【北京遠征(北京漫遊記)】(2012年9月17日)

【はじめに】
JPS((株)ジャパンスポーツポロモーション)の白土氏からの一本の電話が事のはじまりとなりました。
『中国で国際大会があるのですがどうですか!?』というお誘いであった。冷やかし半分で話を聞く
こととなりました。U-19・U-17・U-15・U-12の各カテゴリーで開催されるとのこと。(実際はU-19
がなくなりU-18・U-15・U-12のカテゴリーで開催)夏の遠征はトップが中心となり、U-16の強化が
毎年十分に出来ないので、何かインパクトのあることができないかと思っており、U-17に1年生を
参加させてみようかと思った次第であります。
高校生の海外渡航には様々な制約が生じるので、まずは学校長に話をしてみると、「若い世代に海
外での活動をするのは吝かではない。県教委への話をするので、保護者の意見も聞いてみてはどう
か」と、非常に前向きなお話をいただいた。約40名の新入部員に、参加のアンケートを実施したと
ころ、私の予想に反して17名の参加希望がありました。結果を学校長に報告すると、実に迅速に話
を進めていただき、「言って良し!」という結果をいただいた。
画して、中国は北京への遠征が決定しました。〔詳細は以下のページで〕
政治がスポーツに影響を及ぼすことは極めて避けたい問題ですが、現在、尖閣諸島を巡る問題で日
中の関係は予断を許さない状況にあり、遠征の時でなく良かったと胸を撫で下ろすところです。
高額な遠征費を保護者の皆様にはご負担いただき、費用対効果も含めて選手たちに得るものの大き
な遠征としなければならず、試合への出場時間も含めて頭の痛いところはありました。が、大会の
趣旨が、単に試合を行うということだけに止まらず、中国の文化や参加した国々の選手・指導者の
交流を図ることも盛り込まれ、非常に有意義な時間を多く過ごすことができました。言葉が通じな
いはずなのに、しり込みすることなく積極的に交流する一面や、最も大きな驚きは、中日のパフォーマ
ンス大会での選手たちの活躍でした。私たちが、「難しいかな?出来ないかな?」と思ったことを、
自らが発案しやり遂げることができ、普段の事柄も、もっと選手に投げつけて良いことがわかりま
した。そういった意味では、非常に良い遠征としてくれたと思います。
継続した参加を考えた場合、「来年も実施したい」思いはありますが、今回私たちの出張は認めて
いただきましたが、参加費用は個人持ちですので少しつらいかなとは思います。また、参加できな
かった選手のことを考えますと、経済的な側面も否めず、ひょっとすると辛くて悲しい思いをさせ
たりしなかったかと反省しているところです。オーストラリアのFootskills FCというチームは、3回目の
参加ということですが、全額寄付で賄っているようです。そういったチームは他にもあった模様で
す。日本には寄付の文化はあまりなく、総額400万円を集めることは大変なことかと思われます。
問題の解決にトライすることも必要かもしれません。
もう一つ、この大会で驚いたことを書かなければなりません。ボランティアスタッフの多さです。チームに
着いてサポートをしてくれるのは、大学で日本語を学ぶ学生や、将来旅行会社やプロモートの仕事
につくために、専門教科を大学で学ぶ学生が活躍をしてくれました。また、レフリーも各国の人達
が集まってくれていました。インターネットで、滞在費は主催者が負担するので、とにかく現地ま
でやってくれば良いとのことです。勿論、レフリーライセンスは必要です。ルールブックに載せた
いような厳格なレフリーに笛を吹いてもらえました。ノルウェーから奥さんとやってきて、終わっ
たら少し観光をして帰るようです。日本でもこのような企画があれば是非読んでくれと・・・・!
約30名ほどのレフリーがいて、イタリア人のレフリーが必然的に責任者となり、試合後のミーティング
も余念がありませんでした。レフリーを敬遠されがちな日本にあっては、このような場の提供も必
要なことではないかと、プ
ロモートのマネジメントの
勉強になりました。関わっ
ていただきました多くの皆
様に感謝を申しおあげます。
とりわけ、ご理解をいただ
き、選手を参加させていた
だきました保護者の皆様、
活躍してくれた選手諸君。
末筆ながら、ご理解をいた
だいた教育委員会、学校長
を初めとした学校当局に感
謝申し上げます。
〔文責:藤田一豊〕
The Great Wall Cup 2012-international youth football tournamento
“万里の長城杯 2012”に参加して
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1日目:7月21日(土)
早朝4時30分は東の空がうっすらと白み始めた頃である。普段あまり馴染みのない風景に、少しば
かりの興奮を覚えながら旅支度を車に積み込む。悪い癖で、物事が近づいてくると億劫さの度合い
が増してくる。急かされながら“なぎさ町”に到着する。先着1名あり。風が強く波高く船酔いの 心配もしながら、保護者に送られてくる選手を迎える。6時、定刻に“カトレア号”は波を蹴立て
て出港。セントレアは一番奥の24番ゲートで搭乗を待つ。人の作ったものに絶対的な信頼をおけな
い私は、ジェットコースターには乗る気が起こらないが、不思議と飛行機は好きである。テイクオ
フ時の加速感と車輪が離れる時の浮遊感がえもいわれず、上がってしまえば実に退屈な時間となる。
3時間半の時間で、飛行機にしては珍しく定刻に北京着。むっとする湿気の中、カメラのレンズも
曇ってしまう。広大な飛行場の雰囲気は感じるものの、霧の中の状態で全景は見られず残念。
タラップを降り、バスに乗って、列車に乗って約5分で荷物の回収と出国手続きと、大きさを想像
していただきたい。4年前のオリンピックで整備されたインフラに感心しながら、バスにてホテル
に到着。遅めのランチを済ませて、夕刻ランニングに出かけようとの計画も、雷とバケツをひっく
り返したような雨にホテルで時差をとることに務めた(?)
指導者は、雨の隙間を縫って近くのデパートを探索。商品の安さに驚きながら、初めてのお買い物
は“スニッカーズ”を8本。言われるまま29元を支払う。約365円となるので、1本45円見当となる。
明日から3本は食べるかな。思い思いに部屋で過ごして、18時30分にロビー集合。夕食となる。食
っちゃ寝の一日となった。食事はバイキングで、品数は決して多くはなく必然的に考えることはな
いが、違和感のない食べ心地である。部屋では、リーグ戦が放送されていて、北京国安vs杭州○○
を観戦。見たことのある監督の顔が映って興奮。明日の試合は何と8時30分キックオフである。起
床は5時15分らしい。寝ることとする。
2日目:7月22日(日)
昨夜は大変な出来事が起こっていたらいい。成田から出発のチームが、北京の気象状況が悪く出発
を4時間延期され、ようやく離陸はしたものの北京空港には降りられず、他の空港に到着したらし
い。今回お世話になっている旅行業者はJSPである。添乗の白土氏は私たちと同行だったため、
夜9時に北京空港に出迎えられたが、そんな状況でホテル着は翌朝4時となったらしい。北京空港
は水没寸前だったらしい。人ごととして胸を撫でおろす。さて、私たちも8時30分キックオフの第
一試合は免れ、14時となったため、朝は7時から散歩に出かけた。日曜日の朝とあってかのんびり
した風景である。朝食を終え、午前中のトレーニングに備えて部屋で一休み。エアコンは25度以上
に設定できず、寒い!大雨の情報が分かるにつれ、何と61年ぶりの大雨らしく、高級車が水没した
映像が流れていた。午後からはいよいよリーグ1戦目である。会場の“北京26°Cスポーツセンター”へバ
ス移動。天然芝5面が横並びに配置。凸凹はあるもののまずまずの状況である。しかし、昨日の雨
で水が浮く箇所あり。
[予選ラウンド①:vsSelenga FC(ロシア)]
体格のある選手を相手にややビビリながらの立ち上がり。フィジカルを生かしての戦術に冷静に対
応するも、非力は否めない。立ち上がり、ゴール前で押し込まれ先制される。スキルレベルでは優
位に立ち、中盤は支配できるもゴール前は厳しい応対をされ、ゴールに結び付けない。徐々に相手
の当たりにも慣れ、局面でバト
ルを展開しながらボールを繋ぐ
もゴールは遠い。ようやく、右
サイドから崩してセンタリング
を見事に合わせて同点とする。
勝てる試合を引き分けた悔しさ
が残る初戦となった。
〔歓迎を受けた北京空港にて〕
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3日目:7月23日(月)
日本でも北京豪雨の報道があったらしい。北京のTV局も各地の状況を放映し、現地にいてこれほど
の雨が降ったのかとあたらめて実感。61年ぶりの“北京最強暴雨”と被害状況を報告していた。保
護者皆様から、学校や旅行業者に多数の問い合わせがあった模様である。私たちは、皆さんの心配
をよそに、サッカーと中華料理に堪能しながら三日目を大過なく過ごすことができた。(感謝!)
午前中の1試合(vsGuanxiFC)の後、ホテルでシャワーと昼食を済ますと、北京観光①紫禁城=故
宮、天安門広場(通り過ぎただけ)を見学した。とにかくデカイ!全部仔細に見学すると1週間は
かかるという広大さである。約2時間、歩くだけでも値打ちがあった。些か、建築物の造形を芸術
と捉えて見学するのは、矢張り日本の建築物を秀でるものは感じられないが、“何故こんなに広い
の?”という部分では、世界には沢山の遺跡があるのだろう。(EX:ピラミッドも然り)
今夜の夕食は、北京名物“北京ダック”である。名物に美味いものなしとよく言うが、私には
(王将の)青椒肉絲の方が美味いかなと思う。
選手たちはオーストラリアのチームやブラジルのチームとコミニュケーションを取りながら食事を
楽しんでいる。物怖じしない意外な一面に驚きと感嘆の場面である。
試合の方は、2試合連続のドローで勝ち点2と健闘。あすに期待!
4日目:7月24日(火)
早朝6時食事6時30分ホテル出発とハードな一日の始まりとなった。昨夜の北京ダックに些か胃が
重く、朝食をパスしたが選手たちの胃はハードで頼もしく感じる。北京1勝を目指して、グループ
首位のFootskkillsFC(オーストラリア)に挑む。準備は完璧であった。
ゲームは、立ち上がりから相手の早くて強いファーチェクに主導権を握られ、セットプレーから連
続失点を喫する。彼らは今冬の季節で、暑さで足が止まるので、後半勝負を目論んでいたが戦略は
失敗に終わった。そんな中、何とか2点は返すことができたが、前半の失点が大きく残念であった。
FootskillsFC SelengaFC Guanxi FC
津工業
勝点
得失点
順位
FootskillsFC
*****
5○3
2△2
5○2
7
5
1
SelengaFC
3●5
*****
3○1
1△1
4
0
2
Guanxi FC
2△2
1●3
*****
0△0
2
-2
3
津工業
2●5
1△1
0△0
*****
2
-3
4
午後は北京市内の観光に出かける。世界一の販売面積を誇るアディダスショップ。ユニクロ、プー
ーマ、ナイキと、選手たちの興味を引く店舗が一杯であるが、一番人気は得体の知れない有名ブラ
ンドもどきの店での、プライスダウンごっこのようであった。ここでも選手たちの巧みな交渉に、
心配は一切なかった。1本(500cc)10元でコカコーラを買った私だけがぼったくられた。(涙)
敗戦のショックを一気に払拭してホテルに。
夕食後、北京国安vsバイエルンミュンヘンの
ゲームをTV観戦。
明日は万里の長城の見学である。楽しみだ!
〔世界1の売り場面積を誇るアディダスショップ〕
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5日目:7月25日(水)
到着してから直ぐに里心がついている私だが、本日はサッカーを忘れて観光の日である。生憎と重
く垂れ篭める雲に傘の用意である。世界遺産の万里の長城に登る。バスで約1時間30分。高速に乗
って30分もすると風景は一変し高層建築の乱立する都会から、緑の丘へと変わる。丁度北海道を走
っているような雰囲気である。なかなか田んぼや畑は見えてこない(高速道路の脇に高い木が生え
ている)垣間見える畑は玉蜀黍が一面である。規則的な営農の風には見えないが、矢張り広い。山
に入り水墨画の風景を期待するが地方が違うようだ(あれは桂林?)目的地着。“登る”といった
表現を体感することとなる。始皇帝は何に怯えてこのような城壁を造ったのだろうか。城壁までに
たどり着く山道(階段)で少なくとも5度の休憩をとっただろうか。汗は正に滝のように流れ、息
が弾む。久しぶりの経験である。選手たちは流石に休まずに登ってゆく。城壁についてから、たど
り着いたことに後悔するばかりである。平坦ではなく全てが階段である。半端なく、直壁のような
箇所もあり、正に息も絶えだえの状態となる。晴れた日は北京市街が見えるというが、雨に霞む山
々ばかりである。決して目が霞んでいるわけではない。パンツまでグッショリと汗に塗れる行軍は
2時間となった。もう、2度目は無いと目にしっかり焼き付けてきた。
午後は、市街に戻り“チャイナタッチ”というイベントである。中国の文化に触れようと、書道や
京劇の面へのペイントを体験する。インディアカという競技があるが、その羽に似た用具が登場。
足で蹴って楽しむものらしいが、正にリフティング大会となる。参加各国の選手が妙技を披露しな
がら、足はパンパンに張っているはずなのにと、ここでも羨望である。
夕食後、参加各チームのパフォーマンス大会である。出し物が続く中、きっと尻込みしてドン引き
の状態にならないかとハラハラするも、“人間フィッシング”は不発ながら次の“人間ボーリング”
には大きな笑いと拍手が。その後、急遽変更した“ダンス=チューチュートレイン”は、客席に飛
び出した選手たちが、他チームの選手を舞台に引き上げ、舞台が一杯になって踊りだすという、他
力本願の一発が大ウケとなった。選手たちの思わぬ一面に驚かされる。“なかなかやるもんである !”楽しいイベントであった。
しかし疲れた。今夜は爆睡だろう!
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6日目:7月26日(木)
順位リーグの対戦は残念ながら日本同士の対戦となった。つくづく初戦・2戦目のドローが悔やま
れるが実力の世界致し方のないことである。選手たちは昨日の万里の長城アタックのフィジカルトレーニング
の疲れを感じさせないことはなかったが、どうにか4戦目にして初白星を上げた。もっとも、前の
試合でロシアチームが負けており、自分たちも負けると最終戦はロシアになる。これは矢張り回避
しなければならない思いがあった。意気揚々と引き上げようとすると、主催者から、明日の対戦の
中国のチームが、どうやら明日の列車のチケットが手に入らず、今夜の列車で12時間かけて帰ら
なければならないとのこと。午後から対戦してくれないかと・・・・・・!?そんなことは今日わかった
ことではなく、でも、外面のいい私は選手のことも考えず“いいですよ~”と一言。選手も嫌な顔
を見せず(?)了解してくれたので3時キックオフとなった。昼食はスポンサーの一つである“PA
PAJOHN'S”のピザ。会場にバスが来ていたのでそこで食べるのかと思いきや、北京市内に戻って食
べるらしい。今日のバスの運転手もいい加減で、場所を知らないときたものである。基本的に下調
べはしていないし、カーナビなどはついていない。時間は無情に流れるだけで、腹は減るしキック
オフ時間は迫るし。選手には時間の観念が薄いしと・・・・!どうやら30分前には会場にたどり着く。
中国のチームにあっては珍しくポゼッションスタイルのサッカーで、前半はやや押され気味に展開
するもPKで先制。後半、ひやりとさせられる場面もGKのファインセーブやポストに助けられ、追加
1失点は喫するが凌ぎきって2勝目。ルール的には5位が確定したことになる。選手の疲労度もピ
ークで、大変だったろうと思う。しかし、夕食の食欲に一安心。大会も残すところ一日となった。
中国にあってテクニカルなチームとの対戦。(vs Yali Middle School,Changsya,Hunan)
実に楽しいゲームとなった。監督に質問すると、“中国でも世界に通用する選手育成を考えた場合
古来のスタイルから脱却を試みる指導者は増えている。お前のチームの選手は、実に良く見えてい
る”と感心してくれた。対戦したチームのほとんどが同様の感想を述べてくれた。ワードとして、
“View!” という言葉が良く飛び交った。
前日の“チャイナ・タッチ”というイベン
ンとの一環。↓は正に独創的な作品。絵で
漢字を表現し、其々に意味があるという作
品である。
これは“書道では!?”
正に芸術!!
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7日目:7月27日(金)
北京滞在1週間。何よりも感心するのは、このレポートが続いたことである。二日坊主が常の自分
を褒めてやりたい。オフィシャルのゲームは昨日終了し今日は埼玉県のグランデFC(U-15)とのTM
となった。激戦区関東地区の高円宮U-15全国大会の出場権を得たチームである。本体は大会準備の
ため1・2年生の参加であった。しかし、GKは身長が175Cm(靴のサイズは30Cm)と、将来有
望である。ボールの置き所やパスに工夫がありなかなか良いチームであった。午後はホテルでのん
びり過ごしながら夜のアーセナルvsマンチェスターシティのゲームに備える。
当初、徒歩で30分ほど歩いて向かう予定であったが、
ツーリストの配慮でバス移動となる。[これが小さ
な親切大きなお世話の始まりとなる]。会場は北京
オリンピックのメイン会場の“鳥の巣”。毎朝の散
歩コースから見えるが、結構な距離となる。しかし
である、夕方のラッシュと重なり会場周辺は大騒動。
会場を横目にぐるりと迂回をして近づかなければな
らず、徒歩ならゆうに2往復できる時間がかかって
到着。人ごみに嫌が応にもボルテージは上がり急ぎ
足となる。“鳥の巣”は大きかった。国立より大き
い。収容人数は8万人らしい。成果が宙吊りで歴史
の壁を駆けたオリンピックの開会式を思い出す。
すっぽりと観客席はドームに覆われ、ピッチだけがライトに浮かび上がるような雰囲気だ。
ゲーム自身は、正直あまり面白くはなかった。選手のコンディションが悪いのか前半はミスの応酬
だった。後半雷雨となり、ピッチだけ屋根がないのでボールが止まりだした。しかし、ここという
場面でのスピードアップとテクニカルな仕掛けは興味深かった。
興奮冷めやらず集合場所へ。日本の3チーム80名ほどの移動である。ましてや、秩序のない車や人
の流れに流され13名が迷子となる。待つこと20分。ようやく合流でき一安心。他の2チームに申し
訳無いので、先にバスで帰ってもらい私たちは小雨の中徒歩移動である。ペナルティーはもちろん
身をもって支払わなければならない。約30分の夜の散歩となる。スタジアムにつながる道は、一部
朝に散歩コースでもあり、終点のスタジアムから望む道路は、ず~っと直線である。何キロ続くの
か、確かめる気力は萎えるほどライトが続く。北京の街の大きさが伺える。
8日目:7月28日(土)
夕刻5時のフライトである。時差がある
ので日本時間では18時。予定では21時に
セントレア着。大急ぎで入国を済ませ、
22時発の津エアポートラインでなぎさ町
21時解散の目論見は、“飛行機の車輪”
の不具合であっさりと葬られる。90分の
遅れで北京を後にする。何とか遅れを取
り戻してくれとの思いは空しく、セント
レアにタッチダウンしたのは21時55分。
14名の選手はセントレアで保護者に渡せ
たが、3名の選手と部長と私の5名は途方に暮れることになる。想定はしてあったので、空港で
レンタカーの手配に走るも営業は22時まで。津まで列車も頭に入れてあっ
たが、22時15分発の名鉄も既に発車した後。いよいよ追い込まれて
きたが、JSP白土さんの発案で、名古屋駅前でレンタカーを探すことに。
然しである、営業は22時で終了の店ばかり。時刻は0時を回る。
何とか、栄のニッポンレンタカーでホンダのフィットが1台あるとのこと。
タクシーとJSPの社用車で栄へ。流石日本車。いや、ホンダ車。
小さな車に5人のトランクと、各自の膝にお土産を乗せ、津到着
は1時30分、保護者に選手を渡すことができた。順調なスケジュール
であったが、最後に試練を残してくれた。全員無事帰国(一安心)