土木計画学研究・講演集 No.41 2010 年 6 月 アポトーシス(プログラムされた細胞死)を配慮した都市・地域計画* Urban and regional planning incorporating apoptosis (programmed cell death)* 谷口 守**・氏原岳人*** By Mamoru TANIGUCHI**・Takehito UJIHARA*** 1.はじめに 都市は、しばしば生命体(人間の体)に例えられる。ま アポトーシス細胞 近接細胞や食細胞によって周囲に 迷惑をかけずに、きれいに処理 (貪食) た、その生命体を構成する個々の「細胞」を、都市を構 成する「活動」とすると、近年の人口減少に伴う都市撤 退現象は、ある種の細胞死として置き換えることができ る。生命体における細胞死は、細胞内外の環境悪化によ り予期せず引き起こされる細胞死(ネクローシス)と、ア 炎症なし 細胞は縮んで凝縮し断片化 (アポトーシス小体) ) ネクローシス細胞 細胞の肥大化 破裂して内容物が 漏出し、炎症を起こす ポトーシスなどの健全な状態に保つために予めプログラ ムされた計画的な細胞死とに区分できる1)。例えば、胎 児の水かきがその必要性に応じて消失し、新生児になる にあわせて指の形になる現象もアポトーシスによるもの である。都市の成長や撤退などミクロレベルで多様かつ 炎症 図-1 アポトーシスとネクローシスの過程 会における今後の展開可能性について言及する。 急速に変化する過程では、このアポトーシスの概念から 学ぶべき知見は多く、健全な都市・地域を目指した計画 2.アポトーシスとは を検討するには、今後配慮すべき重要な概念になると考 火傷などによるネクローシス(壊死)は、細胞が膨らん える。また、人口減少過程における自治体の社会資本管 で破れることにより細胞内の酵素などが流れ出し、周囲 2) 理への影響も指摘される 中で、これまでの都市・地域 に迷惑をかける形で炎症を起こす。一方、アポトーシス 計画が線引き制度などの都市成長コントロールを重視し では細胞は縮んで凝縮し断片化(アポトーシス小体)する。 てきたのに対し、人口減少などが顕在化する現在では、 さらに化学的変化タンパクを通じ、内容物が漏れ出る前 都市活動の撤退を踏まえた全く逆の視点からの都市・地 に近接細胞やマクロファージによってすばやく飲み込ま 域計画が必要となる。一方、都市活動の撤退に関する研 れる。この化学的変化では、タンパク分解酵素カスパー 3) 究は、郊外部の都市活動の撤退に関する実態把握 や撤 ゼが特定の細胞内タンパクを段階的に切断し、細胞の自 退・再集結地区の選定方法とその効果を検討した例4)が 殺を助けている。アポトーシスの誘発は特定のストレス 存在する。対して、具体的な事例とともに今後のわが国 を受けた細胞の内部シグナルによる場合と、細胞表面か における撤退策を検討した研究は、戦略的都市放棄(ア らの外部経路による場合がある1)。このようなアポトー ーバントリアージ)に関する試論5)などがあるが数少ない。 シスは、個体の形態制御、正常な細胞交代、不要な細胞 そこで本稿では、プログラムされた細胞死であるアポ (ガン細胞や将来禍根を残す可能性のある細胞等)の除去 トーシスに着想を得て、都市・地域の中でそれに相当す など幅広い役割を有している。 る事例を整理し、今後の都市・地域計画の方向性を検討 都市活動の撤退と言えば、都市活力の低下などを想像 する上での知見を得る。具体的には、1)アポトーシスの するが、プログラムされた細胞死であるアポトーシスの 概要説明とその概念を都市・地域計画に取り入れること ように撤退を効果的にマネジメントすることで、“後を の意義に言及し、2)都市におけるアポトーシス及びネク 濁さず”に都市をより健全な状態に変容させることがで ローシスに相当する事例を整理した上で、3)人口減少社 きるのではないか、というのが本稿の着眼点である。 *キーワーズ:都市計画、計画手法論、アポトーシス **正員、工博、筑波大学大学院システム情報工学研究科 (つくば市天王台1-1-1、TEL: 029-853-5171、 E-mail: [email protected]) ***正員、博士(環境学)、岡山大学大学院環境学研究科 3.都市におけるアポトーシスの事例 これまでの説明から、都市・地域におけるネクローシ ス(壊死)は、「都市の活力が著しく損なわれる非計画的 な都市活動の撤退プロセス」と定義できる。一方、都市 減築前の建物の一例 前商店街では、近年において店舗の入れ替わりが顕著で あることが分かっている10)。体内の活発な細胞交代と同 様に、店舗の撤退と出店を繰り返すことが、まちを活性 化させる要因の1つになっていると示唆される。 4.おわりに:人口減少社会における今後の展開可能性 がん細胞は正常な細胞に備わっているはずのアポトー 減築後の建物の一例 シス機構に異常が生じた結果、有害となりうる細胞が排 除されずに増殖したものと考えられている。エリアの人 口減少が進んでいるのに一層の保留床を売却することで の「成功」を喧伝する千里ニュータウンのケース11)など は、まさにこの議論と重なって見える。都市施設単体の 場合とネットワークなど複合体の場合も含め、圏域全体 の見取り図を考えていく中での長期的視点にたつ検討が 図-2 減築前後の建物(アポトーシス事例) 不可欠である12)。 なお、当然のことながら本稿で取り上げた事例は実施 ・地域におけるアポトーシスは、「都市を健全な状態に 者側にアポトーシスという概念でくくられる行為を実施 するための計画的な都市撤退または更新プロセス」と定 しているという意図・意識はない。また、実際にはネク 義できる。以下では、都市・地域において、それらに相 ローシスとの境界上にあるような事例も多く存在すると 当する事例を挙げ、生命体におけるメカニズムの比較を 思われる。本稿ではあくまで表面的なアナロジーとして 通じて、その要因分析を行う。 の検討にとどまったが、アポトーシスのいくつかのパタ まず、ネクローシスに相当する事例は、都市・地域内 ーンや信号の伝達プロセス、アクターの存在なども含め、 で多く見られる。例えば、2007年に深刻な財政難の末、 そのメカニズムまで含めた考究を深めていく価値は高い 財政再建団体に指定された夕張市の事例(「病気」によ と考える。 る壊死)や、1995年の阪神・淡路大震災のような大規模 災害の事例(「怪我」による壊死)などが挙げられる。 参考文献 次に、アポトーシスの場合、ベルリン(ドイツ)におい 1) たとえば,Alberts,B.他編,中村・松原監訳:細胞の分子生物学 て実施された減築が、これに相当する事例の1つと言え 2) 植村哲士・宇都正哲・Susana Mourato・浅見泰司・北詰惠一:人 第5版,pp.1115-1129,Newton Press, 2010. る。これは、図-2のように過剰な住宅の撤去(マンション の低層化や建物自体の撤去)とそれにあわせた緑化やオ 3) ープンスペースの質の向上などを目的とした事例である 6),7) 。また、スイスでは、アウトバーン建設などに伴いミ 4) ティゲーションの一環として不要となったインフラ(旧 道)の撤去を実施し、その後の周辺の土地利用に応じて、 5) 住宅地や畑地へと土地利用を回帰させたケース8),9)などが 見られる。また、ソウル(韓国)のように、高架道路を撤 6) 去し清渓川を復元することで活性化を図った事例も、ア ポトーシスに配慮した都市・地域計画の一例と言える。 7) これらは、アポトーシスが健全な形態形成に向けて計画 的な細胞死を発現させるのと同様に、都市・地域の中で、 8) 9) 時勢や周辺環境の変化に柔軟に対応し、本来目指すべき 形態へ変容を遂げた事例である。 10) さらに、アポトーシスの役割は形態形成だけではない。 例えば、体内では膨大な数の細胞が毎日つくられる一方、 それにほぼ見合った数の細胞が失われる1)。無数の細胞 交代の中で望ましい形態へ変容するための役割もアポト ーシスは担っている。これに相当する事例も都市内で見 られる。具体的には、若者の街として賑わう高円寺の駅 11) 12) 口減少社会における社会資本管理上発生する影響とその要因, 土木計画学研究・講演集,Vol.39,CD-ROM,2009. 氏原岳人・谷口守・松中亮治:市街地特性に着目した都市撤退( リバース・スプロール)の実態分析,都市計画論文集,№41-3, pp977-982,2006. 加知範康・加藤博和・林良嗣・森杉雅史:余命指標を用いた生 活環境質(QOL)評価と市街地拡大抑制策検討への適用,土木 学会論文集D,Vol.62,No.4,pp.558-573,2006. 平田晋一・谷口守・松中亮治:戦略的都市放棄(アーバントリア ージ)に関する試論-減少都市のパターン分析から-,土木 計画学研究・講演集,Vol.33,CD-ROM,2006 大村謙二郎・有田智一:需要縮小時代のドイツにおける都市住 宅再生:都市改造プログラムを中心に,都市住宅学,49号, pp.40-53,2005. 高見淳史・原田昇:ベルリン・ブランデンブルグ地域における縮 退の時代の都市整備,都市計画報告集,No.8,pp.59-63,2009. 山脇正俊:近自然工学,信山社サイテック,2000 児玉好史:近自然セミナーに参加して,多自然研究,12,pp.3-6, 2008. 阪口将太:東京近郊の駅周辺商店街の変容と今後の継続可能 性に関する研究~杉並区高円寺地区を対象として~,平成21 年度筑波大学社会工学類都市計画主専攻卒業論文,2010. 日本経済新聞:ニュータウン再生 壁高く,2009.12. 谷口守:バリア構築論,-「進化的に安定な地域システム」 (ESR)を考える-,土木計画学研究・講演集,Vol.38, CD-ROM,2008.
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