チャレンジ精神で 秋田を変えようⅡ

チャレンジ精神で
秋田を変えようⅡ
秋田のチャレンジ企業19社
国際ロータリー第 2540 地区
2013-14 年度 経済活性化プロジェクト委員会
2014 年 7 月 30 日発行
目次
1
巻頭言
経済活性化プロジェクト委員会 委員長
伊藤 碩彦
2
ソーラー発電事業への挑戦 ㈱JINRIKI 代表取締役
佐藤 勉
4
どじょう養殖
あきた田園どじょう ㈱ 代表取締役
村井 智
6
ハムフライで街を元気に
本荘ハムフライ・ハム民の会 会長
今野 広志
8
GPS で安心安全を
㈱ Wind 代表取締役
内村 和人
10
秋田ニューバイオファーム
㈱ 秋田ニューバイオファーム 取締役会長
齋藤 作圓
12
おかみの「お持たせ」で勝負
かめ清フードサービス 社長
雑賀 友子
14
ヒートポンプで
冬の暮らしを快適に!
㈱ 白光社 専務取締役
堀川 俊明
16
地域農業と弊社、今後の展望
㈱ ホーネン 代表取締役
黒丸 雄平
18
強みの集まる未来へ
細谷内科医院 副院長
細谷 拓真
20
「生あんもろこし ®」
商品開発と販売戦略
22
㈱ ゆう幸 代表取締役社長
佐々木幸生
花火産業活性化構想
㈲ 佐藤測量事務所 代表取締役会長
佐藤 芳雄
24
新商品開発へ挑戦
㈴ 鈴木酒造店 代表社員
鈴木 直樹
26
二宮尊徳に学ぶ
㈱ ハムセンター秋田 代表取締役
大高 光晴
28
寺離れのなかで
大龍寺 第38世住職
三浦 賢翁
30
なつかしい未来へ
アキモク鉄工 ㈱ 代表取締役
花下 智之
32
プレリリース活用・
新商品開発
佐藤食品 ㈱ 専務取締役
34
難しい階段創り世界一
石垣鐵工 ㈱ 代表取締役
石垣 勝康
36
北秋田 お土産プロジェクト
秋田北鷹高校 家庭科部
鷹巣観光物産開発 ㈱ 代表務取締役
笹木 俊雄
きりたんぽまつり実行委員会 実行委員長
石川 崇
38
42
きりたんぽまつりで
大館の未来を変える 【基調講演】
2014
2/15
にかほ市
中区IM
2014
2/23
大仙市
南区IM
2014
佐藤 賢一
4/13
大館市
北区IM
昨年度
「チャレンジ精神で秋田を変えよう(Ⅰ)」
(2013 年 8 月発行) 掲載企業一覧
巻 頭 言
秋田県経済の疲弊、人口減少、少子高齢化などに対し、行政や商工団体はなかなか有効
な対策を打てずにいます。このままでは秋田県は衰退の一途を辿ることになります。しか
し今県内に 1,000 名余りのロータリアンがおり、それぞれの地域で経済活動の中核を担っ
ています。この方々がまず自分の会社を元気にして雇用と所得を増大させ、地域を元気に
できればこれらの問題は解決に向けて大きく前進するはずです。
日本では公共のための奉仕は良い事と評価されますが、自分たちの利益のためにするこ
とはあまり評価されません。しかしそれは官尊民卑の古い考え方で、むしろ現在は「民」
の活力を最大限に生かすのが「公」の大きな役割と考えるべきでしょう。雇用と所得を増
やすことは地域活性化の最重要なテーマであり、個々の企業の努力によってはじめてそれ
は実現します。利益が出ないのは努力が足りないか、
努力の方向が間違っているからです。
正しい努力によって自分の会社を発展させることこそ社会のためになるのです。自分の仕
事に誇りと自信を持ち、更に努力しましょう。それこそロータリーの職業奉仕ではないで
しょうか。
それではどうやって会社を元気にするのか。その決め手は「チャレンジ精神」だと思い
ます。秋田県の衰退は例えば県民性にも大きな原因があります。
「えふりこぎのひやみこぎ」
で、見栄は張るが努力はせず、井の中の蛙で外の世界を見ようとせず、強いものには従順
で、言われたことはやるが自分からは動かず、今日やれることを明日に延ばし、努力する
人の足を引っ張る。内舘牧子さんの言葉を借りれば「おれもやねがら、おめもやるな」と
いうことでしょうか。それでは会社の発展は望めません。
この秋田にも逆境に屈することなく、チャレンジ精神でがんばり、大きな成果を上げて
いる人達がいます。そういう人や企業を探し出し、彼らに学び、まず私たちの意識を変え
ることから始めましょう。そして県民性に風穴を開けて、
「おれもやるがら、おめもやれ」
としたいものです。
この小冊子には、2013 ~ 14 年度のロータリーインターシティーミィーティングで事例
発表をしてくださった 18 の企業および団体と、最後に北区IMで基調講演をしていただ
いた大館きりたんぽまつり実行委員長石川崇氏のお話を掲載しました。必ずや皆様のお役
に立つものと確信いたします。
2013−14年度・経済活性化プロジェクト委員会
委員長 伊藤碩彦(大館RC)
委 員 三浦廣巳(秋田RC)
佐野元彦(秋田RC)
池田泰久(大曲RC)
小田春幸(大館南RC)
石川順一(十和田秋田RC) 有田正司(秋田西RC)
(編集)
1
ソーラー発電事業への挑戦
㈱ JINRIKI
代表取締役
佐 藤 勉
【 起業 】 平 成 19 年 に 新 車 ト ヨ タ・ デ ィ ー ラ ー を 脱 サ ラ し て 中 古 車 買 取 販 売 の 店「AUTO
JUNCTION」を開店し、2 年後の平成 21 年に法人化して(株)JINRIKIを設立し
ました。平成 25 年には㈱ゼロクリエーションを設立し、秋田市御所野で貴金属・ブラン
ド品買取専門店「大吉」を開店しました。以来、御所野と仁賀保を往復しながら超多忙な
毎日が続くことになります。
毎日じつにいろんなことが起こります。それらをこなす作業をしているうちに、だんだ
ん疑問がふくらんでいきました。自分は一体何をやっているんだ?今やっているこの作業
は果たして仕事なんだろうか?本当の仕事って一体なんだ?
そんなとき、何気なく見ていたテレビが私の心をとらえました。そこではソフトバンク
の孫社長がエネルギー事業の可能性と未来を熱く語っていました。
「再生可能エネルギー」
という言葉が私の耳から入って脳みそに突き刺さったような感じでした。平成 24 年の7
月頃のことです。
ソフトバンクみたいな大企業ならできるだろう。でもそれが俺にできるだろうか?それ
以来ひまがあればパソコンとにらめっこの日々となりました。ネット、テレビ、本などで、
ソーラー事業に関するあらゆる情報を集めました。
すると意外なことが分かってきました。
まず日照時間です。日本の平均を「50」とすると、東京は「46」で秋田は「33」です。
これだけ見ればとても秋田でソーラー発電ができるとは思われません。
ところが、
ソーラー
パネルは熱に弱く、夏の気温の高い東京よりも気温の低い秋田の方が発電量は大きいので
す。1 年を総合してみると、東京も秋田もほとんど変わらないということが分かりました。
雪対策をクリアできれば、ソーラー発電は秋田でも充分に成立する事業なのです。
【 ソーラー発電事業に着手 】
雪対策は架台の基礎を1m高くすることでクリアできます。
2
次は送電です。作った電気を売るには東北電力の変電所につながなければなりません。
2,000 キロワット以上の場合は高い鉄塔につなぐことになっており、かなりの費用がかか
ります。しかし当社が計画しているのは約 1,000 キロワットなので、普通の電柱で可能で
した。あとは近くの平沢変電所につなぐだけでしたが、残念ながら他の企業に先を越され
てしまい、やむなく遠い由利変電所まで伸ばさなければならなくなりました。これは予想
外のアクシデントで、ここまで来るのに約半年かかりました。
最後の問題が資金です。完成までに数億円が必要ですが、そんなお金は見たこともあり
ませんし、どうして工面できるのか見当もつきません。そこでまずは銀行に相談に行きま
した。案の定最初は門前払いでした。そのとき本当にくやしかったのを忘れません。しか
し何度も通っているうちにだんだんと私の覚悟が固まっていくのが感じられました。銀行
に冷たくされればされるほど、必ずやってやる、という気持ちが高まっていったのです。
さらに半年をかけて、国から設備認定をもらい、県から発電事業者の認可をもらい、出
資額を精査して再度銀行にぶつけました。そして平成 25 年 6 月、やっとのことで融資が
おりました。そのとき銀行と保証協会の人から、
「よくここまでがんばったな。何が社長
の背中を押したんだい?」ときかれました。
「やるって決めたから」というのがそのとき
の私の答えでした。
平成 25 年 12 月から発電施設の建設に着手し、山林を 3,000 本ほど伐採して今日も造成
工事が進んでいます。予想外の岩石が出たりして遅れていますが、今年7月には完成の予
定です。
起業して 7 年、毎日たくさんのことが起こります。たくさんの人との出会い、別れ、裏
切り、妬み・・・。そんな中で、繰り返しの毎日を積み重ねの成長という解釈に頭の中で
変えることを学びました。日々何かにチャレンジし、毎日誰かに感謝しています。このビ
ジネスモデルができれば、地域の活性化に少しは貢献できるかと思います。そして何より
若い人たちに、新しいことに向かって行動すれば必ずできるということを伝えたいと思っ
ています。
(2014 年 2 月 15 日、にかほ市ホテル・エクセル・キクスイ、中区IM。仁賀保RC推薦)
㈱JINRIKI 〒 018-0402 秋田県にかほ市平沢字平森 35 TEL 0184 − 36 − 3663 FAX 020 − 4622 ー 9420 [email protected]
3
どじょう養殖
あきた田園どじょう ㈱
代表取締役
村 井 智
【 どじょうに着目 】 平成 20 年に東京の会社を辞めてUターンしてきました。高齢の父にかわって農家を継
ぐためです。田んぼ4町歩で稲作と一部転作して大豆を栽培しましたが、大豆は補助金分
しか稼げません。この組み合わせではやっていけません。米以外に田んぼから収入を得る
方法を模索した結果、田んぼはどじょうの養殖に最適な環境であることが分かりました。
しかし果たしてどじょうは商売になるのでしょうか?
農林省の統計によれば、平成 5 年から 17 年までの間に全国のどじょう生産量は 250 ト
ンから 60 トンへと激減しています(17 年以降は調査予算カットで数字なし)
。都道府県
別生産量を見ると、秋田県はゼロです。ところがこの統計には穴があります。私の近所に
どじょう卸業者がいて、昭和 40 年代に 200 トンほど出荷し現在でも 20 トンほど出荷して
いますがそれがこの統計にはのっていません。そこで魚市場別の取扱高を調べてみまし
た。どじょう取扱高が大きいことで知られる金沢の市場では、秋田産はなんと全国第2位
の出荷量でした。しかし現在国内の天然どじょうはどんどん減っています。環境省の
「レッ
ドリスト(絶滅危惧種)」ではどじょうは「情報不足」の欄に入っています(昨年までこ
ま
の欄にはうなぎがいました)。日本の固有種としての「真どじょう」は九州ではほぼ絶滅
から
し、関東以西は大陸系の外来種「唐どじょう」の亜種が大勢を占めているそうです。東北
ま
から
は「真どじょう」の砦となってしまっていますが、県内でも能代付近で「唐どじょう」の
亜種がかなり多く確認できます。
【 どじょうの需要と供給 】
江戸時代から「どぜう」は日本の大切な食文化のひとつです。どじょうの食べ方として
は、鍋のほかに、から揚げ、蒲焼きがあります。金沢では土用の丑にはうなぎでなくどじょ
だ し
うの蒲焼きです。一人当たりの消費量は石川県が1位。2位が香川県で、うどんの出汁や
どじょう煮込みうどんに使われます。他にエサとしての需要もあり、新潟県佐渡市トキ保
護センター、長岡市トキ分散飼育センター等からエサとして当社にもオーダーが来ており
ます。
どじょうの国内消費量は約 1,000 トンで、その 9 割は中国産です。有名店「駒形どぜう」
が浅草店と渋谷店で消費する 70 トンはほぼ台湾産です。中国産ですが、昨年は秋から品
薄になり、国産より高くなってしまいました。それまで日本に輸出していた韓国が輸入国
に転換したからです。そのわけは韓国の美容食ブームです。どじょうは低カロリーでカル
シウムはうなぎの 9 倍、コラーゲンも大量に含まれています。需要はどんどんふえて供給
4
が追い付かない状態です。
【 あきた田園どじょう㈱ 】
当社は八郎潟町にあります。田んぼをどじょうの養殖場にすると「内水面養魚」という
種類に入り、転作扱いになります。30 アールの田んぼを養殖場にし、
他に稚魚センター(孵
化施設)
があります。ハウス内の 10 本の孵化水槽で品種改良をしつつ冬も出荷しています。
どじょうは田んぼで繁殖します。雌は自分で卵を産めず、雄にしぼってもらって産卵し
ます。雌と雄が出逢う場所が田んぼなのですが、農地が整備されてどじょうが田んぼにあ
がれなくなり、それでどじょうが減っているのです。そこで私たちが人工的に出逢わせよ
うとするのですが、どの雄とどの雌がマッチングするかは人間には分かりません。見た目
で精力絶倫に見える雄とフェロモンいっぱいの雌をいっしょにさせてもなかなかうまくい
きません。神様にしか分からないのです。最初は年間 80 キロしかできませんでした。やっ
と孵化したあとそれを育てるのがまた難しいのです。3 年目でようやくなんとかめどがつ
いたような状態です。
国内最大の養殖どじょうの産地は大分県で、県の予算で研究を続け年間 7 ~ 8 トンを出
やすき
荷しています。島根の安来どじょう生産組合は 33 戸で年間約 5 トンです。東北は福島で
1社あり、ここは食用でなくエサ用専門。他に定期出荷しているのは当社だけで、年間出
荷量は、稚魚 1.05 トン、成魚 2.6 トンです。成魚ではなく、成魚の養殖を広めるために稚
魚の出荷をメインにしています。
日本の農家は米だけではやっていけず、耕作放棄地がどんどん広がっています。農政が
ごたついていて、どっちの方にいくか分かりませんが、どじょう養殖は安定収入の一策で
す。私の呼び掛けに賛同し、平成 24 年に大曲と角館で、平成 25 年に大館でも養殖が開始
され、今年は五城目と小坂などで開始される予定です。秋田は昔からどじょうの産地で、
築地では秋田のどじょうは高級品と認められています。秋田の豊かな農地を農家の収入元
にすることをめざして事業を進めています。
(2014 年 2 月 15 日、にかほ市ホテル・エクセルキクスイ、中区IM。秋田西RC推薦)
あきた田園どじょう㈱ 〒 018-1606 南秋田郡八郎潟町夜叉袋字一本木 78
TEL 018 - 874 - 8690 FAX 018 - 893 - 3567
5
ハムフライで街を元気に
たみ
本荘ハムフライ・ハム民の会
会 長
今 野 広 志
【 ハムフライに着目 】 私は由利本荘市で楽器店をやっています。商店街区画整理事業で道が広くなり建物も
新しくなりましたが、街は一向に元気になりません。何とかしようと 20 人ほどの仲間で
2009 年に行動を始めました。まだ成功事例にはなっていませんが、その途中経過を報告
します。
その年に横手でB 1 グランプリが開かれ、横手焼きそばが全国チャンピオンになりまし
た。人口 10 万足らずの横手に 30 万人を超える人が集まったのを目の当たりにして、私た
ちは大きな刺激を受けました。そこで私たちも何か食べ物で町興しをやろうと考え、手っ
取り早くご当地カレーでいこうということになりました。ところがカレーライスの屋台に
は保健所の許可がなかなかおりません。米どころ秋田でも炊飯についての衛生基準は極め
て厳しく、素人が思い付きでやろうとしても無理だということが分かりました。
そこであっ
さりとカレーを諦め、他に何かないか?と考えました。
横手焼きそばは昔から横手の子供たちが気軽に食べていたという歴史があります。同じ
ように本荘の子供たちが昔からよく食べていたものは何だろう?自分の子供時代を思い出
してみると・・・・・、ありました。ハムフライです。夕方になって遊び疲れて帰る道で 10
円のハムフライを新聞紙に包んで食べていたのを思い出したのです。昭和 36 年に秋田県
の誘致企業第1号としてプリマハム本荘工場ができ、今も変わらず本荘の雇用に貢献して
います。私の子供の頃、ハムを油で揚げて食べるという食べ方が本荘にあったとすれば、
プリマハムの存在が背景にあったものと考えられます。
【 ハム民の会結成 】
ハムフライでいこうと決めて何度かイベントに出店してみると、あっという間に売り切
たみ
れます。これはいけるかもしれないと思い、2009 年 12 月、
「本荘ハムフライ・ハム民の会」
おおやけ
を結成しました。ハムを縦に書くと「公」です。公共とか公といった意味です。地域のこ
6
とを思う人、地域の心を持つ人の集まり、という意味を込めました。それから2年間は、
認知度を高めるためとにかく呼ばれたら出ようと年間 40 回くらい出店しました。本職で
ないから続いたのではないかと思われます。
その経験をもとに、現在自主イベントに取り組んでいます。7 ~ 8 月に本荘市花火大会
と連携して、東北各地のご当地グルメ団体に集まってもらう催しです。集まった人たちは
そのまま観光に流れてもらいます。福島県浪江町に浪江焼きそばがありますが、震災の後
こちらに来られている浪江町の方々にも協力していただいています。
去年のB1グランプリは愛知県豊川市で
開催され、50~60 万人が集まりました。そ
れはご当地グルメの祭典ですが、食べ物の
プロの業者はほとんどいません。町おこし
をやっている団体の発表の場なのです。参
加 63 団体のほとんどが小さな地方都市の団
体で、県庁所在地の団体は 1 ~ 2 団体しか
いません。商店街の衰退、
人口減少、
雇用減少、
高齢化、観光の衰退、東京一極集中の弊害・
・
・
・
抱える問題は皆同じです。同じ悩みを抱え
ながら、みなそれぞれ独自のやり方で立ち向かっています。それを互いに学び合うところに
この催しの意味があるのです。私たちも小さいながらもそれを本荘でやろうとしています。
【 展望 】
ハムフライはきっかけであって出発点に過ぎません。目的はこの街を元気にすることです。
横手に焼きそばがあるならこっちにはハムフライがあるぞ、少しは言えるところまでは来た
かと思われます。誰もやらないなら自分でやろう思ってやってきましたが、アクションを起
こすと協力してくれる人たちが出てくるということが分かりました。
本来、都市計画やまちづくりなどは、政治や行政が長い時間と予算をかけてやる、とても
重い責任のある仕事だと思います。私たちは傍流として、A級でないB級グルメの視点で、
またカウンターカルチャーの立場で、あきらめるこ
となくこれからも地域づくりまちおこしに個人・市
民として関わっていけたらと思っています。ユー
チューブで私たちのメンバーが製作した動画「うわ
さのハムフラ娘」というのを見ることができます。
スマホやパソコンで簡単に見られます。どうぞご覧
ください。
(2014 年 2 月 15 日、にかほ市ホテル・エクセルキクスイ、中区IM。本荘RC推薦)
本荘ハムフライ・ハム民の会 〒 015-0072 由利本荘市大門 50 TEL 0184-22 - 2489 FAX 0184 - 22 - 2478
mail:[email protected] 7
GPSで安心安全を
㈱ Wind 代表取締役
内 村 和 人
【 高齢化率ナンバー1 】 ご存知の通り秋田県は高齢化率第1位です。今後も加速度的に高齢者が増加していきま
すが、それとともに大きな不安も広がっています。
県内で過去 5 年間に 650 人のお年寄りが行方不明になっており、中にはお亡くなりにな
られたケースもあります。1年で 130 人という驚くべき数字です。介護施設におられる場
合は 24 時間お世話する方がいるので、あまりその心配はありませんが、ご自宅におられ
る場合にその危険性は高まります。認知症の方だけでなく、正常な方でも体力が衰えてい
る場合は外出先で動けなくなることも考えられます。そのようなときにどうやってお年寄
りの安全を確保するか、これが問題です。
【 GPS 】
そこで当社が取り組んでいるのが、GPSを使って高齢者の位置を常に把握するシステ
ムです。
GPS(Global Positioning System)とは全地球測位システムと呼ばれ、人工衛星を利
用して自分が地球上のどこにいるのかを正確に割り出すシステムのことです。もともとは
アメリカ軍が軍事用に開発したもので、地球周回軌道に数十個の人工衛星を飛ばし、そこ
から発射された電波を受信機で受けて自分の緯度・経度・高度などを数 10 mから数cm
の誤差で割り出すことができるというものです。この技術が民間に開放され、まず航空機
や船舶などの航行システムで利用され、やがて一般にも広まり、現在ではカーナビや携帯
電話など様々なサービスが提供されるようになっています。
当社が提案するのは、お年寄りに小型の発信器を常に所持
していただき、ご覧のようなA 4 版ノートくらいの大きさの
タブレット端末でその位置を常に把握するシステムです。電
話の通話可能な範囲内で、普通のパソコンやスマートフォン
8
でも使えます。これにより事故を未然に防ごうというものです。
【 実験 】
昨年 11 月に、NTTドコモ・秋田県・秋田東北商事・Win d、の4者で協定書に調印し、
このシステムの具体的な使い方について研究と実験を開始しました。
現在、秋田市・潟上市・能代市・仙北市で、12 名の方に実際に発信器を持って生活し
てもらっています。すると予期せぬいろいろな問題も現れてきました。発信器のスイッチ
が切られていたり、室内のどこかに置きっぱなしになっていたりして、なかなか正常に機
能しないという運用上の問題です。
そこで、普段から履き慣れた靴やサンダル、持ち慣れたバッグなどに発信器を取り付け
ておく方法や、タブレット端末から逆発信してスイッチが入っているかどうかを確認する
方法などを試しています。いずれにせよ、機械の性能とは別にそれを運用する人間の生活
そのものが重要な鍵を握っている訳です。お年寄りの安全を確保するためには、安全な生
活のスタイルを支えるソフトウエアの構築が必要であるということが分かってきました。
【 展望 】
GPS(衛星測位システム)を使って高齢者の安心安全な暮らしをサポートし、ひいて
はあらゆる動くものの動きをトータルで管理することが可能です。子供たちなど家族全員
や家族同様の犬や猫もリアルタイムで確認できます。さらに、その利用方法はそれだけに
止まりません。
デンマークのコペンハーゲンには、パソコン付自
転車レンタルシステム「ゴーバイク」があります。
ハンドル部分のタブレットパソコンには GPS が搭
載され、①目的地までのルート検索、②公共交通機
関の時刻表、③現地のイベント情報、④利用可能な
レンタル自転車とステーションの情報と予約、⑤そ
の他関連情報の検索ができます。
コペンハーゲン市の公共レンタル自転車は 1995
年に始まり、市内約 110 のステーションに約 2,000
台が置かれました。2013 年に新システム「ゴーバイ
ク」を開始し、2014 年春までに 1,260 台に拡大し、
電動アシスト自転車の導入も順次行うとのことです。利用料金は、1 時間 20 デンマーク・
クローネ・約 360 円です。
安心安全、豊かで快適な暮らしを実現するために、GPS の可能性はまだまだ広がって
いきます。
(2014 年 2 月 15 日、にかほ市ホテル・エクセルキクスイ、中区IM。秋田南RC推薦)
㈱Wind
〒 010-0923 秋田市旭北錦町1ー 14 TEL 18 − 865 ー 0601 FAX 018 ー 865 ー 0612
9
秋田ニューバイオファーム
㈱ 秋田ニューバイオファーム
さく
取締役会長
えん
齋 藤 作 圓
【 創業 】 ㈱秋田ニューバイオファームの設立は 1987(昭和 62)年、私が 43 歳のときでした。事
業内容は、「ハーブワールド AKITA」
、
「元祖秋田屋」
、レストラン(東京2店・本荘1店・
西目1店)、インショップ直売所(本荘3店・にかほ1店・西目1店)
、岩盤温泉、どぶろ
く製造、菜の花・ひまわり栽培などです。少量多品目販売を身上としています。
創業の動機は、秋田が積雪寒冷地であることによります。秋田の農業は米ですが、稲作
は 5 月~ 9 月の5か月(150 日)で終わってしまいます。1年 365 日のうち働くのは 150
日だけで、あとの 200 日は遊んでいることになります。所得を増やすにはこの 200 日をど
う使うかによります。やりようによっては、この 200 日で 3 ~ 5 倍の稼ぎが実現できるの
です。
農産物の値段は市場原理に従って、少なければ高くなり、多ければ安くなります。農家
が自分で値段を設定できないのです。自分で値を付けられる経営をしたいと思いました。
利潤は、コスト・数量・単価・回転で決まります。それらの組み合わせをどうするか、そ
れに挑戦したいと強く思いました。
【 ハーブワールド AKITA 】 バイオファームの 10 周年記念事業として「ハーブワールド AKITA」を西目につくり
ました。西目町の人口は 6,700 人ですが、ハーブワールドはその 10 倍の 67,000 人を集客
するようになります。当時は国道7号線の価値に誰も気付いていませんでした。道の駅構
想が現れるのはハーブワールド成功の後のことです。
「活性化」というのは化学用語で、試験管内の物質が何らかのアクションによって何ら
かの変化をすること
をいいます。ですか
ら現状が変わらなけ
れば「活性化」とは
言いません。まずア
クションがなければ
ならないのです。
ハーブワールドか
ら車で 90 分の範囲を
商圏としてその人口
10
を見ると、由利本荘 12 万+秋田 32 万+雄平仙 30 万+鶴岡酒田 23 万+他 3 万=合計 100
万人です。その1割= 10 万人を対象として集客に努めています。
しかしハーブワールドは半年ちょっとしか営業できません。冬の間は休業です。そこで
冬は従業員を食品加工に振り向けます。
【 外へ売る戦略 】
夏は外から人を集め、冬は物を作って外へ売る。これが基本戦略です。その目的は外貨
を稼ぐことです。県内で売っても値段の駆け引きで自分の首を絞めるだけですし、自分の
家の中でお金を回しても増えることはありません。増やすには外から持ってくるしかない
のです。当社の売上の 7 割が県外で、3 割が県内です。
秋田の米 60㎏× 5,000 俵、りんご 150 トン、比内地鶏 4,000 羽を1年間に使用します。
きりたんぽだけで年間 500 万本作ります。作った商品はネット通販の「元祖秋田屋」やイ
オンなどを通じて全国に販売します。
イオンとの提携は平成 12 年からで、当社が日本で最初に JAS 法のオーガニック認定を
取得したのがきっかけです。「健康」「安心安全」といった消費者指向を背景に、差別化し
た商品を共同開発しようという提案がイオンの方からきました。従って値段はこちらで決
めることができます。
秋田県はこの先、少子高齢化、人口減少が進みます。とすれば、秋田でものを作ってそ
れを都市圏に売ることが当然必要となります。首都圏1都 6 県で 3,950 万人、これは日本
の人口の3分の1ですが、それが当社の商圏です。さらに、横浜 350 万、大阪 250 万、名
古屋 220 万、京都・北九州・広島・神戸各 120 ~ 130 万、仙台 100 万。仙台市だけで秋田
県全体と同じです。
秋田の経済動向県全体の出荷額は2兆円弱で、入荷額は 2 兆 3000 億。3000 億マイナス
です。県外から外貨を稼ぐのが一番の人口対策だと思いますがいかがでしょうか。
(2014 年 2 月 15 日、にかほ市ホテル・エクセルキクスイ、中区IM。本荘東RC推薦)
㈱秋田ニューバイオファーム 〒 018-0604 由利本荘市西目町沼田字街道下 490 ー 5
TEL 0184 ー 33 ー 4150 FAX 0184 ー 33 ー 4192 11
も
おかみの「お持たせ」で勝負
かめ清フードサービス
社 長
【 お客様の声 】 雑 賀 友 子
せい
秋田市川反で創業 120 年の老舗割烹「かめ清」の 5 代目おかみでございます。
これまでたくさんのお客様をおもてなししてまいりましたが、いろいろと教えられるこ
とが少なくありません。例えば、県外の方は地元に住む私たちの気付かないところに興味
を持っています。
「これは秋田でしか手に入らないから譲ってほしい」とか、
「こんな商品があったらいい
のに」といった声は多く、それを形にできれば、秋田らしいすてきな商品ができるのでは
ないだろうか?そのように思うことが多くなりました。
秋田にはおいしい魚がありますが、全国的には秋田
の魚はほとんど知られていません。水揚げ量も少なく、
すべて地元で食べられて終わるので、県外には知られ
はたはた
ていないわけです。しかし鰰はどうでしょう?すでに
知名度は抜群で、これを絶妙に焼き上げたその味はま
さに絶品です。堂々と秋田名物として県外のお客様に
おすすめできます。
以前、九州の方が当店ではじめて鰰を食べてそのおいしさに驚き、
「家族にも食べさせ
たいので、なんとかして持って帰りたい」とおっしゃいました。しかしその準備がなかっ
たのでその時はお断りするしかなく、それがとても残念でした。秋田の鰰を全国の方に味
わってもらえたら・‥‥。
つ
その思いがつのってとうとう「漬け魚」の商品化に取り組むことになりました。
【 漬け魚市場 】
まず市場の状況を調べてみて驚きました。漬け魚の業者は全国にひしめいています。
「魚
久」など有名ブランドも数多くあり、それらが全国のデパ地下やネット通販で熾烈な争い
を展開しています。中でも「西京焼きセット」は味もよく値段も安く、パッケージも工夫
されていて消費者にはとても魅力的な商品です。しかし、はたしてこんな厳しい市場に参
入できるのでしょうか?
そこでまず現在よく売れている商品について、それがなぜ売れているのか考えてみまし
た。そしてその理由が「おいしいから」だということが分かりました。
「おいしさ」こそ
が第一の条件で、値段や何かはその次なのです。だとすれば私たちにも参入できます。
「お
いしさ」では絶対に負けない自信があるからです。
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【 基本戦略 】
全国的に漬け魚の多くは京の西京味噌を使っています。京都には千年の食文化があり、
全国の人々も昔から京風をよしとしてきました。それは確かにおいしくていいのですが、
しかしそれだけで全国の人々みんなが満足するでしょうか。北海道の味や九州の味を欲し
いとは思わないでしょうか。日本列島にはその気候風土に育まれた、そこでしか味わえな
いおいしいものがいくつかあります。それこそが私たちの売りなのです。京のまねをする
のでなく徹底的に秋田らしさを追求すること、これを私たちの基本戦略にしようと思いま
した。
こうじ
西京味噌は甘さが引き立ちます。しかし秋田の秋田味噌には麹がふんだんに使われてい
て、味噌のうまみ、素材の引き立て方、味わいがまるで違います。かめ清のつけ床には秋
田味噌と地元酒蔵の酒粕が使われていて、西京味噌に負けない秋田らしい芳醇な味を提供
できるのです。
【 商品開発 】
秋田の川反で 120 年磨いてきた味を忠実に再現することを目指しました。
たら
鰰と同じく秋田味噌で漬けた鱈やカレイ、かすべの煮つけ、比内鶏の塩焼き、などの試
作を繰り返し、ようやく最近、全国へ自信をもってお届けできるところまできました。お
客の声から生まれた商品としては他に、山菜のてんぷらなどに添える塩があります。オリ
ジナル調合によって風味よく仕上がっており、昆布・エビ・さくらの 3 種があります。
また、会席料理で好評の土鍋炊き込みご飯も開発中です。店では今、月替わりで、男鹿
の鯛や 鳥海山の山菜などの土鍋炊き込みご飯をお出ししています。12 月は限定で「師
走鰰ごはん」を出しますが、これが目当てでおいで下さるお客様もいらっしゃいます。
も
お客様がお帰りの際に、「これ持って帰ってたんへ」と「お持たせ」をお渡しすること
がございます。あのとき九州の方に鰰の「お持たせ」をお渡しできなかった悔しさが、よ
うやくいま生きようとしています。全国の方に秋田川反かめ清の「おかみの『お持たせ』
」
をお届けする日はもうすぐです。今年 6 月にはご案内できるかと存じます。皆様どうぞお
楽しみに。
(2014 年 2 月 15 日、にかほ市ホテル・エクセルキクスイ、中区IM。秋田中央RC推薦)
かめ清フードサービス 〒 010-0921 秋田市大町 6 ー 1 ー 20 TEL 018 ー 862 ー 2729 FAX 018 ー 862 ー 2789
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ヒートポンプで冬の暮らしを快適に!
㈱ 白光社
専務取締役
堀 川 俊 明
【 ヒートポンプ 】
当社は 1960 年代に日立製作所のサービス店でしたが、その後床暖房の製造販売に特化
して現在に至っています。1975 年に当社が湯沢市内のお宅で施工した床暖房は現在も快
適に運転しています。1993 年に独自開発した「Air-ほっとなる」( 特許 ) を改良し、化
石燃料に頼らない蓄熱温水システムを完成させ、2000 年にアメリカで「AIR-HOTN
AL」として著作権を取得しました。この技術を融雪に応用したのが今日ご紹介するヒー
トポンプです。
空気は圧縮すると温度が上がりま
す。自転車の空気入れでも 5 度くら
い熱くなります。フロンガスだと圧
縮すると+ 70 度くらいになり、放出すると- 40 度まで下がります。この性質を利用して
不凍液を循環させて雪を融かします。
左上の機械が当社のヒートポンプです。右の図はそれぞれの場所の表面温度を現してい
ます。
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以前は灯油を燃やして 40 度に温めた不凍液を循環させていましたが、当社の方式ですと
14 度ほどの低温で充分効果があります。本当は地下水を利用するのが一番いいのです
が、時期によっては枯渇することがあるので自然の状態を人工的につくりだしている
のです。
ドライヤー程度(1.5 KW〔キロワット〕
)の消費電力で 6 KW分のエネルギーを出し、
10 坪の雪を融かすことができます。電気は熱源にではなくガスを圧縮するコンプレッサー
に使われるだけなので、1か月の電気代は1万円程度ですみます。電気を熱源にしていた
ころは月 3 ~ 4 万円かかっていました。お値段(工事費込み)は 70 ~ 80 万円です。
さらに大型のタイプもあります。こちらは 3 KWの消費電力で 14 KWのエネルギーを
出し、30 坪の雪を融かします。1か月の電気代は 2 ~ 3 万円。お値段(工事費込み)は
約 250 万円です。
【 当社の役割 】
ただ弱点もあります。このヒートポンプ自体が雪の中に埋まってしまうと動かなく
なるのです。そこで玄関先にヒートポンプをどんと据え付けることにしました。それ
によって安心感が増すとともに、「うちは雪対策ちゃんとやってるぞ」というPRにも
なります。
ヒートポンプを設置してからご近所との関係がとてもよくなったと言われました。
「おとなりの屋根の雪がこちらに落ちてきて困るがなかなか文句を言えない。我慢しな
がらストレスを溜めてきたが、今度はどんどん融けるのでなんともない。おとなりともい
い関係でいられる」、とのことでした。
また、
「融けてアスファルトの出た地面にまわりの雪を置くとそれも面白いように融け
てゆく。まわりの雪を置いて融かすくせがついた。以前はイヤイヤやっていた雪よせを運
動感覚で楽しむようになった」、とのことでした。暗いいやーな冬から、
明るい楽しい冬へ、
冬や雪に対する姿勢が根本的に変わっていくようです。
大震災の後、エネルギーに対する考え方は大きく変わりました。湯沢・雄勝地域では地
熱発電で地域の電力をまかなおうという「ジオ・エネルギー構想」が進んでいます。その
ためにはエネルギーを受け取る側も変わらなければなりません。無駄なエネルギー消費を
やめて生活や産業活動の効率化を目指すべきなのです。
当社のヒートポンプは、ドライヤー1本の電力で 10 坪の雪を 24 時間融かし続けます。
最小の消費電力で最大の効果を生み出す技術をさらに進化させて、これからも地域のお役
に立ちたいと思っております。 (2014 年 2 月 23 日・大曲プラザたつみ・南区IM。湯沢RC推薦)
㈱白光社 〒 012-0823 秋田県湯沢市湯ノ原 2 ー 3 ー 33 TEL 0183 ー 73 ー 1341 FAX 0183 ー 73 ー 1346 15
地域農業と弊社、今後の展望
㈱ ホーネン
代表取締役
黒 丸 雄 平
【 弊社の歩み 】 1934(昭和 9)年に祖父が横手で菜種の油粕などの肥料の店を開店したのが始まりです。
1957 年頃から八郎潟干拓で暗渠の資材が大量に必要となり、その製造を手掛けるよう
になりました。暗渠というのは土中に埋設した排水管のことで、農地には欠かせないもの
です。当初は直径 40 ~ 50 cmの素焼の土管を使っていましたが、重い、割れる、コスト
が高いなどの難点があり、その後ポリエチレンや塩ビ(ポリ塩化ビニル)が使われるよう
になりました。
暗渠の管に弁を取り付けて地上から水量や流れる方向を調節できるよう
すいこう
すいこう
にしたものが「水閘」です。「水門」という意味です。当時県内に水閘を
すいこう
作る業者がいなかったため、管のメーカーからすすめられて水閘の製造を
始めました。
すいこう
当社が開発した「丸ゴム収納水閘」は上下にスライドするので設置の際
に立上り管を切断する必要がなく、廃材を出しません。また、使用済みの
廃材から造るリサイクル塩ビを使用しているので、「秋田県認定リサイク
ル商品」として秋田県では標準仕様となっています。東北各県のほか新潟
県・石川県でも使用されています。
【 今後の展望 】
1993 年、ウルグアイラウンドで農産物自由化の動きが加速し、これに対処するため国は 6
兆円をかけて大規模な農地整備事業を開始しました。当社もこの流れに乗って事業を拡大し
ました。しかし皆さんご承知の通り、日本の農業の将来には実に様々な困難が立ちはだかっ
ています。それはとても大きな問題と連なっているので、小手先で対処できることではあり
ません。日本の農業はどうあるべきなのか?そのために我が社は何ができるのか?
数年前、日本の農業をグローバルな視点から見直してみようと、ラオスとタイの農業視
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すいこう
察に行ってきました。どんどん生産を拡大しているタイに当社の水閘を売りたいという思
いと、しかしそれで安いタイ米がさらに日本に輸出されたら日本にとって果たしてよいこ
となのだろうか?という思いとが交差して悩みました。ところが行ってみてびっくりしま
した。
タイの精米工場は 5 階建ての巨大な施設です。また、政府が管理できない約 200 万トン
がヤミ米として流通しているそうです。200 万トンといえばおおよそ 30 万ヘクタールに
相当します。これは秋田県全体の耕作面積(田畑)約 15 万ヘクタールの 2 倍です。それ
が無くなっても大勢に影響がないというのです。主要輸出先は中国とインドで、これから
さらに需要が拡大すれば、日本などにかまっている暇はないようです。世界は大きく動い
ており、東アジア全体で農業をとらえなければならないのだと再認識させられました。さ
らに、地球とか人類といったスケールで考える必要があるようです。ですから今後、国内
すいこう
外を見るためにも、タイに水閘を売る事業に取り組んでいきたいと考えております。
日本の農業の未来はこの国のありようと一体であって簡単にその姿を描くことはできま
せん。
しかし、間違いなく言えることがあります。
高収量型であれ高付加価値型であれ、
個々
の農業従事者がやる気をもって強い農業を作ろうとすること、
これだけは絶対に必要です。
そのためのお役に立つこと、
「次世代の農業は水管理から、明日の農業をトータルでサポー
トする」、これが当社の使命です。
(2014 年 2 月 23 日・大曲プラザたつみ・南区IM。横手RC推薦)
㈱ホーネン 〒 013-0063 秋田県横手市婦気大堤字婦気前 234 ー 3 TEL 0182 ー 32 ー 9091 FAX0182 ー 32 ー 9090 [email protected]
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強みの集まる未来へ
細谷内科医院
副院長
細 谷 拓 真
【 横手と日本 】
20 歳の時に「自分は世界で活躍する人になるから横手には戻らない」と父に言ったこ
とがあります。すると、「それは素晴らしいが世界の誰にでもできる。お前のルーツは横
手にあり、お前にしかできないことがある。その意味を考えろ」と父は言いました。これ
がまちづくりに関わる原点になりました。
しばらく仙台で医師として働き、30 歳になり、たまたま電車で横手に戻って驚きました。
駅前に人っ子ひとり居ないんです。このままではすぐに滅びてしまうと思いました。30
年後に横手の人口は 35%減との予測だそうです。日本全体では 2050 年までに 27%減って
8,700 万人になり、平均年齢が 52 歳(アメリカは 40 歳)で 10 軒に 4 軒は高齢者一人暮ら
し、ゆくゆくは 4,700 万人の日本になるともいわれています。
驚くべき数字ですが、これは明治以降の急激な人口増加への揺り戻し現象のひとつで、
あるいは異常ではないのかもしれません。明治時代の日本の人口は 3,300 万人しかいなかっ
たのです。必要なのは事実を冷静に受け入れつつ希望を持って未来へアプローチすること
です。私は今、「この街で子どもを育てたいと思われるような街にしよう」というグラン
ドデザインを掲げ、地域の沢山の方々と関わりながら NPO 活動をしています。
【 風通しの良い、開かれた田園都市 】
明治から戦後の高度成長期までの村社会では情報が画一的で、日本人は皆同じ夢を見る
ことで大きな力を発揮してきました。
ところがインターネットが村社会を壊しました。
個々
の持つ本来の興味に自由にアクセスできるようになり、夢が多様化していったのです。
横手の未来・私のイメージは、「周りの農村(村社会)と都市(非村社会)とをつなぐ、
風通しの良い、開かれた田園都市」です。都市とは、
「そのまちを一巡りしただけで、少
年がその後の人生で自分が何をしたいかが見つかる場所」とルイス・カーン氏は言ってい
ます。多様な大人が存在し、子どもが僕もこんな大人になりたいと思えるような人と出会
える、そんな街です。
横手をそんな街にするにはどうしたらよいか?そのためにはこの街の強みを集めなけれ
ばいけないと思いました。まず取り掛かったのはツイッターなどのソーシャルメディアを
通じて人々のつながりをつくることでした。幸い、すぐにメディアにとりあげられ全国に
沢山のつながりをつくり、秋田県内でも力強い仲間が増え、NPO 法人 Yokotter を創設し
ました。その時に重要だったのはオンラインとオフラインをつなぐ場でした。
はじめは「よこまき。」という B 級グルメ屋台、次に毎月第3日曜日の「よこいち。
」
。
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こういった場にネット上で出会った仲間が集い、
急速にネットワークが豊かになりました。
しかしまだ未来が感じられませんでした。一過性のイベントの思い出話で盛り上がるだけ
でなく、未来の話で盛り上がる場所が必要だと思ったのです。
そこで、昭和初期に建てられた石の蔵を改装して「秘密基地 MIRAI」をつくりました。
未来志向の人たちが集い未来を語り、風を起こす人をこの街にふやそうというわけです。
高校生たちを集めて未来を語り合ったり、県外の大学生と交流して勉強したり、ここでお
店を開く人も出てきました。起業や兼業の支援もしています。若者やヨソモノ、地縁の人
や風の人が集まって街の真ん中で風を起こし、いずれはその風を受けて回る仕組みもつく
ろうとしています。
【 自分の物語 】
やってみて分かったのは、イベントだけでは何も変わらない、日常を変えなければなら
ない、ということでした。商売を通して社会を変える、熱と風を起こす人が必要です。そ
の意味でロータリーの経済活性化プロジェクトはまことに時宜を得たものと思います。
何があるかではなく、誰がいるかです。子どもがたくさんいればいいのではなく、多様
な大人がいて子どもたちに深くかかわることが大切なのです。
「この自然は未来の子ども
たちからの預かりもの」これはアメリカ原住民の言葉です。私たちが受け継いできたこの
秋田をどのように子どもたちに渡していけば良いでしょうか?ヒトにとって一番大切なも
のは、自分であり、自分の子どもや家族です。それはこれからも変わらないでしょう。自
分が主役の小さなそれぞれの物語を(他人の物語の脇役をやりながら)生きていくべきだ
と思います。その物語がこの秋田で紡がれていけば良いのではないでしょうか。私もその
覚悟で自分の物語を生きようと思っています。
(2014 年 2 月 23 日・大曲プラザたつみ・南区IM。横手南RC推薦)
細谷内科医院 〒 013-0037 秋田県横手市前郷二番町 8 - 18 TEL 0182 - 36 - 2221 FAX 0182 - 36 - 2728 [email protected]
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「生あんもろこし ®」
商品開発と販売戦略
㈱ ゆう幸
代表取締役社長
佐々木 幸 生
【 会社設立 】 私は秋田市出身で学校卒業後関西で金融機関に勤務した後、平成 23 年に「くら吉有限
会社」(菓子小売業)のグループ企業として菓子製造販売の「㈱ゆう幸」を設立しました。
それ以前は、県内外の菓子製造メーカーに製造を委託してそれを販売していましたが、指
定の材料が使用されないなど満足いくものができなかったため、製造も目の届く範囲で行
い、高品質なものを作ろうと考え、新会社を設立しました。工場は大仙市にあり、関連会
社の「くら吉有限会社」は、角館と秋田駅トピコで店舗経営を行っております。
あん
主力商品は「生あんもろこし®」です。こし餡にもろこ
しの粉をまぶして柔らかい食感にした新感覚のもろこしで
す。秋田県特産品開発コンクールで 3 年連続入賞し、2013
年全国おやつランキングでは 3 位になりました。これは各
都道府県から代表を選出して人気投票を行うというもの
で、北秋田の「バターもち」の 4 位を上回りました。農水
省の優良ふるさと食品コンクールでも上位入賞しました。
【 商品開発 】
「生あんもろこし®」に続いて「四季の生あんもろこし®」を開発しました。春は桜をイ
メージした花見あん、夏は新緑をイメージした清涼あん、秋は紅葉をイメージした紅葉あ
ん、冬はしんしんと降り積もる雪をイメージした雪見あん、を展開し秋田の四季を表現し
ました。これまで季節を表現する和菓子は桜餅や柏餅などの「朝生菓子(朝作ってその日
のうちに食べることからそう呼ばれる)
」でしたが、賞味期間は短く、観光客のお土産用
に商品設計を検討し常温で 10 日の賞味期間を実現しました。
当社がこだわるのは素材です。赤倉栗園さん(仙北市西木)の栗もそのひとつで、完全
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無農薬栽培です。普通は出荷する前に薬剤で殺菌するのですが、ここではお湯による温湯
消毒処理を行うなど、安心・安全の栽培方法のこだわりが各種メディアからも注目されて
います。
現在、赤倉栗園と当社とで農商工連携事業を計画
中しており、2014 年 7 月に認定される見込みで、秋
田の素材を秋田で大切に加工し、全国の消費者にそ
の魅力を発信できるモノ作りを行います。
また、県内の各酒造会社さんと提携して「酒饅頭」
を作っていますが、各地の道の駅でその地元のお酒
を使った酒饅頭を販売しています。
【 販売戦略 】
当社の製品は、県内では秋田駅トピコと角館の「くら吉」で販売してきたことから、観
光客やビジネス客を対象とした商品作りを行ない、
これを展開して参りました。県外では、
三越伊勢丹・西武・阪急などで販売しているほか、JAL と ANA の機内食にも採用されて
います。
新宿伊勢丹に職人を連れて行って製造実演販売をやったところ、500 円以上の栗大福が
数百個も飛ぶように売れました。高くてもいいものは売れるということを実感しました。
また、全国の三越伊勢丹 30 店と西武 20 店において、『四季の生あんもろこし花見あん』
が今年 3 月から一斉に販売を開始しました。
今後は、西明寺栗の商品開発とともに、百貨店向けに贈答用「プレミアム生あんもろこ
し」を開発することを行い、ターゲット顧客に対しアプローチして参ります。
秋田のよい素材を活用してよいお菓子を作り、それを全国の人に買っていただいて満足
していただき、秋田に興味を持ってもらえれば、秋田に来てくださる方も増えるでしょう。
その方々に秋田の本当によいものを買っていただき、また首都圏の優良顧客に対して販売
し外貨を秋田にもたらす。さらに生産拠点を秋田に置いて雇用の拡大など地域経済に貢献
する。この好循環を目指しています。
(2014 年 2 月 23 日・大曲プラザたつみ・南区IM。大曲RC推薦)
㈱ゆう幸 〒 014-0801 秋田県大仙市戸地谷字赤関 56 TEL 0187 - 86 - 3088 FAX 0187 - 86 - 3066
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花火産業活性化構想 大仙市市議会議員
㈲ 佐藤測量事務所 代表取締役会長
佐 藤 芳 雄
【 大曲の花火 】 大曲の花火は今年で 88 回目を数える伝統ある花火大会です。毎年 8 月の花火大会にやっ
てくる観光客はなんと 70 ~ 80 万人もいます。しかし「ごみだけ落として金を落としてい
かない」とよく言われてきました。最近はマナーも良くなってごみはほとんど無くなりま
したが、お金は少ししか落ちません。
抜群の知名度と圧倒的な集客力を誇り
ながら、それが地域の活性化にはなか
なか結びつけられていないのが現状で
す。
花火で大仙市を活性化させるにはど
うしたらよいか、
市と大曲商工会議所、
大仙市商工会とでプロジェクトチーム
が結成され、私もそれに取り組んでい
ます。実績がないので事例発表はでき
ませんが、代わりにこれから取り組も
うとしていることを発表したいと思い
ます。
【 国際花火シンポジウム 】
国際花火シンポジウムというものがあります。第1回は 1992 年にカナダのモントリオー
ルで開催され、昨年は中国、来年はフランスです。日本では 2005 年に滋賀県で開催され
ました。この 2017 年大会の開催地に大仙市がエントリーしています。世界中の花火師
600 人くらいが集まり、1週間いろいろなイベントが繰り広げられ、宿泊客は数千人と予
想されています。この開催によって「大曲の花火」の名を世界に知らしめ、国内における
地位を不動のものにし、地元の人々に花火産業の基地としての自覚をより強固なものにし
ていただこうというわけです。
【 花火産業 】
大曲の花火はこれまで一度も事故がありません。極めて安全な花火です。またその
芸術性が高く評価されています。安全で高い芸術性をもった高付加価値の花火を、国
内だけでなく世界中に売ることによって外貨を稼ぎ、さらに新規雇用を創出すること
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が求められます。
そのためには新たな構想を持った花火工場の新設が必要です。世界の花火市場の現状把
握と将来の展望、それに基づいた販売戦略と生産計画がなければなりません。それは行政
や第 3 セクターではできません。不退転の覚悟を持った純然たる民間企業であることが望
ましいと思います。
花火工場の周辺には新たな観光拠点として「花火パーク」を整備します。全国各地の観
光地には必ずその地元の名産品がどのように作られているかを展示したり実演販売する施
設があります。大曲にはそれがありません。仙北地域の資料保存施設に花火の資料 5000
点が保管されていますが、これを新たに整備する施設で展示します。さらに花火づくりを
自分で実際に体験し、その作った花火を打ち上げることもできるようにしたら楽しいで
しょう。
また、定期的に花火を上げるイベントを新たに企画する必要があります。8 月の花火大
会には大曲とその周辺の宿泊施設は完全にパンクで、観光客は山形や秋田市や男鹿で泊
まっています。この方々が1年を通じて少しずつ来てくれたらありがたいわけです。その
ためには大曲花火の知名度を生かした通年型のサブイベントが必要です。
私のこのネクタイは花火がデザインされています。これはちょっとありきたりですが、
もっといろいろなしゃれた商品を開発して花火ブランドとして売り出していきたいと思い
ます。
大曲には花火工場が集積していて技術水準は極めて高いものがあります。この技術を生
かして花火学校をつくり、そこで大曲の花火職人が地元の若い人たちだけでなく全国の若
い花火師たちに技術を教えるというのはどうでしょうか。ものの力は文化の力です。大曲
の花火の文化力を発信しようというわけです。
これらは皆これからやろうということばかりで事例発表にはなりませんでしたが、市民
の皆様のご協力を得てなんとしてもやり遂げたいものだと強く決意しております。
(2014 年 2 月 23 日・大曲プラザたつみ・南区IM。大曲中央RC推薦)
㈲佐藤測量事務所 〒 014-0063 大仙市大曲日の出町 2 ー 6 ー 42 TEL 0187 - 63 ー 8333 FAX 0187 - 63 ー 5955
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新商品開発へ挑戦(食文化と地域経済)
㈴ 鈴木酒造店
代表社員
鈴 木 直 樹
【 蔵の精神 】 ロータリークラブにいそいそと出かける祖父に、当時高校生だった私が「ロータリーっ
て何だ?」とたずねたことがあります。
「経済人の社会奉仕だ。商売を通じてするのだ。
」
というのが祖父の答えでした。それが今の私の考え方の根幹となっています。
くら
当蔵は 325 年前、元禄 2 年(1689 年)に藩主佐竹公の命により創業されました。画像
は当時酒樽に貼った「秀よし」の版木です。
現在の商品点数は 200 くらいに増えましたが、やっていることは 300 年前と変わりませ
ん。例えば、昔の蔵人は、殺菌の知識はなくても道具を熱湯に浸けて煮るときれいでうま
い酒ができるということを経験的に知っていて、それを実践していました。その知恵と姿
勢が今日まで連綿と受け継がれてきました。それを集大成したのが以下の企業理念です。
迷ったときはここに答えがあるという思いで、毎月全員で唱和しています。
「我々は自己の利益追求のみならず、日本酒の品質と文化の向上に励み、郷土の自然が与
えし豊かな食生活を守り、地域社会の真の発展に寄与し、人類の恒久的な平和と繁栄を願う。
」
【 ラシャンテ 】
仕事の 8 ~ 9 割は清酒製造です。残り 1 ~ 2 割は、リキュール製造(焼酎・梅酒・がま
づみ酒など)・食品製造(酒饅頭・羊羹・梅干しなど)
・酒蔵観光(すごく楽しくてまた来
たくなる酒蔵探検)をしています。将来はこれらを大きくしてそれぞれ独立を目指したい
と思っています。
5 年前に「ラシャンテ」を発売しました。米(秋田こまち 100%)と水だけでつくった、
女性のためのフルーティーな発泡酒です。
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女性にとって日本酒と
は 何 だ ろ う? と 考 え た の
が開発のきっかけでした。
ア ン ケ ー ト か ら、 女 性 は
日本酒が好きで格好良く
飲みたがっているという
こ と が 分 か り ま し た。 し
かし実際はそうなってい
な い。 そ れ は 酒 蔵 の 怠 慢
だ と 思 い ま し た。 そ こ で
取り組むにあたって三つ
の点にこだわりました。
〔1〕女性の感性で味の方向性を決める。
〔2〕女性スタッフに広告・デザインを任せる。
〔3〕女性の口コミパワーを活かす。(口コミ力のある女性 200 人を選定して大々的にお
披露目パーティーを開催しました。
)
つまり、女性のためのお酒を女性がつくるというわけです(製造機械の設計は私がやり
ましたが)
。
食品はまず何よりもおいしくなければなりません。それが本質であり、命です。もの珍
しさなどは二次的な付加価値です。おいしくて当たり前。そうすればニッチなエリアで確
実に売れます。「ラシャンテ」の後に同じような方向性を持った飲料がたくさん世に出て
きました。やはり私たちの狙いは間違っていなかったようです。
お米の限りない可能性を信じて研究を続け、新たな製造技術を確立して女性向けの日本
酒を開発し、あきたこまちにこだわって郷土が誇る発酵文化に貢献し、県外海外に出荷す
ることで外貨と雇用をもたらし、社員の力を結集して明るい社会を築いていく、これが私
たちのやっていることですが、先にご紹介した当社の企業理念が導いてくれたものと思っ
ています。
私たちは、おいしいお酒をつくれるよう神に祈ります。よいお酒ができると神に感謝を
捧げします。人が集い、喜びを分かち合います。人は語り、酒を飲み、心うちとけてとも
に笑います。お酒を買ってもらう喜びがしみじみと私たちを満たします。そんなとき私た
ちの日々の営みこそが地域社会の営みそのものであることを知るのです。企業の成長と地
域経済の発展は同義です。
(2014 年 2 月 23 日・大曲プラザたつみ・南区IM。大曲RC推薦)
㈴鈴木酒造店 〒 014-0207 秋田県大仙市長野字二日町1-8
TEL 0187 - 56 - 2121 FAX 0187 - 56-2124
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二宮尊徳に学ぶ
㈱ ハムセンター
みつ
代表取締役
はる
大 高 光 晴
【 創業 】 私は子供のころから金儲けをしたいという思いが人の何倍もありました。両親は二人とも
製材所に勤めていて、生活はまあ中の下くらいだったでしょうか。その頃、叔父が自転車屋
をしておりました。当時、自転車屋は花形商売でしたので、毎日札束を数えているのを見て、
自分も早く働いてあんなふうになりたいものだと思ったものでした。高校へ行くのは時間の
無駄だと考え、中学を卒業してすぐに叔父の紹介で建具職人の見習いになりました。月給は
4,000 円、ボーナスはメリヤスのシャツ1枚でした。そこで 5 年間勤めました。この 5 年で
学んだことは掃除です。忙しければ忙しいほど掃除をしろということ。その頃は何故か分か
りませんでしたが、今、会社経営をしていく上で最も大切な基礎となっております。
当時はアマチュア無線(通称「ハム」
)が趣味の王道として大ブームでした。私は、と
ても興味があり夢中になるうちに、これを商売にしようと考えました。アマチュア無線
を趣味とするお客様が増えていくことを確信し事業を始めまし
た。先生も教科書もなく、すべて自己流で無我夢中の毎日でした。
最初の店「ハムセンター秋田」を能代市内にオープンしたのは
昭和 54 年(1979)でした。
【 展開 】 その後事業は、趣味としてのアマチュア無線から業務用パーソナル無線へ、そして無線
業界の今後を見据え携帯電話へと展開し、さらにOA事業部、人材派遣事業部、外食事業
部も新設して事業展開しています。
1979 ハムセンター秋田創業(能代市)
1990 ~携帯電話が急速に全国に普及
1993 携帯電話事業部設立
1994 ~テレポート能代・大館・秋田・鹿角・大曲店
オープン(固定電話・携帯電話・ネット)
1998 ~各地のテレポート店を au ショップに変更
2005 年完成の本社(能代市河戸川)
1998 ~ au ショップ横手・にかほ・本荘オープン
2006 人材派遣事業部・OA 事業部設立
2007 外食事業部設立、焼肉「牛角」大曲店オープン
2008 ~各地の au ショップを次々に新築改装オープン
2013 年商 20 億、経常利益1億を達成。社員約 100 人。
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【 二宮尊徳 】
事業を始めて 10 年間、人の問題で随分と悩み苦しみました。30 人まではどうにかでき
ておりましたが、人数が増える程難しく、我流では何ともならないことを痛感しました。
必死でいろいろな本を読み、そして二宮尊徳に出逢いました。
「積小為大」・・・・小さなことを積み重ねてはじめて大きなことが成し遂げられる。
「勤勉」・・・・・・何事も真面目に一心に励めば自ずから道は開ける。
「倹約」・・・・・・物・金・時間を無駄にせず、いざという時に備えよ。
「分度」
・・・・・・自分の社会的・経済的実力を知り、それに応じた生活の限度を知れ。
「推譲」
・・・・・・大いに欲を出して働いて儲け、儲けたら欲を抑えて世のために尽くせ。
二宮尊徳のこの教えに出逢わなければ今の私はありません。
そして、同時に経営の神様といわれる松下幸之助さんの書かれた本に学びました。小学
校 4 年で中退され、しかも病弱だったということです。学歴にコンプレックスをもってい
た私は、卑下することはないと励まされ体力も人一倍自信がありましたので、恵まれてい
る自分ができないはずはないと、そう思って頑張ることができました。
【 実践 】
地域の活性化には雇用が最も大切だと思っております。私の目標は雇用で地域に貢献す
ることです。より多くの社員さんを雇用し、その社員
さんを育成し、地域に貢献できることを願っておりま
す。今年は新卒社員さん 8 人が入社されました。
大学卒の社員さんに企画会議で、「いやぁ、おめぇ、
頭わりぃなぁー。もうちょっと考えてみたら?」と言
うのは何ともいえない醍醐味で、これは私だけの役得
です。勿論お互いに笑いながらやりあうわけですが、
こんな楽しいことはありません。
社会貢献委員会を社内に作りました。会社周辺道路
の清掃・花植え・草刈り、盲導犬協会へ募金、社内手
話教室、能代港まつり協賛、風の松原クリーンアップ
参加、 bjリーグ協賛・・・・・・。
メールマガジン「師子王通信」も社員の皆さんにちゃ
んと届くことを願って、毎日配信しています。
(2014 年 4 月 13 日、大館市 プラザ杉の子、北区IM。能代白神RC推薦)
㈱ハムセンター秋田 〒 016-0171 能代市河戸川字上西山 51 − 33 TEL 0185 − 52 − 0408 FAX 0185 − 89 − 1187
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寺離れのなかで
曹洞宗 大龍寺
けん
第 38 世住職
のう
三 浦 賢 翁
【 寺とコンビニ 】 いま全国の寺の数は 7 万、コンビニは 4 万だそうです。かつて寺は各集落に一つあり、歩
いて行ける場所で、ちょうどコンビニのようにいろいろな役割を果たしていました。寄合所・
公民館・役場・寺子屋・避難所などの機能があったのです。それらが一つ一つ失われて、今
は葬式仏教といわれていますが、葬式も最近は葬儀会館でやるようになり、日本のお寺は危
機的状況にあるようです。
日本仏教は聖徳太子の時代から 1500 年の歴史があります。皆さんの周りにも 200 年 300 年
の寺はざらにあります。それらが今もあるということは、その間に起こった様々な危機を乗
り越えて来ているということで、ひょっとしたら今の危機もなんとか凌いでゆけるのかもし
れません。
【 大龍寺 】
大龍寺も 450 年の歴史があります。はじめ女川で密教寺院でしたが、阿部氏によって曹洞
宗に変えられました。その後、阿部氏を滅ぼした安東氏によって女川から脇本へ移されます。
これが 16 世紀のことです。20 世紀になり昭和 7 年に船川の財閥・沢木家の庭園の一部に移転
して現在に至っています。ですから大龍寺の造りはもともと庭園を基にしていたわけです。
ここに私の祖父が小僧に入りました。父が死んで母が再婚し、当時7歳だった私の祖父は
母親と別れ、まだ脇本にあった大龍寺の小僧になりました。どれほど辛い日々だったことで
しょう。やがて十代になった祖父は大龍寺を飛び出し、
東京の大きなお寺、青松寺で修行を積みました。その後、
大龍寺の住職が亡くなり、祖父は船川に移転された大龍
寺の住職となります。間もなく東京の寺の住職も亡くなっ
たので、祖父は東京の寺の住職も兼ねることになります。
その息子である私の父は 24 歳で大龍寺を継ぎ、昭和
50 年頃から寺の敷地内にいろいろな建物を建て始めます。
位牌堂や竜王殿などです。将来人口が減り、檀家も減る
だろう。だから遠くからでも人がやって来るような寺に
しなければならない。そう考えていたようです。
【 アメリカの日本寺院 】
さて私は実は僧侶になるつもりはありませんでした。駒澤大学卒業後、永平寺で 3 年の
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修行をしましたが、その後海外へ飛び出しました。バッグパックひとつ担いで放浪の旅に
出たのです。
たまたまロサンゼルスにいたとき、
日本のお寺があると聞いて行ってみました。すると、
ちょうど人手が足りないから手伝ってくれと言われ、そこで 3 ヵ月ほど居候することにな
りました。そこはロスの日系人のコミュニティーの中心で、着物やお茶や活花や和太鼓な
ど、普段日本でもあまり見ることのない風景が日常的にありました。そこにしょっちゅう
人々が集まっていろいろな情報交換や催しをひんぱんにやっているのです。
これは大きな驚きでした。ここではお寺がちゃんと生きていたのです。これはいけるか
もしれない。日本でもまだまだ寺の可能性はあるぞ。そう思いました。日本を飛び出して
1年半後、私は寺を継ぐ決心をして帰ることになります。
【 活動 】
帰った私は早速活動を始めました。モデルはロサンゼルスのお寺です。
最初にやったのは英語教師の友人たち
によるチャリティー隠し芸ショーでした。
バイリンガルの劇。絵の個展。インド音楽
のコンサート。琵琶の弾き語り。ギター・
コンサート。ガムランと影絵のパフォーマ
ンス。ワインと惣菜の試食会
(肉屋・惣菜屋・
酒屋のコラボ)
。宮古島のドキュメント映
画。
マタギ文化のトークセッション。
フリー
マーケット。訪れた観客の中から、今度は
こんなのどう?とアイデアが生まれ、どんどん人脈が広がっていきました。
秋田県曹洞宗青年会の仲間と共に、放射能のために外で自由に遊ぶことができない子供
たちを招いて、男鹿の海や山で遊び、星やホタルをみるキャンプも行いました。
【 展望 】
いま日本の寺は時代の波に飲み込まれそうになっています。岸から離れる引き波にさら
われて、波に逆らえば溺れ、何もしなければ死んでしまいます。どうしたらいいのでしょ
うか?流されるところは流されながら、しかし到達すべき岸はちゃんと睨みながら、その
波を横切っていくことはできるかもしれません。
「終活」や写経がいま盛んです。日本人が寺に求めてきたものは 1500 年変わりません。人
の心に向き合い、寄り添っていくことが寺の使命です。その使命を果たしてゆこうと思って
います。
(2014 年 4 月 13 日、大館市 プラザ杉の子、北区IM。男鹿RC推薦)
曹洞宗 大龍寺 〒 010-0511 男鹿市船川港船川字鳥屋場 34 TEL 0185 − 24 − 3546 メール [email protected]
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なつかしい未来へ
アキモク鉄工 ㈱
代表取締役
花 下 智 之
【 当社の沿革 】 明治 40 年創業の秋田木材株式会社(通称アキモク)から機械製作部門が独立して、昭和
13 年に㈱秋木機械製作所ができ、さらにそこから産業機械・橋梁部門が独立して、昭和 55
年にアキモク鉄工㈱が設立され現在に至っています。資本金 3000 万、従業員 49 人です。
公共工事の減少、モノづくりの空洞化という現状をどう乗り越えるか?その答えを探す
ため地域産業の過去の歴史に学ぼうと思い立ち、まずはアキモクの歴史をひもといてみま
した。そこで二つの発見がありました。一つは発電事業、もう一つは航空機産業です。
【 発電事業 】 アキモク創業当時、海外から高度な機械を導入しても、それを動かす電気がありません。
そこで発電設備を自前で作り上げて発電を始め、余った電気は能代市内の各家庭に供給しま
した。明治 41 年にはボイラー発電で能代市内 867 軒に電気を供給
していた記録が残っています。同じころ県南では増田水力が130k
Wを発電して、味噌醤油工場と地域の家庭に供給していました。
驚いたことにこの時代、日本全国にそれぞれ地元の発電事業者
がいて、電気はそれぞれの地域で作られ、それぞれの地域で使わ
れていたのです。日本ではながく電力は地産池消が当たり前でし
た。現在の 10 電力会社による独占体制は戦後になってからのこと
だったのです。
東日本大震災以降、
「新エネルギー」という新しい枠組みがで
き、それを国が支援することになりました。この分野に当社の
新規事業のヒントがあるかもしれないと思いさらに詳しく調べてみました。
2002 年の「エネルギー政策基本法」によると、発電方法の選択基準は、①安全性、②
経済性、③安定供給、④環境への配慮、でした。その後選択基準は、①経済性、②安定供
給が重視され、「ベースロード電源」の概念が登場しました。原子力・石炭火力・水力・
地熱がそれです。私は「水力」に着目しました。水門工事の業務に係わり水のエネルギー
の甚大さとその利活用を考えていたからです。
これからの日本に必要なのは、多様な分散型エネルギーシステムの構築と再生可能エネ
ルギーの促進です。明治の日本人がやったように、地域に立脚し、地域の産業を創出し、
地域を活性化させるための方策です。そこに我が社の使命があると私は考えました。
日本中いたるところに流れている中小の河川と農業用水路が発電源です。個人や小規模
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産業が簡単に必要な範囲で電力を得られる安全でクリーンな「小水力発電機」の試作を重
ね、2 年前に実証試験に成功し、昨年度は横手の自立型植物工場に電気を供給する県のプ
ロジェクトに参画して実証試験を行いました。当社の小水力発電装置の開発テーマは「な
つかしい未来へ」です。
【 航空機産業 】
太平洋戦争後期、零戦の主脚装置は軍需工場となった能代市内の㈱秋木機械製作所で作
られていました。更に戦争末期には木製特攻機「剣」というものがあり、その木製プロペ
ラも作っていました。アキモクの合板技術が高く評価されていたのです。このモノづくり
のエネルギーを今求められる技術として確立し、若い世代に伝えていくのが我々の使命だ
と思いました。とはいえ航空機そのものはとてもハードルの高い分野なので、地上支援設
備の分野でできることはないかと考えました。
海上を飛ぶ飛行機の翼や胴体には海の塩分がこびりつき、これまでの洗浄装置ではなかな
か落とすことができませんでした。海上保安庁の依頼で当社と地元ベンチャー企業の共同研
究で開発したのがマイクロバブル洗浄装置「ハイパーウォッシャー」です。これは微小な泡
で塩分を洗い落とすしくみで、従来の半分の水圧で配管やケーブルを水圧で破損することも
なく、
10 mの長距離噴射が可能です。水と空気の混合により、
使用する水の量も半分で済みます。海外からの引き合いも
多く、写真はクアラルンプールの某航空基地でデモンスト
レーションしているところです。
【 展望 】
これまで私たちは無いものねだりをしてきたのではないかと反省しております。足元に
ある地域特有の資源こそが、地域産業再起動のヒントだったのです。ダーウィンの進化論
からイメージされて、「生き残るのは、最も強いものでも、最も賢いものでもなく、変化
に対応して変わっていけるものだけだ」
、
と良く言われます。変化を感じる鋭敏なセンサー
と、できない理由でなく、できる方法を考え抜く力が必要です。
今後も我が社の社是「天命に安んじて人事を尽くす」を拠り所に不断の努力で精進して参
ります。
(2014 年 4 月 13 日、大館市 プラザ杉の子、北区IM。能代RC推薦) アキモク鉄工㈱ 〒 016-0122 能代市扇田字柑子畑 1 - 29 TEL 0185 − 58 − 3691 FAX 0185 − 58 − 3688
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プレリリース活用・新商品開発
佐藤食品 ㈱
専務取締役
佐 藤 賢 一
【 当社概要 】 当社は佃煮の製造販売をしております。創業は昭和 7 年。初代佐藤長之助の長の字をとっ
て「カクチョウ」と呼ばれました。株式会社設立は昭和 31 年。本社は潟上市にあり、青
森県内で 2 工場を操業しています。販売先は、県内のスーパー・小売店・道の駅・県外の
卸業者・ネット通販です。
私は昭和 59 年生まれの 30 歳で 4 代目。大学卒業後 2 年修行して帰り、
入社 7 年目です。
佃煮屋は昔は秋田県内に 100 軒はあったそうですが、いまは 10 軒です。市場規模も縮
小を続け、この 10 年で 30%も減りました。このままではいけない、なんとかしなければ
と思い、新商品の開発に取り組みました。そこで出来たのが「わかチョコ」です。
【 わかチョコ 】 わかさぎの唐揚げにチョコレートをかけたものです。な
んじゃそれは?とお思いでしょうが、実はとってもおいし
いのです。もともと揚げ物とチョコレートは相性がよく、
ポテトチップにチョコをかけた商品はよく売れています。
それが、まさかのワカサギだったというのがミソです。当
社の職人が遊び半分につくり、私もほんの冗談のつもりで
1個 333 円で発売しました。ところが、これが大ブレイク
するのです。発端はたった1本のメールでした。
【 プレリリースでブレイク 】
平成 23 年の 2 月、バレンタインデーの少し前頃、さきがけ新聞に、
「こんな面白いもの
を作りました。よかったら取材に来てください。
」
とメールしました。大してあてにもせず、
ダメでもともと、くらいの気持ちでした。ところが、すぐに部署別に 3 人の記者から取材
の申し込みをいただき、早速記事になりました。単純に記事になって良かったな、くらい
に思っていましたが、これが大爆発の導火線だったのです。その後取材に来たメディアは
以下の通りです。
日経新聞秋田版、東京ウォーカー、湖畔放送、秋田放送ラジオ、静岡放送ラジオ、日本
放送ラジオ、読売新聞全国版、日本テレビ「スッキリ!」
、新潟Komachi、食料新聞
全国版1面、CBCラジオ「めちゃウマお取り寄せ」
、毎日放送ラジオ「ザッサワールド
トレンド」、ABSラジオ「まめだす!ねんりん倶楽部」
、AKTスーパーニュース、フジ
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テレビ「スーパーニュース」、NHKラジオ「世の中面白研究所」
、秋田朝日放送「トレタ
テ!」「SuperJチャンネル」、秋田NHKテレビニュースこまち、秋田放送「エビス堂
ゴールド」。
なかでも反響の大きかったのが、日本テレビ朝9時の
「スッキリ!」
でした。
「日米スイー
ツ対決」という企画で日本代表が「わかチョコ」で、しかもアメリカに勝ったのです。こ
の直後に楽天市場(ネット通販)に注文が殺到し、リアルタイムランキングで食品部門第
1位になります。1日で 500 個以上が売れました。
(ところがその翌日が 3 月 11 日・東日
本大震災で、商品の出荷が大幅に遅れる事態になりました。
)
【 その後 】
その後商品に改良を重ね、チョコのグレードを上げて、パッケージもしゃれたデザイン
に一新し、外側には「愛のカルシウム」とあるだけで中身が何か分からないようにしまし
た。バレンタインデーに特化したのです。
このデザインは社員が考えました。また、マスコミ
の取材も社員に対応を任せました。そうすることで、
社員のモチベーションが上がり、自分の仕事にやりが
いと誇りを感じてもらえると思ったからです。
スーパーの売り場の中で佃煮はどこにあるのかよ
く分かりません。今回マスコミに大きく取り上げら
れたことでアドバルーンが上がり、普段あまり認知
してもらえない佃煮が注目される機会となりまし
た。この機会を生かして、さらな
る新商品開発に取り組んでいます。
茎わかめ佃煮や酒粕を使ったわか
さぎの佃煮を開発中です。
プレリリースとはマスメディアにこちらから情報
を発信して記者に取材を促すことをいいます。記事
になればただで宣伝できるわけで、こんないいこと
はありません。しかもメールかファックス1本で済
みます。無視されてもこちらにダメージはありませ
ん。世界で初めてとか日本でここだけとか、記者が
食いつきそうな工夫が必要です。また、記事を見た
方がその商品をすぐに買えるようにしておくことも
大切です。ぜひ皆様もプレリリースを活用されることをおすすめします。
(2014 年 4 月 13 日、大館市 プラザ杉の子、北区IM。潟上RC推薦)
佐藤食品㈱ 〒 018-1401 潟上市昭和大久保字片田千刈田 26 TEL 018 − 877 − 2054 FAX 018 - 877 - 4077
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難しい階段創り世界一
石垣鐵工 ㈱
代表取締役
石 垣 勝 康
【 沿革 】
創業は昭和 30 年です。鉱山や営林署の機械を製造・修理する自営業として始まりました。
その後ボイラーや鉄骨も扱うようになります。昭和 49 年に秋田県から建設業(鋼構造物
工事業)の許可を得ました。昭和 53 年に有限会社石垣鐵工場設立。昭和 62 年にCADシ
ステムを導入しました。
私が社長に就任したのは平成 2 年です。翌年大館市二井田に工場を新築しました。平成
6 年にレーザー加工機を導入した頃から階段製作専門メーカーを目指すようになります。
誰もやりたがらないような面倒な階段を得意とし、どんな難しい階段でも創れる世界一の
企業になろうと決めました。
平成 7 年に胴縁施工図システム、9 年にプラズマ加工機、10 年にLANシステム、11 年に
ドリルソー、15 年に 3 D-CADを導入。同年にISO9001:2000を取得。平成 19 年に大館第
2 工業団地に新工場を建設。平成 20 年に国土交通大臣の認定工場(Mグレード)となりました。
【 当社の階段 】 当社がつくった階段の一例です。写真は私が家族と遊びに行ったついでに撮ったものです。
左は世界中からエンジニアが集まるcanonの研修施設です。
上は弘前モータースクール。右は東通原発。
六本木ヒルズ 52 階の階段は、地上 250 mに上げてから組み立てるという一発勝負です。
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3D-CADなどを駆使して綿密に計算し、細心の注意を払って完璧に仕上げることができ
ました。
【 工場建設 】
作業工程は、まず 3 D-CAD(スリーディーキャド)を使って階段のイメージをコン
ピューター上に立体的に描き出し、次に工場内で実物を組立て、それを現場で再現する、
という手順です。
したがって実物が組み立てられるだけの広い工場が必要です。そこで現在 2 箇所ある工
場を統合してひとつの大工場を建設し、そこにすべての技術資源を集中する計画を進めて
います。それによって作業合理化による高いコストパフォーマンスが実現します。そして
今まで誰もなしえなかったような難しい形状の階段を製作し、世界の階段作りをリードし
たいと思っています。
【 人生は思った通りになる 】
しかし心の声が言います。
「失敗が怖いよな。銀行がうんと言うわけないだろ。だからやめ
ろと言ったんだと言われそうだ。社員もみんな反対してるって言ってる人もいるようだし。
歳だし、糖尿病だし。2 番でいいんじゃないの。やらなきゃ失敗もないんだから。‥‥‥」
できない言い訳を一生懸命探す自分がいます。
そんなときに必要なのは決断です。生活の中のすべての変化は決断から始まります。決
断した途端にすべてが変わります。資源が現れるのは
決断してからです。状況が揃ってから決断するのは決
断ではありません。我々の気持ちは、周りの出来事の
結果ではなく、周りの出来事の原因なのです。決断す
れば人生は必ず思い通りになるのです。
多数決なら社長はいらない。さあ、
いつ決断するんだ?
いまでしょ!!
(2014 年 4 月 13 日、大館市 プラザ杉の子、北区IM。大館RC推薦)
石垣鐵工㈱ 〒 018-5751 大館市二井田字陣ノ腰 2 - 2 TEL 0186 − 59 − 8102 FAX 0186 - 59 - 8103
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北あきた
お土産プロジェクト
秋田北鷹高校 家庭科部
鷹巣観光物産開発㈱ 代表務取締役
笹 木 俊 雄
【 はじめに 】
北秋田市は、県内 2 番目に広い面積に 35,000 人が暮らす自然豊かな町です。そんな広
くて小さな町の大きな課題は、過疎化・少子化・高齢化が進み、町に活気がなくなってい
ることです。どうして町を活性化させるかアイデアを出し合った結果、
「地元の特産品を
使って北秋田市を PR するお土産を作ろう」ということになりました。
ししとう・バター餅・マルメロ・またぎ料理・あゆ寿司・いぶりたけのこ・どぶろくケー
キ・・・・様々な中から私たちが選び出して作ったのが「しょうゆバター餅」と「ししとう
カレー」です。
【 しょうゆバター餅 】
バター餅は北秋田市阿仁地区に伝わる郷土菓子で、数年前からTV番組をきっかけに
ブームになっています。ずんだ・ドライフルーツ・南部せんべいなど、いろんなものを入
れて試作を重ねた結果、バター餅の特性を残しつつ味も美味しかったのが、しょうゆを加
えたものでした。一昨年の産業祭で「しょうゆバター餅」
は 45 分で 200 個を完売しました。
いま市内の製菓店で常時販売されています。
お土産として必要なことは、①保存性を高めること、②低カロリー化、③食べ飽きない
味づくり、です。この観点から次に作ったのが
「ポップしょ
うゆバター餅」です。バターと砂糖を半分にすることでカ
ロリーを抑え、おかきのような食感の外側にたれをからめ
ることでさらにおいしさをアップしました。これを昨年の
「BM-1 グランプリ」(北秋田市で開催されるバター餅の品
評会)アレンジ部門に出品したところ、見事優勝すること
ができました。いま商品化に向けて取り組んでいます。 ポップしょうゆバター餅
【 ししとうカレー 】
地元の特産品「ししとう」が鷹巣地区でよく作られている
のは、山に囲まれた盆地で昼夜の気温差が大きく、ししとう
の成長に最適だからです。ししとうケーキなどいろいろトラ
イした結果、
「ししとうのおいしさを生かせるのはカレーだ!」
という結論に達しました。
当初、市販のルーにししとうを混ぜたカレーを作りました
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が、ししとう特有のにおいが目立ちます。しかし、ししとうはそもそも唐辛子の甘み種な
ので、カレーに合わないわけがないと考え、いろいろなカレー粉をブレンドしながらさら
に試作をつづけました。ししとうは地元の JA 鷹巣町から、ししとうパウダーも地元企業
から、比内地鶏を JA あきた北央からそれぞれ無償で提供していただきました。こうして
ようやく「ししとうカレー」の試作品が完成しました。
次に私たちはこの試作
品を持って「道の駅たかのす」に行き、商品化を持ちかけました。すると笹木社長さんが
JA関係者や商工会の方々を集めて試食会を何度も開いてくださり、またプロのシェフの
方からも貴重なアドバイスをいただきました。そしてとうとう、私たちがこだわり目指し
ていた「地元のもの」をふんだんに使ったカレー・
「比内地鶏のししとうカレー」が完成
しました。
この「比内地鶏とししとうのカレー」は、
「道の駅たかのす」のレストランで食べるこ
とができます。その後レトルトパックも完成し、もうすぐ本格的に販売が開始されます。
今後も自由な発想で活動を展開していこうと決意を新たにしているところです。
【 鷹巣観光物産開発㈱より 】 秋田北鷹高校は地元にある唯一の高校です。少子化が恐ろしい勢
いで進行している中、この子たちこそが希望の星なのです。その星
たちがやってきて、「このまちを私たちの手で元気にしたい」と言う
のです。この子たちの思いをなんとしてでも形にしなければと強く
感じました。
「ししとうカレー」の影響でししとう関連商品=ししとうチョコ・
ししとうソフト・ししとうショコラ・ししとうラーメンの売り上げ
が 30%アップしました。
今回ご協力いただいた次の諸団体の方々にこの場をお借りして心より御礼申し上げます。
北秋田市・JA鷹巣町・JAあきた北央・北秋田市商工会・大太鼓の里道の駅たかのす
様、本当にありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
(2014 年 4 月 13 日、大館市 プラザ杉の子、北区IM。鷹巣RC推薦)
鷹巣観光物産開発㈱ 〒 018-3301 北秋田市綴子字大堤道下 62 - 1 TEL 0186 − 63 − 2233 FAX 0186 - 63 - 2231
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基調講演
きりたんぽまつりで大館の未来を変える
きりたんぽまつり実行委員長
㈱ 割烹きらく ブラザ杉の子
代表取締役
たかし
石 川 崇
【 発端 】 平成 23 年の秋のことでした。当時の大館商工会議所三浦会頭から、「石川君なら『き
りたんぽまつり』に何万人呼べるかね?」と聞かれ、何気なく「8 万~ 10 万人でしょう
か?」と答えたのをおぼろげに記憶しています。翌 24 年の 2 月のある日、会議所の三
役が突然やって来て私を取り囲み、「君、実行委員長だからね」と言って、私の返事も
聞かずにさっさと帰って行かれました。何が私の身に起きたのか理解するのに暫くかか
りました。
10 月の実行日まであと半年ちょっとしかありません。36 人の実行委員とともにとに
かく動き出すしかありませんでした。「時間はないが、じっくり考え、本質を見抜き、
果敢な行動で自分たちの正しさを証明してみせよう。」と言ってスタートしたものの、
当初予算 3,500 万円のうち国からの 2,000 万が出なくなり、1,500 万でやらなければなら
なくなりました。時間も金もない中で、まずはコンセプトを固めることから始めました。
【 コンセプト 】 目的、課題、ターゲット、歴史、文化、市民の幸福、未来・・・・・。徹底的な議論
を経てたどり着いたのが次のフレーズです。「食文化の継承をオール大館で」
文化とは過去の生活体験の集積です。だから大
館の文化は大館の人にしか表現できません。その
表現が「きりたんぽ」です。ここに大館のすべ
てがあります。「きりたんぽまつり」は、親から
子、子から孫へ食文化を継承する大切な儀式の日
です。だからこの日、大館の人々は皆集まってき
りたんぽを食べなければならないのです(問答無
用)。
「きりたんぽまつり」は食文化の祭典の枠を超
え、あらゆる大館の文化の大切さを市民一人一人
が認識し、次世代へ継承する未来戦略です。参加
した子供たちは、食べる体験、見る体験、触れ合
う体験を通じて大館の歴史の深さを知ります。そこでの楽しい思い出は、子供たちにとっ
て(契約書はないが)未来への約束になるのです。その子らが成長してボランティアで
まつりに参加するようになれば、大館の未来が自分たちに託されていることを強く確信
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するようになるのです。そしてそのすべてを見てもらうことで「きりたんぽ」を(大館
と大館発の全商品を)全国に売り出そうという訳です。
【 2012 準備 】
メインは「きりたんぽ」を全国に売り、それによって基幹産業である農業を元気づけ、
6 次産業化を促進することです。具体的には、(作ったものを売るのではなく)売れるも
のを徹底して作ることなのですが、今年は半年しかないので(新製品開発は無理なので)
売れるものを皆で集めて来てそれを売ろう、ということになりました。本場・傍流・創
作あわせて 30 数種類のきりたんぽが集結し、飲食とお土産で 70 数団体が出店すること
になりました。
い な ば あきら
ま と ぶ せい
ステージは秋田ゆかりの芸能人に盛り上げてもらおうと、因幡晃さんと真飛聖さんを
呼びました。中でも因幡晃さんは大館出身なので、大館市の観光大使になっていただき、
テレビ(秘密のケンミンショーなど)や全国のステージでも大いに宣伝していただきま
した。
秋田県の観光キャンペーンに便乗してチラシ配布や各新聞のパプリシティー広告も最
大限利用し、またテレビ・ラジオへの情報提供をこまめにやって取材してもらうことで
無料の宣伝をやりました。特にテレビでの東北6県生中継は集客に大きな効果がありま
した。
【 2012 集客 】
「きりたんぽまつり」は観光イベントでもあります。かつて観光と言えば旅行代理店の
団体旅行がメインでしたが、今は個人や家族の単独行動がメインです。そこで今回は観
光バスは呼ばず、個人とファミリー層をメインターゲットとしました。その上で、集客
目標を 8 万人としました。秋田 100 万+青森 130 万+岩手 130 万=合計 360 万の約 2%です。
この 8 万人に確実に来てもらうために前売りチケットを販売することにしました。入
場は無料ですが、中できりたんぽを食べたり買物したりで使える割引券をまとめて 1 枚
1000 円で、15,000 枚作りました。これを思いつく限りのルートを通じて、秋田・青森・
岩手で販売しました。ところが、これがなかなか売れません。開会 2 週間前なのにやっ
と 5,000 枚しか売れていません。そこで、ポジティブキャンペーンをやめてネガティブキャ
ンペーンに切り替えました。「売れなくて困ってます。なんとか助けて下さい」と言って
哀願する方法です。これが功を奏し、1 週間で 6,000 枚売れました。いいときは足をひっ
ぱるが悪いと助けてくれるという秋田の県民性が現れたように思いました。
【 2012 実行 】
天候にも恵まれて、開会式は大変な人数でした。三浦会頭に「石川君、何を配ってこん
なに集めたんだい?」と聞かれました。産業祭などではリンゴや梨を配って人集めをして
いたからです。
「何も配っていませんよ」と答えましたが、心の中では「わぁぁ、こんな
に集まってしまった。無事に早く終わって欲しい・・・」と祈っていました。実行委員
36 人も同じ心境で、ほとんどフリーズ状態です。
39
きりたんぽを食べるコーナーは 1 ~ 2 時間待ち。りんごなど農産物コーナーはあっとい
う間に売り切れ。その他の物販も売切れ続出。比内地鶏炭火焼コーナーは炭が間に合わず
に立ち往生。因幡晃オンステージも中高年を中心に大パニックを呈しています。
嵐が去った後、樹海ドームのあちこちで実行委員 36 人が呆然と立ち尽くしていました。
片づけに 1 週間かかりました。終わった後はクレームの山です。きりたんぽが食べれない。
食べれても味がよくない。駐車場が足りない。トイレが足りない。販売品がすぐ売り切れ
た。ステージ前が狭い、イスがない。スタッフが足りない。
・・・・・・・
2012 年の来場者数は(出入り口で正確に計測して)86,000 人でした。
【 2013 準備 ・ 実行 】
次の年に向けて、今回の反省をすべてクリアするための準備にとりかかりました。イベ
ント運営の中心テーマを「参加者の幸福度アップ」とし、キャストもゲストも共に幸せを
感じられるようなイベントを目指しました。その過程でやりがいと達成感を共有すること
によって、地域コミュニティーの形成を促し、かつこれを強化しようとの狙いです。
前年度の反省から実行委員
を 36 人から 123 人に大幅増
員し、さらにボランティア・
スタッフ(中高生)を 1,000
人募集しました。ステージの
催しにも各高校の出演を増や
し、
「大館名所めぐり」や温
泉などの市内観光と連動させ
るなど、地域への広がりをは
かりました。きりたんぽ作り
体験コーナーも新設し1万本
を用意しました。最大の目玉
40
さとみ
は「きりたんぽ」のだし「郷味」
(380 円)の開発
と販売開始です。とても美味しいスープでその後
もずっと好評を博しています。
2013 年の来場者は 116,000 人でした。
【 2014 準備・展望 】
今年の目標はブランド力強化です。「本場大館」
をキャッチフレーズに、「本場」のきりたんぽは絶
対にうまいことを証明したいと思います。昨年の
さとみ
「郷味」につづいて今年も新商品を準備中です。
現在、大館発きりたんぽの売上は約 5 億円です。
将来の短期目標 10 億円、中期目標 30 億円、長期
目標 50 億円をもくろんでいます。そのためには、冬だけでなく年間通じて売れるしくみ
作りが必要です。さしあたって今「春のきりたんぽ」
(仮称)を試作・研究中です。ミズ・
馬肉・竹の子などを使用して独自性を高め、ストーリー性も検討しています。6 月のバラ
まつり(石田ローズガーデン)に合わせて発表の予定です。
いま多くの地方都市が不景気にあえいでいます。アベノミクス効果もそれを実感し
ているわずかな人と、実感していない圧倒的多数の人々がいます。高度成長期のモデ
ルは公共工事と企業誘致でしたが、いま公共投資は半分になり、少子化が経済の浮揚
を阻んでいます。
人口減少対策で重要なのは観光です。人が訪れ、そこに人がいるということは購買力
を上げる必須条件です。一部のエコノミストや官僚の中には、観光産業は地域活性化の
上であまり大きな力にはならないという人がけっこういます。しかし私はそうは思いま
せん。世界的に見ても観光産業は雇用と所得を生み出す大きな力となっています。先進
国ほどその傾向は顕著です。昨年、きりたんぽまつりの期間中、市内のホテルはほぼ満室、
飛行機は搭乗率 80%以上でした。その経済効果は 10 億円と試算されています。
きりたんぽまつりの実行委員は皆 40 代で権力も財力もありませんが、勇気と情熱は
充分に持ち合わせています。この人たちがこの街の一人一人を変え、そして時代や地域
経済を変えられると私は強く信じています。
(2014 年 4 月 13 日、大館市 プラザ杉の子、北区IM)
㈱割烹きらく プラザ杉の子 〒 017-0043 大館市有浦 1 − 7 − 55 TEL 0186 − 49 − 3288 FAX 0186 − 42 − 0852
41
2012−13年度版「チャレンジ精神で秋田を変えよう Ⅰ」(2013年8月発行)
掲 載 企 業 一 覧
1
大館神明幼稚園
学校法人瑞垣学園大館神明幼稚園 園長
佐藤 文人
2
北限の桃
かづの農業協同組合 営農販売課
根本 隆嘉
3
山のはちみつ屋
4
100円バス
秋北バス㈱ 代表取締役社長
太田 吉信
5
秋田錦牛
㈱清水ミート 専務取締役
清水 政伸
6
フリースペース びおら
NPO法人・大仙親と子の総合支援センター 代表理事 鈴木 明美
7
横手やきそば
㈲三浦商店 常務取締役
三浦 正樹
8
ノンアレルギー・スイーツ
㈱くらた 代表取締役社長
倉田 潤一
9
由利高原鉄道
由利高原鉄道㈱ 代表取締役社長
春田 啓郎
北限のフグ
炭火焼 白帆 女将
畑中 蘭子
10
11
㈲ビー・スケップ 代表取締役社長
西村 隆作
2012年 5/27
地区協議会
2012年
11月4日
秋田市
地区大会
2012年
11月25日
湯沢市
南区IM
2013年
CCFL灯
協和石油㈱ 代表取締役社長
荻原慎太郎
2月16日
秋田市
中区IM
12
超神ネイガー
㈲エフツーゾーン 代表取締役社長
海老名 保
13
米飯生活
秋田印刷製本㈱ 代表取締役社長
大門 一平
14
北あきたバター餅
日本バター餅協会 北秋田市副市長
虻川 広見
15
東光ドーム
東光鉄工㈱ 専務取締役
菅原 訪順
16
真正・あいがも米
㈲真正ファーム 会長
虻川 真一
17
湖東のやさい畑
あきた東湖農業協同組合 経済部次長
18
ホッキョクグマの赤ちゃん
㈱男鹿水族館 館長
千葉 俊
19
鰰しょっつる
㈱諸井醸造 代表取締役社長
諸井 秀樹
秋田プロバスケットボールクラブ㈱ 代表取締役社長
水野 勇気
20
ノーザンハピネッツ
ゼロからの挑戦
【基調講演】
42
八柳 一義
2013年
4月20日
男鹿市
北区IM
国際ロータリー第 2540 地区
2014-2015年度 地区事務所
〒013-0032 秋 田 県 横 手 市 清 川 町 10−4
TEL 0182‒23‒8415 / F A X 0182‒23‒8416
E-mail:[email protected]