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秘石伝説 (上巻)
―織田信長の迷い―
左崎
はじめ
目次
上巻
一、 紀元前六世紀
か しょ う
二、 永禄 八年一月(西暦一五六五年 )
むつ
三、 嘉祥二年十月(西暦八四九年)陸奥の国
四、 平成二十四年二 月 (西暦二〇一 二年 )
五、 出自
六、 平成二十四年二 月 (西暦二〇一 二年 ) 東京上 野
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
八、 平成二十四年三 月 京都
九、 平成二十四年三月 京都その二
十、 永禄十二年、そして飛鳥に都のおかれていた時代
十一、 真相究明へ
十二、 永禄十二年 京都北山・鹿苑院金閣
十三、 侵入
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
十五 、 合衆 国国防総 省ペンタゴ ン
十六、 比叡山三光院へ(元亀二年)
十七、 スーパーコンピューター
十八、 合衆 国海 軍・原子力潜水艦ハワイ
十九、 アトランティスⅡ世号
二十、 比叡山山 頂
二十一、 ペンタゴン コンピューター制御室
下巻
二十二、 安土築城
二十三、 駿河トラフ西
二十 四、 解析開始
二十五、 対潜哨戒機P‐3Cオライオン
二十六、 天正九年夏、信長の哄笑
二十七、 作戦「ペレウス」始動
二十 八、 深 海で
二十九、 大 波
三十 、 浮上
かいこう
三十一、 天正十年、本能寺
三 十 二 、 邂逅
三十三、 エピローグ・誕生
一、 紀元前六世紀
その光景を見ている生命体は存在していなかった。
宇宙空間 。
遙か遠く、無限の彼方まで漆黒の空間が広がっている。
そ の 虚 空 の 果 て に 地 球 の 大 地 の 上 か ら 見る こ と の で き る ど の 夜 空 よ り も 、 多 く の 星 々 が 輝 い て い
る。
それはまた巨大な球体の内部に似ている。闇という名の黒ペンキで塗りあげられた球形の内壁があ
り、その壁一面に光り輝く無数の星々が嵌め込んであるかのように見える。壁に埋め込まれた星々は
腕を伸ばせば手のひらにざらざらと、まるで砂に触れるように感じ取れるかも知れない。そのように
思わせるほど近くあるようにも見え、また絶望的な程に遠くにあるようにも思える。
広大無辺の永遠の宇宙の中で、星々は瞬きもせずに面積のない点として静かに光っている。強い光
を放っている星が近くにあるものであり、その逆に微かな光を放つ星が遠くにあるものなのか、その
ような遠近感というものがまるでない。明るく輝く星も暗く仄かに光る星も一つの平面上にあるかの
ようである。上も下もない。生物が備えている感覚の全てが通用しない、そしてまた知的生命体のも
つ想像力をも遙かに超えた空間世界。それが宇宙空間なのである。
一、 紀元前六世紀
自分たちの住む惑星を「地球」と呼ぶようになる「人間」という生物がいる。その人間たちが「太
陽」と呼ぶ恒星は宇宙の中では実に平凡な星である。その太陽がまばゆく光り輝いていた。宇宙で見
る太陽は地球上から見えるような光芒をもったものではない。光り輝く球体であった。
その太陽から遙かに離れて、太陽の光と熱の恵みを一身に受けているかのような存在、地球は青く
明るく輝いている。無機的なものにしか見えない宇宙空間の中で、地球は唯一豊かな生命の色を宿し
ているかのようだ。広大な宇宙に散在する知性をもつ生命体であればどのような生物であれこの深く
青い色をした惑星に惹かれることだろう。そのような想いを抱かせる魅力的な惑星である。
柔らかく青く澄んだ地球から目を転ずると、遥かに離れて地球よりも外側の軌道を周回する惑星が
あ っ た 。 火 星 と 呼 ば れ る そ の 惑星 は 暗 く 赤 い 色を し た 星 で あ る 。 地 球か ら 見る と火 星 は 他 の 天 体 と
違 っ て ひ ど く 赤 く 見 え 、 穏 や か な 一 面 の 星 空 の 中 で は 不 気 味 な 凶 悪 さを 感 じ さ せ て し ま う 存 在 で あ
る。
まが まが
夜空に光を発する天体に注意を払うようになってからというもの、人間たちはこの星に対して常に
わざ わ い
禍々しい何ものかを感じ続けた。この星によって人間世界の平和が乱されて戦いが起こると考えられ
ていたし、また飢饉などの天災が発生すればその元凶ともされた。人々に苦しみや禍をもたらす星で
あると信じられた。その根拠となるものは何もなかった。ただひたすらにそのひどく赤い色の印象か
らであった。
今、地球からみた火星は太陽とちょうど反対側の空間にあった。地球上では真夜中の星空の中ほど
に赤く輝いて見えていた。
その赤い火星をかすめるように通過して、太陽の方向へ動いている小さな光の点があった。その光
は遥か彼方から途方もない速さで訪れて来たものであった。火星をかすめたその光点は急速に太陽と
火星の間にあった地球に接近していった。
比較するもののない広大な宇宙の中で、その速度は遅々としたものに見えていた。しかし、後に地
かたまり
球上で人間の手によって発明される如何なる宇宙船であろうとも絶対に到達することのできないよう
な、とてつもない速度でその光の塊は移動しているのだった。
こう ぼう
次第に地球への距離を縮めてきたその光体は、輝きの面積を増大させていた。どのような光体であ
ろうとも周りに光芒というものをもつことは宇宙空間にはない。宇宙ではすべての物体がくっきりと
不思議なことに近づいて来るその光体の輪郭は茫として見えていなかったのである。
ぼう
した輪郭を示し、その形状を明らかにしているはずである。
それは美しい色をもった光であった。中心から全方向に放射される美しい小さな光芒の束がまるで
く る く る と 回 転 し て い る よ う に 見 え る 。 も し も 宇 宙 世 界 に 妖 精と い う も のが 存 在 す る の で あ れ ば 、
きっとこのようなものであろうと想わせる。そのような光体であった。
やがてその不思議な光は地球に引かれるように軌道を曲げていった。そうして加速するように地球
に近づいて行ったのだった。明らかに地球との衝突は避けられそうにないコースに入っていった。
美しい光の塊は、太陽が眩しく照らす昼とは反対の面・地球の夜の部分へと入った。
ほの
暗い闇に覆われた地表を背景として光は輝きを増したように見えた。その輝きは夜となっている地
球表面にある海と陸の境目の複雑な地形をも仄かに浮かび上がらせて見せた。数百キロメートルもの
遠い距離にある地上を照らす程、強い光で輝いていたのだ。
一、 紀元前六世紀
その光体が突如として炸裂したように見えた。
突然、幾つもの小さな光に分解してしまったのだ。もしも宇宙空間に音を伝える物質があれば大音
響をともなっていたかもしれない。
音もなく小さな破片となった光の塊はそれぞれが地球上へ落下し始めた。やがて地球の夜と昼とを
分けているあたり、すこし夜の側の薄暗がりの部分へ、それらの小さな光の殆どは吸い込まれるよう
に落ちていった。
光は破片となって落下していく。
小さくなってもまだ明るく輝く光を発しているそのものの形状は見えていなかった。美しく変幻す
る虹色の光を四方に放ちながら、小さくなった光体たちは間もなく地球の濃密な大気の中へ突入して
いった。しかし、発火現象によってさらに光量が増える様子もなかった。まるで本当に光だけででき
ているもののように見える。
一夜のうちに幾つとなく地球上へ向けて落下してくる流星の殆どは砂粒ほどの物質であり、大気と
の摩擦によって燃えながら発光する。やがてはそのほとんどが地表に到達する前に上空で燃え尽きて
こじ ょう
しまう。しかし、この分裂して小さくなった幾つもの光は、美しい輝きを増減させることもなく地表
へ落下していったのである。
たわ
小さな光の落下していくその下には、大きく撓んだ弧状の列島があった。
その弧状列島の上にも地球上の他の地域と同じように人間たちの営みがあった。彼らのうちの幾人
もがその不思議な光の落下を目撃していた。まだ原始状態と呼んでも差し支えない生活をしている一
群の人々である。
すみか
人々は獲物となる小さな動物を追い、また食べられる草の根を求めて土を掘り返すという毎日を過
ふ
ごしていた。彼らは低地を見下ろす丘陵上の居心地の良さそうな場所を選んで住処を造った。土を掘
り窪めた上に柱を立て屋根を葺いて家を造ることは知っていた。ごく身近な家族どうしで小さな集落
をつくって生活している。この列島の中には、そのような集落があちこちの丘陵上や大きな山の麓に
無数に散在していた。
自然の恵みをひたすら追う一日が終わった人々は、その夕方も焚き火を囲んで昼間の疲れを癒そう
としていた。まるで誰かから決められてでもいるように、毎日を同じようにして生活しているのであ
る。
それは延々と同じような日々が続く、連綿と受け継がれてきた生活の中でのある夕刻の風景であっ
た。
彼らの頭上を突然明るく照らすものがあったのである。
人々の目には毎夜のように降る小さな星よりも数百倍も明るい流星が落下してきたように映った。
沈んでいった夕日が突然帰ってきたかのように感じた者もいた。人々は驚いて明るくなった夜空を見
上げた。
明 る く 輝 く 光 が 夕 闇 の空 を 音 もな く 斜 め に す う ーっ と 線を 引 くよ うに 彼ら の視 界 の 中を 移 動 して
い っ た 。 そ の 軌 跡を 目 で 追 う こ と が で き た 者 たち も多 くい た 。 尾 を 引い た 光 が 山 々 の 向 こ う へ 落ち
て、視界から消えていった。その直後にズンという聞いたこともない大きな音がした。大地が僅かに
一、 紀元前六世紀
波打つ よ うに揺らいだ 。
森の中で眠りに入っていた鳥たちが目覚めたらしく一斉にあちこちで騒ぎ立てていた。獣の鳴く声
も聞こえてきた。
突如として普段にはない事件が発生したのは明らかであった。不安げな表情が暫くの間彼らの顔を
支配していた。そして小さな集落の中にいる仲間の顔を見合うばかりであった。
やがて間もなく誰からともなく普段の生活の作業へ戻っていた。夜を迎えるために自分の寝床を整
え る 作 業に 取り か か っ て い っ た 。 こ れ 以 上な に も 変わ っ た こ と は 起 き そ うに な い と 判 断 し た の だっ
た。
それは苦労の多い決して平穏とは言えない彼らの日常の生活のなかですぐに記憶からなくなってし
まうような、ある宵の出来事でしかなかった。たとえ永く記憶に留めておきたいと願った者があった
としても、その列島に住む人々はそれらの事件を記録すべき文字をもっていなかった。歴史に記され
ることもなかった数多くの天体現象のうちのひとつにすぎなかったのである。
ふ っぎ ょ う
また た
二、 永禄八年一月(西暦一五六五年)
む きゅ う
払暁にはまだ間 のある 時間である 。 凍てつく透明な空気が 満ち 満ち ていた。無窮に星々は盛んに
ひえい
瞬 き、上層の大気が激しく運動していることが判る。そのような真冬の夜空である。
平安の都の北東にそびえ立つ比叡の山々。
うっすらと雪を被った峰々の中を跳ぶようにして行く人影があった。尋常の走りではない。超人的
な早さである。
肌を刺す真冬の寒気の中で吐かれるその人物の息はさすがに白い。しかし、実に平常の呼吸であっ
みち
た 。 いや む しろ 常 人 の呼吸 よ り ゆっ くりと した も のである 。 そし てまっ た く乱 れてい ない 呼 吸 でも
あった。
比叡の山中でこの人物が走っている径はまるで危うげな山道である。もとは獣道であったり、降雨
こみ ち
時に流れる水が小川のように走り地を削ってできる溝を利用してつけられたものである。つまり山を
も
行く者の足場としては大変に悪い小径であった。そこをまるで飛ぶように走っている。しかも暗闇の
中、明かりとなるものを何ももっていないのである。
しんごん
「……ナマクサマンダバサラナン……」
しゅんかい
かい ほ う ぎょ う
修行者を守護するという不動明王の真言が口元から洩れている。
こ の男、名を俊海とい う。 五年 前より千日回峯行に 入っ た 三 十代半ば のまだ若 く屈強な 行者 であ
る。
二、 永禄八年一月(西暦一五六五年)
やさおとこ
涼しげな目元をもつ僧である。顔だけを見ているのであればどこかの裕福な家に生まれた優男のよ
うに思えてしまうであろう。とてもその顔の下にある屈強な体躯を想像することはできない。涼やか
び ょう し ょ
な澄んだ目で油断なく周囲を観察しつつ岩から岩へ跳び、崖をへつり、谷の上に懸かった木をつたっ
や しろ
て山の峰々を走って行く。俊海が休息をとるように見えるのは比叡山中に点在する堂や廟所、または
社 の 前 で し ば し読 経・ 真 言 を 唱 え る 間 だ け で あ る 。 読 経 し 、 印 を 結 び真 言を 唱 え る 。 凛 と し て 気迫
のこもったそれらの所作に並々ならぬ僧であることが伺えるのである。
せ ん に ち か いほ う ぎょ う
千日回峰行とは、「行不退」と言われる行である。命を賭けて一千日をかけて比叡山の峰々と麓を
廻ることを主とする修行である。毎日山中を回峰しつつその中に点在する無数の仏と廟所を拝する。
ごう ま
その他にも様々な行が含まれており、すべての行が終わる満行まで七年の歳月を費やすこととなる。
白 い 行 者 装 束 で 回 峰 し て 行 を 重 ね る が 、 満 願 を 果 た せ ず 途 中 で 歩 け な く な れ ば 身 に つ け た 「降 魔の
剣 」 と 呼 ば れ る 短 刀 ま た は 腰 に 付 け た 縄 で 自 害 す る と い う 、 ま さ に 命を 賭 け た 「 行 不 退 」 の 行 で あ
る。
しゅげんどう
しかし、速い。いくら山道に慣れた行者であるといっても、あまりにも速い。同じように山中で行
を修する修験道の山伏たちも山を走る。しかし、彼らのものとは比べものにならない程に速く、まる
で飛ぶように走っている。
やがて、その異常なまでに速く疾駆する俊海の目前に、星々の瞬く夜空を背景として黒く小高くう
ずくまる山容が見えてきた。俊海は今その山頂部をめざして走っている。
さん か い
「比叡山」と呼ばれる山域には幾つもの峰や山頂がある。そこは複数の頂のある大きな山塊なので
や しろ
さ んの う ひ え
まつ
おおやまくいのかみ
あって比叡山という名の山頂をもつ山ではなかった。そのように幾つもある山頂のひとつを俊海はめ
ざしていた。
ひえ
ひえ
その頂には古い社が建っている。山王日吉神社である。祀られているのは大山咋神と呼ばれる、古
やせ
代からこの地で人々からの信仰を受けてきた神である。日吉は日枝、比叡などとも表記される。後に
この神の社は比叡山の東側の琵琶湖側の坂本に近い場所と、西側の八瀬の二カ所に日吉大社として分
割鎮座して建てられたものだけが世に知られることとなる。しかし、俊海のいるこの時代、日吉の神
の社はこの比叡の山々の中のひとつの山頂にも座していたのだ。
比叡山は平安京という古代最大の都が出現する以前より人々の信仰を集めた「山」であった。比叡
いら か
の山々全体が日枝の神、つまり大山咋神の広大な神域であった。比叡山延暦寺という天台宗の総本山
寺は、その日枝の神の広大な神域に建設された一大寺院群であった。
歴史上の奈良時代の末期から平安の初期にかけてのことになる。
奈良時代つまり平城京に都のあった時代。仏教寺院の建立が相次ぎ、都には甍を競うように聳え立
つ幾つもの大寺院があった。それらの寺院勢力が政治へ深く介入するようになって久しく、時には専
横とも言える動きをとることを桓武天皇は憂慮していた。
桓武天皇の父は光仁天皇である。光仁が即位することになる経緯には著名な道鏡という僧侶の専横
もくろ
が関わっていた。前代未聞の太政大臣禅師、そして法王という政界・仏教界最高の地位にまで昇りつ
め た 道 鏡 が 、 更 に あ ろ う こ と か 皇 位 に 就 く こ と を目論ん だ の だ っ た 。 そ し て つ い に は 反 対 派 勢 力 に
二、 永禄八年一月(西暦一五六五年)
よっ て 都から 排除 されるとい う事 件と なった 。 最 終的に 道鏡 は排除 され てし まうことに なった もの
の、この一件は仏教界がもっていた絶大な政治力を背景とした一僧侶が天皇の地位を脅かしたという
ゆゆしき大事件であった。
仏教界が維持していた絶大な政治力とは、歴代の支配者たちが仏教を心の支えとして優遇し過ぎた
結果、寺院に付与されたものであったと言える。奈良の都でおこなわれていた政治のほとんどは各仏
ちん ご
教寺院のための政策であった。国家のおこなう政治でありながら、国のための政策を展開できないと
いう状態にあった。そこまで仏教界は大きな力をもっていたのである。
当時の仏教界は『仏法が栄えることで国家は安泰となる』という「仏教のもつ鎮護国家の力」を主
張していた。支配者階級にあった貴族たちは信じ、それを受け入れざるを得なかった。貴族階級は鎮
護国家という考え方・思想を甘受するばかりで安穏とし、自らの政治能力を発揮しようという意欲を
まったくもたなくなっていた。寺院を保護することで仏法が興隆しさえすれば、この国の平安は保た
れるのだとひたすらに信じようとした結果であった。国が平安であれば自分たちの支配者としての地
ぼんよう
位も安泰であると思いこんでいたのだ。やがて彼らの保護した大寺院はその保護を与えた貴族たちの
もつ権力をも凌ぐ巨大な力をもつに至った。その時すでに凡庸な貴族たちどもに寺院勢力に逆らうこ
となどということは到底できることではなくなっていた。なるべくどこかの寺院にすり寄るようにし
て暮らしていた方が気楽な毎日を過ごすことができるのである。仏法はそういった意味で、まるで別
けう
の意味であったが、彼らの精神的支柱となっていたのであった。
へき えき
ところがこの時代にあっては希有な政治能力をもった天皇が出現したのだった。桓武天皇である。
この新帝はこの寺院勢力の驕りたかぶる様子に辟易していた。桓武天皇自身は大変に複雑極まりない
人間関係・利害関係の中でようやく天皇の地位に就くことができた苦労人であった。ようやくのこと
で手に入れた天皇という地位を有名無実のものにしてしまう可能性をもっていたのが当時の奈良にあ
る寺院勢力であった。
うつ
桓武天皇は、それまでの永きに渡って日本の政治・宗教の一大センターとなっていた奈良盆地から
都を遷すことを決意した。英断とも言えるこの政策によって桓武天皇は英雄的雰囲気を歴史上身にま
せ んと
とうことになる。
その最初の遷都となったの奈良の北方にある長岡の地へ移動するという計画であった。都を遷すに
あたって天皇は寺院の移築を禁じた。藤原京から平城京へ遷都してきた際には、藤原京にあった寺院
はそれぞれが分解された。そして部材は運搬され、新都の平城京で組み立て建立された。それ以前に
は
もそのような方法で寺院は政治の中心地に付いて廻っていたのである。
政治から仏教勢力を引き矧がすためにはもうこれしかなかった。今回の遷都に際しては寺院の移築
を 禁じ た 。 当 然 の よ う に 長 岡 京へ の遷 都 に よ っ て 奈良 の 旧 都 に 捨て 置か れる こと と なっ た 寺 院 勢 力
や、その勢力を背景にもった政治勢力は全力をあげて反対運動を展開するに至った。
ぞ う なが お か ぐう し
た ね つぐ
その反対運動はやがて流血の惨事を発生させる結果となった。遷都事業の中心となっていた人物で
ある造長岡宮使の地位にあった藤原種継が巡察の際に暗殺されるという事件が起きたのである。
この明らかな、つまり秘密にしておくことのできない政治的混乱は、桓武天皇の意に反して、人々
の遷都へ の不安を 大きなものにしてしまうことになった。 桓武天皇は暗 殺者 一味を 逮捕するこ とに
よ っ て 事 件 の 決 着 を 図 る が 、 し か し 、 そ れを 機 会 にし て一 挙に 遷都 反対 派勢 力を 潰す こと に成 功す
さわ ら
る。遷都反対派の人物たちを事実の有無に関わらず、事件の首謀者としてしまったのだった。その中
には桓武天皇の弟で皇太子でもあった早良親王さえも含まれていた。
事件は一応の決着をみた。しかしながら混乱を極めた長岡京遷都という一大国家事業に対して民衆
二、 永禄八年一月(西暦一五六五年)
の 抱 く 不 安 は 容 易 に 消 し 去 る こ と は 難 しか っ た 。
「何人もの人間が長岡京遷都に関わって死んだゾ」
「死んだ人間たちの怨霊が都に恐ろしい祟りをなすのではないかッ」
人々の噂は天皇の耳にも届いてきた。実際に桓武天皇の母親などの近親者が相次いで死亡したとい
けが
ふさ わ
うこともあり、その噂は現実化する様相を呈してきたのである。
桓武帝は流血事件によって穢れた長岡の地は新都に相応しくないとして、さらにもっと北の地に別
の新都を建設することとした。人々の気持ちを一新する必要をひしひしと感じ取っていたためであっ
た。長岡京の次に造営された新京、それが平安京である。
置を大きく占めてしまっている。隣国の中国には奈良にある仏教とは違う、まったく別の仏教がある
新都には仏教寺院はなかった。支配階級にある者たちにとって、既に仏教は精神的支柱としての位
さ い ち ょう
ことはすでに知られていた。桓武天皇は息苦しい程にその新たな仏教に恋い焦がれたのではなかった
かと思われる。そして帝の信頼を篤く受けた最澄法師が新仏教の日本移入という大役を命じられて唐
に っ とう
へ渡って行くことになったのである。
最澄は入唐すると、かつて中国仏教の一大中心地となっていた天台山へと直行した。人々の憧れの
都である長安へ行くこともしなかった。桓武天皇の熱い想いを背景にしている以上、唐で個人的な思
いで行動することは厳に慎まなくてはならなかったのである。それ以前に最澄はその人柄において実
直そのものでもあったこともある。
最澄は天台山でただひたすら学んだ。そして一年後、まだ日本に存在していなかった新たな仏教を
持ち帰って行った。
その最澄がまさに日本へ帰ろうとする途次のこと、海上で嵐に遭遇したと伝わる。まだ造船技術の
つたな
ふ うと う
大変に拙い頃の話である。木で造った箱を浮かべたような船にとって海上で強い風濤に出会うことは
致命的であった。船体がばらばらになってしまうか転覆してしまうことが多かったようである。そう
ひえの かみ
してまさに海の藻屑となりかけていた最澄一行を守護したのが日枝の神であったと伝えられている。
天台宗という新仏教の移入を日本の神である日枝神も望んでいたのだと言う。日枝の広大な神域に比
叡山延暦寺が建てられたのはそのことによっているのだと後世に伝えられている。
また道教の影響も強く受けていた桓武帝が新都平安京をあらゆる邪悪なものから護るために、邪鬼
が出入りする方角つまり『鬼門の方角』にあった巨大な山塊に延暦寺を建て、防壁の役割をもたせた
のであるという言い伝えもある。
これらの伝承は後世のこじつけであったに違いない。政治とはまったく無縁であった最澄は自己の
修行の場として比叡山を選び、その山中に庵のように小さな寺院を置いて修行に打ち込んでいた。そ
の後に桓武天皇に見いだされたのであるから、日枝の神のことや鬼門の方角のことについてはこじつ
けと考えるのが妥当のようである。
えい ろ く
ともかく永禄八年の冬のある夜明け前、俊海は比叡山中のひとつの山頂に鎮座する古い日枝神の社
へ向けて走っている。
い た だき
樹々が鬱蒼と茂る森の中にぽっかりと空の開けた場所があった。その開けた禿げ山のようになって
いる場所が山頂であり、その頂部分に古社はあった。
森の茂みをまさに出ようとする場所で俊海は足を止めた。険しい山中をあれほどに走りに走っても
乱れなかった呼吸が荒くなりつつあった。心臓が早鐘のように鳴り始めるのを感じ、戸惑いと不安、
二、 永禄八年一月(西暦一五六五年)
そして逡巡が俊海の心に広がりはじめた。幼くして比叡山に入り、僧侶としての修行を開始して以来
くさはら
このような迷いの念を抱くことはなかった。常に自信、確信をもって行を積んできた男である。
俊海は目の前に広がる冬枯れの草原に目を凝らした。
日枝の古社が建つ山頂部はくるぶし程の丈の草で覆われている。この山頂だけが古社を中心に丸い
草原となっていた。草原の周囲は実に奇妙な樹形の木々によって形成された森であった。木々の幹は
白樺のように白茶けた表皮をまとっている。古来から僧侶は薬草をはじめとする植物学的知識を蓄積
しているものだが、ここに生育している樹木について名を知る者は比叡山の中にはいなかった。その
不可思議な木々はまるで痩せこけた人々が何かを訴えかけるように手を広げ差し伸べて腰をくねらせ
ているような形のものばかりであった。木々は葉を落としきって夜目にも白く人の骨のように見えて
いる。その樹木の骸骨の群れはみな手を山頂の古社へ向けているように見えるのだった。地獄に堕ち
た っちゅ う
た 亡 者 た ち が 救 い を 求 め 、 遙 か 彼 方 に い る 地 蔵 菩 薩へ 向 け て 手 を 必 死 に 伸 ば し て い る 様 を 連 想 さ せ
る。
おぞけ
広大な比叡山中に点在する寺院・塔頭には大勢の僧侶たちがいる。しかし、彼らは滅多なことでは
この幽鬼せまる地区に足を踏み入れることはなかった。今俊海が立っている場所の周りの木々が怖気
立つ雰囲気を漂わせているからであろうか。しかし、俊海の心を乱しているのはそのような見せかけ
りょうが
の風景ではなかった。長年の間、昼夜を問わず山を駆け、谷を渡り、行を積んだ僧侶の剛胆さは一般
人の感覚を遙かに凌駕するものである。このような場所を怖れる俊海ではなかった。ましてや既に幾
月もの間、毎日のようにこの時間にこの場所を訪れ、日枝の古社の前で真言を唱える行を修してきた
のである。
俊海 は 意 を 決 す る よ うに 草 原に 走 り 出た 。 そ の 時 、 胸 の奥 底 か ら 励ま し て い る よ うな 声が 湧 きあ
がってきたように感じた。身体も突然のように暖かくなってきたのである。これは何だという疑念が
浮かんできた。が、今の俊海にはそのような自分の気持ちの問題に拘泥している暇がないことが判っ
ていた。
森から走り出た俊海の眉が曇ったように見えた。
つぶや
「……む、やはり……来るか……」
俊海は小さく呟いた。その言葉には明らかに何かを予期しており、今まさにそれを察知したという
響きがあっ た。
じ ょう
次の瞬間、どこから飛んで出たのか小型の月とも思えるような光を放つ円盤状の物体が空に現れ、
根を中心として回転している。森の骸骨のような形の白い木々が一斉に右に揺れ、左に揺れ、前後に
猛烈な早さで俊海の頭上数百丈程の高さを廻り始めた。光源が上空を回転するために森の木々の影も
揺れているように見える。まさに鬼気迫る光景である。
『ブー ン … ………』
微かに大気を震わせて常人の耳では聞き取れないような低い振動音が伝わってきている。俊海は頭
を低くした防御の姿勢で素早く稲妻型に移動しながら、社に向かって走った。
なぜ社へ向けて走っているのか既に判らなくなっていた。ただ逃げてはいけないということしか頭
になかった。
『シュッ』
大気が裂けるような音が響いた。上空を回転している光る物体から地上の草原を走る俊海に向けて
何かが発射されたようであった。俊海は森と古社とのほぼ中間点に達していた。
『ズン……』
二、 永禄八年一月(西暦一五六五年)
刹那、地表で眩い閃光がドーム状に拡がり始めた。
光のドームは瞬く間に成長し、半球形状の姿のまま拡大していった。まるで爆発して広がっていく
炎のように夜空を背景にしてくっきりとした形で光は成長した。しかし、炎ではなかった。光のドー
ム の裾 に あ た る 部 分が 日枝 の古 社に 達し よ う と し た直 前、 そ の輝 き は瞬 く間 に 薄 くな り 消 え て いっ
た。この極短時間、大地はその底の方で小さく呻き続けていたようである。俊海のいた場所を中心に
小さな丸い焦げ目が草原にできていた。
こり
そして唐突に、何もなかったように比叡山は普段の夜の世界にもどっていた。飛び回る小さな月も
行者俊海の姿もそこにはなかった。
夜空にはもとのように星々が瞬いていた。
もしこの光景を目撃した者があったとすれば、それは幻のようであり、まさに狐狸の仕業としか感
じられなかったであろう。後はただ寂しげに木々を吹き抜ける夜の風の音がするばかりであった。
かし ょう
むつ
三、 嘉祥二年十月(西暦八四九年)陸奥の国
秋の冷涼な空気の中、枯れかけた雑草をかき分け、三人の男たちが小高い丘に登っていくのが遠方
から眺められた。
その丘の三方は北日本特有のブナの巨木が立ち並ぶ森がとり囲んでいた。周囲を取り囲む鬱蒼とし
た森林の奥はどのような地形となっているのか見ただけではわからなかった。
三方を深い森に遮られたその丘の上は丈の短い草が生い茂っている。丘の東側は明るく開けていて
とうとう
緩やかに下っていた。やがてその傾斜は見えている限りの彼方で、突然のように急な角度となって落
ち込んでいくようであった。その下には滔々と流れる大河が横たわっている。上空から眺めることが
き
かみ
できたとすれば、この丘のあるあたりで大きく蛇行していることが分かったはずである。
きたかみ
北日本第一の大河である。古来、「来た神」と表記されることもあった。古代人にとってはまさに
神意・霊威を感じさせる大河でありえた。後には北上川と書かれるようになる。三人の人物の立って
いる丘の上からはその流れの対岸を望むことができた。
えぞ
こ ろも が わ
らん る
丘からは見えなかったがその大河に注ぐ支流がこのあたりには幾つもあった。その流れの一つで丘
み や こび と
の北を東西に貫流するものは後に衣川と呼ばれる。
けさ
ここは都人から蝦夷と呼ばれた人々の住む土地である。
三人の男たちは旅の僧侶であった。袈裟の裾は擦り切れ、まるで襤褸をまとっているようにも見え
た。既に西の森へ傾きかけた陽が僧侶たちの額に浮き出た汗ひとつひとつにきらきらと映っていた。
三、 嘉祥二年十月(西暦八四九年)陸奥の国
むつ
かしょう
「……ここじゃ、ここじゃ」
さん こ し ょ
明らかに他の二人を従えたように見える老僧侶が呟いた。「ここ」と言いながらも、その眼は自分
たちが立っている台地ではなく、その手に持っていた三鈷杵といわれる仏具に注がれていた。
こし ょ
鈷杵は古代インドにおいて武器であったものである。密教が仏教の一派として成立すると、僧侶の
はじ ゃ
もつ法具として取り入れられて仏具となったものであった。武器がどのような理由で仏教に取り入れ
はま
られたのかと言えば、密教が破邪の力を重用視するためであった。邪鬼妖魔を撃退する、つまり破邪
さん こ し ょ
破魔を目的とした護法のための法具としての武器である。
三鈷杵は一端が尖り、その尖端のすこし下の部分からさらに左右に一対の角が中央の尖端に向かう
と っ こ しょ
ように尖っている。角が三つ出ているような形状をしており、その下に握りの部分がある。握りの下
ごこしょ
か じ きと う
側つまり反対側も同様の三つの角のある形状をしている。一端の角がひとつのものを独鈷杵、五つの
ものを五鈷杵といい、加持祈祷などを行う際の魔除け結界を結ぶためなどに用いられる。
さん こ し ょ
その老僧の持つ三鈷杵の尖端は強く青い光を放ち、金属的な唸りを生じていた。不思議な現象であ
る。高山を行く登山者が強く帯電した雷雲の中でこのような現象を目撃することがある。しかし、こ
こには秋の晴れ渡った高い空があるだけである。強度に帯電した雷雲など一片もなかった。科学とい
う言葉すらない時代である。他のふたりのまだ若い僧たちが老僧のもつ光る三鈷杵をどのような気持
ちで見つめていたかは想像もつかない。
「ようやく辿りついたわい。この地こそ我らが長年さがし求めて来た場所じゃ」
老僧の言葉は感激に震えているようであった。
三人ともに眼にはうっすらと涙が浮いていた。察するに彼らの風体からしてみても、この地に達す
るまでの間にはよほどの艱難辛苦を耐えてきたに違いないのである。その果てに彼らはとうとう目的
の地を発見到達したもののようであった。力が抜けてしまったように三人とも向き合ったまま地に座
り込んでしまい、手をとりあって顔を見合わすばかりであった。
やがて老僧が若い僧たちを促した。
「さあ……」
二人の僧はしばらくの間幻から醒めたような眼をしていたが、すぐに顔を見合って頷き、丘を駆け
下っていった。
あ か つ ごう
残された老僧は走り去るふたりを優しげな眼で見送り、やがてその場に座して経を誦し始めた。
さと
陸奥国、吾勝郷と呼ばれている土地である。近郷の四ヶ郷とまとめて「衣の里」と後に呼ばれる。
郷の住民たちが数人、小手をかざして丘に登った男たちの様子を眺めていた。三人が近隣の者たち
ではないことが遠目にも明らかであったし、旅をすることすら稀な時代のことである。村人たちは彼
ら三人がいったい何者で、自分たちの郷の近くの何の変哲もないただの丘で何をしているのか、想像
を逞しくして眺め続けていた。
やがて丘を下ってくる二人がただならぬ早さで自分たちの方角へ走ってくるのが判ると、その村人
たちは気持ち浮足だった。中には逃げ出す者さえあった。その郷のなかでも肝が据わっている、剛の
者じゃと日頃から評判の若者二人がその場に仁王立ちに残った。
走り下ってきた二人の僧は土地の若者二人の前で止まった。息を大きく弾ませていた。何故そんな
にまで走るのだろうかと郷の若者たちは困惑した。自然と自分たちと路上で対峙するかたちとなった
三、 嘉祥二年十月(西暦八四九年)陸奥の国
むつ
かしょう
僧たちのきらきらと輝く眼を見て更に困惑の度を深めてしまった。
一生を狭い土地に縛りつけられて生きることを運命づけられている自分たちの郷の中で、このよう
に希望に輝くような眼をもった人間は見たこともなかったからであろうか。この人たちは自分たちと
はまるで違う、郷の若者たちは純粋にそう感じていた。自分たちの知らない世界からやって来たこの
う らや
人たちは、明らかに自分らの知らない知識や世界をもっている。彼らの人生について想像することす
らできない。それは羨ましいことであり、また空恐ろしいことでもあった。もしかしたら彼らの口を
ついて出てくるのは自分たちの使っている言葉とはまったく違う言葉なのかも知れない。そのような
不 思 議な恐 怖心すら感 じていたのである。
若者たちはじっと僧たちの口元を見つめた。すこし年上と思える方の僧がまだ苦しい呼吸の下から
言葉を発した。
「もし……あなたがたはこの近在の衆で……」
ざす
やっとのことで話しをしている。聞かれた若者たちは当たり前ではないかと思ったが、
「……ム……」
と、これも声を出すのがやっとであった。
え んに ん
会話に暫くの間が必要だった。
「あれに御座るは円仁と申される御坊にて、都を守護する叡山の座主にてもおわされた上人であられ
ますのじゃ……」
やまと
ようやく年かさの方の僧が丘の上に残してきた老僧を手で示しつつ話を始めた。呼吸が平常に戻り
つつあった。
「拙僧らは座主のお供をして都からこの地まで、この大倭の国を守護し参らせるための新たな寺を建
かんそう
が らん
つるにふさわしい場所を探して諸国を巡ってまいった。座主はこの地こそ伽藍を建つるに叶う地であ
ると観想されておられる。拙僧らにはその故ははかり知れぬことなれど、遠く唐の地まで往かれ、学
んでこられた座主の申されることは疑いのないことと我らは信じております」
さと
おさ
あない
僧侶たちの日に焼けた端正な顔に微笑みが浮かんだ。
「そこで願いがござる。近在の郷の長の所へ案内して下さらぬか。この丘の周囲の草原を少々刈り取
こ くふ
るなど整地に力を貸していただきたく、相談をしたいのでの」
むつの か み
郷の若者二人は自然に顔を見合わせた。
「このことは既に陸奥守にはご存じのことで、国府の協力を得る手筈になっております。ただ御寺を
建てるべき地がここであることが今日のただ今まで判かりませなんだで、そのことをお知らせ申し上
げねばなりませぬ」
年若の僧が初めて口をきいた。その言葉の裏にはさとびと郷人たちが協力してくれるであろうとの
確信があるかのようであった。
郷の若者たちは少々慌てた。これらの僧らの言葉の意味をすぐに呑み込むことができなかったから
でもあり、また陸奥守やら国府などといった彼らにとってはただ怖ろしいだけの存在でしかない単語
が混ざっていたためでもあった。
なにがどうなっているのかよく理解できぬままに彼らは自分たちの村のある方角へ歩きはじめ、暫
くしてからふと気が付いたように一目散に走りはじめた。ようやくほんの少しではあるが事態が呑み
込めてきたためであった。二人の僧はその若者たちの後を早足で追っていった。その先には若者たち
の村がある に 違いなかった 。
三、 嘉祥二年十月(西暦八四九年)陸奥の国
むつ
かしょう
じな ら
数日の後、その丘では早くも草が刈り取られ地均しが始まった。丘全体も周囲の木々が切り拓かれ
て明るくなった。陸奥国府から駆けつけたそれを専門とする者たちによって縄張りのための杭が打た
れ始め、奥州の片田舎が急に賑やかになっていった。
土地の者たちが見たこともないほど多くの人間が様々なところからやって来た。想像を絶する量の
寺院建立のための資材が運ばれ、それらを運搬して来る人夫だけでも村人の数倍はいるかと思われる
人数であった。その人々を養うに足る食料の荷だけでさえ毎日大量に街道を行き来していた。
静か過ぎると言ってもよいような日々を過ごしていた村の老人たちにとって工事の行われている丘
は喧噪のるつぼの様に感じられた。一方で若者たちは環境と生活の激変に活きいきとした毎日を送る
わら
様 に な っ て い た 。 都や 陸奥 の 国 府 な ど は こ の よ う に に ぎ や か な 街な ので あ ろ うかと 、 都 人が 聞 けば
嗤ってしまうような悲しい想像をたくましくするのであった。
円仁 と 弟 子 僧 た ち は や が て 伽 藍 を 取 り 囲む 境 内 と な る 土 地 の は ず れ に 庵 を 結 び 、 工 事 を 監 督 し つ
つ、ほぼ不眠不休のまるで行を積むような日々を過ごしていた。
工事が始まって一と月ほど経ったある夜、この土地に住む一人の青年が、月明かりを頼りに帰宅の
おさ な と もか き
路を急いでいた。工事中の丘の麓を通る小道である。
と、地面が揺れたように思った。今日は幼友垣と会い、久しぶりに旧交を温めて、つい贅沢なほど
に深酒をしてしまった。この時代に地方の人間が酒を飲むのは祭祀に関わる時だけであるといってよ
かった。贅沢なことをしてしまったという他に、祭りでもない普通の日に酒を呑んだということに後
ろめたさがあった。そのためにも帰宅は人目につかぬ時間であることが必要であった。
その酒が足下にきたのだと思った。しかし、何か妙であった。酔いのせいではなさそうであった。
立ち止まってふと何気なく上方の丘に眼を遣ると、丘全体に白い靄がかかっていた。
青年は両手で眼をこすりもう一度眺めた。初冬になろうかという季節の夜空は晴れわたり、蕭々と
した十六夜の月が照っている。丘の周辺へと伐り込まれた森の境目に立つ木々の、それらの梢まで月
明かりのためにくっきりと見えている。つまりは寺院建立の工事が行われている筈のその丘だけに靄
がかかっているのだった。
初めはただの白い靄だと思っていたが、よく眺めてみると茫とその靄そのものが光を発しているよ
うに見える 。
青年は再び目をこすってみた。丘を覆う霞の光は明るくなり暗くなり、それを繰り返していた。傘
い おり
状に光る霞の縁にはっきりとした明かりが見えている。かすかにそこから読経の声が聞こえている。
しっかりとした明かりの灯る建物は都からやって来たという高名な三人の僧侶の住まう庵であること
に間違いなかった。読経の間に甲高い音がする。これは僧侶たちがきらきらと光る金属製の道具を叩
い て 出 し て い る 音 で あ る と す ぐに 判っ た 。 そ の 青 年 は 以 前に 円仁 た ち の 庵を 覗い て み た こと が あ っ
た。それで僧侶たちの生活が自分たちよりもずっと貧しいことに驚いたのを覚えている。たまたまそ
の時は僧侶たちは勤行中であったのだが、仏具の金属音がどのように出されるのかその時に見知って
いたのである。
やがて青年はあることに気がついた。
驚 い た こ と に 風 が あ る ので あ る 。 風 は 丘に 立つ 木 々 の 枝 を さや さ や と 掻 き 動 か し て お り 、 酒 に 火
照った若者の頬にも心地よく触れている。その風の中を靄はいっこうに動いていないのだ。ありうる
ことではなかった。青年の身体の奥底から恐怖心がふつふつと湧き起こり、肌が粟だつのが感じられ
三、 嘉祥二年十月(西暦八四九年)陸奥の国
むつ
かしょう
つ
た。この時代の人々の常であるが、理解できない現象に出逢ったとき、彼らの内には直ちに恐怖心が
まさ
まるで湯が沸騰するかの勢いでほとばしる。古代人の体質であると言ってもよい。いったん取り憑か
れてしまえばその恐怖心を理性で制御することは甚だ難しかった。この青年も例外なく将にそのよう
な古代人の一人であった。
沸き起こる恐怖心に完全にとらわれてしまう前に、まだ残っていた平常心は丘から吹いてきた風に
運ばれた三人の僧侶の読経の声を聞いていた。その読経の抑揚は靄の光の強弱と同じ周期で繰り返さ
れている気がした。そしてまたそれまで聞いたことのない低く地を這うような微かな低い音があり、
その音もまたそれらに同調しているようであった。しかしながら、それらのことは表層に強烈に残っ
ことはなかった。残されたのは人知を越えた何か恐ろしいものがそこにあるのではないかという畏怖
いふ
た恐怖心のはるか下層部の潜在意識の中にしまい込まれてしまい、この青年の記憶としてついに蘇る
げんりき
の念だ けであった 。 次 にその青年が気がついたことは自 分自 身が無 我夢 中で 走っている ことで あっ
た。
円仁たち高僧の法力には鬼神をして歓喜の涙を流させる験力があるとの噂が土地の人々の会話にの
ぼり始めたのは、その夜の僅か数日後のことであった。逃げ出した青年の耳にもその噂話は聞こえて
きたが、彼が丘に近づくことは二度となかった。
じか くだい し
が ら ん こん りゅ う
じょうぎょうざんまい
慈覚大師と後に呼ばれることになる円仁はこの新たな寺院が完成する日までその地に留まることは
できなかった。 そ の短期間とも言える滞在の日々はひたすら新伽藍建 立と 関わりつつ、常行三昧の
行を修して送っていた。
かし ょう
こうだいじゅいん
がらん
ちゅうそんじ
ちょくごう
ざす
翌、嘉祥三年には小規模ながらも基本的な伽藍が完成し、比叡山天台座主の地位にもどっていた円
せ い わ て んの う
仁はこの寺院を弘台寿院と名付けた。
弘台寿院はその八年後には清和天皇から中尊寺という勅号が下賜されることとなった。さらにその
ち ょく が ん
二百五十年ほど後には堀河天皇の命を受けた藤原清衡がさらに大規模な造営を加え、まさに奥州一の
きら
大勅願寺となっていった。藤原清衡は奥州に栄えた藤原氏三代の初代にあたるが、この中尊寺は彼ら
の誇った煌びやかな平泉文化の中心として全国に知れ渡る大寺院となることとなったのである。
四、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年)
四、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年)
山崎明彦は十数センチ程しかないステップに足をしっかりと突っ張りながら、できるだけ深呼吸を
して潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。あと数時間はこの新鮮な空気を肺の奥まで吸い込むことはでき
ないと思ってのことだ。その反面で、これから就く任務に明彦の心はいつものように期待感が満ちつ
つあることを実感した。
「自分のように熱中できる仕事に就くことのできている人間は世の中にどれほどいるのだろうか」
明 彦 は よ く そ う 思っ た 。 今 の自 分に は こ れ 以 上 適 し た 、そ し て 夢 中 に な れ る 仕 事 は な い だ ろ う と
思っていた。とても幸運であるとさえ思った。それほどに好きな仕事ではあったが、その唯一の欠点
と言えるのが淀んだ空気の中で何時間も過ごさなければならないということだった。たぶんいつか近
い将来、この欠点も改善されていくだろう。今のところはただ我慢するしかないと諦めていた。
眼の前には南の海から流れてくる暖流で少し黒く見えはじめている駿河沖の群青色の海が広がって
いた。そして頭の上には春の陽に満ち溢れた水色の空があった。目をこらすと北の水平線の彼方には
春霞の中にかろうじて雪に覆われている富士山の頂上付近が見えているようであるし、少し右手の東
北の方には伊豆半島の一部が遠望できた。
こんな暖かい日に太陽光線の届かない世界に向かわなくてはならないなんて「なんと因果な商売な
んだろうか」と心の中で呟いてみた。しかし、それは決して本心からの言葉ではなかった。自分自身
に とっ て好 き で 好 き で た ま ら な い 仕 事 であ る こ と を よ く 自 覚 し て い る 。 他 人 か ら 見 る と 「 因 果 な 商
売」をしているように見えるが、実は本人は底抜けに楽しんで仕事をしているだ。そのことが客観的
に可笑しく、いつも心の中で呟いてみる言葉がそれであった。心の中での呟きではあるが、ついその
言葉が可笑しくなって微笑んでしまう。
「おい。いいぞう」
明彦の立っているステップの下から加勢浩一郎の無骨とも言えるような大きなだみ声が上がってき
た。加勢は立場上、明彦の上司にあたっている。明彦はすぐ脇でしがみつくように作業をしていた三
人の海面スタッフに手を振って合図を送りながら
と声をかけた。
「じゃあ、行ってきます」
「グッドラック」
い つ も 通 り 、 ウ ェ ッ ト ス ー ツ に 身 を 包 ん で 待 機 し て い た 海 面 ス タ ッ フ の一 人 が 返 事 を 返 し て く れ
た。手のひらをこめかみの位置にあげて敬礼の真似をしてきた。加藤といういつも陽気な男である。
この後きっと加藤は沈み始めた潜水艇の外部にあるグリップを握って、水深十メートルほどまで一緒
に潜り、別れ際に水中で手を振ってくれるだろう。危険なのでやめろという上部の命令が再三出され
ているにもかかわらず、その命令に今も一向に従っていない。自分たちが整備した潜水艇に仲間が乗
り込んで危険な深海へ向かっていく。加藤とすれば、限界の一歩手前まで見送っていたいのである。
それは整備した潜水艇への愛着であるとともに、そこに乗り組んでいる友人たちへの想いの表現でも
あった。そしてその行為は海の上でともに仕事をしている仲間全員の想いを象徴しているように明彦
に は 思 えた 。
四、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年)
加藤の挨拶を受けてから明彦は右方向を見た。そこには支援船の大きな船体があった。オレンジ色
に塗装された船体を見上げると舷側から突き出すように何人かの顔が見えている。甲板上で作業して
く れ て い る い つ も のメ ン バ ー の 見 慣 れ た 顔 で あ る 。 そ の ス タ ッ フ た ち に も 軽 く 手 を 挙 げ て 挨 拶 を 送
り、最後にもう一度大きく息を吸い込んで明彦はステップを降りた。三段ほどステップを降り、頭を
覆うようにして丸い銀色に光っている合金製のハッチを閉めた。その耐圧ハッチが閉まっていく僅か
の時間、ハッチと船体とのすき間から、春の青空が次第に三日月のようになって細く消えていくのを
見ていた。
非常に楽になったものだ、といつもの通り明彦は思った。ほんの数年前なら潜水艇のハッチは金属
の摺り合わせで密着するように造られていた。これ以上に工学的な平面はないという程に磨きあげら
れた金属面どうしを密着させて巨大な水圧のもとでの水漏れを防ぐのである。そのために潜水艇は潜
行前に支援母船の甲板上で、慎重に神経質とも言えるくらいにアルコールで塵ひとつないように拭い
てから閉めたものだった。髪の毛一本はおろか油が付着していても水漏れの原因となり、それは深海
で致命的な出来事を発生させる原因となり得るのであった。ところが現在では新しく開発された超硬
質プラスチックのおかげで多少の埃や油が密閉させる部分に付着していてもハッチを気楽に閉めるこ
とができるのである。深く潜行すればする程に逆に密閉度は増していくようになっていた。そのおか
げでこのように水面に浮かんだ状態でハッチを開放しておくこともできるのである。
山崎明彦は文明の進歩に感謝しつつ、水密機構の円形のハンドルをぐるりと廻してハッチを密閉さ
せた。
そして緑色に発光して異常のないことを示している操作パネルを確認し、操縦席にいる加勢に声を
かけた。一般の船舶であれば船を操ることは操舵・操船という。この潜水艇の場合は上下に移動する
ことも可能であり船体を傾けることもでき、まるで航空機と同様の動きとなるために操縦と呼んでい
る。
「ハッチオーケー、異常なし。……だ」
と、一応マニュアル通りであるが最後はぞんざいな言い方で確認し、艇長である加勢に見えるよう
に親指を立ててサインを送った。明彦を見上げていた加勢は頷き、姿勢を戻しながら支援船との交信
を続けた。
「主索解除、異常なし。副索解除、異常なし。播磨、確認されたし」
独立行政法人となっている海洋研究開発機構の深海探査艇支援船『播磨』からは異常のない旨の応
答があった。日本では船舶にはひらがなを使った名称が与えられる伝統だが、この新しく建造された
深海探査艇支援船は何故か漢字で船名を表記していた。この深海探査艇の名称もそうである。
「現在すべて予定通り進行している。予定表に従い、一分二十六秒後に降下を開始する」
加勢は深海探査艇『深海BⅡ』の操船メインパネルの下部にあるコンピュータのキーボードを叩き
ながら、突然明彦にヘッドセットを放ってよこした。加勢の目が頭に着けるように促していた。操縦
席の下の外部観察席に着いた明彦はヘッドセットのレシーバーを片耳にあててみた。加勢がリターン
キーをポンと叩くとレシーバーから「カチカチ」「ジージー」というなにか固い物を叩くような、そ
れでいて虫の音が混ざったような音が流れ出てきた。
「これが何だか判るか」
明彦にはそれが鯨の出す音であることは判ったが、しかし、即座にそれが何鯨であるのか種まで判
断できる知識はなかった。明らかに加勢は鯨種を訊いている。
「いや、俺には判らない」
四、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年)
科学者としての訓練を受けた明彦は素直に答えた。一般人のような見栄は彼らに不必要であった。
「こりゃあマッコウクジラだ。今の時期にはこの海域にあまり見られないやつだが。
はっきりとは判らないが、この音からすると五頭くらいはいるような気がする。こっちへ来なきゃ
いいが。
奴らが面白がってこのポッドをおもちゃなんぞにしたら大変だよな。頭突きか尾のひと振りでも喰
らった らひとたまりもない 」
「まったくだ。そんなことになったら正に抹香臭い話になっちまう」
「あっはっはは……」
明るく、あっけらかんとした笑いが床面積が四平方メートル程しかない丸く狭い船室に満ちた。加
勢はしばしばこの探査艇をポッドと呼んでいた。
確かに歯クジラに属するマッコウクジラは髭クジラの類より性格が荒く、人を襲ったという記録も
ある。二十トンから四十数トンにもなるという大きさだけでこの潜水艇には脅威になりそうである。
エイハブ船長と闘う白鯨・モビーディックのモデルとなったクジラである。
しかし、この二人の会話、上司と部下のものではなかった。
へた
山崎明彦と加勢浩一郎は同い年の二十九才で、かつて同じ東京の公立大学で生物学を学んでいた仲
であり、世の中でいうところの親友どうしであった。在学中に明彦は伊豆の戸田にある実家の家業の
手伝いをしなければならずに二年間休学した。そのため加勢は先に卒業して文部科学省に勤務するこ
とになり、明彦は遅れて卒業し農林水産省へ就職した。
たまたま海洋調査のプロジェクトがあって、明彦は出向の形で文部科学省から独立行政法人として
分離した海洋研究開発機構の深海探査艇支援船『播磨』に乗り込むこととなった。そしてこの小さな
三人乗りの最新型深海調査艇『深海BⅡ』に「ぎゅっと詰め込まれるような勤務」をすることになっ
た。そこで偶然にもこの親友同士は同じ潜水艇の仕事をすることになったのである。
公式な 立場では加勢が上 司で明彦は部 下である が、間柄 は学 生時代とまっ たく 変わ らないも ので
あった。播磨のような調査船の小さな社会の中では親密な人間関係は普通のことであるので、この二
人については周囲のスタッフの者たちも同等に扱っていた。
加勢と明彦の会話の「抹香臭い話」という言葉の意味がようやくわかって、三人目の乗り組み員で
ある中村充は嫌な顔をした。
中村は四十代の寡黙な地質学者である。学者然とした雰囲気をもった人物で、二人とはまったく違
う種類の人間であった。いわゆる「象牙の塔にこもった」学者のタイプである。少しうねりのある海
面で三十分も待たされていたせいか、顔が青白くなっている。中村が乗り組んでいるのは今回の海底
調査の目的のためであった。
地球の中心部には核と呼ばれる球形の部分があると考えられている。核は鉄やニッケルといった重
い金属によって成り立っており、その周りをマントルという厚い層がとり巻いている。マントルは核
を構成している物質よりは軽い物質でできていて、地球内部の熱や自転運動によって各部分で独自の
対流運動をしている。そのマントルの上を大変に薄い地殻といわれる「薄皮」のようなものが覆って
い る 。 また マ ント ル 上 層部 も 硬く なっ て い て 地 殻 と 融 合 一 体 化 し た プ レ ート と 呼ば れる 板 のよ うに
なっており、下のマントルの流れに従ってそれぞれの方角に向かって浮かび動いている。地殻の表面
が陸地の地表面や海底である。
日本列島の西側は中国やシベリアをのせているユーラシアプレートの東端にのっている。また東日
四、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年)
本は北アメリカプレートにのっている。ユーラシアプレートも北アメリカプレートも大陸プレートと
呼 ば れる 軽いプレ ート である 。 そ こへ 向 けて 東か ら太平 洋 プ レ ート が非 常に ゆっ くりと 衝 突し てい
る。
太平洋プレートなどの海洋プレートは大陸よりも重いために、軽い大陸プレートと衝突するとその
下へ沈み込もうとする。その海洋プレートが沈み込もうとする地点は大陸プレートの端も引き込まれ
て深い谷ができる。それが海溝と呼ばれる海底にある大峡谷である。この谷は非常に深く、地質学的
にも生物学的にも謎だらけであるために多くの海洋探査・研究の対象となっている。また大陸プレー
トと海洋プレートの衝突は地震発生や火山の形成の原因でもある。日本が火山列島であり、温泉が豊
連続的に動く活断層が無数に走ることになる。
かに湧出するのはそのためである。またプレートの中にも複雑な運動があり、歪みが発生し、断層や
日本列島の周辺地域の中で伊豆半島地域は特異別な運動をしている場所である。この地域には遠く
南 方 か ら フ ィ リ ピ ン 海 プ レ ー ト と 呼ば れる 海 洋 プ レ ー ト が衝 突し て き て い る 。 そ の フ ィ リピ ン 海 プ
レートの最も尖端部分には伊豆半島が乗っている。つまり伊豆半島は本州に食い込んだフィリピン海
プレートの陸上部分であり、遠い南からやってきた陸地なのである。外国の例で言えば、インド亜大
陸がそうである。インドとなった陸地は遥か太古に南極大陸と分離して北へ移動してアジア大陸と衝
突してその一部となった。伊豆半島周辺海域は三つのプレートが衝突し、重なり合うというかなり複
雑な地質構造をもっているのである。実際、彼らがこれから潜行しようとしているのは伊豆半島最南
端の石廊崎と静岡県焼津市の南にある御前崎を結んだ線上に近い地点となる。つまり駿河湾の出口に
もあたる場所なのであるが、水深は二千メートルを越える程深くなっている。本州の周辺で陸地に近
く て こ れ ほ ど 水 深 が 大 き く な っ て い る のは 房 総 半 島 南 部 の 館山 沖 と 能 登 半島 東 部 の富 山 沖 だ け であ
る。その意味でも特殊な海域といえる。
省庁が編成替えになる前、かつての科学技術庁と気象庁が海底に設置した地震計にひと月ほど前か
ら微妙な振動が感知されていた。東海沖地震の判定会が秘密裏に召集され、これが大地震の前触れで
あるのか地震学者たちによって分析・討議がおこなわれた。日本のトップクラスの学者たちの集まり
であったが、相模湾側ではないのでなんとも予想がつきかねていた。資料が不足しているという結論
し か 出な か っ た 。
そこで今回の調査が決定され、日本海溝での探査にあたっていた『播磨』が急遽呼び戻されたので
ある。
「 三 、二、一、降 下開 始。 播磨、 カ ウントを 開始 、確 認し てくれ」
『播磨』から潜行時間のカウントが送信され、加勢は艇内のカウンターと一致しているかどうか視
認していた。本来はまったく必要のない作業であった。『深海BⅡ』はひと昔前までの海洋探査艇と
比べて遥かに進化したものであった。メインコンピューターに入力されたプログラムが正確かどうか
チェックさえしてしまえば、あとは突発事故が発生してそれがコンピューターの手に負えないもので
あった場合だけが人間の出番となる。また海底近くでの写真撮影や観察時の微妙な操船の時が人間の
仕事であった。プログラムのチェックさえも艇内の二台のサブコンピューターと母船『播磨』のメイ
ンコンピューターが処理しているという、これ以上完全なシステムは現段階では望みようがないもの
である。しかし、加勢は自分でできる限りを確認しようとした。暗黒の深海へ潜行し、何かあっても
すぐに救助の手が伸びない世界へ入っていくのである。何かが起こればすべてを自力でこなさねばな
四、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年)
らないのである。艇長でありパイロットである加勢の立場からすれば慎重過ぎるほどに慎重になるこ
とは仕方ないことであった。母船の通信係もそのような加勢の気持ちを思いやって、必要がないとわ
かっていても、面倒がらずに確認事項を連絡してくれていた。
そしてこの探査艇である。どのように進化していても供給電力と酸素だけは切りつめなくてはなら
ない。暖流や寒流という区別は海面近くを環流している海水温度の違いである。海面下二百メートル
を越えると環流と暖流の違いのような水温差はほとんどなくなってしまう。探査艇が潜行を開始して
深く沈んでいくに従い、海水温度はどんどんと下降していく。保温対策を施してあるバッテリーなの
だが、それでも低温の影響から逃れることはできずに電力を供給する能力は低下していく。そしてい
かつての深海探査艇に乗る者たちは三つの問題と闘わなくてはならなかった。その一つがこの低温
ざという時のためにも余力を残しておかねばならないのである。
であった。現在では耐圧殻の中は快適な温度が保たれているが、昔は極地用のダウンジャケットを着
用したりしていたものであった。
あとは明彦が仕方ないと諦めている艇内の空気の問題がもう一つ。以前の調査艇に比べれば乗組員
のための空間は広くなっている。しかし、それでも三人の乗員に対してたったの二十立方メートル程
である。艇内の空気はすぐに悪化する。二酸化炭素の吸着剤と酸素供給装置が使用されているのは昔
と変わらない。現在では当然これもコンピューターで制御されている。設計者にとっては快適な環境
を約束する筈の装置である。しかし、人間から発生する臭いは活性炭を主としたフィルターでは完全
に取り除くことができない。誰かの発した悪臭はじっと我慢するしかない。
そして数千メートルに達する深海のもつ不確実性と危険性である。いつどのようなことが発生する
か判らないという恐怖との闘いが必要となる。深海は宇宙空間と同じであるという。そこに向かう人
間たちにとっては深海も宇宙もいまだに冒険の舞台であることに変わりはない。嗅覚刺激の他に、狭
く閉鎖された空間感覚との戦いが必要な人間もいる。艇外は真の闇である。そこには底知れない恐怖
がある。そういった諸要素との戦いの数時間になるのである。
しかし、明彦たちの知的好奇心はそれらを遥かに凌いでいる。彼らは探査艇による作業に対してほ
とんど精神的苦痛を感じていなかった。しばしば彼らは海底での作業に熱中して浮上開始時間をオー
バーし、作業終了後に船上で叱責を受けることがあるくらいに楽しく仕事をしていた。加勢と明彦の
コンビネーションは最高だった。
今回この二人にとってお客さん的な立場となってしまっている中村は、既に二回の潜水探査をこの
チームでしているものの、極めて一般的な感覚の持ち主であるために、なかなか彼らに馴染めなかっ
た。潜行中はほとんど言葉を発せずに二人のやりとりをただ聞いているだけであった。
艇が潜行を開始して数秒のうちに、上下左右に小さな艇を揺り動かしていた「うねり」の影響がな
くなり、安定降下の体勢に入った。この段階で既に艇外の水の色は濃い青色から次第に黒い闇に変化
しつつあった。船殻強度が大変に大きくなっているためと、コントロール技術の進歩のために降下速
度は旧式の探査艇よりかなり早い。急速に変化する海水色が小さな観察窓を通して艇内に射してくる
光でよく判った。
艇外に取り付けられたマニュピレーターの作動を確認するために、明彦は艇内照明を消して観察窓
から外を覗いた。観察灯の照明に照らされた白いマリンスノーが狭い視界の中を下から現れては上へ
向かって消えていく。海中微生物の死骸であるマリンスノーは海面近くから遥かな深海底をめざして
降るようにして沈んでいくものだが、探査艇の潜行速度がそれらより早いために下から上へ流れてい
四、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年)
くように見えているのである。雪の降る冬の夜に自動車を運転していると、ヘッドライトに照らされ
た狭い視界の中を雪が現れては消えて行き、ふと引き込まれるような夢幻的ともいえる感覚に襲われ
ることがある。潜行中にいつも明彦はそれとよく似た感覚を覚える。分厚い特殊強化メタクリル樹脂
製の窓から目を転じ、後ろにいる中村を見てみると、解像度の高い船外モニターのディスプレイを見
る彼の目も陶然としている。多分自分と同じような感覚なのかなと、明彦は中村に対して多少の親近
感をもった。
船殻外部装置のオペレーターである明彦は、マニピュレーターが正確に作動することを確認し、す
ぐ右上の椅子に座って艇を操作している加勢にその旨を報告し、サーチライトの作動確認の操作には
手元のコントローラー操作によって艇の前方上下左右百二十度をカバーすることができる。観察窓の
いった。このライトは透明度の高い水域であれば五十メートル程先まで照射する能力をもち、明彦の
す ぐ 上 に 設 置 され て い る 観 察 灯 が ほ ん の 十メ ー ト ル の 範 囲 し か 照 明 で き な い のと は だ い ぶ 違っ て い
る。普段は生物を驚かせないようにこのサーチライトはほとんど使われることはないのだが、今回の
調査目的は海底の地質の様子を調べることであるために毎回使用されている。しかし、このサーチラ
イトのために消費する電力がかなり大きく、一回の潜水時間は通常より短くならざるを得なかった。
耐圧殻がむき出しになっている所に触れて冷たさを感じとった明彦はサーチライトのスイッチを入
れ た。 照明 によっ て 突然開け た視 界の隅を何 か黒 い 物体が一 瞬横 切った のを 観察窓 ごし に 見て 取っ
て、明彦は加勢に声をかけた。
「外の音はどうだ」
「ふむ。かなり近い所にいるようだ。何か見えたか」
逆に聞かれた。
「サーチライト照明の端を尾がかすめたのが見えた」
「やっぱりな。さっきからかなりカチカチにぎやかに話しているよ。でも集団は我々よりだいぶ上の
あうん
方のようだから大丈夫だろう」
阿吽 の 呼 吸 で な さ れ る ふ た り の 会 話 で あ る 。 初 め は こ の 二 人 が 何 の こ と を 話 し て い る の か 判 ら な
かった中村も、先ほどのマッコウクジラの話であると判って青ざめた。
しかしながらその後は中村の心配をよそに、何事もなく順調に深海底への降下は続いていった。
深海BⅡが軽く揺れた。
加勢がのんびりとした声を発したのは四十分後であった。同じ海洋開発機構が誇る「しんかい65
「さあて、着いたぞ」
00」に比べはるかに速い潜航・浮上速度をもっている。
「予定地点にどんぴしゃりだ。現在、海底上六十メートル……五十メートル……四十メートル……停
止。オーケー。足の下二十五メートルで海底だ」
艇長である加勢が確認しながら知らせている。
「モニターカメラ、俯角五十度。サーチライト、俯角五十度で照射」
「モニター、ライト俯角五十度、オッケーだ。
中村先生、モニターの具合はどうですか」
明彦は加勢の指示に従って操作しつつ中村に尋ねた。
「うん、鮮明に映っていますよ。よく分かります。あとよろしくお願いします」
既に探査艇はコンピューターのプログラムに従って深海底上二十五メートルをゆっくりと移動し始
四、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年)
めていた。明彦は観察窓から、中村はモニター画面で、加勢は艇のコントロールパネルディスプレイ
で 海 底 の様 子を 観 察 し ていっ た 。 海 底は まる で 雪 が 降り 積 も っ た よ うに 海 性 の沈 殿 物に よっ て 覆わ
れ 、上 空を 飛 ぶ飛 行機 から 丘 陵地 帯を 眺め て いる よ うな 錯 覚 に も 陥 り が ち に なる 。 し か し 、「 深海
魚」と一括して呼ばれる魚類がゆっくりと照明の中を移動するのにぶつかると、そこが深海底である
という現実に呼び戻される。前回までの潜航では時々、西伊豆名物のタカアシガニが長い足を不器用
へた
に使って移動するのも目撃している。そのような時、明彦はそこが自分の故郷の駿河湾であることを
意識するのである。西伊豆の戸田にある明彦の実家は海産物問屋の仕事をしており、今は母と兄夫婦
とが切り盛りをしている。数年前に父親が亡くなり、その頃まだ大学生であった明彦も休学してしば
らく家業の手伝いをせざるを得なかった時がある。その実家の仕事でタカアシガニも扱うことがあっ
た。このカニがゆっくりと海底を歩いていくところへ出くわすと、必ず加勢が、
「喰いてえ」
と呟くのである。明彦はそれが美味なカニであるとは思っていなかった。きっといつか実家で加勢
にこのカニを死ぬほどたらふく食べさせてやろうかと考えていた。しかし、今回の潜航では不思議と
生き物には出会わない。
探査艇は海底の谷間に入っていった。既に潜航を開始して三時間近く経っている。
駿河湾の海底は北から南へ向かって細長い谷状となって伸びている。この谷はフィリピン海プレー
トとユーラシアプレートが衝突している境界面である。
その谷の御前崎側の「山腹」に沿って南南西方向に深度を降下させながら探査艇は移動している。
谷の最深部を行くことは最悪の「雪崩」に遭う可能性があると考えられた。海性沈殿物が海底にはど
れほどの厚さで積もっているか見当もつかない。なにかのきっかけでそれら沈殿物が海底の斜面を落
下するとも限らないのである。そのため最深部の谷底に沿ってより深い地点へ降下していくことを避
け、片側の斜面に沿って移動していくことにしてあった。コンピュータはプログラムに従って小さな
深海艇を導いていった。しかし、危険性がまったくない訳ではなかった。
初めは緩やかな傾斜の谷であったが、次第にその斜面は急になり、沈殿物の堆積が少なくなった。
海底の地殻そのものといえる岩盤が露出し始めたのが観察窓から眺められた。幾重にも岩が重なって
帯状の層を形成している壁を見ていると、明彦はいつか雑誌で見たことのあるヨーロッパアルプスの
アイガー北壁やグランドジョラス北壁を思い出していた。夏でも雪や氷がまだら模様を描いている巨
の岸壁を思い出したのである。まるで大岩壁にへばり着くような格好で漂っている自分たちの探査艇
大な岩の壁である。山の世界とはまるで縁がなかったが、今目の前に広がる世界を見て、そんな高山
がまったく頼りなく感じていた。
数え切れないほど深海への探査潜航を繰り返してきたが、今回の潜航では何かがいままでと違って
いた。目の前に広がっている光景は確かに過去に見てきた海底の姿とは違っている。ただそれだけで
はないような気がしている。明彦はそれまで感じたことのなかった妙な胸騒ぎがしていることに気づ
いた。それは恐怖心とは違っている。期待感のようなものでもあった。この感覚は何だろうかと観察
窓から海中を注意深く見ながらも自問していた。そして、そのようなことを感じている原因を、自分
のすぐ後ろで船外モニターを観て学術的な興奮を抑えることができないでいる中村の感覚が伝染して
きているのかも知れないと思った。狭い艇内にいる人間同士は奇妙なところで感覚的につながること
を経験的に知っていたからである。
気がつくと、地質学者の中村が艇の姿勢を制御している加勢と照明やモニターを操作する明彦にあ
四、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年)
れこれと細かな注文をするようになっていた。時には不可能なことを注文してくる中村に従って機器
を操作することはなかなか大変なことであった。そのようなひどく忙しい時間の中でも例の胸騒ぎは
いっこうに収まらなかった。むしろ逆に増大してきている。これは一体何なのだろうか。
「ピーッ」
突然、かん高い警告音が加勢の見ているコントロールパネルの横にあるスピーカーから流れた。明
彦が見上げると、ディスプレイ内の一部が赤く点滅してるのが見えた。
「地震だ。岩壁から一時待避するぞ」
加勢は冷静に二人に伝えながら、プログラム潜行の一時解除の指示をコンピューターに与え、パイ
ロット席の両の肘掛けの前にある操船スティックを左右両手で握って手前に引いた。
「どうしたんだ」
観察を中断された中村が不満そうに呟くように聞いた。明彦がそれに答えた。
「播磨からの危険信号が来たんですよ。多分海底に設置された地震計が感知したんでしょう。今回、
この調査にあたる事前のブリーフィングでも説明があったのですが、海底付近で活断層の動きに艇が
巻き込まれる危険があるかも知れないので、もし海底の地震計に動きがあった場合すぐに連絡をして
くるように機器を設置しておいたのです。心配、いや読みはドンピシャで当たったという訳ですね」
水中でも伝わる超長波を使用した通信には長いアンテナと長い時間が必要である。播磨は船底から
長いアンテナ線をたらし、深海BⅡは頭の上から小型の耐圧ブイに引っ張られたアンテナが伸びてい
る。緊急の際にはこれらが使われることになっている。ただし会話のような通信はできないし、届く
保証もなかった。約束の周波数によってどのような種類の危険があるのかを知らせるだけである。播
磨 から 届い た のは 「 海 中に 危 険あ り」 の信 号 であ っ た 。 通常 使用 し てい る「 播磨 」 と の 水中 通 話器
は、デジタル音響を搬送波にする通信システムであるのでどうしても通話にタイムラグが生じてしま
う。一刻を争う場合にはこの超長波通信が速い。海面近くに発生する水温の違う海水層どうしの境目
である変温層で音響が反射してしまうこともなかった。
明彦は探査艇を動かしているフィン音とモーター音の他に身体に感じる微かな低い音があることに
気がついた。なんだろうと思いつつも口には出さなかった。
唐 突 に 艇 が 大 き く 揺 り 動 か さ れ た 。 手 近 に 身 体 を 支 え る も のを も っ て い な か っ た 中 村 が 転 げ た 。
モ ー タ ー 音 が か ん 高 く 大 き く な っ た 。 そ のモ ー タ ー 音 に よっ て 加 勢 が 必 死 に 操 船 し て い る こ と が 分
駿河湾の深海には他の水域ではあまりみられない強い海流があることが知られていた。そのために
かった 。
この海域も調査することを考慮して日本の深海調査艇には外国のものよりずっと強力な推進器がつけ
られていた。今回はそれが幸いしたようであった。
明彦はマニュピレーターの操作ハンドルにしがみつきながら中村を見て驚いた。コントロールパネ
ルのボタンやディスプレイの仄かな明かりで、額から血を流しながらようやくのことで加勢が座って
いる椅子のステーにしがみついているのが見てとれた。
「大丈夫ですか、中村先生」
明彦が強く声をかけると、中村は頷いたが声は出さなかった。
「どうしたッ」
今度は操船している加勢が計器盤から目を離さずに大声で明彦に聞いてきた。
「先生が額を切ったようだ。ちょっと待て」
四、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年)
相変わらず探査艇は洗濯機の中に放り込まれたピンポン玉のように大きく揺れ動いている。加勢は
多分必死に探査艇をコントロールしているのだろうと思いつつ、明彦は身体をひねって中村の方へ慎
重に移動していった。間近で見ると額の傷口は思ったほど大きなものではなかった。髪の毛の生え際
に 三セ ン チ程 度 の 切り 傷が あ り 、血 が 出 てい る が 骨 ま で 達 する よ う な も ので は な い こ と が 見て と れ
た。
「大丈夫だ、額なので血は多めに出ているが、すぐに止まる。ワイシャツの襟が血で汚れてしまった
が」
探 査 艇 に 入る 場 合 、 クル ーた ち は 船内 で 動 き や すい よ う に レ ーシ ン グ ス ー ツ の よ う な 青 い 「 つな
上でもワイシャツとスーツを着ていた。深海BⅡに乗り込む時にはそのワイシャツを着たままの上に
ぎ」を着用している。加勢たちはその下に着ているのは大抵の場合Tシャツだった。中村は播磨の船
このつなぎを着ている。そのワイシャツの襟に赤い染みができてしまっている。
また大きく揺れた。球体に近い形状をしている探査艇は上下左右の動きに加えて円運動もしている
ようであった。どうやってしがみついていれば良いのかまるで見当がつかなかった。
五分ほどでようやく安定した状態を取り戻してきた。
「ふうっ。危ないところだった。岩壁の上の方から岩が落ちてきたんだ。最初のやつは多分我々のす
れ す れ のと ころ を かす め てい っ た よ う だ 。 大 岩が 起 こ し た 乱 流に 巻 き 込 ま れ た だ け で す ん で 良 かっ
た。今のは小さなやつが落ちていった水圧さ。モニターの正面を通過していったのが見えた。最初の
大きなやつは見えなかったが」
加勢が少々興奮ぎみに解説し、明彦に訊いた。
「先生の様子はどうだ」
「大丈夫だ。まだ気が動転しているような感じだが、だんだん落ち着いてきているよ」
中村自身が明彦に代わって答えた。
明彦は救急セットを取り出して中村の傷の手当をしてやりながら、観察窓をちらっと覗いた。沈殿
物が沸き上がり透明度が極端に落ちているが、その海中の靄を通しても見えるはずの、先ほどまで観
察 し て い た 岩壁 が 見え て い な い 。 緊急 回 避 行 動 と 大 岩 の 起 こ し た 乱 流 の せ い で 艇 の 位 置 が 大 き く 変
わ っ て いる のだろ う。 艇を も と の 位 置ま で戻 さな け れば な ら な い 加 勢 の 役 割 が 大 変 だ と 思い 同 情し
た。案の定、
「大変だぞこりゃあ。とんでもなく押し流されたもんだ。谷の反対側まで来ちまってる」
既にコンピューターで艇の位置の割り出しを終えた加勢が叫ぶように言った。
科学技術庁時代の宇宙開発技術のおかげで、HⅡシリーズのロケットにも積載される小型で高性能
の光ファイバージャイロスコープと同型のものをこの艇ももっていた。どのような精巧なジャイロで
も長距離を移動するうちにドリフトによる誤差を招くことになるが、深海艇のように横移動がほとん
どない物では実に正確に位置を割り出すことができる。GPSは地上や高空で役に立つが海底では使
い物にならない。
「ちょっと……。これでどうだ。おい、サーチライトを水平にしてみてくれ」
加勢が操船スティックをちょんちょんと動かして探査艇をぐるりと旋回させて言った。
観察窓の外、ライトに照らされて二十メートル程前方に岩壁が見えてきた。よく見ると、先ほどま
で見ていた岩壁とは違って傾斜が幾分緩やかで、そのために壁のあちこちに堆積物が降り積もってい
た。それを見て明彦は身体の内に何か予感めいたものがわきあがってくるのを感じた。
「先生、傷のほうはどうですか、痛みますか」
四、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年)
「大丈夫、額だからちょっと多めに血は出たが、かすり傷でしかないようだよ。仕事には支障ありま
せんよ」
「 そ う で す か、 先 生 ご 自 身 が そ う い わ れる な ら こ のまま 続け ます か 。 し か し 、 こ れ か ら ど うし ます
か。もとのコースに戻るとかなり電力を喰ってしまいそうなんですが。この状態を維持してこちらの
壁を観察するのであればまだちょっとは時間がとれそうですが」
探 査 艇自 体 の損 害箇 所 の有 無 を チ ェッ クし 、消 費電 力 の 計算 もす ませ た加 勢が 中村 に 判 断を 求め
た。
すこし間があり、
このままいきましょう。すみませんが山崎さん、モニターとライトの角度をもう少し下げてみて下さ
「どうせ後々こちら側の観察もしなければなりませんから、スケジュールを入れ替えれば済みます。
い」
中村は既に記録をとり始めていた。それを見て明彦は加勢の方へあきれたという意味の目配せをし
た。二人ともその実、そんな中村に感心しているのは確かであった。
明彦は観察窓の前の定位置に戻り、中村の要求通りに機器の操作を始めながら窓の外を見た。砂岩
質と思われる岩壁に縦方向に幾つもの筋が走っているのが見られた。それまでの明彦の海底での経験
にはないものであった。加勢は艇を半手動で操りながら超長波による連絡信号を播磨へ送る操作もお
こなっていた。
急に中村が加勢に艇を止めるように求めた。探査艇深海BⅡは現在、落石に遭遇するまでの潜行速
度を維持していた。海底谷の底の傾斜にあわせて潜行速度と前進速度がプログラムされており、加勢
が緊急回避の操作をしたが潜行速度は維持されたままであった。バラスト調整をして艇を停止させる
と後のコントロールが面倒になる筈である。しかし、加勢は姿勢制御のためのフィンを下方へ向けて
モーターの回転を上げ、それでも停止しないと見ると、バラスト調整をコンピューターに指示した。
一瞬身体が重くなるように感じ、コンピューターが合金製のバラストを放出させたことが分かった。
探査艇は中性浮力を保った状態で静かに停止した。モーターは平常回転数へ戻され、耳ではほとん
ど聞き取れない程の小さな音をたてるだけになった。
中村は更に、サーチライトが壁を照らすことができる限界まで後ろへ下がるように言った。訳のわ
からぬまま加勢は操船スティックを少し後ろへ倒し、目の前の岩壁が闇に見えなくなる直前まで艇を
後退させた。
船外モニターは岩壁を縦に抉ったように刻まれた溝を映していた。明彦と加勢は初めのうちはまっ
たく分からなかったが、やがて巨大な溝を前にしていることに気がつき圧倒された。彼らの小さな探
査艇は先ほどまで断面が扇形をした溝の中心部分におり、それが巨大すぎるために自分たちが溝の中
にいることに気が付かなかったのである。
縦溝はサーチライトがカバーできる艇の周囲百二十度程にわたって見えており、その下部はさらに
深海底に向かって闇の中へ続いていた。
「この岩壁は、君たちも気がついているように柔らかな水性岩ではなく、かなり固い玄武岩質のもの
です。どのように見ても何かがこの岩をこのように抉って、溝を付けながら落下していったとしか考
えられません。そのような物があるとすれば、それはよほど固くて重い物であった筈です。それが一
体 ど の よ うな 物 で あ る か 私 に は 見 当 も つ き ま せ ん が 、 ぜ ひ 調べ てみ た い と 思 う ん で す が 、 ど う で す
か。この下は海底まであとどれくらいありますか」
四、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年)
中村は二人に回答を求めた。
山崎明彦と加勢浩一郎の気持ちは言うまでもなく明らかであった。しかし、艇長である加勢は即答
せず、艇の残りの電力と浮上に必要な時間などから在底可能時間をコンピューターに割り出させた。
通常潜行速度であと二十分が安全潜行の限界であることを知ってから、中村に告げた。
「この深度からだから、海底は意外と近くて今から十分もあれば着くくらいです。じゃあ行きますか
あ」
深海BⅡはゆっくりと降下し始めた。明彦は竹を縦に割ったその内側を見ているような気がしてい
ごとに抉っていった痕跡であった。これを見落とさなかった中村はその風貌から想像される通りの人
た。深海の沈殿物があちこちにへばりついていて、一見普通の崖にみえているが、確かに何物かがみ
間ではなさそうであった。上層部の人選もまんざらではないのだななどと明彦は漠然と考えていた。
明彦はそう考えながら「上層部の人選もまんざらではないのだな」と考え、また「まんざらではな
いのだ」と言葉が浮かび、また「まんざらではない」次々に同じ言葉が浮かんでは消え、また浮かん
だ。目の前にあったマニュピレータなどのコントロールパネルの赤や青の発光スイッチがぐるぐると
回転し始め、次第に早くなり、やがて微かに遠のいていった。いつしか明彦は無意識の世界に入り込
んでいた。
闇が広がっていた。闇を透かして無数の金の砂粒のような星々が小さく光っている。明彦は自分が
意識だけの存在であることを不思議と認識していた。自分自身をその中に閉じこめておくべき肉体は
そこにはなかった。何の不安も感じないまま、空間の中に漂いつつ明彦の眼は星々をじっと見つめて
いた。無限の宇宙の広がりをただ見続けて何百年も何千年もの時間が経ったようでもあり、それはま
た一瞬の間であったようにも感じた。
つっと大きな目映い光の塊が尾を引きながら飛来してきた。それは明彦の眼の前で突然音もなく破
裂した。無数の輝く破片となった光たちは、青暗い大きな球体へ向かって落下していく。
いつの間にか明彦はその落下する小さな光のひとつになっていた。何も思考はなかった。破片のひ
とつとなった明彦は近づく地上をただ見ていた。落下とともに次第に大きくなってくる地形は大洋に
浮かんでいる弓形をした明彦のよく知っている列島であった。明彦が落下していくのは明らかに列島
の中で最も大きな島の中央部分の海洋との接線あたり、半島状に突き出た地域であるようであった。
きる言葉といえるようなものではなかった。
「……イ…ズ……」無意識の明彦の中に何か別の意識が囁き、流れ込んできた。それは決して発音で
やがて光の破片である明彦は伊豆半島の南端部へ衝突し、地中へ食い込んだ。そのまま穏やかな時
が 流れ たよ うであ り 、 またも やそ れは 一瞬 の 時で あった かも 知れな かっ た。 明彦は輝きを次第 に失
い、冷えていった。
突然、海水が高まり、明彦を包み込んだ。次の瞬間、海底へ向けて滑り落ち始めた。海水を押しの
け、泥や砂を巻き上げ、岩を砕いて深海へめがけて緩やかに転がり滑り落ちていった。やがて深海底
の谷間に入り込み、止まった。落下はこれで最後であり、永劫の時をそこで過ごさねばならないこと
が 何 故 か 既 に 分 か っ て い た 。 明 彦 は 深 海 底 で 眠 り に 入っ て い っ た 。 存 在 し な い は ず の 身 体 で あ っ た
が、両手で膝を抱え、背中を丸めて眠っていた。しかし、遠くに散らばった「仲間」との交流は続い
て、決して寂しい眠りではなかった。それはまた深い眠りでもあった。
四、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年)
突然、ふわふわと拡散していた自分自身が収縮を始めた。際限もなく広く大きく、それだけに希薄
に散っていた明彦が一点に向かって加速度的に収縮していった。直線的な収縮は次第に回転していく
ようであった。やがてぐるぐると渦のように廻りながら、得体の知れない力によって、ぎゅっと狭い
空間へ押し込められていくような感覚であった。周囲の空間もぐるぐると回転し、身体全体が自分自
身の中心にある重心点へ向かって引き込まれるように落ちていく、それは初めて感じたものではない
ような懐かしい苦しさであった。
ふっと自分が冷たく乾燥した空気を呼吸していることを感じた。身体は重く、背中を何かが押しつ
けているようであった。閉じた瞼を通して何色かの光が顔にあたっているのが解った。
寝ている自分を意識した。ウレタンフォーム製の作業台の感触を背中に受けていた。いつも明彦はこ
明彦が眼を開けると、心配そうにのぞき込んでいる加勢と中村の顔が大きく見えていた。仰向けに
の作業台に腹這いになって観察窓から外の海中を見ながら船外機器を操作しているのである。起きあ
がると身体の節々が痛んだ。特に左の肩から腕にかけて重いしこりがあるようであった。
「どうしたんだ」
明彦は聞くとはなしに呟いた。
「どうしたとはこっちが言いたいよ、まったく。ほんとにどうしたんだ。ろくに病気もしたことがな
いお前が突然意識をなくしちまったもんだから、びっくりしたぜ。ひっぱたいたって、何をしたって
全然反応がなかったんだからな。それでどうだ、どこかおかしい処はないか」
加勢が真顔で訊ねた。
「そういやぁ、顔が痛い。ずいぶんと酷く叩かれたようだ。あとは左の肩と腕が痛い」
「そりゃそうだろう。お前、左を下にして膝を抱えて丸まってたからな。まるで胎児みたいな格好で
二十分もピクリともしなかったぜ。しかし、山崎にそんな脳神経系の持病があるはずはないから、そ
のまま死にはしないだろうと思ってはいたけど、でもどうしたんだ」
上半身を 起 こしなが らそ れを 聞いて明彦は驚い た。
「二十分? そんなに長くか。いや、身体は大丈夫だ、多分。こんなことはまったく初めてだが。身
体のどこかが悪い訳じゃなさそうだ」
そこまで言ってから、明彦は艇内灯が点っていることと浮上中に発生する特有の微震動を感じるこ
とに気が付いた。
探査艇は潜行時と水平移動時は余計な挙動をしないように水の抵抗について充分な配慮と設計がな
されているが、浮上時については考えられていないのか又は完全に切り捨てられているようで、不快
な微震動が発生する。探査艇の上部構造は浮上時に上からかかる水圧に対してまったく無防備な状態
になったままなのである。また浮上時には外部観察の必要がないと判断された時には艇内の照明がつ
けられることが多い。
明彦のまだ少しぼうっとしている頭にも、今は浮上中であることがわかった。
意識がなかった二十分間。普通なら短時間と言えないことはない。しかし、明彦にとってはひどく
長い時間であったように感じていた。自分自身に何が起こったのだろうか。想像がつかなかった。
「全然覚えていないんだが、俺の意識がなくなっていた時の様子を教えてくれないか」
明彦は科学の世界に身を置く者としての自覚を常にもち続けようと日頃から心がけていた。この時
にもその癖が自然に出てきたことによる問いであった。自分自身が陥った状態を客観的に捉えようと
していた。明彦の問いかけに顔を見合わせた二人であったが、今度は中村が答えた。
四、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年)
「海中岩壁の樋状の縦溝に沿って下降していったのは覚えているでしょう」
うむ、それは覚えている。明彦は頷いた。
「深度二千五百メートル程のところで、私が気付いた時には既に山崎さんは横向きになって、手を胸
のあたりに組んで眠っているような感じでした。
私が手で揺り動かしても反応はありませんでしたよ。
それで加勢さんに声をかけて知らせたんです」
今度は加勢が話し始めた。
「 びっ くり した ぜ 、 ま っ た く 。 俺 は す ぐ に こ こへ 降り て き て お 前 の 様 子 を み て驚 い た ん だ が 、 そ の
時、船外モニターに大変なものが映って驚くやら、どうするべきか考えるだけでも大変だった。話し
にならないくらいすっちゃかめっちゃかだったよ」
明彦の顔に微笑みが浮かんだ。本当に加勢は大混乱していたらしい。話しがよくわからない。
暫くの間、明彦の身体の様子についてのやり取りが行われ、少なくとも緊急性のある状態ではない
だろうという結論が出された。その後、加勢が切り出した。
「艇の外の大変なものって、何だと思う? 驚くな。発光現象なんだ。どれくらい下にあったのかは
分からないが、艇のずっと下で光っていた。発光体がどんなものかまでは分からなかったが、確実に
生体発光ではない。と思う。艇の真横の岩壁がその光に照らされて、サーチライトなしでも見えるく
らいだった。あんな明るさは生体発光であるわけがない」
今度は中村の番であった。
「あの明かりは強弱を繰り返していました。でも不思議なんですが、全く関係ないことは分かってい
るんですが、山崎さん、その光の強弱に合わせるように上半身が前後に動いていたんです。しばらく
身体を揺らしていましたが、ちょっとしたら膝を抱えるようにして固まってしまいました。その時に
は呼吸も脈拍も平常値より少なめでしたがしっかりしていましたので、あまり心配はしませんでした
けどね。どう見てもただ眠っているだけのようでしたよ」
加勢が続けた。
「発光現象は多分六十秒ほどだったと思う。一分ほど光ると、まるで何かに騙されたようにまたもと
の闇の世界へもどっちまった。そしてもうひとつ不思議なことに、我が深海BⅡ君のバッテリーがア
ウトになってしまっていた。あの少し前には絶対に在底時間二十分の余力があったはずなのにだ。肝
心の発光現象もビデオに記録されちゃあいないかも知れない。この艇内灯は予備バッテリーからとっ
ことだ。お前にもあの光を是非見せてやりたい。……夢の中で見てたのかもしれないが」
ている。別回路になっているやつだ。だからビデオに録画されているかどうか今はわからないという
確かに見ていた。明彦は思った。それも発光していたのは自分自身であった。
病気らしい病気をしたことがないのが自慢の明彦であったが、突然のなにがなんだか判らない睡魔
に襲われてしまったような気がする。その落ち込んだ眠りのなかで見た夢と、現実に起こっていた出
来事の奇妙な一致が気になった。
三人の話し合いはそこまでとなった。
残った少しの浮上時間の中で、処理できるものをできるだけやってしまおうとする中村と加勢の仕
事ぶりを横目で見ながら、明彦は多少の罪悪感を感じながらじっと座り込んで、気持ちの整理をしよ
うとしていた。時々明彦を見る加勢も中村も、眼には本心からのいたわりの気持ちが現れており、明
彦は無言のうちにも強く感謝していた。
探査艇が海面までに到達するためにはあと少しの時間が必要であった。
四、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年)
深海BⅡは浮上してからが大変であった。海面で待ち受けていた支援船播磨の海面スタッフたちが
大きくうねっている海面を探査艇へ泳ぎ着き、艇のリフトアップ用の鈎受けが破損していることを発
見したのである。大きなうねりに翻弄される中で鈎受けを交換する作業が難航した。支援船のリフト
アップ用クレーンから延ばされたワイヤーの先端のフックが修理された鈎受けに取り付けられ、吊り
上げられた探査艇が播磨の後甲板の所定位置へ落ち着いたのは真夜中のことであった。探査艇の搭乗
員三名は幸いにも浮上後一時間程で、全身ずぶ濡れになりながらも、播磨の右舷甲板上に這い上がる
ことができた。中村と明彦はそのまま医務室へ直行させられて、中村には船酔いの薬が投与され、明
彦には船内医務室ででき得る限りの精密検査が行われた。明彦が異常なしとの診断を受けて、船医か
ら解放されたのはやはり夜中すぎとなった。その後、探査プロジェクトのチーフから翌朝の事情聴取
のあることを宣告されて、睡眠をとることがようやく許され、彼らのとんでもない一日がおわったの
である 。
しかし、明彦はなかなか寝付くことができなかった。乗船しているクルーの中では、彼ら探査艇乗
員のベッドは破格であった。それは精神的な負担が最も大きな任務についているということで与えら
れ ている 待遇 であ った が、 それほど 良い ベッ ドで も今 日の明彦をす ぐに 眠ら せて くれる も ので はな
かった 。
ようやく眠りについた明彦の目の前で、光の塊が破裂した。彼は破片のひとつとなって地球へ落下
していった。夢が再び繰り返されているのである。光の破片である明彦は伊豆半島へ墜落し、そして
海へはまり込み、やがて深海底に落ち着いた。それは二度目の経験であった。海の底で深い眠りにつ
く ま で の同 じ 夢 の 繰 り 返 し で あ っ た 。 し か し 、 今 度 は 深 い 眠 り の 中 で 明 彦 の 意 識 に 入り 込 ん だ 別 の
「仲間」の意識を鮮明に感じることができた。その仲間の意識は西方の高い山の中にあることが何故
か判り、その意識の周辺にある風景も見ることができた。また次に同じように「別の仲間」の意識が
入り込んで、その周辺の様子も「直接」見ることができた。この深い眠りは、眠りであるが「人の眠
り」とはまったく別のものであった。それは奇妙な、そして深い心の平安のようなものであった。
翌朝、明彦は意外にもさわやかに目覚めることができた。加勢は眠そうな腫れぼったい眼をして、
欠伸をしきりに噛み殺しつつコーヒーをがぶ飲みしていたし、中村は青い顔をしてまだ続いている胃
のあたりのむかつきと闘っている様子であった。
彼ら三人には知らされていなかったのであるが、既に播磨は東京湾の入り口にさしかかっていた。
帰港途中なのである。理由は深海探査艇深海BⅡに損傷が新たに見つかっていたためであった。探査
艇の修理・船体強度の確認のためにはどのように急いでも数週間を要するとの判断があった。突然に
数週間の陸上待機、ほとんど休暇に近い時間が降って湧いたようなものであった。しかし、その前に
明彦たちは厳しい忍耐の時間を過ごさねばならなかった。
播磨のミーティングルームで、今回の探査チーム全体の指揮官であるチーフと、播磨の船長、計画
の顧問格である二人の地球物理学者を前にして、明彦ら三人は前日の詳しい報告をせねばならず、そ
の内容についての科学者たちの執拗な質問に対して我慢強く答えなければならなかった。入港操船の
必要から船長は途中で退室していなくなったが、これは船長にとって幸いだった。実際、船長がミー
ティングルームを出て行くときに、その顔にはほっとした安堵の色が浮かんでいた。残された三人に
とってはまるで拷問のような時間であった。同じ内容としか思えない質問が延々と続き、まるでかつ
て中世ヨーロッパで行われていたキリスト教の異端審問官と邪神崇拝の容疑者のようなやり取りがお
四、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年)
こなわれていった。それもこれもすべては探査艇のデータが残っていなかったためであった。加勢が
明彦に見せたがっていたビデオ画像も、探査艇のコンピューターにインプットされていた筈の潜行プ
ログラムもデータも何も残っていなかった。彼らの潜水中に起こったことは、中村が記録用紙に記入
したものと、三人の記憶だけに残されていたのであった。「気が狂いそうになる直前」と後で加勢が
表現した精神状態で、ようやく彼らが審問官たちから解放されたのは5時間後のことであった。それ
は播磨が専用岸壁に接岸した直後のことであった。
拷問室から解放された三人は探査艇乗務員室へ突進し、各自の荷物を抱えると、上甲板へ飛び上が
り 、 昇 降 デ ッ キを 駆 け 降り た 。 一 刻 も 早 く 播 磨 か ら 離 れ て自 分自 身 の自 由を 確 認し た か っ た の であ
ことはなかった。それ程苦痛の時間を過ごしたのである。
る。コンクリートで固められた岩壁は足の下で揺れてはいなかった。大地がこれほど頼もしく思えた
「それじゃあ、私はこれで」
文部科学省の特別専用岸壁から海上保安庁の専用岸壁の前を通って、竹芝桟橋前まで来たところで
中村が二人に告げた。中村は着ているスーツに不似合いなデイバックを肩にしていた。そして貿易セ
ンタービルの方へ振り向くと足早に二人から離れていった。
「 な んだ、愛想が ない な。
せっかくなんだから、一緒にビールでも飲みに行こうと思ったのに」
中村の背を見ながら加勢は少し唇を突き出して言った。
「まあいいか、俺たちだけで行こうや、朝からビール」
午前中に飲むビールを加勢は「朝からビール」と名付けていた。
中村の去った方向とは逆に二人は歩き始めたが、暫く経って明彦は小さな胸騒ぎのようなものに襲
われた。ふと明彦が振り向くと、既に先ほど別れた場所からだいぶ先に行ってしまっている中村が、
一台の黒塗りの高級国産車の前で二人の屈強そうな男たちと言葉を交わしているのが目に入った。
「あれ? あれ中村先生だよなぁ」
明彦は立ち止まって、少し間抜けな声で加勢に声をかけた。
「むぅ。確かにそうだな」 加勢は振り向いてしばらくその方向を眺めていたが、興味なさそうにそう呟くとくるりとまた向き
を戻した。
なんとはなしに興味を覚えた明彦は数歩あるいてまた振り返った。中村は話をしていた相手二人と
明彦が中村に対してもっている印象は「学者らしい」ということであった。学生時代に知った教授
一緒に丁度車に乗り込もうとしているところであった。
や、その後の仕事で関わった科学者の多くに共通する人物要素そのものであるような気がしていた。
強いて言えばこれ以上学者らしい人物は見あたらないというくらいの人間であった。最先端を極めよ
うとしている自然科学者たちの多くも酒が入ればくだらない話題に大笑いするし、ごく当たり前に談
笑したりするものである。しかし、一部には真面目を絵に描いたような、自分の生活には学問しか存
在しないというような人もいる。中村はそのタイプの人物であった。船の中で身近に接していた時間
の 中 で 明 彦 は 中村 に 対 し て そ のよ うに 思 うよ うに なっ て い た 。 明 彦 の想 像 で は 中村 の生 活 に は 「 派
手 」 と い う よ うな 要 素 は 考 え ら れ な い 、 つ ま り 質 素 な 生活 を し て い る で あ ろ うタ イプ の人 間 で あっ
た。一緒に去っていった屈強そうな男たちや高級車とはまったく縁がなさそうで、それが妙にちぐは
ぐな感じで心にひっかかったのである。
思い返してみても、中村は地質学の分野の話となるとひどく自信に満ちた話し方をするが、ごく一
四、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年)
般的な話題や日常の話となるとまるで子供のようにおどおどしているような印象が残っている。きっ
と俗世間のことについてはまったく疎いのではないだろうか。あのような車、つまり一般のサラリー
マンなどでは買うこともできないような、高級車を乗り回しているような人間たちとつき合っている
ような男であったならば世の中も広く、もう少しは堂々とした物腰で他人に接することができるのが
普通である。中村は世間一般の事柄についてはまるで幼児と同じような学者である。明彦には再び妙
な胸騒ぎがした。
「まさか、先生さらわれたんじゃないだろうな」
暫く歩いてから明彦が言った。
「ばかな。あの先生、自分から車にさっさと乗り込んで行ったじゃないか。第一、あの人をさらって
なんになるんだ。国立大学に勤めている先生なんか誘拐してもきっと一文の得にもならんだろうが。
そ うだ な あ 、 例え ば 最 先 端 のI T の テ ク ノロ ジ ー かな んか 開発 して いる 先 生なら 、金 にな る 技 術を
もっているということで誘拐の対象になるかも知れないけどな。つまらないことを考えてるなよ。俺
は今はビールのことだけしか頭にないんだ。さぁビール、ビール」
加勢は明彦の肩に手をまわして、子供でも誘拐していくような仕草で馴染みの店へ明彦を押し込も
うとしていた。
それきり、明彦の頭から中村のことは消えていた。
五、 出自
と うと う
広大な伽藍をもつ比叡山延暦寺は大きく三つの地域から成り立っている。根本中堂や戒壇院といっ
さ いと う
よ かわ
た延暦寺の中核をなす建物群のある地域は「東塔」と呼ばれる。その東塔から見て根本中堂を挟んだ
反対側の地域が「西塔」と言われている。そしてそこから北へすこし離れた所、琵琶湖側に「横川」
と言われる地域がある。
さんこう いん
その横川の東のはずれに鬱蒼とした杉林がある。森閑とした木立に囲まれた中を行くと、琵琶湖に
たっちゅう
向けて忽然と開けた台地があり、そこに三光院と呼ばれる寺院が建っていた。延暦寺は巨大なそして
じゃ く
広大な寺領域をもつ寺院群である。比叡山中にあるどの塔頭もが静寂の中にある。しかし、どこかに
必ず僧侶たちの活き活きとした息づかいが寂とした空気の中に感じられるものであった。ところがこ
の三光院を取り囲んでいる一帯の空気には他のどの塔頭にもある息づかいの気配がなかった。人の気
配というものがまるで感じられない、が不思議なことにこの寺にはぴんと張りつめた「気」とでもい
うものが溢れているようにも思えるのである。
その小さな三光院に建つ苔生した山門の前である。
あな い
くり
行者姿の俊海が立っていた。陽の高さからすると午後をすこし過ぎた頃であろうか。
俊海は三光院の門をくぐると案内も請わず、西の庭へ廻り、庫裡と思われる部屋の縁下へ足を止め
た。小綺麗によく手入れされた庭先に幾羽かの雀が群れていた。雀たちは驚きもせずに地表に餌を求
五、 出自
めてついばみ続けている。明かり障子を閉めた部屋の中から微かに紙の上を走る筆の音がしている。
その音が止んだ。
「俊海か」
老いてはいるが、張りのある声がした。雀たちの動きが止まった。
「はい。俊海でございます。お久しゅうございます」
深々と障子ごしに頭を下げながら、俊海は懐かしそうに答えた。
「南の縁へ出ようか。貴僧も草鞋を脱いで上へ上がる訳にもいくまいからの。あちらへ廻ってくれぬ
か」
静かに立ち上がる衣の音がしている。雀たちがその音に驚き飛び去っていった。
三 光 院 は 横 川 で は 人 々 の 記 憶 の 限 り 古 く か ら こ の地 に 建っ て い た 。 詳 し い 縁起 や 寺伝 は まっ た く
あしゅ く にょ ら い
くでん
残っていなかった。本堂にある本尊はまるで木の根のようにしか見えないひどく風化してしまってい
る 「 塊」 であっ た 。 そ の 本 尊は阿閦如来で あ る と口伝されてい たが 、 それを 証明する 何 物も な かっ
た 。 そ の故 に 三 光 院 は 比 叡山 中 で 非 常 に 古 い と は 知 ら れ な が ら も 人 々 に 顧 み ら れる こ と のな い 寺 で
あった。
再び門へ廻り、今度は東へ抜ける庭径をたどる俊海であったが、南の縁を行き過ぎると東へ向いて
建てられている本堂の前へ立ち、印を結びんだ。
しんごん
「オン アキシュビヤ ウン、オン アキシュ……」
阿閦如来の真言を数回唱え、印を切った。
振り向くと眼の下に青い空を映した琵琶湖が広がっていた。漁師の小舟が幾艘か出ていた。
俊海はじっとその風景を眺めた。いつも眼にする湖の姿であったが、この場所から見るのは久しぶ
て んぱ ん
りのことであった。彼の眺めている場所よりも下方の空中に鳶が浮かんで輪を描いている。空を飛ん
でいる鳶をさらにその上から見下ろせる場所であった。
よわい
南の縁へもどると、老僧がひとり優しげな表情で立っていた。俊海のかつての師であった天範であ
のち
だい
あじゃり
る。齢九十に近い筈であると俊海は思い返していた。
「さすが後には大阿闍梨になろうという者の真言じゃな」
凛としていて優しさにあふれた声である。俊海は懐かしさに包み込まれていくような心地がした。
いっさん
「いや、阿闍梨のことはまだまだ先のことでございます。他の行などもまだございますれば……」
俊海の言葉をさえぎって、天範が笑いながら言った。
「なにを申すのじゃ、俊海ほどの僧がそうそう現れるものではないことはこの一山の誰もが存じてい
へりくだ
る こ と じ ゃ 。 ま あ 、お 座 り な さ れ 、 ひ さし ぶ り じ ゃ 。 己 れ の 資 質を 尊 大 ぶ る の は 困 る が 。 し か し 、
貴僧ほどの者が謙り過ぎるのもかえって他人には嫌みとなることもあるわい」
優しげな天範の言葉に対して、俊海は困惑の表情をして言った。
「恐れ入ります……。そうおっしゃって頂けるのは大変にありがたいのですが、近頃どうすれば良い
のか拙僧には判らぬことがありまして……まだまだ未熟者にて。なにやら行を続ける気持ちも弱って
参りましたようで、本来ならば許されぬこととは存じながらも本日参上した次第でごさいます」
あぐ ら
懐かしげに弟子僧の様子を見ながら聞いていた天範の表情が引き締まり、皺深い穏和な顔だちが一
変した 。
俊海は行中の白装束で草鞋を脱がずに縁に座り、天範は背を丸めて胡座をかいて縁の上にいた。
「行の途中、何かあったかの」
五、 出自
「はい。申し上げれば少々長くなるかと存じますが」
りす
師弟の会話が進んでいった。小春日和のような陽の中で、この季節には珍しく栗鼠が木の枝を伝っ
ていた。二人の師弟という関係を知る者がこの様子を見ていたとすると、久しぶりに会って懐かしく
会話を弾ませているのだろうと思ったであろう。しかし、二人とも眼が真剣であった。
「ここひと月程前より突然、拙僧は大変に夜目がきくようになり申しました。今では明かりなど使わ
ずとも月のない夜であっても峰々を回ることができ、しかも身も軽くなり飛ぶが如くに走ることがで
きるようにもなりましたので、後押しなどの連れの必要もなくなってしまったのでござります。ここ
数日はお許しを頂いて拙僧ひとりで回峰をしております。そしてまた、何かが起こる前には予感めい
たものを感じるようになって来ております。近頃は頭の中にこれから起こる出来事の情景がありあり
と浮かぶようになったのでございます。初めの頃はそれの起こるほんの直前にしか見えておりません
でしたが、この頃では数刻前に知ることができまする」
「まあなんと便利のよい力じゃなあ」
ひょうげた言葉を天範が発したが、眼は真剣であった。天範はそのような力を修行の中で会得する
こともあることを知っていた。しかし、自分の身近でそのようなことが起きるとは信じ難かった。信
じ難くも天範はそのことを自然に受け入れていた。
「ともかく拙僧の身体が急に変わってきているのは確かなようで、そのことも困惑させられているこ
となのですが……。実はいまひとつ困ったことが起きたのでございまする」
「うむ、他にまだ身体に変ったことがあるのかの」
「 い え 、 違 う の で ご ざ い ま す 。 拙 僧 の身 体 のこ と で は あ り ま せ ぬ 。 あ る 出来 事 が 起 こ り ま し た ので
す」
天範が膝を乗り出してきたように感じた。
「魔所か」
かぼうお
み みょう
天範は比叡山の三大魔所と呼ばれる場所について訊いている。
じけい
り ょうげ ん
比 叡山 に は 魔 所 と 呼 ば れ る 場 所 が あ る 。 横 川香芳尾に は御廟と 呼 ば れる慈恵大 師良元の 墓 所 が あ
り、そこへ修行者が訪れると不可思議なことが起きるとされる。その他にも何かが起きるといわれる
し め いだ け
場所が二カ所あり、それらを併せて行者を恐れさせる三大魔所と言われているのである。
「いいえ。そうではありませぬ。それは一昨日の行の途中のことなのですが、四明岳に差し掛かった
際のことでございます。山王の古社の手前まで参りました折り、天空に光るものが現れたのでござい
ます。その事の起こる予感はあったのでございますが、頭の中に見えていた光景がいっこうに理解で
きておりませんでしたので実際にその事が起きてからはっとさせられた訳でございます。山王の古社
のすぐ前まで参りましたとたんに何処からともなく眼も眩むばかりの光輝くものが現れました。その
光によって拙僧の廻りの様子もまるで昼のように照らされておりました。初めはその光があまりに強
いので、いったい何が飛んでいるのかはっきりとはしませんでしたが、よく眼をこらしますと輪宝が
見えてまいりました。確かにあれは輪宝でございます。輪宝が輝いておったのでございます」 俊海は思い起こすように遠い眼をして語り、言葉を切った。その頬を琵琶湖が吹き上げて来る風が
なでて通っていった。
「して」
天範が先を促した。
「はい。その輝く輪宝は頭の上、宙を飛び回りながら拙僧の心の内を覗こうとするのでございます。
五、 出自
少 な く と も 拙 僧 に は そ う 感 じ ら れ ま し た 。 な に や ら か 細 い 糸 のよ う な 手 が 伸 び て き て 鼻 や 口 、 耳 と
いった穴から身体の内へ入り込んで、すぅと撫でながら探られているような、そのような気が致しま
した。それも拙僧には分からないようにと注意深く探っているのがありありと感じとれたのでござい
た やす
ます。そのような他人の心の内へそっと探りを入れようとする不埒なものは仏の教えにも許すことの
叶わぬもののように思われました。
拙僧も多少は修行を積んだ身にて、心を自らの内に籠めることも容易くできますれば、身体の内に
結界をむすぶようにいたしました。そして伸びてきていた糸のような探りの手を叩くように念じたの
でござりますれば……」
天範は音にならない唸りを発していた。しかし、それによってさらに先を促してもいた。
「……」
「そのとたん、渦を巻くような殺気が頭上の輪宝から降り注いでまいりました。そう、まるで竜巻の
ようでございました。拙僧は頭から押さえつけられたような感じがし、地に身体ごと叩き付けられる
かとも覚悟いたしました。しかしながら回峰行という大切な行を修している途中で倒れなければなら
ぬとすると、これは大変なこととなり、一山全体ばかりでなくひいては天子や朝廷にまでも不名誉な
ことがらが及んでしまうと考えてしまいました。本来の行へ戻りたい。刹那、そのように切に念じて
おりました。そのとたん、輝く輪宝から独鈷杵が投げつけられたように思います……」
俊海はほんの一時、想念の世界を漂っていた。やがて、ふと我に戻り、天範にすまなそうな表情を
した。
「そして気が付くと、なんと……」
「なんと」
天範が聞くように語尾をあげてくり返した。
「根本中堂におりました。中堂内陣を前にして合掌している我が身に気づいたのでございます」
「ふーむ」
腕組みをして押し殺したような声で天範が唸っている。俊海が見ると、普段は皺に隠れているよう
な天範の眼が宙を睨み付けている。遠い過去をまさぐるような眼でもあった。
俊海は誠にすまなそうに師を見守った。そのような奇想天外な自分でも驚く程の話をかつての師に
してよいものやら先程まで迷っていた。それを話してしまった。俊海は期待を込めた眼差しで天範を
見つめている自分を意識していた。
暫く、沈黙の時が過ぎ去っていった。遠くでかすかに鳶の鳴く声がしている。琵琶湖から吹き上げ
てくる風がさわさわと杉の梢を揺らし、日溜まりの枯葉をかさこそと動かしていた。
え にし
突然であった。天範はまるで憑き物が落ちたようにけろりとして俊海を爽やかに見据えた。
「縁よのう」
「縁でございますか」
俊海がくり返す。
「さよう、縁と言うしかあるまい」
突然のように吹き抜けてきた真冬の風にぶるっと身震いをしながら、天範はいつもの変わらぬ泰然
とした微笑みを含んだ眼差しで俊海を眺めていた。その眼の優しさには日溜まりを楽しんでいる老人
のような風情があった。
「俊海殿、貴僧がこの寺に参られた時のことを覚えておられるか」
五、 出自
俊海は狼狽した。次第に予知能力が備わってきてはいるのであるが、それは極近い将来に起きるで
あろう事が映像として頭の中に見えるというものであった。その予知能力によって俊海には天範と会
話している自分の姿を見ることはできていた。しかし、そこで交わされるであろう内容については皆
目見当がつかなかったのである。それが唐突に自分の、今となっては遠い過去のことについて切り出
たぐ
されるとは意外であった。
俊海は記憶の糸を手繰っていった。今までしてきた修行が逆廻しに思い出された。
まだ六才そこそこの時であったろう、行かねばならないという義務感が重く身にのしかかっていた
ように思い出される。たった一人でこの比叡山へ登って来たのである。苔むした石が積み重ねられた
小路を登っていった。路の先は曲がりくねって山腹に消え、その先はどうなっているのか皆目見当も
つかぬ、そのようなところをひたすら歩いていた。季節は春まだ浅い時期であったようである。鬱蒼
とした杉木立の中のあちこちにざらめのようになった雪が積もっていた。吐く息は白かった。そして
なんとも頼りなく心細かったのを強く覚えている。 比叡山に登ったその日、広い山中をあちこちの塔頭を彷徨うようにして訊ね歩き、ようやく横川の
この小さな寺に辿り着いた頃には陽はとっぷりと暮れてしまっていた。なにかに縋り付きたいような
気持ちで到着した彼を待っていたのが、今と変わらぬ優しげな眼をした天範であった。その日から自
と う ざん
分は天範に全幅の信頼を寄せて修行してきたのである。
「はい、登山いたしました日のことはよく覚えております」
俊海の返答を聞きながら、天範は先を続けた。
「それでは、叡山へ来られる前のことは如何かな」
「………」
俊海は答えに窮した。比叡山へ来る以前のことはまるで霞がかかっているようで、断片的な記憶し
かなかった。それぞれの記憶は結びつかずに全体でまるで意味をなしたものではなかった。
「うむ、覚えておられんようじゃの。では俊海殿の出られた家のことは如何じゃの」
あんどう
暫く待っていた天範が言葉を継いだ。
「はっ。それならば、確か安藤という姓を名乗る家が拙僧の生家であるとお聞きしたことがございま
したが、自身では覚えておりませぬ」
俊海の記憶には、誰から聞いたものかは既に判らなくなっているが「安藤」という姓が、かつては
自分の名乗るべきものであったと知っていた。
天範は俊海の言葉を聞くと微笑みつつ話し始めた。
「ほうそうか。俊海殿の幼心にのこされた姓名じゃの。その通り、確かに儂は安藤氏一族のある人物
からの願いによって、まだ幼い貴僧を預かり修行させた。その方は方々の伝を頼ってこの寺へ俊海殿
を預ける手筈を整えられた様子であった。そのお方について今は言うまい。必要のないことじゃ。大
あと
事なのはその安藤氏のことじゃ。安藤氏は今の都の南の方角、むしろ山城よりは大和に広がっておっ
た姓名じゃった。今は安藤と名乗ってはいるが、遠い祖をたずねれば、実は阿刀氏という姓がもとも
とのものじゃ。いつの頃よりか安藤というようになっていったとのことじゃ。阿刀と言うと何か心当
たりはないかの」
まるで悪戯を企んでいる少年のような表情で俊海の眼をのぞき込んで言った。
「ア……ト。あと。阿……。えっ。阿刀氏と言えば、弘法大師空海の母方の生家ではありませんか」
俊海は逡巡しつつ、語尾をあげるように天範に問い返していた。暫くの沈黙が師弟の間に拡がって
いた。
五、 出自
まうお
さえき
あとの お た り
「そうじゃ。弘法大師の父方は南海道におった佐伯一族であることはよく世に知られているが、母方
は阿刀氏の娘であった。まだ真魚という幼名の頃に弘法大師は母方の伯父であった阿刀大足を頼りに
都へ上った。阿刀大足は学者として都で知られた人物であったために、名門大伴氏の裔であるという
誇りをもっていた佐伯一族が名を揚げるために一族の俊才である真魚を都へ出したのじゃ。ところが
伯父について儒学を学んだものの、やがては仏道を志し、東大寺戒壇院で受戒して空海を名乗るよう
になってしまった。さぞ佐伯一族は驚いたことであろうな。あ、言わずとも知れたことまで喋ってし
まっている。許されよ。ともかく俊海殿の生家はその阿刀氏の末裔である安藤氏ということじゃ」
俊海には少なからぬ衝撃であった。俗世のことを捨てて比叡山に籠もり修行する身である。物心が
ら、物心もつかぬ小さなうちから、追い立てられるように登って来ざるを得なかった僧侶が無数にい
つ い て か ら 仏 道 に 自 ら の 生き る 道 を 見 い だ し た 僧 侶 は 多 い 。 し か し 、 こ の比 叡 山 に は 経 済 的 理 由 か
た。都の貴族にはそれぞれが就いている朝廷での官職に応じて与えられる収入では生活の成り立たぬ
ごぜ
一族も多く、厳しい生活の中で生まれてきた子どもたちを「口減らし」のために寺院へ入れることが
ままあったのである。一応は一族の祖先の菩提を弔い、一族の者たちの後世のためであるとされる。
しかしながら実状は口減らしである。一流の藤原氏といえども傍流の者たちもそのようにしていた。
べっとう
て ん だ いざ す
皇族ですらそれを行っていた。天皇家や藤原氏長者の家から比叡山へ入るのであれば、名のある塔頭
の別当職や場合によっては比叡山の一切を取り仕切る天台座主の地位に登ることもできる。しかし、
世に知れた貴族の家から叡山へ入っても、ただの一僧侶として生活せざるを得ないというのが殆どの
場合であった。彼らはなまじ生家の家柄が良いために日々の生活の中で他の僧侶たちに受け入れても
らえない場合が多い。貧しい階層出身の僧たちから妬まれいじめられるようなことが多くあるのであ
る。そのような陰湿な仕打ちを受けないために、中途半端に良い血筋・家柄をもつ者たちはひたすら
俗世の匂いをさせないように努力をはらう。そのように良家の血統であることを隠し、しかも口減ら
しのために叡山へ投げ込まれたという自分の運命を悲しみつつ、それを忘れるために仏道修行に励む
僧たちが無数にいるという現実を俊海は想っていた。
空海弘法の名前は仏教界に燦然と輝き続けている。例えそれが母方のものであろうとも、その空海
につながる血筋を自分が受け継いでるとしたら、そのことが一山全体に知られていたら、と想うと背
筋に冷たいものが走っていた。
弘法大師空海は言わずと知れた真言宗の祖である。
弘法大師空海と並ぶ平安時代初期の仏教上の巨人は伝教大師最澄であった。延暦寺の創建者である
伝教大師最澄は天台宗の祖となったが、その人生の後半は苦悩に満ちたものであった。桓武帝の命に
よって新しい仏教を日本にもたらした英雄として最澄がもてはやされたのはほんの一時に過ぎず、結
果とし て彼 の人生 のうち の多 く の時間を 奈良にあ った 旧仏 教寺 院勢 力と の対 立に 費や すことと なっ
た。時代は桓武天皇から平城天皇の短い治世を経て、嵯峨天皇の時代となっていた。嵯峨天皇は文芸
を愛することが深かった。この天皇自身が文芸に秀で、書の世界でも「三筆」と称される当代一流の
しんごん みっき ょう
名手であった。最澄より僅かに遅れて帰国した空海を嵯峨天皇は自分の宮廷文芸サロンの一員として
喜んで迎えた。
時に最澄のもたらした天台仏教よりも空海の伝えた真言密教という仏教の方が唐においても一段と
かじ き とう
新しく優れた仏教であるという認識が定着しつつあった。空海は時の天皇に愛されたというだけでな
ずほう
げ んぜ り や く
く、彼のもたらした宗教も天台宗の一枚も二枚も上をいくものであった。密教という宗教は加持祈祷
と呼ばれる呪法によって現世利益を引き寄せてくれる。加持祈祷は凡人には理解できない摩訶不思議
五、 出自
なものであるだけに強烈な魅力を放っていた。最澄は宗教的に劣勢に立たされつつも、密教を天台宗
の一部門として取り入れようと努力した。しかし、天台宗の宗勢回復をその目で見ることなく最澄は
人生を終えた。その遺志を継いだのが慈覚大師円仁であった。円仁は唐へ渡り、広い中国大陸のあち
らこちら仏法を求めて廻った。その旅は苦難の連続であったが、密教を学んでついに比叡山へ持ち帰
ることに成功した。円仁によってようやく比叡山延暦寺の天台教学が密教として大成し、後の宗教的
繁栄のもととなったのである。
弘法大師空海は比叡山延暦寺の天台の僧侶からも他宗派の祖でありながら尊崇を受けているが、最
澄和尚との対立的な振る舞いがあったことから決して快くは思われていない。二人の生きた時代から
すえ
既に長い時間が経ってしまっているのにもかかわらず、その気持ちは伝統的に比叡山のうちに続いて
いる。
比叡山の全僧侶が「俊海は空海の裔」であるということを知っていたとしたら今日の俊海はなかっ
たかも知れないのである。そのように危惧し、見通していた天範が俊海の血筋に関しての事実をひた
隠しに隠しておいていてくれたのだ。俊海は師である老僧に改めて深く感謝するのであった。
俊 海 の手 が わ ず か に 震 え て い た 。 彼 は 自 分 自 身 の手 が 震 え て い る こ と を 感 じ て い な か っ た 。 周 囲に
あるものの微塵の動きをも察知することができる俊海であったが、これほどの深い感動には厳しい修
行も何の効果もなかった。
物心つく前に比叡山の中にいた彼は、親や家族といった世俗的な情愛を味わったことがなかった。
あったのは師天範の優しげな眼差しだけであった。二人の間に交わされていたのは常に厳しい言葉で
あり、情のこもったものではなかった。しかし、天範の眼だけはいつも優しげな表情をしていたのを
俊海は見てきた。俊海には他の者にない才能が備わっているということを何時頃からか自分でも知る
ようになっていた。まるで綿に水が浸み込んでいくように学んだことのすべてを吸収していった。頑
健といっていい身体には厳しい修行も耐えるのにさほどの苦はなかった。そのような俊海の天才を見
抜いていた天範に手加減はなかった。しかし、師の眼だけは常に優しかった。俊海は改めて天範の自
分 に 向 け ら れ た 愛 情 を ひ し と 感 じ て い る の で あ る 。 泣 き 出 し た い 程 の感 情 の ゆ ら ぎ で あ っ た 。 し か
し、廻峰行という至高の行を修している行者である。自己の感情に左右されるようなことは許されな
いという僧侶としての自戒によって耐えていた。
ともあれ、己の知らない自分についてこれから天範は語ろうとしているのである。そう悟った俊海
は気持ちを切り替えつつ緊張した。
「そこでじゃ。弘法大師が悟りの道を開かれた時のことを想うてみよ」
俊海は平安京に都が遷ったという時代を思い浮かべていた。
律令制下の奈良時代や平安時代の教育機関は都の大学と地方の国学であった。
中 央 政 界に 君 臨 し て い る 上 級 貴 族 の 師 弟 た ち に と っ て の 都 の 大 学 は 、 や が て支 配者 のサ ロ ン に 連
なったときに必要となるであろう教養を身につける場であると言って過言ではなかった。彼らが学ぶ
のは中国の歴史や儒学、歌学であった。栄達のための道は既に約束されている。必死に勉学に励む必
要はなかった。
それに 対して中級や 下級 の貴族に とっ ては学問 こそが自 分の人生を切り拓いていくため の道 具で
あった。この場合の学問とは儒学を中心とし、律令と呼ばれる法律に関する知識であった。中流以下
の者にとっては実学こそが必要となる学問であった。いずれにしても儒学という中国伝来の知識学問
五、 出自
は都の官界にとって必要不可欠なものであった。都に出て大学で学問を修めるということはそのよう
い よ し んの う
じこう
あとのおたり
なことであった。地方の国学は地方官の養成機関であり、よほどの運がなければ中央官界への進出は
あ り 得 な かっ た 。
都で桓武天皇の皇子伊予親王の侍講となって学問世界での重鎮でもあった阿刀大足に讃岐の佐伯氏
は後に空海となる少年の将来を委ねた。そこで阿刀大足は甥にあたるこの利発な少年を都で大学に入
学させた。仏門に入る以前、空海はそこで儒学を学んだのである。
「大師は都で学問に励んでみたものの、英明さ故に虚しさが大きく、名門に生まれついた身だけに栄
達が許される世界になかば絶望されたのではなかったのでしょうか。次第に儒学よりも仏法を求めら
思われます。そのような暮らしの中で偶然に出会った仏僧から虚空蔵求聞持法について教えられ、こ
こくうぞうぐもんじほう
れるようになっていかれたのも、仏陀の教えが優れたものであっただけではなかったのではないかと
れを求めんと修行に励んだのだと聞き及んでおりますが」
「その後、大師がされたことは」
「故郷の南海道へ戻り、人跡まれな山中や荒野で虚空蔵求聞持法を修得するための精進を重ね、厳し
い修行の毎日を送り、やがて室戸に近き場所にて……。あっ」
俊海は天範の言いたいことに気がついた。
「 そ う じゃ 。 大 師 が 行に 励ん でお ら れた のは 洞 窟 の中と 言い 、また 岬 の 断 崖絶壁 の上で ある と も言
けっかふざ
う。今はそのことを考えるのに、断崖絶壁の上に大師がおられたということの方が風景としては良さ
そうじゃが。岩の上に結跏趺坐、虚空蔵菩薩の真言を唱えておられた。そこへ突如明るき星が現れ来
たりて、大師の身体の中へ入ったという。その刹那に大師は虚空蔵求聞持法の奥義を悟られたという
ことじゃった。俊海殿の昨夜の一件とよう似ているように思うがの」
天範は微笑みながら静かに言葉をつないだ。
「俊海殿の眼前に現れたのは光輝く輪宝で、その星のような輪宝が俊海殿の内へ探るような手を差し
入れてきたという。まるで大師の話とそっくりではないか」
その言葉に困惑しながら俊海は反論した。
「しかし、拙僧に悟りというようなものはござりませんでした。大師弘法とは比べようもございませ
ん」
「では、輪宝から独鈷杵が投げつけられた時どうした。どこか危なくない場所へ行きたいとは思わな
んだか」
俊海は記憶を反芻し始めた。
頭 の 中 、 後 頭 部 に ぽ っ か り と 穴 が 開 い た よ う に 感 じ る 。 そ の奥 に 入っ て い く と 後 の 世 で 言 う ス ク
リーンのような平面が拡がっている。俊海はこれを白壁のような物と感じていた。そこにひとつの映
像が浮かんで来た。これから起きる出来事を予知する時に見る画像がこれであった。今そこに見えて
いるのは俊海がその眼で見てきた昨夜の光景である。今までは日常の行をおこなっている時に、気づ
くとこの画像を見ているということが再三起きていた。つまり突然のように予知が始まるのである。
しかし、今回は俊海が昨夜の出来事を思いだそうとして頭の後ろの空間が扉を開いたのである。今ま
での突然に始まる予知と違っていた。
画面に見えているのは先刻くぐった三光院の門前が最初の場面であった。そこに見える景色はまる
で逆廻しになったように過去へ遡っていった。
気づくと俊海は昨夜の自分になっていた。記憶の情景を見ているのではなかった。その記憶の中の
五、 出自
自分自身に、過去の自分自身になっているのである。身を切り裂くような冷たい夜風が頬を盛んに掻
いていた。俊海は走り始めている。
眼前に四明岳山頂部に鎮座する山王の古社があった。そこで輝く輪宝が頭上を舞い始めることにな
る。それは既に判っている。昨夜は胸に不安と恐怖があったが、今はなかった。不安に思う必要はな
いと昨夜の自分に語りかけていた。
強烈な予感が稲妻のように身体を貫いた。妙だと思った。既に知っていることが起きるだけのこと
で、予感というものにならぬはずであると思えるのに、身体を締め付けるような予感が駆け抜けたの
である 。
ふと思った。一つの身体の中に二人の俊海がいる。昨日の俊海と今の自分である。自分が昨日の俊
海を励ましている、大丈夫だと。
突如として周囲が昼のように明るくなった。通常の昼ではない。木立にできた陰はその根本を中心
くら げ
に輪を描くように回転している。光源である輪宝が空中で旋回しているためであった。俊海の身体の
中にむずがゆさが走った。まるで海月の触手のような手が身体の内をそろりそろりと探っているので
ある。昨夜のようなおぞましさや嫌悪感は湧いてこなかった。むしろ何か懐かしいような、思い出し
そうでいて思い出せない、そのような過去の一場面を目の前にしているような気持ちであった。不思
議なことに、俊海には見えていない触手を送り込んできた「何か」も俊海と同じように「懐かしさ」
を感じているような気がした。
次の瞬間、俊海は無意識のうちに念によってその触手を打った。俊海自身がこれには驚いた。昨夜
のような嫌悪感はなく、むしろ親しげな感情を抱くようになっていて、今は輪宝を拒絶するつもりは
毛 ほど もな くな っ て し ま っ て い た 。 そ の よ う な 気 持ち で あ る に も か か わ ら ず 念 じ て 相 手 を 打 っ て し
まった 。
お ぼ ろげ
感情や考えがどう変わろうとも、過ぎた時の中で起きたことは曲げようがないことを朧気ながらも
瞬時に俊海は気づいた。
次の瞬間、やはり猛烈な殺気が物理的な圧力として俊海を頭上から襲った。巨大な滝の下に投げ込
まれたように身体をおさえつけられた俊海は息が詰まりあえいだ。自分が冷たい氷の中に閉じこめら
れた様子を 連想してい た。 ほんの一瞬にすぎない 時間である ことは 判っ てい たが、 そ の中で俊 海は
様々なことを考えていた。
一瞬の時はゆったりと、海を間近にした大河のように流れていた。永遠の時の流れの中で人は生ま
れ 、そ し て 死 ん で い く 。 ど れ 程 の 数 の 人 間 た ち が こ の地 上に 生ま れ そ し て 死 ん で い っ た ので あ ろ う
か。人の一生とは何なのか。そこにどれ程の価値があり、人は生きるのであろうか。
原始の時代の人間についてこの時代の俊海は知る術をもつはずがなかった。しかし、俊海の頭の中
にあるスクリーンには人間がまだ生きていくための道具として石器しか知らない時代が映し出されて
いた。人類の黎明期である。言葉もさほど豊かではなかった時代、人々は火すらもっていなかった。
俊海の知っている限り、人は大昔から衣類を身にまとい様々な道具を作り出し、それを使って生活し
ているものであった。その知識からいえば原始の時代の人間たちはまるで獣のような人々であった。
幾世代も幾世代も気の遠くなるような時間を経て人はやっと火を手に入れた。そして細々と火を焚き
続けていた。そうしてまた果てしのない時間が積み重なっていく中で、ようやく道具と呼べるような
物を作り出すことができるようになっていった。動物の狩猟と植物の採集と農業とは言えないような
栽 培に 日 々を お くっ た 。 こ の 大 倭 の 国 で は い つ し か 米を つ くる よ うに な っ てい っ た 。 人 は 次 第 に 増
え、争いを繰り返すようになっていったようだった。
五、 出自
膨大 な 時 の流れ の中 に 俊海 はい た 。 そ こに 生き てい た 莫大 な 数 の 人間 たち の様々 な 想 い や 感 情を
ばさら
たった一人の俊海は知った。絶え間なく流れ落ちる大瀑布の水を滝壺に立つ一人の人間が呑み干して
ちょうらく
いるかのようであった。流れ込んでくる知識や経験を俊海は受け止めた。
スクリーンの画面は俊海の時代となった。足利将軍家の権威も凋落し、婆娑羅の大名たちが権力闘
争を くりひろ げ、 庶民は明日に 命をつ な ぐことも 定かでない 時代であっ た。 さらに 次は 俊海た ち に
とっての未来が描き出されることになるのだろうかと思った。
唐突に未来は凝縮して彼の目の前にやってきた。
それは手のひら程の大きさの球体であった。見ると表面では様々な色が流れたり小さな渦を巻いて
合っては急速に色合いを変化させ、また新たな色が内部から表面に浮き出るように流れ出しては他の
いる極彩色の美しい玉であった。その内部までは見えなかった。球面ではそれぞれ色どうしが混じり
色と混じり合い、あっという間に球体全部の色調が変化していく。
俊海はおずおずと手を伸ばしてその未来の球に触れようとした。もっとよく見てみたかったのであ
る 。 伸ばした 右手 の中指が 微かに 触れた ような気がした。 瞬 間 、球体がはじけた 。 爆発で はな かっ
た。俊海が吹き飛ばされることはなかった。球体が猛烈な勢いではじけた場所から極彩色の歪んだ画
像が飛び出し、俊海の視界の続く限りを止めどなく流れ去っていく。俊海はいつしか何もない空間に
浮かんでおり、頭の上や足の下を四方八方へ凄まじい早さで止めどなく無限の空間へ向けて様々な画
像が流れ出ていた。その光景をただ唖然として見守るだけであった。画像の一つひとつは未来の姿を
切り取るようにして描かれた絵のような実像であった。どれ程の間そうして見ていたのだろうか、既
に俊海には定かでなくなっていた。
そして強烈な予感が走った。自分が粉々に砕かれるという予感であった。昼のように地上を照らす
輪宝が空を旋回している。独鈷杵が自分に向けて投げつけられるはずである。
逃れたいと思った。猛烈に念じていた。物心ついてから自分自身の拠り所であった比叡山延暦寺に
守られたいとも想っていた。
ふと身が軽くなるのを感じた。合掌した姿の俊海は眼を開かずとも自分が根本中堂に立っているこ
とを知っていた。
目の前に老いた師が座っていた。
俊海は驚いた。この天範は俊海の想念が過去へ遡り、過去に終わってしまった出来事をもう一度体
「どうであったかの」
験してきたことを確実に見通していた。俊海はそう直感したのである。しかもそれは事実であった。
「はい、確かに。叡山そのものを頼りと致しました」
「ふぁっはっはっ」
暫く天範の大らかな笑いが続いた。
「この山そのものをな。叡山の中におるのに、叡山を頼りとして念じた結果が根本中堂とは。よく出
来ているわい。俊海殿、人並みはずれた能力を身につけるということは、それだけ悟りに近くなった
ということではないのかの。それともすでに悟りの境地を見ているのではないか」
俊海には判らなかった。
じょうじゃっこう
それまで漠とはしていたが、「悟り」というものを彼なりに想像していた。世界にあるすべての事
象を貫いている法を知り、人のもつ本性・仏性を知り、心穏やかな常寂光の世界に没入できること。
五、 出自
ねはん
茫洋と広がっている心穏やかな世界に遊んでいる純真な幼児のような心境となること。はっきりとは
分からないが、そのようなものが涅槃なのではないかと俊海なりの想いをもっていた。ところが今見
て き た 光 景 は まる で 違 っ てい た 。 目 も 眩 む よ うな 色彩 の 氾濫 の中に 時と い う 大 河 の 流 れ が 見え てい
た 。 時 の流 れ の 中 に 過 去 や 未 来を 見る こ と が で き た と し て も そ れ が 果 た し て 悟 り に 繋が る の だ ろ う
か。
言葉をつぐんでしまっている俊海に天範は微笑んだ。
「まあ、一挙に解るものではないだろうて。今は休息できる間はよく身体を休めることじゃ。今宵の
かちょうごうま
行は果たしていかなるものとなるであろうかの。心して行かれよ。それから、何か考えの足しになる
かも知れん。『華頂降魔』の話も思い出しておくと良いのではないかの」
琵琶湖に比叡山が影を落としはじめた頃、俊海は横川の三光院天範のもとを辞した。そして暫くの
後、逍遙するような足取りで山中の小径を東塔へ向けて歩いていた。
先ほどから頭の中では同じ思考が幾度も繰り返されていた。師天範の推測する通り弘法大師空海は
自分と同様の経験をして虚空蔵求聞持法の奥義を悟ったのだろうか。自分は千日廻峰行の途中であの
ような経験をしている。見えたのは時の奔流であったと思う。瞬時のうちに別の場所へ移るという経
験もした。それはいったい何を意味することなのであろうか。そして師天範から最後に示唆するよう
に出た言葉「華頂降魔」。
ちぎ
比叡山延暦寺を開いた伝教大師最澄がわが国へ天台宗を伝えた。天台宗の法統を辿っていくと、智
者大師・天台智顗という僧に行き着く。開祖である智顗は西暦五百年代に中国で生まれ、南北朝の動
ち み も うり ょ う
乱期の中で両親を失って仏道に入り、やがて大成して金陵(後の南京)で名僧として人々に知られる
ようになった。その後天台山に隠棲して己のための修行に打ち込んだが、魑魅魍魎が現れてその修行
の邪魔をしようとした。しかし、智顗はそれら魑魅魍魎を退けて悟りに達することができた。天台山
ようだい
中の修行によって解脱しようとしていた智顗の前にそうはさせまいと魑魅魍魎が現れて行の邪魔をす
る、これを「華頂降魔」という。その後天台山を下り、再び金陵へ出た智顗は隋の皇帝の煬帝に受戒
させるなど仏教界第一人者として活躍した後に没した。
考えようによっては結跏趺坐した天台智顗の前に現れたのは魑魅魍魎などではなく俊海が見たよう
な輪宝と同じものであったかも知れない。理解できぬ不可解な存在を魑魅魍魎と呼んだだけかも知れ
ない。それは悟りに達しようとする大師の行の邪魔をしたのではなく、それが現れたことによって行
しゃかむに
が急速に進んだのかも知れないではないか。修行の助けをしたのではなかったか。
人として最初に解脱した釈迦牟尼仏陀の菩提樹の下での修行中にも邪神が現れて妨害に及んだ。し
かし、邪神の本性を見抜くことができた釈迦はそれを排除して悟りを得ることになったという。とま
はま
れ、この邪神と言い伝えられてきているものも実は輪宝ではなかったのか。輪宝は回転することで心
の中にある煩悩をうち砕き、迷う衆生を救うのだと言うではないか。
いぶか
昨夜、俊海の頭上高く輪宝は回転しながら大きく旋回していた。独鈷杵は破魔の弾・破邪の弾であ
る 。 輪 宝 を 訝り 、 ま た 敵 視 し て い た 俊 海 に 対 し て 独 鈷 杵 は 投 げ つ け ら れ た 。 そ れ は 俊 海 の 中 に あ る
「他を疑い訝るような卑しい心」に投げつけられたのではないだろうか。投げつけられた次の瞬間に
根本中堂の前に佇んでいたが、その時の己の心はまるで無垢の幼児のようであったような気がする。
我が身に危険を及ぼしたはずの輪宝に対しての憎しみはまったくなかった。それは確かである。奇妙
五、 出自
な実に摩訶不思議な存在に出会ってしまった、恥ずかしいような気持ちがあっただけであった。
陽は西へ傾き、比叡山の東側の山腹はすでに薄暗くなり始めていた。風が出始め、木々を揺さぶり
始めている。昼なお暗い山中、小径の向こうに破れ果てた建物の残骸があるのが見えていた。
「千寿坊か」
俊海は思考を中断してその千寿坊と呼ばれる荒れ果てた僧坊の残骸に想いを馳せた。たしか百年程
前にこの僧坊に住していた僧も千日廻峰に挑み、行なかばで断念して自ら果てたと聞いていた。この
恐るべき廻峰行はいったい何なのだろう。そこに何があるというのだろうか。自らは満行していない
かしょう
千日廻峰行は建立大師相応が捨て身の修行をしたのがはじめであるという。相応和尚は慈覚大師円
こんりゅうだいしそうおう
故に解らないだけなのだろうか。俊海の想いはさらにまた別の処へ飛んだ。
仁の弟子にあたる。
けんぎょう
円仁和尚といえば 伝教大 師の没後に唐へ 渡っ て天台 宗の密教化を 図った 。 それまで の天台 宗は
顕 教ということで弘法大師の持ち帰った真言宗密教の風下に置かれるような扱いを受けかけていた。
円仁は最新の密教を中国から持ち帰り、天台宗に取り入れることで比叡山延暦寺の宗勢を回復するに
至った 。
この比叡山の横川に常坐三昧院を建立し常行三昧の行を始められた慈覚大師円仁も、唐の五台山で
光輝く文殊菩薩を見られたと言う。常坐三昧院は文殊楼院とも呼ぶ。慈覚大師は光る文殊菩薩をご覧
になってご自身の修行にとっての何かを得られたのであろうか。慈覚大師円仁を師とする建立大師相
応が廻峰行を創始されたことときっと深いつながりがそこにあるのかも知れない。俊海は考え続けて
いる。
あん ね ん
慈覚大師円仁を師として相応と兄弟弟子と言ってもよい僧に安然がいた。円仁・円珍と並ぶ名僧と
言われる安然は、天台の密教教理を発展させ、真言宗を凌ぐほどのものを完成させた。それほどの天
才的とも言える僧であったにもかかわらず、天台宗内部からの批判を強く受け、その生涯についての
話すらも比叡山に残されることはなかった。そのような悲運の名僧もあり、また廻峰満行を果たせず
に命を絶って名も残さない千寿坊に住んでいた僧のような人物もこの山中にいた。
東塔・西塔と並ぶ比叡山三塔のひとつ、この横川の地は慈覚大師円仁によって開かれた。そこに住
まうことになった俊海にとって密教そのものと千日廻峰行は同一のものであった。自分が天台密教の
僧侶としてある以上、いつかは行うべく運命められていた修行であり、ごく自然に行に入っていった
海が横川飯室谷・恵光坊流の廻峰行をおこなわずに、東塔の無動寺での修行をおこなっているのは師
ような気がする。横川にも廻峰行の流派がある。西塔にも東塔にもある。横川の三光院で成長した俊
である天範の勧めがあったからであった。拠を遷しての修行に天範は意味があるのだと言った。しか
し、今となって思い返してみれば、それ以外の理由があったような気もするのであった。その時、俊
海も師の言葉に素直に従って無動寺へ移ってから暫くして廻峰行に入ったのである。
廻峰行の満行まであと二年はかかるだろう。すでに五年の年月をかけてきていた。廻峰行には不眠
不休の体力気力をひどく消耗する行が多く含まれる。超人的な肉体を必要とする。その超人的な肉体
や気力は峰々を登り降りすることで次第に培われていく。超人的であっても僧はあくまで人である。
人と時がせめぎ合うような修行であった。
廃墟となった千寿坊を目の前にして様々に想いを巡らせていた俊海に閃くものがあった。
「時!」
俊海は 己に問 い かけ てきた 疑問へ の答え に 唐 突に 突き 当たっ た よ う な 気が した 。 こ れか! と 思っ
五、 出自
た。
時である。俊海の行ってきた廻峰行というものは、実は時を相手とした修行なのである。行者は限
サドゥー
イ ンド
られた時間の中で行を積み重ねていく。時間は行者を鍛え、より高い次元へ導いていく。釈迦牟尼仏
り んね
陀は苦行を重ねて悟りを開いた。仏陀と同じ時代に苦行を重ねる聖者たちが天竺には多くいた。しか
し、その聖者たちは己の輪廻を断ち切るための行を繰り返すのみで、あまねく衆生を救済するための
ものではなかった。自分自身のみが解脱しようとする利己的な修行であった。悟りを開かれた釈迦牟
尼仏陀は聖者と呼ばれる者たちよりも遙かに高い次元から人々に解脱への道を説かれた。釈迦牟尼の
修行は利他行であった。建立大師相応の創始した廻峰行も利他行をおこなうことから始まったと聞い
生に生きる道を示し説いていくのである。それは「時」が行者を教え諭した末に与えてくれる力でも
ている。廻峰行を満行した大阿闍梨は身につけた呪法を駆使して加持祈祷をおこなうだけでなく、衆
ある。行と時の間にはとてつもない関係が潜んでいそうである。
輪宝が現れたことで、俊海は時の流れを見ることができた。
老いた天範との会話の途中で俊海の意識は明らかに時を遡っていった。そして一度体験している出
来事を再び体験することもできた。
日枝の古社の建つ四明岳山頂から東塔根本中堂への瞬時の移動も経験した。人が道を辿って別の場
所へ行くには時が必要なのである。場所というものにはそれぞれ別の時間が関わっているのではない
だろうか。今の俊海にはそれ以上のことは判らない。
しかし、「時」について俊海は誰よりも、漠然としたものであるが、知っているのであるというこ
とに気づいた。俊海が今まで想っていた「悟り」とはまったく違うものである。ただ今は特別な境地
に達しつつあるような気がしている。まるで茫漠とした荒野を彷徨っている中で、大いなる存在が彼
に啓示を与えてくれたようではないか。その存在が何であるかは解らない。ただ暗闇の中に天空から
一条の光明がさしてきていると感じる。荒れ野を彷徨う俊海を光明が緑したたる野へ導いてくれるの
ではないか、そのように感じていた。
俊海の表情が明るく輝き始めた。
幾日かが過ぎ、俊海が出奔したという噂が全山の僧侶らの口にのぼるようになった。
六、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年) 東京上野
六、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年) 東京上野 杉田洋子は多少細めの身体によく似合う青みがかったスーツの袖をあげながら、開口一番吐き出す
「まったく、頭にきちゃう」
ように言った。
明彦と加勢を前にして、直前にウェイターの置いていった手ふきのタオルで勢いよく手をぬぐう様
子に何か強い感情が表れていた。先ほど上野の不忍池のほとりにある小さな公園で待ち合わせ、三人
で学生時代によく行った大衆酒場へ入った。席に着いた直後の洋子の第一声であった。山崎明彦と加
勢浩一郎は思わず顔を見合わせた。今日の剣幕はちょっと違うな、二人は眼で会話していた。
「いったいどうした」
加 勢 が 聞 い た 。 明 彦 は 加 勢 の言 葉 の中 に お ず お ず と し た 身 構え る よ う な 姿 を 見て 取っ て可 笑 し く
なった。
「山崎君、真面目な話なのよ」
強い調子で言われた明彦は自分の顔が笑い顔になってしまっているのを悟った。このような時の洋
子には真面目なふりをして対応してやらなければ、後で必ず後悔する事になってしまう。学生時代を
思い出した。よほど慎重にならないといけない。それが学生時代の教訓であった。
洋子は普段より高いトーンで言葉を続けた。
「二人とも聞いてよ。三ヶ月ほど前にうちの研究室で大変な古文書を発見したのよ」
「良かったじゃないか、樋口先生もすごく喜んだんだろうな」
加勢の何気ない言葉にまた洋子が過剰反応した。
「当たり前じゃないの。加勢君何聞いているのよ。大事なのはその古文書がどんなものなのかよ。そ
こを質問してよ」
大 学 時 代 、 彼 ら は 一 時 的 に ス キ ー の サ ー ク ル に 入っ て い た 。 い わ ゆ る ミ ー ハ ー な サ ー ク ル で あ っ
て、この三人の性格にはあっていなかった。結局そのサークルから早々に脱退した三人であったが、
妙に気が合ったためにサークルをやめた後もつき合いが続いていた。
杉田洋子は文学部・史学科で日本の古代史を専攻していた。男たちは科学の分野が専門であったの
にも拘わらず三人は不思議と話が通じ合っていた。
明彦は父親が死んだために一時的に休学したが、その間も三人のつき合いは続いた。加勢が学部を
卒業し、洋子が学部から大学院へ進んで、明彦が復学してと、そのようなばらばらな状態でも彼らの
親密さは変わらなかった。
洋子が専攻していた史学科の研究室で樋口教授を交えて飲むこともよくあった。磊落な性格の教授
はこの理学部の二人を畑違いであるにもかかわらず気に入ってくれていた。二人とも研究室の学生た
ち より もこ の教授 と 親 し くな る 程 であ っ た 。 しか し、明 彦と 加勢 の二 人 と も 歴史に 対し て の興 味は
まったくなかった。むしろ樋口教授のほうが生物に関心をもち、酒の席で話題となることが多かった
のは二人が専攻していた海洋生物の内容についてであった。つまりこの場合、加勢が洋子に聞く内容
が喰い違っているのは当たり前のいつものことであった。
六、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年) 東京上野
「三ヶ月ほど前にうちの研究室で京都の三条家の蔵の調査をしていたわけ」
おかまいなしに洋子は話しを続けている。
「三条家というと、あの貴族の藤原氏の三条家か」
加勢が意外な質問をしたので、明彦と洋子は眼を見合わせた。
「おい、加勢。お前、歴史の知識なんてなんにも持ち合わせてないはずじゃ」
「いや、実は俺のお袋の方の婆様というのが西陣織の職人の家の出なんだ。それが東京の八王子の織
物をやっている家へ嫁いで来た訳で、だから俺は小さな頃はよく京都の話をなんだかんだと聞かされ
ていた。歴史に関心はまったくないが、だからと言って知識がまるでないわけじゃないよ。俺を侮っ
加勢は最後をひょうきんに締めくくった。
てはいかんよ」
「じゃ、俺はずっとお前を侮ってきたわけだ。お前から海を取ったらなんにも残らないと思っていた
もの」
「そりゃ、お互いさまだ」
「三条家の蔵の調査をしていたの」
ほご
洋子がむっとした表情をしながら話をむりやり元へ戻そうとしていた。男二人はそろって洋子へ顔
を向けた。
「 まあ よ くある 事だ けど、昔 の人 の書 き 損 じた りした反古に 混 じっ ていろ いろ な 文書が 出て き た わ
け。昔は紙はとにかく貴重品であったためにいろいろな古い紙が蔵などに残っているの。それらを研
究室で借り受けて来て整理していたのね。文書ごとに番号をふって、大まかな内容を書き込んだリス
トを作る作業をして、一応途中だけどそれを文科省へ提出したのよ。そういった手続きで、扱ってい
る物が重要文化財とか国宝級のものと認定される可能性があると認められると、すぐに分析チームが
編成されて国の指導というか監視のもとで取り扱われることになるわ。大抵は既に研究をはじめてい
る学者だとか研究室にそのまま最初の分析は任せられることになるけど」
「それで、かなり重要なものが出たという訳だ」
明彦が聞いた。意外にも洋子はかぶりを振った。
「それが解らないの。一月前、突然文部科学省から人が派遣されてきて、その三条家文書を預かるっ
て言って私の作った整理リストも一緒に持っていってしまったの。日記と手紙の類がほとんどだった
けど。後に残された物も美術史のうえで重要なもので、今はその整理と分析に当たっているところ。
その人たちに持って行かれた文書類がそれほど重要なものであったのかと言うと、整理するのにざっ
と見た限りではそれ程のものはなかったと思うんだけど」
「じゃ、なんで文科省の連中はその文書に目を付けて、さらに従来にないやり方をとって、樋口研究
室に任せずにそれらを持っていっちまったんだ」
加勢が聞いた。
「それが、どうも文科省の人たちではなかったらしいの」
「えっ」
明彦も加勢も訳が分からなかった。
「その後に、樋口先生がご自分の研究の必要からどうしても持って行かれた文書を見たいからと文科
省へ連絡をとられたのだけど、文科省側ではそんな文書は預かっていないというのよ。だいたい文書
収納のための係官なんて派遣していないと言うの。変な話でしょう。それからが大変だった。初めは
何かの行き違いに過ぎないだろうって先生は考えられていたんだけれども、すぐにそれが事実だとい
六、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年) 東京上野
うことが判った。
うちの研究室に現れた係官は偽物だったの」
「だけどさ、それほど重要でもないと思われる物を、わざわざ身分を偽って持っていく必要があった
んだろうか」
「それが全然判らない。こんな話聞いたことないもの」
洋子は明彦に答えてから、先を続けた。
「そこで先生と一緒に私も、係官と偽った人たちが持ってきた名刺やら預り証を持って文部科学省へ
出向いて調べてみたけど、そんな人物に該当する人はいないし、だいたい省内にはそんなことする人
間なんていないって邪険にされたわ。それからあちこちの文化財研究所へ問い合わせてみたりしたけ
ど、どの機関からも思い当たる節はないという当たり前の回答が返ってくるだけだった。とにかく京
都の三条家から預かった物の一部が紛失してしまった訳だから、樋口先生ご自身が直接京都へ行かれ
てこの間の事情を説明された方が良いだろうということでそうされたのよ。ところが当の三条家の方
からは別段気にしなくていいとの回答だったとのことなの。先生はほっとするやら恐縮するやらで疲
れ切って昨日帰られたところ」
「さすがにお公家さんだね。そんなことには泰然として気にしないんだ」
「そりゃおかしいな」
明彦の言葉に加勢が疑問をもった様子で、いつもよりも低い声でぼそりと言った。
「変だよ。千何百年も続いている家の人間はそのこと自体に自分たちのアイデンティティをもってい
るのが普通だ。自分の家系がどれ程続いていて、歴史にどれ程の重きをなしたか。それを証明する物
を ど れ だ け 蓄 積 し て い る か 。 さら に そ れ ら の 物が 重要 文 化 財 であ る と か 国 宝 級 のも ので あ れ ば 余 計
に、その家にとって重要なものになるはずだ。もと貴族の家では重要な物があるかのように匂わせて
おいて、鑑定はさせないという家が多くあるというじゃないか。それが歴史的に二束三文の価値しか
ないと知られてしまうと家名に傷が付くからな。だから、三条家では家の名を上げるために学者の研
究に貸し出した、つまり鑑定に耐えられる自信があって貸した。それが一部でも紛失したんだ。もの
すごく怒って当然なのに、簡単に許した。これはおかしいような気がするなあ」
京都には詳しいという加勢の解説に明彦はなるほどと思った。確かに妙だ。テーブルの向こう側で
は洋子が我が意を得たりという顔をしてビールのジョッキを傾けている。加勢の考え方に無言で同調
しているのである。
高く売れるのか」
「妙な話だ。偽役人、怒るはずのお公家さんが怒らない。ふーむ。なあ洋子、そういった古文書って
「まあマニアなら結構高くても買うでしょうね。裏のルートで売買されるかも知れないし、表のルー
トっていうこともあるわ」
「えっ、どうして。表立って売買はできないだろう、なんせ盗品なんだから」
「 いえ 、今回 の三 条家 文書 は世間に 知ら れていないし 、私 の作った 整理リストま でご丁寧に持 って
いってしまった訳だから、その筋の手は廻らないと考えて堂々と取引されるかも知れないわ。文科省
に提出したリストはあるけど、日本では盗難文化財の売買を取り締まる文化財Gメンというのはあっ
てないようなものだから表の市場へ出すかも知れない。だから私あちこちの取引の場に顔を出そうか
と思っているの。できれば捕まえてやりたいもの」
「売りに出されてもそれとすぐには判らないだろう」
「私、整理リストを作る時に家にバックアップをとっておいたの。だから照合すればすぐに判るわ」
六、 平成二十四年二月(西暦二〇一二年) 東京上野
加勢と洋子のやりとりが続いたが、ふと明彦が気づいた。
「しかし、研究や分析が済む前の、まだマスコミにも公表されてない段階でその偽役人たちにはどう
してその文書の存在が判ったのだろう」
「えっ。そう言えばそうだわ。なんでだろう」
洋子は居酒屋の煤汚れた天井を遠い眼で眺めながら言った。店の中に仕事帰りのサラリーマンたち
の姿が多くなり始めていた。居酒屋で毎夕繰り返される喧騒が戻ってきていた。
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
三方を山々に囲まれた京都の夏は盆地特有の暑さがある。じっとりと湿ったその暑さを人々は「油
照り」と呼ぶ。
てらてらと光るような暑い京都の夏が終わり、涼やかな風が辻々に感じられる頃となって人々の会
話にもほっとした気分が自然と籠められるようになった季節であった。
すざく
おおじ
京 の道筋 は碁盤 の目 のように区 切ら れてい る 。 そ の中 で 最 も大き な道 路が 街 の中 央を 南北に 走る
らじ ょ う
朱雀大路である。平安京が建設された当初、朱雀大路は幅が二十八丈(約八十三メートル)もの広さ
で作られていた。この道の南端にはかつては京都という都市全体の正門として建てられた羅城門があ
だ い だい り
り、この門からずっと北上していくと天皇の住まう宮殿(内裏)と諸官庁がひとつに建てられていた
大内裏の正門である朱雀門に突き当たった。朱雀門をくぐると政府の中枢を代表する朝堂院という建
物の正門である応天門が正面に見えていた。この朱雀大路は名実ともに京の主幹道路であった。
と うり ょ う
平安京が建設されて以来、藤原氏をはじめとする貴族による政治がこの京都を中心に展開された。
四百年後、武家の棟梁の一人であった平清盛とその一族によって貴族たちが永年保持してきた政治権
力は奪われてしま うことになった。
平家一門はこの平安京で栄耀栄華の時代を極めたものの、その最後はあっけなかった。鎌倉に基盤
を築いた源頼朝の東国武士勢力によって滅ぼされてしまったのであった。
しかし、その後百年ほど経つと、京都から政治権力を奪い取った鎌倉幕府も次第に弱体化して滅び
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
に至った。そうして日本の政治の中心は再び京都に戻った。政権が京にもどってすぐに南北朝の動乱
の時期となったが、その後に続いた足利氏による幕府もこの都を舞台としていた。初期から盤石とは
言えなかった足利幕府はなんとか形だけの権威を保ちつつ存続していったが、中期に勃発した応仁の
乱は京都の街のほとんどを灰にしてしまうことになった。この応仁の乱は足利幕府の衰退を原因とし
ていたが、それは将軍権威のもとにひれ伏していた守護大名たちを幕府がコントロール出来なくなっ
たことに原因があった。各地域の守護大名と呼ばれる武士の頭目たちは自己の勢力拡大に躍起になり
始めた。隣接する守護大名たちは土地を奪い合い闘った。都で始まった応仁の乱は燎原の火のごとく
全国へたちまちに燃え広がっていった。守護大名どうしの闘いだけでなく、家臣が主君の座を狙うと
戦国大名と呼ばれる者たちが跋扈する時代となっていったのである。
ばっこ
いう下剋上の風も拡がっていった。
そのような時代の変化の中で平安京は幾度となく街の多くを焼亡させたが、その度に不死鳥のよう
に復活を遂げてきた。日本の都として確固たる地位を占めていることに変わりはなかったのである。
時の経過と戦乱は平安京の姿形を大きく変えてしまうことになったが、この「朱雀大路」という言
葉 には京 都に 住む 人々 の生活や 気持ち の中にある 「都 の象 徴」 とし ての意味があ い 変わら ずに あっ
た。本来の平安京では朱雀大路を挟んで西が右京、東が左京という区分をしていた。ところが右京は
低 湿 で あ っ た た め か 住 み 難 く 衰 退 の一 途を 辿 っ た 。 そ こ で 東 の左 京 だ け が 都 と し て の機 能 を 維 持 し
た。面積規模としては半分ちかくになっている訳である。その真ん中を南北に走る大路は室町通りで
あった。しかし、京の民衆にとっては都の中心となる大路は朱雀大路でなければならなかったのであ
る。人々は室町通りと呼ばずにこの通りを敢えて朱雀大路と呼んでいた。
いぶか
ね
き ょう わらわ
その朱雀大路の南から時ならぬ笛太鼓の音が微かに聞こえてきた。耳を澄ませて聞いていた 京 童
たちは初め何が起きたのかと訝るようだったが、その楽しげな音色に心が僅かながら浮き立つようで
おんぎよ く
もあった。わらわらと南へ駆けだしていく者たちがいた。「なに、遅れてはならじ」と我も我もとつ
もえ ぎ
られて幾人もが次の辻を目指して街路を蹴っていった。その間にも聞こえてくる音曲は次第に大きく
なるようであった。
え ぼし
笛太鼓の音曲を演じていたのは実に奇妙な一団であることを駆けつけた人々は知った。それは萌葱
かり ぎ ぬ
色に染めた折り烏帽子を被った白装束の十五、六人ほどの一団であった。面白げに音曲を奏でながら
あ し ご しら
一 団 は 大 路 を 進 み つ つ あ っ た 。 よ く 見 れ ば 白 の 装 束 は 神 職 の 着 る 物 と は 違 う狩 衣 の よ う な も の で 、
ひい ろ
の両側には物見高い人々が立ち並んでいた。その人々が驚かされたのはこの音曲の一団の後に続く行
足 拵えはしっかりしたものであった。 また奏でる音色も田楽や猿楽のものとは違っていた。 都大路
列であった。
笛太鼓の一団の衣装と姿形は同じ物であったが緋色の衣装を身にまとった数十人の男たちが二列縦
くびき
しゅら
隊で続いており、彼らはそれぞれに牛を一頭ずつ曳いていた。その数十頭の牛には田で鋤を曳くよう
に頸木から太い縄が付けられていた。その縄は後ろへ延びて巨大な修羅の先頭部へ結びつけられてい
た。
橇のような形をした修羅の周囲にはやはり茄子紺の衣装を着た男たちがおり、修羅の前進に合わせ
てその下へコロとなる丸太を差し込む作業を一糸乱れぬ見事な動きで行っていた。修羅はゴロゴロと
いう低く野太い地響き音を発しながら前進していた。
人が歩くほどの速さで動く大修羅の上には巨大な岩が載っていた。この朱雀大路を南から北上する
行列を見物する人々の注意を最も引いているのは、曳かれていく大岩の上に立っているひとりの男の
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
姿であった。長身痩躯の三十代半ばの偉丈夫で、人々の見たことのない被り物を頭にのせていた。明
らかに南蛮人の商人などの被る帽子であって黒く目の詰まった毛織り物でできているらしく、つばの
部分は肩のあたりにかかるほどの大きな物であった。帽子の鉢を巻くあたりには金銀の帯が廻ってい
る。その帯に飾りについた大きな駝鳥の羽が初秋の風にふわりふわりと揺れていた。
帽 子 の 下 に は 秀 麗 な 顔 立ち が あ っ た 。 一 重 の 瞼 で あ る が 睫 毛 が 長 い た め に くっ き り と し た 目 元 と
なっている。鼻は細く高い。薄い唇はきりっと閉まって顎の細い線をうち消すような強い意志を表し
ぬき
ているかのようである。鮮やかな青い色の絹の着物の上に黒い皮の陣羽織を着、下半身は彪皮の袴を
着け、足下は赤漆の脛当てがのぞいているが貫を履かずに白足袋に草履を履いていた。その足袋の白
さが秋晴れの空を背景に目に鮮やかであった。左右の手は腰にあてられていたが、右手には日の丸を
染め抜いた扇を開いたままで持ち、じっと前方を注視した様子で微動だにせず立っていた。異風であ
る。しかし、人々の目には不思議と爽やかに映っていた。
「あれが尾張の織田様だ」
囁く声が感嘆のため息に混じってあちこちで聞こえていた。
京都の人々にとって織田信長という名前は新しいものではなかった。足利義輝が松永久秀に弑殺さ
いまき
れた後、征夷大将軍の位は暫く空白のままであった。しかし、昨年、足利義昭を奉じて入京してこれ
を新将軍とさせた新来の大名が織田信長であった。京の民衆にとっては入れ替わり立ち替わり上洛し
てくる新手の大名たちは特に珍しいものではなかった。京の人々は彼らを決して歓迎しなかった。彼
らの率いてくる兵士のほとんどが機会のある限り乱暴狼藉略奪をはたらこうとしたのである。ところ
が織田軍は違っていた。他の田舎大名にはない厳しい軍律があり、彼らについての忌わしい噂を聞く
ことがなかった。このことによって京都の民衆の間には僅かではあるが期待感のようなものが育ちつ
つあった。時代の変わり目を予感させるような大名であった。
六条本圀寺を御所とした新将軍足利義昭を三好三人衆が襲撃し、京都を守備していた織田軍に撃退
されるという事件が先頃あった。その事件後、信長は義昭のために防備を厳重にした屋敷を二条に建
築し始めた。まだその工事は進行中である筈であった。
「あの上に乗っておる石はなんじゃあ」
この奇妙な一群を辻に立って眺めていた男が、隣りに立っていた見知らぬ男につい訊ねた。
「なんでも足利様の新しいお屋敷の庭石なんじゃそうな。石の名前は忘れたが、なんとかという銘石
とかいうことで山科の細川様のお屋敷から運んでこられたと聞いておる」
「ほう。しかし、それならこの大路を通らんでももっと近い道があろうが」
「わしらには分からんが、そこが豪気なもんじゃて」
「それはそれとて、信長様はあんなところに立って危なくないのかのう。どこから矢玉が飛んでくる
とも限らんものを」
「それがあの織田様の偉いところじゃないかのう。もうこの都には織田様に刃向かうような者はいな
くなったということじゃ。きっと」
「ほうー。なるほどなあ」
会話を始めた方の男は間の抜けたような感心の仕方をしていた。会話を交わした隣りの男の言葉に
微 かな 尾 張な ま り が あ る こ と も 、眼 光 鋭 く常 に 周 囲を 警戒 し て い た こ と に も まっ た く 気づ かな かっ
た。
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
大石が朱雀大路を進むにつれて、集まった人々の間から自然と歓呼の声が沸き立ち始めた。修羅の
大 石 の 後に は 百 騎 ほ ど の 武将 たち が 従 者 を 引 き 連 れ て 付 き 従 っ て い た 。 総 勢 七 百ほ ど の 軍 勢 で あ っ
た。騎馬の集団から離れて大石のすぐ間近に騎乗している武将があった。織田信長から金柑頭とあだ
名されていた明智光秀である。金柑のような形の頭の下にある額は秀でて頭脳の明晰そうな顔立ちで
ある。顔かたちとしては主君信長と同系統の顔であるが、眼には虚ろな寂しさのようなものが漂って
のう
いるようである。その眼は今は警備の穴がないかどうか油断なく周囲をさりげなく探っていた。後ろ
に続く武将たちの晴々とした暢気そうな顔に比べ光秀の表情は氷のように厳しいものであった。
京の朱雀大路に集まった人々を沸かした大石運搬の三日後の夕べのことである。
信長の居室は岐阜城中の小さな庭に面しており、涼やかな風が吹き込んできていた。信長の正室濃
姫の好みで放たれていた鈴虫の音があちこちから聞こえ、上弦の月明かりに一層の趣をそえていた。
まだ こ の戦 国の時代 の城 郭は 後の世ほど の華麗 さはなく、豪 農の住まい のような趣 の造りで あっ
た。後の城郭を印象づける天守閣というものはまだ存在せず、この後に信長が構築させた安土城の天
主 が 原 型 と な っ て 全 国 の 城 に 建て ら れ る よ う に な っ た と され る 。 こ の 頃 の一 般 的な 城は 堅 固 な 砦 と
いったものであったろう。しかしながら頑丈な部材を用いて堅牢でありながらも信長自身の指示であ
ちこちと細やかな細工が施され、濃姫が住まいとするにも決して無骨すぎはしなかった。戦うための
城から住む城への過渡的時代であったのである。
信長はさほど酒を好まなかったが、この夕刻は早くから近従の者たちを下がらせて、濃姫の酌でい
くらか嗜んでいた。
「このように過ごすのも久方ぶりだのう」
「はい、殿もずいぶんとお忙しくおちこちをお巡りになられておいででしたもの。数日前も都で何や
ら大きな石の上にお立ちになっていらしたとか」
「そうか。濃の耳にも入っておったか」
「大層ご立派なご様子で、京の衆も大変な驚きであったと聞こえております。この濃も一目なりとも
殿のお姿を拝見しとう存じました」
「それほどのものではないわな」
珍しく自信家の信長が謙遜している。部将たちに怖れられている鬼のような大名もこの濃姫の前で
べつぎょう
は子供のような表情を見せることがあった。
「山科の細川の別業(別邸)にあった龍臥石と申す石を将軍家の新邸へ運んだまでのこと。なにしろ
将軍様のお屋敷じゃから、ただの庭とて名もなき石を置くわけにはいかんでの。せっかく運ぶのだか
ら 少々面白くしてやっ たま でのこと」
「足利の将軍様もさぞお喜びのことでございましたでしょう」
「初めは目を白黒させておられたことよ。ふっふっふっふ」
濃姫も口もとを袂で押さえて笑い声をおし殺した。日頃から信長が鯰髭と呼んでいる足利義昭にこ
の濃姫も一度会ったことがあった。軽薄な感じのする鯰髭の男という印象が後に残っていた。その男
が目を白黒させて驚いている様子が目に浮かび、吹き出しそうになるのを我慢したのである。
その一方で濃姫はやはりと思っていた。この信長は無駄を嫌う人間である。信長の行動の裏には必
ず現実的な目的がなくてはならない。大石を運ぶだけであるなら、もっと理にかなった方法があるは
ずである。わざわざ信長自らが大石の上に立って役者のように振る舞うことはない。濃も都がどのよ
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
じげ
うな所であるのか幾らかは聞いていた。都人は公家から地下の人間までが噂によって動かされている
という。良い評判はより良い評判を呼び、悪評はさらなる悪評を呼ぶ。かつて都で不評をかこつた守
護大名や軍兵は必ず追い出されるようにして都を離れた。入京した織田家には鉄の規律のあることを
京の街の人々に印象づけてきていた。都での略奪や暴行は死をもって報いるように将兵には徹底され
た。実際に数人の思慮のない者たちが街の女をからかっただけで斬られた。その事件によって織田軍
の将兵で乱暴な振る舞いをする者はまったくいなくなった。人々の織田家に対する評判は良好である
様子であった。その都人の目の前に信長自身が直接立って「これが信長か」と印象づけるよい機会と
したのであろうと濃は思った。容貌も決して悪くない、むしろ目元の涼やかな美男子の部類に入る信
長である。さぞ年頃の娘たちの心を騒がせたに違いなかろうとも思っていた。
ひざ ま づ
縁を足早に渡ってくる袴ずれの音がしてきた。音は信長の居室の明かり障子の陰で止まり、跪いた
様子であっ た。
「来たか」
こ しょ う
「はっ」
小姓の森蘭丸長定の声である。
「次の間へ通せ」
「はっ」
軽い発声で返答をして再び縁を走り去る様子であった。
や そか い
「殿、このような刻限にどなたかお呼びになったのですか」
「うむ、耶蘇会師をな。そのうちに呼び出すつもりでおったが、今朝ほどむこうから儂に会いたいと
言って来よった」
信長は眼をしばたいた。
きち ょう
濃姫は信長が何かを期待していることを見てとった。すでにこの男に嫁いで二十年になる。奇蝶と
呼ばれていた幼い頃、父斎藤道三から言い含められるようにして美濃から尾張へ輿入れして、粗野な
乱 暴 こ の うえ な い 男 の 嫁 と な っ た 。 最初は 信長 に 対 し て 怯 え だ け があ っ た こと を 覚え ている 。 し か
し 、す ぐにこ の男が 見かけ 通り の性 格で はな いこ と、 しか も鋭 敏な 頭脳 の持ち 主であ る こ とを 悟っ
た。粗野で乱暴としか思えぬような振る舞いの背景には、必ず何かの目的や考えがあってのことであ
ることを見抜くことができた。織田家に輿入れして二年が経った頃、信長の父信秀が没した。桜が満
開の季節のことであった。
その頃の信長の生まれた織田家は尾張の那古野城を居城としていた。織田信秀の葬儀は城に近い万
松寺で四百人の僧侶を催しての盛大なものとなった。すべては重臣たちの林通勝、平手秀政、青山与
三左衛門らが手配し遺漏なくおこなわれる筈のものであった。喪主は十七歳の信長である。
その葬儀の日、信長は朝から姿を消していた。家来衆が喪主である信長を求めて右往左往していた
が結局見つからず、葬儀は喪主不在のまま林通勝の判断によって定刻より遅れて始められた。四百人
の僧侶たちによる読経が信秀が建立した万松寺の本堂を揺り動かすかのように充ち満ちた。濃姫は信
秀の正室土田御前と信長の妹のお市との間に座り、読経の声に耳を傾けていた。やがてその声が絞ら
れるように小さくなり、焼香が始まる段となったことを示した。そのとき信長が唐突に現れた。人々
ち ゃ せ んま げ
の小さなどよめきが本堂へ近づいてくるのが濃姫にはわかった。本堂の正面から威圧するように現れ
こ じり
た信長は、いつも通りの大きな茶筅髷に袴をつけぬままの縄帯という粗野ないでたちに、大刀を携え
掴んでいた。ずかずかと設えられていた壇の前へ歩み寄り、床に大刀の鐺をドンと杖のように突き立
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
て た 。 両 足 を 踏 ん 張る よ う に し て 、 柄 頭 を 両 手 で 支 え な が ら 位 牌を 睨 み つ け る と 、 不 意 に 踵 を 返 し
た。その場に参列していた人々があっけに取られている中を再び信長はさっと歩み去っていった。
「とんでもない若殿様よ」とあちこちから囁き声がする中で濃姫は想っていた。自分が嫁いだ男はな
んと優しい人間であるかと。きっとこの後、馬を疾走させながらその背で、またはどこか人のいない
河原で仰向けに大の字になって大空を見上げながら、大声を出して泣くに違いない。人一倍優しいく
せに人一倍不器用な振る舞い方しかできない男、他人には弱いところを見せられない男なのだと想っ
た。その時、濃姫は織田信長という男の最大の理解者となったのであった。以来不思議とこの濃姫に
は信長の本心が見えてしまうのである。それは多分信長自身も感じていたことであり、その故に濃姫
の前では無駄な虚飾をいっさい取り払ってしまえるのであったのだろう。
「こほん」
次 の 間 か ら 咳 払 い が 聞 こえ て き た 。 信 長 は そち ら に 向 き 直 り 、濃 姫は 信長 の斜め 後ろ へ 座り 直 し
た。間があり、山紫水明の水墨画が描かれた唐障子が開いた。燃え立つように赤い波打つ髪の毛が眼
に入った。ポルトガル人が平伏しているのである。上着は薄青みがかった黒い南蛮の服を着ている。
腰から下にのぞいている膝頭の様子からすると赤と黄の混ざった袴に似ている物を着用しているよう
だと濃姫は推測した。
「や、フロイス。ひと月ほどその方を見なんだが、いかがしておった」
身分の高い信長から先に声をかけた。そのことが公式の会見ではないことを意味していた。公式の
場では身分の低い者が先ずご機嫌伺いの挨拶を申し上げるというのが作法である。信長が先ず声をか
け た と い う ことが 作 法 無用と い う こと を 示 し てい た 。 斜 め 後ろ に 控 え た 小 姓 の蘭 丸 が 宣 教 師 の ル イ
ス・フロイスに直答を許されている旨を告げた。
「織田の殿様にはご機嫌うるわしく、祝着至極にござります」
耶蘇会と言われているイエズス会は語学の資質の優秀な者をアジア宣教の旅へ送り出していた。既
に数年日本へ滞在していることもあり、このフロイスも流暢な日本語を操っている。信長は自身の頭
脳が明晰なためであろうか、打てば響くような軽快で鋭い受け答えをする者を好んだ。ルイス・フロ
イスもそのひとりであった。
「そこでは話が遠い。近くへ寄れ」
「はっ」
一度信長に気に入られた人物にとって無駄な殿中作法は禁物であった。非公式の場で作法通りの所
しっこう
作をおこなうことは逆に怒りをかうだけであった。
へきがん
フロイスは居室へ入る敷居の直前まで膝行して行き、手をついたまま遠慮なく顔を上げた。いわゆ
る紅毛碧眼で、歳は信長より二つ上の三十八歳であるが当然のことながら日本人一般の三十代の者よ
りは老けて見えた。青い目が親しげに微笑んでいる。貴人に対する態度としてはこれほどぶしつけな
ものはなかったが、信長はフロイスにだけはこれを許していた。瞼を僅かに下げることでフロイスの
微笑みに返した信長は、
「今宵はどんな話を持って来たのじゃ。楽しみにしておったぞ」
信長の問いは単刀直入であった。無駄を排除していくのを好む人物である。また彼なりの期待も込
められていた。
「はい。殿様は石をお好みのご様子と推察いしますが」
「ふっふっふ、その方も都の一件を存じておるのか」
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
フロイスは朱雀大路での信長の姿を見たのだ。
「はい。この目で殿様が京の町人たちを驚かすお姿を見ておりまする。聞けばあれは龍臥石とか申す
銘石だそうで。殿様におかれましては将軍家の二条屋敷にそれ以外の銘石もお集めだとうかがってお
りまする」
「なんじゃ、石の話をしに来たのか」
信長は感情の籠もらぬ話し方をしている。
「はい。フロイスがこの国へやって参りましたのが耶蘇教の伝道であることはよくご存知の通りでご
ざいます。そのために殿様にはいろいろとお世話になっております。誠に有り難き幸せに存じており
フロイスは過日信長の許可を得て建立されたキリスト教の伝道教会のことを言っている。南蛮寺と
ます」
後に呼ばれる。
「 実は わ た く し に は 耶 蘇 会 本 部 か ら 伝 道 に と も な っ て 、 も う一 つ の 密 命 が 下 っ て お る ので ご ざ い ま
す」
「 ほ う」
フロイスの言葉に信長が非常な関心をもったことに濃は気づいた。気配である。
「南蛮寺のことはもうよい」
うるさそうに言い、後を続けた。
「今フロイスは密命と申したが、秘密の指令のあることなど軽々しく申してよいのか」
「はい。我らの信仰をあまねく人々に伝えるために、殿様にはいろいろとお世話になっておりますの
で。我らの神に力をお貸しくだされた殿様に秘密をもつなど不要のことに存じます」
織田信長だけは別格であるということをフロイスはぬけぬけと言っていた。
みん
「この国に参りまして気づいたのでございますが、わたくしどもの故国でも隣国の明でも庭園を造る
時に石を置くことはいたしませぬ。石は四角に切り揃えて並べ、また積み重ねるものでございます。
殿様の国では野や山にあるそのままの姿の石が大変に珍重されていることに気がつきましたのです」
フロイスは殿様の国という言葉に力を入れて話した。信長もそれに気づいていた。
「都で殿様のお姿を拝見いたしまして、この話は申し上げねばならないと思い、本日参上いたしまし
た訳でございます。愚にもつかない話とお思いになられるとは存じながら、東方へ遣わされておりま
す我ら宣教師が皆このような密かな使命を帯びているということを殿様にお伝えしておいてもよいの
ではないかと思いましてございます。このような話で殿様が面白がっていただければ幸いと思ってお
ります」
「どのような話かな」
信長はさも関心のないようなそぶりで訊いた。
「はい、それでは。わたくしどもへの密命とはある石を探せということでございます」
「そなたたちの役割はデウスという神の教えを広めることであるな。神とその探している石とは何か
の関わりがあるのか」
「耶蘇会本部では我らの信仰と深く関わるものであると考えているようでございます。話は長くなる
かと存じますがこれからお話し申し上げたいと存じます」
フロイスの話は耶蘇会つまりイエズス会の創設期のことに始まった。
フロイスの信仰するキリスト教はカトリックつまり旧教であったが、ヨーロッパではプロテスタン
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
トと呼ばれる新しいキリスト教の一派が次第に勢力を強めてきていた。劣勢に立たされた旧教側では
なんとしても勢力を挽回すべく様々な手が考えられていった。そのひとつの運動がイエズス会創設と
東方世界への伝道であった。これはスペインを中心とした旧教国のアジア植民地獲得という野望と相
まって、積極的に推進されるようになっていった。
フロイスは信長への話の中では、プロテスタント勢力との確執や植民地のことについては曖昧な表
現をしていた。ポルトガルやイスパニアにとっては植民地獲得とカトリックの伝道はほぼ同義語的な
意味合いをもっていたのである。本国がこの国を植民地にすべきと考えていることを信長のような支
配者に悟られては今後の自分たちの活動にとってまずいこととなるのは明らかであった。しかし、信
長に語りながらその点もすべて悟られてしまっているような気がしていた。信長の顔には皮肉ともか
らかいともつかない表情が浮かんでいた。フロイスはそれに気づかぬふりをしながら話を続けていっ
た。
イエズス会の創設者のひとりにイスパニア人フランシスコ・ザビエルがいた。この熱烈な信仰心を
もった人物はアジア世界のことを知れば知る程、熱病に冒されたように東方へ焦がれ、ついには自ら
を東方伝道への旅に駆り立てたのであった。
彼はインドのゴアという街に滞在していた間にヒンズー教や仏教のことを学んだ。またゴアからマ
ラッカの街へ移った際にヤジローという日本人と出逢い、その民族の優秀であることを知った。真実
の神への信仰を知ったならばこのヤジローの国の人々はきっとすぐに熱心な信者となるに違いないと
直感し、日本への伝道の許可を本部に取り付けたのであった。
みん
伝道の志を新たにしたこの宣教師は日本へ向かった。
このころの中国の明朝政府は大陸沿岸を荒らし回る海賊「倭冦」への防衛策として鎖国政策をとっ
ていた。外国船が沿岸に近寄ることを禁止し、禁を犯す船を攻撃した。国内に住んでいた外国人たち
カ ン トン
に も 追 放 令 が 出 さ れ て い た 。 そ の た め に ザ ビ エ ル たち も 中 国 本 土 へ 上 陸 す る こ と は でき な い 状 態 に
あった。しかし、長大な明国の沿岸線のすべてに取り締まりの眼が届く筈はなかった。広東の東海上
に浮かぶ上川島という大きな島には明朝の監視の眼も届かず、ポルトガル商人と中国商人との出合貿
易の地として栄えていた。
日本への道の途次、この南洋の色もまだ濃い南海の島である上川島に上陸したザビエルはその地で
たまたま中国仏教の一人の高僧と知り合う機会を得ることになった。
数日の間、ふたりは寝食をともに過ごしながらお互いの信仰について語り合った。信仰を異にしな
き
は天台山に密かに伝えられていた話を聞くことになったという。
がらも、互いに尊敬しあう心によって支えられた奇妙な友人たちができあがった。この間にザビエル
「石の話か」
それまでじっと聞いていた信長が呟くように訊いた。フロイスの体を電流が走った。紅毛碧眼の男
はようやくにして、呻くようにして答えた。
おお い わ
「はい。大きな力をもつ石の話でございます。
われわれが住む西の彼方の国々にも大岩をめぐる様々な伝説がございますが、どうもそのどれとも
似ていない、まったく違う類の話でございます。
昔、どれほどの昔かは判りませぬが、大変に大きな岩があったというのでございます。その岩はと
てつもない力を蓄えておりましたが、ある時いくつもに割れてしまったのです。もともと大きな力を
もっていた岩でございましたので小さく割れても、そのひとつひとつにもかなりな力が潜んでいると
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
のことでございました 。
てんじく
そ れ ら の 石 は 世 界 の あち こち に 散 ら ば っ て お る ので す が 、ど う も わ れ わ れ の住 む 西 方 の エ ウ ロ パ
(ヨーロッパ)にはありません。
天台山の高僧たちに密かに伝わる話では天竺と明、そして日本にあるようなのでございます」
再び信 長は無 言にな った。 フロイ スは意 識して 話を 先に すすめ ていっ た。 手 はじっ と汗ば ん でい
た。果たして信長はこの話を気に入ってくれているのだろうか。それが気がかりであった。
それらの石はしばしば人に影響を与えてきたという。それはたまたまではあろうが、ある特別な人
物がその石の傍を通りかかった場合、その人間へ語りかけるのだという。まず普通の人間には何事も
インドにあるという石はどこにあるのか既に判らなくなっており、伝えられてはいない。しかし、
起こらないのだが、ある種特定の人々が近づくと石は何かを語りかけるという不思議な話であった。
その石はかつて仏陀やその弟子たちと対話したのだという。
釈迦族の王子ゴータマ・シッタルダは、城の外へ出てたまたまこの石の傍を通りかかり、問いかけ
られるままにその石と会話を交わした。その会話がどのようなものであったかは伝わっていない。し
かし、それからの彼は人が変わったように人々を救う道を求めはじめた。やがて王子としての立場や
家族を捨てて出家し、ついには苦行の果て解脱して仏陀と呼ばれることになった。仏陀が語った初期
の 説法 の 中に は こ の石 に つ い て 語ら れた 部 分 があ っ た のだ が 、 次 第 に 一 部 の 高僧 の師 弟 間 の口 伝 と
なっていったのだという。
ほうし
また中国では天台山の山中に石のひとつが埋まっているという。そのために大昔よりこの山岳には
道教の方士や仏教の僧侶が引き寄せられるように集まり、修行するための道場となっていったのであ
る。言い伝えによるとさらに東方の島国には幾つもの石があり、その用いようによっては偉大な力を
発揮させることができるようになるともいう。
この話を聞いたザビエルには思いあたるところがあった。そしてたまたま故郷イスパニアに帰る人
物がおり、その者に手紙を託した。自分の郷里ナバラにあるザビエル城へ宛てた通信であった。自分
自身が幼い頃に過ごした城の書庫を捜させる目的であった。ナバラはバスク人の国であった。彼の幼
い頃の記憶の中にバスク人の間に伝承された昔話があったのだが、その話を記した書物を調べさせた
のである。
西欧世界の中で遠い過去からバスク人は異端とされた存在であった。ジプシーと呼ばれていた人々
と兄弟関係にあると言う人もいた。しかし、ジプシーのように放浪生活を送らず、イスパニア北部の
バスク地方に定住していたことで他のヨーロッパ人に迫害されるということはなかった。しかしなが
ら一般白人社会とは違った独自の言語・文化・生活習慣をもち続けたために白眼視されることも往々
にしてあった。そのバスクのナバラ王国の貴族の子として生まれたフランシスコ・ザビエルは自分の
血筋への劣等意識もあったのであろう、成長して後、城を出て逃げるようにして生地をはなれ、フラ
ンスのパリへ遊学した。そのパリでカトリック伝道の生活に飛び込んでいった。バスクとしての劣等
意識がザビエルの心根の奥底にあった。伝道はバスク人の威信回復のためにも選んだ道であったので
あ る 。 そ れ が 世界 の西 の端イ ベ リ ア 半島 のバ ス ク から 極 東 世 界ま で 遙 々 とや っ て 来 た 理 由で も あっ
た。
その世界の果てのような極東で、もしやという話に出会った気がした。
イスパニア・ザビエル城からの報告では同じ話を伝承していたのである。フランシスコ・ザビエル
の幼心に残ってい た記 憶に 誤りはなかった 。
西欧社会を形作っている人種はみなラテン人やゲルマン人などに属しているが、バスクはそのとど
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
ち ら に も属 す こと のな い 独 自 の存 在で あ っ た 。 ず っ と そ の地 に い た のか も 知 れな い し 、 別 の地 から
やって来たのかも知れない。彼らバスクのことは誰にも分からないのである。そのバスク民族に極東
で隠されるようにして口伝されてきた話とそっくり同じ話が伝えられていた。フランシスコはやがて
自分たちの本当の故郷はここ世界の東のはずれ東方世界なのだと考えるようになっていった。バスク
人は太古の昔に遙か東の地から西の果てにあるイスパニアまで移住したのだと考えるのが最も理にか
なっているように思ったのである。そのためにヨーロッパの他民族と生活風習や言葉も違っているの
であろう。伝道活動は信仰のためにしていることであるが、もしかしてこの伝道の旅の中でバスク人
の 本 当 の故 郷を 見 つ け ら れ る か も し れ な い 。 そ の 可 能 性 は 皆 無 で は な い だ ろ う と も 思 い は じ め て い
告書にしたためたのであった。
た。フランシスコはさらなる伝道の意欲を沸き立たせつつ、自分の発見した事実を耶蘇会本部への報
「耶蘇会本部ではそのようなザビエル師の個人的な気持ちを理解いたしませんでした。極東とバスク
との関わりなどには関心がありませんでした。本部の人々がもった関心は専ら石のことのみでござい
ました。それらの石がもし本当にあり、奇跡のような力をもつのであれば、それは必ず我らの神と関
わるものであるべきと考えたのでございます。またその奇跡の力によって我らの信仰を世界へあまね
く広めることが出来るようになる手段となるかも知れないと考えたのでございます。今後布教活動を
していく上で、石に関する見聞があれば、どのような些細なことであろうとも漏らさず報告すること
を本部では求めております」
信仰心に燃え、また失われた自分たちの故郷を見つけようと、フランシスコ・ザビエルは勇躍九州
へ上陸し、鹿児島から平戸・博多・山口やがて京都へも足を伸ばして布教を続けた。しかし、その旅
の中で、彼の関心を引くような有力な情報を得ることはできなかったようであった。日本上陸以後、
本部への報告にはそれが含まれることはなかった。
「その後こちらへ渡ってまいりました我々にも石に関する報告の指示が出ておるのでございます。さ
れど我らにはいくら偉大な力をもつ石とは言え、どうにも信じられず、何か耳に入れば報告しようと
いう程度に考えておりますが、そのようなことに時間を割くつもりはございません。耶蘇会本部でも
こ のこ と を 知 る 者 の数 は少 な く 、 極 秘 の 内に 調べ よ う と し て い る の で す が 、 こ の 地 で 布 教 に あ たる
殿様はいたく銘石にご興味をおもちのご様子、いかがでございましたでしょうか」
我々にはその思惑などがよく分からないのでございます。つまらない話ではありましたでしょうか。
フロイスの話はそこまでのものであった。信長がこの話をどう受け取ったであろうかとフロイスは
心中びくびくしていた。そして多少の期待があった。信長が何らかの情報をもっていれば本国への通
信 に 加 え ら れる の では ない か とい う 期 待であ っ た 。 フロ イス 自身 は 毛ほ ど も 石 の話 を 信 じては いな
かった。できればこの日本の中で寓話として伝えられていてくれれば東洋のおとぎ話にすぎないと報
告することで一件落着とすることができるのではないかとも思っていたのである。神の奇蹟は信じて
いるが、この話は聖書にもないし、まったくばかばかしい子供騙しのような話だと考えていたのであ
る。しかし、残念ながら信長はまったく興味がなさそうであり、石についての情報ももっていない様
子であった。
フロイスが下がってから、信長は濃の膝を枕に横になっていた。扇を片手で開いてはぱちりと音を
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
出して閉じ、また開き、その動きを繰り返していた。この男が考えている時の癖である。濃は無言で
微笑みながら端正な信長の横顔を見下ろしていた。
「何をお考えですか」
頃合いをはかって濃姫が問いかけた。
「判っておろうが。石のことじゃ。お濃はどう思う」
「まあ、お珍しい。そのようなことをこの濃にお聞きになるなんて。殿にはいかがお思いですの」
「わからん。しかし、耶蘇会士どもが本気になって探そうとしているところが気になるのよ。お濃は
あの耶蘇会士どもをどう見る」
「さあ、異国の神様についてはあまりお聞きしておりませぬので」
「いや。耶蘇の神やその教えなどはどうでもよい。あの異人たちのことはどう思う」
「この濃には異人の方は肌の色具合や髪の毛の様子が違っているところがどうにも。特にあのフロイ
スの青い眼が、何を考えているのか判らぬ気がいたしまして、見ているだけで落ち着きませぬ」
「はっはっは。そうか。お濃は異人たちは好かぬか」
信長は濃姫の膝に置いていた頭を外して上体を起こしつつ言った。
「はい、あまり」
濃は煌びやかな袂で口元を隠すようにして遠慮がちな声で答えた。信長はこの正室の言葉に注意を
払った。濃は美濃の斎藤家に生まれてから生国を出ることはなかった。信長のいた尾張へ輿入れした
時が美濃を離れた最初であった。そのために異国人を見るという機会はなかったといっていい。京に
住む一般庶民の女であれば市中で異国人を見る機会はある。しかし、それでも最近のことである。濃
が見慣れない異国人を好かぬと言うのはそのためであろうかと思ってみた。
ま つ りご と
世 の中 の 政 を 行 う こと の中 心に は 当 然 の 如 く 権 力 が あ る 。 支 配者 と 被 支 配 者 と の関 係 は そ れ ぞ れ
が保持する力の強弱で決まる。力とは軍事と経済の二つを併せたものであることは自明のことであっ
た。特に軍事力を持つことは重要であった。兵を維持し、それを戦場で自己の意のままに縦横に操る
ことで敵を打ち負かすことが出来れば、自然と経済力はついてくるものであることはどこの大名たち
も知っている。
古来、戦国の世に生まれ出た大名たちは多くの兵を養うために豊かな土地を奪おうとしてきた。こ
の場合の豊かさとは食料となる米の生産力であった。かつては隣国の豊かな田畑を奪うことに戦国大
名たちの闘いの目的があった。やがて商人たちの活動が盛んになり、商いの利を求めてどの大名の領
地であれ出入りするようになるに及んで状況が変化してきた。すでに食料は世の中に充分にあった。
き ん ぎ んぜ に
食が足りる と人々は次に快適でより便利な生活を 求める ようになる 。 そ のために必要な も のは
金銀銭である。銭を求めて商人たちは何処へでも出かけていった。諸国を巡る商人たちの情報はすさ
まじい早さで広がっていくものである。戦国大名たちが他国の情報を得るために遣っている忍びの者
たちのもたらす情報よりも商人間の情報伝達が早い場合すらあったのである。京都の商人を代表する
町衆と呼ばれている大商人たちのもっている情報力はその富とともに巨大であった。彼らの経済活動
の基本は情報にあり、諸国からもたらされる儲かりそうな情報を分析し商品を買いに走らせ、また売
りまくるのである。商人たちの集まる所には金銀銭と商品だけではなく情報という甘い蜜があった。
その蜜を求めてさらに周辺から商人たちが集まってくる様子は蟻のようであった。蟻どうしが出会う
度に触覚で情報を交換しつつ蜜に群がっていくのによく似ていた。街中で二人の商人が立ち話をして
いるのを傍らで密かに立ち聞きすることができれば、なにげない会話の中に驚くべき内容が含まれて
いることを知るかもしれないのである。北は伊達領や越後の上杉領、南は島津領の農作物の出来高ま
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
たは軍勢の様子までもが商人たちの口にする儲け話としてのぼっていた。
商人たちをいかにして統御し、また利用していくことができるか。それが支配者としての重要な資
質となっていた。
近頃の信長は民心を得ることに気を遣い始めている。特に京都を支配下に置くようになって、その
必要性をひしひしと感じている。力だけで統治できる街ではなかったのである。武士と呼ばれる人間
とはまるで異質な町びとたちが相手となる。
信長などの気質からすると京都の人々は男も女もたおやかであった。武士が木のように風に抵抗し
ながら力強く立っているものならば、民衆は草のように右左に風に吹かれて揺れ立つものであった。
信長の感覚としては女性のような存在であった。彼ら街の人間を統治していくためには自分にはない
感覚や見方を知る必要があった。
濃はフロイスを好かぬと言っている。これは見慣れぬものを見る時に生じた一人の女性の心の動き
である。これは面白いと信長は思った。
「あの者たちはとてつもなく長い海の旅をしてこの国へやって来ておる。今この国へやって来ている
の は イ ス パ ニ ア と ポ ル ト ガ ル 人 たち だ が 、 こ れ か ら は も っ と 別 の 国 の者 たち も や っ て 来 る よ う に な
る。エウロパという明のように広い土地にはイスパニアのような国々が沢山あるという。そのエウロ
パの中でも海への出口に一番近いところにあるのがポルトガルとイスパニアだから、この二つの国は
他の国々よりも早くこの国に来ることができたようだ」
話を聞いていた濃はフロイスのような異国人がぞくぞくとやって来ることを思い浮かべてぞっとし
ているようであった。
「我々にも海を渡る技術はある。島から島をたどっていくやり方と、言い伝えによる方角をあてにし
て 一 気 に 海 を 押 し 渡る や り 方 だ 。 こ の海 の渡 り 方 で 倭人 たち は ル ソ ンや そ の 先 の コ ー チ シ ナな ど へ
渡っている。しかし、これではポルトガル・イスパニアなどへはとても渡ることはできぬのよ。あの
者たちは島影などない何の目印もない大海原を渡ってくる。星を使って方角を定めているというが、
星で東西南北程度を見分けることは日本の船頭たちでもやっている。この国にはない智恵が異国には
ある。とても追いつかぬ程の智恵をあの者たちはもっておる。異人たちが持ってきた鉄砲はすぐにま
ねて造ることができた。それはモノだからだ。形のある物はすぐにカラクリが判る。ところがあの異
人たちのもっている智恵は鉄砲を創り出すことができたという程度の話ではない。それらの智恵をな
んとしても欲しいものよ。ところで、お濃はフロイスの石の話を聞いてどう思った」
信長 は話を戻しつつ 、優しい言い方で濃に聞い た。
「わたくしにはよく判りませぬ。けど」
濃姫の最後の言葉を信長は捕らえた。
「けど。けどなんじゃ」
思わず少し語尾が強くなってしまった。
「はい、石のことでしたら十兵衛殿にお訊ねになられたらいかがでしょうか」
信長はゆっくり上体を起こした。
とき
「光秀にか。あの金柑頭が何か知っていると申すのか」
「はい、ふと思いついたのでございますが。土岐には石に関わる何かが伝えられていると聞いており
ます。この濃は詳しいお話は聞いたことはございませんが、土岐には石に関わる昔語りがあることは
母親から聞いております」
濃姫は美濃の戦国大名斎藤道三の娘であったが、母親は明智光継の娘であり、光秀の父親と兄妹関
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
すえ
係であった。濃姫と光秀はいとこの関係であった。その縁で信長は明智光秀を家臣団のうちに抱える
ことになったのである。明智家は土岐一族の裔である。その土岐氏に伝わる話があることなど信長が
知る由もなかった。
さらに数日が経った。
金柑頭と信長に呼ばれている明智光秀は秋めいた冷涼な空気を吸い込みながら山の斜面に築かれた
石段を登っていた。山の上へと続く石段や坂の先には寺院群が建っているはずである。今登っている
石 段 の 周囲 に は 秋 枯 れ となり つ つ あ る 草 原が 広 が っ てい た 。 しば し ば 石 段側 へ 頭を 垂 れ た 薄 の 穂を
持っていた馬用の鞭で払いのけた。額には汗が浮き始めていた。
「殿、あとしばらくで着きまする。少しのご辛抱を」
光秀の汗を見て側に仕える高野信孝が申し訳なさそうに声をかけた。
「うむ」
光秀は二日前の夜の信長との会話を思い出して、その内容を反芻しているところであった。
その日、光秀は京都奉行として執務していたが、信長の火急の呼び出しを知って夜道を岐阜へ向け
て駆け通した。岐阜城の信長居室へ通された光秀は、日頃見る彼とは違ってくつろぎ過ごしている信
長と会話をすることとなった。信長の後ろには光秀とは従姉妹にあたる濃姫が微笑んでいた。妙な緊
張が光秀に満ちることになった。濃姫がいるのであるから軍事や政に関することや、ましてや叱責を
受ける場ではないのは明らかである。それにもかかわらず、訳もわからずに緊張してしまう自分を光
秀は情けないと感じていた。これは信長という人間に対する畏怖である。自分を卑小な存在と感じて
しまう自身が情けなかった。
「十兵衛、苦労であった。
将軍殿のご様子はどうか」
「はっ、相変わらず各地へ向けて書状をしたためられておられます。本日は北陸へ書かれておられま
した。今この刻限には多分ご酒をお召しあがられる頃かと存知まする」
「ふっ、相変わらずご熱心なことよの。十兵衛」
信長が呼びかけた。将軍足利義昭の熱心さを言っているのである。
義昭は織田方と対立している各地の大名や各宗派の教団と秘密のうちに連絡を取っていた。義昭は
のであることに不満をもつようになっていった。
信長の力によって征夷大将軍に就任した。しかし、すぐにそれは形だけで将軍としての実態のないも
征夷大将軍の名前を利用して信長は京都とその周辺を統治しようとしていた。義昭にとって足利幕
府の実態はどこにもなかったのである。征夷大将軍は全国の武士を統率する最高職であるはずで、日
本全国は自分の足下にひれ伏すものでなければならなかった。そう考える義昭は反織田勢力を密かに
糾合して信長を打倒させ、自分自身を本物の将軍にしようとしはじめていた。そのために各地の勢力
に向けて秘密裏に書状をしたため続けていたのである。
「はっ」
簡単明瞭に明智光秀は答えた。
「今後も逐一書面にて報告いたせ」
「はっ、承知仕りましてございます」
信長は一呼吸置いた。光秀の身体が硬くなった。
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
「ところでじゃ、光秀」
織田信長の明智光秀への呼びかけが変わっている。
「その方の一族には妙な話が伝わっておるということじゃが」
「は、妙な話と言われますと、いかような話でございますか」
「石にまつわる話じゃ。その方の知るところを聞かせよ」
光秀は暫くの間、床板の継ぎ目を見ていた。突然の話に頭が混乱していた。必死になって想い返し
た。元来癇癪もちのように気の短い信長の前ではこのように沈黙を守ることは家臣の誰もがしない。
光秀も普段であればなんらかの形で即答しなければ信長の怒りを買うことになるので、このような間
をとることをしない。あまりにも唐突の問いかけであったためにそういった危険のあることを忘れて
ま
しまったのである。
信長もその間を許した。彼としては珍しくも光秀の返答を待ったのである。
「幼き頃に聞きました話でござりまする故、しかとそのすべてをお話しできますか判りませぬが、申
し上げます」
沈黙の後、光秀は語り始めた。
「応神天皇の御代であったとのことでございます。皇室の定める宮が飛鳥の辺りに作られていた頃、
唐土より追われるようにして渡来した人々がございました。たぶん王朝の代変わりによって先王朝の
血筋を引く人々が逃れ来たったもののように思われます。彼らは優れた機織りや鍛冶の術をもち、皇
室をはじめとする権を握る人々に重く用いられるようになったのでございます。もとより我が国に住
んでおりました者どもも彼らより生活のための様々な術を学んでまいりました」
光秀の話は千年も遡った時代のものであった。普通の人間ならば、くらくらするような話の展開で
あったが、明敏な信長の頭脳は時の流れをしっかりと把握していた。
「渡来人たちは大和の朝廷に仕えながら各地を開発していったようでございます。彼らは時代の流れ
によって本朝に渡来せざるを得なかったのですが、この国に来たことで死中に活を見いだそうと考え
るに至ったようでございます。実は一族に古くより口承されていた話を確かめにかかったのでした。
そ れ は 偉 大 な 力 を も つ 石 に ま つ わ る 伝承 で ご ざ い ま し た 」
信長の後ろでうつむいて光秀の話に耳を傾けていた濃姫がはっとして信長の横顔を見上げた。信長
は濃の視線を頬に感じながらも表情を変えずに聞き続けた。
「かつて偉大な力をもった巨大な岩が天にあったそうでございます。ある時、何があったのかは判り
ませぬがその大岩が小さく砕け散ったのです。その小さくなった岩々は各地に散らばって落ちたので
しんたん
ございますが、もとよりもっていた力のいくらかをそれぞれの岩は内に秘めて残しておるとのことで
ひと く
す。それらは天竺・震旦・本朝の三国に落ちたとのこと。天竺に落ちた石は仏教と深く関わり、震旦
唐土の物は儒教・道教と関わり、それ故に石の有る場所は秘匿されることになったのです。この国に
けんどちょうらい
落ちました石はその行方も知られておりませんでした。そこで彼らはこの国でそれらの石の探索にか
かったのでございます。それらの石を見つけ出し、そのもつ力によって唐土へ捲土重来が果たせるか
も知れないとの夢からでした。やがて彼ら渡来人たちは二つの石を見つけ出したのです。その一つは
あまりに大きく、動かすことが叶わなかったようで、あと一つは掘り出して動かすこともできたとの
ことでございます」
信長が口を開いた。
「石を掘り出すばかりでなく、動かしたは、いかがいたすためじゃ」
「はっ。石の力を引き出すためにはそれぞれの石をある方角を定めて置かねばなりません。大きな岩
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
は動かしようがなかったために、小さな石を大岩からの定められた場所に置くためでございました」
「その岩の場所は土岐に伝わっておるのか」
「大岩は比叡山中、小さな物は近江・石塔寺にあるとの話でございます」
「石塔寺というと、あの山の頂上にあると聞く岩がその話の岩なのか」
「左様でございます。しかし、彼らは石の力を引き出すことができ申さず」
「む。渡来人たちは石のどのような力を引き出そうとし、そしてなぜうまくいかなんだのか」
無機的に信長が問うた。
じゅりょく
「はっ。彼らは唐土への捲土重来を目論んでおりましたが、その方途として彼らの敵である西方勢力
かし、彼らの労苦は報われることはございませんでした。何事も起きなかったのでございます。わた
をその石に秘められた呪力によって滅ぼし、自らの権力をうち立てることが目的でございました。し
くしに言えることはそれ程のことでございます」
信長は沈黙した。
光秀は再び緊張した。この男の前で自分はどれ程骨身を削る思いをせねばならぬのだろうかと思っ
た。
「 光秀 」
「はっ」
「石塔寺を見聞いたして参れ」
主・信長との会見はそれで終わった。
先ほどより頭の中で反芻していたのは最後の部分であった。「光秀」と呼びかけたことで、この見
聞行が公式なものではないことが判っていた。問題であるのは信長が何を望んでおり、光秀の報告に
何を期待しているかである。自分は何を見て来ればよいのだろうか。また見聞すること以上に何かを
調べておかねばならぬことは明らかであった。
「あの男ならうまくやるだろうが」
ひょう
光秀は木下藤吉郎のことを思い浮かべた。主人信長から「猿」と呼ばれるあの男なら、やすやすと
信長の心を読むことができるに違いなかった。人の気持ちを察して振る舞い、剽げたこともやすやす
と行い、いつの間にか安心感を与えるようにして、実は逆に人の心をつかみ取ってしまう。同じ信長
の麾下にあり、争う相手でありながらもつい気を許してしまうことすら光秀にはあった。その反面で
憎んでいた。気位の高い光秀には剽げたような立ち振る舞いは馬鹿げていてできなかった。自分ので
きぬことをあの男はしてしまう。それでいて主人の気持ちすら取り結んでしまう。光秀にできぬ芸当
をする藤吉郎が羨ましくもあり、憎くもあったのである。
た っちゅ う
阿育王山石塔寺は巨刹である。大きな伽藍をもった天台宗の寺院である。創建は古く、聖徳太子の
時代に 遡ると聞い ていた。 確かに多 くの塔頭・ 宿坊が今 彼ら の登っ ていく 坂 の両側に 建ち 並 ん でい
た。しかし、その多くは無人であるようであった。一条天皇の勅願寺といういわば由緒正しい筋目の
よい寺院であると聞いていたが、さすがにこの戦国の世に大きな伽藍を維持するには叡山のような寺
院でなければ難しいことであるのだろうと思われた。
うら寂れた幾つもの塔頭の門前を登り過ぎて行くうちに、ふいに面白いように視界が開けた。
爽やかな風が抜けていく。頂上へ抜けたのである。眼下に青々とした琵琶湖が横たわっていた。光
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
秀たちは湖とは反対の東麓から登ってきていたので、途中の山腹からの視界は東方に横たわっている
山並みだけであった。
乗馬の達者な光秀であった。石段など馬で駆け上がることなど容易にできたが、馬を使うよりも一
歩ずつ自分の足で登っていったほうが周囲の状況を把握でき、考えをまとめることができるであろう
と思ってそうしたのである。額の汗を袂で拭った。
光秀は従ってきた者たちに休むように指示を出させ、自身は琵琶湖の良く見える場所を選び立って
湖面を眺めた。湖面は傾く陽を反射して輝いていた。正面に小さな島が浮かんでいる。
「 沖島 であ ろ う」 と 、 推測 し た 。 とす れ ば 、 そ の少し左 手 前 の半島 状 の山が 長 命寺山に 違いな いと
思った。そのさらに手前が後に安土と呼ばれることになる土地である。が、光秀はこの時まだそれを
知らない。
照り輝く湖の向こう側に山々が連なり横たわっている。
「あの辺りが四明岳で、叡山の寺院があるはずだ」光秀は思い、嘆息した。
今見ている比叡山のさらにその左側の山の向こう側に平安京があるはずである。叡山も都も古代か
らこの国を支配してきたぞっとするような権力の巣窟であった。信長は足利義昭を擁しつつ都に彼自
身の旗を立て、その影響下に置いている。しかし、それも蝉の抜け殻のように脆いものでしかないだ
ろうと思われた。都に住まう魔物たちが何時跳びだしてきて信長の立てた旗をずたずたに引き裂くか
判ったものではなかった。ましてや比叡山は油断のできぬ存在であり、今は眠っているように静かで
あるが、これもまた何時牙を剥き出すか判らない。そのような存在は日本国中にいくらでもある。今
は一世を風靡し、まるで世の中の追い風を満帆にうけるごとき信長ですら、そして光秀自身も、戦国
の 世 の 武者 たち に 安 ら かな 眠 り は な い のであ る 。 そ れを 思 う と 深い 嘆 息 が 自 然と 出 て し ま う の であ
る。この先どうなるものであろうかとつい考えてしまう。
ほ う き ょ う いん と う
振り返ると目の前に蔦に覆われた石の柱が立っていた。柱の周辺には一面に夏草が生い茂り、それ
が枯れ始めていた。その枯れはじめた夏草の下には五輪塔か宝篋印塔であろう石造りの小さな塔が無
数に、しかも一面に拡がるようにして置かれているようである。それら多くの小さな石塔の置かれた
中程に大きな石塔が蔦に絡まれるようにして立っている。蔦の葉の間にかいま見える箇所から判断し
て、幾つかの岩を積み上げたもののようであった。しかし、その肌合いからしてどう見てもただの岩
である 。
「このような物になんの力があろうものか」
光秀は呟いた。神仏や妖怪など目に見えぬもののあることを真っ向から否定していく、現実のみを
見つめる理論家の信長が、なぜこのような物に今回は執着しているのかまったく判らなかった。屋敷
を造り、庭を造る際に信長は特異な才能を発揮する。将軍足利義昭の屋敷を造るにも縄張りをする段
階から彼自身が先頭に立ち、その図面を引くことに熱中していた。庭にはあちこちから手に入れるこ
とのできる銘石を運ばせ、微妙な配置により巧みに深山幽谷を現出させてしまった。今回もその延長
にある銘石好みなのか。
「いや、そうではあるまい」
理解し難かった。やはり自分には信長という男の心の内を読むことはできないのであろうか。木下
藤吉郎の猿めが羨ましかった。
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
頃合いをみて光秀は一面を覆い尽くした蔦をすべて取り除くように指示を出させた。従者たちの汗
が引いたと見てとったのである。光秀の目下の者たちを思いやる気持ちの優しさである。光秀は信長
に仕えるまで一人で浪々の生活を送っていた。家臣といえるものをもつことができなかった。今仕え
ている者たちは織田軍団の中から明智配下に付けられた者たちであった。光秀自身が召し抱えた従者
で は な か っ た が 、 譜 代 の家 臣 の よ う な 関 係が 出 来 上 が っ て き て い た の も ひ と え に 光 秀 の 人 柄 で あ っ
た。
同行させてきた麓の村の農民数人が鎌や鉈を振りかざして作業に取りかかった。風は秋めいて涼し
い風が流れることもあったが、太く肥え固くなった蔦を取り去っていく仕事は容易ではなく、日差し
様子を見てもっと多くの村の者たちを駆り出せばよかったと思っていた。
はまだ強かった。すぐに汗が噴き出てきた。光秀は日陰で胸をくつろげて風を入れていたが、作業の
ふと 農 民 たち に 指 示 を 出し てい る 白 髭を 生 や し た 老人 が 何 故 か光 秀 の 注意 を 引い た 。 白髪 だ け と
なった豊かな髪の毛は結っていなかった。自然にうしろへ流れている白髪は肩のあたりまで垂れてい
た。口の周りからの顎へかけての顔を半分も覆った髭、そして眉もすべて白髪である。
「信孝」
「はい、なんでございますか」
む らお さ
光秀の近くにいた高野信孝が答えた。
「あの老人は村長であったな」
「はい、孫二郎と申す者にてございます」
「ここへ呼べ」
「はっ」
信孝は石柱の下で作業する一団へ近づき、孫二郎に声をかけた。一言二言の後、孫二郎は光秀の方
を向き深々と頭を下げた。そして信孝の後を孫二郎は光秀を直接見ぬようにして屈んだ姿勢のまま早
足でやって来た。光秀の前で両膝をつき、それぞれの膝に両手を添えた孫二郎に信孝が声をかけた。
「明智様である、粗相のなきように」貴人に対しての作法にのっとっていた。
孫二郎は声を出さず、頭をさらに下げることでそれに答えていた。
「孫二郎殿、立っていただきたい。そのようでは話が遠くなってしまう」
粗相をするなと言ったばかりの信孝は幾分狼狽した様子であったが、光秀はいっこうに構わなかっ
た。
老人は素直に立ち上がって光秀の顔を見上げた。頭ひとつ光秀のほうが背が高かった。まだ野良の
仕事をしているらしく、顔の皺の奥まで日に焼けているようであった。顔の中で髭だけが白かった。
日に焼けた茶色の瞳が眩しそうに光秀を見つめていた。すでに貴人に対する態度ではない。無遠慮と
いえばあまりに遠慮のない眺め方であった。信孝は老人に注意を促すかどうか迷い、光秀と老人の二
人を交互に眺めていた。
「そちの家はどれ程この地で続いているのか」
光秀は信孝の困惑を気にせず、直接に問うた。
「はい。確かなことは判りませぬが延喜の頃よりと伝わっております」
なり わ い
「ほう、それ程までに昔からこの地を耕してまいったか」
こま
「いえそうではありませぬ。我が家はいま現在は農を生業といたしまして村を差配しておりますが、
その昔は朝廷の牧を司っておりました。牛を飼っておったのでございます」
「牧を司っていたというと蘇や酪を皇室に献上していた訳か。というとそちの祖先は高麗かからの渡
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
来人か」
くだらおうし
「はい。ただ高麗ではなく、百済王氏の血筋と聞いております」
「 まて 、 百 済王 氏 であ る な ら ば 延 喜 の 御 代 の こ と で はあ る ま い 。 もっ と 古 い 時 代 の こ と で は な い の
か」
「左様でございます。殿様は先ほどこの地でどれ程続いているのかとお聞きになられましたので、我
らがこの地へやってまいりました時代で延喜の御代と申し上げた次第で。我が家の祖先がこの地に住
み始めたのは延喜年間でございましたが、それより以前は別の地を漂泊しておったようで、さらにそ
れ以前、この国へ参りましたのは上宮法王の御代のことでございました」
二人の対談が続いている。話を脇で聞いている信孝にはよく判らない様子である。
ふ ひ とべ
「 聖徳 太 子 の お ら れた 頃に 渡 来 した ので あ れ ば 、 そち の祖 先 は 飛 鳥 の朝 廷に 仕 え てい た と い う こと
か」
「はい。史部という文書を書きつづるような仕事のできる者どもを率いて仕えておりました。それ故
にこの儂も読み書き程はでき申すのでございます」
「では昔からの出来事にも明るいのだな」
「わが家には古くからの文書もございますれば、時をいただければある程度のご下問にはお答えでき
るかと」
その時、別の家臣が石塔の蔦を払う作業が終了した旨を報告してきた。光秀は会話を中断し、石塔
へ近づいていった。孫二郎と信孝は後に従った。石組みは意外に大きく三重塔の形をなしていた。そ
れは青い秋空に誇らしく映え聳え立っているように感じた。
「孫二郎殿」
「はい」
「この石組みの内で最も大事な岩はどれであろうな。やはり一番上の物であるかな」
光秀の問いかけには返答への期待は含まれていなかった。独り言にも似た言葉であった。
「どれも同じでございます。どれもただの岩に過ぎませぬ」
意外にも確信的な響きのこもった言葉であった。この人物は何か容易ならざることを知っていると
光秀は直感したが、口をついて出たのは凡庸な言葉であった。
「そうであるな、岩は岩、ただの石に過ぎぬ。やはりご老人もこのどれもが意味のない岩であると言
われるか」
でございます」
「いいえ、意味はございます。この石の塔はこれを建てた人々がこの世にあったことを記しているの
なんだ、つまらぬことを言う。人はみな自分がこの世に生きていたことを何かしら残そうとする。
書を残す者もいれば石を刻む者もいる。これは期待はずれであったかと光秀は思った。
孫二郎は光秀の想いなど知らぬままに、さらに言葉を継いだ。
「この場で最も尊き岩はあの小山の上にございます」
老人は彼らの左方向にある人の背丈ほどの高さをもった小さな三角形の小山を指さした。
光秀は仰天した。出し抜けにこの老人は何を言っているのであろうか。光秀は石塔寺の名前の由来
となったこの屹立している組石こそが調べねばならぬ石であるとばかり思い込んでいたのだった。思
い込みの想念の中に突如として意外な事実が飛び込んできた。それは薄暗がりの中に立つ光秀に差し
込んできた光明のようなものであった。
「あの岩をこの山頂まで引き上げ、そこに置いた人たちがいたのです。この石塔を組み上げた人々は
七、 永禄十二年(西暦一五六九年)秋
失意のうちにそれを行いました。あの向こうの岩を運びあげた彼らの目論みは現実のものとなりませ
なんだ。彼らに残されたのは、岩を運び上げた大変な苦労を支えていた執念の記憶。その苦役のもと
となった望郷の念でございました。それを後世に伝えようという思いでこの塔を組んだのでございま
す。石塔はただの記念碑でございました」
光秀はその小山の頂に意識を集中しつつ、その一方で平然を装って言葉を発した。
「ふむ。あの岩に関わるその目論みとは」
光秀としてはなにげない風を装った問いを発したつもりであった。
「 そ れ は 殿も ご 存知 の は ず 。 明 智 の 殿は土 岐 氏 の 裔。 土 岐 氏に も 世々そ のお 話 は 伝わ っ て ご ざ い ま
再び、光秀は仰天した。この老人は何もかも最初から知っていたのである。思わず振り向くと老人
しょう」
は感慨深げに小山を眺めていた。その老人の横顔を光秀は言葉もなくしばし見つめていた。後からあ
とから様々な疑問が頭の中に浮かび、それらが渦の様に巻き始めた。これは短時間のやりとりで解決
できる問題ではなさそうであった。
光秀はひとまず疑問をそのままにして小山の岩を実検することとし、その旨を信孝に伝え、岩へ向
かった 。
岩を載せた小山は周辺の地面の土とは違った色をしている。明るい褐色である。周囲の地面は灰色
が かっ た 赤 土 であ る 。 い くら か 人 より 優 れた 観 察 眼を も っ て す れば 一 見 し て 分 かる 人 工 の土 盛 り で
い ただ き
あった。
その頂に乗った問題の岩は横から見ると平らで、やや真ん中あたりが膨らんだ楕円形のように見え
ていた。近づいて見ると円盤状の物であることが分かった。大きさは直径一丈六尺ほどであろうか。
大の男六、七人程が手をつなげばその周囲を囲めそうな大きさである。
一見なんの変哲もない黒い岩であり、上になっている表面はなめらかで丸みを帯びていたが下面と
はんち く
側面はむしり取られたようにキザギザとした凹凸があった。確かに砕かれた大岩の一破片のようにも
見えるのである。
その岩が載っている小山は、古墳などを造る際に用いられる版築という、土を層状に突き固めてい
く工法で造られたもので、明らかに人工のものであった。光秀も築城法には通じており、いくぶん崩
冷たい風が吹いた。気がつくと陽は西の比叡山の向こうに沈もうとしており、夕闇がそこに迫って
れかけていた小山の側面部分で版築によることを見てとったのである。
いた。光秀主従と農民一行はひとまず山を下ることとした。
八、 平成二十四年三月 京都
八、 平成二十四年三月 京都
杉田洋子はあちこちと歩き回っている様子であった。しばしば山崎明彦と加勢浩一郎のもとへ現状
報告が入ってくる。直接会って話を聞かされることもあった。明彦と加勢はそれを特別な興味もなく
聞いていた。もっとも表面上は興味深く報告を聞いているふりはしていたが。そうでもしなければ洋
子 が 烈 火 の ご と く 怒 る のが 目 に 見 え て い た か ら で あ る 。 こ こ 暫 く は 洋 子 の好 き に さ せ て お く し か な
く、またその話も従順に聞いているほかはなかった。
そ の よ う な 中 で 杉 田 洋 子 は 京 都 旅 行を 提 案 して きた 。 特 に そ う し な け れば な ら な い 理 由 は な かっ
た。洋子の勘では京都の古文書市に出されるのではないかという、ただそれだけのことであった。そ
して明彦たちにとって都合の悪いことに洋子は彼らの深海探査艇支援船の播磨がここ暫くは出航しな
いことを知ってしまっていた。深海BⅡの修理が簡単にはできずにいることを、上野でつい話してし
まっていたのである。しかも健康で仕事好きであるために勤務状況の優秀なこの二人には有給休暇が
たっぷりと残されていることさえ知っていたのである。洋子の提案を断る理由がなかった。提案の二
日後、彼ら三人は東京から京都へ向かう新幹線の中にいた。
洋子は京都東山の青蓮院近くの小さな宿を定宿としていて、今回もそこに予約を入れていた。明彦
と加勢にとっては中学の修学旅行以来の京都であったので、懐かしくも物珍しく、幾分はしゃいだ気
分であった。一方、洋子はそんな二人を引率する教員のような風情でもあり、また時々物思いにふけ
る様子であった。男二人はそのような時の洋子にはまったく拘泥せず、勝手気ままに振る舞い続けて
いた。宿の部屋に入った明彦たちは窓を開け放ち、向こうに見えている知恩院の屋根や京都を取り巻
く低山の山並みを珍しげに眺めた。隣りの部屋に入った洋子は、階下へ宿の主人のところへ何か話し
に行っている様子であった。
窓から見える景色は、広い海原と深海を相手にしている明彦には妙な違和感があった。止めどなく
広がる青い洋上を航跡のみを残して行く船から、水平線の彼方まで視界を遮るものはない。深海探査
艇で暗黒の海中にいる時の視界はライトが照らし出す狭い空間だけであるが、明彦は暗闇の向こう側
京都は周囲を決して高くはないが連なった山々に囲まれている盆地である。水平方向を見晴るかす
にとてつもなく広い世界をいつでも感じることができるのである。
ことは出来ない。この京都の街は明彦にとっては閉鎖空間といってもよい世界のように見えていた。
これを心地よく感じるかどうかは個人差が大きいだろうなと思った。いつも一緒に海で暮らす加勢は
どうだろうか。
「 ポ ン」
音がした。何かと振り向くと、加勢がビンビールの栓を勢いよく抜いたところであった。
加勢が明彦にグラスを差し出した。
「何で我々が京都まで来るかねえ」
加勢が口を尖らせて呟くように言いながら、しかし、眼は笑いながら明彦が持つグラスにビールを
注いだ 。
「俺たちも人がいいよなあ。まあできるだけのんびりさせてもらうか。なんせ有給休暇つかって来て
八、 平成二十四年三月 京都
るんだものな」
「そうだよな。でも明日から洋子にあちこち引っ張り廻されるんじゃないか」
階下から階段を上がってくる足音がした。唐突に廊下とを隔てている障子が開いた。
「なんだ、もうやってるの」
いも ぼう
座りながら洋子は自分の分のグラスを取り上げて、ビールビンをもったままの加勢に注げとばかり
に差し出した。求められるままに加勢はビンを傾けた。
「この時間から飲んでると晩ご飯が食べられなくなっちゃうわよ。今夜は芋棒料理が出るそうよ。奥
さんが言ってた」
「なんだい、その芋棒料理っていうのは」
「京都のこの辺の名物料理」
ぼうだ ら
洋子は一気にグラスのビールを飲み干した。
「棒鱈っていう、鱈の干物を海老芋っていうお芋と焚き合わせたもの。関東では煮付けることを関西
では焚くって表現するんだけど。あなたたちに料理の話をしても仕方ないわね」
洋子は言いながらビールのおかわりをグラスを差し出して要求した。加勢は二本めのビンの栓をわ
ざと勢いよく抜いて注いだ。
「なんだ、晩飯のことを聞きに行ってたのか」
「いや、挨拶がてら情報を収集にね。ここのご主人、結構その世界に明るいの。その世界っていうの
は古物収集のことね。ついてるわ、明日宇治の方で同好の人たちの会があるんですって。私ちょっと
顔を出してくることにする」
「俺たちは」
「明日は大丈夫。私ひとりで。あなたたち悪いけど古都観光でもしていて」
「 本当」
男たちの顔に喜色が差したのを洋子は見逃さなかった。
「何喜んでいるのよ」
「いや、喜んでいない。残念だ。なあ」
「ふっふっふっ」
慌 て る 男 たち の 態 度 が 可 笑 し く 洋 子 は笑 い は じ め た 。 こ の 後 は い つ も 通り の止め ど な い 会 話 が 始
まっていった。運命というものではない、まったく別の力によって彼らはある場所に吸い寄せられつ
つあることにまだ気づくはずはなかった。
翌朝は快晴で気持ちの良い日であった。京都の町は春霞の中にあった。窓から眺める東山の中に明
彦には名も判らぬ白い花があちこちに散らばって見えていた。まさにこれから本格的な春を迎えよう
としているようであった。
朝食はさすが京都らしく粥がでた。加勢が不服そうに箸を運んでいる。
「これじゃ何杯食べても喰った気がしないなあ」
「これが健康にいいのよ。大体加勢君も山崎君もいつも夜は飲み過ぎる程に飲んでいるんだからこれ
くらいが丁度胃にもいいでしょ」
「お生憎さま。こちとら鉄の胃ときているんだから、こんな病人の喰うようなもんじゃ力も出やしな
いんだ。まあ最近山崎の方はそうでもないらしいが」
加勢は悪戯っぽく明彦を見た。
八、 平成二十四年三月 京都
「そう言えば、山崎君。その後何でもないの」
そう言われて一瞬のうちに明彦は考えた。そう言われてみると『あの事件の後』自分の身体がどう
だったのか判断がつかなかった。迂闊にもその後は自分自身でまったく注意することを怠っていた。
注意や観察もしていなかったのである。明彦はそのままを口にした。
「そんなことだろうと思っていたわ。大体君たち頑健な身体をもつことに自信過剰なのよ。そんなこ
とだと、何時か気がついたら死んでいた、なんてことになるわよ」
「はいはい、気を付けます。いつの間にか死んでいたなんてことにならないように」
たち
明彦は生返事をしながら考えていた。本当に何か変わったことはなかったのか。そう言えば目覚め
ものを見た記憶がない。しかし、ここ何日間かは目覚めた時には覚えていないのだが夢をみていたよ
たときに何時も何か夢を見ていたような気がしていた。明彦は熟睡する質のようでほとんど夢という
うな気がしているのである。はっきりとしていないだけに気持ちが悪い。健康な身体が動き始めると
とたんにしゃきっとしてしまい、その気持ち悪さはそれきりになってしまうのが常であった。そんな
ことを思っていると、
「ところで京都専門家からすると今日の我々の観光コースのお奨めはどこですか」
加勢が洋子に聞いた。
「そうね、君たちに京都の歴史のはじめから学んでもらうとすると、やはりこの京の町と同じくらい
の歴史をもつと言っていい延暦寺かな」
「延暦寺か。修学旅行で行ってないな」
「そうね、東京方面から来る中学校の修学旅行では清水寺とか金閣・銀閣、あと東映の映画村、京都
はそれくらいであとは奈良方面が一般的だものね」
「延暦寺ってどれくらい古いんだ」
「だから京都とほぼ同じよ。桓武天皇が日本の都を奈良の平城京からいったんは長岡京に遷して、さ
らにその後この平安京へ遷した。それで新しい都に新しい仏教をというので、最澄を唐へ派遣して天
台宗を持ち帰らせたわけ。そして都の東北に法灯を掲げさせたのが今の延暦寺ということ。だからほ
とんどこの京都の町と同じくらいの歴史を延暦寺はもっているの」
「都の東北っていうのは何か意味があったのか。今の洋子の話ではそこに何か意味がありそうな口振
りだったけど」
「加勢君、私とのつき合いも長いわね。よく判ってらっしゃる。道教的な方位学では東北方向は鬼門
た新都を守るために東北にありがたい寺を建てて邪鬼などが来ないようにしたわけよ」
にあたるの。邪悪な霊とか鬼が出入りする門が東北方向にあるという考えね。だからせっかく造営し
「ふーん。道教で東北に鬼門があるとしているのに仏教の寺を建てたのか。なんかよく判らないな。
大体道教っていうのはなんだ」
「極東アジアの中心的な宗教は儒教・仏教・道教とされているわ。儒教は孔子・孟子などの教えね。
仏教はゴータマ・ シッタル ダつ まりお釈 迦様 の教え、儒教・仏教と もに発展していっ たのは紀 元前
ほうし
どうし
ふだ
五・六世紀頃。道教はあまりはっきりしないけど、アジアの土着的な信仰の総合的なものといってい
いかな。仏教の僧侶にあたるのが道教では方士、俗に道士なんて呼ぶの」
ま じな
「あ。ずいぶん前にテレビでやってた『なんとか道士』なんていうのはそれか。お札をなにかと使っ
たり呪いのようなものをする」
「そうそう、あれがそうだと思えばいいかな」
「それじゃ、本日は比叡山延暦寺でいろいろとお勉強させてもらうとして。なにかうまそうな物は食
八、 平成二十四年三月 京都
ばぁーか
べられるのか」
「馬ァ鹿」
加勢の一言は一蹴された。
明彦と加勢は京阪三条駅で宇治へ向かう洋子と別れ、地下鉄に乗った。遅出の通勤客がまだ大勢い
る時間帯である。人々が働きに出るのに、遊びに向かう二人は多少の後ろめたい気持ちがしないでも
なかった。
出町柳駅で叡山電鉄に乗り換え、八瀬遊園に着くと、今度は京福電鉄のケーブルカー・ロープウェ
イと乗り継いで比叡山山頂駅へ揺られていった。
二人とも子供のようなはしゃいだ気分に満ちていた。ロープウェイは深海へ向かう彼らの艇のよう
であった。ゆらりゆらりとする感覚に同乗していた母子が小さな悲鳴を上げるのを二人はもの珍しげ
に眺めていたりした。足もとの数ミリの厚さの鉄板の下には何もない空間であることがその母子の恐
怖のもととなるのであろうが、彼らにとってはひどく身近な感覚であった。眼下に京都盆地が広がっ
ていた。朝靄は既に払拭されており、古都を取り囲む山々がよく見えていた。爽やかな春の陽が心地
よかった。
「おい、山崎。なんかこうしていると俺たちの世界は何という凄まじいところなのかと思わないか。
ほのぼのとしていていいよなあ」
加勢は深呼吸しながら呟いた。
その通り、どちらを向いても何処を見てもすべてが平和に佇んでいた。木々の梢がそよ風に揺れ、
小鳥たちがさえずり、京都の町の中を流れている川はきらきらと輝いて見えている。いつも彼らの潜
行していく深海は常にすべてが危険に満ちていた。明彦は海の中は美しく神秘に満ちているが、決し
て安全な世界ではないことを思い浮かべた。現在の深海艇は完璧に近いくらいに見事に制御されてい
る。しかし、それは全体でひとつの完結体であるが故に、一角が崩れ始めるとぼろぼろと全部が解体
し てし ま う 危 険性 を も っ てい た 。 ひとつ ひと つ の パーツ を い かに 信 頼 し てい る かが 安 心 感 の基 準と
な っ て い く 。 そ の ため 彼 ら は 自 分 たち の 深海 艇で あ る 深 海 B Ⅱ の部 品を す べ て 熟 知 し て いる の であ
る。しかし、いくら熟知し、信頼していても決して安全ということがないことは分かり切っていた。
危 険は 必ず 存在し てい る 。 彼 らが こ の仕 事を 愛 し てやま ない のはそ の危 険が 存在するた め でも あっ
た 。 完全に 安全である ことが 判っ ている のであれば、きっと彼らは今 の仕事を離れるに 違いな かっ
た。加勢の「ほのぼのとしていていいなあ」という言葉の裏には危険を冒す自分たちの仕事への誇り
が含まれていることを明彦は認識していた。
比叡山山頂には、まだ冬の気配が漂っていた。陽の光は暖かいが木陰を時折吹き抜けていく風は冷
たかった。
山頂駅から歩き始めた明彦は奇妙な感覚に襲われた。浮遊するような感覚であり、酩酊感のようで
もあった。最初、標高のための内耳の圧力差のためかと考えたがどうもそうではなさそうだと思うよ
うになった。あの「事件」の時と同じような感覚に思えた。加勢に話そうかどうしようかと迷った。
この親友を心配させても仕方ないが、あとで友達甲斐のない奴だと非難されるのも考えものだし、暫
く歩きながら迷っていた。
突然、視界が真っ白になった。明彦は自分が貧血でも起こして倒れたのかと思った。しかし、そう
で はな かっ た 。 第 一に 視 界が 暗 く なる ブ ラッ クア ウトと い う 生理現 象で はな くホ ワ イト ア ウト であ
八、 平成二十四年三月 京都
る。すぐ隣りを歩く加勢が声を発した。
「なんだこりゃ。すごい霧だ。珍しいなこの季節に。今朝のニュースの天気予報で日本海側を低気圧
が北上すると言っていたが、寒冷前線を引っ張っているようには言っていなかったよな。さっきまで
の暖かい空気が一挙に冷やされたんだろうか。こんな現象も珍しいな。まあどだい俺には海の気象し
か判らないということかな」
実際、二、三メートルほどの視界しかなかった。
「俺たちの目差すのはどっちの方角だ」
「確かこっちでいいはずだ。アスファルト道路だから、この上を歩いていれば別に遭難することはあ
明彦は夢の中で喋っているような感覚だった。明彦は考えた。こんな霧の中で、もし加勢に自分の
るまい」
身体の不具合を告げるとどうなるか。多分余計な心配をさせるだけだろう。やはりなんともないふり
をし続けることにした。
二人は確たる当てもなく歩いていた。深い山中でよくあることであるが、霧は人間の感覚を麻痺さ
せる。周囲の景色が見えていないだけに、時間の感覚すらなくなってしまうのである。しかし、ここ
は子どもの遊園地すらあるような場所である。
いつか二人はどれくらいの距離をどれくらいの時間歩いたのか判らなくなってしまっていた。
ふと足下の感覚が違っていることに加勢が気がついた。いつか小石と土の小径を歩いていたのであ
る。
「えっ」
加勢が声をあげた。加勢が足下の変化に気づくのと同時に明彦は目の前に小さな山門があることに
気づいた。加勢は地面を見、明彦は山門を見上げた。
加勢が目をあげると、明彦が山門をくぐって入っていくところであった。加勢は急いで明彦の後を
追 っ た 。 小 走 り に 山 門 を 入っ た と こ ろ で 加 勢 は 明 彦 の 背 中 に 軽 く ぶ つ か っ た 。 明 彦 は そ こ に 立 ち 止
まっていたのである。
「おい、山崎。なにやってんだよ」
鼻先を少し打った加勢は不服そうに明彦に声をかけたが、明彦の反応はなかった。
「おい」
再び声をかけつつ明彦の顔をのぞき込んだ加勢は仰天した。明彦の目を閉じた顔は生者のものとは
思えなかった。しかし、死者の顔でもない。肌はつやつやとしているのに生きているとは思えない虚
無を表した顔であった。底知れぬ深みにいるような表情である。いやそれは表情ではなかった。
「山崎ッ」
叫びながら、加勢は明彦の立ったままの身体を両手で激しく揺すった。
明彦の反応はなかった。
身体を比叡山中に残したまま、明彦の意識は地球を離れた宇宙空間にあった。
そこで青い地球を見下ろしていた。地球には白い雲が右回りあるいは左回りの渦巻き状に貼りつい
見えており、漆黒の空間に浮かんだ青と白の明るい球体は美しくも不気味であった。
太陽が眩しく輝いている。明彦はそこがどこであるのかを知っていた。自分自身が意識のみの存在
であり、地球上に本当の身体があることも判っていた。普通ならば信じがたい異常な状態の中にいる
ことを知りつつ、それでいて不安は微塵も感じていなかった。
八、 平成二十四年三月 京都
遙 か 彼 方 に 赤い 惑星 が 見え てい た 。 そ れが 自 分 たち が 火 星 と 呼 ぶ 星 で あ る こ とを 明 彦 は 知っ てい
る。本来の彼には天体に関する知識は皆無であるにも関わらずそのことが判っていた。ふとその方向
から光が近づいてきた。それは明彦が既に知っている光景であったが、以前とは違っていた。宇宙空
間に浮かんでいる明彦の意識に向かってその光が突き進んできたのである。見るからに凄まじい早さ
で明彦へ突進してきた。明彦は逃れようと焦ったが無駄であった。
やがて急速に拡大して眼の前いっぱいになった光体が一挙に明彦を呑み込んでしまった。
すべての感覚は消滅していた。それまであった視覚すら持ち合わせていなかった。光体の中にあっ
たもの、それは無であった。無の世界には空間もなく、色もなかった。暗黒でもないまさになにもな
その無の世界で明彦は「大いなる意識」とひとつになっていた。そこには自他の区別はなかった。
い無である。
明彦の意識はそこに存在している巨大な意識全体であり、またそのほんの小さな部分でもあった。
彼は理解した。永遠の広がりをもつ宇宙空間は人間の手の一握りに収まってしまうほどのものであ
ることを。数十億年という時の流れもほんの一瞬にすぎないものであることを。部分は全体であり、
すべてはその一部であることを。
今、明彦を呑み込んでいる「大いなる意識」も宇宙全体の意識の一部であり、そして宇宙のもつ意
識全体であった。地球の生まれる遙か以前から、この「意識」は存在し、すべてを知りつくし、宇宙
全体の意識そのものと合体していた。やがていつか宇宙を漂流している物質と結びつきながら、あて
どもない旅をしていたのである。
そして突然、地球の間近でその旅を終えることとなった。粉々になった岩とともに落下して地上に
降り注いだのである。しかし、「意識」はやがて何時かは、それぞれが結びついている岩と分離して
再び宇宙空間に旅立つことを知っていた。この「大いなる意識」は、ほんのひと時を地上や海底で過
ごしていただけのことであった。既に地球の外へ漂い出ようとしている「意識」もあった。その先端
部分に明彦の意識は今乗っているのである。やがては完全に地球から離れて再び旅を始めることにな
るが、地球の近くまで来た当時を思い返していたに過ぎなかった。「意識」とひとつに溶け合った明
彦はそれをかいま見たのである。それはあえて「意識」が彼に教えようとしていたそれ自身の経験な
のかも知れなかった。「意識」にとって時間というのは重要な要素ではなかった。いつでも時空は超
越できるものであった。思い返す、記憶を辿るということ自体の中に時間という要素はなく、過去も
現在も未来も関わりなく同一のものであったからである。
の中をふわりふわりと地上へ向けて落下していった。日本列島が見えている。
突然、視界が戻ってきた。明彦の下に地球が見えている。「意識」の先端部にいた明彦は「意識」
次第に琵琶湖の間近にある比叡山へと降りていくのが判った。比叡山中の横川と呼ばれるあたりに
小さな寺があった。小さな山門がある。三光院という古い寺院であることを明彦は知っていた。山門
の 内側 に 二 人 の男 が 立 っ て い る の が 上 空 か ら 識 別で き た 。 そ こへ 向 け て 明 彦 は ゆ っ くり と 落 下 し て
いった。
地表から十メートルほどかと思われる上までふわりと降りてきたのであったが、突如明彦の意識は
ま る で 本 当 の 身 体 が あ る か のよ うに 足 か ら 加 速 し な が ら 本 来 あ る べ き 身 体へ 向 か っ て 吸 い 込 ま れ て
いった。
「うわっ」
明彦は驚いて叫んだ 。
加勢も明彦の肩を掴んでいた手を離しながら叫んでいた。
八、 平成二十四年三月 京都
「うわっ。な、なんだ突然」
明彦も加勢も共に驚愕の顔であった。
暫くの間顔を見合っていたが、明彦が口を開いた。
「おい、どれくらい俺は意識がなかった」
「そうだな、三十秒ほどだったと思うけどな」
「そうか」
目覚めたばかりの明彦の顔は加勢から見ると奇妙にさっぱりとしていた。
「ちょっとここの本堂を見学させてもらおう」
突然の提案に加勢はうろたえた。濃霧の中をたどり着いた寺の山門で、ほんの一瞬であったとはい
え 意 識 を な く した 男が 次 の瞬間 に狐 着き が 落ち た よ う な 顔 で殊 勝に も小 さな 寺 の 見学 を し よ う と 言
う。宗教にはまったく興味を持ち合わせていない男がである。加勢の方が狐につままれたような気が
してきた。加勢は、なんなんだこいつは、あとで多分じっくりと、こいつの身体を医者に見てもらわ
にゃならんな、と思いつつ明彦の後に続いた。
よ
気がつくとあれほど濃密だった霧は文字通り霧散しており、明るい春の空が輝いていた。
対応に出た住職は人の佳い七十歳ほどの人物で、快く突然の見学の申し出を許してくれた。住職は
二人に一連の三光院の来歴を紹介してくれたのであるが、ほとんど歯のない老僧の言葉が聞き取りに
あしゅ く
くいのと二人が関西弁に慣れていないこともあって、その半分も彼らには判らぬ話しであった。ただ
創建時が不明であることと本尊が寺伝では阿閦如来という東方の仏であるということになっているこ
とは何とか理解できた。
本堂は琵琶湖に向かって開け、本尊も東に向かって座していた。二人は東方に向かっている本尊の
前に座り、殊勝な面もちで見上げた。向き合った本尊は朽ちた大樹の根のようにしか見えなかった。
表面は戦乱にでもあったのであろうかと思わせるように、触れればぼろぼろと落剥してきそうな様子
であった。住職はゆっくりしていらっしゃいと、座をはずした。
「これじゃあ、なんだか判らんな。俺にとっちゃ有り難くもないが。仏像ならもっと補修でもして良
さそうなものなのにな」
小声で加勢が明彦に同意を求めた。
確信を込めた返事の言葉に加勢は驚いた。この山崎はいったいどうしてしまったのだ。加勢は思っ
「いや、これは仏像じゃない」
た。
「これは仏像でもないし、木で造られてもいないよ。多分、鉱物で出来ていると思う。ただ阿閦如来
というのはある意味では当たっているかも知れない」
「おい、自分で今これは仏像ではないと言ったのに、阿閦如来だというのはどういうことなんだ。そ
れからお前にどうしてそんなことが分かるんだ」
「それを話すととんでもない時間がかかりそうだし、きっとすぐには理解してもらえないだろう。宿
へ帰ってからゆっくりと話したいと思う。洋子にも是非聞いてもらいたいし。そう俺には分かるんだ
よ。この前海底で起こった事件だが、あのことの原因の一部は多分、この本尊もかかわっているだろ
うし、今俺たちがここにこうしているのは明らかにこの阿閦如来が原因だ」
加勢は複雑な表情をして聞いていた。何がなんなのか全く見当もつかなかった。
「大丈夫か、山崎、本当に」
八、 平成二十四年三月 京都
「ああ、大丈夫だ。今さっきすべて判った、そんな気がする」
明彦は微笑んでいた。
縁をむこうからやって来る足音がし、先ほど招じ入れてくれた住職が茶菓を持って現れた。
「あまり上等なものではないが、賞味されてくだされ。どれこちらで召し上がられたらいかがかな」
住職は縁へ手招きした。
二人は招かれるままに縁へ出て、琵琶湖を見下ろしながら腰をおろした。風の中に春らしい植物の
薫りが僅かながらしている。農家の縁側で日向ぼっこをしている隠居のような風情を漂わせている老
僧の横で、加勢は不満げな表情で茶饅頭に手を出した。
饅頭を頬張りながらの加勢の言葉を耳にした老僧が訊ねた。
「本当にお前はどうなっちまったのかね」
「いかがされました」
「いやなにね、こいつは俺、いや私の仕事の相方なんですが、身体の調子がこの前から悪いようなん
ですよ。どうも頭の具合もおかしなことになってきてしまったようで」
加勢はどんなときでも歯に衣きせぬ言い方をする奴だ、明彦は思った。
「失礼じゃが、どんな具合なのですかな。これも仏縁があっての出会いじゃろうて、拙僧にも話して
くださらんか」
ちらと明彦を見ながら加勢が話し始めた。
「実は私たちは海に潜る仕事をしております。まあ潜ると申しましてもタンクを背負って行くやつで
はなく、小さな潜水艇でいわゆる深海というところまで潜ります。それで、一月ほど前のことなんで
すが伊豆半島沖である調査をやっていた時、突然こいつが意識をなくしてしまったということなんで
す。海の上に浮かんでいる母船へ戻って徹底的に身体を医者にみてもらったんですが、病気とか脳の
異常でもなく、まったく原因不明だったという訳です。こうして休暇でこちらへ来ているんですが、
ち っ と は 心 配 し て い る と こ ろ へ つ い さっ き も 、 そ こ の 山 門 を 入 っ た と こ ろ で 立っ た ま ま 意 識が な く
な っ て しまっ てい たん です。 まあ 一 分も しな い うち に 元 通り になっ てま した から一 安 心 したん です
が、ご住職の前でなんなんですが、こいつは信心しようなんて気持ちがこれっぽっちもない男なんで
す。それがここを訪ねてご本尊を拝ましてもらおうなんて言い始めた訳で、私としても面くらいつつ
お伺いしているということです」
老住職は頷きつつ明彦の顔を見た。
仰と関わってしまい、失礼に当たってしまうかも知れないのでお話しないほうが良いのかも知れませ
「よく喋る奴だ。失礼しました。私からお話したほうが良かったかも知れません。ただご住職のご信
んので」
「いや大丈夫ですよ。拙僧も今の時代に生きている僧侶。宗教心をもっておられぬ方々が仏や寺院を
どう見ているか位は重々承知しております。歴史的興味とか美術的な興味、単なる観光心で寺院を訪
ねられても、我々はそれも仏縁であると考え、一時でも仏とのつながりを持っていただこうとご案内
いたしますでの。それも仏の慈悲へすがってのこと。どうかお話し下さい」
老僧の言葉に感心し、促されるままに明彦は話し始めていた。
「伊豆半島の西側海底に非常に深い谷があります。我々はそこの地質調査に当たっておりました。そ
こで偶然にもとてつもなく不可思議な岩が沈んでいることが判りました。その岩自体はまだ見ており
ませんが。その岩の近くで私が意識を失ったということなのです」
「不可思議な岩というとどのようなものと考えられますのじゃ」
八、 平成二十四年三月 京都
「多分、隕石でしょう」
明彦が隕石と言ったことに驚いて、加勢が口をはさんだ。
「なんでそんなこと言えるんだ。俺たちはそこまで調査していないじゃないか」
「いや俺は石が降ってくるところを見たんだ。太古、どれ程昔なのかは判らないが、隕石が落下して
きたのを意識がなくなっている間に見たんだ。過去が見えたとでも言えばいいのかも知れない」
「あの時、お前はそんな話をしなかったぞ」
「あの時は自分自身で単なる夢だと思っていたから」
「それが夢ではなかったと」
住職が訊いた。
「そうだ、なんで今になって、そう言えるんだ」
「それはさっき山門で」、明彦が言いかけた上に、加勢が勢いよく言葉を重ねた。
「あっ、そうか。またお前は何か見たんだ。そうだろう」
「いや今度は体験したんだ。そして判った」
「何が判った」
「この本尊が阿閦如来であることが」
三人の間に沈黙が流れた。それぞれ各人にとってその沈黙の意味は違っていた。
加勢は複雑な表情の陰に諦観に近いものを秘めていた。これ以上話を聞いたところできっと山崎明
彦の言うことは自分には解らないだろうと考え、次の言葉を控えたのである。考えることを放棄した
加勢は唐突に山崎の体験を追体験したいと思った。少しでもこの旧友を理解したいという優しい人柄
の発露であったのだろう。
老住職は静かに合掌していた。
三人は静かに庭を見やった。春の薫風がゆったりと吹き抜けていった。眼下にある琵琶湖の湖面を
船が長い航跡を残して行くのが見えていた。
縁に座っていた明彦の目の隅にちらと見えたものがあった。それは一瞬の出来事であり、幻のよう
でもあった。白装束の修行僧らしい様子の人物の姿が動きのない残像として明彦の網膜に焼き付いて
しまった。その人物は明彦のすぐ脇の縁側に腰掛けており、琵琶湖を眺めていた眼が涼やかで、陽に
焼けた屈強な横顔の中で優しげなその眼が特に印象に残されていた。
真昼の幽霊か。何とも奇妙なものを見るな。明彦は冷静に思った。加勢と住職の二人は見ていない
怖いとは感じなかった。広大無辺の大宇宙の秘密をかいま見てきた直後だからだろうか。それは明彦
という確信があった。自分だけが彼を見たのだ。幽霊を見たと思っているのにもかかわらず、少しも
には判らなかった。ただ漠然と幽体というものがあったとしても不思議でもなんでもない、そのよう
なものはきっとあるだろうなと思っていた。
暫く無言で庭とその向こうに借景として控えている琵琶湖を眺めた後、加勢と明彦の二人は三光院
を辞した。
帰路を確認して二人は驚いていた。比叡山三塔のうち、三光院のある横川は西塔・東塔という延暦
寺の中心となる地域とはだいぶ離れた場所に位置していた。濃霧の中をとんでもない距離を歩いたも
のだと思った。
慈覚大師円仁がこの横川に根本如法堂を建てたことによって比叡山内のこの地域が開かれていった
のであるが、智証大師円珍の法統が叡山内の主流を占めたことで横川は衰退していった。それが慈眼
大師良源が出て、藤原氏と強く結びついたことにより再び陽の目を見ることになったのであった。良
八、 平成二十四年三月 京都
源は藤原氏北家の経済的援助を得て、荒廃した横川を復興させていった。そのような知識を住職から
もらったパンフレットから得た。これも「洋子対策の勉強」であった。今夜はきっと洋子は二人が何
を見て来て、何を頭に詰め込んだのかを聞くに違いなかった。
ともかく二人には長い距離であった。西塔から東塔へ抜け、根本中堂を形だけ拝観し、比叡山東麓
の坂本へ降りるケーブル駅へたどり着いた時には足が棒のようになっていたと感じていた。明らかな
普段からの運動量の不足を実感していた。坂本へ降りると二人は手近な食堂へ飛び込んだ。すでに特
別なご当地料理を食べようという気はなくなっていた。何でも良いから食欲を満足させることだけを
考えていたのである。食べた後は琵琶湖の西岸を走る湖西線を使って京都へ戻ることにした。
宿へ戻った。春の長くなっていた日もとっぷりと暮れ始めていた。夕暮れの中、最近になって観光用
京都駅へ降り立った二人はぶらぶらと東へ歩き、清水寺を拝観し、八坂神社の前を過ぎ、青蓮院の
に建てられた灯籠や名も知れぬ寺の門前に立っている昔からの灯籠にぽつりぽつりと明かりが灯って
いく様子は趣深いものだった。
宿にはまだ洋子は帰っていなかった。二人は部屋の畳の上にどっかりと腰を降ろし、そのまま仰向
けになった。
「山崎。なんか、とんでもない日になっちまったなあ」
あくびとともに加勢が声をかけた。
「ああ。済まない。迷惑をかけてしまったな。詳しい話はあとで洋子と一緒に聞いてくれ。頼む。ど
こからどう話をしたらいいのか、今考えているところなんだ」
「そうか。とてつもなく込み入った話なんだろうな。
聞くのが怖い気がするが」
その時、加勢の携帯電話の呼び出し音がした。
加勢はがばと飛び起きると、自分のバッグを掻き回して電話を取り出した。
「すっかりこれを忘れていた。海の上じゃ使わないしな。きっと洋子だ」
言いながら受話ボタンに触れた。
九、 平成二十四年三月 京都その二
九、 平成二十四年三月 京都その二
冬の風が戻ってきたようであった。昼の大学構内を北風がまだ建物の片隅に隠れていた枯葉や埃を
巻き上げながら吹き抜けていく。新しい年度がやって来るまでのほんの暫くの間、学内の森閑とした
様子に小鳥たちだけが安心したようにさえずっている。
文学部の建物の前に二人の男たちが立っていた。ごく普通のスーツ姿の男たちであったが、町の中
であれば人の間に溶け込んで目立つことはない。しかしながら大学という場所では妙に浮いている。
明らかに関係業者でもなく教育関係者でもなかった。彼らは一階に入ると、一人が各研究室の所在を
示す案内板の前で目的の部屋の階とそのフロア内での位置関係を確認し、その間もう一人の男は注意
深く周囲を見回していた。程なく彼らはその建物の十階にある部屋の前で「樋口研究室」のプレート
を確認してドアをノックした。
樋口康夫は既に五十代半ばであったが、肌はまだ若々しく眼の輝きもまるで若者のように感じさせ
る歴史学の教授であった。運動は不足がちで小太りだが、逆にその体型が愛らしく見え快活な性格も
あって学生たちには人気があった。その樋口が自分のデスクについたまま、春の日差しに輝くキャン
パスを一枚の風景画のように切り取った窓を背にしながら不意の訪問者たちに対応した。
研究室には樋口が一人でいた。いつもいる大学院生や助手たちは昼食をとりに外出していたのだ。
毎日夕方になると決まって研究室の誰かしらと飲みに出るので、樋口は昼食だけは一人でとることに
していた。二人の男たちはその点も調査済みであった。この時間帯にこの部屋を訪れたのは偶然では
なかった。
「三条家文書の件でお話がしたいのですが」
と男たちの年輩の方が切り出した。
「 ほ う」
すこしとぼけた言いようで樋口が反応した。
「そう言えばあの時、行方不明になってしまった三条家の資料を文科省の名で持っていってしまった
人たちは、なんとなくあなた方に似ていましたが」
らい ら く
若い方の男の顔に狼狽の色が浮かんだ。年上の男に表情の変化はなかった。年輩の男は若い男に咎
める眼差しで一瞥を与えておいてから、樋口に話のあとを続け始めた。
男が話を進めていくに従い、次第に樋口の顔が不快さに歪んでいった。日頃磊落な性格の樋口がこ
のような表情をすることは極めて稀なことであった。対応の合間にしばしば攻撃的な言葉が樋口の口
をついて出た。激しい応酬となりそうな雰囲気となったにもかかわらず結果としては年かさの男の変
わらぬ柔らかな応答によって話は進められていった。
樋口教授の表情はやがて不思議そうなものとなり、最後には明らかに諦めの表情となっていった。
ほんの十分程の間に教授の表情は劇的に変化していたのである。
「そうですか、しかし、杉田君が今そうする気持ちはあなた方にも分かるでしょう。彼女は憤懣やる
かたないのですよ。ここ数日休んで旅行に出るとは聞いていましたが、そんな目的があったとは知り
ませんでした。でもその旅行先で何らかの成果があがる訳は決してないのですから彼らを監視などし
なくともよいでしょう。杉田君が東京に帰ってきてから、それとなく調査をやめるようにさせますの
九、 平成二十四年三月 京都その二
で」
「いや旅行先の場所が場所だけに東京へ帰るまで監視は続けます。その途中でこれ以上深入りをする
ようであれば警告せざるを得ないでしょう。山崎君と加勢君の二人と知り合いであったということは
偶然でしたが、その偶然がどうも杉田さんのこの件への深入りを促した可能性もあります。彼らが東
京へ帰ってきた後も暫くは監視されることになるでしょう。その後の彼らの動き次第では我々もまた
先生の前に現れざるを得ないと思いますので、そのおつもりでいらして下さい。我々としましても二
度と先生の前に現れるつもりはありません。本来であれば我々のような者が仕事の内容を明らかにし
ながら訪ねて来るということはないのですが。ご理解下さい。くり返しますが、二度とお訪ねするこ
とのないようにしたいとは思っております」
「いや本当に、そう願いたいですな。それでは」
立ち上がり既にドアから出ようとしている男たちに樋口は言った。
二人の男たちの靴音がドアから出て右側の階段方向に小さくなっていくのが分かった。ほぼそれと
入れ替わりに、左側のエレベーター方向から学生や助手たちが、声高に会話しながら樋口の研究室へ
帰って来るのが聴き取れた。
「ひゅー。時間きっかりという訳か。さすがと言えばさすがプロだな」
樋口は妙なことに感心している自分を意識した。
ノックもなく突然にドアが開けられ、遠慮のない一団ががやがやと入ってきた。髭面の助手の山口
一哉が研究室に入りがてらに第一声を発した。
「あれ、先生。まだ食事されていないんですか」
憮然とした表情でいる樋口教授を山口は珍しいものを見るような眼で見た。先ほどいつもと変わら
ずににこやかに自分たちをこの部屋から送り出した彼が、このような表情をしているのである。自分
たちが食事に出た間に何かがあったのだ。そう山口は直感した。
「山口君、杉田君が今どこにいるか知っているかね」
「えっーと、確か関西方面の筈ですが。そうそう、いつもの青蓮院の宿に泊まると言っていましたけ
ど。今現在は、どこ辺りを歩いているかまでは分かりません」
「まあそうだろうね。彼女の携帯の番号を知っているかね」
「 い や 先 生 、杉 田 君 は こ の研 究室 の誰 に も 番 号を 教え て い な い ん で す よ 。 信 用な い ん で す ね 僕 たち
は」
ないものなあ。真面目な女性には決して信用されんよ」
「ははは。そうだろうね。なにしろ君たちが電話することといったら、飲むことの誘いでしかあり得
「それを言ったら先生も同じですよ」
「あっ、そうだな。はっはっは」
笑い声はいつもの研究室の雰囲気を取り戻してれた。樋口は杉田洋子について、それ以上話題とし
なかったが、山口には妙に引っかかるものが残った。
その青蓮院近くの宿の二階である。
加勢が携帯電話の受話ボタンを押した。電話の相手の声がなかった。
「はい。こちら加勢」
横で明彦が笑った。母船と通信している訳じゃないぞ、と思ったのである。
「おい、洋子。どうした。返事しろ」
九、 平成二十四年三月 京都その二
となりで寝ころんでいた明彦は飛び起きた。何かが起こったのだと直感していた。
「加勢君、」
明らかに洋子の声であったがその声は小さく、震えているようであった。
「どうした、何かあったのか。今どこだ」
「ここは山科だわ。ちょっと怖いことがあったの。でももう大丈夫、タクシーを拾ってそこまで帰る
から。少し遅くなっちゃったみたいだけど。待ってて」
「そうか、無事ならいいんだが、本当に一人で大丈夫か」
「本当に大丈夫。じゃあ」
そこで電話はプツと切れた。
加勢は携帯を放り出して、先ほどまで見ていた地図を手に取った。明彦に向かって、
「山科ってどこだ。洋子は今そこにいるらしい。なにか怖い目に遭ったらしいぞ。あの洋子がしおら
しい声を出して、震えていた」
「それで電話切っちまったのか、おい」
「仕方ないだろう、向こうから切ってしまったんだから。あの様子ならこっちから掛け直してみたと
ころできっと出ないよ」
本気で心配している明彦に向かって加勢は抗弁じみた言い訳をしていた。
「えーっと、山科、山科と。ここか」
加勢は地図の一部を明彦に指し示しながら言った。
「京都駅から東の山をほんのちょっと越えた地域が山科だ。ここまでそんなには離れていない。タク
シーがすぐ捕まれば十五分もあれば帰り着くだろう」
「何があったんだろうか」
そ の ま ま 二 人 は 暫 く い く つ か の可 能 性 に つ い て 話 し を し て い た が 、 外 で 待 と う と い う こ と と な っ
た。
階下へ降りて薄暗くなり始めていた街路へ出た。タクシーが近づいて来る度にあれでもない、これ
でもないと遠くを見て言っている間に、杉田洋子を乗せたタクシーが二人の前に止まった。
転げ出るようにして青白い顔をした洋子が加勢の腕の中へ飛び込んできた。何事があったのだろう
かというような不安な表情をしていた運転手に明彦が料金を支払った。洋子は力なく道路にへたり込
んでしまいそうな様子であった。身体に力がはいらないのは精神的に疲労しきっているためのようで
クを抱えて後に従った。
ある。加勢がその洋子を抱きかかえるようにして宿の玄関へ歩かせて行き、明彦は洋子のハンドバッ
宿の主人夫婦は夕食の支度に忙しいらしく、玄関先の様子に気が付かない様子であった。この屋の
夫 婦は 東 京 の大 学 へ 一 人 娘 を 出し て い る と 聞 い て い た 。 定 期 的に と 言っ て も よ い く ら い に 東 京 か ら
やって来る洋子を、実の娘の代わりのように感じているようであった。彼ら夫婦がこの様子に気が付
けばひと騒ぎあったに違いなかった。
明彦たちの部屋に入ると、最初見た時には蒼白な顔色をしていた洋子の頬に血の気が次第にさして
きた。このような女性をどう扱ったらよいのか見当もつかない二人の男たちは、取り敢えずビールを
注いだコップを洋子の前に差し出した。
洋子の眼には面白そうな色が浮かんだ。
「あななたち。なんでもとにかくビールを出せばいいって言うもんじゃないわよ」
九、 平成二十四年三月 京都その二
そう愉快そうに言いながらも受け取ったコップのビールを一気に飲み干した。その声にはすでに穏
やかさがにじんでいるようだった。落ち着きを取り戻しつつあると明彦は思った。
「いったい何があったと言うんだ」
明彦が訊いた。
「訳の分からない男たちにすこしの間、拉致されていたというところかな」
まだほんの少し震えている声で話しはじめた。男二人の顔を驚きと怒りの入り交じった表情が共通
して支配した。
「 朝あ な た達 と 別 れて から ね、 例の話にあっ た宇 治で 開か れた 骨董 の会へ 出 た のだけ れど 、こ れと
言 っ て 手 掛 かり に な り そ うな も の が 何 も得 ら れ な かっ た 。 色 々 な 人 に そ れ と な く 聞 き 込 んだ の だ け
ど 、裏 でそ れなり の物を 取り 扱 う 業者 の情報 も得 ら れな かっ た 。 今 にな っ て 反 省す れば 当たり 前よ
ね。その世界に素人の女が突然裏取引の情報を得ようとしてもできる訳がないもの。現物が取引の場
おお み わ
に出ていれば別だけれども。まあ、そのような訳で、がっかりしながら、なんとなく桜井まで足を延
ばして三輪神社まで行ったの。昔から私の好きな場所だったというだけの理由でね。門前の素麺も食
べたかったし。拝殿での参拝を済ませて参道を降りてきたところで、遠くから私の名を呼ぶ人がいた
の。まあ奈良にも顔見知りが幾人かいるので、多分そのうちの一人だろうと最初は思っていたけど、
私を呼んでいたのは見たことのない男の人だった。三輪神社の参道には昔からの参道に平行して造ら
れ た 新しい道 があ る んだけ れど 、そ こに 停め た車 の横 でド アを 開け たま まそ の男 の人 は立っ て いた
の。ああ、その参道と新道との間には小さな植え込みを跨いで二、三歩というような近い距離の場所
があるのね。誰だっけなあと思いつつ近づいて行ったのが間違いのもとね。その男が立っている所で
植木を跨いで車の停まっている新道側に出たんだけど、そこで腕を掴まれてそのまま車の中に引っ張
り込まれちゃった」
それを黙って聞いていた男二人が異口同音に、
じゃないか。大変なことじゃないか」
「そんな馬鹿な。引っ張り込まれちゃったって。そんな簡単にあっさりと言えるようなことじゃない
その発した言葉に非難げな意味合いがあったことに男たち自身で気が付いて、すぐに二人ともに反
省する顔つきとなった。洋子はそんな二人をつい可愛いと感じていた。親身に心配してくれているの
である 。
「その時はすごく慌てたわよ。まさか奈良で誘拐されようとは考えていなかったもの。だいたいが我
が家は資産家でもなんでもないんだし。車内ではすごく大柄で屈強という感じの男たちに両脇を固め
られてしまっていて、女の私じゃとてもどうにもできないとすぐ諦めちゃった。運転していた男が私
に声をかけた人だったんだけど、ちょっと小柄なネズミみたいな感じのする奴だった。とにかくあと
は隙をみて逃げるしかないなと思ったの。こちらが諦めてしまったのを見たせいか、乱暴はまったく
されなかった。初めは誘拐かと思って、私みたいな人間をさらっても仕方ないだとか、お金はないだ
とか言ったのだけど、それを聞いて運転していた奴が笑ったのよ。両脇の男たちは何も聞いていない
ような風に、まったく無反応で一言も喋らなかった。結局、最後まで私と会話したのはその運転して
いた小男だけ。その男の言うことには、これは誘拐ではなく警告だと言うの。例の三条家文書の件か
ら手を引けと言うの。これ以上深く関わることは許されないとね」
二人の男は顔を見合わせ、意外な話の展開に驚いた。
「今、お二人さんとも驚いているようだけど、その時の私の驚き程じゃないでしょうね。なにしろ一
日中そのことばかりを考えて、それを求めて足を棒にして歩いていたんですもの。諦めかけていたと
九、 平成二十四年三月 京都その二
ころへ三条家文書がとんでもない形で目の前に現れてくれたんだから。これは運が向いてきたと思っ
たわ。それで二人の屈強な男に挟まれて座りながら、なるべく多くの情報を得ようと考えたし、観察
しようと努力したの」
「おいおい、なんていう人なんだ君は」
加勢がまったく呆れたという表情で言った。明彦も同感だった。普通の男でも力づくで拘束されれ
ば気が動転してしまうだろう。女丈夫とでも言うのだろうか。
考えてみれば明彦たちも迂闊だった。洋子が骨董品の取引業者たちの会合へ出かけて行くことを聞
いたときにそれを止めるべきであった。洋子の話の端々に裏取引に関してのことが含まれていたので
子が一人で行くと言うのを止めるか、同行を提案すべきであったのである。今となっては痛い程後悔
ある。裏世界の業者には別の暴力世界へ繋がる者のいる可能性もあるのはもっともなことである。洋
するしかなかった。
洋子を乗せた車を運転していた小男の話によると、三条家文書は政府のある機関が現在保管してい
るということであり、持ち主の三条家の内諾も得ているとのことであった。しかし、どうして文科省
以外の機関がその文書に関心をもち、どのような調査が行われているのかを洋子がいくら訊ねても答
えはなかった。その点について小男は答える資格をもっていないのであると言っていた。
男の言葉遣いは丁寧なものであったが、口調に冷笑しているような響きがあり、洋子にはなんとも
我慢できない種類の人間であることは明らかであった。
小男との無駄な会話の果て、山科で車から降ろされた途端に洋子は一挙に気が抜けてしまった。や
はり異常な状況の中で極度の緊張状態にあったことを洋子は自分でも気づかずにいたのだった。山科
に多くある清水焼の窯元の店先で解放されたのだが、そこにあったベンチにへなへなと腰を降ろして
しまい、数分たってからようやくの思いで携帯のボタンを押したのであった。
青蓮院の宿で三人が落ち着きを取り戻しかけていた時、階下にある宿の電話が鳴った。女将が応対
した様子であったが、間もなく洋子を呼ぶ声が上がってきた。
「杉田さん。電話ですよ。樋口先生から」
洋子がはっとした。きっと樋口はいろいろと訊ねることだろう。洋子は教授を心配させないように
どう答えたらよいだろうか。頭の中がぐるぐると廻ったが、答えは直ぐにでなかった。
明彦が促した。確かにそうだ。今何と言って嘘をついてごまかしたとしても、結局は自分の浅はか
「おい、大丈夫だよ。正直言っても心配ないから早く電話に出ろよ」
さを明らかにせざるを得なくなるだろう。言葉に隠れている心の動揺などは、今目の前にいる二人の
男たちと同じように樋口にも判ってしまうだろう。聞かれたら正直に言ってしまうしかない。諦めた
ような顔をしながらも洋子は颯爽とした様子で電話へ向けて立ち上がった。明彦と加勢は顔を見合わ
せた。いつも通りの洋子の様子を見て二人ともほっとした表情であった。
階下で話している洋子の声が妙に熱を帯びてくるのが二人に判った。洋子の自尊心を傷つけるよう
な出来事について報告しているにしては不自然であった。男たちはなんだろうと思った。しかし、そ
のことで改めて行動を起こすことはしなかった。その辺りがこの二人の良いところである。いたずら
に慌てふためくことはない。深海底の常に何があるか判らない環境下で培った二人のコンビネーショ
ンなのだろう。やがて二階へ上がってくる本人から聞くことになるのが判っている。
暫くして、受話器を戻した洋子が上がってきた。その話し始めた内容に二人は驚いた。
九、 平成二十四年三月 京都その二
「研究室に例の政府の機関の人間が来たということだったわ」
「なんだ、東京でも動いていたのか。まあそりゃそうだろうなあ。考えてみれば」
加勢が言った。
「そう、今回の私たちの調査旅行を研究室が指示して行わせたものと考えたらしいの。それで樋口先
生のところへ機関の人間が行ったということだったわ」
「むこうでは何と」
明彦が聞いた。
「いいえ、それが先生は詳しい話をしてくれないの。ともかくすぐに東京へ帰ってくるようにという
ことだけ。私の今日の出来事についてもあまり詳しく聞いてもらえなかった」
洋子は先ほどまでしていた自分の心配を棚上げして、詳しく話さない樋口の態度に不満があるよう
であっ た 。
ともかく、予定を短縮して翌日東京へ帰ることにした。明彦らがその日体験した出来事については
洋 子 に は 話 を し な かっ た 。 洋 子 が もっ と 落ち 着い て か ら と 、 二 人 の 間 に 暗 黙 の 了解 が あ っ た の であ
る。
彼らの宿の部屋の窓が見える路上の物陰に洋子を拉致した黒塗りの車が停まっていた。その運転席
では小男が携帯電話で話していた。
「はっ、申し訳ありません。指示を頂いていないのに少々出過ぎたまねをしてしまいました。はい、
監視に一人置いて引き上げます。はい、それでは失礼いたします」
明らかに彼は上司に詫びていた。
小男との話を終えて受話器を置いたのは樋口研究室に現れた年かさの男であった。男は陽がだいぶ
傾いて薄暮色になった空を枠の中にいっぱいに含んでいる窓に歩み寄った。窓の外には近くに国会議
事堂のピラミッド状の屋根が見えている。
「官房長官には特に問題はないと報告しておくように」
それ程広くない部屋の中に彼の部下が一人いた。見るからに事務官といった風貌のその男は執務し
ていた自分のデスク上の受話器を取り上げた。小さいがてきぱきとした声で内閣官房長官へ電話をつ
なぐように話をしている。
仕立ての良いスーツに身を包んだ内閣調査室長の久世正俊は、時代物に見える木製の窓枠に片手を
掛けながらガラス越しに永田町を眺めていた。眼はじっと何かを考えている時のものである。ふと久
世は窓枠に掛けた自分の手を見つめた。手のひらは微妙な振動を感じ取っている。外見はただの木製
に見えているが、この窓枠の芯には特殊な合金が鋳込まれていた。ガラスも防弾・断熱の特殊ガラス
である。窓ガラスの振動を遠方からキャッチして室内で交わされている会話を聞くことができるレー
ザー反射盗聴器が開発された時に急いで作らせたものであった。絶えず波長が変わる微振動を窓ガラ
スに伝えることで室内の会話を盗聴させないようにしている装置であった。
「このような装置も今この瞬間にはもう役に立っていないかも知れない」
そう思った。何故か無力感のようなもの身体の芯から湧き上がってくるような気がしていた。
「室長。官房長官宛にお伝えいたしました」
「 むっ 」
久世は補佐官に軽く頷いただけであった。
九、 平成二十四年三月 京都その二
「またアメリカはこの国に面倒な問題を持ち込もうとしているな」
ふっとため息が漏れた。
十、 永禄十二年、そして飛鳥に都のおかれていた時代
やせ
近江国、琵琶湖の東、八瀬郷と呼ばれる小さな集落である。東の山並みから出た幅二丈程の川が集
落の南を西へ流れている。その流れは琵琶湖へ注いでいる数多くの河川のうちのひとつであった。日
本のどこにでもあるであろう農村の風景が拡がっていた。刈り入れの済んだばかりの乾いた田には穂
のついたままの稲わらが束ねられて干されていた。この地域では竹を組んだ「はさ掛け」と呼ばれる
稲の乾燥方法がとられている。
き ぬた
椋鳥の群が喧しい声で啼きながら去っていったばかりの夕暮れである。すぐに夜の闇に覆われてし
まうであろう刻限、どこかで砧を打つ音がかすかに聞こえている。
村の中に大きな屋敷があった。茅葺き屋根ではあるが村の他の家々と比べて建物の高さがぬきんで
て高く造られていた。さらにはこの近郷には珍しい、しかも農家ではあり得ないであろう四つ足門の
ごうりゃく
ある塀で囲まれた屋敷である。古びているがどっしりとした結構に綻びはなかった。戦乱の続く中で
軍勢による劫略の憂き目にあっていないのが信じられない程の大きな屋敷であった。村の中にあるこ
れほどの立派な屋敷であれば当然のように足軽たちの襲撃の対象となるものである。不思議と略奪者
たちの眼に止まらぬのだろうか。
その門の前を通りかかった村の者たちが中を怖々と覗いていた。彼らは普段と違う気配に多少の怯
えがあったが、好奇心の方がせり勝ったのだろう、そっと門から頭を突き出すようにして屋敷内を覗
い てい た 。 屋 敷 の 中に は 武者 の騎 乗 のた め の 馬が 数頭 止 め ら れ てお り 、 そ の 脇に は 上 等 の 衣 服 を ま
十、 永禄十二年、そして飛鳥に都のおかれていた時代
とって太刀を佩いた若武者が二人のんびりと話をしていた。彼らは屋敷を覗いていた村人を見ても追
い払おうとはしなかった。
屋敷の北東の隅に、農家としては明らかにふさわしくない、あたかも寺院にでもあるような高床の
倉があった。
む らおさ
秋風 が そ の倉 の 中へ 忍び込 ん で 蝋 燭 の炎を 揺ら した 。 揺れ る 灯り に 浮 かん でいる のは 明 智光 秀と
村長の孫二郎の姿であった。倉は書物蔵であった。書物棚だけでは整理しきれない様子で、棚からあ
ふれ出した書物が雑然と山積みされていた。まるで書物がほんの少しだけ座をあけ渡したとでもいう
うような狭い床に二人の男は向かい合って座っていた。
「やはり、蝋燭というのは好いものでございますなあ。私が普段使っております油の灯とは比べもの
にならぬ程に明るい。若い時からこのような灯りで書見ができればこれほどに眼を悪くせなんだった
でしょうになあ。まあ近頃では高価な油もなかなか使えぬようになってしまっておりますが」
二人の傍らに立てられた明かりをしみじみした様子で眺めながら孫二郎は言った。光秀が用意させ
た蝋燭を賞揚するつもりであったのがつい愚痴になってしまっていた。
「それ程眼がお悪いようには見えませぬが」
あぜくら
「いやいや、昼間はそれ程ではありませぬが、宵となるとどうにもなりませぬ。若い頃より書物を好
んだ祟りでありましょう」
「この倉は古い寺院にあるような校倉の造りでありますな。しかも組まれた木の様子からすると相当
に古い」
「はい、その通りでございます。平城京に帝がおわされた頃には各寺々にも、また各地の国司のおっ
し ょう そう
た国府にもこれと同じような正倉があった筈ですがのう。今は東大寺の聖武帝の残された物を納めた
倉だけになってしまったようでございます。鼠を防ぎさえすればこんなにものもちの良い倉はござい
ません」
「 そ のようでござるな 」
光秀は周囲に見える書物を見回しながら得心しているようであった。
「さて、山上での話の続きでござるが」
くだら おう し
「そうでしたな。さて、どこからお話すればよろしいでしょうか」
られたというのはお聞きしました。史部であったが故に今の孫二郎殿も古代からの出来事に明るいと
ふ ひ とべ
「孫二郎殿のお血筋が百済王氏であり、そのご先祖がこの国に渡来された頃飛鳥の朝廷にも仕えてお
いうことでしたが。ともかく石塔寺の山上にある岩についてお話しくだされ」
「おう、そのことでござった。しからば」
老人は暫し沈黙した。光秀は孫二郎が記憶の断片を繋ぎ合わせるのを待った。
「先ずは、石塔寺が勅願寺となった経緯についての伝承がございますが、それをお聞かせ申し上げた
いと存じます。長保三年、唐に留学しておりました比叡山の僧で寂照という法師は、五台山での修行
あ しょ か お う
中に あちらの僧から、次のような話をきいたのでございます。 ぶっ し ゃ りと う
ま
わたらいやま
か つ て 天 竺 で 仏 陀 の 教 え を 広 め た阿育王が 教 え の 隆 盛 を 願 っ て 三 千 世 界 に 八 万 四 千 基 の
仏舎利塔を撒き散らしたとのことである。
その仏舎利塔の二基が日本に飛び渡った。
ひとつは琵琶湖に沈み、あとの一基は近江国渡来山の土中にある。
十、 永禄十二年、そして飛鳥に都のおかれていた時代
と聞いたのでございます。寂照はすぐ本朝に手紙を書き送り、播州明石の僧であった義観僧都がこ
の手紙の内容を知りまして、一条天皇に上奏したのでございます。一条天皇はさっそく勅命で、塔を
探索させたとのことでございます。そうしたところある武士がいまの石塔寺の裏山に大きな塚を発見
いたしました。その武士と天皇の勅使が掘ってみましたところ、あの阿育王が世界へ撒き散らしたと
いう塔が出土致しました。一条天皇は大変お喜びになり、七堂伽藍を新たに建立し、寺の号も阿育王
話をする孫二郎の顔には可笑しそうな表情があった。光秀にはその意味がわかった。これはどこか
山石塔寺と改号して勅願寺とされたとのことでございます」
ねじ曲がってしまった話であるのだ。孫二郎は自分自身の知っていることこそが真実であると確信す
る自信からくる笑みであった。
「さて、では我が家に伝えられたお話をいたしましょう。石塔のことではなく、真に大事な岩の話で
ございます。大唐国の天台山には石塔寺の岩の親岩にあたるものござりました。いや今現在もそこに
ある筈でございます。さらには天竺と本朝にも別の岩がございます。これらの岩の数々はもともとひ
とつの大岩であったものが割れ、飛び散って、いかなることにか天上より落ちて参ったものというこ
とでありました」
「やはり天から落ちてきたと申すか」
「はい、そのようでございます。阿育王の仏舎利塔も飛び来たって落ちたということでございました
が。どうも話がすり替わってしまったもののようでございます。さて、それらの岩は不思議なことに
人 の心 に 呼 び か け る 力 を 備 え 、 よ く 修 行 者 た ち に 様 々 な こ とを 語り か け る と い う こ と で ご ざい ま し
た。
……。
て んじ く
げだ つ
天竺では解脱のために修行する行者は人々から尊崇され拝まれもする聖者でございます。その修行
者のうちの一人が仏陀と呼ばれることになったお人、つまりはお釈迦様であったということでありま
した。この釈迦族の王子は岩と対話し、その岩に教えられたものか自ら悟ったものであるか、一大宗
教を興しました。この教えがやがて唐国へと伝授されていき、その教えの修行の場の一つとなったの
とき
が天台山でありました。これは偶然のことではなかったのでございます。このことは昼、お話し致し
ました通り、土岐のお家にも代々語り伝えられていることと存じますが」
驚くべきことであった。仏陀は釈迦族の王子として何一つ不自由することのない立場に生まれた。
しかし、偶然に下層の民衆の生活を目の当たりにして人生の無常・苦しみを知り、人々の救済の道を
てに悟りを開き涅槃に達したという。
ね はん
求めることを志した。そうして王子としての立場や妻子までをも捨て去り出家した。やがて苦行の果
そ の 仏 陀 の 出家 のき っ か け と なっ た も のが 石 塔 寺山 上 の 岩と 関わ り のある 岩で あっ たと 孫二 郎は
言っているのである。
今現在、織田の家臣団は様々な仏教徒集団と各地で戦っている。光秀自身も念仏衆一揆との戦いで
自分自身が落命するかと冷や汗をかいたことが数度としてあった。そのおおもととなるものが今日光
秀が見た岩と関わっているという。
「確かに我が一族には石についての伝承はあるが、まず大まかなことでしかない。それにしても孫二
郎殿のものは古文書に裏打ちされた話であろう。比べものにならぬ」
実際、光秀の知っている話は幼心に父親が語って聞かせたものをうっすらと覚えているだけのもの
であっ た 。
十、 永禄十二年、そして飛鳥に都のおかれていた時代
孫二郎の話は続く。
ちぎ
かんじょう
よう だい
「天台山で修行を積んでいた名僧の智顗も山中の岩と関わったようでございます。隋の煬帝が天下の
覇権を握っておった頃で、山を下った智顗が煬帝に灌頂を授けたことは有名な話ですが、その時、智
顗は煬帝に大いなる力をもつ岩のことを話して聞かせたのだと推察されます」
こう く
り
隋の二代皇帝であった煬帝は天台智顗から岩についての話を聞いた。
その後間もなく煬帝は朝鮮半島北方にあった高句麗への遠征を企てたのだ。それは見方によれば東
方の日本列島への遠征のための布石であったとも考えられる。その計画を知った日本の飛鳥にあった
政府は煬帝の東方遠征を是が非でも阻止せねばならないと考えた。絶望的な外交手段でしかなかった
が、外交特使を派遣したのである。遣隋使として名高い小野妹子であった。 当然、日本列島側では煬帝の真の目的を探知していなかった。新興の超大国である隋が日本列島遠
いちる
征を計画しているという、領土的野心を考えるのみであった。ともかくなんとしてでも日本遠征だけ
は喰い止めたい。一縷の望みを託しての特使派遣であった。
その後三回にわたって煬帝は高句麗攻撃を敢行した。日本にとって幸いなことに、それらは悉く失
敗した。そしてやがては煬帝自身が暗殺され隋帝国そのものが崩壊し去った。 煬帝は死んだ。しかし、彼が生きている間に計画していたのは、日本遠征という軍事力行使ばかり
と う れい し
は いせ い せ い
で はな かっ た のだ 。 煬 帝は 日 本 か ら の 使 者 ・ 小 野 妹 子を 適 度 にあ し ら い お い て 、 そ の帰 国する 際に
答礼使として裴清世という名の男を伴わせた。煬帝からこの使者に与えられていた密かな使命は「大
いなる力をもつ石」の発見であった。日本遠征が長引いたとしても別の方途によって石を入手する計
画を立てるため、その情報を得ることが目的であった。 ぶ ん り んろう
日本に派遣されることになった裴清世は文林郎という職にあった人物である。その職はいわば皇帝
の 図書 館 の 管 理者 であ り 下 級 官 吏 で し かな か っ た 。 一 生 を 書 物 の管 理に あ た っ て 終 わる 筈 の人 間 で
あった。
それがある日突如として、百官の居並ぶ宮廷の前庭へ呼び出されたのである。
荒々しい武官の彼に対する扱いに清世は自分の人生の終焉を思い描いた。悲劇的な己が人生の結末
である 。
「何故だろう」と、裴清世は思った。自分のこなしてきた仕事に過誤はなかった。それには絶対の自
信があった。既に人生に大望は抱いていなかったのだ。まだ青春の日々には前途洋々たる己れの将来
現在の彼が自分自身に課しているのは与えられた職務を忠実に全うすることであった。それで少し
を想像していたことはあった。しかし、今ではそれも遠い日の幻であった。
は息子の出世の助けとなるのではないかと思っているからである。そのために日々注意深く、それ以
上ない程に慎重に仕事をすすめていたつもりであった。それが気づかぬうちにつまらない間違いでも
犯したのだろうか。それとも彼の上司の誰かの犯した失敗の尻拭いでもさせられるのだろうか。百官
の眼前で見せしめ的に厳しい屈辱的な処罰を受けるのかも知れないと思った。
えん ぷ
自然と足がわなないた。しかと歩めなくなってしまった。付き添うというよりも裴清世を連行する
かのように、脇を歩く兵士の手を借りねばならなくなってしまった。
兵士が被っている兜の庇の陰にある目がひどく恐ろしく彼を睨みつけていた。閻府の魔王のものの
ようにしか見えないその兵士の眼はさらに裴清世の膝の力を完全に失わせてしまった。あと少しで指
示されていた位置にたどり着こうとする手前で彼はがっくりと跪いてしまったのである。半泣き状態
であとの距離を膝行していった。他から見れば四つん這いで前進しているようなもので、惨めさはこ
十、 永禄十二年、そして飛鳥に都のおかれていた時代
うず く ま
れ以上ないものであった。指定された位置で両手を地に突いて踞った。
遙か先に皇帝の玉座のあることを肌で感じた。眼をあげても多分そこに座している人物を判別する
ことは難しい距離である。いずれにしても見ることは決して許されなかった。しかし、彼は明らかに
そこから吹き付けてくる眼に見えぬ圧力によって皇帝の居場所が判ったのである。威圧されていた。
これが巨大な帝国を支配する者のもつ力なのだろうか。
そして何事かが告げられた。その言葉は裴清世の耳には入らなかった。既に音声を聞き分ける能力
ち ょうこ う
を欠いてしまっていたのである。訳の分からぬまま彼は両脇を支えられながら退出していた。
こうろかん
のための施設であった。訳の分からぬ彼に誰も何も教えてはくれなかった。ただ清世への扱いが丁寧
その謁見の後のことである。清世は鴻臚館へ連れて行かれた。国外からの朝貢使節が入る外交接待
なものに変わっていたのは確かであった。
鴻臚館へ着くと小さな部屋に通された。簡素だが細かな箇所にまで気が配られ、しかも贅が尽くさ
れている部屋であった。南に向けて開け放たれた窓の外には池がしつらえられ、騎馬民族の住むとい
う北方から飛来したのであろう鴨が水面でしきりと餌を啄んでいる。遠くからは微かに胡弓の音が聞
こえてきていた。部屋に案内してきた女官は彼の普段見ることがないような美人であった。西域の者
の血が混ざっているのではないかと推測させる容貌であり、漢人の面立ちではなかった。その女官は
一声も発せずに下がっていってしまった。
その女官の去ったあとひたすら清世は待ち続けた。誰を、または何を待っているかも判らぬままで
あった。
夕 暮 れ の 迫 っ た 頃 、 突如 と し て そ の 部 屋 の 主 が 現 れ た 。 清 世よ り 頭 ひ と つ は 大 き な 偉 丈夫 で あ っ
りゅう な に がし
た 。 こ の人 物の顔に は 見覚え が あっ た 。 鴻 臚 卿 の 劉 某 とい う名の帝国 内でも 最上 級の官人であっ
た 。 劉は 太っ た 手で椅 子を 指 し示し た 。 下級 官 吏 の 裴清 世 に 対し て の態 度とし ては柔 ら かな 物 腰で
あった。清世はこの男に対して好意をもった。
「あなたには倭国に行ってもらうことになった」
唐突であった。
「この鴻臚館には倭国からの特使が来ている。まだしばらく後のこととなるが、その倭国の者たちが
帰国する際にあなたは皇帝陛下の答礼使として共に渡海してもらう」
混乱した。訳が分からなかった。
「しかし、な、何故わたくしなのでしょう」
ばん こく
裴清世はかろうじてではあるが当然の質問をしどろもどろに発した。
「そうだな、文林郎の貴殿が何故に外交使節として蕃国へ渡らねばならぬのか、不思議に思うのも当
然のこと」
劉は暫く沈黙し、やがて遠くを見る眼をしながらこう続けた。
かんとく
「数年ほど前に貴殿が書かれた報告が原因となっている。現在の文林郎という仕事に就いてからのこ
とであった。あなたは道教に関して保存されている多数の簡牘(書物)に眼を通して、その内容につ
いての報告をまとめたのを覚えておられるでしょうな」
ちくかん
この時代にまだ紙は発明されておらず、皮を削いで板状にした竹に文字を書き付けた。その複数の
もっ かん
竹を紐で綴って書物として用いていた。後には木を使用するようになるが、竹のものを竹簡、木製の
ものを木簡と区別するようになる。これを簡牘と呼んでいた。紙の発明普及はかなり後の漢代のこと
十、 永禄十二年、そして飛鳥に都のおかれていた時代
になる。
すぐに清世は思い出した。上からの求めにより宮廷内にあった古い時代の資料を集めた。その中で
道教関連の簡牘冊を片端から読破して、秦の始皇帝がいかにして不老不死の仙薬を求めるようになっ
ていったのか、道教にはどのような言い伝えがあるのかをまとめて報告したことがあった。
「あ、覚えております。確かにわたくしが報告を致しました」
古い言い伝えが書かれた竹簡は、文字の書かれた竹と竹を綴じ合わせてある紐がぼろぼろになって
いたり、竹そのものが割れて墨がかすれて読みにくいものが多くあった。解読することが大変な作業
であった。ばらばらになりそうな簡牘冊を綴りあわせてしっかりとした書物に修復する作業も伴って
いたのである。
とにかく気骨の折れる仕事であった。それらの資料を読み進めて断片をつなぎ合わせて伝承の全体
を把握していった。裴清世はそれらに記されていた内容は子供のためのお伽話であり、太古の昔に失
われた、ただの伝承であるのだろうと、その作業の中で思うようになっていた。そのようなことが今
更この自分と何の関わりがあるのだろうかと裴清世は思った。
ちぎ
「その中にあった不思議な力を備えた石に関する話のことだが。実はそれと同じ話が天台山に伝わっ
ていた。皇帝陛下の帰依僧であられる智顗殿がそのような話を陛下にお話しされたという。皇帝陛下
はひどくその石に関心をもたれた」
清世は驚いた。この巨大な帝国の主があのようなお伽話を真実として受け止めようとしているのだ
へき え ん
ろうか。劉の言うようにだだ関心をもつだけであるなら笑ってすませるが、実際に皇帝はこの自分を
そのことのために倭国のような僻遠の地へ行かせようというのか。これは笑い事ではないと思った。
じ ょふ く
秦の始皇帝が派遣したという徐福という人物のようになってしまうのだろうか。
けがい
「その石には人々に平安をもたらす力があるという。貴殿もよくご存じのように我が国の周辺には未
だに多くの化外の民がいる。特に北方の蕃族は隙があれば隋帝国の村々を蹂躙してまわっておる。我
こうか
が国の兵が駆けつける頃にはすでに遠くの地へ去ってしまっているということがままある。いっこう
にあの野蛮人どもは我が国の皇化に浴そうという気がない。
い
じゅう
てき
ばん
皇帝陛下はそこでその石を利用すればどうかとお思いになられた。その伝承が真実であるにならば
北方の蛮族ばかりでなく、帝国周辺に巣くっている東夷・西戎・北狄・南蛮と呼ぶすべての蛮族を平
定することができよう。万民が平穏な日々を楽しむためにも是非ともその石を手に入れたいと陛下は
お考えになっておられる」
かんじょう
なる程そういうことかと清世は思った。天台山で修行を積んだ仏教高僧の智顗が今の皇帝に呼び出
されて、皇帝自身に灌頂の儀式をとりおこなったということは聞いていた。仏法の密義についての伝
授をおこなったのであろう。その中に天台の伝承も含まれていたのだ。
劉の言うように天台山に石の話が伝わっているのは当然のことだ。なにしろ道教という宗教が成立
した基のひとつはその地にあったのだ。仏教にも道教にも石の話は伝わっていてあたりまえのことな
のだ。
あの山には確かに摩訶不思議な存在があるだろう。凡人には感じることのできないモノであるだろ
うが、果たして伝承にある通りであるとは信じられない。伝承ではなにやら大いなる力を発揮する何
かが埋まっている筈であるという。そこへ導かれた特殊な力をもつ人間のみが知ることができる秘密
がある。誰も知らぬであろう途方もない過去から存在し続けた何ものかであり、それが行者たちに語
りかけるというのだ。
十、 永禄十二年、そして飛鳥に都のおかれていた時代
石は太陽や星々も含めたこの世界全体の秘密さえ知っているという。人間が計り知ることのできな
いほどの永い年月を過ごしてきたあるものであった。そのような存在があると教えられた秦王朝の始
皇 帝は不 死 の仙 薬があ る も の と し て 考え た のだ 。 そ のよ う な 薬な ど あ る わ け が な い 。 権 力欲 に 浸り
きった始皇帝の幻でしかなかったのだ。またそのように始皇帝が考えるように道教の方士(道士)た
ちが仕組んだのだ。道教の方士たちが始皇帝に吹き込んだ戯言であった。その戯言のおかげで方士た
ちは始皇帝の寵愛を受け大切に保護され、王宮内で贅沢極まりない生活を手に入れていた筈である。
広い国土を統一して中国ではじめての大帝国秦を築きあげた英雄の始皇帝であった。しかし、せっ
かくの帝国も始皇帝が取り憑かれた夢によってあっけなく瓦解してしまった。万里の長城の大修築・
新構築そして大運河の建設なども本来ならば何世代もかけておこなわれるべき大事業であった。その
ような偉大な建設事業へ莫大な人力を注ぎ込んで一代のうちに建設してしまおうなどということは王
としておこなうべきことではなかった。始皇帝は永遠に自分ひとりの帝国支配が続いていくものと思
いこんでいたのではなかったか。そこに錯覚があったとのだと裴清世は考えていた。
人間 世 界で 最も徳 のある 者が 、世 界を 支 配する 神である 天帝 の信頼を 受け 、そ の天 帝の力添 えに
よって天下を取る。その人間が王である。その王は天帝の子、天子として人間界を治める。人々の苦
しみを救う徳のある政治をおこなうべき人間として天帝に見込まれた筈の者である。圧政をおこなう
ことを天帝から許された王ではないのだ。
始皇帝は不老不死を望んだ。もしそれが達成され不老不死を始皇帝が手に入れていたとすればどう
なったであろうか。永遠に存在し続けるのは神である。始皇帝はもはや人ではなくなり神となった筈
である 。
そのようなことを天帝が許すことは決してないであろう。始皇帝は人として、そして人々の上に立
つ王として取り返しのつかぬことをしてしまったのだ。始皇帝の死後、民心が離れて経済的にも疲弊
ようだい
しきってしまった秦は、呆気なく滅んでいったのであった。
いまの隋帝国皇帝である煬帝もまた、そのような幻に囚われてしまったのだろうか。なんの力もも
たない、ただの文林郎でしかない自分に、いったいなにをせよと言うのだろう。
清世の思考とはかかわりなく劉は話し続けていた。
「倭国にあるという石は天台山にある大岩の頭脳にあたるものであるという。天台山の大岩はそれだ
け で も 様 々な 力を 秘め て い る と い う が 、 穏 和 な も ので あ っ て 、 遙 か な 天 界 世 界や 太 古 のこ と が らを
語って聞かせるというだけのことであるらしい。その秘められたる力を発揮して、世界を治めること
ができるようになるには、倭国にある石がどうしても必要なのである、ということのようだ」
劉が話していることはよく知っていた。なにしろ自分が調べあげたことであった。その石を自分に
捜 させ よ う とい う のか 。 確か に 他 人から 見れ ば 、 そ の石 の力 につい ては こ の 裴清 世 が一 番詳し かっ
た。しかし、見たこともなく、何処にあるのか判らないということに於いては、誰でも等しく同じで
はないかと思った。
劉の話はその後の旅の予定の詳細な部分に入った。やがて、
よ
「見知らぬ国のこととて大変な仕事になると思うが是非ご尽力願いたい。帰国は暫く先のこととなろ
うが、それまでは貴殿の細君とご子息はこの鴻臚館の離れで佳い暮らしができる筈。ご心配なく渡海
されるよう」
裴清世は戦慄した。なんと自分の妻と子は人質生活を送ることとなるのだ。先ほどまで裴清世はこ
の劉という男に好感をもっていた。それが一瞬にして憎むべき男となった。この男にとっては清世と
十、 永禄十二年、そして飛鳥に都のおかれていた時代
その家族の命など、何のこだわりもなく消し去ることのできる、大して価値のあるものではなかった
のだ。劉の出世のためには虫けらのような命でしかなかった。
清世は自分の運命を呪った。若い頃、自分の才能に酔っていた。誰もが認める豊かな才能に満ちあ
ふれた俊才であった。その頃の清世からすれば、人々は薄のろで吹けば飛ぶような存在ばかりであっ
やゆ
た。学識と才能にあふれた、しかし、高慢な性格の若者は、次第に人々から疎んじられるようになっ
つまづ
ていった。陰で清世を揶揄する者も少なからずいた。前途洋々として明るい未来が開けていると思わ
れた若者は人付き合いで躓いたのであった。
やがてただの学問好きの青年と言われるようになった。誰も彼の才能について言及する者はいなく
壮年期に入った今の自分はただの文林郎という下級官吏でしかなかった。あふれるようにしてあっ
なっていった。
た才能は凡てが無駄となった。そして人生でかけがえのない最愛の息子は人質となる。倭国で目的と
する石を発見することなどできぬであろう。きっと任務を果たせぬ虫けらのような下臣とその家族は
何らの躊躇もなく命を奪われることになるだろう。
蒼白の面もちとなった裴清世を伴って、劉は鴻臚館の南の棟へ向かう広い廊下を歩いて行った。
外国使節と使節団一行を接待するための施設は贅の限りを尽くしていた。総ては隋帝国皇帝の権威
を強調するための舞台装置であった。
中 国と い う言 葉 のも と と な っ た 中 華 思想 で は 、 世 界 の 中 心 で あ る こ の 国 のみ が 高度 な 文明 国 であ
り、周辺の民族はみな野蛮人であった。野蛮人たちは中国の文物を取り入れて初めて文明化すること
ができる。強大な国家である中国の脅威から逃れることはできず、周辺の小国は保身のためにも中国
への追従として朝貢を行う。しかし、それはまた自国文化の高揚へつながり、中国皇帝の臣下となる
ことで王が自国内に睨みをきかすことができる力のもとにすることができた。そのように周辺小国に
とっては有益な部分もあったのである。
野蛮な周辺国から来た使節たちは、自分たちの貧しい生活文化とかけ離れた世界へ放り込まれて、
隋の偉大さをいやという程に実感する。その偉大な国家から鄭重にもてなされ、彼らは感激して帰国
し、中国という国の素晴らしさや強大さを何倍にも大きくして鼓吹してくれる筈である。隋みずから
兵団を動かすことなく、周辺地域は隋の傘下に併呑されていくのである。
劉は大きな部屋に遠慮なく入っていった。入り口の両脇には屈強そうな、それでいて端正な顔立ち
の兵士ふたりが警護していた。鴻臚館自体が厳重に警備されているので、この警備は形だけのもので
あろう、兵士たちに緊張は微塵も感じられなかった。
広い 部屋 であっ た。 三面 の壁に はそれ ぞれ 大き な窓が あり 、開け 放た れ夜 風が 流 れ込 んでき てい
た。微かな香の薫りがしている。清世の記憶にはない心地よい薫りである。既に照明が贅沢に部屋の
中全体を照らしていた。照明は富の象徴でもある時代である。入り口から見て正面にはどっしりとし
て大きな黒檀製の卓が置かれ、そのむこう側に小柄な男が椅子に座っていた。彼は明らかに身分のあ
る人物だった。卓の上に拡げられた書類らしき物を熱心にのぞき込んでいた。すぐ脇に立つ側近の者
が小声で説明をしているようである。話している言葉は清世にはまったく理解できぬものであった。
小 柄 な 男 は 劉 と 清 世が 部 屋 に 入る と す ぐ に 気 づ き 、立ち 上 がっ て大 仰な 振る 舞い で歓 迎 の意を 表し
た。
劉は鄭重に深々と頭を下げた。慌てて清世も劉のうしろでこれ以上できぬ程に腰を折りつつ頭を下
げた。一通りの外交辞令的な挨拶が交わされたが、倭人たちは中国の言葉を流暢に操っていた。劉が
十、 永禄十二年、そして飛鳥に都のおかれていた時代
清世を倭国へ遣わされる答礼使として紹介した。卓のむこう側にいた男は「ほう」という複雑な表情
をした。男は倭国特使で小野妹子という奇妙な名前の人物であった。
やはりと清世は思った。小野妹子は清世の身分が気になったのである。倭国がいくら蕃国の扱いを
受けるにしても、文林郎という役職にある下級役人が答礼使となるのはあまりにもおかしいと考えた
のであろう。当然である。外交とは関係のない、まったくの畑違いの、それもひどく下級の役人が何
故出てきたのだろうと小野妹子は考えているのだ。いくらかの戸惑いと身分の下の者を卑下する色が
その眼に浮かんでいるのが見て取れた。
しかし、中国皇帝の臣下にあたる倭国を代表する立場を考えてか、さらりと疑念を受け流したよう
であった。小野妹子は裴清世に近づいて手を取りあうようにして言った。
「長く、大変にきつい旅となるでしょう。しかしながら我々はあなたを皇帝陛下の特使として倭国ま
はるばる
で必ずお連れいたします。宜しくお願いいたします」
は とう
へき え ん
遠路遙々と周辺小国の使節が大変な危険を冒して来朝していることは聞き知っていたが、まさか自
分自身が波濤を 越え て僻遠の蕃国まで 行くことになる とは。 妹子 の言葉が頭 の中で虚ろに 響い てい
た。
翌春、年が明けて早々に倭国使節団と裴清世の一行は隋の都・大興城(長安)を後にした。洛陽ま
で黄河を船で下り、さらに陸路を江都(揚州)へとった。江都で良好な風を待ち、倭国へ船出する機
会を狙うのである。
使節団が都を去るにあたり、別れの宴が形式通り皇帝から下賜された。清世もそのような場に初め
て招かれることになった。宴に供された食物のほとんどが見たことのないような珍しいものであった
ことだけが記憶に残った。いくら皇帝からの答礼使であるといっても、宴席での席次は身分そのまま
で座があてがわれていた。主賓である小野妹子の姿が見えぬほどの末席であった。この席で裴清世は
覚悟を決めたのである。多分二度とこの都に帰ることは出来ぬであろうと思った。
別れの宴の翌日が出立の日であった。旅が始まってみると清世の気分は少し軽いものとなった。旅
そのものも、旅のなかで見聞きするものすべてが清世にとって初めてのものばかりであった。書物の
中で知っていることも多くあったが、身をもって体験することはみな初めてのことばかりだった。
海というものを初めて見た。寒さの中で見る早春の海は青黒く、眩暈がする程の広大なものであっ
た。見えている限りの水平線の果てもどれほど遠くまでが見えているのか見当もつかない。きっとそ
れと同じくらいに水の深さもあるのではないだろうかと思われた。風だけを頼りにして、このような
広がりの中へ乗り出していくなど馬鹿げた行為、狂気の沙汰としか考えられなかった。黄河を下る時
ですら、船腹を洗っている河波を眺めるのすら恐ろしく心細かったのに。海を前にして、嵐の中で山
のように高まる波濤を思い描いた。巨大な波にばらばらに砕け散ってしまう船体。投げ出された清世
はゆっくりと何処までも深い海の底へ沈んでいくのである。
海を見たことがこの先の旅路を恐怖で染め上げてしまった。このまま海から吹いてくる逆風が収ま
らなければ船出はない。一生このままでいい。清世は願った。そうすれば都に残した家族も何事もな
く人生を全うできるに違いないのだ。風を待つ日々、清世は覚悟を決めた筈であるのに幾度となく人
に見られることのない浜で泣いていた。
一行は風待ちにほぼひと月を無為に過ごした。やがて風向きが順調に廻りはじめた。そして数日の
間大陸側からの風が吹き続けた後、四隻編成の小さな船団は倭国へ向けて出立していった。
最初のうち船団は東へ向けてゆったりと進んだ。三日が無事に過ぎた。やがて寒風の中でも半裸姿
十、 永禄十二年、そして飛鳥に都のおかれていた時代
かこ
ろ
の水主たちは舳先を北へ向ける操船を行った。風は西から吹き付け、水主たちは櫓を操って北へ進め
ようとしているようであった。左手からの西風をうけて北東方向へ船は進んでいた。四隻の船は次第
に散りぢりとなってすでに船団ではなくなっていた。江都の港から船出して二日目の夜が明けてみる
と一艘が見えなくなっていた。五日目の夕方にはまだ他の二艘が海原の上にかろうじて見える範囲に
浮かんでいた。宵闇が迫る中で三艘の船は互いに松明を振りつつなるべく離れないように努力してい
た。清世の乗る船は正使である小野妹子搭乗の第一船であった。残る二艘は第一船から離れまいと必
死に漕ぎ寄せようとしていたようであった。とうとう翌朝には清世たちの乗船は大海原の上の孤独な
存在となってしまっていた。それから人々は他の船のことは話題にしようとしなかった。小野妹子と
品々の点検に時を費やしているようであった。
同 じ船 に 乗 っ た 清 世 の毎 日は ただ 海を 眺める だ け であっ た 。 倭国 の 役 人 たち は船 倉 に 積 み 込 ま れた
夜、舳先の上に輝く北極星を清世は眺めた。北極星は中国では天帝であり、また皇帝を表した。北
極星を眺めつつ、清世は煬帝のことを思い出していた。煬帝の謁見を受けたとき、確かに玉座から圧
倒するような気が自分に吹き付けてきたと感じたが、あれは自分をあまりに卑小に感じた故の幻覚で
あったのではなかったかと思えた。しかし、今となってはあの謁見自体が幻であったような気がして
いた。
世の中、そしてまた世界はあまりに広大であり、なにがあってもおかしくなかった。人間はあまり
にも小さな弱々しい存在でしかない。人間はたかだか数十年しか生きることはできない。それが幾世
代 を 経 て 積 み 重ね て い こ う と も 得 ら れる も の 、 知 る こ と の でき る も のは 極僅 かな も の で し かな い 筈
だ。自分の人生や必死に蓄えてきた知識も実にちっぽけなものだ。天台山にあるという大いなるもの
も存在していて何の不思議もないのではないろうか。世界は知らないことだらけだ。すべてを知り尽
くしてみたいものだ。しかし、それらを知ったからといってどうなるものでもないだろう。自分もや
がて死んでいくのである。毎夜のように北極星を見ている清世の思考はぐるぐると同じところを廻っ
ていた。
そうしてこの航海は裴清世を本来の謙虚な人間に変えていったのだった。
やがて清世らの乗船は無事に倭国へ到着した。最初に帆を下ろしたのは後に西海道(九州のこと)
と呼ばれるようになる大きな陸島の南端にある小さな浦であった。小さな漁村らしき集落があった。
船の上から見たそこに住む人々の風俗は隋の漁民と大差なかった。そう見た清世は幾分ほっとした気
倭人たちとは昔から交渉があり、我が国の文化を積極的に取り入れてきたというが判ったものでは
分であった。
ないと思っていた。中国周辺の異族たちは中国の文化を取り入れて野蛮人と蔑視されないように努力
している。大国の周辺にある小国の悲哀であった。大国へのおもねりでしかなかった。野蛮人と思わ
れないことが虫けらの如くに踏みつぶされないための方便のひとつである。彼らは流暢に中国の言葉
を喋る学識豊かな人物たちを大使として遣わしてくる。しかし、その国の様子は判ったものではない
ということである。倭人たちもそのような諸蕃のひとつであると清世は思っていた。倭人たちの集落
を初めて見て気持ちが幾分ほっとしたことにはそのように思いこんでいたからであった。
倭国に到着したその日は、その浦で停泊したが清世らは乗船のまま一夜を過ごした。翌朝早く、新
鮮な水を補給すると海岸に沿って北へ向かって慌ただしく出発した。複雑な海岸線に沿って多島海を
さ ら に 数 日 の間 航 海を 重ね た 。 匂い の 強い 海 であ っ た 。 中 国 の海 岸 で は こ のよ うな 匂 い は し て い な
かった。海水の色も幾分黒く、まるで中国の海よりも成分が濃くて豊かなのではなかろうかと想像さ
十、 永禄十二年、そして飛鳥に都のおかれていた時代
れた。清世は次第に観察者の眼をもつようになっていった。
ふ く ろう
明智光秀らが生きている時代から一千年も前のことを、まるで昨日の出来事のように孫二郎は語っ
て聞かせていた。屋敷の庭木に止まっているのであろう梟が「ほう」と啼いた。その声に光秀は我に
返った。孫二郎の屋敷の書物倉に入って、この狭い、いや狭くはないと思った。ただ人の居る場所が
ないだけである。この書物に囲まれた空間で老人の話を聞き始めてからどれほどの時が経ったのであ
ろうか。光秀は孫二郎の話の腰を折らぬように気遣いつつ質問を発した。
「その後、裴清世はこの地であの石を見つけられたのですか」
眼を閉じて話をしていた老人はそっと眼を開け、残念そうに光秀の顔を見上げた。
光秀 は 過 誤を 犯 した かと案 じた 。 歳を 重ね た人 々を 相 手と すると き、決し て急い では い けな かっ
た。老人が何かを物語るとき、その人物は話の中に自分の命を吹き込もうとすることが往々としてあ
る。人の一生がなんであるのか判りかけてきたとき、他人に何かを物語る機会が与えられたとき、自
分の語りがまだ若い世代に伝えられることで自分自身が存在したことの証となるように、その話へ生
命を吹き込もうとするのである。老人の話の腰を折ってはいけなかった。この孫二郎という老人は口
を 貝 のように閉ざして 、二 度と語ることはない の ではない か、光 秀は そ う懼れた 。
「殿はまだお若い。そうですな、もう夜もふけてまいったようでございます。話を急ぎませんと。答
な に わの み や
礼使として来朝した裴清世は現在の西海道の大宰府に相当する地へ立ち寄り、瀬戸の海を船で東へ進
み、難波津へ上陸いたしました。本来は難波宮からすぐに飛鳥へ向かう筈なのですが、何故か裴清世
あす か
はそこの鴻臚館に長期の滞在をしたようでございます。小野妹子はさっさと飛鳥へ入って隋の様子を
報告したようですが。答礼使の飛鳥入りはかなり遅れたもようでありました」
「何故だろうか」
「はい、その理由につきましては何の文書も残されておりませぬ。それはそれとして、ようやく飛鳥
へ入って朝廷へ参内し答礼の儀式が執り行われました。その後、裴清世を主賓とした様々な宴がほぼ
半年の間、場所をあちこちへ移しながら行われました」
「なんと、半年もか」
「はい、隋帝国からの使者をもてなすためです。朝廷も最大級の宴を張ったわけでございましょう。
しかし、あちこちと場所を転々としているのは裴清世からの要求があったものだと考えられます」
「なるほど。そうやって近場から石を捜そうとしたという訳か」
た。やがて隋へ帰る予定の日となりまして飛鳥を発たざるを得なくなったのでございます」
「 は い 、 そ の よ う に 石 の探 索を 行っ て い っ た よ う で ご ざ い ま す が 、 月 日 は 無 情 に 過 ぎ て ま い り ま し
「そうか。裴清世は何の成果も持たずに隋へ帰ったという訳か」
「はい、文書によるとそのようになります」
沈黙があった。まだ梟は場所を変えていないようであった。鳴く声が空しく響いているように感じ
た。軽い落胆がわき起こっていた。孫二郎は虚ろな眼をした光秀の顔を見上げた。その眼には怪しい
光が宿されていることに光秀は気づかない。
「ここからは、我が家の口伝となりまする」
光秀はまたはっとした。
「なに、この家の口伝」
自 然と語尾が上 がっ てい た。
「はい。当家には記すことを禁じた口伝がありまする。それはきっと今宵、殿に申し上げるために伝
十、 永禄十二年、そして飛鳥に都のおかれていた時代
えられたものなのでしょう。誠に不思議な気がいたします」
感慨深げな表情が孫二郎の皺じみた皮膚の奥にあった。
十一、 真相究明へ
上野不忍池の西岸から一般の住宅街をさらに西へ抜けようとする小径があった。関東大震災や東京
大空襲の被災を免れた一角なのであろうか、大正時代の建築様式を残しているのではないかと思わせ
るような落ち着いた閑静な町並みである。
その一隅に小さな割烹料亭があった。小さな庭灯籠と打ち水された飛び石の置かれた通路をくぐっ
はこぜん
ていくと、十畳ほどの座敷をもつ離れが二棟ほど建っている。母屋が厨房となっており、そこから料
理が運ばれる。
離れのひとつ、真新しい畳の藺草が香る、気持ちの良い部屋である。五人の人間が筺膳を前にして
座っていた。山崎明彦と加勢浩一郎が肩を並べるようにして座り、彼らと面して杉田洋子と山口一哉
が座っていた。その四人を横から見る形で床の間を背にした樋口康夫が座っていた。
「三人には申し訳なかった。東京へ帰った早々、こんな処へ呼び出してしまって。山口君にも済まな
いな、忙しいのに」
樋口が切り出した。
「いやいや先生、大歓迎ですよ。こんな料亭は初めてなもんで感激しています」
加勢は相変わらずの様子だった。目の前の見たこともない八寸に早く箸を着けたいようである。
「加勢君、今日は割り勘だよ」
十一、 真相究明へ
悪戯ッ子のような眼をしながら樋口が言う。
「えっ、そんな殺生な」
妙に高い声で加勢が反応した。
「いやいや冗談だよ、冗談」
のん き
「そうでしょう、先生もお人が悪い」
暢気なやりとりが樋口と加勢の間にあった。
「先生、このような場所に我々を呼び出されて話をしようと言うからには、かなり難しい問題なので
しょう。山口さんにはある程度の話はしておありなのでしょうか」
早々と明彦は本題に入るよう差し向けた。
「ふむ。その通りだ。誰に話を聞かれているか判らないような処は、差し控えておいた方が良さそう
な具合なので、ここへ来てもらったという次第だ。それから山口君には話をざっとしてある。さて、
では京都での様子を先に聞くとしようか。杉田君すまないが話してくれ。あ、みんなも料理を食べ始
めて下さい。加勢君はすでにやっているようだが」
明彦に促され樋口は情報交換に入った。洋子が話し始めたが、加勢はすでに料理のことしか頭にな
い様子であった。
お お み わ じ んじ ゃ
杉田洋子は京都での情報収集の様子、三輪神社前から拉致された様子、小男との会話の内容をこと
細かく説明をしていった。
話を聞く男たちは冷静な態度を崩しはしないものの怒りを隠せない様子であった。
洋子の一通りの話が済んだところで今度は樋口が話しはじめた。
「君たち三人または杉田君がその拉致事件に巻き込まれた日、実は研究室に来客があった。男が二人
来て、公的機関の者だが三条家文書の件について話がしたいとのことだった。その男たちは君たち三
人が京都へ文書紛失事件の解明のために向かったことを知っていた。彼らは、君たちを私の研究室が
派遣したものと考えて私のところへ来た訳だ。だからある意味では君たち三人が彼らを私のところへ
おびき寄せたということになる」
よ
研究室を訪ねて来た男たちは樋口教授が一人になる時間を狙ってやって来たのは明らかだった。
「三条家文書の件でお話がしたいのですが」
五十歳ほどであると見える年かさの男が話し始めた。地味だが仕立ての佳いスーツに包まれた身体
はやせ形に見えるが、声の張りから若い時分には充分に鍛えられた時期のあったことが想像できた。
きっと今も運動は欠かさずにしているのだろう。樋口はとっくに運動とは縁遠くなってしまった自分
自身の身体と比較して羨ましかった。その男に付き添うような形となっている三十歳代の男は終始無
言であった。樋口はこの男を見て、大学のアメリカンフットボール部に所属している学生を思いだし
た。しかし、その学生と違って、今研究室を眺めまわしている男の眼は非常に知的なものに見えた。
「教授が今お考えの通り、あれは当方でお預かりしています」
男は樋口の眼を見ながら、樋口の思惑を推測して話し始めた様子であった。樋口は内心でその男の
洞察力に舌を巻かざるを得なかったが、心の動揺を表に現さないよう努めようとした。
「私の方には預けたつもりはないのですがね」
樋口は冷静に、立腹した様子を演技しながら答えた。
「多分、三条家の方の承諾を受けているのでしょう。しかも我々の研究室には文書の所在を秘匿して
十一、 真相究明へ
おくように指示も出している」
男たちが政府の人間であると言ったことで樋口にはある程度の察しがついていた。確信はなかった
が、果たして図星であった。
「その通りです。三条家には国家的にも重要なものであるから、文科省ではなく政府そのものが分析
に当たると言ってあります。三条家ではそれ以上詮索して来ませんでした」 「しかし、我々が詮索している、と」
「そうです。この件に関してはこれ以上の深追いは遠慮していただきたい」
「そうは簡単にいきませんな。我々は苦労して三条家の蔵の扉を開けさせた。あなた方には想像もつ
かんでしょう。ああいった歴史のある家柄の人々は所蔵品をなかなか公開しようとしない。一族のも
つ歴史はその人たちにとってのアイデンティティなのです。もし公表した史料の中に自分たちの先祖
が犯した犯罪に近いような不名誉な出来事などの証拠でも発見されれば一大事だ。永く続いた有名な
家系であるというだけで世間からの賞賛を得られるのだから、わざわざ危険な史料を公表する必要性
は ま っ た く な い の で す 。 彼 ら の蔵 の鍵 を 手 渡 さ れ る た め に は 、と て つ も な い 努 力を 要 す る ので す 。
我々はあらゆる角度から三条家を説得して、やっと永い間眠っていたあの史料を明るい場所へ引き出
すことに成功したのです。まあ我々のやったことはさておいても、文化財は国民的財産だ。所有権は
確かに三条家にあるとしても、その文化的価値は国民いや世界の人々に帰するものでなければいけな
いと考えるのですがね。今更政府は何をしようと、いや、何を隠し立てしようとしているのですか。
その辺をきちんと説明していただきたい。それでなければ納得はできませんな。どうです」
樋口は男の眼をのぞき込んだ。この男、数多くの修羅場をくぐってきたような面貌でありながら眼
はけっして濁っていない。五十男のくせに青年のような眼をしている、と思った。その眼に樋口は望
みを賭けた。正々堂々と当たっていけば、この男はそれなりの答えを返すだろうと思ったのである。
じっと久世正俊は考え込んだ。
そして方針を転換した。状況の変化に応じて判断を下すことの素早さに自信があった。
「さすが樋口教授だ。我々のどの調査報告によっても。あ失礼、先生に関しても調べさせてもらいま
した。お腹立ちのことだと思いますが、それが我々の仕事でもありますので。どの報告書からも先生
が曲がったことの嫌いな、絶対的な正義漢だという結果しか出てきませんでした。こうして直にお会
いしてみて、私はそれが本当であることを実感しています。そこで先生のお人柄を見込んで、本当の
ところをお話ししようと思います」
来たか、と樋口は思った。多分真実を知らされたことで多少面倒なことに巻き込まれるかも知れな
い。しかし、それも人生だ。樋口はいつもそう思うことにしている。敢えて安易平凡な道を捨てて、
荒れ野の道を選ぶ、苦労するが乗り越えた時の喜びを佳しとする。それも人生のあり方のひとつであ
る。
「話は少々古いものとなりますが、前の湾岸戦争の時のことになります。イラクがクウェートへ軍事
侵攻したことに対して、多国籍軍という名目でアメリカ主体の軍隊がイラクへ攻撃をかけたという戦
争でした。世界的な危機を迎え、当時はペルシャ湾以外の場所で、テロ活動やその他の反アメリカ活
動が活発化する傾向がありました。アメリカ政府は航空宇宙軍に所属する偵察衛星を限界まで駆使し
て世界のあらゆる場所をモニターしようとしていたのです。各偵察衛星はそれぞれがもつ機能の最大
限を発揮できるように、地上では新しいプログラムが急遽組み直され、その新しいプログラムに従っ
て まっ た く 新しい 探査活動が 始め ら れ た 訳で す。 複数の機能を もつ 衛星 は何 処 の上 空で は こ の 探知
器、また別の何処の上空では別の探知器というように、あらゆる場所があらゆる探知器で探査された
十一、 真相究明へ
のだと思って下さい。全地球規模での探査が初めておこなわれたということです。湾岸戦争もその決
着が見えてきた頃、アメリカの軍事筋が安心しかけた頃です。アジア地域の幾つもの地点で程度に違
いはあるものの、同じような重力異常と不可解なエネルギー放射があることが発見されました。ペル
シャ湾からそれほど離れていないイスラム教圏にもあったものですからかなりの脅威として最初は受
け取られたようでした」
「そしてこの日本列島にもそれがあった訳だ」
「その通りです」
また樋口の当てずっぽうが当たってしまった。
うなレベルのものではない、もっと大きな異常を示す地域がこの列島内に数カ所ありました。もっと
「関東平野の筑波地域の地下には巨大な岩塊があって重力異常を示す場所として有名ですが、そのよ
も日本列島にあることが判明したのはずいぶん後のことであったようです。それがこの列島にあるこ
とが最初から判っていれば、軍事やテロ活動に直結するものではないことが判ったはずですから」
「そのエネルギー放射というのはどのようなものですか」
「主に中性子線でした。その他にも自然状態より多いアルファ線、ガンマ線の類です」
「
え っ 。 私 も 大 学 の同 僚 の 物 理 学 の 方 の 教 授 た ち と 時 々 話 を し ま す が 、 そ ん な 放 射 線 を 探 知 で き る 機
械は容易な大きさのものじゃないでしょう
」
樋口は学生のように素直な口調で質問してしまった。
「ええ、その通りです。アメリカはずいぶんと以前から核テロを恐れて、微細な放射線を探知するた
めに巨大な監視衛星を打ち上げているのです。この研究室よりもはるかに大きなもので、天体観測衛
星ほどのものがほとんどです。衛星の話は別としてともかくそれらの物体は異常に重く、重力異常を
感知できる程のものです。そして中性子その他を放射する物質です。それらがアジアのあちこちに、
この日本にも、存在することが判りました。地上でのオペレーションで、これはCIAが好んで使う
用 語で す が 、 そ れ らが イス ラ ム 原理 運動 など の核 テロ 活動に結 びつ く要 素が まっ たくない こと がわ
かったという次第です。湾岸戦争当時はそれで終わったのですが、その後、そのエネルギーは何なん
だろうということになりました。アメリカ合衆国国防総省ペンタゴンは物理学者たちを動員して、攻
撃にせよ防衛にせよ新しい兵器につながる可能性を探ろうとしていました。ところが突然それぞれの
場所からのエネルギーの放射がなくなってしまったのです。あいかわらず重力異常だけはありました
が」
樋口がしびれを切らせて聞いた。
「さてさて、それが我々の古文書といかなる関係があるのですかな」
「日本政府は当然のようにそれらの事実をまったく知り得ませんでした」
久世は樋口の質問を無視して続けた。
「カリフォルニアにあるスクリプス研究所から我が国の外務省と文科省、それから内閣に直属する海
洋開発問題委員会あてに、伊豆半島沖の総合調査の許可が欲しいという依頼がやって来ました。我が
国の領海内でのかなり大がかりな調査となるということでした。そこで日本側としては例の捕鯨問題
に関してアメリカ政府が手心を加えてもらえないかとの下心で許可を出した訳です。その調査団は二
週 間 後 に は 伊 豆沖 で 仕 事を 開 始 す る 予 定に な っ て い ま す 。 ア メ リカ か ら や っ て 来る 学 者 や オペ レ ー
ターたちのリストが届けられたと思ってください。そのリストがたまたま外務省のある人物の眼に触
れたのです。その人物がアメリカ留学をしていた当時に世話になった海洋学者の名がそこにあり、非
常に懐かしくなってアメリカのその学者の家に電話をしたのです」
十一、 真相究明へ
「 そ の人物は何も知らなかった、とい う訳ですな」
「ええ、そうです。これは妙だということで、廻りまわって我々のところへこの一件が持ち込まれて
きました。調べてみるとこのことについてのアメリカの動きはすべてサンディエゴのポイント・ロマ
海 軍基 地 か ら 出て いる ことが 判り ま し た 。 日 本が 相 手 で あ る とい う こと で 割 合に 軽 く 見 てい た ので
しょう。機密保持のための工作はほとんどされておらず、我々にはすぐにペンタゴンが計画の大元で
あることが判った訳です。となるとこれはただの海洋総合調査であるわけがないということです」
「しかも日本政府を欺いてまでする必要のあることだ。その総合調査の具体的な内容については何と
言ってきているんです か」
が調査船には深海調査艇とサルベージ用具が積み込まれる予定であることを突き止めました。その目
「日本政府を欺くという点についてはその通りです。我々がアメリカに置いているエージェントたち
的の具体的なことについてははっきり言ってきていないのです。だいたいがスクリプス研究所という
も のは 生 化 学 系 の研 究 を し て い る と ころ で す 。 医 学 系 の研 究が 多 い 。 た だ 、 カ リ フ ォ ル ニ ア の サ ン
ディエゴに所在しているということで使われたのかもしれません。ポイント・ロマ基地に近い」
樋口はいつの間にか話にのめり込んでいる自分を感じていた。歴史学や古文書学、考古学などはあ
る意味で判じ物である。想像力を可能な限り使って過去の出来事を組み立てていく作業でもある。物
事を推理する面白さがそこにはあったが、現実のことがこのようにわくわくするものであることに樋
口は内心驚いていた。
「 当 然 、 最 初 に 可 能 性 と し て 考 え ら れ た の は 、 日 本 の 領 海 内 で アメ リ カ の 原 子 力 潜 水 艦 な り が 沈 没
し、日本の世論の批判を浴びることのないように、秘密のうちに引き上げようとしているのではない
か とい うこ と でし た 。 と ころ が 調 べ てみ る と アメ リカ の 保 有 してい る 潜 水艦 は総 て ル ー テ ィン の出
撃・帰還を平常通りこなしているのです。各潜水艦のクルーたちの家族の日常生活にも変化は見られ
ませんでした。ロシアの艦艇についても位置確認はできていました。潜水艦の沈没事故の可能性は消
えた訳です。そこで今度は、あらゆる角度から合衆国政府やペンタゴンに覚られないように調査を開
始したのです。しばらく経つうちに、あることに気がついたのです。それは合衆国のエネルギー省の
データバンクに素粒子関連のアクセスが一時的に頻繁になされたということでした。そのアクセスは
ペンタゴンからのものでした。その後、そのデータの引き出しが不能となったのです。閲覧記録は残
されたのですが、データ自体は消去されたようです。そこで今度は素粒子物理学を専門にしている学
者たちの動きについて調査してみました。我々としてはほぼ諦めかけてたのですが、もとMIT教授
クターが自宅までインタビューに行ったという訳です。そのディレクターというのは当然我々のエー
であった日系の物理学者が湾岸戦争中にペンタゴンに招聘されていたことがわかり、CNNのディレ
ジェントであったのですが。なにかまぐれ当たりという感じでした」
「それで、先ほどの話となるのですね」
「そうです。重力異常の測定であれば、我々にも地上や海上からできます。確かに伊豆半島沖に大き
な 異常 を 起 こす 物 体 が あ る よ うで す 。 ま た 大 き さ は そ れ よ り 小 さい も の で す が 比 叡 山 や そ の 他 の 陸
上、いや地中にもあります。現在のところ、政府はそれらが一体何であるのか科学的調査をすすめつ
つあります。また、あらゆる分野でその物体に関する調査や資料の回収研究をしています。それらの
地中や海中の存在状況からして紀元前のものであるとの確証があるのですが」
「例の三条家古文書にもそのことが書かれていると」
「その通りです。しかも正直な話、何がなんだか判っていない状況にあります。そして悪いことに、
アメリカは我々が感づき始めたと思っています」
十一、 真相究明へ
暫くの間があった。
「 やが て は 我 々 の研 究 室 も アメ リカ 政 府 の秘 密組 織に よる 脅 威 の対 象と なり 得る とい うこ と で す か
な」
樋口が質問をした。
「いや、多分ないでしょう。ただ、あまりにも偶然が重なっているので我々も戸惑っています。と言
うのは、杉田さんと同行している人物二人が」
「えっ。加勢君と山崎君のことがどうかしたと言うのですか」
つい樋口は久世の言葉を遮ってしまった。
親しくおつき合いもされている」
「そうです。彼ら二人は調査船播磨の深海探査艇のクルーです。そのことは先生もご存知ですよね、
久世は念をおすように言い、先を続けた。
「播磨はこの春から伊豆半島沖の深海調査プロジェクトを遂行しているのです。この年明けほどから
日本列島の太平洋側で微震が続いているのはご存知ですか。大地震が発生するのではないかとの懸念
が あ り ま す 。 そ の 地 震 予 知 の た め の地 質 調 査 を 播 磨 は し てい る の で す が 、 実 は 我 々 も こ の探 査 プ ロ
ジ ェク トに 陰なが ら 相 乗りす る こ とに した 訳 です 。 伊 豆 半島 沖に沈 んで いる 重力異 常を 起 こす 物体
が、一体何であるのかを知ることが我々の目当てであるのですが、アメリカを相手にした諜報作戦で
あるという側面があるために当然のように播磨のクルーたちには何も知らされていません。にもかか
わらず、最も重要な探査艇の二人がこの研究室の例の古文書探索に参加している。今回の偶然に我々
としても大変に驚いているところだったのです。そこで杉田さんも含めて彼らの身に危険が及ぶこと
にならないように早めに手を引いて下さるようにお願いに上がったという訳です。いかがでしょう、
これで納得していただけましたでしょうか」
暫くの沈黙があった。
「それで……、三条家の文書には一体何が書かれていたのでしょう」
「その重力異常を起こしている物体、と思われるモノに関する古代からの言い伝えが書かれていると
考えられるのです。その点については今も分析中です」
樋口教授がそこまで話し終えた時、仲居が水菓子と茶を運んできた。山崎や加勢にとって贅沢過ぎ
る料理もこれで終わりという徴であった。茶菓を出し終えて、あとはゆっくりどうぞと言う仲居に向
かって樋口が声をかけた。
「あ、サトさん。どうもありがとう。女将にもよろしく言って下さい。いつも顔を出す人が今日はお
出 ま し に な ら な か っ た ので、 我々 も ゆ っ くり と 話 が で き ま し た 。 気を 遣 っ て も らっ てあ りが と うと
言っていたと伝えて下さい」
樋口からサトと呼ばれた仲居は微笑んで頭を下げ、出ていった。
「先生、いつもこんなところで飯を食っているんですか。贅沢だなあ」
またも加勢が突っ込んだ。
「いや、年に一度か二度、教授会で使うだけだ。個人的に来たのは初めてだよ」
「ふーん」
加勢は 納得し ていな い 様子 であっ た 。 山 崎 の頬 が弛 んだ 。 山 崎 に は加 勢 の考 えが 手 に取る よ うに
判った。加勢は樋口と彼が見たこともないこの館の女将との関係を疑っているのである。そのように
色めいたことは山崎にとって絶対と言っていいほどに考えられないことであったが。
十一、 真相究明へ
「では、先生はこの件はこれで打ち切りになさるおつもりですか」
話をもとへ戻した助手の山口一哉だったが、その口吻には不満気な様子がありありとしていた。
「そうですよ。先生。私は脅されっぱなしは厭ですよ。こんな中途半端な、何がなんだか判らない状
態で、これでハイお終いでは納得しませんよ。こんなんじゃ何しに京都まで行ったんだか」
杉田洋子も不満を表した。
「そうだな、彼は君たちには手出しをしないと言っていた。しかし、現に京都で杉田君は手荒な、と
言ってもいいと思うが、そんな目に遭わされている。単なる警告とは言い難い気もする。それに私に
とってもこの事件は未だに何がなんだか解らない状態だ。三条家文書に一体何が書かれていたのか不
明なまま我々は欺かれ、文書をもぎ取られ、暴力的な扱いを受けた。そのもととなった物体Xが何で
あるのかアメリカ政府さえも、日本政府さえも解らないという。歴史的な遺産であるかも知れないそ
のモノについて、私はきちんと知りたいと思う。君たちはどうかね」
樋口教授はいつの間にか謎の存在に物体Xと命名していた。
「その通りです、先生」
洋子が直ぐに反応した。男たちも賛同した。
「やはり、そう来るだろうと思っていた。この料理屋を選んだのもそのためだ。研究室にやって来た
のは、当然、内閣調査室の連中だと考えていいだろう。あの男は多分室長クラスの人物だと私は思っ
ている。だとすれば、この件はそれ程まで上層部の人間が動かざるを得ないような重要なもので、一
般市民である我々が関与することが許されないような秘密事項であるに違いない。これ以上我々が首
を突っ込むのは危険であると言えるのではないかな。しかし、君たちがこれで引き下がるとは思えな
い」
加勢たちは頷いた。確かに誰も簡単に諦めそうな面構えではない。
「そこで今後の方針なりを検討したいということだ。
これからが話の本筋という訳だ」
「なるほど、ここは盗聴を警戒しての会議の場所だったという訳か」
「その通り。ここならばと考えてみんなに集まってもらったという訳だ。さて、どうやって我々の知
的好奇心を満たせばよいか、ということだが」
まるで少年探偵団のリーダーになったような気分で樋口はこの日の本題へ入っていった。
「幾つかの線からその物体Xへ、アプローチする必要があるだろう」
山口助手がぽつと言った。
「ひとつはアメリカだ」
「そりゃだめだろう。相手が大きすぎるし、危険だ」
加勢が返論した。
「いや多分大丈夫だ。ペンタゴンのコンピュータへアクセスしてみよう。いい人材がいる。大体アメ
リカ映画みたいにFBIとかCIAがむやみやたらに秘密を握った人間を消していくなんてことはな
いだろうし」
「 だっ て 、 そ り ゃ 犯 罪 だ ろ う 。 ア クセ ス と 言 っ て い る が 、 侵 入す る こ と を 意 味 し て い る ん じ ゃ な い
か。成功してもばれたら大事になる」
「いや、ならないよ。
アメリカは秘密裏に伊豆半島沖の調査をしようとしている。日本政府を欺いてまでもだ。それ程の
秘密事項をハッキングされたからといって公表はできないじゃないか。
十一、 真相究明へ
犯罪的な行為をしているのは向こうだ。このことにおいてアメリカ側に正義があるとすれば我々の
行為は 犯 罪となる が。 この場合は そうじゃ ないだろ う 」
「なる程、そう言えばそうだ。でも果たしてそううまくいくものなのか」
「明日、十一時に研究室へみんな来てください。一緒に工学部へ行きましょう。有能な人物を紹介し
ます」
山口は確信ありげに言った。
「よし、その件は山口君に任そう。みんなそれでいいね」
樋口が決定を下した。
「あと我々ができるアプローチは」
「それは山崎自身だ」
加勢が樋口の言葉を遮って言い放った。
「えっ」
その場の一同が声を出していた。
「加勢君、何のことなの」
洋子が腑に落ちないという高い声で聞いた。
「内閣調査室の男が言っていた調査のことだ」
加勢が洋子に向かって話し始めた。顔は杉田洋子に向けられていたが、全員を意識した言葉ぶりで
あった。
「俺たちはこの間から伊豆半島沖の調査で駿河湾側を潜っている。東海沖地震が予想される相模湾側
ではない。この冬から微振動が続いているために計画された地質調査であることは内閣調査室の男の
言 っ た 通り だ 。 俺 たち が 今 日 、 こ こ でみ んな と 話 を し て いる こと が で き る の は 、あ る 事 故 のお 陰で
降 っ て 湧 い た よ う な 休 暇が と れた せ い な のだ け れ ど 。 そ の事 故 と い う の は 前 回 、 我 々 が 海 底に い る
時 、 海 底 地 震 が 発 生 し た ん だ が 、 海 底 の 急 斜 面 を 転が り 落 ち た 岩 が 探 査 艇を 少 し 壊 し た と い う も の
だった。海底の岩なだれは海底近くの水を掻き回すことになるが、その時の乱流で探査艇がずいぶん
と調査予定区域から流されてしまったと考えて欲しい。その別海域で我々は海中の大岸壁に刻まれた
大きな傷跡を発見した。かなり大きく重く硬いものが深海へ落下していったときに刻み付けたような
痕跡だった。その段階で探査艇の電力にはまだ余力があったために、何が沈んでいるのか確かめよう
ということになった。そこでまったく理解できない事態が発生した」
樋口、洋子、山口の三人は明彦と加勢の顔を交互に見るようにして話を聞いていた。加瀬は明彦を
一瞥してから、三人に視線を戻し、話を続けた。
「その下に一体何があるのか、どれ程深く潜行すればそれを確認できるか判らなかったが、探査艇の
電源が許す限りで潜っていこうということになった。さらに潜行を始めた途端、山崎が気を失った。
俺たち のつき 合い はだいぶ長い し、頑丈な奴で持 病などあると 聞い たこともなかった んで少々 驚い
た。山崎の意識がないと一緒にいた地質学者が叫んだんで、俺は下へ降りて行って見てみると、こい
つが膝を抱えるように丸くなって寝ていた。いくら声を掛けても、頬をひっぱたいてもまったく反応
しなかった。呼吸はひどくゆっくりと深かった。まるでただ眠っているだけのような感じだった。ど
うしようか途方に暮れていると、照明からコンピュータまですべての機能が停止してしまったんだ。
艇 内 は 真 っ 暗 で 最 悪 の 状 態 に 陥 っ た と 思 っ た 。 そ う し て い る うち に そ の 地 質 学 者 が 、 ま た 叫 ん だ ん
十一、 真相究明へ
だ。外が明るいと」
加勢の話をその場で聞いていた全員が固唾を飲んでいたようであった。
「確かに観察窓から僅かな明りが差し込んできていた。真っ暗闇であるはずの深海でだ。はじめはか
細い青い光だったが、次第に黄色い光に変わり、強くなっていった。それが白色光になる頃、光自体
が脈打っているのに気がついた。その光を放っているのが何であるかは判らなかった。視界よりずっ
と下だったようで結局は見えなかったが、あれは絶対に深海生物の発光などではなかった。どれくら
いの間、光っていたのか記憶が曖昧でわからないんだが、たぶん一分程ではなかったかと思う。光は
白から黄色、青とはじめと逆に色を変え、弱くなっていった。その光がまったく消えてまうのと同時
くらいに艇の電源が回復した。その段階で電力の残りがほとんどなくなっていることが判ったので、
大慌てで浮上し始めた。山崎はまだ眠っていた。ぴくりともしないでね。もう艇の方は安心かなと思
いだした頃、こいつはあくびしながら起きてきやがった」
加瀬は隣りに座っていた明彦の後頭部を手で軽く叩くようにした。
「もしかしたら、例の物体Xが発光していたという可能性がある訳ですね」
山口助手が言った。
「そう思う。樋口先生の話で俺はようやく何かが見えてきたような気がしてる。深海底からあがって
きて来て以来、ようやっとぼんやりとではあるけれど、入り口が見えてきた、といったところかな」
「でも、さっき加勢君が言った山崎君自身という意味はなんなの」
杉田洋子が訊いた。
遠いところから寺院の鐘を撞く音が聞こえていた。
この樋口教授たちのいわば探偵団が結成された閑静な隠れ家のような店から少し離れた場所に、一
台の車が停まっていた。
白いトヨタのハイエースであった。運転席に人の姿はなかった。後部座席の窓は民間の現金輸送車
のように窓ガラスの部分は金属に置き換えられている。その外から見えない後部座席に奈良で洋子を
黒い車に強制的に乗せた小男が座っていた。相変わらずダークスーツを着ている。
そ の 他 に は 二 人 、 青 い つ な ぎ の 作 業 服を 着 た 男 たち が い た 。 三 人 は 縦 一 列 に 並 ん だ 椅 子 に 座 り 、
一 人 が 男 たち を 囲 ん だ 電 子 機 器 のパ ネ ルを 時折 操作 し てい る 。 電 子 機 器 の ほ と ん ど は 盗 聴 装 置で
ヘッドセットを付けて流れてくる音にじっと耳を傾けていた。
あった。必要な方向の音をすべて取り込んでフィルターを通し、目的の人物たちの会話を盗聴するも
の で あ る 。 一 定 レ ベ ル 以 上 の 想 定 外 の 音 量 が 入る と 雑 音 と し て 混 入 し て し ま う と い う 欠 点 が あ っ た
が、それ以外の点では理想的な盗聴器であった。
寺院の鐘の音は想定されていなかった。ヘッドフォンから聞こえていた洋子の声に雑音がかぶり聴
き取りができなくなったため、二人の作業着の男たちが慌てはじめた。小男は苦り切った表情で装置
の回復を待たざるをえなかった。
十二、 永禄十二年 京都北山・鹿苑院金閣
十二、 永禄十二年 京都北山・鹿苑院金閣
戦国のこの時期にあってはよく手入れされた庭園であった。北に小高い丘が見てとれる。京都では
かこ
このように小さく樹木が覆う丘も山と呼んでいる。どこからか雅びな王朝風の管弦の音が風にのって
りゅうず
聞こえている。
ふ なべ り
池に龍頭の舟が浮いていた。舟には二人の水主と管弦を奏でている伶人が数人乗り込んでいた。そ
わ ろう ざ
の者たちは皆、王朝風のいでたち風情である。
船首に近く、円座を数枚敷いて征夷大将軍足利義昭が上半身を船縁にあずけるようにして横になっ
ていた。舟は管弦の音を響かせながら、ゆったりと池面を回遊していた。
義昭は半眼で池の向こうを眺めていた。その視線の先には目映いばかりの楼閣が建っている。
「俺の祖先、義満殿はこの金閣を日本全国のすべての中心としようとしていたのだ」
義昭はある感慨をもって呟いた。舟に乗っている者には聞こえぬほどの小声であった。
『その通りでございます』
どこで誰が喋っているのか判らぬ、くぐもった声が義昭に聞こえてきた。管弦や水主の者たちには
聞こえぬようであった。その声に義昭は自分の想念から醒めるように我に返った。何気ないそぶりで
ごい ち
船上を見回したが、誰も将軍の動きに気づいた様子は示していなかった。
「其一か」
義昭は船上の誰にもわからぬように小声で言った。
『はい。その通りでございます』
「相変わらず不思議な奴じゃの。姿は見せずに話をしよる」
義昭は独り言の続きのように言葉をつないでいた。
「で、光秀の方はどんな様子じゃった」
『近江八瀬の郷に孫二郎と申す者がおります。その者の屋敷にて石にまつわる物語を仕入れましてご
ざります』
「して、その石とは本当に大いなる力が宿るもののようであるのか」
『儂はただ床下に忍んでその話を伺い知ったのみにて、話の石がどれ程のものかは判り申さず』
『孫二郎の家系は渡来氏族にて……』
「そうであったの。では、その屋敷での話の始終を聞かせよ」
義昭に其一と呼ばれている男は孫二郎の屋敷にある倉の床下に忍んでいたのである。そこで盗み聞
いた光秀と孫二郎の間に交わされた会話をこと細かに報告した。管弦の者たちは次々に音曲を変えて
奏で続け、舟は彼らを乗せて池をゆったりと周回していった。
暫くの後突然、義昭は甲高い声を発した。
「あれへ着けよ」
義昭は扇で金閣を指し示した。水主たちは慌てて龍の頭の付いた舳先を向けた。
水主たちは舟を金閣の池に突き出した釣殿へ着けたものの水位の低い池ゆえにとても舟から釣殿へ
上がるのは無理があり、また狼狽してしまった。
「よい。岸へ着けよ」
水 主 たち はほ っ と し た 。 原 因 が ど う で あ れ 、 我 が 意 に 叶わ ぬ と き に は 雷 を 落 と す のが 常 の 主 人 で
十二、 永禄十二年 京都北山・鹿苑院金閣
か ん ぺき
あった。癇癖の性である。いつもの様に義昭に叱責されると思っていたので、主人の穏やかな言葉が
意外であった。
義昭が岸へ上がり、彼が建物の中へ入るのを見届けた舟の上の者たちは顔を見合わせた。それぞれ
くきょう ちょう
の顔には安堵の色が浮かんでいた。
義昭は一人無言で「究境頂」と名付けられた最上階へ登っていった。
金 閣 は三 層に 造 ら れ た 楼 閣 であ る 。 下 の二 層が 寝 殿造 り と なっ て お り 、三 層目 が 禅 宗 様 の造 り と
なっている。
義昭は階を登りつつ意識していた。寝殿造りは平安京の全盛期といってもよい藤原氏などの貴族が
宗と言えば鎌倉幕府によって憮育された新仏教であり、自己の力で解脱しようとする力強い武士その
ぶいく
力をもっていた時代の建築様式である。金閣の下の二層は貴族勢力を表現している。三層目を造る禅
ものを表している。金閣は武士が貴族をひれ伏させ支配する社会構造を象徴するものであった。
さんだ つ
足利義満は南北朝の動乱を終息させ、全国守護大名のみでなく貴族皇族をもその足下に置いて日本
国の主となろうとした。やがては皇位の簒奪をも窺っていたと伝えられている。その時まさにこの金
閣が新たな政庁の中心となろうとしていたのである。この金閣を取り囲む広大な区画に多くの建物が
建てら れていた。 それらが大 内裏にとっ て替わり 、日本 国 の政治 の中枢となる機能をもつ筈で あっ
た。義満が京都室町に築いた広壮な「花の御所」は雑件を処理するための建物群に過ぎなかった。最
も重要な政治的な案件はこの金閣と付属の施設で決定されるはずであった。日本国における最高の権
さんからど
力、そして最高の精神世界の中心となるべきものとして建てられたのが、金箔を貼りめぐらせた目映
いばかりの、この楼閣であった。
究境頂は予め義昭が指示していた通りに桟唐戸が開け放たれており、すがすがしい風が柔らかに吹
かと うま ど
き 抜 け て い た 。 花頭窓 と い う 上 が ア ー チ 型 を し た 窓 か ら 庭 園 の 木 々 の 上 に 広 が る 青 空 が の ぞ い て い
た。床には漆が幾重にも塗られ、木炭で徹底的に磨きあげられている。その鏡のような床に青空が照
り返り、眩しい程であった。
義昭は部屋の中ほどへ座った。青空の中に刷毛ですっと掃いたように絹雲がたなびいていた。その
薄雲を眺めながら義昭は呟いた。
「それで、信長には伝わっているのか」
「今頃は明智様ご自身が織田様の前で物語りしているかと」
いつの間にか義昭の背後、部屋の片隅に片膝をついた形で男がしゃがみ込んでいた。青年期を終わ
贅を尽くした部屋にちぐはぐであった。義昭は空を見上げたまま、男を振り返ることもせずに話を続
ろうとする程の年格好の男であった。乞食でもしているかのような粗末な身なりをしており、それが
ごい ち
けた。
「其一。この話、お前自身はどう思う。本当にあり得るものか」
「それはお上ご自身が決められること。儂はご指示に従うまで」
すっぱ
らっぱ
くさ
義昭が知る限り、其一はそれまでも決して自分の考えや思いを示したことはなかった。この男は徹
底して透波・乱波の役割を果たす草として己を処しているようである。
「草か。一体、その方ども草とは何じゃ。床下や屋根裏に忍び、敵陣に混乱を巻き起こす。失敗して
姿が露わになればその場で死する。ただそれだけのものか。お前もこの世に生きておるのじゃ。何か
考えることもあろう」
いつの間にか話題が其一たち忍びの者たちの生き方にすり替わっていた。
「お上がそのようにお考えになれば、その通りでございます」
十二、 永禄十二年 京都北山・鹿苑院金閣
其一の受け答えはいつも同じであった。吹く風に柔らかく身体を揺らしてすべてを流れに任せるの
である。正に草そのものであった。
「もうよいわ」
義昭は考えるのをやめた。
「石の話に信長がどう出るか、見極めて参れ」
「…………」
瞬時の後、すでに其一の姿は部屋にはなかった。
いちごはゆめ
風が吹いた。空気の流れは義昭ただひとりが部屋の中にいることを肌に感じさせていた。将軍であ
るこの男は再びおのれの世界へ入っていった。
「世の中、何がどうなるのか判らぬものじゃ。
な に しょ う ぞ
ほんに憂き世。狂うだけ狂ってみせるとするか」
庶民のうちに流行っていた『何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ』という今様を引いて呟
いてみせた。それは自分自身へ決心したことを説得させるための軽い表現にすぎなかった。しかし、
ほうおう
後にその決意が都全体を巻き込んでの大きな騒動になるとは想像だにしていなかった。
究境頂の床の中央に義昭は座していた。頭の真上、屋根の頂点に鳳凰が立っているはずである。世
界で最も崇高な存在の鳳凰が頭の上にある。義昭は自分に相応しい場所に今いるのだと感じていた。
やがて天下は自分のものになる。そうならねばならぬと考えていた。
それから数日のうちに義昭は摂津の石山本願寺や比叡山延暦寺、近隣で反織田信長の立場をとる戦
国大名の多くへ将軍御内書と呼ばれる親書をしたためることに忙殺されることになった。
十三、 侵入
不忍池近くの料亭での会合のあった翌日。昼にはすこし間のある時間、山崎明彦は加勢浩一郎とと
もに樋口康夫の研究室を訪れた。研究室では杉田洋子と助手の山口一哉が待ちかまえていた。
樋口はいつもと変わらず、穏やかな面もちでデスクの向こうから微笑みかけていた。
言っては窓から下を見下ろしていた。これ以上、杉田君を待たすととんでもないことになりそうだ。
「やあ、お二人さん。杉田君は随分といらいらしているようだよ。さっきから君たちが遅いおそいと
早く一緒に行ってくれ」
「その通り。もう少しで私一人でも行ってしまうところだったわ」
洋子は笑いながらも、座っていた椅子から腰を浮かしていた。
「先生は一緒に行かれないのですか」
「いや、私は遠慮する。行きたいのはやまやまだが、私が工学部などへ顔を出したら、あちこちから
いらぬ質問を山のように受けそうだからね」
明彦に樋口は手のひらを上にして肩ををすぼめて見せた。仕方がないという仕草であった。
「あちらの人物には連絡してあります。今朝、詳しく話をしてきました。それじゃ行きましょう」
山口は研究室のドアを開けながら言った。
研究室棟の廊下は建物の中心を一文字に通っていた。廊下を行くと両脇に各研究室が並んでいる形
になっている。採光のために天井は透明な硬質アクリルでできており、自然光が満ちていた。彼らの
十三、 侵入
他に歩いている者はいなかった。洋子の靴のヒールの音がこだましていた。
「山口さん、そのコンピュータの達人は大丈夫な人なんですか。我々のことはなるべく他には知られ
ていないほうが良いと思うんだけど」
加勢が小声で訊いた。
「いや大丈夫です。ちょっと浮き世離れした奴で、その意味では変人かも知れないが。僕がみなさん
の話や体験を信じたように彼も信じてくれたはずです。だから協力をしてくれる気になった。だいた
い今回の話は科学系の人間には信じがたいものですが、彼は信じた。ただ、今の彼はハッキングしよ
うという話自体にワクワクしていて、他のことに興味はないと思うけれど」
山口はエレベーターを呼ぶボタンを押しながら、確信をもった話し方をした。
「 ち ょ っ と 。こ こ で そ の 話 は や め ま し ょ う よ 」
洋子の顔に不安の色が浮かんでいた。男たちはそれを見て、樋口が昨夜も盗聴を警戒していたこと
を思い出した。迂闊だったと気づいた。エレベーターの中は自然と無言になってしまい、妙な圧迫感
に支配されてしまうことになった。
一行はキャンパスを南へ歩いていった。講堂兼用の体育館が建っており、その前には妙に広いコン
クリートで固められた前庭があった。そこの光景に加勢が学部時代を想い出した。体育の講義でボク
シングを選択して、授業中にノックアウトを喰らってしまった話を始めた。模擬試合の形式でガード
を固める練習をしていた時のことだった。加勢が想いを寄せていた女学生がたまたまリングの脇を通
るのを眼の端にとめてしまったために、注意がそちらへ行ってしまい、相手のフックが見事に決まっ
てしまったという話だった。
「あの時の相手というのがまた、学部一番の運動音痴とみんなに思われていたひょろひょろの奴だっ
た 。暫 く の間はそ れで面目 丸つぶ れ 状 態 さ」
「 そ う そ う 、 そ んな こ と が あ っ た 。 俺 も よ く 覚え て い る 。 タ ヌ キ み た い な 眼 の 回 り のあ ざ を つ くっ
て、夜でもサングラスをかけていた」
体育館から工学部キャンパスへさしかかる頃、学部時代の笑い話で盛り上がり、再びいつも通りの
明るい仲間たちに戻っていた。
山口は工学部の建物の真ん中に開いている大きな入り口から中に皆を案内していった。山崎たちの
勝手知った建物であったが、卒業以来ご無沙汰していたので改築部分を知らずに戸惑ってしまった。
山口はそんな二人を見て解説した。
品が設置された訳ではありませんでした。未完成部分をこの大学で研究せよということで国が置いた
「純国産のスーパーコンピューターが導入されたのはご存知でしたか。とてつもないやつです。完成
ということです。まだ現在でも完成していません。しかし、実際に動いています。現在の完成部分だ
けで、つまり将来完成した時にはパーティションで分割して動かせるようにしたプログラムを作った
のですが、その一部分だけが独立して動いているのです。これから紹介する遠山は、そのプログラム
をひとりで作ってしまった」
話しながら山 口は 建物を すり 抜け て裏口から 出た 。 明彦たち は工学 部の建物の中に目指す コン
ピューターがあるものと思っていたので再び戸惑ってしまった。
「大変な費用がかかったでしょうね。コンピューターのために新しいビルを建てたのですから。この
建物だけでもすごいしろものですよ」
彼らが学生時代に知っていた工学部の建物から裏に出た所に、ま新しい二階建ての白い建物があっ
た。一行は建物の端にある自動ドアの前に立った。山口は大学職員のIDカードをリーダーに差し込
十三、 侵入
んで暗証番号をテンキーに打ち込んだ。ステンレス製のドアが開き、彼らは内部へ足を踏み入れた。
入った途端に激しい風圧を受けた。
「あっ、すみません。エアカーテンがあることを忘れていました。これは入室者を感知して作動する
ので心の準備が必要でしたね」
「私、スカートなんだから忘れないでよ」
手を腿のところに当てて杉田洋子は本当に怒っていた。一般のエアカーテンとはまったく異なり、
三メートルの距離を風圧を受けながら進まねばならなかったのである。その間の会話であった。
エアカーテン区画を通り抜けると、白い世界があった。床も壁も天井も白く塗られていた。
「ちょっと、なんかすごい建物ね。こんな中に長く居たら精神的にまいっちゃう」
「いやこれ程ひどいのはここだけです。あとの所はちゃんと色が使われています。これは埃やゴミの
ための対策なのです」
さらに奥へ進みエレベーターのボタンを押した。ドアが開くとエレベーターの中は薄いグリーンに
塗られていた。エレべーター内にボタンはなかった。ドアが閉まり動き始めた。
「あっ。下へ行くの」
加勢が意外だというように訊いた。外見から二階建ての建物とばかり思い込んでいた。なんとはな
しにエレベーターは上へ登るものと勘違いしていたのである。
「 ええ 、 地 下は 五階ま であ り ます 。 地 下一 階で エ レベ ータ ーを 乗 り 換え て三 階 ま で降 り ます 。 コン
ピーター本体は四階と五階にあり、三階に全体のコントロールルームがあるんです。遠山はそこに居
るはずです」
地下一階で彼らは食事に出るスタッフたちとすれ違った。山口はその中の何人かと顔見知りのよう
で一言二言の軽い挨拶を交わしていた。スタッフたちは地上へ行くエレベーターに乗り込み、明彦た
ちはさらに下へ行く別のエレベーターに入った。今度はエレベーター内に行き先階のボタンがついて
いた。山口は地下三階を押した。
「山口君、知り合いが多いのね」
洋子が感心したように言った。
「まあ、コンピューター好きの仲間といったところですね」
彼らは幾つかのセキュリティチェックを通過して、コントロールルームのドアの前に到着すること
ティを確保しようとするなんて。この施設に国はかなりの予算をかけているだろう。しかし、部外者
ができた。加勢は不思議に思った。こんなにまでしてこの最新式のコンピューターに関するセキュリ
の自分たちが平気で入れる。
ドアが開き部屋の中へ入って明彦たちは不思議な感覚に襲われた。コントロールルームの正面の壁
は一面に幾枚もの大きな液晶パネルで覆われており、それぞれが別の色の幾何学模様を描き出してお
り、それぞれの模様は次第に別の幾何学模様へ変化を続け、色も次々に変わっていった。まるで万華
鏡のようであった。ごく普通の大きさのディスプレイとキーボードのセットが五つほど中央に並んで
いた。その端のセットの前に向こうをむいて男が座っていた。部屋の中にはその人物一人きりであっ
た。
男がふいに椅子を回転させて振り向いた。どちらかというと童顔の三十才ほどだろうか、まるで研
究者と言うにはふさわしくないタイプの男であった。学業など放っておいて遊び回っている大学生の
ような感じのする人物である。彼は明彦らを見て立ち上がった。山口は遠山に近寄りながら彼らに紹
十三、 侵入
介した。
「遠山幸弘君です。とてつもない男ですよ」
遠山は顔を赤らめて頭を掻いた。
「山口君から聞いています。みなさん大変な目に遭われたそうですね。杉田さんはさぞかし怖かった
でしょうね。加勢さん山崎さんはいつでも危険を目の前にしていらっしゃるが、また不可解な体験を
されたそうで」
遠山は話しながら彼ら一人ひとりと握手していった。すこし訛があった。
山口はみんなの少し不思議に思うような表情を見てとって言った。その解説で彼らは納得した。な
「こいつはアメリカ生まれで、あちらでの生活が長かったんです」
にしろ初対面の時に握手するなどといった風習になじみがなかったのである。
「すごい画面ですね、これはいったい……」
加勢が訊いた。
「ああ、ちょっと悪戯していたところです。現在、ハルがおこなっているプログラムの計算状況を逐
次、形状や色で表すようにしたんです。なにか幻想的でいいでしょう」
「我々はこの建物全体をディスカバリーと呼んでいます。そしてコンピューターのことはハルと」
山口が解説を加えた。
「なるほど、2001年宇宙の旅ですか」
「ええ、あの映画に出てきた人格をもったコンピューターがハルという名前でした。映画では人を殺
してしまいましたが」
杉田洋子も以前に見たことのある映画を思い出した。
月面で謎の石板が発見され、その謎を解明するために木星への調査に宇宙船ディスカバリー号が向
かった。しかし、船内のコンピューターが狂いはじめ、乗組員を次々に殺してしまうという筋書きの
映 画 で あ っ たと 記 憶 し て い る 。 文科系の洋子にはドイツの哲学者ニーチェの「超人の思想」を象徴化したものであるといった印象
が強く残っただけの映画であった。機械が自分で何かを考えるなんて夢のまた夢のようなことであっ
た。
遠山は悪戯っぽく微笑んで話しを続けた。何か子どもっぽい表情であった。
「実はここのコンピューター・ハルも自分で考えはじめているところなんです」
洋子が呟くように言った。
「まさか」
「ということは脳型コンピューターなんですか」
加勢が訊いた。
「ええ、半分は従来型のものなんですが。それでもクレイ社の最新型スーパーコンピューターに匹敵
したものです。それで残りの半分が、まだ開発中なのですが、脳型のものになっています」
「 脳 型っ て 」
洋子が質問した。
「簡単に言えば、演算子を並列に、超並列に置いたコンピューターで、人間の脳の構造をモデルにし
たものなんだ。だから計算速度が抜群に速いし、経験の積み重ねで思考することができるようになる
と言われている」
明彦が説明した。
十三、 侵入
「そうです。世界中の各研究機関で開発が進んでいます。多分、最終的には世界中の脳型コンピュー
ターをインターネットでリンクさせて巨大な頭脳に成長させることになるだろうと思います。量子コ
ンピューターが実現すればそれこそあっという間のことになるでしょうけどね」
「気持ち悪い。そんなことしたらまるで映画のハルのようにならない」
洋子はぞっとしたように訊いた。
「 そ の ため の研 究 も含 ん でい ま す 。 こ こ のハ ル は 従来型 のコ ン ピュ ータ ーが 脳 型を 制 御 する よ うに
なっています。今は従来型で脳型の自己プログラムを組んでいるところなんですよ」
「ふーん」
遠山の説明に洋子は納得いかない様子である。
「さて、そろそろ我々の今日の課題に取りかかりませんか」
山口が促した。
「そうですね。用意はできています。まず最初にイスラエルのある商社のコンピューターにアクセス
します。当然、人に知られないようにですが。我々コンピューター好きの人間たちの間では、外国の
幾つかの会社がそれぞれの国の秘密諜報機関が隠れ蓑にしている会社であることが知られています。
これからアクセスしようとする会社は最近になってイスラエルの諜報機関モサドが使っている会社
であることが知られはじめています。当然、一般には知られてはいないことですが。多分日本政府も
知らないでしょうね。この大学の政治学部の人間の話によるとモサドとイギリス情報部MI6は親密
な関係にあるそうです。この関係を利用してイギリスへ渡り、さらにMI6と合衆国国防総省ペンタ
ゴンとの優先回線を利用してアメリカへ侵入します。そんな手順を踏んで、他には判らないように物
体Xについての情報を引き出そうという訳です。今アメリカ東部は午後十時ほどでしょう。残業の職
員たちも帰って、保安要員と兼任の当番職員くらいしかいない時間帯になっています。アジア地域に
何か緊急を要する事件が起こっていれば、アジア担当職員がきっと残業しているでしょうが、多分大
丈夫」
「話としては解りました。でも、そう簡単にいくの」
不安そうに洋子が言った。
面白そうに加勢が力強く言った。 「まあ、やってみようじゃないか」
「実は、すでにペンタゴンにその手で侵入している奴がいるんです。しかも発覚していないのです」
遠山は悪戯っぽく微笑みながら言った。
「僕が推測するに、それをやったのはあなたでしょう」
明彦が、すでにキーボードを叩き始めた遠山の横顔をのぞき込みながら、面白そうに訊いた。
「ええ」
遠山は嬉しそうに答えた。
この大学が信頼して抱えている若き「コンピューターの天才」が天才ハッカーでもあることに杉田
洋 子 は 呆 れ て し まっ た 。 きっ と 助 手 の山 口 も ハ ッ カ ー 仲間 な のだ ろ う 。 嬉々 と し て 遠 山 の肩 越 しに
ディスプレイを眺めている山口を見て思った。
加勢も明彦も熱中したようにディスプレイを覗き込んでいる。
洋子には男というものが解らなくなってきてしまった。
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
夜の明けかけた比叡山延暦寺。
天台宗叡山の精神のただ中にある根本中堂。
夏とはいえ朝の冷気が一段と強くなるのを感じる時間であった。立ちこめた霧が辺りの杉木立をぼ
んやりと見せていた。その霧が次第に薄らいできているようである。
まるで音がなかった。深閑とした静寂のみがあった。湿気を含む重い大気が少しずつ伽藍と周囲の木
立の間を動いている。
中堂の前に行者姿の男が立っている。俊海であった。
風にはならないじっとりと重い大気の流れをその片頬に受け止めながら俊海は中堂の前に微動だに
せず立っていた。
「そろそろ始まるな」
低く呟いた。暗鬱な声である。
極く僅かながら耳を圧迫するような低音を俊海は感じ取っていた。まるで遠い海のうねりが鼓膜を
微かに刺激しているかのようでもあった。
突然、その低音とは別の「ザー」という夏の日の夕立が森の木々の葉を打つような音が聞こえ始め
た。その音は周囲から次第に大きくなった。山の麓の方角から沸き上がるようにそれがやって来るの
がはっきり判った。間もなく耳を覆いたくなる程の大きな雑音となって根本中堂を覆った。
またしても突然の出来事であった。あれよという間に空いっぱいに黒雲が湧き、明けかけていた朝
が夜へ逆戻りしたように暗くなった。山の中で木立の隙間から覗くようにして見える空は平地のそれ
よりも大変に狭い。その狭い空を覆っているものを眼をこらして見ると雲ではなかった。鳥である。
俊海の見たこともないような鳥の大群であった。幾種もの鳥が混ざりあい、まるで黒雲のように天を
覆っているのだ。耳を覆いたくなるような音はこれら無数の鳥の羽ばたきによるものであった。妙な
ことに鳥たちは鳴き交わすことすらせずに、必死で羽ばたいている様であった。
俊海が見上げるうちに、鳥の大群は北へ去っていった。仲間が飛んでいった方角を見失ってしまっ
た数羽の鴉がおろおろするように中堂の周囲を飛び回っていた。
鳥の黒雲が去って暫くするうちに、先ほどまで聞こえていた耳の奥に感じていた低音に鋭い音が微
かに混入するようになってきていた。
眼を瞑っている俊海にはその音源が何であるかが解っていた。そしてこれから叡山全体をどのよう
な悲劇が襲うことになるのかも俊海は悟っていた。
「あの鳥どもにすらこれから起こる阿鼻叫喚の地獄図絵が判っているのか」
ため息ともつかぬ独り言が洩れ出た。
それよりも少し前。俊海のいる根本中堂から遠く隔たった比叡山の麓。琵琶湖側は坂本・千野・仰
木。京都に近い西側は八瀬といった比叡山に至る、およそ人が立てるであろう路々には兵士が溢れか
えっていた。
異 様 な 光 景で あ っ た 。 火 の つ い た 松明 を 手 に し た 兵 士 は 背 に 幾 本 も の 交 換 用 の 松 明 を 背負 っ て い
た。それらの照明を担当する兵士たちが一定間隔をおいて進み、その間を一般武装の兵士たちが松明
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
の明かりを頼りに足下に注意しながら山を登りつつあった。
兵士たちの甲冑は平時の合戦の際のものと比較して簡素なものであった。比叡山には武装した悪僧
(僧兵)たちがいるが、それらはこの兵士集団にとってものの数ではなかった。僧侶たちを相手とす
ね ひび き
るには通常の合戦の時のような重装備は必要なかったのである。それでもやはり甲冑や武具の擦れあ
う音は行軍する際に発する独特の音響をたてていた。
小隊 を 指 揮する 組 頭 は 叱 咤 激 励 の大 声を あ げて い た 。 特に 督 励を 要 す る よ うな 道 筋 で はな か っ た
が、そのようにせよとの指示を受けていたのである。
なり わ い
その組頭に催促されるように進む兵士たちの中には、無言で目を交わす者たちが少なくなかった。
も多少の信仰心はあった。戦国乱世に生を受け、生きていくためにこの道へ入ったものの、もともと
そのような者たちは例外なく信心深い兵士たちであった。人を殺すことを生業とする兵士たちですら
もっていた臆病な一面を形だけの信仰で補っている者も数多くいるのである。言い逃れることのでき
ぬ人殺しという大罪を日々犯しつつ、それでもやむを得ぬ所行として認められるのではないかと微か
ながら仏の大慈悲を頼りにしようと考えている者たちであった。
しかし、彼らがこれから向かおうとしているのは比叡山延暦寺であった。殺せと命令されている相
む げん
手は太刀を取って向かってくる憤怒の相の敵兵ではなかった。僧侶たちであった。自分が僧侶殺しと
なることから逃れる手だてはないものだろうかと思っていた。僧侶殺しは無間地獄へ落ちると言われ
ていた。永遠に続く阿鼻叫喚の無間地獄への転落から逃れる手だてはないものかと思案する兵士たち
であっ た 。
普段から信心深い者たちは互いを認識し、連れ添うようになるところがあった。進軍しつつも同じ
信仰をもつ仲間が今何を考えているのかと互いの眼を覗き込んでいた。
逃れる路のないことはすでに判っていた。比叡山焼き討ちを全軍に命令するにあたり、信長は焼き
討ちに反対する家臣たちの首を刎ねて見せしめにした。それはつい昨夜のことであった。信長は自分
しん がり
の命令に従わぬ者の末路を示したのである。そしてまた、神仏など信じることのない、血を好むよう
なまるで残虐性をむき出しにしている忠実な家臣を選りすぐって進軍の殿としていたのである。僧侶
殺しを嫌って逃げ出す者があれば、たちまちにして彼らによって切り刻まれるのは明白な事実であっ
いくさ
た。このまま突き進んで僧侶たちを殺し、堂を焼き払うしかなかった。やがては地獄へ堕ちるのであ
れば、今はただ戦での手柄を認めてもらおう、せめてこの世で栄達だけはしておこうかと腹をくくる
しゅったつ
しかないようであった。
おお ぎ
仰木を出立して山を登る軍勢があった。
よか わ
こ は んと き
む
仰木からは琵琶湖を背にして西へ山道を登っていく。登路は次第に南へ向かうようになり、そのま
ものが し ら
ま横川に至る。北から延暦寺に迫る道であった。仰木出立から小半時した頃、苔生した山の細道の彼
とき
方に小さな堂が見えてきた。突如、先頭に立った物頭が奇声をあげて走り始めた。後に続く兵士たち
も負けじと鬨の声をあげながら走った。抜刀した兵たちが堂へ突入すると間もなく、金銅づくりの薬
師如来座像が蹴出され、ガラガラと凄まじい破壊音が響き渡った。薄暗い谷間の小堂がやがて火に包
まれた。抜刀したままの物頭は悔しそうに出立を宣言した。金目のものがなかった、そして血祭りに
あげるべき人間がいなかったのである。
この小堂に入っていた間に、すでに彼らは仰木路軍の先頭ではなくなっていた。小堂を破壊してい
ぜ にか ね
る間に二番手を登ってきていた隊が先を越していたのである。次に建つ堂塔から女の悲鳴が聞こえて
きた。男たちは手柄ばかりでなく銭金や女を横取りされてなるものかと争うように小走りに登りはじ
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
ぞうひ ょう
め た。
雑兵たちが町や村で女たちを凌辱することは許されていない。国衆や譜代衆といった寄親と呼ばれ
る上級の者たちはそれを表面上は許すことはできない。しかしながら寄子という下級の足軽たちが物
陰へ女を引きずり込んで犯すことのあることは知っている。すべてを厳しく禁止してしまうと足軽雑
兵たちが上の身分の者に従おうとする気持ちを損なわせることになる。見て見ぬふりをしているので
ある。金目の物を略奪するのもそうである。戦闘に支障のないような小さな物を懐に入れるのはかま
わない。銭、金銀は戦いの邪魔になるものではない。そのような余禄がないと彼らは命を懸けようと
はしないのである。
この山で女の悲鳴があがるということは、そこに金目の物があるということを意味していることを
彼らは察知していた。比叡山で女を引き込んでいる坊主は銭をたんまりと持っている筈だということ
である 。
俊海は依然として微動だにせず建物の前に立っていた。逃げるべき方角を失ってしまった鳥たちも
す でに 何 処 へ と な く 去 っ て し ま っ てい た 。 黒 雲 の よ う な 鳥 の 群 れ が 飛 び 去っ て か ら 一 刻 が 経っ て い
た。
どこから現れたのか俊海に向かって音もなく近づいてきた男がいた。足取りは自信に満ちていた。
この比叡山で驚天動地の出来事が起きつつあることはすでに誰にも察しのつく状態となっていた。叡
山の寺院群の中でうろうろしていれば命を奪われるだけであろう。にもかかわらずこの男はゆっくり
と歩を進めていた。決して自失の緩やかさではなかった。
俊海は根本中堂をまるで守護しようとするかのように中堂を背にして立っていた。手の届く程に近
ご いち
づいた男は俊海の顔を一瞥するとその隣りに並んで立った。足利義昭の抱えている忍びの其一であっ
た。俊海はこの知らぬ男の顔をあえて見ようとしなかった。
「貴僧のその装束、回峰行でもやっているのか」
其一は遠慮のないものの言い方をした。百年の知己であるかのような口吻であり、嫌みのこもらぬ
口調でもあった。
「そうじゃ」
俊海も簡単だが、どちらかというと快活な言い方をしていた。
「とてつもないものが始まるな。お主にも判っておろう。織田信長は叡山にある者を皆殺しにするつ
もりよ。もとはといえばつまらぬ……」
最後は口ごもってしまった。つい軽口をきくつもりでいたのであろうが逡巡したのである。
「織田は自分の思いに叶わぬので叡山を焼き払うつもりであろうに」
俊海は其一の止めてしまった言葉の先にあるであろうことを誘われるようにして言った。
「いや、そうじゃが、違う」
「訳の判らぬことを言う」
俊海は快活に笑い始めた。笑う一方で自分とさほど歳はかわらぬであろうこの男に興味を持ちはじ
めていた。男の方も同様であろう、気で悟った。
「比叡山は昔から朝廷の加護を得てきた。朝廷を損なおうとする勢力に対して刃向かう気分が強い。
わし
しゅ
そこはお主もようご存知の筈じゃ。だからといって、あからさまに織田に逆らうようなことはして
おらんじゃったが、ここで反織田の色を鮮明にしてしまった。儂の主がせいよ。儂が今仕えておるお
人が叡山に働きかけてしもうたためじゃ。足利の将軍様じゃ」
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
「足利義昭か。とうとう形だけの将軍でいるのに飽いて自分自信の幕府が欲しくなったという訳か。
ころ
それで叡山をも取り込んで織田への包囲網を造ろうとしたということなのだな」
「そうよ。しかしなあ、芸のない男が上手く舞おうとしたところですぐに転げてしまおう。将軍殿の
仕掛けは信長には通用せなんだわ。儂も今日あたりで将軍殿とも手を切ろうと思っておる。主として
はなはだ頼りなさ過ぎるでのう。明日から儂は無頼の生活じゃわ」
「足利将軍殿に仕えているお前様がどうしてここにいる」
さ いと う
たっちゅう
俊海は聞いた。足利義昭に仕えているという男が何のために焼き討ちの場にいるのだろうかと思っ
たのである。
まおう。儂もそれではきっと明日からの寝覚めが悪くなろうから、叡山から落とし奉ろうと思ってお
「なに、将軍様は西塔の塔頭の一つにおられるのさ。このまま放っておけば織田勢に押し殺されてし
るところじゃ。それでここにおる。将軍様の御身がもう少し危うくなったところで助け出さんと面白
うないからの。それでもう暫く待とうというとろだ」
「織田信長は足利義昭がこの山中にいるのを承知か」
「おう。承知の上、叡山僧ともども誰と判らぬうちに殺してしまおうという算段よ」
「しかし、足利殿もよくよく運のない男よのう」
「そうだのう。石の話なんぞ聞かなくば、もうちょっとは将軍として贅沢三昧の生活が続けられたも
のが」
俊海は内心びくっとした。驚きを気取られないようにそっと言葉を出した。何気なく。
「石?」
「そうじゃ。石の話よ。とてつもない力を秘めた石がこの国にいくつかあって方々に埋っておるそう
じゃ。その石の力を使えば全国を切り取ることができるという。そんな馬鹿な話があってたまるか。
その石の話を織田信長は明智を使ってかき集めさせておった。あの神も仏も信じぬような男がだ」
「その話を足利義昭も知った、ということか」
「その通り。教えたのはこの儂じゃがな。そんな子どもの絵草紙のような話が明智の一族やら近江の
八 瀬 の 郷 士 の家 に も 伝 わ っ て お っ た 。 他 愛 も な い 物 語 を 八瀬 の百 姓 屋 の 爺 様 と 明 智 光 秀 が し て お っ
た。それを床下で儂が聞いていて足利様へ報告したという訳じゃ。織田が集めた話を信じた足利将軍
殿はその石の力で幕府を再興しようと考えた。そこで石のひとつが埋まっている叡山を取り込もうと
した。運良く新興の織田勢力を快く思っていない御山じゃ。何通かの朱印状が密書となって叡山へ送
其一は溜息混じりに言葉を吐き出した。いくぶん皮肉がかった様子でもあった。
られた。その挙げ句の果てがこれだ。芸無しが転げよった。密書が信長の網にかかったのよ」
「果たして、そんな石がいくつもあるのか」
「だということじゃ。その話ではの。近江の石塔寺に渡来人たちが担ぎ上げて祀っていたやつは信長
がもう手に入れとるわ。大層重い石じゃったが、大人数を繰り出して降ろしているのを儂も見物させ
てもろうた。都でやった石引きのように、信長めは石の上に立っておったわ」
全山焼き討ちという異常な出来事が起ころうとしている中で、ふたりは平然とよもやま話のように
会話をしている。
「あちこちに散らばっている石を集めるのであれば、石を手に入れる前に全国を平定せざるを得まい
に。石の力を頼る前におのれの力で平定してしまっておるということにならんか」
め くら ま し
「話では、それがそうでもないということじゃ。ま、そんなあほなことがあってたまるものか。織田
信長はもっと理に叶ったことを好む男かと思うとったが、こんな幻術のようなものを求めるとはな。
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
うつ
まさに〝尾張の虚け者〟。騙されたかどうかもうじきにわかる。浮き世の笑い者になって、ちっとは
世の中をまともに見るようになるだろう。儂は信長という奴はもうちょっとましな男かと思うとった
が」
信長の若い頃、その無軌道ぶりから尾張の虚け者と言われていた。父の信秀が苦労して築いた尾張
織田の勢力であったが、それも子どもの信長の代で終わるだろうという意味が込められていた言葉で
あった。
俊海はこの見知らぬ男が実は織田信長を好いているのだと感じた。少なくとも今の主である足利義
昭よりは信長を好んでいるのは明らかである。俊海が会ったことのない二人であったが、きっと人と
して義昭は劣っているのであろうと思った。
「して、叡山の中のどこにその大変な石はあるというのか」
「そうじゃな、叡山で修行中の身であれば知りたいことじゃろ。ま、今日でその修行もできなくなる
だろうが。日吉の古社の下に埋まっているとのことじゃ」
俊海は頷いた。俊海にとって既に周知の事実であったが、この男がどこまで知っているのか確かめ
たかったために訊いた。そうか、知っていたのかという意味で頷いたのである。
其一は妙なところで頷く修行僧だと思った。多分叡山には何か別の形での伝承なりがあって、その
話と一致したのだろうと勝手な推測をした。
やがて二人の眺めている彼方の鬱蒼とした森を透かして刀槍がきらきらと輝きを放つのが見えはじ
めた。部将の督励であろう叫びもかすかに聞こえてきていた。
「そろそろ行くとするか。将軍様はきっと肝を冷やしはじめている頃だろうて。儂は其一と呼ばれて
おう ご
いる。明日からは別の名前で生き方を変えてみようかと思うているところじゃ。そうじゃな、応其と
でも名乗ろうかと思うておる。縁があればまた会おう」
「拙僧は俊海」
俊海は其一の眼を見た。二重で睫毛が長い。女のような眼をしている、と俊海は思った。
突如、森の中で叫びが上がった。叡山の者が脱出を図ったものの織田勢に捕捉されたのだろう。そ
ちらを一瞥して眼を戻すとすでに其一の姿はかき消えていた。
叡山攻めの本陣は琵琶湖とは反対の京都側の八瀬におかれていた。全体の指揮は明智光秀が執って
広大な比叡山全域から次々にもたらされる報告に対して間断なく指示を与えるために、光秀は忙し
いた。本陣には信長の姿はなかった。
かった 。
ほぼ同時に叡山の周囲から兵を攻め上らせねばならず。およそ人の辿れる路という路のすべてを網
羅して、ほぼ完璧な包囲網がつくられていなければならなかった。しかし、水の流れ落ちる細い筋や
獣道は無視された。それは信長自身の指示によるものであった。
もしそのような経路をとって逃れ出ようとする者があったとしても「捨ておけ」ということであっ
た。将軍義昭がそのような道筋を辿って逃れるのであれば構わぬという。平素の傲然とした人を見下
しているかのような態度で将軍然として現れたのであれば押殺してしまえ。なりふりかまわず命から
がらに獣しか通らぬ道を落ち延びるのであれば見逃せというのである。その命令は義昭に人としての
威厳を保つことを許さぬものであった。光秀は信長のそのような考えに漠然と空恐ろしいものを感じ
ていた。
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
夜の明けきる頃、すべてが予定通り進んでいると判断した光秀は側近の者たちに指示を任せた。床
几に腰を掛けると光秀はいつの間にか物思いに耽りはじめた。
近頃、光秀が考えることと言えばここ数ヶ月間の織田信長と交わした言葉のやりとりであった。そ
のほとんどは例の石に関することである。
石塔寺の見聞から戻った光秀はそのようなことを報告してよいものやら迷っていた。世の常識から
見ればあまりに突飛で有り得ないことである。
しかし、信長の前に出たとたん「すべてを話してしまおう」という気になった。
「話の重複は構うな。初めから語って聞かせよ」
実に簡潔なものの言い方である。以前に信長に光秀が語ったことと話を重複して話してよいという
いと
ことであった。普段信長は一度聞いたとのあることを再び聞くことを好まなかった。珍しく聞き直し
を厭わなかったのである。
信長の人払いによって空虚になった部屋の中で光秀は話し始めた。ゆっくりと慎重に言葉を選びつ
つ。
ぶつだ
二千年程前に地上に散らばった幾つもの岩があった。それらの石はそれぞれの場所で特別な能力を
もつ人物たちと関わった。
石と会話することができた者たちのうちシャカ族の王子ゴータマ・シッタルダは解脱して仏陀とな
り新たな教えを説いた。また当時の天竺にはその石と会話できる人物がシッタルダとは別にいたので
あろう。天竺に古くからあった土俗的な信仰と交わり、密教の祖型ができあがっていた。石と関わり
ちぎ
交流する方法を後世に伝えることとなった密教はやがて仏陀の教えと融合して中国へ伝えられた。少
なくとも天台山で修行した智顗はそのことを知っていた。また一方では唐土で孔子と関わった形跡も
あった。ほぼ同じ時期に別々の場所で石と関わった人物たち皆が「人の生き方」について考えはじめ
たのである。
孔子の儒家を含む諸子百家のうちの道家にも何らかの形で石に関する伝承が伝わった。道家の教え
て ん だい か ん じ ょ う
は道教である。秦の始皇帝は道教に凝り不死の仙薬を世界各地に求めさせというが、それは実は石を
よう だい
始皇帝の死後、四百年程が経って隋の煬帝の時代となる。 天台 智顗から天台灌 頂の儀式を授けら
求めさせたのだという可能性がある。
れた隋の皇帝である煬帝は石に関する秘密をも授けられることになった。世界制覇という大きな野望
を抱いていた煬帝は、本朝つまり日本にあるという石を手に入れるための手段を講じた。
軍事的な東方遠征を計画したことがその一つであった。先ず朝鮮半島北部にあった高句麗に遠征軍
を 派 遣 し た 。 朝 鮮 半島 を 支 配 下に 置こ う と し た そ の先に は 日 本 征 服 が 次 の目 的と し てあ っ た の であ
はいせいせい
る。その一方で飛鳥にあった日本の朝廷を欺きつつ石の在処を探査させた。遣隋使小野妹子の帰国と
ともに渡来した答礼使裴清世が探査のために派遣された人物である。しかし、裴清世は目的を達せず
空しく隋へ戻ったと古文書には記録されている。
光秀はここまで語ると穏やかに信長の顔を眺めた。深く息継ぎをするそぶりをしながら主人の思惑
を推し測るためであった。およそ神仏というものを嫌っている信長にこのような話は一体どのように
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
聞こえているのだろうか。さらに話し続ければ、光秀自身が怒りを買うのではないだろうかと恐れた
のである。
「続けよ」
信長は目を閉じて話し聞いていたが、光秀が信長の勘気を被ることを恐れているのを見通していた
ようであった。穏やかな口調で先を促した。
おに
「ここからは鬼の話となりまする」
「よい。続けよ」
光秀は覚悟を決めて再び話しはじめた。
近江の八瀬郷の孫二郎によると、鬼とは金属を採掘し精錬する技術をもって、日本列島へ渡来して
来た朝鮮半島の人々であったという。
古来より大陸または半島から幾世代にもわたって優れた技術をもった人々が日本列島へ渡来してき
た。その中には百済の王族であった百済王氏のような政治的亡命者も多くいた。それら高い身分の者
たちは教養にも優れ、世界の様々な伝承を知識としてもっている人たちも多かったのである。
どのような経路によるものであるか定かではないが、日本にある石についての知識をもつ者もいた
き
筈 であ る 。 彼 ら の 中に は 近江 石塔 寺に 関 わっ た よ うに故 国 復 帰へ の想い から 石 の力 に頼 ろ うと した
人々もいた。
金属の採掘・精錬の技術をもつ人々はこの国に渡来してきたのだということから「来」という一族
名を称した。そして各地を跋渉し鉱脈を探査する生活の中で例の石を発見しようとしていた。
石の発 見は故国へ の捲土 重来ではなくこの国で の権力構築の助けとなると 考えた者 もいたで あろ
う。
彼らの生業とした採掘対象は主に金であった。採掘のための道具として鉄や銅などの他の金属の精
いふ
き
錬もおこなっていた。深い山中に籠もって金の採掘にあたる彼らは、平野部の田で稲を作る人々から
は畏怖の念をもって、異界の民族として見られるようになっていった。また時には彼ら「来」一族の
いる山中から流れ出る鉱毒の水によって稲が全滅してしまうこともあった。そのため人々に災悪をも
き
まげ
たらす存在として懼れ憎まれるようになることもあった。そのためであろう平野の人たちはやがて彼
らを「鬼」と呼ぶようになったのである。
「キ」はやがて訓読みして「オニ」と呼ばれるようになった。
ゆ
き
稲を作る人々は髪をミズラに結った。長くのばした髪の毛を真ん中から振り分けて耳のあたりで髷
に結い上げる髪型がミズラである。鬼一族の者はこの国へ渡って来た時以来、髪の毛を伸ばして髷を
どう じ
結うということはなかった。そのことも以前からいる水稲耕作民からみると異様な風習であった。成
人する前のザンバラ髪の子どもたちと同じ髪型をした大人たちであったので「童子」とも呼ばれるこ
とになった。
また不思議なことに鬼一族の者には神霊現象に感応する体質の者が多くいたという。突如として神
霊によって憑依されたり、祖先霊や神々の声を聞いたりするために周囲にいる者たちを驚かすことが
おに
多々ある人々であった。それも異端視される要因となったようである。
えん
お づぬ
伝承の中で鬼が活躍し始めるのは飛鳥から奈良平城京へ都が遷る頃であろう。
文武天皇の時代に役の小角という名の超人的能力をもった人物が現れる。後の修験道の祖とされて
いる人物であり、道教系の神仙思想につながる逸話を数多くもっている。空を飛ぶ仙人としての能力
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
ぜんき
こう き
をもっていたという。その役小角の家来として前鬼・後鬼という者が仕えていた。
役小角は山中で修行することで仙力を獲得しつつ、やはり山中を徘徊していた鬼一族の者を従える
ことになったのであろう。やがて役小角は人々を惑わせるとのことで朝廷から流刑を言い渡され、歴
お おえ や ま
しゅてん どうじ
史から消えていった。流刑後のことは知られていない。
いぶ き や ま
また平安時代になると大江山の酒呑童子の民話がある。都に出てきては悪事を働く酒呑童子が住ん
でいたのは丹後・大江山だという話と別に近江・伊吹山であるという話がある。伊吹山のイブキとは
や まぶき
息吹であり、自然に吹く強い山風である。山中の特定な場所に吹く強い風は古来より金属の精錬に利
用されてきた。山の息吹が山吹きである。山吹と呼ばれる植物に咲く花は黄色である。黄金の色を山
吹色と言うが、実は黄金が精錬される過程で必要な山風のことでもあった。近江の伊吹山では鬼一族
が金を採掘・精錬していたのである。彼らが金属精錬をおこなうための燃料となる樹木を伐採し続け
たため、伊吹山も荒れ果てた岩の露出した山となってしまった。そのように激変する自然の姿を見た
しゅてん
つな
み な も との ら い こ う
平地の人々は童子姿の鬼一族をより畏怖するようになっていく。その山から吹き下ろしてくる風には
わたなべのつな
異様な匂いが混ざっていた。
ばらきどうじ
「茨木童子は渡辺綱が退治した。酒呑童子は綱の主人の源 頼 光が退治したという話であったな」
せっ つ
き
珍しく信長が口を挟んだ。そしてさらに続けた。
「摂津源氏は鬼一族と対立したという訳か」
ただ
みなもとのみ つなか
光秀は意外であるという表情を隠せなかった。信長がこの類の話に明るいとは思っていなかったの
である 。
「はい。摂津多田に住むことになった源 満 仲の子が頼光でございます。頼光から四代後に光信と申
どき
す者がおり、これが我ら土岐氏の始祖ということになっておりまする」
「それ故に鬼一族がらみで土岐氏である明智家に石の言い伝えが残ったという訳か」
「はい、そのように考えます。鬼を退治したというのは鬼一族の者を捕らえたということでもありま
しょうから、そのような中で石の伝承が摂津源氏に残されたのでござます。孫二郎の話を聞くまでは
知りませなんだが」
息を継いで、光秀はさらに話を進めた。
裴清世のことであるが、この答礼使は実は帰国しなかったと孫二郎の家の口伝は言う。
煬帝によって課せられた任務を全うすることができず、手を空しくして帰国する訳にはいかなかっ
たのである。
煬帝は清世の家族を人質とした。清世が何の成果も得られぬまま帰国すれば非道な皇帝は清世とそ
の家族を処刑するであろう。故国にいる妻と子どもに対する愛慕は胸を掻きむしりたいほどのもので
あった。その最愛の家族が刑死するのであれば自分も供にありたいと思っていた。何の成果も得られ
なければ裴清世は帰国して妻や息子たちとともに逍遙として死する覚悟でいた。
しかし、必死に石に関しての手がかりを捜すうちに、次第にその焦りは皇帝煬帝に対する憎しみへ
と変わっていった。
これほどの苦労の果てに、もし石に関しての手がかりが掴めたとして、その結果は何であるかを考
えてみた。中国大陸にある広大な帝国の権力を掌握している煬帝がさらに帝国領土を拡大し、他の国
の人々を蹂躙する。そのような力を与えるだけである。自分と同じ苦しみや悲しみをもつ人々をひた
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
す ら作り 出して い くだ けだ。 そんな ことは 許 される ことで はない だろ う 。 少な くとも自分は 許 さな
おおきみ
い。そう考えるようになったのである。
倭国の女性の大王やその摂政が、または他の豪族たちが清世を大切にもてなし続けてくれていた。
このことに清世は中国周辺にある弱小国の悲哀というものをいやという程に感じた。慇懃なもてなし
ばん こく
の裏には煬帝に対しての恐怖があるのを感じたのだ。強大な軍事力をもち、比類なき程に進んだ文化
ぶんりんろう ふぜい
をもった大帝国を前に、蕃国は甘えるような媚態を示しつつ保身を図り、またその文化を与えてもら
おうとする。倭国もまたそのような蕃国のひとつであり、一介の文林郎風情でしかないこの身分卑し
い自分を悲しい程までにもてなそうとする。なんとも愛らしい民族ではないかと中国人のひとりとし
て感じていた。この穏やかきわまりない島国をあの皇帝の保有する軍隊が蹂躙するとすれば、それは
許せることではなかった。帰国予定の日となる直前まで裴清世はある決意を固めていた。
それを実行するにあたって、清世はこの国へ渡来してきていた中国系の氏族に相談をもちかけた。
その渡来氏族は中国から逃れてきた人々であった。隋王朝の圧政を逃れて辺境の島国倭国へ移り住ん
だこの氏族は現皇帝の煬帝に対しても強烈な憎しみを抱いていた。彼ら自身では秦の始皇帝の子孫と
称していた。隋からの政治亡命者であることを公式には言えない時代であったのである。彼らは秦氏
と称した。一族を束ねていた秦河勝は当時の倭国政界で隠然たる力をもっていた。その秦一族の煬帝
への憎悪を見込んで清世は計画をうち明けた。
簡単な子供だましのような計画であった。答礼使が帰国するにあたり倭国は小野妹子に隋まで送っ
て行かせようとしていた。答礼使ひとりが帰っていくのではなく、大切に送り届ける姿勢を見せよう
とするのである。そのようにして幾重も煬帝に対しての敬意を表そうとしていたのである。それほど
までに倭国は隋を怖れていた。裴清世が小野妹子とともに乗るのは遣隋使船である。難波津から出航
して穏やかな内海(瀬戸内海)を西へ航行していく。当時の大船は大潮を待って出航することになっ
ている。満月の夜に答礼使との別れの宴が催された後、月が中天に昇るすこし前に月夜の海へ漕ぎ出
すのである。実際には沖で朝まで停泊し明るくなるのを待って出帆するということになる。ともかく
も惜別の儀式が終わった後、清世は夜隠に紛れて船を降りる。当然この秦一族の手を借りてすり抜け
るのである。その後で沖合にいる船に乗っている秦一族の者が石を詰めた荷を海へ落としてわざと水
音 を た て る 。 そ こ で 裴 清 世が 誤っ て 海へ 落ち た と 騒ぎ 立て る 。 暫 く の間 は 救助 し よ う と し て 人 々 は
やっきになるがすぐに諦められるだろう。簡単に操ることのできぬ大船である。人が海へ落ちたとし
ても、すぐにその場へ船を戻すなどということは不可能である。
隋は倭国の過失とするであろうが、答礼使といっても裴清世は文林郎という低い身分の者である。
その非を執拗に責め立てることは大国の威信上ある訳がなく、倭国へ害は及ばないであろう。とその
ような計画であった。
しかし、清世は協力者たちを説得するために彼らを欺く必要があった。
裴清世は実のところ隋国で皇帝を侮辱する程の大罪を犯してしまっており、今頃はそれが発覚して
い る 頃 で あ る 。 自 分 が 帰 国 す れば 確実 に 殺 さ れ る 、 こ の ま ま 姿を く ら ま し た い のだ と い う嘘 を つ い
た。隋帝国皇帝に対して密かな憎しみを抱いていた渡来氏族の者たちは清世に全面的な協力をしてく
れた。そして清世の計画は簡単に成功したのであった。
その後、小野妹子たち一行は答礼使を伴わずに隋へ渡った。ここでも倭人たちによって一計が案じ
られていた。裴清世は中国本土で姿をくらましたことにしたのである。発生した問題は小さなもので
あり、倭国側の手落ちとはされなかった。一方、裴清世を倭国へ派遣した煬帝は数年後に江都で家臣
によって殺されてしまうことになった。そして誰も清世のことを思い出す者はなく、また清世の家族
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
の運命を知る者もいなかった。
倭国の言葉は朝鮮半島のものと似通っていた。また、中国の言葉と通ずる部分も僅かにあった。し
かし、日常会話となると清世の言葉は殆ど通じなかった。そこで彼の脱出に協力した秦一族は清世に
通訳として、朝鮮半島を故国にもつ一族の少年を付けてくれた。
その後の清世は渡来僧と偽り、その少年を伴って各地を行脚していった。渡来僧ともなると各地の
豪族たちは手厚くもてなしてくれた。中国大興(長安)の都のきらびやかな様子、豪壮な建物群、庭
園、寺々 、そ こに いる 人々 の暮 らし ぶり 、習慣などを 細や かに 様々に語ってきかせる だけ で倭 国の
かじりや書物で中国について辛うじて知る者は、清世の話と自分の乏しい知識が合致するだけで手を
人々は感激するのであった。遠い異国への憧れは辺境においてこれほどに強いものかと思った。聞き
打ち、興奮するのである。なんと純朴で可憐な民族かと清世は思った。裴清世にとって倭国人たちは
ますます好ましいものになっていった。
各地の豪族の屋敷、清世の故国では少し大きめの農家程度のものでしかなかったが、で世話になる
間に彼はできるだけ倭国の民話・伝承を聞くように心がけた。それらの中に石に関するものがないも
のかと注意を傾け続けたのである。
裴清 世 は 決 意 し て い た 。 石 を 発 見 し よ う 。 も し そ の 石 が 確 か に 強 大 な 力を も つ も の で あ っ た な ら
ば、全力を注いで封じ込めてしまおうと。隋の煬帝のような男に決して使われることのないように。
清世はしばしば夜中に戸外に出て密かに泣いた。星を眺めては刑死したかも知れぬ妻と息子を想っ
た。ひとしきり涙を流すと、哀れな妻子への悲しみは皇帝に対する強烈な憎しみに置き換わっている
ことが多かった。清世は可能な限りこの儀式をくり返して生活した。自らの義務としたものを再認識
するためであった 。
石に関する情報は意外なところにあった。通訳として付けられた少年の縁者に鬼一族の者が多くい
たのである。越前・三国湊まで漂泊して行った時のことである。近くに少年の縁者がいるということ
で 一 夜 の宿を 借り る こ と とな っ た 。 そ の 夜、 偶 然 に も 鬼 一 族 の話と 石 の 話を 聞 くこ とに なっ た ので
あった。
鬼一族はすでに石の幾つかを密かに発見していた。滋賀の海(琵琶湖)の西の山中にひとつ、そし
てなんと裴清世が上陸した難波津にも埋まっているのだということであった。そして更に鬼一族には
石に感応して石の声を聞くことができる者たちがいたということを知った。
石はその者の眼前に様々なものを拡げて見せたのだという。摩訶不思議な光景が展開し、それを見
たことによってその者たちは精神を病んでしまった。廃人同様になってしまったとも聞いた。眼は虚
ろとなり、正常な生活を送れなくなってしまったが、常に何かを呟き続けている。
その呟きの言葉から次のようなことを推測することができた。倭国には大きな石が四つあり、小さ
な石がひとつある。ばらばらに散った四つの大きな石のうち三つが偶然にもひとつの線上に並んでい
る。小さな石をその線上に置くことで三つの石の力を発揮させることができるのだという。石を一人
の人間の身体に例えるとすると、その小さな石は頭脳に相当するものである。その指示のもとに身体
である石が動きだし秘められた力を発揮することができるようになるということである。
いまや鬼一族は小さな石の発見を目 的としてい る と い う。 二つ の 石 の 場 所 は す で に 知 る と こ ろ と
なっている。その二つを結んだ線の上に小さな石を置けばよいのである。
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
「そして鬼一族は発見したという訳か」
「はい。そして苦労して石塔寺の場所に運び揚げたのでございます」
「しかし、石は働かなかった。何故だ」
「場所がずれておりましたのでしょう」
「では、なぜまた場所を変えようとしなかったのか」
「鬼は諦めたのでございます。すでに鬼一族に石の声を聞く者がいなくなっておりました。小さな石
を見つけたのは、裴清世の生きた時代よりいくらか後のことでございましたようで、石塔寺の場所ま
で動かしたものの伝承のようなことはなにも起きなかった。ただの伝承に過ぎない、無駄な努力をし
たものだと落胆したのです」
「場所がずれているということを知ったのは孫二郎の祖先でございました。孫二郎の曾祖父のまた曾
祖父にあたる者であったそうですが、石の話を聞くことができたというのです。実は孫二郎の一族は
裴清世の子孫でございます」
さすがの信長も驚きの表情をした。光秀は続けた。
「清世は鬼一族の娘を娶り、鬼一族の動きを見ながら生活することにしたのです。やがて老いて、煬
帝の死と隋の滅亡を知りました。また鬼一族をめぐる情勢にも大きな変化がなく、自分自身の死を予
期したときに子孫に口伝を残しました。自分の身分、体験、考えたこと。そして子孫たちの義務。石
の秘密を守り、石の力を解放させないこと。そのような口伝であったようでございます。
鬼一族の娘を娶ったことで孫二郎の家系にも石に感応する体質が残されたのでしょう。それまでは
何のことやら訳の判らぬ口伝であったようですが、孫二郎の曾祖父のまた曾祖父の時に石と会話でき
る人物が出て、滋賀の海の西の山とは比叡山であること、比叡山の石と難波の石が三つの石のうちの
二つであり、小さな石が本来の線とずれている場所にあることが判ったという訳でございます」
「孫二郎という老人、何故自分の一族に残された義務を守らぬ。この織田信長は石の力によって天下
を取るかもしれぬのに。光秀にその秘密をなぜ漏らした」
「そのことは拙者も聞きただしましてございます。孫二郎はお館様こそが天下様となられると考えて
おります。早くこの国を戦のない土地にしていただけるのはお館様にお縋りするしかないであろう、
そのためにこそ石の力は使われるべきであると申しておりました」
信長は沈黙した。明智光秀にとって主人の沈黙は耐え難いものであった。
「 光秀 」
落ち着いた声で呼びかけていた。
「はっ」
「直々に石を検分する。手配いたせ」
「はっ、早速に」
「それと、難波、叡山のどこにその岩があるのか、結んだ線はどこを通るか調べよ」
その数日後、光秀の手配により信長は自身で石塔寺へ登った。
阿育王山石塔寺の名前の由来となった石造り三重塔は、光秀たちが蔦をはらいのけたままの姿で青
しゅ つぎょ
空 に 屹 立 し て い た 。 信 長 に 付 き 従っ て い る 人 数 は 多 い 。 光 秀 を 除 い た 武 士 たち は 、 全 員 こ の 石 塔 寺
出 御の 目 的 を 知 ら な か っ た 。 し か し 、 山 頂 に 達 し た 彼 ら は 眼 前 に 広 が る 景 色 を 見 て 納 得 し た 。 上 様
は北近江攻略の立案のための実見をされておられるのだと推測したのである。この春、織田軍は浅井
長政によって苦汁を飲まされていた。越前の朝倉義景を一条谷城に攻めかかろうとしていた矢先のこ
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
とであった。信長の妹である市の嫁ぎ先、浅井長政が朝倉側についたとの使者が来たのである。
朝倉家と浅井家は古くからの同盟関係を保持していたが、信長は義兄弟である長政は朝倉攻めにあ
たって中立を保つものと信じていた。浅井長政は朝倉との盟約に固執する実父の久政の主張を容れざ
おの き
とさ
るを得なかったのであろう。苦渋の決断をする中で長政は愛妻お市の兄である信長にその決断を報告
するために重臣を遣わした。
小谷山城から浅井家重鎮である小野木土佐が派遣され、信長に謁見を願い出ているとの報告を聞い
ただけで、信長は一切の状況を飲み込むことができた。次の瞬間には全軍撤退を決定していた。浅井
軍が動き始めれば織田方は腹背に敵を受けることになる。挟み撃ちにあう前にできるだけ多くの兵を
引き上げさせねばならない。この状況では多くの将兵を失うことになるであろうことは必至である。
それと同時に自分自身の命すらも危ういのは明白であった。
信長は丹羽長秀を先行させて、柴田勝家・佐久間信盛らに徳川家康を守護しながら若狭方面へ撤退
するよう命じた。信長自身は森三左衛門・松永久秀ら十数騎の少人数で西近江の京へ抜ける間道の通
る朽木谷を駆け抜けていくことを決意した。
この全軍撤退にあたって朝倉勢との最前線となっていた金ヶ崎城には木下藤吉郎と池田勝正ととも
しん がり
でんぐん
に 光 秀 が残 される こと に なっ て し まっ た 。 最 前線 で活 躍 でき る 場を 与え ら れ てい た 者た ち が 全 軍 の
殿 を担当するはめになったのも仕方のないことであった。殿軍は敵の追撃を受けながら味方に極力
損害が出ないように撤退していく。そのため殿軍は全員が討ち死にする可能性が高い大変に危険な部
署となる。幸いにも浅井朝倉勢の鈍い動きに対して織田軍は迅速な動きが得意であった。結果として
予想よりも遙かに少ない犠牲で撤退が完了し、光秀たちも無事に帰り着くことができた。
この事件によって信長の浅井・朝倉への復讐心は燃え上がることになり、それ以後の織田勢の矛先
はすべて北へ向けるよう準備がなされていた。それは織田勢の足軽雑兵の末端の兵士までの誰もが意
識するものとなっていたのである。
「その方たちはここにおれ」
琵琶 湖を 背に し て 信 長 は 家 臣た ち に 言っ た 。 そ し て山 頂 部 の一 隅 に あ る 小 山 へ 向 け て 一 人 歩 い て
いった。その小山の上には不自然な形の岩が載っていた。その岩に手をかけ琵琶湖を見下ろしていた
主人を見て、家臣たちは直ぐに朝倉攻めの方途について語り合い始めた。
人を遠ざけて暫く、岩のすぐ脇に立っていた信長は唐突に下山を宣言した。
「降りるぞ」
あの う
翌春、桜の花の咲く中、信長は石塔寺の裏山から岩を引き降ろさせた。当然のように光秀が全体の
計画を担当することとなった。岩は予想を超えた重量があった。近江で名高い石工集団の穴太衆も動
員されていたが、彼らの石に関する知識の中にもこのように重い岩はなかった。岩の下に入れて動か
すコロとして用意された材木が片端から岩の重さで割れてしまう有様であった。山頂から麓に降ろす
のに十日余りの時間と近郷二十ヶ村の人手が必要であった。ようやくの思いで降ろされた岩は観音寺
城まで運搬され、その大手門前に置かれた。番人がついた石は世に言う銘石というものなのだろうと
門前を行き過ぎる人々は思った。岩を降ろしていく通路を造るために石塔寺内に建つ幾つもの門が壊
された。人数は少ないながらも石塔寺を預かる僧侶たちが抗議の声をあげた。書状で信長に補償を求
め、朝廷へも訴訟のための手続きがなされた。しかし、信長は聞く耳をもたなかった。
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
おだに や ま
その夏、織田勢は浅井・朝倉勢と姉川に戦い、敵軍を潰走させた織田の諸将は前年の溜飲を下げる
ことができた。この姉川の戦いで浅井勢は瀕死の状態となったがその居城小谷山城は堅固で落城させ
るまでには至らなかった。
石塔寺から岩を降ろしてからこの姉川の戦いまでの間、明智光秀は忙しかった。南近江にある密や
かな里である八瀬郷の孫二郎の家を頻繁に訪れていたのである。
孫二郎はあの光秀との会見以来、農作業には出ていなかった。倉の中の書物から何か他の情報がな
いか探してみるように命じられていたのである。孫二郎の家の田の耕作に代わる収入は光秀が保証し
た。暫くは学者のような生活を送ることができることに孫二郎は喜び、また照明のための大量の蝋燭
が用意されたことにも喜びを隠さなかった。
なが ら と よ さ き
みや
やがて孫二郎から驚くべき知らせが光秀のところへ届いた。
難波に落ちたという大岩はかつての長柄豊碕の宮、つまり天智天皇の頃に大坂湾を見下ろす高台に
なにわ
みや
いしやま ほんがんじ
営まれた宮都の下に埋もれているとのことであった。その地は平城京に都があった頃に聖武天皇も過
いっこう
ごされたことのある難波の宮が建てられた土地でもあり、今では石山本願寺が建っている場所であっ
た。
孫二郎からの書状を見た光秀はこれはまずいと思った。よりによって一向宗の総本山である石山本
願寺の下に大事な石が埋もれているとは。
本願寺は世に知られている通り浄土真宗の寺院である。親鸞上人が開かれた阿弥陀如来を信仰する
一大宗派の本山寺であった。宗祖親鸞は都で権力を握る人々と結びついた他の各仏教宗派によって迫
害され、越後へ流された。しかし、その地でも飽くことなく、熱心に人々に広く教えを説いた。その
ために日本海側の一向宗信者は急速に数を増やした。
この宗派は農民層を中心に社会の下層階級からはじまり、上層の武士階級や公家までも信者として
げんぜ
いた。その点がそれまでの旧来の仏教諸宗派を大きく超えていたところである。阿弥陀如来はすべて
の人々を救う、そのために人を区別することはないのだという教えは現世での身分階級を否定する要
素を 最初から包含 していた 。
本願寺は対立諸勢力との関係で複雑な経緯をもっていた。京都大谷にあった本願寺は比叡山延暦寺
西塔勢力によって破却されるという事件があった。その後、八世の蓮如上人は越前吉崎へ一時移り、
京都山科を中心にして布教活動を再開した一向宗勢力は、あっという間に他宗派を凌駕する宗勢を
そして再び京都へ戻り山科に本願寺を建立した。
誇るようになった。巨大化する一向宗の勢いを恐れた幕府管領の細川晴元と日蓮宗徒によって、山科
本願寺はまたしても焼き討ちを受けることとなった。しかし、過去の迫害の苦い経験から本願寺一向
宗は既に闘う教団として成長していた。山科本願寺は寺院というよりも城塞に近い施設をもつように
なっており、細川勢と日蓮宗徒たちとの戦いは戦国時代の籠城・攻城戦とまるで同じ様相を呈してい
た。激しい戦闘の挙げ句、一向宗はまた敗れた。
再び京の本拠地を失ってしまった本願寺は、かつて蓮如の建立した大坂石山の坊舎の地に本拠地を
移した。それが石山本願寺である。
そうして大坂の街が本願寺の伽藍とその周辺に形成されていった。大坂の地を中心として一向宗と
も呼ばれたこの浄土真宗はさらに信者を急速に増やしていったが、そのような宗勢は時の権力者たち
から畏怖の念をもって見られるものとなっていた。
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
今現在は顕如上人が石山本願寺の奥深くで全国の数え切れぬほどに膨れ上がった信者たちの信仰を
一身に受けて座している筈である。信長の入京以来、その顕如は叡山と密接な関係を築いているとい
う噂が流れている。かつて敵対しあっていた延暦寺と本願寺は現在では手をとりあっている。叡山の
東麓地域にあたる南近江の農民たちの間に一向宗が拡大しているというのもそれが一因となっている
と光秀はみていた。
信長が探している岩が石山本願寺の地中に埋もれているということを知って、信長がどのように石
山本願寺と交渉するにせよ、それは大変に難しいものとなることは簡単に予想できた。闘う教団を率
いる顕如はそう簡単には大名の要求を受け入れることはないであろう。光秀は岐阜城へ向けて馬をと
ばした。
光秀が岐阜城へ到着すると城中には珍しく穏やかな気が流れていた。浅井・朝倉との勝ち戦の余韻
が残っているのだろうかと思った。来訪を取り次ぎの者に告げると、すぐその場で広間に通された。
あぐら
いつもは大勢の部将たちとの謁見・命令伝達に使われる板敷きの大広間であったが、今日は上段に
敷かれた円座に胡座をかいて坐った信長が唯一人いた。信長は一段高い座から板敷きの上に大きく拡
げ ら れ た 絵 地 図を 睨み つ け て い た 。 そ れ は 近 江 の 琵琶 湖 を 中 心と し て 北 は 越 後、西 は 丹 後、東 は 甲
斐、南は大和あたりまでが描かれたものであった。光秀は信長の思考を邪魔せぬようにそっと離れて
坐り平伏した。今までも思考を中断されて烈火の如く怒る主人を何回も見ている。しかし、意外にも
すぐに信長から声がかかった。
「十兵衛。朝倉は次にどう出るか」
光秀はすっと頭を上げた。信長の目が嗤いかけているようであった。
光秀は従姉妹の濃姫を通して織田家に仕官したが、それ以前は越前朝倉義景に仕えていた。まだ光
秀が朝倉家にいた時に、義景を頼って足利義秋がやって来た。義秋は朝倉家に滞在している間に正式
に元服して、以前と同じ「よしあき」であったが義昭と文字一字を変えて名乗るようになった。
かくけい
義昭は兄の将軍足利義輝が松永久秀らによって討たれた時には奈良の興福寺一条院門跡という立場
にあった。僧名を覚慶といった。僧籍にあったが足利家の血筋であることから危険を感じ、義輝暗殺
の報を受けた後すぐに奈良を脱出した。そうして意を決したのだった。還俗して義秋と名乗り、自分
を 将 軍 と し て 押 し 立 て て く れ る 有 力 大 名 を 探し 始 め た 。 し か し 、 時 期が 悪かっ た 。 甲 斐 の 武 田 信 玄
も、越後の上杉謙信も尾張の信長も動ける状態ではなかったのである。
義秋は流浪の生活を続けながら越前へとやって来た。朝倉義景は義秋を歓迎し、元服の儀までとり
おこなってくれた。しかしながら元服して義昭という字を使うようになったこの男を擁して、上洛す
る気はまったくなかったのである。義昭の朝倉義景への期待は失望に終わった。
その頃この義昭に仕えるようになっていた細川藤孝は主君の落胆を想い、気のあう友のようになっ
ていた朝倉家家臣の明智光秀に相談した。そして織田信長を頼ってみようかということになった。こ
の間にも時勢は動き続けていた。当時の信長は隣国斎藤氏の稲葉山城を攻略することに成功して美濃
を併合したところであった。
義昭と織田家との交渉には光秀があたった。その結果、信長は喜んで義昭の将軍擁立を請け合った
のである。義昭は辺り憚らず小躍りするようにして喜んだ。
せんげ
義昭を迎え入れた信長は、美濃尾張から上洛する途上の障害となっていた南近江の六角承禎を観音
お おぎ ま ち
寺城から追い払い、そのまま義昭と上洛を果たした。
とうとう足利義昭は宿願の征夷大将軍職を正親町天皇から宣下されることとなった。この時に天に
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
も昇る気持ちとなった義昭は信長を「父」と呼び、感謝の気持ちをこれ以上表しようがない程に喜ん
でいた。
その将軍宣下から暫くして光秀は朝倉義景の下を去り、織田家に仕えるようになった。家臣である
やゆ
光秀の方から朝倉義景を見限ったというところがあった。家臣が主人を見捨てたということを信長は
揶揄する気持ちがあるのかも知れないと思った。光秀はそれに気づかぬふりをして答えた。
「今のところ越後勢に動きはありませぬ。謙信は義というもので動く武将であると越後衆には言われ
ております。越後の周辺を見ても、ここで謙信が戦を催すための大義名分となる口実を持ち合わせて
いないと思われます。そのため越後は暫く動かぬと考えられまする。
き ん きん
とすれば、朝倉は全軍に近い人数を南へ向けることができます。姉川での負け戦のことも各国へ伝
おも ん ぱ か
わった頃ですので、気位だけは高い義景殿のこと、近々には押し出して来るかと思われます。だいぶ
兵 を 損 じ た 浅 井 勢 を 慮 っ て 小 谷 城 か ら 離 れ た 場 所へ 出て く る と も 考 え ら れ ま す ので 、 湖 の 反 対 側 の
高島・坂本あたりへ突き出して来るものかと」
「余もそのように考えておる。さすが十兵衛は朝倉の気質までよう判っておるわ」
珍しく信長が光秀を褒めている。
「石のことで参ったのであろう」
む らお さ
するりと話題を変えた。既に信長の頭脳は別の方向へ回転している。
「はっ。仰せの通りでございます。近江・八瀬の村長孫二郎より書状が届きましてございます。新た
なことが分りましてございます」
「そうか。その書状を持参いたしておるのであらば見せよ」
光秀は膝行して懐に入れていた孫二郎の手紙を両手で差し出した。受け取るが早いか信長は素早く
目を通し終えた。
「ふっ。面白い」
信長は意外な反応をした。片頬を引き上げて皮肉そうな笑いを浮かべた。光秀は主人が怒りだすも
のとばかり思っていた。岩はとても手の届かぬ場所にあるのであるから。
「その方、これをどう見る。例の石、いや岩があるという場所に昔より宮が建てられたり、今では本
願寺が建てられているというのは偶然か」
「どうにも判りませぬ」
まつりごと
「そうか。判らぬか。その大岩が本当に言い伝えのような力をもっているということよ。その力を本
人 も 知 ら ぬ 間 に 感 じ る こ と が で き た 人 間 たち が 政 な り 、 ま た 何 ら か の教 え のた め の 聖 地 と 定め た の
であろう」
少しの間をおいて信長は続けた。
さだおき
「ここは将軍様の御威光を使ってみるとするか。石山本願寺に寺を明け渡すように命じよ。顕如宛て
きんじゅう
の将軍書状を作らせよ。使者として遣わすのは伊勢貞興がよかろう」
この伊勢貞興は足利義昭の近習として仕えている男である。
「はっ。早速そのように致します。上様、お聞きしてもよろしいでしょうか」
「なんじゃ」
信長の表情はまだ愉快そうであったために光秀はつい聞いてしまった。が、ここは言葉を選ばねば
ならない。信長がひとつの命令を出した後で家臣がその内容に異議をと唱えることは絶対に慎まねば
ならないのである。
「使者の役は何故に伊勢にあてるのかということか」
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
信長は先回りをして光秀の聞こうとしたことを言ってみせた。
「それは伊勢氏が顕如と姻族関係があるからじゃ。一向宗は絶対に立ち退きなどしまい。それは判っ
ごないしょ
ておる。しかし、いずれはあの場から葬りさらねばならぬ相手じゃ。ここは軽く挨拶をしておかねば
なるまい。足利殿は石山本願寺にも御内書を既に何通も出しておるではないか。ここで将軍様から立
ち退き要求を出させて義昭自身の動揺も見てみたい。何故そのような書を出さねばならぬのかと義昭
は言ってみせるであろうから、そこは光秀、適当に言っておけ」
そうだと光秀は思い出していた。蓮如の妻のうちの何人かは伊勢氏の娘であったことは世によく知
られていた。信長は光秀を会話で出し抜いたことが嬉しいらしく、まだ表情に僅かな微笑みが浮かん
でいた。
「では早速に二条城へ参上仕ります」
信長の前を退出した光秀は、将軍の在所である京都二条城へ向かった。岐阜と京の間は通常二日の
行程である。光秀は馬を駆けとおして一日で岐阜へ着いたが、日はすでに暮れかけているので帰りは
どこかで一泊せねばならない。何処で休むことにするか考えながら岐阜城の大手門をくぐり出た。西
の空はまだ明るいが足下には闇が迫りつつあった。
ほ し いい
今回の供として付き従っている和田秀純が握り飯を差し出した。腹が減っていることを光秀は思い
出した。こちらに向かう馬上では糒を囓って水で流し込んだだけだった。少しまともなものが食べた
いと知らず知らずのうちに思っていたところでもあった。握り飯はこの岐阜城内の賄い方で和田が調
達したに違いない。何時このようなものを手に入れたのか、気はしの利く男だと光秀は思った。
「城の台所へ忍び込んだか」
光秀はからかい半分で秀純に感謝しながら声をかけた。
「いえ、これは上様が用意させて下さったものでございます。
城のまかな賄い方の女がそう言って持ってまいりました」
驚いた。そしてすでに一口囓ってしまっている握り飯をじっと見た。そして自分は信長という男を
まだ少しも理解してはいないことを悟った。
しか し 、そ の一 方で 、い つ の間に か光 秀自 身 も 石の 力を 信じ はじめ て いる こと には 気づ かず にい
た。
京都奉行としての明智光秀は天皇家や公家たちとの折衝、足利幕府在所である二条城との連絡をお
こなう立場であった。それは反面で監視役ということでもある。
京へ戻った光秀は信長の指示通りに多少の問題はあったが、将軍親書を大坂石山本願寺の顕如宛て
に作成させることができた。足利義昭の近習である伊勢貞興を遣いに仕立てることも問題なく運んで
いった。
伊勢貞興は本願寺へ無事に将軍親書を届けたが、顕如からは何の返信ももらい受けられず、手ぶら
で 帰洛した。 そ れから も大坂から の反応ら しきも のは一切なかっ た。 そ れは予想通り のものであっ
た。
秋の気が感じられる頃となった。突如として摂津の野田城へ向けて三好三人衆が侵攻して来た。
将 軍 義 昭が 京 都 に 入っ た 当 初 、 最 初に 居 住 し て い た 本 圀 寺を 三 好 三 人 衆 が 襲撃 する とい う事 件が
あった。その時には光秀らの織田軍勢に撃退されたのだったが、それ以来暫く鳴りを潜めていた感の
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
ある三人衆であった。
ずっと目障りになっていた三好勢力を一挙に踏みつぶす絶好の機会になると信長は見てとった。素
早く対応した松永久秀が既に大和の信貴山城から出陣していた。その松永勢に対する援軍として信長
は主力を押し出した。松永勢に織田本隊を加えた陣容で、信長は三好勢を軽くあしらうようにして潰
してしまえるものと見ていた。
ま た 松 永 久秀 に 対 し て の警 戒 も あ っ た 。 久 秀 は かつ て 三 好 三 人 衆 と 共 に 三 好 長 慶 の家 臣 団 仲 間 で
あった。彼らは下剋上の時代を体現するような人物たちであり、面従腹背一筋縄ではいかぬ強者たち
である。久秀も全面的に信用できないところがあった。何時なんどき三好三人衆と久秀とが意を通ず
久秀をその背後から圧力をかけるのである。
るやも知れぬのである。そのためにも信長は大人数を繰り出していた。前線で三好三人衆と対峙する
織田軍は京都の南を通って、山崎の狭隘な地を経て摂津の平野部へなだれ込むようにして進軍して
いった。その頃のことであった。越前朝倉勢が北近江に現れた。浅井長政と合流した朝倉義景の軍勢
は光秀や信長の予想通りに琵琶湖の西岸を南下し始めたのであった。この進軍路を予想していた信長
は早くからその押さえとして宇佐山城を考えていた。
この宇佐山城は岐阜から近江、京へ結ぶ幹線を保持するために築城されていた。もし北からの脅威
よ し なり
があった場合はこの宇佐山城を本拠地として、坂本まで出て布陣することで南近江を守護できるもの
と考えていた。信長は織田家の中でも篤い信頼をおいていた森三左衛門可成をその宇佐山城に入れて
いた。
浅井・朝倉の軍勢は大軍にしては動きが速く、あれよという間に琵琶湖西岸の高島郷まで押し寄せ
て来た。これに対して森三左衛門らは城から出て、予定通りに坂本に陣を置いて浅井朝倉連合軍を迎
え撃つ支度を済ませた。
この宇佐山城の織田勢は大軍を相手によく支えていた。しかし、数の上から言っても坂本の防御が
破られてしまうのは明らかに時間の問題であった。
織田方としては坂本の防御を破られて近江側から京へ攻め込まれると、摂津へ出陣している織田本
隊が窮地に陥るのは目に見えていた。そのために既に摂津で野田城を相手に戦端を開いていた織田軍
であったが、急遽近江へ矛先を返さなくてはならなくなったのである。
近江への撤退準備を急ぎ始めた織田軍に突如として南から石山本願寺の一向宗門徒勢が襲いかかっ
て来た。
の犠牲が出たと思われた。信長は京へ戻る兵団の先頭に出ようとしていた矢先のことである。後方か
不意の襲撃であった。戦場に慣れた軍団の奇襲であったなら恐らくはその初期段階で織田軍に多大
ら甲高い雄叫びが聞こえてきた。振り向いた信長の目に織田軍団の南から奇妙な集団が襲いかかろう
と 走 り 寄っ ている 光 景 が 飛 び 込 ん で き た 。 ほ と ん ど が 甲 冑な ど を 身 に つ け て い な い 農 民 たち で あ っ
た。その農民集団が慣れない手つきで武器を振りかざしながら、信長の配下へ突撃を敢行しているの
である。戦いに慣れた兵士たちの雄叫びの声は太く低く大きい。声で相手を威嚇圧倒して気迫で呑ん
でしまうことが戦場で大いに効果を発揮する。勝利を招くための大いなる要素である。しかし、農民
たちの雄叫びは悲鳴に近い甲高いものであった。しかもまだ織田方にさほど近くもない場所から雄叫
びを発しつつ地を蹴っていた。
野田城に近い場所に布陣していた和田惟政の部隊は一向宗農民軍の襲撃に気づくと直ぐさま迎撃体
制をとった。信長には見事な軍配捌きであることが判った。百戦錬磨の織田軍団の中でも短時間にそ
の場の地形に応じた陣形を建てられる部将は少ない。和田惟政の対応はそれ以上を望むことのできな
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
いほどに鮮やかであった。しかし、石山本願寺からは農民兵が雲霞のごとくに押し寄せようとしてい
しん がり
る。和田軍が持ちこたえていられるのも時間の問題であった。
「勝家!」
「はっ、これに」
「その方、惟政を助け、殿につけ!」
でんぐん
「はっ! かしこまって候」
信長は柴田勝家に殿軍となることを命じた。農民相手でもかなりの痛手を受けるであろうことが予
想されたが、勝家は顔色も変えずに踵を返した。
信長は本隊に進発を命じた。京を通って近江へ向かう東へ進軍する本隊と別れ、柴田勝家の部隊は和
「よしっ。我らは急ぎ近江を目ざす!」
田惟政軍と合流するために西へ急いだ。
「ちっ」
本隊に進発命令を伝えるために大声で呼び交わす部将たちの騒ぎの中、信長の舌打ちは誰にも聞か
れていなかった。
む くろ
本願寺軍が摂津の戦場に現れたことで、野田城をめぐるこの戦は撤退を急がねばならなかった織田
軍の完全な敗北となることが決定的となった。摂津の野に置き去りとなった織田方の将兵の骸ばかり
が 累 々 と 重 なる で あ ろ う有 様 が 信 長 の 脳 裏に あ っ た 。 惨 敗 と なる こ と が 必 至 である と い っ て よ かっ
た。しかし、摂津での勝敗に拘ることは許されない状況であった。近江坂本を押さえることの方がよ
り重要である。信長の判断と行動は早かった。
摂津から織田軍が急遽近江へ向かおうとしていた頃、近江の坂本では善戦を続けていた森三左衛門
な ぎ なた
たちの軍勢の左翼から攻撃してくる新たな勢力が出現していた。これは全く予想外のことであった。
石山本願寺からの要請で比叡山延暦寺の悪僧(僧兵)らが山を駆け下り長刀を振りかざしながら躍り
出るようにして攻撃を加えてきたのである。そしてさらに地元近江の一向宗門徒の農民たちも敵陣に
加わった。
どう見ても石山からの退去を求められた本願寺が、早めに手を打ってきたことによるものと考えら
れた。石山本願寺は近畿一帯の一向宗門徒に対して対織田信長戦を始めるようにと暫く前より檄を飛
ばしていたのである。そのために琵琶湖を中心とする近江地方の一向宗門徒たちが、実際に織田家の
軍勢を目の前にしたことをきっかけに一斉に立ち上がったのだった。この頃は近江の農民たちのあい
だに一向宗が深く根を下ろしはじめているところである。織田勢に敵対する一向宗門徒の農民たちが
いるのは石山本願寺のある摂津ばかりではなくなっていたのである。
これは後の世に「志賀の陣」と呼ばれるようになる一連の戦いであった。この近江での織田家の戦
さん ざ
えもん
の ぶは る
いは長期化し、平定し終えるまで大変な苦戦を強いられることとなるのである。そしてその最初の戦
場となった坂本で、森三左衛門と信長の弟の信治が討ち死にをしてしまうという大きな痛手を信長は
負うことになったのである。
信長 は家 臣たち に は 冷血と い う 印象 があ っ た 。 確 かに 親兄 弟 が 死 ん で も 心 に 痛み はあ ま り 感 じな
も
かった。この時も弟信治の死には家族が死んだという感慨はなかった。しかし、森三左衛門の死は悲
しくやり切れなかった。
信長は当時の大名の子供たちのほとんどがそうであったように生まれてすぐに守り役と呼ばれる家
臣によって育てられることになった。実の父である織田信秀は信長にとって戦上手の大名としての憧
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
ひ ら て まさ ひ で
れ や 尊 敬の 対 象 で あ っ た が 身 近な 存在 で は な かっ た 。 そ の父 信 秀 が 没し て 二 年 後に 信長 の守り 役 で
かんし
あった平手政秀が自分の屋敷で自刃して果てた。信長の立ち振る舞いや我が儘いっぱいの行動を止め
ることのできないことへの最後の手段として諫死を遂げたのであった。織田家を負って立つ大名とし
ての充分な資質を養育せねばならない信長の守り役としての責任を、平手政秀は痛感していたのだっ
いさ
た。政秀は信長へ宛てた諫死状の中で、それまでいくら言っても改めようとしなかった信長の欠点を
一つひとつあげていた。政秀は自分の命をかけて信長を諫めたのである。
この出来事があって青年信長は初めて自分を省みた。
同時に自分にとって最も大切な人物を失ってしまったことに気づいたのだ。平手政秀こそ信長の育
ての親であって、心から信長を実の子供のように慈しんでくれていた人物であった。失って初めて気
づくのは世の常である。政秀の死は信長をひとつ大きく成長させる機会となった。しかし、その代償
はとても大きなものであった。
その後の織田家の中で信長が最も信頼を寄せていたのが森三左衛門であった。織田家の最古参の家
臣であり、やはり信長にとって親のような存在であった。森三左衛門の死は信長に悲しみと怒りをも
な ぎな た
たらした。やがてその怒りは巨大な憎しみとなっていったのであった。憎しみの対象となったのは浅
井・朝倉ではなく、むしろ戦の側面から長刀を振るって出てきた叡山の悪僧どもとそれらを動かす天
台座主たち高僧であった。
やがて摂津から急ぎ戻った織田軍の主力部隊が近江に入った。織田の本隊を前にして浅井・朝倉勢
は北へ押し返されていった。延暦寺の悪僧どもも山へ去っていった。
そうして「志賀の陣」の初期の段階は終息する方向へ向かったのだが、その後も近江のあちこちで単
発的な一揆を繰り返す一向宗門徒たちがいた。南近江に織田家の完全な支配権が成立するに至るまで
にはまだ数年の月日が必要であったのである。
織田勢に立ち向かってくる一向宗門徒たちのほとんどは地元の百姓たちであった。集落の者全員が
処刑される「なで切り」にあった地域も多くあった。その織田勢の徹底した弾圧の様子を聞いた石山
本願寺の中でその恐ろしさに震える者はいなかった。逆に彼らの仏敵に対する憎しみと復讐心をさら
にかき立てたのである。石山本願寺は本格的に対織田戦争を準備し始めることになった。
今回の一連の動きは、三好三人衆の野田城侵攻というところから始まっていたが、明らかに石山本
願寺と三好三人衆、延暦寺と朝倉義景、浅井長政たちが企んで連携したものであった。三好勢の動き
は織田軍を摂津におびき出すための陽動作戦であったことは容易に推し測ることができた。そこには
将軍義昭の影も見え隠れしていた。
慌ただしく日々が過ぎ、元亀元年は暮れた。
翌、元亀二年の夏が過ぎていった頃である。光秀は足利義昭の動きに注意していた。義昭が反織田
とねり
勢力の大名たちと連絡をとりあう動きをしていたことはかなり以前からわかっていたことである。
足利氏歴代の法事を営むために足利義昭が比叡山へ遣わした舎人がいた。その者が山中の道で足を
滑らせ崖下へ転落死するという出来事が発生した。その墜死していた舎人の懐中から義昭の密書が発
見された。その墜死事件によって義昭が織田包囲網を再構築しようしていた構想を信長は明確に知る
ことになった。前回の計略は森三左衛門たちが坂本で予想外に長く持ちこたえたために失敗に終わっ
ている。そこで同じ愚を繰り返さぬように別の計略が新たに練られていた。義昭は言い含めるように
言葉を選びつつも再度の挙兵を促していた。
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
その手紙は書き写されて、義昭自筆の手紙は元通りに死んだ舎人の懐へ戻された。手紙の写しを読
んだ京都奉行の光秀はその内容に仰天した。信長に密書の内容を急報したが、岐阜からはなにもする
なという命令が京都へ送られてきたのみであった。光秀には主人信長が何を考えているのか、この時
にはまるで察しがつかなかった。
それから数日が経ったある夜のこと。都から比叡山へ登っていく数人の者たちがいた。その後を光
秀の手の者が尾行した。後をつけられていた一行は足利義昭その人とその従者たちであった。やがて
彼らが叡山西塔の門跡寺院のひとつへ入るところが確認された。
知らせを聞いた信長は岐阜城に諸将を呼集し、比叡山焼き討ちを宣言した。
叡山攻めの本陣は光秀が担当するというものであった。
そのための軍議に先立ち信長の居室へ一人呼ばれた明智光秀は、内容を知らされて蒼白となった。
「上様、その議だけはおやめ下さりませ。かつて延暦寺に弓を引いた者は平清盛だけでございます。
清盛は一代の栄華を極めたものの、哀れな末路を辿っております。武門にとって鬼門に位置しており
ます。王城を守護し奉る叡山を討っては、京の衆の心も上様から離れてしまいます」
「なにを血迷うたことを言っておるのか。京を取り仕切っている町衆どもはみな日蓮宗の者たちよ。
あやつらは皆延暦寺悪僧どもを憎み切っているではないか」
信長は天文法華の乱のことを言っている。
京都を構成するそれぞれの小さな町々は町衆と呼ばれる裕福な商人たちの集まりによって自治活動
がおこなわれていた。その町衆の間には日蓮宗が広まり、次第に大きな勢力となっていった。三十年
ほど前の天文年間、延暦寺は突如僧兵を繰り出して京の町々にある日蓮宗寺院を片端から焼き討ちに
していったのである。これを天文法華の乱と呼んでいる。
光秀はおろおろと考えた。難波津の高台に建てられていた石山本願寺に対して信長は立ち退きを要
求した。そこには例の岩が埋まっている。やはり岩に感応する人間がいて、その地を聖なる地とし寺
が建てられたのだと信長は光秀に語った。
信長は大岩の上にある土砂などを取り除いておく必要があると考えて本願寺の立ち退きを要求して
いた。一年前からその石山本願寺との戦が始まった。一向宗門徒たちは自分たちの宗教を迫害してく
けが
えど
じょうど
る 仏敵 と 戦っ て死 ぬ こ とが で き れば 、 阿 弥 陀 如 来 が 極 楽 浄 土へ 連 れ て 行っ て く れ る も のと 信 じ てい
らい ごう
る 。 こ の世は穢れ苦しみ に 満ち た穢土で あ る 。 そ の 穢土 か ら浄土へ 往 生 さ せる ために 阿 弥 陀如 来は
来迎すると彼らは信じていた。
門徒たちは喜んで死んでいく。敵とするには怖ろしい集団であった。そのために志賀の陣は泥沼化
する様相を示していたのである。今あらためて比叡山延暦寺の焼き討ちから別の宗教戦が始まったら
どうなるのだろうか。
「これは長引く戦とはならぬ。分かったか! 分かったらさっさと行って委細支度せい!」
信長の怒りをかってしまった。光秀は平身低頭して退出の許しを請い、転げ出るようにして信長の
居室を出た。
「殿」
肩を揺り動かされた。いつの間にか光秀はうたた寝をしていた。回想は夢でもあった。近頃は夢ら
どうとう がらん
しい夢を見ない。夢と回想は同じものであった。
「ほぼ全堂塔伽藍が燃えています。間もなく捕らえられた者たちが引き下ろされます。
我らもそろそろ行きませんと」
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
「そうか、この辺りの様子はどうじゃ」
「はっ、別に変わった様子はござりませぬが。……。お聞きしてもよろしいでしょうか」
「なんじゃ」
やせ
どうじ
「今回の叡山攻め、どうしてこのような地に本陣を置かれたので」
「ここは八瀬の地じゃ。ここには八瀬童子たちがいるからよ」
ひ つぎ
不 思 議 に 思 っ て 聞 く に は 聞い た の だ が 、光 秀 の 答え は理解し 難く 、そ れ以 上 の問い かけ は憚 られ
た。
かつて皇室に死者がある場合、その棺を担う役割を果たしたのは洛北の八瀬に住む人たちであり、
れてしまっている。しかし、それが叡山攻略といかなる関係があるのだろうか。光秀の言葉の真意は
その人々を八瀬童子と呼んだ。何故この地に住む人々がそのような役割を担っていたのかは忘れ去ら
測り知ることはできなかった。
その頃、比叡山から北西方向にある山腹で、谷底へ落ちていくかのような急な小さな沢道を転げる
よ うに し て 歩い て い く 男たち の一 行が あ っ た 。 山 から 浸み だ した 細 い 水 の流 れが 所 々 で 水た ま りを
作っている。涸れ沢のような小道である。草鞋の足に石がごつごつとあたり、足袋は破れ、血まみれ
のうし
の指がはみ出ている。数人の武士たちであるが中ほどに守られるようにして腕で支えられつつ歩いて
いるのは直衣姿の足利義昭であった。義昭はすでに歩く力も失ってしまっているらしい。ようやくの
ことで脇から支えられている。
「おのれ、織田信長め」
声に出しているのは恨みのことばと泣き声のような呻き声であった。
とき
この義昭と違い、兄の義輝は貴族化してしまった足利家では稀な武人であった。暗殺者たちが襲来
した最後の期、家伝の銘刀をすべて出させ、畳に抜き身で突き立てておいた。襲い来る敵と切り結ん
では、刃こぼれで切れなくなった太刀を次々に畳から引き抜くようにして取り替えて闘った。足利家
に代々伝わる銘刀の数々はこの時の戦いで失われたという。飾り物であった銘刀が初めて本来の役割
これまさ
を発揮して寿命を終えたということであった。義輝自身も屋敷に火をかけ、自害して果てた。その兄
と比べると義昭はまるで公家であった。
この時、義昭は奈良の一条院から密かに脱出した時を思い出していた。和田惟政を頼って伊賀甲賀
をめざした。あの時も獣道を必至の思いで木の根を踏み、草を掴んで這い上がり、また滑り降りなが
あちこちに松明をもった雑兵どもがいる。その兵たちの叫びの内容から全山皆殺しの命令が出てい
ら逃げた。あのような辛さは自分の人生でもう二度とないであろうと思っていた。
ることが判った。彼らがそう叫んでいるからには見つかれば必ず殺されるに違いない。足利義昭であ
ると名乗ろうが血に狂っている雑兵どもには殺さぬ道理とはなるまい。泣こうが喚こうが討たれるの
は明白である。奈良から脱出したあの時の方がまだ良かった。山中にはこのように恐ろしい怪物のよ
うな雑兵たちはいなかったのであるから。今はひたすら音を立てぬようにして歩き、足の傷の痛さを
我慢し、そして声を立てずに泣かなければならなかった。
「なぜ、其一は余をこんなところで放り出すのじゃ」
別の恨みごとも呟いていた。
まだ明け方のまどろみの中にいた義昭を起こしたのは忍びの其一であった。いつもは物陰から声を
かけてくる其一であったが今回は違っていた。目を覚ました義昭の顔の前に其一の顔があった。義昭
は寝床の中で驚きの声を上げてしまった。その口を手で押さえて声が洩れぬようにした其一が静かに
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
織田勢の襲来を告げた。
「時間がもうありませぬ。このままでは比叡山の坊主どもと一緒になぶり殺されてしまいます。急い
で逃げねば。さっ、支度を」
すぐに義昭の供侍が部屋に入って来て着替えをさせた。
「に、逃げられるのか」
「さあ、それはご運次第に遊ばされます」
其一は笑っているように見えた。
「このような時ではありますが、この其一、今日限りでお暇をいただきます」
「そ、そのような場合ではないであろう」
「いえ。そのように決めております。これでおさらばでございます」
「ま、待て。お前は余の下で働く草ではないか。勝手に主人と別れるということができるか」
「その通り、儂の一存でお別れでございます。草というものは銭で雇われるものでございますれば、
仕えた相手に対して何の義理ももたぬものでございます。それは雇い主が義昭様でも同じ。儂はもう
草としての生き方を捨てることにしております。少しは人の世に生きてみたいと思っております。然
からばいずれどこかでお目にかかることもございますかも知れませぬ。お気を付けてお逃げください
ますよう。逃げ道にはそれと判る印をつけてございます。お供衆には話してありますので、その目印
の あ る 道で お 逃 げ 下 さ い 。 そ れ で は ご 免 」
夜明けの薄明かりの中で其一はすっと影のように消えていった。
すぐに義昭は供侍たちと寺から転げ出るようにして脱出を図った。其一の示していたのはこんなに
もか細い獣道であった。しかし、確かに織田の雑兵たちの探索する場所から僅かに死角となっている
道であった。それでも発見される危険があることは義昭にすらわかった。じっと息を潜めねばならぬ
場所もあった。
お ん じょ う じ
みい で ら
近江の大津にある巨刹園城寺は延暦寺が開かれれて間もなく、円珍によって比叡山とは別の法灯を
掲げることになった天台宗寺院であった。別名を三井寺と呼ぶ。その門前にほど近い琵琶湖畔の砂浜
である。比叡山焼き討ちは昨日のことであった。
幔幕 が 二 重 ・ 三 重に 厳 重 に 引 き 回 され た そ の中 で 、 比 叡 山 を 襲っ た 昨 日 の 大 虐 殺が 再 現 され てい
名僧・智僧として知られる僧位の高い者たちが主であった。無数のむせび泣く声と悲鳴とが虚しく空
た。捕らえられていた叡山の僧侶らが次々と首を刎ねられていたのである。処刑されていたのは世に
の彼方に消えていき、流される大量の血液は際限なく浜の砂が吸い込んでいった。
信長は据えられた床几に大きく股を開いて腰を下ろしていた。その左の膝の上に左の肘を置くよう
にして頬杖を突いている。そしてぎょろりと剥いた恐ろしげな眼で、次々に引き据えられる僧侶の顔
を 確か め て い た 。 読み 上 げら れる 名簿 の 名を 一 つ ひとつ 吟味 する よ うに しな が ら 信 長 は 斬 首を 指 示
し、琵琶湖畔の砂は次々に飛び散る血潮を吸収した。また新たな僧が信長の前にひき出されて来た。
紫衣の上から荒縄で亀甲に縛られ、信長の眼前の砂上に転がされた僧は恐怖にわなないていた。
「これなる僧は、西塔は迹門院の観信でございます」
捕らえられた僧侶らの名簿と付き合わせて近習衆の一人が信長に告げた。
「お織田殿、わ、我らはただの僧。仏門に仕える身でござる。いかなることでこのように無体なこと
をなされるのじゃ」
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
転がされている紫衣僧は砂が口に入るのも厭わずに叫んだ。信長はその言葉を聞いて額に青筋が浮
いた。
「ほう、その方は僧でござったか。では聞くが僧侶であれば仏の教えを守り広めていくのが役割では
ないのか。俗世の欲とは無縁の清貧の生活をすべき者たちが僧侶ではないのか」
「い、いかにもそうじゃ。その僧である我らは首を刎ねられるいわれはない」
紫衣僧は強く言い放った。
「馬鹿を言えッ」
信長が怒りの言葉を発した。
わッ。あやつらは何じゃッ。叡山は仏法の修行の場であろう。女人禁制の山になんで美しいおなごた
「 お 前 たち のど こ に 清 貧 の 生 活 が あ る 。 叡山 で死 ん で お っ た 者 たち の中 に は 多 く の 女 子 供 が お っ た
ち が い た のじゃ 。 お 前 たち が 不 犯 の 戒 律を 破っ て おる のは 世 の誰 もが 知 っ て お る わ 。 魚や 肉 を 喰 ら
い、酒を飲んで美しい女たちを抱いている。とんでもない強欲の破戒坊主どもよ。お前たちの指図で
やいば
悪僧たちは人殺しまでするではないか。それでも俗世の汚辱にまみれていない清貧の坊主であると申
すかッ」
「 そ、 そ れ は … … 」
信長の言葉に紫衣僧は何も言えなかった。
「 浅井 や朝倉、本願 寺とも組 んで 我らの陣へ刃を振るっ て立ち 向かっ たこと 、知らぬとは言わ せぬ
ぞ」
転がされた高僧はついに咽び泣きはじめた。
「それ以上の殺生は止められたが良かろう」
いつの間にそこに現れたのか、その言葉を発していたのは信長から数丈離れた幔幕の前に立つひと
りの行者姿の男であった。
今 日 の信 長 の 警 固 役 に あ た っ て い た 馬廻 り 衆 は 慌 て ふ た め い た 。 こ の 行 者 は ど こ か ら こ の 幕 内に
入って来たものか。幔幕の入り口からではない。幕の入り口からでも、または幕をくぐって来たにせ
よ、それは有り得べからざることである。有り得ないことが起こっていた。側近の者たちの頭は混乱
していた。ともかく急ぎ取り押さえようと武者たちが俊海に駆け寄っていった。
興味深そうにその行者姿の男を眺めつつ、信長は取り押さえようとする馬廻り衆の者たちを手で制
まさに掴みかからんとしていたところを信長が止めたので、若武者たちは行者の白い僧衣の上から
した。
押さえつけようとした手のやりどころに困り、空を掻いていた。その滑稽さに信長の悪戯心が湧くこ
とになった。
「これはこれは。貴僧は叡山廻峰行の行者殿であるか」
「かつてはそうであった」
行者姿の僧と信長の対話が始まった。
「かつて? 今は違う訳か」
「比叡山を出た」
両人とも穏やかな話しぶりである。
信長の前に転がされていた紫衣の僧侶が信長と会話する行者に気がつき叫んだ。
「し、俊海! た、助けてくれ」
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
それを聞いた信長は
「その方、名を俊海と申すか。ふーむ。されど廻峰の行を捨て、叡山を出るなど、そのようなこと許
されざると聞いているが。満行を迎えざれば自ら命を絶つのではなかったかな」
「今は廻峰以上の行をしておる」
「叡山がそれを許したのか」
「いや、すでに寺とは関係はない。日吉の社との深い縁は切れようはないがな」
「ほう、宗旨替えをしたというのか」
信長は皮肉な口調で言った。
つて御仏の教えを生み出すことにもなったものじゃ。宗旨替えなどというものではない」
「そうではない。太古より日吉の神として崇められてきたあるものと新たな縁をむすんだ。それはか
しんち ぶっじゃく
俊海はいくらか動揺した様子で答えていた。
「 ほ う 、神 地 仏 迹 と は 聞 い た こ と が あ る が 、 そ れ で は な い の か 。 日 吉 の 神 と や ら が 仏 陀 に な っ て 天
竺に現れ、仏の教えを説いたという訳か」
「そのようなことを語るために織田殿にお目通りに参った訳ではござらん。しかし、まずはともあれ
この惨状を目の当たりにしての一言でごる。これ以上の殺生は止められよ」
信長はこの俊海という行者が例の石と関わりをもっていることを直感していた。信長自身には何故
それを強く直感しているのかは判らなかった。それはほぼ確信に近いものであった。しかし、その一
方でついからかう口調になっていた。
自分自身は知らぬことであったが、幼い頃からの旧知の間柄のような親しみを、突然現れたこの修
行僧に感じていたのである。そのために軽い口調となっていた。見知らぬ筈の行者に対して、自分の
口から出た言葉の軽さに信長は気づかずにいた。
よこしま
真っ 直 ぐな僧侶 である。 悲しみを 知っ ているが 、決 して邪な ことを知 らな い眼 であ る 。 清浄 さが
漂っている。今日この浜で今まで首を刎ねてきた高僧を気取った腐りきった輩とはまるで違う。こい
つは面白い。信長は瞬時にして見極めながら思考しているのである。そこには好感があった。
しかし、まずいことに信長がしていることを家臣たちの面前で制しようとしている。信長は織田家
の統制をも考えねばならなかった。
「殺生を止めろとは笑止。破戒坊主がこの信長に命令しよるのか」
「いや、命令などではない。比叡山はすでに滅んでいる。そこにいる僧たちを殺したところで織田殿
と。ことの流れの中で口をついて出た言葉じゃ。命令などであろうはずはない。無慈悲な行いを慎ま
が得るものはないということだ。拙僧は後の世に大きな名を残すであろう貴殿に会いにきただけのこ
れていただきたいとの僧としての願いじゃ。無駄な殺生は避けられよ」
「この信長に会いに来られたとな。何用があってのことか?」
信長には殺生をやめよとの言葉は耳に入らなかった。
この幔幕の内まで厳重な警備体制が敷かれている筈である。叡山焼き討ちは他国の大名衆との合戦
と同じではなかったが、事後の態勢は同様である。
通常の合戦では勝者は落ち武者狩りを行う。土民たちも落ち武者を討ち取り、褒美としての銭を得
るか、討ち取った者の身ぐるみを剥ぐ。土民たちは生活のためであるが、勝者となった大名にとてっ
ての落ち武者狩りは吾が身の安全確保が目的であった。破れかぶれの捨て身で敵の大将の本陣めがけ
て討ち入る者が出ぬとも限らないのである。
そのような理由によって首実検を行っている幔幕の警備は厳重を極めている。その大層な警備の眼
十四、 元亀二年夏(一五七一年) 比叡山焼討ち
をかいくぐって命知らずにもこの僧侶は忽然と姿を現した。そしてその目的が自分と会うことである
と言っているのである。常識ではあり得ぬことであった。
「叡山の運命を見定め、先の世の鍵を握る織田信長という男を知ろうと思い参上した。ただそれだけ
じゃ。特にこれいった所用が今あってのことではない」
「訳の判らぬことを言う。この信長に会うことだけがお主の目的なのか」
「無益なことはすべきではない。無慈悲なことはやめられよ。ゆくゆくは天下をお取りなされるお方
じゃ、しかしながらさながら悪鬼のごときに人々に思われるようであれば先行き長ごうはなくなって
しまうことにお気づきなされ。拙僧は叡山にいた者であるが、そのために織田殿を敵とは思うてはお
らぬ。無駄な殺生をおやめなさるよう、このようにくり返して願ごうても織田殿には聞き入れなされ
ぬか。そのご様子ではお聞き届けなされぬな。よう分かり申した。これで拝顔の榮に浴した。今後お
見知り お きを願 う 。ま たお 会い させていた だ こう」
俊海は手にしていた杖を地に突き立てた。大地と接する杖の先が眩しく輝きはじめ、輝く光は杖を
上へ走り、俊海の手を通って身体全体を包んだ。その間一瞬であった。輝く俊海の姿は急速に薄れ消
え よ う とし た 。
「待て!」
俊海がどこかへ消え去ろうとしているのが信長には判った。そして待てと叫んでいた。
そう叫びながら立ち上がった信長の姿が俊海と同様に一瞬輝き、消えた。
その場に居合わせた者たちは全員が狐につままれた面もちで茫然となり、顔を見合わせた。琵琶湖
畔の幔幕の内が騒然となったのはそれから暫くあっての後のことであった。
十五、合衆国国防総省ペンタゴン
マクドゥエル少尉の運転する車はリンカーン記念堂の前に差しかかった。
ジョージ・マクドゥエル少尉はまだ顔つきに幼さを残した青年将校である。彼はスポット照明に浮
かび上がったリンカーン大統領の巨大な像をいつものように運転しながら見上げた。夜間の特別な照
明を受けている像は昼とは違った陰影をもっている。昼のリンカーン像は親しみのあるそれでいて慈
愛に満ちた尊厳を漂わせている、まさに偉人然とした風貌を人々に見せていた。夜、自動車の窓ガラ
スを通して見るリンカーン像は不思議な悲壮感を感じさせるものであった。マクドゥエルはこの像の
前を 通 過するたびに気持ちを 新た に し た 。 そ れは これから軍 務に就 こ うとする 前の個人 的な儀 式で
あった。人々が眠りに入ろうとするこの時間に自分はアメリカ合衆国の守りに就くのである。そのよ
うな個人的な感傷じみた気持ちがリンカーンの表情に反映しているのかも知れなかった。
い つ も は 自 国 と 国 民 のた め の 軍 務 に 就 く 前 の神 聖な 気持ち を もっ てこ の場 所を 通過 する ので ある
が、この夜は違っていた。彼は妻と些細な言い争いをしてしまっていた。
彼と妻の甘い新婚生活も終わろうとしていた。新しい生活に慣れはじめた妻のジェシーは彼の勤務
地の変更を上層部へ申請するようにと主張しはじめたのだった。
ジェシーの父親はかつてカリフォルニアのパサディナ・ジェット推進研究所に勤務していた。その
ためロサンゼルスで生まれ育った彼女は西海岸の明るい陽差しが好きだった。ワシントンDCも嫌い
十五、 合衆国国防総省ペンタゴン
ではなかったが、海がないということが寂しかった。
ジョージはニューヨークで生まれて育った。高校で彼の数学の才能を認めた教師がアメリカ大陸の
正反対にある大学へ進むことを熱心に奨めてくれた。それに素直に従うようにしてUCLAへ入学し
電子工学を学んだ。大学のあるカリフォルニアでジェシーと知り合うことになった。
ジョージの理科学系分野の才能は高校時代から群を抜いたものであったが、さらにその才能は大学
へ進んでからプログラミングの分野で大きく開花した。大学在学中からシリコンバレーにある幾つか
の世界的な企業から勧誘をうけるほどになっていた。各企業はこの天才に様々な手段で誘いの手を伸
ばしてきたものであった。しかし、彼は幼い頃から父親と同じ道を進むことを思い続けていたので、
一般の企業へ入る気はまったくなかった。確かにIBMやマイクロソフトなどからの誘いは魅力的で
あった。そこで自分の才能を飛躍させることは十分にできるかも知れなかった。ただ、その先には彼
自身の求めるもの、あるべきものがなかったのである。
海軍の軍人であった父親は幼いジョージに国を守って戦った様々な英雄たちの人間像を語って聞か
せた。独立戦争でのジョージ・ワシントンの苦悩と戦いぶりから、メキシコ軍に包囲されたアラモ砦
の人々のこと、第二次大戦の数々の作戦にまで話は及んでいた。ジョージ・マクドゥエルにとって自
分の才能はアメリカ合衆国とその国民のためのものでなければならなかったのである。
ジョ ージ は海 軍へ 入隊 した 。 海 軍 の人 事 担 当は 自 分か ら進 んでや っ て 来た こ の青 年を 喜んで 迎え
た。人事担当者としては多くの民間企業から誘いがかかっていた人物を入隊させる事ができて、また
一つ自分の経歴にプラス点をつけることができたのである。
入隊後、ジョージは規定通りの訓練期間を終えるとすぐに現在の国防総省内の任務に就かされた。
それと同時に新しい家庭をもつことになった。すべてが新しく順調に始まった。
ジョ ージ の勤務は三 日のうち 一 日は 夜間 勤 務であった が彼 はこの 勤務を 好 んでい だ 。 コンピ ュー
ターのコントロールルーム勤務であるが、暇な時間を利用して自分なりのプログラムを組むことがで
きるのである。彼には大学院時代からの独創的なアイデアがあった。それが次第に形をととのえつつ
あった。彼のそのプログラムの完成は合衆国に大きな安全を与える筈であったし、彼個人にとっても
新 し い 博 士 号 の取 得 と い うメ リッ ト の あ る も ので あ る と も 思 っ て い た 。 そ の よ うな 時 、 勤 務地 を 変
わって欲しいと言い出した妻のジェシーとつい言い争いをしてしまったのである。
ジョージの運転する車はリンカーン記念堂からアーリントン記念橋へ向かった。ポトマック河畔の
桜並木の花も終わろうとしていた。しばらく前には岸辺にそって夜目にもややピンク色をした白い花
が 雲 の よ う に 続い て い た のが 橋 の 上 か ら 眺 め ら れ た 。 そ の桜 の 花 も 今 で は 雪 のよ う に 散 り 始め 、 短
かった 花 の季節が 終わりかけてい た 。
ジョージはそれまで考えたこともなかったが、自分たちの新婚生活も花の盛りの時を終わり、やが
て彼の両親のように平坦な刺激のない暮らしになっていくのだろうかと思わざるを得なかった。彼の
妻は夫の仕事をよく理解していてくれるものと思っていた。しかし、今はそのように自分が勝手に思
いこんでいただけなのかも知れないと思うようになっていた。
ポトマック川を渡るとそこはヴァージニア州である。橋を渡ってすぐに左折するとアーリントン墓
地にそって南下する道である。国家のために命を捧げた兵士たちの眠るこの墓地の前を通り過ぎる際
にもいつもなら身の引き締まる想いがする。マクドゥエル少尉はまだ妻との関係のことを考えている
十五、 合衆国国防総省ペンタゴン
自分に気がついた。こんなことでは勤務に差し支えるな、彼は気を引き締めようとした。
右側 の海兵隊司 令部へ 行く道と分 かれ 、そ のま ま直 進すると 右側にペ ンタ ゴン の建物が 見え てく
る。この建物が9・11テロで航空機の突入によって受けた被害は甚大であった。今は慰霊のモニュ
メントだけがその事件のあったことを示していた。
ペンタゴンの外見はテロ以前の通りに修復された。自由の国アメリカ合衆国は、国防の中心がこの
建物であることを決して隠さなかった。合衆国の歴史において自分たちの国土が戦場となったのは南
北戦争以来なかったのである。そのために外部からの大がかりな攻撃などを夢想だにしておらず、ま
してや民間航空機による体当たり攻撃など思いもよらなかった。施設に入ろうとする人間や自動車に
対するチェックは厳重であった。しかし、ペンタゴン全体の防御は意外に弱いということが露呈され
た事件であったのだ。
国防総省はこの建物を修築する際に、地上の外見は元の通り復元させたが、壁と地下施設は想定さ
れるあらゆる攻撃に耐えられるように造り換えていた。新たに細菌や化学兵器による攻撃も考慮され
ていた。
メインコンピューターは複数あり、リンクされていて時間で交代しながら互いにバックアップする
体勢がとられている。それらの大型スーパーコンピューター群はペンタゴンの建物の地下深くに分散
して設置されている。ジョージ・マクドゥエル少尉の担当はそのうちの一台であった。
幾つもの厳重なセキュリティチェックを受けつつ次第に下の階へ降りていく。彼が担当する勤務階
へ到着するのには十分ほどかかる。ジョージ・マクドゥエル少尉は最後の密閉ドアを通過する前に廊
下のサーバーからコーヒーを紙コップに注いだ。そして片手にコーヒー、反対の手に愛用の透明ファ
イルを持ちながら、密閉ドアのサイドに取り付けられている確認装置のレンズ窓を右目でのぞき込ん
だ。眼の光彩を確認してドアを開閉する最新式の装置である。
かつての二次元方式の光彩確認方法では簡単に警備は破られてしまうことが苦い経験から判ってい
た。3Dレンズはジョージ・マクドゥエル少尉の光彩の厚さをミクロン単位で計測した。セキュリテ
イ 専 用 の コン ピュ ー タ は 、 そ の 個 人 的特 徴を 認 識 する と 開 閉装 置に 信号を 伝 達し てド アを 開け させ
た。
ペンタゴン内では地下の階へ入ると、そのほとんどのドアは気密構造になっている。外部の自然の
空気とは完全に遮蔽されていた。非常の際には部屋ごとに設置された生命維持装置が作動することに
する。薄い空色のドアを通り抜けるとそこがジョージの仕事場である。奥行き十メートル、幅五メー
なっていた。その完全密閉できる気密ドアは開閉する時にはわずかにシュッという空気の流れる音が
トルほどの部屋である。左側は人の身長以上ある高さのはめ殺しのガラス窓が壁となっている。その
窓の向こうは三メートルほど低いフロアとなっていてスーパーコンピューターのユニットがずらりと
並 んで いる 。 まる で S F 映画 に 登 場する アン ドロ イド 軍 団 の 兵士たち が 整列 してい る か のよ う であ
る。このコンピュータ・ユニットの置かれたまるで倉庫のように広い部屋とコントロールルームは特
殊強化ガラス一枚で遮蔽されて別室となっているのである。ジョージのいるコントロールルームの中
には、ドアから向かって突き当たりの場所にコントロールパネル類が設置され、その前に六つのデス
クトップ型ディスプレイの乗った横長のデスクがある。三つの椅子と三セットのキーボードなどコン
トローラー類が置かれている。その二つの椅子に二人の男が座って彼を待っていた。二人の勤務時間
が終わるところであった。
前任者二人と型通りの簡単な交代儀礼を行い、ジョージが夜間任務を引き継いだ。ジョージがコン
十五、 合衆国国防総省ペンタゴン
ピューターにIDナンバーを打ち込むのを確認した後、二人の将校たちはジョージの新婚生活をから
かい、しばらく冗談を言い合ってから持ち場を離れていった。二人はこれから連れ添って深夜の街を
徘徊する予定のようであった。
これでジョージは一人の夜間勤務についた訳である。しかし、その部屋で勤務についているのはた
だ一人だ けであっ ても、遠く離れた 別々 の部屋で同じ 勤務についている 者たちが 数人いる はず であ
る。ペンタゴン全体では夜間でも千人を超す人々が働いている。全世界から送られてくる情報を分析
し、またその対応を練っている。そしてこのペンタゴンの他にも各軍の情報機関、またCIAやFB
I、NSAなどの合衆国国家の独立した機関でも同様の深夜任務をこなしている者たちがこの国全体
で数え切れない程いるはずである。ジョージはそれをいつも思うことにしていた。自分の気持ちを奮
い立たせるためである。しかし、今夜はどうも気持ちが沈んでいた。妻との言い争いが原因であるこ
とははっきりしていた。
彼の担当しているスーパーコンピューターはヨーロッパの情勢判断に関する資料を収集し、一見何
の関係もなさそうなデータを関連づけて解析する作業を行っている。ありとあらゆる分野の雑多なし
かも膨大なデータを扱っている。フランスのブルゴーニュ地方からパリへ送られるワインのリストか
ら、イタリア・シチリア島の今シーズンの小麦の出来高予想、スペインのバスク地方に広がる民族独
立を叫ぶ過激運動家たちの今日の行動、オランダ王宮の晩餐会に招待された人物のリスト。ありとあ
らゆる些細な、まったく役に立ちそうにない情報までも集め分析するのである。
それはアナリストたち、つまり情報分析官と呼ばれる専門家の仕事でもあるが、長年の経験と高度
の分析能力、そしてなにより感を必要とする専門家はなかなか育ちにくい。アナリストたちの仕事を
補佐するためのプログラムは何年も前から要求され続けてきたが、当然のように実用的なものはでき
なかった。数年前からやっと最初のプログラムが稼働し始めたが、現在も試行錯誤が続いており、ま
たまだ人間アナリストたちの負担は軽くなっていなかった。
ジョージはアルゴリズムと完全に隔たった脳型コンピューター向きのプログラムのアイデアを形に
しようとしているところであった。思考する脳型コンピューターはデータからデータへ人間のように
眼を通していき、共通性だけではなく対立性であったり補完性であったり、そこに何らかの関連性を
恩恵を与えるはずである。
発見すると、検証までおこなうプログラムであった。それが完成すれば合衆国の安全保障に限りない
彼は家庭ではあまり自分の仕事内容について触れなかった。当然情報そのものに関しては妻であっ
ても漏らすことは禁じられている。日常生活の中で仕事の内容について会話しないという癖は次第に
底辺を広げていってしまっている。今ではジョージが仕事で扱う情報とはまったく別のところで開発
しようとしている個人的なプログラムについても触れないようになってしまっていた。そのため彼の
妻がまるで自分の仕事を理解してくれないような印象を夫であるジョージ自身が勝手に創り出してし
まっていたのである。そのことも言い争いの原因の一部となってしまっていることに彼は気がついて
いなかった。ジョージはまた妻との言い争いを想い返していた。
エムアイファイブ
目の前のディスプレイにはイギリス情報部からのデータリンクを示す数字が緑色で点滅していた。
イギリスのMI 5 やMI6との情報交換である。数分で終了する日常業務であった。しかし、その
日のデータには巧妙に隠されたコマンドが侵入していることにスーパーコンピューター全体を監視し
ている大型コンピューターのセーフティ・プログラムが見落としてしまっていた。そのコマンドの送
信元は日本国内にあった。
十六、 比叡山三光院へ(元亀二年)
「待て」
十六、比叡山三光院へ(元亀二年)
俊海を制止しようとした信長は思わず叫びながら、座っていた床几から立ち上がった。
自分では急いで立ち上がったつもりでいた。しかし、その気持ちとは裏腹に、実にゆっくりと自分
これは何だ、と自分自身が思う程にゆっくりとした感覚であった。
自身の身体が伸び上がるようにして立ち上がっていくのを感じていた。
「 待 て 」 と 叫 び つ つ 両 足 で 琵 琶 湖 畔 の 砂 ま じ り の地 を 踏 み し め な が ら 立ち 上 が ろ う と し た 瞬 間 か
ら、時間は妙に粘り着くように信長の身体を覆っていったのである。身の周りの大気が、まるで粘膜
のようにへばりついてきた。それは次第に重くのしかかるようで、信長の筋肉の動きを止めようとす
るかのようであった。信長は無意識のうちに渾身の力を絞って立ち上がろうとしていた。その間、第
三者の眼をもった信長自身がそれを視ていた。
超人的な努力が立ち上がるために必要であった。そしてようやく、身体が伸び上がった。そう思っ
た途端に身体が動かなくなった。いや動けなくなったのである。
ようやくのことで立ち上がることができたと思った直後であった。眼前にあった風景が瞬時のうち
に変化していたのである。
彼の身体は極彩色の巨大な筒の中としか表現しようのない空間に投げ出されていた。
気づくと身体を包むあらゆる方向に接触するものの、なにものもない空中にいたのである。足の裏
にも何かが触れている感覚はなかった。一瞬前まで琵琶湖畔の小石混じりの砂を踏みしめている感覚
があった。それが今は何も踏んでおらず、触れてもいなかった。高い空から落ちていこうとするよう
な感覚に信長の神経はじっと耐えていた。
凡庸の人であったならば叫び出さずにはいられなかったであろう。武将にはどのような状況・場面
に遭遇しても配下の者たちの前で動揺することは許されることではなかった。戦場であれば当然のこ
きっぽうし
と、それ以外の場所であっても決して恐怖の色を顔に浮かべることのないようにせねばならない。そ
れは吉法師と呼ばれていた幼い時分から信長が自らに課していた最も重要な鍛錬のひとつであった。
迷いや、まして恐怖という感情を表に出してしまうことは一軍を率いる将にあっては自らを滅ぼしか
制御していくことは最も大切なことであることを経験的にも知悉していた。
ねないことであった。異常なまでに感情の高ぶる戦場では、最下層の兵士の一人ひとりまでの感情を
戦場という修羅場を数知れずくぐり抜けていくうちに、怒りの表情は場面ごとに使い分けることで
よわい
大変に役立つものであることも知った。経験を重ねたばかりでなく、人として老いの境地に入りつつ
ある齢にある信長は周囲の者から常に不機嫌そうに見えるようになってきていた。そのため近習の者
たちにも彼の顔色からは何ものも読みとることができぬ程であったし、常に不気味な雰囲気を漂わせ
ているようになっていたのである。それは信長自身の演技演出でもあった。
そのような信長であったが、今は精神の限界に近いところで叫ぶことに堪えていた。少しでも身体
を動かせば、その途端に遙か下方の、どれ程の距離があるかはまるで見当もつかなかったが、極彩色
の壁へ向かって落下していくのではないかと思えているのである。
叫べばその途端に落下が始まりそうであった。しかし、それは足の下の方へというだけであって、
果たして凡ての物が落下すべき方向がその自分の足の下方向であるかどうかは判然としなかった。
十六、 比叡山三光院へ(元亀二年)
信長がしばしば見る夢のようであった。
その夢の中で、信長は海辺の広くなだらかな傾斜をもった砂浜に仰向けに横たわっている。そこは
あき んど
まるで知らぬ海岸なのだが、南方の島国の海岸のようである。海外との貿易をおこなっている堺あた
りの商人たちから聞く南の国の様子によく似ていた。白い砂浜には絵で見たことのある椰子の木々の
葉が風にそよいでいる。パラパラと椰子の葉どうしが擦れ合って音を立てている。ザーという波が砂
を巻き込んで立てる音がそれに重なっている。
やがて汐が満ちてくるのであろう、冷たくもなく温かくもない海水がひたひたと砂と身体の間に入
り込んでくるようになる。そして程なく小さな波が打ち寄せて来ては信長の身体を沖へ向けてゆらり
波の寄せる毎に、頭が先に沖の方へ引かれていったり、また次の波では足が先に沖を向いたりと波
ゆらりと引き込んでいこうとするのである。
の気まぐれのままにさせている。起きあがろうという気持ちはまるでない。
仰向けに寝ているその眼にはぽつりぽつりと小さく白い雲の浮かぶ空が見えているだけだ。これほ
ど深い蒼い色があるのかと思えるくらいの空に浮かんでいる小さな雲によって、自分の身体が波に回
転しているのが分かる。時々身体がくるりと回転していくと軽い眩暈がする。これから何処へ流され
ていくのか見当もつかず、またそれを知りたいと欲する心もなかった。流れに全身を任せているのが
奇妙に気持ちよく、安らいだ気分でもある。
そのような夢であった。その夢の中で感じる軽い眩暈を思い出した。
目の前の世界に距離感はまったくなかった。円筒形の大空間中に信長の身体は浮かんでいる。円筒
形と思える周囲の壁まで、いったいどれほどの距離にあるのか見当もつかない。近いようでもあり、
また遙か遠くにあるもののようでもある。そして壁のようでもある。半透明の物質が厚い層を造り、
重なっているところを表層近くからながめているようにも感じる。その判然としない壁の中を、様々
な色の塊がその大きさや形、色そのものを常に変えながらゆったりと流れていく。巨大な流れのまっ
つつさき
真ただ中にいるために筒の心中にいるように感じているのかも知れなかった。周囲を流れてくるもの
すべては見ることのできない程に遠い遙か彼方、この空間の筒先にあたる一点から流れ出てくるよう
だ。信長の顔はその方向を向いていた。じっと身体を動かせずにいるので自分の背中の方に振り向い
て流れの先を見ることはできなかった。
つい今まで、一瞬の前まで足の裏に琵琶湖畔の砂を感じていたのが今は何もない。心臓は早鐘のよ
うに打っている。その音をはっきりと自分の耳の中で聞いていた。足の裏や手のひら、他のどの部分
にもしっかりとなにかを押しつけられているような感覚がないことが絶叫したい程の不安感を作り出
す原因であった。もし目の前を風景が下から上へ流れていたら、信長は落下していると感じたはずで
ある。しかし、身体の各感覚器官と切り離された頭脳は「浮いている」と感じていた。
ようやくのことで気づくと俊海がすこし離れた位置、やはり空間に浮いたまま信長を見ていた。い
くらかの困惑と微笑みがその表情にあった。そこは暑くも寒くもなかったが、信長の額にはうっすら
と汗がにじんでいた。
「こ、ここは」
状況がこれ以上悪くはならないであろうとかろうじて判断できた頃、信長が聞いた。聞いたのだが
声を使っていないことに自分で気づいていた。
「ふむ、拙僧にもはっきりとした説明はできぬ。まあ、抜け道のようなものでござろうか。どれ、こ
十六、 比叡山三光院へ(元亀二年)
ちらへござれ」
俊海が手招きした。
「む、されど」
信長は身体を動かすことができぬままである。
「それでは目をおつむりなされ。そしてどっしりとした廊下にでも立つご自分を頭の中に想い描かれ
よ」
信長は素直に言葉に従った。居城の廊下をすぐに想い浮かべることができた。
「そして前に歩かれよ」
見たもの、身体の感覚、すべてが信じられないままである。
目を閉じたまま信長はそろそろと空中を歩きはじめた。信長の心臓はまだ早鐘のようである。眼で
信長は今川義元を桶狭間に奇襲して討ち取って以来、陥った境遇が信じられるものであれ信じられ
う ろた
ぬものであれ、そのすべてを受け入れていくことを自分に課していた。ともかくどのような事態にも
狼狽えることのない強靱な精神を自ら養ってきたのである。それが功を奏している。信長は居室へ向
か っ て ゆ る りと 歩 を 進 め る 自 分 を 想 像 し て い た 。
突然、信長の手に俊海の手が触れるのを感じた。俊海はしっかりと信長の手を握った。信長は恐る
おそる目を開けた。先ほど見た世界とは別の、もとの世界が見えることを期待しながら。しかし、信
長の目に入ったのは、周囲の極彩色をした塊のせいであろう、様々な色をうっすらと映して見える俊
海の顔であった。
「驚きもうした。織田殿にも拙僧と同じく、ここへ参られることがおできになるとは。ともかく、で
は」
その俊海の言葉を信長は理解できなかった。
再び輝きが二人を包んだ。一瞬の眩い輝きの中、信長の視界は真っ白になった。
おう と つ
気がつくと信長は俊海とともに小さな寺の門前に立っていた。突然身体が重さを取り戻したために
信長はよろめいた。足の裏は確かに地面の凹凸を捉えている。いつもの感覚を取り戻したことに信長
は安堵した。
俊海は慣れた様子で寺の門をくぐり先に立って歩いた。自然と信長もその後についた。
「 お 師 匠様 」
俊海がよく通る声で奥へ呼びかけた。
寺の住持と思える老僧が現れた。
「これは俊海」
「織田信長様をお連れもうしあげてござります」
俊海の言葉に一瞬ではあるが老僧に戸惑いの表情が現れたが、すぐに柔和なもとの表情に戻った。
「これはこれは、このような小さな寺へようお越しになられましてござりまする。やがては天下殿と
えん
なられるとの人々の噂、このような所におりましてもよう聞き及んでおります。このままここから中
へ入られてもよいが、陽の当たる縁の方が心地よいのではないかの、俊海」
「はい、ではそのように。織田殿、こちらへ」
再び俊海は信長を招きつつ歩き始め、寺の東側へ廻っていった。先導されるままに夢心地で歩いて
行く信長を見送るようにしてから、老僧天範は奥へもどっていった。
俊海は信長を本堂東側の日当たりの良い縁へ案内していった。良く磨きあげられて黒光りしている
縁先に腰を掛けた。広くはないが清らかに手入れされている前栽の向こう、遙かに琵琶湖が眼下に眺
十六、 比叡山三光院へ(元亀二年)
みなも
められた。水面を背景として鳶か鷹のような猛禽類が輪を描きながら次第に高度を上げていくところ
であった。森を抜ける風がしばしば頬にあたるのが心地よかった。俊海と信長の二人は無言のまま座
り続けた。風が微かに梔の匂いを運んでいた。ふと信長が気づいて訊いた。
い ちう
「俊海。あれは琵琶湖であるな。するとここは叡山であるか」
「御意」
俊海はあっさりと答えた。
「何故この寺が残っているのだ。堂塔伽藍を一宇残さず焼き払うように命じたはずじゃ。それに風の
中に煙の臭いがないな」
信長は次第に威厳をとり戻しつつあった。先ほどの狼狽ぶり、醜態といってもよいものを自分が演
じてしまったことを既に夢のように感じていた。通常の生活感覚は信長を本来の彼自身へ戻したよう
であっ た 。
「そのようでございます」
「何故だ」
「ここは叡山ではあっても、織田殿の焼き討ちされた叡山ではございません。ですから伽藍を焼いた
煙の臭いはないのです」
お しき
それを聞いて織田信長は自分の考えに沈み始めた。俊海もそれ以上は何も言わず信長の思考を妨げ
ることはしなかった。
やがて俊海の老師・天範が茶碗を折敷に載せて運んできた。普段はその老齢にも関わらず身のこな
しの軽やかな師も立ち座りの際にはぎこちないものがあった。折敷を置いてから大儀そうにして二人
の後に座った天範は信長に茶碗を勧めた。
てまえ
「さてさて、織田殿、まずは一服。田舎仕立ての点前でござる。水代わりということでいかがか」
信長は茶碗を作法に則って取り上げ、美味そうに飲み干した。
「いつも織田殿が喫しておられるような茶とは比べものにならぬ粗茶ではありますが、いかがかな」
「結構でござる。御坊は」
作法通りに茶碗から一口飲んだところで信長が問うた。
「これはこれは失礼を。拙僧は天範と申す。俊海の親代わりのような老僧でござる。この三光院と申
たっちゅう
す寺の住持をしておりました」
「この塔頭は何処の子院であるか」
信長は茶碗を置きながら聞いた。その言葉遣いが普段のものに戻りつつあった。
「拙僧はこの叡山横川の三光院に住まわせてもらい、既に五十年ほどにもなりましょうか。もう山を
下ることもなくのうて三十年にもなりまするな。この三光院はほんに小さな寺でござるが、なかなか
心地の良いものでありましょう。叡山の中には堂塔伽藍はあまたあり、みなそれぞれの来歴などを自
べつ
慢げにしておりますが、ここ三光院だけは古すぎて何時からここに建つものやら誰にも判らずに何と
も寂しいかぎりでございますよ。昔よりこの寺には別比叡という呼び方がござまして、比叡山の中に
ありますが延暦寺とは関わりがござりません。たしかに叡山の方々とは行き来もし、親しくお話しも
申します。しかしながらつながりと言えるようなものはなにもないのでございます。この寺が必要と
するような物は都のさる公家から戴いております。されば、比叡山延暦寺からは何の沙汰をされるこ
ともございませんし、この寺の者が延暦寺のすることにくちばしを入れることもいたしません」
自嘲ぎみに話す天範の言葉にはむしろ誰にも知られていない来歴がこの三光院には連綿と伝わって
いるのではないかという響きがあった。
十六、 比叡山三光院へ(元亀二年)
ざい
「この三光院は延暦寺には属しておらぬ寺なのだな」
「はいその通りでございます」
天範と信長の問答は続く。
「その都のさる公家とは」
「三条家様でございます。ただ三条家様ご自身の財を戴いているのではなく、この三光院の所領がご
ざいまして、そこからの収入を三条家でお届けくださいます。その土地を耕してくれている百姓たち
は他の荘園のように無理に奪い取られるようにして貢ぎを出すのではなく、三光院をありがたがって
と
養ってくれておるのです。ですから比叡山山中にあってもまったく別の寺院で、住職も延暦寺からは
出しませぬ 。
大昔のことでございますが、拙僧も摂津四天王寺より参りました。そのことも三条家が執り行うこ
ととなっております。しかしながら、先に俊海が申した通り、ここは叡山であっても叡山ではなく、
ここは三光院ではあるものの実の三光院ではのうござるが」
信長は再びはっとした。
「俊海もここは叡山であっても余の焼いた叡山ではないと申していたが。それはどういうことである
か」
つい詰問調になってしまったことを信長は内心悔やんだ。しかし、天範は何もなかったように答え
た。
「拙僧も実は織田殿と同じようにして、俊海に連れられ、ここへ参ってござりまする」
天範はこの三光院へやって来る時に体験した空間について話し始めていた。
信長はこの小さな寺の縁側で日の光を浴びながらのんびり座っていると、つい先ほどのあの体験は
ほ とり
奇妙に現実味がなくなり、ただの幻であったような気がしていた。
自分は琵琶湖の畔で比叡山焼き討ちの生き残りを処刑する「生きながらの首実検」をしていたとこ
ろであった。それが今は比叡山中の小さな寺にいてその縁側に座っている。どう考えても辻褄が合わ
ない。まだ夢の中にいるのだろうか。しかし、頬を撫でる初秋の風はこの身が現実世界にいることを
感じさせてくれている。
しかし、天範の話がそれが現実であることの証となっていた。
きっ ぽう し
信長が幼い頃、吉法師と呼ばれていた頃のこと、子どもたちでよく石合戦に興じた。ある日、その
石合戦の中で、生涯一度だけのこととなったが、気を失ったことがあった。石合戦は敵味方二手に分
か れ て 石 の 投 げ 合 い を する の であ る 。 実 際に 殺 し 合 う大 人 の 戦 場 で も 石 も よ く 飛 ん で く る も の であ
る 。 子 ど も の時分 から 飛 ん で くる 物を 避 ける こと のでき る 身 のこな し は 大 切 である と 考 え ら れ てい
た。子どもたちの遊びの中にもそのような要素は多分に含まれ、石合戦は最たるものであった。子ど
もの遊びであっても大けがをすることがあり、皆真剣で投げ合いをするのである。石合戦は大抵は河
原でおこなわれた。石が無数にあるためである。
信長は当然のように一方の戦大将であった。その大将が不覚にも飛んできた大きな石つぶてを頭に
受けてしまった時である。痛いと感じた直後、見えていた視野が突然周辺部分から暗くなり始め、中
心へ向けて狭くなり、暗い幕が下りてしまったのを覚えている。
気づくと仰向けに寝ている自分の顔を心配そうな子どもたち数人の顔が覗いていた。
戻ってきた視野いっぱいに汗と泥で汚れた子どもたちの顔々があり、その背景には妙に深く蒼い夏
空が拡がっていた。先ほどまで戦う子どもたちの罵り合う声が満ちていた。今はただ遠くから無数の
十六、 比叡山三光院へ(元亀二年)
ね
油蝉の鳴く音と川の水がさらさらと流れる音が聞こえるだけであった。川の両脇に拡がり、遠く何処
までも続いているかのように見える森の中から、その蝉の鳴く声は聞こえてきている筈であった。
目の前にある川や森や空、川原石、汚れた子供たち、すべての物は現実のものである筈なのに、なに
やら非現実的な感じがあった。吉法師を包み込んでいるすべてのものが彼をよそ者のように見ている
ような気がしてならなかった。気を失っていたことで途切れた時間がそこに入り込んでいることが不
思議な感覚の原因であったのだろう。暫くの間、まったく別の世界へ旅に出ていたような感覚であっ
た。何処へ行っていたのかは判らない。まるで噂に聞く天狗の話のようでもあった。
ある男が野良仕事をしていたところに天狗が現れ、いっしょに遊びに行こうと言う。男が承諾する
とその途端、天狗は男を抱えあげ空を飛んで遠くの町まで行く。それまでしたこともない様々な体験
や 遊びを する 。 遊び疲 れた頃に天狗 は男を 元 の時間、元 の場所へ 戻して しまっ た。 も と の世 界へ も
どってきた男は二つの世界の違いを受け入れることができない。他愛もない話なのだが、その話の場
合は遊んだ記憶が残ることできっと奇妙な感覚が残るのであろう。そのような体験をした男は働くこ
とが嫌になってやがて失踪してしまうことが多いのだとも聞いていた。
気を失うという感覚は時間が失われてしまったということなのだが、そんな天狗にまつわる噂話を
思い出させるような異体験であった。
ごつごつした川原石の上に横たわっていたので背中が痛んだ。吉法師・信長はすぐ起きあがると川
の流れにザブザブと入って顔を洗った。手に血がついていた。頭から血が流れていたのである。傷の
場所を確かめると右の耳の少し上にあったが大したものではなかった。こんな傷は日頃から裸馬を乗
り回しては落馬したり藪に頭を突っ込んだりの信長にとってはいつものものであった。まったく問題
はなかった。
信長は、心配そうに水際に一線に並んで自分の方を見ていた子どもたちに叫んだ。誰が投げたつぶ
てであったのかと。子どもたちが一斉に一人の方を見たことでそれは明らかとなった。石を信長に当
たす け
て た そ の子 ど も は 驚 き 、な か ば 覚 悟を 決 め た よ う な 顔に なっ た 。 な に し ろ 領 主 の若 君を 傷つ け て し
まったのである。
「よくやった。敵の大将をうち倒したのであるから、今日の一番の功名・手柄は太助じゃ」
そう大声で叫んだ。
石つぶてを投げた太助という子どもは、顔をぱっと明るくした。叱られるとばかり思っていたとこ
ろ、逆に手柄じゃと褒められたのである。子供たちも太助をどっと囃した。
この一件で、領主の若君であるということだけでガキ大将として君臨するのではなく、信頼できる
大将としてほぼ同世代の子どもたちを従わせることになったのであった。
あの時の気を失った感覚を想い起こした。
「やはり、あれは夢ではなかったのか」
呟くように信長は言った。
こ
じ ょ う じ ゃ っこ う
しう ん
「誠に、夢のような所でございましたな。上も下もなく空に浮かび、遙かの彼方から様々な雲が行き
くうや
交うておるのを眺められました。常寂光の中を紫雲が立っておるような有り様でありましたな。拙僧
はつい空也上人浄土の教えにある西方浄土へ往生できるのかと思われてしまいましたが、織田殿はい
かがお感じになりましたか」
天範からの突然の問いに信長は言葉を探した。
天範はきっと沈着冷静にあの異空間の中にいて、眼前に拡がる景色を眺めていたに違いない。それ
十六、 比叡山三光院へ(元亀二年)
に引き替え自分は俊海の前で醜態をさらしてしまっている。言葉を返すことができなかった。
天範は信長の返答を待たずに先を続けた。
「世の中、これ程長く生きてきた拙僧にとっても摩訶不思議なことばかりでございます。俊海に連れ
られここへ来てみましたが、ここには人が誰もおりませんのじゃ。それも不思議。それでいてこの寺
おわ
や筆や紙、この茶も碗もあります。風も流れ、鳥も虫もおりますのに人だけがいない。あとは」
「あと」
信長が訊いた。
「あとは三光院の御本尊がここには御座されぬ。如何なることにか」 天範は少し離れて座っている俊海を見た。俊海は琵琶湖を眺めていた。
「俊海。この信長に話してくれぬか。お主は誰か。あの天も地もないようなところは何か。何故ここ
には人はおらぬのか」
信長は俊海に問うた。
俊海の手前に座る天範は遠い目をしながら琵琶湖を見た。
よかわ
「叡山の横川に三光院はござった。ここも三光院でござる。寸分違うことのない三光院でござるが、
しかし、師・天範の住まれていたものとは違い申す。織田殿が叡山焼き討ちをされる数日前に拙僧が
お師匠を三光院からここへお連れしたのでござる。織田殿の軍兵たちに討たれてしまわぬように」
「待て、訳が解らぬ」
信長は怪訝な顔つきでなかば叫ぶように言った。
俊海は続けた。
「織田殿も御覧になり、通ってこられたあの場所を通ると昔や今、それからこれより後に来る世界、
お
そして別の世界などへ行くことができまする。あれはそのような場所なのでござる」
「すると俊海は自在にあの場所を通って、既に了わってしまっている昨日という日やこれより来る明
日という日にも行くことができるのか」
信じられぬという面もちで言った。そして気を取り直したように続けた。
「それでここは、今は今日という日ではない別の日なのか」
「いや織田殿が僧たちの首を刎ねていた日と同じ日のうちでござる。しかし、まったくの別の世界に
て、ここは人はおらぬ世界でござる。不思議なことに人によって作られたこの建物、人によって動か
された庭石、みな在るにもかかわらず人のみがいないという世界で、織田殿や拙僧らがいつもいる世
界のほんの少し横にある世界でござる。そのようにしか拙僧には言いようはござらぬ」
「信じられぬ。ならばあそこに余の家臣も軍勢もおらんということか」
信長は琵琶湖を見て手で指し示しながら言った。そして我に返ったようにして続けた。
「このような場所へ何故連れてきた」
語尾が強くなっている。
「それは行きがかり上のこと。拙僧は織田殿の幔幕から出ただけのこと。そこへ織田殿が追って来ら
れた。身動きもできぬような様子であられたので、拙僧がここへ連れ出しただけのこと。始めから織
田殿をここへお連れするつもりがあった訳ではない。目的などいかほどもない」
俊海はきっぱりと言った。
信長も瞬時に異空間へ移動した時を思いだした。確かに信長は俊海の後を追おうという気持ちで床
几から立ち上がった。その時に眩い光に包まれ、気がついたらあの色鮮やかな空間に浮かんでいたの
十六、 比叡山三光院へ(元亀二年)
である 。
そうすると自分にも俊海のもつ力が備わっているのだろうか。信長は思った。
「左様、信長殿にも拙僧と同じような力をお持ちなされるようで」
信長の思いを見透かしたように俊海が答えた。
「儂もあの世界へ自在に出入りできるか」
「それは拙僧には解りもうさず。拙僧のものは廻峰行の中でいつしか身に付いた力で、この頃ようや
く八分方は思い通りになるようになったところ。織田殿がもたれているものがどれ程のものであるか
は拙僧には見当もつかぬこと。いつかご自分で確かめられたがよかろう」
とよ。かつて浄土念仏を盛んにした僧たちのうちにもあそこをかいま見た者がおったかも知れんな」
「拙僧は俊海にあの世界を通りここへ連れて来られた時、極楽浄土へ誘う紫雲が漂うように思えたこ
えしん
げんしん
天範は感慨深そうな口調でまた繰り返した。
「はい。恵心僧都源信様もこの横川で修行なさるうちに日枝の社のお力で拙僧と同じようになったも
よ か わ の そう ず
のと推察しております」
「源信とは横川僧都という名で呼ばれる坊主のことか」
信長は記憶を辿りつつ問うた。
「そう、横川僧都と言えば往生要集という浄土往生についての書物を書かれたことで世に知られてお
られまするな」
「して日枝の社とは」
信長は続けて問を発している。
「四明岳の頂上に鎮座しておる比叡山全体の鎮守のあることをご存知でおられましょう。もとは比叡
山という山そのものが日枝の神の領域、神域でござった」
「そのことなれば余も知っておる。伝教大師最澄の故事であろう」
「大師はもともと南都の教えに飽き足らず、ひとり比叡の山深く分け入り、庵を結んで修行していた
ところ都の造営をおこなっていた藤原小黒麻呂に見いだされ時の帝に召し出されることとなった」
「そして唐より帰り来る時に大師を守護したというのが山王日枝の神であったという」
俊海の言葉を信長が継いだ。
くう
「織田殿もよくご存じで。さて、この俊海は千日廻峰行をしておったが、四明岳の頂にある古い日枝
の社で星を会得したのでござるよ」
天範 が 説 明 し て い る 。
「星を得た」
怪訝そうに信長が呟く。
「ある日の暁時のこと、日枝の社へ着くと頭上高く空を輝く輪宝がめぐり、その様子はまるで陽がも
うひとつこの世に現れたかのようでござった。それをお師匠様は星と言われておられるのです。その
て んだ い
ちぎ
輪宝の法力によって拙僧がそれまでと変わってしまったように想われるのでござる。お師匠様はそれ
を悟りだと言われるが……」
俊海には自信がなかった。言葉尻に力がなかった。
「弘法大師空海が虚空蔵求聞持法の悟りを得られた時、唐の天台智顗が悟りを得た時、釈尊が悟りを
開かれた時、すべてと同じではないか」
天範が断言するように言った。
そしてしばらく沈黙が続いた。三人はそれぞれ別の感慨に耽っているようである。
十六、 比叡山三光院へ(元亀二年)
縁に深く腰をおろしていた信長が天範の方へ軽く向き直るようにして浅く腰掛け直した。
「天範殿。四明岳には大岩が埋まっているのではないか」
ごほ う せ き
信長の問いを天範は吟味するように沈黙した。ややあって。
よ
しろ
「織田殿はよくご存じで。四明岳には大きな岩が護法石として埋まっていると、この比叡山には大昔
から言い伝えられて来ております。何でも日枝の神の憑り代であった大岩であるそうな。ある話では
その一部が山から突き出ているのが将門岩であるとも言いますが」
「それは人に語りかける岩か」
「はて、そのようなことは聞いたことはござらぬが」
じ かく
えん に ん
その天範の言葉を聞いた信長は浮かしかけていた腰を落とした。いかにもあてが外れたという様子
である 。
「織田殿はこの横川を開いた慈覚大師円仁の御名をご存知でござりますな」
天範は幾分面白そうに訊いた。
ぐほう
「いかにも。しかし、名ばかりを知るのみであるが」
か しょ う
「されば。慈覚大師は大唐国へ求法のために渡られ、帰朝されてからも本朝の仏道のために身を捧げ
奉った偉いお方。この横川もその和尚によって開かれた。その大師が叡山には神の憑り代である大岩
が埋まっているのだと、後世に伝えらましたようでござる。拙僧が思うにその大岩があるために日枝
の古社が建立されたのではないか。今考えてみるに、俊海の法力の開眼もその大岩のためであったか
も知れぬなあ」
そうおう
天範は最後を間の延びた口調で終えた。俊海ははっとしたように語を継いだ。
「慈覚大師のもとに相応和尚がおられました。廻峯行は相応和尚が始められたこと。その廻峯行で日
枝の古社を必ず巡ることと定められたのはそのためかとも」
「うむ、そうじゃな。坂本にある新しい日枝大社でもよさそうなものを、わざわざ古社を巡ることと
したのは、確かにそうかも知れぬのう」
天範も納得したように言った。
「しかし、なぜ大岩は人にそのような力を授けようとしているのだろうか」
信長が呟いた。
「俊海はその異能をいかに使うつもりであるか」
信長は二人の僧侶に向かって貴人然として訊いた。
僧の力がよくわかり申さん。果たしてどのようなことができるのか、どのように使えばよいのか。今
「わからぬ。今はまだわかり申さん。行くゆくは衆生の救済に役立てばとは思うておるが。まだ、拙
暫く様々な場面に出会っていく中で確かめようと考えておるところ。この世を知れば知るほど仏の御
せい あ
教えがようわかるのでござる。仏の言葉には難解な例えや教理がいかほどもござるが、それが今少し
体験することでわかるようになったということがござる。人はまさに井蛙のようなもの。それがこの
頃 よ うや くわ か り 申 し た 。 世 界は広 う ご ざ る 。 そ の 世 界 も 一 つ で はな く 無 数に 数え 切 れぬ ほ ど ご ざ
る。その入り口は織田殿もご存知の通り」
信長は先ほど通って来た円筒型の世界を思い出して身震いした。俊海はさらに続けている。
「人とは誠に小さく、そして一生はあまりに短い。そのあっけなく消えていく人々がこの世にあるの
は何のためであるのか。何のために苦しまねばならぬのか。そして」
俊海は言葉をとめた。そしてまるで惑うように言葉を継いだ。
「そして、仏や神というものはこの世に真実にあるのか。仏や神は人に何をなすのか」
十六、 比叡山三光院へ(元亀二年)
「俊海」
天範が慌てて俊海を諭すように名を呼んだ。
「拙僧はそれが知りたい」
俊海は言い切った。
この師弟の会話を聞いて信長は愉快そうに笑い始めた。
十七、 スーパーコンピューター
開発中の最新のスーパーコンピューターの前にいる山崎明彦たちがこれから侵入しようとするのは
アメリカ合衆国の守護神である国防総省、通称ペンタゴンのメインコンピューターであった。アメリ
カ大陸への直接的な回線を使用してペンタゴンへ侵入することは不可能であるとハッカー仲間にはさ
れている。今現在では国防機密へのハッキングは犯罪となっている。
かつてひとりの高校生がこのハッキングに成功して、こともあろうに国防総省のコンピューターに
勝利の旗を立ててしまった。つまりハッキングに成功した証拠をわざと明確に残した。その高校生に
とってはただの悪戯にすぎなかったのであるが、政府にとっては深刻な打撃であった。国の誇るべき
セキュリティ・システムが一人の高校生に破られてしまったということはアメリカ合衆国の安全は簡
単に崩れ去るという証拠を突きつけられたのと同じであった。そこで合衆国政府と議会が公的な機密
にアクセスする制限を法律で整備した。その結果、合衆国内のハッカーたちは自国内の標的を諦めて
世界中へ眼を向けることになった。
インターネットの中で遊んでいる世界各国にいるハッカーたちは様々な対象に対して新しいハッキ
ン グ・ ル ー トを 毎 日 の よ うに 発 見 し て いる 。 そ の 情報を 交 換 しあ う シス テ ム も 密 か に 構 築 され てい
た。ハッカーたちは高度なセキュリティを破ることに喜びを見いだしているばかりでなく、その成果
を誰か他の者たちに知ってもらいたいのだ。自分の能力を誇る場所が情報交換の場である。
すでに日本の誰かがアメリカ合衆国国防総省への侵入に成功したということを知っている者たちが
十七、 スーパーコンピューター
世界にはいた。その誰かである遠山幸弘が最初に目指す侵入対象はイスラエルの諜報機関モサドが保
有しているコンピューターであった。
イスラエルの都市テルアビブを遠山は見たこともなかった。
イスラエルの首都エルサレムはユダヤ教・キリスト教・イスラム教などに共通する聖地である。イ
スラエルは国民の信仰つまりはユダヤ人の心の拠り所となる聖地を首都と定めた。しかし、エルサレ
ムを国家の政治の中心地とすることはできても、イスラエルが世界経済を相手とするには不向きな場
所 であ っ た 。 昔か ら テ ルアビ ブ の 街は 商 業都 市と して地 中海 で 最も 栄え てい た港 町 のひ とつ で あっ
た。現在イスラエル経済の中心地となっているのはこの都市であって、エルサレムより遙かに近代的
スラエル一番の都市となっている。
な街並みを見せている。地中海岸のリゾート観光地としても多くの人を集めており、テルアビブはイ
そのテルアビブに建つ近代的なビルにその商社はあった。表面上はごく一般的な総合商社である。
実 際に 様 々な 商品 が 輸 出 入 品と して 扱わ れて いて 、イ スラ エル の中 でも 好調な営 業収 益を 上げ てい
る。
しかし、このビルの中心部にはまるで別の建物が芯のように入っている。イスラエルの諜報機関モ
サ ド の 職 員 たち が そ こ で 働 い てい る の で あ る 。 街 路 ひ と つ を 隔て て 建つ ユ ダ ヤ 教 の 教 会 であ る シ ナ
ゴーグやその隣にある船舶輸送会社のビルからモサド職員たちは地下道で出勤して来ていた。複雑な
国家・宗教対立のまっただ中にあるイスラエルでは狭い国土の中で、いかにしてイスラム教徒たちの
眼をごまかすか苦労している。モサド本部ビルは同じテルアビブ市内に公然として建っているのであ
るが、このようにカモフラージュされたビルがいくつも市内に建っていた。その中のひとつである。
商社の仮面が剥がれないように輸出入品から生まれる利益についてもきちんと税務署へ申告されてい
た。どう見ても中堅どころの商社になっている。
その外から見えない内部ビルの五階である。フロアの一角に設置された定温区画にモサドのメイン
コンピューターが設置されている。そこから出た信号は幾つもの監視回路と暗号変換器を経て屋上の
エ ム アイ
パラボラアンテナへ向かう。そうして通信衛星によってロンドンのテムズ河畔にあるイギリス情報部
MI6と回線がつながっている。通信はすべて暗号化されて、暗号システムそのものも毎週不定期に
変更 されていた。
またイギリスのMI6と合衆国国防総省ペンタゴンとは複数の海底ケーブルで接続された専用回線
しながらこれらの回線を通って国防総省内のスーパーコンピューターへ密かに送り込まれていった。
と衛星通信とが併用されて交信が維持されている。日本国内から発信されたコマンドは巧妙に姿を隠
遠山幸弘の前にあるディスプレイがペンタゴンのメインコンピューターへのハッキングに成功した
ことを示した。画面には打ち上げ花火が盛大に大輪の花を次々に咲かせていた。その右下ではなぜか
コアラがOKと描かれた旗を振っている。スピーカーからは打ち上げ花火の音が出ていた。見ていた
杉田洋子が思わず吹き出した。まるで子供のような仕掛けが作られている。笑ってしまうけれど、ど
うも「コンピューターおたく」とはつき合えそうにないなと洋子は思っていた。
「やったッ」
叫んでいたのは樋口研究室の助手の山口一哉であった。山崎明彦と加勢浩一郎は興味深かそうに画
面を見ていたが、
「これいいなあ。俺たちの探査艇にもこれ使わせてくださいよ、いいでしょう」
十七、 スーパーコンピューター
加勢が遠山に聞いた。
「あっ。いいですよ。じゃあ後でファイルお渡しします。でももっと面白いのがありますけどね。そ
れも一緒に」
遠山は気楽に答えた。
「加勢君、海底で花火を上げるの」
洋子が言った。
「いいじゃない。これ気に入ったもの。サメとかが出てくるよりいいだろう」
マイクロソフト社のサメが出てくるスクリーン・セイバーよりはいいか、と明彦も思った。
のコンピューターに不必要なスクリーン・セイバーを組み込んでいた者がいた。サメが出てくるとい
海洋研究開発機構の深海探査艇支援船『播磨』のスタッフのプログラマーで深海探査艇深海BⅡ搭載
うのはブラックユーモアであるが、深海へ向かうスタッフにはあまりウケていなかった。
「それじゃ、これからキーワードを送り込んでこの大きなコンピューターのあちこちを検索すること
になります。今日の午前中にプログラムしたのですが、偵察衛星、中性子、素粒子、重力異常、日本
伊 豆半 島 沖 、 エネ ルギ ー 省 、東 アジ アと いっ た 単 語を 組 み 合 わ せ た 幾 つ か の セ ッ ト で 検 索 し て み ま
す。えーっと。ああもう既に検索は始まっているところです」
ディスプレイを見ながら遠山が説明した。遠山がキーボートをあまり叩きもしないで言ったところ
をみると、自動的に進行するプログラムを組んでいたらしいことが推測できた。
「なんだ、昔のスパイ映画みたいにキーボードをカチャカチャ叩きながら、ハラハラドキドキしなが
ら敵のコンピューターに侵入していくのかと思ってたのに、これだけえ」
加勢ががっかりした口調で言った。
「加勢さん。そんなのは僕みたいのがやるハッキングですよ。出たとこ勝負で考えながらキーボード
を打っていく。そんなのアマチュアの領域です」
山口が言った。
「えーっ。やっぱりそうなんだ」
語尾を上げながら、洋子が納得した様子でからかうように山口の顔をのぞき込んだ。
「え、ええ。まあそうです」
少し顔を赤らめて山口が洋子の方へ向き直った。
「先生には言わないでください。ねっ」
洋子は少々意地の悪い言い方をしてからかっていた。
「さあー。どうしようかしら。ねっ」
「 すごいっ 。 さすがだ 。 もうデー タ・ ファ イルを 絞り込み 始め ている 。 膨大な デ ータがあ る だ ろ う
に」
遠山が叫ぶようにして言った。
「さすがペンタゴンのスパコンですね。日本の大型コンピューターとは比べものにならない。スピー
ドがまるで違う。僕の送り込んだコマンドはペンタゴンのスパコン用のプログラムに合うようにコマ
ンド自体を組み直しをさせて検索させるものなんです。それをあっという間に組んでしまって検索を
始めているんです。日本にあるものなんかとは本当、比べものになりませんよ」
遠山はアメリカ合衆国国防総省のスパコンに感心し、また興奮してもいた。日本の代表的なスパコ
ンといえば海洋研究開発機構がもっているのがあることを思い出して明彦が聞いた。
「日本のスパコンにも侵入してるんですね」
十七、 スーパーコンピューター
「そう、加勢さん山崎さんの海洋研究開発機構とか地球環境研究センターのやつなんかはNECの誇
るスパコンですよね。いろいろと勉強させてもらっています」
遠山は素直に答えた。明彦はやっぱりと思いつつ冷静に言った。
「ここのハルはどうなんですか」
「ええ、これは次世代型ですからずいぶんと速くなるだろうと思います。でもまだ開発中で理論的な
予想はしているんですが、今のところプログラム次第ですね。プログラム自体をどう組んでいくかと
いうことも実は研究中なんですよ」
ペンタゴンのスパコンに感心していた遠山は、自分の研究中の課題へ話題がとんだことで思考回路
が切り替わっていた。キーボードから手を離して腕を組みながら話していた。
「並列の回路に対して信号をどう振り分けていくか、なんです。それを指令する別回路というか、ま
るで別のコンピューターがあるといいのですが。でも人間の脳はひとつの回路に近いらしい。せっか
く潜在的にすごい速さのコンピューターであっても幾つものパーツに分断してしまうとそれだけでス
ピードが落ちてしまいますから。ああ、人間の脳がもっと解析されていればなあ」
遠山の言葉には嘆きが含まれている。きっとその辺りの問題で、ずっとこの天才は悩んでいるのだ
ろうと自分を凡人と考える加勢は思った。
「でも今やっている作業はデータを片っ端から探しているんでしょう。もし我々が物体Xと名付けて
いる例の岩を探索すプロジェクトがペンタゴンの中でおこなわれて調査されているんなら、そのデー
タは隔離されたところに保存されているんじゃないのかなあ。極秘とかの表示が出て、特別なコード
を入力しないと開かないようなファイルになっていたりして。映画みたいに」
明彦が言った。
「 そういっ た可能 性はありま す。 しかし 、実 は例えス パ コン でも外部と のデ ータを やり 取りす ると
データの痕跡のようなものが残るんです。その痕跡を探すことで該当するプロジェクトのファイルに
たどり着くことができます。あとはそのファイルを開くコードを入力させればいいし、うまくいかな
かったとしてもそのプロジェクトがかき集めたデータは入手できます。多分そのファイルにはデータ
を分析した結論かまたは仮定が書き込まれているんでしょうけど我々にとってはそれらのデータだけ
でも十分だと思います。それによってペンタゴンが目指す目的を推し測ることもできますから」
遠山が自信たっぷりといった様子で答えた。
「そのファイルを開くためのコードを見つけるのは、ここのコンピューターがやるの」
今度は山口が聞いた。
「いいえ。それをやるのはあちらのスパコンです」
面白そうに遠山が答えた。
「へえ。自分の体の中に入れて鍵をかけておいたのを自分自身が苦労して開けてくれて、しかも我々
に中身を見せてくれる訳だあ」
「そう自分でも気がつかないうちにね」
「おい、時々だけど加勢もよくやってるぜ」
「そうそう、かなり深酒したときにね」
明彦が加勢をからかうと洋子ものってきた。
「本当。俺、そんなことしてるのか」
加勢は真顔で訊いていた。山口が隣でにやりとした表情を浮かべていた。
「さてさて、いろいろとお話しているうちになんか集まってきましたよ」
十七、 スーパーコンピューター
遠山が彼らの注意をひいた。
「まだすべてではないと思いますので、それらが揃ったと判断したらまとめます。後で専門用語など
も翻訳して文学部の樋口先生のところへ持っていきます。僕も皆さんの企てに参加させてもらいたい
と思ってますので、分析はみんなでやりましょう。いいでしょう、僕も入って」
遠山は幼くみえる笑顔で四人の顔を見回して、一方的にグループへの加入を宣言していた。
十八、 合衆国海軍・原子力潜水艦ハワイ
トーマス・スペンサー・アメリカ合衆国海軍中佐は発令所で巡航深度五百フィートを指示した。潜
望鏡深度まで浮上して海面上にアンテナを一瞬だけ突き出して司令部からの通信を受信した直後であ
る。
潜水艦にはセイルと呼ばれる艦橋が船体の上に突き出している。セイルの上には潜望鏡の他に主に
通信や海面航行時に見張りをするための機器が設置されている。外見上このセイルの上に垂直に出て
見えているのは潜望鏡とこれらのアンテナ類である。
潜望鏡の頭の部分の上部には極超短波で一瞬の短時間で通信を交わすためのアンテナが設置されて
いる。爆発的に一気にまとめてデータをやり取りするためにバースト通信とも言われている。この通
信をおこなうために潜水艦は潜望鏡の頭がほんの短時間海面上に出るように浮上し、電波を発信し受
信するとまた直ぐさま潜航する。
そのようにして海上に出ている間に敵のレーダーに発見されてしまうのを防ぐのである。海面上を
走査するレーダー、特に対潜水艦哨戒をおこなう航空機のレーダーやイージス艦のレーダーにはセン
チ単位の不審物でも発見する能力があると言われている。
海水の中でも伝わる超長波を使用する通信には艦尾から曳航する長いアンテナが必要であり、そし
てなにより もとてつもなく長 い時間が必要になる 。 好ま しくない相 手に 発 見 される 危険を 犯し ても
バースト通信を使用するのはそのような理由がある。
十八、 合衆国海軍・原子力潜水艦ハワイ
アメリカ海軍が太平洋方面に展開する第七艦隊所属の潜水艦部隊第七潜水群に編入されたばかりの
SSN―776艦名「ハワイ」はヴァージニア級3番艦として建造された。コネティカット州のグロ
トン海軍基地の工廠でジェネラル・ダイナミック・エレクトリックボート社によって建造された攻撃
型原子力潜水艦である。
トーマス・スペンサー中佐はこの新鋭艦の艦長に着任するにあたり、司令部へ乗員は自分で推薦す
る者たちを乗艦させるように要求した。司令部がほぼその要求をのんでくれたのはスペンサー中佐が
卓抜した技量の潜水艦乗りであったためであった。彼はこの艦に着任する前は同じ第七艦隊所属のS
S N― 7 7 1 コロ ン ビ ア の艦 長 で あ っ た 。 原 子 力 潜 水艦 コロ ン ビ ア は 改 ロ サ ン ゼ ル ス 級 の新鋭 艦 で
ていたのである。
あった。海軍は彼の艦長としての資質を高く評価しており、最も有能な艦長に最新鋭艦を続けて与え
発令所にいるスペンサー艦長の手元に間もなく司令部からの連絡文がアーノルド・ブライアン通信
士から届けられた。すでに平文に直されていた。
「・・予定通りグァム島アプラ港でSEALsを乗艦させよ・・・・・発信OCNO」
シールズ
OCNOは海軍作戦部長本部である。原潜ハワイは太平洋艦隊隷下にあるが、艦隊司令部より上位
からの発令によって航行していた。
艦長はすべて予定通りであることを確認し、ため息をついた。
この新鋭艦ヴァージニア級という攻撃型原潜は米海軍特殊部隊SEALs支援運用潜水母艦として
の任務を目的のひとつとして建造されたものであった。ハワイと名付けられたこの艦はその3番目の
艦である。
東西冷戦が終わりソ連の保有する潜水艦の脅威が薄くなってからアメリカ合衆国上院議会は莫大な
経 費を 必 要 と する 海 軍 の 建艦 計画 を 見 直 し た 。 そ のや り 玉に あ がっ た の が 攻 撃 型 原 潜 シ ー ウル フで
あった。シーウルフ級は攻撃型原潜として現在の技術水準からみて最高のものであり、完璧と言って
もよいほどの潜水艦であった。ただすべてのものに共通する一般的な問題として、船殻材から電子装
備にいたるまで最も優れた資材や高性能部品を使用するため、非常に高額な潜水艦となっていた。そ
こで議会が大鉈を振るって予算を削り、結果としてシーウルフ級建艦計画は3番艦までの建造で打ち
切りとなっ た 。
その後シーウルフ級の半分ほどの費用で建造できるヴァージニア級という新しいタイプの潜水艦が
計画された。東西冷戦終結後は局地的な紛争やテロの脅威に対抗した作戦が多くなると予想され、実
際にそうなってきていた。陸上の敵に対して海から圧力をかけるために沿岸部や浅海域で活動できる
シ ール ズ
能力が新しい潜水艦に求められることとなった。沿岸部に近いところで巡航ミサイル・トマホークを
海中から発射できるといった能力だけでなく、米海軍特殊部隊SEALsを運搬して発進させ、また
回収するという支援能力をヴァージニア級の攻撃型潜水艦はもたせられることになったのである。
米海軍特殊部隊隊員たちは海・空・陸上のどこでも戦闘が可能であるよう訓練された精鋭部隊で、
海・空・陸の頭文字をとってSEALとし複数のsをつけてSEALsと呼ばれている。シールはア
ザラシのことであるが、まさに彼らは何時間でも水中に待機したり活動することができる海軍最強の
兵士たちである。
潜水具を着用したSEALs隊員たちを海中から出撃させることができるロックアウト水密装置室
がこの潜水艦には設置されている。ヴァージニア級の船体の長さがシーウルフ級より五メートルほど
長くなっているのはそれらの新装置部分が設置されたためである。見かけは両者ともほとんど同じで
ある。スペンサー中佐には見かけはほぼ同じなのに性能がまるで劣ることが気に入らなかった。設計
十八、 合衆国海軍・原子力潜水艦ハワイ
はシーウルフ級を引き継いでいるので外見は似ている。しかし、ヴァージニア級の船殻は材質が劣る
すい
ために潜水限界深度が浅くなっている。また船速も遅くなってしまっているのである。
技術の粋を集めたものが高額になるのは当たり前のことである。潜水艦というものは隠密性が命で
あり、そのために深く潜るのである。任務を与えるのであれば政府はそれを達成させるために軍隊に
必要な代価を支払うべきである。敵に発見されれば任務を完了させることはできない。そしてなによ
り最も大切な乗員たちの命を失うことになってしまう。国が費用をケチったために自分の部下たちを
死なしてしまうなど艦長としては耐えられない話である。そのようなことにならないように、費用を
ケチった議員たちが政治的手腕で戦争が起こらないようにしてくれることを祈るばかりであると中佐
ため息の原因は他にもあった。グァムでSEALsを乗艦させることである。潜水艦の乗組員はひ
は常々思っていた。
とつのチームである。幸いにも司令部はハワイの乗組員たちを艦長による選抜に任せてくれた。スペ
ンサーは息のあった仲間を集めることができたのである。他の潜水艦艦長たちでそのことに嫉妬する
者もいた。しかし、スペンサーはそのような陰口を気にかけなかった。潜水艦の艦内には家族的な雰
囲気がなにより大切であった。もともと海軍という軍隊そのものは陸軍や空軍に比べて家族的な雰囲
気をもっている。狭い軍艦の中で何ヶ月も共同生活をしていくのであるから、やむを得ないことでは
あった。現在のハワイの中ではすべてがうまくいっている。乗組員たちは新鋭艦に乗れることを誇り
に思っているし、この艦で各自の能力を発揮したいと意気込んでいる。そのチームワークのとれてい
る状態の中に特殊部隊の人間たちが入り込んでくるのである。一般の兵士に比べて様々な状況に対応
できるスーパー兵士として育成されている海軍特殊部隊の隊員たちは陸軍のグリーンベレーやデルタ
フォースと並ぶ精強とされている。それだけにプライドも高い。その隊員たちが自分たちのクルーと
うまくやっていけるだろうか。その点に不安を覚えるのである。多分、数週間は共同生活をすること
になる 筈である。
艦長は操舵手のところへ歩いていくと現在の深度と速度を操舵手の顔の前に設置されているディス
プレイで確認した。指示通り十五ノットの船速へ戻っている。
ふと静かだなと思った。この原潜ハワイは自然循環式加圧水型原子炉を使用している。一次冷却水
を炉内に循環させるためのポンプを使用していない。そのために昔の原子炉のようなポンプ音がない
のである。原子炉で発生した水蒸気は二基の蒸気タービンへ送られて一本の推進軸を稼働させる。推
進軸の先、艦体の最後尾にはシーウルフ級と同じくシュラウドリング付きポンプジェット式の推進器
が海水を後方へ強力にそして静かに吐き出している。こんなに静かなのは新型推進器のおかげかなと
考える。機関全体はフローティングラフトと呼ぶ防振システムに収まっていることもあり、二十ノッ
トまでは静音潜航航行が可能とされていることを思った。前任艦のコロンビアと比べてみて、何がと
明確に言い切れないが、静かなのである。
操舵手が軽く手を添えているのは、ニンテンドーやXボックスなどのゲームで使うジョイスティッ
クとまるで同じものだ。艦長はこれを見ると自分の息子が夢中になってゼロ戦をコンピューターの中
で動かしていたのを思い出す。しかも息子に撃墜されていたのはアメリカ軍の艦載機のヘルキャット
だった。原潜ハワイのジョイスティックは材質がプラスティックではなくチタン合金であるところが
違っているだけのように見える。潜水艦の操舵も今ではゲーム感覚でおこなえる訳だ。操舵手の目の
前のディスプレイもタッチパネルが多用されていて操船すべてがまるでゲームセンターの中にいるよ
うな錯覚を起こさせる。これが新型世代の潜水艦なのである。
十八、 合衆国海軍・原子力潜水艦ハワイ
スペンサー中佐はこれには少し疑問があった。今では航空機もすべてフライ・バイ・ワイヤー式に
なっている。潜水艦の中にもそのシステムが全面的に取り入れられつつある。電気信号による指示を
受けたモ ータ ーが 稼働して 、かつては人間が 手で回してい たバルブを開放したり閉鎖 したりし てい
る。それらは水圧や浸水から完全に密閉遮蔽されているが本当に大丈夫なのだろうか。例えば駆逐艦
からの爆雷攻撃を至近距離に受けた場合にどうなるだろうか。艦体が大きく揺れ動く中で操舵手の前
のタッチパネルに飛ばされた兵員の身体が触れてしまってもすぐに操艦能力を回復できるのか。また
は振動によって誤った信号が発生することはないのか。人間の手で動かすバックアップ機能は確保さ
れているが、コンピューターとの相性はどうなのか。
一九九〇年代に日本の名古屋空港で発生した中華航空機の事故があった。そのエアバスA300は
台湾の台北空港を発ち、何事もなく日本へ到着して空港に着陸しようとした時であった。副操縦士が
誤って着陸復航ゴーアラウンドのレバーを押してしまった。自動操縦モードになっていた機は当然機
首を上げてエンジンの推力を最大出力にして上昇しようとした。機長の思考は混乱してしまったのだ
ろ う 、 操 縦 桿を 押 し 下 げ て 無 理 に 着 陸 体 制 に 入ろ う と し て し ま っ た 。 コ ン ピ ュ ー タ ー は 機 長 の お こ
なった操桿操作を機首を押し下げようとする謎の抗力と判断し、さらに機首を上げようと尾翼ラダー
を操作した。結果的に人間と機械の力比べのような事態となってしまったのだった。ようやく機長は
ゴーアラウンドを行うという判断を下してそのまま操縦桿を押さえていた力を緩めた。この急激な抗
力の低下にコンピューターの機械的操作が遅れてしまい、機首が上を向いて機体が直立するようにし
て失速した。エンジンは最大の推力を絞り出していたが翼はすでに機体を浮かせておく力を産み出す
ことはできなくなっていた。そして尾翼から緩やかに滑走路の先に墜落。不幸なことに台北まで帰る
ための航空燃料を積載していたため大きな火災を発生することとなってしまった。ほんの数名の乗客
を除いて全乗務員とほぼ全乗客が死亡した惨事であった。フライ・バイ・ワイヤーの怖いところであ
る。
乗員百三十四名の命を預かる艦長にとって不安材料を挙げはじめたらきりがない。スペンサーは気
持ちを 切り 替える ため に心の中で頭を 振った 。 ま あ少な くと も静かに潜航できる のは潜 水艦乗 りに
とっては嬉しいことではある。とにかくこの艦は大陸棚のような浅海を舞台にしなくてはならないの
だ 。 十九、 アトランティスⅡ世号
十九、 アトランティスⅡ世号
アトランティスⅡ世号はアメリカ合衆国マサチューセッツ州にあるウッズホール海洋研究所の桟橋
を離れて大西洋を一路南下した。全長二百十フィート(六十四メートル)、排水量二千三百トンの調
査船の船足は決して速くなかった。
位置するマサチューセッツからひたすら南下して、ハイチとキューバの間にあるウィンドワード海峡
ショーン・オニール船長は春から夏に向けて急激に変化し易い天候のこの季節に、北緯四十二度に
を北から南へ抜け、さらに北緯九度付近にあたるパナマ運河を太平洋へ出るという今回の航路を行く
ことにまったく気が進まなかった。できれば少し遠回りでもフロリダ半島を経由したかった。
パナマは船長にとっては赤道直下と同じだった。暑いのは太り気味のオニール船長は苦手である。
できるだけゆっくりと暑さに体を慣らしたかった。しかし、合衆国の東海岸からパナマ運河を抜ける
ひと
ためにはウィンドワード海峡を通過するのが経済的最短コースになっているのである。船長にとって
これでは急速に気温が高くなっていくように感じるのである。どうも他人よりもこの点については敏
感な体質のようだと自分で思っていた。大西洋側で特に寄港する必要のない商船は当然のようにみな
この経済的な航路をとって太平洋へ出る。キューバの東端に近いところに合衆国がグァンタナモ基地
を設置しているのもそのシーレーン確保という目的があった。現代のカリブ海はそのおかげで海賊た
ちが簡単には出没できない海域となっている。
カリブの海賊といえば髑髏マークの旗とラム酒が思い浮かぶ。海賊たちが盛んにこの海域で活動し
ていた時代、船乗りたちはみなラムを飲んでいた。海賊を含めた船乗りたちにとってはビタミン補給
のできる新鮮な食料と水が最大の問題であった。カリブ海のような熱帯では樽の水もすぐに腐ってし
まう。それでカリブの島々で栽培して豊富に穫れはじめていたサトウキビからできるラム酒を水代わ
りに飲んでいたのである。しかしながらビタミンの代用品はなかった。ビタミンの欠乏による壊血病
に 苦 しみな が らも 、ラ ムで 少しは陽気に活 動でき た の かも 知れな い 。
このショーン・オニール船長はラムを飲まなかった。彼の名前でもファミリーネームからでも分か
る通り、船長の両親は共にアイルランド系であった。自分でもケルトの末裔と言っているこの男は黒
ビールだけを愛飲した。船内の冷蔵庫に保管する黒ビールは彼だけのものだが、どういう訳かいつも
真っ先になくなるのである。他のバドワイザーもハイネケンも長持ちするのにギネスビールだけは早
めに品切れになってしまう。できればフロリダのどこかの港で補給したかったのだが、ウィンドワー
ド海峡へ直行するように求められていた。
今回は指定された通りのスケジュールで日本まで行かざるを得なかった。
オニールにとってはやっとのことで灼熱のパナマ運河を通過したという感じであった。パナマから
離れてそのまま東への進路を取ると、北赤道海流が西へ向かって還流しているのでしばらくその流れ
にのって効率よく進んでいった。やがて西経百四十度まで達したところで北へ舳先を向けさせた。そ
のまま速度だけを調整しながら航海を続けるとハワイ諸島へぴたりと到着した。
ハワイ島の大きな影が見えてきた時、若いブリッジスタッフたちは船長が海図も見ずに船を導いて
きたことに驚きを隠せなかった。途中で海流の流れる方向とその速度を調べさせただけであった。こ
の船長の下では航海士の仕事は楽なものであった。船長はほとんどの場合勘だけで目的地に到達でき
十九、 アトランティスⅡ世号
る。そのように思えるくらいに経験豊富な男であった。乗組員たちにとって船長は少々ビールを飲み
過ぎることと大声でケルト語の、つまりは意味不明の歌を陽気にがなること以外は、信頼して余りあ
る海の男であった。この男が飲み過ぎるのは港に停泊している時だけではあったが。
ハワイ島に一マイルまで近づいたところで北西へ転針してオアフ島へ回航した。オアフ島を正面に
して近づいていくと右舷方向に遠くダイヤモンドヘッドが望めて来た。オニールにとっては何回目の
ハワイだろうかと思い返してみた。若い時分はハワイへ来るというだけでも血が騒いだものだった。
六十をだいぶ過ぎた今、腹の周りについた贅肉さえなければまだノースショアでボードに乗ることは
可能だったろう。寄せてくる大波を待って漂っていたのは何時のことだったか。あれはまだ十代の頃
のこと、随分とビーチにいる女の子たちにもてたものだった。今ではもうあまり見ることのなくなっ
た ロ ン グボ ード の 時代 のこと だっ た 。 ロ ン グ ボ ー ド とい う言 い 方す ら も そ の 当 時に はま だ 存 在 しな
かった。過ぎし佳き日々のことだと思った。
右にダイヤモンドヘッド、左に旅客機が次々に発着しているハワイ国際空港がはっきりと見えてき
た。さあこれから真珠湾へ入港しようという時に無線連絡で接岸すべき岸壁についての指示が入って
きているのを船長は聞いていた。それは軍用埠頭の一角であった。
狭い湾口から真珠湾へ入ると舳先にフォード島が見える。右舷側には海軍の軍用埠頭があり、何本
もの岸壁桟橋が湾の中央へ向けて突き出している。上空から見ることができたならば、まるで歯がと
ころどころ欠けてしまっている櫛のような形になっていることだろう。指定されたのはその歯の欠け
たところの奥であった。
指定された岸壁に着けるために櫛の間に進入していくと、その両側には様々なタイプの軍艦が列ん
で停泊していた。まるで昼休み時に人気のあるレストランの前の道路が縦列駐車をする車でいっぱい
になっているのを思わせる。
減速してゆっくりと注意しながら停泊中の軍艦の間を入っていくと、指定された接岸位置に入って
繋留するのにはかなりの注意が必要であることが判った。オニールのような熟達した船長でなければ
かなり難しい操船となる場所である。全体にこれだけ余裕のある港であるのにこの岸壁ばかりがどう
して混雑しているのかと訝しんだ。きっと美味い将校用の食堂があるに違いないぞ、そんな冗談が思
い浮かぶ。なんでこんなところへ着けさせるんだと思いながらも船長は次々と指示を出して、ぴった
りと静かにアトランティスを着岸させていった。そこはミサイル駆逐艦と小型巡洋艦の間であった。
接岸してからもオニール船長はどうも落ち着かなかった。港で大きな船の隣にアトランティスを繋
留してもこのような気持ちにはならない。何故だろうと思い、ほんの少し暗い気持ちになりかけた。
しかし、直ぐに思い直して顔を朗らかにしてブリッジにいるスタッフたちに笑いかけつつ、特に若い
操舵手を褒めてやった。
「ジェフ、よくやった。みごとな接岸だった」
「ありがとうございます、船長」
顔を赤らめながらジェフ・カールトンがオニールへ向き直って敬礼をした。オニールは丸太のよう
な腕をあげて若い操舵手の肩を優しくたたいて返した。
「それじゃあトム、後の指示は頼む」
副船長のトム・ベレンジャーが笑いながら了解した。
「アイアイサー、キャプテン」
十九、 アトランティスⅡ世号
海軍式の返事をしたのでブリッジに笑いが起きた。
「じゃ、これからは海軍スタイルでいくか」
オニールの言葉にブリッジにいたスタッフ全員が、ほぼ一斉に靴の踵を鳴らしてぴしっと気を付け
の姿勢をとって船長へ向けて敬礼した。敬礼の続く中オニールは大笑いをしながら、胸を張って大威
張りする仕草でブリッジのドアを開けて出た。ドアが閉まってもブリッジでは船長の芝居がかった様
子にしばらく大笑いが続いていた。どの乗組員もショーン・オニールのことを好いている。
タラ ッ プ
船長はブリッジの外階段を降りて上部甲板へ出た。着岸した左舷側へ出て手すりからのり出すよう
にして下を覗いた。船と岸壁の間に渡された昇降桟橋を確認したのである。さすがに海軍の桟橋であ
しい。顔を上げると目の前には大きな軍用倉庫があり視界を大きく遮っていた。その倉庫の向こう側
る。岸壁に待機していた海軍のスタッフたちの作業は早かった。着岸したのとほぼ同時に渡されたら
には森があるらしい。倉庫の丸くカーブした屋根の上に木の枝葉が風にそよいで見え隠れしている。
埠頭に沿って左右を見ると人影がほとんど見えなかった。なぜか大変に寂しい様子であった。これだ
けの数の艦船が停泊しているのに水兵や作業員がいないのである。埠頭全体の様子がオニールの気に
かかった。
眼を落とすと昇降桟橋の下にはいつの間にか新たに十人ほどの男たちが現れていた。オニールは今
回のプロジェクトで乗船する予定の科学者たちだと推測した。どう見ても海軍の軍人たちには見えな
かったのである。アトランティスⅡ世号は科学者たちを十五人まで収容できる。今回は八人が乗船す
ると聞いていた。オニールは直ぐにもう一つ下の甲板へ降り、昇降桟橋の渡し口へ急いだ。大きな身
体の割に動きはスムースである。
「私がオニールです。どうぞ私たちのアトランティスへ」
甲 板 か ら 下 に い る 男 たち へ 大 き な 声を か け る と 、 軍 服を 着 た 人 物 が 真 っ 先 に 勢 い よ くあ が っ て き
た。上から見た時に何故か海軍の白い制帽を見落としたらしい。
「乗艦許可を願います。あ、いや、どうもつい癖ですな」
その軍人は甲板に乗る直前、昇降桟橋に踏みとどまって直立し敬礼の姿勢をとりかけて言った。そ
れから改めて甲板上に踏み出しつつ手を差し伸べ、オニールの分厚い手と握手した。その軍人の手は
鍛え上げた筋肉質の体躯を思わせるがっしりしたものであった。
「合衆国海軍、太平洋艦隊司令官のアレックス・ライアン大将です。ようこそパールハーバーへ」
オニールは司令官直々の出迎えに内心驚いた。日本まで向かう途中でハワイ・オアフ島に寄港して
科学者を乗せること。そこで今回のプロジェクトの詳しい内容について海軍から説明を受けるように
けんしょう
指示されていたが、太平洋艦隊司令官というような高官がやってくるとは思っていなかった。オニー
ル船長は思わずライアンの制服肩章についている金色の筋の数を見て取っていた。
「はっはっは。いや初対面の人は皆この肩章の線の数を数えますよ。オニール船長、よろしくお願い
します。アレックスと呼んでください。あなたは軍隊の方ではないのですから。もうみんなから司令
官だとか大将だとか役割で呼ばれるのは嫌になっているんです」
ライアン司令官は握手の手にさらに力をこめた。磊落な性格のまさに海の男だなと船長は思った。
日焼けした顔の中で茶色の瞳の眼が素直に笑いかけている。短く刈り込まれた黒い髪の毛には白髪が
かなり混じり始めている。ライアンという姓からするとこの人物もアイルランド系だろうと思った。
「あ、いやすみません。つい見てしまいましたよ。線が四つもついている方がこのアトランティスに
乗ることは有りませんからな。私のことはショーンと呼んで下さい、アレックス」
「OK、ショーン」
十九、 アトランティスⅡ世号
老練な海の男たちは、それだけで昔からの旧友のようなつながりが出来上がった。
ライアン司令官は後から上ってくる科学者たちのために船長の前を空けた。司令官の後に続いて科
学者たちが次々と握手しながら名前と専門分野を船長に告げた。ほとんどは物理学と地質学の研究者
たちであった。アトランティスⅡ世号に乗る科学者はだいたいが海洋生物学の研究者で、地質学者が
たまに乗るくらいである。全員との挨拶が一通り済んだところでオニールは片手を挙げて言った。
「じゃあこちらにおいでください」
船長は先に立って彼らを食堂へ案内しながら、いったい何が起こりつつあるのか様々に予想してみ
たが何とも察しはつかなかった。しかし、なんとはなしに面白そうなことが起きつつあるように感じ
この船の食堂はミーティングルームとしても使用される。毎朝食時にその日の作業の概要が説明確
ていた。
認され、夕食時にはその成果が披露されて大騒ぎをすることもあった。大型のディスプレイ装置も設
置されている。そのディスプレイは司令室とも接続されているので昼食をとりながら、または休憩し
ながらでも海底でおこなわれている作業の様子などを見ることもできる。沈んだタイタニック号の様
子が初めて映し出された時、この食堂内は大騒ぎになったものであった。
「ここが本船の胃袋を満たすための食堂になります。昼はカフェテラス、夜はバーですな。残念なが
らキャバレーにはなりません。申し訳ないのですがここがミーティングルームになります。小さな秘
密の会合は端の方でお願いします。しかし、きっと秘密は守れないと思いますよ。乗員はみな地獄耳
にラウドボイスときていますから、まるで海賊みたいな奴らです」
オニールに続いて入ってきたこの新しいメンバーたちは笑いながら好きな席に座った。
「今は接岸直後なので乗員たちは各自の仕事に忙しいところです。だからここにはこの船で一番暇な
船長しかいない訳です」
オニールの説明にまた笑いが起きる。
「いや本当に。普段は誰かしらこの食堂でくつろいでいますよ。怠け者たちの船ですから。まさに乗
員たちにとっては夢のようなアトランティスです。毎日そんな船員たちを相手に していますんでこ
んなに痩せてしまっている訳です」
そう言いながらでっぷりとしか言いようのない腹を叩いてみせた。またまた笑いが起きる。根から
陽気な男である。プラトンの書き残したアトランティスは一夜にして大洋に沈んでしまったが、この
アトランティスⅡ世号はぷかりぷかりと海に浮かんだ理想郷という訳であると船長は言っている。
それがここのルールです。仕事の内容については秘密は厳禁です。普段は科学的な海洋調査をしてい
「さてと、先に申し上げておきますが、この船の中ではすべてをオープンにすることにしています。
ますが、しばしば難しい仕事を持ち込まれます。まあウッズホール研究所は軍から半分が出資されて
いますから、難しい仕事というのは大抵はみな機密を要する軍事関係であることが多いわけです。そ
れでも今まで船内ではすべてオープンでやってきています。みんな信頼できる仲間たちであることは
私が保証します。
普段から人命のかかった仕事をしている訳で、お互いに絶対の信頼を置いています。その人間関係
の中に小さくても秘密があるとすべてが崩壊してしまう。我々はチームであり家族でもあるんです。
その家族を私は全力で守っていこうと思っている。ですから、その点はご承知おき願いたいと思いま
す」
オニール船長は、場合によってはプロジェクトを断るつもりでいることを匂わせていた。太平洋艦
隊司令官が直々に乗り込んできたということは、かなりの大きな機密が関わっているものと考えるの
十九、 アトランティスⅡ世号
が妥当である。
ライアン司令官が正直な好漢であることは直感で判る。この人物から頼まれたら断り難いだろうが
仕事は仕事である。乗員全員の命を預かる船長としての立場では冷静な判断が必要である。さてどの
ような話となるのか、実際にはオニールは期待していた。少年のように胸がわくわくしているのをわ
ざと表情に出さないようにしていた。
船長とテーブルを挟んで座っていたライアン司令官は微笑みながら、時々頷いてその言葉を聞いて
いた。
「了解しました。この船は軍艦とは違う。軍艦内では水兵は下士官を信頼し、下士官は艦長を信頼し
てその命令に従います。軍人たちの信頼関係やチームスピリットとはおのずと違うのは当たり前の話
ですね。 軍隊ではない のです から。 一 般 の商船など では軍艦の中 のものに近い 人間関係があ り ます
が、この船は科学調査をおこなうという目的のために、それらとまったく違う人間関係が築かれてい
るのですね。分かります」
やはり、とオニールは思った。今回の仕事は秘密を守らねばならない内容が含まれているのだ。で
なければ了解したと最初に断る必要はない。
「じゃあ早速ですが本題に入ってもよろしいですね。今回お願いするのは海底からの隕石の引き上げ
です」
「だいぶ深いのですか」
聞かなくともよいことを訊いてしまった。浅海ならこのアトランティスでなくともよい筈である。
言ってしまってからオニールは苦笑いをした。
「約八千フィート(二千五百メートル)ほどです」
「場所は日本の」
「ええ、太平洋側、伊豆半島の南西です」
「ちょっと待って」
オニールは食堂内の手近に設置してあるパソコンに向かった。キーボードとマウスを操作して大型
ディスプレイに地図を表示した。世界中の海図がインストールされている。すぐに日本の伊豆半島南
西の沿岸をアップした。
「なるほど、そうでしたね。この海域は陸から急速に落ち込んでいる崖というか谷のような海だ」
オニールが呟くと、先ほど地質学者と自己紹介したジョン・マクギネス博士が口を開いた。日焼け
手にしているように思えた。岩山さえも突き崩してしまいそうな、学者らしくないタイプである。
した四十歳ほどのレスラーのような体格をした人物である。きっといつもフィールドへ出て岩石を相
「プレートか地殻構造が示せますか」
「ええ、できる筈です」
オニールは画面の中で地質のボタンを見つけてポインターでクリックしていった。やがて深さを色
の違いで表現していた海図に斜線で表現されたプレート図が重なって見えるようになった。マクギネ
ス博士がディスプレイの前へ行って説明した。
「この伊豆半島は南から移動しているフィリピン海プレートの先端に載っている陸地です。日本列島
のこの地域で北アメリカプレートとユーラシアプレートがぶつかり、その下にフィリピン海プレート
が沈み込んでいくという場所です。そのためにこの様な海底地形となっている訳です」
博士は海底が深くなればなるほどより濃い青色で示されている海図の真っ青なポイントを指で示し
ていた。
十九、 アトランティスⅡ世号
「 なる ほど 。 そ こ の所 に 隕 石が 落 下して いる と 。 ち ょっ と 待 っ て くだ さい 。 ここ は 日本 の 領 海 内で
しょう。日本の許可は出ているのですか」
オニールはライアンの方を向いて訊いた。
「まあ出ているといえば出ています。ただ海洋調査ということで許可を取り付けています」
「戦利品の引き揚げについては」
「それはありません。そもそも目的が隕石であることは連絡してありません」
「 とす る と 、そ れ は 普 通 の隕 石で はな い可能 性が あ る と い う こと で す か 。 だ から 内 緒に し て持 っ て
帰ってしまおうという」
笑いが起きた。オニールの言い方が面白く、やんちゃな子供が誰かの物をくすねるような場面が想
像できた。
天体が専門だと言っていたプリンストン大学教授のガイ・ウィリアムズが手を挙げた。眼がねをか
けた痩せたタイプの人物で、まさに夜の空を見上げていそうな男である。
「そうです。比重が大変に重いだろうと考えられます。隕鉄どころの質量ではないかも知れません。
地球外から飛来したと考えられる物体でこのような物はまだ発見されたことがないほどです。だから
その組成についても皆目見当がつきません。そんな落下物だと思ってください」
「比重がとても重いということはウランとかを想像してしまいますが、放射性のような危険性はない
のですか」
心配そうな表情をつくってオニールが聞いた。
「それは私の分野かな」
髭面というよりも顔のほとんどが毛で覆われたようなブライアン・スミス博士が言った。
オニールはスミス博士とはよくウッズホール研究所の食堂で顔を合わせていた。まだ一緒に酒を飲
んだことはなかったがその人柄はよく知っていた。ビールは飲まずにスコッチウィスキーの愛飲家と
しても研究所では有名であった。学生時代はベルギーで過ごしていたためにとんでもなく臭いチーズ
が好みでもある。そうだ、あのチーズは船内への持ち込みを禁止しておこう、とオニールは船長とし
ての責任で思った。
「まだ分からないの一言だ」
スミス博士はそう言って片目をつぶってウィンクして見せた。四十歳か五十歳か、髭で隠された顔
からは年齢は推し量れなかったが、声の張りからして若そうでもあった。
スミスはライアン大将に聞いた。
「オニール船長には私から事前説明をしてしまっていいですかね、司令官」
「OK、願ったりだよ。よろしく頼む」
「乗組員諸君全員に説明をするのは後日になると思いますが、ショーンにはここでお話ししておきま
す。じゃあショーン、ざっくばらんに話す。その隕石らしき物体は、イラクがクウェートへ侵攻して
起きた第一次の湾岸戦争の時に発見されたんだ。あの戦争の時のことは覚えているだろう」
「ああ、よーく覚えているよ。フセインの流した原油でもって、海がかなり汚染されてしまった」
「我が国にとってはベトナム以来の大がかりな戦いになったろう。様々な新兵器の実験場ともなって
しまった。そして目に見えないところでもいろいろなことがおこなわれていたんだ。宇宙空間では合
衆国の保有する動員可能な衛星が、地上をあらゆる角度から探査して危険物を発見しようとした。上
空から地球全体が科学的に徹底的に探査されたのは、この時が初めてだったろう。なにしろ衛星を動
かすには莫大な金がかかるものだから、平時にはそんなことはできない。歴史的にはいつものことだ
十九、 アトランティスⅡ世号
が、皮肉にも戦争がまた科学を進歩させてしまったという訳だ。その探査活動でアジア地域に重力異
常を伴う中性子放射がいくつもの別々の場所で見つかった。アルファ線やガンマ線放射も同じ場所か
ら出ていたことが確認されている」
「核兵器開発を懸念していた訳だ」
オニールが言った。
「まあその通りだ。軍事衛星ばかりでなくX線星を観測していた天文衛星も地球へ向けられたくらい
に、あらゆる角度からの探査がおこなわれたんだ」
「それで武器製造業者は見つかったのか」
大気中にも特有副産物として出てくる微量元素も検出されていないことからも明らかだった」
「いや核兵器の製造はおこなわれていなかった。
「それはその隕石からの放射だということなのか」
「まあ結論から言えばそうだが。まあちょっと順番に話していこう」
「OK、すまん話の腰を折ってしまった。先を頼む」
オニールはにやりと笑った。
「うむ。それでさっき重力異常を伴って放射線を出していた場所が複数あるというように話したが、
さらに原因となっている場所を詳細に割り出したと思ってくれ。それが決まったように歴史的建造物
の建つ場所なんだ。そしてその多くが宗教的に重要なものなんだ。いくつかは現在世界遺産に指定さ
れている建築物の下に埋まっているという変なことが判った。ということは掘り返すことはまず不可
能な場所ということだ」
「ちょっと待って。今度は話は飛ばないから。出てたのは中性子線などという話だったよな」
「その通り」
「中性子線というのは中性子爆弾というのがある訳だから、生物にとって致命的なダメージを与える
ものじゃなかったっけ」
「その通り有害な放射線だ。鉛も突き抜けてしまうし。そう観測の結果がまだあるんだ。それぞれの
場 所か ら放 出され てい た中性 子 線など はみな ビー ム状に 垂直 方向へ 放射 され ていた 。 宇 宙へ 向 けて
だ 。 だ から 近 隣 に 住 ん で い た 住 民 た ち が 集 団 で 、 ば た ば た 倒 れ て い く な ん て い う目 立っ た 被 害 は な
かったということだろう。それからまだある。我々が観測を続けているうちに、ほとんど一斉に放射
がなくなってしまった」
オニールは冗談めかして言ったつもりだったが、科学者たちは真剣な面持ちだった。
「まるで見られているのを嫌がるようにか」
「そうだ。それも何カ所もの場所から放出されていたものが一斉になくなった。場所についてはまだ
言っていなかったが、イランに極小のものが一つ、インド北部、中国東部に二カ所、日本に三カ所大
きなものある。それらがまるで連絡を取り合ったように一斉に放射をやめてしまった」
「その日本の三カ所のうちの一つが伊豆沖の海底なのか」
「 い や そ の三 カ所 はみ な 陸上 だ 。 主に 重 力異 常 の 点から と 陸 上 のも のよ り 低 レベ ル の中 性子 放 射が
あったことで割り出したのが、これからアトランティスに向かってもらう海底のやつだ」
「なんで秘密にするんだ」
「あまりにも理解に苦しむからだ。少なくともただの隕石や隕鉄の類じゃあない。ひどく重い。しか
し、最近急速に軽くなっている。まったく不思議なことに比重が軽くなってきているんだ。軽くなっ
て重力異常として感知できなくなっているが、重かった時には強力に放射線を出していた。その特徴
十九、 アトランティスⅡ世号
からはウランやネプチュニュウムのような自然界に存在している放射性金属元素とは考えられない。
そのような物ならあたりかまわず放射線を出すだろう。そうしたらその地域の人間は死に絶えてし
まうばかりか草木も生えなくなってしまう。我々の知識の中にまだない鉱物だろうという推測は成り
立つ」
「もしかしたら、新兵器のアイデアが発見できるかも知れないな」
なるほどという顔をしてオニールが言った。
「そういうことだ」
ブライアン・スミス博士は太平洋艦隊司令官の顔を見ながらオニールの言葉に応じた。
先ほどの話で宗教的に重要な歴史的建造物と出てきたので連想して尋ねていた。
「イスラエルにはないのか」
「そう、エルサレムにはないよ」
「それは良かった。我々の神には関わりはないらしい。さっきの説明ではインド、中国、日本だろ。
ヒンズー教、仏教とそれから中国の古い宗教と言うと……」
「道教や儒教というやつさ」
「そう、その隕石はそれらの宗教の聖地にあるのか。面白い。それぞれの宗教の教祖たちは中性子線
の影響を受けたのだろうか」
「そんなこともあったかも知れないなあ。まあ我々異教徒から見ての話だが。脳にダメージを受けた
人物が何かを見たり聞いたりして教祖となっても不思議ではないだろう」
物理学者としての宗教解釈であった。
「ところで何でそんなに重い隕石があることが判らなかったんだ。それほど重ければクレーターなど
の地形で昔からそこに何かあるって推測されていただろうに。アリゾナのバリンジャー隕石孔みたい
に」
伊豆沖の海図を眺めながらオニールがスミスに聞いた。
「クレーターなど地形的な特徴はどこにもないんだ」
「そんなばかな」
「いや本当だ。実は科学的な測定の他に古い記録を探した」
天文学者のウィリアムズが話をはじめた。
「天体現象の中には古文書に記録があるものが結構あるんだ。人間が天体現象に興味をもって記録を
残しはじめてから夜空に起きた大きな現象については、あちこちの民族が記録している。特に超新星
みたいな劇的なものとかはね。彗星は世界中で見えるから記録も多い。ところが大きくても隕石につ
いては局地的なものであるために記録は極端に少なくなってしまうんだ。残念ながら該当しそうな落
下の記録は発見できなかった」
ウィリアムズは心底残念そうであった。多分相当に多くの、膨大ともいえるような量の古い記録と
格闘したに違いなかった。さらに続けた。
「ところがアジア各地の伝承の中にその隕石のことかと推測させるようなものがあった。つまりさっ
き ス ミ ス 博 士い や ブ ラ イ ア ン が 説 明 し た 宗教 の開 祖に 関 与 す る も の な ん だ が 。 ショ ーン の推測 も 当
たっているかもしれない。仏教の開祖シッタルダーや道教の老子などが隕石から宗教上の示唆を受け
たというんだ。それは単なる寓話にすぎないだろうが、民俗学では昔話や伝承には歴史的事実がもぐ
り込んでいるものだと考える。その話の内容から推定すると彼らが関わった隕石の落下時期がぴった
り一致するんだ。インドと中国だから別々の話としていいという前提があるがね。紀元前六世紀前後
十九、 アトランティスⅡ世号
だ」
たぐい
「でも、聖書のノアの洪水の話の元はメソポタミアのギルガメシュの洪水の話だというが、そのよう
な類だということはないのか。そのようであれば別々の話という前提が崩れてしまうが」
オニールは懐疑的だと言わんばかりに続けた。
「クレーターも作らずに落下してきた隕石から中性子線が出ていて、それが原因で脳に損傷を受けた
人間が普通とは違う教えを垂れはじめて教祖となった。
それが事実であったと推し量ったとしてもだ」
オニールはここで区切りを入れたが、ウィリアムズは黙ってその先を聞こうとした。
「落下した時期までどうして判るんだ」
「 石が自 分で語った の さ。 あ まりに よく似 ている 話なんだ 。 だ か ら伝承 の伝播 、つま り君が さっ き
言 っ た ギ ル ガ メ シ ュ と ノア の洪 水 の 話み た い に A 地 域 の昔 話が ずっ と 遠 くに あ る 別 の B地 域に 伝わ
り 、い つ の 間 に か そ の B地 域 の昔 の話 に す り 替 わ っ て い る と い う 類を 思 わ せ る 。 し か し 、 シ ッ タ ル
ダーと老子の話は確実に別なんだ」
ウィリアムズは申し訳なさそうにオニールの顔を見ていた。
ブライアン・スミス博士が話しを継いだ。
「ショーン。さっきの物理的な話に戻るけど、もうひとつ大事なことがある。すごく重い物体で放射
線を出し、それもビームで垂直方向へ。そして一斉に放射がなくなってしまった。ウランやネプチュ
ニュウムなどの自然界に存在する放射性金属元素ではない。それ以外に考えられるのは人工的な新元
素ばかりだ。ということは未発見の新元素か人工的な物質ということになる」
「まったくの新元素。もしくは地球外知的生命体が存在している証拠であるということか」
先ほどから大型ディスプレイの横に立っていたオニール船長は椅子にどっと座った。そして頭を横
に軽く振りながら言った。
「クレーターもできないくらいにソフトランディングした超重量級の石か。まるでETの宇宙船だ。
君たちはどちらだと思っているんだ」
科学者たちがどう思っているかということにオニールの関心は移った。彼らは微笑んでいるばかり
だった。
その中でライアン司令官が話し始めるそぶりを見せ、そしてゆっくりと話し始めた。
る。依頼だが命令と考えていい。当然その命令の対象範囲は軍属に限られるものではあるが。だから
「 実 は こ の件 につ い て は 国 家 安 全保 障会 議が 調査を 命 じ、 そ れ を 引 き揚 げる よ う に 依 頼 し てき てい
ショーン。ウッズホール研究所に所属している君の立場としては微妙であることは分かる」
ライアンはオニールの立場に理解を示していた。ウッズホール研究所は半官半民の組織であり、官
は 軍 のことをも指 している 。
合衆国国家安全保障会議には統合参謀本部議長は助言者として出席することができる。
こういった話になっているのだから国防情報局DIA長官も議題を持って参加している筈である。
DIA長官も統合参謀本部の一員であり、結果として国家安全保障会議の命令を受けている。統合参
謀本部は合衆国の全軍を統轄している。そのような関係で海軍作戦部長の指示を受けた太平洋艦隊の
ライアン司令官がここに来ているということになる。
「大統領は」
十九、 アトランティスⅡ世号
オニールがライアンに聞いた。
「ご存じでいらっしゃる」
合衆国の秘密作戦ということか、オニールは思った。合衆国大統領の認可を経た作戦となると一民
間人としても断り難いなとも思っていた。
「じゃあ引き揚げの具体的な方法について説明してもらえますか」
ライアンを正面に見て聞いた。断ることもできるが、やってみるという返事の代わりとなる問いか
けであった。
「NOAAのレーニア号が現在ホワイトベースと呼ぶ浮きドックを曳航して千島列島沖を南下しつつ
ライアンは持参していたブリーフケースから四つ切り大の写真を取り出してテーブルに載せた。
ある。これがホワイトベースだ」
写真には青い海上に浮かぶ野球の本塁のホーム・スチールのようなものが写っていた。一見してす
ぐにホワイトベースは双胴船の形態をとっていることが見てとれた。しかし、まるで造船所から進水
した直後の双胴船だった。普通の船舶なら甲板上にあるべき上部構造が、まったくと言ってよいほど
なに もな かっ た 。 そ のため に上 から 見ると フラットに 近い 甲板 全 体がホー ムスチール のよ う で、
キャッチャー側にあたる尖った方が船首のようであった。
「これがドックなのか」
とんでもないとでも言うようにオニールが言葉を発した。それは彼の知っている通常の浮きドック
とはまるで違う形態をしているからである。
「そう、合衆国海軍は一九六三年と一九六五年、続けて原潜沈没事故を起こし貴重な人命と原子炉お
よび核兵器を沈めてしまった。公式にはね。そこで軍も学習した訳だ。安全極まりない艦を建造する
高度な技術開発が必要であることと、いかに最先端の技術で造った艦であっても絶対に沈まないとい
う保証はどこにもないということを。
ましてや軍艦は戦闘で沈められる可能性が最も高い船舶であることをやっと思い出したということ
だった。我が海軍の原潜スレッシャー号はニューイングランド沖の八千フィート、同じくスコーピオ
ン 号は アゾレ ス諸島沖 九千 フィ ート に沈み、 両艦 とも船 体また は残 がい の回 収は まる で不 可能 だっ
た。随分と高い代償を払った上でいろいろなサルベージの方法が考案されていった。その結果のひと
つがこのホワイトベースだ。これは六百五十フィート以上の深さまで潜水することができる。沈降式
浮きドックSFDと言うが、水中での視認を良くするために白く塗られているので、ホワイトベース
浮力を 保っ てはいる が海面ま では 浮上 する こと が で き な くな っ て い る 事故 潜 水 艦 の 場 合 に 使 用 す
と呼んでいる。
る。水中で潜水艦を乗せる訳だ。事故艦をデッキに固定したらそのまま浮上する。または水中にある
ままで曳航していくことも可能だ。これを今回は使用する」
「 自 力航行はできない のか」
オニールが聞いた。
「残念ながらできない。というのもバルブを開いてタンクに注水して潜水を開始し、再び浮上させる
ことしか想定されていない。なるべく単純な構造をとるという発想で建造されている。そのために曳
航 し 易 い よ うに 双 胴 船 の形に なっ てい る 。 水 中 で 平 衡 を 保つ ため の機 能 も 持 た さな くて はな ら な い
し、水中照明なども必要だからね。それだけで付与できる機能としては精一杯ということらしい」
「さすがに九千フィートまでは潜れないのか」
当たり前のことだろうがという表情で聞いた。
十九、 アトランティスⅡ世号
「そう深海での作業は潜水艇で事故艦にリフトバッグを取り付けることになる」
「そんなに大きなリフトバッグを造ったのか」
リフトバッグとは、水中に沈んだ物を海面まで吊り上げるために、気球のように使用する袋のこと
である 。
「造った。さすがに潜水艦を吊り上げるときには複数取り付けることになるが。複数のリフトバック
にエアを注入するのはコンピューターがやってくれる。理想的な状態に平衡を保ちながら潜水艦を持
ち上げるためだ。実験では成功している。今回はエアではなく特殊発泡材を使うことになる。リフト
バックで気球のように潜水艦を吊り上げて浮上させるが、海面までは上げない。海面のうねりなどの
リフトバッグ自体が浮上速度をコントロールするようになっていて、予め設定した深度に近づくと次
影響を受けると浮き袋となったリフトバッグがばらばらに動いて潜水艦を落としてしまいかねない。
第に浮上速度を落として、中性浮力を保ちつつ停止するようにコントロールする。水深六百フィート
で停止するのが理想的らしい」
「そこでホワイトベースに固定する訳だ」
まったく驚くべきものであった。こんなことを水中でやらせるなんて発想はよっぽど海中作業に無
知な連中が計画したに違いないとオニールは思った。
「その通り」
ライアンはこともなげに言った。
「艦を固定するための作業はどのようにするんだ」
「それは人間がやらざるを得ない。大気圧潜水服を使用する。それらはレーニア号に積載してある。
そ れで 今回 の引き 揚 げ につい て の こと になる が 、 いい か な 。 こ のア トラ ンテ ィス Ⅱ 世号 に は リ フト
バッグ関連の用具と隕石にボルトを打ち込む用具、そして放射線測定器を積んでいってもらう。放射
線測定器は深海艇内への持ち込みで、その他のものは艇外設置の用意をしてある。マニュピレーター
で十分操作できるように設計してある。アルビン号を設計した技師の一人に依頼して設計したものだ
そうだ。明日、積み込みをさせてもらいたい」
「問題は探索になるのかな。紀元前六世紀前後だろう、堆積物の層が相当に厚いのではないかな」
オニールが聞いた。
「いや、地形的な見地から多分埋もれている可能性は低いと思う」
ジョン・マクギネスが地質学者らしい言い方をした。
今度はライアンに聞いた。
「この作戦は本船とレーニアとの二隻だけですることになるのか」
「そうなる。日本政府には総合的な海洋調査としてある。サンディエゴのスクリプス研究所とウッズ
ホール、それからNOAAということになれば学術調査の偽装は完璧に近いとCNOつまり海軍作戦
本部長は考えている。地球温暖化の影響でNOAAはまさに地球全体の環境調査で忙しい中でもある
しね。アラスカにいたレーニアを引っ張り出すのは大変だったらしい」
実はライアン自身がNOAAと交渉したことは伏せて話しをしていた。NOAA米国海洋大気庁は
地球環境の変化の調査・予測と、沿岸域・海洋の自然資源を保全および管理するという経済的な目的
をもつ米国商務省の下部機関である。簡単に海軍からの依頼を受けてくれない。特に合衆国の各地沿
岸に分散している支部は独立性が高く、海軍からの要請で商務省の上部が動いてもなかなか支部長は
請けてくれない。数年間に渡る調査活動スケジュールが出来上がっているところへ今回の件を承諾さ
せるためにライアン自身が本土へ飛ばなくてはならなかった。
十九、 アトランティスⅡ世号
北アメリカの太平洋側屈指の秀麗な山容をもつマウント・レーニアは活火山でもある。その山名を
つけたレーニア号もなかなか佳い船だが、動いてもらうためにはまさに山を動かすような大変な苦労
が必要だったのである。
結局、今後の調査活動の幾つかのプロジェクトに太平洋軍が上からの指示なしでも自主的に協力す
るという交換条件をライアンが承諾しなくてはならなかった。
「わかった。明日荷物の積み込みができるようにしておこう。詳しい書類は司令部で読ませてくれる
ね」
「OK、明日の午前中に来てくれるか。昼飯を一緒にどうだい。この先生方も同席願って」
そこにいた全員が賛同の意を示した。
「ところで出航はいつすればいい」
「三日後でお願いしたい」
ライアンが言った。
「そりゃあ大変だ。船乗りたちを早く街へ追い出さなければ」
再び笑いが起こった。
そして真顔に戻ったオニールはライアンに言った。
「もし、危険だと私か現場の人間が判断した場合には即座に中止します。いいですね」
ライアン太平洋艦隊司令官はにやりと笑って親指を立てて見せた。そして付け加えた。
「この作戦のコードネームは〝ペレウス〟だよ。これは極秘だ」
司令官と科学者たちが下船していくのを見送ったオニールは岸壁へ降りてみた。オニールと入れ替
わりに下士官兵三人が乗船していった。乗員たちに基地内のIDカードを発給するためである。なん
でもかんでもお祭り騒ぎにしてしまうような連中だ、きっとあの下士官兵たちは事務手続きをするだ
けで頭を抱えるに違いないなと思った。
しかし、岸壁上には人影が見えない。
「そうか、こいつはみんな使っていない艦ばかりだ。アトランティスの姿や荷積み作業が見えないよ
う に 軍 艦 で 壁 を 作 っ て あ る ん だ 。 こ の 倉 庫 群 も 目 隠 し に な っ て い る 。 う ち の船 だ け が 賑や か な わ け
パールハーバーへ入港してきてからずっと気になっていた疑問がこれでひとつ解けた。
だ」
「作戦ペレウスか。面白い、我々がテッサリアの王ペレウスという訳か。確かギリシア神話で海の女
神テテュスを花嫁にすることに成功した王様だった。海に沈む隕石が果たして女神であってくれるか
な」
ずっと前にハリウッド映画「トロイ」を見たのを思い出した。主演のブラッド・ピッドがアキレウ
か かと
ス役をやっていた。ギリシア神話に登場する英雄アキレウスの両親が人間のペレウス王と女神テテュ
スである。アキレウスが生まれるだろうか。生まれたアキレウスの踵に弱点がないといいが。
南国島ハワイの真っ青な空にアトランティスのオレンジ色に塗られた船体が輝いて見えた。周囲の
軍艦群の中で一カ所ここだけが華やいで見えている。これがオニールの感じた違和感の正体であるこ
とに気づいた。二つめの疑問が解けた。
「今のところ、特に大きな問題といえるようなものはないな。さてと海賊たちに街に出たときの心得
を訓辞してやらねばならないか」
そう独り言を呟くと、船長は騒がしくなった船上へと戻っていった。
二十、 比叡山山頂
二十、 比叡山山頂
僧俊海に続いて織田信長の姿が忽然と消え、暫くの後に騒然となった琵琶湖畔の幔幕内であった。
その場に居た誰もが己の眼を疑った。床几に坐っていた信長が立ち上がりつつその姿が輝き、そし
て次第に薄くなり消えていったように見えた。誰もが自分の眼がおかしくなったものと考えた。最初
に動きはじめたのはさすがにお小姓衆であった。そして平井久右衛門や前田利家らが叫んだ。
「上様はいかに! いずこにおわすぞ!」
「お探し申し上げろ!」
他の居並ぶ部将たちもその場に立って声を張り上げるばかりであった。
幔幕の外で警護していた者たちは何事が起きたのか槍を構えて緊張した。彼らは幔幕の外からの侵
入者に備えていたのである。まさか内より騒ぎが起きようとは思ってもいなかった。どうすればよい
のかお互いに顔を見合うばかりであった。
「お前たちはここにおれ!」
組頭が指示を出しながら大きく張り廻らされた幕の入り口へ駆け込んでいった。三重に張り廻らさ
ひたた れ
れていた幔幕内へ入るための幕の通路が作られていた。組頭はその通路に入るべく外側の幕内へ駆け
込んだ途端であった。あっと思った。目の前に直垂に袴を着けた男の後姿があることに気づいたので
ある。その組頭は反射的に自分たちの主人であることを察知して跪いた。小具足姿の組頭の草摺に太
刀が当たってカシャカシャと音を立てた。勢いよく駆け込んで来てしまっていたために大地にぶつか
つ
るようにして跪くしかなかった。狼狽している組頭に信長は振り向いた。
「し、失礼仕りました」
組頭は非礼を犯してしまったことをよく認識していた。
「よい」
信長はその一言を発して幔幕内へ歩んでいった。組頭はほっと息を吐いた。その途端に汗が噴き出
してきた。組頭は全身の力が抜けてしまい、跪いた姿勢からゆっくりと胡座をかくようにどっと腰を
大地に下ろした。その姿のまま暫く動けなかった。そうしているうちに幕内の騒ぎも静まった様子と
なり、これ以上そこに居る必要はなくなったと判断して、ゆるゆると立ち上がり幕外へ出た。幕の入
り口で緊張していた兵たちは滝のように汗を流している組頭を不思議そうに見た。
「もうよい、何にも起きてはおらん」
警護の兵たちはよろけながら歩いていく組頭の後ろ姿を、不思議な面持ちで見送った。
「ここにおる!」
幔幕の端を跳ねあげながら信長が戻ってきたことに一座の者たちは驚いた。小姓たちが主人の脇へ
駆け寄って跪いた。
「上様、ご無事で。どちらにおられたのですか」
「上様のお姿が我らにはかき消えたように見えたのでございますが」
めくらま し
これも素早く歩み寄ってきた佐久間信盛が聞いた。
「あの俊海と申す坊主め、幻術を使いよったのよ。お前たちには分からなかったと申すか。俊海が去
ろうとしていたのを幕の外まで追いかけたのじゃ。役立たずの家臣どもをもつと苦労するわい」
二十、 比叡山山頂
その言葉はきつかったが表情は信長にしては優しいものであった。
ほ ん の 少 し 前に 信長 はあ の極 彩 色 の円 筒 の 様な 空間 を 通っ て 、 俊 海に 連 れ 戻 さ れ て き た と こ ろ で
あった。幔幕の通路に戻ったところで部将たちの大騒ぎの声に包まれた。俊海は信長に一瞥をくれる
と消え去っていった。
自分の体験は人に話したところでどうなるものでもなかった。あのような別の世界のあることを話
たの
してみても主人・織田信長の頭が変になったと家臣たちに思われるだけであることをよく承知してい
た。下剋上の世で武将が欠点を見せることは失脚や死につながっていた。
武士が功利的であるのは遙か昔からのことである。足利将軍たちの初期には「頼うだ人」という言
葉があった。自分の利益を守ってくれそうな人、出世に役立ちそうな人、つまり頼み甲斐のある人と
ひ るが え
いうことである。その頼うだ人の下で働いて稼いで出世していくことが大切であった。寄らば大樹の
陰である。翻れば頼り甲斐のない主人は捨てられるか、命を奪われて家を乗っ取られるのである。そ
うならないためには欠点や弱みを見せてはならない。俊海によって信長が知ることのできた世界につ
いては誰にも話しはしないと決心していた。
家臣たち の目 の前から姿を消 した こと は俊海の幻術であ り、間抜けな家臣たち がそ れを 見抜 けな
かったとしておくのがよさそうであった。
再び床几に座り直した信長は、そこに引き据えられたままの僧を見た。比叡山延暦寺西塔にある迹
門院の観信という紫衣僧であった。僧侶が紫衣を着ることは天皇の許しである勅許のある場合に限ら
れ る 。 しか し 、 今 日 の 紫 衣 の ほ と んど は 窮 乏 し て いる 皇 室や 貴族へ 献金 する ことで 得ら れる よ うに
なってしまっていた。いわば紫衣の僧位は売買されていた。それだけの費用を捻出できる権力をもっ
た僧侶であること、または財力と力のある寺院の者であることを紫衣というものが示している。そこ
に僧侶としての修行、ましてや徳というものがある訳ではなかった。
比叡山は堕落し切っていると信長は思っていた。女人禁制と公に称しているにもかかわらず数知れ
ぬ美女たちが山内におり、子までなしている者もいる始末である。朝廷や貴族からの寄進により蓄積
されたてきた莫大な数の荘園を保有し、そこから得られる膨大な量の年貢で悪僧と呼ばれる僧形の兵
を養う。京都ばかりか周辺地域に対して無言の圧力をかけている。宗教的な権威と政治力をかざし、
ことある毎に織田信長に楯を突いてきた。
堕落し切った坊主どもに操られる悪僧(僧兵)たちによって森三左衛門や弟の信治を失ってしまっ
たことは、どのような復讐をしても贖いきれるものではないのだと思っていた。
やはり叡山焼き討ちは巨悪を消滅させるためにはやらざるを得ないことであった。人々の迷妄を晴
らしてやるべきだろう。何かに縋りつかねば不安で仕方ない、この世は明日の命も知れぬ地獄、せめ
てあの世では穏やかな暮らしをしてみたいと望むのは人として当然のこと。その人々の不安をいいこ
とにしてこの世の栄耀栄華を楽しんでいる腐れ坊主たちこそ地獄に堕ちるべき輩であろう。本当に神
や仏があるものならば神罰・仏罰が下ってそれにあたらねばならぬのは一番に叡山の坊主どもではな
いか。あのような者どもの言うことを信じている連中の目を覚ましてやらねば新しい時代は来ぬであ
ろう。
あの俊海という坊主こそ真の道を究めようとする誠の宗教者であるような気がする。
天範という老僧は仏という在りもしないものに囚われているが、それはそれで仕方のないものであ
ろう。仏を信じ続けた自分の人生を今更否定することはできまい。それでもあの老僧天範は弟子の俊
二十、 比叡山山頂
海を育てたことで、この世に大きな仕事を成していると言えるのではなかろうか。いかに俊海にせよ
あの老僧がなけれけば今の道を得なかったに違いない。人とはそのようなものか。いや人の世とはそ
のようなものなのであろうか。
「今日はもうよい。あとは秀政と長秀に任せる。捕らえた者どもの首を刎ねよ」
「はっ」
堀秀政と丹羽長秀が同時に答えた。
「叡山の中の方はどうじゃ」
信長の問いに柴田勝家が答えた。
「はっ。光秀が落ち延びた者がいないかまだ探索しております。探索の手はもうほとんど麓まで来て
おりますので明日には完了するものと」
「そうか。光秀がやっていることであるならよもや手落ちはあるまい。火の様子はどうじゃ」
「伽藍堂宇の火はほぼ燃え尽きましてございます」
「よし、明日は叡山を検分いたす。勝家、手配をしておけ」
「承知仕りました」
幔幕の内での信長の指示は柴田勝家へ手短な言葉で終了した。
さっと床几を立つと本日の宿所にした観音寺城へ引き揚げていった。風のように葦毛馬を駆って行
く後を小姓衆と馬廻り衆、お弓衆が追いかけていく。この素早さが全軍に徹底しているのが織田軍の
強さであった。
その翌日である。
根本中堂をはじめとして巨大な伽藍を誇った比叡山延暦寺の堂塔はほぼ全部が焼け落ちていた。煙
は未だにあちこちでくすぶり続けていたが、すでに燃える物は何もないように見えていた。分厚く積
もっている灰の中にちろちろと小さな炎が見え隠れするのみであった。あちこちに処理し終わってい
ない屍が苦悶の形相を浮かべて転がっている。
信長の一行は近江坂本から馬で駆け上がり叡山に登っていった。
先導役は柴田勝家である。今日の出立にあたって信長は四明岳へあがることを前もって勝家に伝え
ていた。勝家はすでに前夜から全山で山道の整備をおこなわせていたが、それは常に前もって行動を
臨機応変に判断しつつ動くことを好んでいた。何が起きたとしてもすぐに対応できるように家臣たち
伝えることのない信長の性格に対応するためのものであった。信長はその場の状況によって、いわば
に要求していた。家臣たちは考えられる限りのことを用意しておかねばならなかった。今回の叡山検
分にあたって信長は行動予定を予め家臣に伝えるという珍しいことをした。
坂本から駆け上がり始めたが間もなく馬たちを労って並足で進んでいくことになった。勝家は夜を
通して山道を整備させておいた。そのために馬は不安なく歩むことができたし、騎乗の武者たちも顔
にかかる枝もなく快適であった。遠馬を当てに野に出ているかのようであった。
進んでいく道の諸処にあった寺院のすべてが灰燼に帰していた。四明岳山頂に到着するまでの間、
信長はまだ煙を吐き出している堂宇には一瞥を加えるのみであった。何の確認もしようとはしなかっ
かち
た。約八百年もの永きにわたり建ち続けていた堂塔伽藍に何の惜しみもなかった。そこは信長にとっ
て妖怪たちの巣窟でしかなかったのである。
四明岳山頂に近く西側の空が開けてきたところで一行は下馬して徒となった。信長はゆっくりと歩
二十、 比叡山山頂
んでみたくなったのであろう。誰もがそう思った。
「将門岩とはどこにある」
信長の問いかけに松永久秀が前に出てきた。久秀は前将軍足利義輝を討った張本人だった。また浅
井長政が朝倉義景に寝返った際には信長の朽木谷越えの急場を救った一人でもあった。実体が在るか
なきかの足利幕府であったが、京都ではそれなりの威勢をもっていた幕府内で一番の力をもっていた
のが松永久秀であった。この時代の幕府要人ともなれば当然のように比叡山とも駆け引きをせねばな
らぬことが多々あった。そのために比叡山内のこともよく知っていた。そして信長の上洛にともなっ
て早々とその旗下に参じてきた通り、時流をよく見る人間であった。それは人を簡単に裏切ることの
れなかった。
できる油断のならない人物であるということでもあった。しかし、信長は何故かこの人物を嫌いにな
「 上 様、こちらで ございます」
久秀は勝家に失礼と言いつつ先に立って案内していった。
京都を見下ろす場所にその岩はあった。縞状の線が入っている灰色がかった上面のごつごつとした
何の変哲もないような大岩であった。その岩の前に一行は立った。
「来歴を」
常に短い言葉で自分の意志を示す信長に、松永久秀は不思議と苦もなく返答することができた。ま
す ざく
ばんどう
るで信長の心を読んでいるかのように他の部将たちには見える。
「はっ。朱雀帝の御代のことでございます。坂東の広い野に覇を唱えていたのは平氏一族でございま
した。広大な野も次第に切り拓かれ、さすがに良い土地はすでに農耕地となっておりましたので、そ
こに住まう平氏は同族内で所領を争うようになりました。その争いのひとつでございました。平将門
が相続すべき父親の所領を叔父に押し盗られたことで叔父甥の間で戦いが始まったのでございます。
み かど
そこへ国司の介入を受けてこれと敵対したことで将門は朝敵とされたのでございます。国司は朝廷か
ら各国へ派遣されたいわば天皇の代理人。国司と争うことは天皇と争うこと。一旦、朝敵の烙印を押
されたうえは、東国をまとめあげて新たな国を創ってしまおうと将門は決意したといいます。
まだ朝敵とはなっていない頃のこと、将門はここに立って都を見下ろしながら自分の都にしてみせ
あ ら みた ま
ると言ったという言い伝えがございます。それがこの将門岩という名の由来。また、この岩の内に将
門の荒御霊を封じ込めてあるのだとも言います。もう遙か昔の承平天慶の乱の時のことでございます
ればしかとは分かりませせぬ」
青みがかった京都の街が見下ろせる。眼をこらす必要もなく天皇の住まう御所の様子までがよく見え
信長はじっと久秀の言葉を聞いていた。聞き終わると岩の上にひらりと登ってみた。大気のせいで
た。
ししんでん
せ いり ょ う で ん
丁度今は御所の内裏などの建物を信長が修築させているところでもあった。応仁の乱以来というか
ら 随分 と長 い間 、紫宸殿や清涼殿など は手 を 入れら れ ずに 真に み す ぼら し い限 り の 様子と なっ てい
た。それを信長は修築させていた。その修築作業も間もなく終わる手筈である。そこから少し南へ下
がった辺りに将軍義昭のために建てた二条邸があるのも見てとれた。二条城とも呼ばれている。公家
の屋敷もあちこちにあり、土地が広いばかりでそれと判る。公家たちの屋敷の建物なども修築前の内
裏と同じようにうらぶれたものばかりだ。それらのうちには、本来は碁盤の目のように整然と区切ら
れた都の大路小路をまたいで占拠したりしているものもある。かつてはそれなりの力をもっていたの
であろうが、今は破れ壊れた築地塀から入った庶民が庭の中を横切って通行している。公家たちの権
威は名ばかりのものであることをよく表わしている。
二十、 比叡山山頂
そのような今の都を見渡すことができる場所であった。
ばん どう
信長は今まで見てきた広い天地とは比べものにならぬほどの狭さを都には感じる。まだ見ていない
坂東の地も限りなく広いという。その平野は今はおおかた北条氏が支配している。その坂東平野の北
部では三国峠を越えた上杉勢と碓氷峠から東へ勢力を伸ばした武田勢が激突し、そこへ北条勢が加わ
るという三つどもえの状態で拮抗している状態にある。
八百年ほど前のことだろうか、その広大な天地からやってきた平将門がこの岩の上から目の前にあ
る狭い盆地を見て、本当にこの都市を欲しがったのだろうか。決してそのようなことはあるまい。将
門が革命児であらば遙か東国を別天地のように仕立てあげてこの都に対抗できるような新都を創るに
違いない。新しい国を僻遠の地から創る、それも一つの方法であろう。いや平将門にはそちらの方が
相応しいに違いない。
ちみ もう りょう
ば っこ
この儂は尾張に生まれてしまった。だからこの都を獲らざるを得なかった。きっと辺境の大地に生
まれ育ったならばそこから一国を立ち上げていたであろう。この魑魅魍魎が跋扈しているような都市
は捨て置いておいて、最後に地上から消し去ってしまったほうが良いくらいだ。
信長は脇に立って京都を見下ろしている松永久秀を横目で見た。この男は三好長慶に仕えるうちに
主家を乗っ取ってしまったといってよい。また他の武将たちと盟約を結んではそれを裏切り、そのよ
た
うに繰り返し繰り返して、とうとう京都で最も武力を蓄える武士となっていった。京都に覇を唱えた
といってもいいだろう。権謀術数に長けて何を考えているのか凡人には解らないような男である。将
軍足利義輝もこの男に油断を突かれて憤死した。自分の主人である現職の将軍を暗殺したという歴史
上 希 有 の男 だ 。 今 こ こ か ら 都 を ど のよ う な 気 持ち で 見 下 ろ し ている のか 、 考 え てみ る と 面 白 く もあ
る。
「 久秀 、平 将 門 の 気持ち が よ う分 かる であろ うな 。 そ の 方 は 余が 上 洛し て 参 る ま で はあ の都 の 主で
あったろうが」
「 滅相 も な い 。 そ のよ うな こ と は ご ざ い ま せ ん 。 平 安京 は 上 様 のお 力で 今 は 泰 平を 安 んじて お り ま
す。私のような者には及びもつかぬことでありますので」
しい
「余は足利義昭殿を奉じて上洛してきたが、その方はしくじったものよのう」
「さようでございます。足利義輝殿を弑し奉りました折りに取り逃がしてしまいました。それが今と
なれば残念至極でごいます」
覚慶は追っ手がかかるのを怖れて直ちに奈良を脱出した。覚慶を討つための軍兵は当然北からやって
兄の足利義輝が松永久秀らに襲われて殺害されたという報を受け、奈良興福寺一条院門跡であった
来ると見て、北東方向に伊賀甲賀を通って近江へでる経路を辿った。久秀の家臣たちが一条院へ到着
したのは脱出後しばらく経ってからのことであった。この時に覚慶つまり後の義昭を殺害しておけば
都における久秀の権力はもう少しは長く維持できた筈であったろう。
「義昭殿が余を頼っておいでにならなければのう」
義昭がいなければ信長には上洛の大義名分がなかったのである。そうすれば今ここに信長がいるよ
うなことはなかったであろうということを言っている。
「その方、余を殺すか。義輝殿のように」
「はい、時期が熟し、その機会さえあれば」
信 長 よ り 背 の低 い 久 秀 は 、 ま る で 狐 の よ う に 狡 猾そ うな 眼 で 下 か ら 見 上 げ て 、 声を 立 て ず に 笑 っ
た。信長も本当に愉快そうな笑い顔でそれに答えた。実際にこの松永久秀が三好義継と謀って信長を
二十、 比叡山山頂
裏切ることになるのはしばらく後のこととなる。
二人の後方で柴田勝家はその会話をはらはらしながら聞いていた。このような会話は儂にはとうて
いできぬ。久秀は自分と同じ家臣の分際でよく上様にあのようなことが言えるものよ。上様も平然と
お聞きになっておられるのが不思議じゃ。
そして勝家はふと気づいた。この信長と久秀の二人はよく似ている。ただ器量の大きさが違うだけ
のような気がする。その器の大きさの違いを二人とも解っているのか。それであのような話ができる
まつ
ほこ ら
のかも知れない。戦場を駆けまわっているだけの能しかないような儂とは違うものよと思った。
京を見下ろしていた信長が急に振り向いて言った。
あな い
「山王の古社へ案内せい」
一行はまた松永久秀を先頭にして四明岳の山頂へ向かった。日吉の神を祀る祠の立っている山頂付
近は円形の草原であり、その周辺には不気味な雰囲気の木々が密生していた。
「おお、なんという所じゃ」
「見た目は別段どうということはないが、何か妙な場所じゃのう」
「あの木は人の形に見えぬか」
「ほんに髑髏骸骨のようじゃ」
付き従う部将たちが声をあげた。
「むっ。光秀め焼き残しておるではないか」
柴田勝家が言った。叡山の堂塔伽藍すべてを焼き払えと信長は命じていた。その命令に、焼き討ち
全体を担当した明智光秀が背いたかのように勝家は言っている。
「よい。これは社だ。比叡山延暦寺よりずっと以前からここに鎮座していた神のものだ。延暦寺とは
別物である」
「そ、そうでございまするか」
少々不服そうに勝家が言ったので周りにいる者たちから苦笑する声が漏れた。
一行が近づいてみると山王の古社は人の背丈よりも小さなものであった。一見どこにでもある神明
造りの小さな祠のようであり、農家の庭先にでも建っていそうなものであった。屋根は銅で葺いてあ
るのが多少は威厳を示している程度のものである。正面は東を向いており、その前の地はかろうじて
人の足で踏みしめられているのが分かった。
ふと誰かが言った。
「こんな社でも参拝する者があるのか」
そうだ、これは俊海が毎日のように踏んだ跡だと信長は思った。
唐突に目の前に俊海がいるような気がした。頭の中で小さな渦が巻き始めた。眩暈とは違う、明ら
かに違う。足はしっかりと地をとらえているし、身体もふらついていない。予感がした。何かが起き
る。石塔寺の岩のあるところへ行った時と同じだと思い出した。石塔寺から運び降ろさせた岩のこと
である。あの寺でも信長は同じ感覚を経験している。これから何かが語りかけてくるのだ。
信長は皆に木の生えている場所までさがって周囲を探索するように命じた。そうして自分は古社の
銅屋根に左手を添えて立っていた。そして周りを見回すようにしていた。他の者たちからすれば景色
を見ているように装ったのである。信長の頭の中には声が響いていた。それは言語ではなかった。言
葉ではないのに会話が成立する何かであった。信長が考えることを念じると会話の相手にその内容が
伝わるもののようであった。
二十、 比叡山山頂
そのようにして信長が「頭の中に意志を伝えてくる何ものか」と無言の会話をしている間、家臣た
ち はあ ても な く 周 囲 の 木 立 の 中を 探索 し て 回 っ て い た 。 山 頂 を 見上 げる と 信 長 が あ れか ら 同 じ 姿で
じっと うごかずに 佇んでいる 。 信長から 声を かけ てくれなけ れば彼 らは 探索を止める 訳にはい かな
かった。家臣たちがあらかた木立の中を見終わった頃、信長が山頂から降りて来て声をかけた。
「もうよい。勝家。あの古社を取り壊せ。そして下を掘らせろ。縦穴は二丈四方のものを掘らせよ。
あのう
深さはどれほどのものになるかは判らぬ。しかし、大きな岩に突き当たる筈じゃ。その岩の表を綺麗
に磨け。周囲には土留めが要るだろう。穴太の者たちを使え。岩の上を磨いたら風で吹き倒されるこ
と のな い よ うな 堅 固 な 覆い 屋 根を 掛 け よ 。 高 さは 一 丈 で よ い 。 銅 屋 根を 葺 い て 銅 の表 に は 金 箔 を 押
せ。そして見張りを常に立てておくように」
「はっ。承知仕りました。あの、上様、伺っても宜しいでしょうか」
勝家がおずおずと信長に尋ねようとした。
たわ
「言われた通りにしておけ。そこに埋まっているのはこの比叡山に大昔から鎮座する岩よ。仏像を拝
んだり坊主の言う戯けたことを聞くよりも、この下にある大岩の方がありがたいのだと思うようにせ
よ。そういうことだ」
柴田勝家はそれで納得するしかなかった。勝家とはそういう男であった。殿様と仰ぐ織田信長は誰
よりも 知謀 に 優れ 、合戦上手 であ っ た 。 そ の 信長が仏を 拝む な と言えば 何も 考えずにそ うする 男で
あった。余計な詮索はしない人柄であった。それを見越して勝家に命じていたのであった。余計なこ
よか わ
とを考えぬ男がこの工事には適任であると考えていた。
「横川へ行くぞ」
「横川でございますか」
意外な指示であった。勝家は信長が検分するのは、根本中堂のある東塔と西塔の地域だけくらいで
あ ろ うと 予想 し てい た のであ る 。 横 川につ い ては 下調べを し てい な かっ た 。 迂 闊 であ っ た と 悔 や ん
あな い
だ。ここでやはり出てきたのが松永久秀であった。
「では、私めが案内仕ります」
「では久秀」
勝家は複雑な表情をしていた。叡山への案内役は自分が命じられた。しかし、予想していなかった
横川へ自分が案内することはできず、いわば窮地に陥っていたのであるが、久秀に救われる形となっ
た。この時点で勝家は自分が久秀を嫌っていることに気づいていなかった。
横川までは少々長い距離となった。その馬上、信長が久秀に訊いた。
「三光院という寺は存じておるか」
「はて、名前は聞いたことがあるような気がいたしますが。場所は存じませぬ」
久秀の知識の中に三光院という塔頭の所在はなかった。足利幕府の人間として延暦寺との交渉にあ
たっていたのであるから、延暦寺に属さない特別な寺院とは縁がなかったのである。
全員が馬上の人となって暫くして、久秀が言った。
「このあたりからが横川と呼ばれる地域となります」
「あっ、ありました」
大声をあげたのは先ほどから叡山の絵地図を馬上で見ていた勝家であった。
「どれ」
馬を廻して久秀が勝家のところへ寄せていった。その道は一本道であったために信長はそのまま馬
を進めた。久秀が絵地図を覗き込んで勝家が示した指先を見た。
二十、 比叡山山頂
「上様の言われる三光院とはここであろう」
「あ、確かに。この先の二俣を左でございますな。ありがとう存じます、柴田様」
松永久秀は信長の臣下に入ったばかりの新参者であり、柴田家は織田家古参の部将であった。久秀
くつわ
はまだ自分の居場所が織田家中で明確になっていなかったために何者に対しても至極丁寧なものの言
い方を心がけている。
久秀は前を行く信長と轡を並べるため早足で戻っていった。勝家は自分が発見したものを横取りさ
れたような気がしていくらか気落ちしていた。後ろにいる勝家麾下の組頭たちがその気持ちを見透か
したように笑いを堪えていた。よほどがっかりした顔をしているのだろうと勝家自身思った。そのあ
絵地図に従って行くと果たして三光院の門前に出た。信長には二度目の光景であった。ここも山王
たりが人々に好感を抱かせていることにも本人は気づいていなかった。
の古社と同様に全山焼き討ちの惨禍から免れていた。何故だ、と信長は思った。何故ここは焼かれて
いないのか。しかし、本当はその理由が判っているような気もしていた。この寺は焼けないのだとい
う確信めいたものすらあった。
この横川を担当した兵士たちはすべての建物を焼き払ったつもりでいたという事実があったことを
信長は知らない。その夜、不思議なことが起きていた。破壊し放火し殺戮の喜びの狂気の中で、まだ
壊しておらず火をつけていない寺がないか、血眼でさがしていた兵士たちの視界にこの三光院は入ら
なかったのである。徹底的な破壊と殺戮がおこなわれた筈であった。決して兵士たちの手抜きではな
かった 。
「ここも壊れておらんな」
ま た 勝 家 が 呟 い た 。 今 度 は 信長 は 無視 し た 。 下 馬 し て 手 綱を 渡 す と さっ さと 山 門を く ぐっ て いっ
た。すぐに右手に折れ、本堂へ進んでいった。慌てて部将たちがその後を追った。
「上様。上様はここをご存じで」
久秀が尋ねた。それほど周囲に目をやらずに自然な様子で本堂前まで入ってきたのである。初めて
来た所では人は周囲をよく見ようとするものである。
「案内をさせたくらいじゃ。知る訳がなかろう」
本堂の前庭に一同が揃った。信長は古びた階段を昇っていった。土足のままで本堂へ上がり小さな
つ
本尊の外陣まで進んだ。一同も信長に倣い外陣に踏み込んでいった。そして信長一人が内陣へ入り本
尊を 見上げた。
「この本尊はなんじゃあ」
四明岳山頂で誰かが発したものと同じような言葉が、またも誰かの口を吐いて出てきた。
その通り誰がどう見ても仏像とは見えぬ本尊であった。
内陣に立った信長はその本尊をはったと見据えた。そのすぐ外側の外陣にいる家臣たちの誰もが信
長の背中から強烈な殺気が放射されるのを感じ取っていた。
信長は戦陣にいるとき、ここぞという場で渦巻くような殺気をみなぎらせる。その力によって織田
軍団は死を怖れぬ無敵の軍勢と化すかのようであった。京都の町中で若い女をからかっていた織田家
の雑兵を一刀で切り殺した時、周囲にいた鎧を着けぬ者たちはその殺気を風のように感じたという。
家臣たちははっと息を呑んだままその場から動くことができなかった。
本堂の中で家臣たちを釘付けにした信長の殺気がすっと消えていくのが判った。
遠くに鳶の鳴く声が聞こえてきた。勝家がふと振り向くと本堂の庇の下に琵琶湖が広がり、その上
二十、 比叡山山頂
空を山中にある三光院と同じほどの高さで羽根をじっと拡げたままの鳶が輪を描いていた。上昇する
気流を捉えたようである。次第に高みへと揚がっていくところだった。
「 ほ う」
みなも
勝家の口から賛嘆の声がもれた。皆がその声に勝家を見、そして勝家の見ている方を見た。そして
そこに広がる光景の見事さに感嘆した。ちょうど風が琵琶湖の青い水面を吹き、さざ波が陽の光を反
射して輝いて見せていた。目に見えない風でも湖面ではその姿を現す。風はまた湖の水面のすべてで
同じように吹く訳ではない。あちらこちらでまだら斑模様にさざ波を立ててその姿を現している。き
らきらとした輝きは常に移動して場所を動かしていく。琵琶湖の向こう、東の平野は秋を迎えて田に
は 豊 か な 稲 の 稔 り を 表 す よ うな 黄 色 の長 方 形 が 様 々に 組 み 合 わ さっ て 見 事な 模 様 を つ くり だ し て い
る。平野の中にはあちらこちらに小高い丘が点在し、その向こうには近江と美濃を隔てている山々が
屏風のようにとり廻されている。山々の頂上付近の木々にはすでに薄赤くなっているものも見えるよ
うであった。伊吹山は木があまり生育していない荒涼とした山であるので、その山だけが異色さで際
だって見えている。
自然と家臣たちはその風景につられるようにして外陣から縁へ出て行った。
「観音寺城は見えるか」
突然後ろから信長が声をかけてきた。縁の上に横に並び立っていた家臣たちは中ほどの場所を空け
て信長に譲った。一時はあれほどの殺気を周囲に放っていたのに、その殺気は今はまったく消えてい
た。穏やかな表情と声であった。
「はあ、あれに見える丘の所ではないかと」
信長の穏やかな言葉に勝家ものんびりとした答えとなった。
「それにしても、上様、見事な景色でございまするな」
「お前たちは景色を見る時、どのように見ている」
信長は再び皆に聞いていた。いつもの厳しさは相変わらずなかった。
「今年の米は豊かそうであるとか……」
「この冬の雪はどの程度のものであろうかとか……」
も は や 誰 も 景 色 の 美 し さを 言 う 者 は い な か っ た 。 信長 は 超 人 的と いっ て よ い 現 実 主義 の男 で あ っ
た。美的なことをこの場で言うのは憚られたのである。その気を信長は読んでいる。
「よい。美しいものは美しいと言ってよい。ただそれだけでは善しとはしない。武人であれば常に戦
術につながるものを見よ」
「長秀のいる佐和山城はあれだ」
志賀の陣の後、佐和山城にいて抵抗していた磯野員昌が降って高島へ退去したので、その城を接収
した信長は丹羽長秀を城代として入れ、北近江の浅井長政への押さえとしていた。
「近江を平定し、かつ全国を手中に入れられるようになった時には、余はどこにいればよいであろう
か」
またしても問いであった。ひどく難しい質問である。
「京では難しゅうございますな」
松永久秀が言った。
「何故じゃ」
柴田勝家が聞いた。
「 京 は 狭 す ぎる と 考え ま す 。 人も 多 く 、 な に を す る に し て も 邪 魔に な る 物ば か り が 都中 に ご ざ い ま
二十、 比叡山山頂
す 。 寺 が 多 いと い う の も 困 り も の で ご い ま す な 」
まつり ご と
秀久は続けた。
「 武 家 に よる 政 は 軍 事 を 併 せ 持 つ こ と の 関 係 で 軍 勢 を 手 元 に 養 う 必 要 が ご ざ い ま す 。 京 の 街 は 焼 き
ぜにかね
払ったとしてもまたもとのようになってしまいます。この叡山を焼いたようにはまいりません。まし
て懐が豊かな町人や町衆の気持ちを引きつけておくことが肝要。上様もご存じのように銭金はすべか
らく大事。それらを操ることが政の要となり、商いを彼らにさせておくためには京・大坂はこのまま
の方がよろしいかと。源頼朝公の前例もあり、京はとにかくよろしくないのではないでしょうか」
どう ざ
「久秀の申す通りであると余も考える。岐阜は都から遠い。しかし、皇室・朝廷はあの京の街にあっ
軍兵を養うことができる広い土地といえば、あそこに見える近江の平野しかあるまい」
てこそのものと思うておる。皇室を動座し奉ることはできまい。しからば京に近く、京を護りながら
信長は手にした乗馬用の鞭で琵琶湖の周りの地を指し示した。琵琶湖の湖面が一段と金色の輝きを
増したように思えた。
「おお……」
一行の者たちは納得の声を上げていた。
「しかし、それが政庁を置く最終的な場所とはならんであろう。まだまだ日本は広い。東国もまだし
ばらくは落ち着かぬであろう。全国が一つになる、それまでの当座の政庁ということになる」
「…………」
古参の家臣たちには織田家の全国制覇という夢が現実に示されたことによる感動が身体の内から湧
いてくる気分であった。軽い陶酔の一時であった。しかし、それを言っている信長自身には感慨とい
うものはなかった。自分のなすべき仕事が少し明確に見えたというだけのものでしかなかった。
なにも言わず信長は縁から階段を降りて山門へ向かって歩き始めた。諸部将も慌てて後を追った。
山門の前で馬とともに残っていた馬廻衆の若武者から手綱を受け取ると、近習役の滝川彦右衛門に
後の処置を命じた。
「この寺はこのままにせよ。周りに矢来を立て廻らせ。出入りできる門はここのみとし、常に警固の
者を置いて誰も中に入れるな。この寺の住職である天範という上人が来たならばその僧だけは中へ入
れてもよい。天範上人が現れたならば余に知らせよ。鄭重にその上人をもてなしておくように」
「よし、下山する」
一言で良かった。一斉に各自の役割を考えて風のように行動する。それが織田家の鉄則であった。
一行はまだ薄煙が紫雲の如くに漂う延暦寺境内を駆け抜け、そして山を下っていった。
あの う
翌日、柴田勝家は穴太衆と呼ばれる者たちを動員していた。昨夕のうちに人足としてかり出す旨の
触れを発してあった。
穴太の集落は琵琶湖畔、比叡山が湖へ落ち込んでいくかのように見える山麓にあり、古代から石工
としての卓抜した技量をもつ人々の住むことで知られていた。近江には古代に大陸や朝鮮半島から優
れた技術をもって移り住んだという人々の子孫たちが多い。そのひとつが彼らの石工としての技なの
であろう。この穴太にもまた近江の他の集落と同じように一向宗の信者が多くいた。そのために織田
家の討伐にあってかなりの人数を減らしていた。勝家はその村に残った者たちをほぼ総動員してこの
工事に駆り出していた。それでも穴太衆の者たちには織田家は十分な手間賃を与えてくれるので不平
はなかった。
勝家は二十人の男を穴掘りにあて、五十人の女たちに掻いた土をモッコで邪魔にならぬ場所へ運ば
二十、 比叡山山頂
せることとした。残りの者たちには周辺から土留めのための石組みを築くために必要な石材を見つけ
させ、運ばせるように指示した。
この四明岳の山頂へ穴太衆を連れてくる途中で勝家は少なからず苦労することとなった。まだ山の
空気が重く、焼け跡から漂い出している煙は空へ昇らず、霞や雲のように視界を覆っていた。歩いて
いくと突然のようにぬっと死者が地に転がっているところへ出くわすのである。彼らはあちこちにま
たた
だ転がっている屍に驚きまた畏れ、逃げだそうとする者たちが出たのである。仏道にある者を殺すと
三代の間祟ると信じられている。坊主を殺すと三代祟るという言葉である。たとえ自分が殺したので
なくともそのような呪力をもった死体が山の中に散在しているかのように思ってしまうのもやむを得
なかった。
くす ぶり 続けて いる 焼け跡 から 死 体が焦げ た 腕や足を 出し ている 。 戦 国 の 世に 生 きて いる 人 々に
とって斬死体はあちこちで見るものであり、農民たちにとって戦場に放置された死骸から鎧を剥ぎ取
ることは生活を支える術でもあった。しかし、焼けこげとなった屍には慣れていなかった。
掘られている穴の石組みによさそうな石は頂上に近い寺院の土台石である。焼かれた寺院の残骸の
下にある石を取り出すためには焼けた屍に近づかねばならなかった。炭や灰をどけている者たちが男
女にかかわらずあちこちで悲鳴を上げていた。
やがて八尺ほどの深さまで掘られた穴の底に岩肌が露出してきた。男たちが丁寧に土を除けていく
のを見ながら、勝家は石塔寺から引き下ろした岩と質がよく似ていると思った。
とにかく二丈四方の正方形に穴を整えさせ、周りに石垣で土止めを築かねばならない。まずは岩が
それほどの深さではなく露出してきたことに安心した。
さらに十日が必要であった。岩の表面の土は取り払われ黒い光沢を放つまでに綺麗にされた。周囲
の石垣も穴太衆の技が発揮されて見事に完成していた。石垣は周囲の地面よりも高く積み上げられて
雨水による土の流入を防止していた。上から見て正方形の石垣ができた。一方、山頂近くに生えてい
た杉の大木を切り倒して丸太材が造られた。この太い杉丸太を柱として立て、石組み全体を覆う方形
の屋根が葺かれた。それはまるで巨大な井戸のように見えた。京から銅屋根を葺く宮大工と金箔職人
が 連 れ て 来 ら れた 。 見 事な 金 色 の 屋 根が 出来 上が り 、す べ て の作 業 が 終 わる ま でに さら に 十日 が か
周囲にあったあの不気味な樹木の森はすべてが切り払われ、以前とはまるで異なる景観を呈してい
かっていた 。
た。その森があったあたりにしっかりとした小屋がかけられ、昼夜を問わず警備する兵士たちが詰め
ていることになった。
工事に連れ出された金箔師が京で噂を広めていた。その噂は口から口へと伝わるうちに黄金が四明
岳山頂に埋蔵されたという話となっていた。
二十一、 ペンタゴン コンピューター制御室
二十一、 ペンタゴン コンピューター制御室
後、夫は妻の主張を容れることにしたのである。
ジョ ージ ・マ ク ドゥ エル少 尉は 妻と の良 好 な 関 係を 取 り も ど して い た 。 数 日 前 の 夜 の 言い争 い の
明るい日差しを求めていた妻の主張通りに、ジョージは転属願いを西海岸方面を希望として出すこ
とにした。その大きな原因は妻が妊娠していることが明らかになったことによっていた。ジョージも
学生時代に過ごした西海岸の明るい陽が好きだった。子供はこの日差しの下で育てたいとも思ってい
た。それが予想よりも早く実現しそうな状態となっただけだと、妻のジェシーに妊娠を告げられた時
に戸惑いと嬉しさの中でジョージは思った。
ジョージは自分のアイデアは祖国を世界に拡大しつつある暴力的脅威からより高度に護ることがで
きるものであると考えていた。今のジョージにとって「祖国」という言葉はこれから生まれてくる自
分たちの子供も住む愛すべき国という意味となっていた。自分のアイデアについてとうとう妻に打ち
明ける時がきたのだと考えた。勤務の内容については詳細に語ることはできなかったが、構築中のプ
ログラムはジョージの個人的な能力でこの合衆国の安全性を大きく高めることができるということを
強調して妻に話した。その完成にはあとしばらくの時間が必要なのでそれまで待って欲しい、すぐに
転勤はできないだろうが必ず西海岸へ行く、固く約束するからというジョージの言葉にこれから母親
となろうとするジェシーはすぐに同意してくれたのだった。
自分の家庭がきらきらと輝くような幸せに満たされているように感じた。それは新婚の時のような
幸せ感とは少し違っていた。最愛の人と二人で過ごすことができるというより、多分もっと大きな、
精神的により高揚した幸福感であるように思った。そのように素晴らしいと感じる家庭をもつ男は仕
事の面でも充実していくものである。プログラムはジョージ自身が当初にめざしていた完成点よりも
遙かに高い水準のものに急速に発展していった。
そしてとうとう完成を迎えた。最後はあっという間であった。それにはジョージ自身が驚いた。気
がつくと出来上がっていたのである。あとはそのテストランであった。
僥倖は続くものである。ジョージ・マクドゥエルはまったく政治な能力のない男であったが、この
ような人物に限って意外なところから大きな助けが入るものである。
ジェシー・マクドゥエルが産婦人科医院から帰宅すると居間の電話が鳴っていた。ジェシーは妊娠
していることがわかるとすぐに携帯電話をもつのをやめてしまっていた。携帯電話だけでなく様々な
電磁波を発する機器をなるべく遠ざけて、胎児を守ろうとしていたのである。電話を取り上げるとカ
リフォルニアにいる父親であった。
「やあジェシー、元気だったかい」
ジャック・レイモンドは快活に娘に呼びかけた。
「ありがとう元気よ。パパはどう」
「あいかわらず元気さ。お母さんが私の健康を維持するのが趣味だからね。毎日とても美味しいもの
ばかり食べてるよ」
ジェシーの父親は健康食が嫌いだった。特にジェシーの母親が最近は自然食にのめり込んでいて、
二十一、 ペンタゴン コンピューター制御室
健康に悪いと信じているものは一切食べさせないようにしていることを電話の度に訴えるのだった。
健康に悪いと思われているものほど父親の好物であることを娘は知っていた。電話で父親が美味しい
ものと言っているのは不味いものという意味である。ジェシーは笑ってしまった。
「本当、あいかわらずね。パパは百五十歳まで生きるわ、きっと」
「本当にそうだといいが。おなかの子はどうだい。順調かね」
「ええとても。今も病院に行って来たところ。遅くもないし早過ぎもしていないし、自然に順調だそ
うよ」
「それは良かった。母さんが聞いたら喜ぶだろう、その自然にというところがね。まあ、とにかく大
事にしろよ」
「あっ、それからね。またまたグッドニュースよ。ジョージが転属願いを出してくれるって。そっち
の家の近くに住めるかも知れないわ」
「 本 当 か 。 そ れ は す ごい 。 と っ て も 嬉 し い ニ ュ ー ス だ 。 君 のお な か の 子 の 父 親 は ど うだ い 。 元 気 に
やっているかい」
「ええ、とても。仕事も順調なんですって。なんでも新しいプログラムを一人で開発してしまってい
るらしいの。アメリカの安全を飛躍的に高めるらしいわ。私も心から応援しているところ。なにしろ
このおなかには未来のアメリカ国民がいるんですもの」
「へえ、そうか。…………。ジョージは国防通信システム局だろう。国防関係の重要なプログラム開
発そのものとは関係ないんじゃないかなあ」
ふと、ジャックは疑問に思ったのだった。
「そうなの。今の仕事に就くずっと前からアイデアを温めていたらしいわ。だから今の仕事とは直接
うち
の関係はないらしいの。 今それで彼 は悩んでいる らしいわ 。 せっ かく出来上がったプログラ ムなの
に、それをどうやって国に運用させようかって考え込んでいるみたいなの」
「なんだ、そんなの簡単さ」
「えっ、どうして」
父親がいとも当たり前だと言わんばかりであったので驚いてしまった。
「ジェシー、トム・コワルスキーおじさんを覚えているかい。君がちっちゃい頃に家に来てよく遊ん
でくれたろう」
「ええ勿論。あのおじさん大好きだったもの」
そういえばジェシーの小さい頃ばかりでなく、高校の時に内緒で酒の味を教えてくれたのもコワル
スキーであった。そのことは両親は知らない。
「彼は今、国防先進研究計画局の長官をしてるんだ」
「えっ、ペンタゴンにいらっしゃるの」
「そうさ。言ったことなかたっけ」
「ええ、聞いていなかったと思う」
初耳だったが、確かではなかった。
「そうか。じゃあ彼から君の方に連絡してくれるように話しておくよ。
ジョージに直接でもいいけど、まあ前もって話しておいてくれよ」
ダ ーパ
「ええ。ありがとうパパ。でもその国防なんとか局っていうのは何をするところ」
「 D A R P Aと 頭 文 字 を と っ て い う ん だ け ど 、 国 防 関 係 の い ろ い ろ な も の を 開 発 す る 部 局 さ 。 イ ン
ターネットの基礎も世界で最初に開発したところでもあるんだ」
二十一、 ペンタゴン コンピューター制御室
「 そ う か あ 。じ ゃ あ ジ ョ ー ジ の プ ロ グ ラ ム も 関 係 す る わ ね 」
ジェシーは知らなかったが、ジョージの開発したプログラムに類似したものも実際にDARPAで
構想されて研究されつつあったのである。
数日後のことである。ジョージ・マクドゥエル少尉が夜間勤務に就こうとして国防総省の入り口を
入ると、IDカード読み取り機の確認欄に連絡事項がある旨の表示があることに気づいた。職員たち
がペンタゴンの建物に入るための入り口では自動セキュリティチェックを何重にも受けることになる
が、そのひとつに鉄道駅の改札口や航空機搭乗口のようになっている装置を通過せねばならないもの
ていて、その日に特別な指示がある場合に簡易な表示が出る仕組みになっている。
があった。IDカードを読みとり器にかざしながら通過する時、その先に小さなディスプレイがつい
「なんだろう」
連絡事項の確認のために受付カウンターへ行って、伝言を聞いてみた。受付係の男性がジョージの
身分証を確認して封筒を渡してくれた。
「早めに出勤されたらで結構。国防先進研究計画局局長の執務室へ来られたし。
トム・コワルスキー中佐」
便箋にプリントアウトされたものが封筒に入っていた。
ジョージにはこの呼び出しについての覚えが全く何もなかった。実はジェシーが父親の話を夫に伝
えるのを忘れていたのだった。父親と電話で話をしたこと、その内容までを詳しく夕食のテーブルで
ジョージは聞かされたが、彼に関わりのあることをすっかり落としてしまっていた。明るく慌て者の
妻であった。
そのようなことをまったく知らないままにジョージは時計を確認した。いつも早めに職場に到着す
るようにしている。今日も余裕がだいぶあった。トム・コワルスキーの執務室の場所を案内図で確認
すると近くのエスカレーターで二階へ上がっていった。
コ ワ ル ス キ ー 中 佐 の 執 務 室 の ド ア を ノ ッ ク し て 入る と 男 性 秘 書 官 が デ ス ク の 向 こ う 側 に 座 っ て い
た。名前を告げると秘書官はすぐに納得して立ち上がって奥のドアへ案内してくれた。ジョージは秘
て少しまごついた態度になってしまった。顔が赤らんだのが自分でもわかった。
書官に礼をいいながら階級章が大尉であることを確認した。自分よりも上の階級であることに気づい
「ここでは礼儀は無用です」
秘書官は上官らしくない言葉遣いをして安心させようとしていた。そして彼の上司にジョージ・マ
クドゥエル少尉が来訪した旨を報告した。彼が来室したならばそのまますぐに案内するように事前に
言われていたものらしかった。
コワルスキー局長は初老の風貌を備えた見るからに研究職上がりといった人物であった。中肉中背
といった体格であるが筋肉質ではない。
ジョージは入室すると踵を着けて敬礼したが、局長は手のひらを見せて振った。
「やあ、マクドゥエル君ここでは堅い挨拶は抜きにしてくれ」
そう言うと手を差し出した。ジョージはその手を受けて軽く握手した。
「私はここの局長、トム・コワルスキーだ」
二十一、 ペンタゴン コンピューター制御室
「ジョージ・マクドゥエル少尉です」
ジョージは階級を付けて名乗った。
「まあ掛けてくれたまえ」
局長は部屋の窓際に置かれたオフィス用テーブルチェアを手で示し、デスクから自分も移動して対
面するように座った。
「ジャック、ジャック・レイモンドから話を聞いてね。早速だがこんな形でお会いさせていただいた
という訳だ」
「えっ。私の義父のジャック・レイモンドですか」
局長は肩すかしを喰らってしまったように感じた。
「なんだ君は聞いていないのか。わたしはてっきりジェシーから聞いていると思っていたよ」
「はあ、いや何も妻は言っておりませんでしたが」
ジョ ージはぽか んと してい た 。 妻 のことを ファ ースト ネー ムで呼 んでいる ということ は コワ ルス
キーが妻の実家がらみでのつき合いのある人物であるということは推測がついた。
一方、気を取り直したコワルスキーはこれは最初から話をしないといけないと思い返した。
「では、君の奥さんの父上と私との関係を知っているかね」
「いいえ。存じ上げておりません」
「じゃあ、そこから話そう。私たちはパサディナで一緒だったんだ」
「ジェット推進研究所ですか」
「そう。そこでジャックと私は研究仲間、同僚だったが親友であったと言っていい。実は君たちが結
婚する時に、あの教会には私もいたんだがね」
「えっ、そ、それは申し訳ありませんでした。気がつきませんでした」
ジョージは驚いて立ち上がってしまった。とんでもなく失礼なことになったと思った。
「まあまあ座って。 そんな関係で私たち は今でも友達付き 合いを続けている。 数日前ジェシーと
ジャックが電話で話をしたんだ」
「ああ、それは聞いていますが。しかし、私と関わりのあることはなかったと思うのですけど」
「そうか、まったく聞いていないんだな。相変わらずジェシーはそそっかしい。実はその時に君のこ
とが話題となり、君が研究しているプログラムの話になった。ジェシーには詳しいことはわからない
が、我が国の安全性を飛躍的に高めるものであるということをジャックに話した。
そこでジャックはジェシーに君と私を合わせることを提案したんだ。すぐにジャックは私に連絡し
てきたよ。どんなプログラムなのか一度見てくれとね」
「えっ、ああ、そういうことなんですか」
ジョージはまるでジャックポッドで大当たりを出したような突然の幸運を手にしたように興奮し始
めて、言葉がうまく出てこなかった。
ジョージの興奮が少し収まったのを見計らって局長はこれからのことを相談し始めた。
国防先進研究計画局の専門家グループに検討してもらう必要があること。そのために先ず局長自身
にプログラムの内容について大まかな説明が必要であるということであった。それが済めば、専門家
グループへのプレゼンを準備しなくてはならないこと。そして専門家たちが内容に納得すればテスト
ランの準備にかかることになるということであった。
すべてが済み、国が採用するものとなれば、特許権が与えられてそれなりの大きな報酬を手にする
二十一、 ペンタゴン コンピューター制御室
ことができる。しかし、公にできない特許であるので使用権限は合衆国のみのものとなり他国や企業
への販売はできないことになる等々の条件について説明された。
ジョージは仰天した。彼は祖国の安全だけを考えてプランを練りあげてきたつもりだった。それが
代価を産み出すとは思ってもみなかったことであった。それも過去の具体例を局長があげたのを聞い
て さらに 仰天し た 。 知 的財産がとてつもな い 値段となる こ とはジョ ージ も知っ ていた 。 シ リ コ ンバ
レーにあるいくつもの企業からの勧誘話の内容にも当然あったことであるが、当時のジョージには金
銭的なことには興味がまったくなかったのだ。それが彼の独創的な発想で作り上げられたプログラム
を国が採用することとなれば、マクドゥエル家が一生安泰となるほどの収入を得られることになるの
である。考えてみればそれは当然の収入であった。唖然としているジョージをそのままにして、コワ
ルスキーはあとの話を続けた。
数日後、ジョージはコワルスキーのオフィスで彼のプログラムについて大まかな説明をすることに
なった。約一時間ほどの説明となった。説明はアイデアの着想に始まって、具体的にプログラムを組
んでいく上での問題点とその解決方法に渡り、その効果範囲までのものとなった。
この小さなプレゼンテーションにはコワルスキー中佐の他に二人の専門家が同席していた。この二
人については名前だけが紹介されたにとどまった。ジョージには彼ら二人が国防高等研究計画局でそ
の方面のチームを統轄していることは推測することはできた。このプレゼンテーションはジョージの
勤務時間の後、彼の時間外でおこなわれたために、終了後はそのまま帰宅することができた。ジョー
ジをオフィスからにこやかに退出させた後すぐに三人の幹部たちは詳細にプログラムに対して検討す
るのであろうことは明らかであった。
ジョージは翌日も通常時間帯の勤務日であった。いつものように出勤するとコワルスキーからの呼
び出しがかかっていた。今回は勤務時間の最初からの呼び出しとなっていたために慌てた。なにかの
間違いであろう。自分の仕事を放棄してしまうことになるではないか。この時間は無茶な話だと思い
つつ確認のために局長のオフィスへ内線電話をかけてみた。
電話に出た秘書官は穏や かに言った 。
「大丈夫、あなたの今日の勤務は別の人間がやります。えーと、ジム・ブラウン少尉です。ブラウン
少尉が貴官が本日担当する予定であった任務をおこなうことになっています。ですから安心してこち
相変わらず上官とは思えない言葉遣いであった。ジョージはそのまますぐに局長のもとへ行くこと
らへ来るようにして下さい。少し早いですが今からでも構いませんよ。どうしますか」
にした。
「ではこのまますぐにお願いします。そちらへ三分で到着します」
とにかく訳が判らないので早く納得したかったのである。あのプログラムが原因で自分が今日の担
当勤務を外されたことに不安があった。ジョージはエスカレーターを二階へ駆け上がっていった。
コワルスキー局長のオフィスの前の廊下で秘書官が待っていてくれた。開けたドアに招じ入れるよ
うにしてくれた待遇に また感謝と戸惑いを 感 じた 。
「 三 分と 言っ てい たので、それより 早く到着する と約 束の三分が経つま で、あな たはきっ とこ こで
立って待っていることになるでしょう。ジリジリしながらね」
この秘書官は人の心理までよく読む人物であり、そのうえ好人物なのだと思った。奥の局中の執務
二十一、 ペンタゴン コンピューター制御室
室のドアも開いていた。
「そのまま奥へどうぞ」
秘書官が言うようにそのまま奥のドアへ進んだ。中では窓の外を見ながらコワルスキーが勤務に就
く前のコーヒーをゆっくりと味わっているところであった。
「おはようございます。中佐」
窓の外を立って見ていた局長が振り向いた。
「おはようジョージ。いやマクドゥエル少尉」
そしてコーヒーマグを持ったままテーブルチェアへ移動して椅子をジョージにすすめた。
に実行しないと気が済まないんだ。昨日はご苦労様。素晴らしいプログラムだとあの二人も言ってい
「まあ座ってくれ。朝から混乱させてしまって申し訳ない。まあ私の癖でね。考えついたことはすぐ
たよ。是非これは我が国で採用すべきものであると評価していた。ただ、正直な話だが、すぐにはす
べてを完璧に評価することはできない。君のプログラムはこの後のプレゼンで詳しく説明してもらっ
ても、少し時間をかけて分析させてもらわないとうちの専門家たちでも評価できそうにないだろうと
いうことだった。しかし、大変に高い価値のあるものであることだけはあの二人が保証してくれた。
そこでだ。君は今日から国防通信システム局からこの国防先進研究計画局に所属を替えてもらうこと
にした。異例中の異例の人事だがその方がすべてにおいて手っ取り早い。合衆国の安全性を高めるの
は早ければ早いほどいいわけだろう」
コワルスキーは最後の部分にジョージの同意を求めた。
「君には無断で申し訳なかったが、今日から私の部下として働いてもらいたい。昨夜のうちに上の者
たちと掛け合ってすべて同意をもらっている。いいね」
ジョージは話の展開の速さに驚いたが、こんなに嬉しい話はなかった。正直に言って国防通信シス
テム局DISAでの今までの仕事では自分の力を充分に発揮できないと思っていたのである。このD
ARPAでの仕事なら願ったり叶ったりであった。ジョージに嫌はなかった。
そうしてジョージ・マクドゥエルのプログラムはDARPAの専門家チームに示され、チームとし
ての分析対象となった。幾つかの欠点が発見されたが、このチームはすぐにそれを補ってより高度な
ものに発展させることができた。ジョージ自身も当然このチームに所属することになった。コワルス
キ ーのオフィスに いた二人 の男はこ の局 のマ イクロシステ ム技 術室と情報処 理技 術室 の室長た ち で
テストランは国防総省の中にあるスーパーコンピューターを使用することになった。休止している
あった。ジョージのチームはこの二つの部署から出された専門家たちの混合編成で成り立っていた。
スパコンと国家安全保障局NSAがもっているデータを使用してみようという計画であった。
ブッシュ政権の時、NSAは2008年に「改正・海外秘密情報監視法」が議会で可決成立したた
めに裁判所の令状なしで海外のデータ通信や交信を盗聴監視することが公式にできるようになった。
そのためにエシュロンと呼ばれる傍受システム・組織によって得られた膨大なデータを公然と保持す
ることができるようになったのである。NSA本部はメリーランド州フォートジョージGミード基地
にあるが、データ処理施設はペンタゴン内にあった。そのデータを使用してみようという計画が出来
上がったのである。
計画実施のために国家情報長官やNSA長官、国防情報局長官そして当然として国防長官たちとい
う合衆国の国防に関わるそうそうたるメンバーの認可を得ること自体は、意外に簡単な手続きで進ん
二十一、 ペンタゴン コンピューター制御室
でいったようにジョージには思えた。一方、実際にテストランに携わる者たちが極秘情報に接するこ
とになるため、その身分を確保する手続きが大変であった。最終的には署名と宣誓を何度もくり返さ
なくてはならなかったのである。
慌ただしい手続きの後でようやく、ジョージたち数人のテストラン実施チームはペンタゴン内に隔
離されてランのための準備に入っていた。すでにその間一ヶ月近くが経っていた。
ジョージ の開発した広 域監視システ ムの基本となるプログラムはマ クドゥエル・ プロ グラ ムと 呼ば
れ、頭文字でMPと便宜的に呼ばれていた。
スパコンを使用してのテストランの準備には約二週間がかかり、ラン自体はほぼ一日で終了した。
ジョージはすでに評価をおこなうためのプログラムづくりを始めていた。実際にこのMPの運用が始
その結果、つまりMPの効果についての評価が出されるのはほぼ二ヶ月先になると予想されていた。
まれば、MPが出した分析結果についての信用度のランク付けをしなくてはならない。そのための新
システムも必要であったのである。
ジョージはペンタゴンのMPテストランのために与えられた部屋にいた。
地階であるために壁にはちょっとしたアイデアで写真が貼られていた。窓を通して森が見えている
大きな写真であった。風に揺らぐこともないこの写真の木々をジョージは見飽きてしまっていた。空
調ダクトから出てくる微風には季節を推測できるような匂いもなく、その他のいろいろな点でここが
地下であることが否応なしに判ってしまう。この部屋を何時になったら出られるのだろうか。コワル
スキーDARPA長官のオフィスのような仕事部屋もいいなと思っていた。すっかりとこの環境には
飽きてしまっていたのだ。こういった心理状態に陥ってしまっていたのでこの数日は仕事になかなか
集中することができなかった。
そのような中でのことである。何気なくテストランで出てきた分析結果をデスクトップのディスプ
レイで見ていた。ふと「オペレーション・ペレウス」というタイトルが眼に入った。
ペレウスという名前を見て、ジョージはすぐに妻のことを想った。妻のジェシーは世界の昔話や神
話、妖精が出てくるような話が大好きであった。夫にもいろいろとそういった物語の中から引用して
解説してくれたりする。しかし、何よりも妻の魅力そのものが神話でもあった。ジェシーの髪の毛は
金髪で自然な柔らかさでカールしていつもふわふわと揺れていた。カリフォルニアの海岸をジェシー
が歩いてくると周囲の男たちが一斉に彼女へ視線を向けていたものであった。明るい日差しの下でま
の高校時代の親しい女友達からジョージはペレウスのようだと言われたのをよく覚えている。とても
るで金色の女神が歩いて来るかのようだった。その美しいジェシー・レイモンドと結婚した時、彼女
手に入らない筈の女神を手に入れることのできた幸せな男という意味であった。
オペレーションとは作業や外科手術などの意味もあるが軍が使用するときは作戦を意味している。
これは何だろうとジョージは思った。ディスプレイが示していたのは日本とイスラエル、イスラエル
とイギリス、イギリスとアメリカの通信に共通するものとして示されていた。興味をもったジョージ
はさらに詳細を表示させた。
そこに示されたのは日本の東京にある大学とイスラエルの商社との通信内容と、イスラエルの商社
とイギリスMI6との通信内容、MI6とペンタゴン内との通信内容が一致していることであった。
その内容にざっと目を通してみたが、それはジョージにとってまるで謎に満ちたものだった。
ジョージはイスラエルの商社というのはモサドに違いないと思った。次には日本のハッカーが巧妙
にペンタゴンに侵入した可能性があると考えた。ジョージの大学時代の時、ハッキングに意欲を燃や
二十一、 ペンタゴン コンピューター制御室
していた友人が何人もいた。彼らは様々な場所のコンピューターにハッキングをかけていた。何が目
的というわけでなく、ただ侵入することに無上の喜びを見いだし、より困難な壁に穴を開けることを
めざしていた。その最大の目標がペンタゴンであったことをジョージもよく知っていた。ここが世界
で最も困難な城壁で囲われ守られている聖域であると考えられていたのである。しかし、その聖域侵
入がアメリカ国民にとって犯罪となることになってからは、アメリカ人ハッカーたちの目標は諸外国
の砦に向けられていった。そのために国内からのハッキングの挑戦は減少したが、相変わらず海外か
らの挑戦を受けて立たねばならないのである。今ジョージ・マクドゥエルはそちら側、挑戦される城
壁の中に立っている。
ジョ ージ は 再 び そ の デ ー タ の中 身 を よ く 見 よ う と し た 。 湾 岸戦 争 、 衛 星 探 査 、 中 性 子 線、 重 力異
常、インド仏教、中国道教、中国儒教、中国仏教、日本仏教、伊豆半島沖……等の項目で整理されて
いる。整理したのはMPであった。その欄外にアジア文化研究所のデータバンクへのアクセスが求め
られていた。これはジョージの作ったプログラムであるMPがこの件に対してより詳細に検討を加え
るために他のコンピュータへのアクセスを求めているのである。今回のテストランは外部との接触を
完全に断って、スタンド・アロ―ン状態でおこなっていた。インターネットと接続しておくとMP自
体が外部と接触しようとするからであった。そのためにアクセスを求めている状態で中断していた。
MPはいまだに外部データにアクセスしようとしているのである。
この表ではオペレーションそのものについてのデータはなかった。きっとオペレーションのための
基礎資料ファイルとなるものに違いないとジョージは考えた。しかし、いずれにしてもこの情報が日
本に流れたこと。通信を経由しているモサドとMI6のコンピューターには痕跡が残されていないこ
とから、この両国の情報部には判っていないであろうことが判明している。これは報告しておかねば
ならないと考えた。ジョージはすぐに内線電話をとった。
秘石伝説
(上巻)
―織田信長の迷い―
左崎 はじめ
発 行 2010年4月15日
発行者 横山三四郎
出版社 eブックランド社
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http://www.e-bookland.net/
電話 03-5930-5663印刷 東京文久堂
© Hajime Sasaki / Printed in Japan
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