他にもある。例えば2004年度から独立行 政法人化した国立大学は、最近は財政基盤強化のためか、 定員を超過して学生を受け入れるようになった。2008年 度のデータを見てみると、定員充足率110%以上の国立 大学の数は86のうち64もあり、そのうちの7校は120%を 超えている。そしてその内の3校は大阪、兵庫、京都にある。 昨今の経済不況の中、 これが私立大学に影響を与えない わけがない。 それでは、 このような大都市圏と地方、国立と私立、 さら には大規模校と小規模校などの格差が顕著になっている 中で、地方私大はどうするべきか。自ら行うべきことを行う のは当然であるが、 まずは国の地域格差是正政策、対大学 政策としては行きすぎた規制緩和を見直し、現在の諸基 準を現状に合わせて見直す政策をとってほしい。例えば大 学が学生を受け入れる場合、収容定員の1.3倍を超えな 2009.10 いという基 準 がある が、それを仮に1.2に 下 げ ればどうなるか。 先の主要20大学の 入学定員を例に取る と、これによって単年 度で10,862の減にな る。300人規模の入学 定員を持つ大学であ れば36の大学がすっ ぽり納まる数である。 もっとも上記主要20私 大の実際の平均定員超過率は1.2倍であるが、 これは1.3倍を目途にした結果である。 国は、 もし地方を大切にする気があるので あれば、 どうしてこのような即効性のある政策 を打ち出そうとしないのか。定員割れに対し て補助金カットその他のペナルティーで臨む より、定員割れが起こりにくくする政策、地方 を活性化する政策があるはずである。大小大 学が交じりあう私大の連合体でもこの問題に ついて発言することがある。 しかしこのような 問題になると利害が相反するためか、かつて 国立大学を相手に盛んに格差是正を唱えて いた空気は感じられない。強い立場にある者 は、 より強い者には目が向くが、なかなか弱い 者には目は向けようとしないようである。中央 の政財界人の議論の中には、時として『罪と 罰』のラスコーリニコフを思わせる弱者切り捨 て姿勢すら感じることがある。 たしかに強い大学をより強くすれば、国が望むようにわ が国の大学の国際競争力は増すであろう。 しかしそのあお りを受けるのは立場の弱い地方の私立大学である。特に 財政規模の小さな小大学はわずかなことでも大きな影響 を受ける。何をするにも財力がものを言う今日、財力の糊 代の小さい地方の小規模私大は大規模大学に比べて2倍、 3倍の努力をしてもなお困難から抜け出せない状況に置 かれているのである。 今回の総選挙で、友愛と地域格差是正を唱える民主党 が政権を担当するようになった。 どうか日本全国、地方の どのような小さな町・村に住もうが、誰もが誇りをもって幸 せに心安らかに生きられるような政策を打ち出してほしい。 小さくても良いものは良いという価値感を生み出してほし い。いまさら言うまでもないが、教育は医療、福祉などと共 に、過度な自由競争が馴染まない社会の土台をなす領域 なのである。 (いまだ・ひろし) 朝日 21 関西スクエア 2009.10 (1) これが日本の総理大臣だったのか 唖然とした森喜朗氏の衆院選開票日の言動 粟野 仁雄 ジャーナリスト 「マスコミより支援者が大事」 「われわれ日本人はこんな低レベルな男を国の行政トッ 押し問答の最中に建物から 「やったあ」 と歓声と拍手が プに奉っていたのか」 と改めて痛感した。 聞こえた。民主党の新人・田中美絵子候補(33) と接戦に 衆院選挙投開票日の8月30日夜。雑誌の取材で訪れた なったが、NHKが森氏の「当選確実」 を打った。 石川県小松市(石川2区)の自民党候補・森喜朗氏(72)の 森氏は事務所に入ろうとし、押し入ろうとする報道陣と 事務所は異様だった。選挙事務所はかなり広いがテレビカ はね返すスタッフで騒然とした。怒号が飛び交い、階段を メラ陣はすべて屋外に出されている。窓はすべてカーテン 転がり落ちたカメラマンもいた。森氏はメディアを締め出し で覆われ、内部は一切うかがえない。 たまま支援者らと喜びを分かち合い、 1時間ほどして出て 午後8時頃から支援者が集まり出す。屋内にはカメラを きた。テレビの前では「女房と落選の言葉ばかり考えてい ぶらさげた新聞記者や雑誌記者たちもいたが、幹事社の たので思いつかない」などと話した。本音だろう。当選が危 若い朝日新聞の男性記者が中心となり、盛んに選対幹部 ない大物ということや、田中候補が若い女性だったことも と交渉している。事務所側の説明は「当選でも落選でも、支 あってマスコミが殺到していた。 「どうせ、マスコミの目当て 援者に報告する姿は新聞社さんにも一切、取材させませ は美人。面白おかしく並べるだけのために写される必要は ん。 これはご本人とご家族の要望です」 だった。支援者への ない」などと漏らしていた。 報告後、森氏本人だけが外で会見に応じるということだっ 当選後の会見も 「マスコミのおかげでえらい目に遭った。 たが、当落の瞬間の候補者の姿を一切取材させないとい 朝から晩まで自民党の悪口を報道するからだ」 「おれは記 うのは、私の知る限り前代未聞。当然、記者たちは納得しな 者上がり (元産経新聞記者) だからみんなわかるんだ」など いが結局、 スタッフによって外に出された。すったもんだの とほえっ放し。 挙げ句、森元総理本人が交渉に応じることになり、午後11 森氏は「あんたらマスコミより支援者が大事なんだ」 と強 時頃、黒塗りの車で現れた。 どっとカメラが押しかける。 まる 調したが、苦戦の中の当選で元総理と一緒に万歳をするよ で逮捕・送検される容疑者のよう。 もみ合いの中、森氏はス うな様子が報道されることを楽しみにしていた支援者もい タッフにガードされ巨体を揺らして事務所に入った。 るだろう。落選を想定したのかもしれないが、元総理の言 地元紙だけを優遇 動は支援者に対し 「お前らは映る必要ない。俺だけ映れば 協議のため事務所から出てきた森氏は、 「おい、絶対撮 というのと変わらない。 るな、 カメラ向けたらしゃべらないぞ」 「そこ、下ろしなさい」 いい」 持ち上げ続ける永田町記者 「ライトを消しなさい、資源の無駄だ」などとにらむ。屈せ あまりの低レベル発言のオンパレードに怒る気にもなれ ずにレンズを向けている相手には「どこの社だ」 と威嚇する。 なかったが、 これが一国の総理だったのだから悲しい。 件の朝日新聞記者が「マスコミ排除はおかしいのでは」 00年5月、倒れた小渕恵三総理の「遺言」 (?) とされ、 「民 と問うと 「俺は公示の日から (取材させないことは)決めて 意ゼロ」の密室協議で総理に上り詰めたこの男。米海軍の たんだ」。 「なぜですか」には「理由なんか説明する必要な 原子力潜水艦に衝突されて沈没した「えひめ丸」の悲劇の い」。記者は「元総理とし 報を受けてもゴルフに興じていた。あまりの醜態に自民党 て国民が注目する中、報 内でも 「加藤の乱」などが起きた。 じる必要がありますし…」 こんな男をのさばらせてきたのが首相番をはじめとする などと食い下がったが、聞 永田町記者たちだ。首相を退いた後も 「キングメーカー」 と く耳を持たない。 持ち上げ続け、嫌われれば特オチ(=自社だけがニュース 驚くことに、地元紙2紙 を落とすこと) させられる」 とばかりに媚び続けている。麻 (北国新聞と北陸中日新 「鍵を握る人物」 とされていたが、 聞) だけは終始、記者を事務所内に入れて取材させていた。 生総裁の後継者選びでも こんな男は一切無視してほしい。 それを問われると 「地元紙で全部カバーしているからいい 幹事役の朝日新聞記者は大阪本社から応援取材に来て んだ」 と一蹴。件の記者の「朝日新聞しか取ってない人もい るかも知れないじゃないですか」には、 「そんな人はいない。 いた。元総理相手にちょっと怖そうにしながらも一歩も引 ここ(石川2区)の人は地元紙しか取っていない」 と強弁した。 かず、正論を通して奮戦する姿には好感が持てた。朝日新 聞と決してよい仲であろうはずもない週刊新潮の記者ま 「各候補を紹介して投票率も上がるように報道してきた でが「なかなか彼は立派だった」 と褒めていた。同感であ んですよ」と訴えると、今度は「投票率を上げてくれなんて る。唯一、 「朝日新聞しか取ってない人も」ではなく、 「全国 頼んでいない」 ときた。投票率アップのため広報努力して 紙しか取ってない人も」 と言えれば完璧だったんだけどなあ きた総務省や全国の自治体職員に元総理が冷や水を浴 (笑) 。 お疲れさま。 (あわの・まさお) びせた。 朝日 21 関西スクエア 2009.10(2) 政治家の演説力はなぜ貧困なのか? 東 照二 立命館大学言語教育情報研究科教授 先般の衆議院議員選挙は、民主党の圧倒的な勝利に終 わった。私は(暇に任せて) 、選挙中、 できるだけ多くの政党 党首、幹部、そして候補者たちの演説を聞いて回ったのだ が、残念ながら、 「これはすごい」 と思わせる演説にはほと んど巡り合わなかった。 その理由の一つは、多くの演説が、その場にいる聴衆 のことなどおかまいなく、前もって用意してきた決まり文 句、内容、キャッチフレーズを声高にとにかく繰り返すとい う、話し手中心の演説内容であったということだ。「国民」と いうことばを免罪符のように連呼するのだが、それは聞き 手と話し手の間で、反響しながら盛り上がっていくような相 互的なものではなく、話し手から聞き手への一方的なディ スコース (話し方) にすぎなかったということである。 さて、それでは、具体的に、演説を相互方向的に盛り上げ るにはどうしたらいいのだろうか? その答えの一つは、 「ス トーリーを語る」 (storytelling) ということだ。私たちは、自 分の身近に起こる、具体的な話(ストーリー)に敏感に反応 し、惹かれていくのである。わかりやすい効果的なストー リーを演説に組み込み、それをいかに発展させていくかが 決め手となる。要は、そのストーリーの中に聴衆が自分の 姿を見出し、 あたかも話し手と聞き手が、共同でそのストー リーを作り上げていくかのように感じさせる演説であるか どうか、 ということだ。 そこで、みなさんはこう質問するかもしれない。 「そんな 演説がどこにあるのだろうか?」。実は、そのいい例がオ バマ大統領の選挙中の演説なのである。 ご興味のある方 は、拙著『オバマの言語感覚:人を動かすことば』 (2009年、 NHK生活人新書) を読んでいただければ幸いである。一言 で言うと、演説で、 (そしてこれは何も政治家の演説だけに 限らないのだが)聴衆たちは話し手ではなく聞き手、つまり 自分たちのことを語ってもらいたいのである。 これからの政 治家に大いに期待したいところである。(あずま・しょうじ) 私が嫌なのは一時の権力なのに、 それを振りかざし偉 ぶるものたちです。権力志向の人って、ひょっとしたら進 化の遅れたホモ・サピエンスなのかな、 とも思います。何 としてもその群れのボスになりたがる肉食動物(申し訳 ありませんが大概オスです) の本能と通じるものがある のではないでしょうか。 権力という魔法が消えた時の惨めさといったら、 これま た人間の世界も動物の世界もまったく一緒です。世間 の注目から外された自民党は今や除け者扱い、執権与 党のほぼ50年の歴史が嘘のようです。政権が代わった ら日本は良くなり、風刺するものも少なくなるのではと思 う方がいらっしゃるかも知れません。 しかし往々にして権 力という魔物は、人をそれに陶酔させ判断力を鈍らせま す。幸いそれで風刺マンガ家も題材に困らないというわ けです。 また新しい仕事がふえそうです。 『オスカー・ワイルドのコント集 白鳥の歌』を翻訳出版 大阪府立大学教授の堀江珠喜さんから このたび『オスカー・ワイルドのコント集 白鳥の歌』 (アートダイジェスト、1900円+税)を翻訳出版しまし た。 ワイルド全集にも入っていない本邦初訳です。 というの も、 これはワイルド自身が執筆したのではなく、友人たちに 語った話を、聞いた者たちがそれぞれ記し、 フランス人の ギヨ・ド・セが編集し1942年に出したのですが、 これが入 手困難であり、 またフランス語だったので、 日本の英文学者 たちが読もうとしなかった、 もしくは読めなかっ たためと思われます。今年は1900年に亡くなっ たワイルドの遺体が、パリ郊外から市内のペー ル・ラシェーズ墓地に移された「改葬百周年」に当たります。 7月19日にはロンドンとパリのワイルド・ソサエティのメン バーがこの墓地に集い、記念のイベントを行い、日本から は私が出席しました。偶然ながらそのような年にこの翻訳 本が出せましたこと嬉しく存じます。 日本でも、 この秋、 『ドリ アン・グレイの肖像』や『サロメ』が上演されるようで、 この 本によって少しでも皆様方がワイルドに興味を持ってくだ さいましたら幸いです。 朝日 21 関西スクエア 2009.10 (3) 「非核平和宣言都市」の明日を担う 自治体職員を育てるために 鈴木 常勝 吹田市制 70 周年・非核平和担当職員 じる部署も人材も今はない。 「平和は重点施策にならない」 「非核平和」 を宣言した市町村は、全国1497自治体にの 「平和施 ぼり、大阪府では全自治体が宣言している (日本非核宣言 「自治体の平和施策にポリシーが感じられない」 策のリーダーとなる専門職員が育たない」などがその原因 自治体協議会調べ。2009年9月1日現在)。 しかし、自治体 だと指摘できる。 からの平和創造はどのようにすれば可能なのか。 「宣言す 博物館学芸員のように数年先を見通した平和企画を立 れば一区切り」 となって、かえってその後の行政の反戦平和 てることのできる専門職員が必要である。平和担当学芸員 施策が停滞しているのではないか。 の「平和・戦争学」の専門性が市民の平和運動との協働や 吹田市では来年の市制70周年を契機に、 アメリカ軍によ 行政としての啓発施策に生かされなければ、 自治体の平和 る吹田市への空爆と機銃掃射被害、中国出征兵士の加害体 施策は「その場しのぎのスローガン」に終わる。 「非核平和 験、 フィリピンやビルマの兵士や従軍看護婦の敗走体験、吹 「もっ 田市に暮らす原爆被災者の半生、生き残った特攻兵の苦悩、 都市」宣言をむだにせず、今に生かさなければまさに たいない」。 戦争で夫や父を失った家族などの証言を集め、市民向けの 職員を腰掛け人員にするのではなく、学芸員に匹敵する 平和学習冊子として作成する作業が進行中である。 これら 専門性と持続力を持たせれば、各地にある 「戦争資料館」は の吹田市民の 「戦争証言」 の多くはかって吹田市が発行した 平和啓蒙パンフレットから抜粋したものである。 吹田市のか 「客待ちの姿勢」から脱却し、職員は市民の中に飛び込み、 過去の戦争体験を明日の反戦施策に生かす人材として育 つての平和広報を振り返り、 再度市民に手渡すことになる。 つ。 「戦争資料館」の全国ネットワークができれば、職員の 「身をもって戦争を憎む」戦争体験世代の減少、戦争に無 専門性はさらに深まり、自治体の平和施策に刺激を与える 関心な市民や若者の増加。にもかかわらず、核は世界に拡 だろう。平和学芸員のような専門を担える人材が自治体の 散し、 アメリカ軍による日本への核持ち込みの疑問が問わ 他の分野にも増えれば、職員全体のモチベーションも高ま れている。国家施策でもなく、市民運動でもない「自治体の り、自治体改革のエネルギーになる。 「役人根性」に安住で 平和施策とは何か」 を、非核平和宣言都市の市長、議員、職 きない制度と専門分野に責任を持つ人材が、明日の自治 員は真剣に考える時期に来ている。 体を育てる。吹田市の平和施策に注目してほしい。 だが、 その「考える人材」が自治体に育っていないのを私 (すずき・つねかつ) は感じる。吹田市がかつて配布した啓発冊子をまとめて論 こんな話 行商じいさん まえに突き出し「ほらほら、吸いつくぞーッ。チ ンチンに吸いつくぞーッ」 とおどしたりした。 漫画家の河村立司さんから 3段重ねの魚篭にはタイ、サバ、イカ、イワシ などの季節の魚介がぎっしり。上段にコンブ、 ス やっと物心がつきはじめたものの、まだろれ ルメ、 メザシなどの乾物。 ときおりハマグリがピュッと汐を つが回らぬのに「トトチャン」 と呼んで可愛がってもらった トト 吹いていた。 「トトチャン」は文盲だった。 『御通』 と墨書き 魚の行商じいさんがいた。 じいさんは週1回、魚篭を担いで した付け買いの和綴じ帳を母親が渡すと、腰の矢立を抜 やって来た。 き、 ちびた筆でサバなら 「サ」、 イワシなら 「イ」、 「イ」の下に、 全 身 が 赤 銅 色 で 筋 骨 隆 々 、艶 光 り す る 愛 用 の • • • • • まだ生きて墨を吹くイカ。宴席などの別注 てんびん棒を刀に持ち替えれば、いっぱしの古武士の風格。 印をつければ、 のタイなら太く 「タ」。 自分だけが分かる記号のような文字。 ようやく朝 飯 が お わり、 それでも節季払いは間違いなかった。 姉たちは学校行きの支 「トトチャン」は暗い峠を越え、尾道あたりの魚の朝市に 度を始めるころ、その「ト 出かけ、つづら折りの杣道も歩きつづけた。 どの集落にも トチャン」はやって来る。 お馴染みさんがいた。 「あの子も、 もう学校行きか」 「あの娘 ギイギイギイと、てんび は嫁に行ってしまったなあ」。そんな思いにふけりながら、 ん棒がしなう音が庭先 生涯、店も構えなかった。 から聞こえると、母親は 「トトチャン」の孫になる小泉クン(純一郎にあらず)は私 祖母に目くばせし、買う の小学校の同級生になる。戦後しばらくして 「うん、夕飯の となれば「トトチャン」 と 番茶を呑み干し、 うまかったのひと言残し、 コテンとおでこ 呼びながら縁側に飛び を飯台に落したままじゃった」 と話していた。海から遠い農 出るのは私の役目。 • • • • 村の食のひと切れを支えつづけた「トトチャン」は、人生を 「トトチャン」は、腕に 律儀に完売した。 からむタコを私の目の 朝日 21 関西スクエア 2009.10(4) ピンホール写真のワークショップを 開催 ◆アナログのピンホール写真 土砂降りの8月9日、 こんどは中学生10人を対 象に、 (デジタルは一切使わない) ピンホールカ ピンホール写真芸術学会事務局長の メラを作って写真を撮るワークショ ップを行いました。 参加 合津文雄さんから 者は京都大学総合博物館が企画する、 「夏休み学習教室体験EXPO-2009'-夏」の13番目のプログラムとして一般公 近年、写真技術は急速に様変わりしています。 こうした状 募されました。参加者には、各自、A4程度の紙が入る箱と 況を前にして、一歩立ち止まり、 よりプリミティブなものを アルミ缶を1個持って集合、 とだけ事前に伝えてもらいまし 体験してもらい、 またあらたな創造性の源泉ともしていけた た。 らと考え、 ピンホール写真のワークショップを開催してきま ピンホールの作り方は前述の通りです。次に暗い箱をつ した。その中から、今年行われた2つのワークショップを紹 くります。持ってきた箱の光が漏れそうなところを黒いテー 介します。 プでふさぎます。箱の内側を黒く塗ります。箱を適当に切り ◆デジタルのピンホール写真 梅雨明け前の暑い6月28日、一般の方、十数人を対象に、 込んで、そこへピンホールを黒いテープでしっかり留めま す。明るいところでの作業はここまで。 デジタルのピンホール写真のワークショップを開催しました 少人数ずつ暗室に移って、印画紙をセットして、黒い (6月28日〈日〉13:00~17:00 場所:京大会館)。参加者 テープでふたを留めて、 ピンホールにも黒いテープを貼っ には、各自アルミ缶1個を持って集合とだけ事前に伝えま てシャッターとします。 した。 外の光の強さを測定して、露光時間を決めます。4分から デジタル一眼レフカメラのレンズの代わりにピンホール 15分ぐらい。みんな、自分の箱を持って、外へ飛び出して をマウントすれば、 もうそれでデジタルピンホールカメラの 行きます。撮影から帰って来たら、暗室で順番に現像です。 出来上がりです。 まったくのところそれだけです。 箱を開け、用意された現像液で現像して、水洗します。像が さて、 ピンホールの製作です。持参したアルミ缶からカッ 出てくると、皆、 うーんという表情です。 これはネガと言って、 ターナイフを使って、アルミ片を切り出し、ハサミで形・大 光が当たったとことが光に感じて、黒くなるから、明るいと きさを整えます。2cm角ぐらいが手ごろです。それに針を ころほど暗くなって、白黒が逆の像になっているのです。 立てて軽く叩くと、文字通りピンホールが開きます。サン 水洗が終わったら、水気を切って吊るします。乾くまで待 ドペーパーでバリを取って、水洗をして、光る面には黒い ちましょう。乾いたら、転写して白黒を逆にして普通の写真 テープを貼って迷光止めをします。デジタル一眼カメラに として見えるようにします。暗室で、順番に未使用の印画紙 マジックテープを使ったアダプターをセットしておき、 ピン の上に先ほど現像したネガを裏返しにして、その上から透 ホールが出来た人から、 カメラにセットして、会場の仮設ス 明アクリル板を重ね、その上から懐中電灯で20秒ほど露光 タジオでご自身のポートレートを撮ります。 します。 あとはさっきと同じように印画紙の現像を行います。 結果はすぐ確認できます。 ピンホール独特のボーっとし た映像で、 自分の姿がディスプレーに現れると、 しばし唖然。 水洗して吊るします。一日がかりでやっと一枚の写真がで きました。みんな大事そうに作品をしまって帰りました。 続いてオー、 アラーとにぎやかな声があがります。 これらのワークショップで、 日常とは違った世界を垣間見 ピンホールの開け方、バリエーションの数々、議論は尽 きません。参加者の皆さんはピンホールを何種類も作り、 る体験ができたと思います。 何枚も撮影して、そのプリントアウトを持って帰られました。 「おおさか女性行進」10回目。 今年も17日に御堂筋を行進! おおさか女性行進実行委員会の橘統子さんから 2000年世界女性会議の後カナダの女性たちが世界中 の女性に呼びかけ160カ国の女性たちが「貧困と女性たち への暴力の根絶」 を目指し世界女性行進が始まりました。 この年日本からは東京と大阪の2都市が参加し、大阪で は900人が参加しました。5年ごとに世界女性行進はあり ますが、毎年行っているのはカナダと大阪だけで「おおさ か女性行進」は今年で10回目、10月17日(土)世界貧困 デーにパレードです。 今年のテーマは「なくせ!貧困と戦争 守れ!いのちと希 望の地球を 核兵器のない世界へ」 です。 21世紀に入り格差が広がり貧困問題が深刻になってき ました。 日本も例外ではありません。特に若者や女性たちに しわ寄せが来ています。経済大国などといっていたのはい つのことやら。今回の政権交代で緩和されることを期待し ます。 また米国ではオバマ大統領が核兵器なき世界を唱 え、鳩山首相も非核三原則を誓いチェンジとばかり平和へ の第一歩が踏み出されたかに見えます。一刻も早く世界平 和が訪れることを願い、今年もにぎやかに御堂筋をパレー ドします。 貧困廃絶と平和を願って大阪の女性たちが午後4時に 大阪厚生年金会館前を出発し御堂筋を行進します。お時 間のある方はぜひ参加してください。 また沿道でも応援も 宜しくお願いします。 朝日 21 関西スクエア 2009.10 (5) ついに中国デビュー! ―『取景中国 跟着電影去旅行 (Sh o t so fCh i n a) 』が中国で出版! 上海ブックフェア出展報告記― ぶ中国旅行についてホームページに書いてい た旅行記をメインにし、映画をサブとする方針 で原稿を手直しし、翻訳に回した。そして、09年 3月24~27日の北京・上海旅行では本に掲載 する写真撮影をし、8月に上海で開催されるブックフェアへ の出品を目指して完成させることになった。 弁護士で映画評論家の坂和章平さんから 記念すべき中国デビューは、末広がりな8月18日。私は 私の中国好き、中国映画好きはこの会員消息のコー 毛さんらと共に世界各国の書籍を集めた 「2009上海書展」 ナーでも何度となく書いているが、07年10月、北京電影学 に参加した。そこに出展された書籍は10万種類以上、新刊 院で特別講義をするという夢がかなった私の次なる夢は、 は6万種類。各種イベントは300を超える大舞台だ。そして、 中国での中国語による私の映画評論本の出版となった。北 とにかく広い会場の一画に、ポスターと平積みにされた私 京電影学院での特別講義は同学院客員教授の肩書をもつ の著書が! これだけでも大感激だったが、 さらに会場を進 古澤敏文氏との出会いから実現したが、今回の出版は、日 と書かれた等身大以 んでいくと 「《取景中国》 售 讲座」 中バイリンガル作家で神戸国際大学の教授、神戸市外国 上の大きな立て看板があり、私の本の説明会の会場が設 語大学の客員教授、上海テレビの対談番組への準レギュ 営されていた。そこで出版までのいきさつや狙いなどを通 ラー出演など日本と中国の両国を股にかけて大活躍の毛 訳を介して話したあとは、なんとサイン会まで用意されて 丹青氏との出会いから実現したものだ。中国からの留学生 いた。帰国後ブックフェアの記事をインターネットで検索 に紹介されて毛氏と初めて会ったのは、08年3月19日。あ してみると、私がサイン会をした2日前には渡辺淳一氏の いにくの雨の中、 スーツ姿で自転車をこぐ私の姿に興味を サイン会があったとの 持ってくれた毛さんとは即、意気投合。何度か食事をとも ことだ。私 がサインを にし、親交を深める中、私の中国語での出版のプロデュー したのは 約 1 0 名だっ スを快く引き受けてくれることになった。当初は日本人弁 たが、次回は長蛇の列 護士兼映画評論家坂和章平による中国映画論のようなイ と中国語でのコミュニ メージでの出版を考えていたが、08年8月22~24日の上 ケーションを期待! 夢 海旅行で市場リサーチ等を行った結果、中国旅行をメイン はますます膨らむばか としたものに大きく方向転換。2000年から10回以上に及 りだ。 常識からは判断できない! 霊魂ってある? た。 でも、僕はもう長くはないよ」 と呟いた。翌日の明け方に、 息を引き取った。 それから1年余、300年は持つといわれた鉄筋3階建て 株式会社三装代表、デザイナーの石原光子さんから の実家は、業者が入り、解体が始まった。1カ月で完了とい 一昨年、私がもっとも愛し、尊敬していた、たった一人の われた解体は2カ月に及んだ。思い出の全てが、 ドンドン消 兄が天国に旅立った。振り返れば、近くにいながら会うこと えていく。 ブルドーザーが2台、凄さまじい瓦礫の山に乗っ があまりなかった。一昨年の元旦から入院という。即座に かっている。解体以来毎日全て、記録し続けた。8月の最 病院に飛んだ。ベッドに見た兄の衰弱は、 まるで別人の様 終の日、長男と工事中の中に入り、最後のシャッターを押 相を呈し、尋常なものではなかった。幼いときからの、 さま していると、突然「伯父さんの名前の表札が、 こんなところ ざまな思い出が走馬灯のように、駆け巡った。 に!!」。 ブロックや土砂、瓦礫にはさまって白い大理石に墨 私にとっては誇りであり、自慢の兄であった。眉目秀麗、 痕鮮やかな兄の名前が=写真。夕闇にもかかわらず鮮明 頭脳の切れはけた外れ。優しくて照れ屋で、それでいて何 に、目に飛び込んできた。 時も絢爛と趣味のいい贅沢さは憧れでさえあり、私にとっ 「マサカッ!」ほとばしる声 ては、絶対の存在であった。 に、長男はセメントに貼り付 兄の結婚を機に少しずつ疎遠になっていった。近年は体 けられている白い大理石を 調を崩して、会社の代表も退いたと聞いていた。平成18年 即座に、取り上げた。きれい の中頃には、病院通いが始まり、突如、症状が急変し、救急 に洗った。自宅に持ち帰り、 入院を余儀なくされた。 それから4カ月余で帰らぬ人となる 燦燦とふりそそぐ太陽に照 なんて夢想だにしなかった。本人自身は、いかな病状であ らされるテラスに安置した。霊魂というものか、何かわから ろうとも、5年は生存できると自信を持っていた。 しかし入 ない。でも全てが消滅する寸前に現れた表札は何を訴え 院後は、体調レベルは下がるばかりで、自力で歩くことさえ たいのか…。 目には見えなくても、意志という何かが奇跡の 不可能になっていた。 ような現象を起こすのか…。前日が母の祥月命日で、兄と 仕事の合間を縫ってお見舞いに行っても、何時も、 もうろ 共に眠る大阪の太融寺に参った後だけに、故人が手元に うとしている。病室があまりにも暗いので、明るい部屋に変 帰ってきたような気持ちになった。複雑な嬉しさと、 この世 えてもらった。思いがけない喜びようで、左の手を天井に で計り知れないこともあるものだと、敬虔な思いにふけっ 向けて思いっきり伸ばして、一言。 「有難う。明るくて満足し た8月の最後の日であった。 朝日 21 関西スクエア 2009.10(6) 「『居住福祉サミット』IN 山古志」 のご案内 日本居住福祉学会会長の早川和男さんから 日本居住福祉学会は、人々の暮らしを支えている全国各 地の歴史的にあるいは地域住民の協同でつくられてきた 様々なかたちの生活・生産資源を「居住福祉資源」 として 評価し、その保全、再生、創造にとりくんでいる団体等を表 彰しています。09年度で12件になりました。その団体がよ り集まって、サミットを開きます。会場は、中越大震災で甚 大な被害と全村避難から、生産・生活基盤を回復し、村民 の切なる願いであった「帰ろう山古志へ」を実現した山古 志で、中国四川省の震災復興にとりくむ学者も参加し、 「中 山間地のありかた」をともに考えます。 (会場と市内ホテル 間はすべて送迎バス利用) 第1日:11月14日(土)14時「山古志会館」 (新潟県長岡 市竹沢)集合。 [送迎バスが14日13時にJR長岡駅大手口 を出発します。 タクシーは5000円] 14:00~16:00 ドキュメンタリー映画「1000年 の山古志-中越大震災と闘った小さな村の物 語」 (2009年新作)鑑賞 16:00~17:00 歓迎・講演:長島忠美・衆議院 議員(元山古志村長) 18:00~20:30(バスで長岡グランドホテルへ移動後) レ セプション 郷土芸能(大久保神楽)鑑賞 第2日:11月15日 (日)9:30~15:00 実践報告:鳥取県 琴浦町、岩手県西和賀町沢内、四川大学・羅謙教授、新潟 県中越大震災復興基金、長岡市地域復興支援センター 15:00 討論「安心して住み続けられる中山間地とは」司 会:早川和男 16:40 まとめ:長岡市山古志支所長 青木 勝 第3日:11月16日 (月)9:00~ 山古志地域内視察、質疑 後、長岡駅15時解散 ◆資料請求・問合先:〒947-0204長岡市山古志竹沢乙461 長岡市山古志支所内「居住福祉サミット」IN 山古志事務局 斎藤隆 FAX:0258(59)2331、TEL:0258(59)2330 大学で「上方文化論」を 上方文化評論家の福井栄一さんから は中央線「谷町4丁目駅」下車・徒歩3分) プログラム: 『松竹梅』 『滝づくし』 『小簾の戸』 『三国一』 2009年度後期から、関西大学社会学部の教壇に立ち、 (4) 『きぎす』 『黒髪』 『コミュニケーション特論』を担当。若い諸君に「上方文化 論」を講じています。上方文化のファンがひとりでも増えま (5)出演者:<舞踊>楳茂都梅久児・山村若光子・山村 若光希・山村若光華・山村若光瀬・吉村文章・吉村花謳 すように。 <演奏>三川美恵子・菊津貴和子・菊充喜みち子・ 上方舞公演のご案内です。福井栄一が、演目解説します。 菊志乃史・菊純穂静優・菊和歌京子 (1)公演名: 『第6回 あらたま会「日本の四季を舞う~美の (6)入場料:全席とも1000円均一 歳時記」 』 (7)お問い合わせ: 「あらたま会」事務局(電話06-6762(2) 日時:10月31日 (土) 9118、E-mail:[email protected]) 午後1時30分開演(開場は午後1時) 福井栄一のHPアドレスは (3)会場:山本能楽堂(国登録有形文化財) (大阪市中央区 http://www7a.biglobe.ne.jp/~getsuei99 徳井町1-3-6:電話06-6943-9454:地下鉄谷町線また 活動報告 加藤委員「関西がリードする生命科学」 を語る/9月のスクエア懇談会 朝日21関西スクエアの第3回懇談会=写真=を9月14 日、朝日新聞大阪本社で開きました。企画運営委員で大阪 商工会議所副会頭の加藤誠・伊藤忠商事相談役が「関西 がリードするライフサイエンス」をテーマに講演し、 「生命 科学関連の産業を伸ばして、関西を元気にしよう」 と呼び まきやま かけました。大商でライフサイエンス振興を担当する槇山 あ こ 愛湖さんも、医療機器産業での取り組みを説明しました。 加藤委員は「薬品メーカー、大学や研究機関の集積度 が高い関西は生命科学分野で優位な立場にある」 と指 摘。大商が03年に発足させた「次世代医療システム産業 化フォーラム」 で、大学や病院、医療機器メーカーが244件 の共同開発をしたことを紹介しました。 また、全国の医師と 研究者が中心となって、医療機器に関する情報を発信する 「日本の技術を、いのちのために。」 という活動も8月末に 始めたと語りました。 一 方で、医 療 機 器 開発に必要な厚生労 働省の許認可に時間 がかかる点などを課 題に挙げ、 このままで は研究施設も海外に シフトし、頭脳流出につながる恐れがあるとして、許認可 のスピードアップだけでなく、技術のある中小企業を巻き 込み、産官学の連携をさらに進めて 「オール関西」 でバック アップしていくことを提言しました。大阪の中心に世界中か ら研究者が集まる 「知の拠点」 をつくり、優秀な学生や研究 者を育てていきたいとも述べました。 (詳しくは9月16日朝 刊に掲載しました) 朝日 21 関西スクエア 2009.10 (7) 中之島とアートの 100 年 大倉 美恵子 (大阪企画事業部長) 8月下旬のある朝、中之島の本社に出勤してくると、玄関 に向かう歩道の敷石がところどころ、赤や緑、黄色など鮮 やかな色に塗られていました。何だろうと思いながらコン コースに入ると、子供の背丈ぐらいの丸っこい物体が三つ 並んでいます。 これも真赤や縞模様など、 とてもカラフル。 「かるくふれてみてください」 という解説に、おそるおそる 触ってみると、ゆらゆら揺れて……起きあがりこぼしでした。 大阪府、市が協力して10月12日まで開催したイベント 「水都大阪2009」の一環、 「水都アート回廊」の展示のひ とつです。中之島や周辺の古い建築に現代アート作品を 設置して新しい発見を楽しむ企画で、展示は全部で8カ所。 ほかには日本銀行大阪支店や中之島図書館、北浜の適塾 などで、現代美術とのコラボが実現しました。週末のオフィ ス街は普段はひっそりしていますが、会期中はガイドマッ プを持って巡り歩く人の姿が目立ちました。 朝日新聞ビルの展示は美術家の元永定正さん・中辻悦 子さん夫妻が担当されました。 カーブを描く外観が大阪モ ダン建築の名作と言われるものの、内部はやや殺風景な 当ビルですが、遊び心あふれる作品の置かれたあたりは、 ぱっと晴れやかです。人が忙しく行き交うだけのコンコー スも、 アートによるちょっとした異化作用で意味のある空間 となった気がします。 もともと中之島はアートと親和性が高い土地柄です。江 戸時代は蔵屋敷が集積した「天下 の台所」の中心地。豊かな町人文化 の伝統を受け継ぐ経済人らの寄付 等で、明治から昭和初期まで、近代 大阪を代表する名建築が数々生み出されました。国重要 文化財に指定されている府立中之島図書館や市中央公会 堂のクラシックな偉容も、当時の最先端のスタイルやアー トをどん欲に取り入れた結実です。戦前の朝日会館や戦後 のフェスティバルホールは、文化芸術の発信地として大き な役割を果たしました。 いま中之島では最新鋭の建築技術に支えられた高層ビ けん ルが妍を競っています。新陳代謝を繰り返す街、 というのも 中之島のひとつの顔なのでしょうが、機能に偏りすぎるき らいがあるようにも思えます。 それでも毎朝、地下鉄淀屋橋 駅から地上に出ると、歴史ある場所に足を踏み入れたとい う感慨がわき起こります。 今回の中之島での100年の時を経たアートの出会いも、 進取の気風に富み、財を惜しまず公共建築に取り組んだ 当時の大阪人の精神に新たな光を当ててくれました。中之 島がかつての遊び心や余裕を取り戻すことが、 「水都の再 生」 「大大阪の復権」につながるのでは、などとちょっと大き なことを考えつつ、中之島で日々仕事をする幸せをかみし めたいと思います。 (おおくら・みえこ) 事務局から ▽この会報で以前20歳の囲碁棋士・井山裕太八段のこと を書きました。 その続報です。 あの後、本社主催の名人リー グ戦を8戦全勝で優勝し、見事2年連続で名人戦の挑戦者 となりました。9月下旬、宝塚で七番勝負の第3局がありま した。宝塚には67歳になる井山さんの師匠が住んでいて、 当日、対局会場へいらっしゃいました。対局は井山さんが 優位な情勢。当初は「まだ3局目だから」 と余裕を見せてい た師匠ですが、名人の終盤の猛攻に井山さんは防戦一方 に。結局、師匠は終局まで立ちっぱなしで、対局の模様を映 すモニターの最前列に 〝かぶりつき〟 でした。 「師匠の前で は負けられませんから」 と井山さん。 この対局に勝って2勝 1敗。 「師弟愛」 で史上最年少名人に一歩近づきました。 (深松) ▽高校野球の決勝戦に足を運びました。席が見つからず 困っていた矢先、50代くらいのおじさんが息子さんのため に確保していた席を譲ってくれました。横浜から来られた 話好きな方で、 ビールを片手に仕事や家族のことなど色々 話して下さいました。おじさん、私と並んで小学生のお子さ んがいるご夫婦が観戦されており、 こちらのお父さんもとて も饒舌な方で親しくなり、大いに盛り上がりました。試合も 球史に残る壮絶な戦いで、私たちに限らず球場全体が一 つになり、 「これぞ高校野球」 という熱気に包まれました。一 人での甲子園。心細くて帰ろうかなと思いましたが、優しい 方々のおかげで楽しく観戦できました。最後はお互い名前 朝日 21 関西スクエア 2009.10(8) も聞かず、 「またどこかで会いましょう」 と握手をして別れま した。夏の日差しが照りつける中、小さな出会いに心が温 まった一日でした。 (園) ▽中之島の名物だった「堂島ロールの行列」が最近、短く なった気がします。以前は渡辺橋の真ん中を越えるほどの 行列でしたが、最近はせいぜい交番の辺りまで。1時間以 上もあった待ち時間は10分足らずのことも。毎朝、行列を 横目に 「たかがロールケーキによくもまあ…」 と思っていま した。が、短くなると、それはそれで気にかかる。行列整理 の担当者に聞いてみました。 「そうですね、梅田の百貨店で も販売するようになったこともあるでしょうが、そろそろ飽 きがきたのかもしれませんね」。最近、中之島の新築ビルに、 これまた有名な洋菓子店がオープン。それぞれに特徴を 生かして競い合ってほしいものです。 (浅野) 朝日21関西スクエア 会報 No.118 ●スタッフ 小西良昭、冨永芳孝、堀篭俊材、深松真司、相江智也、 上島誠司、浅野稔、中林真由美、園真規子 ●事務局 〒530-8211 大阪市北区中之島3-2-4 朝日新聞大阪本社内 TEL 06-6231-0131(内線5048) FAX 06-6443-4431 E-mail [email protected](PDF会報の希望はこちらへ) URL http://www.asahi.com/kansaisq/
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