香山壽夫先生 日本芸術院賞受賞記念祝賀会 聖学院中学校・高等学校 百周年記念 建築家の香山壽夫先生が、聖学院大学チャペルを受賞対象作品 1906年米国基督教会(ディサイプルス)宣教師 H. H. ガイ先生の働きにより、石川角次郎先生を初代 として第 62 回日本芸術院賞を受賞されました。これを記念して 校長として聖学院中学校が創立されました。創立百周年を記念して、2006年11月18日 (土) 、ホテル 2006年6月21日 (水)聖学院大学において祝賀会が開催され、あ ( 関連記事 P.6 ∼ P.11) オークラ東京において式典・ 祝賀会が開催されました。 わせて名誉博士学位(キリスト教文化学) が贈呈されました。 受賞対象作品である聖学院大学 礼拝堂・講堂(チャペル) 式典にて挨拶する峰田将聖学院中学校高 等学校長 祝賀会は教職員、PTA、卒業生等約1000名が 出席され、盛大に行われました。 聖学院大学チャペル前の中庭に受賞記念碑が設置され除幕式が行われました。 日本芸術院賞受賞記念碑 その他百周年を記念して、バッハ・コレギウム・ ジャパンの記念演奏会や小柴昌俊先生、千玄 室大宗匠による特別講演会、 100年の歴史展、 記念植樹等多くの行事が行われました。 バッハ・コレギウム・ジャパン による記念演奏会(6月27日) 学位贈呈式でご挨拶される香山壽夫先生 学位贈呈式後、大学エルピスホール にて 祝賀会が開催されました。 聖学院100年の歴史展。左から西田善夫百周年特別委員会委員 長、峰田将校長、前田永喜聖学院中高同窓会会長 聖学院中高講堂前にオリーブが記念植樹されました。 |聖学院中学校・高等学校創立百周年記念式典式辞| 志の聖学院「聖学院百周年聖約」 学校法人聖学院 理事長・院長 大木英夫 巻頭言 聖学院中学校・高等学校創立百周年記念式典式辞 志の聖学院「聖学院百周年聖約」 ………………………… 1 よ り は 、キ リ ス ト の ディ サ イ プ スト教の真理は、 ﹁ 教 訓 ﹂と い う 理 で あ る こ と を 発 見 し た 。キ リ 間 との 人 格 的 出 会 いとしての 真 重 ん じ た 。聖 書 の 真 理 は 神 と 人 る キ リ ス ト 教 運 動 は﹁ 聖 書 ﹂を ス・オ ヴ・ク ラ イ ス ト ﹂と 呼 ば れ た 信 仰 復 興 運 動﹁ ディ サ イ プ ル ﹁ 聖 ﹂で あ る 。アメ リ カ に 起 こ っ で あ る 。聖 学 院 の﹁ 聖 ﹂は 聖 書 の ︵ドレイク聖 書 大 学 と) 呼 ばれた。 聖 学 院 中 学 校 設 立 三 年 前 のこと ﹁ ド レ イ ク・ バ イ ブ ル・ カ レ ジ ﹂ よ っ てできた 聖 学 院 神 学 校 は、 ドレイク の 一 万 ドル の 寄 付 に アイオワ州 知 事 の 名 前 である。 で あ る 。﹁ ド レ イ ク ﹂と は 当 時 の イェ ー ル 大 学 神 学 部 の﹁ 博 士 ﹂号 る 。ガ イ 博 士 の﹁ 博 士 ﹂は 名 門 ある ドレイク大 学 の 卒 業 であ 博 士 は 、ア イ オ ワ 州 デ モ イ ン に ハー ヴィ ー・ヒュ ー ゴ ー・ガ イ 先生との出会いであった。 の原点はガイ博士と石川角次郎 史 の 原 点 に 思 い を 馳 せ た い 。そ こ の 記 念 の 年 に 、聖 学 院 の 歴 Contents ル︵ 従 う 者 ︶と な っ て 体 得 さ れ る SPECIAL EDITION 【特集】 「聖学院百周年聖約」までの道のり ……………………… 3 聖学院中学校・高等学校百周年 ………………………… 6 聖学院創立百周年祝賀会での挨拶 理事長・院長 大木 英夫 NEWS & REPORT 聖学院大学総合研究所 ● 歴史の深層から北東アジア の平和を考える 女子聖学院中学校高等学校 ● 平和の思いを育てる授業 …………………… 13 日韓中学術セミナー「北朝鮮の改革可能性」…… 12 聖学院小学校・聖学院幼稚園 ● 子供たちのさらなる成長を願い ガイ博士と石川角次郎先生と 帰ってきた。 リ ス ト の ディ サ イ プ ル と な っ て リ ス ト 教 を 学 び 、そ し て 彼 は キ も っ と 偉 い 。アメ リ カ に 渡 り 、キ の も 偉 い が 、そ れ を 捨 て る の は る 決 意 を し た 。東 京 大 学 に 入 る も つ 人 で あ っ た 。東 京 大 学 を 去 心 の 内 に ま さ に そ の﹁ 大 要 求 ﹂を 求 を 有 す ﹂。石 川 角 次 郎 は 、そ の するにあらずんば 休 せざる 大 要 はその 心 の 中 に 最 奥 の 根 底 に 達 何 な る 時 に お い て も 人 な り 。人 を 与 う る に 足 ら ざ り き 。人 は 如 の説教は遂に人心に真個の満足 付 け 、こ う 書 い た 。﹁ 東 京 大 学 派 を﹁ 東 京 大 学 派 対 基 督 教 会 ﹂と 名 路 愛 山 は 、そ こ に 発 生 し た 対 立 と が 結 び つ く 。明 治 の 評 論 家 山 主 義 者 で あ り 、そ れ と 国 家 主 義 加 藤 弘 之 は 反 キリスト 教 的 近 代 のちに 東 京 大 学 の 総 長 とな っ た を 学 ば れ た 。当 時 の 法 学 の 教 授 、 東 京 大 学 予 備 門 に 入 り 、法 律 学 石 川 先 生 は 、十 六 歳 で 今 日 の ことを悟った。 聖学院教育会議から い う 二 人 の キ リ スト の ディ サ イ 聖 学 院 大 学 ● 政治経済学科の「時代を考える」授業 ……… 18 聖学院みどり幼稚園 ● 親と子が成長する「わかばクラス」………… 21 聖学院アトランタ国際学校 ● 種まき、収穫 そして、種まき ……………… 23 Close-Up ̶ 聖学院大学の狂言実習 ̶ 大蔵流狂言師 茂山 千三郎先生 インタビュー グラビア 聖学院中学校・高等学校百周年記念 香山壽夫先生日本芸術院賞受賞記念祝賀会 表紙 聖学院中学校高等学校外観(石川ベルタワー) 裏表紙 聖学院中学校高等学校講堂内ステンドグラス 27 ………………………………… 狂言のおもしろさを実体験 今 日 、聖 学 院 は 中 里 の 丘 に 新 学 院 ﹂を 始 め た 。 は ガ イ・石 川 の 同 志 が﹁ 志 の 聖 本 覚 馬 が﹁ 同 志 社 ﹂を 造 っ た 、東 を 始 め た 。西 に 同 志 新 島 襄・山 の教育が必要と信じ聖学院教育 に 応 え る た め 、人 は 若 い 頃 か ら 本 人 の 心 の 中 に 潜 む﹁ 大 要 求 ﹂ 時 代 の 流 れ に 抗 し て 、ま さ に 日 わゆる 不 敬 事 件 の 後 であ っ た。 内村鑑三が拝礼を拒むというい 勅 語 体 制 ができた 直 後 の 時 代、 る 。し か も そ れ は 明 治 憲 法・教 育 聖学院中学校を創設したのであ 併 し た ︶。そ し て 三 年 後 二 人 は 校は後に青山学院の神学部と合 学 校 の 教 授 と な っ た 。︵ こ の 神 学 て 、ガ イ 博 士 が 始 め た 聖 学 院 神 院教授という栄誉ある地位も捨 石 川 先 生 は 、帰 国 し て 得 た 学 習 の 䆦 啄 同 時 的 同 時 性 があ っ た。 そ の 出 会 い に は 、外 発 と 内 発 と た が 、こ の 二 人 は そ う で は な い 、 発 的 ﹂で 、﹁ 内 発 的 ﹂で な い と 言 っ 漱 石 は 、日 本 の 文 明 開 化 は﹁ 外 プ ル は 、東 京 で 出 会 っ た 。夏 目 スムーズ な「幼小連携」を …………………… 16 し い 校 舎 を 建 設 し た 。そ し て そ No.28 March 2007 1 聖学院報 部 ● 2005年度決算について …………………… 25 本 人 法 28 No. 聖学院報 理事長・院長 大木 英夫 特集 カ ワ・ベ ル タ ワ ー ﹂と 呼 ぶ 二 人 の 中 に﹁ ガ イ・ホ ー ル ﹂と﹁ イ シ る 、あ の アメ リ カ の 草 創 期 の メ ﹁ バ ン ド ﹂と は 聖 な る 契 約 で あ あ る 。こ の﹁ 聖 約 ﹂が 期 せ ず し て 識 が 聖 学 院 によみがえ っ たので 要 求 ﹂に 関 わ る 真 の 教 育 責 任 意 ﹁ ﹁ 聖 ﹂と い う 字 は﹁ 耳 ﹂と﹁ 口 ﹂と め 立 た ね ば な ら な い 。聖 学 院 の と し か 言 い よ う が な い 。聖 学 院 ために 備 えられためぐみの 賜 物 な い 、こ れ は 神 が こ の 百 周 年 の た 。こ れ は 人 間 が 企 て た の で は ﹁ ガイ ﹂ ・ホ ー ル に お い て 起 こ っ ﹁ 聖 ﹂の 文 字 で あ る 。こ れ こ そ キ に 立 つ 人 の 象 形 、そ の 組 合 せ が を 仰 い で 、手 を 広 げ 、伸 び や か 美 す る 口 、そ し て﹁ 耳、 ﹁ 口 ﹂は そ れ に 答 え て 祈 り 讃 高 い 天 からくる 神 の 言 葉 を 聞 く ﹂の 組 合 せ で あ る 。 ﹁ 耳 ﹂と は イフラワ ー 契 約 も 聖 なる 契 約 で は 、こ の 記 念 の 年 、そ の 原 点 に 、 で あ る 。こ こ 聖 学 院 に 世 界 の ど リ スト の ディサ イプルスの 生き方 まで聖学院は創立から百周年を記念 し、学 校 法 人 聖 学 院 と し て 心 を ひ と つ に し、創 立 の 理 想 を 回 顧 し、ま た 外面的復興によって隠蔽されてきた 内面的問題が今や人間や家庭の崩壊 と な っ て 現 象 し、重 い 教 育 課 題 と し て 迫 っ て い る。こ の 課 題 と 真 っ 向 か ら取り組み日本の未来に希望をつく り出すことはとくに ミッション・ス クールの使命であると言わねばなら 朝 よみがえ っ た 聖 学 院 の 鐘 の 音 しい 日 本 の 教 育 の 復 活 がある。 こにだしてもはずかしくない 新 等 学 校 校 歌 に こ う い う一 節 が あ そ の 元 気 を も っ て 、そ の 校 歌 を ち 、元 気 を 神 か ら 頂 い た 。だ か ら 今 年 の 夏 、聖 学 院 は 新 し い い の る。 ﹁ ここにて 学 ぶ 真 善 美 を ひ 歌 い た い 。そ う す る こ と に よ っ てわたしたちは 先 人 への 感 謝 と と つ の 聖 に す べ く く り て 、神 と あとで 歌 う 聖 学 院 中 学 校 高 が響きわたっている。 ﹂は 人 が 天 来る百年を展望する機会をもってき そ の 初 心 に 、立 ち 返 っ た 。そ し て 主の年二〇〇三年から二〇〇六年 た。日本の現状を顧みるとき、敗戦後 ﹁ イシカワ ﹂ ・ベルタワ ー か ら 毎 聖学院百周年聖約 の 創 設 者 を 記 念 する 建 造 物 があ る 。わ た し は と く に 今 年 の 夏 ガ イ・ホ ー ル で 起 こ っ た こ と に 触 れ た い 。一九 二 七 年 、ガ イ 博 士 の 思 想 の 極 み で も あ る 有 名 な﹁ 東 さ れ た 。博 士 は 東 洋 文 化 を﹁ 信 西 文 化 の 融 合 ﹂と い う 講 演 が な 用 文 化 ﹂、西 洋 文 化 を﹁ 契 約 文 化 ﹂ と よ び 、そ の 総 合 を 説 い た 。そ の 理 想 は、 ﹁ 国 体 の 本 義 ﹂や﹁ 臣 民 の 道 ﹂へ と 向 か っ た 偏 狭 な 国 家 主 義 化 の 重 圧 に 堪 えて 苦 節 四 十 年 、そ し て 敗 戦 後 は 経 済 復 興 に 外 面 は 豊 かな 社 会 の 中 で 時 流 に ない。学校法人聖学院は、聖学院が主 人 とにささげつくす これぞ 我 右 往 左 往 する 教 育 混 迷 六 十 年 を め新しい百年に向かって教育のため 未 来 への 決 意 を 込 めた 神 への 祈 と 仰 ぐ 神 の 前 に、こ の 使 命 達 成 の た 経 て 、今 年 聖 学 院 百 周 年 に よ み ら の尊 き 使 命 ﹂!﹁ 真 ﹂は 学 問 、 し、 ﹁ 聖 ﹂な き 科 学 は 原 爆 を 造 る 、 ﹁ 聖 ﹂な き 道 徳 は 堕 落 す る 、 ﹁聖﹂ な き 芸 術 は 頽 廃 す る 。日 本 近 代 と思うのである。 り と し 、百 周 年 の 記 念 と し た い に召された聖約共同体として自己を 形 成 し、法 人 全 体 一 致 協 力 し て 使 命 を 担 い、主 の 栄 光 を あ ら わ す よ う 努 めることを、ここに厳粛に聖約する。 二〇〇六年八月 ﹁ 善 ﹂は 道 徳 、 ﹁ 美 ﹂は 芸 術 。し か が え っ た 。ガ イ 博 士 の い う﹁ 契 約 文 化 ﹂を そ の 本 来 の 聖 書 的 意 味 に お い て 現 代 に 回 復 し 、聖 な る 契約、 ﹁ 聖 約 ﹂を 復 活 さ せ て 、 ﹁聖 学 院 百 周 年 聖 約 ﹂と し て こ の 百 化 は 、ま さ に そ の﹁ 聖 ﹂な る 頭 部 を 切 除 し た 文 化 で あ っ た 。そ の 学校法人聖学院理事会合宿一同 あ っ た 、そ れ と 同 質 の 崇 高 な 精 中 で 聖 学 院 教 育 はよみがえる。 周年の祝年に刻んだのである。 か え り 見 れ ば 、日 本 の プ ロ テ 神 が﹁ 聖 学 院 百 周 年 聖 約 ﹂と な っ よって﹁教育問題﹂の解決を図ることを各内閣の 題 ﹂としてのみとらえ、 ﹁教 育 基 本 法 の 改 定 ﹂に ス タ ント・キ リ ス ト 教 は 、札 幌 バ ﹁聖学院百周年聖約﹂ を 理事会合宿で完成 優先的課題として掲げてきました。 一九四七年に施行された﹁教育基本法﹂は﹁人 二〇〇六年八月、聖学院理事会合宿において、 ﹁聖学院百周年聖約﹂が完成するに至りました。 いますが、あたかもこの﹁教育基本法﹂が、現在の 日 本 の 教 育 現 場 のさまざまな 荒 廃 を 招 いている 格の完成﹂を目的とする﹁国民教育﹂を規定して 二 〇 〇 〇 年 から 聖 学 院 は、三 年 継 続 で 全 教 職 員参加の﹁教育会議﹂を開き、 ﹁聖学院教育憲章﹂ としてまとめました。 それ 以 前 から、日 本 の 政 治 動 向 には、森 元 首 相の﹁神の国﹂発言や憲法改定の動き、教育基本 ところが、この﹁改定﹂の中身を見ると日本人 人の一部が﹁改定﹂を主張する傾向がありました。 傾 向 がありました。この 社 会 的 動 向 を 聖 学 院 は ない復古的な国家主義を重視する色合いがうか の 古 いアイデンティ ティ の 押 し 付 けになりかね 元凶であるかのように強調し、政府関係者や知識 法 改 定 の 動 きなど、教 育 に 関 連 して 憂 慮 すべき 先 駆 的 に 捉 えて、教 育 会 議 という 形 式 で 討 議 を がえました。 日本は過去において﹁愛国﹂を標榜するナショ ナリズム を 掲 げて 近 隣 諸 国 を 侵 略 するという 重 行ったのです。 ﹁聖 学 院 百 周 年 聖 約 ﹂ 完 成 この教育会議以降、 までの経緯を振り返ってみたいと思います。 大な失敗を犯しました。このことからも﹁愛国心﹂ についての考え方などは、とくに十分な議論と幅 主張する動きは、政治的に拙速としか見えないや 広い認知が必要なはずです。ところが、 ﹁改定﹂を 教 育 現 場 には、昨 今 改 めてクロ ー ズアッ プ さ ﹁教育基本法改定﹂の動きと 聖学院独自の教育方針の確立 れている﹁いじめ﹂や﹁不登校﹂の問題や青少年 はじめ、さまざまな 問 題 が 山 積 みとな っ ていま 示 し、教 育 に 対 する 聖 学 院 としての 独 自 のヴ ィ 視した﹁改定﹂の動きとは異なる立場を内外に明 聖 学 院 では、こうした 教 育 本 来 のあり 方 を 軽 り方で﹁手続き﹂だけを隠然と進めていました。 す。一方では、高度情報化や国際化が日々進む中 ジョン を示し、創造・行動することが急務である 犯罪の増加・低年齢・悪質化、基礎学力の低下を で、教育をめぐる環境も大きく変化しています。 と考えました。 つまり、 ﹁教育基本法﹂の精神を現代に生かし これまでの教育の枠組みはこの大きな変化に合 わせて根本的に見直すことが必要です。 新 たな 指 針 を 打 ち 出 していくことであると 考 え て、教 育システム全 体 を 見 直 し、今 後 の 教 育 の 森元首相、小泉前首相ともに、日本の教育全体に たのです。同 時 に、聖 学 院 の 教 育 とは 何 かとい 教育会議が企画された当時から、日本政府は、 関 わるはずの 根 本 的 な 問 題 を﹁教 育 基 本 法 の 問 No.28 March 2007 2 聖学院報 No.28 March 2007 3 聖学院報 今 こそ 聖 学 院 の 使 命 を 果 たすた 第3回 聖学院教育会議 て 現 れ た 。あ の 人 間 に 潜 む﹁ 大 2000 年に聖学院の教育指針を明確にするために設 置された「聖学院教育会議」は、2002 年 11 月「聖 学院教育憲章」を宣言しました。その後も、 聖学院は 全法人的な改革を進めています。このたび、百周年 の締めくくりとして、さらに次の百年に向けて「聖学 院百周年聖約」 が発表されました。 これまでの歩みと 「聖約」 の意義についてご紹介します。 ン ド 、横 浜 バ ン ド 、熊 本 バ ン ド 、 聖学院教育会議から 「聖学院百周年聖約」までの道のり |聖学院 教育会議から「聖学院百周年聖約」までの道のり| 特集 うことを 具 体 的 に 明 確 にすることも 目 指 して、 二〇〇〇年に﹁聖学院教育会議﹂を設置しました 。 二〇〇二年 十一月 ﹁教育憲章﹂﹁アクションプラン﹂ の制定 三年間にわたる﹁聖学院教育会議﹂での検討の 成 果 として、二 〇 〇 二 年 十 一 月 十 四 日﹁聖 学 院 この﹁聖学院教育憲章﹂とともに﹁聖学院教育 教育憲章﹂が宣言されました。︵資料 1︶ 二〇〇三年八月 ﹁理事会ドクトリン﹂で改革の基本方針を明示 翌二〇〇三年には、﹁聖学院教育憲章﹂と﹁聖学 院教育会議アクションプラン﹂をさらに推進する 置 し、大 学 宗 教センタ ー と 共 に 全 法 人 的 な 宗 教 指導を目指す。 Ⅴ学校法人百周年を記念・祝賀し、祝賀行事の企 図のために組織委員会を発足する。 こ の﹁ 理 事 会 ド ク ト リ ン ﹂を 受 けて 、聖 学 院 各 校 は 相 互 に 協 力 し な が ら 、英 語 教 育 や 生活 指 方 針 として、八 月 に 理 事 会 合 宿 において 以 下 の ﹁理事会 ドクトリン﹂が決定されました。 理 事 会 で は 〇 四 年 、〇 五 年 にも 引 き 続 き﹁ 理 導などの具体的改革策を実践してきました。 事 会 ド クトリ ン ﹂の 実 施 の た めの 具 体 策 を 協 英 語 教 育 体 制 を 整 備 し、小 学 校 から 新 しい 英 Ⅰ﹁英語の聖学院﹂プロジェクト 語教育カリキュラム を導入する。他 によ っ て、 ﹁キリスト教 教 育 ﹂ ﹁聖 学 院 教 育 と 教 校の教員と職員、及び本部や関係職員の協力体 生 活 指 導 の 充 実 のための 諸 方 策 を 検 討 し、各 な っ た こ と︵ 教 育 理 念 の 明 確 化 ︶が ま ず あ げ ら の 教 育 と は 何 か ﹂が 教 職 員 一 人 ひ と り 明 確 に これまでの 改 革 の 成 果 としては、 ﹁聖 学 院 議 、検討 し 、全 聖 学 院 的 に 改 革 を 実 践し ま し た 。 ﹁教育力の開発﹂ 育基本法﹂ ﹁自由と責任の教育﹂ 制をつくる。他 "Only one for 周 年 聖 約 ﹂によ っ て、 ﹁聖 学 院 教 育 憲 章 ﹂にある ﹁オンリーワン・フォー・アザーズ ﹂という﹁個人の尊重と他者への配慮﹂を others" 基調とした﹁聖約共同体﹂として自己を形成し始 めました。 新 しい 日 本 の 創 造 のために﹁ サ ー ヴァント・ リーダーシップ ﹂をもって "Servant Leadership" 努 めることを 聖 約 する、それが、 ﹁聖 学 院 百 周 年 聖約﹂です。 問 題 解 決 のためには、チ ー ム を 形 成 し、サ ッ カ ー でいえば﹁ フォ ー メ ー シ ョ ン ﹂を 組 まなけ ればなりません。チーム が 一 丸 とな っ て 相 手 の ゴ ー ル を 目 指 すことなしに、得 点 を 上 げること はできません。日本の諸問題に取り組む﹁フォー メーション﹂を構築し、新しい百年に向かって全 聖 学 院 が、今、 ﹁聖 約 共 同 体 ﹂として 歩 み 始 めて No.28 March 2007 Ⅱ﹁生活指導の充実﹂ ﹁ことばとコミュニケ ー ショ ン の 教 育 ﹂ ﹁英 語 教 れ ま す 。また、 ﹁法 人 内 の 学 校 の 連 携 が 頻 繁 に 行 ﹁小、中、高、大学との英語教育の連携﹂など全法 われるようにな っ た ﹂という 評 価 もあります。 Ⅲ﹁契約﹂による使命共同体の形成 日本の新しい社会体制とは 、キリスト教的な契 育﹂ ﹁コンピュータ教育﹂ ﹁キャリアガイダンス﹂ 約共同体の形であると認識し、聖学院の教育の変 2002 年 11月 14日 聖学院教育会議 とに、具体的な達成目標を掲げました。 以上ここに宣言いたします。 人的な連携が生まれています。 ます。 革を達成し、新しい日本の形成モデル となる。他 アザーズ(他者のために生きる個人)の 聖学院は、百周年の節目に発表した﹁聖学院百 り、そしてそれはオンリーワン・フォー・ Ⅳ 駒 込キャンパス にもキリスト教センタ ー を 設 いわゆる﹁EU人権契約﹂においては、﹁コヴェナ ﹁重い﹂内容に対してこの言葉が選ばれたのだと ント﹂という言葉が用いられました。人権という 会ではさまざまな形での﹁家庭崩壊﹂が進んでい での﹁聖約﹂である﹁コヴェナント﹂によって初め るものですので﹁聖約﹂と訳せるでしょう。神の前 より重く、結婚の﹁契約﹂のように神の前で行われ このことから﹁コヴェナント﹂は単なる﹁契約﹂ 考えられます。 学院は重い教育課題と捉え、ミッション・スクー ル の 使 命 として、その 解 決 のために 真 っ 向 から 取り組むことを﹁聖約﹂するものです。 社会の基礎単位は﹁家庭﹂です。 ﹁家庭﹂は結婚 て家族となり家庭を築くのです。この﹁コヴェナ ワン教育ではなく、 オンリ−ワン教育であ 4 会議アクションプラン﹂が発表されました。これ く教育をします。聖学院教育はナンバー ある﹁コヴェナント ﹂として 捉 える 考 え 方 です。 が問題とされ、 "From Contract to Covenant" と言 われています。結婚をより﹁聖書的﹂な﹁契約﹂で 最近アメリカ では、やはり結婚や家庭のあり方 ります。 ト "Contract" ﹂で す が 、こ れ と 同 じ﹁ 契 約 ﹂と 訳 さ れ る 言 葉 に﹁ コ ヴェナ ン ト "Covenant" ﹂が あ 見することを助け、 個人の人格の完成へ導 ﹁算数・数学教育﹂ ﹁教育支援事務﹂の十の部会ご 二〇〇六年 八月 ﹁聖学院百周年聖約﹂ の完成へ 聖学院は、百周年を記念し、 ﹁聖 学 院 百 周 年 聖 約﹂を完成しました ︵二頁参照︶ 。この﹁聖約﹂は、 二 〇 〇 六 年 八 月 八 日 に 行 われた、大 木 英 夫 理 事 長・院長による講演﹁聖約共同体の形成﹂を基と したものです。 聖学院は、 一人ひとりが神からかけが ます。こうした 日 本 社 会 の 山 積 された 問 題 を 聖 家庭内での悲惨な事件が続発するなど日本社 教育の根本目的とします。 聖学院報 No.28 March 2007 5 際社会に貢献する人間を育成することを ント=聖約﹂ という原理が広く浸透すれば、﹁家庭﹂ 聖学院中高百周年 によ っ て 形 成 されます。日 本 の 憲 法 でも 二 四 条 2006 年 に明記されているように、結婚は﹁契約﹂として 理事会合宿 聖学院百周年聖約完成 聖学院報 もって責任を果たすため自己革新に努め 2006 年 8月 信に基づき、 それぞれの固有な賜物を発 聖学院ミッション団の訪米 (米国ディサイプルス教会本部、 男子、 女子聖学院中高 開設者墓地等の訪問) 2004 年 5月 もとに、 サーヴァント・リーダーシップを 女子聖学院中高百周年 えのない賜物を与えられているという確 聖学院神学校百周年 2003 年 る者こそが社会を導いていくとの確信の 2005 年 聖学院教育の理念 理事会合宿 実行に移すための具体策 「理事会ドクトリン」作成 2003 年 8月 第 2回教育会議 います。 理事会合宿 英語一貫教育、 聖約共同体 について検討 理想の実現を図り、 将来の日本および国 2002年 11月 第 3 回教育会議 「教育憲章」 および 「アクションプラン」完成 のあり方は日本でも変化するでしょう。 第 1 回教育会議 捉 えられています。この﹁ 契 約 ﹂は﹁ コントラク 2000 年 10月 リストの模範に従い、 人々に最も良く仕え 2005 年 8月 聖学院は、 日本国憲法(1946年制定) 聖学院教育会議 聖学院教職員は、 「仕えられるためで 聖学院大学チャペル完成 聖学院教育の根本目的 2000年− 2002年 はなく、 仕えるためにきた」と言われたキ 2004 年 11月 聖学院教育憲章 関連年表 聖学院教職員の自己革新 滝野川教会百周年 資料 1 資料 2 教育です。 2004 年 と教育基本法(1947年制定) に示された 2001年 10月 理事会合宿 ドクトリンにある英語一貫 教育、 マナー教育について 検討 2004 年 8月 三校一園合同で行った、クリスマスツリー点火祭 (2006年11月24日 於 聖学院小学校) 聖学院小学校の英語授業 |聖学院中学校・高等学校百周年| 特集 高校新聞第一号が発刊。 して活躍中だった石川清先生が就任。 聖学院中学校高等学校 百年の歩み ■ 宣教師 H・H・ガイ先生 一 八 九 三 年、米 国 基 督 教 会︵ ディ サイプルス ︶ 宣 教 師ガイ先 生 が 初 来 日。一 九 〇 三 年、本 郷 基 督 教 会 の 中 に 聖 学 院 神 学 校 を 開 校。キリスト教 にもとづく 人 間 教 育 を 掲 げた 一 歩 を 踏 み 出 し ました。その 後 滝 野 川 の 現 在 の 位 置 に 敷 地 を 購 入、校舎を建築して移転し、滝野川教会、聖学院 中 学 校 第 二 校 舎 となり、一 九 六 三 年 新 理 科 館 が 建 設 されるまで 使 用 されました。ガイ博 士 は、 伸び 伸びと活躍 締めくくるのに相応しいものとしたいと念じていました。お祝いの しています。彼ら 主体は誰かと考えた結果、卒業生と在校生を対象としたイベント を育んだ聖 学 院 が主体になりました。超一流な方の講演、世界に通用するバッハ には、この地に学 の音楽など、普段はおそらく触れる機会の少ない最高級なものと 校を開いた先人たちの見識が、 百年たった今でも色褪せることなく 息づいています。それは 21世紀の今にこそ必要な教育理念であり、 あったと思います。 次の百年に受け渡すことができるものだと確信しています。 No.28 March 2007 初 代 校 長 石 川 角 次 郎 先 生 と 協 力 して、一 九 〇 四 年聖学院英語夜学校、一九〇六年聖学院中学校 創 立 に 尽 力 されました。本 校 五 階 の 小 講 堂 ガ イ・ホール は博士の功績を記念して命名されま た賜物を活かし、 女子聖学院も法人も百周年を迎える中、 男子校の百年は最後を 6 した。 ︶∼一九三〇︵昭和 5︶︼ それぞれ与えられ れたことに、 非常な喜びと責任の重さを感じています。 聖学院報 ■ 初代校長 石川角次郎先生 ︻一九〇三︵明治 一九〇六年聖学院中学校開校。その設立は、米 国基督教会︵ディサイプルス︶の外国伝道協会に シティカレッジ、オハイオ 州立大学で英文学を学 よるものでした。初代校長の石川先生は、ユニバ び、学習院で教鞭を執っていましたが、ガイ博士 と本校の創立に力を注ぎ、召天されるまで、聖学 院のために一生を捧げました。石川先生を記念し て、講堂ロビーに胸像、そして石川ベルタワーが あります。 創立当初は一学年一クラス四十人定員の少数 精鋭でした。四千坪の敷地は鬱蒼とした樹木に包 まれ、校舎や宣教師館は﹁椎の木屋敷﹂と呼ばれ の出逢いが将来彼らの記憶に残っていれば、 百周年記念の意味は ていました。他の中学校では珍しかった野球部と 卒 業生たちは 長の任に就いた私が、百周年という歴史の節目に摂理として導か 校 は 校 庭 に 面 した 赤 門 が 消 失 したのみで、本 校 終戦後の一九四七年、 6・3・3・4 の新学制が 舎への類焼は奇跡的に免れました。 ■ 第四代校長 K・C・ヘンドリックス先生 一 九 五 一 年、男 女 聖 学 院 が 別 々 の 財 団 法 人 か ■ 第五代校長 畑中岩雄先生 一九五四年三月、火災により創立当初の面影を 1912 年( 明治 45 年) 頃の野球部員。写真後列左端の宣教師 A.W. プレース先生は テニス部も指導されました。 百周年祝賀会で式辞を述べる峰田校長 これまで聖学院とゆかりがなく、ショートリリーフのつもりで校 テニス部も結成されました。 石川校長の没後、T・A・ヤング先生が校長事務 取扱に。ヤング先生は米国で新校舎建設のために した。 ︻一九五〇︵昭和 ︶∼一九五二︵昭和 ︶︼ 実施され、聖学院中学校高等学校となりました。 ■ 第二代校長 平井庸吉先生 巨額の資金を集めるなど、多大な業績を残されま ︻一九三二 ︵昭和 7︶ ∼一九四〇︵昭和 ︶︼ 施 設 は 一 九 三 七 年 に 本 校 舎、一 九 三 九 年 に 体 ら﹁学校法人聖学院﹂という一つの組織となって 陸軍の現役将校が配属され、 ﹁学校教練﹂が正科 ︻一九五二︵昭和 ︶∼一九五八︵昭和 ︶︼ の 初 代 理 事 長 に、本 校 第 一 回 卒 業 生 で 実 業 家 と に紹介、関心と援助をもたらしました。学校法人 先 生 は、校 長 として 聖 学 院 を 広 くアメリカ各 地 新 しいスタ ー ト を 切 りました。ヘンドリックス ︶ ∼一九五〇 ︵昭和 ︶︼ 目 として 実 施 されることになり、戦 時 色 の 強 い 一 九 二 五 年 陸 軍 現 役 将 校 配 属 令 公 布 に より、 ︻一九四〇 ︵昭和 ■ 第三代校長 富永 正先生 育 館、一 九 四 二 年 に 東 校 舎 改 修 と 武 道 場 と 逐 次 27 33 36 峰田 将 創立時代からの校舎(1954年 3月火災で焼失) 整え、生徒も増加の一途をたどりました。 25 27 No.28 March 2007 15 25 ものとなりました。一 九 四 五 年 四 月 には 空 襲 に 聖学院中学校高等学校 校長 聖学院中学校高等学校は、2006年創立百周 年を迎えました。2003 年の学校法人聖学院、 2005年の女子聖学院と続いた一連の創立百周 年の締めの年となりました。これまでの歴史を振 り返り、 百周年行事、 今後の展望をお伝えします。 神学校寄宿舎の前で。後列左から 3 人目・富永正(第三代校 長)、右隣・長谷川仁(日動画廊創設者) 、前列左から 3 人目・ 小田信人(第二代理事長・元女子聖学院院長)、右隣・畑中岩 雄(第五代校長) 7 聖学院報 15 より 駒 込 中 里 一 帯 は 猛 火 に 包 まれましたが、本 百周年記念行事を振り返って 聖学院中学校・高等学校 百周年 第1回卒業生記念写真 |聖学院中学校・高等学校百周年| 特集 入 生 合 宿、本 州 縦 断 徒 歩リレ ー など、様 々 な 行 事が推進されました。 回卒︶が三十九年振り 一九七〇年にはオリンピック二大会出場の経 験を持つ山田宏臣選手︵ に走幅跳の日本記録を塗り替えました。 創立 百 周年記念行事 聖学院中学校高等学校校務部長 創立百周年実行委員長 平方 行 聖学院中学校高等学校は二〇〇六年創立百周 就任。 ともに、聖学院中学校高等学校に集う多くの人 院 中 高 の 教 育 ﹄のなかで 意 義 あるものにすると 委員会を組織して、百年という節目の年を﹃聖学 年 を 迎 えました。二 〇 〇 四 年 に 創 立 百 周 年 実 行 ■ 第八代校長 林田秀彦先生 一 九 七 九 年、第 二 代 理 事 長 に 小 田 信 人 先 生 ︻一九八○︵昭和 ︶∼二〇〇〇年︵平成 ︶︼ 今に続く﹁オンリーワン教育﹂が提唱された時 るよう準備を進めて参りました。 ﹃創立百周年記 たちに感謝の意を表する創立百周年イヤーとな た。しかし、その試練を乗り越え翌一九五五年、 残す講堂・東校舎を焼失する悲劇に見舞われまし ランタ国 際 学 校、一 九 九 六 年 には 聖 学 院 大 学 年、聖 学 院 大 学 開 設。一 九 九 〇 年 に 聖 学 院アト 一九八五年、大木英夫理事長が就任。一九八八 創立百年という年に教育の一環として企画され きし、好評のうちに終了いたしました。これらは 月 三 日 ︶が 生 徒 のほかに 保 護 者 及 び 来 賓 もお 招 年 記念礼拝・講演会﹄︵高校九月二十五日、中学十 念演奏会﹄︵二〇〇六年六月二十七日︶﹃創立百周 新 講 堂 竣 工。同 年 にバドミントン部 がインタ ー 大 学 院 を 開 設。一 九 九 三 年 十 一 月、聖 学 院 創 立 たもので、聖学院中高の教育の求める文化的質 No.28 March 2007 代です。創立八十周年記念事業として新校舎︵現 ハイ で、団体・個人優勝による初の完全制覇を成 九 十 周 年 とディサイプルス宣 教 一 一 〇 年 を 記 念 中学棟︶竣工。 し遂げました ︵一九六二年に二度目の全国制覇︶ 。 二〇〇六年度、中高全学年が五クラス となり、 中高一貫教育体制が整いました。 ︵グラビアページ参照︶ の 高 さと 本 物 志 向 を 表 出 しているといえます。 一九九六年、新校舎・講堂棟建設の設計開始。 挙行。 して﹁ 九〇 +一一〇﹂記念式を日本武道館にて ■ 第六代校長 海野次郎先生 一九六二年、スキー教室が始まりました。夏期 基本コンセプト は﹁光と水と風のシンフォニー﹂ ︻一九五八 ︵昭和 ︶ ∼一九六九 ︵昭和 ︶ ︼ 学校の水泳訓練再開、母の日礼拝の作文朗読が でした。二〇〇〇年一月、新校舎・講堂竣工。 ︻ 二〇〇〇 ︵平成 ︶ ∼︼ ■ 第九代校長 峰田 将先生 始まったのもこの時期でした。一九六三年、新理 科館が完成しました。 ■ 第七代校長 太田六郎先生 ︻一九六九 ︵昭和 ︶ ∼一九八〇 ︵昭和 ︶ ︼ 初の母校出身校長が就任。公立高校が荒れる ら尽きない感謝を申し上げます。 二〇〇六年十一月、創立百周年記念式典・祝賀 聖学院と米国基督教会(ディサイプルス・オブ・クライスト)に心か ウンサーであり、 私が 1947年に英語の教科書と一緒に持ってきた 中、次世代の私学志向を先見した教育環境の整 るという聖学院の歴史的使命に参加する機会を与えてくださった、 めていました。もう一人は西田善夫さん。彼は高名なスポーツアナ 会を挙行、来る新しい百年に向けて第一歩を踏み ん。私は 1986 年から 1990 年まで国際基督教大学の副学長を務 備 が 進 みました。一 九 七 四 年、旧 体 育 館 の 四 倍 戦後まもなくの時期に、 キリスト教に基づく青少年教育を提供す 出しました。 戦後の復興と教育の “ゆりかご” (発祥地) であったと考えています。 る国際基督教大学高等学校校長を最近退任された桑ケ谷森男さ のフロア を 備 えた 新 体 育 館 が 完 成。歩 く 会、ア た日本及びその他の国での私の将来の キャリア、それだけでなく 創立百周年記念講演会。 高校生対象の講演会後、ノ ー ベル物理学賞を受賞し た小柴昌俊先生に生徒より花束を贈呈しました。 聖学院での私の思い出を象徴的に示しています。一人は三鷹にあ 名 が 参 列 し て 、式 は 厳 か な 雰 囲 気 の な か 滞 り な く終了いたしました。 が、1947 年から 1950 年まで戦後新しく宣教教師として勤めた メリカホームステイ、クロスカントリー、高 校 新 そして、十一月十八日︵土︶の昼にオリーブ の 百周年祝賀会 参 列 者 に 加 え P T A・後 援 会・卒 業 生 など 総 勢 一方、壇上では、元NHKアナウンサー・川野 軍士官として日本語を学んだ後に初めて給与を得た仕事であり、 ま 百周年記念式典 木が百周年の記念として、峰田 将校長をはじめ 中学高校生徒会・PTA・後援会・同窓会の代表 また、夕 方 からはホテルオ ー クラ東 京 におい 一 千 名 が 参 加 し、式 典 とは 対 照 的 に 和 気 藹 々 と つづいて行われた祝賀会︵平安の間︶には式典 て 創 立 百 周 年 記 念 式 典︵ 於コンチネンタルル ー したなかにも 聖 学 院 のエネルギ ー とパワ ー 漲 る 者の手によって校庭に植えられました。 ム︶ が行われ、大木英夫理事長・院長が﹃ 志の聖学 温 める 卒 業 生 や、昔 を 懐 かしむさまざまな 光 景 会 になりました。会 場 のあちらこちらで 旧 交 を 二頁参照 ︶ ̶ 院﹁聖学院百周年聖約﹂﹄という式辞を述べられ ました。︵一 部長、キリスト教学校教育同盟・久世了理事長、 一宇氏の司会進行により、大木英夫理事長・院長 を目にする度に安堵感に包まれました。 東 京 私 立 中 学 高 等 学 校 協 会・近 藤 彰 郎 会 長 のお による 式 辞、花 川 與 惣 太 東 京 都 北 区 長、財 団 法 つづいて 東 京 都 生 活 文 化 局・新 行 内 孝 男 私 学 三 方 から 祝 辞 をいただきました。その 内 容 は 聖 人東京都私学財団・酒井 理事長の祝辞のほか、 学 院 の 歩 んできた 教 育 の 業 を 評 価・期 待 するも 峰田将校長の式辞、来賓の紹介が行われました。 聖学院中学校高等学校での 3 年ほどの教師生活は、戦時中海 当に心温まることでした。特にこの祝賀会で会った 2 人の「少年」 8 53 のでありました。そこには 行 政・私 立 学 校 関 係 55 年以上前の私の教え子であった「少年」たちに会えたことは本 聖学院報 55 12 聖 学 院 に 赴 任 されていた 宣 教 師 H・C・シ ョ ー めて学んだ生徒の一人です。 ていただき、私にとって忘れることのできない経験となりました。 “豚革製” (PIGSKIN)ボールを使ってアメリカンフットボールを初 大木英夫理事長、峰田将校長先生に祝賀会にあたたかく迎え 44 55 者・旧教職員・聖学院関 係 者 な ど 合 わ せ て 三 〇 三 ハラム・ショーラック No.28 March 2007 9 12 ショーラック先生を囲んで (アメリカンフットボール・チームメンバー、同窓生たち) 聖学院報 校舎全景 1952(昭和27) 年頃 祝賀会にて、宗教委員会による讃美歌 米国基督教会 (ディサイプルス・オブ・クライスト)宣教師と して来日され、1947年から1950年まで聖学院中高で英語 を教えられていたショーラック先生より祝辞をいただきま したのでご紹介いたします。 ( HPに英文掲載) 聖学院中学校・高等学校百周年によせて 33 44 |100周年記念| |聖学院中学校・高等学校百周年| 特集 認識することが出来ました。学院創立にあたった石川角 募集に走り回ったくらいの思い出しかなかった私に、百 次郎先生や宣教師の方々の意気込み、白亜の殿堂(旧 年もの歴史をまとめるほどの役が務まるはずはないと 本館)を建てるため募金に奔走された ヤング先生の貢 思ったのです。 献、私立学校隆盛を見越して校舎拡充を図った太田六 あらためて八十年史に目を通したのですが、これを編 郎校長の先見の明、教師と生徒の交流・・・。発展と変化 纂された山田恵一先生のご努力の甲斐あって、完璧にま を実感しながらまとめた『聖学院中学校高等学校百年 とまっている。特に創立期のことは実に緻密に調べ上げ 史』 は、2007年 3月中旬発行予定です。 てありました。 「百年のうち8割は出来上がっており、土 八十年史には載っていない資料の発掘もありました。 台がしっかりしているのだから、あと 20年分を足せばい 歴史的な評価が定まらず、百年史への収録を見送った話 い」 と思い、 お引き受けしたのです。 題もあり、今は「将来使えそうだ」と感じた資料の整理と とは言え、百年の通史なのですから、ただ 20年分だけ 保存に努めているところです。聖学院の次の百年につい 付け足したのでは先人に対して申し訳ありません。私な て語ることなどできませんが、次の百年史の編纂に向け りに力を入れたのは、 資料の充実でした。 『校友会雑誌』 て、 その一端を ラ ッ ク 先 生 も 列 席 され ま し た。ま た、 ﹁聖 学 院 一 〇 〇 年 を 語 る ﹂と 称 し 、先 生 方 、同 窓 生 に 登 壇 し ていただき、大 ス クリ ー ン に 映 し 出 した こうして 百 周 年 イヤ ー は 幕 を 閉 じますが、 職員の在職期間など、地道に調査・整理を続けました。 教大学の副学長をされたショーラック先生ご夫 日され、聖学院に教えられ、その後は国際基督 リカ のディサイプルス派の宣教師として戦後来 た。この百周年を記念して、今日はここにアメ 教 会 から 多 くの 援 助 をいただいてまいりまし の復興に際してアメリカ のディサイプルス派の 聖学院はその創設の初めから、また特に戦後 モアブ の地で死んだ。主は彼をモアブ の地の谷 して 主 のしもべモ ー セ は 主 の 言 葉 のとおりに の 申 命 記 の 最 後 にこう 記 されています。 ﹁こう のことを思い出させられたからです。旧約聖書 をもよおさせるものがありました。モーセ の墓 士の墓がない、その知らせはわたしに深い感慨 いに墓が分からなかったのであります。ガイ博 の墓を尋ねることを願っていました。しかしつ 学校法人聖学院 理事長・院長 大木 英夫 妻がご臨席ですので、聖学院の深甚なる感謝の に葬られたが、今日に至るまでその墓を知る人 はない ﹂ 。まさにモ ー セ のようにガイ博 士 の 墓 思いをお伝えいただきたいと思います。 学校法人聖学院理事会は、百周年を迎えるに は知られていないのであります。 有名な彫刻家画家保田龍門は、貧しくてモデ ル を雇うお金もないとき農婦であった母、一生 懸命働いて自分を育ててくれたその母をモデル として﹁母の像﹂を描きました。その絵で有名に なり、フランス留 学 もできました。母 を 失 っ た とき、 ﹁わたしは母の墓標になりたい﹂と言った きの 中 にあるの ト教二千年の動 け 継 いだ キリス りのいのち を受 てそのよみがえ 字架を 担いそし でしょ うか。十 の 墓 標 ﹂とは 何 した。 ﹁ キリスト ないと 言 われま り 墓の 中 にはい 貴重な資料となった 学内印刷物 聖学院の写真と共に語っていただきました。 作業を通して、改めて聖学院の魅力、その懐の深さを再 45 年間、体育科教員として奉職してきたとはいえ、生徒 でありたいと思うのであります。 出発する、それが聖学院流の百周年記念の仕方 いつつ先人への感謝を新たにし、未来へ新しく に 新しい時代の中に響きわたる、そのことを願 ﹁石川ベルタワー ﹂から響き出る鐘の音のよう 学院を創立した石川角次郎先生の名を冠した はその使命を果たす、それがガイ博士と共に聖 さげつくす これぞ我らの尊き使命﹂と歌うあ の校歌のように、聖学院第二世紀にわたしたち 美をひとつの聖にすべくくりて、神と人とにさ るのではないでし ょ うか。 ﹁ここにて 学 ぶ 真 善 百年聖学院教育を立派に果たす実行の中にあ 教育の中によみがえり、先人の志をついで来る ﹁キリスト の 墓 標 ﹂とは、キリスト が 聖 学 院 吹いているのです。 歌がありますが、その風︵スピリット︶が世界に ではないでしょうか。 ﹁千の風になって﹂という 大任を託された時は正直言って戸惑いました。聖学院で のであります。その 墓 標 とは、芸 術 家 としての ています。 聖 学 院 中 学 校 高 等 学 校 は 百 年 を 教 育 機 関 とし それでも各時代の学費、交通機関、校舎配置図や教 任された時からスタートしていたのですが、その編纂の 仕事を立派に果たす生きた墓標となることを意 項すらありませんでした。 て 歩 み 、学 校 文 化 を 創 り あ げ て き ま し た 。そ の 百年史を作る、その企画は 2000 年に峰田校長が就 味 したのであります。モ ー セ の 墓 もないが、ガ ないかと思っ 印刷物が作成されていない。昭和 21年などは、募集要 原 点 を 深 く 検 証 し 、創 立 者 の H・H・ガイ博 士 将来使えそうな資料も保存 イ博 士 の 墓 もないのです。しかし、キリスト の たせたのでは 戦直後の時期についてでした。極端な物資不足のため、 や 初 代 校 長 石 川 角 次 郎 先 生 の﹁ 日 本 に 不 可 欠 8割出来上がっていた土台 墓 もないのではないでし ょ うか。たしかにエル 担う役 割は果 いるものに依ったのですが、苦労を感じたのは戦中・終 で あ る と 考 え た 教 育 ﹂、日 本 人 の 心 の な か に 潜 える 教 育 を 考 えた 上 で 百 一 年 目 の 一 歩 を 踏 み 真田 幸男 サレム には聖墳墓教会があります。しかし復活 『椎陵』 『聖中学報』といった、主に印刷物として残って む﹁ 大 要 求 ﹂︵ 一 頁・大 木 理 事 長 式 辞 参 照 ︶に 答 出したいと思います。 学院百年史編纂者・聖学院中高前校務部長 聖学院創立百周年祝賀会での挨拶 次の百年史に想いを寄せながら のキリスト は、﹁わたしはそこにはいない﹂、 つま No.28 March 2007 10 聖学院報 No.28 March 2007 11 聖学院報 あたり、 アメリカ の教会や関係団体に感謝の意 を表すために訪問使節団を派遺いたしました。 そのときクレーラ先生と峰田校長は、ガイ博士 宣教師 H. H. ガイ先生(上) 初代校長 石川角次郎先生(下) 祝賀会にて挨拶する大木英夫理事長・院長 都築宗政・元同窓会会長 (右) 。高校時代、 アメリカンフットボー ル で身体を鍛えたこと、旧教員の小野忠男先生に親身に接し てもらい、それがき っ かけで洗礼を受けることにな っ たとい う心温まるエピソード をうかがいました。左は司会の元 NHK アナウンサー川野一 宇氏。 N E W S &R E P OR T N E W S &R E P OR T 聖学院大学総合研究所 国、日本の役割は何か、など熱気の が可能なのか、その場合の中国 、韓 解決のためにはどのようなプロセス もありうるのではないか、平和的な しました。議論も北朝鮮の体制崩壊 八十九名が参加し、会場を埋め尽く ともあり、申 し 込 み 人 数 を 上 回 る 挨 拶 を 結 びました。歴 史 の 深 層 か より、金芝河の言葉に共鳴する﹂と 味 では、現 在 の 日 本 の 首 相 の 言 動 当 の 解 決 にならない。そういう 意 的 基 盤 の 整 備 がなされなければ 本 済 問 題 の 解 決 にとどまらず、倫 理 らこの 問 題 に 取 り 組 み、政 治、経 し、 ﹁東アジア の歴史問題の深層か 歴史の深層から北東アジア の平和を考える 日韓中学術セミナー﹁北朝鮮の改革可能性﹂ セミナ ー では、韓 国 の 北 朝 鮮 研 の集会室を会場に開催されました。 十七日︵金︶に聖学院本部新館二階 二月に六カ国協議で合意文書がまとまりましたが、北が核兵器 を廃絶するまではまだ不透明な状況が続きます。聖学院大学総 合研究所が開催した セミナーの概要と、総合研究所が北朝鮮問 題をどのような視点でとらえているのかについて報告します。 日韓中学術セミナー ﹁北朝鮮の改革可能性 ︱ 中国の 改革を参考にして﹂ 究してきました。特に二〇〇五年度 うな 政 治 的 な 課 題 があるのかを 研 の 平 和 を 実 現 するためにはどのよ と民主主義﹂を総主題に、朝鮮半島 二 〇 〇 二 年 から﹁ 東アジア の 平 和 る大きな問題です。総合研究所では かし、国際情勢を不安定にさせてい 北 朝 鮮 問 題。東アジア の 平 和 を 脅 いほどの 大 きな 問 題 とな っ ている した。学術セミナーと銘打った専門 官︶ のコメント を交えて議論されま 合研究所客員教授︵元韓国統一部長 鮮の現状と課題を報告し、康仁徳総 国、中国、日本の研究状況から北朝 の他、日韓中の研究者が、最新の韓 大転換﹂について報告しました。そ 園大学教授は﹁中国の北朝鮮政策の 般 的 な 動 向 に 詳 しい 朱 建 栄 東 洋 学 び見通し﹂について、また中国の全 北朝鮮制裁と北朝鮮経済の評価及 教授が﹁核実験以降、国際社会の対 れなければアジア の 未 来 に 参 加 す 清 算 し、道 徳 的 な 純 潔 性 が 保 障 さ 過 ぎ 去 っ た 時 代 の 歴 史 的 な 過 ちを 長は、韓国の詩人金芝河の﹁日本が 立 場 が 表 明 されています。大 木 所 所長の挨拶の言葉に総合研究所の 年 の 第 二 回 の セ ミナ ー で 大 木 英 夫 でいるのではありません。二〇〇五 らという 時 事 的 関 心 から 取 り 組 ん 鮮 問 題 にただ 緊 急 の 課 題 であるか ただし、総合研究所は、この北朝 ない視点があります。 こに 他 の 研 究 所 機 関 では 考 えられ つ、北東アジア の平和を考える、こ 基 盤 の 形 成 を 課 題 として 見 据 えつ ら 朝 鮮 半 島 問 題 を 研 究 し、倫 理 的 ある真剣な議論が続きました。 からは 国 際 交 流 基 金 の 助 成 を 受 け の 研 究 者 を 対 象 にしたセミナ ー で 究 者 として 著 名 な 南 成 旭 高 麗 大 学 て、 ﹁北 朝 鮮 の 改 革 可 能 性 ― 中国の 改革との比較を中心に﹂を主題に日 したが、十月九日の北朝鮮の核実験 が 一 九 四 七 年 に 制 定 以 来 初 めて 改 二 〇 〇 六 年 十 二 月、教 育 基 本 法 礼拝の模様や社会科の授業風景 も 映 し 出 されましたが、小 倉 先 生 があったことも報じられました。 小倉義明校長は﹁真の愛国心は、 したのです。反 省 すべき 歴 史 をも めに 国 民 の 意 識 をまとめる 働 きを アジア への 侵 略 戦 争 を 肯 定 するた 戦時中、政府から弾圧を受け、教師 しているのです。女 子 聖 学 院 では の 介 入 が 進 むのではないかと 危 惧 る 強 制 が 強 まり、国 の 教 育 現 場 へ にも 反 対 し 続 け な け れ ば な ら な い 良 心 の 自 由、政 教 分 離 を 守 るため ではなく、憲法で保障された思想・ ﹁建国記念の日﹂とすることは妥当 の日を、国民主権の社会において、 女 子 聖 学 院 も、初 代 の 天 皇 即 位 No.28 March 2007 12 いま 新 聞 に 記 事 の 出 ない 日 はな 韓 中 の 専 門 家 による 研 究 を 進 めて る 資 格 はない ﹂という 言 葉 を 引 用 北朝鮮問題についての 総合研究所の取り組み います。二 年 目 となる 二 〇 〇 六 年 後 の 緊 迫 した 状 況 の 中 にあ っ たこ 定 されました。改 定 の 論 議 はず っ ナショナリズム への回帰ではなく、 ﹁こんにち 必 要 なことは、偏 狭 な アップ 現 代 ﹂でも﹁〝 愛 国 心 〟っ て 人類みな兄弟という グローバル・エ が伝えたいのは次の通りです。 何ですか﹂というテーマ で、改定教 デュケーション なのです﹂ 。 に 焦 点 を 当 てた 内 容 が 放 映 されま した。その 中 で、﹁ 愛 国 心 が 盛 り 込 他 国 の 平 和 と 福 祉 に 配 慮 すること つ二月十一日を﹁建国記念の日﹂と 二月十一日は、戦前・戦中の﹁紀 を 内 容 とするものです。ところが、 して 祝 日 に 制 定 することに、六 十 ができないのではないかと 危 機 感 まれることで、 これまで通りの教育 愛国心、愛国心と言いながら、その 年 代 当 時、多 くの 国 民 が 疑 問 に 思 元節﹂に当たる日。﹁紀元節﹂は、天 実、自分の国のことしか考えない。 い、反 対 しました。ところが、民 意 をもっている学校﹂として、女子聖 他 の 国 のことを 見 下 すようなこと を 無 視 して 祝 日 にな っ たという 経 皇 中 心 の 国 家 体 制 を 築 き、日 本 が を 二 度 としてはならないと 思 いま たちは 隠 れて 礼 拝 をしていました 緯があります。 が、当 時 の 教 頭 先 生 は 憲 兵 に 捕 ま 改 定 教 育 基 本 法 では、法 律 によ す﹂と述べています。 学院が紹介されています。 ﹁建国記念の日﹂に 反対する理由 育基本法に盛り込まれる﹁愛国心﹂ と行われていましたが、NHKテレ り 拷 問 を 受 けたという 不 幸 な 体 験 各国の研究者により、北朝鮮問題について活発な議 論が交わされました( 2006年 11月17日開催) ビ の 十一月 十 四 日 放 映﹁ クロ ー ズ 愛国心って何? 度 第 二 回 の 学 術セミナ ー が 十 一 月 女子聖学院中学校・高等学校 2006年2月「原爆詩の朗読」の前に、高Ⅰ、高Ⅱ、中3生徒に 吉永小百合さんを紹介する村治佳織さん 聖学院報 No.28 March 2007 13 聖学院報 平和の思いを育てる授業 改 定 教 育 基 本 法 が 二 〇 〇 六 年 十 二 月 に 公 布・ 施 行 さ れ、今 や、 憲 法 九 条 を ど う 守 る か が、平 和 を 愛 す る 人 々 の 大 き な 課 題 と なっています。平和教育を重視してきた女子聖学院では、愛国 心が戦争を正当化する役割を果たした過去を見つめ、一九六七 年 以 来、2 ・ ﹁ 建 国 記 念 の 日 ﹂に 反 対 す る 特 別 授 業 を 毎 年 実 施しています。その取り組みを中心に紹介します。 11 N E W S &R E P OR T N E W S &R E P OR T がなされることになったのです。 行事となり、職員会議で議論・決定 を生徒たちは知りました。 奪 われることが 現 実 に 起 こること 真 剣 に 受 け 止 め、中 高 を 通 じて 全 むと、大部分の生徒は、この授業を 回 受 けることで、平 和 の 大 めゆりの 塔 ﹂、高 校 生 は﹁父 と 暮 ら です ﹂と、手 応 えを 確 信 していま 切 さを 心 で 感 じてくれているよう 部で せば﹂を鑑賞し、元ひめゆり学徒隊 二〇〇四年度には、中学生は﹁ひ 当 日 の 授 業、感 想 文 提 出 という 流 八〇年以降現在まで、事前学習、 れが定着しています。 す。 事前学習とは、なぜ、二月十一日 戦 争 体 験 談 を 聞 くという 二 本 立 て 当 日 の 内 容 ですが、映 画 鑑 賞 と 生 にはきめ 細 かな 解 説 を 心 がけて 初 めてこの 授 業 を 受 ける 中 学 一 年 の 専 任 教 師 が 解 説 をします。特 に 書 いたプリント を 配 布 し、社 会 科 授 業 を 実 施 するのかという 趣 旨 を のほか、原爆詩の朗読をライフワー タ ー 演 奏 でした。吉 永 さんは 女 優 されている 村 治 佳 織 さんによるギ 子聖学院の卒業生で世界的活躍を 小 百 合 さんによる 詩 の 朗 読 と、女 年 生 のプログラム は、女 優 の 吉 永 お話を聞きました。中三・高一・高二 十字架﹂を鑑賞し、鈴木伶子先生の 生 は、アニメ ー ショ ン映 画﹁キム の 二〇〇五年度には、中一・中二年 うでした﹂という具合です。 雰 囲 気 のようなものがでていたよ せられるほど 村 治 さんのギタ ー は しいというより 切 ない 気 持 ちにさ とても 合 っ ていたと 思 います。悲 んのギタ ー も 吉 永 さんの 朗 読 と、 の 耳 に 届 けてくれました。村 治 さ 受 け 止 め、それをそのまま 私 たち い、その 他 の 諸 々 の 感 情 を 素 直 に ています。﹁ 悲 しい・つらい・苦 し の 迫 力 に 圧 倒 された 感 動 が 書 かれ は、まず、プロフェッショナル な 生 原 爆 詩 の 朗 読 & ギタ ー 演 奏 で の 構 成 にな っ ています。中 学 と 高 ク として 活 動 を 続 けています。原 生がともに聞きました。 校 では、別 の 映 画 の 時 もあれば 同 爆 詩 にあ っ た 音 楽 を 探 していて 出 したが、朗読と演奏が始まると、会 悲 しみの 気 持 を 一 時 でも〝 共 有 〟 ﹁ 戦 争 を 経 験 した 人 々 の 怒 りや ます。 置いて進めてきた教育改革が最大の決め手。本校を第 たことが良い結果を生みました。大野碧園長は、「体 1志望にする生徒の偏差値は 60 ∼ 40 と幅広く、決 験保育での保育者の言葉や接し方によって、本園の良 して偏差値や進学実績だけで選ばれているのではな さを感じてもらうことができた」と要因を分析してい い」と分析します。現高Ⅰは中3修了時には生徒の3 ます。 人に1人が英検準2級以上という指導が、男子6年一 ここ5年ほど右肩上がり状況が続く小学校の入試 貫教育との相乗効果で受験生の保護者に「将来への は、今年度も 4.7 倍の高倍率となりました。角田芳子 期待感」を与えているようです。 教頭は、「今年は合格手続き後の辞退者が本当に少な 特待生入試や午後入試など小手先の入試改革で生徒 かった。本校を第1希望にしている家庭が増えている を集めている学校が目立つ中、実質が評価される聖学 と実感している」と、英語・算数を中心とした カリキュ 院の生徒募集は、 今後も堅実な伸びを見せるでしょう。 足につながり、それが口コミによって拡がっているこ とが一番大きな ポイント」と角田先生は語ります。 小手先ではなく 「中身の充実」で勝負できる 女子聖学院では、説明会の出席者数と出願者数が増 えたことで募集好調の手応えを感じたそうです。今年 は手続き率も良く、繰り上げ合格者を出しませんでし も平和を祈ることはできる﹂ ﹁世界 わせも多いそうですが、「在校生の満足が保護者の満 No.28 March 2007 の﹁建国記念の日﹂に反対して特別 さまざまな 試 行 錯 誤 の 結 果、二 一 の 時 もあります。そして 事 後 の います。 月十一日に近い平日に特別授業を 学 習 として、感 想 文 の 課 題 が 出 さ 事前・事後の学習を 大事にした特別授業 組むことに収まりました。 ﹁私 は 貝 会 っ たのが 村 治 さんのギタ ー だ っ 生 徒 は、原 爆 や 戦 争 を 自 分 の 問 れます。 題 としてとらえ、自 分 はどう 行 動 場 のチャペル は 空 気 が 一 変 して 緊 したというのは 初 めて ﹂ ﹁ 憎 しみ を 起 こしたらいいのかと 考 えてい 張 感 が 高 まり、生 徒 たちは 舞 台 に おふたりはにこやかに 話 されま 授 業 当 日 にはどのような プログ 釘付けになりました。 一九九九年度には、中学・高校と ラム が組まれているのでしょう。 戦争の悲惨さや理不尽さを 知ることから たということです。 になりたい﹂ ﹁きけ、わだつみの声﹂ ﹁あ ゝ ひめゆりの 塔﹂のような 戦 争 と 平 和 を 考 える 映 画 等 が 上 映 され ました。 さらに、﹁映画の上映だけでなく、 建 国 記 念 の 日 に 反 対 する 行 事 の 意 も、作 家 の 野 坂 昭 如 氏 の 戦 争 体 験 義 をし っ かり 生 徒 に 理 解 させる ﹂ ことが 職 員 会 議 で 確 認 されまし を聞き、氏が原作者であるアニメー たならば、き っ とその 時 憎 しみの 中の人々に平和を祈る心が芽生え 聖学院中高の平方 全員受験したこと、合格手続き後の辞退者がいなかっ の連鎖はもう終りにすべき﹂ ﹁私で た。また、それまで社会科が中心で 特 別 授 業 を 計 画 している 社 会 科 の効果を感じます」と振り返りました。 者の半数以上がこの体験保育を受けており、出願者が 平和への思いは育っている 実施してきた特別授業は、 一九八〇 ション映画﹁火垂るの墓﹂を鑑賞し 活に対する満足感の高い生徒・保護者による口コミ 予約受付開始 1 時間で予約が満杯になりました。出願 14 五 の 与 那 覇 百 子 さんの 体 験 談 を 中 高 ている点を挙げました。ホームページを見ての問い合 の 先 生 は、 ﹁生徒たちの感想文を読 ラムの充実や、教員の対応など学校の中身が評価され ました。戦 争 になると 飢 えて 命 も 明会などで外部に伝えることができた。また、学校生 年 度 から 教 師 全 員 が 取 り 組 む 学 校 駒込キャンパスにある幼・小・中の生徒募集が好調です。その要因を各校に聞きました。 連鎖は終る﹂と、ある生徒は書いて 駒込キャンパス、募集好調! 聖学院報 と考えたのです。 行校務部長は「英語に重点を 幼稚園では初めて体験保育を企画したところ、電話 います。 また、 ほかの生徒は、﹁私たちは果 たして、自ら動かず、そのチャンス を 待 っ ているだけでノコノコ日 常 を 過 ごしていて 良 いのだろうか ﹂ と疑問を投げかけ、 ﹁次の若者たち へと 伝 えていくため、チ ャ ンス を 与 えてあげられる 人 へと 変 わらな ければならない ﹂と、自 己 変 革 を 決 意しています。 戦 争 体 験 を 語 れる 人 がだんだん 少 なくな っ てきましたが、愛 国 心 が 教 育 に 盛 り 込 まれ、現 場 への 強 生徒による学校説明会(2006 年10月21日、女子聖学院チャペルにて) た。城築昭雄校長補佐は、「キリスト教に基づく人間 制 が 懸 念 される 今 だからこそ、平 和 教 育 の 取 り 組 みは 益 々 その 重 要 さを増しているのです。 教育と、それを基盤とした進路教育・進路実績を、説 評価が口コミで拡がり第1志望校に No.28 March 2007 15 聖学院報 本校卒業生 元英語科教諭・鈴木伶子先生による講演 (2006 年 2 月 特別授業) 長崎で被爆者・吉山秀子さんのお話を聞きました。 (2001年度 高Ⅲ修学旅行)平和教育の一環です。 N E W S &R E P OR T N E W S &R E P OR T 聖学院小学校・聖学院幼稚園 らに 普 段 どのように 子 どもと 接 し ているか、その 様 子 まで 見 せ 合 う ようにしたい﹂と、方向性を示して 具 体 的 には、小 学 校 の 教 員 が 幼 くれました。 交流、教員と子どもの交流など、今 はもちろんのこと、教 職 員 同 士 の し、反 省 会 にも 一 緒 に 参 加 すると 員 が 小 学 校 の 研 究 授 業 など を 見 学 せてもらうとか、逆 に 幼 稚 園 の 教 子供たちのさらなる成長を願い スムーズな﹁幼小連携﹂を までよりもも っ と 具 体 的 で 積 極 的 い っ た 交 流 を、も っ と 発 展 させた 稚園に出向き幼児教育の現場を見 な 交 流 ができないだろうかと 考 え いそうです。 の 重 要 性 に 注 目 しています。これ 会﹂の様子を紹介してくれました。 藤先生が昨年七月に行われた﹁交流 子ども同士の交流については、佐 ました﹂ だから、もっと知り合い、勉強し合 は、自由な幼稚園生活を送ってきた 駒込キャンパスに並ぶ聖学院小学校と聖学院幼稚園。その小学校 と幼稚園で、いま子どもたちや先生方の交流推進プロジェクトが 進んでいます。聖学院小学校校長・聖学院幼稚園園長の大野碧先 生と同小学校の佐藤慎先生に、 ﹁幼小連携﹂の取り組みについて お話を聞きました。 まず、この﹁幼小連携﹂はどのよう う必要があるのではないかと、この 実は文部科学省でも﹁幼小連携﹂ な趣旨でスタート したのかを、聖学 活動が一年前に始まりました。 ﹂ 長 と 園 長 が 兼 務 であり、園 児 の 半 同 じ 敷 地 にあるだけでなく、校 す。佐 藤 先 生 は﹁本 校 の 場 合、小 一 ブレム ﹂に 対 して 示 されたもので まく適応できないという﹁小一プロ 上がりました。四年生ともなれば幼 だったようです。でも、すぐに盛り 最 初 は 園 児 たちのほうが 緊 張 ぎみ を出したりして一緒に遊びました。 学 四 年 生 が 絵 本 を 読 んだりクイズ ﹁小学校の図書館で行われたこの 院の小学校校長と幼稚園園長を兼 務している大野先生に聞きました。 数 以 上 が 小 学 校 に 上 が っ てくるな く、あくまでも幼稚園の情報を活用 プロブレム を 解 決 するためではな い 子 どもの 世 話 がし っ かりできる あらためて 幼 小 連 携 に 取 り 組 む 交 流 会 では、招 いた 年 長 園 児 に 小 ﹁せっかく同じ敷地内に小学校と ど、もともと 聖 学 院 小 学 校 と 聖 学 し、小学校でより良い成長をとげて のですね。それに、四 年 生 たちがす ごく 優 しい 気 持 ちで 園 児 に 接 して とっては弟・妹、園児にとってはお ないご 家 庭 が 多 いので、四 年 生 に 遠 くないうちに 校 舎 の 建 て 替 え 時 No.28 March 2007 16 聖学院報 子供たちが、小学校の集団生活にう 幼 稚 園 が 設 置 されている 環 境 なの 院 幼 稚 園 は 非 常 に 近 い 関 係 にあり もらうことが目的です﹂と、その独 ました。 自性を明確にしました。 ことの 目 的 について、幼 小 連 携 の 勉 強 会 で リ ー ダ ー を 努 める 佐 藤 先 野 先 生 は﹁ これまでも 小 学 校 と 幼 兄 さん・お 姉 さんができたようで、 大 野 先 生 は﹁ 今 は 兄 弟 姉 妹 の 少 いるのが良く分かりました﹂ 。 稚 園 での 取 り 組 みが 分 かれば、そ 稚園の先生は週三回の職員礼拝 嬉 しか っ たのでし ょ う。園 児 が 小 教 職 員 同 士 の 交 流 について、大 兄弟姉妹のように れを 引 き 継 ぎ、小 学 校 でより 良 い や、年 度 始 めの 研 修 会 などを 一 緒 ﹁聖学院は一貫教育ですから、幼 生が、説明してくれました。 教育ができるはずです。 に 行 っ てきました。これからはさ 期 を 迎 えますが、実 はこの 校 舎 建 度も話し合い、本校独自の問題集を作ることになりま した。その問題集は、例えば台形の面積のような新指 そのために、子 ども 同 士 の 交 流 学 校 にや っ て 来 たという 事 実 以 上 築 と 幼 小 連 携 には 深 い 関 係 がある に、貴重な体験だったと思います﹂ と、表情を緩めました。 と大野先生は言います。 配置など、幼小連携の取り組みがど ﹁例えば幼稚園と小学校の校舎の 教 員 と 子 どもとの 交 流 に 関 して ういう 形 で 建 築 に 活 かされてくる 算数科主任 可能性を発見 は、小学校に設置されている﹁幼小 今回の取り組みが始まってから、 えながら、この会を進めています﹂ のか。そうい っ た 先 のことまで 考 回を目安に幼稚園に出向き、礼拝の 一貫教育委員会﹂の先生方が、月一 話 や 絵 本 の 読 み 聞 かせなどを 行 っ ら走り寄ってくるそうです。 ﹁幼小 幼 稚 園 の 子 どもたちが 小 学 校 の 先 を楽しそうに語ってくれました。 連携﹂という難しい言葉を知らなく ています。昨年十一月、園児に素話 ﹁私 は 六 年 生 の 担 任 をしていて、 ても、 子供たちの中では﹁つながり﹂ 生 の 名 前 をフルネ ー ム で 呼 びなが 少 し 怖 い 先 生 だと 思 われているよ ︵ 二〇〇七 年 一月 三十日 取材 ︶ がスムーズ に進んでいるようです。 をしたという佐藤先生が、この経験 うですが、園児に話をしていると普 使いやすさを配慮し、 1∼3年はプリント形式、 4∼6年は冊子としました。 ※ 4年生以上では、年10回行われているSテストの テキスト にもなってお り、 毎回この問題集の指定された範囲から出題されています。 ※ S テスト: 聖学院テストの略。4 ∼ 6 年生を対象に、 月に 1回の ペー スで年10 回行われている国語と算数の テスト。毎回出題範囲が決めら れており、児童は準備をしてテストに臨む。年度末には、計 10 回の合計 点が 800点を超えた児童に合格証が手渡される。 導要領で削除された内容には詳しい説明を載せること で、教科書にはない内容も、この問題集を使って授業が できるようにしました。執筆者は、担任教師全員と算数 を教えたことのある専科の教師です。挿絵は図工の教 師に協力してもらいました。こうして、2 年間かけて できあがったのが聖小問題集です。 今、「ゆとり教育」の見直しが議論されています。仮 に次の指導要領で旧指導要領の内容に近い形に戻され たとしても、その間に学んだ子ども達の授業をやり直 すことはできません。このことを考えるとき、改めて、 私たちが選択した道は正しかったと確信しています。 2002 年度より、「ゆとり教育」を軸とする指導要領 が施行されました。その内容は、指導内容がおよそ 3 割 減らされたものです。しかし聖学院小学校では、指導要 領が変わっても算数の指導内容を減らさないことを確 認しました。そして、旧指導要領の下で作られた教科書 を購入し、3 年間はこの旧教科書を児童に貸与し、新 しい教科書と併用して授業をしましたが、この旧教科 書に代わるものを望む声が大きくなってきました。 こうした声に応えるため、当時の算数科の教師が何 No.28 March 2007 17 聖学院報 段 と 違 っ てすごく 優 しい 顔 にな っ ているのが 分 かるんです。それに、 園 児 たちはとても 良 く 話 を 聞 くこ とができるんですね。お 誕 生 日 会 でも、これが 年 少 さんかと 驚 くほ ど、みんなの 前 できちんとお 話 が 幼稚園でここまでできるなら、小 できる。 ・・・ 学 校 でも っ と 可 能 性 を 拡 げるよう な接し方ができるのではないか これは大きな発見でした﹂ 将来につながる連携を 聖 学 院 小 学 校 も 幼 稚 園 も、そう 小学校・田村一秋先生による聖書のお話(年長組) 宮原 献 聖学院小学校の算数教育 小学校図書館にて、年長園児に絵本を読む 4 年生 N E W S &R E P OR T N E W S &R E P OR T 聖学院大学 様々な問題を多面的に理解し、より 経 済 学 特 論 の 授 業 で、現 代 社 会 の 二 〇 〇 六 年 度 から 開 講 された 政 治 聖 学 院 大 学 政 治 経 済 学 科 では、 ﹁現代﹂を多面的に捉える 新たな授業の試み 政治経済学科の﹁時代を考える﹂授業 聖学院大学政治経済学科では、二〇〇六年度より﹁政治経済学 特論﹂と銘打った授業で、従来の授業より専門性と今日性の高 い講義を開講しました。この授業は、教室での講義だけでなく、 学外授業や講演会まで、幅広く多角的に取り組む新たな授業形 態をとり、さまざまな発見や発展を生んでいます。この授業を 企画した三人の先生にお話を 聞きました。 専 門 性 を 深 めて 捉 える 試 みを 行 っ では、 少人数制のゼミ形式で、 多彩な ています。その一つ、﹁時代を考える﹂ 参加するチーム・ティーチング のス 高端正幸先生の三人がつねに授業に 的アプローチ を 相 互 乗 り 入 れ 的 に というタイトル で、クレジット・サ 重債務問題の現状と対策について﹂ テップ となりました。 携 という 意 味 でも 一 つの 貴 重 なス の後援を受けて行われ、地域との連 ば、﹃ ・以後﹄に国際社会はどう変 化したかといった、今日的で学問的 とのことです。 アップ していく 様 子 が 見 てとれた の講座では政治学、財政学、憲法学 ゼミ は 講 義 形 式 だけでなく、グ てくださいました。 ﹁テレビ に出演 とと 国 を 愛 することの 違 いを 語 っ 即して、故郷 ︵ パトリア︶ を愛するこ 能性﹂と題し、著書﹃愛国の作法﹄に か ﹂と、具 体 的 に 学 びがステッ プ のか ﹂﹁ こういう 方 法 はどうだろう いうふうに 解 決 の道 を 探 ればいい ついてわかっ てきた ﹂ ﹁ では、どう 質 問 も 積 極 的 に 出 され、 ﹁現 実 に 点 で 一 定 の 目 標 は 達 成 できたかな 要がある、と問題意識を喚起できた 問 題 があり 課 題 として 取 り 組 む 必 や講演会を通して、現代には多くの といった声が聞かれましたね。ゼミ ディ ア政 治 にだまされるな ! │ 日 慶應義塾大学・金子勝教授は、﹁メ きして連続講演会が行われました。 十 月 からは 学 外 のゲスト をお 招 連続講演会で、 ﹁ リアル・タイムの現場﹂を実感 されていた 著 書 五 十 販売したところ、用意 の作法﹄を講演会場で もあった単行本﹃愛国 は、講 演 のテ ー マ で 姜教授の講演会で じ取れました﹂と高橋 憲法学が専門の石川先生は、 ﹁学 生の自主性を引き出すためにも、ど の中の動きを感じてもらえるか、に れだけ知的刺激が与えられるか、世 留意しました。キャンパス は平和で 穏やかですが、ゼミ を通して世の中 は 激 動 していることを 体 感 しても らえたと思います。教育基本法の改 定の問題など、様々な今日的な問題 を提起できたと思います﹂とのこと でした。 次 年 度 は﹁ グロ ー バル化 を 考 え る﹂というテーマ で、同じ三人の教 授による特論が企画され、さらに深 化 した 積 極 的 な ディ スカ ッ ショ ン をする 展 開 も 考 えているとのこと です。 No.28 March 2007 18 側面から﹁現代﹂を考察しています。 さらにゼミ に 連 動 して、 ﹁現 代 ﹂ の 諸 問 題 に 取 り 組 む 講 師 をお 招 き して 連 続 講 演 会 も 開 催 され、ゼミ 生に、本授業の意図について聞きま タイル で、それぞれの専門分野から にもリアルタイム な現象を学生も教 した。 の様々なアプローチ を試み、授業の と 講 演 会 という 新 たなコラボレ ー ﹁このゼミ は既存の授業より、深く 員も共に学ぼうという試みとして位 高度に、しかも実践的に学びたいと 中 で 教 員 三 人 がディスカッション 置づけました。私と石川裕一郎先生、 いう 学 生 のニ ー ズ に 応 えるために ﹁時代﹂の解釈には多くの座標軸 する形態もとってみました﹂ 。 ゼミ を企画、担当した高橋愛子先 則を学ぶものが多いのですが、例え 駆 使 した 視 座 から 取 り 上 げた 実 験 ラ金 ︵消費者金融︶ の現状、ヤミ金融 ば国際政治と憲法の問題が、実は密 がりがないと思っていたこと、例え の感想を聞きました。 ﹁ 相互につな 財政学が専門の高端先生に学生 的 授 業 ともいえるものでした。 ﹁二 学生の積極性を刺激し、現実の 問題をシリアスに捉える ル ープ・ディスカッション やアウト されている 先 生 方 の 話 を 直 接 聴 け 接に関連していることに気づいた、 リ ーチ ︵学外授業︶ 、ゲスト・レク てより 深 く 理 解 でき 学 生 からは ゼミ が 進 むにつれ、 チャー による 特 別 講 義 なども 取 り た、という声が多かっ 東京大学大学院・姜尚中教授は、 ﹁国 を 愛 する 作 法 │ その 限 界 と 可 入れ、学生には多様で高度な課題が たですね。真剣に講演 本 の 政 治 経 済 の 真 実 ﹂という 視 点 部 がたちまち 売 り 切 ありました。講 演 会 政治経済学特論の授業。 学生の前に立つのは石川裕一郎講師、学生の後ろは右から高橋愛子助教授、 高端正幸講師 みたのです。 与えられました。アウトリーチ で国 を 聞 いていたことが、 で、主にイラク戦争のテレビ報道を 宇 都 宮 健 児 弁 護 士 は、﹁多 重 債 務 は、上尾市教育委員会 と思います﹂ 。 会を訪問し議員に質問するなど、ふ 学 生 たちの 態 度 や 感 例に、メディアコントロール の実態 れ、予想以上の反響が に陥らないために │ 深刻化する多 先生。 を熱く語ってくださいました。 想 の コメント から 感 だんテレビ を 通 して 観 ている﹁ 現 代﹂﹁ ・ 以後という時代﹂という 四 つの 切 り 口 から 現 在 を 視 座 して 問 題 の 実 態 についてお 話 しくださ が 考 えられますが、二 〇 〇 六 年 度 企画しました。大学の科目は原理・原 ション の取り組みも行われました。 姜先生に質問する学生たち 極化の時代﹂ ﹁グローバル化と﹃構造 9 いました。 11 改革﹄の時代﹂ ﹁ナショナリズム の時 姜尚中先生講演会「国を愛する作法 」 (2006年12月6日) 実﹂に直接触れる経験をしました。 9 聖学院報 No.28 March 2007 19 聖学院報 11 N E W S &R E P OR T N E W S &R E P OR T な 刺 激 を 与 える 授 業 などが 今 後 も て提供できる、本来の意味での知的 る大切な時期の幼児達の成長を、保 わかばクラス では、 自我の芽生え は 共 通 していますが、我 が 子 を 思 もを愛し、大切にするというところ がわかるのです。一人ひとりの子ど 授業の初日はさっぱりわからなくて泣きましたが、先生 も離れていたので度胸もつきました。海外と関わるよ に助けていただきました。 「 大学の外も見てきた方がい うな仕事に就き、夜に英語の勉強を続けようかと計画 い」との アドバイスで、アトランタのイベントに参加した 中です。 り、ホームステイも経験したり。また 3 週間ほど、ワシン います。 ﹂ ぜ ひ 定 着、 充 実 さ せ た い と 思 っ て ま す。 地 域 の 子 育 て の 場 と し て、 所として喜んで通ってもらってい の 場、 保 育 の こ と も 相 談 で き る 場 わ か ば ク ラ ス は、 親 子 同 士 の 交 流 い。また五月からスタートさせた、 園の保育をしっかり支えていきた 日 を 過 ご し て い ま す。 み ど り 幼 稚 い、 ﹃喜び﹄ 、 ﹃感謝﹄ 、 ﹃祈り﹄の毎 きる意味﹄をしっかり皆と伝え合 すべきことかと思っています。 ﹃生 は私の成長に結びつき 、何と感謝 ﹁幼い子どもの成長に関わること みどり幼稚園について聞きました。 育連盟理事長も務めています。 経験も豊富で、現在 、キリスト教保 究されてきました。また実際の保育 育つ保育﹂ ﹁キリスト教保育﹂を研 育者育成にかかわり、 ﹁思いやりが 期大学の頃から長年聖学院での保 し た。 長 山 先 生 は、 女 子 聖 学 院 短 着任されま 篤子先生が 補佐に長山 四月に園長 二〇〇六年 園長補佐・長山篤子先生のご紹介 の目標は達成できたと思います。親や友だちと 4ヵ月 ﹁一連の企画によって、大学とし 来 年 度 の﹁ 特 論 ﹂で は、さ ら に 多彩な試みで充実を図る 実現できる手応えが得られ、私たち 育 者 が 親 と 一 緒 に 支 えるというス う 余 りに 思 い 詰 ま っ てしまう 現 代 学でした。 ﹁来年度以降は、政治経済学科全 タンス で 子 育 て 支 援 に 取 り 組 んで の 母 親 の 悩 みが 手 に 取 るように 伝 ターテインメントが学内で開催され、とても楽しかっ 体 として、この 特 論ゼミ のような ゼミ の参加者の中には、その後、 授 業 に 刺 激 を 受 けて 国 会 議 員 のイ います。具 体 的 には、登 園 してから わ っ てきます。そこで、わかばクラ える中身の 濃い留 くり。週 1 回は コンサートや フットボールなどの エン 教える側にとっても刺激的でした﹂ ンタ ー ンシ ッ プ に 行 っ た 学 生 やN 保育室や園庭で自由に遊び、皆でお ス では 親 子 が 向 き 合 っ てじ っ くり の 経 験をしたと思 ないと実感。授業では学生がどんどん質問してびっ と高橋先生。 ム・ティーチング もいい、教室から GOの活動に参加した学生など、実 山口 結香 児 教 育 に 携 わる 保 育 者 が 捉 える 子 どもの発達段階は、実は飛躍的な成 長 を 遂 げて 欲 しいと 願 う 親 にと っ てなかなかもどかしいものであり、 やつを 食 べ、集 団 活 動 を 楽 しむと とかかわる 時 間 を 確 保 できるよう 不 安 や 心 配 の 種 とな っ ていること いう流れの中に、親子での遊びから に努め、自分の子どもについての深 来 年 度 はわかばクラス からみど 人間関係を豊かに育て、生活経験を う 三 つのね り 幼 稚 園 に 入 園 する 子 どもも 多 く い理解を促し、個々の過去と現在を らいを 置 い おり、参加してくださった保護者よ する 場 を 作 ています。 り、 ﹁子 どもの 新 しい 一 面 を 発 見 し 比 べて 成 長 の 喜 びを 分 かち 合 うこ わかば ク た﹂﹁母親でいられることの喜び、幸 り、運 動 を ラス を通し せを強く感じた﹂﹁先生方を見て、叱 とから始めました。 て、子 育 て り方や褒め方がうまくなった﹂など トンを旅行。5 年分 かなりの会話力がつくかと期待しましたが、簡単では 新 しいスタイル、アプロ ー チ法 の 出 てのアウトリ ー チ の 授 業 でもい 際 に 社 会 へのアプロ ー チ を 開 始 し 大学教務課児童学科実習指導室 ちと メールをしています。 思 いがよく 見 えてきます。特 に、幼 欧米文化学科 4 年 金 恩英(キム クララ)さん 環境の現状 トン DC、NY、ボス 授 業 を 積 極 的 に 展 開 する 方 針 を 立 い、難解な英語の本をみんなで読み ビデオをたくさん見ました。日本の文化も注目される の声が寄せられています。 欧米文化学科 4 年 中里 文香さん て様々な計画を立てています。チー 解くとか、このゼミ をきっかけとし た学生もいるとのこと。多くの影響 の授業が一番印象に残っています。友だち作りには、 や保護者の と思っています。 左から中里さん、 長井さん、 金さん、 方さん たです。大学院で英語コミュニケーションを学びたい 欧米文化学科 3 年 方 萍(ホウ ヘイ)さん 寮生活で学生とふれあう機会が多かったので、英会話 体を動かしながら英語を話さなければならない Acting 楽 しむとい 地域の子育て支援事業として昨年五月に スタートした﹁わかば クラス﹂が大変な人気となっています。聖学院大学児童学科出 身で、大学教務課所属の児童学科実習指導室に勤務し、この﹁わ かば クラス﹂も担当している山口結香さんに、人気の背景や実 際の様子を レポートしてもらいました。 昨 年 五 月 より 聖 学 院 みどり 幼 稚 園 の 地 域 子 育 て 支 援 事 業 として 二 ∼ 三 歳 の 未 就 園 児 とその 親 を 対 象 とした﹁わかばクラス﹂が開設され ました。園長補佐であり、聖学院大 学児童学科教員の長山篤子先生、み どり 幼 稚 園 教 諭 として 勤 めていら したことのあるグラハム里 美 先 生、 大学教務課所属児童学科実習指導 室 勤 務 の 私 の 三 名 とで 担 当 し ているこのクラス は、毎週水曜 日 の 午 前 中 を 登 園 日 としてい ます。 回 五 百 円 を 基 本 料 として 学 期 毎 に 申 し 込 みを 受 け 付 け、 Ⅰ期・Ⅲ期は全十回、Ⅱ期は全 十 五 回 で 計 画 しました。各 学 期、親 子 五 十 組 ほどの 申 し 込 みがあり、 Ⅲ 期においては毎回 八十名以上が参加しています。 ので、お囃子の横笛を持参し演奏。おかげで今も友だ ラグレインジ大学へ 自分が話せる話題をもつことだと思い、 留学前、 映画の (詳細・写真はHPに掲載しています。 ) 日本文化学科 4 年 長井 良憲さん 聖学院大学では 3、4 年生を対象とした提携校留 学制度があります。2006 年の 8月から 12 月にアメ リカ留学を果たした 4 人の体験談を紹介します。 と 刺 激 を 新 しいスタイル のゼミ は オグルソープ大学へ 感動! 留学体験 て 取 り 組 みを 広 げようと 考 えてい 姜尚中教授の講演 生み出しています。 宇都宮健児弁護士の講演 親と子が成長する﹁わかばクラス﹂ 「多重債務は麻薬のように怖い。いつ我が身に 降りかかる火の粉になるかわからない。弁護士会 や司法書士会に相談することが大切だと痛感し た」 「多重債務に陥った方を救済する会があるこ とを初めて知り、 債務者の体験談は、とても勉強 になりました」 ます﹂と高端先生は、今回の経験を 「自由があってこその民主主義だと思っていま したが、 実際、 その自由というのもオリの中にある 自由であって、私たちが思っているような自由で はないと感じた」 「 “市民”としての責任と自覚を もって世の中を冷静に見つめられるように、操ら れない主体的な“市民”になりたい」 生かし、さらなる多彩な展開を検討 中。 金子勝教授の講演 聖学院みどり幼稚園 ̶レポートより抜粋 No.28 March 2007 20 聖学院報 No.28 March 2007 21 「 “愛国心があるか”と聞かれたら、 “憲法9条が 示す平和憲法に対して誇りが持てる。だから愛国 心をもっているはずだ”と答える。日本人はもっ と平和憲法に誇りを持っていいのではないかと 思った」 親子で一緒にお話を聞くプログラム の様子 聖学院報 学生の講演会感想 一 N E W S &R E P OR T N E W S &R E P OR T 2006 was a fruitful year with a good harvest. In 聖学院 アトランタ国際学校 Seigakuin Atlanta International School 種まき、収穫 そして、 種まき Sow, Harvest, and Sow... 校長 富沢 寿美子 Sumiko Tomizawa, Principal 2006 年度、 セインツはツーウェイ・イマージョン 教育や、 こひつじグループなどの新たな試みが 実を結び収穫の一年となりました。更に発展 を続ける セインツの富沢校長よりご報告いた だきました。 teachers. total, twenty-one students entered in the fall, and 18 After 16 years, the school continues to receive of them entered into our pre-school/kindergarten endorsements from international families, especially department. This was partly due to the growth of the those who go back and forth between two countries. Lamb group, a two or three days per week, $30 per Our success is due to the reputation that SAINTS day program for 2 1/2 to 4 year-olds. We started it provides a good education that is worth commuting in November 2004 and our increase started from this for. We have been focusing on strengthening music young age group with strong initiatives and innovative education, and our new focus for the coming year is ideas by the teachers themselves. on Physical Education (P.E.). Every year we are reflective and sensitive to the We implemented two-way immersion education thanks to the guidance of Dr. Kroehler and the changing needs of the students’language backgrounds and continue to grow by building on a solid foundation. continuous professional growth effort of all the こひつじグループの成果 良い収穫があった 2006 年でした。昨年 8 月の転入 試験で 21 名が入学しました。その内 18 名は幼稚部。 それは 04 年 11 月から開始した「こひつじグループ」 音も軽やか、おもちつき Rice Pounding 校舎増築工事の終了を目前にして adding windows, knocking down walls to create Second Classroom Building Near Completion! classrooms, adding light bulbs, cleaning air ducts, 増築は教室不足が理由です。6 学年ある小学部。 etc. But we still had noise problems. The old 5 教室なので 5、6 年は授業は別ですが、ホームルー church sanctuary became a multi-purpose hall 日本語力と母語が日本語の子どもの英語力を専門家 ム は合同でした。2007 年度に多人数の 5 年が 6 年に where we sometimes have P.E. classes. However, た。新しい試みを提案し取り組んだ保育者たちの努 を招いて調べていただき、私達の学校の教育成果を なりますので、この際今までの悩みを多少解消で since homeroom classes are located underneath 力は、大きな波を起こし、それは、さくら(年中)、も 客観的に知ることが出来ました。「日英語が表裏一 きる方向へと理事会にお願いしました。古い教会 the sanctuary, we could not hold other classes も(年長)も増えていく呼び水になりました。 体になっている合わせの着物」という原始的な表現 でしたから、教室用の建物はなく、礼拝後の分級に while P.E. class was going on. We had the same 外側からのプレゼント は、遠路ですが努力すれば から、今は Two Way Immersion教育という適切な表 使う半地下の小部屋に窓を開けたり、柱を取り除 noise problem for classrooms underneath the 通える範囲に、05 年にある会社の工場が建設された 現 で 教 科 も 英 語 で 学 ぶことを 伝 えることができま いたり、空気の流通をよくしたり、電灯を増やした kindergarten. ことです。そこから 10 人の子ども達が通学してくる す。これは、最高顧問のクレーラ先生の導きと、研鑽 りしました。解消できなかったのが騒音でした。礼 two stories. ようになりました。これは、 「(車で)東北に 15 分移転 に励んだ教職員の努力の成果です。 拝堂をホール に変えて体育にも使用。真下の教室 18 students will be on the first floor. は騒音で授業が出来ず、両方を一度に使用しない 5th, and 6th grade homerooms and a multi-purpose 工夫が必要でした。教会の食堂を幼稚部にしまし classroom for home economics, music, or science た。その真下の教室も同じです。4・5・6 年の教室と、 will occupy the four classrooms. We plan to raise 学し、日本に帰国して再びアトランタ に戻り、その 音楽・理科の実験・家庭科の実習が出来る 1 教室が money yet again in order to finish the second floor 時の赤ちゃんが小学部に転入した家庭があること。 出来ました。全て小さな教室で約 15 ∼ 18 人収容の in the near future. 先 陣 の 播 いた 種 の 実 りをいただいているといえま 部屋です。4 月から使用します。2 階は教室に仕切っ す。また、帰国子女だった 何人かの父親は、自分の経 てありません。これから資金を蓄えて、より良いも 験から自信を持ってセインツ にお子さんを在学させ のに仕上げていく計画です。 (2 歳半から・週 2 日/3 日選択・1 日$30)が育って、 毎日登園する園児になる希望者が出てきた結果でし すれば通学できる子どもが多くなる。」と予言してい た前任者の言葉どおりで、03年4月の移転の成果です。 新たな発展へ向けての種まき 16 年の時間が流れました。10 年以上前に姉妹が在 浸透したツーウェイ・イマージョン教育 しかし、学校が通学するに相応しいと評価された ともいえます。文部科学省の教育内容プラス毎日 2 時間の英語教育。04 年度は、母語が英語の子どもの The new classroom building has Four classrooms for around 15 to The 4th, ています。言葉ではない国際語、音楽を学校の核に 音楽は国際語 Music is an International Language 加えたいと考えて過ごした数年です。これも実りが SAINTS needed a second classroom building 見えてきました。次はスポーツ に挑戦です。毎年、在 because of a lack of space. The 5th and 6th grade 校生家庭の母語の変化に合わせて考える柔らかな頭 shared the same homeroom even though they had 脳と心が、そして全員の協力が学校を支えています。 separate classes. In 2007, we expected to have 内部進学の子ども達から出発する小学部とは異な a large 6th grade class, so we requested a new り、ゼロ から始まる幼稚部は、07 年度からこひつじ classroom building from the Board of Directors. グループ を発展させたいと新たな企画を立てていま Since the current building used to be a church, す。どんな外の潮の流れにも動じないで学校運営が when we moved here we had to renovate it by 朝日に映える新校舎 New Classroom Building 出来るセインツ に育つ日を期待して励んでいます。 聖学院報 23 No.28 March 2007 聖学院報 22 No.28 March 2007 N E W S &R E P OR T N E W S &R E P OR T 2005年度決算について 法人本部 経理局長 里子 2005 年度は女子聖中高 100 周年を迎える記念の年 であり、記念事業としての校舎建替え工事が着手さ れました。2005 年暮れには工事施工の鹿島建設株式 有三郎 の入学志願者は大学院・大学 1,664 名、高校、中学、 小学校、幼稚園合わせ 2,510 名でした。 (3) 寄付金収入 6 億 53 百万円(同 42 百万円増) ①一般寄付金(特に使途を指定しない寄付) 19 百万円 の解体が始まり、年度末には多くの同窓生から親し ②特別寄付金(使途指定寄付金) 6 億 35 百万円 けて工事が進み始めました。 (ASF募 金 4 億 27 百 万 円、教 育 振 興 資 金 1 億 46 百万円、その他後援会・PTAからの寄付金) また、さいたま上尾キャンパス では、前年度のチャ ペル棟及び付属棟の建設に引き続き、2005 年度は本 館全体を図書館棟として整備し、学生の勉学の環境 が更に向上しました。 (4) 補助金収入 12 億 16 百万円(同額) ①国庫補助金 3 億 78 百万円(経常費補助金 3 億 25 全と健康を守る施策も進められております。 玉県他) (経常費補助金 8 億 22 百万円、特別補助金 16 百万円) (詳しくは事業報告書に記述されています。本学院 土地 42 億 18 百万円(同 64 百万円増) 構築物 6 億 45 百万円(同 50 百万円減) 育研究部門の諸経費を表します。 機器備品 6 億 22 百万円(同 42 百万円減) (3) 管理経費支出 6 億 66 百万円(同 14 百万円減) 図書 10 億 90 百万円(同 29 百万円増) 教育研究経費支出に計上されていない部門の経費で、 建設仮勘定 2 億 10 百万円(同 2 億 8 百万円増) 主として法人運営にかかる部門の経費を表します。 土地は遺贈による増加です。建物、構築物、機器備 (4) 施設関係支出 3億3百万円 (同 8億59百万円減) 前述 1. (8)のとおり、女子聖中高校舎建設工事支払 品の減は減価償却額が取得価額を上回ったことに よるものです。建設仮勘定は女子聖中高校舎建設 に係るものです。 が次年度になったことにより予算を下回りました。 ②その他の固定資産 30億62百万円(同 4億97百万円増) 女子聖中高校舎建設引当特定資産 10 億円 消費収支計算書《P.26 表 2》 2005 年度の帰属収入は 73 億 55 百万円(予算比 1 億 減価償却引当特定資産 9 億 34 百万円 95 百万円増)となりました。学納金、寄付金、補助金 長期貸付金 4 億円 で帰属収入の 97%を占めることになります。当年度 退職給与引当特定資産 2 億 83 百万円 ③流動資産 16 億 84 百万円 消費収入超過額は 38 百万円となりました。 (5) 雑収入 1 億 45 百万円(同 65 百万円増) 負債の部(主なもの) 消費収入の部(主なもの) ①固定負債 40 億 65 百万円(前年度残高比 1 億 89 (資金収支計算書で説明したものは省略します) 百万円減) (1) 寄付金 現物寄付 (65 百万円)聖学院中高元教諭から遺贈の では財務情報を知っていただくために各学校事務所 私立大学退職金財団および東京都私学財団から交 あった土地・建物を評価したものを含みます。 に「財務諸表一覧」 (事業報告書含む)を置いておりま 付金収入 1 億 13 百万円は、2005 年度退職者に対す す。ご関心のおありの方はどうぞ窓口にお申し出く る交付金で、増加は期中における自己都合退職者 (2) 基本金組入額 3 億 31 百万円(予算比 5 百万円減) ①第 1 号基本金組入額 ⁴ 3 億 9 百万円 ださい。) に係るものです。 以下、2005 年度の教育・研究事業活動の結果を決算 建物 88 億 73 百万円(同 2 億 59 百万円減) 大学院・学部から幼稚園及び総合研究所までの教 百万円、特別補助金 53 百万円) ②地方公共団体補助金 8 億 38 百万円(東京都、埼 その他各学校でも教育環境の改善、子供たちの安 47 百万円減) き上げ等所定福利費の増加も影響しています。 (2) 教育研究経費支出 11億2百万円(同 7百万円増) 会社によって校庭に臨時校舎を建設、そして教室棟 まれた宣教師館も解体され、着々と新校舎建設に向 のほか雇用保険加入、公的年金保険料率前倒し引 ②第 4 号基本金組入額 ⁵ 22 百万円 ①長期借入金6百万円は私立高校入学支度金に係るものです。 学校法人会計の財務諸表は資金収支計算書 ¹、消費 収支計算書 ² そして貸借対照表 ³ の三つが基本となり ②短期借入金 5 億円は運営資金として市中銀行から ます。なお、これらの財務諸表は、学校会計基準に従 (7) 前受金収入 10 億 2 百万円(同 2 億 13 百万円増) い作成していますが、同会計基準による様式は補助 2006 年度入学予定者からの授業料など前受金で、 金交付の観点からの表示区分になっています。 増収は入学予定者の増によります。 一時的に借りたものです。 (8) その他の収入 6億29百万円(同 9億11百万円減) 短期借入金 1 億 96 百万円(同 1 百万円減) 未払金 2 億 54 百万円(同 2 億 15 百万円増) 女子聖中高校舎の建設仮勘定 2 億 10 百万円 (6) 借入金収入 5 億 6 百万円 書(概要)によって報告いたします。 長期借入金 28 億 93 百万円(同 1 億 90 百万円減) ②流動負債 18 億 80 百万円(同 2 億 97 百万円増) 前受金 10 億 2 百万円(同 30 百万円減) 2006 年度入学者の授業料、入学金、施設費等前受金 消費支出の部(主なもの) 預り金 4 億 28 百万円(同 1 億 12 百万円増) (1) 人件費 退職給与引当金繰入額 88 百万円 (予算比 13 百万 生徒積立金等 円増)を含みます。 (2) 教育研究経費及び管理経費 ①教育研究経費 減価償却額 5億3百万円(41百万円増) ②管理経費 減価償却額 29 百万円(9 百万円減) 基本金の部 198 億 29 百万円(3 億 31 百万円増) 第 1 号基本金 182 億 26 百万円 ⁴ 第 2 号基本金 10 億円 女子聖中高校舎建設工事代金として予定した支払 減価償却額は教育や研究及び法人運営に係る部門 将来取得する施設設備に充当するために先行組入 (収入の部) が次年度になったことにより、特定預金からの繰入 のために取得した建物や諸施設設備をその耐用年 (1)学納金等収入 51億95百万円(予算比37百万円増) を取りやめた結果、予算を大きく下回りました。 れした資金です。 数で除した金額を毎年減価していくものとして費 資金収支計算書《P.26 表 1》 2005 年 5 月 1 日現在 学生生徒等在籍は、6,260 名 (在籍定員 5,655 名) で定員の 111%でありました。 用化したものです。 手数料収入の殆どは入学検定料収入で、2006 年度 その運用果実を奨学金の一部に充当します。 支出の部(主なもの) (1)人件費支出 46億39百万円(予算比 1億71百万円増) (2)手数料収入 82 百万円(同 3 百万円増) 増加は主に教職員の増加で、また自己都合退職者 第 3 号基本金 79 百万円 奨学基金 第 4 号基本金 5 億 23 百万円⁵ 貸借対照表《P.26 表 3》 資産の部(主なもの) 以上 ①有形固定資産 156 億 61 百万円(前年度残高比 1. 学校法人が教育研究その他の諸活動を行うことにより生ずるすべての資金収支の内容を示すもの。 2. 学校の負債とならない収入〈帰属収入〉から基本金として支出した金額を控除した消費収入と消費支出の内容及び均衡の状態を明らかにするもの。 3. 期末時点の学校法人の財産状態を表すもの。 聖学院報 25 No.28 March 2007 4. 第 1 号基本金組入額は土地、建物、構築物、図書及び建設仮勘定の当該取得額及び過年度に資産取得に充てた借入金の当該年度債還額の合 計です。 5. 第 4 号基本金組入額は恒常的に保持すべき資金で前年度支出額の 1 ヶ月分になるように組み入れます。 聖学院報 24 No.28 March 2007 Close-Up クローズアップ (表 1) 資金収支計算書(2005 年 4 月 1 日から 2006 年 3 月 31 日まで) 収入の部 単位:百万円 科 目 学生生徒等納付金収入 予 算 決 算 5,195 △37 手数料収入 79 82 △3 寄付金収入 611 653 △42 補助金収入 1,216 1,217 0 18 16 資産売却収入 狂言のおもしろさを実体験 事業収入 ̶̶ 聖学院大学の狂言実習 ̶̶ 日本の伝統芸能のひとつである狂言。 室町時代に生まれ、現代にいたるまで、 ずっと庶民に親しまれてきた芸能です。 聖学院大学では、 その狂言を観るだけで なく、実際に演じることをメインとした 狂言実習を「古典芸能」として4 年前か ら開講しています。人文学部日本文化学 科の井上伸子先生が企画され、京都の 大蔵流狂言師、茂山千三郎先生が授業 を担当されています。大学では珍しい狂 言実習の授業について、井上先生、茂山 先生にお話を聞きました。 2006年度の狂言発表会演目のひとつ 狂言「福の神」 狂言の授業の始まり 二〇〇三 狂言を大学の授業に取り入れたのは、 年のことです。授業の立ち上げに尽力した井上 先 生 は、 ﹁大 学 でも っ と 体 験 を 重 視 した 授 業 が あ っ てもいいのではないか ﹂という 話 がもちあ がったときに、伝統芸能の授業として即座に茂 山狂言を思いついたと言います。 ﹁学生に見せるのなら茂山狂言を見せたいと、 直接連絡をとって、茂山先生に来ていただきま した。茂山家は学校狂言を前々からやっていて、 No.28 March 2007 狂言を広く多くの人に知ってもらおうという開 放的な姿勢があり、非常に現代的な感覚で演じ るところが素晴らしいんです﹂ 27 伝統芸能として狂言を選んだ理由は、ストー リ ー が 短 くてわかりやすくおもしろいことと、 短期間で、ある程度形にできるからだそうです。 そもそも狂言とは ここで狂言についての概要を押さえておきま し ょ う。もともと 狂 言 は 能 舞 台 で 演 じられ、能 と能の間に演じる喜劇。能とセット で上演され る能楽でした。能楽は能の主役を演じるシテ方、 脇役を演じるワキ方、狂言方、囃子方の四つの 役割から構成されているのです。能は謡と舞の 芸術ですが、狂言にも﹁小舞﹂と謡が入っていま す。狂言の流儀は大蔵流と和泉流の二つ。大蔵 流には京都の茂山千五郎家と茂山忠三郎家、東 京の大蔵家と山本東次郎家があります。同じ大 蔵流でも京都の茂山家と東京の山本家では全く 違った印象の舞台なのだとか。 聖学院報 △171 教育研究経費支出 1,094 1,102 △8 680 666 14 借入金等利息支出 62 61 1 2 借入金等返済支出 695 698 △3 0 0 0 施設関係支出 1,162 303 859 39 △19 設備関係支出 111 136 △25 資産運用支出 716 734 △18 63 107 △44 △68 △293 225 1,210 1,426 △216 10,193 9,578 615 △65 506 0 前受金収入 789 1,002 △213 1,540 629 911 △1,094 △1,175 81 1,269 1,269 0 10,193 9,578 615 収入の部合計 (表 2) 管理経費支出 20 145 前年度繰越支払資金 増 減 4,639 80 資金収入調整勘定 決 算 4,468 506 その他の収入 予 算 人件費支出 借入金等収入 雑収入 単位:百万円 科 目 5,158 資産運用収入 支出の部 増 減 その他の支出 資金支出調整勘定 次年度繰越支払資金 支出の部合計 消費収支計算書(2005 年 4 月 1 日から 2006 年 3 月 31 日まで) 消費収入の部 科 目 学生生徒等納付金 単位:百万円 予 算 決 算 科 目 5,158 5,195 △37 手数料 79 82 △3 寄付金 611 718 △107 補助金 1,216 1,217 0 資産運用収入 18 16 2 事業収入 20 39 雑収入 消費支出の部 増 減 単位:百万円 予 算 決 算 増 減 人件費 4,444 4,584 △139 教育研究経費 1,556 1,605 △49 718 694 23 借入金等利息 62 61 0 資産処分差額 18 18 0 △19 徴収不能額 20 24 △4 消費支出の部合計 6,818 6,986 △168 6 38 管理経費 57 89 △32 帰属収入合計 7,160 7,355 △195 基本金組入額合計 △336 △331 △5 前年度繰越消費支出超越額 5,404 5,404 消費収入の部合計 6,824 7,024 △200 翌年度繰越消費支出超越額 5,398 5,366 (表 3) 当年度消費収入超越額 貸借対照表(2006 年 3 月 31 日現在) 資産の部 単位:百万円 科 目 固定資産 有形固定資産 その他の固定資産 流動資産 資産の部合計 05年度末 04年度末 負債・基本金・消費収支差額の部 増 減 科 目 単位:百万円 05年度末 04年度末 増 減 18,723 18,272 451 固定負債 4,065 4,254 △189 15,661 15,708 △47 流動負債 1,880 1,583 297 3,062 2,565 497 負債の部合計 5,944 5,837 107 1,684 1,658 26 19,829 19,497 331 20,407 19,930 477 △5,366 △5,404 38 20,407 19,930 477 基本金の部 消費収支差額の部 負債の部基本金の部及び 消費収支差額の部合計 (注)上記諸表の各科目の金額は、百万円未満を四捨五入しているため、合計額と一致しないことがあります。 聖学院報 26 No.28 March 2007 クローズアップ Close-Up 能 のように 格 式 と 伝 統 を 重 んじていた 狂 言 でしたが、昭和初期に千三郎先生の曾祖父に当 たる二世千作先生が、町の人々にも気軽に楽し んでもらおうと、あちこちに出向いて出前狂言 を 始 めました。あまりにもあちこちに 出 かける いましたが、その延長線上で大学生に教えるこ いでいて、小 学 校 の 教 科 書 にも 出 ている 話 で、 たと⋮。この狂言は一休さんのとんちを受け継 学校狂言の代表演目のひとつです。 とが加わったというわけです。 ﹁大 半 はコント なんです。セリフ は 中 世 の 口 語 だから、わかりやすいですし、具 体 的 な 所 作 冷や奴や湯豆腐で庶民にも喜ばれる。それでえ が、 ﹁豆腐で結構。豆腐は高級料理にもなるが、 れたほどです。なかには揶揄する人もいました ば茂山の狂言にしとけ﹂と、京都界隈では言わ りはむし ゃ むし ゃ とみんな 食 べてしまいます。 見れば毒ではなくおいしそうな砂糖です。ふた ふたりは 好 奇 心 からふたを 開 けてしまいます。 ダメ と言われるとやりたくなるのが人間の常。 郎冠者と次郎冠者に留守番を命じるのですが、 ﹁附子︵ぶす︶ ﹂という演目。附子は たとえば、 毒です。主人が附子に絶対近よるなと言って太 果として、狂言発表会が開かれます。二〇〇六 技演習の集中講座とのこと。そして、授業の成 の二コマ は狂言観劇。以降の二十二コマ分が実 授業のボリューム は九十分が二十六コマ分。 最初の二コマ は、狂言の概論を学ぶ授業で、次 ります。 カル なんです﹂と、井上先生は狂言の魅力を語 ン と壊すなど擬音語もたくさんです。実にコミ 狂言のおもしろさを知ってほしい えのや﹂と、どこ吹く風だったとか。 ﹁お豆腐狂 そこで、太郎冠者は言い訳を考えます。主人の がおもしろい。アムアム と 食 べたり、ガラリ ー 言﹂がモットーとして定着し、現在、 ﹁お豆腐狂 大事なものを次々と壊し、帰宅した主人に、大 ので、 ﹁おかずに困れば豆腐にせい、余興に困れ 言 茂山千五郎家﹂とホームページ にも書かれ ています。この豆腐主義から、千三郎先生も、学 年度は、狂言﹁痿痢﹂﹁福の神﹂ 、小舞﹁三人夫﹂﹁神 学部。にもかかわらず、講義形式ではなく、実技 の学生が対象ですが、聖学院大学の場合は人文 す。近畿大学の場合は文芸学部で役者さん志望 大 学 での 授 業 は 近 畿 大 学 に 次 いで 二 校 目 で できる範囲で、私の声をまねてもらいます。二日 すが、そんな時間はないので、それぞれの学生が か。本 来 なら 腹 筋 や 体 力 をつけてからとなりま 出すことが少ない学生にどう声を出してもらう は次の通りです。 一日目は声の出し方を稽古します。普段声を るのです。最初の年は手探りでしたが、四回︵四 ふつうのお 稽 古 ですと、発 表 までに 一 年 かけ 言 を 観 たり、台 本 を 読 んだりしただけではわか とを感じていただけるとうれしいです。また、狂 きているし、ひとつのビジネス にな っ ているこ いることを 目 の 当 たりにして、狂 言 が 現 代 に 生 No.28 March 2007 28 鳴﹂ 、特別演目は﹁柿山伏﹂でした。 指 導 をしてほしいというので、喜 んでお 引 き 受 間 をかけます。三 日 目 はセリフ をおうむ 返 しに 間 をあけて、さらに 三 日 間。四 日 目 は 立 ち 上 練習します。全員正座です。普段正座なんてした がって動きとセリフ を合わせます。発表会の配 ことがないから 地 獄 だと 思 いますけれど、みん 伝わらない。やはり生の狂言を実際に観てほし 役も決まります。 ﹁ござる﹂言葉のセリフ を覚え というのは、学 校 での 狂 言 の 扱 いに 疑 問 を い。茂 山 狂 言 はお 豆 腐 狂 言 の 精 神 で、学 校 やい るのも 大 変 だし、謡 の 音 程 もなかなか 定 まらな もっているからです。小学校の教科書にも狂言 ろいろなところに 出 向 いているわけですが、観 い。セリフ は台本を渡しますが、ト書きがないの ながんばっていますよ。授業をテープ に録って、 るだけでなく、もうひとつ、実 演 をしてみるこ で、動 き 方 を 自 分 がわかるように 書 き 込 むよう が 載 っ ていますが、文 学 的 な 扱 いなんです。音 とが 魅 力 だと 思 うんです。実 際 に 演 じてみて 初 に言っています。五日目、六日目は発表会に向け 後でみんな集まってそれを聞きながら練習を重 めてわかることがある。ですから、学 生 に 演 じ た稽古をします。 読したりして言葉のおもしろさを勉強するので る体験してもらう授業であれば意義が大きいで ねているようです。 す。ぜひやらせていただきたいと思いました。 ︱︱ 学生には何を一番学んでほしいですか? 会までもってくるのは大変だと思いますが、 年︶をやり通し、だいたいの流れが定着してきま り、生身の人間が舞台で演じてお客さんが観て した。六日間しかない中で、話をする必要もある どのように指導なさるのですか? 狂言が現実の中でどう機能しているか、つま ︱︱ 短期間に狂言の演じ方を勉強し、発表 すが、それだけでは 狂 言 の 本 当 のおもしろさは お返事を考えたところです。 目は基本姿勢や動き。腰を入れて歩くことに時 稽 古 しなければなりません。大 まかな 重 点 課 題 し、セリフ や動き、謡や舞、衣装のたたみ方まで 茂山先生出演の特別演目「柿山伏」 けしました。これが 講 義 のみというのであれば ついてどう思われましたか? ︱︱ 大学で狂言の授業をとり入れることに 狂言「痿痢」 切 な 品 々 を 壊 してしま っ たので 附 子 を 食 べて 大蔵流狂言師。1964年、四世茂山千作の三男として生まれる。父および祖 父三世千作、叔父二世千之丞に師事。1967年「業平餅 」の童で初舞台。狂 言だけでなく、ラジオ のパーソナリティ、テレビ のニュースキャスター、 ミ ュ ー ジカル の演出、出演など幅広く活躍。近畿大学、聖学院大学の非常 勤講師。著書に『世にもおもしろい狂言』 (集英社新書)。 聖学院報 No.28 March 2007 29 聖学院報 大学の体育館で行われる発表会には、毎回 80人ほどの学生と日 本文化学科の先生たちが観にきます 死 んで 詫 びようと 思 っ たのですが 死 ねなか っ Profile 校狂言はもちろん、テレビ のキャスター、ラジ 観て、演じて、感じてほしい 狂言が現代に生きていることを オ番組のパーソナリティなど、幅広く活躍して 茂山 千三郎 先生 クローズアップ Close-Up みると、﹁あー、こんなにおもしろいんだ ﹂と思え が、自分が台本を読みこんで覚えて声を出して 発 見 があります。聞 き 流 してしま っ ている 言 葉 らなか っ たことが 演 じることによ っ て、さらに 取る人が多いのはうれしいです。 して 認 められるのは 二 年 目 までですが、連 続 で ています。この授業は翌年も連続で取れ、単位と 目、四年目の授業には助手として手伝ってくれ ているイメ ー ジ だ っ たと 思 うのですが、古 典 芸 られることはありましたか? ︱︱ 先 生 ご 自 身 が、大 学 で 教 えることで 得 るようになるのです。 狂言って博物館の中に入っ 能 が 現 代 に 生 きていることがわか っ てきます。 り 直 せじ ゃ ないけれど、自 分 も 同 じようなこと て 直 らなか っ たりします。人 の 振 り 見 て 我 が 振 それを知ることが一番大事ですね。 ︱︱ 授業で心がけていらっしゃることは何 動 きのお 稽 古 をしていて、それぞれ 癖 があ っ でしょう? 十 時 から 夕 方 五 時 くらいまでですから、三 日 続 ンション を維持しておかなければなりません。朝 けています。ガーン と 声 を 出 してもらうにはテ す。百 パーセント の調子で授業に臨むよう心が るのがわかります。ですから 気 を 抜 けないんで ちょっと落ちると、学生の調子がガタン と落ち セリフ の 稽 古 で、私 の 声 の 出 し 方 の 調 子 が ところまで 追 求 するのは 所 詮 無 理 ですから、限 ことがありますね。間とか、呼吸とか空気という は何気なく通りすぎていたところを再確認する しいのですか?﹂とチェック が入ります。自分で 学 生 から、 ﹁この 間 はこうでしたよ。ど っ ちが 正 るので、次の日にちょっと違う言い方をすると フ回しを学生がテープ に録って覚えたりしてい また、セリフ回しでも、私の言った決まりのセリ で、人間の気持の部分や日本的なものなども感 のではないでし ょ うか。実 に 人 間 臭 い 演 劇 なの せるのは 大 変 なことなのだということがわかる も狂言師によって全然違う舞台なのだ、客を乗 実際に演じた経験のある学生は、同じ演目で さい。 ︱︱ 最後に、次年度の抱負をお聞かせくだ をしているときがあると気づくことがあります。 けますとけっこうきついです。 じ取ってもらえればいいなと思っています。 ヨーロッパ、アメリカ、アジア各国から公演依 そうですね。 ︱︱ 日本全国に留まらず、海外公演も多い という目標に向かって進めています。 られた 時 間 で 最 低 限 度、これだけは 習 得 しよう ︱︱ 学生の反応はいかがですか? 声 がだんだん 出 るようになり、腰 を 落 とした 歩 き 方 もできてきます。衣 装 をつけると 顔 も 変 わります。発 表 会 までの 稽 古 は 前 日 までそれは 大変ですが、舞台に立った後は、満足感・達成感 最初の年に四年生で授業を受けた女性ふたり 浴び、なかなかの反応でした。学生も狂言を知っ 大学でワークショップ をしました。拍手喝采を 頼がたくさんあります。 最近ではインドのデリー は、すっかり狂言の魅力にとりつかれてしまい、 ていることで、国 際 交 流 に 役 に 立 つことがある でいっぱいのようです。 東京・青山のお稽古場にもずっと通っています 参考文献/茂山千三郎著﹃世にもおもしろい狂言﹄ 集英社新書 ︵構成・取材 石渡 秋︶ 日本文化学会観劇会﹁茂山狂言会﹂ 二〇〇七年七月七日︵土︶午後二時開演 会場 喜多能楽堂︵J R 目黒駅より徒歩七分︶ 演目 ﹁棒縛﹂﹁濯ぎ川﹂ 解説/茂山千三郎 ※どなたでも 観劇可能。お申込みは日本文化学科HPで。 ■ 二〇〇〇年から始まった﹁新しい聖学院 教 育 を 構 築 していく ﹂という 取 り 組 みは 聖 学院中高の百周年で一応の区切りを迎えま した。この間を振り返った時、社会も大きく 変 わりました。聖 学 院 の 先 見 性 が 光 る 七 年 間 であ っ たと 思 います。聖 学 院 の 広 報 もこ れに 合 わせて 変 わ っ てきました。発 信 手 段 も 紙メディ アからインタ ー ネット 広 報 へと シフト しつつあります。しかし、ぱらぱらと めくるだけで 全 体 を 一 度 に 閲 覧 できるなど 紙 のメディ ア の 良 さもあります。今 号 もこ ういう 形 でお 届 けできました。どうぞ 聖 学 院の今を感じ取ってください。︵研︶ http://www.seigakuin.jp/seigweb No.28 March 2007 聖学院報 on the WEB ■ 大学の講演会、狂言など、取材とはいえ、 デザイン 有限会社アイルデザイン 印 刷 株式会社イガラシ 発 行 日 2007年 3月12日 存分に堪能しています。インタビューは紙面 に乗せ切れないほど盛沢山なので、聖学院報 にロングバージョン を掲載しま on the WEB す。ぜひご覧ください。︵くり︶ 聖学院報 No.28 ■ 今 号 の 編 集 に 携 わり 特 に 感 じたことは、 聖 学 院 の 同 窓 生 は 母 校 愛 が 強 く、今 を 充 実 した 気 持 ちで 過 ごしていら っ し ゃ るという こと。新たな百年、新鮮な気持ちで広報に取 り組みたいと思います。︵綾︶ 編集発行 聖学院広報センター かもしれません。 編 集 後 記 し、卒業後 も 大学の授業に 参加しました。三年 (提供:松田平田設計) ︱︱ ありがとうございました。 30 狂言の練習風景 聖学院報 写真上/ 女子聖学院 新校舎完成予想図 写真下/ クローソンホール 完成予想図 聖学院中学校 ・ 高等学校百周年 理事長・院長/大木 英夫 〒114-8574 東京都北区中里3-12-2 Tel 03-3917-8351 ●ホームページ http://www.seig.ac.jp ●E-mail [email protected] ■さいたま上尾キャンパス ■駒込キャンパス 政治政策学研究科/アメリカ・ヨーロッパ文化学研究科 人間福祉学研究科 大学院長/大木 英夫 〒 362-8585 埼玉県上尾市戸崎 1-1 Tel 048-725-0781 校長/峰田 将 〒 114-8502 東京都北区中里 3-12-1 Tel 03-3917-1121 校長/小倉 義明 〒 114-8574 東京都北区中里 3-12-2 Tel 03-3917-2277 政治経済学部/政治経済学科 コミュニティ政策学科 人文学部/欧米文化学科 日本文化学科 人間福祉学部/児童学科 人間福祉学科 学長/阿久戸 光晴 〒 362-8585 埼玉県上尾市戸崎 1-1 Tel 048-781-0925 校長/大野 碧 〒 114-8574 東京都北区中里 3-13-1 Tel 03-3917-1555 所長/エバート D. オズバーン 〒 362-8585 埼玉県上尾市戸崎 1-1 聖学院大学内 Tel 048-725-2801 園長/大野 碧 〒 114-8574 東京都北区中里 3-13-2 Tel 03-3917-2725 所長/大木 英夫 〒 362-8585 埼玉県上尾市戸崎 1-1 聖学院大学内 Tel 048-725-5524 28 March 2007 ■米国アトランタ 校長/富沢 寿美子 園長/濱田 辰雄 〒 331-0045 埼玉県さいたま市西区内野本郷 820 Tel 048-622-3864 5505 Winters Chapel Road, Atlanta, GA 30360 USA Tel 770-730-0045 この印刷物は再生紙を使用しています。 聖学院では、シンポジウムの開催など、 環境問題に積極的に取り組んでいます。
© Copyright 2026 Paperzz